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【アイマス】滄の惨劇【前半】


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1:
アイドルマスターのSSです。
アニメ版しか知らないので細かな設定等の矛盾はご了承ください。
2:
「ええ!? 本当ですか!?」
春香が身を乗り出した。
「ああ、リフレッシュも兼ねて、ということらしい。みんな、このところ忙しかったからな。
とはいえこの時期によく日程を確保できたものだよ」
まるで自分が大仕事を取ってきたかのようにプロデューサーは得意気に言う。
実際、これは売り上げに貢献するものではない。
彼がもう少し貪欲で事務所の利益を優先するような人間なら、カメラを複数台持ち込んでクルーに撮影させただろう。
「もちろん都合もあると思うが……どうかな?」
各々は互いに顔を見合わせる。
仕事については先ほど彼が言ったとおり、うまく調整してある。
つまり各人の意思次第ということになるが――。
「南の島でバカンス……これはもう行くしかないっしょ!」
「断る理由があるかね、諸君? いや、ない!」
真っ先に手を挙げたのは亜美と真美だ。
それが引き金になったように事務所内は俄かにざわめきだす。
「こらこら、ちょっと静かにしなさい」
律子が制するが興奮はすぐには収まらない。
3:
「それってつまり旅行ってことですか? 前に行ったみたいに――」
「そういうことになるかな。まあ、社長は合宿の意味合いもあるって言ってたけど」
「強化合宿ですか!? うーん! 燃えてきましたっ! ボク、参加します!」
「いや、強化とまでは言ってないぞ……」
「また皆で旅行なんて楽しみね」
「まあ私は世界中行き飽きたから、たまには国内の小さな島もいいかもしれないわね」
「お昼寝できるところだったら、どこでもいいの」
という具合である。
「盛り上がってるところ悪いが、とりあえず参加人数を確認しておきたいと思う。参加したい人は挙手を――」
プロデューサーが言い終わる前に全員が手を挙げていた。
「よし、決まりだな。日程や必要な物なんかは後で知らせるとして……社長からの伝言だ。
”せっかくの機会だから何かやりたいことがあったらどんどん言ってほしい。できるだけ希望に沿うようにしたい”、だそうだ」
「よっ! さすが社長! 太っ腹!」
「たしかに最近、運動不足みたいだし太っ腹と言えなくもないですなあ。ねえ、律っちゃん?」
「あら、残念だわ。亜美と真美はキャンセルってことでいいのね?」
「ウソだよ! ウソウソ! 今のはアメイジングジョークだよ!」
律子が眼鏡をかけ直した途端、2人は滑稽なほど慌てふためいて取り繕う。
「ビーチバレーとかしてもいいの?」
響が訊いた。
「いいんじゃないか? 他に利用客もいないハズだし」
「やった!!」
「プライベートビーチってすごいね!」
「それならどんなに穴を掘っても怒られないかも」
銘々が盛り上がる中、小鳥がプロデューサーに耳打ちした。
「実は私も社長に、”たまには羽を伸ばしてくるといい”って言われたんです。
私もそのつもりだったんですけど、急な仕事が入ってきて一緒に行けなくなってしまって……」
「え、そうなんですか?」
「そうなんですよ……それでですね、プロデューサーさん。デジカム渡しますから、是非ともお宝を――」
その言葉に彼は申し訳なさそうにかぶりを振った。
「ところでどういう経緯で南の島に、なんて話になったんですか?」
律子が少し訝しげに問うた。
「ああ、それはな――」
4:
 南の島で一服してはどうか、と持ちかけたのは高木だった。
アイドルたちもそこそこ売れてくると、プライベートを過ごすにあたっても気が抜けない。
そこで彼は合宿と称して、彼女たちが羽を伸ばせる場所を用意したいと言い出した。
それなら仕事熱心な者も後ろめたさを感じることなく楽しめるし、合宿と銘打ってある以上、
本当にレッスンに打ち込みたくなってもそれはそれで違和感はない。
どういう伝手でか、彼は南の島に建つ洋館を所有するに至った。
外部の人間が入り込まない、765プロだけの楽園――と言えば盛大豪華に聞こえるが、
実際には周囲には何もない国内の無人島である。
それでもプライベートビーチという表現は間違いではないし、周囲の目がないという点ではストレスもない。
何もない場所だからこそ伸び伸びと過ごすことができ、自主性も磨かれ協調性も生まれる。
アイドルたちの絆はより強固となり、765プロはますます大きくなっていくだろう。
尤もらしい言い方だが、いつものように思いついたことをそのまま発するような口調だった。
要は全員でまとまった休暇を……というワケである。
それも3泊4日という大型連休並みの日程だ。
これだけの調整ができたのも、プロデューサーや律子は元より、ひとえに彼の業界に広く通じる顔によるところが大きい。
事務所自体を閉めるわけにはいかないうえ、急な仕事が入ったために社長と小鳥は留守番になるが、
少なくともこの数日の業務量は普段よりもずっと少なくなるだろう。
「大いに楽しんできてくれたまえ!」
社長は陽気にそう言って見送った。
5:
「――と、いうことなんだ」
大雑把な説明に律子は小さく息を吐いた。
「なんというか、社長らしいですね……」
彼の思いつきに何度か振り回されたことのある律子は微苦笑した。
「で、あんたがその引率をするってワケ?」
バカンスには慣れている伊織は他と違って燥(はしゃ)ぎはしない。
「まあ、そういうことになるんだろうけどな――」
「…………?」
「正直、俺もほとんど何も聞かされてないんだ。島の場所も知らないし」
「何よそれ? どういうこと?」
「とにかく自分に全部まかせておいてくれ、って。俺は当日になったら皆を港に連れて行けばいいって。
島での衣食住も心配いらないらしい。俺が言われたのは、”彼女たちをよろしく頼むよ”くらいだったからな」
これに呆れた様子で返したのは律子と伊織くらいで、他は島での過ごし方をあれこれと話し合っている。
「きっとプロデューサーさんにも楽しんでほしいんですよ」
あずさがにこやかな笑顔で言う。
彼に仔細を伝えないのは引率という役目を気にせず、皆と一緒に時間を過ごしてほしいと考えているからではないか。
それが社長の想いではないか、と彼女は言った。
「どうかしらね。案外、何も考えてないだけかもしれないわよ?」
伊織の懐疑的な言葉に、律子も曖昧に頷いた。
「まあ、そういうことなら俺は少し楽ができるってことなんだけどな」
プロデューサーという仕事の範囲は広い。
営業はもちろん、会場を押さえたり、そこまでの足を確保したりと細部にまで気を回さなければならない立場だ。
仮に所属アイドルを率いて南の島で一服……と言われても移動の段取や安全確保、荷物の管理等、やることは雑多だ。
これではとても心も体も休まらない。
それが今回、面倒事は社長が引き受けるとなれば彼も休暇を満喫できる。
6:
―― 1日目 ――
 9時07分。
空を覆う青と海に広がる青は一見すると似ているが、目を凝らせばその違いは瞭然だ。
都会の港から見れば黒に近い海でも、遠く離れればそこには宝石を敷き詰めたような蒼がどこまでも広がっている。
「風が気持ちいいわね」
靡く髪を押さえて千早が言った。
「そうだね」
天を仰いで春香がその横に立つ。
強過ぎない日差しと心地よい潮風とが交互に肌を打つ。
「社長と小鳥さんも来られたらよかったのにね」
残念そうに言う春香をよそに、千早はカメラを構えて風景を撮影し始めた。
空や海だけではなく、船上でそれぞれに時間を過ごす仲間も写真に収める。
「できるだけたくさん撮っておきたいの。思い出にもなるし、社長と音無さんにも見せてあげたいから」
そう言い笑う彼女に、春香も自然と笑みをこぼす。
時折り来る揺れに雪歩が蹌踉(よろ)めいた。
「大丈夫ですか?」
そうなることを察知していたように貴音がその背に手を回して支えた。
「あ、ありがとうございます……」
「顔色が優れないようですが、船酔いでは? 少し休んだ方が――」
「い、いえ! 大丈夫です! 大丈夫ですから!」
やや青かった雪歩はたちまち赤面し、大仰に手を振った。
「そうですか……なら良いのですが……?」
にこりと微笑み、貴音は船の反対側を見やる。
へりを掴んで身を乗り出しているのは亜美と真美、それにやよいだ。
そのすぐ傍に響と真が立っている。
「魚ってあんなに小さいのになんでく泳げるんだろうね?」
「ヒレとかあるからじゃないの?」
亜美の問いにやよいが首をかしげながら答える。
彼女たちの乗る船はかなりの力を出している。
海面近くを泳いでいる魚たちはまるで船を護衛するかのようにぴったりと付いている。
「この船と競争してるのかもしれないぞ? きっと負けず嫌いなんだな」
「またまた?。そんなのひびきんとまこちんくらいっしょ」
「え? ボク?」
急に名前を呼ばれた真は分からない顔をする。
「そうそう! 2人のことだから島に着いたらまた泳ぎで勝負するんでしょ?」
「いや、もう勝負はしないぞ? あれは自分の勝ちってことで終わったからな」
「ちょっと待ってよ、響。いつ終わったって?」
7:
真が腰に手を当てて抗議した。
「この前は響が途中で魚捕りしてたから無効だよ。というか先にゴールしたのはボクだったし」
「真は分かってないな。泳いでる魚を素手で捕まえるのがどれだけ難しいか知らないでしょ?」
「そりゃあ……そうだけど。でも勝負をほっぽり出したんだからボクの不戦勝ってことになるじゃないか」
「あれはあのままじゃ自分の圧勝だったから、真に花を持たせてやろうと思ってやったんだぞ?」
「頼んでないよ、そんなこと。響こそ負けそうだったからウヤムヤにして誤魔化そうとしたんじゃないの?」
「自分の負けだ、って言いたいのか!」
「そっちこそ!」
「響さんも真さんもケンカはダメです! 仲良くしてくれないと悲しくなっちゃいます……」
「あー! まこちんたちがやよいっちを泣かせたー!」
「先生に言ってやろ!」
「ええっ!? ち、ちがうんだよ? ボクたち、別にケンカしてたワケじゃないんだ!」
「そうそう! 今のは……ケンカ……そう! ケンカの練習なんだ!」
亜美たちの揶揄いに、真と響は慌てて否定する。
本当に悲しそうな顔をするやよいを宥め、どうにか笑顔を取り戻す。
最後には仲直りの握手をさせられ、どうにか収めることに成功する。
「岩倉さん、お忙しいところすみませんでした」
そんなやりとりを眺めながら、プロデューサーが操舵席の男に頭を下げた。
「いえいえ、テレビで観てる人らを乗っけるなんて滅多にないことなんで、忙しいなんて言ってられんですわ。
それにここんところ天気もぐずついちまって漁にも出られんかったからちょうどいいや」
岩倉と呼ばれた男は真っ黒に日焼けした腕を振りながら笑顔で答えた。
”ガンさん”の愛称で通っている彼は漁師として海に出る傍ら、時間が空いた時には送迎役も務めている。
2人は初対面だが高木が話をつけてくれていたおかげで、すぐに船を手配してくれた。
「俺が765プロの人らを送迎したんだって孫にも自慢できますわな。あいつ、あの女の子が好きなんですわ」
「あの子……?」
横にいた律子が問うた。
「そうそう、髪の長い子。よく3人で歌ってる……すんませんな、そこまで詳しくないんで」
「3人ということは竜宮小町じゃないですか?」
「竜……そんな名前じゃなかったなあ……プロなんとかだったかなあ――ああ、ほら、あの子ですわ。
あそこで喋ってる、ちょっと日焼けしとる子。孫がよく真似しとってね。口癖みたいなやつ」
アイドルはテレビでたまに観る程度の岩倉には、彼女たちの区別はついていない。
休日は孫と一緒に歌番組を観ているが印象には残っていないようだ。
「もしよかったらサインなんか貰えたら――いやいや、やっぱりいいや! 申し訳ない!
765プロさんも仕事でもないのに、こんなこと頼んだら迷惑だもんなあ」
大袈裟にかぶりを振る岩倉に、プロデューサーは苦笑して言った。
8:
「いえ、いいですよ、サインくらいお安いご用です。送迎をお願いしているんですから……」
「本当かい? いやあ、悪いねえ……これで顔向けできますわ。俺がアイドルを乗っけたって知ったらあいつ、
きっと拗ねちまいやがるに決まってるんで。いただけるんなら一生の家宝にしますわ」
黙っていれば射竦めるような目つきの彼も、孫の話となると別人のように表情が変わる。
「今後ともうちのアイドルをよろしくお願いします」
律子が丁寧に頭を下げた。
「仲間にも宣伝しときますわ。こんな別嬪のお客さんならいつでも大歓迎だ」
孫への土産ができたことでますます機嫌を良くした岩倉は大仰に笑った。
「起きてるなんて珍しいじゃない」
目を細めて水平線を眺めながら伊織が言う。
「いつも寝てるみたいに言わないで欲しいな」
美希はぼんやりと海を見つめているが声ははっきりしている。
「いつも寝てるわよ」
「こんなキラキラしてるのにもったいないから」
呆れたように言う伊織を無視し、美希は水面を指差した。
「太陽の光が反射してキラキラしてるの。ガラスみたいで綺麗でしょ?」
「そんなの別に大した……まあ、そうね」
2人はそろってうねる水面を見下ろした。
「あっ! みんな、見て!!」
突然、真美が舳先の方を指差して叫んだ。
「まったく情緒も何もないわね……」
微苦笑して伊織が真美の元に向かう。
美希もそれについて行った。
深い青の向こうに小さな島が浮かんでいた。
「亜美隊員! 我ら、ついに無人島を発見しましたぞ!」
「うむ、あの島を探検団の名にちなんで双海島と名付けよう! 各員、上陸の準備をせよ!」
2人は船縁を掴んで身を乗り出している。
その後ろで落ちないようにと、あずさがしっかりと2人の裾を掴んでいた。
「バカね。あの島は事務所の所有ってことになってるんだから、無人島じゃないわよ」
伊織がため息まじりに言う。
「でも今は無人でしょ?」
「え? ああ……そうなるのかしらね……?」
亜美に言われ、彼女は首をかしげた。
9:
「よっし! あと10分もすりゃ着くからな。お嬢ちゃんたち、もうちっと辛抱してくんな」
岩倉は波の動きに合わせて船体を傾け、揺れの小さくなるように船を走らせた。
次第に近く、大きくなってくる輪郭は絵に描いたような南の島――というワケではなかった。
全容は歪(いびつ)で、ところによっては峻峭な絶壁も目立つ。
ただ手前には真っ白な砂浜が広がっていて、それなりの雰囲気は醸し出している。
船は俄かに度を落として砂浜の一部から突き出した桟橋を目指す。
車のように巧みに方向転換し、岩倉は慣れた手つきで杭に舫(もや)った。
「ほいほい。あっと気をつけなよ。いま寄せるからな」
逞しい腕で杭を掴み、ぐいっと引っ張る。
その力を受けて船が小さく揺らぎ、桟橋との距離をかなり縮める。
「自分が一番だぞ!」
どうにか桟橋に足が届く距離まで船が近づき、真っ先に響が降りる。
「あ、ずるいぞ、響!」
真、亜美、真美、貴音にエスコートされるように雪歩が続く。
「岩倉さん、どうもありがとうございました」
再度、プロデューサーと律子が揃って頭を下げた。
「よしてくれ。代金を貰ってる以上、ちゃんと送り届けるのが仕事ってもんだ」
岩倉は恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
しかしすぐに真剣な表情に戻り、
「ところで迎えは本当に予定どおり、3日後の正午でいいんですかい?」
内緒話をするように声をひそめて言った。
「ええ、お願いします」
「まあそう言うならしょうがねえが……心配だなあ。もうちょっと早くしたほうがいいと思うんだがねえ」
「大丈夫ですよ。食料等、必要なものは充分揃っているという話ですから」
「う?ん…………」
「私たちが引率してますから危険なこともさせませんし――」
律子も言葉を添える。
だが岩倉は腕を組んで唸った。
「いや、そういうワケじゃないんですがね……」
春香たちは既に桟橋の向こう、砂浜で思い思いに遊んでいる。
「脅かすつもりはないんだが最近、この辺りで物騒なことが起こっててなあ」
「どういうお話なんですか?」
「あんまり気分のいい話じゃないんで……」
「そこまで聞いたら気になるじゃないですか」
律子が少し怒ったように詰め寄った。
岩倉はしばらく口を噤んでいたが、やがて観念したように、
「あんまり口外しないでくださいよ――」
と前置きして話し始めた。
10:
「不審者がいるらしいって噂されるちょっと前だったかな。野良犬や野良猫の死骸があちこちで見つかるようになったんだ。
それがどうも病気や寿命じゃないらしいんで。ひどい殺され方だったもんで俺も弔ったんですわ」
「こ、殺され……?」
「何かで殴られたり斬られたりで。警察の捜査も始まってるんですが、一向に手がかりがないらしくてね。
何人か目撃者も現れたんだが、それがまた妙な証言ばっかり集まりやがるんで。
真っ黒な影みたいなやつが宙に浮いてたとか、でっかい光る蛇みたいなのが空から落ちてきて海に潜ったとか。
なんせ要領を得ないもんだからお巡りも調べようがないって。仕舞いにはどこから聞きつけたのか霊媒師だかが集まってきて、
今すぐお札を買わないと呪われる、なんて言い出しよったんですわ。
若いモンも、”物の怪にちがいない”とか騒ぎ始める始末で――」
「気味が悪い話ですね……プロデューサーは知ってたんですか?」
「いや、初耳だ。社長もそんなことは一言も……」
「そりゃ言えませんわな。観光地から離れてるったって、あの辺りも旅行客で成り立ってるからねえ。
俺たちだって時期によっちゃそこらの島嶼巡りの案内役やって何とか生計立ててるんだ。
妙な噂が広まったらガタついちまうんで。物好きな連中なら却ってやって来るだろうけどね。
霊媒師みたいな面倒な客まで来ちまったらお手上げさあ。だから自然とこの話はせんようになったんですわ」
岩倉は申し訳なさそうに頭を垂れた。
「でもそれって港周辺のお話ですよね? この島では?」
「そんな噂は聞いてないなあ。他の島嶼でも話は聞かんから、どうも港だけみたいだわな」
それを聞いてプロデューサーは小さく息を吐いた。
「なんだか気持ちの悪い話ですけど、それなら大丈夫じゃないですか?」
「んん、まあ……宙に浮いてた影とか、クジラほどもある大きな蛇が海に潜ったって証言があるから、そこは気になるんですがね」
そう言い、岩倉は拝むようにして両手を合わせた。
「すんませんなあ、今になってこんな話して。久しぶりに全員揃って旅行だと聞いたもんで、水差したくなかったんですわ」
そんな彼を責めるように律子がため息をついた。
「今さらキャンセルするわけにもいきませんし、ここも港から遠く離れた島ですし。
取り敢えずこの件は置いておくとして……せっかくの旅行を楽しみましょうか」
ちらりとプロデューサーを見やる。
「ああ、そうだな」
彼も曖昧ながら頷いた。
「では岩倉さん、3日後のお昼にまたお願いします」
船を降りた2人はもう一度お辞儀した。
その様子を貴音はじっと見つめていた。
「船頭さーん! どうもありがとうございましたー!」
砂浜から春香たちが手を振る。
11:
「おうよ! こっちこそありがとな!」
ガッツポーズを見せる岩倉にプロデューサーが思い出したように、
「そうだ、響! ちょっとこっちに来てくれ!」
やよいと蟹で遊んでいた響を呼び戻す。
「忘れ物?」
「いや、岩倉さんのお孫さんが響のファンらしくてな。サインしてほしいんだ」
「お安い御用だぞ。色紙持ってる?」
「ああ、何枚かある。ほら、これ」
渡された色紙にサインする響。
「ほ?、手慣れたもんだ。よくそんなにスラスラ書けるね」
何かの文字か記号にしか見えない岩倉はしきりに頷いている。
「まあね。自分、カンペキだから! はい、できた!」
その後、さらに2枚分書き上げて岩倉に渡す。
「こっちはおまけ。もし他にも欲しいっていう人がいたらあげてね」
「おお、ありがとよ! いやあ、アイドルってのは気前がいいねえ。ごめんな、無理言っちまって」
「ううん、自分たちこそ、ちょっとうるさくしちゃったでしょ? だからそのお詫びっていうか。
それにファンには自分たちのこと、もっと好きになってもらいたいし……」
無邪気に笑う響に、
「今のは惚れたなあ。俺、きみのファンになってもいいかい?」
岩倉は耳まで真っ赤にして言った。
「もちろん! お孫さんと一緒に応援してくれると嬉しいぞ!」
すっかりファンになった岩倉は響と握手した。
「悪い、またせたな」
船が引き揚げるのを見送ってから、プロデューサーは砂浜で遊んでいる春香たちに声をかけた。
貴音は慌てて余所を向いてから彼を見た。
「遊んでるところ悪いけど、まずは荷物を部屋に置いてからよ」
律子が通る声で言った。
3泊するということで各々の荷物はかなりの量だ。
それでも雪歩や千早は片手で持てる程度のバッグに要領よく物をまとめてあるが、
亜美と真美はどう見ても3泊には大きすぎるリュックサックである。
「あんたたち、どうせゲームでも詰め込んでるんでしょ?」
伊織が意地悪そうな顔で言った。
「当然っしょ? 旅行にゲームは付き物だぜ、いおりんや」
「はいはい、なら今度チェスでも教えてあげるわ……で――」
彼女はちらりと反対側を見やる。
12:
「こっちは山籠もりでもするつもりかしら?」
ゆうに30キログラムは超えているであろう登山用リュックサックが4つ。
真と響がふたつずつ持ち込んだものだ。
「だって合宿だよ? これでも少ないくらいだよ」
「この程度で山籠もりに見えるなんて、伊織は日頃の鍛錬が足りないぞ」
「要らないわよ、そんな鍛錬。バカじゃないの?」
と言い合っている間にプロデューサーを先頭に島の奥へと歩き出す。
「伊織、ありがとね」
大きなリュックサックを軽々と担ぎながら、追い越しざまに響が言った。
「きゅ、急に何よ? あんたにお礼を言われるようなことした?」
「ハム蔵たちを預かってくれたことだぞ」
「ああ、そのことね」
南の島に、という話が持ち上がった時は喜んだ響だったがその間、ハム蔵たちはどうするかという問題があった。
事務所につれて行くワケにはいかず、社長も小鳥も面倒を見ることはできない。
そのため最初、響は合宿を辞退したが、水瀬家の敷地なら充分サポートできると伊織が申し出た。
出発前日には無事に全頭の移動を終え、そのお陰で彼女は参加することができた。
「あんた、本当に来ないつもりだったの?」
「3日も家を空けるワケにはいかないからな。だけど伊織のおかげで――」
響は肩越しに後ろを振り返った。
「…………?」
「と、とにかく、感謝してるってことさ!」
「いいわよ、別に。あんたにも参加してもらわなきゃ困るから……」
伊織は最後まで言い切らずに、ふいと余所を向いた。
100メートルも進むと肌理の細かい砂地は途切れ、高木が生い茂る森に入る。
「あずささん、はぐれないようにお願いしますね」
「ふふ、その時はお願いしますね……」
念のため律子が最後尾を歩き、列が乱れないように見守った。
一行はなだらかな斜面を進む。
アーチ状に伸びた枝葉が天然のトンネルを形成し、下を歩く彼女たちにちょうどよい日差しを齎(もたら)す。
人の手の殆ど加えられていない道は足に優しく、土本来の反発性もあって歩きやすい。
名前も知らない草が足首に絡み付き、春香は蹌踉(よろめ)きながら千早の後を追う。
13:
「泊まるところは洋館だって言ってましたけど、遠いんですか?」
前を行くプロデューサーに雪歩が問うた。
まださほど歩いてはいないが、額にはうっすら汗をかいている。
「いや、そんなに遠くないらしい。そろそろ着いてもよさそうだけど……」
その割に一向に洋館が見えないのは、ジャングルのように木々の密度が高いせいだ。
腰の高さほどもある草が繁茂していて、道を逸れればたちまち迷ってしまいそうになる。
「あ、あれだな!」
いつの間にかプロデューサーを追い越して先頭に立っていた響が指差した。
その先には――。
「すっごくおっきいですー!」
”洋館”という言葉が表面的に与える様々なイメージを全て取り入れた外観が鎮座していた。
孤島に佇んでいるそれは、聳立していると言っても誤りではない。
コの字型のシンメトリー。両端が手前に張り出している。
様相は欧州あたりのモダンな館だが、外装は最近改修されたのか鮮やかな色合いだ。
「これで2階建てなんですか!?」
春香はあんぐりと口を開けている。
林を抜けた丘陵に建てられた館は、2階層とは思えないほどの迫力がある。
「なんか車椅子のミイラとか出てきそうだね」
「あと動くヨロイとか?」
亜美たちは早くも周辺の探検を始めている。
「こら! 勝手にうろうろしないの!」
最後尾の律子がようやく追いついた。
「外壁とか門はないんですね」
雪歩が珍しそうに辺りを見回した。
緩やかとはいえ丘の頂上に建つ館は平地のそれと違って外壁を造りにくい。
どうしても歪な形になるし、石造りになるとその歪さのせいで脆くなり、精彩さも欠けてくる。
「じゃあ開けるぞ」
ポケットから片手では収まらないような大きさの鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
洋館といえば歴史や伝統を感じさせる響きだが現代的な部分もある。
両開きの正面扉は年季の入った木製なのだが、その横にはインターフォンがついている。
取っ手に関しても一般の住宅に見られるような金属製のサムラッチ型だ。
「あれ? こういうのって輪っかを叩くタイプじゃないんですか? ライオンの顔になってて……」
それを見つけた真が首をかしげた。
「社長が言うにはそんなに古くない建物らしいからな。そんなのが島の真ん中にあるのも妙な感じだけどな」
差し込んだ鍵を回すと、安っぽいお化け屋敷を思わせる軋轢音が鳴り渡る。
14:
「うわぁ??」
扉を開けると誰ともなく、そんな声を漏らす。
外観に負けない内装の美がそこにあった。
丘を登りきった時には荘厳な館に喚声をあげていた彼女たちだが、扉の向こうの光景には驚嘆の息が漏れるばかりだった。
ワインレッドのカーペットが足元から伸びている。
重厚な赤の花道はエントランスホールの中ほどで二手に分かれ、2階へと続く階段を案内していた。
「映画みたいなの……!」
入ってすぐ右に置かれている西洋甲冑。
天井に届きそうなほどの振り子時計。
全てが金銀珠玉でできているようなシャンデリア。
渋みのある大きなソファ。
それら全てが日常の生活にはまず縁のないものばかりで、一同は口をぽかんと開けて内外の美を堪能していた。
「ずいぶんこじんまりしてるわね」
ただひとり、伊織だけは涼しい顔をしている。
「もし運命の人がこんな大邸宅を持っていたら掃除が大変ねえ」
「掃除なら私がやります! やりがいがありそうです!」
正面の窓は大きく作られていて採光も良く、館内は重厚感を損ねない程度に明るい。
「ゾンビが出てきたりして……」
真美がぼそりと呟き、
「廊下の窓から飛び込んでくる犬に注意しないとね」
亜美が便乗する。
「あれ? ここって圏外なんだ」
春香が声をあげた。
手にした携帯電話には圏外の文字が小さく表示されている。
「はいはい、静かに。まずは中を見て回りましょうか」
荷物は一旦エントランスに置かせ、今度は律子が前に立って館内を歩いて回る。
最初は館左手側だ。
コの字型に建てられた館は幅の広い豪奢な廊下で繋がっているが、棟という区切りはない。
ホールを含む中央部分から左右に便宜上3棟に分けるとすると、共有スペースは中央の棟に集約されている。
厨房、食堂、大浴場などは1階に。
集会などに使用できる多目的室が中央棟の2階の半分ほどを占める。
「左右の棟は同一の構造になっているようですね」
「ええ、中央部分以外は同じ間取りになっていて、皆が寝泊まりする部屋もそこみたいね」
見取り図を眺めながら律子が言った。
「実際はこんな感じね。社長の手書きだけど正確に書かれてるわ」
貴音はちらっと律子を見やった。
15:
「見てのとおり、1階に3部屋、2階にも3部屋。それが左右の棟にあるからちょうど全部で12部屋ね」
「ねえ、律子……さん、このいくつかある×印は何なの?」
美希が指差したのは、左右の棟と中央棟が接合する角の部分だ。
1階、2階とも食堂の横等に×印が書かれた空間がある。
「ちょっと待って、社長のメモ書きがあるわ……うん、物置とか発電機なんかが置いてある場所みたいね。使わない場所だから消してあるのかしら」
「ふうん……」
「じゃあ誰がどの部屋を使うか、クジで決めましょうか」
律子はポケットからメモ帳を取り出した。
クジといっても大したものではない。
見取り図の部屋にAからLの数字を書き入れ、メモを小さくちぎってこちらにも同じ数字を振る。
引いた数字に該当する部屋を使う、というだけのことだ。
「あの、部屋がふたつ足りませんよ?」
まじまじと見取り図を眺めていたやよいが言う。
「ええ!? じゃあ誰かが野宿するってこと?」
真美が頓狂な声をあげ、
「かわいそうに、ひびきん……風邪ひかないようにね」
亜美が響の肩を叩く。
「なんで自分なんだ!」
「おやおや? ということは他の誰かならかまわないと……?」
「そういう意味じゃないってば!」
響は顔を赤くして反駁した。
「俺と律子は一応引率ってことで、この管理人室を使うことになってる」
プロデューサーが示したのは中央棟1階、食堂に近い部屋だ。
「俺は1階。律子は2階のここだ」
そう言って多目的室横の部屋を指す。
「むむ、ということはGを引いてしまったら律っちゃんのすぐ傍になってしまいますぞ」
「大丈夫だよ、亜美。クジにこっそり細工して……」
「聞こえてるわよ、あんたたち」
12枚の紙片を折り畳んでビニール袋に入れて混ぜながら、律子が低い声で言った。
適当に順番を決めてそれぞれ一枚ずつ抜き出す。
間取りは同じなのでどこの部屋でも大差はない。
強いていえば階段の昇降を要するかどうかの違いくらいだ。
「ボクはC、1階の端だね」
一番にクジを引いたのは真だった。
「私は……B、真の隣だね」
次に春香、やよいが引く。
その後でやよいが伊織にクジの入った袋を渡そうとしたが彼女は頑なに固辞し、結局最後に引いた。
結果、割り当てはこのようになった。
16:
17:
18:
「やった! ハニーの隣なの!」
美希が俄然喜ぶその横で、
「うあうあ?! まさかのGだよ! ねえ、律っちゃん、もう1回やりなおそうよ?」
亜美が泣き縋るように訴えた。
「やりなおしたらクジの意味がないでしょうが」
「いや! 亜美はこの目でたしかに見たんだかんね! さっきのは不正があったのだ!」
「不正?」
目が合った真が怪訝そうに問う。
「クジを混ぜる時に、まこちんはドータイ視力で中身を見てたんだよ。それで亜美にGを引かせたんだよ!」
どうだと言わんばかりの亜美に、彼女は絶句する。
「んっふっふ?、ヘヤワリのジツ、破れたり!」
ビシッと自分を指差す彼女に、
「ムチャクチャだなあ。そもそも亜美は4番目あたりに引いたんだから、まだ残ってるクジのほうが多かったじゃないか。
そんな状況で細工なんてしようがないだろ。かわいそうだけど今回は諦めて律子の隣で寝泊まりしなよ」
真はかぶりを振って言った。
「言ってることは尤もだけど、ちょっと傷つくわね……」
律子は不貞腐れるように言う。
「よし、決まったな」
プロデューサーが手にした見取り図に誰がどの部屋をとったかを手際よく書き込んでいく。
「じゃあ皆、それぞれの部屋の鍵を渡すから1階の管理人室に来てくれ」
14人がぞろぞろと歩くと、さすがに広い廊下も手狭に感じられる。
「ええっと……」
管理人室は他の客室に比べていくらか広い。
ベッドやキャビネット等、置いてある物はこの館の雰囲気に似合わず質素である。
「これだな」
ドア側の壁にキーボックスが掛けられている。
開けると昆虫標本のように30個以上の鍵が整然と並んでいる。
今も多くの住宅で使用されているディスクシリンダー型だ。
鍵にはそれぞれにどの部屋のものかを示す木製のタグがリングチェーンで結ばれている。
タグには『1F?管理人室』『2F?遊戯室』といった具合に書かれてある。
また客室の鍵は、『1F?D』『2F?K』のように英数字だけの表記となっていた。
タグの表記は機械で彫られており、先の尖ったもので擦っても消えないようインクが浸透している。
鍵もタグもデザインは統一されているため、遠目では区別がつかない。
「自分のものに間違いがないか確認してくれ」
先ほどの割り当てを元に鍵が行き渡る。
しばらく見取り図と手元の鍵とのにらめっこが行なわれる。
手違いがないことが分かると、部屋に荷物を置きに行こうということになった。
「じゃあ水着に着替えて10分後に集合ね」
誰が言うともなしに決まり、一同はエントランスに置きっぱなしだった荷物を持って部屋へ向かう。
19:
 10時25分。
白地に桃色の花が描かれた壺を見つめながら、春香はふっと息を漏らした。
棟をほぼ3分割しているだけあって一室はかなり広い。
そこに一人掛けのソファやテーブル、背丈ほどもあるキャビネットが程よい間隔で置かれている。
それらは白や薄茶が基調でカーペットやクロスとよく融和している。
壁には花や鳥を描いた絵画がかけられており、客を飽きさせない。
「一度でいいからこんなお屋敷に住んでみたいなあ」
小さなシャンデリアを仰いで春香がため息まじりに呟く。
内装だけでなく、設備面も充実している。
1階の大浴場や手洗い場とは別に、各部屋の南側には狭いが3点ユニットバスもある。
「あっと、遅れちゃう!」
慌てて荷物を片付け、水着に着替える。
途中、2度ほど転びそうになったが何とかもちこたえる。
「あ、千早ちゃん」
部屋を出て食堂を左手にした春香はちょうど前を歩いていた千早の背中に声をかけた。
だが彼女は振り返らずにエントランスのほうへと歩いていく。
「千早ちゃん」
もう一度呼びかけると、千早はようやく肩越しに振り向いた。
「ごめんなさい、少し考えごとをしていて……」
「…………?」
「大したことじゃないわ。ちょうど部屋数と人数が同じなんて、私たちのために建てられたみたいだと思って」
「言われてみれば……他は物置とかで使わない場所だって言ってたもんね」
「もしかしてずっと前から社長が私たちのために用意してくれてたのかしら」
「どうなのかな? そんなお金があるようには見えないけど……」
「ふふ、それは失礼よ」
春香は施錠したのを確認し、千早と一緒にエントランスに向かった。
エントランスにはほぼ全員が集まっていた。
「ねえねえ、やよいっち。部屋にあった絵、見た?」
「うん、あの貝殻みたいな絵でしょ?」
「貝殻……? 真美のところは湖だったよ」
「みんな違うのか。自分のところは蛇みたいなのが海に潜ってる絵だったぞ」
そこに大きなバッグを抱えたプロデューサーがやって来た。
20:
「揃ってるか? ああ……よし、それじゃあ行こう」
彼はふっと視線を逸らす。
「ハニー、みんなの水着姿に興奮してるの!」
それに気付いた美希が大きな声で言った。
「プロデューサー、見損ないましたよ……」
「や、やっぱり男の人って……みんなそうなんですか……?」
真と雪歩に代わる代わるに責められ、
「な、なに言ってるんだ!? 仕事でも何度も見てるだろ。興奮なんてするワケないじゃないか」
彼は顔を真っ赤にして反駁した。
「みんな、プロデューサーさんをいじめちゃダメよ?」
おっとりした口調で言ったあずさは、やや前かがみに彼を見つめた。
上着を羽織ってはいるが、白い水着のおかげで豊満なバストがより強調される。
「あ、あずささん……!」
誤魔化すように彼はバッグを担ぎなおした。
「むー、なんか面白くないの……」
拗ねる美希だが真が宥めるとすぐにご機嫌になった。
律子の一声で一同は館を出て浜へ向かう。
来た道を逆に辿るだけなので皆の足取りは軽い。
「改修ってことは元々は違う間取りだったんですか?」
「詳しくは聞いてないがそういうことらしい」
「なるほど、高木殿の計らいでしたか――」
千早が部屋数についての疑問を口にしたところ、プロデューサーが曖昧に答えた。
社長が手に入れたのは洋館のみで、島そのものの所有者は別人であること。
その洋館も今とは様相がかなり異なり、部屋数は少なくとも倍はあったということ。
それを1年かけて壁を取り払い、内装を整えたということ。
インターフォンがついているのも、各部屋の鍵が新しいのもそのためだ、と彼は言った。
ただしそれ以上のことは聞いていないという。
「まあ福利厚生みたいなものだと思えばいいんじゃないか?」
彼は天を見上げた。
木々は燦々と降り注ぐ陽光を受けて青々と広がり、天と地を分かつ天井のように伸びている。
風に揺れ、葉の隙間からスリット状に地面に届く光と影が作り出す自然の模様は、ただの一瞬さえ全く同一のものはない。
21:
「事務所のホームページにも今回のことは”社内研修”としか書いていないし、俺たちがここにいるのを知っているのは、
社長と音無さん……それからさっきの船頭さんくらいだ。人の目を気にせず目いっぱい楽しんでほしい」
「そうとあれば存分に養生すると致しましょう。ここは自然に溢れていますから」
などと話をしている間に林を抜け、開けた視界いっぱいに真っ白な砂浜が現れる。
桟橋以外に人の手が加えられたものはない。
都会ではしばしば不愉快な陽射しも、ここでは心地が良い。
「あまり沖のほうに行くんじゃないぞ」
「はいはーい」
亜美と真美はプロデューサーの声を後ろに海に向かって走り出している。
貴音、あずさが簡易のビーチベッドとパラソルを開いた。
この2人なら声をかけてくる男はいくらでもいるだろうが生憎、ここには他の海水浴客がいない。
「ハニー、日焼け止め塗ってほしいの」
既にプロデューサーに足を向けてシートの上でうつ伏せになっていた美希は、肩越しに甘えた声を出す。
「ああ、いいぞ」
「え、ホントに!?」
「ああ、いつも頑張ってるからな。でも恥ずかしいから、絶対にこっちを向かないでくれ」
「了解なの!」
だらしなく頬を緩ませて美希は組んだ両腕に顎を乗せた。
太腿にオイルが垂らされ、冷たい感覚にぴくりと足をくねらせる。
「じゃあ、いくぞ」
おそるおそる、手が触れる。
掌全体を太腿に押し当て、軽く指を曲げてなだらかな曲線に五指を沿わせる。
掴むのではなく、揉むのでもなく、なぞるように撫で上げる。
「………………」
くすぐったさに美希は身をよじる。
だが両の手はお構いなしに膝の裏へと滑っていく。
まるでひと続きの丘陵のように脹脛(ふくらはぎ)と太腿とを、緩急をつけて掌が往復した。
「ハニーの手、意外と小さいんだね……」
眠そうな彼女の声に、
「そ、そうか?」
プロデューサーが笑いを堪えながら言った。
「うん、それに柔らかくて女の子みた――」
そこまで言って彼女は上体を起こして振り向いた。
22:
「あら、まだ終わってないわよ?」
律子だった。
その手はオイルに濡れている。
「り、りつこ……」
「さん」
「さ、さん……」
「よろしい」
イタズラが成功した子どものように律子が笑う。
「ハニー、ひどいの! こんなのってないの!!」
「無茶言うなよ。俺がそん……そんなことできるワケないだろ」
プロデューサーは余所を向いて言った。
だが堪えきれずにとうとう噴き出してしまう。
一方、雪歩は砂浜に巨大な穴を開けていた。
深さは2メートルに達しているが、彼女はまだ掘り進めている。
そのすぐ横では雪歩が掻き出した砂でやよいと伊織がサンドアートに興じていた。
適度に水分を含んでいるためによく固まり、小さな砦が完成する。
「ねえ、ビーチバレーしない?」
写真を撮っていた千早に春香が声をかける。
ここまでに100枚ちかく撮影している。
大半は自然の風景だが、今は海で遊んでいるアイドルたちがファインダーに映っている。
「あ、写真? いいの撮れた?」
春香がカメラを覗き込む。
「ええ、いいお土産になるわ」
バッテリーにも撮影可能枚数にもまだまだ余裕がある。
来られなかった社長や小鳥のためにたくさん撮りたい、と彼女は言う。
「ああ、えっと、ビーチバレー? 2人でするの?」
千早は提げていたバッグにカメラをしまった。
「んー、どうせなら765プロ対抗戦とか」
「面白そうだけど優勝する人は決まってるんじゃないかしら?」
千早の視線の先には準備運動をしている真と響がいる。
その動きはかなり激しく、準備運動というよりダンスに近いものがあった。
「勝負は時の運って言うよ?」
23:
ボールは春香が用意している。
彼女は砂浜のほぼ中央に立ち、
「今から765プロビーチバレー大会を始めます!」
高らかに宣言した。
あまりに通る声だったので全員がそちらに注目する。
「ん? なんだ?」
響が首をかしげた。
「ビーチバレー大会だって。あ、千早たちもやるみたい」
「へ?、面白そうだな。自分たちもやろうよ」
「ちょっと待ってよ。ボクたちは今からあの岩まで泳いでどっちが先に着くか勝負するんだろ?」
船上ではやよいの仲裁で有耶無耶になったが、この2人の勝負はまだ始まってもいない。
洋館を出るときから決着をつけようと彼女たちは約束していた。
「ふ?ん、真はビーチバレーで敗けるのが恐いのか?。なら仕方ないなあ……」
「だ、誰が敗けるだって!?」
「無理しなくていいぞ? 誰だって苦手なことはあるからな」
「言ってくれるじゃないか、響……いいよ、その勝負、受けて立つ!」
根が単純な真はあっさりと挑発に乗る。
「こうしよう。ビーチバレーが終わったら、そのあと続けて泳ぎで勝負するんだ。
もちろんバレーのほうも勝敗にカウントする。それでどう?」
真の提案に響は顎に手を当てて唸った。
「言いたいことは分かったぞ。バレーで勝とうとして体力を使い過ぎると後の勝負で不利になる。
だからって手を抜いてたらみすみす勝利を譲ってしまう、ってことだな」
「そういうこと。ボクたちらしい勝負の仕方だと思わない?」
「そう、だな。よし、それでいいぞ! ビーチバレーと泳ぎの二連戦……いざ、尋常に勝負だ!」
参加者はプロデューサーと美希を除く全員――のハズだったが、春香が、
”優勝者にはプロデューサーになんでも頼める権利”が与えられると言い放ったため急遽、美希も参戦することになる。
これには伊織も乗り気で、優勝して下僕のごとく扱き使ってやるわ、と意気込んでいる。
こうなると今度は人数が合わなくなるからという理由でプロデューサーも半ば強制参加となった。
「じゃあチームを決めよう」
「その間にコートを作っておくわね」
「あ、私が行きますから!」
あずさが木の枝を拾ってきてコートを描くと言い出したので、千早が慌ててその役を引き受けた。
「ゼッタイ優勝してハニーをデートに誘うの!」
珍しく美希が準備体操を始めている。
「皆、悪い。ネットを持って来てたんだが館に忘れてしまったんだ。取って来るからちょっと待っててくれ」
プロデューサーが林のほうへと小走りで消えていく。
24:
「あ、それなら私が――!」
「いや、俺が行くよ。律子は皆を見ていてくれ」
「分かりました」
彼が戻って来るまでの間、春香たちはチーム決めやルール作りで盛り上がった。
特にチーム決めについてはなかなかまとまらなかった。
勝つには誰とペアを組むかが重要だが、ゲームとして楽しむためにはパワーバランスも重要だ。
最初はクジで決めようとしたが真と響がペアになってしまい、これには他のチームが勝負にならないと猛抗議し、
結局は運動の得意な者と苦手な者、年長と年少といった具合にペアが組まれ、経緯は談合も同然だった。
そうして10分ほどかけ、どうにか準備が整ったところにプロデューサーが戻って来る。
ネットが予想より小さかったため、コートは描き直された。
「俺は誰とペアになったんだ?」
という彼の問いに、伊織は不機嫌そうに腕を組んだ。
まずは春香・真美ペアと、雪歩・貴音ペアの勝負。
ゲームは総当たり戦だが、暗黙の了解で真、響がいるペアは最後に行われることになった。
優勝賞品も懸かっているからか、なかなかに白熱している。
転んだ春香の手を引っ張りながら笑う真美。
あまり貢献できなかったと落ち込む雪歩を激励する貴音。
温和ながら意外にも奮闘するあずさとハイタッチを交わそうとするやよい。
だが背丈が合わないのでやよいが小さくジャンプしたところを、千早はしっかりと写真に収めた。
「こうして見るとダンスが得意な子が必ずしも強いとは限らないんだね」
出番を終えて観戦している雪歩が美希に言った。
「それってでこちゃんのこと? あれはちょっと違うと思うな……」
美希は欠伸をしながら言った。
「ちょっと! どこに向かって打ってんのよ!」
「今のは無理だろ!」
「あれくらい捕れなくてどうすんのよ! すでに5点差つけられてんのよ!」
プロデューサーと伊織のペアは、ボールを触った回数より小競り合いをしている回数のほうが多い。
お世辞にもチームワークも良いとはいえず、ラリーは続かない。
「美希ちゃんも運動得意だよね。何度もレシーブを決めてたし」
「んー、別に得意だって意識はないよ? やってみたらできたってカンジ」
「美希ちゃんはすごいなあ。それに比べて私なんて、飛んでくるボールが怖くてつい逃げちゃって……」
試合には勝ったものの、勝因の大半は貴音が握っていた。
軽いボールなら打ち返すことができたが、勢いのついたボールにはたじろいでしまう。
それを見越して貴音が後衛に徹することでカバーしてきたのだ。
「そんなに気にしなくていいって思うな」
彼女はもうひとつ欠伸をした。
連繋が上手くいかない伊織たちはもうどうやっても逆転できそうにない。
25:
「みんなキラキラする場所もやり方も違うの。雪歩には雪歩の得意なことがあるハズなの。
苦手なことを無くすのは大事だけど、得意なことを見つけてそれを伸ばすのはもっと大事だって、ハニーも言ってたよ」
「………………」
雪歩は驚いたように美希の横顔を見た。
やはりどこか眠そうな目であったが、その視線は伊織と言い争いを続けているプロデューサーにしっかりと向けられている。
「えへへ、ありがとう、美希ちゃ――」
「あ、いよいよ大本命の試合が始まるの!」
雪歩の言葉をかき消すように美希が叫んだ。
プレイヤーは入れ替わり、ネット越しに見合っているのは真と響だ。
それぞれ律子、千早とペアを組んでおり注目の一戦と言われていた。
「やっと出番が来たな」
「響、頑張るのですよ。油断してはなりません」
「油断なんてしないぞ。いつでも全力で勝負するのが自分のやり方だからな」
貴音のエールに響が笑顔で手を振った。
「我那覇さん、作戦はどうする?」
「そうだな……千早のほうが背が高いからブロッカーを任せてもいい? ジャンプ力もありそうだし、かなり強力な壁になると思うぞ」
「え、ええ……分かったわ……我那覇さん……」
千早が引き攣った笑みを浮かべる。
「なんか顔が怖いぞ? もしかして緊張してる? 相手は真と律子だもんな。でも大丈夫だぞ。
なんたってこっちには自分がいるからな! ブロックできなくても全部自分が拾うから安心してよ!」
「そうね……頼りにしてるわ、我那覇さん。勝ちに行きましょう」
などと話し合っているコートの反対側では、
「向こうは当然、響が主軸でしょうね。あの子の性格からして無理をしてでもボールを拾うハズ。
だけどここは砂浜だからシューズを履いている時とは勝手が違う。いつものような動きはできない。
とにかく響から遠い位置にボールを落とすようにして自滅を狙うわよ。きっとムキになってミスが増えるハズだわ」
律子が冷静に分析を始めている。
だが真はかぶりを振った。
「そう簡単にはいかないと思うよ。前に一度、砂浜で競走したことがあるけど、結果は響の勝ちだった。
しかもボクはフライング気味だった。ハッキリ言って砂浜じゃボクたちの方が不利なんだ」
「それなら千早を狙うしかないわね……」
両チームがネットを隔てて対峙する。
「まったく、あのバカのせいで敗けたわよ」
ぶつぶつと不満を述べながら伊織が美希の横に腰をおろした。
26:
「いよいよ本日のメインイベント、まこちんvsひびきんの頂上対決の時間がやってきたよー!」
「イケメン悩殺プリンス・菊地真が勝つのか? はたまた南国の太陽、なんくるない我那覇響が勝つのか? アイドルたちよ、カツレツせよ!」
亜美と真美が場を盛り上げようと勝手に実況を始めた。
「誰がイケメンでプリンスだよ!」
「なんくるないの遣い方間違ってるぞ!」
2人が同時にツッコミを入れた。
「はいはい、始めるわよ。それと”刮目”ね」
律子の一声で試合が始まる。
「はやッ!? なによ、あれ……コートが抉れてるじゃない……」
「真クンも響もすごいの!」
「千早ちゃんと律子さん、ゴーグルとか着けたほうがいいんじゃないかな……」
ゲームは延長戦に突入したが一向に勝負がつく気配がない。
真がアタックを決めればお返しとばかりに響がアタックを決める。
その応酬が延々と続き、千早も律子もコートにこそ残っているが棒立ちも同然だった。
「もうジャンケンか何かで決めたらいいと思うな……」
と美希が言ったときだった。
「あ、れ……雨……?」
ぽつぽつと雨が降ってきた。
先ほどまで快晴だったというのに、いつの間にか曇天となって灰色の雲が空全体を覆っている。
見上げた春香の頬を雫が打つ。
「うわ! 急に……!」
数秒もしないうちにザアザアと大きな音を立てて、雨は烈しさを増していく。
「まずいわね! 風邪をひくといけないわ……館に戻るわよ!」
沛然と降る雨は少女たちを容赦なく叩く。
年少組を先に帰らせ、プロデューサーと律子が中心となって道具を片付ける。
「ちぇっ……勝負はおあずけか……」
響が残念そうに言った。
「命拾いしたね、響」
さすがに疲れたのか、肩で息をしながら真が言う。
「む……それはこっちの台詞だぞ」
「明日、晴れたら続きをしよう」
畳んだネットを抱えてプロデューサーが小走りでやって来た。
27:
「皆、急げ! ほんとに風邪をひいてしまうぞ!」
という彼の声も、雨音に掻き消されてしまう。
小走りで館に向かうと、前を歩いていた年少組に追いついた。
舗装されていない地面が泥濘(ぬかる)んでいて、足をとられる危険があるため走らなかったという。
来た時と同じようにプロデューサーが先頭に立つ。
「それにしても急に降ってきたね」
真美が足元を一歩一歩確かめながらぼやいた。
「夢中だったからね、私たち」
春香が笑う。
雲ひとつないほどの晴天だったのに、土砂降りになるまで気付かなかったのは自分の責任だ、と律子が言った。
丘の上に館が見えてきた。
「あれ…………?」
玄関扉の前でプロデューサーがもたついている。
「どうかしたんですか?」
すぐ横にいたあずさが訊いた。
「鍵が…………」
呟きながら彼は一度鍵を抜き、再び差し込んで回す。
金属音がするのを確かめてサムラッチを押す。
そのままゆっくり引くと扉が開いた。
「開いてたってこと?」
その様子を見ていた伊織が口を挟む。
「あ、ああ。出る時に確かに鍵をかけたハズなんだけどな……?」
「さっきネットを取りに戻ったじゃない。その時に閉め忘れたんじゃないの?」
「いや、でも確かに……」
プロデューサーは訝しげに扉を見上げた。
その間に春香たちはさっさと館内に上がり込んでいる。
「この島には亜美たちしかいないんだから、別にカギなんてかけなくていいっしょ」
「そういうワケにはいかないだろ」
「っていうか寒いんだから、さっさと閉めなさいよ」
プロデューサーは釈然としない顔だったが、まずは全濡(ずぶぬ)れの体をどうにかするほうが先だ、ということになる。
エントランスは風通しが良すぎて体が冷えるから、足の泥を落とし、体を拭いてから談話室に移動する。
「今からお湯を張るには時間がかかるけど、どうする? シャワーで済ませるか、お湯を張るまで待つか」
客室のユニットバスを使うか、1階の浴場を使うかということになる。
だが浴場はさすがに全員が同時に入れるほど広くはなく、せいぜい6人が限界だ。
28:
「シャワーでいいんじゃない? とりあえず汚れを落としたいし」
「でも体が冷えてるわね。温めたほうがいいと思うわ」
律子が意見を求めると、シャワー派と入浴派が拮抗した。
取り敢えずは部屋にあるシャワーで汚れを落とし、その間に浴場にお湯を張って改めて入浴しようという話で落ち着く。
「プロデューサー、どうしよう!?」
それぞれが談話室を出ようとした時、響が慌てた様子で言った。
「どうした?」
「自分、部屋の鍵失くしちゃったみたいなんだ。ポケットに入れてたハズなのに」
「よく探したのか? そのポーチの中とかは?」
「全部探したけどなかったんだ。浜で落としちゃったのかも……見てきていい?」
響が今にも泣きだしそうな顔でこぼす。
「こ、こんな雨の中で探すなんて無茶だよ……!」
雪歩が不安そうな表情で言った。
「で、でもこのままじゃ自分、部屋に戻れないぞ……」
「いや、大丈夫だ」
プロデューサーの言葉に2人はぱっと顔を上げた。
「管理人室にスペアキーがあるんだ。入ってすぐ左側の机。その一番上の抽斗の中に同じように鍵が並べられてたハズだ」
それを聞いて響の顔が俄かに明るくなった。
「抽斗の中だね? 取ってきていいでしょ?」
「それなら俺も一緒に行くよ」
「いや、いいって! 自分のミスだからプロデューサーの手を煩わせるのは悪いし……」
「そうか? 場所は分かるよな?」
「うん!」
響は談話室を飛び出して行った。
その後ろ姿を見送ってから貴音は自分の部屋に向かった。
5分ほどして響が戻ってきた。
「もう失くすなよ? さすがにスペアキーまで紛失したらドアを壊さなくちゃいけないからな」
「う、うん、気をつける……ごめんね、プロデューサー」
響は恥ずかしそうに俯いた。
「ああ、いや、管理してなかった俺も悪かった。出かける時は一旦預かるとかするべきだったな」
その後、彼女もシャワーを浴びるために自室に戻った。
それから数分おきに春香たちが戻って来る。
29:
夏とはいえ、体は冷やすのは良くないということで何人かは薄手の上着を羽織っていた。
談話室の隅に電気ストーブを見つけた雪歩が電源を入れる。
内装に合わせて木目調のフレームだが、これ自体は数年前に製造されたものだ。
「夏も近いのにストーブなんてヘンな感じだね」
「急に降ってきたもんね」
手をこすっている雪歩の横に真が並ぶ。
千早は少し離れたソファに座り、カメラの調子を確かめている。
突然の雨で少し濡れたが故障はしていなかった。
「すこーる?」
「うん、沖縄だと晴れてるのに急に雨が降ることがあるんだ」
「狐の嫁入りとは違うのですか?」
「う?ん、ちょっと違うかも。さっきみたいにザーって降るのがスコール。狐の嫁入りはもっと静かな感じでしょ?」
貴音に沖縄の天候事情を説明しているのは響だ。
間もなく律子がやって来て、湯はりが終わったことを伝えた。
30:
 14時05分。
小さな旅館の浴場と大差はない。
6メートル四方の浴槽は大理石調で洋館の雰囲気に合っている。
床タイルも臙脂色を基調とした落ち着いた色で統一されているが反面、シャワーやカランは現代的で調和がとれていない。
「足を伸ばせるっていいよね?」
肩まで湯船に浸かった春香が大息しながら言った。
「運動した後は特に、ね。ゆっくりお風呂に浸かるのも久しぶりだわ」
春香のすぐ横で千早も同じように羽を伸ばす。
胸元はタオルでしっかりと隠している。
「こんな時間からお風呂に入ってると、温泉旅行に来たみたいだね」
雪歩が嬉しそうに言った。
彼女の白い肌は湯船に反射した照明とが相俟って、よりその白い嫋やかさを際立たせている。
「だよね。夜には花火なんかも上がったりして。まあここは旅館とは正反対のイメージだけど」
湯船に浸かりながら真はマッサージに余念がない。
「それにしても、さっきは残念だったね……結局、勝負はつかなかったもんね」
「もうちょっと時間があればなあ。そうしたらプロデューサーになんでも頼める権利はボクたちのものだったのに」
ため息まじりに真がそう呟くと、
「それは聞き捨てならないな」
向かい合うようにして浸かっていた響が口を挟む。
「あのままやってたら絶対に自分たちが勝ってたぞ」
「いいや、ボクたちが勝ってたね」
「いやいや、自分たちが――」
「ボクたちだって――」
「千早はどう思う?」
「え……?」
春香と話をしていた千早は名前を呼ばれて首をかしげた。
「さっきの勝負。あのまま続けてたら自分たちが勝ってたよね?」
「どうかしら。我那覇さんも真もすごく強かったから、どっちが勝っても不思議じゃないわ。
きっと勝負が着くとしたら私か律子のどちらかがミスをした時ね」
「え、ああ、うん……そうだな……」
31:
響がちらりと真を見やる。
「やめよっか、この話……」
「うん……」
そのやりとりを見ていた貴音は微苦笑した。
「見事でしたよ、千早」
突然の称賛に千早は分からない顔をする。
だがその視線を半分以上湯船に浸かっていながらなお豊満さが隠れもしない貴音の曲線に向けると、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。
32:
 17時15分。
全員が入浴を終え、談話室で思い思いに過ごしていると、
「あの、少し早いけど、そろそろ晩ごはんの用意をしませんか?」
やよいが切り出した。
その発言をキッカケにほぼ全員が時計を見上げた。
「これだけの人数のご飯を作るのは大変ですし」
どうでしょうか、と彼女はプロデューサーに意見を求める。
「そうだな。皆、どうする?」
「食は生きるに欠かせぬもの。反対などいたしましょうか」
「さんせーい!」
時間が時間だけに反対する者はいない。
昼間は中断したとはいえビーチバレーで体を動かし、その後は入浴にまつわるゴタゴタがあり、
きちんとした昼食を摂っていなかったため、豪勢な夕食を期待する声もあがった。
「じゃあ私、作ってきますね!」
早くも厨房に駆けていきそうなやよいに、
「私も一緒に作るよ。皆の分、作るのは大変だし」
春香が名乗りをあげる。
「ふふ、じゃあ私も。将来のために愛情たっぷりのご飯を作る練習でもしようかしら」
「自分も行くぞ」
あずさ、響がそれに続く。
4人も入れば厨房はいっぱいになる、という理由で調理メンバーは彼女たちで決まった。
「ならミキはここで寝てるの。できたら起こしてね」
言いながらソファに横になろうとした美希を、
「働かざる者、食うべからずよ」
律子が引っ張り起こす。
料理は4人に任せ、残りは調理の補助や食堂のセッティング等に回ることにした。
特に目立つようなゴミは落ちてはいないが、せっかくだから綺麗にしようと食堂やその前の廊下の掃除が始まる。
これは律子が中心になって行い、監督のつもりか美希も掃除を手伝わされた。
一方、食堂のセッティングは人数の割には捗っていない。
純白のテーブルクロスはよいとして、黄金色の燭台や重厚な花瓶、何に使うのかよく分からないトレイ等、
置いてある物がどれも高価そうなため、作業の手も恐々となっていた。
エントランスホールから入って正面の壁には暖炉まである。
33:
「これ、落としたりしたらベンショーだよね……」
さすがの亜美も銀製の器を持ってふざけようとはしない。
「あまり触らないほうがいいと思うわ」
千早が大きなトレイにグラスや皿を乗せて入ってきた。
食器等を納めている棚は厨房を抜けたさらに奥のスペースにある。
往復は料理中のあずさたちの邪魔にならないよう慎重になる必要があった。
「それにしてもスゴイなあ……」
改めて辺りを見回して真が呆気にとられたように言った。
中央にはゆうに20人は掛けられる長テーブルが設えられている。
椅子もホテルで見るような値の張りそうな意匠のものが一揃え。
テーブル上の燭台と花瓶は雰囲気を演出するためだが、これも決して安価な品ではない。
「こんなのもあったんだ」
暖炉の向かい側の壁に牡鹿のハンティングトロフィーが掛けられている。
近づいてみると思った以上に大きく、下から見上げると不気味だ。
「ねえ、まこちん、知ってる?」
足音を立てないように真美が近づいて言った。
「このハクセイ、笑うんだよ?」
「こ、怖いこと言わないでよ……!」
真は身震いした。
「ほんとだって。ゲームでやったことあるもん。昔のアクションゲームで主人公がジャクソンのやつ」
「ジャクソン?」
「白いお面のオノ持ってるやつだよ」
「白いお面……? もしかしてジェイソンのこと?」
「そうそれ。それで最後のほうにこれと同じハクセイが出てきてさ。主人公がダメージ受けたら笑うんだよ」
「なんかそれだけ聞いたら面白そうだけど……?」
「これでラスボスがカボチャなら決まりなんだけどね?」
真美は笑いながらその場を離れ、千早の手伝いに向かった。
34:
一方、調理組は順調だった。
厨房に入るや、まずやよいが言ったのが”お米を炊きましょう”だった。
米や炊飯器はすぐに見つかった。
「あ、待ってください!」
春香が炊飯器の内釜に計量した米を移そうとしたところに、やよいが待ったをかける。
「そのまま洗ったら釜が傷んじゃいます」
彼女は調理器具が収められている棚から大きめのボウルを見つけ出し、そこに米を移した。
そこに水を流し込み、米を研がずにすぐにその水を捨てた。
「捨てちゃうの?」
「はい。最初はお米についた汚れを流したほうがいいんですよ。お米は水に触れるとすぐに吸収してしまうんです。
そのまま研いだらお米が汚れを吸っちゃいますから」
「へ、へえ……」
「うちではお水がもったいないからしないですけど……」
やよいが恥ずかしそうに笑う。
「それから研ぎ方も大事です」
袖を捲って小さな力こぶを見せた彼女は、左手でボウルの縁をしっかり掴んだ。
「お米を研ぐっていうのは洗うことじゃなくて磨くことなんです。だから力を入れ過ぎないようにして――」
「すごいわね、やよいちゃん」
その手際の良さにあずさも響も感心した。
「えへへ、この前テレビでやってたんです」
その後、この時期なら浸水は30分程度だとやよいが言い、品書きは何にするかという話になる。
「変わった野菜があるね」
冷蔵庫を覗きながら春香が言った。
そう広くない厨房に業務用の大型冷蔵庫の存在は目立つ。
中段の冷蔵庫部は3段に分かれ、卵や調味料、飲み物が整然と並べられている。
ボトルタイプの飲み物は10本以上あるが、人数を考えれば3泊でこれは多いとはいえない。
下段の抽斗になっている部分は野菜室で、野菜や果物が詰め込まれている。
上段の冷凍庫部には肉や魚がラップフィルムに包まれた状態で保存されている。
左側に牛肉や鶏肉、真ん中に魚肉と分けられているが、右側にはサッカーボールが収まるくらいの隙間があった。
衣食住は心配しなくていい、という社長の言葉の意味は、冷蔵庫の中にまでしっかりと及んでいた。
肉類に魚類、野菜等がひととおり揃っている。
質、量ともに申し分なく、少なくとも食料が足りなくなる、という事態にはなりそうにない。
手際よく人参やじゃがいもの皮を剥きながらあずさが微笑む。
調理器具が収められている棚にはピーラーもあったが、彼女は敢えて包丁で皮を剥いている。
35:
「ところで自分たち、未成年だけどいいの?」
牛肉を一口大に切り分けていく響の手捌きは見事なものだった。
運動したこともあり、食べごたえのある料理もあっさりしたものも必要だろうということで4人で話し合った結果、
メニューは牛肉のビール煮込み、サラダ、スープとなった。
「大丈夫よ。アルコールなんて作ってる途中に飛んじゃうもの」
冷蔵庫の奥にビールを見つけたあずさは、すぐにメイン料理を提案した。
「自分、柔らかくするのにソーダを使ったことがあるけど、ビールでもいいんだね」
「プロディーサーさんが社長さんに頼んだのかしら? もしかしたら夜中に呑むつもりだったのかも……」
「まだ残ってるから平気ですよ」
そう言う春香は調味料の類を吟味していた。
後ろではやよいがスープ作りにとりかかっている。
彼女は野菜室に大量のある食材を見つけていて、それを豪快に使いたいと言っていた。
こうして各々が調理にとりかかってから1時間。
白米も炊け、ようやく全てのメニューが出来上がる。
「持って行ってー!」
という響の大声に、真っ先に貴音が飛びつく。
さらに雪歩、美希、伊織たちが加わり、厨房と食堂を往復する。
伊織は、
「たまには運ぶ係もいいわね」
なんて言っている。
料理を運び終えても、春香は厨房に残って何かをしていた。
36:
 18時30分。
「いただきまーす!」
牛肉のビール煮込みとサラダ、それに鍋いっぱいのもやしスープ
白米はやよいが手をかけただけあって色艶もよく、適度な弾力があった。
「美味しいっ!」
あちこちでそんな声があがる。
「このお肉、すごく柔らかいですぅ」
上品な手つきで肉を口に運び、雪歩が舌鼓を打つ。
「ビールで煮ると柔らかくなるんだって。あずささんのアイデアなんだよ」
春香が自分のことのように自慢した。
「これなら特売のお肉でも美味しく作れますね! あ、でも私じゃビールが買えません……」
「だったらソーダを使うといいぞ」
「ジュースなら私でも買えますね。でも甘くなっちゃいませんか?」
「ううん、普通の味のついてない炭酸水を使うんだ。最近は薬局とかでも売ってるぞ」
「さすが響さん! 何でも知ってるんですね!」
「まあね、自分、カンペキだから」
やよいたちは大いに盛り上がっている。その横で、
「それにしてもこんなに美味い料理を食べたのは初めてだ。あずささんの旦那さんになる人が羨ましいですよ」
プロデューサーは頻りに料理の腕を褒めていた。
彼はバランスよく口に運んでいるが、やはりメインディッシュに手をつける回数が最も多い。
「うふふ、ありがとうございます。少し自信がつきました」
「自信、ですか?」
「ええ、誰かに食べてもらうために作ったことはほとんどなくて……自分の味覚にも自信がなかったんです」
「勿体ないですよ、こんなに美味しい料理が作れるんですから。何というか、その……惚れ…………」
「え…………?」
「あー! 兄ちゃんがあずさお姉ちゃんを口説いてるー!!」
真美が嫌らしい顔で笑うと、
「ウチの娘はそう簡単にはやれんですな! コーサイしたくば伊織パパを倒してからにしてもらおーか!」
亜美がそれに悪乗りする。
「誰がパパよ!?」
伊織は飲んでいたオレンジジュースを危うく噴き出しそうになった。
「だってプロポーズしてんだよ? それってつまり生え抜きってことっしょ?」
「心配いらないわ。あずさがこんな冴えない男を選ぶワケないでしょうが」
「おいおい、言ってくれるな……」
プロデューサーが冷や汗を拭った時、静かに器を置く音が妙に響いた。
37:
「もし――」
その声に全員の視線が彼女に集中する。
彼女は背筋をまっすぐに伸ばし、
「――おかわりはないのですか?」
空になった器をちらりと見て言った。
「もやしスープならまだまだいっぱいありますよ!」
やよいが手元にあった器にもやしを山盛りにして貴音に差し出す。
鍋の中は半分も減っていない。
「もやしがこれほど美味だとは思いませんでした。やよいの食材に対する愛情を感じますね」
そう言い終わる頃には既に器は空になっている。
「えへへ、ありがとうございます!」
貴音のおかげで残るかと思われた料理の数々はきれいになくなった。
「ごちそうさまで――」
「っとその前に!」
厨房に消えた春香が大きなガラスボウルを持って来た。
中には大きさを揃えて切られたイチゴ、バナナ、キウイフルーツ等の数種類の果物が入っている。
それらをパフェグラスに移し替え、上からチョコレートソースをかければ即席のデザートの完成だ。
「本当はクッキーでも作ろうかと思ったけど、材料も時間もなかったから……」
と恥ずかしそうに言う春香に、
「これも立派なデザートだよ。それにちゃんとグラスも冷やしてあるの」
真っ先に賛辞を送ったのは美希だった。
「ミキ的にはいちごババロアが食べたかったけど、春香のがんばりに免じてこれで我慢してあげるね」
ころころと変わる美希の口調と表情に春香は苦笑した。
39:
 19時43分。
準備には得手不得手から担当が分かれたが、後片付けは誰にでもできる。
何人かはクロスを汚していないことを確かめながら、手際よく食器を片づけていく。
”俺は何もできなかったから、せめて片付けくらいはさせてくれ”と言うプロデューサーの勧めで、
調理メンバーだった4人は先に談話室で寛ぐことになった。
談話室は全員が集まっても居場所に困らない程度に広い。
ソファには12人が掛けられるし、一人用の椅子も数脚ある。
中央の長テーブルを囲めばボードゲームに興じられそうだ。
「憧れるわね」
シャンデリアを見上げながらあずさが呟く。
「あずささんはやっぱりこういうお家に住みたいですか?」
「そうねえ……憧れではあるけれど住みたい、というのは違うかもしれないわね。こんなに広いと迷子になってしまいそうで」
「あずささんらしいですね」
春香が笑った。
「私も大きな家は嬉しいですけど、ちょっと落ち着かないかなーって」
「だよね。広すぎても部屋が余っちゃうし。それに――」
「どうかしたんですか、響さん?」
やよいが不安そうな顔をした。
「なんていうか、こう……じっとしてたらどこかから誰かに見られてるような感じがするんだ……」
響は声を潜めて言った。
「食堂でご飯食べてた時も、なんかヘンな感じがしてさ……」
「こ、コワイこと言わないでください……! 誰かって誰なんですかー!?」
「それは私よ!」
誰かの両手が響の目を覆った。
「うぎゃあーーーッ!?」
驚いて飛び上がった勢いで、そのまま後ろにひっくり返る。
「響ちゃん!?」
慌てて春香たちが駆け寄り、抱き起こした。
「ちょ、ちょっと! そんなに驚くことないじゃないの!」
イタズラを仕掛けた伊織が心配そうに響の顔を覗きこむ。
「ひぐっ……い、いおりぃ…………?」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら響が見上げる。
「ああ、ほら! 響ちゃん、これで拭いて。もう! 響ちゃん、泣いちゃってるじゃない!」
春香が抗議の声をあげる。
40:
「片付けが終わって戻って来たら面白そうな話してたから、ちょっと驚かせてやろうと思っただけよ」
伊織はばつ悪そうに余所を向いて、
「わ、悪かったわよ……! そんな驚くなんて思わなかったから……」
拗ねたような口調で言った。
食堂から雪歩たちがやって来る。
「さっきのは伊織が――」
「だ、だから悪かったって言ってるでしょ!?」
何事かと心配する面々に春香が経緯を説明する。
その後、響が落ち着くのを待ってゲームでもしようということになった。
この館にはテレビやパソコンの類がないと前もってプロデューサーが言っていたため、各々はいろいろと遊び道具を持って来ていた。
特に亜美と真美は荷物の大半がオモチャで占められていて、2人が言うには1週間あっても遊び尽くせない量らしい。
トランプやボードゲーム等、誰でも知っている物からマニアックな物まで揃っていて、談話室はさながら玩具箱をひっくり返したような状態になっていた。
「サイバーエンドドラゴンを召喚!」
「コインベット! さあ、カードを見せてもらうよ!」
「えーっと、真ちゃん、どうしたらいいかな……?」
「このタテコモールっていうのをライブ……すればいいと思う」
「甘いの、雪歩。これでずっとミキのターンなの!」
「おや、これは……融合召喚? なんとも面妖な英雄ですね」
亜美たちが持って来たカードゲームに興じる面々。
本来のルールを勝手に作り変えて無理やり複数人で遊んでいる。
41:
「株で大損、1千万ドル失うだって。ねえ、これ資産がマイナスになったらどうなるの?」
「そんな程度、水瀬が立て替えてあげるわよ」
「さっすがいおりん! 物件買い占めてるだけあるねー」
「借金しててもゲームは進められるハズだぞ? あ、律子、四四は反則だぞ」
「たしか歩兵は前に1マスずつしか動かせないのよね。じゃあこっちの香車を……」
「それは駒を飛び越せないんだ。それと千早、21を超えたからお前の負けだ」
「くっ……それならビショップとルークを墓地に送り、蒼い鳥を特殊召喚します」
「響、決着をつけようじゃないか。どうだ! ハートのフラッシュだ!」
「ふふん、甘い……甘すぎるぞ、真! 自分が神のフルハウスを見せてやるさー!」
「やりますね、雪歩。しかし黙っていましたが私には透視能力があるのです。それを使えばとらんくの中身など……」
「し、四条さん……ダウト1億、です……うぅ、すみません……穴掘ってトランクの中身を見ちゃいました……」
「あらあら、★に40のダメージってすごいのかしら? やよいちゃんのマークは★だったかしら?」
「さっき転がした時に▲になりました。だからダメージはなしですよ」
カードゲームで遊んでいたハズがいつの間にか人生ゲームに変わり、次いで連珠に将棋が始まり、種々様々なゲームに転じていた。
しばらくして雪歩と律子が席を立ち、ホットココアを淹れて戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「ちょうど喉が渇いていたところだったんだ。いただくよ」
真っ先に手を伸ばしたのはプロデューサーだ。
「いただきます」
その後、雪歩がトレイを持って回り、やよい、春香……とカップを手に取る。
「美味しいわ」
伊織が頷いて言った。
「美味しいです!」
「これはバンホーテンね?」
やよいとあずさが舌鼓を打つ。
ゲームで遊んだ後は甘さの中にほろ苦さが覗くココアは好評だった。
一息入れたことで遊びにも区切りがつき、
「あら、もうこんな時間じゃない」
律子が時計を見上げて言った。
42:
時刻は22時過ぎ。
2時間以上遊んでいたことになる。
そろそろ寝ようか、という声があちこちで上がる。
亜美たちはまだ遊び足りなさそうだったが、美希はココアで温もったこともあって何度も欠伸している。
春香や千早は足元に落ちたコマやカードを拾っていた。
「そうだな、夜も遅いしそろそろ寝るか」
「えー、もっと遊ぼうよー!」
と真美が口を尖らせる。
「こら、夜更かしはダメよ? アイドルなんだから体調管理も仕事のうちなの」
「でも今日はお仕事じゃないっしょ?」
「真美、そう焦ることはありませんよ。まだ3日もあります。今宵はここでお開きといたしましょう」
「ちぇ、お姫ちんがそう言うなら仕方ないか……」
亜美たちが渋々といった様子でテーブル上に散らばった道具を片付けはじめる。
――その時だった。
『我が声を聴け』
突然、どこからか声が響いてきた。
「な、なんだ!?」
響が頓狂な声をあげて辺りを見回す。
「い、今のなに……?」
雪歩が不安げに隣にいた春香を見やるが、彼女も分からないといった様子でかぶりを振った。
43:
『我が声を聴け』
同じ声がもう一度。
老婆のような嗄(しわが)れた不気味な声が館内に響き渡る。
「だ、誰だ!?」
プロデューサーが血相を変えて立ち上がった。
44:
『次に名を挙げる者たちはそれぞれ以下の罪を背負っている。
秋月律子
汝は頑迷にてしばしば他者をその規律で縛り、弱きを切り捨て、個を蔑ろにした。
独善により和を損ねたる狭窄の為体は第一の罪である。
天海春香
汝は競合の場に於いて干戈を交えようとせず、籌策を巡らそうとせず、相手に和合を求めるに終始した。
己が身上を弁えず、戦意を持たずして結実を冀望する愚行は第二の罪である。
音無小鳥
汝はしばしば淫佚な想見に耽り、清白なる同胞を胸臆にて穢すこと数多度あり。
輔佐を怠り、責を逃れる尾籠な振る舞いは第三の罪である。
我那覇響
汝は実兄を蔑し、身侭に郷里を離れ、音信を断って憂患の種を蒔き、また椿堂の不帰に悲歎することなし。
眷族を顧みない許し難き忘恩は第四の罪である。
菊地真
汝は現実を解せず、己が理想との乖離に抗し、剰え椿堂の求めに違背した。
寸草を知らず、報謝を忘れたる不孝は第五の罪である。
如月千早
汝は歌唱にのみ注力して他を等閑にし、その過度の拘泥のあまりしばしば不和を引き起こした。
戮力を妨げ、乖離を齎す我執は第六の罪である。
四条貴音
汝は己に纏わる一切を隠匿し、それによって不信を招き、ときに同朋をも欺いた。
人心を翻弄し、惑わし、跋扈する不逞は第七の罪である。
高槻やよい
汝は庇護すべき血縁との対話を疎かにし、その心情の機微について忖度せず。
弟妹を軽んじ、己のみ願望を叶えんとする放埓は罪悪の八である。
萩原雪歩
汝は己の怯懦を知りつつも、その克服を遅々として進めず逃避に終始した。
自立を忘れ独歩を怠る矮小な姿勢は罪悪の九である。
双海亜美
汝は双子(そうし)を等閑にし、独尊の心にて飛躍を第一義として顧みることなし。
共歩を疎かにし、把手を拒みたる陋劣の体は罪悪の十である。
双海真美
汝は双子(そうし)の栄進を祝さず、むしろ嫉心を抱き、怨嗟に駆られた。
芝蘭玉樹を幸いとせず、切歯扼腕する低劣は罪悪の十一である。
星井美希
汝は非凡の才を持つが故にそれに溺れ、懈怠に日々を貪ってきた。
研鑽を忘れ、遊蕩の限りを尽くすは罪悪の十二である。
三浦あずさ
汝は齢の長たる自覚を持たず、彷徨を重ね、その悪癖を改める兆しを見せず。
逍遥を常とし、他者を煩わせるを是とする愚盲は罪悪の十三である。
水瀬伊織
汝は高慢にして傲岸、他を見下し、不遜なる体を露わにすること厭わず。
謙譲の念を捨てたる人にあるまじき狷介は罪悪の十四である。
罪深き者たちよ、悔い改めよ。
我は天に代わり裁きを下す者である。
異あるならばその清白を示せ。
罪深き者たちよ、悔い改めよ。
十四の罪を背負いし者たちよ、その血を以て償いとせよ』
45:
声が聞こえなくなっても、しばらく誰もが口を開けずにいた。
怨嗟の念が込められたような声は、天上から降り注いだのか地の底から湧き出したのかは明らかではない。
ただひとつハッキリしているのは、彼女たちを動揺させるには充分すぎるものだったということだ。
「何だったんだ、今の……?」
一番に疑問を発したのは響だった。
誰も答えない。
律子は呆けたように天井を見つめ、雪歩は震えを必死に抑えるようにして俯き、貴音は周囲を窺っている。
「なんか、ヘンなこと言ってなかった? 罪がどうのこうのって――」
辺りを見回しながら真が言う。
声はもう聴こえない。
時計が秒を刻む音だけが談話室に響いていた。
「兄ちゃん……さすがに冗談キツいって……」
真美が言ったのをキッカケに、全員の視線がプロデューサーに集中した。
「お、俺じゃない! 本当だって!」
「あんたにしてはまずまずの仕掛けじゃないの。で、スピーカーはどこに隠してるワケ?」
伊織が髪をかき上げながら言った。
その口調は怒りと呆れが入り混じっている。
「本当に俺じゃないって! こんなことするワケないだろ!?」
「どうだか……こういう場所じゃホラーは定番だもの。面白いアイデアだったけど残念ね。誰も怖がってなんかいないわ」
「いおりん、そういうのは足の震えが止まってからにしないと」
「う、うっさいわね! さすがにちょっとビックリしただけよ!」
「なあんだ、プロデューサーさんのサプライズだったんですか……」
春香がぎこちない笑みを浮かべた。
「いや、だから違うんだって! 俺だって驚いてるくらいなんだぞ?」
「悪趣味ですよ、プロデューサー殿。というか雰囲気出すのはいいですけど、言葉を選んでくださいよ、まったく……」
ため息交じりに律子は談話室を出て行こうとする。
「どちらへ?」
「ちょっと喉が渇いたの。ココアが甘すぎたのかもしれないわ」
「ならば私も――」
貴音も立ち上がり、律子と厨房へ向かう。
「あの、私も行きますっ!」
雪歩が慌ててその後を追った。
3人が厨房に消えると先ほどまでの盛り上がりは一気に冷めてしまった。
本人は否定しているが、ここにいる全員がプロデューサーの仕業だと言った。
46:
「言葉が難しくてよく分かりませんでした。あれは何て言ってたんですか?」
「頼むから信じてくれよ。本当に俺じゃないんだって」
懇願するようなやよいに彼はだんだん必死になってきた。
「なに言ってんのよ。さっきの告発みたいな声、あんたの名前だけ挙がってなかったじゃない。それはどう説明するのよ?」
「俺に言われても……こっちが訊きたいくらいだよ」
「本当に兄ちゃんじゃないの?」
「さっきから言ってるじゃないか。俺も気味が悪いんだよ」
「プロデューサーでないとしたら、誰が――?」
千早が自分の腕を抱くようにして唸った。
その視線は春香、続いて真に注がれるが2人ともかぶりを振った。
「ま、少なくとも真と響じゃないことは確かね」
「ん? なんでボクたちじゃないって分かるの? いや、実際にボクじゃないけど――」
「あんたたちがあんな言葉を知ってるワケないじゃない」
伊織が意地悪そうな顔で言った。
「ああ、なるほど、たしかに……って、どういう意味だよ、それは!?」
「そうだぞ! 真はともかく自分はあれくらいの言葉、知ってるぞ」
「ともかく、ってどういう意味さ!?」
3人のやりとりに場は少しだけ和んだ。
だがそれも僅かのことで、やはり話題は先ほどの声の正体に戻ってしまう。
「でも実際、全て聞き取れたワケではないのよね」
と言ったのはあずさだ。
「亜美には呪文みたいに聴こえたよ」
「真美も」
プロデューサーはどうだったか、と千早は問うたが、
「いや、声自体に驚いてしまって内容はほとんど覚えてないんだ……」
彼は申し訳なさそうに答えた。
47:
「社長じゃないの?」
今まで眠そうな目で成り行きを見ていた美希が言った。
あっ、と全員が弾かれたように顔を上げる。
「そうだよ! 社長だよ!」
亜美と真美が同時に叫んだ。
「兄ちゃんたちにも内緒でこっそり仕掛けてたんだよ。だってここ、社長の島なんでしょ?」
「違うわ、亜美。事務所が持ってるのはこの館のほうで、島は別の人よ」
「あれ、そうなの? あ、だったらなおさら社長じゃん!」
この場にいるほとんど全員が社長の仕業だとして結論付けようとしていた。
「だってさっき、ピヨちゃんのことも言ってたっしょ? この合宿、ピヨちゃんも来るハズだったんだよね?」
「ああ、急な仕事が入ってキャンセルになったんだ」
「ってことは……つ・ま・り! この場にいない唯一の人物……そう! 社長が犯人だったのだ!」
「さすが亜美! 名推理!」
「んっふっふ?、今日から亜美のことはタンテイと呼んでくれたまえ」
「う?ん、でもあの社長がそんなことするかなあ……?」
難色を示したのは響だ。
「意外とそうかもしれないわね。社長、お茶目だから」
あずさが微笑した時、律子たちが戻ってきた。
「…………どうしたの?」
3人とも険しい顔をしていた。
「食堂に――」
48:
 食堂の暖炉がある側の壁面。
律子の指差した先に大きな模造紙が貼付されていた。
両手をいっぱいに広げても足りないほどの幅のそれに、先ほど謎の声が語ったのと同じ文句が書かれてある。
縦書きの告発文はガイドを使ったように体裁が整えられている。
毛筆で書かれているように見えるが、墨汁の滲みがないことから書体を似せて印刷されたものであると分かる。
それは頻繁に出てくる”汝”という字が全て均一であることからも明らかだ。
「これってさっきの……」
真美の呟きに春香が小さく頷く。
「夕食の時はこんなのなかったよね?」
「難しい漢字ばっかり使って、書いた人は読ませる気がないって思うな」
「――難しい、というより古い言葉を遣ってるわね」
律子が唸る。
「あの、これってどういう意味なんですか?」
「……すまん、俺にもよく分からない……見たことない言葉が多くて……」
やよいに訊ねられたプロデューサーは困ったように頭を掻いた。
「これ全部、意味分かる人っているんですか……?」
春香が誰にともなく問う。
一同は年長者のあずさに注目するが、彼女は分からないとかぶりを振った。
続いて律子はどうかとなるが、彼女も部分的にしか分からないと言う。
「じゃあ――」
縋るような視線を一身に浴びた貴音は、
「理解していますが、内容を知るのはお勧めしません」
と伏し目がちに言った。
「そんな恐いことが書いてあるんですか……?」
雪歩が今にも泣きだしそうな顔をした。
彼女は何も答えない。
「またまた?! 社長が書いたんだから、親父ギャグか何かでしょ?」
真美が大仰に笑う。
「え、社長……?」
怪訝な顔で律子が訊き返す。
49:
「そだよ。兄ちゃんじゃないって言うから、社長じゃないかってメータンテイ亜美が――」
まるで自分が答えを導き出したように自信たっぷりに言う彼女に、
「――違うと思うわ」
律子は俯き加減に一蹴した。
「社長だったらこんな酷いこと……冗談だとしても言うハズがないもの」
「律っちゃん? さっき分からないって――」
「部分的に、よ。全部じゃないわ。けど分かるところだけ読んでも、内容があまりに――」
「そ、そこまで言われたら気になるぞ……」
一同は声やこれを貼付した者の正体より、告発文自体について言い合いになった。
つまりその内容を貴音に訊くべきか、訊かざるべきか、ということだ。
雪歩、真、やよいは怖がって内容を知ることに否定的だった。
美希、響、千早は教えてほしいという。
他の者たちは是非を保留にした。
「俺の立場から言うべきことじゃないが……」
プロデューサーは告発文を見上げて言った。
「聞きたい者だけ残ってくれ。後で個別に貴音に聞く――そうすれば自分が何を書かれているかは誰にも知られない」
それでいいか、という彼に貴音は軽く頷いた。
「あんたはどうするのよ?」
「俺はプロデューサーだ。誰がこんなことをしたか分からないが、内容については知っておく必要があると思ってる」
「そう言われれば私も残らないワケにはいきませんね」
ため息まじりに律子が言った。
「分かった、じゃあ律子も。美希と響と千早は知りたいって言っていたな。他の者はそれぞれ部屋に――」
「やっぱりボクも知りたいです」
彼の言葉を遮るように真が言う。
「真ちゃん!?」
「よく考えたら不公平じゃないですか。ボクたち、同じものを見聞きしてるのに、知ってる人と知らない人がいたんじゃ――」
「あの、真ちゃん、そういうことじゃなくて……!」
恐いことなら知らないほうがいいと、雪歩にしては珍しく強く反駁した。
「四条さんたちの様子を見たら普通のことじゃないって分かるよ。だからやめようよ」
「雪歩の言うことは分かるよ。でもボクも知りたくなったんだ。そこまで隠したくなるようなことを書いてるのかってね。
それに自分のことなのに知らないっていうのも気持ちが悪いし……ごめんね、雪歩。でも覚悟はできてるんだ」
50:
「………………」
彼女はそれ以上の反論はしなかった。
代わりに、
「だったら、私も……! 私も聞きたいです!」
雪歩は手の震えを抑えながら言った。
「雪歩!? 無理しないで! これはボクの勝手だから!」
「そうじゃないの! ただ、真ちゃんたちを見てたら私も聞くべきだと思っただけ……」
貴音は告発文を見て小さく息を吐いた。
「これを書いた者は見当違いをしているようですね……」
2人が意思を翻したことで場は騒然となった。
彼女たちに触発されたように態度を保留にしていた春香、伊織が揃って内容を知りたいと申し出た。
最後にはやよいでさえその流れに乗り、教えてほしいと懇願するほどだった。
「なあ、どうだろう? 内容を全員で共有するっていうのは――」
全員の意思確認がとれたところで、プロデューサーは苦悶の表情で言った。
「共有ってみんなの内容を知るってことですか?」
春香の問いに彼は小さく頷く。
「俺を含め希望者だけ知っていればいいと思ってたが、こうなったら互いに知ったほうがいいような気もする。
それに全部は読めなくても何となく意味が分かっている者もいるんじゃないか……?」
これに対しても賛否の声があがる。
「プライバシーに関わることもあるんじゃないですか?」
千早が小声で言うと、貴音は心苦しそうに頷いた。
「でもそれならなおさらプロデューサーや貴音だけが全員のを知ってる、っていうのも不公平な気がするぞ」
響の意見に尤もだと賛同したのは真だった。
場の空気はまだこの告発文を性質の悪いイタズラだと捉えている向きが強い。
しかし律子が言った、”社長ではないと思う”という発言からイタズラで片付けるべきではなく、内容を共有することで何か手がかりを得られるかもしれないという声が出始めていた。
話し合った結果、プロデューサーの提案に全員が肯うことになった。
「本当によろしいのですか?」
そう決まっても貴音は執拗なくらいに念を押した。
「みんなそれでいいって言ってるの。気持ちが変わらないうちにしたほうがいいって思うな」
「………………」
全員の顔を見まわしてから貴音は天井を仰いで大息した。
「分かりました。皆の意思を尊重します。では、律子から――」
彼女は告発文をいま一度黙読し、それから平易な言葉に置き換えた。
「”あなたは頑固で自分の決めた規則で他人を縛り、弱い者を切り捨てて個人を大切にしない。
独り善がりで和を乱すものの見方の狭さは一番目の罪だ”、と書いてあります」
伊織とあずさがほとんど同時に律子を見た。
51:
「なるほどね、私が自分勝手なせいでチームワークを乱してる、と……大体、予想していたとおりだわ」
ある程度は告発文の内容を理解できていたが、貴音の説明で全容を得た、と彼女は言った。
「バカげてるわ」
吐き捨てたのは伊織だ。
「たしかに突っ走るところはあるけど、それでも竜宮小町をまとめてきたのは律子よ。
和を乱してるっていうのならとっくに解散してるわよ」
「そうね。律子さんのおかげで私たち、こうして続けられているもの」
「でも、もうちっと優しくしてくれてもいいけど」
伊織に続いてあずさ、亜美がフォローする。
「だからといって、これを罪というのはさすがに重すぎるんじゃないかしら? 短所とか欠点とか、他に言いようもあるのに……」
険しい顔で告発文を見つめながら千早が呟いた。
これには誰もが同調した。
「なんか大したこと書いてなさそうなカンジだね。他のもそうなの?」
眠そうな声で美希が問うたが、貴音は表情ひとつ変えずに、
「――そうとは限りません。次は春香ですね」
告発文を見上げた。
「”あなたは競い合う場で戦おうとせず、作戦を立てようとせず、いつも相手と仲良くなろうとした。
立場を弁えず、戦う覚悟を持たず結果だけを求める愚かな行為は二番目の罪だ”……といったところでしょうか」
ほとんどは意味を理解できなかったのか、しばらく黙ったままだった。
「えっと……どゆこと?」
亜美がとぼけた声で訊いた。
「競い合う場で、っていうのはもしかしてオーディション?」
響の呟きに、おそらくそうだろうと貴音は頷いた。
美希はちらりと春香を見た。
彼女はそれには気付かず困ったような表情を浮かべているだけだった。
「話にならないわね」
またしても伊織が一蹴する。
「まあオーディションで戦おうとせず、っていうのはアイドルとしてどうかと思うけど。
別にセコイことをしてるワケでもないのに、それが罪っていうのは腹が立つわね」
彼女は翻訳しただけだというのに貴音に向かって言った。
プロデューサーは顎に手を当てて何事かを呟いている。
「ダメ……なのかなあ、やっぱり……」
春香は自嘲気味に笑った。
「そんなことないよ! それで合格したことだってあるし、他のアイドルと仲良くなるのが間違いだなんて思わないよ」
真が力強く否定し、雪歩がそれに頷いてみせた。
52:
「そうだよ。春香ちゃんは何も悪くないよ」
「あはは、ありがと、2人とも……ちょっと自信なくしかけてたかも……」
取り繕うに春香が答える。
「どーすんの? ピヨちゃん、ここにいないけど」
「小鳥さんのは省略してもいいんじゃないかしら。だいたい想像はつくし……」
「いや、読んでくれ。もしかしたら何か手がかりがつかめるかもしれない」
プロデューサーは終始真剣な表情だった。
「”あなたはしばしば淫らなことを考え、心の中で仲間を穢すことが何度もあった。
仕事を怠け、責任から逃れる愚かな振る舞いは三番目の罪だ”……といったところでしょうか」
内容のわりに貴音が滔々と読み上げたために妙な空気が流れてしまう。
「あらあら……」
困惑した様子のあずさが目を向けた先では、律子が怒りとも呆れともつかない顔をしている。
「ねえねえ、律っちゃん。ミダラって何のこと? 女王様?」
「それはアミダラ。知ってて訊いてるでしょ?」
「いやいや、亜美にはよく分かりませんな?」
3人に対する告発が笑い飛ばせる程度の内容だと分かり、場にはいくらか和やかな雰囲気が戻ってきていた。
この分では残りも大した内容ではないだろう、と貴音に先を促す声があがる。
だが彼女の視線は告発文と響との間を何度も往復した。
「これは……本当によろしいのでしょうか……?」
逡巡の声は全員に聞こえていた。
「おーい、たかねー? 早く自分のも読んでほしいぞ。だいたい想像ついてるし」
「え、ええ……そうですね……」
貴音は喉元に指先をあてがい、深呼吸した。
「”あなたは兄を馬鹿にし、我が儘で故郷を離れ、連絡をしないために……家族を心配させ……”」
彼女はそこで言葉を切った。
「お姫ちん……?」
「”心配させ……父親の……死を、嘆き悲しむこともしない……家族を顧みず、受けた恩を忘れるのは四番目の罪だ”、と……」
再び空気が変わる。
「なん――?」
千早が弾かれたように響の横顔を見た。
響は俯いたまま視線を彷徨わせている。
53:
「ちょ、ちょっと……それって……?」
律子は何か言おうとしたが言葉が続かない。
誰もが口を閉ざしていた。
まるで時間が止まったように身動きひとつとれないでいる。
数秒が経ち、誰かが椅子にもたれる音がした。
「な、な?んだ! あっははは、そういう意味だったのか?!」
突然、響が腹を抱えて笑い出した。
「”不帰”って書いてあるから自分、島に帰らないことかと思ったぞ」
「響…………」
大仰に笑う彼女を、真は憐れむような目で見た。
反対に春香やあずさなどは彼女から目を逸らした。
「貴音っ!」
大声を出したのは美希だった。
「なんで読んだの!? そんなこと書いてるって知ってたらミキだったら読まなかったの!」
非難がましい視線に貴音は反駁しない。
「ヒドすぎるよ! 何もこんな――」
「いいんだ!」
「――ひび、き?」
「教えてくれって言ったのは自分なんだ。貴音を責めるのは筋違いだぞ」
「でも……ッ!」
「それに自分、こんなの気にしてないから。父さんが亡くなったのは自分が小さい頃の話だし。
ただ、急に父さんのことが出てきてビックリしたっていうか……」
困ったように笑って響は手を叩いた。
「もう! みんな、そんな顔しないでよ! 自分はほんとに平気だぞ!?」
そう言われても調子を取り戻す者はいない。
憐憫の視線が響に注がれる。
再び陰鬱な沈黙が場を支配しかけた時、
「次はボクだよね! 貴音、お願い!」
凛とした表情で彼女が言った。
「え…………?」
「早くボクのを読んでよ!」
真の目はまっすぐに貴音を見据えている。
わずかに動く唇は、空気を振動させずに”早く!”と促していた。
一瞬、救われたような顔つきになった彼女は勧めに従って告発文を読み換えた。
54:
「”あなたは現実を理解せず、自分の理想との食い違いに抵抗し、しかも父親の求めることに逆らった。
親の恩に報いる気持ちを知らず、感謝を忘れた親不孝は五番目の罪だ”、とあります」
「………………」
「ま、納得ね。私も前からそれは罪深いって思ってたのよね?」
伊織が心底からバカにしたように言ったため、
「な……言ったな!? ボクだって毎日がんばってるんだぞ!」
真が顔を赤くして言い返した。
「真クンは女の子のハートを奪うから、立派なセットウ罪なの。これってそういうことでしょ?」
「み、美希までそんなこと言うなんてヒドイよ……」
彼女の落ち込みようが滑稽だったためか、プロデューサーまでもが笑った。
だが千早だけはにこりともせず、何かを考えているような響を見つめている。
「女の子らしくなりたい、って思うのは間違ってるのかなあ……」
「そ、そんなことないよ! 真ちゃんは今のままでも充分カッコイイよ?」
「だからボクはかわいい女の子になりたいんだって……」
「あ、ああ! ごめんね、真ちゃん……落ち込まないで……!」
先ほどとの落差に加え、伊織たちが茶化したことでいくらか明るさが戻ってくる。
「なんか言いがかりっていうかイジワルだよね」
「そう、ね……四条さん、お願いします」
「”あなたは歌を重視して他のことを軽く考え、その強いこだわりのために和を乱すことが度々あった。
協力することを妨害し、我を通して皆の心をばらばらにするのは六番目の罪だ”とあります」
これも想像していたとおりね、と律子が呟く。
「そんなことないです! 私、千早さんの歌、大好きです! それに皆、ばらばらになったりなんかしません!」
真っ先に反発したのはやよいだ。
「そうだよ。千早ちゃんにはファンがたくさんいるんだし、そんなのが罪だなんて――」
「っていうか、これ……内容だけなら律子、さんと被ってるの」
「ひょっとしてもうネタ切れなんじゃないのー?」
さして辛辣とは思えない、と彼女たちは口々に言った。
55:
「千早ちゃん……?」
「え、ええ、ごめんなさい。そうね、罪と言えるほどのことじゃないかもしれないわ。でも――」
春香の訝るような視線を避けるように、
「見方によっては……罪なのかもしれないわ…………」
彼女は誰にも聞こえない声で呟いた。
「これは戒めのつもりなのか……?」
プロデューサーの疑問に全員の視線が集まる。
「今までのを聞いていると、それぞれこういう部分があるから直した方がいい、と言っているようにも聞こえないか?」
たしかに、と何人かが頷いた。
だが律子がそれに異を唱える。
「それは好意的に解釈しすぎじゃないですか? そのつもりならこんな言葉を選ばなくてもいいじゃないですか。
それに”裁き”だの”血を以て償え”だの、どう考えても親切心の欠片もありませんよ」
「あ、ああ……たしかにそうだな……すまん、貴音、続けてくれ」
「はい、次は私ですね……」
貴音は目を閉じ、小さく息を吐いた。
「”あなたは自分に関することを何もかも隠し、そのために不信を招き、ときに仲間も騙した。
他人の心を弄び、惑わし、思うままにのさばる悪い態度は七番目の罪である”」
あちこちでため息が漏れる。
が、それは悲憤ではなく主に納得によるものである。
「お姫ちん、ナゾだらけだもんね」
「宇宙人説もあるくらいだし」
これに対しての異論は特に出なかった。
今までの中で一番正鵠を射ている告発だという声もあがったが、
「ひっかかるわね」
律子は”同朋”の文字を睨みながら言った。
「仲間を騙した、ってどうしてこれを書いた人が知っているのかしら?」
「どゆこと?」
「貴音が謎が多いのはいいとして、仲間を騙したかどうかなんて誰にも分からないじゃない。本人以外は――」
律子がそう言ったことで何人かが貴音に目を向ける。
「私が自分の事柄について隠していることを、”欺く”という言葉で表現しているのかもしれませんね」
だが当の本人は涼しい顔をして返した。
「これも本当っぽいけど、誰にでも書けそうな内容だね。貴音、気にしないで次いくの」
「え、ええ……次はやよいですね」
「はい、お願いします!」
やよいはぐっと両手を握りしめた。
「”あなたは守るべき家族との会話をあまりせず、何を思い何を考えているかを知ろうとしない。
弟や妹を軽く見て、自分だけが願いを叶えようとする勝手な振る舞いは八番目の罪である”と述べられてい――」
「そんなことないぞ」
言い終わるより先に響が口を挟む。
56:
「やよいは家族想いだし、仕事も家のこともちゃんとこなしてるからな。こんなのデタラメだ」
「響さん…………!」
「そうね、これを書いた奴の目はとんだ節穴だわ」
伊織もそれに同調したことで、やよいは目を潤ませている。
「ツンツンしながらも、やよいっちを気遣う健気ないおりんなのであった」
「ちょっと! ヘンなこと言ってんじゃないわよ!」
「まあまあ、そう怒りなさんな。ホントのことなんだから」
亜美と真美に代わる代わる揶揄され、伊織は顔を真っ赤にした。
「ああ、でも2人の言うとおりだ。やよい、こんなこと気にしなくていいぞ」
プロデューサーも後押しするが、彼女の表情は暗い。
「でも弟たちの面倒、長介に任せっきりにしてる時もありますし……」
「それは仕事を頑張ってる証拠じゃないか。弟さんたちもきっと分かってくれるさ」
「そう、だといいんですけど……」
これも大した内容ではない、ということで大方の意見は一致している。
罪というほどのことではなく、家族で話し合えばそれで解決する問題だから深刻に考える必要はない。
律子がそう言ったことで貴音は次の告発文を読み換えた。
「”あなたは自分が臆病で気が弱いことを知りながら、それをなかなか克服しようとせず逃げてばかりだった。
自立しようとせず自分の力で歩むことを怠ける小さな姿勢は九番目の罪である”ということですが……」
彼女は呆れたようにため息をついて、
「これを書いた者は大きな思い違いをしているようですね」
優しい目で雪歩を見た。
「先ほど、雪歩は勇気を出してこの告発文の内容を知りたいと言いました。これでも臆病と言えるでしょうか?」
「四条さん……でも私……小さいってことは、貧相でちんちくりんで臆病なのは本当だから……!」
雪歩は既に泣きそうな顔をしている。
その手を真がとった。
「大丈夫だよ、雪歩は臆病なんかじゃない。ちょっと怖がりなだけだよ」
「まこちん、フォローになってないよ?」
「そう? とにかく! 雪歩は本当は強くて根性があるってことだよ。だから――」
「………………?」
「とりあえずそのスコップはしまおうよ……ここに穴掘っちゃったら弁償できないでしょ?」
言われてスコップを脇に置く。
「やけに大きな荷物だと思ったら、こんなもの持ち込んでたのね」
「うう……やっぱり穴掘って埋まってますぅ!」
再びスコップを手にしかけた雪歩を総出で止めにかかる。
未然に阻止できたため、食堂の床に穴が開くことはなかった。
57:
「大勇は怯なるが如し、と言います。雪歩が勇敢であることはここにいる皆が知っていることです。このような戯言を聞き入れてはなりません」
「は、はい! あの、四条さん……ありがとうございます」
先ほどと違い、ほんのわずか自信を覗かせる雪歩の表情に貴音は小さく頷く。
が、その表情はすぐに険しくなり、
「さて、これはどうしたものでしょうか……」
再び告発文に目を戻す。
「次は……亜美ですよね?」
春香の問いに彼女は返事をしなかった。
「いいよ、お姫ちん。亜美たち、何を言われても大丈夫だから」
それまでおどけていた2人は真顔で言う。
「よろしいのですか?」
「だって今までのやつ全部、罪でも何でもなかったじゃん。どうせまたイジワルなこと書いてるんでしょ?」
「そう、ですね。全て言いがかりのようなものです」
「だったらいいじゃん。早く終わらせちゃおうよ!」
急かす亜美に対し貴音はしばらく黙っていたが、やがて呼吸を整えるように息を吐いてから、
「”あなたは双子を気にかけず、自分さえ良ければよいという気持ちで高みにのぼることを一番に考えて振り返らない。
共に歩むことをせず、共に手を取り合うことをしない卑しさは十番目の罪である”とあります」
亜美や真美に分かるよう、特に言葉を平易にして読み換えた。
「亜美、そんなこと思ってない!」
顔を曇らせた律子はあずさに何事かを耳打ちした。
「ほんと、言いがかりもいいとこだわ!」
伊織がテーブルを叩いて怒鳴る。
それに驚いた雪歩が身を縮こまらせた。
「これは竜宮小町のことを言っているのよね?」
「そうだろうけど、律子が気にすることじゃないわ。趣味の悪いイタズラよ」
今にも告発文を破り捨てそうな伊織をあずさが制した。
「私たちの気持ちはこんな言葉じゃ引き裂けないわ。そうでしょう、亜美ちゃん?」
「亜美、ほんとにこんなこと思ってないよ? みんなでがんばってみんなでアイドル続けたいもん」
「ええ、分かっているわ」
あずさは微笑し、亜美の頭を撫でた。
「お姫ちん、真美のも読んで。だいたい分かるから」
「………………」
真美の突き刺すような視線に貴音は求めに応えた。
58:
「”あなたは双子の活躍を祝わず、むしろ焼きもちをやき、恨む気持ちを抱いた。
家族から優れた者が生まれたことを喜ばず、悔しがる卑しい様は十一番目の罪である”と――」
訳しながら彼女は亜美と真美の様子を窺った。
2人はほとんど同じ反応をしている。
「これを書いた人は――」
呟いたのは春香だ。
「私たちを仲違いさせたいのかな?」
「仲違い?」
「こんな意地悪なことばかり書いて、揉めさせたいのかなって……」
「その意図は今は測りかねます」
貴音はそう言葉を置いたうえで、
「しかし無暗に恐れる必要はありません――そうでしょう?」
真美に視線を送った。
彼女はしばらく困ったように俯いていたが、やがて顔を上げて、
「うん。だって亜美も真美もこんなこと考えてないもん。ウソばっかりだよ!」
通る声で断言した。
「そうね、私も同感よ」
律子が前に出た。
「春香が言うように私たちを掻き乱したいだけなのかもしれないわ。こんなワケの分からない文章で――」
「ええ、ですからこのような”作業”は早々に終わらせましょう」
貴音はちらりと美希を見た。
「”あなたは才能に恵まれていることに溺れ、怠けた毎日を送ってきた。
自分を磨くことを忘れ、遊びに耽ってばかりいるのは十二番目の罪である”と書いてありますね」
言われた本人は呑気にあくびをしている。
「あんた、言われてるわよ……?」
まるで気にしていない様子の彼女に伊織が呆れたように言う。
だが彼女は眠そうな目で告発文を眺め、
「ミキのこと、褒めてくれてるの。だから気にしてないよ」
微笑して言った。
「う?ん、これに関しては戒めね……」
「でもいつも寝てるけど、決める時はビシッと決めるから美希はすごいと思うぞ?」
「その、いつも寝てるのが問題だ、って言ってんのよ」
響がフォローするも、伊織がすかさず反駁した。
「しかしこれも個人の問題であって、罪という表現は大袈裟すぎる気がするな」
腕を組んで唸るプロデューサーの目つきは険しい。
59:
「それに……ちょっと気になることも……」
彼がそう口にしかけた時、伊織が一番に視線を向けた。
「どうかしたんですか?」
やよいが心配そうに見上げる。
「ああ、いや……貴音、続けてくれ」
「………………」
彼女は何か言いたそうに口唇をわずかに動かした。
だが結局、何も言わずに次の告発を読み換えた。
「”あなたは年長者としての自覚を持たず、さまようことを繰り返し、その悪い癖を直そうとしない。
あちこちを歩くばかりで他人の手をわずらわせる愚かさは十三番目の罪である”、とあります」
あずさは微苦笑した。
「困ったわね……治そうと努力はしているんだけど……」
その表情は柔和そのもので、他の誰とも違う穏やかな顔つきだ。
「迷子になるだけで罪なら、小さい子はみんな犯罪者ってことになるよね」
真の言葉に春香が頷く。
「もはや告発文になるように無理やり理由を探しているようにも思えるわ」
律子が憤然とした様子で言う。
内容がバカバカしすぎる、というのが大半の意見だ。
美希同様、さして深刻に受け止めていない様子のあずさに、
「”あずささんは”そのままでいいですよ。そんな風に思ったことは一度もありませんから」
律子が宥めるように言った。
「なんかミキに当てつけてるようなカンジがするの……」
拗ねたような口調の彼女に、
「よく分かったわね」
と律子が意地悪く言った。
「我那覇さん……」
多くが告発文に注目している中、そのやや後ろにいた千早が小声で響を呼んだ。
「ん? どうかしたの?」
彼女はすぐに振り向いたがその声量がやや大きく、近くにいた春香や雪歩がそれに気付いて視線を向ける。
「いえ、ごめんなさい、何でもないわ……」
千早は取り繕うように笑んで俯いた。
「さて、次がいよいよ最後ですね」
食堂に集まってから30分ちかくが経過していた。
「私は何となく分かってるわよ。さっさとやってちょうだい」
「”あなたはうぬぼれが強く威張ってばかりで、他人を見下し、思い上がった態度を隠そうともしない。
へりくだる気持ちを捨てた、ふふ……人としてあってはならない頑固で融通が利かないのは十四番目の罪”と――」
「ちょっと!? なんで笑うのよ!?」
「まんま伊織のことじゃないか」
真が囃し立てる。
60:
「これは弁解の余地はないわね……」
「律子まで!? あんたねえ、自分がプロデュースするユニットのリーダーが貶されてるのよ? そこは否定するべきでしょ!」
伊織は顔を真っ赤にして反駁した。
そんな彼女を宥めるように、
「誤解を招いたことはお詫びします。決して伊織を貶めるために笑ったわけではありません」
貴音は静かな口調で言う。
「他もですが、あまりに表面的にしか見ていないものばかりで、それが可笑しくてつい噴き出してしまったのです」
「………………?」
「人には皆、欠点があります。しかし誰にもその欠点を補って余りある美点があります。
この告発はほんの僅かな瑕疵を誇張し、罪悪に仕立て上げようとする悪意ある駄文に他なりません」
凛然とした語勢と態度は誰に対して向けたものでもなかった。
だがそれが場の空気を変えたのは確かだった。
「よく分からないですけど貴音さんの言うとおりだと思います!」
やよいが真っ先に賛同した。
「駄文って言われてるわよ?」
伊織がプロデューサーに言った。
「おいおい、まだ俺のこと疑ってるのか?」
「だってあんたの名前だけ挙がってないじゃない」
「ちょっと伊織、やめなよ。プロデューサーがこんなの書くワケないじゃないか」
見かねた真が割って入った。
「じゃあ誰が書いたっていうのよ?」
「それは……ボクにも分からないよ。あ、そういえばプロデューサー、さっき何か言いかけてませんでした?」
「あ、ああ……! ちょっと、な」
告発文を見上げていた律子がそのやりとりを聞いて彼に向き直った。
「何か気になることでもあるんですか?」
「まあ、これを書いた奴のことだけどな……」
「…………?」
「引っかかってたんだよ。内容もそうだが、なぜ俺のことだけ何も書かれてないのか――」
「だからそれはあんたが書いたから――」
最後まで言わずに伊織は言葉を切った。
「書いた奴は俺のことをあまり知らないんじゃないかと思ってな」
「どういうことですか?」
「どれもちょっと調べれば分かるようなことだ。例えば千早が歌にこだわってるとか、貴音に秘密が多いとか。
事務所の公式ホームページのプロフィールやブログの記事、ファンのブログなんかから拾い集めればこれくらいは書けると思う」
「たしかに……」
春香が納得したように頷いたが、すぐに弾かれたように顔を上げて疑問をぶつけた。
61:
「でも美希の普段の様子とかは分からないんじゃないですか?」
「いや、ライブDVDの特典映像で事務所の日常風景を撮ったものがいくつかあったハズだ。
それにツイッターやブログをやっている者もいるだろう? そういう情報からそれらしく告発文に仕立てたとも――」
「つまりいろんな情報を集めて、もっともらしく作ったってことですか?」
「そういうことだ。それなら俺の名前が出てこないのも納得がいく。皆は当然アイドルとして露出が多いが、
俺はプロデューサーだ。調べようにも告発文にできるだけの情報が見つからなかったんじゃないか?」
なるほど、とあちこちで納得する声があがる。
「頷けますね。思い返せばあずささんがよく迷子になることをインタビューで話したような気もしますし、
竜宮小町結成後の記事で私が常に厳しい態度で臨んでいると書かれたこともありましたし……」
「こじつけや言いがかりに近いのも、それが理由でしょうか?」
千早が怒ったような口調で訊く。
「俺はそう思う。表現をぼかせば誰にでも書けそうなことだ。難しい言葉を遣ってるのも、読む側にいろいろと
解釈する余地を与えて、さも当たっているように思わせる魂胆かもしれない。占いなんかでも使う手だ」
「あの、あの……プロデューサー……」
「どうした、雪歩?」
「プロデューサーの言うとおりだとしたら……知らない人がここにいるってことになりませんか……?」
全員の目が彼に集まる。
その視線の多くは批難がましく、伊織に至っては終始懐疑的な眼差しである。
「まさか!? ……いや、そうなるのか……?」
「はあ……興醒めね……」
伊織が皆に聞こえるようにため息をついた。
「サプライズのつもりでしょうけど、もっと巧くやりなさいよ。穴だらけじゃない」
「俺じゃないって言ってるだろ? それより雪歩が言ったように、この館に誰かいるのか……?」
「なんだか気味の悪い話ですね、それ……」
春香が身震いした。
ぱん、と手を叩く音が鳴り響き、全員の目がそちらに向けられる。
「はい、もうおしまい! 私は部屋に戻るわよ」
伊織だった。
こんなつまらない寸劇に付き合いきれない、と捨て台詞を吐いて彼女は食堂を出て行った。
「あ?、あれは一番に犠牲になるパターンだね」
「いおりん、お約束すぎるよ?」
亜美たちが言うと、
「伊織ちゃんじゃないですけど、私たちもそろそろ休みませんか? もう遅いですし……」
あずさがおずおずと切り出す。
食堂の時計は23時17分を指している。
穏やかな口調がそうさせたか、彼女たちが告発文に向けていた注意は一気に散漫になる。
62:
「ミキも言おうと思ってたの……あふぅ……」
テーブルに突っ伏した美希が大きな欠伸をした。
「ちょっと、こんなところで寝たら風邪ひいちゃうよ!」
「なら真クンに部屋まで運んでほしいの」
「なに言ってるんだよ。ほら、起きて!」
もはや緊張感や陰鬱なムードはなく、大半がこの問題に飽き始めている。
「私も眠くなってきたかも……」
「無理しなくていいのよ。朝からたくさん遊んで疲れたものね」
目をこすりながら呟くやよいに、あずさが年長者らしく気遣う。
「プロデューサーさん、やよいちゃんを部屋まで送りますね。私もそのまま自室に――」
「え、あずささん……? でも……」
「あ、私も一緒に行きます! 同じ方向ですから」
戸惑うプロデューサーを横目に雪歩が口を挟んだ。
「そ、そうか、それなら安心だ。大丈夫とは思うが念のため、ちゃんと部屋の鍵をかけておくんだぞ」
「は、はい!」
「ほら、美希もこんなところで寝ちゃダメだよ!」
春香に引っ張り起こされた美希は彼女にしな垂れかかった。
「ミキはここでいいの……」
「もう、美希ってば! プロデューサーさん、私も美希を連れて部屋に戻りますね。ちゃんと鍵もかけさせますから」
あずさ、雪歩、やよい、春香、美希の順に食堂を出ていくのを見送り、
「な?んか白けちゃったね。もうちっと何かあると思ったのに」
「しょうがないから亜美たちも寝よっか? 良い子はもう寝る時間だし」
「ってワケで真美たちも部屋に戻るであります!」
左右対称の敬礼をして2人も食堂を飛び出して行った。
こうなると騒がしかった場も途端に静まりかえり、自然と残った者たちの口数も少なくなる。
「じゃあ、私もそろそろ――おやすみなさい」
愛想なく言い置いて千早は廊下に出ると、ドアのすぐ近くで一瞬立ち止まり肩越しに振り返った。
中ではプロデューサーと律子が何事かひそひそと話をしていた。
貴音は魅入られたように告発文を見上げ、真は腕組みをして難しい顔をしていた。
「………………」
響の姿は既にそこにはなかった。
目を閉じ、呼吸を整えてから千早は階段を登って自分の部屋へ向かった。
63:
「取り敢えず、この件は明日またゆっくり考えませんか? 時間も時間ですし」
埒が明かないことに若干イラついた口調で律子が言う。
「そうだな……2人も今日はもう休んだほうがいい。いろいろあって疲れただろ?」
「ええ、そうですね……」
貴音は微笑して返した。
視線は告発文に向けたままだ。
「じゃあ俺たちも部屋に行くから」
律子を伴い、プロデューサーも食堂を後にする。
「ボクたちも戻ろうよ」
23時25分。
真が背伸びをして言った。
「先ほどはありがとうございました」
この少女の声は抑揚がなく平素はそれが高貴さの裏打ちになっているが、今ではその静かな迫力はない。
むしろ弱々しく、自分が取るに足らないと決めつけていた存在にさえ縋ろうとする儚さが覗く。
「真が先を促してくれたおかげで響を追い詰めずにすみました。感謝します」
消え入りそうな声で言うと、彼女は深々と頭を下げた。
「やめてよ。別にそんなつもりで言ったワケじゃ――」
「いいえ、皆の注意を響から逸らす意図があったこと、私には分かりましたよ」
貴音が微笑むと、真は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「見てられなかったからさ……お父さんが亡くなったっていうのに、晒し者にされてるみたいで……」
「その想いは響にも伝わっているでしょう。それにしても告発とは……穏やかではありませんね」
「これ、誰が作ったんだろう?」
「私には分かりかねますが、人の手によるものである以上、いずれ明らかになるでしょう。ただ――」
「…………?」
「それを望むか否か、です。性質の悪い悪戯、として取り合わないこともできますから」
「ボクはなんだかスッキリしないな。こんな引っかき回すようなことして、文句のひとつでも言ってやりたいくらいだよ」
「真らしいですね」
貴音は微苦笑した。
「ボクたちのことをこれだけ知ってるのも気持ち悪いし。誰が書いたのかくらいは知りたいよ」
腕を組み不快感を露わにした真だったが、すぐに告発文から目を逸らした。
「それにさっき雪歩が言ってたこと。知らない誰かがこの館にいるかもしれない、なんて本当にそうなら大問題だよ」
「おそらく誰も真面目に受け止めてはいないのでしょう。こういうのは――さぷらいず、というのでしょうか?
だとすれば低劣極まりないこと。私たちの中にかようなことをする者がいると思いたくはありませんね」
「なんて考えてても仕方ないか。さ、ボクたちもそろそろ寝ようか。考えても分からないし」
2人は食堂を出てそれぞれの部屋に向かった。
エントランスを通り、廊下を右に折れたところで貴音は雪歩とすれ違った。
「おや、どうかしましたか?」
声をかけられた雪歩はビクリと体を震わせ、
「あの、何でもないです……おやすみなさい、四条さん……」
恥ずかしそうにそう返して小走りに去っていった。
65:
―― 2日目 ――
 9時18分。
喉に手をやり、いつもどおりに発声できていることを確かめた千早はそっと食堂のドアを開けた。
「おはよう」
先に来ていた響が抑揚のない声で言った。
「あ、我那覇さん、おはよう……早いのね」
千早は取り繕うように言った。
「そんなことないぞ、ほら」
暖炉脇の時計を指差す。
「もうこんな時間だったのね」
「昨日はいろいろあったし疲れてたのかもね」
2人は自然と並んで告発文を見上げていた。
しばらくして、
「ねえ、我那覇さん――」
千早が憚るように切り出す。
「気分を悪くしたらごめんなさい。その、お父さんのことは本当なの……?」
言葉はすぐには返ってこなかった。
何か考えるような素振りをしてから響は、
「本当だぞ。自分が小さい時にね。だから顔も声も憶えてないんだ」
話題には似つかわしくない明るい声で言った。
「ごめんなさい……」
「別にいいってば。いないのが当たり前みたいなものだったから、寂しいとかそんな気持ちもほとんどないし」
「それでも……!」
千早は弾かれたように響の手を握った。
「千早……?」
彼女の真剣な眼差しに響はたじろいだ。
これは歌に真摯に取り組んでいるときの表情だ。
たかだか数分の準備運動代わりのボイスレッスンにさえ手を抜かない、鋭い目つきである。
66:
「私にも――弟がいたの」
「弟……?」
「ええ、でも事故で亡くなったわ。ずっと前に――それが元で両親も離婚したの」
千早はそっと手を離した。
背を向け、椅子の背もたれに指を乗せる。
「なんで……そんな話をするんだ?」
反対に響は真っ直ぐに彼女を見据えた。
常に視野に全身を捉え、一挙一動を見逃さないようにした。
「――分からない」
ずいぶん長いこと間を置いて、彼女は背を向けたまま答える。
「ただ何となく、フェアじゃないと思ったから……」
「それって……」
「別に同じ痛みを持つ者同士、なんて言うつもりはないわ。ただ我那覇さんには言っておかなきゃいけないような気がして――」
響からは苦悶の表情を浮かべている彼女の顔は見えない。
「そのこと、他に知ってる人はいるの?」
「いいえ、誰にも。進んでするような話じゃないから」
「じゃあ自分たちだけの秘密だな」
響にしては珍しく控えめに笑った。
「誰にも言っちゃダメだぞ? 特に……春香には」
「……どうして?」
ずっと背を向けていた千早が驚いたように振り返った。
「えっと……春香と一番仲がいいでしょ? だから心配させちゃうかもって」
「………………」
「………………」
「ふふ、優しいわね、我那覇さんは」
「だ、ダメか……?」
「そんなことないわ。我那覇さんらしいと思ったのよ」
「むむ、なんかちょっとバカにされてる気がする……」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ――」
弁解しながら千早は暖炉に目をやった。
67:
「同じ質問を私もしてもいいかしら?」
「なんだっけ?」
「その、お父さんのこと……知っている人はいるの?」
「どうだったかな……言ったような気もするし……あ、いや、やっぱり言ってないぞ――多分……」
響は腕を組んで唸った。
「そう、よね……わざわざ言うようなことじゃないものね。それなら――」
誰が書いたのか、と彼女は呟いた。
「気にしてないって言ったけど、気持ち悪いよね、これ」
「ええ」
「書いてることもだし、誰が書いたのかも……」
響が顔を顰めた時、外の廊下から数人分の足音が近づいてきた。
「おはようございまーっす!」
やよい、貴音、春香の3人だった。
「はいさい、やよい! やよいは元気いっぱいだな!」
「昨日はいつもより寝るのがちょっと遅かったですけど、疲れはしっかりとれました!」
「千早ちゃんに響ちゃん、おはよう。2人ともここにいたんだ」
「おはようございます。皆、談話室に集まっていますよ」
5人はそれぞれに挨拶を交わす。
が、ふとした瞬間に告発文を見てはばつ悪そうに視線を逸らした。
「そうなの? 自分が降りてきた時はまだ誰もいなかったのに」
「響ちゃん、何時ごろに起きたの?」
「9時前だったと思う。寝坊した! って思って慌てて降りてきたのに誰もいないからさ」
「あ、私も! 昨日ははしゃいじゃったから疲れたのかも」
「転び疲れた、の間違いじゃないのか??」
「もう、ひどいよ、響ちゃん!」
合宿はあくまで名目だったため、この島での工程は特に定めていない。
つまり起床時間も食事の時間も全てが曖昧になっている。
さらにいえば調理や配膳等の担当も明確に決めていたワケではないので、ここでの生活は各人の自由になっていた。
「朝食にはずいぶん遅くなってしまいましたが一度、談話室に集まりませんか?」
貴音の提案で5人は談話室に向かう。
「あら、寝坊助のお出ましね。美希でさえもう起きてるっていうのに」
ほぼ全員が揃っていた。
一番に嫌味を言ったのは伊織だ。
「そんなことないぞ。自分が降りてきた時にはまだ誰も起きてなかったんだからな! 伊織こそ――」
つまらないことで響が張り合おうとする。
68:
さらに畳み掛けようとしたところでプロデューサーの姿を認めた彼女は、
「あ、プロデューサー。あのね、昨日の話なんだけど……」
もじもじと恥ずかしそうに切り出した。
「どうした?」
「あの後、よく探したらね……鍵、あったんだ。ポーチの底に穴が開いてて、隙間から奥に入り込んでたみたい」
「そうか、見つかってよかったな」
「だから借りてた鍵、返してくるね!」
恥ずかしさをごまかすように響は管理人室に走って行った。
「朝から騒がしいなあ」
呆れたように言いながらも真は笑っていた。
「そんなことよりお腹空いたの。もうとっくに朝ご飯の時間、過ぎてるよ」
「たしかに……」
ほぼ全員が時計を見やる。
とりあえず食事の準備をしよう、と春香が立ち上がった。
「パンと簡単なサラダくらいになるけど、それでもいいかな?」
「私も手伝います。春香さんひとりじゃ大変ですよ」
「じゃあ私は食器の準備をします」
やよいと雪歩が倣い、3人は食堂に消えた。
それと入れ替わるように律子が談話室に駆け込んできた。
「す、すみません! 私としたことがこんな時間まで……!」
肩で息をする彼女は服はやや乱れていて、髪もきちんと留められていない。
「ほほ?……寝坊とはよいご身分になりましたなあ?……」
「遅刻したからにはそれなりの罰を受けてもらわねばなりませんなァ」
ここぞとばかりに亜美と真美がにじり寄る。
「これで美希のことは言えなくなるわね」
伊織もそれに乗って意地悪な笑みを浮かべた。
「目覚ましはちゃんとかけたハズなのよ。なのにいつの間にか止めちゃってたみたいで……」
「俺たちだって変わらないさ。皆、さっき集まったばかりだし」
「え、そうなんですか? って、ちょっとあんたたち! まるで私が遅刻したみたいに――」
「寝坊は寝坊なの。ミキより遅く起きるなんて、ちょっと問題だと思うな」
「く……美希にまで言われるなんて……!」
普段、厳格な彼女が犯した失態に場は湧いた。
非を鳴らそうとする声と宥める声とが重なり、昨夜の陰鬱な雰囲気とは打って変わって和やかな空気を形成する。
すっかり赤面して反駁する律子はさながら道化役だった。
69:
「あれ? あずささんはまだ寝てるんですか?」
批判の矛先を躱すように律子が言う。
先ほど厨房に向かった3人を除けばあずさだけがいない。
「さっき声をかけたけど出てこなかったから、まだ寝てるんじゃない?」
伊織の口調はいつものように突き放した感じだったが、表情はわずかに翳っている。
「あれ、あずさは?」
「何度呼んでも返事がないんだよー。ずっとドア叩いてたんだけど手が痛くなったから戻って来ちゃった」
落ち込んだ様子で亜美は美希の隣に座った。
「悪い予感がしますね」
「お姫ちん、悪い予感って……?」
「昨日は雨に当たりましたから、もしかしたら体調を崩してしまったのかもしれません」
「それじゃ大変じゃない!」
律子が勢い込んで言った。
「ああ、そうだとしたらマズいな。俺が様子を見てくるよ」
「そうは言っても鍵はどうするんですか?」
千早が訝しげに訊く。
「この際だから仕方ない。スペアキーを使わせてもらおう。無理に起こすのも悪い」
プロデューサーは管理人室に走った。
「ねえ、律っちゃん。お薬とかあるの?」
「念のために持って来てあるわ。湿布や消毒液なんかも揃えてあるわよ」
鍵を持ってプロデューサーが戻ってきた。
「待ってください、私も行きます」
「私も行くわ」
「私も……」
律子が立ち上がり、伊織、千早がそれに続く。
「様子を見てくるだけだぞ? そんな何人もで行かなくても――」
「あんたってホント、デリカシーがないわね。女子の部屋に飛び込むつもり?」
伊織が憮然として言った。
「あずさに何かあったら大変だから、私たちが行くって言ってんのよ」
「お、おい!? なんてこと言うんだよ!? そりゃたしかにあずささんは魅力的だし、たまに風に乗って甘い……」
言いかけて彼は言葉を切った。
「ハニー、エッチなの……」
「見損ないましたよ、プロデューサー……」
冷たい視線が突き刺さる。
「今のは言い間違いだ! ……いや、言い間違いっていうのはあずささんに失礼だけど……と、とにかく!
俺たちで様子を見てくるから、皆は先に食堂に行って食べててくれ!」
70:
残された貴音たちは互いに視線を交換する。
「先に、って言われてもボクたちだけ食べるワケにはいかないよね?」
「仕方ありません。ひとまず食堂に参りましょう。春香たちにもこのことを伝えておくべきでしょう」
4人は一丸となって食堂に向かった。
「あ、ちょうどできたところだよ!」
配膳をしていた春香が言った。
時間も限られていたとあって、パンにサラダと紅茶というシンプルな品書きである。
だが量はそれなりにあり、空腹を満たすには充分だった。
「あれ、響も手伝ってたの?」
厨房からグラスをトレイに乗せて出てきた彼女に、真が声をかけた。
「うん、鍵を戻す時に食堂の前を通ったら、雪歩がテーブル拭いてるのが見えたからね。他のみんなは?」
「そのことなのですが――」
貴音が経緯を説明する。
「それは心配です……」
まだあずさが体調不良と分かったわけではないが、やよいは不安そうな顔をした。
彼らもすぐにやって来るだろうということで、彼女たちは適当に席についた。
「共演してみたい人? キラキラさせてくれる人だったら誰でもいいの。あと、寝てても文句言わない人」
「でもあのALGEBRAってグループとは一緒にやってみたいかも。パフォーマンスがすごくてさ」
「自分、メンバーのMMさんと勝負したことあるぞ。敗けちゃったけど最後に、”認めよう、きみの力を”ってサインもらったんだ」
「私は各地の郷土料理を食し、その魅力を多くの方々に伝える仕事ができればよいですね」
「お姫ちん、それってただ食べたいだけじゃないのー?」
アイドルだけあって話題はイベントやテレビ番組が中心となる。
そこそこに話が盛り上がりかけた時、ドタドタと廊下を走る音が聞こえ、食堂のドアが乱暴に開かれた。
「ち、千早ちゃん!? どうしたの、そんなに慌てて!? それに顔色も……」
縁にしがみつき、肩で息をしながら千早は、
「たいへん……大変なの……! あずささんが…………!!」
掠れた声でそう叫んだ。
71:
 ふらつく足取りの千早を支えながら春香たちが2階に上がると、
「ああ、亜美……あずさが……あずさが……!」
伊織が今にも倒れそうな顔で駆け寄ってきた。
「あずさお姉ちゃんがどうしたの……?」
大変だ、としか聞いていない亜美は怪訝な顔をした。
鉄錆のような臭いがあたりに立ち込めている。
「あれ、何なんだ……?」
響が半開きになったドアを指差した。
左上から右下にかけて、赤いペンキのようなものが塗られている。
ドア全体に斜線を引いているように見えた。
「一体なにが……?」
春香が近づこうとする千早がその肩を掴んで制した。
だが亜美はその脇をすり抜けるようにして半開きになっているドアをゆっくりと開く。
「………………ッ!?」
同時に彼女の動きはぴたりと止まった。
まるで足を何重にも縫いつけられたみたいに進むことも退くこともできなかった。
その様子に訝しみながら真美が室内を覗き込む。
あずさはベッドの上に仰向けになっていた。
腹部から溢れ出た赤黒い液体がシーツを染め上げ、周囲の床に黒く変色した池を作っている。
乾き、べたついた水溜まりの中に同じ色に染まったナイフが落ちていた。
ナイトテーブルには電気スタンドとこの部屋の鍵が置いてある。
「何度呼んでも返事が、なかったから……開けたんだ……そしたら、こんな…………!」
プロデューサーはドアの前で蹲っていた。
誰もまだ部屋の中には入っていなかった。
「あ、あずささん!?」
遅れてやって来た春香たちも、その惨状を目の当たりにする。
「あ、ああ……っ!」
美希と響の後ろからそっと中を覗き込んだ雪歩は両手で口を覆った。
滑稽なほど震える彼女を真が抱きしめるようにして押さえる。
「これは面妖な…………」
ただひとり、貴音だけは表情を崩していない。
室内の様子を見てその場に立ち尽くす者、反射的に目を逸らした者、魅入られたようにベッドを見つめている者。
反応はそれぞれだったが誰も中に入ろうとはしなかった。
「退きなさい!」
そんな彼女たちを掻き分けるように伊織が飛び込む。
72:
「待って!」
すんでのところで律子が制止した。
「乱暴なことしちゃ駄目よ! 後で捜査する時に問題になるわ!」
「捜査って!? どうしてあずさが死んだみたいに言ってんのよ!」
「見て分からないの!? どう考えたって――死んでるじゃないッ!!」
「信じない……信じないわよ、そんなこと! 今すぐに手当てすれば助かるかもしれないじゃないの!」
焦る伊織とそれを食い止めようとする律子は激しく言い争った。
その時、部屋の外から喘ぐような声が漏れ聞こえ、2人はハッとなって振り返った。
「どうして……どうしてケンカしてるんですか……!? どうして……あずささんの前で……!!」
やよいだった。
彼女の位置からは黒く変色したベッドシーツが見える。
「違うのよ、やよい! これはね……」
弁明しようとした律子を遮り、美希がやよいの視界を塞ぐようにドアの前に立った。
「やよい、下に行こ!」
そう言って腕を掴む。
「見ちゃダメなの! ミキも見たくないの!」
彼女は振り返りもせずにやよいを引っ張って階段を駆け下りた。
廊下にいた者たちは呆然と2人を見送ったが、しばらくして、
「…………ッ! わ、私も降りる! 誰か一緒についてきて!」
春香が慌ててその後を追った。
その声に導かれるようにして千早と真が続いた。
「どうして……!? ねえ、どうしてよ…………!!」
室内では伊織が拝むようにして慟哭していた。
「あず、さ……お……姉ちゃん…………」
それは亜美も同じだった。
彼女は泣き叫ぶことはせず、ベッドの傍に立ってただそれを見下ろしていた。
それから数分、室内も廊下も歔欷(きょき)の声が絶えることはなかった。
73:
 9時57分。
一同は談話室に集まった。
食堂にはこれから食べるハズだった朝食が並べられたままだが、誰もそれには触れない。
沈黙の中、柱時計の音だけが響く。
「何の冗談よ、これ」
それを苛立たしげに破ったのは伊織だ。
「どうしてあずさがあんなことになってんのよ!!」
彼女は虚空に向かって叫んだ。
もちろん誰も答えない。
皆、ただ俯いているばかりだった。
「うぅ…………」
プロデューサーは嘔吐(えず)いて咄嗟に顔を背けた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、平気だ……ちょっと、思い出してしまってな……」
何人かは自然と天井を見上げていた。
「ま、まさかドッキリ、なんて……言わないよね……?」
響が不自然な笑みを浮かべて言ったが誰も反応しない。
「ごめん…………」
場は再び沈黙に包まれてしまう。
「これから……どうするんですか……?」
雪歩の問いはもはや囁きに近い。
「どうする、って言ったってボクたちにはどうしようもないよ。こういうことは警察に――」
真が言い切る前に春香が立ち上がっていた。
「そ、そうだよ! 警察! 警察に通報しなきゃ!!」
「あ、ああ、そうだな!」
我に返ったようにプロデューサーと律子がポケットをまさぐって携帯を取り出した。
「そんな…………」
が、その勢いはすぐに萎えていく。
圏外だった。
通話ボタンを押してみても、
”電波状態のよいところでかけなおしてください”
のメッセージが出るだけだ。
「私のも圏外だ」
「こっちも」
各々、自分の携帯電話を取り出して通報を試みるも結果は同じだ。
74:
「あれ、雪歩は?」
真の携帯電話を覗き込んでいた雪歩に、春香は訝しげに問う。
「わ、私のは部屋に置いてきちゃって……」
彼女は申し訳なさそうに俯いた。
「落ち着いて聞いてちょうだい」
いつの間にか談話室の入り口に立っていた律子が言う。
「エントランスにある電話機もコードを切られてたわ。それも相当念入りにね」
この館にある電話機はエントランスにある一台だけのため、外部への連絡手段は断たれたことになる。
「もしかして、あずささんを殺害した人が……?」
という千早の疑問に伊織は不愉快そうに顔を顰めた。
「迎えの船は明後日にならないと来ないんですよね……?」
春香が訊くとプロデューサーは力なく頷いた。
「船頭さんには連絡できないんですか?」
「電話が通じればすぐにでも来てくれるよう頼めるんだけど……」
「だからその電話が通じないんでしょ!?」
伊織がヒステリックに叫んだ。
あまりの剣幕にやよいは怯えたように体を震わせた。
「律子を責めてもしょうがないだろ。それより自分たち、これからのことを考えないと――」
「分かってるわよ!」
「とにかく落ち着こう。なんとか外と連絡がとれないか考えてみる。俺が――!」
プロデューサーは言葉を切り、入り口を凝視した。
「兄ちゃん……?」
彼は一点を見つめたまま身動きひとつしない。
「……どしたの?」
「い、いま……廊下の向こうに人が――」
「ええッ!?」
「い、いや! 俺の見間違いかもしれない! ハッキリと見たワケじゃないんだ……」
彼が言うには、談話室正面の廊下をエントランス方向に走る人影が見えたらしい。
春香たちは互いに顔を見合わせた。
誰もが額に汗を浮かべている。
「駆け抜けたっていうか、小走りみたいな感じだった」
「小走り……たしかに私たち、誰も足音を聞いてませんよね」
「だよね。走り抜けたんだったら相当大きな音がするハズだもん」
「もしかして……その誰かがあずささんを……?」
雪歩が小さく声をあげた。
75:
「ボクたち以外に誰かいるってこと……?」
「こ、恐いこと言わないでよ!」
春香がかぶりを振った。
「――追いかけよう」
震える声で真が言った。
「や、やめようよ、真ちゃん……危ないよ……!」
「でもこのままじゃ何も変わらないよ。それにあのヘンな文章を書いたのもそいつかもしれないじゃないか」
「だとしても危険だわ。あずささんをこ……殺した相手ならなおさら……」
律子はぎこちない手つきで何度も眼鏡をかけなおす。
「じ、自分も追いかけたほうがいいと思う」
「あなたまで何を言いだすのよ?」
「放っておいてどこかに隠れられたらどうするんだ? 殺人犯がうろうろしてるなんて恐すぎるぞ!
だけど今のうちに自分たちで捕まえちゃえば安心でしょ!?」
「プ、プロデューサー、どうします?」
律子はすっかり冷静さを失っているように見えた。
竜宮小町をまとめあげる気概は鳴りを潜め、決断を彼に委ねる。
「2人の言うことも分かる。でも相手は人を殺した奴かもしれないんだ。危険すぎる」
「だからその人殺しを放っておくほうがよっぽど危険じゃないか! 追いかけて危ないのは今だけでしょ!?
でも放っておいたらもっと危ないことになるかもしれないじゃないか!」
その後も響はしきりに追跡することの必要性を説いた。
何者かがいるなら捜しだし、捕まえるなり閉じ込めるなりしておかなければ自分たちも安心できない。
警察に通報できない現状、凶悪犯を野放しにはできないというのが彼女の論だ。
この主張に真、伊織、美希、貴音も賛同した。
「分かった。なら俺も行く。他はここに残っていてくれ」
根拠はなかったが6人もいれば大丈夫だろう、ということで彼らは一塊になって廊下に出た。
人影が走り去ったとされる方向はエントランスに階段、食堂などがある棟だ。
いざ犯人と対峙した時、最も頼りになるという理由で真と響が先頭に立つ。
「まさか空手がこんなところで役に立つなんてね」
「自分も琉球空手やってたからな。相手が武器を持ってても平気だぞ」
館の構造はシンプルで回り込むような場所もないから、突き当たりまで調査すれば必ず犯人に辿り着く。
76:
――ハズだった。
「なんで……?」
食堂、厨房、管理人室、美希の部屋、真の部屋と順番に調べたが目的の人物は見つからなかった。
道中、隠れられるような場所はほとんどない。
彼らは念のために食堂のテーブルの下や厨房の調理器具置き場も確認したが、やはり何もなかった。
「いずこへか消えた、とでもいうのでしょうか?」
突き当たりの壁を凝視して貴音が呟く。
「1階じゃなくて2階に行ったかもしれないよ」
「あんた、本当にこっちの方向で合ってるんでしょうね?」
「間違いない、と思う。見間違いじゃなければな」
「どこに行ったかも気になるけど、そもそもどこから来たんだろう?」
「考えてる暇なんてないわ。このまま2階も探すわよ!」
一同は2階に上がり、西側から順番に調べ回った。
だが怪しい人物はどこにもいなかった。
「おいおい、俺の見間違いなのか……?」
プロデューサーは頭を押さえた。
「でも見たんでしょ?」
「あ、ああ……」
「とりあえず律子たちのところに戻らない? ここで固まってても仕方ないし」
談話室では律子たちが不安げに彼らが戻って来るのを待っていた。
「どうでした? ……って聞かなくても分かりますね」
「ああ、どこにもいなかったよ。やっぱり俺の見間違いだったのかもしれない」
「見間違いなんかじゃないと思う。絶対どこかにいるハズだぞ!」
落ち込むプロデューサーに響が掴みかからん勢いで言う。
「あの告発文を書いたのも、あずささんを……殺したのも……そいつに決まってる!」
伊織は少し離れたところに立って、力説する響を見ている。
その目つきは普段よりも鋭かった。
一同は何者かが潜りこんでいるという前提で今後の対応について話し合った。
突き詰めればその何者かを探し出すのか、それとも安全を最優先にするか、ということになる。
積極的に意見を出す者もいれば、気味悪がって旗幟を曖昧にする者もいる。
そんな中で、人影を見失ったのは館の外に逃げたからではないか、と貴音が言った。
常に平静を保ち、見識が高い彼女の仮説とあってその言い分にはほとんどが頷いた。
そこで再び捜索を徹底すべきではないかという声があがる。
何者かが館内にいないからといって安心していいのか?
島のどこかにいるとしても放置しておいてよいのか?
また戻って来るのでは……?
明後日まで凌げるのか……?
77:
正体を突き止めるべきだとする強硬派と、固く戸締りをして身を守るべきだとする穏健派に分かれ議論が繰り返される。
結局、双方の意見を尊重して捜索が行われることとなった。
一度だけ総出で捜索し、仮に発見できなかったとしても追加の捜索は行わず、その後は館内で犯人に備えるというものである。
徹底的に突き止めたいという真や響は不満そうだったが、安全を考えて最後には同意した。
「じゃあグループを3つに分けて、それぞれの範囲を調べる――で、いいわね?」
一貫して穏健派だった律子は明らかに不服そうな顔で言った。
プロデューサー、真、亜美、やよいのAグループ。
春香、千早、真美、響のBグループ。
雪歩、伊織、律子、美希、貴音のCグループ。
各々の性格や体格等を考慮して、以上のように分かれることになった。
何者かは既に館の外にいる可能性が高いとの理由から、Aグループは館近辺、Bグループは島の中央部と沿岸の中間辺りを、
Cグループは島の外周をそれぞれ捜索することに決まった。
念のために武器になるものを持っておいたほうがいいとプロデューサーが提案したため、厨房や物置から使えそうなものを集める。
厨房には包丁も数本あるが鋭利なものは却って危険だということで、擂粉木やモップの柄等がそれぞれの手に行き渡った。
「なんか頼りないね……大丈夫かな?……」
亜美が卵焼き器をしげしげと見つめながら言った。
子どもでも片手で扱えるが、力いっぱい殴れば衝撃はかなりのものだ。
「仕方ないよ。刃物は危ないし」
そう言う真は何も持っていない。
「大丈夫かな……鉄砲とか持ってたらどうしよう……?」
「そんなものを持っていたら、あずささんを殺害する時にナイフを使ったりしないわよ」
心配そうな春香を宥める律子はまだ不機嫌そうだった。
78:
「どうでしょう。私たちに気付かれぬよう、敢えて銃火器の類を使わなかったのかもしれません」
「だ、だったらこんなフライパン持ってても何の役にも立たないじゃん!?」
亜美はすっかり怯えた様子で顔を卵焼き器で隠した。
「あ、それいいな! 亜美、そうやってたら鉄砲の弾も防げるんじゃないか?」
「こんな薄っぺらいのなんてすぐに穴開いちゃうよ! ひびきんこそ、どうすんの?」
「自分は弾なんて全部避けてやるさ!」
「デラックスみたいに?」
「あれは結局、足に当たるからなあ。それとデラックスじゃなくてマトリックスだぞ?」
「あんたたち、ちょっとは緊張感持ちなさいよ……」
律子はさらにイラついた口調で割り込んだ。
「じゃ、じゃあ遭遇してもあまり刺激しないように……大丈夫、とは思うけどくれぐれも気をつけてくれ」
そう言うプロデューサーの声が一番震えていた。
何者かを捕まえるに越したことはないが、下手に刺激して逆襲に出られたら危険だ。
彼はその点を再三言い含めた。
「1時間後に談話室に集合だ。いいな?」
携帯電話が使えない状態での行動となるため、3グループは互いに連絡をとれない。
そのためしっかりと約束を交わし、普段の仕事以上に時間厳守を徹底しなければならなかった。
「それじゃあ行くわよ」
伊織が4人を率いて館を出た。
Cグループのリーダーは律子のハズだったが、実質的には早くも伊織がその役を担っている。
「わ、私たちも……!」
Bグループは春香がリーダーを務めるがこれは心許ない。
最後に館を出たAグループはプロデューサーが主軸となる。
79:
 10時22分。
「水瀬さんたちはもう海まで出たかしら?」
草を掻き分けながら千早が呟いた。
「着いてるんじゃないかな? 真っ直ぐ歩けば5分くらいの距離だし」
Bグループは館を中心に半径300メートルほどの範囲を捜索する。
昨日、突然の豪雨をもたらした雨雲は既に消え去り、広闊たる青空が広がっている。
4人は落ち着きなく辺りを窺った。
時おり風が吹いて草が揺れると、彼女たちは反射的にそちらの方を見やる。
犯人はどこに潜んでいるか分からないのだ。
小さな物音ひとつにさえ、春香たちは全神経を集中させた。
「あっ!?」
響が声をあげた。
「な、なに!?」
振り向いた春香はあやうく転びそうになった。
それぞれ手にした武器をしっかり握りしめ、身を固くする。
「ご、ごめん……見間違いだったみたい……」
響が指差した先では背の高い草が風に揺れていた。
「ちょ……ひびきん! 心臓に悪いって!」
真美はその場に座り込んだ。
「だからごめんって。でもこんな場所にいたら、動く物が全部怪しく見えるぞ……」
「それはそうかもしれないけど……」
春香が非難がましい目を向ける。
その後も山狩りよろしく少人数での捜索が続く。
しかし林立する高木と風に靡く草花以外には特に何も見当たらない。
そうして10分ほど館を中心に円を描くように歩いている時、
「どうしたの、千早ちゃん? さっきからずっと何か考え込んでるみたいだけど?」
その様子を気にした春香が声をかけた。
「ええ、ちょっと気になることがあるっていうか……」
ハッキリとはしないが引っ掛かるものを感じる、と彼女は言う。
このBグループの行動範囲ではたまたま草木が視界を遮る場合を除けば、彼女たちは常に館の全体が見える距離にいる。
千早はしばしば顔を上げては館を見つめ、その度に首をかしげている。
「やっぱり……」
館の真後ろまで来た時、彼女の足はぴたりと止まった。
「どったの? 千早お姉ちゃん」
響と前を歩いていた真美が振り返る。
80:
「あれを見て」
千早が指差したのは館の上の部分だ。
3人は背伸びしたり、体を左右に動かしたりして観察するが特におかしな点はない。
「煙突がないわ」
館は遠目から見ると横に長い箱のようになっていて、鋭角のないのっぺりとした屋根になっている。
4人がいる場所は島の中でも比較的高い位置にあり、屋根をほぼ水平に見ることができた。
確かに彼女の言うように煙突の類はない。
しかしそれがどうしたというのか、という響に、
「確かめたいことがあるの……いいかしら?」
千早は凛とした表情で言った。
「ん…………?」
その時、2階の窓を見ていた響が声を漏らした。
「どうしたの?」
それに気付いた春香が声をかけるが、
「な、なんでもない。なんでもないぞ。うん……」
彼女はぎこちない笑みを浮かべるばかりだった。
81:
 5人はまず桟橋に向かい、そこから時計回りに島を一周することにした。
この島はそう広くはないが、さすがに1時間では回りきれない。
そこで人が隠れられそうな要所を優先し、見通しの良いところをショートカットすることになる。
ただし平坦な道ばかりではないから、進むには慎重さを要する場所もある。
「昨日はここで遊んでたのよね……」
桟橋を背に浜を歩きながら律子が呟いた。
ビーチバレーのために描いたコートは昨日の雨がすっかり洗い流してしまっている。
一帯は白い砂がなだらかな起伏を形成し、空の青さとも相俟って南の島と呼ぶに相応しい景勝だ。
しばらく歩くと岩肌が露出した段差が伸びており、それを越えた途端に木々が犇めいていて枝葉が空を覆い隠す。
この辺りから左手は急斜面になるため、伊織たちは少しだけ歩くペースを落とした。
「何者かが潜んでいるやもしれません。呉々もご注意を」
Cグループの中心は伊織だが、先頭に立っているのは貴音だ。
そのすぐ後ろ、彼女の背中に張り付くように懸命についていく雪歩。
さらに伊織、美希、律子と続き、5人は周囲を油断なく窺いながら森の中を進む。
「何もないね……」
美希が安心したような口調で言った。
森をしばらく行くと今度は上り坂が続く。
大して急ではないが昨日の雨で泥濘(ぬかる)んでいる場所が多く、滑らないように姿勢を低くして登る。
「きゃっ!」
坂を登りきったところで雪歩が泥に足をとられた。
バランスを崩し、転げ落ちそうになるのを傍にいた美希が腕を掴んで引っ張り上げた。
「…………!?」
一瞬、美希の表情が引き攣る。
「び、びっくりした……ありがとう、美希ちゃん……」
「ケガしてない?」
「うん、大丈夫……」
雪歩は照れ笑いを浮かべた。
「あんたたち、大丈夫なの?」
最後尾にいた律子が見上げた。
「だ、大丈夫です!」
「まったく、これだから反対だったのよ……」
強硬派の意見も取り入れたことに彼女はまだ不服のようだった。
その後、全員が坂を登り終える。
「……雪歩、手、冷たいね」
美希がぼそりと言った。
82:
「え? そ、そうかな……?」
「うん、さっき掴んだ時、すごく冷たかったの。ミキ、びっくりしちゃった」
「うぅ、ごめんね……」
「謝ることないよ。手、つなぐ?」
「え……?」
「そしたら少しは温かいの」
そう言って彼女は雪歩の手をとった。
左手に海を見ながらさらに進むと、周辺の草花の丈が少しずつ低くなっていく。
徐々に遠くまで見通せるようになると、前方の木々の隙間にひときわ強い光が差し込んでいる。
鬱蒼とした森林の終わりだった。
「こっちはこんなふうになってるのね……」
一気に降り注ぐ陽光に伊織は手をかざした。
先は緩やかな登りになっていて、凹凸も少ないために歩くには支障はない。
だが硬い土が数十メートルほど前方に続いているだけで、その先は切り取られたようにどこにもつながっていない。
「あまり前に行くと危険ですよ」
伊織について歩きながら貴音は周囲を見渡した。
いつの間にか伊織が先頭に立って歩いていた。
この高所からは、海が少しだけ遠くに見える。
端まで行くとそこは崖になっていて、見下ろせば寄せる波が岩礁にぶつかって真白な飛沫をあげている。
壁面は弓形に削り取られているため降りるのは不可能だ。
腹這いになって身を乗り出しても、大きくカーブを描いた断崖のおかげで真下の様子は分からなかった。
「ちょうど桟橋の反対側あたりかしらね」
海を正面にしたときの太陽の方向から、律子はそう推測した。
「この下はどうなってるのかしら?」
直接降りて調べられないことに伊織はイライラした様子で言った。
「洞窟になってて宝物とか隠されてるかもしれないよ?」
「そんなの映画の中だけでしょ?」
美希が惚けた調子で言ったので彼女は呆れたように返した。
「船でもあったら入って調べられるのに、残念なの」
「船があったらとっくにこの島を出てるわよ」
崖下を憎々しげに睥睨してから伊織は天を仰いだ。
「こんなところに犯人が隠れられるワケないわ。行くわよ、あずさを殺した奴を絶対に見つけてやるんだから」
彼女が早足で歩き出したため、4人は慌ててその後を追った。
83:
「なんか、こうして見ると気味悪いね……」
館を出るなり亜美が振り返って言った。
木製の玄関扉は年季が入っていると言えば聞こえは良いが、それゆえの木目や染みが不気味な模様を描いている。
特にドアノブあたりの模様は濃淡のせいで髑髏のように見えた。
「みんな、離れるなよ」
モップの柄を両手にしっかり握り、及び腰で先頭を歩くのはプロデューサーだ。
最初、真がその役を引き受けようとしたが、万が一のことがあってはいけないからと彼が下がらせた。
「頼むから何も出てくれるなよ……」
歩みは遅い。
館近辺の捜索のため、遠出するCグループより楽そうだが、彼らの行動範囲には死角も多い。
館の角、茂み、丘陵の向こう側……。
見回せば犯人が身を潜められそうな場所はどこにでもあった。
「やっぱり止めたほうがよかったな――」
「プロデューサーは最後まで反対してましたもんね」
ぐっと拳を握りしめて真が言う。
「当たり前だろ。大事なアイドルをみすみす危険な目に遭わせるようなこと、賛成できるワケないじゃないか」
「でも犯人を捕まえないで野放しにするのも、それはそれで危険じゃないですか」
「それは、まあ……」
彼は数歩おきに振り返った。
亜美もやよいも一定以上の間隔をあけずにしっかりついて来ている。
「悔しいですよ。あずささんを殺した犯人……ボクは絶対に許せません」
「それは俺も皆も同じだ。正直、犯人を見つけたら冷静でいられる自信がない」
彼は蒼い顔をして言った。
「頼もしいですね、プロデューサー」
真は引き攣った笑顔を浮かべた。
館の壁伝いに歩いていた4人は、ちょうどあずさの部屋の真下まで来た。
「どうやって入ったんだ……?」
窓を見上げてプロデューサーは呟いた。
「登っていったんじゃないですか?」
「足場もないのにか? それに窓には鍵がかかってるぞ」
彼の言うように窓は施錠されている。
「後で誰かが閉めたとか……?」
「いや、俺も律子も確かめた。俺たちがあずささんの部屋に入った時、間違いなく鍵がかかってた」
「じゃ、じゃあ中からってことに……なりませんか?」
真は身震いした。
そのとおりなら殺人犯と一夜を過ごした可能性が出てくる。
84:
「あ、あの、プロデューサー……それに真さんも……」
やや離れたところからやよいが小声で言った。
「そういう話は……やめてほしいかな、って…………」
彼女は今にも泣き出しそうな亜美の肩を抱いている。
「す、すまん……」
プロデューサーは慌てて腰を屈め、目の高さを亜美に合わせた。
そして震える両腕を挟むように掴み、落ち着かせる。
「悪かった。そんなつもりじゃなかったんだ。ただ……大事なことだったから……」
考えておかなければならなかった、と彼は言う。
「ボクも、ごめん。早く犯人を見つけたい、って気持ちばかり焦って……」
真は憎々しげにあずさの部屋を見上げた。
しっかりと鍵をかけられた窓には、外から見る限りでは犯人が出入りしたような跡はない。
昨日の降雨によってできた小さなシミも、他の部屋のものと大差はない。
「分かってる……亜美だって、このままじゃイヤだもん……」
「亜美……?」
「恐いけど……でも犯人を見つけたいっていうのは亜美も同じだよ。多分、いおりんも――」
その時、背後の茂みからガサガサと音がした。
4人が咄嗟に振り向く。
「だ、誰だっ!?」
立場上、プロデューサーが前に出るが腰は完全に引けている。
「2人とも離れてて」
やよいたちに小声で言い、真も彼の横に立つ。
「か、隠れても無駄だぞ! こ、こっちは分かってるんだからなっ!」
モップの柄を握りしめながら、彼はゆっくりと……後退りし始めた。
腰の高さほどある草が揺れ、その隙間から人が飛び出して。
「わあああぁぁぁっっ!」
彼は自分の足に躓いて尻もちをついた。
武器だけはしっかりと握っていて、あたり構わず振り回している。
「プロデューサー、私たちですよ、私たち」
春香が少し拗ねたような顔で言う。
「驚きすぎだぞ……」
響が呆れたように言うと、その後ろで千早が申し訳なさそうに微苦笑した。
「春香さんたち、どうしたんですか? まだ30分以上もありますよ?」
館を出てから20分ほどしか経っていない。
予定では1時間後に談話室に集まることになっている。
「千早お姉ちゃんが気になることがあるって言うから戻ってきたんだよ」
それが何かをまだ聞いていない真美も分からない顔をしている。
「も、戻って来るにしても分かりやすいところから来てくれよ……心臓が止まるかと思った……」
プロデューサーは尻もちをついたまま抗議した。
「で、何なんだ? その気になることっていうのは?」
「それは――」
85:





Aグループ、Bグループが合併したことで彼女たちの表情にはいくらか余裕がある。
人数が多いほど死角は減り、また犯人が手を出しにくい状況を作り出せる。
千早を先頭に彼女たちは食堂にやって来た。
朝食はそのままテーブルに残されている。
「紅茶、冷めちゃってます……」
やよいが残念そうに言った。
当然、誰も口をつけていない。
「ほんとだ! 足場があるよ!」
暖炉を覗き込んで亜美が叫ぶ。
「やっぱり……」
千早が告発文を見ないようにして呟く。
気になること、というのはこの食堂でもひときわ目を引く暖炉のことだった。
「引っかかっていたの。改めて外から見たらどこにも煙突がなかったから――。本来の暖炉ではなくてただの装飾なら、どこかに繋がっているのかと思って……」
亜美は携帯電話のライトで中を照らした。
手前の壁に等間隔で互い違いに突起があり、それはずっと上まで続いている。
数十センチ張り出した突起は足をかけて登るには充分だった。
「こんなものがあったのか……」
亜美と交代に中を覗き込んだプロデューサーはため息をついた。
足場は手前の壁にしかないため、暖炉に顔を近づけただけでは見つけられない。
中まで入り、振り返って見上げなければまずその存在には気づかない。
「もしかしてここから……?」
春香の言葉に何人かが頷く。
彼女の考えは何者かがこの足場を使ってここに隠れたか、あるいは足場がどこかに続いていて2階に逃げ込んだ、というものだ。
プロデューサーが目撃したという人影が消えたのもこれで説明がつく。
「登っていったらどこに辿り着くのかな?」
響が首をかしげた。
「真上は多目的室だったわね」
千早が顎に手を当てて言った。
「登って確かめてみようよ」
言うなり響は暖炉に顔を突っ込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
真が慌てて響の手を掴んだ。
86:
「なんで止めるんだ? 犯人の居場所が分かるかもしれないじゃないか」
「だからだよ! 独りで行くなんて危ないよ。先で犯人が待ち伏せしてるかもしれないだろ」
「あ、そっか……」
苦笑いを浮かべながら響が引き返す。
千早はそのやりとりを鋭い目つきで見ていた。
「よし、なら俺が先に多目的室で待っていよう。亜美、真美、やよいもついて来てくれ」
「分かりました」
「ボクは行かなくていいんですか?」
「俺たちが2階に行っている間、ここを守ってくれ。心配するな。さっきはカッコ悪いところを見せたが、俺も男だ。2階で何か起きても対処するさ」
暖炉を登るのは5分後、と決めて彼らは食堂を出て行った。
「それにしても千早、こんなのによく気が付いたな」
響は言いながら何度も頷いた。
「プロデューサーが見た人影がどこにもいなかった、っていうのが気になってたの。階段を使ってないなら……ここをよく調べてないのを思い出して……あれがあるから……」
千早は告発文をちらりと見た。
しかしすぐに視線を戻し、
「我那覇さんも気付いてたんじゃないの? 暖炉に何かあるかもしれないって」
真顔でそう問うた。
「え、そうなの!?」
驚いて声をあげたのは春香だ。
「そんなことないぞ。こんなの、思いつきもしなかったし……なんでそう思うんだ?」
恥じるような、拗ねるような口調で返す。
「いえ、なんとなく……いつもカンペキだって言ってるから、気付いてるのかと思って」
千早は申し訳なさそうに言った。
「そろそろ5分経つけど……響ちゃん、本当に大丈夫?」
「ちょっと登って見てくるだけだぞ? 多分、多目的室に続いてるんだろうし、上にはプロデューサーたちもいるし平気さ」
「我那覇さん、私が行くわ。見つけたのは私だし……」
と言う千早だったが、
「自分に行かせてくれ」
彼女は突き放すような口調で制した。
千早はそれ以上は何も言わず数歩下がり、一瞬だけ食堂の入り口に目を向けた。
「響、気をつけてね。何かあったら大声で叫んで。すぐに行くから」
「大袈裟だなあ、真は」
87:
大仰に笑い、響は身を屈めて暖炉の中に入った。
身軽さを活かして一段、一段と足場を登っていく。
中ほどまで来ると食堂の明かりが届かなくなり、手探りで足場を確保する必要がある。
響は携帯電話のライトを点けて銜(くわ)えた。
頼りないが今はこれが唯一の光源だ。
さらに何段か登ったところで天井部分に当たる。
響は首をかしげるようにしてライトを上に向ける。
行き止まりではなかった。
こげ茶色の板が蓋のように頭上を覆っているが、手が届くところに取っ手が付いている。
それを引っ張ってみる。
だがビクともしない。
反対に押し上げてみると、天井の一部が嫌な音を立てて持ち上がった。
その隙間からうっすら光が差し込んでくる。
「響さん!」
やよいが覗き込んでいた。
最後の突起に足をかけて縁を掴み、響は伸び上がるようにしてさらに取っ手を押し上げた。
「やっぱりここに繋がってたのか……」
やよいと亜美に引っ張り上げられた響は、辺りを見回して言った。
彼女が出てきたのは多目的室の中ほど。
この部屋は入って正面に長テーブルが”コ”の字形に置かれていたが、裏に回り込むと床下収納のような床の切れ目があった。
響はそこを押し開けて出てきたのだが、床自体には取っ手もなければ目立つ境い目もない。
「やよいっちが見つけたんだよ」
と言ったのは真美だ。
暖炉で繋がっているなら当然、多目的室からも降りる場所があるハズだとプロデューサーが言い、4人で探していたところ、やよいがこの床の切れ目に気が付いたという。
「これ、こっちからは開けられないんだよ」
亜美が床を指差して言った。
「俺が見た奴はここを通って2階に逃げたのか?」
「多分、そうだと思うぞ。ちょっと力がいるけど蓋は簡単に開くから」
やよいは隠し通路を覗き込んで身震いした。
中は真っ暗で1階部分には食堂の照明がわずかに差し込んでいるが、上からではずっと遠くに見える。
「だとしてまだ館のどこかにいるのか、それとも外に隠れ潜むような場所があるのか――」
プロデューサーはかぶりを振った。
「下で春香たちが待ってるから、このまま降りるよ」
「ああ、蓋を閉めたのを確認したら俺たちも食堂に戻る」
響は再び突起に足をかけ、来た道を引き返した。
半分ほど降りたところでプロデューサーがゆっくりと蓋を閉じる。
今度は携帯電話のライトを使わずに降りていく。
その時、下で椅子が倒れる音がした。
88:
「春香!?」
千早の叫び声と、激しく格闘するような音もする。
「な、なに…………!?」
響は足を止め、その姿勢のまま数秒待った。
下ではまだ春香たちが騒いでいる。
さらに数秒――。
音はまったく聞こえなくなった。
響は小さく息を吐き、ゆっくりと足場を降りていく。
「あ、戻ってきた」
額に汗を浮かべて春香が迎えた。
その後ろに険しい顔をしている真と、彼女と反対に動じていない様子の千早がいる。
「ね、ねえ、さっきの音、何だったの……? 千早、叫んでなかった……?」
埃を払いながら響は辺りを見回して言った。
椅子はきちんと整えられており、周囲には争った形跡はない。
「さっきのは――」
響を待っていた春香は暖炉の近くにゴキブリを見つけてしまい、慌てて飛び退いた拍子に椅子を倒してしまったという。
さらにそのゴキブリが今度は真の足元に向かって行き、彼女も走り回っていたという。
「ビックリさせないでよ! 犯人かと思って心臓が止まるかと思ったぞ!」
「ご、ごめんね、響ちゃん……それでどうだったの?」
「多目的室に繋がってた。でも床には取っ手も何もないから向こうからは開かないんだ」
暖炉の中の様子や多目的室の構造を簡単に説明する。
「じゃあ犯人はこれを使って……?」
真の呟きに千早が頷く。
「可能性はありそうね。それなら見失った理由も説明がつくわ」
言ってから彼女は暖炉を覗き込んだ。
「もしかして他にもこんな場所があるのかしら?」
その時、亜美と真美が戻ってきた。
「ひびきん、お疲れ……うわっ! 足のところ真っ黒じゃん!」
「埃っぽかったからな。足場も取っ手も汚れてたし」
「ちょっとあっち向いて」
響に背を向けさせ、亜美が服に着いた汚れを払った。
「ありがと。プロデューサーとやよいは?」
「すぐに来るよ。戸締りしてから降りるって言ってたから」
「えっ……!?」
千早が驚いたように真美を見た。
「どうしたの?」
「……いえ、何でもないわ」
真に訊かれ、彼女はかぶりを振った。
それからすぐにプロデューサー、やよいが戻ってきた。
89:
 11時20分。
Cグループも無事に館に到着し、談話室にて情報交換をする。
「私たちのほうは特には……足跡ひとつ見つけられませんでした」
まずは律子が捜索の結果を伝える。
昨日の雨の影響もあり、足場の悪い場所は避けつつ彼女たちは島を一周した。
しかし目に留まるものは何もなかった。
崖の下だけは確認できなかったが、人が降りられるような場所ではなく危険を冒してまで調べる必要はないだろう、と貴音が言った。
「まあ、犯人がいたとしても、5人でぞろぞろ歩いてたんだからいくらでも身は隠せたでしょうけどね」
伊織は拗ねたような口調で言った。
「プロデューサーはどうでした? 館の周辺に何かありましたか?」
「ああ、そのことだが……」
律子に水を向けられ、彼は隠し通路にまつわる経緯を説明した。
「あの暖炉が2階に続いてる……?」
それを聞いた律子は最初は信じられないと言ったが、発見のキッカケとなった千早や実際に登って確かめた響の言葉もあり、最終的には隠し通路はあるとの判断に至った。
「なんなら確かめてみるか?」
「……やめておきます。疑いようがないみたいですから」
「でもこれで犯人のことは分かったの。きっとこの館に詳しい人なの。そうでしょ?」
美希が勢い込んで言う。
それに押されたように、
「あ、ああ……そうなるな、うん」
プロデューサーはぎこちなく何度も頷いた。
「だけどそんな奴がウロウロしてるなんて不気味だな。構造に詳しいのならいくら探しても隠れられてしまうんじゃないか?」
彼の言葉に春香たちは頷いた。
「それじゃあ、もう探さないの?」
責めるような口調の響を、
「捜索は一度だけって約束したでしょ? それに相手はどんな奴か分からないんだから刺激しないほうがいいわ」
やんわりと律子が諭す。
だがこれをキッカケに今度は犯人ではなく、館の構造について詳しく調べるべきではないかという声があがる。
これに賛成する者たちは、構造を知ることでより安全になり身を守りやすくなるということと、
一度だけという約束はあくまで犯人捜索に対してのみだ、という点を根拠とした。
反対派は隠し通路の類が見つかったところで身を守る助けにはならないこと、
犯人を刺激し逆上させて却って危険を招くこと等を訴えた。
議論は紛糾したが、引率役でもあるプロデューサーと律子が強く反対したこともあり結局、探索は行わないと決まった。
「これでいいのよ。私たちは警察じゃないんだから」
律子が安心したように言った。
「それにこっちは複数、犯人がいたって手出しできないわ」
納得していない様子の伊織は、キッと彼女を睨みつけた。
90:
「あ、あの、お腹空きませんか?」
険悪なムードを破るように春香が立ち上がった。
談話室を取り巻く空気とはまるで正反対の、調子の外れた呼びかけに、
「朝から何も食べておりません。少しでも口にしておくべきかと」
貴音が一番に応え、誰からともなしに食事にしようということになった。
テーブル上に並べられていた朝食を片付け、春香ややよいが中心になって準備をする。
品書きは下げたものと殆ど変わらず、パンにサラダとベーコンエッグ、飲み物はコーヒーや紅茶が並ぶ。
「簡単なものしかできなかったけど……」
と申し訳なさそうに言う春香に、
「あんまり脂っこいものが出てきても食べられないだろうから、これくらいで丁度いいの」
美希が微笑むように言った。
全員、昨夜と同じ席についた。
食事中、喋る者はほとんどいなかった。
暖炉に正対して座っている雪歩や千早は、できるだけ壁――告発文を見ないようにした。
「やよいっち、食べないと力が出ないよ?」
春香と料理の大半を手掛けたやよいは、パンを半分ほど食べた以外は殆ど手をつけていなかった。
それは彼女だけではなく、程度の差はあれど大半に食欲は見られなかった。
サラダだけ食べる者、半分食べて残す者、飲み物を全く摂らない者もいる。
そんな中で貴音と響だけは時間をかけて全て食べ切っていた。
「あんまりお腹空いてないから……」
そう言って苦笑いを浮かべるやよいに、
「医食同源という言葉もあります。心情は察しますが、栄養を摂らねば心身を健康に保つことはできませんよ?」
貴音は食べるよう勧めた。
「そうですね……」
彼女はパンを少しちぎり、それからサラダを一口食べた。
しかしそこから先は手が動かない。
「や、やよいちゃん、無理しなくていいからね……? 食べられるだけ食べよう?」
隣に座っている雪歩がそっと彼女の背中をさすった。
「食べられるワケないわよ」
伊織が責めるように言う。
「あんなことがあったのよ? 食欲があるほうがおかしいわ」
その視線は貴音と響に注がれていたが、2人ともそれを無視した。
91:
「ねえ、律子。竜宮小町は……どうなるの? やっぱり解散ってことになるのかしら……」
「伊織……なにも今そんな話をしなくても――!」
「答えてちょうだい。プロデューサーとして、どうなのか」
「いおりん、やめようよ! 聞きたくないよ、そんなこと……!」
律子も亜美も制しようとするが、彼女は追及を止めようとしない。
そのため両者の間で小競り合いとなったが、やがて律子は意を決したように、
「――解散よ」
通る声で短く言った。
「律っちゃん……?」
「あずささん、伊織、亜美の3人が揃ってこその竜宮小町よ。1人でも欠ければ成立しない……それがプロデューサーとしての考えだけど……どう、伊織? この答えは不満かしら?」
挑むような視線に、伊織は何も答えなかった。
だが数秒が経ち、
「いいえ、満足よ」
彼女は少しだけ笑って言った。
険悪だったムードが俄かに和らぎ、何人かがため息をつく。
その後10分ほどかけて食事を終える。
結局、最後まで食べ切ったのは2人の他はプロデューサーだけだった。
「どうしたんですか……?」
後片付けをする段になり、各々が自分の仕事を探して動いている頃、告発文の前に立った貴音はじっとそれを見つめていた。
そこに声をかけた雪歩は怯えた様子で彼女の横顔を覗き込む。
「改めて読み返してみようと思いまして」
ほんの一瞬、雪歩を見やった彼女は再びそれを凝視した。
「雪歩、あなたは自分を臆病だと思いますか?」
「え……? ええ、っと……」
「無理に聞こうとは思いません」
「臆病……だと思います。男の人が苦手なのは治らないし、いつもみんなに助けてもらってばかりで……この前も――」
「……そうですか」
失敗談を延々と話し始めた彼女を貴音は制した。
「欺き、惑わすつもりはありませんが、私が自身に纏わる事柄について隠匿しているのは事実であり、自覚はあります。
そして雪歩もまた、この内容に心当たりがある……で、あれば――」
「…………?」
「この告発文は書いたのは私たち自身なのかもしれませんね」
雪歩は首をかしげた。
春香たちが食堂と厨房を往復する。
「ちがうと思います……」
ずいぶん間を置いてから雪歩が掠れたような声で言った。
92:
「それだと、響ちゃんや真美ちゃんも書いたことになってしまいます…………」
消え入りそうな、しかし堂々とした反駁だった。
2人は告発文の前に並び、互いに顔を見合わせた。
「今のあなたは臆病どころか、誰よりも強く、そして優しい心の持ち主のようですね」
先に目を逸らしたのは貴音だった。
「このような陋劣な告発文を見せつけて悦ぶ小人など、あなたの足元にも及ばぬでしょう」
そう言い、彼女は厨房に向かった。
「皆の手伝いをして参ります……」
雪歩はその背中をじっと見つめていた。
その時、厨房で大きな音がした。
「危ないから近づいちゃ駄目よ!」
律子が叫ぶと、傍にいた春香たちが後退る。
大皿が数枚、棚から落ちて割れてしまったのだ。
破片は広範囲に飛び散っており、細かな取りこぼしでも怪我をする恐れがあるということで入念に掃除をする。
集めた破片を二重にした袋に詰める等の作業に数分を要した。





93:
後片付けが終わり、談話室に集まった彼女たちの顔は青ざめた。
「ねえ、やよいは……?」
真の声は震えていた。
それぞれ、やる事がなくなると告発文のある食堂を避け、自然と談話室に集まっていた。
そうして全員が揃ったところに、やよいの姿だけがなかった。
「なんで気付かなかったんだっ!?」
弾かれたようにプロデューサーが立ち上がる。
「ま、待ってください! 私も行きます! あんたたちはここにいなさい!」
律子も立ち上がり、2人して食堂に走って行った。
「あ、ちょっと!? ここにいろって言われたじゃないか!」
亜美と真美が立ち上がり、談話室を出ようとしたところを真が制した。
「だってやよいっちが心配なんだもん!」
同時にそう言い、亜美たちも食堂に向かった。
「やよい!」
食堂に入るなりプロデューサーが呼んだ。
だが返事はない。
物音ひとつしない。
「厨房を見てみましょう!」
追いついた律子がテーブルを迂回して厨房に向かう。
「律っちゃん、亜美たちも一緒に行くよ」
遅れてきた2人も合流する。
調理台などの死角も多いため、律子たちは丁寧に見て回った。
だが、やよいの姿はなかった。
「あれ、なんかドアみたいなのがあるよ?」
奥の壁にある取っ手を見つけた真美が言った。
「あんなのあったっけ?」
「さあ、亜美たち、ここに入ったのはこれが初めてだもんね」
「なんだ? どうかしたのか?」
プロデューサーがやって来た。
「兄ちゃん、あそこ見て! なんかドアみたいなのがあるよ」
「ああ、あれは物置につながってるんだ。鍵がかかってるハズだぞ……ほら」
ノブを回して押したり引いたりするが、ドアはびくともしない。
試しにと真美も開けようとしたが結果は同じだった。
「それよりやよいは……? ここにもいないのか……?」
「ええ、隈なく探しはしましたが……一度、談話室に戻りますか?」
「そうしよう」
途中、エントランスの階段裏も確かめながら4人は談話室に戻ってきた。
「どうでした……って、その様子だと――」
見つからなかったみたいですね、と春香が言った。
94:
「ええ、食堂と厨房にはいなかった……あれ? 響たちはどうしたの?」
律子は人数を数えながら言った。
響と美希の姿がない。
「あんたたちが食堂に行った後、気になるから自分も探すって」
「どうして止めなかったの!?」
「止めたわよ! 私だって探しに行きたいくらいなんだからっ!」
「おいおい、バラバラになるのはまずいぞ! 2人だけか!?」
プロデューサーは額の汗を拭った。
「高槻さんの部屋を見てくるだけだ、って言ってました。だからすぐに戻って――」
「ねえ、みんな! ちょっと来て!」
千早が説明しかけたところに2人が走って戻ってきた。
「2人とも、なんで勝手に行動したんだ!? 危ないじゃないか!」
「そんなことより来てほしいの! 早くっ!」
プロデューサーの叱責を無視して美希も急かす。
怒るタイミングを失った彼は全員がついて来ているのを確認しながら、やよいの部屋に向かった。
「これ……?」
一番に声をあげたのは亜美だった。
「あずさお姉ちゃんの部屋のと同じだ……」
斜線のように真っ直ぐな赤い線が一本、ドアノブの高さあたりから右上がりに引かれている。
幅は3センチほどで所々がかすれており、小さな刷毛で乱暴に塗ったように見える。
「美希と来てみたら、こんな風になってて……呼んでみたけど返事もないし……」
「鍵は――」
律子はドアノブに手をかけ、
「――開けた?」
少し回したところで肩越しに振り返る。
「いや、開けてないぞ」
「ミキも触ってないよ」
2人は同時にかぶりを振った。
「どうかしましたか?」
貴音は少し離れたところに立っていた。
「鍵、かかってないみたいなのよ……」
律子はプロデューサーを見た。
彼は深く頷いた後、
「いや、俺が開ける」
覚悟を決めたようにドアに近づいた。
「やよい……?」
ノブを回す前に声をかける。
返事は――ない。
「……開けるぞ?」
ドアは何の抵抗もなく開く。
だが彼はすぐに閉めた。
95:
「どうしたんですか……?」
蒼い顔で春香が問う。
彼はかぶりを振った。
「まさか…………!?」
「お前たちは談話室に戻れ。ここは――」
「そんなのウソだよッ!」
真美がプロデューサーを押しのけ、強引にドアを開けた。
「やめろ! 見るんじゃ――!」
力いっぱい開いたドアは壁にぶつかり、室内の様子が晒される。
やよいは部屋の中央にいた。
窓に向かってうつ伏せに倒れていた。
背中からは夥しい量の血液が流れた跡がある。
血液は両脇に広がり、カーペットを黒く染めている。
彼女のすぐ横には包丁と、穴の開いハンカチが落ちていた。
ハンカチは大量の血液を吸って元の色が分からないほどだった。
「やよいっち…………?」
真美が恐る恐るといった様子で踏み込む。
「駄目よ、真美」
律子が制する。
が、彼女はそれを無視してやよいに近づいた。
「や、やよい、ちゃん……!!」
廊下にいた雪歩は動かなくなった彼女を見て、小さく悲鳴をあげた。
その場に崩れ落ち、体を小刻みに震わせる。
真が雪歩の両肩を挟むように抱いた。
「やよい! やよいっ!!」
真美に続いて部屋に入った伊織は、拝むように蹲って何度も名前を呼び続ける。
声は虚しく室内に木霊するばかりだった。
「なんで……? ねえ、ヘンな冗談やめてよ……」
やよいに触れようとした真美の手を、律子が強く掴む。
「真美たちのこと、からかってるんでしょ? 真美たちがイタズラばっかりしてるから……?」
「………………」
「ねえ、ウソでした! って……言ってよ……ネタばらししてよ……!
あずさお姉ちゃん、そういうの得意なキャラじゃないんだよ!? やよいっちも知ってるでしょ!?」
「真美……そろそろ……」
律子はかぶりを振って言った。
彼女が振り返ると、いつの間にか千早と美希が入って来ていた。
「高槻さんまで……」
千早は拳を握りしめた。
96:
「2人とも、真美と伊織を連れて外に出て」
「律子、さん……?」
「まだ受け容れられないのよ。しばらくして落ち着かせれば――」
「そんなの、ミキだって同じなの!」
叫んだ美希の目から涙が零れ落ちた。
「どうして律子は落ち着いてるの!? あずさもやよいも死んだのに、悲しくないの!?」
「美希、やめなさい」
千早がぐっと彼女の腕を掴んだ。
「悲しい…………?」
眼鏡をかけなおし、律子はキッと美希を睨みつけた。
「悲しいどころか恐いわよっ! 死んでるんじゃない! 殺されてるのっ! 恐いに決まってるでしょ!?」
「お、おい……!」
騒ぎを聞いてプロデューサーが入ってきた。
「だからって取り乱してどうなるの? 泣き喚いたら犯人が見つかるの? 違うでしょっ!?」
あまりの剣幕に伊織と真美も怯えたように彼女を見ていた。
「……冷静に……冷静にならなくちゃいけないの。でなきゃ次は私かもしれないし、あんたかもしれないのよ……?
悲しくないワケ……ないじゃない……。ずっと仕事してきた、765プロの仲間なのよ…………?」
最後は消えそうな声で言い、彼女は目を閉じた。
唇はわなわなと震え、頬には濡れた跡がある。
「全員、廊下に出るんだ」
プロデューサーはやよいに手を合わせた。
「早くっ!」
最後まで部屋に残っていたのは伊織だった。
 12時44分。
再び談話室に集まった彼女たちは、ほとんど言葉を発さなかった。
春香や響が話題を振っても、それに返事をするのは限られた者だけで会話らしい会話にはならない。
しばらくの沈黙の後、思い出したように雪歩が立ち上がった。
「どうした、雪歩?」
考え事をしていたらしいプロデューサーは衣擦れに気付いて顔を上げた。
「あの、その……エントランスのほうに……確かめようと思って……」
「何を?」
「犯人が、その、ここの造りに詳しいなら……しっかり戸締りしておいたほうがいいんじゃないでしょうか?」
玄関扉の施錠を確かめるべきだと彼女は言う。
おずおずと言う彼女に続き、
「そ、そうだね! 鍵をしっかりかけておけば……!」
大丈夫だ、と春香が同調した。
97:
しかし他の者たちの反応は冷ややかだった。
何か言いたそうな彼女たちはしかし雪歩の顔色を窺って発言はしない。
その様子にイラついたように、
「言ってることは分かるけど、ハッキリ言って手遅れよ」
伊織が呆れた口調で言う。
「い、伊織、もうちょっと――」
「事実じゃないの」
言葉を選べ、と窘めようとした律子を先回りして制する。
談話室の天井を仰ぎ見、ため息をついた貴音は伊織を見つめた。
「あずさのことを考えてみなさいよ」
全員が目を伏せた。
「あずさは殺されたのよ? ドアの鍵もかかってた。窓にもね。分かる?」
伊織の勢いに威圧されたように雪歩は小さく震えながらかぶりを振る。
「あずさを殺した奴はとっくに館の中にいた、ってことよ。いつからか――なんて分からないわ。そいつは私たちに気付かれないように出入りしてる。しかも鍵のかかった部屋であっても、ね」
彼女の声は重く淀んでいたが、談話室の隅々にまで響いた。
「で、でも……!」
「…………?」
「あずささんが部屋に入れたのかもしれないよ! それなら鍵がかかっていたって――!」
青い顔で雪歩が反論する。
自ら犯人を招き入れたとすれば筋が通る、と彼女は言うが、
「ナイトテーブルに鍵が置いてあったじゃない。その状態でどうやって施錠してあの部屋を出るの? それに――」
伊織は恐ろしいほど冷たい口調で一蹴した。
「招き入れたとしたら……それがどういう意味か分かってるワケ?」
「伊織、もういいよ」
貴音が何か言いかけたが、それより先に真が口を開いた。
真は批難がましい目を伊織に向けている。
「と、とりあえず落ち着こう? ね? とにかく私たちが考えなきゃいけないのは――」
いかにして身を守るかだ、と春香は仲裁した。
だが伊織はちらりと響を見てから、腕を組んで鼻を鳴らした。
「みんな、本当は思ってるんでしょ? あずさややよいを殺した犯人はこの中にいるかもしれないって」
「ん……なんでそうなるんだ? あずささんが殺されたのは多分、自分たちが寝てる時じゃないか。誰にも――」
「なら全員ができるってことじゃない。寝静まった頃なら誰にも気づかれないんだから」
「殺人なんてそんな恐いこと、誰ができるっていうんだよ!? どんな理由があって……!!」
「さあ、そんなことは分からないわ。でも実際にあずさもやよいも殺されたのよ。これは立派な連続殺人じゃない」
「れん……いえ、連続殺人とまでは言いませんが、累卵の如き危うさであることは確かです。啀み合っている場合ではありません」
「るいらん? お姫ちん、それってどういう意味……?」
98:
ここにいる誰かが犯人だと伊織が言ったことで、場は騒然となった。
特に響や真は強く反駁したが、雪歩や千早はどちらにも加勢せずに成り行きを静観している。
この状況を収拾するべきプロデューサーたちも、両者の語勢が激しいために口を挟みにくくなっている。
「それはないと思う」
不意に春香が険しい顔をして言った。
「伊織の言うとおりなら、プロデューサーが見た人影はどう説明するの? 何のために島中を調べたの?」
「それは……何かと見間違えたんじゃないの!? あんただってハッキリ見たワケじゃないんでしょ!?」
「え? あ、ああ……まあ、そうだな……」
唐突に話を振られ、彼は曖昧に頷いた。
「うぅ…………」
雪歩は膝の上に手を乗せて、ぎゅっと拳を握りしめた。
「わ、わたしが余計なこと言ったせいで…………」
小刻みに震えるその手に、美希が自分の手を重ねた。
「雪歩のせいじゃないの。みんな、分からないことだらけでイライラしてるの。きっと、でこちゃんもね」
そう言って彼女はぎこちない笑みを浮かべた。
2人の手は冷たかったが、重なった部分だけはわずかに熱を帯び始めている。
「ありがとう……美希ちゃん……」
雪歩がそっと囁いた時、
「――じゃあ響に訊くわ」
挑むような目で伊織が言った。
「な、なんだ……?」
「この中で一番泳ぎが得意なのはあんたよね。それとも真?」
「……まあ、泳ぎだけじゃなくてスポーツなら何でも――」
言い淀む響は援護を求めるような視線を真に向ける。
「ボクも自信はあるけど響には敵わないよ」
真はかぶりを振って伊織に先を促した。
「港からこの島まで泳いで来れる?」
「泳いで?」
響は腕を組んで目を閉じた。
「大体でいいわよ。できるかできないか」
「かなり難しいと思うぞ。多分ここまで50キロメートル以上あるだろうし、潮の流れがいところもあったからな。
それにサメやクラゲがいることも考えたら独力ではまず無理だと思う。サポートがあればできるかも」
「あんたが無理なら普通の人は不可能ね」
「それが何の関係が――」
「貴音、私たちは島を一回りしてきたわよね。何か見つかったかしら?」
一瞬、刺すような視線を伊織に向けた彼女は、
「いいえ、何もありませんでした。舟の一艘さえ見つかりませんでしたね」
観念したようにため息まじりに答えた。
99:
「いおりん、話が全然分かんないよ?」
亜美が不満げに言う。
「少なくとも律子と貴音は分かってるみたいよ」
彼女が挑むように言うと2人は俯いた。
「ボクたちにも分かるように説明してよ」
「泳いで来るのは無理。島には舟も見当たらない。だったら犯人はどうやってこの島に来たと思う?」
「…………?」
「犯人なんて最初からいないのよ。ここと港を往復したのは私たちが乗って来た船が1回きり。
船には私たちしか乗ってなかった。船頭がいた、なんてバカなこと言わないでよ?」
「ちょっと待ってよ。犯人は夜中に舟で来て、それから帰ったかもしれないじゃないか!」
どうだ、とばかりに真が勢い込む。
その横で雪歩は首を横に振った。
「真ちゃん、それ、違うよ……。やよいちゃんは島の捜索をした後に…………」
「雪歩の言うとおりよ。それに帰ったっていうんならあんた、この館を独りで歩き回れる?」
「それは…………」
「でもでも兄ちゃん、人影を見たって言ってたでしょ? あれは勘違いだった、ってこと?」
「他にも見た人がいるなら話は別よ。でもプロデューサーだけってことはそうだと思うわ」
プロデューサーは小さく息を吐いた。
「そう言われるとだんだん自信がなくなってくるな……見たと思ってたんだが……」
しばらく沈黙が続いた。
彼女たちは探るように互いに顔を見合わせてはばつ悪そうに視線を逸らす、を繰り返した。
そんな中でひとりだけ無表情のまま天井を見上げていた貴音が、
「徒(いたずら)に不安を煽るものではありませんよ」
戒めるようにそう言った。
「誤解の無いよう。私は伊織の考えを否定するつもりはありません。しかし私たちは苦楽を共にした同志です。その中に同志を手にかけるような者がいるとは思えません」
染み入るような声が談話室に静かに響く。
春香や雪歩は同調するように何度も頷いていたが、伊織と律子の表情は険しいままだった。
「……いいわ。私も熱くなり過ぎた。まだ決めつけるには早かったかもね。でも――」
伊織は納得していない様子で、
「やよいが倒れていた方向を考えなさい」
そう言い、腕を組んでそれ以上は何も言わなくなった。
律子はポケットから携帯電話を取り出す。
そして表示が圏外のままであるのを確かめると、ため息をついて項垂れた。
「どうにか外と連絡をとる方法はないのかな……?」
その様子を見ていた春香がぽつりと言った。
「近くを通りかかる船があれば、合図して知らせることはできるかもしれないが……」
島嶼ならまだしもこの辺りでは可能性は低い、とプロデューサーが言う。
「な、何にしても注意していれば大丈夫なハズだ。こうして皆で固まっていれば」
彼の声は震えていた。
100:
「すまん……俺が連れてきたばかりにこんなことに……!」
「そんな!? プロデューサーの所為じゃないですよ!」
真が立ち上がった。
「悪いのはあずささんとやよいを……犯人じゃないですか! そんなこと言わないでください!」
「そ、そうですよ! 私たちのために連れてきてくれたんですから!」
真や春香が代わる代わるに擁護しても、彼の表情が晴れることはなかった。
「ありがとう。でもそうは言ってもな、引率者としての責任が――」
「それなら私も同じですよ」
律子が言葉を遮る。
「私だって社長の提案を受けたんです。でも――竜宮小町を守ることができなかった……」
普段の彼女からは想像もつかないほどの落魄ぶりだった。
眼鏡を外し、目元をそっと拭う。
「ああ、もう! みんな、しんみりしすぎだぞっ!?」
テーブルを叩いて響が勢いよく立ち上がった。
その音に雪歩がびくりと体を震わせる。
「プロデューサーも律子も、今は自分を責めたってしょうがないでしょ!? それよりあと2日、どうやって過ごすかを考えなきゃ!」
「響…………」
「もう一度、館や島を調べて犯人を探すのかとか、寝る時はどこかに集まったほうがいいのかとか……とにかく考えることはいっぱいあるじゃないか!」
その言葉に何人かの顔が明るくなる。
伊織は談話室の入り口に目をやった。
「ボクも響の言うことに賛成だよ。後ろ向きになってちゃダメだと思う」
「私も……我那覇さんの言うとおりだと思う。こんな状況なのだから、生き延びる方法を考えるべきだわ」
多くは賛同の声だったが、亜美と伊織は追従しなかった。
2人は何か言いかけたが居心地が悪そうに俯くばかりだった。
「そうだな、弱気になってちゃ駄目だ。考えよう、迎えの船が来るまでどう切り抜けるか――」
プロデューサーの声に少しだけ張りが戻っている。
これをキッカケに当面の方針が話し合われた。
実際には身を守るための約束事だ。
まずはできるだけエントランスや談話室、食堂等の広くて見通しのよい場所にいること。
これは死角から襲われる危険に備えてのことだ。
次に館の外には出ないこと。
館が丘の上にあるとはいえ草木が茂る場所もあり、全域を見通せないためだ。
加えて転倒等の事故を防ぐ意味もある。
そもそも外に出る意味もないから、これには全員が納得した。
さらに不審者、不審物等を発見した場合は近づかず、プロデューサーか律子に報告すること。
この点は亜美と真美が何度も念を押されていた。
これらの約束事の下に行動すれば大丈夫なハズだ、とプロデューサーは言った。
101:
「夜はどうするんですか? やっぱり部屋で寝るんですか……?」
疑問調だが春香は実際にはこれを拒否している。
あずさ、やよいが部屋で殺害されているとあって、大半がこの件にアイデアを求めた。
「いくら鍵をかけてたって意味ないですよね?」
「2人ずつ部屋で寝るとか……」
「ここのベッド、シングルだよ?」
「そんなこと言ってる場合じゃないぞ。ちょっとくらい狭くてもいいじゃないか」
「何人いたって寝てる時に入って来たら同じなの」
就寝時の備えに関しては名案が出ず、意見が出てはその不備を指摘する言い争いになる。
「埒が明かないわ。夜をどうするかは後で考えましょう。その時になれば良い案が出るかもしれないし」
ここは律子が上手くまとめる。
しかしこれは先延ばしでしかない。
大方の方策が出尽くしたところで、場は再び沈黙に包まれる。
しばらくして立ち上がったのは、
「あの…………」
またしても雪歩だった。
「喉、渇きませんか? お茶でも淹れようかと……」
「まさか1人で行かないわよね?」
律子と伊織がほぼ同時に立ち上がる。
「ボクも行くよ。何かあったら大変だし」
都合、4人で厨房に向かう。
飲食するなら食堂に行くべきだが、誰もそう呼びかけはしない。
自然とお茶がこの談話室に運ばれてくるのを待つことになる。
「ねえ、貴音」
響が小声で呼ぶ。
「…………?」
「さっきの話……貴音も……その、思ってるの? この中に犯人がいるって――」
「………………」
美希は俯いたまま視線だけを2人に向けた。
「そうは思いたくはありません。しかし伊織の意見に頷ける部分があるのは確かです」
貴音はため息をついてから続けた。
「私たちでない何者かが犯人であれば、どのようにしてこの島に来たのか……それを明らかにできれば良いのですが…………」
「そんなの、簡単なの」
美希が呟く。
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