【夏目友人帳】夏目「怪異とは世界そのものなのだから」【化物語】back

【夏目友人帳】夏目「怪異とは世界そのものなのだから」【化物語】


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1:
・夏目友人帳と化物語のクロスオーバー
・オリジナルストーリー
・夏目は16巻まで、物語は鬼物語までネタばれありの可能性あり
・おかしなことがあったら>>1が怪異に遭ったと思って
・レスあると>>1は調子に乗るので投下中でも書き込みOK
以上、注意書き終わり
少ししたら始めます
3:
【とおるマンティス】
5:
001
多軌透。5月15日生まれ。O型。身長160cm。陰陽師の血を引く陣使いの少女。
このように表現すれば近寄りがたい特別な人物に思われるかもしれないが当の本人はかわいいもの全般が好きな無邪気で人の気持ちを和ませる雰囲気を持つ優しい少女だ。
クラスも異なる彼女と知り合ったのは彼女がその身に受けた妖の祟りに関係してくる。
詳しい説明は何処か別の場所で語られているであろうから割愛させてもらうが重要なのは彼女はオレ、夏目貴志にとって数少ない妖を見えることを知る友人ということである。
勿論、見える事を知らない友人達が格下というわけではない。
どちらも大切であり失いたくないもの。
幼少のころと比べ人妖問わず大切なものが増えた今では見える事による悩みや問題が少々異なるものに変わってきたがそれでもこの日常を失いたくない。
あまり語り部として向いているとは思えないが今回語らせてもらう話はそんなオレの友人に関するある認識を改めさせる怪異譚だ。
短い間ではあるがお付き合いいただくとしよう。
6:
002
小さい頃から時々変なものを見た。
他の人には見えないらしいそれらはおそらく妖怪と呼ばれるものの類。
西村「いやー面白かったな、さっきの映画!」
北本「確かにな。西村が『出てる女優が可愛いから見に行こう!』と言ったときはどんなもんかと思ったけどよく出来てたしな」
西村「だろ!? 俳優の名取周一もかっこよかったし! あ、そういや俺、名取周一は生で見たことあるぜ!」
西村「前にウチの近くで撮影してる時たまたま見れたんだ。 なあ夏目?」
夏目「え? ああ、そうだったな」
夏休み中盤。見たい映画があるということで友人の西村と北本と共に少し遠出をすることとなった。
前評判も中々なその映画は都市伝説を元にしたスリルもの。
実際に“そういうもの”を知る身としては少々チープな感想を抱かずにはいられなかったが主演が知り合いであることも含めよく出来ていたと思う。
なにより友人と共に映画を見、その内容を共有するというのはこれまでの人生でもない貴重な体験だった。
7:
そんなこちらの内心をよそに前を歩く二人の友人は先の映画について再び盛り上がりだした。
西村「でもさー、実際ああいうのいたらビビるよなー。てけてけとかドッペルゲンガーとか会ったらどうしていいか分かんないもんな」
北本「それを言ったら妖怪とかお化けとかも全部そうだろ? “普通の奴”には対応しようがないんだからさ」
夏目「っ!」
北本の言葉に思わず反応してしまう。
普通の奴。
妖怪変化の見えない人。
自分とは違う人。
北本に他意はないだろうが自分がそのカテゴリから外れていると認識させるには十分だった。
9:
北本「ん? どうした夏目? また気分でも悪いのか?」
西村「え? 大丈夫か? どっかで休んでくか?」
動揺が態度に出てしまったのか北本達が心配そうに尋ねてくる。
夏目「いや、大丈夫だよ。ちょっと暑いなと思っただけだから」
西村「あー夏だもんな。夏休みも半分すぎたのに暑さはまだ続くもんなー。早くすずしくなんねーかな?」
北本「その前に明日は中間登校日だろ? ちゃんと宿題終わってんのか?」
西村「ぎゃー!! 嫌なこと思い出させんな!」
夏目「ははは」
西村「こら夏目! 笑ってんな!」
他愛ない会話。笑いあう友人達。特に変わり映えのないこんな日常がとても尊いものだと最近感じる。
その日常を守るためにも、オレが“そういうもの”を見れることは絶対に秘密だ。
その時
「夏目様。夏目様。『友人帳』の夏目様。どうか名をお返しください」
腕を引っ張るひんやりとした感触。
甲高い子供のような敬語。
夏目「……ああ、分かった。少し待ってくれ」ボソッ
夏目「悪い、西村、北本。どうも映画館に忘れ物したみたいだ。先に行っててくれ」
いつものように非日常へと誘う声が聞こえた。
10:
003
待っていようか? と聞く二人にすぐ追いつくからと促すと人気のない林の中に入り声をかけてきた相手、目が一つしかない人影に向き合う。
鞄から取り出した一見古い帳面のようなソレを手に取ると目の前の“妖怪”をイメージしつつ念じる。
夏目(我を守りし者よ。その名を示せ)
ひとりでにパラララと開き始めた帳面はやがてある一ページでピン、と垂直に立つ形でとまる。
その紙を口に加え手を打ち合わせつつ息を吐く。
ふっ
シュルシュルと吐いた息とともに紙から『名』が飛び出し妖怪に向かって飛んでいく。
これが今のおれの日常の中でも最も非日常に関わる事柄だろう。
11:
今は遠縁の藤原夫妻の元でお世話になってはいるが当然血の繋がりを持った身内が全くいなかったわけではない。
その中でも面識もない祖母、『夏目レイコ』とオレは切っても切れぬ関係にある。
祖母、夏目レイコは強力な妖力を持ち出逢った妖怪に片っ端から勝負を挑みいびり負かして子分になる証として紙に名を書かせ集めた。
持つ者に名を呼ばれれば決して逆らえぬ、契約書の束「友人帳」
遺品としてそれを受けて以来、妖に襲われたり、名の返還に応じたりてんてこ舞いの日々だ。
「ありがとうございました夏目様。それでは……」
霞のように消えていく妖を見送りながら名の返却によりどっと疲れた体を起こす。
夏目「……ふう。さてと、早く西村達に追いつかなきゃ」
??「あれ? 夏目くん?」
林から出た時、名を呼ばれ振り返る。
肩にかかる長さの茶色の髪。
ワンピース姿でこちらを見止めたのは友人の一人。
多軌透だった。
16:
夏目「多軌? なんでこんなところに?」
多軌「私はちょっと見たい映画があったからその帰り。夏目君こそどうしたの?」
夏目「多軌も? 俺も西村達と映画を見に来てたんだ」
多軌「へえ? じゃあもしかしたら同じ映画館だったのかしら?」
帰り道が同じ方向なので歩きながら話しているとどうやら本当に同じ映画館、どころか同じ映画を見ていたらしい。
偶然ではあるが思わずお互い顔がほころんでしまう。
多軌「ところで西村君達も一緒だって言ってたけどどうして一人なの?」
夏目「ああ、それは……」
多軌「……また妖がらみ?」
夏目「いや、大したことじゃないよ。もう済んだことだし」
多軌「そう、もし一人で大変そうだったら言ってね? 私じゃあまり役に立たないだろうけど相談くらいは乗れるから」
夏目「ありがとう」
多軌は俺が妖怪を見えることを知っている。
彼女自身は見えないが彼女の描く陣の中に妖怪が入れば見えない者にも見せる事が出来る。
それがきっかけで友人になったわけだけれども友人帳については話してはいない。
多軌に限らず友人帳については人間には誰にも話してはいない。
時折黙っていることに心苦しく感じることもあるけれど先生に言わせれば
先生「話したら話したでそれが原因で近づいてるんじゃないかとか危険に巻き込むんじゃないかとか考え込むんだろうから黙っとけ!」
と情けないながらも納得出来る説得だった。
17:
多軌「そう言えばこの前先生に会ったんだけど少し太ったみたいね。抱きしめた時、前よりも少し重かったから」
夏目「あー、先生は『こんな暑い日は家で西瓜でも食っているに限る』ってごろごろしっぱなしだからな。また散歩にでも行かないと」
共通の話題で盛り上がっていたその時
何の前触れもなく
予感もなく
気配もなく
多軌「痛っ!」
夏目「多軌?」
多軌が小さな悲鳴を上げた。
18:
夏目「どうした多軌?」
多軌「あ、ううん、なんでもないわ。何か一瞬体に痛みが走ったんだけど、どこが痛いのかもイマイチよくわからないしなんだったのかしら?」
痛みを訴えた多軌自身も不思議そうな顔で首をかしげているのを見つつ一応周りを見渡す。
特に周囲に何か多軌にぶつかりそうなものもなく人はいるものの別にすぐ近くにいるわけではない。
妖の可能性もなくはないだろうが先ほど会った妖を除いて妖の姿も気配も感じない。
なんだったのだろう? と二人で悩んでいると
西村「あー! なんだよ夏目! 忘れ物とか言っといて多軌さんと一緒に来るとかどういうことだよー!?」ウオーン
多軌「あ、西村君達だ。こんにちは」
西村「こんにちは多軌さん! あ、アイス食べません? あそこのアイスが今セールみたいなんですよ!」パアア
夏目「あれ? 西村達、ひょっとして待っててくれたのか?」
北本「ああ、せっかく遠出したんだからこのまま帰るよりもいろいろ回ろうぜ、話になってな。夏目を待つ序にそこのアイス食ってたんだがこりゃ邪魔だったか?」
夏目「邪魔? 何の話だ?」
北本「ああいやなんでもない。で、どうする? 夏目は時間あるか?」
夏目「構わないよ。多軌はどうだい?」
多軌「私も問題ないわ。よろしくね」
西村「いよっしゃあ! 行くぞ北本! 夏目! 多軌さん、見たいとこがあったら遠慮なく言ってくださいね!」
多軌「え? う、うん」
北本「やれやれ。おい西村、はしゃぎすぎて転ぶなよ」
夏目「ハハ」
その後、合流した西村達と時間の許す限り遊びつくすこととなった。
明日の登校でまた会おう、と別れと告げた時には多軌の体に走った痛みの件は既に頭の中から消えてしまっていた。
21:
004
『見つけた』
『見つけたぞ』
『ようやく見つけた』
『長年待った甲斐があった』
『さあ喰らうとしよう』
『喰って、喰って、喰いつくそう』
『我が我になるために』
『我が人になるために』
『あの人の子を喰いつくそう!』
22:
夏目「うわあ!?」
???「ぬを!?」
がばり、と布団から起き上がる。
夏目「……夢?」
じわりとした嫌な汗をぬぐいながら先ほどの夢を吟味する。
特に何かが見えたわけではないが声ははっきりと聞こえた。
その内容は明らかに物騒なもので背筋に冷たいものが走る。
人を喰う、と夢の中の声は言っていた。
ならばやはりあの声は妖の声だろうか?
時折、こうして自分の体験とは別の物の夢を見る事がある。
それは大半が繋がりができた妖のものだが今の声には覚えがない。
23:
ニャンコ先生「こら夏目! いきなり跳ね起きるとか何を考えているのだ全く!」
夏目「ああ先生……なあ先生、おれが寝てる間に妖とかが家に入ったりはしてないよな?」
ニャンコ先生「んむ? お前に名を返してほしい妖がくるかもしれんから結界は緩めにしてあるが流石にこの部屋に入った気配は感じてはいないな」
夏目「そうか……とりあえずしばらくは注意しておいたいいかな?」
ニャンコ先生「なんだ? また妙な妖にからまれたのか?」
夏目「いや、よくわからないけど夢で喰ってやるって言われたから気をつけないとと思って」
ニャンコ先生「お前は美味そうな匂いがするからな。喰われたら友人帳は私の物だがやはり他の物に喰われるというのも微妙だ」
夏目「だったらちゃんと用心棒をしてくれよ」
自称用心棒のニャンコ先生を横目に登校の準備をする。
宿題は大半は終わっているから特に問題はないし学校に行っても確認事項くらいだが辻や笹田たち他のクラスメイトに会えるのは嬉しい。
24:
塔子「いってらっしゃい貴志くん。昨日も言ったけれど私今日は町内会の行事で遅くなるから夕飯は先に食べててね」
夏目「分かりました。行ってきます塔子さん」
笑顔で送り出してくれる塔子さんに手を振りながら家を出る。
雲ひとつない晴れ渡った青空。
通いなれてきた通学路。
蝉の声がジャワジャワと鳴り響いているのが真夏だと実感する。
夏目「……あれ?」
ちらほらと他の生徒達も見えてきた中で、ぽつん、と道の端でひとりで立つ影を見つける。
人と待ち合わせしているのだろうか。それにしては様子のおかしい彼女が気にかかり声をかける。
25:
夏目「多軌、どうしたんだ? 誰か待ってるのか?」
顔をうつむかせじっとしていたその少女―多軌はのろのろと顔を上げてこっちを見やる。
夏目「っ多軌!? どうしたんだ一体!?」
その顔色に思わず声を荒げる。
彼女の顔は普段の血色の好い明るい顔ではなくまるで幽鬼のように真っ青だった。
多軌「……夏目、くん?」
夏目「ああ、それで多軌、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
いつも自分が言われているセリフを人に言うのは珍しいが多軌はその言葉には反応せずただこちらをじぃ、と見つめる。
夏目「多軌?」
多軌「夏目くん……私が分かるの?」
夏目「? 何言ってるんだ? 当たり前だろ?」
多軌「っ!」
そう言った途端、多軌はなんと顔を覆って泣き出してしまった。
27:
夏目「ええ!? た、多軌!?」
予期せぬ事態にあたふたとするも周りを歩く学生達は変な目でこちらを見やるだけで助けにはならない。
そもそも男女がいてそのうち女の子が泣いていたとしたらまず関わりたいとは思わないだろう。
ただでさえ人づきあいが少ないのに女の子を泣きやませる経験など無いためどうしていいか分からずただ声をかけ続けるも多軌は一向に泣きやむ気配がない。
本当にどうしようかと思った時、ちょうど向こうから西村と北本が歩いてくるのが見えた。
「あ! 西村、北本!」
西村「ん?」
北本「おお夏目」
二人もこちらに気づいて近寄ってくる。
何とか助っ人が来たと思ったがふとあることに気づく。
西村は多軌に好意を寄せている。
時折おれと多軌がそういう関係なのかというひどい誤解をすることはあるもその思いは純粋なものだろう。
だとしたら今この状況は二人から見たらどう見えるだろうか。
内心で別の意味で焦っているとすぐ近くまで来た北本が笑顔で挨拶をしてくる。
28:
北本「おはよう夏目。“こんなところで1人でなにしてるんだ?”」
29:
夏目「……え?」
今、北本は何と言った?
1人で、と言ったのか?
今もすぐそばで泣きじゃくっている多軌がいるにも拘らず、1人で、と。
西村「遠くでなんかあたふたしてるやつがいると思ったら夏目かよ。何か虫でもいたのか?」
混乱するおれに今度は西村がだめ押ししてくる。
二人は、一体何を言っているんだ?
30:
夏目「な、なあ二人とも。多軌がどこにいるのか知ってるか?」
北本「へ? いや知らないけど学校にいるんじゃないのか? 昨日会った時もまた明日って言ってたし」
西村「ていうか何いきなり多軌さんの居場所なんか気にしてんだよ!? なんだ夏目、やっぱりお前もなのか! 俺の多軌さんなのに?!」
北本「だからお前のじゃないだろ。まあ多軌さんに会いたいんなら早く学校行こうぜ」
目の前に多軌がいるのにそれに気付かず二人は話を続ける。
どくん、と鼓動が大きくなった気がする。
これは、どういうことなんだ。
おれにだけ見えて他の人間には見えないだなんてまるで■■みたいじゃないか。
夏目「ああ、でもちょっと先に行っててくれないか。少し用事があるんだ」
北本「? 構わないけどあんま遅くなって遅刻すんなよ」
西村「んじゃあなー夏目。先に多軌さんに会ってるからー」
33:
離れていく二人を見ながら先ほどまでの学生達がどうしてこっちを見ても通り過ぎて行ったのかようやく悟る。
あれは女の子を泣かせた男子を見て敬遠していたのではなく
1人で妙な行動をとっている男子から敬遠していたのだ、と。
もう一度、泣いている目の前の少女を観察する。
こんな風に泣いているところは今まで見たことはないがその姿は間違いなく自分のよく知る友人だ。
だがある一つの可能性を消すために念のため問いかける
「君は、多軌だよな?」
妖の中には人に化けるものもいる。
自分がおそらく一番よく知っている妖も少なくとも二人の人間の姿に化けることが出来るのだからもしかして、と思った質問だった。
はたして、泣いてはいたものの最初よりも嗚咽が収まってきた彼女はコクリ、と頷いた。
ほっとするも今度は別の問題が浮かぶ。
一体彼女の身に何が起きたのか。
そう問おうとしていまさらその事実に気づく。
同時にこれが完全に妖絡みの物だとも。
多軌は今おれの前に立っている。
そして今、朝方で日の位置もそう高くはない状態では影は横に伸びることになる。
現に今自分の影はあまり舗装されてない土手の道の上にはっきりと黒く浮かび上がっている。
だが
多軌透の足元には
当たり前のようにあるはずの影がまるで刃物か何かで切り取られたようにほとんど存在していなかったのである。
35:
005
多軌「昨日、夏目くんと話している時痛みを感じたでしょ? 実はあれと同じような痛みを昨日から何度も感じているの」
場所は変わり近くの公園。
流石にあの場所で相談に乗るのもはばかられたしこんな状態の多軌を放っておいて学校へ行くわけにもいかなかったので(心苦しくはあるがサボりをしてしまった)ようやく泣きやんだ多軌を連れて公園のベンチに腰を下ろした。
自販機で買って渡した紅茶を飲んで一息ついたのか、多軌は今の状況がどうなっているのかをぽつぽつと語りだした。
多軌「最初は気のせいなのかな? と思っていたの。特にどこが痛い、というわけでもなかったし怪我をした様子もなかったから」
多軌「だけど家に帰っても何回か起こった時点でやっぱりおかしいと思って今日あたり病院にでも行こうかなと考えてたんだけど」
多軌「はっきりとおかしい、と思ったのは昨日の夜。目の前にいる母が『あれ? 透どこ行ったの?』と口にした時」
多軌「何言ってるの?ここにいるよ、て声を出したら『あら? 全然気づかなかったわ。やあねえ歳かしら』と母は笑っていたけど私は気が気じゃなかった」
多軌「もしかしたらまた妖絡みかもしれないと思って祖父の資料をいろいろ探してみたんだけど特に役立ちそうな情報は載ってなくて」
多軌「今日もいろいろ調べてみようと朝起きた時、影がなくなっているのに気づいたの」
36:
多軌「吃驚してどうしようかと悩んで、とにかく夏目くん達に相談しようと制服に着替えてたら母が部屋に入ってきてね」
多軌「『あら? 制服もないしあの子もう出かけたのかしら?』って」
多軌「それからはもうお察しの通り。いくら声をかけても触っても母は私に気づかなかった」
多軌「あそこで夏目くんを待つまでもそう。色んな人に気づいてもらおうと思って頑張ってみたけど誰も私に気づかなかった」
多軌「だからあそこで夏目くんを待っている時すごく不安だったの。もし夏目くんも私に気づかなかったらどうしようって」
多軌「だから夏目くんが声をかけてくれた時嬉しくて思わず泣き出しちゃった」
37:
たはは、と照れくさそうに笑う多軌だがそんな笑えるような状況じゃなかった。
多軌は以前、妖の祟りによって命の危険に晒されたことがある。
そんな多軌が妖の呪いのようなものを再び受けたのならば不安でしょうがなかっただろう。
ましてや前回と違い今回の場合は相手がどんなものかの手がかりすらないのだ。
誰かに相談しようにもその呪いのせいで相談も出来ない。
はっきり言って普通の状況ならば詰んでいてもおかしくないものだった。
だからこそ、こうして一度限界からか泣きはしたものの弱音を吐こうとはしない多軌のためにもなんとかしなければならない。
38:
夏目「それで、何か思い当たる節とか痛みに関しての詳しいこととかなんでもいいけど何か分かるか?」
多軌「……ごめんなさい。痛みもいつ来るかまるで分らないし妖に関わるようなことも前に家に妖怪が迷い込んだ時以来ないわ」
夏目「そうか。最初に痛みが走ったのは昨日、おれといた時だったか?」
多軌「うん、あれが最初。あの後から何度も起きたから間違いないわ」
夏目「じゃああの辺りにいる妖の仕業かな?」
とりあえずはそこに赴いてみるかと考えていると
ニャンコ先生「おい夏目。家の者が今日は出かけるからおやつに食べて、と冷蔵庫にブドウを用意していたぞ。早く帰って飯にするぞ」
夏目「ニャンコ先生!?」
突然ベンチの下から家にいるはずのニャンコ先生が現れた。
多軌「あ……」
ニャンコ先生「む? タキもいたか……ん?」
多軌「つるふか先生!」ギュウウウウウウウ
ニャンコ先生「………………………!!」
多軌「よかったあ先生も私が分かるのね! やあんつるふか! あったかあい!」ギュウウウウウ
ニャンコ先生「………………………!!」
39:
夏目「落ち着け多軌。先生、多軌が分かるんだな」
ニャンコ先生「ふうやれやれ。ふむ。何やらタキの気配が薄く感じられるが何があった?」
多軌の抱擁から解放されたニャンコ先生に詳しい事情を説明してみる。
多軌自身も調べたようだが分からないのであれば妖の側であるニャンコ先生ならばと思ったのだ。
だが
ニャンコ先生「人の存在を薄くさせる妖か。いなくはないがそれだけでは確定は出来んな」
夏目「先生でも分からないのか?」
ニャンコ先生「阿呆め! 私とて全ての妖を知っているわけではないわ。せめてその妖がどんな奴か見られれば話は違うだろうが」
夏目「今このあたりには妖はいないみたいだしな」
周囲を確認してみても妖どころか人の姿すらない。
夏休みだというのに人っ子一人いないというのはどうなのだろうと思わなくはなかったけれど最近では熱中症の問題もあるしそもそも子供時代に碌に友達と遊んだこともない自分が言えた義理ではないだろう。
40:
ニャンコ先生「ならば痛みが走る時を待ってみるか? その痛みはほぼ十中八九、妖がタキを襲っている時の痛みだろうからその時なら分かるだろう」
夏目「そんな多軌を危険にさらすような真似は出来ないだろう」
ニャンコ先生「しかし他に手はあるのか?」
夏目「だからそれを……」
ニャンコ先生とどう対策をとるか議論していたその時
何の前触れもなく
予感もなく
姿もなく
気配もなく
多軌「痛っ!」
多軌が小さな悲鳴を上げた。
41:
夏目「っ! 先生!」
ニャンコ先生「分かっている!」どろん
多軌の悲鳴を聞くや否やおれは周囲を見渡し、ニャンコ先生は招き猫の姿から本来の大妖の姿へと変化し周囲の気配を探る。
先ほどまでやりたくはないと言っていた案が図らずも成立してしまったがとにかく集中して多軌を襲った何者かを見つけ出そうと確認する。

夏目「……いない?」
どこを見ても妖の姿も気配も感じない。
まさか視認できないほどのさでここからいなくなってしまったのかと思えば
ニャンコ先生(斑)「……妙だな」
夏目「? 何がだ先生?」
ニャンコ先生(斑)「タキの話を聞いてから私は一応周囲を警戒していた。にも関わらずタキは襲われた」
ニャンコ先生(斑)「そして襲ったすぐ後に確認しても妖のかすかな気配も匂いもなにも感じん。これはどういうことだ?」
夏目「妖の気配がない? どういうことだ?」
ニャンコ先生「分からん。こんな相手は初めてだ」どろん
うむむ、と頭をひねるニャンコ先生を尻目に多軌のほうへと向き直る。
襲ってきた妖を優先してしまったが多軌は大丈夫だろうか。
42:
多軌「あ、夏目くん。うん、大丈夫」
夏目「そうか。よかっ…!?」
言いかけた途中で大丈夫ではないことに気づいてしまう。
先ほどまで、多軌の影は腰より上はなく足の部分を移すだけだった。
だが今はその残った影も薄れはっきり見えているのは足元の靴の影くらいだ。
ニャンコ先生「やはり痛みは妖がタキの存在を消している痛みだったようだな。もはや私でもたきの姿が薄くなったのを感じるぞ」
ニャンコ先生「これはおそらく後1、2回でタキの存在そのものがなくなってしまうかもしれん」
先生の言葉に多軌も俺も凍りつく。
存在がなくなるということは
それはつまり死と同意義じゃないか
夏目「先生! 何か方法はないのか!」
ニャンコ先生「ええい! 今考えているわ! 大体姿形どころか気配も匂いも分からない相手など私も初めてだわ!」
夏目「そんな……」
43:
確かに、ニャンコ先生の言うとおりだ。
相手がどんな相手なのかがまるで分からない。
見ることも
聞くことも
感じることも出来ない相手。
近づかれる前に気づかなければならないのに気づくときは既に襲われた後。
そしてそれを止める術がない。
ちらり、と多軌を見やる。
やはり顔はいつもよりも青ざめてはいるがそれでも喚き散らすこともなく気丈にじっとしている。
強いな、と思う。
前の祟りの時も誰にも言えずに1人で頑張ろうとしていたほどの彼女だ。
そんな彼女の力になれず何が友人だ。
何か方法はないか、と頭を巡らしていると、おお! と先生が短い脚でポン、と叩いた。
ニャンコ先生「あの小僧に聞いてみればどうだ? 気に食わない小僧ではあるが知識としては下手な妖よりも優れているだろう。タキを襲った何かについてもアレなら知っているかもしれん」
夏目「小僧って、ああ、あの人か。確かにまだしばらくこの町にいるとは言っていたけど」
多軌「? 誰のこと夏目くん?」
夏目「ああそうか。多軌は知らなかったな」
首をかしげる多軌にその人物の名を口にする。
夏目「忍野メメさん。自称妖怪変化のオーソリティだよ」
57:
006
忍野さんと出逢ったのは夏休み序盤、時間にして一か月も経たないほど最近の話だ。
例によって妖にからまれていたオレを助ける形で飛び込んできたのが始まりになる(因みにその時自称用心棒は八ツ原の妖怪たちと酒盛りをしていたので後で殴っておいた)
最も、忍野さんに言わせれば助けたのではなく1人で勝手に助かっただけ、らしいのだが。
その時の出来事はまた別の機会にでも語ることになるだろうがそれ以来忍野さんは七つ森の奥にある廃屋に勝手に居を構えこの辺りの怪異譚の収集を行っている。
忍野「はっはー。遅かったじゃないか夏目くん。全く待ちくたびれて居眠りしちゃうとこだったよ」
あれ以来訪れたのは報酬としての話をいくつか忍野さんに伝えたのが最後のため確実にいるという保証はなかったのだが、無用な心配だった。
落ち葉を集めた上にぼろ布をかぶせたソファと言えるか微妙な其れに横たわりながら忍野さんは楽しげな声音で語りかけてきた。
58:
多軌「え!? 夏目くんが来るのが分かってたんですか?」
夏目「いや多軌。忍野さんは会いに来る時大抵こんな風に言っているから気にする必要はないよ」
実際見透かしたような言動が多いが何をしに来たのかまで知っているわけではない。
ただ、それもそういう風に見える振りのように感じることもあるのは黙っておこう。
多軌「そうなんだ。と、いうか、忍野さんって男の人だったのね……」
多軌が納得したような声を出しながらも忍野さんを見て妙な表情をしている。
気持ちはわかる。忍野メメだなんて名前を聞けば普通男の人の名前だなんて思わないだろう。
ましてやその本人はサイケデリックなアロハシャツにぼさぼさの金髪の三十路なのだからなおさらだ。
忍野「んん? へぇ、夏目くんが女の子を連れてくるだなんて珍しいね。なんだい? 君もいよいよ最近の流行に乗っかって女の子を当たり前のように傍に置く主人公に転職したのかな?」
夏目「誰が主人公ですか。妙なこと言わないでください」
普段から傍にいるのは面白い顔の猫もどきくらいだろうか?
59:
多軌「あ、あの私、夏目くんの友達の多軌透と言います!」
会話が途切れたところを見計らって多軌が自分から頭を下げて挨拶をする。
本当は共通の知り合いであるオレが紹介をすべきだったのだろうがどうもそういうのはうまくいかない。
忍野さんもそれを見てソファもどきに横たえていた体をただした。
前に来た時は終始横になりっぱなしだったことを考えると随分と対応が違う気がする。
忍野「これはご丁寧にどうもお嬢さん。忍野です」
多軌「それで、忍野さんも今の私が見えるんですか?」
簡単な自己紹介も早々に多軌は本題にきりかかる。
いや、本題というよりも確認だろう。
何せ今の多軌はほとんどの人に認識されていない。
ここに来る途中も多軌に気づかずぶつかりそうになる人は一人や二人ではなかった。
大丈夫だろうかと若干の心配はあったものの忍野さんの目線は確実にオレの真横を、多軌の姿を捉えている。
忍野「お嬢さんの言う私というのが茶色い髪の女の子を指すのであれば見えているよ。しかしまあ随分と不自然なくらいに薄い存在の子だね。まるで透明人間みたいだ」
聞き方を間違えれば侮蔑とも取れる発言ではあったが忍野さんは恐らく見えた通りに言ったのだろう。
事実、オレには多軌の姿は依然変わりなく見えるがニャンコ先生はふと気を抜くとどこに多軌がいるか分からなくなりそうだ、と漏らしていた。
60:
忍野「ふうん、なるほどね。つまり今日は夏目くん自身の問題ではなく君の友達の件でここまで来たということかい?」
夏目「ええ。忍野さんなら何か知っているんじゃないか、と」
忍野「ははあ、そりゃ買い被りさ。僕はなんでも知っているわけじゃない。まあ知っていることならば力は貸すさ。助かるかどうかは君たち次第だ」
タバコを口に加えながら何処か挑発するような言動。
足元のニャンコ先生の期限が悪くなっているのを感じるが構うことなく忍野さんは続ける。
忍野「しかし友達のために頑張る、か。いやいや、前々?思っていたけど本当に夏目くんは僕の友人によく似ているなあ。君のほうが明らかに好青年なのに自分より他人を優先するところとかそっくりだよ」
忍野「声なんかもう同じ声優さんがやっているみたいだし。性格の違うキャラなのに流石だね」
夏目「だから人をアニメや漫画の登場人物みたいに言わないでください」
61:
忍野さんは時々「僕の友人」の話を例に挙げる。
その内容はほぼその「僕の友人」の批判に聞こえるが忍野さんの声からは何処か懐かしさと信頼を窺わせる。
オレに似ているというその人に少しばかり興味がわく。
忍野「ああ、友人と好青年で思い出したけどその友人の後輩の子に言わせると
○原『好青年という単語は字面から考えるともうイコールBLと見てもよいのではないか!』
だそうだよ」
夏目「BLの意味は分かりませんがそれが全くほめてはいないことだけは分かります」
さっきの文に当てはめると『君のほうが明らかにBLなのに』……
何故だろう、妙に背筋が寒くなったのは。
あとその後輩の子がいる友人さんは大丈夫だろうか?
別の意味で興味がわいた気がする。
多軌「…………」
夏目「多軌? どうした? もしかしてまた痛みを感じたのか?」
多軌「え!? ううん! なんでもない!」
夏目「でも」
多軌「なんでもないから! 本当に!」
夏目「?」
挙動のおかしい多軌だったが痛みを我慢しているわけではないようだ。
本人が大丈夫と言っている以上深くは聞かないがもしまた様子がおかしくなれば次は多軌のためにもしっかり聞こう。
63:
ニャンコ先生「いつまで下らん話ばかりしているつもりだ小僧? こちらの状況は分かっているのだろう、さっさと本題に入るぞ」
ずっと黙っていた先生だったが痺れを切らしたらしくズイ、と体を前に出して忍野さんに威圧をかける。
……これが本来の姿ならば迫力はあったのだろうが生憎招き猫姿のままではどこかシュールな光景にしか見えない。
忍野「おいおい随分と元気がいいねニャンコくん。何かいいことでもあったのかい?」
忍野「まあ確かにせっかく来てくれたのに何も出さずに会話をするのは失礼だったかな」
ひょい、と立ち上がった忍野さんはそのままニャンコ先生でもオレでもなく多軌の前に立つと、すっとポケットから一枚の紙を取り出した。
白い紙に赤い文様。
一目で普通のお札ではないことが分かる。
忍野「とりあえずそれを持っているといいよ。魔よけの御守りみたいなものだから少なくとも会話をしているうちに霊障に会うということはないはずさ」
驚いた顔をする多軌に構わず忍野さんは再びソファもどきに腰を下ろす。
時折こういうことがあるため忍野さんが本当にオレが来るのを知っていたんじゃないかと思ってしまう。
忍野「さて、それじゃあ詳しい話をしてくれるかな? 僕はおしゃべり好きだからね。書面でまとめられた資料よりも口頭による説明のほうが好ましいからさ」
火の付いていないタバコをいじりながら話を促す忍野さんをしばし放心しながら見ていた多軌だったが、はっと我に返ると力強く頷き今回の問題について説明を始めた。
74:
007
忍野「影蟷螂(かげとうろう)」
多軌からの詳細を聞き終えた忍野さんは数拍の間黙りこんでいたが「なるほどねえ」と頭をポリポリと掻いた後にポツリとその名を口にした。
忍野「見えない怪異はたくさんいる。元々怪異なんてものは人には見えないものだし蛇切縄と言う見えないのが前提の蛇の怪異もいる」
忍野「人の存在を薄くさせる怪異もたくさんいる。重し蟹って言う怪異なんかは下手な遭い方をした人間の存在感を希薄にさせると言われているしね」
忍野「けれど夏目くんやニャンコ君が傍にいたにも関わらず見ることも聞くことも感じることも出来ず、そして数度にわたって痛みとともに徐々に存在が薄くなっていく。となると、まあ十中八九こいつで間違いないだろう」
75:
ニャンコ先生でも推測すら出来なかった多軌に障っている妖の正体を話を聞いただけで判別できてしまう辺りは身なりは変わっていても専門家を自称するだけはある。
忍野「しかし影蟷螂とはね。僕もそれなりにいろいろな怪異に出遭ってはきたしトラブルと関わっても来たけど影蟷螂を相手にすることがあるとは思わなかったよ。記述だってほとんどないようなマイナーな怪異だし、そもそもこいつは受ける側に何か明確な理由があって憑かれるタイプじゃないと言われている」
忍野「憑かれる側に原因を伴わない、交通事故のような注意していれば防げるようなものでもない。有体にいえば運が悪かったことで憑いてしまう怪異だ」
運が悪い。
その言葉を聞いて思わずこぶしを握りしめる。
確かに妖怪に出遭ったり祟られたりするのは運が悪いことなのかもしれないけど、理由もなく存在を脅かされるなんてあっていいわけがない。
忍野「他にも影灯篭なんて言い方もある。こっちは灯籠によって照らされた影が徐々に薄れていってしまうという怪異だ。というより本来はこっちが原本なんじゃないかな」
忍野「そもそも姿かたちが見えないのにカマキリかどうかなんて分かるわけないんだからさ。人の後付けで姿が出来ていくというのは怪異らしくもあるけど」
忍野「まあ今回の場合呼び名はどちらでも内容は同じ。見えない何かが自分の影を食べていってしまう。という話さ」
76:
夏目「“影”を、食べる?」
“人”ではなく?
全く自慢にもならないが妖怪に襲われた回数は両手の指の数を当の昔に超えている。
理由は様々ではあったがその中でも多かったのは「喰ってやる」という常人ならばまず言われない恐ろしい欲求だ。
運よくこうして五体満足でいるけれどももし何か間違えば彼らの胃袋に収まっていた可能性も、なくはないのだ。
だから今、忍野さんが人ではなく影といったことが気にかかる。
今までそんなことを言ってきた妖はいなかったから。
忍野「確かに夏目くんの疑問はもっともだね。人を食べる怪異は大きく分けて2種類ある」
忍野「食べなければ自分を保てないか、ただの食欲か。前者は例を挙げると吸血鬼とか、後者は、まあ夏目くんも知っている妖とかさ」
77:
後者についてはっきりと言わなかったのは多軌が傍にいたからだろう。
忍野さんとオレが共通で知る人を喰う妖怪は一匹しかいないんだから。
ちらりと目線をその後者の妖へ
ニャンコ先生へ向ける。
多軌の腕に抱かれおとなしくしているニャンコ先生が人を喰う妖怪だとオレは知っているがわざわざ多軌に教える話ではない。
なんとなく、それを知ってしまった多軌が先生をどう思うのか、先生がそれを知られてしまった時どう思うのか、考えたくはない想像だ。
先生はきっと「気にはせん」と言うだろうけれど先生を好いてくれている多軌をいたずらにおびえさせる必要はない。
そして先生にも、誰かにおびえられるような目に遭わせたくはない。
78:
忍野「で、だ。今回の影蟷螂だけどこいつが狙っているのは人の血肉ではなく『存在』。命とは違う、“そこにいる”という当たり前のものだ」
忍野「生きているのならば、そこにいるのならば、必ず付き纏う物。自身の映し身。分身。切っても切れない物。それが『影』さ」
忍野「海外の昔話にも不思議な老人に金貨10枚で影を売ってしまう青年の話がある。この青年も影という当たり前がなくなったことで迫害を受けてしまう、という話だけどもしかしたらこの老人も影蟷螂の一種なのかもしれないね」
忍野「まあ何が言いたいかと言うと影とはそれだけで自分の存在証明書になってるのさ」
忍野「だからこの怪異は影を狙う。影蟷螂は存在がない。正確にはないわけではなく陽炎のように淡く儚い存在なんだろう。蟷螂なのにカゲロウみたいなんてのは皮肉が利いてるね。で、文字通り影も形もないコイツは自分をはっきりさせるために他者の影を喰って自分のものとする」
79:
そう言えば聞いたことがある。
さっき忍野さんも話した吸血鬼。
その特徴の一つとして影がない、という逸話だ。
影は魂の存在証明のためそれがないということは魂がない、だったか。
影が命と同等であるならば手に入れれば生を得るとでも言うのだろうか。
実際に吸血鬼に遭ったことはないので何とも言えないが。
忍野「ほら、よく言うだろ? 存在感のない人のことを影が薄いとか。夏目くんなんかよく言われてたんじゃないかい?」
夏目「なんの前振りもなく人のトラウマを抉らないでください」
最初のころに比べてマシになったと西村達だって言ってくれてるんだ!
80:
忍野「さて、さっきお嬢さんは痛みは感じたがどこが痛いのか分からない、と言っていたね?」
多軌「あ、はい。痛い、というのははっきり感じたんですけどいくら調べても怪我もありませんでした」
忍野「うん、実に的確な表現だ。だって蟷螂から攻撃を受けていた箇所は肉体ではなく影、存在のほうだったんだから」
夏目「そして、痛みを感じるたびに影が減っていたのは影を奪われていたから、か」
先ほどの光景を思い出す。
確かに多軌が痛みを訴える前と後では影の量が変わっていた。
しかし減った量を考えると本来の影の大きさから今の状態になるまではかなりの回数になるはず。
その間多軌はずっと原因不明の痛みを受け続けたことになる。
81:
夏目「…………」
多軌「夏目くん?」
思わず多軌の頭を撫でる。
夏目「ごめんな、多軌。最初に影を奪われた時にオレが気づいていれば今日のような目には遭わなかっただろうから」
多軌「……ううん、大丈夫。それに不安だった時に気づいてくれたでしょ? それで十分よ」
多軌は強い子だ。
痛みを負っていても
不安を抱えていても
こうして笑えるのだから
忍野「はっはー! いいねえ、まるで青春の一ページを見てるようだよ」
夏目「っと、茶化さないでください。他に言い方はないんですか?」
忍野「他の言い方? うーん、因みに僕はドラマCDで青春をエロい妄想のことだとも言っていたね」
茶化してくれてる方がマシだった。
82:
ニャンコ先生「なるほどな。それで、影を全て獲られた場合はどうなるんだ?」
忍野「さあ?」
夏目「な!? さあ、って、ふざけてるんですか!?」
忍野「別にふざけてるわけじゃないよ。僕だってなんでも知っているわけじゃないんだぜ? そういうのは他の誰かに任せるさ」
忍野「さっきも言っただろ、影蟷螂に関する記述は少ないって。何せ被害に遭った本人がいなくなっちゃうんだ。そもそも周りの人間には認識できていないんだから詳しい話も特にない」
忍野「ただ、それでもある程度推測することは出来る。ここで出来る予測は二つ」
忍野「一つは消滅。存在を失ってしまったために消えてしまう。この場合は表舞台としては失踪として判断されるんだろう。死体もないんだから当然だね。僕としてはこちらであってほしいんだけど」
夏目「っ! 消えてしまうことのどこがいいんですか!」
忍野「おいおい夏目くん、話はまだ途中だろ? まったく元気がいいねぇ、何かいいことでもあったのかい?」
83:
忍野「もう一つの可能性。それは表舞台的には何も問題が起きていない場合だ」
多軌「? それは影が奪われても後で元に戻る、ということですか?」
忍野「そんな都合のいい話だったら何の問題もないよお嬢さん。考えてみるといい。奪われたのは君の影だ」
忍野「そしてそれを奪っているのは存在を、自分らしさをまるで持たない怪異だ。そしてその怪異は奪った存在をどうするのかな?」
多軌「……!」
多軌が何かに気づいたように青ざめる。
たぶんオレも同じような顔色をしているだろう。
忍野「人に認識されない怪異が他者に認識される影を手に入れたんだ。そりゃあ使うよね。そして自分の物とした以上、影という存在証明書が個を作り上げる。つまり」
忍野「影蟷螂が『多軌透』という少女となり何食わぬ顔で生活を送ることになる。他人には入れ替わったなど気づかれぬままに」
84:
ニャンコ先生「ほう、人に化けるのではなく人そのものになるということか。か細い妖にしては随分と変わった力を持っているな。……む? いや待てまさか……」
忍野「ニャンコくんは気づいたみたいだね。だから僕も出来れば後者ではないといいなと思っているんだよ。もしそうだとしたら少し不憫だからね」
夏目「……そりゃ、そうでしょう。本人がいなくなっているのに誰も分かってあげられないなんて、そんなのって」
誰も気づかない。
いなくなったことに、■んだことに気づかない。
だから誰も悲しまない。嘆かない。
その人のことを悼むことも別れを告げる事もしない。
なぜなら彼らにとってその人は当たり前のように存在しているのだから。
だとしたら本当のその人の思いは、その人への思いはどこへいってしまうんだろう?
85:
忍野「ん? いや夏目くん。勿論それも不幸なことだけど僕達が今話しているのはそういうことじゃない」
忍野「夏目くん、君も今までそれなりに色んな怪異を見てきたと思う。そしてそれらも元は動物だったり道具だったり信仰によって生まれた神様だったりといろいろあっただろう」
忍野「怪異になること自体はそう珍しいことじゃないんだ。それは人だって例外じゃない」
忍野「でもね。怪異が別の物になるということはほとんどないんだよ。だからいくら影を手に入れたからって人になれるわけがない。人の影なんて怪異には馴染まないから」
忍野「“それが元々人でない限り”」
夏目「……ぁ」
ああ、なるほど
確かにそれは最悪だ
失踪してしまう方が、消えてしまう方が、ましだろう
先ほど吸血鬼の想像をした下りで疑問に思ったこと。
“影が命と同等であるならば手に入れれば生を得るとでも言うのだろうか”
その答えが今、多軌に起こっている問題だったなんて。
忍野「蟷螂っていうのは種を残すために食べて食べられてを繰り返す虫だったっけ」
忍野「由来は灯篭だろうけどよくできているよ」
忍野「影を食べた蟷螂は食べた影により人として生まれ変わり」
忍野「影を食べられた人は次の自分の影を探す怪異となる」
忍野「推測にすぎないけれどこれが影蟷螂の正体さ」
推測と言いながらどこか確信めいた忍野さんの口調が、がらんとした廃屋に嫌に大きく響いた気がした。
102:
008
ガタガタと揺れる電車の中、多軌と二人で並んで座る。
夏休みの最中ということもあり車内はそこそこ混んでおり存在を薄くした多軌に気付かず座ろうとする者がいるかも、と心配ではあったが忍野さんのアドバイス通りニャンコ先生を抱き抱えている状態なら「誰か」いると分かるようで人にぶつかることはなかった。
因みに猫は本来そのままの状態では電車には乗せられない(オレはよくバッグに入れていた)のだが
夏目「こんな不細工な猫がいるわけないじゃないですか。招き猫の人形ですよ人形!」
の一言で納得されてしまった。
後で先生がぎゃーぎゃーうるさかったが饅頭を口に突っ込むと大人しくなった。
しばらくは口に咥えてムームー言っていたけれどそのうちはむはむと饅頭に夢中になっていたから問題ないだろう
103:
忍野さんに言われて電車に乗ってから随分経つが会話はない。
今の多軌に何を言えばいいか分からず多軌も忍野さんのいた廃屋を出てからほとんど喋っていない。
影蟷螂の脅威に怯えているのか、それとも他の事で悩んでいるのか。
固く結ばれた口を開かせる術をオレは知らなかった。
ふと、思ってしまう。
どうして俺ではなかったのだろう、と。
104:
あの時、多軌が初めて影蟷螂に襲われた時、直ぐ傍にオレもいたのだ。
影蟷螂が狙う対象の基準は忍野さんにも分からないと言っていた。
怪異になる前の性別なのか同じ年の頃なのか
あるいはもっと別の理由があるのか、そもそも理由などないのか
何にせよ実際に襲われたのは多軌である以上そんなもしもに意味はない。
だがそれでも思わずにはいられない。
なぜ襲われたのがオレではなかったのか。
“オレならばなんとかなったのに”
多軌「ねえ夏目くん」
105:
夏目「……え? あ、なんだ多軌?」
考え事をしていたせいで漸く口を開いてくれた多軌に反応が遅れる。
多軌「あ、別に大したことじゃないの。ただちょっと気になったことがあって」
夏目「なんだそんなことか。オレに答えられる事なら何でも聞いてくれ」
実際、今回の事で俺が出来る事などほとんどないのだ。
単なる会話でも多軌の不安が薄れるなら幾らだって話すつもりだ。
多軌「ありがと。でも本当に大したことじゃないの。さっき夏目くんと忍野さんが影蟷螂について色々話していたけれどその時ずっと『怪異』って言ってたじゃない? あれは妖とは違うの?」
夏目「ああ、そうか。そう言えば確かにオレも忍野さんに聞くまで『怪異』とは言ったことはなかったな」
さて、どう説明すればいいのか。
106:
夏目「……怪異とは、世界そのものだから」
夏目「生き物と違って、世界とつながっている」
多軌「世界と、繋がっている?」
夏目「受け売りだけど、そうらしいよ」
しばし考えて出た言葉は以前、忍野さんがオレに告げた時と同じものだった。
夏目「厳密に言うとそう違いがあるわけじゃないみたいだ。怪異というのはカテゴリが広いだけでそこに妖も含まれてる」
夏目「ただ、生き物と違って世界とつながっているから、人の影響を受けるんだそうだ」
人の影響。
それは信仰や、信奉や、畏怖や、恐怖や、敬意や、敬愛や、嫌悪や、憎悪であったり。
どのような形であれ人が思うもの。
神話、怪談、都市伝説、噂として認識されるもの
生き物のルールから外れた、世界と等しい存在
それが、怪異
107:
多軌「あれ? でも人が来れないような場所でも強力な妖怪っているんじゃなかった?」
多軌の疑問はもっともだ。
実際、人と関わらぬ妖怪などたくさんいる。
ニャンコ先生「それは単純に『妖怪』という怪異のカテゴリが強いものなのだろうな」
多軌の問いにオレよりも早くニャンコ先生が答えてくれた。
夏目「先生、話すのはいいけど小声で頼むぞ」
ニャンコ先生「わかっとるわ全く!」
今の先生はオレが普段抱きかかえているような背をくっつけるやり方ではなく腹をくっつけ合う向きなのでニャンコ先生の口元は多軌やオレにしか見えない。
ただ一応人形ということで持たれているため周りに怪しまれないためにも小声で話すように促す。
ニャンコ先生「はるか過去には人間は私達を、闇を、『理解できないもの』を恐れた」
ニャンコ先生「昔は見える者もそこそこはいたし、見えずとも信心深い奴らは妖怪がいる事を疑わなかった」
ニャンコ先生「例えそれがただの偶然や人の仕業であっても理解できないものは『妖怪』の、『怪異』の仕業だと」
ニャンコ先生「故に長い歳を経ている妖は強い力を得ている」
ニャンコ先生「それが人に関わることの減った今でもなお自分を保てるほどにな」
ニャンコ先生「低級どももほとんど同じようなものだ。なんだかんだで口では否定しつつも人は何処かで私達の存在を畏れる」
ニャンコ先生「故に、妖が滅ぶということはない。人が滅ばん限りな」
夏目「……人がいるから妖怪はいて、妖怪がいるから人は畏れる、ってことか」
ニャンコ先生「もっとも、人の認識で強さや存在が左右されるなどと言うのはあくまで『人』を主にした考えであって私としては認めたくないものだがな」
最後だけは面白くなさそうにニャンコ先生は愚痴を洩らした。
108:
多軌「……ああ、だから影蟷螂は存在がほとんどないのね」
夏目「ああ」
認識されない怪異
人から転化したが故に積み重ねた格もない怪異
忍野さんに言わせれば僅かな情報のおかげで存在を保っているカゲロウのような怪異
被害に遭うものが情報を流せないため確固たる形が出来ない怪異
死ぬわけではなく怪異となってしまうため『人』の影響を受けない怪異
存在がはっきりしない怪異
それが―――影蟷螂
数時間前の忍野さんとの会話を思い出す。
今こうして電車に乗ることになった、多軌の影を取り戻すための会話を
119:
009
夏目「……何か、ないんですか?」
忍野「うん? 何をだい?」
忍野さんから告げられた推測。
多軌の存在の危機を示されたためか、震えた声で忍野さんに尋ねる。
分かっているであろうに小首を傾げ問い返す忍野さんに少しだけ苛立ちを感じる。
夏目「何をって、多軌を助ける方法ですよ! 何か方法があるんなら教えてください。俺に出来る事なら幾らでも協力しますから!」
忍野「へえ? どうしてだい? 今回の怪異は前と違って夏目くんは全く関係のない話だろ? 君が何かをしてあげる必要はないはずだ」
夏目「関係なくなんかないですよ。俺の友人が大変な目にあってるんだ。助けたいと思ったらいけないんですか!?」
忍野「別に助けたいと思うことは悪くないさ。ただね夏目くん。自分に出来る事ならなんでもするだなんていう自己を省みない献身は僕の友人に本当によく似ているけれど気をつけた方がいいぜ」
忍野「他者を助けたいというそんな思いが逆に誰かを追い詰めることだってあるんだからさ」
120:
忍野「ま、それも夏目くんの意思だからね。僕が否定するようなことでもない。とりあえずそれは置いておこう。今はお嬢ちゃんの話だったね」
忍野「影蟷螂はお嬢ちゃんの存在を狙っている。そして恐らくはあと1、2回で奪いきるといったところだろう」
残り1,2回。
残酷な宣告に多軌の体がビクリと跳ねる。
それに気付いているのかいないのか忍野さんはのんびりと話を続ける。
忍野「これに対して方法は2つある」
夏目「あるんですか!」
忍野「そりゃああるさ。でなきゃ誰も影蟷螂の話を知らないことになる」
夏目「? どういうことです?」
忍野「夏目くん、そもそも影蟷螂に遭った人間がどうやって対策を打てると思う?」
夏目「え?」
忍野「影蟷螂に“最後まで”遭ってしまった者は存在を奪われ影蟷螂になる。短い期間だから基本的に相談することも出来ない」
忍野「つまり普通なら誰も影蟷螂のことを知らないことになる。誰にも発覚しない完全犯罪みたいに被害者と加害者のみで完結してしまう怪異」
忍野「ならどうして僕はその存在を、対策を知っていると思う?」
121:
夏目「えっと……」
突然の問いに押し黙る。
言われてみれば誰にも気づかれない怪異のことを忍野さんが知っているのは変だ。
ニャンコ先生「ふん、勿体ぶるな。襲われた者が祓い屋本人かそれに近しい人だったんだろう?」
夏目「……あ」
そうか。確かにそれなら影蟷螂のことを知っていてもおかしくない。
今こうして、襲われた多軌を俺や忍野さんが認識出来ているように、過去に被害に遭った人にも同じような境遇の者がいたのだろう。
忍野「その通り。逆を言えば伝わっている情報はそれしかない」
忍野「だから対策方法は2つあるといったけど正確には成功した例が2つしかないのさ」
成功した例が2つしかない、という言葉の裏にある意味はあえて追及しなかった。
きっとその数は、誰も知らないのだろうから。
夏目「それで、その方法なら多軌は助かるんですか?」
忍野「助かるよ。一つは確実に影蟷螂に襲われない方法だから。まあこれは簡単さ。さっき僕が渡したお札。あれを肌身離さず持ち続けていればいい」
忍野「影蟷螂は与える影響に比べて自身の力は脆弱だ。お札一枚あれば対象を見つける事も出来ずに探し続けるしかないさ。不安なら2枚持っておけばさらに安全だね」
122:
多軌「……そんなことでいいんですか?」
多軌が意外そうな声を出す。
俺としても同意見だ。
忍野さんが告げた方法は思っていたよりは簡単な対策だ。
肌身離さず、というのは少し難しいかもしれないがそれで命の危険を回避できるなら随分とお手軽な方法。
何せどこにいるのかもいつ襲ってくるのかも分からない怪異だ。
ずっと結界の中に入っていなければならないわけでもないし、持っているだけでいいなら“あの祓い屋”の人のように片目を守るために眼帯をし続けるよりも楽なはずだ。
夏目「よかった。……先生、どうした?」
俺達が安堵の息を付くも最後の一人、ニャンコ先生はつまらなさそうな顔をしている。
ニャンコ先生「夏目。お前頭が回っとらんのか? 小僧、お前も使えない方法など言っとらんでさっさともう一つの方法を話せ」
夏目「使えない? それってどういう……」
忍野「おいおい酷い言い草だなあニャンコ君は。過去にあった対策の一つがこれというだけさ」
ニャンコ先生「確かにそれならばこれ以上タキの存在は奪われんだろうが、今まで奪われた存在はどうなる? 取り戻していない以上こいつはこの先ずっと誰にも気づかれんままだぞ」
先生の言葉で本当に頭が回っていないと実感した。
そうだ。忍野さんの言った方法ではこれ以上の被害を喰いとめるだけで根本的な解決にはなっていない。
そんなことにも気づけないなんて本当に今日はどうかしている。
123:
忍野「別に意地悪で言っているわけじゃないよ。もう一つの方法は単純に襲ってくる影蟷螂を捕まえて存在を取り戻す、という方法さ」
忍野「これなら文字通りお嬢ちゃんは元通りになるし今までと同じ生活に戻れるけど、はっきり言ってこれをお嬢ちゃんがやるのは難しいね」
多軌「私だと出来ないって、何でですか?」
忍野「リスクが高すぎるんだよ、お嬢ちゃん」
忍野「影蟷螂は姿もない。形もない。気配も音もなにもない。どこにいるのか分からない」
忍野「だが襲ってくるときには、襲った瞬間には対象に痛みを与える。自身が何をしているのか、どこにいるのかを影蟷螂自身が示している」
忍野「その瞬間ならば襲われた本人には影蟷螂がどこにいるのか分かる」
忍野「だからその時に影蟷螂を捕まえて退治してしまえばそれで解決するのさ」
多軌「え? でも今まで何回も痛みを感じましたけど、どこにいるのかなんて分かりませんでしたけど」
忍野「だから難しいっていったのさ。この方法を行ったのは専門家本人。襲われたのが怪異に深く関わりを持つ人間という稀有な状況だから出来た例だ」
忍野「その専門家は狙われているのが自分の存在だと気づいた。だから早い段階で“そこ”に意識を集中し、襲われる瞬間を狙って上手く取り返すことが出来た」
忍野「情報では襲われた瞬間なら影蟷螂を認識することが出来たらしいからね」
忍野「襲われたのが夏目くんとかだったらこの方法で出来たんだろうけどそんな例え話をしてもしょうがないし、よしんばお嬢ちゃんが今の話を聞いて上手く感知することが出来たとしてもお嬢ちゃんの残りの存在はあと僅か」
忍野「下手をすれば捕まえるよりも早く存在が奪いつくされてしまうかもしれない」
忍野「確実に命は助かるけれど誰にも認識されない人生か、失敗すれば怪異と入れ替わってしまうリスクを覚悟の上で可能性の少ない奪還に挑むか」
忍野「決めるのは君だお嬢ちゃん。好きな方を選ぶといい。勿論、どちらを選んだとしても僕は力を貸そう」
忍野「さあ、どうする?」
124:
しばしの沈黙を経て、多軌が選んだのは後者だった。
例え危険でも、日常を取り戻したい、と。
このまま皆に気づいてもらえないよりは可能性にかけたい、と。
忍野さんの目をまっすぐ見て多軌は選択した。
本当は何か言ってあげたかった。
けれど何を言っていいのか分からなかった。
俺はただ、多軌を見ていることしか出来なかった。
忍野「そうかい。じゃあ詳しい方法を話そうか。ああ、夏目くんにニャンコ君。二人も協力する気があるのかい? だったらよく聞いていなよ」
忍野「お嬢ちゃん1人でやるより君たちがいた方が成功する可能性はぐっと上がるからね」
忍野さんの問いに俺は迷いなく頷き、ニャンコ先生も「タキには何度かおしるこをもらっているからな」と引き受けてくれた。
その後、詳しい話を聞いて(確かに多軌1人よりは可能性は高そうな)作戦が固まり、一度家に戻って着替えと帰りが遅くなる書き置きを残すことになった。
廃墟からの去り際、多軌たちに続いて立てつけの悪い扉を通ろうとした時、ふと一つ気になったことがあり振り返る。
125:
忍野「おや、どうしたんだい夏目くん。忘れ物かい?」
夏目「忘れ物と言うか、今回の報酬はどうなりますか?」
忍野「うん? なんだって?」
夏目「ですから今回協力してもらうことのお礼ですよ」
前回、俺が助けてもらった、いや、力を貸してもらった時は五日印などの怪異の話をお礼として伝えたが今回はどうすればいいかまだ聞いていなかった。
忍野「おいおい夏目くん。なんだい? その口ぶりじゃまるで君が費用を受け持つみたいじゃないかい?」
夏目「え? あ……」
別段そんなつもりはなかったのだけど、言われてみれば何処か俺が請け負うような気持ちになっていた。
忍野「はっはー。夏目くん、さっきも言ったけどお人よしも度が過ぎると身を滅ぼすぜ」
忍野「人はね、自分で勝手に助かるだけなんだからさ。協力や手を貸すのはいいけれど君の場合余計なものまで背負いすぎるきらいがあるね。まるで全部自分のことのように捉えている」
忍野「人によってはそれを美徳ととらえるかもしれないけど同時に付け込まれる弱点にもなる。気をつけなよ」
夏目「……分かってますよ」
そう、分かっている。
信用した相手(妖怪)に裏切られたこともあるのだから
この人なら大丈夫と思って相談したら陰で嘘つき呼ばわりされていたこともあるのだから
けれど、それでも
情の移った者に、大切な友人のために
出来る事があるのに何もしないなんて、見て見ぬふりなんて出来ない
126:
忍野「ま、それはさておき報酬ね。確かに只働きというのもなんだし怪異譚の一つを話してもらおうかな。話すのも夏目君でいいよ」
夏目「分かりました。ではどんな話ならいいですか?」
忍野「そうだねぇ、僕からの出費はお札一枚分だから、『影蟷螂』の話でもしてもらおうかな」
夏目「……え?」
忍野「情報の少ない影蟷螂の怪異。出来ればその解決方法まであれば今回の報酬に丁度見合うってところだね」
夏目「…………」
その報酬に含んだ意図に気づき思わず笑ってしまう。
つまり、これは無事に戻って来いというエールだった。
皮肉屋で人を挑発するような言動の多い忍野さんなりの激励。
夏目「分かりました。必ず払います」
忍野「そうかい。じゃあ行ってらっしゃい」
夏目「はい」
127:
そうして今。俺たちは人気のない公園にいた。
やるのならばここがいいと忍野さんに指定された公園。
教えてもらわなければ読み方が分からなかっただろう公園の真ん中にいるのは俺達だけだ。
既に日は沈んでいるがやけに大きい街灯があるため互いの姿ははっきりと見えている。
只一つ、奪われた多軌の影を除いて。
夏目「多軌、ニャンコ先生。準備はいいか?」
多軌「ええ」
ニャンコ先生「任せろ」
忍野さんに言われた通りの前準備を終えた後、二人に最終確認をとる。
緊張で固くなっている多軌といつも通りのニャンコ先生の対照的な声が返ってくる。
今回、俺が出来る事ははっきり言って何もない。
せいぜい、一回目の時点で失敗したとき、襲われる多軌を助けるくらいだ。
もっとも、襲われる本人以外には感知出来ない以上、身代わりにすらなれるかどうかも分からないのだが。
多軌「じゃあ、始めるわね」
そう言って深く息を吸い込んだ多軌は手に持った忍野さんのお札を半ばまで一気に引き裂いた。
137:
010
影蟷螂はさまよっていた。
長年待ってようやく見つけた獲物。
自身が人になるための対象。
待って、待って、待って、待って
やっと見つけた獲物。
見つけた瞬間狂喜した。
誰にも聞こえぬ歓声を上げ誰に見られずとも小躍りした。
すぐさま存在を得るために襲い、その後何度も喰らい続けた。
本当なら一気に奪い取りたいところだったが一度に奪える量に限界もあった。
連続でやるにしても時間を置かなければ奪った存在があふれてしまうため逸る気持ちを抑え小刻みに奪い続けた。
約一日かけてあと少しで全て喰らいつくすといったところで突然、あの人間の気配が消えた。
探す。いない。探す。いない。探す。いない。探す。いない。
まるで何かが遮っているようにぷつり、と気配が途絶えた。
どこに行った? どこへ消えた? まさか存在を失った? 否、自然に存在を失うなどあり得ない。例え死んだとしてもそこに存在は残るのだから。
ならばどこへ隠れた。どこへ何処へ隠れた?
ようやく見つけたあの獲物。絶対に逃すわけにはいかない。
探す。いない。探す。いない。探す。いない。探す。いない。
探す。遠くで気配を感じた。
前に比べてやけにぼんやりとしている気がするが構わない。
すぐさま気配の元へ向かう。
138:
追う。
追う。
追う。
追う。
見つけた。あの人間だ。
周囲に他の人間も立っているが影蟷螂には目標の娘しか見えていない。
這い寄る。影に迫る。
誰も気づかない。音もなく、姿もなく、気配もなく近づく。
最後の一口。まるで気づきもしない娘の存在に一気に食らいつく。
「痛!」
小さな悲鳴。同時に周りから声が上がる。
139:
どうでもいい。今は周りなどどうでもいい。
これで奪いきった。これで人間に成れる。
待ちに待った人間に、これで、これで、これで?
(…………?)
なぜならない? 存在は奪いきったはずなのに?
不思議に思い、今奪った存在が足りなかったのか、と確認をする。
そこでようやく気づく。
この存在。娘の存在だと思って奪った存在。
違う。これは娘の存在じゃない。これは――……!?
140:
横ざまに殴られるような衝撃。
他に触れる事のない影蟷螂にとって未知の感覚。
何が起こったのか、混乱する“影蟷螂を見つめる”のは先ほど存在を奪った娘。
???「ほう、これが存在を奪われる痛みか。奇妙なものだ」
???「確かに痛みを感じた瞬間ならばどこにいるのかおおよそは分かるな。最も、それでも並の奴なら取り逃がしてもおかしくはない、か」
娘は見えないはずの影蟷螂をぎっちりと握りしめて不敵な笑顔を向けている。
???「しかし残念だったな! 猫じゃらしで鍛えたこの私の右フックにかかればカマキリ程度を捕まえることなど造作もないわ!」
夏目「ニャンコ先生! 多軌の姿で変なこと言ってないで早く存在を奪い返してくれ!」
影蟷螂はようやくその時気づく。
自身が今襲ったのは人間の小娘ではなく
狙っていた小娘に化けた目の前の妖だと。
158:
011
以下、回想 
七つ森の廃墟、多軌が影蟷螂と相対する覚悟を持った後。
この作戦を立案したのは忍野さんだった。
俺たちが協力すると言った後、忍野さんはニャンコ先生の元へ近づくとひょいっと持ち上げた。
忍野「本来なら他の人がいたって特に役立ちはしないんだろうけど今回は少し違う。ニャンコ君がいるからね」
ニャンコ先生「なぬ?」
夏目「先生がいると変わるんですか?」
忍野「まあね。ニャンコ君は人に化けられる妖怪だったね? じゃあお嬢ちゃんに化けられるかい?」
ニャンコ先生「私が化けられるのはせいぜい夏目とレイコくらいだ。他の人間の顔ははっきりと見ていないから分からん」
忍野「じゃあ今からでいいからしっかりと観察するといい。ああお嬢ちゃん。なるべくお嬢ちゃんの匂いがうつるように抱きしめていてくれるかな?」
159:
多軌「に、匂いって」
若干セクハラにも取れる発言に多軌は少々顔を赤らめるが、ああ違う違う、と発言者たる忍野さんは至って冷静だった。
忍野「誤解しないでくれよ。別に女の子が羞恥に歪む顔を見て興奮するような特殊な性癖があるわけじゃないよ」
夏目「もしそうだったら少し付き合い方考えてましたよ」
身近な大人の中で関わりたくない1位が入れ替わってしまう。
因みに現在の1位は的場さんだ。
別に毛嫌いしているわけではないが的場さんの他者を道具のように捉えた考え方はあまり納得できるものではない。
何より友人帳のことを知られたらと思うとなるべくは避けたい相手である。
忍野「いやいや夏目くん。このくらいで驚いてちゃ今後の人生に苦労するよ」
忍野「世の中には女性の手首に興奮したりする変人もいるから」
夏目「現実にいますか? そんな人?」
横で多軌が「……じょじょ?」と小声でつぶやいた気がするが徐々?
160:
忍野「それどころかもしかしたら眼球をなめたがったり妹の部屋に上半身裸で爪切りで素肌に何かしたがったり幼女達にかみつかれて至福を感じる変人もいるかもしれない」
夏目「現実にいたらすぐに警察呼ぶべきですね」
ニャンコ先生「まるで怪異のような変人だな。む、略して“怪人”か。おい夏目、私今上手いこと言ったぞ」
夏目「ところでなんで匂いの話なんか?」
ニャンコ先生「聞いとるのか夏目? 怪人だ怪人。怪異の変人で怪人!」
忍野「別に体臭というわけじゃないさ。お嬢ちゃん、さっき言った匂いというのは怪異に対しての意味で少し僕達の感覚とは異なるようだから気にしなくていいよ」
夏目「待ってください。一体何をする気なんですか?」
「無視か」と呟くニャンコ先生を多軌にを渡しながら勝手に話を進める忍野さんは「うん?」と言いながらこちらに向き直る。
忍野「鈍いなあ夏目くんは。ニャンコ君にお嬢ちゃんに化けてもらって代わりに捕まえてもらおう、ということさ」
161:
ニャンコ先生「なに!? おいこら小僧! 勝手に決めるな!」
忍野「おいおいニャンコ君、さっき協力すると言ってたのは君じゃないか。そのくらい懐の大きいところを見せてほしいなあ」
多軌の腕の中でパタパタ暴れる先生を見て笑っているが少し違和感を感じた。
対して長い付き合いではないが忍野さんは誰かの力を当てにするような考えをあまりしない。
人は勝手に助かるだけ、の考えにそって言えば今のニャンコ先生を頼る案は少しズれている気がする。
疑問がそのまま顔に出たのか
忍野さんは火の付いてないタバコを動かしながらニヤリと笑う。
忍野「まあ、もしお嬢ちゃんが最初から他人を当てにするような考えだったら僕も提示はしないよ。他人頼りで他人任せだなんて甘えん坊もいいとこだからね」
忍野「けどこのお嬢ちゃんは自分一人でもやるといった気概を見せた。自分で助かろうとするのなら力を貸すさ。あるいは知恵かな」
多軌「……私は夏目くんに助けを求めましたけど」
忍野「それは相談であって何もかもやってもらおうと思ったわけじゃないだろ?」
忍野「元々今回の怪異に関してはお嬢ちゃんに非はないからね。僕としても出来る限りの助かる策は授けるよ」
忍野「後は勝手に君が助かるだけさ」
162:
忍野「さてお嬢ちゃんにニャンコ君。影蟷螂がどうやって相手を認識しているかは分からないけど少なくとも見た目と匂いは大事だろう」
忍野「おびき出すのならば少しでも可能性を上げたいから僕が指定する公園まで行ってもらう。その時までお嬢ちゃんはニャンコ君を抱きしめ続けておいてくれ」
忍野「ニャンコ君はさっきも言ったけどすっと観察しているように。ああ、見やすいように抱き方は変えた方がいい」
言われた通り多軌はいつもオレが普段抱きかかえているような背をくっつけるやり方ではなく腹をくっつけ合う向きに抱き直す。
確かに多軌の顔を観察するならあの抱き方のほうがいいだろう。
ただ心なしか多軌の顔が微妙な顔になっている。
多分多軌としては先生の顔がしっかり見られるので嬉しいのだろうが今の状況で喜びまわるのは不謹慎だと自分を戒めているんだろう。
先生が変化した多軌が緩んだ顔のままというのは見ている側としては何とも言えない気持ちになりそうなのであえて何も言わない。
忍野「公園に行ったらニャンコ君はお嬢ちゃんに化けて影蟷螂を待ち構える」
忍野「ただ化けただけだと不安があるからお嬢ちゃんの服とかを着られればなおいいかな」
忍野「出来れば今着ている制服なんかがベストだろう。ああ、これもセクハラじゃないよ」
忍野「別に制服フェチなわけじゃなくて単によく着る服のほうが匂いが分かりやすいだろうからさ」
聞いてもいないのに弁明をする辺りは忍野さんも多少自覚はあったのだろうか。
忍野さんと話していたのが笹田だったら引いていたかもしれない。
163:
忍野「お嬢ちゃんはニャンコ君の準備が出来たらそこでさっきの札を破くといい。隠していた気配が漏れて影蟷螂が寄ってくるから」
忍野「ただし全部は破いちゃいけないよ。半分くらいにするといい」
忍野「そうすれば漏れだす気配も少しフィルターがかかったようになってニャンコ君との区別がつきづらくなるだろうから」
忍野「いくら化けてもらったとしても本物の気配にはかなわないだろうからね」
忍野「それにもし影蟷螂が襲ってきた時、一回くらいなら破けかけの札でも身代わりになってくれる」
夏目「なるほど。それじゃオレは何をすればいいですか?」
忍野「あーそうだね。特に何か出来るってわけでもないだろうけどもしニャンコ先生の方へ向かわずにお嬢ちゃんの方へ来たり、あるいは捕まえ切れなかったときにお嬢ちゃんの身代わりにでもなってあげなよ」
割と投げやりな風に言われるあたり本当に特に何かできるわけじゃないんだろう。
夏目「でも影蟷螂がいつ襲ってくるかは分からないんですよね?」
忍野「そうさ。だからほとんど当てにはならない。スナイパーの狙撃を避けるような感の良さを発揮するなりしなければまず無理だろうさ」
忍野「だからこそニャンコ君。この作戦は君の変化にかかっている」
ニャンコ先生「ふん、この高貴な妖である私に人に化けろとはな。随分となめてくれるな小僧」
夏目「先生何言ってるんだ、多軌の存在がかかってるんだぞ」
ニャンコ先生「別にやらんとは言っとらんだろう、全く」
ぶつぶつと言いながらも先生は抱かれたまま、じぃ、と多軌の顔を観察し始めた。
以前オレに化けた時は若干ボロが多かった気もするがただ姿を真似るだけなら確かに問題はないだろう。
164:
多軌「……」
そんな先生を見ていた多軌は唐突にギュッと、力を込めて先生を抱きしめた。
ニャンコ先生「ぐむ!?」
先生がくぐもった悲鳴を上げるが多軌は力を弱める気配はない。
しかしそれはいつも多軌が先生にしているような溢れんばかりの愛情を向けるような抱き方ではなく何かを耐えるような不安じみた抱き方だった。
多軌「……ごめんなさい、先生。夏目くんも」
夏目「?」
ニャンコ先生「?」
多軌「私、また二人に迷惑をかけて。前の時も私のせいで二人を巻き込んでしまったのに、今回なんて全く関係ないのに二人にばかり頼ってしまって」
夏目「多軌」
皆まで言わせない。
少し強く名前を呼んだからか、止まるように多軌は視線をこちらへ向ける。
やっぱり多軌は強い子だ。
自分の存在の危機なのにオレ達のことを気にかけている。
迷惑をかけてしまったと。
危険に巻き込んではならないと。
165:
だからこそオレにも譲れない物がある。
夏目「あの時にも言ったと思うけど巻き込んだとか悩まなくていい。少なくともオレ……いやオレ達には」
ニャンコ先生「おい。勝手に私を入れるな」
夏目「なんだよ。先生は協力してくれないのか」
ニャンコ先生「……七辻屋の羊羹で手を打ってやる」
夏目「と、いうわけだから気にするな。多軌」
多軌「……うん、ありがとう」
少し詰まった声。
それでも多軌ははっきりとお礼を言った。
168:
012
時は戻り人気ない夜中の公園。
ニャンコ先生(多軌ver)「さて、こんな面倒なことさっさと終わらせるか」
多軌なら絶対に言わないであろうワイルドな科白。
借りた制服を身に纏う先生はニヤリと笑いながら影蟷螂を握る手に力を込める。
妖気を散らしたり吸い取るのはニャンコ先生のよくやる技の一つだ。
今までにも様々な妖相手に打ち勝ってきたのをしっている。
だからこれでなんとかなる、と気を緩めてしまったのが原因とは思わない。
先生に落ち度があったわけでもない。
ただ、予想外なことが起きた。
170:
存在を奪う、喰らう、という行動は先生でも経験のないものだと話していた。
先ほど、影蟷螂の襲撃を受けた際にも痛みを訴えていた。
破魔矢で打たれても耐えぬける先生がだ。
……いや、よく考えたら先生は割とどうでもいいことでも痛がったりしていたか。
この前は道を曲がる際に目測を誤ったのか壁に足をぶつけてゴロゴロと転がって呻いていたような。
因みにその光景を中級達が偶然目撃していて爆笑していた。
……ともかく、様々な妖と争ったこともある先生でもそれは未知の痛みだったのだろう。
ならば当然
ニャンコ先生(多軌ver)「痛っ!」
存在を突き返されるのも初めてとなる。
171:
痛みがあったらしく僅かな怯み。
先生の様子では顔を顰める程度の痛みなのか、それとも先生が単に耐えられただけなのか。
いずれにせよその隙を影蟷螂は見逃さなかった。
ニャンコ先生(多軌ver)「!? しまった! タキ、夏目! 影蟷螂に逃げられた! 気をつけろ!」
先生からの警告。
姿も形もない相手に警戒など無意味かもしれないがせめて壁になろうと先生と多軌を結ぶ直線状に体を差し込む。
だが、それよりも影蟷螂のほうが早かった。
多軌「札が!?」
多軌の驚く声に振り返る。
彼女の手元。半分ほどに破いていたお札が完全に破け赤い文様が無残に散り散りになってしまっている。
忍野さんは言っていた。破れかけの札でも一度は身代わりになってくれる、と。
その一回が今終わってしまった。
172:
これで多軌の身を守るものはなくなった。
お札によって誤魔化していた多軌の存在も露わになってしまっただろう。
ニャンコ先生が多軌に化けてはいるが本物には及ばない。
次は確実に多軌は襲われる。
こうなってしまっては作戦は失敗だ。
故にこの場で危険を冒すのは得策ではない。
ニャンコ先生(多軌ver)「夏目。タキを連れて一旦ここを離れるぞ!」
離脱したところで逃げ切れるかは分からない。
だが、何もしないよりは、と先生がこちらへ駆け寄ってくる。
確かに本来の姿の先生なら並のさではない。
普通に走って逃げるよりははるかに可能性はあるだろう。
しかし、悪いことは重なるものだ。
ニャンコ先生(多軌ver)「何? 元に戻れん?」
夏目「どういうことだ先生?」
ニャンコ先生(多軌ver)「知るか! ……いや、そうか。奪われ突き返された存在が上手く安定しとらんのか!」
夏目「なんだって!!」
173:
不味い
不味い不味い
不味い不味い不味い!
これで逃走も不可能になってしまった。
いやな汗が体から溢れてくるのが分かる。
状況はどんどん悪化している。
こうなった以上、後は本当に多軌が自力で捕まえるしかない。
だが多軌では影蟷螂を知覚出来るか分からない。
それ以前に襲われた時点で終わりの可能性もある。
はっきり言って絶体絶命だ。
夏目「多軌、無駄かもしれないけど先生の傍へ」
多軌「う、うん!」
意味があるかは分からないがせめてもの抵抗として先生と俺で周りを固めようと思い多軌の手を引く。
174:
この時、先ほどから不幸続きではあったがようやく運が向いたのか
不幸中の幸いと言うべきなのかは分からない。
ただ、影蟷螂はまさにその瞬間多軌を襲おうとしていたらしい。
それを俺が手を引くことで多軌の位置がズレ、襲撃をかわすことが出来た。
スナイパーの狙撃をよけるように、その襲撃をかわした。
知覚できないはずなのに何故わかったかって? 簡単な話だ。
夏目「痛っ!」
今まで感じたこともない痛み。
どこが傷ついたのかも分からない痛み。
それが俺の体を走ったのだから。
そして
175:
『……存在があれば、我も…………』
176:
同時に頭をよぎる誰かの意思
先生曰く心に隙があるから伝わりやすいという波長
今まで何度も味わった
他者の
妖の記憶の欠片
夏目「!?」
今のは、影蟷螂の…?
多軌「夏目くん! 大丈夫!?」
多軌の心配そうな声に我に返る。
そうだ。今は考え事をしている場合じゃない。
多軌を守るのが先決だ。
もし俺が手を引いていなければ多軌は今ので怪異になってしまったかもしれないのだから。
多軌の姿をした先生と共に多軌の傍に立つ。
ニャンコ先生(多軌ver)「タキ、気をしっかり持て。自分の存在を感知するには自分が“ここにいる”ということを意識するのが一番手っ取り早い」
多軌「わ、わかったわ先生」
ニャンコ先生(多軌ver)「感知出来たらすぐに痛みを感じた先に手を伸ばせ。自分の存在を持っている相手だ。才能のないお前でも十中八九触れるはずだ」
なるべく俺達で防ぎたいがそうもいかない以上、分の悪い賭けに出るしかない。
いつ襲ってきてもいいように俺も意識を集中する。
願わくば、影蟷螂が俺か先生を間違って襲ってくれるのを待ちながら。
177:
待つ
待つ
待つ
1秒
2秒
5秒
10秒
30秒
夏目「……?」
正直にいえば数秒、あるいは数十秒で影蟷螂は再び襲ってくると思っていた。
しかし予想と異なり数分過ぎた今も誰も痛みを感じてはいない。
襲われないのはいいことだが集中が切れてしまっては捕まえる事も出来ない。
ニャンコ先生(多軌ver)「……なぜ襲ってこない?」
多軌「もしかして諦めたのかしら?」
ニャンコ先生(多軌ver)「それはあるまい。あと少しで奴の大願が叶うのだぞ。わざわざ見逃す必要がどこにある?」
多軌「じゃあ、まだこの辺りにいるのかしら」
ニャンコ先生(多軌ver)「分からん。全く存在が薄いというのはこうも厄介だとは」
178:
ニャンコ先生(多軌ver)「む? そう言えば夏目? お前さっき存在を奪われたようだが返されてはいないのか?」
夏目「え?」
ニャンコ先生(多軌ver)「私は掴んだ後に存在を突き返された。痛みと共に足りない“何か”が満ちるのを感じたからな」
夏目「いや、痛みは一度しかなかった」
ということは今、影蟷螂は俺の存在を少し持っているのか。
奴の狙いは多軌のはずだから俺の存在を持っていても意味はないはずなのに。
……意味はない? 本当に?
もし俺の存在が影蟷螂にとって意味があったとしたら
何かしらの意味を持つとしたら?
夏目「もしかして」
先ほどかすかに聞こえた声。
伝わってきた意思。
初めに襲われた時、俺ではなく多軌が狙われた理由。
全てが繋がった気がした。
179:
夏目「……影蟷螂。お前、まだここにいるのか? いるんなら話を聞いてくれ」
ニャンコ先生(多軌ver)「夏目?」
多軌「夏目くん?」
二人が訝しげな顔をするが目線だけで大丈夫だと伝えて何処かにいるであろう影蟷螂に声をかける。
夏目「お前がなぜ多軌の存在を、影を奪おうとするのか俺には何となく分かった気がする」
夏目「けれど、もしおまえが多軌になったとしてもお前の望みは叶わない」
夏目「だから頼む。多軌に存在を返してやってくれないか」
180:
反応はない。あるのかもしれないが分からない。
ただじっと、影蟷螂が応えてくれるのを待つ。
ニャンコ先生(多軌ver)「おい夏目どういうことだ。奴の望みなど存在を得て人になることに決まっているだろう? 奴はそういう怪異なのだから」
夏目「違うんだ先生。たぶん、違うんだ。影蟷螂の本当の目的は……痛っ!」
話の途中で唐突に体に走る痛み。
先ほどとは少し異なる感覚と共に集中していた自分の存在が大きくなったように感じる。
影蟷螂が存在を戻したのか。
応えてくれた、と多軌のほうを見るが当の多軌はきょとん、とした顔をしている。
返されていない。
存在を返されたのは俺だけで多軌はまだ返されていない。
それが意味するところは……――!!
181:
夏目「やめろ」
どこにいるのか分からない影蟷螂に語りかける。
もう迫っているのかもしれない。
ありえないだろうけど考えを改めている最中なのかもしれない。
夏目「やめてくれ」
静止の声に意味があるのかそれすら分からない。
だが多軌の存在を返さなかった以上、影蟷螂は多軌をまだ狙っているという何よりの証明だ。
だから声に出す。呼び掛ける。
姿も見えない、どこにいるかも分からない、誰にも気づいてもらえない寂しい妖に希う。
夏目「俺の友達を奪わないでくれ!」
182:
「なんじゃい。あのアロハ小僧の血の匂いと我があるじ様とよく似た声」
「ペアリングが切れているこのタイミングで何かと思ってきてみればとんだ無駄足じゃったの」
183:
その子は突然現れた。
空から舞い降りたのでも
暗闇から這い出てきたのでもなく
何の前触れもなくそこにいるのが当然のように現れた。
金色の髪に金色の目をした
とてもきれいな外国の少女。
夜でありながら妙にはっきりと見えるようで
同時に何よりも闇が似合うようで
可愛らしさの中にどこか恐ろしさを感じた。
少女は俺たちと何もない場所を見比べ「なるほどのう」と何か得心がいったかのように頷いている。
その姿からはまるで似つかわしくない古めかしい話し方だったが妙に様になっている。
184:
ニャンコ先生(多軌ver)「お前は……」
何かに気づいたようにニャンコ先生は声を洩らすが少女は取り合わずどこかを見たままだった。
いや、よく見ればその目線は何かを追っている。
つうっ、とその“何か”を追ってはいたが、やがてその“何か”がこちらに近づいてきたのか彼女の足元に目線が行く。
「よっと」
そしてそれを、そこにいた見えない“何か”を彼女は掴んだ。
事も無く
手も無く
迷い無く
すくいあげるようにして“何か”を掴んだ。
「これは影蟷螂、か。まさか会う機会があるとは儂も思わなんだ。全く見えんのにそこに存在するとはまるでスタンドみたいな怪異じゃのう」
スタンドなるものが何を意味するのが分からないが珍しげに彼女の手中にある空白を見る。
「それにしてもあのアロハ小僧め。影蟷螂を捕まえる方法として儂を利用するとは全く持って度し難い」
「次に会った時にはミスドの借りも含めてきっちり返さねばの」
185:
スタンドと異なりアロハ小僧というのが誰を指すのかは容易に想像がついた。
何か苦い記憶でもあるのか少女はぷりぷりとこの場にいない怪異の専門家に腹を立てている。
見えないはずのそれを、影蟷螂を、当然のように掴みながら。
姿もない、形もない、音も気配もないはずの影蟷螂を。
夏目「な、なんで掴めるんだ?」
別段、彼女に問いかけたわけではない。
ただ、あれほど俺たちが苦労していた相手をああもたやすく捕まえられる理由が分からず漏れただけ。
だがその呟きが聞こえたのか、初めてしっかりとこちらを見やった彼女は「ふん」と口の端を持ち上げて何処か誇らしげにその胸を張った。
「我があるじ様に似た声の人間よ。うぬはどうやらあのアロハ小僧と繋がりもあるようじゃな。まあ、でなければ影蟷螂を引き連れてこのような場所へ来るはずもないか」
「儂がなぜこれを掴めるかじゃったか? 確かに影蟷螂は姿は儂にも見えん。存在も薄いこれは音も気配もせん」
「じゃが匂いともなれば話は別じゃ」
186:
夏目「匂いだって? でもニャンコ先生は匂いすらしなかったって」
「かかっ。儂をそこらの怪異と一緒にするでない。今でこそこのような形をしておるが吸血鬼としての本分までは失っておらん」
「例え影蟷螂自身の匂いがなくとも付着した血の匂いをかぎ分けるなど造作もないわ」
「ましてやそれがそこの札の文様に使われた知人の血ならばなおさらの」
血の匂い、と彼女は言った。
ああなるほど。
確かに多軌が預かった札は赤い文様が描かれていた。
それが忍野さんの血で描かれており影蟷螂が打ち破った際に影蟷螂に匂いが移ったということなら話は通る。
いや、だが、それよりも
今彼女は何と言った?
今彼女は自分のことを何だと言った?
彼女は今―――
187:
ニャンコ先生(多軌ver)「やはりこいつ異国の血吸いか! 夏目、タキ! 下がれ!」
先生が珍しいほど警戒心を顕わにして俺たちの前に立つ。
吸血鬼なんて今まで色んな妖を見てきた俺でも初めて見るけれどもそこまで警戒に値するものなのだろうか。
警戒している先生に対し少女のほうは「かかっ」と妙な笑い声を上げている。
「無用な心配じゃな娘に化けた妖よ。別に儂はこの場にいる誰それに用があってきたわけではないわい。ただ“このタイミング”であのアロハ小僧の匂いがしたとなれば何かあると勘ぐってきただけじゃよ」
「まあ、我があるじ様の声がしたという方が理由としては強いかの……む?」
話途中、ふいに手中をじい、と見つめた少女はふむ、と何処か面白げに頷いている。
「今のが“存在を奪う”という奴かの。エナジードレインとは異なる“存在の吸収”か。かかっ。まあ儂にとって痛みなど慣れたものじゃ。その程度では離してやれんな」
やるならば心臓を引きぬくくらいのことはしてみせよ、と物騒なことをのたまいながら凄惨な笑みを浮かべ彼女は笑う。
どうやら影蟷螂がニャンコ先生にやったように彼女の存在を奪う痛みを利用して逃げようとしたらしい。
だがまるで彼女は反応しなかった。
痛むそぶりも見せずに平然と。
掴んだ影蟷螂を離すことなく。
188:
少女はおもむろに手を口元へと近づける。
「まあ我があるじ様を探すまでの気まぐれじゃな。ここで放っておくのもあのアロハ小僧への意趣返しにはなろうが我があるじ様に知られでもしたら何をされるか分かったもんじゃないしの」
「キスどころか骨をなめられかねんし駄賃替わりに喰っておくとするか」
そのままあーん、と彼女は口を開いた。
見えぬ“何か”を口に運ぶように。
一口に“何か”を喰いつくすように。
それが何を意味するのか、一目瞭然だった。
怪異たる影蟷螂が消えればそこに奪われた多軌の存在も解放されるのだろう。
この流れが忍野さんの仕組んだものだとしたらこのまま放っておけば多軌は元に戻れるのだろう。
だからきっと黙って見ているのが正しかったはずだ。
だから
夏目「ま、待ってくれ」
反射的に止めてしまったのは間違いなのかもしれない。
189:
「む?」
幸い、ぎりぎりの(ように見える)ところで彼女の腕は止まり再度こちらに目を合わせる。
何処か冷たさを感じる金色の目は何用か、と目が語っている。
先生が余計なことをするな!と怒っているがここで引くわけにはいかない。
ここで引いてしまえばきっと後悔する。
身震いする体を引き締めて向き直る。
夏目「そいつは、影蟷螂は、ただ自分を見てほしいだけなんだ」
夏目「“ある人”に会いたくて、憧れて、姿を見てもらえるように存在を欲したんだ」
夏目「だから頼む。助けてもらったのにこんな事を言うのは筋違いかもしれないけど」
夏目「影蟷螂にもう一度話をさせてくれ」
190:
ほんの数秒だろう。
金色の双眸がきゅ、と細まったかと思うと鼻を鳴らして彼女は嗤った。
「まあ別に構わんか。元より儂が味方する相手は我があるじ様くらいで他の人間も他の怪異も儂にとっては助けるなどという対象ではない」
「まあ今は少々、思うところがあって何かしてやってもいいか、と思っておる程度じゃ」
「所詮はそれも気まぐれじゃの。自分たちでなんとかしたいというのなら後は勝手に自分で助かるがよい」
ほれ、と掴んだ時と同じく無造作に彼女は手に持っていた空白をこちらへ向かって投げる仕種をする。
放たれた影蟷螂はやはり、どこにいるのか分からない。
先ほどのようにまた襲おうとしているのかもしれない。
けれど、なぜか今度はこっちの話を聞いてくれるような気がした。
191:
投げ出された辺りを見ながらもう一度説得を試みる。
いや、正確には試みようとしたが出来なかった。
それよりも早く行動を起こした者がいたからだ。
多軌「ねえ夏目くん。 さっきの話は本当?」
夏目「え?」
多軌「その、影蟷螂が自分の姿を見てもらいたがってるだけだって」
夏目「あ、ああ。確証はないけど、多分そうだ」
多軌「……そう。……うん、分かったわ。影蟷螂、さん。少し待ってもらえる?」
何かを決意したのか神妙に頷いた多軌は影蟷螂へ向けて声をかけた後、公園に落ちていた木の枝を拾い上げた。
多軌「私ね、最初に忍野さんから話を聞いたときに思ったの。もしかしたら祖父の“これ”が使えるんじゃないかって」
ざりざり、と拾った枝で地面に線を描きながら多軌は語りだす。
多軌「どこにいるか分からなくても“これ”なら近づいてきたら見えるんじゃないかって思ったけれど、“これ”は力のない者にも妖を見せるモノだから夏目くんが見えてないなら意味がないかなってすぐに除外しちゃったの」
同心の円を二つ。その間を六等分してそれぞれに文字。そして中央に大きな目を書き起こしていく。
多軌「でももしかしたら、妖力を高めてくれるこの“陣”の中なら、私には無理でも夏目くんになら見えるかもしれないわよね?」
そうして出来上がったのは“姿写しの陣”。
多軌の祖父の遺した術にして祓い屋の中では禁術扱いされている『妖怪を見えるようにする陣』
そして以前、多軌の命を脅かす原因になったものだ。
193:
実を言えばこの陣を使えば影蟷螂を見つけられるのでは、という可能性を考慮しなかったわけじゃない。
けれど確証もないものを無暗に当てにしたくなかったのもあるが何より多軌の心を傷つけた陣を使わせてくれ、だなんて言えなかった。
きっとそれも、先生達に言わせれば余計な事を考えすぎだ、と笑われるのだろうが。
多軌「影蟷螂さん。もし夏目くんの言ったことが本当なら、この陣の中に入ってみてください」
多軌「何の意味もないかもしれない。期待させてがっかりさせてしまうかもしれない」
多軌「でももしかしたら、貴方の願いがこれで叶うかもしれないから」
多軌「だから、お願い」
震える声で多軌が呼び掛ける。
自分のトラウマを押してまで、自分の存在を脅かしている怪異のために呼び掛ける。
誰も何も言わない。オレも、先生も、吸血鬼の少女も
ただじっと、沈黙が訪れる。
194:
多軌「……やっぱり、無理だったのかしら」
夏目「……いや、無理じゃなかったよ」
多軌「え?」
多軌の目には何も映らなかったのだろう。
先生も特に反応をしなかったから見えてはいないんだろう。
けれど、いるのだ。
そこにいるのだ。
多軌が促してから少しして、ゆっくりと陣に入り込んだ妖が。
夏目「はじめまして」
そこにいる怪異に声をかける。
先ほどまでと違い、はっきりと目線を向けて。
声をかけられたその怪異は緩慢な動きでこちらを見やる。
どこかで見た動きだなと思ったら今日、存在を奪われた多軌にあった時と同じ反応だった。
自分が見られていると思わない
自分に気づいてくれるのが信じられない
そんな緩慢な動き。
195:
影蟷螂『……それは、我に言っているのか?』
小さな声
夏目「ああ、君に話しているよ」
影蟷螂『我を見えているのか?』
大きな声
夏目「見えているよ」
影蟷螂『我の声が聞こえているのか?』
一度小さくなってまた大きな声
夏目「聞こえているよ」
影蟷螂『我を分かるのだな!?』
熱を帯びたようにさらに大きくなる声
夏目「ああ。君がなんなのか、ちゃんと分かるよ」
影蟷螂『お、おお、おおお!』
感嘆の叫び。
思わず耳をふさぎそうになるほど大きな音だったにも関わらず他の誰も反応をしない。
どれだけ大きな声を出しても、誰も反応をしない。
それがこの妖にとっては常だったのだろう
他者と話す声音がどの程度の音量でよいのかも分からない程に。
影蟷螂『そうか。そうか。我が見えるのか! 分かるのか! お前が我を分かるのだな!』
今にも泣き出しそうな、笑い出しそうな影蟷螂は震えながら俺にしか聞こえない大音声で名前を呼ぶ。
影蟷螂『夏目レイコ!』
影蟷螂『我の名前を友人帳に記せ!』
196:
013
いつからそこにいるのか分からない
“こうなる”前は“誰か”だったような気もするが覚えていない。
分かるのは自分は自分でないということ。
自らを分かっていないということ。
どうすれば自分を持てるのか
自分を作るにはどうすればいいのか
それは誰に教わるでもなく分かっていた
けれど誰になればいいというのだ?
誰でもない我は誰になることが出来るのだ?
考えても分からなかった
だから誰かに聞こうと思った
知っている者に教えてもらおうと思った
けれど誰も教えてはくれなかった
誰も応えてはくれなかった
誰も、気づいてはくれなかった
いくら叫んでも
何をしても
誰も、何も
197:
怪異は世界とつながっている
だが自分は世界と切り離されているとしか思えなかった
一つの事柄を除いて世界には影響しない
ただ、孤独だ
その辺りに多くいる誰かの存在を奪えば“自分”を得られるのは分かっていた
だが奪う理由がなかった。
誰でもいいということは、誰かである理由がないということだ。
そんなのは望んではいなかった
自分が自分である理由がほしかった
他のだれかではない、自分である理由が
198:
ある時、妖同士で妙な噂が飛び交っているのを聞いた
曰く、強力な妖力を持つ女がそこらの妖達と勝負して名前を奪って従わせている、と。
少し、興味を持った。
強力な妖力を持つ人間がどの程度の物かは分からなかったがもしかしたら我を見てくれるのでは、と。
その女、夏目レイコはすぐに見つかった。
綺麗な女だった。
見惚れてしまうくらいに、美しかった。
妖に喧嘩を吹っ掛けあっという間に蹴散らしてしまう様は恐ろしさよりも清々しさすら感じた。
この者なら、と眼前に飛び出る。
夏目レイコ!と名を呼んでみた。
そんな自分の横を、夏目レイコは通り過ぎて行った。
分かってはいたことだった。
存在を持たない自分を見止められる者などいないことくらいわかっていた。
けれど、だけど、もしかしたら
そんな一縷の望みにすがって、結果はこの通りだ。
199:
勝手に期待しておきながら憤った。
この女の存在を奪ってやろうか、とも思った。
けれど楽しそうに妖と勝負をしては笑っているレイコを見てもっとその姿が見たくなった。
奪ってしまえば彼女の笑う姿が見られなくなる。
だから奪うのをやめにした。
そうして見ているうちに妙な気持ちになった。
レイコは妖と話すときよく笑う。
それは大抵一方的な笑いで他の人間達のように仲良く笑っているわけではなかったけれど。
それでもその笑顔は見ていて心地よかった。
見ているうちに欲が生まれた。
我もレイコと話がしたい。
レイコと勝負がしたい。
レイコに笑いかけてほしい。
レイコに、名前を呼んでほしい。
けれど存在を持たない自分ではそれは叶わない。
存在があれば我もレイコに見止めてもらえるのに。
200:
ああ、ならばそんな“我”を得ればいいのか
201:
やっと理由が見つかった
後は条件にあう存在を奪うだけ
すぐにその存在を探したが意外なことがあった。
レイコに見止めてもらうにはレイコとよく話す存在がいいと思ったのにそんな者が誰もがいない。
冷たく接する者や嘲笑する者や遠巻きに避ける者ばかりだ。
そんな存在はいらない。
レイコに嫌なことをする存在などいらない。
我はレイコに見止めてほしいのだ。
嫌な存在では見止めてはもらえない。
202:
だから待った。そんな存在を。レイコと仲の良い存在を
待った
待った
待った
しばらくしてレイコを見なくなった
どこに行った?
探した
探した
探した
そして長い時間がたち再びレイコが帰ってきた。
友人帳を持ち、妖と話をするあのレイコが。
しかも嬉しいことに笑いあう人間も傍にいた。
楽しそうに
仲がよさそうに
互いを見止めあっている存在が。
見つけた。ようやく見つけた
さあ、あの人間の存在を奪おう。
奪ってあの者に成り替わり
レイコに自分を認めてもらおう!
208:
014
後日談と言うか今回の落ち
数日後、七つ森の廃屋を訪れ約束通り今回の報酬である影蟷螂の怪異譚の顛末を忍野さんに伝えに来た。
忍野「なるほどねえ。つまり夏目くん。影蟷螂があのお嬢ちゃんを狙ったのは偶然でもなんでもなく君に会って認めて欲しかったからだったんだね」
夏目「正しくは俺ではなく俺の祖母、レイコさんにですけど、ね」
流石に友人帳の事は話すわけにはいかなかったのでその辺りは濁しながら祖母と自分はよく似ていたので間違えられた、と伝えることにした。
あの時
俺の存在を影蟷螂が奪った時すぐに返さなかったのは恐らく俺の存在にレイコさんを感じたからだろう。
影蟷螂が一番求め、憧れていた彼女の存在に。
209:
忍野「怪異は感覚が人間とは違うからね。親戚を見間違えるなんてよくあることさ。それにしても今回のケースはどうなんだろうね?」
夏目「どう、とは?」
忍野「いやあ、てっきり僕は影蟷螂の狙う相手に理由があるとすれば影蟷螂が好んだ相手というかその存在を羨んでいる相手なのかと思っていたんだよね」
忍野「夏目君だって経験はないかい? 人気者のクラスメイトを見てあんな風になりたい、とか自分もああだったら、なんてさ」
夏目「……まあ、なくはないですけど」
小さい頃などいつも思っていた。
友達の多いクラスの中心の存在を見て自分もああだったら、と。
妖怪が見えなければあの輪に加われるのか、と。
210:
忍野「けれど夏目くんの話じゃ憧れている人の友人Aのポジションに成りたがっている」
忍野「“自分自身”が友人になりたいのに友人Aという“別人”の存在を欲している」
忍野「この影蟷螂が特殊なのか、あるいはどの影蟷螂も“自分の存在を認めてほしくて”別の存在を欲しているのかってことさ」
忍野「もし後者だとしたら見事なほどに目的と手段が入れ替わっちゃってることになる」
忍野「確固たる自分を見てほしいから見てもらえる存在を欲して、でもその存在は既に“確固たる自分”ではない」
忍野「それに気づけないあたりもまあ怪異らしいっちゃ怪異らしいんだけどね」
忍野さんはそう言っていつものように火のついていない煙草を咥えながら挑発するように笑う。
けれど俺は笑えない。
笑える、わけがない。
211:
忍野「で、その後はどうなったんだい? まあこうして話に来てくれている時点で無事に解決はしたんだろうけれど」
夏目「……ええ。 祖母が既に他界していると話すと影蟷螂は茫然として、しばらくは曖昧な反応だけした後に多軌に存在を返してくれました」
レイコがいないのなら意味がない、とそれまであれほど執拗に狙っていた多軌の存在をいとも簡単に返してくれた。
とても寂しそうに
話したこともない相手との離別を嘆きながら
忍野「へえ、そうかい」
夏目「……」
忍野「……」
夏目「……」
忍野「……あれ? 続きはどうしたんだい?」
夏目「え?」
忍野「え? じゃないよ夏目くん。君みたいなおせっかいなタイプがそんな悲しんでいる相手を目の前にして放っておくはずないだろ?」
夏目「……わざわざ語るようなことじゃないですよ」
そう。忍野さんの言うように本当におせっかいなのだ。
あまりにその姿が寂しそうで
自分を認めてくれる相手がいなくなったことを寂しがっているその妖に
例え俺の友人を奪おうとしていたにもかかわらず何かをしてあげたくなったなんて
おせっかい以外の何物でもない。
212:
夏目「……俺が覚えておく、と言ったんです」
忍野「ふうん。影蟷螂の存在をかい?」
夏目「はい。『君の存在は俺が認める。君の姿は俺が見止めている。祖母の代わりに俺が君のことを覚えておく』」
夏目「そう伝えると、少し不思議そうな顔をして、嬉しそうに笑って、『ありがとう』とお礼を言って、消えてしまいました」
見えなくなったのではなく
消えてしまった。
影蟷螂は、言わば生きている人間と入れ替わる“幽霊”だ
それが消えるということはつまり
忍野「なるほどなるほど。まあ未練が消えれば成仏するのは当たり前だからね」
成仏。
そう言えば聞こえはいいのだろう。
いや、むしろ正しいあり方なのだろう。
けれど、さっきまで見えていた相手がもう見えなくなるというのは
もう会えなくなるというのは
まるで死別のようで
多軌の存在を脅かしていた相手であっても
祖母のことを想ってくれていた相手もあって
消えた瞬間、妙な寂しさが胸を穿った。
213:
忍野さんに報告は終えた。
これで今回の怪異譚は幕を下ろした。
だからこれで終わったはずなのだ。
けれど俺の胸には燻りが残っている。
原因は分かっている。
だって
忍野「ところで夏目くん」
夏目「はい」
忍野「今回の件で君が責任を感じる必要はどこにもないよ」
夏目「っ!」
気にしていたことをズバリと言いあてられて顔を跳ね上げる。
夏目「そんなはずないじゃないですか」
忍野「どうして? いったい何が今回の君の責任になるんだい?」
夏目「だって、多軌が襲われたのは“俺と仲良く話していたから”なんですよ!」
そうだ。多軌が俺達を巻き込んだんじゃない。
俺が多軌を巻き込んだんだ。
あの時、映画館の帰りに多軌と話をしていたせいで多軌は巻き込まれたのだ。
そして影蟷螂が狙った理由から考えればあの時、該当する者のは他にもいたのだ。
多軌だから俺に相談出来た。
けれど西村や北本だったら?
何も分からないうちに存在を奪われ入れ替わっていたら?
其れに気付いたあの夜。一晩眠ることができなかった
214:
忍野「それは君のせいじゃないだろう。ストーカーの被害に遭って自分が悪いなんていうのはおかしいだろ? 例えは悪いけどそれと同じさ」
夏目「そんなこと言われても」
忍野「なんだい、君は加害者もまた被害者で被害者にも原因が、みたいな考えの持ち主なのかな? 僕はそういうのは一番嫌いなタイプの考え方なんだけどね」
忍野「自分にも責任があるなんてのは一見謙遜にもみえるけどそれじゃいつまでたっても自分は助からないぜ?」
答えられず押し黙る。
忍野さんの言っていることが正しいのは分かる。
だが頭では理解できても感情では納得できない。
それに
忍野「それに影蟷螂に対しても言葉で誤魔化して影蟷螂を成仏させてしまったことを悔いている、かな」
夏目「……忍野さんは本当に何でも知ってますね」
忍野「だからそれは僕のキャラじゃないって。夏目くんは顔に出すから推測しやすいのさ」
忍野「それにしたってむしろ僕としてはよくやったことだと思うけどな。調伏したわけでもなく成仏させたんだから」
忍野「謙遜も過ぎると被虐にしかならないぜ」
忍野「ま、その辺は夏目くんの心情の問題だからね。僕はカウンセラーじゃないんだし君が勝手に助かるだけさ」
215:
忍野「さて、と。僕はちょっと用があるから少し出かけてくるよ。夏目くんも今日のところは帰るといい」
夏目「……はい」
立ち尽くす俺を放って忍野さんは外に向かって歩いていく。
忍野さんはたまにこうしてフィールドワークに出かける事がある。
話を強引に切られた形になったが今の俺には有難かった。
夏目「……そう言えば」
忍野「うん?」
一つ、気になっていたことがあった。
夏目「あの吸血鬼の女の子。あの子は忍野さんの知り合いですか?」
影蟷螂が成仏した後、吸血鬼の少女にお礼を言おうと思ったのだが現れたときと同じくいつの間にか去ってしまった。
おかげで詳しい事情も分からずじまいだったが忍野さんなら何か知っているはずだ。
忍野「……ちょっとした知り合いさ」
どういう関係なのか、どうしてあそこにいたのか、あの公園でやるように指示したのはあの子の力を期待していたのか
そんな話を聞きたかったのだが忍野さんは一言だけそう言い残すとさっさと出て行ってしまった。
……これは暗に深くは追究するなということなんだろう。
それが忍野さんのためなのか、それとも俺のためなのか
それすらも明らかにはしない方がよいのだろうと思い、彼女のことは忘れる事にする。
いつかまた会う時まで。
なぜかそれがそう遠くはないような気がしながら。
216:
そんな形で七つ森から帰宅途中
日差しの暑い中、相反するように心には暗雲が漂ったまま歩いていると
多軌「あ、夏目くん」
夏目「……多軌、体はもう大丈夫なのか?」
多軌「うん。心配掛けてごめんね?」
笑う彼女の足元にはくっきりと影がある。
存在が完全に戻った証拠だ。
あの後、影蟷螂に存在を返された後、大量の存在を一気に返されたせいかしばらく多軌は体調を崩した。
昨日電話でよくなったと聞いてから忍野さんのところへ報告に行ったので数日も間があいてしまった。
多軌「でも本当にありがとう夏目くん。また助けてもらっちゃった」
多軌「あ、ニャンコ先生にもお礼の七辻屋のお饅頭があるの。直接渡したかったんだけど一緒じゃないのね」
夏目「ああ、今日は先生ちょっと飲み仲間と宴会があるって昼間っから出かけちゃって」
多軌「酔っ払ったニャンコ先生かぁ。きっと赤くなってつるふかしててかわいいんだろうなあ」
夢見心地の多軌には悪いが実際には中年の親父とそう変わらない。
夢を壊したくないので出来る事なら絶対に見せたくない姿である。
217:
多軌「……夏目くん? どうかしたの?」
夏目「あ、いや、なんでもないよ」
多軌「……そう」
夏目「……多軌。今回のことだけど」
多軌「……うん」
夏目「……その、ごめ「ストップ」え?」
謝ろうとした矢先に多軌に静止させられる。
困惑する俺の前に立った多軌は少し眉を上げながら顔を覗き込む。
多軌「今夏目くん謝ろうとしたでしょ?」
夏目「あ、ああ」
指摘する言葉に少しとげがある。
多軌「やっぱり。夏目くん、自分のせいで私を巻き込んだとか考えてた?」
忍野さんに続いて多軌にも見透かされていた。
そんなに分かりやすかったのかと思っていると同時に何故多軌が少し怒っているのかが分からない。
やはり危険にさらされたことを怒っているのか。
けれどそれにしては文脈がおかしい。
218:
多軌「夏目くん。私がこの前巻き込んでしまったと謝った時、夏目くん言ったわよね?」
多軌「『巻き込んだとか悩まなくていい。少なくとも俺達には』って」
多軌「……私も同じ気持ちよ。迷惑をかけたなんて思わないで」
多軌「夏目くんは自分が迷惑をかけられるのは耐えられても誰かに迷惑をかけるのは苦手よね」
多軌「でも私は、ううん、私だけじゃない。田沼君も西村君も北本君も笹田さんもきっと同じ」
多軌「夏目くんとは友達でいたいから。だからそんな風に怖がらないで。距離を置こうだなんて思わないで」
多軌「命の危険にあるからって、それで夏目くんの友達をやめなきゃいけないなんて、そんなのは嫌だから」
多軌「……なんて、私も同じ立場だったら謝っちゃうかもしれないけど」
ふふ、と微笑む多軌。
……本当に俺にはもったいない友人だ。
失わずに済んでよかった。
220:
多軌「それにね。今回のことで気づいたことがあるの」
夏目「気づいたこと?」
多軌「うん。誰にも気づいてもらえないのはすごく寂しくてつらかったけど、夏目くんが私を見止めてくれた時、すごくうれしかった」
多軌「自分を認めてくれる存在がいるってこんなにも大切なんだなって」
多軌「単純で、当たり前のようなことかもしれないけどそれだけで救われた気持ちになれたの」
多軌「……影蟷螂さんも、同じ気持ちだったと思うわ」
夏目「……そうかな?」
多軌「ええ、きっと」
夏目「……そうか」
お互い、何となく笑いあう。
心の中にあった雲が少しずつ晴れていったような気がする。
西村「あーーーー!! 夏目何やってんだあ!!」
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