【ノラとと】ノラと皇女と野良猫ハート Rainy Heartback

【ノラとと】ノラと皇女と野良猫ハート Rainy Heart


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ナレーション「――――これは、桜ヶ淵に遅めの梅雨が訪れた頃のお話」
ナレーション「春に、冥界の皇女パトリシアさんがやってきてからというもの、地上では色々な魔力が酷使され続けていました」
ナレーション「地上に死をもたらすためにあらゆる魔法を詠唱しては未遂に終わったり――」
ナレーション「一匹のネコを亡き者にする為に魔法で結界を張ったり――」
ナレーション「自在にコントロールできない未成熟な魔力を無闇矢鱈と爆発させまくったり――」
ナレーション「それはもう本当に、色々です」
ナレーション「その色々な魔力の発信源となっているここ――反田家では、今日もまたそんな魔力が悪戯に消費され続けていくのでした」
………
……

2:以下、
ルーシア「ノラ、今日こそお前の年貢の納め時だ……!」
ノラ「にゃあにゃあ!(ちょ、ちょっと姉さん! 家で刃物は危ないですって! 一体俺が何をしたって言うんですか!)」
ルーシア「全くお前という奴は、少し気を許せば妹とキスをする……! 油断も隙もあったもんじゃない!」
 そんな俺の今の姿は人間ではなく、全身黒毛で覆われた猫の姿だった。
 ついさっきまでは人間の姿だったのだが、これには理由がある。
ノラ「にゃあにゃあ!(誤解ですって! あなたの妹が勝手に俺の唇を奪ってきたんですよ! 俺に罪はありません!)」
ルーシア「にゃあにゃあにゃあにゃあと、いちいち可愛い奴だな……! 判断が鈍るでは無いかッ!」
ノラ(この可愛さに免じて、ほら、剣をしまいましょう?)
ルーシア「はぁッ!!(剣を思い切り振るう)」
ノラ(あっぶね!)
ルーシア「くッ、流石に素早いな……!」
3:以下、
 
ユウラシア「シア姉ー、私も手伝っちゃうよ?!」
ルーシア「ユウ……!」
 ユウラシアがふわりと空に浮かぶと、先程まで月がくっきりと見えた星空が、途端に夜の闇よりも深い暗闇に覆われた。
 魔法を詠唱することで冥界の空を呼び寄せたのだ。
ユウラシア「――(詠唱)……えっと、その先は忘れちゃった??! イグニス!」
 目の前のざらざらした空気がユウラシアの声と共に弾けて、オレンジ色の閃光が迸る。
ノラ「にゃあ??!(間一髪避ける)」
 TVの衝撃映像でしか見たことのないような爆発が目の前で起きていた。
ユウラシア「ちょっと! すけべねこー! 避けてシャッチーに当たったらどうすんのー!?」
ノラ(おーい! 俺なら当たってもいいっていうのかよ!!)
ユウラシア「もー! 私のプリン食べたの、絶対許さないんだからぁー!」
ノラ(食べてねぇし! それきっとそこの姉さんだから! ねぇ!?)
ルーシア「……ユウ、早いところこのネコの口を封じてしまおう」
ノラ(あ、ぜってー今誤魔化した!)
4:以下、
 
 くそ! 一対一なら眷属としての運動神経を駆使してなんとかかわし切れるけど、二対一ともなると話は別だ。なんとかして二人を宥めないと……。
 でも今の俺、猫だしなぁ! 言葉通じないしなぁ!
ルーシア「(詠唱)目をこらせば透き通る、黒い闇夜のぞろ目――――」
ノラ(げっ、この魔法は……!)
 詠唱が始まると途端に俺の足が鉛のように重くなる。
 姉さんお得意の魔法による結界だ!
 くそぅ……! これじゃ折角の運動神経も活かせないじゃんか!
ルーシア「ユウラシア、同時にやるぞ!」
ユウラシア「おっけー!」
ノラ(おっけーじゃねぇし! 加減考えて!)
ナレーション「冥界姉妹の強大な魔力の前に、抵抗することもかなわないノラ。絶体絶命のピンチです」
ナレーション「このまま為す術もなくKOされてしまうのでしょうか。ノラ、ゴングはまだなっていないぞ!」
ユウラシア「――――(詠唱してる)」
ルーシア「はぁぁぁぁ……ッ!」
ノラ(くる……!)
 
5:以下、
 
ルーシア「っ!(構える)」
ノラ「っっ!(避けようとする)」
シャチ「――――みなさん、晩ご飯の用意ができましたよ」
ユウラシア「わっ! やったー! シャッチーのごはーん!」
 途中までそらんじていた詠唱をあっさりと中断すると、ユウラシアはそのまま家の中に飛び跳ねて行ってしまった。
ルーシア「……」
ノラ「……」
 ユウラシアの魔力が離散することで冥界の空も消え去り、本来の夜空の輝きを取り戻していた。
 気がつけば鈍くなっていた俺の身体も軽くなっている。
ルーシア「シャチさんのご飯が出来たならば仕方ないな。冷めてしまっては失礼というもの」
ルーシア「ノラ、その命今日は預けておくぞ」
 手にしていた剣を庭先のほうき置き場へ立てかけてから、ユウラシアの後を追いかけて行く。
ノラ「……」
ナレーション「KO! 勝者、シャチの晩ご飯!」
 
6:以下、
 
ノラ(うぅ、さすがにご飯前に命がけの運動が過ぎる……)
 緊張が解け、腰が抜けたかのように倒れ込んでしまった。
 あぁ、地面がひんやりと気持ちいい。
パトリシア「ノラ、お疲れ様」
ノラ(パトリシア)
 ぐでんと仰向けに寝転がる満身創痍の俺を抱き上げると、パトリシアは自然と自分の口元に顔を寄せた。
 唇と唇が触れ合った瞬間、間の抜けた音と共に身体は瞬く間に人間へと――――生まれたまんまの赤ん坊の姿になる。
パトリシア「はい、服」
ノラ「おう」
 全裸状態の俺の姿を見ても、最早特別恥じらったりすることはない。
 俺は俺で着替えを受け取ってからの早着替えも慣れてしまったし、なんてことない日常そのものだ。
 毎度突っ込まれるのもあれだが、なんだかそれはそれで寂しい。
 
7:以下、
 
パトリシア「やはり眷属としてのノラの魔力は強大ね」
ノラ「強大って言ってもなぁ、別に何ができる訳じゃ無いぞ」
 せいぜい姉さんやユウの攻撃をかわし続けることぐらいだ。
 しかもそれも長くは続かないし。
パトリシア「それができることが凄いのよ」
パトリシア「お姉さまの実力は魔力こそ少ないけれど、その剣技は冥界でも折り紙付きなのよ?」
パトリシア「ユウだって、単純な魔力だけで言えば私をも超える程なんだから」
ノラ「それはまぁ分かるけど」
 少なくともさっきのアレを人間の状態で食らったりしていたらひとたまりも無いだろう。
 毎日、あの鋭利な剣で貫かれそうになったり、魔法で消し炭にされそうになっている身だからこそ分かることもある。難儀な境遇だ。
 
パトリシア「ふふっ、やはり猫の姿になるとノラの魔力は人間の時の何倍にもなるのね。興味深いわ」
ノラ「お前なぁ」
ノラ「そんな他愛のない興味で命を奪われそうになる俺の身にもなってみろ」
パトリシア「他愛なくないわよ」
パトリシア「これもノラを人間に戻すのに必要な研究よ、研究」
ノラ「本当か……?」
 やけに自信たっぷりな笑顔を見せてくる。
 しかしパトリシアのドヤ顔は不安しか誘わない。
 俺は苦笑いを返すことしかできなかった。
パトリシア「さ、晩ご飯を食べましょ。お腹が空いたわ」
ノラ「ああ、そうだな」
 
8:以下、
 
ナレーション「家に入っていく三姉妹それぞれの背中を見届けながら、なんて非日常な毎日だろうと改めて思うノラでした」
ナレーション「恐ろしいことに、日々繰り返される非日常にいつの間にか身体も心もすっかり慣れてしまい、最早それが普通と感じるようになってしまっていたのです」
ナレーション「しかし、この地上において魔力が酷使されている状況は異常でしかありません」
ナレーション「魔力による異常はノラや冥界三姉妹にも気付かれないままひっそりと。ですが明確に、この地上に異変を蓄積し続けていたのでした」
ノラ「……ん?」
シャチ「……」
ノラ「シャチ?」
 ふと縁側を見ると、不安げな眼差しで空を見つめるシャチの姿があった。
 
シャチ「オルキヌス」
 シャチの呼びかけに、どこからともなく機械の羽根が舞い降りてくる。
シャチ「――――明日の天気は全国的に晴れ。気温30度。少し早い夏日となるでしょう」
 明日の天気予報を淡々と一人言のように呟く。
 シャチの後ろで羽根のように浮くオルキヌスと呼ばれる機械は、地球上のあらゆる天候を観測し、その情報をシャチ自身にフィードバックすることを可能としていた。
 だからシャチがいればお天気お姉さんいらず。むしろ、シャチこそが本物のお天気お姉さんなのかもしれない。
 この地上でそんなことができるのはシャチだけだし、こんな空を浮く機械の羽根なんてものは他に見たことも聞いたこともない。
 しかし、出会った時から既にこうだったし、それを特別異常だと思うことはなかった。
 
9:以下、
 
シャチ「……」 
 シャチが目を瞑ると、役目を終えたオルキヌスはどこぞへと舞い戻って行ってしまった。
シャチ「また明日も晴れ」
シャチ「――――最後に雨が降ったのはいつでしょうか……」
ノラ「……」
ユウラシア「シャッチー! なにしてるの?! 早くいただきますしよー!」
シャチ「あ、すみません、今行きます」
ナレーション「蓄積された異変は、少しずつ地球の天候に影響を及ぼしていたのです」
ナレーション「パトリシアさんが桜並木で倒れていたあの日から数ヶ月が経ちましたが、その間に降った雨は数えるほど」
ナレーション「一般的に梅雨と呼ばれる季節に入ってからは一度も降っていません」
ナレーション「しかし人間はこういう時、鈍感です」
ナレーション「多少の異常気象も、今年は雨が降らないわねぇ?だの、洗濯物が干せて調度良いわぁ?だの、通勤で濡れなくて助かる?等という楽観的な考えで済ませてしまっていたのです」
ナレーション「桜ヶ淵に住むノラ達も例外では無く、そんな異常に特別な危機感を持ち合わせていませんでした」
ナレーション「――――ただ一人」
ナレーション「オルキヌスによって地上の天候を観測することのできるシャチだけが、ひっそりと進行する僅かな異変に気付き、不安な気持ちに駆られるのでした」
 
10:以下、
 
 ***
シャチ「ノラと皇女と野良猫ハート、Rainy Heart」
 ***
 
11:以下、
 
ユウラシア「いっただきまーす!」
シャチ「どうぞ、召し上がれ」
 我慢の限界だったのか、頂きますを言う前に既に箸を動かしていた。
パトリシア「お野菜が沢山で美味しいわ」
ルーシア「うむ。それにこの香ばしい匂いが食欲を掻き立てられるな」
シャチ「ごま油を使っていますので、それが効いているのかもしれませんね」
パトリシア「シャチさん、この料理の名前はなんていうのかしら?」
シャチ「これは八宝菜と言います」
パトリシア「はっぽうさい? あまり馴染みのない響きだわ……。これはきっと漢字ね!」
ノラ「お、漢字読めるようになったのか?」
パトリシア「バカにしないで頂戴。私ぐらいになれば漢字の一つや二つすぐに読めるようになるわ」
 漢字って一つ二つどころか、何千何万ってあるんだけどな。
 
パトリシア「それで? どういう字を書くのかしら」
シャチ「漢数字の八に、宝、そして野菜の菜と書きます」
パトリシア「う……」
ユウラシア「うわぁ、線がいっぱいー……」
 分かりやすく眉をしかめる二人。
 まぁひらがなも満足に読めないやつに漢字は難しいよなぁ。
 
12:以下、
 
シャチ「中国という余所の国の料理なので、少し難しいかもしれませんね」
パトリシア「……意味は理解できたわ!」
 マジかよ。嘘くせぇ。
パトリシア「八種類のお宝であるお野菜を混ぜた料理……ということね。素晴らしいわ」
ノラ「八宝菜をそんな意味で捉えられるのは凄いな」
シャチ「ちなみに八宝菜と言っても八種類野菜を使っているという訳では無く、単純に野菜を沢山使うことを意味するそうですよ」
ユウラシア「どうでもいいよーそんなこと、美味しければなんだってー」
ルーシア「こら、ユウ。肉ばかり食べてないで、野菜も一緒に食べるんだぞ」
ユウラシア「食べてるよー。でもピーマンだけは苦いからやーだなー」
 見ればピーマンだけ綺麗に皿の端に避けられていて、川の字を描いていた。
ノラ「好き嫌いしてると、姉さんみたいなスタイルになれないぞ」
ユウラシア「うーわ、ごはん中にどこみてんのすけべねこー」
ルーシア「ノラ、食事中は休戦しようと言った筈だが……?」
ノラ「いやいや、見てませんから」
 食事中なのに刃物が見え隠れして危ない。
 さっきほうきと一緒に仕舞われていたのにいつの間に持ってきたんだ。
パトリシア「でもノラの言うとおり、こんなに美味しいお宝を残すなんて勿体ないわ」
ユウラシア「えぇー……」
ノラ「そんな言い方されるとイマイチ美味しくなさそうに聞こえるな」
シャチ「……でも、あながちお宝であるということは間違いではないかもしれません」
ルーシア「どういうことだ?」
シャチ「最近、あまり雨が降らないせいでお野菜が徐々に高くなっているんです」
ノラ「雨が?」
TV『……明日の天気は雲一つない快晴です。これでまた連続晴れ日更新しちゃいますねー』
TV『みなさん、水分補給はしっかりしましょうねー!』
 付けっぱなしにしてあったTVから、お天気お姉さんの声が聞こえてくる。
 連続晴れ日更新……。確かに最近晴れ続きだったなぁ。
 あれ? 最後に雨が降ったのっていつだ?
 
13:以下、
 
ノラ「そういや梅雨の季節なのに全然雨降ってないんだなぁ」
シャチ「そうなんです……」
パトリシア「梅雨、とは何?」
ノラ「本当はこの時期になると毎日のように雨が降り続けるんだよ。それが梅雨」
シャチ「正確には梅雨前線が活発化して、日本では調度6月?7月の時期に上空に停滞するから雨が降りやすくなることを言います」
ユウラシア「なんだかむつかしい言葉ばっかりでよくわかんない……」
ノラ「まぁ俺も詳しいことなんてわかんないけどな」
ノラ「ただこの季節は雨ばっかで、子供の頃なんか遊べなくてすげぇ嫌だったわ」
シャチ「梅雨にも役割があります」
シャチ「この時期にしっかりと地上に雨を降らせないと作物は育ちませんし、お野菜を食べることが出来なくなってしまいます」
パトリシア「それは困るわ……」
パトリシア「こんなに美味しい金銀財宝が手に入らなくなるなんて」
ノラ「最早野菜ですらないぞ」
パトリシア「ユウ、そんな大切なお宝残しちゃダメよ」
ユウラシア「えー……」
パトリシア「今のユウが食べているのは七菜よ。ななさい!」
 宝が消滅して、代わりに低学年の女の子みたいになった。
ルーシア「七宝菜じゃないのか?」
パトリシア「いいえお姉さま、八種類しっかり食べてこその八宝菜よ」
 しかも勝手に八宝菜の定義を変えやがった。
 
14:以下、
 
パトリシア「この……豚肉、エビ、イカ、しいたけ、タケノコ、ニンジン、白菜、タマネギ、ピーマン、ウズラの卵……全部食べて初めて八宝菜になるの!」
ノラ「今、余裕で八種類以上あったぞ!」
シャチ「ひーふーみー……」
シャチ「そうですね、十種類入ってますね。私も余り気にしていませんでした」
パトリシア「いいえ、これは八種類です。八宝菜なのですから」
ルーシア「そうだな、パトリシアの言うとおりだ。私の目の前にあるのは八種類の八宝菜だ」
 姉妹揃って頑固だった。
パトリシア「だからユウ、このピーマンを食べてあなたも宝を得るのよ」
ユウラシア「わ、わかったよー」
 ほとんど脅迫に近かった。
 まぁ、好き嫌いはあまり感心しないし、これぐらい強引でもいいのかもな。
 逆に苦手になんなきゃいいけど。
ユウラシア「はむはむ……」
ユウラシア「あ、このピーマンそんなに苦くないね。おいしい♪」
シャチ「一応、苦みの少ないものを選んで調理していますので。食べられて良かったですね」
ユウラシア「やっぱりシャッチーのごはんはおいしいよー。これで私も八宝菜になれたかなぁ」
ルーシア「ああ。ユウも七菜ではなく、立派な八宝菜だ」
 いつの間にか野菜になってた。
 
15:以下、
 
ノラ「しかし、最近そんなに雨降ってなかったんだなぁ」
ノラ「雨なんか降らなければそれに越したことはないから、全然気がつかなかったよ」
シャチ「そうですね。普通に生活する分には晴れの方が洗濯物もよく乾きますし、特に困ることはありませんから」
ノラ「だよなぁ……」
ノラ「でもそっか、シャチは天気が分かるからずっと気になってたってことか?」
シャチ「はい……。最後に降ったのは春の終わりの頃でしょうか」
シャチ「その日から一月経っても降らない辺りで少し違和感を覚えていたのですが、まさかこの時期に差し掛かっても雨が降らないとは思いませんでした」
ノラ「春の終わりの頃……かぁ」
 春と言えば、調度パトリシアたちが地上にやってきた頃だ。
ナレーション「そう言ってノラは、いつのまにか反田家で家族のように食事を共にする三姉妹のことをまじまじと見つめました」
ナレーション「こんな風に何気なく過ごしてはいても、彼女たちは地上とは異なる異世界――――冥界から来た存在」
ナレーション「まさかなぁ、雨が降らない原因はこいつらにあるんじゃ……? そんな考えがノラの頭をよぎりました」
ユウラシア「私、ちゃんと食べられてえらい?」
ルーシア「ああ、よく頑張ったな」
ユウラシア「好き嫌いしなければ、胸ももっと大きくなるかなぁ?」
ルーシア「胸は……その、多分きっと大丈夫だろう」
ナレーション「しかし、食べ物の好き嫌いで一喜一憂するようなごく普通の姉妹のやり取りをする二人を見て、そんな訳ないかぁと楽観視するのでした」
ナレーション「そして、パトリシアさんはと言うと――――」
 
16:以下、
 
パトリシア「梅雨……雨の季節……」
ルーシア「どうしたパトリシア?」
パトリシア「水は命の象徴よお姉様」
パトリシア「つまり、それが降り続ける梅雨とは――」
ユウラシア「とは……?」
パトリシア「赤ちゃんが生まれちゃう季節!!」
 どんな季節もその一言で台無しだ。
ユウラシア「えー!? 人間はみんな雨から生まれちゃうのー!?」
シャチ「6月はジューンブライドとも言われますし、あながち間違ってはいないかもしれませんが……」
ノラ「できるの早くないかなぁ!?」
 一足飛びにも程があるだろ。
 でき婚とかあるっちゃあるけど、さすがに赤ん坊はまだ早くないか……?
ルーシア「なるほど。ここのところ身体が重いと思ってはいたが……命の力が強い季節だからなのか。道理で」
ルーシア「つまり、私の身体の中にも赤ちゃんが……?」
ノラ「いませんよ」
 雨が降っただけで赤ちゃんができるなら、世の女性がみんな大変なことになってしまう。
 
17:以下、
 
ユウラシア「ねぇねぇー、ジューンブライドってなぁにー? たべものー?」
パトリシア「フライドポテトの仲間かしら」
ノラ「違うよ。なんでだよ」
 この姉妹はどれだけ食い意地が張ってるんだ。
ノラ「えぇっと、6月に結婚すると良いことが起きるからジューンブライドって言うんだっけか?」
ユウラシア「なんでー? なんで6月なのー?」
パトリシア「命が集まる季節だから、みんな赤ちゃんを作りたくなっちゃうのね」
ノラ「いやいや、別に結婚=赤ちゃんが全てじゃないからな」
 っていうか、ユウラシアにそんなことを教えるな。
シャチ「諸説あるようですが、古くはギリシャ神話に登場する結婚や出産を司る女神ジュノが守護するのが6月であることから、6月に結婚をすると生涯幸せに暮らせるとされていたようですね」
パトリシア「なるほど……地上に伝わる女神様も6月に赤ちゃんを生んだのね」
ノラ「女神をヘンな想像で汚すなよ」
パトリシア「でも後世に残る伝承なのですもの」
パトリシア「少なからず、そういうことがあったのは間違いないでしょう?」
ノラ「そりゃあそうかもしれないけど」
パトリシア「きっとこの梅雨の時期になると、男の人は性欲が強くなるのね」
シャチ「そうなのですか、ノラさん?」
ノラ「答えづらい質問振らないでくれるかなぁ!?」
ユウラシア「すけべねこー最低ー」
パトリシア「きっと今なら命の魔道書を唱えることだって……ノラ!」
ノラ「唱えないよ」
パトリシア「何故!? 神様だって赤ちゃんを作るのに、ノラは一体何してるの!?」
 エライ怒られた。なんで?
 
18:以下、
 
ノラ「だって神様だって結婚してから赤ちゃん作ってたんだろ? それじゃあ結婚してない俺は作れないよ」
シャチ「仰るとおりですね。であるならば、至急ノラさんの結婚相手を見つけなければなりません」
ノラ「あ、いや、別に婚活宣言とか、そういうつもりはないからね?」
パトリシア「……」
ナレーション「パトリシアさんは考えていました」
ナレーション「雨が降る梅雨。命の集まるこの季節ならば、もっと命のことについて学べるのでは無いかと」
ナレーション「私もノラと結婚をすれば、新たな命の誕生を迎えられるのではないかと、純粋な気持ちで考えていたのです」
ナレーション「そして、翌日――――」
パトリシア「ノラと結婚します!!」
黒木「(立ち上がり)えぇぇぇぇぇぇーーーーーーー!!?」
 
19:以下、
 
明日原「未知パイ……店内ではもうちょっと静かにお願いできますか?」
黒木「いや、大声だって出ますよ!」
黒木「結婚ですよ!? 結婚! しかも反田君とっ!」
ノブチナ「若い男女一つ屋根の下だ。何もない方がおかしいと言うものだろう」
黒木「そ、それはそうかもしれませんが……」
黒木「いえ! そうであっては困りますよ! 倫理的に! 風紀委員的に!」
明日原「あっはは、未知パイはピュアですからねぇ」
明日原「パトもそんな冗談ばっかり言ってると、未知パイに本気で怒られますよー?」
パトリシア「私は冗談なんて言いません」
ノブチナ「マジか」
パトリシア「赤ちゃんを、産みます」
明日原「おめでた――――――っ!!」
黒木「おめでた――――――っ!! じゃないですよっ!」
黒木「そんな、高校生で赤ちゃんなんて……! 大体それって、つまり……?」
ノブチナ「ノラとヤッたってことだろ」
黒木「あ、ダメ……」
井田「おーい、風紀委員が目回してんぞ」
田中ちゃん「黒木さん??! しっかりして下さい??!」
明日原「え、っていうかその話ガチなんすか?」
パトリシア「……そんなに驚くことかしら?」
パトリシア「人間はみな、6月になると結婚をして赤ちゃんを作ると聞いたのだけれど」
井田「おいおい、誰だよそんないい加減な情報吹き込んだヤツは」
ノブチナ「いやしかし、確かに世のリア充共は6月に毎晩毎晩パコパコヤりまくっていることは間違いないからな」
田中ちゃん「の、ノブチナちゃん、もうちょっと言葉えらぼ……?」
 
21:以下、
 
明日原「ま、そっすよねー」
明日原「この時期はやたらカップル多くなりますし。ジューンブライドですもんね」
井田「つっても、ジューンブライドってそれ以前に付き合ってきた結果みてーなもんだろ? 急にヤりたくなる訳じゃなくね?」
パトリシア「でもノラは梅雨になると性欲が強くなると言っていたわ(言ってない)」
明日原「うわー引くー」
ノブチナ「仮にそうであったとして、よく同居人にそんなことを平然と言えるなあいつは」
田中ちゃん「え、えっと、ということはパトリシアさんと反田さんはお付き合いをしているということですか?」
パトリシア「いいえ、してないわ」
田中ちゃん「え!? え、え……え? それじゃあ……」
ノブチナ「赤ちゃんを作ってしまってからの結婚……それはズバリ!」
明日原「おめでた婚ー!!」
井田「今風な言い方だと授かり婚だな!」
田中ちゃん「うぅ、反田さんがそんなことする筈ありませんよぉ……」
ノブチナ「諦めろ田中ちゃん。男なんてみんな野獣だ」
井田「俺を見ながら言うなよ……!」
明日原「ということは、パトのお腹にはノラパイの赤ちゃんがいるというわけですね」
明日原「そっかぁ。ノラパイ、パトを選んだんすね……」
パトリシア「いないわよ?」
明日原「いないんかい!!」
 
22:以下、
 
パトリシア「私のお腹に命が宿ったら大変なことになるじゃない(冥界皇女的に)」
ノブチナ「それはそうだろうな。間違いなくノラは社会的に抹殺されるだろう」
井田「おい黒木、起きろー。ノラは無実だぞ」
黒木「ふぇ……?」
田中ちゃん「良かったです。やっぱり反田さんは誠実な人ですから」
パトリシア「これから赤ちゃん作ろうと思ってて」
明日原「予約済み!!」
黒木「無理……(倒れる)」
田中ちゃん「黒木さーん!」
ノブチナ「パトリシア、黒木を弄んでやるな」
パトリシア「私のせいなの……?」
井田「これからダチがヤるなんてことを聞きゃ、誰だって耳塞ぎたくなるぜ」
明日原「え、ていうかなんでノラパイなんすか?」
パトリシア「だって、ノラは命の魔道書について詳しいじゃない。やはり初めてはノラが適任だと思って」
ノブチナ「命の魔道書ってアレだろ? 要はエ口本だろ?」
明日原「あー漫画とかAVとかの知識だけでセ○クスする男って、下手クソって相場が決まってますからねぇ」
パトリシア「え? そうなの?」
ノブチナ「ヤツは素人童貞だ」
井田「いや、それ意味ちがくね?」
 
23:以下、
 
ノブチナ「分からんぞ」
ノブチナ「ノラは意外に行動は早いからな、その道のプロに手ほどきを受けている可能性も捨て切れん」
田中ちゃん「高校生でそういうお店は早すぎますよ……!」
明日原「っていうか、パトもそういうことに興味があるならプロに手ほどきを受けてみたらどっすか?」
パトリシア「プロ? 命の魔道書を扱うプロがいるということ……!?」
ノブチナ「フーゾは男だけじゃなく、最近は女性にも馴染みがあると噂されてるからな」
井田「マジかよ」
明日原「ヤンキーも働いてみたらどーです?」
井田「カンベンしてくれよ。アレだろ、どんなマダムが来ても相手しなきゃなんねーんだろ?」
ノブチナ「よ! 平成のマダムキラー!」
明日原「令和になっても頑張ってー!!」
井田「ふざけんなてめーら!」
黒木「うぅ……。うーうぅ……!」
ノブチナ「黒木が夢の中でもうなされてるぞ」
明日原「うわぁ、未知パイどんなやらしー夢見てんすかねー」
田中ちゃん「黒木さんの耳は私が塞いでいてあげますよ!」
パトリシア「プロに教えを請えば、赤ちゃんができるのかしら?」
明日原「やー、流石に避妊は絶対だから無理じゃないっすか?」
ノブチナ「そのヘンを守らなけりゃ即刻クビが飛ぶな。ウチの管轄でも何人かそういうヤツを知ってる」
井田「こえーよ……」
パトリシア「それじゃやっぱりノラとするしかないじゃない!」
明日原「お、おう……」
 
24:以下、
 
田中ちゃん「パトリシアさんは反田さん一筋なんですね」
パトリシア「でも、ノラは赤ちゃんを作らないって……」
ノブチナ「アイツ、ひょっとして種無しか?」
井田「んな話聞いたことねーぜ」
明日原「いやさすがに友達にそんな話しなくないっすか……?」
パトリシア「ノラ……どうすればその気になってくれるのかしら……」
ノブチナ「梅雨になると性欲が増すという話が本当なら、雨でも降ればその気になるんじゃないか?」
パトリシア「雨……命の雨」
明日原「え、そんな単純なもんなんすか? 男の人って」
井田「だから俺を見ながら言うなって! 知らねーよ!」
田中ちゃん「でも最近、雨が降っていませんよね……」
ノブチナ「そうだったか?」
明日原「あー、そう言えば最近降ってないかもしんないっすねー。梅雨の季節なのに珍しいっすよね」
黒木「そうなんですよ、雨が降らないんですよ……!」
井田「うぉ! いつのまに目覚めたんだよ」
黒木「雨の話題が聞こえたら、自然と脳が」
ノブチナ「雨になんの執着があるんだ?」
黒木「いいですかみなさん?」
黒木「雨が降らないと……お野菜が育たないんですよ!」
明日原「わー真面目ー♪」
 
25:以下、
 
ノブチナ「そんな小学生でも知ってるようなことを大声で言われてもな」
黒木「だって、大事件じゃないですか!」
黒木「お野菜が食べられないと、身体に健康な栄養だって摂取できませんし、勉強だって満足にできませんよ!?」
パトリシア「黒木さん、分かるわ」
パトリシア「お野菜が食べられなくなるのは一大事よ!」
井田「おいおい、こっちも急に真面目なこと言い出したぞ」
ノブチナ「バカと天才は紙一重的なやつか」
田中ちゃん「でも私もそう思います!」
田中ちゃん「私の家ではおじいちゃんが小さな畑を耕しているんですが……」
明日原「農家の人!?」
ノブチナ「田中?今日は大根が良い具合でよぉ?」
田中ちゃん「ですが、最近は雨が不足して作物が育たないと毎日悲しそうにしていて……私までなんだか泣きそうに……」
明日原「ちょっと梅雨神様! 田中ちゃん泣かせるとかマジありえないっすから!」
ノブチナ「田中ちゃんを悲しませるとは、神様でもバチが当たるぞ」
黒木「お野菜が育たないことが、農家に人に取ってのどれほどの悔しさがあるか……!」
井田「いや、別に農家の人じゃねーだろ」
パトリシア「ええ、田中さんの悔しさを無駄にしない為にも、私はこの地上に雨を降らせるわ!!」
黒木「パトリシアさん……!」
ノブチナ「いよっ! 梅雨の救世主!」
パトリシア「そして雨が降ったあかつきには――」
パトリシア「ノラと赤ちゃんを作りますっ!!」
黒木「って、なんでですかぁぁぁぁぁぁ!!!」
明日原「あ、未知パイが正気を保ってる」
 
26:以下、
 
 ***
黒木「ノラと皇女と野良猫ハート、Rainy Heart」
 ***
 
29:以下、
ノラ「……よいしょ、っと」
ノラ「買い物はこんなもんかー?」
シャチ「ええ。すみません、わざわざ買い物に付き合わせてしまって」
ノラ「いいよいいよ。我が家の台所を全部任せちゃってるからな」
 スーパーから出てきた俺は、パンパンに詰まったビニール袋を両手に提げていた。
 家から繁華街までの距離がそこそこあるので、我が家では定期的な買いだめをしている。
 基本的に、海産物系だったらシャチが海で自ら取ってきてくれるので困りはしないのだが、それ以外はどうしようもないからな。
 男手の俺は、学校の帰りに荷物持ち係を買って出たのだ。
シャチ「重くないですか? お一つお持ちしますよ」
ノラ「別にいいって」
ノラ「それに、ここで役に立たなきゃ何のために付いてきたかわかんなくなるしさ」
シャチ「ふふ……ありがとうございます」
ノラ「にしても凄い量だけど、いつもこんなに買っていたかー?」
シャチ「いえ、今はパトリシアさんたちがいるので普段より多めに食材を買っていますよ」
ノラ「なるほどなぁ」
 それなら姉さんにも手伝わせれば良かったかもしれない。
 働かざる者食うべからずって言うしな。
シャチ「あともう一件、寄ってもよろしいでしょうか?」
ノラ「おっけー」
 荷物は重いけど、ここまで来たら一つ二つ増えようが大して変わらないか。
 ……変わらないよな?
30:以下、
ナレーション「細くなったビニール袋を腕に食い込ませながらシャチと歩くこと数十分」
ナレーション「案内されて辿り着いたのは、繁華街から少し外れた先にある一軒家でした」
ナレーション「すぐ隣にはその家の所有する広大な畑が広がっています」
シャチ「こんにちわ」
おじさん「ん? おぉー、シャチちゃんじゃねぇかー。今日はどうしたんだべー?」
シャチ「すみません、今日はお野菜ありませんか……?」
おじさん「おお、そっかそっか今日は買い出しかー」
おじさん「彼氏連れて買い出したぁ、シャチちゃんも隅に置けねぇなぁ!」
シャチ「い、いえ、ノラさんは彼氏ではなくて、その……」
 若干入りづらい空気のところに、シャチと話していたおじさんがこっちを見てなにかに気付いたようだった。
おじさん「ノラ?」
おじさん「ああー、幸子さんのとこの息子さんだかー! 大っきくなったえー」
ノラ「あ、ども……」
シャチ「ノラさん、ちゃんと挨拶しないとダメですよ?」
 シャチに窘められた俺はおじさんに丁寧に挨拶する。
 聞けばおじさんは母さんと古い付き合いらしく、シャチと交流する以前から自家製の野菜を安く販売してくれていたそうだ。
 なるほどなぁ、母さんの人脈はしっかりとシャチに受け継がれているのか。
 
31:以下、
 
おじさん「いんやぁ?、幸子さんのとこの二人にお願いされたんじゃあ断るわけにはいかねぇんだが……」
おじさん「相変わらずの天気でなぁ」
シャチ「やはりおじさんのところもダメでしたか」
おじさん「こればっかりはなぁ?……」
 おじさんは最近の晴天続きによる雨量不足を嘆き、大袈裟に空を仰いで見せた。
 まぁ、食べる側の俺等にとっても大変なことだけど、農家の人に取っては一大事だもんな。
おじさん「だから今日はこれしか売ってやれねぇが……勘弁してくれな」
 そう言いながらも、おじさんはきゅうりや大根と言った大量の野菜を包んでくれた。
シャチ「こんなに……いいんですか?」
おじさん「なぁに、いつもシャチちゃんには世話になってるべ」
おじさん「これぐらいしねぇと天国にいる幸子さんに怒られちまう」
 ガハハと豪快に笑いながら、おじさんは俺とシャチの頭をぽんぽん叩く。
 大きな手の平がやけに心地よかった。
ノラ「ありがとうございます、おじさん」
おじさん「いいってことよ?。その代わり、また海産物よろしく頼むべ?」
シャチ「はい、今度とびきり大きなお魚を用意して伺いますね」
………
……

 
32:以下、
 
ノラ「譲って貰えて良かったな、野菜」
シャチ「ええ。おじさんにはいつも感謝してもしきれません」
 我が家の野菜はおじさんの畑で取れたものがほとんどだと聞くから、実際胃袋を掴まれてるようなものだ。俺ももっと仲良くしておかないといけないな。
ノラ「しかし、雨が降らないのがこんなに悪影響及ぼしてるなんて思いもしなかったな」
シャチ「普段生活してる中だけでは気が付きにくいので仕方ないかもしれませんが、農家の人や、台所を預かる者にとっては変化がいち早く現れるのです」
ノラ「なるほどなぁ」
ノラ「雨が降ったら濡れて学校行くのダルいし、外で遊べなくなって嫌だなんて思ってたけど、考えを改めないとな」
シャチ「いえ、それは事実ですから問題ないかと」
シャチ「ただ、そういう変化があることを頭の片隅に置いてさえいてくれれば大丈夫ですよ」
ノラ「そっか」
 いつもシャチには世話になりっぱなしではあるけど、俺が思っている以上に苦労をかけてるよなぁ。
 俺がもっと手助けしてやれればいいのだが……。
 
33:以下、
 
ナレーション「ノラにできる手助け――――」
ナレーション「普段シャチがこなしているような炊事、洗濯、掃除などはできる範囲で手伝っていましたが、肝心なところでは役立たずなノラでした」
ナレーション「もっと根本的なところでシャチの助けになれればと、うんうんと唸り、考えに考え抜きます」
ナレーション「しかし、ただの男子高校生ができることには限界があり、特別何かを思い浮かぶことはありませんでした」
ナレーション「唯一、他人と違うことがあるとすれば……それは、身体が猫になってしまう特異体質――――冥界の皇女パトリシアさんの眷属だということです」
ナレーション「ふと、そんな不思議なとんでも体質なら、なんとか自力で雨を降らすことも可能なんじゃないかなぁー? なんて甘い考えが頭をよぎりました」
ノラ「つっても、俺が魔法使える訳でもないしなぁ」
シャチ「?」
 命の魔法なんてものを使うぐらいだったら、もっと役に立つ魔法を使いたいもんだ。
 いや、子孫繁栄っていう意味では役に立つんだろうけど。
 ……なんてことを口にしたらまたシャチに結婚相手を見つけろなんて詰め寄られるから辞めておこう。
シャチ「ノラさん?」
ノラ「ああ、なんでもないよ、うん」
ノラ「雨、早く降るといいなぁ」
シャチ「そうですね」
ナレーション「結局、自身の魔力を有効に活用する手段を思いつくことはなく、ノラは空の行く末をただ案じることしかできませんでした」
ナレーション「しかし――――ノラのそんな強大な魔力が、梅雨の空に大きな影響を与えてしまうことを……この時、誰も知る由が無かったのです」
 
34:以下、
 
ノラ「……ん?」
 帰りの道中、ふと何かがが聞こえた気がして振り返る。
??『??!!』
 立ち止まり耳を澄ましてみると、その声は近くの公園から聞こえてくることが分かった。
 これは……人の声か?
シャチ「どうしましたか?」
ノラ「あ、いや、何か声が聞こえるなぁと思って」
シャチ「声、ですか?」
 シャチも俺と同様に目を閉じ聞き耳を立てる。
シャチ「……何も聞こえませんが」
ノラ「え、マジで?」
??『??れ?!!』
ノラ「ほらほら、聞こえるって。多分向こうの公園から。結構大きな声だぞ」
シャチ「あ、ノラさん……」
 なんとなく気になってしまい、俺は吸い寄せられるように公園に向かった。
 普通、声が聞こえたぐらいでこんなに気になる筈も無いのだが何故だろう?
 
35:以下、
 
??「??ふれ??!!」
ノラ「あれだ」
シャチ「……本当にいましたね」
 公園の真ん中まで来ると、それまで微かに聞こえていた声もはっきりと耳に届くようになっていき、実際に声を発しているであろう少女の姿も確認できた。
 半信半疑で着いてきたシャチも目の前の光景を見て納得せざるおえないようだった。
シャチ「もしかすると、ネコになったことで聴力にまで影響が」
ノラ「恐いこと言わないでくれよ……」
 だんだんと人間離れしていくようで不安になっていく。
 実際、今のままじゃ言葉の通り人間から離れに離れているのだが……。
ノラ「それにしても、あの子……」
??「??! ??!」
ノラ「……踊ってるよな」
シャチ「踊っているように見えますね」
 何故こんな人目に触れるようなところで堂々と踊っているのだろう。恥ずかしくないのか……?
 見れば随分と小さな……小学生? 何か学校行事の練習だろうか。
 
37:以下、
 
??「……降れ雨降れ! 大地に雨よ降れ??!!」
 踊りながら何を歌っているかと聞き耳を立ててみると、それはどうやら歌というよりは儀式に近いようだった。
 俺とシャチは目を合わせる。と同時に、なんとも言えない気持ちが沸き起こるのを感じていた。
 聴いて分かる通り、この少女は今雨乞いの儀式か何かの最中なのだろう。
 冗談のように思うかもしれないが、目の前の年端のいかない少女の顔は真剣で、決しておふざけではないことが窺えた。
 何故こんなことを? 俺は考える。
 さっきもシャチとそんな話をしていたばかりではないか。余りにもタイムリーすぎる話題だ。
 本来到来するはずの梅雨が来ず、雨不足で作物が育たずに困っている農家がたくさんいると。
 つまり、この健気に踊る少女の家庭も似たような境遇なのではないだろうか?
 雨不足に苦しむ時代の被害者なのではないか?
 そんな両親の姿を見て、幼いながらに何かできることはないのかと立ち上がったんじゃないのか?
 ……そこまで考えると胸が一杯になり、自然と涙が溢れてくるのだった。
??「雨降れ雨降れ……?(気配に気がついて振り向く)」
ノラ「??っ」
??「あわわっ!? 誰なのですっ!?」
ノラ「(頭を撫でながら)雨不足がなんだよな! たかが数ヶ月雨が降らなくてもこんなにも元気なんだもんな!!」
??「ふぇぇぇぇ……?」
シャチ「(抱きしめながら)大丈夫ですよ」
??「むぎゅ!」
シャチ「困ったらいつでも家に来て下さい。ご飯くらいならいつでもご馳走してさし上げますから」
??「ふむむむーっ!!」
 少女を抱くシャチの姿は母親そのもの。まるで母性の塊だ。
 こんなこと言ったら怒られそうだが。
 
38:以下、
 
??「??…ぷはっ!(シャチから逃れる)」
??「な、なんなんですか貴方たちはー!? レインの邪魔をしにきたのですかー!?」
ノラ「レイン? それがキミの名前か?」
レイン「そうなのです! レインは私の名前なのです! えっへん!」
 外国の子だろうか?
 よくよく彼女の顔を見てみれば、日本人離れした鮮やかな青い髪と瞳をしていた。
 それに衣服はまるでどこかの民族が着てそうな不思議な模様を描いている。
 なるほど、あの踊りはどこぞの部族伝統のものだったのか。
レイン「じ、ジロジロみるなです……!」
ノラ「ああ、悪い」
レイン「もう! 邪魔をしないでなの人間!」
ノラ「人間?」
レイン「レインはこんなことしてる場合じゃないの!」
レイン「早く人間を見つけて一緒に雨を降らせるための……!」
シャチ「雨を?」
レイン「っていたぁぁぁぁぁぁぁ!! にんげぇぇぇぇぇん!!!」
 子供特有の金切り声が耳をつんざく。
 いつも塾に来ている子達のやかましさで慣れているつもりだが、この子の声はやたら甲高かった。
 どこぞの世界の末っ子の声に近いかもしれない。
レイン「(手を掴みながら)探していたのです人間! やっと見つけたのです人間!」
 
39:以下、
 
 さっきから人間人間と変わった子だな……。
 部族的に他人をそういう風に呼ぶしきたりでもあるのか?
 っていうかこの子の手冷た! めっちゃ冷えてる!
ノラ「お前、大丈夫か? 手、めっちゃ冷えてるぞ……」
レイン「人間!」
ノラ「お、おう」
レイン「一緒に、踊って欲しいのですっ!!」
ノラ「……は?」
 突然の要求だった。
 一緒に踊る? 何を?
シャチ「……もしかして、さっきの踊りでしょうか?」
レイン「そうなの! 察しが良いの人間!」
ノラ「さっきのって」
 この子が踊っていたやつだよなぁ。間違いなく。
 あのクソダサで恥ずかしい踊りを俺にも踊れと。
 Why? 何故? どうして?
 女の子の境遇は不憫にも思うし、同情もするが……自分がやるとなればまた話は別だ。
 それなりの理由を聞かせてもらいたい。
 
40:以下、
 
レイン「力を借りたいのです! 人間の!」
ノラ「??」
 その純粋な小さな瞳は、力強く俺を捉え掴んで離さなかった。
 否。逃れられなかった。
 ここで逃げれば十中八九この子は泣く気がする。
 そうなれば状況が悪くなるのは確実に俺の方だ。
 いつだって子供の涙は正義なのだ。
 
ノラ「めっちゃ恥ずかしいんだけど……」
レイン「大丈夫なのです! 痛いのは最初だけなのです!」
ノラ「痛いとか言うなよ」
 っていうか痛いのをこの子は理解しているのか……。
 それはそれで不憫な……。
シャチ「ノラさん、協力してあげましょう」
レイン「わぁぁぁ……!」
 シャチの助け船に眩しいくらいの笑顔を見せる。
 この純粋さは反則だ……!
 
41:以下、
 
シャチ「ノラさんの気持ちも分かりますが、ここはやはりレインさんの希望を尊重してあげましょう」
ノラ「シャチ……」
シャチ「私たちにできることは限られています」
シャチ「レインさんより僅かばかり長生きしているとはいえ、それでもまだまだ同じ子供です」
シャチ「レインさんのことを真の意味で助けることはできないでしょう」
 真の意味というのはつまり、一家の経済を根本から改善させる力が俺たちにはないということ。
 一宿一飯を提供できても、それは一時しのぎにしかならない。
 ならば、少しでも彼女の希望を叶えてやりたい……そういうことなのだろう。
ノラ「……はぁ」
ノラ「分かったよ。踊れば良いんだろう」
レイン「わぁ! ありがとうなのですーっ!(抱きつく)」
ノラ「やれやれ(照れる)」
 本当に何も迷い無しに抱きつかれると、さすがに子供とはいえ女の子だから気恥ずかしい。
シャチ「……ロリコンというのは、さすがにどうかと思いますが」
ノラ「まてまて、そういうんじゃないってば」
 ボソっと呟くシャチの情報、下手したら翌日にはあのクラスに広まりかねん。
 妙な誤解受ける前にやることをやってしまおう。
 
42:以下、
 
ノラ「で、どんな風に踊ったらいいんだ? レイ――――」
レイン「やるからには本気でいくのでぇぇーす!! 覚悟するのでぇぇぇす!!」
ノラ「えぇぇぇ!?」
ナレーション「さきほどまでの可愛らしい純粋な少女の瞳はそこにはなく……」
ナレーション「あるのは学校に一人はいるような熱血体育教師、もしくは夜のお店のヒールと鞭が似合うS嬢のような、そんなこわーい瞳でした」
ナレーション「こうして、レインによる雨乞い踊りの極意を習得する過酷な修練が始まりました」
ノラ「お、おぉ、意外に難しいな……」
シャチ「見た目ほど簡単ではありませんね」
レイン「はい、二人とも動きが硬いのですっ! もっと手の動きはこう! 白鳥のようにしなやかになの!」
レイン「こらっ! ノラ! 何度言えば分かるのですっ! ステップは二回! 三回だとみんなと合わなくなるです! 周りを見るのです!」
ナレーション「最初はレインの変貌振りに戸惑っていたノラも、熱のこもった指導に胸を打たれ段々とその気になって行きました」
 
43:以下、
 
ノラ「はいっ! すみません先生! もう一回! もう一回チャンスをお願いします!」
レイン「ダメなのです! もう終わりなのです! 世界の終わりなのです!」
シャチ「ノラさんもこういってますし、先生、私からもお願いします」
ノラ「先生っ!!」
レイン「……分かったのです。レインも鬼じゃないのです。でも次はないのですっ!!」
ノラ「ありがとうございますッ!!」
ナレーション「レインの鞭がビシバシとノラの心を成長させて行きます」
ナレーション「それまで努力とは無縁だったノラにも、頑張るってなんて素晴らしいんだろうという自我が芽生え始めました」
レイン「そこなのです! 右! 左! 最後にくるっと回って! 両手を挙げて決めポーズなのですっ!!」
ノラ「はいッ!!」
ナレーション「そして長い特訓の果てに、一つの芸術作品が完成するのでした」
ノラ「できた……」
ノラ「やった、できた! 遂に俺やったよシャチ!」
シャチ「ノラさん……」
ノラ「先生……っ!」
レイン「……っ!」
ナレーション「涙を溜めながら、無言で親指を立ててノラの頑張りを賞賛するレイン」
ナレーション「そんなレインを見て、ノラの瞳からも一筋の涙が零れるのでした」
………
……

 
44:以下、
 
レイン「やったのです! 雨を肌で感じるのです! 梅雨の到来なのです!!」
レイン「これも二人のおかげなのです! ありがとうなのです!」
 俺に教えながらレイン自身も目一杯踊っていたというのにも関わらず、疲れを見せることなく飛び跳ね回っていた。
 まぁこんなことで元気になってくれるなら、やった甲斐があるってもんだ。
 それに俺も一つのことを達成したという充実感があり、実に清々しい気分だった。
ノラ「俺も楽しかったよ。ありがとうなレイン」
レイン「えへへー……♪」
 頭を撫でてやるとくしゃっとした可愛い笑顔を見せる。
 こうして見ると可愛らしいただのやんちゃな子供なんだけどなぁ。
 っていうか、やっぱりこの子の身体めちゃくちゃ冷えてる……。
 本当に大丈夫か? 風邪でも引いてるんじゃないか?
ノラ「レイン、お前――」
レイン「それじゃレインはお母さんに報告してくるのです! 二人ともバイバイなのですーーっ!!」
ノラ「あっ……」
 言いかけた俺の声にも気付かず、バタバタと足音を立てながら走り去ろうとするレイン。
 しかし途中でぴたと止まり、こちらをくるっと振り返った。
レイン「これからすぐに雨が降ると思うのですーっ! だから二人とも濡れないうちにすぐに帰るのですよーっ!!」
 それだけ言うと彼女はまた振り返り、走り去って行ってしまった。
 
45:以下、
 
ノラ「雨が降る、ね」
ノラ「あんな踊りで雨が降れば農家の人は苦労しないで済むよなぁ」
ノラ「でも、なんだか可愛らしいな」
シャチ「ふふ、そうですね」
シャチ「ですが、とても強い子でもあると思いますよ」
 そうだよなぁ。
 普通、こんな時に子供ができることなんて、せいぜい神頼みがいいところだ。
 そんな中で少しでも願いが叶うように行動しようなんて、そう簡単にできることじゃない。
 本当に強い子だと思う。
 お母さんに報告するって言ってたし、きっとあの子なりに母親を思っての行動だったんだろうな。
 手の平にはあの子の肌の冷たさがまだ残っていた。
ノラ「……早く雨が降るといいなぁ」
シャチ「ええ、本当に」
 そうして俺たちは空を見上げながら、ゆっくりと家路に着くのだった。
 
46:以下、
 
 ***
レイン「ノラと皇女と野良猫ハート、Rainy Heart」
 ***
 
47:以下、
 
ナレーション「レインと別れ、帰路に着いたノラとシャチ」
ナレーション「買い出しの帰りということもあって、荷物が重い二人はレインの忠告も忘れてゆっくりと歩いていました」
ナレーション「しかし、空の様子が次第におかしくなっていることは目に見えて分かりました」
ナレーション「シャチの地球システムによれば今日一日雨が降らないとの予報でしたが、さすがに自分の目で黒々とした雨雲を目撃してしまっては疑わざるおえません」
ノラ「シャチ、急ぐぞ! 本当に雨が降るかもしれないぞ!」
シャチ「しかし……」
 そうこうしてる間にも空はゴロゴロとがなり立てており、今にも一雨来そうな勢いだ。
 いや、この感じはもうゲリラ豪雨とかそういうレベルかもしれない。
ノラ「っていうか荷物重いなぁ!」
シャチ「す、すみません」
ナレーション「一人で担ぐには余りにも重い袋を抱えながら、ノラは全力で家まで走ります」
ナレーション「後ろに着くシャチは空の轟音を自分の耳で聴きながらも、未だにその変化を疑っていました」
ナレーション「そして、二人が調度家に辿り着いた頃――――」
ザァァァー…
ノラ「うわ、本当に雨が降ってきたぞ。間一髪だったなぁ」
シャチ「……」
 
48:以下、
 
 見ればシャチは少し不機嫌そうだった。
 まぁ無理もないのかもしれない。いつも確実に当ててきた天気予報が外れてしまったんじゃなぁ……。
 絶対が絶対じゃなくなったら、そりゃ不安な気持ちにだってイライラだってするかもしれない。
 あんな大きな機械の羽根を操る不思議な女の子だからって、俺やみんなと同じ人間なんだし。
ノラ「たまにはこんなこともあるさ。気にするなよ」
シャチ「はい……」
シャチ「いえ、雨が降るのはとても喜ばしいことです」
シャチ「むしろ私の予報が外れて良かったと思うところなのでしょう」
ノラ「そうだな。きっとこれで農家のおじさんだって、さっきの女の子や、その母親だって笑顔になるさ」
シャチ「そうですね」
 そう言いながらシャチは微笑んではいたが、どことなく暗い影を落としていた。
パトリシア「お帰りなさい、二人共」
ノラ「パトリシア。帰ってたのか」
 家の奥から音もなく顔を出すパトリシア。
 急に現れるもんだから少しびびってしまった。
 
49:以下、
 
パトリシア「――――雨が降っているわね」
ノラ「……? ああ、急に降ってくるからびっくりしたよ。パトリシアは大丈夫だったか?」
パトリシア「誰と」
ノラ「誰?」
パトリシア「??」
パトリシア「一体誰と赤ちゃん作ってきたのッ!?」
ナレーション「ぴかぴか、ごろごろ、どぉぉーん!」
ナレーション「奇しくも、パトリシアさんの爆弾発言は桜ヶ淵に落ちた雷と同タイミングだったと言います」
 
50:以下、
 
シャチ「ノラさん……?」
 隣のシャチを見ると、先程までとはまた違った複雑な表情をしていた。
 まずい。これはあらぬ誤解を招いている顔だ。
 
ノラ「まったまったパトリシア。一体何の話だ?」
パトリシア「とぼけても無駄よ。雨が降っていると言うことは、ノラの性欲が暴走している証拠よ」
ノラ「何訳の分からないことを……あ! 昨日の話ね!」
パトリシア「そうよ! この梅雨魔っ!」
ノラ「梅雨魔ってなんだよ。新手の犯罪集団か」
パトリシア「きっと性欲を持て余したノラは、町行く人々に命の魔法を……」
ノラ「完全にやべーやつじゃん俺」
パトリシア「なんで私じゃないのよ! 私に使いなさい! 勿体ないッ!」
 どちらかと言えば、俺の性欲よりパトリシアの性欲が暴走している気がするのだが。
 このまま為すがままだったら完全に逆レ……いやいや、冷静になれ俺! これは巧妙な罠だ!
 
51:以下、
 
シャチ「落ち着いてください、パトリシアさん」
シャチ「ノラさんが子供を作る行為を止める気はありませんが……」
 止めないのかよ。いいのかよ。
シャチ「さすがに女性からはというのは如何な物かと……」
パトリシア「そういうものなの……?」
シャチ「それが好まれる業界があるのも事実ですが、一般的な女性ならば男性側から迫られるのを待つ方が美しいかと」
シャチ「特に、パトリシアさんは皇女なのですから、尚更ですよ」
パトリシア「そう……」
 するとパトリシアは急にしおらしく、熱っぽい視線を俺に向けてきた。
パトリシア「ノラ……」
ノラ「迫らねえよ」
パトリシア「この梅雨魔ッ!!」
ノラ「いや本当に意味分かんねぇし、それ」
ノラ「っていうか何で急にそんなこと言い出すんだよ」
パトリシア「だって……!」
パトリシア「その……雨が降ってノラの匂いが濃くなったから……」
ノラ「は?」
 なんか急に危ないこと言い出したぞこの皇女様は。
 ……いや、急にじゃないか。さっきからずっと危ないな。
 
52:以下、
 
ノラ「俺の匂いが、なんだって……?」
パトリシア「匂いがするの! 強烈に!」
パトリシア「明日原さんが言ってたわ。女と会う前に男は一発抜いてくるのが常識だって」
 あいつ、パトリシアに何教えてやがる。
パトリシア「一発抜く、というのが何かは教えてくれはしなかったけれど」
パトリシア「男と会った時に何か匂いを感じたらビンゴ、だと」
 女性は男がナニしてきたかすぐに分かると聞いたことあるが、本当にそういうものなのだろうか。
 
パトリシア「今日のノラは匂うわ……」
パトリシア「臭い……」
パトリシア「臭いわ、ノラ!」
パトリシア「女の人と会ってたんでしょうっ!?」
 臭い臭いと失礼なヤツだな……。
 それだけ言われたらさすがに傷付くぞ……。
 
53:以下、
 
ノラ「女の人と会ってたと言えば会っていたけど……」
シャチ「私ですが……」
パトリシア「まさか、シャチさんと命の魔道書を!?」
シャチ「えっ……」
ノラ「おーい! それは色々まずいから!」
 そんなことしたら母さんが化けて出てきて取り殺されそうな気がするぞ。
シャチ「そんな、私がノラさんと……」
パトリシア「羨ましいッ!」
 羨ましいってなんだよ。
 っていうか、シャチまで満更でもないような顔をするな。
ノラ「俺たちは二人で買い出しに行ってたんだよ」
パトリシア「買い出し……?」
ノラ「ほら、お前の言う金銀財宝たちだ」
 おじさんが一杯に詰めてくれた袋の中身を開けて見せてやる。
パトリシア「あら、美味しそうなお茄子……」
 意味深に聞こえるのは俺の心が汚れているからなのだろうか。
パトリシア「……」
 品定めするかの如くじろじろと見つめられる。
 まるで不倫の素行調査でもされているような気分だ。
 
54:以下、
 
パトリシア「……本当に、何もないの?」
ノラ「ないよ」
パトリシア「雨が降ってるのに?」
ノラ「雨関係ないから」
パトリシア「そう……」
パトリシア「……疑ってしまってごめんなさい」
ノラ「分かってくれたら良いよ」
パトリシア「ありがとう」
パトリシア「ありがとうついでに、今から命の魔道書につい――」
ノラ「しないよ」
ナレーション「なんだか執拗に迫ってくるパトリシアさんをかわしながら、嫌な梅雨が始まったな……と呟くノラでした」
シャチ「……」
ナレーション「シャチの地球システムにも観測できない雨は、瞬く間に桜ヶ淵を覆っていきます」
ナレーション「長らく地上に降らなかった雨は、本来ならば歓迎されるべき恵みの雨でした」
ナレーション「しかし、それでもシャチの不安は募るばかりだったのです――――」
 
55:以下、
 
 ***
ネコのお考え【祝日大臣】
明日原「はーい、クリームソーダおまちー」
ノブチナ「明日原、6月に祝日が無いことは知っているな」
明日原「え、知ってますけど、急にどしたんすか?」
ノブチナ「週休二日では身体に休息が足りないと脳が訴えかけてくるんだ」
明日原「まー分かりますよー。一日位余分に休ませて欲しいっすよねー」
ノブチナ「特に雨ばかりでやる気も損なわれ気味だしな」
井田「5月病だって治りきらねーよ」
ノブチナ「そこで私は国に変わって、6月の祝日を制定したいと思う」
明日原「いよっ! 祝日大臣!」
井田「毎日祝日でよくね!?」
ノブチナ「しッ――」
井田「ぶほぉ!!」
ノブチナ「バカモノ。毎日が祝日なんて甘ったれた考えが社会で通用するわけないだろう」
黒木「あ、意外にまともな大臣なんですね」
ノブチナ「権力を自由に使ったら横暴になるだろう」
井田「暴力も横暴だろ……」
田中ちゃん「それじゃあ、どんな祝日を作るんですか?」
ノブチナ「ふむ」
ノブチナ「6月…雨…梅雨…」
………
……

ノブチナ「クリームソーダの日!!」
黒木「梅雨どこ行ったんですか!? 6月に関連するワードで考えていましたよね!?」
ノブチナ「思いつかなかった」
井田「っていうか考えついてたら誰かが作ってるぜきっと」
明日原「あまーい♪」
ノラ「にゃ」
 
56:以下、
 
 ***
明日原「ノラと皇女と野良猫ハート、Rainy Heart」
 ***
 
57:以下、
シャチ「本日の天気は晴れ、降水確率は0%」
ユウラシア「でも、雨すっごい降ってるねー」
シャチ「……」
パトリシア「こら、ユウ!」
ユウラシア「えー、どしたのパト姉ー?」
ルーシア「ふむ、今日の朝のテレビはニュースばかりだな」
ユウラシア「そなのー?」
TV『?市桜ヶ淵一体が異常気象による雨ということで……レーダー等では上空に雨雲が一切感知できないのに、実際の場所まで行ってみると黒々とした雨雲が確認できるんです!』
シャチ「……」
パトリシア「お姉さま! テレビを消して!」
ルーシア「な、なんだどうしたというのだパトリシア?」
シャチ「はぁ……」
パトリシア「シャチさんの美味しいご飯が食べたいのなら早く!」
ユウラシア「それは大変だよシア姉ー!」
ルーシア「確かに一大事だな……」
ルーシア「――はぁッ!!」
ユウラシア「わぁ!! シア姉! テレビ壊しちゃダメじゃん!」
ルーシア「なんだ、テレビそのものを消す訳じゃ無かったのか」
パトリシア「いえ、今のシャチさんの元気の無さはそれぐらいやる必要があるわ」
ユウラシア「この後の番組に好きなアイドルが出る予定だったのにぃー……」
パトリシア「我慢して!」
58:以下、
ノラ「おはよー。朝から騒がしいなぁ」
シャチ「あ、ノラさんおはようございます」
ノラ「おはよう」
ノラ「今日も朝から雨が降ってるなぁ」
シャチ「はい……」
パトリシア「ノラ!」
ノラ「――良かったな」
シャチ「え……?」
ノラ「しっかりと雨が降り続いてるってことは、あの子の願いが叶ったってことだもんな」
ノラ「ようやく梅雨到来だ。本当に良かったよ」
シャチ「あ……」
ユウラシア「……あの子の願いってなにー?」
ルーシア「さあな」
パトリシア「……」
 
59:以下、
 
シャチ「……そうですね。ノラさんの言うとおりです」
シャチ「本来は雨が降る梅雨の季節……」
シャチ「降らないことによって困る人がいるなら、どんなおかしな状況でも雨が降る方がいいというもの」
シャチ「あの子も、おじさんも、その他にも大勢の困ってる人が……雨が降ることを喜んでくれていると思います」
ノラ「だな」
パトリシア「……」
シャチ「みなさん、すみませんでした。朝ご飯の支度、急ぎますからね」
ユウラシア「んーん、シャッチーのご飯が食べられるならぜんぜんへっちゃらー♪」
パトリシア「ノラ、凄いわ。あんなに元気の無かったシャチさんをあっという間に」
ノラ「ん? ああ、まぁこれでも長い付き合いだからな」
 なんだかんだ、シャチが無愛想で可愛くないときから知ってるからなぁ。
 お互いに機嫌の取り方なんて熟知しているだろう。
 こんなこと本人に言ったらしばらく口を聞いて貰えなくなるどころか、ご飯を食わせて貰えなくなりそうだけど。
 
60:以下、
 
ルーシア「しかし急な雨というのは困るものだな。日課の素振りが思うように捗らない」
ノラ「え、むしろこの雨の中やってたんですか」
ルーシア「無論だ。毎日こなすから日課というのだぞ」
ノラ「すごいなぁ。俺だったら雨降ったってだけで投げ出しちゃいそうだ」
ユウラシア「あたしもー。テンション下がっちゃうよねぇー」
ノラ「お、珍しく気が合うな」
ルーシア「雨で滑って竹刀が上手く握れなくてな。振っている最中に手からすり抜けて、物干し竿を叩き割ってしまった」
ノラ「朝からなんてことしてるんですか!」
ルーシア「そう責めるな。私も悪いと思っているのだ」
ノラ「本当に悪いと思ってます?」
ルーシア「だから代わりに竹刀を置いておいた」
ノラ「いや、洗濯物干すには明らかに短くないですか!?」
 庭先を見てると、短い竹刀に洗濯物が幾重にも掛けられているのが見えた。
 これじゃ下になってる洗濯物が乾かない。
ルーシア「ふむ、やはりダメか」
シャチ「大丈夫ですよ。代わりの物干し竿もありますから」
ルーシア「シャチさん、すまない……」
シャチ「いえ。それよりも、急な雨ですみません」
ルーシア「何故シャチさんが雨のことで謝る必要があるのだ?」
パトリシア「お姉さま! 反省して!!」
ルーシア「あ、ああ……すまない」
 すげぇ。パトリシアの一喝で姉さんが平謝りしてる。
 
61:以下、
 
パトリシア「それにしてもお姉さま、外で雨に打たれて平気だったの?」
ルーシア「大丈夫だ。日課の後はしっかりと風呂に入っている。風邪の心配はない」
パトリシア「あ、いえ、そうではなくて……」
ノラ「何かあるのか?」
パトリシア「雨は命の象徴よ。死を司る冥界の者に取っては天敵なの」
ノラ「ああ、そんなこと言ってたな」
 でも、それにしちゃあ……。
ユウラシア「シャッチーのごっはん?♪ シャッチーのごっはん?♪」
 シャチの作る朝ご飯の匂いに釣られて、鼻歌交じりに小躍りするユウラシア。
 朝から竹刀で物干し竿を、手刀でテレビを消し炭にしてしまう姉さん。
ノラ「二人とも元気に見えるけどなぁ」
ノラ「そう言うパトリシアこそどうなんだよ?」
パトリシア「……朝ご飯の前に食パンを三枚つまみ食いしてしまいました」
ノラ「元気じゃん」
ノラ「って三枚って多過ぎだろ、太るぞ」
パトリシア「だって美味しいんだもの……」
ルーシア「私の妹をデブ呼ばわりするのは貴様か」
ノラ「いえ、言ってませんよ。むしろそんなストレートな暴言を吐いたのは姉さんが初めてです」
パトリシア「お姉さま、デブなんて酷いわ」
ルーシア「パトリシア、私はお前がどれだけぶくぶく太って肥えに肥えきったデブになったとしても、愛してるぞ。安心しろ」
パトリシア「お姉さま……」
 一見美しい姉妹愛にも見えるけど、絶対この妹騙されてるぞ。
 
62:以下、
 
ルーシア「……それにしてもノラ、今日のお前は一体何なんだ」
ノラ「え? ……俺、何かしましたか?」
 急に詰め寄られてさすがにたじろいでしまった。
 姉さんからは汗の匂いもするが、やはり女性特有の良い匂いがした。
ルーシア「貴様の……その、なんだ」
ルーシア「匂いがキツすぎる」
ノラ「は?」
 匂いって、急に何を言っているんだろうこの人は。
 って、姉さんの匂いを嗅いでいた俺も人のことは言えないけれど。
ノラ「匂いって……昨日、ちゃんと風呂は入りましたけど」
ユウラシア「あー、あたしもそれ分かるー。今日のすけべねこ、なんかきょーれつに匂うよー」
ノラ「えぇ……本当か?」
 自分で嗅いで見ても、特に匂うような気はしないのだが。
 なんか昨日匂いのするもの食べたかなぁ?
 
63:以下、
 
ユウラシア「パト姉もそう思うよねぇ?」
パトリシア「……ええ、匂うわ」
パトリシア「臭い……」
パトリシア「臭いわ、ノラ!」
 デジャヴを感じるようなやり取りだ。
パトリシア「やっぱり昨夜、シャチさんと……!」
ノラ「いやだからそんな訳……」
ユウラシア「えー? シャッチーとなにしてたのー?」
パトリシア「そんな……私の口からナニしてたなんて……言えないわ!」
 そりゃそうだろう。
 朝からなんて話題を持ち出しやがるんだこのエ口皇女様は。
 
64:以下、
 
シャチ「ノラさん、失礼します」
ノラ「シャチ? おわっ!」
 振り向いた時には既にシャチの艶やかな白髪が眼前にあった。
 
シャチ「くんくん」
ノラ「シャチ……?」
 どうやら俺の匂いを直に嗅いでいるらしい。
 幾らなんでも近すぎる……。
パトリシア「これは……! 命の魔道書「月刊ふぇちっ娘大集合! 秋は食欲(意味深)の秋はーとSP」の32ページ、大空樹先生作「雌犬ごっこ♪」に載っていた、匂い嗅がせプレイというやつね……!!」
ノラ「詳細!! 詳細やめよ!!」
パトリシア「羨ましい!!」
 だから羨ましいってなんだよ。
ユウラシア「シャッチー、よくそんな近くですけべねこの匂い嗅げるねー。あたし無理ー」
シャチ「そうでしょうか? 私は余り匂いを感じないのですが……」
ユウラシア「えーウソー? だってここからでも匂うよー?」
シャチ「……」
ノラ「……?」
 急に黙りこんで見つめられるとさすがに困惑してしまう。
 特に、こんな抱き合っているような距離感では尚更……。
 
65:以下、
 
シャチ「ノラさん」
ノラ「な、なんだ?」
シャチ「私の匂い、しますか?」
ノラ「そりゃあ……」
 こんだけ近ければ嫌でも匂いを感じてしまう。
 シャチからはこう、なんというかただ甘いだけの香りではなく、ホットミルクのような温もりを感じる。
 いや、あくまでも感じの話なのだけれど。
パトリシア「わ、私も……嗅いで!!」
ノラ「やだよ」
 さすがにこれ以上女性陣に匂いを嗅がれ続けてるとおかしくなってしまう。
 それこそ、件の命の魔道書に載ってるようなプレイを連想して……いやいやしないしない。
ナレーション「朝という男の子に取って一番辛くなるあの場所を抑えながら、ノラは理性と格闘し辛くも勝利を収めたと言います」
ナレーション「結局、身体から発せられる匂いの正体は分からずじまい。釈然としない気持ちのまま、ノラは逃げるように登校するのでした」
 
66:以下、
 
 ***
ルーシア「ノラと皇女と野良猫ハート、Rainy Heart」
 ***
 
67:以下、
 
ノラ「はよー」
ノブチナ「来たな、色情魔め」
井田「見損なったぜ、ノラ」
ノラ「なんだよ朝から二人して」
井田「てめ、朝から何人とヤッてきたぁ!!」
ノラ「はぁ?」
田中ちゃん「反田さん! ひ、避妊はちゃんとしなくちゃダメですよ……!」
 何故俺は責められているのか全く分からないけど、田中ちゃんの言葉だけはグサリと刺さる。
 っていうか、田中ちゃんから避妊なんて言葉が出るなんて。雨が降るぞ。
ノブチナ「ノラ、お前は雨が降ったら欲情するんだろ?」
ノラ「しねぇよ。どこ情報だよそれ」
井田「昨日、パトリシアがそう言ってたぜ」
 あっさりと犯人を特定できた。
 あいつはロクなことしか口にしないな……。
 
68:以下、
 
ノブチナ「雨が降ると身体がうずき出し、夜な夜な街を徘徊して女子の後ろから襲いかかるんだろう……このレ○プ魔め!」
ノラ「そんな満月を見て変身する狼男じゃあるまいし、雨が降ったぐらいで性欲がどうにかはならないよ」
 キスをするとネコにはなっちゃうけど。
井田「証拠はあんのかよ」
ノラ「証拠って言われてもなぁ……」
ノブチナ「そらみろ。言葉に詰まるのはやましいことがある何よりの証拠だ」
ノラ「えぇ……」
 逆に無罪を証明する方が難しくないか、これ?
 
ノブチナ「無実を証明できない以上、貴様は女子の敵だ! ノラのへんたーい!!」
 するとクラスのグループSNSに女子からの爆撃が一斉に飛び交う。
 「反田君のえっち!」「性犯罪者!」「人外!」「シャチさんと何回Hした?」
 言いたい放題だ……。
 
69:以下、
 
田中ちゃん「反田さん、失礼します!」
ノラ「へ?」
田中ちゃん「くんくん」
井田「お、おい、田中!」
ノブチナ「なんてことするんだノラ!! 田中ちゃんまで毒牙にかけるとか正気か!? それは神を陵辱するに等しい行為だぞ!!」
 それは俺が聞きたい。なんで俺はまた女子に匂いを嗅がれているんだ……。
 栗色の髪の毛が目の前で揺れて、良い香りがする。
 なんだろう。シャチや姉さんとは違う、ほんのりと甘いお菓子のような匂いがした。
田中ちゃん「分かりました!」
田中ちゃん「反田さん、無罪!」
 匂いを嗅がれたら勝訴した。
井田「マジかよ。田中、匂い嗅いだだけで犯人が分かるのかよ!」
田中ちゃん「はい!」
ノラ「マジかよ」
ノブチナ「静粛に! せーいーしゅーくーにー!!」
 机の上を鉄の定規でバシバシ叩きながら言った。
 お前が静かにしろ。
 
70:以下、
 
ノブチナ「弁護人、田中ちゃん。匂いに間違いないか」
田中ちゃん「間違いありません!」
井田「間違いって何だよ?」
ノラ「俺が聞きたい」
ノブチナ「具体的な説明をお願いしよう」
田中ちゃん「えっと、反田さんからはシャチさんの匂いと、パトリシアさんの匂いと、あと、ルーシアさん、ユウラシアちゃんの匂いがしました!」
 それだけ聞くと俺がクズ野郎に聞こえるのは気のせいだろうか。
ノブチナ「この女ったらしのクズめ!!」
 実際言われてしまった。
田中ちゃん「あっ、でもでも、それは一緒に暮らしているからであって……大丈夫ですよ!」
田中ちゃん「反田さんは無関係の人を襲っていません!」
井田「今挙がったヤツを襲った可能性は?」
田中ちゃん「それは……」
ノブチナ「被告人にそんな度胸はない! よって、無罪!!」
ノラ「ひでぇ」
 すると携帯からはピコンピコンと通知音が鳴り続ける。
「おめでとー!」「私は信じてた」「匂い嗅がせて」「シャチさんとHした?」
 直接言えよ直接。
 
71:以下、
ノブチナ「弁護人、田中ちゃん。匂いに間違いないか」
田中ちゃん「間違いありません!」
井田「間違いって何だよ?」
ノラ「俺が聞きたい」
ノブチナ「具体的な説明をお願いしよう」
田中ちゃん「えっと、反田さんからはシャチさんの匂いと、パトリシアさんの匂いと、あと、ルーシアさん、ユウラシアちゃんの匂いがしました!」
 それだけ聞くと俺がクズ野郎に聞こえるのは気のせいだろうか。
ノブチナ「この女ったらしのクズめ!!」
 実際言われてしまった。
田中ちゃん「あっ、でもでも、それは一緒に暮らしているからであって……大丈夫ですよ!」
田中ちゃん「反田さんは無関係の人を襲っていません!」
井田「今挙がったヤツを襲った可能性は?」
田中ちゃん「それは……」
ノブチナ「被告人にそんな度胸はない! よって、無罪!!」
ノラ「ひでぇ」
 すると携帯からはピコンピコンと通知音が鳴り続ける。
「おめでとー!」「私は信じてた」「匂い嗅がせて」「シャチさんとHした?」
 直接言えよ直接。
72:以下、
ノラ「田中ちゃんのおかげで晴れて無罪放免だ。ありがとう。今度、何か奢るよ」
田中ちゃん「あ、いえ! 大丈夫ですよ」
ノブチナ「気をつけろ田中ちゃん。こいつは恩人のことを平気で口説いてくるやつだぞ」
田中ちゃん「えぇ!?」
ノラ「やめてくれよ……」
 流石に田中ちゃんを女としてなんて見れないぞ。
 あ、いや、そんな風に言うと語弊があるけど。
ノブチナ「ふん、つまらんな」
ノブチナ「こんなにタイミング良く雨が降ってきたんだ」
ノブチナ「淫行の一つでも犯していた方が、メディアが賑わって面白かったのにな」
ノラ「面白くねーよ」
井田「桜ヶ淵に住む少年Aとかでテレビに映るんじゃね?」
ノブチナ「彼はいつか絶対やると思ってましたー」
田中ちゃん「わ、私は冤罪だって信じてますよ!」
ノラ「無罪! 無罪になったばかりだから!」
 なんとしてでも有罪にしたいらしい。
73:以下、
ノブチナ「まぁそんな面白ニュースじゃなく、今日は朝から雨のニュースばっかだがな」
ノラ「本当、急に雨降ってきたもんなぁ」
井田「あれだろ、桜ヶ淵にしか降ってねぇってやつだろ?」
田中ちゃん「異常気象らしいですね」
田中ちゃん「家の畑も急な雨が降ってきて、おじいちゃんは喜んでいたんですが……ちょっと心配です」
ノブチナ「うぅ、田中ちゃん良かったなぁ……。梅雨神様も田中ちゃんだけは悲しませたくないという慈悲の心があったんだ」
ノラ「え、桜ヶ淵にしか降ってないってどういうことだ?」
 そんな話は初耳だ。
井田「今朝のニュース見てねぇのかよ?」
ノラ「ああ、姉さんがテレビ壊しちゃって」
ノブチナ「一体朝から何したんだノラ」
ノラ「いや、だからなんもしてないって」
 っていうか、なんで姉さんの行動が俺に紐付いているんだ……?
74:以下、
田中ちゃん「今日の本来の天気は雨雲一つない快晴の筈だったらしいんですけど、桜ヶ淵一帯だけ何故か謎の雨雲に覆われていて大ニュースになっているんです」
ノブチナ「しかも気象予報レーダーとかでも雨雲を観測できないらしいな」
ノラ「へぇ……」
 だからシャチの天気予報にも反応しなかったってことか……?
 え、それってかなり凄い事態なんじゃ。
井田「だからそう言ってんだろ。テレビじゃどこのチャンネルも桜ヶ淵のことばっかだよ」
ノラ「相変わらず話題に事欠かない町だなぁ……」
 いっつも変な特集でこの町は紹介されたりしてたりするけど……。
 それこそ、以前はシャチもインタビューを受けて特集されてたっけ。
ノブチナ「ふふ、太陽を見たのはいつ以来だったかな……」
ノラ「どうした、急にしおらしくなって」
ノブチナ「いや、こういう不思議な街には気弱なそれっぽいことを言う系女子が一人は必要だろうと思ってな」
井田「眼帯とかつけてるやつな!」
田中ちゃん「そ、そんな凄いケガを負っているんですかぁ……?」
ノラ「それってただの痛い子だろ」
ノブチナ「井田君とノラ君が私に酷いことをするんです……!」
ノラ「は?」
井田「俺らに酷いことしてくんのはおめーだろうがよ」
ノブチナ「しッ――」
井田「ぶほぁ!!」
 右ストレートを綺麗にキメる気弱系女子。
75:以下、
井田「てめノブチナァ! 表出ろぉ!!」
ノブチナ「表に出て乱暴するつもりなんですね! 井田君のヘンタイ!」
 すると今度は井田に向けて「井田君ヘンタイ!」「最低!」「私は応援してる」だのと言った言葉がグループSNSに飛んでくる。
井田「おいてめーら! こんな雨ん中そんなことできる訳ねーだろ!」
ノラ「いや、表出ろって言ったのはお前だろ」
 そうだそうだと、グループの井田への茶化しと言う名の攻撃は尚も続いていた。
井田「ピコンピコンうっせーんだよ! 文句あるヤツは全員雨ん中でぶっとばしてやるよ!」
黒木「ちょっとちょっと! 静かにしてください!!」
黒木「貴方たちは朝から一体何騒いでるんですか!!」
ノラ「黒木」
 教室の扉の方を見ると黒木が声を荒げていた。
76:以下、
黒木「どうして貴方たちCクラスの人間はいつも騒々しいんですか……」
ノブチナ「そんなことないですぅ! 私は乱暴なんてしたことありませんっ!」
黒木「え、誰ですか」
ノラ「不思議で気弱でそれっぽいことを言った結果陵辱されちゃう系女子だそうだ」
黒木「いや本当に誰ですか!? っていうか陵辱って……頭が……」
井田「一応陵辱って言葉は知ってんのな」
 井田君最低! と、続いて着信爆撃。
井田「なんでだよ! 別に黒木に対してするわけじゃねーよ!」
田中ちゃん「それよりどうしたんですか黒木さん? Cクラスに何かご用ですか?」
黒木「はっ、そうでした。危うくCクラスのみなさんに流されるところでした」
ノブチナ「私たちのせいだって言うんですか!? ぶーぶー!!」
 ぶーぶーとグループラインの爆撃が続く。
 いや、そこに流しても黒木には伝わらないし。
黒木「はいはい、続きは帰ってからにして下さい」
井田「んだ? 帰っても良いのかよ?」
黒木「いいですよ。むしろお願いします」
ノラ「なんだ、どういうことだ?」
 クラスの中からもどよめきが巻き起こる。
黒木「先程、職員会議で決まったそうです」
黒木「――――この異常気象の雨を考慮した結果、本日は休校となりました」
77:以下、
 
 ***
ノブチナ「ノラと皇女と野良猫ハート、Rainy Heart」
 ***
 
78:以下、
 
明日原「え、マジっすか」
ノブチナ「マジだマジ! 大マジだぞ!」
明日原「イェー!! マジ超休校ー!」
黒木「っていうか、明日原さんはなんでバイトしてるんですか!? そもそも学校に来てませんよね!?」
明日原「いやー、うっかり学校休みだとばかり。それでシフト入れちゃったんすよねー」
井田「そんな休んで日数とか大丈夫なのかよ」
明日原「だからマジ休校なんじゃないっすかー。一日分の出席日数もーらい♪」
ノラ「じゃあ今日は明日原のおごりな」
明日原「は? マジ意味分かんないんすけど」
黒木「それより皆さん、休校になったんだから自宅に帰りましょうよ」
明日原「あ、あたし17時までなんでー」
ノブチナ「何故だ。休校だぞ休校。公認で平日の昼間から遊べる究極のフリーダムタイム!」
ノブチナ「このチャンスを逃したら、我々学生は一体いつ遊べば良いと言うんだ!」
黒木「土日があるじゃないですか! いえ、それに皆さん結構毎日遊んでいますよね!?」
井田「俺らそんな遊んでるか?」
ノラ「学生の本文を全うしてるよな?」
黒木「どの口が言いますか」
ノラ「というか、不思議陵辱ちゃんはどうしたんだ?」
ノブチナ「あれは学園内限定だ。外に出ればフリーダムノブチナに生まれ変わるんだ!」
ノラ「ロボットみてーだな」
シャチ「それにしても、雨の影響で休校にまでなってしまうなんて……」
明日原「あれ? そういやシャチパイが天気予報外すなんて珍しーっすね?」
シャチ「……」
明日原「って、そんな日もありますよねー。うんうん」
明日原「あ、シャチパイなんか飲みますー? あたしが一杯奢りますよー」
シャチ「ありがとうございます」
 さすが明日原。微妙な空気をすぐさま感じ取って自らリカバリーしてる。
 別にシャチが気に病む必要なんかないんだけどな。ただの異常気象な訳だし。
 
79:以下、
 
田中ちゃん「でも、まさか台風でもないのに休校になるなんて思ってもみませんでした」
井田「確かになー。幾ら異常気象っつったって、普通に雨がちょっと降り続けてるだけだぜー?」
黒木「いえ、それだけが原因じゃないそうですよ」
ノラ「何か知ってるのか? 黒木」
黒木「先生方から少しお話を聞かせて頂きました。なんでも、この雨がただの雨じゃないだとか何とか」
ノブチナ「タダじゃないだと? 空から南アルプスの天然水でも降ってきてるって言うのか」
井田「六甲のおいしい水かもしれねーぜ」
明日原「ペットボトル! ペットボトル外に用意しないと! 勿体ない!」
ノラ「そんな美味しい話がある訳ないだろ」
黒木「ペットボトルなら既に私が」
ノラ「え?」
田中ちゃん「黒木さんが冗談を……?」
ノブチナ「どうした黒木!? そんな悪徳商法みたいな話あるわけないだろ! お前が突っ込まないでどうする!」
黒木「冗談なんかじゃありませんよ」
井田「おいおいマジかよ」
シャチ「どういうことでしょう……?」
黒木「これを見て下さい」
 すると黒木はカバンから小さな苗を取り出した。
 
80:以下、
 
ノラ「お前、カバンにそんなもの入れてんのか」
黒木「先生方からお借りしてきました」
明日原「あぁ……テーブルが土で汚れる」
ノブチナ「何の苗だ?」
田中ちゃん「これはキャベツですね」
井田「すげぇな田中。こんなの見ただけでわかんのかよ」
田中ちゃん「いつもおじいちゃんの畑のお手伝いしてますから」
 黒木は用意していたペットボトルを取り出して、蓋を開ける。
 なんだか妙な空気を感じるが、普通の水なんだよな……?
黒木「このペットボトルの中には、外で降っている雨が入ってます。純度100%。紛れもなく天然物です」
ノブチナ「本当に100%か? 洗った後の水が乾ききってなかったら100%とは言えないぞ」
井田「100%なんて俺は信じねーぜ」
明日原「オレンジジュースとかも果汁100%って言っておきながら、98%ぐらいだったりしますもんねー」
ノラ「え、そんなことある?」
黒木「いいですから! ちょっとは混じりっけあるかもしれませんが、99.99999999%位は天然ですから!」
明日原「お、おう」
黒木「ちゃんと目をしっかり開けて見てて下さいね。瞬きしたらダメですよ?」
ノラ「そんな一瞬で何かが起きるのか?」
明日原「あ、ちょっと待って、乾き目なんで目薬目薬……」
 黒木はゆっくりとキャベツの苗に、ペットボトルの水を注いでいく。
 すると――
 
81:以下、
 
田中「わ、キャベツの苗が……!」
明日原「どんどん成長してますよ!」
黒木「うわわわわわわ!!」
井田「って、なんで黒木が驚いてんだよ」
ノブチナ「見たんじゃないのか?」
黒木「す、すみません。話で聞いていただけだったので、思わず」
シャチ「しかし、これは驚くのも無理ありません」
ノラ「だなぁ」
 先程まで手の平サイズだった苗は、見事にまんまるで大玉のキャベツに生まれ変わっていた。
 いや、瞬間的に成長したというのが正しいのだろうか?
 黒木に言われたとおり、一切瞬きをせず目を見開いていたが、異常なさで育っていくのが分かった。
 俺の目の前にあるのは、紛れもなくキャベツそのものだ。
明日原「やばいっすねぇ」
黒木「ええ」
明日原「テーブル泥だらけでやば。店長に何て言おう」
黒木「あ、そっち!? い、いえ、その、すみません……」
田中ちゃん「みんなでゴシゴシすれば綺麗になりますよ」
明日原「ああ、大丈夫ですよー。あたしやっておくんで」
 
82:以下、
 
井田「にしてもこれ、本当にこの雨が原因なのか?」
ノラ「にわかには信じられないな」
ノブチナ「このキャベツの苗になんか仕掛けられている可能性を疑うぞ」
黒木「そんなことして何になるんですか」
ノブチナ「黒木未知、一世一大のドッキリ!」
井田「てってれー!!」
明日原「いやー未知パイに一杯食わされましたよー」
黒木「Cクラスの人間じゃあるまいし、そんなことしません」
ノブチナ「言うじゃないか」
井田「本当のことだしな」
ノラ「ぐうの音も出ないな」
明日原「いえ、あたしは違うんすけど……」
田中ちゃん「それより、雨が原因でこのキャベツが成長したのだとしたら大変なことになりますよ!」
ノブチナ「そうだな、これは大変な事態だぞ」
井田「だな。うかうかしてらんねーぜ」
ノラ「何かするのか?」
ノブチナ「決まってるだろ! こんな不思議アイテム、金儲けのチャンスじゃないか!」
ノラ「え、マジ?」
井田「桜ヶ淵の雨ペットボトルに詰めまくって、一本5000円で売りつけようぜ」
ノブチナ「日照り続きの畑に、桜を。桜ヶ淵の雨、売ります」
黒木「完全に悪徳商法じゃないですか! ダメですよ! そういったお金稼ぎは校則で禁止されています!」
 校則の問題じゃないと思うが。
 っていうかそんな怪しい雨売れるかな。
 第一、そんな話が出回ってるなら誰かがすぐに目を付けそうな気も。
 
83:以下、
 
明日原「あ、無理」
ノブチナ「なんだノリが悪いぞ明日原」
明日原「いやいや、ほら、見て動画サイト」
ノブチナ「んー?」
井田「桜ヶ淵の雨を使って実験してみたら、なんと野菜が……!」
井田「んだこれ?」
明日原「どうやら動画配信者のネタになってるっぽいですよ。噂が広がるのは早いっすねぇ」
ノブチナ「地元に住んでおきながらなんたる不覚! 折角の桜ヶ淵の特産をどこの誰とも知らない素人に奪われてしまうとは!!」
黒木「特産って、こんな急成長する雨危なっかしくて嫌ですよ。髪が濡れたらどうするんですか」
ノブチナ「もしかしたら増毛も期待できるかもしれんぞ?」
井田「むしろハゲんじゃね?」
ノラ「髪が薄い人にとってはテロみたいなもんだな」
田中ちゃん「この動画を見ると、人の身体には影響ないみたいですけど……」
明日原「うわー、すごー。植物の成長ぱないっすよ。切り株が木になってますもん」
ノラ「それ、やばくね? そんな雨がここらで降り続けてんのか?」
黒木「だから言ってるじゃないですか。休校になるくらいなんですよ」
ナレーション「ノラは思いました」
ナレーション「そんな環境にまで影響及ぼす雨、学校が休校になるレベルで済む事件な訳ないじゃないかと」
ナレーション「どう考えても、地球規模の大事件だぞと」
ナレーション「そこまで思考を巡らせて辿り着くのは、ある一人の少女の顔」
ナレーション「冥界の皇女、パトリシアさんでした」
 
84:以下、
 
ノラ「あれ、そう言えばパトリシアは?」
 そう言えば学校を出てから顔を見ていない気がする。
明日原「今日は見てないっすけど。学校で一緒だったんじゃないんすか?」
ノラ「そうなんだけど」
ノブチナ「なるほど、いい推理だ」
ノラ「え?」
井田「なんのことだよ」
ノブチナ「この雨はおかしい」
黒木「さっきからずっとそう言ってるんですけど。異常気象だって」
ノブチナ「ただの異常気象じゃない。ノラはそう言っているんだ」
田中ちゃん「え、そうなんですか?」
ノラ「いや、まぁ……」
明日原「確かに、現実的じゃない現象ばかりっすよねーこの動画なんて特に」
ノブチナ「そう! 現実的じゃない!」
ノブチナ「いや……言い方を変えよう」
ノブチナ「異世界的だとッ!」
井田「まさか俺たち、流行りの異世界転生か!?」
ノブチナ「しッ――!!」
井田「ぶっほぉぉ!!」
ノブチナ「一人で勝手に転生してろ」
井田「……転生したら……ノブチナも一撃で沈められる……チートアイテムを……」
 転生しても尚凄い執念だった。
 転生した先にノブチナはいない気がするがな。
 
85:以下、
 
ノブチナ「いるじゃないか。我々の身近に、異世界的なヤツが」
黒木「もしやそれは――」
田中ちゃん「それは――!」
明日原「ノラぱいっすか?」
………
……

ノラ「え」
ノブチナ「そういえばそうだな」
ノラ「えっ」
井田「猫になるしな」
黒木「身体能力も常軌を逸していますし」
ノラ「えっ、えっ」
ノブチナ「お前が犯人の雨男かッ!!」
ノラ「いや、ちげーし!」
ノラ「っていうかノブチナ、わかってて言ってるだろ」
ノブチナ「言われてみればそうだなと思ったからな」
 まぁ確かに。
 
86:以下、
 
ノラ「というか、今言った俺の力の原因全部あいつだし」
明日原「あいつって、パトのことっすか?」
明日原「ああ、そう言えば昨日雨を降らせるとかなんとか言ってましたね」
ノラ「その昨日のことが原因であらぬ濡れ衣を着せられまくってるんだがな」
明日原「で、結局パトとヤッたんすか?」
 明日原、お前もか。
シャチ「……(赤い)」
ノラ「やってないよ。やってないからそういう顔しないでくれシャチ」
明日原「えーつまんなーい!」
 家でやってたら漏れなくシャチにバレそうな気がするのだが。
田中ちゃん「パトリシアさんが、この雨を?」
ノブチナ「その可能性が高いというだけの話だがな」
ノブチナ「話が余りにも異世界的、冥界的すぎる」
ノラ「冥界がどんなものか知らないけど」
 でも、今朝のパトリシアはそんな素振りを見せてなかったんだよなぁ。
 
87:以下、
 
黒木「確か、パトリシアさんが魔法を使う時って、空が黒くなったりしてましたよね……?」
 空を見れば、どこまでも続くかと思うような黒雲と雨、雨、雨。
明日原「暗いっすねぇ」
井田「確定的だな」
シャチ「しかし……」
 シャチも俺と同じ考えなのか、不安そうな表情を抱えていた。
 本当にこの雨をパトリシアが……?
ノブチナ「ヤツを探し出せ!! パトリシアを引っ捕らえてこの雨の原因を追及するんだ!」
ノブチナ「そして我々だけに不思議雨を融通して貰えるように頼み込めー!!」
黒木「独占禁止法違反ですよ!!」
ノラ「そういう問題?」
カランコロン
明日原「しゃーせー」
パトリシア「こんにちわ」
パトリシア「ノラ、やっぱりここにいたのね」
ノブチナ「……」
井田「……」
田中「……」
黒木「……」
パトリシア「え、なに? そんな一斉に見つめられると流石に恥ずかしいわ……」
ノブチナ「確保ーーーーッ!!」
………
……

 
88:以下、
 
パトリシア「違うわ、私じゃないわよ。失礼しちゃう」
ノブチナ「しかしこの異常気象だ。冥界で皇女的なパトリシアが疑われるのは仕方がないことだろう」
パトリシア「的ってなによ的って! 私は立派な冥界皇女です!」
ノブチナ「逆切れだ!! やっぱりコイツが犯人だ!! 有罪だー!!」
明日原「ノブチノブチ、どーうどう」
井田「証拠とかあんのかよ」
 この流れ、流行ってんのか……?
パトリシア「死を司る冥界の者にとって、命の源である水は正に水と油なの」
パトリシア「水を砂に変えることはできても、生み出すことはできないわ」
パトリシア「ほら、見なさい」
 黒木が持っていたペットボトルを奪い、中の水に向かって何かを念じている。
 どうやら前に俺に見せてくれたように、水を砂に変える魔法を使うらしい。
パトリシア「??」
 しかし幾らペットボトル内の水をじっと見つめていても、変化が生まれることはなかった。
 
89:以下、
 
黒木「何もおきませんね……?」
パトリシア「……? ヘンね」
ノブチナ「ふふふ、犯人は真相を突きつけられた時に苦し紛れの言い訳を言うらしいな」
ノラ「いや、前に俺も砂になる瞬間を見たことがあるから、パトリシアの言ってることは本当だよ」
田中ちゃん「魔法は凄いんですねぇ」
パトリシア「……」
 魔法が使えないことに納得ができないのか、パトリシアはなんとも言えない表情をしていた。
 どことなく顔が赤い……。
ノラ「もしかして、魔力が尽きたのか?」
パトリシア「いえ、そんな筈はないわ」
明日原「ってことは、それだけこの雨が凄いってことなんすかね?」
井田「魔法よりすげぇ雨って、やばくね?」
ノブチナ「魔法のその上を行く現象、それは最早……」
ノブチナ「天変地異!!」
明日原「やばーい! 地球がたいへーん!!」
黒木「そうだとしたら、なんかちょっと危機感が足りなくないですか!?」
田中ちゃん「みなさん、こういう時こそ避難訓練を思い出しましょう!」
田中ちゃん「合い言葉は"おかし"ですよ!」
明日原「おさない!」
井田「かけない!」
ノブチナ「死して屍拾うものなし!」
黒木「無慈悲! 友達の屍は拾ってあげてください!」
黒木「って、そうじゃなくて! 死んじゃ駄目ですってば! 生きてください!!」
明日原「未知パイ未知パイ、しゃべらない♪」
黒木「今じゃないでしょうー!?」
 どんな災害が起きてもこいつらだけは助かりそうだなぁ。
 
90:以下、
パトリシア「それより、ノラ……」
 みんなが騒いでいる後ろで、パトリシアが控えめに声を掛けてくる。
 見れば表情が妙に熱っぽい。
 まさか、この雨の影響で風邪でも引いたか?
 冥界の皇女でも風邪を引くんだろうか。
ノラ「大丈夫か、パトリシア。熱あるんじゃないか?」
パトリシア「あ、ちょ……」
 おでことおでこを当てて熱を測ろうとする。
 うわ、額越しにでも分かる熱さだ。
 こりゃ完全に風邪引いたなぁ。
パトリシア「……ノラ」
ノラ「完全に風邪だな。とっとと帰って、身体を休ませ――」
パトリシア「――ん」
ノラ「!!」
 おでこを離そうとした瞬間に、ぐいと身体を引き寄せられ唇と唇が触れ合う。
 余りにも不意打ちだった為に、俺は反応することもできず為すがままになってしまった。
 パトリシアとのキス。それはつまり――
ぽん!
ノラ「……にゃあ」
 俺の身体が人間の姿から猫の姿になることを意味する。
 パトリシアの眷属である故の、悲しい性だ。
 
91:以下、
 
ノブチナ「あ、公共の場で二人してなんてことしてるんだ!!」
明日原「ちょ、誰か写メ写メ! 決定的瞬間激写!!」
井田「んな瞬間的に撮れねーよ」
田中ちゃん「お二人とも、仲がいいんですねぇ」
黒木「仲がいいからって、お店の中でキスしないでください!!」
パトリシア「……」
ノラ(パトリシア……)
 急にキスなんてしてきてどうしたんだろう。
 最早、一回二回のキスじゃ動揺しないくらいに俺も大人になったものだが。
 今のキスは余りにも不意打ちすぎたというか、唐突過ぎたというか。
パトリシア「ノラ……」
パトリシア「??」
パトリシア「赤ちゃん、作りたいです……」
………
……

ノラ(は?)
 
92:以下、
 
ノブチナ「いきなり生とは贅沢な奴だ」
明日原「でも、最初にそれだとゴムありじゃ満足できなくなるんじゃないすか?」
井田「どっちでもいいよ、んなの」
田中ちゃん「反田さん、パトリシアさんのこと幸せにしてあげてくださいね」
シャチ「至急、婚姻届……。いえ、出生届を用意しなければ」
黒木「いえいえいえいえ! だから高校生なんだからダメですってば!!」
ノラ(ちょっと待てって、そんな急にできないよ)
ノラ(パトリシア、お前熱が出ておかしくなってるんじゃないのか?)
パトリシア「……そうよ、おかしいわ」
ノブチナ「おかしいのはお前だ!」
 ごもっともである。
 今のパトリシアは少しおかしい。
パトリシア「今朝から……いえ、昨日の夜から?」
パトリシア「ノラの匂いがするの」
明日原「は?」
ノラ(またそれか)
井田「おいおい、本当に病気かなんかじゃねーのか?」
ノブチナ「ノラ、お前なんかいかがわしい薬でもパトリシアに盛ったりしてないだろうな」
ノラ(そんなものどこで仕入れるんだよ)
パトリシア「みんなは感じないの? ノラの匂い……」
パトリシア「頭がクラクラする程に、強烈な……」
 姉さんや、ユウラシアにも朝に言われたけど、そんな匂いなんて全然分からないんだけどなぁ。
 
93:以下、
 
明日原「そんな匂い、ノラパイからします?」
井田「男の匂いなんて嗅いだことねーよ」
ノブチナ「こんな節操の無い下半身を持つ男の匂いなんて嗅ぎたくもないな」
 うわ傷付く。
 って、友人の匂い嗅いでる奴なんていたら気持ち悪いのだが。
黒木「反田君からは、なんというかその……反田君の匂いって感じの匂いがしますけどね」
明日原「未知パイ、その発言少し危ないっすよ」
黒木「えぇ!? そ、そんな他意なんてありませんよ!」
黒木「昔、反田君の家で一緒に勉強してた時に感じた匂いがそのまま反田君からするっていうだけのことで……」
ノブチナ「それが危ないと言ってるんだがな」
田中ちゃん「黒木さんの言うこと、私は分かります」
田中ちゃん「反田さんの家って、どことなく素朴な感じの匂いがするというか……」
田中ちゃん「それを反田さんや、シャチさんから感じます」
シャチ「私もですか……?」
黒木「あ、どうなんだろ? シャチさんの匂いは嗅いだことないし……」
ノブチナ「なんだ、やっぱり男に反応してるだけじゃないか」
黒木「ち、ちが! だって、同性同士の匂いなんて嗅いでたらヘンじゃないですかぁ!」
明日原「普通、異性の匂いも嗅ぎませんって」
ノブチナ「やーい、黒木のヘンターイ! 反田君にいいつけてやーろ!」
黒木「ちょっと待ってください! そんなことされたら恥ずかしすぎて死んじゃいますぅ!!」
ノラ(目の前で直接聞かされてるんだけどな)
 
94:以下、
 
ノラ(しかし、俺とシャチからはそんな匂いが)
ノラ(どれ)
シャチ「ノラさん?」
シャチ「あ、ちょ……んっ、ノラさん……」
 シャチの匂いを嗅ぐためにシャチの懐に飛び込んでみたのだが、そんな艶っぽい声を出されても困る。
ノブチナ「こいつ、同居人二人に手を出してそのうち本当にルーシアに殺されるぞ」
井田「あれ、そういや今日はこねーな」
田中ちゃん「ユウラシアちゃんもいませんねぇ」
ノラ(くんくん)
シャチ「ノラさん……」
ノラ(これがシャチの匂いかぁ)
ノラ(なるほど)
ノラ(分からん)
ノラ(なんか良い匂いがするなぁっていうのは分かるが、流石に自分の匂いと同じかどうかはさっぱりだ)
ノラ(っていうか、この匂いが俺からもするのか?)
ノラ(そうだとしたらすっげぇ良い匂いなんだけど)
ノラ(女の子かよ)
パトリシア「しません」
ノラ(儚い夢だった)
 
95:以下、
 
パトリシア「ノラの匂いは、もっと……こう、身体が熱くなるような……」
ノラ(一体俺の身体からどんな匂いが発せられてるというんだ)
パトリシア「だ、ダメ。もう抑えられないわ」
パトリシア「ネコの姿のままでもいいの……ノラ」
パトリシア「赤ちゃん、作りましょう……!」
ノラ(ちょ、パトリシア! お前目がやばいぞ!)
ノブチナ「獣と人間が交わる時ー! 命の神秘が明かされるだろうー!」
明日原「いや、いくら何でも獣とはまずくないっすか? 第一犬はともかく、ネコのアソコってどうなんだろ」
井田「真面目に考えるなよんなこと。気分が悪くなるぜ」
黒木「そうですよ! ちゃんと真面目に止めてください! うぅ、頭が……」
ノラ(お前らも止めてくれ! 犯される!!)
田中ちゃん「ダメですよパトリシアさん!」
ノラ(田中ちゃん……!)
黒木「田中さん……!」
田中ちゃん「赤ちゃんを作るなら、人間同士でないと」
田中ちゃん「お母さんが困ってしまいますよ?」
黒木&ノラ「そういう問題!?」
ノブチナ「いくら冥界の母とはいえ、孫がネコで生まれたとあればショックのあまり世界崩壊も免れないかもしれんな」
井田「過激な母親だなぁおい!」
パトリシア「ふふふ……その前に私が地上に死をもたらしてあげるから安心して?」
パトリシア「でもその前に、ね?」
シャチ「逃げてください、ノラさん!」
ノラ(シャチ!?)
ノラ(くっ!(駆け出す))
パトリシア「あ、待ちなさい! ノラっ!(追いかける)」
 
96:以下、
 
明日原「シャチパイ、急に大声出してどうしたんすか?」
田中ちゃん「びっくりしましたぁ」
シャチ「す、すみません。しかし、今のパトリシアさんの様子が少しおかしかったので……」
ノブチナ「確かに。いつも発言が浮世離れしているとはいえ、今日のアレは度を超していたな」
黒木「反田君の匂いが気になるって、ずっと言ってましたね」
井田「匂いとかそんなのわっかんねーよ」
田中ちゃん「匂い、と言えば……ずっと気になっていたことがあるんです」
井田「田中、お前もかよ」
明日原「田中ちゃん、匂いに強い」
ノブチナ「意外な特技だな」
黒木「静かに。田中さんの話を聞いて下さい」
田中ちゃん「実は……」
田中ちゃん「――――今朝から、雨の匂いがしないんです」
シャチ「雨の匂いが……?」
 
97:以下、
 
 ***
田中ちゃん「ノラと皇女と野良猫ハート、Rainy Heart」
 ***
 
99:以下、
ナレーション「地球の植物に影響を及ぼす雨が降りしきる中、一匹の獣と少女の追いかけっこが繰り広げられていました」
ナレーション「パトリシアさんによる容赦の無い冥界の魔力によって、辺りは漆黒の闇に覆われ生ける者の力を奪い去っていきます」
ナレーション「しかし、そのパトリシアさんの眷属であるノラも負けてはいませんでした」
ナレーション「あっちへひらり、こっちへひらり」
ナレーション「ネコである身軽さを最大限に利用し、パトリシアさんの魔法をいとも簡単にかわし続けるのでした」
パトリシア「さすがノラ。ネコになった状態では私でも簡単に捕まえられそうにないわね」
パトリシア「ふふ……それでこそ燃えるというものよ」
パトリシア「ノラの匂いが強くなる度に、私の身体が疼くの」
パトリシア「あなたを手に入れたいと――」
パトリシア「……」
パトリシア「臨むところだわ!」
パトリシア「ねぇ! ノラ!!」
パトリシア「捕まえられたら、私と命の魔道書を唱えて!! お願いします!!」
ナレーション「遥か空の上からの愛の告白――」
ナレーション「ですが、そんな愛の告白も逃げるのに必死なノラには届きませんでした」
100:以下、
ノラ(くそ、パトリシアのやつ無茶苦茶しやがる!)
ノラ(街中で遠慮無しに魔力ぶっ放しやがって……!)
ノラ(元に戻ったら、またみんなに謝りに行かせないといけねぇじゃんか!)
ノラ(ったく、あいつどうしちまったって言うんだ?)
パトリシア「??!!(聞こえない)」
ノラ(なんか叫んでるけど、どうせロクなことじゃないだろうな)
ノラ(とにかく今は逃げるしか……!)
ノラ(くっそー、せめて人間ならなぁ!)
ナレーション「ノラは獣の四本の足で、桜ヶ淵の中をひたすらに駆けました」
ナレーション「その身体はまるで疲れを知ることなく、次第にパトリシアさんの視界から離れていくのでした」
ナレーション「ノラは思いました」
ナレーション「あれ? 俺の足早くね? 世界チャンピオンじゃね?」
ナレーション「幾ら眷属としての魔力が強力だとは言っても、いつもよりその力が増しているように感じたのです」
ナレーション「やべー、パトリシアだけじゃなく俺もおかしいのか……?」
ナレーション「そう思うのも無理はありません」
ナレーション「なにせ、彼は桜ヶ淵の街の端から端までを無意識のうちに走破してしまっていたのですから」
ナレーション「しかし、そんなおかしな脚力を持つノラを捉えられる一人の人物が目の前に現れました」
ルーシア「ノラ!」
ノラ(あ、姉さん!)
 姉さんが空から目の前に降ってくる。
101:以下、
ノラ(調度良かった。姉さん、パトリシアがおかしいんです。何とかしてください!)
ルーシア「……」
ノラ(姉さん?)
 姉さんは言葉を発せず、その場でぴくりともしなかった。
 見れば、表情はどことなく火照っているようで、何かを我慢するようでもあった。
 姉さんもこの雨のせいで風邪でも引いたのか……? それとも……。
ナレーション「ノラは肝心なことに気が付いていませんでした」
ナレーション「ルーシアさんを纏う衣服が、地上にいる時のような可愛らしい服ではなく、冥界の正装になっていることに」
ナレーション「それはつまり、何を意味するのかと言うと――」
ルーシア「――はぁッ!!」
ノラ「にゃにゃ!?」
 姉さんの持つ細身の長剣――ケルベロスの牙が真っ直ぐに俺の身体を貫き……そうになるが、すんでの所でかわす。
ノラ(何するんですか姉さん!)
ルーシア「……っ」
ノラ(姉さん……?)
ノラ(まさか、姉さんも――)
ルーシア「ノラ……! 貴様の匂いを嗅がせろッ!!」
ノラ(はぁ!?)
102:以下、
ルーシア「い、いや、待て! くッ……! 今のは本心では……!」
ルーシア「はぁ、はぁ……ッ!」
ナレーション「ルーシアさんの身体はパトリシアさん同様、異常をきたしていたのです」
ナレーション「パトリシアさんとは違い、強靱な精神力でなんとか自我を保ててはいたのですが、時折心の声を発してしまうようでした」
ナレーション「それは、ノラへの求愛――」
ルーシア「そんなバカなことがあるか……!」
ルーシア「何故コイツの匂いがこんなにも頭から離れないんだッ!」
ルーシア「……ええい! 私の脳がおかしくなる前に、ノラ! 貴様を殺す……ッ!!」
ノラ(やべぇ! あの目はマジだ! いつもの冗談の感じじゃない!)
ノラ(いつも冗談かどうかはともかく!)
ナレーション「ルーシアさんの猛烈なアタックはパトリシアさんよりもく、重く……」
ナレーション「さすがのノラもひとたまりもありません。実に、桜ヶ淵の端から端を二往復しても振り切ることが出来ませんでした」
ルーシア「はぁ……はぁ……ッ! 観念するんだノラ! おとなしく私の胸に飛び込んでこいッ! 抱き締めてあげてやるッ!!」
ノラ(日本語おかしい!!)
ノラ(保護しようとしてるのか殺そうとしてるのかどっちなんですか!?)
103:以下、
ナレーション「執拗なルーシアさんとの追いかけっこも、次第に限界を迎えます」
ナレーション「意外にも、先に息を上げたのはルーシアさんでした」
ルーシア「はぁ……はぁ……。ノラの体力は無尽蔵なのか……? 私の魔力をものともしないとは……」
ルーシア「ノラ……! 私はお前を……! 必ず私の物にするぞ……!」
ノラ(……追ってこない?)
ノラ(ようやく振り切れたのか……はぁ)
 後ろを振り返りつつ、ルーシア姉さんが追ってきていないのを確認すると少しずつ歩を緩める。
 そうすることで、疲れがどっと押し寄せてくるのが分かった。
ノラ(疲れたぁ……)
ノラ(姉さんと追いかけっこなんてするもんじゃない)
ノラ(……っていうか、よく振り切ることが出来たよな)
ノラ(いつもならすぐに回り込まれて、魔力で身体の自由も効かなくなるって言うのに)
ノラ(やっぱり俺、今日ちょっとヘンだよなぁ)
ナレーション「恐らく度合いで言えば、パトリシアさんやルーシアさんと良い勝負」
ナレーション「もしかしたら、それを遥かに超えるほどおかしいノラの身体能力でしたが……誰しも、自分の変化には鈍感な物なのです」
 
104:以下、
 
ノラ(それにしても、パトリシアだけじゃなく姉さんもおかしくなってるのかよ)
ノラ(一体どうなってるんだ?)
 ふと、空から降り注ぐ雨を見上げる。
 こうして街中にいるだけでは気がつかないが、この雨のせいで植物は急成長しているらしい。
 しかも気象予報でも、シャチの予報にも引っ掛からない不思議な雨。
ノラ(それに、さっきからなんとなく気になってはいたけど……)
ノラ(この雨、やたら温かくないか?)
 身体に受けるその雨粒の一つ一つから、本来の雨の冷たさはまるで感じない。
 それどころかほんのりと温かいシャワーを浴びているような気分だった。
ノラ(ヘンな気分だよな……)
 今、この街はおかしなことだらけだ。
 俺の身体がヘンなのもそれと関係があるのか……?
 パトリシアと姉さんからはヘンな匂いがするって言われるし。
ユウラシア「あーっ! いたーすけべねこー!!」
ノラ(げっ、ユウラシア!?)
 
105:以下、
 
ナレーション「そこに現れたのは、冥界三姉妹の末っ子――ユウラシアさんでした」
ナレーション「見ればユウラシアさんの表情もどこか熱っぽく、姉二人と同様に異常をきたしているのが分かります」
ユウラシア「もー! ずっと探したんだよーっ!!」
ノラ(まさか、お前も俺のことを……)
ユウラシア「どこ行ってもすけべねこの匂いがするんだもん! なんとかしてよーっ!」
ノラ(匂い?)
 また匂いか。みんなして一体なんなんだ。
 でもユウだけは姉二人みたいに俺に迫ってきたりしないんだな。
 それだけでも安心した。
ユウラシア「あーもー、すっごいいらいらするんだよー!」
ユウラシア「すっごいいらいらするし、匂いはするし、ぜんぶぜんぶすけべねこのせいーっ!」
ノラ(え?)
 そう言って、ユウラシアはふわりと浮かんだかと思うと一瞬で冥界の装束に身を包んだ。
 おいおい、それってつまり。
ユウラシア「だから死んじゃえーっ!!」
ナレーション「――それは姉のパトリシアさんもびっくりするほど威力の高い無詠唱魔法だったと言います」
ノラ「にゃぁぁぁぁぁ!!(吹き飛ばされる)」
 
106:以下、
 
ノラ(やっぱりこうなるのかよ! 三姉妹みんなだよ! 仲良いじゃねぇかよ!)
ユウラシア「なにいってるかわっかんないけど、とにかくすけべねこが悪いんだー!」
ユウラシア「今日はなんだか魔力がいつもより溢れてくるから、絶対逃がさないんだよー!!」
ノラ(魔力が?)
ナレーション「ユウラシアさんが一度手をかざせば、街のあちこちが爆発していきます」
ナレーション「本来はパトリシアさん同様、詠唱が必要な魔法も過程をすっ飛ばして、次、また次と、爆発を巻き起こしていました」
ナレーション「魔力が溢れているユウラシアさんは、パトリシアさんと同程度……もしくはそれ以上の素質を備えているのでした」
ノラ(くっ……そ! そんなぽんぽんぽんぽん爆発起こされたら逃げようにも……!)
 俺の身体は爆風で煽られて、自慢の運動神経が発揮できなくなってしまっていた。
 ネコの身体になって小さくなったのがここに来て災いしてしまっている。
 正に、弄ばれ放題だった。
ユウラシア「ふっふっふー! ねんぐのおさめどきってやつだよねー!」
ノラ(むずかしい言葉知ってんじゃねーかぁぁ……!(吹き飛ばされながら))
ユウラシア「あー、今バカにしたような気がするー!」
ユウラシア「ふふん! シア姉がみてた時代劇ってゆーの? で言ってたから覚えちゃった!」
ノラ(よし、気が逸れた! 今のうちに逃げよう!(体勢立て直して)
ユウラシア「うわっ、すけべねこ足はや」
ユウラシア「でも無駄だもんねー。今の私だったらどんな距離でもはずさないよー」
 
107:以下、
 
ユウラシア「(詠唱)」
ナレーション「詠唱を必要とせずに爆発を巻き起こせるほど魔力が溢れている今のユウラシアさんが、改めて詠唱をしたならば――」
ユウラシア「?ああ、もうその先はいらいらして忘れちゃった! ――イグニスッ!!」
ナレーション「辺りは真っ白な光に包まれ、音も全てが掻き消え、一瞬の静寂が生まれます」
ナレーション「そしてその数秒後に、耳をつんざくような轟音が聞こえ、後に全てを吹き飛ばす大爆発が巻き起こりました」
ナレーション「桜ヶ淵の遥か上空――」
ナレーション「ユウラシアさんも自身の魔力の程は理解していたのか、街に直撃させることは避けたのです」
ナレーション「しかしその威力は規格外なものであり、直撃を外していたと言っても街に残る人や獣が爆風に巻き込まれてしまうのです」
ナレーション「ノラも例外なく、その小さな獣としての身体を塵の一つと同じように空を舞ってしまうのでした」
ノラ「にゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!(元々覚えてないだろーーーーーーーッ!)」
ナレーション「吹き飛ばされながらも、しっかりと突っ込むことは忘れません」
ユウラシア「あ、しまった。爆発させすぎて、すけべねこ見失っちゃった……」
ユウラシア「もー、あと一息だったのにぃー!」
ユウラシア「……でも、おもいっきり魔法使えたからちょっとすっきりー♪」
 
108:以下、
 
ナレーション「爆風に乗って、飛ばされ、飛ばされ、も一つおまけに飛ばされて、ノラは自宅近くの公園まで飛ばされてくるのでした」
ノラ「にゃぁぁぁぁぁぁ――……」
ナレーション「パトリシアさん、ルーシアさん、ユウラシアさんに立て続けに攻められて、ノラの身体は満身創痍。このままでは身体は地面に叩き付けられて、無残な状態になってしまうかもしれません」
ノラ(――よっと)
ノラ(見事な着地。金メダルも容易いな)
ノラ(何のだよ)
ナレーション「まるで空に足場が存在するかのように空中で体勢を立て直し、難なく着地するノラでした」
ノラ(何とか逃げ切れて良かったけど、あいつら本当にどうしちまったんだよ)
ノラ(俺の身体もやけに元気だし)
ノラ(匂いも……)
ノラ(くんくん)
ノラ(やっぱわかんねぇわ)
ノラ(女の子に嫌われる匂いなのかな……)
ノラ(別に良いけどさ)
ノラ(……いや、やっぱつれぇわ)
レイン「あーー!! この匂い、ようやく発見したのーーーーーっ!!」
ノラ(だから臭くないって!)
ノラ(……って、この声?)
 
109:以下、
 
ナレーション「甲高い声を響かせながら現れたのは、先日の雨乞い踊りを指導してくれた女の子――レインでした」
ナレーション「レインは一直線にノラ目がけて走ってきますが、肝心のノラの姿を発見できず戸惑ってしまいます」
レイン「あれ? 昨日の男の人は?」
レイン「匂いがしたからいると思ったのに……」
ノラ(ここだよここ)
レイン「あっ、猫さんなの」
ノラ(俺だよ俺、昨日一緒に踊った)
レイン「にゃあにゃあ可愛いの?♪」
ノラ(ディスコミュニケーション)
レイン「うーん……昨日の男の人の匂いがしたからいると思ったのに」
レイン「でも猫さんしかいないの」
レイン「にゃあ♪」
ノラ(にゃあ♪)
ノラ(じゃねえ! 猫で遊ぶなよ)
ノラ(くっそー、ほぼ初対面の人間にも匂いとか言われるとか、マジもんじゃん……)
ノラ(そっか、俺って臭かったのか……)
ノラ(シャチや田中ちゃんは俺を気使ってくれてたんだな)
ノラ(ごめん……)
ノラ(ボディソープ変えようかな。前間違って買った高いヤツにしよ)
ノラ(金ねぇけど)
ノラ(でも匂うよりはマシだよな。金ねぇけど)
 
110:以下、
 
レイン「はっ、猫で遊んでる場合じゃなかったの!」
ノラ(ホントだよ。遊ぶなよ)
レイン「うぅ……昨日の人間を早く見つけなくちゃいけないの……!」
レイン「じゃないと、大変なことになっちゃうの……! っていうかなっちゃってるの……!」
レイン「私のせいで……私のせいで……!」
ノラ(俺を探してるのか?)
ノラ(おーい、昨日の人間は俺なんだって。分からないかもしれないけど)
レイン「うぅぅ……!」
ノラ(っていうか、なんかあったのか?)
ノラ(何があったかわからんが、元気出せよ)
ナレーション「ノラは言葉が通じないなりにも、うずくまって泣くレインの肩を肉球でぽむぽむと叩いて元気づけるのでした」
ナレーション「それは、今のノラにできる精一杯の優しさなのです」
レイン「うぅ……? ネコさん?」
レイン「励ましてくれてるの?」
ノラ「にゃあ」
レイン「……ありがとうなの」
 慰めてくれたお礼にと、彼女は俺の頭を優しく撫でてくれる。
 触れた手は冷たく、不思議と人の温もりを感じさせなかった。
 
111:以下、
 
レイン「……」
レイン「ねぇ」
ノラ(……?)
レイン「ネコさんは、雨、好き?」
ノラ(あんまりかな。濡れると毛はべったりするし)
レイン「好き? そっか、私も好きなの」
ノラ「にゃおーん」
 思わず鳴いてしまった。
レイン「雨は、お母さんの匂いがするから」
レイン「お母さんがすぐ側に……」
レイン「いつも一緒にいられる気がするから、私は好きなの」
ノラ(お母さんが……?)
ナレーション「ノラの頭を撫でながら、レインは降りしきる雨の先、遙か遠くを見つめていました」
ナレーション「ノラも同じように習い、空の彼方……どこにあるかも分からない冥界に想いを馳せていました」
レイン「――でも、この雨は違うの」
 急に手の平に力がこもるのを肌で感じ、レインのことを見る。
 
112:以下、
 
ノラ(違う? どういうことだ?)
レイン「この雨は……」
レイン「私の未熟さが生み出した、まがい物の雨だから……」
レイン「お母さんの代わりは、私にはまだ無理だったの」
レイン「私が余計なことしなければ、こんな雨は降らなくて済んだのに……」
レイン「うぅ……」
ノラ「……」
レイン「本当の雨はね、もっと冷たくて、透き通ってて……」
レイン「だけれど、何処か温もりがあって、雨音は人の心を優しく包みこんでくれるの」
レイン「負の心を浄化し、作物には生命を……」
レイン「人の世に寄り添う、絶対必要不可欠の命の水」
 それまでのぽわんぽわんとしたレインの表情が、言葉を紡ぐのと一緒に段々と締まっていくのが分かった。
 今のレインはどことなく浮世離れした……女神、であるかのような威厳を持っているような気がした。
ノラ(レイン……)
レイン「――でも、この雨には命とは相反する死の力が宿っている」
ノラ(死の力?)
 
113:以下、
 
レイン「命と死は決して相容れることの無い存在」
レイン「命の先に死があって、死の先にまた命がある」
レイン「そう順序よく輪の中をぐるぐる回って。追いつきも、追い越せもしない。絶対的なルール」
レイン「……そう、お母さんに教えて貰ったの」
ノラ(……)
 お母さんという言葉が混じる時だけ、レインは年相応の可愛い表情を見せる。
 それが何だかやたらと愛しく感じる気がした。
レイン「そんな二つの力が交わる時どうなるか……」
レイン「命は異常な促進を続け、輪廻の果てに待つ消滅へと向かうのみ」
レイン「ただひたすら、止まることなく、滅びを迎えてしまう」
ノラ(それって……)
ナレーション「死ではなく、消滅」
ナレーション「それは一体どういうことなのか。パトリシアさんたちの言う死とは別なのか」
ナレーション「聞き慣れない言葉に、ノラは酷く動揺するのでした」
レイン「――だから、消滅を止めるために私が何とかしなくちゃいけない」
ノラ(私がって、お前は一体……)
 
114:以下、
 
レイン「って、こんなことネコさんに言ってもしょうがなかったの」
ノラ(……)
 くるりと振り向いたレインの顔は、さっきまでの神妙なものとは打って変わった屈託の無い少女の笑顔だった。
 でも、その顔はどこか儚げで、今にも消え入りそうな……そんな悲しい笑顔だったような気がした。
レイン「あはは、私ったらさみしがり屋さんなの」
レイン「ホント、お母さんがいないとダメダメなの」
レイン「うぅ……」
ノラ(……)
ノラ(そっか)
ノラ(事情はよく分からないけど、辛いんだろうな)
ノラ(母さんがいない寂しさは俺もよく知ってるからな)
ノラ(俺にはシャチが傍にいたから、少しは違ったかもしれないけど)
ノラ(それでも――)
 俺はうずくまるレインの足下に行き、足をペロペロと舐めてみた。
 
115:以下、
 
レイン「あはは、慰めてくれるの?」
レイン「ネコさんは優しいの……」
ノラ「にゃあ」
レイン「……? 抱いて欲しいのかな?」
レイン「んしょ…っと」
ノラ(やっぱ手の平と同じで、身体も冷たいんだな)
ノラ(これじゃあ辛いよな)
ノラ(俺の自慢のもふもふの毛で暖めてやるよ)
ノラ「にゃにゃ♪」
レイン「わぁ♪」
レイン「ふふ、暖かいの……」
ノラ(……)
ナレーション「少女に優しく抱かれる中で、ノラは思いました」
ナレーション「人とは違う冷たさを持つ身体の筈なのに、彼女の胸の中にいると心が落ち着くなぁと」
ナレーション「なんだか家にいるかのような安心感をノラは感じていたのです」
ノラ(懐かしい感じがする匂い……)
ノラ(――そう、この匂いだ)
ナレーション「それは、遠い昔の記憶――」
ナレーション「早くに亡くした母親の匂いに近い何か、だったのかもしれません」
 
116:以下、
 
レイン「……」
ノラ(良い匂いだなぁ)
ノラ(――そっか)
ノラ(黒木や田中ちゃんが言ってた俺の匂いってのは、もしかしたらこんな感じなのかな)
ノラ(すっかり忘れてたなぁ)
ノラ(ふわぁ……)
ノラ(眠くなってきた)
ノラ(……)
ノラ(zzz……)
レイン「……あれ?」
レイン「ネコちゃん?」
レイン「ふふ、寝ちゃったの」
レイン「可愛いの……よしよし♪」
ノラ「にゃあ……」
 
117:以下、
 
レイン「……」
レイン「……うん」
レイン「可愛いネコちゃんの為にも、この星が消滅するのは防がないといけないの!」
レイン「それにはまず、昨日の人間を見つけなきゃなの!」
レイン「……なんで普通の人間にあんな魔力があったのかは謎だけど」
レイン「まさか、死の雨を降らせることになっちゃうなんて……」
レイン「"雨の精霊"失格なの……!」
レイン「見習いでも、雨の精霊として……この雨を何とかしてみせるの!」
レイン「お母さん見ててなのっ!!」
 
118:以下、
 
 ***
レイン「ノラと皇女と野良猫ハート、Rainy Heart」
 ***
 
119:以下、
ノラ(……)
ノラ(ん……)
ノラ(寝ちまった)
ノラ(ふわぁーあ)
ノラ(相変わらず生温い雨だなぁ)
ノラ(おかげで寒くないけど)
ノラ(……?)
ノラ(あれ、なんで俺こんなとこで)
………
……

ノラ(あっ!)
ノラ(そうだよ、地球が消滅するんだった! こんなところで寝てる場合じゃねぇじゃん!)
ノラ(あの子……レインを探さねぇと!)
ユウラシア「あ、やっと見つけたよすけべねこー!!」
ノラ(げ、またユウラシア!?)
 最悪なタイミングで二度目の再会を果たしてしまった。
 今のこいつからはそう簡単に逃げられそうにねぇからなぁ。
120:以下、
ユウラシア「もーどんどんすけべねこの匂いが強くなって、なんかとにかくムカムカするー! なんなのコレー!」
 そんなの俺が知りたいよ。
ノラ(それよりユウラシア聞いてくれ! 大変なんだ! 雨が! 命じゃ無くて死なんだ! 消滅する!)
ユウラシア「もう! 何言ってるかぜんぜんわっかんないー!」
 自分でも何言ってるのか分からなかった。
 焦りすぎだ。
ユウラシア「にゃあにゃあうるさいー! いらいらしてるから余計ムカツクー!」
 あ、そう言えばネコのままだったな。そりゃあ言葉通じるわけねぇじゃん。
 くそー、やっぱり不便だよなぁ。でもネコの身体じゃなきゃこいつらの攻撃を避けきることなんてできないんだけどさ。
 大体レインも俺を探してたんだよな。
 なんで探していたのかは知らないけど、さっきの話を聞くためにも改めて人間の姿でもう一回会わないと……!
 でもどこに行ったんだ?
 さすがにこの広い街の中、手がかりなしで探すのは……。
ルーシア「見つけたぞ」
ユウラシア「シア姉!」
ノラ(わお、姉さんまで来ちゃったよ)
 やっべぇ、ユウラシア一人でも手強いってのに姉さんまで合流したら確実に殺される気がするぞ。
121:以下、
ルーシア「ユウ、何をやってる。早いところノラを生け捕りにするんだ」
ユウラシア「はーい、今夜は丸焼きだね!」
ノラ(マジかよ)
 あの鋭利な剣で刺されて、翼竜の如く真下から火で炙られる運命なのか……。
 なんてこった。どうせならもっと簡単に、一思いに命を奪ってくれ。
ルーシア「その唇を奪ってやる!!」
ノラ(マジかよ)
ユウラシア「シア姉? どうしたの? 顔赤いよー」
ルーシア「この匂いを嗅いでいると頭がクラクラして、どうにかなってしまいそうなんだ……!」
ルーシア「ああっ……ノラが欲しいっ!」
ユウラシア「重傷だね、こりゃ」
 こえぇ。マジでこえぇ。控えめに言っても恐ろしい。
 俺が欲しいとか(食欲的な意味で)
 鳥肌がとまらねぇ。いや、ネコ肌か?
 一体俺の匂いがこの姉妹にどんな悪影響を及ぼしているって言うんだ。
 ……ん? 匂い?
 ……。
※回想
ノラ(懐かしい感じがする匂い……)
ノラ(――そう、この匂いだ)
ノラ(良い匂いだなぁ)
ノラ(そうか! 匂いか!)
 その場に這いつくばって、辺りの匂いを嗅いでみた。
122:以下、
 
ユウラシア「うわ、すけべねこが私たちの匂い嗅いでるよー! このヘンタイねこー!」
ルーシア「や、やめろ! そんなことされたら余計に感じてしまうではないか……ッ!」
 いや、違うし。あんたらじゃないし。
 っていうか、ユウラシアはともかく姉さんどんどん顔赤くなっているけど大丈夫か?
ノラ(くんくん。くんくん)
ノラ(……やっぱり、分かるぞ)
ノラ(犬でも無いのに、あの子の匂いが分かる)
ノラ(あの家の匂い――)
ノラ(母さんのような匂い――)
ノラ(今まで気にも止めていなかったのに、今ならはっきり分かる)
ノラ(……)
ノラ(こっちだ!(駆け出す)
ユウラシア「あ、逃げたー!!」
ユウラシア「逃がさないんだからー!!」
ルーシア「ゆ、ユウ! 待て!」
ユウラシア「へ? どーしたのシア姉ー。早くしないとすけべねこが逃げちゃうよー」
ルーシア「そ、その……すまない」
ルーシア「身体が敏感になりすぎていて……動けないんだ……」
ユウラシア「えー……本当に大丈夫ー……?」
………
……

 
123:以下、
 
ノラ(……?(駆けながら))
ノラ(追ってこないし、魔法を詠唱してる気配も無いな)
ノラ(助かった)
ノラ(なんなら、またユウラシアの爆風に乗っていっても良かったけど、あんま生きた心地がしないからな)
ノラ(……)
 とにかく急ごう。
 早いとこあの子を見つけないと。
レイン『あはは、私ったらさみしがり屋さんなの』
レイン『ホント、お母さんがいないとダメダメなの』
レイン『うぅ……』
 ……レインは寂しそうにしていた。
 あの子が何者で、一体どんな不安を抱えているのか、それは分からないけれど。
 雨のことといい、この街がおかしくなった事情を知っているなら、俺が聞き出さないと。
 そして、元気づけてやらないとな。
 母さんがいないという寂しさを、俺は知っているから。
 俺ならあの子を励ましてやれる気がするんだ。
 次はもう一度、人間の姿で。
 そしたらまた雨乞い踊りでもなんでも踊ってやるさ!
 
124:以下、
 
ナレーション「ノラは走りました」
ナレーション「生温かな死の雨が降る桜ヶ淵を駆け抜けました」
ナレーション「桜ヶ淵と共に眠る母親にも似た匂いを嗅ぎながら、当時の記憶を思い出すのでした」
ナレーション「母親と一緒に過ごした日々――」
ナレーション「泣き虫だった自分のこと――」
ナレーション「シャチがやってきた日のこと――」
ナレーション「様々な思い出が脳裏を駆け巡りました」
ナレーション「この桜ヶ淵には色々な記憶が、その匂いと共に根付いています」
ナレーション「生まれ育った街というものはどこか特別で、遠方に出向いても一度戻ってくれば家に帰ってきたなぁと感じる感覚」
ナレーション「それは自分という匂いが街に染みついた証拠なのです」
ナレーション「……長年住んだこの街には私の匂いも記憶も残されていて、きっとノラにはそれが分かるのでしょうね」
 
125:以下、
 
ノラ(匂いはこっちから!)
ノラ(海の方からだ!)
 匂いは一直線に海岸の方へと伸びている。
 潮の香りも強くなるが、それ以上にあの子の匂いが強い。
 間違いない。レインはいる!
 雨はどんどん強くなってきていた。
 普通ならばこんな雨の中打たれながら走ってたら風邪でも引いてしまうかもしれない。
 しかし、不気味なぐらいに温かい雨はむしろ身体に元気を漲らせていた。
 おかげで俺も休むことなく走ることができるのだが。
 ふと、横を振り向くと木々が植物がやたらと成長しているのが見て取れた。
 黒木に見せてもらったあのキャベツと一緒だ。
 そして、一部では既に枯れ果て散っていってしまっているようだった。
 あれがレインの言っていた成長させすぎた結果による、死――消滅。
 やばい。かなりのさで死が迫っているのを感じた。
 急にあんな小さな女の子から突飛な死を告げられて信じる方がおかしいが、いざ目の当たりにしてしまったら否定することも出来ない。
 それに、死は俺らにとって余りにも身近すぎる存在だからな。
 慣れちまったもんだよなぁ。
 って、慣れたからと言って、死にたくないから俺は走るんだけどな……!
 俺たちは今を生きているんだから――
 
126:以下、
 
ノラ((堤防に飛び乗り)――――レイン!)
 海岸の方を見る。
 雨ではっきりとは見えないが、波打ち際に誰かがいる気がした。
 間違いない。あの小さな人影はレインだ。
 青髪に特徴的な民族衣装は遠くからでも目立つ。
 ……と、よく見れば一緒にもう一人傍に誰かがいるのが分かった。
ノラ(あれは……?)
レイン「??」
シャチ「あ、あの、レイン……さん?」
 一緒にいるのはどうやらシャチのようだった。
 シャチのふくよかな胸の中にレインは顔を埋めていた。
 羨ましい。
レイン「すりすりぃ?」
シャチ「あ……んっ、ちょ、そこは……」
 一体何をやっているんだあの二人は。
レイン「はぁ?お母さんの匂いなのぉ♪」
 ああ、そっか。そう言えば田中ちゃんがシャチからも同じ匂いがするって言ってたっけ。
 同じ家でご飯を食べて、同じ家で風呂に入って……。
 例え血は繋がっていなくても、同じ母親を持つ兄妹みたいなもんだしな、おれらは。
 
127:以下、
 
ノラ(レイン)
シャチ「あ、ノラさん……」
レイン「……? あ、さっきのネコさんなの」
レイン「ノラネコさんなの?」
シャチ「いえ、その……。えっと、なんと言いましょうか。このネコさんは……」
 説明しづらい状態故に口ごもるシャチ。
 まぁそうだよな。昨日会った男が実はネコになるなんて言ったら頭おかしいやつだと思われる。
レイン「あれ? このネコさんとお姉さん、やっぱり同じ匂いがするの」
シャチ「匂い、ですか?」
ノラ(マジかよ)
 シャチからは決してヘンな匂いはしないからな。
レイン「あと、昨日お姉さんと一緒にいた男の人も同じ匂いがしたの」
レイン「だからその匂いを辿ってきたんだけど……」
シャチ「そう、なのですか?」
 やっぱり、匂いがキツすぎるんだな俺……。
 ネコの状態になっても分かるとか。
 
128:以下、
 
シャチ「私には正直、匂いのことは分かりませんが……」
レイン「レインをなめたらいけないの! これでも一応雨の精霊だから、匂いには敏感なの!」
ノラ(雨の……)
シャチ「精霊、ですか?」
 なんだか聞こえちゃいけないワードが聞こえた気がする。
レイン「あっ」
ノラ(あっ?)
レイン「し、しししししまったなのぉぉぉぉ!! 人間には内緒だったのぉぉぉぉ!!」
レイン「嘘! 嘘なの! えへへ、えへへへ♪ なーんちゃってなの!」
レイン「子供の可愛らしい冗談なのぉ?♪ てへぺろ♪」
レイン「そ、そそそんな恥ずかしいこと信じたらダメなの?! ね! ね?」
ノラ(……)
シャチ「……」
ノラ(…………)
シャチ「…………」
レイン「な、なんか言ってなのぉ??! そうですよねぇ、あははぁ、えへへぇ、うふふぅとか言って欲しいのぉぉ??!!」
 いや、そんな気持ち悪い笑い方しないし。
 でも確かになぁ。いくら何でも雨の精霊とか、そんなおとぎ話の様な話簡単に信じるわけ……。
パトリシア「(空から降ってきて)ノラっ! 見つけたわ! 赤ちゃん! 作ってッ!!」
 うん、雨の精霊いるわ。間違いない。100%。信じる。
 
129:以下、
 
パトリシア「ノラぁ! わたしもう我慢ができな……!」
パトリシア「(レインを見て)……こちら、どちら様でしょうか?」
レイン「ふぇぇ!?」
ノラ(意外に冷静なんだな)
シャチ「――――もしかして」
シャチ「この雨はレインさんが……」
レイン「びっくぅ!」
 シャチもレインの話を疑ってはいないようだった。
 そりゃまぁ、本人も不思議な出生な上、地上の天候を観測できるなどの不思議体質を持ち、尚且つ、自宅で冥界三姉妹をほぼ養っているような状態だからな。
 実際問題、俺なんかより遥かに不思議耐性ついているよなぁ。
レイン「あわわわわわわなの……!」
シャチ「ずっとおかしいと思っていました」
シャチ「今まで外れたことのない私の天気予報が、まるで意味をなさないこの雨……」
シャチ「きっと、パトリシアさんたちが住む冥界のような何か知らない力が働いているんじゃないかと疑ってはいましたが」
シャチ「まさか、雨の精霊さんの仕業だったとは……」
シャチ「素直に驚きです」
シャチ「レインさん、一体何故このような雨を……?」
 終始顔は穏やかではあるのだが、僅かばかりに怒気を含ませた声だった。
 
130:以下、
 
レイン「ちちちち違うの! 私の仕業じゃないの!!」
レイン「あ、えとえと、ある意味では私の仕業だけど……そうじゃないの! 誤解しないで欲しいの!!」
ノラ(どういうことだ?)
レイン「私は……"見習い"の雨の精霊なの」
 少し俯いて、ばつが悪そうに答えた。
レイン「私の力だけじゃ、まだ一人で地上に雨を降らせることはできないの……」
レイン「本当はレインのお母さんが、この地上に雨を降らせる役割を持ってる偉大な雨の精霊なの!」
ノラ(お母さん……)
レイン「でもお母さん、ちょっと前から病気で寝込んじゃってて……」
シャチ「雨の精霊さんも風邪を引いたりするのでしょうか」
ノラ(医者の不養生的なやつか)
レイン「当たり前なの! レインたちだって生きてるの! 人間たちの排気ガスとかでいっつもゴホゴホしてるの! 気をつけるの!」
シャチ「す、すみません」
レイン「体調が悪いと魔力が暴走して嵐とか呼び寄せちゃうの……。だから地上で突然台風とか嵐が来た日は、お母さんが体調崩している時なの」
ノラ(マジかよ。お母さん荒れてんな)
レイン「ちなみにゲリラ豪雨の時は便秘だったりするの」
ノラ(その情報はいらん)
パトリシア「辛いわね」
シャチ「ええ」
 女性一同は何故か共感していた。いや、そんな情報マジでいらないから!
 
131:以下、
 
シャチ「それではこの天気は、体調の悪いお母様の魔力の暴走……ということでしょうか?」
レイン「ち、違うの! そうじゃないの! お母さんは悪くないの!!」
ノラ(なんだ、便秘って訳じゃ無いのか)
パトリシア「ノラ」
 パトリシアにすげぇ睨まれた。なんで?
レイン「……いつもだったら寝込んだら魔力が暴走したりするんだけど、今回は何故か違ったの」
レイン「むしろその逆だったの」
レイン「お母さんの魔力の蓋が閉じてしまったかのように、雨が降らなくなってしまったの」
レイン「いくら魔力を使おうとしても、全く雨が降らないの……」
シャチ「なるほど……」
シャチ「お母様が倒れられたのは、もしや春先のことではありませんか?」
レイン「……そう、だったと思うの」
シャチ「やはり……」
ノラ(それが雨が降らない原因ってことか)
レイン「お母さん、寝込んだまま全く目を覚まさないの」
レイン「春から、ずっと……お母さんの声を聴いてないの……」
ノラ(レイン……)
シャチ「……」
 
132:以下、
 
レイン「レインはどうしたらいいか分からなくて……」
レイン「見習いだから代わりに雨を降らせることもできない……」
レイン「だから、お母さんの傍で泣いてることしかできなかったの……」
シャチ「レインさん……」
レイン「でも、このままお母さんが目を覚まさないのは……」
レイン「それだけは絶対イヤだったから……」
レイン「お母さんがいなくなったら、レインは何もできなくなっちゃうから……」
レイン「レインは、ひとりぼっちになっちゃうから……!」
レイン「だから!」
レイン「お母さんが目を覚ましてくれるように、レインが雨を降らせようと地上にやってきたの!」
ノラ(じゃあ、やっぱりレインがこの雨を……?)
レイン「レインが雨を降らせるには、雨の精霊としての魔力が足りてないの」
レイン「本当はもっともっと勉強して、もっともっと努力して蓄えてくものなの」
レイン「だから、今のレインにはどうしようもなかったの……」
 
133:以下、
 
ノラ(それじゃあどうやって?)
レイン「前に、お母さんから聞いたことがあったの」
レイン「――――遙か昔、人間から魔力を供給してもらっていた時代のお話」
パトリシア「人間から?」
レイン「大昔の地上では、精霊は人間に宿る僅かな魔力を糧にして、雨を生み出していたらしいの」
レイン「けれど人間一人一人の魔力は余りにも些細なもの」
レイン「だから大勢の人間の魔力を一つにして、捧げさせていたらしいの」
レイン「その方法が――――」
ノラ(もしかして……)
シャチ「雨乞い踊り、ですか?」
レイン「そう、なの」
ノラ(マジかよ。あんなアナログな踊りで俺らの魔力が吸収されているとは……)
 古くから人間の世界に伝わる雨乞い踊りは、雨の精霊直伝のものだったのか。
 なんという歴史の答え合わせ。
 どんな不思議な物事にも、必ず答えが隠されているという例なのかもしれない。
レイン「黙っていてごめんなさいなの」
レイン「結果的に、勝手に人間の魔力を奪うことになっちゃったの……」
シャチ「いえ、それは構いませんが……」
ノラ(俺らの魔力を使って降ってきたのがこの雨ってことか? んなバカな)
レイン「そうなの。おかしいの。こんな雨が降るはずがないの……!」
パトリシア「……」
 
134:以下、
 
レイン「――――雨は命の源」
レイン「雨の精霊が生み出す雨は、生き物に命を分け与える役割を持つ」
レイン「でも、水だけでは人も植物も育たない」
レイン「だから、太陽と雨が交互に力を与え、そうして生き物は進化を遂げてきた……」
レイン「けれど、この雨には……」
レイン「――――退廃させる力がある」
レイン「命の力が暴走して、無闇矢鱈に成長を促し、そして迎えるのは……"死"なの」
パトリシア「……」
レイン「こんなこと、普通じゃ起こりえないの」
レイン「ただの人間の魔力を吸収して得た力で生み出した雨が、退廃の力を持つなんて……」
パトリシア「……」
レイン「そんなの、昔お母さんに教えて貰ったことのあるおとぎ話で出てくる冥界の人間だけなの!」
パトリシア「……」
ノラ(……)
シャチ「……」
 退廃の力。冥界。そして、今となっては聞き慣れた"死"という言葉。
 今正に、俺たちの思いは一つとなっていた。
 そう、つまりそれは……。
パトリシア「――――謎は全て解けたわ!」
レイン「ひゃい!?」
 
135:以下、
 
 急に声を荒げるパトリシアに飛び跳ねるぐらい驚くレイン。
ノラ(何でサスペンスドラマ風?)
パトリシア「ごほん。その、一度やってみたかったのよ」
パトリシア「本当は向こうの崖の上が良かったんだけれど」
ノラ(お約束か)
レイン「さっきから気になっていたけど、あなたは一体誰なの……?」
パトリシア「ふふ……(髪を翻して)」
パトリシア「私の名前は、パトリシア・オブ・エンド」
パトリシア「冥界の皇女、やっています♪」
レイン「……へ?」
レイン「冥界!? 皇女!?」
 レインは誰の目にも分かるくらいに身体を震わせて動揺していた。
レイン「あわわわ……レイン、もう死んじゃったの……!?」
ノラ(生きてるよ。落ち着け)
 しかしまぁ、驚くよなぁ。
 伝え聞いていたおとぎ話の存在が目の前に立ってたら。
 
136:以下、
 
パトリシア「ずっとおかしいと思っていました」
ノラ(お前もかよ)
パトリシア「ノラの匂いがキツすぎることが」
ノラ(っておーい。この後に及んで俺の匂いのことかーい)
パトリシア「寝ても覚めても、傍にノラがいるかのような感覚」
パトリシア「ノラに抱かれてぎゅーってされながら、いい子いい子されて、甘い吐息で囁かれてる感じでどうにかなりそうでした」
シャチ「……」
レイン「はわわ……」
 シャチもレインも、パトリシアの変な話を聞かされて耳まで真っ赤になっていた。
パトリシア「恐らく、姉様やユウも同じだったに違いないわ」
ノラ(あいつらも?)
 確かに二人とも俺の匂いがキツイからと言って襲ってきたけれど。
パトリシア「今も尚、ノラの匂いはどんどん強くなっていってるわ」
パトリシア「いえ、もうホント我慢の限界」
パトリシア「いますぐにでもノラに抱かれたい。命の魔道書を唱えたい」
パトリシア「赤ちゃん作りたい。セ○クスしたいッ!」
ノラ(やべぇ、目がマジだ)
ノラ(頼むから一旦落ち着いてくれ)
シャチ「ぱ、パトリシアさん……」
レイン「あわわわわわ……」
 ほらみろ、シャチですら耳を真っ赤にしてるぞ。
 レインのような小さな子もいるんだから健全な教育を心がけてくれ。
 
137:以下、
 
ノラ(お前の性欲のことはいい)
ノラ(結局何の謎が解けたんだよ。なんにも解決してないじゃないか)
パトリシア「だから! ノラが原因なのよ!」
ノラ(は?)
パトリシア「この雨が! ノラの匂いの元凶なのッ!!」
レイン「雨が……」
シャチ「ノラさんの匂い……?」
パトリシア「この雨に打たれ続けている今も、私は濡れ続けて絶頂してしまいそうになるのッ!!」
ノラ(……は?)
 何がとは言わなかっただけマシだが、危ない発言なのには変わらない。
 いや、ちょっと待て。どういうことだ?
 この雨が俺の匂い?
 それって、つまり……?
パトリシア「この雨は、ノラの魔力から生み出されたもの」
パトリシア「強大な私の眷属としての魔力ごと、そこの雨の精霊が吸収して雨に変換されたものなのよ!」
パトリシア「だからこれは……この雨は、ほとんどノラそのもの!」
パトリシア「いえ、今のここにいる本体以上にノラなのよ!!」
 衝撃の事実だった。
 この雨が俺より俺?
 雨に負けるのか、俺?
 俺の存在意義って……。
 俺は一体どうすれば……。
ノラ「にゃあ」
 思わず鳴いてしまった。
 
138:以下、
 
レイン「どういうことなの? ネコさんは冥界の生き物だったの……?」
シャチ「あ、それは……」
 知らない人間に……いや、精霊に俺の身の丈話をしようとすると面倒なことになってしまう。
 俺もシャチもどうしたものかと悩んでいると……。
パトリシア「ノラ!」
ノラ「にゃ!?」
 パトリシアに無理矢理身体を掴まれて、強引に唇を奪われる。
 なんだか普段とは違うやたら乱暴なキスに、妙にドキドキしてしまう自分がいた。
ぽん!
 すると、いつもの間の抜けた音と共に俺の目線がいつもの高さに戻る。
 無論、生まれたままの姿でだ。
レイン「ふぇぇぇぇぇ!!? 裸の男の人が突然出てきて冥界皇女とキスしてるのーーーー!!?」
 もう慣れてしまった二人とは対照的に、実に新鮮な驚きを見せてくれるレインに感動すら覚える。
 
139:以下、
 
パトリシア「ノラ……この場でもいいから……」
 キスの体勢から自然に足と下半身とを絡ませてくる。
 妙に濡れているのは雨に濡れているからだと信じたい。
ノラ「いや、待てパトリシア! 何考えて……!」
パトリシア「赤ちゃん……」
レイン「はわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ノラ「だ、ダメだっての! こらっ!」
シャチ「パトリシアさん、すみません――」
パトリシア「え?」
 シャチが後ろからパトリシアを羽交い締めにする。
 すると俺の身体は自由になり、なんとか逃げ出すことに成功した。
ノラ「ナイスだシャチ!」
パトリシア「シャチさん! 離して! 私はノラと! ノラとー!!」
シャチ「はやる気持ちは分かりますし、パトリシアさんがその気ならばすぐにでもノラさんをお婿さんとして出してあげたいのですが……」
 やめてくれ、縁起でもない。
シャチ「今は状況が状況ですし、少し静かにして頂けると」
パトリシア「いやっ! このままじゃおかしくなっちゃうわ! シャチさん! ああっ、この際シャチさんでもいいわ! シャチさんからもノラを感じるっ!!」
シャチ「そ、それは流石に……」
ノラ「いいわけないだろ」
 っていうか女性同士で子作りはできないだろ。
 あ、いや、IPS細胞を使えばどうとかっていう話を聞いた覚えが……。
 って、んなアホなこと今考えている場合じゃないな。
 
140:以下、
 
ノラ「さて、ようやく人間の身体に戻れたんだ……」
 シャチに渡された衣服に着替えながら、これからどうするかを頭の中でまとめていた。
 この雨は俺の眷属としての魔力をレインに吸収させてしまったことが原因なのは分かった。
 その影響でパトリシアを始め、冥界の人間が狂ってしまったのも理解した。
 そして、今のままだと地上の生命が進化しすぎて最後には崩壊してしまう……。
 なら、話は早い。
 
ノラ「この雨をなんとかしなきゃだろ? レイン」
レイン「ふぇ!?」
レイン「え、あ……そう、ですね……」
ノラ「なんだ? 急におとなしくなってどうした?」
レイン「……!」
レイン「な、ななななななんでもないの!! 人間の男の人のアレを間近で見て恥ずかしいなんて思ってないの!! 思ってないのぉぉぉぉっ!!」
ノラ「あ……」
 ごめん。なんか、ホントごめん。
ノラ「ま、まぁとにかく、この雨のこともそうだし、パトリシアの状態的にも時間がなさそうだ」
パトリシア「シャチさん……(唇を奪おうとしてる)」
シャチ「だ、ダメです……! 口づけは男性とするべきです……!(羽交い締めを強くしながら)」
 シャチ、なんとか耐えてくれ……!
 下手をすればシャチの貞操が奪われてしまいそうだ。
 どうやってかは知らん。
 
141:以下、
 
レイン「でも、レインにもどうすればこの雨を止められるのか、方法が分からないの……」
レイン「むしろその方法を知りたくて二人を探していたの……」
ノラ「それもそうか」
 だからこそ俺たち人間から魔力を借りたんだもんな。
 くそ、じゃあどうすればいいんだ……?
 結局の所、俺自身の眷属としての魔力が膨大なのがいけないんだよな。
 俺の魔力が変換されたものがこの雨……。
 だったら……。
ルーシア「簡単なことだ」
ノラ「げ、姉さん!?」
 雨と共に降ってきた姉さんは華麗に着地を決めた。
 もう追いついてきたのか……! 姉さんもパトリシアと同じ状態なら最高にやばいじゃんか!
ルーシア「話は聞かせて貰ったぞ」
ルーシア「解決方法はただ一つ。魔力の根源を絶てば良いだけの話だ」
ルーシア「ノラ、つまりお前の命を絶てば全て丸く収まるのだッ!!」
ノラ「うお!?」
 何の躊躇いもなく全力で振るわれる剣を俺はネコの反射神経で避ける。
 やっべぇ。やっぱり姉さんもどんどんおかしくなってるのか……!?
 
142:以下、
 
ノラ「ちょ、姉さん! 今はそれどころじゃ……!」
ルーシア「……!」
ノラ「……?」
 見れば姉さんは内股でなんだかもじもじしていた。
 なんだ? トイレでも我慢してるのか?
ルーシア「……お前を……この匂いを消さないと……」
ルーシア「私はどうにかなってしまいそうなんだ……ッ!」
ルーシア「ノラ! キスさせろッ!!」
ノラ「えぇ……」
 ああ、やばい。これはガチのマジでやばいやつだ。
 あの姉さんがパトリシアと同じようなこと言うなんて。
 早くなんとかしよう。
ユウラシア「シア姉! ダメだよすけべネコとなんてキスしたら! そんなことしたら一生後悔するんだからね!」
 ユウラシアまで追いついてきてしまった。
 またあの爆風で吹き飛ばされるのはごめんだぞ……。
 
143:以下、
 
ユウラシア「私も話は聞かせてもらったよー」
ユウラシア「なんだかイライラするのはすけべネコの魔力のせいだったんだねーサイッテー」
ノラ「しょうがねぇだろ」
 不可抗力すぎて、俺にはどうしようもないぞ。
 しかし、ユウラシアは他の二人に比べて理性を保っているように見えるな?
ユウラシア「そーなんだよねぇ。うー、頭はがんっがんするんだけどねぇー」
 その理由はやはり、姉二人より性の目覚めが遅いからなのだろうか?
 ユウラシアが赤ちゃん作りたいとか言ってたら、それはもう歩く犯罪だ。
ノラ「でも、話は通じるようでよかったよ」
ユウラシア「ぜんっぜんよくないよー。もー、サイアクー。できれば魔法ですけべねこを吹っ飛ばしてやりたいけどね!」
 言葉こそ攻撃的であれど、それはいつものユウラシアに間違いなく、妙にほっこりする。
 
144:以下、
 
ユウラシア「でも話を聞いてて分かったよー。要は、そこの子供の魔力が足りてないからいけないってことでしょー?」
レイン「む……!」
ノラ「子供って……。お前等、見た目ほとんど変わらないじゃないか」
 所詮俺も大人から見ればガキではあるのだが、それ以上に二人の容姿は子供だ。
 それこそ塾に来てる子供たちとそう大差ないだろう。
レイン「バカにするなのですっ!」
ユウラシア「バカにすんなーっ!!」
ユウラシア「きんてきーっ!!」
ノラ「おわっ、あぶね!」
レイン「人間と一緒にするななのです! これでもレインは百は超えてるのです!」
 出た、異世界的年齢差現象。
ユウラシア「ふっふーん、私だってとっくの昔に百の誕生日過ぎたもんねー!」
 こちらも例に漏れることなくご長寿。
 え、ちょっと待て、ってことはパトリシアとかも……?
レイン「ちょっと、年齢こっそり教えるの」
ユウラシア「いいよー。こしょこしょ……」
レイン「やっぱりほとんど変わらないのです! バカにするなですー!!」
ユウラシア「へっへーん! ざーんねんでしたー! 私はもう魔法使えるもんねー!!」
レイン「ぐぬぬなのですぅ……!!」
 なんというか、子供同士のケンカというか。
 妙にほほえましいやり取りだった。
 
145:以下、
 
ノラ「っていうかなんでこそこそすんだよ。年齢ぐらいはっきり言えばいいじゃねぇか」
レイン&ユウラシア『女の子の年齢知りたがるなんてサイッテー!!(なの!!)』
ノラ「ぶほぁ!?」
 二人のグーパンチが顔面に見事に炸裂した。
 なんだ……仲良いじゃねぇかよ……。
ユウラシア「安心していいよー。魔法なんてそのうち、すぐ使えるようになるから」
レイン「そう……なの……?」
ユウラシア「そうだよ! 私だって気がついたらお姉ちゃんみたいなすっごい魔法使えるようになってたもん!」
ユウラシア「まぁ詠唱は覚えてないし、意味も理解してないから中途半端でパト姉にいっつも怒られてるんだけど……」
 あの威力で中途半端だと言うんだから、冥界皇女の妹は伊達じゃないらしい。
レイン「……」
ユウラシア「だから、今は魔力を誰かから借りちゃえば良いんだよー」
レイン「借りる?」
ノラ「そんなことができるのか?」
ユウラシア「でっきるよー! ちょっと足りなかったらお母さんやお姉ちゃんたちに、明日返すから貸してー? って言えば簡単にもらえちゃうよー」
 随分フランクな魔力共有だった。
 まさか魔力の貸し借りができるなんて思ってもみなかった。
 いや、人間から吸い上げる方法があるんだから、友人同士で貸し合うなんてことがあってもおかしくないか?
 
146:以下、
 
レイン「そんな方法があるなんて知らなかったの……」
ノラ「で、どうやるんだ?」
ユウラシア「キスするんだよー」
レイン&ノラ『は?』
 一瞬、時が止まったかと思った。
レイン「……」
 実際、レインは顔を真っ赤にして動きを止めていた。
ノラ「えっと、もう一回聞いても良いか?」
ユウラシア「だーかーらー、キスだってばー!」
ノラ「き、キスってつまり――」
 俺がネコになる原因。その発動条件。
 キス。口づけ。
ノラ「キスかよ!?」
ユウラシア「同じこと何度も言って、すけべネコ頭だいじょうぶー?」
 もしかしたら俺もこの雨に打たれ続けて頭をおかしくしているのかもしれない。
 
147:以下、
 
ユウラシア「だって、パト姉と眷属の契約結ぶ時もキスだったでしょー?」
ユウラシア「あたしもよくわかんないんだけど、口と口が一番魔力を受け渡しやすいんだってー」
ノラ「え、それって、お前ら姉妹でキスしあってるってことか……?」
ユウラシア「えー、家族なら普通じゃないのー?」
レイン「……!」
 隣で爆発音が聞こえた。
 レインの頭の中だろうか。
ノラ「お、お前、俺とキスする時はあんな嫌がったくせに……」
ユウラシア「ば、バッカじゃないの! すけべネコは他人だし、男でしょー!? イヤにきまってんじゃん!!」
 基準が分からん……。
 あれか。海外の人は挨拶代わりにキスすると言うが、それに近い何かなのか……?
 にしても、パトリシアや姉さんがいっつもキスしあってたのか。
 なんというか、こう、想像すると何か来る物が……。
ユウラシア「あー! すけべネコすけべな顔してるー! 想像すんのきんしーっ!!」
ノラ「おまえじゃねぇし」
ユウラシア「それはそれでムカツクー! きんてきーっ!!」
ノラ「ちょ、やめろ!!」
レイン「あわわわわ……」
 遠慮の無い金的攻撃をかわしている横で、レインはとにかく慌てふためいていた。
 
148:以下、
 
レイン「わ、わわわ私も、誰かとき、キキキキスしなくちゃなの……?」
 ユウラシアとは正反対で、こっちは純真ぴゅあぴゅあな反応だった。
 いや、まぁ普通はそうなんだろうけどな。
ノラ「ほら、ユウラシア。お前がキスしてやれよ。それで魔力問題は万事解決だろ」
レイン「ふぇぇぇ……!」
 首を折れるんじゃないかってぐらい勢いよく振っている。
 同性同士でも恥ずかしいらしい。当たり前か。
ユウラシア「うーん……そうしてあげたいんだけどさ」
ユウラシア「あたしの魔力も、今すけべネコから供給されてるものなんだよね」
ユウラシア「だから本来の私の魔力を貸してあげれないと思うんだ」
ノラ「この雨のせいってことか?」
ユウラシア「そうだよー。だから多分、今の私の魔力を雨ちゃんにあげたら、きっとこの雨と同じことになっちゃうと思うの」
レイン「あ、雨ちゃん……?」
ノラ「じゃあ誰がレインに魔力を貸してやるんだ? パトリシアや姉さんはあんな状態だし……」
 この地上に他に魔力なんてまともに持ち合わしてるやつはいないぞ。
 
149:以下、
 
ユウラシア「すけべネコバカなの?」
ユウラシア「すけべネコしかいないじゃん」
ノラ「俺?」
 俺が? 魔力を貸す? レインに?
ノラ「でもそれって結局同じことじゃないか? この雨の原因が俺の魔力ってことは……」
ユウラシア「だからだよー」
ユウラシア「今のこの雨は、すけべネコの魔力を不完全な形で吸収して雨に変換したから、冥界の魔力が混ざって退廃の力を持ってるんだよ」
ユウラシア「でも、その魔力を雨ちゃんに直接渡して、雨ちゃんがその魔力を使って雨をコントロールすれば大丈夫のはず」
ノラ「本当か……?」
ユウラシア「まぁパト姉の魔力もすけべネコの魔力もすっごい強いから、雨ちゃんがヘンになっちゃうかもしんないけど……」
レイン「へ、ヘン!?」
ユウラシア「でもすけべネコがちゃんとしてあげれば、多分大丈夫だよ」
ノラ「ちゃんとって……」
 イマイチ信憑性に欠ける話だ。
 大体ちゃんとキスするって、どうすればいいんだ?
 普通にキスすればいいのか? それとも……。
 
150:以下、
 
ノラ「レイン?」
レイン「びっくぅ!?」
 振り返る俺の顔を見て、心臓でも止まるんじゃないかという勢いでびっくりしていた。
ノラ「お前に魔力を貸すにはキスするしかないみたいだけど、大丈夫か……?」
レイン「だ、大丈夫じゃないの! きききき、キスとか! なんでそんな平然と言葉にできるのぉぉぉ!?」
 さっきのユウラシアとの反応よりも一層強く首を振ってみせる。明日は筋肉痛に違いない。
 にしても、歳は百以上らしいがそういう知識は皆無なのだろうか。
 いや、それこそ見た目通りだから、安心するが……。
 つまり、冥界のやつらは全員ビッチというこ――
ユウラシア「なんか失礼なこと考えてたら爆発させちゃうよー?」
 一瞬だけ、命が軽くなった気がした。
 
151:以下、
レイン「うぅぅぅ……!」
ユウラシア「大丈夫だよ、雨ちゃん」
レイン「うぅ……?」
ユウラシア「すけべネコとのキスなんて、ぜーんぜん大したことないから」
レイン「だ、だだだって、男の人とのキス……!」
ユウラシア「雨ちゃんもさっきの見てたでしょー? 平気平気ー、キスしたってネコになっちゃうんだから」
レイン「ね、ねこ……?」
ユウラシア「そ。ネコとのキスならぜーんぜん気にならないでしょー?」
レイン「ねこさんとのキス……」
 俺とのキスって、そういう認識だったのか……?
 いやまぁ、確かにキスしたらネコになるんだけどさ。
ノラ「……」
レイン「で、ででででも! 目の前にいるのは男の人……!!」
 なんかここまで拒絶されると男として傷付くなぁ。
 相手は(見た目)子供だからしょうがないけどさ。
152:以下、
ユウラシア「……雨ちゃん」
レイン「……?」
ユウラシア「雨ちゃんが今、すけべネコとキスしなかったら」
ユウラシア「地上は、ずっとこのままなんだよ?」
レイン「ぁ……」
ユウラシア「色んな理由があってこうなっちゃったのかもしれないけど、雨の精霊である雨ちゃんがこの雨を降らしているのは変わりは無いんだよ?」
レイン「……」
 急に、いつものユウラシアとは思えないような説得力のある言葉がレインに投げ掛けられる。
 レインを諭している姿は、本人曰く百を超えた威厳のある女性のそれだ。
ユウラシア「だから、雨ちゃんが自分で責任を取らなくちゃいけないんだよ」
レイン「責任……」
ユウラシア「あたしも、パト姉やシア姉に責任をもって行動しなさいーってよく言われてるんだけどさ」
ユウラシア「お姉ちゃんたちがいつも頑張ってくれてるから、あたしはこんな風に遊び回っていられるんだけど」
ユウラシア「きっと、一人っ子だったら……ちゃんと勉強して、皇女になるための責任をもっと学んでいたんだと思うんだ」
レイン「……」
ユウラシア「だからね、そんなあたしよりも一人で頑張ってる雨ちゃんならさ、大丈夫だから」
レイン「……」
 ユウラシアのやつが、こんなにも立派に見えるとは思わなかった。
 いつもの子供のように遊び回っている姿を見ていたら、まるで想像もつかないけれど。
 やっぱり、なんだかんだ言っても冥界皇女の血筋ということなんだろうな。
153:以下、
レイン「わかったの……」
ノラ「レイン?」
 くるりと振り向いて、俺の目をまっすぐ見つめる。
 意を決したのか、その瞳はとても力強い輝きを放っていた。
レイン「……お、お願いします」
レイン「キス……してくださいっ!!」
 頬を真っ赤に染め、唇も震わせながら叫ぶ姿は、健気で愛おしさすら感じられた。
 見た目は一回りも小さい女の子のようだけれど、実際は俺よりも何倍も生きている雨の精霊だ。
 本来は俺がリードされる側な気もするが……。
レイン「……っ」
 目をぎゅっと閉じて小刻みに震える少女の姿を見ていたら、決してそんなことは口に出せず。
 俺は人間として、男として、精一杯リードして見せようと心に誓った。
ノラ「ああ。よろしくな、レイン」
レイン「はい……っ!」
154:以下、
ナレーション「そうしてノラは、怯える小動物のように震えるレインの手を取り、ぐいと自分の胸の中に引き寄せました」
ナレーション「人間とは違った冷えたその身体を、人間の温もりで包みこみます」
ナレーション「ノラとは頭二つ分も小さく華奢なレインは、身体相応の子供のようで」
ナレーション「身体から伝わってくる心臓の鼓動のさは、ノラを酷く動揺させました」
ナレーション「ですが、ノラも男です」
ナレーション「決意をした女子の行動を踏みにじることなどは、母親にも許されない悪辣非道な行為なのです」
ナレーション「肩に手を回し、見上げる少女の顔に徐々に近付いていきました」
ナレーション「そして――――」
ぽん!
ナレーション「互いの唇が触れ合えば、いつもの間の抜けた音と共に目線は低くなり」
ナレーション「今度はノラが頭四つ分くらいは小さなネコの姿になってしまいます」
ナレーション「キスをした瞬間、ノラは思いました」
ナレーション「ああ、雨の匂いがする――――と」
155:以下、
ノラ「にゃあ」
レイン「ホントにまたネコさんに戻っちゃったの……」
ノラ(だからイヤなんだよな。感動も何もあったもんじゃないし)
レイン「……あぅ」
 レインは先程していたことを反芻するかのように、自分の唇を指でなぞっていた。
レイン「……っ」
レイン「ね、ネコだからノーカンなの!」
ノラ(ひでぇ)
 まぁそれで平静を保ってくれるならいいんだけどさ。
 でもなんだか人間的には釈然としねぇ。
156:以下、
 
ユウラシア「いったでしょー? すけべネコとのキスなんて大したことないってー」
レイン「た、大したことなかったの! キキキキスなんてへっちゃらなの!」
ノラ(めっちゃ動揺してんじゃん)
ユウラシア「どう? 魔力は溢れてきた?」
レイン「あ……う、うん」
 両手を胸に当てて、自分の身体に流れる魔力を確認しているみたいだった。
レイン「わ、凄いの……身体の中に熱いのが流れ込んでくるの……」
ノラ(……)
 頬を上気させてそんな言葉を吐かれたら、健全で健康な男の子は辛抱たまりません。
ユウラシア「なんかやーらしいこと考えたでしょ、すけべネコー」
ノラ(考えてません)
 考えたけど。
 
157:以下、
 
レイン「……」
 空に手をかざして左右に一振りする。
 すると、大気中の雨がほんの一瞬だがぴたりと動きを止めたかのように見えた。
レイン「……うん。使えるの。雨の精霊の力……!」
ユウラシア「やったね! これでばっちり、雨の精霊としての責任果たせるね雨ちゃん♪」
レイン「うん……なの♪」
ノラ(……)
レイン「ネコさん……」
ノラ(ノラだよ)
ユウラシア「このすけべネコ、ノラってゆーんだよ」
レイン「ノラ……さん?」
 俺の背に合わせるように屈み、ネコの俺の目をじっと見つめられる。
レイン「ごめんなさいなの」
レイン「勝手に魔力を使っちゃって……」
レイン「地上に、こんな雨を降らせちゃって……」
レイン「でも、ノラさんの魔力のおかげで、レインは……」
レイン「お母さんの代わりができそうなの……!」
レイン「だから……」
レイン「――――ありがとうなの!」
 
158:以下、
 
ナレーション「ふわりと少女の身体が宙に浮かぶと、あっという間に彼女は雨の中に溶け込んでしまいました」
ナレーション「雨の精霊の本分でもあるかのように、天高く、空へ空へと昇っていきます」
ナレーション「そして、レインは雨の魔法を唱えます」
ナレーション「本来は恵みの雨を降らせるための魔法ですが、今は違います」
ナレーション「地上から死を取り除く為に、雨を止ませるのです」
 
159:以下、
 
ユウラシア「んー、まぁ……冥界の人間的にはこのままでも良かったんだろうけどねー」
ユウラシア「地上に死を呼び覚まさせるために、数多の死を――――っていうのが、お母さんの口癖だもんね」
ユウラシア「パト姉はすっかり忘れてるみたいだけど」
ユウラシア「でも、それだとパト姉やシア姉がおかしいままだし……」
ユウラシア「何より……」
ユウラシア「雨ちゃんが可哀想だもんね」
ユウラシア「また会えるかなぁ♪」
 
160:以下、
 
ノラ(会えるだろ。地上にいる限り)
ノラ(……)
ノラ(まぁ、なんにしても良かったよ)
ノラ(雨の精霊として仕事を全うできたんならな)
ノラ(……)
ノラ(……つーか)
ノラ(俺、巻き込まれ損じゃね!?)
ノラ(勝手に魔力吸われたり貸したり!)
ノラ(魔力もタダじゃねぇし!)
ノラ(おーい! レインー!!)
ノラ(貸しただけだかんなー!!)
ノラ(必ず返しに来いよーーーーっ!!)
 
161:以下、
 
ナレーション「ノラの鳴き声は、遥か遠く空の彼方まで――」
ナレーション「噂では、冥界まで届いたとか何とか」
ナレーション「その声に返事をするかのように、雨はぽつりぽつりと小降りに変わっていき」
ナレーション「次第に、雲の切れ目から眩しい太陽の光が顔を覗かせました」
ナレーション「僅か一日の出来事ではありましたが、久しぶりの日射しは地上の人間に安心を与えました」
ナレーション「その日、静かに忍び寄っていた地上の死は、小さな精霊と小さなネコによって食い止められたのです――――」
 
162:以下、
 
 ***
ユウラシア「ノラと皇女と野良猫ハート、Rainy Heart」
 ***
 
163:以下、
 
シャチ「本日の天気は――――」
シャチ「晴れのち曇り。ところにより、雨が降るでしょう」
シャチ「ふふ、レインさん頑張っているようですね」
ノブチナ「で、先日の雨は結局ノラが原因だったんだろ?」
明日原「マジっすか。遂にノラぱい、天気の子になっちゃったんすか?」
井田「猫になったり天気になったり、忙しいやつだなテメェはよ」
ノラ「んな訳あるか。俺がって言うか、俺の魔力を利用されただけだよ」
田中ちゃん「反田さんも魔法が使えるようになったんですか?」
ノラ「あー、なんていうか人間はみんな魔力を蓄えてるらしいぞ。俺の場合はパトリシアの影響でそれが強くなってるってだけで」
ノブチナ「マジか。それじゃ私も明日には魔法少女になれる訳だ」
井田「魔女の間違いだろ?」
ノブチナ「しッ――!」
井田「へっ! 甘いな。俺の魔力でテメェのパンチの軌道変えてやったぜ」
ノブチナ「なんだと……?」
明日原「ヤンキーすごい」
ノラ「嘘つけよ」
ノブチナ「なら私は、魔法で井田の鳥頭を豚足に変えてやろう」
井田「てめノブチナ! やめろ! せめて豚頭にしろ!!」
田中ちゃん「そんな魔法ないから、二人ともやめよ……?」
 
164:以下、
 
明日原「それにしても、雨の精霊なんてのが地球の雨をコントロールしてたなんてびっくりですよ」
シャチ「全くですね。この地上はまだまだ私たちの知らないことが沢山あります」
ノラ「まぁ、冥界なんてものがあるくらいだからなぁ……」
 チラリと部屋の隅に目をやると、姉さんが体育座りしてうずくまっていた。
明日原「ん? 姉パイはどうしたんすか? すっごい落ち込んでるように見えますけど」
ノラ「己の欲望に負けたから落ち込んでるんだってさ」
明日原「欲望……?」
ルーシア「……なんで私は……ノラ等に……」
ルーシア「ああっ……!」
パトリシア「お姉さま、あれは不可抗力というやつよ。決してお姉さまの性癖じゃないから安心して」
ルーシア「性癖とか言うな! それではまるで私が……! ああっ……!」
ユウラシア「もーめんどうだなー。別にいいじゃんー、シア姉がどんな趣味しててもあたしは気にしないしー」
ルーシア「私が気にする!!」
ルーシア「こんな変態の私はお前たちに合わせる顔などない!!」
ユウラシア「めっちゃ合わせてるし」
パトリシア「困ったわね」
 
165:以下、
 
ノブチナ「なるほど。つまり、ノラの雨に打たれすぎた結果、感じてびしょ濡れになってしまったということだな」
ルーシア「赤毛……! 貴様、はっきりと言うな!」
ノブチナ「ヘンタイだな」
ルーシア「あぁぁぁぁぁ!!」
パトリシア「ちょっと! お姉さまを虐めるのはやめて頂戴!」
ノブチナ「ルーシアがここまで弱っているのは珍しいからな。つい」
ノラ「鬼畜かよ」
ルーシア「ノラ! 元はと言えばお前が悪いのだ!」
ノラ「なんでですか! 俺は全力で被害者じゃないですか!!」
ルーシア「ええい! うるさい! 貴様が安易に魔力を貸そうとするからいけないのだ!」
ルーシア「やはりノラ、貴様はこの手で殺す……!」
ノラ「ちょ! 魔力を使うのは禁止ですって!! あと、ネコの時じゃないとシャレになんないっすから!!」
ルーシア「問答無用ッ!!」
明日原「……まぁ、雨の見習い精霊ちゃんが魔力足りなくて、ノラパイの魔力を借りたらそれが死の雨になっちゃったーっていうのは理解しましたけど」
明日原「結局、雨の精霊のお母さんはなんで倒れちゃったんですか?」
パトリシア「さぁ……?」
シャチ「そう言えば、理由までは聞いていませんでしたね」
 
166:以下、
 
ルーシア「――――(詠唱)」
ノラ「姉さん! 魔法! 止めて!」
ノブチナ「ノラー、がんばれー。魔法でうちらも身体重いからなんとかしろー」
井田「これ、重力20倍とかそういうやつじゃね? 今筋トレとかすれば、バッキバキになるんじゃね?」
ノラ「お前らも見てないで止めろって!!」
ルーシア「観念して、私の剣の餌食になれッ――!!」
レイン「ダメなのーーーーーーー!!」
ルーシア「な……! 私の魔法が……!」
パトリシア「お姉さまの魔法を相殺するなんて……」
 魔法によって制限されていた身体の自由が効くようになる。
 
167:以下、
 
ユウラシア「雨ちゃん!」
レイン「ユウちゃんー!」
 見ればレインがユウラシアと手を取ってきゃいきゃい仲睦まじくしていた。
田中ちゃん「仲良しさんですねぇ」
ノラ「レイン、助かったよ」
レイン「えへへなのです……」
ノブチナ「ノラのやつ、アレの唇を奪ったのか」
井田「ロリコンじゃねぇか」
明日原「警察に通報したほうがいいっすかね」
田中ちゃん「じ、事情があったんですから……」
 
168:以下、
 
ノラ「レイン、どうしたんだ? 雨の精霊の仕事はいいのか?」
レイン「そ、そうなのです! 今日は仕事でやってきたのです!」
ノラ「仕事?」
レイン「ルーシア・オブ・エンド!」
ルーシア「な、なんだ……?」
レイン「それに、パトリシア・オブ・エンド!」
パトリシア「なにかしら?」
レイン「……あと、ユウちゃんも」
ユウラシア「雨ちゃん、どしたのー?」
レイン「地上で冥界の魔力を無闇矢鱈に使わないで欲しいのです!」
パトリシア「何故?」
レイン「冥界の魔力は、地上の精霊にとって一番悪影響なのです! お母さんが寝込んだのも冥界の魔力が地上で使われすぎてて空気が悪くなってたせいなの!」
ノラ「それって……」
 聞けば、パトリシアたちの使う魔力は精霊達の魔力に大いに干渉するらしく、上手くコントロールできなくなってしまうのだとか。
 
169:以下、
 
ノラ「……ってことは」
ノラ「結局お前等が原因だったんじゃねぇか! この迷惑皇女!!」
パトリシア「しょ、しょうがないじゃない! 迷惑皇女って何よ! 私たちだって魔力を使わないと暴走しちゃうんだから!」
ノラ「人んち(地上)に来て使うことないだろ! 自分んちで使えよ!」
パトリシア「それじゃ意味がないじゃない! 私の目的は地上に死をもたらすことなんだから!」
ノラ「あー、今までそんなこと忘れてた癖に! 急に言い訳がましく言うなし!」
パトリシア「言い訳なんかじゃないわよ! 皇女だもん!!」
ノラ「だもんじゃねぇし! 可愛いかよ!」
パトリシア「か、可愛いなんて言わないで恥ずかしいっ!!」
明日原「なんすかあの痴話喧嘩」
ノブチナ「痴話喧嘩は犬も食わないとはよく言ったもんだ。……いや、鳥か」
井田「俺を見て言うんじゃねーよ」
明日原「さっさと二人でヤッちゃえばいいんすよー」
黒木「だから不純異性交遊は禁止ですってば!」
 
170:以下、
 
レイン「あ、あの、その。魔力は……無闇に……」
ノラ「こうなったら腕尽くでもお前等に魔力を使わせねぇからな!」
パトリシア「ちょ、い、痛いわノラ……!」
ルーシア「ええい、ノラ! パトリシアを手籠めにしよう等と……! 許さん!!」
パトリシア「お姉さま……」
ノラ「してねぇし! しねぇし!」
シャチ「ノラさん、陵辱行為だけは私も見過ごせません」
ノラ「だからしないから!」
レイン「も、もう??!! 聞いてなのーーー!!」
ユウラシア「雨ちゃん、ごめんねぇ」
レイン「ユウちゃん……」
ユウラシア「私たちの魔力がそんな影響及ぼしてるなんて知らなかったからさ」
レイン「うん……」
 
ユウラシア「これからは地上でできるだけ魔力を使わないよう努力するよー。パト姉やシア姉にもちゃんと言い聞かせておくから」
レイン「ありがとう、ユウちゃん……!」
 
171:以下、
 
ルーシア「はぁぁぁぁッ!!(剣を振るう)」
ノラ「(避けながら)だからやめましょうって!」
ユウラシア「うーん、シア姉はすけべねこを殺すまではやめてくれそうないかもなぁ」
レイン「こ、こここここ殺すって……!」
田中ちゃん「大丈夫ですよ。言葉や態度は乱暴に見えますけど、ルーシアさんは優しい人ですから」
レイン「本当なの……?」
ノラ「くっ……(掴まれて)」
ルーシア「ふふふ……この一突きで冥界行きだなノラ。苦しまず、一瞬で楽にしてやろう」
ノブチナ「優しすぎて涙が出るな」
明日原「ああいうのって、本当に痛みも感じずにぱーってあの世に行っちゃうもんなんすかね?」
レイン「だめぇぇぇぇぇ!!!」
ノラ「れ、レイン?」
 姉さんに一思いにやられそうになってるところに割って入ってくるレイン。
 助かった……のか?
 
172:以下、
 
レイン「……っ」
レイン「借りてた魔力を返すまで、死んじゃったらダメなの……!」
ノラ「借りてた魔力って……」
レイン「……あの日に借りた魔力」
レイン「ちゃんと返しに来たの」
 まさかちゃんと返しに来てくれるとは。
 律儀な雨の精霊だった。
ノラ「え、でも……大丈夫なのか? 俺の魔力がなければ、まだ精霊の魔法が使えないんじゃ」
レイン「そう……だけど、この魔力があると、お母さんに嫌な顔されちゃうの……」
ノラ「えぇ……」
 確かに冥界の力なんてものが傍にあったら、精霊的にはたまったもんじゃないかもしれない。
 
173:以下、
 
レイン「だから、今度はちゃんと自分の力で雨の精霊の力を使えるように、努力するの!」
レイン「誰の力も借りないで、一人で魔法をコントロールできるようにするの……!」
レイン「でも一人だと上手くできるか分からないの……」
ノラ「レイン……」
レイン「ノラ……さん」
レイン「その……」
レイン「まだ、一人だと魔力も足りないし、未熟な雨の精霊のままなの……」
レイン「けど、ノラさんが手伝ってくれれば、一人前の雨の精霊になれる気がするの……」
レイン「だから……!」
レイン「私が一人前の雨の精霊になるまで、傍にいさせてくれませんか……?」
ノラ「あ……」
 俯きながらもじもじしているレインは、上目遣いに俺を見た。
 
174:以下、
 
ノラ「……うん」
ノラ「俺で良ければ、付き合うよ」
レイン「ぁ……!」
レイン「ありがとう……なの」
ナレーション「――そして、レインさんはほんの少し背伸びをしてノラの唇を奪いました」
ナレーション「それは単純な魔力の交換、貸りた物を返す行為の筈……」
ナレーション「ですが、レインさん以外にその真意は分からないのです」
明日原「110番110番!」
ノブチナ「その前にやってしまえ!」
井田「おっしゃあ!!」
田中ちゃん「ダメですよ!!」
ノラ(――――あーあ、またネコに逆戻りだよ)
 
175:以下、
 
ナレーション「かくして、梅雨が明けるまでの短い期間、ノラの家にはパトリシアさん冥界三姉妹の他に、雨の精霊のレインさんまでもが同居してしまうことになるのでした」
ナレーション「――――気がつけば夏も、もうすぐそこまで来ています」
ナレーション「夏に雪が降る不思議な事件の前に起きた、ほんの小さな破滅の物語はこれにておしまいです」
 
176:以下、

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