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黒埼ちとせ「進化論」
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「お嬢さま、朝です。起きてください」
カーテンがシャーッと擦れる音と同時に、眩しく照りつける陽光が瞼の奥を刺激する。
眠気眼をこすりながら起き上がると、千夜ちゃんの姿は無かった。
リビングに出て、台所の冷蔵庫を開けようとした時だった。
足元を黒いアレが、私のそばをカサカサと通り過ぎようとしている。
何となしにボーッと眺めていると、千夜ちゃんはそれを見つけるなり、素早く丸めた新聞紙で叩いて始末した。
「……申し訳ございません。掃除が行き届かないばかりに」
「ううん、いいよ」
最近、忙しいものね、千夜ちゃん。
昨日も帰りは夜遅くて、夕食もロクに食べないまま、寝ちゃってた。
だのに、私よりも頑張って早起きして、ご飯の支度もして、今日も事務所に向かう。
千夜ちゃんは今、とても充実している。
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2: 以下、
『はいはい、それではね、いいフレちゃん? 次の質問行って』
『うん、いいよー!』
『ありがと。じゃあ続いての質問は……おっ、京都の人からや』
『え、ひょっとしてシューコちゃんのゴリョーシン?』
『あたしのご両親にはこの番組なんてチェックすんなって言ってるから大丈夫。
では気を取り直して、京都府舞鶴市の、えー、ラジオネーム「塩味大福」さんからのお便りです』
『ワォッ☆ シューコちゃんちの目玉商品だね!』
『あたしんち舞鶴じゃないし、そんなん売っとらんし。
まぁいいや、では読みます。フレデリカちゃん、周子ちゃん、こんにちは。はいこんにちはー』
『コンニチワー☆』
『今日は、フレデリカちゃんに質問があります』
『なになにー?』
『キリンさんは、どうして首が長いんですか?』
『フーム』
『これさー、もう大喜利コーナーになってるやん。
フレちゃんがこういう質問にさ、何にでもふざけて付き合ってるからだよ?』
『失礼な! フレちゃんはいつだって大真面目に遊んでるよ!』
『はいはいごめん。で、フレデリカさん、どうしてキリンさんは首が長いんですか』
『うーん、実はアタシもねー、ずーっと気になってたんだー』
『ほう?』
3: 以下、
『だって、キリンさんって首も長いけど脚もすっごく長いでしょ?
何か落とし物とかしちゃったら、ウッカリ踏んじゃったりしないかな?』
『あー、高さ的な意味で足元がよく見えない的な』
『そうそう!』
『あたしもさー、コンタクト落としたりするとすっごい焦るよね。
床に伏せて目を凝らしてようやく見つけるわけだけど、確かにあれだけ脚が長かったらロクに伏せることもできんよね』
『巻き巻きすることできるのかな?」
『は? 何、巻き巻き?』
『キリンさん、首をずーっと伸ばしたままじゃなくて、使わない時は巻き巻きできたりしないのかなぁ』
『あぁ??、コードみたいにってこと?』
『脚もできたらいいよねー♪』
『まぁねー、ビジュアル的にはだいぶエグいことになりそうやけど。
でさ、フレデリカさん、キリンさんってどうして首が長いんでしょうね?』
『うーん、実はさっきからアタシもねー、すっごく気になってたんだー』
『ほうほう?』
『だって、脚も長いのに首も長いんじゃさー、何か落とし物』
『いや無限ループやないかーい』
「いいなぁ346プロさんは、勢いがあって」
車を運転しながら、魔法使いは独り言のように呟いた。
ラジオから聞こえてくる、他の大手事務所のアイドルさんのことを言ってるみたい。
仕事柄なのかも知れないけど、彼はこうしてラジオをよく聞いている。
車の中だけでなく、事務所にいる間もしょっちゅう。
4: 以下、
「こういうものが、世間のアイドルファンなる人種には喜ばれるのですか」
後部座席で、私の隣に座る千夜ちゃんを見ると、怪訝そうな顔をしている。
「千夜には、今のところこういう仕事をさせる予定は無いよ。心配はいらない」
「当たり前です」
「でも、俺は面白いと思うんだけどなぁ」
魔法使いの言葉に、私は同調した。
「たぶん、自分からは千夜ちゃん、やりたいって言わないと思うよ?」
「お嬢さま。コイツに余計な事を言うのはおやめください」
「そうかそうか。じゃあ千夜、そろそろバラエティ方面の仕事にも手を伸ばしてみようか」
「お前、やめろ」
「実は結構、そっちの需要とか期待も、千夜のファンの間では大きいんだぞ。一度やってみないか?」
「やめろっ」
後部座席から、顔を真っ赤にして身を乗り出す千夜ちゃんに、私はお腹を抱えて笑った。
5: 以下、
今日はお仕事だった。
と言っても、私のではなく、千夜ちゃんのグラビア撮影に同行しただけ。
車の中ではあれだけむくれていたけれど、さっきのカメラの前では別人のように、千夜ちゃんはポーズだけでなく表情もしっかりキメていた。
本人曰く、「やれと言われた事をやるだけです」とのこと。
「すごかったなぁ」
被写体に徹しきる千夜ちゃんを思い出し、事務所のソファーに腰掛けながら、ふと感嘆の声が出る。
あの子はそのまま、別の現場に行っちゃった。
邪魔したら悪いかなと思って、私と魔法使いだけ帰ってきたのだ。
「まぁ、プロフェッショナルだよな」
彼も、自分のデスクで腕組みをしながら頷いた。
「……すまない、ちとせ。
お前にも、もっと仕事を用意してやれれば良いのだけど」
「ううん」
私は首を振った。
「私のせいだもの。魔法使いさんは、何も悪くないよ」
6: 以下、
元はと言えば、私がスカウトされたのがきっかけだった。
街中で、私を探していたみたい。
おかしな人。知りもしないものを探すだなんて。
千夜ちゃんは、あまり良くない言い方だけれど、この人にとってはたぶん、私のオマケだったんだと思う。
それが今では、すっかり千夜ちゃんの方が売れっ子さん。
私は、最初の方こそグラビアのお仕事を楽しくやらせてもらったけれど、それからはあんまり、何も無い。
でも、いいの。
「退屈をさせないって約束、あなたは守ってくれたから」
だぁれもいない夕暮れの事務所。
彼のそばに置かれた型落ちのラジオから流れる、時代遅れの陽気なコミックソングが、少しだけうるさい。
今日も私にボンヤリと謝る魔法使いさんに、私はソファーから立ち上がり、笑ってかぶりを振る。
「千夜ちゃんに情熱の火を灯してくれた……。
あの子に新たな生きがいを与えてくれただけで、私には十分なの。
おかげで、毎日毎日、とっても楽しいよ」
7: 以下、
「そうか……」
返事をしながらも、まだこの人は納得がいっていないみたい。
「俺は、ちとせはまだまだ、こんな所で終わる器じゃないと思っている。
お前の魅力が発揮できる場を満足に与えられないのは、俺の責任だ」
「魔法使いさん、私のレッスン、見に来たことあったでしょう?」
私は肩をすくめ、彼に同意を求める。
「私は元々、普通の子達ができる事が、満足にできないものなの。
どうにもならない事に、謝る必要なんてないよ。謝るとしたら、それは私の方」
小さい頃から、身体が丈夫ではなかった。
できない事が多くて、諦めて受け入れて、成長するにつれてできない事がまた増える。
私にとっては普通の事。
なのに、この人はそれを、我慢のならない事だと捉えている。
「トップアイドルって、きっと何でもできないといけないんだよね」
「レッスン、辛いか?」
「うん」
「結構ハッキリ言うな」
8: 以下、
「嘘をついても、しょうがないもの」
私は、それでもいいの。
たとえ結果を残せなかったとしても。
「千夜ちゃんが、私の代わりにこの世界を楽しく生きてくれるなら。
この世界に飛び込んでみて、私、良かったよ」
「ちとせ……」
自分のデスクから私を見上げる魔法使いさんの顔は、ひどく悲しそうだった。
イジワルな言い方をすると、それは、手前勝手な納得の押しつけ。
そんな彼の姿に、腹を立てる筋合いも、悲しみを分かち合う必要も無い。
そういうもの。私は私。
夕陽に溶けていく魔法使いに、私は淡泊な結論を伝えるだけ。
「私、アイドルを辞めようかなぁって……ダメ?」
9: 以下、
「…………」
魔法使いさんは、否定しなかった。
きっと彼は、いずれ私がこういう事を言うって、薄々覚悟していたんだと思う。
しばらく黙ったのち、パソコンをほんの少しだけカチャカチャと叩いて、私に向き直る。
「これに出よう」
「……?」
彼が向けてきた画面を、訳も分からず覗いてみる。
それは――。
「……オーディション?」
「そうだ」
私みたいな半端者でも、参加条件は満たしているみたい。
でも、彼が示したそれは、私がこれまで参加して落ちてきたどのオーディションよりもハイレベルで、厳しいものに見える。
「このオーディションに、もしお前が合格したら、お前はアイドルを続ける……それでどうだ?」
10: 以下、
「正気なの?」
私は首を傾げた。
前からおかしな人だと思っていたけれど――。
「私が手を抜けば……ううん、たとえ手を抜かなくたって、私が勝てるとは思えない。
まるで遠回しに、どうぞアイドルを辞めてくださいって、あなたは私に言っているみたい」
そう茶化してみると、魔法使いは少し表情を柔らかくして、首を振った。
「思い直す時間を作ってやんなきゃっていう……使命感、みたいなもんさ」
「……?」
私の想いを置いてけぼりにして、何だか独りよがりな使命感。
既にアイドルを辞める気でいる私に、こんな提案で何かが変わるとは思えない。
この人は、私に何を期待しているんだろう?
11: 以下、
たとえばお医者さんには怪我や病気を治す使命があり、消防士さんには火事を消すという使命がある。
学校の先生は子供達に教養と道徳心を与え、警察官は悪い人を捕まえる。
およそ全ての人々は、形はどうあれ、何だかんだで何かしらの社会貢献に繋がる使命を持っているみたい。
八百屋さんもお魚屋さんも、ケーキ屋さんや文房具屋さんも、皆。
プロデューサーの使命が、アイドルをトップに育てあげることだとしたら、アイドルの使命って何だろう?
ファンの人達に、夢とか元気を与えること?
そうだとすれば、私には元々合わなかったのかも知れない。
私が欲しいのは、今にある享楽だけ。
私の今が楽しければ、それで良いもの。
12: 以下、
強いて私にも、使命があったとすれば、千夜ちゃん。
きっかけを与えられたことで、ようやくあの子は生きがいを得た。
黒埼の従者という呪いから解き放たれ、アイドルの世界で、自由に輝く太陽になれた。
もっとも、呪いを与えたのは他ならぬ私だったけどね。
でも、引き合わせることができて――楽しそうに生きる千夜ちゃんの姿を見ることができて、本当に良かった。
「それでは、行ってまいります。
使い終わった食器類は、流しの水につけておいてください。
空調は消さずにそのままで。連絡を受けていない来客には絶対に出ないように。それから……」
「うん、頑張ってね♪」
バタン、と生真面目に静かな音を立てて、今日もあの子はお仕事に出かけていく。
私には、それで十分なの。
「……さて、と」
これからはオフがいっぱい増えるんだから、今のうちにちゃあんと、私なりの自由な過ごし方を見つけていかないとね。
留守番をする予定だったけれど、ほんのちょびっとだけおめかしをして、私もまた、家の外に出た。
13: 以下、
千夜ちゃんと一緒に住んでいるマンションから15分ほど歩いた所に、比較的大きな公園がある。
見つけたのは、つい最近。
ランニングする人。犬の散歩をする人。誰かと電話しながら足早に歩くサラリーマンさん。
向こうの広場を見ると、子供達が遊具でキラキラと声を上げて遊んでいた。
水場の近くでは、近所のおばちゃん達と楽しそうに談笑している、外国籍っぽい女の子もいる。
こんな素敵な場所、もう少し早く知っていたらなぁ。
日除けがちょっと少ないのが玉にキズだけれど。
木陰のベンチに腰を下ろし、思い思いの時を過ごす人達をボンヤリと眺める。
皆が皆、自分の生を持っていて、その一端が今、私の目の前で交錯し合っている。
当たり前の事なんだけど、何だかとっても不思議な事。
複雑に絡み合いながら廻っている歯車の一端を、その世界の外側から垣間見ているみたい。
14: 以下、
千夜ちゃんを送り出した私は、この先誰かに干渉したり、何かを与えたりするのかな?
世界の片隅にポロリと落っこちた、名も無き部品という立場で、最期の時まで傍観し続けるのも、それはそれで――。
――?
遠くの生け垣の近くで、何かがモゾモゾと動いているのが見えた。
立ち上がって、目を凝らしてみると――女の子かな?
こっちに背を向けて、中腰の姿勢。
生け垣の園芸屋さん?
それとも、落とし物でもしちゃったのかな?
「……♪」
変なコトに首を突っ込むのは良くない癖だって、千夜ちゃんからはよく叱られちゃう。
でも、今気になったものを無視するのもナンセンス。
ふふっ。傍観するのも楽じゃないなぁ。
15: 以下、
ポカポカ陽気が差し込む光の中へ躍り出て、その子の背後からそぉっと近づいてみる。
2m……1m……。
よほど集中しているのか、こんなに近づいても気がつかない。
お花のモチーフをあしらったシュシュで留まる柔らかなポニーテールが、私の目の前でふわふわと揺れている。
「ねぇ」
「うひゃあっ!?」
声をかけると、その子の身体がビクリと跳ねた。
ひどく驚いた彼女の向こう側で、黒い影がヒョロリと走り去っていく。
――猫?
「な……何でしょう、か?」
屈んだまま、女の子は私の方へ恐る恐る振り向いた。
ほんのりウェーブがかかった髪質といい、淡いオレンジや緑に彩られたワンピースといい――なんだか、森みたい。
ゆるやかだけど、ふんわりしていて、とっても柔らかな雰囲気を持つ子。
ちょっとだけ下がった、優しそうな目尻。
16: 以下、
「…………」
私の姿を観察し、この子なりに何かを得心したのか、やがて彼女はニコリと小さく微笑んだ。
それは、相手との間合いを量るための、打算的な取り繕いとは違う。
最初こそ驚いて警戒させちゃったみたいだけれど、私に悪意が無い事は理解してもらえたみたい。
「猫、逃げちゃった。ごめんね?」
こちらを向いた彼女の手には、玩具のように小さなカメラがあった。
きっと、貴重なシャッターチャンスだったんだろう。
「いいえ」
そんな私に、彼女は柔らかな表情を変えないままかぶりを振る。
「あの子とは、時々この公園で会うんです。
それに、写真を撮ること自体は、あまり目的ではないですから」
「ふぅん……?」
目的でもないのに、わざわざカメラを持っていくの?
イジワルを言いたい訳じゃないけど、私を思いやろうとして、強がっているみたい。
17: 以下、
曖昧な返事をして首を傾げる私に、彼女はクスリと優しく笑って、丁寧に言葉を紡いだ。
「お散歩が、好きなんです。
綺麗に咲いたお花、吹き抜ける風、空にかかる虹……さっきのあの子だけじゃなく、色んなものに出会うことができます」
手に持ったカメラを弄りながら、彼女は照れ臭そうにはにかむ。
「そうした出会いは、何となく幸せな気持ちになれるから……。
お散歩の中で、自分が感じた幸せを、誰かにおすそ分けできたらって思って、写真を撮り始めただけなんです。
だから……幸せを感じられたら、それでいいかなぁって……へ、ヘンでしょうか?」
「ううん」
今度は私が首を振る番だった。
「今日の私が何となくお散歩したくなったのも、きっとそんな感じだから、全然ヘンじゃないと思うよ。
私の方こそ、あなたという素敵な出会いをありがとう」
「い、いえいえ! そんな、こちらこそ……何だか、恥ずかしいですね」
「何で? 恥ずかしがる事じゃないでしょ?
あ、ひょっとして私との出会いは、あなたにとってそんなに幸せでもなかったのかな?」
「そ、そうじゃありません!」
イジワルを言って笑うと、彼女もちょっとだけ顔をむくらせ、すぐにプッと吹き出すように笑った。
18: 以下、
明るい陽光の下は、普段そんなに好きじゃないんだけど、たまには良いことあるんだなぁ。
「自己紹介がまだだったよね。
私は、黒埼ちとせ。それ以外は、今はナイショ♪」
ひとしきり、二人で笑い合った後、私は彼女の素性を求めた。
怪しい人間には近づくな。
たとえ遭遇しても、自ら正体は明かさず相手の情報を引き出すように。
普段から、千夜ちゃんに口酸っぱく言われていたから、たまには守ってあげないと千夜ちゃんが可哀想。
ところが、形だけのつもりだった問答は、私に思いも寄らぬ出会いをもたらした。
「高森藍子といいます。
高校一年生で、えぇと……一応、アイドルを」
19: 以下、
「お嬢さま、何をご覧になられているのですか?」
千夜ちゃんは、珍しく帰りが早かった。
夕食の準備をしながら、台所から普段よりも通る声で私に問いかける。
今日はボーカルトレーニングだったんだね。
「ん、これ?」
リビングに置かれたノートパソコンを操作する手を止める。
「随分と、熱心に調べ物をされていると思ったもので」
「今日のお昼に、公園で会った女の子のこと、見てたの」
「女の子、ですか?」
不思議そうに歩み寄ってきた千夜ちゃんに、私はインターネットで見つけたページを数点、見せてあげた。
高森藍子ちゃんの所属する事務所のHPや、控えめではあるけど芸能ニュースに記された彼女の活動。
そして、彼女自身のブログ。
あ、今日撮っていた公園の写真もアップされている。
お願いしたとおり、私のはちゃんと載せないでくれたみたい。律儀な子。
20: 以下、
「346プロ……」
ブログのプロフィールを見て、千夜ちゃんが呟いた。
魔法使いも言っていた、大手の芸能事務所だ。
「知ってる? 高森藍子ちゃん」
「……申し訳ございません」
「あんまり興味無さそうだもんね、千夜ちゃん」
「はい。ですが」
妙な言葉の切り方をしたので、振り返ると、千夜ちゃんはちょっとだけ不機嫌そうな顔をしていた。
「できる限り、軽率な行動は慎んでいただきたく存じます。
お嬢さまのお会いされる者が皆、必ずしも良識のある人間とは限りません」
「はぁい」
私が生返事を返すと、千夜ちゃんは小さなため息を一つついて、台所へと戻っていく。
21: 以下、
私の身勝手な行動が今に始まった話でないことは、千夜ちゃんも十分に分かっている。
だから、きっとアレは、今の忠告が馬耳東風に終わることを悟ったため息。
「ごめんね、千夜ちゃん」
届けるつもりの無かった独りよがりの謝意を、彼女の背にそっと投げる。
でも、聞こえちゃってたみたいで、千夜ちゃんはこっちを向かないまま、かぶりを振った。
「謝らなければならないのは、私の方です。
お嬢さまの御身をお守りするのは従者の使命。ですが……戯れに時間を割かれ、それすらままならないとは」
「そんな事で謝るのはダメだよ、千夜ちゃん。
千夜ちゃんがアイドルを楽しむのは私の望みなんだから、これまで通り、ちゃあんと頑張ってね?」
「……申し訳ございません」
「よしよし」
あはっ♪
否定しないんだ。アイドルを楽しんでいるの。
22: 以下、
あの頃と違って、千夜ちゃんはしっかりと自分の人生を歩んでいる。
正しく順風満帆と言って良い。
黒埼の従者としての使命から解き放たれて、自分の足でしっかりと。
「……使命、か」
「何か?」
「ううん、何でも」
魔法使いも言っていた、このヘンな言葉。
最近になって、なんだかチラチラと胸の奥で燻り続けている。
――気にくわないなぁ。
23: 以下、
その日以来、私と藍子ちゃんは友達になった。
お互いに示し合わすわけでもなく、公園で散歩している時に度々会っては、他愛の無い話に花を咲かせるのだ。
「撮り方、と言われても、うーん……シャッターを押すだけとしか」
ある時、試しに撮ってみてはと提案をされた。
彼女から手渡されたトイカメラの使い方を聞くと、藍子ちゃんは困ったように頬を掻く。
「確かに、これだけ機構が簡素だと、あんまり技術があっても無くても同じな気がするね」
「たぶん、それも目的の一つなんじゃないかなぁって思います。
私みたいに器用でない人でも、小さい子供でも、気軽に写真を楽しめるように」
「ふぅん」
試しに、そばに植えられた花壇のお花にカメラを向け、シャッターを切る。
パチリ――どこか間の抜けた音が指先に伝わったけれど、手応えがあったかどうか、よく分からない。
「……プレビュー、見れないんだ?」
「そうですね。取り込むまで、どんな写真になっているか分かりません」
それも楽しみの一つです、と、藍子ちゃんははにかむ。
24: 以下、
最近では、スマホでもデジカメ並みに質の高い写真を撮れるようになったという。
品質や利便性を考えれば、写真なんてそっちを採用する方がいい気がする。
だのに、あえてこのチャチなカメラに楽しみを見出すあたり、藍子ちゃんもなかなかのロマンチストだね。
「幸せって、いつどのように出会うか、分からないでしょう?」
カメラを返しつつ、スマホを使わない藍子ちゃんを茶化してみると、彼女は頷いた。
「だけどきっと、そこら中に散らばっている……。
そんな小さな幸せを、誰にでも使えるようなカメラに収める事が、何となくいい気がしたんです」
「…………」
今日も外はいい天気だった。
週末の昼下がりにも関わらず、人通りは思っていたほど多くない。
「ちょっとだけ、どこか日の当たらない涼める所に行きたいなぁ」
「あぁ、それなら、あっちの方に行きましょう」
陽光が苦手だという話をすると、藍子ちゃんは木陰の芝生を案内してくれた。
25: 以下、
「あぁ、こういう所もあったんだねぇ」
「良かったら膝枕、しましょうか?」
「いいの? ふふ、助かる」
芝生の上で膝を折り、ポンポンと叩くそれを見て、私はニンマリと笑い、遠慮無くそれに頭を載せた。
あんまりこういうのって、固そうだし、実はさして期待はしていなかったけれど――。
――――。
これ、いいな。
手慣れた感じでその役を買って出てくれたあたり、藍子ちゃんの膝枕には、誰か既に常連さんがいるのかも知れない。
「どうでしょう。痛くないですか?」
「ううん、とっても気持ちいい……藍子ちゃんこそ、頭、重たくなぁい?」
「いいえ。私も、なんとなく安心します」
目を閉じた私の頭の上、クスッと彼女の笑う声がした。
サラサラと木の葉が風で擦れる音や、通りの方で微かに聞こえる喧噪も心地良い。
ウトウトと微睡んでいく中で、私の口はいつの間にか、丸裸の思考をボンヤリと吐露したようだった。
「幸せ、かぁ」
26: 以下、
「えっ?」
どれくらい時間が経ったのか分からない。
ふと、うっすらと目を開けると、藍子ちゃんが私の顔を不思議そうに覗き込んでいた。
「……え?」
「あ、いえ……すみません」
「……ふふ、なぁに? レディの寝顔に見惚れちゃった?」
「いえ、その……確かに、ちとせさんの顔が綺麗だったのもありますけど」
コホン、と照れ隠しの咳払いをしても、藍子ちゃんは頬を赤らめたままだった。
「ちとせさん、幸せなんて言うから……」
「幸せ?」
27: 以下、
あぁ――そうか。
私は合点した。
時計を見てみると、時間にしてせいぜい5分程度。
藍子ちゃんの膝に頭を預けてまどろむ間際、私は確かに「幸せ」と言っていた気がする。
でも――。
「ふふっ……」
「な、何ですか」
「ううん。ごめんね、藍子ちゃん」
「えっ?」
「そういう意味で言ったんじゃあ、ないの」
私はゆっくりと身体を起こし、藍子ちゃんに向き直った。
目の前の彼女は、不思議そうに首を傾げ、私の次の言葉を待っている。
「初めて会った時も、藍子ちゃんは言っていたよね。
幸せ、って言葉」
28: 以下、
私にとっては、あまりピンとこない話。
この弱い身体でも、求めたものが手に入らないわけではなかった。
千夜ちゃんだけでなく、誰かにお願いをすれば断られることは無かったし、良い思いもさせてもらえた。
だから、私にとって幸せとは、もたらされるものでこそあれ、勝ち取るものではなかった。
たとえ勝ち得たものがあるとしても、最期の向こうへは、何も持っていけはしない。
残らないものに、何の意味があるだろう。
だけどこの子は、控えめな性格をしているけれど、“小さな幸せ”だけは貪欲に、積極果敢に求めていく。
「小さな幸せに対して、そうまでして一生懸命になるのが、私には新鮮だなぁって思っただけなの。
嫌味でも皮肉でもなく。自分で勝ち取ってこなかった私には、ね」
「幸せを願うことは、そんなにヘンなことでしょうか?」
藍子ちゃんは、怒らなかった。
悲しむでもなく、いつもの柔らかな表情をしたまま、フッとその顔を広場の方に向ける。
「あれを見てみてください」
29: 以下、
言われた通りに目を向けると、遠くの方に銅像らしきモニュメントがあったのを見つけた。
天に向かって手を伸ばす裸婦像。
「この間、通りすがりのおばちゃんから聞いたんですが……あれ、一度作り直されたみたいなんです」
「作り直された?」
「数年前に起きた台風の豪雨で、この辺りも土砂崩れとかあったみたいで、あの像も……ううん」
藍子ちゃんは首を振った。
「元通りに作り直したのでは、なかったみたいです。
地元の人からの要望があって、それまでは犬を連れる男の子の像だったのが、あのようになったとのことで」
犬を使役する男の子の姿が、どこか隷属的なものを連想させるとか何とか――。
藍子ちゃんも、よく理解できなかったようだけど、そういう意見もあったという。
裸の女の子だって、どうなんだろうって思うけど。
「ふぅん……あは、何だかおっかしい♪」
私は肩をすくめてみせた。
それは、誰へともなしの悪戯めいた挑発の意味もあった。
「かつての男の子の像だって、地元の人の要望があったでしょうに、それを変えちゃうんだ?」
「そう」
だけど、藍子ちゃんはどこまでも優しい顔をしたまま、私の言葉を受け止めてくれる。
「変わってしまうものなんです……色々なものは、きっと」
30: 以下、
「……藍子ちゃん?」
藍子ちゃんは視線を落とし、手元にある芝生を撫でた。
「人も街も、信じられないさでどんどん変わっていく……。
とっても忙しくて、幸せが見つかりにくい世界になっている気が、ある時したんです。
それは、銅像一つに対しても、それだけ多くの人の想いが複雑に絡み合うんですから……仕方のない事なのかも知れません」
「……見つかりにくい、か」
ちょっとだけ、考えさせられる言葉だった。
それは、諦めることに慣れていた私を、遠回しに喚起しているみたい。
「でも、変わっていくことが、ダメっていうんじゃないんです。
たとえば、うーん……お部屋のカーテンを変えただけで、何となく新鮮な気持ちになれることだって、一つの幸せでしょう?
つまりその……」
何かを確かめるように頷いて、彼女は手元にあるトイカメラをもう一度携えた。
「幸せって、もっと身近にあるものなんじゃないかなって、教えてあげたいんです。
せっかく私、アイドルをしているから、誰にでも使えるこのカメラで、こんな所にもあるんだよって。
私みたいなのんびり屋さんでも、目まぐるしく変わる世界で、ほら、見つけられたよって……ファンの人達に、届けたいんです」
31: 以下、
「…………」
かつての私にも、思い描いたものが、きっと無いわけでは無かったと思う。
でも、諦めるのは楽だった。
人並みの事ができない自分には、どうせ夢は夢で終わるのだと。
そう言って、頭の中で描いては消し、諳んじては伏せ――。
いや、描く前から消していた。
恥ずかしい思いをするのはイヤだから、頭の中で読み上げる前に、私はそれを視界の外に追いやった。
それが、私の普通だったのだ。
「ねぇ藍子ちゃん……もう一つだけ、聞いてもいいかな?」
この子は、私が思っていた以上に強い子だ。
身体はともかく、何よりも精神が。確実に。
「アイドルって、楽しい?
それと……どうして藍子ちゃんは、アイドルになったの?」
これだけ優しい性格は、たぶんアイドルの世界には向いていない。
なのに、これからもアイドルとして生きていく覚悟が、この子にはあるのだ。
私と違って。
「質問、二つだったね。ごめんね?」
32: 以下、
藍子ちゃんは、「うーん」とちょっとだけ悩んでみせるような仕草をして、天を仰いだ。
「アイドルは、楽しいです。
それは、一緒にやっている仲間の人達も、皆良い人ですし、ファンの人達も温かいから」
「でも、大変でしょう?」
「ふふっ……そうですね、とっても大変です。
運動が苦手な私には、レッスンも難しいですし、それに」
「競争だって、激しいものね」
そう言うと、藍子ちゃんは言葉を止め、ほんの少し困ったように眉を下げて、ゆっくりと頷いた。
「アイドルって、厳しい世界です。
皆が夢を見ているのに、皆が夢を叶えられるとは限らない世界……。
私みたいに、競うのが苦手な人間がアイドルだなんて、本当はあんまり、向いてないのかも知れません」
一瞬だけ覗かせた自嘲じみた笑顔を振り払うように、藍子ちゃんは元の穏やかな笑顔に戻った。
「それでも、私に夢を見出してくれた人がいたから……。
優しい気持ちで包んであげられるアイドルも、いていいんだって、信じてスカウトしてくれたプロデューサーさん……。
それに、私を応援してくれている人もいるから、応えたいかなぁって」
「それは、藍子ちゃんのファンのこと?」
33: 以下、
「ファンの人達も、そうかもですけど……同じ事務所の、アイドルの人です」
藍子ちゃんは、写真を見せてくれた。
トイカメラで撮った自撮り写真だ。
彼女の隣には、灰白色のボーダーニットを着た、少し背の高い金髪翠眼の女の子が写っている。
「宮本フレデリカさん」
母親がフランス人のハーフらしい。
どうりで異国の人のような容姿と名前だけど、まったくの日本語しか喋れないという。
「実は近々、ちょっとだけ大きなお仕事があるんです。
ううん、正確にはお仕事というか、それに合格すれば、お仕事がもらえるっていう……」
「オーディション?」
私が口を挟むと、藍子ちゃんは驚いた様子で、目をちょっとだけ大きくさせた。
「詳しいんですね」
「ちょっとだけね。それで?」
「その……本当はそのオーディション、フレデリカさんが出る予定のものだったんです」
34: 以下、
曰く、藍子ちゃんが所属する346プロの中でも、有数の気ぃ遣い屋さんなんだとか。
今回の件も、そんなに仕事が多くない藍子ちゃんのために、フレデリカちゃんなる子は機会を譲ってあげたみたい。
私はもう一度、この子をからかってみようと思った。
この子がムキになるのを見れたら、この子の底が分かるから。
「競争が苦手な藍子ちゃんにとって、フレデリカちゃんのそれは“優しさ”だったのかなぁ?
ひょっとして、藍子ちゃんを余計に困らせたかっただけだったりして♪」
きっと、自分の事ではなく、親しい人を侮辱される方が、藍子ちゃんは怒るだろう。
人の心の器は、その人が許容できない怒りの度量を超えた時、その形や大きさが初めて分かる。
私の持論だけど、怒りはいつだって、人の本気を表すバロメーターなのだ。
「いいえ」
それでも、藍子ちゃんは穏やかに、そして真っ直ぐに私に答えた。
「フレデリカさんは、相手を嫌な思いにさせてやろうって考える人ではありません。
私は……いつもイマイチな私だけど、今度のオーディションは、フレデリカさんのためにも、頑張らなくちゃって思うんです」
35: 以下、
「それは、義務感? あるいは……」
また、私の中のモヤモヤが燻りだす。
「……使命感?」
「たぶん、義務でも使命でもありません」
藍子ちゃんは立ち上がり、スカートについた芝をポンポンと軽くはたいた。
これから事務所に行って、レッスンがあるという。
「私がただ、そうしたいってだけなんです」
36: 以下、
次の日のレッスンを終えた後も、藍子ちゃんとした話がずっと頭から離れずにいた。
普段の私なら、バテて一度や二度は中断する時があるのに、なぜか今日はスムーズにこなせたのを覚えている。
とうの私は、上の空だったのに。
シャワーを浴びた後、なんとなく家に帰る気にはなれなくて、私は一人、事務所のソファーで黙想している。
「……使命」
違和感があるのは、やはりこの言葉なのだ。
フレデリカちゃんに想いを託された藍子ちゃんの覚悟は、正しく使命と解せるはずのものだった。
でもあの子は、つよがるでも誤魔化すでもなく、義務や使命ではないと言った。
ただそうしたいと――答えになっていないような、ふわっとしたナンセンスな回答に、妙に納得させられたのが悔しい。
37: 以下、
「……そんなに気にするような事でもないか」
私は天井を見上げ、ほぅっと息をついた。
どうせ近いうちに、私はアイドルを辞めるのだ。
私には、私の代わりにアイドルを謳歌してくれる千夜ちゃんさえいれば、それでいい。
訳の分からないことにいちいち思い煩うなんて、私らしくないなぁ。
いけないいけない。
気分を紛らわそうとスマホを取り出すと、ふとカメラアプリが目に入った。
「…………」
買い換えてから2年近く経つ。
けれど、この間藍子ちゃんから借りたトイカメラよりも、この内蔵カメラはずっと高性能なんだろうな。
おもむろに起動し、何となしに部屋のあちこちにレンズを向けてみる。
撮りたいものなんて無い。だけど――。
藍子ちゃんなら、この部屋の中でも、彼女なりの幸せを見つけることができるのかなぁ。
と、スマホを構えながらボンヤリしていた時、ガチャッと部屋の扉が開いた。
38: 以下、
「……おっ」
入ってきたのは、案の定魔法使いさんだった。
私を見てちょっと驚いた彼に対し、咄嗟にカメラを向けてシャッターを押す。
カシャッ。
「は?」
「……あは♪ 小さな幸せ、なんてね」
彼にとっては、唐突に写真を撮られた上に、訳の分からないことを言われた格好だ。
さすがに怪訝そうな顔をされちゃったけれど、魔法使いはあまり追求してこなかった。
「トレーナーさん、褒めてたぞ。
今日は調子が良かったそうじゃないか」
手に持っていたファイルをデスクに置き、椅子に腰掛けて彼は続ける。
「もう帰ったと思っていたが、何かあったのか?」
39: 以下、
「う?ん」
何かはあるんだけど、それを言語化できずにいる。
それを彼に悟られるのは何となくバツが悪くて、私は曖昧な返事でお茶を濁した。
また意味深な態度をとっている、と彼が思ってくれることを期待する。
実際、それだけの余裕を持てるものならどんなに楽か。
魔法使いは、そんな私の様子をしばし見留めて、ふと調子を変えてきた。
「ラジオ、つけてくれないか」
「えっ?」
「お前の後ろにある、キャビネットの上のラジオ」
――言われるがまま、私は立ち上がって後ろを向き、そこに置いてあった、たぶんそれと思われるボタンを押した。
『こらぁ、フレちゃん?』
途端、ゆるい調子な女の子の声が部屋に鳴り響く。
『番組のタイトルコールくらいちゃんとやろ、って言ってるやん。また怒られるよー?』
『うわあ?ん、シューコちゃんゴメンね☆ フレちゃん本番に弱くって』
『本番に弱い人って、毎度毎度そう器用なアドリブ入れらんないと思うけどね。
まぁ次がんばろ? はい、えーと、そんなこんなで今日も元気に……』
40: 以下、
「よし、間に合ったか」
振り向くと、魔法使いさんがやけに力のこもった様子で頷いていた。
「この番組、好きなんだ。
346プロのアイドルさんのなんだけど、結構面白くてさ」
「へぇ……」
この陽気な声には、聞き覚えがあった。
先日、千夜ちゃんのお仕事に付き添った帰り、彼の車の中で聞いた声だ。
『番組に寄せられたお便りを読んでいきますねー。
今日のフレちゃんもこんな調子ですんで、まともにお答えできるかちょっと分かんないですけども』
『アタシもやる時はやるよー!』
『まさに割と今なんですけどもね、やる事やって欲しい時はね。えぇ。
はい、じゃあさっそくお便り、読んでいきます。埼玉県越谷市の、ラジオネーム「カリスマダイエッター」さんから』
『ワォ☆ ひょっとしてミカちゃんかな?』
『まぁ、美嘉ちゃん埼玉だけど、あんまりダイエットが必要な体型じゃなくない?』
『たしかに』
『読みまーす。フレデリカちゃん、周子ちゃん、こんにちはー。はいこんにちはー』
――!
41: 以下、
『コンニチワー☆』
『フレデリカさん、今日は聞きたい事があります。
最近、とある事がどうしても気になってしまうあまり、夜しか眠ることができません』
『夜眠れるのは別に普通じゃない?』
『フレデリカさん、唐突にマジレスすんのビックリするからやめて』
『ンー、かたじけない』
『使い方ちゃうやろそれ』
フレデリカ――この子が、宮本フレデリカちゃん。
『んで、ご質問は、えー……どうして人は、夢だけでメシが食えないのですか?』
『フーム』
『これはえらい難しい質問来たねー。そりゃ夜しか眠れんくなるわ』
『いやー、夢といえば実はアタシもねー、ずーっと気になってたんだー』
『ほう?』
『キリンさんって、何で首が長いのかなーって』
『いやいやいやそれ前回のっ。フレちゃん、いや、確かに前回答えてなかったけどね』
『昨日アイコちゃんと話してて、そうだ! ちゃんと答えなきゃ! って思って』
『あー、そうなんや。
ごめんなさい「カリスマダイエッター」さん、ちょっと戯れ事に付き合ってあげてくださいね。
で、何でキリンさんは首が長いんですか?』
藍子ちゃんと、話をしたんだ――。
42: 以下、
「面白いだろ?」
後ろから、魔法使いがクックッと笑う声が聞こえる。
「ごめん、ちょっと話しかけないで」
「あぁ、悪い」
『何でキリンさんの首が長いかっていうとね?』
『ふむふむ』
『それがパパやママの夢だったからじゃないかな☆』
『え、何? パパとママて』
『シューコちゃんはさ、高い所に風船が引っかかっちゃったらどうする?』
『へ? あぁ、あたしが風船買ったとして、ってこと?』
『ゴリョーシンに買ってもらったのでもいいよー♪』
『んー、そりゃあまぁ、美嘉ちゃんとか、誰か頼りになりそうな人呼んで、何とかしてもらうかなぁ』
『そうだねー。でも、キリンさんはスマホ持ってないんだよね』
『はぁ。でもキリンさん首長いから風船届くでしょ』
『たぶん、キリンさんのゴリョーシンが子供の頃は、届かなかったんじゃないかなぁ』
43: 以下、
『あー、昔のキリンさんは、今ほど首が長くなかったんだ?』
『そうそう!
たぶんパパが子供の頃、買ってもらった風船が高い所に引っかかっちゃって、
うぇーん、ダディー、風船が飛んでっちゃったよー、って泣いても、その時のパパのパパは首が長くなくて、
おぉぉマイサン、すまない、私ではどうすることもできないのだよ、なんて』
『パパのパパて、ややこしいな。
ていうかさ、つまんない事言うかもだけど、たぶんキリンさんもパパの代で急に首が長くなった訳じゃないと思うよ』
『あ、そうだねー☆
パパのおじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの?を何回か繰り返した遠いおじいちゃんが子供の頃。
シューコちゃんちが塩味大福を売り始めた頃かな?』
『まぁ、はい』
『やっぱり買ってもらった風船が引っかかっちゃって、
うぇーん、ダディー、風船が飛んでっちゃったでござるよー、って泣いても、その時のおじいちゃんのパパは首が長くなくて、
おぉぉマイサン、すまない、拙者ではどうすることもできないのでござるよ、なんて』
『世界観ぐちゃぐちゃやん』
『かたじけない』
『まぁつまり、子供のために風船をとってあげようとしたパパキリンやママキリンの夢が、
何世代もの時を越えてずーっと受け継がれてきて、そういう進化の過程でようやく首が長くなったと。
あれ? まとめると妙に綺麗な回答やな』
『そうそう! だからね?
アタシの想いを受け取ったアイコちゃんも、きっとギューンて伸びると思うんだー♪』
『えっ、何、フレちゃんの想いって?』
『今度のオーディ』
『どわあぁぁっと塩見カッター!』
『ワォ!?』
44: 以下、
『あっぶなぁ?。咄嗟にあたし渾身の激寒ギャグを出しちゃったわぁ?』
『あ、そっかー☆ これ言っちゃいけない話だったね、ゴメンゴメン』
『フレちゃん、そんな話よりも美嘉ちゃんのさ、この間のファミレスの話でもしたらどう?』
『えっ、ミカちゃん?』
『ほら。タバスコモリモリのピザを志希ちゃんに食べさせられて、お婆ちゃんみたいな喋り方になった話』
『わぁー♪ そうそう! リスナーのみなさん聞いて聞いてー、ミカちゃんがねー♪』
バシンッ!
「ッ……あぁ、悪い」
大きな音がした方を振り返ると、魔法使いが丸めた雑誌を手にして立っていた。
「デカい蜘蛛がいたもんでな。でも、し損じてしまった。
その辺に行ったかも知れないから気をつけろよ」
彼の指差す先へ目を凝らしてみると、チョロチョロと、小さな黒い塊が私の方へ歩いてくるのが見えた。
まるで助けを求めるように。
「この子?」
「おぉ、そいつだ! ってお前、何でそんな落ち着いてるんだよ」
45: 以下、
「無闇に殺しちゃうのは、可哀想だよ」
千夜ちゃんなら、彼よりも手際よく始末しちゃうんだろうなぁ。
そんな事を考えながら、私はそばにあったコピー用紙を一枚取り、その子をその上へ招き入れる。
そして、窓の外へそっと逃がしてあげた。
「……意外とお前、そういうの平気なんだな」
「んー、まぁ。私の屋敷も、結構多かったからね」
そう。だから千夜ちゃんにも、自然とそういうスキルが身についた。
この間、台所に現れた黒いアレを、丸めた新聞紙で叩く彼女の姿を思い出し、プッと吹き出す。
「何がおかしいんだ」
「知ってる? 魔法使いさん」
黒埼家に仕えていたあの子の成長は、あの子が望んで得たものなのかな。
丸めた新聞紙で素早く叩くのは、千夜ちゃんの使命?
ふふっ。
「ゴキブリって、2億だか、3億年も前から地球上にいて、その姿が今とほとんど変わっていないんだって」
46: 以下、
「……あぁ。なんかで見た記憶があるな」
何で今その話をするんだ、って顔に書いてある。
本当に、呆れるくらい正直な人。
「変わらないことがあるとすれば、皆、変わっていくってことじゃないかな」
「……ちとせ?」
ゴキブリのように完成されたものなんて、この世界にどれだけあるだろう。
まして人の想いなんて、数十年と待たず簡単に、絶え間なく変容し続ける。
公園のモニュメントが、男の子から女の子に変わっていくように。
「変わらないものが尊ばれ、あるいは珍しがられるのだとしたら……。
あらゆるものは皆、変わっていくのが自然なのかなぁって」
「今日は随分、難しい哲学をするんだな」
「ふふっ……哲学ついでに、聞きたいことがあるの」
椅子に座り、仕事を再開しようとパソコンを立ち上げた彼を、私は引き留める。
また意味深で訳の分からないことを言い出したレディの相手を、片手間で済ませようなんて、失礼なんだから。
「あなたの使命はなぁに?」
「使命?」
47: 以下、
彼は手を止め、私を見上げた。
「お前や千夜を、トップアイドルに育て上げることだ」
「それは、あなたのプロデューサーとしての仕事の話でしょう?」
私は歩み寄り、彼のデスクの縁におざなりに腰掛ける。
「私が聞きたいのは、あなたの使命。
あなたという個人の、人間としての」
魔法使いは、いつになく真剣な顔をして、私の目をじっと見つめた。
「……何をそんなに焦っているんだ、ちとせ」
「えっ?」
虚を衝かれたような心持ちになり、思わず言葉を失う。
「…………」
「……焦っている、か……そうかもね}
私は一人でかぶりを振り、自嘲じみて小さく笑った。
「言ったかな……私、長くないと思うの。
だから、今が楽しければいい。私には、未来が無いから。
私の代わりに、未来を生きてくれる千夜ちゃんがいてくれたら、他に何もいらない。
そう、思っていたのになぁ」
48: 以下、
「何かあったのか?」
心配そうに、あるいは少し、臆病そうに、彼は再度問いかける。
私なんかのために、いちいち真に受けてくれるの――ほんと、おっかしい。ふふっ。
「女の子に会ったの」
「女の子?」
「誰かのために、あの子自身のために、小さな幸せを掻き集める、とても優しくて、穏やかで……」
――強い子。
未来を諦めていた私とは、真反対の所に立っていた子。
「あの子は、誰かの未来のために、一生懸命に自分の今を見つめて生きている。
そんな姿を見せつけられたら、何だか、私……自分のことばかり考えていたんだなぁって、気づかされたの」
49: 以下、
いつの間にか、フレデリカちゃんの番組は終わっていたみたい。
ラジオは今、過払い金がどうとかいう何とか法律事務所のコマーシャルを流している。
魔法使いさんがしょっちゅう流すから、私まで覚えちゃった。
「……考えもしなかった壁への答えが分からなくて、焦っているってところか」
「そうなんだと思う」
彼は椅子をギィッと鳴らし、天井を見上げた。
「俺も、自分の使命なんて、これまで考えもしなかったよ」
「それなら、今考えて?」
「お前はいつも無茶ぶりだな」
うーん、と腕組みをしながら、彼は唸りだした。
「大それたものでは、きっとないな」
「じゃあ、どうでもいいこと?」
「だからと言ってそれじゃ……寂しい気もする」
苦笑してないで、マジメに考えてよね。
あともう少しで、答えが出てきそう。
さっきのフレデリカちゃんが言っていたことも、何だか引っかかっていて、ヒントになりそうなんだけど――。
「たとえば、そうだなぁ……車を買う、とか」
50: 以下、
ボンヤリと、独り言のように魔法使いは語り始めた。
「デカい車を買って、気立ての良い人を嫁さんにもらって、マイホームを手に入れて……
子供は、女の子と男の子の順で一人ずつ。仕事も適当に忙しすぎず、暇すぎず、細く長く続けていられたら、とかかな」
「……それ、使命?」
イメージしていたものとは随分違う答えに、目が点になる。
「俺にも分からん。ただ」
彼は組んでいた腕を解き、カップを持っておもむろに立ち上がった。
「一つだけ言えるのは、使命ってたぶん、誰かから強要されるものとは違うんじゃないかって思うんだ」
そのまま彼は、給湯器の方へ進んでいく。
「自分で、見出すもの?」
「俺はそう思う。
命令されたり、お願いされたりするんじゃなくて、自ずからこうしたい、こうありたいと願う、というか……そう」
カップにお湯を入れ、インスタントコーヒーをスプーンでカチャカチャ回しながら、彼はふと天を見上げ、私に向き直った。
「言い換えれば、夢ってことにもなるんじゃないか?」
「夢……」
――それがパパやママの夢だったからじゃないかな☆
51: 以下、
他人任せの、偉そうな感じがしていた。
どことなく“やらされてる感”がして、ずっとこの言葉が気にくわなかった。
でも、そうだ――私が考えていたのは、もしかしたら使命じゃなくて。
「夢、か」
そして、千夜ちゃんに私はそれを託したつもりだった。
だけど――。
「あ、おい、ちとせ?」
今日は確か、午後はオフだったはずだ。
気づくと私は駆けだしていた。
魔法使いの方を振り返ることなく、自分の体力をも省みることなく。
千夜ちゃんが待つ家へ、一目散に。
私は、思い違いをしていなかっただろうか?
52: 以下、
「千夜ちゃんっ」
玄関ドアをガチャンッ! と突進せんとばかりに叩き開ける。
ビックリして振り返った千夜ちゃんは、リビングのソファーに座っていた。
たぶん、本を読んでいたんだと思う。悪いことしちゃった。
「お、お帰りなさいませ、お嬢さま」
「はぁ、はぁ……ち、千夜ちゃん……!」
せっかくシャワーを浴びたのに、汗びっしょりになって、息も絶え絶え。
レッスン終わりの身体でほとんどずーっと全力疾走してきたから、寿命も結構縮んじゃったかな?
家に着いた私は、ヘトヘトになりながら何とかダイニングキッチンのカウンターに身体を預け、肩で息をするのがやっとだった。
「大丈夫ですか、お嬢さま。とにかく、こちらへおかけください」
「私、千夜ちゃん、に……謝らなきゃ、いけない、かもって……」
「謝る? ……お嬢さまが私に、ですか?」
千夜ちゃんは私に、只ならぬ雰囲気を察したみたい。
私をソファーにエスコートしながら、私の前に跪いて、真剣な目で見つめてくる。
53: 以下、
「千夜ちゃん……アイドルは、楽しい?」
紫に煌めく千夜ちゃんの瞳が、少し大きくなった。
「ちゃんと答えて……私に、阿ることはしないで……」
「お、お嬢さま……?」
「ごめんね、千夜ちゃん……私、あなたに大きな重荷を背負わせちゃったのかもしれない……。
私の代わりに、アイドルの世界を楽しく生きるというのは、私の願いだった。
けれど、私はあなたに……従者の代わりに、私の未来を託すという、新たな呪いをかけてしまった」
それはともすれば、大いに独りよがりな“使命”で、彼女の自由を奪う行為。
手前勝手な生きがいを一方的に押しつけ、逆にこの子の未来を奪いかねない、私のエゴそのもの。
「千夜ちゃん……私、もっと千夜ちゃん自身の夢を、応援できたら良かったのにね……ごめんね」
「お嬢さま」
俯いた顔を上げると、優しく微笑む千夜ちゃんの顔があった。
まるで、藍子ちゃんみたい。
「一度しか言いません。そして、アイツにはくれぐれも内緒にしてください」
「えっ……?」
54: 以下、
「アイドルは、楽しいです。
これほど夢中になれるものが私にあるとは、思いもしませんでした」
私の手を両手で握りながら、千夜ちゃんは私の目を見て続ける。
「当初は、先ほどお嬢さまが仰られた通り、お嬢さまが私に与えた新たな使命と解釈していました。
くだらないけれど、お嬢さまがそれを望まれるのであれば、この戯れに興じる以外の道は、私には無いのだと」
「千夜ちゃん……」
「ですが、そこに私は、私の新たな価値を見出す事ができたのです」
千夜ちゃんは私の手を取ったまま、私の隣にストンと腰を下ろした。
「これが呪いと呼ぶべきものかは、私には分かりません。
ですが、お嬢さま……病みつきと言いますか、ある種の中毒性を伴うものではあるのかもしれません。
お嬢さまの世話が蔑ろになってしまう申し訳なさよりも、これに夢中で取り組む事の楽しさの方が、上回ってしまう程度には」
「夢中……千夜ちゃんは、アイドルに夢中?」
「はい、お嬢さま。夢中です。
これが呪いであるならば、喜んで私はその事実を受け入れましょう」
55: 以下、
――私は一体、千夜ちゃんの何を見ていたんだろう。
千夜ちゃんは、私が考えていたよりもずっと、自立していた。
依存していたのは私の方。
「以前、お嬢さまはアイツに、こう仰ったと聞きました。
お嬢さまが、お嬢さまご自身だけの道を見つけた時、私も私の人生を生きられる、と」
千夜ちゃんは、かぶりを振った。
見つめ直すその瞳は、煌々と燃えていて、活力に充ち満ちている。
「僭越ながら、私もそのお返しがしたいのです。
私に手がかからないことを……もう、私のことは心配要らないと、お気づきになられた今はただ、ご自身のことを。
気づかないうちに諦めたご自身の夢を、お嬢さまご自身のために、見つけていただきたいのです」
「私が諦めた、夢……?」
「そうです」
――諦めて、ずっと目を背け続けてきたもの。
人並みの事ができない中で、知らぬ間に絶望し、期待を放棄してきたもの。
「夢は夢で終わらない。
アイドルをやっていくうちに、気づかされた事の一つです」
56: 以下、
描かずに消したもの。読まずに伏せたもの。
「もう一度……私にも見れるのかな?」
身体の内側が、ジワジワと熱くなっていく。
なのに、さっきまで抱いていたモヤモヤとした燻りはとっくに消えて、霧が晴れたかのように軽い。
「はい、お嬢さま……きっと」
ふわりと、不思議な感覚に陥った。
気づかぬうちに斜めになっていた世界が、鮮やかな彩りを取り戻していく。
私にも、見つけられるのかな?
藍子ちゃんのように、小さな幸せを――かつていくつも取りこぼしていたものを。
どっちの方なのか分からない、震える手がピタリと止まった。
「そうだね」
見つけに行こう。
描かずに消した、読まずに伏せた夢をもう一度、広げよう。
57: 以下、
「ありがとう、千夜ちゃん」
私は立ち上がった。
「いいえ、お嬢さま。何も」
千夜ちゃんは、照れ臭そうにかぶりを振るう。
「ううん。それと千夜ちゃん、ちょっと私出かけてくるね?」
「えっ?」
今の私には、ありがとうを言わなきゃいけない人がもう一人いる。
この前、連絡先を交換して良かった。
私はスマホを取り出した。
示し合わせて彼女と会うのは、これが初めてだ。
58: 以下、
よく晴れた夜空に浮かぶ、大きな真ん丸の月。
何ちゃらムーンっていう、特別な満月の日なんだって、千夜ちゃんは教えてくれた。
――どうしてキリンの首が長いかって?
月に向けて手を伸ばす裸婦像の前で待ちながら、私は幼い頃のとある記憶を思い出していた。
パパの書斎で、そういう本を読み聞かせられた時のこと。
――随分難しいことを聞くんだなぁ、ちとせは……よぉし、ちょっと待っていなさい。
59: 以下、
1809年、ラマルクは「獲得形質の遺伝説」を唱えた。
今日、キリンの首が長いのは、首の短いキリンが高い場所の葉っぱを食べようとして、首を伸ばす努力をしたからだと。
そして、その子孫達にもそれが受け継がれていった。
つまり、「親キリンの努力や経験値がDNAに書き込まれる」という説。
これに対し50年後、ダーウィンは新たに「自然選択説」を唱えた。
彼によれば、たまたま突然変異で生まれた首の長いキリンだけが生き残り、首の短いキリンは競争の果てに自然淘汰されていった。
つまり、「親キリンの努力や経験値がDNAに書き込まれることはない」という説。
現代では、ダーウィンの説が進化論の定説になっている。
「あなたの手は……伸ばし続ければいつか、月に届くのかな」
物言わぬ裸婦像に語りかけ、一人で小さく笑っていると、やがて遊歩道の方からこちらへ近づいてくる人影があった。
60: 以下、
「月夜の下の散歩も、たまには良いものでしょう?」
私が問いかけると、影は歩み寄りながら小さく会釈をした。
街灯の下に立ち、藍子ちゃんの姿がようやく私の前に浮かび上がる。
「いつもは、門限が厳しいですから、あまり夜に出歩くことがなくて」
「そっか。藍子ちゃん、高校一年生だっけ。
こんな時間に呼び出してごめんね?」
「いいえ」
ご両親には、レッスンが長引いて遅くなる、と言ってあるらしい。
嘘をつかせてしまった事が、ちょっとだけ申し訳ない。
「今日は、どうかされたんですか? ちとせさん」
何の打算も、怒りも悲観も無く、至極当然な質問を真っ直ぐに、藍子ちゃんは私に投げかけた。
61: 以下、
「今日は藍子ちゃんに、私の自己紹介をしたいなと思ったの」
「自己紹介?」
「ロクに私のこと、教えてこなかったでしょう?」
そう言って誘い笑いをしてみせると、藍子ちゃんはちょっと小首を傾げた後、握り拳を口元に寄せてフフッと笑った。
「楽しみです」
いつものように、彼女は微笑んだ。
この優しくて柔らかくて、穏やかな微笑みに、私は救われたのだと気づかされた。
それなのに、私はまともに向き合おうともせず、茶化してばかりで――失礼だっただろうな。
「私も、アイドル……今度のオーディション、私も出るの」
「知っています」
藍子ちゃんは、表情を崩さずに言った。
「私のプロデューサーさんが、当日のオーディションの参加者について教えてくれて……それで、知りました」
62: 以下、
「あはっ♪ なぁんだ」
それならそうと言ってくれたらいいのに、と悪い癖でまた茶化してしまうと、藍子ちゃんは頬を掻いた。
「言いたくないご事情があったのかなぁ、って……それで、深入りしませんでした」
「……うん」
私は、月明かりに照らされた裸婦像を見上げた。
「胸を張って、言えなかったんだと思う。
実際、もう辞めるんだって、私は心に決めていたから」
「アイドルを、ですか?」
珍しく驚きの声を上げた藍子ちゃんに、私は目を合わせないまま頷いた。
「今は、分からない……。
アイドルを続ける中で、私の夢を見出せるのか……まずはそれを、今度のオーディションで見つけたいかな」
「見つからなかったら……辞めちゃうんですか……?」
「というか、ね」
63: 以下、
言うべきかどうか、少しだけ迷ったけれど、私は打ち明けることにした。
自らの境遇を。
「魔法使い……私のプロデューサーと、約束させられたの。
もし私が、今度のオーディションに合格したら、アイドルを続けなさいってね」
「……!」
藍子ちゃんは口をつぐみ、手を胸の前で握った。
それまで見たことが無いほどに、抑えきれない動揺を感じさせる姿だった。
「そ、そんな……負けちゃったら……?」
たった数回会っただけの私に、この子はこんなにも、親身に向き合ってくれている。
「ふふっ……藍子ちゃん、どう?
こんな事を聞かされたら、オーディション、私に勝たせてあげたくなっちゃった?」
「……いいえ」
しばしの沈黙の後、藍子ちゃんは小さく、しかしまるで自分にも言い聞かせるかのように、ハッキリと答えた。
「私も……頑張りたいから」
私は頷いた。
藍子ちゃんならきっと、そう答えてくれると思ったんだ。
「藍子ちゃんはさ……知ってた?」
「えっ?」
「キリンの首が長い理由……私もついさっき、知ったの」
64: 以下、
フレデリカちゃんは、子供達のために風船を取ってあげたいという夢が代々引き継がれたからだと言った。
一方で、進化論では首の長い動物は、生存競争のためにそのフォルムを変えてきたという。
どっちにしても、そうして強く望むことが、世代を超えていつしか形になるのなら――。
「藍子ちゃん、私ね……?
自分の人生は、自分だけで完結するものだって、思っていたの。
でも……」
像の台に、そっと手を置いてみた。
ひんやりと、心なしか少し湿っている。
にわか雨でも降っていたのか、噴水の水しぶきがこちらまで届いていたせいなのかは分からない。
「たとえ、私では達し得ない夢であったとしても……本当に、たとえばの話。
何かを強く望む私の姿を、どこかの誰かが見てくれて……その誰かが、また誰かに引き継がれて、そうしていつか……」
この間は悪く言ってしまったけれど――もしかしたらこの像にも、私の知らない想いが託されていたのかも知れない。
幾度となく作り直されるとしても、変容していく中で、当時から引き継がれた想いが。
「私ではなく、いつか誰かがたどり着けるのだとしたら、この命も無駄じゃない。
あなたとフレデリカちゃんのおかげで、私もそう思うことができたの。
だから……藍子ちゃん」
65: 以下、
「ちとせさん……」
私は歩み寄り、藍子ちゃんの震える手を取った。
あは♪ こんなに小さかったんだ――。
「今度のオーディションは私、やっぱり勝ちたいと思うの。
私にとっての夢のヒントは、アイドルにあると思ったから」
千夜ちゃんがあれほど夢中になれるものに、価値が無いはずはないのだから。
「でも、もしオーディションで藍子ちゃんに負けたとしても、私は悪く思ったりしないよ?
それどころか、うんと応援する。藍子ちゃんの小さな幸せを見つけるお手伝い、一緒にやりたいな」
「はい……はいっ。私もきっと、ちとせさんの見つけたかった夢、必ず見つけたいです……!」
藍子ちゃんは目を潤ませて、力強く何度も頷いてくれる。
「あ、なぁにその言い方。もうすっかり私に勝つ気でいるんだ?」
「えっ!? い……いや、違います! 私は、そんなっ!」
「あははは。いいのいいの」
顔を真っ赤にして泣きながら慌てふためく藍子ちゃんの鼻をツンっと一つ突いて、私は笑った。
「誰かに引き継いだり、引き継がれたり……。
そうしてたくさんの歯車が、複雑に絡み合うのが愛おしいんだって、気づけたから」
66: 以下、
使命という言葉は好きじゃない。
だけど、強いて私にも、この世界に生まれ持って携えた使命がもしあるとしたら――。
名も無き部品として、世界を傍観していくことじゃない。
大それたものでなくても、歯車の一つになって、私も干渉し続ける。
19世紀初頭に蒸気機関が船に搭載されると、定期船による新航路が次々に開拓され、あらゆるものが海を越えた。
空を飛びたいという人々の想いは、やがてアメリカのとある自転車屋の兄弟に、世界初の有人動力飛行を成し遂げさせる。
藍子ちゃんのように、小さなものでも手にしたい。
たとえきっかけはささやかであったとしても、それはきっと膨らんでいく。
空を飛び、海を渡り、私達の夢はまだ膨らんで、誰かに託される。
もしそれが私にもできたら――。
そう考えると、このアイドルという世界に出会えたことに、運命めいたものを感じずにはいられない。
誰かに夢や元気を与えるアイドルとして、誰も傷つけない優しい夢を。素敵な夢を。
私を見てくれた誰かに、引き継げるかな?
「ねぇ……あなたは、どう思う?」
67: 以下、
見渡す限り、まっさらで何も無い野原。
こっちに背を向けて、中腰の姿勢でせっせと何かに勤しむ女の子に、気づくと私は声をかけている。
「ン? アタシ?」
振り返ると、金髪翠眼の人懐こそうな顔が私の前に現れた。
「私にも何か、たとえばあなたに与えられるもの、あるかな」
女の子はニッコリと笑い、どこからともなくピンク色の可愛いじょうろをポンッと取り出した。
「じゃあ、お水あげて!」
68: 以下、
「お水?」
「そう! うえきちゃんに☆」
その子が一歩身を引いたそこに植わっていたのは、頂部の花のつぼみに相当する部分が人の顔のようにも見える、奇妙な植物だった。
「これは……根元にかけてあげればいいの?
それとも上の、口みたいな所に?」
「どこでも大丈夫だよー。うえきちゃんは育ち盛りだからね♪」
言われるがまま水をかけてみると、うえきちゃんなる植物は見る見る膨らみ、ありえない早さで上へ上へと伸びていく。
「すごいね……」
あっという間に天をも突かんとばかりに大きく育ったそれをボンヤリ見上げる。
すかさず、金髪翠眼の女の子が私の手をグイッと引っ張った。
「さぁさ、上ってみよー☆ 令和初のジャックと豆の木しるぶぷれ?♪」
「え、えぇっ?」
69: 以下、
促されるまま、彼女の後をついていくと、頂上へ着くのはあっという間だった。
うえきちゃんの顔の横、大きな葉っぱの上に二人並んで座り、眼前に広がる街並みを眺める。
あれ?
何だかヘン。さっきまで、何も無い野原だったのに――。
「あぁ、そうか」
私は今さら得心した。
「これ、私の見ている夢だったんだね」
「アタシもおんなじ夢を見てるよ」
「えっ?」
隣を見ると、女の子の綺麗な横顔があった。
今日も忙しく廻っている世界を愛おしそうに見つめる、藍子ちゃんと同じくらい優しそうな子。
70: 以下、
そうだ――藍子ちゃんが言っていたんだ。
相手を嫌な思いにさせてやろうなどとは微塵も考えない、346プロの中でも有数の気ぃ遣い屋さんなのだと。
「アタシね? アイコちゃんに約束したの。
今度のオーディション、勝たなくてもいいから、ちゃんと楽しんできてねって」
「勝たなくてもいい、って……どうして?」
オーディションは、勝たなきゃ意味が無い。
次につながるお仕事が無くなってしまうか否かの正念場で、楽しむことの優先度がどうして高くなるのだろう?
まして、この子は藍子ちゃんに自分の機会を譲ったのに、それが無駄に終わってもいいのだろうか。
「だって、楽しい方が楽しくない?」
彼女は満面の笑みで答えた。
「チトセちゃんは、アタシと一緒に宮本式のジャックと豆の木ごっこして、楽しくなかった?」
71: 以下、
「……ううん。とっても楽しかったよ」
夢の世界とはいえ、まさかこの私が、幼少時代に聞いたおとぎ話の追体験をするなんて。
「でも、こんなに高いと、さすがにキリンの首も届かないかも知れないね」
「届くよ!」
その子がパァッと両手を前に広げると、大きな雲が見る間に晴れて、光がワッと降り注いだ。
「もしキリンさんがそういう夢を見てくれたら、きっといつか、うえきちゃんにコンニチワしに来るよ。
今は届かなくても、キリンさんの孫の孫の、そのまた孫の?を何回か繰り返したお孫さんキリンがね☆」
72: 以下、
「……あはっ♪」
この子はなんて楽しい視野を持っているんだろう。
そして、私と同じ世界を見ていると、言ってくれもした。
「楽しくしていた方が、見ている方も楽しい……か」
私はその場に立ち上がった。
「アイドルのやり方……あなたや藍子ちゃんを見て、分かった気がする」
大小の様々な歯車が複雑に絡み合い、今日も廻っているこの世界。
愛しき世界。
私も、君と廻していく。
その覚悟がようやくできた。
「チトセちゃんもオーディション、楽しんできてね?」
「うん」
いつの日か、周回遅れの質問に、あのラジオでこの子はきっと、こう答えるだろう。
夢だけでお腹はいっぱいにならないけれど、夢があってこそ人は――。
73: 以下、
「ちとせさん……」
――――。
「……? あいこちゃん……」
ふと視界が開けると、目の前には藍子ちゃんの顔があった。
その向こうには、真っ白な天井が広がっていて――。
あれ――病院?
でも、ちょっと雰囲気が違うみたい。
「気がついたか」
74: 以下、
「……魔法使い」
首を横に倒すと、部屋の隅に置かれた丸椅子に、魔法使いが足を組んで座っていた。
「ちとせ……お疲れさん」
よく見ると、私はステージ衣装に身を包んでいて、藍子ちゃんも――。
そして、どことなく疲れや諦めが多分に含まれた彼のその一言で、私はようやく思い出し、悟った。
今日はオーディション当日。そして――。
「私……ダメだったんだね」
「勝っていてもおかしくない内容だった……終了間際に気を失って倒れなければ。
たぶん、貧血だろうって」
「そっか」
私は、首の位置を戻し、膝枕をしてくれている藍子ちゃんの顔を改めて見上げた。
「藍子ちゃんが、勝ったんでしょう?」
75: 以下、
「…………」
藍子ちゃんは、何も言わなかった。
私の額にそっと手をやり、口をギュッとつぐんで、今にも泣き出しそうだった。
心根の優しい彼女の、その一生懸命な沈黙こそが、今回の結果を雄弁に物語っている。
――どこまでも、素直な子。
「なぁ、ちとせ」
魔法使いさんが、ふと思い出したかのような調子で私に声をかけた。
「一つだけ、聞かせてくれないか」
「ふふ……なぁに?」
「今回のオーディション、楽しかったか?」
まるで、さっきまで見ていた私の夢の内容を見透かしていたかのような質問に、私は笑った。
そんな事、どう考えたってあり得ないのにね。
「何がおかしいんだよ」
「ううん」
76: 以下、
私は藍子ちゃんの方を見つめた。
これは、この子に返してあげるべき言葉だと思ったから。
「ちとせさん……?」
「楽しかったよ」
私の頬に、滴がひとつふたつ、パタリと落ちた。
「すごく楽しかった……夢を見る方法を、教えてもらえたおかげだね。
藍子ちゃんと、フレデリカちゃんに」
私を見て、楽しい気持ちになる人がいてくれたなら――。
探していたものは、呆れるほどに簡単で軽く、こんなにも快い。
「ありがとう、藍子ちゃん」
「ちとせさん……!」
藍子ちゃんが力強く取った私の手の上に、大粒の雨がポロポロと降り注ぐ。
「辞めないでください……アイドル、もっと……続けてください……!
今回のオーディションだって……私、なんかのために……う、うぅ……!」
いつも笑ってくれる彼女が初めて見せた、悔しくて、悲しい涙。
彼女の本気のバロメーターは、怒りではなく、誰かを慈しむがための悲しみだった。
77: 以下、
そう――。
覚悟はしていたつもりでも、やっぱり、残念だなぁ。
「ねぇ、魔法使いさん」
丸椅子の上の彼に、私は声をかけた。
いつぞやの事務所に迷い込んだあの子が、最後の助けを求めたように。
「アイドル、続けたかったとしても、私……負けちゃったんだね」
「あぁ……困った事になった」
どういうわけか、魔法使いさんは白々しく肩をすくめた。
「もし、オーディションにお前が合格したら、お前はアイドルを続ける……そういう約束だった」
「うん…………え?」
「オーディションに負けてしまった場合については、何も決め事を作っていなかった。
困ったな……約束をしていない以上、お前の好きにさせてやるしかないじゃないか」
私は、呆然と彼を見つめている。
「もしお前がどんな判断をするとしても、俺にはそれを否定する事なんてできやしない。
あぁ困ったなぁ、どうしたものだろう」
78: 以下、
「ぷふっ。ククク……!」
藍子ちゃんの膝の上で、私の頭がヒクヒクと揺れる。
それに呼応するように、さっきまで大泣きしていた藍子ちゃんまでもが、今度は嬉し泣きに変わっていた。
「……大人って、ズルいね」
そう言いながら、私はどこか幸せな気分で胸が一杯になってしまい、再び目を閉じた。
振り返ってみれば、私は魔法使いさんに、してやられたのだろう。
いともたやすく、私は思い直してしまった。
それは、彼女達との出会い無しにはあり得なかった心変わり。
その出会いを予見できなかったはずの彼の狙いが、見事的中してしまったあたり、本当は――。
私にとっての世紀の発見は、世間一般にしてみれば、ごく当たり前の事だったのかも知れない。
誰もが幸せを願っているように。
見つかりにくいだけで、そこら中に小さな幸せがいっぱい落ちているように。
79: 以下、
一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍が、かの星であった。
戦後、旅客機の登場により、誰もがみな空を旅することができる時代が到来して、幾年月が経ってからのこと。
人の夢はついに空を越え、月にだって届いたのだ。
空を飛び、月をも歩いてしまうくらい、目まぐるしく世界は動いていく。
とっても忙しくて、変わらないことが特に取り沙汰されるくらい、皆が変わっていく世界。
一方で、かつては男の子だった銅像が豪雨で流されるように、変容していく中で自然に脅かされることもあるだろう。
それも全て、受け入れていきたい。
皆が廻していく先に、私や、私達の見果てぬ夢が――素敵な夢が、きっとあるのなら、一緒に見ていたい。
それを信じさせてくれた藍子ちゃん。
もちろん、彼女だけでなく――。
「千夜ちゃーん、ラジオつけてくれたぁ?」
一緒のレッスンから帰り、洗面台の前で肌着を着替えながら、私は千夜ちゃんに声をかけた。
「申し訳ございません、お嬢さま。
今、アイツからメールが来ていましたので、ちょっと先にそっちを片付け……」
「あ?ん、魔法使いのメールなんて後回しでいいから!
早く、ラジオっ。もう始まっちゃってるよ」
80: 以下、
魔法使いからの提案で、私と千夜ちゃんはユニットを組む事になった。
でも、本当はたぶん、千夜ちゃんの進言もあったんじゃないかって気はしている。
もちろん、私の方こそ大喜び。
おかげで毎日が、とっても楽しい。けれど――。
もうっ。
新しく買ったラジオの使い方が分からずに首を捻っている千夜ちゃんを見るに見かねて、彼女の後ろから手を伸ばし、ボタンを押した。
「お、お嬢さまっ!? そんなはしたない格好を……!」
「いいじゃない。千夜ちゃん全然つけてくれないんだもん」
今日の放送は聞き逃したくないの。
と言っても、大体の内容はもう予想はついてるんだけどね。
あの子なら、きっとこういう事を言うって。
『あーあー、もうフレちゃん?、それまた前回の質問だってば』
ちょっとだけ関西のイントネーションが入った女の子の、呆れた声が聞こえる。
塩見周子ちゃん。機知を得たゆるいツッコミを入れてくれる、良き相方役だ。
最近ようやく知った。
そして――。
81: 以下、
『ゴメーン☆ フレちゃんどうしても忘れんぼう屋さんでー♪』
『本当の忘れんぼう屋さんって、毎度毎度そう律儀に一週遅れの質問回答しないと思うけどね。
ま、もうすっかり恒例行事になってるおかげで、地味にこの番組の注目度も高まってるみたいやけど』
『かたじけない』
『微妙に間違ってないの腹立つ?』
千夜ちゃんや魔法使いさん。
それに――一緒にヘンテコな植物に上ってくれた、あの子。
皆とずっと、見ていたい。
今日も廻っている、この愛しき世界を、明日もずっと廻していこう。
そう心に決めたんだ。
82: 以下、
『しかしまぁ、この「夢色ジラフ」さんの質問も大概っちゃ大概だけどねー。
あれ? ジラフって、キリンだっけ? 日本語が得意なフレデリカさん』
『ンー、確かそうカモ?』
『先週までのトークの内容にしっかり触れてる当り、この人ひょっとしてヘビーリスナーさんかも知んないよ。
いつもウチのフレがお世話になってます?』
『シューコちゃんにお世話させてます?♪』
『てなわけで、ごめんなさい、「夢色ジラフ」さん。
人間の血はなぜ赤くて美味しいのか、なんていうドラキュラ染みたチョイ怖なお題、もとい質問は置いといて、前回の質問。
えーと、フレデリカさん、どうして人は夢だけでメシが食えないのでしょうか?』
『ンー、たとえばレモンって、すごい栄養がいっぱいあるよね?』
『そりゃあまぁ知らんけど、レモン一個分のビタミンCやらが入ってるみたいやんな』
『じゃあ、シューコちゃん!
あなたはこれからずっと、レモンしか食べてはいけません! って言われたら?』
『えぇぇ? いや、それ絶対イヤだなぁ。
口ん中スッパスッパぁ?になってお婆ちゃんみたいな喋り方なるわ』
『だよねー☆
じゃあじゃあ、シューコちゃん。ご飯しか食べちゃダメです! って言われたら、どう?』
『白飯だけ? ずっと?』
『ウィームシュ』
『いやぁ、それもしんどいでしょ。せめて奏ちゃんがいてくれたら、あたしもご飯三杯はイケるけどさ』
『あーん、シューコちゃんのグルメ屋さん♪
好き嫌いばっかしていたら大きくなれないよ?』
『堪忍してや、これでも和菓子屋の娘やってましたんで。
ていうか好き嫌いも何も、フレちゃんがバランスの良い食事を提案してくれんのやないかーい』
『そうそう! それ、シューコちゃん!』
『は?』
83: 以下、
『夢だっておんなじだよ、ってアタシは思います☆』
『……あー、なるほど。不覚にもちょっと納得させられたわ、あたし』
『でしょ?』
『レモンだけだとしんどいけど、あった方が栄養のバランス的にも良いみたいなことでしょ?』
『夢だけでお腹はいっぱいにならないけど、夢が無いと人生美味しくなんないよねー。
夢があってこそアタシ達は楽しくなれるんだってフレちゃん思うんだー♪』
『ふむふむ、つまりフレデリカさん的には、人生を楽しむコツは夢にあると?』
『アタシね? ママから教わったの。
色んなものをバランス良くモリモリ食べやさいって』
『ダジャレかい』
『綺麗で優しい小さな夢をアイコちゃんみたいにたくさん摂って、規則正しくバランスの良い人生を心掛けたいよねー♪』
『なるほどですねー、ところでフレデリカさんの夢とは一体何でしょう?』
『ン? アタシ?
えーとね、まずはシキちゃんと明日買い物に行くでしょ? ずっと行きたかったケーキ屋さんに二人で行って、カナデちゃんおすすめのサメ映画も観るの。
この番組終わった後はシューコちゃんと一緒にキンキンに冷えたジュース飲みたいし、事務所に帰ってうえきちゃんにお水もあげたいかな?。
あ、そうだ! この前アイコちゃんにオススメされて、フレちゃん新しいカーテン買ったの! 花柄のふわふわした可愛いヤツ!
家に帰ったら、早くそれをシャー!シャーッ!ってしたいし、それに』
『あの、フレちゃんフレちゃん』
『ン?』
『それさ、夢なん? 何というか、もっとデッカく、ドーンっていうのは?』
『ンー、このラジオを聞いた人が、アタシと同じタイミングで家のカーテンをシャーッ!ってしてくれることかなぁ』
『リスナーの皆さん、聞きましたか?
お家に帰ったら、ぜひご家庭のカーテンをシャーッ!してやってください。
あなたの清きシャーッ!で、ウチのフレの夢が叶います』
『絶対楽しいよー! 皆も一緒にやろうねー☆』
84: 以下、
「千夜ちゃん千夜ちゃん、朝だよー。起きて」
あくる日の朝。
私は千夜ちゃんの代わりに、カーテンをシャーッてした。
朝の陽光に照らされた、いつもと変わらない街並みが目に眩しい。
昨日調べてみて、面白い話を見つけた。
キリンの首がどうして長いのか――これについて、近年では新たな説が生まれているみたい。
それは、「親キリンの努力や願いが身体のどこかに記憶され、子孫へ受け継がれていく」というもの。
今の世代では叶えられなかった願いが、次の世代へと受け継がれるかもしれない――。
ラマルクが唱えた進化論と同様に、そんな希望の願いが含まれた説なのだ。
あの子は言った。
進化とは、遠い祖先達の願いであり、夢であると。
トイカメラでも拾えるくらい、身近でささやかなものが、きっと私にも受け継がれていて――。
そんな優しい夢を、誰かに引き継ぐことができたなら。
私はベランダに出た。
いつかの夢で、うえきちゃんの頂上から見た世界が、目の前に広がっている。
今日も廻っている、愛しき世界。
?おしまい?
85: 以下、
Mr.Childrenの『進化論』という曲を基に書きました。
途中、同曲の歌詞や、2015年のツアーで流れたナレーションを所々引用しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
86: 以下、
>>47
誤字、失礼しました。
誤)「……焦っている、か……そうかもね}
正)「……焦っている、か……そうかもね」
元スレ
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1593157447/
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