【モバマス】速水奏「人形の夢」back

【モバマス】速水奏「人形の夢」


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1:
あらすじ
GW休暇から学園の女子寮に帰って来た水奏。
ルームメイトの三村かな子に迎えられ、緊張から解放された安心感を覚える。
しかし、その安心感もつかの間、不気味な人形が奏の前に現れるようになる。

そんな映画にアイドル達が出演するようです。
設定は全てドラマ内のものです。
それでは、投下していきます。
2:
キャストリスト
343号室
水奏・木犀浪学園の2年生。2年生の4月に転校してきた。
三村かな子・木犀浪学園の2年生。奏のルームメイト。
351号室
水本ゆかり・木犀浪学園の1年生。管弦楽部所属。
五十嵐響子・木犀浪学園の1年生。
239号室
小早川紗枝・木犀浪学園の1年生。日本舞踏部所属。
緒方智絵里・木犀浪学園の1年生。
215号室
井村雪菜・木犀浪学園の2年生。奏のクラスメイト。
榊原里美・木犀浪学園の2年生。
125号室
西園寺琴歌・木犀浪学園の2年生。奏のクラスメイト
黒埼ちとせ・木犀浪学園の3年生。療養中のため不在。
214号室
相原雪乃・木犀浪学園の3年生。
白雪千夜・木犀浪学園の2年生。奏のクラスメイト
121号室
佐久間まゆ・木犀浪学園の1年生。
大西由里子
間中美里
原田美世
日下部若葉
クラリス
柳清良
3:

Q.
怖い人形の夢をよく見ます。夢占いとしてはどんな意味があるんですか?悪いことが起こる前触れなのでしょうか……。
A.
悪いことが起こるわけじゃないから、安心して。
ずばり結果を言っちゃうと、あなたはもっと愛されたいのね。
夢に出てくる人形は自分。初めて見た人形って何か怖いでしょ?
人形を怖がるってことは、その人形に愛着がないってこと。
怖い人形を夢に見る人へのアドバイスは、自分を、家族を、友人を、まぁ誰でもいいわ、好きになる努力をしてみることね。
思いと言動が繋がれば、きっと相手からも好きが返ってくるから。
そうすれば、自分の愛し方も愛され方も、直ぐにわかるわ。
藤居朋の占い入門・第4章 夢占いって何なの?から抜粋
序 了
4:

木犀浪学園駅・改札
改札を抜けると、嫌でも道の先に木犀浪学園の正門が見える。街路樹に囲まれた一本道はここにはそれ以外何もない、そう言いたげに。
「奏さん!」
感傷に浸る間もなく、呼びかけられた。
「かな子、帰ってきてたのね」ルームメイトの三村かな子が手を振っていた。いつも通りの朗らかな笑顔でこちらに向かって来た。わざわざ迎えに来てくれたのかしら、申し訳ないわね。
「はいっ。奏さんが1日早く帰ってくるから私も、って」
「ゴールデンウィーク最終日までゆっくりしていればいいのに。実家、近いのでしょう?」電車で1時間くらいだったかしら。
「奏さんこそ。やっぱり……」
「やっぱり、何かしら?」続く言葉はわかっている。せっかく言い淀んだ先を乞われて、優しいかな子は困惑していた。
「あの!奏さん、家族と上手くいってないんですか……?」
「え?」追及してくるとは思っていなかった。忘れていたわ、三村さんと呼ぶたびに、かな子でいいですよ、と絶対に笑顔で返してくるから私が折れたことを。何千何万回呼んでも、同じ返事が来ることに気づいたら変えるしかなかったわ。
「どうなんですか……?」
「そうね。でも、別に憎んでるとかそういうのじゃないの。ただ、どこかぎこちないだけ」今回は、?をつかなかった。正直に言ったはずなのに、けむに巻くような言葉になってイヤになる。
「えっと、何でも相談してくださいね。その、話くらいなら聞けると思うから」
「……本当に優しいわね、かな子は」本当に優しいから踏み込むという選択ができる。うわべを取り繕って、私の機嫌を損ねないことを優先しない。どう見ても校風にあわなそうな私に、転校早々にあてつけられたルームメイトだけなことはあるわね。
「そ、そうですか?」
「ええ。ところで、そのバックは何かしら?」かな子は悪くないけれど、私が続きを話す気がないから話題を逸らす。デフォルメされたクマがプリントされたトートバッグ。クマ達はハチミツをなめたり、クッキーを焼いたり、バレーボールをしたり、運動会をしたりしている。
「スーパーにお夕飯の買い物に行こうかと思って。奏さん、今日のお夕飯は準備してますか?」
「いいえ、してないけれど」そう言えば、寮の食堂は明日の夕食からだったわね。実家に帰る理屈の1つにしていたことを思い出したわ。
「それじゃあ、一緒に食べませんか?私、今日は料理しようと思って」
「そうなの?それじゃあ、ご馳走してもらおうかしら」断る方が難しいことを、私はこの1ヶ月で学んだ。それはそれで、心地よいことにも気づいてきた。
「リクエストはありませんか?スーパーにあるものなら、じゃあ、一緒に行った方がいいですね♪」
「そうね、付き合うわ」休暇から帰って来たというのに大荷物も手土産もない私を連れて、かな子は駅前にあるスーパーに向かって歩き出した。
5:

駅前のスーパー
木犀浪学園は山と畑と閑静な住宅地に囲まれている。お店といえば、スーパーとコンビニが1つだけ。ほとんどの生徒が寮に住んでいて、外から通う場合は自家用車による送迎しか認められていない。そう、駅が近いのに電車通学している生徒がいないのよ。生徒は門から出てこないから、彼女達に向けた商売は成り立たない。
「うーん……どうしようかなぁ?」
小さな鮮魚コーナーで、商品を手に取ったり戻したりしながら、かな子は悩んでいた。私の夕食は魚になりそうね。
「よしっ、決めました。奏さん、鮭のムニエルでいいですか?」
「いいわよ」お菓子以外も作れるのね、と言いかけて止める。小麦粉とバターを使うから同じ要領かしら。
「後は、付け合わせとスープにしようかな。ミネストローネ、とか」
かな子はそそくさと店の奥に行ってしまった。はりきっているから、私の洋食は期待できそうね。さて、追いついておこうかしら。
「おや……」
声がしたので振り返ると、クラスメイトの白雪さんがそこにいた。いつも通りのモノトーンの質素な出で立ちは、誰とも会う気がないように見えた。
「あら、あなたも夕食の買い出しかしら?」寮の食堂もゴールデンウィークはお休み。生徒は実家に帰るのが慣例となっている。女子スポーツを先駆けて強化し、強豪となった部活の生徒も慣例には習う。だけれど、白雪さんは帰っていない。
「はい。水さんこそ、早いお帰りですね」
「ええ、寮の部屋が恋しくなったの」実家の話は出さない、嫌味にしか聞こえないだろうし。
「そうですか。まぁ、事情は色々ありますから」
「……同部屋の先輩は戻ってきてるかしら」あら、こっちが気遣われちゃった。
「相原先輩ですか。まだ秋田です、明日の夕方には戻るそうですよ」
「そう、早く戻ってくるといいわね」この寡黙で感情の起伏が少ない、ように見えるクラスメイトも上品でお節介な先輩には懐に入り込まれている。
「偶には、1人も良いですよ。失礼します」
「ばいばい、またね」嘘だと見抜かれたくなくて、白雪さんは行ってしまった。
さて、と。かな子はどこかしら。
6:

学園までの一本道
クマのトートバッグは膨れていた。食後には甘い物も付いてくるみたい。
「いらっしゃいませ」
突然呼びかけられて、声の方向に目を向けてしまった。金髪の白人が立っていた、名札は『Clarice』……クラリス、かしら。
「かな子、このお店は?」キッチンカーが庭に止まっていて、そこに看板には『Yuri?s』と書かれていた。ユリーズ、でいいのよね。
「ゴールデンウィーク初日にオープンしたみたいです。喫茶店で、ランチも食べられるそうですよ」
「喫茶店?」学生向けのお店は出来ては潰れちゃうし、喫茶店を開くなら住民向けの方がいいのに。
「紅茶、コーヒー等ご用意しております。いかがでしょうか」
「今日はいいわ。行きましょう、かな子」歩き始めようとすると、建物から量が多い髪を後ろでまとめた女性が出て来た。
「クラリスー、交替だじぇ。おっと、お客さん?学園の生徒さん?」
名札は大西由里子。名前からして店長ね、意外と目立ちたがり屋の。
「そうだけれど」若い女性が生徒向けに始めたお店だとすると、見込みが甘いように思うけれど。
「うーん、お夕飯の買い物はしてるみたいだし。明日のお昼を食べに来ない?そこしかチャンスはないと思うじぇ」
この店長さん、ちゃんと調べてるみたい。
「来週には閉店するから、ラストチャンスだじぇ」
「私は学生寮の食堂に行ってみたいですわ。ビュッフェ形式で毎日種類も豊富だそうで」
印象よりもずっと頭のまわりそうな店長さんと、見かけよりも食欲に支配されている異邦人。
「味もいいわよ。閉店するのは賢明だと思うわ、生徒はあまり外に出ないし」
「リサーチ通りだじぇ。故に、明日がラストチャンスで稼ぎ時!」
「食堂も中学生向けの説明会の時しか開放されないと、伺っています……」
本当に良く調べてるわね、侮れないわ……いいえ、何も警戒する必要ないわね。
「奏さん、あの」
「かな子、何かしら?」反射的に聞いたけれど、何を聞きたいかは表情でわかった。
「明日のランチをここでしませんか?」
「まぁ、いいわよ。付き合うわ」夕食の材料しか買ってなかったわね。かな子は最初からそのつもりだった、ということ。意地悪ではないわね、かな子のことだし。
「お待ちしてるじぇ!」
「お待ちしております」
店員の2人は目を細めて、金髪の異邦人は最初から同じ表情だったけど、私達を見送ってくれた。
7:

木犀浪学園・校庭
「今日は静かね」
「部活もお休みですから」
誰もいない校庭をかな子と2人で横切る。普段は通らない中央の天然芝を踏んで、ラグビーのゴールポストをくぐり抜けてみる。競技人口の少ないスポーツを、この学園は支えている。古い価値観と先進的な価値観はぐるぐる回るもの。
寮は敷地の奥。3階建ての建物が2棟あって、私達の部屋は40号室より後ろなので2号棟。どちらの寮も渡り廊下で東西に延びる大きな校舎の西端に繋がっていた。その西端の1階に、クラリスという店員が気にしていた食堂がある。今日は明かりもついていなかった。
木犀浪学園の敷地には1年中白い花がどこかで咲いている。今も咲いているのが見える。白き花は浪のごとく、という一文が入った詩だか古語から校名は由来しているとか。校名についている木犀の花が満開で波のように揺れるのも、時期になれば見えるそうよ。
食堂の脇を抜けて、寮の玄関に着いた。木製の下駄箱は古いけど丁寧に手入れがされていて、使い心地は悪くない。休み中にお手紙を入れる人はいなかった。かな子がお近づきの標にくれたピンクのスリッパを履いた。実は気に入ってるの、これ。
何度かリフォームされ、掃除が行き届いた寮は綺麗さと懐かしさが同居している。部屋は343号室。階段を登り切ったところで、かな子が声をかけて来た。
「買って来たもの、冷蔵庫に入れてきますね」
「手伝うわ」寮の各階に共同キッチンがある。大きな冷蔵庫も一緒に。
「いいですよ、戻っていてください♪」
「それじゃあ、お言葉に甘えるわ」そう言えば、まだ部屋に戻っていないことを思い出したわ。かな子より先に座らせてもらうとしましょう。
8:

学生寮・2号館・343号室
寮の部屋に戻ってきて実感したことは、時間は多くあること。転校前は時間がないようにしか思えなかったけれど、それは違ったみたい。時間を浪費する色々なコトから離れると、緊張から解放されたように感じた。勉強する時間も、部活に打ち込む時間も、ルームメイトと談笑する時間も、私にはあった。だから、かな子に夕食のお手伝いを申し出たけど、断られちゃった。
日に日に溜まっていく部活への勧誘ビラを眺めていると、夕食の時間になった。もちろん、かな子と一緒に夕食を食べる余裕も今はある。普段は使わないちゃぶ台に夕食が並んでいる。
「美味しいわ。お菓子作り以外も上手なのね」バターの香りが漂うムニエル、野菜いっぱいのミネストローネ、小鉢のサラダ、トースターで焼いたバケット。かな子らしく、優しい味と満足できるボリューム感。
「ありがとうございます♪奏さんは洋食の方が好きなんですか?」
「別に、こだわりはないけれど」かな子、気をつかってくれたのかしら。
「あれ、誰かが言ってたような?」
「誰が言ってたのかしら、私が言った覚えはないわ」学園の生徒はウワサ好きなのは、仕方がないこと。転校生だから言われるとは覚悟はしている。とはいえ、これくらいのウワサしか流されなくて拍子抜けしているところもあったり。
かな子との食事は良いわ。何を話しても受け入れてくれる気がするし、話したくない時は向こうが話してくれる。ワガママね、私。そんなことを考えていると、部活の話になっていた。
「奏さん、部活には入らないんですか?」
「ちょっとは考えてるわ、気楽そうな集まりもありそうだし」1週間に1度は勧誘が来るし、勧誘ビラは毎日。もともと入る部活が決まって入学してくる生徒も多いので、部員獲得は大変みたいね。かな子はお菓子作りの同好会に入っている。週2か3回、私にもお裾分けをくれる。実は料理は嫌いじゃないけど、私はお裾分けされる側の方かしら。
「かな子はどうして部活に入っているの?」
「お菓子作りが好きだから、かな」
「理由がまっすぐで羨ましいわ。将来もそっち方面かしら?」かな子なら、どんな道を選んでも平気でしょうけれど。高校2年の5月、進路を考える時期でもある。
「えっと……まだ、あまり考えていなくて」
「私も同じよ。一緒に考えましょうか」時間はあるもの。ゆったり流れる時間のなかで、決めて行けばいい。決められなかったら……どこかのお節介さん達が動いてくれるわ、きっと。
9:

学生寮・2号館・343号室
食後のデザートはレアチーズケーキだった。レモンが効いていて、お口直しには適した爽やかな味。かな子が淹れてくれたコーヒーとも合う。とても美味しいけれど、半分は多いと思うの。美味しそうにケーキを頬張るかな子に、それは言えないけどね。
甘い物で少し口が緩んだのかしら、帰省の話になってしまっていた。私のことはかな子が話してくれたらね……なんて言ったから、私は話す羽目になった。かな子の家についてはよくわかったわ。穏やかな父親、料理上手の母親、学園にいるお金持ちとは違って平凡な家庭。そんな家庭で育った娘は優しくのんびりとした性格になった。ここに進学してくれて、両親は安心したでしょうね。悪い友達も変な虫もつかないし、卒業後の進路は保障されてるから。もちろん、かな子がそんなことは言ったわけではないけど。
「別に普通よ」勿体ぶったのに、私の話は平凡極まりない。ミステリアスに見せたくて秘密を作るのか、自分が矮小で平凡な存在と思われるのが怖いのか……それとも、ただの虚言癖が染み付いただけなのか、私のことだけれど私にはわからない。東京生まれ、東京育ち、普通の父親、普通の母親、普通の学校に通い、普通の常識を持っていて、普通の価値観で暮らしてる。父と母は大学内なら美男美女のカップルだったそうだけれど、容姿でお金を稼げるほどではなかった。私は転校前の高校で問題を起こしたわけでもなくて、そうだったらこの学園に転入できるわけないけど、転校後も特に問題は起こしていない。
そんな水奏についての話を、かな子はうんうん頷きながら聞いていた。
「奏さん、想像と違うからびっくりしました」
「そう、意外だったかしら?」私の返答に対して、かな子はほほ笑んだ。かな子は嘘をついている。嘘つきは、嘘をつかない人間の下手な嘘を見抜くのは得意なの。かな子の想像通り、私は普通の高校生。他人に指摘されるのは癪に障るけれど、かな子に見抜かれる分にはいいかしら。
「でも、難しいですね」
「難しい……何のことかしら?」
「奏さんのご両親が芸能人とかなら、簡単な解決方法があったかも」
「……そうね」特殊な家庭で不変な愛を求める主人公は、ここにはない。私は、暴力や貧困などの問題のない家族で、普通の思春期の悩みを抱えている。原因は曖昧で、時間が解決してくれそうな気もする、珍しくもない、複雑でもない、世界中のどこにでもある難しい問題を。
「奏さん、コーヒーのお替りはいかがですか?」
「ありがとう。いただくわ」かな子は既にケーキを食べ終えていた。私のケーキはまだ半分以上残っていた。
「かな子、私の分のケーキも食べるかしら?」表情が和らいだ。でも、少しお腹を気にした。あら、気にするほどではないのに。
「それじゃあ、いただきます♪」
「ええ。どうぞ」この学園の良い所は、間接キスに抵抗がないことだと思うわ。キスも気軽にできればいいのに。かな子の頬はいつ見ても柔らかそう。
「奏さん、口に何かついてます?」
「いいえ。そんなことないわ」文化の違いをわきまえるくらい、普通の常識はあるの。
会話はいつの間にか、かな子のクラスメイトについての話題に移っていた。少しだけさらけ出して気分は軽くなった。それが、かな子の狙いだったかはわからない。意図はわからないけれど、良かった。きっと、1人だったらムダなことを考えてしまうから。
レアチーズケーキはなくなってしまった。かな子が気にするようだったら、ランニングに付き合ってあげようかしら。走るのはキライじゃないもの。
10:

深夜
学生寮・2号館・343号室
「奏さん、先にお休みしますね」
「今日くらい夜更かしでもいいじゃないかしら」かな子は女子高生にしては早寝早起き、学園の生徒と比べても。
「夜更かしはお肌の敵ですよ、奏さんも早く寝てくださいね。おやすみなさい」
「おやすみ」自分側の電灯を消すと、かな子は目を閉じてしまった。
しばらくすると小さな寝息が聞こえて来た。寝つきも早い。健やかさは食と眠りとはよく言ったものね。
「……私も寝ようかしら」夜遅くまで明かりをつけているのが忍びなくて、私の寝る時間も早くなる。実際のところ、図書館の本を読むかネットサーフィンぐらいしかすることがないから、それでも良いと思えて来た。画面の向こうの誰かとやり取りから解放されたのは、良かったのかもしれない。部屋の鍵をしめて、電灯のスイッチに手をかける。言う必要のない声をかける。
「おやすみなさい」部屋の電気を消すと、薄いカーテンからの月明りが感じられた。漆黒ではない優しい暗闇を移動して、自分のベッドに寝そべる。かな子の方を見ると、最初の姿勢のままだった。寝相も良くて羨ましい。私も目を閉じた。
今日は、深く眠れるような気がする。
11:

逢魔が時
学生寮・2号館・343号室
深く眠っていたはずなのに、目が覚めた。違和感。強制的に起こされた、音でも体を動かすのでもなく、脳を掴まれたように。横向きの体、かな子のベッドの方を向いていた。私の目は、月明りに浮かぶぼんやりとした人の形を捉えている。原因はあれ、わかりたくなくてもわからされる。それは、かな子のベッドに腰を掛け、かな子の寝顔を眺めていた。
自分が怪奇現象に巻き込まれるとは思っていなかった。扉も窓も鍵がしまっていて、人の形の輪郭はぼやけている。おそらく、20代前半の女性……。
かな子!という声がでない。金縛りのオマケ付き。瞬きも出来ない。ウェーブのかかった栗毛の幽霊の横顔が見えた。たれ目の優しい瞳は、何を思っているのか、わからない。服装は、学生でも生徒でもない、入院着のような……。
目があった。
次に何が起こるかわかった、心臓が跳ねる。冷や汗で体温が下がる。幽霊は私に近づいてきて、足音はしなかった、目の前に立った。幽霊の顔が近づいてきた。
あれ、と。
心臓の音は収まってきた。冷や汗は止まった。柔らかい表情をしていた、近くで見ると美人ね……危害を加える気がないのがわかった。幽霊の手が伸びてきても、恐怖心はなかった。
添えられた手から温もりを感じた、そんなはずはないのに。
少しだけ口は動くことがわかった。だれ……反応しない。なに……反応しない。
じっとこちらを見ていた幽霊が、ふっと表情を緩めた。ごめんね、と口が動いたような気がした。何に謝ってるの?笑顔は何も答えてくれない。
幽霊の手が伸びて来た。私の瞼を優しく閉じると、彼女の気配が消えた……気がした。
12:


学生寮・2号館・343号室
今度は自然と目が覚めた。顔を触ってみるが、おかしなところもない。汗すらかいていない。何だったのかしら、ただの夢……とは思えない。
「奏さん、おはようございます」
「かな子……今、何時かしら」気絶したかのように、随分と長い間寝ていたように思えた。かな子は着替えが済んでいて、カーテンからは高い陽の光が差し込んでいた。
「10時ですよ。眠気覚ましにコーヒーでもどうぞ♪」
「眠気覚ましはいらないわ」頭は冴えていた。ゆっくりと眠ったから、体も疲れていない。
「コーヒー、いらないですか?」
「コーヒーはいただくわ」コーヒーの入ったマグカップは私の机に置いてくれた。見覚えのない淡いピンクのコースターもセットで。休みのうちにどこかで買ってきたのかしら。
「奏さん、あの後は夜更かしをしていたんですか?」
「していないわ」コーヒーに口をつける。少しだけぬるくなっていた。
「あれ?長く寝るタイプでした?」
「違うわね……ねぇ、かな子」
「なんですか?11時頃にお昼に出ようかと、思って。奏さん、朝ごはん我慢できますよね?」
「昨日、幽霊が出たのだけれど」そうとしか言えないのだから仕方ない。かな子なら邪険には扱わないから、正直に言ってみた。どんな反応をするのか、楽しみね。怖がるのか、興味深いのか、あるいは。
13:
10
学生寮・2号館・343号室
結果から言うと、私の想定から外れた反応だった。
「奏さん、本当ですか?」
「え、ええ……おそらく」かな子は近づいてきた、話を詳しく聞きたげに。ホラー好きだったのね、意外だわ。
「どんな人でした?女の人でした?たれ目で優し気な?栗色のふわふわした髪の毛でした?」
「え?」全て正解、知ってる……?
「奏さん?」
「驚いたわ。かな子、見たことがあるのかしら」かな子の表情は華やいだ。甘いものを食べている時くらい。
「あの、悪いことされてませんよね?」
「そうね……深く眠り過ぎたくらい」金縛りは、言わなくてもいいわね。あの幽霊のせい、とは限らないもの。
「それなら、『キヨラさん』です♪」
「きよらさん……」きよら、清ら、幽霊の名前とは思えないわ。
「いいなぁ、私も会いたかったです♪」
「会いたかった、そんなことが言われてるの?」
「はい!『キヨラさん』が関わると良いことがあるんですよ」
「そうかしらね、私は肝が冷えたわ」こう言ったけれど、かな子の意見に同意しかけている。悪い存在ではない、はず。
「誰かと仲直りできたり、スランプが終わったり、病気が良くなったり……でも、イタズラ好きなんですって」
「へぇ、イタズラ好きには見えなかったわ。この部屋はイタズラされていないみたいね」漂ってるだけのようにも見えた。どこにも行けないから、私達を見ているだけの浮遊霊。
「奏さん、もっと詳しく教えてください!」
「別に起きたら部屋の中にいただけ……いえ、何かあったような……」近づいてきて、目を閉じる前に、何かあった。確か、幽霊の口が動いていた。
「何か?」
「そう思い出したわ。謝られたわ」ごめんね、と。
「謝られた?『キヨラさん』に?」
「何もされてないわ、本当よ」謝られる理由はないと思う。見ず知らずの幽霊に転校して来て1ヶ月の私が何かされていた、はずはない。
「うーん、そうだ!例えば、奏さんのご先祖様と『キヨラさん』に関係があるとか?」
「祖父母は東京出身じゃないし違うと思うわ。かな子、そういう小説でも読んでるの?」少女趣味、まぁ、想像通り。
「い、いけませんか?」
「良いと思うわ。お可愛いことで」お可愛いのはとっくの昔にわかっているわ。どうやら、かな子本人がわかっていないようなので、私もかな子の両親と同じ不安を抱えることになった。ご両親の不安解消のためにも言っておきましょう。
「もー、からかわないでください!」
「嘘はついてないわよ、本当のこと」こういう所も可愛いのよね、ずるいわ。ピンクの私服も似合うし、羨ましい。前世でも親族の因縁なんてものはないだろうけど、かな子の可愛い所が見られたから、『キヨラさん』には感謝しておくわ。
「本当……ですか?」
「そんなに私を覗き込んでも、わからないわよ?」嘘をつくのは得意だし、ミステリアスに見せるのも昔から得意だから。さっきの言葉は本心だけれど、誰にも本心だとはわからないくらいに。
「確かにわかりません……」
「言ったでしょうに。私も出かける準備をするわ、詳しくは後でね」寄ってきていたかな子を引き離して、出かける準備を始める。ゴールデンウィークの最終日は夏日の予報。
14:
11
喫茶店ユリーズ・木犀浪学園前臨時店舗
「混んでますね」
「ええ、門の外で生徒が集まってるのは初めて見たわ」いつもの制服ではないけれど、学園の生徒なのだろうな、というのはわかる。どことなく落ち着いていないけれど、騒ぎすぎる集団にならない。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
昨日の店長と異邦人とは違う元気な店員さんだった。丸い瞳は緑色。飾り気がないのが、逆に好印象。名札には、原田美世と書いてある。
「こんにちは、ふたりです。空いていますか?」
「中は満席なんだ、ちょっと待っててね。若葉ちゃーん!外の席空いてる?」
エプロンの下は清潔感のあるパンツスーツ……何故、スパナがお尻のポケットに入ってるのかしら。
「空いてますよ?」
「キッチンカーの前の席だけど、いい?」
「奏さん、大丈夫ですか?」
「構わないわ」
「いらっしゃいませ?、ご案内します?」
「あら、カワイイ」かな子よりも背の低い、髪の毛がふわふわもしゃもしゃで、メイドのような衣装の店員さんが奥から出て来た。名前は若葉ちゃん、って言ってたわね。可愛らしいけれど、高校生ではなさげ。
「若葉ちゃん、よろしくね!」
「はい?、おふたりさまご案内です?」ぴょこぴょこと揺れる髪を見下ろしながら、移動する。他の生徒がケータイで写真を撮るのにもにこやかに応えている。
「カワイイですね」
「そうね。かな子にも似合うと思うわ」私には似合わないだろうけれど。
「そんなことないですよっ」
「こちらの席へどうぞ?、メニューはこちらです」
「ありがとう」キッチンカーのテーブルとイスに案内された。4人掛けのイスには別の学園の生徒が既に座っている。
「ごゆっくり?」
15:
カワイイ衣装のメイドさんは行ってしまった。彼女から目を離すと、かな子は既にメニューを真剣に見つめていた。
「おっ!おふたりさん、いらっしゃい」
「店長さん、こんにちは」キッチンカーの中から昨日会った店長さんが声をかけてくれた。声はかけてくれたけど、調理の手は止めない。それにしても、あの量の髪をどうやって調理帽の中に入れているのか不思議だわ。
「うーん、悩んじゃいますね」
「迷ったらランチセットだじぇ。サラダに、ドリンクに、デザート付き!そっちのお嬢さんたち、お待たせ!」
「セットにするけれど、悩みどころはそうじゃないわね」メインはパスタ3種類かパンとシチュー、サラダも3種類、ドリンクはコーヒー中心に色々、ミニデザートも3種類、かな子は悩んでしまうわね。
「どうしようかなぁ」
「店長さん、おススメは何かしら?」かな子は楽しそうに悩んでいるけれど、永遠に決まらないのも困るので助け舟を出す。
「パスタはジェノベーゼがオススメだじぇ!香川産の国産オリーブオイルが一番味わえる!」
「店長?、それは自分の出身地だからですよねぇ。はい、お水をどうぞ」
もう1人、別の店員さんが出て来た。笑顔になるとアヒル口になるみたい。名札には間中美里、綺麗な名前ね。
「ばれたか。美味しいのは変わらないじぇ!」
「パスタはジェノベーゼが私もオススメですぅ。サラダは、私はフレンチが好きですねぇ」
「店長イチオシはタマネギだじぇ」
「ドリンクは、クラリスさんが淹れるラテはオススメですよぉ」
「神戸生まれは流石。デザートの店長イチオシは一番下」
「3つ全部ずつですよぉ、人気です」
「どれも魅力的ね、かな子はどうするかしら?」かな子は嬉しそうに悩んでいたが、決めたようだ。私はかな子の回答を聞いてから。
「決めましたっ!ジェノベーゼ、タマネギサラダ、カフェラテ、デザートは3つ全部でお願いします!」
「うんうん、店長オススメを選ぶ正直者で好きだじぇ」
「わかりましたぁ。お連れさんはどうしますかぁ?」
「私は、ペペロンチーノ、サラダのドレッシングはフレンチ、エスプレッソ、デザートはガトーショコラにするわ」かな子と別のものにする。ガトーショコラだけは、今日の気分。
「お嬢さんは、ちょっとひねくれ者かな?」
「よく言われるし、そうだと思うけれど。今日の理由は違うわ。かな子、シェアしてちょうだい。いいかしら?」ひねくれ者なのは昔から。ひねくれ者で嘘つきの、女の子だもの。
「いいですよ♪奏さん、ありがとうございますっ」
「青春だじぇ。ユリユリも穏やかな学生生活に憧れたものよ……」
「店長、何言ってるんですかぁ。飲み物はデザートと一緒でいいですかぁ?」
「はい、お願いします」
「ええ、私もそれで」店長さんは遠い思い出に浸るように空を眺めている、そんなに遠い思い出の年齢ではなさそうだけれど。
「はぁい、オーダー入りましたぁ。ちょっとお待ちくださいねぇ」
「5人でがんばっているから、ご愛嬌を欲しいんだじぇ。本職ウェイトレスキャラは配役されてないんだ……」
5人……元気なスパナを持ってた人、カワイイメイドさん、異邦人、間中さん、それと店長。間中さんはともかく、他はウェイトレスのプロには見えない。お店を始めたのも最近なのかしら。
「そんなに急いでないもの、楽しみに待ってるわ」
16:
12
喫茶店ユリーズ・木犀浪学園前臨時店舗
「サラダもパスタも、美味しかったですね♪」
「ええ、店長さんがオススメするだけはあるわ」本当に美味しかった。かな子とシェアして良かったわ。
「そう言ってくれると嬉しいじぇ。デザートと飲み物は、後ろからクラリスが」
「後ろ?」
「お待たせしました。あら、昨日の」
「こんにちは」クラリスと呼ばれた店員が飲み物とデザートを運んできてくれた。
「いらっしゃいませ。カフェラテとデザート3種の方は」
「はい、こっちです」
「どうぞ。エスプレッソとガトーショコラはこちらに置きますね」
「ありがとう」予想通り、こちらも美味しそう。
「ごゆっくりなさってください」
「待ってる生徒がいるみたいだけれど、いいのかしら」入口に並んだ椅子に何人か座っていた。学園の生徒であろうことは、遠目からでもわかる。
「常識を持ち合わせていることはわかっております。シスターだった曾祖母から聞いておりますわ」
「曾祖母?」遅くなり過ぎないようにはしようかしら。かな子は既にデザートに口をつけていた。シスターが昔は学校に居たのかしら、宗教系の学校ではないはずよね。
「はい、曾祖母はこの地に所縁がある人でしたから。幾つか思い出の品も持っていますわ」
「クラリス、思い出話の余裕が今はないじぇ。これ、一番奥のお客さんに」
「わかりました。申し訳ありません、失礼しますわ」
「うちの人気店員をお客様に張り付けられるほど人数いなくて、申し訳ないじぇ」
「別に構わないわ。ね、かな子?」何も聞いてないでしょうね、おそらく。
「うん、カフェオレも美味しいです♪」
「私もいただきましょう」やっぱり、聞いてなかったわ。
17:
13
喫茶店ユリーズ・木犀浪学園前臨時店舗前
「ごちそうさまでした♪」
「ごちそうさま。また来る……ことは出来なそうね」チャンスは事実上今日だけ。
「旅先で良いお店に出会った感じに、思っていただければいいんですよぉ」
「そう思うことにします。店員さん、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございましたぁ」
「かな子、行きましょうか」間中さんはにこやかに送り出してくれた。仲の良い友人達と仕事をするのは悪いことじゃないように思えた。
「奏さん、これからどうしましょうか」
「そうね、少し散歩でもしましょうか」今日は暖かいことだし。
「散歩です、か?」
「あらキライなの?」ピクニックとか散歩は好きそうなのに。
「お散歩は好きですけど、学園の周りって何もないから」
「そういう理由?」かな子にそう言わしめるのだから、何もないのでしょうね。
「でも、学園の中をお散歩するのはいいですよ。古い建物とかアンティークとかたくさんあるんです」
「へぇ。でも、また今度ね」かな子の言うことは聞かずに歩き出す。学園内は案内してもらいましょう、そのうちね。
「か、奏さん、待ってくださいっ」
「あら、帰ってもいいのよ?すぐに戻るから、安心して」かな子は私を独りにはしないから、きっと一緒に歩いてくれるはず。
「そういうわけにはいきません!」
「じゃあ、一緒に行きましょう?」ほら、ね。手を差し伸べて、かな子を呼び寄せる。並んでから、私達は東に向かって歩き始めた。
18:
14
木犀浪学園・校庭・食堂前
かな子との散歩は穏やかな気持ちと心地よい疲れをもたらしてくれた。そう、物事は幾らでも良く言える。悪く言えば、散歩した道に目ぼしいものはなかった。平坦な道に、まばらな民家と古ぼけた電柱、少しでも視線を逸らせば学園の塀と建物が見えた。かな子と見つけた発見は、半分ほど苔に覆われたお地蔵さんを見つけたことくらい。かな子は自分のハンカチでお地蔵さんの顔を拭いてあげると、手を合わせていた。私も手をあわせて、何かを願ったふりをした。薄目をあけると、私よりもずっと長く目を閉じていたかな子が見えた。散歩の思い出はそのくらい。
汗をかきすぎる前に、学園に帰って来た。食堂の前を通ると、明かりがついているのが見えた。
今日から営業開始だものね。食堂の窓を見ながら歩いていると。
目が逢った、気がした。何と目が逢ったかわからないのに、目が逢ったことが先にわかった。何と目が逢ったかもわかった、食堂の奥、丸いテーブルの真ん中に人形が座っていた。人間の子供くらいはありそうな、白い服を着た洋風の人形。
「奏ちゃん、かな子ちゃん、こんにちはぁ」
聞きなれ始めた声が視線をそこから引き離す。
「雪菜ちゃん、おかえりなさい」
「あら、井村さん。帰って来たところかしら?」クラスメイトの井村雪菜だった。左手にはキャリーケースのハンドルが握られていた。学園の生徒にしては珍しく化粧もしっかりしている。外の人からすると意外らしいけれど、学園の校則はさほど厳しくない。1年生の時は同じクラスだった、かな子の話だと、先生から井村さんが注意されたことはないみたい。
「はぁい。雪乃先輩とご一緒したんですよぉ」
井村さんの他にもう1人。強い日差しに晒されないように肌を隠した3年生は、井村さんと違って小さなカバンを1つ持っているだけだった。相原雪乃、白雪さんのお節介で上品なルームメイト。肌をほとんど見せていないのに豊かなボディラインは隠しきれていない。
「秋田でお会いしまして、ご一緒できて楽しかったですわ」
「こちらこそ、楽しかったですよぉ」
「三村さんと水さんの、おふたりも今日戻られたのですか?」
「私達は昨日戻ってきたんですよ」
「ええ。人の少ない学園は新鮮だったわね」ふふっ、と相原先輩は小さく笑う。本当に可笑しい時は大きく口を開けて笑います、と無表情なクラスメイトは言っていた。どうやったら、その笑顔は見れるのかしらね。
「まぁ、千夜さんとお会いしましたか?」
「昨日、会ったわ。寂しそうにしてたわね」会ったのは本当。寂しそうにしていた、これは本当かもしれない。嘘かどうかも確かめようがない。
「私の実家にお誘いしたのですが、断られてしまって」
「雪乃先輩のお家ですかぁ?もったいない、私はお邪魔してみたいなぁ」
「ぜひ、夏休みにいらっしゃってくださいな。荷物を持ったままなので失礼しますわ」
「はい、ゆっくり休んでくださいね」
「奏さん、また明日」
「ええ」井村さんと相原先輩は1号棟の方に歩いて行った。そう言えば、隣部屋だったことを思い出したわ。
もうひとつ、思い出す。食堂の方へと目を向ける。
人形はどこにもいなかった。
「雪乃先輩のお家かぁ、きっと素敵ですよね……奏さん?」
「ごめんなさい、かな子、何か言ったかしら?」持って行ったのでしょうね、誰かが。
「いいえ、なんでもないです」
「そう……ねぇ、かな子?」
「なんですか?」
「あそこに、人形が置いてなかったかしら?」かな子の答えは表情に先に出る。見てなかったみたい。
19:
「ごめんなさい、見てませんでした」
「謝ることはないわ」準備していた返答の返答をする。かな子が私に謝るようなことは、そう簡単にはないと思うし。
「どんな人形だったんですか?」
「西洋風で白い洋服を着ていて……」なんだか不気味だったわ、とは言わない。
「アンティークドールが並んだ部屋が、学園のどこかにあるそうですよ。そこから持って来たんでしょうか?」
「そんな部屋があるの?まぁ、この学園ならありそうね」古い物を残すのは得意だもの、ここは。古い物には憑くモノがある、なんていうのも古ぼけた考え方。ここにいると、少し考え方も古くなるのかしら。
「あの……奏さん?」
「かな子、何か変なことを聞こうとしてないかしら」かな子の言動一致なところは良いところ。気持ちが必ず伝わるタイプで羨ましい。
「奏さんって、雪乃先輩のこと尊敬してるんですか?」
「は……?」何がどうなったら、そんなことを聞かれるのかしら。かな子の前でしたくない反応を思わずしてしまうくらいに、突然すぎるわ。
「雪乃先輩と話している時は、嬉しそうじゃないですか?」
「そんなことはないと思うわ。もちろん、悪い人だとも思ってないけれど」これは嘘ではない、と思う。うん、そうよね。
「そうかなぁ……?」
「かな子の方が、私は好きよ」なんてね。そんなことないですよ、といいながら照れるかな子を、ちょっと意地悪してからかいながら、私達の部屋に戻った。
20:
15

木犀浪学園・大校舎1階・食堂
学園の生活はゆっくりと進むように感じるけれど、与えられた時間は同じ。のんびりと読んだことのある雑誌を眺めていても、太陽は傾いて夜が来る。ほとんどの時間をベッドで過ごしていても、お腹は空いてくる。お昼がちょっと早かったのもあるけれど。そんなわけで、かな子と一緒に食堂に来ている。今日の夕食から再開したとは思えないほどに、いつも通りの光景が広がっていた。金曜日の夜以外は和食と洋食が用意されて、小鉢も、ヘルシーなメニューも多い。食堂は無料、学費に含まれてるみたい。元ホテルシェフがいるとかいないとか、そんなウワサもあるわ。食堂のご飯って美味しいですよね、つい食べ過ぎちゃいますって、かな子が言うのもわかるわ。ちなみに、金曜日の夜はカレーよ。
今日は、ご飯と煮魚に味噌汁、今日はワカメとネギみたい、それとフルーツの入ったヨーグルトにしたわ。かな子はどこかしら。いた。長方形の6人掛けテーブルにトレイを置いて、手をあげている。テーブルには先客が2人。向かい合うのではなく、2人は並んで座っていた。
「お邪魔するわね」先客は、1年生の五十嵐響子と同じく水本ゆかり。私とは学校案内のオリエンテーションを一緒に受けた間柄ね、部屋が近いこともあってかな子とも私とも面識がある。
「お邪魔じゃないですよ、ね、ゆかりちゃん?」
「もちろんです、響子さん。奏さん、遠慮なく」
この2人が並んで座っているので、仕方なく私とかな子も2人の前に並んで座ることになった。世間一般的に2人で席を取る場合、友人関係だったら向かい合って座るのだけれど。
「奏さん、今日は煮魚ですか?」
「ええ。どれも美味しそうで困るわね」かな子のトレイに乗っているオムレツは、余計に取ってしまったのでしょうね。マカロンも今日は2つになっている。定期的にマカロンが置いてある食堂も珍しいけれど、もう慣れたわ。
「本当に迷っちゃいますよね、どれも美味しくて。自分で作るよりも何でこんなに美味しいんだろう?」
「量を作ると美味しくなるって言うわね。だけど、かな子の料理も負けないくらい美味しかったわ」当分食べる機会はないでしょうけれど、次の機会もあるといいわね。
「響子さんのお料理も美味しいですよ」
テーブルの向こうから唐突に声が飛んできた。
「そうなんですか?」
「はい。絶品ですよ」
「もう、ゆかりちゃん。そんなことないですよっ」
「響子さん、謙遜しなくてもいいですよ。私は毎日でも食べてみたいです」
「もー、食べないと冷めちゃいますよ。はい、あーん」
「あーん……もぐもぐ……」
「ゆかりちゃん、ゆっくり噛んで食べてくださいねっ」
「えっと、まぁ、いいわ。仲良いことはいいことよね、かな子?」思春期の女学生は普通の友情からは想像のつかない行動をすることもある、そんな実例を見ている。
「え?はい」
「かな子も食べさせて欲しいの?」
「え、ええ!?」
「冗談よ」ここに来るまでは大家族のお姉ちゃんだった五十嵐響子さんは、ちょっと世間知らずでかなり天然の水本ゆかりがルームメイトになったことで、お世話したいという本能が暴走してしまった、と推測されているわ。水本さんの方は元々の性格も相まって、この状況をどう思ってるかはわかりにくい。嘘はついてないと思うけれど、本心までは見透かせない。
「皆様、お久しぶりですわ」
21:
「琴歌ちゃん、おかえりなさい!」
「あら、こんばんは」西園寺琴歌。西園寺家のご令嬢とクラスメイトになるなんて、1年前は思ってもみなかったわ。1年前は転校なんて考えてもいなかったけれど。
「ご一緒してもよろしいですか?」
「ええ。構わないわ」かな子と2人だったはずの夕食は5人で1つのテーブルを囲んだ夕食へと変わった。一緒に食べる人が多いのは良いことですよ、とかな子は言う。だから、私もそう思うことにしている。かな子が友人だと思う子も、かな子を友人と思う子も多くて、テーブルに備えられた椅子の数を上限にして、その数は増えていく。
「琴歌ちゃんは何時戻ってきたの?」
「先ほどですわ。夕食はこちらでいただこうと思いまして」
西園寺さんが上品な手つきで夕食を食べ始めていた。かな子も、五十嵐さんも、私も、そして水本さんも、普通の範疇の家庭で育って、マナーを咎めたりしない。誰も西園寺という家を気にしたりはしない、いえ、少しだけするけれど、腫れもの扱いはしたりしない。西園寺さんは気取ったところもないし、学校にも馴染んでいる。それでも、西園寺さんは西園寺の娘に産まれたことは変えられない。
「今年は家族で旅行に行きましたの。お父様もお仕事の合間に寄ってくださったんですよ」
皆で家族の話をしている。例え、西園寺の当主でも跡取り息子でも、同じ人間だものね。変わらないことがあるから、私達の話は続く。何もかも違ったら、話は通じないのかしら。何か同じでないのなら、ダメなのかしら。
「西園寺先輩のお家は都内なのですか?」
「はい」
「それなら、西園寺先輩なら自宅から通うのも許されるのではありませんか?」
ちょっと考え事をしていたら、水本さんが聞きにくいことを本人に聞いてしまっていた。かな子は唖然とした顔をしていて、五十嵐さんは露骨に慌てている。学園は厳密には全寮制ではない。自家用車による送迎だけは許されている。学園の生徒はその規定を必ず知っていて、西園寺さんがその規定を使えるのも知っている。
「響子さん、どうしましたか?」
聞いた本人はわかっていない。聞かれた方は小さく微笑んだ、ちょっとだけ寂しそうに。
「いつまでも西園寺の家にいることはできませんわ。どちらも選べましたけれど、私は寮に入ることを選びましたの」
「私もです、親元を離れると成長できると思いました。お世話になり過ぎるのもいけませんから」
家にいることはできません……ね。水本さんは微妙な言い回しには気づいていないみたい。
「響子さん、色々教えてくださいね」
「ゆかりちゃん、もちろんです!」
五十嵐さんは水本さんに教えるのかしら……教えなそうね。水本さんの自立はもう少し先になるでしょう。
聞くなら、今のうちかしら。
「西園寺さん、同部屋の方と夕食は一緒にしないの?」何らかの事情がなければ、大抵は同部屋の人と一緒だ。今まで西園寺さんとそのルームメイトが一緒にいるのを見たことはない。そして、私は見たことがない理由も知ってる。ルームメイトが黒埼ちとせという3年生だということも知っている。
「ちとせさんは、今日から来る予定でしたの」
「黒埼先輩、まだ入院してるの?」
黒埼ちとせという人に、私は会ったことはない。何となくだけれど、気はあわないと予想している。かな子とも仲が良いわけではなさそうだし。
「いいえ。ご自宅には戻っているそうですよ」
「そうなんだ。学校にはいつ来るの?」
「明日、お医者様の診察を受けてからとおっしゃていましたわ。早ければ明後日には戻るそうですよ」
「西園寺さんとは、去年から同部屋なのよね?」黒埼家は東欧で財をなし、日本に戻ってきたという。そんな黒埼家のご令嬢である黒埼ちとせにも向こうの血が流れているらしいわ。別に聞きたいのはそんなことじゃない。
「はい、親切にしていただいてますわ。お休みがちなのが残念ですわ」
「休みがちだから、西園寺さんと同部屋なのかしら」かな子の顔が固まるのが横目に見えた。五十嵐さんは水本さんのことしか気にしていない。
22:
「違うと思いますわ。2人部屋に独りでいるのは寂しいことですわ」
「そ、そうですよ、奏さん」
「やっぱり、疑い過ぎね。ごめんなさい」西園寺さんは嘘をついたようには見えなかった。嘘はついていないけれど。
「奏さん、謝ることなんてありませんわ」
こちらの目的は見透かされた。少しだけ意地悪をして、西園寺のご令嬢がどう反応するか見たかったけれど、優しい微笑みしか返ってこなかった。彼女に責めるつもりなんてないでしょうけれど、これ以上したところで得はしないでしょうね。私は、別に彼女を不快にさせたいわけじゃないの。
かな子が他愛もない学園の話題に戻してくれて、穏やかな夕食時が戻ってくる。ゴールデンウィークも終わって明日から授業をがんばりましょうね、という定型文で最後は別れた。
明日から授業が始まる。少し退屈で堅苦しい、私が望んだ生活が。
23:
16
学生寮・1号館・地下1階・廊下
「ふぅ……長湯しすぎちゃったわね」寮の大浴場も今日から再開していた。1号館の地下にあるから、階段を昇り降りしないといけないのが難点ね。それでも、部屋にあるバスルームではなく大浴場を使っている。どっちが多いのかしら、後で聞いてみましょう。広いお風呂はいいわ。実家の足を自由に伸ばせないお風呂から解放されて、長湯し過ぎちゃったわ。あまり長湯すると、かな子が心配するわね。
また、視線を感じる。きっと同じ視線の持ち主。
持ち主は簡単に見つかった。廊下の突き当りにある本棚の上。白い花が刺さった花瓶の隣。白い花は1年を通じていつも用意されるらしいけれど、視線の持ち主は違う。白い服を着た洋風の人形が慎ましく、本棚の上に座っていた。遠くにある人形を眺めてみる。昼間も見たけれど、あまり好みの人形じゃないわね。ちょっと不気味なのもよくないわ。
私は視線を逸らす。向こうからの視線は消えていない、ように感じる。
気のせいよ、と小声でつぶやいてから、かな子のいる部屋へと早足で戻った。
24:
17
学生寮・2号館・343号室
「奏さん、これをどうぞ」
「ありがとう、いつものやつね」母親から来たメールに定型文を返信しようとしていたら、かな子が数枚の紙を渡してくれた。文字や絵がプリントされているが、素人が作ったもの。部活の勧誘ビラ、4月に印刷しすぎたのかしら。
「奏さんがお風呂の時に、琴歌ちゃんとかが渡しに来たんですよ」
「考えておくわ。『可愛らしいもの愛好会』ねぇ……」西園寺さんはふわふわとした名前と活動内容の部活に参加してるみたい。ちょっと意外ね。参加するのなら、これぐらいの部活が限界。水本さんの管弦楽部みたいに、運動部でなくてもハードなところは多いもの。
「何か気になる部活はありました?」
「別にないけれど……」西園寺さんが持って来た勧誘ビラには何枚か写真があった。『可愛らしいもの愛好会』らしくクマのぬいるぐみが並んだ写真、その後ろ。歴史を感じる木製の棚に、気になる物がった。
「奏さん?」
「かな子、ちょっと来て」かな子を呼び寄せて、勧誘ビラの写真を見せる。
「わぁ、大きくて可愛いぬいるぐみですね♪」
「それは同感だけれど、その後ろ」かな子の様子を見ていたいけれど、本題に移る。
「えっと、人形ですか?」
「そう。かな子はこの人形を見たことあるかしら?」私は、今日だけで2回も。
「えっと、ないと思います」
「校内に飾られたりしてないの?」
「してないと思いますけど……」
「そう……」考えたところで答えはでない。人生経験も知識も不足しているし、それに転校して1ヶ月だもの。わかるわけないわ。
「かな子、この部屋どこかわかるかしら」学園のどこかにある部屋。『可愛いらしいもの愛好会』の部室と思われる部屋。
「わかりません。琴歌ちゃんに聞いてみたらどうですか?」
「……そうするわ」このままだと気分が悪いもの。
「私も行きましょうか?」
「大丈夫よ、明日にでもクラスで聞いてみるわ」『可愛いもの愛好会』に入部する気はないけれど、見学くらいなら。西園寺さんなら事情も深くは聞いてこないでしょうし。
誰でも何でも、私に不躾に干渉してくるのは許さないわ。
25:
18
逢魔が時
学生寮・2号館・343号室
優しく額を撫でられて、私は目を覚ます。
「かな子……?」そんなに、寝苦しそうにしていたのかしら。
目を開けると見えたのは、かな子ではなかった。『キヨラさん』と呼ばれている幽霊。
今日は金縛りもなく、上体を起こす。キヨラさんの顔は同じ目線にあった。
口を動かしてみる。動いた。小さな声も出せた。
優し気な瞳はずっとこちらを見ている。輪郭はぼやけているのに、瞳だけはホンモノのように思えた。
かな子の様子を確かめる。かな子はぐっすりと眠っていた。聞きたいことは色々あるけれど。
「ここでは話せないわ」小さな声で呟く。キヨラさんは頷いたように見えた。
キヨラさんは微笑んでから、立ち上がった。ゆっくりと扉へ動いて行った。歩いた……というよりは動いた。キヨラさんは扉の前で止まると振り返った。キヨラさんの口が動く、待ってますよ……かしら。
「えっ……」漏れた小声を口で塞ぐ。かな子は起きていない、良かったわ。幽霊だものね、壁くらいすり抜けるものよね……こんなことでようやく幽霊だと理解した自分に驚いている。
不躾ではないけれど、幽霊に起こされるのは……それに。
「待ってますよ、ってどこよ……?」
一言だけ呟いてから布団へ潜る。眠りにつくまでに時間はかからなかった。
26:
19
翌日の放課後
木犀浪学園・大校舎2階・奏の教室
昨日、かな子が一緒に行きましょうか、と聞いてきた理由がわかったわ。
「水さんが『可愛いもの愛好会』ですか。ははっ、意外にもお可愛いことで」
「白雪さん、私を何だと思ってるのかしら」西園寺さんに部室に案内して欲しいという話をしたら、たまたま聞いていた白雪さんにからかわれた。
「別に。ちょっとイメージと違っただけです。ファンが落胆しますよ、少女趣味は」
「それは残念ね、期待に応えられなくて」ファンって誰よ、白雪さんの頭の中以外に存在するのかしら。それに、勝手に特別視されても困るだけ。イメージ戦略をしてるわけじゃないから心配いらないわ。
「千夜さんも一緒に見学にいらっしゃいませんか?」
何故か、西園寺さんが白雪さんに提案する。いつも通りの穏やかな口調と笑みで。
「お誘いは嬉しいのですが、申し訳ありません。これから予定がありますので」
「用事?何かあるのかしら」白雪さんは部活には所属していなかったはず。そうなると、聞かない方が良い用事だったのかしら。
「茶道部にお邪魔します。さようなら」
「茶道部、雪乃さんのところですわね。楽しんできてくださいな」
「なるほど、ね」やっぱり、白雪さんは同部屋の先輩には弱いみたいね。聞かない方が良い用事ではなくて良かった。
「残念ですわ。雪乃さんから小さなぬいぐるみを大事にしていると聞いたのですが」
「そうなの?」あら、可愛いところもあるじゃない。かな子にお願いして、相原先輩からお部屋に招いてもらおうかしら。
「幼少の頃から大切にしているものだそうですよ」
「それは……」部屋に行くのは辞めておきましょう。その行為の意味をわざわざ聞きたくないもの。
「奏さん、何かおっしゃいました?」
「何も言ってないわ。西園寺さん、さっそくだけれど部室に案内してもらえるかしら」
私が干渉する側になってもいけないわね。それは時には必要かもしれないけれど、今の白雪さんは違う。
27:
20
旧校舎・2階・可愛いもの愛好会部室
大校舎は、西は寮に、東は旧校舎に連絡している。旧校舎はもう授業は行われていなくて、倉庫と部室に使われている。地方の文化財になっちゃったから、取り壊せないって聞いたわ。
可愛いもの愛好会の部室は2階。今日は部活の日ではないらしいけれど、西園寺さんが特別に案内してくれた。昔々は教室で使われていたという木製の机と椅子、校内から集めて来たという棚。裁縫用具とミシンもあった、足踏みミシンなんて初めて見たわ。他と調和がとれていないものが幾つか、真新しいノートパソコンと通販サイトのダンボール。棚には、『可愛いもの』が並べられていた。可愛いと思う部員がいるからでしょうけれど、大きなダイオウグソクムシのぬいるぐみがあった。玉石混交の『可愛いもの』で部室は満たされていた。西園寺さん含めて、大らかな性格な部員が多いのね、きっと。
「こちらを部室としてお借りしていますの」
可愛いもの愛好会の活動内容を西園寺さんが説明してくれていた。同じ趣味を持つ集まり以外の何物でもない、というのが私の感想。普段は学園から出ないから、どうしても欲しいものがある場合は通販サイトを使ってるとか。大半の『可愛いもの』は学園内から見つけて来たものと言っていたわ。卒業時に譲り受けたり、校内の倉庫から見つけてきたり。どうりで、アンティークめいた物も高級そうなものも多いわけね。
「家庭科の佐藤先生に教わりまして、手直しをしていますの」
お金がないわけではないけれど、手に入れるチャンスが少ないから、可愛いもの愛好会は手直しをする。時間はたくさんあるものね。新しい物を買う方がくて安いけれど、彼女達には時間と心に余裕がある。このぬいるぐみは倉庫でホコリまみれだったんですよ、と西園寺さんが言っていた。どこかの家で丁寧に保存されていたと思えるくらいに、ぬいるぐみは綺麗な毛並みになっていた。
西洋人形もいくつかあった。彼女達のための、新しい洋服がミシンの隣のハンガーラックに飾られていた。西園寺さんによると、学園にあったものがほとんどで、生徒が持ち込んだものが幾つか。
「西園寺さんが持ち込んだものはあるのかしら?」
「ここにはありませんわ」
寮の部屋に幾つかあるが、ここには持ち込まないそうよ。新しいものと出会うための場所と西園寺さんは考えているみたい。よくよく聞いてみると、西園寺邸には西園寺さん専用のコレクションルームがあるみたいね……さすがとしか言いようがないから、妬む気持ちにもなりにくいわ。
さて、本題に入りましょうか。あの人形は見当たらないことだし。
「ビラの写真の、後ろに映っている人形、いないかしら」
「こちらの子ですか?」
西園寺さんは不思議そうに写真を覗き込んだ。そして、部室を見回した。この様子だと、結論は私と同じ。あの人形はここにはなく、あの人形がどこにいるかもわからない。
「申し訳ありません、わかりませんわ」
「この部屋にあったのかしら?」
「写真は部室で撮ったものですから、そう思いますわ」
「そう、残念ね」ビラを眺めながら西園寺さんが棚を開けたりしているが、見つかりそうな予感はしない。その様子を眺めてみる、ゆったりとした丁寧な所作が見についていることはわかったけれど。
「西園寺さん、嘘をついてないわよね?」西園寺さんの背中に向かって問いかける。人形を探す動きが止まって、彼女はこちらを振り返る。
「どうしてそんなことを聞きますの?嘘をつく理由なんてありませんわ」
「ええ、わかってるわ」嘘はついていない、のかしら。いずれにせよ、これ以上はわかりそうもないわね。
せっかく来たのだし、西園寺さんが手直ししたものでも見てから戻りましょうか。
28:
21
学生寮・2号館・343号室
「おかえりなさい、奏さん」
「ただいま、かな子」転校してきた初日から、かな子はおかえりなさいと言ってくれる。この部屋に戻ってくると、安心できる。安心できる場所があるのは、いいことね。
「可愛いもの愛好会はどうでした?」
「悪くなかったわ。何枚か写真も撮ってきたの」あの人形のようにイヤな視線もなく、西園寺さんが色々と紹介してくれるから長居をしてしまった。リペアしたウサギのぬいるぐみを大事そうに撫でている西園寺さんの写真は、かな子にも好評だったわ、我ながら良い表情が撮れたと思うわ。だからこそ、関係ないといいのだけれど。
「ねぇ、かな子?」
「なんですか、奏さん?」
「私の爪切り、どこにあるかわかるかしら?」
「爪切りですか?いつもの場所は見ました?」
「いつもの場所ってどこかしら」
「机の一番上の右側の引き出し、でした?」
「爪切りってどんなのかしら」
「小さな赤い爪切りですよね」
「全部正解。かな子、私のスペースでも少しなら覚えてるわよね?」
「全部じゃないですけど、はい」
「普通はそうよね」西園寺さんは部室に長くいるはずだし、紹介してくれた時に配置がわからないような態度はしていなかった。なのに、あの人形だけはわからない。写真に明確に映っているのに、見覚えも無さそうだったわ。
「奏さん、爪切り見つかりませんか?」
「ありがとう。でも、そういう意味じゃないの」かな子が首を傾げた。一緒に指を口に当てるのがクセ。ちょっとした動きが可愛いのよね。私も真似してみようかしら……柄じゃないわね。
「かな子、『キヨラさん』に会える場所を知ってたりしないかしら?」
「会える場所があるなら、一度は行ってます」
「そう……」昨日も思ったけれど、かな子は『キヨラさん』のことを神格化しすぎている。今のところ、ただの幽霊にしか見えないわ。そもそも、ただの幽霊を続けて見ていることがおかしいのだけれど。
とりあえず悩み事は2つ。ひとつ目は部屋に現れる幽霊、悪い存在ではないと思うけれど、かな子と私の部屋に居てもらいたくない。ふたつ目は、あの人形。私もそうだし、かな子が驚くようなことになったらイヤだわ。誰が犯人かわからないけれど、止めたい。私はこの学園で驚きの多い毎日を過ごしたくないの。そうなるとすべきことは?
「誰かに話を聞いてみるとか?」
「そうしてみるわ」かな子もこう言ってることだし、情報収集でもしようかしら。
正直なところを言うと犯人の目星はついている、西園寺琴歌。目的も動機もわからないし、何が何と関係しているかも全くわからない。けれど、彼女だという確信がある。少なくとも、関係はしているでしょうね。
29:
22

木犀浪学園・大校舎1階・食堂
木犀浪学園で知りたいことがあるのならば食堂で聞き耳を立てればよい、と昔から言われているそうよ。聞き耳を立てて待っているほど悠長じゃないので、話を聞くことにした。かな子のおかげで1年生3人とテーブルを囲んでいる。かな子のおかげで有益な話が聞けそうね。
「見たこと……ありますっ。紗枝ちゃんと、一緒に……」
「休暇前の、いつやったやろうか?」
彼女達は237号室のルームメイト。髪型をツインテールにしている、小動物みたいな女の子が緒方智絵里さん。和服姿の女の子が小早川紗枝さん、私服はいつも和装だから学園内では有名人だったりするわ。
「連休前の木曜日に、お風呂の帰りだったような……」
「どこで見たのかしら?」
「見たんは、階段の踊り場どす」
「椅子に座ってて……ビックリしました。行く時はいなかったのに……」
「驚きましたなぁ、普通の人形やったのに」
「はい……全然怖くなかったのに」
「階段の踊り場の、椅子ね……」学園の階段の踊り場には必ず椅子が置いてある。昔の習慣の名残だってかな子が言ってたわ。エレベーターもない頃の、名残だって。
「見たのはその1回だけかしら?」
「うちはそうどす、智絵里はんは?」
「わ、わたしもです……」
「まゆちゃんは、どうですか?」
「もう一度……見てもいいですか」
「構わないわ、どうぞ」ビラを眺めているのは、佐久間まゆさん。部屋は121号室で、ルームメイトは3年生の涼宮星花さん。涼宮先輩は管弦楽部の夜の練習があるそうで、もう夕食は済ませてしまったみたい。
「やっぱり……見たことあります。お洋服が違いますけれど、寮の廊下に座ってました……」
「奏さん、どういうことでしょう?」
「私に聞かれてもわからないわ。佐久間さん、詳しく教えてちょうだい」いきなり寮の廊下に座っていたら、肝が冷えるわ。佐久間さんが大声で叫ぶことは……なさそうね。
「水色のお洋服を着てました……寮は私の部屋の近く、壁に寄りかかって座ってました」
「いつ頃見たの?」
「4月の始めくらいだと思います……授業が終わった時に」
「水はんが見たのは、水色のお洋服どすか?」
「わたし達が見たのも水色じゃなかったような……」
「いいえ、違うわね。詳しくは覚えていないけど」水色ではなかったはず。よく見るとビラの写真と違うような気もする。
「誰かがお洋服を着替えさせたのかなぁ?」
「佐久間さん、人形はしばらく置いてあったの?」
「いいえ……お部屋に戻って、次に見た時にはいなかった……です」
「ねぇ、変なことを聞くけれど。人形は勝手に動き出すと思う?」かな子を含めて4人の視線がこちらに向かう。視線がこちらに来れば、考えていることは分かりやすくなる。
「そ、そんなことないですよっ、ね?」
「は、はいっ……ないと思いますっ」
かな子と緒方さんは同じ反応。人形が動き出すホラー映画でも思い出したような、嘘みたいな話を聞いたように。
「お洋服を着替えるのは難しいと思います……」
佐久間さんは私からすぐに目を逸らした。嘘をついているわけではなく、自分が気になることにすぐに意識が行ってしまうタイプみたいね。もう1人、口元はにこやかに笑っている。
「そないなことおまへん。どなたか、動かしとるんどす」
小早川さんも嘘はついていなそうね、結論も私と同じ。ただ、嘘はついてないけれど、どう思っているか分からないわ。京女の本心はわからないけれど、人形が動くという恐怖を消すためにこの態度をとっていることにするわ。
30:
「私もそう思うわ。誰かが動かしてるの」人形は動かない、それなら人が動かしてる。
「なんで階段とか廊下に置くのかな……?」
「持っているのを見られたくないとか、ね」緒方さんの疑問に思いついた答えを口に出してみた。思いつきの割には、合ってるかもしれないわ。動かすのを見られたくないから、一時的に置いている。
「それじゃあ、動かしているのは誰だと思うかしら?」1人、目線がこちらに強く向いた。思い当たる人物がいるのね。強い目線は引きはがされるが、ちらりとこちらを見ているのがわかった。あまり言いたくないのね、犯人扱いしたくはない人物。まぁ、同じ学園の生徒を犯人扱いしたい人なんて少ないわよね。でも、聞かせてもらうわ。
「佐久間さん、誰を思い浮かべたの?」
「え、えっと……」
「別に責めたいわけじゃないし、決めつけないわ。聞かせて?」会話は途切れ、佐久間さんに視線が集まる。私もじっと佐久間さんを眺める。目と目が逢うたびに逸れる。この時を逃れるために、口から答えが出てくる。
「私と部屋が近い……西園寺先輩、です」
31:
23
学生寮・2号館・343号室
ベッドに寝ころんで天井を眺めている。簡単そうに思えた問題は、考え事になっていた。
「奏さん、お風呂に行かないんですか?」
「今日は部屋のシャワーを使うわ」かな子が私の顔を覗き込んで聞いてきた。行きたくない理由は会いたくないからよ、あの人形に。部屋には入ってこないでしょうし。
「それじゃあ、一緒に行きませんか?」
「私は気にしなくて大丈夫よ。行ってらっしゃい」私の理由もわかっているから、声をかけてくれたのかしら。気にしなくて、いいのにね。
「あの、さっきからずっと考えてるみたいで……悩み事なら聞きますよ?」
「そうね、1人で考えていてもグルグル回るだけの気がしてきたわ。かな子、帰ってきたら聞いてくれる?」
「はい、待っててくださいね」
「慌てなくていいわ。ゆっくりしてきてちょうだい」さて、頭を整理しておこうかしら。かな子がお風呂から帰ってくるまでに。
32:
24
学生寮・2号館・343号室
お風呂上がりのかな子から、いつもと違う香りが漂っていた。何か変えたみたい。
テーブルの向こうにいるかな子が、先に話し始めた。
「奏さんはどう思ってるんですか?」
「何を?」
「その……琴歌ちゃんがイタズラしてるのかな、って」
「そこがまずは聞きたいのね、かな子らしい」
「私らしい、ですか?」
「かな子は優しいわね。でも、その質問が難しいの」
「難しい、ですか?」
「考えていたらわからなくなってきたの。かな子は、どう思うかしら」
「どう、って……」
「西園寺さんが私に思う所でもあるのか、ってこと」まだ頬が赤いかな子をじっと見る。
「そんなことありませんっ。一番最初は年齢詐称、意地悪そう、本当に転校してきたの、とか思ったりしましたけど……」
「かな子。私のことはいいわ」ちょっと誇張して言ったのよね、そうよ、ええ。
「琴歌ちゃんも、そんなことするとは思えませんし……」
「私もそう思うわ」西園寺さんが私にどんな印象を持っていても、思う所があっても、何もしないでしょう。西園寺さんにとって、私なんて取るに足らない存在でしょうから。
「それなら、琴歌ちゃんは何もしてないんですか?」
「いいえ。人形を動かしてるのは、西園寺さんよ。でも、西園寺さんは、あの人形を知らなかったの」
「うーん……?」
「どういうことかしらね」
「わかりません……琴歌ちゃんが嘘をついてるとか、ですか?」
「私、嘘には敏感なのよ」それが、良いことなのかどうかはわからない。
「西園寺さんは嘘をついてないわ」
「えっと……?」
かな子の悩み顔を見るのは、このくらいにしておきましょう。
「色々考えたけれど、事実は単純じゃないかしら。やったことを覚えていないだけ」人形のことを覚えていないのは、少しやり過ぎね。
「どうやってるのかしらね、不思議」
「あの、奏さん?言ってることがわからなくて」
「西園寺さんを操ってるのよ、あの人形が、ね」幽霊がいるのだから、呪われた人形だっているかもしれないわね。何がしたいのかわからないのは、人間と一緒。
「う、嘘ですよね?」
「かな子?」かな子の頬の赤みはすっきり取れてしまった。『キヨラさん』の話は信じるのに、この話は信じないのね。良いことだけを、信じられるように私もなりたいわ。
「冗談よ、もちろん。ホラー映画みたいなこと、あるわけないじゃない」嘘つきは人に嘘だと思われたら、本当も嘘にしてしまう。本当よりも嘘の方が気楽だから。
「そ、そうですよね」
「それに、この部屋なら大丈夫よ。『キヨラさん』が守ってくれるわ」優しい嘘なら、幾らあっても問題ないのかしら。かな子の表情が和らいだから、それでいいの。
33:
25
翌日のお昼休み
木犀浪学園・大校舎2階・奏の教室
『キヨラさん』が現れなかった次のお昼休み。?から出たまこと、という言葉があることを思い出したわ。
「この人形なら、見たことがあります」
「私もありますよぉ」
西園寺さんがまだ戻っていないのを見計らって、白雪さんと井村さんに聞いてみたら答えてくれた。
「見たのは、どこかしら」
「寮でしたよぉ」
「私も同じです。相原先輩が驚かなくて、安心しました」
ふと、思い出す。私が見たのも食堂と1号館だったわね。
「もしかして、寮の1号館かしら?」
「そうですが」
「私と里美ちゃんが215号室、相原先輩と千夜ちゃんが214号室なんですよぉ」
「そう言えば、お隣同士だったわね」昨日話を聞いた1年生も1号館だったわね。
西園寺さんが教室に戻ってきたのが見えた。話題を変えましょうか。
「ルームメイトのかな子が言っていたのだけれど、『キヨラさん』って知ってるかしら」
「知ってますよぉ、千夜ちゃんはどうですかぁ?」
「私も知っていますよ」
「有名な話なのね」
「夏になれば、幾らでも聞けます。学園定番の怪談ですから」
白雪さんがうんざりとしたように言う。聞き飽きてるのが良くわかるわ。
「怪談だけど、ハッピーエンドだからぁ、みんな話すんですよぉ」
「わかっています、そんなことは……わかっています」
『キヨラさん』の話は様々なバリエーションがあるみたい、学園の生徒も3年生になれば各々がアレンジした『キヨラさん』を話せるとかなんとか……落語じゃないんだから。いずれにせよ、最後はハッピーエンド。バッドエンドにするのは流儀に反するから、厳しく批判されるらしいわ。
「2人は見たことあるのかしら」
「まさか。ありえませんよ」
「ないですぅ、会ってみたいのに」
「寮に出るの?」
「出たと聞いたことはありません。そもそも、どこに出るかは誰が話すか次第ですから」
「寮で会う話は聞いたことがありますよぉ」
「ウワサ話にしては、広まり過ぎね」見た目の特徴は、私が見た幽霊と全ての話で一致している。外見、服装、イタズラ好き、学園内、ハッピーエンドは誰が話しても一緒。
「本当にいるんですよぉ」
「そう思うことにするわ」見たからわかるわ、幽霊はいるの。見たとは言わないけれどね。人形は1号館に、幽霊は2号館に。かな子への嘘がまことになるかもしれない、そうなったら良いわね。
「モデルになった人がいるのかもしれません。ここはホスピスだったそうですから」
「ホスピス?」
「学校史の最初に書いてありますよぉ。あっ、転校してきたから授業を受けてないでしたねぇ」
「その1文だけです。ホスピスとしていますが、重症患者を隔離するための場所だったのでしょう」
「もうないですけどぉ、最初の校舎はその建物を使ってたそうですぅ」
「へぇ、そんな歴史があるのね」つまり、そのおかげで良い土地だと思われていないわけね。広大な土地が残っているのも、それが理由。
「もっとも、そんな時代を知る人も今はいないようです」
「ずっと昔の話ですからねぇ」
『キヨラさん』が待ってる場所はわからなそうね、知ってる人は……いるじゃない。あの喫茶店に。
34:
「ねぇ、門から出る方法ってあるかしら?」白雪さんと井村さん、両方に怪訝な目で見られた。その表情は、白雪さんは呆れたように、井村さんは心配そうに、それぞれ変わった。
「いつか脱走するかと思っていましたが、こんなに堂々と言われるとは」
「学園生活の悩みなら聞きますよぉ」
「失敬ね。自分の意思で転校してきたのだから、ちゃんと卒業するつもりよ」自分がどう思われているか不安になることもあるけれど、この反応なら大丈夫かしら。
35:
26
放課後
喫茶店ユリーズ・木犀浪学園前臨時店舗
井村さんに行きたい場所を伝えたら、方法を教えてくれた。井村さんのルームメイトが部活の買い物に出かけるから外出許可を取っているので、付いて行けば良いと。
「お買い物が終わったら迎えに来ますぅ?」
榊原里美さんはかな子が話していたので存在は知っていた。かな子が恐れおののくほどの甘党って本当なのかしらね。それはともかく、色々と大らかで、私の外出も信じてくれたのはラッキーだったわ。それに、あの時間感覚なら十分な時間もありそうね。
「おや、お客さんだじぇ。木犀浪学園って、外出していいんだっけ?」
「こんにちは、店長さん。クラリスって店員さんいるかしら?」
「いるよー、休憩中。用事?はっ、まさか告白!?」
「話を聞きたいだけ。昔の話を」
「ふーん……それなら、若葉に案内してもらうじぇ」
「ありがとう。それとお土産用のお菓子をいただけるかしら。お客様の秘密なら、守ってもらえるわよね?」
「ふっふっふ、お安いごようだじぇ」
物分かりが良い店長さん。他にもいるのかしらね、そういう生徒。
36:
27
喫茶店ユリーズ・木犀浪学園前臨時店舗・控室
「こんにちは」
その挨拶がとても遠くから響いてきたように聞こえた。
「どうか、されましたか?」
そんなわけないわね、今度はちゃんと聞こえたわ。
案内された部屋はがらんとしていた。キャンプで使うような折りたたみテーブルが1つに、折りたたみイスが5つ。それと、古ぼけた赤いトランクケースが平置きされていた。クラリスという店員は制服姿のまま、イスの1つに座っていた。
「私にご用があると伺いました、どうぞお座りなってください」
「ありがとう。聞きたいことがあるの」クラリスさんの口元が小さく微笑んだ。
「何でもお聞きください。少し冷めてしまいましたが、緑茶はいかがですか」
「いただくわ」折りたたみテーブルに置かれたティーポットから、プラスチックのマグカップに透き通った黄緑色の液体が注がれる。キャンプ用品ばかりに見えるけれど、誰かの趣味なのかしら。
「どうぞ」
「ありがとう。どなたか、キャンプが趣味の人がいるのかしら?」
「キャンピングカーとキッチンカーが私達の家ですから、最近のキャンプグッズは便利ですよ」
「へぇ、面白そうね」面白そうだけれど、やりたくはないわね。
「荷物を多く持てないことで、本当に大事な物はそんなに多くないと気づかせてくれます」クラリスさんは、床に置かれたトランクケースに顔を一瞬だけ向けた。彼女の大事な荷物は、そこにある。
「本題に入っていいかしら。時間があまりないの」
「申し訳ございません。ご用件をお聞きします」
「あなたは『キヨラさん』を知っているかしら」
彼女の表情は変わらない。静寂の後、彼女はおもむろに立ち上がった。
「存じております。お待ちください」
床に置かれたトランクケースを開錠し、使い込まれた革の手帳が取り出された。丁寧にトランクを閉めると、彼女は戻ってきてイスに腰掛けた。手帳をめくる。手帳ではなくアルバムだということがわかった。店員さん達が映った新しい写真、古ぼけたネガ、白黒の写真。彼女は白黒でよれている写真を私の目の前に置いた。その理由は嫌でもわかるわ、驚くほどに鮮明に映っていたのだから。
「この写真におりますでしょうか」
「ええ、いるわ。この人よ」部屋で見た幽霊と同じ顔が映っている。服装も同じ。ホスピスの職員ではなく、患者だったのね。
「お名前は柳清良さん、と聞いています」
クラリスさんは曾祖母の話を聞かせてくれた。
37:
28
喫茶店ユリーズ・木犀浪学園前臨時店舗・控室
「曾祖母は、そう語っていたそうですわ」
まるで自分が体験したかのようにクラリスさんは語り終えたわ。幽霊ではなく、生きていた柳清良という女性の話。病に侵されていたけれど、誰にも優しい女性。イタズラ好きの一面もあった。学園のウワサ話と違うのは、彼女にハッピーエンドは来なかったの。
「直接聞いたわけではありません。真偽が入り混じることをお許しください」
「承知の上よ。あなたが嘘をついているようには見えないもの、信じるわ」全てが本当でなくても、嘘をついているようには見えない。私を作り話で騙そうとはしていない……はず。
「彼女は亡くなった後、敷地内で荼毘に付されました。遺骨は地元の四国へと送られましたが、どこへ埋葬されたかはわかっておりません」
「ホスピスの頃から幽霊として現れていたの、かしら」
「曾祖母がいた頃は安らかに眠っていたそうです」
「幽霊になったのは、その後?」
「跡地に学園が出来てからと聞いております」
「地縛霊とも思えないし、何故現れるようになったのかしら」
「詳しいことはわかりません。学園を守る守護霊となり天から再び遣わされたのだと、曾祖母は言っていたそうです」
「なるほど、ね」悪霊じゃなくて、私達を守ってくれると信じてもいいのかしら。
「今後会うことがあるのならば、どうか寛大に」
「そうは言うけれど、会わない方がいいわ。現れるからには理由があると思うの、聞いていいかしら」悪い存在ではなくても幽霊は幽霊。驚きたくもないし、『キヨラさん』にいつも心配されるような学園生活は送りたくないじゃない。
「どうぞ。私に答えられるならば」
「『キヨラさん』が待っているとしたら、それはどこ?所縁の場所とか、知らないかしら」
クラリスさんは顎に手を当てて考えている。表情は少しだけ変わった、微笑む以外の顔も出来るのね。
「お話した通り、学園とは関係のない人物です。彼女と縁のある建物も今はありません」
「そう……」
「その女性は敷地内ならば散歩が許されていました。荼毘に付された場所も残っているかもしれません。きっと、見つかるはずですよ」
「……わかったわ。探してみるわ」
「ひとつ、思い出しました。もう1枚、彼女が映っている写真があります」
「本当?見せてちょうだい」クラリスさんはまたアルバムをめくり始める。もう1枚の写真はすぐに見つかった。だって。
「なんで……この人形が」
「ご存知でしょうか。備品の一部は学園に引き継がれたそうですから」
「え、ええ。古い人形を扱う部活があるのよ、そこで見たわ」嘘をつく。そこでは見ていない。
「まぁ、それは素晴らしいです。彼女もその人形を大事にしていたそうですよ。その気持ちは脈々と受け継がれているのですね」
「そうみたいね」そうかもしれないけれど、今は違うような……あら?
「彼女を辿ることで縁も結ばれるでしょう。目に見えない糸は確かにあるのですから」
「ちょっと待って、何か……」
「お時間のようです。お手を」
クラリスさんに手を握られる。手の温かさが私にも伝わる。何か、それが不思議で。
「あなたのこれからに幸あらんことを」
「話を聞けて良かったわ。お茶もごちそうさま」手が離される。クラリスさんの表情はにこやかなまま。
ドアのノック音、ゆっくりと2回。ドアは開いて、榊原さんが部屋に入ってくる。
「お待たせしましたぁ、奏ちゃん、帰りましょう?」
買い物袋を持った榊原さんに連れられて、私は部屋を出る。金髪の異邦人のお別れの言葉は、大仰だった。
「ご縁があれば、またお会いしましょう」
38:
29
学生寮・2号館・343号室
店長さんがくれたお土産は、ケーキだった。薄紫色のクリーム。甘い匂いに混じって、微かにラベンダーの香り。手紙が入っていた、『美味しく出来た試作品ですよぉ、お友達とどうぞ♪』ですって。お値打ちだったのはこれが理由みたい。
お土産の箱を丁寧に閉じて、冷蔵庫に入れておく。飲み物は紅茶がいいかしらね。
「かな子、喜ぶかしら」
かな子、どこに出かけているのかしら。ケーキを頂くのは、夕食の後。
39:
30

木犀浪学園・大校舎1階・食堂
かな子が戻ってこない。
「おや、お独りですか」
「白雪さん、かな子を見なかったかしら」食堂に来てみたけれど、かな子はいない。白雪さんが声をかけてきたから、質問で返す。
「見ていませんが。部活では?」
「部活は水曜日だから違うわ。こんな時間まで何してるのかしら……」お腹も空いてきたから、焦りが大きくなってる気がするわ。
「何故、そんなに焦っているのですか」
「焦りもするわ」
「あなたのルームメイトは友人も多いですから、不思議なことではないと思うのですが」
「いいえ、違う」いいえ?ちょっと落ち着きなさい、偶には白雪さんの言うことを聞くべきよ。何故、そんなに焦っているの?かな子と夕食を食べたいからじゃないし、お土産のケーキを一緒に食べたいから……それだけじゃ焦らないわ。
「千夜さん、お待たせしましたわ。あら、水さん、こんばんは」
「待っていません。あなたもオカシイですよ、急に黙って」
「そうね……」こういう時は。
「何かございましたの?」
「何もないはずです、おそらく」
「食べないとダメね。白雪さん、そのパンをくれるかしら」
「ハァ?自分で取れば……人の話を聞いてください」
「白雪さん、ありがとう。相原先輩、また今度」
「ごきげんよう、良い夜をお過ごしくださいませ」
焦っている理由はなに?
答えは、かな子を待つ部屋で悪い予感が育まれてきたからよ。
あの人形が、かな子を連れ出してしまった、って。
40:
31
学生寮・1号館・125号室前
「西園寺さん、いるかしら」
125号室のドアを強くノックする。反応はなし。待っていられなくて、ドアノブに手をかけた。回ったわ、カギはかかってない。
「お邪魔するわよ」
躊躇せずに扉を開ける。125号室には誰にいない。
どちらかが西園寺さんの机とベッドかはわかったわ。上質なモノと可愛らしいモノが並べられている。
もう一方は、今の時代に生きているとは思えないほどに物が少なくて、殺風景だった。本当に、どんな人物なのかしら……いいえ、今は考えない。
西園寺さんの机に目を移す。西園寺さんの長髪には使えないような、小さなヘアコームが置いてあるわ。丁寧に畳まれていた布の正体も良く見るとわかったわ、人形用の洋服。あの人形がここにいたのは、間違いないわ。じゃあ、人形はどこ?かな子と西園寺さんはどこにいるの?
ふと、顔が浮かぶ。幽霊の顔。それに願う。お願い、あなたのイタズラであって。
ケータイのライトが着くことを確認する。かな子には連絡がつかないことも確認したわ。
125号室から出て、走り出す。『キヨラさん』は2号館にしか出ない。それなら、目的地は2号館よりも裏に違いないわ。
41:
32
大校舎1階・寮の連絡通路
玄関に向かっている途中で、誰かにぶつかりそうになった。
「ごめんなさい、衝突しなくてよかったわ。急いでいるの」私より少し高い位置にその生徒の顔があった。紅い瞳、それを隠すような金色の髪、それと病的に白い肌。日本人以外の血が流れているのかしら。見慣れない生徒だったけれど、挨拶をしている時じゃない。
「本当?それだけでいいの?」
何か言っていたけれど、無視して歩き出そうとしたら、腕を掴まれた。妙に冷たくて5本の指で掴まれていることが、鋭く伝わる。細い指と腕なのに、妙に力強かった。
「急いでるのだけれど……」その生徒の顔が思ったよりも近くにあったので、言葉が詰まる。紅い瞳が私の目を覗き込んでいる。彼女が何故かウィンクをした。
「ふーん……これでいっか。私は、小原・ケイト・スカーレット。よろしくね」
「嘘。適当すぎる偽名で時間を取らせないで」何故か、その人は小さく微笑んだ。掴んでいた腕の力は弱まっていた。
「正解、本当は黒埼ちとせ。その調子よ。急いでいるみたいだから、自己紹介は今度ね。ばいばい、嘘つきさん」
「意味がわからない」彼女の腕を振り払って、私は走り出す。
42:
33
木犀浪学園・敷地内・南西端付近
息が切れた後に、目的の場所に辿り着いた。雑木林にあった道の先に、塀と木に囲まれた三角の空間。後から埋めたのか、地面の色が一部違って、崩れたレンガが残っていて、ぽつんと木が一本。柳だった。
「柳の下に幽霊って、ちょっと安直すぎるわ……」足を止めて、息を整える。柳の下には幽霊が佇んでいた。いつも通りの優しい表情で、こちらを見ていた。
「お願い、助けて」『キヨラさん』は何も反応しない。
「かな子が、どこに居るのか教えて」何も答えてくれない。
「どうして、守ってくれなかったの」何も答えてくれない。
「あの人形は、なんなの?」少しだけ反応があった。
「教えて。どうして、私に関わるのか」『キヨラさん』は足元に目を移す。
「そこに、何かあるの?」『キヨラさん』は首を横に振る。
「何、私に伝えたいことがあるのかしら」『キヨラさん』の口元が動く。前にも見たわ、ごめんね、と。何を謝っているのか今もわからない。
「わからない、教えてちょうだい」『キヨラさん』の口がゆっくりと動いた、に・せ・も・の。ニセモノ?
「ニセモノ、ってなに?」『キヨラさん』は小さく微笑む。
「待って」『キヨラさん』が動き出すのを追う。
43:
34
旧校舎・地下1階・廊下
「あれ……?」『キヨラさん』を追っていたはずなのに、見失ったわ。旧校舎の地下なのはわかるけれど、どこで見失ったのかしら。まぁ、いいわ。行くべき場所はわかるもの。
明かりが点いている部屋が1つ。倉庫みたいね、掃除はされているのに、湿っぽい。棚には箱が並べられている。何が入っているかはわからないけれど、学園のものであることだけはわかるわ。私の行き先は、棚が並んだ、その奥。
壁に貼紙、『地下2階立ち入り禁止』。明かりが漏れている。誰がいるのかしらね。
行ってみればわかるでしょう。
44:
35
旧校舎・地下2階・倉庫
並べられた物が、学校のものではないというのはわかった。捨てることはできないモノが、ここに置かれている。この場所の歴史を語る、多くの物たち。ホスピス以前は、農地だったことは、朽ちかけた農具が教えてくれたわ。あの人形もここから持ち出されたのかしらね、すりガラスのケースには何も入っていなかった。
そんな部屋を照らす暖色の蛍光灯の真下、漆塗りのイスが2つ並んでいて、あの人形と西園寺さんが座っていた。
「こんばんは。ようこそ、お待ちしておりましたわ」
「後でいいかしら。かな子を探したいの」西園寺さんが私を出迎えた。西園寺さんの隣に座っている人形は動かない。
「こちらにはおりませんわ」
「調べさせてもらうわ」西園寺さんは止めたりしなかったわ、嘘をついていないからでしょうね。そう広くない倉庫に、かな子がいないことは簡単にわかった。西園寺さんと人形の前に戻ると、私のためのイスが用意されていた。
「かな子はどこにいるのかしら」
「こちらにはおりませんわ」
「それはわかったわ。どこにいるか、聞いているの」
「ベッドのある部屋で眠っていますわ。ご安心してください」
「別に、どちらにも興味はないから。かな子がどこにいるか教えてちょうだい」
「慌てることはありませんわ、お座りになってくださいな」
「私を呼び出した、目的を果たそうとしているわけね」
「ええ」
「あなたの目的を叶えてあげる義理はないわ。答えなさい、私の質問に」
「そうなら、あなたは会えないことになりますわ。お座りになさって」
「あなたの目的は」嘘ではない。嘘ではないから、やりにくい。
「少しお話しませんか。あなたのためにも」
「私のため、ねぇ……」口から出まかせにも思えない。本当にそう思っている。問題は、どちらなのか、ね。
「はい。せっかく、会いに来てくれたのですから」
「かな子は無事なのね」
「もちろんですわ」
「信じることにするわ」用意されたイスに座る。首だけ動かした西園寺さんと目が逢う。人形の視線は私の方を向いていない。感じるのは、西園寺さんの視線だけ。西園寺さんがいつも通りの口調で話し始めたのを、聞き始める。身振り手振りが極端に少なくて、不気味に思えた。
45:
36
旧校舎・地下2階・倉庫
どこで噛みつこうかしら、と身構えるのも疲れて来たわ。西園寺さんの話は雑談だった、よく話題が変わるたびに身構えていたら疲れて来た。私から、かな子の話をしてみても、反応もいつも通りのお上品な西園寺さんで拍子抜けするわ。時々人形を撫でる以外は、妙な行動もないし。西園寺さんが西園寺さんの話をしているだけ。クラスの話をしてみたけど、間違えたことは言ってなかったわ。かな子、大丈夫かしら。
「奏さんは、どうしてこちらに来たのですか」
「家を出たかったから、かしら。前の学校も好きじゃなかったし。そんなところよ」西園寺さんは黙ってしまった。雑な回答だったわね、前にも西園寺さんにあしらうように答えた気がするし。
「わかりませんわ、私には」
語気が変わったことに、気づける隙があった。
「奏さんは、家族と仲が良くありませんの?」
「そうね……上手く行ってないわ」
「そうでしたのね」
「父は粗暴で、母は悲劇のヒロイン気取り。居心地は悪いわね。連休も帰らなくていいなら、帰りたくなかったわ」
「それは……」
「西園寺さんのご家族はどうなのかしら。立派な人なのでしょう?」
「皆さん、そう思われていますのね」
「違うのかしら」
「いいえ。奏さんが思っているような人物ですよ、裏表はありませんわ」
「そう」
「父も母も厳しい人ですわ、弟には特に。父の跡をしっかりやるために、必要なことなのだとはわかっています。西園寺の家に産まれたのだから、仕方がありませんの」
少しだけ寂しそうに、彼女は言った。
「わかっていますわ。愛情があることなんて、わかっていますわ。何不自由なく、過ごせているのも、父と母のおかげですの。弟が苦労してくれるから、私は私の道を行くことができるのも、わかっていますわ」
わかっています、と彼女は繰り返す。自分に言い聞かせるように。
「でも、寮の部屋にいると考えてしまいますわ。ちとせさんがいない時は、特に」
「何をかしら」独りが好きじゃないのね、先日のことは後で謝っておきましょう。
「西園寺でなければ、西園寺に産まれなければ、普通の愛情を受けられたのでしょうか。奏さんも、そう思いませんか。お父様が粗暴とならないように育ったのなら、家を出ることもなかった、と、そう思いませんか」
「ええ、思うわ。父親が西園寺さんのような良い家の生まれなら、と」
ふふっ、と西園寺さんが小さく笑う。
「奏さんを、お呼びして良かったですわ」
「アナタは、どうして、私を呼んだのかしら?」
「私達、似てると思っていましたの」
「どのあたりが、かしら」
「愛されたいのですわ。普通の、人間のように」
「それが、あなたの夢?」
「……はい」
「ふふっ、あはは、おかしいわ、ふふふ」思わず笑ってしまった。
46:
「どうしましたの?」
「アナタは誰に愛されたいの?」
「誰に……とは」
「『キヨラさん』にかしら。この学園にいるものね」西園寺さんの表情は変わらなかった。なのに、強烈な視線を感じる。西園寺さんのものではなく、人形から。ほら、やればできるじゃない。これで、噛み殺せるわ。
「西園寺さんを使って話させてあげる、何か言いたいことがあるの?」
「愛されようと願うことは、悪いことなのですの?」
「別に、そんなことは言ってないわ」
「なら、この気持ちをわかっていただけませんの。この渇望を」
「アナタ、勘違いしてるわ」
「勘違い……」
「嘘の多い人間を、嘘つきと言うのよ」
「嘘つき?」
「迂遠な言い方だとアナタに伝わらないのね。別に不仲じゃないわ。父は粗暴とはかけ離れた性格よ。かな子に聞けばわかることでしょうに、しなかったのね。私の話は、嘘よ」
西園寺さんの表情は変わらない。変え方がわからないのね。
「水奏を勝手に想像して、勝手に期待して、勝手に失望しないでくれるかしら。そういうこと、世界で一番嫌いなの」
47:
37
旧校舎・地下2階・倉庫
霊感はない方だと思っていたけれど、背筋が凍る感覚がした。だけれど。
「なぜ……笑っていられるのですか?」
「私、笑ってるの?ふふっ、だって、可笑しいんだもの、当然でしょう?」口角をあげてみせる。得体の知れないモノを前に、何とかなると思い込んでいる自分が可笑しい。向こうも同じみたいね。言葉が続かないのか、西園寺さんの口を開けたまま止まっている。
「もしも、なんてことは誰しも考えることよ、特殊なアナタだから思いついた特殊なことじゃないの。それに、西園寺琴歌はそんなことは言わないわ」もしもを考えていたとしても、彼女は言わない。西園寺の家に産まれるということはそういうこと。
「それに、私はアナタと同じじゃないわ。水奏はそんな高尚な人物じゃないの。私が転校してきた理由、教えてあげるわ。嘘じゃないわよ?かな子にも言ってない、特別よ」人形は反応してこない。西園寺さんの口は閉じてしまった。
「実家の居心地が悪いのは本当よ。でも、一刻も早く家を出なければいけないほどじゃなかったわ。前の学校も嫌じゃなかったわ。3年間過ごしても問題はなかったの」
「言っていることが……わかりませんわ」
「アナタは長い間ずっとここにいるのだものね。わからなくて、当然。この場所って、不思議なのよ。外の世界と比べたら」『キヨラさん』頃から、ずっとこの場所にいたならわからないでしょうね。
「水奏は誤解されやすいの。アナタみたいに思う人がたくさんいたわ。外見も言葉遣いも、それに嘘つきだから。本当は普通の、平凡な内面を持っているなんて、思われない。愛に飢えたような、斜に構えた態度に見えるのかしら?」人形は答えない。勘違いを指摘されて、恥を覚えるのは人間と同じ。違うわね、これは人間を模造しているモノだから同じということ。
「ここは、水奏でも、ただの高校生として扱ってくれるわ。西園寺さんみたいに、私より特別な生徒もたくさんいるし。外とは違う価値観の教師と生徒の中なら、私はそれ相応の扱いしかされないの。それが欲しかったの。そう扱ってくれる時間は、今だけだから、ここに来たのよ」私は嘘つきで、期待通りに振る舞ってしまう。だから、生徒以上を期待しない人達がいる場所が良かった。そのことに、かな子は気づいているのかしら。気づいているから、今みたいに私に接してくれているのかしらね……そうだったら、かな子も私に負けないくらい嘘つきじゃない。
「ふふっ」
「笑うところだとは、思いませんわ」
「ごめんなさい、アナタには無駄骨を折らせて。アナタの悩みなんてないわ、人形の夢なんて、私には関係のないこと。でも、呼び出されたのにこのまま帰るのも癪ね。アナタに言っておいてあげるわ」
「何……でしょうか」
48:
「アナタは人形よ。人形が受けるべき愛は、あなたには十分に受けているわ。そうでなかったら、そんなキレイな身なりでそこに座っていないわ。それに、西園寺さんのように今も丁寧に扱ってくれる人がいるのよ?これからも人は変わっても、受け継がれていくでしょうね、アナタもわかっているように」人形の視線が弱まったわ。
「アナタに夢は不相応よ。人形が見る夢ではないわ」もう一度視線が強くなる。西園寺さんもこちらを向いた。
「そんなこと、ありませんわ!」
「西園寺さんの声を荒げさせないで。アナタは人形なの、それでいいじゃない」私のお願いは聞いてくれなかった。西園寺さんの声は荒げたまま。
「望んではいけませんの!?誰にだって、願う権利はありますわ!」
「誰って、人形でしょう?人形に、その権利はないわ。代わりに、人形の権利があるの。人間では受けられない、素晴らしいものよ、それは。アナタにはわかるでしょう。もしかして、人形ですらない私がわかるのに、そんなことも、わからないの?」売り言葉には買い言葉。それから、あの言葉が吐き出されるのを待つ。
「違いますわ、貴方ならわかってくれると思ったのに」
「言ってるじゃない、勘違いよ。謝ったわ」
「私はただ……」
「ただ、何?私如きに期待してるの?」
「あの人が学園にいるなら、もう一度だけでもいいから、優しく、愛情を向けて欲しいだけですわ!」
「そう。あの人って、誰かしら?」
「柳清良さん、知ってるはずですわ。とぼけないでください」
言葉は吐き出された。人形をじっと見てから言葉を放つ、これで終わり。
「柳清良の幽霊はいないわ。『キヨラさん』はアナタが作ったニセモノよ」
49:
38
旧校舎・地下2階・倉庫
『キヨラさん』は柳清良の幽霊じゃない。どういうわけか人形が物の怪になって、人形は『キヨラさん』を作り出した。『キヨラさん』の話はいつもワンパターンなのは、作り物だから。その割には独立して動いているのは、別の力を得ているから。生徒達の信仰じみた思いで作り物から『キヨラさん』という存在になった。
作り物じゃない『キヨラさん』に人形は焦がれた。でも、生徒の思いを受けた『キヨラさん』は柳清良がするような行動を取る。彼女は人形の前には現れず、私を人形から遠ざける。
そんな話をしたわ。話をした自分が言うのもなんだけれど、頭のネジが外れたような話ね。そんな話を人形に向かってしている、奇妙奇天烈摩訶不思議。こんなもので、人形へのサービスは十分でしょう。
「西園寺さん、聞いていいかしら」
「違いますわ」
「かな子は、どこにいるのかしら?」
「そんなの信じませんわ」
「もう一度聞くわ。かな子、どこにいるのかしら」
「体育館の更衣室ですわ。迎えに行ってくださいな」
「ありがとう、西園寺さん」
「そんなこと、ありませんわ。きっと、あの人は必ず」
「もういいかしら」そろそろ飽きてきたわ。お年寄りだものね、簡単に意見を変えたりしない頑固モノ。人形は形が変わらないモノ。
「柳清良の思いは同じよ。彼女は人間として生きていた頃にアナタを愛したわ。アナタは生きている人間に人形として愛されるべきよ。それが受け入れられないのなら」イスから立ち上がる。人形を見下ろして、私は覚悟を決めたわ。
だけれど。
「いけませんわ」
西園寺さんの腕が、視界から人形を隠した。
「水さんは、そんなことをする人ではありませんわ」
西園寺さんが私を見上げる。強く訴えかけるように、視線を逸らさない。
「ほら、わかったでしょう。それでも、人形の夢を見続けるのかしら」目線を先に逸らしたのは私だった。西園寺さんの手は力なくおろされ、目線も正面に戻った。
「さよなら。人形として会いましょう。その時は……キスをあげるわ」私は人形に背を向けて歩き出す。視線は、感じない。
50:
39
旧校舎・地下1階・廊下
帰り道に、『キヨラさん』が立っていた。
「かな子を守って欲しかったわ。アナタのせいで、迎えに行かないといけないの」『キヨラさん』は微笑むだけ。今ならわかるけれど、かな子の言った通りね。縁起物の類であって、幽霊でもなんでもない。会ったら幸運になれると思い込ませられる。
「会ってあげないのかしら」柳清良の思い出は人形には今も刻み込まれているから、会っても意味がないの。自分の妄想に恋い焦がれて狂うなんて、バカバカしいわ。
もう一度だけ微笑むと、『キヨラさん』は壁をすり抜けてどこかへ消えてしまった。誰かに望まれている存在だから、自然には消えないでしょうね。
でも、それでいいと思うわ。
「かな子を迎えにいきましょうか」
51:
40
体育館・更衣室
体育館の更衣室には救護用のベッドが1つ備えられている。かな子はそこで眠っていた。ケガとかはないみたい。何よりね、あの人形も本懐を忘れていなかったみたい。
「かな子、起きて」声をかけてみるけれど、起きない。強制的に眠らされているのかしら。体をゆすってみても起きない。眠り姫には口づけかしら……かな子の顔に近づいてみる。寝息が当たるほどに。
「……なんてね。起きて、かな子」口づけはしない。フェアじゃないもの。耳元で言葉をかけるだけにしたわ。
「う、ううん……?」
「おはよう。よく寝れたかしら?」
「え、奏さん?あれ?ここ、どこですか?」
「私達の部屋に帰りましょう、かな子」
良かったわ、私は嘘つきで。この状況を嘘で塗りつぶして、かな子には私に言いくるめられてもらいましょう。かな子が私の嫌いな思いを想像することはないわ、私がそう望むの。
「今日はケーキを用意しているの。さ、早く」
ラベンダーの香りがするケーキ。きっと、優しい味がするわ。
52:
41
後日
学生寮・2号館・343号室
「奏さん、日直だから、先に行きますね」
「いってらっしゃい」
「遅刻しないでくださいね」
「わかってるわ、かな子」
最初から何もなかったように、少し退屈で堅苦しい時間が戻ってきたわ。
『キヨラさん』は今まで通り。一昨日、1年生が見たというウワサを聞いたわね。生徒にウワサが語り継がれなくなる、必要とされなくなるまで、このまま。私に会いに来なければ、それでいいわ。
かな子とは、あの日のことはあれから何も話していない。かな子は言いくるめられてくれたのか、何を言ってもはぐらかされるから諦めたのか、私にはわからない。会ったことと言えば……そうね、かな子がラベンダーのケーキに部活でチャレンジして、失敗したことくらいかしら。
酷い味がしたわね、お手洗いの芳香剤を食べているような……失敗は忘れましょう。
そう言えば、ユリーズという喫茶店は突然なくなってしまった。夜逃げのようにいなくなってしまったみたいだけれど、何があったのかしら。もう、確かめようもないけど。
「早いけれど、私も教室に行こうかしら」身支度を整えて、部屋を出る。廊下ですれ違った生徒に挨拶をしながら、教室へと向かう。
あの人形に煩わされることもなくなった。あの人形がどこにいるかというと、『可愛いもの愛好会』の部室にいるそうよ。西園寺さんが、写真を見せてくれたわ。真新しい真っ赤なドレスを着ていた。西園寺さんの同部屋の先輩が持って来たらしいけれど、派手過ぎよね。大人しく畏まるしかないのもわかるわ。
様子を見にいくのは……本当に大人しくなったのか、もう少し見極めてから、ね。
「おはよう」
「おはようございます、今日はお早いのですわね」
「おはよう、西園寺さん。偶には、ね」変わったことと言えば、西園寺さんとは仲良くなったくらいかしら。人形に話した転校の理由を覚えているかどうかは、はぐらかされてしまって聞けていない。あの時、西園寺さんの口から出た言葉が本心かどうかも聞いていない。でも、互いの弱い所を分かち合えた気がするの。西園寺さんのこと、見直したわ。
「奏さん、琴歌とお呼びくださいな。クラスメイトなのですから」
このやりとり、4月に良くした気がするわ。見直した結果、西園寺さんもかな子と同じで琴歌と呼ぶまで、繰り返すわね。
「わかったわ……琴歌いいかしら」
「はい、ありがとうございます」
「おはようございます……ふわぁ……」
「あら、白雪さん。朝弱いのだから、ぎりぎりまで寝ていればいいのに」
「それだと相原先輩が心配しますから……先生が来るまで机で寝ます。おやすみなさい」
「起きていた方が良いですわ。千夜さん、お話しませんか?」
「そうね、琴歌」
「呼び方……西園寺さんがそう言うのであれば、わかりました。そうさせてください」
「琴歌の言うことは正直に聞くのよね、あなた」白雪さん、お嬢様タイプに弱いのかしら。
いずれにせよ、人形の話はこれで終わり。
品があって芯の強いクラスメイトに、からかいがいのあるクラスメイトもいる、穏やかな学園生活は手に入れた。それに、ルームメイトにも恵まれたわ。この時間を心行くまで、タイムリミットが来るまで楽しむことにしましょう。
どんなモノにも邪魔はさせないわ。どんなことをしても……なんてね。
EDテーマ
メンダークス・アンクティア
歌 水奏・三村かな子
53:
42
サイドストーリー・あの夜のこと
喫茶店ユリーズ・木犀浪学園前臨時店舗前
「ずらかるじぇ!美里、準備はオッケー?」
「オッケーですよぉ。車はどうですかぁ?」
「キッチンカー、行けます?」
「キャンピングカーの方も!乗って!」
「私はキャンピングカーの方に乗りますねぇ」
「私もそうするじぇ。クラリスー、オッケー?」
「はい、キッチンカーの方に乗っております」
営業が終わったというのに、喫茶店が騒がしい。せっかく、来てあげたのに。
「全員準備よし。アタシも乗り込むじぇ……ん?そこにいるとあぶな、げぇ!」
「げぇ、って……久しぶりにあったら、お久しぶりでしょ?」
「おひさしぶりですわ、黒埼ちとせ様」
「わざとらしい。もっと上手にやって?」
「夜は冷えるんだから、さっさと寮に帰るじぇ」
「言いたいことがあるから、来たの。それぐらい言わせてくれない?」
「クラリスの身元を詐称したのは謝るじぇ」
「あはは。そんなに都合よくいるわけないわ。曾祖母が日本にいたなら、日本人の血が流れて無さそうな見た目にならないでしょ。それくらいはわかるし、聞きたいことじゃない」
「じゃあ、なんなのさ?」
「嘘つきさんに、何か暗示をかけた?」
「難しいタイプって美里が言ってたから、嘘に対して鈍感になってもらったじぇ」
「やっぱり、ちゃんと解いてあげないとダメよ。だから私が解いちゃった」
「こんなに急に事態が急転すると思わなかったんだじぇ……というか!」
「というか?」
「そもそも、ちとせがどうにかしなかったから出てきたんだじぇ!」
「責任転嫁?仕方ないでしょ、あの子が怖がっちゃって、私がいる間は出ても来てくれなかったのに」
「3年間も怯えてたから、卒業してないのに先走って暴走したんだじぇ。そこまでに、何でしなかったのさ?」
「悪いものじゃないから、だけど?」
「悪いものじゃなくても、対処は必要だじぇ。わかる?」
「つまり、何が言いたいの?」
「体に不安があるのは重々承知。それでも、あそこにいるなら、やるべきことはやって」
「わかってる」
そんなの、わかってる。問題が起こってそうだから、代わりに来てくれたのもわかってる。
54:
「わかってるなら……」
「うん。お礼を言わせて、ありがとう」
「今日は意外と正直だじぇ、気持ち悪い」
「気持ち悪いって、どういうこと?」
「口が滑って本音が出ただけだじぇ。とにかく、撤収するからバイバイ!」
「待ちなさい。言いたいことを言ってないわ」
「何?手短に」
「難しいの、あそこで起こる問題を解決するのは。積み上げて来た土地の力は独特で、多感な時期の少女がたくさんいるの。その意味は知ってるわよね?」
「知ってる」
「強い力で介入したら、均衡が崩れる。積み上げて来た歴史も価値も無くしてしまう」
「だから、中の人の嘘つきさんにお願いしたんだじぇ」
「上手く行ったからいいけれど、危険すぎるわ」
「じゃあ、どうするの?」
「卒業までには」
「具体案なしに聞こえる、まっ、信じるじぇ」
「体調に問題がなければ、ね。もしも、私がダメになったら……後はお願い。でも、無理矢理は駄目だから」
「だ・か・ら、早く戻れって行ってるんだじぇ」
「わかった」
「どいて。みんな、出発するじぇ!」
「うん、ばいばい」
キャンピングカーとキッチンカーを見送って、4年目の高校生活を送ることになった学園へと戻る。まずは、お人形さんにプレゼントするお洋服、ちゃんと準備しないとね。
おしまい
5

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