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ダイヤ「吸血鬼の噂」


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2:
ダイヤ「──はぁ? 吸血鬼?」
それは、ゴールデンウイークを明日に控えた4月26日金曜日のことでした。
鞠莉「そ、吸血鬼。最近噂になってるんだヨ」
ダイヤ「はあ……」
鞠莉「あ、ダイヤ?? その反応信じてないネ?」
ダイヤ「まあ……」
生徒会室で連休前の仕事を三年生三人で片付けながら適当に話を聞き流す。
鞠莉「なんでも、ここ最近夜になると出るらしいんだヨ……」
果南「で、出る……?」
鞠莉「……血……血……って呻きながら、校舎内で女生徒の血を探して彷徨うリビングデッドが……!!」
果南「……ッヒ!!」
鞠莉さんがおどろおどろしい口調で、眉唾な噂を口にすると、果南さんが涙目になって、書類で顔を隠す。
というか、吸血鬼からリビングデッドに変わっているのですけれど……。
鞠莉「身を隠したって無駄……リビングデッドの嗅覚は的確に活きの良い乙女の血の匂いを嗅ぎ分けて、喰らいに来るんだから……!!」
果南「…………!!」
鞠莉「果南みたいに活きの良い生娘なんか、特に──」
ダイヤ「──いい加減になさい」
書類の束で、鞠莉さんを軽くはたく。
鞠莉「Ow !」
ダイヤ「果南さん、大丈夫ですからね。こんなのただの噂話ですわ」
果南「……ぁ、ぁはは……そ、そう、だよね……」
鞠莉「もう!! ダイヤ、邪魔しないでよー!!」
怖い話で脅える果南さんを見るのが楽しいのか、鞠莉さんがぷりぷりと文句を言って来る。
ダイヤ「はぁ……噂話もいいですが……。早く仕事を片付けないと……。明日からは10連休なのですわよ?」
今年のゴールデンウイークは長い。
ここで仕事を連休明けに持ち越すのはよくないと思い、今日三年生はAqoursの練習そっちのけで生徒会の仕事をさせて貰っているのです。
これで終わりませんでしたなんて言ったら示しがつかないし、申し訳も立たない。
鞠莉「んーもう……ダイヤは頭が堅いんだから! こんな忙しいときにWitに富んだJokeで場を和ませようってマリーの気遣いがわからないの?」
ダイヤ「はいはい……」
鞠莉さんの言葉を聞き流しながら、果南さんに目を配ると、
果南「……………………」
顔を真っ青にしたまま、フリーズしている。
果南さんは普段はサバサバしているけれど、怖い話が滅法苦手なのです。
怖い話が苦手な人は一度こういう話を耳にしてしまうと、それが頭の中にこびり付いてどうしようもなくなってしまうもの。
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3:
ダイヤ「果南さん」
わたくしはそんな果南さんの様子を見かねて、彼女の手に、自らの手を添える。
果南「……!? あ、な、なに……!?」
ダイヤ「本当に、大丈夫ですからね」
果南「ダイヤ……う、うん……」
果南さんは未だ目尻に軽く涙を浮かべながら、わたくしの手を握り返してくる。
ダイヤ「…………」
久しぶりに幼馴染の可愛い部分を見ることが出来て、なんだか少し懐かしい。
鞠莉「ダイヤばっかりずるいー!! ほら、果南! マリーのところにも……!」
果南「……やだ。鞠莉、すぐ怖い話するから」
鞠莉「…………」
ダイヤ「自業自得ですわ」
わたくしはショックを受ける鞠莉さんを見て肩を竦める。
たまには良い薬ですわ。
──さて、と。仕事に戻るために、果南さんから離れようとするも。
果南「…………っ」
果南さんが手を放してくれない。
ダイヤ「えーっと……果南さん」
果南「……ダ、ダイヤ……」
ダイヤ「はい」
果南「……今日泊まりに行っちゃダメ……?」
普段見ることの出来ない、可愛い幼馴染に面食らいながらも……。
ダイヤ「……すみません。ちょっと今夜は用事がありまして……」
果南「じ、じゃあ……ルビィのところに泊まりに行く……」
ダイヤ「それは同じですわ……。どっちにしろ、今日からルビィは花丸さんと一緒に善子さんの家にお泊りに行ってしまうので……」
果南「そんなぁ……」
鞠莉「果南! わたしの家だったらいつでも──」
果南「イヤ」
鞠莉「…………」
やれやれ……。
4:
鞠莉「……というか、ダイヤ。泊めてあげればいいじゃない? なんで、果南にそんなイジワルするの?」
ダイヤ「貴方に意地悪とか言われたくないのですが……。先ほど、言っていたじゃないですか」
鞠莉「What ?」
ダイヤ「夜な夜な、この学校に不審者が出るのでしょう?」
鞠莉「不審者……いや、リビングデッド的な吸血鬼が……」
ダイヤ「吸血鬼なのか、リビングデッドなのかはっきりしてください……。……まあ、そんな眉唾な存在かはともかく、火のないところに煙は立ちませんから。少し見回りくらいした方がいいかなと思いまして」
果南「見回り!? あ、危ないって!!」
果南さんがますます顔を青くする。
ダイヤ「こんな田舎の学校にわざわざ侵入してくる人なんて居ませんわよ……。大方、大きなネズミでも住み着いたとか、その辺りでしょう」
果南「で、でも……」
ダイヤ「原因がわかれば、果南さんも怖い想いをしなくて済みますし」
果南「でも……」
ダイヤ「それとも、果南さんも一緒に見回りしてくれますか?」
果南「……それは無理」
ダイヤ「でしょう? 生徒が安心して学業に専念出来るように努めるのも生徒会長の役目ですから」
そんなやり取りをしていると──
──コンコン。
果南「ヒッ!!?」
急にドアがノックされて、果南さんが飛び上がる。
善子「ダイヤ、鞠莉、果南。入るわよ……って、何やってんの?」
ドアを開けて入ってきたのは善子さんでした。
入室するなり、果南さんが涙目でわたくしに抱き付いている姿を認め、怪訝な顔をする。
果南「……な、なんだ……善子ちゃんか……」
ダイヤ「すみません……そこの理事長が、意味もなく果南さんを怖がらせるという、性根の腐った遊びに興じていたもので、すっかり脅えてしまって……」
鞠莉「え、辛辣すぎない?」
善子「……? まあ、いいけど……」
ダイヤ「それはそうと……どうされたのですか?」
善子「ああ、えっと……今日はもう練習終わりにして、引き上げようと思って。その報告に」
鞠莉「え、もう? 随分早いわね?」
……確かに、まだ練習を切り上げるには少し早い気がしますわね。
善子「まあ、そうなんだけど……ちょっと千歌が調子悪いみたいで、先に帰るってことになって」
ダイヤ「千歌さんが?」
善子「お隣のリリー曰く、ここ数日ずっと調子悪いらしくって……」
ダイヤ「それは……心配ですわね」
言われてみれば、ここ数日、千歌さんは貧血気味だと言っていた気もしなくはない。
5:
善子「リリーが付き添うって申し出てくれたんだけど……大丈夫って言って、千歌は一人で帰ったわ。……リーダーも居ないし、明日からは連休だし、今日は早めに切り上げて、英気を養おうって話になってね。……って、どうしたの果南?」
果南「え……あ、いや……千歌、調子悪いのか……」
善子「?」
果南「それじゃさすがに、泊まりに行くのは悪いな……」
善子「何? 千歌の家に泊まりに行くつもりだったの?」
ダイヤ「さっきも言いましたけれど……果南さんはそこの意地悪な理事長のせいで、ちょっとナイーブになっているのですわ」
鞠莉「だから、わたしの家に泊まりにくればいいのに……」
果南「そ、そうだ……! 善子ちゃんの家、泊まっちゃダメ……!?」
善子「え!? ウ、ウチ!?」
果南「ルビィもマルもいるんだよね……!? 人がいっぱい居た方が安心する……。……あ、いや……迷惑なら、無理にとは言わないけど……」
善子「……ま、まあ別に一人増えようが二人増えようが構わないけど……!」
果南「ホントに!?」
善子「……全くしょうがないわね。脅えてしまったリトルデーモンを受け入れるのも堕天使の使命だし、いいわよ一緒に面倒見てあげる」
果南「あ、ありがとう……!」
珍しく、果南さんに頼られて嬉しいのか、善子さんは腕を組んで誇らしげな顔をしている。
ダイヤ「そういうことでしたら……泊まりの準備もあるでしょうし、果南さんは先にあがってくださいませ」
果南「え、でも……」
ダイヤ「後はわたくしと鞠莉さんでやっておきますので……。それに、このままだと集中出来ないでしょう?」
鞠莉「♪??」
鞠莉さんはへたくそな口笛を吹きながら、目を逸らす。全く……。
鞠莉さんがまた怖い話をしてくると思うと、果南さんは気が気でないでしょうし。
果南「う、うん……なんか、ごめん……」
ダイヤ「いいのですわよ。それより、ルビィたちのこと、よろしくお願いしますわ」
弱っていて、いつもより素直な果南さんを送り出す。
帰り支度を始めて、果南さんがわたくしたちに背を向けた際、
善子「……そういえば、さっきの怖い話って……もしかして、吸血鬼の噂のことかしら?」
善子さんがそう耳打ちしてくる。
ダイヤ「あら……善子さんもご存知だったのですわね」
善子「まあ、ね……一年生では結構話題になってたから」
ダイヤ「そう……。まあ、今日見回りもしますので、すぐに落ち着きますわよ」
善子「そう……? ……ダイヤが見回りするの?」
ダイヤ「ええ、生徒達の不安を取り除くのも、生徒会長の役目ですから」
善子「真面目ね……気を付けてよ。んじゃ、お守りにこれ貸してあげる」
そう言って、善子さんはポケットから取り出したものをわたくしの手に握らせる。
ダイヤ「……? これは……ロザリオですか?」
それは十字架のついた数珠──所謂、ロザリオでした。
6:
善子「ええ。もし、本当に吸血鬼が居たとしても……十字架があれば安心でしょ?」
確かに吸血鬼は十字架に弱いと言いますものね……。彼女なりの気遣いなのでしょう。
ダイヤ「ええ、ありがとうございます。この御守りがあれば、吸血鬼も怖くありませんわ」
善子「ん……ま、こんな田舎の学校だし……何もないとは思うけど。気を付けてね」
善子さんはそう言葉を残して、
果南「それじゃ、ごめん。あとは任せるね、ダイヤ、鞠莉」
果南さんと共に生徒会室を後にしたのでした。
ダイヤ「……さて、それでは仕事、片付けてしまいましょうか」
鞠莉「……ん、ダイヤ、あんまり怒らないんだネ?」
ダイヤ「……怒って欲しいのですか?」
鞠莉「まさか」
ダイヤ「……一生徒には判断が難しい書類が増えてきたから、果南さんを怖がらせて追い返したんでしょう?」
鞠莉「……何、気付いてたの?」
ダイヤ「まあ、なんとなくは……。果南さんはなんだかんだで、わからなくても最後まで手伝ってくれるでしょうからね……。それにしても、怖がらせすぎだったと思いますけれど」
鞠莉「……ちょっと反省してる。……けど、吸血鬼の噂があるのは本当だヨ?」
ダイヤ「でしょうね……。一年生の間でも噂になってるそうなので……」
鞠莉「見回り……手伝う?」
ダイヤ「大丈夫ですわよ。鞠莉さんは学校に来るのに、船を使わないといけませんし……わたくし一人で大丈夫ですわ」
鞠莉「そう? ……でも、何かあったらすぐ連絡してよね? 飛んでいくんだから」
ダイヤ「ええ、そのときはよろしくお願いしますわ」
……それにしても、吸血鬼、ですか。
この噂はどこの誰が……もしくは何が立てている煙なのか……。今日の見回りでちゃんとわかるといいですわね。
 * * *
──夜、浦の星女学院校舎内。
静まり返った真夜中の校舎内を、懐中電灯で照らしながら、進んでいく。
教室一つ一つを見回り、図書室や音楽室などを順に廻っていく。
ただ、そのどこにも不審な影はなく……。
一応、生徒会室や部室も見回ったけれど……特に怪しいものは見つかりませんでした。
ダイヤ「あとは……理事長室と保健室くらいかしら……」
7:
とは言え、理事長室は鞠莉さん不在の状況で調べるのは少し気が引ける。
と、なると……残りは保健室くらいかしらね。
校舎の1階は普段生徒が立ち寄る場所と言うよりは、教職員のための場所が多いため、後に回していましたけれど……。
どちらにしろ、この調子だと、特に問題もなく。噂は噂のままと言うことに終わってしまいそうです。
……せめて、呻き声と勘違いされたものの原因くらいは見つけられればよかったのですが……。
1階の廊下を照らしながらゆっくり歩を進めていく。
──ふと、そのとき。
ダイヤ「……?」
違和感を覚えた。
ダイヤ「……何……?」
それは保健室に近付くたびに少しずつ大きくなっていく。
ダイヤ「……保健室に……何か……居る……?」
それは、何かの気配だった。わたくしはそっと懐中電灯を消す。
静まり返った真夜中の校舎の中。光源は非常灯の灯りと、月明かりのみ。
──ゆっくりと保健室に近付き、ドアに付いている除き窓から中を伺う。
保健室の中に人影は見えない。……ですが、一つ不審な光景。
──ベッドの周りの遮光カーテンが閉ざされている。
普通帰るときにカーテンは全て開けて、括ってから帰るはずです。
そして、何より。
 「……ぅ……ぐ……ぅっ……ぐす……」
ダイヤ「…………」
室内からは、すすり泣く様な声が聞こえる。
──確実に人が居る。
ただ……噂と違う。
鞠莉さんから聞いた話だと『血……血……』と呻く声だと言っていた。
……いや、この際重要なのは台詞ではないですわね。
この真夜中に誰かが校舎内に侵入し、声をあげているという事実がきっとこの噂の煙なのですわ。
ですが……。
保健室ですすり泣く人──女子校と言うのもありますが、声からしても恐らく女性。
それも学校で……。
少し暗い背景が否が応でも想像出来てしまう。
……陰湿ないじめや、そういう類のものでしょうか。
我が、浦の星女学院でそんなことがあるなんて考えたくないのですが……。
ダイヤ「…………」
8:
ただ、このまま見て見ぬ振りをして帰るわけにもいかない。
原因は夜な夜な保健室に篭もって、すすり泣く女生徒が原因だったなんて、報告出来るわけもない。
今、彼女の心の傷を癒やして、全ての誤解を解いて、それで初めて解決なのです。
わたくしは意を決して、保健室の引き戸に手を掛けた。
──ゆっくりとドアを開いたつもりでしたが、本当に静かな真夜中の校舎。
それだけで、中に居る女生徒が、誰かが入ってきたことに気付くには十分だったようで。
 「…………っ……!」
遮光カーテンの向こうで、息を呑む声が聞こえた。
そして、同時にすすり泣く声も止まる。
ダイヤ「……そこに誰か、いるのですか?」
 「………………!」
確実にそこに居る。人の気配。
ダイヤ「安心してください……貴方に危害を加えるつもりはありませんわ」
 「…………ぃゃ」
小さく声があがる。脅えきった声。
ダイヤ「……こんな時間にこのような場所に居るなんて、何か事情がお有りなんでしょう? もし、よかったら、わたくしが力になりますわ……」
少しでも警戒を解けるように、柔らかい口調で、そう言葉を掛けながら、ゆっくりとベッド周りのカーテンの方へと近付いていく。
 「…………っ!! 来ないで……!!」
ダイヤ「……え?」
わたくしの制止を促す、大きな声。
わたくしはそれを聞き、驚いて立ち止まる。
その内容にではない。
その声にだ。
ダイヤ「……嘘」
 「来ないで……!! お願い……来ないで……!!」
この声……聞き間違うはずがない。
わたくしは先ほどとは打って変わって、駆け寄るように近付き、
 「来ないでぇっ!!!」
──カーテンを開け放った。
ダイヤ「……!? ひっ!?」
わたくしはその光景を見て、思わず尻餅をついてしまった。
 「ぅ、ぁ……ダ、イヤさん…………み、見ないで……見ないでぇ……!!」
9:
目の前に拡がっていたのは……。
血まみれのガーゼや絆創膏が周囲に撒き散らされたまま、泣きじゃくっている──千歌さんの姿だった。
その腕や脚には、大量の血が付着している。
ダイヤ「千歌……さん……? あ、貴方……な、なにをしているのですか……?」
千歌「……ぅ……ぐ……見ないで……見ないでよぉ……」
頭が追いつかない。
周囲にあるガーゼや絆創膏は何……?
なんで千歌さんは血まみれなの……?
なんで泣いているの……?
わけがわからない。
ふと──泣きじゃくる千歌さん傍にカッターナイフが落ちていることに気付く。
そして、結びつく。
──自傷……。
彼女はカッターナイフによって、自らの腕や脚を切り付けていた。
そうなると恐らく周りにあるガーゼや絆創膏は治療に使ったもの……?
とにかく、止めなくては……!
ダイヤ「千歌さん……!!」
わたくしは立ち上がり、上履きのまま、ベッドの上の千歌さんの元へ。
靴も脱がずにベッドに乗るなど、はしたないですが緊急事態です。
ですが、
千歌「来ないでぇ!!!!!」
ダイヤ「……っ!!」
千歌さんの絶叫が響く。
千歌「来ないで……来ないで……来ないで……来ないで……!!」
錯乱気味に、ベッドの上を後ずさるように、奥に逃げていく。
ダイヤ「大丈夫ですから……! 事情をちゃんと聞かせてください……!! どうしてこんな──」
──自ら傷つけるような真似を……。
千歌「ダメぇ……!! 来ないでぇ……!!」
こんな状況の彼女、放っておくわけにいかない。
わたくしは身を引いて逃げる彼女に手を伸ばす──
千歌「来ないでぇ……!!!!」
──ドン。
音と共に、視界が回った。
10:
ダイヤ「──……な……ぇ……??」
一瞬何が起こったのか理解出来なかった。
鈍痛がする。
身体を打った。
ゆっくりと身を起こすと、千歌さんにベッドから突き飛ばされたのだと気付く。
わたくしはベッドから1メートルほど離れた場所に転がっていた。
千歌「……っひ……ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!!!!」
ダイヤ「…………っ……」
千歌さんは今度は謝罪の言葉を繰り返しながら、縮こまる。
異常だ。異常なことが多すぎる。
そもそも──
女子高生がベッドの上から、両手で押しただけで同体格の人間をここまで突き飛ばせるはずがない。
ダイヤ「何が……何が起こっているの……?」
千歌「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめ──」
急に千歌さんの謝罪が止まる。
ダイヤ「……? ……千歌、さん……」
千歌「……ぁ」
蹲っていた、千歌さんは急にベッドの上を這うようにして、こちらに向かってくる。
ダイヤ「ち、か……さん……?」
千歌「……ぁ……におい……」
ダイヤ「……匂い……?」
千歌「……いい……匂い……」
千歌さんと目があう。
ダイヤ「……っ……!!?」
そして、彼女の目を見て、戦慄した。
なんと形容すればいいのかわからない。だけれど、確実に彼女の目は、わたくし──黒澤ダイヤという人間を見ていなかった。
──なんだか、おいしそうな餌を見ているような、そんな恍惚とした表情のように、見えた。
ダイヤ「ち、千歌さん……!! ……ど、どうしてしまったのですか……?」
声を掛けながら、後ずさりしようとして、
ダイヤ「っ……!!」
痛みを感じて、前腕から流血していることに気付く。
突き飛ばされたときに、床で思いっ切り擦ったか、何かにぶつけたか。
とにかく、血が流れ出し──
千歌「…………ち」
11:
千歌さんの視線は、わたくしのその流れる血を見つめていた。
千歌「血……血……血……!!! 血!!!!! 血!!!!!!!! 血!!!!!!!!!!!」
ダイヤ「ひっ!?」
急に大きな声をあげて、血と連呼し始める。
千歌「血!!! 血!!!! 血、血、血、血、血、血、血、血!!!!!!!!!!!!!」
ダイヤ「……!?」
そして、そのまま飛び掛ってくる。
千歌さんは仰向けに床を転がっていたわたくしに覆いかぶさるように、組み伏せてくる。
千歌「ぁ血、血……血!!!!!」
目を血走らせ、血と連呼するソレは──噂の吸血鬼そのものだった。
ダイヤ「……千歌……さ……」
余りの光景に、恐怖に、身体が強張って動けなくなる。
千歌「……血……やっと、血……」
ダイヤ「や……やめて……」
恐怖で身体が震える。
逃げなくては。
ダイヤ「……やめて……っ!!!!」
大きな声をあげて、身を捩る。
だが──
千歌「血……!!!」
千歌さんの押さえ込む力が強すぎて、全く逃げられない。
ダイヤ「い、いや……!! いや!!!!」
必死に抵抗する。
千歌「……血!!!」
ダイヤ「お願い!!! やめて!!! だ、だれか……!! 誰か助けて……!!!」
押さえつけられて動けないまま、必死に身体を捩っていると──カラン。
ポケットから、何かが落ちた。
──途端に、
千歌「!!!? いやぁぁぁッ!!!!?」
千歌さんは絶叫を上げて、後ずさる。
12:
ダイヤ「……はっ……はっ……!? た、助かった……?」
千歌「いや、いや……怖い……それやだ、こわい……!!!」
千歌さんは再び身を縮こまらせて、泣き叫ぶ。
ダイヤ「それ……って……」
千歌さんが怖がっているもの……それは、
ダイヤ「ロザリオ……」
善子さんから貰った、ロザリオだった。
その十字架を怖がっているようだ……。
ダイヤ「…………」
わたくしはゆっくりと立ち上がって、床に落ちたロザリオを拾い上げる。
千歌「ひっ……!!」
そして、ロザリオを手に持ったまま、千歌さんの方へと近付くと、
千歌「ごめんなさい!! ごめんなさい!!! ごめんなさい!!!! ごめんなさい!!!!!!」
千歌さんは絶叫しながら、謝罪を連呼する。
もう、これは確信していいでしょう。確実にこのロザリオを嫌がっている。ですが、これでは本当に……。
ダイヤ「……本当に吸血鬼なのですか……?」
千歌「ごめんなざい……っ……ごべんなざい……っ……!!!!」
ダイヤ「…………」
泣きじゃくりながら、全身を縮こまらせ、謝罪の言葉を繰り返す千歌さんからは……いつもの元気で明るい様子が全く感じられない。
千歌「ぅ……ぐ……ふぐっ……」
ダイヤ「…………」
ただ、あまりに辛そうなので、
ダイヤ「……仕方ありませんわね」
わたくしはロザリオをポケットにしまう。
千歌「は……っ……は……っ……」
そうすると、千歌さんは息を切らせながら、少しずつ落ち着いていく。
13:
千歌「ダイヤ……さん……」
ダイヤ「…………千歌さん、事情を聞かせて貰えませんか……?」
千歌「……う、ん……はなす……けど……」
ダイヤ「……けど?」
千歌「おねがい……血を……ください……おねがいします……」
ダイヤ「…………」
千歌「もう……おなかが、へって……死にそう、なの…………」
ダイヤ「……どうやら、そのようですわね」
あの血への執着……。お腹が減ってという言い回し。相当な飢餓状態なのではないかと推察出来る。
ただ、また正気を失われて襲われたらと思うと……これ以上近付けない。
ダイヤ「……どのようにすればいいですか?」
千歌「…………くれるの……?」
ダイヤ「このままじゃ……会話が出来そうにないので。ただ、噛み付かれたりするのは……」
千歌「ん……ティッシュ」
ダイヤ「ティッシュ?」
千歌「しみこませてから……こっちに、なげ、て……」
なるほど。確かにそれなら、近付かずにわたくしの血を千歌さんの方に渡すことが出来る。
ダイヤ「わかりました」
千歌さんから視線を外さないように、養護教諭の使う机の方へとゆっくり近付いて……。
机の上にあるティッシュ箱から、ティッシュを数枚取り出してから、腕の傷口の血を拭う。
流血量は大したことはなく、すぐにティッシュで拭き取ることが出来た。
ただ、落ち着いたら消毒はした方がいいかもしれませんわね……。
ダイヤ「あの……余り量がないのですが……」
千歌「……だいじょぶ……新鮮なら、ちょっと舐めれば……落ち着く……と、思う……」
ダイヤ「そう……ですか」
わたくしは自分の血を拭ったティッシュを丸めて、千歌さんの方へと放る。
千歌「……血……!!」
千歌さんはその丸めたティッシュに飛びつく。
わたくしは、その挙動に警戒しながら、ポケットのロザリオに触れておく……が、これ以上の心配はなかったようで……。
千歌「血……血……っ……」
千歌さんは涙を流しながら、わたくしの血が染み込んだティッシュを舐めていた。
ダイヤ「…………」
思わず顔を顰めてしまう。
千歌「……はっ……はっ…………ごめんね。気持ち、悪いよね……」
ダイヤ「……っ……い、いえ……」
14:
この光景に生理的嫌悪がないなんて……どうやっても言い切れない。
ダイヤ「ごめんなさい……」
千歌「うぅん……チカも、自分で……っ……気持ち悪い……って、思う……っ……」
泣きながら言う。
ダイヤ「…………」
千歌「……ダイヤさん……チカ……吸血鬼に、なっちゃったみたい……」
千歌さんはわたくしに向かって、苦しげに、そう言葉を紡ぐのだった。
 * * *
ダイヤ「……落ち着きましたか?」
千歌「……うん」
あれから……わたくしは消毒用のアルコールで傷口の消毒をして、ガーゼを当てて治療をし、千歌さんは再びベッドの奥の方でその身を縮こまらせていました。
ダイヤ「その……何があったのですか……?」
千歌「…………ちょっと前からね、ずっと貧血気味で……おかしいなって思ってたんだけど」
ダイヤ「……ええ」
千歌「夜になるとね……急に、血が飲みたくなるの」
ダイヤ「……」
千歌「最初は……なんか、すごく喉が渇くなってくらいに思ってたんだけど……いくら水を飲んでも、全然渇きが収まらなくて……。……それが何日か続いたある日ね、ウチの旅館に来てたお客さんの子供がね、夜に旅館内で転んで怪我しちゃったんだ。……そのとき、旅館の床にちょっと血がついちゃってね。事情を聞いて後片付けをすように呼ばれたの」
ダイヤ「……まさか」
千歌「……もう、床についてた血を見た瞬間、わけわかんなくなって……床の血を……舐めてた」
ダイヤ「…………そう、ですか……」
千歌「……そしたらね、その血が、おいしくっておいしくって……やっと満たされたって思ったのと同時に……怖くなった」
ダイヤ「…………」
千歌「……なんかわかっちゃったんだ……自分が他人の血を欲してるって……その後、自分の部屋に篭もって我慢してたんだ……。一日目は我慢できた、でも次の日には血が欲しくて、もう頭がおかしくなりそうだったから、タオルを口に詰め込んで我慢した。三日目……っ」
千歌さんの言葉が詰まる。
ダイヤ「……三日目、どうしたのですか……?」
千歌「……気付いたら……お客さんの部屋の前に居た」
ダイヤ「……!!」
千歌「たまたま泊まってた……若い……女性のお客さんの……部屋」
ダイヤ「まさか……」
千歌「うぅん……そこで踏みとどまれたよ。……でも、このままだと次は絶対に襲っちゃうって思って……。夜の間は誰も居ない学校に来ることにしたんだ……」
つまり……ここ最近の吸血鬼の噂は、他人を襲わないように学校に潜んでいた千歌さんだったということです。
火のないところに煙は立たぬと言う言葉の通りに探りに来て……まさに、煙の出所を見つけたのはいいのですが。
ダイヤ「まさか本当に吸血鬼だったなんて……」
15:
しかも、それがまさか自分と同じグループ内の人間だとは……。
千歌「学校でね……最初は教室とかで朝まで待ってたんだけど……。ふとね、血の匂いがして……気付いたら保健室に来てた」
ダイヤ「……治療に使った、ガーゼや絆創膏」
千歌「……見つけたときは本当にラッキーだったと思った。たまたま捨てるのを忘れちゃった日だったんだよね。……次の日はゴミがちゃんと捨ててあって、お腹が空き過ぎて……辛かった。次の日からお昼の間に出来るだけゴミを集めて、ベッドの下に隠してた……」
ダイヤ「…………」
千歌「それでどうにか凌いでたんだけど……だんだん、古い血じゃ全然満たされなくなって……。それで思ったの、自分の血を飲めばいいんじゃないかって」
ダイヤ「……なっ」
千歌「自分の腕をカッターで切りつけて……舐めてみたけど……全然ダメだった。自分の血じゃ、ダメみたい。……それにね」
言いながら、千歌さんはベッドの上にあるカッターナイフを手に取る。
ダイヤ「え、な……!? 千歌さん!?」
千歌「……ん゛!!」
思いっきり、カッターで自らの腕を切りつける。
すると、傷口から血が流れ出す。
ダイヤ「何をやっているのですか!!?」
わたくしは駆け寄ろうとして、
ダイヤ「……!!」
見る見るうちに、その傷口が塞がっていく光景を目にする。
千歌「……こんなの……もう、人間じゃないじゃん……」
ダイヤ「…………」
千歌「チカ……化け物になっちゃったみたい……」
ダイヤ「そん、な……」
千歌「ダイヤさん……」
ダイヤ「な、なんですか……?」
千歌「さっきの十字架……でさ」
ダイヤ「……?」
千歌「……チカのこと、殺したり……出来ない……?」
ダイヤ「……なっ!?」
千歌「たぶん……無理 矢理、喉とかに突き刺せば……死ねると思う」
ダイヤ「あ、貴方!! 自分で何を言っているのか、わかっているのですか!?」
千歌「…………」
ダイヤ「殺すだなんて……そんな……」
千歌「…………さっきのダイヤさんの血……一週間振りの新鮮な血だった」
ダイヤ「……え」
千歌「おいしくて、おいしくて……一口舐めただけでも、涙が止まらなかった……。やっと生きた心地がした。それで──」
千歌さんは心底苦しげに、
千歌「またこの血が欲しいって……思った」
16:
そう言った。
ダイヤ「…………」
千歌「このままじゃ……いつか、人を襲う……」
ダイヤ「……千歌さん」
千歌「ホントはね……首筋に噛み付きたいの」
ダイヤ「……!」
千歌「自分でも何でか、わからないけど……女の人の首筋に噛み付いて、そこから血が吸いたい。そしたら、どれだけおいしいんだろうって、そんな考えがずっと頭の中でぐるぐるしてる。……吸血鬼の本能なのかな」
ダイヤ「そんな……」
千歌「……どんどん血が欲しい気持ちが昂ぶってくの……たぶん、もう何日もしない間に耐え切れなくなる。そしたら、私は周りの人を襲い始める」
ダイヤ「…………」
千歌「私……そんな風になるくらいなら……死んじゃいたい。そんなのもう……ホントに人間じゃないもん……化け物だよ……」
ダイヤ「………………」
千歌「……お願い、ダイヤさん……巻き込んじゃったのは謝る、ごめんなさい……。……でも、もう頼れる人、ダイヤさんしか居ないの……。自分じゃ怖くて死ねないから……チカが……っ……チカが完全に人間じゃなくなる前に……殺してください」
ダイヤ「……っ」
眩暈がした。
殺す……? わたくしが……千歌さんを……?
ダイヤ「……血を吸うのを……我慢は出来ないのですわよね」
千歌「……うん。……今はギリギリ正気は保ててるけど……正直吸いたいって思ってる自分が居る」
ダイヤ「どうやって吸うのですか?」
千歌「……? えっと……夜になると、キバが生えてきて……」
千歌さんがあーーっと大口を開けて口内を見せてくれる。
暗がりでわかり辛いが、僅かな月明かりの中で目を凝らしてみると、確かに上顎の犬歯が鋭く尖っていた。
ダイヤ「一度にどれくらい吸うのですか?」
千歌「え? ……直接やったことはないから、わかんないけど……ちょっと吸えば満足する気はする。……たぶんだけど」
ダイヤ「……そうですか」
わたくしは、ポケットからロザリオを取り出した。
千歌「……っ!!」
千歌さんが十字架を見て、本能的にか身を縮こまらせる。
……そのまま、ロザリオを机の上に置いて。
ダイヤ「…………」
わたくしは千歌さんの方へと足を運ぶ。
千歌「へ……」
そのまま、髪を纏めて、右肩の前側へと髪を垂らす。
──つまり、首の左側部が完全に露出する形になる。
17:
千歌「へ、あ……ちょ、な……ダ、ダイヤさん……?」
ダイヤ「……人間の血液は確か大体4?ほど……。致死量の失血は確か20%程度だったはずですわ。さすがに800m?も一回の吸血行為で吸い切れないと信じましょう」
千歌「な……なに……言ってるの……?」
そのまま、わたくしは千歌さんの顔の近くに首を差し出す。
ダイヤ「……吸いたいのでしょう?」
千歌「……!! や、やだ……!!」
千歌さんは涙目で首を振る。
ダイヤ「……どうして?」
千歌「だって……ダイヤさんから血を吸ったら……そんなの……っ……」
ダイヤ「……餌みたい、ですか?」
千歌「……っ……」
ダイヤ「…………でも、誰かから吸わなきゃ耐えられないのでしょう?」
千歌「……だ、から……」
ダイヤ「殺してくれと」
千歌「…………」
ダイヤ「千歌さんのお気持ちはわかりました。……わたくしの想っていることも聞いていただけませんか」
千歌「………………うん」
千歌さんは小さな声で頷く。
ダイヤ「……わたくしは例え貴方がどんな存在であっても、死んで欲しくない」
千歌「……!」
ダイヤ「ましてや、貴方を殺すなんて……絶対に嫌ですわ。お断りします」
千歌「……ダイヤ、さん」
ダイヤ「わたくしは……同じAqoursの仲間ですわ。絶対に貴方を見捨てたりしない」
千歌「…………でも」
ダイヤ「わたくしの血を吸って、時間が稼げるなら……血液全部をあげることはもちろん出来ませんが、わたくしの血を飲んでください」
千歌「…………」
ダイヤ「その代わり、いくつか約束してくださいませ」
千歌「……約束?」
ダイヤ「わたくし以外の血を絶対に飲まないこと。他の人間を襲わないというのは当たり前ですが……使い終わったガーゼや、床や壁についた血を飲むのもやめてください。感染症や病気に掛かる可能性が高すぎます」
千歌「え……う、うん」
ダイヤ「そして……死にたいなんて、二度と言わないで」
千歌「……!」
ダイヤ「わたくしは、貴方に生きていて欲しい」
千歌「ダイヤ……さん……」
ダイヤ「そして、生きて、元に戻る方法を一緒に探りましょう。……それが、わたくしが貴方に血を提供する条件ですわ」
千歌「…………」
ダイヤ「約束……出来ますか?」
千歌「……いいの?」
18:
千歌さんが搾り出すような声で訊ねてくる。
千歌「チカ……人間じゃないよ……っ……? ……生きてて、いいの……っ……?」
ダイヤ「貴方は人間ですわ」
千歌「……!」
ダイヤ「自分を無理 矢理押さえ込んででも、誰かを傷つけないように身を粉にする姿は……わたくしが知っている千歌さんそのものですわ。その心は……どう考えても人間の心よ」
千歌「……人間の……心……」
ダイヤ「……今は事情があって……人から血を吸わないとダメなだけですわ。ただ、そういう個性があるだけで……貴方は人間ですわ」
千歌「……うん……っ……」
ダイヤ「……千歌さん」
千歌「……うん……っ」
ダイヤ「わたくしの血を──飲んでください」
 * * *
──千歌さんが深呼吸をしている。
覚悟を決めているのだろう。
吸血行為── 一線を越えることへの覚悟を。
千歌「……ふー……。……血、貰います」
ダイヤ「……はい」
ベッドの上に座ったまま、真正面から向き合い、抱き合うような形で、
千歌さんが自らの顔をわたくしの首筋に近付けていく。
そして、
千歌「ぁー……」
口を開いて、
千歌「──むっ」
噛み付いた。
ダイヤ「……っ」
そのまま、ブスリとキバが首筋に突き刺さってくる。
そして、そこから、血を吸っていく。
千歌「……ん……ちゅ……ちゅ……」
ダイヤ「……ん……」
19:
キバが刺さっていると言う割には、痛いと言うよりはくすぐったかった。
千歌さんが少しずつ血を飲んでいく。
すると、何故だかだんだんと心拍数が上がっていく。
吸血されるという、余り経験し得ない行為に、緊張しているのかもしれない。
千歌「……ん……ちゅ……コク……」
しばらく、吸血行為を続けた後──
千歌「ん……ぁ……」
千歌さんはわたくしの首筋から離れた。
千歌「……は……ぁ…………おいしぃ……」
千歌さんは心底幸せそうに、息を漏らす。
ダイヤ「……そう、ですか……」
千歌「うん……なんか、生きた心地がする……」
ダイヤ「千歌さん…………もっと、吸っていいですわよ……?」
千歌「……え?」
ダイヤ「いえ……もっと、もっと吸ってください……わたくしが枯れるまで、吸ってください……?」
千歌「へ……え……?」
ダイヤ「わたくしはもう千歌さんのものです……? 好きにしてくださいませ……?」
千歌「……!? ま、待って……!!? ダイヤさん、どうしちゃったの……!!? さっきと言ってること違うよ!?」
ダイヤ「…………え……あ……? ……え、今わたくし……なんて……?」
千歌「……えっと」
一瞬頭に靄が掛かっていたような気がする。
なんだか、凄く千歌さんに血を吸われるのが心地よくて……もうずっと吸っていて欲しい……。
ダイヤ「え、あ、いや……!!」
思わずかぶりを振る。
千歌「だ、ダイヤさん……?」
ダイヤ「い、いえ……大丈夫ですわ」
千歌「ホントに……?」
ダイヤ「……ええ」
得体の知れない現象に襲われた。
ダイヤ「……あの、追加でお願い事をしていいですか?」
千歌「う、うん」
ダイヤ「たぶんなのですけれど……血を吸われた直後、わたくしにもなんらかの影響があるようですわ……。血を吸った直後にわたくしが言ったことは、あまり聞かないで貰っていいですか……?」
千歌「う、うん! わかった!」
20:
これは正直考えていなかった。
ただ、千歌さんの様子は明らかに吸血前と今では、声の調子が全然違う。
今はいつもの千歌さんだ。
ちゃんとした吸血行為をさせることによって、千歌さんは元の精神状態に戻るというのは恐らく間違いない。
わたくしにも影響があると言うのは予想外だったとは言え、彼女へのケアの仕方としては正解だろう。
ただ、
ダイヤ「バランスは考えなくてはいけないかもしれませんわね……」
吸血されて、こちらが正気を失ってしまっては元も子もない。
これから、元に戻る方法を探りながら……同時に今の千歌さんの状態を知っていく必要がありますわね……。
 * * *
……さて、あの後わたくしたちは保健室の後片付けをしてから、家路に着いているところです。
月灯りに照らされながら、夜道を歩いています。
ダイヤ「……本当に自分の家には帰らないのですか?」
千歌「……うん。旅館だと、人が多すぎて……怖い」
これからゴールデンウイークの10連休だと言うのに、学校に居座らせ続けるわけにもいかないと思い、帰宅を促しはしましたが……。
誰かを襲ってしまう恐れは彼女の中では払拭しきれていないようで、自宅に帰ることは拒んでいる。
まあ、そうなると……。
ダイヤ「しばらくはわたくしの家に泊まってくださいませ。……とは言ってもずっと、と言うわけにはいきませんが……」
千歌「うん……ありがとう、ダイヤさん」
さすがに数日もしたら、泊まりに行っていたルビィも帰って来てしまう。
まだ千歌さんの吸血鬼化がどういうものなのか、全く見当が付いていない現状で、誰かにこの事実が漏れるのは恐らく良くないだろう。
わたくしはいろいろ考えた末、彼女を受け入れたとは言え……これから知る人間が恐怖したり、嫌悪しない保証など何処にもない。
せめて、危険がない状態の確保がしっかりと確認出来るまでは、二人の秘密としておいた方が無難でしょう。
……とりあえず。
ダイヤ「現状わかっていることを少しずつ整理しましょうか」
千歌「あ、うん」
ダイヤ「その現象……吸血鬼化はいつからなのでしょうか?」
千歌「うーんと……10日くらい前からだと思う」
ダイヤ「きっかけは……?」
千歌「……わかんない。いつも通り生活してたら、突然だったから……」
……まあ、それがわかればもう少し何かアクションを起こしていそうなものですものね。
21:
千歌「強いて言うなら……」
ダイヤ「言うなら?」
千歌「最近ダンスが難しくて、苦戦してた気がする……」
ダイヤ「……ダンスが難しくて、吸血鬼化するのですか……」
千歌「ほら……ストレス性なんちゃらで」
ダイヤ「ストレスで吸血鬼化するのだとしたら、世の中今頃、吸血鬼だらけですわ……」
まあ確かに、外的要因なのか、内的要因なのかで話は結構変わってくるのですが……。
後は……。
ダイヤ「どこまで吸血鬼なのでしょうか……」
千歌「どこまで?」
ダイヤ「ほら……吸血鬼と言えば、みたいなイメージがあるではないですか」
千歌「あー……十字架とニンニクが苦手みたいなやつ?」
ダイヤ「はい。……十字架は苦手ですわよね」
千歌「うん……見ると、すごい怖く感じる……」
ダイヤ「大蒜は?」
千歌「ニンニクもダメかな……。ニンニク使った料理があると、部屋に入れない」
ダイヤ「そこまでですか……?」
千歌「臭いだけで、目とか鼻が痛くなって……耐えられなくなる」
ダイヤ「なるほど……他には?」
千歌「……河に近寄れなくなったかな」
ダイヤ「……河ですか?」
千歌「うん……調べて知ったんだけど……吸血鬼って流水? 流れてる水が苦手なんだってさ……」
ダイヤ「流水が苦手……それはわたくしも初めて知りましたわ」
ある程度の知識があるとは言え、特段吸血鬼について調べたことがあるわけではないですし……。
この辺りは、少し勉強をした方がいいのかもしれない。
ただ、ここまで聞いている限り、思った以上に普通のイメージ通りの吸血鬼の性質を持っている状態だとわかります。
ダイヤ「……となると、シャワーやお風呂は?」
千歌「シャワーは無理かな……水道から出てくる水も怖いって感じる……。お風呂は一応大丈夫だけど……湯船に浸かってるとちょっと気持ち悪くなってくる」
水に対する感覚もかなり変わっている……。
そういえば、聖水が苦手と言うのは聞いたことがありますが、それと関係しているのでしょうか……?
ダイヤ「苦手と言えば……日光は?」
吸血鬼と言えば日光が苦手と言うのがとにかく有名な話です。
でも、ここ数日も学校にはちゃんと来ていたし……。
千歌「うーんと……日光がきついなってのはずっと感じてた。ちょっと日差しを浴びると頭がくらくらして倒れそうになる」
そこまで聞いて、そういえばここ数日はずっと貧血気味だったと言う話を思い出す。
22:
千歌「ただね。お昼の間は……あんまり吸血鬼っぽくないんだよね」
ダイヤ「そうなのですか?」
千歌「うん、キバも普通の歯に戻ってるし……。血が欲しくなるのも夜だけなんだよね」
ダイヤ「なるほど……」
もしかしたら、太陽が出ている時間は、吸血鬼性──とでも言うのでしょうか──が減るのかもしれない。
あと、確認しておかないといけないことと言えば……。
ダイヤ「千歌さん」
千歌「ん、なに?」
ダイヤ「血、今でも吸いたいと思っていますか?」
千歌「……うぅん、今は大丈夫」
ダイヤ「……やはり、ある程度満たされていれば大丈夫と言うことですわね。……どれくらいで次の波が来るかはわかりますか?」
千歌「……直接吸えたのは初めてだから、わかんないけど……。たぶん今までの感じだと、2日間全く血に触れられないと……かなり辛かったかな……」
ダイヤ「となると、スパンは2日くらいが限度と考えましょうか……」
余り無理をさせるとまた千歌さんの精神が不安定になってしまう恐れがありますが……まだ詳細がよくわかっていないとはいえ、頻繁にやりすぎると、わたくしにも少なくない影響が及ぶ可能性がある。
そこは様子を見ながら慎重に吸血行為を行う必要がありますわね……。
そんな考察を続けていると──直に我が家が見えてきたのでした。
 * * *
ダイヤ「ん……」
自宅に着くと、安心したのか、急に眠くなってくる。
いろいろあったからでしょうか……。
ただ……。
ダイヤ「お風呂に入りましょうか……」
千歌「あ、うん、行ってらっしゃい」
ダイヤ「……いえ、貴方も入るのですわよ?」
千歌「……え? わ、私はいいよ……」
ダイヤ「ダメですわ。さっきまで血塗れだったのですわよ? それに……長いことまともにお風呂に入れて居ないのではないですか」
千歌「……ぅ」
流水がダメと先ほど聞きましたし、湯船でも気持ち悪くなると言うことは、ほとんど入浴が出来ていないと考えた方がいいでしょう。
幸い吸血鬼の特性なのかはわかりませんが、その所為で臭う……みたいなことはないのですが。
……と言うか。
ダイヤ「余り、汗の臭いはしませんわね……」
千歌「ぅ……そういうこと言いながら、ニオイ嗅がないでよぉ……」
23:
代謝の仕組みが普通の人間と吸血鬼とでは違うのでしょうか……?
まあ、どちらにしろ、流水が苦手と言うのがどれ程のものなのか確認することも出来ますし……。
それに──
ダイヤ「とにかく……お風呂に参りましょう」
千歌「はーい……」
──吸血鬼である彼女を自宅で一人にするのはやはり憚られた。
こういうとき信用していないのかと言われると、少し困ってしまいますが……今の彼女は何かの拍子に自分が全く制御出来ない瞬間が訪れる。
そうなったとき、わたくしの家族にもし被害が及んだら……優しい千歌さんはまた自分を強く責め立ててしまうでしょう。
そうならないためにも……出来る限り、目の届く範囲で千歌さんを見ている必要がありますわよね……。
 * * *
──脱衣所。
我が家の浴室はそれなりに大きい。
もちろん、旅館の娘である千歌さんの家のお風呂は、この比ではありませんが……。
脱衣所で服を脱ぎながら──
千歌「ん……しょ……」
彼女の身体を横目で観察する。
身体的な部分としては、これと言って変わった部分は見当たらない。
千歌「ん……どうしたの?」
ダイヤ「いえ……吸血鬼になった際に歯の他にも変化はないのかなと思いまして……」
千歌「変化……あ、えっと……」
ダイヤ「? 何かあるのですか?」
千歌「肌が……すべすべになったかも」
ダイヤ「……それは何よりですわね」
千歌「い、いやホントだもん!」
それが吸血鬼化によるものなのかはわかりませんが……ただ、
千歌「う……/// ジロジロ見られるとさすがに恥ずかしいよ……///」
ダイヤ「そうですわね……ごめんなさい」
彼女の身体には不自然なほど、傷や痕がない。
あまりに綺麗過ぎる。
先ほど目の前で見せられたことですが、今の彼女には、とてつもない治癒再生能力がある。
それによる作用で肌がとてもいい状態で保たれているという可能性は大いにある。
──ふと、わたくしも脱衣所の鏡を確認してみると。
首筋にはしっかりと、先ほど千歌さんが吸血のために噛み付いた傷跡が二つ残っていた。
余り深い傷ではないとは言え、このまま外を出歩くと少し目立つかもしれませんわね……。
24:
ダイヤ「これは隠しておかないといけませんわね……」
絆創膏でも貼って誤魔化しておきましょう。
鏡を見ながら、首筋を撫でていると、
千歌「ダイヤさん? お風呂入らないの?」
鏡に映るわたくしの横に千歌さんも割り込んでくる。
ダイヤ「…………」
鏡に映ったまま、並ぶと身体の起伏の違いが明確にわかる。
千歌「……? どうかしたの?」
ダイヤ「……なんでもありませんわ」
何故、年下なのにそんなに発育がいいのか……全く不公平ですわ。
ダイヤ「千歌さん! 早く入りますわよ!」
千歌「え、な、なんで急に怒ってるの!? ねえ、ちょっと!! ダイヤさーん!?」
 * * *
さて……浴室に足を踏み入れてみて……。
思った以上に千歌さんの流水が怖いというものが深刻なことがわかりました。
千歌「…………」
千歌さんは、浴室の壁に張り付いて動けなくなっていました。
千歌「ダ、ダイヤさん……み、水……流れてる……」
ダイヤ「……ここまでと言うのは完全に予想外でしたわ」
湯船に浸かる前に、わたくしが身体をお湯で流していたところ……。
千歌さんは排水口に向かって流れている水に脅え始めてしまった。
入浴へ抵抗があるくらいの認識だったのですが、恐らくこの感じだと入浴はまともに出来ていなかったと考えた方がいいかもしれません。
とりあえず……。
ダイヤ「すみません……わたくしの配慮が足りませんでしたわ。水が流れきるまで少しだけ待ってくださいますか?」
千歌「う、うん……いや、その……こちらこそ、ごめんなさい……」
ダイヤ「いえ……」
しばらくして……。完全に水が排水口に流れていったのを確認してから。
ダイヤ「……これで、通れますか?」
千歌「う、うん……」
25:
千歌さんがおっかなびっくり湯船の方に近付いてくる。
もちろん浴室なので、多少の水気はあちらこちらのあるのですが……。
それを怖がっては居ないので、本当に流水がダメと言うだけのようですわね。
ダイヤ「それでは……湯船に浸かりましょうか」
千歌「え、で、でも……先に身体洗わないと……」
ダイヤ「洗えるのですか? 身体を流すお湯も怖いのでしょう?」
千歌「それは……うん……」
ダイヤ「ここは公共の浴場ではないので……気にしないでくださいませ」
千歌「あはは……ありがとう」
そう言いながら、千歌さんは再びおっかなびっくり湯船へと入っていく。
千歌「ぅ……」
僅かに顔を顰めながら。
先ほど言ったとおり、平気は平気だけれど、水に触れると言う行為自体が少し辛いのかもしれません。
早めに入浴を済ませた方がいいかもしれませんわね……。
千歌「……ダイヤさんも……お湯、浸かって……? チカのこと待ってたから……寒かったでしょ?」
ダイヤ「ふふ、ありがとうございます……」
そうは言っても気を遣う余裕はあるようで……。
わたくしも千歌さんに倣う様に、湯船へと身を沈める。
出来るだけゆっくり湯船に浸かる。
水が浴槽から零れて流水になると、千歌さんは再び身動きが取れなくなってしまいますからね……。
ダイヤ「千歌さん……気分はどうですか?」
千歌「……ん……少し落ち着かないくらい、かな……大丈夫」
ダイヤ「何かあったら、早めに言ってくださいね」
千歌「うん……ありがと」
しかし、入浴だけでこれだけ苦労するとなると……吸血行為以外でも生活が大変になっている部分が多くあるかもしれない。
千歌さんはここ10日間ほど……どれだけ不安だったのか。あまりに不憫に感じて、思わず千歌さんの顔を見つめてしまう。
千歌「ん……なぁに?」
ダイヤ「……いえ」
彼女がわたくしに殺してくれと懇願したのは……もう疲れてしまっていたからなのかもしれない。
自分の異常な状態に……。
わたくしの判断が間違っていたとは思ってませんが……。
こんな状況になっても生きなさいと言うのは……酷なことを言ってしまったのかもしれません。
そんなことを考えていたら、
千歌「……でも、ダイヤさんが見つけてくれて……よかった」
ダイヤ「え……?」
千歌さんはそう言う。
26:
千歌「だって……もし、ダイヤさんが見つけてくれなかったら……たぶん狂ってた」
ダイヤ「千歌さん……」
千歌「誰にも相談出来ずに……ホントに人を無差別に襲う……吸血鬼になってたと思う」
ダイヤ「……そう」
千歌「ホントに……人間じゃなくなってた……」
ダイヤ「…………」
千歌「繋ぎ止めてくれて……ありがとう、ダイヤさん……」
ダイヤ「…………」
わたくしは思わず──
千歌「……わっ!?」
ダイヤ「千歌さん……」
──千歌さんを抱きしめていた。
千歌「ダ、ダイヤさん……?」
ダイヤ「……辛かったですわね」
千歌「……!」
ダイヤ「大丈夫……貴方はちゃんと元に戻ります。元の生活にきっと戻れますから……」
千歌「……ぐす……っ……。……うん……っ……」
たまたま偶然、あの場に居合わせてしまったが故に、わたくしは彼女の問題に足を踏み込んでしまいましたが……。
それでも、関わった以上、知ってしまった以上、放っておくことなんて出来ない。彼女を孤独な世界に、還してはいけない。
誰よりも優しい彼女が……本当に人間に戻れるまで、力を尽くそうと。
わたくしはそう心に誓ったのでした。
 * * *
──入浴を済ませて……。
今度こそ休もうと思い、布団を並べる。
深夜に学校で千歌さんと出会ってから、相当時間が経過している。
もう夜明けも近い時間になっているため、かなり眠い。
わたくしがうとうとしている傍で、
千歌「ダイヤさん大丈夫……? かなりうとうとしてるけど……」
千歌さんは随分元気そうだった。
ダイヤ「千歌さんは……眠くないのですか……?」
千歌「あ、えっと……夜の間はなんか目が冴えちゃって……」
ダイヤ「……なるほど」
27:
失念していた。
吸血鬼はどう考えても夜行性の生き物。
つまり、夜の間は眠らないと言っても差支えがないでしょう。
さて、どうしたものか……。
千歌「ダイヤさん……眠いなら寝ていいよ?」
ダイヤ「……え、ええ」
そうしたいのは山々なのですが……。やはり、千歌さんを一人にしたまま、眠ってしまうのは……。
千歌「……ダイヤさんが寝てる間、チカも一緒に横になってるね」
ダイヤ「え……?」
千歌「私が一人にならないようにしてるんだよね」
ダイヤ「……気付いていましたのね」
千歌「うん……。私今一人になると、何するかわかんないもんね。心配なら、ダイヤさんが寝てる間は紐とかで繋いでくれててもいいよ」
ダイヤ「い、いくらなんでも、そんなこと出来ませんわ……!!」
千歌「……ありがと、優しいね」
ダイヤ「そんな……」
優しい、だなんて……。
……わたくしは千歌さんのことを、体の良い理由で見張ろうとしていただけなのに……。
ダイヤ「わ、わたくし……千歌さんのことを……」
千歌「あはは……いいんだよ。だって、チカが今普通じゃないのは事実だもん」
ダイヤ「千歌さん……」
千歌「……でも、その上で一応言っておくね。……ダイヤさんとした約束は絶対に守る。何がなんでも守るから」
ダイヤ「……!」
千歌「……その上で、ダイヤさんが不安なときは好きに拘束でもなんでもしてくれていいから」
ダイヤ「…………ごめんなさい、千歌さん」
千歌「うぅん、大丈夫だよ」
ダイヤ「そうじゃなくて……」
千歌「?」
ダイヤ「わたくし……貴方のことを少し見くびっていたのかもしれません。……貴方は本当に、本当に優しい人なのですわね」
千歌「……んーん、普通だよ」
ダイヤ「謙遜なさらないで? ……貴方がそこまで言うなら、信じますわ。ただ、血が欲しいときは本当に早めに言ってくださいね? 貴方の理性が飛んでしまってからでは対応も遅れてしまいますから……」
千歌「うん、わかった」
ダイヤ「……ふぁ」
軽く欠伸が出る。……そろそろ限界かもしれません。
千歌「ゆっくり休んでね……ダイヤさん……」
ダイヤ「……ありがとう、千歌さん……。おやすみなさい……」
わたくしが目を瞑ると……すぐに睡魔が押し寄せてきて、わたくしの意識はすぐに混濁を始める。
こうして、長い夜が一先ずの終わりを告げたのでした。
28:
 * * *
──翌日。
ダイヤ「ん……ぅ……」
わたくしが目覚めると……。
千歌「……すぅ……すぅ……」
すぐ横で千歌さんが寝息を立てていた。
ダイヤ「時間は……」
部屋にある壁掛け時計を確認すると──時刻は10時前ほどを指していた。
夜明けから大体5時間くらいでしょうか……。
あんなことがあった後だと言うのに、存外ぐっすり眠ることが出来た。
精神的にも、肉体的にも、疲れていたと言うのも多分にあると思いますが……。
ダイヤ「我ながら能天気なものね……」
少し自分に呆れてしまいますが……普段から睡眠はしっかりとる習慣がある意味いい方向に働いたのかもしれない。
かなり寝坊気味なのは気になりますが、幸い今日からゴールデンウイークですし……。
千歌「すぅ……すぅ……」
隣で穏やかな寝息を立てる、千歌さんに目を配る。
ダイヤ「……そういえば、千歌さんの言う通りなら、今は吸血鬼化が解けているはず……」
確認するなら……歯を見ればいいのかしら。
少し口の中を──そう思って手を伸ばして、
千歌「……んにゅ……」
ダイヤ「…………」
やめた。
ダイヤ「……確認なら千歌さんが起きてからでもいいですわよね」
千歌「……すぅ……すぅ……」
あまりに気持ち良さそうに眠っているし……睡眠の邪魔をするのは可哀想だと思ったので……。
千歌さんも相当疲れていたでしょうし、日が昇るまでの間、彼女は目が冴えていても尚、わたくしの横でじっとしていてくれたのだと思う。
眠れないまま、一人横になって過ごすのは思いのほか疲れるものです。
やっと、日も昇り、眠りに就くことが出来た彼女を、今は起こさないであげた方がいいでしょう。
ダイヤ「……さて、千歌さんが起きるまで、どうしましょうか」
29:
少し遅めの朝食を取ろうかしら……。
ゴールデンウイークの間はお手伝いさんには休暇を取ってもらっているので、準備は自分でしなくてはいけませんが……。
その際、千歌さんの分も一緒に作って……。
ダイヤ「……いえ、それも千歌さんが起きてからにしましょうか」
すぐに考え直す。
今現在彼女が何を食べられるのかもわからないですし……。
……と言うか、吸血鬼も食事をするのでしょうか……?
流石に人の血液だけしか口にしないと言うことはないと思うのですが……。
と、なると今他にやるべきことは……。
ダイヤ「吸血鬼について調べることかしら……」
それならば、とりあえず情報の収集出来る物や場所……自宅ならパソコン、あとは図書館などでしょうか。
自室にあるノートパソコンを探しながら、ふと──
ダイヤ「……あら?」
机の上で携帯電話がピコピコ光っているのが目に止まる。
いまどき珍しくなってしまった、ガラパゴスの携帯を開くと、LINEに通知が来ていた。
 『Mari:見回りどうだった? 吸血鬼いた?』
ダイヤ「……居ましたけれど」
 『ダイヤ:いえ、予想通り大きめのネズミがいただけでしたわ。ちゃんと捕まえましたので、安心してください』
そう返す。
流石にここでバカ正直に答えるわけにも行きませんからね。
ダイヤ「……果南さんからも通知が来ていますわね」
 『果南:ダイヤ、大丈夫? 何もなかった?』
果南さんからも鞠莉さんと同じような連絡が来ていた。
……まあ、果南さんにも同様の返事をする以外出来ませんわよね。
先ほどと同様の文言をポチポチと打ちながら、
ダイヤ「……あ」
あることを思いつく。
ダイヤ「……もしかしたら、あの二人なら……わたくしより詳しいかもしれない」
そう思い、果南さんへの連絡の後に、更に別の二人に連絡を送ることにしました。
 * * *
30:
千歌「──ぁーー……」
ダイヤ「……確かに歯は元の形状に戻っていますわね」
昼過ぎくらいになると、千歌さんが目を覚ましたので、当初の予定通り、歯を確認させて貰う。
ダイヤ「歯が元に戻る……と言うことは、吸血欲求もなくなるのですか?」
千歌「うん。朝になっちゃえば血がなくても我慢出来るから、とにかく夜を越えちゃえばって感じだったんだよね」
言われてみれば、千歌さんは保健室のガーゼなどを昼に集めて隠していたと言っていたけれど、
仮に昼の間も夜と同様の吸血欲求があるなら、血を見た瞬間正気を失ってもおかしくはないはずです。
人の居る時間に騒ぎが起こっていなかったのは、昼の間は夜に比べてかなり吸血鬼性が下がると言う何よりの証拠でしょう。
ダイヤ「……と、なると、流水や十字架も昼の間は平気なのですか?」
千歌「んーと……触るのは無理だけど、夜ほど怖くなくなるかも」
ダイヤ「なるほど……ちょっと試してみてもいいですか?」
千歌「あ、うん」
わたくしは千歌さんに了承を貰ってから、部屋の隅の方へと歩いて行く。
部屋の隅についたところで、ポケットから、昨日善子さんから貰ったロザリオを取り出す。
ダイヤ「千歌さん、無理だったらすぐに言ってくださいませね」
千歌「う、うん……」
ここから、手に持ったまま、どこまで近付けるかを確かめる。
……とは、言ったものの、わたくしが取り出した時点で千歌さんの顔色が少し悪くなった気がする。
昨夜は、わたくしが取り出しただけで、身を縮こまらせて脅えていたから、夜に比べると幾分マシというのは本当らしいですが。
手にロザリオを持ったまま、ゆっくり近付いていく。
千歌「……ぅ」
ダイヤ「……大丈夫ですか?」
千歌「……うん、まだ平気」
大声をあげて発狂してしまう、夜の状態と比べるとかなり近付いても平気そうですわね。
お互いの距離が残り1mくらいまで近付いたところで、
千歌「…………こ、これ以上は無理……」
千歌さんが座ったまま後ずさる。
ダイヤ「……わかりました」
わたくしがロザリオをポケットにしまうと、
千歌「……ほっ」
千歌さんは胸を撫で下ろした。
そこからもわかりますが、目に見えることによって与えられる影響が大きいようですわね。
31:
ダイヤ「ポケットに入っていれば平気なのですわね?」
千歌「うん、一応。……ちょっと気にはなるけど」
ダイヤ「十字架の気配みたいなものを感じるということかしら?」
千歌「うぅん。持ってるって知ってるからってだけかな。十字架の気配的なものは感じないよ」
やはり、十字架は目に見えると影響があると言うことで間違いなさそう。
ダイヤ「それなら……これは普段は部屋に置いておいた方がいいかしらね」
わたくしが持っているとわかっていたら、千歌さんも落ち着かないでしょうし……。
千歌「あ、いや……ダイヤさんには持ってて欲しい、かな」
ダイヤ「え? ですが……」
千歌「もし、何かあっても……それを持ってれば、チカのこと撃退出来ると思うから……」
ダイヤ「…………わかりました」
千歌「……うん、ありがとう」
彼女が最も恐れているのは、自身が人を襲ってしまうことのようです。
保険として、わたくしには身を守る手段を持っておいて欲しいというのも、わからない話ではない。
仮に危害の方向がわたくしじゃなかったとしても、千歌さんが暴走してしまったときに止める手段にもなりますからね……。
……その後も、ロザリオと流水についての反応を二人で検証していると、確かに千歌さんの言う通り、拒否反応は夜に比べて随分マシだと言うことがわかりました。
昼の間、十字架は目視1mより近付くのは難しい。流水は10cmほどまでは大丈夫なようです。
水への嫌悪も多少和らぐようで──となると、今後の入浴は日が出てる間の方がいいかもしれませんわね。
結果論とは言え、昨日の夜に無理 矢理入浴させてしまったのは、少々悪いことをしましたわ。
ダイヤ「……さて、他に調べることは──」
と、次に何をしようか考えていたところで、
──くぅぅぅ……。
千歌「あ……お腹空いたね」
ダイヤ「…………///」
お腹が鳴ってしまい、わたくしは思わず赤くなって俯く。
そういえば、ご飯を後回しにして、忘れていましたわ……。
ダイヤ「ち、厨房に行きましょう……何か簡単なものを作ろうと思いますので、手伝ってくださいますか?」
千歌「あ、はーい」
わたくしは千歌さんを連れて厨房でお昼ご飯を作ることにしました。
 * * *
32:
ダイヤ「……ご飯は食べられるのですか?」
千歌「あ、うん。普通に食べられるよ」
ダイヤ「一応聞いておきたいのですが……食事で血への餓えを紛らわすということは……?」
千歌「……無理、かな。どんなにご飯を食べてても、血が欲しいって一度感じたら全然満たされなくなっちゃうから……」
ダイヤ「まあ、そうですわよね……」
それでどうにかなるなら苦労はしていないでしょう。
ダイヤ「大蒜の他に食べられないものは?」
千歌「食べられないものというか……水があんまり飲めない」
ダイヤ「え?」
千歌「最初のうちはちょっと水の味が変だなってくらいだったんだけど……ここ1?2日は水飲むと、気持ち悪くて吐き出しちゃってた……」
ダイヤ「そ、それって相当困りませんか……?」
千歌「う、うん……割と喉が渇いてて辛いかも……あ、でも昨日はダイヤさんが血を飲ませてくれたから、今は大丈夫だよ?」
ダイヤ「そ、そういうものなのでしょうか……?」
人間は4?5日も水を飲まなければ死んでしまいます。
血が水の代わりになると言っても……昨日千歌さんが飲んだ血の量なんて、遅らく100m?にも満たない量です。
吸血鬼は根本的に体質が違うといえばそれまでかもしれませんが、人間が一日に必要と言われてる水の量は1.5?以上なんて話を聞いたことがあります。
どう考えても足りているとは思えない。
ダイヤ「本当に大丈夫なのですか……?」
千歌「……えーっと」
ダイヤ「正直に言ってください。餓えもそうですが、渇きも十分理性を失う要因になりかねませんわ」
千歌「…………正直に言うと、ものすっごく喉が渇いてるかも……」
ダイヤ「……ですわよね。どう考えても、血液だけで補えているとは思えませんもの」
千歌「ごめんなさい……」
ダイヤ「いえ、謝らないでください」
……とは、言ったもののどうしたものか。
水を飲むことが出来ない以上、水以外のものから水分を補給しないといけないということだ。
ダイヤ「そうなると……野菜や果物でしょうか……」
とりあえず、何かないかと冷蔵庫を開ける。
その瞬間──
千歌「──??%#&□△◆■!?」
千歌さんが奇声を発した。
ダイヤ「え!?」
千歌「!!!!!!!!!」
鼻を押さえ、涙を流してのた打ち回っている。
ダイヤ「まさか、大蒜……!!?」
33:
焦って視線を冷蔵庫の方へ戻すと、チルド室の中に保存用の袋に入れられて保存されている皮を剥いた大蒜があるのに気付き──すぐさま、冷蔵庫を閉じる。
振り返ると、
千歌「……はっ……はっ……」
のたうち回るのは止まったものの、千歌さんは涙を流したまま息を切らせて蹲っていた。
ダイヤ「ち、千歌さん!? 大丈夫ですか!?」
千歌「……はぁ……はぁっ……し、死ぬかと……っ……思った……っ……」
ダイヤ「すみません……! わたくしの不注意でしたわ……!」
千歌「う、うぅん……あ、あはは……」
ダイヤ「もう……!! なんでこんなタイミングで大蒜が冷蔵庫の中にあるのですか!?」
わたくしも気が動転して、思わず声を荒げてしまう。
千歌「だ、大丈夫……ちょっと、びっくりしただけだから……」
ダイヤ「千歌さん……本当に、ごめんなさい……」
大蒜があると、部屋に入れないと言うのは事前に聞いていたのに。不覚でしたわ。
と言うか、保存袋に入れれば臭いはあまり漏れ出さないはずなのに……。
ダイヤ「かなりニオイに敏感なのですわね……」
そういえば、学校に居る間も最初は教室で待っていたけれど、保健室から血の匂いを感じて移動したと言っていましたし……嗅覚も人間離れしているのかもしれません。
冷蔵庫の厚い扉が一枚あれば、とりあえず大丈夫なようですが……。
ダイヤ「……とりあえず、部屋で待っていてくれますか?」
千歌「ごめんなさい……そうします……」
千歌さんはへろへろとわたくしの部屋へと戻っていく。
誰かが食べようと思っているものだと言うのには間違いありませんが……とりあえず、大蒜は後で処分しましょう。
しばらく千歌さんは泊めるつもりである以上、大蒜があるとそれだけで危険です。
……本当に死んでしまうのではないかと言う、苦しみ様でしたし。
ダイヤ「……さて」
チルド室の中に大蒜が置いてあった……。
ダイヤ「とりあえず、今は冷蔵室は開けない方がよさそうですわね……」
そう思い野菜室を開ける。
幸いなことに、こちらには大蒜は置いては居なさそうです。
ダイヤ「トマト、タマネギ、レタス……えっと、確か食パンは残っていましたわよね。サンドイッチにしましょう……」
ベジタブルサンドなら、水分も補給出来て、腹の足しにもなる。
……ただ、この組み合わせだとベーコンか卵が欲しいのですが、ベーコンも卵も、さすがに野菜室には置いていない。
冷蔵室を開けたいところですが、千歌さんに部屋に退散してもらったとは言え、あの嗅覚だとニオイを感じ取ってしまう可能性は十分ある。
ダイヤ「……背に腹は代えられませんわね。今日は野菜だけのサンドにしましょうか」
34:
一人呟きながら、トマトやレタスを取り出している折に、
ダイヤ「……? あら、これって……」
真っ赤な液体の入った瓶が目に入る。
ダイヤ「……これ、いけるかもしれませんわね」
わたくしはサンドイッチに材料とその液体の入った瓶を取り出して、早食事の準備を始めるのでした。
 * * *
ダイヤ「千歌さん、お待たせしました」
千歌「ん……」
わたくしの声を聞くと、千歌さんは身を起こす。
わたくしがサンドイッチを作っている間、畳の上で横になっていたみたいです。
ダイヤ「先ほどは本当にごめんなさい……」
千歌「んーん……あんなの誰にも予想出来ないよ……気にしないで……あはは」
千歌さんはそう言って力なく笑う。
申し訳ない気持ちでいっぱいですが、このままでは延々と謝罪をしてはフォローされての繰り返しになりかねないので、これ以上の謝意は飲み込むことにした。
こういうものは今後の反省に生かすしかない。
とりあえず、ここで突っ立っていても仕方がないので、持ってきたお皿を自室のちゃぶ台の上に置く。
千歌「……わ、サンドイッチ? おいしそう……」
ダイヤ「ええ、ベジタブルサンドですわ。これなら水分も取れると思いまして……それと──」
お皿と逆の手で持っていた、瓶を置く。
千歌「……!」
途端、千歌さんが涎を垂らす。
千歌「……って、わわ……」
千歌さんは慌てて涎を拭う。
ダイヤ「やっぱり……これを持ってきて正解でしたわ」
千歌「飲んでいいの!?」
ダイヤ「ええ、もちろんですわ」
先ほどまで、ぐったりしていた千歌さんが目を輝かせる。
その視線は机に置かれた赤い液体の入った瓶に注がれている。
そう──これは、
35:
ダイヤ「トマトジュース……吸血鬼が好きそうなイメージの飲み物ですわ」
千歌「……!!!」
千歌さんが無言でコクコクと首を激しく縦に振る。
もう待ちきれないといった様子なので、フタを開けて、コップに注いで彼女の目の前に差し出すと、
千歌「いただきます!!」
千歌さんはそれを一気に煽って、
千歌「コクコクコクコク……ぷはぁ……!!」
一気に飲み干してしまった。
ダイヤ「ふふ、おいしいですか?」
千歌「おいしい……!!」
ダイヤ「まだ、ありますからね」
千歌「うん!!」
再び注いであげると、千歌さんはコップに溜まっていく真っ赤な液体をキラキラした目で見つめている。
千歌「いただきますっ!!!!」
ダイヤ「ふふ、焦らないで飲むのですわよ」
やはり気を遣ってはいましたが、相当喉が渇いていたようです。
わたくし同様水分の確保には彼女も頭を悩ませていたのかもしれません。
文字通り数日振りに水を見つけた砂漠の旅人のように、幸せそうに赤い液体を飲み干していく。
千歌「ぅ……ぅぅ……っ……おいしいよぉ……っ……」
ダイヤ「よかったですわね……」
千歌「うん……ありがとう……っ……」
再び注いであげると、また夢中になって飲み干す。
大蒜があったときは、なんでよりによってと思いましたが……こうしてトマトジュースを見つけたことでチャラにしましょう。
吸血鬼になってしまった千歌さんと出会ってから、初めて彼女が喜ぶものを見つけてあげられて少し胸を撫で下ろす。
多くの制約の中でどうするかばかり考えていたので、千歌さんもわたくしも少し気が滅入っていましたが……こうして、幸福感を味わえるものを見つけられて良かったですわ。
──千歌さんは相当喉が渇いていたのか、一瓶あったトマトジュースはすぐに空になってしまいました。
千歌「……ぁ。……もう、ないんだ……」
それを見て千歌さんはシュンとする。
ダイヤ「あとで買ってきましょう。これから先、水の代わりになると思いますから」
千歌「うん!!」
ダイヤ「それでは、サンドイッチも食べましょうか」
千歌「はーい!!」
かなり遅くなってしまいましたが、二人で昼食を取る。
36:
千歌「あむ……♪ おいひぃ……♪」
ダイヤ「……ふふ」
昨日出会ってから、ずっと暗い表情が続いていましたが……。
ここに来て、彼女の満面の笑みを見ることが出来て、わたくしは心底安心したのでした。
 * * *
ダイヤ「それでは、日が傾き始めたら迎えに来ますわね」
千歌「うん、わかった。日傘、ありがとね」
千歌さんは十千万旅館の軒先の日影に身を逃がしてから、日傘を開いたままわたくしに手渡してくる。
ダイヤ「せっかくですから、千歌さんが持っていてもいいのですわよ?」
千歌「んーん。ダイヤさん、これから沼津まで買い物に行くんでしょ? さっきもダイヤさん、家出るときに、今日は日差しが強いって言ってたし……チカは日が沈むまで大人しくしてるから平気だよ」
ダイヤ「そうですか……出来るだけ早めに用を済ませて戻ってきますので」
千歌「うん。その間に志満姉にしばらくダイヤさんちに泊まりに行くって言っておく」
ダイヤ「ええ。それでは、また後で」
千歌「うん、またねー!」
── 一先ず、千歌さんには一度昼の間に家に帰ってもらい、わたくしは沼津に買出しに行くことに致しました。
それに、沼津には他にも用事がありますし……。
千歌さんから受け取った日傘を少し傾けて、空を見上げる。
ダイヤ「それにしても、今日は本当に日差しが強いですわね……」
まだ5月前だと言うのに、厳しい直射日光ですわ……。
もともと千歌さんのために日傘を持ってきたのですが、あまりに強い日射に途中から一緒に入れてもらう形で十千万旅館まで歩いて来ました。
ダイヤ「全く……ここ最近は暖冬や冷夏と言った気象が増えた気がしますわ……勘弁して欲しいですわね。まだ5月前なのに、今日の日差しはまるで真夏みたいですし……」
天気予報でも今日は少し暖かくなると言っていた。……いや、むしろ太陽が頑張りすぎているくらいでしょう。
千歌さんにとっては辛い気象だと思いますし……出来れば曇ってくれればと願ってしまう。
雨が降るとそれはそれで吸血鬼は外に出られなくなってしまう気がしますし……。曇りがいいですわ。
ぼんやり考え事をしながら、一旦荷物を取りに家に戻る。
ダイヤ「……本当に今日はすごい日差しですわね……。眩しい……」
わたくしは少しだけ顔を顰めながら、一人お昼過ぎの内浦を歩くのでした。
 * * *
──沼津に着いたのは15時頃でした。
37:
ダイヤ「余りのんびりもしていられませんわね……」
買い物もそうなのですが、待ち合わせをしている。
すぐさま、やば珈琲まで足を運ぶと。
花丸「あ、来たずら! ダイヤさーん!」
善子「自分から呼び出しておいて、珍しく遅いじゃない」
ダイヤ「すみません、お待たせしました」
店内の席で待っていたのは花丸さんと善子さんでした。
……と、いうかわたくしが呼び出したのです。
ダイヤ「すみません……皆で遊んでいたところだったと思うのですが……」
泊まりに行ったところですから、それこそ一緒に居たと思いますし……。
善子「ま、別にいいわよ。買い物してただけだし……。私は家でゲームがいい言ったのに……」
花丸「たまにこうして外に連れ出さないと、太陽の光が全然浴びられないずら」
善子「うっさいわね……余計なお世話よ」
ダイヤ「ふふ……善子さんも大変ですわね。こんな日に」
善子「……? そうよ、わざわざお泊りの日にそんな気遣いしなくてもいいじゃない」
……こんな日差しが強い日に。と言う意味だったのですが……。
まあ、いいでしょう。
ダイヤ「ルビィと果南さんは?」
善子「なんか二人でぬいぐるみ見てるって言ってたわ」
花丸「ルビィちゃんがぬいぐるみ好きなのは知ってたけど……果南ちゃんもだったんだね。意外ずら」
ダイヤ「果南さんはああ見えて可愛いものが好きですからね」
善子「ま、それはともかく……なんでわざわざ私とずら丸は指名されて、呼び出されてるわけ?」
花丸「……そうだね、何か聞きたいことがあるって言ってたけど……」
ダイヤ「単刀直入に。吸血鬼について、何か知ってることがあれば聞きたくて」
花丸「ずら? 吸血鬼?」
善子「……例の噂の話? あれ、でも大きなネズミがいただけだったんじゃないの? 果南はそう言ってたわよ」
ダイヤ「ええ、そうなのですが……。ただ、それだけだとやっぱり説明しきれないことがいくつかあって、もう少し調べてみようと思ってるのですが……。……果南さんには心配を掛けたくなくてそう言いましたが、もし万が一吸血鬼とやらが本当に居たらと思うと少し不安になりまして」
ほどほどに嘘を混ぜながら、そう嘯く。
善子「……ダイヤが? なんか変なものでも食べた?」
花丸「善子ちゃん……失礼ずらよ」
ダイヤ「いえ……善子さんの反応も仕方ありませんわ。わたくし、普段はそういうことは全く信じていませんので。……ですが、やっぱり夜の校舎は一人で歩くと不気味で……少しでも噂の吸血鬼とやらを知っておけば心持ちも軽くなるのではないかと」
善子「……ふーん、なるほどね」
ダイヤ「わたくしも気になって少し調べてはみたのですが……花丸さんや善子さんなら、わたくしよりも詳しいかと思いまして」
花丸「敵を知り、己を知れば、百戦危うからずずらね……。一周回ってダイヤさんらしいかも」
どうにか、納得はしていただけたようです。
38:
善子「うーんまあそうね……でも簡単なことは調べたんでしょ?」
ダイヤ「ええまあ」
花丸「有名な話だと、十字架、大蒜、聖水……そして、日光に弱いってことだよね。あとは人の血を吸う」
善子「正確には若い女性の血かしらね」
ダイヤ「そうなのですか?」
そんな限定条件があるのは知らなかった。
善子「まあ、今の吸血鬼のイメージではって話だけどね」
ダイヤ「今の……?」
花丸「もともと吸血鬼の話って世界中であって……特に東欧では昔から伝承がたくさんあったんだよ」
善子「多くの伝承では死者が甦った者とかそんな感じの存在だったかしらね? ノスフェラトゥなんて言ったりするけど、こっちよりもヴァンパイアって言う方が馴染みがあると思うわ」
ダイヤ「ええ、ヴァンパイアならわたくしも聞いたことがありますわ。……でも、それは吸血鬼の英名みたいなものなのでは?」
善子「んー……まあ、そうっちゃそうなんだけど、語源が曖昧なんじゃなかったかしら。元の意味合いとしては妖怪とか魔獣って意味合いだった気がするわ。ま、それはそれとして、“これぞ吸血鬼”って感じになってくるのはドラキュラ伯爵からよね」
花丸「ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』ずらね。1897年の刊行物かな。まあ、これ以前にも吸血鬼を題材にした創作物はあるけど……1819年、ポリドリの『吸血鬼』。1872年、ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』なんかは『吸血鬼ドラキュラ』に大きな影響を与えたって言われてるよ」
善子「あんたよく刊行年なんか覚えてるわね……。まあ、そういう作品たちから今の所謂『吸血鬼像』が作られていったのよ」
ダイヤ「……? となると、吸血鬼と言う生き物? 妖怪? 怪異がもともと居たのではなく、あくまで創作の中の存在と言うことですか……?」
そこまで言って、
花丸「ずら?」
善子「……?」
二人が不思議そうな顔をした。
花丸「えっと……ダイヤさん、信じてるわけじゃないんだよね?」
……しまった。この聞き方では、まるで吸血鬼が実際に居るのを知っているみたいではないですか。
ダイヤ「あ、いえ……えっと……。火のないところに煙は立たぬと言うではないですか。架空の生き物とは言え、やっぱり元になったものがあるのではと思いまして」
善子「ああ、まあ……諸説あるわよね」
……どうにか、誤魔化せましたわね。
善子「でも怪異的な話って辿ってみると、実際にそういう魔物が居たと言うよりは、民衆の恐怖が伝承の中で落とし処をつけるために人智の及ばないモンスターをでっちあげちゃってたりするのよね。もちろん、とんでもなく強い獣が伝説になって化け物として語り継がれるってパターンもあるけど」
花丸「伝染病とか流行り病なんかは、そういうものに結びついてることが多いよね。実際吸血鬼の伝承も狂犬病から来てるんじゃないかって言う人もいるし」
ダイヤ「狂犬病ですか……」
花丸「狂犬病は日本だと70年以上発症例がないから……マルたちには馴染みがないけど、噛まれて感染する、感染者は狂暴化したり、水を極端に怖がる恐水症って言われる症状を発症するずら」
善子「あとは、光も怖がるようになるんだっけ……?」
花丸「うん、瞳孔反射が弱って光を嫌うようになるずら。あとは風の動きとかにも過敏になって、嗅覚や聴覚が鋭敏になるとか言うね。精神錯乱とかもあって、人が変わっちゃうとも聞いたことがあるずら」
確かに、聴覚はわかりませんが……嗅覚の鋭敏化、噛み付くことや、光や水を忌避すると言うのはまさに今の千歌さんに近い状態とも言える。血に餓えれば精神錯乱も起こすし、狂暴にもなっていた。
……ですが、まさか千歌さんが狂犬病というわけではないでしょう。
39:
善子「私はその説あんま好きじゃないけどね……」
花丸「そうなの?」
善子「だって、狂犬病って致死率100%の病気じゃない。……それに、狂犬病は人から人へは基本的に感染しないって言うでしょ? 吸血鬼の本懐はやっぱり、吸血して仲間を増やすって部分だと思うんだけど。類似点があるのは認めるし、それがモチーフになったってのはあるかもしれないけど……。狂犬病と吸血鬼が同視されてたってのは飛躍じゃないかしら」
花丸「……一理あるずら」
ダイヤ「人から人へ……」
善子さんの発言に少し引っかかる。
ダイヤ「あの……吸血鬼と言うのは人から人に移っていくものしかないのでしょうか?」
善子「んー……増え方としては基本的にそうよね。美しい女性を好んで吸血する。なんでかわからないけど、吸血の際は絶対首筋に噛み付くのよね。そして、血を吸われた人間も吸血鬼になるってのが多いわ」
ダイヤ「…………」
吸血方法も千歌さんの特徴と一致している。千歌さんも『何故か首筋に噛み付きたい』と言っていたし……。
花丸「丁度、今ダイヤさんが絆創膏してる辺りだよね」
ダイヤ「……!?」
善子「え?」
思わず首筋を押さえる。
千歌さんからの噛み傷を隠すために、絆創膏を貼ったのを忘れていた。
善子「……え、ち、ちょっと……まさか」
ダイヤ「え、あ、いや……その……」
花丸「ずら?」
善子「……ま、まさか……こんな話してるときに、そこに傷があるって……」
ダイヤ「こ、これは、その……!」
不味い。
吸血鬼の存在がバレる。
いや、それだけではありません。
この話の流れだと、わたくしは吸血鬼化された人間だと思われる可能性が高い。
ここまでの話で千歌さんとの類似点は多いですが、千歌さんには他人を吸血鬼にする力はありません。
わたくしは大蒜のニオイを嗅いでも大丈夫でしたし、水も平気、そして十字架も──そうだ、十字架……!!
ダイヤ「へ、変な疑いを掛けないでください!! 昨日、善子さんから貸して頂いた十字架も……ほら、このように持っているのですわよ!?」
善子「……最近の吸血鬼って十字架を克服してるのとか、いるのよね」
ダイヤ「!?」
善子「それに、そんなに必死になって、否定する理由はなに?」
ダイヤ「そ、それは……」
善子「ただでさえ、突然こんな話してきてらしくないなって思ってたし……まさか、ダイヤ」
ダイヤ「ま、待ってください!! 誤解ですわ!!」
善子「なら、その絆創膏剥がして見せてよ」
ダイヤ「……!」
40:
>>32 文字化けしてたので修正
ダイヤ「……ご飯は食べられるのですか?」
千歌「あ、うん。普通に食べられるよ」
ダイヤ「一応聞いておきたいのですが……食事で血への餓えを紛らわすということは……?」
千歌「……無理、かな。どんなにご飯を食べてても、血が欲しいって一度感じたら全然満たされなくなっちゃうから……」
ダイヤ「まあ、そうですわよね……」
それでどうにかなるなら苦労はしていないでしょう。
ダイヤ「大蒜の他に食べられないものは?」
千歌「食べられないものというか……水があんまり飲めない」
ダイヤ「え?」
千歌「最初のうちはちょっと水の味が変だなってくらいだったんだけど……ここ1?2日は水飲むと、気持ち悪くて吐き出しちゃってた……」
ダイヤ「そ、それって相当困りませんか……?」
千歌「う、うん……割と喉が渇いてて辛いかも……あ、でも昨日はダイヤさんが血を飲ませてくれたから、今は大丈夫だよ?」
ダイヤ「そ、そういうものなのでしょうか……?」
人間は4?5日も水を飲まなければ死んでしまいます。
血が水の代わりになると言っても……昨日千歌さんが飲んだ血の量なんて、遅らく100m?にも満たない量です。
吸血鬼は根本的に体質が違うといえばそれまでかもしれませんが、人間が一日に必要と言われてる水の量は1.5?以上なんて話を聞いたことがあります。
どう考えても足りているとは思えない。
ダイヤ「本当に大丈夫なのですか……?」
千歌「……えーっと」
ダイヤ「正直に言ってください。餓えもそうですが、渇きも十分理性を失う要因になりかねませんわ」
千歌「…………正直に言うと、ものすっごく喉が渇いてるかも……」
ダイヤ「……ですわよね。どう考えても、血液だけで補えているとは思えませんもの」
千歌「ごめんなさい……」
ダイヤ「いえ、謝らないでください」
……とは、言ったもののどうしたものか。
水を飲むことが出来ない以上、水以外のものから水分を補給しないといけないということだ。
ダイヤ「そうなると……野菜や果物でしょうか……」
とりあえず、何かないかと冷蔵庫を開ける。
その瞬間──
千歌「──??%#&□△◆■!?」
千歌さんが奇声を発した。
ダイヤ「え!?」
千歌「!!!!!!!!!」
鼻を押さえ、涙を流してのた打ち回っている。
ダイヤ「まさか、大蒜……!!?」
41:
出来ない。
この下には噛み傷がある。
わたくしが吸血鬼になっていなくても、これは紛れもなく吸血鬼によって作られた噛み傷だ。
もし吸血鬼が、善子さんの言う通り、吸血鬼的な弱点を克服できている個体もいるのだとしたら、自分がそうじゃないことをこの場で証明する方法が一つもない。
善子「……別に後ろめたいことがないなら、出来るでしょ?」
ダイヤ「………………」
どうする。どうする……?
今わたくしから吸血鬼の存在が露呈すると恐らく悪いことが起きる。
善子さんは吸血鬼を人間にとって善いものとして喋っているとは思えない。
ダイヤ「……こ、れは……」
わたくしが答えに窮していた、そのとき──
花丸「善子ちゃん……やめるずら」
花丸さんが善子さんを嗜めた。
善子「いやいや……ずら丸、あんた状況わかってるの?」
花丸「状況がわかってないのは善子ちゃんずら……」
善子「はい……?」
花丸「妹が泊まりに行った晩、翌日首筋に張られた絆創膏……普通乙女だったら人になんか言えないずら」
ダイヤ「…………!」
これは、ナイスアシストですわ……!!
ダイヤ「そ、そうですわ……!! そ、そんなこと答えられるわけないではありませんか……!!」
そう言って、わたくしは恥ずかしそうに俯く演技をする。
善子「……は?」
花丸「……はぁー……善子ちゃん、耳を貸すずら」
善子「……?」
花丸さんが善子さんに耳打ちをする──と、
みるみる善子さんの顔が真っ赤に染まっていく。
そして──
善子「そ、そういうことなら、早く言いなさいよ!!!!/////」
顔を真っ赤にして、声を張り上げた。
花丸「だから、自分から言えるわけないずら……ましてやこの場で見せろなんて、デリカシー皆無ずら」
善子「ぅ……/// ご、ごめんなさい……///」
ダイヤ「い、いえ……わかっていただければ、いいのですわ……」
かなり良心が痛みましたが、助かりました。
恐らく花丸さんが善子さんに耳打ちした内容はこう──『首筋のキスマークを絆創膏で隠してるんだよ』
42:
善子「でも、ダイヤが……ふ、ふーん……」
花丸「……あ、そっか」
善子「……?」
花丸「ダイヤさん……その人に心配されちゃったんだね」
ダイヤ「……!?」
花丸「学校のために吸血鬼のことを調べて頑張る愛しの人が心配な恋人……その人に心配を掛けないために、少しでも情報を集めて対策してるんだよって姿勢を見せるために」
善子「……あ、ああ……ダイヤがリア充に……」
ダイヤ「…………」
なんだか、花丸さんの妄想が変な方向に肥大を始めましたが……。この場はとりあえず、そういうことにしておいた方がいいかもしれませんわね……。
花丸「そういうことなら、協力するしかないよね! 善子ちゃん!」
善子「え!? ま、まあ……」
花丸「吸血の話だったっけ」
善子「え、ええっと……そうだったわね……。コホン」
善子さんは軽く咳払いをしてから、先ほどの会話の続きを始めてくれる。……本当に助かりましたわ。
善子「……ま、これも最近のイメージだけど、吸血鬼が吸血した相手も吸血鬼になるって話はよくあるわ。眷属化って言い方をすることもあるわね」
ダイヤ「眷属化……?」
善子「隷属化って言うのかしらね? しもべにしちゃうのよ」
ダイヤ「しもべ……ですか」
善子「眷属化すると、自分を眷属化した吸血鬼には逆らえなくなるっていうのが多いわね」
花丸「あ……それに近いことで吸血鬼って魅惑や誘惑の能力があったよね」
善子「ああ、確かにチャームも有名よね」
ダイヤ「チャーム……?」
善子「魅了の魔法が得意って言う設定がよくあるのよ。噛まれた人間は魅了されちゃって、逆らう気なんてなくなっちゃうの」
花丸「それに血を吸われた相手は性的な快楽があるなんて話もあるよね」
ダイヤ「…………!」
これには心当たりがあった。
千歌さんに噛まれたあと、頭の中に靄のようなものが掛かり、頭が冷静に働かなくなって……。
おぼろげな記憶の中で……わたくしは確か、もっと吸血をして欲しいとせがんでいた気がする。
なるほど……あれはそういうことだったのですか……。
善子「ま、この辺はホントに媒体によってあったりなかったりだけどね。……ものによっては血を吸われても吸血鬼化しない、ただの餌パターンだったり、はたまた吸血鬼にはならず、吸血鬼もどきみたいな出来損ないなっちゃったりで、もう作者の都合次第なところあるわよね」
ダイヤ「な、なるほど……」
つまり千歌さんに関しては、眷属化はしないが、チャームはあると言った感じのようですわね……。
43:
ダイヤ「他には何かありますか……?」
善子「そうねぇ……吸血鬼は得てして美しかったり、スタイルが良かったりするのも特徴としてあげられたりするわね」
花丸「あとは再生能力かな……不死者なんて言うくらいだもんね。あと身体能力もずば抜けてるって言うずら」
善子「魔眼があるとか……これはチャームに付随する能力で、見つめた相手を魅了する力があったりするわ」
花丸「鏡に映らないとか」
善子「棺桶で眠る」
花丸「招待されていない家には入れない」
善子「銀の武器に弱い」
花丸「杭で心臓を貫かれると死ぬ」
善子「……前々から思ってたんだけど、それってどんな生き物でも死ぬわよね」
花丸「それ以外で心臓を刺されても死なないってことじゃないの?」
ダイヤ「トマトジュースが好き……とかは?」
善子「あー……そういう設定のもあるわね」
花丸「手塚治虫とかそうだよね」
善子「へー……あんた漫画も読むのね? 意外だわ」
花丸「漫画でも有名処なら読んだことあるずら」
善子「なるほどね。……まあ、その設定は怪物くんの方が古いけど」
随分マニアックな話になってきてしまいましたが……。
千歌さんにはない特徴はいくつかありましたが、基本的には所謂『吸血鬼』の特徴を有していると言うことで概ね間違いがないようですわね……。
……ただ、重要な情報がまだ出ていない。
ダイヤ「あの善子さん、花丸さん」
善子「ん?」
花丸「ずら?」
ダイヤ「仮に、吸血鬼になってしまったら……その人はもう元には戻れないのでしょうか?」
──そう、重要なのはそこなのです。
これが達成されなければ、どれだけ性質を知っても意味がない。解決しない。
善子「うーん……吸血鬼化した人間が元の真人間に戻るかって話よね……」
花丸「どうなんだろう……お話だとやっぱり被害者みたいな描かれ方が多くて最後は死んじゃったりするよね」
善子「……そうねぇ。吸血鬼になる理由って、多くの場合が吸血鬼の血を体内に取り込んじゃったからって言うのが多いんだけど……」
ダイヤ「……血を体内に……」
善子「そ。吸血される際に吸血鬼の血が吸われる側にも混じっちゃうと、吸血鬼になっちゃうの。ただ、血って時間である程度薄れるじゃない? 常に体の中で新しいのを作ってるわけだし。だから、吸血鬼と関わらなければだんだん吸血鬼じゃなくなっていく……みたいなのは見たことあるかも」
ダイヤ「……なるほど」
具体的な解決方法かと言われると少し曖昧ではありますが……。
戻る可能性がちゃんとあるなら希望はある。
一先ず、聞きたいことは聞けたかと思い腕時計を見ると。
ダイヤ「もう4時ですか……」
思った以上に話し込んでしまいました。
そろそろ買い物を始めないと、日没の時間に間に合わなくなってしまう。
44:
ダイヤ「貴重なお話……ありがとうございました」
善子「ま、参考になったなら何よりね」
花丸「大変かもしれないけど……彼氏さんとのこと、頑張ってね!」
ダイヤ「!? あ、ありがとうございます……」
そういえば、そんな話になっていましたわね……。
これはこれで、めんどくさいことにならなければいいのですが……。
まあ、大事の前の小事と言うことで、今は気にしないようにしましょう……。
ダイヤ「それでは……わたくし買い物がありますので」
善子「承知」
花丸「ダイヤさん、またねー」
ダイヤ「あ……そうでしたわ、お二人に渡そうと思っていたものが」
花丸「ずら?」
わたくしはカバンから、ソレを取り出して、善子さんに手渡す。
善子「これって……」
ダイヤ「よかったら皆さんで食べてくださいませ。あと善子さん、お母様にルビィがお世話になっていますとお伝え下さい」
善子「あ、ああ……うん、わかった」
ダイヤ「それでは、失礼致しますわ」
一通り、聞きたいことを聞くことが出来たわたくしは、この場を後にしました。
善子「……ねぇ」
花丸「ずら?」
善子「なんでニンニク……?」
花丸「さぁ……?」
 * * *
──駅前のスーパーマーケット。
ダイヤ「トマトジュース……トマトジュース……あ、ありましたわ」
スーパーの中を歩き回りながら、飲料売り場でトマトジュースを見つける。
ペットボトルに入った一般的なトマトジュースです。
ダイヤ「一本720m?……」
水の代わりの飲料として買う以上、1日2本以上は飲むと考えた方が無難でしょう……。
ダイヤ「そうなると……」
冷やされたペットボトル飲料の売られている場所の向かい側に、箱で売られているものを見つける。
少々荷物になりますが……何度も沼津まで買いに出られる保証はないですし……。
45:
ダイヤ「箱で買って帰りましょう」
これも千歌さんのためですわ。
ペットボトル15本入りの箱を、カートの下段に載せる。
それにしても……。
ダイヤ「トマトジュースって思いのほか安いのですわね?」
15本入りで3000円ちょっと。
なかなかリーズナブルではないですか。
──ふと、その隣に瓶に入ったトマトジュースを見つける。
ダイヤ「あら……こちらは千歌さんが今朝飲んでいたものに似ていますわね」
わたくしのイメージではペットボトルと言うよりは、瓶に入っている方が馴染み深いのですが……。
ダイヤ「こちらの方が少し高級なのかしら? 千歌さんのために、一本くらい買って行ってもいいかもしれませんわね……」
なんせ、彼女はこれしか飲む飲料がないのですし……。
そう思って、値札を見て──
ダイヤ「16,200円……?」
思わず自分がカートに詰め込んだ箱と見比べてしまう。
ダイヤ「え……?」
一本辺りの値段が数十倍違うのですが……。
ダイヤ「……買えなくはないですけれど」
とはいえ、さすがにお小遣いで賄える額と言うのは厳しい。
……と言うか、
ダイヤ「……今日千歌さんが飲んでいたのは、一体いくらするトマトジュースだったのかしら……?」
……まあ、細かいことを考えるのはやめましょう。
 * * *
帰り道、バスに揺られながら、花丸さんと善子さんから聞いた話を頭の中で反芻しているが……。
千歌さんが今吸血鬼であると言うのはほぼ間違いがないと思う。
だけど、何故そんな面妖な存在になってしまったのかの見当が全くついていなかった。
千歌さんが元々吸血鬼だったと言う線は極めて薄い。
となると……。
ダイヤ「千歌さんを吸血鬼化させた吸血鬼が居る……?」
46:
……とは言うものの、結局どこまで行っても吸血鬼と言う存在が眉唾なことに変わりがない。
なんせ、今日聞いた話でも所謂吸血鬼要素も当てはまったり当てはまらなかったりなのです。
ましてやトマトジュースが好きと言うイメージは──手塚治虫の名前も出ていたし──極めて最近の吸血鬼のイメージだと言う話です。
そうなると、今回の吸血鬼は最近生まれた吸血鬼……?
いや、もしかしたら過去の時代から実はトマトジュースが好きで、何かの拍子に手塚先生がそれを知って、作品に流入したという可能性もなくはないですが……。
ダイヤ「……いや、たぶんないと思うのですが……」
何が言いたいかと言うと、吸血鬼という明確な存在が居るにしては、あまりにあやふや過ぎる気がするということです。
確実に千歌さんは吸血鬼になってしまっているとまで言えるのに、それにしてはイメージが生き物っぽいというよりは……。
──通俗的すぎる……?
おどろおどろしい怪異というよりは、完全にキャラクターのようではないでしょうか……?
ダイヤ「……まあ、光を浴びて灰になられても困りますけれど……」
吸血鬼は太陽の光で灰になってしまうらしいですし……。
そうならないで居てくれるのはむしろ僥倖でしょうか。
そんなことを考えている折、バス内に西日が入ってくる。
ダイヤ「……今日の日差しは本当に眩しいですわね」
沈んでいく夕日を見ながら──
ダイヤ「……また夜が、始まりますわね──」
わたくしはバスに揺られながら、一人呟くのでした。
 * * *
──十千万旅館の玄関をくぐると……。
千歌「あ、ダイヤさん……!」
千歌さんが座って待っていました。
ダイヤ「ここで待っていたのですか?」
千歌「うん。……まあ、やることがあったわけじゃないし。ただ、志満姉にお泊りの許可は貰ってきたよ」
ダイヤ「そうですか。……まだ外は日差しが強いので、日が沈んでから発ちますか?」
千歌「あ、うん……。西日だと横から来るから防ぐ方法ないもんね」
そうなると、あと30分くらいかしら……。
そういえば……ふと、気になることがあるので千歌さんに耳打ちしながら訊ねる。
ダイヤ「あの……吸血鬼化のタイミングって、いつなのですか? 日の入直後……?」
千歌「えっと……日が沈んでから夜になるにつれて徐々に進んでく感じかな……。深夜になるころには完全に吸血鬼になってる」
ダイヤ「なるほど……」
47:
まあ、それなら急いで発つ必要もありませんわね……。
そう思い、わたくしも玄関先に腰を降ろす。
千歌「それ……」
ダイヤ「?」
千歌さんの視線を追うと、持っていたトマトジュース入りのダンボールにぶつかる。
千歌「ごめん……重かったよね」
ダイヤ「いえ、これくらい大丈夫ですわ。普段からスクールアイドルとして鍛えているのですから」
千歌「うん、ありがと……ダイヤさん、優しいね」
ダイヤ「ふふ……貴方には負けますわ」
千歌「ええ? チカ別に特別優しいとか、そういうことは……」
ダイヤ「貴方のその謙遜するところも、貴方の優しさの要素なのかもしれませんわね」
千歌「え、ええ……?」
なんとなく……こうして話していると、今千歌さんがとんでもない問題を抱えているのが嘘のようですが……。
でも、事は実際に起こっている。
そして、それが目に見える形で起こる時間が今日も迫ってくる。
ダイヤ「気合いを入れなおさないといけませんわね」
千歌「……?」
ダイヤ「千歌さん……今日も頑張りましょうね」
千歌「! うん!」
千歌さんはだいぶ肩の力が抜けてきたのか、朗らかな笑顔で返事をしてくれたのでした。
 * * *
──黒澤家。
ダイヤ「千歌さん、あーん」
千歌「ぁー……」
ダイヤ「写真撮りますわよ」
──カシャ。
千歌「自分のスマホで延々と自分の口開けてる写真撮られるの……変な感じだなぁ」
ダイヤ「まあ……そうでしょうね」
とりあえず、我が家に移動し、日は完全に沈みきった時間。
外には月が煌々と輝いている。
日差しが強い一日だったので、夜になってくれて一安心と言ったところです。
48:
ダイヤ「夜は涼しくて過ごしやすいですわね」
千歌「そうだね」
今は、夜中に向けて徐々にキバに変わっていく千歌さんの歯の経過観察をしています。
こういう地道な検証はどこかで何かの役に立つ可能性がありますから。
ただ、思ったよりもキバになっていく時間は早い印象です。
確かに昨日見たものよりは小さいですが、もう十分にキバと言えるレベルで、ただの尖った犬歯と言うには鋭いでしょう。
──くぅぅぅ……。
ダイヤ「……ぅ……///」
どうして真面目なことを考えているのに、お腹が鳴ってしまうのでしょうか。
千歌「あはは……もう20時過ぎだもんね」
ダイヤ「千歌さんは、平気なのですか……?」
千歌「うん、血が飲めればそんなにお腹は減らないんだよね」
便利なのか不便なのか……。……いや、不便ですわね。
ダイヤ「何か作ってきますわね」
千歌「あ、私も手伝う……えっと、まだニンニクってあるのかな」
ダイヤ「いえ、もう大蒜はありませんわ。お手伝いお願いしますわね」
千歌「はーい」
 * * *
千歌「??♪」
千歌さんは手際よく、野菜を切ってくれている。
本日の晩御飯ですが……そんなに手間をかけている暇もなさそうなので、無難に肉と野菜の炒め物にしました。
今日はお手伝いさんもいないですし、両親も基本的に忙しい我が家の厨房は、割と自由に使えます。
……もし、わたくしに家の用事があっても、今回ばかりは千歌さんを優先しなくてはいけないので、いろいろと言い訳も考えておかないといけませんが……。
基本的にはAqoursと生徒会があって忙しいということを理解して頂けているので、よほどのことがない限りわたくしが出張らなくてはいけない用事もないと思いたいですが……。
ダイヤ「ご飯はこれでよし……野菜炒めと白米だけだと少し寂しいかしら……」
千歌「お味噌汁とか?」
ダイヤ「……そうですわね。汁物を作りましょうか。確か味噌は……」
千歌「じゃあ、お鍋でお湯わかすね」
ダイヤ「お願いしますわ。お豆腐は……さすがに急だとないから、油揚げかしら」
千歌「お味噌汁ねぎ入れる?? 切るよ??」
ダイヤ「ええ、お願いします」
千歌「はーい」
49:
二人でテキパキと晩御飯を用意する。
千歌さんは普段適当なイメージがありますが、やはり旅館の娘だけあって、家事はしっかりしている。
この辺りは曜さんや梨子さんも褒めていたので、知ってはいたのですが、目の当たりにすると割と驚いてしまう。
千歌「ねぎよーし! ……ん? ダイヤさん、どうかしたの?」
ダイヤ「いえ、料理上手ですわね、千歌さん」
千歌「ん、切ってるだけだよ?」
ダイヤ「いえいえ、ルビィなんか包丁を持つだけでも危なっかしくて見ていられないので……」
千歌「あー、まあ……なんか想像出来るかも。野菜切り終わったよ」
ダイヤ「それでは、炒めますわね。千歌さんはお味噌汁をお願いしてもいいですか?」
千歌「はーい」
こうして二人で入れ替わり立ち代り料理をするのは単純に楽しいですわね。
フライパンに油を引いていると、
千歌「えへへ♪」
千歌さんが唐突に楽しそうに笑みを零す。
ダイヤ「どうしたのですか?」
千歌「んーん、なんかこうしてるとさ」
ダイヤ「はい」
千歌「新婚さんみたいだね?」
ダイヤ「!?」
フライパンを持つ手がブレて、ガタッと音を立てる。
千歌「わ!? 大丈夫?」
ダイヤ「……え、ええ。問題ありませんわ、ごめんなさい」
千歌「ん、気を付けてね」
ダイヤ「え、ええ……」
全く何を言い出すかと思ったら……。
新婚さん……ですか。
なんとなく、首に貼った絆創膏を撫でる。
このキスマークを付けた人が横に居る……。
その人と新婚さんのように一緒に料理を……。
──って、わたくし何を考えているのですか!!
思わずかぶりを振る。
千歌「?」
それにこれはキスマークではありません!! 噛み傷ですわ!!
千歌「ダイヤさん?」
ダイヤ「これは噛み傷を隠しているだけですわ!」
千歌「ふぇ!? う、うん知ってるけど……?」
50:
全く……千歌さんや花丸さんが変な事を言うから……わたくしも感化されて変なことを考えてしまったではありませんか……。
千歌「ふんふん?♪ そろそろいいかな??」
ダイヤ「…………」
ただ、よくよく考えてみると、千歌さんと二人っきりで料理してるというのは不思議なシチュエーションですわね。
ルビィや果南さんと二人で料理をしたことはありますが……。千歌さんとは特別二人っきりになる間柄でもなかったですからね。
ダイヤ「…………まあ、悪くないですわね」
千歌「ん? 何か言った?」
ダイヤ「いえ……別に」
千歌「?」
わたくし、少し不謹慎かもしれませんが……。
少しだけ、少しだけですが……。
今、この状況が楽しいな、なんて。
ほんの僅かに思ったりしていなくもありませんわ。
 * * *
千歌・ダイヤ「「いただきます」」
二人で手を揃えて、遅い晩御飯を食べ始める。
千歌「ぁむ……ん?やっぱり自分たちで作ったご飯はおいしいね!」
ダイヤ「ふふ、そうですわね」
料理は楽しかったので、しばらく二人で過ごすのなら、もうちょっと凝った料理をするのも良いかもしれない。
ずっと、気の滅入ることばかりだと、事もいい方向に進みませんしね……。
千歌「そして、トマトジュース! いただきます!」
千歌さんはコップに注いであったジュースを一気に煽る。
千歌「コクコクコク……ぷはぁ!! やっぱおいしい!! この一杯の為に生きてる!!」
ダイヤ「もう、親父臭いですわよ……」
千歌「あはは、一度やってみたかったんだよね」
飲み干されてしまったしまったコップに、トマトジュースを注ぐ。
51:
千歌「あ、ごめん、ありがと」
ダイヤ「貴方にとっては命の水ですから……遠慮せずに飲んでください」
千歌「うん! 生きてて、こんなにトマトジュースがおいしいって感じることがあるなんて思わなかったよ……」
ダイヤ「ふふ、そうかもしれないわね」
千歌「ただ……」
ダイヤ「ただ?」
千歌「やっぱり、お昼に飲んだトマトジュースの味は忘れられないなぁ……ホントに喉渇いてたから、ホントおいしくって……」
ダイヤ「……そ、そうですわね」
あれが高級品だったと言うことは、きっと知らない方がいいでしょう。
千歌「そういえば、ダイヤさんのお父さんとお母さんっていつも家に居ないの?」
ダイヤ「そんなことはないですけれど……。基本忙しいので家を空けている事が多いですわね。特にゴールデンウイークは出席しないといけないお酒の席が多いでしょうし……帰ってくるのは遅くなることが多いですわ」
千歌「そうなんだ……」
とはいえ、今の状況的に、これはむしろ望ましい。
出来る限り、千歌さんと二人で過ごせる環境が確保されている方が何かと困らないでしょうし。
千歌「あむ……もぐもぐ……。……コクコクコク、ぷはっ!」
ダイヤ「もう……そんなに焦って食べると、喉に詰まらせますわよ?」
千歌「だって、おいしいんだもん!」
ダイヤ「ふふ、そうですか」
千歌さんは随分表情が明るくなった。
これは確実に良い傾向です。
──ただ、今後これはどう転ぶかわからない。
今夜から、明日の夜に掛けて、発生する問題がある。
……二度目の吸血行為。
どのタイミングで耐えられなくなるのかの見極めが必要ですが、我慢をさせすぎるわけにもいかない。
この辺りは慎重に考えなくてはいけない。
吸血時に起こる、チャーム現象の問題もありますし……。
とりあえず、食事が終わったらその辺りの情報共有をしなくては。
千歌「もぐもぐ……えへへ♪」
ただ、今は幸せそうなので、食事に集中させてあげましょう……。
 * * *
ダイヤ「……さて、今後のことを考える前に。今日調べてきてわかったことをいくつか、お話しますわ」
千歌「うん」
ダイヤ「わかっていること含めて……吸血鬼の特徴を順に言っていくと──」
52:
 ・血を吸う架空の生き物。特に若い女性の血を好む。
 ・十字架、大蒜、聖水、流水、日光などに弱い。
 ・不死者と呼ばれ強い再生能力を有する。また、力も強く、身体能力も高い。
 ・トマトジュースが好き。
千歌さんと情報の共有をしながら、ついでに紙に箇条書きで書き出していく。
ダイヤ「今の千歌さんに見られる特徴はこの辺りでしょうか……」
千歌「私も自分でいろいろ調べたけど……ここにない特徴もあるよね?」
ダイヤ「……そうですわね」
 ・鏡に映らない。
 ・棺桶で眠る。
 ・招待されてない家には入れない。
 ・銀の武器に弱い。
 ・杭で心臓を貫かれると死ぬ。
千歌「……鏡には映るかな」
ダイヤ「ええ、昨日鏡に映っていましたし」
千歌「棺桶でも眠らないかな……というか、棺桶ってどこにあるんだろう」
ダイヤ「招待されてない家には入れない……と言うのは確認が難しいと思いますが」
千歌「……でも、これはそうかもしれない」
ダイヤ「?」
千歌「だって、あれだけ餓えてても、誰かの家とかじゃなくて、学校に行ってたし……むしろ、行こうなんて発想がなかったけど」
ダイヤ「……ふむ」
確かに、正気を失っていたら見知らぬ家に押し入って、吸血していてもおかしくはない。
そういうことがなかったというのが、イコールでこの項目の証明になるかは微妙なところですが……。
ダイヤ「どちらにしろ、招待されていない家には入らないに越したことはありませんから……これはあってもなくてもですわね」
千歌「だね」
むしろ、弱点に数えられているものの中では、今の千歌さんにはあった方が良い弱点かもしれない。
仮に正気を失っても吸血鬼の性質が行動を制限してくれるなら、それは恐らくプラスでしょう。
千歌「銀の武器に弱い。……たぶん、どんな武器にも弱いと思うんだけど」
ダイヤ「杭で心臓を貫かれると死ぬ。この二つは実証する必要もないので、まあ、そういうことがある程度の認識でいいかもしれませんわね」
千歌「うん」
……さて、ここからが本題です。
ダイヤ「……吸血鬼にはチャームという能力があるそうなのです」
千歌「チャーム?」
ダイヤ「魅惑、誘惑の力らしいですわ。いくつか発動条件はあるそうなのですが……」
千歌「?」
53:
彼女の紅い瞳を見つめていても、特に変わったことはない。
とりあえず、魔眼の能力はないと考えていいでしょう。
ダイヤ「吸血時に血を吸った相手に、そのチャームが掛かってしまうようなのですわ」
千歌「……あ、もしかして、血を吸ったときにダイヤさんがちょっとおかしかったのって……」
ダイヤ「ええ、恐らくチャームの影響でしょう。吸われた側にはその……性的な快楽が生じるそうですわ」
千歌「……? せーてきなかいらく?」
ダイヤ「……えぇっと……まあ、気持ち良いと感じると言うことですわ」
千歌「そうなんだ? あ、でも確かにダイヤさん、気持ち良さそうだったかも……」
ダイヤ「!?/// そ、そういうことは言わなくていいですわ!!」
千歌「ふぇ!? ご、ごめんなさい……?」
……まあ、わたくしはこの間、自分の感覚が信用出来ない状態なので、千歌さんの言葉の方が信頼出来るものなのですが……。
そういうものだとわかっていても、一時的にとはいえ性的に興奮してしまっていただなんて……はしたないですわ。
千歌「んっと……魅惑ってことは、血を吸った相手を好きになっちゃうってことなのかな」
ダイヤ「そういうことだと思いますわ。……わたくしがおかしくなっていた時間はどれくらいでしたか?」
千歌「んー……10秒くらいだったかな」
10秒……これを乗り越えれば、とりあえず正気に戻ってこられる。
多少恥を掻くことになるかもしれませんが……。まあ、仕様がないでしょう……。
ダイヤ「千歌さんに血を吸われた直後、10秒ほどの間、わたくしの言うことは無視してもらえますか?」
千歌「うん、わかった!」
あと、話してないことは……。眷属化と、吸血した相手を吸血鬼化してしまうと言うことでしょうか……。
とはいえ眷属化は恐らく程度問題でしょう。チャームのことを隷属化と表現した延長線の話のようなものと解釈出来る。
これに関してはそこまで長く起こる現象ではないですし、割愛で。
吸血鬼化に関しても……千歌さんにはそのような能力はないことがすでに判明している以上、言う必要がないと思う。
……この二つは変に知ってしまうと、千歌さんが必要なときの吸血を躊躇ってしまう恐れがありますし。
ダイヤ「……っと、そろそろ、歯の写真を撮りましょうか」
千歌「あ、うん。はいスマホ」
ダイヤ「ありがとう。それでは、口を開けてください。あーん」
千歌「ぁー……」
──カシャ。
千歌「……どう?」
ダイヤ「……随分伸びてきましたわね」
時刻は9時半。
そろそろ本格的に夜が始まってきて、千歌さんの吸血鬼化も進行してきた。
記憶が確かなら、まだ歯は伸びますが、もう歯を見るだけで十分吸血鬼と疑われる容貌になってきました。……いや、実際に吸血鬼なのですが。
54:
ダイヤ「吸血欲求はどうですか?」
千歌「……ちょっと吸いたいかも」
ダイヤ「1?100で言うとどれくらいですか? 100が我慢出来ない状態と考えてください」
千歌「……30くらい?」
ダイヤ「30……」
……思った以上に早い気もしますが、100が完璧に我慢の出来なくなるタイミングだと考えると、妥当なのでしょうか。
2日もすると、口にタオルを詰め込んで我慢していたと言っていたので、そこが100と考えると……。
やはり、2日に1回は吸血をさせてあげないと危ない。
ダイヤ「逐一、吸血欲求についても聞くので、考えておいてくださいませね」
千歌「うん。……でも今日は我慢する。トマトジュースもあるし」
ダイヤ「ええ、そうしてくれると助かりますわ。ただ、無理はしないように」
千歌「うん」
あらかた、今日の情報共有を終えて。
……さて、本格的に夜の時間が始まりますわね。
 * * *
23時ごろになると、玄関の方で音がする。恐らく、父と母が帰宅したのでしょう。
ダイヤ「ちょっと、お父様とお母様に千歌さんが泊まっていることを説明してきますわ」
千歌「あ、うん」
──玄関へと足を運び、靴を脱いでいる母を見つける。
ダイヤ「お母様」
黒澤母「あら、ダイヤ。どうかしたのですか?」
ダイヤ「本日、お友達が泊まりに来ていまして……」
黒澤母「果南さんですか?」
ダイヤ「いえ、千歌さんですわ」
黒澤母「千歌さん? 確か、十千万旅館の末っ子でしたわね」
ダイヤ「ええ」
黒澤母「わかりました。あまり騒がしくはしないように」
ダイヤ「心得ておりますわ」
──……家族の了承は良し。
……ふと、
ダイヤ「あら……?」
母が指に絆創膏を貼っていることに気付く。
55:
ダイヤ「お母様、怪我をされたのですか?」
黒澤母「ああ……御花の手入れをしているときに切ってしまいまして……」
ダイヤ「そうなのですか……お気を付けくださいませね」
黒澤母「ええ、ありがとう、ダイヤ」
母は軽く微笑んでから、家の奥へと歩いて行く。
……わたくしも早く千歌さんのところに戻りましょうか。
わたくしの部屋は玄関からほとんど離れていないので、すぐに自室に戻ると、
千歌「…………」
千歌さんがぼんやりしていた。
ダイヤ「……千歌さん?」
千歌「…………」
声を掛けても反応がない。
ダイヤ「千歌さん……?」
千歌「…………」
嫌な予感がした。
ダイヤ「千歌さん!!」
すぐ駆け寄って、肩を揺する。
千歌「あ……ダイヤさん……」
ダイヤ「千歌さん!! 大丈夫ですか!?」
千歌「え……大丈夫……」
受け答えがぼんやりしている。
ダイヤ「今、何を考えていますか!?」
千歌「……血の……匂い……」
ダイヤ「……!!」
まさか、お母様の血の匂いに反応している……!?
ダイヤ「千歌さん!! しっかりしてくださいませ!!」
千歌「ん……だい、じょぶ……吸いたいわけじゃない……から……」
本人は大丈夫だと言いますが、完全に血の匂いに意識が持ってかれている。
ダイヤ「……っ……失礼します!!」
千歌「ゅ……?」
千歌さんを無理 矢理抱き寄せて、自分の胸に顔を埋めさせる。
千歌「……ダイヤさんの……匂い……」
ダイヤ「…………」
56:
恐らく血の匂いが彼女を狂わせる。
なら、一旦落ち着くまでこうして居た方がいい。
千歌「……ん……」
5分ほど、抱きすくめたままでいると……。
千歌「……あ、あれ……?」
千歌さんが正気を取り戻したのか、胸の中でもぞもぞと動き出す。
ダイヤ「千歌さん……このまま答えて」
千歌「……え、う、うん」
ダイヤ「今の吸血欲求は……どれくらいですか……?」
千歌「…………70」
ダイヤ「70……」
想定より圧倒的に欲求が増すのが早い。
血の匂いを感じて、一気に欲求が加してしまったのでしょうか。
誤算でした。
どうする……?
時刻は23時過ぎ……明日も両親は所用があって朝から出なくてはいけないはずなので、恐らく日付が変わる頃には就寝すると思われる。
となると、あと1時間……。
わたくしの自室に来るとは思えませんが、家の中を家族が動き回っている状態で吸血をさせるのはリスクが高すぎる。
かといって、今千歌さんと離れるとまたお母様の血に反応してしまうかもしれない。
ダイヤ「千歌さん……1時間、このままで我慢してくださいませんか?」
千歌「え?」
ダイヤ「……その……嫌かもしれませんけれど」
千歌「いやじゃないけど……」
ダイヤ「そう……ありがとう」
千歌「……私、変になってた?」
ダイヤ「……少し、理性が飛びかけていました」
千歌「……そっか」
ダイヤ「……お母様たちが眠ったら、すぐに血を飲ませてあげますから」
千歌「……今日は我慢出来ると思ったのに……どうして……」
ダイヤ「それは後で考えましょう」
千歌「……うん」
口ではそう言うものの、わたくしも混乱していた。
欲求の増大進行が早すぎる。
そして更に、わたくしたちの見積もりは甘かったことが段々とわかってくるのです……。
 * * *
57:
30分もしないうちに、
千歌「……ふー……ふー……」
千歌さんが段々落ち着かない様子になっていく。
ダイヤ「……どれくらいですか」
千歌「……80……うぅん……85……」
血の匂いをシャットしているのに、どんどん吸血欲求が肥大している。
つまり……。匂いが原因じゃない……?
千歌さん自身、直接吸血したのは昨日が初めてと言っていましたし、彼女の予想よりも吸血欲求の満たされる具合が大きくなかったのかもしれません。
……となると、
ダイヤ「千歌さん、このまま顔を離さないでくださいませ」
千歌「う、うん……」
どうにか、彼女を抱きすくめたまま手を伸ばして、自分の机の引き出しを開ける。
ダイヤ「……えっと、確かここに」
文房具をしまっている引き出しの中を手で探って……。
ダイヤ「あ、ありましたわ……!」
カッターナイフを手に取る。
──もし吸血行為の満たされる率があまり高くないと言うなら、直接吸わせずに飲ませる方法の方が効果が高いことになる。
もしそれが事実なら、チャーム問題も同時に解決しますし、むしろ事態は好転する。
……しますが。
どうにも、そうなる気はしない。
ただ、試す価値はあります。
千歌「ダイヤさん……」
ダイヤ「……今血を飲ませてあげますから、このままで」
千歌「……! ……うん」
言うと千歌さんはわたくしの背中に腕を回して、わたくしの胸に顔を強く押し付ける。
──カチカチカチとカッターナイフの刃を出す。
ダイヤ「……ふー……」
ゆっくり息を吸ってから──
ダイヤ「──っふ」
左手の薬指の先に軽く刃を当てる。
すると、皮膚が裂けて、ぷくっと血が浮かんでくる。
──瞬間。
58:
千歌「……っ!!」
わたくしに抱きついたままの千歌さんの体がビクリと跳ねた。
この至近距離。血の匂いに反応しているのでしょう。
ダイヤ「千歌さん、顔をあげて」
千歌「……ぅ、ぅん……」
ゆっくり顔をあげた、彼女の口元に切れた左手の薬指を持っていく。
ダイヤ「……このまま、舐められる?」
千歌「……血……!」
千歌さんは血を認識すると、わたくしの問いには答えずその指を咥える。
千歌「……ん……ちゅ……」
傷口から吸い上げるように、血を飲む。
千歌「……ん、ちゅぅ……」
夢中になってわたくしの指をしゃぶる千歌さんを見ていると、
ダイヤ「…………」
チャームのときとは違う謎の背徳感に襲われる。
……これは血を与えているだけですわ。やましいことなんて一切ない。ありませんわ。
千歌さんはしばらくちゅぅちゅぅと、わたくしの指をしゃぶったあと……。
千歌「ぷは……おいし……」
うっとりとした顔で指から口を離した。
千歌さんの唾液で濡れた指は……まあ、もうこの際気にしている場合でもありませんわね……。
それは、ティッシュで拭くとして……。
ダイヤ「落ち着きましたか……?」
千歌「あ……うん……」
ダイヤ「欲求は今どれくらいかわかりますか……?」
千歌「………………」
ダイヤ「素直に答えてくれればいいですから」
千歌「……70……くらい……」
……やはり、そう甘くはなさそうですわね。
理由はわかりませんが、彼女の吸血欲求は加している。
そして、直接吸血させる以外で血をあげても、そこまで解消はされない。
……となると、
59:
ダイヤ「……恐らくこの調子だと、今晩を吸血無しで乗り切るのは無理だと思います」
千歌「……うん」
ダイヤ「深夜を回ってから……適度なタイミングで直接血をあげますので……もう少しだけ我慢してください」
千歌「……うん」
千歌さんは俯いて返事をする。落ち込んでいるのが目に見えてわかる。
……でも、仕方がない。
とにかく、今は今の状況を乗り越えることを考えなくてはいけない。
時刻は──あと20分ほどでテッペンになる。
そこからどれだけ我慢出来るかですわね……。
 * * *
──あのあと、自分で切った薬指を治療しようとしたのですが……。
ダイヤ「…………」
気付けば傷口は塞がっていた。
もちろん、そんなに深く切ったつもりはないのですが……。
部屋に置いてある化粧台の鏡の前で、首筋に貼ってある絆創膏を剥がすと──
ダイヤ「……やはり、こちらも傷口が塞がっている」
ただ、首筋の噛み傷は、傷口が塞がっているだけで傷跡自体はまだ残っているのですが……。
とはいっても、吸血のために深々と歯を突き立てたと言う割には、治りが早すぎる。
……もしかしなくても、特殊な事情で傷が治ってると考えた方がいい。
状況証拠から考えると……千歌さんの唾液のせいでしょうか。
千歌さんにとんでもない再生能力があるのは、もうすでに確認済み。
もしかしたら、彼女から分泌された唾液にも、似たような治癒効果があるのかもしれません。
この情報は有益かもしれない……。
わたくしが怪我をした場合、ちゃんと血を止めないと、千歌さんは常に血の匂いに晒されることになってしまう。
ですが、この治癒効果を使えば、いざというとき今回のように、指を軽く切って血を与える緊急処置のケアもしやすいと言うこと。
尤も──
千歌「……ん……血……欲しい、よぉ……」
こんな状況でなければ、もっと考察する暇があるのですが……。
ダイヤ「大丈夫ですか……? もう、いつでも血は与えられますわよ……?」
千歌「ん…………」
時刻は日付を跨いで、0時30分。
恐らく両親も就寝したと思われます。
60:
千歌「……もう、ちょっと……我慢……する……」
ダイヤ「……今、どれくらい?」
千歌「……90……」
ダイヤ「…………」
限界ギリギリですわね……。もうこれ以上は千歌さんから、絶対に目が離せない。
歯は日付が変わる頃には、すでに伸びきっていて、今は完全に吸血鬼状態です。
先ほどから、トマトジュースを飲ませてあげたりはしているのですが……。
気が紛れる程度で、吸血欲求そのものを減らす効果は全く認められない。
……まあ、あくまで水の代わりだったので、そこまでの効果は期待してはいませんでしたが。
千歌「…………ぅ…………」
ダイヤ「……千歌さん」
千歌さんは先ほどから、横になり、体を縮こまらせて、吸血欲求に耐えている。
こうなってしまうと、もうわたくしに出来ることは、いつでも吸血出来るように構えている以外出来ることはありません。
千歌「ぅ……ふー……ふー………………きゅうじゅう……ご……くらい……かも……」
小さな声で千歌さんが呟く。
ダイヤ「……もう限界ですわ。千歌さん、吸血の準備をしましょう」
千歌「…………」
蹲ったまま、千歌さんがいやいやと小さく首を振る。
……やはり、まだ吸血をすると言う行為そのものに抵抗があるのでしょう。
一番人間離れした行為ですものね……。
とは言っても……もう、彼女のわがままを聞き続けている場合でもなくなってきている。
ダイヤ「千歌さん……」
千歌「……ぅ……ダイヤ……さん……」
千歌さんを抱き起こすような形で、起き上がらせる。
そのまま、抱きしめるようにして、彼女の頭部の後ろの手を添えたまま──
昨日も噛み付かれた左首筋のすぐ傍に彼女の顔を持ってくる。
ダイヤ「……口、開けて?」
千歌「…………っ」
千歌さんは再度いやいやと首を振る。
ダイヤ「すぐに吸わなくてもいいから……我慢出来なくなったら、すぐに吸血に移れる状態にだけでも」
千歌「…………」
ダイヤ「お願い……」
61:
>>19 すいません……かなり遡りますけど、ここも文字化けしてる。修正。
キバが刺さっていると言う割には、痛いと言うよりはくすぐったかった。
千歌さんが少しずつ血を飲んでいく。
すると、何故だかだんだんと心拍数が上がっていく。
吸血されるという、余り経験し得ない行為に、緊張しているのかもしれない。
千歌「……ん……ちゅ……コク……」
しばらく、吸血行為を続けた後──
千歌「ん……ぁ……」
千歌さんはわたくしの首筋から離れた。
千歌「……は……ぁ…………おいしぃ……」
千歌さんは心底幸せそうに、息を漏らす。
ダイヤ「……そう、ですか……」
千歌「うん……なんか、生きた心地がする……」
ダイヤ「千歌さん…………もっと、吸っていいですわよ……?」
千歌「……え?」
ダイヤ「いえ……もっと、もっと吸ってください……わたくしが枯れるまで、吸ってください……?」
千歌「へ……え……?」
ダイヤ「わたくしはもう千歌さんのものです……? 好きにしてくださいませ……?」
千歌「……!? ま、待って……!!? ダイヤさん、どうしちゃったの……!!? さっきと言ってること違うよ!?」
ダイヤ「…………え……あ……? ……え、今わたくし……なんて……?」
千歌「……えっと」
一瞬頭に靄が掛かっていたような気がする。
なんだか、凄く千歌さんに血を吸われるのが心地よくて……もうずっと吸っていて欲しい……。
ダイヤ「え、あ、いや……!!」
思わずかぶりを振る。
千歌「だ、ダイヤさん……?」
ダイヤ「い、いえ……大丈夫ですわ」
千歌「ホントに……?」
ダイヤ「……ええ」
得体の知れない現象に襲われた。
ダイヤ「……あの、追加でお願い事をしていいですか?」
千歌「う、うん」
ダイヤ「たぶんなのですけれど……血を吸われた直後、わたくしにもなんらかの影響があるようですわ……。血を吸った直後にわたくしが言ったことは、あまり聞かないで貰っていいですか……?」
千歌「う、うん! わかった!」
62:
千歌さんにとって辛いお願いだとは思う。
彼女は今日は我慢すると言っていましたし……。
ですが、無理なものは仕様がないのです。
それによってもっと事態が悪化してしまっては元も子もない。
ダイヤ「千歌さん……」
千歌「…………ん」
わかってくれたのか、千歌さんは小さく首を縦に振ってくれた。
千歌「……ぁー……」
小さく、口を開けて昨日と同じ位置に、
千歌「──むっ……」
千歌さんはすぐに歯を立てた。
ダイヤ「……っ」
……まあ、傾向から見て、首筋の前で口を開いたら、もう我慢出来ないだろうと言うことはわかっていました。
千歌さんも、それがわかっていたから、拒んでいたのでしょうし。
彼女のキバが首筋に突き刺さっていく。そして、そのまま吸血を始める。
千歌「……ん……ちゅぅ……ちゅぅ……」
ダイヤ「…………っ゛…………」
千歌さんが首筋から血を吸い上げる瞬間──背筋辺りから脳天に向かって、ゾクゾクっとした快感が全身に走り抜ける。
……ちょ、待って、これ……っ
ダイヤ「……ぁ……ゃ……待って、くださ……っ」
覚悟していたはずなのに──いや、むしろ今回は前情報で理解していたからこそでしょうか。
吸血行為により発生する快楽によって、口から自然と嬌声が漏れ出てしまう。
そして、同時に──心臓がドクンドクンと激しく脈打ち始める。
──チャームが始まった。
千歌「……ちゅ……ちゅぅ……」
ダイヤ「……は、ぁ……? ……千歌さ……だ、め……き、もちぃ…………?」
脳が痺れる。
千歌さんが噛み付いている部分に否が応でも神経が集中していく。
千歌「…………ちゅー……ちゅぅー……」
ダイヤ「……ゃ……? ……こ、れ好き……? ……きもち、ぃ…………だ、め……?」
声が抑えられない。気持ちいい。
快感に自分が支配されている。
千歌「……ん……ぷはっ」
63:
千歌さんが吸血を終えて、口を放す。
ダイヤ「……ぁ、ゃ……や、やめないで…………?」
千歌「……は……はっ……ダ、ダイヤさん……落ち着いて……」
ダイヤ「もっと……? もっと、ください…………? それ、好きなの……?」
千歌「ダイヤさん……もう終わったから……」
ダイヤ「……そんなこと言わないでください…………もっと、気持ち良ぃのが欲しいの…………?」
離れようとする千歌さんに抱きついてすがる。
──もっとして、もっと、もっともっともっともっともっともっともっと……。
千歌「ぅ……ダ、ダイヤさん……」
千歌さんが困り顔をして、わたくしの名前を呼んだタイミングで──
ダイヤ「…………/// ……すみません……/// 取り乱しましたわ……///」
千歌「え、あ、うん」
理性が戻ってきて、千歌さんから離れる。
千歌「えっと、その……チカが言うのもなんだけど……大丈夫……?」
ダイヤ「え、ええ……///」
まだ心臓がバクバクと音を立てているのは、今恥ずかしいのか、チャームの余韻的のものなのかはわかりかねますが……。
正直、今回は来るとわかっていたのもあって、自分としては抵抗する気でいたのに……まるで、抵抗出来ず今回も完全に虜にされてしまっていた。
我ながらはしたないし、情けないと思うのですが……これは恐らく抵抗不可能ですわね……。
理性まで飛んでしまうピークは10秒ほどで終わってくれるのがせめてもの救いでしょうか……。
ダイヤ「……とりあえず、今の吸血欲求はどうなりましたか?」
千歌「あ、えっと……0かな。……満腹状態みたいな感じ」
何はともあれ……目的はしっかりと達成されたようですわね……。
ダイヤ「それは何よりですわ……」
ちゃんと欲求を満たせたのなら、わたくしも恥ずかしい想いをした甲斐があるというものです──そういうことにしておかないと、本当に恥ずかしくて倒れてしまいそうなので。
千歌「うん、ありがと……ダイヤさん」
彼女がお礼混じりに微笑むと。
ダイヤ「……!///」
その可愛らしい笑顔にドキリとする。
……確実にチャームに引っ張られていますわね。
ダイヤ「と、とにかく……!/// 首筋の傷……また絆創膏でも貼っておかないといけませんわね……!///」
チャームの余韻のせいで、恥ずかしくて、彼女の顔が見ていられないので、わたくしは背後の化粧台に視線を移す。
首筋の傷跡を鏡で確認して──
64:
ダイヤ「……血は出ていませんわね」
もうすでに血が止まっていることに気付く。
もちろん、噛み傷は僅かにクレーターのように窪んでいるので、傷口と言えば傷口のままなのですが……。
やはり、治癒が早いのはほぼ間違いない気がします。
千歌「……あ、絆創膏貼ってあげるよ? 鏡越しだとやりづらいだろうし……」
背後から声を掛けられて──
ダイヤ「それでは、お願いしようかしら──」
振り向いた途端──
千歌さんの顔が思った以上に近い位置にあった。
ダイヤ「!? きゃぁっ!?///」
不意を打たれて驚いて、声をあげてしまう。
千歌「!? ご、ごめん……脅かせるつもりじゃ」
ダイヤ「い、いえ……大丈夫、ですけれど…………?」
千歌「……? どうかしたの……?」
ダイヤ「……いえ、なんでもありませんわ。絆創膏、貼ってくださいますか?」
千歌「……あ、うん」
千歌さんがいそいそと、部屋に置かれた救急箱を取りに行く。
ダイヤ「…………。……気のせい、ですわよね……?」
ある懸念が頭を過ぎりましたが……。まあ、恐らくこれは気のせい。
わたくしも相当気が動転していましたから、見間違えたのでしょう……きっと、気のせいですわ。
 * * *
さて……夜明けまでまだ時間があります。
夜明けは大体5時ごろ……。今は2時過ぎなので、あと3時間くらいでしょうか。
千歌「…………はぁ」
ダイヤ「……日が昇るまで何かしましょうか」
千歌「…………」
ダイヤ「退屈ですものね」
千歌「……ダイヤさんは寝ちゃっていいよ」
ダイヤ「……いえ、わたくしも起きるのが遅かったから、目が冴えていますの」
千歌「…………そっか」
ダイヤ「千歌さん……」
65:
千歌さんは相変わらず横になって、縮こまっている。
吸血の後、徐々に我慢出来なかったことを再度自覚して、また気落ちしている様子でした。
ダイヤ「…………」
せっかく明るくなってくれたのに……どうにかしてあげたいですわね。
千歌さんの好きそうなもの……何かないかしら。
ダイヤ「……あ」
そして、思い出す。
ダイヤ「千歌さん」
千歌「……ん」
ダイヤ「ライブのDVDを見ませんか?」
千歌「DVD……?」
ダイヤ「ええ、μ'sの出ているライブDVDですわ」
千歌「! 見る!」
よかった、食いついてくれましたわ。
DVDの置いてある本棚の前で、
ダイヤ「どのときのライブがいいですか?」
訊ねる。当たり前ですが我が家にはμ'sの出ているライブDVDは全て揃っています。どんなリクエストが来ても対応可能ですわ。
千歌「んっと……スクールアイドルフェスティバルのときのがいい!」
ダイヤ「ふふ、さすが千歌さん。それを選ぶとは……わかっていますわね」
──スクールアイドルフェスティバルは、初夏に開催されるスクールアイドルの祭典です。
有り難いことに今年はAqoursやSaint Snowも出場が決まっているため予習にもなりますし、いいチョイスですわ。
本棚から、リクエストされたDVDを取り出して、それを自分のノートパソコンにDVDドライブに入れる。
千歌「わくわく……!」
ダイヤ「……ふふ」
程なくして映像が始まる。
ノートパソコンの小さな画面なので、二人で肩を寄せ合うことになるので少々窮屈ですが、
映像が始まり、曲が流れ出すと──
千歌「……!!」
千歌さんは目をキラキラと輝かせて画面に齧り付いている。
わたくしが横にいることなんて、頭のどこかに行ってしまってるんじゃないかと言うくらい、夢中で映像の中のμ'sを追っている。
ダイヤ「ふふ、本当に好きなのね……」
66:
まあ、それに関しては、わたくしも右に同じなのですが。
──二人でライブの映像を見て過ごす。
あんなに落ち込んでいた千歌さんが、気付けば自然と身体を揺らして楽しそうに、映像に食い入っている。
本当にμ'sの力は、スクールアイドルの力はすごいですわね……。
──二人で映像に夢中になっていると、時間が過ぎるのはあっと言う間でした。
千歌「……あれ、もう終わり……?」
ダイヤ「ふふ、もう二時間以上経ってますわよ?」
千歌「うそ……!? あっと言う間だったよぉ……」
ダイヤ「それくらい、楽しいエネルギーがいっぱいのライブだったと言うことですわね」
千歌「…………。……うん、そうだね」
ダイヤ「……?」
急に千歌さんの声がトーンダウンする。
今の今までライブの映像を見て、嬉しそうにしていたのに。
ダイヤ「千歌さん……? どうかしましたか……?」
千歌「…………私、スクールアイドルフェスティバル、出られるかな」
ダイヤ「……!」
千歌「……って、ごめん……。リーダーがこんなこと言ってちゃダメだよね」
ダイヤ「千歌さん……」
彼女のリクエストだったとはいえ、またしても、わたくしの配慮が足りなかったことに気付かされる。
ライブは来月に迫っている。
これから初夏に向けてどんどん日差しも強くなる。
そうしたら……吸血鬼になってしまった千歌さんはどんどん太陽の下での活動が制限される。
……いつ練習に参加出来なくなってもおかしくはない。
そして、スクールアイドルフェスティバルは野外フェスです。
つまり、この事態が解決しないと最悪──
千歌「大丈夫だよね。まだ一ヶ月もあるんだもん、ライブまでにはきっと解決してるよね」
ダイヤ「……ええ」
千歌「それでね、私も、皆にいーっぱい笑って貰える様なライブするからさ」
ダイヤ「……そうですわね」
千歌「だから、練習も、いっぱいしないと、しない、と……っ」
ダイヤ「…………」
わたくしは、強がる千歌さんを、抱き寄せる。
67:
千歌「ダイヤ……さん……」
ダイヤ「……強がらなくても、大丈夫よ。……今はわたくししか居ないから」
千歌「…………っ……! ……スクールアイドル、出来なくなるの……やだよぉ……っ……」
ダイヤ「……大丈夫ですわ」
千歌「…………ぅ……っ……ぐす……っ…………元に……戻りたい……っ……」
ダイヤ「……大丈夫、きっと元に戻る方法は見つかりますわ」
千歌「…………ぅ……ぅぅ……っ……吸血鬼のままなんて……やだよぉ……っ……」
ダイヤ「……大丈夫……。……わたくしも、一緒に元に戻る方法を、探しますから……」
千歌「……ぅ……ぐす……っ……。……うん……っ……」
気休めにしかならないかもしれないけれど。
わたくしは千歌さんを抱きしめたまま、何度も何度も『大丈夫だから』と答えながら、彼女の背中を優しく撫でる。
嗚咽をあげながら、千歌さんはわたくしの胸にすがるように、ぽろぽろと涙を流す。
千歌「……ダイヤ……さん……っ……」
ダイヤ「大丈夫……わたくしが居るから、大丈夫ですわ……」
わたくしは千歌さんが泣き止むまで、ただ抱きしめて励まし続けるのでした。
 * * *
千歌「…………んゅ……」
あのあとしばらく泣き続けていた千歌さんは、泣き疲れたのか、わたくしの胸に抱かれたまま、眠ってしまった。
辺りを見回すと、障子の先で空が白み始めているのがわかる。
吸血鬼が眠る時間が始まりますわね……。
ダイヤ「今お布団を敷きますから……少し待っていてくださいね」
千歌「ん……ぅ……」
千歌さんをゆっくり畳に寝かせてから、布団を敷く。
ダイヤ「千歌さん、ちょっと移動しますわよ」
千歌「……んぅ……」
流石に果南さんのように、お姫様抱っこをする腕力はないので、千歌さんを抱きしめるようにして、起き上がらせ、寝ぼけたままの彼女を布団に誘導する。
ダイヤ「はい、到着」
千歌「ぅん……」
ダイヤ「おやすみなさい、千歌さん」
千歌「………………すぅ……すぅ……」
千歌さんはすぐに寝息を立て始めた。
ダイヤ「ゆっくり、休んでくださいね……」
68:
せめて、眠っている間くらいは安心した気持ちで居て欲しい。
そう願いながら、わたくしは自然と彼女の頭を撫でていた。
ダイヤ「……ふぁ……」
なんだか、わたくしも眠くなってきましたわね……。
ダイヤ「……わたくしも眠りましょうか」
また明日も何が起こるかわからない。
ちゃんと眠って体力を回復しなければ……。
自分が使う布団を敷くため立ち上がろうとしたとき、
千歌「……ゃ……」
ダイヤ「……?」
千歌さんが小さな声をあげて、服の裾を掴んでくる。
千歌「……ひとりに……しないで……」
ダイヤ「…………」
寝言でしょうか。
ダイヤ「……仕方ありませんわね」
わたくしはそのまま、千歌さんの眠っている布団にお邪魔する。
千歌「……ん……ぅ…………すぅ……すぅ……」
ダイヤ「ふふ……ルビィが怖い夢を見たときみたいですわね……」
お姉ちゃん、いかないでと……。寝ぼけながら、わたくしの服の裾を掴む妹の姿を思い出す。
ダイヤ「……妹がもう一人増えたみたいですわね」
千歌「……すぅ……すぅ……」
ダイヤ「……ちゃんと傍にいますから」
そしてこういうときは決まって、安心させるために、手を握るのです。
千歌「…………にゅ…………すぅ……すぅ……」
ダイヤ「千歌さん……おやすみなさい」
再び彼女に就寝の挨拶をして、わたくしは目を瞑った。
わたくしが眠りに落ちるまでの間ずっと……千歌さんの手を握りながら……。
 * * *
──翌日。
69:
ダイヤ「ん……」
千歌「……すぅ……すぅ…………」
ダイヤ「……!?」
起きると、目の前に千歌さんの顔があった。
──…………あ、ああ……一緒の布団で眠ったのでしたっけ……。
昨日は手を繋いで眠ったところまでは覚えているのですが、気付いたら千歌さんはわたくしの胸の辺りにすっぽり収まり──わたくしは何故か千歌さんの背中に手を回す形で抱きしめていた。
ダイヤ「………………」
我ながら眠っている間に何をしているんだと思ってしまいましたが、もう流石に妹のルビィとも床を一緒にすることが減った今日……一緒の布団で誰かが眠ってくれるという安心感で無意識に抱きしめてしまったのかもしれない。
ルビィと一緒に眠っているときも、朝起きたらルビィを抱きしめていたこと……そういえば、ありましたわね。
ダイヤ「なんだか……この感覚、少し懐かしいですわね……」
千歌「…………すぅ……すぅ……」
ダイヤ「ふふ……本当にもう一人、妹が出来たみたいですわ……」
思わず頭を撫でると、
千歌「…………んゅ……」
千歌さんは小さく声をあげながら、くすぐったそうに身じろぎする。
ダイヤ「ふふ……なんだか、可愛いですわね……」
千歌「ん…………だいゃ、さん…………?」
ダイヤ「おはようございます、千歌さん」
千歌「ぉはょ…………ぅ…………」
寝ぼけ眼の彼女は、わたくしの胸に頬ずりするように、顔を押し当てたあと──
千歌「……くぅ…………くぅ………………」
再び寝息を立て始めました。
ダイヤ「……お寝坊さんね」
全く困った子ね。と内心笑ってしまいますが……。
──それだけ、今は安心しているということ。昨日からずっと不安に押し潰されそうな様子だったので、今の気の抜けた感じは逆に安心する。
もしかしたら……ですが、彼女も妹として、この状況に無意識に懐かしさを感じているのかもしれませんわね……。
ダイヤ「今日はお休みですから……特別ですわよ、千歌……」
彼女の姉になったような気分で、頭を撫でながら──
ダイヤ「わたくしも……もう少し、ゆっくりしようかしら……」
千歌さんの温もりを感じながら、幸せなまどろみをもう少し楽しむことにしたのでした。
 * * *
70:
……さて、わたくしたちが起きたのは13時過ぎでした。
千歌「ふぁぁ……よく寝た……」
8時間睡眠……やや、寝過ぎな気もしますが、まあいいでしょう。今日はお休みですから。
千歌「ん……? ダイヤさんどうしたの? なんか、嬉しそう……?」
ダイヤ「ふふ、なんでもありませんわよ。さ、千歌さんはお布団を畳んでくださいませ。わたくしはその間に朝ご飯……じゃなくて、お昼ご飯を作ってきますので」
千歌「あ、はーい」
部屋を出ていこうとして、
ダイヤ「……と、その前に」
千歌「?」
戻ってきて、千歌さんの頬に手を添える。
千歌「ふぇ!?///」
ダイヤ「千歌さん」
千歌「ん!?/// え!?/// い、いきなり!?///」
ダイヤ「……? 口を開けてください、歯を見ますので」
千歌「ハ……?/// ……あ、ああ歯ね……///」
ダイヤ「……? どうかしたのですか?」
千歌「……急に頬に手とか添えてくるから……キスされるのかと思った……///」
ダイヤ「!?/// な、なんでそうなるのですか!?///」
千歌「い、いや、だからびっくりしたんだって……!!///」
ダイヤ「も、もう!!/// バカなこと言ってないで早く口開けて!/// 確認しますから!!///」
千歌「う、うん……!/// あ、ぁー…………///」
千歌さんが例のごとく口を開く。
そして、わたくしも例のごとく彼女の口の中を観察する。
ダイヤ「……歯はちゃんと元に戻ってますわね」
まあ、戻ってなかったら困るのですが……。
この分なら、日中の観察はあまり必要ないのかもしれない。
吸血鬼は知っての通り夜の生き物。
夜以外はその本性を表すこともありませんでしょうしね。
ダイヤ「もう、いいですわよ」
千歌「……んぁ……。うん」
千歌さんが口を閉じたあと。
目が合う──
千歌「…………///」
ダイヤ「…………///」
71:
さっきのやり取りを思い出して、二人して紅くなる。
千歌「ダイヤ……さん……///」
って、なんでこんな雰囲気になっているのですか!?
ダイヤ「ち、千歌さんっ!!!」
千歌「!? は、はい!?」
ダイヤ「貴方は布団を畳むっ!! わたくしはご飯を作るっ!! いいですわねっ!?」
千歌「ら、らじゃー!!」
半ば無理 矢理、その場から逃げるように脱出する。
ダイヤ「……///」
──もう、心臓の音がうるさい……。
昨日から変に意識してしまって調子が狂う。
花丸さんや千歌さんの言動もそうなのですが……。
ダイヤ「チャームの影響もあるのかしら……」
チャームはそもそも魅惑の能力だと善子さんや花丸さんは言っていたし……。少なからず影響がある可能性は否めない。
──ドクン、ドクン、ドクン。
ダイヤ「ああ……もう……///」
こういうときは体を動かした方がいい。……早く昼食を作ってしまいましょう。
ダイヤ「……流されてはいけませんよ、黒澤ダイヤ……」
自分にそう言い聞かせながら、胸の鼓動を誤魔化すように、わたくしは厨房へと足を運ぶのでした。
 * * *
千歌・ダイヤ「「いただきます」」
本日も二人揃って、昼食をいただく。
今日も簡単にサンドイッチを作りましたが、今日は冷蔵庫を開けられる状態でしたから、ハムとゆで卵を挟んでいるので、昨日より味気があると思いますわ。
千歌「もぐもぐ……」
ダイヤ「……おいしいですか?」
千歌「うん、おいしいよ」
サンドイッチを食べながら、時折トマトジュースを飲む。
その繰り返しで千歌さんは昼食をもくもくとお腹に収めていく。
ダイヤ「…………」
72:
あまり落ち込んでいる様子は見せないようにしているのかもしれませんが、明らかに口数が少ない。
ダイヤ「……千歌さん」
千歌「……ん?」
ダイヤ「この後……はとりあえずお風呂ですわね。髪を乾かしたら沼津までお出かけしませんか?」
千歌「……この時間からだと、行ってもすぐに日が落ちちゃうんじゃないかな」
ダイヤ「確かにあまり長居は出来ないかもしれませんけれど……。今日はいい塩梅の曇り空ですし。天気予報を見たら雨も降らないみたいですので」
有り難いことに、今日は昨日と違って日が隠れているし、雨が降る心配もない。
今の千歌さんが安心して出歩ける貴重な天気なのです。
千歌「ん……でも……」
ダイヤ「余り家でじっとしていても、どんどん気落ちしてしまうと思いますから……。少し気晴らしにお買い物をしましょう?」
千歌「……わかった、そういうことなら」
よかった、納得してくれた。
ダイヤ「それでは、早く食べて片付けてしまいましょうか」
千歌「うん」
 * * *
──浴室。
千歌「ふぅ…………」
ダイヤ「お湯……大丈夫ですか?」
千歌「うん、昨日の朝方入ったのに比べると……」
やはり、吸血鬼化していない状態だと、水への精神的抵抗が減るみたいですわね……。
流水はやはり無理なようなので、気をつける必要こそありますが……。
……しかし、
千歌「ふぇ……? どうしたの、じっと見つめて……?」
ダイヤ「……ちょっと、失礼しますわ」
千歌さんの髪に手を伸ばす。
千歌「……!?///」
そのまま髪を撫でたり、梳いたりしてみる。
73:
千歌「は……/// え……/// え……!?///」
ダイヤ「……やはり、サラサラですわね」
千歌「ふぇ……!?/// ぁ……/// ぅ……///」
ダイヤ「昨日からずっと気になっていたのですが……」
千歌「き、気になってたの!?///」
ダイヤ「……髪の状態も、肌の状態も……不自然なほどに良すぎる……」
千歌「……へ?」
これは代謝がどうと言うか……。
根本的に美しい状態が維持されているような気がしてならない。
ダイヤ「吸血鬼は容姿が美しいのも特徴とされていると善子さんは言っていましたわ。吸血鬼化の影響で、千歌さんの肌や髪のコンディションも最高に保たれているということなのかもしれませんわ」
千歌「…………」
ダイヤ「肌がすべすべになったと言っていましたし……千歌さん、他に何か心当たりはありませんか?」
千歌「…………知らない」
千歌さんがぷいっと顔を背ける。
ダイヤ「もし、少しでも気になることがあったら教えてくださると……」
千歌「自分で見ればいいじゃん、目の前にいるんだから」
ダイヤ「え……いや……その……?」
何故か急に千歌さんがそっけなくなった気が……?
ダイヤ「……主観的な部分でしかわからないこともあるかもしれませんし……」
千歌「……かもね」
ダイヤ「千歌さん……?」
千歌「……お風呂、出る」
ダイヤ「え、ま、まだ入ったばかりではないですか……?」
千歌「チカの身体、綺麗に保たれてるんでしょ? なら、いいじゃん。どっちにしろ、シャワー使ったり身体流したり出来ないから、シャンプーとか、コンディショナーとかしなくても綺麗なら、ちょうどいいね」
ダイヤ「ち、千歌さん……?」
千歌「ダイヤさんはごゆっくりどうぞ」
ダイヤ「え、ち、ちょっと待ってください!!」
気のせいかと思いましたが、どう考えても今の千歌さんの態度は、明らかに不機嫌です。
ダイヤ「わ、わたくし、もしかして何か気に障ることを……」
千歌「……知らない」
ダイヤ「ま、待って……! わたくしも一緒に出ますから……!」
焦って湯船から出ようとして、
千歌「ダイヤさんは髪も身体洗わないとダメじゃない?」
ダイヤ「……!」
言われて気付く。
74:
ダイヤ「ご、ごめんなさい……わたくし、そのようなつもりで言ったわけでは……」
千歌「…………」
ダイヤ「……日中の時間帯から吸血鬼扱いされては……気分が悪いですわよね……すみません」
わたくしが、謝罪をすると、
千歌「…………そういうことじゃないもん」
千歌さんは小さな声でそう返す。
ダイヤ「……え?」
千歌「……ダイヤさんのおたんこなす!」
ダイヤ「え……え?」
千歌「にぶちん! とーへんぼく! もう、知らない!」
ダイヤ「ち、ちょっと待って……」
わたくしの制止も虚しく。千歌さんは浴室から出て行ってしまいました。
ダイヤ「…………?」
彼女を怒らせてしまった理由がわからず、呆けてしまう。
ダイヤ「おたんこなすですか……」
久しぶりに聞きましたわね……あのような幼稚な悪口。
ダイヤ「……とりあえず、お風呂から出たら謝りましょう……」
わたくしは千歌さんに言われたとおり、とりあえず身体を洗うことに致しました。
……それにしても、どうして急に怒り出したのでしょうか……?
何度も理由を頭の中で考えていましたが、結局答えが出ることはありませんでした。
 * * *
お風呂からあがると、千歌さんはわたくしの部屋で髪を乾かしながら待っていました。
ダイヤ「えっと……千歌さん」
千歌「ダイヤさん」
ダイヤ「は、はい」
何故か妙な迫力があって、思わず背筋が伸びる。
千歌「そこ座って」
ダイヤ「は、はい……」
千歌さんが自分のすぐ横を指し示すので、言われたとおりそこに腰を降ろす──と、
千歌「乾かすよ」
75:
おもむろにわたくしの髪をドライヤーで乾かし始める。
ダイヤ「え……? い、いや、自分で出来ますから……」
千歌「チカの髪は触っておいて、自分の髪は触らせてくれないの?」
ダイヤ「!? え、ええっと……?」
千歌「それに、私の髪、短いからもう乾いたし」
ダイヤ「は、はあ……」
……とりあえず、ここは言うことを聞いた方が良さそうだと思い、大人しく髪を乾かしてもらうことにしました。
ダイヤ「…………あの、千歌さん」
千歌「何?」
ダイヤ「……怒ってますか……?」
千歌「……怒ってるかも」
ダイヤ「……えっと……理由を聞いたら……更に怒りますか?」
千歌「……理由がわかってないことをすでに怒ってるし、聞かれても教えたくない」
ダイヤ「そ、その……ごめんなさい……」
千歌「……もう、いい……チカも悪いから」
ダイヤ「……え?」
千歌「期待しちゃったみたい」
ダイヤ「……期待……?」
千歌「……なんでもない、今のは忘れて欲しいかな」
ダイヤ「……は、はい」
なんだか、わかりませんが……。一応、解決……したのでしょうか……?
千歌「……ダイヤさんの髪、完全なストレートだね……羨ましい」
ダイヤ「……千歌さんの髪も癖は少ない方ではないですか?」
千歌「うーん、ちょっと内巻き気味だけど……まあ、曜ちゃんほど癖っ毛ではないかな。でも、ここまでストレートなのは女の子なら皆羨ましいんじゃないかな」
ダイヤ「そうでしょうか……。日本人形みたいではないですか?」
千歌「ダイヤさん髪の毛真っ黒だもんね……でも、私は綺麗だなーって思うよ」
ダイヤ「あ、ありがとうございます……」
さっきと打って変わって褒められる。
千歌「果南ちゃんも鞠莉ちゃんも言ってたよ? ダイヤさんの髪はお手本みたいな黒髪ストレートロングで羨ましいって」
ダイヤ「鞠莉さんは色もですが、わたくしとは真逆の髪質ですからね……果南さんもストレートですけれど……」
千歌「海水で傷みやすくて、手入れが大変ってよく言ってるよね」
ダイヤ「ですわね。……でも、わたくしもたまにパーマをかけること、ありますのよ?」
千歌「そうなの?」
ダイヤ「ええ。少しウェーブがかかっているのも好きですので。……ただ、すぐストレートに戻ってしまうのですけれど」
千歌「女の子のヘアスタイルって生まれつきの髪質との戦いなところあるよね……曜ちゃんなんかもう割り切っちゃってるけど、子供の頃は癖っ毛いやだーってよく言ってたし」
ダイヤ「曜さんも大変そうですわよね……水泳の選手は特に」
千歌「消毒の塩素で色とか抜けちゃうんだっけ? 言われてみれば、昔はもうちょっと黒っぽかった気もしなくはない……」
76:
何気ない世間話。……と言うか、ガールズトークでしょうか?
よかった……。本当にもう怒ってはいないみたいです。
二人でぼんやりと会話をしていると、程なくして、
千歌「うん、そろそろ大丈夫かな」
ダイヤ「ええ、ありがとうございます。千歌さん」
髪を乾かし終わる。
ダイヤ「それでは、身支度をして、出かけましょうか」
千歌「うん」
春物の上着を手に取る。
その際──ポケットから、何かが落ちる。
ダイヤ「きゃぁ!!?」
驚いて咄嗟に声をあげてしまった。
千歌「え、なに? どしたの──わぁぁあぁぁ!!!?」
千歌さんが落ちたソレを見て、わたくし以上に大きく飛び退いた。
──ソレは善子さんから貰ったロザリオでした。
千歌「び、び、び、びっくりしたぁ……!!」
ダイヤ「ご、ごめんなさい……うっかりしていました」
わたくしはロザリオを拾ってポケットにしまう。
そういえば、昨日出かけたときにポケットに入れたままでしたわ。
千歌「う、うぅん……大丈夫。それじゃ、いこっか」
ダイヤ「そうですわね……」
二人揃って、部屋を出て行く。
玄関まで行き、二人で靴を履いている最中、ふと疑問に思う。
──……どうして、わたくし……ロザリオを見て、声をあげるほど驚いたのかしら……?
 * * *
千歌「……着いた!」
沼津に到着したのは16時前でした。
日没まではもう2時間くらいしかないので、本当に長居は出来そうにありませんが……。
ただ、本当に今日はいい塩梅の曇り空のお陰で、外を出歩いていても、千歌さんの顔色が大分良い。やはり連れ出して正解でしたわね。
77:
千歌「それで、どこにいくの?」
ダイヤ「今晩作るご飯の買い物をしようと思いまして」
千歌「おお! なるほど! 何作るの?」
ダイヤ「何がいいですか?」
千歌「んー……んー……おいしいもの」
ダイヤ「ふふ、そうね。わたくしもおいしいものが良いですわ」
千歌「わ、笑わないでよぉ! 考えてなかったんだもん……えっと、そうだなぁ…………カレーとか?」
ダイヤ「カレーですか……いいですわね。となると具材は……」
千歌「ニンジンは冷蔵庫にあったよね」
ダイヤ「ええ、あとは馬鈴薯かしら……」
千歌「ばれーしょ?」
ダイヤ「あ、えっと……じゃがいものことですわ」
千歌「ばれーしょって言うじゃがいも?」
ダイヤ「じゃがいものことを馬鈴薯と言うのですわよ」
千歌「……??」
二人でそんな話をしながら、スーパーに入ろうとしたとき──
千歌「…………」
千歌さんがピタリと止まる。
ダイヤ「? 千歌さん?」
千歌さんの顔を見ると、真っ青になっていた。
ダイヤ「ち、千歌さん!? どうしたのですか!?」
千歌「ダ、ダイヤさん……た、たぶんチカ、これより先に進めない……」
ダイヤ「ど、どういうことですか……?」
千歌「わ、わかんないけど……この先に行くのは命の危険がある気がする……」
ダイヤ「…………あ」
……しまった。この規模のスーパーだったら、この時期でも確実に置いてある。
ダイヤ「大蒜……」
大蒜のニオイに異常に敏感なのはもう目にしている。
スーパーに入るのは無理そうですわね……。
ダイヤ「他を当たりましょうか……」
千歌「う、うん……でも、どこで買えば……」
ダイヤ「そうですわね……カレールーはコンビニで買えばいいとして……。馬鈴薯──じゃがいもは個人商店で買いましょう」
千歌「あ、八百屋さんならニンニクは置いてない……のかな?」
ダイヤ「大蒜は今は旬ではないので……国産に拘っているお店もあるでしょうし、そういう場所なら大丈夫だと思いますわ」
二人で踵を返して、駅前ロータリーに戻ってくると──
78:
 「あれ? お姉ちゃん……と千歌ちゃん?」
 「ん? 千歌ちゃんと、ダイヤさん?」
聞き覚えのある声がする。
声のする方を見ると、
ダイヤ「ルビィ……花丸さんも」
ルビィ「わ、偶然だね!」
花丸「二人ともこんにちは。千歌ちゃん、体調は大丈夫?」
千歌「あ、うん、だいぶよくなったよ」
花丸「それはよかったずら」
ルビィと花丸さんでした。
そんな中、花丸さんが近付いてきて、こそこそと話しかけてくる。
花丸「ダイヤさん……彼氏さんは説得できたずら?」
一瞬何のことかと思いましたが、そういえばそういう話になっているのでしたっけ……。
ダイヤ「え、ええ、まあ……お陰様で」
花丸「そっか、力になれて何よりずら」
花丸さんは腕を組んで得意気に頷いている。
まあ……参考になったのは確かなので、いいでしょう。……たぶん。
千歌「? どうしたの?」
ダイヤ「いえ、なんでもありませんわ」
花丸「乙女の秘密ずら」
千歌「……?」
そう言いながら、花丸さんの視線が首筋の絆創膏に注がれている気がするのですが……。
まあ、花丸さんならわざわざ言いふらしたりはしないでしょう……。
ルビィ「二人はお買い物?」
ダイヤ「ええ、千歌さんと一緒に夕食を作ろうと思って」
花丸「ずら? 二人ってそんなに仲良かったの?」
花丸さんが首を傾げながら、ルビィに訊ねる。
ダイヤ「少し、Aqoursの活動について相談を受けていまして……ゆっくり二人で食事をしながら、考えましょうということになりまして」
千歌「……? …………あ、うん、そうそう! そうなんだよね!」
千歌さんは最初なんの話かわかっていない様子でしたが、なんとか途中で気付いてくれたようですわ。
ちなみに……ギリギリ嘘はついていませんわ。
79:
ルビィ「千歌ちゃん、悩み事……?」
千歌「あ、うん……まあ、ちょっと」
花丸「ルビィちゃん、きっとあんまり詮索しない方がいいよ。わざわざダイヤさんに相談してるくらいだから、きっと言い辛いことなんだよ」
ルビィ「あ、そっか……ごめんね」
千歌「う、うぅん、気にしないで」
ダイヤ「それより、貴方達は何をしにここまで? 善子さんは一緒ではないのですか?」
会話が続くとボロが出かねないので、話題を切り替える。
ルビィ「あ、うん……それがね」
花丸「ゴールデンウイーク特別はいしん? とやらで追い出されたずら」
ダイヤ「配信……ですか?」
千歌「あ、善子ちゃんがよくやってる、生配信?」
ルビィ「うん……1時間くらいだからって言われて」
花丸「そういうことならって、二人で買い物に来たずら」
ダイヤ「まあ、3日もお世話になるわけですからね……そういうこともあるでしょう。ルビィ、迷惑は掛けていませんか?」
ルビィ「うん! 大丈夫だよ! むしろ、善子ちゃんのお母さんに『ルビィちゃんは育ちが良いのね』って褒められちゃった!」
ダイヤ「そう、それなら安心ね……」
妹がよそ様で変なことをしていないかと言うのはいつも不安ではありますが、どうやら問題ないようですわね。
ルビィ「それにね! 善子ちゃんちってすごくって、お風呂がハーブ湯になってるんだって! すっごい良い匂いだし、オシャレだし、びっくりしちゃった!」
千歌「ハーブ湯……! さすが善子ちゃん……オシャレ……」
花丸「……オシャレというか……いつもの堕天使の延長ずら。なんかハーブは聖なる力を中和してくれるからとかなんとか、わけのわからないことを言ってたずら……」
ダイヤ「善子さんは相変わらずのようですわね……」
その知識に昨日頼らせてもらったばかりなので、その拘りは全く否定出来ませんが……。
千歌「……と、言うかせっかくなら二人も一緒に配信に出ちゃえばいいのに」
ルビィ「え?」
千歌「前、堕天使スクールアイドルのときに善子ちゃんの配信にちょこっと出たことあったでしょ? ルビィちゃん人気あったし……意外と視聴者の人も喜んでくれるんじゃないかな」
花丸「言われてみればそうかも……3人ではいしん……」
ルビィ「……ちょっと楽しそうかも」
花丸「……ルビィちゃん! 急いで善子ちゃんちに戻るずら!」
ルビィ「うん!」
二人は顔を見合わせ頷いて、踵を返して走り出す。
ダイヤ「あ! 二人とも! 走ったら転びますわよ!」
ルビィ「気をつける?!」
花丸「千歌ちゃん! ダイヤさん! また練習で?!」
ダイヤ「……もう」
慌しい妹たちを見て、思わず肩を竦めてしまう。
まあ、元気なのはいいことなのですが……。
80:
千歌「練習……そっか、月曜からやるって話だったっけ」
ダイヤ「……そういえば、そうでしたわね」
ゴールデンウイークは最初の土日は完全オフにしようとは決めていましたが、それ以外の日は練習をしようという話をしていたことを思い出す。
千歌「…………明日、曇って欲しいな……」
ダイヤ「…………」
いつも快晴を望み、明るく真っ直ぐな、彼女らしからぬ願いに、胸が痛む。
千歌「…………どうして、こうなっちゃったんだろう」
ダイヤ「千歌さん……」
千歌「…………そのうちAqoursで居られなくなっちゃうのかな……」
ダイヤ「…………」
悲しげな顔でそう言う、千歌さんの顔を見ているのが辛くて、
ダイヤ「千歌さん」
わたくしは千歌さんの手を取った。
千歌「え……ぁ……ダイヤさん……?」
ダイヤ「まだ、買い物は始まっていませんわよ? 行きましょう?」
千歌「……えへへ、うん」
少しでも笑っていて欲しいと想って、願って、彼女の手を引き、歩き出す。
その想いからか、手をきゅっと握ると、
千歌「…………」
千歌さんは無言で握り返してくる。
今は……今はわたくしが千歌さんを支えるのです。
そして、彼女をまた、笑顔で居られる世界に戻してあげる必要がある。
……千歌さんの笑顔にはそれだけの価値がある。そう想うから。
 * * *
ここ数日、千歌さんは本当に精神的に参っているのが、間近で見ると痛いほど伝わってくる。
特に自分が真っ当に人間としての生活が送れなくなり──Aqoursとしての居場所がなくなることにすごく脅えている。
どうにかして、彼女を元気付けてあげたいのですが……。
千歌さんの現在の状況は、日常生活に密接な制限が多すぎて、ふとした拍子に思い出して落ち込んでしまう。
外に連れ出せば何かしら、元気になってくれるかと期待して出かけたのですが……何か、何かないでしょうか……。
そんな無責任な期待をしながら、歩いていると……その機会は案外すぐに訪れたのでした。
81:
 「──あ、あの! もしかして、Aqoursの千歌ちゃんとダイヤさんですか!?」
千歌「……え?」
ダイヤ「?」
声を掛けられて立ち止まる。
そこは──仲見世通りに入ってすぐの場所にあるお花屋さんでした。
その店先に立っている女の子が声を掛けてきた人物で……。
千歌「えっと……?」
ダイヤ「貴方、Aqoursをご存知なのですか?」
女の子「はい! PVとか見ていて、私大好きで……」
千歌「……! そうなんだ……!」
女の子「……あ、そうだ! ちょっと待っててください」
千歌「……?」
女の子はそう言って店の奥へと小走りに駆けて行く。
……すぐに戻ってきた彼女は、手にオレンジと白色の可愛らしいお花で作られた小さなブーケを持っていました。
女の子「あのこれ、どうぞ!」
千歌「え、わ、私……?」
女の子「実はAqoursの皆のイメージブーケを作ってる途中で……全員分はまだ出来てないんですけど、千歌ちゃんのイメージブーケは最初に作ったから……!」
千歌「!」
ダイヤ「……ふふ、貴方は千歌さん推しなのですわね?」
女の子「は、はい……!」
わたくしがそう訊ねると、少し照れくさそうにする、お花屋さんの女の子。
一方、千歌さんは──
千歌「…………そっか……そっか……っ……」
女の子「……え?」
口元を抑えて、ぽろぽろと涙を零していた。
千歌「私……Aqoursなんだよね……っ……」
ダイヤ「ふふ、当たり前ではないですか……」
女の子「え、えっと……」
ダイヤ「大丈夫ですわ、嬉しくて感極まってしまっただけだと思いますので」
千歌「応援してくれて……ありがとう……っ……私、頑張るから……っ」
女の子「! は、はい! これからも応援してます!」
千歌「私……っ……頑張る……っ……」
ダイヤ「……ふふ」
 * * *
82:
──千歌さんはブーケの入った白いビニール袋を片手に、そしてもう片方の手はわたくしと繋いだまま歩く。
千歌「えへへ……」
二人で歩く最中、何度も手に持ったブーケの入った袋を見てはニヤニヤとしている。
ダイヤ「ほら、千歌さん、前を見て歩かないと危ないですわよ」
すれ違う通行人とぶつかりそうになっていたので、ちょっと強めに手を引く。
千歌「わわっ!?」
ダイヤ「すみません」
ぶつかりそうになった通行人に謝りながら、少しよろけた千歌さんを支える。
千歌「あはは、ごめんなさい……」
千歌さんは謝りはするものの、相変わらずにやけた表情をしている。
よほど嬉しかったのでしょう。
ダイヤ「ふふ……」
安心からなのか、わたくしも思わず笑みが零れる。
やっと、笑ってくれた。よかった……。
千歌「……ダイヤさん」
ダイヤ「なぁに?」
千歌「チカ……もうちょっとだけ頑張ってみる」
ダイヤ「ふふ……わたくしも出来る限りの協力を致しますわ」
千歌「うん、ありがと! ……待っててくれる人がいるんだもん! こんなところで負けてられない!」
ダイヤ「ええ! その意気ですわ!」
やっと千歌さんらしさが戻ってきましたわね。
ダイヤ「それでは! 買い物に参りましょうか!」
千歌「うん! ばれーしょが待ってる!」
わたくしはニコニコ笑顔を取り戻した千歌さんと手を繋いで、商店街を進んでいくのでした。
 * * *
──さて、無事馬鈴薯とカレールーを手に入れた、わたくしたちは帰路に就いています。
千歌「思ったより遅くなっちゃったね」
ダイヤ「そうですわね」
83:
買い物を終えて、バスに乗り込んだのは18時半前のことでした。
そろそろ日没の時間。
内浦までの道のりは45分ほどかかるので、バスの中にいる間に日は沈んでしまうでしょう。
早めに帰るのに越したことはありませんが……。
ダイヤ「まだ時間に余裕はありますから」
千歌「あはは、そだね」
日没になった瞬間、急激に吸血鬼化するわけではない。
強い吸血鬼化が認められるようになってくるのは、大凡21時以降。
それまでは緩やかに進行していくだけですし、まだまだ時間的な余裕がある。
今日は曇り空のお陰で、バス内に差し込んでくる西日もありませんし……。
千歌「えへへ……」
千歌さんはご機嫌な様子ですし、短時間でしたが、一緒にお出かけしてよかったですわ。
ふいに、千歌さんが繋いだ手をきゅっと握る。
ダイヤ「? どうかしましたか?」
千歌「んーん……なんか、ずっと手繋いでてくれて……嬉しいなって」
ダイヤ「…………」
言われてみれば、そうでしたわね……。
商店街に入る前、強引に手を引くために握ってから、手を繋ぎっぱなしでしたわ。
……あら、もしかして……馬鈴薯を買うとき、やたら店主さんの視線が微笑ましかったのって……。
ダイヤ「…………///」
改めて考えてみたら、急に恥ずかしくなってきて、思わず繋いでいた手を放す。
千歌「あ……手、放しちゃうんだ……」
ダイヤ「え、いや、その……」
千歌さんがしゅんとしてしまったので、慌てて握り直す。
千歌「! えへへ……」
ダイヤ「……手を繋いでいると、何か違うのですか……?」
千歌「うん、ダイヤさんが温かくて嬉しいなって」
ダイヤ「……千歌さんの手の方が温度は高そうですけれど……」
わたくしは少々冷え性気味なので、温かい季節でもよく手が冷たいと言われる。
逆に千歌さんの手はやたら温かかった。代謝の違いでしょうか……?
千歌「あはは、そうじゃなくてね。……んー、心がかな……」
ダイヤ「心、ですか?」
千歌「うん……ホントはすっごく不安なはずなんだけど……。ダイヤさんが傍にいてくれるだけ……すっごく心強い。手繋いでくれてる間は、もっと安心する」
ダイヤ「そう……」
84:
そういう風に言ってもらえると、悪い気はしない。
思わず、彼女の手をきゅっと握ると、
千歌「えへへ……」
千歌さんは幸せそうに微笑みながら、手を握り返してくる。
そのまま、千歌さんはコテンと頭を預けてくる。
ダイヤ「千歌さん?」
千歌「……ダイヤさん、ありがと……」
ダイヤ「ふふ、どういたしまして……」
千歌「ちょっと眠いかも……」
ダイヤ「眠ってもいいですわよ。着いたら起こしてあげますわ」
千歌「うん……」
そう言うと、千歌さんは目を瞑って、わたくしの方に身を預けてくる。
わたくしは、人の温もりを感じながら、往く帰り道は──存外悪くないなと、思ったのでした。
 * * *
異変が起きたのは、自宅のバス停まであと10分ほどの場所に差し掛かったときのことでした。
千歌「…………ぅ」
ダイヤ「? 千歌さん? 起きたのですか?」
千歌さんから小さなうめき声が聞こえてきて、声を掛ける。
千歌「…………ふ……ぅ……」
ダイヤ「……千歌さん?」
起きたのかと思ったら、千歌さんの身体が小刻みに震えだす。
ダイヤ「!? 千歌さん……!?」
千歌「…………ぅ……く……ふぅ…………ふぅー…………」
気付けば千歌さんと繋がれていた手の平が汗で湿っていた。
はっとなって、彼女の額を見ると、脂汗が滲んでいる。
ダイヤ「大丈夫ですか……!? 酔いましたか……?」
千歌「…………血、が……」
ダイヤ「え!?」
その発言に血の気が引く。
まさか──
ダイヤ「ちょっと、失礼します!!」
85:
千歌さんの顔に手を添えて、自分の方に向き直らせる。
ダイヤ「口、開けて!」
千歌「ぁ、ぁー……」
彼女の口の中を見て──更に血の気が引いていく。
ダイヤ「ど、どうして……」
千歌さんの歯が──吸血鬼状態になっていた。
それも、伸びかけの状態などではない。
完全に吸血鬼のソレなのです。
慌てて窓の外を見ると、確かに夜の時間は始まっていますが、まだ僅かに西の空には昼の明るさの余韻が残っている。
昨日はまだこの時間は全然吸血鬼化が進んでいなかったのに、何故……!?
千歌「……ぅ……ふぅ……ふぅ……」
そんなことを考えている間にも、千歌さんの呼気はどんどん荒くなり、震えは大きくなっていく。
これは……もしかしなくても、血を欲している状態です。
ダイヤ「千歌さん……! 今の欲求はどれくらいですか……!?」
千歌「……きゅぅ……じゅぅ……」
ダイヤ「90……!?」
もうすでに限界ギリギリではありませんか……!!
ダイヤ「千歌さん……! もう少しだから、我慢してください……!! 荷物はわたくしが持ちますから……!!」
千歌「ふ……ぅ……ぅん…………」
あとバス停何個分……!?
千歌さんからブーケの入った袋と、買い物袋を受け取りながら、外を見回す。
あと5分程度で着く。
最寄りのバス停から家まで走って……あ、いや、今の状態の千歌さんは走れるとは思えない。
ギリギリ家まで間に合うかどうか……!!
焦る思考の中、気付けば、
千歌「ふ……ぅ…………んぁー…………っ」
ダイヤ「!?」
千歌さんはわたくしの首筋に噛み付こうとしていた。
ダイヤ「ス、ストップ!!」
千歌「むぎゅ……っ!!」
彼女の頭を無理 矢理抱きかかえるようにして、どうにか噛みつきを回避する。
不味い……不味い……! 不味いですわ……!!
千歌「ふぅー…………ふぅー…………!!」
86:
もう千歌さんは限界……!
ですが、外での吸血は絶対回避しなければならない。
外でチャームにかかってしまったら、本当に収拾がつかなくなってしまう。
ダイヤ「千歌さん、お願い!! 我慢して!!」
千歌「ふ、ぅ……ふぅー…………」
彼女の頭を抱きかかえながら、祈るように、目的地に着くまで耐える。
──あとバス停一つ分なのに、どうしてこんなに長いの!?
時間が掛かりすぎですわ……!!!
バスは普段と何も変わらず運行しているはずなのに、今この瞬間だけはやたらのろのろ動いているように感じる。
お願い、お願い……!! 早く、早く目的地に着いて……!!
 * * *
バスを降りる際、運転手の人に「お嬢ちゃん大丈夫かい!?」と心配されてしまいましたが。
ダイヤ「少し酔ってしまったみたいで!! 家はすぐそこなので、お気になさらず!!」
そう言って、バスを飛び出した。
バス停から自宅までは一直線。
ここさえ、抜ければ……!!
千歌「……血!!!」
ダイヤ「……!!」
手を引く千歌さんが、大きな声をあげた。
ダイヤ「あとちょっとだからっ!!!」
千歌「血、血!!!!」
千歌さんが強い力で手を引っ張ってくる。
ダイヤ「っ……!!」
ここで、引きずり倒されて吸血されるのはダメです……!!
わたくしは咄嗟に繋いでいた手を振りほどいて──
千歌「血っ!!!」
ダイヤ「血が欲しいなら、こっちですわ!!」
自宅までの一直線の道を全力で走り出す。
千歌「血ぃ!!」
87:
正気を失った千歌さんが、後ろから追いかけてくる。
これでいい。
辺りに他の人影はない。
なら、千歌さんはわたくしだけを追いかけてくる。
ダイヤ「こっちですわよ!! 千歌さん!!」
千歌「血、血、血!!!」
目を血走らせて、千歌さんが追いかけてくる。
ダイヤ「は、はや……!!」
先に勢いをつけて飛び出したはずなのに、千歌さんは思った以上に足がく、どんどん距離を詰められる。
自宅正門前の石段に差し掛かり、普段絶対しないような大股で走りながら、階段を一段飛ばしで駆け上がっていく。
こんなところ、お母様に見られたら絶対に叱られる。
ダイヤ「緊急事態なのでっ!!!」
誰が見ているわけでもないのに──正確には千歌さんは見てますが──大声で言い訳しながら、階段を駆け上がる。
全力で黒澤邸の正門をくぐり抜けると、左手に我が家の玄関が見えてくる。
ダイヤ「っ……!!」
無理 矢理引き戸を開いて、屋内へと転がり込む。
田舎特有の留守なのに鍵を掛けない習慣、普段はこのご時世に不用心なと、顔をしかめるところですが今日ばかりは助かりました。
急いで靴を脱ぎ捨て、部屋まで走ろうとしたところで、
千歌「血血血血ぃっ!!!!!!」
ダイヤ「!!」
追いついてきた千歌さんに背後から押さえつけられ、玄関前の廊下に倒れ込む。
ダイヤ「へ、部屋まで待って!!!」
千歌「フゥーッ!!! フゥーーッ!!!!」
千歌さんの顔が首筋に迫ってくるのが気配でわかる。
首を捩りながら、彼女の顔を確認すると──
ダイヤ「……!!」
千歌「……ふぅーーっ!!!! フゥーーーーーッ!!!!!!」
千歌さんは涙を流していた。
その涙が……何を意味しているのか。何故だか少し……わかるような気がして……。
思わず、彼女の頭を後ろ手に抱くようにして──
ダイヤ「……よく、頑張りましたわね。……吸ってもいいですわよ」
彼女へ吸血を許可したのでした。
千歌「ん、ぐぁあーーーっ!!!!」
88:
──ブスリ。
剥がす暇のなかった絆創膏を貫く形で、歯が首筋のいつもの場所に突き刺さってくる。
ダイヤ「っ゛…………!!」
千歌「ん…………ちゅ…………ちゅぅ…………」
ダイヤ「は……っ……はぁ…………? ……ん…………ん……っ…………?」
快感が昇ってくる。
思考が刺激で掻き消されていく。
ダイヤ「や、ぁ…………? …………ふ、ぅ…………ん…………っ…………?」
声が漏れる。気持ち良い。
千歌「ちゅ…………ちゅ、ぅ…………っ…………ぷは…………」
ダイヤ「ゃっ…………?」
千歌「…………ごめんなさい……っ……」
ダイヤ「はっ……? はっ…………? 千歌さ……っ……? もっと……?」
千歌「ごめんなさい……っ……。ごめんなさい……っ……!」
ダイヤ「……?? 千歌さん、もっとぉ…………?」
千歌「ごめんなさ……っ…………ごめんなさい……っ……!!」
ダイヤ「……千歌、さ…………ぁ…………」
気付けば──千歌さんに後ろから抱き竦められていた。
そして、彼女は──
千歌「ごめ……っ……ごめん、なさ……っ…………ごめんなさい……っ……ごめん、なさい…………っ……!」
何度も謝罪の言葉を繰り返しながら、泣いていた。
ダイヤ「……千歌さん」
千歌「わた……っ……わ、たし……っ…………」
ダイヤ「ちゃんと、家まで我慢できましたわね……偉いですわ。ありがとう」
吸血前に後ろ手に抱きかかえるようにしていた手で、頭を撫でる。
千歌「っ゛……!!! ぅ、ぅぁぁぁ……っ……」
ダイヤ「……よしよし」
千歌「ぅ……っ……あ、ぁぁぁ……っ……」
わたくしは、ただ泣きじゃくる彼女に言葉を掛けて、撫でてあげることしか……できませんでした。
 * * *
ダイヤ「──あーん」
千歌「ぁー……」
89:
千歌さんの口の中を覗き込む。
ダイヤ「……やはり、完璧に吸血鬼化していますわ」
千歌「……うん」
時刻は20時過ぎ。
昨日のこの時間の写真と比べても──というか、もう比べる必要もないほど立派なキバになってしまっていた。
千歌「……どうして」
ダイヤ「…………」
もう答えは出ている気はした。
──根本的に吸血鬼化が加している。
ただ、明言化はしたくない。
今、千歌さんに辛い現実を突きつけても、いいことなんて何も……。
ダイヤ「千歌さん」
千歌「ん……」
ダイヤ「少し遅くなってしまったけれど……夕御飯を作りましょう?」
千歌「ごはん……」
ダイヤ「カレー一緒に作りましょう?」
千歌「……うん、ばれーしょが待ってるもんね」
ダイヤ「ええ」
今は少しでも普通に……千歌さんと過ごした方がいい。
わたくしと千歌さんは買い物袋を持って、厨房へと足を運ぶのでした。
 * * *
ダイヤ「──はい、野菜洗いましたわ」
千歌「うん、じゃあ皮剥くよー!」
ダイヤ「お願いしますわ」
流水に触れない千歌さんは野菜を洗うことはできないので、わたくしが洗ってから手渡す。
千歌さんはピーラーを片手に張り切っている。
ダイヤ「張り切りすぎて、手を切らないようにしてくださいませね」
千歌「はーい!」
千歌さんが野菜の皮剥きをしている間に、わたくしは鍋の準備をする。
二人分なのでそんなに大きなものは必要ないので、普通のお鍋に水を貯めていく。
千歌「出たな! ばれーしょの芽! しっかり、えぐってやるぞぉ!」
ダイヤ「…………」
90:
どう考えても、空元気ですわよね……。
千歌「あ、ダイヤさん! お水あふれてる!」
ダイヤ「え?」
言われて手元を見ると、鍋から水が溢れ出していた。
ダイヤ「…………」
余分に入れてしまった水を捨ててから、コンロの上に鍋を置く。
千歌「ダイヤさん……大丈夫……?」
ダイヤ「ごめんなさい……少し考え事をしていて……」
全く、わたくしが心配されて、どうするのですか……。
ただ……現実問題、事態はどんどん悪い方向へと進んでいる。
このままでは、本当に──
千歌「……大丈夫だよ」
ダイヤ「え……?」
千歌「私……諦めないから」
ダイヤ「千歌さん……」
千歌「だから、今はカレー! 作ろ?」
ダイヤ「……ええ、そうですわね」
腹が減っては戦は出来ぬですわ。
しっかり、ご飯を食べて……どうするかを考えないと、いけませんものね。
 * * *
千歌「これでよし! あとは煮込むだけだね」
カレールーの投入も終えて。
カレーは鍋の中でぐつぐつと煮込まれている。
ダイヤ「あとは、これですわね」
お玉にはちみつを垂らす。
千歌「……? はちみつ?」
ダイヤ「? どうかしましたか?」
千歌「はちみつ入れるの?」
ダイヤ「……? はちみつ入れないのですか?」
千歌「……??? 普通入れない気がするけど……」
ダイヤ「え……?」
91:
お玉いっぱいのはちみつをカレーに投入しながら、わたくしは怪訝な顔をする。
ダイヤ「……はちみつ、入れないのですか……? 我が家では昔から、はちみつを入れているのですが……」
千歌「そ、そうなんだ……黒澤家のカレーの隠し味なんだね」
ダイヤ「……昔から、当たり前のように入れていたので、疑問に思ったことがありませんでしたわ……」
お玉にはちみつを垂らしながら、少しショックを受ける。
……他のご家庭では、はちみつは入れないのですわね……。
千歌「って、え!? まだ入れるの!?」
ダイヤ「黒澤家のカレーはお玉2杯分のはちみつをいつも入れているので……」
千歌「…………そ、そうなんだ」
そのまま、はちみつを投入して、煮込みながらかき混ぜる。
小皿に味見用にカレーを少しだけ取って、一口──
ダイヤ「……ふふ、いつもの味ですわね。おいしいですわ」
千歌「ホントに?」
ダイヤ「千歌さんもどうぞ」
同じように小皿にカレーを少しだけ取り、千歌さんの口元に運ぶ。
千歌「ん……。……あ、確かにコクがあっておいしいかも……」
ダイヤ「でしょう?」
千歌「ただ……甘口カレーみたいだね」
ダイヤ「そうですか?」
そんなに甘いでしょうか……?
もう一口、頂いてみますが……。やっぱり、カレーと言えばこの味だと思うのだけれど……。
千歌「あ、でもでも、チカはこのカレーの味も好きだよ」
ダイヤ「当然ですわ! 我が家のカレーなのですから!」
千歌「うん、完成するの楽しみだね」
ダイヤ「ええ!」
あとは野菜をよく煮込んで完成ですわね。
 * * *
千歌・ダイヤ「「いただきます」」
今日も今日とて、二人で食事を頂く。
なんだかんだでここ数日はいつもこうして千歌さんと一緒にご飯を食べている気がしますわね。
92:
千歌「んー! やっぱり、カレーっていつ食べてもおいしいよね!」
ダイヤ「ふふ、前にルビィも同じようなことを言っていましたわ」
千歌「あはは、言ってそう」
二人で食事を楽しむ最中。
千歌「ダイヤさん」
千歌さんが自分から話を振ってくる。
ダイヤ「なんですか?」
千歌「……ちょっと、今後の話をした方がいいかなって……」
ダイヤ「…………」
わたくしのスプーンが止まる。
ダイヤ「……今ですか?」
千歌「……後回しにしても、よくないかなって」
ダイヤ「それは……」
千歌「また急に……予想出来ないことが起こるかもしれないし」
ダイヤ「…………」
千歌「明日から……練習もあるし」
確かに明日は午後からAqoursの練習があります。
救いなのは午前中は果南さんが家の手伝いで出られないため、午後までの時間は自由参加ということになっていることでしょうか……。
ダイヤ「……とりあえず、午前中の練習は休みましょう」
千歌「うん……お昼まで起きられないもんね」
こういう休日の練習スケジュールの場合、午前中から積極的に参加しているのは、わたくし、千歌さん、曜さん、梨子さん、花丸さん……それと、ルビィの6人。
善子さん、鞠莉さんはお昼まで寝ていることが多く──というか、鞠莉さんは根本的にルーズなので──果南さんも家の手伝いや準備のため遅れることが多い。
千歌「明日の午前練習は4人かな……」
ダイヤ「……まあ、善子さんの家にルビィと花丸さんが今日まで泊まっているので、一緒に練習に参加すると思いますわ」
千歌「あ、それもそっか。……5人もいればどうにか練習出来るよね」
ダイヤ「ええ、きっと大丈夫ですわ」
やはり彼女はAqoursのリーダーらしく、練習状況の心配をしている様子です。
確かに練習の主導はメニュー管理をしているわたくしと、実質ダンスリーダーの果南さんがやっている節があります。
三年生が不在のときは千歌さんが牽引している様子ですが……。
明日に関してはそういう人員が全員いない練習になってしまいそうなのが、懸念なのでしょう。
ダイヤ「そんなに心配しなくても、皆さんしっかりしていますから、大丈夫だと思いますわ」
千歌「うん……まあ、そのメンバーなら曜ちゃんがまとめてくれるかな」
ダンスなら曜さん。歌唱訓練なら、ピアノが弾ける梨子さんと歌が得意な花丸さんも居ますし……。
きっと、大丈夫でしょう。
93:
ダイヤ「わたくしたちは、お昼以降の参加。……夜明けは5時頃なので、11時には目覚ましをセットしておきましょう」
千歌「うん、そうだね」
まあ……それはいいのですが。
ダイヤ「明日……ちゃんと曇るかしら……?」
千歌「……うん」
晴れてしまうと、千歌さんは屋外でのダンス練習は厳しいかもしれない。
千歌「一度家に寄って……帽子取ってこようかな」
ダイヤ「それがいいかもしれませんわね……」
気休め程度かもしれませんが……ないよりはきっと良いでしょう。
そして、もう一つ……大きな問題が……。
ダイヤ「千歌さん……その……」
千歌「……うん、お昼にキバがあったら、さすがに練習に行くわけにはいかないよね……」
……そう、千歌さんの吸血鬼化は確実に進行し、加している。
吸血衝動を始め、前日、前々日のことはほとんどアテにならないのではないかという疑念が払拭できない。
今日も日が沈んですぐに、完全に吸血鬼化してしまっていたし……もしかしたら、日が昇っても吸血鬼状態から戻らないという可能性は否定出来ない。
ただ、逆に言うならそれはそのときになってみないとわからないということでもある。
ダイヤ「明日は慎重に様子を見ながら、どう動くかを考えた方がいいかもしれませんわね……」
千歌「……後ね、今……30くらいだよ」
ダイヤ「…………! ……吸血衝動のことですか?」
千歌「……うん」
ダイヤ「…………」
正直、今はこの話題をするつもりはなかった。
この事実は、あまりに千歌さんの精神に負荷を掛けすぎると思ったからです。
ただ、彼女は自分からこの話題を振ってきた。
千歌「……あのね、思ったんだ」
ダイヤ「……?」
千歌「どんなに認めたくなくても、実際に衝動は抑えられないわけだし……それだったら、目を逸らしてもなんにもならないなって」
ダイヤ「千歌さん……」
千歌「ちゃんと、認めて……それから、どうするか、何が出来るか考えないと……どんどんどんどん、悪い方向に進んでっちゃうだけな気がするんだ」
ダイヤ「……今、そのように言えるのは、本当に偉いですわ……」
一番辛いのは本人でしょうに……。
千歌「うぅん……今こういう風に考えられるのは、私を応援してくれる人が居るんだって、ちゃんとわかったから。待っててくれる人がいるなら、私はまた戻らないと──」
──Aqoursとしてのステージに……。
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