【謎】不思議やオカルト話を披露するスレ『無痛人間ミリン・ダヨ』back

【謎】不思議やオカルト話を披露するスレ『無痛人間ミリン・ダヨ』


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1:
国内外問わず収集するスレ。
俺のチラ裏でもある。日記みたいなものです。
今年中に1000レス行くか。
116:
百匹目の猿
よくエレベータに閉じ込められる夢を見る
その内容を母に話したら、母は実際エレベータに
閉じ込められたという
以前川に落ちる夢を見る人が
その話をしたら父親も同じ体験をしてた
というのをどこかで見て恐怖は遺伝するのでは
と言ってて、まさかと思ってたが
117:
動物は、思考が遺伝するって聞くな。
芋を海岸で洗う猿が居るんだが、遠く離れた地域でも猿が芋を洗い出したらしい。
車に轢かれかけた経験を持つ犬や猫の仔は、
未経験の仔らよりも車への警戒心が強く、避けるのも上手いとか。
マウスの実験も、迷路のゴールに餌を置いて放す事を何度か繰り返すと、
迷路初体験のマウスも迷わずたどり着くようになるとか。
118:
猿の芋洗い伝搬に関するいわゆる「百匹目の猿」現象はかなり怪しい
主張した人の理屈だと、新たな文化が発生した場合、それが
一定数以上の個体に広まると、距離を飛躍して他集団に伝わるってことになっている
でも、それを裏打ちするデータを流用された別の学者の証言と解説を
付きあわせてみると、かなり恣意的な資料の選択と解釈がなされて
いることが丸わかりで、一般にはトンデモ説の域を出ないとされている
これに関しては、ちょっと面白い話がある
「百匹目の猿」現象を最初に主張した人は、自分は昔からあった学者間の
都市伝説を立証したかった的なことを言っていたけど、実はそんな噂も
無かったことがほぼ確認されている
つまり、研究の動機からしてからでっち上げだったわけだ
でも、これとは別の理論で遠隔地の集団にある文化が伝わることをきちんと
立証した例は猿以外にはいくつかあって、その中にはこの「百匹目の猿」
現象の存在を挙げて、研究の動機としているものがあるという
つまりこの人、でまかせで言い出した都市伝説に自分自身がなってしまったのだった
http://ja.wikipedia.org/wiki/百匹目の猿現象
http://ja.wikipedia.org/wiki/結晶化に纏わる都市伝説
119:
>>118 そんな逸話があるのか。面白いな。
猿が芋を洗うのは、泥を落とす為と塩味を付ける為らしいが、
人間や牛やヤギ以外に塩味を好むのは不思議な気がする。
苦味を好むのは人間だけらしいけど。
255:
カンチョーポーズで持ち上げる
子供の頃にやった遊び
必要なのは椅子と5人で1人は椅子にすわってもらいます
残り4人は手を「カンチョー!」ポーズにしてその手を座ってる人の
両脇・ひざの裏に一人ずつ入れていって座る人を持ちあげます
が!重くて持ちあがりません 当然ですね
そこで座る人の頭の上に1人ずつ手のひらを下にしてかざしていきます
Aさんが右手をかざしたら次はBさんがその上に同じく右手をかざす
こんな感じで4人の手をお互いが触れないように順番にかざしていき
そのまま10秒位キープしてその直後またはじめと同じ様にカンチョー
ポーズの手で持ち上げると今度はスッと持ち上げる事ができるのです
と、いうのが流行した。なんで重さが一瞬だけ消えるのか分からないけど
「オーラパワーだーww」と当時みんなで大喜びしたな?
256:
その遊びは小学校の一年のときにクラスではやった。
なぜ重さを感じないのか大人になった今でも不思議。
257:
大学生の時それやった!重ねた手のひらに風を感じたら準備完了ってルールだった。
サークルの夏合宿の宿舎で夜暇だったんで最初は女の子とか上げてたけど
あんまりスイスイ上がるもんだからだんだんエスカレートしていった。
最終的には100Kgクラスの彰さんがスーッと上がった時はみんなびびって一斉に手を抜いた。
彰さんは床に落ちた。どう考えても25kgの手ごたえはなかったんだ。
258:
100キロクラスの彰さんがカワイソス
262:
昔テレビでその理由を解明していたね
一回目は対象物の重さが分からないから力加減が分からなくて持ち上げられないけど
二回目は重さが分かってるから適正な力が出せて持ち上げられるって説明だった
それだけであっさり持ち上がるのかなあとは思うけど、
必要な力が出るように無意識に姿勢や力の入れ具合を調整してるのかな
集団で狂う現象って何かある?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4136680.html
270:
隠れキリシタンの里
岩手・宮城にまたがる大籠地区は日本有数の隠れキリシタンの里である
大籠地区には、かつて砂鉄を原料としたタタラ製鉄で炯屋(どうや)が数多くあった
永禄元年(1558年)、技術者として千松兄弟を吉備の国から呼び寄せたが、
実はこの千松兄弟がキリシタンであったのだという
これ以後、さらに炯屋が増えるとともに、人々の間に着々とキリスト教が広まっていった
しかしその後、徳川幕府がキリスト教の禁教を命じた結果、
この地で実に300余人が殉教したという
当時日本屈指の大大名であった伊達藩領内だからなのか、
弾圧は徹底的であり、また凄惨なものであった
この地が、島原・天草に代表される他の隠れキリシタンの里と違うのは
その処刑場跡の多いことである
この地区の中だけで刑場跡は十数箇所もあり、
そのいずれにも供養のために地蔵が建てられている
不思議なことに、処刑場の地蔵の首は何度付け替えても繰り返し落ちるのだそうである
ついには諦めて首がなくなったまま放置された地蔵も多いが、
そんな場所がのどかな農道の傍らに
ゴロゴロある光景は筆舌に尽くしがたく異様で不気味である
また、この刑場跡は、やはりというかかつては亡霊に悩まされ、
夜な夜な男女の悲鳴が聞こえてきて一睡もできぬ有様だったという
俺もここに一度行ったが、あの時が止まったような、
異界としか表現できない雰囲気は体験してみなければわからぬ
異世界度は個人的には同じ岩手県内にあるかの慰霊の森すら遥かに凌ぐ。
知る人ぞ知る隠れ里である
281:
黒の書
無名祭祀書=黒の書
著者であるフォン・ユンツトが世界中を回って見聞した、クトゥルフ、
ヨグ=ソトース、ツァトゥグァ、ガタノトーア、シュブ=ニグラス、イグといった
恐るべき神々にまつわる古代信仰、秘密の宗派、さまざまな伝承、
忘れられた言語などについて記されている。
本書には三つの版が存在するとされる。
ドイツ語の初版(無削除版)は、『黒の書』とも呼ばれ、
1839年にデュッセルドルフで刊行されたクォート判(四つ折り版)の本である。
これは鉄の留め金のついた革製の装丁がなされており、
発行部数が少なかったことと所有者たちが焚書にしたことにより、現在、
ヨーロッパとアメリカの図書館に全部で6部しか残存していない稀覯書となっている。
出版後、ただちに発禁処分とされた。
第二の版は、1845年にロンドンのブライドウェル社から出版された英訳の海賊版である。
翻訳者不明だが誤訳が多いとされ、多くのグロテスクな木版画が収められている。
公的、あるいは私的なコレクションに少なくとも20部が現存していることがわかっている。
初版と同じく、出版されてすぐに発禁処分となっている。
第三の版は、1909年にニューヨークのゴールデン・ゴブリン・プレス社から
出版された英訳の削除版である。
これにも誤訳、誤植などの間違いが多数存在するが、
廉価な八つ折り判であったこともあり、比較的多く現存すると考えられる。
フォン・ユンツトは本書が出版された翌年(1840年)に、施錠され、
閂で閉めきられた部屋の中で、ひき裂かれた未発表草稿とともに、
喉にかぎ爪の跡が残った絞殺死体となって発見された。
またその後、彼の友人アレクシス・ラドーによってこの破られた草稿が復元されたが、
ラドーは草稿を読み終えた後、即これを焼却し、自らの喉をカミソリでかき切って自殺した。
282:
ルルイエ異本
アーカムの研究家エイモス・タトルがアジア内陸部で
10万ドルで購入した中国語で書かれた写本で、人皮で装丁されている。
元本は夏王朝時代の“螺湮城本伝(教本)”という文書だといわれる。
エイモスの死後、甥のポール・タトルによりミスカトニック大学に寄贈される。
原本は紀元前300年頃、人類以前の言語で記されていたとされる。
粘土板に書かれたオリジナルがあるといわれるが、すでに破壊され、
中国語で書かれた巻物、英語訳、ドイツ語訳が存在する。
イタリア語訳は、15世紀に魔術師フランソワ・プレラーティが、部分的にイタリア語へと翻訳し、
それをナポレオン・ボナパルトが所持していたという説がある。
内容は大いなるクトゥルフを主に、その眷属と海の関わり、
異界のものを召喚する呪文、ムーとルルイエの沈没について記述されている。
ミスカトニック大学の哲学教授ラバン・シュリュズベリイ博士は、
ルルイエ異本を詳細に研究し、『ルルイエ異本を基にした後期原始人の神話の型の研究』
(An Investigation Into the Mythpatterns of Latterday Primitives With Especial Reference to the R'lyeh Text)という論文を書いている(「永劫の探求」)
313:
スマソの気持ちで1個投下
首なし鶏マイク
コロラド州の農家ロイド・オルセンの家で、
1945年9月10日に夕食用として1羽の鶏が首をはねられた。
その鶏は首の無いままふらふらと歩き回り、
それまでと変わらない羽づくろいや餌をついばむようなしぐさをし始めた。
翌日になってもこの鶏は生存し続け、その有様に家族は食することをあきらめ、
切断した首の穴からスポイトで水と餌を与えた。
翌週になって、ロイドはソルトレイクシティのユタ大学に、
マイクと名づけた鶏を持ちこんだところ、マイクの頚動脈が凝固した血液でふさがれ、
失血が抑えられたのではないかと推測された。
また脳幹と片方の耳の大半が残っているので、
マイクが首を失っても歩くことができるのだという推論に達した。
結果、マイクはこの農家で飼われることになったが、
首の無いまま生き続ける奇跡の鶏はたちまち評判となり、
マイクはマネージャーとロイドとともにニューヨークや
ロサンゼルスなどで見世物として公開された。
話題はますます広がるとともに、マイク も順調に生き続け、
体重も当初の2ポンド半から8ポンドに増えた。
雑誌・新聞などのメディアにも取り上げられ、『ライフ』、
『タイム』などの大手に紹介されることとなった。
314:
1947年3月、そうした興行中のアリゾナ州において、マイクは餌を喉につまらせ、
ロイドが興行先に給餌用のスポイトを忘れた ため手の施しようもなく、窒息して死亡した。
マイクの死後、ギネス記録に首がないまま最も長生きした鶏として記録された。
ひとたび名声が確立されると、マイクは双頭の牛といった他の動物たちと巡業を始めた。
彼の写真は『タイム』や『ライフ』な ど数多くの雑誌と新聞に掲載された。
農家の主人は首のない鶏を生かしておくことで多少の非難を受けた。
マイクの出し物の入場料は25セントで、
1ヶ月に4,500ドル(2005年の5万ドルと等しい)の収益を上げた。
マイク自身の値段は1万ドルであった。
マイクの大成功は、これを真似た鶏の首斬りブームを巻き起こしたが、
その中で1?2日以上生きていた鶏はいなかった。
マイクと一緒に、ホルマリン漬けにされた鶏の頭も展示されたが、
それはマイク本来の頭ではなかった。
もとの頭はすでに猫に食べられていた。
後に、いくつかの動物愛護協会の委員がマイクを調査し、
マイクに苦痛はなかったと断言した。
当時、以下のような童謡が生まれた:
“ Mike, Mike, where's your head? Even without it, you're not dead!
(マイク、マイク、お前の頭はどこだい? それがなくても、お前は死なない)
マイクの故郷であるフルイタでは毎年5月の第3週末日を
「首なし鶏の日」として、エッグレースなど地元民のお祭りにしており、
首が無くても生き続けたマイクの生命力を讃えている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/首なし鶏マイク
363:
なんか、スレがずっと別の方向に流れていたみたいなんだが
1がどうだっていう話があったので久しぶりに書き込むよ。
失敗した魔術師
1982年。当時の西ドイツの南部の町で、
殺人未遂の容疑で2人の人間が逮捕された。
裁判で容疑者は次のように証言したという
「最初は、ある呪術師に呪い殺すように依頼したのだけれど、
一向に死なない。だからしかたなく自分で手を下すしかなかった」
そして法廷にその魔術師が呼ばれた。
出廷したのはウラ・フォン・ベルヌスという小柄の女性であったが
彼女は驚くべき証言をする。
なんと彼女は日本円にして100万円ほどの報酬で
今まで20人以上の人間を呪殺したというのだ。
裁判では、彼女に呪殺を依頼し成功をおさめたという女性も登場する。
裏社会では有名であったの彼女のことを、
この裁判を通してメディアが取り上げ
失敗で彼女は表の世界でも有名になってしまったのだ。
呪術師 ウラ・フォン・ベルヌス
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/kaiki2/149ura.htm
378:
機関車とミイラ
「ミイラ取りがミイラになる」という諺があるが、
このミイラ取りというのは、考古学者では無くミイラを取りそれを売る業者のことである。
ミイラはどうなるのかというと、見世物小屋など飾られり
「ミイラの解体ショー」などで切り刻まれ、
最終的には粉末にして薬として売られた。
産業革命以後は、薬としてのミイラの利用が減少するが今度は燃料として注目される。
蒸気機関車の燃料として一般人ものを含めた大量のミイラが使用された。
防腐剤として松ヤニなどが染込んだミイラは、十分に石炭の代わりになったのだ。
「このミイラは燃えが悪い。貴族のミイラをもってこい」
貴族のミイラには松ヤニなどが、ふんだんに使われていたのでよく燃えたのだという。
石炭が安価になると、ミイラの価格も下がりやがて取引は無くなったのだが、
今度はオカルトとして注目される。1970年代にはニューヨークで、
「本物のミイラの粉末」が一オンスあたり40ドルという高値で取引されていた。
379:
折角、腐らないように松ヤニなんかの防腐剤にお金かけたのに
それが仇で燃やされる話を書こうとしたら
文字数制限で削っちゃってたw
夏にいいかげんに原稿書いた無利用の読み物アプリが出たけれど
なんかアプリのできが悪い上に売り切り原稿なので表題は教えない。
題名任せてたら、内容となんか違うヤンww
383:
UFO捕獲事件
1972年に高知県に住む日本の少年がUFOを捕獲するという事件が起こった。
夕刻、少年が田んぼの中にふらふらと発光する小さい物体を発見する。
少年達は、それに対してブロックを投げつけ撃墜。
観察すると直径15cmほどの銀色の灰皿を裏返しにしたような形状で
ふるとカラカラと音がしたという。
少年が持ち帰り大人に見せるも、何かの鋳型だろうといってとりあってくれない。
そしてタンスにしまっていると翌日消えてしまい、また田んぼに現れたという。
そして再び少年たちに捕獲される。捕獲されたUFOを少年達は分解しようと試みた。
まず通気口のような所に水を入れるのだが、UFOの体積以上の水が入ったという。
何とか周縁部をこじ開けようとしていると、
隙間が開き僅かに内部構造をみることが出来たという。
しかし、少年がひととおり観察すると、また再び閉じてしまったという。
結局、UFOは少年達が持ち運んでいる途中、逃げてしまう。
実は私の大学の、卒業生の中にこの事件の少年の一人が居たという話を聞いた。
大学生になった彼は、みなが忘れかけているこの事件を、
まだ事実として語っていたという話を聞いた。
394:
>>383
そのUFO捕獲事件の関係者の一人が数年前になくなっているんだけど、
その人はそれ以外にも近くの工事現場(何かの遺跡だったとも)から、
オーパーツ的な何かを発見したとか、UMA(というか宇宙人?)と接触
したとかいう噂が絶えなかったと聞いた
本当か嘘かはともかく、そういうことがあったとしてもおかしくないと思わせる
ような雰囲気を持つ人物だったんだろうな
その人が粉氏のいう少年と同一人物かは不明
384:
妖精の矢じり
空から奇妙な細工が落ちてくるということが古くから記録に残されている。
特に小さな矢じりのような形のものを「エルフ・ショット」と呼び
これを英国人は得に忌み嫌ったという。
実際に空から落ちてくるものは様々であり、記録を調べてみると
金メッキ製品1911年以降、化学製品は1842年以降、
ボルトやナットは1936年以降、
プラスチック製品は1955年以降の現象であるとわかる。
竜巻で巻き上げられたのが原因の一つではないかと言われているのだが、
1955年インドのビジョリでガラスのビーズ玉が定期的に空から
降ってくるできごとがあった。
時には掌ですくえるほど大量に降る事も有ったというのだが、
それにあわせて在庫が減った工場や倉庫を探したのだが
一切の手がかりはつかめず、いったいどこで作られたものなのかも
結局不明なままだったという。
385:
> 空から奇妙な細工が落ちてくるということが古くから記録に残されている。
> 特に小さな矢じりのような形のものを「エルフ・ショット」と呼び
> これを英国人は得に忌み嫌ったという。
当たったら痛いし、みんな嫌がると思う
387:
>>385
ごめんごめん。文が抜けてた。
エルフ・ショットに類するものは落雷を防ぐものとして
各地で珍重される一方で、
また魔術と結びつきがあるとされた。
395:
奇妙で不思議な生物 TOP10 
(その1)
http://pub.ne.jp/sakura2011/?entry_id=4639607
1位 ベニクラゲ 学名:Turritopsis nutricula 不老不死の生物
2位 クマムシ 学名:Tardigrada(緩歩動物) 極限状況での生存
3位 オニナラタケ 学名:Armillaria ostoyae 世界最大の生物
4位 シャンハイ・ハナスッポン 学名:Rafetus swinhoei 世界で3体のみ
5位 HeLa細胞(ヒーラ細胞) 不老不死のヒト細胞
解説、理由などソースにて。
現実の方が不思議だったりしてw
396:
プロジェクトMKウルトラ
1950年代米国でMKウルトラ計画と言われる大規模な極秘計画が推し進められていた。
事の発端は朝鮮戦争時、捕虜として捕らえられた米国兵士がソビエト軍の
ナチスのテクニックなどを発展させた洗脳手法によって、
共産党教育を施されるという事例が数多くあった。
米国でもこの洗脳に対してのノウハウを獲得しようと大規模な人体実験を含む
各種の取り組みが行われたのである。
台規模にLSDなどの薬物を被験者の了解無しに密かに投与して
マインドコントロールの実験を行ったり
超音波を利用して記憶を消去する実験など、
MKウルトラの下、54もの実験が行われていた。
ことの重大さに気づいたCIA長官であったヘルムズが
1973年に計画に関するほとんどの記録を
破棄したため、現在でも全貌は分かっていない。
http://www.dailymotion.com/video/x2cnvc_cia-mk-ultra-history-the-american-l_news
397:
ケネディーの妹
米国政治史に燦然と輝くケネディー家であるが、
ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺に続き、
弟のロバート・ケネディも大統領候補指名選中に暗殺されたことを始めとして、
その家族は皆決して幸せな人生をおくったわけではない。
ケネディー家の中でも、その存在がタブー視されている人物にローズマリー・ケネディがいる。
彼女は知能指数が若干低かったという話や
時として不機嫌になり周囲に暴力をふるうことがあったという。
しかしながら、その一方で、彼女の知能には一般生活においては何の問題も無く、
それが証拠にオペラを鑑賞したり、男性とダンスに興じるのを好んだという話もある。
彼女は、その素行不良から、父のジョセフ・ケネディから女子修道院に入れられたのだが、
しばしばそこを抜け出して、遊び歩くこともあったという。
彼女が23歳の時、父ジョセフは彼女に
前頭部の左右の神経線維を切断するロボトミー手術を受けさせる。
素行不良が解消し順応になるという話であったが、
手術の結果、彼女の知能は三歳程度に退化し尿失禁をわずらい
何時間も壁を見続けるようになり、話す言葉も支離滅裂になってしまった。
この事件がきっかけとなり、ケネディ家はロボトミー手術に対して
徹底的に調査を行うように政治的に働きかけ米国でのロボトミー手術は下火になった。
398:
無痛人間
本名をアーノルド・ヘンスケンズと言うオランダ人男性は
ミリン・ダヨという名前で、主にスイスとオランダを舞台に
1945年から1947年にかけて体に剣や槍を突き刺したり、
あるときは鉄のパイプを胴体に突き刺し貫通させて
そこに水をとおすといったパフォーマンスを時には懐疑的な医師の前で行っていた。
彼は、自らのことを「預言者である」として、
彼のショーの第二部は人類の調和を唱える説教となるのが常だったという。
彼の芸名であるミリン・ダヨは、彼がその思想に共感していたエスペラント語で
「素晴らしい」を意味している。
彼の死は、精霊からの指示で鉄の釘を食べて二日後
それを立ち会った医師に取り除いて貰うというパフォーマンス際に事件は起こった。
医師はダヨの指示に反して麻酔をダヨに投与したのだ。
それからダヨはベッドに伏しほとんど動かなくなり、
約二週間後、ダヨは大動脈の破裂で死亡したとされる。
399:
ミリン・ダヨの名前を目にするたびに
ショーユ・ジャナイヨとかソースチガ・ウヨとかくだらん名前を考えて喜ぶ小学生並の知能のおれ
400:
ミリンダヨ、みりん、味醂だよ、かw
たけしの番組で初めて見た時には驚いたなぁ。
合理的・科学的な説明ってあるの?
401:
>>400 うーん
身体に棒を刺して突き抜けてるのに血も出ないとか、どんなカラクリなんだろう?
マジシャンセロのマジックを初めて観た時は、
魔法使いかと思ったくらい凄い手品だったが、ちゃんとタネがあるらしいしな
ミリン氏も多分特異体質とか何とかかな
402:
アステカの人食祭
かつて中央アメリカをアステカ文明があった。
彼らは52年の周期のいずれかに地震によって文明が滅びるという信仰をもっており
それら厄災を回避するために、
生け贄の儀式をしばしば執り行っていたことはよく知られている。
神官が黒曜石のナイフで胸を切り裂き心臓をつまみだして神に供える。
その後、頭部と胴体はきりはなされて、頭部は神殿に並べられ
胴体はピラミッドから投げ捨てられ、
敷地に放ってあるコヨーテやジャガーの餌となったという。
しかしアステカの特筆すべき祭事はこれだけでは無い。
スペイン人の記録によるとチョルーラという町では、
ある若者を神様扱いし、礼拝し食べ物を供え、女をあてがい
勝手気ままな放蕩のかぎりを尽くさせていたという。
そして若者が太ったところで、お祭りが始まり
その若者を殺してみんなで食べてしまうということを行っていたという。
征服者であるスペイン人は、アステカ人の奇怪な習慣をことさら取り上げて
征服の正当化に利用したという指摘もあるが、
それまでヨーロッパ人が接した価値観でないもののなかで
アステカ人が生きていたことは確かである。
479:
アンティークドール
子供の頃、夏休みに泊まったホテルの地下(レストランの入り口)に、
すごい綺麗なアンティークドールあった。
あまりに綺麗で、ヒマあれば見に行って、
しまいには夜中に目が覚めた時に部屋を抜け出して見に行った。
夜中にアンティークドールの入ってるケースに張りついてて、
警備員さんにみつかり、フロントのおにいさんに部屋まで連れていかれた。
「人形に呼ばれても、来たらあかんで」って言われた。
481:
>>479
何気にコワっw
ホテル側は知ってて置いてるんやな…orz
1:
リチャード・パーカー
▼エドガーアランポーの小説▼
船が沈没しボートで何人かの船員が命からがら脱出に成功する。
ひどい飢えで狂気にかられた船員たちが一人の船員を殺して食べてしまう。
殺された人の名前がリチャード・パーカー。
▼小説が書かれてから35年後に起きた実際の事件▼
船から投げ出された船員4人がボートで漂流。一番年下の船員が他の三人に
殺され食べられてしまう。
殺された人の名前がリチャード・パーカー。
8:
最近2ちゃんで見かけたやつ。
東日本大震災と阪神大震災には奇妙な一致点
 ともに非自民政権誕生から2年目に起きている
 阪神大震災は細川政権誕生から1年161日後
 東日本大震災は鳩山政権誕生から1年177日後
 ともに約1年半弱である
 そして55年の自民党誕生後27人の首相のうち
 1度も自民党に属したことのない人間が首相になったのは2回だけ
 村山と菅の2人である
 この2人の首相在任時に二つの大震災
16:
神隠し
信じようと、信じまいと―
平成14年9月7日、広島県世羅町京丸の「京丸ダム」の湖底に車が転落しているのを
通行人が発見し警察に通報。車内からは四人の遺体が見つかり、
遺体は昨年6月4日から一家4人で行方が分からなくなっていた
同町戸張の会社員山上政弘さん(58)、妻の会社員順子さん(51)、
長女の元小学校教諭 千枝さん(26)、母三枝さん(79)と判明した。
県警では事件、事故の両面で捜査しているが、地形から交通事故の
可能性は低いという。そのため無理心中の可能性もあるとみて調べを進めている。
一家が失踪した当時、自宅は施錠され、屋内には争った形跡もなく、
順子さんはこの日勤め先の社員旅行で中国へ出発する予定で、荷造りした旅行
かばんもそのまま残されており、また食卓には朝食が虫よけネットをかけて
手付かずの状態で残されていた。突然一家4人がいなくなったため、
テレビのワイドショーなどで「神隠し」と騒がれた。
18:
空から降る女性
1997年12月2日深夜、アメリカのマイアミ郊外のアパートが立ち並ぶ住宅街に、
バーンという、何かが落ちてきたような激しい音が響きわたった。
びっくりした住人たちが外に出てみると、ちょうど塀(へい)の上の、
数十cmの「厚さ」に当たる部分に、女性の死体があるのが発見された。
その女性は30?40歳くらいで、体重は50kgくらい。
死体は二つに裂けており、状況や遺体の損傷具合からして
高空から落下したことは間違いないのだが、
近くには飛び降りるような高層ビルなど全くない。
航空機から落ちたという事実もなく、
しかもこの女性は落下する寸前まで生きていたということが調査の結果判明した。
この事件は未解決のままである。
21:
人食い地面
1973年3月26日の夜、エジプトのアレキサンドリア。
新婚だったアンワール・サイド氏と妻のメルベットはアル・ホレヤ通りを歩いていた。
映画を見に行って新居に帰る途中だった。
十字路を曲がるとそこには大きな水たまりが出来ていた。
メルベットがその水たまりを通り抜けようとした瞬間、
突然地面が大きく裂けて道路に亀裂が走り、いきなり地面が割れた。
悲鳴と共にメルベットはあっという間にその亀裂に飲み込まれてしまった。
だが亀裂はあまりにも深く、底が見えない。
妻の名を必死に呼びながら亀裂の中に飛び込もうとしたサイド氏は
通行人に引き止められ、ショックのあまり気を失って病院に運ばれた。
この事件はすぐにアレキサンドリア中に広まった。
警察が駆けつけ、何十人もの人間が動員されて落ちたところを掘り起こしてみたが、
いくら掘っても遺体は見つからない。
結局、泥をほとんど除去したにも関わらずやはり遺体は発見されなかった。
23:
死んだはず・・・
1990年2月。バミューダ海域で一隻の漁船が漁をしていると、
白い布で出来た袋のようなものが流れてきた。
船の上へ引き上げて中を開けてみると、
中から60過ぎくらいのやつれた男性が入っていた。
船員たちは皆びっくりしたが、放置しておくわけにもいかない。
詳しい事情を聞いてみると驚くようなことを語り始めた。
男の名前はミッシェル・ガヤンといい、フランスからバミューダの方に
移住してきたのだが、自分は1926年に死んだはずだと言い張るのだ。
死んだはずだと本人は言っているが、現にこうして生きている。
袋詰めで海を漂っていたために、精神に異常をきたしたのか、
船員たちはそう思いながらもとりあえずバミューダ島の病院に連れていくことにした。
病院についてカルテを調べてみると、確かに男の言うように
1926年にミッシェル・ガヤンという男がガンで死んでいたことが判明した。63歳だった。
さらに調べてみると、彼の遺言で死体は焼かれずに布でくるんで
水葬として海に流されたということまで分かった。
死亡証明書に押してある指紋を照合した結果、本人に間違いはない。
となると、実際生きていた状態であるのに水葬にされて
息を吹き返したということも考えられるが、問題はその年月である。
彼が死んだのが1926年、そして発見した今は1990年。
彼が死んでから実に64年の歳月が経っている。
ずっと生きていたなら本来ならば127歳になっているはずだ。
なのに、当のミッシェル・ガヤンは死んだときの年齢そのままの状態で
64年間も死体として海を漂い、そして今再び生き返ったことになる。
彼に何が起こったのか、結局謎は解明されないままだった。
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