【ガルパン】エリカ「私は、あなたに救われたから」【後半】back

【ガルパン】エリカ「私は、あなたに救われたから」【後半】


続き・詳細・画像をみる

4:



中等部三年 ?3月6日?
時間はおそらく18時くらいだろうか。
カーテンが閉め切られ暗い部屋では時計で時間を確認することができず、だからといって携帯を開いては雰囲気が台無しだ。
小梅「それじゃあそろそろはじめましょうか」
エリカ「ねぇ、ホントにいいんだけど……」
私に向かって促す赤星さんにエリカさんが何とも言えない声色で遠慮を示す。
今私たちがいるのはエリカさんの部屋。
とても花の10代のものとは思えない殺風景な部屋は逆にエリカさんらしく、ついつい見回してしまうも、
「行儀悪いわよ」と嗜められて私は再び正面に向き直る。
いつぞやのように、部屋の中央に置かれた四角い座卓でエリカさんを上座に、向かいに私。その間に赤星さんが座っている。
そして私たちの目の前にはろうそくが立てられたケーキがある。
プレートには可愛らしく『お誕生日おめでとう エリカさん』と書かれていて、
ケーキ屋さんに取りに行った時、店員さんに「お友達の誕生日パーティーですか?楽しんでください」と笑顔で言われたのを思い出して私も笑顔になってしまう。
そんな私を見て赤星さんは微笑みながら促してくる。
小梅「それじゃあみほさん」
みほ「うん!」
私たちは二人そろって息を吸い、そして。
575:
『Happy Birhday to You. Happy Birhday to You.』
手拍子を鳴らしながら練習したわけでもない誕生日の歌を綺麗に合わせて私たちは歌う。
頬を染めているエリカさんは照れているのかそれともろうそくに照らされているからなのか。
576:
『Happy birthday, dear エリカさん』
今宵は彼女の誕生日。
貴女が私を祝ってくれた以上に私は貴女の誕生日を祝いたい。
そんな思いを歌に込めて、今日という日が少しでも貴女にとって幸せな日であって欲しくて。
577:
Happy Birhday to You.
578:
それほど大きくない部屋に静寂が戻ってくる。
私たちがエリカさんを見つめると、エリカさん同じように見つめ返す、
そして、諦めたようにため息を吐くと、再び息を吸って、ふっ……と、ロウソクを吹き消した。
小梅「誕生日おめでとうございます、エリカさん」
みほ「おめでとう!」
赤星さんが電灯のスイッチをいれ、部屋に明りが戻る。
私は手が痛くなるくらい全力で拍手をすると、エリカさんは照れ臭そうに笑う。
エリカ「もう、恥ずかしいわね……小学生じゃないんだから」
小梅「ふふっ、小学生だろうと中学生だろうと大人だろうと。祝い事は全力で祝うのが一番なんですよ?」
エリカ「そう……なら、仕方ないわね」
エリカさんは肩をすくめると、そっと微笑んだ。
その様子に少なくとも彼女が悪感情を抱いていない事が分かって安心する。
……そんな人じゃ無いってわかっているのに不安になってしまうのは、私が弱いせいなのかもしれない。
579:
小梅「ほら、早くご飯食べちゃいましょう?せっかくエリカさんの好きなハンバーグ作ったんですから」
私の内心をよそに、赤星さんはてきぱきと準備を進める。
ケーキは冷蔵庫に避難させられ、今度は卓上を様々な料理が埋めていく。
私の時はエリカさんと赤星さんが作ってくれたが、今度は私と赤星さんが手分けをして作った。
……まぁ、ほとんど赤星さん任せで私は大した事出来なかったけど。
エリカ「随分豪勢ね……」
小梅「言ったでしょう?お祝い事は全力でって」
エリカ「……そうね」
小梅「それじゃあ、いただきましょう」
エリカ「ええ、いただきます」
みほ「いただきます」
和やかに始まった食事の時間。
だけど私と赤星さんは料理に手を付けず、じっとエリカさんを見つめる。
その視線に一瞬煩わしいといった表情をするも、すぐに視線を戻してメイン料理の一つ、ハンバーグに箸を入れる。
赤星さん曰く『それなりに準備と練習を重ねた自信作』なハンバーグは箸でもすっと切り分けることができ、エリカさんはその欠片をそっと口に含む。
目を閉じ咀嚼をする姿がなんだか妙に艶めかしく思えてしまい頬が熱くなる。
私がそわそわしていると、エリカさんの細い喉がごくりと動く。
恐る恐る声を掛ける。
580:
みほ「……どう?」
エリカ「……美味しいわ」
みほ「やった!」
小梅「良かったですねっ」
どこか悔しそうに呟いたその言葉は私たちにとっての勝利宣言であり、私たちは揚揚とハイタッチを交わした。
エリカ「もー……人が食べてるところをじっと見るんじゃないわよ。緊張するじゃない」
恥ずかしそうに愚痴るエリカさん。
その姿に微笑ましさをおぼえながら、私たちも料理に手を付け始める。
……うん、よくできました。
小梅「はい、チーズ」
舌鼓を打っていた私とエリカさんの横顔にシャッター音が浴びせられる。
エリカ「あなたまた……」
小梅「お誕生日に記念写真はつきものですよ」
ファインダー越しに得意げに返す赤星さん。
その様子に最初は不満げだったエリカさんも抗議する気が失せたようで、ため息交じりに赤星さんの隣に行くと、デジカメの表示画面をのぞき込む。
581:
エリカ「どうせ撮るならもっとちゃんとした所を残して欲しいわね。ほら、これなんか口あいてるじゃない」
表示画面には先ほど取られたばかりの写真――――ハンバーグを口に運ぼうとしているエリカさんと、それをじっと見つめてる私が写っていた。
エリカ「もう、もの食べてる時の写真ってちょっと行儀悪くない?」
小梅「いいじゃないですか、生活感というか日常の一コマって感じで」
みほ「私もそう思うな」
エリカ「あんまり撮りすぎてもありがたみが薄くなるでしょ」
そう言うエリカさんの顔に微笑みが浮かんでいるのに私たちは何も言わない。
もはやエリカさんが素直じゃないだなんて公然の事実なのだから今さらあれこれ指摘するだけ野暮なのだ。
小梅「思い出せるものはたくさんあるに越したことがありません」
自信満々なその言葉にエリカさんは観念したように肩をすくめる。
エリカ「そ。なら、せめて綺麗に撮ってね?」
小梅「任せてください。カメラ歴一年の腕が火を噴きます」
エリカ「あんま信頼できないわね……」
みほ「大丈夫だよ、エリカさんならどんな写真だって綺麗に写ってるから」
だって私の瞳(ファインダー)に映る貴女はいつだって輝いているから。
……流石に臭すぎるので、言葉にはできないけど。
582:



料理もケーキも楽しんで、ある意味今回のメインイベント、プレゼント贈呈の時間が来た。
エリカさんもそれは察していたようで、いつのまにか正座してどこかソワソワしている。
エリカさんにもそんな情緒があったんだなと失礼極まりない事を思ってしまうも、
そんなにも心待ちにしてくれることが嬉しくてたまらない。
だから、私が最初にプレゼントを渡すことにした。
みほ「エリカさん。はい、誕生日おめでとう」
差し出したプレゼントを、エリカさんは恐る恐る受け取る。
チラチラと私の顔を見てる姿はなんだか小動物的だ。
エリカ「……ありがとう」
みほ「開けて?」
エリカ「なんでそっちから催促するのよ……まぁ、開けるけど」
しぶしぶといった様子で包み紙を綺麗に開き、そっと箱を開けると、
中に入っていたのは一枚のハンドタオル。
ワインレッドで彩られたそれは、私が苦心の末に選び抜いたものだ。
583:
みほ「普段から使える物が良いなぁって思って」
エリカ「ハンドタオルね……あなたにしては良いセンスしてるじゃない?」
みほ「それ褒めてるの?」
エリカ「褒めてるわよ。手触りも良いし……」
小梅「色もパンツァージャケットに合わせられますね」
みほ「というか、パンツァージャケット着てる時に使ってもらいたいからね」
戦車の中というのは想像以上に蒸し暑いものだ。
夏はもちろん冬だって人の熱気となによりもエンジンの熱がこもって酷い暑さになる。
そんな時に汗を拭えるハンカチがあればと。
エリカ「プレゼントに気を使いすぎじゃない?」
みほ「プレゼントだから気を使うんでしょ」
エリカ「それは……そうね」
小梅「ほらほら、みほさんだけずるいですよ。次は私の番です」
割って入るように赤星さんが身を乗り出して、両手に持った小箱をエリカさんに差し出す。
小梅「私からはこれです」
小さな箱をまるで結婚指輪を差し出すように開く。
その中に鎮座しているのはシルバーのレディース腕時計。
小さく可愛らしい見た目と、気品を感じる色合いが安物ではない事を私たちに語り掛けてくる。
エリカ「……ちょっと、これ高くなかった?」
小梅「まぁ、少しだけ……」
エリカ「だめよ、こんなの受け取れないわ。ほら、あなたの方が似合って……」
小梅「エリカさん」
ピシャリと、エリカさんの言葉を遮る。
584:
小梅「その時計は、私がエリカさんに付けて欲しくて、エリカさんに相応しいものを選んだつもりです。気に入らないのであれば仕方がないですが、
 遠慮して受け取らないだなんてやめてください。……私の気持ちは邪魔でしたか?」
エリカ「……ずるいわよそんな言い方」
小梅「知ってます。まぁ、エリカさんに言われる筋合いはありませんが」
まるで意趣返しのように悪戯っぽく笑う小梅さん。
エリカさんはそれに応えるようにふふん、と鼻を鳴らす。
エリカ「そうね。わかった。プレゼント、ありがたくいただくわ」
小梅「ええ。そのために贈ったんですから。それに高いと言ってもあくまでプレゼントとしてはってだけで、時計としては相応のものですよ」
エリカ「わかったから。……ほら、どう?」
エリカさんは私たちに見えるように、手首に巻いた腕時計を掲げる。
小さな腕時計が電灯の明りを反射してシルバーの輝きと共にその存在を主張する。
小梅「よく似合ってますよ」
みほ「うん、エリカさんにピッタリ」
エリカ「……もう」
エリカさんははにかむ様に笑うと、視線を時計に落として何度も何度も、その輝きを楽しんでいた。
585:
みほ「それとこれも」
私たちのプレゼントは充分堪能してもらったので、ここでもう一つ。
未だ時計の輝きに目を奪われているエリカさんに、そっと小箱を差し出す。
エリカ「え?二つも?」
みほ「ううん、ハンドタオルは私からで、これはお姉ちゃんから」
エリカ「……まほさんが」
『これ、エリカに渡しておいてくれ』
相変わらずの無表情で言葉少なめに渡されたエリカさんへのプレゼント。
いきなり私の部屋に来たと思えばなんてことは無い、お姉ちゃんもエリカさんの誕生日を祝いたかったらしい。
だから、一緒に行こうと誘ったのにお姉ちゃんはなぜか固辞してさっさと帰ってしまった。
小梅「先輩も来ればよかったのに……」
みほ「新年度が近いからお姉ちゃんも色々忙しいのかも」
お姉ちゃんは新隊長なのだから、私たちを迎えるにあたって色々頭を悩ませているのかもしれない。
……新副隊長である私が呑気にしていていいのかと罪悪感が芽生えるが、今日だけは許してほしい。
明日、何か手伝えることが無いかお姉ちゃんに聞きに行こう。
エリカ「これ、開けて良いのかしら……」
みほ「いいに決まってるでしょ。ほら、早く早く」
エリカ「急かさないでよ」
お姉ちゃんからのプレゼントを手に逡巡しまくってるエリカさんを急かして箱を開けさせると、
中から出てきたのは一本のペンだった。
みほ「……これって、万年筆?」
エリカ「……」
小梅「なかなか渋いプレゼントですね」
みほ「でも、お姉ちゃんの事だからちゃんとしたのだろうし、良い物だと思うよ」
よく見ればその万年筆はお姉ちゃんがいつも使っているのと同じやつのようだ。
なるほど、自分が使ってて使い心地が良かったものをプレゼントしたというわけか。
お姉ちゃんらしい相手の事をよく考えたプレゼントだなと思う。
それにしても、
586:
みほ「ハンカチに」
小梅「腕時計に」
エリカ「万年筆……あなたたちのプレゼント、普段使いできるのばっか選んできたわね」
エリカさんは3つのプレゼントを眺めながらそう指摘する。
対する私たちはその言葉にガッツリと思うところがある。
みほ「あー……それはたぶん」
小梅「エリカさんに長く使ってもらいたいからでしょうね」
その言葉にエリカさんはじっと私たちを黙って見つめる。
その視線に私たちは白状するように語りだす。
みほ「色々考えたんだけどさ、初めて贈る誕生日プレゼントだから」
小梅「できるだけ長く、そばに置いてくれるようなものを。そう思いまして」
だから一生懸命選んだ。
品質はもちろん色合いまでしっかりと考えて。
エリカさんにとって日常の一部になってくれるように、そう思って。
……まさか3人とも同じコンセプトでプレゼントを選ぶとは思わなかったけど。
エリカ「……もう、次のあなたたちの誕生日プレゼント、適当にできないじゃない」
呆れと照れ笑いが入り混じった言葉、元より適当にするつもりなんてないだろうに。
でも、期待を煽ったのならそれに応えるのも礼儀だ。
みほ「期待してるよエリカさん?」
小梅「なんなら希望出しておきましょうか?」
エリカ「はしたない事言うんじゃないの。……ちゃんと考えておくわよ。……二人とも」
587:
突然姿勢を正したエリカさんが、私たちに呼びかける。
その頬は少し紅潮していて、エリカさんが緊張しているのだとすぐにわかった。
エリカ「……私、家族以外に誕生日を祝われるだなんて初めてで、その……なんて言えばいいかわからないんだけど」
口ごもるように小さくなっていく声、それすら止んで静寂が広がる。
けれども私は、赤星さんは、何も言わずじっと次の言葉を待つ。
そして、
エリカ「料理、美味しかった。ケーキも。小学生みたいだなんて言ったけど、歌、嬉しかった」
ようやく紡がれた言葉は、いつものはっきりした物言いとは真逆なたどたどしく、子供っぽい喋り。
だけど、本当に大切に、慈しむように。
エリカ「プレゼント、本当にありがとう。大事にするわ。ずっとずっと、大切にする」
プレゼントを箱ごと抱きしめる。
エリカ「みほ、赤星さん」
隠せない喜色が声ににじみ出る。
エリカ「私、今日の事を忘れないわ。恩だとかそんなんじゃなくて、ただ……楽しかったから」
彼女の瞳が潤む。
アクアマリンのような瞳が、文字通り海の様に。
どこか、湿度の上がった吐息が、唇を震わす。
エリカ「……うん、楽しかった、みんなではしゃげて、祝ってもらえて。だから」
588:
エリカ「本当にありがとう」
597:



いつものように自室で予習をしていると、机の上の携帯が軽快なメロディを奏でだした。
通知画面には良く知った名前。
私は迷わず通話ボタンを押すと、携帯を耳に当てる。
『……もしもし?』
電話から聞こえてくる声はどこか不安げだ。
まほ「エリカ」
エリカ『あ、良かった……ちゃんと繋がった』
まほ「私が教えたんだからそりゃあ繋がるさ」
何かあった時連絡してくれ。
そう言って渡した連絡先が今回ようやく使われた事に喜ぶべきか、あるいは今日まで全然使われなかったことを寂しがるべきか。
エリカ『そうなんですけどね。……まほさん、プレゼントありがとうございます』
まほ「……喜んでくれたなら良かった。出来るだけ普段使いが出来る物がいいと思ったんだ」
これでも時間がないなりに調べたのだから。
喜んでもらえたのならその苦労が報われるというものだ。
エリカ『ふふっ……みほと赤星さんも同じことを言ってましたよ』
まほ「……考えることは同じか」
598:
あの子達のことだからそんな事だろうとは思っていたが。
妹はともかく後輩とも同じ考えを持ってしまうだなんてちょっと単純すぎだろうか。
私が内心唸っていると、電話越しのエリカが苦笑する。
エリカ『ほんと、お節介ばっかりですよ』
まほ「お前が言うのか」
他でもないそのお節介のせいで未だ黒森峰内外に轟く異名を持ってるお前が。
エリカ『あら、私はいらぬお節介はした事ありませんよ』
まほ「……ああ、そうだな」
お前のお節介に救われた奴が少なくともここにいるしな。
きっと、みほも。
エリカ『……今日は楽しかったです。でも……まほさんが来れなくて残念です』
まほ「同級生3人集まって友人の誕生日パーティーをするんだ。邪魔者になるつもりはないさ」
エリカ『そんな事ありませんよ。邪魔者だなんて……』
違うんだよ。お前たちが邪険に扱うだなんて思ってない。
私が、私自身が。自分を邪魔者だと思ってしまうんだ。
少なくとも、あの3人の間に割って入るには私はまだ、距離があるから。
でも、
まほ「だから……次は私も祝わせてもらおうか」
もうすぐ新学期が来る。
待ち望んだ日々が、ようやく始まる。
その時、今度こそ私は近づいて行こうと思う。
遠慮するつもりは、無い。
599:
エリカ『…ええ、是非。でも、私ばっかじゃ悪いですよ。まほさんの誕生日っていつでしたっけ?』
まほ「7月1日だ」
エリカ『あ……』
流石というべきか、エリカはすぐに察したようだ。
私の誕生日はちょうど全国大会の時期にある。
場合によっては試合日と重なることもあるし、そうでなくとも大事な時期に呑気に誕生日を祝うつもりはない。
ましてや次は大事な大会なのだから。
まほ「もちろん、大会の真っ最中に祝ってもらうつもりはないさ」
エリカ『……すみません、私無神経な事を……』
10連覇がかかった大会の真っ只中、いくら盤石の体制を築いてきたと思っていようとも、不安をなくすことはできない。
私がそうなのだから後輩たちなんてなおさらだ。
そんな中祝ってもらおうだなんて思えるほど私は鈍感でもなければ無神経でもない。
まほ「気にするな。それに……祝ってもらうなら気兼ねなくしてもらいたいしな」
エリカ『……なら、大会後ですね。あの子たちだけじゃなくて隊員全員を巻き込んじゃいましょうか?』
とんでもないことを言うなコイツは……
まほ「やめてくれ……祝い事ってのは数を揃えれば良いってものじゃないだろ?」
エリカ『きっとみんな喜んで参加してくれると思いますよ?』
本気か冗談かわからない言葉に、私はため息交じりに答える。
まほ「そうじゃなくて……私は、貴女たちに祝われたいのよ」
600:
別に他の人に祝われたくないという訳ではない。
ただ、みほがそうであったように、私もそうしてほしいと思うのだ。
エリカ『……ふふっ、わかりました。あの子たちと考えておきます。……楽しみにしててください』
まほ「待ちくたびれるわね」
エリカ『そこは我慢してください。年長さん』
からかう様な声色に、私は拗ねたように唸った。
601:



エリカとの電話の後、私はベランダに寄りかかって夜空を眺めていた。
月明かりの美しさが夜風の寒さをほんの少し和らげる。
まほ「もうすぐ、ね」
もうすぐあの子たちが進学してくる。
そして、あの子たちはきっと黒森峰にとって欠かせない戦力となるだろう。
みほもエリカも赤星も、この3年で実力を着けてきた。
まだまだ足りない部分はあるが、あの三人の絆はきっと、何よりも強い武器になるだろう。
そこに割り入ろうとしている私は、もしかしたらお邪魔虫なのかもしれない。
でも、私だって少女なのだ。
友達と和気あいあいと過ごしたいと思うのは悪い事ではないはずだ。
それが後輩だろうとなんだろうと、たかが一歳の差なのだからどうこう言われる筋合いはない。
……言い訳じみてる自覚はある。
ずっと戦車道ばかりだった私は、たぶん人との付き合い方がわからないのかもしれない。
命令するなら、されるなら、何の苦労もないのに。
そこに、戦車道以外の何かを求めようとすると途端に私は不器用になってしまう。
もっと幼いころはそんな事無かったはずなのに。
でも、今は違う。
私は未だ不器用だけれども、それでも求めたいものの為に踏み出せる。
602:
『だから感謝しています。あなたに出会えた事を。
 尊敬しています。あなたを……西住まほさんを』
603:
ああ、私も感謝しているよ。
尊敬しているよ。
だからもっと理解しあいたいんだ。
不器用な私が、それでも踏み出したいと思えたんだ。
私の事をもっと理解して欲しい、貴女をもっと理解したい。
だから、
まほ「楽しみ」
604:
ふふんと鼻をならしたのは、たぶん無意識だった。
605:



寒空の下の帰り道、一人ならきっと早く帰りたくて縮こまりながら小走りしていたんだろうけど、、
隣に赤星さんがいるからか、歩みはゆったりとしている。
みほ「エリカさん、喜んでくれて良かったね」
小梅「はい、本当に。でも、ちょっと驚いちゃいました。エリカさんがあんな素直にお礼を言ってくれるだなんて」
みほ「あはは、そうだね。エリカさんの事だから『別に頼んだわけじゃんないけど、とりあえずお礼ぐらいは言っておくわ』みたいに言いそうだったのに」
エリカさんがたまに見せる素直さは、正直ズルいと思う。
普段は意地悪なくせにあんな風に素直に、真っ直ぐにお礼を言われたらなんだって許せてしまう。
それにしたって今日のあの笑顔は私も初めて見る笑顔だった。
いつもの悪戯っぽい笑みとも、クールな微笑みとも違う、本当に心からの笑顔。
小梅「エリカさんも変わってきてるのかもしれませんね」
みほ「エリカさんが?」
小梅「出会った頃からエリカさんはやさしいけど、それ以上に頑なでしたから。みほさんへの態度もそうですが、私にも見せていない部分があると思います」
みほ「エリカさんが見せていない部分……」
小梅「それはたぶん、今日みたいに素直にお礼を言った事だけじゃなくて、もっと深い……エリカさんだけが抱えてる何かがあるんじゃないかなって」
瞬間、脳裏によぎる、いつかの海辺でのエリカさん。
あの、今にも泣きそうな苦悶に満ちた表情を、私は未だに見間違いだと思っている。
エリカさんは私と違って強い人なのだから。
でも、もしかしたら。
私はまだ、エリカさんの全てを知らないのかもしれない。
みほ「……どうしてそう思うの?」
小梅「……なんとなくですかね」
そう答えた赤星さんは一拍押し黙ると、吐き出すように言葉を続ける。
606:
小梅「……まぁ、しいていうなら私はエリカさんを遠くから見ていますから」
みほ「え……?」
小梅「みほさんみたいにいつも隣にいるわけじゃないけれど、だからこそなんとなく見えるものがあるんですよ」
赤星さんが私の前に出て、夜風を纏うようにくるりと振り返る。
小梅「私は貴女たちが大好きです。一緒にいて楽しいです。でも、私は貴女たちを少し離れたとこからも見たいんですよ」
そう言って両手の指で四角を作り、私を捉える。そして、慈しむように微笑む。
時折、赤星さんが私たちから距離をとっているのには気づいていた。
率先して写真係をして、まずは自分以外をフレームに収めようとするのも。
それを心苦しく思う事はあった。
けれども、カメラを向けてる赤星さんはいつだって本当に嬉しそうで、
その笑顔を見ればそんな私の心苦しさなんて余計なお世話でしかないのだと理解できる。
私は、友達とは一緒にいたい。隣で他愛もない事で笑ったり、拗ねたりしたい。
でもそれだけが友達の在り方ではないのだろう。
赤星さんのように一歩引いて初めて見える景色があるのだろう。
その上で一言いうのなら、
みほ「赤星さん、結構めんどくさいね」
小梅「あれ?知らなかったんですか?」
私の言葉に赤星さんはおどけて返す。
それはまるで、既にした事のあるやり取りのように滑らかだった。
なので私もそれに応えておどけて見せる。
みほ「ふふっ、私たちまた理解し合えたね」
小梅「まだまだですよ、私が実は他の学校のスパイだとか、異星人だとかそういう秘密を抱えてるかもしれませんよ?」
なんてことだ、そんな秘密を抱えているのに全く気付かせないだなんて。
赤星さんは隠し事の才能があるなぁ。なんてね。
小梅「だから……まぁ、ゆっくり行きましょう。あと3年もあるんです。エリカさんの事も、みほさんの事も、私の事も。ゆっくり伝え合っていきましょう?」
みほ「……うん、そうだね」
そして再び私たちは家路を歩み始める。
散々語り合ったせいか、なんとなく無言の時が流れ数十秒ほどたった時、
みほ「あ」
ふと、思い出したことが。
607:
小梅「どうしたんですか?」
いけないいけない。早くお礼を言わなければいけなかったのにすっかり忘れていた。
みほ「そうだ赤星さん。この間はありがとう」
小梅「え?何のことですか?」
みほ「ほら、私とエリカさんが決闘した日、エリカさんに待っててって頼んでくれたんでしょ?」
たぶん、あのまま一人でいたら、私の心は黒い何かに置き換わっていただろうから。
エリカさんの言葉に救われたのと同じく、赤星さんの気づかいにも私は救われたのだ。
本当に嬉しくて、ありがたい。
私はもう一度ぺこりと頭を下げてお礼を言う。
小梅「……何のことですか?」
みほ「……え?」
赤星さんはまるであの時のエリカさんのように『何を言ってるんだこいつは』と言わんばかりの表情で首を傾げる。
小梅「私、あの日は普通にエリカさんと一緒に帰ったんですけど……で、分かれ道でまた明日って」
みほ「つまり……」
私たちは顔を見合わせてため息を吐く。
ああもう、エリカさんは……
小梅「……ほんと、素直じゃない人ですね」
みほ「……全くだね。素直じゃなくて、お節介焼き」
608:
きっとこの事を言ったって「なんの事かしら?」とか言って知らんぷりをするのだろう。
なのでこの話はこれでおしまい。
明日からはまた、卒業式と進学、そして副隊長への就任に気を揉むのだ。
素直じゃないお節介焼きさんにいつまでも構ってはいられないのだ。
……まぁ、私から構ってもらいにいくのだろうけど。
とりあえず、私たちはまた一つ、エリカさんへの理解を深めた。
みほ「赤星さん」
それを踏まえてもう一つ、共有しておきたい事がある。
みほ「私ね、忘れないよ。エリカさんのあの笑顔を」
609:
『本当にありがとう』
610:
いつもの神秘的なまでの微笑みとは違う、年相応の、あるいはそれよりも子供っぽい。
だけど心からの笑顔を。
私は忘れない。
小梅「……そうですね。私も忘れませんよ」
多くを語らずとも赤星さんは私の言葉の意味を理解してくれる。
私たちの共通認識がここに成り立っていることを心から嬉しく思う。
みほ「……月が綺麗だね」
小梅「ええ、本当に」
見上げた空に、雲一つかかっていない月。
その月明かりのような優しさを、夕日のような暖かさを。
悪戯っぽい笑顔を、心を奪う様な美麗な微笑みを、子供のように笑った笑顔を。
そうだ
忘れない
私は、あの笑顔を
611:
忘れることが出来ない
612:
ああ
ああ
ああ
あそこで終わっていれば良かったのに
美しい思い出のまま、完結できていれば良かったのに
愚かな私が、それ故に大切なものを失う日が来なければ良かったのに
悔やんだところで時を巻き戻すことはできない
それが出来るのであれば私なんて存在していないのだから
消し去りたい過去も、引き裂きたい今も、捨て去りたい未来も、私の意志を汲み取ることなくあり続けるのだ
涙は枯れ、痛みすら曖昧になるほどの絶望
私の罪が、その程度の罰で許されていいわけがない
613:
『なにニヤニヤしてるのよ』
『ん?……神様っているのかなーって』
614:
天罰なんてありはしなかった
あの人がいないのに、私が存在していることが、神様がいないという証明なのだから
615:
ただただあの時の私たちは笑っていた
大切なものの価値に気づいていながら、享受するばかりで何も与えていなかった
もしも私が強ければ、賢ければ、未来は違ったのかもしれない
けれども私は、愚かにもそれが当たり前の日々なのだと、変わらずに明日は、未来はあるのだと信じ続けてた
繋いだ手の温もりが永遠のものだと疑わなかった
そして当然の様に
616:
終わりは、すぐそこまで来ていた
624:



高等部1年 ?5月?
ざわめきに満ちている食堂。
中等部から高等部に移ってもそういうところは変わらないのだなと少し安心感を覚える。
新年度が始まって一月近くが経ち、ようやく学食に行くのに案内されずともよくなった。
「鶏のほうがもうちょっと物覚えが良いわね」なんて言われる日々とはおさらばなのだ。
私は日替わり定食ののったトレイを揺らさないよう気を付けながらテーブルへと向かう。
みほ「赤星さん、エリカさんおまたせー」
小梅「大丈夫ですよ」
エリカ「別に待ってないわよ」
高校生になるとどうなるのかなんて思っていたが、結果として大して変わっていないというのが本音だ。
制服はそのままだし、校舎こそ高等部のに移ったものの、別に目新しいものがあるわけでもない。
流石に戦車道の練習は中等部よりも厳しくなっているが、それにしたって進学前にはもう高等部の練習に加わっていたので新鮮味も薄れている。
でも、それが嫌なわけじゃない。
こうしてエリカさん、赤星さんと一緒にお昼を食べる時間はどれだけ数を重ねようとも私にとって大切な時間なのだから。
だから、今日も同じテーブルで、好きなものを食べながら、他愛もない話でお昼休みを楽しむのだ。
『文科省は以前より計画していた学園艦の統廃合対象校の選定を行うことを決定』
学食にあるテレビからそんなニュースが流れてくる。
聞くには国の財政状況が云々でお金のかかる学園艦を維持するのが大変だから、いくつか廃校にするといった事のようだ。
みほ「学園艦が統廃合って……うちは大丈夫なのかなぁ……」
独り言のように呟いた不安をエリカさんは耳ざとく拾う。
エリカ「統廃合の対象は公立、それも艦の老朽化や生徒数が減っているようなところが対象よ。うちには関係ないわ」
小梅「そもそも戦車道の優勝常連校の黒森峰を潰す理由なんてありませんよ」
みほ「それもそっか。……でも、選ばれた学校の人たちはなんだか可哀そうだね」
625:
学園艦は基本中高一貫だ。小学校を卒業して6年間を親元を離れて過ごしてきた場所なのだ。
これが陸での話ならまた違うのかもしれない。廃校になったとしてもすごした土地や、景色は残っているのかもしれないのだから。
でも学園艦は違う。廃校になれば解体され、そこにあった思い出や景色は跡形も残らず無くなってしまうのだろう。
……それは、きっと辛い事だ。
顔も知らない人たちの気持ちを勝手に想像して、勝手に落ち込んでしまう。
そんな私に赤星さんもつられたようで、箸の進みが遅くなる。
小梅「……そうですね。何年も暮らしてた場所が母校と一緒に無くなってしまうんですから」
エリカ「学園艦の維持費を考えれば仕方のないことよ、公立校は税金で運用しているのだから。」
感傷的な私たちの言葉に対してエリカさんはどこまでも理性的だ。
小梅「エリカさんはクールだなぁ……」
エリカ「……それに浮いた予算でより良い事が出来るのなら廃校になった所の生徒たちも少しは浮かばれるでしょ」
みほ「だといいけど……」
エリカ「よその事考えている暇があるなら今年の大会の事を考えなさい」
この話はこれで終わり!といった風に話題が変わる。
とはいえ、その話題はもう幾度となくされたものなのだが。
小梅「エリカさん最近そればっかですね」
エリカ「当たり前でしょ。今年優勝すれば黒森峰の10連覇、前人未到の大記録に私たちが名を連ねられるかもしれないんだから」
みほ「頑張らないとね」
エリカ「何人ごとみたいなこと言ってるのよ。あなたが一番頑張らないといけないのよふ・く・た・い・ちょ・う」
みほ「うぇぇ……」
呑気な私に唇を尖らせたエリカさんが、対面から額をぐりぐりと押してくる。
たまらずうめき声をあげる私を見て、エリカさんは満足げに微笑むとまた自分のランチに戻る。
今日のエリカさんのメニューは焼きサバ定食だ。
そして昨日はハンバーグだ。
小梅「相変わらず仲いいんですねぇ……」
私たちのやりとりを見て呆れたように笑う小梅さん。
私は「そうだよ」と微笑み返し、エリカさんは「節穴」と簡潔に突っぱねる。
そんな感じにいつも通りの時間を過ごしていると、横合いから声を掛けられる。
626:
「あれ?榴弾三姉妹揃い踏みじゃん」
みほ「先輩?どうしたんですか?」
声を掛けてきたのは活発そうなショートヘアーの2年生だった。
その隣にはお淑やかそうな長い黒髪の先輩が微笑んで立っている。
この二人は私とエリカさんの決闘をいつも最前席で見ている人たちだ。
この間のなんてわざわざ中等部まで見に来ていたのだから、よほど私たちに期待してくれているのか、はたまたヒマなのか。
「ごめんね?ご飯食べてる時に」
黒髪の先輩が手刀で謝意を示して、私がそれに返そうとするも、その声は別の声にさえぎられる。
小梅「待って、ちょっと待ってください。…今なんと?」
「ごめんね?ご飯食べてる時に」
小梅「そっちじゃなくて」
「榴弾三姉妹揃い踏みじゃん」
小梅「……なんで私が含まれてるんですか?」
いつもの穏やかな雰囲気が消し飛んだかのような真顔。
「いや、お前らいっつも一緒じゃん?仲間外れは可哀そうだなって私が広めておいたんだ『榴弾姉妹は新たな妹を取り込んで三姉妹となった』って」
小梅「余計なお世話甚だしい……」
赤星さんの苦々しさをふんだんに込めた表情に私は苦笑するしかない。
私、その片割れなんだけどな……
627:
「ごめんなさいね……この子、考えなしだから」
小梅「一応それ悪名なんですから私を巻き込まないでくださいよ……」
エリカ「そうですよ、榴弾姉妹はメンバー増員はしません」
赤星さんの不満をよそに黙々と食事を続けていたエリカさんが突然口を挟む。
みほ「エリカさん……」
悪名だと思っていたけれど、エリカさんがこんなにも私とのコンビ名に愛着を持っていてくれただなんて……
からかわれた日々は、めちゃくちゃ怒られた結末は私たちの絆を育むための過程に過ぎなかったのだと、思わず涙しそうになる。
エリカ「私の代わりに赤星さんが入って、今後はみほとの新体制で行ってくれるんですから」
「そうだったのか……代替わり早いな」
小梅「体よく押し付けないでください」
榴弾姉妹なんてやっぱり悪名だ。
さっさと風化してくれないだろうか。
「相変わらず仲いいなーお前ら」
「ちょっと、あんまり邪魔しちゃ悪いわよ。それよりも」
「おっと、そうだそうだ。なぁ隊長知らねー?」
エリカ「隊長ですか?なんでまた」
「一度隊長とお昼一緒に食べようって思ってたんだけどなかなか捕まらなくて……」
「あいつ付き合い悪いからなー。昔っから何考えてるかわかんない顔してるし」
みほ「あはは……」
628:
それはまぁ、妹である私も良く知っている。
でも、お姉ちゃんは決して何も考えていないわけではない。
むしろ沢山考えて、悩んでいるから表情を出せないのかもしれない。
私はそれこそ生まれたころから一緒だからお姉ちゃんが何を考えているのかわかるけれど、そうじゃない人には難しいのだと思う。
みほ「たぶん、昔のお姉ちゃんならともかく最近のお姉ちゃんなら先輩を邪険にしてるとかじゃなくて、本当にただ忙しいんだと思いますよ」
「そうかー?その割には新年度に入ってからやたらお前たちと仲が良いし、これはあれか。私たちが嫌われてるのか」
「私を含めないでよ」
みほ「そ、そんな事は無いと思いますよ?ほら、最近のお姉ちゃん結構人と交流しようと努力してるみたいですし」
姉の評判が下がるのは妹である私としても嬉しくないのでフォローを入れる。
とっつきにくいのは事実であるが、最近のお姉ちゃんが変わってきたのもまた事実なのだ。
「……そうだなー、それこそ去年ぐらいから急に雰囲気丸くなったっていうか、
 何考えてるかわかんないのはそのまんまだけど張り詰めたような空気は感じなくなったな」
「何かあったのかな?」
『お姉ちゃん、エリカさんと何かあったの?』
『……内緒だ』
629:
脳裏をよぎるあの時の会話。
私はエリカさんをじっと見つめる。
私の視線に気づいたエリカさんは不審げな目つきを返してくる。
エリカ「……何よ?」
みほ「……別に?」
お姉ちゃんとエリカさんの間に何があったかは知らないが、エリカさんが何も言わず、お姉ちゃんが語りたくないというのであれば余計な詮索はしないでおこうと思う。
少なくとも、お姉ちゃんにとっては大切な思い出なのだという事はわかるから。
「副隊長、あなたもなにか困った事とかあったらちゃんと相談してね?指揮系統はあなたの方が上だけど、それでも私たちは先輩なんだから」
みほ「……はい。その時は是非」
「うーん、やっぱ妹の方が愛嬌あるよな。あいつも見習ってほしいわ」
みほ「あはは……」
お姉ちゃんとエリカさんの間に何があったかは知らないが、それはそれとしてもうちょっと人当りを良くするべきだなと思う。
……なぜ妹の私がそこまで姉の社会性を気にかけねばならないのだろうか。
でも、このままだと将来お姉ちゃんが西住流の家元として多くの門下生を引っ張っていくんだし、それ以外にも偉い人と関わるんだろうからやっぱり人との接し方は大事なんじゃ……
いやまて、そもそもお母さんがお世辞にも人当りが良いとは言えない気が。
正直前回の一件もあって偏見が多分に含まれているのは否めないが、それにしたって鉄面皮という言葉が相応しい程度にはアレだし……
とはいえ私が知らないだけで仕事中は営業スマイルが出来る人なのかもしれない。
とにかく、私は私で大変なんだからお姉ちゃんはお姉ちゃんで頑張って。
私が姉の将来への悩みを全力でぶん投げると、活発そうな先輩がふと、思い出したように口を開く。
「そういえばあいつ最近職員室に良く行ってるけどなんか知ってるか?」
みほ「職員室で?なんだろう……もうすぐ大会だし、それの関係かな?」
隊長という役職は思った以上に教師とのかかわりも深い。
当然の事だがいくら隊長であっても生徒だし、その生徒が多くの生徒を纏めるという都合上先生の協力は不可欠なのだから。
私が中等部で隊長を務めていた時も何度か職員室に出向いて今後の練習計画について説明したりした。
たまに赤星さんを連れて行って代わりに説明してもらった。
エリカさんにバレて叱られた。
630:
エリカ「隊長勉強も頑張ってるし普通に授業内容の質問とかじゃない?」
「あー、真面目だなー。もうちょっと力抜けばいいのに」
「私たちと違って隊長なんだからしょうがないでしょ」
「そうだけどさ……まぁいいや。邪魔して悪かったな。隊長に会ったら『友達が一緒に飯食いたがってた』って伝えといてくれ」
みほ「あ、はい。わかりました」
「それじゃあまた練習でね?」
「10連覇はすぐそこだ!頑張ろうな!」
エリカ「はい!」
元気よく手を振る先輩と、小さくお淑やかに手を振る先輩。
二者二様の挨拶で去って行き、人波に消えていった。
エリカ「……言われなくても頑張るわよ」
小梅「もう、エリカさんってば……」
何を分かり切ったことをと、鼻を鳴らして囁くエリカさんを赤星さんが嗜める。
だけど私は、無表情でじっと黙り込んでいた。
エリカ「また難しい顔してる」
みほ「え、あっ……」
その言葉にハッとすると、心配そうに私をのぞき込む赤星さんと、呆れたように私を見つめるエリカさんに気づく。
エリカ「対面で辛気臭い顔されるとごはんがまずくなるんだけど」
みほ「ごめんなさい……うん、大丈夫だよ!」
エリカ「……」
みほ「あはは……」
無理やり作った笑顔はすでに一度見破られている。
緩まぬ視線に、私は誤魔化せない事を悟る。
631:
みほ「……やっぱりちょっと大丈夫じゃないかな」
小梅「みほさん……?」
エリカ「……どうしたの?」
エリカさんの問いかけは心配とかそんな感情ではなく、ただただ『質問』として聞いてきたように感じた。
私は赤星さんと、エリカさんを交互に見つめて、そっとため息のように言葉を紡ぐ。
みほ「不安、なんだ。1年生で副隊長を任されて、その上10連覇までかかってて。不安で、怖くてしょうがないんだ」
何度も何度も何度も、不安や恐怖を感じてきた。それこそ、ここに入学してからは当たり前のように。
今更過ぎる感情は、けれども吐露するにはまだ私は経験不足だった。
みほ「ごめんなさい、私また……隠そうとしちゃった」
不安を隠す必要はない。エリカさんはそれを何度も教えてくれたのに、まだ私は臆病だった。
エリカ「……みほ、私はね、自分の考えを誰かに察してもらいたいって人が嫌いよ。特に、悩みや不満をね。
 何も言わないくせに『私はこんなに苦しんでることを知ってください』なんて思ってるようなやつが昔から大嫌いよ」
小梅「エリカさん」
エリカさんは小梅さんの咎めるような語気に一旦口を閉じる。
しかし、すぐにまた先ほどの私のようにため息交じりの言葉を吐き出す。
エリカ「……だから昔のあなたが大嫌いだったわ」
みほ「……」
うん、私も大っ嫌いだったよ。
そして、そんな私を嫌いだと言ってくれる貴女が、私は――――
エリカ「でも、年月は人を変えるものね……だいぶマシになったじゃない」
632:
エリカさんの言葉にまるで日差しのような優しさが灯る。
こわばった表情が緩み、いつも私をからかうときのような笑顔を私に向けてくる。
エリカ「みほ、あなたの言葉、確かに伝わったわ。だから、私もあなたに、あなた達に言いたいことがある」
小梅「私にもですか?」
エリカ「ええ。……みほ、赤星さん」
エリカ「私も不安よ」
みほ「え……?」
小梅「……」
穏やかに、なんてことないように語られたその言葉は、だけどもエリカさんが言うにはあまりにも異質なように感じた。
みほ「不安……?エリカさんが?」
驚きと動揺のままに投げかけた疑問に、エリカさんは唇を尖らせる。
エリカ「10連覇。それがかかった大会。不安にならないわけないでしょ」
小梅「……ですよねぇ。私も不安でしょうがないですよ。ご飯も喉を通らなくなっちゃいます」
エリカ「その綺麗な皿見てもう一度言ってみなさい……」
みほ「で、でもエリカさんは……」
強い人なのに。私なんかよりもずっとずっと。
動揺を抑えきれない私は、しかし口に出そうとした思いをぐっと飲み込む。
エリカさんが私の瞳を貫きそうなほど鋭く見つめていたから。
エリカ「不安じゃない人なんていないわ。私も、赤星さんも……まほさんも。きっと先輩たちも。みんなそうなのよ、自分だけが特別だなんて思わないで」
633:
自分が特別だなんて思ったことが無い。そんな事、言えなかった。
生まれも育ちも、学校での立場も何一つ普通じゃないって思ってたから。
エリカさんたちと一緒にいる事で『自分だけが』なんて気持ち、なくなってたと思っていたのに。
たった今、年月による成長を褒められたばかりだというのに、傲慢だと改めて指摘されて、私はまた、自分が成長していないのだという事を自覚してしまう。
思い上がりを恥じていると、しかしエリカさんもまた私と同じように苦々しい顔をしていることに気づく。
エリカ「……ああ、もう。私はまたこんな……なんでもっと……」
みほ「エリカさん?」
心配になって声を掛けると、エリカさんはバツが悪そうに私を見る。
エリカ「えっと……つまり、だから……うん、もっとまわりを頼りなさい。頼りないあなたを支えてくれる人がいるんだから。誰かの不安を、あなたが解きほぐす事だってあるはずよ」
みほ「……そう、かな」
エリカ「そうよ」
小梅「ええ、そうですよ」
二人の言葉に私はようやく安堵する。
他でもない二人が、私の不安を解きほぐしてくれた。
だから、まずは感謝する。
634:
みほ「エリカさん、赤星さん。ありがとう」
エリカ「感謝してるなら行動で示しなさい」
みほ「うん。……エリカさん」
エリカ「何よ」
みほ「大丈夫だよ。私たちがいるから」
エリカ「?………………っ!?」
言葉の意味に気づいた途端、エリカさんが真っ赤になる。
エリカさんや赤星さんがそうしてくれたように私もエリカさんの不安を解きほぐしたい。
沢山の感謝とほんのちょっとの意趣返しを込めた言葉をエリカさんはちゃんと受け取ってくれたようだ。
エリカさんはあたふたしながら必死に口を動かそうとする。
エリカ「わ、わかってるわよっ!じゃなくて、余計なお世話!!」
小梅「わかってるですって。良かったですねみほさん」
みほ「うん!」
エリカ「そうじゃなくて!!」
不安を吐露してもらえること。それが、こんなにも嬉しいものだなんて思わなかった。
信頼してもらえていると実感できる。こんなにも簡単な事で、私たちは分かりあえるんだ。
必死で誤解(誤解じゃない)を解こうと手と口をせわしなく動かすエリカさんを見つめながら、私は胸に灯った暖かさを心地よく感じていた。
635:



みほ「あ、一つだけ聞いても良い?」
エリカ「……何よ?」
散々からかった結果、拗ねに拗ねたエリカさんをなんとか宥め倒し、
ようやく落ち着いたところで、私は何度目かの問いかけをする。
みほ「もう、機嫌直してよ。……私の事、まだ嫌い?」
エリカ「嫌い」
小梅「即答ですか……」
呆れたような赤星さんの言葉にエリカさんは「仕方ないじゃない」と小さく返す。
どうやらからかわれた事を根に持っているという訳ではないようだ。
エリカ「だってあなた未だに頼りないし」
みほ「頼りないから頼りなさいって今言ったばかりじゃ……」
エリカ「あのねぇ……頼りないやつが一人で抱え込んだって何も良い事無いけれど、だからってそのままで良いわけないでしょ」
みほ「うぅ……」
ぐうの音も出ない。
エリカ「あと同じこと何度も言わせるのがダメね。似たような事去年も言ったでしょ」
みほ「ぐぅ……」
出た。
まぁ、初めて喧嘩した時と誕生日の時の二回も言ったのにこのザマなんだからそのぐらい言いたくなるだろう、
636:
みほ「で、でも友達としてならどう……?いい加減私の事友達だと思ってくれない?」
小梅「凄い。めげない」
エリカ「変な根性つけたわね……ダメよ。友達だなんて無理ね。……あなたにはもう、赤星さんって友達がいるでしょ?」
みほ「エリカさんだって大切な友達だよ」
エリカ「……下らない事言って―――――」
みほ「下らなくなんかない。大切な事だよ」
言葉に、わずかな怒りが乗る。
その言葉はたとえエリカさんであっても許せない言葉だった。
私の大切な人の事を、下らないだなんて言わせない。
私の様子にエリカさんは驚いたように目を見開く。
そしてバツが悪そうに目線を下げると、
エリカ「……そう。悪かったわね、ちょっと考えなしだったわ」
呟くように謝った。
その様子に今度は私たちが驚かされる。
赤星さんなんて「嘘、エリカさんが謝った……」とまるで未知との遭遇をしたかのようだ。
両手を頬に当ててのリアクションはこの間テレビでやってた洋画の影響かもしれない。
エリカ「私を何だと思ってるのよ……みほ」
赤星さんの様子に若干眉をひくつかせるも、エリカさんは私に向き直ると目を閉じゆっくりと開く。
エリカ「……それでも、今は目の前の事に集中しなさい。あなたにとって大切な事なのかもしれないけれど、それは今すぐ成すべき事ではないでしょ?」
みほ「それは……」
エリカ「大会に懸ける思いは私と同じだって、そう思ってるわ。……違う?」
諭すような言葉に私は反論の糸口を見失い、ゆっくりと首を振る。
637:
みほ「……ううん、違わないよ」
エリカ「なら、今はそっちを第一に考えなさい。……私は、逃げたりしないわ」
ダメ押しのようにそう付け加える。
本当に……本当にこの人は……
そんな言い方をされてこれ以上食い下がれるわけがない。
計算でやってるのだとしたら極悪だし、素でやってるのならもはや邪悪だ。
私はエリカさんと、エリカさんの思い通りに引き下がってしまう自分の両方に苛立ちつつ、
それを厚めのオブラートに包んでエリカさんに伝える。
みほ「エリカさんはズルいよ」
エリカ「……ええ、よく知ってるわ」
私の精一杯の嫌味にエリカさんは聖母のような微笑みで返す。
それでもう、勝敗は決まった。
私はもう何も言わずただただエリカさんを見つめ返す事しかできなかった。
そうして数秒見つめ合っているのを見かねた赤星さんがパンパンと手を叩き、終了の合図を告げる。
小梅「……はいはい、真面目な会話はそこまでにしましょう?エリカさん、今何時ですか?」
エリカ「え?……あ」
エリカさんが銀色に輝く腕時計に目を落とすと、どうやら時計の針は思っていた以上に進んでいたようだ。
エリカさんが呟いた現在時刻はそう遠くないうちに授業の開始のチャイムがなる時間だった。
小梅「もうすぐ休み時間も終わりです。さっさと食べちゃいましょう」
みほ「わわ、急がないと……」
エリカ「ちょっと袖にお醤油つきそうよ、気を付けなさい」
みほ「うわ、ありがとうエリカさん」
エリカ「もう……出会った頃と変わらないわねあなたは」
みほ「エリカさんもね」
エリカ「……ええ、私は私だから」
小梅「遊んでないでさっさと食べてください!!」
638:
大会までの事は語ることが無い。
これまでと同じようにエリカさんたちと一緒にいて、お姉ちゃんもいて、先輩たちもいて、
困ったことがあったらみんなを頼って、
お姉ちゃんがそうであるように、そうであったように、私も副隊長として出来る事を模索しながらも精一杯やってきた。……やってこれたと思う。
もちろんみんなも全力で努力していた。
日々の練習は時間さえ忘れるほど大変で、それが毎日のように続いた結果、気が付くと全国大会が始まってて。
余裕なんて無かった。お姉ちゃんと違って私はそんなに要領がよくないから。
それでも、長くない人生で積み重ねてきたものを出し切ろうと全力を尽くした。
みんなも、それに全力で応えてくれたと思う。
元より黒森峰は優勝常連の強豪校。そこに集まった生徒たちからさらに選りすぐって選ばれた出場選手たちに油断なんてなかった。
当たり前のように努力してきた人たちなのだから。
その身に宿った全てが、勝利の為に積み重ねられたものなのだから。
故に私たちは、まわりの期待通りに勝ち進んで行った。
663:



高等部3年?8月?
ケイ「ナイスファイト!」
晴天甚だしい山地の空。
目にいたいほどの青空と、それに負けないほどの明るい声が響き渡る。
山岳フィールド。ここでは先ほどまで全国大会の準決勝が行われていた。
対戦相手は強豪、サンダース大付属高校。
私の目の前であっけらかんと笑っている彼女はそのサンダースで副隊長を務めているケイさんだ。
ケイ「さっすが黒森峰!!とっても楽しかったわ!!」
まほ「負けたというのに、随分元気だな」
ポンポンとお姉ちゃんの肩を叩くケイさんはお姉ちゃんの言葉通り負けたとは思えないほど爽やかだ。
準決勝は黒森峰が勝利し、決勝へと駒を進める運びとなった。
しかし、決してサンダースとの試合が楽だったわけではない。
戦車保有数、戦車道履修生共に全国一位の規模を誇るサンダースのチームは選び抜かれた精鋭だ。
特に戦車の保有数故に常にベストコンディションで挑んでくるM4の集団は、足回りで泣きを見る事もある私たちにとって油断できる相手ではなかった。
接戦。それ故に負けた時の悔しさもひとしお。実際サンダースの生徒の中には泣いてる人もいたが、目の前のケイさんはとにかく明るい。
お姉ちゃんとしてもそこが気になったのか怪訝な表情になる。
ケイ「もちろん負けた事は残念よ?今年こそ決勝に行きたかったもの」
その笑顔に僅かな無念さが浮かぶも、ケイさんは「でも、」と続ける。
ケイ「戦車道は戦争じゃないわ。お互い全力を尽くした。なら試合後はノーサイド!私たちは、あなた達を祝福するわ!!」
豪快なサムズアップとウィンク。嘘偽りのない激励に私は彼女の器の大きさを感じた。
664:
ケイ「ミホ、あなたも流石ね!『ボンバーシスターズ』の実力、見せてもらったわ!」
みほ「……はい?」
聞きなれないのに妙にしっくりくる単語に私は首を傾げる。
まほ「……ああ、榴弾姉妹はサンダースだとそう伝わってるのか」
みほ「えっと……そのボンバーシスターズって悪名なんでそんな大声で言わないでもらえると……」
悪名がまさかのローカライズされてることに恐怖しか感じないけれど、だからといって野放しにしておいてはますますまずいことになってしまう。
例の件がいつお母さんに伝わるか戦々恐々な私としてはここでなんとか禍根は潰しておきたい。
私は控えめに懇願する。なんなら肩をもむぐらいならするかもしれない。
ケイ「そうなの?カッコいいと思うわよ!!ダージリンもそう言ってたわ!!」
ここにきて聞きなれない名前が出てきた。
ダージリン、紅茶の名前でないとしたら、たしか聖グロにそう名乗っている人がいた記憶がある。
鋭い戦術眼で追い詰められたとはお姉ちゃんの談だ。
まほ「ダージリンが?」
ケイ「前うちの学園艦に来た時に教えてもらったの。『黒森峰に面白いのがいる』って」
みほ「面白いって……」
こっちからすれば爆発すれば私達だけ吹き飛ばされる爆弾でお手玉されてるようなものなのにずいぶんと気楽なものだ。
私が顔もろくに知らぬダージリンさんに不信を覚え始めた頃、ふとケイさんが疑問を呈する。
ケイ「でも、黒森峰でシスターズって言ったらあなた達の事なのに、ミホとシスターなのはマホじゃなくて、エリカなのね」
ケイさんはそう言って私達から離れた所で撤収の指揮をしてるエリカさんに目を向けた。
エリカさんの綺羅びやかな銀髪は遠目に見ていても彼女の存在を主張していて、私とお姉ちゃんもケイさんにつられて見つめてしまう。
その視線に気づいたのかエリカさんはふと、私達の方を見返してくる。
お姉ちゃんがそれに小さく手を振るとエリカさんは嬉しそうに、ケイさんが全身でブンブンと手を振ると戸惑いながら、そっと手を振り返す。
なので私も手を振ってみたところ、エリカさんはムッとしてそっぽを向いてしまった。
665:
ケイ「嫌われてるの?」
みほ「うぅ…」
まほ「そんな事ないさ。……ほら」
お姉ちゃんの言葉にもう一度エリカさんに向かって目を細めると、クスクスと悪戯っぽく笑っているのが見えた。
ようやく、からかわれたことに気づいた私は安堵と苛立ちの両方を込めて再度手を振る。今度はケイさんのように全身を使って。
そこまでしてようやくエリカさんはフリフリと、あしらうように手を振り返してくれた。
そんな私たちを見て、お姉ちゃんとケイさんはこらえきれずに笑い出す。
まほ「な?」
ケイ「ええ!確かに仲良しさんね!」
みほ「向こうもそう思ってくれてるといいんだけどね……」
苦笑交じりにそう呟くとケイさんはバンバンと私の背中を叩く。
ケイ「心配ないわ、ノープロブレム!あなた達は立派なシスターズよ!だって、試合、楽しかったでしょ?」
ケイさんは私の瞳をのぞき込むように見てくる。
みほ「そう見えました?」
ケイ「ええ。戦車の動きが生き生きしてる。楽しんでるってこっちにも伝わってきたわ。二人とも、ね?」
みほ「……そっか」
ぐっと、堪えるように拳を握る。
怒りや悔しさのせいじゃない。
ただ、嬉しかったから。
私は、戦車道を楽しめてるんだ。
エリカさんと、みんなと一緒に。
『みんなと一緒に楽しく』
口だけの願望だったものは、確かにそこにあったんだ。
全部が全部報われたわけじゃない。それでも、あの日の私を少しは見返せたのだと思う。
666:
まほ「……良かったなみほ」
みほ「……うん」
ケイ「ミホ、一つだけ聞かせて。あなたの戦車道って何?」
みほ「え?わ、私の戦車道……?」
投げかけられた問いに私は言葉が詰まってしまう。
ケイ「あなたにとって戦車道はどんなものなのか。どうありたいのか。教えて欲しいの」
みほ「……私にとっての戦車道は」
突然そんな事を言われたって答えなんて用意できていない。
だから、考える。
だから、ケイさんは問いかけたのだろう。
答えのない物の答えを求めて。
そして皮肉なことに、日本で一番大きい戦車道の流派の娘は、自分にとって戦車道がどういうものなのか考えた事も無かったのだ。
深く深く、自分に尋ねる。
あなたにとって戦車道は何?
あなたにとって戦車道はどういうもの?
667:
――辛いもの?
かつては、今も時々
――楽しいもの?
うん
――いらないもの?
ううん
――大切なもの?
……そのはず
――なら、どうありたいの?
……
熟考を終えた私は顔を上げる。
期待するような眼差しのケイさんから瞳を逸らさず、正々堂々と、
みほ「……ごめんなさい。わからないです」
白旗を上げることにした。
668:
ケイ「別にそんな難しく考えなくたっていいのよ?」
みほ「それは、できません。私にとっての戦車道はそんな簡単に定義できるほどまとまってなくて……まだ、探してる途中だから」
ただ、それでも確かな事がある。
みほ「……でも、私にとって戦車道は楽しいものです。それだけは、確かです」
息を吸って、胸を張って、答える。
みほ「私はたくさんの人に支えられてここにいます。戦車道を楽しいって思えているのもそんな人たちがいるからで……」
ケイ「……」
みほ「でも、エリカさんがいなかったら……きっとまた違った今になってたって思います」
ああそうだ。
きっとあの人と出会えなかったら私は未だにうずくまって、俯いて、一歩も動かず、なのに誰かに助けを求めていたのだろう。
そうだったのならきっと、幸せだったのだろう。
何も考えず、不満だけを抱えていればいいのだから。
自分を、不幸な人間だと思っていればいいのだから。
そうやって何も見ずにいれば、自分だけを見ていれば、誰も私を否定しなかったのだから。
そんな私を否定してくれた。助けてくれた。伸ばせなかった手を、伸ばせるようにしてくれた。
その手を、掴んでくれた。
私の戦車道はそこから始まったんだ。
だから、
みほ「だから、私の戦車道はエリカさんと、大切な友達と見つけられたらなって」
669:
なんとも酷い答えだと思う。
問題の先送り、それも大切な人たちまで勝手に巻き込んで。
だけど今の私にはこうとしか言えないのだ。
優柔不断な自分を呪ってしまうが、まぁお姉ちゃんと赤星さんは許してくれるだろう。
エリカさんは嫌味を言ってくれるだろうが。
流石のケイさんも呆れたのか、何かを考えるように腕を組んでじっと目を閉じて、
やがて、ゆっくりと開かれる。
ケイ「……ミホ」
みほ「はい」
ケイ「Goooood!!良いわ!最高よ!」
全力のウィンク&サムズアップ。
戸惑う私をよそに、ケイさんは隣のお姉ちゃんをにびしりと指さす。
ケイ「まほ!あなたの戦車道は何?」
まほ「私か?私は……規律と、勝利。……面白味は無いな」
ケイ「そんなこと無いわ!!誰だって自分だけの戦車道を持ってる。それはきっとその人だけのものよ。その人が持つ、その人だけの輝きが、戦車道にあらわれるのよ!」
まるで映画のワンシーンのように大仰な立ち振る舞い。
それが彼女の本心を全身で表しているのだと大して面識のない私でも理解できた。
ケイ「あなたの輝き、眩しいぐらい感じたわ!!」
まほ「ふふっ、そうか。ありがとう」
再びのサムズアップ。お姉ちゃんはそれに微笑みで返す。
ケイ「ミホ!私の戦車道は仲間と楽しく正々堂々と。どんな時だってフェアプレイ!それが、私の戦車道よ」
670:
力強く宣言されたその言葉の意味は、戦った私たちも感じている事だ。
真正面から、策はとっても小細工は弄さず、縛りではなく誇りを持って戦うその姿は、
彼女だけの『道』を私たちに見せてくれた。
ケイ「あなたの戦車道がこれからどうなるか私にはわからないけど、あなたの戦車道があなたにとって大切な、素敵なものになることを願ってるわ」
みほ「……はい。ありがとうございますっ」
ケイ「それじゃあ私はそろそろ戻るわね!アリサ……後輩が泣いちゃってるのを慰めないと」
そういえば試合後に泣いてる子がいたな……
それだけ本気で挑んでいたという事なのだろうから笑う気つもりは毛頭ない。
もちろん負けてあげるつもりも無かったが。
ケイ「それじゃあマホ!ミホ!またね!」
みほ「はい、また!」
ケイ「今のあなた達と戦えて良かった。次戦うときはもっと激しくエキサイティングしましょう!!」
ケイさんは私たちに手を振りながら仲間たちの元へと走っていく。
やがてその姿が見えなくなり、私は独り言のようにぽつりとつぶやく。
みほ「……なんだか凄い人だったね」
まほ「ああ。ああいう奴こそ『強い』のだろうな」
みほ「……うん」
隊長を務める人はみんなそうなのだろう。
自分だけの『戦車道』を持ってて、自分らしさを誇っている。
それは、その強さこそが、私が求め続けているものだ。
私の『戦車道』はまだ見つかっていない。『私らしさ』もまだ見つけられていない。
だから探すのだ。
友達と、仲間と共に。
そう思えるようになった事が私が少しは成長した証なのだと、そう信じて。
671:



小梅「……え?私、決勝出られるんですか?」
先日のサンダースとの準決勝を終え、決勝まで残り二週間を切ったある日の昼下がり。
少し早めに練習場へと向かおうとテクテク歩いてた私は「あ、みつけた。ちょっと来て」といきなり現れたエリカさんに空き教室へと引きずり込まれた。
何の用か尋ねようと私が口を開く前にエリカさんから一言。
『あなた、決勝出られるわよ』
そして先ほどのセリフに繋がる。
我ながら素っ頓狂な声が出たものだと思う。
しかしながらそれだけ目の前のエリカさんの言葉は衝撃というか、いきなり膝カックンをされたかのような脱力感を私に与えた。
小梅「え……え?出られるの決勝?」
エリカ「なんで体言止め?出られるわよ決勝。装填手としてね。良かったわね」
小梅「いや良かったわねってあなた……なんでいきなり……あの、決勝のオーダーってまだ発表されてないですよね?」
エリカ「たぶん今日の練習終わりに発表されると思うわよ?」
つまりはまだ秘匿情報のはず。
だというのに目の前のエリカさんは何の後ろめたさもなく、きょとんとした表情感じで可愛らしく小首をかしげている。
小梅「……まずなんでエリカさんがそれを知ってるんですか?」
エリカ「みほが言ってたのよ」
小梅「秘匿義務!」
全力の情報漏洩とか何をやってるんですかあの副隊長は。
小梅「あの!!みほさんがそういうちょっと緩いところがあるのは知ってるでしょ!?叱ってくださいよ!!」
エリカ「別に私はあの子のお母さんじゃないし……それに」
エリカ「早く教えてあげたかったのよ。みほも、私も」
672:
気恥ずかしそうにそっぽを向いてそんな事を言われた日にはこれ以上の追及なんてできるわけがない。
卑怯というかもはや悪辣なエリカさんの様子に私は悔しささえ覚えてしまう。
小梅「っ……もう」
エリカ「で、どう?一年生で決勝に出られる気分は」
小梅「……私でいいのかなって」
黒森峰の戦車道チームには多くの隊員がいる。
先輩はもちろん一年生だけでも大勢の人間が毎日しのぎを削っているのだ。
私と違って、中学に入学した時から一生懸命頑張ってきた人だっているのに。
一度は折れて、腐っていた自分が決勝の舞台に立てるのか。
そんな資格、あるのか。
なんとも後ろ向きで、自虐的なのだと自分でも思ってしまう。
そしてそんな私の様子にエリカさんも呆れたようにため息を吐く。
エリカ「何みほみたいなこと言ってるのよ」
小梅「というか、本当に私なんですか?」
エリカ「友達に吐く嘘としては下も下ね」
おどけ気味に肩をすくめるエリカさんの様子を私は笑う事ができない。
小梅「10連覇がかかった決勝の大舞台に一年生の私だなんて……」
エリカ「別にあなただけじゃないわよ。みほはもちろん他にも一年生で出る子はいるわ。もちろん私もね?」
あなたはまず一回戦から出ずっぱりでしょうよ。
673:
エリカ「そもそも、決勝が一番出せる車輛が多いんだから、あなたが選ばれたって不思議じゃないでしょ」
小梅「で、でも……」
エリカ「出たくないの?」
小梅「い、いえ。決してそんなことは」
エリカ「なら堂々としてなさい」
小梅「は、はい……」
私の自信なさげな様子をどう思ったのか、エリカさんは人差し指をあごに当てて思案するように視線を落とす。
その姿はまるで絵画のように美麗で、カメラをロッカールームにカメラを置いてきてしまった事を後悔してしまう。
エリカ「……何が決め手であなたになったかなんて私は知らないけど、隊長と副隊長が選んだのなら間違いないわよ。少なくとも私はそう思ってる」
小梅「……」
エリカ「……まぁ、私から言えることは一つしかないわね。……あなたの努力が認められたって事よ。喜びなさい」
どこか上から目線なのに真っ直ぐに、なんの嫌味もなく、それでいて確かな称賛を感じる言葉。
それなりに長い付き合いなのだから、その言葉が彼女にとっての本心だという事程度は理解できる。
なら、いつまでもうじうじしてるのは失礼だ。
ちゃんと喜んで、ちゃんと試合に集中しよう。
小梅「……はいっ!やったー!!」
エリカ「はぁ?何浮かれてんのよ。たかがメンバーに選ばれたぐらいで調子に乗られると困るんだけど」
小梅「えぇ……」
マジですかこの人梯子外すのが唐突すぎますよ……
674:
エリカ「……冗談よ。あなたの仕事ぶり、しっかり見させてもらうわよ?」
小梅「わかりづらいボケはやめてください……っていうか見させてもらうわよって」
エリカ「え?……ああ、まだ言ってなかったわね。あなたの乗る?号、私が車長だから」
小梅「そうなんですか!?やったー!!」
再び諸手を挙げて喜ぶと、今度は困惑した様子を見せるエリカさん。
エリカ「そんな喜ぶような事……?装填手として車長の指揮を見るならみほとか隊長の方がずっといいのに……」
小梅「エリカさんは天上人だからわからないんでしょうけどね!?私たちみたいな試合に出るだけでも一苦労な人間にとっては、貴女だって凄い人なんです!!」
エリカ「そ、そう……褒められて悪い気はしないわね」
エリカさんは私の攻勢に若干引きながらも恥ずかし気に頬をかく。
思えばエリカさんはどうも自分の事を過小評価するきらいがあるようだ。
同年代最強であるみほさんと渡り合ってる貴女の事を見くびる人なんていないのに。
貴女が積み重ねてきた努力を否定する人なんていないのに。
みほさんとはまた違った方向でエリカさんは卑屈なところがあるのだから、持ち上げすぎるぐらいしないと釣り合わないのだ。
そして何よりも、
小梅「それに、友達と一緒の戦車で戦えるだなんて楽しみじゃないですか」
「遊ぶわけじゃないんだから」とか言われそうだがこればっかりは仕方がない。
気心知れた仲の友人と大舞台に挑めることは私にとってこの上ない喜びで、どうしようもないぐらい楽しみな事なのだから。
エリカ「もう、遊ぶわけじゃないんだから……まぁ、良いわ。とにかくよろしくね」
小梅「はい!よろしくお願いします!」
初めて出る全国大会で、10連覇のかかった大舞台で、みほさんとエリカさん。尊敬する友達の指揮を間近で見ながら共に戦える。
私が夢見て入学したことも、その夢が折れて、腐ってた時期も、彼女たちと共に過ごしてきた日々も、
無駄なんかじゃなかった。諦めなくてよかった。信じてきて良かった。
そう思ってしまう程度には、嬉しくてたまらない事だった。
練習場に向かう足取りはリズムよくスキップを踏み、
前を行くエリカさんに見られていなかったのは幸いだった。
682:



決勝まで残り一週間。
その日が近づくにつれ時の歩みも早くなるように感じてしまう。
別に決勝に出るのが初めてという訳でもないのに背筋が冷たくなるような瞬間が時折襲ってくる。
だからといって焦るほど私の足元は揺らいでいない。
たとえ時間が少なかろうと、少ないからこそ、勝利を盤石にするために練習を怠りはしない。
私だけではなく周りもそうだ。試合に出る面子はもちろん、そうでない人たちも
私は隊長として自身が見本となれるように誰よりも努力をしている。……そのつもりだ。
昔は、それだけで精いっぱいだった。
だが今は違う。
やるべきことをやり、努めるべき事を努め、その上で心に余裕がある。
それは、私が成長したからなのだと思う。
去年までのように弱さを一人だけで抱える事が無くなったのだから。
小梅「エリカさん、帰りましょ」
エリカ「ええ。ちょっと待ってて」
みほ「あ、エリカさん私の事も忘れないでね?」
エリカ「待たないからさっさと帰り支度しちゃいなさい」
みほ「うぇー……」
相も変わらず一緒にいる一年の3人組。
最近は『榴弾三姉妹』などと呼ぶ奴もいるらしいが、本人達は不服そうだ。
まぁ、今となって目立つあだ名程度で収まっているが、事情を知ってる人からすれば完全にただの悪名なのだから仕方ないか。
お母様に知られないように出来るだけ口外は防いでいるが、どうにも最近は他の学園艦にも話が伝わってしまっているようで、
私としてはそろそろ「何も知りませんでした」とお母様に弁明する用意をしないといけないな……だなんて思ってしまう。
そんな自己保身を考えながら私は目当ての人物に声を掛ける。
683:
まほ「エリカ、ちょっといいか?」
エリカ「何ですか隊長?」
まほ「少し、話したい事があるんだ」
エリカ「はぁ。わかりました」
呼ばれる理由に思い至る点が無いのか、エリカは少し首を傾げながらも了承してくれる。
まほ「すまない。みほ、赤星、ちょっとエリカを借りる」
みほ「良いけどちゃんと返してね?」
まるでエリカは自分のものだと言わんばかりな物言いに、私は微笑ましくなりふっと息を吐いてしまう。
反面、エリカはみほの言葉に不満を抱いたようで、眉をひそめて反論する。
エリカ「別にあなたのものじゃないわよ……先に帰ってなさい」
みほ「わかった。待ってるよ」
全くこたえた様子のないみほにエリカはもう反論する気も失せたようで、ため息とともに赤星に振り向く。
エリカ「……はぁ。赤星さん、お願い」
小梅「はい、ちゃんと待ってます」
エリカ「……行きましょうか」
諦めたようなエリカの言葉に、私はとうとうこらえることができなくなってくぐもったような笑い声を上げてしまった。
684:



夕日の差し込む隊長室。
その日差しを見ると私の心にも光が差すように思えてくる。
『何度だって言います。どれだけ情けなくたって、どれだけ怖くたって、弱さを認められるあなたは―――――強い人です』
探し求めていたものにようやく出会えた。歓喜に震えた記憶は今も実感を伴って私の胸に根付いている。
きっと忘れはしないのだろう。夕焼けを見るたびに思い出すのだろう。
それが嬉しくて、感慨深くて、私はじっと窓から入る夕焼けの日差しを見つめてしまう。
エリカ「あの、隊長……?」
そんな風に感慨深くなっていると、エリカに声を掛けられる。
しまった、何を一人で物思いにふけっているんだ。
まほ「コーヒーでもいれようか?」
エリカ「あ、いえそんなお構いなく……」
誤魔化し紛れに提案するも、断られてしまう。
……いやそれはそうだろ。みほたちを待たせてるのだから。
どうやら、私は緊張しているらしい。
エリカを呼び出した理由を思えば当然ではあるのだが。
私は咳ばらいをして、今一度エリカに向き直る。
まほ「……エリカ」
私には伝えたい事があるから、その前に伝えなくてはいけない事がある。
話を先延ばしにしたって後が辛くなるだけなのだから覚悟した今、率直にいこう。
まほ「私は、来年ドイツに留学する」
エリカ「え……?」
まほ「戦車道の進んでいるドイツでより深く学ぶことで西住流をより発展させるんだ」
685:
高等部に入った辺りから考えていた事ではあった。未だプロリーグが無い日本と、プロリーグのある海外。
選手人口も、技術も、海外の方が上だ。
だからこそ、日本の戦車道の顔ともいえる西住流はより強くなければならない。
いずれは後を継ぐ私も、現状維持で良いなんてことは考えていない。
私は、私のやるべき事をやり遂げたいのだ。
エリカ「……もしかして最近職員室によく出入りしてたのって」
まほ「ああ、その事で相談に乗ってもらってた。何分初めての事ばかりだからな」
エリカ「……その、いつになるんですか?」
まほ「早ければ秋には。向こうは秋入学だからな」
卒業も半年早くなるが、単位についてはなんとかなる。
ただ、卒業式に出られないのが、みんなと共に過ごす時間が半年も減ってしまうのが、どうしても胸に突き刺さる。
エリカ「……そう、ですか。でも、凄いじゃないですか!流石隊ちょ――――」
まほ「エリカ」
その声を遮る。
エリカは息が詰まったような顔で私を見る。
その瞳を見つめる。そこに宿るゆるぎない輝きが私の瞳にも飛び込んできて、胸の高鳴りが少し、早くなる。
伝える言葉を頭の中で反芻する。
噛まないように、伝わるように。
受け止めてもらえるように。
……まるで告白するみたいだな。
なんてのは流石に気持ち悪いと自分でも思う。
それでも、伝えたい思いがあるのだから。
まほ「私に、ついてきて欲しい」
エリカ「……え?」
まほ「私と一緒に留学してほしいという事だ」
留学の話が出てからずっと考えていた事だった。
エリカと一緒に行きたい。
二人で並んでドイツの空の下を歩きたい。
辛い事を、楽しい事を、一緒に感じたい。
みほのように、赤星のように。
私だけの思い出を作りたい。
686:
エリカ「……冗談だとしたらなかなか面白いですね」
まほ「そんな冗談言うと思うか?」
信じられないと言った風に笑うエリカに、私は真顔で返す。
私の様子に一瞬喉を詰まらせたかのように表情をこわばらせると、そっと、目線を外す。
エリカ「……来年って私はまだ2年なんですよ?大学だなんて……」
まほ「そんなの飛び級でどうとでもなるさ。現に島田流の娘は12歳なのに大学に在籍しているんだ」
エリカ「それは実力があるからであって私は……」
まほ「……確かに今のエリカでは難しいかもしれない」
エリカ「でしょう?なら……」
どれだけ私が信頼してようと、今のエリカを飛び級で留学させるだなんてのは無理な話だ。
学力はともかく、実力が伴っていないのにレベルの高い環境に置いたところで潰れるだけだ。
それこそ、あまりにも愚かな行為で救いようのない結果だ。
みほですら難しいであろうそれを、エリカに求めるのは酷な話だという事は理解している。
まほ「だが、まだ時間はある。私が、いや、西住流が全面的にサポートする。お前なら……貴女ならきっと、私に並び立てるはず」
エリカ「まほさん……」
ああそうだ、まだ一年ある。その一年で私が持っているものを全部与えてみせる。
お母様も説得して、最高の環境で、最高の指導を受けさせてみせる。
私もエリカに教える事で学べるものがあるはずだ。
努力を苦としないエリカならきっと今以上に厳しい訓練にだってついてこれるはず。
ましてやエリカは強くなるために黒森峰(ここ)に来たのだ。
まほ「だから、」
ならきっと、私の手を取ってくれる。
いつかの夕焼けの日の時とは逆に、私がエリカに手を差し出す。
まほ「だから……来て、くれないか」
687:
信じているのに、願っているのに、声は揺らいでしまった。
エリカの瞳が私の手と瞳を交互に見つめる。
流れる沈黙を、差し出してない方の手で裾を握りしめてぐっと堪える。
固唾を飲み込むのを必死で我慢する。
人生でこんなにも緊張したことがあるだろうか。
一瞬が永遠に感じる瞬間とはこういう事なのだと、どこか他人事のように感じたのは恐らくそれ故なのだろう。
やがてエリカの口が吐息をもらし、そっと目を伏せて、
エリカ「……すみません」
その言葉の意味を聞き返すほど私は察しが悪くなかった。
まほ「……貴女は、もっと向上心に溢れた人だと思ってたんだけど」
嫌味ったらしい言葉は無意識のもので、あまりにも情けない、無様な言葉だった。
なのにエリカは全くそれを気にしたそぶりを見せず、ただただ申し訳なさそうな表情をする。
エリカ「お誘いとても光栄です。強くなりたいって気持ちは本当です。あなたについていけるのなら、たとえ分不相応だとしてもついていきたい。そう、思ってます」
まほ「……ならなんで?」
明らかに声色の落ちた私の問いにエリカは決意を込めて答える。
エリカ「……強くなりたいから、留学とかの前にやらなきゃいけない事があるんです」
まほ「それは、何?」
エリカ「みほの、あの子の隣で、私は……あの子が率いる黒森峰を見たいんです。あの子の隣にいなきゃいけないんです」
まほ「……それだけのために、私の話を断るのか」
なんとなくわかっていた。エリカが断る理由はそれしかないと。
……『それだけ』じゃない『それほどの』理由なのだと。
エリカ「ええ。それだけのために。でも、私にとって大切な事です」
まほ「私と一緒に行った方がもっと進んだ戦車道を学べるぞ」
エリカ「違うんですよ。……そうじゃないんです」
エリカは指先をあごに当て思案するような表情をする。
そして納得したように頷くと、優しく私に微笑みかけた。
エリカ「技術とか、そういうのじゃなくてそう、これは―――――約束なんです」
まほ「約束……?」
エリカ「あの子に、『戦車道以外』を教える事」
まほ「……みほはもう、充分お前から教わっているさ」
688:
そうだ。みほはもうエリカからたくさんのものを教わっている。もらっている。
人との関わり方、勉強、友達と過ごす何気ない日々、自分の言葉の伝え方、そして……前の向き方。
今のあの子を形作ったのは間違いなくエリカで、本当は私がそうしなくてはいけない事で、
なのに私はいつだって自分の事で精いっぱいだった。
その上エリカは私にも手を伸ばしてくれた。
だから、もうエリカはもうそんな事を気にしなくていいのに。
けれどエリカは「わかってないなぁ」といったどこか得意げな顔をする。
エリカ「そうですね、確かに昔に比べればずっとマシになりました。……でもまだダメです」
まほ「エリカから見てみほには何が足りないんだ?」
純粋な疑問だった。頼りない部分は多少残っているものの、今のみほにエリカが心配するような部分があるのかと。
エリカ「……あの子結構不精な所あるんですよ。お醤油こぼしたときに袖で拭おうとするとか信じられません」
まほ「それは……うん」
私が言うのもなんだが一応名家の娘なんだからそのあたりはちゃんとして欲しい……
エリカ「あと未だに人前苦手ですし、威厳が無くて頼りないし親しくない人と会話するのも相変わらず苦手ですね。先生への報告を赤星さんに代弁させるとかほんとふざけてますよ。
 成績も文系はそれなりですけど、理系科目は全然ですし。あ、でも物理に関しては私が教えたからか少しはマシになってました。まぁでも黒森峰の副隊長としては落第レベルですよ。せめて私レベルにはなってもらわないと。
 あと普段の生活で困ったことがあるとすぐに誰かに助けを求めるのもダメですね。私や赤星さんがいつだっているわけじゃないんですから自分一人でもなんとかできるようにしないと。
 そのくせ戦車道の時はなんでも一人でやろうとするし、それで周りが見えなくなって人の話を聞かなくなるのは最悪です。頑固なのはいいけど、だからといって独りよがりになるんじゃダメです」
まほ「ずいぶんと、その、言うな」
いやほんとに。
以前も思ったが姉の前で妹の事をここまでこき下ろせるのはある種尊敬すらしてしまう。
矢継ぎ早にまくし立てられ、私が内心引き気味になっていると、エリカはふん、と鼻をならす。
689:
エリカ「これでも控えた方ですよ。挙げたらきりがありません」
まほ「えっと、私も一応姉として指導はしたりしてるんだけどな……」
エリカ「隊長は甘いですよ。あの子はもっと厳しく言ってあげたほうが良いんです。
 というか妹の評価があなたの評価に繋がる事もあるんですからそのあたりしっかりしてください」
まほ「あ、はい」
なんだか私まで流れ弾のような説教を受けてしまった。
確かにそういうところ無くは無いと思うけど、私にとってみほはかけがえのない可愛い可愛い妹なのだから、多少そういう部分が出てしまっても仕方が無いというか、
私だって人間だし、昔ならともかく今のみほにあんまり厳しい事を言って嫌われるのも本意ではないし……
先ほどまでの胸の高鳴りはどこかへ行ってしまって、なんというか友達の母親に叱られているかのような居心地の悪さすら感じてしまう。
そんな微妙な気分の私とは対照的にエリカは言いたいことを言いきったのかスッキリしたような表情をしている、
それは直ぐにいつもの凛とした表情に戻っていく。
エリカ「だから、一緒には行けません。私はまだ、あの子を見ていないといけないから。あの子の為じゃなく、私のために。私が、強くなるために」
まほ「……はぁ。そこまで言うのにみほと友達になるつもりは無いっていうのだからめんどくさいな」
エリカは痛いところを突かれたといった風に押し黙る。
まほ「才能や家柄であの子を肯定しない、否定すべき時に否定する。あの子にとってそれがどれだけ尊いものなのか、分からないお前じゃないだろ」
エリカ「散々馬鹿にされてるのに、未だに私と一緒にいようとするなんてあの子の気が知れませんけどね」
そんなの、みほは馬鹿にされただなんて思ってないからだろう。
友達との何気ない会話に混ざる軽口はあの子にとって心地よい音色の一つでしかないのだろうから。
まほ「お前だってみほの事を悪く思ってるわけじゃないだろう?」
エリカ「……」
690:
再びエリカは黙り込む。
嫌い嫌いなどといくら口で言われたところで、彼女がとる態度からその素振りを見出すのは無理というものだ。
どこの世界に嫌いな奴と食事を共にし、お互いの誕生日を祝い合うやつがいるというのだ。
誰でもわかる事だ。エリカがみほに悪感情を抱いていた事はあったのかもしれない、でもきっとそれは最初だけで今のエリカにとってみほは、決して嫌な存在じゃない。
そうだろう?だって、みほといる時のエリカはいつだって生き生きとしているのだから。
まほ「何でもかんでも全部言葉にすれば良いってものじゃない。言葉にしない事で、意味が生まれる事もある。……それにしたってお前とみほは伝わってなさすぎだ」
言葉にしていない思いはもう十二分に伝わっているはずだ。そこにたった一言あればみほの願いは叶うのに。
4年間求めていた関係に確かな形が生まれるのに。
だけど、エリカは不貞腐れたように唇を尖らせる。
エリカ「だって、友達じゃないですから」
まほ「お前なぁ……」
流石に呆れてしまう。
なんで普段はちゃんとしてるのにこういう時だけ子供みたいな駄々をこねるのか。
いい加減説教したほうが良いのかと考えていると、ふとあることに思い至る。
というよりずっと前から考えていた事だ。
いつだって堂々としていて、先輩だろうとなんだろうと自分の意志を貫くエリカがどういうわけかみほの前ではちぐはぐな言動と行動をしてしまう。
その理由、いや原因は……
まほ「……ああ、そうか」
エリカ「……?」
私は名探偵のようにエリカを指で指す。
行儀が悪いのは重々承知だが、この程度は許して欲しい。
私と私の妹を散々振り回したのだから。
そして私が導き出した答えを突きつける。
まほ「エリカ、あなた――――ただ恥ずかしいだけでしょ」
エリカ「っ!?」
途端に紅潮する肌、限界まで開かれる瞳。
真偽を問わずともそれが私の答えを証明してくれる。
まほ「嫌味っぽいのも、回りくどいのもそのくせみほの事を気に賭けるのも。素直に思いを伝えるのが恥ずかしいからなんでしょ?」
エリカ「ち、違います」
慌てて否定するももはや私の中の確定事項は揺るがない。
全く、本当にめんどくさい奴だ。
約束だ協定だ倒すべき目標だ。
だから友達じゃない。
そんなの理由にならないのに。
嫌いなところがあるのに一緒にいるのは、それ以上に想っているからだろうに。
691:
まほ「はぁ……私とみほはあなたの小心さのせいでこんなにも心乱されてたのね」
「友達になって」と事あるごとにエリカに言うみほの姿に、いい加減どうにかしてやりたいと思っていたが、
エリカ側の理由は本当にただただエリカの性格のせいだったのだと思うと脱力してしまう。
まほ「そのくせ勢い任せに人に説教するのだからタチが悪いわね」
エリカ「それは……否定しませんけど」
私に対して「言いたいことはちゃんと言え(要約)」なんて言っておきながら自分の事は感情任せに無視するなんてひどい奴だ。
私がどれだけ勇気を振り絞って貴女に弱さを見せたと思っているのか。
ああそうだ、エリカ。貴女は本当に、
まほ「ズルい人」
エリカ「……みほには、言わないでください」
エリカは私の言葉に観念したように肩を落とす。
どこか小動物じみたその様子がみほと重なる。
まほ「……別に、あの子もそれで貴女に失望したりしないわよ」
エリカ「そんな事思ってません。でも……伝えるなら私からじゃないとダメなんです」
まほ「……」
エリカ「私だってこのままでいいだなんて思ってませんよ……でも、お願いします待ってください」
深々と頭を下げて懇願する。
エリカ「あの子に偉そうに言っておいてどの口がってのは分かってます。でも、もう少しだけ。決勝が終わるまでは、何も言わないでください」
『決勝が終わるまで』期限を決めたのはきっとエリカも思っていたのかもしれない『このままじゃいけない』と。
どんな形であれ、曖昧なまま今日まで来た二人の関係はとうとう決断を迫られた。……迫ったのは私だが。
まぁ私が何も言わなくても今度は赤星あたりが何か言っていただろう。
とはいえ、伝えると決めたのなら私がせっつく必要はない。
私は不安げに上目遣いをするエリカを安心させようとその肩に手を置く。
まほ「……そう。なら、何も言わない。……約束よ」
エリカ「……ありがとうございます」
692:
喧嘩して、理解しあって、共に学んで共に成長する。
同じ時間を、同じ空の下で、共に過ごせる。
笑う事も怒る事も泣く事も楽しむ事も、全部全部それらを彩るために必要なもので、
それを誰よりも形にしているのがみほと、エリカと、赤星で、
私は、私も一緒に、いたかった。
隊長だとか副隊長だとか、憧れとか尊敬とか、先輩とか後輩とか関係ない、
本当にただの友達として。
そうすればなんの気兼ねもなく、あなた達と共にいられたのに。
留学なんてもっと未来の話で、共に過ごせる日々を全力で感じることが出来たのに。
そんな日々はきっと、私にかけがえのないものをたくさんくれたはずだ。
まほ「……私も、もう一年遅く生まれてくれば良かったな」
エリカ「……?そうですね、西住流の娘が双子だとしたらとても心強かったと思います」
まほ「……はぁ。エリカ、あなた変なところで鈍いのね」
エリカ「……?」
疑問符を浮かべ小首をかしげるエリカに私はもうため息しか出ない。
わかっている。たらればの話なんて何の意味もない。
それでも夢想してしまうのだからしょうがないんだ。
『あなた達と同級生だったら卒業まで毎日一緒にいられたのに』
そう言ってしまえば良いのに、言えないのは私がエリカに影響されたからだろうか。
素直になれない彼女のそんなところに。
なら、それもまた愛おしいところなのだ。
私がエリカのズルいところも好きなように。
なのでもう、この話は打ち切りだ。
決まった話に決まった答えしかないのだから。あれこれ論議するだけ時間の無駄だ。
693:
まほ「帰りましょう。みほたちが待ってる」
エリカ「……ええ。一緒に帰りましょう」
そう言って微笑みと共に扉を開けて私を促す。
それをみほにしてあげなさいよ……と思うものの、『一緒に帰ろう』と誘われたことに胸が弾んだのもまた事実なのでここはもう口をつぐむしかない。
私は黙って廊下に出る。
まほ「エリカ」
―――と思ったけどやっぱり一言だけ。
まほ「それでも、まだ一年ある。私は貴女たちとの思い出をたくさん作りたいわ」
たらればの話じゃない、ちゃんとした現実の話ならば未来を語っても鬼は笑わないだろう。
私はエリカと違ってズルい人じゃないから、言いたい事も伝えたい事も素直に伝えるんだ。
私の素直な言葉にエリカは一瞬驚くも、やがて夕日のように微笑む。
エリカ「……作れますよ。私も、そう思ってますから」
その言葉を聞けただけで満足してしまう。
笑いたければ笑えばいい。私はこの一年を高校生活最高の一年にして見せる。
全力で青春して、胸を張ってドイツに行こう。
戦車道だけじゃなく、それ以外も全力で楽しもう。
西住流の、家の未来のために生きてきた私はようやく10代らしい学生生活の仕方を理解できたのかもしれない。
お母様には怒られるかもしれないが、遅めの反抗期という事で納得してもらおう。
別に戦車道に手を抜くつもりは無いのだから。
むしろ今以上にやる気に満ちているのだから。
声が弾む。喜色が音色となって飛び出す。
まほ「……ふふっ、なら大会終わったら手始めに旅行でも行きましょうか」
エリカ「いきなりですね……」
夕日の差す廊下を並んで歩く。
時折笑い声が響く。
足取りはどこかゆっくりとしてて、一秒でも長くこの時間が続いてほしいという願いが込めらられて。
もう少しすればもう二人増えて笑い声はさらに大きくなるのだろう。
そうしたらきっと、また歩みは遅くなる。永遠にこの時間が続けばいいのにと。
まほ「みほがね、大洗ってとこに行ってみたいって」
エリカ「あ、それ私も聞きました。茨城ですよね?なんか、ボコ……ランド?パーク?ミュージアムだっけ?とにかくそんな感じの遊園地があって、行きたい行きたいって」
まほ「じゃあちょうどいいわね。でも、みほの趣味だけに付き合うのもあれだからほかにも何かないかしら」
エリカ「ああ、えっと確かあんこうが有名で――――――」
709:



今私がいるのは学園艦の端にある広場。
楽器の練習をしたり、歌を歌ったり、あるいはただベンチに座って水平線に沈む夕日を眺めたりと、
学園艦に住んでいる人たちにとって憩いの場の一つだ。
だけど、焼け付くような太陽は夕日に変わり、その夕日も水平線に沈み切って、街灯と大きな満月が学園艦を照らしている。
そしてここにいるのは私と、私を呼び出したエリカさんだけ。
『今から会える?』
携帯から聞こえたのはあまりにも簡潔なお誘い。
お風呂に入り、今日は早めに寝よっかななんて思ってた矢先の事である。
私は二つ返事で了承すると、エリカさんに指定された場所へと向かうためてくてくと家から歩き始めた。
その道中で『まず用件を聞くべきだった』という事に気づくもすでに歩き出してしまった以上、今更電話をかけなおすのもあれなので会ってから聞けば良いという結論に至った。
私より先に着いていたエリカさんはフェンスに寄りかかってじっと水平線の先を見つめていた。
その姿に見とれてしまうのはもう毎度のことで、だからといって慣れるわけでもないのでやっぱり一瞬息をのんでしまう。
みほ「エリカさん、お待たせ」
とはいえお互いいつまでもぼーっとしてるわけにはいかないので、とりあえず声を掛けてみると、エリカさんはゆっくりと振り向き苦笑する。
エリカ「急に呼び出したのはこっちなんだから待たされただなんて思わないわよ」
みほ「それで、どうしたの急に?明日は決勝なのに」
そう、明日は待ちに待った決勝戦。練習は早めに切り上げられ、各々明日の大舞台に備えているはず。
そんな事エリカさんだってわかっているだろうに、人通りの無くなった夜の広場に私たちはいる。
お姉ちゃんにバレたら小言を言われそうだ。
当然の疑問をぶつけられたエリカさんはしかし、もじもじと落ち着きなく体を揺らす。
エリカ「あー……あれよ、その、ね?」
みほ「……?」
歯切れの悪いエリカさんの様子に私はただただ首を傾げる事しかできない。
 
710:
エリカ「んーと……ちょっと話したかったのよ」
みほ「何それ?電話でもいいじゃん」
なにも決勝前夜に呼び出さなくてもいいのに。
そんな内心を読み取ったのかエリカさんはふんと鼻をならして嗜めるような表情をする。
エリカ「何でもかんでも文明の利器で解決しようとするんじゃないの。現代っ子なんだから」
みほ「同い年に言われたくないよ……」
エリカ「とにかく!いつも私が付き合ってあげてるんだからちょっとぐらい付き合いなさい」
みほ「しょうがないなぁ」
しぶしぶといった風に返すものの、元よりそのつもりだ。
というか、いきなり呼び出されてノコノコ来てしまった時点でさっさと帰るつもりなんて毛頭ない。
決勝前夜の貴重な時間が、エリカさんとのおしゃべりという、また違った貴重な時間に変わるだけなのだから。
エリカさんは「立ち話もなんだから」と、親指でベンチをさす。
私がベンチに座ると続けてエリカさんも腰を下ろす。私との間に一人分の隙間をあけて。
みほ「……」
エリカ「……なによ」
その距離がもどかしくて座ったままずりずりとにじり寄る。
エリカ「暑苦しいからやめてよ……」
本気目の苦言が来てしまった。
だけど、エリカさんはまた距離をとりはしない。
その様子に私とエリカさんの距離を実感できて、胸をなでおろす。
並んで座る私たちに、海風がそっと吹きかかる。
そのくすぐられるような心地よさを目を閉じてゆっくりと感じてみる。
それはエリカさんも同じだったのか、無言の時間がしばし流れる。
エリカ「思えばあなたともそれなりの付き合いになったわね」
ポツリと、独り言のような声。
エリカ「色々あったわ。あなたにムカついて、あなたをぶっ叩いて、あなたを無理やり引き連れてタンカスロンに参加して、めっちゃくちゃ怒られて」
みほ「それ全部中一の頃の事じゃん……」
思わず突っ込むとエリカさんは悪戯っぽく笑う。
711:
エリカ「ああ、そうね。ほかには……教科書忘れたあなたに私の見せてあげたりしたわね」
みほ「それも……毎年の事だねそれ」
ちゃんと翌日の準備はしているのだが、半年に一回くらいは教科書なり宿題なりを忘れてしまう。
……せめて年一といえない辺り、我ながらうっかりが過ぎると思う。
先ほどまで冗談めかして笑ってたエリカさんも呆れた顔でため息を吐く。
エリカ「ほんっとしっかりしなさいよねあなた……」
みほ「あはは……」
エリカ「なんていうか、ろくな思い出が無いわね」
ベンチに寄りかかってため息を吐くその姿に、私は焦ってしまう。
まさかの中一の思い出で黒森峰生活の総決算をされては流石に困る。
私は慌てて抗議をしようと彼女の肩をバンバン叩く。
みほ「え、ちょ。良い思い出だってあるでしょっ?ほら、中一の時以外にもさ!」
エリカ「どうだったかしら?」
みほ「もー……」
不満バリバリな私の表情にエリカさんは小さく笑う。
エリカ「……そうね、無くはなかったかも。例えば……赤星さんと友達になれた」
嬉しそうに、懐かしむようにエリカさんは語る。
エリカ「赤星さんがあなたのために立ち向かってこなければ一生交流なんて持たなかったでしょうね」
そんなことない。きっとエリカさんなら私抜きでも赤星さんと友達になれてたはず。
そう言おうと開いた口はそっと白くて長い指で止められる。
エリカさんは黙って聞きなさいと言いたげな表情をすると、言葉を続ける。
エリカ「別にあなただけが理由だなんていうつもりは無いわ。私が本気で向き合ったから赤星さんも私に向き合おうってしてくれたんだから」
みほ「……」
エリカ「あと、まほさんとも仲良くなれた。これも……まぁ、あなたのおかげっちゃおかげね」
712:
お姉ちゃんがエリカさんに関わろうとしたのは確かに私が理由なんだろう。
妹を心配していたから、その交友関係も心配したのかもしれない。
だけど、それでもお姉ちゃんがあんなにも笑ってる姿を見て、自分のおかげだなんて言えるわけがない。
私の気持ちはたぶんエリカさんも分かっているのだろう。だからだろうか、エリカさんは偉ぶって、おどけるように話す。
エリカ「まぁ?赤星さんともまほさんとも仲良くなれたのは私の人徳あってこそなんでしょうけどね?」
白い頬を紅潮させ笑う姿は照れ隠しにすらなってなく、、みているこっちまで照れ臭くなってしまう。
みほ「恥ずかしいなら言わなければいいのに……」
エリカ「……うるさい」
頬の赤みは暑さのせいだと言わんばかりにエリカさんはパタパタと手うちわで扇ぐ。
その微笑ましい様子にちょっと和んでしまう。
でも、やがて扇ぐのをやめて私を見ずに呟く。
エリカ「誕生日、みんなに祝ってもらえて嬉しかった」
頬の赤みはそのままで、小さな声でも確かに届くその言葉は、私たちのした事は確かに彼女にとって幸せな思い出となったのだという確信をもたらしてくれる。
だからそれ以上は聞かずに、一言。
みほ「……楽しい事いっぱいあったね」
きっと、言わなかった事以外にもたくさん。
それこそ語り切れないぐらい、楽しい事があったんだと思う。
エリカ「……そうねぇ、おかげさまで手紙の内容に困った事は無いわね」
みほ「エリカさんの家族もきっと喜んでるよ。『うちの娘にこんなに気立ての良い友達がいるなんて!』って」
以前聞いたことだがエリカさんは家族に手紙を送っているらしい。それも手書きで。
メールや電話じゃなくて、ちゃんと自分で筆をとることで、伝えたい思いを文章に出来るのだと。
そんなエリカさんの事なのだから、きっと手紙の内容なんてありすぎて困るぐらいなんだろう。
伝えたいことをたくさん書いて、家族はそれを読んで遠い海の上で娘が、妹が、楽しくやってることを知って喜ぶのだろう。
713:
エリカ「だから友達じゃないって言ってるでしょ……まぁ家族が喜んでるのは事実だけど」
みほ「でしょー?」
エリカ「はぁ……あ、もう一つあったわ」
みほ「え、何?」
エリカ「あなたと、真正面から戦ってこれたのはなんだかんだ良い思い出かもね」
みほ「……」
真正面から戦う。思えばそれが私とエリカさんの始まりだった。
手加減無しの本気での戦い。本気でぶつかるという事を私はエリカさんから教わった。
エリカ「あなたと戦うたびに強くなっていく自分を実感できた。だから、もっともっと努力しようって思えた」
みほ「貴女と戦うたびに忘れていた何かを思い出していった。だから、もっともっと貴女と戦いたいって思えた」
ぶつかるたびに強くなっていくエリカさんに焦りを覚えた事がある。
そんな気持ち久しく忘れていた。……いや、初めてだったかもしれない。
本気で挑んできて、負けても負けても諦めない人なんて初めてだったから。
私と彼女の距離が0になり、置いていかれる事を恐れた事がある。
私にとって、エリカさんと向き合えるものはそれぐらいしかなかったから。
でも違った。たとえいつか追い抜かれる日が来たとしても、私が歩みを止めなければ、その背中を追い続ければ、彼女はいつだって私と真正面から向き合ってくれる。
ああ、だから、だから。
私は、
みほ「……エリカさん、私戦車道が好きだよ。貴女と戦うたびに、その気持ちがどんどん大きくなっていくの」
エリカ「なら、これからもたくさん戦いましょう?私はまだまだあなたを倒したいわ」
みほ「……いいよ。私の方が強いって教え続けてあげる」
エリカ「あら、言うようになったじゃない」
みほ「誰かさんのせいでね?」
714:
私の言葉にエリカさんはこらえきれずに吹き出す。
つられて私も声を上げて笑う。
こんな風に笑い合うのは初めてで、私は、エリカさんとこんな風に笑い合えるぐらい近くにいるんだと実感できて、余計に嬉しくて笑ってしまう。
だんだんと笑い声は小さくなっていき、そして静寂が訪れる。
その静かな時間が心地よく感じて、風を感じようと上を向いてみると大きな満月が目に入った。
みほ「……エリカさん」
エリカ「何?」
みほ「……月が綺麗だね」
まばゆいまでの輝きは、けれどもベールのように私を包み込んで優しく、柔らかく感じる。
エリカ「もう、あなたまた……まぁいいわ」
何か言おうとしたエリカさんはけれども二の句を止め、代わりに立ち上がって月を見上げる。
いつだって強く真っ直ぐに前を見つめている碧い輝きを持った瞳は、けれども輝く月とは対象的にどこか寂しそうで、悲しそうに見えた。
みほ「エリカさん?」
エリカ「……私、昔は月って好きじゃなかったわ。太陽の、誰かの力を借りないと輝くこともできない弱い存在に思えて」
『私、月って嫌いなの』
初めて会った頃、エリカさんが月明かりの下でそう呟いた事を思い出す。
あんなにも美しい月を嫌いだと、寂しそうな目でいうのが不思議で、そしてその理由を尋ねた私にこう言った。
『いつか、話すかもね』と。
みほ「……今は違うの?」
その『いつか』が『今』だと感じた。
715:
エリカ「……私たちは太陽があるから生きていられる。熱を、光をもらって。だけど、それは時に命を奪うこともあるわ。
 誰も太陽に近づけないし、直接見ることはできない」
みほ「……そうだね」
エリカ「でもね、月は違う。太陽の見えない夜でも、太陽の光を私たちに届けてくれる。その光は、私たちに熱をくれないけれど、この世のどんな宝石よりも美しい光だと思うわ」
エリカさんは月を掴もうとするかのように空に手を伸ばす。
煌々と、どこか揺らめくように降り注ぐ光はエリカさんの手をすり抜けて地面に彼女の影(シルエット)を映し出している。
二度三度、零れ落ちる光を掴みとめようと指を動かし、やがて諦めたように手を落とす。
エリカさんは何もない手のひらをじっと見つめ、なのに嬉しそうに笑う。
エリカ「それに気づいたから、私は月が好きになった。誰かの力を借りたものだとしても、自分だけの輝きを持ってる。とても、素敵だと思わない?」
みほ「……うん」
月の美しさ。私はそれを貴女から教わったんだよ。
月明かりの下で微笑むエリカさんの姿が今でも心に残っている。
月光によって焼き付けられたその情景は私の価値観を変えてしまうほどの輝きを放っていて、
そう、ただただ素敵だった。
今のエリカさんのように、私の瞳を釘付けにした。
美しい記憶と美しい現実に心がいっぱいになる。
エリカ「みほ。あなたは誰かに阿って自分を変えられるほど器用じゃないわ」
みほ「え?」
エリカ「あなた、自分が思っている以上に頑固で不器用なんだから。自信をもってあなたのやりたいようにやりなさい。副隊長さん?」
その声は軽く、からかっているようにも聞こえた。
私のやりたいように。副隊長としての私にそう言った意味を考える。
西住流は『型』を大事にする。一糸乱れぬ規律と隊列こそ黒森峰が、ひいては西住流が強い理由なのだ。
そして戦車道は心を鍛える武道なのだから、在り様もまたそれに足るものであるべきだから。
自分を厳しく律する。西住流の娘ならなおさらだ。
それを間違ってるだなんていうつもりは無い。きっと正しいのだろう。
ただ、時折思ってしまう。もっと、自由に戦車に乗りたいと。
……いや、ちょっと違う。
今でも戦車に乗ることは楽しい。戦車道も、楽しい。
そう思えるようになった事自体、かつての自分を思うと信じられない事なのに。
乱れぬ隊列に美しさ。セオリーに則った作戦で正面から戦う事の楽しさ。
それらは確かに私の中にあるものだ。
でも、ふとした瞬間思ってしまう。伝統やセオリ―じゃない私の、私だけのやり方をやってみたい。と。
もちろんそんな考えすぐに振り払って目の前の事に集中する。
……そんな事を何度も繰り返してきた。
エリカさんは私のそんな迷いを知ってたのかもしれない。
716:
みほ「……だけど、みんながそれを許してくれるかな」
わかっている。こんなのただの杞憂なのだと。
隊員はみんな良い人達で、ちゃんと話せばわかってくれる。
そんな事私だってわかっているのに。
伝統やセオリーを大切に思っているエリカさんがそう言ってくれるのなら、わかってくれるのなら。
私は何も恐れる事なんてないはずなのに。
道からはみ出す事の恐怖もまた、確かに私の中にあるのだ。
『みんながそれを許してくれるかな』
自分が怖いだけなのに他者に責任転嫁する言葉もまた、かつての私の常套句だった。
エリカ「なら、やりたいことがあったら私に言いなさい。あなた、説明するのあんまり得意じゃないんだからそういうのは私がやるわよ」
みほ「エリカさんに迷惑だよ……」
何を難しく考えているのよ、というような軽い声にも、やっぱり落ち込んだ声で返してしまう。
いつものエリカさんならそれにトゲトゲしく注意をするのに、彼女は笑って、慈しむような声を私にかけてくる、
エリカ「言ったでしょ?私は月が好きって。私ひとりじゃダメでも、誰かと一緒なら私も輝けるのよ」
みほ「なら、エリカさんの太陽って……」
私の問いかけにエリカさんは黙ってあごに手を当てる。
その姿は口を閉ざしているようにも、言うべき言葉を選んでいるようにも見えた。
やがて、答えは決まったようでエリカさんはゆっくりと口を開く。
エリカ「……内緒よ」
みほ「そんなぁ!?はっきり言ってください!!」
717:
あれだけ期待を持たせておきながらやっぱ内緒♪だなんてそんなの通用すると思っているのか。
私がなんとかその口を開かせようと詰め寄ると、ビシッっと額にデコピンが飛んでくる。
エリカ「ダメよ。聞きたかったらあなたが隊長になってみなさい」
みほ「お姉ちゃんがいるからまだまだ先だよ……」
エリカ「……どうかしら。案外早くその時はくるかもよ?」
みほ「エリカさん……?」
その言葉の意味をたずねようとする前に、エリカさんは広場から離れようと歩き出す。
私は、その背中に声を掛ける。
みほ「エリカさん」
エリカ「……そろそろ帰りましょうか。あんまり夜更かしするものじゃないわ」
みほ「え?ていうか、呼び出したのエリカさんじゃん……」
エリカ「そうだったかしら?まぁ、結局ここまで付き合ったんだから同罪よ」
なんとも無理やりな共犯認定に、私は呆れてため息しかでなくなってしまう。
みほ「はぁ……」
エリカ「それじゃ、また明日ね。お休み」
みほ「……エリカさんっ!!」
そんな私を置いてさっさと帰ろうとするエリカさんを大声で引き留める。
道に向かっていた足がピタッと止まり、けれどもエリカさんはこちらを向かない。
関係ない。言いたい事があるんだからちゃんと言ってやる。
ああそうだ。それを教えてくれたのが貴女なんだから。
718:
みほ「私は、誰かの期待を背負えるような人間じゃないって思ってた」
エリカさんは、振り向かない。
みほ「期待されて、それに応えられずに失望されるのが怖くて仕方なかった」
銀髪が風に揺らいで、光の粒子をまき散らす。
みほ「なのに期待するのも怖くて、だからホントは一人でいる方が安心してて、そのくせ周りはわかってくれないだなんて思ってて……
 自分勝手で、ワガママで、卑怯だった」
かつての私は、酷く、醜い存在だった。
誰かの優しさに縋ろうとするばかりで誰かには優しくするフリしかしてなかった。
みほ「でもね、貴女は私に怒ってくれた。私の事なんか知らないくせに、知らないから怒ってくれた」
エリカ「……言ったでしょ?あなたの事が嫌いで、ムカついたから引っぱたいて好き勝手言っただけよ」
振り向かないまま、エリカさんは話す。
そんな事が嬉しくて、声がはずんでしまう。
みほ「知ってるよ。でも、それをどう思うかは私の勝手」
だから、私も好き勝手言おうと思う。
勝手な好意を、勝手な感謝を、言葉にしようと思う。
貴女の勝手に私が勝手に救われたように。
719:
みほ「エリカさん、貴女の期待はいつだって私の背中を押してくれた。貴女の否定がいつだって先走る私を繋ぎとめてくれた」
ああ、ああ、ああ、言葉が足りない。
伝えたい思いが溢れているのに、伝えるための言葉を私は持ち合わせていない。
もっと本でも読んでおけば良かった。
それでも、今ある私の言葉をいっぱいに集めて、纏めて。
みほ「エリカさん―――――ありがとう。私は、貴女と出会えてよかったです」
エリカさんが、そっと振り向く。
暗い夜でも、彼女の碧い瞳は、銀髪はどんな時でも美しく輝いている。
その輝きが私にもう一回分の勇気をくれる。
その魔法が解けないうちに、大きく息を吸って、目を逸らしたくなるほど真っすぐで、吸い込まれそうなほど深い瞳をちゃんと見つめて。
みほ「貴女は、私の友達です。貴女がどう思っていようとも、その気持は絶対に変わりません」
きっとこれから先どれだけ時が経とうとも、私の想いは変わらない。
たとえこれから先100万回否定されたって、貴女という友達がいた事を疑わない。
たとえ、貴女に否定されたとしても。
逸見エリカは私の友達なんだって、大声で言ってやる。
エリカさんの瞳を、睨みつけるぐらい強く見つめる。
やがて、エリカさんは観念したかのように肩を落とす。
エリカ「……なんであなたはそんな恥ずかしい事を堂々と言えるのよ」
みほ「……だって、エリカさんは馬鹿にしないでしょ?」
4年ぐらいの付き合いだけど、それぐらいはわかっている。
勇気と無謀ははき違えないのが私の良いところだ。
720:
エリカ「はぁ……尊敬するわ。あなたのそういうところ」
みほ「……褒めてる?」
エリカ「褒めてるわよ。……本当に」
みほ「そっか。なら、嬉しいよ」
私の言葉にエリカさんはもはや返す言葉も無いようで、呆れたように笑う。
エリカ「……今日は私の負けね」
みほ「え?」
エリカ「帰る」
今度こそ私が引き留める間もなくスタスタと歩き去って行く。
そしてその背中が少し小さくなったところでエリカさんはもう一度こちらを振り向く、
エリカ「あー……みほっ!!」
先ほどの私に負けないぐらいの大声。
エリカ「明日、試合終わったらみんなでご飯食べに行きましょう!!」
みほ「……うん!祝勝会だね!!」
エリカ「だったら、さっさと帰って寝なさい!!……また明日」
みほ「……うん、また明日」
私の返事に満足そうにうなずくと今度こそエリカさんは去って行った。
721:
一人広場に残った私は、そっと月を眺める。
煌めく満月に向かっていつかの約束を思い返す。
『本気には本気でぶつかる事』
『厚意には感謝で返すこと』
『しっかりと前を向く事』
その約束を彼女は覚えているだろうか。
もしかしたらもう忘れてるかもしれない。
4年も前の事なのだから、律義に覚えている私の方が変なのだろう。
でも、その約束が私をいつだって支えてくれた。
誰かの本気に本気で応える時
誰かの優しさに感謝で返せた時
前を向いて歩いてる時
貴女の笑顔を思い出す。
貴女が私を見ていてくれると思ってしまう。
だから、これからもその約束を守って行こう。
いつか、約束なんて忘れるぐらい当たり前になれるように。
今ここにいない彼女の代わりに、月に向かってそう誓った。
734:



晴天快晴夏の空。……とはいかず、少し曇り気味な決勝の会場。
隊長副隊長及び各車長への作戦の確認を済ませたものの、
試合開始まではまだ時間があるため選手達は各々試合に向けて自身の精神を整えている。
私もその例に違わず、少しでも不安要素を無くそうと前日も確認した天気予報を手元の携帯で確認していた。
みほ「……曇り時々晴。大丈夫かな」
小梅「さっきから何度も見てますけど、そう短時間に天気予報は変わらないと思いますよ」
隣に立つ赤星さんからどこか抑揚のない声がかけられる。
みほ「あはは、そうなんだけどね。やっぱり、心配になっちゃって」
小梅「大丈夫ですよ。隊長とみほさんが考えた作戦なんですから。私たちがちゃんとしていれば大丈夫なはずです」
みほ「……うん、そうだね」
車庫に納められている戦車たちは試合開始の時を今か今かと待ちわびてるように見える。
私もまた、赤星さんと共に、車庫の前で待ち人を待ちわびていた。
決勝の会場と言うだけあってか、たくさんの出店などがでていて観客の人たちの楽しそうな声が辺りに響いて賑やかな空気を肌で感じる。
私たちもなにか見てこようかなと思ったものの、流石に試合前に副隊長が遊んでるのは士気にかかわるのではと思いぐっとこらえた。
とはいえ既に準備は終え、やる事といえば先ほどからパカパカと携帯を開いては天気予報のページを見るか、何度も何度も見返した作戦の手順をまた見返すぐらいで、
なら赤星さんとおしゃべりでもと思うものの、どうも先ほどから言葉少なめでそれにつられて私の口も重くなってしまう。
無言の時間がしばし流れ、いい加減何事か話そうかと口を開くと、
エリカ「雁首揃えて呑気してるわねぇ」
いつの間にか車庫の前に来ていた待ち人が呆れたような声をかけてきた。
みほ「あ、エリカさん遅いよどこ行ってたの」
エリカ「飲み物買いに行く言ったでしょ……」
小梅「それにしては随分時間かかりましたね」
エリカ「ああ、ちょっと人と話しててね」
みほ「誰か知り合いでもいたの?」
私の質問に『それ聞いちゃう?聞かれたなら仕方がないなー教えてあげる♪』といったどうもイラっとする笑顔を見せると、揚揚と語りだす。
エリカ「私のファン♪」
みほ「今日ってそんなに気温高くないよね?むしろ山地だから結構涼しいのに……」
エリカ「しばき倒すわよ?いやほんとにファンだって子がいたのよ」
巨大な電子レンジにでも迷い込んで加熱されたのかと一瞬心配するものの、どうやらエリカさんは嘘や見得を張っているわけではないようだ。
735:
小梅「……嘘じゃなさそうですね」
エリカ「嘘だったらあんまりにも哀しい嘘でしょ……」
まぁ、エリカさんが自分を大きく見せるような嘘をつく人じゃ無いのは知っている。
それにいざファンがいたと言われれば思い至る節も無くはない。
少なくとも私の周りにそういった子が多数いるのはエリカさん以外には周知の事実だ。
エリカ「たぶん、小学生ぐらいだったかしら」
みほ「エリカさん良くも悪くも中等部の時から目立ってたし、そういう子がいてもおかしくないかも」
エリカ「悪くも、ってのが気になるけどまぁ、目立ってたのは事実かもね……実際不本意な時もあったし」
小梅「でも黒森峰の戦車道チームってそれだけで注目を集めますから。そう、きっとその子も黒森峰に入学したいとかそういうので試合を見てたのかもしれませんね」
自慢じゃないが黒森峰は日本一戦車道に力を入れている高校だ。
マイナースポーツとは言えその道を目指す人間にとっては決して無視できない学校だ。
ただでさえエリカさんは目立つ見た目をしているのだし、試合を見に来た人が憧れてしまうというのもおかしくないと思う。
なのでここは一つ素直に称えようと思う。
みほ「そっか、すごいね!エリカさんのファン第2号だよ!!」
エリカ「1号は誰よ……」
小梅「いや、その子は32号ですね」
エリカ「増えた」
ああ、そんなに増えてたんだ。
1号の栄えある座以外は興味ないから知らなかった。……なんてね。
多分隠れファンも含めればもっといると思うけど。
私が優越感にニヤついていると、エリカさんが何とも座りが悪いといった表情でこちらを見つめているのに気づく。
「どうしたの?」と首を傾げると、エリカさんは二度三度視線を揺らすと、
エリカ「……あー。その子ね、みほのファンだとも言ってたわよ」
みほ「え?」
素っ頓狂な言葉に気の抜けた声が出てしまう。
エリカ「あれよ、中一の時のタンカスロン。あれ見てたんだって」
みほ「うっわぁ……」
否定や困惑の前にただただ信じたくないといった感情が口から飛び出す。
エリカ「私もおんなじ反応しちゃったわよ……ホント、勘弁してよね……」
みほ「同感だよ……」
いやだって、その話が本当なら私たちの悪名、悪行はもうとんでもない範囲にまで広がっているかもしれないのだから。
これはもう、隠すのを諦めてお母さんの耳に入る前に自分から白状して少しでも傷を浅くするべきかもしれない。
お姉ちゃんにも弁護してもらえればもしかしたらお小遣いの減額程度で済むかも……
そんな風に自己保身のための脳内会議を繰り広げていると、ふとエリカさん視線が私の胸元に向けられていることに気づく。
やだエッチ。なんて一瞬思うも、よく見るとその視線は胸ポケット。正確にはそこから出ているボコの携帯ストラップに向けられていた。
736:
みほ「どうしたの?ボコストラップ欲しいの?同じのがあと5個あるからあげるよ?」
エリカ「いらないわよ……そういえばあの子、あなたの好きなクマさんのストラップしてたなって」
みほ「え?ボコの?」
嘘、嘘、まさかこんなところでボコリアン(ボコが好きな人)とニアミスするだなんて。
エリカ「ええ。あんな変なクマさん見間違えること無いと思うけど……」
みほ「変じゃない!!」
エリカ「そんな力強く。……まぁ、世の中そういう奇特な人がいてもおかしくないわよね」
みほ「奇特じゃないよ!!」
エリカ「めげないわねぇ……」
呆れ半分感嘆半分といったエリカさんに私はいかにボコが可愛らしく素晴らしいキャラクターなのかを力説しようと踏み出すも、
眼前に差し出された手のひらに圧しとどめられてしまう。
エリカさんの瞳はすでに私を見ておらず、隣にいる赤星さんに向けられていた。
エリカ「それで?あなたはどうしたのよ」
小梅「え、わ、私ですか?」
突然の問いかけに赤星さんはびくりと肩を震わせた。
エリカ「さっきからソワソワというか、妙に挙動不審なのよね。あなたも気づいてたでしょ?」
同意を求められ、私も頷く。
みほ「うん、なんか落ち着きないなというか、どこか上の空って感じで」
先ほどから赤星さんの様子がおかしいという事には気づいていた。
理由を聞こうかと何度か考えたものの、正直私の話術では下手に触れても余計に動揺させてしまうかもしれないと思い、エリカさんの帰還を待ちわびていたというわけだ。
私の同意に確信を得たように頷くと、エリカさんは赤星さんに詰め寄る。
エリカ「ほら、問答するのめんどくさいからさっさと言いなさい」
小梅「えっと、ホントに、ホントに何でもないです。気にしないでください」
「さっさと吐いた方が楽になるわよ」と取り調べのような尋問に、赤星さんはジェスチャー交じりに潔白を主張する。
もちろんそんな事で納得するわけがなく、エリカさんは呆れたようにため息をつく。
エリカ「……はぁ、言っとくけどね赤星さん。付き合いばっか長いこの子と違って、私は、あなたの事はちゃんと知ろうとしてきたつもりよ」
小梅「……」
真っ直ぐな視線に赤星さんは何も言えなくなる。その様子にエリカさんは微笑むと、柔らかく、受け入れるように問いかける。
エリカ「言ってごらんなさい。……友達でしょ?」
殺し文句。
そう言われて拒否できるような関係だったらそもそも友達になんてなってないないだろうに。
人の気持ちを無視する癖にここぞというタイミングでその気持ちをいい様にするのはやっぱりズルいと思う。
そんな風に思えるのは私が言われたわけじゃないからなのだろうけど。
きっと、私が同じように言われたら拒否するなんて発想でなかっただろうから。
赤星さんはたどたどしく唇を動かす。
737:
小梅「エリカさん……その、私、緊張、してて……」
エリカ「……まぁそんな事だろうと思ってたわ」
小梅「心配かけたくないとか、そういうのじゃなくて……言葉にしたら余計に緊張しちゃいそうで……」
わからなくもない。言葉にしたら、意識してしまう。緊張が、不安が、体に響いてしまう。
ならばいっそぐっとこらえて抱え込む。
そういうやり方も間違ってはいないのだと思う。
小梅「皆さんは凄いですね、こんな緊張する場所に何度も立ってきて……どうしてたんですか?」
エリカ「……私の場合無理やり体を動かしてたわね。緊張なんてどうしようもできないんだから。必死に体と頭を動かして余計な事を追い出すしかない」
凛と、よどみなく言い放つその姿にエリカさんの在り様が見て取れる。
考えても仕方ない事は考えないようにするしかない。
わかりやすい解決策だ。というよりは次善策というべきか。
みほ「エリカさんは根性論が合ってるね……」
エリカ「実際私から言えるのはそのぐらいよ」
みほ「……でも、それはエリカさんが強いからだと思う」
エリカ「……」
嫌味じみた否定に、エリカさんが不満げに眉を顰める。
私はエリカさんの言葉は間違っていないと思う。
だからって、それが誰にでも通用するわけじゃない。
ましてや赤星さんはエリカさんではないのだから。
私たちの間に不穏な空気が流れる。
それは赤星さんも気づいたようで慌てて間に入ってくる。
小梅「あの、大丈夫ですから。エリカさんの言う通り、試合になればきっと勝手に体が動いてくれますよ」
みほ「……私は、そうは思わないな」
ああそうだ。私は、私だって赤星さんと3年以上の付き合いなのだ。
良いところ、悪いところを知っている。
その上で言わせてもらうなら……赤星さんに必要なのは根性とかじゃないと思う。
みほ「緊張したり、焦ったりしてるとね。間違った選択肢が正しく見えちゃうんだよ」
正しいと思った行動が後から見れば間違いだった。
結果論と言ってしまえばそれまでだが、それで納得できるのは周りの人間だけで、間違えた本人はひどく悔やむことになってしまう。
特に赤星さんは。……私と同じで。
みほ「緊張していても何とか出来るようになるのは慣れしかないと思う。初めて試合に出る赤星さんには難しいと思う」
738:
中等部とは規模も人数も重圧も違う。
そんな中で緊張したまま実力を発揮しろだなんてのは無理な話だ。
もっと言うなら試合で全力を発揮するなんてことは出来る方がおかしいのだから。
その時のコンディションは、メンタルは、如実にその試合に現れる。
緊張なんて無視して出来る事をやれなんてのは『出来る人』の言い分で、『出来ない人』には出来ないなりのやり方がある。
だから、エリカさんのやり方は赤星さんの問題解決には相応しくない。
……ただ、これじゃあ私はただケチをつけただけだ。
エリカさんだって赤星さんの事を思ってのアドバイスだったのに、それを否定しただけで終わっては何の意味もない。
私はちゃんと、代替案を提示しなくてはいけないのだ。
心の中で二度三度頭を捻り、一つ思い付く。
みほ「……赤星さん、カメラ持ってきてる?」
小梅「え?あ、はい。ロッカーに置いてありますけど……」
みほ「じゃあ持ってきて。時間はまだあるから慌てなくていいよ」
小梅「あ、は、はい」
トテトテと早歩き気味にロッカーに向かう赤星さんを見送る。
エリカ「カメラ持ってこさせて何するつもり?」
みほ「記念写真。みんなで撮ろう?」
エリカ「……はぁー?なに気の抜けた事言ってるのよ。今大会がどんだけ大事なものなのかわかってないの?」
みほ「大事な大会なのに緊張して力が出し切れなかったら私たちも困るでしょ?」
エリカ「それは……」
エリカさんは私の反論に言葉が詰まり、やがて諦めたように手のひらを上に向けて差し出す。
とりあえず説明を聞く気になってくれたようだ。
みほ「赤星さんは大会出るの初めてで、その上色々かかった決勝なんだよ。だから緊張するのは仕方がない。でも、いつもやってる事をすれば、ちょっとは落ち着いてくれるかなって」
エリカ「……」
私たちが何かするたびに赤星さんはカメラを向けていた。
『思い出は、記憶の中だけじゃなくてちゃんと形にしておくべきなんですよ』とは彼女の言葉だ。
オクトーバーフェスト、休日に遊びに行った時、何気ない練習風景、誕生日パーティー。
文字通り日常を切り取った写真は見るたびにその時の話題で話が弾む。
なら、今この瞬間も切り取ってしまえば日常に過ぎない。
どれだけ緊張してたって、いつもの様に写真を撮れば、そこに日常を思い出す。
ちょっと手間はかかるがプリショットルーティーンみたいなものだろう。
もっとも、効果があるかないかは赤星さん次第だが。
みほ「赤星さんはちゃんと努力してきたよ。知ってるでしょ?」
エリカ「……ええ。良く知ってるわ」
深く頷く。ああそうだ。私も、エリカさんも。赤星さんが努力してここまで来たことを知っている。
私やエリカさんが、時には両方が彼女の自主練に付き合ってその成長を見てきたのだから。
彼女が決勝のメンバーに選ばれたのは決して運や偶然じゃなくて、純然たる実力なのだから。
739:
みほ「だから、みんなで笑顔で写真でも撮ればいつも通りを思い出せるかなって。少しでも赤星さんが全力を出せるように」
彼女が、終わった後に後悔することがないように。私は私にできる最善を提示したつもりだ。
なんならカメラを取りに行って帰ってくるまでの間に頭が冷えるかもしれない。そうなったら儲けものってところだろうか。
とはいえ結局のところ赤星さん任せには違いはなく、エリカさんの意見の方が緊張をどうしようもないと割り切る分、覚悟を決められたかもしれない。
ただ、それでも私は私のやり方の方が赤星さんに効くと思ったのだ。
主観的すぎる意見。エリカさんにとっては受け入れがたいものかもしれない。
じっと、だまってこちらを見つめるその視線に後ずさりしないようぐっと堪えるとその口元が緩み、弧を描く。
エリカ「……ちゃんと考えてるのね」
みほ「……うん。友達だってだけじゃなくて、仲間だから」
エリカ「そう。なら……まぁ良いわよ。写真の一枚くらい。装填手に砲弾落とされたらたまったものじゃないもの」
エリカさんの許可が出た事にぐっと拳を握りしめていると、後ろから声をかけられる。
まほ「なるほど、みほもちゃんと人を見られるようになったんだな」
エリカ「た、隊長!?」
声の主はいつの間にか私たちの後ろにいたお姉ちゃんだった。
まほ「お前たちが緊張でもしてないか見に来てみれば、なんだかおもしろそうな事を話していたからな。聞き耳を立てさせてもらった」
みほ「別に普通に聞いてても良いのに……」
むしろお姉ちゃんに意見を求めたほうがより良い解決策が見つかったかもしれないのに。
まほ「私抜きで話してるのが大事なんだ」
エリカ「あの、大丈夫ですか……?」
まほ「何がだ?」
エリカ「いや、大事な時に呑気に記念写真とか……」
恐る恐ると言った問いかけ。お姉ちゃんはそれに何を今さらといった風に返す。
まほ「お前も撮ろうって肯定してただろ。いまさらどうした」
エリカ「いや、さすがに隊長の前で堂々とそういう事するつもりなかったんで……」
まほ「気にするな。別にまだ時間はあるんだ、写真の一枚や二枚問題ないだろ」
エリカ「そ、そう言ってもらえるなら……」
エリカさんはとりあえず隊長からの許可をもらえたことに安堵のため息を漏らす。
740:
みほ「エリカさんは気にしぃだね」
エリカ「あなたが無神経すぎるのよ……」
エリカさんは私たちに対しては強気で嫌味っぽいのに、お姉ちゃんにはどうも恭しいというかへりくだった感じで対応する。
憧れの人という本人談を思えば当然なのかもしれないがそれにしたって格差がありすぎじゃないか。
その憧れの人の妹である私にももうちょっと辺りを柔らかくしても良いんじゃないか。などと思っていると、お姉ちゃんが思いついたように小さく挙手をする。
まほ「あ、せっかくだから私も交じっていいか?」
エリカ「え?」
みほ「お姉ちゃんも記念写真一緒に撮りたいの?」
意外。こういうのあんまりやりたがるイメージ無いのに。
妹の私がそう思うぐらいなのだから当然エリカさんも驚きを隠せてない様子だ。
まほ「今日という日が大事な日だと思っているからな。ちょっとぐらい良いだろ」
エリカ「は、はぁ……」
まほ「……ダメ?」
小首をかしげ、エリカさんを見つめる。
驚愕の光景に私は声を出すことが出来ない。
いや、嘘……お姉ちゃんがあんなぶりっ子って……
エリカ「い、いえ!?良いですよ!!私も、一緒に撮りたいです!!」
再びの驚愕はもちろんエリカさんも同じようで、けれども問いかけられた本人であるため両手をパタパタと振って許可の意を示す。
まほ「じゃあ決まりね」
みほ「……なんか強引」
どことなく得意げに鼻を鳴らすお姉ちゃんに、不満というか納得できないものを覚えるものの、ちいさく表現するにとどめる。
まほ「いいだろ別に」
耳ざといお姉ちゃんはそれに唇を尖らせる。これもまた妹である私からしても驚きの事態で、エリカさんもまた―――
小梅「みほさん、持ってきました」
3度目の衝撃は赤星さんのインターセプトで止められた。
いつの間にかお姉ちゃんも加わっている様子に疑問を感じているようで、その視線は私とエリカさんとお姉ちゃんを繰り返し見つめている。
まぁ、準備が出来たのならさっさとやってしまおう。
私は戸惑う赤星さんに笑顔を向ける。
みほ「ありがと。それじゃあ、記念写真撮ろっか」
小梅「……え?」
741:



「逸見ーもっとかたまれー何恥ずかしがってるんだー」
みほ「エリカさん、ほらもっと近づいて」
エリカ「はいはい……」
小梅「あの、こんな事してて良いんですか……?」
恐る恐るといった赤星さんの質問。
まぁいきなりカメラ取ってこいからの隊長を交えた記念写真だよ!となればそう思うのも仕方はない。
私たちはたまたま近くを歩いていた活発そうな先輩にシャッターを頼み、曇り気味の空と山々を背景に並んでいる。
出来る事なら快晴だと良かったが、無い物ねだりをしてもしょうがない。
大事なのは被写体であって背景ではないのだから。
エリカ「普段パシャパシャ許可なく撮ってるくせに今さら遠慮するんじゃないの」
小梅「そんな人をパパラッチみたいに……」
まほ「ほら、ちゃんとカメラ見ろ。笑え」
小梅「あ、はい」
みほ「お姉ちゃんこそ笑顔できるの?」
まほ「舐めるなよ。これでも最近は表情筋がついてきたんだ。笑顔の一つや二つ、難なくこなせるさ」
みほ「逆に今まで出来てなかったのが凄いよ……」
呆れと驚きにため息が出てしまい、お姉ちゃんはムッとする。
まほ「というか、エリカの方が固いじゃないか」
エリカ「だ、だって隊長と写真だなんて……」
「ほら、逸見笑えー固いぞー」
先輩からの指示にびくりと肩を震わせ、わたわたとするエリカさんは中々お目にかかれないものだ。
それだけお姉ちゃんとの写真が嬉しいのだろうけど。
なのでちょっとからかってみたくなる。
みほ「言われてるよエリカさん。写真、苦手だっけ?」
エリカ「嫌味な事言うんじゃないわよ……うぅ、だ、大丈夫よ」
みほ「……エリカさん、赤星さん、お姉ちゃん」
呟くような言葉はしかしちゃんと3人に届いたようで、その瞳がこちらを向く。
それを確認した私は、
みほ「――――頑張ろうっ!!」
全力で気合を入れる。
742:
まほ「……ああっ」
揺るぎないお姉ちゃんの口元に笑みが浮かぶ。
小梅「……はい!私、やって見せます!!」
覚悟を決めた赤星さんの顔が満面の笑みを称える。
エリカ「……当然よ。私たちは、この日のために努力してきたんだから。……頑張りましょう」
輝く銀髪と透き通るような碧い瞳に、月と太陽のように煌めくその姿に、確かな決意と微笑みが共鳴する。
みほ「……うんっ!!」
三者三様の笑顔に確信をもって、私もまた全力で笑い返す。
ニヤニヤとこちらを見ていた先輩は、笑顔で揃った私たちを見て同じように笑顔になると、ファインダーをのぞき込み、
「よっしゃ、いくぞー。はい、チーズ!!」
743:
デジカメの表示画面に写る私たちはきっと、何も怖くなかったのだろう。
楽しくて、楽しみで、友達と、仲間と。共に戦えることを喜んでいたのだろう。
待ち受ける未来になんの不安もなく、前に進めると信じていたのだろう。
それは直視できないほど眩い記憶で、日常で――――永遠だった。
宝石のようなその日々は、私にとってかけがえのないものだった。
積み重ねた日々が、これから続く未来が、前途を照らしてくれるのだと疑わなかった。
故に、時は止まらず――――決勝の合図が、空に響いた。
756:



みほ「……」
薄暗い戦車の中、重苦しい空気が漂っている。
決勝の火ぶたはとっくに切って落とされ、試合開始からすでに2時間近くが経っていた。
状況はあまりよくない。使う予定だった大通りはすでに封鎖されており、中途半端な突撃では無駄死にするのがオチだ。
伏兵が潜んでいるのは間違いない現状、火力機動力防御力に優れたプラウダに対して正面突破は流石に分が悪い。
まほ『釣られた。というわけか』
無線から聞こえる隊長の呟き。恐らく敢えてのものだろう。私の意見を求めているということか。
みほ「……そう思う」
自軍を前に出してこちらとの正面対決と見せかけ、機を見て後退。それを追ってきた相手を包囲する策。
字面だけ見れば単純だかもちろんそんな簡単な事なら私たちが、いや、隊長が追いつめられるわけがない。
プラウダは本気でこちらに攻撃を仕掛けてきて、その上で絶妙なタイミングで退く事でこちらを釣り上げた。
相手の指揮官はかなり優秀らしい。正直お姉ちゃん以外が隊長だったらすでに包囲され殲滅されてただろう。
その策にいち早く気付けたからこそ、いまの膠着状態に落ち着いているのだ。
向こうもこちらを見失っている。
恐らく今は大通りを固めつつ少数で索敵をしているのだろう。
このままではジリ貧。頭の中で何度も考えていた策が、今こそ役に立つかもしれない。
私は覚悟を決め、無線を送る。
みほ「隊長」
まほ『なんだ?』
みほ「隊を二分して川沿いの崖を通って相手の裏手に回り込みましょう」
まほ『崖?確かにあるが……』
その声色は疑問を呈している。
当然だろう、道と言えるものはあるものの、崖という呼称に相応しく戦車一輌通るのがやっとな細さなのだから。
出来る事なら私もこの手は使いたくなかった。しかし、今は一分一秒が惜しい。
みほ「実はね、ちょっと使えるかもって調べておいたんだ。戦車数両程度なら問題なく通れるはずだよ」
多少の懸念はあるものの、別の試合で同じ道を使った例もあり少なくとも私たちの戦車で通る分には大丈夫だと判断した。
みほ「隊長が指揮する部隊は正面に出て敵を抑えてて。別動隊は私が指揮して後ろに回り込む」
まほ『だが……フラッグ車が前に出るのはあまり賛成できないな』
それもまた当然だろう。正面の敵を抑えてもらうという事は必然的に私が率いる部隊は少数になる。
それで隠れているのならともかく、敵の後ろをかくために前に出るのだ。
だが、それでも。
みほ「プラウダに押されている現状、1輌でも戦力は無駄にできない。私が考えた策である以上、私が別動隊の指揮をする方が確実です。
 隊長、ここは勝負にでましょう」
まほ『しかし、わざわざフラッグ車を危険にさらすような真似は……それならば重戦車を盾に中央突破の方が安全だと思うが』
757:
半ば博打のような作戦をおいそれと認めるわけにはいかない。
無様な勝利も、無様な負けも、するわけにはいかないのだ。
それが、西住流なのだから。
隊長の、お姉ちゃんの気持ちは良く分かる。実際、突然部隊を二分するのはリスクが大きい。
だが私もここで退けないのだ。優勝しようと赤星さんに、お姉ちゃんに、エリカさんに、みんなに誓ったのだから。
沈黙の無線が数秒続く。
エリカ『隊長。ここは副隊長の策に乗りましょう』
それは、凛とした声に打ち破られた。
まほ『エリカ』
エリカ『悔しいけど、プラウダの力は本物です。多少のリスクは承知の上でここは攻めるべきです』
まほ『……』
2対1。ほかの車長からも意見が出ない以上、あとは隊長の判断に任せるしかない。
こんなところで仲間割れなんてそれこそ自殺行為なのだから。
みほ「お姉ちゃん」
エリカ『隊長』
まほ『……わかった』
ため息と、どこか嬉しそうな吐息の混ざった声に私はほっと胸をなでおろした。
一度判断を下した後は隊長の迅な指示で隊は二分され、私達は即座に行動に移した。
みほ「……エリカさん、ありがとう」
周囲に気を配りつつ、エリカさんだけに無線をつなげてそっと呟く。
エリカ『気にすることじゃないわ。私はあなたの策のほうが勝てると踏んだだけよ』
そう思ってもらえたことが嬉しいのだと伝えたかったが、生憎おしゃべりに時間を費やしてる暇はない。
私たちはやるべきことがあるのだから。
エリカ『さ、さっさと行きましょう。時間が無いわ』
みほ「……うんっ!!」
758:



ガタガタと揺れる車内。道なき道を行ける戦車の力強さは同時に乗ってる人への配慮というものは考えていない。
時折段差か何かを越え、そのたびにガタンと衝撃がお尻に突き刺さる。
今更それに文句を言うつもりは無いが、何とかなるものなら何とかしたいとも思う。
別に痛くないのではなく、我慢できるだけなのだから。
なのでせめて気を紛らわそうと考え、車長席でじっと腕を組んでるエリカさんに顔を向けずに声を掛ける。
小梅「今日のエリカさんいつもより優しいですね」
エリカ「はぁ?私はいつだって優しいわよ」
無駄口叩くな等と怒られると思っていたが、返ってきたのは冗談染みた言葉だった。
小梅「……そうですね」
斜め上の反応になんと返答すればいいかわからず、とりあえず同意でお茶を濁そうと図ってみるものの、エリカさんは何とも言えない表情をする。
エリカ「納得されるとこっちがスベッたみたいじゃない……」
小梅「ああいや、なんていうか……みほさんの意見を堂々と支持するのが珍しいなって」
わかりにくさ面倒くささにおいて他の追随を許さない彼女がみほさんへの助勢をわかりやすくするのは珍しい。
というより、エリカさんが隊長の懸念よりもみほさんの作戦に賛成したのが驚きというべきか。
少なくとも私が知る限りで隊長はエリカさんが最も憧れ、尊敬している人だ。
その隊長よりもみほさんの肩を持ったのが意外だったのだ。
エリカ「……合理的に考えただけよ。それは優しさとは言わないわ。ましてやあの子の味方をしたわけじゃない」
小梅「……そうですね。でも、みほさんは嬉しかったと思いますよ。エリカさんが自分の意見を支持してくれた事」
少なくとも私から見てみほさんと隊長の意見はどちらにも理があった。
いや、防御を固めた正面突破の方が黒森峰らしく、戦術の練度も高いと考えればむしろ隊長の意見の方が正しいとさえ思っていた。
私でさえそう思ったのだからエリカさんだって同じように思っていたはずだ。
それでもエリカさんはみほさんに付いた。そこにエリカさんとみほさんしか見えない何かがあったのだとしても、
誰よりも尊敬しているはずの隊長の意見よりもみほさんを選んだ。
みほさんはきっと、それを喜んだはずだ。心強く、勇気をもらったはずだ。
エリカ「……赤星さんもあの子も隊長も。私を買いかぶってるのよ。私は、そんな――――」
小梅「小梅」
その謙遜を打ち切る。
エリカ「え?」
小梅「小梅、って呼んでください」
エリカさんは謙遜をしだすと、いや卑屈になりだすとめんどくさい。
私の中での結論が決まっている以上エリカさんの謙遜を長々と聞くつもりはない。
だから、話題を変える。私にとって大事な要望を伝えるために。
小梅「いい加減私ばっか名字で呼ばれるのは距離感じちゃいます」
759:
エリカさんだけではないみほさんも。
お互いは名前で親しく呼び合ってるのに私だけいつまでも名字というのは仲良し3人組としてはやっぱり気になってしまうものだ。
無論、距離をとられてるだなんて思ってはいないが、だからといって気にならないわけではない。
そう言われてエリカさんは慌てて否定する。
エリカ「あ、いや別にそういうんじゃ……ただ、切り替えるタイミングを見失ってただけで」
小梅「なら、いい機会なんで。小梅。ね?」
そんな事わかっている。だから私の要望は簡潔なのだ。
ウダウダいうつもりも無いし聞くつもりもない。
私は、ただただ、貴女に名前を呼んでもらいたいだけなのだから。
今度はエリカさんの顔を見て、スタッカートを弾くように私の名前を伝える。
エリカ「……ええ、小梅」
薄暗い戦車の中でも輝いて見えるような彼女の微笑み。
隣り合う様な気やすさで呼ばれる名前に、私は満足して前に向き直った。
すると、くすくすと小さな笑い声が車内に響く。一つだけじゃなく、3つ。
すっかり忘れていた。ここにいるのは私とエリカさんだけじゃないのだと。
今更ながら恥ずかしい事を言ってしまったと赤面するも、隣の砲手から「良いわねー青春最高?」とからかわれてしまう。
エリカ「ほら、笑ってないで集中しなさい。大事なのはここからなんだから」
パンパンと手を叩いて集中を促す彼女の顔を私は見れなかった。
ただ、彼女の声は上ずっているように聞こえた。
760:



目的地へと向かう道中。私たちの小隊は最大の難所である崖の道、その入り口に入ろうとしていた。
エリカさんが指揮する我らが?号を先頭に、その後ろにみほさんのティーガー?、そのさらに後ろにと、一列になって戦車が続く。
崖は戦車が通るにはギリギリの幅で、視界の悪い戦車では決して楽な道とは言えない。
それ故車長たちはキューポラから体を出して細かく指示を出している。
エリカ「……雨、降ってきちゃったわね」
誰に言ったわけでもないのであろう、かすかに聞こえたエリカさんの重い呟き。
装填手席からわずかに見える空は、先ほどよりもどんよりと灰色になっていて、小雨が車体を打つ音が車内に響いている。
みほ『……戻りましょう。全車後方に注意してゆっくり下がってください』
無線で伝えられるみほさんの諦めたような声。
各車の車長の了解の返答に遅れて、エリカさんの声が無線を通して伝えられる。
エリカ「いえ、いきましょう」
みほ『エリカさん?』
先ほどみほさんの作戦に賛同した時とは逆の否定。
私は思わずエリカさんの方を向くも、キューポラから出ているその顔を伺う事はできない。
エリカ「隊長たちはすでに向かっている。今から戻るんじゃ時間無駄にしてしまうわ。ここは進みましょう」
みほ『でも……』
ためらうみほさんに、エリカさんは優しく落ち着かせるように語り掛ける。
エリカ『雨なら大丈夫よ。急がずにゆっくり行きましょう』
みほ『……わかりました。全車前進!!慌てず、慎重に行ってくださいっ!!』
エリカさんの言葉に安心感を感じたのか、はたまた不退転の決意を感じたのか、みほさんは今一度、前進を指示する。
それに、異を唱える者はいなかった。
761:



どれほど経っただろうか。時計を見る事すら出来ない緊張感の中で、雨音が強く、激しくなったことだけは耳で感じることができた。
山の天気は変わりやすいとは言うが、それにしたって急転直下と言えるほどの変動は私たちの予想を超えていた。
小梅「……雨、強くなってきましたね」
言ってからしまったと思う。口にしたところで天気を変えることは出来ない。
風を伴った豪雨は固い戦車の装甲越しに私たちにその勢いを伝えてくる。そんな中で何度もキューポラから顔を出してるエリカさんなんてきっとびっしょりと濡れてしまっているだろう。
風邪をひいてしまうと操縦士の子が車内にいるよう勧めるも、エリカさんはそれを固辞して細かく指示を出している。
先頭車両だからこそ、状況を常に把握して指示を出さなくてはいけない。そう言って豪雨の中ひたすら周囲を警戒し続けている。
そんな中でただ事実だけを伝えたところで何の意味があるのか。ただただ車内の不安を煽るだけになってしまう。
エリカ「ええ……でも、ここまできたら戻るほうが危ないわ。気を付けて、ゆっくりね」
軽率な自分を恥じるも、エリカさんは気にしてはいないようだ。私の軽口に感情を揺さぶられた様子もなく、淡々と冷静に返してくる。
繊細な指示を求められ、全身を雨に打ち付けられているというのに、落ち着いているのは偏に彼女の集中力の賜物なのだろう。
その姿に力強さと心強さを感じ、私を含めた乗員もまた、勇気をもらう。そのおかげか、危なげなく集団は進んで行き、やがて再び外を見ていたエリカさんの口から安堵のため息が漏れる。
エリカ「ゴールが見えてきた。なんとかな―――――止まってッ!!」
その言葉に操縦手が即座に反応する。スピードは出ていなかったものの急な静止に思わずつんのめってしまう。
どうしたのかと尋ねようと上を見た瞬間、轟音が鳴り響く。外の状況は私にはわからない。ただ、一つだけ分かるのは――――砲撃を受けたという事だ。
遅れて無線からみほさんの声が伝わってくる。
みほ『エリカさんっ!?砲撃っ!?』
エリカ「こちら?号っ!!前方に敵車両!!待ち伏せよっ!!」
努めて冷静に、要点だけを伝えようとしているエリカさんの声に私たちも動き出す。先ほどの砲撃はこちらに命中せず、前の地面をえぐるにとどまったようだ。
砲手はすでに敵を捉えているようで、エリカさんの蹴りによる指示と共に射撃を開始する。状況を理解したみほさんもすぐさま指示をだしてくる。
みほ『っ……全車両下がってっ!!』
エリカ「私たちが盾になるから早く下がっ――――」
その言葉は最後まで言葉にならなかった。何かが崩れる音と共に、ぐらりと、体が戦車ごと傾いていく。続いてくる衝撃。
小梅「あ……」
一瞬の浮遊感が永遠のように感じる。重力が横から降ってくる。シートベルトなんかない座席で、装填をしようと不安定な体勢で、持っていた砲弾が私の手を離れ宙に浮く。
庇おうと動く手はゆっくりとしていて、間に合いそうにはない。数キロの砲弾が自由落下で体に当たって痛いで済めば御の字で、
眼前に迫るそれは、たぶん痛いじゃ済まないのだろうなぁと、どこか私を達観させた。
ああ、痛いのかな。こんなことなら反射神経鍛えてれば良かった。どうやって鍛えるのか知らないけど。
そんな事を、呑気に考えてしまった。
その時、
「小梅ッ!!」
聞きなれた声が私の名を呼び、目の前が真っ暗になり――――花のような香りが鼻腔をくすぐった。
769:



みほ「?号応答してください!!エリカさんっ!?」
必死に呼びかける。何度も、何度も。私の目の前で崖から滑り落ちていった?号は、すでに川の濁流に飲まれゆっくりと流されている。
雨で地盤が緩んでいたのか、地面をえぐった砲撃が足元を崩したのか、その両方か。
今考える事じゃ無いのに、頭の中をぐるぐると『どうして』がめぐり続ける。
それでも、呼びかける事は止めない。
エリカ『……っみほっ!!』
みほ「エリカさんっ!?エリカさんっ!!?」
ようやく返ってきた彼女の声は無線の調子が悪いのか随分とかすれてて、聞き取るのがやっとなほどだった。
みほ「エリカさん大丈夫!?今、救助をっ!!」
エリカ『みほ、私たちは大丈夫っ!!あなたはとにかくフラッグ車をっ……』
それを最後に無線は途絶えてしまう。
みほ「無線が……っ!?早く大会側に連絡をっ!!救護を出してもらってっ!!」
通信手「は、はいっ!!」
怒鳴るように通信手の子に叫び、私は再びキューポラから体を出す。
豪雨が頬を打ち付ける。雨に霞む視界はそれでも、流されていく?号を捉えることが出来た。
鉄塊が流されるほどの激流。それすらも序盤と言った風にどんどんと流れが強くなっているように見えた。
焦りが心を支配していく。プラウダのものであろう砲撃は依然こちらを狙っているが、そんな事を気にしている余裕はない。
みほ「ねぇっ!?救助はっ!?まだなのっ!?」
通信手「れ、連絡はしましたけどすぐには……」
何を、何を悠長な事を。今、目の前でエリカさんたちが危ない目に遭っているのに。
戦車の水密性にしたってあんな濁流に飲まれているのでは意味がないだろう。
救助にどれほどの時間がかかるのか、救助が来るまでにエリカさんたちがどうなるのか。
なら、なら―――――
770:
『勝つためには、非情な決断を下す時がある。あなたはいつか、その立場になるのよ』
瞬間、脳裏をよぎるエリカさんの言葉。今、ここで私がフラッグ車を離れたら待っているのは敗北の二文字だ。
素人の私が助けに行ったところで、足手まといになるだけだ。それならば。
約束したんだ。エリカさんに、みんなに。優勝するって。非情な決断。それは今するべき事なのかもしれない。
ぐっとこらえて、救助はプロに任せて、そうすればみんな助かって優勝も出来て、全部、全部上手く行って―――――
『みほ』
優しく、抱きしめるような声が私の名を呼んだ気がした。
みほ「……っあああああああああああああッ!!」
通信手「副隊長っ!?」
通信手の子の叫びを背に、私はキューポラを乗り越え、そのまま崖を滑り降りて――いや、滑り落ちていく。
むき出しの手足が岩に削られる。でも痛みを感じる暇なんて無い。川岸に降り立った私は、今一度流されゆく?号を見つける。
既に私との距離はだいぶ開いていて、一刻の猶予も無い。私は、すぐさま川に向かって駆け出し、
みほ「――――エリカさんッ!!」
濁流に飛び込んでいった。
771:



濁り切った水の中は視界なんて無いに等しい。それでも必死でもがき前に進むうちに大きな影を見つける。
みほ(……?号っ!早く、早くっ!!)
?号を見つけた私は、とにかく近づこうと手足を動かし、ようやく張り付くことに成功する。
既に車体の半分が水没している状況だ。まずは操縦手の子を助けようとハッチを開け、流れ込む水に逆らって引っ張り出す。
操縦手「うぇっ、ゲホッゲホっ!!」
水を飲んだのだろう苦しそうにえづく。けれども状況はそんな時間を与えてくれない。私は彼女を?号の砲塔につかまらせ、続けて通信手、砲手の人を助け、川岸を指さす。
みほ「早く泳いで!!浅瀬に向かって、急いでっ!!」
3人はすぐさま川に飛び込んで泳いでいく。どうやら怪我らしい怪我はないようだ。ここにきて、日ごろの厳しい訓練が功を奏したのかもしれない。
みほ「っ……エリカさん!!赤星さん!!」
息をつく暇はない。まだ、二人残っているのだ。私はキューポラに這い上がり、中を見る。車長席にはエリカさんが、その足元に小梅さんが座っていた。
エリカ「みほっ!?あなた何してるのっ!?」
驚いた様子でこちらを見るエリカさんの姿は、思っていたよりも元気そうで思わず安堵してしまう。しかし、すぐに気を引き締め彼女に呼びかける。
みほ「エリカさんっ!!早くっ!!流れ、どんどん強くなってるッ!!赤星さんも早くっ!!」
エリカ「っ……わかったわ。みほ、この子をお願い」
エリカさんは座ったままひざ元の赤星さんの肩を叩く。赤星さんはふらりと、覚束ない足取りで立ち上がる。
小梅「エリカ、さん……?」
エリカ「落下したときにちょっと頭を打ったみたいだから……お願い、見ててあげて」
小梅「エリカさん私は……大丈夫です、から……」
どこか虚ろな赤星さんにエリカさんは諭すように語り掛ける。
エリカ「怪我人は車長の言う事を聞きなさい。……みほ」
みほ「……わかりました。赤星さんっ!」
小梅「ごめんなさい……」
赤星さんの手を引いて引っ張り出す。波は強く、立っていられないほどで、すぐにでも川岸まで行かないといけない。
エリカ「私もすぐにいくからもう行きなさい!!」
車内から聞こえるエリカさんの声。出来る事なら彼女も一緒に連れていきたいが、赤星さんを抱えた状態でそれは難しい。
とにかく、今はエリカさんを信じて行くしかない。私は肩につかまらせている赤星さんを励ます。
みほ「大丈夫だよ。ほら、しっかりつかまって。……行くよ」
返事を待つ暇は無かった。次の瞬間、私たちは濁流に飛び込んだ。
772:



ろくに先の見えない川の中を必死で泳いでいく。赤星さんに気を配る余裕は殆どなく、ただただ彼女が流されないよう必死にその体を掴むばかりだ。
我武者羅に、ひたすら手足を動かす。それは赤星さんも同じなのだろう。私の体を掴む手は痛いぐらいに強く力が込められている。
文字通りの一蓮托生。後に続いているであろうエリカさんの目の前で私たちが流されるわけにはいかない。
息継ぎさえ忘れるほどの決死行はやがて体全体で地面を認識することで終わりを告げる。
みほ「っ……はぁ、はぁ、うっ……げほっ!!げほっ!?」
なんとか川岸にたどり着いた私は、必死で息を吸い、飲み込んだ水を吐き出す。
ようやく喋れるぐらいに呼吸を整え、同じようにえづいてた赤星さんに疲れ切った笑顔で呼びかける。
みほ「な、なんとかなったね……」
小梅「は、はい……ありが、とうございます……」
その言葉に安心した私は、ばたりと仰向けに倒れこむ。もう指一本動かせないかな。なんて他人事のように思ってしまうぐらい体から意識が離れていきそうで、
実際もうやるべきことは終わったのだから後は救助の人に任せればいいかと、そっと目を閉じようとして―――――
小梅「……エリカさんは?」
赤星さんの呆然とした呟き。飛び去ろうとした意識は一瞬で体へと戻り、私は飛び跳ねるように体を起こす。
みほ「赤星さん、エリカさんは?」
大きく見開いた目に映るのは、先ほどよりも流れが強くなった川と、僅かに見えている?号だけだった。
すぐに周囲を見渡す。私と、赤星さんしかここにはいない。
嘘、嘘、嘘、
みほ「え……エリカさん?エリカさんっ!!?」
必死で叫ぶ。冷え切った体は声を出すのすら一苦労で、音程なんてまるででたらめな声が喉から出る。
しかし、一向に返事は返ってこない。
小梅「まさか……流され……」
その言葉を否定しようと口を開くも、現にエリカさんはいない。でも、ならどうすればいいのか。
そうだとして、荒れ狂う濁流の中探し出すのは無理だという事はいくら私でも理解できてしまう。
みほ「嫌……嫌!?エリカさんっ!?」
どうすればいいかわからず、ただただ悲鳴のような叫びをあげることしかできない。
目の前が真っ暗になりそうな絶望感の中、ふと視線の先に違和感を覚える。
みほ「もしかして、まだ?号の中に……」
川に取り残された?号のキューボラから、わずかに手が見えた。見えたような、気がした。
真偽なんて考えるつもりはない。次の瞬間、私は川に向かって駆け出していた。
小梅「みほさんっ!?待って、わた、私もっ!!」
773:
後ろから聞こえる声に答えず、勢いのまま飛び込む。疲れ切っていた体はもはや手足の感覚さえ曖昧で、ただただエリカさんを助けたいという気持ちで何とか手足を動かしていく。
何度も何度も意識が飛びそうになり、それでも体は止まることなく進んで行き、そして、?号に着く事に成功した。
みほ「エリカさんッ!!」
?号は既に車体のほぼ全てが水に浸かっていた。けれども、先ほどまで流されていた車体は今その動きを止めている。
川底に引っかかっているのか。なら、今がチャンスだ。これ以上流される前に助け出さないと。
僅かに水面から出てるキューポラをのぞき込むと、その中に彼女はいた。
エリカ「……」
みほ「エリカさん……?エリカさんっ!!?」
エリカさんの瞳は何もない虚空をじっと映していた。水没が進み車長席すら水に満たされ、彼女の髪が水面に広がりゆらゆらと揺蕩っている。
私の呼びかけに、エリカさんはゆっくりと目を向ける。
エリカ「……バカ、なんで戻ってきたの。危ないじゃない」
心底呆れたといった様なその言葉に怒りを覚えたのは無理も無いと思う。私が、どんな気持ちでいたのか、わからないわけないだろうに。
みほ「それはこっちのセリフだよッ!?こんな時に何して―――」
エリカ「みほ、私はダメよ」
みほ「……え?」
彼女は自嘲するように微笑むと、そっと水に隠れた足を撫でる。
エリカ「戦車が滑り落ちた時にぶつけちゃったみたい。多分、ヒビぐらい入ってると思う。まったく……情けないわね」
そう言って足を上げようとして顔を苦悶に歪める。いや、足だけではない。
よく見ると髪に隠れた彼女のこめかみから血が流れている。多分他にも怪我をしているのだろう。
みほ「そんな……」
エリカ「だから、急いで戻りなさい。これ以上流れが強くなったらあなたでも……。私は、救助を待ってるから」
みほ「っ……嫌っ!!嫌だっ!!」
何を、何を悠長な事を。救助を待つ?未だその影は見えない。すでにエリカさんの体は浮き上がるほどに水に浸かっているのに。
川の流れは、今にも?号を飲み込もうとしているのに。何よりも、誰よりも命が危ないのはエリカさん本人なのに。
なのにエリカさんは慌てた様子もなく諭すように語り掛けてくる。
いや、きっとわかっているのだろう、救助は間に合わない。だからせめてみほ(私)だけでも、と。
そんなの、納得できるわけないのに。
エリカ「我がまま言わないの……これは、私が悪いんだから」
みほ「何言ってるのッ!?悪いとか悪くないとか、そんなの今はどうでもいい!!」
エリカ「みほ……わかって」
774:
やめて。そんな、そんな諦めた表情をしないで。
そんな、力なく微笑まないで。
私の知ってるエリカさんはそんな弱々しい表情をしないよ。
私の知ってるエリカさんはいつだって強くて、凛々しい人なんだ。
体温を奪われて弱気になっているだけなんだ。そのはずなんだ。
頭の中でぐるぐるとそんな言葉が駆け巡る。
渦巻く感情が私の体を勝手に動かす。
上半身を車内に入れ、エリカさんの手を掴む。
エリカ「みほ、やめて。……やめなさいッ!!」
私の手を振り払おうとするも、力なくただ揺らす事しか出来ない。体温を奪われすぎているのかもしれない。ならばもう、一刻の猶予も無い。
その手を離さないようしっかりとつかんで、力任せに引き上げる。
エリカ「っ……」
脚に響いたのだろう、エリカさんの表情が苦悶にゆがむ。けれども、そんな事を気にしている余裕はない。早く脱出しないと。
みほ「エリカさんっ、絶対に離さないでっ!!」
なんとかエリカさんを引き上げて、車体に掴まらせる。無理やり引き上げた私を睨みつけようとしたエリカさんは、けれども目の前に広がる光景を見て呆然とする。
激流は想像以上になっていたのだろう。大きく見開かれた目が彼女の感情を表していた。
辛うじて上半身をキューポラにとどめている手からゆっくりと力が抜けていく。
その手をしっかりと握りしめる。
エリカ「みほ、やっぱり無理よ。離して」
諦めと絶望、それらがないまぜになったような空虚な声。そんな言葉を聞くつもりは無い。
みほ「……嫌だ」
エリカ「お願い」
みほ「嫌だ」
エリカ「……やめてっ!!離してっ!!」
埒が明かないと見たのだろう。エリカさんは繋いだ手を振りほどこうとするも、やはり力なく揺れるにとどまる。
みほ「やめません、離しません」
エリカ「っ…あなたまで流されるわよっ!?」
力では敵わないと察したのか、エリカさんは必死で私を説得しようとしてくる。私を見つめる瞳には焦りと動揺が浮かんでいる。
分かっている。このままじゃ二人とも助からない。でも、エリカさんなら、エリカさんだけなら。
根拠は無くても確かな自信が、決意が、私に力をくれる。
きっと私なら。貴女を助けられる。
その瞳をじっと見つめて、ゆっくりと語り掛ける。
775:
みほ「大丈夫です、エリカさん。あなたは絶対に助けますから」
そうだ、絶対に助ける。
エリカ「このままじゃっ、あなたまでっ!!」
私は、どうなってもいい。
エリカ「みほっ、逃げて!!お願い私のことなんかっ!!」
みほ「エリカさん。大丈夫だから」
エリカ「なんで!?みほも死んじゃうっ!?」
こんな時まで人の心配が出来るだなんてやっぱりエリカさんは優しいんだね。
そんな事知っているのに、改めて知ることが出来たのが嬉しく思えてしまう。
その時、激流に耐えきれなくなったのだろう。?号の重い車体がぐらりと、動き出す。
エリカ「っ!?」
みほ「エリカさん、掴まって」
車体が流されるのを感じ取った私は強く、彼女の手を握りしめる。
エリカ「どうして……どうして離してくれないの……?お願いっお願いだから……」
状況の悪化を悟ったのかエリカさんは力なく呟く。
そこにはもう、先ほどまでの突き放すような語気は無く、ただただ懇願するようだった。
エリカ「お願い……あなたまで巻き込みたくないのよ」
必死で私に懇願する。
その瞳が潤んでいるのは雨のせいか、涙のせいか。
それでも、私はその手を掴みとめる。
絶対に、離してなるものか。
みほ「エリカさん」
一瞬の揺らぎもなく彼女の瞳を見つめ続ける。
声色が優しく、包み込むようになっていくのを実感する。
エリカさんのように。かつて、貴女がそうしてくれたように。
みほ「絶対に貴女を死なせたりしない。だって――――」
776:
『……逸見エリカよ。ま、よろしくね」』
ああそうだ。私が今日までいられたのは貴女がいたからだ。
『精々頑張りなさい」』
何もできなかった私に道を示してくれたんだ。
『強さも、戦車が好きって気持ちも持っているあなたなら、戦車道だって好きになれるわよ。……私は、そう思ってる』
忘れていたものを思い出させてくれた。
『誕生日おめでとう。今日という日を、私は祝福するわ」』
大切な事を教えてくれた。
それはきっと、私の命なんかじゃ足りないくらい大きなもので、それを、貴女は私にくれたんだ。
死んだように生きているだけだった私に、前を向いて歩ける勇気をくれたんだ。
そう、私は――――
777:
みほ「私は、あなたに救われたから」
778:
みほ「……だから、絶対に助ける。私がどうなったってかまわない」
エリカ「みほ……」
みほ「大丈夫だから。何があっても、貴女だけは絶対に……」
私が、貴女に出来る事はそれぐらいしかないから。
私なんかのちっぽけな命で貴女を救えるのならこれ以上は無いから。
だから、諦めないで。そう言おうとした時、エリカさんの口元がふっと笑みを作る。
エリカ「馬鹿ねぇ……私なんかのためにここまでするだなんて」
冷え切った指先が私の頬をなでる。
やがて、納得したように頷くと私の濡れきった髪をそっと梳く。
エリカ「そうよね。あなた頑固だものね。言って聞くような子なら、苦労しないものね」
エリカさんは繋いだ手の上にさらに手を重ね、慈しむように握る。
激流の音が遠くなっていく。
彼女の声がまるで直接頭に響くかのようにクリアになっていく。
エリカ「私も、そんなあなただから……」
何かを言おうとして、代わりに彼女の両手が強く私の手を握る。
エリカ「……みほ」
その声色は、冷え切った体を温めてくれるような、愛おしくて、たまらないといったように聞こえて。
初めて聞くその音色に戸惑う私に、エリカさんは嬉しそうに微笑んで―――――
「生きて」
私の手を、振り払った
みほ「――――え?」
流水に体力を奪われていたのか、握り返された事で安心したのか、水で滑ったのか。絶対に離さないと誓った手はいとも簡単にほどかれ、
みほ「―――――――」
何かを叫んだ私の意識はそのまま、荒れ狂う濁流に飲み込まれた。
786:



夕焼けの差すロッカールームに私は立っていた。
みほ「……あれ?」
来ている服は試合の時に来ていたパンツァージャケットではなく、慣れ親しんだ制服で、
けれども、それはおかしい事なのだ。だって私は確か、決勝に出てたはずじゃ……
どういう訳なのか首を傾げていると、苛立ったような、呆れたような声が耳に届く。
エリカ「何してるのよ。さっさと帰りましょう」
ロッカールームの出口、そこに声の主は立っていた。
みほ「エリカさん」
丁度、夕日の差さない影の中に彼女はいた。けれど、薄暗い影の中でも彼女の輪郭ははっきりとその存在を示していて、
今更ながら随分と整った容姿をしてるなぁ。なんて思ってしまう。
そんな風に感慨深く想う姿がよほど間抜けだったのか、彼女はため息をついて睨みつけてくる。
エリカ「あなたねぇ……何ボケっとしてるのよ。立ったまま寝てたわけ?」
なんとも嫌味たっぷりな様子はもはや慣れっこで、むしろ彼女なりの親愛の表し方とすら思っている。
……流石にこれで本気で嫌われているというのはあんまりにも切ないので、そこはもう考えない事としている。
それよりも、今はこの状況への疑問を尋ねないと。
みほ「エリカさん、私たちって決勝に出てたんじゃ……10連覇のかかった、決勝に」
エリカ「……あなた、本当に立ったまま寝てたの?中一の私たちが高校の試合に出られるわけないでしょ」
呆れとか驚きとかそういうのを通り越して心配そうな目でこちらを見てくる。
でも……中一?何を言って……
余りにも突拍子のない答えに私は戸惑いの声を出す事しかできない。
みほ「え、え?」
エリカ「大体、10連覇って……まだ7連覇できたってところなのに。長期的目標を持つのは大事だけど、目の前の事を無視してたら足元を掬われるだけ。
 あなたが見るべき戦場は高等部の前に中等部よ」
戸惑う私にエリカさんは矢継ぎ早にまくし立ててくる。
そこに呆れはあっても私をからかう様な意図は見えず、エリカさんと私のどちらかがおかしいのだとしたら、急に混乱しだした私がおかしいのだろう。
つまり――――私は寝ぼけていたのだ。
787:
みほ「……ごめん、私寝ぼけてたみたい」
エリカ「……その、疲れてるならちゃんと言いなさいよ?倒れられたら困るんだから」
完全に心配と気遣いに振り切った対応に私はただただ申し訳なくなってしまう。
いや、本当にどういうことなのだ。まだ中等部だというのに高等部で大会に出て、決勝の場に立っている夢だなんて。
エリカさんの言う通り気が早いにもほどがある。とりあえず、今は頭を下げるしかない。
みほ「ごめんなさい……大丈夫だよ、もう目は覚めたから」
エリカ「そ、そう。ならいいけど……気を付けなさいよね?あなたただでさえぼーっとしてることが多いんだから」
とりあえず納得してくれたようでほっとする。いくらなんでも立ったまま寝ぼけるなんて曲芸を何度もするとは思えないが、だからといって再発が無いとも言えない。
今日は早めに寝ようかな……などと思いながらももう一つ、気になることがあった。
みほ「今日のエリカさん、なんだか優しいね」
なんというか言い方はアレだがちゃんと私の心配をしてくれる。
いつものエリカさんなら、きっと心配しててもそれを表に出さずに、嫌味交じりにやっぱり心配を隠せてないみたいなすっごくエリカさんらしい心配をしてくれそうなものなのだけれど。
まぁ、それだけ私の様子がよっぽどだったと言われればそうですよね……と納得してしまうのだが。
勝手に気になっておきながら勝手に自己完結しようとしている私の内心なんて知らないであろうエリカさんは、目を見開いてキョトンとした顔をした後、ちょっと唇を尖らせて不満をあらわにする。
エリカ「あのねぇ……何が優しいよ。友達の様子が変だったら心配するのが当たり前でしょうが」
その言葉を、聞き逃すほど私の耳は節穴では無かった。
みほ「エリカさん、今、なんて」
エリカ「はぁ?何、まだ寝ぼけてるの?」
みほ「いいから、もう一回」
エリカ「……友達の様子が変だったら心配するのが友達でしょうが」
聞き間違えでも、寝ぼけた私の妄想でもない。『友達』。その言葉は確かに、私とエリカさんが友情で結ばれているという事を伝えていた。
みほ「え、え、エリカさん、私の友達なの!?」
エリカ「……」
エリカさんが、心底軽蔑したという目で私を見る。
みほ「ああああ違うっ、違うの!?エリカさんと友達なのが嫌なんじゃなくて、エリカさんが私を友達だと思ってくれているのが嬉しくて、
 意外でっ!!驚いただけで決して嫌だとかじゃないの!!嬉しいの!!ホントに!!ボコが天から降ってきたみたい!!」
788:
マズイマズイマズイ、今の言い方では散々友達になりたいと言っていたのに「あ、本気にしてたんだー?」という最悪な梯子外しをした様に聞こえてしまう。
焦りに焦る私は訳の分からないジェスチャーを交えて訳の分からない弁解をする。
エリカ「何慌ててんのよ気持ち悪い……今さらどうしたのよ。あなたが友達になってって言ってたんじゃない」
みほ「そ、そうだけど……」
散々言ってたのに全てを袖にされてきたから、いきなり受け入れられたことに驚いているんだけれど、それはエリカさんには伝わらなかったようだ。
エリカ「ならそんな動揺しないでよ。友達になっただけで別に何も変わらないわよ」
そうかもしれない。そうなのだろう。別に私たちが友達になった所でエリカさんはバンバン嫌味を言うだろうし、私が何かやらかしたら怒るのだろう。
でもでも、それでも友達だという彼女の言葉は、私にとってただの『関係性』を表す言葉なんかじゃなくて、なんていうかこう、とにかく大切な事なのだ。
エリカ「ほら、長居してると隊長に怒られるわよ。カギ閉めるの隊長なんだから。もう帰りましょ」
そう言って出口へと踵を返すも、私は感動と感激で身動きが取れない。
そんな私にエリカさんは首だけ動かして視線を向けてくる。
エリカ「……置いてかれたいの?」
みほ「う、ううん!待って!」
その言葉に金縛りは解けて慌ててエリカさんのいる日陰へと向かおうとすると、エリカさんはため息をついてこちらに振り返る。
エリカ「全く、あなたはいっつももたついてるわね。……じゃあ、行きましょうか」
そう言って、手を差し出してくる。
『ほら、いつまでもへたり込んでんじゃないわよ』
懐かしい光景。あの時と違うのは、彼女が日陰にいる事と、私がちゃんと立っている事。エリカさんが、微笑んでいる事。
その姿にたくさんの想い出を思い出す。
そうだ、私たちは友達だ。毎日一緒に帰って、休みの日は一緒に遊んで、時々お泊りして、今日もこの後新しくできたスイーツのお店に行こうって話してて、
なんてことない、でも、楽しくて仕方がない学生生活を送っているんだ。
こんな大切な事を忘れていただなんて私、本当に寝ぼけてたんだな。なんて自嘲して、それさえもきっと二人で笑い合える想い出になるんだろうなって。
そう思えて、私は笑顔で彼女に笑いかける。
みほ「――――うん!」
そう言って、日陰の中で差し出された手を取ろうとした瞬間――――――その手が消えた。
みほ「え?」
手だけじゃない、エリカさんも、床も壁も天井も空も夕日も何もかもが無くなって、真っ白になっていく。
みほ「なに、これ……?エリカさん?エリカさん!!?」
叫んでも返ってくる言葉はなく、何が起きているのかわからないまま、私の視界も意識も真っ白に染まっていって―――――
789:



みほ「……ん」
最初に感じたのが、窓から入る日差しの眩しさ。次に感じたのがツンとする消毒液の匂い。
遅れて、全身にまとわりつく倦怠感。意識と共に少しずつ目覚めていく感覚が、私がベッドに寝かされている事を教えてくれた。
―――どこだろう、ここ。
自分の置かれている状況が分からず、私は困惑することしかできない。
みほ「なんで、私……」
その時、少しずつ蘇ってきた感覚が私にもう一つ新しい情報をくれた。――――私の手を握っている誰かの感触を。
もぞもぞと体を動かそうとすると全身に痛みが走り、仕方なく眼球と、わずかに動かせる首だけで握られている右手の方を見てみる。
そこには、包帯に包まれた私の手を握ったまま、こくりこくりと舟をこいでいるお姉ちゃんがいた。
みほ「お姉、ちゃん?」
声すら上手く出せない。けれども、私の掠れ切った声にお姉ちゃんはぱっと目を開く。
まほ「……みほ?――――みほっ、みほっ!目が覚めたんだなっ!?」
お姉ちゃんは縋りつくように私の肩を掴むとぽろぽろとその瞳から涙を流す。その目元には濃い隈が出来ていた。
まほ「良かった……ホントに良かった……」
みほ「お姉ちゃん、ここ、どこ……?」
お姉ちゃんが子供のように泣く姿なんて初めて見るもので、けれども自分の現状が何一つわからない事の方が不安だから、
泣きじゃくるお姉ちゃんに尋ねる。私の質問に、お姉ちゃんははっとして目元を拭い、赤くなった瞳のままゆっくりと語り掛ける。
まほ「ここは病院だよ、お前は入院してるんだ」
みほ「え……なんで……?」
入院、そう言われてようやく私のいる場所が病室なのだと気づく。個室なのか、私の以外ベッドはないようだ。とりあえずここがどこなのかは分かった。
だが、新しい疑問が出てきてしまう。――――なんで私は入院しているのか。
まほ「覚えてないのか?……無理もないな。あれだけの事があったんだから……待ってて、今お医者さんを呼んでくる。お父さんも来てるんだ」
みほ「ねぇ……何があったの……?今は、いつなの?」
そう言って席を立とうとしたお姉ちゃんを呼び止める。お姉ちゃんは一瞬ためらうような表情を見せるも、やがて胸の内を吐き出すように語り始める。
まほ「……お前は決勝の時に事故で流された?号の乗員を助けて怪我をして、今日まで一週間も眠っていたんだ。」
曖昧だった頭の中に少しずつ記憶がよみがえってくる。ああそうだ、私は決勝に出ていたんだ。
大事な10連覇がかかった試合で、けれどもプラウダの人たちはとても強くて、追いつめられた私たちは、相手の裏を取るために動いて、
雨が、強くなって、プラウダは待ち伏せをしてて、撃たれて、崩れて、?号が、流されて、私は、それを――――
みほ「1週間……っ!?」
その瞬間、ベッドから体を跳ね起こす。
全身に痛みが走り、引きつるような声が出てしまうが、そんな事を気にしている余裕はない。
790:
まほ「みほっ!?急に動いたら体が……」
みほ「お姉ちゃん決勝は!?試合はどうなったの!?」
まほ「えっ?」
お姉ちゃんの両肩を掴み揺さぶるように問いかける。
みほ「黒森峰は優勝できたのっ!?」
私は、自身の乗るフラッグ車を放棄した。それがどんな結果を招いたのか、私は知らなくてはいけない。
たとえ、どんな叱責を受けようとも。
まほ「黒森峰は……負けたよ」
みほ「……そっか」
お姉ちゃんの重い、絞り出すような声。わかっていた。あんな足場の悪く狭い道で車長がいなくなった戦車がどうなるかなんて。
胸の奥がじんじんと痛む。私はまた、誰かの期待を無碍にしてしまったのだ。
謝った所で許されはしないのだろう。私はお姉ちゃんの目を見ることが出来ず、そっと視線を落とす。
まほ「……悪いのは私だ。敗北も、事故も隊長である私に責任がある。みほが気にすることじゃない」
みほ「ううん……私がフラッグ車を投げ出したからなんだし。でも、そっか……負けちゃったんだね……」
まほ「……みほ、その……」
私を慰めようとしてくれているのか、その言葉が見つからないのか、お姉ちゃんは私に何か言おうとしては口を閉じるを繰り返す。
慰められる資格なんて私には無い。私は負けることが分かって助けに行ったのだから。
後悔はない。誰かの期待を裏切ったのだとしても、私は私がしなくてはいけない事をしたのだと思っているから。
そこまで割り切っているのに、それでも気持ちが落ち込んでしまうのは避けられない。その感情がため息とともに漏れ出してしまう。
みほ「エリカさんに、怒られちゃうな……」
まほ「……え?」
ああ、私はまた約束を破ってしまった。
みほ「約束したのに……一緒に優勝するって。……でも、仕方ないか。エリカさんの命には代えられないもん」
まほ「み、ほ……」
あの時濁流に飲みこまれている?号を見て、救助が間に合うだなんて到底思えなかった。
そして、動けるのは私だけだった。
だから私は動いた。その行いが軽率な、二次災害を招くものだと咎められるのならば、私は粛々と沙汰を受け入れるつもりだ。
それでも、それでもだ。私は助けたかった。赤星さんを、?号の乗員を、エリカさんを。
10連覇も名誉も誇りも、彼女たちの命より価値があるものとは思えないから。
それよりも、今の私にとって重要なのは私の今後ではない。もっと、大事な人がいる。
791:
みほ「お姉ちゃん、エリカさんはどこにいるの?もしかして、入院してるの?そうだ、エリカさん足怪我して……だったら、お見舞にいかないとっ!!」
エリカさんはあの時怪我をしていた。足だけではなく頭や、恐らく見えない所にも。今すぐ彼女の様子を見に行かないと。
みほ「……でも、怒られるの怖いから、お姉ちゃんも一緒に来て……ね?」
まほ「……なぁ、みほ」
いくら覚悟が決まっていようともエリカさんのお小言は耳が痛くなる。
私だって怪我人なのだから勘弁してと言いたいところだが、おそらくエリカさんもそうであろう事を考えると望み薄だ。
私は一縷の望みをかけてお姉ちゃんに懇願する。
みほ「エリカさんお姉ちゃんの事大好きだから、きっとお姉ちゃんの前ならそんなにガミガミ怒ってこないと思うんだ。だから……ね?」
まほ「みほ。聞いてくれ」
正直、姉妹格差についてはいつか是正を促したいところだけれど、とりあえず目先の事をどうにかするためにその不平等を利用させてもらおう。
みほ「ああでも、それはそれで後で二人っきりの時に怒られるだけかも……」
まほ「みほ」
なんてことだ、エリカさんが目先の出来事に囚われてくれるような人ならこんな苦労しなくてすんだのに。
残念ながら私がエリカさんにお小言をくらうのは避けられない未来の様だ。仕方がない、今度ハンバーグをごちそうする事で少しでも留飲を下げてもらおう。
もっとも、そんな子供だましが通用するかははなはだ疑問だが。
みほ「あ、でも別にエリカさんが怖いとか嫌いとかじゃなくて、怒ってくるのはエリカさんが優しいからなんだよ?
 私、こんなんだからさ。エリカさんが怒ってくれると本当に助かるんだだからね、」
まほ「みほっ……!」
みほ「……お姉ちゃん?」
重く、絞り出すような声。
私を押しとどめるようなその様子にお姉ちゃんが何か重大な事を伝えようとしているのだと察する。
まほ「……エリカのことなんだが」
みほ「……もしかして、怪我がひどいの?なら、すぐ行かないと!!?」
何を、何を楽観的に考えていたんだ。あの時、私よりも重傷だったのはエリカさんなのに。
私の全身が包帯に包まれているように、いやそれ以上に、エリカさんの体は大変なことになっているかもしれないのに。
全身に走る痛みが先ほどよりも強くなって私を止めようとする。
そんな事で止まってる場合じゃない。私は無理やり立ち上がろうと手足に力を入れる。
まほ「駄目だ!!そんな体で無理をするんじゃない!!」
みほ「何言ってるの!?私なんかよりもエリカさんの様子の方が心配だよ!!ねぇ、エリカさんはどこにいるのっ!?」
まほ「違う、違うんだみほ。そうじゃないんだ。エリカは、エリカは……」
お姉ちゃんは何かを伝えようと口を開くも、何も言わずに目を伏せる。
歯切れの悪いその様子に痺れを切らした私は、お姉ちゃんの制止を振り切って立ち上がろうとする。
みほ「……もういい、教えてくれないなら自分で探す」
まほ「っ……みほっ……!エリカは……エリカはッ――――――」
792:
793:
みほ「………………え?」
まほ「濁流に流されて、助かったのは……お前が助けた4人と、お前、だけなんだ……」
嗚咽を噛み殺そうとしているかのようにお姉ちゃんの言葉は絶え絶えで、その瞳からとめどなく涙が流れ落ちていく。
まほ「わた、私が、悪いんだ……私が……もっと、もっとちゃんと、してれば……」
みほ「…………うそ」
呆然と呟いた言葉は無意識のものだった。
たぶん、最後の理性だったのかもしれない。
みほ「うそ、嘘っ!?そんなはず、だって、だって私はっ!エリカさんを助けに行ってっ!!」
せき止められていた感情が激流となってあふれ出す。
大きく見開いた目から涙が零れだす。
信じられないから、信じたくないから。
だって、だって私はエリカさんを助けに行って、
みほ「嘘だよ……そんな、そんなわけないっ!!私は、私はっ!!!ちゃんとエリカさんの手を掴んでっ!?」
冷え切った彼女の手を必死で握りしめて、何があっても離しはしないと。
激しい濁流の中、私はエリカさんを助けようとして、そのために死ぬ覚悟までして――――――――なら、なんで私が生きているの?
ノイズのような音が頭の中を埋め尽くしていく。
それが、あの豪雨の音だと、激流の音だと気づいた瞬間、蘇る。
頬を撫でる指先
愛おしそうに髪を梳く手つき
彼女の、エリカさんの、貴女の、
794:
『生きて』
795:
笑顔が
796:
みほ「そんな、そんな……そんなのって……」
まほ「みほ……みほっ!!?」
爪が皮膚を突き破りそうなほど強く自分の頭を掴む。
どれだけ揺さぶろうとも記憶は変わらず、私は、生きている。
なら、なら、エリカさんは、エリカさんは。
みほ「私はっ!?エリカさんを助けないといけなかったのにッ!?」
呼吸すら忘れ、体の痛みも、だるさも、何一つ感じなくなって、でも、頭の中を形容の出来ない痛みが襲ってくる。
みほ「私はッ、優勝なんかよりッ、10連覇なんかよりもッ、エリカさんがッ!!エリカさんがいるからッ!!なのに、そんなのっ!?」
私の命なんかどうでもよかったのに。エリカさんが救えればそれでよかったのに。
みほ「あ、あ、あああ、い、嫌ああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!?」
まほ「みほっ!?」
限界を超えた私の精神はもう、もう、叫ぶ、ことしか、できなくて
みほ「わた、私何のためにっ!?なんで、なんでっエリカさんがっ!?」
まほ「みほっ、みほっ!?だ、誰かっ!?誰か医者を呼んでくださいっ!!お父さんっ!!みほ、ねぇ、みほっ!?しっかりしてっ!?みほっ!!?」
エリカさんエリカさんエリカさんエリカさんエリかさんエりかさんえりかサんえリかさんえりかさん
なんで、いないの?
807:



静かな病院の廊下。ある病室の外に二つの影があった。
そのうちの一つ――まほは床に膝を抱えて座り込み、もう一つの影―――しほはその隣で壁に寄りかかるように立っていた。
二人とも、目元に深い隈が出来ていて、お世辞にも健康的とは言えない見た目だった。
まほ「……私のせいだ。私が、余計なことを言ったから……」
まほが、顔を膝にうずめたまま泣きそうな声を出す。
彼女の妹みほは、受け入れがたい事実を前に錯乱し、看護師に容態を見られながら薬で眠っている。
そうなったのは自分のせいだと、まほはずっと自分を責め続けている。
しほ「あなたの責任じゃありません。私が事後処理でみほの看病をあなたたちに任せっきりだったから……あなただって、ここ数日ろくに寝てなかったのでしょう?」
まほ「だけど、だけど私は知ってたのにっ!エリカが、みほの……友達だってっ!!」
絞り出すような声。しほの胸に痛いほどの後悔が伝わってくる。娘を、選手たちを、逸見エリカを襲った悲劇は未だ終わってはいない。
事故の原因、被害者及び被害者家族への説明、今後の対策、マスコミへの対応。高校戦車道連盟の理事長であるしほはそれらの対応を必死でしている。
今、病院にいられるのも家政婦兼秘書である菊代に雑務を任せているからに過ぎない。それさえも菊代に大きな負担をかけた上での事である。
ろくに寝ていないのはしほも同じであった。無論そんな弱みを見せるような事はなく、彼女は気丈に前に立ち続けている。
しかし、それでも彼女は母なのだ。娘たちが心身共に傷ついているというのに傍にいてやれない事に、悔しさを感じてしまうのはどうしようもない。
そして、当事者であっても被害者では無い自分では、隣でうつ向いている娘にどれだけ慰めの言葉をかけようとも逆効果でしかないという事を、理解していた。
もっと娘たちと触れ合っていれば、心から話し合える環境を作っていれば、こんなことにならなかったのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。しかし、しほはすぐにその思いを振り払う。
厳しく、冷たい母なのだという事はわかっている。それでも、それが西住流の次期家元である自分が出来る家族と流派の『両立』なのだと言い聞かせて。
           
言い訳じみた内心に自嘲しそうになるも、それを押し殺してしほはまほの肩に手を置く。
しほ「まほ……とにかく、ここは私に任せて。やっぱりあなたは家で休みなさい。常夫さんもいますから」
姉妹の父にしてしほの夫である常夫は、みほが眠っている一週間、まほと共に毎日のように見舞いに来ていた。
みほが目覚めた時も、しほに代わって今後の事を医者と話している最中であった。
今、常夫は家に戻っている。いや、しほが戻らせたのだ。常夫は仕事を休んでまほと共にみほに付きっきりだった。
そんな夫にこれ以上負担をかけるべきではないと判断したしほが家に帰して休ませているのだ。
出来る事ならまほも帰らせたかったが、「絶対に帰らない」そう言って廊下に座り込んだ彼女をこれ以上説得できるとは思えなかった。
ならばせめて貴方だけでも、と。
貴方も、いつまでも仕事を休むわけにはいかない、そうでなくともここで夫にまで倒れられたらどうすればいいのか。
そう言い含めて、ようやく常夫は頷いて、家に帰ってくれた。しほはそれに安堵した。
少なくともいざという時に夫を頼る手がまだ残ったことに。自分でさえどうなるかわからない中、後を任せられる人がいるのが心強いから。
……極限まで張り詰めた心は、これ以上夫の傍にいたら耐えきれなくなり、縋りついて、立てなくなりそうだったから。
「あ、あの……」
悲哀に満ちた会話は、突然かけられた声によって遮られる。二人が声の方に目を向けると、金髪の、随分と小さな、それこそ小学生にすら見えないほど幼い見た目の少女がいた。
けれども、彼女が纏っている服はプラウダの制服で、最低でも中学生なのだという事を示していた。
少女の目は真っ赤に充血していて、今にも泣きだしそうで、震える体を止めようと必死でスカートの裾を掴んでいた。
808:
しほ「……あなたは」
「わ、私は……」
声を掛けてきたものの、二の句を次げないままおどおどとしている少女にしほが尋ね、少女はたどだどしく名を名乗る。
その名を聞いて、最初に反応したのはまほだった。いや、そもそもまほは彼女の顔に見覚えがあった。
決勝の前、挨拶に並んだプラウダの生徒の中で、一際目立つその容姿を、まほは覚えていた。
小学生のような容姿の彼女はつまり、高校生だった。
まほ「それで、お前は……何の用だ」
ようやく立ち上がったまほが少女に問いかける。
少女は病室の扉、おそらくその中にいるみほを震えながら一瞥すると、途切れ途切れに答える。
「わ、私……私が、あの時、?号を撃たせたんです……」
その瞬間、まほが少女に掴みかかる。少女の怯えた様子に構わず、怒りのこもった腕は小柄な少女の体を難なく吊り上げる。
まほ「お前がっ、お前がエリカをッ!?」
充血した瞳は目の前の少女への怒りで一杯で、締め上げる腕はどんどんその力を強めていく。
「ぐっ……あ……」
まほの激しい怒りへの恐怖と締め上げられる苦しさに少女は何も言えなくなる。
まほ「お前のせいでみほはッ!!」
しほ「まほッ!!」
空気を切り裂くような声。それと共にまほの手が掴まれる。
しほの制止に、まほは信じられないといった風に見つめ返す。
まほ「っ……だって、だってお母さんっ!!こいつがっ!!こいつのせいでッ!!?」
娘の叫びにしほは何も言わず、じっと見つめ返す。
その視線にまほは悔しそうに呻くと、ゆっくりと少女を締め上げる力を緩めていき、少女の足が地に戻る。
「げほっ……ごほっ……」
苦しそうに咳き込む少女に目線を合わせるようにしほはしゃがみ込む。
しほ「大丈夫ですか」
「え……?あ……」
しほ「……すみません。娘にはよく言っておきます」
そう言って頭を下げるしほの姿に、まほが納得できないように声を上げる。
まほ「お母さんそいつはッ!!」
しほ「まほ、あなたは下がってなさい」
まほ「だってッ!?」
しほ「――――下がりなさい」
809:
冷たく、どこまでも感情の無い声。厳しく、時に非情なまでに冷静な母だという事は知っていたのに、それでも、初めて聞く声色だった。
その言葉に何も言い返せなくなったまほは、悔しそうに顔を歪めると大きく足音を立ててしほたちから離れていった。
その後ろ姿をしほが悲しそうに見つめていると、目の前の少女から泣き声が聞こえてくる。
「そ、そうです……全部、全部私のせいで……ごめ、ごめんなさい……」
頭を抱えて小さく縮こまり、がくがくと震えている。
ひたすらに、まるで呪文のように謝罪の言葉を呟き続けるその姿はあまりにも痛ましかった。
しほは、彼女の肩にそっと手を置くと、ゆっくりと語り掛ける。
しほ「……違います」
「え……?」
その言葉が信じられなかったのか、少女は大きく目を見開いてしほを見つめる。
しほ「あなたは、チームのためにできることをしただけです。事故は、あくまで事故でしかない。あなたに否はありません」
「だって……だって私のせいで……」
その言葉をしほは首を振って否定する。
しほ「違います。もしも非があるとすれば私たち運営側の人間です。あなた達選手に罪はありません。……あってはいけません」
「そんな、そんなの……」
許されたのに、非は無いと言われたのに、少女はまるで嬉しそうではなく、むしろその瞳は絶望している様に揺れていた。
無理もない。たとえ非はなくとも、知らぬ間に引いた引き金の意味を知った以上、自分に非は無いなどと言われたところでどうやって納得しろというのか。
それでも、その責を背負うべきなのは小さな少女ではなく、私たちなのだ。そう思ったしほは今一度少女に語り掛けようと口を開いて、
「あああああああああああああああっ!!?」
病室から聞こえてきた絶叫に振り返った。
まほ「みほっ!?」
離れてしほたちを見つめていたまほが、絶叫を聞いた途端病室に飛び込む。その後をしほが追う。
病室のベッドでは、先ほどまで眠っていたみほがこの世の終わりのような顔で、叫んで、暴れているのを看護師たちに押さえつけられていた。
みほ「離してっ!!離して!!?エリカさんが、エリカさんのとこにっ!!」
「西住さーん、大丈夫ですよー」
「尖っているものは隠して」
「はいっ」
看護師たちがみほを宥めようとどこか抑揚のない声を掛け続ける。
それを、まほは呆然と見つめていた。
まほ「みほ……」
その呟きはみほの耳には届かない。いや、聞こえていたとしてもきっと何も変わらないだろう。
みほはでたらめに手足を振り回し、何もない虚空に叫び続ける。
810:
みほ「エリカさんっ嫌ッ!!私をっ、私を一人にしないでっ!!?」
まほ「あ……」
まほが膝から崩れ落ちそうになる。後から追ってきたしほがそれを支え、なんとか立たせようとするも、力なくへたり込んでしまう。
しほ「まほ、しっかりしなさい」
そう言うしほの言葉には、いつもの気迫はこもっていなかった。
みほ「なんでっ、なんでエリカさんがっ!?私は、私が助けないといけなかったのにっ!?」
「う、ぁ……」
その時、後ろからうめき声のようなものが聞こえた。
しほが振り向くと、そこにはみほの惨状を見て立ち尽くすプラウダの少女がいた。
しほは心の中で舌打ちをする。見せるつもりはなかった。見せてはいけなかった。
今回の事故が自分のせいだと責めている彼女に、再びショックを与えるような事は避けなければならなかった。
慌てていたのは、動揺していたのは、しほも同じだった。
こうなってしまった以上、彼女をここにいさせてはいけない。
しほは内心の動揺を悟られないよう、少女に話しかける。
しほ「……あなたは、もう帰りなさい。これ以上ここにいても辛いだけです」
「だ、だって……」
少女の瞳は、話しかけているしほを見ていない。
揺らぐ瞳はそれでも、みほの姿を捉え続けていた。
みほ「やだよ……嫌だ!!エリカさんっ!!私の、私の手を握ってッ!!?エリカさんっ!!」
みほが叫ぶたびに、その小さな肩がびくりと震える。
もう、見ていられなかった。
しほ「……お願い、帰って」
突き放すような言葉になったのは、少女を気遣ったからだ。
これ以上、ここにいたら取り返しのつかない傷になる。
しほはそう考えた。
「あ、あ……あ、あああああああああッ!!」
少女は泣き叫びながら走り去っていった。出来る事なら、もっと落ち着いた場所でしっかりと話してあげたかった。
あなたは悪くないと、ちゃんと理由を述べて納得させて、家に帰してあげたかった。
しかし、今のしほにその余裕はない。目の前で愛する娘が泣き叫んでいるのにそれを放っておくことなど出来なかった。
811:
しほ「……ごめんなさい」
もう見えなくなった小さな背中に、しほは謝った。
突き放すような言葉になったのは、少女を気遣ったからだ。
それは、嘘ではない。
けれど……もしかしたら、自分があの子を傷つけてしまうかもしれない。そう思ってしまった。
そんな事絶対にない。そう言い切れない自分をしほは恨んだ。
みほ「エリカさんッ!!エリカさんッ!?どこなのっ!?どこにいるのっ!?ねぇ!!?エリカさんッ!?」
まほ「みほ、わた、私は……私はお前の……」
まほはぶつぶつと、言葉に出来ていない言葉を呟く。
しほは唇を噛みしめ、まほを支え、立ち上がらせようとする。その腕にどれほどの力が込められているのか、自分でもわからなかった。
病室に響く絶叫はどこまでも悲しみと絶望に満ちていて、それでもしほは、気丈に振舞った。
そうするしか、無かった。
81

続き・詳細・画像をみる


「一撃60ダメージの9連続攻撃」「一撃600ダメージの強攻撃」 ←どっち選ぶかで陽キャか陰キャかわかる

彼女「別れたい」←これ結局なんて返すのが正解やねん

女の子「…眠れないしお酒買いに行ってこよ」

【画像】美人議員さん、ものすごい過激な服装で国会に立ってしまうwwwww

弟が軽自動車でドライブに行った。相手は女の子で、軽に乗って行ったら引くかどうか見たかったらしい

芸人「ってかお前…」 ワイ「!!!」ガタッ 芸人「ハゲとるやないkリモコン「ピッ」

意識高い系「インド行って世界を知ったw」 ぼく「ふーん」

男「あなたの自殺を止める気なんて、僕にはこれっぽっちもありませんよ」「ただ1つだけ、抱かせてくれませんか?」自殺しようとする超美人に説得した結果www

【SS】鎮守府 連装砲ちゃん歩き

【悲報】コンビニのオーナーからセクハラを強要される女子店員が相次ぐ 「エロ本検品しろ」

お前ら撮り鉄に厳しいなw

「一撃60ダメージの9連続攻撃」「一撃600ダメージの強攻撃」 ←どっち選ぶかで陽キャか陰キャかわかる

back 過去ログ 削除依頼&連絡先