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心霊ちょっといい話『あなたはひとりじゃない』


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5:
8月初旬、夜中に我が家の次男15歳がリビングでいきなり歌い出し、
私も主人も長男17歳もびっくりして飛び起きました。
主人が「コラ!夜中だぞ!!」と言い、電気を点けました。
マンション住まいなもので、深夜の騒音は大迷惑になってしまいます。
長男も次男も小学生の頃から和太鼓をやってるのですが、
そのとき次男は舞台で着る藍染の腹掛けと股引き、頭にはちゃんと
鉢巻を巻き、ご丁寧に地下足袋まで履いていました。
歌っていたのは三宅島に伝わる『木遣り歌』です。
『三宅木遣り太鼓』は三宅島のオリジナルにアレンジが加わった形で
和太鼓の曲として広く伝わるスタンダートです。
次男の所属するチームでは『三宅』を叩く前に『木遣り』を歌うことが
あるのです。
次男は、主人と長男で取り押さえようとしても構わず歌い続け、
主人が口をふさいでもまだもがもがやっています。
寝ぼけてるのかと思い、名前を呼んだり揺すったりしてもダメ。
「ダメだ、とりあえず外に出そう」と、次男にタオルで猿轡をし、
主人と長男が引きずってエレベーターに乗り、駐車場に走りました。
急いで車を出し、次男はまだ歌い続けていましたが
騒音を気にしなくてよくなったことに、とりあえずはホッとして
猿轡を解きました。
成り行き上ハンドルを握っていたのは私でした。
どファミリーなミニバンのセカンドシートに170、175、178cmの男が3人
ぎゅうぎゅうに収まって・・・。
あたふたと夜逃げのように飛び出てきてしまったので
私はパジャマ、主人と長男はTシャツにトランクス1丁。
71: 70の2 2009/09/07(月) 21:46:57 ID:uJRXxEOL0
421 :2/5:
どこへ行けばいいのか、どうすればいいのか、何が原因なのか、
思いつく限りの意見を出し合った末、主人が言いました。
「病院だな・・・M(長男)、夜中もいける精神科、検索してくれ」
『精神科』という言葉にちょっとドキッとしました。
「携帯持ってこなかった・・・」「俺も・・・」「私も・・・」
「とりあえず携帯と着替えを取りに帰るぞ。俺らは下で待ってるから
 Mは家へ走って取ってこい」
主人の言葉に長男もそれしかないと観念し、
「家まで誰にも会いませんように・・・」とつぶやきました。
その時、主人がぼそっと言いました。
「こいつ、いつからこんないい声出るようになった?」
私は次男の異常な様子が心配で、ただオロオロしていましたが、
主人に言われてよく聞いてみると本当に心に染み入ってくるような声でした。
確かに次男の声なのですが、何と言うか・・・伸びだとか節回し?が
急にうまくなっている感じでした。
それからもしばらく歌い続けていましたが、ふいに次男の歌がやみました。
「R(次男)!?」名前を呼んでみましたが無反応。
きりっとした顔のまま正面を見据えています。
かと思ったら、すっと自分の手を見て握ったり開いたりし始めました。
「バチ!これから打つんだ!」
長男が叫びました。
「バチも持ってこよう!」
みんな口には出しませんでしたが、何か科学で説明できない事態が起こってると
このあたりから感じていました。
主人「M、塩も持ってこい」、長男「塩・・・どうするか知ってんの?」
主人「かけたらいいんじゃないか?」、長男「まじかよ・・・」
主人「コンビニで線香も買おう」、長男「コンビニで売ってんの?」
沈黙・・・。
ものすごい不安ではりさけそうでした。
72: 70の3 2009/09/07(月) 21:48:13 ID:uJRXxEOL0
422 :3/5:
マンション前に着き、長男が意を決したようにTシャツトランクスで
走っていきました。
その後ろ姿に緊急事態の真っ只中だというのに主人がゲラゲラ笑い出し、
私もつられて笑いました。
「よく考えたらめちゃくちゃ笑えるな、これw」
Tシャツトランクスの父と長男が、ばっちり衣装の次男に猿轡をかませて引きずり、
付き添うパジャマの母。
「ものすごい怪しい家族だぜw」
笑いがとまらなくなってしまいました。
すると、それまで険しかった次男の表情が少し柔らかくなった気がしました。
主人は「大丈夫。とにかく今は深夜だし、朝になったら考えたらいい」と
何か達観したような様子でした。
もちろん不安でいっぱいでした。
このまま本来の次男が戻ってこなかったら・・・と思うと、
こちらの方がおかしくなりそうでした。
それでも一瞬和ませてくれた主人にとても感謝しました。
しばらくして長男が荷物を持って戻ってきました。
「まだバチ出すなよ。ここでやられたら殴られる」
主人がジーンズを穿きながら言いました。
私は助手席に移動し、主人の運転で再び走りだしました。
「Rの部屋に入ったら、Tシャツキレイにたたんで置いてあったよ。有り得ねぇ」
長男はそう言いながら携帯で塩の使い方を調べていた。
73: 70の4 2009/09/07(月) 21:49:29 ID:uJRXxEOL0
423 :4/5:
思いがけず久しぶりに家族(+1?)でドライブとなりましたが、
ある国立公園にたどり着きました。
我が家からは30分ほど山に登ったところにあり、ちょっと名の知れた滝や
秋は紅葉目当てで観光客がやってくる自然の中です。
もちろん、そんな深夜ですから駐車場に他の車はありません。
まずは主人と私が車を降り、次男も長男が促すと降りてきました。
長男が次男に持ってきたバチを渡し、自分もバチを持ち、
滝の音がゴウゴウと遠くから聞こえる方を向いて立ちました。
まず長男が歌い出しました。
それに次男がかぶせるように追いかけます。
歌い終わると長男はすっと座り、次男は腰を低くして構えます。
『三宅』は太鼓を真横に置いて、両側から低い姿勢で打つのです。
長男の地打ち(ベース)が始まり、次男がゆっくりと振りかぶり打ち下ろす。
もちろん太鼓はありませんが、ドーンという響きを感じたような気がしました。
だんだんとペースが上がり、お互いに掛け声をかけながら、エア太鼓は続きます。
長男と次男の『三宅』を初めて見たわけではないし、
ところ構わず始める次男の素振りはそれこそしょっちゅう見ているのに、
なぜか涙がとまりませんでした。
たぶん、次男の中の人にとっては最後の『三宅』だと感じていたからだと思います。
ようやく打ち終わり、2人が立ち上がりました。
次男はまず長男に、そしてこちらを向いて深々と頭を下げました。
顔には涙がぽろぽろと落ちていました。
しばらく泣いて、やがて「兄ちゃん」と言いました。
「Rか?」と聞くと、泣きながらも頷きます。
心底ほっとしました。
塩も線香(売ってた)も出番はありませんでした。
74: 70の5 2009/09/07(月) 21:50:48 ID:uJRXxEOL0
424 :5/5:
次男は部屋で着替え始めたことも、リビングで歌い出したことも
その後のことも全部覚えていました。
「でも、俺がやったんじゃない」
それはそうでしょう・・・次男もそこそこ打てるようになったとは言え、
あの美しいフォームは次男のそれとはあまりに違いましたから。
どこの誰だったのかは分からないらしいです。
ただ「最初は悲しかった。でも、打ち出したら嬉しかった・・・と思う。
怖かったけど、嫌な感じはしなかった」だそうです。
念のため、翌日私の実家に連れて行き、近所のオガミさん(たぶん拝みさん?)に
見てもらいました。
「何もない。キレイなもんよ」と言ってもらい、やっと本当に安心しました。
「満足して行ってるはずや。無念が晴れたんじゃろ」とも。
「ただし、まだR坊に大きな疲れが残っとる。命が疲れとる。
ゆっくり精神を休ませなあかんよ」と、お守りをいただきました。
それはオガミさん特製のちりめんで出来た小さな袋に勾玉のような綺麗な色の石が
入れられた物でした。
長男は「なんでRより打てる俺じゃなかったんだろ?」と言ってましたが、
オガミさんは「相性もあるし、M坊よりR坊の方が単純やしのぉ」と笑ってました。
次男は達人に貸してから体の使い方がちょっと分かったと言い、
日々、素振りに余念がありません。
何かコツをつかんだのかもしれません。
終始慌てふためいていたため、後から思うと何やらおかしいことになってますが
その時は次男を失うのではと、この上ない恐怖でした。
当の本人は今日もノンキに登校しましたが。
もし良かったら、動画サイトで『三宅木遣り太鼓』『木遣り歌』で検索してみて下さい。
いくつかアップされてると思います。
上手な人の歌や演奏は胸に響くものがありますよ。
96: 本当にあった怖い名無し 2009/09/10(木) 02:04:19 ID:98MfDPyn0
老人介護施設で働いてる友人から聞いた話を2つ。
ある朝、友人が施設に出勤し靴を履き替えるため下を向いていると「ご苦労様です」と若い女性の声で挨拶された。
友人が何気なく挨拶を返して顔を上げると誰もいない。
よくよく思い返すと、施設で働いている職員の声でも、当然入所者さんの声でもない。
朝早いので、入所者のご家族でもない。
誰だか分からないけれど挨拶してくれる女性の声は、友人含め数人の職員が聞いている。
また別の日。
友人が夜勤に入った日のこと。
友人が一人で見回りに行き、三階部分を半分ほど終えたとき、二階から「助けてー」と女性の叫び声が聞こえた。
慌てて二階に降り、叫び声の発信源だろう部屋開けると、入所者のお婆ちゃんが眠っていている。
別の部屋かと思っていくつか見て回っても、みんな眠ってる。
一応、二階のスタッフステーションへ行って確認とってみても、ブザーは鳴ってないし、声を聞いた人はいない。
仕方なく気のせいだと思って、三階に上がって見回りを開始。
「助けてーー!」
さっきより緊迫した声が響き、友人は二階のお婆ちゃんの部屋へ。
眠っているお婆ちゃんに今度は近づいてみると、お婆ちゃんが異常に汗かいてうなされていた。
体温を計ると38度を超えており、すぐに他の職員と共に病院へ直行。
友人は見回りを続けたが、この後、叫び声は聞こえなかった。
友人は、お婆ちゃんは喉が悪くてかすれた声がしかでないし、あの時の叫び声は若い女性のものだった。
前に挨拶したあの女性の声に似ている気がする、と言ってました。
まあこんな話。
103: 本当にあった怖い名無し 2009/09/10(木) 21:27:19 ID:fadACYG40
いい話かどうか微妙だけど・・・投下!
14年前、長男の出産のときの話。
私は実家のすぐそばに住んでて、旦那は半マスオさん状態(現在も)。
お腹が重たくなってきた7ヶ月ぐらいの時、実家が近所にある同級生のYちゃんが
里帰り出産で帰ってきた。
同じ病院で産む予定だったし「奇遇だね?」なんて言い合い、
仲間が出来て嬉しかったし何となく心強かった。
1ヶ月ほどしてYちゃんが一足先に陣痛が来て入院した。
わざわざ電話をくれて、「落ち着いたら必ず連絡するからね」と言って出たのに
丸1日経っても連絡がない。
自分も2ヵ月後には出産予定、とても他人事には思えず何度もYちゃんの家に
電話してみたけど誰も出ない。
微弱陣痛で長引いてるのかも・・・と、待ってみたけど、2日経ち、3日経ち、
さすがに心配もピークを迎えた。
入院先の病院=私も通ってた病院に行ってみた。
ナースステーションで「※>>0�子さんのお見舞いに来たんですが」と聞いたところ
「面会謝絶です」と言われ、ヘタヘタと座り込んでしまった。
付き添ってきてくれてた母と看護師さんに支えられて処置室に連れて行かれたら
たまたま私の担当の院長先生がいた。
Yちゃんの担当も同じだった。
104: 2 2009/09/10(木) 21:28:15 ID:fadACYG40
先生にYちゃんが友達であることを伝え、様子を尋ねた。
先生はいろんな意味でちょっと考えていたが、
「私の口から※※さんの状態を話すことは出来ないから」と
Yちゃんに付き添っていたおばさんを呼んでくれた。
おばさんは「Rちゃん(私)心配かけてごめんね」と言ってから
先生をチラッと見た。
目の前に出産を控えた私に聞かせていいものかどうかという意味だったと思う。
先生は「何も分からないでただ不安を増幅させるよりは事情が分かる方がマシ」と
判断したようだった。
Yちゃんは酷い難産の途中で意識を失ったまま未だに目を覚まさない
ということだった。
重い妊娠中毒症だった。
出産前検診では異常は無かったそうで、普通にお産は始まったはずだった。
確かに元気に出かけて行ったんだもの。
ひとつ救いだったのは、赤ちゃんはとても元気に生まれて
新生児室のガラス越しに会うことが出来た。
話を聞いたときは恐怖で震えたけど、赤ちゃんを見てものすごく勇気が出た。
私も何があってもお腹の子だけは元気に産む義務があるんだと強く思った。
それでも、私の気分は浮いたり沈んだり、家族やYちゃんのおばさんにも
心配かけてしまった。
105: 3 2009/09/10(木) 21:29:19 ID:fadACYG40
結局、Yちゃんは半月眠り続けた。
意識が戻って1週間してようやくYちゃんと再会することが出来た。
Yちゃんは「ビビらせてごめんね」と笑ってた。
一方私は「ほんとだよ!バカだよ!冗談じゃないよ!」って泣いた。
Yちゃんも泣きながら「ごめんね、ごめんね」と2人で抱き合った。
少しだけ先輩ママとして、いろいろ教えてくれるはずだったのに
「何の役にも立ちゃしないね」とYちゃんは泣きながら笑った。
Yちゃんは眠ってる間、実はかなり危ない時もあり、生死の境をさまよっていた。
何回かベッドの上の自分を病室の隅から見てたことがあったらしい。
心配そうに見ているおばさんのことや、毎日仕事帰りに立ち寄るおじさんのこと、
何日かに1回遠くからやってくる旦那さんのことも見ていたそうだ。
このまま死ぬのかなあとも思ったって言ってた。
でも、そういうとき必ずそばに亡くなったおばあちゃんが居てくれて
「バカじゃないの!あんたが死んだらあの子はどうなるの!」と叱咤されたり
「大丈夫だから、もうちょっとだけ待ちな。そのうち戻れるから」と
励まされたりしたそうだ。
Yちゃんは病室の外にはどうしても出ることが出来ず、新生児室の赤ちゃんには
会えずに居た。
子どもを抱かずに死ねるもんかと思ったと・・・。
「だから全然怖くなかったんだよ」と言っていた。
106: 4 2009/09/10(木) 21:30:12 ID:fadACYG40
「そうそう、Rちゃんのことも言ってたよ」
おばあちゃん曰く・・・
「あの子はスポーンと簡単に産んじゃうから楽チンだよ。
 ものすごいいはずだから陣痛の間隔が縮まる前に来た方がいいよ」
当時のお産マニュアルによれば、陣痛の間隔は確か10分ぐらいになったら
病院に連絡→入院という流れだったと思う。
「全部夢かもしれないけどね?」とYちゃんは笑ってたけど、
なぜか私はおばあちゃんの言うことを信じた。
いよいよその日が来て、20分間隔になったところで連絡無しに病院に行った。
電話して「今何分間隔ですか?」て聞かれたら嘘言うわけにいかないし、
20分だと言えばまだ早いって言われそうで・・・。
先生には「ごめんなさい、慌てちゃって来てしまいました」と言い訳した。
先生は子宮口の開き具合を診て
「うーん、まあ帰ってもまたすぐ出てくることになるだろうし」と
そのまま入院となった。
結果・・・あれよあれよと言う間に陣痛が強くなり、30分ほどで長男が誕生した。
陣痛室を飛ばして分娩室に直行、助産婦さんはついてくれてたけど、
先生は1階から3階まで上がってくるのに間に合わないぐらい
超スピード出産だった。
もし10分間隔まで待っていたら・・・と思うと恐ろしい。
タクシーの中で産まれちゃったなんていうのは「妊婦恐怖話」のひとつとして
都市伝説でもなんでもなく有り得る話だと語られてたから。
107: 5 2009/09/10(木) 21:31:03 ID:fadACYG40
出産から数日後、夜中の授乳から戻ってきたとき、
私の病室におばあちゃんが座ってるのを見た。
一瞬ギョッとしたけど、全然怖くなかった。
雰囲気が何か温かい感じがして。
「Yちゃんのおばあちゃん?」と聞いてみたら、それには答えずに
「あんた、おっぱい苦しくないかい?飲ませたばっかりなのに
 まだ張ってるだろ?」と言った。
確かに、最初から母乳がよく出て産まれたばかりの長男の飲む量では
消費しきれていない感じだった。
おばあちゃんは「明日マッサージしてもらいな。詰まって炎症起こしちゃうよ」
とだけ言ってにっこりしながらすっといなくなった。
翌日助産婦さんにマッサージしてもらってとても胸が楽になった。
「マッサージしたら余計に溜まるから、遠慮しないでいつでも言ってね」と
助産婦さんは言ってくれた。
初めての出産だったし、胸が張るのは仕様だと思って我慢していたから
おばあちゃんの助言はありがたかった。
入れ違いに退院していたYちゃんにすぐ電話した。
「ほんと助かったよ。帰ったらおばあちゃんにお参りさせて」と言うと
「いや、うちのおばあちゃんじゃないよ。知らないおばあちゃんなんだよ」
「!?」
私は勝手にYちゃんのおばあちゃんなんだと思い込んでいたんだけど、
Yちゃんも会ったことないおばあちゃんらしい。
108: 6 2009/09/10(木) 21:31:48 ID:fadACYG40
看護師さんや助産婦さんに聞いてみようかとも思ったけど、
頭おかしいんじゃないかと思われるような気もして、
何となく聞けないまま退院の日になった。
母が長男にいそいそとベビードレスを着せたり帰り支度をしている間、
私は助産婦さんから検診の案内や家族計画の説明を受けて
病室に帰りかけたとき、廊下の隅からおばあちゃんが手招きしていた。
近寄っていくと、「あんたは次はもっといはずだから陣痛が来たらすぐに
来るんだよ」と耳打ちして消えた。
「ええ?、また嘘つかないとダメじゃん」と思わず言ったら、
おばあちゃんはまたぱっと現れて、
「H夫(先生の名前)もまだまだだからね」とため息をつき、
「ばあちゃんがそう言ったからって言えばいい。かまわないからすぐ来な」
と言ってくるっと背中を向けた・・・と思ったらまた振り返り、
「ヤブってわけじゃないんだからね。どんないい医者にもどうにもできないことも
 ある。ただH夫もまだまだ精進しなきゃならんってことさ」と言ってまた消えた。
今度はもう呼んでも現れなかった。
そっか、先生のおばあちゃんだったのかと何か納得して
帰る前に挨拶に行ったときに全部話してみた。
すると、先生は「参ったな・・・それ、私のばあさんでもないんだよ」と
頭をかいて笑った。
「父の代から居るらしいけど、父も心当たりがないと言ってる」と言った。
先生も先代の先生もおばあちゃんを直接見たことはないらしいが、
おばあちゃんの診断は1度も間違ったことがなかった。
近年、医学は発達し、医療設備が整い、産婦の危険が少なくなるにつれて
おばあちゃんが出現することは減ってきた。
先代の先生の小さな産院だった頃は頻繁に現れたそうだ。
先生は「すごく久しぶりに聞いたよ。まだ居てくれたんだな」と
ちょっと嬉しそうに見えた。
次回の出産時(いつなのかも分からなかったが)も早めに来ることを約束して
私は長男と退院した。
109: 7 2009/09/10(木) 21:33:39 ID:fadACYG40
Yちゃんが家に帰るまでの1ヶ月ほど、よくおばあちゃんの話題になった。
私達は「座敷ばあちゃん」と呼んでいた。
座敷わらしの居る家は栄えるというけど、H夫先生は評判が良かったし、
小児科も一緒になってて産まれた後のケアもいいということもあって、
個人病院にしては大きな病院で、確かにとても繁盛していた。
昨今の小児科の赤字問題、小児科医不足から、その病院も小児科は
無くなるかも・・・という噂を聞いた。
そうなると、おばあちゃんの出番もまた増えるのかなあとふと思う。
余談だけど、長男出産から2年後、次男が産まれた。
先に破水して入院してたから、陣痛が始まったときはもう病室に居た。
いきなり強烈な痛みからスタート、またもや陣痛室はスルーで10分で産まれた。
陣痛と陣痛の合間のわずかなインターバル、分娩室の隅っこで
にんまりしているおばあちゃんがチラッと見えた。
「な?言った通りだろ?」というドヤ顔。
けど、こちらは正に正念場、考える余裕もなく次男がとり上げられたときには
もうおばあちゃんは居なくなっていた。
それから2度とおばあちゃんに会うことはなかった。
以上です。
すごい長くなってしまってごめんなさい。
文章力無いみたい( ;∀;)
110: 本当にあった怖い名無し 2009/09/10(木) 21:40:56 ID:PBToTsNd0
>>109
乙です すごい話ですね
その病院の守護霊かもしれませんね
海外の話で、家の精霊の話とかありましたし…(帰国しないで?と引き止められてましたw)
112: 本当にあった怖い名無し 2009/09/10(木) 23:25:06 ID:k79PY2Dy0
>>109
素敵でした!いいなぁ?そんなおばあちゃん。
自分が子供を生むときはぜひそのおばあちゃんのいる病院で産みたい。
118: 101 2009/09/11(金) 11:59:37 ID:avRtSdJt0
>>103ではあまりに長くなっちゃったから割愛したんだけど、
1人だけ、次男の同級生のママで「出会った」っていう人がいたんです。
相当仲良くなってから聞いたので、こういう話はやっぱりおいそれとは話せない
ものなんですね。
赤ちゃんがへその緒を首に巻いていて、数分間無呼吸状態で生まれてきたため
すぐに小児科の方に移されたんです。
でも、彼女はそうなることが分かっていたって言うんです。
最後の検診の時におばあちゃんに会って、「この子は苦しい生まれ方するけど
ちゃんと自分で乗り越えるから、母親は泡食っちゃダメだよ」と言われたそうです。
お産の後しばらくは点滴を受けながら放置されるんだけど、その時1人になると
やっぱり不安になってきて泣いてたら、「泡食っちゃダメって言ったろ。
ちょっと時間かかるかもしれんがちゃんと帰ってくるんだからしっかりしな」
って、叱咤パターンだったそう。
その時の赤ちゃんは何ヶ月か入院したけど、今は後遺症もなく元気に中学1年生。
しっかりした女の子で、生まれた時のまんませっかちで慌てん坊なうちの次男の面倒を
見てくれてます。^^
147: 1/4 2009/09/14(月) 03:33:00 ID:A7FTSVuu0
私は地元の神社の雅楽会で龍笛(横笛)を吹いています。
そこの偉いさんのAさん(50代のおじさん)に先週聞いた話です。
Aさんの母校はある宗教系の高校で、雅楽部がありました。
そこで初めて雅楽を始めたそうです。
Aさんにはその雅楽部で仲が良かったBさんCさんという友人がいました。
Aさんは篳篥(ひちりき)、BさんCさんは龍笛担当でした。
AさんとBさんは器用で、与えられた課題を割とスラスラこなすタイプ、
Cさんはとっかかりは苦労するけれど、ものすごく努力する人で
結局は一番いい音を出すようになるタイプ。
ところが、1年生の終わり頃にCさんが事故で亡くなってしまいました。
当然ですが、残されたAさんとBさんは非常に悲しみました。
まだ若かった2人は、祖父母も健在で身近な人の死に接するのは
初めてだったのです。
それが毎日一緒に居た友達だったのですから、15歳の少年には酷な出来事です。
Cさんのお母さんが形見分けとして、楽譜をAさんに、龍笛をBさんに、
それぞれ届けてくれました。
2人はCさんを失った余りの悲しさに蓋をするように、お互いあえて彼の話を
避けるようになっていきました。
春休みの練習日、2人は学校の練習室の掃除当番で
他の部員より遅くまで残っていました。
掃除はテキトーに済ませ、ウダウダと喋ったり練習したりしていました。
すると、部屋の隅の方からコツコツと足音がしてきました。
思わずAさんは「Cか!?」と呼び、Bさんはボロボロと泣き出しました。
足音はしばらくグルグル歩き回り、やがて近づいてきました。
2人の前にあった椅子が微かにコトッと音を立てて静かになりました。
AさんとBさんは『越天樂』を吹き、心の中で「忘れてないよ」と声をかけました。
148: 2/4 2009/09/14(月) 03:35:33 ID:A7FTSVuu0
新学期、2人は2年生になり後輩が入ってきました。
その中に、優しくて面倒見のいいBさんになついてひっついてくるようになった
1年生がいました。
彼は外見こそ全く違ったけれど、性格や不器用で努力家なところが何となく
Cさんに似ていました。
しかも、下の名前がCさんと同じだったのです。
雅楽部では下の名前で呼び合う習慣があり、その後輩くんもCさんと同じ呼ばれ方でした。
3人でわいわいやっていると、同級生や先輩に「ちょっとドキッとするな」と
よく言われました。
卒業した先輩のパートの人数の関係で、若干パート変更することになりました。
Bさんは前々から興味を持っていた笙に転向しようかと迷い、Aさんたちに相談しました。
皆、異存はなかったのですが、Bさん自身はCさんの形見の龍笛のことを気にしていました。
誰も吹かないようになると寂しい気がすると・・・。
Aさんは「どうせ上達してきたらもっと良い笛が欲しくなるし、むしろいつまでも
入門用の笛ではいられないだろう」と言ったのですが、Bさんは何となくすっきりしない
様子でした。
その時、後輩Cくんが「僕に譲ってもらえませんか」と言い出しました。
Bさんは「とんでもない。俺が使わなくなったとしても形見を他の人に譲るなんて」と
言ったのですが、Aさんは「しまい込まれるのと、違う人でも吹いてくれるのが居るのと
どっちが喜ぶだろうか」と言いました。
確かめようがないまま数日過ぎて、後輩Cくんが「お墓参りに行ってお願いしてくるから
譲ってください」と言い、何となく3人でCさんのお墓参りに行くことになりました。
149: 3/4 2009/09/14(月) 03:36:57 ID:A7FTSVuu0
お花を供えて手を合わせてると、またコツコツと音がしてきました。
屋外なので、どこから聞こえてるかはよく分かりませんでしたが、小さな音だったから
すぐ近くで鳴っているように感じました。
後輩Cくんが「龍笛を僕にください。大事にしますから!」とお墓に向かって言いました。
コツコツ音はなり続けています。
Aさんは「Cが怒ってるのでは・・・」とちょっと怖くなってきました。
でも、Bさんが気づきました。
よく聞くと、コツコツ音は一定のリズムを刻んでいたのです。
コツコツとコツコツの間が少しあいていました。
コツコツ休みコツコツ休み・・・雅楽のリズムです。
雅楽は不思議な拍の取り方をします。
1・2?ぃ・3・4?ぃ・・・という感じです。
コツコツに合わせてCさんが龍笛を吹いてみたら、最後までコツコツ音も続いていました。
Cさんは「僕がもらっていいってことですか?」と聞き、AさんとBさんが「C!いいのか?」
と聞きましたが、うんもすんもコツも言いませんでした。
許しを得たと解釈し、その日からCさんの笛は後輩くんの物になりました。
そして今日、我が雅楽会に新メンバーが入ってきました。
神官さんが前に立ち、「先週Aさんから紹介があった○○Cさんです」と言いました。
Aさんはそのために先週私達に話を聞かせてくれたのです。
正直、三週聞いたときは冗談だと思っていました。
新メンバーCさんが「龍笛を吹いてます。やっと地元の本社に戻ってこれたので
これからお世話になります。宜しくお願いします」とペコリと頭を下げました。
ずっと転勤族だったそうです。
聞いていた通りの人懐っこい面白い人でした。
150: 4/4 2009/09/14(月) 03:37:38 ID:A7FTSVuu0
新Cさんは年季の入った笛袋を出し机の上に置いたのに、また別の袋から高価そうな笛を
取り出し吹いていました。
古いほうの笛を見せてくれて、「これねぇ、持ってないと調子悪いんだよ」と言っていました。
スランプのときには今でもそちらの古い方を使うそうです。
「Aさんだって楽譜持ち歩いてるんだぜ(笑)」と言い、その楽譜も見せてもらいました。
ものすごくボロボロになっていました。
雅楽の楽譜って、とても不親切なんです。
漢字とカタカナが縦にズラッと並んでるだけで、音を切るところも繰り返しも、
微妙につける音の変化も、何もかも自分で書き込まないといけません。
Aさんの楽譜には1年弱しか吹くことが出来なかったCさんの書き込みが
たくさんたくさん几帳面な字や記号で残されていました。
私は最初にこの話を聞いたときに感じた最大の疑問を新Cさんにぶつけてみました。
「どうしてそんなにその龍笛を欲しいと思ったんですか?」
新Cさんはあっけらかんと言いました。
「笛がもらってくれって言ってたから(笑)」と。
何の根拠もないけれど、本当にそうなんだろうなぁと思いました。
因みにBさんは遠方住みで、定年になれば戻ってきて入会してくれるそうです。
あと数年で、また仲良し4人組が一緒に吹けるようになります。
151: 147です 2009/09/14(月) 03:40:33 ID:A7FTSVuu0
これだけ書くのにとてつもなく時間がかかってしまい
どっぷり真夜中です・・・
眠さのあまり、日本語が変な箇所もあるかと思います。
どうかご容赦いただき、判読いただければ幸いです。
153: 本当にあった怖い名無し 2009/09/14(月) 07:20:17 ID:y14QSOcqO
>>151
お疲れさまでした
旧C君と新C君が、生前互いに面識が無いのに楽器を通じて友情というか絆で結ばれている、というのが面白い
154: 本当にあった怖い名無し 2009/09/14(月) 07:49:12 ID:3f2gzDHO0
朝から泣かせるぜ。
157: 本当にあった怖い名無し 2009/09/14(月) 14:34:47 ID:P/n+78eh0
物も持ち主を選ぶ…
ブランド品で身を固めてるブサイクなんかは呪われて死ぬ?w
158: 本当にあった怖い名無し 2009/09/14(月) 21:31:04 ID:sIJe6vdg0
ブランド品は容姿なんか見てないよ見てるのは財布の中身だ
だから財布が軽くなると質屋とかリサイクルショップに逃げだすだろ
170: 本当にあった怖い名無し 2009/09/16(水) 22:55:52 ID:QklG7MzP0
>>158いいこというなw
165: 本当にあった怖い名無し 2009/09/16(水) 10:14:44 ID:xTfB0UEtO
心霊の話じゃなくて夢の話だからこじつけなんで気にしない人だけ読んで下さい。
なんか辛い時には死んだ愛犬がよく夢に出てくる気がする。
この間もウジウジしながら寝てたら夢に出てきた。
なんか家の中にいると外から悲しそうな鳴き声がするから
餌かwwと思って餌と水を替えてあげようと外に出たんだ。
そしたら白い柵?ゲージ?に前足が挟まってるみたいで辛そうになくんだよ。
(生前から前足が片方折れててたまに脚をどっかに引っかけたりしてた)
だからすぐ外してあげようとしてしゃがんで手で持ったら、
挟まってるように見えただけで挟まってなかったんだ。
演技だったの。なんかだまされた。なんかちょっとニヤリとしてた。
そこで目が覚めた。普段なら夢に意味付けなんてしないんだけど、
その時は起きたらスーッとわかった。
「実際にゲージなんてないでしょ。ゲージに挟まったフリしてピーピーしてんなw」
って言ってた。全然抜け出せる状況なのに、ひとりでピーピーウジウジしててごめんなさい。
ありがとう。
166: 本当にあった怖い名無し 2009/09/16(水) 11:51:16 ID:6gs0+eEpO
あぁー。
ワンコも素敵だし>>165さんも素敵だよ。
夢でも受けとり方で、いくらでも素敵な体験になるんだね。
167: 本当にあった怖い名無し 2009/09/16(水) 13:35:19 ID:3S/l88iJ0
>>165
何時までも愛犬に心配かけてたらいかんよ!
そろそろ安心させてあげないとね!
169: 本当にあった怖い名無し 2009/09/16(水) 21:08:25 ID:2aYg53oT0
>>165の忠犬ポチ(仮)の愛に涙。・゚・(ノД`)・゚・。
171: 本当にあった怖い名無し 2009/09/17(木) 04:37:02 ID:3UamFj0jO
俺が寝てる真上にはガラスの額縁がある。
翌朝 婆ちゃんに起こされて、『あんたの上の額縁のネジが緩んで落ちる』と神様に言われたって言ってきた、念のためネジを確認するチョンって指先で確認したら、ボトンと落ちた。
それから神様の存在を信じるようになった。
婆ちゃんは当時85才で、婆ちゃんの友達はパタパタとよく亡くなっていった。
婆ちゃんの友達が亡くなった翌朝は決まって婆ちゃん翌朝泣いていた。
お母と婆ちゃんの会話を聞くと『〇〇が会いに来てた』と、言うからビックリ。
172: 本当にあった怖い名無し 2009/09/17(木) 10:09:27 ID:wiMHP5yq0
ものすごく徳のあるおばあちゃんなんだね。
神様のお告げというよりおばあちゃんご自身の能力っていう気も
しないでもないです!
でも、額縁は地震のときとか危なそうで怖いです。((;゚Д゚)
頭の上からは動かした方がいいかも?
173: 本当にあった怖い名無し 2009/09/17(木) 12:19:07 ID:tyZ6LRHy0
なんか孫から尊敬されるようなことできないかねえ……
そうだ、額縁のネジゆるめて神様にいわれたってことにしようかねえ……
175: 本当にあった怖い名無し 2009/09/18(金) 01:58:18 ID:rtc520GP0
孫に尊敬される、で思い出した。
前置きがちょっと長い話なんで、ヒマな人だけ読んでくれ。
俺は小学校の物心ついてから小学校低学年の頃位まで、母方の爺ちゃんが怖かった。
別に爺ちゃんが怒りっぽかったとか、そういうんじゃない。
むしろ物静かな人だったように記憶している。まあ、愛想はよくなかったな。
俺が爺ちゃんを怖がってたのは、爺ちゃんの片足、膝から下が無かったからだ。
爺ちゃんはその昔、交通事故で左足を切断しなければならない怪我を負ったのだそうだ。
で、田舎に帰るたびに俺は爺ちゃんから
「足を切ったあとはそりゃもう痛かったんだぞ」とか言う話を聞かされていたのだ。
しかも爺ちゃんは御丁寧にも義足を外して、
妙につるんとした足の切断面を見せながらその話をするのだ。
その上「○○も信号を守らんと爺ちゃんみたいな足になるぞ?」とかいう追い打ちつきで。
年端もいかない子供にはそれが下手な怪談よりずっと怖かったのだ。
おかげで俺は爺ちゃんの顔は写真を見ないと思いだせないのに、
あの切断面のことだけは妙にはっきりと覚えてたりする。
もっとも成長するに従って俺のビビり加減も慣れからか減っていったんだけど。
そんな爺ちゃんも俺が小学五年生くらいの頃に死んでしまった。
もちろん足のことは関係ない。ガンだった。
爺ちゃんといえば、ちょっと不気味な足の印象しかなかった俺は、
爺ちゃんが死んでも泣いたりとかあまり悲しいとは思わなかった。
ただ、なんとなく車通りの多い道を見ると、爺ちゃんの脅し文句が思い出された。
そういう背景もあって、俺は妙に交通ルールに律儀なところがある。
小さいころは爺ちゃんみたいな足になるのが怖かったから。
成長してからは、さすがに爺ちゃんが孫の身を案じてたのが理解できてたから
なんとなく爺ちゃんに悪い気がして、
悪友どもに道路向こうから誘われようとも信号無視はできなかった。
176: 175 2009/09/18(金) 01:59:04 ID:rtc520GP0
帰宅が12時を回る羽目になり、人通りのない住宅地を歩いていたあの時も、
やっぱり俺は信号無視をせず、律儀に車も人も通らない交差点で信号待ちをしていた。
信号が青になり、さあ渡るべと足を一歩踏み出そうとしたその時。
俺は強烈な違和感に襲われた。
左足がガチガチにこわばって動かないのだ。
足がつったのかとも一瞬思ったが、違和感はあるものの痛みはない。
しゃがみこんで、ふくらはぎをさすってみようとして……
大音響のカーステとエンジン音、そして突風が過ぎた。
何だ?と思って顔を上げると、DQN仕様な改造車が
信号無視の上、スピード違反で交差点を去っていくところだった。
珍走団か………と呆れかけたところで、ハッと我に帰る。
もし足の違和感で立ち止まってなかったら、俺は普通に横断歩道を渡っており、
おそらく……あの車に跳ねられていただろう。
ぎくっとしながら、そろそろと左足を動かそうとすると、
今度は何の問題もなく、いつも通りに足は動いた。
俺は交通事故、足の連想から当然、爺ちゃんのことを思い出していた。
爺ちゃんは、どっちが義足だった?………そう、左足だ。
たぶんこれは爺ちゃんが俺を助けてくれたんだと思う。
そうそう、この話にはちょっとした後日談がある。
爺ちゃんの13回忌だったかのときに、婆ちゃんにこの話をしたのだ。
婆ちゃんは、ちょっとヘンな笑顔で話を黙って聞いてくれていたが、最後にこう言ったのだ。
「○○、爺さんには一生黙ってろって言われたんだけどね、もう時効だろうから言うことにするよ。
爺さんの足が無くなったのが、交通事故が原因っていう話ね、あれ嘘なんだわ」
これには俺も、一緒に話を聞いていたイトコも驚いた。
なんでも爺さんは昔、林業をやっていて、その時の事故で足を切断することになったというのが本当の話。
俺やイトコに交通事故って言ってたのは…お察しの通り、孫を思っての優しい嘘だったわけだ。
そういうわけで、先日納車されたばかりの俺の愛車のダッシュボードには
俺の爺ちゃんの写真が貼ってあったりする。
184: 1/13 2009/09/20(日) 13:37:43 ID:9epKxXJT0
長文&コピペで申し訳ない。
あるサイトでここの趣旨にあってる話を見つけたのでコピペさせてもらいます。
私の母方の実家は、ある山のふもとの温泉街にあります。
そこから歩いてすぐの山は、湯治客のためにとハイキングコースとして道が敷かれ、
子供一人でも難なく行けるくらいの緩やかさなのですが、
その道を少しそれるとそこは舗装もされていない、
道と呼ぶのもためらうような山道ケモノ道が森の奥深くまで続いているのです。
そこが祖母の家へ泊りがけで来ている間、当時小学二年生だった私の遊び場でした。
ある日、私が川の流れる谷沿いを歩いていると、道の脇に古びた祠がぽつんとひとつありました。
伸び放題の草木に絡まれ今にも朽ち果てそうな有様でしたが、
祠の中には小さなお地蔵様が一体、鎮座しています。
苔にまみれたみすぼらしいなりではありましたが、私はお財布から小銭を一枚とり出し、
お地蔵様の足元に置きました。
当時の私は特に信心深いというわけでもなく、
ただ『お賽銭をお供えする』という行為そのものが面白かったのだと思います。
その時もお賽銭だけお供えすると、手を合わすこともせず早々に立ち去ろうとしました。
すると不意に誰かに手を掴まれたのです。
いえ、正確には手を掴まれて後ろに引っ張られたような気がしました。
そう、そんな気がしただけです。だって、この場には私以外、誰一人としていないのですから。
その後、ふもとの家まで戻った私は玄関前で鉢合わせた祖父は無視して、
台所で晩御飯の準備をしている祖母に、ふと気になった山の中の祠について尋ねてみました。
というのもあの祠のある辺りにはあまり近付かないようにと、普段から言い聞かされていたからです。
厳しい祖父にそのことを話せば、きっと祠の話の代わりにお説教を聞かされることでしょう。
その点、祖母は山へ入ったことを咎めるでもなく、けらけらと笑って祠の由来を教えてくれました。
185: 2/13 2009/09/20(日) 13:39:11 ID:9epKxXJT0
昔、と言っても遠い昔のことではなく、戦後すぐくらいの頃。
まだろくに道も整備されていない山の中で、一人の女の子が行方不明になりました。
ふもとの町では大人たちが集められ、山狩りまで行われましたが、
結局女の子は見つからなかったのだそうです。
この地方には古くから山神様の言い伝えがあり、町の人たちは
「あの子は神様に連れて行かれて、あの山の山神様になったんだよ。
きっと、これから私たちのことを守ってくれる」
と、女の子の両親を慰めたのだそうです。
しかしそれからしばらくたった後。再び山で、今度は男の子が二人、行方不明になったのだそうです。
その内一人は無事に山を下り、もう一人は谷底の川に流されて、ずっと下流で遺体となって発見されました。
助かった子から話を聞くと、山で道に迷い崖近くを歩いている時、誰かに腕を引っ張られたと言うのです。
幸い、彼は谷とは見当違いの方へと引っ張られました。
けれどその時、一瞬だけ見えたもう一人の子の姿は、まるで彼も見えない誰かに引っ張られたような、
とても不自然な様子だったのだそうです。
警察はもちろん、そんなことはありえないと言い、きっと前の日まで続いた雨で地面が緩くなっていて、
なにかの拍子にくずれたのだろう。そう結論付けました。
けれど町の人は違いました。なぜなら助かった男の子の右手首には、
手の形をしたアザがくっきりと残されていたからです。
まるで誰かに掴まれたような……。
そしてそれからも度々同じようなことが起こりました。山へいった子供が、
あるいは崩れてきた土に潰され、あるいは川に流されて、その命を落としてしまうのです。
みんながみんな助からなかったわけではなく、中には山で迷いながらも無事に戻ってくる子もいました。
しかし彼らはみんな、口をそろえてこう言います。
「山の中を歩いている時、誰かに手を引っぱられた」
そして彼らの右手首には、決まって手の形をしたアザがあるのです。
もしかしたら、先に行方不明となった女の子の崇りなんじゃ?
いつしかそんな噂が町に広まり、大人たちで話し合った結果、
最初の男の子が犠牲となった崖の近くに小さな祠とお地蔵様を置いて、崇りを鎮めようとしたのでした。
186: 3/13 2009/09/20(日) 13:41:31 ID:9epKxXJT0
「けど崇りは鎮まらないでね。今でもたまに悪い子がいると、手を引いて山へ連れてっちゃうんだよ」
祖母はおどけた調子でそう締めくくりますが、私は怖くて何も言えませんでした。
私は祖母に祠のことを訊いただけで、誰かに手を掴まれた、とは言っていません。
とても気味が悪く、こういう時に限って周りがとても静かに感じます。
けれど怖がっていることを悟られたくない私は平気なふりをしつつ
「その後、誰かが連れていかれたことはあるの?」とか「連れて行かれた子は悪い子だったの?」
などとしつこく祖母に尋ねます。
祖母は笑って、
「そんなに気になるなら、今晩の宴会にくる伯父さんに訊いてみなさい。
伯父さんは昔、山で手を引かれたことがあるんだよ」
と言いました。
187: 4/13 2009/09/20(日) 13:42:39 ID:9epKxXJT0
その晩。一族が集まっての宴会に、伯父さんもちゃんと出席していました。
私は祖母に言われたとおり、伯父さんに『手を掴まれた』時のことを訊いてみました。
思えばこれが間違いだったのです。
伯父さんはその手の話をとっても好み、さも恐ろしげに語って聞かせるのが大好きでした。
「いいか。あの祠に近付くとな、あの山で遭難した女の子とそれに連れ去られた子供たちの崇りを受けるんだ。
みんなで手をぐいぐい引っぱって山まで連れてって、そこで死んだ子供たちに取り囲まれて、
気づいたらお前もその子たちの仲間になってるんだ。
山から逃げても無駄だぞ。そいつらはお前が家で寝てる時、こっそりと入ってきてさらっちまうからな」
今にして思えば、それは怖い話をして二度と私をそこに近づけまいとする大人の浅知恵だったのでしょう。
けれども私はその話が怖くて、それを聞いた後は宴会で明々と賑わう広間から離れることができません。
しかし宴もたけなわを過ぎると、母親から「もう寝なさい」と寝床へ追いやられてしまい、
私はひとりで寝室として使っている部屋へと戻りました。
母親の実家は地元の名家で、家は屋敷と呼んで遜色ないほどに広いのです。
屋敷には宴会のあとで酔いつぶれた人たちが泊まれるよう、二十畳ほどの広めに造られた和室がいくつかあり、
私が寝室としてつかっているのもその内の一つでした。
普段は広い部屋を独占していることに高揚する気分も、今はどうにも頼りなく、不安な気がしてなりません。
私は縁側の廊下へ続くふすまや障子を全て閉じ、
常夜灯をつけたままで祖母が用意してくれていた布団にもぐりこみました。
188: 5/13 2009/09/20(日) 13:44:45 ID:9epKxXJT0
どれだけの時間が経ったのでしょうか。
ふと、私は目を覚ましました。
屋敷の中は静まり返り、人の気配はありません。
どうやら既に宴会は終わり、みんな寝静まっているようでした。
私が普段、夜中に目を覚ますことなど滅多に無いことです。あるとすればせいぜい、
起きている誰かが物音を立てた時くらい。
しかし全員が寝静まった屋敷の中で、そんな物音を立てる者など……。
 ……ギっ……………………。
どこか、すぐ近く。まるでそこの障子の向こう、縁側を通る廊下から、床が軋むような音が聞こえました。
両親か祖父母、でなければ泊まっている誰かがトイレに起きてきたのかもしれない……とは思いませんでした。
一階のトイレは、風呂場など水周りの集まる屋敷の北側と西側にしかありません。
私がいる寝室は屋敷の東側、しかもその一番端。誰であろうとこの廊下を通るはずはないのです。
そう、この部屋に来ることが目的である以外は。
 ……ギっ……………………。
不意に、音が止みました。私は廊下へつづく障子に背を向ける形で横になっています。
すっ、と木枠が滑らかに動くような音が聞こえた気がして、みしり、と畳の軋む音が聞こえた気がしました。
ふわ、と頬を風に撫でられたような気がして、誰かの気配がすぐそばにあるような気がしました。
私は目を閉じたまま、背後にいる誰かに起きていることを悟られまいと身を堅くします。
けれど妙に高鳴る心音で、わずかに震える肩の揺れで、
目を覚ましていることがばれるのではないかと思うと、気が気ではありません。
それと同時に、背後にいるのはどんなやつなのか。
顔は、背は、太っているのか痩せているのか、恐ろしい姿なのかそうではないのか、とても気になります。
189: 6/13 2009/09/20(日) 13:46:02 ID:9epKxXJT0
両者の間に挟まれた私は、せめてどんな体格なのかくらいは見てみようと背を向けたまま薄目を開けて、
相手を盗み見ようと考えました。
目いっぱい視界を動かせば頭の天辺くらいはみえるだろう。
そして相手の顔までは見えないのだから、相手に悟られることもないだろう。
そう思った私は、ほんのわずかにまぶたを開き、視界を背後へと移し、
背後にいるソレと目が合いました。
ソレは私の上に大きく身を乗り出し、顔をのぞきこんでいたのです。
ソレは私の顔をのぞきこみながら、にんまりと笑いを浮べていました。
私はとっさに目を閉じ、震えそうになる全身を必死で押さえつけました。
ちらりと見えてしまった顔は女の子で、切りそろえた前髪と肩から垂れる長い黒髪。
そして着物のような襟。見ることができたのはそれだけでした。そしてそれだけで十分でした。
それだけで私は、やっぱり女の子の霊なんだ、やっぱり自分を連れて行くために来たんだと、
そう確信するのには十分だったのです。
大声をあげるべきか、けれどそれでは相手を刺激してしまわないだろうか、
このままだと自分はどうなるのか、まとまらない考えが頭の中を巡ります。
 そして――唐突に、右手をぐいっとつかまれました。
物凄い力で、ぎりりと腕が痛むほどでした。たまらず私は「痛いっ、痛いっ」と叫び、
その手を振りほどこうともがきます。けれど身体は上手く動かず、力を入れることが出来ません。
喉に何かが張り付いているように、あげたはずの叫びも声にはなりませんでした。
それでも私はもがき、もがき、もがき。
190: 7/13 2009/09/20(日) 13:47:51 ID:9epKxXJT0
ふと、私は目を覚ましました。
屋敷の中は静まり返り、人の気配はありません。
どうやら既に宴会は終わり、みんな寝静まっているようでした。
つい今までかたわらにいたソレの姿もありません。
障子は、ぴったりと閉まっています。寝る前に私が閉めたときと同じように。
それから一度も開けられてはいないように。
私はあわてて起き上がり、明かりをつけました。部屋には私以外に誰もいません。
二十畳もの広さの部屋が、蛍光灯の白く無機質な光に照らされ、音もなく、そこにありました。
どこに目を向けても、どこに目を凝らしても、私以外の何者の痕跡すらありませんでした。
私は気が抜けたように布団の上へと座りこむと、胡坐をかき、盛大にため息をつきました。
おかしな夢を見た。そういう結論に達し、額の汗を拭います。
昼間、そして夜の寝る前にあんな話を聞かされたから、夢にまで見てしまったのでしょう。
それというのも全ては伯父さんのせいです。そう思うとなんだか腹立たしく、悔しい気持ちになりました。
明かりも消さずにごろんと布団へ横になり、憎々しい伯父さんの顔を思い浮かべます。
少なくとも伯父さんがあんなに脅かしつけるような話しかたをしなかったなら、
こんな夢を見ることもなかったはず……伯父さんのせいでこんな夢を見ることになったのです。
こんな気味の悪い夢……。
そう。それは確かに夢であったはずでした。
けれど私は見つけてしまいました。額の汗を拭った右手。一見変わった様子の無い、普段どおりの私の右手。
 その手首にはっきりと、手の形をしたアザがついているのを。
私は飛び起きて、そのアザをまじまじと眺めました。
アザの形がなんとなく手のように見える……わけではなく、一本一本の指先までがはっきりとわかるほど、
それは紛れも無い手の形でした。
さほど大きくはなく、私の手と変わらないくらいの大きさです。
だからはじめは私も、もしかしたら寝ている時に自分で自分の腕をつかんだのかも、そう思いました。
寝ぼけてきつく握り締めてしまったのだと。
けれどそんなはずはありません。皆さんも、自分の右手首を自分で掴んでみてください。
 今、あなたの手首をつかんでいるのは、左手ですよね?
私の右手首に残されたアザは、間違いなく右手の形をしていました。
191: 8/13 2009/09/20(日) 13:50:54 ID:9epKxXJT0
翌日。
私は常に戦々恐々としていました。朝起きた時。顔を洗いに手水場へ行く時、トイレへ行く時、
とにかく一人でいるときはびくびくと周りを見回し、誰かに出会うたびに飛び上がらんばかりに驚きます。
まるで今もすぐそばにあの女の子がいて、不意に腕をつかまれたりするのではないか……。
こんなことになった原因は、何の因果か伯父さんに聞かされた話のおかげでわかっていました。
私が不用意にあの祠へ近付いたから、女の子の崇りを受けているのです。
もう、そうとしか考えられませんでした。
ならばどうすればいいのか。私はとにかく、不用意に祠へ近付いてしまったことを幽霊だか崇り主だかに謝らなければ。
そんな思いで午後になってから一人で山へと向かいました。
祠に近付いてしまったことを謝るために、ふたたび祠へ向かっていく。
今になって思えば矛盾している行動でしたが、同時の私にはこれくらいしか思いつくことがなかったのです。
舗装されているハイキングコースをはずれ、草に覆われた道を川に沿って歩きます。
やがて道は川の水面より高くなり、さらに行けば落差が十メートルほどの谷となります。
その崖に沿ってさらに山の奥へと進み、山に入ってから二時間ほどが経過した頃でしょうか。
私は件の祠の前へと辿り着きました。
祠は前に来た時と少しも変わらず、とても古びていて、観音開きの戸は壊れ、中のお地蔵様は苔むしています。
気がつけば屋敷を出るときには晴れていた空には重たい雲が広がり、辺りは薄暗く、
それが祠の様子をより一層不気味なものに見せていました。
私はまず、屋敷から持ってきた法事の際にご先祖様にお供えするためのお菓子をお地蔵様の足元へ置き、
それから手を合わせて心の中で謝罪の言葉を述べました。
192: 9/13 2009/09/20(日) 13:52:42 ID:9epKxXJT0
しかしその間にも、昨日伯父さんから聞かされた話が頭のすみをよぎります。
手を合わせている間、私はずっと目を閉じたままでした。
瞼を開けばそこには私を取り囲んでいる子供たちが見えてしまう気がします。
私を囲み、輪をつくり、手をつなぎながら周りをぐるぐる回る子供たち。
その輪の中には私と、私の腕をつかもうとしている女の子がいて。
 ……ポっ。
突然首筋に冷たい何かが当たり、私は悲鳴をあげることすら忘れて走り出しました。
息が切れて足を動かすことをやめてしまった時、
私はさきほど首筋に感じたものの正体を知りました。
いつの間にか、辺りには結構な勢いで雨が降り出していたのです。
お供え物や崇りのことで頭がいっぱいだった私は、雨具の用意をしていませんでした。
屋根の代わりとなる木の下にうずくまり、しばらくしてからのことです。
このままでは完全に日が暮れ、下山はおろかこの場から動くことすらできなくなってしまいます。
雨の降る中、光もない場所で、虫除けの備えもないまま一夜を過ごさねばならないことを考えると、
そろそろ雨宿りも大概にして山を下りなければなりません。
私は意を決して雨が降り続ける森の中を歩き出しました。
辺りは見覚えのない景色が広がり、私は帰る道を知りませんでした。
私はとにかく、川を目指して歩きます。
川沿いに下流へ下れば、ハイキングコースまで一本道でいけるはずです。
そこまで行けば、あとは舗装された歩きやすい道を数十分程度行くだけで、
ふもとの町まで下りられるのです。
川は祠の西側を北から南へ流れており、ならば西へ向かえば川の流れにぶつかるはずです。
既に日は暮れていましたが、自分が来た方向から大まかな方角くらいは把握できていたので、
私は西と思わしき方角に向かってただひたすらに歩き続けました。
193: 10/13 2009/09/20(日) 14:05:35 ID:9epKxXJT0
しかし、歩けど歩けどなかなか川へは辿り着きません。方角が正しいことは間違いないはずなのに、
もう辺りは真っ暗になっていました。
雨足は弱まるどころかさらに強くなり、長い時間を歩き続けたために疲労もすでに限界です。
この頃には既に私の中にあった祠や崇りへの恐怖は薄れ、
代わりに「もう帰れないかもしれない」という不安と恐れが、
今にも私の身を食い尽くそうとしていました。
それが起こったのは、そんな時です。
私は 何か に足を取られ、前に広がる水溜りの中へ盛大に顔を突っ込みました。
その拍子に細かい砂か砂利かが目の中に入り、痛くて瞼が開けられません。
目を擦ろうとしますが、両手も同じように砂と泥にまみれているため、それすらままなりませんでした。
雨と暗闇の中、さらに視界を奪われ、服や靴は水を吸い重たく、手足は疲労により石のように固まっています。
まさしく八方塞がりでした。私は水溜りの中に座り込み、動く気力も無く、
ただ身体に打ち付ける雨の感触に身を委ねて、力なくうなだれました。
その時。
何者かが私の右の手を掴みました。
そして、私を立たせるように引っ張り上げたのです。
私がつられて立ち上がると、ソレは私の手を引いたまま、どこかへ連れて行くかのように進み始めました。
私は逆らうこともせず、引かれるままについていきます。向かっているのは私が歩いていたのと同じ方向。
川と、谷と、崖がある方角でした。
その時は私の考える力は半ば麻痺していて、ただ何となく、谷のほうへ向かってる。
なら谷を飛び越えて川の向こう側にでも行くんだろうか? その程度にしか思考がはたらきません。
ただ手を引かれるに従い、川の流れに身を委ねるように、ソレついていくのみでした。
194: 11/13 2009/09/20(日) 14:08:27 ID:9epKxXJT0
けれど結構な時間を歩いても、なかなか崖を飛び越えるような感覚は訪れませんでした。
私の手を引く何者かは、途中で何度か方向を変えながらも相変わらず進み続けています。
走るように歩くさで、迷ったり止まったりすることも無く。
途中、何度か転びそうになった時でも、ソレは私の手をしっかりと掴んだまま、
決して放すことはありませんでした。
私を起こすように強く手を引き、倒れそうな身体を支えながら、けれどやっぱり止まることはせず。
しばらく歩き続け、私は自分の踏む地面がむき出しの土から舗装された道路へと変わったことに気づきました。
どうやらハイキングコースまで戻ってきたようです。
ここからなら、ふもとの町までそう時間をかけずに戻ることが出来るでしょう。
けれどソレは私の手を引いたまま。私もそれに従って、目を閉じたままで歩き続けました。
やがて、ソレは不意に私の手を放しました。辺りからは、誰かが私の名前を呼ぶ声が聞こえます。
私はいつの間にか開けられるようになっていた目を、ゆっくりと開きました。
私の周りには傘をさした大人が数名、駆け寄ってきます。
どうやらハイキングコースの入口にあたる、駐車場兼広場にいるようです。
こちらへ駆け寄ってくる人影の中に、父と、母の姿もありました。
195: 12/13 2009/09/20(日) 14:09:35 ID:9epKxXJT0
昔、と言っても遠い昔のことではなく、戦後すぐくらいの頃。
まだろくに道も整備されていない山の中て、一人の女の子が行方不明になりました。
ふもとの町では大人たちが集められ、山狩りまで行われましたが、
結局女の子は見つからなかったのだそうです。
それからも度々同じようなことが起こりました。
山へいった子供が、あるいは崩れてきた土に潰され、あるいは川に流されて、その命を落としてしまうのです。
みんながみんな助からなかったわけではなく、中には山で迷いながらも無事に戻ってくる子もいました。
しかし彼らはみんな、口をそろえてこう言います。
「山の中を歩いている時、誰かに手を引っぱられた」
そして彼らの右手首には、決まって手の形をしたアザがあるのです。
もしかしたら、先に行方不明となった女の子の崇りなんじゃ?
いつしかそんな噂が町に広まり、大人たちで話し合った結果、
最初の男の子が犠牲となった崖の近くに小さな祠とお地蔵様を置いて、崇りを鎮めようとしたのでした。
けれど後に聞いた話では、手の形をしたアザがあるのは無事に戻ってきた子にだけで、
遺体となって発見された子供たちの身体には、手形のアザは一つとして見つかることは無かったそうです。
山で最初に亡くなった女の子は、果たして本当に崇りを起こしていたのでしょうか?
私はあの時、駆け寄ってきた両親に抱きしめられながら、
誰が自分をここまで連れてきてくれたのかと尋ねました。
しかし両親を始めとしてその場に居合わせた大人達は、みんな口をそろえて
「お前は一人で戻ってきたじゃないか。だれも一緒にはいなかったよ」
と言いました。
その時、私は祖母から聞いた話を思い出したのです。
「あの子は神様に連れて行かれて、あの山の山神様になったんだよ。
きっと、これから私たちのことを守ってくれる」
208: 本当にあった怖い名無し 2009/09/24(木) 15:33:56 ID:D29zT1pFO
(´・ω・`) お話、無いのん?
209: 本当にあった怖い名無し 2009/09/25(金) 13:55:42 ID:PwZhe7HeO
無いこともないんですが、内容的に作ってると思われそうで
ビビって躊躇してたりします(^_^;)
212: 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 09:29:25 ID:YpvSnS3L0
>>なんとなく書きにくい流れになっちゃってますが、思い切って書きます(笑)
以前、ここで戦死したお兄さんに守られているAさんの話を
書かせてもらった福祉委員の者です。
たくさんの良いお話の中に埋もれて覚えてもらえているとは思えないので(汗)
ちょっと簡単に書きますと、近所の高齢のAさんが肺炎を起こして倒れていた時に
私の夢の中にAさんのお兄さんらしき方が現れて知らせてくれ、
その方の顔が私に似ているという話でした。
またちょっと不思議なことがあったので書かせてください。
先日、私たちの地域でも敬老会が開催されました。
もちろん、Aさんもお元気に出席してくださいました。
私は来賓受付の担当として、市や地域のお偉方の案内をしていたので、
Aさんが遠くからにこやかに手を振っておられるのに応えただけで
ゆっくりお話は出来ませんでした。
受付が始まってすぐ、首にぶら下げる名札を忘れてきたことに気づきました。
慌てて家に電話をかけて、出てきた息子に持ってきてほしいと頼みました。
会場の小学校までは自転車で5分もかからない距離なので、名札はすぐに届きました。
息子は今中学生なのですが、小学生の頃に担任してもらってた先生が、その日余興に
出演してくれる3年生の担任ということで引率してこられてたのにお会いし、
「背が伸びた」と成長を喜んでくださって、しばらく入口近くで話し込んでいたようでした。
そこにたまたま通りかかったBさんという80代の男性の方が息子に声をかけてこられました。
もしかして○○という名前ではあるまいか、もしくはお母さん(私ですね)の旧姓か、
親戚にそういう苗字の人はいないか、というような内容のことを聞かれたそうです。
Bさんのお知り合いにとてもよく似ていると・・・。
213: 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 09:31:05 ID:YpvSnS3L0
その場に私が一緒に居たならすぐにピンときたと思うのですが、
来賓の方々がどんどんやってこられてバタバタしていたため、
名札を受け取ってすぐに受付の方に戻ってしまっていたのです。
私の息子ですから私に似ていて当然で、もしかしたら男の子で年も私より近い息子の方が
Aさんのお兄さんに似ているのかもしれません。
結局、息子は自分には分からないが、母親が来賓受付に居るから聞いてほしいと言い
Bさんもとりあえず席につかれました。
私も一応、肩書きは福祉委員会の役員ですが、書記なので主に後援班なんです。
名簿、レジメ、議事録、ポスター、プログラムといった全ての書類を1人で作っているので、
それ以外のことは民生委員さんを含めた他の役員さんたちが切り盛りされ、
私は高齢者の方と直に接することは実は少ないんです。
大きな行事や、何回か給食会のお手伝いに行くぐらいで、ひとりひとりの高齢者の方を
把握しているわけではなく、Bさんのこともそれまで存じ上げていませんでした。
Aさんとの出会いは、本当にたまたま通りかかったからという偶然の産物なのです。
まずは式典が終わり、余興が始まるまでの休憩時間にBさんが受付まで来られたのですが、
私はその時、裏方の仕事がいろいろあって席を外していました。
もう1度あった休憩のときもBさんは訪ねてくださいましたが、やはりその時も
私は別のところで仕事をしていました。
余興が終わり、しめの挨拶が終わらないうちに、片付けの際のお茶や軍手の用意をするために
会場である体育館を出ました。
床に敷いたシートや椅子を片付ける力仕事の前に着替えもしたかったのです。
214: 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 09:31:53 ID:YpvSnS3L0
入口を出て隣接の公民館に向かって走り出したとき、誰もいなかったはずの渡り廊下で
誰かに呼び止められました。
「すみません、ちょっと受付までお戻り下さい」
反射的に「はーい」と返事して振り返ると、ほんの一瞬、軍服のお兄さんが立っているのを
見た気がしました。
見間違えかもしれないと、自信が持てないぐらい一瞬です。
声も、もしかすると会場内の拍手の音に紛れた空耳かもしれません。
それでも、何となく戻ってみました。
続々と参加された高齢者の方が帰られる中を逆行して受付に行くと、
Bさんがおられたのです。
「やぁ、やっと会えました」と笑っておられる顔にこちらは見覚えありません。
そこで漸く息子に会われたときのことからお話を聞くことが出来ました。
私は慌ててAさんを探しました。
民生委員さんに聞くと、今しがた帰られたところだということだったので、
まだ追いつけるかも、と走りかけた時、出口に向かう群れから遡ってこられる
Aさんの姿が見えたのです。
「あなたに挨拶するのを忘れてたわ。そこまで行って帰ってきたのよ」と
のんびりおっしゃるAさんの手を引いて、待ってもらっていたBさんに引き合わせました。
215: 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 09:48:50 ID:jLqM/bzxO
その後、再び公民館に向かったので触りの部分しか聞けませんでしたが、
Bさんのおっしゃっていた○○というのはやはりAさんの旧姓でした。
Aさんのお兄さんとBさんは同じ隊に所属していた戦友だそうです。
年齢も同じで、親しくされていたということでした。
出撃の際、Bさんの飛行機が不具合で飛べず、そのまま出撃されたお兄さんたちは
全員戦死されたということでした。
お兄さんは終戦の年に19歳で亡くなられたそうです。
Bさんはずっと負い目を感じながら生きてこられたと、涙を拭いておられました。
お兄さんは、あの時代には珍しく手足が長いひょろっとした体型だったそうで、
今時の体型の息子が一瞬お兄さんに見えて本当に驚いたとおっしゃっていました。
それと、息子には額に薄い縫い傷があるのですが、お兄さんにも同じ場所に傷が
あったということで、生まれ変わりなのは私ではなく息子なのかもしれないと
2人で盛り上がっておられました。
もっとも、息子の傷は野球の試合中、サードでフライを追いかけていて相手のベンチに
突っ込んで出来たものです。
生まれつきの痣やホクロならもう少し信憑性があったかもしれないなあ・・・と
私は思ったのですが(笑)。
それにしても、何かが導いてくれたという思いはあります。
名札を忘れていなければ息子は来ていませんでした。
息子が来ていなければBさんは何も気づかないまま帰られていたでしょう。
渡り廊下で誰かが呼んでくれなければ、バタバタと忙しくしていた私がBさんと
お会いすることはありませんでした。
帰りかけていたAさんが戻ってこられたのも、もしかしたらお兄さんが引きとめて
くれたんじゃないかと、ちょっと思っています。
そのお話をする時間がなかったので、次にお会いできる時にゆっくり話したいと思っています。
216: 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 09:53:00 ID:jLqM/bzxO
連投規制に引っかかってしまいました。
携帯から書き込むのは初めてで息子に手伝ってもらったりで
手間がかかってごめんなさい。
あと、○/○と打つのも忘れています。
読みにくくて重ね重ねごめんなさい。
218: 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 10:01:55 ID:KNDH5kcM0
>>216
乙です
いやぁ、なかなか縁深い話ですね
無事に出会えて良かったです
219: 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 19:42:26 ID:di+u1mjJ0
>>216 乙です。私もあなたの話好きです。徳を感じます。ありがとう。
217: 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 09:58:39 ID:uTwlF7rs0
俺、あなたの話好きです。
これからも福祉のお仕事、頑張って下さい。
というか、宜しくお願いします。
237: 本当にあった怖い名無し 2009/10/04(日) 19:16:55 ID:U2rtC7w30
心霊つうかよくわかんない話。
現在子供が一歳半なんだがその子供を妊娠する前の話。
うちは不妊治療をしていたんだよね。でも結局先生から「手術しないとだめ」
とかネガティブなこといわれた。でも結局治療やめて頭にきたのでワインとか酒飲んだら
妊娠した、ってオチなんだけどw酒は治療中は絶対禁止だったから。まあ大好きな酒のんで
リラックスしたらよかったんだね、って医者に言われたwwなんつうゆるい医者だw
そんな妊娠する前。夫婦で近所のコインランドリーで洗濯してたのね。すげえ精神的に暗い感じでw
だいたい治療にお金かかるし、洗濯機とか買えないね。マイホームも無理だよ。とかぶつくさいいながら。
そしたらだんなさんの死んだおじさんの話になった。おじさん会社経営してバリバリやってたのに、
脳溢血で倒れて半身不随で10年近くも寝たきりで数年前に亡くなった。旦那がしんみりと「さぞかし悔しいだろうな」って。
実はだんなさんの実家に泊まったときにちょっと怖い経験があった。そのおじさんが生前に使ってた
部屋に二人で泊まったんだけど、そのおじさんは大学生のときに優秀で奨学金で海外に留学してるのね。
夜中の3時くらいに目覚めたら、そのときにとった学位の免状が壁に飾ってあったんだど、もうありえないくらい
に変な月明かりみたいのが煌々とその壁にある免状を照らしているの。その場所だけ。
そもそも月明かりが入るような窓ないんだけどw
238: 本当にあった怖い名無し 2009/10/04(日) 19:17:51 ID:U2rtC7w30
そんで私はもう「あわあああああ」ってあわくらってしまって、いそいで寝ぼけてた旦那さんを起こした。
「あそこだけえええなんでええええなんでえええ光ってんのおおおお」
うちの旦那は「あう?zzzz」とか全然相手にしてくんない。そしたら突然頭の中に
「こんなにがんばったけど無駄だった」ってメッセージのようなものが聞こえた。
おじさん若いころから一生懸命勉強に努力の毎日。部屋の中には自筆の自己啓発のノートとか目標とかたくさんあった。
志半ばで病に倒れたのが相当悔しかったんだろうね。
後から聞いたんだけど旦那の妹は霊感が強いんだけど、実際にそこの部屋に泊まったらおじさんの幽霊を見て
しかもおじさんは壁の免状を指していて実際に同じことを言われたらしい。
だからその話を夫婦でコインランドリーでしながら「おじさん悔しかったね」って。
そこまで話したら一瞬自分でも意識が上のほうに飛ぶような気分になった。自分であり自分でない感じ。
そして「そんなに悔しかったら赤ちゃんになってもどってくればいい。私が生んであげるから!!!」
って口走ってた。自分でも「怖い何でこんなこと言ってるの」と思ったがとめられない感じ。
そしたら目の前に止めてあったうちの車からいきなり「ドスン」って大きな音がして盗難防止装置が作動して
けたたましいクラクション「びーびーびーびー」と鳴り出した。
旦那が「なにこれ怖い」って小さな声でつぶやいて車にいってピピっと警報装置を止めた。
もちろん誰も車を触ってない。
まあうちら夫婦の間では、あれはおじさんが「おk!!じゃあ生まれ変わりに下界に降りる!!」
の挨拶だったと思ってる。
あれから無事出産して旦那の実家に赤ちゃんを見せにいくと「ああ、死んだおじさんにそっくりね!!!」と言われるw
おじさん、がんばって赤ちゃん育てるからね!相変わらず貧乏で洗濯機買えなくてコインランドリーなんだけど。
でもおじさんが生前に悔しくてできなかったこと、親としてなるべく応援していっぱいできるような環境を作る!!
だから天国から降りてきてありがとう。すごいテンション高くて全然寝なくていつも暴れてる子だけど
かーちゃんがんばるよw
242: 本当にあった怖い名無し 2009/10/04(日) 20:21:37 ID:hyfY+Ze1O
>>238
すまん感動して泣いた。
マジで。
良い話ありがとう。
頑張れ。
245: 本当にあった怖い名無し 2009/10/04(日) 20:48:36 ID:lmZNL7CX0
>>238夫婦が貧乏で金銭的にはあまり頼れなくても、自分のちからで道を切り開ける子になれるんじゃなかろうか。
人間が生まれた時あったらいいものにお金や美貌などがあるけど、自分は一番は生命力や強さだと思ってる。
きっとおじさんのようにかしこく強い人になるよ。子育てがんばってくらさい。
240: 本当にあった怖い名無し 2009/10/04(日) 19:37:50 ID:R6eP/Jyw0
いい話っぽく〆てるけど、これおじさんの怨念に乗っ取られちゃってるね。
243: 237&238 2009/10/04(日) 20:21:41 ID:U2rtC7w30
怨念なのかなwまあどっちでもいいや。
なんかもう子供を産むとか子育てとかは、親では、ましてや近代医学を持ってしても
誰にもコントロールできないことだって悟ったし。まあ高い授業料で勉強したよ。
もし怨念を晴らすために生まれてきたなら…まあ親として応援するしかないよ。
もちろんそれが社会に受け入れられる範囲のものでルールやモラルや善悪を教えた上でだけどさ。
自分のアジェンダや意志を達成するためにやってきたならそれもしょうがないかな、と。
252: 本当にあった怖い名無し 2009/10/05(月) 14:58:46 ID:03z2h0Xs0
>>243
>>244が言う所の前向きな執念に一票ノシ
生まれ変わって今度は別のことにチャレンジするのでしょう
何はともあれ、おじさまの分までどうか御家族皆さんお幸せに?w
257: 本当にあった怖い名無し 2009/10/06(火) 00:39:41 ID:tpzRQvvw0
世の中には、凄まじい力のお坊さんがいるんだなあと言う話。
大正時代にあるお坊さんが刑務所で、大勢の囚人を前にしてただ一言、
「みんな仏の子だ。あの世で逢おうよ」
とだけ言い、合掌し去って行った。
するとその場にいた全ての囚人が涙を流し、1時間も嗚咽して泣いていた
いたとの事。
その後、何人もの囚人が、そのお坊さんの背中から光が見えた(比喩ではなく
実感としてね)と証言している。不思議です。
259: 本当にあった怖い名無し 2009/10/06(火) 01:34:00 ID:+UZDZIcR0
ここでいいのか分かりませんが、少し。
私が体験した話です。
数年前に祖母が亡くなり、今年の一月に祖父が亡くなりました。
祖母は脳梗塞で倒れ、以来半身不随になり、亡くなる時は痴呆も入ってほとんど人の区別がつかなくなっていたそうです。
祖母が今わの際にある時の事でした。
私は九州に住んでおり、祖父と祖母は関西に住んでいるので、祖母が入院して危ない状態でも急には動けないところにいました。
ただ、祖母の命が長くないということだけ両親から知らされておりました。
当時私はまだ学生で、近しい人の死を経験したことがなく、祖母が今際の際であると聞かされても
よく理解が追いつきませんでした。
そんな時のある朝、目が覚めた時に祖母の声が耳元で聞こえ、漠然と祖母が死んだ事を知りました。
いや、その時はまだ死んではいなかったのでしょう。
けれども、耳元でハッキリと聞こえた「○○ちゃん、有難う。さよなら。」の言葉に知らず知らずのうちに涙が頬を伝っているのです。
その日の夕方、学校から帰った時に祖母が亡くなったことを伝えられました。
母はその時出張で東京に行っていたので、九州まで別れを告げに来た祖母は、母の代わりに私に伝えたのだと思います。
269: 本当にあった怖い名無し 2009/10/07(水) 20:40:59 ID:cJBwhGzw0
185 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2009/10/01(木) 21:48:42 ID:ejmPSiOV0
つい一週間前の話。
疲れてて早めに布団に入ると、急に金縛りにあった。
首は動くけど手足は動かない。
なんかいるのか?とgkbrしつつ部屋中を見渡すと、天井から手が生えてた。
こええええ!
叫びたかったけど声は出せない。その間も伸びてくる手。
そのうち長い髪まで生えてきて、霊の顔を見たくなくて目を瞑ったその時。
『ブチャラティいいいいいいい!』
隣の姉の部屋から叫び声が聞こえた。
姉は今更友人から借りてジョジョを読んでるオタク。
5部に入ってからはブチャラティと結婚したいとか言うほどののめりこみ様だった。
バタバタと音がしてガチャ!と部屋のドアが開く。案の定姉。
『ちょっと!ブチャが死ぬなんて聞いてない!』
金縛りにあっている俺のことなんてお構いなしに騒ぐ姉。
ギャーギャー姉が騒いでる間に霊はどっかにいっていた。
やっぱり姉は強い。俺はちょっと感謝した。
270: 本当にあった怖い名無し 2009/10/07(水) 22:55:37 ID:epX0w155O
>>269
姉ちゃん萌え!
271: 本当にあった怖い名無し 2009/10/08(木) 00:38:30 ID:w2fNiBAv0
私がまだ19歳だった頃。
毒親に育てられた私は寂しさと虚しさでいっぱいだった。
ある時、偶然今の旦那に出会った。
私は、生理不順が酷く病院では妊娠しずらい身体だと言われていた。
病院を変えても本格的に不妊治療をしないといけないと言われた。
でも、まだ私は結婚する訳ではないしどうでも良いと思っていた。
旦那は自由な人で私が知らない事を沢山教えてくれる人で
デートも勉強してる感じでとても楽しかった。
ある日、この人の子供を産めたらどんなに幸せだろうと考え始めた。
ドライブデートで遠出をする事が多く、通る道にはお地蔵様にお花を添えてあるのも見かけた。
私の親のような人が子供を放置してたのだろうかと、つい考えてしまっていた。
旦那が綺麗な桜が咲く公園の前に車を止め、少し歩こうと言うので公園の中に入っていった。
時間は深夜2時過ぎだったと思う。
ピンクの服をきた女の子がブランコで遊んでいた。
こんな時間に可哀想にと思い話しかけようとしたが、旦那が「誰もいないじゃないか」と言う。
でも、私には見えるし泣いてる女の子を見ると、まるで昔の自分を見ているようで
旦那の注意も聞かずに女の子に近づき話しかけた。
272: 本当にあった怖い名無し 2009/10/08(木) 01:06:08 ID:w2fNiBAv0
「どうしたのかな?誰かと喧嘩しちゃったかな?」
女の子は涙を流しながら私の顔色を伺うように
「お母さんが私の首をギュッて締めるから怖いから逃げてきたの
お願いだから、お母さんにココにいるって言わないで」
私は旦那の目も気にせず、女の子に自分の親の事を話した。
子供が出来にくい事や、こんなに可愛い女の子が産める貴女のお母さんが
羨ましく、妬ましい事も、次に生まれ変るなら勇ましい男に生まれたいとか。
女の子は「私と一緒だね」って涙をためて私に笑いかけた。
どうやら、女の子は私と一緒でお兄ちゃんは大事にされるけど
自分は大事にされず、男だったら…と思う事が多かったようだ。
私は、女の子にどの位ココにいるのか聞いてみた。
女の子は解らないと言う。
私は女の子に貴女は死んでいるんだといえなかったので
「私は子供が欲しい、男の子でも女の子でもどっちでもいい。
とにかく欲しい。良かったら私の子供になってくれないかな?」
女の子は私の顔をジーっとみて
「本当にいいの?私の事嫌いにならない?そばに居てくれる?」
昔の自分と重なってしまいブランコを持つ女の子の上から握って(手には触れなかった)
「貴女が望むならずっと一緒にいる。一緒に暖かいご飯食べよう。
料理得意じゃないけど頑張って練習するから。誕生日には美味しいケーキを食べよう!」
女の子は「さつま芋が大好きなの!いっぱいさつま芋のオヤツ作ってくれる?」
「もちろんだよ!焼き芋だってスイートポテトだってなんだって」
女の子は嬉しそうに私のお腹を見て「私ね、カッコイイ男の子になって守ってあげるから」
と、言い残し消えていった。
旦那は、女の子が最後に言い残した言葉だけ聞こえたらしい。
273: 本当にあった怖い名無し 2009/10/08(木) 01:14:21 ID:w2fNiBAv0
次の年、桜が咲き始めた頃、とても愛らしい男の子が産まれました。
とても甘えん坊で、女の子と間違えられては「僕は男の子なのに!!」と怒り
家の中では「僕ってママに似てるから間違っちゃってもしょうがないよね嬉しぃ?」
と、ニヤニヤしながら一緒に作ったスイートポテトを食べる息子を見て思い出した事でした。
もちろん、息子の大好物はさつま芋を使った料理やお菓子です。
275: 本当にあった怖い名無し 2009/10/08(木) 01:36:58 ID:jVGaeiyaO
>>273
なんて美しい話。
景色も浮かんでくるようだよ。
276: 本当にあった怖い名無し 2009/10/08(木) 06:55:32 ID:pq2qoiRa0
>>273
以前似たような話を見たこともあるけど、この話も良い話だ。
277: 本当にあった怖い名無し 2009/10/08(木) 08:49:42 ID:1F2hHuqn0
>>273
おい。
スレタイ読んでんのか?
ここは「ちょっといい話」だぞ。
すごく良い話だと思います。
これからも、どうぞお幸せに。
278: 本当にあった怖い名無し 2009/10/08(木) 15:04:18 ID:y5NAp6/90
おかんがようやく夢に出てきてくれた。
亡くなって十年。十歳になった娘の前には相変わらず出て来ていたらしいが
私の前にも相変わらず何も見せず感じさせず。
それでもあの時の夢に出てきたおかんと触れた手の感触はまだ覚えていて、
私には充分だった。
娘がインフルエンザに罹患したのが先週。
熱が高くて魘されて、不安がってるので娘の部屋で添い寝してた。
なかなか熱も下がらなくて、朝になったらもう一度診察行かなきゃかな、と
思いながらうとうとしてた。
温かいのにひんやり、としか言いようのない不思議な指の感触がした。額に。
食器を洗って手を拭いたあとみたいな感触。旦那かな、と思って薄目を開けたら、
おかんがいた。ベッドの傍に屈んで、娘と私の額に手を当ててた。
驚いて目を見開いたら、おかん笑ってた。声はしなかったけど、あのふわふわした笑い方だ。
私が小さい時に熱を出した時のように、「大丈夫だから寝なさい」って感じで
目を覆ってくれて、目を閉じたら頭を撫でられた感じがした。
猫が頬擦りするような毛の感触を顔に感じたから、ミルちゃんもいたのだと思う。
髭の感触もあった。
起きたら娘の熱は下がってて、「おばあちゃん来てくれたね」って笑って言う。
涙出そうになったけど、なんか恥ずかしくて「お彼岸に本気で作ったおはぎ上げたから
お礼しに来たんだよきっと」って誤魔化した。
見えないけど、やっぱりいてくれてるんだな。
生きてるうちもっと沢山沢山話せば良かったって、十年経ってもまだ思うよ。
あなたのような母親になりたいと、私はずっと思ってる。
280: 本当にあった怖い名無し 2009/10/09(金) 23:13:51 ID:uNuOwUG+O
>>278
読んで泣きそうになった。
その感触は宝ものだね。
287: 本当にあった怖い名無し 2009/10/10(土) 17:24:57 ID:Y7FapAlo0
>>280
ありがとう。278です。
すごく前にここに書いたことがあるんだけど、
その時以来だったんだ、母が夢に出てくるの。
あの感触は本当に宝物だよ。聞いてくれてありがとう。
288: 本当にあった怖い名無し 2009/10/11(日) 02:03:31 ID:Da5psJcHO
>>287
見守ってくれてるんだね。
貴女の文章が、なんともいえないふんわり感が漂ってた。
昔、母に髪を撫でられながらうとうとする至福感や背中をゆっくりトン、トン…と軽くリズムを打たれてうとうとする、あの絶大な安心感
などを思い出したら胸がキューッとして、懐かしさにホント泣きそうになった。
私もあの記憶は宝ものですね。
281: 本当にあった怖い名無し 2009/10/10(土) 01:20:24 ID:gaPg85um0
凄く悲しんでる間は霊と交流しにくいとか聞くよね。
10年とか経ってから、徐々に守って貰ってるの実感したり。
実際は感じなくても見えなくてもすぐ傍で見守っててくれてるのかもね。
名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2009/10/09(金) 19:06:34 ID:wa7ZDHot0
遺品で思い出した あんまり怖くないけど
父が亡くなってお棺に遺品を兄、義姉と一緒に詰めていた時
なにか一つずつ形見として持っておくかとなり
兄は眼鏡を、私は生前私があげた時計をもらう事にした
葬式も終り家に帰った後、ふとバッグの中をみると
見慣れぬ青い物がある
手にとるとそれは父の運転免許証だった
兄は昔からすごい悪戯好きだったので、また「霊の仕業じゃ??」と
私を怖がらそうとやったなと思い、笑いながら兄に電話をし
「いい年してくだらんことすんなw 免許証入れたやろ?w」
「ん?わししらんよ?(電話の向こうでなにかしゃべってる)」
義姉「もしもし?免許証は私がお棺に入れたよ、青いやつやろ?」
父とは折り合いが悪かったので、高校卒業して家を飛び出しそのまま10年会ってなかった
末期の癌と連絡をうけ亡くなる1ヶ月前に見舞いに行ったのが最後だった
義姉曰く、いつも私の心配をしていたので免許証は一緒にいたいという思いじゃないかなと
今でも父の命日近くになると、スーと線香の香りがするので
会いにきたんだなとわかります
怖くなくてすみません
311: 本当にあった怖い名無し 2009/10/21(水) 21:20:53 ID:vLoUjGyN0
名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 08:53:19 ID:sUNdv6Fy0
このスレを初めて知ったので徹夜明けに記念カキコ
その当時は携帯とポケベルが混同していて私はお金が無かったのでベルを持っていました。
当時私は高校生で飲食店でバイトをしていた時、店の窓から車の出入りが見えるのだが歩道に黒いものを見つけた
夕食ラッシュが過ぎて駐車場のゴミ拾いをしたついでに歩道を見にいくと黒いものは猫の遺体でしたorz
可哀想にその黒猫は出入りする客の車に何度も轢かれたのか煎餅のようにペッチャンコ。
店長に事情を話し、いらないダスター何枚かと段ボールを貰って回収しに行くが歩道に張り付いて中々取れない。
水を使いながらそっとはがしバイトが終わるまでは店外に置かせてもらってバイトが終わってから埋めに行くことにした。
私は家が少し遠かったので電車でその猫が入った箱を持って帰る事も出来ず、バイト先から家が近いバイト仲間に相談して近くの使われていない畑に埋めに行くことになりました
無事埋葬して手向ける花が無いのを謝りながら合掌し、案内してくれたバイト仲間にお礼を言い帰宅
翌朝ベルの通知ランプが光っていたので確認すると

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