田舎の特殊な信仰や言い伝えにまつわる怖い話『沖縄新城島の秘祭』back

田舎の特殊な信仰や言い伝えにまつわる怖い話『沖縄新城島の秘祭』


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1:
得体の知れないものを祀っている神社や、外の人間が見たら異様に思う文化や言い伝え、
やたらオカルトな歌や遊び、そういうのを集めていってくれ。
できるなら地域名も書いてくれよ
10:
岩手隠し念仏
わが故郷の岩手には隠し念仏というのがある。
これはその昔、親鸞二十四徒の一人である是信房が広めた念仏と、
真言密教系の秘術が融合したものらしく、かつて岩手県で爆発的に流行した。
この念仏はいわば即身仏となるための儀式とも呼べるものであり、かつて生きるのが困難だった時代、
何とかして仏の加護を受けたいという欲求から創始されたものだと考えられる。
もっとも、これは寺や坊主を間に挟まない、いわば秘密結社的、呪術的性格を色濃く持ったものだったので、
「犬切支丹」と言われて幕府から迫害され、明治政府からも「公序良俗を乱す」として弾圧された。
で、肝心の儀式であるが、まず生まれたばかりの赤子が善知識と呼ばれる人(総長)の家に連れて行かれ、
簡単な念仏を唱えられた後、経文で頭をなでられる。この簡単な儀式が「オトリアゲ」と呼ばれる。
11:
で、隠し念仏で一番大切なのが「オトモヅケ」と呼ばれる儀式である。
歳の頃7?15歳ぐらいになった子供は、夜半、善知識もとに秘密裏に連れて行かれ、
親鸞と蓮如上人、薬師如来(?)の掛け軸が飾られた仏壇の前に正座させられる。
そして、指を金剛合掌の形に組み、「タスケタマエー」と言いながら思い切り息を吐くように言われる。
これは善知識が「よし」というまで何度も何度も続けられる。この間、善知識はこのものが
本当に念仏組に入ることができるか、仏の加護を受けられるかを精査するという。
これを何度も繰り返し、善知識が「助けた!」と言うと、子供は口を手のひらで押さえられ、平伏させられる。
こうして「オトモヅケ」は終わり、隠し念仏最大の儀式は終了、この子は晴れて念仏組の一員となる。
このとき、子供は善知識から「これはホトケ様が口から入ったからな。人に言ってはダメだぞ」とクギを刺されるので、
隠し念仏の全容はよく調査されないまま、現在ではすっかり廃れてしまい、もはやどこでも行われていないだろう。
ちなみに俺の父方、母方の祖母、父は両方隠し念仏を受けている。戦後直後までは普通にやってたらしい。
父はいまだに口を割らないが、ばあちゃんは嫁に行った身なので喋っても問題ないらしい。
ちなみに発言小町で話題になった『真っ黒い手紙』にあるのは単なる百万遍念仏なので隠し念仏とは違う。
さらに「隠し念仏の一派に邪教がある」という話は誤りなので信用しないこと。
12:
生月島隠れキリシタン
長崎県の平戸の先にある生月島には、今も隠れキリシタンがいる。
明治になって禁教令が解かれたとき、他の地域と同じように宣教師が来て
カトリックへの同化が試みられたのだが、
300年の歴史の中で土着宗教のような独自の変化が起こっており
教義への信仰がなくなっていたため、うまくいかなかったそうだ。
今はもちろん隠れ住んでいるわけではない。
しかし、儀式などをひっそり行うこと自体が伝統になっており
信者本人にはそんなつもりはないのかもしれんが、
秘密めいたイメージがあるのも事実。
過疎化によって後継者が減り、今では廃れつつあるらしい。
40:
徳島県の一部地域にはお盆以降に海水浴に出かけると遺体があがっていない
溺死者に足首をつかまれ水底に引きずり込まれるという言い伝えがあります
しかしその言い伝えが知られているのは香川・愛媛の県境にある山村のみで
渦潮で有名な鳴門市や高知の県境にある漁村には全く広まっていません
43:
>>40
青森だけどそういう言い伝えあるよ
橋北中学校水難事件
また1956年7月29日付の伊勢新聞には「…当時おぼれて助かった女生徒の一人はそのとき海の底からたくさんの女の人がひっぱりに来たといっている」「…終戦の年の同月同日、津市中心部が一夜にして灰燼に帰した空襲時に、この文化村海岸の松原に避難して爆死した多くの難民たちの無縁仏がひいたのだという伝説も想いおこされる」という記述がある。
さらに、「…身元不明の遺体は砂浜に埋葬されたと聞きました。
それから十年後同じ日、中学生の水難事故がありました。遺体の埋められた場所の近くです。
生存者の話によると防空頭巾をかぶったおばさんが呼んだと云います」という、
7月28日の空襲時、海岸へ逃げそこでもB29による焼夷弾攻撃を受けたという体験談
(戦争の爪跡、三重県戦後50年体験文集、三重県戦争資料館)、
「この日は奇しくも十年前の昭和20年7月28日の焼夷弾攻撃の日であった。当時、中河原地区では焼夷弾で死んだ人々の霊がまだ成仏していないのではないかという、うわさが広まったそうである」
(津市民文化、No.31、2004.3)という記述が見られ、おそらく事件当時から語られていたことがうかがえる。
1963年には、女生徒の体験記が女性週刊誌に掲載される(私は死霊の手から逃れたが…、女性自身、昭和38年7月22日号、pp.55-57)。
これは、頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、
モンペをはいた何十人という女がこちらに向って泳いできて、
「夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、それから一瞬のできごとでした」
「しだいにうすれていく意識の中でも、私は自分の足にまとわりつてはなれない防空頭巾をかぶった女の白い無表情な顔を、はっきりと見つづけていました」というものであり、
津市郊外の郵便局長の話として、1945年7月28日の空襲で警察署の地下室に逃げ込んだ人々が「皆、煙にまかれて窒息死した。死者は250名をこえていただろう。
その処理に困った市当局は、海岸へ捨てることに決めたが、漁師たちが反対したので、
一部は油をかけて焼き、残りの大部分は砂浜に穴をほって埋めてしまったのだ」という記述があり、
これが「伝説」の原形であると思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/橋北中学校水難事件
50:
秋田です。
友達が親戚の葬式に行ったとき、女の人は外歩くとき
死人の顔に乗せるみたいな白い布を頭に乗せなきゃいけなかったらしい
不思議
58:
>>50
私の父が秋田出身だが、祖母の葬式の際に
ずっとその白い布を付けていました。
喪主だからかな?とその時には思ったけど
不思議な風習だなぁと感じました。
ちなみに20年以上前の話です。
51:
鹿児島南部の海亀
鹿児島、南の方。
海で亡くなった人を遺族が引き取るとき、「帰るよ」と声をかける。
かけないと、海に残って成仏できなくなるという言い伝えがある。
これについての幽霊話など、近年でもあり。
あと海亀。
海亀がかかった時は、殺さずに必ず放す。
放す時に、酒を一升 海にまいて神様に返す。
そのために、船に一升瓶を積んでいる。
どんなに小さな釣り船にも積んでいる。
欲をかいて、海亀をはなさずに殺すと、その辺りでは魚が取れなく
なると言われているらしい。
海亀をとったために魚が取れなくなった浜などの伝承がのこっている。
9:
四国魔風
四国に引越してきた。地元に色んな風習があって、面白い。
墓地や、里山に一人で行くのを禁じられる。特に夕方。
何で?と聞くと、「魔風に吹かれるよ」と言われた。異界との境界で出会う「気」のようなものらしい。
吹かれると、体調を崩したり、夢見が悪くなったりするらしい。
他にもいろいろあるけど、この話が私は一番好き。
10:
うちも四国だけど、魔風は言われます。さすがに最近じゃあまり聞かなく
なったけど、しんどそうな人に「体調悪いの?」と聞いたら、普通に
「昨日魔風に吹かれた」と返ってくることが、10年位前までありました。
14:
実家の話。三陸のほう。
お通夜の時、頭、耳、鼻などかたどった
リアルな団子を供え、後で皆でたべます。
地元団子屋は慣れたもんで、
電話一本で用意してくれます。 
33:
和歌山県高野山近辺 の厄落とし
母親が息子の厄年にできる限り使い切りやすく、なおかつできるだけ高額の小遣いを渡す。
もらった息子は日を措かずに一気に使い切るが、
この時自分のものではなく人にプレゼントするものを買うのが望ましい。
という厄払いがある。>和歌山県高野山近辺
大厄年の正月の朝に外に出て道を歩き、その日初めて向こうから来る人に声をかける。
その人が何でもいいから返事をしたらその年の厄は総落とし完了。
無視されたら失敗。一回限りしか使えないらしいが、相手に厄を乗せかえるものらしい。
ちょっと怖い。
35:
遠州灘沿いの親の死に目
遠州灘沿いに住んでいたが、親の死に目を看取らないと親指を失うという話があった。
俺の母は兵庫の生まれで、実家の父親の死を看取れなかった。
通夜と葬式のために里帰りし、再びこちらに帰ってきたときには親指に包帯をまいていた。
どうやら手伝いで料理を作るときに誤って切ってしまった模様。
さすがにこれはただの偶然だろうけどね。
43:
岐阜の山奥うろんぼさん
俺の爺さんの故郷(岐阜の山奥)は俺が生まれる10年くらい前に
何かの理由でみんな里に降りてしまって
俺が小学生の頃にはもう数人しか住んでいないようなとこだった
でも家時代は古臭いのが10数件残ってて廃村みたいな感じのとこ。
そこには神社だか寺だかがよくわかんないのが2件あって、
内1件はすっげー山奥の癖に100段以上の石段
の上にあるぼろぼろの神社なんだけど、そこには「うろんぼさん」ってのがいて朝起きたら家の玄関の前
でうろんぼさんの方に向かってお茶を一杯地面に撒く風習?があった。
小学生の頃は毎年お盆付近にいったんだが、里に降りた人が集まって祭りやってたな。
そんで普段住んでない人は神社の1件(集会所みたいになってた)にみんなで泊まるんだけど
朝それぞれに家の前に行ってお茶を撒いてたから風習なんだとおもう。
マイナーすぎるって?いいじゃん別に!
45:
愛知県あきばさん
俺の田舎愛知県のある町には小学5、6年になると
神社に泊まる「あきばさん」という行事があった。
男子女子共に泊まる。
神社で何をするのか? 「あきばさん」を経験した友達の兄貴
に聞いてみたが何も教えてくれなかった。
俺も5年生になったら分かると思っていたが、「あきばさん」まで
あと2年というところでその行事は無くなってしまった。
なぜか今日小学生の時の夢を見て「あきばさん」を思い出したので
書き込んでしまった。
一体何してたんだろう?
47:
石の神様と山の大蛇
うちの元の家(今は少し離れたところに住んでる。)の近くに、
石の神様があったな。ちょっと大きいだけの野ざらしの石だった。
謂れはまったくもって不明なんだけれど、ただ、
「麻疹」にかかったときにその石のところに行って、お供えをしてお祈りを
すると病気が治るって言われてた。今は某大企業の施設の工事の時に
ぶっつぶされてどこにあるかもうわからない。
あと、山の上に大蛇の住むって言われた池がある。
水源は湧き水で、高い山の上の藪の中にぽつんとある。
ばーちゃんらの世代(昭和初期)ぐらいまでは雨乞いの儀式が行われていたって聞いてる。
雨乞いの儀式は、鉄のやかんを持ってその池のところに行き、
「雨ふらせー雨ふらせー」といいながら沸かしたお湯をその池に注ぎこむ
ってものだったそうだ。大蛇は金気を嫌う、ってことで、嫌がらせをして
「イヤなら雨降らせろよ!!」って脅すっていう、何気にひどい儀式(笑)
曾祖母(108歳ぐらいまで生きた)に直接聞いた話だと、
明治中ごろに、その池に雨乞いに行って「俺が大蛇を脅してやる」みたいな
こと言って池の中で泳ぎまわった若者が、「足にでかいぬるっとしたものが触れた!!」
って叫んで池を飛び出してきて、その後3日3晩寝込んでそのまま亡くなった
ことがあるそうだ。曾祖母がその若者を看病したそうなんだけれど、
朝になると家の周りの草むらに丸太をひきずったように草が倒れてたりして
恐ろしかったと言っていた。
その集落は今はもうなくて、某大企業の施設がたってる。
こんな話を知っているのも、おいらが最後だろうし、その痕跡も多くは
失われて今はもう無い。その施設は自然学校みたいな施設だけど、そこの連中
は、みんなよそ者でこんな話まったく興味が無いし、残ってる話も失われていくんだろうな。
ちょっと寂しい。
49:
京都府北部 の節分の豆
うちの母の田舎では
節分の豆はその夜のうちに家から一番近い四辻に子供が捨てねばならない
しかも家に帰るまで振り返ってはならない
という習慣があった
振り返ったら何が起こるとか、後ろで何が起こってるとか説明は一切ナシ
ただとにかく絶対に振り返っちゃいけないんだって
ちなみに京都府北部
17:
有名だが、河童や座敷わらしは障害児って説がある
座敷わらしの出る家が裕福なのは、
障害児は運というか妊婦の環境が良くないと通常の妊娠より流産しやすいから
あと座敷わらしを見たよそのひとが口止め料としてなにか貰えるから
33:
生と死について
今から、少しだけ書くね
民俗学が入っていることどこらへんの土地の言い伝えであるかは
私が特定される可能性もあるため、ぼかして書きます
生と死について
・子供が一歳の時に、「あなたはどこから来たの?」と尋ねる
子供は顔や指をある方向に向ける
それは先祖の墓地や先祖の縁のある場所の方向であることが多い(生まれ変わりのサイクルがあるのでは?)
・2歳の十月十日に子供を一番静かな部屋に連れて行く
 篭のなかに入れる
 前世を子供に尋ねると、一言だけ答える
 書き留めてお坊さんたちに見せる
36:
・死体小屋
 49日間死体を納めておく小屋
 毎日家族や友人が死体小屋へ行き、死者の顔を見る
 (保存方法は失念、あしからず)
・表屋(もや)
 死者の再成を祈った
 古代に定着していたもので、モガリとも呼ばれた(だったはず)
・墓参りの流れと死者
 3日目墓参り→肉体が魂から離れる(肉と骨の分離)
 9日目墓参り→位牌。腐敗が進んで首が落ちる
 49日目墓参り→骨=骨神(フニシン)
 死者との別れの儀式で、死者の肉は49日で離れて骨になる
 その際(腐敗)に死者は一番苦労をするが、それは本当の死者になるための「困難の時期」とも言う
39:
>>36
沖縄の昔の風習思い出した。
嫁が一定期間墓に安置した死体を取り出し、
残った肉片なんかを洗い落として、
お骨を清めてたらしい。
自分が女だったらたとえ家族といえど
腐敗の過程を見られるのはイヤかもな。
6:
アイヌの伝承
アイヌ系は名前が面白い
【アツゥイカクラ】
女の肌着が化けたもので、巨大な海鼠の怪です。
流木に吸い付いて海に浮かび、通りかかった船を転覆させてしまいます。
【アッコロカムイ】
または、アツゥイナ(海の木幣)といいます。
内浦湾に棲む大蛸の怪で、遠くからでも、その赤い体を見る事ができたそうです。
通りかかる漁船は、アッコロカムイに転覆させられてしまいます。
礼文華あたりの山に棲んでいた大蜘蛛が海に入って蛸の怪になったという説もあります。
【ショキナ】
東の海の果てに住んでいた、巨大な鯨です。
口を開ければ、上あごが天に、下あごが海底につかえるほどだったといいます。
そばに寄る船は一のみにしてしまうので人間が大変難儀をしましたが、
その訴えを聞いた神々のなかで、かわうそ神が退治を引き受け、登別の近くでとうとう頭を切り落としました。
【フリー】
翼ひとつが七里もあり、人や獣はもとより、鯨ですらわしづかみにしてしまう、巨鳥です。
土地によって、シュリ、ヒウリ、フレウなどとも呼ばれます。大変美しい羽をしているとされています。
【レブンエカシ】
「沖の長老」という意味の名前です。
内浦湾に棲んでいて、鯨を一度に八頭も飲み込めるほど大きな怪物だそうです。
10:
>>6
非常に興味をそそられる
13:
河童で卒論書いてるけど調べれば調べるほどこいつらおもしれぇ
15:
河童ってほんと何なんだろうな
哺乳類?
アイヌの河童伝承
【ミンツチ】
別名、シリシャマイヌ(山側の人)。
ミンツチという言葉そのものは、ミヅチから出たものだという説もあり、
もともとのアイヌ語ではないのかもしれません。
ミンツチはアイヌの河童です。海から現れた疱瘡神を撃退するために作られた61体のチシナプカムイ(蓬で作ったわら人形のようなもの)のうち、戦で倒れた60体がミンツチになったのだそうです。
魚の主で、漁師に漁運を、猟師には猟運を与える事がありますが、人を水死させる事もあるので、
油断はなりません。12歳くらいの子供のような姿とか、禿頭の小さい老人の姿と言われますが、
男女の区別はほとんど外見からはできないようです。
漁の神であるとも言われ、ミンツチがいる川は不漁という事がないそうです。
ミンツチがすると言われる悪さは、河童と共通点が多々あります。
その一方、キムナイヌと共通する性質もあるようです。
いずれにしろ、名前を含め河童の影響を多く受けている事が考えられそうです
(地方によって、河童の事をミヅチと呼ぶところがあります)。
20:
>>15
呼び方は地方でミヅチ系カワタロウ系ガラッパ系とかマジ様々あるしな
正体も水神、大陸にわたるイメージが形になったもの、
大工の捨てた呪術人形が動き出したもの、カワウソ、スッポン、猿、
の見間違え妖怪化したものと様々
アイヌのものは交易と共に本州から入ってきたのか、
それとも北回りで大陸からきたものかわからんけどそれも含めて楽しいよな
17:
河童は水の神が落ちぶれた姿なんだっけ
20:
>>17
それは柳田一派等の考え方だね
俺も正体を突き止めようとしてるけど無理くせぇwww
生の河童見れたら話がはやいんだがなぁ
47:
ハイヌウェレ型神話とか面白いよな
尻から食物を生み出す女神の話
似たような神話が世界の様々な地域で見つけられる
49:
世界中で話の類型があるって面白いよな
1:
沖縄新城島の秘祭
沖縄の八重山諸島の1つに新城島と言う島があります。
その島には古くから人魚伝説があり、人魚神社や御獄(ウタキ)大御獄(オオウタキ)と言う場所には
「この道は『神の道』につき一般の人の通行を禁止する。」
と書かれた看板が数多くあります。
そして、謎の秘祭(豊年祭)には『アカマタクロマタ』と呼ばれる二体の奇妙な神が豊年を祈り踊ります。
しかしこの祭りは撮影禁止で、以前、隠し撮りした人への暴行事件も起きました。
他にも、鹿児島の甑島には『クロ』と呼ばれる土俗信仰集団があり、
人喰いや強力な呪術を使うなどの噂があります。
この他にも何か知っている方がいましたら色々教えてください。
アカマタクロマタ
御獄
http://ja.wikipedia.org/wiki/御嶽 (沖縄)
4:
確か別冊宝島で本出てたよね。
5:
>>4
はい、出てました
『たしか行ってはいけない!日本の島々』
だったような…
そこには大御獄の入り口の写真も載ってました
と言うか甑島も新城島もチャーターしかない孤島だから知っている人なんか少ないな……
7:
どこかの島では宮司のみが駐在していて上陸するには御祓をしなきゃ駄目って島がある。
因みに女人禁制。
祭りで古代から続くお宝がそこら辺に遺棄されている考古学的にみても
凄い島があるってTVかなんかでみた事があるけど、ここの事?
8:
>>7
沖ノ島おいわず様
いや、それも行ってはいけない島の1つですが違います
その島は福岡県の沖ノ島と言う島で島全域が宗像大社沖津宮の境内(御神域)なんです。
そのために古くからの習わしで、物見遊山・一木一草の持ち出し・婦女子の上陸がタブーなんです。
そのため近隣の漁師などは島を語ってはいけないことから“おいわず様”と呼んでいるそうです。
(世界遺産にしようとする動きがあり、矛盾してますが…)
ちなみに御祭神は、皇室の祖先にあたる天照大神の三柱の姫神、田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神です。
この島が婦女子禁制な理由はこの姫神にあり、
女が来ると姫神がやきもちを妬いて危害を加えるからだそうですよ。
20:
>>8
危害を加える神ってw下っ端の神はこれだからなぁ。
41:
>>20
書き方を間違えました。禍に近いものです
荒御魂・幸御魂・奇御魂・和御魂の荒御魂のことかもしれませんし
支配制度からくる女性は穢れた存在の理由もあると思います。
現に、奈良の大神神社は御神体が山なので、参拝は女人禁制です。
その他にも御神体が山の神社は結構ありますね。
10:
奇祭・民族学の卒論研究の小話
ガチで沖縄出身のボクですよ。
大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。
あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。
ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですが
いつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い
唯一無二のスタイルが出来上がった訳です。
儀式には幻覚作用のある薬物を用い人為的にトランス状態を作り出し
神を体に宿し恍惚を感じると言うのが儀式のやり方です。
祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますが
それも現在日本の法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や
閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末のタブーなどが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。
しかし、1番の原因は話題に上がっている島の多くは売春が島の収入源となっている様な事も多く
最近では、本土から借金を抱えて出稼ぎに来ている女性も少なくありません。
そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。
僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。
後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが
「神の?」等が書かれた看板が立ち立入禁止になっている場所は
埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし
他にも・・・血が濃すぎるためのタブー
タブーを神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。
かなり長くなりました
興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。
でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。
僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから
見ない振りして知らない振りしておくのが一番です。
そうすれば島の住民は友達で居てくれます。
純朴で優しい人達ですよ。
12:
>>10
さらに詳しい話を聞きたいけどやっぱり島の人にしかわからないことがあるでしょうしね
13:
>>12
そうですね、やはり話の核心に迫るのは難しかったです。
僕は運良く地元の人間と言う事もあり、かなり深い所まで行けたと思いますが・・・。
インターネットがこれだけ普及した世の中になっても表沙汰にならない所を考えると
地元の人間にとってどれだけ重要な神事なのかは想像できます。
今、改めて当時のレポートを読み返していますが
以前からどうも解せない所があって又沸々と探究心が湧いてしまっています。
>>1に記載されているクロに関しては結局何も分からず仕舞いですし・・・
確かにクロと呼ばれる集落は存在していたのですが
近隣の住人もクロの話になると固く口を閉ざし怪訝な顔をします。
しかし伝承通りにクロの集落中に高い壁が立てられ異様な雰囲気を醸し出していたのは事実です。
アカマタクロマタの秘祭についても石原慎太郎の
小説のイメージが強烈で歪んだイメージが強すぎるのだと思います。
実際は荘厳で美しい祭りでした。
島が抱える悲しい事情による悪いイメージも強いのだと思います。
ゴールデンウイークに帰省した際にでも疑問をもう一度スッキリさせてみたいと思います。
14:
>>13
おお、沖縄の方が来てくれましたか
詳細ありがとうございました!
たしかにあちらの人にとっては文化であり伝統ですから、
同じ民族の私達兄弟がとやかく言う必要はありませんよね
島に伝わる伝説
それと、島に伝わる伝説的なものがあったので一応書いときます。
「昔、この島に住む漁師の夫婦には自慢の玉のように可愛い子がいた。
しかしある嵐の晩に子供の姿がついと見えなくなった。
夫婦は嘆き悲しんだが息子の行方は知れない。
そして豊年祭の日、村の御獄に子供が何事もなかったように現れた。
夫婦は喜んだが子供は決して家には帰らずに御獄を離れようとしなかった。
翌年も、その翌年も子供は豊年祭にふいと現れたがやはり祭の間、御獄を離れようしなかった。
訝かしんだ親が子供に尋ねると、
「神様の子供になかったから家には帰れません。来年の豊年祭にやって来ます」
という。よく見ると子供が現れるのが村に近ければ近いほどその年は豊漁になる。そこで村人は豊年祭の日は神様の子供を村の中に迎えようと今まで以上に豊年祭を熱心に行ったという。」
以上です。
2

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