勇者「コミュ障すぎて満足に村人と話すことすらできない」 2back

勇者「コミュ障すぎて満足に村人と話すことすらできない」 2


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2:

女騎士「はぁはぁ……どうした、そんなものか?」
魔物使い「ここまで粘るとは。さすがっすね」
勇者(騎士が何度ゴーレムを破壊しても、すぐさま復活してしまう)
勇者(しかも、俺たちを拘束する空間魔術は、解除できてないまま)
女騎士「何度でも叩きつぶしてやる。かかってこい」
姫「待って! 魔物使い、あなたの目的は私でしょう?」
姫「言うことなら聞きます。だから、それ以上はその人を傷つけないで」
女騎士「姫殿下! いったいなにを!?」
魔物使い「……よかったっすね、女騎士さん? 物分りのいい姫様で」
女騎士「ふざけるな……! この私が引くとでも?」
勇者(まずい。今の状況では、また姫様をさらわれる。俺たちも無事ではすまない)
勇者(考えろ。剣を使わず。この場から動かず。状況を打開する術を)
姫様「……」
勇者(……姫様)
4:
勇者「……まだ質問に、答えてもらってない」
魔物使い「……あー、言われてみれば。忘れてたっすよ」
勇者「なんでだ? なんで魔物たちに協力する?」
魔物使い「故郷のためっすよ」
勇者「故郷?」
魔物使い「オレの故郷は、いわゆる第三の世界に属する場所だったんすよ」
姫「第三の世界ってことは、人間と魔族が共存してたってこと?」
魔物使い「……小さな村だったし、周りにはなにもなかった。でも、いい場所だった」
魔物使い「まあ、この軍のせいで故郷は滅んだんすけどね」
姫「……」
魔物使い「……いったいオレたちがなにをした? 魔族がなにをした?」
魔物使い「ただ平和に、静かに暮らしていただけなのに。魔族だって理由で抹殺される」
魔物使い「魔族と一緒にいた。ただそれだけで、人間さえ迫害される……!」
8:
戦士「だからって国を、人間を裏切ってどうなる?」
魔物使い「べつに国に反逆したいわけじゃない。ただ、故郷を取り戻したいだけっす」
魔物使い「そのためには、上層部急進派の行動を抑える必要がある」
戦士「急進派……勇者を今回の旅に出した連中か」
魔物使い「アイツらは自分たちの汚れた部分を、全て魔族に擦りつけるクズだ」
僧侶「どういうことですか?」
魔物使い「僧侶さん。アンタなら、気づいてると思ったんすけどね」
僧侶「……」
魔物使い「『柔らかい街』で調査することになっていた研究施設」
魔物使い「アレが国の管理下にあったってことに」
魔物使い「あの街の教会はきちんと機能していた。そして、街と施設は目と鼻の先の距離」
戦士「じゃあ、あの施設は……」
魔物使い「国が新たな生物兵器を作り出すための、実験の場だったってことっすよ」
魔物使い「そして魔王が死ねば、いよいよ魔族はこの地上から排除される」
9:
勇者「だからお前は……」
魔物使い「……勇者さん。オレは前々から、アンタには会いたいと思っていた」
魔法使い「だから、実際に会ってみた。……ガッカリしたよ」
魔物使い「自分の意思なんてありゃしない。アンタは命令に従うだけの人形だ」
魔物使い「アンタのような存在が、オレたちを狂わせるんだ」
勇者「……」
魔物使い「……もういい、不毛な会話はうんざりだ。終わらせてやる――ゴーレム」
ゴーレム「――!」
勇者(三体のゴーレムが溶けるように、混ざり合っていく。そして)
女騎士「デカイな……だが!」
 巨大な拳を掻い潜って、騎士はゴーレムの懐へと潜りこむ。
女騎士「図体がデカイだけで、勝てると思うなっ!」
 鈍い音がむなしく室内に響きわたった。
 騎士の振り上げた剣は、ゴーレムに傷一つさえつけられなかった。
魔物使い「ムダっすよ。今のゴーレムの硬度は、さっきとは比較にならない」
戦士「騎士っ!」
 ゴーレムの巨腕が、騎士を軽々と吹っ飛ばした。
10:
女騎士「……っ」
魔物使い「騎士さんは気絶したみたいっすね。これで邪魔者はいなくなった」
魔物使い「あとはそこの姫様を連れて行くだけ」
姫「……」
勇者(騎士もやられた。どうする? どうすれば……?)
 
 「まだだよ。まだ、終わってない」
魔物使い「!?」
勇者(文字通り、壁が爆発した。もうもうと上がる煙の中から現れたのは――)
魔法使い「お待たせ。待たせちゃってごめんね、みんな」
戦士「魔法使いっ!」
魔法使い「今、みんなを助けるから」
13:
魔物使い「次から次へと。ていうか、どうやってここに?」
魔法使い「決まってるでしょ? 魔物使いくんの空間魔術を解いたんだよ」
魔法使い「まっ、ちょっと手こずったけど」
魔法使い「警備の人は眠ってたし。ホント、ここに来たときはビックリしちゃった」
魔物使い「なんでもいいっすよ。ゴーレムにはどうせ勝てない」
魔法使い「どうかな? こういう決着って意外と一瞬でついたりする――よっ!」
 魔法使いがマントを広げて、立て続けに杖をゴーレムに向かって投げつける。
 投擲された杖は間髪入れずに爆ぜて、瞬く間に空間を煙で覆い尽くす。
魔物使い「煙で拘束する魔術。厄介だけど、このゴーレムには効かないっすよ!」
 ゴーレムが低く唸り、自身に絡みつく煙を引きちぎる。
 魔物使いの言うとおり。ゴーレムの前に、煙は煙以上の意味をもたなかった。
魔物使い「抵抗はやめたほうがいいっすよ。無駄な足掻きにしかならない」
女騎士「いや、意味のある足掻きだ」
魔物使い「なっ……!?」
勇者(気づいたら、女騎士が魔物使いの背後に立っていた)
15:
女騎士「認めよう。私では貴様のゴーレムはたおせない」
女騎士「だが、たおす必要はない。術者を無力化すればいいだけの話だ」
魔物使い「どうやってオレの背後に!? そもそもアンタは……」
女騎士「さっきのは気絶したふりだ。貴様を油断させるための、な」
女騎士「それから。貴様の背後に移動したのは、空間転移の術を使っただけのこと」
魔物使い「転移の術? いつの間に!?」
魔法使い「一つ目の転移用魔方陣は、この部屋に侵入したときに展開したの」
魔法使い「二つ目のは、杖を投げてるとき」
魔法使い「あの派手な登場には、きちんと意味があったんだよ」
魔物使い「爆発も煙の術も、全部目くらましだったのか……」
魔法使い「そのとおり。でも、けっこうギリギリだったね」
魔法使い「勇者が魔物使いくんと話して、時間を稼いでくれたおかげで助かったよ」
勇者「まあ、うん……」
勇者(もっとも。この策が成功したのは、姫様の能力があったからこそだ)
勇者(彼女が能力を使用したおかげで、全員の意思疎通がとれた)
21:

魔法使い「本当に本当に本当に本当にごめんなさいっ!」
勇者(魔法使いが最初にしたのは、姫様に謝ることだった)
姫「ど、どうしたの?」
魔法使い「本来なら王都に帰還されているはずだったのに。私のせいで……!」
魔法使い「一歩間違ったら、姫様は……」
姫「たしかに、あの魔術は失敗したんでしょうね」
魔法使い「……はい」
姫「でも、そのおかげで私はとてもいい経験ができました」
姫「それに。今回のピンチを救ったのは他の誰でもない、あなたよ」
姫「ねっ、勇者?」
勇者「はい」
戦士「そうだよ。ボクらはまた、キミに救われたんだよ」
僧侶「私たちを拘束していた術も、魔法使い様がいなければ解けませんでしたし」
魔法使い「みんな……」
22:
魔法使い「なんか、泣きそうかも……」
戦士「おいおい。キミはボクらのパーティーで一番オトナだろ?」
魔法使い「わ、わかってるよ」
魔法使い「……ていうか。みんなの顔見るのって、すごく久しぶりな気がする」
戦士「実際には数日なんだけどね」
僧侶「でも。魔法使い様の気持ち、わかります」
戦士「ボクもだよ。やっと会えたって感じがする。そうでしょ、勇者?」
勇者「はい」
魔法使い「もうっ。また勇者は『はい』しか言ってない」
戦士「だけど、勇者も変わったよね」
戦士「時間稼ぎのためとはいえ、率先して自分からしゃべるなんてさ」
僧侶「白状すると、あの瞬間は状況を忘れて、そちらに驚いてしまいました」
勇者「まあ、俺も多少は……ね?」
魔法使い「うんっ。やっぱり私、みんなに会えて嬉しいっ」
23:
戦士「っと、積もる話にもうすこし花を咲かせていたいけど」
魔法使い「だね。まだまだ私たちにはやることがあるもん」
勇者(そう。俺たちは魔物使いから、情報を引き出さなきゃいけない)
女騎士「……話は終わったのか?」
戦士「いちおうね」
戦士「しかし、魔法使いの煙の術はやっぱり便利だね。こうやって拘束にも使えるし」
魔物使い「クソっ。なんでオレがアンタらみたいな連中に……!」
女騎士「抵抗は無意味だ、やめておけ」
魔物使い「特にアンタみたいな思考停止の馬鹿にやられるなんて……屈辱っすよ」
女騎士「思考停止、だと……?」
魔物使い「自分のやってることが、正義だって信じて疑わない」
魔物使い「アンタみたいな人間が他人を平気で踏みにじる! 不幸にする!」
女騎士「……」
25:
魔物使い「アンタにはわかんねえだろうな! 大切なヤツらの命が理不尽に奪われる怒りが!」
魔物使い「考えたこともねえだろ!? 自分の居場所が消えていく恐怖なんてっ!」
魔物使い「どうなんだ!? 答えろよっ! あぁっ!?」
女騎士「……」
姫「魔物使い」
戦士「姫様。近づくのは危険です」
姫「おねがい。すこしでいいから、顔を見て話がしたいの」
魔物使い「……なんすか。上から目線の、憐れみたっぷりの同情でもしてくれるんすか?」
姫「あなたは自分の故郷を救うために、ずっと闘ってきたのよね?」
魔物使い「……そうっすけど。それがなにか?」
姫「その故郷はあなたが自分を犠牲にしてでも、まもりたい程に価値がある。そうよね?」
魔物使い「言いたいことがあるなら、はっきり言ってほしいんすけど」
姫「……もし。もし、魔族と人間が手を取り合う世界を目指すとしたら、それは実現可能ですか?」
魔物使い「!」
26:
魔物使い「……アンタ、自分がなに言ってんのか。理解してるんすか?」
姫「ええ」
魔物使い「はっ。世間知らずの姫様でも、人間が魔族にどんな感情を抱いてるのか」
魔物使い「それぐらいは知ってるでしょ?」
姫「知った上で、聞いてるのです」
魔物使い「無理だ。できるわけがない」
姫「でも、魔族と人間が共存する世界は、たしかに存在してる」
魔物使い「一部の例外だけを見て語るなよ」
姫「それでも。そういう世界が存在することは、まぎれもない事実です」
姫「……私もほんのわずかですが、その世界に触れました」
魔法使い「そっか。私が間違って飛ばしたのは『柔らかい街』だったから……」
姫「はい。……勇者」
勇者「……はい?」
姫「あの宿のチーズスープは、すごくおいしかったです」
27:
勇者「……えっと、あのスープ。やっぱりおいしいですよね?」
姫「ええ、とっても」
戦士「辛口のボクでも、あの宿の食事は絶賛せざるを得なかったよ」
魔物使い「……だからなんだって言うんだ?」
姫「人間と魔族の間に確執があるのは、間違いありません」
姫「違っている部分はたくさんあるし、互いに理解できないこともあるでしょう」
魔物使い「……」
姫「だけど。それ以上にわかりあえることもあるって、私はそう信じたいんです」
姫「だってあのスープは、魔族も人間も関係なく、温めてくれたもの」
魔物使い「理想、いや、それさえ通りこして妄想だな」
姫「あなたの方が正しいのよね、きっと」
姫「でも、変えられるかもしれない未来があるのに、なにもしないなんて私にはできない」
29:
魔物使い「なら、やってみればいい」
魔物使い「いかに自分が無謀なことを言ってるのか、理解できるだろうからな」
姫「ええ。そのときにはあなたにも協力してもらうから」
魔物使い「……は?」
姫「形はどうあれ、あなただって今まで現状を変えようと戦ってきた。そうでしょう?」
姫「だから、その戦い。これからも続けてもらうわよ」
魔物使い「……」
勇者(この場にいる誰もが、たぶん、魔物使いと同じ顔をしていた)
勇者(魔物使いが言っていたことは悲観的な考え方ではない、単なる事実だ)
勇者(俺も魔物使いの立場なら、同じことを言っただろう。なのに)
勇者(姫様の言葉を否定する気にはなれなかった)
30:

女騎士「私の部隊は、まもなく姫殿下を王都へと送り届ける任務に就く」
戦士「魔物使いのほうは?」
女騎士「それは別の隊の仕事だ」
魔法使い「……魔物使いくんには、それ相応の罰が下されるんだよね」
僧侶「魔物側への情報提供や王族である姫様への狼藉、街へもたらした被害。その他諸々」
僧侶「裁きを受けることは避けられないでしょう」
戦士「まっ。姫様もああ言っていたし。多少は緩くなるんじゃない?」
魔法使い「……うん」
女騎士「そういえば、勇者はどうした?」
戦士「姫様と二人でいるよ。姫様が二人で話がしたいって。くぅ?、羨ましいっ」
女騎士「そうか。なら、私も挨拶だけしてくる」
戦士「キミから勇者に挨拶しようとする日が、来るなんてね」
女騎士「……そうかもな」
31:

勇者(俺と姫様は教会の地下で、二人でいた)
姫「私のせいで、あなたたちにたくさん迷惑をかけてしまって。ごめんなさい」
勇者「いえ……姫様を助けるのは、任務でしたから。当然のことです」
姫「任務じゃなかったら、助けてくれなかったって意味かしら?」
勇者「え? あ、いや、その……」
姫「冗談です。そんなに顔を青くしないで」
勇者「は、はいっ」
姫「やっぱり、私と二人でいると緊張する?」
勇者「あ、はい。正直、かなり緊張します」
姫「そう。ひょっとしたら、って思ったけど。そうよね」
勇者「……?」
姫「以前会ったときに比べると、顔つきがすこし変わった気がしたの」
勇者「……どなたの?」
姫「あなたの」
32:
勇者「あー、まあ。旅の最中に、顔を殴られたりしたこともあったので。はい」
姫「そういう意味ではなくて。……ふふっ、なんだか久しぶりの感覚」
勇者「久しぶり?」
姫「ええ。勇者との会話って、噛み合わないことがよくあるから」
勇者「そう、ですかね?」
姫「……魔王と、こんなふうに話をしたの」
勇者「魔王と?」
姫「魔王はちょっとだけ、あなたに似ていたわ」
姫「おしゃべりが苦手なところや、まったく目線を合わせることができない部分とか」
勇者「……」
姫「勇者?」
勇者「あっ……すみません。同じことを言うヤツがいたから」
勇者(それから、姫様は魔王とした会話を俺に話してくれた)
33:
勇者「それが、魔王が言ってたことなんですね」
姫「ええ。でも、戦いは避けられないわよね」
勇者「絶対に不可能です」
姫「……勇者がそんなふうに断言するなんて、意外ね」
勇者「一度、戦ってるからわかるんです。魔王はなにがなんでも俺を殺しに来ます」
姫「あなたはどうするの?」
勇者「……戦います。戦わきゃ、なにも始まりませんから」
女騎士「失礼します」
勇者「うわっ、騎士」
女騎士「うわっ、とはなんだ? 殿下を迎えにきたのだ」
勇者「……そうか」
姫「もう、そんな時間? けっこう話していたのね」
34:

勇者(姫様は女騎士の仲間に連れられて部屋をあとにした)
勇者(別れ際、姫様は俺にこう言った)
姫『あなたに頼まれたことは、大丈夫、まかせて』
姫『私は私のやるべきことを全力でやります』
勇者(俺には俺の戦いがあるように。姫様には姫様の戦いがある)
女騎士「勇者」
勇者「うわっ! まだいたのか?」
女騎士「貴様、さっきもまったく同じことを言わなかったか?」
勇者「あー、そ、そうだっけ?」
勇者「ていうか……行かなくて、いいのか?」
女騎士「この街を離れる前に、貴様に聞いておきたいことがあったのだ」
女騎士「いや、聞いておきたいこと、ではないな。愚痴だ、これは」
勇者「愚痴?」
35:
女騎士「魔物使いの言葉を聞いて、うまく言えないが、たぶん私は迷っている」
勇者「へぇ」
女騎士「なんだその顔は?」
勇者「いや、迷うこと、あるんだなって」
女騎士「私だって人間だ。考えるし、迷うこともある」
女騎士「……私は今まで、魔物を駆逐することで平和な世界を築けると、そう思っていた」
女騎士「それが正しいことだって信じてきた」
勇者(騎士の横顔は、いつになく曇っているように見えた)
女騎士「ある救出任務で、両親を魔物に殺された少女がいた」
女騎士「その子の泣き叫ぶ声が、今でも耳にこびりついて離れないんだ」
勇者「……」
女騎士「ある意味、私を突き動かしているのは、その子の声なのかもしれない」
女騎士「少しでも多く、魔物を排除しようと思ったのもそのときからだ」
女騎士「魔物に命乞いされたことがあった。そのときでさえ、私は容赦なく奴らを斬った」
36:
女騎士「自分のやってることが本当に正しいのか。疑問に思わなかったわけじゃない」
女騎士「だが、その疑問の声でさえ、その子の声がかき消すんだ」
勇者「……でも、今回はちがうってことだろ?」
女騎士「ああ。魔物使いの言葉が、ずっと引っかかってる」
女騎士「魔物がいなくなれば世界は平和になる。そんな考えは奴の言ったとおり、思考停止なのだろうな」
勇者(そういえば、再会したとき。騎士と魔王を滅ぼす云々の話をしたことがあったな)
女騎士「ああ……そうだ。私は迷ってる、怖いんだ。変わってしまう自分が」
勇者「……ダメなの?」
女騎士「え?」
勇者「変わることは、ダメなのか?」
女騎士「変わる、というか。今の自分はふらついてるように思えて……」
勇者「そうか」
女騎士「そうか、とはなんだ。まったく……」
37:
勇者「……あのさ。すこし前に話したよな?」
女騎士「なにをだ? きちんと内容を明確にしろ」
勇者「魔物をたおすことについて話しただろ、俺とお前で」
女騎士「話したな。結局、あのときの答えは聞けずじまいだったが」
勇者「俺は魔王と戦う。戦って、この戦いを終わらせる」
女騎士「……」
勇者「それがあのときの答えだ」
女騎士「答えになってない気がするんだが」
勇者「そうかも」
女騎士「……貴様は、すこし変わったのかもな」
勇者「変わらないヤツなんていない。姫様だって、誘拐される前と後じゃ、ちがってた」
女騎士「変わってもいい、か。まあ、そのとおりなのかも」
女騎士「どんなに変わったって、ここまできたのは他の誰でもない。私自身なんだからな」
38:
女騎士「勇者。ありがとう、私の話を聞いてくれて」
勇者「……!」
女騎士「貴様は考えてることが顔からだだ漏れなんだ」
勇者「いや、だって」
女騎士「ふんっ。私が貴様に礼を言うのは、これが最初で最後だ。素直に受け取っておけ」
勇者「……そうか」
女騎士「では、私はそろそろ行く」
勇者「……騎士」
女騎士「なんだ?」
勇者「騎士には色々と世話になった……ありがとう」
女騎士「……!」
勇者「……騎士も顔に出やすくないか、考えてること」
女騎士「う、うるさいっ。まさかお前から礼を言われるとは、夢にも思ってなかったんだ!」
勇者(ひどい言い草だと思った。でも、そのとおりだとも思った)
勇者(そう。みんなが言うように、俺もまた少しずつ変わっているんだろう)
40:

魔王「つまり、勇者たちはこの城に侵入できる、と?」
?「ええ。以前、姫を軟禁していた部屋に施された魔方陣。これを使えば」
サキュ「杖もなしに魔方陣が作れるって、どういうことよ」
?「残念ながら手段は不明です」
?「ですが、仮に杖の代わりに媒体になるものがあるなら、魔方陣は展開できます」
サキュ「どうやって? あの部屋には魔術封じの装置があったでしょ?」
?「あの装置は、あくまで魔力が空間に放出するのを防ぐもの」
?「つまり。媒体から直接、壁や床に魔力を流せば、魔方陣を描くことは可能なのです」
リザード「あの短時間で装置の欠陥に気づくなんて、大したもんだ」
サキュ「感心してる場合じゃないでしょ、このアホトカゲ」
サキュ「ていうか、まずは魔方陣を消さないと」
?「不可能です。なにせ、我々にはそれだけの技術がない」
サキュ「でも。協力者が……」
リザード「魔物使いはパクられたよな。ほかの協力者は?」
41:
?「……姫様はなかなか強引な手に出たようです」
魔王「どういうことだ?」
?「空間転移の術を扱える者を、全員王都に帰還させたんです」
サキュ「裏切り者がいることを見越して、魔方陣の解除を防ぐために?」
?「ええ。自分の立場を最大限に利用して、強硬手段に出たようですね」
リザード「はーん。ってことは、いよいよ戦いは避けられねえってことだな」
?「アンタね……」
魔王「……リザードの言うとおりだな。決戦のときはそこまで来ている」
?「それから。現在、フェイクの城のほうにグレムリンの小隊を向かわせています」
サキュ「なんでよ?」
?「グレムリンの証言が確かならば『勇者の剣』はそこに眠っているはずですから」
?「もっとも。現地の軍との衝突は避けてはとおれないでしょう」
サキュ「それって人間側も『勇者の剣』を回収できてないってこと?」
?「そうなりますね」
42:
リザード「剣をこっちが手に入れりゃ、こっちが有利ってわけか」
?「話は戻りますが、魔方陣を無効化することは、我々の技術では不可能です」
?「しかし、多少細工することなら可能です」
魔王「魔方陣については卿にまかせる」
サキュ「……まっ、とにかく。近いうちにあたしらは勇者たちと戦うわけね」
リザード「すげえ憂鬱そうだな」
サキュ「憂鬱っていうか、そうね。コワイ、のかな?」
魔王「……なぜだ? なぜそう思う?」
サキュ「死ぬのがコワイ、っていうか。なんだろ」
サキュ「負けたら、あたしたちがこれまでやってきたこと、全部水の泡になるんですよね」
魔王「……」
43:
リザード「だったら負けなきゃいいだろ」
サキュ「そういう問題じゃないっつーの、バカ」
魔王「いや、リザードの言うことも一理ある。突き詰めれば、そういうことなのだろう」
サキュ「それは、まあ、そうなんでしょうけど」
?「どちらにしても、勇者たちとの対決はこれが最後でしょうね」
魔王「余は……否、我々は勝たねばならんのだ」
魔王「我ら魔族の未来のため。世界に生きるすべてのもののため」
魔王「今まで犠牲になってきた魂たちに報いるため」
リザード「……難しいことはわかんねえ。けどよ、勝ちゃいいんだ。なっ?」
サキュ「じゃあさ」
リザード「なんだよ?」
サキュ「勇者たちとの戦いが終わったら、なんかご馳走してよね」
リザード「べつにいいぜ。勝ったあとの飯のウマさは、半端ねえからな」
リザード「それから、魔王さまよ。アンタ、負けんなよ」
サキュ「ま、魔王さまになんて口の利き方してんの!?」
44:
リザード「やっぱり俺には、あんな堅苦しい喋り方は似合ってねえ」
リザード「言葉を考えてるうちに、舌を噛んじまいそうになる」
魔王「……余は負けん。卿こそ、大丈夫なのか?」
リザード「安心しろ。俺は自分で引きちぎった尻尾に誓ったんだ」
リザード「アンタに勝つまでは、ほかの誰にも負けねえってな」
サキュ「やっぱりアンタってバカね」
リザード「うるせえ。テメエこそウジウジと、しっかりしろよ」
サキュ「ちょっとナーバスになってただけよ。あたしだって、負けないんだから」
?「まあ。なんだかんだ普段どおりな感じですし、大丈夫じゃないですか」
サキュ「アンタもけっこうテキトーよね」
?「お二人ほどではないですがね」
リザード「めずらしいな、テメエが悪態をつくなんてよ」
?「こういうのも、たまにはいいでしょう?」
45:
サキュ「まっ、なんだかんだ最後に勝つのはあたしらよ」
サキュ「そうですよね、魔王さま?」
魔王「……余とて、まったく不安を覚えんわけではない」
サキュ「魔王さま?」
魔王「だが、そんなことは些細なことだ」
魔王「我々は戦い、そして勝つ。それだけのこと」
魔王「屍を並べねば歩けぬような世界は、もはや必要ない」
サキュ「はいっ。それを聞いて安心しました」
リザード「とにかく俺たちは勝つ! 絶対に!」
魔王(勇者、来い。必ず貴様はこの手で――)
46:
◆数日後
魔法使い「いよいよ、だね」
勇者(俺たちは、今日、魔王城に突入する)
勇者(魔法使いが残してくれた魔方陣、それを使って侵入する)
戦士「この質問さあ、何回もしたけどもう一回聞かせてもらうよ」
戦士「『勇者の剣』なしで、本当に突貫していいのかい?」
勇者「……もう決めたことだから」
僧侶「勇者様が剣をもっていないことは、おそらく敵も把握している」
僧侶「だから。魔物たちは剣が見つかるまでは、攻めこんでこないと高を括っているはず」
僧侶「そこで、あえて意表をついて剣なしで突入する。……でしたよね?」
勇者(俺はうなずいた。この策に出ようと思ったのは、魔物使いの証言が理由でもあった)
勇者(魔物使いは、魔王城の居場所を把握していた)
勇者(どうしてアイツが、俺たちに城の場所を教えたのか。その理由はわからないけど)
勇者(城の場所が把握できてる上に、城内には魔方陣がある)
勇者(つまり、外からでも中からでも攻めることができる)
勇者(なにより。時間が経過すればするほど、敵の魔方陣の解析が進む可能性がある)
47:
僧侶「すでに別の部隊は現地で待機しています」
勇者(俺たちと同じく、魔方陣から侵入する部隊もすでに別の場所で待機している)
戦士「この待機してる間に『勇者の剣』が見つかる、なんてことはないんだろうね」
魔法使い「たぶんね。あー、ていうか、すっごいドキドキしてる」
戦士「おどすわけじゃないけど、今回は失敗は許されないよ」
魔法使い「わかってるってば。ここ数日は転移の術は失敗してないし、大丈夫だよ」
僧侶「勇者様、お手洗いは大丈夫ですか?」
僧侶「城の中は広いですし、トイレを見つけるのは困難だと思われます」
勇者「……大丈夫」
僧侶「そうですか、よかったです」
勇者(これはひょっとして、ボケて俺をリラックスさせようとしてる?)
勇者(そういえば。以前とはちがってイヤな予感はしない。むしろ落ち着いてる)
勇者(あのとき。俺はなにかを言おうとして、結局なにも言えなかった)
勇者(これが最後の戦いになるなら。俺は――)
48:
勇者「……みんな」
戦士「ん?」
勇者「その……俺は、今でも後悔してることがある」
魔法使い「……」
僧侶「……」
勇者「猫のことだ。俺たちは結果としてアイツに裏切られた」
勇者「いや。アイツの言い分では、はじめから仲間じゃなかった、か」
勇者「アイツが本心ではどう思ってたのか、それはもうわかることはない」
勇者「だけど、思うんだ」
勇者「あの城に入る前に。猫ともっときちんと話しておけば、なにか変わったかもしれないって」
勇者「こんなことを考えたって。今さらで。手遅れで」
勇者「もうアイツと話すことはできないけど。だからこそ、今みんなと……」
戦士「……みんなと?」
49:
勇者「……ごめん。なにが言いたいか、わからなくなった」
戦士「なんだそれっ」
魔法使い「……私は少しわかるかも。勇者の言いたいこと」
僧侶「魔法使い様……」
魔法使い「あの城でのことはショックだった。でも、それって私の思いこみだったんだよね」
魔法使い「猫ちゃんの気持ちも考えずに」
魔法使い「一方的に仲間になれたって、そう思ってただけなのかも」
魔法使い「本当の意味で仲間になろうとするなら、もっと歩み寄らなきゃダメだったんだよね」
戦士「まったく。相手は猫の姿をしていたとはいえ、魔物だった」
戦士「ボクらの認識が単に誤っていただけ……って言いたいところだけど」
戦士「まっ、不思議と憎めないんだよね、あの猫。殺されかけたっていうのに」
僧侶「……そうですね」
50:
勇者「もう、あんな後悔はしたくない」
勇者「俺は、その、みんなを……仲間だって、思ってるから」
僧侶「なにを今さら。私たちは勇者パーティーです。今までも。そして、これからも」
戦士「ホントだよ。ボクらは最高のパーティーだ」
魔法使い「うんっ、そのとおり!」
戦士「さてとっ! そろそろ突入の時間だ。ボクらも行こうか」
勇者「……うん」
戦士「前回はパーティー会場を間違えるなんて、ドジしちゃったからね」
魔法使い「大丈夫。今度は間違えないよ」
戦士「さあ、パーティーの続きと行くよ! みんな準備はオッケー!?」
僧侶「いつでも!」
魔法使い「どこでも!」
勇者「なんなりと!」
勇者(魔王。勝負だ――!)
56:

部下「あのグレムリン、すごい勢いで逃げてきましたね」
女騎士「はやさしか取り柄がないからな。だが、また戻ってくるだろう」
女騎士「……時間的にはそろそろか」
部下「お腹すいたんですか?」
女騎士「こんな状況で、私が食事のことを気にすることでも?」
部下「先輩、わりと空気を読まずにそういう発言するじゃないですか」
女騎士「空気よりも戦況を読むほうが重要だ。それより、一時的とはいえ敵をしりぞけた」
女騎士「今のうちになんとしても『勇者の剣』を見つけ出し、回収するぞ」
部下「了解っ」
女騎士「……あと、魔物はできるかぎり殺すな」
部下「え?」
57:
女騎士「その顔やめろ。姫殿下の希望だ」
部下「だって、魔物ってだけで容赦しない先輩が……」
女騎士「……情報収集のためでもある。というか、軽口叩いてる場合じゃないっ!」
部下「なにカリカリしてるんですか」
女騎士「うるさいっ。いいから働け」
女騎士(今ごろ勇者たちは、魔王城に侵入しているはず)
女騎士(期間の問題とスパイ対策。魔物たちにこちらの動向を察知されないため)
女騎士(必要最低限の人員しか駆り出されていない)
部下「先輩、あの場所!」
女騎士「光ってるな。……剣か? 
 なにがあるかわからん。瓦礫の撤去は慎重にやるぞ」
女騎士(負けるなよ、勇者たち)
58:

魔法使い(閉じていた魔方陣を開いて、私たちは魔王城へ侵入した)
魔法使い(大丈夫。今回は失敗なんてしてない。そう思ったのに――)
サキュ「ひさしぶり」
魔法使い「っ!?」
魔法使い(目の前に例のサキュバスがいた。でも、みんなはいない)
サキュ「びっくりしすぎ」
サキュ「あたしもこんなに早く来ると思ってなかったら、かなり驚いたけど」
魔法使い「……もしかして、ここって魔王城じゃない?」
サキュ「そこは安心して。ようこそ、ここは魔王城でーす」
魔法使い「……なんとなく状況が読めた。私の魔方陣になにかしたでしょ?」
サキュ「正解。ヤったのはあたしじゃないけどね」
サキュ「ていうか。あたしは魔方陣が展開された床を壊せばいいって思ってたけど」
サキュ「あれって空間そのものに張りつくんだね」
魔法使い「当然。『空間魔術』の一種なんだもん」
59:
サキュ「まっ、なんでもいいけど。どうせヤルことは変わんないし」
魔法使い(どうしよう……。一人で戦うことは、もちろん想定はしてたけど)
魔法使い(それに。もし、例の装置を使われたら……)
サキュ「そういえば、あなたって魔術師なのよねえ」
魔法使い「見ればわかるでしょ」
サキュ「じゃあ、魔術を封じちゃえばどうなるかなあ?」
魔法使い「魔術を封じる装置のことなら、やってみれば?」
魔法使い「ただし、あなたも得意の術を使えなくなると思うけどね」
サキュ「でも、単純な力ならあたしのほうが上」
魔法使い「でも、私がこの城から脱出した方法は知ってるよね?」
サキュ「……そうなんだよねえ。まっ、面倒だし装置なしでいこっかな」
魔法使い「それこそ、後悔するかもよ」
サキュ「大丈夫。術が使えることを後悔するのは――そっちだから」
魔法使い(最初の関門はクリア。勝負はここから)
60:

戦士「今回は、会場は間違えなかったようだけど」
戦士「いきなりキミと鉢合わせするのは、想像してなかったよ」
リザード「俺もお前と最初に会うことなんて、微塵も想像してなかったぜ」
リザード「どうせ誰が来たところで、俺には関係ねえからな」
戦士「自意識過剰も甚だしいね」
リザード「事実だ。テメエは俺には勝てねえよ」
戦士(このリザードマン。単なる自意識過剰の馬鹿じゃないから、厄介なんだよな)
リザード「勇者と戦えるチャンス、ムダにはできねえ」
リザード「テメエには悪いが、さっさとあがらせてもうらぜ」
戦士「今回も勇者に夢中ってわけね。目の前にいるボクじゃなくて」
リザード「当たり前だ。テメエは俺からしたら、ただの安牌だ」
戦士「安牌、ね。言ってくれるじゃん」
リザード「『リーチ一発ドラドラ』か、そうだな」
リザード「『純チャン三色一盃口』あたりで決めてやるよ」
61:
戦士「――ボクをなめんなよ」
戦士(先手必勝。まずは魔術で――)
リザード「どうした? 早く術を使ってみろよ? ん?」
戦士「……なるほどね。この空間じゃ術は使えないってわけだ」
リザード「ああ。ちょこまかと術を使われるのは面倒だからな」
リザード「言ったろ、テメエは安牌だって」
戦士「で、キミの横にある巨大な斧。それ、ボクのために用意してくれたの?」
リザード「雑魚を始末するのには、これが一番手っ取り早い」
リザード「安心しな。あの世に逝くのはテメエだけじゃねえからよ」
戦士「ボクら勇者パーティーは、みんな同じような状況にあるってわけね」
リザード「そういうことだ。テメエも、テメエの仲間も俺たちには勝てねえんだよ」
戦士(しょっぱなから最悪の展開だ、こりゃ)
62:

?「あなた方が魔方陣を使って、城に侵入することはわかっていました」
?「なかなか上手く魔法陣は隠蔽されていました。ですが、あの狭い空間です」
?「魔法陣はすぐに見つかりました」
?「最も望ましい展開は、もちろん、魔方陣を消滅させることでした」
?「しかし、我々の魔術に関する知識ではそれは不可能」
?「そこで次善の策として、あなた方を混乱させるために、魔法陣を弄らせてもらいました」
?「その結果、あなた方はバラバラの状態で城に侵入することになった」
?「さらに我々は、勇者パーティーが真っ先に魔王城に侵入するとわかっていた」
?「魔法使い様の魔法陣は不安定ゆえ、転移をミスする可能性があった」
?「これらの要素から考えれば、あなた方が最初に移動してくることを読むのは難しいことではない」
?「そして、実際想定したとおりになりました。説明は以上です」
僧侶「ずいぶん、長いひとり言でしたね」
?「私はあなたに話しているつもりだったのですが」
63:
僧侶「聞いてもないことをペラペラ話されても、聞く気になれません」
?「これは申し訳ない。状況を理解されてないようでしたので」
?「老婆心ながら説明させていただきました」
僧侶「……魔法使い様が移送できる人数には、限りがあります」
僧侶「つまり。最初から城に入るのは、私たちだけだったのです」
?「ほう。私の考えすぎでしたか」
僧侶「敵の心配より、味方の心配をしたほうがよろしいかと」
?「その言葉、そっくりそのままお返しします」
?「あなた方は沈みゆく泥船に乗りこんだんですよ、自分から進んでね」
僧侶「……ひとつあなたに教えてあげましょう」
?「ほう?」
僧侶「泥で船は作れませんから」
?「……あなた。ユーモアのセンス、ゼロですね」
僧侶「ひそかに気にしてることを……」
69:

勇者「……」
 魔法陣を抜けた先にあったのは、広大な空間だった。
 そして、その空間の最奥に静かに佇む影。
魔王「……」
 目の前に魔王がいるというのに、自分でも不思議なぐらい落ち着いていた。
 まるでこうなることがわかっていたかのように。
 魔王も自分と同じなのかもしれない。
 悠然と構える姿には、焦りも驚きも感じられない。
女騎士『勇者。貴様の使命は魔王をたおすことだ、ちがうか?』
 いつか女騎士が勇者に問いかけた疑問。今ならそれに、はっきりと答えられる。
 勇者としての使命は、それで正しい。
 勇者と魔王には明確な因縁がある。
 だから自分は、当たり前のように剣を抜いている。闘おうとしている。
70:
 だが。そう考える一方で、疑問に思う自分がいた。
 勇者と魔王としてではなく、一人の人間と魔物としてだったらどうなのか、と。
 いや、そんな疑問に意味はないのだろう。
 どの道、戦うことに変わりはない。
 魔王を目の前にして、勇者は改めて自分たちの戦いの本質を理解した。
 言ってしまえば、自分たちの争いは原始的なものなのだ。
 異なる生物どうしの、単なる生き残りをかけた戦いにすぎないのだ。
 この戦いに善悪なんて概念は存在しない。掲げるべき大義名分も。
 だから魔王を目の前にしても、勇者は口を開こうとは思わなかった。
 これから始まる戦いに会話は必要ない。ただ戦うだけだ。
 魔王も自分と同じことを考えている。
 魔王とは一度も言葉をかわしてない。だが、勇者にはわかってしまう。
 それは勇者と魔王の因縁のなせる業なのか。あるいは。
 
 本能が危険だと告げた。魔王が大きく一歩を踏み出す。
 それが戦いの始まりの合図となった。
71:

リザード「どうしたどうした!? ああっ!?」
戦士「……っ!」
 防戦一方だった。
 戦闘が始まってから、戦士は一度も敵に攻撃をすることができないでいた。
 魔術が使えない。しかも彼我の実力差はあまりにも大きい。
リザード「おらあぁっ!」
 巨大な斧が戦士の頭上を横切る。
 一瞬でも避けるのが遅れていれば、と想像する間もなくリザードマンが蹴りを繰り出してくる。
 これもなんとかやりすごす。だが、すでに戦士の体力は限界に近づいていた。
リザード「ちょこまかとうぜえんだよっ!」
 敵が斧を大きく振り上げる。
戦士(振りがデカイ。これなら――)
 戦士はすぐに自分の考えが安易だったと気づいた。
 これはこちらの攻撃を誘い出すためのエサだ。
72:
 攻撃に気をとられたことで隙が生まれた。
 リザードマンの拳が戦士のみぞおちに食いこむ。
 声すら出せず、受身をとることもできず、戦士は無様に地面を転がった。
リザード「やっぱ弱えな、テメエ。俺の敵にはなれねえな」
戦士「ぐっ……!」 
リザード「ずいぶんと時間を食っちまったな。まっ、雑魚にしちゃあよく粘ったほうだ」
 呼吸がうまくできない。剣を握る手に力が入らない。
 立ち上がることすらかなわない。
 このままでは確実に殺される。
戦士(……なんとか……なんとか、しないとっ……!)
戦士「……あのさ」
リザード「あ? 命乞いなら聞かねえぞ」
戦士「いや、やられる前に、聞いておきたいことが……あってね……」
リザード「……どうせ今からじゃあ、勇者は間に合わねえか」
リザード「いいだろ。言ってみろ」
戦士「……礼を言うよ」
73:
戦士「これ、又聞きなんだけどさ。魔王って平和を目指してるんでしょ?」
リザード「それがどうした?」
戦士「キミって平和を目指してるの?」
戦士「ボクの印象では、とてもそんなふうには見えないんだよね」
リザード「ああ。平和なんざ、どうでもいい」
リザード「俺は俺の血を流せる戦場が欲しいだけだ」
戦士「だったら、どうして魔王に仕える?」
リザード「簡単な話だ。魔王さまの側にいりゃ、強い奴と戦える」
戦士「……じゃあ、魔王が目指す世界が完成したらどうするのさ?」
戦士「争いのない世界に、キミの居場所があるとは思えない」
リザード「死ぬ」
戦士「……は?」
リザード「魔王さまが目指す理想世界。それが完成するなら、テメエの言うとおりだ」
リザード「生きてる意味はねえ。だから死ぬ」
74:
戦士「……ぶっとんでるね、キミ」
リザード「ぶっとんでる? 俺にとってはこれが普通だ」
リザード「ひたすら鍛え、ひらすら戦う。そうすりゃ、おのずと強くなれる」
リザード「強くなれば、たおしてえ奴をたおせるっ!」
戦士「……ひたすら鍛え、ひたすら戦う……」
リザード「そうだ。鍛えまくりゃ、強くなれるっ……!」
戦士「……ふふっ、ふふふ……」
リザード「……あ? なに笑ってやがる?」
戦士「いや。昔の自分を見てるようでね」
戦士「……ずっと昔の話だ。ボクはとあるキャンプで、あるヤツに勝負を挑んだんだ」
リザード「おい、聞いてねえ話を勝手にすんな」
戦士「いいから聞いてよ。どうせ、やられるんだからさ」
リザード「……」
75:
戦士「昔のボクは自分に才能があるって、信じて疑わなかったんだ」
戦士「だからその人見知りのヤツに打ち負かされたとき。本気で悔しくてさ」
リザード「……なんでローブを脱ぐ? いや、それより……」
戦士「なかなかいいカラダしてるだろ、ボク。鍛えまくった結果だ」
リザード「……気持ちわりぃ。顔と肉体が別人みてえだ」
戦士「……一時期は冗談抜きで、筋トレしかしてないときがあってね」
戦士「トレーニングって、やりすぎると中毒になるんだよ」
戦士「ボクはまさにそれだ。やらないと気がすまない。旅の最中でさえ」
リザード「それで、そのカラダってわけか」
戦士「そう。だけど、ボク個人としては筋肉まみれのカラダはイヤなんだ。女の子にモテないし」
戦士「だから普段は、だぼだぼのローブを羽織ってる」
リザード「で? テメエは俺になにが言いてえんだ?」
戦士「ムカついてるんだよ、自分に」
76:
リザード「あ?」
戦士「魔物のことなんて全く理解できない」
戦士「そんなことをほざいていた自分が、魔物とまんま同じことをしてたんだ」
戦士「恥ずかしいよ、赤面しちゃうね」
リザード「はっ。青アザだらけの顔で、なに言ってやがんだ」
リザード「つーか、話が長い。もう終わりでいいだろ」
戦士「そうだね、終わらせようか」
リザード「まだ足掻くつもりか? しかも剣を放るとか、正気か?」
戦士「勘違いさせたようだね。やられるのは――キミだよ」
リザード「口だけは達者だなあっ!」
戦士(――来る!)
 やはりリザードマンのスピードは、人間である戦士を凌駕している。
 自分にもたおしたいヤツがいる。
 ソイツに勝つまでは、なにがなんでも負けるわけにはいかない。
77:
 迫ってくる斧を飛ぶようにかわし、敵の外側へと回りこむ。
戦士(『柔らかい街』で魔物使いが言っていたことを思い出せ)
魔物使い『リザードマンって、見た目はトカゲに似てるじゃないっすか?』
魔物使い『でも実は肉体の構造なんかは、限りなく人間に近いんすよ』
魔物使い『しっぽっていう明確な違いはあるんすけどね』
魔物使い『リザードマンの攻略については、人体の構造を調べるのが一番手っ取り早いっす』
リザード「また逃げるだけかっ!?」
 こちらが外側へ動いた以上、敵も同じようにして動きを追う必要がある。
 人間のからだは、外側への動作に対して内側のそれは、わずかに遅れる。
 そしてそれは、人間に限りなく近い肉体構造であるリザードマンにも当てはまる。
戦士(人間に限りなく近い、か)
 今度こそはっきりとした隙が生まれた。
 魔力を溜めた拳を、敵の肉体にぶつける。
リザード「っ……!」
戦士「まずは一発」
78:
 再び斧が迫ってくる。これも同じ要領でかわして素早く拳を打ちこむ。
リザード「調子に乗んなよっ!」
 一瞬のミスで死ぬという状況で、戦士はギリギリで敵にダメージを与えていた。
 敵は完全に自分を格下だと思っている。
 いや、実際にそれは間違った認識ではない。
 事実、リザードマンが重量のある斧を武器として選択していなければ、戦士はとっくにやられていた。
 巨大な武器を扱うことで、攻撃による隙が大きくなったこと。
 戦士が思い切って剣を使わず、拳で挑んだこと。
 さらに武器を使わないという選択が、リザードマンの頭に血をのぼらせたこと。
 これらの些細な要素が、戦士をなんとか生かしていた。それだけにすぎない。
戦士「――ぐぁっ!?」
 リザードマンの蹴りが肩に当たり、戦士はあっさりと吹っ飛んだ。
 いくら弱点をついても、実力の差が消えるわけではない。だが。
戦士(勝てない相手じゃない)
79:

リザード(なんでだ? どうしてこんなことになっている!?)
 時間の感覚は、すでに消え失せかけていた。
リザード「いいかげんくだばれっ!」
戦士「そっちこそしつこいんだよっ!」
 拳をぶつけ、罵詈雑言を浴びせる。殴ったら殴り返すだけの泥沼の殴り合い。
 斧はとっくに手放している。
 戦士とリザードマンの戦いは、もはや戦いの体すら成していなかった。
リザード「死ねこの筋肉マンっ!」
戦士「うるせえトカゲ野郎っ!」
 最初は誰が見たって、リザードマンが優勢だったはず。
 いつからこんな殴り合いに変わり果てた?
戦士「はぁはぁ……そろそろ、いいかげん終わらせたいね」
リザード「ああ……同感だ。もう飽き飽きだ、こんな殴り合い」
 お互いに体力の限界はすぐそこまで来ている。
 次の一撃で決着がつく、間違いなく。
80:
 リザードマンと戦士が地面を蹴ったのは、まったく同じタイミングだった。
 戦士は一切迷わず、リザードマンの顔面目がけて拳を振り抜いた。
戦士「……っ!」
リザード「誰が受け止めねえって言った?」
 ここに来て、はじめてリザードマンは戦士の拳を受けとめた。
 完全に敵の拳をとらえた。これで逃げることも、避けることもできない――
戦士「わかってたよ、キミがそうするってことはね」
 直後。衝撃とともに鈍い音が頭蓋の中で響きわたり、視界が明滅する。
リザードマン(あごを……蹴られたのか……!?)
 からだが意識とは無関係に、背中から地面に沈んでいく。
リザード「く、くそっ……この俺が……」
戦士「はぁはぁ……キミさ、ボクに言ったよな?」
戦士「『テメエもテメエの仲間も俺たちには勝てねえんだよ』って」
 青アザだらけの腫れ上がった顔で、戦士は不敵に笑ってみせた。
 リザードマンは口を開く気力さえ湧かず、戦士の次の言葉を待った。
戦士「これが……これが、勝負の結果だ。みんなも今ごろ……がんばってる……!」
戦士「――ボクたちをなめんなよ」
85:
リザード「なんでだ。なんでこの俺が……」
戦士「……ボクにもたおしたいヤツがいる」
戦士「そいつに勝つまでは絶対に負けない……そう決めてるんだ」
リザード「理由になってねえ。そんなんで俺が負けるかよ」
戦士「それでも、立ってるのはボクだ」
 厳然たる実力差があったはずだ。
 埋められないはずの力の差。それをこの人間は埋めたというのか。
 気力と意地だけで。
リザード「もういい、殺せ」
戦士「悪いけど、キミを殺すだけの余裕はない」
リザード「後悔するぞ」
戦士「……キミは血を流すことに無上の喜びを感じるようだけど」
戦士「汗を流すのも、なかなか気持ちいいと思うよ」
リザード「……意味わかんねえ」
86:
戦士「……そうだ。キミとお別れする前にひとつ聞いておきたい」
リザード「ホント、口が減らねえヤツだな」
戦士「なんでキミ、トカゲのくせにしっぽないの? 」
リザード「……魔王さまと戦ったとき、しっぽを掴まれてぶん投げられた」
リザード「そんとき、自慢のしっぽは俺にとって邪魔なだけのものになった。だから引きちぎった」
戦士「キミ、やっぱり馬鹿だね」
リザード「うるせえ。いいかげん、どっか行け」
戦士「どっちへ行けばいい?」
リザード「あっちだ」
戦士「ありがとう。また会おう」
 あとはあっさりしたものだった。
 戦士はそれだけ言うと、リザードマンの指さした方向へと去っていった。
リザード「あの野郎。なんの躊躇もなく、俺の言葉を信じやがった……」
リザード「ああ……くそっ。たおしてえヤツが、また増えちまった」
87:

 
 巨大な風の渦を側転して避けて、僧侶はまっすぐ敵へと駆け出す。
 
 だが、僧侶の行く手を阻むように目の前でまばゆい光が弾ける。
 突き上げるような衝撃をともなって、石造りの床がせり上がってくる。
僧侶「……っ」
 これもなんとか躱したが、すでに敵は次の攻撃に移っていた。
?「これならどうでしょう?」
 ローブを身に纏った敵の手のひらに光の球が浮かびあがる。見たことがない術だった。
 自分に向かって飛んできた光球を避け、僧侶は光球が着弾した床を確認する。
 威力、大きさ、度。 
 どれをとっても大した術ではない、おそらく牽制用のそれだ。
?「意外と勇猛果敢ですね」
 ローブは自分に接近してくる僧侶に向かって、光球を連続で放つ。
 僧侶は一切の躊躇も見せずにローブへと突っこんでくる。
 直撃。光の弾丸は僧侶の肩に当たり、弾けた。
?「ほう……?」
 だが僧侶の表情に苦痛の色はまるでない。
 それどころか、わずかたりとも度を緩めず、ローブに向かって突進してくる。
 人間ではおおよそありえない跳躍力で、僧侶はローブへと躍りかかる。
88:
?「なんと人間離れした跳躍力。しかし」
 僧侶の左手に握られたナイフがローブを引き裂く――
 次の瞬間、僧侶の目の前で巨大な火柱があがり、彼女をのみこんだ。
?「前もって、複数の魔法陣を用意してあいてよかったですね」
 ほとんど身動きのとれない跳躍の瞬間を狙ったのだ。
 間違いなく火柱は彼女に直撃したはずだった。
僧侶「わざわざ教えていただき、ありがとうございます」
?「――っ?」
 静かな声に、空気を裂く音が重なった。
 間一髪だった。ローブは真横からのナイフを、かろうじて避けることに成功した。
僧侶「これも避けますか」
 素早く飛び退いて、ローブは僧侶から距離をとる。
?「滞空中に攻撃を避けるなんて。あなた、背中に羽でもついてるんですか?」
僧侶「ついてると思うんですか?」
?「冗談です」
僧侶「あなたの冗談、つまらないですね」 
89:
 ローブは僧侶の全身を観察する。
 よく見るまでもなく、尼僧服の裾が焼け焦げている。
 つまり。僧侶は火柱を完全に避けたわけではない。
 しかし一方で、わずかに覗く僧侶の肌には火傷のあとが見当たらない。
?「やはり、あなたはたいへん優秀な方だ」
 おそらく攻撃するのと並行して、自分の治癒を行ったのだ。
 しかも癒しの術の効果スピードは、並の術者のそれとは比べものにならない。
 ローブは思考をめぐらす。
 癒しの術の効果度。
 人間離れした跳躍力。
 自分の魔術をあえて受けて、強引に攻撃に出るという行動。
 滞空時に自分の攻撃を避けた手段。
?「……なるほど。あなたの術のタネ、だいたいわかってきましたよ」
 ローブの言葉が終わると同時に、僧侶は地面を蹴る。
 やはり彼女の攻撃には、躊躇が全く感じられない。
90:
 ローブが攻撃を避けるため、飛び退こうとしたときだった。
 なにかが腕に絡みつくのをはっきりと感じた。遅れて、僧侶に引き寄せられる。
僧侶「今度は逃がしません」
 
 ぎりぎりで上半身をそらし、ローブはその凶刃を避けた。
 だが鈍く光るナイフは、ローブ本人のかわりにフードを切り裂いていた。
僧侶「……に、んげん?」
 フードから現れた顔は、まぎれもなく人間のそれだった。
?「へえ。あなたでもそんな顔をするのですね」
?「ですが。私は人間ではありません。これを見ればわかるでしょう」
 ローブが持ち上げた唇の端からこぼれたのは、人間には絶対に備わっていない牙だった。
僧侶「ヴァンパイア……」
?=ヴァンパイア「その顔を見るかぎり、ヴァンパイアを見るのは初めてのようですね」
 ヴァンパイア。第四世界の住人。人の血を食らう生物。
 人間か魔物か、その区別すらされていない神秘の存在。
 エルフの亜種という学者もいれば、奇病にかかった人間と力説する者までいる。
93:
僧侶「ヴァンパイアだろうと、あなたが敵であることに変わりはありません」
 僧侶が勢いよく腕を引く。
 ヴァンパイアは、その勢いのまま引き寄せられてしまう。 
僧侶「……!」 
 肉の裂ける音が僧侶の鼓膜を叩いた。
 彼女のナイフは、ヴァンパイアの腹部に突き刺さっていた。
ヴァンパ「なにを驚いているのです?」
ヴァンパ「あなたのナイフは、きちんと私に刺さりましたよ」
 これまで培ってきた経験と本能が、僧侶を敵から飛び退かせた。
ヴァンパ「もったいない。追撃のチャンスだったのに」
僧侶「……聞いたことがあります」
僧侶「ヴァンパイアは、血を流せば流すほど強くなる、と」
ヴァンパ「……おっしゃるとおりです」
 突如、僧侶の顔が赤く染まった。
 なんの前触れもなく、彼女の目の前で、天井にまで届きそうな火柱が上がったのだ。
 
94:
 反射的に僧侶は飛びしさったが、それでもギリギリのタイミングだった。
 ヴァンパイアが火柱をものともせず、勢いよく僧侶に飛びこんでくる。
 敵の爪は、爪というにはあまりにも長く鋭い。
 
 とっさに僧侶は腕を振りあげ、地面を蹴る。
 天井に吸いこまれるような跳躍が、僧侶を爪の一撃から救った。
ヴァンパ「術のタネがわかっていれば、対処は容易い」
 鋭い風の刃が僧侶の頭上を通過した。
 不意に僧侶の体勢が空中で崩れ、そのまま地面へと落下していく。
僧侶「……くっ!」
ヴァンパ「ほう、よくあの高さから着地できましたね」
僧侶「……わかったようですね、私の術の仕掛けが」
ヴァンパ「ええ。あなたの術のタネ、それは糸です」
ヴァンパ「回復時には注射針のように、糸から癒しの術を施す」
ヴァンパ「あなたの術の効果がすぐに現れるのは、直接体内に魔力を流しこんでいるからです」
95:
ヴァンパ「それから。攻撃に転用する際は、その糸で私の腕を縛りつけた」
ヴァンパ「どのような糸を使用しているかは、さすがにわかりません」
ヴァンパ「ですが。肉眼で捉えられない細さなのは、間違いない」 
ヴァンパ「そして。人間離れした跳躍力」
ヴァンパ「あれは魔力を流しこんだ糸を天井に張りつけ、操っていたのでしょう?」 
僧侶「……どうでしょうね?」
ヴァンパ「今さらとぼけても無駄です――」
 僧侶の目からは、ヴァンパイアは突然消えたようにしか見えなかった。
 不意に腹部を強い衝撃が襲った。
 蹴られたという認識が追いついたときには、僧侶は背中を壁に打ちつけていた。
ヴァンパ「やはり、謎は謎のままのほうが面白いですね」 
 いつの間にかヴァンパイアが、僧侶を見下ろしてた。
 敵は僧侶の両手首を片手でつかむと、そのまま壁に叩きつける。
僧侶「……っ」
ヴァンパ「手を封じてしまえば、糸は使えませんよね?」
96:
ヴァンパ「実はですね、私は前からあなたには興味があったのですよ」
僧侶「……私は……あなたに興味、ありません……けど」
ヴァンパ「でしょうね。しかし、あなたの意思はどうでもいいんです」
ヴァンパ「……あなたの経歴、魔物使いに調べさせました」
僧侶「……」
ヴァンパ「生まれ故郷を魔物によって滅ぼされたそうですね」
ヴァンパ「そして、故郷を滅ぼされたとき、両親も失っているんだとか」
僧侶「……だったら、なんだというのですか?」
ヴァンパ「興味深いのはそのあとです。あなたは故郷は滅ぼされたあと『赤勇会』に入っている」
ヴァンパ「『赤勇会』は魔物による被害地の人々を支援する団体」
ヴァンパ「これだけなら、あなたは魔物による被害者を助けようとする健気な人です」
ヴァンパ「しかし。考え方を変えれば、ちがう一面が見えてくる」
ヴァンパ「魔物による被害地を訪れる。つまり、魔物との交戦が高確率で起こる」
ヴァンパ「言い換えれば、『赤勇会』に所属していれば、魔物を殺せるということです」
97:
ヴァンパ「さらに、あなたが今回参加している旅」
ヴァンパ「この旅では確実に魔物と戦う。これもまた魔物を殺せるということにつながります」
ヴァンパ「なにより、あなたの術の性質」
ヴァンパ「これ、癒しの術以外にも使えますよね?」
ヴァンパ「たとえば、魔物の体内に毒を直接流すとか、ね」
僧侶「なにが、言いたいのですか……?」
ヴァンパ「あなたのすべては、魔物を殺すということに結びついている」
ヴァンパ「あなた、本当は魔物が憎くて仕方ないのでしょう?」
僧侶「……」
ヴァンパ「故郷を奪い、両親を奪った存在を殺したくて仕方がない」
ヴァンパ「気持ち悪いぐらいに、あなたは一貫しているんですよ」
ヴァンパ「あなたは本当は直情的な人間なのでは。そしてそんな自分を必死に偽っている」
ヴァンパ「その冷静さを装った仮面の下では、魔物への憎悪が渦巻いてる」
ヴァンパ「……ちがいますか?」
98:
僧侶「……否定はしません」
ヴァンパ「意外と素直ですね」
僧侶「事実を否定するのは、これまでの自分を否定することになりますから」
ヴァンパ「これまでの自分、ですか」
僧侶「……あなたは、逆に全然一貫性がありませんね」
僧侶「あなたの行動はすべてが中途半端で、気持ち悪いです」
僧侶「盗めたはずの『勇者の剣』は、結局盗まず」
僧侶「『柔らかい街』を襲撃したときも、ただ見ているだけ」
僧侶「今も私を殺さず、こんなふうに話をしている」
僧侶「それに。あなたは気づいていたのでは?」
ヴァンパ「なんのことですか?」
僧侶「魔法使い様が捕らえられたとき、彼女を調べたのはあなただったと聞きました」
僧侶「魔法使い様の腕に施された魔法陣に、本当に気づかなかったのですか?」
99:
僧侶「あなたは行動から立ち位置まで、すべてが中途半端です」
僧侶「なにが目的なのですか?」
ヴァンパ「目的? そんなものはありませんよ」
僧侶「だったら、あなたはなんのために?」
ヴァンパ「……仮に、あなたが私を殺すことに成功したとしましょう」
ヴァンパ「しかし、あなたはそのあとに地面につまずいて頭を打って死ぬ」
ヴァンパ「ありえない話ではないですよね?」
僧侶「……」
ヴァンパ「そう考えると、必死に生きてることがくだらないって思えませんか?」
ヴァンパ「この地上の生物はどう生きようが、崇高なる偶然に振り回される」
ヴァンパ「そう、あの魔王さまでさえね」
僧侶「……生きてることに意味がないと、そう言いたいのですか?」
ヴァンパ「そのとおりです。まして、あなたのような生き方なんかはね」
僧侶「……言いたいことは、それで終わりですか?」
100:
ヴァンパ「終わりです。長い話に付き合わせて申し訳ございません」
ヴァンパ「では、そろそろお別れにしま――」
横っ腹を得体の知れない激痛が襲ったせいで、彼の言葉はそこで途切れた。
 思わずヴァンパイアは、僧侶の手首から手をはなしてしまっていた。
ヴァンパ「な、なんですかこれは……!?」
 ヴァンパイアの下半身は、自身の血で真っ赤に染まっていた。
 足もとの血だまりは、いつの間にできたというのか。
僧侶「あなたが言ったとおりです」
ヴァンパ「……?」
僧侶「私の術は、魔物を殺すことを第一に考えて作られています」
僧侶「あなたの腕に糸をまいたとき、同時に術を施させてもらいました」
僧侶「極端に血のめぐりがよくなるように、ね」
ヴァンパ「しかし、なぜ……」
僧侶「これだけの血を流しながらなぜ気づかなかったのか、ですか?」
101:
僧侶「簡単な話です。一時的に痛覚を奪っておきました」
ヴァンパ「……そうか。先ほど、あなたは自分の痛覚も消していましたね」
僧侶「気づいてましたか」
ヴァンパ「私の攻撃を受けたとき、あなたは顔色一つ変えませんでした」
ヴァンパ「だが、わからない。どうやって腕を使えない状態で攻撃を?」
僧侶「たしかに、私は今回糸を使って戦いに挑みました」
僧侶「ですが、普段はべつのものを使っています」
ヴァンパ「それは……髪の毛?」
僧侶「そうです。背中まで伸ばしているのは、こういうときのためです」
僧侶「からだのパーツの一部ですから、腕が使えなくても魔力で自在に操れます」
ヴァンパ「つまり。糸はフェイクだった、と」
僧侶「そもそも。糸が武器だなんて、私は一言も言ってません」
 ヴァンパイアは、糸が切れたように血だまりにひざまずく。
 傷口からあふれる血は、一向に止まる気配を見せない。
102:
ヴァンパ「吸血鬼が自分の血に溺れて死ぬ、というのはなかなか皮肉が効いてますね」
僧侶「ずいぶんあっさりと、自分の死を受け入れるのですね」
ヴァンパ「生きてることに、意味なんてありませんから」
ヴァンパ「……私も、あなたと同じでね。故郷がないんですよ」
僧侶「滅ぼされたのですか?」
ヴァンパ「そうです。人間と魔物によって奪われたんです」
ヴァンパ「もっとも。境遇は似ていても、そのあとの行動はまったくちがったようですが」
僧侶「……」
ヴァンパ「魔物にすべてを奪われた。だから魔物に復讐しようなんて、安易すぎる発想です」
ヴァンパ「どうせ小さな偶然で狂う人生なんですよ?」
ヴァンパ「意思や決意、葛藤なんてものは不必要なものだと思いませんか?」
ヴァンパ「気まぐれに、てきとうに生きればいいんですよ」
僧侶「気まぐれで、てきとうだから死んでもいいと?」
ヴァンパ「ええ。だってそうでしょう?」
103:
ヴァンパ「あなたの仲間は、魔物を抹殺することに対して疑問を抱いている」
ヴァンパ「あなた、下手すれば彼らと対立することになるのでは?」
ヴァンパ「そうなったとき、あなたは自身の葛藤に苦しむことになるでしょう」
僧侶「……今でも、私は迷っています。正直苦しいです」
ヴァンパ「ふっ。やっぱり」
僧侶「きっと、私はこれからも苦しむのでしょう」
僧侶「でも。彼らとの旅のおかげで、私は私に疑問をもてるようになりました」
僧侶「復讐に取り憑かれていた私が、迷うってことを覚えたのです」
ヴァンパ「……なんですか、そのビンは?」
僧侶「飲めばわかります」
ヴァンパ「情けをかけたつもりですか?」
僧侶「どうでしょう? このビン、中身が毒の可能性もありますよ」
ヴァンパ「……」
僧侶「選んでください。飲むのか、飲まないのか。自分の意思で」
104:
ヴァンパ「……あなた、本当にシスターなんですか?」
僧侶「いちおう」
ヴァンパ「あなたの思想は、とても神に仕える人間とは思えない」
僧侶「……私たちは神に祈ることはできても、頼ることはできませんから」
ヴァンパ「……」
僧侶「……あっ、最後にひとつ。嘘の訂正をしておきます」
僧侶「魔法陣を使って侵入したのは、私たちだけじゃありません」
ヴァンパ「……嘘までつくとは。やはり、あなたはシスターには向いていない」
僧侶「そうかもしれませんね」
僧侶「では、さようなら。もう二度と会いません」
105:

サキュ(それにしても。ここまで長引くなんて)
 普段の言動とは裏腹に、戦いに関しては魔法使いもサキュバスも慎重なほうだった。
 そのせいか、戦いはサキュバスの予想より、だいぶ長引いていた。
 魔法使いが水弾で、的確にサキュバスを狙ってきた。
サキュ(やっぱりおかしい)
サキュ(あたしの術をくらって、こんなに正確に攻撃してくるなんて)
 魔法使いは間違いなく、サキュバスの魔術を食らっているはずなのに。
魔法使い「あ、あれー?」
 術を使った直後の魔法使いの動きは、ふらついているように見える。
サキュ(でも、なんか。下手なダンスしてるようにも見える……)
 今度は床を濡らしていた水が、氷の突起にとってかわる。
 この術も、正確に自分を狙えている。
サキュ(まさか、この子はあたしの術にかかったふりをしている?)
 
106:
 だが、どのようにしてサキュバスの術に対処しているというのか?
 たしか、彼女は治癒の術は使えなかったはず。
サキュ(なにか、以前と変わったことは――)
 さっきから魔術を連発されているせいで、反撃することができない。
 思考を働かせつつ、敵の術を確実にかわしていく
 
 特に変化したところは見当たらない。
 今どき珍しい、ひと目で魔術師だとわかる格好。 
 杖を武器にした魔術一辺倒の戦闘スタイル。
 子どもと見間違えてしまうような背格好。
 
 そして、悪趣味な黒縁眼鏡。
サキュ(……眼鏡?)
 前回、この魔術師は眼鏡をかけていたか?
 いや、自分の記憶が正しければかけていなかった。
サキュ(……そういうことね。あたしの術は視覚にうったえるもの)
サキュ(たぶん、あの眼鏡がなにかカラクリがあるのね。だったら――)
111:
 翼を広げ飛翔する。
 魔法使いが火球で応戦してくるが、翼で吹き飛ばして強引に肉薄する。
 さらに火に代わって、マントの内側から取り出した杖を飛ばしてくる。
サキュ(爆発の前に翼で吹っ飛ばす。それができないなら、手でキャッチすればいい)
 だが、すべての杖をさばくのは無理があったようだ。
 爆発。濃い煙がサキュバスの顔に降りかかり、視界が真っ白に染まる。
サキュ(これは普通の煙? あの捕獲用のものじゃない?)
 脳裏をよぎった疑問のせいで、接近してきている足音に気づくのが遅れた。
 魔法使いが突き破るように煙から飛び出してきた。
 自分から接近してくるなんて。完全に予想外だった。
魔法使い「これで終わり」
 魔法使いのむき出しの腕が赤く輝く。
 その赤い光りが魔法陣によるものだと直感したときには、すでに術は発動していた。
112:
 次の瞬間。
 サキュバスが起こした行動は、自分の片翼を引きちぎるというものだった。
 肉が裂ける音を塗りつぶすように唇から悲鳴がほとばしる。
サキュ「ぅぅうううううぅっ……!!」
魔法使い「な、なにをして、るの……!?」
 赤い閃光と激痛が視界を真っ赤に染める。
 のたうち回りたくなるような苦痛の中でも、サキュバスは状況確認をおこたらなかった。
 真っ青な顔をした魔法使いは、呆然と立ちつくしている。
 切り離した翼は跡形もなく消え失せていた。
魔法使い「翼を魔法陣に吸いこませて、転移の術を回避するなんて……」
サキュ「ふふっ……どう? あた、ま……いいでしょう?」
魔法使い「なんで、そこまで……」
サキュ「……ここで……ここで負けるってことは、死ぬのと同じだからよ」
113:
 人間とちがって自分たち魔族にはあとがない。
 この戦いに負けた先にあるのは、口を開いた真っ暗闇だけだ。
 だから、どんなことをしてでも勝たなければ。
サキュ「……あー、本当はこれ、やりたくなかったんだけどなあ」
 ともすれば、かすんでくる意識を無理やりつなぎ止めて、全身の魔力を沸騰させる。
 かつて自分は人間だった。
 その自分が、今こうして魔族に成りかわって人間と戦っている。
 奇妙だと思う。不思議だとも思う。だが間違っているとは思えない。
 そう、これが自分が選んだ道だ。
サキュ(魔王さまが目指す世界はあたしの目指す世界。だから――)
サキュ「あなたにあたしの世界、見せてあげる」
114:

 自分の翼を引きちぎるというサキュバスの行動。
 耳をつんざくような悲鳴。それらが、魔法使いの意識を遠くへと押しやっていた。
 そのせいで気づくのが遅れた。
魔法使い「……え?」
 目の前のサキュバスの輪郭が曖昧になっていく。
 サキュバスだけではない。床も天井も自分も。
 すべての輪郭が消え、マーブル状に溶けて混ざっていく。
 世界がおかしくなっている。
サキュ「……これ、あたしにも影響あるんだけどね。でも、仕方ないよね」
サキュ「今度は目からじゃなくて……耳から攻めてあ・げ・る」
 今までは特殊な魔術をほどこした眼鏡によって、サキュバスの攻撃から逃れていた。
 だが、その眼鏡は早くも意味を失ったらしい。
 腕に鋭い痛みと衝撃が走る。まともに立っていられない。
115:
サキュ「っ……あたしたちも、負けられないの……」
サキュ「負けたら、あたしたちの世界は終わっちゃうから……!」
 ぐちゃぐちゃになった視界は、魔法使いの思考にまで影響を及ぼしていた。
 だが、それでも。
 このままでは、残り十数秒のうちに殺されることは理解できた。
魔法使い(……どうした、ら……どうすれば…………)
 状況を打開しようとめぐる思考が、耳にこびりついた悲鳴によってかき乱される。
 サキュバスは、自分のからだの一部をなんの躊躇もなく引き裂いた。
 一瞬でも判断が遅れていれば、彼女は魔法陣によって飛ばされていたはず。
 彼女にはこの戦いに対して、自分のすべてを犠牲にするだけの覚悟があるのだ。
魔法使い(私は……私には……そんな覚悟はあるの……?)
116:
 目を開けていることさえ辛くて魔法使いはまぶたを下ろした。
 手からすべり落ちていく杖が、かわいた音を立てる。
『あきらめるのかっ!? そしたら本当に終わりだぞ!?』
『ここまでボクたちが旅してきたこと! その意味もなくなるぞ!』
 不意に。目をとじてなお、ゆがんでいく世界に彼の言葉が響きわたった。
魔法使い(……そうだよ。ここであきらめてどうするの、私)
 旅の中でいろいろなものに触れて、様々なものを知った。
 自分がなにも知らないことを知ることができた。
 大切な仲間もできた。
 世界には、自分の知らない世界がたくさんあった。
魔法使い(ここであきらめたら、私の世界は終わっちゃう。だから――)
 私は私の世界を終わらせたくない、もっとこの世界を知りたい。
魔法使い「ここからは私の世界だ」
117:

 この期に及んで立ち上がってくる魔法使いに、驚かなかったわけではない。
 しかし。あとはこの爪で彼女の首を引き裂くだけ。
魔法使い「――ここからは、私の世界を見せてあげる」
 虚ろだった魔法使いの瞳には、わずかに意志の輝きが戻っていた。
 そして、それは起きた。
サキュバス「……な、なによこれ……!?」
 ぱりぱりと音を立てて、空間が氷に覆われていく。
 変化はそれだけに終わらなかった。
 地鳴りにも似た低い音が背後でして、サキュバスはとっさに地面を飛び退いた。
 ふり返れば、巨大な氷のトゲが地面から生えていた。
 攻撃はそれだけに終わらなかった。
 天井からも、壁からも、息つく暇もなく氷が飛び出してくる。
118:
サキュ(あたしが見えてないからって、空間全部を覆いつくす氷で攻撃してくる気?)
 背中の痛みがサキュバスを硬直させた。
 目の前で氷がせりあがってくる。だが、かすってすらいない。
サキュ(そうよ。この氷を破壊して逃げ場所を確保すればいい)
 しかしその認識は間違いだと、すぐに気づかされた。
 根元から切り裂いた氷が瞬く間に修復されていく。
サキュ(これはまさか……空間系の魔術? このままじゃ、逃げ場がなくなる)
 サキュバスは、背中の痛みに耐えながら必死に敵の攻撃をかわしていく。
 攻撃に規則性はない。
サキュ(おそらくあの子自身、氷がどこから飛び出しているのか認識できていない)
 その証拠に突起は術者本人の真横ですら、容赦なく横切っていく。
 サキュバスの術にかかっているのだ。
 当然と言えば当然だ。
 
 だが、ここまで思い切った行動に出るには、それ相応の覚悟が必要だったはず。
119:
サキュ(これだけの規模の術。長くはもたないはず)
 
 サキュバスの体力が切れるのが先か。
 魔法使いの魔力が尽きるのが先か。
 
 彼女の世界の終わりは唐突に訪れた。
 肌を突き刺すような冷気が鳴りをひそめ、たちまち室内の氷が溶けていく。
 限界が先にきたのは魔法使いだった。敵は床に両膝をついてしまっている。
 もっとも、限界なのはサキュバスも同じだった。
 背中を襲う苦痛の波に、彼女は今にも溺れそうになっていた。
 それでも彼女の足は動いていた。
 敵は魔力も尽きて目もほとんど機能していないはず。
 チャンスは今しかない。
 魔法使いが広げたマントから、杖を投擲してくる。構わず水浸しの床を突き進む。
サキュ(これで終わり)
 
 あとコンマ数秒で、爪が魔法使いを引き裂く――はずだった。
 横腹を鉄球でもぶつけられたような衝撃が襲った。
120:
 サキュバスの腹には、飛び出した氷の突起が突き刺さっていた。
 
 よく見れば、突起は魔法使いのマントも同じように貫いていた。
サキュ「う、そでしょ。な、んで……?」
魔法使い「……氷は背中のものだけを残して、解除したの」
サキュ「じゃあ、あの杖は……」
魔法使い「うん。杖を投げたのは、マントを広げるって行為を自然なものにするため……」
魔法使い「もちろん。マントを広げたのは、背中の氷を隠すため」
サキュ「だけど……だけどっ! あなたの目はあたしの術で……!」
魔法使い「目は見えなくても、あなたの位置は足音が教えてくれた」
サキュ「足音……そう、そういうこと」
サキュ「氷を解除した狙いは、水であたしの位置を探ることだったのね」
魔法使い「そういうこと」
 サキュバスを貫いていた氷が急に溶けはじめた。 
 支えを失ったサキュバスは、魔法使いと同じようにくずおれる。
121:
サキュ「……術の維持もできなくなってるし、自分の脇腹も削っちゃったのね」
魔法使い「あなただって。もう、満足に動けないでしょ」
魔法使い「私にかけた術も、だいぶ消えかかってる、よ……っ」
サキュ「なめないでくれる? あなたとちがってタフなの、あたしは」
サキュ「ボロボロのあなたぐらいなら、今の私でも……」
魔法使い「……っ」
戦士「ボクの仲間を傷つけるのは、そこらへんにしてくれない?」
魔法使い「……戦士?」
サキュ「まさか、このタイミングで仲間が来るなんてね」
戦士「動かないでね。キミの背中をこれ以上、痛々しいものにしたくはない」
サキュ「ていうか、あなたがここにいるってことは……」
戦士「あのトカゲくんなら、今ごろ床とキスでもしてるんじゃない?」
サキュ「そう。あいつ、負けたんだ」
122:
魔法使い「戦士、待って。どうしても話しておきたいことがあるの、この人と」
戦士「……わかった、でも手短に頼むよ。傷の手当てもしたいし」
魔法使い「ありがと。……『夜の街』で私に質問したこと、覚えてる?」
サキュ「……さあね? ていうか理解してるの、今の自分の状況?」
魔法使い「私が話したいから、いいの」
魔法使い「『どうしてあなたは私たちと戦っているの?』……だったよね、質問は」
魔法使い「……正直、あのときは答えが浮かばなかった。今でも、わかんないままだけど」
サキュ「結局答えられないじゃない」
魔法使い「うん。ねえ、あなたはどうして私と戦ったの?」
サキュ「生き残るために決まってるでしょ」
サキュ「現状じゃ、戦い続けなきゃあたしらは自分の居場所すらまもれないし」
魔法使い「……やっぱり、あなたは戦わないとダメだって、そう思ってるんだよね?」
サキュ「あたしらがこうして血だらけになってるのは、なんでだっけ?」
魔法使い「……そうだね。でも、ちがうかもしれない」
123:
サキュ「ちがわない。人間と魔族が真実の意味でわかりあうのは不可能」
魔法使い「それはあなたが出した答え。私はまだ、自分の答えを見つけてないから」
サキュ「あなたもあたしと同じ結論になる。いずれはね」
魔法使い「でも、その結論を塗り替える答えが出るかもしれないよ」
サキュ「……あなただって、これまで魔物と戦ってきたでしょ?」
サキュ「どうしてそんなふうに考えられるの?」
魔法使い「だってこの世界で生きてたら、知ってることも知らないことも、どんどん増えてくんだもん」
魔法使い「一度出した答えがずっと正しいままでいてくれるなんて、私には思えない」
サキュ「…………」
サキュ「……あたし、自分の生き方を後悔したことって、一度もないの」
サキュ「でも、あなたのこと、羨ましいって思っちゃった」
サキュ「マントの下は『ファッションモンスター』なのにね」
魔法使い「なにそれ?」
サキュ「あなたの服装はモンスター級に素敵ってこと」
魔法使い「じゃあ服選びの秘訣、いつかあなたに教えてあげるね」
124:

戦士「あのサキュバス、本当にあのままでよかったの?」
魔法使い「戦士も見逃したじゃん」
戦士「あの状態で動けるとは思えなかったからね」
魔法使い「……戦士はリザードマンと戦ったんだよね? どうしたの?」
戦士「べつに。拳で語りあっただけだよ」
魔法使い「……そっか」
戦士「まっ、ボクの圧勝だったね」
魔法使い「さすがだね。
  ……んっ、もうおろして。だいぶ目の調子も戻ってきたし」
戦士「よっ、と。……まだすこしフラフラしてるね」
魔法使い「……え? 誰!?」
戦士「なにを言い出すんだよ、ボクだよ」
魔法使い「……顔がすごいことになってて、誰だかわかんないよぉ」
125:
戦士「……あとで僧侶ちゃんと合流したら治してもらうよ」
魔法使い「……戦士」
戦士「なに?」
魔法使い「助けてに来てくれて……ありがと。戦士が来てくれて、嬉しかった」
戦士「魔法使いにはずっと助けられていたんだ。礼はいらないよ」
魔法使い「借りを返す、みたいな?」
戦士「借り? そんなんじゃないよ」
戦士「仲間を助けるのに理由なんていらないでしょ」
魔法使い「……戦士」
戦士「おや? 顔が赤いね。ひょっとしてボクに惚れちゃった?」
魔法使い「……ズボンのチャック、全開だよ」
戦士「……」
134:

リザード「よお。死にそうじゃねえか」
サキュ「そっちこそ。なにその歩き方? おじいちゃんみたい」
リザード「見事に負けたようだな」
サキュ「本当なら勝ってたの、あたしは」
サキュ「……あの姫さまもそうだし、あの魔術師もそう。……意味わかんない」
サキュ「ほんと、意味わかんない。なんであたし……っ」
リザード「なに泣いてんだよ」
サキュ「だって……! あたしたち……負けたのよ。人間にっ……!」
リザード「おう、負けたな。でも、よかったじゃねえか」
サキュ「…………なにが?」
リザード「その傷。テメエが人間だったら死んでたぞ」
サキュ「…………人間だったら、か」
リザード「おう」
サキュ「……うん。あたし、魔族でよかった」
135:

 
 はっきりとした手応えがあった。
 勇者が振りあげた剣は、魔王の腕に深い傷を刻んだ。
 だが、それでたじろぐ魔族の長ではなかった。今まさに傷を負った腕で、勇者を殴りつけてくる。
 
 見切れない度ではなかった。
 勇者は魔王の巨腕をかいくぐって、みぞおちに拳を叩きこむ。
 魔王の動きがわずかに止まったのを見逃さず、今度は剣で斬りつける。
 刀身に魔力をこめた一撃は、魔王の肩に容赦なく食いこんだ。
魔王「……ぐっ」
 魔王が膝から崩れ落ちる。
勇者(どうなってる?)
 戦いが始まってから、魔王はいまだに勇者に一撃も与えていない。
 以前対峙したときは、何十人という護衛兵の力を借りてようやく互角だったというのに。
 しかも勇者の手に握られているのは、『勇者の剣』ですらない。
136:
勇者(前回俺は、魔王に『勇者の剣』の一撃を与えている)
 対魔王用の剣の一撃が、今も魔王を蝕んでいるとしたら。
勇者(いや、そうじゃなくても。この城……)
 魔王をはじめとする、魔族たちの隠れ蓑である城。
 その城を人間たちの目からあざむき、覆い隠すだけの結界魔術だ。
 結界の維持にどれだけの魔力が必要か、魔術に明るくない勇者でも想像に難くなかった。
 そして、その結界は誰によって維持されているのか。
勇者(魔王はあの城の襲撃以降、一度も俺の前に姿を現さなかった。それは……) 
勇者「魔王、お前は……」
 魔王が勇者の言葉を遮るように、自身の腕を床へと振り下ろす。
魔王「口を開くな。魔王と勇者の闘いに言葉は不要だ」
 文字通り、空気が変わった。
 充満する空気が重く澱んだ魔力をはらんで、勇者へとのしかかってくる。
 
137:
勇者(まさか、この城本体から魔力を引き出している?)
 
 これ以上の様子見は危険だと判断して、勇者は魔王に飛びかかろうとした。
 だが、本能が床を蹴ろうとした足を押しとどめた。
 
 魔王の肉体が別のなにかへと変貌を遂げはじめた。
 古い樹皮のように皮膚が剥がれ落ちて、魔王の全身を赤黒い肉が覆っていく。
 肉を食い破る音が、背中から巨大な翼を引きずり出す。
 魔王が吼えた。
 命そのものを絞り出すような、そんな声だった。
 そして。不吉な赤い光を灯した瞳が、勇者をとらえた。
勇者「ぁ……」
 
 無意識に吸いこんだ息が、喉の奥で短く鳴った。
 足もとから這いあがってくるのは、まぎれもない恐怖だった。
 圧倒的な魔力と殺意。
 指一つ動かせない。自分はこの存在の前に敗北するという確信。
 
138:
 唸りをあげた暴風が、床をえぐりながら勇者に向かって殺到してくる。
 恐怖によって凍りついたからだは、恐怖によって動いた。
 
 直撃してれば、勇者のからだは原型をとどめぬまでに切り刻まれていただろう。
 次の攻撃に備えて構える。しかし、敵の攻撃はすでに始まっていた。
 
 炎の雨が降り注いだ。
 広大な空間が一瞬の間に炎の色に満たされる。
 
 全力で走る。逃げる以外、どうしようもなかった。
勇者「――ぁ」
 
 魔王が勇者の行く手を遮るように構えていた。
 いつの間に目の前に――と考える時間すら与えず、魔王の腕は勇者をなぎはらった。
 あまりの力に抗うこともできず、壁に叩きつけられる。
139:
 背中の痛みをこらえて、勇者は跳ね起きる。
 
 わずかな時間でも動きを止めれば、その瞬間に自分の命は終わる。
 だが魔王はその場に佇んだまま、追撃してこない。
勇者(魔力の使いすぎで動けないのか?)
 圧倒的な力を前に、勇者は予測と願望の区別さえできなくなっていた。
 
 耳もとで空気の弾ける音が、聞こえた気がした。
 目の前で真っ白な光りが弾ける。
 突如、全身の細胞を焼かれるような痛みが勇者を襲った。
 からだが締めあげられるように痺れて、視界が黒と白に明滅する。 
勇者(か、みなり……?)
 魔王はかみなりさえ手懐けるというのか。
 足もとが沈む。
 鈍い音がした。自分が床に投げ出される音だった。
140:
 勇者と魔王の間には歴然たる力の差があった。
 なのに、勇者は立ち上がっていた。
魔王「な――ぜ……」
 視界はかすんでぼやけたまま。
 呼吸のたび、細胞が息絶えるかのように苦痛が押し寄せてくる。
 自分のからだがどうなっているのか、それを確かめる余力さえない。
 こんな状態でなぜ立ち上がれるのか、自分でも不思議に思う。
 勇者としての使命がそうさせるのか。
勇者「ちがう……!」
 勇者としての使命。そんなものはどうでもいい。
勇者「……魔王」
 肺に力を入れて、無理やり声を絞り出す。
141:
勇者「……俺、将来は喫茶店をやるつもりなんだよ」
 自分でもなぜこんなことを口走っているのか、理解できなかった。
勇者「ちょっと前までは、知る人ぞ知るって感じの店がいいなって思った」
勇者「今はちがうけど」
勇者「……朝が一番お客さんで賑わうんだ」
勇者「それで、昼から夕方にかけては緩やかに時間が過ぎる……そういう店だ」
勇者「ゴブリンみたいに誰でも受け入れる広い懐をもったマスターになる」
勇者「で、姉さんみたいな、優しくて俺を引っぱってくれるお嫁さんをもらう」
勇者「……そうだな、店ができたらあの二人は絶対に呼ばなくちゃな」
勇者「それから戦士も、魔法使いも、僧侶も」
勇者「姫様や騎士、魔物使いも呼んだら来てくれるかな……」
勇者「ああ、そうだ。俺にはあるんだよ……やりたいことが」
 勇者ではなく、一人の人間として。
142:
 魔王は、勇者が語り終わるのを待っていたわけではない。それはわかっていた。
 
 魔王の周囲の空間が、歪んで見えるのがその証拠。
 その巨体から滲み出た魔力は、黒煙に代わると、蛇のように魔王の周囲でのたくりまわる。
 ともすれば、手から滑り落ちてしまいそうになる剣を握りなおす。
 勇者が刀身に魔力をこめようとしたときだった。
 
魔王「――――」 
 
 すべてを喰らいつくす禍々しい魔力の群れが、勇者へと襲いかかった。
 
 世界そのものが揺れたかのような衝撃、そして轟音。
 巻き起こった突風のせいで、目を開けていることさえ困難だった。
 
 だが、勇者はまだ生きていた。
勇者「なんで……」
 いつの間にか、目の前には巨大な氷壁がそびえ立っていた。
143:
魔法使い「なんで、じゃない」
勇者「え?」
僧侶「こんなところで召天したらゆるしませんよ。勇者様」
戦士「ホントだよ、ボクにやられる前に死ぬ気だったのかい?」
 戦士が勇者の背中を叩いた。
 振り返ればボロボロの状態の三人がいた。
 そう、ボロボロだった。戦士も、魔法使いも、僧侶も。
 
 それでも三人は自分のもとへ駆けつけてくれた。
勇者「みんな……!」
魔法使い「転移の術で、とっさに私のところへ移動できたからよかったけどね」
戦士「だけど、この壁も魔王相手にはもたない。僧侶ちゃん、勇者に癒しの術を」
魔法使い「回復の時間は私と戦士で稼ぐから!」
144:
僧侶「時間がないので普段よりだいぶ荒っぽくなりますが、悪しからず」
勇者「わかっ……んぎっ!?」
勇者(普段の回復が『チクッ』となら、今回は『グサッ』って感じの痛みだった)
僧侶「それから、これを飲んでください」
勇者「これって、魔法使いが作ったドリンクじゃ……」
僧侶「いいから飲むっ」
勇者「んぐっ!?」
僧侶「いちおう改良してあるようです。私も飲みました」
僧侶「魔力回復と体力回復の効果はたしかにあるかと」
勇者(相変わらず味は最悪だったが、すでに回復の効果は出始めていた)
僧侶「さあ、行きますよ」
勇者「了解」
145:
 氷壁の影から僧侶とともに飛び出す。
勇者(なんて威力だ……)
 先ほど魔王がはなった一撃。
 直撃した巨大な壁は、塵一つ残らず消滅してしまったらしい。
 状況は依然厳しいまま。増援が来る可能性も限りなく低い。
 癒しの術を使ったとは言え、満身創痍であることに変わりはない。
 しかし。ついさっきまで自分を支配していた恐怖を、今はまったく感じない。
魔法使い「みんなっ!」
 魔法使いは立てた人差し指を、そのまま横にたおした。
 それは以前、僧侶と二人で決めたハンドサインの一つだった。
 ――今では全員、ハンドサインの内容を把握している。
戦士「勇者!」
 戦士も魔法使いの意図を汲み取ったのだろう。二人で魔王へと駆け出す。
146:
 魔王が拳を振り抜く。
 風さえ砕く必殺の拳。
 
 それをぎりぎりでかわして、勇者は剣を振りおろした。
 その剣が魔王へ届くことはなかった。
 見えざる手につかまれたかのように、空中で阻まれた剣は、それ以上動く気配すら見せない。
勇者(……魔力か?)
魔法使い「準備できたっ!」
 魔法使いの声を合図に、勇者と戦士は後退する。
 
 天井にまで届きそうな氷のトゲが、地響きのような音を立てて、魔王の足もとから生えてくる。
 魔王は飛ぶようにしてこれを回避する。
 だがそのときには、勇者と戦士は次の攻撃に移っていた。
147:
 首筋を刺すような痛みが走る――僧侶の術だ。
 この攻撃には、筋力と魔力の強化が必須だった。
 
 勇者と戦士は突起の根元へ、力まかせに刀身をぶつける。
 氷のトゲが勢いよく、魔王へ向かってかたむいていく。
戦士「よし、直撃――」
 巨大な氷塊がいきなり燃えあがった。
 大質量の氷が瞬く間に蒸発して、濃煙が勇者たちに覆いかぶさってくる。
勇者(いったいなにが……)
 全身に青い炎をまといつかせた魔王が、低い唸り声とともに白煙から姿を現した。
 直後、それは起きた。
 空間の波がうねりながら勇者たちに迫ってくる。
 二人して衝撃波をくらった。
 床に叩きつけられ、肺が押しつぶされたかのように息がつまる。
148:
 魔法使いが火弾で魔王を牽制している間に、なんとか体勢を立て直す。
勇者(なんとかしないと……!)
 下手な攻撃は、魔王の前では意味をなさない。
 しかも全員、魔力も体力も尽きかけた状態。
 なにか一つの失敗で、簡単に命を落としてしまうという状況。
魔王「――――」
 魔王が突然からだをのけぞらせた。
 強烈な閃光が目の前でほとばしり、耳をつんざくような轟音が響きわたる。
 四人を襲ったのは、さっき勇者がくらった雷撃だった。
 痺れと激痛、そして鋭い閃光。
勇者「……ぐっ!」
 だが、勇者の膝が崩れ落ちることはなかった。
149:
勇者「あっ……」
 勇者はなぜ自分が立っていられたのか理解した。
 電撃を浴びて焼け焦げたはずの肌が、じょじょに治癒していく。
僧侶「はぁはぁ……」
 僧侶は魔王の攻撃を浴びながら、懸命に勇者たちに癒しの術を施していたのだ。
魔王「な――ぜ……なぜ、キサ、またちは……」
 魔王がすさまじい勢いで、僧侶へと突進していく。
 魔王は、癒しの術を使用できる僧侶を真っ先に仕留めるべきだと判断したのだ。
勇者(まにあわない……!)
 気づいたときには、勇者は叫んでいた。
勇者「俺の腕に糸を――僧侶っ!」
 
150:
 僧侶が勇者へ向かって手を伸ばす。
 腕に糸がまきつく感覚。
 同時に歯を食いしばって、全身を苛む痺れを無視して僧侶を引き寄せる。
 
 衝撃。たおれそうになるのをなんとか踏みこらえた。
 
 僧侶のからだは勇者の腕にすっぽりと収まっていた。
勇者「大丈夫?」
僧侶「……『夜の街』のときとはちがって、今度はきちんと呼んでくれましたね」
勇者「……そのことか。たしかに、そうかも」
僧侶「成長しましたね」
勇者「いい意味で、でしょ?」
僧侶「はい。ありがとうございます、勇者様」
 軽口を叩いていられるような状況でないにも関わらず、なぜか口は動いていた。
151:
 もう魔王はそこまで迫っていた。
僧侶「勇者様」
勇者「わかってる」
 腕に絡みついていた糸から、僧侶は勇者に魔術を施す。
 全身の血がめぐり、死滅しかけた細胞の一つ一つが息を吹き返していくのがわかる。
 もう一度歯を食いしばって、勇者は地面を蹴った。
 全魔力をしぼり出してそのすべてを剣へ与える。
 魔王の拳が迫ってくる。避けようという発想は、なぜか出てこなかった。
 
 本能に身をゆだね、勇者は剣を振るった。
魔王「――――」
 魔王の口から声にならない声がこぼれる。
 魔王の腕に刻まれたのは、まぎれもない傷創だった。
152:
魔法使い「ついでに!」
戦士「もういっちょ!」
 戦士と魔法使いが同時に、特大の火球を魔王へと飛ばす。
 直撃。巨大な炎塊が魔王を飲みこむ。
魔王「……まだ……だ……!」
 魔王が腕を横なぎにはらうだけで、一瞬で炎がかき消える。
 やはり、この程度の攻撃では魔王をたおすには至らない。
 致命傷となる一撃を与えないかぎり、魔王を戦闘不能にすることは不可能。
勇者(魔王はまったく消耗していないわけじゃない)
 
 先ほどのかみなりの一撃。
 あれに全員がたえられたのは、なにも治癒の施しがあったからだけではない。
 いかに魔王といえども、魔力には限界がある。
153:
 つまり。このまま時間をかせいで増援が来るのを待つ、という手も存在するのだ。
 もっとも魔王以上に勇者たちは体力も魔力も消耗しているが。
魔王「……おわ、らせ……る…………」
 魔王の声が空気をふるわせた瞬間、勇者は自分のからだが鉛でもまとったように重くなるのを感じた。
 視界が霧に覆われていく。
 以前、猫が自分たちをたおすために最後に披露した魔術と似ていた。
勇者(いや、猫の術に比べればまだ動ける)
 霧の濃度も猫のものと比較すると、そこまで高くはない。
 すくなくとも、勇者には全員の姿を視認することが可能だった。
 だがそれは、魔王の術が猫のそれに劣っているという意味ではない。
 この広大な空間を埋めつくす霧。それを一人で発生させたのだ。
勇者(どっちにしても、このままじゃ……)
 戦闘において、動きが数秒遅れること。
 それがどれほど戦況を危機的なものに変貌させるか、この場にいた全員が理解していた。
 まして自分たちが今対峙している存在は――
154:
 魔王が勇者へと近づいてくる。
 
 状況を打開する手段を勇者は必死に模索する。
 この状況を一変させる画期的な手段を。少しでも時間をかせぐ方法を。
勇者(ない。思いつけない。このままじゃ俺たちは……)
 魔王の足音が近づいてくるたびに、激しくなっていく鼓動が思考を妨害する。
 
魔法使い「――まだだよ!」
 氷壁が魔王の進行を邪魔するように立ちふさがった。
 
 今の術で魔力を使い切ったのだろう。魔法使いは床にひざをついてしまっていた。
 だが、彼女は顔をあげて勇者へ向かって叫ぶ。
魔法使い「勇者っ! そんな顔しちゃダメでしょっ!」
勇者「魔法使い……」
155:
魔法使い「ここであきらめたら、今までの旅、全部意味なくなっちゃうんだよっ!?」
僧侶「そうです。勇者様はすぐに顔に出るんですから」
戦士「まったくだ。どうせ顔に出すなら、ハッピーのほうがいいに決まってる」
勇者「……みんなの言うとおりだ」
 まだ戦士も魔法使いも僧侶も、全員あきらめていないというのに。
 どうして自分だけがあきらめられる。
 魔王によって氷壁が一瞬で崩壊する。自分へと向かってくる魔王を見すえる。
「待つにゃん!」
 ――そのとき、なんの前触れもなく勇者の耳に聞きなれた声が届いた。
勇者「……え?」
 
 その声は魔王の動きさえも止めた。
156:
 霧の中でこちらに向かってくるシルエットには見覚えがあった。
猫「待てっ! 待つんだにゃん!」
勇者「猫、なんでお前が……」
 低くうなる声で気づいた。
 魔王の口から漏れ出ている火の粉に。そして、その火の対象が自分ではないことに。
 からだが勝手に動いていた。
 炎の奔流が飲みこむよりも先に、勇者は猫の眼前へとすべりこむ。
 勇者と猫を救ったのは、戦士の魔術で精製された巨大な壁だった。
 
 隙をついて、猫を抱えて壁から抜け出す。
勇者「助かった」
戦士「キミってヤツは……自分を殺そうとしたヤツを命懸けで助けるなんてね」
157:
戦士「すこしの間なら、今のボクと僧侶ちゃんでも時間をかせげる」
戦士「そのかせいだ時間の中で、どうにか次の手を考えられるかい?」
勇者「うん」
戦士「じゃあ、頼んだよ」
勇者(戦士が魔王へ向かって走り出す。この間に俺は――)
勇者「……なんでお前が生きてる?」
 
 猫の姿は最後に見たときとまるで変わっていなかった。
 いや、ちがいがないわけではない。
 
 以前は二つかけられていた首輪のうち、一つがなくなっていた。
勇者「いや、それより。なんで魔王はお前を攻撃した?」
猫「……おそらく暴走してる」
勇者「暴走? そういえば……」
勇者(前に戦ったときは、むやみに魔力を消費するような戦い方はしなかった)
勇者(だけど今回は、魔力に頼って避けられる攻撃も避けなかったりしている)
猫「俺様がここに来たのは、この城の結界が弱くなったってわかったからにゃん」
158:
猫「魔王さまが、結界に回していた魔力を取りこんだのはすぐにわかった」
猫「もともと弱っていたところに、膨大な魔力による負荷を受けて魔王さまは暴走して……」
勇者「で、お前に攻撃したってわけか」
猫「たぶん」
勇者「聞きたいことは山ほどある」
勇者「けど、今はこの状況をどうにかしないとけない」
勇者「……お前の背中にくくりつけられてるの、『勇者の剣』だよな?」
猫「そうにゃん」
勇者「その剣をもってきたのは、俺に魔王の暴走をとめさせるため。そうだな?」
猫「……たのむ」
勇者「……」
猫「……なんでもするから……魔王さまの暴走をとめてくれにゃん」
勇者「……二回も殺そうとしたヤツに助けを求めるなっつーの」
159:
猫「……」
勇者「だけど、俺はお前の飼い主だからな。聞いてやるよ、お前の頼み」
猫「……勇者」
勇者「ていうか、どっちにしても魔王はとめなきゃいけない。でも、いいんだな?」
猫「え?」
勇者「お前のやることは、お前の仲間を裏切る行為だ。わかってんのか?」
猫「……そのとおりかもしれない」
猫「でも魔王さまを犠牲にして得られる平和なんて、俺様はいらない」
猫「こうやって考えてるのは、きっと俺様だけじゃない」
勇者「……わかったよ」
 勇者は再び『勇者の剣』を握った。
160:
戦士「……そろそろ限界なんだけど、勇者」
勇者「時間稼ぎ、ありがとう。あとは俺にまかせてほしい」
戦士「できるのかい?」
勇者「大丈夫」
戦士「じゃあ、あとは好きにやってくれ」
勇者「了解」
 深く息を吸う。
 改めてわかった。自分の魔力はとっくに底を尽きている。
魔王「――ゆう……しゃ――きさ、まを……」
 
 それでも負ける気はしなかった。
 驕りでもなければ勘違いでもない。ごく自然にそう思う。
魔王「たお……して、へい――わを……」
 猫の言うとおり魔王は暴走しているのだろう。
 しかし。そうだとしても、彼は勇者を殺そうとするだろう。
 自分の肉体に染みついた魔王の本能のままに。
 魂に刻まれた使命を果たすために。
 
161:
 空間を覆っていた霧が晴れていく。
 
勇者「これで最後だ」
 『勇者の剣』は魔力であれば、誰のものでも吸収できる――それがたとえ、魔王のものであっても。
 この旅の中で知ったことの一つだった。
 膨大な魔力を宿した『勇者の剣』が光を帯びる。
 
 魔王と勇者は同時に床を蹴った。
 
168:

戦士「すごい光と衝撃だったけど、案外無事なもんだね」
魔法使い「戦士が壁を作ってくれてなかったらヤバかったよ」
僧侶「でも。まだ生きてますね、私たち」
戦士「……それと。さすがはうちの勇者だ。やるときはきっちりやってくれる」
勇者「……ふぅ」
猫「ま、魔王さまは……!?」
魔法使い「大丈夫だよ、ほら」
魔王「ぐっ……」
勇者「よかった。きちんと生きてるな。会話は……」
魔王「……なんのつもりだ? なぜ余を殺そうとしない?」
勇者「べつに俺は、お前を殺しに来たんじゃない」
魔王「だったらなにを」
勇者「決まってるだろ。魔王、お前と話をしにきたんだよ」
169:

空白 

170:
◆数週間後
魔法使い「うわあ。すごい量……」
戦士「そうかい? 旅をしてるときも、これぐらい食べてたじゃん」
魔法使い「旅をしてるときと同じだから、言ったんだけどね」
戦士「……ん? それって今日の新聞?」
魔法使い「ううん、けっこう前のだよ」
魔法使い「ほら、最近のって勇者が魔王をたおしたことについてしか触れてないでしょ」
戦士「論壇であるはずの新聞が、ただの情報媒体になっちゃってるもんね」
戦士「でも、新聞なんか読んでどうするの?」
魔法使い「魔術の勉強をするかたわらで、知識人の意見にも目を通してるんだ」
魔法使い「探してみると、魔族について触れてる論文ってけっこうあるんだよ」
戦士「そういえば、魔法使いは学校に戻るんだって?」
魔法使い「うん。学校が一番勉強に適してるし」
魔法使い「今は植物の活性化や、土地に恵みを与える魔術について勉強中」
171:
魔法使い「戦士こそ、最近はなにしてるの?」
戦士「鍛えてる」
魔法使い「……つい最近まで、病院にお世話になってたって聞いたけど?」
戦士「いやいや。国がそれはもう、手厚い待遇でむかえてくれてね」
戦士「賢者クラスの癒し手を寄越してくれたんだ」
魔法使い「じゃあなんで病院に?」
戦士「好みのナースがいたから、ほんのすこし足を運んでただけだよ」
魔法使い「……なんていうか、平和だね」
戦士「ホントにね。ちょっと前までは、わりとハードな旅をしてたっていうのに」
魔法使い「なんだか夢を見てたみたい」
戦士「夢といえば。魔法使いは、将来的にやりたいことってある?」
魔法使い「うーん、いろいろ考えてるけど。まだ『これだ!』っていうのは……」
172:
魔法使い「その点、勇者ってすごいよね」
魔法使い「喫茶店を開くために、ずっと前から貯金してたっていうんだもん」
戦士「そういえば、旅のときも無駄遣いはしなかったもんなあ」
魔法使い「この歳になっても、フラフラして夢も決められない私とは大ちがい」
戦士「べつによくない?」
魔法使い「よくは……ないと思うけど」
戦士「子どものころに『夢を持て』って、大人に言われた経験あるでしょ」
魔法使い「あるあるだよ」
戦士「でもさ、この年齢になったって知らないことのほうが多いんだよ」
戦士「子どもなんて、言うまでもないでしょ?」
魔法使い「まあ、そうだけど」
173:
戦士「生きてく中で、いろんなことを知って、ようやく見れるもの」
戦士「そういうのが夢だって、ボクは思うけどね」
魔法使い「あー……なるほど」
魔法使い「あれかな? 寝てるときまで見ちゃうような、そんな感じの?」
戦士「そうそう。まさに『夢を見る』ってヤツさ」
魔法使い「なんだか恋みたいだね」
戦士「そうっ! まさにそれっ!」
魔法使い「ど、どうしたの急に?」
戦士「いや、恋って聞いてしっくりきたんだ」
戦士「夢に好きな人が出たあとってさ、ついつい考えるんだよ」
戦士「彼女の夢にも、ボクが出ることはあるのかなって」
魔法使い「……ちょっとなに言ってるのかわかんない」
魔法使い「ていうか。戦士って夢とかあるの?」
戦士「あるよ」
174:
魔法使い「へえ。なになに?」
戦士「愛する女性を生涯まもりぬく。それがボクの夢だ」
魔法使い「わーお」
戦士「鍛えているのはそのためなんだ。あっ、もちろん剣の腕も磨いてるよ」
魔法使い「そこまで戦士にさせるなんて、罪な女だね」
戦士「ああ、まったくだ」
魔法使い「じゃあ戦士の恋が実るように、私も祈っておくね」
戦士「……それ、本気で言ってる?」
魔法使い「もちろん。私、恋話って大好きだし」
戦士「……うーん。まずは腕をみがくより、男を磨くほうが先かなあ」
魔法使い「んー?」
175:

魔王「よく、ここまで来れたな」
姫「今はごたごたしてるから」
姫「王位継承が完全に承認されれば、ここを訪れることは極めて困難になると思う」
魔王「そうか。で、あの騎士はそなたの部下か?」
女騎士「……」
姫「ええ。ここに来られたのは、彼女のおかげでもあるから」
魔王「脂汗まみれだが、まあいいか。
 ……余と同じだな、信頼できるものが側にいるというのは」
猫「にゃん?」
姫「はじめまして。あなたが勇者のお友達の猫さんね?」
猫「まあ、そんなところだにゃん」
176:
姫(この猫さんは謎の光に包まれた状態で、女騎士さんが偽物の城から発見した)
姫(目を覚ました猫さんは、魔王城へ連れて行けと言った)
姫(そこで心の会話ができる私の出番)
姫(話し合って猫さんの本音を知った私は、彼女を魔法陣で転移するように頼んだ)
姫(その場にいた足のいグレムリンも、猫さんの希望で一緒に転移した)
姫(それから。これは魔法使いから聞いた話)
姫(魔王との戦いが終わったあと、勇者と猫さんはこんな会話をしたらしい)
177:
猫『……色々とすまなかった、にゃん』
勇者『だから、もういいって』
猫『ふーん、じゃあこれ以上は謝らにゃいからな』
勇者『やっぱりもう少し反省しろ』
猫『あと、一つだけ訂正しておくことがあるにゃん』
勇者『なんだよ?』
猫『俺様の飼い主は魔王さまであって、お前はちがう』
勇者『じゃあ、俺はなんだ?』
猫『友達』
勇者『……』
僧侶『勇者様。ほっぺが緩んでます』
178:
姫「なんだか不思議な気分」
魔王「なにがだ?」
姫「こんなふうにあなたと会話してることが」
魔王「余も似たような気持ちだ」
魔王「いまだにこの世にとどまったまま、そなたと話している。真に不思議だ」
姫「勇者も似たようなことを話していたわ」
魔王「……魔王である余が、勇者に感謝する日が来るとはな」
姫「ひとつ聞いてもいい?」
魔王「構わん」
姫「どうして勇者をたおすって選択肢を捨てることができたの?」
姫「あれほど彼にこだわっていたのに」
179:
魔王「……命懸けの闘いの向こうに存在するのは、ある種の理解だ」
姫「理解?」
魔王「一つ一つの挙動や発せられる声。戦略や判断力。思考や人格」
魔王「そういったものは闘いの場において、どうしてもにじみ出てしまう」
姫「つまり、戦いの中で勇者という人間が理解できたということ?」
魔王「おぼろげで酷く曖昧だがな」
魔王「そうではなくとも、勇者たちはこのような場所を魔族に提供してくれた」
姫「……そうね」
姫(旅の最中に魔法使いが、魔法陣の練習に失敗したことがあった)
姫(その失敗の結果、勇者たちは見知らぬ土地に転送された)
姫(見知らぬ土地――第五世界であるフロンティア)
姫(魔王城は軍によって陥落)
姫(城の主である魔王も勇者によってたおされた――世間ではそういうことになっている)
姫(しかし実際は、この第五世界に避難していた)
180:
姫「命を懸けて戦うことでようやく見えてくるもの、か」
魔王「戦わなくとも、理解しあえるべきなのだろうがな」
姫「……私にはその感覚は、わかりたくてもわからないわ」
姫「戦うってことをしたことがないから」
魔王「そなたも闘っていたのではないか?」
姫「私が?」
魔王「自分と戦い、考えた結果が、余への直談判という行動に結びついたのでは?」
姫「……そうかも。私もすこしは変われたのかも」
魔王「変わったと思うぞ」
姫「本当?」
魔王「余がさらったときは、そなたは泣き叫んでいたからな」
姫「……それは、仕方がないでしょう」
181:
姫「そもそも。誘拐したことに関しては、私はあなたを許す気はありません」
魔王「……すまなかった」
姫「……そうよ、あなたが私を誘拐したせいよ」
姫「あなたのせいで、私は世界を知りたいって思ってしまったの」
魔王「…‥」
姫「……うん。あなたが目指したとおりには、できないけど」
姫「私は私なりに、人間と魔族が共存する世界を目指してみようと思うの」
魔王「……厳しい道のりになるぞ」
姫「同じことをちがう人からも言われたわ」
姫「……そうね。私がやろうとしていることは、間違いなく困難なこと」
姫「このドキドキも、半分は不安のせいなんだと思う」
魔王「もう半分は?」
姫「もちろん、未来への期待」
182:
姫「ドキドキって、なんだかすごく生きてるって感じがするの」
魔王「ドキドキ……わかるような。わからないような」
姫「できれば、あなたにはわかってほしい……って、そろそろ時間ね」
魔王「もう行くのか?」
姫「ええ、やることは山ほどあるから。それから……」
魔王「……む?」
姫「ありがとう」
魔王「……なんというか。そなたが余に礼を言うのは、非常に奇妙な気がするのだが」
姫「ええ。私もそう思う。でも、それでも言いたくなったの」
魔王「……そうか」
姫「また会いましょう――魔王」
魔王「ああ、いつかまたこの世界で――姫」
183:

勇者「うぅ……」
僧侶「なにをそんなにしょげてるんですか?」
勇者「……だって、さっきの見たでしょ?」
僧侶「勇者様の身振り手振り満載の会話のことですか?」
勇者「うん」
僧侶「そうですね。ジェスチャーが激しすぎて、意味不明になっていましたね」
僧侶「神父様の顔、完全に引きつってました」
勇者「うん……」
僧侶「ですが、以前に比べれば成長したと思います」
勇者「いい意味で?」
僧侶「それは私のセリフです。とらないでください」
勇者「はい」
184:
僧侶「それより。これから『柔らかい街』へ向かわれるんですよね?」
勇者「はい」
勇者「しばらくはあの街に滞在するつもり」
勇者「世間では魔王はたおされたってことになってるし」
勇者「それに、ゴブリンたちにも挨拶してないままだし」
勇者(魔王をたおしてから数週間)
勇者(報告書の製作やら命令違反の始末書作成やら、その他諸々)
勇者(とにかく忙殺されていた俺は、三日前にようやく仕事から解放された)
勇者(もちろんその間には、パーティーとかもあったんだけど)
勇者(で、僧侶とは教会でさっき偶然会って、今は話している最中)
僧侶「私もついていってよろしいでしょうか?」
勇者「……」
185:
勇者(なぜか不思議なことに。この瞬間、俺は魔王と戦ったときのことを思い出した)
勇者(俺と魔王の戦いがはじまる直前)
勇者(俺たちは言葉を交わさなくても、なにを考えているのかわかってしまった)
勇者(あれだって言ってみれば、ひとつのコミュニケーションなんだよな)
勇者(奇妙な話だけど、あの瞬間、俺たちは確かに互いにわかりあっていたんだ)
勇者(そう。意思疎通の手段は、考えりゃいろいろと見つけられるわけだ)
勇者(だから俺は、あえて無言で僧侶に答えてみた)
勇者「……」
僧侶「その顔は、ついていってもいいと受け取ってよろしいですか?」
勇者「まあ……」
僧侶「……はっきりしてください」
186:
勇者(だけど俺は、今回の旅で言葉の大切さを知った)
勇者(言葉を相手にきちんと伝えることの大切さを学んだ)
勇者(だったら、やっぱり今は口に出して伝えるべきなんだと思う)
勇者「俺と一緒に旅をしてください」
僧侶「こちらこそ。よろしくおねがいします、勇者様」
勇者(一瞬、僧侶はなんで俺についていきたいんだろう、という疑問がよぎった)
勇者(でも今すぐに聞く必要はないだろう)
勇者(というか俺は、僧侶について知らないことばかりなんだよな)
勇者(まあ、少しずつ彼女のことは知っていこうと思う)
勇者(そう。ようやく俺の時間ははじまったんだから)
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