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律子「あの人の珈琲の香り」


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1:
シリーズではないです。
地の文です。
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2:
事務所のドアを開けると、その香りが部屋中に漂っていた。
それは時に香ばしく、時に甘味も含んだ珈琲の香りだった。
私がどんなに早くやって来てもあの人がいて、珈琲豆を挽いていた。
私の姿に気づくやいなや、あの人は微笑んで
「おはよう、律子」
と挨拶をするのだった。
3:
私が挨拶を返すと、彼はミルに視線を戻し、楽しげに豆を挽く。
豆を挽きながら彼はよく鼻唄を歌うものだった。
時にはよくわからない歌、時にウチのアイドルの曲、そして時に私のナンバー。
豆を挽き終えると、彼は粉状になった豆を取り出した。
挽いた豆を箱から取り出すとき、一層その珈琲豆の香りが強く感じられる。
彼は軽くその豆を嗅ぎ、「いい感じだ」と嬉しそうにする。
そして私に、
「一杯飲むか?」
と聞いてくるので、私は微笑んで頷いた。
4:
あらかじめ沸かしていたお湯をドリッパーにかけ、マグカップにも少しお湯を入れて温める。
フィルターも濡らして、珈琲豆を入れ、いよいよお湯を注ぐ。
「注ぎ始めと蒸らしが大事なんだ」
と彼はいつも言う。
蒸らし終えて、先細りの注ぎ口を持つポットからチロチロとお湯を注ぎ始めた。
お湯の注がれた豆はみるみる膨らみ、たちまちドームのようになった。
魔法がかけられたように豆の膨らんでいく姿を見るのが私は好きだ。
そして注ぐことに集中している彼の真剣な姿も、好きだった。
5:
淹れ終わるとマグカップに注ぎ、得意げな表情で珈琲を渡した。
息を吹きかけて少し冷ましてから、一口飲む。
心地良い香りと、苦味が口いっぱいに広がった。
「美味しいっ」と思わず口に出すと、彼は更に得意げになった。
・・・憎たらしいけど、それ以上に美味しいのよね。
彼も自分のマグカップに珈琲を注ぎ、軽く匂いを嗅いで、一口飲んだ。
少し冷まして飲めば良かったのに・・・口に入れた途端、悶絶している。
そんな姿を見て、私と彼はお互いに笑いあった。
時には小鳥さん、社長がいることもあったが、これがいつもの朝の風景だ。
そしてアイドルたちがやって来るまでのこうしたゆっくりとした時間は、私の幸せな時間だった。
6:
だが、あのライブのあった数日後、彼は遠い海の向こうへ飛び立った。
彼が異邦の地へと向かった次の日から、事務所から珈琲の香りが消えた。
あの朝早くの、眠気が覚めてしまうような鮮烈な香りは今はもう無いのだ。
皆もそのことに気がついたようだ。
「朝来た時にプロデューサーさんのコーヒーの匂いが無いと、何だか変な感じですね」
と春香は寂しげに笑っていた。
1年すれば彼は帰ってくる、それまでの辛抱だ、と皆は口を揃えて言っていた。
そんな短くて長い1年が始まった。
7:
始めて彼の珈琲を飲んだ時の味は今でもよく覚えている。
もともと珈琲を飲み慣れていなかった私には苦くてとても飲めたものではなかった。
「最初だけさ、俺もそうだったから。そのうち美味いと思うようになるさ」と彼は笑っていた。
飲んでは何度も苦悶の表情を浮かべた。
だが彼の言うように、ある日突然珈琲の味が美味しく感じるようになった。
そのことを彼に伝えると、
「だろ?そんなもんだよ」
と軽くつっけんどんに返された感じだった。
だが、その彼の表情はとても嬉しそうだった。
8:
彼がいなくなって1月、珈琲が飲みたくなり私はインスタントコーヒーを買った。
だが、分かってる通り味も香りも全く違う。
その後、小鳥さんがデパートで買ってきたという挽いた珈琲豆を使って淹れてみた。
彼の言っていた淹れる時のコツを思い出しながら淹れてみる。
それでも「やっぱり違いますね」と小鳥さんと笑いあう。
やっぱり、彼みたいに豆から挽いた方が良いのかしら・・・
ちょうどコーヒーミルは事務所に残されたままだ。
9:
彼が発って半年が経とうとしていた。
いつもより早く仕事が終わり、まだ空が明るい中事務所を出た。
時間に余裕もあったので、事務所に行く時によく見かけていたコーヒーショップに立ち寄る。
店に入ると焙煎したコーヒー豆の香りが広がっている。
ブラジルにグアテマラに、キリマンジャロ・・・
ブルーマウンテンってよく聞くわね・・・ってこんなに高いの!?
ウチの実家はコーヒーまでは取り扱ってなかったけど、こんな感じの価格なのね・・・
値段も手ごろでおススメというお店独自でブレンドした豆を買ってみた。
・・・明日早く事務所に来て、試してみようかしら。
10:
誰もいない朝、私は記憶を頼りに彼のやっていたように事務所で豆を挽いてみた。
取っ手をくるくると回転させると、豆が砕かれる音と珈琲の香りが部屋中に広がっていく。
なるほど、これは面白いものね。プロデューサーも鼻唄を歌っていたのも分かる気がするわ。
彼のように、鼻唄を歌っているとドアが開く音がした。
小鳥さんだった。少しばかり目を丸くしてたが、すぐに優しい笑みを浮かべた。
「あっ、律子さんでしたか。ドアを開けたら懐かしいコーヒーの匂いがしてるからビックリしましたよ」
「気休めですけど、こうやって豆から挽いたらプロデューサーの珈琲の味に近づくかなぁ、って思って」
そう私が言うと、お互いに不思議と笑いが吹き出てしまった。
11:
その後やって来たアイドル達も、事務所に入ると漂う珈琲の香りに少し驚いていたようだった。
「プロデューサーが帰ってきたのかなって思いました!」
「全く、紛らわしいことしないでよね!」
やはり皆も珈琲の香りと言えば彼を思い起こすようだった。
でも、私はそのうち豆を挽くのを止めた。
どうしても、彼の淹れる珈琲の味にはならないのだ。
それは私だけでなく、小鳥さんやあずささん、社長も口を揃えて言った。
12:
「豆は事務所近くのコーヒーショップがあるだろ?そこの親父おすすめのブレンドだよ」
「何か淹れるときのコツって?」
「あるよ、でも秘密」
「えー、教えてくれたっていいじゃないですか」
「そのうち、な?」
彼とのこんな他愛のない会話を思い出す。
彼の言う秘密のコツって何だろう?
季節は夏を迎えようとしていた。
13:
私がパソコンと格闘していると、そばでコトリと何かを置く音がした。
「ありがとう雪歩、あなたも忙しいのに悪いわね」
「大丈夫ですよ。私はこれくらいしか律子さんのことお手伝い出来ませんから」
そう言って雪歩は優しく微笑む。この子もアイドルとして十分忙しいのに、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
「プロデューサーのコーヒーが、なんだか恋しいですね」
さらりと言った雪歩の言葉に、思わず言葉が詰まる。
「そ、そうね・・・でも、雪歩のお茶があるだけでも、とってもありがたいわよ?」
そう私が言うと雪歩はかなり照れ臭そうにしていた。
14:
こんな風にプロデューサーの珈琲をみんなは恋しく思っていた。
亜美と真美は、最初は珈琲の匂いをくさいくさいと彼に言っていたが、今はその匂いが寂しいと訴えて・・・
中々罪作りな人ね・・・
そういえば美希がハリウッドで彼と再開したときのことだ。
皆がプロデューサーの珈琲を寂しがっていると言うと、
「それなら帰って来たら皆に振る舞ってあげないとな」
と言って笑っていたそうだ。
・・・約束ですからね?覚えておきますよ?
15:
相変わらずアイドル達の活動は活発で、私や小鳥さんも仕事に終われる毎日だ。
そうして仕事に一段落がつく頃、仕事の相手先からのメールに混じって彼からメールが届く。丁度時間的に彼の起きる時間なのだろう。
大体の内容はお互いの仕事の事情から、他愛のない日常的なものまで様々だった。
彼からのメールが届くと、隣に座る小鳥さんはすぐに気付くのだった。
「プロデューサーさんのメールが届いたら、すぐに嬉しそうな顔になってますから」
「ええっ!?そ、そうですか・・・」
「確かに、私もメールが来たらとっても嬉しくなりますけどね」
そんなに私って嬉しそうにしてるのかしら・・・
真夏の暑さのせいなのか、はたまたこのせいなのか、私の頬はとても熱かった。
あっ、小鳥さんの顔も真っ赤だ。
ふふっ、お互い様ですね♪
16:
残暑も無くなり、秋に入ろうとしていくと、次第に皆は彼が戻って来ることを意識し始めていた。
カレンダーにはもうすでに「兄ちゃんの帰って来る日!」と書かれている。
何人かは流石に早すぎるよ、と笑っていたが、彼の帰りを心待ちにしていた。
勿論私もその1人だった。
17:
朝が少しばかり冷え込むようになったある日、事務所の鍵を開けてドアを開く。
当然ながら私が一番乗りだ、事務所には誰もいない。
だが、プロデューサーがもうすぐ帰って来ると思えば思うほど、ドアを開けても彼がいないということが胸に刺さるようになった。
ドアを開けると彼の姿、彼の声、そして彼の淹れる珈琲の香り・・・それが彼がいなくなってから、今までどれだけの喪失感を感じさせるものだったかということが強く分かった。
そして、私が抱く彼に対する恋慕というのも嫌というほど気付かされた。
あの人のことが好きなんだ、と。
たかが、と言えば彼に失礼かもしれないが、たかが一杯の珈琲でのつながりは大きなものだったのだ。
だからこそ、彼に早く会いたい。
18:
とうとうその日がやってきた。
冬もそろそろという季節になり、寒空の中、皆で事務所の前で集まって彼が帰って来るのを待つ。
私の胸はこれ以上ないくらい高鳴っていた。
戻ってきたあなたと色々とくだらない話をしたいし、また仕事の話で熱く語りたい。
それに、お酒も・・・あなたのいない間に20歳になったのですよ?
そして・・・そして、あなたの淹れる珈琲を・・・
程なくして、皆から歓声が上がった。
私の想いはひとまず、その歓声の中に埋めておくことにした。
20:
私は冷え切ったビルの階段をゆっくりと登る。
事務所のドアの前に到着し鍵を取り出そうとした時、中がうっすらと明るいことに気がついた。
ドアノブを回すとすんなりとそのドアは開いた。
部屋の中では珈琲の香りが漂い、豆を挽く音と鼻歌が聞こえている。
私が事務所の中へと進むと、そこには楽しげに豆を挽く彼の姿があった。
私の姿に気づくやいなや、彼は微笑んで
「おはよう、律子」
と言った。
私のいつもの朝の、幸せな時間が始まった。
おわり
21:
遅れながら、りっちゃん誕生日おめでとう。
22:
りっちゃんのシリーズ物、まだ続き書いてない・・・しばらくしたら書こうと思います。
25:
律子「引っ越したらお隣さんがプロデューサーだった」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1388924146/
P「起きたら律子が膝の上で寝ていた」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1391866781/
春香「プロデューサーさん・律子さん対策会議を始めます!!」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1395820498/
です。時間があればぜひご一読を。
今回のお話はこのシリーズとは関係ありません。
27:
乙ー
素晴らしい
2

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