朝倉葉「オイラ、幸せもんだな」小山田まん太「僕だって、幸せ者さ!」back

朝倉葉「オイラ、幸せもんだな」小山田まん太「僕だって、幸せ者さ!」


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その日は雨だった。
僕の友達の朝倉葉くんは、降りしきる雨を窓越しに眺めている。穏やかに、ぼんやりと。
朝からずっと、放課後まで、飽きもせずに。
「葉くん、帰らないの?」
「ん? ああ。オイラうっかり傘を忘れちまってな。どうしたもんかと考えてたんよ」
どうやら彼は傘がなくて困っているらしい。
それもその筈、本日の降水確率は0%だった。
登校するまでは快晴だったのに教室に入った途端、雨が降り出した。全く予想外である。
「実は僕も傘を忘れたんだ」
「まん太も? うぇっへっへっへっへっ。そりゃあ、奇遇だな。まあ、なんとかなるさ」
なんとかなる。
それが彼の口癖だった。
だらしなく笑って投げやりな態度の彼はまるで諦観しているようだけど、そうじゃない。
「お? この足音は……」
「えっ?」
カラコロ、カラコロ。
そこの硬い、サンダルの足音。
それは廊下から響いてきて、止まった。
「葉、帰るわよ」
「おお、やっぱりアンナか。いや、帰りてぇのはやまやまなんだけどよ……」
「アンタのことだから傘を忘れたんでしょ? だと思って、傘を2本持って来たのよ」
「おお! これで帰れるな。ありがとな」
現れたのは恐山アンナさん。
僕らの同級生で、葉くんの許嫁。
いつも不機嫌そうな、フィアンセだ。
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2: 以下、
「ほら、さっさと行くわよ」
「あ、ちょっと待ってくれ、アンナ」
「何よ」
「まん太も傘を忘れたらしいんだ」
葉くんは変わっているけど良い人だ。
僕の事情を考慮して、交渉し始めた。
とはいえ、傘は2本しかないようなのでどうしようもない。僕は車を呼んで帰ろう。
「いいよ、葉くん。僕は車で帰るから」
「でも迎えが来るまで待つの面倒だろ」
「まあ、ちょっと家が遠いからね……」
「なら、オイラの分の傘を使っていいぞ」
そう言って、葉くんはアンナさんから受け取った傘を僕に手渡した。慌てて、尋ねる。
「使っていいって葉くんはどうするのさ?」
「オイラは濡れて帰るから気にすんな」
「駄目だよ! 風邪引いちゃうよ!?」
葉くんはかなりのお人好しだ。
せっかくアンナさんが傘を用意してくれたのに、これでは彼女の気配りが無駄になってしまうと思い断固遠慮しようとしたのだけど。
「いいわ。まん太はその傘を使いなさい」
「ええっ!? そ、そんなの悪いよ!?」
「私と葉の傘は1本で済むもの」
「へ?」
どうして2人なのに1本の傘で済むのだろう。
3: 以下、
「アンナ、そりゃどういう意味……」
「アンタは黙ってなさい」
「……あい」
堪らず問いただした葉くんだったが、ぴしゃりと嗜められて黙りこくった。おっかない。
そんな彼の手を引き、昇降口へと向かう。
僕も彼らのあとに続いて、校舎の外に出た。
「葉、傘を持ちなさい」
「へいへい」
葉くんが傘を広げる。
アンナさん用の、赤い傘。
その下に、彼と許嫁は収まった。
これは所謂、相合い傘というやつでは。
「これなら平気でしょ?」
「お、おう……でもよ、近くねぇか?」
「嫌なら濡れて帰りなさい」
「そ、そう言うわけじゃなくてだな……」
いつも泰然としている葉くんが珍しく照れていて、アンナさんは流石だと思い、僕は2人の邪魔にならないように手を振った。
「じゃあ、葉くん。また明日」
「おう、まん太。また明日な」
慣れない相合い傘に戸惑いつつも手を振り返す葉くんに別れを告げて、通り過ぎる刹那。
「……まん太に借りが出来たわね」
「えっ?」
そんな囁きと共に微笑むアンナさんの横顔に思わず見惚れて、朝倉家の許嫁はやはり流石だと思った。こんなお嫁さんが僕も欲しい。
4: 以下、
「それで、どうしてこんなことに?」
「お? おお、まん太か。遅かったな」
それから程なくして。
仲睦まじいおふたりに気を利かせてゆっくり歩みを進めていた僕の足元に、何故か先にいった筈の葉くんがずぶ濡れで転がっていた。
「なんでこんなところで倒れてるのさ」
「いや、実はオイラ、相合い傘なんてしたことがなくてよ。気がついたらアンナの肩がびしょ濡れになっちまっててなあ! うぇっへっへっへっへっ。やっぱ慣れねぇことはするもんじゃねぇなあ」
うぇっへっへっへっへっ、じゃない。
この男、どこまで残念なんだ。がっかりだ。
今回ばかりはアンナさんが可哀想すぎる。
「葉くん……君ね。それで、アンナさんは怒って君を置いてひとりで帰っちゃったの?」
「アンナは別に肩が濡れたことを怒ったわけじゃないんよ。濡れた制服が透けてて、珍しくピンクの下着だったからそれを指摘した瞬間に意識を刈り取られてな。うぇっへっへっへっへっ。余計なこと言っちまったなあ」
この男はどこまでも。ありえない。
デリカシーとは一切無縁なのだろう。
しかしそんなろくでなしでも僕の友達だ。
「ほら、起きて。途中まで傘に入って行きなよ。もともと、君から借りた傘だからね」
「いや?悪いなあ。ついでに今日はまん太の家に泊めてくれねぇか? たぶんアンナが家に入れてくれねぇだろうからさ……」
情けない。あまりにも。
中 学生にしてこれでどうするんだ。
葉くんは将来公園で寝起きするのだろうか。
5: 以下、
後日。放課後の教室にて。
「あの、アンナさん。ちょっといい?」
「なによ、まん太」
「そろそろ葉くんを許してあげても……」
「嫌」
葉くんはあれから何度もアンナさんに謝ったけれど、お許しは得られなかった。
最終的に土下座を敢行した葉くんの頭には、アンナさんの足跡がくっきり浮かんでいる。
「たしかに今回は葉くんが悪かったと思うけどあれはいくらなんでもやりすぎじゃ……」
「葉から事情を聞いたの? 下着のことも?」
「いや! そんな詳しく聞いたわけじゃ……」
「あの男。言うに事欠いて、その色はお前には似合わないなんて抜かしたのよ。万死に値するわ。3時間もかけて選んだのに……」
葉くん。それはいけない。
女性経験皆無の僕にだってわかる。
アンナさんがここまで怒るのも無理はない。
もっとも、下着選びに費やした3時間のうち大半は値段交渉であると思われるが。
「半額の半額でようやく妥協して着てやったのに、その日のうちに捨てるとは思いもしなかったわ。これも全部、葉のせいよ」
それはいくらなんでも店員さんが気の毒だ。
よもやたった一度の着用でゴミ箱行きとは。
アンナさんの怒りの程が窺える。激おこだ。
6: 以下、
「まあ、それはともかく! 葉くんもあれから海より深く反省してることだし……」
「そうね。ここはまん太の顔を立てて、寛大に許してあげる。これで借りはチャラよ」
僕の貸しが思わぬところで消費された。
とはいえ、別に構わない。本望だとも。
これで2人が仲直り出来るならばいい。
「ありがとう、アンナさん」
「礼は必要ないわ。私はいずれ葉の妻となる女だもの。夫婦喧嘩の予行練習よ」
「あはは……夫婦喧嘩、ね」
夫婦喧嘩。それはよくあることだ。
喧嘩するほど仲が良いとも言う。
しかし、それは仲直りが前提の話だ。
世の中には互いに嫌い合っている夫婦も存在していて、友人にはそうならないで欲しい。
「どうしたの、まん太?」
「アンナさんは葉くんを嫌いにならない?」
「はあ? 何を言っているのよ、まん太」
言われている意味がまるでわからないかのように、アンナさんはきっぱり告げた。
「私は生涯、葉のことを愛するわ」
中 学生でこの台詞を言えるのは、恐らくアンナさんくらいなものだろう。格好良かった。
7: 以下、
「ねえ、アンナさん」
「なによ」
「どうしていつも葉くんに厳しくするの?」
それは兼ねてよりの疑問だった。
アンナさんは葉くんのことを愛している。
それは先程の発言からも重々承知済みだ。
それなのに何故。彼に辛く当たるのか。
「死なれたくないから」
さらりと、どきりとする発言をされた。
「し、死ぬって、葉くんが……?」
「そう。気を抜けば、すぐに死ぬわ」
「それは、交通事故とかで……?」
「まあ、その可能性もなきにしもあらずだけど、基本的にはシャーマンとしての危険性に備えるべきよ。まん太も知ってるでしょ?」
朝倉家は先祖に陰陽師を持つシャーマンの家系であり、葉くんはその家の後継者だ。
それはどうもただ単純に家業を継ぐような簡単なものではないらしく、時が来たら戦いに赴かなければならないと聞いたことがある。
「だからアンナさんは葉くんに厳しいのか。彼の命を守るために、鍛えてるんだね」
「そういうこと」
なんだか一般人には想像も出来ない世界ではあるが、葉くんのシャーマンとしての力は確かなもので、僕もこの目で見たことがある。
いつも眠たそうな葉くんが超常の力を操る様は、まるで御伽話のようで心惹かれた。
8: 以下、
「それなら僕にとやかく言う資格はないね」
「いいえ、まん太。それは違うわ」
部外者が口を出すべき問題ではないと察して大人しく身を引こうとしたら止められた。
「まん太は葉の友達でしょ?」
「それは、そうだけど……」
「私は葉の許嫁ではあっても友達じゃない。だから、まん太にはまん太の役割がある」
「僕の、役割……?」
たしかに僕は葉くんの友達だ。
けれど凡人の僕には彼の戦いは手伝えない。
そんな無力な僕に、何が出来るのだろう。
「別に特別なことをする必要はないわ。葉の友達として、傍に居てくれるだけでいい」
「それだけでいいの?」
「ええ。葉にとって、家業と関係ない友達は貴重で、かけがえのないものだもの。葉や私みたいな存在は、世の中に馴染めないから」
言われて気づく。
そう言えば、葉くんは浮いていた。
アンナさんも周囲に壁を築いている。
それはたぶん周りを巻き込みたくないから。
だから彼らは、自ら孤立を選んだ。
「アンナさんは寂しくないの?」
「私には葉が居るもの」
アンナさんには葉くんがいる。
しかし、アンナさんは葉くんに辛く当たる。
それが朝倉家の許嫁としての義務だから。
彼女自身が葉くんに死んで欲しくないから。
だったら僕だけでも葉くんの支えとなろう。
9: 以下、
「わかったよ。僕にどれだけのことが出来るかわからないけど、精一杯頑張ってみる」
「よろしく頼むわ、葉のこと」
そう言って、アンナさんは微笑んだ。
その笑顔はやはり魅力的で、そんな表情を向けて貰えない葉くんが可哀想だった。
なんだかやりきれない思いに苛まれる僕を尻目に、床に転がる葉くんの元へとアンナさんは近づいて、そして蹴っ飛ばした。
ガンッ!
「アンタ、いつまで寝てんのよ!」
叱咤するも返事がない。まるで屍のようだ。
「そんなに眠いのならずっと寝てなさい。その代わり何をされても文句はないわね?」
何をするつもりなのか。固唾を飲み見守る。
「実は私、さっきから催していたのよ」
「!?」
なんだって? 今、彼女はなんと言った?
「丁度、こんなところに肉便器があるわね」
「ア、アンナさん……?」
「まん太は回れ右して見張ってなさい!!」
「は、はいっ!!」
ごめんよ、葉くん。僕はやっぱり無力だ。
10: 以下、
「起きないなら、このままかけるから」
背後から聞こえる衣擦れの音。本気だ。
「葉。これは全部、アンタの為なのよ」
嘘だ。
アンナさんはきっと自分の欲求を満たしたいだけだ。女性経験のない僕にだってわかる。
「葉、愛してるわ。だから、わかって」
この世界には無限の愛の形が存在する。
アンナさんのそれも、そのひとつだろう。
たとえそれがどうしようもないほどに歪んでいて、いびつなものであっても愛は愛だ。
「んっ」
ちょろっ。
「っ……!」
始まった。
ほう尿が始まってしまった。
思わず出かけた悲鳴を飲み込む。
ごめん、葉くん。正直、羨ましい。
11: 以下、
ちょろろろろろろろろろろろろろろろんっ!
「っ……!?!?!!」
それはまるで永遠。
にも関わらず、一瞬の出来事であった。
耳に届くのは清涼な水音だけ。
まったくの無臭であり、実感が湧かない。
せめてアンモニア臭さえすれば。
そうすれば、僕は一気に冷静になれたのに。
ある意味、夢のようなひとときだった。
それは悪夢であり、そして現実であった。
僕の背後で今まさに友達が汚されていく。
その様子を見ることも出来ず、悔しかった。
「僕は……葉くん、君を……守れなかった!」
知れず、涙が頬を伝う。僕は泣いていた。
小山田まん太、13歳にして男泣きを経験す。
くそっ。僕はあまりに無力で、情けない。
葉くんが不憫で、めちゃくちゃ羨ましい。
なんなんだ、僕は。葉くん、今すぐ代われ。
複雑な心境はまるで他人事のようで酷く現実味がなく、魂が乖離しかけた、その時。
「ふぅ……ま、こんなところね」
ようやく、長かったほう尿が終わりを告げた。
最後の一滴まで出し切ったアンナさんが衣類の乱れを直す音がリアルで、現実的だった。
12: 以下、
「それじゃあ、まん太」
「は、はひっ!」
「あとは任せたわよ」
僕が見張っていた扉からアンナさんが退室する間際、また魅力的な笑みを浮かべ、囁く。
「たぶん、あの男、起きてるわよ」
「えっ?」
そんなまさか。
呆然としてアンナさんが立ち去るのを見送ってから、僕は友の元へと駆け寄り、尋ねた。
「葉くん、君は本当に起きてるの……?」
「ああ……当たり前だろ」
なんと。朝倉葉は覚醒していた。信じ難い。
「君は、どうして……?」
「なあ、まん太」
「な、なに?」
「世の中、辛いことばかりだなあ」
尿が耳にでも入ったのか、側頭部を叩きながら、葉くんはさっぱりした面持ちで続ける。
「オイラ、そういうのが面倒で、さっきも正直、逃げたくてたまらなかったけどよ……」
「……うん」
「でも、どうしても逃げちゃならねぇ場面ってもんがあって、何が何でもふんばる必要がある時があんだよ。だから、オイラは……」
「もういい、葉くん! 君は頑張った!!」
僕は泣いた。そして珍しく彼も泣いていた。
13: 以下、
「悪いな、まん太。辛い思いさせちまって」
「いいんだ! だって僕らは友達だろう!?」
謝罪なんかいらない。聞きたくない。
ただ僕は彼の側に居てやりたかった。
それが唯一、僕に出来ることだから。
「まん太……お前はいい奴だな」
「葉くん……!」
涙が止まらない。畜生、畜生、畜生。
泣く権利があるのは彼のほうなのに。
それなのに、彼はニヘラっと笑って。
「うぇっへっへっへっ。オイラとしたことが、ちょっと飲んじまったぜ。しょっぺぇ」
「フハッ!」
ごめん葉くん。それはいくらなんでも嗤う。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「うぇっへっへっへっへっへっへっへっ!」
僕たちは嗤い合う。
それが友達だから。
葉くん、僕はね。
君と友達になれて、本当に良かったと思う。
「なあ、まん太」
「なんだい、葉くん」
「オイラ、幸せもんだな」
「僕だって、幸せ者さ!」
君の幸せは僕のもの。その逆も然り。
虹のように眩い葉くんの笑顔を見て。
僕は生涯、君の友達で居ると誓った。
【シャーマンキング 葉を濡らす通り雨】
FIN
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