凛「鎖の傷痕」【モバマスSS】back

凛「鎖の傷痕」【モバマスSS】


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1:
渋谷凛は解体場に向っていた。
先程から乗っているタクシーの運転手がチラチラと凛の様子を伺っている。
普段なら多少なりとも気を悪くする所だが、
今は仕方がないと理解できる。
凛は、全身蒼のイブニングドレスに身を包んでいるのだから。
それでいて行き先に解体場を指定したのだ、何という場違いさか。
どう考えても気になってしまうだろう。
凛もわざわざ解体場に行く為にドレスを着たのでは無い、
これから友人の結婚式に出席する為のイブニングドレスである。
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2:
なるほど、結婚式ならば何もおかしな所は無い。
運転手も結婚式場を行先に指定されたのならば、華やかなドレス姿に見惚れこそすれ、
この様な怪訝な視線を投げかける事はしなかっただろう。
それでも凛には解体場に行く理由が有った。
理由がある、というか、その場に行かなくては、もう一歩だって前には進めそうになかったからだ。
今日の結婚式の新婦は島村卯月。
凛と同じユニットに所属する同僚であり、親友でもある。
新郎は二人の担当プロデューサーだった男性である。
3:
そんな二人の結婚式の時間が迫りつつある。それでも尚、凛の足は式場には向こうとはしなかった。
祝う気持ちは、もちろんある。
卯月は大事な親友で、凛はその笑顔に憧れてアイドルを志した程だ。
プロデューサーも、自分を見出してトップアイドルまで導いてくれた掛替えの無い人物だ。
二人とも凛にとって、とてもとても大切な人達だ。
そんな二人の結婚式。
だが、プロデューサーと凛は過去に恋仲だった。
4:
最初は自分を導いてくれる感謝、それが恋だと凛が気づくのに、然程時間はかからなかった。
告白したのは凛の方から。
最初は拒まれた、アイドルとプロデューサーがそんな関係になる訳にはいかないから。
それでも抑えきれない思いは、凛をプロデューサーの胸に飛び込ませた。
押し返される事はなく、抱きしめ返された時、凛は比喩でなく、人生最大の喜びに包まれていただろう。
その数週間後にはドン底まで堕ちる事を知るよしも無く。
全ての歯車が狂ったのは三カ月前の事だ。
5:
凛の所属するユニット、ニュージェネレーションズの仕事でウィンタースポーツの特集を紹介する事になり、
凛と卯月ともう一人のメンバー本田未央を伴い、プロデューサーの運転で北国へとやって来た。
仕事は無事終了し、その日の内に東京へ帰る事になったが、其処に凛が所属するもう一つのユニット、
トライアドプリムスのメンバーである奈緒と可憐から連絡があった。
曰く、オフを利用してこちらにやって来るとの事だった、一緒に遊ぼうとの事だ。
プロデューサーに聴いてみると、もう仕事は無いので別に構わないとの事だった。
自分は会社で仕事が有るから先に帰るが、ゆっくりしていけばいいさ、と。
凛は正直な所、プロデューサーと一緒に帰りたい、と言う気持ちもあったが、
掛け持ちしているユニット間の人間関係上、付き合いも有るので残る事にした。
ニュージェネレーションのメンバーである二人も誘ったが、
活発で、滑り足りなさに不満を口にしていた未央は即答で残る事を宣言したが、
いまいちウィンタースポーツに才能が無く、転ぶ度に頭の上に大量の雪を乗せていた卯月は、
曖昧な笑顔を浮かべながらも、はっきりと拒絶し、プロデューサーと一緒に帰る事になった。
その帰りに事故は起ったのだ。
6:
完全なプロデューサーの過失だったらしい。
複数のアイドルを一人でプロデュースする激務、敏腕の彼でも目に見えない疲労は蓄積してたのだろうか。
運転中、一瞬の眠気にハンドルを取られ、カーブを曲がり切れずにガードレールを突き破り、
そのまま数メートル下の崖に転落したのだ。
頑丈な作りの高級車である事が幸いし、セーフティも無事作動したので、
二人は肋骨や鎖骨を激しく損傷したものの一命は取り留めた。
命を落としても何の不思議も無い大事故の割には、比較的損害は軽微と言えただろう。
ただ一つ、激しくひしゃげたフレームが鋭く折れ曲がり、その切っ先が卯月の顔を深く抉った事を除けば。
7:
事故の一報を聞き、凛が未央達と二人が担ぎ込まれた病院に駆け付けた時、最初に眼にしたものは、
自らも包帯塗れになりながら、哀しそうな顔で俯く卯月の両親に号泣しながら土下座をするプロデューサーだった。
医師の話によると、卯月の顔の傷は命に別条はないものの、深く筋肉まで達しており、
完治しても元に戻る事は無いだろう、との事だった。
アイドルとしての復帰は絶望的だった。
暫くの後、それらの告知を受けた卯月は深く取り乱し、
その日の晩に差し入れの果物を切り分けるナイフで、自らの手首を切り自殺まで計ったのだ。
次の日、プロデューサーは凛達が所属するプロダクションに辞表を提出した。
8:
表向きの理由は事故の責任を取る為に。
しかし真実はまた死を選びかね無い卯月の側に居て、監視する為だった。
贖罪を果たす為に。
凛は、プロデューサーが辞表を出した後、彼と一度だけ顔を合わせる機会があったが、
プロデューサーは、すまない、と一言だけ呟きそのまま凛の元から去っていった。
凛は何も声が掛けられず、ただその場で俯くだけだった。
そして三か月後、凛達の元にプロデューサーと卯月が結婚するとの知らせが届いた。
9:
あの後、アイドル達を見ると卯月が取り乱すと言うので、
見舞いにも行けずにいた凛達には、その後二人に何があったのかは知る由もない。
だが、励まし合う内に自然と二人の仲がそうなったのではないか。
少なからずプロデューサーに憧れを抱いていた大多数のアイドル達の落胆は相当のモノだったが、
最終的には卯月の回復と二人の門出を祝おう、という事で皆の話は纏まった。
だが、凛の胸中には未だに納得できない思いが燻っている。
その燻りが今、凛の足を解体所の事故車の前に運ばせたのだろうか??
10:
前方のボンネットが見る影もなくへしゃげている青いスポーツカー。
プロデューサーが新車を買う時、楽しそうに見ていたカタログの中で、凛が気に入り強引に色を決めさせた思い出の色。
その思い出の中ではプロデューサーの腕の中に居たのは自分なのに、何故こうなってしまったのか…。
凛は一歩近寄り、車内の様子を覗き込む。 
一面ドス黒い物が飛び散った車内は、事故現場の凄惨さを伺わせる。
このくすんだ黒が鮮やかな紅だった時は、きっと目を覆う様な惨状だったのだろう。
11:
しかし、凛はこう思わざるをえない。その場に居たのが私だったら、と。
アイドルは辞める事になったかもしれない、それは辛い、悲しい。
でも、あの人が隣に居て励まし続けてくれるなら、ずっと傍に居てくれるなら・・・。
卯月には申し訳ないが、それは素敵な事なのではないか、と、どうしても思ってしまうのだ。
凛がそう思いながら車内を覗くと、助手席のフレームの天井付近に鋭く尖ったフレームが目に入った。
この棘が卯月のアイドル生命を奪い、凛とプロデューサーの仲を引き裂いた魔物の牙。
憎々しく睨み付けながらも、自分がこの棘に裂かれていたら、
今日あの人の横に居るのは私だったのか、と言う思いに凛は囚われてしまう。
12:
思いながら、棘にそっと添える様に顔を近づけてみると、凛はおかしな事に気が付いた。
あまりにも天井が近すぎる。
この天井付近にある棘に顔を裂かれるには、天井付近に頭を擦り付けるように打ち付けねばならない。
しかし、車内の天井はそれらしい凹みも無く、卯月も頭部は顔の傷以外に怪我が有ったとは聞いていない。
転落中に天井に頭をぶつける様な状況になれば、無事では済まない事は明らかなのに。
それに冷静に考えてみれば他にもおかしい事はある。
卯月が助手席に座ってシートベルトをしない訳がない。
エアバックもある。
その二つがあるからこそ卯月は、他の怪我から免れる事が出来たのだろう。
なら、何故。
13:
天井付近の棘にはシートベルトしていたら届く筈がない。
それなのに実際は、棘は卯月の顔を抉り消えない傷を残した。
この消えない矛盾。一体答えは…。
凛が棘に手を掛けながら悩んでいると、解体場の店員が申し訳なさそうに声を掛けてきた。
この車をプレスする番なので退いて頂けないか、と。
そうなのだ、今日この車は廃棄処分となる。
 
そう聞いたからこそ凛は、結婚式の直前だと言うのに思い出と決別する為にわざわざ此処まで来たのだ。
だが、決別するどころか新たな悩みを抱えてしまった。
重機で持ち上げられて鉄の塊にプレスされる青い車体を見上げながら、
凛はモヤモヤした思いを抱えながら、結婚式の会場に向かい始めた。
14:
式は既に始まっていた。
凛が会場に入るとプロデューサーが卯月と腕を組みながらバージンロードを歩き終えて、
誓いの言葉を述べている所だった。
その時、何と卯月は顔に刻まれた生々しい傷痕を堂々と晒していた。
手首を切るまでに悲しんでいた筈の自らの傷を。
まるで周りに誇る様に、見せつける様に。
隣の伴侶に。
参列者達に。
そして凛に。
その瞬間、凛は雷に撃たれる様に全てに納得がいった。
15:
卯月は、自ら顔に疵を付けたのだ。
 
あの事故の瞬間、おそらく卯月は気を失ったプロデューサーより少し早く目が覚めたのだろう。
そのわずかな時間で視界に入った棘で自らの顔を裂き、何事もなかったかのように救助を待つ。
自らの顔に消えない傷を刻み、プロデューサーに責を負わせる、瞬間に行われた正に悪魔的発想。
手首を切ったのも取り乱したようにみせて、既定路線だったのだろう。
確かに手首とは言え、果物ナイフで死に至る傷を作るのは容易ではない。
偽装には持って来いだ。
とは言え、どちらも耐え難い激痛だろう。
だが、そのどちらも周りに悟られる事なく卯月は完璧に演技をこなした。
その暗い、強靭な精神力に凛は震えを感じた。
16:
きっと、卯月もまたプロデューサーを深く愛していたのだろう。
女の感で、凛とプロデューサーの関係に気づきつつ有ったのかもしれない。
そして起こった事故。
卯月は、目の前にある棘を見つけ、計画は動き始めた。
隣に眠る愛しい人を、絡め取る為に。
17:
そして全ては卯月の思惑通り、卯月の思い人、プロデューサーは彼女の横に居る。
真実を知らず、全ての責任を取る為に。
宣誓が終わり、誓いの口づけが行われようとする時、
凛は思わず二人の間に分け入って全てを暴露したい衝動に駆られた。
だが、もはや証拠は鉄屑と化し、凛の辿り着いた真実を証明する物はこの世に存在しない。
全ては遅すぎたのだ。 
いや、真実を眩ませる程の卯月の執念に凛は負けたのかもしれない。
二人の唇が重なる瞬間、凛からは卯月の頬に刻まれる傷痕だけが目に入った。
18:
凛には、卯月のその傷痕がプロデューサーを縛り付ける鎖の様に見えた。
【了】
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