【超・閲覧注意】カニバリズムの話教えてくれ『ブルックリンの吸血鬼』 他・・・back

【超・閲覧注意】カニバリズムの話教えてくれ『ブルックリンの吸血鬼』 他・・・


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有名なのでもなんでもいい
カニバリズムカニバリズムは、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは宗教儀礼としてのそのような習慣をいう。食人、食人俗、人肉嗜食、アントロポファジーともいう。
なお、文化人類学における「食人俗」は、社会的制度的に認められた慣習や風習を指し、一時的飢餓状態下の緊急避難的な場合や精神異常による食人を含まない。また、生物学用語では種内捕食全般を指す。転じて、マーケティング用語で自社の製品やブランド同士が市場を食い合う状況を指す。
wiki-カニバリズム-より引用(閲覧注意)

4:以下、
なんとか一家
5:以下、
機内で脳を食うと子供が寄ってくる

37:以下、
>>5
ハンニバルだっけか
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000MM1I1Q/
http://www.hannibal.ne.jp/
8:以下、
カニバリズムは六種類くらいに分類される
宗教的なのとか食事的なのとか医学的なのとか
あと色々
9:以下、
アンデスの聖餐
アンデスの聖餐『アンデスの聖餐』は、1972年10月13日にウルグアイからチリに向かった旅客機が遭難し、雪山で生き残った乗客たちが、死体を食糧にして生還したウルグアイ空軍機571便遭難事故を描いた1975年のブラジル制作のドキュメンタリー映画。この事件は他にも『アンデス地獄の彷徨』、『生きてこそ』など、何度か映画化されている。
wiki-アンデスの聖餐-より引用
関連:生きてこそ

10:以下、
開拓者の雪山越え
大西洋を渡って東海岸からアメリカ大陸に上陸した開拓者たちは、
天候に恵まれた西海岸に入植するためには何千マイルもの旅をしなければならなかった。
長い旅路には様々な障碍が待ち受ける。ネイティブ・アメリカンの襲撃。無法者たちの略奪。
しかし、そびえ立つシエラネバダの山々こそが最大の難関であった。
山を越せるのは雪の溶けた夏だけだ。
そのためシーズンともなれば移住者を満載した馬車が列をなす。
ジョージ・ドナー率いる総勢87名のドナー隊も「約束の地」カリフォルニア目指して旅立った。
しかし、彼らは季節を間違えた。遅すぎたのだ。
 1846年8月、ドナー隊はイリノイを後にした。
ただでさえ遅い出発であったにも拘わらず、彼らの馬車を牽くのは馬ではなく牛。
ノロノロとした砂漠の旅は困難を極め、ユタの砂漠を横断する過程で、既に5人が命を落とした。
ようやく山々が見え始めたのは10月下旬のことである。冬はもうそこにまで来ている。
この時期の山越えは自殺行為だ。
しかし、砂漠とシエラネバダに挟まれて進退極まったドナーは敢えて山越えを選ぶ。
この山さえ越えれば、そこはもう「約束の地」だからである。
 10月30日、案の定、ドナー隊は遭難する。場所は標高2000メートルのトラッキー湖畔。
吹雪が凄まじく、馬車は雪に埋まり、もうこれ以上先に進むことは出来なくなったのである。
詮方なく、隊はここで冬を越す羽目となる。
住居の心配はない。丸太小屋の材料はまわりにいくらでもある。問題は食料だ。
果たして吹雪が止むまで、貧弱な牛の肉だけで間に合うだろうか?。
間に合う筈はなかった。食料の消耗は思いのほか早く、このままでは隊の全滅は必至だ。
捨て身の救援隊が組織され吹雪の中を旅立つ。
しかし、二度に渡る救援隊は、遂に帰ってこなかった。
11:以下、
 12月16日、最後の救援隊が山越えに挑んだ。しかし、幸先はよくない。
2日目に怖じ気づいた2名がキャンプに引き返してしまう。
そして、クリスマスの夜、荒れ狂う吹雪が彼らを襲った。
「もう食べるものは何もない。彼以外には.....」。
そう云って、エディはドランを指差す。ドランは昨日から昏睡状態だった。
一行は、ドランが死ぬと、これを平らげてしまった。
この吹雪の中で5名が死に、生存者の胃の中に納まった。
 年は明けて1847年1月1日、誰も死なないので、一行は困ってしまった。
「駄目だ。もう我慢できない」。
大食いのフォスターは、先達を務める二人のネイティブ・アメリカンを調理することを密かに提案する。
これにゾッとしたエディが彼らに忠告したため、新鮮な食材は逐電。
なにい、逃げたあ?。フォスターはエディの横っつらを張り倒し、ライフル片手に雪原を走る。
逃がすものかあああ。その体力はどこにあったのか、瞬くうちに彼らに追いつく。
精魂尽きて樹の根元に倒れ込む彼らの視界に入って来たのは、
常軌を逸したフォスターの舌舐めずり。
間髪入れずにフォスターは二人の脳天を撃ち抜く。
この事件を機に救援隊はフォスター組とエディ組に分裂する。
しかし、皮肉なことに、生き残ったのは二人を食べて体力をつけたフォスター組であった。
 1月11日、フォスターたちはなんとか山を越え、
よろめきながらサクラメントのジョンソン牧場に辿り着く。
彼らは半裸の上に顔は血まみれ、
人を喰って生き存えていたことは誰の眼からも明らかだった。
フォスターたちの報告を受けて、直ちに救助隊が組織された。
しかし、冬の真っ只中。無事に全員を救出できる保証はなかった。
12:以下、
ザクロは人の脳味噌の味云々
18:以下、
>>12
それは神話において他人の子を食べる鬼子母神が諭されて柘榴を食べるようになったという話で
味は全く関係ない
13:以下、
 2月18日、救助隊はトラッキー湖畔に到着した。キャンプ地ではまだカニバリズムは行われていなかった。
しかし、状況は惨澹たるもので、いくつもの屍体が野ざらしにされていた。
衰弱した生存者たちには死者を埋葬するだけの体力が残っていなかったのだ。
不幸なことに、救助隊の食料も底を尽き始めていた。
木乃伊取りが木乃伊になるわけにはいかない。
とりあえず、自力で山越えができる者だけを救出することにした。
選ばれた24名は半死半生でサクラメントに辿り着いた(うちの2名が途中で死亡)。
しかし、残された32名の運命はより悲劇的なものとなった。
救助隊は彼らに食料を残していくことが出来なかったのである。
 3月1日、第2救助隊が到達した。恐れていたことが現実のものとなっていた。
救助隊がまず見たものは雪原に横たわる骨格標本。
救助隊に近づく男は、悪びれるでもなく誰かさんの脚を腰からぶら下げていた。
この脚のかつての所有者はジョージ・ドナーの弟、ジェイブ・ドナー。
夫人は夫を食べることを拒否したが、子供たちには切り分けて食べさせていた。
救助隊の食料不足は前回と同様だった。
救出できたのは女子供を含めた14名だけだ。約半数である。
しかし、彼らも救出されたと喜んではいられない。
激しい吹雪が襲い、食料はあっと云う間に底を尽いた。
7歳になるメリー・ドナーが無邪気に云った。
「また死んだ人を食べなくちゃね」。
1時間もしないうちにグレーブス夫人が跡形もなくなった。
彼女はその乳飲み子が寝かされた横で解体された。
結局、11名が救助されたが、ショックのあまり自らの体験を語ることは出来なかった。
14:以下、
人肉はまずいってイタリアンマフィアのワキガが言ってた
16:以下、
一方、トラッキー湖畔のキャンプでは、
ジョージ・ドナーの家族を中心とする十数名が3回目の救助隊を待っていた。
さて、ここでルイス・ケスバーグが登場する。彼は完全に狂っていた。
しかし、ジョージ・ドナーが凍傷で死にかけている今となっては、
彼が事実上のリーダーである。
次の救助の到着まで、彼らは嫌でもケスバーグの指示に従わなければならなかった。
或る日、ケスバーグは4歳になるジョージ・フォスター(前述した大食いフォスターの子)を
自分の横に寝かせた。
翌朝、ジョージは冷たくなっていた。
誰もが殺人を疑ったが、ケスバーグは自然死だと云い張った。
そして、屍体を逆さまに吊るして、ナイフを研ぎながらこう云った。
「さあ、早く食べようぜ」。
17:以下、
 3月13日、第3救助隊が到着した。生存者の半分が食べられていた。
ドナー夫人は重体の夫を残していくことを拒んだ。
結局、雪解けまでこの地に留まることとなった。夫人一人では心配だからと、ケスバーグも残ることとなった。
彼を残すことが一番心配だったが、今回は食料を十分に残しておくことができたので、
よもやそんなことはあるまいと高を括っていた。
 4月17日、最後の救助隊がこの呪われた地を訪れた。
生存者はケスバーグ一人だった。
「ドナー夫人は何処だ?」。
「そこにある」。
見ると、そこには大きな鍋二つに波々と血が満たされ、
切り取ったばかりの肝臓がフライパンの上で調理されていた。
「残りは喰っちまった。これまで喰った中で、彼女が一番旨かった」。
ケスバーグの小屋を捜索すると、なんと、牛の肉も見つかった。
前回の救助隊が置いていった干し肉だ。
ケスバーグは極限状態で夫人を喰ったわけではなかったのだ。
「どうもこの干し肉はパサパサで、俺の口には合わないんだ。
人の肝臓の方がよっぽど旨い。
それに脳味噌ときたら、そりゃあもう、スープにすると最高だぜ」。
呆れた救助隊はケスバーグを拷問にかける。
しかし、彼はとうとう夫人の殺害を認めなかった。
それからの彼は、あのドナー隊の最も血塗られた生き残りとして、カリフォルニアの名物男となった。
彼は酔うと決まってドナー夫人のノロケ話を始めた。
「柔らかい、いい女だったあ。俺はあの女から4ポンドもの脂肪を煮出したものさあ」。
 1850年代初め、ケスバーグはステーキハウスを開店した。宣伝文句に曰く、
「最上の柔らかい肉しか扱いません」。
24:以下、
>>17
怖すぎ
ちゃんとオチまであるのもいいね
話のタネにさせてもらうわ
21:以下、
お前ら食わし過ぎワロタ
15:以下、
劉備
劉備が曹操から落ち延びて、辿り着いた一軒の民家で、肉が振舞われた。
翌日、出発しようと家の裏手にある馬小屋へ行くと、そこには女性の死体が転がっていた。
これはどうしたことかと、劉備が家の主人に聞くと、昨晩の肉は、自分の妻の肉を削いだものであったという。
劉備は涙を流して感謝し、彼を配下に迎え入れようとした。
しかし、主人は、私には養う親がありますゆえ、と、断ったという。
22:以下、
血は完全栄養食
ある震災で瓦礫の下に閉じ込められた親子がいたが
怪我をした母親がその血を子に飲ませて生きながらえさせたという話がある
25:以下、
東京朝日新聞「諸国悪もの食ひ」
明治40年(1907年)の、9月から10月にかけて、東京朝日新聞(現・朝日新聞)で、
「諸国悪もの食ひ」という小さなコーナーが30数回に渡って連載されていた時期があった。
これは日本各地の変わった食べ物を紹介するコーナーで、
虫などを食べるような、いわゆるゲテモノ食いの食文化を紹介するコーナーだった。
その中において、人間の死体を食うという記事がいくつか掲載されたことがある。
「脳味噌(のうみそ)の黒焼き」 <東京・日暮里>
梅毒患者には大の妙薬という迷信で今も行われている。
ことに人骨をからめると、もっとも効き目があるとして、
ずいぶん火葬場の骨揚げの時にモリモリやらかす者がある。
(明治40年10月7日)
明治時代まで、難病に対する治療薬として人間の臓器や脳を食べると効果があると信じていた者は多く、
火葬場に死体や骨を求めて訪れる人も結構いたらしい。
もちろん、その効果が医学的に証明されていたというわけではなく、
ただの迷信であるが、昔のことゆえ、
「人間の死体は薬になる。」という考え方が発生したのも自然の流れかも知れない。
26:以下、
「火葬場の焼餅(やきもち)」 <東京>
内緒で火葬場へ頼んで、大きなお供え餅を(死体と一緒に火葬場の中で)蒸し焼きにしてもらう。
これは難病に効験があるという迷信から来たものだ。
餅にはすっかり脂(あぶら)が染(し)み込んで(これは人間の死体の脂である)、
ちょっと変てこな臭いがするものだ。
(明治40年10月9日)
死体を焼く時に、餅を一緒に入れて焼いてもらう。
当時の火葬は、現代ほど強い火力で焼いていたのではなく、
普通の焚(た)き火を燃やすようにして焼いていた。
餅を、死体の脂が十分染(し)み込むように置いておき、
そろそろ食べ頃になったと思った時、取り出して食べる。
火葬場の職員に協力してもらわなければ出来ないことで、
職員にはちょっとしたお金を渡しておく。
職員にとっても小遣い稼ぎにはなる。
難病とは結核などを指し、これは当時の難病だった。
この死体の脂入りの餅は、結核を始めとする、肺病に効果があると信じられていた。
28:以下、
>>26
オエエ・・・
肉食うのは特に抵抗ないけど、これは気持ち悪い
27:以下、
「乾(ほ)した人膽(にんたん)」 <東京>
人膽(にんたん)は精力を増すという古来の伝説を信じて、
幕府(江戸幕府)時代には盛んに行われたのだが、
今でも内々乾燥したやつを売買している者がある。
その価格は一個何百円(現在では何十万円)というもので、
昔首斬り役を務めた何某家には、まだゴロゴロ保存されているという。
(明治40年10月14日)
人膽(にんたん)とは肝(きも)のことで、すなわち肝臓のことを指す。
乾(ほ)した人膽(にんたん)とは、人間の肝臓を乾燥させたもののことである。
江戸時代に首斬り役を務めた家とは、山田浅右衛門の家と推測される。
山田浅右衛門は、処刑された罪人の死体で、新しい日本刀の試し斬りをするという仕事をしていた。
山田は死体から肝臓を取り出し、軒先に吊るして乾燥させ、
これを適度に分けて「人胆丸」という薬として販売していた。
この薬は当時、正当な薬として認められており、山田家はこの商品の販売で巨大な富を築いていたという。
29:以下、
一部の部族では優秀な人間の肉を食べるとその能力が身に付くという迷信があった
33:以下、
>>29
今現在もあるんじゃなかったっけ?
食葬的な
どこの国かは忘れたけど
30:以下、
「死人の脂(あぶら)」 <周防(すおう) = 山口県>
死人の脂が肺病患者のような疲労を感じる病に効験のあるということは古い伝説だが、
周防(すおう)で新吉という男がコレラ患者の焼場(火葬場)へ忍び込んで、
死体の脂を取ろうとしてところを、(見つかって)取り押さえられて、えらい評判となった。
新吉は心臓病を患(わずら)っていたそうである。
(明治40年10月15日)
東京での話が多い中、これは珍しく地方の話である。
死者の身体が薬になるという考えは首都圏だけでなく、地方にも広まっていたようである。
またこの他にも、「骨壺の底にたまった水を飲ませると肺病に効果がある。」という言い伝えもあった。
31: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:15) 2014/02/10(月) 03:50:31.80 ID:5S7WMF67i
ニンゲンヨコシテサッサトイケ
32:以下、
トンキンって怖いね
35:以下、
クールー病
2004年3月31日の毎日新聞に、
パプアニューギニアの不治の病「クールー病」についての記事が掲載されたことがある。
それによれば、パプアニューギニアの高地に住んでいるフォア族という民族では、
かつて「クールー病」という病気によって、数千人が死亡していた時代があったという。
クールー病とは、手足が震え、方向感覚を失って歩けなくなる病気で、
言語障害や痴呆になり、意識を失うこともある。約1年で死に至るという不治の病である。
この病気の研究に40年以上携(たずさ)わっている、マイケル・アルパース教授の調査によれば、
クールー病の原因は、フォア族の風習である「人肉食」に深く関わりがあるという。
フォア族では、死者が出た場合、葬儀の参列者は死者の魂を慰(なぐさ)めるために死体の肉を切り刻み、
それをバナナの葉に包んで焼いて食べるという風習がある。その際、女性と子供は脳と内蔵を食べることになっている。
教授の調査によれば、1957年以降クールー病で死亡した者2500人のうち、その80%は女性だった。
そして18%は子供であり、成人男性は2%しかいなかった。
1950年代、この地を統治していたオーストラリアがフォア族に対し、
人肉食をやめるように命じ、1960年以降、この人肉食の風習は消滅した。
そしてそれ以降、クールー病による死者はどんどん減っており、
「人肉食とクールー病との因果関係は明らかだ。」と教授は語っている。
しかし、人肉食の風習が消滅して50年以上経っても、まだクールー病による死者は年間1人か2人はおり、
この病気の潜伏期間は5年から50年と考えられている。
38:以下、
佐川くんとか
殺人して人肉食っといて無罪で今ものうのうと暮らしてるって
考えてみると凄いことだよね
42:以下、
>>38
体験を元にした本も出してるしな
クールー症とか、ウェンディゴ憑きの話からすると、やっぱり人肉食ってのは禁忌なんだね
でも、なんでそういうメカニズムが人間に埋め込まれてるのかね
39:以下、
佐川くん事件じゃなくて
パリ人肉事件
っていうのか
http://ja.wikipedia.org/wiki/パリ人肉事件
40:以下、
共食いをしないために遺伝子的ななにかでクールー病があるのか
ただ単純にクールー病にかかってる奴を食うからクールー病になるのか
どっちなんだろうな
41:以下、
アンドレイ・チカチーロと並び称される旧ソ連最悪の食人鬼 ニコライ・デュマガリエフ
1952年生。旧ソビエト連邦カザフ出身。
50人以上の女を殺して食べた食人鬼。
その肉で伝統のカザフスタン料理を調理をして、友達にも振舞っていた。
性的なカニバリズムではなく、人を食べるという行為自体を楽しんだ。
"鍋で煮ていた頭? あれは公園で出会った女のものだ。2人でお茶して、部屋に連れて行った。
女はセッ○スしたがったが、俺は興味がない。殺すと直ぐに調理にかかった。人の肉は日持ちしないからね」"
"「女の喉を掻き切ったら、まず血を飲むんだ。そして、乳房を切り取ってフライにする。
これは猪のような味がする。それから部分ごとに切り分けて調理して行くんだ」"
43:以下、
カニバリズムってものすごく興味惹かれる
別に食べたいんじゃなくてそれに至る過程に
44:以下、
人肉を市場に流通させようとした男 カール・デンケ
1870年生。ドイツ出身。
町の名士だったカール・デンケは、食料不足の中、人肉を市場に流通させる事業をはじめることを思い立ち、
商品開発のために50人程度の浮浪者を殺害した。
"商品開発の過程でデンケは多くの人肉を口にしている。
真面目な彼は、子供や女の肉が柔らかいことは勿論、
年齢別の肉の性質、味、加えられるべき適切な塩加減等について詳細にメモをとった。
この研究は召使いや女中たちには秘密だったが、彼らはデンケのマーケッティング調査の犠牲になった。
彼らの食事には必ず「商品」が供され、食後にはアンケートの提出が義務づけられていた。
人肉の一般家庭への普及にここまで熱心に打ち込んだ人を私は知らない。
いかにもドイツ人らしい、几帳面な人物であった。"
47:以下、
>>44
ひええええええ
すげえ興味深いなこのエピソード
あと、ソーニービーンの話も貼れたら貼ってくれないか
45:以下、
人肉を主食にした「ミルウォーキーの食人鬼」 ジェフリー・ダーマー
1960年生。オハイオ州ミルウォーキー出身。
「ミルウォーキーの食人鬼」の異名を持つ。
1978年から1991年にかけて、主にオハイオ州やウィスコンシン州で17人の青少年を絞殺し、
その後に死姦、死体切断、人肉食を行った。逮捕時、部屋に人肉以外の食料がなかったことから、
人肉を主食として生活をしていたと言われている。
"冷蔵庫の中には4つの頭部といくつもの肉片が保存されていた。
ファイリング・キャビネットの上段には3つの頭蓋骨、下段には各部の骨が、
箱の1つには2つの頭蓋骨とおぞましい写真アルバムが収納された。
鍋の中では2つの頭部が煮えて崩れかけており、その他の容器も手足や臓物でいっぱいである。
ガラス瓶の中には男性器がホルマリン漬けにされている。玄関に置かれた青い樽は塩酸で充たされ、
中では3つの胴体が溶解されていた。
 まるで屠殺場である。更に恐ろしいことに、冷蔵庫の中には人肉の他に食料らしいものがまるでなかった。
このことはダーマーが被害者を食べて暮らしていたことを示唆していた。"
"後の法廷でダーマーは、切断した身体の一部を切り取っては、塩とこしょうで味付けして食べていたと証言している。"
46:以下、
書店にカニバリズムの本があったが白黒だが写真付きで予想以上にグロくて読めなかった
48:以下、
児童ばかり400人殺害した「ブルックリンの吸血鬼」 アルバート・フィッシュ
1870年生。ワシントン出身。
多数の児童を暴行して殺害。400人殺したと自供している。
「満月の狂人」「グレイマン」「ブルックリンの吸血鬼」の異名を持つ。
"私は彼女を絞殺しました。それから、彼女を小さくコマ切りにし、
そのようにして私の肉を私の部屋に運び入れました。調理し、食べました。
オーブンで焼いた彼女の小さなお尻の、なんて甘美で柔らかだったことでしょうか。
彼女の全部を食べるのに9日間要しました。私が望むなら彼女をレ○プできましたが、それは行いませんでした。
彼女は処女のまま天に召されたのです。"
"まず耳と鼻と顔や腹から削いだ肉でシチューを作りました。
たまねぎとニンジンとカブとセロリを入れて、塩と胡椒で味付けしました。なかなかいい味でした。
 お尻の肉は二つに切り分けて、おちんちんと一緒に皿に置き、細かく刻んだベーコンを載せてオーブンに入れました。
15分ほど焼いたところで、ソースを作るために半リットルの水をかけ、タマネギを4つ入れました。
そして肉が焦げないように、たびたび木のスプーンで肉汁をかけました。
 2時間ほどすると、肉はこんがりと焼き上がりました。
ぽっちゃりした坊やのお尻のおいしいことといったら、ローストターキーなんか比べものになりません。
私は4日かけて、そっくり平らげました。
小さなおちんちんはナッツみたいで美味でしたが、睾丸は硬すぎて噛み切れないのでトイレに棄てました"
54:以下、
>>48
これテレビでやってたの覚えてるわ
49:以下、
海外はスケールが桁外れだな
50:以下、
こんな時間になんてもん読ませるだよ
52:以下、
ソニー・ビーン
イギリスとフランスの100年戦争がまだ続いていたころ、
イギリスのグラスゴーの町に、馬にまたがったまま、ぐったりとしている男がたどり着いた。
男は頭から血を流し、身体のあちこちに切り傷もある。誰かに襲われたのは間違いない。
人々が駆け寄って行くと、男は血だらけの顔をあげて「助けて下さい! 妻が・・妻が食われてしまう!」と叫んだ。
助けてくれというのはまだ理解出来るが、「食われる」というのはどういうことだろうか。
男に事情を聞いてみると、この先の海岸で、何十人もの人間に突然襲われたというのだ。
棒で殴られ、馬から引きずり下ろされて、相手は完全に自分を殺すつもりだったのが、はっきり読み取れたという。
この盗賊たちの中にはなぜか女も子供も混じっていた。
そして彼らの目は一様にギラギラし、明らかに普通の人間とは違っていたという。
まるで食べ物に群がる動物のような目をしていたため、直感的に「食われる」と感じたというのだ。
たまたま馬が暴れてくれたため、男は一瞬のスキをついて馬に飛び乗り、なんとか逃げてきたらしい。
だが妻までは助けられなかった。
55:以下、
それにしても男の真剣な訴えは、まんざら誇大表現でもなさそうだ。
そういう盗賊団がいるのなら、町の人間としても放ってはおけないということで、
すぐに400人の兵と猟犬まで用意して大捜索隊を組み、男の言う海岸まで捜索に行くことになった。
その海岸はひっそりと静まり返ったところで、普段は人を見かけることは滅多にない。
盗賊団は女も子供もいて馬も持っていなかったというから、この付近で生活しているに違いない。
だがそこは、それらしい建物もテントも・・そして船も見当たらず、ただ漠然と岩と海が広がっているだけであった。
しばらく捜索を続けていると、ある方向から異様な匂いが漂ってきた。
それは誰にとっても大変な悪臭で、その方向に何らかの異常があることは誰にでも判断出来た。
捜索隊はみんな一様に、その匂いのしてくる方向を目指し、歩く。
するとまもなくぽっかりと口をあけた大きな洞窟の前にたどり着いた。いうことであった。
しかし現場に到着したのは夜が明けてからであった。現場には何も残されてはいなかった。
男は恐怖に怯えながら、ここで奴らが襲って来た。ここで妻が殺された。
とジェスチャーを交えて早口に説明する。
そして思い出すと自分を制御できないのか、大声で泣き叫んだりをくり返すのであった。
56:以下、
中からは異様な体臭と死臭、そして何かが腐ったような匂いが漂ってくる。
この中に踏み込むのは相当の度胸が必要であったが、
何十人もの兵士が意を決していっせいに中に踏み込んでみた。
中にいたのはやはり男の言った盗賊団であった。
盗賊団たちは別に抵抗することなく、あっさりと捕まった。
次々と洞窟から出て来る盗賊団の人間はちょっと変わっていた。
髪は伸び放題になっており、新しいスカートをはいている少年、聖職者の服を着ている男、ボロボロのズボンをはいている女・・。
いかにも襲った人間から剥(は)ぎ取った服を身につけているという感じだ。
とすると、あの少年がはいている新しいスカートは、男の妻から剥ぎ取ったものだろうか・・?
彼らはみんな一様に異常な体臭を発し、着ているものも男女の区別がなく、
盗賊団のわりには男と女の比率は同じくらいであった。
そして老人から赤ん坊までいる。
57:以下、
町の広場まで連行された盗賊段は全部で47人。盗賊団は捕らえた。
あとは男の妻を捜さなければならない。兵士たちは再び洞窟の中へと入って行った。
しばらくすると洞窟の中から凄まじい悲鳴が聞こえてきた。
ほどなくして兵士たちが次々と走って洞窟から出て来る。
彼らの顔は引きつり、中には激しく吐いている者もいた。
洞窟の奥には男の妻の変わり果てた姿があったのだ。
胴体も手足もバラバラに切り離され、腹は切り裂かれて内臓はきれいに食われていた。
これからもっと食べるところだったのだろう。
また、奥の方には、人間の手や足を干し肉にしたものが吊るされており、
人体の塩漬けや肉片、腐りかけた頭、干物などが大量に発見された。
この47人の集団は、ここで旅行者などを襲っては洞窟で解体し、食べていたことは間違いない。
そしてもう一つの事実が分かった。
この47人は、一人の老人を長(おさ)とする一つの家族であったということだ。
長である老人の名前はソニー・ビーンという。
58:以下、
大友克洋の漫画に喧嘩で殺した友達の肉を食べるて完全犯罪にする話があったな
その話が載ってる単行本自体不気味な話が多くてその中でも特に不気味だったから未だに覚えてる
59:以下、
ひかりごけ事件しか思い浮かばない。
60:以下、
ソニー・ビーンは、若いころ故郷を出て妻と共にこの地に流れ着き、洞窟で生活し始めた。
そしてそれから25年。
妻との間に出来た子供たちは子供同士で近親相姦を繰り返し、ここまでの集団に成長してしまったのだ。
そして彼らは外部とは一切接触を持たないで生活してきた。
ビーンと妻は怠け者であったにもかかわらず、性欲に関しては旺盛であった。
たちまち男8人、女6人の14人も子供をつくることになる。
さらにその子供たちは、近親相姦を繰り返し男18人、女14人を生んでいく。
まさにネズミ算式に増えていくのだが、たちまち50人ほどの大家族を形成することになった。
子供たちは教育は全く受けず、したがって言語能力などあろうはずもなく、
感情のおもむくまま、欲望のままに毎日を生きるだけであった。
ただ、見よう見まねで、殺人を犯して遺体を解体し、食糧に加工する方法だけは習熟した。
こうして恐るべき殺人集団が形成されて行く。
彼らの主食はもっぱら人肉であった。保存食料とするため、人肉はさまざに加工される。
塩漬けにされ、樽に詰められる。また薄く切って干物にもされた。火にあぶって薫製にもされる。
こうして加工された人肉は、長期間の保存食料として貯蔵された。
62:以下、
獲物(この場合は旅人)の襲い方も手慣れたものであった。
襲った獲物は取り逃がしてはならない。逃がすと犯行のみならず自分たちの存在までばれてしまうからだ。
犯行は完璧でビーン一族に襲われて生還した者は一人もなく、
人間の失踪事件が多発する事が知られる様になっても、誰にも真相をつかめなかったのである。
かくして25年もの間、彼らの存在は世間に知られる事はなかった。
襲う際の決まり事もあったらしい。まず襲う相手の人数は必ず5人以下とすること。
一人の相手に3人でかかる。襲撃する場合は、
相手がどの方向に逃げても大丈夫なように、あらかじめ仲間を待ち伏せさせておく。
その他、馬車を止める者、引きずり出す者、ナタやこん棒で止めを刺す者など細かく分担が決められていたという。
こうして彼らに襲われ、殺され、食べられた犠牲者の数は300人を下らないだろうと言われている。
しかし25年間もこれだけの大所帯が食べて行くには、それでは足りず千人以上の人間が必要だったという考え方もある。
それが事実だとすれば実に恐ろしいことである。
63:以下、
かくしてビーン一族は、25年間に渡って犯行を続けたが、
夫の方を取り逃がしたために、彼らの悪事は一挙に明るみに出ることになった。
当時の記録によると、裁判は行われなかったらしい。
それどころか人々から、邪悪なものとされ、憎悪された結果、全員が即刻、処刑されることになった。
それも復讐を込めて考えうるもっとも残酷な処刑の仕方であった。
 男は生きたまま両腕両脚をナタで切断されて失血死するまで放置された。
女はその一部始終を見せられた後、とろ火でゆっくり死ぬまであぶられたのである。
あまりの苦痛に恐ろしい叫び声が処刑場こだました。
ビーン一家には幼児や赤ん坊も含まれていたのだが、全員が例外なく処刑された。
 そして死の瞬間まで、彼らはなぜ自分たちが
こういう酷い目に合わないといけないのか理解できぬといった表情で死んで行ったのである。
倫理観も道徳観もなく、物心ついたときから殺人をごくあたりまえのように仕込まれて来たのだから
当然と言えば当然であったろう。
 現在、彼らが食人をして暮らしていたという問題の洞窟はエアシャイアの街の観光事業にも一役買っており、
怖いもの見たさの観光客でにぎわっているそうである。
観光客はその薄暗い空間に入って、500年もの昔、凄惨な猟奇殺人がここでくりかえし行われ、
気味の悪いカニバリズムの舞台になったことを想像して満足するのだが、
これもおぞましい人間のもう一つの性なのであろう。
61:以下、
すげぇなぁ
ID:tJBXMU9T0 はきっと柳下毅一郎か平山夢明だな
64:以下、
今でも人食い族はいるし綺麗な生活が当たり前だと思ってる日本人になじみがないだけで俺は余裕
65:以下、
◎1945(S20)年2月 小笠原(父島)事件 立花芳夫中将他 東京/小笠原・父島
http://ja.wikipedia.org/wiki/小笠原事件
http://gonta13.at.infoseek.sk/newpage441.htm
 戦争末期で空襲が激しく行われていた小笠原諸島・父島には、
陸軍・立花芳夫中将指揮の混成第一旅団と、海軍の森国造中将指揮の父島方面特別根拠地隊が駐留していた。
陸海軍高級将校達は連日酒宴を開いていたが、ある日酒乱で気の荒い立花芳夫中将と的場末男少佐が、
墜落した爆撃機から捕えた米軍捕虜の肉を食べて戦意高揚を図ろうと、軍医に捕虜の解体を命じた。
針金で大木に縛り付け、「日本刀の凄みを披露する絶好の機会じゃ」と試し切りの希望者を募って殺害する。
その後解体して宴会のつまみにした。米兵の手足の肉や内臓を立花が食べると、
「これは美味い。お代わりだ」とはしゃいでいたという。
戦後事件が発覚し、立花ら4名の将校は絞首刑。他に関係した者が終身刑や懲役刑となった。
立花と的場は死刑執行されるまで、米軍から激しい虐待を受けたという。
なお、墜落した爆撃機のパイロットの中に後のアメリカ41代大統領、ジョージ・ブッシュがいた。
彼は海にパラシュートで落ちて、味方の潜水艦に救助されたことで、食べられることをまのがれたのである。
66:以下、
食料が足りてるのにカニバった日本兵は多かった
67:以下、
やっぱり美味いやつは美味いのか・・・
68:以下、
群馬人肉食事件 1945(昭和20)年3月26日
1945(昭和20)年3月26日10:00、群馬・北甘楽郡尾沢村の日雇い人夫・天野の内妻・茂木(52)が、
怠け者だった夫が近所の農家に働きに出ている最中、3人の子供が腹が空いたと泣くので、
日頃から飯はちゃんと食うもののコタツでゴロゴロしている白痴の継子・トラ(17)を扼殺、
包丁で切断して頭は20:00に庭に埋め、骨は焼き捨てて、残りの肉を3日間にわたり3人の子供と一緒に食べたというもの。
茂木は22歳の時に結婚して女の子を養子に迎えたが1年で離婚、
1938(昭和13)年にその養女を連れて、すでに4人の子供がいた天野の後妻となった。
そして天野との間には6歳と3歳の男児を設け、継子は全員、外の勤めに出して食い扶持を減らしていたものの、
トラだけは白痴のため仕事にもやれず、家でごろごろしながら食欲は旺盛なので茂木はかねてよりトラを憎悪していたという。
1946(昭和21)年1月、茂木の精神鑑定が行われる事となった。
この事件は1945(昭和20)年12月25日、前橋地裁公判で茂木が人肉食の事実を認め、
1946(昭和21)年1月より新聞報道などで東京でも知られるようになった。
この事件は後に松本清張が「肉鍋を食う女」として
関係者の名前や事件現場の県名など、設定を一部変更する形で作品化している。
71:以下、
池沼まで食うのか
関係ないと分かっててもキツイな
72:以下、
戦地でのそれは「ゆきゆきて、神軍」で追求したことか
73:以下、
ゲオルグ・カール・グロスマン
1921年8月、ベルリンの或る下宿の家主が、間借人の部屋から女の凄まじい悲鳴が聞こえたと通報した。
駆けつけた警官が見たものは、ベッドに縛りつけられた、まだ生暖かい少女の屍体だった。
その部屋の間借人、グロスマンは生来の変質者だった。彼は子供の頃から小動物を解体して過ごした。
そして、最初の性交相手は鶏であり、その後、あらゆる動物と契りを結んだ。
射精すると殺害し、調理して舌鼓を打った。つまり、彼にとって性欲と食欲は同じことなのである。
やがて第一次大戦に破れ、食用の動物がままならなくなると、グロスマンは獲物を人間に変えた。
彼にとって人を殺すことは、糧を得るための当然の行為だった。グロスマンの獲物はいつも浮浪者だった。
仕事と泊まる場所を探すホームレスの女は街にうようよしていた。
中には春を売る者も多くいたことだろう。そんな訳だからグロスマンは獲物に不自由することはなかった。
彼は毎日のように女を連れ込み姦淫し、飽きると殺して解体した。自らも食べたが、残るとこれを売り歩いた。
その肉は闇市に卸されホットドッグとなった。
そして、そのホットドッグは、グロスマンが女を釣る餌としても用いられた。
捕らえられたグロスマンは、当然の如く死刑を宣告された。
判決を聞いて彼は大声で笑い出したが、これは躁病の発作であったらしい。
独房で鬱病も併発した彼は、ズボン吊りで縊死した。
74:以下、
中国は昔もいまも人間を食べている
劉備が来て食べるものがなく妻を殺して劉備に出したら泣いて喜んだ話とか
蒸した赤子を食べてる画像とかもある
人間は両脚羊として売られていたからな
食べるものがないから食べていたわけではなく人肉を楽しんでいた
日本でも秀吉が兵りょう攻めした際には4か月経った時に壮絶な共食いが行われたという記述もある
75:以下、
フリッツ・ハールマン
この事件が原因で、ハノーバー地方では現在でも菜食主義者が多いと聞く。
それほどに影響力を誇る彼は、今だにカニバリストの代名詞となっている。
1924年5月17日、ライネ川で遊ぶ子供たちは面白い物を発掘した。
人間の頭蓋骨である。子供たちはこの発掘物に喜び、競い合って探し始めた。
昨日はハンスが一つ見つけた。今日はマレーネが二つ見つけた。警察も最初は医学生のイタズラだと思ったらしい。
しかし、ロベルトが袋に人骨がいっぱいの「大漁」を掘り当てるに及んで、これはただごとではないと思い腰を上げた。
いざ捜索を始めてみると出るわ出るわ、ハノーバー全域から大量の人骨が発掘された。
ゲオルグ・カール・グロスマンの事件が記憶に新しい。新たな「肉屋」の恐怖がドイツ中を駆け抜けた。
そんな中で6月22日、フリッツ・ハールマンが逮捕された。
彼の「人肉売買」は以前から噂されるところであった。
しかし、そんな不穏な噂にも拘わらずこれまで警察が動かなかったのには、それなりの理由があった。
76:以下、
世界中でカニバってるの見ると普通にうまいんだろうな
食料足りてるのにカニバった日本兵の話とかググったら出てくるし
78:以下、
ハールマンは1879年10月25日、機関士である父と、病気がちな母の第6子として生まれた。
母は彼を産んでからは死ぬまで寝たきりとなった。故に夫婦仲は悪く、何かにつけて喧嘩をした。
優しいフリッツ少年は母親の肩を持ち、次第に父親を憎むようになった。
彼は人形遊びを好み、粗野な遊びの一切を嫌悪した。
16歳になった彼は陸軍の下士官学校に入れられた。軟弱な彼を父親が見かねたのである。
しかし、癲癇の発作を起こして退学。この挫折はフリッツ少年の心的外傷となる。
彼は生涯、自分は精神障害者なのだとの自覚に苦しめられる。
この心的外傷が原因であろうか。フリッツ少年はどうしようもなく怠惰な人間に成長していた。
父親に無理矢理入れられた葉巻工場も欠勤しがち、児童公園に出向くと幼児に猥褻行為を強要した。
これが発覚し逮捕。そして精神病院に送られた。
しかし、彼は「手の施しようがないほどの意志薄弱」ではあるが精神異常ではないとの診断。
「お前はただ怠け者なだけなんだ」。
父親は説得したが、フリッツは自分は障害者だと主張し、働くことを拒否した。
80:以下、
20歳になったフリッツはエルナという女性と同棲を始めた。
彼女が妊娠するとフリッツは中絶を勧めた。理由は障害者の血を残してはならないとのことだった。
そして、現実から逃げ出すように陸軍に入隊。
彼は後に軍隊で送った日々を「人生で最も幸福な時」だったと語っている。
しかし「幸福な時」は長くは続かなかった。神経衰弱に陥り数年後に除隊。
彼が再び深く傷ついたことは云うまでもない。
ハールマンが同性愛に目覚めたのはその直後、25歳の時だった。
彼は闇市で知り合った中年男に犯された。それからの彼はやぶれかぶれ。
墜ちるところにまで墜ちて犯罪者の仲間入りをした。
強盗や強制猥褻で出入獄を繰り返していたハールマンは、大戦中をほとんど獄中で過ごした。
そして敗戦後の1918年、出獄した彼が見たものは、彼の心象風景と同じくらいに荒んだ光景であった。
監獄仲間の手引きで肉の密売を始めたハールマンは、天性の商才があったのか、すぐに自分の屋台を持つようになった。
否。商才というよりもズル賢さと云うべきか。
彼は警察の頼もしい「情報屋」となり「お目こぼし」で暮らしていたのだ。
人々は彼を尊敬を込めて「ハールマン刑事」と呼んだ。
彼によくすればそれなりの見返りがあったからだ。警察も彼の提供する情報に重宝した。
そんなわけで、彼は闇市の顔役となった。
真夜中になるとハノーバー駅で家出少年を補導する彼の姿がよく見られた…。
81:以下、
ハールマンの最初の犠牲者は1918年に失踪したフリーデル・ロテだと云われている。
家出少年の行方を探していた両親は、息子と思しき少年が「刑事に補導された」
との情報を入手、早警察に足を運んだ。警察はその「刑事」がハールマンであることはすぐに判った。
大事な情報屋だが仕方がない。寝込みを襲って踏み込むと、彼は別の少年とベッドの中で戯れていた。
現行犯なので目をつぶるわけにもいかず、ハールマンは猥褻罪で逮捕された。
警察は問題の家出少年もこうして彼に犯されて、涙ながらに逃げ出したのだと推測した。
しかし、4年後に再び逮捕されたハールマンは、
実はあの時、その少年の頭部は新聞紙に包んでレンジの裏に隠してあったと告白した。
9ケ月後に釈放されたハールマンは、久しぶりのシャバで運命共同体とも云うべき相棒に出会う。
ハンス・グランスである。まだ16歳の彼は、ハールマンの更に上を行く外道だった。
強盗恐喝は朝飯前、美少年の彼は完全にハールマンを支配し、その殺人衝動を己れの利益に利用した。
彼らの手口はいつも決まっていた。まず、駅で家出少年を補導する。
アパートに連れ込み強姦、最中にハールマンが喉笛を喰いちぎって殺害する。
それから屍体を捌いて屋台で売る。余れば他のルートで売り捌く。
遺留品も屋台で売る。中にはグランスが欲しい衣服を着ているという理由だけで殺された者もいた。
82:以下、
こんな大胆な犯行であったから、彼らは何度か危ない橋を渡っている。
例えば、血がいっぱいのバケツをさげてアパートから出てくるところを隣人に見られたこともあった。
しかし、ハールマンは肉の密売人なので、これはたいして怪しまれずに済んだ。
また、彼から肉を買った婦人が「人肉じゃないかしら」と警察に届けたこともあった。
しかし、ハールマンは重宝な情報屋だ。なるべく泳がしておいた方がいい。
警察は豚肉であることを保証して婦人を帰した。
1918年から1924年にかけて、ハールマンが喰いちぎった喉笛は数知れない。
明らかに彼が関与した失踪者は27人。しかし、一般には50人は下らないと信じられている。
83:以下、
ハールマンの逮捕は意外に呆気なかった。大量の人骨を発掘した警察は当初からハールマンを疑っていた。
しかし、証拠がない。そんな時、「ハールマン刑事」に逆らった或る若者が、
偽造証明書を所持していることを理由に、ハールマン自らの手により鉄道公安官に突き出された。
その若者を取り調べると、彼は過去にハールマンに犯されたことを証言した。
これは好機と早ハールマンに出頭を求め、その間に彼のアパートを捜索した。
すると出るわ出るわ、被害者の衣類や身分証明書、そして多くの血痕が発見された。
「旦那も御存じの通り、あっしは肉屋ですからねえ。血痕があってもなんの不思議もありません。
服だってそうですよ。あっしは 古着屋もやっていましたから。
それに旦那、あっしは御同業の刑事ですよ。だから身分証明書も持っているわけです。
それはみんなあっしが押収した偽造品ですよ」
ハールマンは当初はこんな調子でのらりくらりと取調べを躱した。
しかし、1週間を過ぎた頃、その犯行の一切を自供した。
「屍体の売り物にならない部分は棄てました。
彼らはみな痩せていたので、私が食べてしまうと売り物になる部分はそんなには残りませんでした」
いったん自供を始めるとこの「肉屋」は饒舌になった。そしてこんなトンデモない言葉で自供を締めくくった。
「そんな訳でねえ、旦那、屍体はいくらあっても足りなかったんですよ」
ハールマンは24件の殺人について有罪となり死刑を宣告された。
1925年4月15日にギロチンで処刑されている。
87:以下、
面白いスレだった
一杯貼ってくれてありがとう
88:以下、
「人を喰う」ってことがなぜ禁忌とされているか?
それは食物連鎖の頂点にいる人類を食べるということが人間と動物の境界を侵犯する行為だから
倫理や道徳観念以前に人間の定義を曖昧にしてしまうから人を喰ってはいけないわけ
89:以下、
人間は頂点なのか?
人間も動物で増え続けてるし食物連鎖のピラミッドが崩壊してないか?
90:以下、
>>89
言いたいことはわかるけど
カリバは人が人の肉を食べる行為だから
69:以下、

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