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捜査の仕方をも変えた歴史的殺人事件10+1選


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0:
アナタはだんだん眠くな?る
犯罪捜査に心理学が使われるきっかけになったのが、この事件でした。
それは1890年代の出来事です。年下の彼女ガブリエル・ボンパードと年上の彼氏ミシェル・エイローのカップルが、トゥッサン・オギュスタン・グッフェを殺しました。
ですがなんと、このエイローが催眠術師でボンパードに催眠をかけて殺人の片棒を担がせたというので、それが証明できずに判決が出るまで長い時間がかかったのです。
犯行の様子は、女性であるボンパードが、グッフェを自分の部屋に誘惑し招き入れ、カーテンの陰に隠れていたエイローがグッフェの首に縄をかけて絞め殺しました。そしてその遺体をトランクに詰めてトランクごと山間の渓谷に投げ捨てたのです。
法廷では催眠術が行われ、専門家たちが助言や証言をして、犯人の責任能力を問たのです。
当時はまだ発展途上であった心理学の科学者たちや、フロイドの師が神経学者のひとりとして召喚され、エイローより若く貧しく、彼から虐待を受けてきたボンパードはどうやってもエイローからの洗脳を振り切ることはムリだろう...といったやり取りの中、心理学的な証拠を提出し、エイローだけが死刑判決を受けることとなったのでした。
9:
カレーには入れないで
前述の事件よりさかのぼること90年ほど昔、1800年代では深層心理がどうこうなどさっぱり検証は行われておらず、遺体に対する扱いはひどいもので、検死する前にもう埋められていたため掘り起こしたりと、遺体をどのように扱うかに苦心していたそうです。
パリで鑑定証人となった、スペイン人の元科学者マシュー・オルフィーラ。彼は自然な原因で死んだ遺体であっても、土中に埋められたらヒ素によって侵食されてしまうという説を唱えていたため、周囲から不評を買っていたそうです。
しかし1830年、自分の息子に毒を盛った父親の起訴について議論するために呼び出されます。掘り起こされた遺体はヒ素反応が陽性だったので、オルフィーラの説に基づいた弁護士は毒殺ではないと主張。しかしオルフィーラは、自らが唱えた説と戦わないといけないハメになってしまいます。
彼は、土中に埋められた遺体がどれくらいヒ素を吸収するのか計測し、その埋められた周囲の地面のヒ素も計測しました。遺体がヒ素を吸収することは実証されたものの、この事件に関してはそれ以上のヒ素が検出されたのでしょうか...父親は有罪判決と相成りました。
この事件以降、遺体を土の中に埋める者はその付近の土をサンプルとして残しておくよう定められたのでした。
8:
美大生にはお馴染みの木炭
1800年代中期。まだまだ写真機が便利ではなく、殺人現場の状況が重要視されていなかった時代です。ある日、オーストリアで予審判事を務めていたハンス・グロスは自殺の現場に呼ばれます。
そこでは重病人の老人男性が、彼の家の天井に掛かる梁からロープを垂らし、首を吊って自らの命を絶っていました。そこでグロスは、遺体を下ろす前に現場の業況を素早くスケッチします。
その後スケッチを観てみると、首吊りは部屋の真ん中だったのに椅子も机もないことに気が付いたグロス。重い病気を抱えた老人が何の踏み台も無しに首がくくれる訳がないと思ったグロスは、これが自殺ではないと考えるようになります。
しかしこの死因は他殺ではない。そこでグロスはその家で召使いとして働いていたふたりを呼び出し質問をしてみました。するとどうでしょう、ふたりは夜の間中その男性を放ったらかしにして外出していたことを白状します。
ふたりが帰った時には老人は既に息を引き取っていたのを知りつつも、サボっていたことがバレるのを恐れ、自殺に見せかけて首を吊らせたのでした。しかもその行為が、彼らを殺人犯に仕立て上げてしまいかねない事も、理解していなかったのです。
その後グロスは、法科大の近くに犯罪科学を教える学校を設立し、そこで犯行現場の写真記録技術や現場の保存を一般化するようにしたのです。
7:
指紋なんかアテになるか!
グロスだけでなく、このアルフォンス・ベルティヨンもまた犯行現場において、科学捜査を導入した人物であり、もしかすると1800年代、その道で一番有名な捜査官が彼かもしれません。
写真撮影による現場の記録を主張した彼でしたが、同時に犯行現場を升目状に記録して、別の場所でも家具の配置などが再現できるようなグリッド・システムを考案したのが彼でした。
また彼は、犯罪者の身体のあちこちを計測する「ベルティヨン方式」をも考案。しかしこれがあまりにも計測箇所が多く、かつ複雑過ぎたようで、他人に教えるのも難しいだけでなく、計測する人によっても数値が変化してしまう厄介なもの。腕の長さも耳の幅も、測られた人間は年齢を重ねるごとに数字が変わってしまうのです。
この時代は指紋の重要性に気付き始めた頃だったのですが、ベルティヨンはそれを嫌っていたそうです。しかし1903年、カンザス州レヴンウォースの刑務所にふたりのウィル・ウェストという殺人犯が収監されます。
「ベルティヨン方式」で測ったふたりの数値はどれも同じ、それに名前も同じ。ですが片方は殺人を犯していないから投獄される筋合いはないと主張しています。結局指紋を採取して調べてみたことにより、片方が無罪、もう片方が有罪のウィル・ウェストであると判明したのです。
この「ウェスト兄弟」と呼ばれた出来事を機に、「ベルティヨン方式」は終焉を迎えることとなり、逆に指紋の信頼性が高まったのでした。
 
6:
みんなちがって、みんないい
「ウェスト兄弟」でベルティヨンが苦労する10年も前に、世界で最初に指紋が採取&鑑定されたために判明した殺人犯がいました。
クロアチアで生まれ、アルゼンチンで暮らしていたホアン・ブセティッチは、犯行現場での指紋鑑定を含め当時最新の犯罪学を勉強した警察官でした。
彼が習得した技術を試す機会はすぐに訪れ、ブエノス・アイレスの家でふたりの息子が殺され、自らも喉を刺されたという母フランシスカ・ロハスの元に急行します。彼女は刃物を持った男に襲われたと主張していましたが、ブセティッチは血まみれの現場で慎重に現場を検証しました。
そこで、家の扉に在るポストに血まみれの指紋が在ることを発見し、犯人のものだろうと採取します。ですがその指紋は母フランシスカのものと一致し、息子殺しが確定したのです。
そう、世界で初めて指紋鑑定で捕まった人物は、自分の子供達を刺殺した母親だったのです。
5:
マリーはこんな人
被告ジョン・ボドルは、とある化学者を怒らせたことが発端となり、巡り巡って知りもしない女性マリー・ラファージュを死刑に追いやることになってしまいました。
ボドルは父の遺産を目当てにその父親を殺しましたが、法廷に呼ばれた化学者のジョン・マーシュが、ボドルの父毒殺の疑いを証明できなかったため無罪放免になります。しかしその後、ボドルは自らが犯した罪を自慢気に吹聴してまわるのです。
ヒ素は時間が経つとともに薄らいでしまうのですが、まだこの当時の検査精度では薄くなったヒ素反応をキッチリ調べることは出来なかったため、陪審員たちは化学者マーシュの言う事を信じる他なく、ボドルの罪を立証できないままだったのです。
しかしマーシュは、無罪を勝ち獲ったのに殺人自慢をするボドルに腹を立て、より精度の高い検査方法を完成させました。
その後行われた別件、ラファージュの裁判ではマーシュの新検査が初めて行われ、亡くなったラファージュ夫の遺体で試されました。その夫は、エッグノッグを飲んだ直後に毒を盛られたということでした。しかし検査では遺体からの発見は何もないように思われたものの、実はエッグノッグから大量のヒ素が発見され、彼女は投獄されたのでした。
廻りまわって、ボドルがマーシュを怒らせたのがきっかけでヒ素検査の精度が上がり、ラファージュの罪が暴かれた形になったのです。もしも精度が低いままだったなら、ラファージュにも証拠が検出されなかったかもしれません。
4:
禁酒法時代のアメリカでは警察もギャングも使っていたトミーガン
1929年2月14日。ヴァレンタインのこの日に起こった惨劇をきっかけに、弾丸とそれを撃った銃を一致させる方法が確立されました。
事件のあらましは、ジョージ・バグズ・モーランと5人のギャングが、アル・カポネに届けられるウィスキーの搬送を襲います。その荷物が届くであろう倉庫に到着した彼らでしたが、そこに警察官の格好をした2人を含む合計4人の見知らぬ男たちが歩み寄り、モーランたちに壁際に並んで立つよう指示しました。
すると4人はモーランたちに向かって一斉射撃を開始。ひとりは12口径のショットガン、ふたりはトンプソン・サブマシンガンでモーラン一味を蜂の巣にしてしまったのでした。
被害者のひとりは数時間生き延びることができたのですが、結局ほとんどの事を口にすることはなく、事件の詳細はあまり語られなかったようです。
「聖ヴァレンタイン・デイの虐殺」と呼ばれたこの事件ですが、生存者も目撃者もおらず、ただ警察官を疑う者が何名か居た程度で終わりそうになっていました。
そこで登場したのが、第一次世界大戦時に軍隊で集中的に銃火器の研究をしていた科学者のカルヴィン・フッカー・ゴダード博士。彼は発砲後、銃弾に刻まれるバレルの溝の痕...つまりライフリングマークが人間の指紋と同じようなものだと気が付いた人でした。
博士は犯行現場に残された証拠から、銃の型を判明させることに成功し、警察官が持つ全ての銃火器から犯行に使われたものを割り出そうとしました。しかもその作業から、銃火器の種類だけでなくライフリングマークによる個別の銃を断定する方法も確立。
ついには、アル・カポネの用心棒フレッド・バークが別件の警官殺しで捕まり、使ったトンプソン・マシンガン2丁が先の虐殺事件でも使われたものだと判明したのです。これ以降、ゴダード博士のやり方で銃弾から拳銃が割り出されるようになり、検死や証言などとは別のにこの方法でも証拠集めが出来るようになったのでした。
3:
バラバラになった物証がピッタリくっついたために暴かれた犯行で、一般的な法医学書には大体記載されている事例がこちら。
1784年のこと、ジョン・トムスがエドワード・カルショウの頭にピストルを発砲し射殺します。その動機については不明なままですが、トムスはポケットに小さく千切られた新聞紙の切れ端を持っていました。そしてカルショウの頭からは、その切れ端とピッタリくっつく別の切れ端が見つかります。
当時の人々は、火薬と弾丸を持ち運ぶのにただ古新聞紙で包むだけだったのですが、たまたま千切れた新聞紙の破片が、カルショウに付着したのでしょうね。切れ端同士を合わせただけの単純なことですが、これが史上初の科学捜査となったのでした。
トムスはたいへん不名誉な「人類初」となってしまいましたね。
2:
最後は最高裁にまで持ち越されこの事件が起こったのは、1920年11月。オフィスで働いていたロバート・ブラウン博士が射殺され、現場から若い男が逃走しました。博士の同僚が男を追う途中、何発も振り返りざまに発砲されますが、どれも当たらずに結局逃げ切ります。
それから少し経ち、強盗で捕まった若い男ジェームズ・フライがブラウン殺しもやったと告白します。告白した動機については不明のままですが、この事件は法廷で争われることに。
ところがフライは犯行の時刻は友人宅を訪問していたと、殺人の告白を覆し出すのです。
そこでフライの弁護士に呼ばれたのが、心理学者にして心臓収縮の血圧検査方法を発明し、後にコミック・ブックの『ワンダー・ウーマン』を生み出したという心理学者のウィリアム・モールトン・マーストン。
法廷ではマーストンの血圧検査を応用して出来たという嘘発見器が用いられ、マーストンが出した結果からフライは無実であると判明しました。科学的に証明されたのにも関わらず、裁判官はフライの有罪を無罪に変えることはなく、弁護士の必死の訴えからこの裁判は最高裁に場を移されることとなりました。でも有罪判決は最後まで変わらなかったのです。
科学的な証拠が在ったとしても、最終的な正義は裁判官の手に委ねられます。これはその後、多くの州でも裁判における判断基準になりました。
科学的な原理と発見が重なりあう時は、どこを証拠の材料として採用するのかが難しい場合が出てくるそうです。再検証が必要とされ、既に確立された科学的立証方法とその専門家からの意見や証拠を材料にし、裁判官は確実な判決を下さねばならないのです。
おそらくフライの裁判では、嘘発見器がまだ新しい技術であり、裁判官は100%信用に足り得るものではないと判断したのでしょうね。


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