【バンドリ!SS】コンビニエンス・ファストフードback

【バンドリ!SS】コンビニエンス・ファストフード


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 ありさーやの場合
 控えめな雨音が窓から忍び込んでくる自分の部屋。ベッドを背もたれにして、畳の上に腰を下ろす私と、同じように畳の上に座って僅かに身体を預けてくる右隣の沙綾。
 特に何をするでもなく、私たちはぼんやりとしていた。
 沙綾が身じろぎをすると、柔らかいポニーテールがふわりと揺れて、時たま私の首筋をくすぐった。それがちょっと気持ちいいな、と思うくらいで、特筆することは他に何もない。
「有咲」
「んー?」
「……呼んでみただけ」
「んー……」
 たまに交わす言葉もそんなことばかり。中身なんてものはこれっぽっちも存在していない。
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527: 以下、
 チラリと時計を見やると、短針が『4』の数字を指していた。気が付けば一時間近く私と沙綾はこんな時間を過ごしていたらしい。これを無駄に時間を消費したと捉えるべきか、贅沢に時間を消費したと捉えるべきか。
「あー……」
 なんて、考えるまでもないか。
「どうしたの、有咲?」
「いや、なんでもー」
 だるんだるんと過ぎていく時間に釣られて緩んだ口から、自分でも間抜けだなぁと思わざるを得ない伸びた声が漏れる。それを聞いて、沙綾は「そっか」と言い、おかしそうにちょっと笑った。私も何だか幸せになったから「へへ」なんて笑った。
528: 以下、
 蔵ではなく、自分の部屋の方に沙綾を招き入れるのは今に始まったことじゃなかった。
 いつそうなったのか、どうやってそうなったのか……なんてのは別のお話だけど、私と沙綾は、友達と呼ぶにはいささか踏み込み過ぎた関係になっていた。だからこうして自分の部屋に沙綾とふたりきりでいるのは何もおかしくないことで、むしろ当たり前というか、そうあるべきというか……まぁそんな感じのこと。
(それにしても……)
 自身の中に浮かんだ言葉。『友達と呼ぶにはいささか踏み込み過ぎた関係』なんていう響き。それがなんだかものすごく滑稽に聞こえた。まぁでも、うん、そう、そうだよな、こういう表現でも間違ってはいないよな……と誰にするでもない言い訳を頭に浮かべる。
 私たちの関係を端的に表現する言葉はいくらでも思い付く。沙綾はそれを面と向かってまっすぐに言ってくれるけれど、私は未だに照れがある。ただそれだけの話だ。
 そしてそんな私を沙綾はいつも楽しそうにからかってくるし、私も私で沙綾にからかわれるのは……ここだけの話、大好きだから、それはそれでいいんだろうと思う。
529: 以下、
「んー……ふわぁ」
 沙綾が伸びをして眠たげな声を上げた。その拍子にふわっと甘いパンの香りが広がる。それが鼻腔をついて、私は頭にもたげた言葉を何の考えもなしに取り出す。
「やっぱり沙綾ってパンの匂いがするよなぁ……」
「んー、そうだねー」
 何でもないように間延びした声が返ってくる。それに対してちょっとモヤッとした日の記憶が頭に蘇り、私の口からは「あー」とも「うー」ともつかない妙ちくりんな声が漏れた。
「どうしたの、変な声だして?」
「いや……」
 きょとんとした顔がこちらへ向けられる。それになんて返したものかと迷ってしまい、視線を天井、畳、時計と順に巡らす。それからチラリと沙綾に視線を送ると、綺麗な青い瞳が不思議そうに私を覗き込んでいた。
 その目で見つめられてしまうと隠し事が何も出来ないから是非ともやめて欲しいけどやめて欲しくない、なんてことを言ったら沙綾はなんて思うかなー……と少し現実逃避じみたことを考えてから、私は観念したように正直な言葉を吐き出す。
530: 以下、
「ほら、モカちゃん……」
「モカ?」
「うん。モカちゃんともたまに遊んだりとかするんだけどさ……その、同じ匂いっていうか……まぁ、パンの匂いがしてさ……」
「……ああ」
 沙綾は合点がいったように頷いて、けれどその顔に私の大好きなイタズラな笑みを浮かべて、しらばっくれた言葉を続ける。
「そりゃあ、モカはウチの常連さんだからね」
「…………」
 私は私でそんな沙綾に恨めしく抗議の目を向ける。『私の言いたいことが分かってるくせに、どうしてそんな風な言葉をいつも投げてくるのか』とか、そんな気持ちを込めて。
「どうしたの、有咲?」
 だけどやっぱり沙綾は白々しい笑顔を浮かべて、楽しそうにそんなことを聞いてくるのだから本当にアレだと思う。そして何より、こうすると沙綾が喜ぶということも、こうされると私が喜ぶということもしっかり理解している自分自身が本当にアレだと思う。
531: 以下、
「分かってるくせに……」
 だから私はいじけた声を出して、沙綾の肩にコテンと頭を預ける。
 こういう時は張り合わず、さっさと甘えてしまうのが結果的に一番疲れないしモヤモヤしないということを、最近私は発見した。沙綾にはどうやっても敵わないなぁということも学習した。いや、だからと言って全面降伏はちょっと悔しいから少しは抵抗するんだけど。それにさっさと甘えるのも別に私が常に沙綾に甘えたいと思ってるとかそういうんじゃなくて――
「ふふ、ごめんね? どうしてもさ、有咲が可愛くて……ついからかいたくなっちゃうんだ」
「……ん」
 ――とか考えるけど、沙綾の柔らかな手が私の髪を梳くと、そんな些細なことはいつもどうでもよくなってしまう。
532: 以下、
 甘い甘いパンの匂い。あったかい体温。私よりも背丈のある沙綾に身を預けて、イジワルなくせにめちゃくちゃ優しい掌が、私の頭を撫でる。
 ああ、無理無理。無理だって。肩肘張ろうとしても、身体の奥底から力がどんどん抜けていっちゃうもん。こんなの素直になるしかねーじゃん。
「いつもの有咲も好きだけど、素直な有咲もとっても可愛くて好きだよ」
「……うん」
 されるがままに、私は沙綾に身を任せる。柔らかい手が私の頭を、髪を、背中を通り過ぎるたびに、一枚ずつ理性の鎧をはぎ取っていく。気持ちのいい、陽だまりのような温みが心を溶かして、ただ純粋な願いを口から出していってしまう。
「さあや……」
 我ながら随分と甘えた声だなぁ、と残り僅かな理性が考えた。
「ん……いいよ」
 その理性も、沙綾を見つめて、それだけで私のことを全部分かってくれる青い瞳が頷くだけで、さっさとどこかへ行ってしまうのだ。
533: 以下、
 こうなってしまっては仕方ない。今日はもう沙綾に抵抗しようという気力が起きないであろうことは、これまでの経験から痛いほど分かっている。
 だから私は瞼を閉じた。『私の理性は何も見ていないよ』と、『沙綾になら何をされてもいいよ』と、『でも、するならやっぱりとびっきり優しくしてほしいな』と、愛しい恋人へ向けて、情けなくなるくらいに白旗を振り回す。
 暗い視界にシトシトと雨の滴る音。それから私の髪を弄んでいた手がスルリと左頬にまで動いていって、甘い甘いパンの香りがふわりと揺れた。
 その一瞬後に、唇に柔い感触。目と鼻先以上に近い、沙綾の艶やかな息遣い。
 それは私の脳まで一直線に快楽信号を届けていって、すぐに沙綾のことだけしか考えられなくなる。口に感じる沙綾の感触とか、耳に感じる沙綾の息遣いとか、鼻に感じる沙綾の匂いとか……それら全部が、みっともなく白旗を上げた私を支配する。唯一目は閉じているけれど、暗い瞼の裏にだって沙綾が私に口づけている姿が浮かぶから、きっと五感全部を沙綾に奪われているんだ。そう思うと、もう堪らなくなってしまう。
534: 以下、
「さあやぁ……」
「ふふ……蕩けた有咲も可愛い」
 だから沙綾が唇を離す僅かな時間すら、長いお預けを食らっているような気持ちになる。
 私は目を瞑ったまま右手を伸ばす。それはすぐに沙綾の左手に絡めとられて、『今さら嫌だって言っても逃がさないよ?』と、ギュッと握られた。私も『逃げる気は毛頭ないから、早くしてほしい』と、その手を握り返した。
 それからまたすぐに、柔らかい唇の感触が私を支配せしめんと侵攻してきた。今度の攻め方は、一気呵成に本丸を落とさんとする一大攻勢のようだ。
 それを為すすべもなく受け入れるふやけた私の心は、『ああ、やっぱり素直に甘えさせてくれる沙綾が大好きだなぁ』なんてことをただ思い続けるのだった。
535: 以下、
 蘭モカの場合
 羽丘女子学園の屋上から見る夕景もとうに見慣れたもので、その光景について回る思い出も気付けば数え切れないくらいの量になっていた。フェンスにもたれて眺める夕陽も、みんなで他愛のないことを話す黄昏も、数ある思い出の一ページ。
 それなら今この瞬間、塔屋に背を預けて座り、落陽をぼんやり眺めるのも、いつも通りの日常のひとかけら。なんでもなくて、ありふれていて、数年を経た未来にとってはきっとかけがえのない思い出のひとつになるんだろう。
「……蘭?、もしかして話、聞いてない?」
 そんな物思いに耽るあたしの右耳に、聞き慣れた間延びしている声。そちらへ視線を送れば、あたしと同じように塔屋の壁を背もたれにして座り、パンについての蘊蓄を好き勝手に話し続けていたモカが唇を尖らせていた。
「イースト菌がどうだとか、ってところまでは聞いてたよ」
 あたしはそれに応える。「も?、全然最初の方じゃんそれ?」と不服そうに言って、モカはまたパンに関しての雑学を話し始めた。
536: 以下、
 それもやっぱり右から左に聞き流しながら、みんなは今ごろ忙しいのかな、と考える。
 今は放課後で、巴とひまりはそれぞれ部活。つぐみは生徒会。そしてあたしたちは何も予定がなかった。
 今日は天気がいいし春の温さが心地よかったから、あたしとモカがこうやって屋上で夕景を眺めるのは何もおかしなことじゃない。
 そう、おかしなことじゃないんだけど、どうしてか今日はモカのパンについての蘊蓄話――あたしは勝手にパン口上って呼ぶことにしてるけど――がやたらと長い。
「……というわけで、今日のパンさんはー、メロンパンとグリッシーニ?」
 まぁ、モカだしそういう日もあるか……そう思ってまた夕間暮れに思い耽っていると、長々としたパン口上の末に、膝の上に抱いた袋を指さすモカ。それを横目に見て、やっと終わったか、なんて思いながらあたしは言葉を返す。
「グリッシーニ?」
「そう、グリッシーニ?」
 メロンパンは分かるけど、グリッシーニってどんなだろう。そう首を傾げていると、モカが袋から細長い棒状のパン……のようなものを取り出した。
「それ、パンなの? なんかスティックのお菓子を大きくしたようにしか見えないけど」
「あーあー、この違いが分からないなんて……蘭もまだまだだね?」
「はぁ……それは悪かったね」
 呆れたようため息交じりの声を返す。けど、何が違うのかが少しだけ気になったから、あとでちょっと調べてみよう。調子に乗るだろうからモカには絶対に言わないけど。
537: 以下、
「それじゃあ蘭ー、はい」
 モカはグリッシーニを袋の中に戻して、今度はメロンパンを取り出す。そして一口サイズにちぎって、それをあたしに手渡してきた。
「……なに? 食べさせろってこと?」
 一緒に食べよう、という意味かと普通は思うけど、相手はモカだ。そんな当たり前が通用する訳ない。
「ご明察?」モカはそれを聞いて嬉しそうに笑った。やっぱりか。「さぁさぁ蘭さんや、あ?ん」
 私の答えなんか待たずに口を開ける。まるで親鳥からのエサを待つひな鳥だな、なんて思いながら、あたしはまたため息を吐き出した。
538: 以下、
「……あーん」
 それから逡巡を一瞬、だけど逆らったところで面倒な駄々をこねられるだけだというのは分かっていた。それにひな鳥みたいなモカが少し可愛かったから、文句も本音も口から漏らさずに、あたしはパンを差し出した。
 モカはやっぱり嬉しそうに眼を細めて、眼前に突き出されたメロンパンを頬張る。そして幸せそうにもぐもぐと咀嚼する。そんな幼馴染の姿を見て、あたしはフッと笑みを漏らした。
「おかえしだよ?。はい、蘭」
 それを飲み下すと、またメロンパンを一口サイズにちぎったモカが、その欠片をあたしに向けて差し出してくる。少しだけ照れくさかったけれど、それはそれでまぁ悪くはないかな、という気持ちだった。
 あたしは「はいはい」とぶっきらぼうに言って、口を開く。そこにモカがメロンパンを放り込む。胸焼けするんじゃないかってくらいに甘ったるい味がしたけど……まぁ、たまにはいいか。
539: 以下、
 モカがメロンパンをちぎって渡してきて、それをあたしがモカに差し出す。次は「はい、あーん」という言葉と一緒にあたしに差し出してくる。
 黄昏色に染まる屋上で、塔屋に背を預けてそんなやりとりを繰り返しているうちに、メロンパンはあっさりとあたしたちの胃袋に収まった。本当にどうかと思うおふざけだったけれど、終わってみれば意外と楽しんでいたことに気付いて、また少し照れくさくなる。
 そんなあたしの隣で、モカは袋からグリッシーニを取り出し、それを半分に折って口にくわえる。真っ二つにした時に『ポキ』なんて軽い音がしたし、やっぱりそれはパンじゃなくてスティック菓子なんじゃないか……と言おうとしてやめた。
540: 以下、
 あたしはモカから視線を外して、沈みゆく夕陽を見つめる。
 何かをしていても、何もしていなくても、陽は沈む。いつ終わるともしれないけれど、また今日が終わっていく。赤く燃える太陽が地平線の彼方、稜線の向こう側の世界へ朝を届けにいって、あたしとモカが過ごした何でもない今日を思い出に変えていく。
 それに一抹の寂しさを覚えてしまう。
 いつでも会える幼馴染がいる。その中でもとりわけ大切な人が隣にいて、下らないことでふざけあった先ほどのこと。その時間、その一瞬は、人生でもう二度と訪れることはない。通り過ぎたばかりの今でも既に数ある輝かしい記憶の一つになりかけているし、分け合ったメロンパンを消化しきるころにはもう手の届かない思い出だ。
 そう考えてしまうとどうにもセンチメンタルな気分になる。これも春っていう季節のせいなのかな。
541: 以下、
「蘭?」
 間延びした声。いつも通りの響きがあたしを呼ぶ。少し野暮ったい気持ちで首をめぐらせると、まるでタバコみたいにグリッシーニをくわえたモカが、「ん」と口を突き出してきた。
「…………」
「ん??」
「……いや、なに?」
「んー……」
 何をしたいのか掴み損ねて尋ねるけれど、モカは変わらずくわえたグリッシーニを突き出すだけだった。あたしはそんなモカの姿を見て、少し吹き出した。
「まさかとは思うけど、これ、あたしも食べろって?」
「んー」
 どうやらそのまさかだったようだ。モカはニコリと笑って頷いた。
542: 以下、
「まったく……これじゃあやっぱりパンじゃなくてお菓子じゃん」
「んーん、ふぁんふぁよ?」
 そこは譲れないらしく、何故かキリっとした表情で曖昧な否定の言葉を貰った。あたしはそれにまた少し笑いそうになって、取り繕うように少し俯いた。
「んーんー……」
「……はいはい、分かったよ。やればいいんでしょ」
 けれど、どう取り繕ったってモカにはあたしのことはほとんど筒抜けだろう。あたしにはモカのことがほとんど筒抜けなのと一緒だ。
 あたしが夕陽に面倒くさいアンニュイを重ねたことはモカに筒抜け。モカがそんなあたしを笑わせようとしたことも、あたしには筒抜け。
 あたしが照れ隠しとか、そういうニュアンスで俯いたことも筒抜け。モカが実はこういうことをやってみたかったという気持ちも筒抜け。
 どうして分かるのかと聞かれれば、あたしとモカがそういう関係だからというだけの話。
「んー」
 嬉しそうな響きの声。モカのそういう声を聞くのをあたしは好きで、あたしのそういう声を聞くのをモカも好き。だからまぁ……恥ずかしいは恥ずかしいけど、ちょっとくらいなら付き合ってあげたって全然構いはしない。
543: 以下、
「あ、む……」
 差し出されたグリッシーニをくわえる。おおよそ15センチ先、茜色に染まるモカの顔。
 自分の顔もきっと赤いだろうな、と思いながら一口パンをかじると、ビスケットのような食感が口の中に広がった。やっぱりこれそういうお菓子だ、と思っていると、モカも同じくパンをかじる。
 距離が縮まって、おおよそ10センチ弱。あと二口ほどこのまま食べたら口づけてしまうだろう。だから、あたしはもう一度噛み進めたら口を離そうと思った。
 サクリ、とモカがもう一口分あたしに近付く。
 あたしもそれにならって一口モカに近付いて――
 サクサクサク。
 ――口を離そうと思った瞬間、一気に三口、モカがグリッシーニを噛み進めた。というか、全部食べた。
544: 以下、
「っ!?」
「ん……」
 距離がなくなって、間にあったグリッシーニはモカの口の中。
 焦ってとにかく文句とか何かを言おうとした唇、モカとの距離がゼロセンチ。
 思考回路がショートして、今の状況が分からなくなって、あたしは口を離すことも言葉を吐き出すことも出来なくなった。
「……ふはぁ」
 そのままどれくらい時間が経ったのか全く分からなかったけど、呼吸を止めていたらしいモカが顔を離す。それから大仰に息を吐き出して、あたしはようやく我に返った。
545: 以下、
「も、もも、も、もかっ……!?」
 けれど未だにモカの感触が残った唇は全然まともに動いてくれなくて、やたらと舌が空回るだけ。
「……んへへ」
 それをどうにか落ち着けて、とにかく文句の一つでも言わなくちゃ……と思った矢先、モカのふやけたはにかみ顔が目に付いて、「ああもうっ」とあたしは胸中で毒づいた。
 これはどういうつもりなのか、事故で済ますつもりなのか故意なのか、責任を取るつもりはあるのかただのおふざけで済ますつもりなのかとか、聞きたいことは山ほどあるけど、モカとあたしは全部筒抜けの関係な訳であって、夕陽よりも朱が差したモカの頬を見ればそれには及ばないというかなんというか……とにかく。
 ――あ、モカの唇、柔らかくて気持ちいい。
 なんて思ってしまったことだけはどうにか隠し通せないだろうか、と考えながら、あたしは次にモカにかける言葉を探すのだった。
546: 以下、
ちさイヴの場合
「では、白鷺さん。本日はよろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそ」
 事務所の応接室。そこそこ上質な素材で出来た、それなりにふかふかのソファー。そこに机を挟んで向かい合って座る私と某アイドル雑誌のライターさん。
「お忙しい中、貴重なお時間を頂き……」だとかそんなテンプレートの挨拶を丁寧な言葉でかけられて、私もいつも通り丁寧に頭を下げる。今まで何度となくこなしている、雑誌のインタビューを受ける仕事だった。
 机の上に置かれたICレコーダーが赤いランプを点滅させている。それを見つめながら、今はこういう録音もスマートフォンで済ます人が多いな、なんて思う。黒い長方形のレコーダーはところどころ色が褪せていて、きっと使い込まれたものなんだろう。対面に視線を移すと、三十代後半の女性ライターは、黒縁の眼鏡の奥に柔和な目を湛えていた。
547: 以下、
「それでは早なんですが……」という柔らかく丁寧な響き。次々と繰り出されてくる質問。きっと場数を踏んで慣れているのだろう。時間が限られているということをキチンと知っていて、失礼にならないように、彼女は私から出来るだけ面白い話を聞き出そうとしている。
「ええ、はい。そうですね……」
 私は逐一丁寧にそれに答える。私も私で、それなりにこういう仕事はこなしていた。だから相手が慣れている人物だとやりやすい。
 だけどあまりに慣れ過ぎていると、立て板に水を流すような話術に、ついうっかり隠しておくべき本心なんかも喋ってしまうことが稀にあった。それだけは少し気をつけないといけない。
「では、白鷺さん本人のことではなく、パステルパレットのメンバーに対する印象はどうですか?」
「印象ですか。そうですね……」
 早気をつけるべき質問が飛んできて、私はみんなの印象を考えこむ振りをする。そうして、脳裏に真っ先に思い浮かんだイヴちゃんの屈託ない笑顔をどうにか消そうと試みる。
548: 以下、
 ……第一印象はとても綺麗な女の子。フィンランド人と日本人のハーフの子で、背もスラリと高く、スタイルも良くて、まさにモデルさんという格好いい女の子。
 けど、その印象はすぐに霧散した。
 あの子は、侍とか武士道とかそういう古風な日本文化が好きな、無邪気で可愛い女の子だ。パステルパレットを踏み台としか思っていなかった昔の冷たい私にさえ懐いて、しょっちゅう抱き着いてきたり手をとったりしてきて……まるで人懐っこい大型犬のようだった。
549: 以下、
 私よりも身長が10センチくらい高いけど、どうしてかそんな気がしない。家で飼っている犬と彼女を知らないうちに重ねてしまっているのだろうか。それはそれで非常に失礼なことだけど、イヴちゃんにそう言ったら「わんわん! えへへ、チサトさん、撫でてください!」なんて乗り気で言ってくれそうだな、と思ってしまう。
 そんな純粋で無邪気な彼女だからこそ、私はどうしても放っておけなくて世話を焼きたくなる。暇さえあれば思わず彼女を構いたくなるし、あの子のわがままであれば可能な限り聞いてあげたくなる。
 そうすると、きっとイヴちゃんはぱぁっと朗らかな笑みを浮かべるだろう。そんな顔を見てしまうとまた私は彼女の頭を撫でたい衝動に駆られたりなんだりしてしまって、だからこそ――
550: 以下、
「こう言っては語弊があるかもしれないですけど、みんな個性豊かな動物さんみたいですよ」と、イヴちゃんの笑顔を頭から消そうとしたら余計に浮かんできてしまったので、私は強引に思考を切って言葉を吐き出す。
「動物さん、ですか?」
「はい。これは日菜ちゃんのお姉さんが言っていたことなんですけど、私たちはワンちゃんみたいに見えるらしくて」
 首を傾げたライターさんに、私は日菜ちゃんから伝え聞いた、紗夜ちゃんが抱いている私たちの印象を、ある程度オブラートに包んで話す。
551: 以下、
 彩ちゃんは小さくて可愛い小型犬。ちょっと臆病なところがあるけど元気一杯で、みんなに愛されるワンちゃん。
 麻弥ちゃんはしっかりしてる大型犬。言いつけはしっかり守るし、何かあればみんなを助けてくれるお利口なワンちゃん。
 日菜ちゃんだけは自由気ままな猫。気分次第であっちへフラフラこっちへフラフラ。誰もその舵をとれないけれど、そういう気まぐれなところが魅力な猫ちゃん。
 そしてイヴちゃんは……
552: 以下、
 ……イヴちゃんはいつも、感情表現がストレートだ。
 生まれも育ちもフィンランドという環境がそうさせるのか、はたまた彼女が生まれ持った元来の性格なのか、百面相の彩ちゃんとはまた違った純真さがある。
 嬉しいこと、楽しいことがあれば「チサトさん!」と元気な声を上げて、もしも彼女に犬の尻尾がついていればそれをブンブンと千切れんばかりの勢いで振っているだろうことを鮮明に連想させる笑顔を浮かべて、私にハグしてくる。
 悲しいことがあれば「チサトさん……」とシュンとしながら、もしも彼女に犬耳がついていればそれをペタンと折っているだろうことを容易に想像させるほど肩を落として、私になんでも相談しにきてくれる。
 寂しい時には「……チサトさん」とどこか潤んだような瞳でこちらを見つめてきて、甘えん坊の表情を顔に覗かせる。だからこそ私の理性のタガというものはあっさりと緩んでしまい――
553: 以下、
 慌てて首を振った。仕事中だというのに私は何を考えているのだろうか。
「あの、どうかされましたか?」
「……いえ」
 ライターさんから心配そうな声が届けられる。それになんて言おうか少し考えてから、「今度のドラマの役のことを少し考えてしまって……すみません」と笑顔で謝った。
「あ、そうでしたか。今度のドラマというと、月9の――」
「はい。そのドラマの役で、この役は――」
 頭を振ったおかげか、頭の中一杯に広がっていたイヴちゃんの笑顔はどうにか隅っこの方に行ってくれた。これでもう大丈夫だろう。パスパレのみんなのことから女優の仕事のことに質問が変わり、矢継ぎ早の質問に最適であろう答えを返していく。
554: 以下、
 そうしながら、自分自身に向けて胸中で呆れたように呟く。
 まったく、仕事中に全然関係のないことを考えてしまうなんて、私はどうしてしまったのかしらね。そもそもの話、どうしてイヴちゃんのことをこんなにも頭に呼び起こしてしまうのか。
 確かにあの子はとても人懐っこくて、無邪気で、何事にも一生懸命で、顔だって妖精みたいに整っていて可愛いし、スタイルだって抜群で、髪の毛もちょっと妬いてしまうくらいにサラサラで、非の打ちどころがない女の子だ。
 そんな子に懐かれて悪い気がする訳がないというのは確かにそうだけど、だからといって限度がある。これじゃあまるで四六時中私がイヴちゃんのことを考えているみたいじゃない。そんなことはないわ。仮にそうだとしても、それは一時のことだろう。そう、だってこれは一昨日の件が原因で……
555: 以下、
 ……彩ちゃんはオフでバイト、日菜ちゃんと麻弥ちゃんはバラエティ番組のロケがあって、事務所の会議室には私とイヴちゃんだけ。いつも騒がしい声が反響するこの部屋も、ふたりきりだと音が少ない。どこかシンとした空気だった。
 そんななか、イヴちゃんはいつものように、私が座るソファの隣に腰を落としていた。私も私でそれを何も気にすることなく、ファッション雑誌に目を落としていた。
 イヴちゃんは手持ち無沙汰なのか、雑誌を読む私をじーっと見つめている。私はそんなイヴちゃんを横目で確認すると、無意識のうちに右手を彼女の頭に伸ばし、絹のように柔らかい髪を梳いていた。
「えへへ……」なんて気持ちよさそうに目を細めるイヴちゃんを見て、私も力の抜けた笑みを浮かべる。それからまた雑誌に視線を戻すけど、ちょんちょんと服の袖を引かれる。
「どうかしたの?」とイヴちゃんに顔を向けると目の前に妖精みたいに整った顔があった。
「チサトさん」という甘い声が私をくすぐって、そして目が瞑られる。その顔はどんどん私に近付いてきて、だけどそれを避けようという気は微塵もない訳で、私も目を――
556: 以下、
「ごほんっ」
 思った以上に大きくなった咳払いが応接室に響いた。対面に座るライターさんが目を丸くしている。
「ごめんなさい、歌の練習をしすぎて喉が少し」
 心配されるより早く、そんなことを言って右手を口元に持っていく。色々と本当にアウトなことを誤魔化すための方便と行動だったけど、人差し指と中指が唇に触れて、イヴちゃんの感触がありありとそこに蘇ってしまった。
 ……ああ、本当に私は何を考えているんだろうか。
 気付かないうちに脳裏に思い描いていた一昨日の出来事をどうにか頭から消そうとするけれど、そう意識すればするほど強く鮮明にイヴちゃんが私の頭の中で笑顔を咲かせる。
557: 以下、
 どうしたらいいのか、とは思う。仕事中だというのにこんなことでは、そのうち大きなミスをおかすだろうことは想像に難くない。
 けど同時に消したくない私がいるのもまた事実であって、もちろん私だってイヴちゃんのことは好き……そう、色んな意味で大好きではあるけれど、いまいち素直になりきれないというか照れがあるというか……いや違う、今考えなきゃいけないことはそうじゃなくて……。
「女優とアイドルの両立は大変ですね。しかもパステルパレットはバンドですし、音楽もやらなくてはいけませんもんね」
「え、ええ……すみません、折角こちらまで足を運んで頂いたのに上の空で……」
「いえいえ」
 こんがらがった思考はひとまず放っておいて、私は気遣いの言葉に謝罪を返す。ライターさんはその言葉を聞いて、柔和な瞳を細めて笑った。もしかして私の考えていることが漏れ伝わってしまったのだろうか、と少しだけ心配になる。
「白鷺さんは多忙な身であると思いますけど、何か支えとなっていることはありますか?」
「支え……ですか」
 そんな訳ないか、と思う。すると安心した気持ちと、どこか悔しいというかもどかしいというか、自分でも推し量ることが出来ない感情の胸中に渦巻く。そこに新しい質問が飛んできて、私の頭の中のイヴちゃんがまたぱぁーっと笑顔を輝かせた。
558: 以下、
「……そうですね。無邪気に私を頼ってくれたり、甘えてきたり、気遣ってくれる人が傍にいますので……その存在が、これ以上ないほど私の支えになっています」
 私の口からはそんな言葉が出てくる。偽りのない本心だけど、はたしてこれはみんなに……いや、イヴちゃんにどういう形で届くのだろうか。
 私の中の推し量ることが出来ない感情。その正体はきっと、イヴちゃんをみんなに認めてもらいたいという気持ち。そして、本当は私とイヴちゃんはこんなにも仲が良いんだと、お互いに特別な存在であるんだと喧伝したい衝動。
 けれど私は素直でまっすぐな人間ではなく、どちらかといえば狡猾で打算的な人間だ。こんな面倒くさい方法で、回りくどい言葉で、あの子に、あわよくば世間の人々に、この気持ちがさりげなく伝わればいいと思っているんだ。
 イヴちゃんにいつも助けてもらってるということと、そんなあなたが大好きだっていうことを。
559: 以下、
「あ、もしかして恋人ですか?」
 ライターさんがからかうように、明るい声を放った。冗談で言っているのであろうことはどこか優し気で悪戯な笑みを見れば明白だったから、私も微笑みを浮かべる。
「ふふ、ご想像にお任せしますね」
 そうして返した言葉。これは臆病で打算的な私が吐き出させたものか、素直な恋する乙女の私が形作らせたものなのか。
 その判断はつかなかったけど、きっと今の私は今日一番の笑顔を浮かべているだろうな、と思った。
560: 以下、
かのここの場合
「花音、キスしましょう!」なんてこころちゃんが言うから、私の口からは今日も「ふえぇ……」なんていう情けない声が漏れてしまった。
 でも、それは仕方のないことだと思う。
 穏やかな春の休日の昼下がり。天井が高すぎて、上を見上げると目が回りそうなこころちゃんのお屋敷の一室には、窓から麗らかな陽光が差し込んできている。
 その光に当たりながらふたりで和んでいたと思ったら、唐突にこころちゃんが「そうだ!」と立ち上がってそんな刺激的な言葉をくれたのだから、びっくりしちゃうのは仕方がない……はず。
 でもよく考えてみると、こころちゃんが唐突じゃなかったことの方が珍しいのかな。むしろ言いたいこととかしたいことを言外に匂わせてから、しっかり段階を踏んで私にお願いしてくる方がびっくりしてしまうかもしれない。
561: 以下、
 例えば、そう。私がこころちゃんに告白された……告白って言っていいのかどうかはちょっと悩むけど、とにかく、告白された時。
「あなたと一緒にいると、他のみんなと一緒にいる時よりもすっごくぽかぽかして楽しい気持ちになるの! 大好きよ、花音!」
 なんてあまりにもこころちゃんらしい言葉を貰って、その時も確かにびっくりしたはびっくりしたけど、こころちゃんの言う大好きはきっと親愛の情の大好きだろうな、とは思っていた。
「だから結婚を前提にお付き合いしましょう!」
「え……? ……えっ!?」
 そう、そんな風に思っていたから、続けられた言葉にとてもびっくりしたのをよく覚えている。普通に嬉しいって思っちゃったのもよく覚えている。でもなんて答えたらいいのか分からなくて、こくん、と頷いたらこころちゃんがすごく嬉しそうな顔をして抱き着いてきたのもよく覚えている。
 あれ、でもこれ、しっかり段階は踏んでるけど……どちらかというと意外性の方に分けられるような……。
562: 以下、
「花音? どうかしたの?」
「あ、え、ええと……」
 と、あまりの衝撃にふた月ほど前のこころちゃんとの馴れ初めに迷い込んだ意識が現在に帰ってくる。私はなんて返そうか迷ってちょっと俯いてから、今日も爛々と輝いている瞳に向き合う。
「その、急にどうしたの?」
「なにが?」
「えと、突然……その、き、きす、したいって……」
「そのことね! ひまりが貸してくれた少女漫画っていう本に描いてあったのよ! 大好きで大切な人とキスすると、心がとーってもあったかくなって幸せになれるって!」
 だからキスしましょう、花音! と、いつも通り照れとかそういう感情が一切ない返事がきて、私の口からはまた「ふえぇ」と出かかってしまう。だけどどうにかそれを飲み込む。その代わりに、『思えばこのふた月、恋人らしいことなんてこれっぽっちもなかったなぁ……』なんて、また意識がこれまでのことの回想に向けられる。
563: 以下、
 こころちゃんが大好きだって言ってくれて、結婚を前提にお付き合いをするようになってからも、私たちに大きく変わったことはなかった。
 いつものようにバンドの練習をしたり、ライブをしたり、みんなで遊びに行ったり……その中で、ふたりきりでお昼ご飯を食べたり、おでかけしたりする時間が以前より五倍くらいに増えただけ。
 気付けば起きている時間の半分くらいはこころちゃんと一緒にいるようになってはいるけど、その時間はデートとか逢引きとかって言うのにはいつも通りすぎていたと思う。
 手を繋いで街を歩いたり、こころちゃんが嬉しそうに抱き着いてきたりすることはあるけど、それはお付き合いを始める前から変わらないこと。確かにいつでも天真爛漫なこころちゃんをこれまで以上に可愛いとは常々思うようになったけど、それだって前々から思っていたことだし、そんなに大きく変わってはいない。
564: 以下、
 けど『キス』は流石に今までしたことがない、特別に踏み込んだ行為だ。
 だから私はびっくりして怯んでしまった。
 こころちゃんのことはもちろん前から好きだし、お付き合いをするようになってからはもっと大好きになったし、こんな私でもこころちゃんよりはお姉さんなんだから、こころちゃんを支えられるように、こころちゃんが喜んでくれるように、こころちゃんがいつまでも純真な笑顔を浮かべていられるように、こころちゃんがもっともっと私を好きだって思ってくれるように、しっかりしなくちゃいけないな……と、私なりの決意は抱いていたのに。
 やっぱり私はダメだな、と思いかけて、いや、とすぐに首を振る。ここでダメだって思って落ち込むだけじゃ、本当にダメになっちゃう。
565: 以下、
 きゅっと胸の前で両手を握って、私は自分を奮い立たせる。そして意識を現実のこころちゃんに戻して、いつもの天使のように可愛い顔と真正面に向かい合って、言葉を投げる。
「……わ、分かった……キス、しよう、こころちゃん……!」
「ええ!」
 こころちゃんは私の言葉を聞いて、平常時の三割増しくらい笑顔を輝かせる。その眩しさに網膜を焼かれて脳裏にこころちゃんという存在をいつも以上に強く刻み込まれたような感覚がして少し幸せになったけど、今からこれじゃあ先が思いやられるから、私は一度深呼吸をした。
「えと、それじゃあ私からするから……」
「分かったわ!」
 こころちゃんはコクンと頷いて、大人しく気を付けして私を待ち構える。その姿に一歩近づいて、両肩に手を置いた。
「…………」
「…………」
 顔を近づけると、やっぱりキラキラした笑顔が私を射抜いてくる。今日のキラキラ笑顔は「これから起こることが楽しみなワクワク系」に分類されるもの。やっぱり可愛いなぁ、と思いつつ、私はこころちゃんにひとつお願いをする。
566: 以下、
「あの……目は閉じてて欲しいな……」
「どうして?」
「え、えっと……キスってそういうものだから、かな……?」
「そうなのね! 分かったわ!」
 こころちゃんは素直に頷く。
 前からもそうだったけど、お付き合いをするようになってからますます私の言葉を疑うことがなくなったように思える。すぐにバレる嘘を吐いてもこころちゃんは「花音が言うならそうに違いないわ!」と信じちゃうだろうし、そしてそれが弦巻財閥で叶えられる嘘だと全部まことにされてしまうから、自分の言動には気をつけないといけない。
 そんなことを考えているうちに、こころちゃんがスッと瞼を落とす。無防備な顔を私だけに見せてくれる。
 笑顔が天使のように可愛いというのはもちろんだけど、こうして大人しい表情を間近で見つめると、睫毛の長さや整った鼻筋にちょっとドキドキする。いけない、私の方がお姉さんなんだからちゃんとこころちゃんをリードしなきゃ……と自分に喝を入れた。
567: 以下、
 それからこころちゃんの唇を見つめて、私は顔を近づけていく。
 鼻と鼻が触れ合いそうな距離で、私も目を瞑る。唇の場所は目に焼き付けたからきっと間違えないはずだ、大丈夫、大丈夫……。
 そう思いながら、息を止めて、そーっとそーっと顔を近づけていって――
 ちゅっ。
 ――と、唇に柔らかい感触が伝わった。
568: 以下、
 軽く触れ合っただけのオママゴトみたいなキスだったと思う。
 けれどどうしたことだろう、私の心臓はバクバクと16拍子を刻み始める。いけない、これじゃあツインペダルじゃないとバスドラムが間に合わない、間に合わないよぉ……と情けない思考が頭にもたげる。
 内から胸を叩き続ける怒涛のビートに急かされるように、私はパッとこころちゃんの唇から離れる。顔が熱い。身体全体が熱い。ただ唇を合わせるだけの行為がどうしてこんなにも身体を震わせるのだろうか。
 両肩に手を置いたままこころちゃんの顔を見つめていたら、すぅっと瞼が持ち上がる。天使のような顔に装飾されたふたつの黄金の宝石は、いつもの爛々とした光を引っ込めて、穏やかな水面に注ぐ木漏れ日のような光を湛えていた。私は少し心配になってしまう。
569: 以下、
「……こころちゃん? ちょっとボーっとしてるけど、大丈夫……?」
「……大丈夫よ、花音……」
 その水面はやっぱり凪いだままで、まるで海月がたゆたうような頼りのない響きが返ってきたから、もっと心配になってしまった。
 どうしよう、何か間違えちゃったかな……そう思っていると、静かな湖面に果実が緩やかに投げ入れられるように、こころちゃんからぽつりと言葉が紡ぎだされる。
「でも……なんだかふわふわしてて、ぽわぽわーってしてて、でもぎゅーんっていう感じがあって……落ち着かないの……」
「…………」
 出会った時からの記憶を掘り起こしても、絶対に見たことがないいじらしい表情。それを俯かせて、私の胸の辺りを見て放たれた、こちらも今まで聞いたことがないたどたどしい口調の言葉。
570: 以下、
 驚天動地って、きっとこういうことを言うんだろうな。こんなにしおらしいこころちゃんを見たのは初めてで、とても、とってもびっくりしちゃって……
「こころちゃん」
「……なに、花音?」
「もう一回してみよっか」
 ……私は、自分の中で何かのスイッチが入ったことを強く自覚した。
「もう一回?」
「そう、もう一回……ううん、もう一回じゃなくて、もう何回も。そうすればきっとこころちゃんの気持ちももっとちゃんと分かると思うから」
 顔を近づける。こころちゃんはちょっとだけびっくりしたように、目をキュッと瞑った。その様子を間近で見て、私は胸がキュンとした。
571: 以下、
 天真爛漫なこころちゃん。
 いつだって明るくて自信満々で、まっすぐ前を見て進み続けるこころちゃん。
 この世に遣わされた天使のように可愛くて愛しくてずっと笑ってて欲しいなと心の底から思っているこころちゃん。
 そのこころちゃんが、未知の感覚に対してちょっとしおらしくなっている。
 それが……こう言っちゃうととっても危ない人に聞こえるけど……堪らなく、可愛い。どうしようもないくらいいじらしく思えて、今すぐにこころちゃんの身体をぎゅっと抱きしめて、何度も唇を奪ってしまいたい。そんな衝動に駆られる。でもそれは流石にダメかな……?
(……ううん、ダメじゃない、よね)
 自問自答。そんな思考を否定して、その衝動を肯定した。
572: 以下、
 そう、ダメじゃない。だって私はお姉さんなんだから、しっかりこころちゃんをリードする立場にいて当たり前なんだ。こころちゃんがよく分からない感情に苛まれて落ち着かないなら、それが分かるようになるまで何回も何回もキスをして助けてあげなくちゃ。不安にならないように優しく、何度も唇を重ね合わさなくちゃ。
「ん……」
「……っ」
 出来るだけ優しく、もう一度唇を重ね合わせる。こころちゃんの肩がぴくりと跳ねる。大丈夫だよ、怖くないよ……と、私は両肩に置いた手をこころちゃんの背中に回して、そっと抱きしめた。
 この胸を焦がす衝動の名前はなんだろうな。ちょっと考えたけど、あんまりよく分からなかったから母性本能だと思うことにした。
 母性による本能的な行動なら全然悪いことじゃないよね? 普通に良いことだよね?
「こころちゃん……大好きだよ」
「ん、うん……」
 だから私は、しおらしく頷くこころちゃんに愛を囁きながら、何度も繰り返しキスをするのだった。
573: 以下、
さよつぐの場合
 愛されるより愛したい、というのは男性アイドルデュオの昔の歌だ。
 子供のころにお父さんが口ずさんでいるのを聞いたり、テレビで流れているのを聞いたりするたびに、私はいつも疑問だった。
 愛だ恋だっていうのは幼い私には分からなかったけど――いや、高校生になった今でも十全に理解が及んでいるとは言えないけれど――、与えるよりも与えられる方が嬉しいんじゃないだろうかというのは昔からずっと思っていた。
 だって愛することは簡単だ。好きだと口にすればいいだけだから。相手がどうとかじゃなくて、自分がそう思うだけで完結するじゃないか。
 逆に愛されることは難しい。自分だけのことではないから、誰かとの間にある気持ちだから、自分がどれだけ頑張ったって報われないことがあるだろう。
 私はずっと思っていた。愛されるより愛したい。そんなのはただの言葉遊びだし、聞こえのいい戯言だろうと。
 その気持ちが変わることはなかった。ギターを始めて音楽に深く没頭していくようになってからも私は人に認められたいという気持ちの方が大きかったし、耳にする音楽だって愛されたいと歌うものが多かった。
 だから思っていたのだ。
 世の中には様々な人がいるから、もちろん私と違う思想の人がいて当たり前であるし、それにとやかく言うつもりもなければ私の気持ちにどうこう言われる筋合いもない。こんな取るに足らない屁理屈じみた気持ちは私の中だけで処理すればいいものだ……と。
 確かに私はそう思っていたのだ。
574: 以下、
 つぐみさんの部屋の壁時計は、午後五時前を指していた。
 窓から斜陽の濃い色をした光が差し込む。それに半身を照らされながらソファーに座って、私は彼女の部屋でひとり、ぼんやりと佇んでいた。つぐみさんのバイトが終わるまでここで待ってて欲しいと言われたからだ。
 なんとはなしに室内を見回すと、私が持ち込んだお気に入りのクッションや緊急時の着替えとか、自分の私物がちらほらと目に映る。この部屋に入るようになった当初は全然落ち着かなかったけれど、半分自分の部屋のようになっている今となっては、ともすれば我が家よりも落ち着く空間だ。
 本棚の上に置かれた、寄り添い合いながら座るクマとキツネのぬいぐるみに視線を定めつつ、愛するとはこういうことなんだろうな、と思う。
575: 以下、
 自分の部屋というのは、きっと世界中のどこよりもプライベートな空間だ。そのスペースに『踏み入ってもいいですよ』、『ここまで入ってきてもいいんですよ』と受け入れられている。私を置く場所を作ってくれている。それだけ心を許されているんだ……と、こうして実感すると私は満たされた気持ちになる。
 当たり前だけど、私が招かれるように、私の部屋につぐみさんを招くこともある。そこにもつぐみさんの私物がいくつも置いてあるし、どこか殺風景だった自分の部屋だってそのおかげでどこか華やいだように感じられる。
 それに、彼女には内緒にしているけれど、ひどく寂しい気持ちになった夜なんかは、つぐみさんが置いていったちょっと大きな犬のぬいぐるみを抱きしめたりもしている。絵面的にどうかと思う行動だけど、そうすると心が温まるというか、どこか安心するのだから仕方ない。
576: 以下、
 ともあれ、愛するというのはそういうことなんだろう。
 こうやってプライベートな空間を共有できて、心を委ねてもいいと思える人間がいる。それはかくも幸せなことだ。
 もしかしたらの話だけど、これは一種の承認欲求なのかもしれない。
 人を愛するということ。私が彼女を愛するということ。
 そうやって私は私という存在の中につぐみさんの場所を作って、それを拠り所にして自分自身の輪郭を明確に保っているのかもしれない。
 だとするならばこの気持ちも自分本位のもので、世間一般では独善的な愛と呼ばれるのだろう。
 そう後ろ指さされるのであれば、私はもっともっと彼女を愛そうと思う。世間体だとか、承認欲求だとか、独り善がりだとか……そんな面倒なものを考える隙間がなくなるまで、彼女のことを想い、愛そうと強く思う。
577: 以下、
 最初からハッピーエンドの映画なんて三分あれば終わる、というのも子供のころに聞いたラブソング。
 その歌の通りだろう。高校生の私が『愛』というものを真に理解するのは難しいけれど、それはなんとなく感覚で理解できる。
 誰もに理解されて祝福されるように、何の障害もすれ違いもないように、初めからそこに完全な形であるのなら、悩むことなんてない。不安に震えることも、ひどく寂しい夜をひとりで乗り越えることもない。
 だけど、そんな風に愛が当たり前に完全な形であったのなら、こんなにも胸が高鳴ることも温かくなることもきっとないのだから。
578: 以下、
 そう思ったところで、部屋のドアが開く。視線をそちらへやれば、「ごめんなさい、お待たせしました」と少し息を切らせたつぐみさんの姿があった。
「いいえ」私はフッと軽く息を吐き出して応える。「つぐみさんを待つ時間はいつもとても楽しいので、気にしないでください」
 それを聞くと、彼女は照れたようにはにかんだ。胸が温かくなって、私も笑顔を浮かべた。そして今まで考えていたことがどこか遠くに霞んで消えていく。
 小難しく考えていた愛がどうだとかなんだとか、そんな面倒なこと。それがつぐみさんの顔を見るだけでこんなにあっさりと霧散するのだから滑稽だ。
 それでも私はまた何度も見えない不安に襲われて、何度も同じことを考えるのだろう。だけど、目に見えない不確かな愛の形を確かめる方法を、私はもう知っている。
579: 以下、
 ソファーの隣につぐみさんが腰かける。ふわりと珈琲の匂いが薫って、少し幸せな気持ちになった。
「つぐみさん」
 その気持ちのまま、私は囁くように彼女に呼びかける。つぐみさんは私に顔をめぐらせて、少し首を傾げた。その瞳をじっと見つめると、すぐに彼女は私の望みを分かってくれる。
「いいですよ」
 頬を赤らめながら、つぐみさんは頷く。そしてその瞳がすっと閉じられる。
 私は隣り合って向かい合う彼女の肩に手を回して優しく抱き寄せる。それから、世界で一番大切な人の唇へ、自分の唇を重ね合わせた。
 愛だ恋だなんていう、形の見えない面倒で難しいものたち。きっとその実態は、言葉をああだこうだとこねくり回しても掴めないのだろう。
 けれど、こうやって触れ合って、口づけ合えば、簡単にここにあることが分かる。その形を確かめることが出来る。
 キスがこんなにも心地いいのは、きっとそのせいだ。
580: 以下、
「……はぁ」
 唇を離して軽く息を吐き出す。私の心はこれ以上ないくらいに満たされて、つぐみさんはどうだろうか、と彼女の様子を窺えば、彼女も熱に浮かされたように蕩けた顔をしているからもっと満たされた気持ちになる。
 心の栄養補給とはこのことだろう。唇を重ねるだけで、寂しさも悲しみもなくなって、嬉しさと幸せとを倍にしてくれる。キスは便利な心のファストフードだ。
 けれど、そう表現するとどこか健康に悪い気がする。食べるに越したことはないけれど、食べ過ぎては却って身体に悪いというか、なんというか。
「紗夜さん……」
「ええ」
 そんな思考も、つぐみさんの熱を帯びた声を聞けばすぐに霧散する。
 ……大丈夫、私はその辺りの線引きはしっかり出来ているつもりだし、ファストフードも大好きであるし、つぐみさんのことも愛して愛してやまない。
「んっ……」
 だから、彼女からの「おかわり」を拒む理由なんて何ひとつとして私の中には存在していないのだ。甘えるように瞳を閉じるつぐみさんの唇に、もう一度自分の唇を重ね合わせた。
581: 以下、
 つぐみさんが求めてくれるなら、その全てを叶えたい。そして彼女に幸せになってもらいたい。そう思って幸福を感じるのは、私が彼女を愛しているから。
 愛されるより愛したい。
 ただの言葉遊びかもしれないけれど、聞こえのいい戯言かもしれないけれど、今の私はその言葉に心の底から共感できる。
582: 以下、
リサゆきの場合
 選択肢を間違えたなぁ、というのは、最近のアタシの悩みの種だった。
583: 以下、
 アタシには誰よりも大切な幼馴染の友希那がいて、友希那も友希那でアタシを大切だって思ってくれていて、それで幼馴染っていう関係が冬の終わりに恋人っていうこそばゆい響きの関係に変わって……と、そこまではいい。アタシは昔から友希那が大好きだし、友希那もアタシのことを好きだって言ってくれるなら、まったくこれっぽっちも問題はない。
 じゃあ何の選択肢を間違えてしまったのかっていうと、それは付き合い始めてからのこと。
 綺麗な星座の下で……なんていうほどロマンチックでもないけれど、とにかく澄んだ夜空に星がそれなりにキラキラしていた日に、アタシは友希那とキスをした。それはいわゆるファーストキスというやつで、甘酸っぱいだとかそんな風な味だって言われるもので、友希那に唇を奪われたアタシは「これが友希那のキスの味……」とかちょっと危ないことを考えていたような気がするけど、それもひとまず問題ではない。
584: 以下、
 問題はその後のこと。
 アタシたちも気付けば高校三年生で、受験戦争という荒波が唸る海に航路をとらなくちゃいけない時期になっていた。
 だけど友希那は相変わらずだった。
「勉強……そうね、勉強は大切よね」
 アタシが大学受験のことをそれとなく話題に出すと、そんなことを言って明後日の方向や猫のいる方へ視線を逸らす。まともに話を聞く気がない時特有の行動だった。
 そんな友希那のことが心配になるのは当たり前で、『将来音楽で食べていくつもりなのは知っているけど、それでも大学はしっかり通って卒業してほしい』と、友希那のお義母さんが言っていたこともあるし、アタシはどうにか友希那をやる気にさせようと必死に考えた。
 その結果、そっぽを向く友希那に対して、アタシの口からはこんな言葉が出た。
「分かった、それじゃあ友希那が勉強を頑張る度に、その、き、キス……するよ」
 未だにキスという単語を口にするのが照れくさいのは置いておいて、友希那はその言葉に反応した。興味を示した。
「……本気なの、リサ?」
「ほ、本気っ、本気だよ!」
「そう……そこまで本気なら、分かったわ。私も本気を見せてあげる」
 友希那はどうしてか得意気に頷いてくれて、よかった、これで少しは勉強にも向き合ってくれそうだな、なんて呑気に思っていた。
585: 以下、
 それが春先のことで、アタシが間違えたと思った選択肢のこと。
 本気を見せる、と言った友希那は……すごかった。
 友希那の成績は学年の平均よりやや下。それは元々音楽に全身全霊を打ち込んでいて、勉強に労力を割いていなかったせいだとは知っていた。だからやる気を出せば平均を上回ることくらいは簡単だろう、と思っていた。
 その推測はいい意味で甘かった。アタシは友希那の集中力を舐めていたのだ。
「本気を見せてあげる」と言われた日から、メッセージを送ったり電話をかけても、なかなか応答がないことが多くなった。
 そしてニ、三時間後にやっときた返事には決まって「ごめんなさい、ちょっと勉強をしていたわ」という枕言葉。それに続いて「今日は4時間頑張ったから、キス権一回分ね」という返詞。「うん、分かったよー」と、内心ドキドキしながらのアタシの返信。
 そんなことが何十回か重なった。
586: 以下、
 そうしてるうちに一学期の中間試験が終わり、返ってきた友希那の答案用紙を見せてもらうと、そこに書き込まれていた点数はどれもこれもが80を下らなかった。
 あっという間にアタシの成績を追い抜いていった……というのは別によくて、一番問題なのはそのあとのこと。
「思ったより出来なかったわね。やっぱりもっと集中しないといけないわ」
「え」
「それと、今日まででキス権が三十八回あるから、それも消化するわね。使わないと溜まっていく一方だもの」
「え」
「とりあえず一回いいかしら。……いえ、聞くのはおかしいわね。リサが私にくれたキス権だもの。キスするわよ、リサ」
「え!?」
 そう言って、誰もいない放課後の教室で、友希那は有無を言わさずアタシの唇を奪うのだった。
587: 以下、
 これが間違えた選択肢の上に乗っかってる問題であり悩みの種だ。それから何度となく、アタシは友希那にキスをされることになる。
 別にキスされるのが嫌な訳じゃない。ちょっと強引にされるのもそれはそれで好きだし、友希那のことは大好きだし。
 ただ、それでも場所は選んで欲しいと思うのはワガママじゃないはず。
 アタシの部屋とか友希那の部屋なら、本当、いつだってウェルカムだけど、放課後の教室とか練習前のスタジオとか、果てには人気の少ない通学路とかは本当に――いや、それはそれでドキドキしちゃうアタシがいるのも事実ではあるけど――やめてほしい。
「これはリサから言い出したことよ?」
 それとなく友希那にそう伝えたら『何を言ってるの?』という顔をされた。確かにそうだなぁ、と思ってしまうあたり、アタシは押しに弱いのかもしれない。
 けど、友希那のお義父さんとお義母さんには「リサちゃんのおかげで友希那も真面目に勉強するようになったよ。ありがとう」と感謝された。湊家とアタシの関係が変わらず良好なのは、いずれ嫁ぐ身としては願ったり叶ったりだからそれはそれで嬉しかった。
588: 以下、
 それはそれとして、友希那が勉強にも頑張ってくれるようになってくれたのは当初の目論見通りだったけど、流石にこれほどまでキスを求められるとは思っていなかったから、アタシは色々と困ってしまうのだ。
「はぁ?……」
「どうしたの、リサ? そんなに大きなため息を吐いて」
 だというのに、アタシがため息を吐けば、友希那はそんな風に首を傾げて聞いてくるのだからちょっと参ってしまう。こんなにアタシをドギマギさせてるくせに無自覚だなんて……本当にもう、しょうがない友希那だ。
589: 以下、
「なんでもないよ」
「そう? 困ったことがあるなら何でも相談して頂戴ね。リサにはいつも助けられてばかりなんだから、たまには私にもあなたのことを助けさせて」
「……うん」
 そしてさらに無自覚でそんな言葉を投げてくるんだから友希那はしょうがない。本当にしょうがない。そんなにアタシをキュンキュンさせて嬉しくさせて、本当にどうしたいのだろうか。
「それはそれとして、キス権使うわね。……んっ」
「んん……」
 さらに『今日は優しくしてほしいなぁ』とか思ってると本当に優しくしてくれるから……友希那はしょうがなさすぎでしょうがないと心の底から思う。式は教会にするか神前にするか、そろそろ考えておかないと。
590: 以下、
 間違えた選択の上に乗っかる日々も、気付けば過ぎているもの。
 ところ構わず友希那とキスを繰り返しているうちに、いつの間にかキス権がなくなってきたらしい。梅雨を超えて初夏の風が吹き抜けるあたりには、友希那がキス権を使う頻度が減っていった。
 それは間違いなくいいことではあると思うのだけど、ほぼ毎日キスを繰り返していたらそれに慣れてしまったというのもまた実情で、言葉にはしないけど、なんだか唇がさびしいと感じることが多かった。
 そんなある七月の日のこと。
591: 以下、
「そういえば八月にフェスがあるの。ロゼリアでそのフェスのオーディションに挑戦しようと思うけど、リサはどう思う?」
 いつも通りアタシの部屋でベッドに座って作曲に勤しんでいた友希那が、ふと思い出したように、隣でベースを弄っていたアタシに尋ねてくる。
「どう思う、って言われてもなぁ。アタシは賛成だけど、まずはみんなの予定から聞かないと。紗夜と燐子も夏は受験勉強とかで忙しいかもだし」
「なるほど、分かったわ。リサは賛成ね。ふふふ……賛成なのね」
 やたらと引っかかる言い方だったから、アタシは首を傾げながら友希那の顔を見る。
 愛しい恋人の顔。いつも張り付いているクールな表情が崩れ、そこには薄っすらと微笑みが浮かんでいた。見ようによっては良い表情だと思うけど、アタシには分かる。これは何か良くないことを考えている時の顔だ。
592: 以下、
「そうしたら、今作っているこの曲も早く完成させなくちゃいけないわね」
「……そう、だね」
 何を企んでいるのかな、と思いながら、慎重に言葉を返す。友希那はそんなアタシを見て、やっぱり変わらない微笑みを浮かべている。
「この曲、ベースが主体の曲なのよね。結構フレーズもリズムも激しくて、ソロもあるんだけど……リサ、大丈夫?」
「うーん、聞いてみないとなんとも言えないけど……」
「もし頑張ってくれるなら……ご褒美にキス権をあげるけど、どうかしら?」
「…………」
 ああ、そういうことか。
 友希那の企みを理解して、まず一番に思ったのは『キス権に理由をつける友希那かわいい』で、次に思ったのは『ご褒美にキスしたいのは友希那じゃないの?』で、最後に思ったのは『いや、ご褒美にキスって響きは確かに素敵だけど』ということ。
 それにしても、ご褒美にキス権……かぁ。アタシがベース頑張って、それで……
593: 以下、
 友希那、アタシこんなに頑張ったんだよ。ほら見てみて、難しいソロパートも完璧に弾けるようになったよ。
 リサは頑張り屋さんね。そんなに頑張ってくれたなら……ご褒美をあげないといけないわね。
 い、いやいや、アタシは別にキスがしたくて頑張ったわけじゃないって。ロゼリアのためだし、友希那が頑張って作ってくれた曲をちゃんと表げ、ん――
 ――んっ、ふふ。ごめんなさい、私のためにって言ってくれるリサがとても可愛くて、つい。
 …………。
 まだ……足りないのね? 仕方のないリサ。こっちへいらっしゃい……
594: 以下、
「うん、アタシがんばる」
 脳裏に一瞬のうちに描かれた『ご褒美のキス』というシチュエーションが、気付けばアタシの口を動かしていた。
「それでこそリサね。……そうだ、ただキス権っていうだけだと私のと同じだし……そうね、キス権が二十個たまったら、何でも言うことをひとつ聞くわ」
「オッケー、超がんばる」
 自分の内側で、かつてないほど炎が猛々しく燃え盛っているのを強く実感する。些細なことはその炎の嵐に全て飲み込まれていく。選択肢を間違えたなぁという悩みの種もその火焔の中に放り込まれてあっという間に燃え尽きた。
 それと同時に、「ああ、友希那もアタシに言われた時、こんな気持ちだったんだなぁ」と、最愛の恋人のことをまたひとつ理解出来てアタシは幸せだった。
(何でも言うことを聞く……何でも……えへへ)
 そして何でも言うことを聞いてくれる友希那の姿を想像してもっと幸せになるのだった。
 
 おわり
595: 以下、
キスが主題の話たちでした。
タイトル通り手軽にさくっと読める話になってたら嬉しいです。
まったく別件ですが、一昨日スマホを床に落として液晶がバグって操作不能になりました。あえなく交換です。
贔屓のプロ野球チームも昨日まで10連敗していましたし、平成の最後は踏んだり蹴ったりだなぁと思いました。
596: 以下、

毎度楽しませてもらってます
元スレ
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1544965078/
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一方通行「あァ!? 意味分からねェことほざいてンじゃねェ!!」黄泉川ァアアアアアアアアアア!!
さやか「さやかちゃんイージーモード」オナ禁中のリビドーで書かれた傑作
まどかパパ「百合少女はいいものだ……」君の心は百合ントロピーを凌駕した!
澪「徘徊後ティータイム」静かな夜の雰囲気が癖になるよね
とある暗部の軽音少女(バンドガールズ)【禁書×けいおん!】舞台は禁書、主役は放課後ティータイム
ルカ子「きょ、凶真さん……白いおしっこが出たんです」岡部「」これは無理だろ(抗う事が)
岡部「フゥーハッハッハッハ!」 しんのすけ「わっはっはっはっは!」ゲェーッハッハッハッハ!
紅莉栖「とある助手の1日ヽ(*゚д゚)ノ 」全編AAで構成。か、可愛い……
岡部「まゆりいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」SUGEEEEEEEEEEEEEEEEE!!
遊星「またD-ホイールでオナニーしてしまった」……サティスファクション!!
遊星「どんなカードにも使い方はあるんだ」龍亞「本当に?」パワーカードだけがデュエルじゃないさ
ヲタ「初音ミクを嫁にしてみた」ただでさえ天使のミクが感情という翼を
アカギ「ククク・・・残念、きあいパンチだ」小僧・・・!
クラウド「……臭かったんだ」ライトニングさんのことかああああ!!
ハーマイオニー「大理石で柔道はマジやばい」ビターンビターン!wwwww
僧侶「ひのきのぼう……?」話題作
勇者「旅の間の性欲処理ってどうしたらいいんだろ……」いつまでも 使える 読めるSS
肛門「あの子だけずるい・・・・・・・・・・」まさにVIPの天才って感じだった
男「男同士の語らいでもしようじゃないか」女「何故私とするのだ」壁ドンが木霊するSS
ゾンビ「おおおおお・・・お?あれ?アレ?人間いなくね?」読み返したくなるほどの良作
犬「やべえwwwwwwなにあいつwwww」ライオン「……」面白いしかっこいいし可愛いし!
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leuk om te doen rotterdam:DIO「ASB?」
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makkelijke griekse recepten:DIO「ASB?」
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