【デレマス】「先輩プロデューサーが過労で倒れた」back

【デレマス】「先輩プロデューサーが過労で倒れた」


続き・詳細・画像をみる


久々に良作の匂いがするさね
改行少なめなこの密度で読みやすいのはなかなかできることじゃねぇ
27: 以下、
荒木先生カッコいいじゃねえか
キャラがカッコいいSSは良作
春菜裕美ほたるも期待
29: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:01:13.95 ID:LHxNoXTK0
 人生はいつも、自分の力だけで思い通りにはできない。
 なりたいものがあっても、得たいものがあっても、それらが一人の力で手に入れられるということは決してない。
 ライバルが自分よりすこし優れているだけで。
 協力者であるはずの人物の力が足りないだけで。
 その夢はあっけなく崩れる。
 目の前にいるこいつらに、この人がプロデューサーじゃなければ夢を掴めたのに。
 そう思われて終わることだって、ありえないわけじゃない。
 そのときは潔く、自分が無能であることを受け入れなきゃいけない。
 そうじゃなきゃ、目の前のこいつらが力のない無能だってことになってしまう。
 そうじゃなきゃ、アイツは力がないのに夢を目指したただの道化になってしまう。
30: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:03:40.34 ID:LHxNoXTK0
「……そう言うわけで、これからよろしく」
 俺がプロデュースするアイドル全員が揃った、初顔合わせの日。
 美城プロダクションのミーティングルームでユニット活動の概要を伝え、最後にそう挨拶した俺に対して、五人のメンバーはそれぞれの反応を返してきた。
「がんばりましょうっ! いよいよですね! 燃えてきましたーーー走りますか!」
 音を立てて椅子から立ち上がったのは茜だった。鼻息荒くしているところを隣の比奈になだめられている。
「茜ちゃん落ち着いて、走らなくていいっス……いやぁ、なんか実際アイドルになるって……実感わかないっスね、まだなんにもしてないっスけど」
 比奈は茜の服の裾をひっぱりもう一度椅子に座らせながら、のんびりと言った。
 比奈は部屋でみたのと同じ、野暮ったいジャージ姿だ。アイドルっぽさのかけらもない。
「私……皆さんに迷惑だけはかけないようにしないと……」
 白菊ほたるは、両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、足元のあたりに視線を落として、不安そうにしている。
「まぁまぁみなさん……とりあえず、お近づきの印と、ユニット活動開始を記念して、眼鏡どうぞ!」
 上条春菜は立ち上がると、カバンから次々に眼鏡を取り出し、その場にいる全員の前にひとつずつ並べていく。
 色や形が違う。メンバーに合わせて選んできたのだろうか……俺の分もあった。
「ちょっと、待ってよ」
 すこしとげのある声がして、眼鏡を配る春菜の手が止まった。部屋の全員が声の主のほうを見る。
 関裕美が、真剣な眼で俺を見ていた。
「いきなりプロデューサー交代って言われても、納得できない。私のことをスカウトした人は、どこにいっちゃったの?」
「あー、っと、その、怒らないでほしいんだが」
「怒ってない」
 裕美は俺の声を遮るように言った。言ってから、俺のほうを見ていた目を逸らす。
 唇をぎゅっと閉じて、怒りとも哀しみともつかない表情で壁のほうを見つめていた。
 ほかのメンバーは不安そうな顔でこちらを見ていた。
 茜はどうしたらいいのかわからないらしく、俺と裕美とを交互に見て困っている。
「……もともとお前たちをプロデュースする予定だった先輩は、過労で倒れた。だから、俺が引き継ぐことになったんだ。急ですまないが――」
「か、過労……」ほたるが消え入りそうな声で言う。「……やっぱり私が、いるから……」
 裕美とほたるを中心に、ミーティングルームには重い空気が流れ出す。
 俺は困惑した。裕美が先輩の不在で不安なのはわかる。が、ほたるはどうして必要以上に沈んでいるのか。
「いや、だからその」俺は明るい声を作るように努めた。「先輩に比べたら力不足かもしれない。けれど、先輩が戻るまでのあいだは、きっちりやるつもりだから」
 俺は記憶を探った。先輩ならこういうときにどう言っただろうか。俺がプロデュースするから、安心しろ、だったか。
31: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:05:04.92 ID:LHxNoXTK0
「――だから、俺がプロデュースするから、みんな」アイツの顔がちらつく。「一緒に、がんばろう」
 ほんのすこし、沈黙が流れた。
「そっか……病気じゃ、しょうがないよね」
 裕美はそう言って、目を細めて小さなためいきをついた。
 笑顔ではなかった。
「そうっスね、まー、やってみましょーか。アタシ、アイドルとかどうすればいいのかわからないっスけど……やってみないと、なにも始まらないですし、やりはじめればどうにか形にはできるもんスよ」
 比奈が助け舟を入れてくれる。
「そーです!」
茜が再び立ち上がる。ほたるがそれに驚いたのか、小さく悲鳴を上げた。
「ピンチにこそチームワークを発揮して乗り切るときですよ! ここにいるみんなならできます! メンバー一同頑張りましょう! ファイトーーーーォォォ……あれ?」
 いつものシャウトが来るかと思いきや、そこで茜は首をかしげる。
「このチームの名前、なんて言うんですか?」
「そういえば、ユニット名、聞かされてないですね」
 春菜が思い出したように言った。
 気が付くと、さっきとちがう眼鏡をかけている。
「ああ、ユニット名は……まだ未定だ」
「……未定スか」
 比奈に確認されて、俺は頷いた。
 先輩の残した資料に、ユニット名は書かれていなかった。
 俺が茜をスカウトするより前、メンバーが決まりきってない段階の資料だったから、最後の一人をスカウトしてからつけるつもりだったのかもしれない。
 引き継いだ身として一応ユニット名を考えてはみたものの、あまりしっくりくるものが思いつかなかった。
 そもそも俺は名づけなんてしたこともない。下手に触るよりかは、先輩が戻るまで未定にしておくほうがいいようにも思えた。
「曲のリリースまでには決まるさ」
 俺はそう言い訳する。『決める』ではなく『決まる』という表現を使ったのは、ユニット名は必ずしもプロデューサーが決めるものではないからだ。
 ユニットメンバーの中から出ることもあれば、誰かお偉いさんがつけることもある。
「うーん、いろいろ宙ぶらりんっスね……はは」比奈が乾いた笑いを発した。「それで、次の予定は、資料によると……宣材の写真撮影、っスか?」
「ああ。このあとはスタジオで撮影だ。実際に活動を始めたほうが、あれこれ悩むより掴めるだろう。俺も先輩から引き継いだばかりでイメージ不足だ。みんなも不安だろうが、一歩一歩やっていこう」
 自分を落ち着かせるように、俺はそう口にした。
「センザイ! 洗うんですか! 任せてください! マネージャーですから、みんなのユニフォームだってよく洗ってますよ!」
 茜のおそらく本気の間違いは、勢いがありすぎて誰も訂正できなかった。
32: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:07:24.83 ID:LHxNoXTK0
----------
「おお」
 着替えとメイクを終えてスタジオに入ってきた五人を見て、俺は声を漏らした。
 春菜、ほたる、裕美の三人はユニット結成前に撮ったソロの宣材写真があり、俺も目を通している。
 そのイメージと大きな差はないが、衣装も違うし、写真で見るのと実際に見るのとでは印象が違う。春菜は姿勢がよいせいか、写真よりも清楚なイメージだ。
 ほたるはやや暗めのコーディネートにしているにも関わらず、スタジオの照明の効果でネガティブなイメージは払拭され繊細なイメージを得ている。
 あとは表情が明るくなればより魅力を増すだろう。
 裕美もドレスを身に纏うことによって、広く見せた額が動的なイメージを作り出し、コサージュもよく似合っている。
 比奈はそもそも普段の姿とのギャップが大きく、衣装をまとうだけで化けるが、メイクによって一層映えた。
 五人の中で最年長だからか、スタイリストも全体的に大人っぽさを強調させることを意識したようだ。
 一方でヘアメイクは敢えて隙をのこし、本人の無防備さ、無頓着さを素朴な色気に転換している。
 茜はというと、顔を真っ赤にして、お腹のあたりを腕で隠すように抱えていた。
 スタイリストが選んだのはホットパンツとショート丈トップスのへそ出しファッションだった。
 大きなリボンで長い髪を結び、髪の先はもとからの癖をさらに強調するようにアレンジしている。
 本人があれだけエネルギッシュなら、順当なコーディネートだ。
「プロデューサー! その……お腹がすーすーします!」
「暖房つけるか?」
「そういうことじゃないと思うっスよ」
 比奈が苦笑いした。
 カメラマンによる撮影が始まってからは、基本的に俺は見ているだけだ。
 俺自身もユニットのイメージをつかみ切れていないので、写真についてはカメラマンの感覚に任せている。
 衣装とアイドルが映えるように撮ってもらえればいい。素人が口を出すよりいいものができあがるだろう。
 春菜、ほたる、裕美の三人の撮影は、三人ともすでに経験があって順調だった。
 続いて比奈の撮影に移る。
「い、痛いっス……これ以上は……無理っスよ……」
「もうちょい頑張って、もうすこし深くしたほうが一番いい角度になるから!」
「う、うぐぐぐ……これで……どうっスか……?」
 カメラマンのリクエストに、比奈はポーズの腰の角度をさらに深くする。
 インドア生活で運動不足なのだろう。カメラマンの指示したポーズを維持するのがものすごく辛そうだ。
「オッケー、それで笑って!」
「無理っス! 心も体も折れるっス! アタシ、スタンド使いとかじゃないっス!」
 撮影が終わった頃には、比奈はチェアーでぐったりしていた。
33: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:08:52.45 ID:LHxNoXTK0
 次は茜の撮影だ。
「うん、いいよ、もっとポーズに勢いつけてみようか!」
「勢いですね! こうですか!?」
「あー実際に動いたらブレちゃうから、止まって、止まって!」
「はい!」
「でも勢いはつけて」
「はい!」
「あはは、だから動いたらブレちゃうって! あははは、じゃあもうそれでいいや、気合入れて!」
「ボンバーッ!」
「はいボンバー! あははは」
 茜のキャラクターは妙にカメラマンの笑いのツボに入ったらしい。
 素人である茜の撮影がカメラマンにとってのストレスにならなかったことが幸いだった。
 茜は撮り終わった写真を見せられながら、カメラマンからかわいいと褒められて顔を真っ赤にしてスタジオを走り回っていた。
 最後には五人そろっての写真を撮る。
 ぜひ全員眼鏡でとねだる春菜のリクエストで、眼鏡で記念撮影のように一枚。これにはなぜか俺も巻き込まれた。
 その後はアイドルだけで撮影が続いた。比奈が「若いコに囲まれて複雑な気分っス」とぼやき、茜は自分よりも年少である裕美とほたるの二人と並んだときに「もう少し背が高くなりたいです! 牛乳飲みます!」と意気込んでいた。
 撮影後は、それぞれ普段着に戻り、五人に初心者向けの一眼レフカメラを一台渡して、プロダクションの内部を使ってお互いの写真を自由に撮らせた。
 特にルールは設けずに、社内のカフェや団らんスペースでおしゃべりをしながら日常的な表情を撮る。
 先輩がやっていた手法で、アイドルたちの親睦を深めながら、キャラクターを把握するのによい手段なのだろうと俺は理解していた。
 撮影の日が終わり、プロデューサールームの俺のデスクの一角には、ユニットのアイドルたちの写真をスライドショーするデジタルフォトフレームが増えた。
34: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:10:41.24 ID:LHxNoXTK0
 それから日を置いて、ダンスレッスンがはじまった。
 春菜、ほたる、裕美の三人は、プロダクションのアイドルイベントにバックダンサーとして参加する予定が入っている。
 それに合わせて、茜と比奈もレッスンに参加し、基礎のステップから順に慣れていってもらう。
「それでは、まずは曲のあたまからやってみましょう」
 トレーナーが五人の前に立ち、手拍子をはじめる。
 カウントのあとに、五人それぞれがステップをはじめた。
 春菜、ほたる、裕美の三人は本番も近いので、ダンスはほぼ完成した状態だ。
 それぞれに細かく指摘すべき点はあるのだろうが、バックダンサーということであれば、現状でもステージで十分通用する。
 ここからのレッスンは確認と反復練習が中心だ。
 いっぽうの茜と比奈は今回の参加が初めての本格的なダンスレッスンということになる。
 事前に資料を渡して振付を覚えるように伝えてあり、二人とも自宅で練習していたようだ。
 しかし本番やそれを想定したスタジオのレッスンのような環境は、個人練習とはまったく状況が異なる。ただ振付を覚えればよいというものではない。
 レッスンから二十分も経たないうちに、比奈は床にすわりこみ、茜もびっしょり汗をかいている。
 トレーナーは最後に茜と比奈の二人だけを残し、それぞれのダンスの状態を見た後に、最初の休憩の判断を入れる。
「お疲れ様です! お水、しっかり摂ったほうがいいですよ!」
 春菜が茜と比奈に水の入ったペットボトルを渡していく。レッスン室の端の机に俺が用意していたものだ。
「ありがとうっ、ございます」
「……ありがとうっス」
 二人は肩で息をしながらそれを受け取った。
 春菜たち三人は体力もまだ余裕が見える。
 トレーナーはクリップボードにメモを取りながら、二人にレッスンのフィードバックをしていく。
「荒木さんは基礎体力からですね。あとでメニューを作ってプロデューサーに渡しておきます。体力をつけるのは時間がかかりますから、これから毎日着実にがんばって行きましょう」
「了解っス……いやぁ、激しいっスね、アイドル……明日は確実に筋肉痛っス……」
「体力がつくと、身体を動かすのも楽しくなりますよ!」
 トレーナーはにっこり笑う。
「あはは、まぶしいっスね……」
「それで、つぎは日野さんですね」
「はい、っ……」茜の返事は詰まり、茜は一つ咳こんだあとに返事をしなおす。「はい!」
「茜ちゃんも思ったより疲れてるみたいっスね、体力ありそうなのに、アイドル恐るべし」
 比奈がそう言って水を口に含む。
「頑張りが足りないですかね……もっと走り込みを増やします……!」
「茜ちゃんでそんなになら、アタシはまだまだ遠そうっスね……」
「あまり心配しなくても大丈夫ですよ」トレーナーがフォローに入る。「日野さんは運動部だけあって、基礎的な体力は大丈夫だと思います。いま疲れてしまうのは、振り付けを覚えきっていなかったり、周りのメンバーの動きとのズレに惑わされてしまうからですね。不必要に大きな動きをしたり、呼吸が整わなかったりして、余計に疲れてしまうんです。振付が身について、みんなと一緒に踊ることに慣れれば、疲れすぎずに踊れますよ」
「なるほどっ! がんばります!」
 茜は嬉しそうに握り拳を作った。
35: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:11:58.85 ID:LHxNoXTK0
 トレーナーがこちらに歩いてくる。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です……どんな感じですか?」
 俺が尋ねると、トレーナーは笑顔のまま一つ頷いた。
「ええ、上条さん、白菊さん、関さんの三人は問題ないでしょう、ほかのバックダンサーのメンバーとの調整も時間はかからないと思います。日野さんと荒木さんも、筋はいいですよ。日野さんは動きが大きくなりがちなので、ユニットダンスでは周りに合わせてもらうようにレッスンしていきます。荒木さんは体力が課題ですが、ダンス自体はしっかり覚えてますし、自分の動きをしっかり見ながら練習できているみたいです」
「なるほど」
 ひとまず心配することはなさそうだった。
 比奈はマンガを描いていた経験が美的センスとして応用できているのだろうか。
 なにが活きるかわからないものだと俺は思う。
「うーん、思ったよりもハードなものだったんスねえ……」
 比奈がこちらに歩いてきていた。豊かな髪に汗がキラキラ光っている。
「そこらのスポーツなんかよりはずっと、体力を使うな」
「自信なくなってきたっス……」
 比奈は肩を落とす。その目はダンススタジオ中央で、小さな動きでダンスを確認している茜を見詰めていた。
 茜は短時間の休憩でも体力が回復してきたようだ。
 アイドルのステージは見た目の華やかさに反し、実際には体力勝負だ。
 衣装を着て歌いながら激しいダンス、それを何曲も続けていく。
 さらに全プログラムを通して笑顔を保ったままで続けなくてはならない。ツアーとなれば連日だ。
 体力的に限界が訪れていても、たとえステージ中にけがをしていても、アイドルは苦痛に歪んだ顔を決してステージでは見せない。
 だからこそ華やかさを保てる。羨望の的にもなれる。
「トレーナーも言ってた通り、こればかりは一朝一夕では身につかないさ。毎日頑張れよ」
「マンガもすぐに上手くなるもんじゃないですし、わかってるんスけどね……うう、引きこもりには厳しいっス……」
 比奈は自分の太ももを揉みながら、うめき声をあげていた。
 そのあとも数十分、レッスンは順調に続いた。
36: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:14:45.25 ID:LHxNoXTK0
 その日以降、メンバーばらばらに数回のダンスレッスンと、合間を縫ってのボイストレーニングを経て、春菜、裕美、ほたるがバックダンサーを務めるイベントの本番の日が訪れた。
 現場は中規模程度のライブステージ。エンタメ系の大規模展示会の中のイベントステージという位置づけだ。
 特に出番があるわけではないが、ステージを見学させておくために、茜と比奈も現場に呼んでいる。
「それでは、行ってきますね!」
 ステージ裏、衣装に着替えた春菜が、舞台袖の隅にいる俺たちに笑いかける。
 比奈が軽く手を振り返し、茜はがんばってください、と本人なりに抑えた声でエールを送っていた。
 今日はユニットとしての活動ではなく、仕切りもメインのアイドルのプロデューサーだ。
 春菜たちもほかのバックダンサーとともに行動している。
「笑顔、笑顔……だいじょうぶ」
 裕美が胸に手を当ててつぶやいている。緊張しているのかもしれない。
 ほたるも不安そうな顔をしている。
 ダンスは丁寧すぎるくらいに練習していたので心配ないとは思うのだが。
「舞台裏……初めて入ったっス。こういう風になってるんスね……」
 比奈はあたりを眺める。
「裏から見ると、表とは全然違うんですね! こう、木! っていうんでしょうか!」
 茜がセットの裏側を見て言った。
 確かに、舞台裏には独特の雰囲気がある。表側の華やかな雰囲気とは違い、装飾されていない側の無骨な木材、鉄筋と、機材のケーブル、照明。客席やステージ上とは対称的な静けさ。音はステージのセットに遮られ、こちらと向こうが別世界であることを無意識にも実感する。
 そして、伝わってくるスタッフたちの緊張感。ここは、舞台という異空間を支える、あらゆる専門家たちの戦場だ。
「……よく見ておくっス」比奈が真剣な顔になっていた。「きっと、貴重な機会っス」
「おいおい、そのうち出る側だぞ」
「そうっスけど……いまのこの新鮮な気持ちはきっと今だけっス」
 比奈はそう言って、薄く笑った。――ぞくりとさせられる。
「確かに、比奈さんのいう通り……なんだかすごいですね」
 茜も、なにかに憑かれたようにステージのほうを見ていた。
「みなさん、今日はおねがいしまーす!」
 高い声がひびいて、俺たちはそちらを注目た。
 うさぎの耳をつけたアイドルが、バックダンサーたちに頭を下げて挨拶をしている。よろしくおねがいします、とバックダンサーたちの挨拶が返った。
37: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:15:27.48 ID:LHxNoXTK0
「あの人が、今日の主役なんですね!」
 茜がきらきらした視線を向けていた。
「ああ、安部菜々。けっこうキャリアの長いアイドルだ」
「あれ? あのヒト、プロダクションの中で見た気がするっス」
「カフェじゃないか? プロモーションも兼ねて働いてるって聞いた気がするな」
「カフェ……たぶんそうっス」
「そうなんですか! 何歳なんですか?」
「十七歳だ」
「え? プロデューサー、さすがに十七歳は」
「十七歳だ」俺は比奈の言葉を遮った。「安部菜々は十七歳だ」
「……了解っス」
 会話をしていると、安部菜々がこちらに歩いてくる。
「安部、菜々です! 今日はよろしくお願いします!」
 安部菜々はそう言って丁寧に深く頭を下げた。うさ耳がその動きに追従する。
「いや、俺たちはスタッフではなく、今日は見学で。美城プロダクションの新人のアイドルの現場見学なんです」
 俺は両隣に立っている茜と比奈を示す。
「日野茜です! よろしくお願いします!」
「荒木比奈っス。ステージ、がんばってくださいっス」
「そうだったんですか! 茜ちゃんに、比奈さん! これからよろしくお願いしますね! それでは!」
 安部菜々はにっこり微笑むと、待機位置へと向かって行った。
「すっごくカワイイ人でしたね!」
「オーラすごいっスね……あれが、アイドル……アタシもあんな風に、なれるんでしょーか」
 比奈のつぶやきに、俺は返事をしなかった。
 アイドルとしてきっちりキャラクターを作り、比奈たちを魅せることができる安部菜々ですら、アイドルとしてのトップ層ではない。
 ステージ上の音楽が胸を打つほどに大きくなり、スタッフがにわかに騒がしくなった。安部菜々のステージが始まる。
38: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:16:54.73 ID:LHxNoXTK0
「始まるぞ」
 俺が短く言うと、茜と比奈も真剣な表情になった。
 スタッフが出演者たちに合図をした直後、ステージと舞台袖とを隔てるカーテンを開く。
 安部菜々はスタッフとダンサーたちに向かって穏やかな顔で頷いたあと、暗転しているステージへと飛び出していった。
 そのあとを、バックダンサーたちが追いかける。
 茜が小さく「頑張って」と声に出した。春菜たち三人に向けたのだろう。
「菜っ々でーーーーっす!」
 舞台の明転と同時に、高く明るい安部菜々の声がステージに響いた直後、雄たけびのような歓声が返ってくる。曲の前奏が流れた。
「メンバーの入場は終わった、もうすこしステージの近くまで寄ろう」
 俺は客席が見えるか見えないかのところ、アイドルたちの背中が見えるあたりまで二人を連れていく。
 そこから垣間見えるのは、アイドルしか見ることが許されない景色。
 ステージライトと、無数のサイリウムの光の波に照らされ。
 音に乗り、歓声と熱気に包まれて。
 場の全てのエネルギーが、その中心にいるアイドルへと向けられる。
 普通の人生では絶対にたどり着けない夢の世界が、そこに広がっている。
 茜と比奈は、声を発することもなく、ただ安部菜々というアイドルのステージに見入っていた。
 俺はそこから二歩下がった。二人が少しでもよくステージを見ることができるように。
 ステージを見つめる二人を見て――心がちくりと痛んだ。どんなに憧れても。求めても。
 あそこまでたどり着けないアイドルだっている。
 たった一歩の距離、たった一枚の薄い緞帳で遮られたあの向こう側には、才能と運に恵まれた、運命の女神に見初められた者しか、たどり着けない。
 たどり着けないものもいる――だから。
 プロデューサーなんて、やりたくなかったのに。
 俺は目を細めた。同時に、曲が終わり、客席のほうからは再び、歓声の音の波が襲ってくる。
 茜と比奈が同時にこちらを向いた。
「……すごいっスね」
 比奈が真剣な眼をして言った。
 ふだんよりゆっくりとした動きで、比奈は自分の頭を掻く。すこし震えているのかもしれなかった。
 茜は声すら出せていない。口で、ゆっくりと深く呼吸していた。
 胸の内の興奮をどう表現したらいいかわからない。そんな表情だった。
「……二人とも、まだ美城プロダクションのアイドルステージは何曲かある。立ち見になるだろうが、客席のほうからも見てみるといい。俺はここに居るから、ステージが終わったらまたここに戻ってきてくれ」
 そう言って、客席側へと続く通路を示した。
 二人は頷くと、客席のほうへと歩いて行く。
 俺はその後ろ姿を見送って、それから肩をすくめた。
「先輩、早く……戻ってきてくれませんかね……」
 ぼそりと呟いた俺の声は、次の曲のアイドルに向けられた歓声にかき消された。
39: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:18:04.40 ID:LHxNoXTK0
----------
「お疲れ様でしたーっ!」
 イベントをトラブルなく終えた撤収中の会場に、出演者、スタッフ全員の声が響く。
 これ以降はスタッフは資材の片づけへ、出番が終わったアイドルはそれぞれに解散となる。
 打ち上げがあるにはあるが、各個人の事情を考慮して、出席が必須というわけではない。
 各所に挨拶を終えた春菜、裕美、ほたるの三人が、俺と茜と比奈のいるあたりへやってくる。
「みんな、お疲れ様」
「お疲れ様です!」
「お疲れ様」
「お疲れ様でした……」
 声をかけた俺に、三人が三様に返事を返してくる。
「ふう、無事に終わって、よかった……」
「ええ、本当に……事故もなにもなくて、よかったです」
 裕美とほたるが穏やかな笑顔で安堵の息をついた。
「二人とも、すっごくかわいかったですよ! キラキラしてました!」
「そう? ……ありがとう。ちょっと自信、ついたかな」
「ありがとうございます」
 茜が目を輝かせて二人を褒めると、裕美とほたるは恥ずかしそうに笑った。
 ステージのあとは、緊張からの解放と、肉体の疲労とで、格別の充実感が得られる。
「私はちょっとだけ失敗しちゃって……つぎはもっと頑張らないと」
 春菜は胸の前で握り拳を作った。失敗があったということだが、とくにショックを受けているわけではないようだ。
「ぜんぜん気づかなかったっスよ、お客さんも気づいてないと思うっス。マンガも展開が熱ければちょっとくらいおかしくったってどうにかなりますし」
「そうだといいんですけどね……」
 比奈のフォローに、春菜は苦笑いした。
「おおおーーっ! 私! 燃えてきました! あれがアイドルなんですね! キラキラして、みんなを熱くして……すごいです! その……すごかったんです!」
「あはは、茜ちゃん、さっきから興奮しすぎちゃって、ずっとこんな感じでして」比奈が春菜たちに説明する。「けれど、アタシも興奮したっス」
「つぎは、この五人でステージに立ちましょうね!」
 春菜がにっこり微笑んだ。比奈は頷く。
「はいっ! 私も、やりますよぉーーっ! ファイヤーーーーッ!」
 茜は拳を天井へ向かって突き上げて、周りが注目するほどの大きな声で雄たけびを挙げた。
40: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:19:28.32 ID:LHxNoXTK0
「……アイドルのライブ、初めてちゃんと見たっス」
 比奈が俺のとなりへと歩いてくる。
 興奮しっぱなしの茜のほうを眺めながら、比奈はつづけた。
「引きこもってたアタシでも、リア充の世界に、あの舞台に立てるのか……わからないっスけど、ちょっと、興味出てきたっス。なんだか……すっごく熱いマンガ読んだときと似てるっスね、なにかしたくて、いてもたってもいられなくなる感じっス」
「……そうか」俺は比奈の横顔を見た。「良かった」
「でも、プロデューサーは、あのステージを見ても、辞めたいって思っちゃうんスね」
「……」
 俺は沈黙した。比奈はこちらを見はしなかった。
「慣れっスかね……マンガも、ある時を境にぱったり描かなくなっちゃう人はいるっス。みんな最初は、熱を持ってたはずなんスけどね。どこに置いてきちゃうのか……アタシは少なくとも、さっき感じた熱さはもう少し、追いかけてみるっスよ。今はプロデュース、おねがいするっス」
「……ああ」
 俺の返事を聞いて、比奈はひとつ頷くと、また茜たちのほうへ歩いて行った。
 茜は両手に裕美とほたるそれぞれの手をとって、天井に向かって掲げると、大きな声でいつものシャウトをしていた。
 その不安の欠片も持っていないような、突き抜けた明るい声と表情に、俺は思わず目を細めた。
 その数日後。
 俺は上司から、過労で倒れた先輩の容態が悪く、復帰には時間がかかることを伝えられることになった。
第三話『ハートに火をつけて』
・・・END
 
41: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/07(日) 01:27:08.52 ID:LHxNoXTK0
長々すいません。
あたたかいお言葉ありがとうございます。励みになります。
続きは14日に。
42: 以下、
長い?
むしろ短いくらいだなあ!!
面白いよ乙!
45: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:04:27.14 ID:gwN8ecrL0
 幼なじみのアイツは、いつもテレビの向こうのアイドルに憧れていた。
 田舎町だ、娯楽なんてなんにもない。だから、夜が更けてからはどの家もみんなテレビを見ている。
 テレビの向こうできらきら輝くアイドルになるのが夢なのだと、アイツはいつも話していた。
 そして、ついにアイツはそれを実行に移すことにしたんだ。
 あの頃はまだ、それがどんなに険しく、厳しく、辛い道かなんて、知らなかったから。
「行きましょうっ! プロデューサーさん!」
「早すぎだろ。待ち合わせの時間まで一時間以上あるぞ」
 大声をあげながらプロデューサールームに入ってきた茜に、俺は応接用のチェアに座っているようジェスチャーで示した。
「いてもたってもいられませんでしたっ! 今日はついにっ! 私のはじめてのお仕事なんですよ!」
 茜は頬を紅潮させ、鼻息荒くチェアに腰かけた。
「ああ知ってる。俺が取ってきた仕事だからな。体力仕事だ、温存しておいたほうがいいぞ」
 そう言って俺はデスクのコーヒーカップに手を伸ばす。
 茜が待ち合わせ時間よりも早く来るのは毎度のことで、すでに驚くこともなくなっていた。
 さすがに、一時間以上早いのは新記録だったが。
 アイドルユニット結成から一カ月とすこしが経った。
 茜たち五人は各種レッスンを順調に重ねている。
 合間をぬって、春菜、裕美、ほたるたちにはプロダクションから振られる各種の仕事をやってもらっていた。
 イベントスタッフや司会、ちょっとしたラジオ出演といったところだ。メンバーそれぞれが知られればユニット全体の後押しにもなる。
 茜と比奈にも、単純な仕事から少しずつ振り分けていくことにした。
 茜は今日が初の仕事となる。比奈にも同じ仕事を打診してはいたが、即売会だからと断られてしまった。
「仕事の資料は読んだな?」
「はいっ!」
 茜は元気よく返事をする。その目はエネルギッシュに輝いていた。
「復習しておくか。今日はショッピングモールで行われる子ども向けイベントのアシスタントだ。いわゆるヒーローショーってやつだな。ショーのメイン司会はプロダクションの別のアイドルが担当するから、指定の衣装を着ての販促物……風船配りが仕事だ。バイトみたいなものだと思っていい。それでも、プロダクションの名を背負ってやることだからしっかりな」
「はいっ!」
「屋内だから日差しにやられる心配もないし、難しくはない。それでも疲れたと思ったら無理せず休憩を入れろよ。……伝えるのはそのくらいだぞ。どうするんだ、あと一時間」
「そうですね……走り込みしてきますか!」
「体力を温存しろって言ってるだろ」
 俺は茜にそう言って肩をすくめた。すこしずつ分かってきたが、この情熱が茜の魅力の源泉だ。
 俺は買っておいたペットボトルのお茶を手渡す。
「ライブの予習でもしていたらどうだ。ああ、でも声は張るなよ、イベントでは一日声を出し続けるんだ、思ったより疲れるぞ」
「わかりました!」
 茜は自分の鞄からオーディオプレーヤーを取り出し、イヤホンをつける。
 俺も事務作業に戻るべく、デスクのモニターに視線を戻した。
 ほどなくして、茜の鼻歌が始まった。曲に合わせて、小さく体を動かして振付を確認している。
 先週、茜たち五人にとっての初のステージが決まった。
 五人のための曲の完成よりも前のイベントなので、既存の曲を使う。
 プロダクションの看板のような曲で、所属したアイドルたち全員のための曲、どんなメンバーやユニットでも歌う曲だ。
 しばらくのあいだは、この曲と新曲のスケジュールを並行して進めることになるだろう。
 プロデューサールームの中には、しばらくのあいだ、俺がキーボードを叩く音と、茜の鼻歌だけが流れ続けた。
 とても、穏やかな時間だった。
46: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:07:16.51 ID:gwN8ecrL0
 都心から特急一本で行ける地方都市。
 休日のショッピングモールは人でごった返していた。
 吹き抜けの一階部分に設置されたステージの周囲では、慌ただしくイベントの準備が始まっている。
「美城プロダクションです、今日はよろしくお願いします」
「よろしくおねがいしますっ!」
 茜の大声の挨拶は、あたりの人々全員の注目を集めた。
 俺は愛想笑いしながらショッピングモール側の責任者に名刺を渡す。
「それで……メイン司会の弊社タレントが先に来ているはずですが、到着していますか?」
「ああ、スタッフ用のテントへご案内しました。狭くて申し訳ないです」
 モール側の責任者はステージ裏手のテントを示した。
「とんでもないです」
「開始時刻になりましたらお呼びしますね」
 言って、責任者は準備へと戻っていった。
 俺は茜とともにスタッフ用のテントへ向かう。
「失礼します」
「今日はよろしくお願いします!」入るなり、元気のいい声が中から聴こえてきた。「美城プロダクションの堀裕子です!」
「ああ、我々も美城プロダクションだ、すこし遅れてしまってすまない」テントの中を見回す。堀裕子以外には俺たちしかいなさそうだ。堀裕子へ茜を紹介する。「こっちは今日のアシスタント」
「日野茜です! よろしくおねがいします!」
「開始までまだ時間があるようだし、二人ともゆっくりしていてくれ」
 俺は茜に椅子に座っているように指示し、その場に立っていた堀裕子も椅子へと座らせる。
 堀裕子。
 俺は記憶を掘り起こす。確か、超能力者だとかで売り出しているアイドルだったか。
 オーディションで超能力があると言って憚らなかったらしい。採用に至ったのは度胸が認められたのだろうか。
 まさか、超能力を信じて採用されたなんてことはないと思うが……ちらりと堀裕子のほうを見ると、その右手にはしっかりと銀色の先割れスプーンを握り締めていた。
「堀さん、それなんですか!?」
 茜が堀裕子の持っているスプーンを見て興味深そうに尋ねた。
「私のことはユッコと呼んでください! そして、ふふふ……よくぞ聞いてくれました!」
 堀裕子は再び椅子から立ち上がり、茜の目のまえにスプーンを突き出すようにする。
「私、なにを隠そう、超能力を持つサイキックアイドル、エスパーユッコなのです!」
 堀裕子は自信満々に、一点の曇りもなくそう言った。
 瞬間、場に沈黙が訪れる。
 俺は堀裕子の言葉を扱いかねていた。
 事前にそういうアイドルだと知っていても、確かにあそこまで自身に満ちた表情で言われれば圧倒されるしかない。
 俺はしかたなく、テントの外を気にするふりをしながらそっと茜のほうを伺う――茜は目を丸くしていた。
「ちょ、超能力!? ほんとですか!」
「もちろんです!」
「ユッコさん、ということは、このスプーン……」
「さん、もいらないですよ! そのとおりです! さいきっくぱわーで……なんと、手に触れずに曲がります!」
「さいきっく! すごいですっ!」
 自信満々の堀裕子と、聴いたことを全部真に受けている茜。マンガのような取り合わせだ。
47: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:09:58.51 ID:gwN8ecrL0
「いいですか、茜ちゃん……これからこのスプーンに、私のさいきっくぱわーを送り込みます」
「はいっ……!」
 茜は裕子の握る先割れスプーンを食い入るように見つめている。
「行きますよ……はっ! ムムムムム?ン……!」
 堀裕子が念じるように、力のこもったうなり声をあげる。
「おおおっ……」
 茜の口からも、興奮の混じった声が漏れていた。
 曲がるわけはない……そう思いつつも、俺は横目でスプーンをちらちら見るのをやめられずに居た。
「ムムム……」裕子は苦しそうな声をあげる。「はぁ、はぁっ……まだパワーが足りないみたいですね……でも、高まりを感じます……もう少しで曲がる気がしますよ、さらにパワーを……ムムム?ン!」
「む、むむむ……!」
 つられているのか、茜も裕子と同じように唸りだす。
 テントの奥からアイドル二人の苦しそうなうめき声だけが聞こえるのは、異様な状況だった。
 俺は横目でスプーンを見ているが、やはりスプーンは曲がりそうもなかった。
「あの、すいません!」
「はっ、あ、はい!」
 突然声をかけられて、俺の声は思わず裏返った。
 声のしたほうをみると、イベントのスタッフがテントの前まで来ていた。
「ひとまずスタンバイできましたので、打ち合わせとリハーサル、おねがいします!」
「あ、はい」
 俺はテントの奥を見る。
 茜と裕子も、声がかかったことでスプーンにかまけるのをやめていたようだ。
「それじゃ、リハーサルだ、頼んだぞ」
「はいっ!」
 茜と裕子の返事はひとつに重なった。
「あともう少しのところでしたね、きっと声がかかっていなかったら、スプーン曲げは成功していたはずですよ!」
 片手に大量の風船の紐を握り締め、茜は興奮した様子でそう言った。
「その素直さは長所だとは思うけどな」
 俺はそう言って、その先になにか続けようか迷い、結局なにも言わなかった。
 俺と茜はイベント会場の入り口についていた。茜が会場に入ってくる人たちに風船を渡す。
 俺はイレギュラーへの対応と、風船の補充係だ。
 俺たちのいるところからは、これから裕子が司会を務めるステージが見える。裕子はインカムをつけ、ステージ前の最後の打ち合わせに臨んでいた。
 茜はステージ上の裕子を見ていた。
「お仕事が終わったら、今度こそ超能力を見せてもらいましょう、プロデューサーさん!」
 茜はそう言って、自分でうんうんと頷いていた。
「どうかな、イベント後はどのアイドルもへとへとになるからな……体力が万全のときにしたほうがいいんじゃないのか」
「そうですか、そうですね……」
 茜は残念そうにうなだれる。
「ほら、ここに立ってるときはもうアイドルだ。笑顔、笑顔」
「はいっ!」
 茜は元気よく返事すると、姿勢を正して笑顔に戻った。
 俺は腕時計を見る。イベント実施時刻の午後二時を回った。
「よし、イベント開始だ」
48: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:12:02.17 ID:gwN8ecrL0
「どうぞー、ステージイベントやってまーす! 見て行ってくださーい!」
 茜はよく響く大きな声であたりへの宣伝を始める。
 人一倍大きく明るい茜の声が耳に届いたのか、あたりを行く人達がこちらを注目し始めた。
 徐々に人が集まり始め、それから数分で、イベント会場は人でいっぱいになった。
 俺は急いで風船をヘリウムガスで膨らまし、紐をつけて茜に渡していく。
 茜は欲しがる子供たちに順番に風船を渡していき、ヒーローショーがあることを伝えていく。
「くださーい!」
「はーい、どうぞ! これからあっちのステージでヒーローショーをやりまーす! みていってくださーい!」
「次の風船」
 俺が追加の風船の束を差し出すと、茜は「はいっ」と返事をしてそれを受け取る。このやりとりももう十回以上だ。
「すごい混雑だな……地域で一番のショッピングモールとはいえ、こんなに混むか? 都心のイベント並みだぞ?」
「風船もどんどん持って行ってもらえています! 楽しいですが、大変ですね!」
「ああ、でもそろそろイベント開始時間だ。始まれば子供はそっちに行くんじゃないか」
 と、俺が茜に言ったときだった。
「みなさーん、こーんにーちわーっ!」
 ステージに設置されたスピーカーから、裕子の声が響いた。
「こーんにーちわーっ!」
 ステージに集まった子供たちの元気のいい返事が返る。
 その中でもひときわ大声を出し、俺の鼓膜を破壊しかけたのは茜……と思いきや、それよりもさらに大声の持ち主が、子どもたちの中に紛れていた。
「すごく元気な子がいますね!」
 茜も目をぱちくりさせている。
 俺の位置からはよく見えないが、ぴょんぴょんと飛び跳ねて深い緑色の髪を揺らしている、小さな女の子の後頭部が見えた。
 どこかで見たような気もするが、顔が見えず、思い出せない。
「……気のせいか」
 俺は誰へともなくつぶやいた。
「今日はあつまってくれてありがとう! 今日の司会をする、堀裕子です! ユッコおねえさんって呼んでください! いまから、この会場にすっごいゲストを呼びます! みんなでいっしょにお名前を呼びましょう! おねえさんのあとに続いてー!」
 ステージ上の裕子がヒーローの名を呼ぶと、それに続いて割れんばかりの子供たちの声があがる。
 ヒーローのスーツを身に纏ったアクターが舞台に現れ、場はさらにヒートアップした。
「すごい……」
 イベントを訪れた客が全員ステージに注目し、ようやく忙しさから解放された茜がぼそりとつぶやいた。
 その目はしっかりと、ステージと自分との距離を見据えている。
 その隣で、俺は茜に悟られないように、音を立てないように息を吸って、吐いた。
 過労で倒れた先輩はまだ戻ってこられない。茜たちをステージまで連れて行くのは、おそらく俺だ。
 茜はステージまでの距離を見ている。俺には茜と同じだけの覚悟があるか――?
 考えかけて、とどまる。状況に関わらず、仕事をするだけだ。今までやってきたことを。
「プロデューサーさん!」
「な、なんだ?」
 突然、茜から話しかけられて、俺はそちらを見る。
「風船が足りなくなってしまいました!」
「あ、ああ」
 俺は慌てて次の風船の束を茜に渡した。
49: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:13:30.79 ID:gwN8ecrL0
 事前に目を通したステージイベントのシナリオに特別なことはなかった。
 ヒーローがピンチに陥り、子どもたちの声援で復活、悪者を倒す。王道だが、王道は正解だから王道と呼ばれる。
 イベントは終盤、殺陣の途中でヒーローがピンチに陥るシーンに差し掛かる。
 ヒーロー役のアクターは、悪者の攻撃をうけて、ステージの中央にがっくりと膝をついた。
 スピーカーからは不穏なBGMが流れ始める。ステージに入りこみすぎた子どもの怯えた泣き声が混ざった。
「ああっ、あぶない! よいこのみんな! ヒーローがピンチです! みんなの声で、ヒーローにパワーをおくりましょう! みんながいっしょうけんめいヒーローを応援してくれたら、このユッコおねえさんがさいきっくぱわーでみんなの応援をさらにパワーアップして、ヒーローに届けます! ユッコおねえさんが『せーの!』って言ったら、みんなで『がんばれー!』って、元気な声で応援してくださいね! いきますよーっ!?」
 流れていたBGMが止まった。
 裕子はステージからゆっくりと、イベント会場に集まっている子供たちの顔を見回していく。
 その場にいる全部の目を、裕子自身に吸い付けようとでもするかのように。
 それから、裕子は笑顔を作る。
「せー、のっ!」
 すぅ、と息を吸う、無数の音が聞こえた。
 その場にある空気が、子どもたちに吸い尽くされ、真空になったかのような一瞬の静寂のあと。
 鼓膜を震わせる、純真で無垢な叫び声が、がんばれの四音が、ひとつの音になって場に響き渡った。
 裕子は満足そうに微笑む。それから、大きな動作で、左手のマイクを口元へ、右手に握った先割れスプーンをヒーローへ。
「よーしっ、いきますよー! ムムムーン……、みんなの応援パワー、ヒーローに、とどけぇっ!」
 裕子の声が響く。子供たちをハラハラさせるのに十分な間を置いて、ヒーローはゆっくりと立ち上がり、ヒーローのメインテーマがスピーカーから大音量で響いた。
 直後、さらにそのメインテーマをかき消すほどの、歓声。
「おおおっ!」
 茜もまた、声をあげていた。両の拳を胸の前で握りしめている。
「ユッコちゃん、すごいです……!」
 静かにそう漏らした茜の声色と表情からは、確かな闘志を感じた。
50: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:15:23.74 ID:gwN8ecrL0
----------
 それから、ヒーローはシナリオ通りに悪役を退け、ショーは事故もなく終了となった。
 終了直後からのヒーローとの握手会で形成された長蛇の列もようやく短くなり、人でごった返していたイベントスペースは少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「よろしくおねがいしまーす!」
 茜はわずかに残った風船を配っている。
 こんなに必要なのかと思うほどに風船は大量に用意されていたが、あとは茜の手元にある数個で終わりだ。
 すぐに風船は最後のひとつとなり、茜の役割も終わった。
「おわりました!」
 茜はすがすがしい顔でそう言った。
 俺は用意していたドリンクを茜に渡す。
 茜は目を丸くしていたが「ありがとうございます!」と言い一礼すると、ドリンクを受け取って口に運んだ。
 そのときだった。
「ぁさん……」
 かすれ声が聞こえたような気がして、俺は茜を見る。
 茜もまたこちらを見ていた。お互いがお互いの発した声だと勘違いしたようだ。
 その直後、同時に二人の視線は足元へ。
 風船を持った小さな男の子が、俺と茜の服の裾をつまんでべそをかいていた。
「おかあさん……どこぉ?」
 目に涙をためて、その子どもは茜にたずねる。
「……迷子か」
 茜はすぐに子どもの前にしゃがみこみ、安心させるように頭を撫でてやっていた。
「どうしましょう、お母さんをさがしましょうか?」
「いや、こちらが動くとかえって混乱する。スタッフテントに連れて行って、ショッピングモール側の担当者に話してアナウンスを入れてもらおう」
「わかりました! じゃあぼく、お姉さんたちといっしょに行って、お母さんが来るまでいっしょに待っていましょう!」
 茜がそう言って、子どもに微笑みかけたときだった。
 子どもの手首に結ばれていた風船の紐がするりとほどけ、風船はヘリウムの浮力でそのままショッピングモールの天井へ向かってふわふわと浮きあがっていく。
 それがスイッチになってしまった。
「うわあああぁぁぁぁぁん!」
 子どもは声をあげて泣き出した。周りの人々もこちらに注目している。
「あちゃあ、風船が飛んで行ってしまいました……プロデューサー、余りは……」
 俺は首を横に振る。風船は全て使い切り、あとは予備の紐くらいしか残っていない。
「うーん、残念でしたね……よしよし、元気出してくださーい」
「ああああぁぁぁぁん、うわあああああああ!」
 茜は困り顔でなんとか子どもをあやそうとするが、子どもは泣きやまなかった。その場から動いてくれそうもなく、俺と茜が困っていたときだった。
「どうかしましたか?」
 近づいてきたのはイベントを終えた裕子だった。
51: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:16:55.38 ID:gwN8ecrL0
「ユッコちゃん!」
 茜がぱっと顔を輝かせる。
「ひょっとして、お困りでしょうか!」
 裕子もまた、子どもの前にしゃがみこんだ。子どもはいまだ声をあげて泣いている。
「お母さんとはぐれちゃったところに、この子の風船が飛んで行っちゃって……」
「なるほど!」裕子はしたり顔で大きくひとつ頷いた。「泣いた子どもをあやすなら、亜里沙さんか、このエスパーユッコ! お困りとあらば、このユッコにおまかせあれ!」
「どうしてそんなに自信満々なんだ……」
 思わず漏れた俺のつぶやきは、裕子はもちろん、茜も聴いてはいない。
「取り出したるはこのスプーン!」
「おおっ、今度こそサイキックで曲げるんですか!」
「ふふふ、みていてください?」
 裕子は茜に思わせぶりに笑いかけると、子どもの目のまえでスプーンをゆらゆらと揺らして見せる。
 子どもは興味をそそられたのか、泣き止むときょとんとした目でそのスプーンを見ていた。
「このハンカチを、こうして……あ、すいません、なにか紐みたいなもの、余ってませんか?」
「ああ、風船の紐の余りがあるぞ」
 俺は余っていた紐を裕子に渡してやる。裕子は自分のハンカチでスプーンの柄の部分をくるみ、風船の紐をリボンのようにして結び、ハンカチを固定する。
「最後に、このペンで……」
 裕子は懐から取り出した油性ペンで、スプーンの先の丸い部分に目、鼻、口を描く。
 ちょうど、スプーンの先を顔にした、てるてる坊主のような人形が出来上がった。
「これぞ! さいきっく・わらしべ人形です!」
「おおっ! それはどんなさいきっくなんですか!」
 茜が興奮気味に堀裕子に尋ねる。子どもよりも興味津々だ。
「茜ちゃん、一緒にこの幸運の人形に、この子のお母さんが見つかるように、さいきっくぱわーを送りましょう! さあ、きみもいっしょに! いきますよ! ムムムーン!」
「ムムムーン!」
「む?ん!」
 裕子と茜、それからさきほどまで泣きじゃくっていた子どもは、三人とも夢中になって人形に念を送っていた。
「よし! これできっと大丈夫です! さあ、お姉さんたちといっしょにテントにいって、お母さんを待ちましょう!」
 裕子がそう言ったときだった。
52: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:19:17.64 ID:gwN8ecrL0
「あ!」
 子どもが茜の後ろのほうを指さして、顔をぱっと輝かせる。
「ああ! いた! もう、探したんだから!」
 若い女性が駆け寄ってくる。この子どもの母親だろう。
「すいません、ご迷惑をおかけしました」
 女性はこちらに向かって深々と頭を下げた。
「いえいえ、お気になさらず」
「そうです、人助けはエスパーの務め! 当然のことをしたまでです!」
「お母さんが見つかって、よかったですね!」
 茜が子どもに微笑みかけると、子どもは嬉しそうに大きく頷いた。
「あら、そのお人形は……?」
 母親が子どもの持っている堀裕子のスプーン人形に気づく。
「もらったの」
「すいません、あの、お返しを……」
「いえいえ!」裕子は母親を手のひらで制する。「これは私、エスパーユッコとここにいる茜ちゃん、そしてこの子の三人のぱわーが宿ったさいきっく・わらしべ人形! もしもどこかに困っていたり、悩んでいる人がいたら、この人形を渡してあげてください! きっと、さいきっくぱわーでその人のお悩みを解決してくれるでしょう! いまもさっそくこの子の悩みを解決してくれました!」
 自信満々に言う裕子に、子どもの母親は思わず吹き出す。
「わかりました、それじゃあ……すいません、ありがたく頂戴します。ほら、お姉さんにありがとうって」
「ありがとう!」
 すっかり笑顔になった子どもは、裕子と茜にそう言って、母親とともにその場を去って行った。
「ありがとう、助かった。ハンカチ、私物だったんだろ?」
 俺が尋ねるが、裕子はさっき母親にしたのと同じように、俺に掌を向けて首を横に振る。
「気にしなくて大丈夫です! 今日はイベント、お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした! ユッコちゃん、すごかったです! すごい人気でした!」
「あはは、あれはヒーローの人気ですから……でもいつか、あのくらいたくさんの人に囲まれて、ライブをしたいですね! ……それじゃ、着替えもありますし、私はこれで!」
 言って、裕子はその場から去っていった。
 茜はその後ろ姿をじっと見つめている。
 まさか、裕子が超能力で子どもの母親を呼び寄せたと信じるわけではない。ただの偶然だろう。
 しかし、裕子の並々ならぬ自分の能力に対する自信は、裕子というアイドルを輝かせて見せていた。
「……すごいです。ステージから降りても、あんな風に人を笑顔にして……ユッコちゃんも、正義のヒーローみたいでした……私も、もっともっと頑張ります! プロデューサー、もっとお仕事やらせてくださいっ! ボンバーッ!」
 茜は拳を天井に向かって突き上げ、気合を入れた。
「ああ。まだまだ下積みだが、着実にできることからだな。今日のイベントは事故もなく、無事に終了ってところだ。初仕事、お疲れ様」
 俺が言うと、茜は目を丸くして、それからほんの少し頬を染めた。
「お疲れ様でした!」
 言って、茜は勢いよく一礼した。
 俺は茜の姿をみながら考える。俺も一歩ずつだ。茜たち五人が進むのと同じように。
 復帰した先輩にこの五人を引き継ぐのがいつになるかはわからない。
 それまでは、できることを着実にやっていこう。ヒーローショーのシナリオと同じ、ありきたりでいい。
 ありふれた小さな仕事から順番に。きっとそれが最も正解に近い。
「よし、俺たちも撤収だ」
「はいっ!」
 俺たちは心地よい疲労を抱えて、西日が射しこむイベント会場を後にした。
第四話『せいぎのみかた』
・・・END
53: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:19:51.94 ID:gwN8ecrL0
 ――閉店後のショッピングモール。
 イベント会場の担当者は、缶コーヒーを飲みながら、イベントの終了報告をまとめていた。
 あがってきた書類を見て、驚いたように目を見開く。
「なんだ、この来店者数と売上……特売セールでもこんな数字見たことないぞ。今日だってべつに売れてるアイドルを呼んだでもないのに……誰かの念にでも呼び寄せられたのか?」
 会場担当者のひとり言は誰にも聞かれなかった。
 その日の集客数が異常に多かった理由は、誰にも合理的な説明をつけることができず、ショッピングモールの伝説として語り継がれたという。
54: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/14(日) 12:22:35.29 ID:gwN8ecrL0
次回は21日予定です。上条ちゃん回です。
実質ユッコ回でしたが昨日の仙台に捧げるということでどうかひとつ。
LV鑑賞でした。とても良かった。
ユッコの表記が堀裕子と裕子で揺れてることに途中で気づきました、すいません。
二回目以降は名前だけで統一するように努めます。
60: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:10:07.73 ID:9pse+9K10
 人は慣れていく。
 なりたかったはずのものになれなかったことに。
 なりたかったはずものになれなかったアイツが、もうそばにはいないことに。
 慣れなくては前に進めない。けれど、慣れたとき、確実に何かが終わる。
 終わったらもう戻れない。
「……いまだに、飲み込めてないっス」
 俺が運転する車の助手席で、荒木比奈はフロントガラスを硬い表情で眺めながらつぶやいた。
「もう一回説明するか? ティーン向けのファッション雑誌で、モデルの仕事だ。指定の衣装で撮影。先方もこちらがファッションモデルではないことは判ってるから、気張らなくても」
「そうじゃないっス、日陰者のアタシが、モデルってのがまだ……ってプロデューサー、わかってアタシのことからかってるっスね!?」
 比奈はこちらを睨みつけた。
「まぁまぁ、大丈夫ですよ! 私も前にちょっとだけ写真のお仕事しましたけど、とっても楽しかったですよ! 自分で思っているよりもずっと綺麗に撮ってもらえますし!」
 後部座席右側に座る上条春菜が比奈をなだめる。
「今日はすっごく楽しみにしてたんです! なにせ、今日のお仕事はみんな!」春菜はそこですこしためを作る。「っ眼鏡ですから!」
「……なるほど」研ぎ澄まされた声が車内の緊張感を高める。「今日のメンバーは、そういう趣向で選ばれたの?」
 言いながら狭い車内で足を組み替えたのは、美城プロダクションのアイドルの一人、八神マキノだった。
 後部座席の左側、春菜のとなりに座っている。
 マキノは右手の人差し指をこめかみのあたりに当てて、真剣な眼でバックミラーごしにこちらを見ていた。
「……いや、たまたまだ」
「そう」
 マキノは短く返事すると、そのまま窓の外へ視線を向けた。
「アタシの宣材写真、そもそも眼鏡かけてないですし……ところでアタシたち、ユニット外の活動もあるんスね」
 比奈の疑問に、俺はうなずく。
「ああ。むしろユニットは楽曲やイベントのコンセプトに合わせた一時的な組み合わせだと考えたほうがいいかもしれないな。いまの五人のユニットは、先輩……前のプロデューサーが企画した新曲に合わせて組まれたユニットだ。これから美城で活動していくとなると、ほかのアイドルとの絡みも増えていくはずだぞ」
「なるほど……とりあえず、今日はマキノさん、よろしくっス」
「ええ、よろしく」
 マキノは比奈に微笑みかける。
 さっきまで近寄りがたい雰囲気を放っていたが、こうして笑っているところをみると、大人びてはいるものの閉じているという印象はない。
 単純に緊張していただけなのかもしれないと俺は考えた。
「同じ眼鏡アイドルとして、今日ははりきっていきましょう!」
 まとめた春菜の一声で、これまでやや張り詰めていた車内の空気が緩んだ。
 ちなみに俺の視力は悪くないのだが、朝の集合時点で春菜から伊達眼鏡をかけることを強要されている。
「今日のカメラマンは業界ではそれなりに名が通っているから、プロダクションとしてもしっかり成果を出しておきたい仕事だ。とはいえ、さっき比奈に言った通り、今日のメンバーは、モデルが仕事の中心ではないことは先方に伝えている。リラックスして臨んでくれれば、それで十分だろう。スタイリストをはじめとした各スタッフもプロだ、言うとおりにしていれば大丈夫さ」
「そうは言っても、やっぱり緊張はするっス……」
 比奈はそういって深く溜息をついた。
61: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:12:13.05 ID:9pse+9K10
 都心から車で数十分。
 都内ではあるが、郊外のような落ち着いた雰囲気の街並みの中に存在する撮影スタジオに入る。
 すでにスタッフの大部分がスタンバイしていた。三人に楽屋で準備をさせているあいだ、俺はスタジオの全体を観察しておく。
 よく芸能ニュースでみるような、スクリーンをバックにライティングが整えられた広めの写真スタジオが中心だが、室内はログハウスのように温かみのある木目調のデザインで、ハウススタジオとしても機能する。
 ディレクターズチェアとテーブルが置かれたあたりに、買っておいたドリンク類と資料を配置した。
 動線や小道具の位置もざっと確認する。
 特に気になる点はない。これまで同行した撮影現場と同程度の規模だ。
「モデルさん準備OKでーす!」
 楽屋の扉が開き、スタイリストの声がスタジオ内に響いた。メイクの済んだ三人がこちらに歩いてくる。
「よろしくおねがいしまーす!」
 朗らかに挨拶したのは春菜だった。シャツとスカートでカジュアルにまとめている。
 ファッションとしては素朴だが、春菜の気取らない雰囲気によくマッチしている。
 ほかの二人がこの格好だったならむしろ不自然に映るだろう。
「よ、よろしくおねがいするっス……」
 その後ろから背を丸めて出てきたのは比奈だ。まだ人から見られるということに慣れていないらしい。
 俺がジェスチャーで姿勢を正すよう伝えると、気まずそうに少し目を細めてから、背筋を伸ばした。
 比奈は暖色系のニットとフレアスカートで、春菜よりもやわらかい雰囲気に仕上げられている。
 オレンジのセルフレームの眼鏡をかけているが、あれはスタイリストではなく春菜が用意したのだろうか。
「ふふ、計算の通りね」
 最後に出てきたのはマキノだ。学校の制服のようなイメージのブレザーとスカートだった。
 いったいなにを計算していたのかはわからないが、スタイル、姿勢ともに整っているマキノに着せれば、学生服は着る人物の美しさを浮き立たせるものであるということが自然と理解できる。
「三者三様だな」
「でも全員眼鏡です!」
 俺の感想にかぶせるように、春菜が得意げに眼鏡のテンプルをつまんだ。
「スタジオのリア充っぽい雰囲気……やっぱりまだ慣れないっスね」
 比奈はあたりを見渡している。
「俺だって慣れないさ、非日常だからな。緊張するのが普通だろう。春菜やマキノだってそうじゃないか?」
 俺が話を振ると、二人はそれぞれに少し考える。
「そう、かもしれないわね」マキノはスクリーンのほうを見ながら言った。「面白い分析だと思うわ。どんなに事前にリサーチしても、完全に普段と同じようには過ごせない。ライブと同じね」
「私も……実はまだ、慣れないです」
 春菜が恥ずかしそうに笑う。
「そういうもんっスかね……」
 比奈が苦笑いした。これで多少緊張がほぐれたならよいのだが。
62: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:14:28.57 ID:9pse+9K10
「カメラマンさん到着しましたー! おはようございます!」
 入口付近から声がかかり、追従するスタッフたちのおはようございますの声の中、俺たちはいっせいにそちらを注目する。
 長身で白髪の混じったヒゲを蓄えた、ハットをかぶった細身の中年男性が、スタッフたちに手で挨拶をしながらスタジオへと入ってきた。
 今日のカメラマンだ。
「おはようございます、美城プロダクションです。今日はよろしくお願いします」
 俺はカメラマンへ礼をして、名刺を差し出す。
 カメラマンはああ、と返事をしながら、つまらなさそうに俺の名刺を受け取った。
「そっちが今日のモデルさんたちね」
「よろしくおねがいします!」
 三人の声が重なってスタジオに響いた。
「ん、さっそく、やってこっか」
 カメラマンは軽く言いながら、機材のトランクを開けて準備を始める。
「お願いします」
「順番とかある? これ資料かな」カメラマンはテーブルの上の資料をとると、ぺらぺらとめくった。「聞いてたことと変わんないよね? じゃ……」
 言って、カメラマンは三人を順番に見た。
「……キミからにしよ」
 カメラマンはマキノに声をかける。マキノは「はい」と短く返事をした。心なしか声に緊張が混じっている。
「事前の調査のとおり……」
 マキノはほんの少しうつむいて、周りに聴こえるかどうかの声で、小さくつぶやいた。それから顔をあげる。
「……マキノ」
 俺に声をかけられて、マキノは立ちどまる。
「なに?」
「あー……」話しかけておいて、俺は困った。緊張をほぐそうとしたものの、マキノのことを知らなさすぎてかける言葉が思いつかない。「その……気楽にな」
 苦し紛れに言った俺を観ながら、マキノは目を丸くして、それから軽く噴き出した。
「……次からは、あなたのことももっと調査するわ。……ありがとう」
 マキノはそう言って、カメラマンの前へと歩いて行った。
「んじゃ、行くね」言いながら、カメラマンはシャッターを押していく。「うん、いいね、すこし顎を引いて……手は自然に、そう、いいよ」
 簡潔に指示を飛ばしながら、カメラマンはマキノの写真を撮り続けた。
 比奈と春菜は次の自分の番に備えてだろう、真剣にそのようすを眺めている。
 ポーズを変え、シーンを変え、マキノの撮影は続いた。
 マキノもだいぶ慣れたようで、同じ涼やかな表情でも、その内側からは緊張が消えていく。
 少しずつ、カメラマンとのやりとりもかみ合ってきた。
 時にはマキノの提案を取り入れ、マキノとカメラマンのあいだで試行錯誤しながら撮影が進む。カメラマンのテンションも次第に上がってきた。
「ん、んー……」カメラマンは悩むような唸り声をあげた。「たとえば、ちょっと眼鏡、取ってみようか?」
「えっ」
 明らかに不安の混じった小さな声を漏らしたのは、マキノではなくて俺のとなりに居た春菜だった。
 マキノはちらりと春菜のほうに視線を送って、それからもう一度カメラマンのほうを見た。
「私は、違うと思うけれど」
 マキノはそう言ってから、眼鏡をはずしてみせる。
 数秒の沈黙。
「うん、確かに。キミの言う通り、ちょっと違ったみたいだ。眼鏡かけて」
 カメラマンの指示の通りにマキノは眼鏡をかけ、撮影が再開する。
 俺は横の春菜を見た。少し表情が暗い。
「あの、プロデューサー」
 春菜がこちらを不安そうに見ていた。
「……どうした?」
「今日は、その……」
 春菜はそこまでで口をつぐみ、その先を言わなかった。
63: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:17:41.52 ID:9pse+9K10
 俺も、春菜の言葉の先を探ろうとはしなかった。
 春菜の心配は判っている。というよりも、春菜の心配は恐らく俺がいま心配していることと同じことだ。
 春菜は自分が眼鏡をはずすことを求められないか不安に思っている。
 俺は内心で頭を抱えていた。最初に春菜たちに説明したとおり、このカメラマンはそれなりの大御所だ。
 変に機嫌を損ねて、プロダクションの評判を下げたくはない。
 一方で、春菜の眼鏡にかける情熱は春菜のアイデンティティだ。
「まぁ、大丈夫さ」
 俺は間の抜けた声で春菜に言う。なんの根拠もない。春菜はそれ以上話しかけてはこなかった。
 マキノに続いて撮影が始まったのは比奈だった。
 比奈は「心が無理って思ったらその時点で負け……行ってくるっス」とつぶやいて、やや硬い動きでカメラマンのもとへと歩いて行く。
「むっ……すこし……なんだろうな、うーん」
 カメラを構えたカメラマンはマキノの撮影の時よりも明らかに表情を険しくして比奈を見た。
「よ、よろしくおねがいす……します」
 比奈の声には緊張が見て取れる。
 無理もない。ほんの二カ月程度前まで素人だった人間だ。
「ふーん、ともかくはじめよう、そこ座ってみて」
「はい」
 比奈はカメラマンの指示の通りにする。
「ああ……違う、そうじゃなくて、足はそっちに」
 カメラマンの声にいら立ちが混ざる。
 比奈は言われた通りにするが、それもイメージと会わないのか、シャッターを切る合間でカメラマンの厳しい指示は続いた。
 撮影から数分経ったが、比奈の表情は硬いままだ。
「比奈さん……」
 春菜も不安そうな声を漏らす。そのときだった。
「おっ! 今の、いいね! それでいこう!」
 カメラマンは急にトーンを明るくして、比奈のポーズを褒めた。
「えっ、えっ?」比奈は困惑の声をあげる。「そ、そうっスか?」
「ああ、いいよ、そう、そのまま……いいね」
 カメラマンは嬉しそうにシャッターを切っていく。
「へ、へへ……」
 比奈の表情が緩み、笑みがこぼれた。
「あっ、可愛い、比奈さん……」
 春菜がぽつりと漏らす。
 俺も同感だった。緊張から放たれて弛緩した表情と姿勢とが、比奈の魅力を高めている。
「リサーチによれば、あれが彼の技術らしいわ」
 いつのまにか隣に立っていたマキノが得意顔で言った。
「なるほどな」
 納得できた。さすがは名の通ったプロということだ。
 被写体に応じて、その魅力を引き出すためのアプローチや話術を変えているんだ。
 比奈は撮影開始前、明らかに緊張し固まっていた。だからまず厳しい声色でより緊張感を高めたあと、一気に弛緩させて魅力を引き出した。
64: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:18:50.76 ID:9pse+9K10
「床にお座りする感じで、足は楽にして」
「こうっスか?」
「そうっ! いいよ、もっと力抜いていい、笑顔見せて」
「急に笑顔とか言われても、は、恥ずかしいっス……」
 比奈がそう言ってはにかんだ瞬間を逃さず、連続でシャッターが切られる。
「よーし」カメラマンは満足そうに微笑む。それから比奈の顔をじっと見た。「うん、キミもちょっと一回眼鏡、はずしてみよっか」
 瞬間、場にわずかな緊張感が走った。比奈は俺と春菜のほうをほんの少し見てから、ゆっくりと眼鏡をはずす。
「うん、それもいいなぁ!」
 カメラマンは再びシャッターを切り始めた。
 確かに、比奈は普段眼鏡をかけているが、眼鏡をはずしてもそのキャラクターに致命的な影響は与えない。
 だが今の問題は、別のところにある。俺は春菜のほうを見た。春菜は眼鏡をはずした比奈をじっと見ている。両手はぎゅっと握りしめられていた。
 このままではまずそうだ。そう判断した俺は、比奈の撮影が終わるころテーブルの上において置いたドリンクをひとつ手に取った。
「お疲れさま! すごくよかったんじゃない?」
「恐縮っス……ありがとうございました」
 撮影が終わり、比奈はほっとした顔でカメラマンに礼をした。
「さて、それじゃ……」
「いやーっ、お疲れ様です、ありがとうございます!」
 俺はカメラマンの言葉にかぶせるようにして、声を大にして近づいていく。
 言いながら、ドリンクのキャップを開けて、カメラマンに差し出した。
「とっても素晴らしい撮影でした! うちのアイドルたちめちゃくちゃ綺麗にとってもらって、ありがとうございます!」
 カメラマンは目を丸くして、差し出されたドリンクを受け取った。
「そう? 大げさだよ」
「いやいやいや、そんなことないです! 自分でも社内カメラマンとかに宣材写真とか手配しますけれど、それとも段違いで恥ずかしいくらいですよ、ハハハ……ところでなんですけども!」
 俺はできるだけ、相手が会話に入る間をつくらないように言葉をつづける。
「ちょっとここらで、小休止入れませんか、時間も経ちましたし、お疲れでは? まだ撤収まで時間に余裕ありますし、そちらは午後も撮影があると聞きました。全体はマキで進んでますんで、どうでしょう?」
 どうでしょう、に「お願いします」のニュアンスをほんのすこしだけ混ぜて、俺はカメラマンにお伺いを立てた。
「ん……そうだなぁ……」カメラマンは斜め下のほうを見て少し考えてから言う。「じゃ、お言葉に甘えて、ちょっと休憩しようか」
「ありがとうございます! じゃあ……」俺は時計を見る。「二十分後までには、こちらスタンバイ完了しておきますんで!」
「はい。じゃ、ちょっと外でタバコしてこよっかな」
「あーっ、すいません気が利かず、普段吸わないもんでタバコも火も持ってなくて……」
「いい、いい、大丈夫だよ、ありがとね」
 言って、カメラマンはスタジオの外へ歩いて行った。その姿を見送り、ドアが閉まるのを確認する。
「ふーっ」
 俺は大きく息をついた。
「プロデューサー、ありがとうございます」
 春菜がこちらを見ていた。俺が時間を稼いだことがわかったらしい。
「とりあえず、楽屋に入ろう」
 俺が楽屋の扉を示すと、春菜はうなずいて楽屋へと向かった。
65: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:21:08.11 ID:9pse+9K10
 春菜、比奈、マキノとともに楽屋に入ると、俺はがっくりと肩を落とした。
 普段やらないようなキャラクターを演じるととても気疲れする。
 マキノは俺たちから少し離れたあたりの壁に背あずけて、こちらを見ている。
「すいません、中断させてしまって」
 春菜はやや暗い声で言う。
「いや、大丈夫だ。とりあえず落ち着いてくれ」
「春菜ちゃん……眼鏡のことを心配してるっスね? その……申し訳ないっス、アタシが断って流れを作っておけば……」
 比奈の言葉に、春菜は首を振る。
「いえ、気にしないでください」
「ああ、比奈の撮影はあれでよかった。……マキノもな。気にすることじゃない」
「そうです。眼鏡のことは、私の問題です。撮影、二人ともすごくよかったです」
 春菜ははっきりとそう言った。
「さて……春菜の撮影だが……眼鏡については、外す指示があるかもしれないな。前の二人にあった通り……な」
「はい、でも……」春菜は胸の前で握り拳を作る。「眼鏡は、外したくないんです。外した写真を撮って、それが採用されるかもしれないのは……」
 春菜はうつむいて、そこから先の言葉を濁した。
 きっと、春菜自身が、その考えが特異なものであるということを理解している。
 春菜の眼鏡に対するこだわり。それは春菜の最大の魅力であり、セールスポイントだ。
 だが、モデルとしての仕事、アイドルとしての人格から離れ、ファッションを輝かせるための素材になり切る仕事には、そのこだわりは重要なポイントではなくなる。
 眼鏡をはずしてファッションが映えるなら、間違いなく眼鏡をはずすのが正解なのだ。
 けれども、だからといってモデルは人格のない人形ではない。
 今回、この雑誌の仕事がモデルではなくアイドルを起用したのは、モデルよりも身近な存在の人格とともにファッションを紹介するためだろう。
「私をスカウトしてくれたプロデューサーさんも、眼鏡をかけた私を、魅力的だって言ってくれたんです」
 春菜はぽつりと漏らした。
「眼鏡が好きで、でも眼鏡をかけた地味なアイドルなんていないから、眼鏡じゃだめかなって悩んでたところに、そのプロデューサーさんは背中を押してくれたんです。眼鏡のほうがいいって、眼鏡を好きなままでいいって」
「春菜ちゃん……」
 比奈がそっと春菜の背に手を添える。マキノは真剣な表情でこちらを見ていた。
 俺は少し目を細める。
 これは春菜の今後に関わることだ。春菜がきちんと腹をくくらなくては、前に進めない。
「春菜」
 俺は春菜の前に歩み出る。
「俺は……今、臨時でもお前たち五人のプロデューサーだ。春菜が眼鏡へのこだわりを持ってることで輝いているのはわかっている。俺もできるだけその意思を汲んでやりたい。けれど、春菜自身が感じているように、春菜の眼鏡好きが、今みたいに障害になることもある。そういうとき、一番ダメージを受けるのは春菜だ。眼鏡アイドルとして羽ばたければ一番いい。だけど、眼鏡へのこだわりが強すぎることで仕事が減る可能性だってあるんだ。ひょっとしたら……眼鏡へのこだわりが強すぎたことで、アイドルとして成功する道を逃すかもしれない」
 春菜は俺の目を見た。不安そうな顔をしている。俺は続けた。
「もちろん、その逆もある。眼鏡へのこだわりを持ち続けて、その魅力で羽ばたける可能性だって。けどな、その道を選んだときは、ブレちゃだめだ。眼鏡へのこだわりを一瞬だって疑ったら、その瞬間に終わっちまう。厳しい道だぞ。……春菜が、決めるんだ。眼鏡アイドルで、行くのかを」
 春菜は俺の目を見て、それから視線を下に落とす。
 比奈はずっと春菜の背を撫でている。
 これ以上は、俺も、比奈も、もちろんマキノも、ほかの誰も、助けてやることができない。
 春菜が自分自身と向き合って、決めなくてはいけない。
 そうじゃなきゃ――それ以上に覚悟を決めて戦ってるアイドルたちに、太刀打ちなんてできやしない。
66: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:22:18.45 ID:9pse+9K10
「……春菜ちゃん」
 春菜の背を優しく撫でていた比奈が、春菜の手を包むように握った。それから、真剣な眼で口を開く。
「まだ、アイドルなりたてのアタシがこんなことを言うのは、およびじゃないかもしれないっスけど」
 比奈はひとつ呼吸を置く。
「自分にとって大事なことを決めなきゃいけないときって、色んな誘惑が襲ってくるもんっス。ああしたほうがみんなが喜ぶだろう、きっとうまくいくだろう、だからこっちを選んだほうがいいかもしれないって。でも、ほんとうに大事なのは自分自身の心っス。ほかは……全部、よけいなコトっすから。惑わされちゃ、だめっスよ」
「比奈、さん……?」
 春菜は比奈の目を見る。見つめ返す比奈の眼は、じっと春菜を見据えている。
「一回でも誘惑に負けたら、つぎのチャンスなんて、二度と巡ってこないかもしれないっス。だから、春菜ちゃんは自分にとって大事な事だけを選んで、決めてほしいっす」
 そこで、比奈はふっと表情を緩ませる。
「生意気言って申し訳ないっス。でも、春菜ちゃんよりちょっとだけ長く生きてるヤツの意見ってことで、受け取ってくれたらうれしいっス」
「……私にとって、大事なこと……」
 春菜はもういちど、視線を下に落とす。それから春菜は呼吸を二、三度繰り返し、それから深く息を吐いて、止まった。
 やがて、春菜はゆっくりと顔をあげた。
 それから、目を閉じて、両手で丁寧に眼鏡の全体を包むようにする。愛おしそうに。数秒そうしたあと、春菜はまぶたを開いた。
 レンズごしに俺を見つめる春菜の両目は、はっきりと意思を伴っている。
 背筋がぞくりとした。
 そういえば、先輩が言っていた。アイドルと接してると、急にそのアイドルが化けるときがあるのだと。
 たぶん、いまのがそれだ。
「やります」春菜ははっきりと言った。「私、一番の眼鏡アイドルになります!」
「春菜ちゃん……」
 比奈が安堵の声をあげた。少し離れたところでマキノが微笑んでいる。
「よし」俺は大きくうなずく。「わかった。俺も眼鏡アイドルの春菜をプロデュースする。眼鏡の写真だけを通すさ」
「プロデューサー……!」春菜はぱっと顔を輝かせた。「ありがとうございます!」
「さ、そろそろ戻るぞ。休憩は終わりだ」
 俺はみんなにスタジオへ戻るよう促す。春菜は、笑顔で楽屋から出て行った。
「とても興味深いわね」マキノが言う。「まだ、解析できないの。いま、なにが起こったのか……でも、とてもいいものを見せてもらえたわ。ありがとう」
 マキノは手を振り、楽屋から出て行った。
「ふぅ……」
 大きく息をついた俺のとなりに、比奈がやってくる。
「思ったとおりっス」比奈は嬉しそうな顔をして言った。「プロデューサーは悪人にはなりきれない人っス、ちゃんとプロデューサーしてくれてるじゃないっスか」
 俺は比奈のほうを見て、笑い返してやる。
「そりゃ、仕事だからな……でも比奈、比奈の言葉が春菜の背中を押したんだ。ありがとうな」
 そう言って、俺は楽屋を出た。
67: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:24:44.29 ID:9pse+9K10
 扉を開けて、スタジオへと戻る。戻りながら、春菜をサポートするための覚悟を決めた。
 こんなとき、先輩ならどうするか。簡単だ、先輩なら単純に「春菜は眼鏡アイドルなので、眼鏡なしの写真はNG」と示すだけだ。
 なぜなら、先輩は敏腕だから。それを言って通すだけのバックグラウンドがあるから。
 俺にはそれはない。名の通ったカメラマンに、ペーペーのプロデューサーと、売れっ子でもないアイドルが生意気を言っていい理由はなにひとつない。だから、それ以外の方法だ。
「カメラマンさん戻りました、再会でーす!」
 スタッフの声がする。
「よろしくおねがいします!」
 俺が言うより先に、春菜の明るい声が飛んだ。いつもの元気を取り戻したようだ。
「ん、じゃ最後のキミだねー」カメラマンは手早く一眼レフを準備し、スクリーン前にスタンバイしている春菜の前でカメラを構える。「まずは普通に、自然に立ってみて」
「はいっ」
 シャッター音がひびき、春菜の撮影が始まった。
 撮影は順調だった。小道具やポーズを変えながら撮影は進む。
 それから、カメラマンは「ふーん」と唸って、カメラを降ろした。
「んー、キミもさぁ」
 カメラマンは春菜の顔、眼鏡を見ている。
 俺はスタジオに向かって身構えた。
「ちょっとその、眼鏡」
 いまだ。
「いっやー、いいですね!」
 俺は大げさにその言葉に割って入った。
「すっばらしーです!」そこまで言って、オーバーに自分の頭を叩いた。「て、あー! すいません、ついテンション上がっちゃって、撮影中に!」
「お、おお、いや」
 カメラマンは目を丸くした。ふつう、撮影にこんなふうに割り込んでくる人間はいない。予想外のことが起これば、固まるのが一般的な反応だ。
 ここまでの流れを観るに、このカメラマンが眼鏡をはずさせたりしているのは、単純に彼のテクニック上の手段のひとつであって、眼鏡をはずした姿へのこだわりというわけではないはずだ。
 だから、その瞬間に割り込む。
 それで眼鏡の着脱を不問にしてくれればいい。そうじゃなきゃ……そのときは頭を下げよう。
「うちの上条春菜の撮影、どんな感じっすか、ちょっとぜひ、経過見てみたくって」
「ん……」カメラマンは一眼レフの液晶モニターに写真を表示させる。「こんな感じ」
 俺はモニターを覗き込む。四秒、写真が切り替わり続けるモニターを見つめる。
「素晴らしいです! 眼鏡と衣装とアイドル、こんなにカメラマンさんの技術で見えかたって光るもんなんすねー! 行きましょう、この組み合わせ最高です! このままこの眼鏡と衣装と勢いで最後まで撮影しきっちゃいましょうよ! ね!」
 まくしたてたが、正直しっかり写真を観る余裕なんてない。緊張で心臓が口から飛び出しそうだ。
 俺は春菜に向きなおる。
「春菜も、こんなに腕のいいカメラマンさんに撮ってもらえるなんて千載一遇のチャンスだぞ! その眼鏡と衣装で、しっかり撮ってもらえよな!」
「は……はいっ!」
「いやー、この眼鏡と衣装と、うちのアイドルの晴れ姿、俺もしっかり目に焼き付けときますよ! あ、すいません邪魔しちゃいまして、続けてください!」
「あ、ああ……じゃあ、続けようか」
「はいっ、おねがいします!」
 そうして、撮影は再開された。これだけ強引に眼鏡と衣装がセットであるという流れを作ってしまえば、眼鏡をはずさせることは難しいだろう。
 俺の放った言葉は賞賛だけだ。カメラマンの意向に異を唱えたわけでもない。
 俺の目論見が成功したのか、カメラマンはもう、眼鏡のことは言わなかった。そのまま、春菜の撮影は眼鏡をはずすことなく無事に終わった。
 カメラマンから終了の宣言が出た瞬間、俺は心労から深く深く息をついて、思わず近くのディレクターズチェアに腰を下ろした。
 比奈がドリンクを差し出してくる。苦笑いしながら、俺はそれを受け取った。
 無様なふるまいではあった。先輩みたいにはできない。だが、すべき仕事はした。俺にはこれが精いっぱいだ。
 カメラマンがこちらに近づいてきたので、俺は慌ててチェアから立ち上がった。
 カメラマンは穏やかに微笑む。
「おつかれさん。ボクはこのまま次の撮影がここであるから残るよ。そちらさんの撮影はざっとデータもチェックしたけど、大丈夫でしょ。編集さんにおくっとくね」
「はいっ!」俺は深く頭を下げる。「今日は、ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
 春菜たち三人が、俺のあとに続いて礼をした。
68: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:25:42.25 ID:9pse+9K10
 スタジオを出ると、時刻はちょうど正午だった。
 とても天気がよく、雲一つない青空の中心に太陽が輝いている。
 俺は停めていた車のロックを解除する。三人に車に乗るよう促すと、春菜が俺の前にやってきた。
「プロデューサー、フォローしていただいて、ありがとうございました」春菜は嬉しそうに微笑む。「私、眼鏡は外したくないってちゃんと言おうと思ったんですけど、やっぱり一瞬戸惑っちゃって。プロデューサーが割って入ってくれて、嬉しかったです」
「ああ」
「私、もう迷いません」春菜は空を見た。「眼鏡をかけた私が、アイドルの上条春菜です。私自身がそのことを信じてあげなきゃ、だめなんですよね。スタッフやファンの人なら、私が眼鏡のことを大好きだって知ってる。でも、私を知らない人達の前では通じない。そういうときこそ、怖がらないで私が眼鏡大好きだってことを、アピールしなくちゃいけません」
「ああ、そうだな」
 春菜は晴れやかな顔で微笑む。
「がんばります。眼鏡に恥じないために。いつか、眼鏡のフレームとレンズの向こうに、ファンのみなさんでいっぱいの、きらきらした、私の……私だけの景色を見ることができるように。そうだ、そのときはお客さんもみんな、眼鏡をかけてくれたら、いいと思いませんか?」
 俺は笑って肯定の意志を示した。
「今日のこの青空といっしょに、今の気持ちをしっかり覚えて、忘れないようにします」
 春菜の目指す瞬間が訪れるそのとき、俺がどこに立っているのかはわからないが、今はただ、春菜たちを支えてやろうと素直に思う。
「プロデューサー、まだ出発しないっスかー?」
 比奈に尋ねられて、俺と春菜は一つずつうなずき合うと、車に乗り込んだ。
第五話『私の青空』
・・・END
69: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:26:19.11 ID:9pse+9K10
 ――次のモデルの到着を待つスタジオの中、カメラマンは午前中の撮影資料をめくっていた。
 カメラマンの手は、上条春菜の資料のところで止まる。
「あー、こんなに眼鏡って書いてある。やっぱりあの子、眼鏡にこだわりあったんだねぇ。外すのNGだったのかなー」カメラマンは納得したようにうんうん頷く。「ってことは、あのプロデューサーの彼は、彼女の眼鏡をはずさせないために割り込んできたってことだね。もう、そのくらい、言ってくれたらよかったのになぁ」
「ははは、センセイを前にそれはなかなか言いづらいっすよー、大御所ですし」
 アシスタントのスタッフが笑う。
「さみしーよね、こっちはそんなつもりはないからなんでも言ってくれていいのになぁ。この上条春菜って子、休憩終わってからいい顔してたんだよね。きっと、なにかきっかけがあったんだろうなー」
 言いながら、カメラマンは自分のカメラの中の上条春菜のデータを表示させる。
 モニタの中の春菜は、眼鏡をかけ、すがすがしい顔で微笑んでいた。
70: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 00:27:30.77 ID:9pse+9K10
次回は28日予定です。たくさんアイドル出ます。
まだ続ける予定ですが、ひとまず次回で折り返し地点のつもりです。
どうぞお付き合いくださいまし。
71: 以下、
いいじゃん(いいじゃん)
72: 以下、
グダグダいいつついいプロデューサーじゃないか
直接言えたらカッコよかったけどこのプロデューサーにできることは最大限やったわな
おつ
73: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/21(日) 10:09:00.75 ID:9pse+9K10
>>71
ありがとうございます(ありがとうございます)
>>72
ありがとうございます、創作Pにあまりお話もっていかせるのもどうかなとは思うんですが、
出すからには愛着を持ってもらえるキャラクターにしたいと思っています。
75: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:05:27.96 ID:Q3fcpmY20
「完璧にやろうとすると固くなる。失敗の数は場数の証だ。恐れずベストを尽くしてこい」
 リハーサルを終えた楽屋の中。俺は言いながら、前に並んだ日野茜、荒木比奈、上条春菜、関裕美、白菊ほたるの五人の顔を順に見て行く。
 この言葉は先輩の受け売りだった。事務方の俺にも、ライブに立つアイドルたちにも、先輩はそう言って、現場へと送り出していた。
 俺は意識的に、少し表情を崩す。
「……その……なんだ、せっかくのライブだ。緊張するより楽しんできてくれ」
「はいっ!」
 五人の元気な声が返ってきた。それぞれに緊張も見え隠れするが、表情は悪くない。
 今日は美城プロダクションを挙げての一大イベント、サマーフェスの当日。
 茜たち五人のユニットが、ユニットとして初めてそろってステージに立つ日だった。
 当日までの経過は順調だった。レッスンを重ねて茜と比奈のダンスも一定の水準に達し、五人の宣伝活動はラジオ、雑誌、インターネット配信番組など、規模は小さいが着実に重ねていった。有名な記者にも小さな記事ながら取り上げてもらった。
 取材終了後、ハンチング帽の下、眼鏡のレンズ向こうから笑顔をのぞかせ、期待していると褒めてもらったとき、五人がとても喜んでいたことが記憶に残っている。
 サマーフェスでの茜たちの出番はオープニングの全体演目と、中盤での出演者のトーク、そしてフィナーレの全体演目だ。
 ユニットとしても楽曲はリリース前、個人としてもまだソロ楽曲を持っていない五人であり、特に茜と比奈はライブへの出場そのものが初体験だ。
 まずはここでライブに慣れること、ユニットでの楽曲リリースの告知が狙いとなる。
「うううっ! ついに! やってきましたねっ!」
 楽屋の中、ステージ衣装に着替えた茜が言う。
 ステージ衣装はオレンジをベースカラーにした、夏らしいさわやかなデザインで、アイドルによって細かくアレンジされている。
 興奮しエネルギーの行き場がないのか、茜は腕を振り回しながら歩き回っている。
「茜ちゃん、あんまりはしゃぐと本番前にばてちゃうんじゃないですか?」
 椅子に座った春菜が笑う。今日の眼鏡はステージでの見栄えを意識したのか、ピンマイクやイヤホンモニターと併せてサイバーなヘッドセットのようにも見える、白く流線形のぶ厚いフレームのものを用意したようだ。
「茜ちゃんはちょっと発散するくらいのほうがいいかもしれないっスね」
 同じく椅子に座っている比奈が笑顔で言った。その表情は穏やかで、あまり緊張はしていないようだ。
 即売会なんかを通して人前に出ることは慣れているのかもしれない。
「そーですっ! この熱い気持ち、止まれませんっ!」
 茜は言いながら、ダンス冒頭の動きをする。
「でも、狭いところであまり激しく動きすぎて、ケガ、しないようにしてくださいね……」
 ほたるは穏やかに微笑んで、茜を制した。
 茜はそれでようやく動きを止め、椅子に着くと、楽屋に用意されているペットボトルの水をぐいとあおった。
「とうとう、ここまで来たんだね、私たち」
 裕美もまた穏やかに微笑んで、感慨深げに言った。
 これまでで、五人はユニットの仕事に取り組み、お互いの絆も深まってきている。聞けば、ときどきプライベートで遊びにいくこともあるらしい。
「新しいプロデューサーのおかげ、かな」
 はにかみ笑顔で裕美が言った。珍しい素直な態度に、俺もくすぐったくなる。
「今日は大きな舞台だが、レッスンは着実にものにしてきた。心配することはないだろう。がんばってな」
 もう一度声をかける。五人は良い顔で頷いた。
 俺は五人にステージの様子を見てくると告げて、楽屋を離れた。
 今日の資料は頭に入っているし、一度訪れたことのある会場だが、それでも実際に茜たちが通るルートを再度確認しておく。
 楽屋から廊下を伝って下手側の舞台袖へ。待機しているスタッフたちに挨拶する。
 オープニング楽曲での茜たちの入場は二階に組まれたバルコニーだ。
 バルコニーに複数ある門のような入場ゲートからは、それぞれ今日のフェスで目玉となるアイドルが登場する。
 その両側に、茜たち新人アイドルが二人ずつついて三人一組で入場する流れだ。
 階段を上ってゲートへ。自分が待機できる場所を確認する。それから、バルコニーから、まだ空っぽの客席を眺める。
 目のまえに広がる二千以上のシートのチケットはほぼ完売。数十分後には、ここは人でいっぱいになる。
「なんとか、ここまで連れてこられたな……」
 誰へともなくつぶやき、深く息をついた。先輩が過労で倒れてから数か月、見よう見まねでここまでやってきて、やっと五人をステージに立たせることができた。ここがひとつの区切りと言っていいだろう。
 無事にライブが終わったら、今日は普段よりいいビールを買って帰ろう。そんなことを考えながら、俺はバルコニーの階段を降りていく。来た道をもどって楽屋へと戻った。
76: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:07:10.49 ID:Q3fcpmY20
 楽屋の扉を開ける。
 五人はそれぞれに、自分の衣装やメイクの確認をしていた。
 おかしなところのない風景に見えるが、俺はなにか違和感を覚えた。
 順に五人を見る。違和感の正体が判った。茜が大人しくしている。
 茜は楽屋内に置かれた、舞台の様子を確認できるモニターを真剣な眼でじっと見つめて、小さくひらいた口からゆっくりと息をしていた。
 衣装をまとった胸のあたりがゆっくりと上下している。
「……大丈夫か?」
 茜に声をかける。茜は返事をせず、代わりに他の四人が俺と茜のほうを見た。
 俺は近くまで歩みより、茜の目のまえで手を振る。それでようやく茜ははっとしたようにこちらを見た。
「はっ、ひゃい!」
 びくりと肩が跳ねて、間の抜けた声が茜の口から出た。
「茜ちゃん、大丈夫スか? ぼーっとして」
 比奈が心配そうに尋ねる。
「あっ、はいっ!」茜は勢いよく立ち上がる。「すいません! 気が抜けてたようです! 大丈夫ですっ! このとおり!」
「ひょっとして、緊張してきたか?」
 俺は大きく腕を振り回して元気をアピールしている茜に尋ねる。
 大きな舞台となれば、多かれ少なかれ人は緊張する。場数を踏んだアイドルであっても、ライブ当日となればリハーサルと完全に同じ気分では過ごせないものだ。
 むしろ適度な緊張感は本番の集中力を高めてくれるものだし、緊張が原因で多少のミスがあったところで大勢に影響することはほとんどない。
 それだけのレッスンを重ねてもいる。
 だが、ごくまれに極度の緊張、過呼吸などでアイドルが出演不可能な状態に陥ってしまう場合はある。俺は念のために茜の様子を観察した。
「いやっ、大丈夫です! ちょっと精神を統一していました!」
 茜はさきほどまでの呆けた顔が嘘であるかのように、戦意たっぷりの目でこちらを見た。
 その顔、髪の生え際を中心に、普段より多く、じっとりと汗をかいているように見える。
「……そうか」違和感は晴れなかったが、開演時間も近い。茜がこのまま持ち直すことを俺は祈った。「そろそろ舞台袖に移動しておこう。早めに入ってほかのアイドルを待つくらいのほうが余裕あっていいと思うぞ」
「じゃあ、みなさん、行きましょうか!」
 春菜が立ち上がり、楽屋の扉を開く。五人はそれぞれ、真剣な顔で舞台へと向かった。
77: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:09:04.03 ID:Q3fcpmY20
----------
 客席に流れているBGMが小さく聞こえてくる以外はほとんど音のしない、静かな舞台袖に到着する。
 集合予定時刻まではまだかなりの時間があった。俺たちが一番の到着かと予想していたが、広い舞台袖の中央に、一人の少女がぽつんと立っていた。
 茜たちと同じ衣装を着ている。ということは、スタッフではなくて同じアイドルだ。
 少女がこちらを見た。そこで俺もようやくその少女が誰なのか理解する。
 無垢な笑顔が魅力的なショートの黒髪。美城プロダクションのアイドル、小日向美穂だ。
 茜や比奈と同じく、今日のライブが初のステージとなる新人アイドルで、たしか、最初の曲の入場は茜とペアだった。
「小日向美穂です! 今日は、よろしくおねがいします!」
 美穂が深く頭を下げる。五人も同じように返事をして頭を下げた。茜の声はその中で飛びぬけて大きい。
 開演まではBGMを流しているから心配はないと思うが、客が入り始めている客席に聴こえてしまわないか不安になるほどだ。
「私、今日が初めてのライブで……みなさんにご迷惑をかけないよう、いっしょうけんめい頑張りますので、よろしくおねがいします!」
「美穂ちゃん! 今日はがんばりましょう!」茜が嬉しそうに言った。「おたがい初めてどうし! 記念すべき第一歩です! ボンバー!」
 腕を振り上げる茜。それに驚いたのか、美穂の肩がびくりと跳ねた。
 全体曲のレッスンの機会で茜と美穂はすでに打ち解けているようだ。
「アタシも初めてのライブっス。緊張するっスね……お互いはじめてどうし、がんばりましょー」
 比奈がゆるく挨拶する。緊張すると言っていたが、固くなっている様子はない。心配はなさそうだった。
 茜もやや興奮気味だが、一見しておかしな様子はない。
 春菜、裕美。ほたるの三人は規模の大小はあれどライブは経験している。問題はないだろう。
「まだ余裕はあるから、入場口を確認しておくといいだろう。客席に見えないように気をつけろよ」
 俺が言うと、五人と美穂はそれぞれ、自分の入場場所を確認に走った。
 そのあいだに、楽屋から舞台袖へと移動してくるアイドルはじわじわと増えた。スタッフたちの緊張感もにわかに高まっている。
 バルコニーへ続く階段を見る。茜と美穂が談笑しながら戻ってくるのが見えた。
 続いて、裕美、ほたる、春菜、比奈の順に戻ってくる。その頃には、袖に待機しているアイドルたちも十五人以上になっていた。
78: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:11:23.33 ID:Q3fcpmY20
「ぐっもーにーん! えぶりばーでぃー!」
 スタッフやアイドルたちの緊張感とは対照的に、能天気な高い声が響く。
 鼻歌混じりに楽屋口から舞台袖へと入ってきたその声の主は、ショートの金髪碧眼、日本人とフランス人の両親を持つハーフのアイドル、宮本フレデリカだった。
 フレデリカは今回の目玉アイドルの一人だ。飛びぬけて明るく、いつも緊張感とは無縁なフレデリカのキャラクターは、男女を問わず広い世代に親しまれている。
「おはよーございまーす、今日はよろしくー」
 その後ろから、同じく緊張感ゼロで舞台袖に入ってきたのは、銀髪でこちらも同じくショート、キツネのようにシャープでサバサバした雰囲気を身に纏ったアイドル、塩見周子だった。
 フレデリカと周子、そして一ノ瀬志希の三人からなる人気ユニット「誘惑イビル」の演目は、今回のライブで盛り上がりのピークのひとつとなるだろう。
 フレデリカと周子が入ってきたので、てっきり志希も来るのかと思いきや、二人の後ろから着いてくるものはいなかった。
 肩透かしを食らったような周りの雰囲気を悟ったのか、フレデリカは集まっているアイドルたちの中心でぱっと右手を挙げる。
「あ、シキちゃんはまだ楽屋で丸まってるんだ?、だいじょーぶ、本番までにはまにあうよー、たぶんだけどねー」
 それから、フレデリカはアイドルたちをぐるりと見回してから、茜たちや美穂のほうを見ると「おおっ?」と興味深そうな声をあげた。
「ねえねえ、たしかライブはじめて、じゃなかったっけ? リハーサルで言ってたよね?」
 屈託ない笑顔で近づいてくるフレデリカに、茜、比奈、美穂の三人はそれぞれ頭を下げる。
 サマーフェスはかなりの参加者があり、全員のスケジュールを完全に合わせることは困難だった。
 おそらく、茜たちとフレデリカたちは、リハーサル以外に顔を合わせる機会はなかったのだろう。
「日野茜ですっ! 今日が初めてのライブです! よろしくおねがいします!」
「あっ、小日向美穂、です、私も初めてで……よろしくおねがいします」
「荒木比奈っス。アタシも初めてっス」
「宮本フレデリカだよー! 今日はよろしくね、ラビュー!」
 フレデリカは三人に向かって手を振る。それから、長いまつげが印象的な大きな目で、三人を見た。
「ねぇねぇ、三人はもう、掛け声決めた?」
「掛け声、ですか……?」
 美穂がきょとんとした声をあげる。茜と比奈も不思議そうな顔をしていた。
「そう、ライブがスタートして、ステージに出ていくときの掛け声だよー、アン、ドゥ、トロワー! みたいにねー! もう決めたー?」
「掛け声……聞いたことなかったっスね……」
「決めといたほうがいいよー、あたしは塩見周子。よろしゅー、がんばろーね」言葉とは裏腹に、やる気を表に出す様子がまるでない周子が話に参加してきた。「掛け声はプロダクションの伝統だからねー、好きな食べ物にするといいって聞いたことあるなー、ね、フレちゃん?」
 周子は悪戯っぽい目でフレデリカを見る。
 フレデリカは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに大きく頷いた。
「そう、そうなんだよー、さすがシューコちゃん、良く知ってるよねー! アタシだったらねー、えーっと『ふつう、味の、コロッケー!』かなー?」
 走り出すようなポーズをとって言うフレデリカの言葉に、集まっているアイドルの何人かは吹き出し、何人かは肩を震わせて笑いをこらえている。
 比奈が苦笑いし、茜と美穂はきょとんとしていた。なんだ、ふつう味のコロッケって。
 俺も周りのリアクションの理由を知っていた。
 もちろん、美城プロダクションにそんな伝統はないし、食べ物にするといいなんてこともない。フレデリカと周子の即興の冗談だ。
 フレデリカたちに悪気はなく、本番前の緊張を和らげようとしてくれようとしているのだろうが。
「なるほど! 掛け声ですかっ!」それが冗談だとつゆ知らず、茜はそれを真に受ける。「美穂ちゃん、どうしましょう!?」
「えっ? えっと……」美穂は少しのあいだ悩む。「茜ちゃんの好きな食べ物は?」
「私ですか! 私は……カレーです! ということは……『カ、レー、ライス!』ですかね?」
 それはちょっと語呂が悪くないか、と意見をする間もなく。
「うんうん、いいと思うよー。じゃあ、本番もがんばろー」
 周子はのんびりと言う。その一言で、アイドルたちはまたそれぞれに待機することになった。
79: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:13:21.68 ID:Q3fcpmY20
「プロデューサー……掛け声、ほんとに伝統なんスか?」
 比奈に尋ねられて、俺は首を横に振った。
「やっぱり、そうっスよね……」
 比奈は苦笑いしながら、カレーライスの掛け声を繰り返し練習する茜と、それに付き合わされている美穂を眺めていた。
「でも、掛け声があったほうが、ステージへの入りは合わせやすそうですよね」
 となりにいたほたるが言う。
「そうだな」
 俺はうなずいた。適当に言ったように見えて、フレデリカと周子の二人はきちんと新人アイドルのことを考えている。頼もしい存在だった。
「おっはよーございまーす!」
「ふぁ、おはよー」
 はきはきとした元気な声と、対照的に眠たげな声が楽屋口のほうから聴こえてくる。
 城ヶ崎美嘉と一ノ瀬志希の二人だった。二人の姿を認めたアイドルたちから次々におはようございますの声が返る。
 城ヶ崎美嘉はカリスマギャルと呼ばれている人気アイドルで、今日のフェスでも全体プログラムではリーダーとなる場面が多い。
 二人が俺の横を通り過ぎるとき、ふっと志希が立ち止まり、俺のほうを見た。
 眠たげだった目が、玩具に興味を示す子猫のようにぱっちりと大きく開かれたかと思うと、志希は俺のほうにかけ寄り、上目づかいで俺を見て、鼻を近づけてくんくんと匂いを嗅ぎ始めた。
 一ノ瀬志希はギフテッドと呼ばれ、化学分野、特に匂いの領域に特化した天才的学習能力を持つ。
「やっぱり! キミ、前よりいー匂いするようになった!」
「は?」
 俺は意味が判らず、思わずきき返していた。志希は言うだけ言って、呆気にとられている俺に構わず、フレデリカと周子のほうへと小走りにかけていく。
 それから、俺の記憶が蘇る。
 もう数か月以上前だ。先輩に同行したライブにたまたま出演していた志希に、同じように匂いを嗅がれたことがあった。
 あのときは「単位は出るかなー」と平坦な声で言われたのだったか。
「……あの時の俺の体臭を覚えているのか?」
 信じられないと俺は思った。
 いまと同じ、ほんの一瞬の出来事だ。いくら天才とはいえ、あの短時間で嗅いだ匂いを今日まで覚えていられるなんてことが、ありえるのか?
「集合五分前でーす!」
 スタッフの声がかかる。俺は志希に言われたことを思考の外側に追い出した。開演する前に、五人を集めて声をかけておいたほうがいいだろう。
「比奈、ほたる、みんなを集めてくれ」
 俺に言われて二人はうなずくと、それぞれ茜、春菜、裕美のいるほうへと向かった。
 ほたるはすぐに春菜と裕美を連れてくる。が、比奈が戻ってこない。俺は比奈が向かったほうを見た。
 比奈が、こちらに手を振っている。
 俺はほたるたち三人とともにそちらへ向かった。そうしてすぐに、比奈が戻ってこなかった理由を知った。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
 茜が、足元のなにもない場所を見つめたまま、短く呼吸を繰り返している。楽屋で見たのと同じ光景だ。
「茜ちゃん……」
 春菜が不安そうな声をあげる。
 俺は奥歯を?んだ。
 やはり、茜は普段のように振る舞っているように見えて、その実は緊張が極限に達していたのだろう。
 だが、もう開演時間は迫っている。今更スケジュールを遅らせるわけにもいかない。
 本当に動けないのなら、茜にはストップをかけ、医者を呼ばなくては。
「プロデューサー!」
 比奈に言われて、俺は比奈のほうを見て首を縦に振る。それから、茜のほうへ向き直り――
「っ……! あ……っ!」
 どうしてか。
 声が、出なかった。
80: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:15:05.78 ID:Q3fcpmY20
 俺は俺自身に対して困惑した。なにが起こっているのかわからなかった。
 比奈たちユニットのメンバーに囲まれ、待機しているほかのアイドルたちにも囲まれ、俺は茜を目の前にして動くこともできず、喉の奥から細い息だけを漏らしていた。
 どうなっているのかわからないまま、とにかく茜の背に手を添えようと、右手を伸ばしたところで、先に比奈たちが茜に駆け寄る。
 それぞれが茜の手を取り、肩に手を添えた。
 十数秒で、茜の呼吸の間隔は次第にもとの落ち着きを取り戻した。
 茜の眼から数粒の涙がこぼれ、舞台袖の床板に小さな丸い水の跡を作る。
 ほたるが近くのテーブルからタオルをとってくると、茜の涙と汗を丁寧にふき取った。
「っ、はっ、はーーー……ありがとう、ございます」
 茜はようやく言葉を発する。裕美に渡されたボトルの水を口に含んで、時間をかけてゆっくりと飲みこみ、それから、茜は比奈たちに向かって微笑んだ。
 それから茜は自分の両の頬をぱんぱんと軽く叩くと、両腕でガッツポーズした。
「よおっし! 日野茜、もう大丈夫です! すっごく緊張してますけど! でもみんなのおかげで吹っ切れました! みなさん! お騒がせしましたっ!」
 謝る茜に対して、比奈たちはほっとしたような笑顔を見せる。周りで見ていたアイドルたちも、それぞれに安堵の顔を見せた。
「すいませんプロデューサーさん! やっぱり、緊張してたみたいです!」
「ああ」俺は自分の混乱を隠して茜に笑いかける。「初めての大舞台だ、無理もないさ。きつそうだと思ったら正直に言ってくれ」
「はいっ!」茜は大きく頷く。「楽屋のとき、本当はダメでした! でも今は、きっともう大丈夫です! つぎダメになりそうなときは、すぐに言います!」
 俺は茜の言葉を信じることにした。冗談は言えないようなやつだ。これならきっと、大丈夫だろう。
 俺はもう一度、さっき自分に起こったことを思い出す。どうして、声が出せなかった?
 そう考えているあいだに、俺の周りには茜たち五人が集まっていた。俺は再び、思考を中断する。
「よし、それじゃいよいよ本番だ。どんなことでもいい、なにかあったらすぐに相談してくれ。一人で背負わないようにな。記念すべき、初ライブだ。……みんな、頑張ってこい!」
「はいっ!」
 五人の声が重なる。
「……閃光のように! ……っス」
 比奈が拳を握り締めていた。
「時間です! 集合確認できてます、開演まであと五分!」
「じゃ、円陣組もっか!」
 美嘉が声をかけると、アイドルたちは並んで輪を作る。美嘉が右手を出すと、それにならってアイドルたちは全員右手を出した。
「掛け声は……」
「やっぱり、美嘉ちゃんにかけてもらうのがいいんじゃないでしょうか」
 そう言ったのは、高垣楓。アイドルたちの中で芸歴も長く、本番を前にしても落ち着き払っていて風格がある。
「あはは、楓さんに言われちゃ、しょーがないかな、それじゃ……」
 美嘉は一転して、好戦的な獣のように目をぎらつかせる。
 すぅ、と息を吸い込んで。
「今日、ここを! 世界の中で一番アッツい場所にする! 美城プロ、サマーフェス! いくよぉっ!」
 重ねた手のひらがぐっと沈んだかと思うと、アイドルたちの掛け声とともに、羽ばたくように高く掲げられた。
81: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:17:21.00 ID:Q3fcpmY20
 茜たちとともにバルコニーへ上がるステップをのぼる。
 バルコニーのゲートの向こうからは開演を待つファンたちの熱気が伝わってくる。
 暗幕で区切られたゲートの前に、それぞれのアイドルが立った。
 比奈と春菜は川島瑞樹の両翼に。裕美とほたるは佐久間まゆの両翼だ。
 俺は直前の茜の件を受けて、念のために茜の入場位置付近に待機することにした。茜と美穂は、美嘉の両翼となる。
「初めてのライブって、緊張するよねー。アタシも最初の時はヤバかったなー、でも、レッスンの通りやれば大丈夫だから、楽しもうねー、サイッコーの景色だからさ!」
 美嘉はそう言って茜と美穂に笑いかける。緊張を感じさせない、軽快な声色だった。
「はいっ! よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
 茜と美穂がそれぞれ返事をすると、三人はゲートの前に立つ。
 ほかのゲートも同じように、それぞれのアイドルが並んでいた。
 暗幕の向こうにはまだ、開演前のBGMとしてアイドルたちの音源が流れている。
 増幅された低音が胸を衝く。この時間は、裏方の身とはいえど、緊張しなかったことはない。
「本番、いきます!」
 スタッフの声がかかり、BGMがひときわ大きくなる。それに引っ張られるように会場の熱は一層高まり、そしてBGMが消えゆき、ファンの声だけが残る。
 ファンファーレが始まる。目の前の三人が、すぐに飛び出せるようにほんの少しだけ姿勢を低くした。
 ファンファーレが終わる、その瞬間に、ゲートの暗幕が一斉にあげられる。ステージの向こうの光が飛び込んでくる。
「行くよ」
 美嘉が両隣の二人に声をかけた。
「行って来い」
 俺はそれぞれのゲートにいる五人に声をかけた。
 最初の曲のイントロが始まる。
 茜と美穂はスタートの姿勢をとる。
「行きます!」茜が言った。「『カレー!』」
 その言葉を聞いた瞬間に、俺の脳はフル回転を余儀なくされた。目の前の景色がゆっくり流れる。きっと、美穂も同じだっただろう。
 『カレー』で始めたら、残りは『ライス』しかない。二拍だ。打ち合わせは『カ・レー・ライス』で三拍だったじゃないか。
 茜、それじゃあ、タイミングが合わない。
 伝えなくては。ストップして、もう一度。変に強行してガタガタになるより、仕切り直したほうがいい。
「ぁ……っ!」
 また、だった。
 また、俺の喉からは声が出なかった。
 胸が、喉が、音を出すのを拒絶するみたいに、俺の言おうとすることを拒む。
 どうして。そう考えているあいだに、時間は過ぎる。
「ラ……」
 茜もミスに気づいたようだった。茜と美穂はタイミングを逸する。
 ゲートの手前で、二人はがくん、と姿勢を崩した。
 茜と美穂の顔が同時にさぁっと青くなる。
82: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:18:53.01 ID:Q3fcpmY20
「大丈夫っ!」美嘉が二人の頭に手を置く。「今日はうまくいってもいかなくても、アタシたちが主役なんだから、ぜんぶ成功なの! ね!」
 そう言って、美嘉は強い瞳で二人を見る。二人の顔に赤みが戻る。
 城ヶ崎美香。この一瞬で、ファンだけでなく同じアイドルの心までひとつにする。恐るべきカリスマ。
「はいっ!」
 二人の声が揃う。
「もう一回行くよ、いち、に……さん!」
 美嘉のかけ声で、茜と美穂の二人は光の中へ飛び込んでいく。その後ろを追って、美嘉もステージへ。
 客席からは大歓声が飛んでくる。
 俺はほかのゲートも確認する。どのゲートも無事に入場したようだ。すぐに最初の曲のAメロが始まった。
 長く息をつく。それから、ゲートの端からステージを覗いた。茜が歌い、踊る姿が見えた。
 小さな体で、手足をいっぱいに伸ばして。
 あの日、河川敷で俺とぶつかったことから始まったあの少女は。
 いま、アイドルになっている。
 目の前の景色がにじんで、ぼやける。茜の姿がシルエットのように、不鮮明になった。
 自分の涙だった。
「ああ」
 それで、気づいてしまった。
 自分がどうして、茜に向かって声を出すことができなかったのか。
 ぼろぼろこぼれる涙が頬を流れていくのも構わず、俺はゆっくりと、階段を降りて舞台袖一階へと戻った。
 ステージを映すモニターの前に行くと、そこには壮年のベテラン社員とちひろさんがいて、アイドルたちの活躍を見守っていた。
 壮年社員が俺のほうへと歩み寄ってくる。涙と鼻水の止まらない俺の顔を見ると、穏やかに微笑んで「お疲れさま」と声をかけてくれた。
「ずいません、ごんな……」
 こんな顔で、と言いたかったのだが、ちゃんとした声にはならなかった。
「不慣れな仕事で、よく頑張ってくれた。立派だよ、彼女たちがしっかり羽ばたけたのは、キミのおかげだ」
「……」
 俺が黙っていると、壮年社員はほーっと、長い息をつく。
「大人はなかなか、満足に泣くこともできやしないんだ。辛いよね。いまは、大丈夫だ」
 壮年社員が俺の心の内を知っているとは思えない。それでも俺は、壮年社員の言葉に甘えさせていただくことにした。
「お疲れ様でした、プロデューサーさん」
 ちひろさんが俺にドリンクを差し出してくれる。俺は「ありがとうございます」と濁った声で言いながらそれを受け取ると、ドリンクをあおった。
 いつもよりも甘く感じた。
 ありがたかった。
「あの子たちも、頑張ったなぁ」
 モニターを見ながら、壮年社員は感慨深げに言った。
「ええ」
 俺はようやく、ハンカチで顔を拭うと、モニターを見つめた。
 あまり大きくはないモニターの中には、ほとんど豆粒みたいに見えるアイドルたちが、歓声を浴びて歌い、踊る姿が映されている。
 その一角に、大きくエネルギッシュな動きで踊り続ける、背の低いアイドルが一人。日野茜。
 俺はその姿をじっと見つめた。
 あれは日野茜。俺の幼なじみのアイツじゃあない。
 そんな簡単な事実からすら、俺はずっと逃げ続けていたんだ。
83: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:20:15.66 ID:Q3fcpmY20
-----------
 アイドルに憧れ続けていた地元の幼なじみは、高校を卒業すると、すぐに上京して、いくつもの事務所のオーディションに応募していた。
 一方の俺は、地方の大学に通いながら、イベントスタッフのアルバイトなど、芸能関係の仕事を積み重ねていた。
 幼なじみのアイツはアイドルに。俺はそのプロデューサーに。
 高校を卒業するとき、交わしなおした約束に大した拘束力があると思っていたわけではない。
 特に将来への展望もなかった俺にとっては、選ぶアルバイトの方向性を絞るいい口実くらいに思っていた。
 俺がアルバイトの経験を重ねて少しずつ芸能界の仕事に近づいていく一方、アイツのほうは思わしくなかった。
 オーディションの落選を繰り返し、ようやく小さなプロダクションに入ったものの、まともな仕事は殆どなかった。
 とりあっていた連絡は少しずつ間が空くようになった。
 アルバイトの経験を買われて入った芸能プロダクションから、更に人間関係を伝って転職し、美城プロダクションへ。
 俺はいつのまにか、約束を果たしていた。
 一方で、約束を果たすことができないまま、アイツの心は折れた。
 年齢を重ねてもアイドルとしての実績は得られず、それでも芸能界に残ろうとした結果、来る仕事はアダルトまがいのものばかり。
 そうしてついに、アダルトではないものの、内容の過激なイメージビデオに出演し、その直後に心をすり減らしたアイツは自分で自分の夢に幕を下ろした。
 約束を果たせなくて申し訳ないと書かれたメールの受信を最後に連絡は途絶え、アイツは姿を消した。
 過激なイメージビデオの出演は、人の噂が大好きな田舎の狭いコミュニティには格好の話題であり、地元にも居られなくなったアイツは家族ごとどこかへ引っ越した。
 あとには、約束も夢も目標もなくなった俺だけが残った。
----------
84: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:21:51.56 ID:Q3fcpmY20
 俺はモニターを見つめる。
 茜たちは歌い、踊り続けている。
 俺は茜とアイツを同一視していた。だから、これまでもずっと、そして呼ぶべき大切な場面で、その名前が呼べなかった。
 茜とアイツは違う。
 茜がステージに立ち、アイツがたどり着けないところへ茜がたどり着くまで、こんな簡単な事実にすら気づけないなんて。
 そんな失礼なことがあるだろうか。
 自己嫌悪しながら、それでもモニターを見つめ続けた。
「助けられてるよねぇ」
 壮年社員が、モニターを見つめたままつぶやく。
「私たちはアイドルのみんなを支え、輝く手伝いをしている……でもその実、私たちもこれ以上なく助けられているんだ、彼女たちの、輝きに」
「……はい」
「これからも、頑張ってくれよ、プロデューサー」
「……はい」
「頑張ってくださいね、プロデューサーさん」
「……はいっ」
 返事をした自分の声は、自分でも驚くほど、素直だった。
 モニターの中では、曲が終わったアイドルたちが、きらきら輝く笑顔で客席に手を振っていた。
 それを見つめながら、俺は心のなかで別れを告げる。
 幼いころの、約束に。
 さようなら。俺は、新しい夢を支えに行くよ。
----------
 ライブは続く。
 茜、比奈、春菜、裕美、ほたるの五人は中盤のトークコーナーでこれからCDデビュー予定のユニットであることを告知。
 茜の天然の熱血ボケと、比奈の冷静なツッコミは会場の笑いを誘った。
 春菜、裕美、ほたるの三人はほかのアイドルのプログラムの一部にダンサーとして出演。
 そしてプログラム最後の曲と、アンコールまでを無事に終えて、サマーフェスは大盛況のうちに終演となった。
 長い時間をかけて客席に向かって深い感謝の礼をし、顔をあげた茜たちアイドルの顔は、みんな晴れやかだった。
「おつかれーっ!」
 舞台袖に戻るなり、美嘉の声が出演者みんなをねぎらう。アイドルたちがお互いをねぎらう声があちらこちらで響いていた。
「今日はありがとうございました!」
 美穂が美嘉に言う。
「すいませんっ、入りを失敗して迷惑をかけてしまいましたっ! 次はもっと合わせやすい食べ物を掛け声にしますっ!」
 茜が美嘉に向かって頭を下げる。食べ物の掛け声はやめるつもりはないらしい。
「おつかれさまー! すっごくよかったと思うよ! 失敗なんて気にするほどじゃないからさー。美穂ちゃんはキュートだったし、茜ちゃんは体力すっごいよね! 二人とも、また絶対一緒にライブやろ!」
 言いながら、美嘉はにっと笑って茜に向かって拳を突き出す。
 茜は一瞬戸惑ったようだが、すぐに自分の拳を出して美嘉と突き合わせた。
 それから、パンと小気味いい音を立ててお互いの手のひらを打った。
85: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:23:33.96 ID:Q3fcpmY20
「プロデューサー」
 裕美とほたるがこちらに歩いてくる。
「おう、お疲れ様」
「なにも大きな事故がなくて、よかったです……」
 ほたるはほっとした顔で笑った。
「終わった……でも、終わりじゃなくて、私たちはここがスタート、だよね?」
 裕美に尋ねられ、俺はうなずく。
「ああ」俺は二人の顔を順番に見た。「すまない、裕美、ほたる、それと春菜は、これまでもプロダクションでアイドルとしての活動経験があることに俺自身が甘えてしまって、フォローしきれないことが多かった。これからはユニットでリリースまで頑張ろう。仕事もどんどん増やしていくぞ。よろしくな」
「うん。よろしくね」
 裕美は穏やかな笑顔で返事をする。
「お仕事……すみません、よろしくお願いします」
 ほたるはどこかに不安そうな色をのこして、だけどもやはり笑顔で返事をしてくれた。
 二人は曲で共演したメンバーのところへと歩いて行く。
「プロデューサーさん」
「プロデューサー」
 こんどは春菜と比奈が近づいてくる。
「今日のライブは、いつもより会場が輝いて見えた気がします。眼鏡の自分に自信をもってやれたからでしょうか。……ふふ」
 春菜はほかの共演者にも挨拶をしたいと言って、すぐにその場を離れた。
「お疲れさん」
 俺は残った比奈に声をかける。
「お疲れっス。どーしたんスか? その顔」
 比奈は悪戯っぽい目できいてくる。きっと、俺の目の周りは真っ赤になっているのだろう。
「大人はいろいろあるんだよ」
「そっスか」
 比奈は俺のとなりに立ち、それ以上は聴いてこなかった。
「……いくら辞めたいとは言っても、お前たちのことはちゃんと責任を持つよ」
「……?」
「この前、聞かれたことの話だ。中途半端にはしないさ」
「ああ」比奈は何のことだかわかったようだった。「いまは、その答えでいいことにしておくっスよ、プロデューサー」
 そう言って、比奈は笑った。
「プロデューサー! やりました! ファイヤーッ!」
 茜が遠くから大声で言い、太陽みたいな笑顔で、こちらに走ってくる。
 茜は俺の前で立ち止まり、興奮冷めやらぬ目で俺を見る。
「ああ」
「ライブ! すごく熱くて! すごく楽しかったです! ぜんぶ、私をスカウトしてくれたプロデューサーのおかげです、ありがとうございました!」
「ああ」
 俺は茜の目を見ながら言った。
 これからはきちんと、名前を呼ぼう。
「でも、輝いたのはお前や、みんな自身の力だよ。頑張ったな。まずは、お疲れ、……『茜』」
 俺の言葉に、茜は少しのあいだだけ目を丸くして。
 それから、満面の笑顔で応えた。
「はいっ! お疲れ様でした!」
 こうして、美城プロダクションのサマーフェス、茜達の最初の舞台は幕を閉じた。
 日野茜、荒木比奈、上条春菜、関裕美、白菊ほたるの五人は、次のステップへ向けて、これからも突き進んでいく。
 第六話『世界で一番熱い夏』
・・・END
90: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 22:32:12.47 ID:Q3fcpmY20
「あ、お疲れです。すいませんご心配かけまして……
 ええはい、ようやく動けるようになってきました。
 医者からはもう少し大人しくしてるように言われてるんですけど。
 ……やだなぁ、さすがにこれ以上無茶できないですよ、医者がいいって言うまで大人しくしてます。
 そんで、全快してからはまた、バリバリやりたいと思ってますんで!
 それじゃ、また連絡します。
 ドリンク差し入れしてもらえるの、待ってますよ、ちひろさん!」
 ガチャン ツーツーツー
86: ◆Z5wk4/jklI 2017/05/28(日) 00:29:10.34 ID:Q3fcpmY20
前半戦は以上です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
裕美、ほたるにフォーカスを当てたエピソード、そしてアイドルたちのさらなる奮闘は後半にて。
はじめての投稿だったので勝手がわからないのですが、後半の開始まではしばらくお時間をいただくことになりそうですので、
このスレッドは後日、ここまででいったんHTML化を依頼しようと考えています。
できるだけ早く、遅くとも7月中には再開したいと思っています。
「先輩プロデューサーが過労で倒れた」完結編もお付き合いいただければ幸いです。
88: 以下、

続き・詳細・画像をみる


【画像】暑いからって極小マイクロニキビでピンクのポッチ見えちゃってる女の子

【絵じゃん】 日本のロリJSさん、とんでもないドスケべ水着を着させられてしまうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwあ〜エッチすぎるwwwwwww

【靖国】小野寺防衛大臣「靖国参拝しない」中韓反発踏まえ

出先でも音にこだわりたいあなたに。スピーカー付きの折り畳みキーボード「Compectus」

未解明の世界の謎や不思議を教えてくれや

一般人の自殺に対する誤解がこちら・・・ちゃうんやで(※画像あり)

back 削除依頼&連絡先