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勇者「真夏の昼の淫魔の国」


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1:
このスレは、
魔王「世界の半分はやらぬが、淫魔の国をくれてやろう」
の後日談です
※R-18描写有
それでは、よろしくお願いいたします
2:
初めての『夜』を交わした、あの『春』から二ヶ月。
ようやく、淫魔の国で、王としてすべき事が分かりかけてきた。
各方面への輸送、事業の認可、たったひとつの隣国、もう一つの淫魔の国との外交。
そして今、昼の盛りにも、執務室に籠もっていた。
「…………陛下? 何か、書面にご不審な点でも?」
「窓を開けたい」
「はい、お開けいたします」
窓を開けると粘るように生ぬるい風が吹き込み、さしもの彼女も、いかにも不愉快そうに一瞬顔を顰めた。
見れば横顔には、墨を流したように幾筋かの髪が汗に濡れて張り付いている。
「言ってどうにかなるものじゃないが……暑いんだよ!」
朝に着替えたばかりのシャツは、絞れば出そうなほど、汗を吸ってまとわりついていた。
せめて風に当たれば涼しくなるかとも思ったが、結果は、煮え立つような汗がほんの少し冷める程度にしかならない。
机の上に広げた書類には、注意していても汗の雫が落ちてところどころ滲み、
波打ち、もし捺印して執政に受け渡しても判読できるかどうかさえ怪しい。
「毎年こうなのか? 去年はどうだったんだ?」
「はぁ……。ここまで暑くはなかったかと存じます」
装いを涼しげにしてはいても、彼女も堪えるのか、どこか返答に気が入っていない。
雲を裁って仕立てたような白のドレスを着て、反して濡羽色の艶やかな髪は、一本に編んで大きく開いた背へ垂らしている。
どこかぼんやりとした様子で、生温かい風が吹き込む窓辺へ佇んで、外を眺めていた。
元スレ
SS報VIP(SS・ノベル・やる夫等々)
勇者「真夏の昼の淫魔の国」
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4:
「何か、冷たいものをお持ちしましょうか?」
「冷えたエールがいい。瓶が手に貼りつくほど冷たいのを」
「把握しました、紅茶でよろしいですね。レモンとブラッドオレンジ、どちらにいたしますか?」
「……任せる」
「かしこまりました。それでは、しばしお待ちを」
微笑みながら彼女は出て行き、場に生暖かい一人きりの静寂が戻る。
窓を開けた分だけ僅かにマシでも、その暑さは、ほとんど変わらない。
本格的に暑くなったのは、ほんの一週間ほど前の事になる。
寝苦しさに目が覚めて城内をうろつき回り、一番広くて涼しかった玉座の間で、玉座に腰掛けたまま眠った事まである。
暑いのはどうやら淫魔達も同じらしく、裸で歩く者まで出始める始末。
一度サキュバスAと出くわした時に「魔法か何かで城内を涼しくできないか」と訊ねれば、
「暑ければ裸になればいいでしょう」と返されてしまった。
一時はあられもない姿の淫魔達が城内を闊歩していたが、流石に堕女神も今年ばかりはまずいと思ったか、
「胸と下だけは隠すように」と通達して、今のところ守られているようだ。
しばし、シャツの襟元をバサバサと扇いで少しでも体温を下げようとしたが、徒労に過ぎなかった。
むしろその動作のせいで逆に体温が上がり、腕までだるくなる。
何もしまいが、何かしようが――――暑さは変わらない。
暑さに溶けかけて、机のひんやりした感触を楽しんでいると、堕女神が戻った。
5:
盆に輪切りのレモンをあしらった紅茶入りのグラスを載せて、執務室へと入ってくると、恭しくそれを供してくれる。
「お待たせいたしました。少し休憩を挟みましょう」
「ひとたび休憩したら、……もう何もする気が起きないだろうな。暑すぎる」
「嘆いても、涼しくはなりませんし……」
彼女もじっとりと汗をかいて、細面の顎先に雫を垂らす。
濡れて光った首筋が艶めかしく脈打っていて、編み込みから外れた髪がまとわりつき、何とも言えない色気がある。
「……まぁ、あの火山の洞窟よりはずっとマシか」
机の上に置かれたグラスに手を伸ばし、口をつけ――――そのまま一息に、四割ほどを仰ぐ。
小さく砕いた氷が液体と共に口内を満たし、涼感が脳の奥にまで響くように、心地よい。
レモンの風味が、たっぷりと汗をかいた体に再び命を注ぎ込んでくれるようだった。
「はい? ……火山?」
「ある物を取りにさ。暑い、いや熱いし踏み外せば溶岩に転落。モンスターも中途半端に強くて、
 感じの悪い場所だった。……今思い出してもムカムカする」
「…………苦労、なされたようですね」
「だいたい、あんな場所に重要なアイテム隠す方がおかしいんだ。火山の活動如何で溶岩がせり上がってきて
 回収不能じゃないか。全く、どこのバカだか……」
暑さに連想した火山洞の冒険、その道中を思い出すたびに、ふつふつと怒りが募る。
全てを終わらせてもなお忘れられぬほど根深く――――愚痴が進んでしまう。
ふと目を上げれば、堕女神は困ったように微笑みながら、頷いていた。
7:
「……ごめん、聞き苦しかったな」
流石に恥じ入って軽く謝ると、彼女は微笑みもそのままに、優しく返してくれた。
「いえ……悪い気分では、ございませんでした」
「……そうか?」
「…………」
「なら、免じてエール酒を――――」
「却下いたします」
「冷たいな」
「丁度よかったではありませんか」
「……どうしてもダメか?」
「ええ。譲れません。流石に一杯で酩酊するとは思えませんが、そもそも倫理として。日が高い内の飲酒はどうかと」
「…………わかったよ」
立ち上がり――――残っていた水出し紅茶を飲み干すと、底に残っていた、ひときわ大きな氷を口に含む。
その冷たさも特にありがたく感じないほどに室内は暑い。
丸みを帯びた氷を飴玉のように転がし、首の凝りを解して、伸びをする振りをしながら机の向こうへ回る。
「陛、下? ――――――ひやっ!?」
後ろから抱き締める振りをしながら、うなじへ――――口づけしながら、氷を押し当てる。
すると、彼女の背筋がぴんと伸び、吐き出された吐息が、声帯を甲高く震わせた。
8:
「冷、た……! いやっ……! な、何を、なさって……んぁっ……」
口に含んだ氷で、彼女の白い背からうなじ、首筋までを弄んでいるため、答えは返せない。
それほど力を込めて押さえつけている訳ではない。
後ろから、腹部を巻くように抱いているだけだ。
「あ、……あぁ……ん……」
ぞくぞくと鳥肌を立てていた首の筋が、にわかに紅潮し、最初こそ抵抗を示していた身体も、
段々と力を抜かせて、こちらの懐に、腕に、しな垂れかかってきた。
そのまま続けているとやがて、必然――――氷が解ける。
物を言えるようになってもなお、唇を離そうとはしない。
今度は、氷ですっかり冷たくなった舌を、彼女のうなじに這わせる。
どこか甘さも含んだ汗の香りが鼻腔を抜けて、ほのかな汐味が舌に乗った。
いつもと違って髪を下ろしていないからこそ、真っ白で、産毛さえ生えていない眩しい首筋がすっきりと覗ける。
目と、鼻と、舌、そして唇で、雪原のような背から首を、愛でる。
「はぅ……ん……、や……やめ、て……やめて、くだ、さい……」
その声が甘くなり始めた時、気付く。
最初は後ろから抱き締めていた手が、いつの間にか、脱力して崩れ落ちようとしている彼女を支えている事に。
そこで、ようやく――――首への愛撫を止める。
9:
「……陛下、まだ……ご公務が……」
「…………聴こえない」
「へ、陛下……あっ!?」
その体勢のまま、右手を離して――――深めに入ったスリットの部分から手を入れ、彼女の内腿を撫で上げる。
すべすべとした感触を下から上へと楽しんで登っていくと、指先は、やがて肌では無い繊維の感触を確かめた。
「付けていたのか?」
スリット部分から紐が見えないため、疑っていたが――――外れたらしい。
答えを待たず、紅潮して息を乱す彼女にお構いなく隠されていた下着と、内腿の境を何度も指先で探る。
つるつるとして滑らかな生地の感触は、触れている内腿の肌にさえ、劣るように感じた。
上等な生地でさえも、彼女の肌理の前では――――荒くさえ感じてしまう。
同時に、下腕で堕女神の身体を巧みに支えながら、次第に存在を主張し始めた乳房を持ち上げるように、
優しく労わるように指先を遊ばせる。
薄手のドレスの布地越しにも、ふわふわとしていながらも重量のある、柔らかな肉の感触が分かる。
段々と『抵抗』を失って、弛緩していく彼女の体に――――頃合いを見て、用意していた言葉を、かける。
同時に、散々に弄んでいた両手を、引っ込めていく。
11:
「もう、やめようか」
「……っ」
「昼間からする事じゃなかった。ごめん。……さぁ、仕事に戻るよ」
そろそろと右手を抜こうとすると、一瞬早く太ももが閉じられ――罠のように、挟まれた。
「……堕女神?」
呼びかけても、答えは返ってこない。代わりに白い背が段々と赤く染まり、
首筋、頬、耳まで続いて赤くなっていく様子だけが見える。
左手の方も小脇に挟まれ、乳房の下に、布地を間に噛ませるようにして、彼女の方から引き寄せられる。
それでも未だ――――彼女は何も言わず、もじもじと身をくねらせるに留まる。
ほんの少しだけ、顔を振り向かせて何かを言おうと、口をぱくぱくさせるが、言葉になることはない。
「――――分かったよ」
そう言うと、堕女神の太ももの拘束がゆるみ――――その瞬間、中指を尖らせて、
下着の布地をずらしながら、その内側にある谷へと一息に押し込む。
「っ……! ん、んぅぅぅ…………!」
半ばまで、熱い肉の谷へ突き立てると、びくん、と身体が震え、そのまま、彼女が前のめりに倒れていきそうになる。
慌てて左手に力を注ぎ直し、引き起こして、甘締められる中指にうねりを加えて、肉襞を伸ばすように、くちゅくちゅと蠢かせる。
外側に残し、彼女の内腿を開くように触れていた人差し指と薬指にまで、とろとろと溢れた蜜が触れた。
13:
「……あっ……貴方の、指……私の中っ……ひっかい、て……ずぷ、ずぷっ……て……ぇ……!」
蜜を掻きだすように指先を働かせながら、彼女が首筋に浮かべた汗を嘗め取り、更に上へと登って、小さな耳介を噛む。
こりっ、とした軟骨の感触が歯に響いた時――――
「ふあぁぁぁぁぁっ!」
一際高い嬌声を上げ――――彼女の身体が、雷に打たれたように跳ね上がった。
そのまま腕から抜け落ちてしまいそうになる身体を慌てて引っ張り込み、左腕で再び抱き直し、
右手の中指を、鉤で固定するように、彼女の『内側』で硬く留めた。
数十秒に渡る激しい痙攣が治まると、もはや、彼女の体も、こちらの体も、雨にでも打たれたように濡れていた。
もはやどちらの汗なのかさえ、分かりはしない。
埋めたままだった指を引き抜くと、見ずとも、糸を引いて別れを惜しむのが分かった。
ふやけそうなほどに濡れた右手をわざとらしく持ち上げ、彼女の目の前で、ぬちゅぬちゅと、音を立てて開き、閉じて見せる。
「っ……嫌、見せ、ないで……ください……!」
その愛おしさに背中を押されるようにして――そのまま、彼女の身体を押して、開いたままの窓の傍ら、
たなびく純白のカーテンをシーツに見立てて横たえるかのように、
彼女の身体を、今度はこちらに向かせるように押し付けた。
14:
潤んだ瞳、力が抜けて緩んだ口元、真っ赤に染まった頬、立ち昇ってきそうなほどにびっしりと浮かべた汗が、そこでようやく正面から覗けた。

「目を閉じないのか」
これから行う事を、彼女は予期していない筈がない。
なのに、彼女は潤めたままの視線を、外そうとも、閉じようともしない。
「だ、って……」
平素の彼女とは外れた、少し子供っぽい言葉遣いが出た。
それも、もしかすれば――――暑さが、舌の滑りを増した結果かもしれない。
「瞑ったら……貴方の、顔が……見えなくなって…………いや、です」
どきん、と――――心臓が高鳴った。
高鳴りに任せるように――――蕩けかけた目を薄く開いたままの、彼女の唇を、目指す。
暑気の中、焼きたての菓子のように甘い彼女の吐息を吸い込みながら、だんだんと近づける。
触れるか触れないか、唇の先を感じた時、彼女の身体が揺れ、汗が一筋額から流れ落ち、片目に落ちるのが見えた。
咄嗟に目を閉じたその時、唇を重ねた。
窓の外からは、かしかしと鳴る鋏のような蝉の声が聴こえる。
風に舞うカーテンの音は、その側にある甘えた息遣いと、忍ぶような口づけの水音を包み隠す。
15:
先ほど持って来てくれたグラスの水滴が余さず机に落ちた頃、ようやく、唇を離す。
彼女は力の抜けた顎を痴れたように弛緩させ、小さく咳き込みながら、熱く溶けた眼差しを、こちらへ向けていた。
仕返すように、彼女の目をまっすぐ見つめ返すと、少し間が合ってから恥ずかしげに視線を逸らされた。
「きゃふっ……!」
生地の上からでも一目で分かるほど硬く尖っていた乳首を、両手で摘み上げる。
その拍子に腰を落としてしゃがみ込んでしまいそうになったので、慌てて、右足を彼女の股の間に割り込ませ、受け止めた。
堕女神の手がしばらく虚空を掻いてから、シャツをひしと掴む。
そして前のめりになった彼女は、頭を埋めるように、甘えるように、懐へと飛び込んできた。
胸元に鼻を押し付けられ、乱しながらも細く長く嗅がれ、妙に気恥ずかしくなった。
水でも浴びたようにじっとりと湿ったシャツなのに、むしろそれを愛しがるように、彼女は離れない。
眠たがる子供が母親にそうするように、ただ一心不乱に、『匂い』を貪る。
豊かな双丘を蹂躙し続けていると、その度に彼女の手が緩み、再び掴み、シャツの布地のあちこちへ皺を寄せた。
皮膚を抓られても、痛みでは無い。
それほどまで、彼女の握力が弱りきっていたからだ。
17:
股間に割り込ませている右足の腿へ、気付くと彼女の方からこすり付けるように、かすかに前後に、震えながら動いていた。
いやらしい牝の香りが接点から立ち上って真夏の暑気と交じり合い、晴天に不釣り合いな、不道徳で淫靡な空気をまさに織りなしていた。
前後動が少し勢いを増した頃、右足を堕女神の股間から遠ざけ、二つの実を愛でていた左手と右手を、それぞれ、入れ替わりに後ろと前から彼女の内側を目指す。
両側のスリットをたくし上げ、隠れていた下着の紐が露わになると、それを両側からゆっくりと、下ろす。
「っ……! だ、めっ……こんな、ところで……脱がさ、ないで……くだ、さ……!」
抗議の声など、聞く耳持たず。
お構いなしに湿った下着を腿の半ばまでずり下げ、スカート部分の内側で、前後から手探りで秘部を目指した。
左手側には手に吸い付くような柔尻の手触りがあり、熱を持った麺麭生地を捏ねるように、何度もやわやわと指先を沈ませて、寄り道をしながら谷間へ下り。
右手は、清水のように湧いてくる愛蜜を掬い取りながら、敏感になった内腿を撫でながら登らせる。
先に到達した右手の指で粘膜の裂け目より少し上、微かな突起を探し、爪弾く。
「ふぁっ……」
18:
続けて、薇を回すように人差し指と親指の先端で挟むようにこすりつけていくと、
一巻きごとに、段々と、彼女の身体が反り返る。
卑猥な自鳴琴と化したように、その度に甘い声が上がり、夏の空へと開いた窓へ、吸い込まれていった。
「あっ……、そ、そこ……くり、くり…しないで、ぇ……っ…」
薇を巻くごとに内側へと溜まっていくのが、指先越しに感じる。
段々と硬く尖っていき、屹立していくのが分かる。
ようやく遅れて、左手が彼女の後ろの孔を掠りながら合流し――――蜜を一掬いしてから、
中指薬指を、粘膜の裂け目へ滑り込ませた。
「っ…く、ぅぅ……!」
すんなりと受け入れてくれた『内側』は、暑気より遥かに熱い快楽のスープで満たされていた。
火傷しそうなほどに熱く、切なく締めてくる肉の洞穴は、消化器官にも恐らく似ている。
その中を拡げるように、肉につく虫のように進めて、内側で襞を伸ばすように蠢かせた。
「あっ……! 嫌、ぁ……こんな……ところ、で……ぇ……!」
肉の薇を巻かれ、二つの指で内側をめちゃくちゃに食まれ、限界に近づく。
高まりを堪えた秘肉は堅く結ばれていき、これ以上巻く事はできないだろう。
――――そして、唇を結ばせる。
「ん、ちゅっ……む、――――――――ッ!」
最後に施したキスが起点となり、極限に昂った彼女の身体がびくびく、と震えた。
吐き出した艶声は吐息として肺腑へ流れ込んできて、魂の内側から響く旋律として、体中を駆け巡った。
その音色は体中の毛孔から汗と熱気を追い出して、錯覚ではなく、涼やかな夏の風を内側から満たしてくれたようだった。
19:
「ご、ごめん……やり過ぎた!」
彼女を手近な椅子に座らせると、咄嗟に謝罪の言葉が口をついて出てきた。
本当は――――少しだけ困らせてやるだけのつもりだった。
それがいつの間にか悪乗りが過ぎてしまっていた。
「あなたは、いつも……全く」
ほどけた髪を後ろで結い直し、彼女は呆れたように、それでも少し照れ臭そうに、ぶつぶつと諌めてくる。
「で、ですが……まぁ、たまには……趣き深くも、あります……が」
「興奮したのか?」
「っ……! 分かりました、昼の御公務はこれまでとしましょう。ご城下を少し散策して、気分転換をなされてはいかがです?」
「え、いいのか!?」
「はい。私は夕食の下拵えと、お済みになられた書類を各所へ回します。夕暮れまでにお戻り下さいませ」
「分かった」
「あぁ、それと……夕食の後は、残りの御公務を片付けていただきますので、そのおつもりで」
「えっ!?」
「考えてみれば、急を要さない机仕事。暑い日中でなく、涼しい夜に回すべきでしたかもしれませんね。
食後酒も今日は控えた方がよろしいかと」
「嵌められた――――?」
「いえ、滅相もございません」
「………………」
52:
そして昼下がり、『王』は、城下町を一人、流していた。
まず、大通りに出ると――――いつか訪れた、淫魔の経営する、淫具専門店があった。
開け放してあった扉をくぐれば棚の整理をしていた店主と目が合い、
懇ろに挨拶を述べようとした彼女を制して、店内に目をやった。
「邪魔するよ」
「おやおや、陛下? どうなさいました」
「城下の散歩でもしようと思って。堕女神の許可は取ってある」
「それはそれは。しかし、陛下に楽しんでいただけるものがあるかどうか……」
「楽しいさ。歩くたびに……いや、ただ城にいるだけでも驚きの連続だよ」
淫魔の国で、初めて交わした『夜』から二ヶ月ほどが経つ。
夏の気配があちこちで立ち上り、城の窓から望む緑と青が、いよいよ濃くなってきた。
彼方には積み重なったような大きな白雲が見える日が、増えてきた。
それと同時に――――日差しもギラついてくる。
歩いてここに来るだけでも、背中に汗がじっとりと滲んだ。
「今日も暑いですねぇ。スライム浴がしたくてたまりません」
「…………」
「あ、ちなみにですね。スライム浴というのは――――」
「訊いてないよ! 想像できるから説明しなくていい!」
「まっ……! 日ごとにそういった想像をしてらっしゃるのですか!?」
「揚げ足を取るな、揚げ足を!」
「……す、すみません。サキュバスなので……つい……」
「それはともかく……まだ、これ飾ってるのか」
53:
視線は、店の中心に鳥籠のように吊るしてある大きなビンへとどうしても吸い寄せられる。
その中には親指ほどの小さな肉片がのたうち、芋虫のように這い回っていた。
「それが……どうも、妙なのですよ」
「とは?」
「ええ、前にも言った通り……人間界の護符で魔力を吸い取っていて、最近ようやく尽きたか、休眠したのです」
「してないじゃないか」
「ほんの数日前から再び活性化して。確かに護符の効果はあるはずなのですが」
「確かに妙だな。……ところで、そのカウンターに置いてあるのは?」
カウンターの上、斜めに切った木箱にぎっしり詰め込まれた袋を見つけた。
そこそこの厚みがあり、中身の大きさはちょうど、トランプと同程度に見える。
「ああ、トレーディングカードですよ。『新国王就任記念ブースターパック』です」
「そんなの出てるのか。初めて聞いた」
「復刻版の名カードがぎっしり。特に『邪淫の多頭竜』レリーフ版の復刻には、コレクターも感涙だとか。
 売れ行きも極めて好調ですよ。陛下のおかげです」
「今一つ、ダシにされてる感があるけど……まぁ、いいか」
「それはそうと、何故わざわざ当店へ? あ、もしかして……私を……」
「違う、脱ぐな!」
「それは残念です」
54:
言葉こそ軽くも、口を尖らせながら、彼女は下ろしかけた肩紐を上げ直した。
次いで――――何かを思い出したように、口を開いた。
「ところで、陛下は避暑へ行かれるのですか?」
「避暑……? 何の話だ」
「ちょうど、もう少しすると……先代女王陛下は毎年、地方へ避暑と視察等……まぁ、色々と。聞いておられませんか?」
「……いや、初耳だな」
そういう慣習があるのなら、彼女が教えてくれない筈がない。
「それでしたら、今晩にでも堕女神様にお訊ねになられては?」
「わかった。だけど……いいのか? 城を空けて」
「特に問題は無いのでは? 私にはよく分かりませんけれど。私の生業は……コレ、なので」
言うと、彼女は手近な陳列台から、いつかに見せてくれた『人形』を取り、目線の高さに掲げて、にっこりと笑ってみせた。
「どこへお行きなさるにしても、どうかお体にお気を付けください。淫魔の国で過ごす、初めての『夏』なのですから。」
「ありがとう。君も体に気を付けてくれ」
失笑し、店内をもう一度見回して、再び視線を店主に向けると、挨拶を交わして店を出る。
日の当たらなかった淫具店から一歩出れば、むっとした暑気が身体を包み、思わず口元を辟易したように弛ませてしまう。
日差しも空気も、青く抜けた空も、かつていた世界と、まるで同じだった。
55:
その後、市場を回ったり、いつかの蛇の双子に文字通りまとわりつかれたり、数えきれないほどの誘惑を受け流して城へと帰り着いた時には、
すっかり夕暮れを背負って帰る事になってしまった。
「あ、陛下ーっ! どこに行ってたんですか?」
エントランス前にさしかかると、あの子供じみた声が聴こえた。
黄昏の空に吸い込まれていく響きは、りんりんと鳴る鈴にも似ていた。
「少し、城下の風に当たってた。……俺を探してたのか? サキュバスB」
「お探ししていた、ってほどでも……ないん、ですけど」
サキュバスBは、もう、メイドのなりをしていない。
活発そうなショートパンツと、腹から胸までを覆うビスチェを涼しく着こなしていた。
ある程度城内には服装の自由があり、それでも客人――――といっても隣国の淫魔達しかいないが、
客人の訪れる際には、礼装が義務付けられる。
城内で奉公を初めて日が浅い者も同じく義務付けられるが、ある程度の期間を過ぎて、経験を積めば、その義務も外される。
極端に言えば、裸で歩いていても問題ないし、彼女たちは、『恥ずかしい』とも思わない。
それでも彼女が服を着ているのは、堕女神が厳しく締めた所があるからだ。
「うわっ……御召し物、汗でびしょびしょじゃないですか! 乳首透けますよ? 恥ずかしいですよ?」
「裸で歩いてたヤツに言われると、猛烈に不本意なんだが……」
「と、とりあえずお部屋でお着替えしましょー。行きますよ、陛下!」
手を引かれるようにして、玄関をくぐった。
まだ日は沈みきっていないとはいえ、日中と比べると格別に涼しく感じる。
56:
「あ、それとも……お風呂に入ってからにしますか? お着替え」
「んー……どうしようか」
「それとも、……わ・た・し?」
「…………」
つい、握る手に力が籠もった。
「いたい、いたい! 手、そんな……強く、握らないで……!」
「ごめん、つい……」
「もう、冗談ですってば。それは夜ですもんねー?」
「……その事、なんだが……その。仕事が残っていてな」
寝る前に、昼に棚上げした分の仕事を片付けなければならない。
暑さが無い分捗るだろうが、夕餉を終えて入浴した後の身体が、果たして能率を生み出してくれるかは怪しい。
そうこうしているうちに私室に到着して、無意識のうちにサキュバスBの前に出て、自分でドアを開けて入る。
すぐ後ろを、続いて彼女が入った。
「……それにしても、陛下って……」
「何だ?」
「なんか……お部屋、飾らないですよね。豪華といえば豪華なんですけどねー」
「そうか?」
ドレッサーを開けて、予備のシャツを取り出しながら、彼女は何となく口にした。
それを受けて、部屋を眺めてみる。
大人が四人は寝転がれそうな天蓋付きの、装飾のある寝台。
重厚ではあるがどこか素朴な木の机、その上に羽ペンとインク壺。
鏡台に、サイドテーブル、棚の数々。
どれも間違いなく逸品には違い無いが――――彼女の言うのは、そういう事ではないのだろう。
57:
「なんか、陛下の御趣味で……『これを置きたい』って思ったもの、あります?」
「言われてみると……確かに、無い」
確かに、部屋の内装に口を出した事は一度もなかった。
鏡台の前で身支度して、机の上で手記をしたため、寝台で夜を過ごす。
どれも特に不足を感じていなかったが、それ故に、何も求めていなかった。
飾りたいものも特に無く、花瓶に生けた花さえ、変わっている事は分かっても、深く見てはいない。
恐らく、この部屋は――――前女王の時代から、変わっていないのだ。
「もっと色々置きましょうよ。ドラゴンの頭の剥製とか、絵とか」
「もうドラゴンはいい。軽くトラウマだ」
「え、見た事あります?」
「見た事、どころか……手ばかりか、全身焼けるかと思ったさ」
「魔界には結構生息してますよ? 海に棲んでるタイプのは、たまーに海岸に打ち上げられて死んでるんですけど」
「…………」
「ほっといたらガスが溜まって爆発しちゃったりするらしいですよ。
 辺り一面、肉片まみれで……うー、気持ち悪くなってきちゃった……あ、あったあった」
ひどく幻滅させられるような話を終えると、サキュバスBが一着のシャツを見つけて取り出した。
鏝で皺の一本一本まで伸ばされた、気持ちの良い薄い水色の逸品だ。
前は紐で閉じるようになっていて、上腕の部分に、模様に織り込まれた孔が開けられている。
58:
「はぁい、脱ぎ脱ぎしましょーね?」
子供をあやすような口調で彼女に後ろに回られて、ボタンを外していたシャツを脱ぐ手助けを任せた。
その間、少しだけ考え込んで無口になってしまい、布地越しに彼女が少し緊張したのが伝わった。
「もしかすると」
「な、何ですか?」
「……『俺の部屋』っていう意識そのものが、欠如してるのかもしれない」
「けつじょ……?」
「作り変えない理由。心のどこかで、ここは…………」
「え?」
続けようとした言葉を飲み込み、彼女が脱がせてくれていたシャツから腕を抜き取る。
そのまま新しいシャツに袖を通しながら、話題を変えて会話を続けた。
「なんでもない。それより、最近、調子はどうだ?」
「元気ですよー! 夏ですから、がんばって乗り切らないと!」
「子供は元気だな」
「こ、子供じゃないですっ! 私だって、3415歳ですからね!?」
「まぁ、そういう事にしておいてだ。サキュバスAは? 今朝から見えないぞ」
少なくとも、今日一日は彼女を見てない。
城内は広いが、それでも毎日一度は、顔を合わせていたのに。
「あ、Aちゃんですか? それなら、今日からシフトでお休みを取ってますよ」
「? 聞いてないな」
「え……?」
前紐を結びながら振り返ると、大きな黄金の目が、きょとんとして見上げていた。
丁度その時、扉が叩かれて、夕食の準備が整った旨を告げられた。
困惑を宿した妙な空気のまま、とりあえずは二人で部屋を出て、サキュバスBは洗濯場へ。
その背中を見送ると、少し間を置いてから、大食堂へと向かった。
59:
「……なぁ、『避暑』って何だ?」
予告通り酒の入らなかった夕食後、茶を嗜みながら堕女神へ訊ねてみた。
いくつか訊きたい事はあったが、その中でも特に気になっていた事を。
言葉にした時、彼女の身体がぴくりと跳ねた気がした。
「何、と申されますと……?」
「前の女王がこの時期には欠かさず行ってたとか。……まぁ、それも百年の昔なんだろうけどさ」
「ええ、仰る通り。それと同時に、城内の使用人には交代で休みが設けられます」
「サキュバスAは、もう入ったのか?」
「……はい」
受け答えの間、彼女は視線が定まっていない。
まっすぐ見つめて答えたかと思えば、こちらから言葉を投げかけると宙を泳いだ。
それでも言葉を選ぼうと、嘘をつくまいと努めているようで、どこか不自然でぎこちない。
「前女王陛下が確かに参っていましたが……どこにかは、分かりません」
「……分からない?」
「私にさえ、詳しい行き場所は申してはくれませんでした。……お一人のまま赴き、
 お一人で帰って参りました。頑なに『避暑地へ』と申しておりましたが」
「大丈夫なのか……? 一人で?」
淫具店の主人に訊ねた時と、同じ事を彼女に訊ねた。
一国の女王が伴もつけずに一人で、というのはやはり引っかかる。
淫魔の王国を背負って立つ者が、護衛さえなしで一人でふらりと避暑へ行く、というのがそもそもおかしい。
彼女も淫魔であるなら恐らく弱くは無いのだろうが、そこが問題ではない。
加えて――――場所を告げない、というのも妙だ。
別に避暑地があるというのなら、城との間にやり取りがあって然るべきなのに。
60:
「私もずいぶんと心配したものですし、ついて参りたかったのですが――――」
「断られたのか?」
「ええ。私と出会う前からだとか」
「ふぅん。……避暑というよりも、ぶらり旅だな」
「それで……陛下は……」
訊ねる彼女の顔は、どこか不安そうでもあった。
「……そうだな、とりあえずは仕事を片付けようか」
「はい、かしこまりました」
「にしても、だ」
「どうなさいました?」
「サキュバスAの奴。何処に行ってるんだ? ……人間界か?」
「何でも、城下に宿を取っているとか」
「相変わらず私生活が見えないな。さて、そろそろ行くよ」
カップの底の方に渋く残った茶を、気つけ代わりに飲み干すと立ち上がる。
昼間に残した仕事が、執務室にまだ残っている。
どうにか、日付の変わる前には終わりそうな量、だった筈だ。
61:
「……堕女神は、どうするんだ?」
「え……? と、申しますと」
「休日、取るのか?」
ふっとそんな疑問が湧いて、扉の前で振り返って訊ねた。
「私に……休日、ですか?」
彼女は、どこか呆気に取られたような顔で――――不思議そうに、瞬いた。
「そう、ですね。考えた事もありませんでした。私、が……休日を過ごす?」
「無かったのか?」
「ええ。……数万年でしょうか。この城で奉公を始めてから、一度も。……我武者羅でしたから」
「……そうか」
「まぁ、今でも別段身体が辛いという事はありません。順応いたしましたから」
「…………あれ!? 数万年間無休!? え……何か、それって……え?」
どうも――――感覚が、狂ってしまいがちだ。
サキュバスAやサキュバスB、他に市井の者と話していると、百年千年は当たり前の単位として出てくるのだ。
普通に考えれば人間は長生きして百年程度の時間しか持たないのに、それを彼女らは、平気で出す。
千年前の話、一万年前の話、それを『自分の経験談』として語る。
数万年に渡って休日無し、というのは――――どう考えても異常な事なのに。
そのおかしさに気付く事さえ、一度は見送ってしまった。
「陛下?」
「あぁ、いや。……とりあえず、執務室へ行くよ。今日は早く休むといい。俺も今日は普通に寝る」
「はい、かしこまりました」
62:
****
執務室の空気は昼間に比べてひんやりと落ち着いていた。
夕食を終えた今でも、窓から見える空は黒ではなく、深めの紫に染まっていた。
日の照る時間が、今も残っているのだろう。
どっしりとした黒檀の椅子に腰かけ、同じく揃えられた執務用の机に向かい、インク壺と羽根ペンを引き寄せる。
積み上がった書類には、隣国への食糧支援要綱、
領内の馬車道整備や北方の森林の調査の許可、他にも嘆願書と言ったものまである。
例えば西方の海岸地帯で大発生した、巨大海蛇の駆除要請。
船を一飲みし、島を一巻きしてなお余りあるというそれが――――タチの悪い事に、大発生しているという。
しかもそれを付近の淫魔達は呆気なく倒してしまうというが、それでも追い付かないほどだとか。
そんなものをどう駆除すればいいのか――――。
いきなりの難題をひとまず後回しにして、次の書類を手に取る。
そこからは、すいすいと筆が進み、淡々と署名するだけだった。
時おり、少し開いた窓から差し込む夜風は、昼間の生ぬるい風に比べると幾分かマシだった。
数枚片付けると、窓の隙間から蛾が一羽迷い込んで、手元を照らすランプにまとわりついた。
見ればその羽は儚げな霊体のように透けており、触れればガラスのように砕け散ってしまいそうで、どこか神聖でさえある。
63:
まるでその羽は、この国の『化身』だ。
夜陰に乗じて忍び入り、蜜を吸っては飛び立ち、夜を羽ばたく翼の国。
だが、それでも――――美しさは、日なたの蝶に比肩する。
蛾を醜いと思うのなら、それは、見る場所のせいだ。
夜中に灯りに集い、人家の真白い壁にしがみついて暗く沈んだ体色をひけらかし、異質さを強調するように蛾は生きる。
だが、もしそれと同じ条件で見るのならば――――鮮やかな蝶でも、雄々しい甲虫でも、同じく禍々しく見えるはずだ。
日中に見る蛾は、夜に見たほど、別段醜いものではない。
蛾への恐れは、『闇への恐れ』なのだから。
天上の存在じみた一羽の蛾に見守られながら、羽根ペンを滑らせる。
ときおり、眩しそうに瞬きをする如く、『虫』の羽が閉じて、開く。
そのたびに淡く光る鱗粉が散らされ、泡沫のように溶けていった。
「まだ、かかるよ」
言うと、もしや言葉が分かるのか……その触覚が、ぴくりと円を描くように、回された気がした。
64:
****
ようやく、後回しにしていた最後の海蛇駆除の嘆願書を片付ける。
よく見ればいくつかの案が添付されていたので、その中から選ぶだけで済んだのが、救いとなった。
本来は生息するはずの無い海域が、猛暑で海水温が上昇してしまい、海蛇の生息に適してしまって北上してきた、という事らしい。
ならば――――夏が終わって水温が落ち着けば、去る筈だ。
後は少しだけ、活動を抑制させるため、冷気の結界を張って当面の侵入を防げば良い。
立ち上がって、凝り固まった腰、首、肩をほぐすように身体を捻る。
パキパキと小気味よく関節音が鳴り、爽快感を味わうと――――どっと疲れが湧いてきた。
身体が重く、瞼にかかる重さは更にその上を行く。
もう、入浴する体力もない。
窓の外を見れば、闇の色がすっかり濃くなり、月さえも出ていなかった。
「寝よう。…………さて、と」
廊下へ続く扉を開くと、室内をもう一度見渡してから、左手をぐっと閉じる。
ただそれだけの動作で、灯っていたいくつもの燭台も、ランプも、風に吹かれたように、煙さえ残さずに消えた。
そして敷居を跨ぎ、私室へ向けて、廊下を歩き始めた。
めっきり人の気配が少なくなり、使用人とさえすれ違わない城内は、何故か落ち着かない。
どこか薄ら寒いものまであり、もはや勝手知ったる場所だというのに、どうにも心細かった。
真夏の夜の寂寥が、そうさせるのか。
窓の外を見ようとしても、ただ闇を背景に鏡像の自分が映るだけだった。
65:
長い廊下を歩いて私室に辿り着き、扉を開けると。
すぐに、ベッドの上にいる先客に目がいった。
サキュバスBが、夕方に会ったままの姿で――――静かに、寝息を立てていた。
まるで子猫のように丸まって、横を向いたまま、顔のすぐ近くに両手を添えて眠っている。
何故ここにいるのだ――――と問い詰めたい所ではあっても、起こす事さえ憚られる。
安心しきった寝顔は、淫魔のものとは思えない。
家族の帰りを待とうと起きていて、それでも眠気に勝てなかった少女は、こんな顔をして寝息を立てるのだろうか。
思わず、嗜虐心がそそられて……指を伸ばして、頬を突いてみる。
指先に張り付くような餅肌が形を変えて、ほぼ置いただけの指が数ミリほど、たやすく沈んだ。
そのまま指先を動かせば、吸いついた頬肉がぐにぐにと形を変えて、口を開かせ、
塩粒のように可愛らしい小さな前歯が覗けた。
白くて小さくて、きっしりと詰まって並んだ歯列は、乳歯にさえ見える。
そんな事など流石にあるはずもないが、この小さな夜魔になら有り得るかもしれない。
つい――――否、当初の予定通りベッドの上へ、靴を脱ぎながら上がる。
ベッドの沈む感覚にはさすがに眼を覚ますかと思ったが、起きる様子は無い。
なので、指先を止めると――――親指を交えて、サキュバスBの頬を軽く抓んだ。
「んうぇっ…………!」
前歯から少し尖った犬歯までが覗けた時、彼女はようやく、目を覚ました。
といっても体は起こせておらず、伏して寝たまま、目だけが開いているという様で。
67:
「ひゃめ、へ……へーか……」
「人の部屋に忍び込んで、あげくベッドのド真ん中で熟睡しておいて『やめて』はないだろ」
「は、はなひへ……!」
「で、何? 言ってみるといい」
頬を抓っていた手を離すと、彼女はむっくりと起き上がり、ぺたんと座ったような状態で、俯き具合に語り出した。
その様子はどこか気恥ずかしそうで、同時に、少しいじけているようにも見える。
「……だって……Aちゃん、いないから……」
「いないから?」
「陛下の、事……ひとりじめ、できるかなって……思って」
枕元の光源に照らされた黄金の目は、どこか虚ろに、きょろきょろしている。
蒼い肌には赤みが差して、薄青い桃色に『紅潮』していた。
「で、待ってたら……眠くなった、と」
「…………はい。ごめんなさい」
「謝るな。……でも……今日は、本当に眠いんだ。疲れたんだよ」
「それなら、私がいい事してあげますっ!」
「うっ……!?」
しおらしくしていたのも束の間、文字通り『飛びかかって』きたサキュバスBに、押し倒されてしまった。
ベッドの感触を背骨に確かめたと思った時には、既に、彼女の手はベルトにかかってしまっていた。
直後――――下が涼しくなると同時に、「ふふっ」という、幼い笑い声が聴こえる。
68:
「……えへへっ。すっごく美味しそうな匂いがしますー」
こちらの股間に顔を埋めた彼女の鼻息が、陰嚢に当たって、生ぬるく、くすぐったいような感覚を届けた。
しばし、香りを確かめているようで……段々と、彼女の長く確かめるような呼吸が
短く荒く変わっていくのが、もっとも敏感な部分に感じ取れる。
「お風呂、今日は入ってないんですね。……うれしいなぁ、美味しくしてきてくれて」
つるん、と陰嚢がすすり込まれるような奇妙な感覚がある。
身体を起こして見ようにも、金縛りがかかったように動けなかった。
「ん、ふふっ……袋、いっぱい……はみはみ、しちゃいますね。……ちょっと、しょっぱくて……おい、ひ……」
陰茎に鼻息がかかり、陰嚢の皮が暖かく蠢く彼女の唇に、吸い込まれていく。
内側に蠢く舌と、つるつるした歯の表面でしごかれる感触が何とも言えず。
皺が伸ばされていくうちに、腰が少しずつ軽くなっていくようだった。
「……お前……何、して……んっ……!」
「えへへへっ。おちんちんはまだ、後ですよー。下拵えが大事なんですっ」
「何……うっ!?」
次いで――――『ひとつ』が、彼女の小さな口に含まれるのが分かる。
飴玉をしゃぶるように口内で転がされて、ぺちゃぺちゃと湿った音を立てて、
彼女の吐息、そして自分の声から漏れ出る喘ぎと一体化していった。
さらに舌はなおも陰嚢の皺をひとつひとつ伸ばし、丁寧に舌先で刺激しながら愛撫を続けてくる。
69:
「くぅっ……! う、ぉ……」
「はぁい、おしまい」
「っ……」
「で、つぎは……『もうひとつ』ですよー? ……あむっ」
転がしていた肉の飴玉を吐き出すと、同じように、もうひとつ残っていたものを口に含み、愛撫する。
疲労はそのワンストロークの度にどこかへ溶け流れていき、代わりに段々と、陰茎に力が流れていくのが伝わった。
数十秒から数分間、睾丸をねぶられて、それでも達する事は無く、ようやく口を離された。
「ぷはっ……。はぁい、そろそろ本番ですよ」
「……もう、好きに……しろっ……!」
「もちろん、好きにしちゃいますよー。……それにしても、やっぱり陛下のって大きいです。……お口に、入りきらないですよぅ」
果物でもしゃぶるかのように――――サキュバスBは、屹立したそれに横からかぶりついた。
同時に左手は唾液にまみれた陰嚢を、按摩でも施すように揉み解して、右手は亀頭の先端、鈴口を指先でちろちろと弄ぶ。
既に先走りで濡れていた亀頭に、その液を塗布するように指先が蠢く。
やや遅れて――――彼女も、横笛でもたしなむかのように、咥えたそれを舌技とともに撫でさする。
「ん、ふふっ……気持ちいーれふよね? こんなに膨らんひゃって……いっぱい、どぴゅどぴゅってしたいれふよね?」
70:
もはや、声さえ出せない。
執拗な責めを受ける秘部から立ち上っていた淫の気が、下腹部で留まり――――今にも、爆ぜてしまいそうだ。
これ以上登ってこられたら――――気を保っていられるか、分からない。
そんなやせ我慢に、彼女は気付いたのか…………右手を段々と離して、吊り下がった遊具でも漕いではずみをつけるように。
往復する唇を、亀頭へと近づけていく。
左手による陰嚢の愛撫はなおも止まずに、指先が沈ませられるたびに、何度も、何度も『塔』が震える。
淫楽の破城槌で何度も打たれれば、その度に城門は大きく軋まされる。
亀頭に近づいては、一気に下がる。
少し近づいては、下がる。
その様子のひとつひとつが、極まりかけている淫塔の触感から、密に伝わる。
淫魔の熱い唾液に塗れた『自身』がひんやりとした空気に触れて、びきびきと反り立っていく。
炎の中で鍛たれ、冷水に浸され、その度に硬さと粘りを増していく刀身のように。
「こう見えても、わたしだってサキュバスなんですよ? それじゃ、いただきます♪」
横笛を奏でる動きが、縦笛に口をつける動きにすり替わった刹那――――
屹立した『自身』から脳天へと突き抜ける電流が、体の芯を焼いた。
71:
「――――――――――ッ!!」
声にさえ、ならなかった。
肺が裏返って口から吐き出されてしまいそうなほどの勢いで、空気が鋭く流れ出て、
声帯を引っ掻いていったようにも思えて、喉がヒリついた。
体内に濁っていた気が、下腹部に殺到して――――爆発しそうなほど熱く滾った。
ほんの小さな鈴型の出口に荒れ狂う暴牛の群れのような淫気が昂り、無限に続く、溜めに溜めた放尿にも似た、
永く熱い快楽が精道を駆け抜けていく。
「んっ……くっ……! ごくっ……ごくん……っ……う、ぇ……」
『精』を吸われていく脱力感は、感じなかった。
むしろ、その逆――――出せば出すほど、彼女の口内に放てば放つほど、指先に至るまで活力が漲り、
疲れから来ていた眠気も遠くへ追いやられ、たっぷりと睡眠を取った後かのように、
脳にかかっていた羊雲が晴れ渡っていくようだった。
「ぷはっ……! 陛下、どーです? ご気分は」
口元から垂れた筋を拭って、にっこりと微笑みながら、彼女は訊ねる。
体のだるさが抜けて、嘘のように軽い。
暗闇の中でさえ、彼女の金色の目に湛えられた、得意げな笑顔が見て取れてしまう。
「サキュバスB。……何を……した?」
上体を起こして、向き合いながら訊き返す。
72:
「へへっ。四千八百ある淫魔術のひとつですよ。
 精を搾り取るんじゃなく、体力を完全回復させちゃう効果があるんです」
「……すごいな。まるで……回復呪文、いや……『復活』だ」
「体力だけじゃなく魔力も回復、肩こり・首こり・腰痛・便秘等々、全部まとめて完治です。更に集中力アップに寝不足解消……」
「わかった、ちょっとこっちに来い」
「?」
「いいから、来るんだ」
ベッドに膝を立てて座ると、行儀の良い猫のような姿勢のサキュバスBに、手招きする。
すると彼女は手をついた姿勢でもぞもぞとシーツの上を移動し、少し困惑した表情を浮かべて、こちらの顔を見つめた。
「ありがとう、おかげで非常にスッキリした気分だ。お前のせいでな」
「い、いえ……そんな、お礼なんて。…………『せい』?」
「…………今度は、こっちの番だ」
「へっ……? あ、あの? 陛下……ちょっと、怖……うひっ!?」
じり、と距離を取ろうとした彼女の手を取って引き寄せ――――身体をねじりながら、今度は逆にベッドの上に投げ飛ばすように組み伏せた。
衝撃に思わず目をつぶった彼女の頭が、狙い澄ましたように枕に沈む。
「眠気もさっぱり消えたよ。どうもありがとう」
「ちょ、ちょっと? 待って、待って待って待って! 待ってくだ――――あっ!?」
73:
彼女の背中に手を回して、ビスチェを留めていた紐を解いて緩んだ胸元を引き下ろすと、
幼気の残る面立ち、小さな背丈とは反するように膨らんだ乳房が、ぷるんと震えながら露わになった。
未だ消さないでいたランプの灯りに蒼肌が映えて、その中心点にある桃色は、すでに痛々しく尖っていた。
「……ち……違いますからね!? そんな、そんな……ぺろぺろしてて、興奮してきちゃった、なんて――――」
「俺は何も言ってない。……そうなのか。それじゃ……」
「んひぁっ――――!」
両手でそれぞれ、彼女の手首を押さえつけながら、まず右の乳房へ口を寄せる。
まずは麓へ舌を伸ばして、歩き回らせるかのように、しばし舐る。
乳肉は僅かに塩気があり、次いで、人のそれと変わらない汗の匂いの中に、クリームにも似た甘い香りが立ち上る。
「やめ、……そんなに、くんくんしないでください……汗くさい、ですから……」
「……いい匂いがするよ。汗くさくなんかない」
「う、うぅぅぅ……」
ひとしきり言葉を続けると、その舌を上らせて、先ほどの自身のように屹立した乳首へ至る。
乳輪の色づきを嘗め回している内にサキュバスBの吐息が漏れて、赤みを増した果実のように甘い韻律が混じってきた。
74:
「っ……は、ぁ……うんっ……? そ、……な……おっぱい……いじ、め……ないでぇ……!」
ぴん、と乳首を舌で弾くたびに、彼女の背筋が硬くなる。
風に揺れる琴線のように、高くて美しい喘ぎが、そこに混じり合った。
そして一度舌を止め――――唇で、包み込むように彼女の乳首を含む。
「ひゃっ…あ、あぁぁぁぁぁぁんっ」
びくん、びくびく、びくっ!
と、サキュバスBの身体が爆ぜたように震えて、背が反れて、無防備な喉元が虚空を仰ぐ。
背が浮いたのを認めると両手を放し、左手を背中へ潜り込ませてから、残った右手で、彼女の左の乳首を強く摘んだ。
「ふ、ぁぁぁぁぁっ! ちくび……い、ぃ……!」
強く乳首を吸い立て、側面を摩擦させるように指先を蠢かせ、今度は逆に、彼女から全てを吸い取るように責める。
人間界のどこかで見かけた、獲物を『捕食』し溶かす植物の生態が脳裏を過ぎる。
吸い込んだ乳首を甘噛み、先端をちろちろと舌で嬲る。
張り詰めたそれはぷりぷりと硬くて、倒しても重りによって起き上がる玩具のように、弾力に溢れていた。
右手で触れているそれも同様で、触れれば触れる程、どこまでも硬く勃起していく。
75:
「やっ……あ、ん……! 陛、下……お上手、すぎ……です……!」
「――――お前達に鍛えられた。……さて、次は……こっち、か?」
「あっ……」
次に、右手の愛撫を止め、口を離すと――――彼女の口から、喪失感の籠もった声が漏れ出る。
それから数秒と空けることなく――――ショートパンツの股間に指先を添えると、彼女の身体が再び震えた。
「まさか、漏らした……なんて事は」
「ち、違いますってばっ! おしっこじゃないです!」
「冗談さ、怒るな」
「っ……やっぱり、いじわる……です」
ショートパンツと、その下に穿いている下着を隔ててなお、指先が潤った。
押し込めば柔らかな感触があり、じゅぅ、と更に液が染み出てくる。
そこで、少し悪戯心を出して――――ショートパンツだけを、するすると脱がせていく。
尻の割れ目の上あたりに開いた尻尾用の穴と、脚を通す穴、三つから、奪い取る。
「あ、あの……? 陛下?」
「何だ?」
「ど、どうして……全部、脱がせ……て……」
「……さぁ、どうしてかな」
爪先、尾先から抜き取ると、サキュバスBの肉体は、ゆるんだビスチェと、やや飾り気のない下着のみの姿になった。
脚を閉じてもじもじとする仕草は、先ほどの『淫魔』の様とは似ても似つかない。
76:
強引に――――それでいて優しく、ゆっくりと、却下するように彼女の脚を開かせ、膝裏に両手を割り入れる。
左右に大きく開かれ、白くて紐飾りのついた下着、その股間部分の布が引かれて薄くなる。
じわりと染みをつくった股布が牝の香りを漂わせ、
彼女の姿とアンバランスに立ち上り、中てられたように、『自身』が再起した。
「も、もしかして……このまま……する、んですか……?」
答える代わりに――――股の部分を横にずらして、彼女の驚く顔をまっすぐ見ながら、先端を宛がう。
熱く湿った柔襞が待ちかねたように亀頭を押し包み、そのまま、誘い込むかのように――沈んでいく。
「うっん……! は、入って……きちゃい……ます……! 陛下のっ……が……」
媚肉の洞穴にずぶずぶと沈む感触は――――流石に、淫魔のものだ。
入り口はきつく、中は柔く絞るようで、最後、押し当たった部分は、濃厚な口づけを施すように離してくれない。
抜くだけで抵抗がかかり、入る時は、誘惑されるようにスムーズに奥まで押し入る。
「ひゃぁっ……? あ、ん……おっき、くて……中、が……けずられ、ちゃ……」
「……動く、ぞ」
「んっ……んぅぁぁぁんっ!」
77:
内側の肉に縋り付かれながら引き抜くと、サキュバスBの顔が、切なく、泣きそうな刹那の表情を見せる。
全部が抜けかけた所で再び突き入れると、にゅるにゅるとした触感が自身を包んで、
やがて子宮口に無遠慮な接吻をもたらした亀頭が熱く痺れた。
「え、へへ……今日、は……陛下、独り占め……です」
彼女の笑顔は、どこまでも眩しく無垢で、どこまでも淫らだった。
少女のような姿だからこそ、そこに宿った淫悦が底知れない背徳をもたらす。
大人になりきってはいなくても、彼女は――――『淫魔』として、一廉で。
そして――――夢見がちな、少女でもある。
「それじゃ、今日は……こう、しようか」
繋がったまま、彼女の腰に手を差し入れ、背筋と膝の踏ん張りで抱き起こす。
拍子抜けするほど軽くて、向かい合って抱えて座る姿勢に移ると、押し潰されていた翼が『のび』をするように蠢き、再び畳まれた。
「えっ……こう、って……んにっ!?」
向かい合って繋がったまま、両手を、彼女の浮いた尻へと差し伸べる。
左手で尾の根元を掴まえると、獣が逆毛を立てるのに似て、翼がいっぱいに開く。
そして、残った右手で後ろの窄まりを探り当て、中指で入り口を塞ぐ。
「やぅっ……! しっぽ、と……お尻、は……やめてって……言った、じゃないです……かぁ……!」
「……やめろと言われて、誰がやめると思う?」
「んっ……! やだぁ……! しっぽ、根元……しこしこ、って……しない、でぇ……く、あぁっ!」
78:
男根にそうするように、やや硬く、とても短い毛で覆われた上質な絨毯のような手触りの尻尾をしごき上げてやると、
彼女の背筋が少しずつ反れていった。
執務室で逢ったあの『伴』にも似た動きで翼が開閉し、ランプの灯りで影を作る。
窓辺に移った影は、それだけを見れば、『淫魔』に搾取を受ける男のものだ。
尻の窄みへ中指を突き入れると、ろくに潤滑液さえ用意しなかったのに――――ぬるり、と第二の関節までが滑り込んだ。
内側は煮詰まった糖蜜のように熱くて湿り気があり、襞の感触が蛇の消化器にも似て、
まるで指が溶かされるような感覚だった。
襞を伸ばすように指先を曲げれば、そのたびに、彼女の小さな唇から悩ましい吐息が漏れた。
「お前……体温、高いんだな」
そう言ってやると、彼女は一瞬でかぁっと赤くなって、抗議をするように、こちらの鎖骨に顔を沈めた。
「へ、陛下の……」
「?」
「陛下の、…………、ばか。そういうの、言わないで……ください。恥ずかしくて、死んじゃいます」
「どうもからかいたくなるよ。……それじゃ、動く、から」
「…………」
こくり、と頷いたのを皮切りに、下から突き上げるように抽挿を始める。
尻穴を弄ぶ中指に人差し指を加え、そちらも同じく出し入れさせながら――――激しく。
79:
「あ……あんっ! ひゃっ……う、んっ……! おし、りぃ……ずぼずぼ、しないで……ぇ……!」
視界には、天蓋付のベッドも、窓も、他の家具も映っていない。
開かれた翼が、抱卵するように、二人だけの世界に閉じ込めてしまっていたからだ。
抱き締めてくる細腕、絡ませてくる両脚、閉じ込めてくる両翼。
それは例えば夜を照らす灯りに惹かれ、壁にしがみつく三対の肢だ。
求めるのは、『光』であると同時に、『ぬくもり』かもしれない。
少しでも長く、安らかにいられるように。
日差しの下、花畑を舞い飛ぶ甘美な夢を見て眠るかのように。
気付けば、彼女の体を、左手で抱き締めていた。
右手と『自身』で責めたてながら、その体を、離したくなかった。
離せば、『失う』ような気さえした。
もう一度、サキュバスBの顔を見つめる。
気付いたのか、彼女もどこか虚ろに潤んだ瞳を向けてきて、そして、ゆっくりと閉じる。
そして――――――
「んっ……んぅぅぅぅっ」
口づけを交わす寸前に、彼女は絶頂を迎えてしまった。
全身の筋肉が硬直してこちらの身体を締め付け、秘部、尻穴の両方も同じく締め付けられた。
「ぷ、はっ……! 中にっ……中に、出してくださいっ……イ、って……ます、からぁ……どぴゅ、どぴゅっ、って……ぇ……いっぱい、くださぁい……!」
必死の囁きと同じくして。
――――――彼女の奥に開いた雌蕊へ、精を放った。
103:
「堕女神。……君に、暇をやろうと思うんだ」
翌朝、朝食の席でそう言うと――――彼女の顔が、みるみるうちに青ざめていくのが見て取れた。
「っ……!? わ、わた……私が、何か……そ、粗相を……して、しまいました、ですか?」
もつれた舌のせいで発音が途切れ、彼女らしからぬ狼狽ぶりだ。
赤と黒の目は目まぐるしく動いて、潤みも増してきている。
「待て、何か誤解してないか?」
「え?」
「つまり……君に、休日を」
「休日……」
付け足すと堕女神はいささか安堵した表情を浮かべて、少ししてから、再び曇らせた。
「しかし……その間、陛下はどうなさるのです?」
「……執務室で、妙なものを見つけてね」
「とは?」
「…………まぁ、見てみるといい」
テーブルの上に一枚の羊皮紙を広げると、堕女神がそれを覗き込んだ。
ほんの少し屈んだ拍子に、胸の谷間が覗けて――――つい目がいきそうになるが、抑える。
「地図、でしょうか?」
「ああ。見えるか? 王都の南東、わりと近く。ここに……目印がある」
「……これは、先代の……筆跡?」
精緻に描かれた王都近辺の地図、その横に一文が加えられている。
それはどう見ても、およそ人間界に存在しない体系の文字だった。
104:
「やっぱり、そうか。横に何か書いてるようだけど、俺には読めない」
「これは魔族の言語です。……淫魔の間でも、最近は使われなくなりましたが」
「見せてもらった先代女王の手記も、全て人類の文字だったのに。……何と書いてある」
堕女神は、気難しげな顔をしたまま、その文字を注視していた。
やがて――――息を呑んでから、呟いた。
「『淫魔の王よ、これを手にしたのなら、すぐにこの地へ来るように』と」
何者かに突き動かされる感覚は、この世界へやってきて久々だった。
人を使う事はあっても、『使われる』事などもうないと思っていた。
――――――『使命感』も。
「……俺は、ここへ行ってみる。馬の手配をしてくれ」
「お一人で……でしょうか? 伴をつけさせましょうか」
「イヤ。……先代の女王は、恐らく毎年、ここへ行っていた筈だ。一人で」
「直感でしょうか?」
「『勇者』としての」
「何かが起こる事も、直感していますね?」
「それでも先代は、必ず帰って来ていた」
「……仰せの通り」
「済まないな」
「いえ。……幸い、ご公務も近頃は少なくなられましたし、昨日の分を終わらせられたのなら、八、九日は空くかと」
「なら、明日にでも発つ。旅の支度をしてくれ」
「はい。しかし…………」
「?」
105:
地図を広げる前から。
彼女に休みを言い渡した時から、ずっと、彼女はそわそわしていた。
初めて貰う『休日』に浮き立っているようでもない。
否、それも無いとは言い切れないようだが――――。
「このような紙片を、どこでお見つけに?」
「うん。……それ、なんだ」
――――――見つけたのは昨夜、最後の書面にサインを入れた直後の事だった。
あの『光の蛾』がどこかに消えていたので、何気なく探していると、頭の上にそれは降ってきた。
広げて見ればこの近傍の地図が書き記してあり、どこかで見たような、宝を示すような安直な印が描かれていた。
その地図は決して大雑把ではなく、机に広げた大地図と見比べてみれば、寸分たがわず重なり合った。
ポケットに忍ばせ、翌朝に堕女神に訊ねてみようと思って、眠りに入ろうとしたら――――ベッドには、先客がいて。
「俺は大丈夫、何かが起こるとしても、『試練』には慣れた。それに、領内でそうそう荒事は起こらないはずだ」
「私も、心より願っております。……それでは、お言葉に甘えまして。
 陛下がご出発なされた翌日から、休暇を取らせていただきます。ただし」
「?」
「必ず、帰ってきてください」
106:
言葉は、要らない。
ただ、頷くだけで――――彼女の顔に浮かんだ曇りは、消えて去った。
「……お一つ訊ねてよろしいでしょうか?」
一転して、堕女神の声にはいつもの調子が戻り。
「『普通に眠る』と申したはずですが、サキュバスBがお部屋にいらしたのは何故でしょうか?」
質問とともに、彼女のこめかみ辺りが引き攣れたように見えた。
微笑んではいても、瞳に柔らかな眼差しが宿ってはいても――――不釣り合いさが、差し挟まれた『憤り』を強調していた。
「……お答え願えませんか?」
「待て、待ってくれ。話せば分かるんだ」
「そうですか? では、お話してください。是非、私を説き伏せてください。喜んでお聞きしますよ。はい、どうぞ」
「えっ……そ、その……あの、堕女神、さん」
呼びかけると、彼女はにっこりと微笑みながら、言葉を待った。
「…………Bとも、相談したんだよ」
「何を、でしょう」
「まぁ……その、確かに、した、後でだけど……さ」
107:
****
「堕女神様に……お休み?」
ひとしきりの交わりを終えて、ベッドに潜り込んだサキュバスBと、顔を突き合わせて語っていた。
あれほど注ぎ込んだにも関わらず、彼女の秘部からは出てくる形跡さえなく、すっかりと、吸収しきってしまったようだ。
淫魔にとって精液は、嗜好品であり、回復薬であり、酸素でもある。
人間界に現界し続けるためには欠かせないが、魔界にいる限り、摂る必要は無い。
それでも好むのは――――やはり、『淫魔』だからだ。
「先代の存命中から、逝った後にも。堕女神はずっと休まなかった、らしい」
「ほへ〜……働き者さんですねぇ」
「サキュバスAなら『上手にサボる』し、お前はお前で、失敗してもクヨクヨしない。……でも、堕女神はどっちでもない」
彼女は、絶対に気を抜かない、手を抜かない。
料理の手筋もそうだし、城内での他の務めも。
一度彼女が、料理に用いる香草を間違えた事があった。
食する前に申告され、それはそれで美味だったのに、彼女は今にも死んでしまいそうな顔をしていた。
だが、何となく――――過剰なまでに、失敗、手違い、手遅れを恐れるその理由も、分かってはいた。
「……少し、行き過ぎだ。塩加減を間違えたぐらいで――――『世界』は滅びなんてしないのに」
「一気にスケール大きくなりましたねぇ」
「もう、標準的なスケールなんて俺には分からないけど……とにかくだ。お前はどう思う」
「私はいいと思いますよー。……でも、その間……お城は? 陛下は?」
「あぁ、俺は心配ない。……ほんの少し、城から離れる事になりそうなんでね」
「?」
「明日、いや……今日の昼にでも教えるよ」
「なるほど、分かりました。……で、陛下? もう一回……しちゃい、ますー?」
「いや、……眠くなった。この勢いで少し眠りたい」
「なるほど、つまりもう一回、おしゃぶり治りょ……じょ、冗談です冗談ですっ! 角掴むのやめてっ!?」
「……時間はともかく、眠らなきゃ調子が出ないんだよ。今からだと二、三時間ほどは眠れるか」
108:
外は、もう白んで――――否、明るくなっていた。
少しすれば、朝一番の鳥の唄も聞こえてくるはずだ。
「…………あの、陛下。お願い、して……いいですか?」
「何だ?」
「あの……ですね? ひざ、まくら……して、みたくて」
「膝枕?」
「す、少しでいいんですよ? ただ、その……どんな、気持ちなのかなっ……て……」
慌てて取り繕う顔は、窓から差し込む朝焼け空に照らされて、赤く染まっていた。
そろそろと起き上がり、頭近くに座り込まれると、拒む言葉など出てこない。
「……それじゃ、頼むよ。あまり寝顔は見つめないでくれ、緊張する」
「は、はい! それじゃ……失礼、します。……んしょっ、と……」
枕をどかせて、仰向けに寝たままほんの少し頭を浮かせると、頭の下に、柔らかく、暖かい感触が潜り込んできた。
横に、ではなく、縦に。
閉じた太ももの間に頭を載せる形の膝枕が完成して、薄目を開けると、逆さまのサキュバスBの顔が見えた。
「……どうですか?」
「いくらでも眠れそうだ。さっきも言ったが、寝顔を凝視するなよ」
「はい。……おやすみなさい、です」
血の通った『枕』の弾力は、初めてのものだった。
暖かくて、すべすべの肌が気持ちよくて――――雲の上で眠るようだ。
耳を澄ませばとくとくと脈打つ鼓動が聴こえて、額の辺りに、彼女の胸の感触がある。
頬に小さな手が添えられ、すこしだけ、くすぐったい。
血の音に耳を澄ませているうちに――――催眠にでもかかったように、かくりと、眠りに落ちてしまった。
109:
****
「……抜け駆けにも程がありますね、サキュバスB」
「?」
「何でもございません。……ともかく分かりました。陛下の、私を案じてくださるお気持ちは……確かに、受け取らせていただきました」
どこかしら漂っていた冷気は消えて、ようやく、平素の彼女の声に戻る。
「それでは、明日の朝。……ご出発の準備を整えます。私はその間、
 ご休暇を賜りますが――何かあれば陛下にお伝えしますし休暇も取り止めとしますが、よろしいですか」
「もちろんだ。俺も何かあればすぐに帰ってくる。行き場所は伝えた通りだ」
「はい。……では、本日の内に『残務』を処理していただきましょうか」
「え?」
「『課題』は早めに終わらせた方が、残りの休日を有意義に過ごせるというものだとか。是非、私のために……願えますね?」
「なんか最近立場が弱くないか、俺」
「気のせいかと」
110:
翌朝、出発前の朝食を終えて城の正面玄関前に行くと、一頭の馬を堕女神が引いていた。
銀白色のたてがみと尾をなびかせ、すらりと伸びた脚に、一切の逸りのない呼吸。
そう馬には詳しくないが――――見れば分かるような、名馬だった。
といっても、これは『馬』ではない。
便宜上そう呼ばれてはいるが、これもまた、『淫魔』の一種。
悪夢を喰らう夢魔、『ナイトメア』だ。
「……久々に、身が引き締まるな」
乗馬用のブーツ、久々に帯びた剣、厚手の革の手袋、少し地味なローブ。
本来は紋章付きのものを着るはずだったが、半ば忍びの旅程のため、目立つ事は避けた。
もっとも、淫魔ばかりの国で、人間の男が目立たないはずもないが。
奇妙にも、壮麗な城にいる時より、この華々しさのない装いで旅立つ今の方が身も気も引き締まる。
それと同時に――――懐かしくもあった。
「それでは、陛下。……馬上へ」
ぴたりとこちらの目の前で馬を止めた堕女神が言った。
鐙に足をかけ、身を翻すように鞍上に移ると、視点が一気に高くなった。
見送りに出てきた者は、堕女神だけ。
サキュバスBは、今日から休日に入った。
111:
「じゃ、行ってくるよ。……身体を休めてくれ、堕女神」
「はい。陛下こそどうかご無事で。……休み、といっても……起居は城で済ませる事になりましょう」
「なら、せめて羽を伸ばしてくれ。……しかし、その……行っても、本当に大丈夫なのか?」
「急にどうなさったのです」
「昨日の晩。…………寝入っても、脚を絡めてきて……」
「お、お止めください! 私の事ならご心配には及びませんから!」
一瞬でかっと顔を真っ赤にして抗議する彼女に微笑みを返して、馬首を城門へ向ける。
城下を通っていく事になり――――もしかすると、その途中で知った顔と会うかもしれない。
実に二か月ぶりになる、ささやかな『冒険』を、堕女神に見送られ。
晴天の空にそびえる雲の塔の、その根元へ向けて――――蹄の音を響かせていく。
「さぁ。…………何がある?」
蹄鉄が石畳を打つ快音が続く。
ぎらぎらに照りつける日差しは、これから昼に向けて更に厳しくなるはずだ。
112:
****
半日ほど馬を飛ばすと、地形から見て、およそ道程の三分の一ほどを消化した。
人界の馬ならおよそ二日はかかる距離にあるのに、魔界の馬『ナイトメア』の健脚は予想以上だった。
古い街道を南東の方位、より正しく表すなら南南東へと進んでいく。
灼熱の刃のような日差しも、駆けて風を浴びていればむしろちょうどよく暖かいほどだ。
「少し、休憩だ」
手近な木陰に、馬を下りて身を休める。
手綱を引かずともついてきて、腰を下ろしたそのすぐ側に、同じく脚を折り畳んで、まるで犬のように側に侍った。
「……そういえば、普通の馬じゃなかったな」
人間界にいた頃、その姿を描いた絵を見た事が、確かにあった。
褥で眠る女性に覆いかぶさるように、蒼炎をまとった青白い馬が前身を覗かせていた。
その目は幽鬼のように虚ろで、いかにもおどろおどろしく描かれていたが、
今目の前にいる実物は、そこまでわざとらしくはない。
それどころか一種の神々しさまであり、角さえ生えていれば、あの『神馬』にも見えなくもない。
113:
言葉、いや意さえ汲んでいるようで――――特に手綱を繰らずとも自分の判断で悪路を避けて走り、
度も御して、さながら機械仕掛けの馬車に乗っているようで安心できた。
木陰で幹に背を預けていると、良い風が抜けた。
かいた汗をやさしく拭ってくれて、頭上の葉が揺れて触れ合う音が清かに聴こえる。
中庭にあるものとは違い、この木は、他者の手を借りずに大きくなった。
雨と風、光と土、それだけを恵みとして育ったはずだ。
枝も葉も、まるで手入れとは無縁に伸び、不揃いに下がっている。
だからこそ、美しい――――と、肌と、耳と、鼻でそう感じた。
うつらうつらとし出した頃、立ち上がり、腰を大きく捻って身体を解した。
休憩は、終わりだ。
再び、ポケットから、あの紙片を取り出して目を落とす。
「さて、何があるというのかな。……『ボス』がいない事を、祈るか」
このまま街道を南南東に行くと、断崖に面した道に出る。
そこを下っていけば平地に続いて、後は、大地図で確認したかぎり起伏は無い。
ちょっとした丘陵地帯は挟むが、問題はない。
立ち上がると、『馬』も同じく立ち上がり、これから行く道の方角へ馬首を向けて、すぐ側に立ち、尻尾を揺らした。
さも、『乗れ』と言っているかのように。
114:
「分かったよ、それじゃ行こうか。……よ、っと」
鐙に足をかけて、馬上へ舞い戻る。
手綱で号令を下す事もなく、掛け声さえ必要なく、鞭など全く無縁な程。
こちらが馬上で身を安定させたのを感じ取ると、『彼女』は、脚を進めた。
一人きりの『旅』は、寂しさも無いとは言えないが――――楽しい。
風に吹かれるがまま、重荷を一時忘れる事ができる。
城の重厚な空気は、あの緑にあふれる庭園でさえ席巻していた。
その重々しさを、馬に揺られて、風に吹かれ、日差しを浴びているうちに、全く忘れてしまいそうだ。
それだけでも、この――――先代女王曰く、『避暑』には価値がある。
吸い込めば吸い込むだけ、暖かくて新鮮に青くさい空気が肺へと飛び込んでくる。
かつての人間界で、冒険の始まりに嗅いだあの空気と同じだ。
仲間たちと出会い、苦境を乗り越え、魔王の掌へと近づくほどに、その匂いは薄れて行った。
そして魔王の城を望んだ時には…………もう、何も感じなくなっていた。
「……気持ちいい、な」
焼き尽くすような日差しも、風も、草の匂いも。
その全てが――――今久しぶりに、愛しいと思った。
115:
****
城下町、とある店は沸き立っていた。
内装は酒場に似ていて広く、四角いテーブルや椅子が何セットも立ち並んでいるが、それらは全て向かい合う二人掛けになっていて。
何よりそこにいるのは大半が子供、だった。
手には扇状に広げた手札を握り、向かい合う一組の目前には、並べた『札』と、山札がそれぞれある。
「えっと……『淫魔術・吸魂の右手』を発動。場の男性型モンスター一体を……『山賊の縄師』を破壊。
 捕縛状態の『白百合の女騎士』を取り返して……」
「罠カード、『凌辱の残夢』発動! 『白百合の女騎士』は再びこっちのコントロールになるよ。
 加えて、そっちの場の『騎士』ユニットも全部こっちに来るね」
「えぇっ……!?」
「二体を生贄に、『触手王キングローパー』召喚。と同時に『サキュバス』とつくユニットを全て破壊。わたしの勝ち!」
その中心に、サキュバスBと、妙に艶やかな薄衣を羽織った、獣の耳と尻尾を持つ少女が向かい合っていて、たった今、『勝負』がついた。
「もー……Bお姉ちゃん、強過ぎるよ! 手加減してよ!」
「てへっ……ごめんごめん。今日からお休みだから、つい……」
「お姉ちゃん、次、わたし! わたしと!」
「うん、いいよ」
116:
サキュバスBの向かいに座っていた獣耳の少女が席を立つと、次に、サキュバスBを更に縮めたような姿の少女が着席した。
「負けないよ。『キングローパー』倒せるカード、ついに手に入れたんだからね!」
「えっ……!?」
「王さま記念パックに入ってたんだよ! 絶対勝つんだから!」
「えっ……そ、そんなの……出てたの!? 出遅れたよっ!」
ずっと城に勤めていたから、気付けなかったのだ。
がっくりとうな垂れて、とりあえず山札を切って、初めの手札を引く。
そこへ、ちりん、とドアについた鈴が鳴って、店内に一人、不釣り合いな『大人』の姿が舞い込む。
「……あらぁ、Bじゃないの。やっぱりココにいたのね? 休日も初っ端からカードゲームかしら」
その『大人』は、サキュバスBと同じ場で勤める、淫魔の一人だった。
深い紫の瞳は妖しげな色香を湛えて、淫魔の見本のように悩ましい肢体は、店内の『子供』の視線を釘付けにした。
彼女は、その一人一人に微笑みかけると、遊興に耽る同輩へ向けて、歩いて行った。
117:
「あ、Aちゃん。……どうしたの?」
「たまにはお酒の匂いのしない空気が吸いたくなって。……あぁ、澱み腐った肝臓が浄化されていくわ」
「飲んだくれてたの? ずっと?」
「ずっとじゃないわよ、失礼ね。……って、貴女。何か、妙に……顔色が良くないかしら?」
「えっ……そ、そ……そんな事ないよ?」
裏返った声に、サキュバスAは疑いの眼差しを向け――――すぐに、はっとした表情を浮かべ、じとりと睨みつけた。
「……さては……したわね?」
「!」
「図星なのね? 『先に休みを取っていいよ』と言ったのはこの為? 陛下を独り占め、ってところ?
 やらしい事をするじゃない、全く。……ほら」
「え?」
「手、止まってるわよ。貴女の番なんでしょう?」
「あっ……ご、ごめんね、話し込んじゃって」
――――――そして結局、闖入者に思考を乱されたサキュバスBは、負けた。
118:
「あー! あーもーーーー!」
「あっははははは! ボロ負けだったじゃない、B!」
一度、二度、三度と立て続けに負けたサキュバスBは、中央の卓から離れ、店外のベンチで風に当たっていた。
軒先は張り出した庇の陰となっていて、日差しは当たらず、風がよく通って涼しかった。
サキュバスAも茶化すようにそれを追って、隣に腰を下ろした。
「知らないよ、もう! 知らない! 知らない知らない!」
「怒らない怒らない。……陛下のお側にいるのもいいけれど。やっぱり、娑婆の空気はいいものよね」
「ん……」
「お休みが重なるのも久しぶりだし。今夜、お酒でも行かない?」
「Aちゃん、肝臓がどうとか言ってなかった?」
「だから、アルコールで消毒しに行くのよ」
「……知らないからね?」
「大丈夫よ。それに、今日は上質な魚が入ったそうよ。ちょっと辛口の『白』と絶妙に合うって言ってたわ」
「うん。……それじゃ、あのお店?」
「ええ、今夜待ってるわね。そうそう、さっき陛下が町の外へ行くのを見たわよ」
「え!?」
「見かけただけ、なんだけど。変な格好だったわ。まるで、旅にでも出るような……」
その時、がらりと扉が開いて――店内からぶわっと聞こえてきたはしゃぎ声に交じって、サキュバスBを呼ぶ声が聴こえた。
「お姉ちゃん! もう一回! もう一回遊ぼ!」
「えっ……!? う、うん。いいよ!」
「あら、随分と人気なのね。……折角だし、私ももう少し見て行こうかしらね」
サキュバスBに続き、サキュバスAも店内へ戻る。
彼女もついて来ると知ってサキュバスBも渋い顔をしたが、先ほどの相手のサキュバスの子の対面に座れば、
得意げな笑顔に戻って、山札を置いた。
119:
「――――――発動。『ゲームから除外された魔法カードを一枚選んで手札に―――』」
「ねぇ、B」
「何?」
「今、『除外されたカードを戻す』って言った? 除外されたなら、プレイできる筈ないわよね?」
「…………うん」
「それ除外されてないわよね? 結局。そのカードに限らないけれど。ねぇ、何が『除外』なの?」
「…………」
数ターンして、もう一声。
今度は、店内に置かれていた目録をぱらぱらとめくりながら。
「ねぇねぇ、B。こんなに禁止カード多くてどうするのよ? 禁止禁止って、作った意味あるのかしらね?」
「わたしに言わないでよ」
「大会で禁止なら分かるけど、こんなショップ内でワイワイ遊んでる時まで『禁止』って。
 ゲームなんだからもう少し肩の力抜けばいいのに」
「だから、わたしに言わないでってば!」
更に数分して、サキュバスBの相手が変わってからも続いた。
「こういうゲームって、結局は財布で殴るゲームよね? 運が絡むとはいえ、財布の厚さがデッキの厚さじゃない?」
「しー! しーっ! そういう事言わないで、おねがい!」
「それに、1ターンキルってつまるところ作業じゃない? 決まると嬉しいかもしれないけど、『楽しく』は無いわよね」
「だからっ……! もう、やめてって言ってるでしょ!?」
結局、飽きたサキュバスAが店を出ていくまで、彼女は負けを重ねる事になった。
158:
****
眼を覚ますと、どこか懐かしい埃臭さと、藁の匂いが香った。
「……っ痛……!」
まず見えたのは、天蓋じゃない。
板の隙間から蜘蛛でも下りてきそうな、木目の入った低い天井だった。
寝かされているのは、硬くて……好意的に言えば背骨がよく伸びそうな、麻のシーツで覆われたベッドらしい。
身体を起こそうとすると、意外にもすんなりといったが――――直後、背骨から鋭い痛みが駆け抜け、体を一瞬痺れさせた。
「こ、こは……?」
見回すと、宿屋とも思えない質素な部屋だった。
ベッドの脇には古びた椅子が一脚あり、白い漆喰の壁には、絵の類など一つも下がっておらず、
少し離れてクローゼット、戸棚、小さなテーブルがあるだけ。
あえて華やかな物をひとつ挙げるとすれば、光の差す窓辺に飾られた、枯れかけた一輪挿しの花ぐらいだろう。
その時、敷居の外から妙な足音が聴こえた。
妙な、というのは――――二種類の足音が、まるで、一人に重なっているように、続けて聴こえてくるからだ。
159:
扉は開閉以前に、そもそもはまってなどいない。
こちらへ近づいてくる足音は、尚も奇妙に響く。
ひとつは甲冑を身につけた騎士のような、重く残る金属の足音。
ひとつは皮革を張り合せた靴と思しき、静かに体重を乗せる足音。
――――がしゃん、すとん、がしゃん、すとん。
金属と革の足音は交互に聴こえているが、二人分、ではない。
等間隔で聴こえてくるそれは妙に早足だ。
緊張して無意識にベッドサイドの剣を探し当てると、やがて――――『正体』が、ひょい、っと顔を覗かせた。
「何だよ、起きれンのか? 災難だったな、人間?」
――――『サキュバス』だった。
その事自体は、驚くに値しない。
だが、上手く色素の抜けた銀髪より、浅瀬のような水色の瞳より、何より強く目を引くのはその、『脚』だった。
巻きスカートに包まれた左足は皮の靴を履いているが、スリットから覗く右足は太腿から、
アンバランスな真鍮の脚甲に包まれていた。
爪先は猛鳥の爪のように三叉に分かれており、奇妙な事に、その『爪』の一本一本が
足の指のように動いて、拍子を刻んでいる。
160:
「君は?」
「何だよ、驚きもしねェのかよ? 最近の人間ってのはどいつもこいつも物怖じしやがらねェな、ったく」
舌打ちし、わざとらしく口を裂けたように開いて吐き捨てる横顔は、どこか悪辣だ。
だが嫌な感じはせず、悪意に類するものは、全く見受けられない。
「ま、いーや。アタシは、淫魔族だよ。サキュバスCって呼べ。…………さっきから、ヒトの脚、ジロジロ見てんじゃねェよ」
「あ、いや……済まない、許してくれ」
「『輝くような脚線美』、ってか? 触ってもいいんだぜ?」
「…………」
返しに困る冗談になんとか苦笑いを浮かべて、彼女の非対称な脚から視線を上げる。
そこで、初めて気づく。
彼女の持つサキュバスの翼、その左背側が――――全く、欠損している事に。
その代わりに右側の翼は、他に見かけたサキュバスの翼よりもやや広い。
「……俺は、何で……ここに、いるんだ?」
「そりゃアタシが訊きたいね。オマエこそ何で、『ここ』にいるんだ?」
「…………」
「いや、質問はオマエが先だったわな。多分、崖から落ちた……のか? グッタリしてたのを、アタシが見つけたのさ」
「崖……」
「んで、優しい優しい美人な淫魔さんが、健気にも自分のベッドを貸してやった、ってワケよ。お分かり?
 で、誰? いい加減に答えなよ」
「……俺は」
161:
少しずつ、頭が冴えてきた。
記憶はところどころ飛んではいるが、それも時間によって思い出せるはずだ。
この場にいる経緯は思い出せないが――――自分の名も今の地位も、その前に得ていた『称号』も、頭から抜けてはいない。
「俺は、この国の王だ―――――ばっ!?

顔面に濡れた布巾を投げつけられ、その衝撃でのけ反り――――後を引く背筋が、ビキリと痛んだ。
「……うん、寝くされ。アタマも打ったみてーだな、オイ」
「違っ……! 本当だ! 本当に俺は!」
「ふてェ冗談ぶっこいてんじゃねェよ」
「ん、なっ……!」
「だいたいそんな普段着でみすぼらしいマント着て行き倒れる『おーさま』がいるかよ。寝言言うなら寝ろっつってんだよ」
「うぐっ……」
「ったく、メシは持って来てやるからとりあえず食って寝ろ、行き倒れ野郎。こぼしたら殺すぞ」
矢継ぎ早に荒っぽい言葉を浴びせかけられ――――二の句も告げられなかった。
こういった物言いで接してくれる者は、城にはいなかった。
強いて挙げればサキュバスAはどちらかといえば人を化かすが、それでも口調は崩さない。
悪い気分でもなく、…………新鮮だった。
162:
左手側を見れば、窓に接するように、一人掛けのテーブルセットがあった。
オーク材でつくられたテーブルには素朴な暖かみがあり、それは、遠く遠く離れた故郷の生家、
そこにあったロッキングチェアの雰囲気に似ていた。
重厚感は無く、そこにあるのが当たり前のように部屋に溶け込んでいる。
ベッドを汚すな、と『命ぜられた』のを思い出して、下半身をベッドから抜き出して、床の上に下ろす。
背骨と胴はズキズキと痛むが、下肢には影響はなく、歩く事に支障はない。
椅子を引いて腰掛けると、ぎしり、と手ごたえがあったが――――果たしてそれは椅子なのか、
自分の身体からなのか、それさえ分からなかった。
やがて言った通り、彼女は盆を運んできてくれた。
「病人食なんかねーよ。ホラ、食え」
手狭なテーブルの上に置かれた盆には、米を使った料理と、粗末な木の器に注がれたスープ、
妙に分厚くて不格好な、木から削り出した匙のみ。
「ところで、俺は……どれぐらい寝ていた?」
「あ? たった二日。自分で起きて歩けるんなら、もう完治だろ。明日っからは病人扱いしてやらねェぜ」
「……まぁ、ともかく。いただくよ。ありがとう」
163:
ささやかな食卓に向き直ると、質素、という風でも無い。
皿に盛られたメインの料理は、米を厚切りのベーコンや玉葱と一緒に炒めてあるようで、
賽の目に切られたトマトが彩りとして散りばめられている。
匙を取って、まず一口、運ぶ。
ニンニクの香りが移った米が強烈に鼻を楽しませて、遅れてベーコンの薫香と絡み合った。
厚切りのそれは歯応えが強く、ひとかけごとに、『肉』を食べているという実感があった。
料理の熱に加えて、ベーコンからしみ出す脂のせいで、口の中が火傷するほど熱い。
塩の具合はひどく不揃いで、しょっぱい部分があるかと思えば、何の味もしない、白米そのものの部分まである。
それでも、一口、一口、運ぶたびに、活力が漲ってきた。
半分ほどかっ込んだところで、スープに目を落とす。
器を引き寄せて、匙を入れようとしたところ――――ふと思い立って、直接器を取り、口をつけて飲む事にした。
何となしに、ここで、今なら――――この食べ方が、作法としては正しいような気がしたのだ。
そのスープは、ほぼ熱湯だった。
城で食するもののように、良い温度を保たれてはいない。
沸騰させたような熱さに塩気、少し遅れて、飛びかけたハーブの香りが申し訳程度に香った。
具は、芽キャベツが三個程度と、細切りの人参、そして砂利粒程度の肉のかけら。
味など、ほとんどしない。
ただ熱湯に具材を入れて塩を落としただけのように、文字通り味気ない。
それなのに――――妙に、満足感が湧いてくる。
『食した』のではなく、『食った』という満足感が。
気付けば、どちらの皿も、嘗めたように綺麗に平らげてしまっていた。
サキュバスCの方を見れば、彼女はどことなく照れ臭そうな表情を浮かべて、窓の外を眺めていた。
164:
「これは……何という料理だったんだ?」
「……さぁ? テキトー炒めメシとクズ野菜と落とし肉の寄せ集めスープ。まぁ、ベーコンはアタシ手製だけどさ」
ふと、つられて窓の外を見る。
ここは、『村』という訳でも無い。
他に民家など無く、窓の外に見えるのは、どこまでも続く丘陵だけだ。
もしかすると反対側に建物があるのかもしれないが――――
「言っとくけどよ、この辺、アタシしか住んでねェよ。だからって寝込み襲うんじゃねぇぞ。今、危険日だし」
「あっ……え? あるのか? サキュバスに?」
「バカか、安全も危険もある訳無いだろ。何かヤベー覚えでもあんのか?」
「……そうすると、サキュバスは……どうやって増えるんだ?」
「そりゃ、お前まず……って、昼間っから性教育させんな! さっさと寝ろっつってんだ!」
照れ隠しではなく――――癇癪のついた声で怒鳴り付けられ、つい従ってしまう。
椅子から立ち上がり、ベッドに戻り、再び枕に頭を載せる。
満腹感は眠気を引き起こして、今にもすぅっと眠れてしまいそうだ。
その時、腹部に薄い布が掛けられた。
165:
「もう一度言うが、ベッド貸してやんのも明日までだ。動けるようになったら出てけよ」
「わかったよ。だけど、その前に……一つだけ、訊きたい」
ポケットの中を探ると、あの紙片が指に当たった。
取り出し片手で開き、広げようとすると――――先にひったくられ、半ば握り潰すような形で、彼女はそれを見た。
「…………お前、ここに行きたいワケ?」
「ああ。何か知らないか」
「もう案内してやってんだろ」
「え?」
サキュバスCは地図をこちらへ見せて、もう片手の指で、印を指し示す。
「だからよ。……この印、まさにココだよ。アタシん家だ」
そんな、重要な事が――――――あっさりと、告げられた。
166:
木々の繁る街道を馬に歩かせていた時の事。
まず、小鳥の囀りが消えた。
次いで虫の声も消えて、葉のざわめきも、林すべてが重苦しい油に投じられたようにしんと静かになった。
視界の端に小鳥が映るが、飛び立つ様子もなければ、動く様子もない。
これは――――よくない。
何かが来ている。
「…………ちっ」
鞘を払い、目に頼らず――――聴、嗅、触の感覚を動員して警戒する。
小鳥も虫も、一瞬で沈黙した。
方向などわからないまま、馬上から、ゆっくりと付近を見下ろす。
『彼女』も分かっているのか、その場を一歩も動かない。
首を深くうなだれさせ、咄嗟に剣を振るう邪魔をしないように計らっている。
もはや、それは動物の仕草ではない。
察しが良いだとかの次元を超えて、人と同等の知能と明確な意思を備えているとしか思えなかった。
やがて、地響きが轟いてきた。
バキバキと枝をへし折る音が聴こえ、直後にようやく、小鳥がバサバサと飛び散って行った。
167:
「この足音、亜人……いや、獣人か。多分5mクラスの……奇蹄の音だな」
未だ姿は見えずも、地響きはやがて、足音として輪郭をはっきりさせてきた。
どしん、どしん、という踏みしめる音よりは、どこか軽快な音がする。
恐らくは足裏で歩いているのではなく、『蹄』を備えた獣人型。
「ミノタウロスか。俺を狙ったのか、それとも」
やがて、木立の中から耐え難いほどの獣の匂いが漂ってきた。
加えて新鮮な血の匂いが混じり、もはや懐かしい、『修羅場』の空気が取り戻されたように感じた。
右手に剣を握ったままでは、左の襲撃には対応が遅れる。
『彼女』もそれを察して首を下ろしているとはいえ、それでも――――必ず、遅れる。
「……なら」
剣を逆手に持ち替え、手綱と一緒に握り込む。
左手を軽く開くと、久方ぶりの『雷』を装い、籠手とした。
できることなら、使いたくはない。
王都から離れていない場所で――――こんなにも晴れた空の下で雷を放てば、城下に届く。
それはつまり淫魔達に、――――堕女神に、『有事』を告げる号令になる。
「ブモオォォォォォォッ!」
林の中から現れた牛頭人身の怪物は、大きく吼えた。
全身にべっとりと血を浴びて、屹立した角の一本は根元からへし折れている。
その息は興奮というより、絶え絶えに何とか繋いでいるような痛々しさを帯びていた。
やがて。
――――――その怪物は前のめりに倒れて大地を揺らし、それきり、起き上がらなかった。
168:
「手負い?…………いや、何が……」
下りて調べようとした時、不意にナイトメアが急進し――――体勢を崩しながらも手綱にしがみつく事になる。
その時、風を切り裂く音が無数に聴こえて、空気の波が背を押したのを感じて、体を捻って振り返る。
寸前までいた空間を、無数の血でぬめった『蔓』のようなものが貫いていた。
ひとつひとつが地獄の大蛇のように蠢き、木々を容易く貫通している。
数歩も進まないうちに、その先端がこちらを向いた。
その形状は、一定ではない。
剣のように薄いもの、槍のように尖ったもの、斧刃を連ねたような凶悪なもの、針葉樹のように枝分かれして尖らせたもの。
それは弾かれたように、こちらを追ってきた。
「問答無用でっ……! そもそもこいつは一体――――」
左手に手綱を戻して、右手を自由にする。
後方から迫りくる『蔦』は――――収束する糸のように、殺気を孕んでどこまでも追ってくる。
信じがたい事に、全の魔界馬にさえ、それは追いついてくる。
近づいてきたものを切り払えば、ほんの少しだけ萎れはするが、直後に何事もなかったように再生して、追撃してくる。
斬った手応えは、おかしなものだ。
表面が硬化した樹皮に似ているかと思えば、中心部分は軟体のように、ぬめぬめとして捉えどころが無い。
169:
磯巾着の罠にはまった魚の気分を味わいながらも進むと、前方に開けた空間が見えて、
強く差した日光に目が眩み、ナイトメアの度が落ちた。
だが――――止まれば、この得体の知れない存在に捕まる。
そうなると、恐らく、先ほどの獣人と同じ末路を辿る事になる。
手綱を振るい、再び『彼女』を奮い立たせて、前方の開けた場所へ向かって走らせる。
再び馬脚に力が戻り、ぶるる、と鼻息を荒げながら、前に見える光を目指す。
もはや、後ろを振り返る余裕はない。
前をまっすぐ向いた視界の端にさえ、鏃のように尖った『魔手』がちらちらと映っている。
頬に走った鋭い痛み、背をちくちくと刺される痛み、頭をとっさに下げた瞬間に過ぎる、重い音と風圧。
もう、ほぼ呑み込まれてしまっていた。
「っ……と、止まっ……!!」
林道を抜けて開けた空間に出たと同時に、妙に風が強くなる。
出はしたが、そこは――――断崖絶壁だった。
慌てて御して崖下を見ると、木が転々と生えた草原がある。
背中に感じていた生臭い殺気は、もうない。
ようやく後ろを振り向くと、そこには何も無い。
直前までの逃走が嘘のように、穏やかそのものの林道が、間抜けた蛇のように口を開けているだけ。
170:
(撒いたか? だけど……あれは何だ? 植物? いや、手応えは……)
念の為に、更に林から距離を取って、改めて付近を観察する。
林の脇に、崖下へと下りていく坂道があった。
下りてしまえば、恐らくそれ以上追ってはこないだろう。
本体は恐らく森の中で、それ自体は俊敏では無い。
開けた場所に出たと同時に襲撃が中断されたところを見ると、光にも強くはない、と心から信じたかった。
とにかく、ここにいてはまずい。
林の奥へ引っ込んでいったとはいえ、未だ謎のモンスターが近くにいるのは変わらない。
離れなければ。
「――――――?」
不自然な揺れが、再び駆けさせようとしたナイトメアの動きを奪った。
剣を納めて付近を伺うが、何も他に異変は無い。
ここまでよく抑えの効いていた『賢馬』が、震えていた。
ふと――――――衝撃を感じたかと思えば、天地が逆転して。
尻が持ち上がるような、股の間を冷たい風が抜けるような、妙な不快感が襲ってきた。
「なっ……に!?」
逆転した世界の中に、断崖から生えた巨木が映った。
世界を支える樹のように立派な、それは。
『直前までいた場所』に聳え立っていた。
浮遊感は、どこまでも続いて。
――――――長すぎる、永すぎる虚空を泳いだ果てに、全身に鈍い痛みが走って。
仰いでいた青も見下ろしていた緑も消えて、暗闇がやってくる。
意識を散らされる直前に、まるで少女の怯える声のような、そんな悲鳴が聴こえた。
194:
****
「……お前、うめぇな。あっちじゃ農家か何かやってたんかよ?」
すっかり草刈りを終えたところへ、サキュバスCがやってきて、そう感嘆した。
裏手の井戸の周りをすっきりと整えたところへ、汗びっしょりの彼女が姿を見せる。
「…………ああ、ちょっと昔な」
剣でも、ナイフでもない。
草刈り鎌の重さは、十年近くの時を超えて久しぶりだ。
「切れ味が悪かったから、少し研いだぞ。納屋に砥石があったからさ」
「そりゃ、ドーモ。もう少ししたらメシにすんぞ。鶏小屋の方は……」
「もう済んだ。雄鶏が一羽、どうも調子が悪そうだ。羽毛に一部ハゲがあって、どうにもよくない感じがしたよ」
「……拾いモンだわ、お前」
家の裏手には井戸があり、その周りに数十種の木が植えられ、どれもが果樹だ。
奇妙な事に、今は真夏のはずなのに――――季節を無視して、その全てが実を結んでいた。
秋に生るものもあれば、春先のものもある。
しかもどれもが熟れており、混ざり合った甘く爽やかな香りがこの小さな家を包んでいた。
「……不思議かよ、人間さん?」
「え? ……あ、ああ。まぁ……」
サキュバスCは一歩進み出てオレンジの木の下までいくと、尻尾を伸ばし、果実の一つを先端で切り落とした。
195:
「この辺りは何でも育つよ。植えてやりゃ、どんどん成長する。土地も痩せないし、
 ノンビリ生きるにゃうってつけさ、ワイン作った事もある。……ほらよ」
縦に四つに切られたオレンジのうち、二かけを差し出される。
斑の無いきれいな橙色が、皮から果肉まで揃っていた。
「まぁ、それだけに『育てた』感はねェな。一度シャレのつもりでトレントの苗木を植えたら、きちんと育ってさ」
「モンスター育ててどうする!?」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと倒した。ちなみに納屋はそいつらの死骸で作った。木材には違いないじゃん?」
「……『ら』?」
「三十株ぐらい植えた。いやぁ、アレはキツかったね。ちょっとだけ本気出しちまったよ」
からからと笑い飛ばす彼女を何となく冷たく見ながら、渡されたオレンジにかぶりつく。
酸っぱさの中に砂糖のような甘さがあり、人間界でも、これほどの出来のものはそうないだろう。
喉に刺さるような濃厚な果汁が喉を潤し、口の端からもこぼれ落ちた。
「……なんだこれ、美味しい」
「本当、ここでは何植えても育つんだよな。――――もし死体埋めたら、どうなんだろうな?」
「怖い冗談はやめてくれ」
「さてねェ。……冗談だといいよね」
196:
挑むような視線を向けられた瞬間、身が粟立つ。
藍玉の瞳が時化た海のように波立ち、こちらを向いていた。
目を逸らさぬように、見つめ返して数秒が経つと――――彼女の顔が、亀裂を入れたように綻んだ。
「冗談だよ、冗談。マジに取るなっつの。殺るつもりなら寝てる間に殺ってるってばさ」
「…………ところで、『ここに植えた植物はすべて育つ』、そう言ったな?」
「あ?」
視線は、彼女の後方にある丘の上。
葉は繁っていても、果実をひとつも生らせていない一本の木を見つけた。
サキュバスCが視線を辿るようにして振り向くと、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「……あれな。『リンゴ』の木なんだよ」
言うと、彼女は歩き出す。
ついて行くと、彼女はその木に手を当てて、溜め息をついた。
「どーいう訳か、コイツだけは実を結ばない。…………木は育っても、実はならない」
「……何故?」
「だから、知らねぇっつってんだろ。……もともとアタシらの国には生えてないしさ」
「なら、この木はどこから仕入れたんだ?」
「……四、五百年前かな。人間界に行った時、そこにいたガキに種を貰った。それからこの土地のウワサを聞いてね。
 ここに家立てて、その種植えて。確かに育ったけどさ、待てど暮らせど実は結ばねェ」
197:
見上げても、そこにあるはずの、あってほしい『赤』はない。
「で、試しに他の果物だの野菜だの植えてみれば、呆気なく実がなった。井戸掘れば水は出るし、いい場所なんだよ、マジ」
それでも、リンゴだけは育たない。
「こうなりゃ、ヤケよ。実がなるまでここにいよう、ってそう決めた。……腹減ったろ?メシにしよ。ちゃんと手ェ洗ってから来いよ、ボク?」
幹につけていた手から、弾かれるように離れてさっさと早足で彼女は家に入る。
一人残され、佇んだままその木を眺めてみた。
他の木には、赤や桃色、橙色に紫。
美味しそうな実が結ばれているのに、一本だけは、樹皮の茶色と葉の緑しかない。
未熟の果実さえなく、実を結んだ形跡も、実を結ぶ前触れもない。
興味は尽きないが、ともかく今は、腹ごしらえがしたい。
踵を返して井戸に近づき、縄を引いて釣瓶を揚げると、重い手応えがある。
軋んだ滑車の立てる音は、妙に懐かしい。
上がってきた桶には澄んだ地下水が湛えられ、桶の底まで見通せた。
熱を持った身体を冷やすように、その水をかぶるように浴びた。
とても。
とても――――気持ちがよかった。
198:
昼食は、少し変わったサンドイッチだった。
二枚のライ麦のパンの間に、細切りのキャベツをたっぷりと、輪切りのトマト、衣をつけて揚げた鶏肉、ねっとりとした白いソースを挟んでいた。
そして、付け合わせは無い。
「お前、誰が水浴びしろっつったよ!? 床がビッタビタじゃねーか!」
「すまない、暑くて……つい」
「ったく。んじゃ、コイツぁ要らねーな?」
にやにやした笑いを浮かべて、片手で二本の瓶の首を持ち、テーブルの上でブラブラと揺らした。
ラベルの張られた片手サイズの飴色の瓶は、たっぷりと汗をかいていた。
「そ、それは……!」
「地下で冷やしてたんだよ。このエールは美味ェぞ?」
どかりと椅子に腰掛けた彼女は、生意気にウィンクをしてから、テーブルの中央にその二本の瓶を置いた。
「……分かったよ、分かったから捨てられたイヌみたいな目ェすんなよ。ほら、飲め」
「え……」
無意識に縋るような目をしていたらしく、サキュバスCの方から、差し出してくれた。
もう既に栓は空けてあり、瓶の口から氷の吐息のような白煙が上っている。
手に取ると、張り付きそうなほど冷たい。
しばし、その冷たさを楽しむと――――無言で乾杯してから、口をつけ、傾ける。
199:
雪解けを迎えた春の川のように、『それ』は喉に滑り込んできた。
霜の塊のように冷たく、トゲトゲしいまでの強い炭酸が、苦味とともに喉を刺す。
ホップの香りが喉から鼻へ抜け、同時に魂までも持って行かれそうな清涼感が突き抜けた。
喉が脈動するように、ごくごくと鳴るのが分かる。
止まらない。
自分の意思では、もはや止められない。
――――――中身が空っぽになって、ようやく、瓶を口から離す事ができた。
「ぶ、はっ……!」
「おいおい、もう全部飲んだのかよ。さっさと回っちまうぞ、オイ。……食えって」
爽快な後味と冷たさの残る口内へ、続けて、たくさんの具を挟んだパンを頬張る。
硬くて麦の香りの強いパン、ザックリとした歯ごたえのキャベツ、瑞々しいトマト、脂っ気の多いチキン、
それらをまとめあげる、なめらかな舌触りの、酸味の強いどろっとしたソース。
彼女の振舞ってくれる料理は、どれも大雑把で――――強烈な満足感を与えてくれるものばかりだ。
あっという間に平らげて、勢い余って指にまで食いついてしまいかけた。
その時、笑い声が聴こえた。
「はははっ……! そんなに飢えさせた覚えはねーぞ?」
「くっ……! し、仕方ないじゃないか。こういうものを食べるのは久しぶりなんだ」
「あぁ? どんな意味だ」
「……いや、何でもない」
「お前、ゴマかしやがっ…………っつっ」
200:
彼女は不意に押し黙り、苦悶に顔を歪めた。
とっさに伸びたのか、右手がテーブルの下へ隠れた。
「どうした? どこか、痛いのか?」
「……んでも、ねぇよっ」
唇が吊り上り、そこから、食いしばった歯列が見えた。
そうとうきつく噛み締めているようで、ぎぎっ、という歯ぎしりの音が、二人きりの食卓に響き渡った。
「…………何、で……!」
「え?」
「……何でもねぇよ、不景気なツラ見せんじゃねェ、人間が」
それきり、追及も心配も許さない空気が流れてしまう。
こうなってしまうと、もう問いかけても答えは返ってこないだろう。
「……ごめんな、八つ当たりしちまった。少し休んでるわ。アタシの分も食っていいよ」
言うと彼女は立ち上がり、脚甲に包まれた右足を引きずり、さすりながら寝室へ向かった。
勧めてくれたエール酒も、半分と減ってはいない。
残された、彼女の分のサンドイッチに手を伸ばしても――――自分の分を食べた時ほど、美味しさは感じない。
むしろ彼女の事が気がかりで、味などわかりもしなかった。
一人きりになった食卓の間で思い出すのは、バランスを取るようによく動く尻尾と、根元から毟り取られたような、左背の翼の痕跡。
あの歩き方はさながら人間界の都で見た、傷痍兵のそれに似ていた。
――――――外さないのか。
そんな、至極真っ当な疑問が降って湧いた。
201:
その夜。
ほのかにやきもきして、眠れない時を、納屋で過ごしていた。
寝藁を敷いてその上にシーツをかぶせただけの、夜露をしのげるだけの簡素な寝床は、そう悪くはない。
草の香り、退屈しのぎに研いだ農具の金気は落ち着きをくれて、
板の隙間から透き通る夜風は涼しく、かといって冷たくは無くて心地よい。
念の為に毛布を一枚借りておいたので、凍える事はないだろう。
「……何も起こらない、のか?」
昼食から二時間もすれば、彼女は調子が戻ったのか、再び外に出て野良仕事を始めた。
彼女の容姿は、鑑みると、全てのパーツが噛み合っていない。
悪辣な笑みを浮かべるクセがあっても、黙っていればどこか儚げな美人に見える。
荒れているが指は長く、聖人を写した絵画のように優しい。
何より、美しさに反して化け鳥のような黄金色の脚甲は、異様だ。
不釣り合いなほど大きくて、農作業をするのにどう考えても邪魔なはずなのに、それを外そうとはしない。
そして、結局――――今日一日は、何も起こらずに終わった。
夕方までのほんの少しの時間、付近を歩き回ってみても、おかしな事は何も起こらなかった。
お決まりの遺跡や洞窟といった『いやなもの』も見当たらず、この家がぽつりとあるだけだ。
202:
――――ナイトメアは、どうなった?
――――見つからなかったという事は、怯えてどこかへ逃げていってしまったのか?
――――それとも。
最悪の想像が、心をさらに煙らせる。
眠る前に特有の暗さが押し寄せて、どうしても良い方向に頭が回らない。
こういう時は――――さっさと眠ってしまうに限る。
幸いにして、久しぶりの『公務』ではなく『仕事』のおかげで、体は良い具合に疲れている。
目を閉じて、ごわごわとした寝床に身を横たえ、毛布を引っかぶる。
それだけで、溶けるように眠りへ飛びこめた。
――――――板の隙間から飛び込む風が冷たさを増した頃、納屋の戸が開く気配がした。
小さな、やけに軽い足音が近づいてきた。
あの重い金属音を伴っていないのだから、サキュバスCではない。
「誰だ?」
寝藁の枕元、シーツの下に隠した剣を探り当てる。
鯉口は切ってあるため、一動作で片手だけで抜き打ちできる。
納屋の暗さの為に、相手は視認できない。
姿どころかおおよその背丈さえ分からないが、せめて声か吐息でも聴こえれば斬り付けられる。
そう、確信していたが。
203:
「……う、ぅ……!」
ようやく聴こえたのは、苦しげな喘鳴と、床に手を突くかすかな音だった。
その声はか細くて、隙間風に掻き消されてしまいそうだ。
「……今から灯りをつける。俺に危害を加える気が無いなら動かないでくれ」
利き手を藁の中の剣から離さず、左手で、あらかじめ置いていたランプを探って、灯芯に火を入れる。
ぼんやりとした光が狭い納屋を照らし、そこで、ようやく侵入者の姿が明らかになった。
「……誰…………いや……『何』だ?」
照らし出された『それ』の姿を見て、思わず息を呑む。
サキュバスCどころか、姿は『サキュバス』のそれではなく人間に近い。
いたのは、幽霊のように白い肌をした、白金色の髪の少女だった。
全身に生傷が刻まれており、痛々しい血の痕も乾ききっていない。
一糸まとわないままのその少女は足元に手をついて、肩で息をついていた。
「その傷は……?」
問いかけるも、答えは返ってこない。
なのに、『それ』はきちんと話を聞いている、という妙な確信が生まれた。
204:
「な……、て……」
たどたどしい発音で、ようやく喘ぎでは無い声が聴こえた。
だがしかし、風が吹き込む音よりも小さく、全てを拾う事はできなかった。
「何? 聴こえ……な!?」
彼女は四つん這いのまま、毛布の中に潜り込んできた。
もぞもぞと蠢く塊の行き場は、――――下肢の付け根、だった。
「お、お前……! 何を!」
毛布の中で、呆気なく、するりと下が脱がされた。
間髪入れずに、自身の先端に吸い付かれる感触を覚えて、思わず、剣に伸ばしていた右手を引っ込めてしまった。
(……! こいつも、淫魔、なのか……!?)
たどたどしくて不慣れな口淫は、それゆえ逆に、予測のつかない快感をもたらした。
大きく開いているであろう唇は、未だ勃起していない先端ですら、咥え込めないようだ。
鈴口を小魚にでもついばまれているようなくすぐったさは、初めてで――――すぐに、『自身』が反応を示してしまった。
「んっ……お、っきぃ……な」
毛布の中でくぐもった、たどたどしい片言が聴こえた。
205:
何らかの怪我のせいで、という様子ではない。
科白そのものは、はっきりと聴こえた。
「っ……いい加減に、しないか! おい!」
下半身にすがりつく彼女の姿を見てやろうとして、毛布を剥ぎ取る。
そこには、情けないほど素直に屹立した自身を妖しく見つめる、白金髪の裸身の少女がいた。
こちらには目をくれず、目の前のそれが『本体』であるかのように、目を爛々と輝かせている。
指さえ入らなそうなほど小さな鼻孔をひくつかせて、モノの匂いを嗅いでは、恍惚したように息を荒げている。
「……おぼえ、て……ない?」
「はっ……?」
厚ぼったい前髪で眼を隠したまま、少女は拗ねたように言った。
「私に、またがった。……はげし、かったのに」
「え?」
「……あなたの、せいで。怪我……した。だから、なおして……ほしい」
「…………済まないが、何の……」
206:
むっとした様子で、少女は小さな口を精一杯に開いて、再び肉槍の穂先を咥え込んだ。
そのまま舌先が動いて、裏側の筋を、愛でるように何度もくすぐる。
「おっ……い……! 何、なんだ……お前は……!」
抗えない。
精気を吸い取られている感じはしない。
本当に、むしゃぶりつかれているだけなのに――――サキュバスBに比べて拙い舌なのに、
それでも抵抗はできず、逃げられない。
何故なら、……逃れようにも、しかと押さえつけられていたからだ。
(離……! 何、て……力だっ!)
太ももを掴まれ、逃れる事はおろか、もがく事さえできない。
食い込む指から感じる痛みは、握力より、むしろ――――『重さ』に由来するものだと感じた。
目方に従えば自分の半分ほどの体重しかなさそうに見える。
だが、この少女はこちらの――――『勇者』だった事もある自分を、捉えて離さぬ力と重みがある。
『淫魔』に常識が通用しない事に、今さら驚きなどない。
だが、そもそもこの少女は『淫魔』なのかさえ、分からない。
角も尾もなく、魔力の気配も感じない。
外見は、本当にただの裸身の少女なのだ。
207:
「っ……あなたのは、とても大きい。……私の口には納まりきらない。小さくして」
「できるか! っ……それに……お前は」
「なに」
「その……重い。太ももから下の感覚が無くなりかけてるぞ」
率直に口にした直後、亀頭に痛みが走り、思わず腰が引けた。
「いっ……でっ!」
「……重くない。ふつう」
「噛むヤツが……あるかっ……!」
「あなたがひどい事を言った。恩知らず。キライ。はやく出して」
「恩? …………本当に、誰なんだ?」
聞けば聞くほど。
見れば見るほど――――見覚えも、声に聴き覚えもない。
「……誰でもいい。もう誰でもいい。早く出し、なさい」
再び、ぱくりと咥え込まれ。
そこから先は――――意識が、白い閃光の中に飲み込まれてしまった。
208:
そのまま眠ってしまったのか、翌朝。
下肢の涼しさに目が覚め、見上げた天井には木の梁がある。
昨夜、夢か現かに起こった事をすぐさま思い出した。
「……あれは、誰だったんだ?」
もしも夢だと言うのなら、確実に会った事があるはずだ。
見ても経験してもいない事など、夢に出てくるはずもない。
――――と、普通では考える。
だが、この国は『夜の魔族の国』だ。
他者の夢を書き換え、その中に入り込む事など、朝飯前に過ぎない。
なので最初、それを疑ったが――――この界隈には、サキュバスCがたった一人で暮らしている。
ふと、納屋の中に大きな気配と息遣いを感じる。
そこには――――――
「俺の馬!?」
狭い納屋の中に、脚を折り畳むようにして、はぐれてしまった『彼女』が寝そべっていた。
「まさか、まさか……お前かっ!?」
たてがみの色は、あの少女と同じだ。
ほのかに赤い眼の色も、また同様。
白い皮膚に刻まれたいくつかの傷は、塞がってこそいても、痕は消えていない。
特徴だけを見れば――――全てが重なり合ってしまった。
昨晩の夢現に現れた、『白金髪の少女』と。
209:
「ともかく、無事、だったんだな。良かった……本当に、良かった」
起き上がり、首を撫でてやると、ナイトメアは心地よさそうに目を閉じた。
あれが夢だったのか、それとも少女の姿に変身する事ができた故の、現実なのかも分からない。
ただ、確実なのは――――無事だった。
その事が、ただただ嬉しい。
「ういーっす。起きてっか? 朝メシ食わせてやっから、とっとと来……い……?」
大あくびとともに納屋の扉を開けて入ってきたサキュバスCに気付き、顔を向ける。
すると、彼女は凍りついたように棒立ちしている。
「どうした? 一体、何が……」
「ま、前……! し、しまえよテメェ! 朝っぱらからなんつーもん見せんだ!」
「え? あ、あぁぁぁっ!?」
馬と再会できた事、昨夜の不可思議に囚われたままだった頭が、ようやく理解した。
自分は今――――下だけを脱いだ、あられもない姿を晒してしまっている事に。
サキュバスCは大袈裟に顔を背け、上腕で目を覆っていた。
慌てて足首に引っかけていたズボンを上げると、まるで嘲笑うように、ナイトメアが嘶いた。
236:
****
「だから、許してくれ。気付かなかったんだ、本当に!」
朝食の席は、どうにも気まずい。
対面に座った彼女は妙な様子で、少し顔を染めながら、唇をもにゅもにゅと蠢かしている。
手にしたフォークでテーブルをとんとんと叩き、その度に、半ばまで突き刺さって穴が穿たれていた。
必死で見た物を忘れようとしているようで、その様子は、どこか初々しかった。
「ふざ、けんな……!千年ぶりに見ちまったじゃん。ああ、クソッ……! 脳ミソにこびり付いてやがる! 消えねェ!」
「悪いとは思ってるが、『サキュバス』の反応じゃないな」
「アホか! 朝からあんなビッキビキのフルチャージのエグいブツ見せつけやがって! さっさと死ね、変態!」
「だから、悪かったって……。それに、朝だから仕方ないんだよ! 分かるだろ、淫魔なんだから!」
「馬撫でて勃ててるようにしか見えねぇっつんだよ!」
櫛形切りのトマトを口へ運び、咀嚼し、飲み込むと、どうにか話題を切り替えようと試みる。
「……ところで、脚……大丈夫なのか?」
訊ねると、彼女は頬杖をついて横を向いたまま、目だけをこちらへ向けた。
「…………大丈夫。昨日悪かったね」
「いや、気にはしてない。……怪我か? それとも」
「怪我でもビョーキでもねぇよ。もう、その話はやめにしろ。……で、お前……あの馬」
「?」
「トボけんじゃねぇよ。ありゃ『ナイトメア』だ。人間界の馬じゃない。……お前、アレに吸われ……いや、『アレ』を吸われただろ?」
「……は?」
「まさかお前、そこまでアタシに言わすつもりじゃねぇよな?」
「ああ、確かに。だが……夢なのか現実なのかもまだ分からないんだ」
「半々、だよ」
「え?」
「『ナイトメア』は、夢を見せる。夢の中で人の精を吸って、力に換える。……悪夢を見せて苦しめる場合もあるね」
「じゃ、……あれは」
「ヤられたんだよ、お前。まぁ、ヤツらは人にも化けるから、どっちかは分からんわ」
237:
あれは――――――夢なのか、現実なのか。
結局それさえも、分からなかった。
「だけど、何でだ?」
「その前にまず、お前……何があった? 何があって、行き倒れたんだよ」
「……そういえば、話してなかったかな」
そして、話して聞かせた。
『王だ』と言う部分は伝えず、ナイトメアに乗ってあの林道を抜ける途中、謎の魔物に襲撃された事。
撒いたと思ったら、土中からの突き上げを食らい、崖下へ投げ出されてしまった事。
最後に――――あれについて、何か知らないかと訊ねてみた。
「なるほど、なるほど? 興味深いねェ、そいつ」
「本体の姿は確認できなかった。日光を嫌っているようではあったが」
「そいつの事は分かんねェけどさ、お前が獣姦ぶっこいた理由は分かったよ」
「獣姦って言うな。そろそろ本気で怒っていいか?」
陶製のコップに水を注ぎ、飲み干してから彼女は続ける。
「どうどう。まず、さ。……アタシらにとって、『精液』って何だと思う?」
「……栄養源、じゃないのか?」
「正確じゃあないね。なら、出せる男が一人もいない『淫魔の国』が成立するワケないじゃん?」
「すると……」
「『淫魔』は他の魔族に比べてかなり特殊でさ。魔界にいる限り、精液を啜る必要はないんだわ。あればもちろん飲むけどね?」
238:
淫魔の生態についてはもちろん学んでいた。
その歴史も特性も、――――人間とのかかわり方も。
「人間界で活動する時は、ちゃんと摂らなきゃダメさ。でなきゃ体力低下、最悪死ぬ。精液無しじゃ、十年も生きられやしねぇ」
「…………」
「個人差はあるケド、基本的に体力魔力完全回復ポーション、完全栄養食、ついでに酒を合わせたようなもんだ」
「……すごいな、それは」
「だろ? それに、逆にアタシらにはヤった相手を回復させる秘術だってあるのさ」
数日前、サキュバスBに施された『あれ』を、思い出した。
何の変哲もない口淫だったのに、もはや蘇生呪文の域だった。
「体力を吸い取るんじゃないのか?」
「そいつもできるけど、吸い取れるんならその逆もできるだろ、って事よ」
「まぁ……理屈は分かるよ」
「ここまで言えば、お前がお馬さんに寝込み襲われた理由も分かるだろ?」
「……ああ」
239:
つまり、何の事もない。
ナイトメアは、自分の怪我を治そうとしていたのだ。
夢に現れた時の、少女の似姿は全身が傷ついていた。
その傷を治すために、薬として精液を求めた。
よく見れば、納屋の床には乾いた血痕があった。
それほどの負傷をしていたのに――――朝に、馬の姿に戻っていた彼女の体には、治りかけの傷しか残っていない。
「…………だから、アタシらは千年前は……回復し放題、魔力も使い放題だったな」
「千年?」
追従するようについ呟くと、彼女は、しくじったような苦み走った表情で舌打ちした。
「まぁ、どうせ知らんだろーな。それはまぁ、後でいいや。……っていうかイチモツ見せるわ精液連呼するわ、朝イチから何だ!」
「いや、最初のは事故――――」
「あーあー、うるせェ! メシ食ったら働け! 草取りだ、草取り!」
「……昨日、それはやっただろ?」
「話聞いてた? ココはな、何でも育っちまうんだよ。ウソだと思うなら見に行けよ。元以上に伸びてんぞ?
 一日二回は刈らにゃならん」
「え、マジで……」
「ほらほら、行け。……っと、そうだ」
サキュバスCはおもむろに立ち上がり、台所へと重い音を響かせて消えて行った。
そして戻ってきた時には、木製の桶に、瑞々しい野菜をたっぷり詰め込んで小脇に抱えていた。
再び食卓前まで来ると、彼女はそれを乱暴に置いた。
240:
「馬にやっとけ。水飲ましたきゃ好きにしな」
「すまないな。それにしても……」
「あ?」
「…………優しいんだな」
「は、はぁ!?」
呟くと、裏返った叫びが響いた。
「なんて、な。食わせて貰うぶんは働くよ。そうそう、地図があれば……後で、貸してくれないか」
「あ、あァ。わ、かっ……た……」
茹ったように頬を染めて立ち尽くす彼女の横をすり抜けていく。
ナイトメアの食事が用意された桶はずしりと重くて、落としかけた。
まだ一日しか、この一帯を調べていない。
ならば、さっさと作業を終わらせて地図を見直し、調べ直す。
ここには、遊びに来た訳では無い。
なのに。
なのに――――ここは、まるで里帰りしたように懐かしくて、落ち着く。
土の香りと草の匂い、鶏の鳴き声と寝藁の感触。
それは、全て。
壮麗な『淫魔の王』の城にも、その城下町にも存在しないものだった。
――――――どこまでも落ち着く、故郷の匂い、そのものだった。
241:
****
「……はい、どうぞ、堕女神様。特製コーヒーです」
「ありがとうございます。……良い薫りがしますね」
「お好みで砂糖とミルクをどうぞ。ここに置いておきます」
勇者が旅立って、四日目。
幾星霜の時を経て、初めて過ごす『休日』の四日目。
堕女神は、城下の書店に来ていた。
しばらく火の入る予定の無い暖炉近くの椅子に腰掛け、小ぶりなテーブルに置かれたカップを手に取りつつ訊ねる。
薫りを確かめると、初めて飲んだ時とは違い、どこか炭のようなニュアンスが混じっていた。
「…………炭火?」
「あれ、分かりますか? 実は最近、凝ってまして。豆にも何種類もあるんですよ。
 焙煎の具合や方法、豆の調合で更に味に変化が現れるんです」
「それは、是非今度ご教授願いたいところ。……店主殿は本日はどちらへ?」
コーヒーを供してくれたのは、店主ではなくその娘だった。
どちらかといえば母とは違い、怜悧な空気、隙無い物腰で、外見年齢は少し大人びて見える。
242:
「ああ……お母さんなら、今日は風邪引いて寝てますよ。暑いからって裸で寝てお腹冷やしたんです」
「大丈夫なのですか?」
「寝てれば治ります。それにしても、お一人でいらしてくれるなんて……珍しいですね」
「ええ。『休日』というものを賜りまして。陛下は……その、少しの間避暑へ」
「……すれ違いすれ違い。『陛下』の外見も声も知らないんですよね」
小高くなったカウンターに背を預け、彼女はがっくりとうなだれる。
堕女神はそんな彼女を少し気の毒そうに見てから、コーヒーを生のまま一口啜る。
「……美味しいです。まずは、何も入れずに一杯いただきます」
「そうおっしゃってくれると嬉しいです。ところで何かお探しの本など?」
「いえ、特に目当てなどは。ただ、少し物色してみようかと思いまして」
「なるほど。……しかし」
「?」
「堕女神様の『休日』というのは、想像がつきません。どうお過ごしに?」
「それが……私も手探りでして。『休み』と言うからには、体を休めなければならないのでしょうが……かえって疲れまして」
「はぁ」
二度寝を試みても、そう幸せではなかった。
眠気自体が元来少なく、朝も早く、日の出とともにぱっちりと目が覚めてしまった。
昼寝をしようにも、働いていないのだから眠くもならない、疲れない。
ならば、と外出を楽しむ事にしても、行くあてが少ない。
初日にサキュバスAと酒場に出かけた程度だ。
『何もしなくていい』というのは、どうにも性に合わなかったのだ。
243:
「……あなたは、休日はどのようにお過ごしですか?」
「え? 私は……そうですね。お家の掃除や洗濯とか」
「他には?」
「本読んだりお昼寝したり、お母さんと買い物に出かけたり…………」
「……ありがとうございました。中々参考になります」
そしてカップを置き、店内を回る。
埃っぽい店内に並んだ書架から、何冊かの本を取ってはめくり、検める。
十分ほどして、二冊ほど、目当ての本を探し当てて払いを済ませ、店を出た。
日差しはまだ強く、露わになった二の腕を容赦なく焼いた。
ひりひりするような日差しの下を、城へと向かって歩く。
相変わらず、城下の空気は暑さに負けない活気がある。
歩いていると子供達が堕女神を見つけ、大声で呼びかけた。
その度に彼女は微笑みかけ、時には手を振りながら、静々と歩いて行く。
途中で金物屋や薬屋の店主とも世間話を交わして、他愛もない談笑に浸る。
244:
城に戻って、何気なく、堕女神は『彼』の私室に足を向けた。
そこへ行くための道のりが、既に懐かしい。
絨毯を踏みしめる感触は、そして虚しい。
朝を告げに行く時も、夜に訪れた時も、いつも胸が高鳴っていた道のりが、何ももたらしてくれない。
いないと分かっているのに、それでも、つい――――毎日のように、訪れてしまっていた。
部屋の前に来た時、ノックをしようと手を構えたあたりで思い出して、俯く。
主は、今はいない。
だから入室の許可を求める必要さえない。
ドアノブを捻ると、簡単に開いた。
心なしか扉は軽くて、押すまでもなく、吸い込むように開いてくれた。
「…………私は、何を……しているのでしょうか」
独りごちて、室内を虚しく飾る家具の数々に手を触れ、しばし彷徨う。
机にサイドテーブル、ドレッサーに鏡台、猫脚の椅子に腰掛けても、落ち着かない様子で。
やがて、ベッドに近づく。
そこは幾つもの思い出が、早くも眠っていた。
このベッドは先代の時代から変わっていない。
先代が崩御し、勇者が現れるまでの間、一時的な代理を務めていた時期も、堕女神がここで眠ったことは無い。
ここに身を沈めたのは、『彼』が現れてから一週間後の、堕落の夜が初めてだった。
やがて、堕女神の身体がそこへ倒れ込んだ。
あの夜の名残を探すように、沈んだ砂粒を掻き集めるように、重厚な寝床へ身を横たえる。
枕に顔を寄せて息を吸い込んでも、勇者の残り香は無い。
出発したその夜には、全てを洗い替えしてしまっていたからだ。
ドレッサーにかかった衣類もまた同様で、幾分の背徳感とともに、その香りを確かめても、まるでしなかった。
そうしているうちに、堕女神は寝台で眠りに落ちてしまった。
枕には一滴分の滲みができていたのを、彼女は、知らずにいる。
259:
****

この地へ訪れて、七日が経ってしまった。
同時に相変わらずの野良仕事を片付けて井戸の整備や柵の修繕、作物の収穫や剪定を行って、
完全に『勘』を取り戻してしまった。
ナイトメアも、あれから夢には出てこないし、ずっと、『馬』の姿のままだ。。
ときおりは何か言いたげな視線を向けてくる事もあるが、怪訝に思って語りかけても返っては来ない。
「おい、行き倒れ」
トマトの支柱の具合を直していると、背後から声がかけられた。
「…………ちょっと、顔貸せよ」
「……今か?」
「他にいつだよ。そいつを区切ったら、リンゴの木に来な」
「ああ……分かった」
いつになく、彼女の口調は静かだ。
それだけに押し殺した迫力が感じられて、心なしか、喉が細く窄まった。
あれから、結局彼女の右脚について訊けてはいない。
たまに顔をしかめて擦ったり、寝室から苦しそうな声が聴こえてくる事がある。
その痛々しさが、また――――踏み越えられない一線を引いていた。
訊くタイミングを逃してしまっていて、今さら訊けば訊いたで、彼女に何をか言われてしまいそうだ。
「遅ェよ」だとか、「気ィ使うんなら最後まで気ィ使ってスルーしろ」だとか、そんな返しをもらうに違いない。
260:
それでも、翼の事だけは訊ねた事がある。
すると、彼女はこう答えた。
「『太陽』に近づきすぎて、溶けちまった」と、唇を吊り上げて笑いながら。
羽ばたく力で飛ぶのではないというから、彼女は片翼だけでも飛べるらしい。
実際に見せてくれたし、その時、彼女の翼は開いていても、鳥のようにはためかせはしなかった。
空は、相変わらずの真夏日だった。
暑い事には変わりなくとも、壮大な風景の開放感のおかげで、城にいた時ほどには感じない。
仕事に区切りをつけて立ち上がると、裏の果樹園へ向かう。
賑わい、競うように身を結ぶ果樹の林を抜け、一本だけぽつんと外れて丘の上に立っている、『結ばない木』を目指す。
しかしそこに、サキュバスCの姿は無かった。
先回りしてしまったかと思い、木陰に腰を下ろして小さな『農園』を見下ろす。
見れば見る程、その佇まいは似ていた。
『勇者』の使命を背負う前、どこにでもある農村の一人として、ささやかで貧しくて、満ち足りた日々を送っていた日の事を。
「何だ、早ェな。もうちょいチンタラこいてくるかと思ったぜ」
がさ、っと葉が揺れる音がして、すぐ近くに重い着地音が聴こえた。
261:
「隠れてたのか。びっくりしたな」
「誰が隠れるって? オイ」
「で、俺に……何か話があるのか」
「…………話があんのはお前の方だ。ココに、何を、しに、来た?」
問い詰める言葉ではあっても、声色に脅しは無い。
呆れたように、ただただ訊ねただけ。
「すまない、長居してしまったみたいだ」
「そういう話じゃねェ。……お前、よく働くし……まぁ、もうちょっといてもいいんだ。だけど、気になるじゃん」
「…………」
「……別に、出てけとか言ってんじゃないんだ。ただ、さ。こんな、何も……ない、場所、っに……!」
「サキュバスC?」
また――――彼女は、右足を押さえて顔を顰めた。
手が置かれた場所は、素肌の太腿ではなく脚甲の膝上。
そこを、まるで生身にそうするように撫でさする。
「…………サキュバスC。……もしかして……その、脚」
呼びかけても、答えは無い。
だがそれでも、言葉を続ける。
「『中身』、無いんじゃないのか」
262:
有り得そうにない、そんな推論を口にすると。
彼女はぎろりとこちらを睨みつけ、押し黙った。
それでも口から苦悶は漏らして、痛みを誤魔化しつづけるように。
さながらそれは、大型獣の発する威嚇だ。
「傷を隠すんなら、包帯か何か巻けばいい。……足音もおかしい。まるで鐘みたいに、やけに響いてた。
 ……流石に、こんな結論を出すのは自信が無かったよ」
「…………チッ」
「……俺も答えるよ。……といっても、俺は隠してなんかなかった。君はただ、『信じなかった』だけさ」
「『王さま』だってか? 冗談も笑えねぇって言ってんだろ?」
「ここに来たのは、手紙をもらったからだ」
ポケットを探り、彼女と出会った朝のように、再び差し出す。
サキュバスCも右足の痛みが治まったのか、今度は、静かにそれを受け取り、広げた。
「執務室で、その地図を見つけた。……堕女神によれば、この場所へ来るようにと書かれていたらしい。
 ……君なら、読めるんだろ?」
問うと、彼女もその場に足を投げ出すように座った。
黙ったまま、彼女は読み終えた『手紙』をこちらへ返す。
「それで、ここで何か見つけたかよ? 『王さま』」
「信じてくれるのか? ……随分、あっさりと」
「イタズラにしちゃ、手が込み過ぎだ。堕女神、なんて名前まで出して。
 よくよく考えると王都の方から来てやがった。……だけどなんで一人よ」
「色々と、事情があってね。それに一人じゃないさ」
「馬はカウントされねェだろ」
「『淫魔』なら俺の民だ」
263:
そう言ってやると、彼女は足を組み換え、その場にアンバランスに胡坐を組んだ。
「……話、戻すわ。…………確かに正解。アタシの脚は、太ももまでしかない。魔術で無理やりくっつけて動かしてるだけさ」
「…………そうか」
「ンな顔すんな、バカ。言っとくけど別にトゲ踏んでねェぞ。もう千年前になるし、キズでもねーよ」
「千年前? ……もしかして」
サキュバスAに以前聞いた、あの話が再生された。
それを言葉に乗せて訊ねようとした時、一瞬早く、彼女の方から答えが来た。
「千年前、人間界に魔王が侵攻したのさ。……で、血迷った魔界のビッチ連中が乱入して、
 人間と組んだってワケ。アタシもそれさ」
「……酷い戦いだった、と聞いた」
「でもまぁ、勝った。アタシらも無事には済まなかったけどさ。…………考えて見りゃ、最強タッグだったよ」
「何?」
「アタシらは呪文や淫魔術で人間を回復できる。人間は精気で淫魔を回復できる。魔力も使い放題の無限ループさ」
「なるほど、勝てたのはそれか。……規模を聞けば聞くほど、勝てる理由が思いつかなかったんだが」
人間と淫魔は、互いを回復しあえた。
食料や十分な睡眠がなくとも、ただ『そう』するだけで、体力魔力を完全に回復できた。
それ故に人間は数億の魔族や空を埋め尽くすドラゴンにも立ち向かえ、力尽きても淫魔の呪文が蘇生させてくれた。
264:
その逆に、淫魔も人間の精によって回復できる。
自然回復さえ追いつかないほどの膨大な魔力を一晩のうちの数分で補充でき、その人数自体も寡ではない。
無限に魔力を回復する魔族が、千、万の援軍として人間についた。
――――当時の人類には、どれほどの救いだったろうか。
「でも、ま。……体力魔力は回復できてもさ。『なくしちまった』モンは生えない。
 ブッ潰されてミンチにされちまったんだよ、アタシの右脚」
こんこんと『右脚』をノックしながら言う彼女の顔は、どこか辛そうに見える。
反響音が、中身が空洞である事を示していた。
その音色は、からからに晴れた青空へと吸い込まれていき――――
緑の丘に吹き抜けた風とのコントラストが、悲壮を掻き立てた。
「んで、たまたま近くに転がってた鎧からいただいた。ほんの少しいじったけどさ」
「……痛いのか?」
「あん?」
「今も。今も……痛むか?」
「今になって、さ。せいぜい継ぎ目が疼く程度だったのによ。……お前が来てから、妙に痛みやがるよ」
「…………」
「つっても、痛ェのは継ぎ目じゃない。……膝、脛、ふくらはぎ、踵に爪先」
「……『幻肢痛』?」
聞いた事があった。
身体のどこかを欠損させた者は、無い部位の痛痒に、悩まされる事があると。
恐らくそれは、思い出せば――――旅の途中、『戦士』に聞いた。
腕を失った兵士が、指の痛みに泣き叫んだと。
腿から下を失った者が、治療を受けている間、脚に寒さを訴えたと。
265:
してやれる事など、何もない。
ありもしない部分に痛み止めなど施せず、毛布をかけてやっても、その温感を感じる部分はもうない。
「なんだ、知ってたのか? ったくよ、脚はコレで代わりになるけど、どうしようもねェぜ」
「……なぁ、教えてくれ」
「何を」
恐らく、この質問は核心を突く。
その予感とともに、ゆっくりと、解き放つ。
「なぜ。なぜ、君達が……人間を、助けてくれたんだ?」
すると彼女は意外にも、軽い調子で、かといってふざけている調子でもなく、答えてくれた。
「人間を助けたんじゃねェ。『魔族』を裏切っちまったのさ」
「そうまでして……何故なんだ?」
「理由なんてどいつも違うさ。……強いて言えば、アタシ達はみんな、コウモリだからさ」
背の翼が翻り、風を立てる。
翼の皮膜は分厚く、光を吸い込み通さない、暗闇の色。
「人間を好いちゃいるが、結局は魔族。魔族のくせに、他の魔族にゃ知らん顔。……挙句の果ては、同族殺してヒトに肩入れ。
それでもヒトと一緒に生きようとなんてしねェ。……笑っちまうぐらい、コウモリじゃないか?」
266:
丘の下から、鶏の声を交えて、いくつもの小鳥の声が聴こえる。
果樹の林の中から、木螺子を締めるような囀り、水面に小石を放ったような短い韻、長く引いた弦楽にも似た唄声。
「鳥にも、獣にもなれない。だから、アタシらは……蝙蝠なんだ。夜ン中飛び回って、『吸う』事しかできねぇ。……なんてね」
そして彼女は、自らを嘲るように、道化た節回しを締めくくる。
「はいはい、湿っぽくしてゴメンよ、王様。……っつか、マジ? 『王様』が新しく来たのは知ってたけどさ」
「王冠は持ってこなかったから、証明出来るものはないな」
「……まぁ、信じといてやるよ。とりあえず、今日からベッド使いな。アタシは床で寝るからさ」
「いや、君が使えよ。家主で恩人を追い出して、ベッドでなんか寝られるか」
「は? アタシに、王様を納屋に放り込んでグッスリ寝ろってか?」
「…………多分ラチが明かなくなる、これは」
「ああ、アタシもそう思うね」
「なら、話は簡単じゃないか」
「あん?」
彼女は怪訝そうにこちらを向いて、立ち上がりかけて腰を浮かせた。
「ベッドを一緒に使えばいいさ」
「……狭ェよ、バカ! 一人分だ、一人分!」
「俺は家主を追い出せない。君は俺を、『王』を追い出したがらない。お互いの主張が交わる唯一の点だと思ったんだけどさ」
「お前、アホだろ?」
「でも鼻の下は短いさ。少なくとも今は。大丈夫、何もしないよ。君には絶対に、何もしない」
「そいつはそいつでムカつく話なんだが!? テメェ、下脱ぎやがれオラぁ!」
267:
ほんの少しからかってやるだけの軽口が、思わぬほど燃え上がってしまった。
サキュバスCは身を翻らせて飛びかかって来て、避ける間もなく――――押し倒されてしまった。
その拍子に背中に木の根が強く当たり、ほんの一瞬、息が詰まる。
「か、はっ……! お、おい…分かった、分かった! 悪かった!」
「あ!? 『悪かった』ってんなら償ってもらおうじゃねェか? 体でよォ!」
あっという間にシャツのボタンが外され、ほぼ同時にベルトに手をかけられた。
木陰で見る彼女の顔は怒りよりも嗜虐に燃え上がり、久しく見ない、『淫魔』の様相を示していた。
「はははははっ! 泣いてもいいんだぜェ!? さっさとおっ立て――――」
バックルを掴んだ彼女の手が、そこで止まる。
顔を見据えてきた嗜虐の笑みが一瞬固まり、瞳孔が収縮した。
遅れて――――押し倒されたまま、異変に気付く。
「…………聴こえるか? オイ」
「……何も」
そう。
何も――――聴こえない。
時雨のような虫の声も、合わせ唄っていた鳥たちの声も。
風のざわめきすら、葉の擦れ合う音ですら、消えて失せていた。
――――禍々しく重い沈黙は、『あの時』と同じだ。
268:
「……何かが来やがる」
「ここから離れよう。……木が巻き添えになる」
サキュバスCが立ち上がり、同じくして起き上がる。
そのまま、弾かれたように丘を下り、家の裏手にある果樹園を目指して駆ける。
草を踏みしめる音しかしない。
他には一切の音が奪われ、世界そのものが沈黙してしまったように感じた。
走れば肌に当たるはずの風さえ感じなくて、さながら目に見える全てが、息を殺しているようだ。
「っ…まずい。何か、まずい!」
「分かってんだよ、ンな事ァ! さっさと、離れて――――」
果樹園が目の前に迫った頃、木立を裂いて、正面から数本の、あの林道で見た『蔦』が飛来した。
先行していた彼女を目指していたそれは、しかし虚しく空を切り、半ばから切断されて地に落ちた。
「これが、例の『蔦』かよ? あいにく違うぜ。こいつァ……『肉体』だ」
「……らしいな」
斬られた触手は引っ込んでいき、その場には、溶けるように軟化して、蚯蚓のようにのたくる『蔦』、いや……『触手』だけが残された。
269:
「だが、まァ。相手が悪いぜ。……このアタシの家に手ェ出したのが間違いだ、ってな」
彼女は、右手をびゅっと振り払った。
五本の爪は伸びて、刃と化している。
同時に背の翼も猛々しく尖り、断頭台の刃のような威容を湛えていた。
「っ……剣を、納屋に置き忘れた」
「いいよ、そんなの。アタシに任せときゃいい。……王様に戦わせられっかよ」
「…………」
「……本体が来るぜ。さぁ……どんなモンかな?」
果樹園の奥から、不気味な水音が聴こえる。
地獄の窯を這いあがるような不吉に湿った音が、静まり返った『世界』を波立たせる。
恐らくは、それは井戸の底からやってくる。
魔界の一角を沈黙させるに値する、澱んだモノとともに。
柔らかく湿った、しかし重い音が聴こえた。
ずるり、ずるり、とまるで大量の濡れ衣を引き摺るような音が、段々と近づいてくる。
近づく音と気配はだんだんと大きく、増していき――――。
「あれは……ローパーか?」
木立から現れたのは、無数の触手の塊だった。
ぬめぬめと照った体表からは粘液が滴り落ちて、眉を顰めたくなるような異臭を放っている。
大人の背丈ほどしかないサイズは、むしろ人間界で遭遇したものに比べれば小型の部類に入る。
なのに、『勇者』の本能は告げている。
こいつは――――――『何か』がある。
270:
「はっ……チンケなローパーかよ。随分ヤキが回ってんな、王様?」
「……気をつけろ。こいつ……何かが違う。剣を取ってくる。すぐに戻るから」
「はいはい。……そうだな、触手のコシが違うねェ。手入れの秘訣を訊きたいもんだ」
『それ』は、触手を伸ばす事もなく、鈍重ににじり寄ってくる。
彼女は、不敵な笑みとともに両手の爪と背の翼を一打ちし、一息に『それ』に飛びかかる。
同時にローパーの横をすり抜けるようにして、納屋の方向を目指して駆け出す。
ぼとぼとと触手が落ちる音、魔力が炸裂する音、鋭く空を切る音、それらを背に受けながら、振り返らずに走る。
納屋の中、藁山の脇にはナイトメアが怯えたようにうずくまっていて、扉を開けた時に目が合う。
その首を二撫でしてから、藁山の中に隠していた剣を取り――――先ほどのローパーのいた井戸端へ戻る。
――――――道中で、気付く。何の音も――――聴こえてなどこない事に。
――――――最悪の想像を振り払いながら、足を縺れさせて、ひた走り、戻った時には。
――――――ローパーが勝ち誇るように、『右脚』をもぎ取られ、臥して動かない彼女を前に、無数の魔手を蠢かせていた。
熱を持って湧き立つ何かを『心臓』で捉えた時。
何より先に聞こえたのは。
「…………お前」
低く唸るような、自らのものとは思えないような『声』ではなく。
意思よりも先走った轟雷の、『衝撃波』だった。
280:
****
酷く痛む。
千年前、頭だけで仔馬ほどもある戦槌の一撃に潰されたはずの――――今は存在しない、右脚の膝から下が。
皮膚を突き抜け、骨を砕かれ、筋肉を一瞬で叩きのばされ。
激痛に気絶し、覚醒し、気絶し――――それを賽子のように数度繰り返し、どうにか『覚醒』の目が出た時の、あの痛みだ。
拳で潰した虫がそうなっていたように、自分の脚も、あの質量にへばりついていた光景。
筋肉、骨、皮膚が混ざった赤黒い糸を引く戦槌の頭が、今、鮮烈に思い出された。
痛みにうなされ、見開くように目を開けると、見慣れた寝室の天井が映った。
「……起きたか? よかった」
『王様』の声が聴こえて、目だけをそちらへ向ける。
ベッドの脇に椅子を持って来て、覗きこんできている。
体は、まだ起こせない。
右脚はもちろん、全身が軋んでいる。
特に腹部はまだ熱く重く、少し深く息を吸い込むだけで、吐き気を催した。
281:
「は、っ…はぁ…! うぇ……!」
「どこか、痛いのか?」
「っ……痛……ね、ぇ……!」
「よせ、起きるな。……まだ休んでいろ。もう、大丈夫だから」
「っ……ロー……パ……は、どう、な……た?」
「倒した」
「はァ……!?」
「……ベッドに眠る事になったのは、君だったな」
「お前っ……! 本当に、倒した……って!?」
「『木』は無事さ。ただ、葡萄棚が少し壊れた。直しておくよ」
外からは、まるで嵐の中に閉じ込められたようにひっきりなしに雨の音がする。
互いの声が消されてしまい、耳がおかしくなりそうなほど、激しい雨だ。
日が暮れきっていないのに薄暗い部屋の中、その笑顔は灯火にさえ感じるほど、優しい。
「どうやって……倒したん、だよ」
「え? ……何?」
「だから、どうやって! 倒した!? 冗談こいてんじゃねぇよ!」
「…………『雷撃』だ。動かなくなるまで叩き込んでやった。……おかげで、今少し……耳の調子が悪いんだ。
 悪いが大きな声で話してくれ」
手のひらで、彼は水でも追い出すように片耳を叩く。
冗談を言っているようには見えない。
彼は、今……『雷を落とした』と言った。
「は!? 雷……?」
「殺せたかどうかは分からない。……今俺達が生きているのなら、撃退はできたんだろうな」
282:
あのローパーには、何も通じなかった。
斬り付けた爪は阻まれ、斬り込んだ瞬間に再生した肉にへし折られた。
あるだけの魔力を叩き込めば、その寸前で全て散らされた。
呪文で結界を張れば、それを素通りして攻撃してきた。
――――まるで淫魔を狩るために産まれたような、悪夢にも似ている存在。
それを、倒してしまったと言う。
「……腹減っただろ。台所を借りるよ、何か作ってくる」
「おい、待っ……!」
彼が立ち上がったので、慌てて追うように、ベッドから下りようとして――――ガクン、と身体が傾いて、床が近づいてきた。
右脚に、痛覚が残っているがゆえに忘れてしまった。
その右脚は無いという事、繋げていた脚甲も、なくしてしまっていた事を。
「あ、危なっ――――!」
床の木目がすぐ間近まで近づいた頃、胴に温もりを感じて、そこで止まった。
慌てながら差し伸べられた腕が、体を支えてくれている。
「だから……危ないって。ベッドで横になって……おい、聞いているのか?」
「……お、おぅ……」
『彼』から触れられたのは、初めてで、『千年ぶり』、だった。
そのままベッドの上まで引き上げられ、――――手が離された。
283:
奇妙な事がある。
収まりかけて『疼き』にまで下がっていた感覚が、今は何も無い。
右脚に、残った『太もも』までの感覚しかない。
無いはずのそこから先の『痛み』が、きちんと無くなっていた。
「……『右脚』、探したんだが……その……あれ、だ」
指差された先を見ると、窓際のテーブルに、でんと乗っていた。
ぼろぼろにひしゃげて無惨に潰れ、『爪先』が二本無い。
そこにあるのはただの『壊れた脚甲』だった。
「…………あたし、の……脚……」
テーブルの上にある『脚甲』と、先のない『右脚』を見比べると、果てなく重い喪失感に襲われた。
失った、というのではない。
『失っていた』のだという事実が、扉から再び姿を見せたからだ。
「っ……悪ぃーけどさ。一人に、して……くんねーかな」
それだけ絞り出すように言うと、『王』は頷いてから、出て行った。
残されたのは、雨に閉じ込められた、隻脚のサキュバスが独り。
掛け布で覆う事もなく、じっと、閉じ込められていた『事実』の断面を見る。
すっかりと皮膚で塞がっていたが、隠れてはいない。
もう、立つ事さえ自力ではできなかったのだ。
普段なら受け止めていた筈の事実が、今はただ重く圧し掛かる。
やり場のない鬱屈までもが噴き出て、胸の辺りに靄がかかる。
284:
窓の外には、依然として雨が降り続いていた。
少し勢いが落ち着き、滝のような轟音から、さかさかと掃くような、落ち着く音に変わっている。
『義足』の重心に慣れてしまっていた体では、立ち上がる事さえままならない。
尻尾でバランスを取りながらベッドの上で体勢を変えるのが、精々だった。
雨の音に耳を傾け、窓ガラスを流れていくのを見ていると、動転していた気が落ち着いた。
「……雨も、久しぶりか」
不思議と、今日は蒸さない。
いつもなら雨など降ろうものなら蒸してしまって、不快になるだけなのに。
もしかすると――――季節が変わろうとしているから、なのかもしれない。
さながら今は、この雨が時季を書き換えているのだろうか。
申し訳程度に差していた雲越しの陽も、段々と弱くなってきた。
気を失っていたせいで正確な時間は分からないが、これから夜が来るのだろう。
少なくとも明け方で無い事は確かだ。
やがて、先ほど追い出してしまった『王様』が、戻ってきた。
「待たせたな。こんな事をするのは久しぶりで……うまくはないよ、絶対に」
「期待はしてねェ。……それにしても、『王様』にメシ炊きさせちまったんだな」
「気にしないでくれ、これも気分転換になって悪くないんだ。……さ」
スープ用の木の器に、とろみのある白いスープが湯気を立てていた。
時間からすると眠っている間にすでに調理が済んでいて、今は、暖めて持ってきただけだろう。
285:
「……いただきますよ、『王様』」
匙で掬い、ごろごろとした具とともに口へ運ぶ。
彼は謙遜していたが、悪い味ではない。
むしろ、優しく沁み込んでくるような――――穏やかな味わいで、美味しい。
「ガキが、いたんだよ」
「……え?」
「魔王との戦い。アタシ以外は全員決戦に出てさ。一人で、女子供を守る事になっててさ」
行儀悪く匙をパイプのように咥えたまま、語りかける。
「……『魔界騎士』の一匹にやられたのさ。勇敢ぶったガキが、よしゃいいのに出てきやがって
 ――――かばったら、避けきれなかった」
「…………そこまでして」
「でも、いいんだ。アタシはそれでいい。脚一本と命ひとつ、比べりゃ重さは違うに決まってんだ」
クス、と浮かべた笑顔は、今までに浮かべたものとは違う。
この『傷』を見せたからこそ、腹の底から、心からのものを浮かべる事ができた。
「…………で、いつまでここにいる気なんだ? 『おーさま』?」
「何も無ければ、明日にも帰るつもりだった。しかし……君が…………」
「大丈夫だよ、大丈夫。歩けなきゃ飛べばいい。何なら翼を杖代わりにすりゃいいんだ。意外とラクだぜ」
「…………」
「人間に心配されちゃ終いだわ。……さて、ごちそーさま。……ごめん、王様。食器片付けてくれよ」
「勿論。少し、眠るといい。俺はナイトメアの様子を見てくる。怯えてないといいが」
「あっ……あの、さ。王様」
「何だ?」
「ちょっと……手、握ってみてくれよ。その、……試して、みてェんだ」
286:
食べ終わると、再び……妙な疼きが右脚を襲った。
もしかすれば、と右手を差し出して、そんな提案をしてみる。
『王』もそれぐらいなら、と受けてくれて、利き手でしっかりと握ってくれた。
「……やっぱ、だ」
「え?」
疼きが、消えた。
ただ手を握るそれだけの事で、右脚のもどかしい存在感は消えて『無』になる。
「いや、何でもねぇ。確かに、久々に荒事なんかして……疲れたよ。もう寝る」
「そうするといい。後でもう一度、様子を見に来る。何かあれば呼んでくれよ」
「……王様、こき使っていいワケないじゃん」
「ここにいる間は、『王』じゃない。休暇中さ」
そんな、冗談なのかどうなのかさえ分からない言葉で片付けられ、思わず忍び笑いが漏れる。
食器を持って、台所へ戻る後ろ姿に、『王様』の威厳はない。
だからこそ、逆に彼への信頼と、安心感が湧いてきた。
外の雨は、いよいよ小降りになっている。
窓をしめやかに叩く雨粒の音が、眠りに誘ってくれた。
287:
****
「それ、で」
木立の中、訊ねる。
穴が穿たれた木々、地に落ちて潰れた果実、折れた枝、その中心には――――『触手塊』が、今も立っていた。
赤紫色のグロテスクな肉塊からは絶えず新たな触手が生まれ、
古い触手は引っ込み、代謝を繰り返すようにその威を示していた。
「まだ用があるのか?」
あの時サキュバスCに告げた事は、半分がウソだった。
連れて戻ったナイトメアに彼女を載せて離脱させ、この場で戦う事になってしまった。
雷撃を続けざまに食らわせ、その身を爆ぜさせ――――雷撃で引き裂かれた身体が再生しないのを入念に見届け、
彼女を家に運んだ。
なのに、今は――――完全に元の姿に戻ってしまっている。
「…………『女王』を、知っているのか? お前の棲み処はここなのか?」
答えも、身振りも、帰ってはこない。
発声器官も聴覚も、もしかすると備えていないのかもしれない。
288:
「……まだやる気か?」
ぐねぐねと蠢くだけで、殺意も無ければ、どこかへ帰る様子もない。
試しに左手で雷を撃つ素振りを見せても、剣を抜いて見せても、まるで構えない。
『敵意』そのものがなく、身を護ろうとする意思さえない。。
その時、一本の触手が、ゆっくりと差し伸ばされてきた。
「?」
まるで何かを差し出すように述べられた触手に、受け取るように右手を出す。
触手の先端が掌に触れた、その時――――『ローパー』の本体が、風船がしぼむように消えはじめた。
根元から、本体の半ば。
そして頂部にいたるまでが消えていき、最後には、跡形なく消えていた。
残されたのは――――掌の上にある、奇妙な赤紫色の、木苺ほどの『卵』のみ。
「もしかして。俺と、一緒に……来るのか?」
見つめながら問うと、『卵』が掌の上で揺れた。
「なら、なぜ襲ってきたんだ。……ダメだ、考えが全然分からん。そもそも……」
とりあえず、それをポケットに押し込む。
すると、『虫』の鳴き声が帰ってきた。
289:
とうに日の落ちた林の中に、様々な虫たちの声が響き渡った。
轡を鳴らすような声、鈴を揺らすような声、それは、あのローパーが訪れる前とは違っていた。
風は、冷たかった。
雨で冷えて日が落ちたせいもあるかもしれないが、質そのものが違う。
それは、『夏』の風ではない。
「……『さっさと終われ』と思っていても。『終わり』は寂しいな」
もう、『暑く』はならない。
うだるような暑気は去り、突き刺すような日差しも去り、温ま湯をかけるような風も去る。
多少の残暑はあるのだろうが、恐らく頂点は越した。
『夏』が終わり、『秋』が来る。
すっかりと暮れた空の下、少し荒れた果樹園に背を向け、『馬』の待つ納屋へ戻る。
ポケットの中には、あの地図と『卵』。
おかしな事に、その二つは結びついていたものだという実感がある。
鍵もついていない扉を押し開けると、藁の上に――――裸の少女が寝ていた。
「お……っ!?」
「……ん。うるさい」
「何だその姿。夢の中限定じゃなかったのか!」
「いつでもできる。……弱ったり、疲れても……こう、なる」
少女――――ナイトメアの変身態が起き上がると、柔らかそうな白金の髪から藁が舞い落ちた。
290:
「王さま。そろそろ、帰る……か?」
「その予定だが……どうかな。彼女を一人置いていくのが、心配だな」
「コマす?」
「なんでそこだけ流暢」
「いちおう、淫魔、だから」
「あぁ、そう……。今日から寒くなる。その姿なら、家に入れるだろ。一緒に寝るか?」
「いや。寒くない。ここがいい。……藁の匂い。落ち着く」
言うと、ぼふっ、と藁山の上に身を投げ出した。
まるでベッドの上に飛び込む少女のようで、微笑ましくもあった。
――――藁山の沈み具合さえなければ、だが。
姿を人に変えてはいるが、重さは『馬』のままだ。
寝返りを打つだけで、人など圧殺できてしまう。
「……王さま」
「ん?」
藁に顔を押し付けたまま、ナイトメアに呼びかけられた。
「たのしかった。……お城の外、出るの。……すごく、たのし、かった。……ありがと」
「……ああ、俺も楽しかった。ありがとう」
「また、どこか、行くとき……乗って、くれる?」
「もちろん」
「そっか。……役に立てて、うれしい。すごくうれしい」
「……ごめん。怖い目に遭わせてしまったよな」
「だいじょうぶ。わたし、飛べるから」
つい――――聞き漏らしてしまいそうだった言葉は、聞き捨てならないものでもあった。
「は……?」
「……翼、出すのがおそかった。だから、ちょっとだけ……ケガ、した」
291:
藁山の上で足をばたばたさせて、そんな事を口走る。
思わずあんぐりと口が開いてしまい――――すぐに、疑問が飛び出た。
「待てよ、飛べるんならなんで走る」
「だって……王さま、『飛べ』っていわなかった。だから」
「馬に『飛べ』なんて命令するかっ!」
「……常識、よくない。捨てなきゃ」
「『地面に潜れ』って言ったらできるのか」
「できるわけない」
「……泳げる?」
「水の上なら、走れる。がんばる。あと、……光線、ちょっとだけ吐ける」
「『淫魔の常識』は非常識すぎる。……努力するよ」
「がんばって」
「…………うん。頑張る」
「よろしい。……それじゃ、おやすみなさい」
「……ああ、おやすみ」
どうにも釈然としない気分を残して、納屋を出る。
振り返った時には――――もう、『少女』はいない。
藁の上に寝そべる、白金の牝馬がいるだけだった。
312:
****
夜も更けて、居間で毛布に包まりながらポケットの中身を漁る。
窓から差し込むわずかな月明かりで照らすと、それは妙に鮮明に見えた。
「……どう繋がるんだ。…………誰か、コイツの言葉が分かる奴でもいればな」
死斑のような色合いの『卵』はほのかに暖かく、確かな存在感を発していた。
襲いかかってきておきながら、今はもう何も敵意に類するものはない。
余力を残しておきながら、よもや降伏でもなく。
表情も発声器官も無い『ローパー』が何を考えているかなど、分かるはずもなかった。
ナイトメアに見せてみる気にもなれない。
「……おかしな気分だよ、まったく」
ポケットに再び戻しながら、今度は『城』を思い浮かべる。
ここにやって来た時には、まるで、『帰ってきた』ような安堵感まで覚えていたのに。
今この瞬間となっては――――その逆にある。
何となくそんな気分を誤魔化すように、サキュバスCの様子を見に行く事にした。
そう広くもない家で、食卓と台所を兼ねた居間に寝室、物置、といった構成だ。
居間から十歩も歩けば、すぐに辿り着く。
そこには鍵も扉もなく、戸口からすぐにベッドが見えた。
まず、耳をそばだてて戸口から様子を探る。
聴こえるのは寝息と、窓の向こうからの虫の声。
次いで覗き込む。
313:
『右脚』のない彼女は、とても小さく見えた。
戸口に背を向け、毛布に包まって眠る姿は小さくて、今にも折れてしまいそうだった。
窓辺のテーブルに置かれた『脚甲』は青白い月光に煌めき、夜の海のように光っている。
「……オイ。いるんだろ」
「!」
あちらを向いたままの彼女から、声をかけられた。
別に気配を隠してはいなかったので、当然とも言えるが、察知されたようだ。
「……入って来なよ、『王様』」
軋みを上げる床板を踏みしめ、近づき――――ベッド脇の椅子を引き寄せて腰掛ける。
「……違う」
「何が?」
「…………部屋に、じゃねえよ。その……分かんだろ?」
「え……」
「……さみーんだよ。寒くて寝れねぇ。……それに、アンタが言った事じゃん」
数秒だけ逡巡して――――意を決して、靴を脱ぎ捨てて、言われたようにした。
ベッドに片膝を載せた時、彼女の身体がぴくりと震えたように見える。
近づけば近づくほど、更に、ぎゅっと縮こまっていくかのようだった。
手狭なベッドは、二人並んで寝るには窮屈だと思われたが予想したほどではない。
枕は取られているため、彼女の後ろ姿を見つめるように、腕を枕に横たわる。
314:
「アンタ、さ。元の世界に帰りたいな、って思った事ないの?」
「……ああ、思ったな。つい最近。ここ数日でね」
どこかしおらしくなった口調の問いに、正直に答える。
更に返ってきた言葉は、彼女のものとは思えないほど、弱い声色だった。
「……送ってやっても、いいんだよ。人間界にさ」
「それは……遠慮するよ」
「どうして?」
「俺は……帰る場所がある。そしてもう、人間界にはない。……それだけさ」
人間界への望郷は、ここで過ごした日々で満ち足りてしまった。
城に居たときに覚えたそれは、全て溶けていった。
そして、今思うのは。
――――――帰るべき場所の事。
「……あのさ。帰る前にさ……返して、いけよ」
「?」
「…………だ、だから……。アタシ、と……その……さ」
切れ切れの言葉が、繋がり切る前に。
手を伸ばして、毛布越しの彼女の身体を、後ろから抱き寄せた。
横向きに寝ていた彼女を引き倒し、仰向けにすると――――闇に慣れた目は、気恥ずかしそうな表情を捉えた。
噛み締めた下唇には八重歯が食い込み、今にも裂けて、血が流れ出しそうだ。
315:
「……アンタに、触られると……さ」
「俺に……?」
「ん。……脚、何も……感じなくなるんだ。ちゃんと。ちゃんと……無くなってくれるんだ。……痛く、なくなる」
「別に、何もしてないんだけどな」
「…………わかんねェよ。もう……わかんねェ。さっさと……触っ、て……」
サキュバスCが、毛布の中から握り締めていた手を解くと、毛布を下方へ下ろし始めた。
彼女は、許容の意思を見せた。
閉じ込めていた姿を――――見せてくれる、という。
毛布を下ろすと、彼女は左足でそれを追いやり、覆われていた裸身を晒してくれた。
質量を備えた乳房は重力でたわみ、その先端は――――見えなかった。
「アタシの……中に、引っ込んじまってんだ。……変、だよな……こんなの」
「いや」
指先で、乳頭のあるべき場所に触れる。
彼女の言った通り、内側に陥没してしまっているようで――――少し指先の力を強めれば、
内側に、確かにこりこりとしたものがある。
しばし、緊張を解すように乳房の先の色づきを撫で回していると、小さな喘ぎが漏れ聞こえ始めた。
316:
「っ……ん……ふぅ……!」
「……可愛いな。……すごく、可愛い」
「る、せぇ……! こっち、見んな……よぉ……!」
抗議とともに、サキュバスCは真っ赤になった顔を押さえて隠す。
がら空きになった胸を更に愛撫し、落ち込んだ乳頭を外から搾り出そうと引っ掻き、乳輪を摘む。
そのたび、しゃっくりのような声が漏れて、身体が跳ねて――――時おり、高い喘ぎに化けた。
覗かせかけた乳首の先端を爪で穿つように弄ぶと――――。
「んあ、あぁぁんっ……!」
淫悦の叫びが、手狭な寝室を震わせた。
「もうそろそろ、出てきそうだ」
両方の乳房を弄ぶうちに、彼女の内側に窪んだ乳首は硬くなり、下の秘部からはとろりと蜜が流れ落ちた。
そこで、一気に吸い寄せようと――――まず、右の乳房に口を寄せた。
ほんの少し汗の匂いが鼻腔をくすぐり、唇を通して、固ゆでした卵のような弾力が伝わる。
唇に隠した乳輪の中心にある、硬いものを舌で探し当てると――――強く、吸った。
317:
「あっ……か、ふ……ぅぅぅ……! そん、な……強く……!」
更に強く、強く吸うと――――彼女の背が反れて、段々と持ち上がる。
まるで乳房を掴んで持ち上げているようで、淫楽とはまた別の面白さまで覚えるほどだ。
――――やがて、乳輪の内からむくむくと、硬くしこった乳首が起き上がる。
そこで唇を離すと、ちゅぽっ、という音とともに唾液の糸を引きながら、彼女の体がベッドへ落ちて行った。
「……さて、次。もう片方残ってるな」
「えっ……!? ま、待て……よ……オイ……! やめ、やめろやめろ! やば、いって……ひゃぁぁっ!?」
要領を掴んだため、次に――――左の乳房へは、容赦なくかぶりつく。
「かっ……は……! 吸い、す……ぎぃ……!」
同時に、露わになった右の乳首を指先で引っかけながら、ゆっくりと揉み解す。
やや固めの手触りは、痛みを与えないようにするために神経を使う。
最初は表面を滑らせるように。
少しずつ、少しずつ馴らしながら力を加えて、律動を刻むように。
興が乗ってきたころに――――口の中に、ようやく左の突端の感触を捉えた。
318:
「は、ぁ……。くそ……! 赤んぼ、かよ……胸ばっか……!」
「でも、出てきたな。見えるか? こんなに硬くなってる」
きゅむっ、と両方の乳首を摘み上げる。
こりこりと弾力があり、まるでそれ自体が性器のように、尖り、昂っていた。
一しきり、その手触りを楽しみ、普段は毒づく彼女の甘い吐息を愉しむと。
次に、目指したのは――――下肢の付け根。
必然、腿から先を欠いた、彼女の右脚が目に入る。
膝上の十センチほどで欠損して、断面には皮が張っていた。
触れると、断ち切れた神経が奇妙にくすぐられるのか、彼女の喉が震えて、忍び笑いに似た声が漏れた。
「っ……ごめんな。綺麗な体、じゃなくてさ」
「……人間を、俺達の……もしかすると、俺の祖先を守ってくれたかもしれない体だ。綺麗じゃないわけが、ないじゃないか」
「……て、め……! ハズく、ねぇのか……んな、クセェ事言って……!」
「本心さ」
引き寄せられるように――先ほど彼女の乳首を引き出した唇を、右の腿へと寄せる。
貴婦人の手を取ってそうするように、右腿へ口づけする。
続けて、舌を這わせていくと、汗の味と、ほのかな金属の香りがした。
319:
「んっ……ん……! やめろっ……って……! そこ、……敏、か……きゃひっ!?」
腿を持ち上げ、裏側を嘗め上げると、仔犬のような喘ぎを発した。
千年の間閉じ込められていたそこは恐らく、感覚が昂って一種の性感帯になっていた。
ぺろりと嘗め上げ、唇で吸っているだけで、すぐ目の前にある秘所がひくひくと痙攣して蜜が漏れて、シーツに沁みを広げていった。
「……そろそろいいか?」
「えっ……は!? お、おい……! 早い、って……!」
「俺も、限界なんだよ。……その……可愛、すぎて……」
「っ……へ、変な事……言うな、テメ……! 死ね、もう……死ねっ……!」
「なら……君も道連れだ」
「や、っ……ちょ、待て……待って……!」
「?」
圧し掛かると、サキュバスCが両手を突っ張り、肩を押し留めた。
顔はこちらを見つめようとしては逸らし、視線は泳ぎ、落ち着きが無い。
やがて、彼女は――――声を震わせて言った。
「その……さ。千年、ぶり……なんだ。だから、さ……ぁ」
そこで溜めをつくり、開き直ったように、静かに言う。
「……いっぱい、いっぱい出さなきゃ……許さねぇ、からな」
320:
彼女は、ゆっくりと、誘うように、ゆっくりと身体を開いた。
星明りを照り返す夜の海にも似た、楚々とした『銀色』が、『淫魔』の中心を為す部位を囲っていた。
「…………早く、早く……。アンタので、壊しておくれよ。アタシの……痛み、さ」
月明かりに、彼女の潤んだ眼が見えた。
その懇願、否――――『求め』を受け取ると、ゆっくりと、彼女の割れ目に先端を押し付ける。
少し盛り上がった肉の反発は強く、蜜の滑りをともなってなお、それ以上の進入を拒むようだった。
それは恐らく、彼女の鍛えられた肉体のしなやかさと強靭さが、そうさせているのだろう。
「……少し……強く、いくぞ」
返事を待たずに、千年の『壁』へ吶喊するように、あえて、勢いをつけて止まらずに、彼女の『肉』を割り広げていく。
「んっ……あ、あぁぁぁ……! は、入って……!」
締め付けの強さは、『肉』の門だけではなく、その内側に至っても、そうだった。
ごり、ごり、という感触が強い。
湿り気は伴っていても、なお――――ぎこちなくて、荒い。
粘膜との摩擦より、暗闇の道中を削り落として無理やりに侵入しているようで、どちらかといえば凌辱しているような感覚がある。
321:
「……っ、痛く……ないか? 少し止める、か?」
ぎゅうぎゅうに締め付けられながら、およそ三分の二を埋め込んだところで、彼女へ問う。
枕の端を必死で握り締め、左足はこちらの太腿を強く挟み込み、痛みに耐えているようにも見えた。
やがて、少しして……ぎゅっと瞑られていた瞼がゆっくりと開き、こちらを見た。
「……ん。アタシ、なら……大丈夫。いいよ。アンタが、気持ちいいなら……アタシは、それでいいからさ」
サキュバスCがそう言い、僅かに口端を吊り上げて笑ってみせたのを皮切りに、動き始める。
引くにも、押すにも、ぎちぎちに絡みつく肉の襞の抵抗が強い。
こなれてはきても、どこか頑なで――――まるで、彼女の失った『脚』を補っていた、あの無骨な脚甲のようだった。
ゆっくりとした調子の抽挿を繰り返し、馴染ませながら――――身体を倒し、左腕を彼女の腰に差し入れ、浮かせる。
ただそれだけのつもりだったのに彼女の体は軽くて、上半身全体が、浮いた。
そのまま背を下から支えながら、覆いかぶさるように、肉を貪る人狼のように、彼女の乳房へかぶりつく。
前歯を立てて乳首を挟んだ拍子に、彼女の声が、甘い波濤になった。
「や、んっ……!」
322:
舌先を用いて転がし、音を立てて吸い、前歯で甘噛み、歯ぎしりに巻き込むように摩擦する。
その度彼女の背筋が反れ、引き攣り――――連動するように、下部の「繋がり」にも力が込められ、緩んだ時には一段ずつ、頑なな洞穴は柔らかな肉の襞へと変わっていった。
「っ……お、っぱ……い……ばっか……! で、出ねぇ……か、ら……!」
「ぷはっ……。でも……気持ちいいのか?」
「うるせぇ……。もう、……あの、さ。……あぁ、畜生……恥ずかしいな、クソッ」
赤面しながら、しどろもどろに言葉をつづけ――――不意に、ぐいっと頭を引き寄せられる。
すぐに、耳元に口が寄せられ――――
「……あ、アタシを……めちゃくちゃ、に……して…………よ……」
どこかで聞いたような、そんな――――哀願。
それを聞いた時、理性とは反して、腰が動き――――激しいストロークが、意思とはほぼ無関係に開始した。
323:
「あ゛ぁぁぁぁっ! す、凄……! なか、が……ぁ……!」
部屋に響き渡る、肉の破裂音と湿った摩擦音は――――もはや、窓を突き抜けているような気がした。
負けじと跳ね上がるサキュバスCの小さな体には汗の玉がびっしりと浮いて、揺らされる体に流れ、艶やかに光っている。
「い、いい……よぉ……! 突いて、突いてぇっ! もっとぉ……!」
熟して潰れた桃のような、崩壊を招くほどの甘みを帯びた声色は、これまでの彼女とは似ても似つかない。
嬌声は『サキュバス』の――――『夜』を貪る魔族、そのものだ。
「あ、あぅぅぅっ――――! い、イくっ……! イくぅぅっ……!」
絶頂を迎え――――彼女の膣内がぎゅぅっと収縮し、ぴくぴくとモノを甘く締めながら、痙攣する。
まだ一度も精を放っていないのに、彼女はこれで、四度目の絶頂となる。
まるで空白を埋め、再び、『淫魔』としての感覚を取り戻していくように――――激しく、彼女の身体は月に踊る。
「……ち、く……しょぉ……!」
絶頂の波をまた一度越え、ほんの少しだけ、彼女の意識が引き戻された。
「……なぁ。……そろそろ……出して、くれよ。焦らさないでさ……」
「……君が悪い。早すぎる」
「っ……うる、せぇよ……バカ。ほら、早く……」
悪戯心を出して抓るように、秘部がきゅっと締まった。
答えるかわりに、再び開始すると、彼女の生意気な口は、再びなりを潜めてしまう。
324:
もう、きつさ、硬さは無い。
鍛えられた下肢の肉が締め付けを生み出し、引き絞るような快感を『男』に届ける、魔性がある。
『淫魔』の肉の壺は、魔性。
溶け崩れるほどの快感をその内に宿した、魅惑にして禁断の果実。
楽園の果てに待つのは――――堕落。
やがて、サキュバスCの身体が、食虫花のように閉じていく。
左脚、尻尾、両腕で強く締められ、引きこまれ――――動きを奪われた。
「く、ぅ……! 出っ……!アタシの、中……いっぱい、に……して…!」
必死で絶頂を堪える彼女に、『五度目』が近づいた頃。
ようやく――――『精』が放たれ、瞬間、彼女の両目が輝きを放ち、その全てを体の奥から吸収した。
「っ……あ、あぁぁぁ――――――! 出、て……るぅ…………!」
どくどくと放つ精液は、子宮、卵巣……いや、その奥にある心臓にまで吸い取られていくように思えた。
サキュバスCの身体の周りに光の粒子が舞い、それは、呼吸するように少しずつ、彼女の身体へ収束し、浸透していく。
長い射精を終えて『自信』を引き抜くと、精液の糸は引かなかった。
あれほどの射精をしたのに、モノにまとわりついているのは、彼女の『蜜』だけ。
その理由は、考えずとも分かる。
全て。
全て――――彼女は、吸収してしまったからだ。
その直後、改めて――――仰向けのままの彼女に、抱き寄せられた。
325:
「っ……き、す……」
情事の後にも関わらず、彼女の息は、落ち着いていた。
激しく動いた直後、冷たい水をたらふく飲んで身体を落ち着けたかのように。
それでも彼女の声を澱ませたのは、その求めへの『照れ』だろうか。
「……キス、しても……いい、かい? 『勇者』さん」
「……言っていない、ハズだ」
彼女に――――我が前身を名乗って等、いない。
それなのに、彼女は……さらりと、そう言った。
「…………アタシらには分かるさ。いや、知ってるんだ。……『雷を使える人間』は、ひとつの時代に一人、『勇者』だけだって」
「…………」
「それが、アンタだけじゃないって事も、さ。…………ねぇ、いいのかい?」
答える間もなく――――唇を、奪われた。
荒々しく、貪るようなものになると思っていたのに、裏切られる。
彼女の薄くて、しかし弾力に満ちた唇を割って、茉莉にも似た香りの吐息が注がれてくる。
舌への舐りはむしろ遠慮がちで、ぎこちない。
絡ませてきたかと思えば、舌先がこちらの前歯に触れた瞬間に、びくりと引っ込む。
まるで野栗鼠のように――――どこか、臆病だ。
326:
応じるように、今度は、彼女の口内へ舌を差し込み、前歯をなぞる。
歯茎の感触は暖かく、弾力があり――――甘味さえも伴っているように思えた。
その時、いよいよという時に――――胸に手が置かれ、ゆっくりと、押しのけられる。
「……ぷはっ……!」
「もう、いいのか……?」
「……ははっ、冗談だろ? ……このアタシが、満足すっかよ」
「えっ……?」
瞬間――――いつの間にか固さを取り戻していた『自身』に彼女の尾が巻き付き、再び、雌蕊へと誘われた。
引きこむ力に抵抗する訳にもいかず、再び、サキュバスCの中へと潜る。
「っ……乱暴な事するな! もう一度なら、もう一度、って――――!」
「聞こえねぇ、よ……。ほら。……たっぷり……搾り取ってやるからな?」
不敵に笑った彼女の瞳は、妖しく輝き。
――――そうして、この地での最後の夜は、更けていった。
345:
****
翌朝、サキュバスCを起こさないように寝室を出て、居間で着替えて外に出た。
その日は、よく晴れていたが――――昨日までとは、明らかに違う。
明け方の風は大差ない冷たさとはいえ、どこか寂しく、空々しいほどの乾きがある。
草原を照らす朝焼けの日は遠くて、赤い。
扉を出てすぐの柵の上に、見慣れていて、そして久方ぶりに見る『虫』がいた。
四枚の羽と細長くて赤みを帯びた体の蜻蛉。
それが低地を飛び交うようになれば、もう夏は終わる。
来るのは収穫の、黄金郷を地に下ろしたような秋。
草刈り鎌を探して納屋の扉を開けると、起きていたナイトメアが、顔を上げてこちらを見た。
今朝の姿は、『馬』だった。
「『馬』だったり『人』だったり。……不思議なヤツだな。たまには一緒に朝飯にしないか?」
そんな提案をしても、人語の答えも、馬としての嘶きも返ってはこない。
欠伸をして、目を瞬くと、再び寝藁の上に寝そべる。
まるで、人間の言葉を理解できていないフリをしているかのように。
恐らく――――彼女は、線引きをしているのだろう。
『馬』の姿をしている時は、『馬』としてしか世界と関わらない。
『人』の姿をしている時だけ、『人』として……否、『淫魔』として振る舞う。
それが無意識なのか、それとも『心がけ』なのかまでは分からない。
346:
「……少ししたら朝飯を持ってくるよ」
壁にかかった鎌を担うと、納屋を後にする。
そんな呼びかけをしても、耳がくるりと回るだけで、反応は済んだ。
草地にはまだ朝露の湿り気が鮮やかに残り、踏みしめる土の感触は、湿っていた。
静謐な空気はさっぱりとして、濡れた青草の香りが立ち上ってくる。
「……伸びてないな、あまり」
前日の夕方に刈っても、翌朝には元の背丈に戻っていた草が、伸びていない。
微かに伸びてはいるものの、手入れの必要はさほどなかった。
雨の後なのだから伸びていてもおかしくないのに、具合は変わらなかった。
家の周りを回って見ても、手を入れる必要のある箇所は、一つがせいぜい。
せっかく持ってきた草刈り鎌は持て余し気味で、ほんの少し、重かった。
「仕方ない。少しだけ……見て回ろう」
鎌をその場に置いて、昨夜、奇妙なローパーの現れた井戸と、その周辺の果樹を見て回る。
井戸の様子は、変わりない。
滑車も釣瓶も異常はなく、底には相変わらず水が湛えられているが――――
あのローパーが登ってきた光景を思い出すと、ぞっとしないものがあった。
少なくとも、しばらくはこの水を飲む気にはなれない。
347:
ポケットには、まだ……あの、おぞましい色の『卵』の感触がある。
恐らく、中にはあれが自閉している。
昨晩からずっと大人しくしている辺りも不可解だが――――奇妙な事に、危険だとは感じない。
更に歩を進め、触手の一撃で折られた葡萄棚を確かめる。
壊れたのはほんの一角で、これならば小一時間で直せるだろう。
他の果樹には損傷はなく、変わらず、燈、黄、桃、緑、様々な果物が楽園のように実っていた。
爽やかで甘い香りは、朝の空気に溶けていく。
勇者はそれを嗅ぎ取り、肺腑の隅々にまで、吸い込んだ。
果樹の林を抜けると、丘の上にぽつんと、あの木が立っているのを見つける。
それを見つけると、遠目にも――――変化が、起こっていた。
楽園の畔にある家に戻り、寝室をまっすぐ目指す。
サキュバスCはまだ眠っており、普段の態度に見合わない、静かな寝息を刻んでいた。
「……おい、サキュバスC。起きろ。起きろって」
声をかけても、起きそうにない。
ならば、と揺さぶっても、うるさそうに不機嫌な声を立てるばかりで。
ふと、朝日に照らされた『右脚』が見えて――――断面に、指先を這わせる。
348:
「んっ………ぅ…ひゃっ……っ」
千年閉じ込められていた、神経の断片が奇妙にくすぐられるのか――――うわ言のように、どこか甘い声を上げる。
起こそうとしていた当初の目的もどこへ失せたか。
続けて、太腿の裏を優しく揉み解し、もう片手を、断面を優しく掻くように動かす。
「……っ……はぅ……だめ、だめ……だって…そんな、……やめ、て……よぉ……」
更に、――――そうしていると、反応が弱く、声も薄れていった。
「んくっ……、……あぅ…………!」
数秒して、一際大きく震えたかと思うと全身が、ぴくぴくと震えた直後、だらりと弛緩して、
彼女の尻尾が天を刺すように伸びた。
「……オラァっ!!」
直後、見えたのは――――ベッドの上で身を翻らせる残像と、重く風を斬るような蹴り脚だった。
349:
****
「お前な。……『国王』に本気で蹴り入れるヤツがあるか!」
「うるせぇ! 朝からヘンな事しやがって! もうくたばれ、変態!」
踊るような蹴りを避けると、サイドテーブルの上に置いてあった水差しに直撃し――――斬れた。
割れるでも吹き飛ぶでもなく、彼女の蹴りで、刃物でも使ったように『切断』された。
そんなものを寝起きに、顔面目掛けて繰り出してくるあたり、避けはしても、僅かに震えがくる。
彼女は今、勇者に背を向け、ベッドの上で器用に服を着ていた。
「……んで、何だよ変態王様。起こすんならフツーに起こせよ。襲うなっつーのよ」
「誤解だ、誤解。……見せたいものがある。立てるか?」
「あ? ……そーだな。ちょっと、そこの……壊れた『脚』取ってくれるかい」
「構わないが……どうするんだ」
「まぁ……間に合わせにはなる、って事」
言われたように、窓辺のテーブルの上にでんと乗った、壊れた脚甲を運ぶ。
それは、ずっしりと重い真鍮で作られており――――曇りなく、黄金のように輝いていた。
彼女に渡すと、ベッドの上にそれを並べ――――右の腿に宛がい、指先を虚空に遊ばせた。
350:
「――――我となれ、物質。――――我を、補え」
指先から紫の光が糸のように伸びたかと思うと、それは、縫いとめるように右脚と脚甲を繋ぎ始める。
鎧鍛冶の技が独りでに為されるように、膝の辺りで折れていた部分まで、たちまちに繋がり、金属板が曲がってより合わさった。
時間にして、ほんの数秒。
へし折れていた『脚甲』は、再び――『右脚』になった。
鉤爪状の爪先は、三本あったうちの真ん中の一本しか残っていない。
あちこちに歪みも残って、間に合わせで施術したため、凹みや引き攣れがある。
「ちくしょ、爪が数本折れて安定しねェや。あのクソ触手野郎、握り潰しやがって……」
腰掛けたまま、まるで血の通った肉体のように真鍮の右脚を動かし、がしがしと床を踏み鳴らし、舌打ちする。
ややあって、よろよろと立ち上がると――――すぐに勘を取り戻したように、
尻尾でバランスを取りながら歩いて勇者へ近づいてきた。
「……んで、何よ? アタシに見せたいっつーのは?」
「ついてくれば分かる。……ナイトメアにやるためにいくつか野菜を貰ったぞ」
「ああ、構わねーよ。どうせ、腐らしちまうしさ」
351:
どこか危なげなバランスで立つ彼女の右側へ、補うように歩いて、外へ出る。
よろめくたびに咄嗟に手を出そうとするが、転ぶことは無かった。
「……大丈夫か? 痛くないか、脚」
「ああ。もう、何も感じねェよ。……ただ、さ」
「ただ?」
「…………くすぐってェんだよ。あ、アンタと……その……」
「してからか」
「い、言うなバカっ!」
サキュバスCの顔がかっと赤くなったかと思えば――――踏み込んだ『生身』の左足が床板を踏み抜き、足首まで埋まった。
「……それにしても、さっきの蹴りは凄かったな。何なんだ、あの切れ味は」
「褒めても何も出やしねぇよ。避けるアンタもたいがいだろ」
埋まった左足を抜いて、再び歩きだして玄関を出る。
勇者が先ほど起きてそうしたように、道筋をなぞるように、裏手の井戸を経て林を歩き、林を抜けて丘の上を目指す。
そこに生えているのは、楽園に一本きり植えられていた、そんな伝説を持つ実を結ぶ木だ。
続く丘を登る間にも、他愛も無い言葉を交わす。
「ンだよ、王様。伝説の木の下で愛を――――とかそういう迷信?」
「…………何の話だ?」
「いんや、別に」
「……まぁ、それはいいさ。ほら。そろそろ見えるだろ?」
「あ? 何が…………」
顔を上げた彼女は、脚も、体も、動きを止めて、ほんの数メートル先にある木を見上げた。
そびえる大樹の緑に、花が咲くように。
いくつもの――――『赤』がある。
352:
「……出た、のか」
サキュバスCは、よろめきながらも丘を登り切ったところで――――その場に膝を折った。
半ばへたり込むような姿で、彼女は、『楽園』の果実を、『林檎』を見上げていた。
「…………ようやく、かよ……」
「……何で、林檎にこだわるのか。何で、この国には林檎が無いのか。ようやく、思い出したよ」
それは、遥か昔の神話。
神は楽園に一組の男女を置いて、世界を創り出そうとした。
しかし、最初の『女』は――――邪淫に耽り、楽園を追われた。
その後に新たに生まれた『女』は、魔に唆されるがままに楽園の中心に置かれていた、禁断の実を食してしまった。
神はそれに怒り、『男女』を楽園から追った。
奇しくもまるで、姦淫の味を覚えた『最初の女』にそうしたように。
「堕女神から。サキュバスAから。そして、城の書庫でも読んだ。古くさい神話だと最初は思ったが……もう、俺は疑えない」
果実の存在さえ知らずに追われた『最初の女』は魔の眷属と交わり、『淫魔』を生んだ。
生まれた淫魔はさらに交わりを重ねて種を繋ぎ、『国』を作った。
そして今、その国には…………新たな王が就いた。
353:
「……なるほど、魔界に生えていない訳だな。…………種を持ち込んだ者は、過去にもいたんだろう、な」
サキュバスCは、どこか遠くを見つめるような目で、ずっと、ずっと……『果実』を見つめていた。
その時一陣の風が吹いて、木を揺らし、ざわめかせ――『それ』が、導かれるように落ちた。
見守り続けた淫魔の、掌へ…………導かれるように。
「…………ははっ。見ろよ、これ。……あの時のと、同じだよ。…………もう、何百年前だろうな」
――――昨日までは、影も形も無かった。
――――それなのに、今、赤い果実は確かに結ばれ、数百年、護り続けた『淫魔』の手の内にある。
「……何度も。何度もさ。『どうせ、生らないんだ』『もうやめて、町で暮らそう』って思ったよ」
彼女はそれを愛おしむように、胸に抱き寄せた。
赤く熟した皮に映る、遠い『誰か』を覗き込むようにして。
「…………なぁ、王様」
「?」
「アンタ、何かしたのか?」
「何もできないさ。……俺は、人間だ」
空に、もう朝焼けの橙色は無い。
登りきった日は眩しく照らし、雲がまばらにかかり、青空に輝いていた。
丘の上に立っていてもなお、空は高く見える。
354:
「朝飯、しよっか。……今日で帰るんだろ? 『おーさま』」
「……大丈夫、なのか?」
問うても、彼女は答えない。
答える代わりに――――立ち上がり、得意げに鼻を鳴らして、『右脚』をこんこんと叩いた。
「アタシを誰だと思ってんだ? ……いいから帰りな。アンタには、いるべき場所があるんだろ?」
翡翠の草原を望む丘に、隻脚の淫魔が立つ。
「心配なんかいらねぇよ。……もう、しまいにする事にしたし」
「どうするんだ?」
「さぁね。いいからいいから、先に下りてろ。……後で追いつくよ。脚の事なら心配すんな。なんなら飛べるし、さ」
「……ああ、分かった」
丘を下りていくごとに――――『彼女』の家が近くなり、『彼女』が遠くなる。
なのに、なぜなのか……寂しくはない。
遠く聴こえた嘶きは、ナイトメアのものだろうか。
人ならぬ『馬』の声なのに、確かに、伝わってきた。
「…………そうだな。そうしよう」
――――――帰ろう。
――――――『淫魔の国』の城へ、帰ろう。
393:
****
帰り着いた城下町の昼下がりの空気は、少しだけ熱っぽかった。
城門をくぐってから馬を下り、ふたたび石畳を靴底で叩くと、安堵の息が漏れた。
真昼の日の下にも関わらずどこか色街にも似た雰囲気は、既に『故郷』にも感じる。
素肌を放り出して歩く淫魔の往来は、こちらを見てはいなくとも、出迎えてくれているかのようだった。
しばし、手綱を引いて城下を歩く。
勇者の姿を見た淫魔は、例えば商店の呼び込みをしている最中でも、軒先を竹ぼうきで掃いている最中でも、
軽く会釈し、腰を折った。
中には、言葉に出して「おかえりなさいませ」と言ってくれる者もいる。
人間の自分に、サキュバスが、猫又が、ラミアが、ハーピーが、『おかえり』と言ってくれる。
それがどこか奇妙で、おかしくて――――背中が、妙にくすぐったい。
「…………『おかえりなさい』か」
もしも、もしも――――あの青草の繁る最初の故郷へ帰ったら、言ってもらえただろうか。
世界を救う旅を終えた自分を、褒めてくれただろうか。
不思議と、今はもう寂寥と望郷の想いは無い。
もしかすれば、今この瞬間、あるいは『彼女』と過ごした数日と一夜で――――拭われたのかもしれなかった。
394:
「…………陛下? であらせられますよね?」

大路を歩いていると、聞き慣れない声で呼び止められた。
少なくとも今まで聞いた誰の声でもない。
振り返ると――――そこには、人と同じ肌の色をした、人間の歳にして十七、八ほどの淫魔が立っていた。
胸には革装丁の本が抱かれ、色とりどりの栞のリボンがひらひらと舞っていた。
「そうだが、君は……」
相手が勇者の事を、淫魔の国にたった一人の『男』の事を知っているのは当然としても。
勇者は、彼女の事を知らない。
せめて似ている誰かを思い出そうとしても行き着かない。
「あ、申し遅れました。……以前は、母の書店を訪ねられたそうですね」
「え? ……すると、君は……彼女の娘さんか」
「はい。お初にお目にかかります、陛下。書店主娘と申します」
深々と腰を折り、礼をする姿は『母』とは似ない。
どこかぼんやりとした様子もなく、折り目正しく、きりっとした顔立ちをしていた。
強いて言えば髪の巻き具合は少し似ている程度だ。
「ああ、よろしく。あの……確か、『コーヒー』という飲み物は中々おいしかったよ。今度、是非またご馳走してもらいたいな」
握手を求めて右手を差し出すと、彼女も応じかけて、手を一度引っ込め……その後、再びおずおずと握ってくれた。
そして、一度ぎゅっと力が込められると、またすぐに手を離され、引っ込められた。
395:
「と、ところで陛下。堕女神様が先日、お越しくださいましたよ」
「へぇ。堕女神が?」
「はい。人界の詩集と説話集をそれぞれ一冊、お買い求めに」
「……どんな様子だったかな?」
「はい……そうですね。初めて『休日』を賜ったとの事で……あ……、も、申し訳ありません!」
失言をしてしまった、という面持ちで彼女は慌てふためき、深く頭を下げてきた。
そんな彼女に、努めて――――気にしないようにと、言い含める。
「構わないよ、……事実さ。それで、どうだったんだ?」
「え、ええと……過ごし方を模索されていたようでした。お母さんの話では、陛下がお発ちになった翌日に、
酒場でお見かけしたとか」
「そうか」
「その時は確か、お城のサキュバスの方と楽しく過ごされていたようですよ」
「なるほど、ありがとう。……俺は、城へ帰るよ。君はこれから帰るところかい」
「はい。お昼の休憩も終わりましたから」
「そうか、気を付けて。お母上にもよろしく伝えておいて」
「かしこまりました。それでは、陛下。お気をつけてお帰りを」
彼女と別れ、再び、ナイトメアを引いて――――大通りを上がり、城の正門を目指す。
遠くに見える尖塔は、空を衝くように聳えていた。
時計塔の鐘が鳴り響き、街は、再び震え出す。
街角に植えられた樹が風に揺られ、葉を散らす。
去りゆく熱い夏風と、来たる涼しい秋風とに迎えられ、羽織っていたマントがそよぐ。
今――――ようやく、帰ってきた。
396:
****
「おかえりなさいませ、陛下」
既に市井から伝令が走っていたのか、ナイトメアとともに正門をくぐり、玄関の前に立つと、堕女神が出迎えてくれた。
十日近く空けていて久しぶりなのに、彼女の物腰は、平素と変わらない。
僅かに顔を綻ばせたようにも見えたが、それさえも一瞬の事で、見間違いかとも思えた。
「ただいま。……何か、変わった事はあったか?」
「いえ、特にお伝えする程の事は。お疲れでしょう、まずはお休みになられては」
「ああ、そうさせてもらう。……ナイトメア。厩に戻れるか?」
手綱を離して、そう問うと――――『彼女』は馬首を返し、自らの脚で誰に引かれるでもなく、
厩があると思われる方角へと蹄を鳴らして歩いて行った。
その後ろ姿を見送ってから、堕女神へと向き直ると、彼女はどこか驚いていたようだった。
「全く、ちゃんと分かっているくせに返事はしないんだ。掴めないヤツだよ」
「……まさか、あのナイトメアがここまで素直に」
「変なヤツだが……もともと、素直だぞ。さて、とりあえず着替えたいな」
「かしこまりました。それでは、道すがらに近況の報告などさせていただきます」
重厚な扉を開けると、『城』の空気が肺を満たした。
天井も高く、絵画や彫刻、柱の一つ一つにまで細工を施してある壮麗な美観が、今、どこまでも……落ち着く光景だった。
十日近くを過ごした『楽園』に感じた事が、今、この『城』にも感じる。
靴底を包む絨毯の感触も、大理石の床も、途中で通りすがる使用人達の顔ぶれも。
並んで歩く堕女神の横顔、濡れ烏の黒髪、ふわりと香る、甘くほのかな吐息。
つい見とれていると視線に気づいた彼女が、小首を傾げながら、どこか定まっていない目を向けてきた。
397:
「?」
「あ、いや……何も。『休日』は、どうだった?」
「え、……そうですね。最初は落ち着かないものでしたが……過ごし方は、おぼろげに掴めました」
「掴むような事か?」
「……それはそうと。何か、彼の地で異変でもございましたか?」
「それなんだが……」
言って、ポケットを探り――――深くまで手を差し入れる。
「陛下?」
「ああ。実はそこにいた……不思議なサキュバスの世話になって、色々調べ回ったんだ。その結果、……これを手に入れた」
嘘をつかず、しかし伏せる部分を伏せて話す。
正直に話せば、彼女に心配させる事になる。
特に、襲撃を受けて崖から落ち――――などと言おうものなら、どうなる事か。
「……『卵』?」
死斑を生した肌のように不気味な色合いの『卵』を見せると、彼女の形の良い眉が上がった。
「変なローパーが出現してさ。少し攻撃したら、急に攻撃が止んでこんな姿になってしまった」
「聞いた事もありませんね、そのような事。……他に、何かお変わりは?」
「何も。……他には何もない。強いて言えば。…………そうだな、『奇跡』を見たのかも」
「奇跡?」
「話せば長くなる。それよりも、まず着替えるよ」
398:
扉を開けて私室へ入ると、堕女神は、そこからついてはこなかった。
「どうした?」
「……いえ、何でもございません。後で人をやりますので、御召し物はその者へ。私はこれにて、失礼いたします」
「ああ、分かった。……夕食を楽しみにしてるよ。それじゃ」
堕女神が一礼し、扉を閉めて去る。
改めて室内に目をやると、そこは、旅立った朝と変わってはいない。
天蓋付きの寝台に机、ドレッサー、瑞々しく上を向いた花を活けてある花瓶。
その花は、先ほど活けたばかりなのか、それとも――――いない間も、ずっと飾ってあったのか。
ドレッサーから着替えのシャツとズボンを引き出して、袖と脚を通す。
青い匂いの残る服は、洗濯してしまうのが惜しい気までした。
しかし汗まで吸っているため、このままにしておくわけにはいかないだろう。
マントも脱ぎ捨て、剣も置き、――――『誰か』が来るまでの間、しばしベッドに横たわる。
背筋を優しく包み、深く沈み込む感触は、雲の上にいるようだった。
「……帰ってきたんだなぁ」
何気なく口にして、それっきり――――何の音もしない。
耳を澄ませば窓の外から何かの音は聴こえるが、室内には何も無い。
眠気を誘ってしまいそうなほど――――何も、聴こえない。
枕に頭を沈めた時、どこからか、甘い香りがした。
それは直前まで堕女神と歩いていた時、彼女から発されていたものと同じだった。
399:
「失礼いたします、陛下。洗濯物を取りに参りましたわ」
その時、艶めいた猫なで声を響かせながら――――ノックもなしに、サキュバスAが入ってきた。
「ああ。人をやると言ってたが……お前か」
「お久しくございます。今回の物語に入ってはお初の顔合わせですわね」
「だから、いったい何の話だ」
「いえ別に。……それはそうと、お洗濯物はこちらで構いませんの?」
彼女は身をかわすような言葉とともに、椅子にかけてあったマントとシャツ、ズボンをさっさと手に取っていった。
「随分と長くお空けになられましたわね。」
「ああ、すまない」
「私に謝られるようなことでは。……それで、何かございましたか?」
「妙に強いローパーと戦ったぐらいだ。……それと、変わったサキュバスに世話になった。右脚が――――」
「真鍮の?」
「え…………?」
事もなげに、彼女は……続けようとしていた言葉を、先んじて補った。
「何で分かる?」
「いえ、……本当に何となくですわ。私の旧知に、ちょうどそのような者がおりまして。彼女はどうでした?」
「……何かと、荒っぽい奴だったな」
「でしょうね」
サキュバスAは喉を窄め、くくっ、と笑う。
400:
「彼女と会ったという事は……南東の草原地帯へ? あそこには何も無いでしょうに」
「いや。……懐かしい匂いがする場所だったよ。彼女は、一人で農園を作って暮らしていたんだ」
「ほほう」
「そこで、……ずっと、『林檎』の実がなるのを待ち続けていた。ずっとだ」
「……実は結ばれましたか?」
「…………ああ、この眼で見た」
どちらかと言えば実を結んだ樹よりも、彼女の印象の方がどうしても強い。
「……しかしお前、休日をどう過ごしたんだ? 城下に宿を取ったと聞いたが」
何気なく、、そんな質問を挟む。
「ええ、仰る通り。鬼のいぬ間に、とは申しませんが……お蔭様で、羽を伸ばせましたわ」
「誰が鬼だ!」
「ほぅら、怒った。角が見えましてよ?」
「お前……」
つい、諦めたような笑いをこぼしてしまう。
彼女とこんなやり取りをするのも久しぶりで、帰ってきた実感をますます強める。
「BはBで、遊び三昧で。今回も人間界に出かけたそうですが……帰ってきたころには意気消沈」
「え?」
「曰く……『間違えた』とか」
「間違えた? 何を?」
「ああ……具体的に申しますと、潜り込む先を間違え、どうにもアチラの趣味をお持ちのご婦人に捕まったとか」
「おい」
「隙を見て逃げ出すまでの一晩、それはもう……可愛がられたそうで。流石にまだちょっとトラウマだそうです」
「他人事か、お前!」
「他人の不遇は楽しいものでしょう?」
401:
あっけらかんと言ってのけ、彼女は底意地の悪そうな顔をする。
もう、二万年かけたこの性分に、昼の間は勝てそうにない。
「ま、そういう訳でして。皆、一年ぶりの長期休暇を満喫しましてよ。陛下の方は……いえ、いつかの寝物語に聞くといたしましょう」
「ああ、分かった。……少し休んだら、中庭で時間を潰すよ。堕女神を見たらそう伝えておいてくれ」
「はい、分かりましたわ。それでは、…………おかえりなさいませ、陛下」
扉を閉めて去る寸前、彼女は、小さく、それでも確かに、そう呟いたのだった。
――――――時は進み、夜になる。
久方ぶりの『王の晩餐』を終えると、眠気が襲ってきた。
食事の間も堕女神の様子に変わった所はなかった。
料理の味付けも、変わらない。変わらないが故に――――安心できた。
いつもの落ち着き払った態度で、食後の茶を淹れてくれて、傍に侍る。
いつものように、飲み終わるまで話し相手をしてくれて。
いつものように、翌日の予定を聞かせてくれて――――。
明日は、隣国からの使節が来るという。
その中にあの小さな女王はいないというのが、少し残念だった。
何の用か、と考えているうちに、瞼は重くなる。
突っ張った腹の皮に引かれるように、とろんと帳を下ろすように瞼が落ちていく。
落ちる直前、ぼやけて閉じかけた視界に、翠緑の『蛾』が舞った。
窓も扉も閉じてあり、ランプさえ灯していない私室に、あの日と同じ、夜の蝶。
手を伸ばし、届きかけた所で――――瞼とともに、意識も落ちた。
421:
****
戦場の夢を見た。
空は恐ろしく濃い、業火の色を閉じ込めた闇の雲に覆われていた。
蛮声と断末摩、金属音に、炸裂する爆音、墜落音、風鳴りが絶えず飛び交い、鼓膜が麻痺しそうだ。
耳を塞いでも、それさえ嘲笑うように突き抜けていく。
ふと、右手に握られていたものを見る。
「……これは、俺の……剣か?」
白銀の刀身に、竜を象った剣は、紛れもない『勇者の剣』だった。
違いと言えば、先端の作りは刺突に向いた両刃となっている事。
最後に見た時は、根元から先端まで全て片刃だったはずなのに。
「――――気を付けてください! ドラゴンが墜ちます!」
後方から聞こえた叫びに振り返るより先に上を見た。
――――その通り、巨大なドラゴンの亡骸が、一頭、二頭、三頭と立て続けに墜落して、土煙を上げながら周りを囲むように落ちた。
身を竦ませ、土埃にむせ返りながら、それらよりも先に上空を見る。
遠目に見ても数百頭はいるドラゴンが、何かと戦っている。
炎、氷、暗黒のブレスに黄金の熱線、それらの矛先は地上では無い。
さらに目を凝らせば、翼の生えた数十の人影が空を舞っていた。
422:
「……何をしてる! おい、『勇者』!」
呆然と、空を見ていると――前から、声がかけられた。
視線を下ろしてみれば、その声の主は人間ではない。
「ドラゴンなんて珍しくもないだろう! それより……『魔王』が出た!」
背から生えた蝙蝠の翼に、髪をかき分けて生える角、青色の肌。
全身を覆う、およそ戦場に似つかわしくない礼装。
そして何より――――声の主は、『男性』だった。
「あ……? え? 君、は……?」
「――――っ! しっかりしないか! まずい事になっているんだぞ!」
その、麗しい魔族に袖を引かれ――――理解も追いつかないままに、歩き出す。
歩いて行く最中、見えた風景はどれもが空恐ろしいものだ。
山のような巨体の亜人、その脳天に剣を突き立てたまま相討ちで果てた人間の戦士の躯がある。
顎を打ち鳴らす巨虫の口内目掛けて火炎の呪文を撃ち込む魔道士、暴れ回る『魔界騎士』へと一斉に弓を引く兵士達。
竜の死体の陰で負傷者に回復呪文を施しているのは、よく見慣れた『サキュバス』達だった。
423:
「離せ、自分で歩ける!」
ようやく見慣れた姿を認め、我に返り――――ずっと掴まれていた袖を強引に振り払う。
「本当に大丈夫なんだろうな!? ……お前しかいないんだよ。お前しか!」
そうだ。
――――彼の姿は、『サキュバス』とそっくりだ。
「……お前は、『インキュバス』だな?」
「そうだが、今さら何を言ってるんだ? 休む暇など無いぞ」
見た事は無いが、この男の種族こそが、『インキュバス』なのだろう。
さらに見れば礼装の裾は解れ、美形は跳ねた泥で汚れ、翼は返り血に塗れていた。
「……俺を、『勇者』と呼んだか?」
「ああ、そうだ。今さら『違う』などとは言わさんぞ。それより、言っただろう。『魔王』が出現した。『四天王』を二人も失ってお冠と見える」
「……『魔王』か。…………そうか、使命はそれだったな」
握る剣に、力を込める。
進行方向では戦場の音が色濃く響いてくる。
同時に覚えのある、禍々しい気配が――――恐らくまだ離れているのに、足を痺れさせるほどに匂ってきた。
「分かっているなら、いい。行くぞ。俺が道を開く。お前は『魔王』を討て」
行く手に現れた巨躯の『魔界騎士』と数体の正体不明の魔族、更に単眼の巨人が十体以上。
それを前にして、『インキュバス』は歩みを止めず――――むしろ歩調をめ、無造作に走っていく。
追って走ると、『魔界騎士』と接敵した直後、地を蹴って跳ぶのが見えた。
424:
『インキュバス』は、振り下ろされる巨剣へ正面から飛び込み、空中で身体を捻って避ける。
障害物を認めた魚のように無駄なく流れる動きは、舞うようだった。
その後、瞬きを数度挟む間に――――全て、蹴散らしてしまった。
魔界騎士の顔に手刀を打ち込み、兜を突き抜けて頭蓋を砕いた。
ローブを目深に被った魔族の呪文を片手でそれぞれ受け止め、次なる呪文が放たれる前に、
鋭翼が彼らの首を払い飛ばす。
最後、単眼の巨人達に『インキュバス』の手からどす黒い紐が伸び、巻き付いた。
それらが手を離れ、段々と短くなっていき――――巨人に辿り着き、消え去る。
直後に巨人たちは倒れていき、それきり、起き上がることは無い。
まさしく、瞬く間に――――道を阻む脅威は、全て取り除かれてしまった。
「…………何を呆けている?」
礼装の裾を払い、彼はこともなげにそう言った。
「その。……本当に、『俺』が必要か?」
問わずに、いられなかった。
「……『勇者』だ。『魔王』を倒していいのは、『勇者』だけだ。これは宿命だ。
今さら怖気づいたとて、『魔王』からは逃げられない」
「…………」
「それに……『サキュバス』の女王からのお達しでもある。俺達が従う謂れは無いが、……まぁ、『淫魔』の誼だ。さぁ――――」
直後――――炎の津波が、彼の背後から。
進むはずだった方向から押し寄せてきた。
『インキュバス』は振り返りかけたところで飲み込まれ、ほぼ同時に、勇者の身体も同様に。
全身を炎に嘗められ、肺腑が焼けるような息苦しさを感じた直後。
意識が、遠くへ引き抜かれていった。
ちょうど、あの時――――魔王の城へと戻ったように。
425:
****
寝台に跳ね起きた時には、全身がじっとりと嫌な汗にまみれていた。
あまりにもリアルな感覚が、今も残る。
炎の熱は未だ残るようで、暑さではなく『熱さ』が全身をヒリヒリと刺していた。
「…………これは、『悪夢』に入るのか?」
疲労は無く、それ故に、体に残る熱と浸かったような汗は、気味が悪い。
夜を迎えてひんやりとした空気に汗の熱が溶けていき、少しずつ、少しずつ、体の芯から熱が抜けていく。
そのまま数分間息を整えると、気付けば体の底から冷えて、しかし体表には汗のベタつきが残り、寝るに寝られない。
ランプも燭台も灯っていない室内は真っ暗で、開けっ放しのカーテンから、弱い月光が差し込むだけだ。
「……夢? いや……あの感覚……」
掌に今も残る、懐かしい剣の握り心地。
地獄のような戦場の、陰惨に湿った空気。
鱗の一つ一つまで数えられそうな距離に転がるドラゴンの亡骸は、夢とは思えない。
何より、夢だとしても――――あの『インキュバス』など見た事が無い。
夢は所詮夢であり、本来、『知らない』ものなど出てきようがないはずだ。
ふと、眠る直前に見えた――――翠緑の蛾が思い出された。
あの日の執務室に飛び込んできたものと同じ、透き通った羽色。
いなくなったかと思えば、『地図』が虚空から現れ、落葉のように舞い落ちてきた。
――――あれは、一体何だ?
426:
「っ……風呂は、空いているかな」
冷えた体を温め、べたついた汗を流す一石二鳥が思いつく。
常に開放中のため、清掃に費やすほんの一時間足らずを除き、いつでも入れたはずだ。
起き上がり、暗闇の中を手探りで進んで廊下へ続くドアを開けた。
廊下の空気は、寝室以上に冷えていた。
ほんの一週間か二週間前までは汗ばむような暑気に溢れていたのに、今はもう『秋』の空気だ。
月の位置から見て、もう日付をまたいだだろう。
使用人とすれ違う事は一度も無く、冷たい汗でシャツの貼りつく二の腕を擦りながら、大浴場へと向かった。
幸いにも、大浴場は開放中だった。
通例なら深夜から早朝までの間に湯が抜かれて清掃されるため、滑り込みで間に合えたらしい。
思わず足も早まり、いつものようにさっさと衣類を脱ぎ、靴を脱ぎ――――浴場への扉を開く。
湯煙が、冷えた体を心地よく暖め、解してくれた。
馬を飛ばすのも久しぶりだったため、今になって内腿の筋肉が痛む。
濃密な湯煙とともに、いつものバスオイルの香りがする。
薔薇の香りに続き、いくつもの香りが嗅覚を愉しませる。
七色に変わる芳香の中、暖まった大理石の床をぺたぺたと歩き、ようやく待ちかねた浴槽に着いた。
湯の温度を爪先で確かめながら、床面を掘り抜いて作った広々とした浴槽へ浸かる。
一人で過ごすにはあまりにも広くて壮麗な空間が、今は、『落ち着ける我が家の風呂』だ。
これに慣れてしまったのは――――贅沢、だろうか。
427:
「……うぅっ……!」
浴槽内の段差に腰掛け、二の腕まで浸かると、思わず年嵩のような唸りが漏れた。
湯の温度は少し熱いが、それはおそらく体が冷えているせいだろう。
至福の時を味わいながら時を置いていると、ぽかぽかと暖まってきて、さほど熱くは感じなくなった。
「……ん?」
やがて、落ち着いて湯煙にも目が慣れてくると――――対面に、人影が見えた。
対面といっても距離で六、七メートルはある。
薄い薔薇色の水面に、確かにそちらからの波立ちが、認められる。
「誰かいるのか? ……すまないな、邪魔をしてしまった」
声をかけると――――意外にもあっさり、その人影が湯船の中を歩き、こちらへやってきた。
臍から上だけを覗かせ、湯煙を割いて現れた姿は、間違えようも無い。
「陛下……申し訳ございません。お先に、頂いてしまいました」
上気し、ほんのりと赤みを帯びた白い肌。
隠しきれない乳房を抱えるように隠したまま、堕女神が、姿を見せた。
428:
「いや……こんな時間に入る俺がおかしいんだ。気にしなくていい」
そう言うと、彼女はほっと息をついて、勇者のすぐ隣に腰を下ろした。
湯に浸かって火照った彼女の肌は、血の色が透けて見えるようで、美しかった。
入浴の邪魔にならないように結い上げた髪は湿気を含んで幾筋かが垂れており、
それがまた、何とも言えない艶やかな色香を醸している。
豊満な果実のような双丘は水面に浮いて、浮き沈みする舳の色づきに目が引き寄せられ、
その度に彼女は恥ずかしそうにして、沈め直すように隠した。
「堕女神」
「……はい」
「俺が、帰って来てから……よそよそしい、というか。……いや、いつも通りの態度だったな」
そう言うと、彼女は湯の中で足を組み替えて波立たせる。
返答はなく、揺れた瞳が水面を漂った。
「……一度、夕食の後に……一度、お部屋へ伺ったのです。沐浴なさってはいかがか、と。
しかし、その。お疲れが溜まっておいでのようで……眠っておられましたので」
「そうか、ごめん。気を遣わせたな。……でも、起こしてくれてよかったのに」
「……申し訳ございませんでした」
「だから、いい。それより――――俺がいない間、『休日』はどうだった?」
429:
そう訊ねると、彼女は唇を引き締め、俯いた。
体の前で胸を隠していた二の腕は解かれ、湯の中に沈み、反して、二つの果実は浮いた。
「時に追われず過ごす、というのは……確かに、寛げました」
「なら、良かった」
「ですが……休まる事など、できませんでした」
「え…?」
「……陛下が」
浴槽内に置いていた手に、彼女の手が重ねられた。
「せっかく陛下に賜った『休日』を……私は、『早く終わってしまえばいい』と、思って……しまいました。
…………申し訳……あり、ません……」
弱々しく、吐き出すような声。
反して湯の中で重ねられた手はきゅっと握られた。
その行為に全てを汲み取り――――その手を引き寄せると、彼女の身体も従った。
浴槽につかる勇者に、堕女神が対面して覆いかぶさるような姿になり、彼女の顔が胸板へ押し付けられた。
太腿に、かすかな重みと吸い付くような柔い太腿の感触が加わる。
「……もう、私は……貴方がいない事、に……耐えられそうに、ありません……」
「…………」
潤み、哀切の色を濃くした瞳が――――ゆっくりと、迫った。
近づいてくる荒くなった『吐息』の香りは湯煙に負けない程濃く、甘く、情欲に満ちている。
堕女神の背に腕を回し、鳥籠を閉じるように、彼女をその手に抱いた。
そして――――
430:
「ん、ぅっ……」
ちゅぷっ、と湿った音が、唇を通して頭を震わせた。
唇が触れ合ってもなお勢いは止まることは無い。
彼女の唇が、勇者の下唇を挟み込み、口内で舌先が待ちかねたように舐る。
まるで皺のひとつひとつを伸ばすように、上下、上下に往復しながら――薄く、暖かい舌が這い回った。
漏れ出た唾液の一筋に至るまで、彼女の舌は逃してはくれない。
やがて、下唇を心行くまで舐ったと思えば――次は、上唇を同様になぞられる。
吐息を漏らすたび、彼女は鼻をひくつかせ、それを吸い込む。
唾液も、息も、視線も――――全てを、彼女は呼吸する。
貪るようだった舌の動きは、段々と――――満ち足りたか、鈍くなる。
気付けば、勇者の『性』は硬く、引き絞られて起ち上がっていた。
「ひぁっ……!」
偶然に亀頭が、堕女神の後ろの蕾を、掻いた。
その拍子に舌の凌辱が止んで、すぐ目前で高い喘ぎが聴こえる。
「っ……貴方の……大きくなって……ます……」
「もう、する……か?」
そんなデリカシーを欠いた問いに、彼女はどこか嬉しそうな微笑みを浮かべて、答えた。
「いえ……その前に。覚えた事が、ございます。……さ、させて……いただけ、ますか?」
「……? 構わないが……」
「ありがとうございます。……縁へ、腰掛けていただけますでしょうか」
431:
堕女神に言われるがまま、腰を一度浮かせて、一段上の、浴槽の縁へ座る。
自然、彼女の鼻先に陰茎を突きつけるような姿になり、彼女も一瞬たじろぐが、やがてすぐに微笑みに戻る。
「それでは……失礼、いたします」
まるで人魚が近寄るように、彼女は水面を泳ぐように、屹立した『それ』へ顔を寄せる。
そして――――唇を尖らせ、啄む。
ちゅ、ちゅ、と……親愛の情を交わす挨拶のように、根元から亀頭まで、彼女の柔らかい唇が触れる。
かつては『愛の女神』だった彼女の唇が、今――――勇者の、一人の『男』のモノに愛しげに口を寄せる。
それは、退廃を極めた美しさがあった。
やがて、口づけが止むと――――次に、手が添えられた。
かつて彼女に祈りを寄せていた者達がそうしていたように、合掌した手に挟むように、それを握り――――
先端、裏筋から鈴口を、舌先が一嘗めした。
そのままちろちろと先端を嘗められ、焦らすようにしてから、先端が含まれた。
432:
「うぅっ……!」
どこまでも優しくて、細く繊細な手の感触。
不慣れでたどたどしい、唇と舌の愛撫。
陰茎をしゃぶる音と、ちゃぷちゃぷと揺れる湯の、二つの水音が混ざり合う。
「っ……覚え、たっ……って、いったい……!」
「……サキュバス……A、に……。……ん、ぐ……ぅ……!」
答え、再び意を決したように、それを飲み込んでいく。
彼女の口の中は溶かされるように熱くて、うねる蜜の海のようにまとわりつく唾液が、ねっとりと絡みついてきた。
たどたどしく、拙くとも――――それは、まさしく『淫魔』の業だ。
亀頭が喉の窄まりに触れた時、彼女は僅かに前のめりになり、くぐもった声を漏らした。
えづきかけた時、軽く前歯が立てられてしまっても、痛みは無い。
申し訳なさそうにする彼女の上目使いに打ち消されてしまった。
なのに、彼女は口を離し――――
「申し訳ありませんでした。い、痛く……は、ありませんでしたか?」
分かりやすく狼狽えて、謝ってきてしまう。
「いや、大丈夫だ。……やめなくてもよかったのに」
「……それでは、こちらで……奉らせて、いただきます」
433:
そう言うと、彼女は湯船の中に膝を立てて姿勢を高める。
顔の高さが勇者の臍のあたりにまで来たところで身体を前に倒し――――甜瓜の如く実った乳をモノへと押し付け、その谷間に飲み込んでいった。
「くっ……!」
柔らかく、暖かく、よく練った麺麭生地のように吸い付く淫靡な肉感に包まれ、声を堪えられなかった。
すかさず堕女神は手を添え、二つの乳房の間でモノを扱き、揉み込み、亀頭が露出した時には、そこへ口づけを加える。
赤みの差した白い乳房に、すっぽりと飲み込まれてしまい――――もはや、どこにあるのかさえ分からない。
母胎に還ったような安堵と幸福が、下腹から立ち上る。
子へ含ませるためのその乳が、子を生すための肉槍を愛撫する。
それも――――かつて人間達の『愛』を見守っていた筈の、『女神』の御胸が。
「あ、んっ……! いか、が……ですか……? 上手く、できて……います、でしょうか?」
「……良い、よ……」
「ふふっ……。……すごく、硬くて……お……お、っぱい……が……潰されて、しまいそう……です」
乳房を使った奉仕の最中、彼女は戸惑いながら、わざと淫らな言葉で表現してみせる。
言ってしまった、という恥じらいの表情もまた『愛撫』のひとつのようで、……昂り、更にモノに力が伝わり、
硬直するのが分かった。
「いつでも……出して、ください。……貴方の、……早く……欲しいです、から」
434:
れろんっ、と鈴口を嘗め上げられ、背が思わず逸れた。
既に先走りが迸り、双丘の中に飲み込まれ、湯と、汗と混ざって滑りとなっている。
もはやいつ放ってしまってもおかしくなく、精道が詰まったようで、時が経つごとに感覚が尖ってしまう。
包み込まれているだけでも弾けてしまいそうなのに、駄目押すように不規則に彼女の唇が色を差す。
「……い、っ……!」
最後まで告げる事もできず――――睾丸から精道へ、激流がこみ上げた。
そのまま押し出すように放たれる直前、亀頭がぴったりと包まれた。
強烈な解放感と眩暈のするような快感に上がっていく顎を抑えて見れば、堕女神がすっぽりと咥え込んでいた。
直後、瞬ける間もないままに――――ようやく、吐き出される。
「んむっ…ぐ、ぅっ――――――!」
炸裂する霰弾のように放たれる白濁を、彼女は受け止める。こぼれた乳白色の精液は白い胸を濁らせるように染め、
薄薔薇の水面に浮いて漂う。
口の中に吐き出した分は、ごくごくと飲み込まれて――その度に窄まった頬肉が亀頭を擦り上げ、
粘膜の触感が敏感な部分に刺激を与えてくる。
――――――やがて射精の波がおさまると、少し間を置いてから、彼女もようやく口を離す。
「ふふっ……。ご満足……いただけました、か?」
全てを飲み下し、亀頭にこびり付いた精液を嘗め取ってから、堕女神は魅了するように微笑み、見上げてくる。
口の端についた白濁を指先で掬い、つまみ食いをするように嘗め取る様子は、
健気で――――どこまでも、愛しかった。
435:
「……すごく、良かった。気持ちよかったよ」
そう言うと、彼女は視線を揺らし、伸び上がり――――唇を求めようとし、やがて、止まる。
「も、申し訳……ありません。口を……漱いで参りま……えっ!?」
断りを入れ、離れようとした彼女のうなじに手を添え、引き寄せて強引に唇を奪う。
最初は、嫌悪感を与える事を恐れて抵抗していた彼女も観念したように身を任せてくる。
口内には、微かに栗花のような香りが残る。
だがそれ以上に、暖まった肺から立ち上る、堕女神の吐息の香りの方が強い。
時にして数分そうしていると、唇と胸、脳髄の熱さに反して、必然、身体は湯冷えする。
どちらからともなく、もつれ合うように湯船に身を沈めた。
436:
****
「あっ……! い、嫌…………乳、房……ばかり……苛め、ないで……ください……」
冷えた体を温めながら、堕ちた女神を湯に溶かすように求める。
背面を向かせて膝の上に座らせれば、彼女の白いうなじと背中がすぐ前に覗ける。
湯の色と、火照った赤みが花を添え――――さながら、薔薇の蜜に浮かぶ雪山にも似ている。
背を向かせたまま、両手は彼女の双果を絶えず愛撫する。
みっちりと張り詰め、柔らかさの中に確かな弾力もあり、押し出した物言いをしない彼女に代わり、
存在を主張しているようでもある。
人差し指と中指の股に乳首を挟み込み、『水かき』の部分で、時おり擦る。
「ふぁっ……!」
乳首に触れずとも、乳輪の色づきをくにくにと揉み上げるだけで、彼女の喉が震える。
後ろから白くて手入れの行き届いたうなじに、啄むようにキスをすると――――続いて、身体までもびくびくと反応する。
腕の中に抱いた堕女神の肉体は、折れそうなほどか弱く、暖かく。
そして――――並はずれて、感度が良い。
めちゃくちゃにしてやりたい衝動と愛でてやりたい衝動が圧し合い、その二つの間をいつも揺蕩う。
恐らく、『有り得たかもしれない自分』は、前者の衝動を抑えられなかった。
抑えられなかったから――――『暴君』になった。
437:
衝動は、『そんな自分』を追体験した今でも、消えてはくれない。
だが、身を任せたことは無い。
そうさせないのは――――新しい『七日目』の翌朝、彼女の、花の咲くような笑顔を見たからだ。
「貴方の……硬く、なって……ます……」
自然と血の廻った陰茎が、再び勢いを取り戻し――――湯の中で、彼女の秘所の裂け目をなぞった。
その事に気付いた堕女神が、もじもじと身をくねらせ、秘部をひくつかせ、自ら押し付けてくる。
「……お迎え、しても……よろしい、でしょうか…………?」
おずおずと問う彼女へは、答えない。
その問いかけに秘めた「欲求」を、分かっているから。
答えずに――――再び硬くなった先端を、秘部へ押し当てる。
それを受けると、静かに、ゆっくり、腰を落として呑み込んでいった。
「んふぁっ……! は、入って……きま、す…………!」
湯ごと押し込むように、柔らかくぬめった感触がモノを包んだ。
きゅっと締め付けるような感覚に続き、ゆっくりと堕ちた女神の肉を遡り、じわじわと、神聖な部位へと近づく。
締め付ける部位が段々と先端から根元へ近づき、熱さが肉茎を押し包む。
「……あ、あぁぁ……! 貴方の、が……奥、まで……ぇ……っ!」
根元まで呑み込むと、堕女神は荒く、肩で息をつく。
焼け付くような粘膜が、モノへと張り付く。
生娘のような締め付けは、湯の中で勇者を支配した。
そのまま、彼女は――――自ら腰を振り、上下に肉茎を摩擦し、きゅっ、きゅっ、と締め付ける。
438:
のぼせ上がるほどの熱さで、目の前がクラクラする。
もたれかかるように彼女の背へ顔を押し付け、ぎゅっ、と両手を握り締めてしまう。
「い、たっ……!」
「ご……ごめん。つい、力が……」
初めての『悲鳴』が大浴場に小さく響いた時、はっと我に返り、謝罪する。
爪が食い込む感覚が、僅かに残っていた。
なのに――――堕女神はほんの少しだけ顔をこちらに向け、にっこりと笑ってくれる。
「いえ、良いのです。……私は……」
ほんの少しだけ笑顔が曇り、そして日が差し――――暁のように赤らめながら、ようやく続ける。
「私は……あ、貴方……の…………っ!?」
その先の言葉を先回りし、唇で封じる。
引き寄せ、肩に彼女の小さな頭蓋の重みを確かめながら――――
深く、深くまで彼女の唇を、つるりとした前歯を、舌を、頬の粘膜を、歯茎を味わう。
もごもごと唇を蠢かせる彼女に、形振り構わず、舌を操って口腔を凌辱する。
暖かくて弾力ある唇が、性感で高まった唇に、淫靡な快感をもたらしてくれる。
触覚と味覚、二つがもつれて絡まり合い、無限に続く螺旋を描くようだった。
そうしている内に、彼女の奥まで昇らせていた『男性』が、きゅん、きゅんと甘締められる。
リズムは段々と早く詰まっていき、やがて早鐘を打つような律動を刻み、繋がると――――
ぴくぴくと媚肉が蠢き、堕ちた女神は、高みへ達する。
439:
「んーっ……! ふ、んんっ……! んぁぅぅっ――――!」
舐られたままの唇の中に、彼女の淫声がこだまし、そのまま、勇者の頭へ反響する。
脳髄に直接響くような絶頂の喘ぎは、奥底へと浸透し――――
「ぅんっ……、はっ……! は、激し……っ!」
下から突き上げる腰の動きを、早めた。
達し、昂った肉体を更に遠くへ連れて行くように――――口辱と乳辱の両方も、更に激しさを増す。
耳朶を甘噛み、小さな耳穴へ舌をねじ込み、殊更に音を立てて舐り回す。
その度に離れていきそうになる身体を、離すまいと、淫肉の双球をこね回す手に力を込め、引き留めた。
既に乳房の先端は硬く充血し、揺れる水面が触れるだけでも、彼女の背が跳ね上がるほどだ。
指の股で挟み、揉み込むと――――それだけで、小刻みな絶頂を迎えるらしい。
「う、くっ――――! も、もう……いい、か……?」
愛蜜か、先走りか、それとも湯なのか。
それさえ分からないほどに、酷く淫らな温度の中――――射精が近づく。
「あ、貴方の……! 出……出し、て……ください……っ! 全、部……受け止め、ます……からぁ……!」
湯と、唾液と、涙に塗れた懇願から、少しして。
彼女の奥へ――――『再会』を、放った。
440:
****
一週間も経つと、全てが元通りになった。
再会の晩を越え、朝になると――――堕女神は、堅物に戻ってしまった。
サキュバスAは会うたび、話すたびに笑いながら煙に巻くし、サキュバスBは運んでいる最中に大皿を数枚落として割った。
もう、あの汗ばむ日々は返ってこない。
執務室に籠もっても、寝ていても、歩いていても、中庭でひとときを過ごしていても、もう、日差しに鋭さはない。
むしろ、シャツ一枚で過ごすと、どこか肌寒い日もある。
共に夜を過ごす『淫魔』の身体を抱き締めると、その肌の暖かさが、丁度良いほどだった。
そんな日に、中庭で午後の執務の前の休憩を取っていると……堕女神が訪れて報告をくれた。
あるサキュバスからの献上品が届いているという。
どことなく複雑そうな表情を浮かべる彼女に、興味を引かれてついていく。
通されたのは、玉座の間でも執務室でもなく、玄関先――――だった。
謎に感じても、到着すれば、すぐにその謎は解けた。
441:
「……これ、は」
馬蹄階段を下りた所、荷車に乗せられていたのは、山積みの『赤』だった。
「先ほど届いたものです。なんでも、城下へ新たに移り住んだサキュバスが陛下へ、と。
 見れば誰からかは分かる筈だ、と申していたそうですが……」
「…………ああ」
どう使えばいいかも分からない程、大量の『善悪の果実』へ近づく。
階段を下りれば、甘酸っぱい香りが漂ってくる。
あの日、あの木の下で薫ったものと、まったく同じだった。
赤に混じって、まだ未熟な黄色みがかったものもちらほらとある。
それは、紅葉を迎えた秋の野山がすぐ目の前にあるようだ。
「すぐに追いつく、とは言っていたな。だけど…………これは、多くないか」
一つだけ、その山から取って、シャツの袖で皮を拭って、かぶり付いてみる。
しゃっきりとした食感、口の中に跳ね飛んでくる甘酸っぱいしぶきは、人間界で食べたものよりも、染み入るように美味だった。
実った理由は、考えても分からない。
もしかすると、それは――――はるか高く、果てしない何かが、『許した』のかもしれない。
442:
「……まったく。顔ぐらい見せろよ」
「あの、陛下?」
「…………後で、詳しく説明するよ。ひとまず貯蔵庫へ入れておいてくれ。みんなに振る舞ってもいい」
「はい、かしこまりました。……これを使って、人間界の文献に載っていた焼き菓子を作ってみてもよろしいでしょうか?」
「ああ。楽しみだな」
林檎を齧りながら、ゆっくりと、執務室へと戻る。
あの手入れされた芝とも違う草地の感覚が余韻として戻ってきて、爪先を少し物足りなくさせた。
空の近づく季節は去り、空が遠のく季節が、これから来る。
淫魔の国の真夏の日は去り、収穫の秋がやって来る。
こうして――――また、一年。
あの暑さは、おあずけになった。

443:
乙!!!
446:
乙!!!!
450:
いつも乙!
毎回引き込まれてしまうわ
452:
乙!
面白かったです
次作お願いします
454:
説明されてない箇所やら伏線回収されて無いところを見ると、次はデカイの書いてくれそうだな。とりあえず乙
455:
おいおい、その夢って…
何か壮大な話になってきそうだなぁ。
今回も面白かった、乙!
458:
乙!!
堕女神超家庭的だな、勇者が羨ましいぜ!
45

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