梨子「人魚姫の噂」back

梨子「人魚姫の噂」


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1:
ラブライブ!サンシャイン!!SS
曜「神隠しの噂」
の続編です。
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2:
 「──果南ちゃんッ!!!!」
──彼女の傍らにしゃがみ込み、肩を揺する。
 「果南ちゃんっ!!? 果南ちゃんッ!!!!!」
絶叫に近い声量で果南ちゃんの名前を呼びかける。
でも、
 「……………………」
彼女からは一切の反応がない。
 「果南ちゃんっ!!! しっかり……!!! しっかりして……!!!」
肩を揺すっても、顔に触れても、手を握っても、反応がない。
 「はっ……!! はっ……!!! はっ…………!!!」
動悸がしてきて、息が切れる、目の前で起こっていることに現実感がない。
何が起きてる? 何が起きているの? 何が起きてしまったの……──
 * * *
これは、そんな終わりに向かっていく……──ある愚か者と人魚姫の物語。
──────────
────────
──────
────
──
3:
今年も最後の月に差し掛かり、ここ内浦にも冬の季節が訪れつつある今日この頃。
そんな本日は12月4日水曜日。
千歌「……zzz」
背後からの千歌ちゃんの寝息と板書の音をBGMにしながら、ぼんやりと窓の外を眺める。
空気が澄んでいるのか、いつもよりも景色がよく見える。その上空には輪郭がぼやけて、空に低く広がっている雲たちの姿。
私が──桜内梨子が、内浦に来て初めての冬。
ここに越してきてからというもの、大抵の初めてのことにはワクワクするようになった気がするんだけど……人恋しくなるこの冬だけは、今の私には少し憂鬱だった。
──キーンコーンカーンコーン。
千歌「……はっ!」
四限の終わりのチャイムと共に、背後で千歌ちゃんが覚醒したのがわかる。
先生「それじゃ、今日の授業はここまでにします」
千歌「ありがとうございましたっ!」
先生の締めの言葉と同時に、千歌ちゃんは席を立って、そのまま教室を飛び出していく。
この光景にも慣れたもので、もはやクラスメイトどころか、先生すらもツッコミ一つ入れなくなった。
曜「……あはは、千歌ちゃん相変わらずだね」
曜ちゃんが苦笑いしながら、私に話しかけてくる。
梨子「まっしぐらって感じだよね……」
曜「あはは、そうかも」
私の言葉に同意しながら、曜ちゃんは私のすぐ後ろの席である千歌ちゃんの席に腰を下ろす。
曜「まあ、二人が今でも変わらず仲睦まじいみたいで、私は少し安心してるかな」
──二人。曜ちゃんが指しているのは千歌ちゃんと……ダイヤさんのことだ。
千歌ちゃんとダイヤさんが付き合い始めたのは、確か6月の下旬頃だと言っていたから、二人がくっついて、そろそろ半年になる。
曜ちゃんの言うとおり、二人は今でも仲睦まじい。お昼休みはさっきみたいに1秒でも早く会いたいみたいで、ちょっと微笑ましくなる。
そんな千歌ちゃんの姿を見て安心するのは私も同じだけど、今のAqoursのラブラブカップルは千歌ちゃんとダイヤさんだけではない。
梨子「そういう曜ちゃんは、いいの?」
曜「え?」
梨子「お昼休み、鞠莉ちゃんのところにいかないの?」
──9月頃、曜ちゃんは鞠莉ちゃんと付き合い始めた。
きっかけはよくわからないけど、急接近して突然くっついた印象だった。
ただ、そんな第一印象とは裏腹に、曜ちゃん鞠莉ちゃんは、千歌ちゃんダイヤさんカップルに負けず劣らずの仲良しカップルだと思う。
比較的落ち着いているためか、破竹のように飛び出す千歌ちゃんほど『夢中になっている』という印象は受けにくいものの、曜ちゃんもお昼休みは決まって鞠莉ちゃんと過ごしている。
だから、こうして教室に残っているのが少しだけ珍しい気がした。
4:
曜「あー、えーっと。今日はいいんだ」
梨子「そうなの……?」
もしかして喧嘩中とか……? そうなんだとしたら、変に気を回してしまったのかもしれない。
ただ、そんな私の胸中を察したのか、
曜「……あ、別に喧嘩してるとかじゃないよ?」
曜ちゃんはすぐにフォローを入れる。
曜「お昼休みは職員会議があるらしくってさ」
梨子「ああ、なるほど」
考えてみれば鞠莉ちゃんは、生徒でありながら、職員でもある。
梨子「曜ちゃんも恋人が理事長だと大変だね……会いたいときに会えなくて」
曜「あはは……大袈裟だよ。都合が合わないことくらいあるって。それにさ」
梨子「それに?」
曜「鞠莉ちゃんは自分の意志で理事長をやってるんだから。私はそれを応援してあげないと」
梨子「曜ちゃん……」
会えない不安よりも、鞠莉ちゃんを信頼して、支えたいという気持ちがしっかりしているんだろうな。
なんか、恋人とのそういう信頼関係って……。
梨子「……羨ましいな」
──思わず本音が零れる。
曜「え?」
梨子「うぅん、なんでもない。それよりも、今日のお昼はどうするつもりなの?」
曜「あ、えっとね、梨子ちゃんが嫌じゃなかったら、一緒してもいいかな?」
梨子「もちろんだよ。一緒に食べよ」
曜「ありがとっ! お弁当お弁当っと?」
曜ちゃんとのお昼。なんだか久しぶりな気がして、内心少しテンションがあがってしまう。
最近は千歌ちゃんも曜ちゃんも、お昼休みは恋人との時間だと、暗黙の了解的に決まっていたから、こうして一緒にお昼を過ごせるのは純粋に嬉しかった。
他のクラスメイトと過ごすお昼も嫌ではないけど、やっぱり私にとって一番仲の良い友達は千歌ちゃんと曜ちゃんだ。
恋人との時間を大事にしてほしいという気持ちもあるけど、それでも仲の良い友達が相手をしてくれないと正直寂しい。
だからこそ、こんなたまの機会を大切にしないとね。
私も曜ちゃんに倣って、自分のお弁当をバッグから取り出そうとした、そのときだった──
 「──曜?? 居る??」
曜「……うぇ?」
廊下の方から曜ちゃんを呼ぶ声。
二人で声の方を振り向くと、
鞠莉「チャオ♪ 曜、梨子」
5:
目を引く金髪──鞠莉ちゃんの姿があった。
曜「鞠莉ちゃん!? 今日会議でしょ!?」
曜ちゃんは驚きの声をあげながら、鞠莉ちゃんのそばに駆け寄っていく。
鞠莉「そうだったんだけど……佐藤先生の都合がどうしてもつかなくって、放課後に変更になったのよ」
曜「そうなんだ……」
鞠莉「だから、曜居るかなと思って来てみたんだけど……もう食べてるところだった?」
曜「あ、いや……まだだけど……」
チラリと曜ちゃんがこちらに目線を送ってくる。
たぶん、一緒に食べようと自分から誘った手前、言い出しづらいってところかな。……まあ、仕方ないか。
私は教室の出入り口の前でそわそわとしている、曜ちゃんの背中に、
梨子「曜ちゃん、行っておいで」
そう声を掛ける。
曜「え、でも……」
梨子「せっかく一緒に居られる時間が出来たんだよ? 大切にしなくちゃ」
曜「梨子ちゃん……うん」
鞠莉「あ、えっと……先約してたなら、大丈夫だヨ?」
流れから察したのか、鞠莉ちゃんも少し申し訳なさそうに言うものの、
梨子「うぅん、大丈夫だよ」
あくまで私は二人を送り出そうとする。
一緒に食べることが出来ないのは残念だけど、二人の邪魔はしたくない。
曜「なんか……ごめんね?」
梨子「気にしないで。それに……」
鞠莉「それに?」
梨子「私、馬に蹴られて死にたくないし……」
鞠莉「ウマニケラレテ……?」
なんか、通じていないっぽい。うまいこと、場面に適したことわざを言ったつもりだったのに……なんだか滑ったみたいで急に恥ずかしくなってきた。
梨子「/// と、とにかく、私は大丈夫だから!」
曜「わとと……!」
何とも言えない恥ずかしさを誤魔化すために、鞠莉ちゃんと向き合っているままの曜ちゃんの背中を押す。
曜「わぷっ」
鞠莉「Oh! 曜ったら?♪ ダ・イ・タ・ン♪」
曜「いや、押されたの見てたでしょ!?」
鞠莉ちゃんに受け止められて、赤くなる曜ちゃん。
6:
梨子「それじゃ、ごゆっくり。またあとでね」
曜「あ……うん。ありがと、梨子ちゃん」
鞠莉「梨子 Thank you.」
お礼交じりに、二人は連れ立って、教室を出て行く。
私はそんな二人の背中にひらひらと手を振り、二人が見えなくなったところで、
梨子「……はぁ」
控えめに溜め息を吐く。
梨子「お昼……どうしようかな……」
ぼんやりと呟くと──突然背後から、ポンと肩に手を置かれる。
振り向くと、
むつ「梨子……偉い、よくやった……!」
むっちゃんが親指を立てて、私を称賛してくれているところだった。
むつ「親友の恋路を応援するために、自分はいいからと言って送り出してあげる……! 漢だね……!」
梨子「いや、女だけど……」
むつ「細かいことはいいんだって! それより、お昼一緒に食べる人居ないんでしょ? 一緒に食べようよ」
梨子「それじゃ……今日もお邪魔させてもらうね?」
いつき「そんな……全然お邪魔なんかじゃないよ」
よしみ「今日も千歌も曜ちゃんも、幸せそうだねぇ……」
梨子「あはは、ホントに……」
というわけで、気を利かせて声を掛けてくれた、むっちゃん、よしみちゃん、いつきちゃんと一緒にお昼を食べる。
……まあ、ここしばらくはずっと一緒にお昼を食べているんだけどね。
もちろん、むっちゃんたちとお昼を過ごすのも楽しいから嫌とかではないんだけど……。それでも、千歌ちゃんや曜ちゃんとの時間がめっきり減ってしまったことは、やっぱり私にとっては寂しいことで、
梨子「……はぁ」
私はまた一人、小さく溜め息を吐いてしまうのだった。
 * * *
──放課後。
本日もいつもどおりAqoursの練習だ。
もうだいぶ日が落ちるのが早くなってきたため、普段の練習は曜ちゃんのお父さんが借りているスタジオを使わせてもらっているんだけど……。
今日は花丸ちゃんが図書委員の仕事で参加出来ないとの連絡があり、全員揃わないため、練習は学校でやって早めに切り上げることになっている。
善子「リリー、来たわね」
梨子「だから、リリー禁止って……」
7:
私が着替えを終えて屋上に着くと、すでに他のメンバーは全員揃っていた。どうやら私が一番最後だったようだ。
ダイヤ「全員揃いましたわね」
私が来たのを確認したダイヤさんが、もう一度全員の顔を順繰りに確認したあと、
ダイヤ「本日は撤収が早いので、皆さんだらだらやらないように」
本日の一言。
果南「それじゃストレッチからいくよー」
 「「「「「はーい」」」」」
果南ちゃんの号令で、ストレッチから。
腕をクロスさせる、腕・肩のストレッチから始まり、二の腕、前屈と一通りこなしたあと、
果南「次はペアストレッチねー。二人組作ってー」
今度はペアストレッチ。
鞠莉「それじゃ、曜。マリーが全身ほぐしてあげるわね♪」
曜「お手柔らかに……」
千歌「ダイヤさん!」
ダイヤ「はい、わたくしたちも始めましょうか」
果南ちゃんの号令を受けて、さも当然のように、カップルたちが二人一組になる。
……さて私は誰と組もうかな……と考えながらも、普段から何かと絡んでくる堕天使な後輩に声を掛けようとしたところ、
ルビィ「善子ちゃん、一緒にやろ?」
善子「今日はずら丸がいないものね。いいわよ」
花丸ちゃんがお休みなためか、善子ちゃんはルビィちゃんに誘われて二人一組を作るようだ。
となると……。
果南「ありゃ、余っちゃったね」
梨子「……そうみたいだね」
果南「じゃあ、私たちでやろうか」
梨子「うん、お願いね、果南ちゃん」
残った果南ちゃんとペアになる。
誰が言い出したわけではないけど、千歌ちゃんダイヤさん、曜ちゃん鞠莉ちゃんが組むのはもはや暗黙の了解的に皆わかっていることで、残った5人の中で柔軟のペアを組む。
私は何かと善子ちゃんと組むことが多いけど、果南ちゃん、花丸ちゃん、ルビィちゃんとはやらないなんてことはなく、近くに居た人とペアを組むことが多い。
まあ……善子ちゃんは果南ちゃんと組むと、スパルタな柔軟に付き合わされるから、ちょっとだけ嫌みたいだけど……。
果南「それじゃ、前屈から。梨子ちゃん、座って」
梨子「うん」
長座体前屈のために、床に座ると、前方に最でペアを組んで柔軟を始めていた千歌ちゃんや曜ちゃんたちが視界に入ってくる。
8:
曜「いちにーさんしー」
鞠莉「……曜、相変わらず柔らかすぎない?」
曜ちゃんは本当に身体が柔らかい。補助なしでも、ほぼぺったり地面に上半身がくっついている。
曜「身体が柔らかくないと、飛び込みで綺麗な姿勢にならないからねー」
鞠莉「つまんない! それじゃ、マリーが変なところ触れないじゃない! もっと身体硬くしてよ!」
曜「えぇ!? 私、なんで怒られてるの!?」
理不尽だ……。一方で千歌ちゃんたちは、
千歌「いっちにーさんしー」
ダイヤ「千歌さん、だいぶ身体が柔らかくなりましたわね」
千歌「んー。毎日お風呂あがりにダイヤさんが教えてくれたストレッチやってるからー」
ダイヤ「ふふ、継続は力なり。ちゃんと続けていて偉いですわね」
千歌「えへへーでしょでしょ?? もっと褒めてー?」
ダイヤ「すぐに調子に乗らない。続けますわよ」
千歌「はーい」
相変わらず仲良しだ。なんだか、ご馳走様と言いたくなる。
果南「梨子ちゃん、始めて大丈夫?」
梨子「あ、うん。お願い」
いけないいけない……。カップルたちに気を取られて、自分の柔軟がおろそかになっている。
ダイヤさんが言ったとおり、冬の時期は日が落ちるのも早い。沼津の練習場を使わない日はより集中して練習に取り組まないと時間がもったいない。
果南「押すよー」
梨子「はーい」
果南ちゃんに背中を押してもらい、爪先まで手を伸ばす。
梨子「いち……にー……さん……しー……」
私も最初の頃に比べると、身体も随分と柔らかくなってきたつもりだけど……さすがに曜ちゃんのようなアスリートと比べると全然だ。
手指の柔軟性だけだったら、ピアノをやっている分、Aqoursの中でも随一だと思うんだけどね……。
そんなことを考えながら、必死に身体を折り曲げていると、
 果南『……鞠莉もダイヤも、楽しそうだなぁ』
梨子「……?」
果南ちゃんが、溜め息交じりで急に呟いた。
 果南『千歌も曜ちゃんも……最近は二人にべったりだし……。話す機会も減っちゃったなぁ……』
梨子「……」
独り言……なのかな……?
考えてみれば、果南ちゃんも私同様、親友二人に恋人が出来たわけで……同じようなことを考えているのかもしれない。
……ということは、話しかけられているのかな? 同じような境遇の私に同意を求めているとか……。
9:
梨子「……果南ちゃんも、やっぱり寂しい?」
果南「え?」
梨子「ほら、ダイヤさんと鞠莉ちゃん……」
果南「ダイヤと鞠莉がどうかしたの?」
梨子「……?」
あれ……なんか会話が噛み合ってないな。
やっぱりさっきのって独り言だったのかな……?
梨子「えっと……二人とも恋人が出来ちゃったから、二人との時間が減っちゃって寂しかったりするのかなって思って……」
果南「別に寂しいとは思わないよ。鞠莉もダイヤも、幸せそうだし」
 果南『……確かに二人ともゆっくり話す機会はめっきり減っちゃったかも……』
梨子「……?」
言ってることが前後で真逆なんだけど……。
果南「それより、梨子ちゃん。そろそろ交代しようか?」
梨子「あ、うん」
促されて、今度は果南ちゃんが座り、私が背中を押す番。
梨子「押すねー」
果南「ん、お願いー」
私が背中を押すと、果南ちゃんはどんどん前に体が伸びていく。やっぱり、スポーツマンの果南ちゃんの身体は、さすがの柔らかさだ。
 果南『梨子ちゃん……急にどうしたんだろう』
梨子「……?」
 果南『寂しいかって……そんなに顔に出てるのかな』
顔というか、声に出ているんだけど……。
 果南『それとも、心を読まれたとか? ……まさかね』
梨子「……へ?」
果南「? どうかした?」
梨子「……う、うぅん、なんでもない」
果南「そう?」
 果南『なんか、今日の梨子ちゃん……ちょっと変だな。……体調でも悪いのかな……?』
梨子「…………」
何か、変だ。
果南「よし……それじゃ、次は背中合わせのストレッチね」
梨子「う、うん」
前屈を終えて、今度は背中合わせで片方が背負うようにして、相方の背筋を伸ばすストレッチ。
背中合わせになって、お互いの腕をクロスさせる。
果南「私が先にやるねー」
梨子「は、はーい」
10:
まず私が果南ちゃんに背負われる。
果南「いちにーさんしー」
 果南『梨子ちゃん、やっぱり軽いなぁ……ちゃんとご飯食べてるのか心配になるよ』
梨子「…………」
果南「にーにさんしー」
 果南『アウトドアな私とか千歌と違って……肌もほとんど日に焼けてなくて真っ白な綺麗な肌で、まさに女の子って感じの子だし……』
梨子「……!?///」
急に肌を褒められて、思わず背負われたまま赤面する。
赤面したまま、今度は私が果南ちゃんを背負う番。
梨子「さ、さんにーさんしー……///」
 果南『……声にちょっと覇気がないな……やっぱり、体調悪いのかな……?』
梨子「よんにー!! さんしー!!///」
 果南『うわっ、急に声大きくなった……?』
疑問は予想に、予想はだんだん確信へと迫っていく。
私、もしかして……。
果南「よし……! 次は、脇腹伸ばしだね」
 果南『これだけ声が出るなら大丈夫かな……?』
梨子「…………」
──果南ちゃんの心の声が聞こえてる……?
果南「梨子ちゃん?」
梨子「へっ!?」
果南「大丈夫? ぼーっとしてたけど……もしかして体調悪い?」
梨子「だ、大丈夫だよ!?」
果南「でも……顔もちょっと赤いし……」
顔が赤いのは果南ちゃんが急に変なこと言うから──と言いたかったけど……心の声が聞こえているかも、なんて言うわけにもいかず、私は口を噤む。
果南「……ちょっと保健室行こうか」
梨子「えっ、い、いや、本当に大丈夫で……!」
果南「ダイヤー」
果南ちゃんが少し離れたところで、千歌ちゃんと一緒にストレッチをしているダイヤさんに声を掛ける。
ダイヤ「なんですのー?」
果南「梨子ちゃん、ちょっと調子が悪いみたいだから、保健室連れてくねー」
ダイヤ「あら……わかりましたわー」
千歌「梨子ちゃん、体調悪いのー? 大丈夫ー?」
梨子「え、えっと……私は全然平気なんだけど……」
果南「それじゃ、行こうか」
果南ちゃんは私の手を掴んで、歩き出す。
梨子「あ、あの! 果南ちゃん……!」
11:
本当に体調が悪いわけじゃないことを伝えようとするも、
果南「無理は禁物。行こう」
有無を言わさず連行される。
 果南『Aqoursには調子が悪いときに自分から言いだせない子も多いから、こういうときは少し強引なくらいがちょうどいいんだよね』
梨子「……」
 * * *
──果南ちゃんに手を引かれたまま、保健室へと向かう。
強引なくらいがちょうどいいとは言っていたものの、果南ちゃんは私がちゃんと付いて来られているかを、定期的に確認している。
 果南『ちょっと歩くのいかな……もう少しペース落として……』
私の歩幅が小さいのか、果南ちゃんの歩きのペースだと少しかったので、それは助かるんだけど……。
 果南『それにしても、梨子ちゃんって華奢だなぁ……』
梨子「……///」
 果南『手も足も細くて、真っ白だし……』
梨子「……ぅぅ……///」
先ほどから、ナチュラルに褒め殺しにあっていて、とにかく恥ずかしくてたまらない。
ただ、この褒め殺しの中でも、気付いたことがある。
さっきから、果南ちゃんの言っていることは、音で聞こえるというよりも、頭の中に響いているような感じだ。
前を歩いているせいで、口が動いていないかの確認はあまり出来ていないけど……恐らく、これは果南ちゃんが声に出している言葉ではない気がする。
理由はわからないけど、どうやら今の私は果南ちゃんの考えていることが聞こえるようになっているらしい。
顔を熱くしたまま、どうにかこうにか自分の中で考えをまとめていると──気付けば保健室に辿り着いてた。
果南「失礼します」
果南ちゃんが断りを入れながら、保健室の引き戸を引いて中に入ると、そこには誰も居なかった。どうやら養護教諭の先生は席を外しているらしい。
果南「先生不在か……まあ、いいや。梨子ちゃん、そこ座って」
果南ちゃんは椅子に座るように促しながら、引いていた手を放す。
梨子「う、うん……///」
やっと果南ちゃんの褒め殺しから解放されて、少しだけホッとしながら、椅子に腰を下ろす。
果南「うーん、体温計……見当たらないなぁ……」
一方果南ちゃんは、体温計を探しているようだ。
梨子「あの、果南ちゃん……私、本当に大丈夫だから……」
果南「もう……まだそんなこと言って……。顔真っ赤だよ? 気付いてないの?」
12:
……気付いてます。でも、これは本当に体調不良が原因じゃないんだけど……。
果南「……んー見つからないな、仕方ない」
結局、見つからなかったのか、果南ちゃんは体温計を探すのは諦めたのか、そのまま私の目の前まで歩いてきて、
果南「ちょっとごめんね」
梨子「え? ……ひゃっ!?///」
急に自分のおでこを私のおでこに押し当ててきた。
梨子「ぁ……ぁ……///」
 果南『んー……やっぱちょっと熱ある……?』
──お陰様で。
梨子「か、果南ちゃ……///」
果南「あー、もうちょっと、じっとしててね」
 果南『……あ、近くで見ると、梨子ちゃんのまつ毛って長いんだなぁ……やっぱり美人さんだ』
せめて、検温に集中して欲しい。
梨子「……ぅ、ぅぅぅ……///」
果南「ふーむ……熱はまあ、ちょっとあるくらいかな……」
果南ちゃんが呟きながら、やっと離れてくれた──と思ったら、
梨子「ひひゃぁっ!?///」
今度は首筋辺りを両手でホールドするような形で手を添えてくる。
果南「ゆっくり息を吸ったり吐いたりしてみてー」
梨子「う、うん……///」
 果南『……脈もちょっといかな』
どうやら脈を測っているらしい。それはいいんだけど、果南ちゃんの顔が近過ぎる。思わず目を逸らすと、
果南「あー梨子ちゃん、目逸らさらないで」
何故か注意される。
梨子「な、なんで……?///」
果南「いいから」
こっちはよくないんだけど……。頑張って、視線を戻すと、果南ちゃんが真正面から私の瞳を覗き込んでいる。
梨子「……///」
 果南『瞳孔動揺はなし……。意識ははっきりしてるし、問題ないかな』
梨子「……?///」
どうこうどうよう……聞きなれない単語だけど、瞳孔動揺かな……?
瞳の動きを確認しているらしい。だから、目を逸らさないように言われたのかな……。
13:
果南「咳とか、鼻水はない?」
梨子「う、うん……///」
果南「声枯れは……聞いてみればいっか。ちょっと声出してみて」
梨子「あ、あーーーー……///」
果南「うん、問題なさそうだね」
 果南『じゃあ、風邪の線はなさそうかな……。となると……』
果南「梨子ちゃん、疲れてる……?」
梨子「い、いや……その……///」
そういうことじゃないんだけど……。というか、いい加減恥ずかしい。
梨子「か、果南ちゃん……///」
果南「ん?」
梨子「そ、その……もう、脈とか……大丈夫、かなーって……///」
果南「ああ、ごめんね」
やっと至近距離で見つめられるのから解放される。
梨子「あ、あのね……本当に何もなくって……///」
果南「……本当に?」
強いて言うなら、何故か果南ちゃんの心が読めることが問題であって……。でも、心が読めるなんて言い出したら本当に救急車を呼ばれかねない。
梨子「本当に大丈夫だから……」
果南「……わかった」
何度も問題がないことを伝えると、果南ちゃんはやっと納得してくれた。
果南「ただ、まだ顔もちょっと赤いし……脈もかったから、もう少し横になって休憩しようか?」
梨子「う、うん……」
原因は目の前の人なんだけど、実際に顔に出てしまっている以上は体調不良と捉えられても仕方ない……。
ここで突っぱねても話がややこしくなるだけなので、大人しく頷いておく。
保健室のベッドに横たわると、果南ちゃんは近くに椅子を持ってきて、ベッドのすぐ隣に座る。
梨子「果南ちゃん……?」
果南「ん?」
梨子「果南ちゃんは練習に戻っても……」
果南「心配だから、もう少しだけここに居るよ」
梨子「……そっか」
心配性だなぁと思いはしたものの、その気遣いはちょっぴり嬉しい優しさだ──この赤面とい脈の原因が果南ちゃんなことを除けばだけど。
……それはそれとして、もう一個大きな問題がある。
もちろんそれは、何故か果南ちゃんの心が読めるっぽいということだ。
普通では絶対にありえないことだし、あまりにも唐突に始まったため、手掛かりも何もない状況……。
……あ、いや、今は聞こえないな……。条件があるのかな……?
少し自分の中で、起こっていた現象そのものを反芻してみる。
果南ちゃんの心の声らしきものが聞こえていたときって──
14:
梨子「…………」
一つ仮説が浮かぶ。でも、実行するのはちょっと恥ずかしい。
悩みはしたものの……何の手掛かりもなく、やりすごしてしまうのも、なんだか怖い気がして、
梨子「…………ねぇ、果南ちゃん」
果南「んー?」
梨子「手、繋いでいい……かな……?///」
恥ずかしさを我慢しながら、果南ちゃんにそうお願いする。
果南「それくらい、お安い御用だよ」
すると、果南ちゃんは自分から、私の手を握ってくれる。
それと同時に、
 果南『梨子ちゃんって……もしかして、思ったより甘えんぼなのかな?』
梨子「!」
頭の中に果南ちゃんの声が響く。
──つまり、果南ちゃんの心の声を聞く条件は、『直に触れている』ということらしい。
それと同時に、果南ちゃんの口元を見ると、確かに口は動いていないことが確認できたところから、心の声が聞こえているということでほぼ間違いないと思う。
確認したいことが確認出来て満足した私は、果南ちゃんと繋いでいる手を離そうと──
 果南『それにしても……体調が悪いときに手を繋いでてなんて……昔の千歌みたいで可愛いな』
梨子「…………」
あ、あれ……? この流れで手を放すのは……無理なんじゃ……。
 果南『梨子ちゃんの手……ちっちゃくて柔らかい。改めて意識してみると、指も一本一本細くて綺麗だし……私の手とはちょっと違うかも』
梨子「…………///」
自らの意思で再び、褒め殺しの土壌に飛び込んでしまったことに気付く。
確かに果南ちゃんの手は私の手に比べると少し大きい。
 果南『それと……すごい冷たい。……冷え性なのかな?』
果南ちゃんの言うとおり──というか、思っているとおり──私は少し冷え性気味で、特に今みたいな冬場は末端が冷えてしまうことがよくある。
逆に今繋いでいる果南ちゃんの手はなんだかぽかぽかとしていて暖かった。やっぱり、普段から体を動かしている人だと、代謝がいいから体温も高いのかな……?
 果南『……なんか新鮮だなぁ。こうして梨子ちゃんに甘えられる日が来るなんて』
梨子「……///」
こっちには別の理由があったとは言え、果南ちゃんの視点から見たら私が甘えているように思うよね……。
 果南『あ……だから、さっきあんなこと言ってたのかな』
梨子「……?」
なんのことだろう……?
15:
果南「ねぇ、梨子ちゃん」
梨子「ん……な、なに……?」
果南「梨子ちゃん……もしかして、寂しいの?」
梨子「え……?」
果南「さっき、私に……『果南ちゃん“も”、寂しいの?』って聞いてきたから……」
 果南『それってつまり、梨子ちゃん“も”、寂しかったってことだよね』
梨子「……あ」
果南「もしかして、何かあった?」
梨子「えっと……何かってほどのことじゃ……」
寂しいと思うことは、確かに最近何かと多いけど……。
 果南『……やっぱり、私相手じゃ話しづらいか』
う……。……そう言われると──思ってるだけだけど──逆に言わないのが憚られる。
梨子「……その……本当に大した話じゃないよ……。お昼休み、千歌ちゃんも曜ちゃんも、ダイヤさんや鞠莉ちゃんのところに行っちゃうから、取り残されちゃうことが多くて……」
果南「あぁ……そういうことか」
梨子「もちろん、他の友達と食べてるけど……。やっぱり、私が一番仲良しなのは千歌ちゃんと曜ちゃんだから……寂しいなって」
果南「そっか……」
 果南『……私も同じような感じだから、気持ちは痛いほどわかる……』
梨子「うん……。……やっぱり、Aqoursのメンバーは……私にとって、特別だから」
果南「それなら……同じ学年じゃないけど、善子ちゃんと一緒に食べるのは? 仲良いでしょ?」
梨子「善子ちゃんか……」
確かに、善子ちゃんと一緒に食べるのも悪くない、けど……。
梨子「善子ちゃんはルビィちゃんや花丸ちゃんと一緒に食べてるだろうし……そこに混ぜてもらうのは、ちょっとなぁ……」
果南「あー……まあ」
一年生には一年生の輪というものがある。
ルビィちゃんも花丸ちゃんも、私が一緒に食べたいと言ったら歓迎してくれるとは思うけど……。
周りの一年生からの視線が辛い気がする。わざわざ一年生の教室まで一人でお昼を食べに来る二年生って……──尤も善子ちゃんは喜々としてからかって来そうなものだけど。
 果南『私も鞠莉が居なくなって、ダイヤと顔合わせ辛い時期でも、千歌の居る教室に行こうとは思わなかったしなぁ……』
どうやら、果南ちゃんには既に心当たりがあるらしい。三年生はギクシャクしちゃってた時期があったもんね……。
果南「千歌たちにそれは言ったの?」
梨子「……言えないよ」
果南「……」
 果南『まあ……言えないよね』
梨子「寂しいけど……千歌ちゃんと曜ちゃんが、幸せそうにしてるのが嬉しいって気持ちもホントだから……」
果南「梨子ちゃん……」
 果南『確かに、ね……私も鞠莉とダイヤが幸せそうにしてるのは、素直に嬉しいし……』
果南ちゃんも友達に対して感じている気持ちは同じようだ。皆思うことで、そうするしかない……これは、仕方のないことなんだ。
 果南『……でも、やっぱり梨子ちゃんが寂しそうにしてるのは放っておけないよ……』
16:
……ふふ。果南ちゃん優しいな。
思わず内心で笑ってしまう。
でも、そう思ってくれるだけで十分。だから、この話はこれで終わり──
 果南『……あ、良いこと考えた……!』
梨子「?」
果南「ねぇ、梨子ちゃん」
梨子「な、なに?」
果南「それならさ、明日からお昼は一緒に食べない?」
梨子「……え?」
果南「いや、なんでもっと早く思いつかなかったんだろう!」
梨子「か、果南ちゃん……?」
 果南『私は一人で寂しい、梨子ちゃんも一人で寂しい、それなら私と梨子ちゃんが一緒に過ごせばお互いWin-Winってことだよね』
果南「我ながらナイスアイディアだよ! 場所はどこがいいかな?」
気付けば、勝手に話が進んでいた。
果南「お互いの教室はまずいから……他に空いてる場所。……あ、部室ならいいんじゃないかな」
梨子「あ、うん……えーっと……」
急な展開に付いていけず、しどろもどろしていた、そのときだった──ガラッと保健室の扉が開く音がして、
 「──リリー? 果南? 大丈夫?」
人が入ってきた。この声は……善子ちゃんだ。
善子「なかなか戻ってこないから、様子見に来たんだけど……奥のベッドかしら……?」
そんな言葉と共に、カーテンが開け放たれる。
善子「やっぱり、ここに……い、た……」
梨子「?」
カーテンを開け放った善子ちゃんは、言葉を詰まらせ、
善子「ご、ごめんなさい……!」
急に謝罪する。
梨子「え?」
善子「わ、私……! リリーのビッグデーモンが果南だったなんて知らなくて……!」
果南「ビッグデーモン?」
梨子「……え?」
一瞬、謎の横文字のせいで意味が理解が出来なかったけど、ワンテンポ遅れてすぐに答えに辿り着く。
──手だ。私と、果南ちゃんの、繋がれたままの、手。
梨子「……!?///」
私は思わず、果南ちゃんと繋がれていた手をバッと離す。
17:
梨子「い、いやその!!/// こ、これはそういうのじゃなくて!?///」
善子「じゃあ、なんだって言うの!? 保健室で逢引きしてた罪深きリトルデーモンじゃない!!」
梨子「逢引き!?///」
善子「た、体調が悪いって……ご休憩って意味で……」
梨子「そんなわけないでしょっ!?///」
この堕天使は、とんだ耳年増のようだ。それがわかる私も私だけど……。
果南「ダメだよ、善子ちゃん。善子ちゃんが言うとおり、梨子ちゃんは今休憩中なんだから……」
善子「やっぱりそうじゃない!!」
一方、果南ちゃんはあんまり意味が理解出来ていないようで、それを受けて善子ちゃんが吠える。
ああ、もう……めんどくさい……。……今はとにかく、話題を逸らそうと思い、
梨子「ねぇ、善子ちゃん。様子を見に来たってことは用事があったんじゃないの?」
努めて冷静に、問いかける。
善子「えっ、ま、まあ……そうだけど……」
果南「用事?」
善子「果南不在でダンスコーチが居ないから、梨子が問題なさそうなら、呼び戻した方がいいかなって……」
果南「ええ……? そんなの、ダイヤか鞠莉がやればいいのに……」
善子「私は果南が居ないと締まらないから、って思って来たけど……今は考えが変わった。ダイヤと鞠莉にはそう伝えるわ」
梨子「……!?」
そう言って、善子ちゃんは踵を返す。不味い、誤解されたまま善子ちゃんを逃がすわけにはいかない。
梨子「果南ちゃん! 戻った方がいいと思う!」
果南「え? でも……」
梨子「私なら本当に大丈夫だから……! 今日はただでさえ練習時間も短いんだし、呼ばれてるってことは、皆困ってるんだよ! それに、Aqoursの専任コーチと言えば果南ちゃんしか居ないと思うから!」
果南「そんな大袈裟な……」
梨子「絶対その方がいいから!!」
果南「まあ……そこまで言うなら……。でも、本当に平気……?」
梨子「大丈夫! 果南ちゃんの代わりに善子ちゃんに残ってもらうから!」
善子「え」
梨子「Aqoursの練習には果南ちゃんが必要だと思うから……戻ってあげて、ね?」
かなり強引に捲くし立てると、
果南「……わかった。それじゃ、私は先に戻ってるね」
どうにか納得してもらえたようだった。
果南「それじゃ、善子ちゃん。梨子ちゃんのこと、よろしくね?」
善子「え、ええ……」
果南「梨子ちゃん、くれぐれも無理しないように」
梨子「うん、ありがとう。果南ちゃん」
18:
最後に一言残してから、果南ちゃんは善子ちゃんと立ち位置を入れ替えるようにして、保健室を出て行った。
果南ちゃんの足音が完全に聞こえなくなったのを確認してから、
梨子「……はぁぁぁ……」
私は盛大に溜め息を吐いた。
慣れないことをして、とてつもなく疲れた……。とはいえ、この後もう一仕事あるんだけど……。
梨子「善子ちゃん」
善子「……え、えっと……わ、私はその……果南の代わりには……。というか、ヨハネなんだけど……」
梨子「だから、本当にそういうことじゃなくて……」
善子「なら、なんで仲良く手なんか繋いでたのよ!」
梨子「そ、それは……」
確かに、それはそうだ。
善子「やっぱり、果南はビッグデーモン……!」
梨子「だから、違うって言ってるでしょ!」
善子「じゃあ、なんなのよ……」
梨子「それは、その……成り行きというか……。とにかく、いろいろあったの……」
善子「…………」
善子ちゃんは私の説明になってない説明に、眉根を顰めていたけど、
善子「……まあ、いいわ。そこまで言うなら、とりあえず納得してあげなくもないわ」
どうにか、矛を収めてくれた。
善子「それで、体調はどうなの?」
梨子「あー、えーっと……」
実は元気だと言おうと思ったけど、それを言うとますますご休憩説が真実味を帯びてしまうから、
梨子「ちょっと横になったらだいぶ楽になったよ」
一応体調を崩していた体で話すことにする。
善子「そう? ならいいけど。最近寒いから、体調も崩しやすいし、気を付けなさいよ」
果南ちゃんの言葉──というか心の声──で恥ずかしくて赤面していたら、保健室に連れていかれたなんてバレたら、それこそ馬鹿にされそう……。
善子「堕天使の闇の炎は自己回復は出来ても、他人を回復させるヒールがないのが悔やまれるわ。今のリリーでは闇に焦がされて死んでしまうし。私が天使だったころなら、すぐに回復してあげられたんだけど……」
梨子「へー……」
堕天使にはヒールがないらしい。どうでもいい新情報を適当に受け流しながら、ふと思う。
19:
梨子「ねぇ、善子ちゃん」
善子「だからヨハネ……」
梨子「堕天使って、人の心は読めたりしないの?」
善子「無視するなぁ! ……って、え? 人の心?」
梨子「うん」
──善子ちゃんだったら、この不思議現象に心当たりがあったりしないだろうか?
何も知らない可能性も十分あるけど……それでも他の人より、こういうオカルト染みたことには詳しそうだし。
善子「くっくっく……」
梨子「?」
善子「ついに、アナタも †こちら側† に興味を持ち始めたようね……リトルデーモンリリー!」
……なんだか、面倒くさいツボを突いてしまったかもしれない。
梨子「えーと……それで、出来るの……?」
善子「そうね……テレパシーの一つや二つ、造作もないことだわ」
梨子「テレパシー……」
──ダメ元で聞いたつもりではあったけど、すぐにそれっぽい単語が出てきた。
確かにこの現象、『果南ちゃんの心の声がわかる現象』と呼称するには少し長いし、今後はテレパシーって呼ぼうかな。
梨子「それってどんな感じなの?」
善子「どんな……? えーっと……眷属のリトルデーモンの考えが手に取るようにわかる感じかしら」
梨子「眷属のリトルデーモンって?」
善子「もちろん、リトルデーモンリリー! アナタのことよ!」
梨子「……じゃあ、今私の考えてることわかる?」
善子「わかるわ。ヨハネの能力に感服しているところでしょう」
梨子「……」
とりあえず、善子ちゃんにテレパシー能力がないことは間違いないようだ。
善子「ヨハネ以外だと、あとは信頼関係の強い二人ならテレパシーを使えるって聞いたことがあるわ」
梨子「信頼関係の強い二人?」
善子「愛する者同士とか、強い結びつきのある主従とかかしら」
梨子「愛する者同士……」
つまり、私と果南ちゃんは──
変な想像をしかけて、すぐに頭の中の妄想を掻き消す。
どう考えても、私と果南ちゃんは愛する者同士ではない。
もちろん主従でもないし……。先輩後輩が関の山じゃないだろうか。
今までの果南ちゃんとのやり取りを考えても……考え、ても……。
──『それにしても、梨子ちゃんって華奢だなぁ……。手も足も細くて、真っ白だし……』──
──『……あ、近くで見ると、梨子ちゃんのまつ毛って長いんだなぁ……やっぱり美人さんだ』──
等々、さっき果南ちゃんから心の声で褒め殺しにされていたことを思い出して、
20:
梨子「///」
一人で無性に恥ずかしくなる。
い、いや……あれは恋とか愛とかじゃなくて、ただの感想だから。
……心から褒めてくれていたのなら、素直に嬉しいけど……果南ちゃんにも他意はない……はず。
善子「リリー? 顔赤いけど……? やっぱり、まだ体調悪いんじゃ……」
梨子「だ、大丈夫っ……!///」
私は変な想像を掻き消すように、軽く首を振って、話を戻す。
梨子「え、えっと……! さっきの話、どこで聞いたの? 愛する者同士は、その……テレパシーで繋がってるって」
善子「どこ? ……どこだっけ」
梨子「えぇ……」
どうやら出典不明らしい。一気に眉唾になった。
いや、そもそもテレパシーなんて眉唾だと思ってはいるけど……──今日、果南ちゃんとの間に起こった現象さえなければなんだけどね……。
善子「……確か、夢で見た」
梨子「そっかー」
変な想像で一人恥ずかしくなって、損した気分だ。
どうやら、これはあくまで善子ちゃんの妄想の世界の中での話だったらしい。
善子「自分から聞いておいて、何よその反応!! そ、そうだ! その夢の中では千歌とダイヤが使ってた!!」
まあ、確かにその二人なら『愛する者同士』って条件には当てはまっているのかもしれないけど……。
それって、恋人同士はお互いのことをよく知っているから、テレパシーみたいに見えるってだけだよね……。
梨子「……聞いて損した」
善子「なんなのよー!! 自分から話振ってきたんじゃない!?」
善子ちゃんがシャーッと吠えた、瞬間──ガラッと保健室の扉が開く、
 「──貴方たち、保健室で何騒いでるの!」
梨子・善子「「!?」」
入ってくると同時に叱咤の声。そして、顔を顰めた養護教諭の姿。私たちが余りに騒がしくしていたから、駆けつけてきたのかもしれない。
梨子「え、えっと……すみません……」
養護教諭「騒ぎたいなら、外でやりなさい。保健室はそういうところじゃありません」
善子「あ、あのー……リリ──……じゃなくて梨子が体調不良で……」
養護教諭「こんなに騒いでいるのに?」
御尤もな指摘。
21:
養護教諭「放課後だし、他に使ってる人も居ないから、入りびたるくらいなら大目に見るけど……騒ぐのは流石に看過できないわ」
梨子「で、ですよね……善子ちゃん、出よう」
善子「え、大丈夫なの……?」
梨子「さっきも言ったけど……もうだいぶよくなってきたから」
善子「まあ、リリーが平気なら構わないけど……」
実際、騒いでいた私たちが悪いし……。私は横になっていたベッドを軽く整えてから、先生に頭を下げる。
梨子「お騒がせしました……」
善子「騒いで、ごめんなさい……」
養護教諭「もう、保健室で騒いじゃダメよ」
梨子・善子「「はーい」」
私たちは先生に謝罪をしてから、保健室を後にした。
 * * *
善子「全く……リリーが変な話振るからいけないのよ?」
梨子「えー……」
あれー、私が悪いのかな……?
騒いでいたのは主に善子ちゃんだった気がするんだけど……。
善子「とりあえず、屋上戻る?」
梨子「うん、そうだね……」
体調もよくなったし──いや、もともと悪くなってないけど──それなら、練習に戻る方がいいだろう。
善子ちゃんをいつまでも付き合わせるわけにもいかないしね。
二人で一階の保健室から屋上に向かって歩く。
善子「それにしても、テレパシーねぇ……」
梨子「んー?」
善子「確かに使えたら便利よね」
梨子「……使えるんじゃなかったの?」
善子「ぼ、凡人たちの気持ちの代弁よ!」
なんか設定がブレブレだなぁ……。
階段を上りながら、私は肩を竦める。
善子「な、何よ!!」
梨子「いやぁ……堕天使ヨハネ様はすごいなーって」
善子「ちゃんと目を見て言いなさいよ!」
いつものやり取りをしながら、階段の踊り場を折り返したところで、
22:
 「──あ、やっぱり善子ちゃんだ」
上方から声が降ってきた。声の主は──
梨子「花丸ちゃん?」
善子「あら……ずら丸じゃない」
花丸ちゃんだった。
花丸「梨子ちゃんも一緒だったんだ。二人とも、こんなところでどうしたの?」
善子「ずら丸こそ……図書委員の仕事してたんじゃないの?」
花丸「今終わったところだよ。そしたら、下の方から善子ちゃんが騒いでるのが聞こえてきたから……」
梨子「ほら……やっぱり騒いでるのは善子ちゃんだって」
善子「何よ!?」
花丸「善子ちゃんは何を騒いでたの?」
善子「騒いでないわよ! というか、善子じゃなくてヨハネだって言ってんでしょ!? ……リリーが何度言っても、私のテレパシー能力を信じないからいけないのよ」
悪いのはリアリティがない設定の方だと思うんだけど……。
花丸「テレパシー? テレパシーって……」
善子「心を読む力よ」
花丸「妖怪の覚(さとり)が使うやつ?」
善子「さと……まあ、そんな感じよ」
梨子「さとり……?」
私は花丸ちゃんの言葉に首を傾げる。
善子「あら……リリー、覚のこと知らないの?」
梨子「う、うん……」
花丸「覚は人の心を読むって言われてる、日本の妖怪のことだよ」
梨子「人の心を読む……妖怪」
善子「見た目はサルっぽいやつよね……。正直ビジュアル的にはダサいから、ヨハネのテレパシーと一緒にしないで欲しいんだけど……」
善子ちゃんはあまり好きではないようだけど……今の自分の状況に即している妖怪の話が出てきた。もしかしたら、善子ちゃんに訊く以上に何かヒントが得られるかもしれない。
梨子「花丸ちゃん、もうちょっと詳しく教えてもらっていい?」
花丸「うん、いいよ。覚は飛騨や美濃──今の岐阜県の方の妖怪で、心を読むのが特徴とされてる妖怪だよ」
善子「へー……覚って岐阜出身なのね」
花丸「岐阜の妖怪って言っても、人間の心を読む妖怪の伝承は日本各地にあって、姿形や呼称、特徴も時代や地域によって微妙に違ったりするんだけど……。飛騨・美濃以外の民話や伝承は“サトリのワッパ”って言われたりすることが多いんだって」
善子「ワッパ……? わっぱって子供のことよね? じゃあ、覚ってのは、そういう伝承とかの大ボスってことなのかしら?」
花丸「諸説あるけど、そんな感じかな」
梨子「へー……」
自分に知識がないせいか、口を挟む隙がないけど……善子ちゃんも少し興味があるようで、自然と話を広げるのに一役買ってくれている。
23:
花丸「少し身近な逸話だと、山彦は覚がモデルだって説があるずら」
梨子「山彦……? やっほーってやつのこと……?」
花丸「うん。山に向かって叫んだ声が、反響して返ってくるのが、心を読まれたって考えと結びついて、そういう説が出来たんだと思う」
梨子「なるほど……」
善子「それにしても、覚って妖怪は人の心なんか読んで、何が目的なのかしら?」
花丸「目の前に現れ、相手の心の内を言い当てて、相手が驚いている隙に取って食おうとするみたいだよ」
善子「……食われるのは嫌ね。対処法とかないの?」
花丸「覚は目の前の相手の心は読めても、無生物の動きを知ることは出来ないから、焚火とかで木片が偶然跳ねてぶつかったりすると、驚いて逃げていくって言われてるよ」
梨子「焚火かぁ……」
善子「そう聞くと、能力の割に意外と小心者なのね……」
花丸「でも、この妖怪はいくつか狂歌が残ってるくらいには有名どころの妖怪でもあるずら。『来べきぞと 気取りて杣が 火を焚けば さとりは早く 当たりにぞ寄る』とか『人の知恵 さとり難しと 恐れけり ぽんと撥ね火の 竹の不思議を』とかね」
まとめると……人の心を読む妖怪で、弱点は焚火……ってことかな。ただ、これだけだと、そういう妖怪が居るというだけの話になってしまう。
梨子「ねぇ、花丸ちゃん」
花丸「ずら?」
梨子「その……覚が、人に取り憑いたりすることってあるのかな?」
善子「取り憑くって……憑依ってこと?」
梨子「そんな感じかな……」
花丸「うーん……妖怪って、概念的な捉え方をすることも多いからね。ありえない話ではないと思うかな」
善子「そういうもんなの?」
花丸「どっちかというと現象に近いものだからね。山彦とか木霊みたいに、姿形は見えないけど、起こっている現象に対して、実は何かが居るはずだって信じた昔の人が存在をでっちあげたものが、妖怪として伝承に残っていたりもするから……」
善子「なるほどね……人々の恐怖そのものが妖怪を作り上げてしまう、と……」
花丸「人の心から作り出されたものである以上、人に取り憑くこともあるのかなって。だから、結論としては、あり得る。かな」
梨子「そっか……」
となると、覚というのは一つの説としてはあり得るかもしれない。
むしろ、唐突に始まった現象である以上、そういう超常的な存在がいる方がいくらか説得力がある。
少なくとも、私がある日突然エスパー少女に目覚めたというのよりは、真実味がある……たぶん。
善子「でも、焚火が弱点って言われても……焚火なんてそうそうしないわよね」
花丸「あはは、そうだね……。でも、類似の妖怪への対処法として、今でも慣習的にやってることがあって──」
二人の会話に割って入るように──
 「あれ? 3人ともどうしたの?」
再び、階段の上から声を掛けられる。……今日はよく、突然人から声を掛けられる日だ……。
3人で声の方に目をやると、階段の上の方から私たちを見下ろしていたのは──ルビィちゃんだった。
花丸「あ、ルビィちゃん!」
ルビィ「花丸ちゃん、お仕事お疲れ様」
花丸「ありがとずら?」
そして、手を振りながら、花丸ちゃんとやり取りをするルビィちゃんの背後からもう一人、
24:
果南「あれ……梨子ちゃん?」
梨子「あ……果南ちゃん……」
果南ちゃんの姿。
善子「ルビィも果南も、どうしたのよ?」
果南「どうしたのって……練習が終わって、降りてきたら皆が居ただけなんだけど……」
梨子「……え?」
言われて、窓の方を見てみると──確かに外は夕闇が迫り始めているところだった。
どうやら、話し込み過ぎたようだ……。
花丸「ずらぁ……練習終わっちゃったずら……」
梨子「ご、ごめんね。私が話を聞いてたせいで……」
花丸「うぅん、どっちにしろ、このタイミングで行っても着替えたら練習が終わっちゃうくらいのタイミングだったから……むしろ、着替え損にならなくてよかったずら」
梨子「そう言って貰えると助かるよ……」
花丸ちゃんには少し申し訳ないことをしてしまったなと思いながら、やり取りをしていると、
果南「それより、梨子ちゃん……大丈夫?」
案の定、果南ちゃんが心配そうに声を掛けてくる。
梨子「うん、もう落ち着いたから……」
果南「ならいいけど……」
保健室で騒いでいて追い出されたというのは恥ずかしいから言わないでおこう。
果南「とりあえず、部室に着替えに行こうか? 千歌たちもそのうち降りてくるからさ」
梨子「うん」
結局、今日の部活は準備体操だけで終わっちゃったな……。
とはいえ、果南ちゃんとの間に起こった謎の現象のせいで、それどころじゃなかったし……仕方ないか。
果南「……ん? どうしたの?」
梨子「え?」
果南「私のこと、見てたから……」
梨子「う、うぅん……なんでもないよ……」
果南「そう?」
善子「……やっぱり、リリー……」
梨子「だから、違うって言ってるでしょ……」
相変わらず同じことを言っている善子ちゃんに、溜め息が漏れる。これ当分は誤解されたままかもなぁ……。
 * * *
25:
──その夜、私は自室で改めて考えを整理していた。
梨子「……そもそも原因はなんなのかな」
今日起こった現象について、善子ちゃんや花丸ちゃんと話したことを思い出しながら、紙に書き起こしてまとめる。
梨子「えっと……妖怪のしわざ……とか……?」
数年前に、子供たちの間で大流行した、某妖怪ゲームのようなワードが口をつく。
ざっくりしすぎな気もする。それに妖怪が関係しているかも、というのも花丸ちゃんたちが話していた覚って妖怪が今の現象に似ているからというだけだし。
梨子「まあ……他に思い当たるものもないけど……」
仕方がないから、とりあえず「覚のしわざかも?」くらいに書いておく。
あれ、でももし覚が原因なんだとしたら……今の私は覚に取り憑かれているってことなんじゃ……?
なんだか、そう思うと少し気味が悪い。
明日、花丸ちゃんに御払いでもしてもらおうかな……。
それはさておき、
梨子「次は……どういう現象か、かな」
これはずっと考えていたとおり、果南ちゃんの考えがわかるという現象。
梨子「……でも、果南ちゃん以外の人だとどうなんだろう」
もし、私に覚的なものが取り憑いているんだとしたら、果南ちゃん以外の心も読めたりするんだろうか?
梨子「発動条件は触れてるとき……」
少し今日のことを思い出しながら、考える。今日私と直接触れた人……。
………………。……果南ちゃん以外いないような。
改めて考えてみると、人間が普通に生活する上で、他人と直接触れ合う機会というのは思ったより少ない気がする。
こっちに越してきたときは、田舎の人はスキンシップが激しいな、なんて思ったりしたものだけど……。
梨子「そういえば……最近、千歌ちゃんに抱きつかれなくなったな」
考えてみたらスカートの中を覗かれたり、手を握ってくることも少なくなかった千歌ちゃんも、最近大人しい。
少しだけ、なんでかなと思ったけど、
梨子「……考えるまでもないか」
すぐに答えに辿り着く。理由は恋人が出来たからだろう。
千歌ちゃんが自制しているのか、ダイヤさんが他の子とのスキンシップを嫌がるからなのかはわからないけど……。
……それはともかく、あんなに奔放な千歌ちゃんが、目に見えて変わってしまうなんて、それほどダイヤさんが千歌ちゃんに大きな影響を与えていることは間違いない。
そして、それくらい二人はお互いを大切に想いあっていて……。
梨子「恋人……いいなぁ……」
またそんなことを口にしてしまう。
でも、羨ましいものは羨ましい。しょうがないじゃない。
26:
梨子「私にも大切に想ってくれる人がいたらなぁ……」
ないものねだりなのはわかっているけど……ただ、自分を可愛いって思ってくれたり、綺麗って思ってくれたり、大切だ、大事にしたいって思ってくれる人がいたら、日々が潤いそう。
実際、千歌ちゃんも曜ちゃんも生き生きしているし……なんだか、最近は前以上に可愛くなった気がする。
梨子「恋は女の子を綺麗にするって言うし……」
そこまで悶々と考えていると、だんだん虚しくなってくる。
そんな手放しに私のことを褒めてくれる人なんて……。
──『それにしても、梨子ちゃんって華奢だなぁ……。手も足も細くて、真っ白だし……』──
──『……あ、近くで見ると、梨子ちゃんのまつ毛って長いんだなぁ……やっぱり美人さんだ』──
梨子「……///」
思わず頭に浮かんだ言葉を掻き消すように、かぶりを振った。
果南ちゃんのはそういうのじゃないもん。……別に口で言われたわけじゃないし。
なんだか、今日は変に果南ちゃんを意識してしまっている。……いや、それこそ渦中の人だし、意識していて当然なんだけど……。
でも……。
梨子「果南ちゃんが恋人だったら……優しくしてくれるんだろうな……」
私から果南ちゃんに感じているイメージは、それこそ優しくてかっこいいお姉さんと言った感じだ。
もし果南ちゃんが恋人だったら、リードしてくれて──
??????????????
果南『梨子ちゃん、じっとしてて』
梨子『へ……///』
果南『……梨子ちゃん』
梨子『ま、待って……果南ちゃん……/// そんな、いきなり……///』
果南『嫌なら……逃げてもいいよ』
梨子『……///』
果南『ふふ……ありがと。好きだよ……梨子』
???????????????
梨子「──……はっ!?/// わ、私、何考えて……///」
我に返って、急に恥ずかしくなる。
梨子「そもそも、どんなシチュエーションなのよ……!///」
何、ありもしない妄想をしているんだか。
梨子「うー……///」
今日ちょっと褒められただけで──心の中でだけど──こんなに意識してしまうなんて、我ながらちょっとチョロすぎるんじゃないだろうか。
梨子「果南ちゃんに他意はないの! それくらいわかってるんだから、はい続き!」
自分に言い聞かせるように妄想を振り切って、思考のベクトルを修正。えーと、発動条件……今日私が直接触った人──
27:
梨子「あ、よくよく考えてみたら、むっちゃん……」
そういえば、教室で曜ちゃんを見送ったあと、肩を叩かれたっけ。
梨子「……でも、あれは服の上からか……」
服越しなので、直接触られたわけじゃないとも言えなくもない。
梨子「……そもそも、服越しじゃダメなのかな……?」
考えてみれば、テレパシーが発動しているときは、大体果南ちゃんが直接肌に触れていたけど……。首筋やら、手の平やら、おでこやら。
梨子「そういえば……前屈のときも聞こえてた」
前屈時にペアが押すのは背中だけど……となると、服の上からでもテレパシーの条件は成立する?
梨子「もしくは、髪……かな」
私の髪は背中まであるから、前屈で後ろから押してもらうと、押す側の人は自然と私の髪に触れることになる。
結局条件がどっちなのかはわからないけど……とりあえず、服の上から触られていたタイミングが他にあったのかは正直よく覚えていない。
梨子「服の上からだとダメなのかは、ちゃんと確認しないとかな……」
とは言ったものの、わけのわからない現象であることに変わりがなく、正直現状では不明なことだらけだ……。
梨子「うーん……」
やっぱり誰かに相談した方がいいのかな……。ただ、相談案を考えてみて、すぐに壁にぶつかる。
梨子「……なんて相談すればいいの……?」
そもそも、私の頭の中で起こっている現象に過ぎないのに、どうやって説明すればいいんだろう。
私は果南ちゃんの考えていることがわかります、と言っても信憑性が全くない。それだと善子ちゃんの『堕天使はテレパシーが使える』と同レベルだ。
果南ちゃんに協力してもらって、考えていることを言い当てれば少しは信頼の出来る証拠になるかもしれないけど……。
梨子「自分の考えてることを、覗かれてたら……嫌だよね」
少なくとも私だったら嫌だ。
そして、そんなカミングアウトをされたら、その相手にどんな印象を抱くか。
……人間、心の中で考えていることは、普通は他人に知られたくないものなんじゃないだろうか。
そう考えると、当事者の果南ちゃんに協力を仰ぐのは、とても憚られた。
梨子「でも……放っておくわけにもいかないよね……」
触れなければテレパシーが発動することはないとは言え、これから先ずっと果南ちゃんに触らないようにするというのは、少し現実的じゃない。
何より、本当に心が読めるだけの現象なのかもわかっていない。
仮に、妖怪の覚が原因だとしたら……もしかしたら、私や果南ちゃんに危害を加えようとしているのかもしれないし……。
だから、明日以降もどうにか果南ちゃんとコンタクトを取らないといけない。
どうにか、口実を──
梨子「……あ、お昼……」
28:
そういえば果南ちゃん、明日のお昼は一緒に食べようと言っていた。
梨子「えっと……部室に行けばいいんだっけ……」
確かそんなことを言っていたはず。
善子ちゃんが途中で入ってきてしまったため、話が中途半端に終わってしまったから、少し記憶が怪しい……。
梨子「集合場所……間違えたらまずいよね……」
……本人に聞いてみればいっか。
私はスマホの画面を点けて、LINEから果南ちゃんの連絡先を呼び出す。
果南ちゃんとLINEのやり取りって……あんまりしたことないから、少し緊張するけど……。
こういうときは簡潔に、シンプルに。意識すると、変な感じになっちゃうから。
 『梨子:果南ちゃん、今大丈夫?』
メッセージを送ると、すぐに既読が付く。果南ちゃんもたまたまスマホを触ってたのかな?
 『KANAN:なにかな?』
 『梨子:明日のお昼の集合場所を確認したいんだけど・・・部室であってる?』
 『KANAN:あってるよ?』
どうやら、自分の記憶は間違っていなかったようで安心する。
確認も出来たので、お礼を返そうとすると、
 『KANAN:梨子ちゃん、このあとって時間ある?』
と続けてメッセージが届く。このあとは、寝るくらいかな……。
 『梨子:あとは寝るだけだから、大丈夫だよ』
 『KANAN:なら、少しお話しない?』
梨子「え……?///」
急なお誘いに少しドキっとする。
梨子「……た、ただ、電話しようって言われただけで、何ドキドキしてるの……私……///」
今日はいろいろあったとはいえ、少し意識しすぎ。一旦落ち着くために、
梨子「……すぅ…………はぁ……」
深呼吸してから、返事をする。
 『梨子:大丈夫だよ?』
返事をしたらすぐに、スマホが着信音と共に震え出した。着信に応える前に、もう一度深呼吸。変に意識しないようにしないと……。
29:
梨子「──もしもし、果南ちゃん?」
果南『梨子ちゃん、こんばんは』
梨子「こんばんは。果南ちゃんが電話掛けてくるなんて、珍しいね」
果南『……言われてみれば、梨子ちゃんと電話ってあんまりしたことなかったね。連絡はチャットで済ませちゃうことが多かったし……迷惑じゃなかった?』
梨子「全然、大丈夫だよ」
果南『ならよかった……。ほら、今日体調悪かったでしょ? だから、どうしてるかなって思って……』
梨子「も、もしかして、心配してくれてたの……?///」
果南ちゃんの優しさを感じて、またしても少しドキっとする。
果南『そりゃまあね……。でも、声聞いたら、元気そうで安心したよ』
梨子「う、うん……お陰様で……///」
そもそも体調不良というのが、勘違いなんだけど……まあ、今更蒸し返す話じゃないよね。
果南『まあ、実は用はこれだけなんだけど……あはは』
梨子「うぅん……心配してくれてありがとう、果南ちゃん」
なんだか、些細なことでも、誰かがこうして自分のことを心配してくれるのって……ちょっと嬉しいかも。
果南『お礼言われるようなことじゃないよ、私が梨子ちゃんの声を聞きたかったってだけだし』
梨子「/// そ、そっか……///」
果南ちゃんはナチュラルに歯の浮くような台詞を言う。もちろん、その意味自体は体調の良し悪しを確認したかったという意味だというのはわかっているけど、いざそんな風に言われると少しこそばゆい。
果南『さて、梨子ちゃんが元気なこともわかったし……私は明日も朝から家の手伝いがあるから、そろそろ寝るね。梨子ちゃんも早く寝るんだよ?』
梨子「う、うん、わかった」
ちらりと時計を見ると、午後10時前を指していた。
果南ちゃんって早寝早起きなんだなぁ……。
果南『今日も冷えるから、温かくしてね』
梨子「はーい」
果南『ふふ……それじゃあ、明日のお昼楽しみにしてるね。おやすみ、梨子ちゃん』
梨子「おやすみなさい、果南ちゃん」
通話の切れた画面を見つめて、
梨子「……ふぅ……///」
思わず息が漏れる。意識しないように努めていたけど……通話が切れた今でも少しだけドキドキとしていた。
──『私が梨子ちゃんの声を聞きたかったってだけだし』──
こんな台詞を誰かから言われる日が来るとは思わなかった。……いや、そういう意味じゃないってことは理解しているつもりなんだけど。
梨子「……そういえば、千歌ちゃんも鞠莉ちゃんも、果南ちゃんって昔からモテるって言ってたっけ」
──それも、女の子からよくモテる、と。……けど、それもなんだかわかる気がした。
女の子ならつい嬉しくなってしまうようなあんな台詞を日常的に言われていたら、確かに人によってはイチコロだと思う。
少なくとも私は、果南ちゃんの台詞で胸がキュンって──
30:
梨子「……って、これじゃ私もイチコロにされてるみたいじゃない……/// 果南ちゃんに他意はないんだって……!///」
何度この自問自答を繰り返すんだろうか。本当に今日は私は意識のしすぎだ。
梨子「早く寝よう!/// 明日もあるんだし、早く寝るように言われたし!///」
自分に言い聞かせるようにして、布団を被る。
だけど──電話して、また意識してしまったのか、心臓がドキドキしている。
梨子「……ぅぅ……///」
本当にどれだけ自分はチョロいんだと、思いながらも……この夜は、果南ちゃんのことを考えてしまって──。
結局、私はなかなか寝付くことが出来ない夜を過ごすハメになったのだった。
 * * *
──翌日。
梨子「……ふぁ……」
寝不足で漏れ出てくる欠伸を噛み殺しながら、私は朝からある場所に出向いていた。
梨子「失礼しまーす……」
ゆっくりと戸を開けると、
花丸「ん……? あれ、梨子ちゃん? おはよう」
花丸ちゃんがカウンターに座ったまま、本の整理をしているところだった。
──そう、私が朝から足を運んでいるのは図書室。調べ物をするならやっぱり図書室かなと思い、覚について何か書いてありそうな本を探しに来たわけだ。
わざわざ学校の図書室に赴いた理由はそれだけじゃないけど……。
梨子「おはよう、花丸ちゃん」
花丸「朝から図書室に来るなんて珍しいね。探し物?」
梨子「うん、ちょっとね……」
私はとりあえず、目的の棚へと足を運ぶ。
えっと……妖怪の類って、日本の神話とか伝説を探せばいいのかな……。
案内図を見る限り、北欧神話などの善子ちゃんが好きそうな本棚の先にあるらしい。図書室の端っこの方だ。
──この配置……あまり人気がないんだろうか。
まあ、図書室の利用者自体も少ないって、花丸ちゃんが言ってたもんね。
そんな中で妖怪や怪物の本を好んで読み漁る人もいないか。
棚を物色しながら、件の場所に辿り着くと、
梨子「……あれ?」
目的の棚はかなり本がまばらで、明らかにそこにあったはずの本はすでに貸し出されている状態だった。しかも大量に。
31:
梨子「え……もしかして、大人気……?」
予想外の展開に困惑していると、
花丸「あ、えっとね。そこの本は、今はほとんどが生徒会室にあるずら」
と、受付カウンターの方から歩いてきた花丸ちゃんが言う。
梨子「生徒会室……?」
花丸「生徒会から、長期貸出の申請があって……。貸出の履歴を見ても、もう何年も借りる人がいなかったから、許可したんだよね」
梨子「そうなんだ……?」
つまり、ダイヤさんが借りて行ったってことかな……?
花丸「もしかして、梨子ちゃんも読みたかったの? それなら、生徒会に返却のお願い出しておくけど……」
梨子「あ、うぅん。ないならいいの」
本に関しては、あれば参考になるかも程度の考えで来ただけだったし、ちゃんと調べるならネットなり、市営図書館なり、もっと詳しく情報が手に入れられる場所がある。
花丸「それならいいけど……もしかして、昨日の話の続き?」
梨子「あ、うん……まあ、そんな感じ。話を聞いてたら、ちょっと気になっちゃって」
昨日の今日で、こんな棚の前に足を運んでいたら気付いて当然かな。
それはそうと、本がないのなら、もう一個の用事を済ませないといけない。一応辺りに人がいないことを確認してから──学校の端の図書室の更に端っこだから、そんな心配もないんだけど──話を切り出す。
梨子「ねぇ、花丸ちゃん」
花丸「ずら?」
梨子「花丸ちゃん、御払いとかって……出来る?」
花丸「御払い……?」
花丸ちゃんは小首を傾げる。
花丸「えっと梨子ちゃん、厄年……は来年だよね」
梨子「え、そうなの……?」
花丸「うん。女の子は18歳が前厄だよ」
梨子「そ、そうなんだ……じゃあ、それはそれで来年厄払いしないと……」
花丸「ただ、やるなら準備しないといけないし、じいちゃんにやってもらわないと……マルは所詮お寺の子ってだけだから」
梨子「そ、そっか……」
確かにお寺の子というだけで、御払いが出来るという考えは安直だった。
花丸「梨子ちゃん、何か心配事でもあるの……? 突然、御払いして欲しいなんて……」
まあ、それも当然の疑問だと思う。ただ、突然覚に取り憑かれているかも、なんて言うのは気が引けた。
……そのカミングアウトは私が誰かの心を読んでいることをバラすのと同義だ。
覚が関係しているのかも、まだ憶測の段階だし、ここは……。
梨子「ちょっと、最近運が悪いなって思って……」
32:
これくらいの理由でちょうどいいと思った。
普通に運が悪くて御払いした方がいいのかなって、思っちゃうことあるもんね。実際にするほどかはともかく。
花丸「なるほど。昨日も体調崩してたらしいもんね……うーんと、そうずらね……」
まあ、体調が悪かったというのは、果南ちゃんの誤解だったんだけど……。それはともかく、花丸ちゃんは私の話を聞き納得してくれたようで、少し思案したあと、
花丸「あ、そうだ。清め塩くらいなら、梨子ちゃんでも簡単に出来るんじゃないかな」
そう提案してきた。
梨子「清め塩?」
花丸「お塩には穢れを清める力があるって言われてるから」
梨子「普通のお塩でいいの?」
花丸「確か、海水由来のお塩が良かった気がするけど……基本的には身体に振りかけるだけでお清めになるから、きっとすぐに出来るよ」
確かにそれくらいならすぐに出来そうだ。塩なら家に帰れば絶対にあるし……。
梨子「わかった。家に帰ったらやってみるね」
花丸「そうしてみて欲しいずら。他にも何か困ったことがあったら言ってね。どれだけ力になれるかはわからないけど……一応お寺の子だから、多少の知恵くらいなら貸せると思うから」
梨子「うん、ありがとう」
そこまで話をしたところで──キーンコーンカーンコーン、とチャイムの音が響く。
梨子「あ、予鈴……」
花丸「教室行かなくちゃだね」
梨子「ごめんね、朝からお邪魔しちゃって……」
花丸「うぅん、少しでも梨子ちゃんの力になれたならよかったずら」
梨子「花丸ちゃん……ありがとう」
花丸「どういたしましてずら」
とりあえず、簡単な御払いの方法だけ聞いた私は、今日も授業を受けるために二年生の教室へと戻っていくのだった。
 * * *
滞りなく、午前の授業を終えて、お昼休みになった。
いつもどおり、千歌ちゃんと曜ちゃんを見送った後、
むつ「梨子、ご飯一緒に食べよ?」
むっちゃんたちにお昼に誘われる。
梨子「あ、えっと……今日は部室で食べる約束してるから」
よしみ「そうなんだ?」
梨子「うん、ごめんね。また今度誘って」
いつき「わかった、いってらっしゃ?い」
33:
今日は先約があるからね。
3人のお誘いを断って、私は部室へと足を向ける。
しかし、改めて考えてみると、お昼を食べに部室に向かっているのは新鮮かもしれない。
テレパシーの件で懸案事項こそあるものの、果南ちゃんとのお昼は純粋に楽しみだった。
──体育館を抜け、部室へと辿り着くと、既に室内には果南ちゃんの姿があった。
梨子「果南ちゃん、お疲れ様……!」
戸を開け、果南ちゃんに声を掛けると、
果南「お疲れ様」
果南ちゃんはニコっと笑いながら、私を出迎えてくれる。
梨子「果南ちゃん、早いね」
果南「授業終わってからダッシュで来たからね」
梨子「あはは、ダイヤさんに見つかったら叱られちゃうよ?」
果南「大丈夫大丈夫、叱られる前に振り切っちゃえば」
それは大丈夫とは言わないような……。
果南「それに、梨子ちゃん待たせちゃったら悪いからさ」
梨子「そんな……大袈裟だよ」
果南「でも、誘ったの私だしさ。まあ、そんなことはいいから、早く食べよう? 実はお腹減っててさ」
梨子「あ、うん」
促されて、私は果南ちゃんの向かいの席に腰を下ろす。
私が持ってきた巾着袋からお弁当箱を取り出す最中、果南ちゃんも同じようにお弁当箱を取り出しているところだった。
もしかして、私が来るまで待っていてくれたのかな。
梨子「お腹減ってるなら、先に食べててくれてもよかったのに……」
果南「んー……私が先に食べ始めちゃうと、絶対に先に食べ終わっちゃうし……私、結構食べるのいからさ」
梨子「まあ……言われてみれば」
果南「逆に梨子ちゃんは女の子らしく、一口がちっちゃくて上品だからさ。私が待つくらいがちょうどいいんだよ」
梨子「上品……/// 別に普通だよ……///」
ご飯を食べているだけで褒められるとは思わなかった。
確かに、今まで皆でご飯を食べていたとき、千歌ちゃんや果南ちゃん、曜ちゃんは食べるのがかった気がする。
……まあ、花丸ちゃんが群を抜いていんだけど。
Aqoursの中だと、善子ちゃんが一番平均的で、ダイヤさんと鞠莉ちゃんはお上品でゆっくり……なのかと思ったら、意外と善子ちゃんと同じくらいだった記憶がある。
どうやらゆっくりな所作でも、無駄がない分、食べるのが遅いと言うほどではないらしい。
一方で私とルビィちゃんは他の皆に比べると非常に食べるのがゆっくりだ。
別段、ゆっくり食べているつもりはないんだけど……。
果南「いただきます」
梨子「いただきます」
34:
二人でお弁当箱の蓋を開けて、食し始める。
果南ちゃんのお弁当箱は、意外に小ぢんまりとしたものだった。私のよりちょっと大きいくらいかな。
ただ、本当に意外だったのは大きさよりもその中身で、たまご焼きやミートボールなどが入っている、いわゆる女子高生のお弁当らしいお弁当だった。
果南「ん?」
私がじっと観察していることに気付いたのか、
果南「私のお弁当、そんなに珍しい?」
そんな風に問い掛けられてしまった。
梨子「あ、いや……なんか、女子高生らしいお弁当だなって思って」
果南「なんじゃそりゃ……まあ、毎日お弁当に手間掛けてられないからね。自然と皆こんな感じになるんじゃない? それこそ、梨子ちゃんのお弁当も似た感じだし」
梨子「そういえば……お母さんも同じようなこと言ってたかな……」
果南「梨子ちゃんはお母さんに作ってもらってるんだ?」
梨子「うん。たまに自分で作ってるけど……毎朝は大変で」
果南「あはは、わかる。毎朝凝ったこととか絶対できないよね。朝ごはんのついでに、作って詰めてって感じだから、お弁当箱の中身も朝ごはんの延長戦みたいになりがちなんだよね」
そこまで聞いていて、気付く。
梨子「果南ちゃんは、毎朝自分でお弁当作ってるんだね」
果南「まあね、おじいの朝ごはんも作らないといけないし」
梨子「おじい……おじいちゃんの分も作ってるんだ?」
果南「まあね、他に作る人もいないし」
他に作る人もいないし……?
梨子「お母さんとかは? お店の準備で忙しいの?」
果南「ん? あれ……言ってなかったっけ? ウチ、母さんいないんだよね」
梨子「え……?」
果南ちゃんの発言に一瞬フリーズしてしまう。
ただ、果南ちゃんは固まってしまった私を見て、
果南「ああ、別に死んじゃったとかじゃないよ。両親とも健在」
すぐにフォローを入れる。
35:
梨子「あ、ああ……そうなんだ、よかった……」
果南「今、父さんと母さんは西表島に住んでるんだよね」
梨子「イリオモテ……? ……え、沖縄?」
果南「そ。私が言うのはなんだけど……父さんも母さんも大概ダイビングバカだからさ。沖縄の綺麗な海でのダイビングを求めて、ここから出て行っちゃったんだよね」
梨子「そうだったんだ……」
果南「うん。最初は私もついていくかどうかって話にはなったんだけどね。ただ、向こうには高校もないし、後々困るってことでこっちに残ったわけ。おじいを一人残すのも心配だったしね」
梨子「でも……二人だけでお店回すのって、大変じゃない……?」
果南「まあね。だから、今じゃ半分おじいの趣味で続けてるみたいなところはあるかなぁ。あくまで私はアシスタント。ただ、おじいってダイビングの世界だとかなりの古株らしくて、そこそこ有名なんだよね」
梨子「そうなの?」
果南「なんか昔は水中写真集とかも出してたみたいで、そんなおじい目当てで来るお客さんは結構いるんだよ。まあ、この時期はさすがに暇だけど」
果南ちゃんは話しながら、たまご焼きを口に放り込む。
梨子「……」
果南ちゃんはあっけらかんと話すけど……思ったより重要なことじゃないかな、これって。
梨子「ねぇ、果南ちゃん」
果南「ん?」
梨子「寂しく……ないの?」
果南「うーん……別に二度と会えないわけでもないしなぁ」
果南ちゃんはお箸の先を宙でくるくるさせながら答える。そういうものなんだろうか。
果南「それに昔から千歌が居たしなぁ。あ、まあ……そういう意味では今千歌はダイヤにくびったけだから、いつもそばに居るわけじゃないけど」
今度は肩を竦めて苦笑い。
梨子「……私だったら、寂しいかな……」
私は、お母さんともお父さんとも離れて暮らしたことがないけど……きっと、すごく寂しいと感じてしまうと思う。
それに私も両親と共に引っ越して、この地に来た人間だ。もしかしたら、果南ちゃんのように親と離れ離れになる可能性もあったのかもしれない。そんなIfを想像してしまって、なんだか他人事には思えなかった。
果南「きっとそれが普通なんだと思うよ」
梨子「……果南ちゃんは普通じゃないの?」
果南「特殊だとは思ってるかな。島暮らしなんて、鞠莉みたいな超例外を除けば、それこそ私くらいだし」
梨子「だから、寂しくないの……?」
果南「……ん、参ったな……。なんかごめんね、別にこういう話がしたかったわけじゃなかったんだけど……でも、もう慣れちゃったからさ。全然平気なんだよね」
梨子「…………」
私は思わず、食べるのを中断して、
梨子「…………本当に……?」
再度訊ねてしまう。
果南「あはは、疑われてもなぁ……」
梨子「…………」
36:
果南ちゃんは、寂しい気持ちを声に出さない。
昨日もそうだった。心の中で寂しいと思っていても、一度も口に出してはいなかった。
今も、もし強がっているだけなんだとしたら……。
梨子「…………」
私はお箸を置いて、席を立つ。
果南「梨子ちゃん?」
私の行動に不思議そうな顔をする果南ちゃんの隣へと、近寄って──両手で果南ちゃんの手を握った。
果南「え……っと……」
梨子「……果南ちゃん、本当に……寂しくないの……?」
果南「…………」
 果南『……まあ、全く寂しくないわけじゃないけど……。でも、父さんと母さんの気持ち、わかるからな……沖縄の海はやっぱ綺麗だしね』
手を握ったら、心の声が響いてきた。
やっぱり、本当は寂しいんだ。納得するための理由は自分の中にあるのかもしれないけど……全然平気って人の思ってることじゃないよ……そんなの。
梨子「ねぇ、果南ちゃん」
果南「……なに?」
梨子「……寂しかったら言ってね」
果南「いや、だから……」
梨子「ちゃんと言ってね」
果南「……」
果南ちゃんは少し困ったように、頬を指で掻いたあと、
果南「……わかった。ありがと」
観念したように、お礼を言う。
果南「なんか、見透かされたみたいだな……。でも、平気なのは本当だからね?」
梨子「うん」
みたいじゃない。見透かしたから。果南ちゃんの心の声を聴いて。
果南ちゃんが、誰にも言えないような、心の声を通じて。
──実のところ私は、このテレパシー現象は、あまり良くないことだと思っていたけど……このときから、ただただ悪いものではないんじゃないかと思い始めていた。
人間、誰かに言えない本音があると同時に、言いたくても他の人には言い出せない悩みがある。
もしかしたら……この力があれば、私は果南ちゃんの力になれるんじゃないだろうか。そんな風に、思い始めていた。
果南「……っと、ご飯食べちゃわないと」
梨子「あ、うん、そうだったね」
私は果南ちゃんに促されて、自分の席に戻る。席に着くと、果南ちゃんが真っ直ぐ私のことを見つめていることに気付く。
37:
果南「梨子ちゃんってさ」
梨子「?」
果南「優しいんだね」
梨子「え、いや……そんなこと……///」
果南「それと、すごい照れ屋さんだ」
梨子「……///」
確かに、ちょっと褒められただけで顔が熱くなってしまうのは、世間一般的に照れ屋と言われるのかも。などと、思いながらも顔を俯かせる。
果南「ありがとう、梨子ちゃん。その気持ちだけで、私は十分嬉しいから」
梨子「果南ちゃん……。……うん」
結局、果南ちゃんは寂しいと、素直な気持ちを口にはしてくれなかったものの、私の気持ちは受け取ってくれた……ということでいいのかな。
別に無理やり言わせたいわけじゃないし、私は気持ちがわかっているんだから、今はこれで十分かな……。
果南「……梨子ちゃん」
梨子「ん……?」
果南「明日のお昼も……部室でいい?」
梨子「! う、うん!」
少なくとも、関係は前に進んでいる気はする。
進んだその先に何があるのかは、わからないけど……今はきっと、これでいい。
そう思いながら、食べたお弁当の甘いたまご焼きは──今日は何故だか一段と、甘い味付けになっている気がしたのでした。
 * * *
──さて、午後の授業を終え放課後になり、再び部室。いつもどおり、自然と千歌ちゃんはダイヤさんの隣に座り、曜ちゃんは鞠莉ちゃんの隣に座っている。
梨子「……お疲れ様」
果南「ん、お疲れ、梨子ちゃん」
席が空いていたのをいいことに、私もさりげなく果南ちゃんの隣の席に腰を下ろす。
ダイヤ「さて皆さん、来週からは期末テストが始まります。ですので、来週からは放課後の練習はなしになります」
全員が部室に揃ったのを確認したのか、ダイヤさんが部員たちを見回しながら、連絡事項を口にする。
確かに来週に入ると、期末テストが始まる。そうなると、練習は出来なくなる……んだけど、
千歌「……やだ。来週も練習したい」
案の定、千歌ちゃんが駄々をこね始めた。
38:
千歌「テスト期間中は、午前で終わる分いっぱい練習できるじゃん!」
ダイヤ「ダメです。テスト期間中に部活が禁止なのは規則ですから」
千歌「生徒会長権限で」
ダイヤ「貴女は生徒会長をなんだと思っているのですか……? ダメなものはダメです」
千歌「ケチー!!」
ダイヤ「なんとでも仰いなさい。大体貴女、中間テストも酷い点ではありませんでしたか?」
千歌「……ぎくっ。……ち、中間は赤点一個もなかったし……」
ダイヤ「それは当たり前です。平均点を超えた科目は?」
千歌「…………♪?」
ダイヤさんの言葉に、千歌ちゃんは下手な口笛を吹きながら目を逸らす。
ダイヤ「ちーかーさーん?」
千歌「勉強なんて出来なくても人生困らないもん!」
ダイヤ「貴女はいつも、そうやって問題を先延ばしにする……!」
成績の話になると、何かとこういう流れになるのはもはやお決まりだ。
鞠莉「また、始まっちゃったわねぇ?」
曜「あはは……」
善子「このカップル漫才、そろそろ食傷気味なのよね……」
花丸「仲良きことは美しきかなだよ、善子ちゃん」
善子「善子じゃなくて、ヨハネ」
ルビィ「仲良きことって言っても……二人とも、ケンカの真っ最中だけど……」
メンバーはもはや呆れ気味に眺めている。
ダイヤ「期末は最低でも平均点以上を取ってもらいますわ」
千歌「なんでそんな酷いこと言うの!?」
ダイヤ「酷いのは貴女の成績です」
千歌「もう怒った! 勉強なんてしないもん! 赤点取っても、死ぬわけじゃないし!」
ダイヤ「……そうですか」
千歌ちゃんの言葉を聞いて、ダイヤさんは目をすっと細めた。
千歌「な、なに……?」
ダイヤ「そういうことでしたら、再来週の週末の予定はなしにしましょう」
千歌「え……」
ダイヤさんの言葉を聞いて、千歌ちゃんは一気に青ざめる。
千歌「や、やだ!! それは、やだっ!!」
ダイヤ「嫌と言われましても……赤点を取ったら補習で、登校しないといけませんから」
千歌「ぅ……」
ダイヤ「はぁ……残念ですわね。せっかく楽しみにしていたのに」
急に形勢逆転した二人を見て、
39:
梨子「ねぇ、ルビィちゃん」
ルビィ「ぅゅ?」
近くにいたルビィちゃんに、耳打ちする。
梨子「再来週? 何か予定があるの?」
ルビィ「あ、うん……遊園地に行くって言ってた」
梨子「へー……なるほど」
つまりダイヤさんは、遊園地デートを盾に千歌ちゃんに勉強をさせようとしているらしい。
ダイヤ「……ですが、仕方ありませんわね。学生の本分は勉学ですから。補習の千歌さんはお留守番ということで……」
千歌「やだっ!! 絶対やだっ!!」
千歌ちゃんは全力で異を唱える。というか、もはや軽く泣いている。
ダイヤ「勉強、もうしないのでしょう?」
千歌「するっ! ちゃんと勉強するから、置いてかないで……っ」
ダイヤ「そう? じゃあ、今すぐ教室から教科書を取って来てくださいますか?」
千歌「ら、らじゃー!!」
千歌ちゃんは敬礼しながら、全力で部室を飛び出していった。
……置き勉してること、バレてるし。
それにしても、泣くほど嫌なんだ……。まあ、デートがなくなるのは嫌か……。
私も、それくらい楽しみに思えるデートが出来ればな……。……その前に相手が居ないけど。
梨子「…………」
そのとき、チラっと頭を過ぎったのは、「誰とだったらそれくらい楽しみなデートになるかな」ということだった。
自然と私の視線は真横に座っている紺碧のポニーテールの先輩に注がれる。
そして、件の人は──
果南「…………」
窓の外を見つめたまま、遠い目をしていた。
梨子「……? ……果南ちゃん?」
果南「……ん……?」
梨子「どうかしたの……?」
果南「……あ、ああ……なんでもないよ」
梨子「……?」
なんでもないようには見えないけど……。悩み事かな……?
でも、そう言われてしまうと、これ以上は聞きづらい。
梨子「……」
私は周囲を見回してみる。
40:
花丸「週末はマルたちも勉強会しよっか、ルビィちゃん、善子ちゃん」
ルビィ「あ、うん!」
善子「友達と勉強会……? リア充の響き……!」
鞠莉「Hmm...千歌はダイヤと、一年生は集まってそれぞれやるみたいだし……せっかくだし、私たちもやってみる?」
曜「そうだね。そうしようかな」
皆こっちは特に気にしていない……。
……。……仕方ないよね? 果南ちゃんのこと、ほっとけないんだもん。
そんな風に自分に言い訳をしながら、私はゆっくり手を伸ばして、果南ちゃんの背後から、ポニーテールの毛先にそっと触れてみる。
 果南『期末試験……どうしよう……』
よかった、毛先でも十分身体に触れていることになるみたいだ。
 果南『……でも、この流れで私も勉強出来ないとか言い出しづらい……』
梨子「……」
なるほど、そういうことか……。まあ、二人のあの攻防を見た直後だもんね……。
果南ちゃんに特別勉強が苦手というイメージはなかったけど、逆に言えば特別勉強が出来るイメージもなかった。
その上で、勉学に励むタイプというよりは身体を動かしているようなタイプの果南ちゃんが、勉強が苦手なのは別段不思議な話でもなかった。
 果南『皆、勉強会の話してるな……。でも、千歌はダイヤと、曜ちゃんは鞠莉とするみたいだし……邪魔はしたくない。……じゃあ、一年生に混ぜてもらう……? いや、それ絶対無理でしょ……』
確かにそれはきつい。私でもそれは無理。三年生の果南ちゃんからしたら尚更だろう。
 果南『梨子ちゃんは……たぶん、一人でやるよね』
梨子「……!」
そのときふと、先ほどまで窓の外を見ていた、果南ちゃんがこっちに視線を向ける。
その際、至近に居た私と、目が合った。
梨子「……///」
果南「……?」
か、果南ちゃんの顔が……近い……!!///
──じゃなくて……髪を触っていたのがバレちゃう……。
私はさりげなく、伸ばしていた手を引く。
手が髪から離れてしまったから、果南ちゃんとのテレパスは途切れてしまったけど……。
こっちから誘っても……いい、よね……? だって、果南ちゃんが今必要としてることだもん。
梨子「ねえ、果南ちゃん」
果南「ん?」
梨子「もし、果南ちゃんが嫌じゃなかったらなんだけど……」
果南「?」
梨子「週末、二人で一緒にお勉強しない……?」
果南「え?」
41:
果南ちゃんは私の言葉を聞いて、ポカンとした顔になる。
そのまま、ワンテンポ、ツーテンポ置いてから、
果南「……もしかして、口に出てた?」
と、罰が悪そうに言ってくる。
梨子「うぅん、特に何も言ってなかったけど……他の皆はお勉強会するみたいだから、私たちもどうかなって」
嘘は吐いていない。また、心の声は聞いちゃったけど……。
梨子「……一緒にお昼の延長……ってことじゃ、ダメかな……?」
果南「……あはは、それ言われちゃったら断れないよね」
梨子「うん、それじゃ約束ね?」
果南「わかった」
果南ちゃんと週末の約束を取り付けたタイミングで、
千歌「──戻りましたっ!!」
千歌ちゃんが部室に舞い戻ってきた。
ダイヤ「おかえりなさい、千歌さん」
千歌「ダイヤさん……!! 教えて……!!」
ダイヤ「どの教科ですか?」
千歌「国語と数学と英語と理科と社会……」
ダイヤ「……全部ではないですか」
ダイヤさんは呆れながらも、千歌ちゃんに勉強を教え始める。
なんだかんだ言いながらもダイヤさん、面倒見がいいんだから……。
鞠莉「今日はこの感じだとダンス練習はなしかしらねー?」
曜「そうだね……それなら、私は衣装の続きをやろうかな」
ルビィ「あ、ルビィも手伝うね。家庭科室でミシン借りられるかな……?」
曜ちゃんとルビィちゃんは家庭科室へ、
善子「ずら丸」
花丸「ずら?」
善子「アレの歌詞ってもう出来た……?」
花丸「うん、大体」
善子「……そ、そうよねー」
花丸「善子ちゃん、もしかして苦戦してる?」
善子「はぁ!? この堕天使ヨハネがそんなことに苦慮するわけないでしょ!? というか、善子じゃないわよ!!」
花丸「はいはい、それならマルたちは図書室にいこっか? 手伝うずら」
善子「……まあ、手伝わせてやらんでもないぞ」
花丸「はいはい、ありがたきしあわせーずらー」
花丸ちゃんと善子ちゃんは作詞のために図書室へ。
42:
果南「なら、私は振り付け考えようかな……」
果南ちゃんは身体を動かしたいのか、屋上へ行くために、私の隣の席を立つ。
梨子「あ……」
果南「ん?」
思わず漏れてしまった声に果南ちゃんが振り返った。
果南「? どうかした?」
梨子「え、あ、いや……! 振り付け決め、頑張ってね……!」
果南「うん、ありがと」
果南ちゃんは手をひらひらと振りながら部室を後にする。
私も返すように、ひらひらと手を振る。
梨子「……」
それぞれがそれぞれの役割を果たすために、持ち場へと散っていく。
──何寂しがってるんだろう、私。いつもの部活の風景なのに……。
一人そんなことを考えていると、
鞠莉「梨子はどうする?」
鞠莉ちゃんに訊ねられる。
梨子「ん……」
無性に果南ちゃんのことが気になるけど……私には私の役割があるし、気になるからって付いて回るのも、なんだかストーカーになったみたいで気が引ける。
梨子「私は音楽室に行こうかな……」
やりたい作曲作業もあるし……。今は自分のやるべきことをやろう。
鞠莉「マリーもついていっていい? 一旦打ち込みが終わったから、一度梨子に確認して欲しくて」
梨子「あ、うん。それじゃ一緒にいこっか」
というわけで、私は鞠莉ちゃんと一緒に音楽室へ。
その際、
ダイヤ「そこ、間違っています」
千歌「だって、わかんないんだもんっ!」
千歌ちゃんが涙目になりながら、教科書とにらめっこをしているのを傍目に、部室を後にする。
千歌「もう、無理!! 無理ぃ!! 頭ショートするっ!! 休憩!! 休憩させてっ!!」
ダイヤ「まだ始めて、5分も経ってないでしょう!?」
……頑張ってね、千歌ちゃん。
43:
 * * *
音楽室にて、私は鞠莉ちゃんから受け取った曲を試聴する。
鞠莉「──どうかしら?」
梨子「……正直、ほぼ完成してて、私が手を加えなくてもいいかなって気がする」
鞠莉ちゃんから渡された音源は、ギター、ベース、ドラムだけのシンプルなバンドサウンドで構成された曲だった。
ただ、鞠莉ちゃんの作ってくる楽曲は激しめのロックサウンドを予想していたため、ゆったりとしたバラード調の曲には少々驚かされた。
鞠莉「よかった……久しぶりの作曲だから、ちょっと緊張してたけど……まだまだ現役だったようデース♪」
梨子「この完成度なら、アレンジもほとんどいらないかな……。鞠莉ちゃん、ここまで作曲出来たんだね」
鞠莉「Thank you♪ それでも、梨子には遠く及ばないけどね」
梨子「そんな……むしろ、これからの作曲を鞠莉ちゃんにやってもらいたいくらいだよ」
鞠莉「もう、ケンソンしすぎだヨ? あくまでAqoursのメロディメーカーは梨子なんだから♪」
梨子「ふふ、ありがとう鞠莉ちゃん。ただ、本当に助かるよ……これから全員分の作曲があるから……」
──全員分の作曲。
そう、実は今回私たちは、それぞれのソロ曲を作ろうということで、活動を進めている真っ最中。
とりあえず、全員に歌詞と曲イメージを固めて貰って、それから私が作曲という手はずになっている。
鞠莉「皆の曲の進捗って、どんな感じなの?」
梨子「えっと……歌詞が既に提出されてるのは、曜ちゃんとルビィちゃん。二人とも楽曲のイメージもはっきりしてたから、割と順調かな」
特にルビィちゃんは一番提出が早かった。
歌詞の内容と曲イメージを聞いたときは驚いたけど……。
──次に歌詞を持ってきたのは曜ちゃんだった。だったんだけど……。
これまた歌詞と曲イメージを聞いて、度肝を抜かれた。
鞠莉「んー? どうかしたの? 変な顔して」
梨子「えーと……」
これは鞠莉ちゃんに伝えてもいいのかな……?
いや、でも曲が完成したら鞠莉ちゃんも聴くことになるんだけど……。
鞠莉「ふっふっふ……」
梨子「?」
鞠莉「今梨子が考えてることを当ててあげまショウ♪ ズバリ、曜が作ったのは千歌への気持ちをイメージして作った曲だった。違う?」
梨子「……正解」
──そう、曜ちゃんが持ってきた楽曲は、まさに千歌ちゃんとのことを歌にしたモノだった。
鞠莉「まあ、曜のことだからね。きっと、そうなると思ってたのよ」
鞠莉ちゃんは腕を組んでウンウンと頷いているけど、
梨子「鞠莉ちゃんはそれでもいいの……?」
44:
私は気になって、思わずそう訊ねてしまう。
鞠莉「ん、何が?」
梨子「何がって……」
聞き返されると逆に困る。
鞠莉「……んーまあ、そうね。少し悔しいなって思う気持ちもあるにはあるけど……曜にとって千歌は特別だから」
梨子「でも、恋人は鞠莉ちゃんなんだよね……?」
鞠莉「ふふ、もちろん♪ マリーも曜にとって特別な存在よ♪ でも、それとは違う絆があの二人の間にはあって、曜はそれをすごくすごく大切に思ってるってだけだヨ」
梨子「……怒ったりしないんだね」
鞠莉「そりゃそうよ。チカッチは曜にとって大切な人だってことはジュウジュウショーチだし。あ、それともドロドロなアイゾーゲキの方がお好みだった?」
梨子「そういうわけじゃないけど……」
正直、Aqoursのグループ内でドロドロの恋愛劇をされるのも困る。
鞠莉「変な気遣いしなくていーの。梨子は曜のイメージどおり、曲を作ってあげて? それこそ、わたしに遠慮して曲の解釈変えたりしないでよね?」
梨子「わ、わかった……」
鞠莉ちゃん、普段から曜ちゃんにべったりで独占欲が強いのかなと思っていたけど……意外とあっさりしていて拍子抜けしてしまった。
意外とそんなものなのかな……?
鞠莉「いいのよ。これが曜が辿り着いた答えだから。わたしは曜の気持ちを尊重したい」
梨子「……? う、うん……鞠莉ちゃんがそう言うなら、私からは特に言うことはないんだけど……」
まあ、鞠莉ちゃんなりに思うところがあるのかな……?
特に問題もなさそうだし、曜ちゃんの曲はすぐに完成させられそうかな……。
鞠莉「となると、あとは善子、花丸、千歌、ダイヤ、果南……それと、梨子?」
梨子「かな。……自分の曲はなんとなくイメージは固まって来てるから問題ないんだけど……」
鞠莉「花丸も歌詞はほぼ完成してるって言ってたけど、提出はまだなんだネ?」
梨子「うん、花丸ちゃんは作曲も自分でやるみたいだから」
鞠莉「花丸って作曲も出来るの……?」
梨子「作曲理論とかまではわかんないみたいけど……フレーズを歌う形で聞かせて貰って、それを私が曲にするって話になってるよ」
鞠莉「なるほどね……」
今回、全員のソロ曲を作るに当たって、作詞は全員自分でやることになっているんだけど、作曲に関しても希望者は自分で作って来てもいいということになっている。
鞠莉ちゃんは作曲が出来るとのことだったので、さっきのように打ち込みデータを聞かせて貰ったわけだ。
鞠莉「ちなみに、作曲希望者ってわたしと花丸以外にも居るの?」
梨子「あとはダイヤさんかな」
鞠莉「確かにダイヤは簡単な作曲なら出来そうだネ」
梨子「余裕があったら、千歌ちゃんの作曲もダイヤさんが手伝うって言ってたよ」
鞠莉「……あーまあ、ダイヤは独占欲強いからネ」
梨子「そうなの……?」
割とクールに千歌ちゃんと接してるように見えるんだけど……。
45:
鞠莉「たまに二人になると、千歌の話しかしないからネ。厳しそうに見えて、千歌のこと大好きすぎなのよ、ダイヤは」
梨子「へー……」
まあ、そうじゃなきゃ千歌ちゃんがあれだけ入れ込むのも不自然だしね……。
私たちが見ていないところだと、きっとすごく仲良しなんだろうというのは想像に難くない。
梨子「まあ……ダイヤさんが千歌ちゃんの楽曲も作曲をしてくれるなら助かるんだけど……」
鞠莉「けど?」
梨子「……千歌ちゃんの曲、そもそも歌詞があがってこないからなぁ」
鞠莉「あー……」
なんで普段一番歌詞を書いているはずの人が遅いんだろうか。
全く困った話だ。
あと困ったさんと言えば……。
梨子「善子ちゃんのオーダーもちょっと困るんだよね……」
鞠莉「どんなOrderなの?」
梨子「光と闇」
鞠莉「Oh...」
イメージが漠然としている上にテーマが矛盾している。しかも、歌詞があがってきていないから、手の付けようがない。
鞠莉「まあ……Discussionを重ねるしかないネ」
梨子「だねー……」
鞠莉「善子の言ってることに困ったら、相談に乗るから」
梨子「あはは……ありがと」
鞠莉ちゃんもGuilty Kissとして、善子ちゃんがどれくらい無茶な要求をしてくるのかはよくわかっているようで……。
まあ、なんだかんだでいつも形になってるから、今回もどうにかなると思う。たぶん。
ダイヤさんはしっかりしているから、心配ないとして……。
梨子「あとは果南ちゃんだけど……」
果南ちゃんからは特に進捗の報告がない状態だ。
まあ、締切りはかなり先に設定しているから、今の段階で焦って催促するような必要はないんだけど……。
鞠莉「果南は変に考え込むところあるからねー」
梨子「鞠莉ちゃんも何も聞いてない感じ?」
鞠莉「特には……。まあ、果南は約束を破ったりはしないから、平気だとは思うよ」
梨子「そっか……鞠莉ちゃんがそう言うなら……」
果南ちゃんのことは鞠莉ちゃんの方がよくわかっているだろうし、鞠莉ちゃんがそう言うなら、このことに関して私が今から必要以上に心配してもしょうがない。
鞠莉「さて……全体進捗も確認出来たし、わたしは梨子からのお墨付きも貰ったことだし、このまま作業を進めようかしら」
梨子「うん、そうしてくれると助かるかな」
なんせ九人分の曲がある以上、一曲でも自分で作ってくれる人が居ると大助かりだからね。ここは鞠莉ちゃんに甘えよう。
46:
鞠莉「梨子はこのまま作曲だよね」
梨子「うん、とりあえず今日中に曜ちゃんの曲を完成させちゃおうかな」
鞠莉「曜と一緒に、期待して待ってるわ♪」
梨子「ふふ、頑張るね」
手をひらひらと振りながら音楽室を後にする鞠莉ちゃんを見送って、
梨子「……よし、やろう」
私は一人作曲に取り掛かるのだった。
 * * *
その日の夜。
自室にて、一人ピアノに向かって作曲を進めていると……──ピロン。
梨子「ん……」
通知音を聞き、近くに置いていたスマホを手に取ると、
 『ちか★:ベランダ』
非常に雑なメッセージが届いていた。
梨子「はいはい……」
私は上着を羽織りながら、ベランダへ続く窓を開ける。
窓を開け放つと同時に、12月の冷たい風が吹き込んでくる。
梨子「さむ……」
身を縮こまらせながら、ベランダへ出て行くと、
千歌「やっほー梨子ちゃん」
御向かいさんで千歌ちゃんがひらひらと手を振っていた。
梨子「どうしたの?」
千歌「んーたまには梨子ちゃんとお話したいなって思って」
梨子「……ふーん」
千歌「え、何その反応……」
梨子「どうせ、勉強をやらないための口実が欲しいから、話しかけたんじゃないの?」
千歌「……♪?」
また下手な口笛吹いてるし……。
梨子「もう……また、ダイヤさんに叱られちゃうよ?」
千歌「赤点取らなきゃ平気平気?」
47:
全くその自信はどこから来るのやら……。
千歌「それに梨子ちゃんとお話したかったのはホントだよ?」
それはそれで素直に嬉しいけど……。
梨子「いいの?」
千歌「? 何が?」
梨子「ダイヤさん、嫉妬しない?」
千歌「流石にダイヤさんも、ちょっとお話したくらいで怒ったりしないよ」
梨子「それならいいけど……」
千歌「……なんか、いっつも気を遣わせちゃって……ごめんね」
梨子「ん……そんな、謝られるようなことじゃないよ」
千歌「でも……」
梨子「私は千歌ちゃんがダイヤさんと幸せそうにしてくれてて、嬉しいんだよ?」
これは本心からの言葉だ。純粋に千歌ちゃんが──友達が、幸せそうにしていることは、心の底から嬉しいことだと思って、ダイヤさんとの関係を応援しているつもりだ。
梨子「だから、千歌ちゃんはダイヤさんのことを考えてあげればいいんだよ」
千歌「梨子ちゃん……。……ありがと」
千歌ちゃんは少し照れ臭そうにはにかみながら、お礼を述べてくる。
千歌「ただ、それはそれとしてね……やっぱり、梨子ちゃんには寂しい思いさせちゃってるかなって思うんだ」
梨子「ん……」
千歌「恋人が出来たからって、友達じゃなくなるわけじゃないし……」
梨子「私との友情に危機感?」
千歌「そういうわけじゃないけど……。……でもやっぱり、梨子ちゃんと過ごす時間はめっきり減っちゃっててさ。曜ちゃんも鞠莉ちゃんと付き合い始めて……なんか、梨子ちゃんからしたら私も曜ちゃんも、友情よりも恋を選んじゃって、ちょっと冷たいって思われてるんじゃないかなって……。お昼休みも一人にしちゃってるし……」
梨子「……考えすぎだよ」
千歌「そう……?」
梨子「……本音を言っちゃうと、寂しいなって思うことはあるけど……でも、千歌ちゃんも、曜ちゃんも、心の底から大好きって思える人と一緒に居て幸せそうにしてくれてることが、私はすっごく嬉しいって思ってるのも本当なの」
千歌「うん」
梨子「それに……私たちには来年もあるけど……」
千歌「…………」
私の言葉を聞いて、千歌ちゃんは軽く目を伏せた。
梨子「……だから今は、ダイヤさんとの時間を大切にして欲しいかな」
千歌「……うん」
来年になれば、三年生は卒業だ。今のように毎日会うなんてことは物理的に出来なくなると思う。
だから、今という時間を大切にして欲しい。
千歌ちゃんにも、曜ちゃんにも。
千歌「…………」
48:
ただ、やっぱり千歌ちゃんの中では、まだ何かが引っかかっているらしい。きっとそれくらいには、私が寂しいと感じていることが伝わってしまっているんだろう。
これも千歌ちゃんらしい、優しい気遣いなんだと思う。出会ったあの時と、手を差し伸べてくれたあのときと変わらない、千歌ちゃんの優しさなんだ。
猪突猛進で、なんにも考えていないように見えて、本当はいつも皆のことを考えていて、精一杯大切にしてくれる。
梨子「──だから、幸せそうにしてくれてる今が、嬉しいんだよ」
千歌「え……?」
梨子「なんでもなーい。それに、千歌ちゃんに心配されるようなことなんて一切ないんだから」
千歌「? どゆこと?」
だから、今千歌ちゃんへ返せるものは、感謝は──この強がりでいいと思った。
梨子「私にだって、一緒にお昼を過ごす相手くらい居るんだよ?」
千歌「え!?」
千歌ちゃんが心底驚いたような声をあげた。
梨子「……そんなに驚く? 私そんなにぼっちっぽいかな……」
千歌「い、いや……ごめん。そういうわけじゃ……」
千歌ちゃんは少し、んーと思案してから、
千歌「……もしかして、善子ちゃん?」
善子ちゃんの名前を挙げる。
梨子「違うよ。果南ちゃん」
千歌「果南ちゃん……? ホントに……?」
別に嘘を吐く必要はないと思うんだけど……。
梨子「ホントだよ。お昼は果南ちゃんと過ごしてる」
まあ、今日が初めてだったけど……。
千歌「そっか……そうだったんだ……」
千歌ちゃんは感慨深そうに目を瞑ったあと、
千歌「梨子ちゃん」
梨子「?」
千歌「……果南ちゃんのこと、よろしくね」
何故かそんな言葉を続けてきた。
梨子「……え?」
……よろしくね?
49:
千歌「果南ちゃん、頑固だから大変なところあると思うけど……すっごくすっごく優しいからさ、きっと梨子ちゃんのことも大切にしてくれると思うし」
梨子「……あ、えっと……!」
千歌「果南ちゃんほど、ほーよーりょくのある人いないからさ! 絶対絶対、梨子ちゃんとならうまく行くと思うから!」
梨子「ちょっと待って千歌ちゃん!」
千歌「ふぇ?」
梨子「なんか勘違いしてる! 今はまだ、そういうのじゃないからっ!」
千歌「今はまだ……?」
梨子「!?/// え、えっと……! と、とにかく、一緒にお昼ごはんを食べてるだけだよ!」
うっかり変なことを言いかけたものの、
千歌「…………なーんだ……そういうことか……びっくりさせないでよ……」
一応納得してもらえた模様。
千歌「梨子ちゃんが果南ちゃんと急にくっついたのかと思ったじゃん」
梨子「い、いきなり、そんなことになるわけないでしょ!?///」
正直、見栄を張った言い方した私も悪いけど……。
梨子「そ……それに……」
千歌「……?」
梨子「果南ちゃんと……こ、恋人……なんて……///」
千歌「ダメなの?」
梨子「ダ、ダメというか……///」
千歌「……?」
梨子「と、とにかく! 果南ちゃんとはそういうのじゃないから!!」
千歌「えー、怪しいなぁ?」
千歌ちゃんがニヤニヤし始めた。
千歌「梨子ちゃん、素直になってもいいんですぞ??」
梨子「??/// だから、本当にそんなんじゃないのっ!///」
千歌「じゃあ、なんなのさ?」
梨子「それは……」
成り行きとは言え、お互い同級生二人が付き合い始めてしまったから、一緒に過ごしている、なんて言えるわけない。
そんなこと言ったら、それこそ気を遣わせるだけだし……。ああもう……なんで千歌ちゃんに果南ちゃんと一緒にお昼食べてるなんて言っちゃったんだろう……。
千歌「梨子ちゃん、早く素直になっちゃいなよ?」
……もうこうなったら……。
梨子「それよりも千歌ちゃん」
千歌「ん?」
梨子「ソロ曲の歌詞……出来た?」
千歌「…………や、やだなー急にどうしたの?」
50:
私の質問に、千歌ちゃんが盛大に目を泳がせ始めた。
梨子「えっとね、ソロ楽曲の作曲なんだけど……今手元にある分は終わっちゃったから、早く次の歌詞が欲しくて……千歌ちゃんなら、普段から歌詞書いてるから、そろそろ出来るんじゃないかなって」
千歌「あ、あははー、ごめん梨子ちゃん。今テスト勉強が忙しくて、そっちまで手が回ってなくてー……」
梨子「じゃあ、私と喋ってないでテスト勉強しなくちゃダメじゃないの?」
千歌「それはー……そのー……」
梨子「……ダイヤさんに言いつけちゃおうかなー。千歌ちゃん、お勉強サボって私とお話してましたよーって」
千歌「!? そ、それだけは勘弁して!? 梨子ちゃん知らないから、そういう残酷なこと言えるんだろうけど、ダイヤさん怒るとめちゃくちゃ怖いんだよ!?」
梨子「じゃあ、早く勉強しないとね」
千歌「ぅ……わ、わかったよぉ……べんきょーしますー……」
そう言うと千歌ちゃんも、しぶしぶ自室へと戻っていった。
よし……どうにかなった。
私も部屋に戻って──
千歌「あ、そうだ」
梨子「!?」
戻ろうと振り返った直後、背後から声、
梨子「勉強しに戻ったんじゃないのっ!?」
千歌「いや、最後に言っておこうかなって」
梨子「な、なに……?」
千歌「たぶん果南ちゃん、梨子ちゃんみたいな女の子らしい子、割と好きだと思うよ」
梨子「!?///」
千歌「幼馴染の勘がそう言ってるんだよね?」
梨子「もうっ!/// いいから、早く勉強しなさいっ!/// 本当にダイヤさんに言いつけるわよっ!?///」
千歌「ひぇ?それは勘弁を?!」
千歌ちゃんはおどけた口調で、今度こそ部屋へと引っ込んでいったのだった。
梨子「ま、全く……///」
なんだか、ちょっと話しただけなのに、どっと疲れた気がする。
梨子「……ぅぅ……///」
顔が熱い。ダイヤさんと付き合い始めてからはだいぶ落ち着いていたから油断していたけど……そもそも千歌ちゃんはいたずらとか、人をからかったりするのが好きな子だったことを思い出す。
──『たぶん果南ちゃん、梨子ちゃんみたいな女の子らしい子、割と好きだと思うよ。幼馴染の勘がそう言ってるんだよね?』──
梨子「……///」
果南ちゃんが私のこと好き……?
梨子「ないないない……///」
51:
そりゃ、同じAqoursの仲間として憎からずは思ってくれてはいるだろうけど……それこそ果南ちゃんはアクティブでアウトドアで、インドアな私とは正反対だし……。
──あ、でもそこが正反対なのは千歌ちゃんとダイヤさんも同じかも……。
あれ、じゃあもしかして……そういうことも、あるのかな……?
梨子「──って、さっきから私何考えてるの……!///」
千歌ちゃんのせいで、さっきから変な想像が頭の中で浮かんでは消えてを繰り返している。
梨子「ぅぅ……/// 千歌ちゃんのバカ……///」
全然頭の中が落ち着かないし、顔が熱いのが収まらない。
こんなんじゃ、作曲なんて手がつくはずがない。
梨子「……寝よ……///」
私は少し早めだけど、今日はさっさと寝てしまうことにした。
 * * *
果南『──ねぇ、梨子ちゃん』
梨子「あれ? 果南ちゃん……?」
果南『梨子ちゃん』
気付けば壁に追い詰められた私。
前方の果南ちゃんの手が伸びてきて、そのまま私の逃げ場をなくすように、ドンという音と共に背後の壁に手がつかれた。
梨子「え、あ、あの、果南ちゃ……」
果南『私じゃ……ダメかな』
梨子「え……」
果南『梨子ちゃん……。うぅん……梨子』
梨子「は、はひ……!?///」
急に呼び捨てにされて、背筋が伸びる。
そのまま、さっき壁についた手とは逆の手が、私の顎の方に伸びてきて、そのまま軽く持ち上げられる。
梨子「へ……/// ま、待って……///」
果南『梨子……』
そして、果南ちゃんの顔がゆっくりと近づいてきて──
──
────
梨子「──だ、だめぇーーー!!!///」
52:
私は絶叫しながら、飛び起きた。
カーテンの向こうから、僅かな朝の陽ざしと、早起きな小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
今日ものどかな朝が来たようだ。
梨子「………………………………」
思わず両手で顔を覆ってしまう。。
梨子「……ホント、なんて夢見てるの……私……///」
これも全部千歌ちゃんが変なことを言ってきたせいだ。
果南ちゃんへの罪悪感と、こんな夢を見てしまった羞恥心で死にたい。
──……ただまあ、夢で見た果南ちゃんはかっこよかったな、などと思った、そんな朝だった。
 * * *
午前の授業を問題なくこなし、今は部室に向かう真っ最中。
変わったことと言えば、昼休みのチャイムの音と同時に飛び出していくはずの千歌ちゃんが、意味深なことに私の背中を軽く叩いてから、ダイヤさんの元へと向かっていったことくらいだろうか。
完全に千歌ちゃんの中ではそういうことになっているらしい。
梨子「……はぁ……///」
思わず溜め息が漏れる。
千歌ちゃんに昨日言われたこともだけど……今朝見てしまった夢のこともあって、果南ちゃんとどんな顔をして会えばいいのかわからないし……。
とは言うものの、約束しているわけだから、行かないわけにもいかないし。
──とにもかくにも、悩みながらも部室に辿り着く。
梨子「あれ……果南ちゃんまだ来てないんだ」
どうやら、今日は先に部室に辿り着いたようだった。
まあ、心の準備が出来る分助かる……のかな。
とりあえず、椅子に腰を下ろして、果南ちゃんを待つことにする。
梨子「……そういえば、部室で一人って久しぶりかも」
放課後一番乗りをすることも実はあんまりなくて、なんだかんだで千歌ちゃんや曜ちゃんが一緒のことが多いし……。何より一年生の教室の方が近いから、一年組が先に来ていることが多い。
改めて、そんな部室に一人で居ると、室内がやけに広く感じる。
ぼんやりとホワイトボードに目をやると、『各自テスト勉強をするように』とやけに達筆な──マジックでよく書けるなと思う──大きな文字。
そのすぐ端っこの方に、小さな文字が消されたような痕跡がいくつかあり、また千歌ちゃんとダイヤさんが不毛な争いをしていたのかと思うと、
梨子「……ふふ」
なんだか、少し笑ってしまう。
果南「──ん? どうかしたの?」
梨子「きゃぁっ!?」
53:
ホワイトボードを見て笑っていたら、急に声を掛けられて、軽く叫んでしまった。
果南「あ、ごめん……驚かせるつもりじゃ……」
梨子「あ、いや……/// か、果南ちゃん……///」
独り言──まあ、軽く笑っていただけだけど──を聞かれて恥ずかしくなる。
加えて……──『果南ちゃん、梨子ちゃんみたいな女の子らしい子、割と好きだと思うよ』──千歌ちゃんの昨日の言葉が反芻されて、
梨子「……///」
果南ちゃんの方をまともに見ることが出来ない。
果南「? 梨子ちゃん?」
梨子「……///」
果南「どうかしたの?」
どうしよう……何か反応しないと、と思った瞬間だった。
──視界に果南ちゃんの顔が、急に現れた。
梨子「!?///」
果南「んー……」
そのまま、コツンとおでこをくっつけられる。
梨子「は、ふぇ……?/// はゃ……?///」
もはや日本語ですらない動揺の言葉が口から漏れ出す。
 果南『んー……ちょっと熱いけど……熱があるって程じゃないかな……?』
なんで、この人は突然こういうことをするんだろう……。
梨子「……///」
無言で果南ちゃんの両肩を掴んで押し返す。
果南「梨子ちゃん、大丈夫? 顔赤いけど……」
梨子「だ、大丈夫……だけど……/// あ、あのね、果南ちゃん……///」
果南「ん?」
梨子「こ、こういうこと……いきなりされたら、びっくりするからさ……/// せめて、やるならやるって言って欲しいんだけど……///」
果南「え? ……あ、あー……ごめん、癖で」
どんな癖なの……。
私が思わず眉根を寄せてしまっていたのか、
果南「えっと……千歌とか鞠莉とか、自分の体調が悪くてもテンション上がっちゃうと、気付かない子が多かったというか……」
そんな風に説明し始める。
果南「曜ちゃんも最近はずいぶんしっかりしてきたけど……昔はやんちゃでさ。遊ぶためだったら熱とか出ても隠して来ちゃう子だったし……」
梨子「癖ってそういう……。……幼馴染たちの体調管理もしてたんだね」
54:
私は少し呆れ気味ながらも、とりあえず納得する。
果南ちゃんって昔から皆のお姉さんみたいな立ち位置だったんだね……。
果南「まともなのはダイヤくらい……と思いきや、ダイヤは今ですら、たまに体調不良を隠したりするから油断ならないんだよね……。ルビィちゃんに関してはちょっとでも体調崩したら、ダイヤが絶対に外に出さないからそんな心配はなかったんだけど……」
果南ちゃんは苦笑いしながら、椅子に腰を下ろす。
梨子「えっと……/// 果南ちゃん……///」
果南「ん……?」
果南ちゃんは今しがた、私とおでこをこっつんこして、熱を測っていたところだ。
そのまま、腰を下ろしたということはつまり──
梨子「あの……/// その席で食べるの……?///」
これだけ空席があるのに、私の隣に座っているということだ。
果南「え、ダメだった……?」
梨子「い、いや……/// いいけど……///」
この部屋には二人しか居ないのに、隣同士で座るなんて──ちょっと、恋人っぽい。
梨子「……///」
ああ、もう……私、また変なこと考えてる……。
さっきのおでこコッツンのせいで、ドキドキしてるし、顔も熱い……。
このままだと、赤い顔のせいでまた心配されてしまうかもしれないし、真横に座ってくれた方が顔をあんまり見られなくていいかもしれない……と、ポジティブに捉えて、私はお弁当を食べることにした。
果南「はー……お腹空いた……いただきまーす」
梨子「いただきます」
二人でお弁当に箸をつける。
今日も果南ちゃんのお弁当はザ・女子高生のお弁当だった。
果南「そういえばさ」
梨子「!?/// な、なにかな……?///」
また急に話しかけられてドキっとする。ちょっと私、動揺しすぎかも……小動物みたいになっている気がする。
果南「部室に来たとき、笑ってたけど……なんかあったの?」
梨子「あ……/// え、えっとね……ホワイトボードなんだけど……」
果南「ホワイトボード?」
達筆で大きな文字の『各自テスト勉強をするように』を見てから──果南ちゃんの視線はそのそばにある、何かを消した跡に辿り着く。
果南「ふふ……なるほどね」
果南ちゃんもすぐにわかってくれたようで、くすくすと小さく笑う。
55:
梨子「一緒に居るんだったら、直接言えばいいのにね」
果南「千歌、負けず嫌いだからね。文字で書かれたら文字で言い返すくらいのことするから」
梨子「ふふ、確かにそうかも」
果南「ついでにダイヤも負けず嫌いだからねー……」
梨子「でも、最後に消すんだね」
果南「ふと我に返って、千歌もダイヤも残ってると恥ずかしいねって思ったんじゃない?」
梨子「ふふっ、なるほど」
なんとなくやりとりが目に浮かぶ。
あの二人、どうでもいい口喧嘩が多いけど、やっぱり仲良しなんだなと再認識させられる。
梨子「思ったより、似たもの同士なんだね……千歌ちゃんとダイヤさん」
果南「そうだね?。頑固なところはそっくりかも」
二人してくすくす笑う。
……あ、なんかいい感じじゃないかな。果南ちゃんと自然に会話が出来ている。
この調子でうまく話題を振って──
梨子「……か、果南ちゃんのお弁当、おいしそうだね。これ一人で毎日全部作ってるんでしょ? すごいなぁ……」
果南「あはは、ありがと。でも、梨子ちゃんのお弁当もおいしそうだよ?」
梨子「でも、ほぼお母さんが作ってくれたやつだから……」
果南「ん……ほぼってことは、自分で作ったのもあるの?」
梨子「あ、うん。今日はたまご焼きだけは自分で作ったんだよ」
果南「へー! 梨子ちゃんのたまご焼きは出汁? それとも甘いの?」
梨子「今日のたまご焼きは甘いのかな。出汁巻き卵も好きだけど……」
果南「甘いのか?。ウチはいっつも出汁なんだよね。ねぇねぇ、一個貰ってもいい?」
梨子「あ、うん。どうぞ」
私がお弁当箱を少し果南ちゃんの方に寄せると、果南ちゃんはお箸でたまご焼きを取って、
果南「いただきま?す。……あむっ」
たまご焼きを口に放り込んだ。
梨子「どう?」
果南「……うん! おいしい!」
梨子「よかったぁ……」
果南「梨子ちゃんはきっといいお嫁さんになるよ?」
梨子「ふぇ……///」
気を抜いたところにまた不意打ちを食らう。
ただ、いい加減私も慣れてきたんだから……果南ちゃんは何も考えずに言ってるだけだもん。
56:
梨子「そんな……たまご焼きだけで大袈裟だよ……///」
果南「そうかな? 甘いたまご焼きって塩と砂糖の加減とか結構難しいと思うよ。でもこれなら、毎日出てきても飽きないちょうどいい甘さだからさ」
梨子「……///」
果南「いやぁ、こんな可愛いお嫁さんが、こんなおいしいたまご焼きを毎日作ってくれるんだとしたら、梨子ちゃんの旦那さんはどう考えても幸せ者でしょ」
梨子「……そんなにおいしかったなら…………もう一個食べる……?///」
果南「え? いいの?」
梨子「うん……///」
果南「それじゃ遠慮なく……」
果南ちゃんはもう一切れたまご焼きを取って、口に運ぶ。
果南「ん?! おいしい!」
正直ものすごく恥ずかしいんだけど……それと同時に自分が作った料理を褒めて貰えたことがなんだか無性に嬉しくて、ついサービスしてしまった。
果南「あ、でもこれじゃ梨子ちゃんのお昼、減っちゃうよね……まだ、午後の授業もあるのに」
梨子「大丈夫だよ? 私、普段からそんなに量食べないし……」
果南「育ち盛りなんだから、ちゃんと食べないと……。……あ、そうだ!」
梨子「?」
果南ちゃんは何か思いついたのか、自分のお弁当の中にもあった、たまご焼きをお箸で摘んで、
果南「はい、梨子ちゃん。あーん」
私の口元に運んできた。
梨子「ひゅぇ……!?///」
私はまた日本語になっていない言葉を発する。
果南「ほら、あーんして」
梨子「へっ/// いや/// なんで……!?///」
果南「たまご焼き貰ったから、たまご焼きのお返ししようかなって思ってさ♪ 私のは出汁のやつだから、口に合うかわかんないけど……」
いや、そういうことじゃないんだけど……。
とはいえ、あーんを拒否すると、果南ちゃんの厚意も拒否したことになる気がするし……。
梨子「……あ、あーん……///」
控えめに口を開くと、そこにたまご焼き。
ただ、一口で食べるには大きい。噛んで半分くらいを口に含む。
果南「あ、ごめん。梨子ちゃんの一口にはちょっと大きかったね」
梨子「ん……ぅぅん……///」
謝る果南ちゃんに、大丈夫という意思を伝えながら、たまご焼きを咀嚼する。
梨子「……! お、おいしい……!」
──柔らかいたまごと、口内に広がる出汁の香り。
57:
梨子「……あ、あの……もう一口……」
あまりのおいしさにおもわず続きを催促してしまう。
果南「ふふ♪ はい、あーん♪」
梨子「……あむ」
先ほど、口に含み切れなかったたまご焼きを食べさせてもらう。
気付いたら、恥ずかしさが吹き飛んでいた。
それくらいおいしい……!
ただ──
梨子「おいしいけど……私の知ってる、出汁巻き卵と全然違う……」
なんというか、味も違うし……何より香りが全然違う。
果南「ふっふっふ……実は出汁に結構こだわってるんだよね」
梨子「出汁に……?」
果南「そ。昆布出汁をベースに、そのとき獲れた魚の出汁を使った合わせ出汁にしてるんだよ」
梨子「そのとき獲れた魚って……」
果南「おじいと仲の良い漁師さんが居てね。魚一尾丸々貰えることもあれば、余ったカマだけとか、そのときどきだけど……」
梨子「へー……」
流石漁港の町、沼津らしい……。
梨子「それじゃあ……これは何の出汁なの?」
果南「今日のは金目鯛だよ」
梨子「金目鯛……!? それって高級魚じゃ……」
果南「そうは言っても、カマは用途が限られるからね。ただ、鯛の出汁は絶品だからカマだけでも貰えるのはホントありがたいんだよね」
梨子「うん……! すごく、おいしい……!」
思わず力強く頷いてしまう。
果南「あはは、気に入って貰えてよかったよ。この時期だとノドグロなんかを貰えたときは、ホントに最高なんだよね」
梨子「ノドグロっておいしいの?」
果南「初めて食べたときはおいしすぎて、腰抜かすかと思ったくらいだよ」
梨子「そ、そうなんだ……」
そんなにおいしいんだ……そう言われると、ちょっと食べてみたい。
果南「ふふ、そんなに気に入ったなら、また作ってきてあげようか?」
どうやら、顔に出てしまっていたらしい。
梨子「……///」
これまた、恥ずかしいところを見られてしまった気もするけど、
梨子「お、お願いします……///」
58:
恥ずかしさを凌駕するくらい、おいしかったし、他の出汁で作ったものも食べてみたいと思ってしまった。
果南「了解♪ あーでも、来週からテストだからお昼休みないのか……」
梨子「あ、そういえば……」
果南「じゃあ、テスト終わったら、また作ってくるよ」
梨子「う、うん……///」
そういえば、テストと言えば……。
梨子「そういえば、果南ちゃん、明日のテスト勉強のことなんだけど……どこでやる?」
果南「ん、ああ……確かに場所決めてなかったね」
とはいえ、勉強が出来る場所と言ったら、私の家か、果南ちゃんの家になりそう……。沼津まで足を延ばせば、図書館や……確かキラメッセぬまづの施設内に市民用の開放スペースがあった気がするけど……。
果南「場所もなんだけどさ」
梨子「?」
果南「勉強会……お昼くらいからでいいかな?」
梨子「う、うん……? 別にそれは構わないけど……何か用事があるの?」
果南ちゃんに限って朝が弱いなんてことはないだろうし……。
果南「うんとね、朝はちょっと機材のメンテとかしないといけないからさ」
梨子「……なるほど」
そっか、テスト期間で練習がなくても、仕事は変わらずあるもんね。
果南「だから、お昼前には本島に行けるようにするからさ。場所は梨子ちゃんの家でいいかな?」
つまり、いつものように仕事を終えてから、こっちに来てくれる、ということらしい。
でも、それなら……。
梨子「もし……さ」
果南「ん?」
梨子「果南ちゃんが嫌じゃなかったらなんだけど……。果南ちゃんの家じゃ、ダメかな?」
果南「え? 別にいいけど……船使ってこないといけないし、大変じゃない?」
梨子「海を渡らないといけないのは果南ちゃんも同じでしょ?」
果南「それは、まあ……」
果南ちゃんは水上バイクがある分、定期便よりは自由が利くというのは事実だけど……。
梨子「それに、仕事が終わってからこっちに来てもらうより、私がそっちに行って、果南ちゃんの仕事が終わるのを待ってる方がスムーズに始められると思うし」
果南「……それもそうだね。じゃあ、来て貰っちゃってもいいかな?」
梨子「うん!」
というわけで、明日は果南ちゃんの家にお邪魔することになった。
果南「……って、思ったより話し込んじゃってたな」
言われて時計を見ると、確かにお昼休みの終わりの時間がそろそろ近づいてきていた。
59:
果南「早く食べちゃわないとね」
梨子「ふふ、そうだね」
なんだか、こうして果南ちゃんと過ごす時間はあっという間な気がする。
やっぱり誰かと一緒に食べるご飯はおいしいし、楽しいな……。
私はこの時間を噛みしめながら、果南ちゃんとのお昼を過ごすのだった。
 * * *
──放課後。
千歌「曜ちゃん! 梨子ちゃん! 部活行こ!」
荷物をまとめていると、背後から千歌ちゃんの声。
振り返ると、すでにバッグを肩に掛けて、準備万端のようだった。
曜「千歌ちゃん、テスト勉強はいいの?」
梨子「部活行ってて、ダイヤさんに怒られないの……?」
昨日の放課後のアレを見た直後だ。
今日はダイヤさんと勉強をするんだと勝手に思っていた。
千歌「だからだよっ! 早く行かないと捕まって──」
ダイヤ「ふふ、千歌さん♪ そんなに急いでどこに行くのですか?」
千歌「…………」
気付けば、教室の出口に来ていたダイヤさんが、ニコニコしながら声を掛けてくる。
梨子「ダイヤさん、お疲れ様です」
曜「ダイヤさん、お疲れ様ー!」
ダイヤ「ふふ、皆さん、お疲れ様ですわ」
千歌「お疲れ様! それじゃ、チカは部室に……」
ダイヤ「……黙って行かせると思っているのですか?」
千歌「……ぐ……」
教室の後ろの方で、にらみ合う千歌ちゃんとダイヤさん。
千歌「たまには息抜きが必要でしょ!?」
ダイヤ「貴女は息抜きしかしてないでしょう!? テスト期間中くらい我慢して勉強しなさい!!」
千歌「お姉ちゃんみたいなこと言わないでよ!」
ダイヤ「千歌さんこそ、この期に及んで、妹みたいなこと言わないでください!!」
──そもそも千歌ちゃんは妹だし、ダイヤさんはお姉ちゃんだけど……。
梨子「というか、このカップルコント毎回やらないとダメなのかな……?」
曜「あはは……」
60:
曜ちゃんと二人で、苦笑する。
千歌「……わかった」
ダイヤ「わかっていただけましたか」
千歌「力ずくで通るよ」
ダイヤ「失礼。あまり、わかっていないようですわね」
千歌ちゃんがダイヤさんの方に向かって、スタンディングスタートの構えを取る。
ダイヤ「……ほう、いいでしょう」
それを受けてか、ダイヤさんも半身で立って構えを取る。
千歌「ダイヤさん、私に肉弾戦で勝てると思ってるの?」
ダイヤ「逃げる相手を押さえるくらい、造作もありませんわ」
千歌ちゃんの挑発を鼻で笑うダイヤさん。
──というか、女子高生が教室で肉弾戦をしないで欲しい。
千歌「後悔しても知らないから──ね……!!」
次の瞬間、千歌ちゃんが視界から消えた── 一瞬で、身を屈めてタックルの要領で飛び出したんだと、気付いた時にはすでにダイヤさんのすぐそばまで迫っていて、
千歌「たりゃあああ!!!」
ダイヤさんの腰辺りに向かって、千歌ちゃんのタックルが決まっ──
ダイヤ「……遅い」
──らなかった。
こちらも一瞬だった。ダイヤさんは摺り足で半歩ずれるように千歌ちゃんのタックルを躱し、そのまま手首と肩を掴んで引く、
千歌「わっ!?」
躱された千歌ちゃんは勢いあまって、ダイヤさんに捕まれた部分を軸に回転するようにダイヤさんの周りを走る──いや、ダイヤさんに走らされていると気付いたときには、そのまま床に押し付けられるようにして片腕を極められていた。
ダイヤ「さて、捕まえましたわよ?♪」
千歌「う、腕をあげたね……ダイヤさん……」
ダイヤ「さあ、貴女の今日の部活はなしです。家に帰ってみっちり勉強しますわよ?」
千歌「っく……! 曜ちゃん! 梨子ちゃん! 助けて……!!」
床に伏せったまま、助けを求めてくる千歌ちゃん。
61:
曜「それじゃ、二人ともまた明日!」
千歌「曜ちゃん!?」
梨子「ダイヤさん、大変だと思うけど……千歌ちゃんのお勉強、ちゃんと見てあげてくださいね」
ダイヤ「ええ、お任せください」
千歌「梨子ちゃんまでっ!? 二人とも裏切るの!?」
梨子「別にこの件に関しては、最初から味方じゃないし……」
曜「右に同じであります!」
千歌「そ、そんな……!」
ダイヤ「いいから、早く帰りますわよ」
千歌「……待って、二人とも待ってえええええ……!!」
背後でダイヤさんにずるずると引き摺られながら、千歌ちゃんの涙声が遠ざかっていく。
曜「千歌ちゃん、ああ言ってるけど、どうする?」
梨子「まあ、いいんじゃないかな。ダイヤさんに任せておけば」
曜「それもそうだねー」
私は曜ちゃんと連れ立って、部室の方へと足を向けるのだった。
千歌「ねぇ梨子ちゃん!! 曜ちゃんも!! 助けてくれたらみかんあげるからーーー!? そうだ! 梨子ちゃん! トマトもあるよ!? リコピンたっぷりだよ!? お願い、助けてーーー!!! ねぇーーー!!!」
 * * *
曜ちゃんと一緒に、部室に向かう途中、前方に目立つ金髪の後ろ姿を見つける。
曜「鞠莉ちゃーん!!」
姿を見て一目散に駆け出す曜ちゃん。
ふふ、やっぱり曜ちゃんも千歌ちゃんに負けず劣らず、恋人大好きなんだから。
微笑ましくて、駆け出す曜ちゃんを眺めながら、クスクス笑ってしまう。
鞠莉「あら? チャオー曜♪ お疲れデース♪」
曜「うん、お疲れ様!」
梨子「鞠莉ちゃん、お疲れ様」
鞠莉「梨子も、チャオー♪ 二人とも、今日は部活に顔出すのね」
梨子「うん。今のうちに出来る作業は進めたくって……」
テスト勉強は週末にすれば十分だしね。勉強のために自主的にお休みしている千歌ちゃんと違って──正確には自主的ではないけど──私は普段から勉強しているし。
曜「私も衣装を進めようかなって思ってさ」
鞠莉「んー……なら、わたしは曜のお手伝いでもしようかしら」
そして、この二人も成績優秀。鞠莉ちゃんに至っては学年どころか学校で一番頭が良い生徒と言っても差し支えないレベル。
むしろ週末の勉強会をこの二人がする必要があるのかと疑問に思ってしまうけど……恐らくこの二人の場合、それを口実にして一緒に過ごしたいだけだと思う。
62:
梨子「そういえば、鞠莉ちゃん……一人で部室に行くの?」
鞠莉「ん? そうだけど……?」
鞠莉ちゃんは軽く首を傾げたあと、
鞠莉「……あ、果南なら今日は帰ったわよ」
私の質問の意図に気付いたのか、そう言葉を付け加えた。
そう、鞠莉ちゃんが三年生の教室から来たのなら果南ちゃんと一緒だと思ったのだ。
ただ、どうやら果南ちゃんは今日の部活は欠席らしい。
鞠莉「なんでも、勉強したいなんて言ってたわねー……明日は雪だネー」
なんとも失礼な物言いだけど、恐らく鞠莉ちゃんは果南ちゃんが勉強が苦手なことを知っているんだろう。
梨子「そっか……」
鞠莉「果南に何か用があったの?」
梨子「あ、うぅん。単純に鞠莉ちゃんと果南ちゃん、一緒に部活に向かうと思ってたから、聞いただけだよ」
鞠莉「そう?」
明日会えるから別に構わないんだけど……何故だか、少しだけ寂しい。
別に部室に居ても、二人っきりにならないとそんなにたくさんお話したりはしないんだけど……なんとなく果南ちゃんが居ないと聞いて、少し残念に思っている自分が居た。
鞠莉「……そういえば、チカッチが二人と一緒に居ないってことは、まんまとダイヤにホカクされたんだネ」
曜「うん」
梨子「引き摺られていったよ」
鞠莉「それはアレだネ。ナムサンってやつ」
たぶん、それはちょっと違うけど……。
3人で雑談しながら歩いていると、部室が見えてくる。
部室の中を覗くと、室内に居たのは善子ちゃん一人だった。
曜「善子ちゃん、ヨーソロー!」
曜ちゃんが元気よく部室のドアを開けると、
善子「ん? あぁ、お疲れ様」
と、冷めた反応を返す善子ちゃん。
鞠莉「あら……今日はいつものやらないの?」
善子「別に私はやりたくてやってるわけじゃないんだけど……善子じゃなくてヨハネよ」
今日の善子ちゃんは非常にテンションが低い様子。
梨子「ルビィちゃんと花丸ちゃんは?」
善子「二人とも自主的に勉強するって言ってさっさと帰ったわ。全く真面目なんだから」
ああ……善子ちゃん、二人が部活をお休みしてるから、ちょっとテンションが低いのかも。そんなことを考えながら善子ちゃんの向かいの席に腰を下ろす。
一方、曜ちゃんと鞠莉ちゃんは、
63:
曜「裁縫セットと生地はこれでよし……」
鞠莉「衣装ノートは?」
曜「持ってるよ。バッグに入ってる」
鞠莉「それじゃ、後は家庭科室の鍵ね。職員室に借りに行ってるから、先に行ってて」
曜「ヨーソロー!」
衣装制作のために、必要なものを持って、家庭科室に向かうようだった。
鞠莉「それじゃ、梨子、善子、また来週」
曜「二人ともお疲れ様!」
梨子「うん、またね。二人とも」
善子「お疲れ……あとヨハネよ」
ひらひらと手を振りながら、二人が部室を後にする。
──さて、私は作曲をしたいわけだけど……。そのためには曲の歌詞が必要なわけで、
梨子「善子ちゃん」
善子「……ヨハネ」
梨子「歌詞出来た?」
この際、まどろっこしい気遣いは抜きにして、早歌詞を催促する。
善子「……まあ、出来てるわよ」
すると、意外にすんなり完成したという歌詞を手渡されて拍子抜けする。
梨子「……」
善子「……何?」
梨子「いや、意外とすんなり提出されて驚いてる」
善子「まあ……私がホンキを出せばこんなもんよ」
あんなに苦戦してそうだったのになぁ……。
そんなことを思いながら、歌詞に目を通すと──そこに綴られていたのは、自分と、もう一人の自分、というテーマで書かれた歌詞だった。
善子「どう?」
梨子「……うん、作曲の際、譜割りのために少し変えなくちゃいけない部分はあるかもしれないけど、いい詩だと思う」
それは素直な感想だった。とにかく善子ちゃんらしい、善子ちゃんならではの歌詞だと思う。
本人が最初に言っていた『光と闇』というあやふやのイメージも、この歌詞を見たら、だいぶわかってきた気がする。
梨子「これ、白い翼が善子ちゃん?」
善子「ええ、そういうことになるわ。善子なんて人間、本当は居ないんだけど」
梨子「じゃあ、黒い翼がヨハネか……」
善子「そうよ。黒い翼はヨハネ……。そう、ヨハネよ」
梨子「? うん」
なんで、言い直したんだろう。
善子「……善子じゃない……そう、黒い翼は……ヨハネ」
64:
何故か善子ちゃんはそんなことを呟きながら、少し遠い目をしている気がした。
梨子「善子ちゃん……? どうかしたの?」
善子「……いや、なんでもないわ。それより、譜割りっていうの、私は何をすればいいの?」
梨子「あ、えっと……実際にピアノを弾きながら調整する感じかな」
善子「じゃあ、音楽室に行きましょう」
梨子「そうだね」
私たちは曲を作るために、荷物をまとめる。
その最中──
善子「……アナタは……誰……なのかしら……」
善子ちゃんは、そんな意味深長なことを、小さな声で呟いていた。
 * * *
梨子「──……ふう、こんなところかな」
帰宅後、善子ちゃんの曲の作曲を進めたあと、軽くテスト勉強をしてから、明日の勉強会のために荷物をまとめる。
ちらりと時計を見ると、そろそろ午後10時半といったところ。
梨子「果南ちゃんは……もう寝ちゃってるよね」
この前は午後10時くらいには寝ちゃってたし……。
何か連絡があるかなと思って、勉強の合間に何度もスマホを点けたり消したりしていたけど……特に連絡はなかった。
──なんか、想い人からのメールを待っている人みたい。
梨子「……///」
変な想像をして、一人で恥ずかしくなる。
最近こんなことばっかりだ。
梨子「はぁ……私も寝ようかな……」
ベッドに横になって、スマホを置いた瞬間……──ピロン。
梨子「っ!?///」
急な通知音にびくっとする。すぐにスマホを確認すると、
梨子「……あっ///」
 『KANAN:梨子ちゃん、起きてる?』
果南ちゃんからのLINEだった。
65:
 『梨子:今寝ようと思ってたところだよ。果南ちゃん、まだ起きてたんだね』
 『KANAN:私も寝ようと思ったんだけど・・・明日の勉強会が楽しみで目が冴えちゃって』
梨子「! ……えへへ……///」
果南ちゃん、私との勉強会、楽しみにしてくれているんだ……。なんだか、嬉しくてにやけてしまう。
 『梨子:私も楽しみだよ!』
だから、素直な気持ちを返信する。
 『KANAN:そっか、よかった・・・私だけじゃなかったんだね?』
梨子「ふふ……」
楽しみで寝れなくなっている果南ちゃんを想像したら、可愛いなと思って笑ってしまう。
 『梨子:でも、ちゃんと寝ないとダメだよ? 勉強会でウトウトしてたらダメだからね?』
 『KANAN:あはは、そりゃそうだ。お互いもう寝ようか?』
 『梨子:うん。おやすみ?』
 『KANAN:おやすみ、また明日?』
梨子「……えへへ……///」
なんだか、不思議と胸が弾んでいた。
なんでもないやり取りなのに、満たされた気分。
思わず枕を抱きしめて、顔を埋める。
梨子「なんか……変な感じ……///」
くすぐったくて、恥ずかしい感じがするけど、不思議と嫌ではなかった。
最近私、果南ちゃんのことばっかり考えている気がする。
梨子「……/// ……私……///」
頭の中にとあるワードが過ぎったけど、軽く頭を振って考えを振り払う。
梨子「こ、これは、そういうのじゃなくて……/// そ、そう! テレパシーの件もあるんだから、果南ちゃんのことばっか考えてて当然だよ!///」
誰に言い訳しているんだかと思いながらも、この考えに肯定してしまうと、うまく果南ちゃんと触れ合えなくなってしまう気がして、
梨子「……今は、部活の先輩後輩で……///」
今は……この距離感を大事にしたいから。
トクントクンと鳴っている心臓から意識を逸らすように、私を目を閉じ、夢の世界へと旅立つのだった。
 * * *
66:
──眼前に広がる青い海。足元には柔らかい砂浜。
私は真っ白なワンピースとお母さんが被せてくれた真っ白なつば広帽を風にはためかせながら、広がる海を眺めていた。
海の先には、緑色に包まれた山のような島が見える。……確かあわしま? って言っていた気がする。
空では真っ白な鳥が「ミャーミャー」と鳴きながら飛んでいる。まるで猫みたいだ。
私が住んでいるところは、大きなビルが立ち並ぶ街だったから、この光景はすごくすごく新鮮だった。
空気も澄んでいるし、潮風が心地いい。
大きく伸びをしながら、青い青い海を見つめていると──
りこ「あれ……?」
海の中から、何かが飛び出してきた──。
りこ「にんぎょ……」
私は目を奪われた。
海に溶けるような、蒼い蒼い髪が太陽の光を反射して、キラキラと光り輝いている。
りこ「にんぎょひめ……!!」
私は一目散に駆け出した、
りこ「お母さんっ!! お母さん!! 見て!! にんぎょひめ!! にんぎょひめだよ!! にんぎょひ──」
──
────
──────
梨子「……ん、ぅ……」
カーテンの間から漏れる朝日によって、覚醒を促される。
梨子「…………ん……」
ベッドに転がったまま、ぼんやりと首を捻って、目覚まし時計に目をやると、ちょうど7時を指していた。
たっぷり寝て調子がいいことに加えて……なんだか、懐かしい夢を見た。
──いつの日か見た、人魚姫の夢。
梨子「……あれ?」
ふと、掘り起こされた記憶を反芻しながら、気付く。
梨子「あの人魚姫……?」
紺碧の髪を陽光に煌めかせていた、あの人魚の姿って──
梨子「……か、果南ちゃん……?///」
あの長くて、海に溶けるような色の髪を持った人、あれは……果南ちゃんに間違いない。
思い出して、また顔が熱くなるのがわかる。
ついに私ったら、昔の記憶の中にまで果南ちゃんを登場させてしまったらしい。
67:
梨子「……もう……///」
まさか自分の記憶を改竄してまで、果南ちゃんを登場させてしまうほど、私の頭の中は果南ちゃんだらけになってしまったんだろうか。
梨子「……い、意識しすぎだよ……///」
果南ちゃんとお昼を一緒に過ごし始めたのだって、今週の水曜のことなのに……。
されたことだって、頭を撫でられたり、おでこコッツンされたり、あーんしてもらったり……?
梨子「……いや、意識するよ……///」
考えれば考えるほど、意識せざるを得ないことをされているのを再認識する。
梨子「……はぁ……」
ただ、果南ちゃんに他意はない。噂通りの天然タラシさんなだけ。
梨子「意識しない……意識しない……」
自分に言い聞かせる。
でも──『果南ちゃん、梨子ちゃんみたいな女の子らしい子、割と好きだと思うよ』──また千歌ちゃんに言われたことを思い出して、
梨子「ぅぅ……/// だから、違うんだって……///」
また顔が熱くなる。
全く、千歌ちゃんはなんて余計なことを言ってくれたんだろうか。
梨子「……と、とにかく……! 起きて支度しないと……」
いつまでも、ベッドの上でもじもじしている場合じゃない。
今日は、その果南ちゃんと一緒に過ごすんだから。
私は布団から這い出して、出掛ける準備を始める。
準備している間も、ことあるごとに果南ちゃんのことを考えて顔を赤くしていたというのは、言うまでもないかな……。
 * * *
──午前9時半過ぎ。
私は淡島に定期便で移動し到着したところ。
降り立った船の外では、残念なことに小雨が降っているため、傘を開く。
鞠莉ちゃんが『明日は雪だ』なんて言っていたけど……内浦や沼津では、そもそも雪がほとんど降らないらしい。
確かに沼津で過ごす初めての冬は、東京の寒さとは違って、少しだけ過ごしやすい。……それでも寒いものは寒いけど。
とりあえず、船着き場から歩いて、開園したばっかりのマリンパークを右手に見ながら進んでいく。
最初の道の右折左折さえ間違えなければ果南ちゃんの家──『Dolphin House』へは一直線だ。尤も右左を間違えても、島を一周すれば最終的にたどり着けるけど。
波の音を聞きながら、すぐに見えてきた目的地では、
果南「……よしっと……これでいいかな」
68:
ウェットスーツを身にまとった果南ちゃんが、タンクを運んでいるところだった。
──トクン。果南ちゃんの姿を見て、心臓の鼓動が少しくなる。……ダメダメ……! 意識しすぎない……。
梨子「果南ちゃーん……!」
果南「お? 梨子ちゃん、おはよう?」
梨子「おはよう!」
挨拶をしながら傘を閉じて、テラスに居る果南ちゃんの元へ駆け寄る。
大丈夫、自然に話せている。
果南「もうちょっとで朝の仕事終わるから、待っててね」
梨子「うん」
頷きながらも、果南ちゃんの姿を見て思う。
梨子「ウェットスーツ着てるけど……もしかして、潜ってたの?」
果南「うん、今日はお客さんがいるからね。ダイビングポイントの確認は私の仕事だから」
梨子「こんなに寒いのに……」
いくら内浦の冬が温かいと言っても、冬は冬だ。しかも今日は小雨まで降っている。
こんな日も変わらず海に潜っている果南ちゃん。仕事とは言え、彼女が風邪でも引いてしまわないかと少し心配になる。
果南「まあ、確かに寒いには寒いけど……ドライスーツは暖かいからね」
梨子「ドライスーツ……?」
果南「完全防水仕様のウェットスーツだよ。身体が濡れないから冬のダイビングの必需品なんだよね」
梨子「そういうのもあるんだ……」
果南「さすがに真冬の海になんの対策もなく飛び込むのは危ないからね。保温はちゃんとしてるから大丈夫だよ」
それもそっか……寒中水泳じゃないもんね。小さい頃からずっと潜っているプロ顔負けなダイバー相手に、余計な心配だったなと少し恥ずかしくなる。
ただ、果南ちゃんはそんな私の胸中も看破しているのか、
果南「心配してくれてありがと、梨子ちゃん」
軽く俯く私の頭を、優しく撫でる。
 果南『ホントに優しいんだなぁ……梨子ちゃんって』
梨子「……///」
本当に果南ちゃんは自然と頭を撫でてくる。別に困ることがあるわけじゃないからいいんだけど……。
頭を撫でられていることに加え、心の声も合わさって、二重の意味で恥ずかしい。
でも、優しいって思ってもらえるのは……嬉しいかな、えへへ。
果南「っと……さっさと仕事片付けて、勉強会始めないとね」
梨子「あ……! 何か手伝えることとかないかな……?」
せっかくこうして来たのだ。お手伝いがしたい。
果南「ふふ、ありがと。でも、もうすぐ終わるから大丈夫」
果南ちゃんはニコっと笑って、タンクを運び始める。
69:
梨子「そ、そっか……」
まあ……いきなりお手伝いって言っても、教えなくちゃいけない分、手間が増えちゃうもんね。
自分にそう言い聞かせて、テラスの大きなパラソルの下にある席に腰掛ける。
果南「??♪」
果南ちゃんは鼻歌を歌いながら、重そうなタンクを軽々と運んでいる。
私と違って力持ちだ。聞いた話によると、鞠莉ちゃんくらいなら軽々とお姫様抱っこ出来るらしい。
──鞠莉ちゃんをお姫様抱っこ出来るなら、私でも……。
梨子「……///」
何張り合ってるの、私……。また一人で顔を赤くする。
顔を赤くしたまま俯いていると、海の方から風が吹き込んでくる。
寒い……。
梨子「……くちゅん」
果南「ん……? あ、ごめん……寒かった?」
梨子「あ、いや……///」
今度はくしゃみを聞かれてしまった。またなんとも言えない恥ずかしさを感じて、顔が熱くなる。
果南「先に中で待っててくれるかな? ここで待たせてたら、それこそ梨子ちゃんが風邪引いちゃうから」
梨子「う、うん……///」
果南ちゃんが仕事をしている姿を眺めていたい気持ちもあったけど……真っ赤な顔を見られるくらいなら、と思ってお言葉に甘えることにした。
──お店の中に入ると、中ではすでに開店準備が整っているのか、ジャズ調のBGMが流れている。
当たり前だけど、室内は暖かく、木目を基調とした室内はBGMの雰囲気も相まってか、とても落ち着く。
恐らくお客さんの待合用だと思われる壁際の長椅子に腰を下ろして、ぼんやりと店内を見回す。
レジスターの置かれた木製の作業台の上には恐らくダイビングで使うであろうこまごまとした機材が置いてある。壁には額縁に入った、サーファーや海中の魚の写真があちこちに飾ってあり、本当にダイバーの家なんだということを再認識させられる。
そのままぼんやりと視線を外に向けると、窓の外で果南ちゃんが先ほどと変わらず仕事をしている。
果南ちゃんと二人きり。なんだか、変な感じだった。
いつも私のそばには千歌ちゃんや曜ちゃんが、果南ちゃんのそばには鞠莉ちゃんやダイヤさんが居たから。
こうして、果南ちゃんと私が二人で一緒の時間を過ごしているのは、とにかく上手く言葉に出来ない、不思議な感覚だった。
そして、そんな果南ちゃんと今日は一日中一緒に過ごすのだ。
梨子「えへへ……」
なんだか意味もなくにやけている自分が居る。こんなところ人に見せられないから、しっかりしないと……なんて思った折、
 「──果南、戻ったか」
梨子「!?」
急に屋内の奥の方から、しゃがれた男の人の声が耳に届く。
ビクッとしながら、声の方に顔を向けると──やや色黒の肌をした白髪の老人が顔を出していた。
 「……客か?」
梨子「え!? あ、いえ!?」
70:
すぐに果南ちゃんのおじいちゃんだと言うことに気付きはしたものの、急に声を掛けられたせいか完全に気が動転してしまっていた。
梨子「わ、わた、わたし、果南ちゃんのお友達で、今日は一緒にお勉強を!?」
軽く裏返る声で口早に説明をすると、
おじい「そうか」
おじいちゃんは短く返事をしたあと、レジカウンターの方へと歩いていく。
そのまま、カウンター内の机の引き出しを開けて、中を確認したあと、すぐに閉める。
梨子「……?」
何か、探しているのかな……?
椅子に座ったまま、身を縮こまらせていると、
おじい「嬢ちゃん」
梨子「!? は、はい!!」
突然声を掛けられる。
おじい「名前は」
梨子「さ、桜内梨子でしゅ……!」
緊張しすぎて噛んだ。恥ずかしい。
おじい「梨子」
梨子「は、はいっ!」
何故か背筋が伸びる。なんというか、このおじいちゃん……迫力がある。
おじい「火持ってないか」
梨子「……ひ?」
ひ……? ……火か……!
頭の中でワードにどうにか意味を持たせられたものの、
梨子「えっと……ごめんなさい。持ってないです……」
女子高生の身の上でライターは持ち歩いていない。
おじい「……そうか」
おじいちゃんは表情を変えないまま、短くレスポンスだけして、また引き出しの中を漁り始める。
私が意味もなく背筋を伸ばしたまま、おじいちゃんを見ていると、
果南「梨子ちゃん、お待たせ……って、おじい?」
仕事を終えた果南ちゃんが、店内に入ってくる。
おじいちゃんは果南ちゃんの姿を確認すると、
おじい「果南、火」
71:
短くそう言う。
果南「火……。……マッチなら隠した」
おじい「隠しただとぉ……?」
果南「いい加減禁煙してって言ってるじゃん……ダイバーなんだしさ」
おじい「吸ってるダイバーなんていくらでもおるだろが」
果南「この前も咳き込んでたじゃん……。ダイビング中に咽たら最悪死ぬこともあるって、おじいなら知ってるでしょ?」
おじい「んな素人みたいな失敗せん」
果南「とにかく、煙草はダメ」
おじい「…………」
果南ちゃんが突っぱねると、おじいちゃんは頭を掻きながら、奥の部屋へと戻っていった。
果南「ごめんね、梨子ちゃん。びっくりしたでしょ」
梨子「あ、うぅん……二人で住んでるって言ってたもんね」
家なんだから、果南ちゃんのおじいちゃんが居るのは何にも不思議なことじゃない。
すっかり頭からその考えが抜けていたから、びっくりしたのは事実だけど……。
梨子「いきなり火持ってるかって聞かれたのは、驚いたけど……」
果南「えぇ……。全く……初対面の女の子に火持ってるかとか聞く……?」
果南ちゃんが呆れ気味に額に手を当てて唸っていると、
おじい「果南、チャッカマンどこ仕舞った」
再び奥から顔を出すおじいちゃん。
果南「チャッカマンは倉庫。いい加減にしないと、煙草捨てるよ」
おじい「……」
目の前で祖父と孫がにらみ合いを始める。
梨子「え、えっと……」
そんな二人を前にしておろおろしていると──
鞠莉「──チャオー♪」
梨子「!?」
いきなり、勢いよく扉を押し開けながら入ってくる賑やかな声。
果南「鞠莉……? どうしたの?」
鞠莉「果南にお届けものデース♪」
曜「お邪魔しまーす」
梨子「鞠莉ちゃん……曜ちゃんも……?」
鞠莉「あら……? 梨子……?」
曜「梨子ちゃん?」
72:
三者が顔を合わせて、何故ここに居るのかについて首を傾げる。
三者三様のまま、数秒考えたのち、
鞠莉「……そういうこと……♪」
鞠莉ちゃんは納得したようにイタズラっぽい笑みを浮かべた。
曜「えーと……どういう状況?」
一方曜ちゃんは、素直に状況を訊ねてくる。
確かに部屋の隅っこで縮こまっている私と、にらみ合いをしている果南ちゃんとおじいちゃん。疑問に持つのも当然かもしれない。
ただ、そんな曜ちゃんの疑問も意に介せず、
おじい「曜、火持ってないか」
と、おじいちゃん。
果南「もう、おじい!」
曜「火? おじい、禁煙してたんじゃ……」
おじい「果南が勝手に言ってるだけだ」
果南「第一、普通の女の子が火なんか持ってるわけないでしょ!?」
おじい「チビは持ってたぞ」
チビ……?
果南「何年前の話……?」
曜「あー……そういえば千歌ちゃん、ちっちゃい頃に一時期、爆竹で遊ぶのにハマって、お母さんからしこたま怒られてたことあったっけ……」
鞠莉「Oh! チカッチはJapanese WARUGAKIというヤツデースネ!」
あ、チビって千歌ちゃんのことなんだ……。
というか、何してるの千歌ちゃん……。
おじい「鞠莉」
鞠莉「Sorry. マリーもライターの類は持ち歩いてないの」
おじい「……」
鞠莉ちゃんの答えを聞くと、おじいちゃんは少し残念そうに部屋の奥へと戻っていった。
果南「全く……」
鞠莉「今日も果南とオジーは元気そうだネ」
果南「私は元気じゃないよ……それより、二人ともどうしたの?」
曜「回覧板持ってきたよ」
言いながら、曜ちゃんが果南ちゃんに袋に入った回覧板を受け渡す。
果南「曜ちゃんが?」
果南ちゃんは渡された袋の中を確認して、
果南「大量のみかん……千歌に頼まれたのか」
73:
袋の内容物を見て、それが千歌ちゃんの名代だということに気付いた模様。
曜「千歌ちゃん──というか、回覧板を口実に逃げようとする千歌ちゃんを捕まえてた、ダイヤさんに頼まれた、というか……」
見ていないところでも、あんな感じなんだ千歌ちゃん……どれだけ勉強したくないの……。
曜「私は淡島に用があったし、まあいいかと思って……」
鞠莉「そしてマリーはたまにはオジーに会いたかったから、ついてきたというわけデス♪」
果南「なるほど……鞠莉もおじいのこと好きだよね」
鞠莉「カモクなところとか、Japanese grandpaって感じがして好きよ!」
確かに、日本のおじいちゃんらしいイメージではある……のかな?
それにしても、
梨子「二人とも、果南ちゃんのおじいちゃんと知り合いなんだね」
二人とも、果南ちゃんのおじいちゃんとすごくフランクに接していた気がする。
そんな私の疑問に、
鞠莉「ご近所さんデスカラ」
曜「小さい頃は、千歌ちゃんと一緒によく遊んでもらってたんだよ」
という回答。確かに二人の言うとおり、知り合いでも全然おかしくないか。
曜「それよりも梨子ちゃんこそどうしたの?」
そういえば、さっきの曜ちゃんの疑問に答えていなかった。
梨子「あ、えーと……」
どう答えようか悩んでいると、
鞠莉「曜、ヤボなこと聞かないの♪」
曜「え?」
鞠莉「それじゃ、マリーたちは退散しマース♪」
鞠莉ちゃんが曜ちゃんを引っ張って、店から出ていく。
その際に、
鞠莉「♪」
鞠莉ちゃんは私に向かってウインクを飛ばしてきた。
たぶん、いつもの鞠莉ちゃんから考えると、「うまいことやるのよ♪」みたいな意味合いのウインクだと思う。
そんな色っぽい話ではないんだけど……。……ない、と思う。
果南「騒がしいったらないね……」
梨子「あはは……」
確かに果南ちゃんの家に来てからまだ30分も経っていないはずなのに、起こっている出来事が濃密だ。
74:
果南「ごめんね、朝から騒がしくて……」
梨子「うぅん、大丈夫」
そもそも果南ちゃんが謝るようなことじゃないし……。
果南「もう、仕事はひと段落したからさ。勉強会……と言いたいところなんだけど」
梨子「?」
果南「ちょっと、シャワーだけ浴びてきていいかな?」
梨子「あ、うん」
そういえば、海に潜ったって言っていたし、海水に浸った髪くらい洗いたいよね。
果南「ありがと、とりあえず私の部屋に案内するよ」
梨子「うん」
──果南ちゃんの後ろについて、果南ちゃんの部屋へと案内してもらう。
廊下を歩いて、果南ちゃんの自室へ向かう途中、ちらっと見えた部屋の奥の方で、
おじい「……」
おじいちゃんが、火のついてない煙草を咥えているのが目に入る。……結局火は諦めたんだ……。
果南「──ここが私の部屋だよ」
梨子「お、お邪魔します……!」
案内された果南ちゃんの部屋は、店内と同じで壁も床もほぼ木製のロッジの一室ような部屋だった。
机やタンス、ベッドが部屋の隅に配置されており、カーペットが敷かれている床は割と広々としたスペースが確保されていて、私の部屋よりも物が少ない印象を受ける。
とは言うものの、殺風景というわけではなく、綺麗な珊瑚礁の絵が壁に飾られていたり、ベッドにはぬいぐるみがいくつか置いてある。
窓の脇には、纏められた薄いエメラルドグリーンのカーテン。カーペットの上には、薄いピンクのクッション。ベッドシーツは薄いブルーで全体的にパステルカラーの物が多い気がする。果南ちゃんはパステルカラーが好きなのかもしれない。
木目も相まってか、全体的に落ち着いた雰囲気の部屋だ。
果南「それじゃ、シャワー浴びてくるから、適当にくつろいで待っててね!」
梨子「は、はーい」
果南ちゃんがパタパタと部屋から出ていく最中、ふと、
梨子「わ、私……果南ちゃんのお部屋にお呼ばれしちゃったんだよね」
などと思う。いや、私が果南ちゃんのお家でやろうって提案したんだけど……。
別に何がどうと言うわけではないはずなんだけど、現在進行形で自分が意識しつつある相手の部屋に居るという事実がなんともこそばゆい。
梨子「も、もう……/// また、変なこと考えてる……///」
また熱くなる頬を押さえながら、ふるふると頭を軽く振る。
とは言うものの、やはり果南ちゃんの部屋に私一人というのがなんだか落ち着かない。
腰を落ち着けるのもままならず、キョロキョロと室内を見回していると、机の上に置いてある勉強道具が目に入る。
国語、数学、英語、生物、化学、物理、現社、日本史、世界史と勢ぞろいだ。
梨子「果南ちゃん、本当に勉強苦手なのかな……?」
75:
各種しっかり揃えられた教科書やノートたちは、同じように勉強が苦手で逃げ回っている千歌ちゃんとは大違いな気がする。
そもそも千歌ちゃんは教科書を持ち帰らないどころか、学校に持ってくるのすら頻繁に忘れてるし……。あ、いや……持ち帰ると忘れるから、置き勉してるのかな……?
梨子「……」
そう考えてみると、改めて級友が心配になってきた。ダイヤさんがあそこまで口酸っぱく勉強するように促す理由も、純粋に心配なだけかもしれない。
まあ、それに関してはもうダイヤさんにお任せするとして……。果南ちゃんの机に積み重なっている勢ぞろいの教科書や机に備え付けられている本棚をぼんやり眺めていると──
梨子「……?」
本棚の中に目立つものが二つあった。一つは、ノート。そして、もう一つは本……いや、このサイズは絵本かな?
目立つというのは、すごく派手で、という意味ではなく、むしろ逆。ノートはよれよれですごく使い古されているし、絵本は背表紙がボロボロでタイトルがわからなくなっているほど年季の入ったもので、逆に目立っているということ。
梨子「……」
すごく気になる。果南ちゃんがここまでして、使い込むほどのことが書かれているノートと、読み込まれた絵本……。
人の部屋の物を勝手に触るのはよくないと思いつつも、私の中で日々膨らみ続ける、果南ちゃんのことをもっと知りたいという純粋な欲求が脳内で囁いてくる。
──見たい。
梨子「…………す、少しだけ……」
あっさり欲求に負けて、私はノートと絵本を手に取る。……すぐ元に戻せば問題ない。まずいと思ったら、すぐに閉じて戻せば問題ない。
手前勝手な理屈を頭の中でこねくり回しながら手に取る。
絵本の方は背表紙と同じように表紙もボロボロではあったものの、かろうじてタイトルは読むことが出来た。
梨子「これ……『人魚姫』……?」
その絵本は『人魚姫』だった。あのアンデルセン童話の『人魚姫』だ。
梨子「好き……なのかな……?」
これだけボロボロになるまで読み込んでいるんだし、たぶんそういうことだとは思うけど……。
今度は絵本と一緒に取り出したノートを開いてみる。すると──詩が書いてあった。
梨子「……あ……これ……」
友達とのすれ違い、でもお互いを必死に理解しようとする、優しくてひたむきな詩。
ページをめくると、自分たちを信じて我武者羅に駆け抜けて、新しい可能性へと真っ直ぐに手を伸ばす、力強い鼓舞の詩。
どれも見たことがある詩で──今のAqoursの歌詞担当であるところの、千歌ちゃんが作ったものではない曲の詩。
梨子「果南ちゃんの……歌詞ノート……」
それは果南ちゃんが作詞を担当したときに使ったであろう、歌詞ノートだった。
そのノートに書かれた詩は、何度も書いて消して、ときに力強い筆跡だったり、弱い筆跡、たまにミミズがのたくったように消える線や、ぐちゃぐちゃに消している部分など様々で──果南ちゃんが今まで、時に悩みなら、時に楽しみながら、喜びながら、必死に綴ってきた歌詞たちの姿だった。
梨子「……」
果南ちゃんが作詞した楽曲は、多くが鞠莉ちゃんやダイヤさんの作曲だけど……私もいくつかは編曲を手伝っている。
故に自分にとっても、“創った”という思い入れは確実に存在するもので……改めて、自分も関わったあの曲たちと、こうして必死に向き合っていた痕跡を見ると、なんだか胸が熱くなるのを感じる。
今でこそ、作詞は千歌ちゃんだけど……果南ちゃんが綴った詩たちからも、確かな力強さのような、心に訴えかけるような、そんな情動を覚えた。
最初はちょっと見るだけのつもりだったはずなのに、気付けば一緒に取り出した『人魚姫』の絵本のこともすっかり忘れて見入ってしまい、そのままペラペラとページをめくっていくと──
76:
梨子「あれ……これ……」
見覚えのない歌詞のあるページに辿り着く。
いや……まだ、歌詞になりかけのモノ、というのが正確だろうか。
つまり、書きかけの詩だ。
梨子「……」
『私が歌うAqoursの曲』というメモ。
『Aqoursの中で私に求められているもの。かっこよさ? たぶん。先輩だし』
『かっこよさならロック? 鞠莉と被りそう…』
『力強い応援ソングとか?』
──そんな走り書きと共に、いくつかの歌詞に使えそうなワードがたくさん綴られていた。
梨子「……これ、果南ちゃんのソロ曲の歌詞だ……」
これは恐らく現在進行形で果南ちゃんが作っている真っ最中のソロ曲の歌詞だと思う。
とはいえ、イメージ自体が全然固まっていない状態で、かなり苦戦しているのが見て取れた。
梨子「……」
更にページをめくると、真っ新な白紙のページ。本当に現在進行形で煮詰まっているのかもしれない。
何か力になれないかなと考えている折──少し離れたところから、足音が聞こえてくる。恐らく、果南ちゃんの足音だ。
梨子「! ……戻ってきちゃう……!」
私は慌ててノートと絵本を元あった場所に戻す。
戻してから数テンポしたタイミングで、
果南「──ふぅ、ただいま」
部屋の主が戻ってきた。
梨子「おかえり、果南ちゃん」
果南「ごめんね、待たせちゃって」
梨子「うぅん、大丈夫だよ」
果南「今、テーブル出すからちょっと待ってね」
梨子「あ、手伝うよ」
果南「いいって、梨子ちゃんに力仕事させられないから、座って待ってて」
そう言って、果南ちゃんはクローゼットの中から、折り畳み式のちゃぶ台を取り出し、軽々と運んだのちに、カーペットの上に設置する。
……確かに、私が手伝うほどじゃないのかもしれない。
果南「それじゃ、勉強はじめよっか?」
梨子「あ、うん」
77:
私は頷いて、ちゃぶ台の前に腰を下ろす。
果南ちゃんも同様に、私の向かいに座って教科書とノートを広げる。
歌詞のことはちょっと気になるけど……今は当初の目的を優先しないとね……。
すでにイベント盛りだくさん気味だけど……私は果南ちゃんと一緒に本日の主目的である、勉強会を開始するのだった。
 * * *
果南「──そういえば、梨子ちゃん」
梨子「?」
ノートを開いて勉強を始めようとした手前、声を掛けられて顔をあげる。
果南「梨子ちゃんは今日はどの科目を勉強するの?」
梨子「えっと……今日は理系科目をやろうかなって、思ってるけど……」
果南「! そっか、じゃあ教えてあげるね!」
梨子「え……?」
さっき、向かいに座ったところなのに果南ちゃんが、すぐ隣に移動してくる。
梨子「えっと……///」
果南「生物と数学どっちがいい?」
気付けばまた果南ちゃんに近付かれることを許してしまった。……というか理系科目って、その二択なの……?
梨子「えっと……その……今日は、物理を……」
果南「え」
私が今日の勉強科目に物理をあげると、果南ちゃんは急に悲しそうな顔になる。
梨子「!? い、いや、数学がいいな!」
果南「! そっか! 数学は得意なんだ、教えてあげるね!」
訂正して数学を指定すると、果南ちゃんは急に嬉しそうな顔になって、私の教科書を覗き込んでくる。
視界に現れる紺碧のポニーテール。シャワーを浴びたばかりだからなのか、ふわふわといい匂いがする。何よりも距離が近い。
梨子「……///」
果南「この時期の二年生の範囲だと……積分かー」
また一人、恥ずかしがる私のことを知ってか知らずか、果南ちゃんは一人うんうんと頷きながら、私の教科書の試験範囲に目を通している。
恥ずかしいのはひとまず仕方がないとして……果南ちゃん、急にどうしたんだろう……?
教えてあげるだなんて……。
勉強会とは言っても、私たちは学年が違うから、教え合うというよりも、お互いを見張るという意味合いの強い勉強会だと思っていただけに少し面食らっている自分が居た。
……というか、私は二年生だから、三年生の果南ちゃんに勉強は教えられないし……。
果南「えーっと……範囲的には定積分と不定積分あたりかな……?」
梨子「……」
78:
果南ちゃんが教科書に集中している間に、机に置いてある果南ちゃんの手の小指に、自分を小指の先を軽くくっつける。
 果南『積分は難しいよねぇ……』
いや、積分のことじゃなくて……。
 果南『それにしても、梨子ちゃんが苦手なのが理系科目でよかった……文系科目だったら、絶対教えられなかったよ』
梨子「……?」
そもそも果南ちゃん……最初から私に勉強を教えようとしてくれていたのかな……?
でも、果南ちゃんって勉強苦手だったんじゃ……。
梨子「果南ちゃん」
果南「ん?」
梨子「果南ちゃんって、理系科目が得意なの?」
果南「そうだよ。特に生物と数学は好きなんだよね」
 果南『物理はちょっと苦手だけど……』
梨子「そうなんだ……」
果南「梨子ちゃん、理系科目は苦手なんでしょ? だったら私が、教えてあげるからさ!」
 果南『数学か生物だったら、私でもたぶん教えてあげられるし!』
梨子「そ、それは嬉しいけど……」
果南「?」
 果南『けど……?』
梨子「果南ちゃんの勉強は……」
果南「大丈夫だよ! 私普段から勉強してるから!」
 果南『まあ……昨日文系科目をひたすらやってたし……赤点取ることはないかな』
言っていることと考えていることが全然違ってややこしい……。
というか、勉強が苦手だから一緒に勉強会をしようって話じゃ……──そこまで考えてから、それはテレパスで知っただけで、果南ちゃんは自分の口から勉強が苦手とは言っていなかったことに気付く。
つまり──果南ちゃん、私に勉強が苦手なことを隠してる……?
梨子「そ、そうなんだ……」
果南「そうそう! だから、今日の勉強会はお姉さんに任せて!」
 果南『頭悪い先輩なんて思われたくないし……ここは先輩らしく、勉強が出来るところを見せてあげなくちゃ!』
なんだか予想外の展開になってきた。
梨子「えっと……果南ちゃん、そういえば前に予習復習ちゃんとやってるって言ってたっけ」
果南「もちろん。高校生なんだから、それくらいしないと」
 果南『予習復習……たまーにやる……でもたまにやってるから、やってないって程じゃない』
梨子「そ、その中でも理系科目が得意なんだね」
果南「そうだね。文系科目も出来るんだけど……理系科目ほど得意じゃないから、教えてあげられるかは微妙なんだけどさ」
 果南『……そういえば英語……今回の範囲、全然わかんないんだよね……前は鞠莉に聞いてたけど……今回はどうしよっかな。またどうにかして頼み込む……?』
梨子「…………」
だいぶ言っていることと事実が食い違ってる気がするんだけど……。
間違いない。果南ちゃんは今、ものすごく見栄を張っている。
なんでだろう……? そこまでして頑なに、勉強が出来ないと知られまいとする理由って──
 果南『いや……また、可哀想なものを見る目で教えられるのは嫌かも……。鞠莉もダイヤも頭良すぎるんだよ……私が勉強出来ないわけじゃないって』
79:
……確かに、あの二人から見たら大抵の人は勉強が出来ない人の可能性はある。
 果南『それでも、あの二人に比べて私は頭が悪いとか、梨子ちゃんから思われるのも嫌だ……。先輩としての威厳が……。英語を教える展開だけはなんとしても阻止しないと……!』
梨子「……」
どうやら先輩としてのプライドが、果南ちゃんに虚勢を張らせているらしい。
まあ、ここまでわかった上で、英語を教えてなんていじわるなことを言う気はないけど。
私は果南ちゃんとくっつけていた指先をそっと離して、問題を解き始める。
……とは言うものの、数学は公式さえ覚えていれば慣れだ。
とにかくテスト前に数さえこなせば酷い点にはならない。
カリカリと問題を解いていると──
果南「ん……そこ、間違ってるよ」
梨子「え?」
言われて、指摘された部分を確認する。
梨子「……あ、本当だ……ありがとう」
その後も、問題を解いていると、何度か果南ちゃんから数字が違うことを教えてもらう機会があった。
得意というだけはあって、ケアレスミスを見つけるのがうまいのかもしれない。
私も悪い点こそ取らないものの、数学は文系科目に比べると苦手な方で、ケアレスミスが減らないのが悩みだから、こうして指摘をしてもらえるのは純粋に助かる。
ケアレスミスと言っても、途中式の数字が違えば答えは確実に間違える以上、ここに気付けるか否かは大きな違いだ。
梨子「果南ちゃん、本当に数学得意なんだね」
果南「ふふ、任せて」
私が関心していると、果南ちゃんは嬉しそうに笑う。
果南「なんか、こうして人に勉強教えてるの……懐かしいな……」
梨子「懐かしい……?」
果南「うん。小さい頃はよく千歌に教えてたからさ」
そういえば、前にそんな話もしていた気がする。
果南「あのときは小 学生で……割り算だったかなぁ。普段、勉強が嫌で逃げ回ってる千歌がさ、あまりに成績が悪すぎて、親から月のお小遣いをなくされそうになって、泣きついてきてさ。どうにかギリギリ目標点まで届いて、お小遣いなしは回避出来たんだよね」
果南ちゃんは本当に昔を懐かしむように、喋る。
果南「あのときの千歌は……本当に何かあるたびに、こんな私を頼ってくれて……可愛かったな」
果南ちゃんの言葉は、昔を懐かしむと同時に……少しだけ、寂しそうな声だった。いや、きっと実際に寂しいんだと思う。
いつも果南ちゃんに頼って甘えてくれていた千歌ちゃん。だけど、今千歌ちゃんの隣で、千歌ちゃんが一番に頼る対象は別にいる。
果南「皆……変わってくんだよね」
梨子「果南ちゃん……」
果南「千歌も、曜ちゃんも、鞠莉も、ダイヤも……」
梨子「……」
80:
考えてみれば、今果南ちゃんが名前を挙げた4人は、全員果南ちゃんにとっては幼馴染だ。
4人居た幼馴染たちが、それぞれの関係性を育んで、結ばれたということは……今年になって、他所から越してきた私なんかよりも、果南ちゃんにとってはもっと寂しいと感じるものなんじゃないだろうか。
果南「……って、ごめん。こんなこと聞かされても困るよね、あはは……」
そんな風に言いながら、頬を掻く果南ちゃん。
果南「次の問題、やろうか」
強がるように、次の問題に目を向ける果南ちゃんが、なんだか意地らしくて、放っておけなくて、私は──
梨子「……今は私が居るよ」
そんなことを口走っていた。
果南「……え?」
果南ちゃんは、びっくりしたような顔をしたまま、私の顔を真っ直ぐ見つめてくる。
梨子「千歌ちゃんも、曜ちゃんも、鞠莉ちゃんも、ダイヤさんも……変わっていくかもしれないけど……。……今は私が果南ちゃんの一番そばに居るから……」
果南ちゃんの寂しさを、少しでも埋めてあげたかった。
そんな一心で紡いだ言葉だったけど……口に出してみてから、
梨子「…………///」
我ながらなんて恥ずかしいことを口走っているんだと、顔が熱くなるのを感じて、またしても俯いてしまう。
な、生意気……だったかな……。
少し不安になりながら、上目で果南ちゃんのことを確認しようとした瞬間──
果南「ハグッ!」
梨子「???ッ!?///」
急に抱きしめられた。
梨子「ふぇっ/// あ、の、か、かなん、ちゃん……///」
 果南『梨子ちゃんが居てくれて……よかった……』
梨子「……!」
心の声が、響いてきた。
果南「ありがとう……梨子ちゃん……」
 果南『こんなに優しい娘がそばに居てくれてるのに……寂しいとか言ってちゃダメだよね……』
梨子「うぅん……」
私は控えめだけど……ハグに応えるように果南ちゃんの背中に腕を回して、軽く抱き返す。
──トクン、トクン。また心臓がくなっていくのを感じる。でも、嫌じゃない。なんだか幸せな動悸。
 果南『ああ、でも……なんか、嬉しいな……』
81:
上手く言葉に出来ないけど、今この瞬間は、果南ちゃんと同じ気持ちを共有出来ている気がした。
そんな優しい気持ちになれるハグは……たぶん実際の時間にしてみたら、十数秒ほどだったんだろうけど……。
その短い時間でも、私はすごく満たされた気持ちでいっぱいで、今日ここに来てよかったと思えるくらい幸せだった。
ハグを終えて、離れると、
果南「ふふ……」
梨子「えへへ……///」
自然と目が合って。何故だか、笑ってしまった。
果南「梨子ちゃん」
梨子「ん……」
果南「これからも、よろしくね。……な、なんちゃって……///」
珍しく顔を赤くして、おどけるように言う果南ちゃん。
梨子「うん……///」
私も顔の熱さを感じながら、頷く。
梨子「……///」
嬉しいけど、恥ずかしくて、それ以降の言葉がうまく出てこない。
果南「……///」
果南ちゃんも同じなのかはわからないけど……二人して、顔を赤くしたまま、黙り込んでしまう。
黙り込んだまま、たまに目線をあげると、果南ちゃんと目が合って、また恥ずかしくなって俯いて……そんなことをしばらく続けていたら──くぅぅ……。という音が聞こえてきた。
果南「……ごめん/// 私のお腹……///」
果南ちゃんがお腹をさすりながら、立ち上がる。
果南「……お、お昼にしよっか!」
梨子「う、うん///」
釣られるようにして、立ち上がって果南ちゃんと一緒に部屋を後にしようとした、そのとき、
果南「……っ……!?」
今立ち上がったはずの果南ちゃんが、急に蹲った。
梨子「!? 果南ちゃん!?」
驚いて声を掛ける。
果南「……足になんか、刺さった……?」
梨子「刺さったって……」
言葉に釣られるように、視線を果南ちゃんの足に移す。
だけど、
82:
果南「……あれ……なんともない……? 確かに、何か刺さったような痛みだったんだけど……」
果南ちゃんが口にするとおり、そこに外見的な異常は何も認められなった。
果南「……? 気のせいかな……?」
梨子「大丈夫……?」
心配する私を傍目に、果南ちゃんは立ち上がって軽く足踏みをする。
果南「……うん、問題なさそう。気のせいだったみたい」
梨子「そ、そっか……」
あの痛がり方……本当に気のせいなのかな……?
疑問には思ったものの、果南ちゃんは痛みがないことを確認したら、
果南「ごめんね、梨子ちゃん。行こっか」
梨子「あ、うん……」
改めてお昼ごはんを食べに行くことを促してきたので、深く追求することもなく流してしまった。
──ただでさえ、テレパシーなんていう普通じゃない現象が起こっている最中に、そのまま流していいことじゃなかったなんて、少し考えればわかるはずだったのに……──
 * * *
さて、果南ちゃんと一緒に食事を取るためにリビングに向かっていると──
梨子「……?」
そちらの方から──ビリビリ、と何かを破くような音……なのかな……?
果南「この音……梨子ちゃん、ラッキーかもしれないよ」
梨子「え?」
果南「たぶん、お昼は新鮮な磯料理だよ♪」
果南ちゃんはニコニコしながら、そんな風に言う。
リビングに入ると、果南ちゃんは奥の方に向かって、
果南「おじいー? いるのー?」
と声を掛けながら、奥にあるキッチンの方へと歩いていく。
そのまま、なんとなく果南ちゃんの後ろをついていくと、キッチンでおじいちゃんが魚を捌いているところだった。
83:
おじい「……」
果南「おじい、お客さんは?」
おじい「午後に変更になった」
果南「そうなんだ。まあ、天気悪いと何かと予定も前後するからね」
おじい「……そうだな」
果南「ところで……今日はカワハギ?」
おじい「いいのが入った」
おじいちゃんと果南ちゃんの会話を聞きながらまな板を見ると、平べったくてひし形っぽい、おちょぼ口のお魚が3匹。1匹はおじいちゃんが捌いている真っ最中で、残り2匹はまだ手を付けていない状態のようだ。
そういえば、果南ちゃんのおじいちゃん、漁師さんと知り合いでお魚をわけてもらえるって言ってたっけ……。
あれ……でも漁師さんって海のお魚を獲るんだよね?
カワハギって──
梨子「川のハギ……?」
川魚……?
果南「ふふ、違う違う」
私の呟きが聞こえてしまったのか、果南ちゃんはクスクス笑う。
果南「カワハギはね……あ、そうだ! せっかくだし、なんでカワハギなのか実際に見てみよっか!」
梨子「え?」
果南「おじい、こっちの2匹私が捌いていい?」
おじい「肝はくれ」
果南「あいよー。梨子ちゃん、手を洗ってから、こっちおいで」
梨子「う、うん……」
果南ちゃんに手招きされて、キッチンにおじいちゃん、果南ちゃん、私と横並びになる。
果南「それじゃ、生物の課外授業ってことで。テストには絶対出ないけどね?」
言いながら、果南ちゃんは包丁を取り出す。
果南「締め方も血抜きも完璧……さすがプロの仕事だね。さて……まず、カワハギには上と下に棘があるから、それを落とすよ」
果南ちゃんは解説しながら、包丁で上下の棘を落とす。
果南「ちなみにこの棘はカワハギの背びれと腹びれに当たる部分なんだよ。あと、後ろの背びれが糸状に伸びてる部分があるのがオスだから、今捌いてるのはオスメス一匹ずつだね」
梨子「へー……」
お魚のひれというと、ヒラヒラしたものをイメージしがちだけど、こういうのもあるんだ。ついでにオスメス判別法まで……確かにこれは生物の勉強かも。
果南「棘を落としたら、お腹から口のラインに一本切れ込みを入れる」
オスのカワハギのお腹辺りに真っ直ぐ切れ込みを入れる。
果南「これで準備は完了」
梨子「準備……?」
果南「しっかり見ててね。なんでカワハギなのかわかるから♪」
84:
そう言いながら、果南ちゃんは楽しそうな声色でカワハギを手に持つ。
果南「さっきの切れ込みを入れた部分から、皮を掴んで──引っ張る」
すると、
梨子「……わ!?」
──ビリビリという音と共に、皮が一気にめくれて、透明感のある身が顔を出す。
この音って……。
梨子「さっきの音……」
果南「そう、おじいがカワハギの皮を剥いでた音だよ」
梨子「皮を剥ぐ……そっか」
果南「うん♪ 簡単に皮を剥げることからカワハギって名前がついたんだよ」
川じゃなくて、皮だったんだ……。お魚にはもともと自信がなかったけど、さっき自分が言っていたことがあまりにとんちんかんな発言で、少し恥ずかしくなる。
それはそうと──
梨子「なんか、楽しそう……」
果南「だよねー♪ 実際、綺麗に皮が剥げるから気持ちいいよ。それじゃ、梨子ちゃんもやってみようか」
梨子「う、うん……!」
果南ちゃんがまな板に置いた包丁を持って、まだ手の付けていない最後の1匹、メスのカワハギの前に立つ。
梨子「まず、上と下の棘を落とす……」
先ほど見たのと同じように、上下の棘を落とす。
もちろん包丁くらいは普通に使えるけど、魚を捌いた経験はほとんどない。
お母さんのお手伝いで切り身に手を加えたことがあるくらいかな……?
慣れないことなので注意しながら、刃を入れる。
ただ、包丁がよく研がれていたのか、思いのほか棘は簡単に落とせた。
果南「次は切れ込みね」
梨子「うん」
口から腹の棘のラインに向かって、少し切れ込みを入れる。
果南「それじゃ、そこからはビリっとね♪」
梨子「う、うん……!」
カワハギを手に持って、切れ込みから皮を掴んで、そのまま──
梨子「引っ張る……!」
──ビリビリ、という音と共に綺麗に皮が剥がれる。
梨子「出来た!」
果南「うんうん、上手上手♪」
梨子「えへへ……」
85:
別に難しいことをしたわけでもないし、果南ちゃんに全部教えてもらってやったことだけど、褒められるとちょっと嬉しい。
果南「これだけだと片面の皮が剥げただけだから、次は逆側だね。表側が剥げてるから、裏返して尻尾の辺りから、また皮を摘んでみて」
梨子「尻尾の辺りから……」
反転して、尾の縁の辺りから皮を摘んで、
梨子「引っ張る」
再び、ビリビリという音と共に綺麗に皮が剥げる。
梨子「出来たよ!」
果南「流石だね?やっぱり普段から料理してるから筋がいいね」
梨子「い、いや……/// 皮剥いだだけだよ……///」
果南「最初は結構目の辺りとか引っかかって綺麗に剥げなかったりするんだよ。梨子ちゃんが剥いだ分はそこも綺麗に出来てるし、やっぱり筋がいいんだと思うよ」
言いながら、果南ちゃんもさっき自分で包丁を入れていたカワハギの裏面の皮を剥いでいる。もちろん、全く引っかかってなんかいないし、当たり前だけど、私なんかより全然慣れていて手際がいい。
それでも、私のことを褒めてくれるんだから、本当に褒め上手だよね、果南ちゃん……。恥ずかしいし、リップサービスだとわかってはいるものの、嬉しいものは嬉しいけど。
果南「それじゃ、続き。頭を落として、肝を抜くよ」
肝……つまり、肝臓だ。
果南「頭に切れ込みを入れる……って言っても、締めたときに少し切れ込みが入ってるんだけどね。それを目安にもう少し深めに包丁を入れる。梨子ちゃんが剥いでくれた方にも切れ込みを入れるね」
2匹のカワハギの頭部に切れ込みが入る。切れ込みを入れたら、果南ちゃんは再びカワハギを手に持ったので、私も倣うように手に取る。
果南「今入れた切れ込みから、頭側と胴体側をそれぞれの手でしっかり掴んで……一気に引っ張る」
梨子「う、うん」
言われたとおりにやると──ビリっという音と共に、頭部と胴体が綺麗にわかれる。
果南「おっけー。それで見たとおり、頭部に肝が全部くっついてくるよ」
梨子「本当だ……」
果南ちゃんの言うとおり、薄い琥珀色をした肝が頭部にくっついている。
でも──
梨子「えっと……黄色い内臓が胴部分に残っちゃった……」
どうやら、失敗してしまったようだ。黄色の臓器が胴体部分に残ってしまった。
果南「黄色……?」
少し怪訝な顔をしながら、覗き込む果南ちゃん。それを見て、すぐに、
果南「ふふ、大丈夫。それはカワハギの卵だから。内臓じゃないよ」
そう言って笑う。
86:
梨子「あ、卵なんだ……よかった」
果南「煮つけにしたらおいしいから、そこは別に取っておこうか」
梨子「はーい」
果南「それにしても、肝の鮮度がいいね……いい色してる……」
おじい「獲れたてだからな」
果南「ありがたいね。さて、それじゃ次は肝を頭部から外してみよっか」
梨子「う、うん」
私が果南ちゃんの言葉に頷くと、
おじい「果南」
ここまで何も言わずにカワハギを捌いていたおじいちゃんが、急に果南ちゃんの名前を呼ぶ。
果南「ん? 何?」
おじい「そこはお前がやれ」
果南「えー? せっかく勉強中なのに……」
おじい「苦玉を潰すとせっかくの肝が不味くなる」
梨子「苦玉……?」
おじい「胆嚢のことだ」
胆嚢……人間にもある臓器だったってことはなんとなく覚えているけど……。
果南「えっと……苦玉──胆嚢って、ものすごく濃縮された胆液が詰まってて、とてつもなく苦いんだよね。だから苦玉って言うんだけど……。ちょっとかかるだけでも苦味が身に染みちゃうんだよね」
おじい「場所を知らない人間が肝を取ると苦玉を潰しかねん。慣れてないならやらない方がいい」
梨子「そ、そうなんだ……そういうことなら……」
おじいちゃんの言葉を聞いて、遠慮しようとするけど、
果南「1匹くらいよくない? ほら可愛い孫娘たちの勉強だと思ってさ」
果南ちゃんが食い下がる。
おじい「ダメだ」
でも、おじいちゃんはそれを一蹴。
おじい「カワハギは肝が命だ」
果南「まあ、わかるけど……」
おじい「それに美味いまま食ってやらんと、カワハギに悪い」
難しい部分は私にやらせたくないというのは、少し冷たい印象こそあれ、食べ物を粗末にしてはいけないという考えは同意出来る。
おじいちゃんなりの命を頂くということに対する誠意なんだと思う。
果南「……わかった。ごめん、梨子ちゃん。ここからは私がやるね?」
梨子「うぅん、大丈夫」
慣れていない人がやって、せっかくのお魚がおいしくなくなっちゃったら、食べられるカワハギも可哀想だもんね。
87:
梨子「ただ、またお魚を捌く機会があるかもしれないから……横で見てるね」
果南「了解。それじゃ、苦玉を潰さないように……内臓全体を軽く出して……付け根を落とす」
肝の辺りから頭部に指を入れて、奥側から引っ張り出すと、いろいろな内臓がくっついて出てくる。その内臓全体の付け根部分を包丁で落とす。
果南「そしたら、肝以外の内臓……腸や苦玉を外す」
言いながら、肝の周りにある長い内臓──恐らく腸や、他の内臓ともども、肝から取り外す。
おじい「果南、肝」
果南「わかってるって……」
おじいちゃんに促されて、肝だけを小さなボウルに入れる。
果南「これが肝以外の内臓だね。食べない部分だよ」
一目見ただけで、いろいろな臓器が密集しているのがわかる。解剖実験とかはしたことがなかったから、こういうのを見るのは新鮮かも。……ちょっとグロテスクで気持ち悪いけど。
果南「この長いのが腸だね。黒いのは脾臓。そして、これ──」
果南ちゃんが摘んでいる赤み掛かった丸い宝石のような綺麗な部位。
果南「これが苦玉……胆嚢だよ」
梨子「思ったより見た目は綺麗なんだね……」
果南「カワハギの苦玉は確かにちょっと綺麗かもね。でもこの中にはとてつもなく苦い胆汁が詰まってるから、潰さないように処理しよう」
梨子「はーい」
果南「それじゃ、こっちも……」
今度は私が皮を剥いだ方も手際よく内臓を抜いていく。
あっという間に2匹のカワハギの肝を取り出す。
果南「それじゃ、ここまで出来たら胴部分を三枚おろしにしようか。梨子ちゃん、三枚おろし出来る?」
梨子「えっと……三枚おろしはやったことないかな」
果南「了解。じゃあ、見ててね」
果南ちゃんは胴部分の腹身の方に包丁を当てる。
果南「ここから背骨の辺りまで、刃を入れる」
スッと包丁を入れて、
果南「お腹側に刃が入ったら、今度は背中側からも同じように刃を入れるよ」
先ほど同様に、背中側からも包丁を入れる。
果南「両側から包丁を入れたら、そのまま背骨に沿って身を外す」
すると、綺麗に片面の身がおろされて、骨が見えるようになった。
果南「逆側でも同じことをして……」
裏返したカワハギの胴に同じように包丁を入れる。
88:
果南「これで、三枚おろし完了だね」
あっという間にカワハギが三枚におろされてしまった。
梨子「果南ちゃんすごい……! ……お魚捌ける女子……憧れるなぁ……」
果南「あはは、ありがと。でも、カワハギは簡単な方だから梨子ちゃんもすぐに出来るようになるよ。やってみる?」
梨子「う、うん!」
包丁を手に取って、再びチャレンジ。
梨子「まずお腹側から……」
お腹側から刃を入れて、背骨まで。
ここは苦戦せずに出来る。
梨子「次は背中側……」
カワハギを逆向きにして、背中側から包丁を入れて……。
背骨の辺りまで切れ込みを入れたら背骨から外す……。
梨子「ん……」
そこまで刃を入れて、背骨の辺りで刃の引っ掛かりを感じる。
果南「ゆっくりで大丈夫だよ。骨に沿うようにゆっくり包丁を入れてみて」
梨子「うん……」
果南ちゃんの言うとおり、落ち着いてゆっくりと、背骨の引っ掛かりに沿うように、刃を入れていくと──
梨子「……で、出来た……」
先ほどの果南ちゃんのお手本のように、綺麗に身をおろすことに成功する。
果南「やっぱり、筋がいいね。それじゃ裏側もやってみよっか」
梨子「わかった……!」
裏側も同様に。今度は先ほど以上にスムーズにおろすことが出来る。
梨子「……ふぅ」
果南「三枚おろし成功だね」
梨子「えへへ……うん」
初めてお魚を三枚おろしにした。ちょっと自分の料理スキルが上がった気分だ。
果南「それじゃ、今度は……」
おじい「果南」
果南「ん」
おじい「骨こっちにくれ。味噌汁にする」
果南「はいよー」
89:
気付けばおじいちゃんがお味噌汁を作り始めていた。
果南ちゃんは先ほど三枚におろしたときの真ん中、骨の部分をおじいちゃんに渡す。
果南「えっと、気を取り直して。この身の部分なんだけど、実はまだ薄皮があるんだよね」
梨子「そうなの?」
果南「切り身の表面にあるてかてかした部分が薄皮だね。薄皮は湯引きすれば食べられるんだけど……お刺身にすると、口に残っちゃうからとりあえず取っちゃおう」
梨子「うん」
果南「その下準備として、腹骨と血合い骨を切り取る」
梨子「ん……」
腹骨はわかるけど……。
果南「血合い骨は背身と腹身の間にある骨のことだよ」
梨子「なるほど」
果南「それじゃまずは、腹骨から。逆さ包丁で軽く切れ込みを入れて……切れ込みを入れたら、腹骨に沿うように薄く切る」
スッと刃を入れて、腹骨を除去する。
果南「血合い骨は、さっき言ったとおり背身と腹身を切り分けるイメージで間の骨を除去するよ。カワハギの血合い骨は結構強いから、残らないようにしっかり切り取ろう」
背身と腹身の間の骨を取り除くように包丁を入れて、最終的に表裏と背腹の組み合わせで四枚の切り身になる。
果南「やってみて」
梨子「うん」
再び包丁を手に取って、腹骨と血合い骨を見様見真似で除去する。
今回は目に見えているので、さほど苦労することもなく、綺麗に四つの切り身を完成させる。
果南「それじゃ、次は薄皮。薄皮のある面を下にして……薄手の包丁を入れていくよ。本当に薄皮一枚を剥ぐように、包丁を入れると……」
包丁を入れると、切り身の下に、更に薄い膜のようなものが残っている。どうやら、これが薄皮らしい。
果南「これを四枚の切り身全部に同じことをする」
同様に他の三枚も薄皮を剥ぐ。
果南「それじゃ、次は梨子ちゃんの番」
梨子「うん!」
薄皮の面を下にして……薄皮一枚を剥ぐように、包丁を入れ……。
梨子「…………」
慎重に刃を入れているつもりだけど、なんだか皮に身が残ってしまっているような気もする。
果南「皮はあとで湯引きして、身と一緒に食べられるから、そこまで気負わなくて大丈夫だよ」
梨子「う、うん」
ゆっくりと包丁を進めながら、
梨子「……ふぅ」
9

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