世界史ちょっといい話back

世界史ちょっといい話


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4:
エリザベス二世がイギリスの田舎を見てまわったときのこと。
そのルートにある家で息子が母親にこう釘をさした。
「母さんは紅茶をあふれるほど注いで、ソーサーにこぼれたのをすするだろ。
あんな行儀悪いことは女王陛下の前で絶対にしちゃいけないよ」
母親はうなずいた。
後日、はたしてこの家に女王陛下がたちよったのである。
がちがちに緊張した母親は、息子の助言など忘れていつも通りのくせで紅茶を飲んだ。
そして女王陛下が帰ったあとで、母親は息子に自慢げにこう話した。
「おまえは行儀悪いなんて言ったけど、陛下だってソーサーにあふれた紅茶を
すすっていたわよ!」と。
女王陛下は内心もちろんこの飲み方に驚いていた。
しかし、自分が普通の飲み方をすれば相手は粗相をしたとあわてて、
恥ずかしがってしまうにちがいない。
そこで女王陛下は、とっさに相手をまねてソーサーから紅茶をすすったのだ。
君主たるもの、どんな相手でも気遣うというおはなし。
似た話で「フィンガーボウルから水を飲む陛下」というものもある。
11:
光武帝が夜遅く帰った時、門が閉まっていて入れてもらえないということがあ
った。身分を門番に伝えても規則ということで開けてもらえず、しかたがない
ので朝帰りをした光武帝は、自分を入れなかった門番に褒美を与えた。
東ローマのレオン6世がお忍びで夜の町を歩いていたところ、兵士に不審がら
れたので、金貨を渡したところ見逃してもらえた。
更に別の兵士と出会った際も、金貨を出すことで見逃してもらえた。
こういうことを何度か繰り返していたが、最後に会った兵士は金貨を出すと逆
に怒り出し、皇帝を鞭打って牢に入れた。
翌日、牢から出られた皇帝は金貨を受け取った兵士たちに罰を、自分を牢へ入
れた兵士に褒美を与えたという。
春日局が門限を破って大奥に戻ろうとしたところ、門番に遮られて帰ることが
出来なくなったので、冬の寒い夜を外で過ごす羽目に陥った。
翌朝、門番は信用出来る男という理由で誉められ、褒美を貰った。
ナポレオンの陣中において、不審な男を兵士が誰何したところ、要領を得ない
ので引っ立てられた。男はナポレオンであり、兵士を賞賛して警備を任せた。
12:
関東大震災の後、東郷平八郎邸はかろうじて焼け残ったので、若手将校が見舞い
に訪れたところ、それらしい屋敷の前で野良着をつけて後片付けをしている老翁
がいたので、「爺さん、東郷閣下のお屋敷はここか」と問うた。
すると老翁「そうだ」と言ったきり、振り向きもせず作業を続ける。
将校相手に態度がでかいのに怒って近づいてみると、老翁は東郷本人だった。
25:
インドの騎兵三十人が、中央アジアのタタールの村を襲撃し、女も物も略奪 して回ったことがあった。
ところが、皆逃げ惑っている中で
一人だけ冷静な老婆がいて
「お前さんたち、悪いこと言わないから早くお帰りなさい。
もうすぐ娘が帰って来るが、そうしたらお前さんたち、おしまいだよ」
と言う。
だが、誰も本気にすることは無く、遂には老女自身も縛り上げ、馬の背 に乗せて連れ去った。
ところが、半里も行かない内に、後方を見ていた老女が喜びの声をあげた。
すさまじいばかりの砂煙と馬蹄の響きで、娘の帰還を悟ったのである。
娘はまず、遠くから奪ったものを置いて立ち去れば、命は助けようと言った。
そして、誰も本気にはしないと見るや、瞬時に三つ四つと矢を放ち、敵の騎兵を射落としてしまった。
インド人たちも矢を放つが、射程距離が違い過ぎて勝負にならない。
あっという間に半数が射殺され、残りも抜刀して突進して来た娘の手にかかり、全滅させられてしまったのであった。
27:
>>25
2004年の私の書き込みじゃありませんか。懐かしい。
28:
>>27
うん、ムガル帝国誌から文字起こそうと思ったけどちょうど該当の部分がネットにあったんでちょっと改変して貼った
ムガル帝国誌も一応読んでますよ
サティの時に裏切った浮気相手を道連れにした話とか悪い話ばっかりあるよねあれ
26:
すげえw
39:
昔山野氏がアッバース大帝と泥棒の小話を書いていた気がする。
記憶違いかもしれないが、もし山野氏で、思い出したら書いて欲しい。
なんとなくいい話げだった気がする。
40:
すいません。↓でした。山野氏は前後に登場していましたが↓を書いたのは別の人物でした。
夜中にアッバース大帝がお忍びで街を歩いていたら
変な男たちの三人連れに出会って意気投合。
彼らは実は盗賊団で、これから王の宝物庫を荒らしにいくという。
面白くなったアッバース大帝も着いていって、道々お互い自己紹介をする。
盗賊1「自分は動物の言葉が分かる」
盗賊2「自分はどんな鍵でも開けられる」
盗賊3「自分は一度見た顔は決して忘れない」
大帝「自分は実は絶大な権力を持っていて、
 髯をちょっと捻るだけでどんな大罪人でも許すことができる」
途中で犬が吼えたのを聞いて盗賊1がいわく
「犬が言っている。『大金持ちはお前たちの中にいるのに、今宵お前たちは何処に行くのか』」
やがて庫に着くと盗賊2が鍵をこじ開けて四人で荒らしまわる。
翌朝大帝は王宮で兵士を呼びつけて昨夜の盗賊たちの人相を詳細に語って
「ひっ捕らえてまいれ!」と命令。
そこで三人の盗賊が捕まえられてきて、盗賊たちは顔を上げられずにがたがた震えている。
ところがそこで盗賊3がふと大帝の顔を見上げて驚いていわく
「俺たちは三人とも特技を披露した。今度はあんたが髯を捻ってくれ」
これには大帝も苦笑して彼らを許すしかなかったという話。
41:
アラビアンナイトやなw
52:
コルベ神父の話はあまりに凄惨だし劇的に過ぎるよなあ。
これ有名な「ちょっと」どころじゃない話だけど
パリ・コミューン崩壊の時、ヴェルサイユ政府軍に捕らえられた
コミューンの少年兵がいた。
即時銃殺になろうとして
少年兵曰く、
「お願いだから少し待って!近くの家に母さんがいるんだ。
最後のお別れをしたいんだ!必ず戻ってくる。行かせてくれ!」
政府軍の将校は「嘘を付いてそのまま逃げる気だな」と思いつつ
憐れに思って「一時釈放」してやった。
しばらくして、なんと少年兵は戻ってきた。
「さあ戻ってきたよ!撃てよ!」
ユゴーが伝えている話。
53:
>>52
実利よりも誇りに生きるのはかっこいいがそれで死ぬには少々若すぎるな
この後どうなったんだろう?
54:
赤眉の乱の時も、賊に「老母の所へ食料を届けてからにしてくれ」と言って一旦
解放された息子が戻ってきたので、殺されずに済んだという話がありましたね。
(桑の実の話とは別)
以下、『大智度論』ほかにある説話ですが。
昔、実語(嘘をつかないこと)を心がけている須陀須摩という王がいた。
ある時この王が園に出ていると、空から翼を持つ鹿足という王が現れ、須陀
須摩王をさらっていってしまう。
鹿足王は、百人人の王の頭を神に奉げようとしていたのであるが、須陀須摩王が
「私は昔から嘘を言った事が御座いませんが、園に出る前に出会った婆羅門に
『帰ったら供養しよう』と言ってそのままになっておりますので、これを遂げさ
せて頂きたい」と訴えたところ、七日の猶予と共に返された。
無事供養を遂げた主に対し、周囲は「守りを固めてさらわれるように致しましょう」
と勧めたが、嘘をつきたくない須陀須摩王は鹿足王を待って身を委ねる。
鹿足王は感心し、更に教えを説かれたこともあって、改心したのであった。
類話は、実話から願望まで各所にありそうです。
55:
×百人人の
○百人の(『仁王般若経』では千人)
○さらわれるように
×さらわれぬように
失敬。
57:
>少年兵
ユゴーは、「そのまま銃殺された」と伝えていたと思う。
そのことに激しく憤ったからこの出来事の詩を書いたはず。
うろ覚えですみません。
でも実際には助命されたという説もあるらしい。
68:
アレクサンダー大王が海賊に、
「海を荒らすのはどういうつもりか」
と問うた
海賊はすこしも臆するところなく、
「陛下が全世界を荒らすのと同じです。
ただ、私は小さい船でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」
と答えたという
69:
マウリヤ朝を打ち立てたチャンドラグプタは暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
ソヴィエト連邦の指導者ヨシフ・スターリンは暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
常陸の戦国大名佐竹義重は暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
時代や土地が変わっても専制君主の考える事は同じか…
72:
>>69
どれも基本的に残虐な人物だし当然といえば当然かな…
佐竹義重で思い出したので一つ話でも
ムハンマド・アリーはオスマン帝国からナポレオン率いるフランス軍が去った後のエジプトに太守として追認された
しかし在地土豪のマムルーク達は半独立的でアリーの統治基盤は脆弱であった
イギリス軍がエジプトに上陸してきた時、アリーはこれを打ち破ったものの
イギリス側に付いたマムルークも少なくなかった
ある日、アリーは宴と称して400あまりの有力なマムルーク達をカイロ、シタデル城に招待した
しかしこれはアリーが仕掛けた罠であった
アリーは城に集まったマムルーク達を一網打尽、皆殺しにした
地方のマムルーク達も翌年息子に軍勢を率いさせ攻め滅ぼし一掃
アリーはエジプトにおける支配権を確立しエジプトは近代化への道を歩むことになるのである
以上、シタデルの惨劇でした
74:
ナポレオンが士官学校にいたころ、果物が好きで
果物売りの娘からツケで買っていた。
やがて学校を卒業し、ツケを未払いのまま軍人になった。
それから数々の武勲をあげ、将軍となり、第一統領となり、
いろいろあって最終的に皇帝になった。
そしてやがて、士官学校のあった町に行き、いつぞやの
果物売りの女を探し出し、ツケを払った。
利子として多額の金貨も一緒に。
それから、この町に来る度に自分が泊まる為に、と言って、
女の家も建て替えてあげた。
いろんな意味でいい話だと思う。
76:
>>74
>士官学校時代に小娘で皇帝になった時に再開って事はどう考えても三十路過ぎてね?
その士官学校はブリエンヌにあると書いてあるので、実は士官学校ではなくて
陸軍幼年学校のことと思われ。すると卒業年から換算して再会までに20年くらい
経っていたと思う。てことは女は30代中ごろか後半くらいか?
再会時、女にはすでに子供もいたそうで、ナポレオンがその子供の学費を出してやって
ナポレオンと同じ士官学校に行ったそうだ。旦那の話はでてこなかったので
未亡人だと推測。
81:
うろ覚えですが、こんな話がありました。
1790年代、フランス革命干渉戦争で、ライン川を挟んで睨みあう
フランス軍見張り兵とドイツ軍見張り兵。
見張りに退屈したフランス兵が「やーい、ばーかばーか」と叫ぶと
まじめなドイツ兵が「おーい、今何時か?」と聞かれたと勘違いして
「3時半だよ」と叫び返してあげた。
国民性というか、ちょっといい人の話。
82:
にらみ合う兵士の交流と言えば、1914年、第一次大戦の最初の年のクリスマスに
西部戦線のイープルでにらみ合っていた英独両軍の兵士が、クリスマス休戦で、
たばことかウイスキーとかソーセージとか交換したりして交流したそうな
残念ながら翌年以降はクリスマス休戦はなくなるが
86:
>>82
まだ敵に対する敬意というものが残ってた時代だったんだな…
108:
北宋の初め、当時世間に怪しげな讖緯書(予言の書)が流行しており、取り
締まってもききめがなかったので、趙匡胤は敢えて逆のことをした。
偽者の讖緯書を大量に書かせ、世の中にばらまかせたのである。
その結果、どれが「本物」か分からなくなり、世間が飽きて流行は収束した。
江戸時代後期、四国の小藩で博打が流行しており、禁令も効果がなかった。
そこで藩の重臣がある法令を出した。
「今後、博打で負けた者は勝った者を訴えれば全額取り戻せることとする。」
こうして、藩内では博打は流行らなくなった。
道徳心自体を涵養したものでないという点を、明治の法学者に批判されてい
るお話ですが。
>>82
狙撃兵が真っ先に日常に戻り、他の兵士も段々普段通りに撃ちはじめ、とい
うのが残念なことです。
91:
女王エカテリーナがある宴会でおならをした。
若い陸軍士官がとっさに「失礼しました」と罪をかぶった。
その後彼は異例の昇進をした。
ある国際会議で、日本代表がおならをした。
とっさに椅子の肘掛をこすって類似の音をだし、ごまかそうとした。
なんどかこすっていると、となりのインド代表がつっこんでくれた。
「最初の音がいちばん良く似ていましたな」
94:
日本の森有礼と清の李鴻章が会談したときの会話
李鴻章
「祖国の衣服を捨て西洋の衣服に身を纏うなど恥ずかしくないのか?」
森有礼
「400年前に辮髪で胡服を着た漢人がいたのか?」
李鴻章は慌てて話題を変えた
99:
日本の、それも戦後の話だけど
とある殺人犯の死刑囚がいた。
獄中で見事なまでに模範的な態度を見せたが
なぜか被害者の遺族への謝罪をしようとしない。
死刑執行が言いわたされた日。彼は拘置所長に遺族への謝罪を切々と綴った手紙を手渡した。
所長達は驚くとともに「なぜ今まで一度も謝罪しなかったのか」と訊いた。
すると彼は言った。
「自分は心から悔い改めたつもりでしたが
どうしても生への未練がありました。
そんな自分が謝罪の手紙を出すと、『もしかしたら遺族の人たちが
これで同情してくれて減刑に同意してくれるかもしれない』と期待するかもしれませんでした。
それは真の悔い改めではありません。だから執行が決まった今日に
手紙をお渡しすることに決めたのです」と。
この死刑囚の名前も事件名も思い出せないんだけど
強烈に印象に残った。
120:
ムガル帝国五代皇帝、シャー・ジャハーンの治世の時の話。
皇帝、シャー・ジャハーンは悩んでいた。
ペルシャから訪れた大使がインド式のお辞儀をしないのである。
いくら親切にもてなしてもその大使は皇帝を侮っているのか
高飛車な態度を貫き続け決してインド式のお辞儀をすることは無かった。
そこで皇帝は一計を案じた。
謁見の場で大使に会う予定だが入口の大門を閉じて、くぐり戸だけ開けておくように命じる。
このくぐり戸と言うのが、体を大きく曲げ、ちょうどインド式のお辞儀をするときのように
頭を地面のほうに下げ、大層苦労してやっと人一人が通れるようなものだった。
皇帝としては
「大使はインド式のサラームよりもっと卑屈な姿勢をさせられた」
と、言う事にしたかったのである。
が、大使はこの計略を見破った。
大使はくぐり戸を頭から入らず後ろ向きに入ったのである。
皇帝は裏をかかれた事に腹を立て大使に向かって
「このろくでなしめ!そんな恰好をしてロバ小屋にでも入る気か!」
と怒鳴った。
すると大使は平然として
「こんな狭い入口をみてロバ小屋と思わぬものがありましょうか」
と答えたという。
121:
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 2
シャー・ジャハーンがある日、大使に向かい
自分が造営させている新しい都市であるデリーは
イスバハーン(ペルシャの首都)に比べてどう思うかと尋ねると大使は声高に誓ってこう言った。
「神にかけてイスバハーンはあなたのデリーの土埃には及びません。」
シャージャハーンはこの言葉をデリーに対する賛辞と受け取った。
が、大使はデリーの土埃が酷いのでからかってやったのだと語ったという。
122:
アメリカンフットボールの黎明期のこと
激しいスポーツなので、選手が死亡する事故があって、アメリカのマスコミや世論は、「あんな危険な競技は禁止すべきだ!」
という論調で沸騰した
が、その死亡した選手の遺族が、「故人はアメリカンフットボールが大好きでした。どうか、故人が愛したスポーツをなくさないで
ください」と嘆願する手紙を当時の大統領セオドア・ルーズベルトに出した
ルーズベルトは、アメリカンフットボールを存続させ、その代わりに、二度とそのような事故がないよう、防具をつけるように
指示した
アメリカンフットボールの選手がプロテクターを身に着けるのは、それ以後のことである
セオドア・ルーズベルトという大統領は私個人としてはあまり好きではないが、このエピソードは好きだな
131:
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 3
シャージャハーンが大使に
「歴代のペルシャ王に比べてインドの王たちの権勢をどう思うか言え。」
と迫ったところ。
大使が答えるには
「インドの王様がたと言えば十五、六の大きな月で、ペルシャの王たちと言えば二、三の小さな月と申しましょうか。
これほどよい比較の対象はありません。」
シャージャハーンはこの答えを聴いて、たちまち良い気分になったが
すぐその後で、この比喩は自分にとっててあまり有利なものではなく
大使が言いたかったのはインドの王はだんだん小さくなり
ペルシャの王は三日月のようにだんだん大きくなるということに気が付いた。
132:
>>131
なにやらペルシャの大使が一休さんめいてきたなw 大好きだ!
134:
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 4
ある時シャー・ジャハーンは大使の返事がぞんざいで傲慢だったのでけしからぬと思いこう言わずにはいられなかった。
「このろくでなしめ、お前のような気違いを送ってよこすとは
シャー・アッバース(サファヴィー朝の第5代皇帝)の宮廷にはまともな人間がいないと言うことか。」
すると大使は
「いえ、とんでもない。宮廷には私よりはるかにまともな人間が、しかも大勢おります。
が、陛下にふさわしい大使を、と言う事でございましょうな。」
と答えたという。
135:
大使こんなことしてて酷い目に合わなかったのかな?まぁ、大丈夫か?面白いし
151:
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 5
シャージャハーンはついにキレた。
皇帝は不遜で何度も煮え湯を飲まされたペルシャの大使に敬意を払う事は無くなり
隣接する大国の使者だというのに大使を気違いとしか呼ばなくなった。
ある日、皇帝は密かに命を下した。
口先では適わないとからと実力行使に出て屈服させようとしたのか
…それとも事故に見せかけた暗殺を狙ったのか。
大使が城の会議室に続く狭い通路を通る際に強情で機嫌の悪い象を一頭放つ事を命じたのである。
後日、大使が駕篭に乗ってその通路を通る時が来た。
手筈通り暴れ象が放たれる。
が、大使は間一髪のところで駕篭から飛び降り難を逃れ
手練れの部下に象の鼻を射かけさせ追い返す事に成功したという。
>>135
御明察
165:
ガトリングガンを開発したガトリングはこの発明で兵士の死傷者が減ると考えていた
百人分の働きをする武器があれば戦争に投入される兵士が少なくて済む
投入される兵士が減れば死傷者も減るという理屈だった
ガトリングガンを過去の物にしたコルト・ブローニングM1895重機関銃を開発したブローニングは
この発明で戦争がなくなると考えていた
強力な兵器が存在すれば戦争は起きないという理屈だった
192:
>>165
第一次大戦中にドイツ側の毒ガス研究者も似たような事言ってたな
188:
南北戦争時のアメリカ
初期の北軍の将軍ジョージ・マクレラン慎重な人物であり戦に際しては入念な準備を欠かさなかった
これが功を奏したのか南軍の名将と名高いロバート・E・リーをも打ち破っている
マクレランは名将と持て囃された
が、あまりにも慎重過ぎるので政治的な理由で戦闘での勝利が手早く欲しかったリンカーンを苛立たせ
民衆からも「のろまのジョージ」と渾名され求心力を失いついにはリンカーンから解任を言い渡されてしまった
多大な犠牲を出して南北戦争は収束
ある新聞記者がリーの下を訪ね
「北軍で最高の指揮官は?」
と聞いた
するとリーは
「マクレランだ。文句無しに」
と即答したという
215:
ロシア皇帝アレクサンドル2世の戴冠式の時。
先帝以前から仕えていた老将軍がレガリアの宝珠を捧げ持つ役だったが
緊張と人いきれで一瞬気が遠くなり宝珠を床に落としてしまった。
大聖堂中にごろごろと宝珠が転げ落ちる金属音が響き渡り
皆なんとも言えぬ気まずい雰囲気に。
すると、新帝は大音声で叫んだ。
「今倒れたことが大事なのではない。
彼が戦場で雄々しく立ち続けたことが大事なのだ!」と。
235:
ゼロ戦のプロペラは実はアメリカの企業が特許を持っていた
そこで日本の航空機製造企業はその企業の特許料を支払って製造を行っていた。
その後の第二次大戦が始まって、その特許料の支払いが行えなくなり、支払いが中断した、
その後終戦、アメリカの企業はもう特許料の支払いは日本には無理だろうと考えて諦めていた
しかし戦後1年位たってから日本の企業から手紙が来て、
そこに書いてあったのは戦争中に生産した
そのプロペラを使って製造した航空機の数で
その数は優に1万機を超えていた、そして手紙にはこう書いてあった
これだけ生産したので特許料を請求してくださいと、
アメリカの企業は請求書を送った、そこに書いてあった
請求額はたったの1ドルだった
251:
ニハーヴァンドの戦いでペルシャを破ったイスラム帝国、この快勝をカリフに伝える為に出された伝令はカリフの居る町に急いだ
やっとの思いで町に着いた伝令だがそんな姿を見たみすぼらしい老人が何事かと伝令に声をかけた
老人
「それ程急いで何かあったのですか?」
伝令
「急ぎカリフに伝えねばならん事なのだ!そこをどけ!」
老人を振り切り先を急ごうとする伝令だが老人はしつこくついて来ては伝令に何があったのか尋ねてくる
伝令はもはや老人と問答するつもりはなかったので無視し
併走しながらカリフの宮殿に到着、伝令は門番に対してこう言った
伝令
「カリフに急ぎ伝えたい事があり馳せ参った!カリフはいずこに御座す!」
門番
「カリフならあなたの隣におられるではないか」
そう、伝令にしつこくつきまとっていたみすぼらしい老人こそ、二代目カリフのウマル・イブン・アル=ハッターブその人であった
252:
>>251
いや名乗れよじいさんw
254:
古代ローマも現代と同じで政治家が民衆の人気取りにばらまき政策を行っていた
カエサルも同じようにばら撒き政策で絶大な人気を獲得した
だがそのばら撒きに使った金はカエサル自身の金であり莫大な借金をしてまで民衆に金をばら撒いていた
256:
しかも民衆派の政治家として人気があったカエサルへの、実質的な賄賂だわなw
257:
でもそれが巧いやり方なら現代の政治家も同じことするよね
民衆派の政治家が現代にいないだけかもしれないけど
戦利品とかなんだかんだで借金はけっこう返したしカエサルのはまさしく「ちょっと」いい話だと思う
258:
一時期困窮していたユリウス・アッティクスであったが偶然にも最後の家産
であった古家の床下から莫大な財宝が発見された。
その財宝は法に照らせば皇帝の物だったようだが、アッティクスは密告を用心して
包み隠さず報告した。
しかしネルウァ帝はアッティクスに「遠慮せずにこの賜物を使え」と言った。
それでもアッティクスは「一臣下には不相応に莫大ですから利用法が思い付きません」
と辞すので、ネルウァ帝は「ならば乱費するがいい。汝のものだからな」と言った。
265:
ニザーム藩王国のある藩王はハイデラバーディー・ビリヤーニー(インドで著名なハイデラバードの郷土料理、スパイスの掛った炊き込みご飯)が
大好物であったが不摂生だったのか糖尿病を患ってしまった
当然医者から食事制限の指導を受けるが
どうしてもこの好物を食べたい藩王は医者に詰め寄りスプーン二杯だけと言う条件で好物を食べることを許可された
するとこの藩王はスプーン二杯という決まりは守ったが王者とは思えぬようなことを始めた
大皿に乗ったビリヤーニーを藩王が必死になって小さなスプーンに移して山盛りにし限界ギリギリまで盛ったら
作法も薙ぎ捨てて一心不乱に食したのだという
健康に悪いと分かっていても王ですらやめられない美味、ハイデラバーディー・ビリヤーニーの話
269:
>>265
食は貴紳も狂わせますね。
藤原朝成(百人一首に歌有り)が、太り過ぎで「夏は水漬け、冬は湯漬けでお食事を」と
言われてその通りにしたものの、山ほど食べて意味無しという逸話よりはましですが。
明恵は味噌粥を食べたら美味過ぎたので「これはいかん」とわざわざホコリを入れて食べ
たという逸話があるくらい、食の魅力は恐るべきもの。
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