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曜「神隠しの噂」


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1:
ラブライブ!サンシャイン!!SS
ダイヤ「吸血鬼の噂」
の続編です。
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2:
ちか「ねー、よーちゃん」
声がして振り向くと、跳ねた髪と背負ったランドセルを揺らしながら、千歌ちゃんが海の方を見ていた。
よう「? どうしたの?」
ちか「あれみて」
千歌ちゃんが指差す先──砂浜に、何かが流れ着いている。
よう「……ふね?」
そこにあったのは一艘の船だった。
とは言っても、もちろん普通の帆船や客船などではない。
そんなものが浜辺に流れ着いていたらもっと大騒ぎになっている。
じゃあ、ヨットやボート? ……いや、もっともっと小さな船だ。
それは大きさにして、60cmほどの小さな船──木で出来たミニチュアの船だった。
ちか「ちっちゃいおふねだね! かわいいね!」
千歌ちゃんは楽しげな声で笑いながら、船の方へと駆け出そうとする。
よう「……」
私はそんな千歌ちゃんの腕を引っ張るようにして、止める。
ちか「わっとと……? どうしたの? おふね、ちかくでみないの?」
よう「ちかちゃん、ふねの上……」
ちか「……上?」
千歌ちゃんを促し二人で目を向けた、木の船の上には──
ちか「……え」
魚が横たわっていた。
ちか「なに……あれ……」
木で出来た小さな船の上に──魚が横たわっていた。
先ほどまで楽しそうだった千歌ちゃんも、その異様な光景に言葉を失っていた。
ただ、私はあれが何かに少しだけ心当たりがあった。船乗りであるパパから聞いた、船にまつわる蠱い……。
よう「あれ……のろいだとおもう」
ちか「のろい……?」
よう「木でつくったふねの上に、のろいたい人が、みにつけてたものを、のみこませた魚をのせてながすとね」
ちか「う、うん……」
よう「ふねとお魚のかみさまがかんちがいして……のみこませたもののもちぬしが、けされちゃうんだって」
ちか「じ、じゃあ……あれって……」
よう「うん……だれかがだれかをけしちゃおうとしてるんだとおもう……」
ちか「…………」
3:
これはパパから聞いた迷信。
ただ、実際目の当たりにするのは初めてだった。
ちか「……どうして、そんなこと……」
よう「……わかんない」
他人にいなくなって欲しいなんて感情、当時の私には、そして千歌ちゃんにも全く無縁のことだった故に、二人して酷く困惑した。
ちか「……こわいな」
よう「……うん、こわいね。もういこ? ちかくにいたくないよね」
ちか「んーん、そうじゃなくて……」
よう「?」
千歌ちゃんは酷く悲しそうな顔をしながら、
ちか「だれかが、だれかをけしちゃおうとしてるなんて……こわいよ……」
そう言葉を漏らす。
ちか「それに……じぶんがしらないところで、だれかにけされそうになってたら……こわいよ……」
よう「ちかちゃん……。……ちかちゃんはだいじょうぶだよ、ともだちもいっぱいいるし」
ちか「そう……かな……」
私は震える親友の手を握って、
よう「だいじょうぶだよ」
目を見て、伝える。
ちか「よーちゃん……」
よう「それに……」
ちか「それに……?」
よう「もし、ちかちゃんになにかあったら、わたしがまもるからっ!」
少し照れくさいけど、ニカッと笑いながら、千歌ちゃんにそう伝えると、
ちか「よーちゃん……うん」
千歌ちゃんは少し安心したのか、和らいだ表情で笑顔を見せてくれた。
ちか「チカになにかあったら……よーちゃんがまもってね」
よう「うん! やくそくする!」
私は千歌ちゃんから頼られるのが嬉しくて、誇らしくて、彼女の手を引っ張りながら、意気揚々と歩き出す。
それに釣られるように、千歌ちゃんも私と一緒にトコトコと歩き出す。
私はこのときから、高海千歌を守る騎士になったのだ。
千歌ちゃんは私を頼ってくれるし、私は千歌ちゃんに頼られる。
だから……千歌ちゃんは困ったら、いつでも私を一番に頼ってくれると──勘違いしていた。
4:
──
────
──────
──6月10日月曜日。
千歌「…………」
浦の星女学院の中、廊下で前方を歩く千歌ちゃんの背中を見つけて、
曜「千歌ちゃん! おはよ!」
声を掛ける。
千歌「ひっ……!」
その声に驚いたのか、千歌ちゃんが声をあげながら、飛び上がる。
千歌「よ、曜ちゃん……」
曜「ひっ……って酷いなぁ」
千歌「あ、あはは……ご、ごめん……」
曜「…………」
こちらに振り向く千歌ちゃんの全身を観察する。
もう衣替えも過ぎたというのに、夏服ではなく、冬の制服に袖を通し、脚には普段余り千歌ちゃんが穿いてこないような、真っ黒なストッキング姿。
校舎内だと言うのに、鍔の広い帽子を被っているし、何より目を引くのは真っ白な手袋だった。
学生のオシャレの範疇を超えている気がしてならない。
まるで強い日差しを異様に嫌う、深層の令嬢を思い起こさせるような……そんな姿だった。
曜「千歌ちゃん……やっぱり何かあった?」
千歌「え……う、うぅん。な、なにもないよ……」
千歌ちゃんは顔を引きつらせながら誤魔化してくる。
嘘が下手すぎる。
曜「千歌ちゃん……悩みがあるなら聞くよ?」
千歌「…………」
千歌ちゃんだって、華の女子高生だ。
日差しが気になることだって、あるかもしれない。
どんな些細なことでもいい。
話して欲しかった。頼って欲しかった。
千歌「……な」
曜「……な……?」
千歌「なんでも……ない……」
曜「…………」
それでも、千歌ちゃんは、話してくれない。
5:
千歌「……ご、ごめん……もういくね」
千歌ちゃんは踵を返して、歩き出そうとする。
私は咄嗟に──
曜「あ……ま、待って……!」
千歌ちゃんの手を掴んでいた。
なんとなく──今、千歌ちゃんを放っておいちゃ、いけない気がしたから。
だけど、
千歌「……!! 放してっ!!!」
──パシンッ!
私が掴んだ手は──乾いた音と共に、振り払われていた。
曜「え……」
千歌「あ……」
──千歌ちゃんに、手をはたかれた。
曜「…………」
千歌「あ……いや……その……」
曜「あ、はは……ご、ごめん……そんな、嫌がられると思ってなくて……」
千歌「ご、ごめん……なさい……」
千歌ちゃんは真っ青な顔で謝ってくる。
曜「う、うぅん……私こそ、ごめんね」
千歌「……ごめんっ」
千歌ちゃんは泣きそうな顔をしたまま、今度こそ踵を返して、教室の方へと走り去ってしまった。
曜「…………」
一人残された私は、はたかれた自分の手を見つめる。
守ると誓って、あの日繋いだ手が、今はじんじんと痛かった。
そんなに強くはたかれたわけじゃないはずなのに、何故だか……すごく、すごく……痛かった。
6:
──
────
──────
千歌ちゃん。
どうして、私を頼ってくれないの。
私、千歌ちゃんのためなら、なんだってするのに。
どんなことがあっても、私は千歌ちゃんの味方でいるつもりなのに。
理由はわからないけど……千歌ちゃんは今、闇の中にいる。
闇の中を一人で歩いて、苦しんでいる。
やっぱり、助けなきゃ。
放っておいちゃだめだ。
私は走り出した。
闇の中を歩く千歌ちゃんの背中を追って。
曜「千歌ちゃん!!」
声を張り上げる。
闇の只中を一人で歩き続ける千歌ちゃんの背中に向かって。
千歌「…………」
だけど、千歌ちゃんは振り向かない。
曜「千歌ちゃんっ!!!」
さっきよりも大きな声で呼ぶけど、それでも千歌ちゃんは振り返らない。
なら、こっちにも考えがある。
私は歩きづらい闇の中で、クラウチングの姿勢を取る。
短距離なら得意だ。
嫌がっても、私の走力なら絶対追いつける。
追いついて、何が何でも千歌ちゃんを救うんだ、守るんだ。
全身に力を込めて、弾けるように飛び出す──
歩きにくい闇の中で必死に足を動かす。
曜「千歌ちゃん!!」
名前を呼ぶ。
曜「千歌ちゃんっ!!!」
だけど、何故なのか。全然距離が縮まらない。
曜「千歌ちゃんっ!!!!」
名前を叫ぶのに、千歌ちゃんは全然反応しない。
まだ、足りないのか──
私は胸いっぱいに空気を吸い込んで、ありったけの大声で名前を呼ぼうとした。
そのとき──
7:
 「──千歌さん──」
闇の中に……声が、響いた。
千歌「……!!」
その声がした途端、さっきまで肩を落として、下を向いていた千歌ちゃんが、顔をあげたのが背中側から見てもわかった。
そして、千歌ちゃんは……その声のする方に一目散に駆け出した。
曜「え……」
──私の声には見向きもしなかったのに。
 「──千歌さん──」
声がする方へと、ぐんぐん進んでいく。
曜「待ってよ……」
気付けば、闇の中に取り残されていたのは──私だった。
曜「……なんで」
急に強い風が吹き荒び、どこからともなく現れた大量の木の葉によって、視界が覆われていく。
曜「私が……守るって……」
途切れ途切れの視界の遥か先で、長い黒髪を揺らして腕を広げて待っている人が居る。
あの人は、よく知っている。
浦の星女学院の生徒会長で、Aqoursの仲間で──私の記憶が間違ってなければ、千歌ちゃんと接点が余りないはずの人だった。
曜「なんで……その人なの……」
悪視界のその先を走る千歌ちゃんが、その人の胸に飛び込んでいく。
曜「……待ってよ……」
そのまま、二人は光に包まれて、だんだんと見えなくなっていく。
曜「待ってよ……」
私を一人、この闇に残して……。
8:
曜「千歌ちゃん……」
──さて、この物語は、この風と木の葉の吹き荒ぶ、闇の中から始まる。
曜「千歌ちゃん……待ってよ……」
──ただ、最初に断っておこう。この物語は……ただ、私──渡辺曜が、
曜「千歌……ちゃ──」
──幼馴染に失恋をするだけの話。
そんな気持ちを抱えて、消えて、居なくなる。そんな物語だ──
9:
 * * *
 「──うちゃん、曜ちゃーん……」
曜「ん……ぅ……」
身体を揺すられている。
曜「千歌……ちゃん……?」
ゆっくりと目を開けると──目の前で葡萄色の髪の少女が少し困ったような顔をしていた。
梨子「千歌ちゃんではないけど……」
曜「梨子ちゃん……」
梨子「だいぶうなされてたけど……大丈夫? もう、放課後だよ?」
曜「放課後……?」
言われて辺りをきょろきょろと見回すと、そこは見慣れた2年生の教室だった。
曜「……夢、か」
気付けば首の周りが脂汗でびっしょりだった。
授業中にうっかり寝落ちして、そのまま悪夢を見ていたらしい。
内容は……なんだったっけ。
懐かしいような、胸が詰まるような……最終的にかなりしんどい夢だった気がするけど。
まあ、夢なんてそんなもんだ。どんな悪夢でも目が覚めてしまえば思い出せないなんてよくあること。
曜「あはは……なんか変な夢見てたっぽい」
梨子「変な夢?」
曜「内容は全然思い出せないんだけど……」
梨子「えぇ……。まあ、平気ならいいんだけど……」
曜「うん、起こしてくれてありがと、梨子ちゃん」
梨子「二学期が始まったばっかりだからって、授業中に居眠りしてちゃダメよ? 千歌ちゃんじゃないんだから……」
曜「あはは、面目ない……」
私は頭を掻きながら、きょろきょろと辺りを見回す。
曜「ところで……その千歌ちゃんは?」
梨子「えっと、千歌ちゃんなら、放課後になった瞬間部室に行ったけど……」
曜「あ……そっか。そうだよね」
──ズキリ。また胸が鈍く痛んだ。
曜「放課後になったら、会える時間だもんね」
そう、ちょっと前に千歌ちゃんと付き合い始めた──あの人に。
曜「──ダイヤさんに……」
10:
自分で改めて口にして、また少しだけ胸が詰まるような感じがした。
 * * *
──本日は9月9日月曜日。
夏休みが終わり、本格的に二学期が始まった放課後。
私は梨子ちゃんと一緒に部室へと足を向ける。
その道すがら、
梨子「それにしても、びっくりしたよね」
梨子ちゃんが唐突に話を切り出す。
曜「ん、何が?」
梨子「千歌ちゃんとダイヤさんのこと」
曜「ん……ああ。そうだね」
梨子「もう……3ヶ月くらい前だっけ? 千歌ちゃんが急に学校に来なくなって……」
曜「そのあと、ダイヤさんともども季節はずれのインフルエンザに罹って……」
梨子「二人とも復帰したと思ったら、付き合い始めてたんだもんね」
曜「あはは……ホントにね」
あえて誰も突っ込まないけど、千歌ちゃんとダイヤさんが揃って学校を休んでる間に何かがあったのは明白だった。
それが何かはわからないけど……。
梨子「ただ、よかったよね」
曜「え?」
梨子「千歌ちゃんがまた元気になってくれて」
曜「あ、ああ……うん、そうだね」
ただ、梨子ちゃんの言うとおり、再び学校に来るようになったときには、千歌ちゃんはいつもの太陽のような笑顔でいっぱいだった。
──そんな安心も束の間、時期が時期だったから、その後の期末試験の補講で、やつれていったって言うのは余談だけど……。
梨子「千歌ちゃんが元気になったのって……たぶん、ダイヤさんのお陰だよね」
曜「……たぶんね」
梨子「意外だったなぁ……まさか、ダイヤさんと千歌ちゃんが……ね」
曜「……うん」
梨子「羨ましいなぁ……恋人かぁ」
曜「……」
梨子ちゃんが羨ましがるのはわからなくもない。
それくらい二人は仲睦まじいカップルになっていた。
今ではすっかりAqours内公認カップルと言ったところだ。
二人でそんな話をしながら歩き、ちょうど部室のある体育館に差し掛かったところで、
11:
 「──わぁぁぁあああああああ!!!?」
曜・梨子「「!?」」
急に部室の方から、大きな声が聞こえてきた。
この声は──
曜・梨子「「果南ちゃん!?」」
梨子ちゃんと二人で声を揃えると同時に走り出す。
すぐさま部室に走ると、果南ちゃんが部室の入り口で、
果南「ぁ、ぁ、あわわ……」
真っ青な顔をして、尻餅をついていた。
梨子「果南ちゃん!? どうしたの!?」
果南「り、りりり、梨子ちゃん……!! ちちちち千歌が……!!」
曜「!? 千歌ちゃんに何かあったの!?」
果南ちゃんの言葉を聞いて、反射的に部室内にいるであろう千歌ちゃんの方に目を向けると──
千歌「ほぇ?」
千歌ちゃんの口元が真っ赤な液体に塗れていた。
曜「……」
梨子「……あー」
果南「な、何二人とも落ち着いてるの!!? ち、千歌が……千歌が血塗れで……!? ってか、あれ食べてる!! 絶対人とか食べてる!!」
曜「果南ちゃん落ち着いて」
果南「お、落ち着けるわけないでしょ!? ち、千歌が……ひ、人を襲って……あわわわ……」
完全にてんぱっている果南ちゃんに向かって梨子ちゃんが溜め息を吐きながら、
梨子「あれ……トマト」
そう伝えると、
果南「……え?」
果南ちゃんがポカンとした表情で千歌ちゃんの方に顔を向ける。
千歌「んっと……果南ちゃんも食べる……?」
千歌ちゃんは困った顔をしながら、果南ちゃんにそう訊ねた。
果南「な、なんだぁ……びっくりした……」
言いながら、そのままへなへなと梨子ちゃんにもたれかかる。
梨子「わわ……! 果南ちゃん大丈夫!?」
果南「ほっとしたら、力が……」
12:
そんな果南ちゃんの姿を見て、千歌ちゃんは、
千歌「……もう! 皆、トマト食べてるくらいでいちいち驚かないでよ! 突然おっきな声出すから、こっちがびっくりしたよ!」
そういいながら、ぷくーっと頬を膨らませる。
果南「いや、だって……」
梨子「大丈夫だよ、果南ちゃん。私もこの前、教室で同じような反応したから……」
曜「あはは……あのときの梨子ちゃんの錯乱っぷりも、大概だったもんね……」
梨子「だ、だって……!」
千歌「おちおちトマトも食べてられないよ……あむ」
そう言いながらも、千歌ちゃんは更にトマトを丸齧りしながら、口の周りを真っ赤な液体で汚している。
果南「というか、なんで部室でトマトなんか食べてるのさ……」
千歌「んー……部室で待ってても誰も来ないから、おやつに」
そんな反応をする前方の千歌ちゃんとは反対側、私の背後から突然、
善子「──おやつにトマトって……アナタ、キャラブレしてるわよ?」
善子ちゃんのツッコミが入る。
曜「あ、善子ちゃん」
善子「善子じゃなくて、ヨハネ」
花丸「マルたちもいるよー」
ルビィ「ぅゅ……みんな入り口でどうしたの……?」
入り口で果南ちゃんを介抱している後ろから一年生たちの姿。
曜「ちょっと、いろいろあって……」
果南「ってか、全然部室でトマト食べてることの説明になってないし!」
梨子「千歌ちゃん、最近トマトブームが来てるみたいで……お昼ご飯もトマト、水筒の中身もトマトジュースだし……」
千歌「おやつにトマト常備は基本だよね!」
ルビィ「カバンの中で潰れて大変なことになりそう……」
千歌「大丈夫! トマトしか入ってないから、滅多に潰れたりしないよ!」
曜「それは大丈夫とは言わないような……」
揃って苦笑していると──
 「──あら……それは、興味深いお話ですわね」
曜「っ!?」
再び背後から、声──今度は凛とした通る声が聞こえてきて、ビクリとする。
振り返るとそこには……漆黒の髪を携えた大和撫子──ダイヤさんの姿。
13:
千歌「!? え、あ、えーっと……」
ダイヤ「……千歌さん? カバンの中に教科書は入っていないのですか?」
千歌「そ、そのー……ほら、トマトで汚れたらいけないかなって」
ダイヤ「聞き方を変えますわね。教科書はどう持ち歩いているのですか?」
千歌「……つ、机の中、かなー」
ダイヤ「まあ……! まさか、学校の机と、千歌さんの家の机の引き出しは繋がってるということでしょうか……!?」
千歌「……! そうそう!! そうなの!」
占めたとでも言わんばかりに、ダイヤさんの発言に激しく頷く千歌ちゃんに、
善子「……のび太の部屋の引き出しがタイムマシンのある場所に繋がってる的な……?」
善子ちゃんが肩を竦めながら、補足する。
ダイヤ「そんなわけないでしょう!!」
千歌「ひぃっ!!!?」
案の定、ノリツッコミ気味にダイヤさんに一蹴されたけど。
ダイヤ「教科書は常に持ち歩かなければ、予習復習が出来ないではありませんか!!」
千歌「予習復習なんて、梨子ちゃんとダイヤさんと花丸ちゃんくらいしかしてないよっ!!」
梨子「えー……」
曜「あはは……」
花丸「そもそもマルは予習復習以外でも教科書読むの好きだけどな?。読み物として結構面白いんだよ?」
千歌「嘘でしょ!? ……でも、善子ちゃんはしてないよね!!」
善子「……ママがうるさいから、最低限はやってるわよ」
千歌「そんなぁっ!? 果南ちゃん!! 果南ちゃんはしてないよね!?」
果南「すごい不名誉な期待をしてるみたいだけど……私は普通に予習復習してるよ?」
千歌「う、裏切り者!!」
果南「裏切り者って……」
果南ちゃんは呆れたように肩を竦める。
千歌「……ルビィちゃん」
ルビィ「ぴぎっ!?」
千歌「信じてるよ」
ルビィ「え、えぇっと……ル、ルビィは……」
急に信頼のまなざしを向けられたルビィちゃんが言葉に詰まっていると、
ダイヤ「ルビィは後で別にお説教をするとして……」
ダイヤさんから、そんな一言。
ルビィ「えぇぇ!!? と、とばっちりだよぉ……」
……ルビィちゃん、確かにたまーに宿題サボって千歌ちゃんと結託して逃げ回ってたりしてたっけ。それじゃ、予習復習はしてないよね……。
14:
ダイヤ「千歌さん? 少しわたくしの躾が甘かったようですわね」
千歌「し、躾って……」
ダイヤ「わたくしの“恋人”が、このような体たらくでいいと思っていますの……?」
千歌「いや、その……」
ダイヤさんから詰問され、涙目でしどろもどろになっている千歌ちゃんを尻目に、
曜「“恋人”……か……」
私は思わず、そう呟いていた。
善子「……曜?」
善子ちゃんが、僅かに反応を示したけど、
曜「……うぅん、なんでもない」
善子「……そう?」
すぐに誤魔化す。
ダイヤ「うふふ♪ 千歌さん、少しわたくしと一緒にお勉強しましょうか?♪」
千歌「ダイヤさんっ!!」
千歌ちゃんは急に立ち上がり、ダイヤさんにタックルするように飛びついて、
千歌「大好きっ!!」
いきなり愛の告白をし始めた。
ダイヤ「……ありがとう、千歌さん。わたくしも貴女のことが大好きですわ。お勉強が終わったら、また聞かせてくださいませ」
千歌「ぐっ!? 愛の告白攻撃が全く効いてない!?」
ダイヤ「もういい加減慣れましたわ。そんな方法で逃げようとしたってそうは行きませんわ。むしろ……」
千歌「む、むしろ……?」
ダイヤ「そういう姑息な手を使う千歌さんには、きっちりお灸を据えないといけないことが、よーーーーーくわかりましたわ」
千歌「え、ちょ、ま、待って……」
ダイヤ「さ、わたくしが見てあげますから……しっかり、お勉強しましょうね、千歌さん……♪」
千歌「あ、の……」
ダイヤ「……着席っ!!」
千歌「は、はいぃ!!」
ダイヤさんの号令で、千歌ちゃんは椅子に即座に腰を下ろす。
梨子「すっかり、尻に敷かれてる……」
果南「ま、千歌にはあれくらいがちょうどいいのかもね」
梨子ちゃんと果南ちゃんが一部始終を見て呆れていると──
鞠莉「Sorry. 遅くなったわ……って、みんなどしたの?」
遅れてやってきた、Aqoursの最後のメンバー鞠莉ちゃんが、部室の入り口辺りで呆れている皆を見て、不思議そうな顔をしていた。
15:
果南「あ、鞠莉。……いつもの」
鞠莉「ああ……メオトマンザイね」
善子「とりあえず……いい加減部室に入らない?」
梨子「そうだね……」
言いながら、一部始終を見て入り口で立ち往生していたメンバーたちがぞろぞろと部室内へと入っていく。
そんな皆の姿を後ろからぼんやり眺めていると──
鞠莉「……曜? 入らないの?」
曜「……え?」
鞠莉ちゃんが再び不思議そうな顔をしながら、私にそう訊ねてきた。
鞠莉「ぼーっとしてたヨ? 大丈夫?」
曜「あ……うん、ちょっと呆気に取られちゃって……あはは」
鞠莉「そう……?」
適当に誤魔化しながら、私も部室の中へと入っていく。
ダイヤ「それでは三次関数からやっていきましょうか」
千歌「……じ、持病の癪が……」
ダイヤ「千歌さん?」
千歌「……はいぃ」
二人の姿を見ながら、思わず、
曜「…………私だったら、もっと優しく教えてあげるのに……」
鞠莉「……」
──ボソッと、そんなことを呟いていた。
 * * *
千歌「だいたい、びぶん? って何の役に立つのさ……」
ダイヤ「微分するとグラフの傾きが求められますわ」
千歌「求めてどーすんのさっ!」
ダイヤ「そもそも微分は複雑な関数を線型近似で捉える考え方ですわ」
千歌「……? せんけーきん……なんて……?」
──ああ、そうじゃないって……千歌ちゃんにそんな難しい言い方しても、わかんないって……。
ダイヤ「今の千歌さんに説明するのは難しいから、とにかく問題を解いてください」
千歌「うぅ……だって、微分って意味わかんないんだもん……」
ダイヤ「最初から諦めていたらいつまで経っても進まないでしょう? わからないところがあったら逐一教えてあげますから、とにかくやってみてください」
千歌「はいぃ……」
16:
ダイヤさんに言われた通り、千歌ちゃんは唸りながら数式を書き始める。
果南「あはは……千歌も大変だね」
梨子「千歌ちゃん数学苦手だからね……」
善子「数学得意なやつなんて居るの……?」
果南「私、数学得意だよ?」
善子「え゛」
果南「ん?? 善子ちゃん? その反応はどういう意味なのかな??」
善子「え、あ、いやー……果南は勉強苦手ってイメージが勝手に……ってか、善子じゃなくてヨハネ!!」
千歌ちゃんとダイヤさんの勉強会を見ながら、皆口々に話しているけど……。
千歌「うぅ……頭痛い……」
ダイヤ「ほら、頑張って?」
皆、気にならないのかな……あんな無理 矢理勉強させたら千歌ちゃんが、可哀想──
鞠莉「曜?」
曜「……え?」
再び鞠莉ちゃんに声を掛けられて、思考を引き戻される。
鞠莉「どうしたの? なんか怖い顔してるヨ?」
曜「え……あ、っと……いや、数学って確かに難しいよねって思って……あはは」
千歌「……むぅ」
私の言葉を聞いて、千歌ちゃんが急にむくれる。
千歌「曜ちゃんが数学難しいなんて言い出したら、チカに出来るわけないじゃん……」
曜「え!? あ、いや、そういうことじゃ……」
梨子「曜ちゃん、数学の成績結構よかったもんね」
鞠莉「この間の期末は学年6位だったっけ」
曜「!? な、なんで鞠莉ちゃんが私の成績知ってるの!?」
鞠莉「理事長だからネ。生徒たちの成績には一応目を通してるんだヨ?」
千歌「学年6位にも難しい数学なんて、私に出来るはずなーい!!」
ダイヤ「曜さんは貴女と違ってちゃんと予習復習をしてるから、出来るのですわ」
曜「…………」
千歌「……曜ちゃんは器用だから予習復習とかしなくても成績いいもん」
曜「え、あー……いや、えっと……」
ダイヤ「そんなわけないでしょう。曜さんだって、ちゃんと影で努力をしているはずですわ。そうでしょう? 曜さん」
曜「えっと……まあ、その……少しくらいは……」
ダイヤ「ほら見なさい」
曜「…………」
17:
……正直なことを言うと、千歌ちゃんが言うとおり、予習復習といった類の学習はあまりやったことがなかった。
そもそも学校のテストって授業でやった範囲しか出ないし……授業をちゃんと聞いていれば点数はちゃんと取れると思う。
ただ、経験上こういうことは口にすると、皆嫌な顔をするので、こういうときは話を合わせることにしている。
そんな私の胸中を知ってか知らずか──
鞠莉「みんな予習復習なんてするんだ……。真面目だネ」
鞠莉ちゃんはあっけらかんと言い放つ。
果南「……確かに鞠莉の部屋で教科書とかあんまり見た覚えないかも」
鞠莉「大体、学校のテストなんて授業でやった範囲しか出ないじゃない。ちゃんと授業を聞いてれば満点取れるでしょ?」
曜「……!」
先ほど私が思っていたのと同じようなことを鞠莉ちゃんが口にする。
──いや、さすがに満点は無理だけど……。
梨子「ま、満点はどうかな……」
ルビィ「ぅゅ……鞠莉ちゃん、しゅごい……」
善子「ま、まさか能力者……!?」
ダイヤ「こんなこと言っていて学年1位なんですから、納得が行きませんわ……」
千歌「あれ? そうなの? 三年生の成績って、ダイヤさんが一番なんだと勝手に思ってた」
果南「小学校の頃から定期テストの成績は鞠莉とダイヤの頂上決戦だったんだけど……」
ダイヤ「悔しいことにわたくしが点数で上回っているのは、国語と日本史だけですわ……英語はともかく、他の科目でも勝てないのは……」
果南「英語、世界史、数学、物理、化学辺りはいっつも鞠莉が1位なんだよね……。国語と日本史もダイヤの方が上ってだけで、鞠莉はいっつも2位だしね」
善子「……もしかして、Aqoursって超エリート集団なんじゃ……」
花丸「そもそも生徒会長と理事長がいる時点で異常ずら。特に理事長」
善子「頭の作りが根っこから違うのかしら……?」
鞠莉「才能の違いはあるかもネ♪」
果南「まあ、鞠莉だし……」
話を聞きながら、私は少しだけ鞠莉ちゃんに親近感を覚えていた。
同じようなことを考えてる人、居たんだ……。
ダイヤ「まあ……鞠莉さんみたいな例外のことは置いておいて、千歌さんは勉強をしないと」
千歌「えー……やっぱり、やるの……?」
ダイヤ「一学期の期末の補講……どれだけ大変だったと思っているのですか。追試のときも、結局わたくしがマンツーマンで教えてあげてやっと赤点回避ギリギリだったではありませんか」
千歌「うぅ……だってぇ……」
ダイヤ「やらないと出来るようになりませんわよ」
千歌「うぅ……わかったよぉ……」
相変わらず厳しいダイヤさんの姿を見て、
果南「ふふ」
急に果南ちゃんが笑い出す。
ダイヤ「? どうかしましたか?」
18:
ダイヤさんが果南ちゃんの反応にキョトンとした顔をする。
果南「いや、二人とも仲良いなって、思って」
善子「これ……仲良いの?」
果南「だって、私が千歌に勉強教えようとしても、泣き喚いて逃げるだけだったし」
千歌「!?/// い、いつの話してるのさっ!/// それ小 学生のときとかでしょ!///」
果南「そうだよ?? あまりに千歌の成績が悪いからって、美渡姉に頼まれて、教えに行ったら、もう泣くわ叫ぶわで大変でさ……それに比べて、ダイヤの言うことなら素直に聞くんだなって」
千歌「い、今はそんなことないもんっ!///」
果南「でも、ダイヤが勉強教えてくれて、ちょっと嬉しいって思ってるでしょ?」
千歌「…………ちょっとだけ……///」
千歌ちゃんは頬を赤らめながら、言う。
果南「いやー妬けちゃうね」
梨子「羨ましいなぁ……」
ダイヤ「……コホン///」
果南ちゃんと梨子ちゃんの言葉にダイヤさんがわざとらしく咳払いする。
ダイヤ「千歌さん! 浮かれてる場合ではありませんのよ? 成績が悪いと部活動にも支障が出るのですから……」
果南「そういうダイヤも結構浮かれてるんじゃない?」
ダイヤ「……え?」
果南ちゃんはそう言いながら、ダイヤさんの髪留めを指差す。
──薄い若葉色のクローバーの葉っぱのような形をしたハート型の髪留めだった。
果南「髪留め新しくしたみたいだけど……なんかダイヤっぽくないセンスなんだよねぇ」
ダイヤ「……!?///」
梨子「あ……それは私も同じこと思ったかも……。どっちかというと……」
果南「──千歌のセンスっぽいよねぇ……」
果南ちゃんがニヤっとしながら言う。
ダイヤ「ぅ……///」
果南「恋人からの贈り物を身に付けてるなんて……いやー浮かれてるよね」
ダイヤ「ち、ちが……!/// これは、前にしていた髪留めを着替えの際に紛失してしまって……その代わりで……///」
ダイヤさんのその言葉に、私は少しだけ身動いだ。
善子「……? 曜?」
曜「あ、いや……なんでもない」
果南「それでわざわざ千歌からの贈り物を??」
千歌「えっとね、失くしちゃったって言うから、プレゼントしたの。お返しに……」
そう言いながら千歌ちゃんは、髪の右側の髪留めに触れる。
そこには、いつもの三つ葉のヘアピンではなく──トランプのダイヤのようなマークを模した水色の髪留めがあった。
19:
梨子「あ、やっぱり……! 前から気になってたんだけど……お返しってことはそれ、ダイヤさんから貰ったヘアピンだったんだね」
花丸「お互い贈り合ったアクセサリーを身に付けてるなんて、ロマンチックずらぁ?」
ダイヤ「えっと……いや、ですから、これは……その……///」
皆、口々に千歌ちゃんとダイヤさんのことをからかい始める。
曜「…………」
その光景を見て、私は胸の中のモヤモヤがどんどん大きくなっていくのを感じた。
ああ、なんか、やだな……。
これはきっとすごく幸せなことのはずなのに、素直に応援出来ていない自分が居て……。
鞠莉「まぁ……ダイヤ」
ダイヤ「な、なんですか、鞠莉さんまで……!!///」
鞠莉「その……あんまりはしゃぐと、見えちゃうよ?」
ダイヤ「……? 見える……? 何がですか?」
曜「…………?」
ダイヤさんが再びキョトンとした顔になる。
千歌「あ、ちょ……ま、鞠莉ちゃ──」
一方で千歌ちゃんが急に焦りだした。
二人の様子を見ながら、鞠莉ちゃんは──制服の左襟の少し内側辺りを人差し指で、トントンと叩いてみせる。
釣られて、ダイヤさんの左首の辺りを見ると──
曜「……え」
ダイヤ「……? ……!!?///」
ダイヤさんはそれが何かに気付き、急に顔を茹蛸のように真っ赤にして、首元に手の平を当てて覆い隠した。
ダイヤ「ち、ち、千歌さぁぁぁぁぁ?ん!?///」
そして、立ち上がり、軽く涙目になりながら、千歌ちゃんを睨みつける。
千歌「え、あ、その、なんというか」
ダイヤ「どうして、貴女はいつもいつも、ココに痕を付けるのですか……っ!!///」
千歌「……く、癖?」
ダイヤ「そんな癖、今すぐ直しなさいっ!!///」
千歌「い、いやぁ……身に染みちゃったというか……」
二人の問答を見て、
花丸「今のって……」
善子「あのときの絆創膏と同じ場所よね……」
梨子「わぁ……/// ほ、本物……初めて見ちゃった……///」
果南「ここまで来ると逆に生々しいなぁ……」
ルビィ「え? え? どういうこと……?」
20:
皆、様々な反応を示す。
それは、ダイヤさんの真っ白い肌に出来た真っ赤な痕──つまり、キスマーク。
そして、そのキスマークを作ったのは、どう考えても……──
曜「……っ!!!」
──ガタッ! 私は思わず、椅子から立ち上がってしまった。
善子「!? び、びっくりした……」
鞠莉「曜……?」
曜「あ……えっと……」
私が音を立てて立ち上がったせいか、部室内は急に静まり返ってしまう。
曜「そうそう……!! 私、今日高飛び込みの方に顔出す予定だったの思い出してさ!」
千歌「え、そうなの?」
鞠莉「……」
曜「うん! 高飛び込みの後輩にたまには来て欲しいって言われちゃってさ、あはは。だから、今日は先に帰るね!」
まくし立てるように言い訳をして、荷物を持って部室から逃げるように飛び出す。
曜「皆、また明日! お疲れ様!」
善子「ちょ……曜……!」
善子ちゃんが何か言いかけてた気がするけど……私は無視するように下駄箱までダッシュする。
──もう……これ以上あの場に居たくなかった。
これ以上、あの二人のやり取りを見ていたら……言ってはいけないことを言ってしまいそうな気がしたから、私は……──
 * * *
曜「……はぁ」
下駄箱に上履きを収めながら、溜め息を吐く。
我ながら、強引な誤魔化し方だった。
あんな下手くそな誤魔化しじゃあ……。
善子「──……曜!」
こんな風に、人が追ってきちゃう。
曜「……ん。どうしたの、善子ちゃん?」
善子「どうしたの、じゃないわよ……」
さて、どうやって誤魔化そうかな……。
21:
善子「ねぇ、曜……」
曜「なにかな?」
善子「嫌なら、嫌って言った方がいいわよ……?」
曜「……なにが?」
善子「なにがって……」
善子ちゃんが困った顔をする。
善子「……はぁ。言いたくないなら無理に追求はしないけど……あんまり抱え込まない方がいいわよ?」
曜「……私、そんなに抱え込んでるように見える?」
善子「かなり」
曜「……そっか」
善子ちゃんは帰る方向が同じということもあって、実のところ一緒に過ごしている時間が結構長い。
加えて善子ちゃん自身、他人をよく観察してる子だし、自分が思っている以上に見られているのかもしれない。
善子「今にも呪いとか黒魔術にでも頼りそうな雰囲気よ」
曜「…………」
その言葉に下駄箱から外履きを取り出す動作が一瞬止まる。
善子「え……? ま、まさか、マジでそんなことしてるの……?」
曜「いや、まさか……善子ちゃんじゃあるまいし」
善子「そ、そうよね……。……って、人のことなんだと思ってるのよ!? それに善子じゃなくてヨハネよ!!」
曜「えー、善子ちゃん好きじゃん、そういうの」
善子「……それは否定しないけど……思い通りにならないからって、そんなものに頼っても良いことなんてないもの」
曜「……? どうして?」
少し意味を図りかねて聞き返す。
黒魔術とか呪いとかって、そういうときに行うイメージだけど……。
善子「そういうのって、大概ストレートに目的が成就しないからよ」
曜「ストレートに目的が成就しない……?」
善子「猿の手……とかが有名だけど……わかる?」
曜「……うぅん、知らない」
善子「ジェイコブズの小説に出てくる猿の手のミイラなんだけど……持ち主の願い事を三つ叶えてくれるの」
曜「うん」
善子「ただ、その願いは本人の望まない形で成就される」
曜「望まない形……?」
善子「お話の中に出てくるのだと……息子が冗談半分に家のローンの残りを払うのに200ポンドが欲しいと願ったら、後日勤務先で事故に遭って亡くなって、彼が受け取るはずだった勤労報酬が両親の手に渡った……その額が丁度──」
曜「──200ポンドだった……」
善子「そういうこと」
曜「それは、なんというか……皮肉な話だね」
善子「願いを叶えてくれるお話って世の中にたくさんあるわ。私の考え方だと、動機の違いはあるけど、誰かを呪うことも同じようなものだと思ってる」
曜「だから、そういうのに頼っても最終的には良くない結末になるってことが言いたいのかな……?」
善子「まあ、ざっくり言えばね。……人を呪わば穴二つとも言うし、人を呪おうとした代償は大抵同じように呪いとして返ってくるわ」
22:
曜「なるほどね……」
善子「だから……辛くても、そんなものに頼っちゃダメよ?」
曜「……覚えてはおくよ。ありがとう、善子ちゃん」
善子「わかったなら、いいわ。……明日はちゃんと部活に来てね。マリーも心配してたから」
曜「え……鞠莉ちゃんが……?」
善子「最近ずっと曜のこと気に掛けてるわよ? 気付いてなかったの?」
曜「……」
言われてみれば、鞠莉ちゃんに声を掛けられること……多かったかもしれない。
曜「……わかった、出来る限り部室にも顔出すよ」
善子「ん、そうしてあげて」
曜「うん」
私は善子ちゃんとのやり取りを終え、学校を後にする。
身体さえ動かせば、きっと……きっと、このモヤモヤも少しは和らぐと思うから……。
 * * *
──高飛び込みの台の上で息を整える。
曜「…………ふぅ」
踏み切り台の端に立ち、
曜「────」
踏み切る。
決める技はもちろん演技番号“317C”──前逆さ宙返り三回半抱え形だ。 (*演技番号:飛込競技には演技に番号が定められていて、4桁表記の場合、それぞれ一桁目は飛込方法、二桁目は宙返りの有無、三桁目は回転数、四桁目は姿勢を表している。)
曜「────」
前向きに踏み切って、そのまま後方に3回転半回転する大技。
同年代だと自分以外に出来る人は見たことがない。
視界が回転しながら、10mの高さを一気に落下する。
そして、出来る限り水飛沫を立てないように真っ直ぐ着水──
 * * *
曜「……ふぅ」
水面に顔出し、プールサイドへと泳いでいくと、
23:
後輩「渡辺先輩!! さすがです!」
後輩が賞賛の言葉を投げかけてくる。
曜「あはは、ありがと」
後輩「やっぱり渡辺先輩の飛び込み見ると、気が引き締まるなぁ……。最近先輩、全然来てくれなくて皆寂しがってたんですよ?」
曜「ごめんね、ちょっとスクールアイドルの方が忙しくってさ……」
水からあがりながら、苦笑い。
言われて気付いたけど、高飛び込みに顔を出したのは本当に久しぶりだった。
それくらい夢中で、スクールアイドルをやっていたから。
そんなことを考えていたら、突然、
 「──忙しいなら、そのまま来なければ良いのに」
曜「……!」
少し離れた場所から辛辣な言葉が飛んでくる。
曜「あ、えっと……先輩……」
声の主は、自分が高飛び込みを始める前から、同じプールで飛び込みをやっていた一つ年上の先輩だった。
先輩「……皆真剣にやってるんだけど? スクールアイドルだかなんだか知らないけど、浮ついてる半端な人に飛び込みやって欲しくない」
曜「……すいません」
後輩「……そ、そんなの渡辺先輩の自由じゃないですか……!」
曜「ゆうちゃん、いいから」
後輩「で、でも……」
先輩「大して出入りもしないのに……後輩従えて、良いご身分ね」
曜「……そんなつもりは……。先輩の邪魔にはならないように練習するんで……」
先輩「……ふん」
低姿勢で居たら、先輩は機嫌悪そうに、飛び込み台の方へと歩いていってしまった。
曜「……ふぅ」
なんとかやり過ごせた。
後輩「渡辺先輩……! なんで言い返さないんですか……!!」
曜「ん……いや、だって、一応向こうの方が先輩だしさ」
後輩「でも……渡辺先輩の方が飛び込みうまいんだから……」
曜「……ほら、そういうこと言ってると、ゆうちゃんも目付けられちゃうよ?」
後輩「いいんですよ! どうせ、来年になったら東京の体育大に進学するって言ってましたし!」
曜「まだ半年以上あるでしょ……自分から居辛くしてどうすんのさ」
後輩を嗜めながら、私はプールサイドを出て行こうとする。
24:
後輩「え、わ、渡辺先輩……もう帰っちゃうんですか!?」
曜「うん、まあ……馬渕先輩の邪魔しちゃ悪いからさ」
後輩「そんな……」
曜「ほら、練習頑張りなよ」
後輩「はい……」
そう言うと、後輩はしゅんとした様子でプールサイドへと戻っていった。
よしよし……。
曜「……はぁ……」
更衣室への道すがら、溜め息が漏れる。
もともと、あの先輩とは折り合いが悪かった。
特に私が大会で成績を残すようになってからは、たびたび突っかかられて大変だった記憶がある。
まあ……自分より後から入ってきたやつが、ちやほやされてたら、そりゃ面白くもないだろうし。仕方のない話だと思う。
……とは言っても、私は大会記録とかにはそこまで興味がなかったし、張り合っていたわけでもない。
だから、嫌味を言われることこそあったものの、本格的にケンカみたいな衝突を起こしたことはない。これまでも適当に謝っておけば、どうにかなった……それに。
曜「…………今までは、千歌ちゃんが応援してくれてたから……」
私が飛ぶたびに、千歌ちゃんが、すごいすごいと、笑ってくれたから。
だから、私は誰に何を言われても、落ち込むことなく、気にすることなく……飛べたんだ。飛び続けられたんだ。
でも、今は……──
曜「…………」
──ツー、と。頬を水滴が伝う。
ぶんぶんと頭を振って、水を飛ばす。
曜「……はぁ……」
気分転換に来たつもりだったのに、かえってモヤモヤしてしまった。
曜「なんか、うまくいかないなぁ……」
私は肩を落としたまま、プールを後にするのだった。
 * * *
曜「……はぁ」
今日何度目かわからない溜め息を吐きながら、日の傾き始めた帰り道をとぼとぼ歩く。
思ったよりプールに居られなかった為、想定より早く帰路につくことになってしまった。
どうしようかな……帰って衣装作りでもしようかな……。
ぼんやりと今後の予定を考えながら、歩いていると──
25:
 「──てりゃっ♪」
曜「……!?」
急に後ろから、何かに抱きつかれる。
──チカン……!?
そのまま手が胸の方に伸びてきて、胸を鷲掴みにされる。
曜「っ!!」
 「Oh...!! これは果南にも劣らない、逸ざ──」
咄嗟にチカンの腕を掴んで、
 「──え!?」
曜「とぉりゃぁぁぁ!!!」
そのまま、背負い投げする。
パパから教わった護身術だ。
 「Ouch!!」
チカンは目の前でお尻を打ち付けて声をあげ──
曜「って……え?」
 「いたた……」
目の前で尻餅をついていたのは男性ではなく、女性……どころか、
見覚えのある制服と、太陽の光を反射してキラキラと光る金色の髪の美少女──
曜「ま、鞠莉ちゃん!?」
鞠莉「あ、あはは……まさか投げられるとは思ってなかったわ……」
曜「え、ご、ごめんっ!? てっきり、変質者かと思って……!!」
すぐさま手を取って、鞠莉ちゃんを立ち上がらせる。
鞠莉「ちょっとびっくりさせようと思っただけだったんだけど……逆にびっくりさせられちゃったわね」
曜「いや、びっくりはしたよ……。大声とかあげられても知らないよ……?」
鞠莉「果南はこれくらいじゃ驚かないんだけどなぁ……」
果南ちゃんはどれだけ鞠莉ちゃんから日常的に胸を揉まれてるんだろうか……。
曜「ホントにそのうち訴えられるよ……」
鞠莉「んーまあ、そのときはそのときで……?」
曜「はぁ……。……それより、どうしたの?」
鞠莉「んー……? なんていうかなー……曜、様子がおかしかったから……つけてきちゃった♪」
そう言いながら、鞠莉ちゃんは可愛らしく舌を出す。
26:
曜「……え、学校から……?」
鞠莉「いや、さすがにプールを出て来たところからだけど……」
曜「……そ、そっか」
鞠莉「そうよ? 曜の居るプール調べるの大変だったんだから?」
鞠莉ちゃんはそうおどけてるけど……飛び込み台のあるプールなんて限られてるし、場所の特定はそんなに難しくはないと思う。
それよりも……。
曜「もしかして……私が出てくるまで待ってたの……?」
鞠莉「ん……? まあ、いつ出てくるからわからないから、そうするしかないし……」
曜「待ってるなら、メールでも送ってくれればよかったのに……」
というか、なんで帰り道で背後から抱きつく必要があるのか……。
鞠莉「だって……」
曜「だって……?」
鞠莉「曜、わたしが居るって知ったら、うまい理由つけて、逃げちゃう気がして」
曜「…………に、逃げないよ?」
鞠莉「……ホントに?」
鞠莉ちゃんが真正面から私の瞳を覗き込んでくる。
曜「……ぅ……」
思わず目を逸らす。
鞠莉「ほら、やっぱり……」
曜「……」
鞠莉「……と言うわけで、マリーは曜とお話をしにきました」
曜「……は、話って言われても……」
鞠莉「少し場所を移しましょうか」
そう言って、鞠莉ちゃんは私の手首を掴む。
曜「え、えっと……」
鞠莉「逃げちゃダメだからネ?」
曜「あ、あはは……」
そのまま、私は鞠莉ちゃんに連行されるのだった。
 * * *
27:
鞠莉「夕日……綺麗ね」
沈んでいく夕日を眺めながら、鞠莉ちゃんが感嘆の声をあげる。
そんな沈む夕日が綺麗に見えるここは──沼津港に位置する大型展望水門『びゅうお』だ。
水門ではあるけど、上部は屋内展望台になっていて、駿河湾を見渡すことが出来るようになっている。
中央通路の窓から夕日を眺めていた鞠莉ちゃんは満足したのか、真ん中の椅子に腰掛けた私の隣に腰を下ろして、
鞠莉「それで……曜は何に落ち込んでるのか、聞かせて貰えないかな……?」
優しげな口調でそう問いかけてきた。
曜「…………」
ただ、何をどう言ったものか……。
何をどこまで言って良いのか……。
鞠莉「……んー、やっぱりわたし相手じゃ、喋りづらい?」
曜「い、いや……そんなこと、ないけど……」
これは私だけの問題じゃない。
千歌ちゃんも……そして、それ以上にダイヤさんは鞠莉ちゃんとの距離が近い。
そんな場所で二人のことを安易に口にするのは……。
鞠莉「曜」
曜「な、なに……?」
鞠莉「今はわたししか居ないよ?」
曜「え……?」
鞠莉「具体的なことは訊いてみないとだけど……なんか、もやもやしてるんでしょ?」
曜「それは……」
鞠莉「別に口外とかしないし、言いたくないことを言えっていうつもりもないからさ。単純に曜が今思ってることを、わたしに教えて欲しいな」
曜「……鞠莉ちゃん……」
……私が思ってること、か……。
なんだろ、私は今……何を思ってるんだろう。
曜「……あの……ね」
鞠莉「うん」
曜「……私、千歌ちゃんとはホントに昔っからの大親友でね」
鞠莉「うん」
曜「お互い何でも言い合える仲だと、思ってたんだ……だけど、スクールアイドルフェスティバルが終わった後くらいからさ、千歌ちゃんちょっと様子がおかしかったでしょ?」
鞠莉「……そうね」
曜「季節外れの冬服……ストッキング、帽子に手袋……。……明らかに何かあって……あの千歌ちゃんが毎日のように、すごく悲しくて辛そうな顔してて……私、千歌ちゃんの力になりたいって思って、声を掛けたんだけど……」
鞠莉「けど……?」
曜「……なんでもないって」
鞠莉「……」
曜「それどころか……拒絶されて、距離を置かれて……」
28:
思わずあのとき、振り払われた手を見つめる。
あのときを思い出して……胸が痛む。
曜「ずっとどうにかして、力になりたいって思ってたのに……千歌ちゃんはそのまま、学校に来なくなっちゃって……」
鞠莉「……」
曜「次に千歌ちゃんに会ったのは、千歌ちゃんがまた登校するようになってからだった。久しぶりに会った千歌ちゃんはいつもみたいにニコニコしててね、ああよかったなって……最初は思ったんだよ? だけど……」
──その直後に、彼女“たち”から伝えられた。
曜「……戻ってきた千歌ちゃんは、気付いたらダイヤさんと恋人同士になってた」
鞠莉「……そうね」
曜「それで、気付いたんだ……私──うぅん、私だけじゃない。他のAqoursの皆すらも拒絶した千歌ちゃんを救ったのは……たぶん、ダイヤさんだったんだって」
鞠莉「……」
曜「でもさ、千歌ちゃんが元気になったんだったら、それって良いことのはずなんだよ。……なのに、なのに、私……何度も何度も考えちゃうんだ……──もし、私がもっと早くに気付いていたら……千歌ちゃんの隣に居たのは、ダイヤさんじゃなくって、私だったんじゃないかって……」
鞠莉「……曜」
曜「たまたま、千歌ちゃんが一番苦しいときに、ダイヤさんが隣に居ただけなんじゃないかって……思ったら、なんか、すごく……悔しくて……っ……」
気付いたら、涙が溢れだしていた。
曜「そこで、やっと気付いた……私、千歌ちゃんのこと……──好きだったんだって……。一番、傍に居たいって思うくらい、好きだったんだって……っ……」
鞠莉「……そっか」
曜「でも、もう……遅くて……。……千歌ちゃん、毎日ダイヤさんのこと、幸せそうに話して……そう……すごく、すごく幸せそうに話すんだよ……っ……」
千歌ちゃんを見ているだけで、千歌ちゃんがどれほどダイヤさんが好きなのかが痛いほど伝わってきて……。
曜「それを聞いてるのが辛くて……そのたびに……千歌ちゃんが一番苦しいときに、ちゃんと隣に居たかったって……っ……ダイヤさんじゃなくて、なんで私を選んでくれなかったんだろうって……想っちゃう、自分が……嫌で……っ……」
鞠莉「……うん」
曜「でも、千歌ちゃんが……っ……幸せなら……っ……私も、祝福してあげないとって……想うのに……っ……全然、そう想ってあげられてなくて……っ……」
──気付けば、感情が止まらなくなっていた。
曜「……千歌ちゃんが、ダイヤさんと一緒に、居るところ、見てると……っ……胸が苦しくて……っ……ダイヤさんが、千歌ちゃんに話しかけてるの見ると……すごく、嫌な気持ちに……な、って……っ……!」
──ああ、こんなところまで話すつもり……なかったのにな。
曜「早く居なくなって欲しい……って……っ……どっか行ってって……想っちゃって……っ……! そんな自分も……嫌で……っ……」
──いっそ、こんな私……親友の幸せを願えない私なんて──
曜「──消えて、なくなりたい……って……っ……」
もう、涙も感情も溢れ出して止まらなかった。
そのとき──
鞠莉「曜……」
ふいに、鞠莉ちゃんに抱き寄せられる。
29:
鞠莉「そんなに、自分を責めなくていいのよ……?」
曜「だって……っ……だって、わたし……っ……!」
鞠莉「むしろ、偉いよ……」
曜「……え……」
鞠莉ちゃんは私を抱きしめて、頭を撫でながら、そう言う。
曜「え、らい……? ……なに、が……?」
鞠莉「だって、辛いのは曜自身なのに……それを言ったら千歌やダイヤが悲しむって、嫌な想いするって思ったから、ずっと一人で抱え込んでたんでしょ……?」
曜「だ、だって……っ……私が辛いかどうか、なんて……っ……千歌ちゃんにも、ダイヤさんにも……っ……関係、ないし……っ……」
鞠莉「まあ……それはそうかもしれないけど……。……わたしだったら、それがわかってても、ダイヤや千歌に怒っちゃうと思うな」
曜「……ひっぐ……っ……ぐす……っ」
鞠莉「二人の間の話とは関係ないってわかってても、自分の気持ちが抑えきれなくて、二人に八つ当たりしちゃうと思う。……だから、苦しくても一人で我慢できてた曜は、偉いよ」
曜「……そんなんじゃ……ないもん……っ……」
唇を噛んで俯く私に、
鞠莉「ねぇ、曜」
鞠莉ちゃんは言葉を続ける。
曜「な、に……っ……?」
鞠莉「どうして、曜は辛いのを我慢しようとするの?」
曜「だ、って……っ……千歌ちゃんの、幸せ……っ……私が、邪魔しちゃ……いけない、から……っ……」
鞠莉「そうなの?」
曜「私、のは……ただの、嫉妬、で……醜い、部分、だか、ら……っ……」
鞠莉「……曜、よく聴いてね」
曜「…………?」
鞠莉「それは確かに嫉妬かもしれないし、どうにもならない嫉みなのかもしれない。……でも、確実に曜はそれで苦しいんでるし、悲しんでる」
曜「…………ぐす……」
鞠莉「曜は誰かが苦しんでたり、悲しんでたりしたら……それは放っておいて良いことだと思う?」
曜「……おも、わない……」
鞠莉「なら、それと一緒。感情は比較級じゃない。自分がどう感じるかだから。それがどんな理由でも、曜が苦しいな、悲しいなって思ってたら……曜は苦しくなくなる方法を考えて良い、悲しくなくなる方法を考えて良いんだよ」
曜「…………」
鞠莉「確かに、自分が苦しくならないように、悲しくならないようにするために、誰かを傷つけたりするのはよくないことだと思う。だけどね、だからって、そのために曜が一人で傷ついて、苦しんで、悲しいままで居て良い理由にもならないんだよ?」
曜「じゃあ……っ……どうしたら……っ……」
鞠莉「だから、わたしが居るんでしょ?」
曜「え……」
鞠莉「曜の苦しい気持ち、悲しい気持ち……わたしが全部受け止めてあげるから」
曜「鞠莉、ちゃん……」
鞠莉「……すごく、辛いことを言うとね……。曜の千歌への気持ちは、今からじゃほぼ確実に成就しないと思う」
曜「……っ……!」
鞠莉「でも……それでも、わたしは曜に前を向いて欲しいな……。だって、苦しそうな曜、見て居たくないもん。……でも、現実は思い通りにいくことばっかじゃない」
曜「…………」
鞠莉「だから……事実を受け止めたその上で……自分の気持ちと、悲しいって、苦しいって気持ちと向き合って……乗り越えて欲しい。今すぐに出来ないなら、目を逸らしてもいいし……一人じゃ出来ないなら、わたしが手伝うから」
30:
曜「……いい、の……? ……迷惑じゃ……ない……?」
鞠莉「迷惑だって思うくらいだったら、今ここにいません。……曜」
鞠莉ちゃんは改めて、わたしのことを、ぎゅーーっと抱きしめる。
鞠莉「よく、ここまで一人で頑張ったね……偉いよ。……よしよし」
曜「……っ……!」
──ああ……そっか。
鞠莉ちゃんの前では、もう隠さなくて……いいんだ。
悲しい気持ちも、苦しい気持ちも……自分の醜い、この気持ちも……。
曜「……ぅ、ぁ、ぁあ……っ……!! ぅぁぁあぁ……っ……!!」
なんだか、肩の力が抜けた気がした。
曜「──なん、で……っ……!! なん、で、ダイヤさん、なの……っ……!! ずっ、と……ずっと、千歌ちゃん、の……そばに、いたの……わたし、だった、のに……っ……!!」
鞠莉「……うん、そうだね」
曜「……わたしも……っ……ちかちゃんの、となりに……っ……いたかったよぉ……っ……!」
鞠莉「……うん……辛いね……曜」
曜「……ぅ、ぁあああぁああああ……っ!!」
夕暮れに照らされて真っ赤に染まる『びゅうお』の中で……私は、鞠莉ちゃんに抱きしめられたまま、自分でも驚くくらいに大きな声で泣きじゃくるのだった。
 * * *
──あれから、結構な時間泣き続けていた気がする。
曜「…………はぁ……」
鞠莉「落ち着いた?」
曜「……泣きすぎて、頭痛い……」
鞠莉「まあ、あれだけ泣いたらね」
曜「泣けって言ったの鞠莉ちゃんじゃん……」
鞠莉「泣けとは言ってないけど……それはそうと、少しはすっきりした?」
曜「……うん、少しすっきりした」
鞠莉「そう、それならよかった」
曜「鞠莉ちゃん……」
鞠莉「ん?」
曜「ありがと……」
鞠莉「ふふ、いいのよ。また、もやもやしたら遠慮なく言ってね? 話ならいくらでも訊くから」
曜「えっと……いいのかな──んぃぃぃっ!?」
急に鞠莉ちゃんに両頬を引っ張られる
31:
鞠莉「……まだ、そんなこと言っているのは、このお口デースか??」
曜「まりひゃん、いひゃぃ?!」
鞠莉「今更遠慮なんてしなくていーの! わたしが思ってることはさっき言った通りなんだから」
そう言いながら、やっと解放してくれる。
曜「いたた……」
鞠莉「次、ミズクサイこと言ったら、もっと引っ張るから」
曜「わ、わかった……もう遠慮しません」
鞠莉「よろしい。……それにね、今回に関しては曜の気持ち……少しはわかるつもりだから」
曜「え……?」
少しはわかる……?
どういうことだろう……私の千歌ちゃんへの想いみたいなのと同じ……。
……まさか──
曜「鞠莉ちゃん……もしかして、ダイヤさんのこと……」
鞠莉「え? ……ああ、いや、そういうことじゃなくてね」
曜「?」
鞠莉「その、なんというか……わたし、チカッチとダイヤの件……結構前から知ってたというか」
曜「……? 結構前って……?」
鞠莉「実はね……ゴールデンウイークのときにもチカッチ、ちょっと様子がおかしかったのよ」
曜「え……そうなの……?」
鞠莉「そのとき、ダイヤに頼まれて……ホテルの部屋を貸したりしたんだけど──あ、もちろんいかがわしい用途じゃないからね? それ自体は、ゴールデンウイーク中に解決したみたいだったんだけど。たぶんスクールアイドルフェスティバル後のチカッチの異変も、それの延長だった気がするのよね……」
曜「そうだったんだ……。えっと、それで私の気持ちがわかるってのはどういう……?」
鞠莉「あ、えっとね……。……スクールアイドルフェスティバルの後、ダイヤに何があったのか訊ねても……答えてくれなくて」
曜「え……前のときはいろいろ手伝ったんでしょ?」
鞠莉「そうなのよっ! 酷いと思わない!? あのタイミングで除け者にされるとは思ってなくって、マリー激おこプンプン丸だったんだからっ!」
鞠莉ちゃんがわざとらしく、頬を膨らませて、頭に人差し指で角を作る。
激おこプンプン丸のジェスチャーだと思う。たぶん。
鞠莉「まあ、ホントに切羽詰ってたのは端から見てても理解できたから……事情があったんだと思うんだけどね。あの時期、ダイヤも相当憔悴してたし……ただね」
曜「……ただ?」
鞠莉「それでも……最後まで頼ってくれなかったのは、正直寂しかった……」
曜「鞠莉ちゃん……」
鞠莉「でも、今更解決した問題ひっくり返して追及するのも野暮でしょ? 事情があって、わたしに話さなかったんだろうってこともわかってるんだし……。まあ、後で千歌とダイヤから二人揃ってのお礼を言われたりはしたけどね。やっぱり内容は教えてくれなかったけど」
曜「……千歌ちゃんに起きた問題って、結局なんだったんだろう……」
改めて考えてみると、謎が多すぎる。
明らかに何かがあったことには皆気付いているのに、ダイヤさん以外、千歌ちゃんに何があったか知らないって、一体どんなことだろう……。
鞠莉「んー……まあ、たぶん、想像も出来ないような不思議なこと……?」
曜「いやまあ……そりゃそうだろうけど」
鞠莉「ダイヤ風に言うなら……メンヨーなことかしら?」
曜「メンヨー……? ……ああ、面妖ね」
32:
不思議なこと。奇妙なことって意味の面妖だよね。
曜「……?」
少しだけその言い回しに違和感を覚えた。
曜「鞠莉ちゃん、もしかして、心当たりがあるの?」
鞠莉「ん……? んーまあ……なんとなく……」
曜「なんか歯切れ悪いね……?」
鞠莉「まあ……いろいろあるのよ」
曜「……? なんかよくわかんないけど……」
たぶん、説明が難しいこと……なんだと思う。
私がとりあえず、そういうことにして納得したのと、ほぼ同時くらいに、
──ブーブー、と鞠莉ちゃんの方からバイブレーションの音がした。
鞠莉「ん……迎えの車が下に着いたみたい」
曜「いつの間に……」
鞠莉「曜、今日はそろそろ帰りましょうか。家まで送るわ」
曜「あ、うん」
私は鞠莉ちゃんに促されて、一緒に『びゅうお』を降りていく。
──こうして、この日を境に、ここは私と鞠莉ちゃんが本音で語り合うための場所になったのだった。
 ? ? ?
鞠莉「それじゃ、また明日ね」
曜「うん、ばいばい。鞠莉ちゃん」
曜が自宅に入っていったのを見届けてから、
鞠莉「それじゃ、淡島方面までお願いね」
運転手「かしこまりました」
ドライバーに車を出してもらう。
外を見ると、日も暮れて、すっかり夜の時間が始まっていた。
鞠莉「……」
車窓からぼんやり、流れる景色を眺めながら、わたしは曜のこれからのことを考えていた。
今日、ああして思っていることを洗いざらい吐き出させてあげたことはよかったと思う。
だけど……だからといって、心の整理が全部ついたなんてことは絶対にない。
千歌とは同じ学校、同じ教室である以上、行けば会わざるを得ないし、ダイヤも部活では確実に会う。
ダイヤと千歌が同時に居る場所にも、だ。
こればっかりは曜の中で納得が出来るようになるまで、待つしかない問題だけど……。
33:
鞠莉「……気持ちを伝えられない恋愛は……辛いわよね」
そう、一人呟く。
成就する見込みのない、伝えることも出来ない、好きな気持ちを抱え続けるというのは……なかなか酷な話だ。
鞠莉「チカッチも……罪な子なんだから」
わたしは曜を憂いて、帰りの車の中で一人、そんなことをぼやくのだった。
 * * *
──9月10日火曜日。
下駄箱から教室に向かう道すがら、
曜「ん……? あれって……」
千歌「んー……! 重い!」
ダイヤ「あとちょっとですから、頑張ってください」
偶然、千歌ちゃんとダイヤさんが並んで本を運んでいるところを見つける。
曜「…………」
朝から仲良いな……あの二人。
早、胸がざわざわしだす。
理由はわからないけど……歩いていく方向を鑑みるに、どうやらあの大量の本を生徒会室に運んでいるようだった。
千歌「ねぇー……やっぱ、わざわざ生徒会室に持ってかなくてもよくない……?」
ダイヤ「いえ、せっかく善子さんにリストアップして貰った本ですし……長期貸出の許可も取れたのですから」
千歌「……はぁー……重い……2ヶ月前だったら、楽勝で持てたのに……」
ダイヤ「いいではないですか、本当に身も心も普通に戻ったということですわよ」
千歌「そうだけどさー……」
ダイヤ「それに……わたくしたちの経験はきっと、困っている人の役に立ちますわ」
……二人は何の話をしているんだろう……?
聞こえてくる内容に、なんとなく耳を澄ませているものの、全く内容が理解出来ない。
──二人の間でしかわからないやり取りなんだろうな。
勝手に盗み聞きした私が悪いんだけど……酷く胸がもやもやする。
そんなことを考えていると、二人は生徒会室の方へと歩いていって見えなくなった。
曜「……教室いこ……」
落ち込むってわかってるんだから、最初から目を逸らして教室に向かえばよかったな……。
34:
 * * *
──滞りなく一日が進み、例の如く、お昼は千歌ちゃんが足早に生徒会室に行ってしまうので、梨子ちゃんと一緒に食べて……。
時間は放課後。
果南「──ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
果南ちゃんの掛け声でステップを踏んでいる今は、屋上で練習の真っ最中だ。
幸いなことに、今日は千歌ちゃんのお勉強会はないようなので、こうしてダンス練に取り組んでいる。
果南「よし……とりあえず、一旦これくらいにしよっか。10分休憩ー」
花丸「ず、ずらぁ……も、もうだめ……」
ルビィ「あわわ……! 花丸ちゃん、しっかりしてぇ……!!」
ダウンする花丸ちゃんと、それを介抱するルビィちゃんを視界の端で捉えながら、
曜「…………」
屋上の端っこの方に一人で腰を下ろす。
すると、中央の辺りで、
千歌「ねぇねぇ、梨子ちゃん。曲出来たー?」
千歌ちゃんがとてとてと梨子ちゃんの方へと訊ねに行く姿が目に入る。
梨子「あ、うん。編曲はまだだけど……今回は歌詞が出来るの早かったし、詩自体もすごくよかったから、すぐイメージが湧いたよ」
果南「へー? あの千歌の筆がいなんて珍しいね。歌詞見てみたいな」
ダイヤ「わたくしも気になりますわ」
Aqoursの作詞担当、作曲担当を中心に果南ちゃんとダイヤさんを含めた4人が集まって、千歌ちゃんの手元にある歌詞ノートに視線を集中させている。
ダイヤ「まあ……! これは……」
果南「へー……ラブソングか」
──ラブソング……。
ぼんやり皆の会話を聞きながら、その単語に一人で引っかかる。
……このタイミングで千歌ちゃんが書いたラブソングの歌詞って……それ、どう考えても……。
千歌「えへへ……なんか、びっくりするくらい歌詞がたくさん溢れてきて……」
果南「これも恋の力かぁ……」
梨子「だよね。なんか、私読んでて感動しちゃったもん」
千歌「そんなに褒められたら照れちゃうなぁ……/// でも、自分でも会心の出来だったと思う!」
梨子「うん! 私もこんな素敵な歌詞だから、曲もすぐに浮かんできたよ! 一応まだ完成品ではないけど……聴いてみる?」
千歌「聴きたい!」
果南「あ、私も……。振り付け決めるための参考にしたいし」
梨子ちゃんが差し出した音楽プレイヤーに挿さったイヤホンを千歌ちゃんと果南ちゃんが、それぞれ片耳ずつのイヤホンで聴き始める。
35:
千歌「……おぉ……!」
果南「……可愛らしい曲調だね。こういうの好きかも」
梨子「気に入って貰えたようでよかった……」
千歌「いやー、当たり前だよぉ……さすがAqoursのメロディーメーカー……梨子ちゃんさまさまだよ」
ダイヤ「千歌さん、わたくしも聴いてみたいですわ」
千歌「あ、うん」
千歌ちゃんからイヤホンを手渡されて、ダイヤさんも音楽を聴き始める。
ダイヤ「……これは、確かに……!」
どうやら、ダイヤさんも気に入ったようで、好感触を示している。
一方で、果南ちゃんは、歌詞ノートと照らしあわせながら、
果南「?♪」
鼻歌を歌いながら、早パート分けを考えている様子。
果南「……ここなんだけどさ」
千歌「んー?」
果南「2番のこの、“言えなくて黙っちゃうときは?”の部分、せっかくだし、千歌とダイヤの二人で歌ってみたら?」
ダイヤ「え!?///」
千歌「えへへ……/// 実は、私もここはダイヤさんと歌えたらなって想いながら書いてたんだよね……///」
梨子「ふふ……私もここ読んだとき、なんか千歌ちゃんとダイヤさんの距離感っぽいなって思ったなぁ。私も良いと思う」
ダイヤ「い、いや……/// で、ですが……///」
果南「もう……何今更恥ずかしがってんのさ……歌詞書いた本人もダイヤとのこと想像して書いたって言ってんだから」
ダイヤ「……/// こ、こういうものは全員の意見を聞いてからの方がいいですわ……!///」
そう言いながら、ダイヤさんは果南ちゃんから歌詞ノートを取り上げて、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
曜「…………」
──正直、今はこっち来ないで欲しいな……。
目の前で見せ付けられて、ただでさえしんどいのに……。
でも、そんな私の胸中をダイヤさんが知る由もなく、
ダイヤ「……?」
彷徨うダイヤさんの視線は私の方を見て止まる。
曜「…………」
ダイヤ「曜さん──」
──ああ、ダイヤさんがこっち歩いてくる。
どうしよ……。歌詞とかこの際、適当に割り振ってくれればいいのに……。
……ダイヤさんと話したくないな。
私の前まで歩いてきた、ダイヤさんは私の前で中腰になって、
ダイヤ「曜さん、あの……」
36:
案の定、訊ねてきた。
曜「……あはは、パート割り、私はどこでも──」
ダイヤ「いや、そうではなくて……大丈夫ですか……?」
曜「……え?」
ダイヤ「顔色、悪いですわよ……?」
曜「…………」
歌詞のことを訊きにきたのかと思ったけど──違った。
単純に私が暗い表情をしてたから、心配されたんだ……。
曜「あ、はは……大丈夫……」
ダイヤさんは私の様子を心配して話し掛けてくれたのに……私、話したくないなんて……。
また、酷い自己嫌悪に襲われる。
ダイヤ「ですが……本当に顔色が悪いですわ。……休憩に入っても、全然水に口をつけていませんでしたし……。まだ残暑もあるし、軽い熱中症かもしれませんわね……」
ダイヤさんが私の体温を確認するためなのか、急におでこの方に手を伸ばしてくる。
曜「!? い、いや……ホント、大丈夫だから……!」
私はそれにびっくりし、急に立ち上がろうとして──
曜「──あ、れ……?」
足元がもつれ、後ろに向かってバランスを崩す。
ダイヤ「!? 曜さん!」
ダイヤさんが声をあげ、咄嗟に手を伸ばしてくる。
でも、後方に倒れそうになる私には届かず、私はそのまま倒れ……──なかった。
鞠莉「……もう、無理しないでって言ったじゃない」
曜「鞠莉……ちゃん……」
気付けば、いつの間にか背後に回っていたのか、鞠莉ちゃんが受け止めてくれていた。
ダイヤ「……はぁ、よかった……」
目の前でダイヤさんが安堵の息を漏らす。
曜「あ、あれ……おかしい、な……」
気付けば身体にうまく力が入らない。
頭がくらくらする。
鞠莉「……ホントに軽い熱中症みたいね。保健室に連れて行くわ」
ダイヤ「お願いしますわ……鞠莉さん」
曜「…………」
私……何してるんだろう。
37:
鞠莉「曜、行きましょ。歩ける?」
曜「……うん」
鞠莉ちゃんに支えられて、よろよろと屋上を後にする。
その折に、
ダイヤ「曜さん……」
ダイヤさんが、
ダイヤ「無理しないでくださいませね……」
声を掛けてくれる。
私は──
曜「…………」
あまりに自分が情けなくて、返事をすることもままならなかった。
 * * *
保健室のベッドに横になって、首や脇を氷嚢で冷やしながら、熱中症の治療をしてもらう。
鞠莉「氷枕作ったヨ。頭の下、いれるからちょっと頭あげて」
曜「ん……」
氷枕が頭の下に入ったのを確認してから、頭を乗せると──
曜「……気持ち良い……」
ひんやりしていて、気持ち良かった。
鞠莉「そう、よかった」
鞠莉ちゃんはそう言いながら、私のベッドのすぐ横に置かれた椅子に腰を下ろして……私の頭を撫でてくれる。
曜「……私、何してるんだろう」
鞠莉「んー?」
曜「……熱中症なんて……これでもアスリートなのに……」
鞠莉「スポーツ選手でも熱中症にかかることくらいあるよ」
曜「…………ダイヤさん、心配してた」
鞠莉「……そうだね」
曜「……私は……こっちこないでって、そんなこと思うばっかで……」
一方で、ダイヤさんは、私が休憩に入ってから、一口も水を飲んでないことにも気付いていた。
私だけじゃない、きっとAqoursの皆の様子を伺っていたんだ……。
38:
曜「……私、自分のことばっかだ……こんなんじゃ、ダイヤさんに、千歌ちゃん取られて……当然だよね……」
鞠莉「曜……」
取られたなんて言い回しさえ傲慢で、言った端から更に自己嫌悪に襲われる。
取られるどころか……同じ土俵にすら立ててない。
鞠莉「曜……そんなに思いつめなくていいのよ……?」
曜「…………」
鞠莉「余裕がないときは誰にだってあるからさ……むしろ、もっと早く声掛けてあげるべきだったよね……あの話聞くの、辛かったでしょ……?」
あの話──千歌ちゃんとダイヤさんが一緒のパートで歌う、ラブソング……。
曜「…………っ……」
ああ、ダメだ……また、涙が出て来た。
鞠莉「ごめんね、曜……」
曜「鞠莉ちゃんの……せいじゃ、ないよ……っ……」
鞠莉「……」
曜「悪いのは……弱い、私……っ……」
鞠莉「曜……」
自分を責めても何にもならないとわかっていても、自己嫌悪が止められない。
そんな弱い自分のせいでまた、鞠莉ちゃんにも迷惑を掛けている。
本当に自分で自分が嫌いになりそうだ。
鞠莉「…………えっと」
鞠莉ちゃんは何かを言いかけて、
鞠莉「…………」
だけど、結局口を噤む。
何かを言うかどうか迷っているようだった。
曜「…………なにかな」
私が促すと、
鞠莉「…………えっとね」
鞠莉ちゃんは、意を決したように、話し始めた。
鞠莉「しばらく、Aqoursをお休みするのはどうかなって……」
曜「……」
鞠莉「ほら、高飛び込みの方に行けば、サボりではないでしょ? 少し離れて気分転換するのも悪くないんじゃないかなって──」
そんな提案。だけど……。
曜「……高飛び込みの方にも……今はあんまり行きたくないな」
鞠莉「……え?」
39:
鞠莉ちゃんはその言葉に驚いたような顔をした。
鞠莉「どうして……?」
曜「……出る杭は打たれるって言うのかな……ちょっと、先輩に目付けられちゃってて……あんまり居場所……ないんだよね」
鞠莉「でも……曜って高飛び込み始めて結構長かったよね……? 先輩ってことは昔から居たんでしょ? どうして今更……」
曜「……今までなら、千歌ちゃんが居てくれたから。千歌ちゃんが……喜んでくれたから……気にならなかった……」
そう……千歌ちゃんが応援してくれたから、先輩の嫌味なんて全く気にならなかった。
むしろ、眼中になかったまである。
私が飛んだら、千歌ちゃんが喜んでくれる、それだけで私が飛び込みを続ける理由は十分だった。十二分だった。
でも今は──
曜「……千歌ちゃんは、もう……ダイヤさんのことしか見えてないから……」
ズキリ、ズキリと胸が痛み、悲鳴をあげる。
鞠莉「曜……」
曜「私……ダメだね……。千歌ちゃんのためとか言いながら……実はずっと千歌ちゃんに依存してたみたいでさ……」
鞠莉「…………」
ホントにどうしようもない。
そろそろ、鞠莉ちゃんからも呆れられ、見捨てられるかもしれない。
そう、思ったけど……。
鞠莉「じゃあ、さ」
見捨てるどころか、
鞠莉「わたしが応援しに行くって言ったら──また高飛び込み、出来る……?」
曜「え……?」
鞠莉ちゃんは、更に一歩踏み込んできた。
曜「でも……」
鞠莉「ただの同情ってわけじゃないヨ? よく考えたらわたし、曜の高飛び込み、ちゃんと見たことなかったし、見てみたいなって思って……ダメかな?」
曜「……」
鞠莉「わたしの応援じゃ、曜の心を満たすには、足りないかもしれないけど……」
曜「そ、そんなことないよ……!」
鞠莉「そっか、じゃあ明日は一緒にプールね」
曜「あ……」
うまいこと誘導されたようだった。
鞠莉「まあ、本当にその先輩がイヤだって言うなら、無理強いするつもりはもちろんないけどね」
曜「……うぅん。鞠莉ちゃんが見ててくれるなら……頑張ってみる」
鞠莉「そう?」
曜「うん」
40:
これはきっとチャンスなんだ。
鞠莉ちゃんがくれたチャンス……。
千歌ちゃんに依存している、情けない自分を変える……チャンスなんだ。
自分にそう言い聞かせる。
鞠莉「じゃあ、今日は明日のためにゆっくり休みましょうか」
そう言って、鞠莉ちゃんは再び私の頭を撫で始める。
曜「……鞠莉ちゃんは練習に戻ったほうが……」
鞠莉「あら……マリーの看病じゃ不満?」
曜「……ぅ……そういうわけじゃ……」
鞠莉「じゃあ、ここにいるね」
曜「…………わかった」
鞠莉「……ふふ、よろしい」
どうやっても鞠莉ちゃんには敵わないようだ。
私は観念して、目を瞑る。
鞠莉「おやすみ……曜」
目を瞑り、身体の力を抜くと疲れていたのか、思ったより早く意識はまどろみの中に沈んでいった。
私の意識が落ちるまでの間、鞠莉ちゃんがずっと、頭を撫で続けてくれていたからなのか、私は久しぶりに心の底から安堵したまま眠ることが出来たのだった──
 * * *
──9月11日水曜日。
放課後、私と鞠莉ちゃんは一緒に飛び込みの出来るいつものプールを訪れていた。
私は10mの飛び込み台に上り……そこから、主に大会時に用いられる観覧用の席に目を向けると、鞠莉ちゃんと目が合う。
すると鞠莉ちゃんはニコっと笑って、手を振ってくれる。
距離が離れているから、何か喋っても言ってることはわからないけど……鞠莉ちゃんがちゃんと見てくれていることだけはよくわかった。
曜「……よし」
41:
──飛ぼう。
飛び込み台の先端に立ち、行う技は一昨日同様、私の一番得意な前逆さ宙返り三回半抱え形──
息を整える。
集中し、思考がクリアになっていく。
この瞬間だけは、私は何にも邪魔されない。
──トン。
踏み切ると同時に、身体を浮遊感が包み込む。
回る視界の中、中空で抱え形に移行し、
──ザプン。
身体は真っ直ぐに着水する。
たぶん、ほとんど水飛沫も上がらなかった、完璧だ。
曜「……ぷは。……よし」
水面から顔を出して、思わず拳を握る。
観覧席の方を見ると、鞠莉ちゃんが拍手しているのが見えた。
曜「えへへ……」
思わず手を振ると、それに気付いた鞠莉ちゃんが手を振り返してくれる。
ああ、やっぱり……誰かが見てくれてるだけで、なんか嬉しいな。
今日、こうして来てよかったかもしれない。
そんなことを考えながら、プールサイドに上がると──
先輩「…………」
曜「……!」
先輩がこっちに冷めた視線を向けていた。
先輩「…………」
曜「えっと……なんですか……?」
先輩「……」
先輩は何度か私と観覧席の方を見比べたあと、
先輩「ふーん……いつもの子じゃないんだ」
そんな言葉を零す。
曜「……」
先輩「新しいファンが出来てよかったわね」
相変わらず刺々しい。
42:
曜「ファンとかじゃないです……」
先輩「そうなの? スクールアイドルとかやってるのって、自分のファンを増やすためなんでしょ?」
曜「それはあくまでスクールアイドルとしてのファンです。高飛び込みとは関係ありません」
先輩「へぇ……」
曜「……すいません、もう行っていいですか」
私は先輩の横をすり抜ける。
真っ向から相手をしてもしょうがない。
今日はせっかく鞠莉ちゃんが見に来てくれてるんだ、出来るだけたくさん飛んで、鞠莉ちゃんにもっと私の飛び込みを見せてあげなきゃ。
先輩「そのスクールアイドルとやらで、全然来なかったのに、最近やけに張り切ってるのね、渡辺さん」
無視だ、無視。
先輩「もうスクールアイドルは飽きちゃったってことかしらね」
関わるな。
先輩「もしかして、うまく行ってないのかしら」
曜「……!」
──足が、止まってしまった。
先輩「あら、図星?」
曜「……」
先輩「だから、逃げて来たんだ、高飛び込みに」
曜「な……」
先輩「よかったわね。ここなら貴方をちやほやしてくれる人がごまんと居るものね。むしろ……」
悪意のある言葉が容赦なく向けられてくる。
先輩「一緒にスクールアイドルやってる子は、可哀想ね……貴方みたいないつでも活動を切り捨てられる人がグループに居て」
曜「……!!!」
その言葉はさすがに我慢ならなかった。
曜「……取り消してください」
先輩「……なんで?」
曜「何も知らない先輩にそこまで言われる筋合いないです」
先輩「でも、うまくいかなくて逃げてきたのは事実なんでしょ?」
曜「……! い、いや……それは……」
先輩「……やっぱり逃げてきたんじゃない」
曜「…………っ」
悔しいけど、うまい切り替えしの言葉が見つからなかった。
私は……確かに、辛くて、逃げてきたんだ。
43:
先輩「渡辺さんさ」
曜「……?」
先輩「大会でミスしたことある?」
曜「……え?」
藪から棒に飛び出した質問に、ポカンとしてしまう。
大会でのミス……? 公式な場での失敗ってこと……だよね……。
曜「えっと……ない、ですけど」
先輩「……だと思った。皆言うものね、貴方は──渡辺さんは“天才”だからって」
曜「……何が言いたいんですか?」
先輩「普通ね……誰だって失敗して成長するものなのよ」
曜「……?」
なんだろう……? 先輩は突然、何の話をしているんだろう……?
先輩「私も……ここのスイミングスクールの他の子たちも。……それどころか、コーチたちも。……全員含めても、自信満々にミスしたことがないなんて言えるのはこの場で貴方くらいよ」
曜「……? ごめんなさい、何が言いたいのか全然わからないんですけど。ミスしたことがないのが悪いことなんですか?」
先輩「わからない? まあ……わからないんでしょうね。……今ここにいる人たちは皆、そんな自分の失敗と向き合って、それでも続けてる人たちなの。貴方と違って」
曜「……?」
先輩「貴方はそんな当たり前の“失敗”を積み重ねてこなかった。だから、ちょっとスクールアイドルがうまく行かなかっただけで耐えられなくて──逃げ出したんでしょ?」
曜「な……」
先輩「だから、さっき言ったのよ。一緒にやってる子が可哀想って。スクールアイドルにそこまで詳しいわけじゃないけど……母数が多くて上の方に行くのは大変だってことくらいは知ってるわ。皆きっと何度も失敗しながら、それでもめげずに、何度も挑戦するのに──」
先輩は冷たく私に言葉のナイフを向けてくる。
先輩「貴方みたいに、失敗の怖さも痛みも知らない人は……ちょっとうまくいかなかったら逃げ出しちゃうんだもの」
曜「……ち、ちが……!」
先輩「でもよかったわね。必死に頑張っている人たちから、逃げ出して、切り捨てても……ここでは皆貴方を“天才”として扱ってくれるもの」
曜「……違うっ!! 私はそんな理由で高飛び込みをやってるんじゃないっ!!」
先輩「じゃあ、なんで渡辺さんは高飛び込みを続けてるの?」
曜「そんなの……!! ……!」
──そんなの……なんだ……?
私は、なんで高飛び込みをしてるんだっけ……。
……千歌ちゃんが、喜んでくれる……から……? それが……理由……? じゃあ、千歌ちゃんが居ない今、私が高飛び込みをする理由は……何……?
先輩「そういえば……今日は……いつも仲良しなあの子、いないのね」
曜「……っ!」
先輩「なんだっけ……チカちゃんだったっけ。……ああ、そっか、そっちもか」
曜「……え」
先輩「──その子とも、うまく行かなくなっちゃったから、切り捨てちゃったんでしょ?」
曜「……っ!!」
──次の瞬間には、無意識に手が出ていた。
私は、先輩の競泳水着に掴みかかっていた。
44:
先輩「何? 違うの?」
曜「なんで……そんなこと、言われないといけないんですか……」
私の気なんか、なんにも知らない癖に。
先輩「……昔っから、チカちゃんチカちゃん言ってる、貴方のその不真面目な姿勢が気に入らなかったからよ」
曜「……!?」
先輩「まるで周りの人間には一切興味がない。自分が興味があるのはそのチカちゃんとやらだけ。周りの期待も、努力も、嫉妬も、羨望も、全部無視して自分がやりたいときに、その子の応援を、歓声を、賞賛を得るためだけに、飛び込む姿勢が……!」
曜「……っ」
だんだんと語気を増していく先輩の言葉に気圧される。
先輩「でもそれだけなら、我慢できた……たった一人のためだけに飛び続けるなんて、正直かっこいいわよ。憧れる。でも、今日来てるのは、違う人? なにそれ? 賞賛を送ってくれれば誰でもいいって? 何? 私たちが必死に自分たちの人生削ってやってることは貴方にとっては、うまくいかなかったときに自分を鼓舞してくれる賞賛を浴びるためだけの道具だって言うの?」
曜「ち、違います……そういうことじゃ……」
先輩「それなのに……!! そんな人にいくら努力しても、勝てないなんて……そんなの酷くない……? 残酷すぎない……?」
曜「…………」
先輩「貴方今年はスクールアイドルをやってたから、高飛び込みの夏季大会にも出なかったでしょ……? 私は高校生活最後の大会だったから、渡辺さんに最後の挑戦をするつもりだった……なのに、貴方は大会にすら出てなくて……。結局最後まで勝てなかったけど、辞めちゃったんだったら仕方ないって無理 矢理自分に言い聞かせてた……なのに、なんで今戻ってくるのよ……」
曜「私……」
先輩「……高飛び込みの大会なんて、いつ出ても優勝できるからってこと……?」
曜「ちが……います……」
先輩「……ねぇ、貴方がいるだけで、自分といかに“才能”が違うのか……思い知らされるの……。もう、いい加減にしてよ……。私、プロを目指してるの……渡辺さんはプロになるの……?」
曜「…………」
──私は小さく首を振った。
私の夢は船長だ。高飛び込みでプロになろうなんて……考えたことがなかった。
先輩「じゃあ、邪魔しないでよ……お願いだから……! 趣味でやってる人が、たまに来て才能だけ見せ付けて、帰っていくなんて……酷すぎると思わないの……?」
曜「…………ごめん……なさい……」
先輩がそんなことを思っていたなんて、考えたこともなかった。
先輩はずっと傷ついていたようだった。私がずっと傷つけていたようだった。
ただ、何よりも辛いのは──今先輩がどうして傷ついているのかが、全然実感として理解出来ないことだった。
自分より上手い人が居たら、それより上手くなればいいだけじゃないか?
なんで、それで傷付くのか……理屈はわかる気がするけど、実感として理解が出来ない。
私が……おかしいのかな……。
 「──ケンカ……?」 「──え、相手渡辺先輩じゃん……」 「──また馬渕先輩から突っかかったんじゃないの……?」 「──今コーチいないの?」
気付けば周囲では、他の子たちが遠巻きに見ながら、ひそひそと話をしていた。
 「──ごめんなさい! ちょっと通してください……!」
その奥から、通る声が聞こえてきた。
声のする方に視線を向けると──目を引く金髪が見えた。
曜「鞠莉……ちゃん……」
45:
鞠莉ちゃんは真っ直ぐ私の方に歩いてきて、先輩との間に入ってから、
鞠莉「……あの、ごめんなさい」
先輩に向かって頭を下げた。
曜「!? ま、鞠莉ちゃん……!?」
先輩「…………」
鞠莉「曜の飛び込みが見たいって無理 矢理お願いしたのは……わたしなんです……。ごめんなさい」
曜「ま、鞠莉ちゃん……!」
鞠莉「練習の邪魔をしてしまったことは、謝ります……ただ」
先輩「……?」
鞠莉「……あなたは曜のこと、何もわかってない。……あなたが曜の能力に嫉妬するのは自由だけど……あなたの勝手な価値観で、曜を値踏みしないで」
──突然現れた、金髪美少女が、頭を下げたと思ったら、今度は突然啖呵を切るという状況に誰も追いつけず、この場に居た人物全員が唖然としてしまっていた。
……私を含めて。
ただ、何故か先輩だけは、
先輩「…………そう」
感情的だった先ほどとは打って変わって、逆に落ち着いた顔をしていた気がする。
鞠莉「曜、行きましょ」
曜「え、あ……うん」
鞠莉ちゃんに手を引かれて、プールサイドから出て行く。
背後で、私たちがプールから出て行ったことによって、事態はとりあえず終息したんだと理解した場内は、いつもの練習風景の喧騒へと戻っていくのがわかった。
鞠莉「曜……ごめんね」
曜「え……」
鞠莉「わたしの方こそ事情がよくわかってなかった……」
曜「……うぅん、鞠莉ちゃんのせいじゃないよ。むしろ、変なことに巻き込んじゃってごめんね」
鞠莉「うぅん、大丈夫。あと……」
曜「?」
鞠莉「曜の飛び込み──最高にかっこよかったヨ!」
そう言って、鞠莉ちゃんはにっこりと笑うのだった。
 * * *
──さて、所変わって、私たちは再び『びゅうお』で中央通路のベンチに座って、夕日を眺めていた。
曜「……ねぇ、鞠莉ちゃん」
鞠莉「んー?」
曜「私……飛び込み、やらない方がよかったのかな……」
46:
私が居るだけで、傷つく人が居る……それなら、いっそ──
鞠莉「そんなことないよ」
曜「でも……」
鞠莉「……だって、スポーツの世界だもの。極端ではあるのかもしれないけど、あんまり努力しなくても出来ちゃう人も居れば、たくさん努力しても全然上手くならない人も居る。それって仕方のないことだよ」
曜「……」
鞠莉「そして、同時に誰も彼もが、その事実を受け止めきれるわけでもない」
曜「……そういう、ものなのかな……」
鞠莉「せいぜい、わたしはそう思ってる。……それに、曜」
曜「?」
鞠莉「あなた、あの先輩が何に傷ついてたのか……正直よくわかってないんじゃないかしら?」
曜「!」
ギクリとする。
曜「な、なんで……」
鞠莉「あー……まあ、なんかそうじゃないかなって思ってたんだ……──曜って、わたしと似たところあるから」
曜「え……? 鞠莉ちゃんと……? 私が……?」
鞠莉「天才肌なところとか」
曜「自分で言っちゃうんだ……」
鞠莉「実を言うとね……わたし、昔似たようなことで、友達とケンカになったことがあるの」
曜「そうなの……?」
鞠莉ちゃんの友達……。
曜「イタリアの友達とか……?」
鞠莉「ん? ああ、違う違う。その友達ってのは、ダイヤのことだヨ」
曜「え!? ダイヤさん!?」
確かに、鞠莉ちゃんとダイヤさんってくだらないことでよく口論してるイメージだけど……。
鞠莉「小 学生の頃だったかなぁ……あのときのダイヤってすごい泣き虫でね」
曜「え……あのダイヤさんが……?」
鞠莉「いやもうすごかったのよ? ちょっと大きな音がしただけでびっくりして泣き出しちゃったり」
曜「そ、想像出来ない……」
鞠莉「間違いなく今のルビィよりもよく泣いてたわ。まあ、そんなダイヤだけど……家が厳しいのは昔からだったみたいでね」
曜「うん」
鞠莉「ある日、定期テストの結果について……ご両親に叱られたんだって」
曜「酷い点を取っちゃったってこと……?」
鞠莉「ううん。全教科95点以上だったみたい」
曜「え? じゃあ、なんで……」
鞠莉「わたしが全教科満点だったから」
曜「……え?」
鞠莉「黒澤家って、なんでも一番じゃないといけないって家訓があるみたいでね、勉学で一番が取れなかったダイヤは……酷く叱られたそうなの」
曜「……酷い」
47:
鞠莉「まあ、酷いとは思うけど、こればっかりはご家庭の方針だからね……。それでね、それが何度か続いたあと、ある日ね……ダイヤに言われたの」
──────
────
──
ダイヤ「まりさんがいると……また、しかられてしまいますわ……わたくし、いっぱいおべんきょうしてるのに……」
まり「……そんなこと言われても」
ダイヤ「そ、そうだ……! まりさん、おうちでどんなおべんきょうをしているのですか!? それをおしえてくれれば……」
まり「えっと……いえでべんきょうしたことないけど」
ダイヤ「……え?」
まり「だって……テストの問だい、かんたんだし……」
ダイヤ「そ、そんな……な、なにかほかにとくべつことをしてるんでしょう!? それをおしえてください……!」
まり「なに、とくべつなほうほうって……してないよ、そんなこと……」
ダイヤ「そんな……じゃあ、わたくしいつまでたっても……」
まり「ねえ、ダイヤ」
ダイヤ「な、なんですか……?」
──
────
──────
鞠莉「──今考えてみると、あのとき言ったことはかなり無神経だったって思うなぁ……」
曜「なんていったの……?」
鞠莉「『なんでダイヤは、100点とれないの?』って」
曜「……うわ……」
鞠莉「……いや、もうあのあとは酷かったわ。ダイヤが見たこともないような怒り方で暴言を浴びせかけてきて、それに対してわたしもSell wordにBuy wordで大喧嘩になっちゃってね」
曜「……売り言葉に買い言葉?」
鞠莉「Yes ! ……わんわん泣きじゃくるダイヤと取っ組み合いのケンカになって……結局、最終的には果南が気付いて仲裁に入ってくれたんだけど」
曜「……けど?」
鞠莉「果南に押さえつけられながらも、ダイヤに向かって──」
 まり『泣くくらいなら、さいしょっから100点とればいいじゃん!! バカダイヤ!!』
鞠莉「って、追い討ち掛けちゃってねぇ……」
曜「……うわぁ……」
鞠莉「そのあとはしばらくケンカ状態だったかな。まあ、その辺は子供のケンカだから、しばらくして気付いたら元の距離感に戻ってたんだけどね。……そういえば、その頃からだったかな」
曜「? 何が?」
鞠莉「ダイヤが、滅多に泣かなくなったの……」
鞠莉ちゃんは懐かしむように、話す。
鞠莉「それからしばらく経って……中学三年生になったときだったかな。毎日のように、受験勉強をしてるダイヤを見て、やっと客観的にわかるようになったんだけど……たくさん勉強をしても、思うように成績が伸びなくなっちゃうことって、どうやら普通の人にはあることなんだって」
曜「……」
鞠莉「果南にその話をしたら、『気付いてなかったの!?』って驚かれちゃったわ。どっちかというと特殊なのは、わたしの方だったみたい」
「まあ、それでも国語と日本史だけは努力で追い抜かされたんだから、ダイヤの能力も相当だと思うけどね」──と鞠莉ちゃんは肩を竦めながら付け足す。
48:
曜「あれ……? でも、結局それだと何も解決してないような……」
鞠莉「ん?」
曜「だって、結局鞠莉ちゃんは勉強しなくても、ダイヤさんより良い点が取れちゃうんでしょ……?」
鞠莉「んーまあ、そうね」
曜「どうやって解決したの……?」
鞠莉「えっとね……この話、結論から言うとダイヤが嫌だったのは、テストの点でわたしに勝てないことでも、親から叱られることでもなかったのよ」
曜「え……?」
どういうことだろう……? 私は首を傾げてしまう。
鞠莉「一度ね、ダイヤがそんなに辛いなら、わたしが点数を下げればいいんだって思って、わざと全部の問題を間違えたことがあったの」
曜「……それはまた極端だね」
鞠莉「ただ、そのときテストの結果を見て、ダイヤはやっぱり怒ってね。こう言ったの」
 ダイヤ『手を抜いた貴方に勝っても、何もうれしくありませんわっ!!』
曜「……」
鞠莉「それで思ったの……ダイヤが怒ってたのは、自分の努力に見向きもしないわたしが、気に食わなかったんじゃないかって。本質って結局話してみないとわからないことが多いからさ。だから、それ以来ダイヤに対しては思ったことは出来るだけ言うようにしてるの。お陰で口喧嘩は増えたけど……ダイヤも随分本音をぶつけてくれるようになったし。仲の良さは曜の知ってるとおりよ」
曜「あ、あれ……? じゃあ、もしかして先輩も……」
鞠莉「たぶん……曜の眼中にすら入ってないことが、嫌だったんだと思うよ? せめてライバルとして認めて欲しいって、思ってたのかもね」
曜「そう、なんだ……。……そういうことなら、言ってくれればいいのに」
そうすれば、あんなギスギスしないで済んだかもしれないのに……。
鞠莉「いやー……そういうタイプの人って、かっこつけたがるからさ。ダイヤもそうだけど、自分をライバルとして認めろーなんて言い出せないみたいよ?」
曜「そういうもんなのかな……」
鞠莉「まぁ……実のところどうなのかは本人にしかわかんないけど……。特にわたしたちはそういう人たちの気持ちを汲んであげるのは苦手っぽいし」
曜「……そっか」
鞠莉「だから、結局最終的には話すしかないのかなって……価値観なんて皆違うからネ。少しずつ理解し合いながらすり合わせるしかないんだと思うよ」
曜「……うん。……それはそうと……困ったなぁ」
鞠莉「ん?」
曜「さすがにしばらくは……あのプールに近寄れないかなって……」
鞠莉「あー……まあ……なんか、ごめんね」
曜「いや……大丈夫。どっちにしろ、一人じゃ近寄らなかっただろうし……。それよりも、高飛び込みの方に行かないんだったら……これからどうしようかな」
高飛び込みに行かないということは、Aqoursをお休みする口実がなくなったということでもある。
49:
鞠莉「まあ、とりあえず明日は練習はお休みしましょうか。まだ体調が本調子じゃないってことにしてね。わたしの方から皆には伝えておくから」
曜「い、いいのかなぁ……?」
鞠莉「嘘もホーベンだよ? それこそ本当にまた体調崩したら、迷惑が掛かっちゃうから」
曜「……うん……じゃあ、そうしようかな……」
鞠莉「あとは……お互い、何か良い案を考えて来て、明日発表するってことでどうかしら」
曜「何も思い浮かぶ気がしないけど……」
鞠莉「そのときはそのときよ。とりあえず考えてみて、二人で話し合ってみたら意外と妙案が見つかるかもしれないしネ」
曜「だといいなぁ……」
鞠莉「まあ、焦らず行きましょう? ちゃんと付き合うから」
曜「うん……ありがと、鞠莉ちゃん」
気付けば窓の外の夕日は沈み、夕闇が空を覆い始めているところだった。
 * * *
一昨日同様、鞠莉ちゃんの家の車で自宅まで送ってもらって、今は自室。
曜「何か考えるって言ってもなぁ……」
今は鞠莉ちゃんに言われた宿題を考えている真っ最中。だけど、まるで良い案なんて思いつかない。
というか、簡単に思いつくならこんなに困っていない。
ただ……今日に関しては部活に行かなかったからか、少しだけ気持ちは落ち着いていた。
曜「やっぱり……会わないことが正解なのかな……」
とはいえ、それじゃ問題を先送りにしてるだけで、何も解決しない。
曜「うぅーん……」
頭を抱えながら、椅子の背もたれにもたれかかりながら、天井を仰ぐ。
曜「うーん……」
唸りながら、背もたれにもたれかかっていると、どんどん身体が後ろに仰け反っていき、最終的に逆さまになった自室が視界に広がっていた。
曜「……こんなことしても、なんにも……ん?」
ふと──自室の模型の棚が目に入る。
大好きな船の模型がたくさんおいてある大きめな棚だ。
曜「…………」
私は、身を起こす。
思いついたかのように、棚についている、小物入れの引き出しを開け、その中にある──小さな小物を見つめて──
曜「……い、いやいやいや……何考えてるんだ、私!」
50:
すぐに思い直して、引き出しを閉めた。
曜「……はぁ。……ホント、どうしよ……」
私は再び頭を抱える。
そんなこんなで……どうやら、眠れない夜はまだまだ続きそうだなと思うのだった。
 ? ? ?
鞠莉「うーん……失恋から立ち直る方法……」
曜に考えるように言った手前、自分が何も思いつかないというのも情けないと思い、いろいろ考えてはいるのデスが……。
鞠莉「……会わないって選択肢が難しいのがNeckなのよね……」
とはいえ、曜の千歌への想いが成就する可能性は二人を避け続けるよりも、更に困難だ。
千歌とダイヤが別れるなんて、それこそそんな未来の方が想像出来ないし……。
鞠莉「となると……もっとストレートに失恋の傷を癒す方法を考えた方がいいのかしら」
失恋の傷を癒すって言うと……。
鞠莉「テッパンなのは、新しい恋を探す、かしらね……」
新しい恋……。
んーまあ、曜は千歌が好きなくらいだし……女の子でも有りっちゃ有りなんだろうけど……。
鞠莉「問題は相手側よね……」
まあ、曜って人気者だから、誰でも良いなら相手に困らなさそう……。
鞠莉「でも出来るなら曜の事情を知ってる人の方がややこしくないわよね……」
そんな都合のいい人……。
……。
鞠莉「あら……?」
そこで気付く。
鞠莉「いるじゃない……適任が……!!」
わたしは妙案を思いついて、
鞠莉「これよ……!! これしかないわ! なんでもっと早く思いつかなかったのかしら!」
わたしは月明かりに照らされる部屋の中で、一人テンション高めに自分のナイスアイディアを賞賛するのだった。
51:
 * * *
──9月12日木曜日。
 鞠莉『ごめん! 曜! 急な理事長の仕事が入っちゃって……。夕方には向かうから、いつもの場所に先に行って待ってて!』
……と、言われ、私は綺麗な夕日が眺められるくらいの時間になってから、三たび『びゅうお』に訪れていた。
まさか、一週間に3回もここに来ることになるとは……。
そろそろ受付のおじさんに顔覚えられちゃうんじゃないかな……。
まあ、それはそれで別にいいんだけどさ。
鞠莉ちゃんを待ちながら、いつもの中央通路のベンチで夕日を眺める。
改めて、しっかり見てみると、海の向こうに沈んでいく太陽をこんな高い場所から見ることが出来るのはなかなか絶景だった。
海の方に目を向けると、漁のためなのか、灯りを点した船がいくつか見える。
その船たちは、真っ赤な夕日を反射した海に浮かんでいて──まるで、炎の上を渡っているようにも見える。
小さい頃は、海を眺めるのが好きだったし、家から近かったから、よく遊びに来ていたけど……高校生になった今だと、同じ景色もまた少し違うようにも見えてくる。
たまに、こうしてじっくり展望台から景色を眺めるのも悪くないのかもしれない。
ぼんやりとそんなことを考えていたら──
鞠莉「はぁ……はぁ……曜、お待たせ……!」
鞠莉ちゃんが息を切らしながら姿を現す。
曜「鞠莉ちゃん! もしかして、走ってきたの……?」
鞠莉「遅くなっちゃったからね……バス停から遠いのよ、ここ……」
曜「バスで来たんだ?」
鞠莉「さすがに車で来て、帰るまで待っててって言うのもね……。……まあ、それはともかく曜、ちゃんと考えてきた?」
鞠莉ちゃん息を整えながら、私の横に腰を下ろす。
曜「うーんと……考えはしたんだけど……良い案が思い浮かばなくて……」
──まあ……悪い案なら思い浮かびかけたけど……。
鞠莉「まあ、曜が簡単に思いつくようなら、それこそ今悩んでないものね」
曜「仰る通りで……」
鞠莉「でも、安心して? このマリーが妙案思いついちゃったんだから!」
曜「え、ホントに……?」
鞠莉「ええ!」
鞠莉ちゃんは自信満々な様子だ。
期待して、いいのかな……?
鞠莉「失恋の傷を癒すには、どうすればいいと思う?」
曜「どうって……」
それが思いつかないから困ってるというか……。
52:
鞠莉「答えは簡単、新しい恋をすること!」
曜「うん、まあ、よくそう言うよね」
鞠莉「そういうことよ!」
曜「…………ん?」
……えっと? つまり……?
曜「私に新しい恋を探せって……言いたいの?」
鞠莉「Yes !」
曜「ええー……」
鞠莉「不満そうね」
曜「いや、だって……」
鞠莉「だって?」
曜「千歌ちゃん以上に好きになれる人……居ないよ」
鞠莉「ふふ……曜のその一途なところは嫌いじゃないわ。でも、チカッチと恋人には、もうなれないかもしれないけど……ちゃんと友達としてでも、一緒に居られた方がいいって思ってるんだよね?」
曜「うん……そうだけど……」
鞠莉「なら、気持ちを切り替えるために、新しい恋を探すのも……悪くないんじゃないかなって」
鞠莉ちゃんはそう言う。
曜「…………」
鞠莉「……新しい恋を探すのは……嫌?」
曜「嫌……というか……」
鞠莉「というか?」
曜「……それって、相手の人にすごく失礼じゃないかな」
鞠莉「失礼?」
曜「だって、つまり……千歌ちゃんの代わりになる人を探すってことでしょ……」
それはなんというか……すごく相手の気持ちをないがしろにしている気がしてならない。
鞠莉「……ふふ」
曜「……? な、なに……?」
鞠莉「曜なら、そう言うと思った」
曜「え……?」
鞠莉「曜、優しいもんね」
曜「えっと……?」
思わず、頭にハテナが浮かぶ。
鞠莉ちゃんは私が了承しないってわかった上で、これを妙案だって、自信満々に言ってるってこと……?
きっと私は心底不思議そうな顔をしてたんだと思う。
そんな表情を見てか、鞠莉ちゃんは言葉を続ける。
53:
鞠莉「曜は自分のためだけに、新しい恋を見つけに行ったり出来ないし、ちゃんと気持ちを向けられないまま恋愛を始めたり出来ないってことは、わかってるよ」
曜「……?」
鞠莉「だからね、わたし考えたの。新しい恋って言っても……別に振りでもいいんじゃないかなって」
曜「振り……? 恋人の振りをするってこと?」
鞠莉「そう。恋人の振りをして、自分はチカッチじゃなくって、その人と恋してるんだーって思い込むの」
曜「う、うん……?」
鞠莉「人間、振りを続けてるだけでも、意外とそれに引っ張られて順応するものなのよ? だから、自分が好きなのはチカッチじゃないって日常的に思えるくらいの状況を作っちゃえば、少しずつ傷も癒えてくんじゃないかなって」
曜「そう……なのかな……」
鞠莉「今は……チカッチのことで頭がいっぱいだから、ことあるごとに苦しくなっちゃうんじゃないかな……。だから、少しずつでも、チカッチから意識を外せるようにすれば……そのうち気持ちも落ち着くと思うの」
なるほど……。
曜「んっと……まあ、なんとなく言いたいことはわかったんだけどさ」
鞠莉「?」
曜「でもそれだと……恋人の振りをしてくれる相手が必要だよね」
鞠莉「そうなるわね」
曜「そんなこと、してくれる人……居るのかな」
詰まるところ、鞠莉ちゃんが言っているのは、千歌ちゃん以外の誰かと恋人ごっこ的なことをしようという話だ。
私の気持ちが落ち着いたら、恋人ごっこを終わりにしてくれる人じゃないといけないし……。
今回は理由が理由だから、私がどうして恋人ごっこの相手を欲しているのかを理解してくれる相手である必要がある。
つまり……。
曜「事情を知っていて、全部終わったら元通りの関係に戻れて、私に恋愛感情を抱いていない、かつ恋人のように一緒に時間を使って過ごしてくれる人ってことだよね……? そんな人、居るの……?」
誰かと付き合ったことがあるわけじゃないから想像でしかないけど……恋人同士って、お互いが好きだから一緒に居続けられるもので、そういう気持ちがない状態で長期間、長時間一緒にいるのはいろいろ大変な気がする。
それこそ、そんな中で気を遣わないで居られる相手なんて本当に限定される。
でも、鞠莉ちゃんは──
鞠莉「居るわ」
自信満々にそう答える。
曜「……どこに?」
鞠莉「ここに」
曜「え!? こ、ここ!?」
私は思わず辺りを見回してしまう。
まさか、候補の人をすでに連れてきていた……!?
いくらなんでも周到すぎる……。
ただ、きょろきょろと辺りを見回しても、それらしき人の影はない。
鞠莉「む……だから、ここって言ってるでしょ?」
曜「え……?」
鞠莉ちゃんをじっと見つめる。……どこ?
54:
鞠莉「……はぁ。曜ってば、思ったより察しが悪いのね」
曜「えっと……ごめんなさい……?」
私、何で謝ってるんだろう……。
鞠莉「ここには、わたししか居ないでしょ」
曜「う、うん……だから、誰なのかなって」
鞠莉「Oh...」
鞠莉ちゃんが頭を抱える。
曜「……?」
鞠莉「だから──わたしが曜の恋人の振りをしてあげるって言ってるの!」
曜「………………え?」
鞠莉ちゃんの言葉に思わずポカーンとしてしまう。
鞠莉「曜の事情を知っていて、終わったら元の関係に戻れて、曜に恋愛感情を抱いていない、かつそれをわかった上で恋人のように振舞って一緒に過ごしてくれる相手。ね? ぴったりでしょ?」
曜「……えっと」
私は酷く困惑していた。つまり今、私は鞠莉ちゃんから、一緒に恋人ごっこをしようと提案されている。
曜「いや、でも……さすがにそこまでしてもらうのは……」
鞠莉「曜」
遠慮気味に言う私に対して、鞠莉ちゃんは名前を呼びながら、私の手に自らの手を添えてくる。
鞠莉「……わたしは曜に元気になって欲しい。その気持ちに嘘偽りはないよ」
曜「鞠莉ちゃん……」
鞠莉「もちろん無理強いするつもりはないけど……わたしは曜が元気になってくれるなら、恋人の振りくらいいくらでもするよ?」
曜「…………」
恋人の振りにどれくらいの効果があるのは正直よくわからない。
だけど、このまま何もしないまま、いつまでも千歌ちゃんへの未練に振り回されて、苦しいままで居ても、何も変わらない。
それなら、いっそ……。
曜「鞠莉ちゃん……」
鞠莉「ん、なにかな」
曜「私……変わりたい」
鞠莉「うん」
曜「千歌ちゃんへの気持ち……いつまでも引きずったままで、居たくない……」
鞠莉「うん」
曜「……わがまま続きで申し訳ないけど……鞠莉ちゃんが嫌じゃなかったら……私と恋人の振り、してくれませんか?」
鞠莉「ふふ……最初からそのつもりだって言ってたじゃない」
曜「……うん」
鞠莉「交渉成立だネ♪ それじゃ、わたしたちはこれからはCoupleだよ?」
その言葉を聞いて、私は先ほどから添えられていた鞠莉ちゃんの手を──握った。
55:
曜「鞠莉ちゃん……よろしくお願いします」
鞠莉「うん♪ こちらこそ、よろしくね、曜♪」
こうして、私と鞠莉ちゃんの奇妙な恋人ごっこが始まったのだった。
……この恋人ごっこが、どんな結末に向かって行くのかなんて、知る由もないまま──
 * * *
──その日の夜。
お風呂からあがって、自室に戻ると……。
曜「……ん?」
机に置いておいたスマホのランプがチカチカ点灯していることに気付いた。
曜「誰だろ……」
スマホを手にとって、確認してみると──
曜「あ……」
LINEのメッセージ受信の通知だった。
相手は──
曜「鞠莉ちゃんからだ……」
10分ほど前に、鞠莉ちゃんからのメッセージを受け取っていたようだ。
内容は……。
 『Mari:曜、今何してる?』
といったもの。
 『YOU:ごめん、お風呂入ってた??』
気付かなかったことを謝るメッセージを打つと、
曜「……お?」
一瞬で既読が付く。
そして、
 『Mari:よかった・・・。反応なくて、無視されてるのかと思った』
すぐにそんなメッセージが返ってくる。
 『YOU:無視なんてしないよ???』
返事をしながら、『もしかして鞠莉ちゃん……ずっと携帯握ったまま、返信待ってたのかな……?』などと考えていると、
56:
 『Mari:このまま返事がなかったら、朝までスマホとにらめっこするところだったわ』
まさにそうだったようだ。
 『YOU:ごめんごめん?それで、どうしたの?』
 『Mari:恋人だったら、夜連絡取り合うものかなって』
曜「なるほど」
 『YOU:なるほど?』
思わず口に出したことと同じ文面を送ってしまう。
確かに恋人同士ってそういうイメージかも。
私がメッセージを送ってから、少しだけ間をおいて、
 『Mari:迷惑じゃなかった?』
そんなメッセージ。
 『YOU:まさか??LINEしてくれて嬉しいYOU??』
 『Mari:よかった』
なんとなく、鞠莉ちゃんの送ってくる文面を見ていて思う。
曜「鞠莉ちゃん……もしかして、緊張してるのかな?」
いつもに比べると少し雰囲気が硬い気がする。
まあ、鞠莉ちゃんって思ったより、事務的な連絡が多いから、文章はカッチリしてるイメージもあるにはあるんだけど、
……緊張してるなら、こっちから話しかけてあげた方がいいのかな。
などと思い話の続きを考えていると──ピコ。
曜「お」
メッセージが届く。
 『Mari:通話掛けていい?』
 『YOU:いいYOU』
返答すると、すぐに鞠莉ちゃんからの音声通話の着信が入る。
57:
曜「もしもし?」
鞠莉『あ、曜……ごめんね、急に』
曜「うぅん、大丈夫」
鞠莉『その……えっと……』
曜「?」
鞠莉『へ、変じゃなかった……?』
曜「変?」
鞠莉『あ、あのね……! わたしあんまり年下の子とLINEってしたことないから……』
曜「そうなの?」
鞠莉『う、うん……。ユニット内での連絡くらいはあるけど……梨子とも善子とも、直接はあんまりしないし……。そ、それで、変じゃなかった……?』
曜「うーん、そうだなぁ……変とは思わなかったけど、緊張してるのかなーとは」
鞠莉『や、やっぱり……』
電話口から聞こえてくる鞠莉ちゃんの声は少しおろおろとしていて、いつもの自信満々な姿からはちょっと想像が出来なかった。でも、それがなんだか可愛いなと感じて、
曜「……くす」
思わず、笑ってしまう。
鞠莉『!? な、なんで笑うの!?』
曜「ふふ、ごめん……なんか、鞠莉ちゃん可愛いなって思って」
鞠莉『か、かわ……年上をからかうんじゃありまセーン!!』
曜「ごめんって。でも、頑張ってスマホいじってる鞠莉ちゃん想像したら……ふふ」
鞠莉『もう! 笑わないでってばぁ……』
曜「ごめんごめん」
鞠莉『……その……恋人なら、きっと連絡取り合うし……わたしが年上だから、リードして……連絡とかもこっちからあげた方いいのかなって。……言い出しっぺもわたしだし……やっぱり、変かな……?』
曜「うぅん、気遣ってくれて嬉しいよ。ありがと、鞠莉ちゃん」
鞠莉『そ、そっか……それなら、よかった』
曜「それに……」
鞠莉『?』
曜「なんか、鞠莉ちゃんが緊張してるのって新鮮だったから。良い経験が出来たなーって」
鞠莉『!? わ、わたしだって緊張くらいしますっ! それに……』
曜「?」
鞠莉『振りでも……初めての恋人なんだよ……? 緊張くらい……するもん……』
曜「……っ!」
普段見ることのない、しおらしい反応に、少しだけドキっとした。
58:
曜「へ、へー……初めてなんだ……? ……意外かも」
鞠莉『意外……? そんなにシリガルガールだと思われてたなら、心外かも……』
曜「いや、尻軽とかそんな意味で言ったわけじゃないけど……鞠莉ちゃんって経験豊富そうだから」
鞠莉『そう……?』
曜「ほら……イタリアとかって、ナンパ多いって言うでしょ?」
鞠莉『ああ、まあ、そうね。ナンパは多いわね』
曜「だから、留学中に恋人が出来ててもおかしくないかなって……」
鞠莉『もう……別に恋愛しにイタリアに留学してたんじゃないのよ? ナンパはよくされたけど……』
されてたんだ……。まあ、鞠莉ちゃん可愛いもんね。
鞠莉『全部やんわりお断りしたわ。お陰でナンパの断り方ばっかりうまくなっちゃった』
曜「あはは、それはそれで、ある意味経験豊富かもね」
鞠莉『笑い事じゃないのよ? 結構しつこい人もいたんだから……。……とまあ、それはいいとして』
曜「?」
鞠莉『あの……また、今日みたいに夜に連絡してもいい?』
曜「! もちろん! いつでも待ってるよ!」
鞠莉『よかった……じゃあ、確認したいことは確認出来たから、今日はもう寝ようかな』
曜「うん、ありがとね、鞠莉ちゃん」
鞠莉『ふふ、気にしないで? わたしたち“恋人”なんだから♪』
曜「ふふ、うんっ」
鞠莉『それじゃ、また明日、学校で。Good night. 』
曜「うん、おやすみ、鞠莉ちゃん」
就寝の挨拶を最後にお互いの通話が終わる。
曜「……おやすみ、か」
……昔は千歌ちゃんとも、たまにこうして夜に電話したりしてたっけ。
気付いたら、すごい長電話になっちゃって、お互いお母さんに怒られて、慌てて『おやすみ!』って言いながら電話を切ったり──
曜「……い、いけないいけない」
また、千歌ちゃんのことを考えてしまっていた。
せっかく、鞠莉ちゃんが恋人の振りをしてくれてるんだ、私も必要以上に千歌ちゃんのことをあんまり考えない努力くらいしないと……。
──ただ……。『おやすみ』って言い合える人が居るのは……素直に嬉しいことなのかも。
曜「……あ、あれ……?」
気付くと、なんか顔がニヤけていた。
私、思ったより、この恋人ごっこを楽しめているのかもしれない。
曜「……あーなんか、今日は良い夢みれそう!」
私はなんだか、気分が良いまま、夢の世界へと旅立つのであった。
59:
 ? ? ?
鞠莉「……はぁ」
わたしは通話の切れたスマホを見ながら、思わず溜め息を吐く。
鞠莉「なんで、わたしが緊張してるのよ……」
なんだか、曜にかっこ悪いところを見せてしまった気がしてならない。
鞠莉「……経験豊富そう、かぁ」
わたし、曜からそういう風に思われてたんだ……。
鞠莉「イメージ壊しちゃったかな……」
そりゃ、わたしも出来ることなら年上として、余裕の振る舞いで曜を引っ張って行きたいけど……。
鞠莉「……ダメよマリー。弱気になっちゃ……! 曜の恋人役、自分でやるって決めたんだから!」
そうだ、曜の笑顔を取り戻すためだ。わたしがここで臆してどうする。
明日からも恋人役として、曜とこなしていくつもりの予定はたくさんある。
鞠莉「これからよ! これから挽回していくんだから! 覚悟するのよ、曜……マリーがメニモノミセテあげマース……!!」
本人が居ない中、わたしは一人気合いを入れながら、明日に備えて床に就くのだった。
──緊張の煽りなのか、心臓が早鐘を打ち続けているせいで、なかなか寝付けなかったのは、余談デスが……。
 * * *
──9月13日金曜日。
千歌「あー……授業終わった?……」
4時間目の授業の終わりを告げるチャイムと共に、千歌ちゃんが伸びをする。
梨子「ふふ、お疲れ様。今日も行くの?」
千歌「あ、うん!」
梨子「いってらっしゃい」
千歌「いってきまーす!」
梨子ちゃんとの手短なやり取りを終えて、千歌ちゃんは意気揚々と教室を飛び出して行った。
曜「千歌ちゃん、もう行っちゃったんだ?」
梨子「うん。お待ちかねって感じだよね」
60:
梨子ちゃんはそんな千歌ちゃんの様子を微笑ましげに笑うけど、私はいつも複雑な気持ちになる。
やっぱり、私……心が狭いのかな。
……やめやめ。こういうことを考えてもまた落ち込むばっかりだ。
曜「私たちもお昼、食べよっか」
梨子「うん」
二人でカバンから、お昼ごはんを取り出す。
梨子「……曜ちゃん」
曜「ん?」
気付くと、私の取り出したお昼ごはんを見て、梨子ちゃんが可哀想なものを見るような目をしていた。
梨子「カロリーメイト……」
どうやら、私のお昼ごはんがカロリーメイト一箱なのが、気になるらしい。
曜「……梨子ちゃんも食べる?」
梨子「いや、そういうことじゃなくて……サンドイッチとか買ってくればいいのに」
曜「久しぶりにカロリーメイトな気分だったんだよね」
普段はプールにある自動販売機で練習終わりに買うことが多いんだけど……しばらく、いかなさそうだし。
梨子「気分でカロリーメイトが候補にあがるの……? 曜ちゃんって、たまに独特だよね……」
曜「そうかな……?」
梨子ちゃんと会話をしながら、箱を開けようとしていたところに──
 「曜ー? いるー?」
突然、声を掛けられる。
曜「え?」
梨子「?」
声のする方を向くと──
鞠莉「チャオ?」
曜「鞠莉ちゃん?」
教室の入り口の辺りで鞠莉ちゃんがひらひらと手を振っていた。
曜「どうしたの?」
席を立って、鞠莉ちゃんの元へと歩み寄る。
その間、私の向かいの席に座っていた梨子ちゃんの姿を認めて、
鞠莉「あ……もしかして、梨子ともうお昼食べちゃってた……?」
と訊ねてきた。
61:
曜「うぅん、これから食べようかなって思ってたところだったんだけど……」
鞠莉「それならよかった……。梨子ー!」
鞠莉ちゃんは教室の入り口から梨子ちゃんに声を掛ける。
梨子「?」
鞠莉「曜、借りてくわねー!」
曜「え!?」
鞠莉「それじゃ、行きましょ、曜」
曜「え、ええ……?」
私は手にカロリーメイトの箱を持ったまま、鞠莉ちゃんに引っ張られるように連行されるのだった。
梨子「……行っちゃった……?」
梨子ちゃん一人、教室に残して。
 * * *
さて、鞠莉ちゃんに連れてこられたのは……。
曜「理事長室……?」
鞠莉「さあ、曜。椅子を用意したから、座って?」
確かに、机を挟んで理事長の座る椅子の反対側に椅子が置いてあった。
曜「う、うん」
言われたとおり、腰を掛ける。
鞠莉「そういえば、曜……お昼ごはんは?」
曜「あ、えっと……これだけど」
手に持っていた、カロリーメイトの箱を見せると、
鞠莉「……? なにそれ? 薬……じゃないわよね?」
曜「え、もしかして、カロリーメイト……知らない?」
鞠莉「Calorie Mate...?」
どうやら、反応を見る限り本当に知らないっぽい。
カロリーメイトの説明をしようとして、
曜「えーと……」
思った以上にどういうものかの説明が難しいことに気付く。
62:
曜「……栄養食的な……?」
鞠莉「……なんでそんな味気なさそうなものをお昼に……?」
曜「あ、味気なくなんかないよ! これチョコ味だもん!」
鞠莉「Chocolate...? 暑くて溶けちゃったりしないの?」
曜「あーうまく説明できない! お腹に溜まるお菓子みたいな感じ!」
鞠莉「Hmm...お菓子なのね?」
鞠莉ちゃんは未だに不思議そうにカロリーメイトの箱を見つめているけど、ひとまずは納得してくれた様子。
曜「それはそうと……なんで、私は理事長室に?」
鞠莉「あら? 言ってなかったっけ……」
曜「?」
言いながら、鞠莉ちゃんは大きめのバスケットを取り出した。
鞠莉「お昼……一緒に食べようと思って」
曜「へ……?」
鞠莉「……なんで、そんな反応なのかしら」
曜「え、あー、いや……一緒に食べるってことを全然考えてなかったから」
鞠莉「もう……! わたしたち、一応恋人なのよ? お昼くらい一緒に食べる方が自然じゃない!」
曜「言われてみれば……そうかも」
確かに恋人ごっこをするなら、よりリアルに恋人らしい振る舞いをしなくちゃ意味ないし……。
鞠莉「それとも……迷惑だったかな……?」
言いながら、鞠莉ちゃんがしゅんとした表情を見せる。
曜「!? ま、まさか! 私も頭が回ってなかっただけで、鞠莉ちゃんと一緒にご飯が食べられるなら嬉しいよ!」
鞠莉「ふふ、それならよかった」
鞠莉ちゃんは柔らかい表情で笑いながらバスケットを開ける。
すると、中には二人分のサンドイッチが用意されていた。
曜「わ! おいしそう……! これ、鞠莉ちゃんが作ったの?」
鞠莉「うぅん。うちの家の使用人に作ってもらったわ」
曜「使用人って……」
鞠莉「ええ、ホテルオハラのシェフよ」
お昼ごはんをシェフに作ってもらうんだ……さすが、小原家。
ついでに言うなら……おいしそうではあるものの、具材がなんなのかがぱっと見でよくわからない。
料理はする方だから、食材には詳しいつもりなんだけどな……。
鞠莉「とりあえず、食べない? あんまりのんびりしてると、お昼休み終わっちゃうから」
曜「あ、うん」
とりあえず、サンドイッチをバスケットの中から一つ取り出す。
すると──
63:
曜「……!?」
とてつもなく香ばしい良い匂いが漂ってくる。
鞠莉「? どうしたの?」
曜「え、いや……?」
たぶんだけど、具材からじゃなくて……これ、パンの匂い……?
焼きたて以外でこんなにパンの匂いが気になるのは生まれて初めてかもしれない。
鞠莉「あむ」
そんなことを考えている間に、鞠莉ちゃんはサンドイッチを食し始めている。
その一方で、全然食べ始めない私を不思議に思ったようで、
鞠莉「……? もしかして、曜、サンドイッチ苦手だった……? 一応生魚は使わないようにお願いはしたんだけど……」
そう訊ねてくる。
曜「い、いや、そんなことないよ!?」
サンドイッチが苦手なんていうピンポイントな人はあんまり聞いたことがない。
いいや、とりあえず食べよう……。
手に取ったサンドイッチは、ゆで卵らしきものが見える、タマゴサンド。
曜「いただきます」
そのまま、口に運んで、齧ると──
曜「……!?」
塩気と共に、ぷちぷちとした食感。
これは──魚卵……?
というか、
曜「なにこれ……!? めちゃくちゃおいしい……!?」
魚卵らしきものもだけど、ゆで卵も今まで食べたことがないような濃厚な味。
それに魚卵の塩気が絶妙にマッチしている。
……というか、この魚卵……!
曜「ま、鞠莉ちゃん……?」
鞠莉「ん?」
曜「この黒いのって……まさか」
鞠莉「……? キャビアでしょ?」
さも当然のように、返答される。
64:
鞠莉「あれ、もしかしてキャビア、食べたことない……?」
曜「普通ないよ!?」
鞠莉「そうなの? 今、曜が食べてるやつはBoiled silky fowl eggとCaviarのサンドよ」
曜「シルキーフォウル……?」
えっと……?? ボイルドエッグはゆで卵のことだろうけど……。
ボイルとエッグの間に入ってる言葉は……品種? シルキー……絹?
鞠莉「あ、えっとね、Silky fowlは日本語でウコッケイのことよ」
曜「う、烏骨鶏!?」
烏骨鶏卵って、高級鶏卵じゃん!!
曜「え、このサンドイッチ1個でいくらくらいするの……!?」
鞠莉「んー……? 1万円くらいかな……?」
曜「あ、あはは……」
私、こんな高級品食べていいのかな……。急に恐れ多くなってきた。
鞠莉「ん……やっぱり、口にあわなかった……? おいしくなかったら、残してもいいんだよ?」
曜「むしろ、残せないよ!?」
残したら罰が当たる。確実に。
というか、味に関してはとんでもなくおいしい。
口当たりも良くて、かなり食べやすい。
パンもふわふわで、なんかすごく良い香りがするし……。
とんでもなく高級品で気後れするという部分さえ除けば、いくらでも食べていられそうなくらいだ。
……まあ、あんまり気後れしてると、鞠莉ちゃんが気を遣うから、もうこの際、気にしないことにしよう。
そうだ、これは鞠莉ちゃんにとっては普通の食材。普通の食材……。
鞠莉「おいしい?」
曜「うん……こんなおいしいサンドイッチ初めて食べたかも」
鞠莉「なら、よかった……他の具材のもあるから、どんどん食べてね」
曜「う、うん!」
よ、よし……次のサンドイッチは──
照り焼きチキンのような見た目……。
もうすでに高級品の予感しかしないけど、いいから食べてみよう……。
曜「……あむ」
照り焼きチキンサンドイッチ(仮)に齧り付くと……。
曜「ん……?」
65:
確かに鳥の肉ではあるんだけど……やや、独特な食感と味。
アン肝に似てる……? ……いや、微妙に違うけど。
ただ、これもまた味が濃厚で、とてつもなくおいしい。
そして、さっきのキャビアサンド同様、パンの良い香りが鼻を抜けていく。
曜「鞠莉ちゃん……これは……?」
鞠莉「それはフォアグラの照り焼きサンドね」
曜「は、ははは……なるほどー……」
キャビアと来て、次はフォアグラかー……。
じゃあ、次はトリュフかなー……?
頑張って自分の庶民スイッチをオフにしながら、フォアグラサンドを嚥下する。
──さあよし、どこからでも掛かって来い……トリュフサンド(仮)……!!
覚悟を決めて、次のサンドイッチに手を伸ばす。
曜「ん……」
見た目は……ハムとチーズのサンドかな。
……どうみてもハムが高級そうな生ハムにしか見えないのは、もうこの際、考えないことにしよう。
曜「あむ」
──口の中に広がるチーズとハムの濃厚な味わい。
あ、普通においしい……。
シンプルにおいしいチーズと、おいしいハムを、おいしいパンで挟んだサンドイッチの味が口内に広がり幸せな気持ちになる。
鞠莉「それはね、ブリーチーズとイベリコ豚の生ハムのサンドよ」
曜「なるほどね!」
何がなるほどなのか、もう自分でもよくわかんないけど、確かイベリコ豚って高級な豚だったよね……。
ブリーチーズって言うのは……まあ、たぶん高級品なんだと思う。
鞠莉「ちなみにそのブリーチーズはちゃんとフランスから取り寄せたものよ」
曜「なるほどね!」
なんか、よくわかんないけど、きっと高級品なんだ。
余りに異次元の高級品が多すぎて、相槌が適当になる。
曜「あれ、そういえば……?」
鞠莉「?」
曜「トリュフはないんだね」
キャビア、フォアグラと来たから、てっきりトリュフが来るんだとばっかり思っていたから、逆に意表を突かれた気がする。
鞠莉「ん……? トリュフなら、ずっと食べてたじゃない」
曜「……へ?」
鞠莉ちゃんの予想外の返答に、間抜けな声が出る。
66:
曜「え……トリュフ……え?」
鞠莉「もう……このパン、どう考えても、トリュフを練りこんであるでしょ?」
トリュフそこだったかー!!
曜「そ、そうか……! パンからする、この香ばしい匂いはトリュフか……!?」
鞠莉「あれ……? もしかして、トリュフの匂い嗅いだことなかった……?」
曜「ないよ!? あるわけないじゃん!!」
鞠莉「じゃあ、気付かなくても仕方ないか……特徴的な香りだから、知ってれば普通気付くものね」
というか、パンにトリュフを練りこんであるなんて、予想できない。
鞠莉「曜はどれが好きかしら? わたしはチーズとハムのやつが好きなんだけど……」
曜「全部おいしい!!」
まあしかし、これは正直な感想だった。
食材のレベルが自分が普段食べているものに比べると数ランクは跳ね上がってるせいなのか、脳が味を分解して理解する前に、おいしいという情報しか認識出来なくなっている節があるけど……。
どれも、とにかくおいしいということには変わりなかった。
鞠莉「よかった……曜、いっぱい食べそうだから、ちょっと多めに用意してもらったから。好きなだけ食べてね?」
曜「わ、わーい!」
こんなおいしいものを好きなだけ食べていいなんて、本当に幸せなんだけど……。
私の庶民脳は、果たしてこの行き過ぎた贅沢を捌き切ることが出来るのか……。
でも、
鞠莉「ふふ……♪」
ニコニコしながら、私の食事を見守っている鞠莉ちゃんの手前だ。
曜「い、いただきまーす!」
私は再び、サンドイッチに手を伸ばすのだった。
 * * *
曜「──ごちそうさまでした」
鞠莉「全部食べちゃったわね、そんなにおいしかった?」
曜「うん、想像を絶するおいしさだった」
鞠莉「ふふ、ならよかった」
……味はね。
私は今日の昼食だけで、一体何日分の食費と同等の食事をしたのかとかはあんまり考えたくない。
庶民の感性だと、聞くだけでお腹が痛くなりそうだし……。
67:
鞠莉「ねえ、曜」
曜「ん……?」
鞠莉「それは食べないの?」
そう言って鞠莉ちゃんが指差した先に視線を配ると──
あったのは私が持ってきた、カロリーメイト。
曜「う、うん……まあ、今日は鞠莉ちゃんがお昼用意してくれてたし」
鞠莉「でも、お菓子なんでしょ?」
曜「うーんと……お腹に溜まるから」
鞠莉「食べないんだ……」
何故か、鞠莉ちゃんは少ししゅんとした表情になる。
曜「……もしかして、食べてみたいの?」
鞠莉「!」
私がそう言うと、鞠莉ちゃんは控えめに頷く。
曜「じゃあ……一緒に食べよっか」
鞠莉「曜のだけど……いいの?」
曜「いいのいいの!! 私だって、サンドイッチ貰っちゃったんだし!」
むしろ、カロリーメイトで相殺出来るとはまるで思えない。たぶんリアルに1000倍くらいお値段が違う。
鞠莉「ちょっと紅茶淹れるわね!」
一方で私の胸中を知ってか知らずか──いや、たぶんわかってないけど──紅茶を淹れに席を立つ鞠莉ちゃん。
好きでよく食べてる私が言うのもなんだけど……カロリーメイト一個にこの気合いの入れよう。
お嬢様はどこで何に興味を持つのか、よくわからない。
鞠莉ちゃんだったら、それこそ沼津中のカロリーメイトを買い占めたり出来ちゃいそうなのになぁ。
鞠莉「はい、これ曜の紅茶」
曜「あ……ありがとう」
鞠莉ちゃんは早紅茶を淹れ終えて、席に戻ってくる。
ついでに可愛らしい小皿も用意される。たぶん、カロリーメイトを置く用だ。
箱を開けて、中から袋を取り出して、開けると、見覚えのある長方形のフォルムが顔を出す。
鞠莉ちゃんが用意してくれた小皿に、カロリーメイトを出して乗せる。
鞠莉「ふーん……見た目はショートブレッドみたいね」
曜「ショートブレッド……?」
鞠莉「知らない? スコットランドの伝統菓子なんだけど……」
曜「へー……そういうのがあるんだ」
今日は新しい知識がたくさん増えてくな……。
68:
曜「とりあえず、食べていいよ」
鞠莉「それじゃ、いただきます」
鞠莉ちゃんはカロリーメイトを丁寧に手で一口サイズに折ってから、口に運ぶ。
おお……私だったら何も考えずに齧るのに……。これだけでもなんか育ちの良い、お嬢様っぽい。
鞠莉「あむ……」
曜「どう? おいしい?」
鞠莉「……んー……もそもそする」
曜「まあ……だろうね」
鞠莉「でも……味は嫌いではないかも……。なるほど、確かにチョコ……というかココアっぽい風味はするわね」
曜「でしょ? カロリーメイトはいろいろ味があるけど、チョコは一番人気なんだよね」
鞠莉「そうなんだ。他にどんな味があるの?」
曜「えっと……プレーン、チーズ、フルーツ……あと、メイプルがあったかな」
鞠莉「あら……意外とバリエーションが豊富なのね」
曜「あと、今はもうないけど、ポテトとベジタブルってのもあったかな」
鞠莉「……稀少な味のやつもあるのね」
曜「稀少というか……販売終了というか……」
ベジタブルに関しては、もはや存在を知ってる程度だしね……。
私がちっちゃい頃になくなっちゃったし。
鞠莉「Hmm...今度取り寄せてみようかしら」
曜「え……? カロリーメイトを……? そんなに気に入ったの?」
なんか、すごい好感触って感じでもなかった気がするんだけど……。
鞠莉「だって、これ曜が好きなものなんでしょ?」
曜「う、うん……まあ、そうだけど」
鞠莉「恋人の好きなモノだし……ちゃんと知っておきたいなって」
曜「!」
鞠莉「変かな?」
曜「へ、変じゃないよ!」
鞠莉「ふふ。なら、よかった」
やや喰い気味に返答しながらも、鞠莉ちゃんの健気な考え方にまたしてもドギマギしている自分が居た。
なんだか、鞠莉ちゃんが私のことをすごく真剣に考えてくれていることが素直に嬉しい。
あくまで恋人の振りなのに……。鞠莉ちゃん……優しいな。
鞠莉「んー? わたしの顔に何かついてる?」
曜「え……? あ、いや……」
感激して思わず、鞠莉ちゃんのことを見つめてしまっていたようだ。
69:
曜「えっとね……鞠莉ちゃん、いろいろ考えてくれてて、嬉しいなって……なんか、ホントの恋人みたいって……」
鞠莉「──……なっちゃう? ホントの恋人に?」
曜「え!?/// い、いや、そんな、いきなり、わ、私、やっぱり、千歌ちゃんが、好きで……あ、あれ、でも、鞠莉ちゃんと一緒に居るのは、それを吹っ切るためで、あ、あれ???」
鞠莉「……ぷ」
曜「え?」
鞠莉「ぷ、くくく……ごめん、冗談のつもりだったんだけど。そんな焦ると思わなくって」
曜「あ……///」
カァーっと顔が赤くなるのがわかる。
鞠莉「でも、よかった」
曜「な、何が……?///」
鞠莉「少しは曜の心を千歌から奪えるくらいには恋人役、出来てるみたいだから」
曜「あ……」
確かに、そうかもしれない。
鞠莉ちゃんと一緒に居るときは、千歌ちゃんのこと、いつもより考えてないかもしれない。
鞠莉「恋人ごっこ作戦、思ったより順調ね」
曜「う、うん……そうだね……///」
未だに顔が熱い。
でも、なんだか悪い気分ではなかった。
鞠莉「ふふ」
曜「こ、今度はなに……?///」
鞠莉「曜はいちいち反応がCuteだな?って思って」
曜「??/// も、もう! からかわないでよ?!///」
鞠莉「ふっふ?ん♪ 昨日の仕返しなんだから」
曜「うぅ……///」
鞠莉「ほら、残りのカロリーメイトも食べちゃいましょ? お昼休み終わっちゃうわ」
曜「は、はぁい……///」
うぅ……たぶん今、耳まで真っ赤だよぉ……。
最終的には鞠莉ちゃんのペースに圧倒されて、たじたじになってしまったけど、なんだかんだで私は鞠莉ちゃんと二人で楽しくて刺激的な昼食を取ったのだった。
 ? ? ?
曜が教室に戻った後、一人カップやお皿の片づけをしている真っ最中、
 『──……なっちゃう? ホントの恋人に?』
鞠莉「……わたし……何言ってるのかしら……///」
70:
わたしは勢いで言ってしまった台詞を思い出して、一人赤面していた。
そもそも、今回の恋人ごっこ……キモは実際には恋人にはならないことなのに。
鞠莉「ちょっと……浮かれすぎじゃない? マリー?」
カチャカチャとカップを片付けながら、一人自問自答する。
鞠莉「少し……感情移入しすぎ……? ……うぅん、でもテキヲダマスニハ、マズミカタカラって言葉もあるし……!」
少し感情移入しすぎなくらいの方が丁度いい……はず。
……あれ? そういう意味の言葉だったっけ? まあ、いっか……。
 * * *
鞠莉ちゃんとの昼食を終えて、教室に戻ると、
梨子「あ、曜ちゃん。鞠莉ちゃんとどこ行ってたの?」
梨子ちゃんに何をしてたのかを訊かれる。
まあ、突然連れ去られちゃったもんね……。
曜「鞠莉ちゃんと一緒にご飯食べてた」
梨子「鞠莉ちゃんと? ……二人で?」
曜「う、うん」
梨子「……ふーん」
なんか、察したみたいな反応。
恋人ごっこだから、たぶんその察しは間違ってるんだけど……。
……あ、いや、ごっこでも恋人だから当たってるのかな……?
そんなどうでもいいことを考えていると、
千歌「曜ちゃん、梨子ちゃん、ただいま?」
ご機嫌な様子の千歌ちゃんも戻ってくる。
梨子「おかえり、千歌ちゃん」
曜「おかえり」
千歌「うん! ……ん?」
突然、千歌ちゃんが何かに気付いたように、私に近づいてくる。
曜「……? 千歌ちゃん?」
千歌「……」
そして、そのまま顔を近付けて来た。
曜「!?/// え、な!?///」
71:
千歌ちゃんは私の顔の前で、
千歌「……くんくん」
匂いを嗅いでいた。
千歌「曜ちゃん……めちゃくちゃおいしそうな匂いがする」
曜「へ……?」
千歌「チカにナイショでおいしいもの食べたでしょ!」
曜「あ、あぁ……」
びっくりした……。
匂い嗅いでただけか……。
梨子「曜ちゃん、鞠莉ちゃんとお昼ごはん食べてたみたいだよ?」
千歌「鞠莉ちゃんと!? これは超高級食材のニオイがする……!!」
梨子「千歌ちゃん、犬みたいだね……」
曜「たぶん……トリュフの匂いだと思う」
私もあの香りにはびっくりしたくらいだし……。
梨子「トリュフ……?」
千歌「マジで超高級食材じゃん!?」
曜「鞠莉ちゃんがサンドイッチ用意してくれて……」
千歌「いいないいな! トリュフなんて、まだ食べたことないよ!」
曜「トリュフだけじゃなくて……キャビアとフォアグラも……」
梨子「え、曜ちゃん学校で世界三大珍味体験会してたの……?」
曜「期せずして……」
千歌「いいなー! チカは三大珍味はキャビアしか食べたことないから……」
梨子「むしろ、キャビアはあるんだ……」
千歌「うん! ダイヤさんが親戚からの貰ったキャビアを分けてくれて!」
曜「へ、へー……」
また、千歌ちゃんから不意にダイヤさん要素が飛び出してくる。どこから来るのかわかったもんじゃない。
梨子「二人ともいいな……羨ましい」
千歌「鞠莉ちゃんに頼んだら、チカたちにも分けて貰えないかな……? 梨子ちゃん、今度私たちも、曜ちゃんと一緒に鞠莉ちゃんのところに──」
梨子「邪魔しちゃダメよ、千歌ちゃん」
千歌「ほぇ……?」
梨子「ね、曜ちゃん」
曜「え、あ……いや……」
答えに窮する。
正直、千歌ちゃんが来てしまうと、今回恋人ごっこをやっている意味がなくなっちゃうし、かといって否定すると、鞠莉ちゃんと本当に恋人なんだと勘違いされる気がする。
……いや、それでもいいのかな。
別に千歌ちゃんに知られても……もう、あんまり関係ないし。
むしろ、そういう風に思われてた方が……諦めも付くのかな……?
72:
千歌「ん……?? どゆこと?」
曜「えっと……」
梨子「ふふ、二人とも授業始まるよ」
千歌「あ、うん」
梨子ちゃんがそういうと、千歌ちゃんはとことこと自分の席に戻っていった。
曜「……」
梨子「曜ちゃんも」
曜「あ、うん」
促されて、私も席に戻る最中──
私は千歌ちゃんに今後、どう思われたいのかを考えていた。
 * * *
──さて、本日の授業も全て終わり、放課後になった。
案の定、千歌ちゃんは弾けるように、部室に飛び出していってしまったので、今は一足遅れて梨子ちゃんと二人で部室へ向かっている真っ最中。
その道すがら、
曜「あ……」
廊下で鞠莉ちゃんの姿。
鞠莉「あら……?」
鞠莉ちゃんも、すぐに私たちに気付いたのか、こっちに歩いてくる。
鞠莉「曜、梨子、お疲れ様」
梨子「お疲れ様」
曜「う、うん……お疲れ様……?」
何故か、語尾に疑問符が付く。
お昼にからかわれた影響なのか、まだちょっとだけ鞠莉ちゃんを直視するのが恥ずかしい。
続きの言葉に窮していると、
梨子「……」
──ポンと背中を押される。
曜「わ!?」
つんのめって、
鞠莉「きゃ!?」
鞠莉ちゃんに抱きつくような形になってしまった。
73:
曜「え、わっ!? ご、ごめん、鞠莉ちゃん……!?」
鞠莉「あら、曜ったら……こんな場所で、ダ・イ・タ・ン♪」
曜「い、いや、そうじゃなくて……!?」
背中を押したであろう梨子ちゃんの方を振り返ると、
梨子「あ! 私教室に忘れ物しちゃった! 曜ちゃん、鞠莉ちゃん、先に部室行ってて!」
曜「あ、ちょっと梨子ちゃん!?」
梨子「また後で!」
そう言いながら、梨子ちゃんは教室へとUターンして戻って行ってしまった。
鞠莉「Hm...?」
曜「…………」
鞠莉「…………あー、これもしかして、気を遣われたってことかな?」
曜「たぶん……そうだと思う」
鞠莉「……まずったネ」
鞠莉ちゃんは少し困った顔をする。
たぶん、鞠莉ちゃんもそこまで周知させるつもりじゃなかったってことなんだと思う。
ただ、私は──
曜「ねぇ……鞠莉ちゃん」
鞠莉「ん……?」
曜「鞠莉ちゃんが、嫌じゃなかったらでいいんだけど……」
鞠莉「うん……?」
曜「Aqoursの皆の前では、もうそういうことにしちゃダメかな……?」
鞠莉「え……?」
鞠莉ちゃんは私の言葉に少し驚いたような表情をする。
少し悩んだ素振りをしたあと、
鞠莉「ちょっと、こっち来て」
腕を引っ張られ、理事長室の方向へと歩き出す。
まあ、他の人に内容を聞かれるとややこしくなるもんね。
──私たちは無言のまま、再び理事長室の戸をくぐって、二人きりになった。
しっかり、扉を閉めたことを確認してから、鞠莉ちゃんは会話の続きを切り出した。
鞠莉「そういうことって……つまり恋人同士だってことにしちゃうってことだよね? ……わたしはどっちでも構わないけど……。曜はそれでいいの?」
曜「……あのね、私考えてたんだ」
私は鞠莉ちゃんの問いに対して、午後の授業の間、ずっと考えていたことを話し始める。
曜「私の気持ちってさ……きっと、もうどんなに頑張っても千歌ちゃんに届かないからさ」
鞠莉「……」
曜「それならさ、千歌ちゃんにも勘違いしてもらって、恋人が居る人として扱ってもらえたら……吹っ切れるのも早いのかなって」
鞠莉「Hmm...」
74:
鞠莉ちゃんは私の言葉を聞いて、少し考え込む。
しばらく、唸ったあと、
鞠莉「……いきなり、千歌からそう思われるって、結構辛いと思うヨ? 耐えられる?」
そう問いかけてくる。
確かに、それは一人で考えている間も思ったことだ。
千歌ちゃんからもそういう扱いをされるのは……それなりに堪えるかもしれない。
鞠莉「そんなに急ぎ足で、気持ちに整理をつけようとしなくてもいいのよ……?」
鞠莉ちゃんは気遣ってそう言ってくれるけど、
曜「……私、こうして鞠莉ちゃんに付き合ってもらってるのに、未練たらたらだからさ」
教室に戻って、千歌ちゃんが顔を近付けてきたとき──期待してしまっていた。
もしかしたら、千歌ちゃんは本当は私のことをって……頭のどこかで期待してしまった。
そんなことはありえないって、何度も自分に言い聞かせてきたはずなのに。
ダイヤさんと一緒にいる姿を見て、もうそんなことはありえないって、理解してたはずなのに。
曜「荒療治が必要なのかなって……」
鞠莉「曜……」
曜「私ね……千歌ちゃんと昔みたいな、友達の距離感に戻りたい」
鞠莉「…………」
曜「そのためにはね、自分が思ってるよりも、もっともっと頑張って千歌ちゃんへの想いを、忘れないといけないんじゃないかって……思ったんだ」
鞠莉「…………Hmm...」
鞠莉ちゃんは再び唸りだす。
鞠莉「……曜の気持ちはわかった。だけど……一度そういうことにしたら簡単には戻せないよ?」
鞠莉ちゃんそう言う。これは一度進めたら、簡単には元に戻れない問題だ。
曜「……わかってる」
鞠莉「……きっと、辛いよ?」
曜「……うん」
鞠莉「それでも、平気?」
曜「……鞠莉ちゃんが居てくれるなら……頑張れる気がする」
鞠莉「……そっか」
鞠莉ちゃんは肩を僅かに竦めて、一息間を置いてから、
鞠莉「なら、わたしもみんなの前で、曜の恋人として振る舞うね」
私の考えに乗る意思を示してくれたのだった。
 * * *
75:
果南「それじゃ、ペア作ってストレッチからー」
全員「「「「「「「はーい」」」」」」」
果南ちゃんの号令で、皆がペアを作り始める。
ダイヤ「まずは上半身からやりましょうか」
千歌「うん!」
千歌ちゃんは当然のようにダイヤさんとストレッチを始める。
花丸「ルビィちゃん、マルとしよっか」
ルビィ「うん!」
善子「!?」
花丸ちゃんとルビィちゃんがペアを組んだ瞬間、善子ちゃんの表情が引きつる。
……恐らくペア相手が見つからない展開になりそうだからだろう。
曜「……」
善子「……!」
……あ、目が合った。
善子「くっくっく……共鳴してしまったようね、リトルデーモン曜」
そんなことを言いながらあぶれた善子ちゃんがこっちに歩いてくるが、
梨子「善子ちゃん、一緒にやろっか」
善子「え!?」
梨子ちゃんが肩を掴んで止める。
梨子「果南ちゃんも手伝ってくれる?」
果南「いいよー」
ついでに果南ちゃんも呼び寄せて、三人組を作る。
その際、梨子ちゃんと目が合って──私に向かってウインクをしてきた。
ありがと、梨子ちゃん。内心でお礼を述べる。
鞠莉「じゃあ、曜。わたしたちも始めましょうか」
曜「あ、うん」
梨子ちゃんはすっかり私と鞠莉ちゃんの関係に対して協力的な姿勢を取ってくれていた。
ただ……騙しているような気分にもなってくる。
曜「…………」
鞠莉「後ろめたい?」
前屈の補助をしている鞠莉ちゃんが後ろから小さな声で問いかけてくる。
76:
曜「……まあ、ね」
鞠莉「……ただ、どっちにしろ、そう思い込んでいてくれてるなら都合がいいから……今は遠慮なく乗らせてもらいましょう? 遅かれ早かれ言うつもりなら、尚更」
曜「そうだね」
まだ嘘はついていない。教えてないことがあるだけだ。
後はこの調子で自然に千歌ちゃんに私たちの関係が伝われば、次のステップだ……。
何気なく、少し離れたところに居る千歌ちゃんに視線を配る。
千歌「いっちにー、さんしー」
ダイヤ「にーにー、さんしー」
今日も相変わらず千歌ちゃんはダイヤさんと二人で仲良さ気にストレッチをしている。
曜「…………」
まだ、胸はもやもやする。
これから、このもやもやを忘れていかなくちゃいけないんだ……。
鞠莉「……」
そんな私を見かねてだったのか、
鞠莉「曜……」
鞠莉ちゃんが名前を呼んで、私の頭を撫でる。
鞠莉「……無理しないでね」
曜「……うん、ありがと」
私は鞠莉ちゃんの言葉に静かに頷いた。
でも、今を変えるために……頑張ろう──
 * * *
果南「──ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
花丸「ず、ずらぁ……!」
果南「マル! あとちょっと、頑張って!」
千歌「はっ……はっ……!!」
果南「千歌! テンポズレてる!」
千歌「ご、ごめん!」
果南「はい、ラストー!」
果南ちゃんの指導の下、ステップ練習。
花丸ちゃんはもう息があがって、かなり苦しそう。
77:
果南「……よし、終わりー! 皆お疲れ様」
花丸「ず、ずらぁ……も、もうダメずらぁ……」
ルビィ「わー!? 花丸ちゃん、しっかりしてぇー!?」
終わりの合図と共に、崩れ落ちる花丸ちゃん。
前にも見たような……。
善子「はぁ……はぁ……今日の練習は、ハード、だったわね……」
梨子「そ、そうかも……」
ただ今日はホントにきつかったのか、梨子ちゃんと善子ちゃんもへばり気味だ。
鞠莉「そこー! へばる前にクールダウンちゃんとしなくちゃダメよー?」
花丸「ず、ずらぁ……」
割と余裕があるのは、比較的体力のある私と鞠莉ちゃん。それと……。
千歌「ぬあー……なんでテンポずれちゃうのかなぁ」
ダイヤ「少し走り気味でしたわね……ちゃんと拍を意識しないと」
──千歌ちゃんとダイヤさん。
果南「千歌とダイヤ、随分体力増えたんじゃない? 前はテンポ気にするどころか、へばってた気がするけど」
千歌「ダイヤさんと一緒に、いろいろ鍛えてたからねー」
果南「へぇ? 二人で秘密特訓でもしてたの?」
千歌「まぁ、そんな感じ!」
……秘密特訓かぁ。
どんだけあの二人は一緒に居るんだろうか……。
また、もやもやしそうになったところに、
鞠莉「曜」
声を掛けられる。
曜「鞠莉ちゃん……」
鞠莉「はい、スポーツドリンク」
曜「ありがと……」
鞠莉「どういたしまして。ちゃんと水分補給してね」
曜「うん」
……また、二人に気を取られて熱中症になっちゃったら、困るもんね。
鞠莉ちゃんから受け取ったスポーツドリンクに口を付けていると……。
ダイヤ「はーい、それでは今日の練習はここまでにしましょう。各自クールダウンはしっかりやるように」
ダイヤさんが手を叩きながら、本日の練習を締めに入ってた。
ダイヤ「あと、曜さん」
曜「!? な、なに……?」
78:
急に呼びかけられ、驚いてどもる。
ダイヤ「いえ……この間の新しい曲のパート分けのこと、結局訊けず仕舞いだったので……」
曜「あ、あぁ……」
そうだった。あの日、私は倒れて保健室に行ったあと帰っちゃったから……。
曜「……私はどこでもいいよ」
ダイヤ「そういうわけには行きませんわ。全員に意見を聞かないと平等ではありません」
正直、本当にこの話はしたくないんだけど……。
こんなとき、ダイヤさんの真面目な性格が嫌な方向に噛み合ってしまう。
でも、仕方ない……。
曜「ん……歌詞見せて」
ダイヤ「はい」
ダイヤさんから歌詞ノートを受け取り、歌詞を眺める。
そこに記されていたのは確かに、可愛らしい恋の詩だった。
思わず、少しだけ視線をあげて、ダイヤさんをチラ見する。
──千歌ちゃんが、きっとダイヤさんを想って書いた歌詞……。
ダイヤ「どこか、気に入った部分はありましたか?」
曜「……んっと」
再び、歌詞ノートに視線を落とすが──
雑念が混じってなかなか内容が頭に入ってこない。
どうしても、千歌ちゃんとダイヤさんの顔が頭を過ぎる。
曜「…………」
千歌「あ、よーちゃん! 気に入っても二番の歌詞は私とダイヤさんが歌うからねっ!」
曜「っ!!」
そんなところに突然、千歌ちゃんが飛び込むように話題に加わってくる。
ダイヤ「だから、その意見を皆さんに訊いているところなのですわ!!」
千歌「だーかーらー、皆いいって言ってるじゃん! ね? ねねね? よーちゃんもいいでしょ?」
ああ、もう……やめてよ……。
そんな話、私の目の前で、しないでよ。
そんな話、私に振らないでよ……。
だんだん、嫌な動悸がしてくる。
なんだか、眩暈がして、気が遠くなってきた。
ダイヤ「曜さん、千歌さんの話は聞かなくていいので……」
千歌「ぶー!! なんでそんなこと言うのー!?」
──もう、やだな……。
思考が完全に止まりそうになった──そのときだった。
79:
「──ここがいいんじゃない?」
私の背後から、手が伸びてきて、歌詞ノートの上を滑る。
──鞠莉ちゃんの手だった。
鞠莉ちゃんの白い指が、歌詞をなぞる。
曜「“わかってと”……“すねちゃう”……“私だから”……」
鞠莉「曜って──自分の気持ち、隠しちゃう子だから……きっと、曜のパートはここ」
曜「……鞠莉ちゃん」
鞠莉「そして……わたしのパートはそのすぐ下。ここは曜と一緒に歌いたいな」
曜「え……」
歌詞を追って、そこにあるワード。
鞠莉「だから、歌を通して、私に曜の気持ちを伝えて?」
──“いつか出会う恋人に伝えたいこと”──
鞠莉「このいつかは……今でもいいよね?」
曜「鞠莉……ちゃん……」
鞠莉ちゃんの手が、私の手に優しく添えられる。
千歌「え……?」
ダイヤ「え、鞠莉さん、それは……?」
鞠莉「ごめんね、歌い出しは“わたしたち”が貰うから。二番は好きにして?」
ダイヤ「え、あ、はい」
千歌「え……え? もしかして、曜ちゃんと鞠莉ちゃん……?」
千歌ちゃんが目を見開いて、私と鞠莉ちゃんを交互に見つめる。
鞠莉「曜、行きましょ」
曜「あ……」
そのまま、ノートをダイヤさんに押し付けるように渡してから、鞠莉ちゃんは私の手を引いて歩き始める。
鞠莉「それじゃ、みんなチャオ?♪」
曜「…………」
鞠莉ちゃんは私を連れて、強引にその場を後にしたのだった。
 * * *
屋上からの階段を一段一段、手を繋いだままゆっくりと下りる。
曜「鞠莉ちゃん……もう、平気だよ……」
80:
そう声を掛けるけど、
鞠莉「…………」
曜「鞠莉、ちゃん……?」
鞠莉ちゃんは私の手を離してはくれなかった。
そこで、やっと気付く。
繋がれた鞠莉ちゃんの手が……震えていた。
曜「鞠莉ちゃん……?」
鞠莉「…………」
曜「どうしたの……?」
鞠莉「……知らない人は……いいよね」
曜「え……?」
鞠莉「曜が……どれだけ、苦しんでるか……知らない人は……」
曜「鞠莉、ちゃん……?」
鞠莉「……毎日いっぱい悩んで、悩んで、悩んで……先に進みたいって、頑張りたいって……曜は想ってるのに……」
曜「…………」
鞠莉「……ごめんね、曜」
曜「どうして謝るの……?」
鞠莉「順を追ってみんなに知らせるつもりだったのに……今のはどう考えても、強引過ぎた……。……でも、曜の気持ち考えたら、我慢できなかった……ごめん」
その言葉でやっとわかった。
鞠莉ちゃんは、静かに怒っていた。
何も知らないままの千歌ちゃんとダイヤさんに。
だから、あんな対抗するような物言いをしたんだ……。
鞠莉「ごめん……」
曜「うぅん……助けてくれてありがと、鞠莉ちゃん……。あのままだったら、私……たぶんダメになってた」
鞠莉「……」
曜「それに、なんだろう……なんか、ちょっとだけスカっとしたかも」
鞠莉「……ホントに?」
曜「うん。千歌ちゃんもダイヤさんもポカンってしちゃっててさ……ちょっと、面白かった」
鞠莉「……うん」
曜「なんか、してやったり……って感じだったよ。……こんなこと言ったら性格悪いかな?」
鞠莉「……曜」
不意に、鞠莉ちゃんに手を強く引かれて──そのまま、抱きしめられた。
曜「鞠莉ちゃん……」
鞠莉「辛いのに……何にもしてあげられなくて……ごめんね……」
曜「……うぅん、そんなことないよ」
鞠莉「もっと、器用に出来れば……」
曜「あはは、当初の目的ちゃんと達成されたよ?」
当初の目的──わたしたちの関係を、千歌ちゃんに、知られること。
81:
鞠莉「……」
曜「これで……いいんだよ」
鞠莉「……うん」
曜「……このまま、ここで抱き合ってたら、誰か来ちゃうよ? だから、泣き止んで……ね?」
鞠莉「べ、別に……泣いてない……」
鞠莉ちゃんはわたしから離れながら、すぐに背を向けて、私と繋いだ手とは逆の手で目元を拭う。
鞠莉「わたしが泣いてたら……それこそ、おかしいじゃない……」
そう言いながら、再び私の手を引いて鞠莉ちゃんが歩き始める。
確かに、ちょっと変なのかもしれないけど、少しだけわかる気もした。
曜「鞠莉ちゃん……ありがと」
鞠莉ちゃんは、私を想って、怒って、泣いてくれてるんだ。
それが、何故だか……すごく心が温かくて、嬉しかった。
鞠莉「……曜」
曜「ん……なにかな」
鞠莉「……勢いでいろいろ言っちゃったけど……歌詞について言ってたことは、全部本音だから」
曜「……え」
鞠莉「あの部分は……曜と歌いたい」
曜「鞠莉ちゃん……うん。私も鞠莉ちゃんと歌いたい」
鞠莉「うん……」
曜「想ってることも……いっぱい鞠莉ちゃんに伝えるね」
鞠莉「うん……」
不器用な私だけど……何故だか、鞠莉ちゃんになら、素直に伝えられる気がするから……。
 * * *
さて、あの後部室で練習着から制服に手早く着替えて、下校することにした。
幸い……なのかはわからないけど、私たちが着替えを終えるまで、結局誰も部室には来なかったため、鞠莉ちゃんと二人で下校する。
もしかしたら、梨子ちゃんが気を遣って、皆を引き止めてくれてたのかもしれないけど……。
鞠莉ちゃんと二人バスに揺られながら、帰路を進んでいく。
鞠莉「ねぇ、曜」
曜「ん?」
鞠莉「明日からの三連休……どうする?」
曜「明日から……あ、そっか月曜祝日だっけ……」
確か敬老の日だったかな……つまり月曜まで学校はお休みだ。
ついでに言うなら、再来週の月曜も秋分の日だから、二週連続で月曜が祝日の三連休ということになる。
82:
鞠莉「とりあえず、予定が特にないなら……」
曜「?」
鞠莉「明日はマリーのお部屋に泊まりに来ない?」
曜「え、お泊り?」
鞠莉「ほら、恋人なら……そういうのもありなのかなって」
……なるほど。
確かに、恋人ならお泊りくらいはするか……。
曜「わかった、じゃあ明日は鞠莉ちゃんのところに泊まりに行くね」
鞠莉「あら……意外とすんなり」
曜「ええ? 泊まりに来てほしかったんじゃないの?」
鞠莉「そうだけど……もっと恥ずかしがるかなって思ったのにつまんない反応だなーって」
曜「ええー……」
どうやら、本人的には私をからかいたかった様子。
鞠莉ちゃんって、ちょっといたずら好きなところあるよね。
曜「まあ、多少思うところはあるけどさ」
私たち、ごっことはいえ、付き合い始めてまだ2日だし。
それでお泊りは普通のカップルにしては、めちゃくちゃ気が早い。
だけど……。
曜「単純に鞠莉ちゃんが普段どんな部屋で、どう過ごしてるのか、知りたいなって思って」
鞠莉「ふふ、なにそれ……そんなに変わったことないわよ?」
曜「……いや、たぶんそれはないと思う」
絶対にカルチャーショックの連発だと思う。
鞠莉「えー? 曜の中でわたしってどんなイメージなのかしら……」
曜「まあ、それを確かめるためにもさ、お泊りするのも悪くないかなって」
鞠莉「ふーん。まあ、誘ったのはこっちだし、曜が乗り気なら全然問題はないんだけど」
曜「ふっふーん、鞠莉ちゃんの私生活暴いちゃうからねー?」
鞠莉「ふふ、かかってきなさい! カエリウチでーす!!」
いや、返り討ちにされるのは困るんだけど……。
曜「じゃあ、お昼ごろに淡島に行くね」
鞠莉「ええ、待ってるわ。それじゃ、明日ね」
そう言って鞠莉ちゃんは席を立った。
気付けばバスは、もう淡島への船着場に着くところだった。
曜「うん、また明日。ばいばい」
鞠莉「チャオ?」
83:
バスから降りる鞠莉ちゃんを見送って、私は一人の帰路につく。
……さて、
曜「……これから、どうなるんだろう」
千歌ちゃんとダイヤさんのこと、鞠莉ちゃんとのこと。
いろんなことが少しずつ変化を始めた。
これが良いことなのか、悪いことなのかはまだわからないけど……。
それでも、一人でうじうじしてた時期よりはよほど心は前を向いていた。
このまま、少しでも良い方向に進んでくれれば良いなと思いながら、私は車窓を流れる景色をぼんやりと眺めながら一人下校するのだった。
 ? ? ?
鞠莉「……はぁ」
夜。自室で今日のことを思い出しながら、わたしは一人溜め息を吐いていた。
──『ごめんね、歌い出しは“わたしたち”が貰うから。二番は好きにして?』──
……我ながら、なんであんなこと言ってしまったのか。
別にダイヤや千歌が憎いわけじゃない。
わたしはそもそも二人のことは応援してるし、自分が背中を押した部分も多分にあると思っている。
ただ……曜の胸中を考えたら、どうしても黙っていられなかった。
鞠莉「うぅぅー……わたしが冷静で居てあげないといけないのに……」
千歌とダイヤのことで曜が辛くなったら、いつでもフォロー出来るようにとは考えてたけど……。
いざ、直面したときにわたしが冷静さを欠いちゃったら、意味ないじゃない……。
鞠莉「しっかりしないと……!」
最近こんなことばっかりだけど、改めて気を引き締めるよう自分に喝を入れていると。
──ピコン。とメッセージの受信音。
鞠莉「あら……? 曜から……」
 『YOU:マリちゃんまだ起きてる??』
 『Mari:起きてるよ』
返信を送ると、既読が付くと同時に──通話の着信を受ける。
曜『あ、鞠莉ちゃん?』
鞠莉「Good evening. 曜」
曜『今、大丈夫だった?』
鞠莉「ええ、特に何もしてなかったから」
曜『ならよかった?。なかなか、連絡来ないから寝ちゃったのかと思ってた』
言われてみれば、昨日自分から夜に連絡したいと言ったのに、忘れていた。
84:
鞠莉「Sorry...うっかりしてた」
曜『うぅん、大丈夫。ちょっと寝る前に声が聴きたかっただけだから』
鞠莉「ふふ……ありがと。わたしも曜の声が聴けて嬉しい」
曜『えへへ……うん。それじゃ、明日お昼頃に淡島の方、行くからね』
鞠莉「ええ、待ってるわ」
曜『うん! それじゃ、おやすみ。鞠莉ちゃん』
鞠莉「Good night. 曜」
就寝の挨拶を交わして、本当にただ声を聴くためだけの通話が切れる。
鞠莉「……おやすみ、曜。良い夢見てね……」
通話が切れて、メッセージ欄表示になったスマホに向かって呟く。
すると──ピコ。という音と共に、カモメのような丸っこいキャラクターが『おやすみ!』と言っているスタンプが送られてくる。
鞠莉「ふふ」
聞こえていないはずだけど、返事をしてくれたみたいで嬉しくなる。
わたしもお気に入りの馬のキャラクターのスタンプで『おやすみ』を返して、スマホを机に置く。
鞠莉「さて……! 明日は曜が泊まりに来るんだから、気合いいれないとネ!」
わたしは目一杯のオモテナシをするために、明日に備えて、床に就くのだった。
 * * *
──9月14日土曜日。
お昼頃、約束通り家を出るため、玄関で靴を履いていると。
曜ママ「あら、曜ちゃん……お出かけ?」
ママに声を掛けられる。
曜「あ、うん」
曜ママ「遅くなる?」
曜「あ、えっと……実は友達の家に泊まりに行くんだけど……」
そういえば、すっかりママに言うのを忘れていた。
いくらもう高校生になったとは言え、外泊を報告しないのはさすがにいただけない。
曜ママ「あら……千歌ちゃんのところ?」
曜「うぅん、今日は鞠莉ちゃんのところにお泊りなんだ」
曜ママ「鞠莉ちゃんって……あの金髪の綺麗な先輩よね? ホテルオハラのお嬢様なんだっけ」
曜「うん」
さすがに、鞠莉ちゃんはこの辺一帯の有名人なだけはある。面識のないママでも、それくらいのことは知っているようだった。
85:
曜ママ「曜ちゃんが千歌ちゃん以外の子のお家に泊まりに行くなんて、珍しい……」
曜「あはは……まあ、たまにはそういうこともあるよ」
曜ママ「ふーん……?」
何故か、ママは訝しげに私のことを見てくる。
曜「何?? そんなにじろじろ見るほど珍しいの?」
曜ママ「そういうわけじゃないけど……。でも曜ちゃんにも千歌ちゃん以外の子との交流が増えて安心してるわ」
曜「む……人を友達少ないみたいに言わないでよ」
むしろ、この辺だったら多い方だし。たぶん。
曜ママ「ふふ、ごめんごめん。でも曜ちゃんと仲良くしてくれてる先輩なら、ママも挨拶したいな? 今度ママがいるときにお家に呼んでくれないかしら?」
曜「えー? いいよ、恥ずかしい……」
曜ママ「連れてきてくれたら、曜ちゃんの大好きな、ママお手製ハンバーグ作ってあげるんだけどな?」
曜「む……」
いや、いまどきの女子高生をハンバーグで釣ろうなんて……。
……ママの作るハンバーグが絶品なのは認めるけど……。
曜「はぁ……わかった。今度ね」
曜ママ「ふふ、楽しみにしてる」
曜「はいはい……それじゃ、行ってくるね」
曜ママ「行ってらっしゃい」
ママに見送られながら、外に出る。
──外はもう9月だと言うのに、まだまだ日差しの主張が激しい。
曜「……良い天気だなぁ……」
日焼けしたくない人は嫌かもしれないけど……。
こんな日は、良いお散歩日和かもしれない。
曜「んー……」
太陽の光を浴びて、一度伸びをしてから、
曜「よし! 行くか!」
私は淡島に向かうために、バス停を目指すのだった。
 * * *
──バスに揺られること40分。
曜「よっと……」
86:
私は淡島行きの連絡船の出ている船着場に到着する。
更にここから船で淡島に行くわけだけど、連絡船の時間までは少し時間があるから、少し待つことになる。
曜「それにしても、ホントに良い天気だなぁ……」
行くときも思ったけど、今日は本当に気持ちの良い快晴だった。
すぐ傍に海があるのも相まってか、なんだかテンションがあがってくる。
そんな陽気な気分なのは私だけじゃないのか、辺りを見回すと、それなりに人の姿が見える。
……まあ、三連休の初日だしね。
そんなことを考えながら、船着場の方へ歩いていると──
曜「……ん?」
船着場の辺りで、赤い髪を両側でピッグテールに結っている、見覚えのある女の子の姿……。
曜「……ルビィちゃん?」
ルビィ「……え? あ、曜ちゃんだー」
名前を口にすると、ルビィちゃんはすぐに私に気付いて、とてとてと近寄ってくる。
曜「こんにちは、ルビィちゃん」
ルビィ「うん! こんにちは」
曜「こんなところでどうしたの? ルビィちゃんも淡島に?」
ルビィ「あ、うぅん……ルビィはお散歩してただけだよ」
……やっぱり今日はお散歩日和のようだ。
曜「一人でお散歩してるの?」
ルビィ「うん。夕方になったら、花丸ちゃんと一緒に善子ちゃんの家に泊まりに行くんだけど……今は一人でお散歩してるんだぁ」
曜「……そうなの?」
ルビィ「うん」
曜「へー……ちょっと意外かも」
ルビィ「え?」
曜「ルビィちゃんって、インドアなイメージだったから……天気が良いって言っても、散歩で歩き回ってる印象ってそんなにないからさ」
それにルビィちゃんの家から、この船着場までも歩くと結構な距離だ。
30分くらいかな……?
ルビィ「あはは……その……三連休は皆お泊りするみたいだから……」
曜「……?」
まあ……私も鞠莉ちゃんのお部屋に泊まりに行くところだから、確かにそうなのかもしれないけど……?
ルビィ「あのね、朝から千歌ちゃんが来てるから……」
曜「…………」
なるほどね……。
87:
曜「千歌ちゃんが、泊まりに来てるんだね……」
ルビィ「うん」
曜「それで……追い出されちゃったの?」
私は少し眉を潜めた。
いくら二人っきりで過ごしたいからって、それは酷くないだろうか。
ただ、ルビィちゃんは私の言葉に対して、
ルビィ「あ、うぅん! そういうことじゃなくて……」
首を振る。
ルビィ「千歌ちゃんもお姉ちゃんも、ルビィが一緒にいたら三人で遊んでくれるよ?」
曜「そうなの?」
ルビィ「うん! 千歌ちゃんも『妹が出来たみたい!』って言って優しくしてくれるし……」
曜「じゃあ、どうして……」
それなら、時間まで3人で遊べば良いのに……。
ルビィ「その……ね。出来るだけ、二人っきりにしてあげたいなって……思って」
曜「……!」
ルビィ「……二人ともすっごく仲良しだけど……やっぱり、ルビィが居たら出来ないお話とか、出来ないこととか……いっぱいあるんじゃないかなって思って……」
曜「…………まあ、それは……」
ルビィ「たまにね、二人が一緒にご飯作ってるところとか、後ろから見てることがあるんだけど……二人ともすっごく楽しそうでね。ルビィと居るときも楽しそうにはしてるけど……それとはちょっと違うというか」
曜「…………」
なんだか、ルビィちゃんの話を聞いていて、いろんな意味で心が苦しくなってくる。
ルビィちゃんと比べて、自分はなんて発想が貧しいんだろうか……。
ルビィ「きっと、あれが恋人の距離なんじゃないかなって……」
曜「……そっか」
ルビィ「二人とも、すっごく幸せそうだから……二人が幸せなら、ルビィも嬉しいから……」
曜「…………」
だから、ルビィちゃんは一人で散歩をしてる……と。
曜「……ルビィちゃんは、優しいね」
思わず頭を撫でてしまう。
ルビィ「わっ!? 曜ちゃん……?」
曜「私が同じ立場だったら……ルビィちゃんみたいに出来ないよ……」
絶対に……出来ない。
傍に居た親しい人が、急に他の誰かに夢中になっちゃったら……。
今みたいに、寂しくて、悲しくて、どうすればいいかでごちゃごちゃになって……泣いちゃうかもしれない。
88:
ルビィ「曜ちゃん……」
曜「ルビィちゃんは……良い子だね」
ルビィ「…………」
私はルビィちゃんを褒めながら、頭を撫でるけど……ルビィちゃんは何故か少しだけ目を伏せる。
ルビィ「……あのね、曜ちゃん」
曜「ん……?」
ルビィ「ルビィ……良い子なんかじゃないよ」
曜「え……?」
ルビィちゃんは俯き気味に言葉を続ける。
ルビィ「……ホントはね、すっごく寂しいの……。ルビィだけのお姉ちゃんが……千歌ちゃんに取られちゃったみたいで……」
曜「……!」
ルビィ「前だったら、お姉ちゃん……ルビィのことが一番って言ってくれたけど……今は絶対、お姉ちゃんの一番は千歌ちゃんだから……」
曜「……」
ルビィ「こんなこと思っちゃいけないって、わかってても……お姉ちゃんを取らないでって、千歌ちゃんに対して思っちゃう自分も居て……」
曜「ルビィちゃん……」
……ルビィちゃんの境遇は、私と似てるのかもしれない。
対象は違うけど……あの二人が恋人同士になって、寂しい想いをしている。
ルビィ「だから、ルビィ全然良い子じゃないよ……あはは」
そう言いながら、ルビィちゃんは力なく笑う。
ルビィ「でも……お姉ちゃんが千歌ちゃんのことを好きになってくれてよかったとも思ってて……。上手く説明できないけど……」
曜「……そっか」
ルビィちゃんはルビィちゃんなりに……自分の気持ちと向き合おうとしてるのかもしれない。
ルビィ「それに、寂しいけど……花丸ちゃんも善子ちゃんも居るし……いつまでも、ルビィがお姉ちゃんのこと独り占めしてちゃダメだとも思うから……」
曜「……やっぱり、ルビィちゃんは偉いよ」
ルビィ「あはは……ありがと、曜ちゃん」
……きっと、私もこうやって、少しずつ千歌ちゃんから離れていかないといけないんだ……。
少しセンチメンタルな気分になりながら、そんなことを考えていたら、
ルビィ「……あれ? そういえば……曜ちゃんは淡島に用があったんじゃないの?」
曜「え……?」
ルビィちゃんの言葉で我に返る。
思い出したかのように、船着場に目を向けると──連絡船が船着場に着こうとしていた。
曜「やば!? 船来てる!? ごめんルビィちゃん!! もう行くね!!」
ルビィ「え!? う、うん! 気をつけてねー!」
ルビィちゃんと別れて、すぐさま連絡船の方へとダッシュする。
89:
曜「間に合えええーーー!!!」
こうして、私は慌しく船着場を後にするのだった。
 * * *
曜「んー……到着」
船から降りて、桟橋に足をつけると、
鞠莉「曜」
曜「あれ、鞠莉ちゃん?」
待っていた鞠莉ちゃんに出迎えられた。
曜「今から、着いたよって連絡しようと思ってたのに……もしかして、待ってくれてた?」
鞠莉「ええ。ここで待ってれば絶対会えるし」
曜「ごめんね、暑かったでしょ?」
鞠莉「うぅん、大丈夫よ」
言いながら、鞠莉ちゃんはいかにもお嬢様が被っていそうな、真っ白な女優帽を整えながら、
鞠莉「…………」
私の顔をじーっと見つめてくる。
曜「えっと……何かな……?」
鞠莉「曜……汗掻いてる」
鞠莉ちゃんはそう言いながら、ポケットからハンカチを取り出して、おでこの辺りの汗を拭いてくれる。
曜「え!? あ、いいって……! ハンカチ汚れちゃうよ……」
鞠莉「いいから、じっとして。それにハンカチは汗を拭くためにあるのよ?」
曜「ぅ……」
鞠莉ちゃんは私を一言で大人しくさせ、丁寧に汗を拭いてくれる。
鞠莉「これでよし……」
曜「……ありがと、鞠莉ちゃん」
鞠莉「ふふ、どういたしまして。それより、そんなに暑かった? 確かにいい日差しだけど……曜って、もしかして汗っかき?」
曜「ふ、普通くらいだよ!」
スポーツしてるから、多少は代謝が良いほうかもしれないけど……。
曜「ちょっと船に乗り遅れそうになって、走ったから……」
淡島はそこまで遠くないため、船が島に着くまでに汗が引ききってくれなかったということだ。
90:
鞠莉「んー? そんなにマリーに早く会いたかったんだ??♪」
曜「あはは……実を言うと、そうなんだよね」
別に隠すことでもないし、素直に答える。実際に楽しみだったし。
まあ、鞠莉ちゃんなら、私が来るの待ってくれてそうってのもあったけど。実際に待ってたしね。
ただ、私の回答に対して、
鞠莉「────///」
何故か鞠莉ちゃんは顔を赤らめて、変な表情をしていた。
困ったような、びっくりしたような、呆気に取られたような、それでいて恥ずかしいような……そんな変な顔。
曜「鞠莉ちゃん?」
鞠莉「え、あ、えっと……そ、そう? 楽しみにしてたのね」
曜「う、うん……?」
鞠莉「なら、早く行きましょ?」
そう言って鞠莉ちゃんは私の手を掴んで、歩き出す。
曜「お、お願いします……?」
なんかちょっと様子が変だけど……私なんか変なこと言ったかな?
そんな私の胸中を知ってから知らずか、鞠莉ちゃんは私の手を引きながら、ぐんぐん歩いていく。
全然こっち見ないし、話しかけてこないし……不味いこと言ったのかも……。
ただ──
鞠莉「……♪」
話こそしないけど、少しだけ機嫌が良いようにも見える。
まあ、怒ってないなら、とりあえず大丈夫……なのかな?
 * * *
鞠莉「──さ、入って」
曜「お、お邪魔しまーす……」
さて、鞠莉ちゃんに手を引かれて訪れた場所は──もちろん、あのホテルオハラの8階、鞠莉ちゃんの自室だ。
隅から隅まで掃除の行き届いた廊下を抜けて辿り着いたその部屋は、
曜「ひ、広い……」
ここで家族が暮らしていると言われても疑わないくらい広い部屋だった。
いや、部屋というか……。
曜「い、家……?」
91:
そもそも、鞠莉ちゃんの部屋という割に、その室内はいくつもの空間にわけられている作りのようだ。
とりあえず通されたのはリビング──そもそも自室にリビングがあるのがもうよく意味がわからない。
鞠莉「どうしたの? 立ち止まって……」
曜「いや……私がここに入っていいのかと思って……」
鞠莉「……? よくわかんないけど、好きな場所でくつろいでていいんだよ?」
……くつろげる気がしない。
鞠莉「あ、もしかして?」
曜「……?」
鞠莉「曜ったら、初めて恋人の部屋に来たから緊張しちゃってるんでしょ??」
そういう問題じゃない。
曜「と、とりあえずさ」
鞠莉「?」
曜「鞠莉ちゃんの部屋、もっとじっくり見てみたいな?……?」
敵情視察というか……先に出来る限り、目を通して全容を把握したい。そうじゃないと、後から知る情報で心臓が持たない気がする。
鞠莉「そう? じゃあ、案内するわね」
曜「う、うん! お願い!」
そもそも自室って案内するものなのかという疑問はさておき、鞠莉ちゃんに案内をお願いする。
鞠莉「まずここがリビング。ソファでもテーブルでも曜の好きな場所でくつろいでいいからね」
曜「う、うん」
試しにソファに座ってみると──身体が沈みこんでいく。
曜「うっわ……ふかふか……」
座るということがこんなに幸福なのかと思ってしまうくらい座り心地の良いソファー。
もはや自室のベッドよりも快適な気がする。
鞠莉「それで、そこから見えると思うけど、そこがバルコニーね」
リビングからは鞠莉ちゃんの言うとおり、バルコニーに繋がっていて外に出ることが出来る。
もうすでにふかふかのソファーに根っこが生えそうだったけど、鞠莉ちゃんがバルコニーの方に歩いていくので、私もどうにかソファーの誘惑を振り切って、バルコニーの方についていく。
外に出ると、目の前には海が広がっていた。
曜「うわ……すご……」
さすが高級ホテルの最上階……絶景だ。
鞠莉ちゃんは毎日こんな景色を見ながら寝起きしてるんだ……。まあ、ここは寝室じゃないけど……。
こんな機会滅多にない気がして、思わずキョロキョロと辺りを見回してしまう。
すると左手後方にも僅かにだけど、バルコニーが見切れていた。
92:
曜「あれは隣の部屋のバルコニー?」
鞠莉「ええ、寝室のバルコニーよ」
曜「……へ、へー」
隣の部屋ってそういうつもりで訊いたわけじゃなかったんだけどな……。
どうやら鞠莉ちゃんの部屋にはバルコニーが二つもあるらしい。
曜「ここで、紅茶とか飲みながら海を眺めたらすごい優雅かも……」
鞠莉「あら……ここが気に入ったの? マリー的にはアフタヌーンティーはそっちの部屋でするんだけど」
曜「そっち……?」
鞠莉ちゃんが指差すほうを見ると、リビングに隣接した、屋根付きの小さな屋内スペースがある。
バルコニーから室内に戻り、そっちの方を覗いてみる。
鞠莉「ちょっと、ちっちゃい部屋だけどね」
鞠莉ちゃんはそんな風におどけるけど……他の部屋が広すぎるだけで、別に言うほど小さいというわけでもない。
中には確かにお茶するのに最適なテーブルが置いてある。
鞠莉「もちろん曜とも後でアフタヌーンティーをするつもりなんだけど……バルコニーの方がいい?」
曜「うぅん、そっちの部屋がいい」
鞠莉「そう?」
曜「鞠莉ちゃんがいつもどういう風に過ごしてるかの方が知りたいし」
鞠莉「ふふ……そっか」
私の言葉を聞いて、鞠莉ちゃんは嬉しそうに微笑む。
鞠莉「あ、そうそう……もし半端な時間にお腹が空いたら、そこのキッチンで何か作れるからね? 冷蔵庫に入ってるものは好きに使っても大丈夫だから」
曜「キッチンまであるの!?」
ホントに部屋というか、家みたい……。
鞠莉「あとは寝室とバスルームくらいかな……そっちも見る?」
曜「見る!」
鞠莉ちゃんの部屋は見て回るだけで軽く探検気分になれる。
正直こんな部屋に泊まれるというだけで、来た甲斐があると思えるレベルだ。
──鞠莉ちゃんに連れられて、寝室に入ると、当たり前だけど、大きなベッドがあった。
天蓋付きで物語のお姫様が使っているような……いわゆる、お姫様ベッドだった。初めて見たかも……実在してたんだ、お姫様ベッドって……。
鞠莉「今日はこのベッドで一緒に寝ましょうか?」
曜「え」
鞠莉「だって、ベッド一個しかないし」
まあ、さすがに鞠莉ちゃんの部屋なのに、鞠莉ちゃん以外の人の分のベッドもあったら変だもんね……。
とはいえ、こんなお嬢様以外が近付いてはいけないんじゃないかという、神聖なオーラを放っているベッドにお邪魔するのは、本当に気が引ける。
曜「い、いや……それなら私はリビングで寝るよ。ソファーふかふかだったから、あれでも十分寝れるし」
93:
というか、さっきも同じようなことを思ったけど、下手したら自室のベッドよりも快眠出来そう。
鞠莉「それはダメ。さすがに曜をベッドから追い出すわけにはいかないわ」
曜「え、えー……でも……」
鞠莉「もちろん、マリーがソファーで寝るのもイヤだけど」
嫌なんだ……。
まあ、鞠莉ちゃんがソファーで寝て、私がこのお姫様ベッドで寝るのはもうなんかいろいろダメな気がする。
ついでに言うなら、鞠莉ちゃんはベッド以外で寝なさそうというか……なんか、ソファーで一晩を過ごしてる姿が想像が出来ない。
それに、何故かこのホテルの使用人に怒られるんじゃないかという気さえしてきて、改めて鞠莉ちゃんがとびっきりのご令嬢であることを認識させられる。
鞠莉「だ?か?ら?、曜はわたしと一緒にベッドで寝るのよ?」
曜「ぅ……でも……」
鞠莉「むー……何か不満?」
曜「いや、だって……一緒のベッドって」
鞠莉「恋人なんだからいいじゃない」
曜「むしろ、だから問題というか……」
友達同士だったら、一緒のベッドでもいいけど、なんか恋人だと……。
鞠莉「あら……曜ったら、もしかして……」
曜「……?」
鞠莉「エッチなこと想像してるの?」
曜「!?///」
鞠莉「わー……やらしーなー……曜はわたしのこと、そういう目で見てるのね」
曜「見てないよ!?///」
鞠莉「じゃ、問題ないわよね」
曜「ぐ……!!/// わかったよ!/// 一緒のベッドくらいなんでもないよっ!///」
鞠莉「OK. 納得してくれて嬉しいわ」
曜「はぁ……」
納得というか、誘導されたというか……。
まあ、私も変に考えすぎだとは思う。別に鞠莉ちゃんとだし、女同士だし……そこまで、深く考えなくてもいいか……。
ベッドをどう使うかばっかに執着しててもしょうがないので、他に何かないか見回してみると──
曜「……?」
近くの棚の上に、雑多に置かれた謎の物体たちを見つける。
曜「なにあれ……?」
鞠莉「ん? あぁ、えっと……魔除け?」
曜「魔除け……?」
私は少し首を捻りながら、その棚に近付いてみる。
本当に雑多に物が置かれていて、なかには本当に変な置物とかもある。
曜「これも魔除けなの? これは……牛……?」
94:
牛のような造形の置物を指差す。赤と緑と紫の三種類が置いてあった。
鞠莉「それはトリトデプカラね。ペルーの魔除けグッズよ」
曜「へー……? じゃあ、この唐辛子みたいなのは?」
鞠莉「それはコルノ。イタリアに伝わるお守りよ」
曜「ふーん……?」
かなり雑多に置かれているけど、一つ一つ指差して聞いてみると、鞠莉ちゃんはすらすらとそれが何かを答えてくれる。
曜「このキラキラした玉みたいなのは?」
鞠莉「それはバリ島の魔除けグッズ。ガムランボールね」
曜「この指輪は?」
鞠莉「アイルランドのクラダリングよ」
曜「このメダルは?」
鞠莉「不思議のメダイ。フランスのカトリック教会で作られたものよ。描かれてる女性は聖母マリアね」
曜「へー……知らなかった」
浦女ってミッションスクールだから、案外どこかで見てるかもしれないけど。
それはそれとして……。
曜「鞠莉ちゃん、こういうの興味あったんだね」
鞠莉「ん……興味があるというか、なんというか……」
曜「……?」
なんだか歯切れが悪い。
興味がないのに、こんなに詳しいはずないと思うんだけど……。
曜「家庭の方針とか……? なーんて……」
これは、半ば冗談交じりに言ったつもりだった……が、
鞠莉「……まあ、そんな感じなのよね」
鞠莉ちゃんは予想外にも控えめに首を縦に振る。
曜「え!? えーっと……」
その返答に逆に動揺してしまう。
そんな私の様子を見かねてか、鞠莉ちゃんは肩を竦める。
鞠莉「とは言っても、そんな大げさな話じゃないわ。……なんか遠いご先祖様が退魔のお仕事……? をしてた、みたいな話でね」
曜「退魔のお仕事……? えっと、ゴーストバスター的な……?」
鞠莉「たぶんね……わたしもそれ以上はよく知らないんだけど。ただ、そのせいなのか、ちっちゃい頃から世界各地の魔除けとかをパパから貰ってたの。元から家にあったのも結構あるしね」
曜「へー……」
鞠莉「これだけいろいろあると、善子のこと笑えないわよね」
確かにそう……というか世界各地から集めている分、下手したら善子ちゃんよりも本格的かもしれない。
……まあ、魔除け的なものをこんなごっちゃに置いておいていいのかはよくわからないけど。
95:
曜「鞠莉ちゃんはこういうの……信じてるの?」
鞠莉「ん? ……うーん、そうねぇ……」
私の質問に対して、鞠莉ちゃんは人差し指を唇に当てながら考え始める。
鞠莉「……常日頃から意識してるってほどじゃないけど……これだけ、世界中であるであろうと考えられてることだからね。あっても不思議じゃないとは思ってるかな。だから──」
そこまで言いかけて、鞠莉ちゃんはハッとした顔をして言葉を止める。
曜「? どうしたの?」
鞠莉「いや、その……」
曜「え、気になる……」
鞠莉「……。……まあ、言いかけたわたしが悪いわね。……千歌の身に起きてたのはそういうことだったんじゃないかって思ってる」
曜「え」
そういうことって……つまり。
曜「千歌ちゃんは……悪霊みたいなのに取り憑かれてたってこと……?」
鞠莉「具体的に何かまではわからないけど……たぶん、そういう非日常的なことが起こってたんだと思う」
そういえば……鞠莉ちゃんは前にも、『びゅうお』で似たようなことを言っていた気がする。
そのときは意味がよくわからなくて、流していたけど……。
鞠莉「詳しいってほど、詳しいわけじゃないけど……わたしはそういうことに少しは理解があったから、二人の力になれると思って協力しようとしてたんだけどね。……結果的にその必要はなかったみたい」
鞠莉ちゃんはそう言っておどけるけど、
曜「……そんなことないよ」
必要がなかったなんてことはない気がする。
鞠莉「……そうかな」
曜「だって、何も言わずに部屋を貸してあげたりしたんでしょ? それって鞠莉ちゃんに理解があったからなわけだし……」
鞠莉「うん……」
曜「それに後でお礼も言われたって言ってたじゃん。それって、千歌ちゃんにとっても、ダイヤさんにとっても、ありがたかったからってことだしさ」
鞠莉「……そうね」
鞠莉ちゃんは私の言葉を聞いて、少し遠い目をした。
鞠莉「あはは、なんかごめんね? 千歌とダイヤの話するつもりじゃなかったんだけど……」
曜「うぅん……むしろ、聞けて安心したかも」
鞠莉「安心……?」
曜「うん……ずっと、知らないことばっかでさ。千歌ちゃんに聞いても教えてくれなかったし。……でも、言えない理由がちゃんとあったのかなって、改めて思ったから」
あのときの拒絶も……もしかしたら、私を巻き込まないためだったのかもしれないって思えるし……。
鞠莉「そっか……」
曜「うん」
96:
改めて、鞠莉ちゃんの部屋に置かれている魔除け棚を見てみる。
世界中でこれだけの数の魔除けが存在してるんだ。確かに鞠莉ちゃんの言うとおり、そういう不思議なことが身近な誰かに起こることもあるのかもしれない。
ゆっくりと、視線を上に泳がせていくと──
曜「あれ……」
棚の少し上の壁に掛けてある物が目に留まる。
Uの字のような形をした、金属……。
曜「これって確か……蹄鉄だっけ……?」
それは蹄鉄──馬の蹄に付ける鉄だった。
鞠莉「蹄鉄にも魔除けの効果があるのよ?」
曜「そうなの?」
鞠莉「ええ、主にヨーロッパで魔除けの力があると、信じられているわ」
曜「へー……」
これも魔除けグッズの一つなんだ……。ただ、壁に掛けてあるというのもあるけど、一つだけ一際目立っている気がする。
そんな私の視線に気付いたのか、
鞠莉「これね、実はお気に入りなの」
鞠莉ちゃんはそう補足してくれる。
曜「お気に入り?」
鞠莉「うん。わたし馬が好きだから……この蹄鉄も昔、乗馬をしたときに貰った物で想い入れが強いの」
鞠莉ちゃんはじっと蹄鉄に視線を注ぎながら続ける。
鞠莉「馬は人と違って……正直だから、好き。そんな馬を守ってくれてた蹄鉄が、巡り巡ってマリーのところに来て、マリーを魔からも守ってくれるなんて、素敵だなって思って……」
曜「……」
──馬は人と違って、正直だから。
何故だか、その言葉から言い知れない重みを感じた。
あまり表に見せないけど、鞠莉ちゃんは私と1個しか歳が違わないのに、立場が全然違う。
いろいろ思うことがあるのかもしれない。そんなことを急に思い知らされる。
鞠莉ちゃんは、私には想像も出来ないような重いモノを背負って日々を過ごしている。
ここ数日で鞠莉ちゃんと過ごして、いろんな鞠莉ちゃんの新しい面を見つけているけど……それでも、まだ全然わかってないのかもしれない。
だからなのかな、
曜「鞠莉ちゃん」
鞠莉「ん?」
曜「もっと鞠莉ちゃんのこと、聞きたい」
私はもっと、鞠莉ちゃんのことが知りたくなった。
鞠莉「ふふ……ありがと♪ でも、焦らなくてもお話する時間はいっぱいあるからね?」
曜「うん……!」
97:
今日は楽しい一日になりそうだ。
そんなこと予感させながら、私と鞠莉ちゃんのお泊り会が始まった。
 * * *
鞠莉ちゃんに部屋を一通り見せてもらった後、
鞠莉「そろそろかしらね……」
と鞠莉ちゃんは呟いた。
曜「? 何が?」
私が鞠莉ちゃんに訊ねた直後──コンコンと部屋の入口の方からノックの音がした。
曜「……? お客さんかな?」
鞠莉「今、開けるわ」
鞠莉ちゃんがそう言いながらドアを開けると、
使用人「失礼します。鞠莉お嬢様」
メイドの格好をした人が恭しく頭を下げているところだった。
そして、そのメイドさんの横には、ピカピカの配膳ワゴン。そしてその上にある豪華な感じのスタンド──確か、ケーキスタンドって言うんだっけ──には綺麗に飾られた可愛らしいケーキやマカロンが並んでいた。
使用人「奥までお運びしますか?」
鞠莉「うぅん、ここまででいいわ。下がって大丈夫よ」
使用人「かしこまりました。失礼致します」
メイドさんは再び恭しく頭を下げて、踵を返し、背筋を伸ばして部屋を去っていく。
部屋に残されたのは、豪華なスイーツを載せた配膳ワゴン。
曜「えっと……?」
これは……つまり?
鞠莉「アフタヌーンティーにしましょうか」
曜「あ、う、うん!」
そういえば、さっきあとでするって言ってたっけ……。
まさかこんな豪華なスイーツが出てくると思わなかった。
……もしかして、鞠莉ちゃんは毎日こんなアフタヌーンティーを……? ……たぶん、そうなんだろうなぁ。
鞠莉ちゃんは、先ほどアフタヌーンティーを普段していると言っていた部屋に、スイーツたちを運んでいく。
曜「あ……! 私も手伝うよ!」
慌てて手伝おうとすると、すぐに鞠莉ちゃんから手で制された。
9

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