【モバマス】死の前に一寸、偶像をback

【モバマス】死の前に一寸、偶像を


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1:
塩見周子さんのお話です
2:
 目が覚めた瞬間、違和感を覚えた。
 場所は大丈夫。ここは自分の家の、自分の部屋だ。布団の感触は愛用しているものに違いないし、枕の硬さも感覚が覚えている通り。自分の部屋の匂いなどについて考えることなんてほとんどないけど、そこも別に違和感の発生源ではないだろう。
 視線の先にある天井だっていつもと同じものだ。眠れない時に目を開くと、決まってなんだか木目が人の顔のように見えてしまって無性に気味が悪くなる。
 いや、確かに天井は自分の部屋のもので間違いない。間違いはない……のだが、そもそもあまり朝に天井を見た覚えがない。いつも目が覚める時は、いつの間にやら横を向いている気がする。……いやいや、そりゃあいつもはそうでも、今日に限って寝相がよくったって何もおかしいことはないか。
 それにしたって確かに、今日はなんだか寝相も寝覚めも素晴らしいような気がしてきた。体は完全な仰向けで、掛け布団は少しも傾かず、自分の肩より下を覆っている。ふと、両手を動かそうとすると、どうやら掛け布団の下、自分の胸の前で祈るように重なっているようだった。
 よほど深い眠りに落ちていたのかもしれない。まあ、たまにはいいだろう。疲れていただけだ。昨日は何をしたんだっけ。確か……
「……っ!」
 ズキン! と、鈍い痛みが頭に走った。思わず声にならない声が口から漏れ出す。
 数十秒ほどで頭痛は治まったのだが、今まで感じたことのない痛みだ。体調になんらかの問題があるなら、今日は学校を休むべきかもしれない。どうせ卒業間際なのだから大したことはしないし、ここでサボったからといって卒業を取り消されるなんてこともありえないだろう。ひとまずは時間を確認することにした。
 寝る時にはいつも枕元にスマートフォンを置いているから、それを見てみるのが早そうだ。昔は目覚まし時計などを使っていたこともあったが、最近ではもっぱらスマートフォンのアラーム機能に頼りきりになっている。
 体を横に向け、枕の右の方をごそごそと探る。しかしなかなか目当てのものの感触はない。手の可動範囲を少しずつ広げていき、さらに探す。
「目が覚めましたか。おはようございます」
 声がした。知らない男の声だ。心拍数が一気に跳ね上がる。誰? 誰? 父親の声ではない。これでも十八年はこの家にいるのだ。肉親の声と知らない人間の声を聞き間違えるはずがない。嫌な汗が吹き出す。探し物のことなんて頭の隅にも残っていない。
 幸いなことに、まだ何かしらの危害を加えられたわけではない。まずは相手の姿を確認しなければ。鼓動がうるさく、半身を起こす作業に数十分も要したような錯覚を覚える。いや、錯覚ではないのかもしれない。とにかく体が重い。横になっていた時には気がつかなかったのだが。
 やっとの思いで上半身を起こす。そのまま、体を、声がした方向へ向ける。ゆっくりと。体はまだ重い。
「怖がらないでください。怪しいものでは……まあ、あるかもしれませんが、あなたに何かしようという訳ではありません。もし私の体があなたに触れた時には、思い切り声をあげてもらっても構わない」
 男の口調は落ち着いている。そして、目が合った。
 声の割りには顔から受ける印象は若い。しかし二十代ではないだろう、三十と言われても納得できるが、声を聞くと五十手前だっておかしくはない。いや、そんなことはどうでもいい。なぜこの男は自分の部屋にいるのだろうか。目的は何だ? カネか? いやいや、一介の女子高生の部屋に入ってカネを寄越せなんてことはないだろう。資産家の御令嬢の独り暮らしならまだしも、この家はただの和菓子屋だ。
 となると目当ては自分か。まあ普通に考えたら目当てはカラダとしか思えない。自賛になるが、顔は整ってる方なのではないだろうかという自覚はある。ストーカーが後ろをつけてきて、自宅を割り出し、不法侵入。まあよく聞く話だ。それにしてもおかしいのは男の服装である。男が着ているのはスーツだった。いや、違う、ネクタイが黒い。ということはあれは……喪服だろうか。外からの光はただでさえ少なく、カーテンの遮光も十分に働いているこの状況において、さすがにネクタイの色が黒なのか、それとも深い紺なのかまではわからない。それ以外の部分で判断するべきなのかもしれないが、生憎、スーツと喪服の違いなんて考えたこともない。
「だれ……?」
 掠れた声がようやく喉から顔を出してくれた。もう飲み込む唾も残っていない。これで喋れなかったら、もう全てを諦めて二度寝でもしていようかというところだ。
「塩見周子さん」
 ビクッと体が反応する。呼ばれたのは間違いなく自分の名前だ。この男は名前を知っている。無差別ではなく、明確に自分を狙ってここにいる。それと同時に、またしても鼓動が早くなる。何か、恐ろしいモノと対峙しているような感覚が芽生えてきた。
「あなたは、今日、死にます」
3:
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 たちの悪い冗談だ。いや、冗談であってくれ。という方が心情としては正確か。
 知らない男が自分の部屋にいるという、それだけでもうキャパシティなどとうにオーバーしているのに。
 今、何と言った? 自分が今日、死ぬ? 
 男は黙っている。こちらの反応を伺っているのかもしれないが、薄暗いこの部屋で、動揺したこのアタマで、それを類推することなど、とてもじゃないが無理だ。
 言葉を返すことが出来ない。何を言えばいいのかわからない。まあ、例え言うべき言葉が見つかったところで、この喉では呻き声にしかならないのだが。
「あなたは今日、午前八時二十四分、学校から百五十メートル離れた交差点で亡くなります。死因は出血性ショック死。直接の原因は、居眠り運転のトラックが歩道を歩行中のあなたに突っ込んできたことでーー」
 目の前にいる男の口から、次々と言葉が浴びせられる。今の自分の脳が、それを受け止めることなど到底できない。
 到底できない、はずだったのだが、なぜか自然と、男の放つ言葉が、その意味が、頭の中に入ってくる。午前八時二十四分に学校近くの交差点。自分は毎日、八時半には教室の自席に到着するようにしている。該当の場所をその時間に通過していてもおかしくはない。いや、もう少し遅いだろうか。まあ、信号にかからずに駅から歩けたのならありうる時間か。
 いやいや、そんなことを確かめている場合ではない。どう考えても。
 大切なのは、死ぬという事実について。自分は本当に死ぬのだろうか。それは、いくら考えても仕方のないことなのだが。死にたいか、死にたくないかと聞かれればーー
「信じることが難しいだろうということは、理解しています」
 こちらの思考が一つの区切りを迎えた、その瞬間に、男が口を開いた。タイミングを伺っていたのかどうかはわからないが。
「回避するために、まず、本日の学校は欠席をお願いいたします。この事故はあなたが原因で起きるものではなく、家にいればニュースとして耳に入るでしょう。安心してください、他に巻き込まれる方はいません」
 依然として声は出ない。
「それが証明となると思います。その後でまた、お話ししましょう」
 男は話を切り上げようとしている。まだ聞きたいことが。
 パチン、と、男が指を鳴らす。
 その刹那、周子の意識は途切れ、体は再び、布団へ放り出されることとなった。
4:
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 枕元のスマートフォンが、けたたましい音を鳴らしている。
 意識を取り戻すまでに、いつもより多くの時間を要したようだ。
 頭が重い。体もやはり、思ったようには動いてくれない。
 しかし、あの男と交わした会話は、いや、こちらは返事の一つもできていないのだから、会話と呼ぶべきかはわからないが、なぜか鮮明に残っている。
「夢……?」
 声を出すのが、随分と久しぶりのようにすら感じられる。
 あの男は、このまま学校に向かえば死ぬと言っていた。こちらとしては、言いなりになって休むのも癪だし、平然と学校に向かっても良いのだが。
「っつぅ……」
 いかんせん、頭痛が止まらない。
 流石にこの調子では、学校まで辿り着けるかどうかすら怪しいだろう。あの男によるものなのかどうかは判断できないけれど。
 ともあれ、今日は学校を休もう。重い頭を無理やり起こすと、台所で朝食の支度をしている母親にその旨を伝える。病院へ行くことを勧められたが、適当なことを言って断ることにした。あの男の予言の真偽を確かめないことには、治るものも治らない。
 再び布団に潜り込む。予告された時間にはまだ余裕があったが、かといって何かしようとも思えなかった。
 意識があるのかないのか、それくらいの微睡みに身を委ね、時間を確認しては潜り込み、そのようなことを繰り返しているうちに、時間が近づいてきた。
5:
 「あとちょっと……」
 少しずつ、鼓動が早くなる。頭痛を忘れるほどだ。
 「あと……」
 普段は朝の数分など、一瞬で過ぎてしまうのに。こういう時はどうしてこんなにも進みが遅いのか。
 そう考えているうちに、時計は所定の時間を指し示していた。
 「……」
 少し身構え、数秒、数十秒。
 「何も……」
 いや、この部屋にいる自分の身に何も起きないのは当然なのだが。どうしても少し警戒してしまう。
 あの男の言うことが正しいのなら、今この瞬間、事故が起きたはずだ。しかし、それを確かめる手段がない。
 誰も巻き込まれないとのことだから、テレビやネットニュースが報を流すこともないだろう。
 ローカル局の報道を待つのが賢明だとは思うが、そんなに悠長に待つなんて気が狂いそうだ。
 どうにか、知る方法はないだろうか。友達に電話を掛ける? いやいや、こちらは病欠の身なのに、怪しすぎるだろう。メッセージを送るにも同様だ。
 「……あ」
 などと、スマートフォンを転がしながら考えていると、小さな閃きが生まれた。
 「確か……あった」
 スマートフォンのアプリ一覧を眺めて、目当てのアイコンを探し、起動する。
 それは、SNSアプリだった。入学時にインストールして、何人かと繋がったものの、日常の些事を報告するというのはどうにも性に合わずに放置していたのだ。最後に開いたのはいつだろう。パスワードなどを求められたら自信がないのだが。
 そんな不安をよそに、すんなりとアプリは起動してくれた。何やらよくわからない、アップデートの表示が出てきたが、全て無視だ。
 そうして、投稿を閲覧する画面に辿り着いた。
 この瞬間までは、どこか他人事のような意識があったことを否定できない。事故が起きるなんて言われても、まさかそんなことはないだろうと。
 なんだかんだで何も起きていなくて、やっぱり夢だったかと布団に潜ることになるんじゃないかと。
 画面に映し出されたのは、一枚の画像。それは、毎日自分が通っている道のもの。この後ろに、この前に、どんな風景が続いているのかと聞かれればすぐに、その詳細を答えてみせようと言い切れるほどに、目に、身体に馴染んだ風景。
 ただ一つ、違うのは、画像の中央。そこに合成写真のように存在しているトラックは、ひしゃげたガードレールをもろともせず、その前面は強い衝撃で原型を失っており。歩道を完全に塞ぎながら燃え上がっていた。
6:
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 少しずつ、事故の現場に近づくごとに、心臓がうるさく跳ね回るのを感じる。既に一日が経過しているから、今から何かが起きるというわけでもないのに。
 何となく、起きた時間に近づくというのは嫌で、早起きをしてしまった。いつもより早く家を出て、最寄りの駅へ向かう。もちろん、何も変わったことはない。いつも通り十分弱で到着し、改札を通過、ホームへ降りる動作をこなす。残念ながら、内心は平静とはほど遠いのだが。
 そのまま、登りの路線が走る一番線で電車を待つ。高校の最寄り駅までは時間にして二十分程度。いつもより早い時間だから多少、到着を待つ人は少なく感じるが、それでも街に向かう電車は込み合っていた。反対側を往く電車は空いているのだが、あちらに乗っても車窓の街並みからは建物が消えていくだけだ。最終的には海に辿り着く。
 そうこうしているうちに電車が到着した。乗り込み、適当な座席の前でつり革を掴む。稀に座れることもあるが、今日はそういう日ではないようだ。
 何気なく耳を澄ましてはみるが、特に事故について触れている人はいないようだった。
 そのまま学校の最寄り駅で車内を後にする。この辺から、鼓動が早くなっているとの自覚も生まれてきた。
 駅から事故現場は、そう遠くはない。そもそも駅から学校までだって、十分とかからないのだから。
 その現場は、あのような事故が起きたにしては、日常の風景を取り戻しているように感じられた。それでも、あったはずの場所にガードレールはない。地面にはタイヤの跡が残り、よく見ればトラックの破片のような、小さな金属質のものも散乱していた。
「……」
 どうやら、事故は本当に起きていたようだ。いや、昨日から今日にかけての報道で、そんなことはわかっていたのだが。どうしても自分の目で見ないことには、現実として腹落ちしてはくれなかった。
 昨日、あの男の言うことを無視していたら、自分がこの事故に巻き込まれて……
 タラリと、首筋を冷や汗が流れる。
 首を振り、その先のイメージを頭から追い出す。無理やり足を動かして学校に向かう。立ち止まっていたのは数分だし、登校には少し早い時間だから周子を訝しむ人はいないようだった。
7:
 教室の扉が近づくごとに、また少し、緊張が胸を包むようになった。もしかしたら自分は既に死んでいて、クラスメイトには見えていないのでは?
 もし机の上に花でも置いてあろうものなら卒倒してしまう。いや、今朝は母親と会話をしたし、電車でも他人と何度か接触している。心配することは何もない。
 扉に手をかけ、開く、この時間でも、教室には数名の姿が見えた。
「あ、おはよー」
 入ると、扉の近くで話をしていた数名の女子が声をかけてきた。
「ん……おはよ」
 どうやら、自分のことは見えているようだ。少し安堵する。声が出るか不安だったが、こちらの返答にも特に問題はなかっただろう。もともと、声を張り上げて挨拶するような人間でもない。
 そのまま、自席へ移動する。最も廊下側の列、その、前から4番目の座席だ。机の中に置き去りの教科書には、ちゃんと自分の名前が書いてあった。
 とりあえず、始業の時間までは何をしていようか。気になるのはもちろん事故のことだが、あまり積極的に情報を集めるのも不自然極まりない。「昨日休んでたから気になって」とか「運転手が実は親の知り合いで」とか、いくらでも言い訳は浮かぶが、あまりウソをつくことはしたくない。
 まずは、聞き耳を立てることにしよう。スマートフォンでもいじるふりをして、気になる会話があったら、場合によっては混ぜてもらうのもいいかもしれない。
 段々と教室には人が増えていく。その中で耳を澄ませるものの、特に有力な情報は得られない。いや、有力とは何だろう。解き明かしたい謎があるわけでもないのに。ともあれ、気になることは気になるのだ。仕方がない。
「昨日の見たかよ。あのハット!」
「いやいや、あの二点目はオフサイドだったろ?」
「そういうの含めてエースなんだっての」
 向こうの男子は昨日のスポーツの話題だろうか。
「あ、おはよー、ずいぶんギリだね」
「おはよ……電車、昨日も遅延してたのに」
 あちらの息を切らした女子は、電車に文句を言っている。
「さっき通ったけどさ、ガードレールなくなってたな」
「いや、マジでヤバかったぜ? 燃えててさ、迂回しなきゃ学校行けなかったし!」
「俺も朝練に顔出してなかったらそんくらいに通ってたかもな……あー怖っ」
 思わず、顔をそちらに向けそうになる。昨日の事故の話をしているようだ。
 そのまま、悟られないように耳を傾ける。
「ま、誰も巻き込まれてないみたいだからよかったけどさ」
「居眠りだってな。運転手も死ななくてよかったじゃん」
「しっかし一日であんなに綺麗になるもんなんだな」
「ちょっと、学校休みになんないかなーって思ってたんだけど」
「めっちゃわかるわ。どうせこの時期なんてやることないし」
「な。あ、今日の帰りさーー」
 特に、目新しい情報は得られなかった。誰も巻き込まれておらず、原因は居眠り。報道とも、あの男の予言とも食い違っていない。
 どうやら、認めざるを得ないようだ。あの事故は本当に発生していて、自分はそれに巻き込まれるはずだった。しかし、あの男の助言によってそれを回避した。
 そのまま、ホームルームが始まった。先生の話など、全くといっていいほど耳には入ってこないのだが。この時期だから、授業もほとんど自習のようなもの。もちろん、勉強などとてもじゃないがやる気にはならない。適当にペンを握りながら、昨日のことを思い出していた。
8:
 SNSで事故を認識した後、何もする気力が起きず、夜まで意識を落としていた。目を覚ましていると、色々、考えてしまいそうだったから。
 夕食を済ませた周子が自室へ戻ると、図ったようなタイミングでスマートフォンが着信を告げた。表示されている番号に見覚えはなく、登録されているものでもない。
 しかし、直感的に理解していた。あの男からの連絡であると。
 ひとつ、ふたつと呼吸を整え、着信を受け取る。耳に当てるのと、相手の声が響くのは、ほぼ同時であった。
「こんばんは。今、お時間よろしいですか?」
「……うん」
 結論だけ掻い摘んで言えば、自分はこの男に命を救われたことになる。それに、ただでさえ底の知れない相手だ、話を聞かないことには始まらない。
「ご理解していただけましたか?」
「……イヤでもね」
「”なぜ助けたのか”と、疑問に感じていらっしゃるかと思います」
 まさに。話が早い。
「そのことも含めまして、一度、お会いして話をさせてください」
「……わかった」
 断っても仕方がない。その場合は、またしても不法侵入を許すことになりかねない。
「では明日、学校の帰りにこちらの事務所までお願いします。場所はーー」
9:
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 指定された住所は、学校の最寄り駅からさらに三駅ほど進んだ場所にあった。つまり、学校帰りに家とは逆の方面に乗り込んだことになる。親には帰宅が遅れる旨を連絡済みだ。
 大通りから路地をひとつ入り、目的のビルを見つけた。事務所は三階のようだ。
 ドアの隣のインターホンを押して反応を待つ。多少の不安と緊張はあるが、吹っ切れた思いもある。
 しばらくして、開いたドアの向こうに、あの男の姿を捉えた。
「お久しぶりです」
 男は深々と頭を下げる。
「応接室へどうぞ」
 こちらの返事は待たずに、近くの部屋のドアを開け、入るように促してきた。
 その部屋には小さな机が一つと、それを挟み、向かい合うような形でソファが二つ置いてあるだけのシンプルな部屋だった。
 周子が片方のソファに座ると、向かい側の男も腰を下ろした。
「本題から入ります」
 男は、真剣な眼差しでこちらの目を見つめてきた。冗談は通じなそうだという印象だ。その口から、どのような内容が飛び出すのか。少しの恐怖心も生まれようとしていたが。
「アイドルに、なりませんか?」
「……は?」
 冗談だろうか。
「冗談ではありません」
「……心読むのやめてくれない?」
「すみません。皆さん、そう仰られるので」
「そりゃ……」
 まあ、そうだろう。意味がわからない。
「嫌だって言ったら?」
「その場合は、仕方がありません」
「あれ、断れるんだ」
「はい、その場合は……死んでいただきます」
「死ん……え?」
 言葉の意味を飲み込むのに、少し、時間を要した。
10:
「申し訳ありません、言葉足らずですね。正確には、記憶を戻して、死ぬはずだった日の朝へ戻っていただきます」
「戻るって……」
 ”アイドル”という、思いの外ファンシーな言葉で解かれた緊張は、”死”という、最もファンシーとは程遠い概念によって呼び戻されていた。
 死ぬはずだった日の朝に。ということはつまり。
 事故の現場を思い出し、両手が鳥肌に覆われる。
「我々の仕事は、『不慮の死を遂げてしまった女性に、その死を回避する代わりにアイドルとして活動してもらう』というものです。アイドルになって頂けないのであれば、助けたという事実も無くさなければいけません」
「……それ、脅迫ってやつじゃないの?」
「いいえ、脅迫ではなく、取引です」
「……アイドルの理由は?」
「私がアイドル部門の人間だから。と、それ以上の理由はありません。活躍の道は様々ですが、周子さんにはアイドルが向いているという判断です」
 男が名刺を取り出し、こちらへ手渡してきた。そこには確かに『プロデューサー』という肩書きが付随している。
「……アイドルになれば、死なないで済むんだ」
「はい……いえ、正確には、なれれば、ですが」
「……なれれば?」
「この話を受けていただける場合、まずはこちらの契約書にサインをしていただきます」
 男が書類を取り出し、机の上に展開する。
「サインをいただくと、周子さんは研修生としてこの事務所に籍を置くことになります」
「研修生……?」
「はい。研修の期間は一年間。そして一年後に、アイドルになれるか否かの判断が行われます」
「判断……基準は?」
「ありません」
「……ないの?」
「”コーヒー1杯100円”」
「……は?」
「高いと思いますか?」
「いきなり何……? 安いと思うけど」
「では、今が戦後なら?」
「戦後?」
「はい。戦後のコーヒーはおおよそ5?10円です。その当時なら100円のコーヒーは異様に高価です」
「……何が言いたいん」
 要領を得ない話は得意ではない。
「正確には、基準がないわけではありません。”アイドルになるにふさわしい実績を残したか”というものはありますが。それは時代によって、その瞬間によって変化します。同じ時期に有力なライバルがいるだけで、仕事の量は減ってしまいます。その辺りの外的要因も含め、総合的に判断させていただきます」
「……なるほどね。それじゃあ、一年間こき使った後に『あなたはダメでした』って放り出すこともできる」
「……我々は、皆さんの努力と、結果に対して、真摯に向き合うことを徹底しています。そのように捉えられてしまうのなら、残念ではありますが」
「途中で辞めたり、基準に到達しなかった場合は……」
「想定したい事態ではありませんが、その場合にも、死ぬはずだった日の朝へ戻っていただくことになります」
「……やっぱ脅迫だね」
11:
「サインは、今この場でなくても構いません。大まかに、一週間くらいはお待ちいたしますので」
「ってか、この事務所、けっこう寂れてるけど、大丈夫なの?」
「その点については問題ありません。ここは全国各地にある、契約や面談のためにのみ用いる場所です。東京の方には本社があり、主な拠点はそちらになります。規模もそれなりと思っていただいて構いません。寮で暮らすことになりますので、上京という形にはなりますが」
「ふぅん……」
 軽くため息をつきながら目を閉じる。一旦、思考を整理する必要があった。
 その間、男は口を開かない。命を天秤にかけさせているという意識があるのだろうか。『真摯に向き合う』というのもあながちウソではないのかもしれない。
「……おっけ」
「難しいようでしたら、一度お持ち帰りいただいても」
「ううん」
 男のセリフを遮るように、書類と、ペンに手を伸ばす。その勢いでブランクを埋め、書類を男に向けた。
「……はい、これでいい?」
「……」
 男は少し、面食らっているようだった。思えば、この男の顔におおよそ、表情と呼べるようなものが浮かんだのは初めてかもしれない。それだけでも、即断の価値はありそうだ。
「差し出がましい問いにはなりますが……」
「親の同意とか?」
「……はい」
「へーきへーき。どうせ卒業したらどうするんだって言われてたし? 実家でゆっくりしようって思ってたけど、いつ追い出されるかもわかんないもん。そう考えるとこれ、渡りに船、みたいな?」
 けらけらと笑い声が漏れる。まあ、本当のことなのだから仕方がない。『東京のでっかいとこのプロデューサーにスカウトされた』と説明すれば、多少は親の溜飲も下がるだろう。何の目的もなくバイト生活を送りますだなんて言うよりは数百倍マシだ。
「……」
「どうかした?」
「いいえ、特には」
「あ、やっぱ、みんな即決なんてしない感じ?」
「……そうですね。一旦は皆さん、落ち着くために持ち帰る方が多いので」
 だから驚いていたのだろうか。いや、普通に考えたらそれが当然なのだが。
「あたしの予想、言っていい?」
「……予想……ですか?」
「『殆どは持ち帰るけど、結局ほぼ全員がOKする』でしょ?」
「……その通りです」
「やっぱりね。これが水商売とかならまだしもね。一年の猶予が貰えるならって、そりゃそうなるでしょ。持ち帰るだけ時間の無駄だと思うよ?」
「話が早くて、非常に助かります」
「あ、でも、アイドルとしての才能とか、期待しちゃダメだよ? シューコちゃん、その辺よくわかんないし、飽きっぽいし?」
「いえ、心配はありません」
「ん……?」
 随分とはっきりと言い切るものだ。よほどプロデュースに自信があるのだろうか。
「ま、いいけど……」
「それでは、今後の動きについて説明いたしましょう。周子さんは卒業を控えていると思いますので、上京はその後になります。それまでに、別途、必要書類にーー」
12:
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 予想通り……と言うのはいささか悲しいやら寂しいやら、なのだが、親から反対意見が出ることはなかった。事務所の規模も、自分が知らなかっただけでかなり大きそうだ。
 学校は無事に卒業できたが、周囲からの「進路はどうするの?」という質問には、特に答えなかった。親にも口止めをしてある。だって、恥ずかしいし。アイドルになるために上京しますなんて。売れないで地元に戻った日には、それはもう居場所がなくて悲惨な……いや、そのパターンは考えなくていいんだった。幸運にも。違う、不幸にも、か。
 大き目のキャリーバッグに荷物を詰め込む。親が海外のどこかに旅行した時に使ったものらしく、餞別代わりにくれるとのこと。ま、売れっ子になって全国を飛び回るようになったら改めて、感謝の言葉でも送ろうか。
 新幹線を最後に使ったのは……そうだ、修学旅行。あの時は周りに友達がいて、行先も、予定も、帰りの時間まで、全てが決まっていた。しかし今回はその対極だ。自分一人で、この先どうなるかもわからず、持っているのは片道切符。
 不安な思いもなくはないのだが、まだ抱くには早すぎるだろう。マイナスの感情には無視を決め込み、新幹線の旅路を進んでいった。
「お疲れさまです」
 改札を出ると、人がとにかく多い。いや、こちらの出発地だって西の大都市だ。きっと、見慣れない風景のせいで映る人々が多く見えるだけだ。
 と、自分に言い聞かせていると、声を掛けられた。
「よく見つけられるね」
「そういう、職業ですので」
「ふうん?」
 まあ、見つからなければ電話を掛けるだけだ。
「まずは、寮へ案内します。着いてきてください。ICカードはこちらを」
 準備が良い。軽く頭を下げながら受け取る
「寮から事務所への定期券は既に入っています。今後はご自身で更新とチャージをお願いします」
「おっけー」
 研修生の立場でも賃金が発生することは既に確認済みだ。思えば、随分破格の待遇だとも感じるが。
「あ、ひとついい?」
「はい、どうしましたか」
「これからよろしくね。プロデューサー」
「……はい、よろしくお願いいたします」
 そう言うと、男は……いや、プロデューサーは顔を背け、歩を進めていった。照れてるのなら、少しは可愛げがあるとからかうのも悪くないが。
「まあ、まだそこまでの距離感じゃないね」
 呟きながら、背中を追うことにした。
 新幹線の到着駅からいくつかの電車を乗り継ぎ、寮の最寄り駅へ辿り着いた。正直に言うが、乗り換えは全くもって頭に入らなかった。これが首都の鉄道ネットワークか。到着駅で路線図を眺めながら首を傾げる。
「何か問題がありましたか」
「ううん、おのぼりさんはつらいなあ。ってね」
「……京都がその括りに入るのかどうかは難しいところだと思いますが」
「東京だって田舎はあるでしょ? おんなじだよ。さ、いこっか」
13:
 そうして辿り着いた寮は、一見、ただのマンションと見間違える建物であった。
「はい、寮として、事務所が一棟、借り受けていますので」
 なるほど、それなら納得だ。
「エントランスはオートロックになっています。こちらがその鍵で、もう一本がお部屋の……」
 二本の鍵をこちらに手渡しながら説明をしていたプロデューサーだったが、エントランスから人の気配を感じると、一旦口を閉じた。
 自動の扉は、内側からなら鍵を使わずとも開く。いや、当然のことかもしれないが。
「あら、お疲れ様」
 出てきた人物の顔を見て、周子はただ単純に、驚いていた。美人だ。それ以外に感想がない。
 寮から出てきたということは、アイドルだろう。流石にあの顔で事務員だとしたら、この事務所の連中の目はは節穴だ。
「お疲れさまです。本日は……」
「ええ、オフだけど、自主レッスンに」
「わかりました。くれぐれも、遅くなる前には」
「もちろん。わかっているわ」
 年齢は、周子と同じくらいだろうか。いや、年上に見える。髪は周子と同じくらいの長さで、軽く青みがかっている。中央で二つに分かれた前髪が印象的だ。
「……あら」
 その女性がこちらに気が付く。軽く会釈をされたので、こちらも会釈を返す。顔を上げた時には、向こうの目線はプロデューサーに戻っていた。
「そっちは……」
「はい、新しい方です」
「そう。二人目ね」
「そうなります」
「よろしく」
「えっ、あ、よろしゅう……です……」
 急に声を出したので、素が出てしまった。特に笑われる様子がないのが幸いだ。
「それじゃあ」
「はい」
 彼女はそう言うと、軽い足取りで寮を後にした。
「……あの人もアイドル?」
「いえ、周子さんと同じ、研修生になります」
「あ、そうなんだ」
「ちなみに、周子さんの一つ下になります」
「……ぇ年下!?」
 ……この叫びが聞こえていないことを祈ろう。
14:
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 人間というのは、褒められることに弱い。それは、誰しも持っている願望だ。努力したらその分だけ褒められたい。努力をしていなくても、自分は努力抜きにこんなにもできるのだと、褒められたい。そういうものだ。
 なぜこんな話を急にするのか? それはもちろん。
「素晴らしい成績ですね。ダンスは言われたことをすぐに吸収できていますし、歌唱力も申し分ありません。何か経験が?」
「い、いやあ、別にないけど……」
 現在、絶賛褒められ中だからに他ならない。
 プロデューサーは手元の資料に目を落としつつ、こちらに言葉を投げかけている。大方、トレーナーさんからの報告書とか、その辺りだろう。
 思えば、これは作戦なのかもしれない。歌もダンスも経験のない自分が、恐らく数多くのアイドルを見てきたであろうプロデューサーの目から見て、そんな上等な成果を残せているとは思えない。しかし、しかしだ。もしかしたら本当に。自分には才能があるのかもしれない。昔から器用な方だと思っていたし、友人と通ったカラオケの点数も悪くなかったし。いやいや、カラオケなんかとプロの歌唱を一緒にしては……。
 入寮を済ませてから、おおよそ一か月が経過したこの日まで、周子は基礎的なレッスンをこなす日々を送っていた。
 もちろん、楽なものではない。これから自分は、この仕事で生活をしていかなければならないのだから。
 それでも、「こんなものか」と、思わないこともなかった。案外、適応できているのではないだろうか。いや、まだ仕事をしていないから結論など出ないのだが。
「技術的には、このまま順調にレッスンを積んでいけば、一年後には間違いなく、求められる基準に達するでしょう」
「……」
「どうかしましたか?」
「……いや、そんなこと言っちゃっていいの? あたし、調子乗ってサボるかもよ? レッスン」
「例えサボろうとも、基準に達すれば、問題はありません」
「そんなん……」
「ですが」
「え?」
「そうですね。確かに、周子さんの歌も、ダンスも、このままで十分な技術には達しますが……アイドルに必要なのは技術だけではありません」
「……どういうこと?」
「世の中には、今の周子さんよりも歌が下手で、今の周子さんよりダンスも劣っているのに、それでも、大きく活躍しているアイドルがたくさんいます」
「何で?」
 別に反発しているわけでも、怒っているわけでもない。単純に、興味があった。
「わかりません」
 プロデューサーは言い切る。悪びれる様子もないのだから、本心なのだろう。
「わかんないって……」
「反対に言えば、それがわかるのならプログラムに織り込みます。ヒトの目線を、興味を、関心を惹くものはいったい何なのか。これは永遠の課題です」
「……そういうもんなんだ」
「はい。……それでは、話を戻します。技術以外の部分を補うための、周子さんの今後の方針について」
「……」
 流石に、このままずっとレッスンだけしていればいいなんて、そんな都合の良いことはないようだ。どんな難題を課されるのか? こちらは「歌もダンスも上手い」とおだてられたばかりだ。変に心を砕くのはやめてほしいのだが。
15:
「現在、この事務所には、周子さんを入れて三人の研修生がいます。その内の一人が、もう二か月と少しで判断の時を迎えます」
「それって……この前の?」
「ああ、そうですね。あの時にすれ違った方です。あれから顔を合わせたことは」
「ううん、ない」
 同じ寮に住んでいるとは言っても、つまり向こうは既に半年以上も活動をしてきた、アイドル直前の存在だったわけだ。ひと月くらい行動時間が合わなくてもおかしなことはない。
「周子さんは夕方から夜にかけてのレッスンが多いですから」
「……へ? それ関係ある?」
「ああ、いいえ」
「?」
「あの方の名前は、水奏さんといいます」
「水……」
 そういえば、寮の郵便受けにそのような表記があった気もする。
「彼女の最終判断は、再来月のライブで行おうと考えています」
「ふぅん……」
「そのライブの、サポートメンバーとして準備と活動をお願いいたします」
「サポートって……何をすればいいん?」
「バックダンサーとしての出演と、場合によってはデュエットで歌っていただく可能性もあります」
「デュエット……いやいや、二か月で? 無理無理!」
「いえ、周子さんなら可能です」
「んな、何を根拠に……だって、判断ってことは、あっちだって、それ、ダメなら……」
「……そうなります」
「……」
「もちろん、周子さんの完成度は確認してからGOサインを出します。いずれにせよ、バックダンサーとしては出ていただきますが」
「……わかった」
「心配ありません。奏さんも、非常に才能に溢れた方です。ほぼ間違いなく、アイドルになれる実力があるでしょう」
「……それならサポートとか、いらなくない?」
「はい」
 即答だ。しかし、大抵その後には「ですが」と続く。
「ですが」
 やっぱり。
「奏さんのパフォーマンスを見ることは、周子さんにとって、必ず、プラスになります」
「……そうなんだ」
 プロデューサーが言うからには、そうなのだろう。まだ信頼しているというわけではないが、いちいち疑ってかかるのもカロリーが高い。そのような生き方は好きではない人間だ。
「ひとまずは、おふたりでのレッスンを組みます。息を合わせることを目標に、お願いいたします」
「……荷が重いね」
「重要なことです。……奏さんにとっても、きっと」
16:
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 レッスン室の扉を開けると、いつか見た、端正な顔立ちの女性がウォーミングアップをしていた。
 時間は朝の、レッスンが組まれる中では最も早い時間だ。
 こちらに気が付くと、口元に軽い笑みをたたえながら歩み寄ってくる。
「塩見周子さん、ね。水奏よ。プロデューサーさんから話は聞いているわ。よろしく」
 軽く握手を交わす。
「ん、よろしくー。周子でええよ? そっちが先輩なんだし」
「そんな、大それたものじゃないわ」
「いやいや、あたしなんてまだ右も左もわからんし? えっと……奏ちゃん?」
「お好きにどうぞ」
「そ。助かるよ」
「出身は関西?」
「うん、京都の」
「単身で上京?」
「そだね」
「そう。大変ね」
「そうでもないよー? 何かと気楽だし」
 高飛車だったり、取っつきづらかったりしたらどうしようと、もっぱら不安であったのだが、どうやら杞憂に終わりそうだ。
 雑談をしながらウォーミングアップをしていると、いつの間にかレッスンの開始時間になっていた。部屋に入ってきたトレーナーさんが指示を出す。
「おお……」
 奏の動きは、一言で表せば『優雅』だった。
 まるで、手足の先の先まで意識が通っているかのような繊細さで。それを、緩急の効いた全身の動きが、一層際立たせている。
 表情も艶めかしい。ダンスとして、恐ろしく完成度が高いと感じる。目が離せない。
 『非常に才能に溢れた方です』という寸評が、世辞でも何でもないということを痛感している。
 入れ違いで周子もダンスを行うのだが、流石に奏の動きには程遠いと感じる。なるほど、一人のレッスンではわからなかったことだ。これだけでも十分な収穫に思える。
17:
 そのまま、レッスンは終了した。先に声をかけてきたのは奏だ。
「……一か月?」
「え?」
 入ってから。ということだろうか。
「まあ、先月頭に入ったから、ちょうどそんくらいかな」
「そう、羨ましいわ。才能があるのね」
「いやいやいや、奏ちゃんの方がすごいって! 何あの優雅な! ……何!?」
「あら、お世辞でも嬉しいわ」
「そういうんじゃないけど……」
 もちろん、本心で言っているのだが。
「私のその時期なんて、酷いものだったから」
「いや、絶対謙遜でしょ……。ま、でもその完成度なら、アイドル、なれるんじゃないの?」
「……」
「……奏ちゃん?」
 途端に、奏の表情が暗くなった気がした。マズい言葉だったか。
「いえ、何でも」
「それなら……いいけど」
 いや、明らかに『何でも』という表情ではなかったのだが。しかし、踏み込むべきかも自信がない。ほとんど今日が初対面のようなものなのだから。
「……」
 奏は黙っている。何か、考え事をしているようにも見えるが。
 やがて、口を開いた。
「プロデューサーさんが私のところに周子を呼んだこと、どう思う?」
「どうって……」
 その問いの意味が上手く掴めない。有効な返事はできなかったが、奏は続ける。
「私は、何か意味があると思うの。プロデューサーさんの意図もだし、それよりも大きな、運命みたいな」
「運命……」
「ふふっ、いきなりこんなこと言われても困るわよね? でも、私には時間がない」
「……え?」
 それは何か、覚悟を決めたような表情で。
「正直に言うわ。私はこのままでは、アイドルにはなれないの」
 突然の告白に、頭が理解を拒む。
 なれない? それはつまり、審査を通過できないということだろうか。
 いやいや、先ほどまで、この目が奏のダンスを見ていた。見惚れていたのは幻ではない。間違いなく、奏という存在に対してだ。
 まさか、それを覆すほどに歌が下手とか? いや、そのように茶化した言い方ではなかった。恐らく、そちらも一定の水準はゆうに超えているはずだろう。
 返事ができないでいると、奏はさらに言葉を続けた。
「来週末、ライブがあるの。ソロではなくて、何人かの先輩アイドルと合同なのだけど」
「え?」
「見に来て。詳しい話は、その後」
「え、っと……うん」
「ごめんなさいね。いきなり」
「いや、大丈夫……」
 個人的に、興味があった。奏の発言の理由もだし、そもそも、アイドルのライブというもの自体にも。
 良い機会だから、勉強させてもらおう。それくらいの気持ちだったのだが。
18:
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 そのライブは、比較的早い時間に予定されていた、14時から16時半までのライブで、出演者は奏の外に5人ほど、皆、既にデビュー済みの、正真正銘のアイドルだ。
 周子は、舞台裏でそのライブを見学させてもらうことになった。プロデューサーも了承している。
 流石に、開始前に奏に声をかけるのは遠慮しておこう。適当にあてがわれた関係者用の部屋で、セットリストを眺める。
 奏の出番は計4度。前半に一回、後半の初めと、中盤に一回ずつ、そしてアンコールで全体曲。研修生だが、アンコールまで参加できるようだ。実力の裏付けかもしれない。
 しかし、そうなると余計に気になるのは奏の言葉だ。
「アイドルにはなれない……か……」
 また、気になることがさらにひとつ、セットリスト内、奏の出番の3回目と4回目の隣には文字列が。
「あ、ねえ、ちょうどよかった」
 ふと廊下に出ると、まさにプロデューサーが通りかかるところだった。
「どうされましたか?」
「いや、この……『可能な場合』って、何?」
 該当箇所を指さしながら質問を投げる。
 プロデューサーは紙を見ず、返答を考えているようだ。やがて。
「それも含めて、ご見学いただければ」
「え?」
 失礼します。と言い残し、プロデューサーは去って行った。言葉足らずなのはクセなのだろうか。
 しばらくして、ライブが始まった。
 先輩のアイドルが、楽曲を披露している。なるほど、これがアイドルか。
 確かに、歌やダンスの完成度とはまた別の、何か人を惹きつけるものがあると、周子は直感した。
 あのレベルに達するには、そりゃあレッスンだけでは到底無理だと、実感として頭に入ってきた。
 何曲か進み、いよいよ奏の出番だ。部屋の画面を見つめる。
 暗闇の中から出てきた奏を、大きな歓声が迎えた。どうやら既に一定の知名度はあるらしい。ますます。わからない。
 そして奏は歌い始めた。歌声を聴くのは初めてだが、やはり、上手い。その辺の歌手よりも優れているのではないだろうか。
 もちろん、ダンスの優雅さも失われていない。以前、レッスン室で目撃した通りだ。
 しかし。
 段々と、少しずつではあるが、パフォーマンスに乱れが生まれてきた。微妙に音が外れる部分がある。ダンスも、ほんの少し、ブレがある。
 いや、レッスンと本番は違う、観客に披露しているという事実があるだけで、100%の実力が出せなくても、何もおかしなことはないか。
 そのまま曲は終了し、奏は暗闇に消えていった。
 それを見届けて、周子は舞台袖に向かった。一言、声をかけるくらいは許されるだろう。
「あ、奏ちゃん、お疲れ様、よかっ……た……」
 引き上げて来る奏の姿を目に捉え、手を上げながら近づく。のだが。
「……ハァ、ハァ」
 奏は息を切らしている。顔色も悪い。まさに顔面蒼白といった面持ちだ。
「ちょ、だ、大丈夫!? ぷ、プロデューサー……!」
 慌ててプロデューサーを呼ぼうとするが、奏がこちらの服を掴んでいる。
「え……?」
 周子の目を見ながら、首を横に振る。その目には、何か、執念のようなものが籠っていた。
「……」
 周子は何も言うことができない。そのまま、重い足取りで控え室へ引き上げる奏を、眺める事しかできなかった。
19:
 部屋に戻った後も、周子は考えていた。あの奏の様子の訳を。
 例えば、スタミナが異常に少ないという可能性。いや、あの時のレッスンではそのような様子はなかった。おおよそ二時間のレッスンの後は会話が可能なのに、せいぜい5分間のパフォーマンスの後にあそこまで疲弊するだろうか。
 あとは、単純に今日の奏の体調が悪いとも考えられるが、それも違う。少なくとも、朝に会った時や、リハでは通常通りだったことを確認している。
 そして、恐らくだが、セットリストの文字列はこのことを示しているのではないかと、そう思い至った。
 さらにそれは、きっと、奏がここに周子を招いたこと、アイドルになれないと語ったこと、それらにも繋がるのかもしれない。
 ひとまずは、見届けるしかない。周子は覚悟するのだった。
 2曲目を披露する奏は、1曲目の時よりもさらに、質の低いアイドルになっていた。それでも、一定水準にはあると思うし、失敗と呼べるような失敗はなかったのだが。
 舞台袖に声を掛けに行くことは、今回はしない。奏にとっても、気持ちのいいものではないだろうから。
 そして、奏が3曲目を歌うはずであった部分がセットリストから飛ばされる。どうやら、『可能な場合』ではなかったようだ。
 当然ながら、アンコールにも奏は登場しなかった。
 コンコンと、ノックの音が響く。
「はいはい。どーぞ?」
「来ていただけますか?」
 ドアを開けたプロデューサーが、部屋の外から声をかけてくる。既にライブの終演からは一時間が経とうとしていた。
「おっけ」
 どこに行くのかはわかっていた。椅子から立ち上がり、部屋を後にする。
 奏は、自身の控室ではなく、休憩室にいた。既にステージ衣装からは着替えを済ませて、ベッドに腰掛けている。
「あら」
「あ……お疲れ様」
 どう話しかければいいのかわからない。そんな周子を見て、奏もバツが悪そうな表情を浮かべている。
「情けない姿、見せちゃったわね。いえ、見てもらうために呼んだんだけれど」
「……アイドルになれないって」
「そう、あなたが見た、そのままが理由」
「……」
「……困惑、するわよね。当然」
「……」
 返す言葉が見つからない。
「プロデューサーさん。周子と、二人で話したいの」
「……わかりました、では、私は外に」
「いいえ、そうではなくて。あの場所に、車、出せる?」
「……」
 プロデューサーは押し黙っている。表情には、困惑と、不安の色が強く出ている。
「しかし、到着する頃には……」
「大丈夫よ。少しずつ日も伸びているし」
「ですが……」
 プロデューサーがここまで悩む表情は、なかなか珍しいかもしれない。事情のわからない周子は、口を挟むことはできないのだが。
「……わかりました。では」
 どうやら、車で移動するらしい。荷物を取りに、先ほどの部屋に戻ることにした。
20:
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「ここからだと、どれくらいかしら」
「おおよそ、30分で到着するかと思います。日没の手前ですね」
「……そう」
 事務所の送迎車に乗り込み、目的地への到着を目指す。どこに向かうのかを聞く勇気は、周子は無かった。
 外は夕暮れの時間帯。窓から差し込む夕日が眩しい。
 予告通り30分ほど経つと、車は住宅地へ差し掛かっていた。
「この辺りで大丈夫でしょうか」
「もう少し」
「……わかりました」
 そのようなやり取りが奏とプロデューサーの間で繰り返される。やがて、車は路肩に停止した。
「周子。少し、散歩しましょう?」
 薄く微笑んだ奏が、ドアを開けて外に出る。しかし、その手は少し、震えていた。
「何かあったら電話をお願いします」
 プロデューサーの声を受けながら、周子も車を降りた。
「ごめんなさい。振り回してばかりね」
 歩きながら、奏が謝罪の言葉を投げかける。
「いや、別に……平気」
 様々な疑問は何一つ解決していない。そんな中、知らない場所まで連れ出されて。人によっては確かに、怒ってもおかしくはないが、周子に怒りの感情はなかった。
 きっと、これから奏は、自身の根幹に触れるような話をすると、感じ取っていたからだ。その時を、静かに待ちたいと思っていた。
 日は段々と傾き、空の赤は闇に包まれていく。街灯がとうとうと周囲を照らし始めるのも時間の問題だろう。
21:
 ふと、奏の足が止まる。やはりその手は、足は震えている。
 やがて。
「私ね。周子」
 周囲を一瞥し、そして、周子の目を捉える。
「ここで死んだの」
 気温が下がったような感覚。
「正しくは”死ぬはずだった”だけれど」
「そう……なんだ」
 気の抜けた返事を返すので精いっぱい。掘り下げるのが、怖い。
「長くなるけど、ごめんなさいね」
 断りを入れた奏が、ポツリ、ポツリと語り始めた。
「この先に、私の住んでた家があるの。今でももちろん、家族が住んでいるわ」
 少しずつ、周囲が暗くなっていくのは、現実か、内面的な意識か。
「あの日は、友達と遊んでいたの。カラオケに行って、スイーツを食べて。そんな、よくある女子高生の放課後。でも、あの日だけ、帰るのが少し遅くなってしまって」
 相槌は、挟めない。
「この道を通る時には、すっかり夜になっていたわ」
 奏が軽く、空を見上げる。が、すぐに目線は地面に降りる。
「向こうの方から、男が歩いてくるのが見えたの。普通なら人とすれ違うことなんてあんまりないんだけど、まあ住宅街だもの。別におかしなことだとは思わなかった」
 少し、奏は間を空ける。急かす気には全くならなかった。
「そうして、その男とすれ違うタイミングで。その男は何やら言葉を呟いてて、不気味とは思ったんだけど」
 息を呑む。
「ふと、こちらに向かって来ているように思ったの。だから、避けようと思って、ちらと、男の手元を見たら、銀色の、光るものが……」
「……っ」
 聞いているだけでも、こんなにも心が苦しい。
 話す苦痛は、いかばかりか。それでも、聞き届ける義務があった。
22:
「……有り体に言ってしまえば、通り魔ね。『誰でもよかった』なんて」
「そんな……」
「プロデューサーさんに事情を説明されて、私はアイドルになることを決めたわ。だって、まだ私は、何者にもなれていなかった。そんなままで死ぬのなんて、絶対に、イヤ」
「……」
「生きたいって、思ったわ。強く。でもね」
 奏の声は、掠れそうなほど小さく。
「あれから、怖いの。暗闇が。夜に刺されて、視界が消えていく。その感覚を思い出してしまうの」
 闇が怖い。
 おおよそ誰もが持っている感覚だ。だからこそ人は、灯を、光を頼る。しかし、奏が感じている恐怖は、言葉で説明できるような、そのようなものでは、到底。
「レッスン、朝早かったでしょう?」
「……あ」
「そういうことよ。ライブの時間が夜に至らないのも、そのせい。そして、ライブの最中、私のパフォーマンスが続かないのも」
 ようやく、合点がいった。
 思えば、初めて会った時、プロデューサーは「遅くなる前には」と声をかけていた。夕から夜にかけてのレッスンが多い自分と会うことがなかったのも。
「怖いのよ。歌う前の静寂が。歌った後の暗闇が」
 日はすっかりと沈み、周囲は一層の暗さと、肌寒さを帯びている。
 きっと今、この瞬間も、奏は恐怖心と戦っているのだろう。
「……で、でも、暗い場所でのライブだけが……アイドルの……ほ、ほら、野外ライブとかだってあるって聞くし」
 言葉を選び、絞り出す。
「……優しいのね。プロデューサーさんも、そう言ってくれたわ。既にパフォーマンスは合格点だし、活動範囲や時間を絞ればって。だけど」
「だけど……?」
「本当はね? ……あの時までの私は、夜が好きだったの。気持ちを隠す暗闇が。表情を照らす月の光が。よく、夜に散歩もしたものだったわ」
「……」
「だから、私が暗闇を避けて、アイドルとして活躍できるとしても、それは自分を偽っているだけに過ぎない。そんなもの……」
 奏の目は、周子の目を見据える。
「死んでいるのと同じ」
 今、この瞬間だけは、奏の震えが取れているように感じられた。それくらいに、力強い言葉だった。
 言いたいことはいくつもある。だが、何が正しいのか、周子には判断できなかった。
 しばらくの時間を沈黙が支配した。やがて、奏が口を開く。
「ありがとう。周子。誰かに話すって、気が楽になるのね」
 その微笑みは、しかし、強がりにしか見えず。
「私は、この恐怖を克服するわ。誰でもない、自分のために。そして」
 奏が、自身の手をぎゅっと握る。
「アイドルに、なってみせる」
 最後まで、周子は奏に、言葉を掛けることができなかった。
23:
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 自分には何ができるのだろうか。
 奏の判断が行われるライブに向けて、共にレッスンをすることが多くなっていた。時間はもちろん、最も早い割り当てのレッスン室で。
 あの夜の話を受けて、何か力になれないかと、模索した。しかし、考えれば考える程、これは奏の、奏自身の問題だ。
 プロデューサーに呼ばれ、ライブのセットリストの説明を受けた。ソロライブとは聞いていたのだが、その内容は。
「前半にソロで3曲、休憩を挟んで周子さんと二人で1曲、最後にまたソロで1曲……となります」
「5曲……って……プロデューサー」
「周子。大丈夫」
「だって……」
「私からお願いしたの。これくらいは乗り越えなきゃって、思うから」
「……」
「それに」
「……?」
「周子とデュエットなら、負担は半分でしょう? 4.5曲。ほら、いけそうじゃないかしら?」
「……」
 明らかに、強がりだ。でもそれは、奏なりの決意の表れ。
 周子にできるのは、せめて、自分にできることを、完璧に全うすることだけだ。
24:
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 そうして、奏にとっての運命の日。
 あれから何度か、ライブを見学させてもらったが、やはり、奏が3曲以上を歌い上げたことは、ない。
 それでも奏は、余裕を崩さない。
「今日はよろしくね。周子」
 本当は、トラウマなんてウソなのではないかと、思うくらいの。
 思えばいつも、奏の表情は崩れない。手が震えても、恐怖に支配されても。それが彼女の強さだ。
 きっと、恐怖心は存在している。でも、聞くのは野暮だ。自分にできることを、やり遂げよう。
 そして、祈ろう。
 まず、1曲目。
 奏がオープニングナンバーを披露するため、舞台上へ移動する。
「奏ちゃん」
「あら、周子の出番は2曲目よ」
「手」
「え?」
 言うや否や、奏の手を握る。握りしめる。
「……どうしたの?」
「……見てるから」
「あら……ありがとう」
 口元で微笑んだ奏も、周子の手を握りしめる。そうして、こちらに背を向け、舞台へ向かうのだった。
 1曲目は、問題なく終了した。後半の乱れも、今までで最も少ないと感じる。
 そして2曲目。周子がバックダンサーとして出演する曲だ。
 思えば、これがもし、奏ではない、適当なアイドルのバックダンサーなのだとしたら間違いなく、緊張していただろう。
 人生で初めての舞台。歌いはしないが、大勢の人に見られている。あまり目立たない人生を送っていた、この自分が。
 だが、今の周子には、緊張など全くなかった。あるとすれば、奏の体調を気遣う心だけ。
 そこまで読んでプロデューサーがこの計画を組んだのならば大したものだと思う。確かめる手段など、存在しないのだが。
 所定の位置に着く。中央にはもちろん、奏の姿が。
 やがて、音楽が流れ、奏の歌声がそれに乗る。
 見事な歌声だ。
 ここまで近くでパフォーマンスを見るのは初めてだ。もしもの時はカバーを、なんて思っていた自分が恥ずかしい。
 奏の動きに、歌声には熱が籠る。あるいは、恐怖を振り払うように。
25:
 そのまま曲は終了し、バックダンサーは舞台袖に、奏も、少し遅れて戻ってきた。
「奏ちゃん!」
 足取りは、少し、おぼつかない。それでも、目から光は消えていない。
「奏さん、3曲目、……いけますか」
「当然」
 奏は即答する。未知の領域。それに対して、恐怖をねじ伏せて。
「……わかりました」
 プロデューサーも止めない。誰しもが、不安を持っている。でも、奏を信じるという選択をした。
「ああ、周子」
 息を切らしながらも、奏は周子に声をかける。
「……素敵なダンスだったわ。本当に入って三か月? 才能があるのね」
「……奏ちゃん」
「どうしたの?」
「頑張って」
「当然よ。周子とデュエットするまで、……死ねないもの」
 奏の言葉を聞き、周子は再び、手を握った。震えている。だが、力強い。
 肩を叩き、3度目の舞台へ送り出した。
26:
 それは、初めて見る奏の姿だった。
 クールな彼女は、しかし情熱を持って舞台で舞い踊り、歌っている。
 命を燃やしていると、そう形容するに相応しい。
 声が掠れる、振りがブレる。
 だが、それも、それすらもパフォーマンスだと、そう言わんばかりに、観客を魅了する。
 周子は、見入っていた。息をするのも忘れるような。アイドルの輝き。
 時間にしたら、たったの5分。それでも、残る衝撃は、時間という概念を超越する。
 暗転と共に拍手の音が鳴り響く。
 周子は拍手すらできない。圧倒され、立ち尽くしていた。
 しかし、そんな周子を正気に戻したのは、プロデューサーの声だった。
「奏さん!!!」
 周子が声に振り向くと、まさに、奏がプロデューサーに倒れ掛かる瞬間だった。
「奏ちゃん!」
「あら……周子……どうだった……」
「しゃべんないで!」
「ふふ……厳しいのね……ごめんなさい……デュエット……」
「医務室に運びます。周子さん、ドアを」
「わ、わかった」
 ベッドに奏を運び、周子とプロデューサーは部屋を後にする。「一人にしてほしい」と、奏の申し出があったからだ。
「……休憩、何分だっけ」
「15分……いえ、20分までなら」
「3曲じゃ、ダメなの?」
「我々としては、問題ありません。しかし……」
「奏ちゃん自身の……?」
「はい。ここからは、ご本人の納得の問題です」
「……」
「少なくとも、ここからライブが中止になった場合、奏さんはご自身をアイドルと認めないでしょう」
 そうだろうなと、理解する。まだ知り合って日は浅いが、奏がそういう人間であるということくらいはわかる。
 そして、思案する。
 やがて、ひとつ、頭に浮かぶものがあった。
「……わかった」
「周子さん……?」
「プロデューサー、お願いがあるんだけど――」
27:
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 当初は15分を想定した休憩時間は、そろそろ20分強に達しようとしていた。
 観客にも、次第に困惑の表情が浮かぶ。
 舞台袖には、周子とプロデューサー。そして。
「お待たせ」
 お世辞にも顔色が良いとは言えない奏が、舞台袖に現れた。
 しかし、その顔に、段々と困惑の色が滲む。
「周子……? その衣装は……」
「奏ちゃん。休憩時間、5分だけ伸ばしてあげる。デュエットは、また今度ってことで!」
「え……」
「奏さん、こちらの椅子に……」
「ま、待って。周子、そもそも今日が初めてのライブでしょう? ……ソロで歌うつもり?」
「へーきへーき! しゅーこちゃん、才能あるからね?」
 茶化した言い方は、奏の不安を少しでも減らすため。
「怖く……ないの……?」
「うーん……」
 大げさに首を傾げ、奏の目を見据える。
「奏ちゃんがいなくなる方が怖いかな?」
「……!」
「じゃ、行ってくるね?。大船に乗ったつもりで……」
「周子」
「へ?」
 周子の下へ歩み寄った奏が、手を握ってくる。
「おかえし」
「……」
「お礼は、帰って来てから伝えるわ。……頑張って」
「……もちろん!」
28:
 正直に言うと、緊張していた。
 そりゃあそうだろう。奏メインのステージで二人で歌うのと、主役を差し置いてソロで歌うのでは雲泥の差だ。
 しかも、歌うジャンルは。
 それでも、ここで引くわけにはいかない。
 奏は恐怖と戦っている。アイドルになるために。
 言ってしまえば赤の他人。それでも、応援したいと、心から思った。
 こんなにも魅力的な。人を惹きつける存在がいなくなるなんて、……死ぬなんて。
 そんな理不尽は許せなかった。正義感とか、責任感とか、無縁の人生だったはずなのに。
「はいはーい! どーもどーも!」
 精一杯、元気な声を出しながら、舞台へ出る。
 これじゃあまるで漫才師だが、盛り上げられればなんでもいい。
 観客の困惑が手に取るように伝わる。まあ、一度出ただけのバックダンサーAなんて、覚えてるはずもない。
「あたし、塩見周子って言うんだけど、知ってる人?なんていないよねえ」
「うんうん、わかるよ。奏ちゃんはどうしたんだって、思ってるでしょ? 実はあたし、奏ちゃんの後輩なんです!」
「ありゃ、答えになってない? ごめんごめん」
「奏ちゃんがね? せっかくだから、顔と名前だけでも覚えてもらいなさいって。優しいよねー?」
「というわけで、1曲、歌わせてもらいたいんだけど……コレ、初めてのステージで緊張しちゃってさ?」
「とにかく明るい曲を歌いたいなーって、いやいや、クールキャラで売ってくつもりなんだけど、最初くらいはさ? ほら、将来、お宝映像とかになるかもだし!」
 最初は訝しんでいた観客も、少しずつ、耳を傾けてくれている。
「今日来たお客さんは幸運だよ! しゅーこちゃんのパッション溢れる曲が聞けるんだからさ!」
「というわけで、あの明るいやつ、振ってほしいんだよね……緊張しないためにもさ。パーッと! 明るく!」
「あ! そうそう、それそれ!」
 客席の一角が、オレンジ色の光を帯びる。
「じゃ、あんまりしゃべりすぎると奏ちゃんに怒られちゃうし。始めますか!」
 舞台袖のプロデューサーにアイコンタクトを取る。これが開始の合図だ。
「……盛り上がって、ね?」
 そこから先は、あまり記憶にない。
 無我夢中で歌った気がする。踊った気がする。
 ただ一つ、覚えていたのは、オレンジ色に燃え上がる客席。室内であることを忘れるくらい、会場は光り輝いていた。
29:
「ありがとーっ!」
 客席に手を振り、引き上げる。そこでは、奏とプロデューサーが待っていた。
「お、どうだった? どうだった?」
「完璧……でした」
「いやー、照れちゃうなあ。やっぱしゅーこちゃん、才能あるから」
「足、震えてるわよ」
「あちゃ、バレちゃった」
「……ふぅ」
 奏が息をつく。
「いけそう?」
「……周子があんなに頑張ってくれたんだもの」
「じゃ、早めに行ってあげて?」
「……え?」
「ほら」
「……!」
 舞台袖から客席を眺める奏の瞳には、オレンジの残光が反射して映っている。
「暗闇なんてないでしょ?」
 まるでいたずらが成功した時の子供のように、周子は笑う。
「あなた……このために……」
「案外、終わっちゃえばどうにかなったよ? ねえねえプロデューサー、しゅーこちゃん、こっち路線でもいけるんじゃないかなー?」
「……このような曲を練習しているとは思いませんでした」
「あはは、ライブまで奏ちゃんに何もしてあげられなかったし、せめて、選択肢は広げとこうってね。こんなにハマるとは思わなかったけど」
「私のために……ソロの舞台で……慣れない曲を……」
「ほらほら! お礼なら帰って来てから伝えてよ? いってらっしゃい、4回目の舞台!」
 軽く背中を押す。手も、足も、震えているようには見えない。なんだか、奏が大きく見える。
「……見ていてね。アイドル、水奏を」
 こちらへの声掛けか、自身へ言い聞かせたのか。周子にはわからないが。
 きっと、最高のステージが見れるのだろうなと。確信するには十分だった。
30:
????????????????????
 ライブ後のある日、奏から誘いのメッセージが入っていた。「少し話せないか」とのこと。
 レッスンはいつも一緒だったのだが、そういえば共に出かけたことはない。
 しかし、それよりも驚いたのは、指定された時間だ。
「20時……」
 つまり夜。完全に日は落ち、地球の影が街を覆う時間。
 大丈夫? と、聞くことは容易いが、それは違うだろう。承諾する旨のメッセージを送り、支度をすることにした。
 指定された場所では、既に奏が待っていた。
「あ……ごめん、お待たせ」
「いいえ、今来たところよ……って、言ってみたかったの」
 奏が笑う。魅力的な表情だ。
「……大丈夫……なの?」
「ええ。まあ、正確にはまだ少し。でも、随分と影響はなくなったわ」
「……よかった」
「私、アイドルになれたの」
 穏やかな表情の奏が告げる。
 つまり、基準を満たしたということだろう。
「そっか……!」
「周子のおかげで、ね」
「頑張ったのは奏ちゃんでしょ」
「いいえ、あなたがいなければ、あのライブは失敗していたわ。改めて、お礼を言わせて」
「……」
「ありがとう。まだ少し、暗闇は怖いけど、それでも、あの時の周子と、客席の光を思い出せば、自然と勇気が出てくるの」
 奏の表情には、満足感。憂いを帯びた表情も魅力的ではあったが、今の表情は比べ物にならない。
31:
「ねえ」
「え?」
「私、周子の力になりたい。周子がアイドルになるための力に。何でも頼って」
「……」
「あら、それとも、私じゃ力不足かしら」
「ち、ちゃうって! ……でも」
「でも?」
「あたしこそ、お礼言いたくて」
「え……?」
「あたし、正直アイドルってよくわかってなくて」
「……最初はそんなものよ」
「でも、奏ちゃんは”何者にもなれないのはイヤ”って、言ってたでしょ? あたしにはそんな意識すらなかった」
「……」
「どうせすることもなかったし、とりあえずやってみよっかなって。死にたくないって意識も……どうなのかな。よくわかんない」
 思い出しているのは、プロデューサーから説明を受け、契約書にサインしている自分の姿。
「でもさ、奏ちゃん見て、思ったんだ。凄いなって」
「……」
「自分を表現しようとして歌って、自分を取り戻そうとして戦って。それだから、目が離せないんだなって、思った」
「……そう」
「今はさ、アイドルになりたいって、うっすらだけど、思うようになったんだよね。オカゲサマで。だから、あたしも、ありがと」
 初めてのレッスンの時、奏はこう言っていた。『大きな、運命みたいな』と。
 あの時は何も感じなかったが、今なら。あながち間違いでもないのかなと、思い始めていた。
32:
????????????????????
「周子さんが亡くなったのは三月の上旬です。そのため、二月の頭にライブを行い、それをもって審査としたいと思っています。何か異論はありますか?」
「ううん、大丈夫」
 奏のライブから数週間、ソロで歌った甲斐があったのかはわからないが、軽い仕事が入るようになっていた。
「じゃ、あと半年とか?」
「はい。それまでは、仕事をこなしながら、レッスンをお願いいたします」
「おっけ」
「……」
「……ん? どーかしたん?」
「いえ、奏さんの件は、ありがとうございました」
「どしたの? そんな改まって」
「私は、本人の内面的な問題だと考え、あまり口は出しませんでした」
「だろうね。プロデューサー、けっこう放任主義っぽいし」
「ですが、結果的に、周子さんがいなければ、奏さんはアイドルになれなかったでしょう」
「買いかぶりすぎだって。奏ちゃんなら自力でもどうにかしてたよ」
「それでも、お礼を言わせていただきます」
 どうにもむず痒いのだが、まあ、賞賛とあれば受け取っておこうか。
 と、考えたところで、疑問が浮かんできた。
「……ちょっといい?」
「はい。どうされましたか」
「いや、確かプロデューサー、『研修生は三人います』って言ってたよね?」
「そうですね」
「んで、奏ちゃん、寮で初めて会った時に『二人目ね』って、あれ、奏ちゃんの後の研修生があたしで二人目ってことでしょ? じゃ、今からあたしの時までに、もう一人、審査される研修生がいるってことだよね?」
「……お見逸れいたしました」
「大したことじゃないって」
「もう一人も、奏さんや周子さんと同じように実力のある方です」
「ふぅん、ま、ちょっと気になっただけだから」
「では……一度、レッスンを入れましょうか?」
「え、いいの?」
「はい、交流を持つことはマイナスにはなりません」
「ま、確かにね。ありがとー」
「まあ交流の時間があればの話ではありますが……」
「……え?」
「いいえ、こちらの話です」
33:
????????????????????
 指定のレッスンは、その週のうちに組まれた。
 レッスン室の扉に手を掛ける。どのようなアイドルなのだろうか。流石に、全く緊張しないというのは難しい。奏のように、話しやすいタイプならいいのだが。
 そう思いながら扉を開ける。しかし、室内にはまだ誰もいない。
「早すぎたかな……」
 誰に聞かせるでもない独り言を呟いて、ウォーミングアップに移る。
「……あれ?」
 もう間もなくレッスンが開始する時間だというのに、相手は到着していなかった。遅刻だろうか。
「む、塩見だけか」
 ドアが開いた音に振り向くが、そこにいたのはトレーナー。つまり、既に開始の時刻になったようだ。
「まったく……また遅刻か……」
「また……?」
「まあいい、そのうち来るだろう。レッスンを始める」
「えっ、あ、はい……」
 どうやら、待つつもりはないようだ。常習犯なのだろうか。トレーナーも別段、驚きの表情は見せていない。
 ひとまず、ライブに向けての練習をすることになった。まだ時間があるとはいえ、覚えておいて損はない。
 そのまま、個人レッスンを数十分こなした時。
「すみません!!! 遅刻しました!!!」
 勢いよく、レッスン室の扉が。それはもう、勢いよく。
34:
「遅いぞ日野。また人助けか」
「はい!!!」
 日野茜。という名前は聞いていた。いや、声も聴いたことがある気がする。寮か、事務所かはわからないが、よく通る声だと感心した記憶があるから。残念ながら声の主を探そうとした時は決まって、すでに遠ざかってしまっていたのだが。
「あっ! 研修生の方ですかっ!?」
「あー、うん、塩見周子。よろしゅう……」
「はい! 日野茜と申します!!!」
 本当に、よく通る声だ。
「何を雑談している。アップは」
「大丈夫です! 走って来たので!」
「お前はそればかりだな……まあいい、塩見は休憩だ。日野、ライブも近い。追い込みをかけるぞ」
「はい!!!!」
 トレーナーの合図と共に、音楽が流れる。
 その刹那、茜がダンスを始める。
「すご……」
 思わず、声が漏れていた。
 茜のダンスは、豪快だ。それに尽きる。
 奏のダンスとは対極にある。運動神経の暴力とでも呼ぶべきだろうか。しかし。
「……」
 周子は釘付けになっていた。その動きに。
 
「お疲れさまでした!!! 遅刻してしまい! すみません!!!」
 レッスンが終わり、トレーナーが引き上げるや否や、茜がこちらへ駆け寄ってきた。
「ううん、へーきへーき。ダンス上手いねー」
「いいえ! まだまだです!」
「ライブ、頑張ってね」
「はい! ありがとうございま……あ!」
「ん?」
「すみません! 失礼します!」
「え、もう?」
 そう、声をかける頃には既に、茜が部屋を出た後だった。
35:
????????????????????
「あ、もしもし、奏ちゃん?」
「あら、周子。珍しいわね」
「ちょっと聞きたいんだけど、時間、いい?」
「ええ、大丈夫よ」
「日野茜ちゃんって、わかる?」
「もちろん。私より確か……3か月か4ヵ月か、後に入ってきたはずね」
 ということは、11月あたりか。
「いや、大したことじゃないんだけど、茜ちゃんって忙しいの?」
「忙しい?」
「うん。今日、レッスン遅刻してきてさ。帰るのも早かったし……」
「ああ、周子は知らないのね」
「え?」
「あの娘、いつも人助けをしているの」
「人助け……?」
 そういえば、トレーナーも同じような単語を口にしていた。
「適当に、事務所の近くを散歩してみるといいわ。きっと会えるから」
「適当に?」
「どうしてあんなに他人のために動けるのか、私にはわからないけど……」
 少し、間が空く。
「そうね、周子なら、話してもらえるかもしれないわ」
「……なんで?」
「だって周子、聞き上手じゃない」
 スピーカーから響くのは、奏の楽しそうな声。
「そんな適当な……」
 こちらも、適当な返しをするしかなかった。
36:
????????????????????
 まさに、奏の言う通りだった。
 あれから、茜には何回も遭遇することができた。
 しかし、寮でも、レッスン室でも、事務所でもない。
 確かに茜は、街で見るたびに誰かを助けていた。
 ある時は落とし物を探し。ある時は荷物を運び。ある時は赤ちゃんをあやし。ある時は老人を背負う。
 おおよそ、『困った』という感情を全て感知するレーダーでも持っているのだろうか。
 かといって、迷惑になるレベルで世話を焼いているわけでもなかった。単純に優しいのだろう。
 だが、レッスンやミーティングの遅刻率は相変わらず高いとの話も耳に入ってきた。
「プロデューサー」
「はい、どうされましたか」
 仕事の移動中、思い切ってプロデューサーに聞いてみることにする。
「茜ちゃん、大丈夫なの?」
「大丈夫……とは」
「いや、遅刻、凄いんでしょ?」
「ですが、吸収は早く、パフォーマンスのレベルは高いです」
「でも、この前なんてライブにも遅れたって聞いたよ?」
「はい。それは事実ですが」
「例えばそれが、大事な審査のライブだったらとか、考えないの?」
「……」
「絶対ヤバいと思うんだけど」
「周子さん」
「え?」
「優しいのですね」
「い、いや、ちょっと気になっただけなんだけどさ」
「いえ、きっと周子さんは、優しい茜さんが報われないかもしれないと、懸念してくださっているのだと思います」
「それは……まあ」
「奏さんの時も、きっとそうだったのでしょう。周子さんの素晴らしい部分です。周りに目を配ることが」
「ち、ちょっと! 今はあたしじゃなくて! 茜ちゃんの話でしょ!」
「すみません、脱線しましたね」
「まったく……」
37:
 咳ばらいをひとつ挟み、プロデューサーは続ける。
「ライブに遅刻する。それによってどのような問題が」
「はぁ? どのようなって……」
「挙げていただきますか?」
「だってダメでしょ」
「ダメ、とは?」
「そりゃ……準備したのに、無くなるなんて」
「サボるのではなく、遅刻です。遅れても、最後までやり切ればいいのではありませんか?」
「だって、始まるのが遅れるんだよ? こっちの都合で? そんなの怒られるに決まってる」
「怒られる。誰にですか?」
「誰って……お客さんでしょ」
「つまり、遅刻してもお客さんが怒らず、最後までやり切れば問題はありませんね」
「んな、とんちみたいな……」
「わかりました。茜さんの審査に用いられるソロライブですが、関係者席をご用意いたします」
「え?」
「百聞は一見に如かず」
「……」
 プロデューサーの口調からは、不安の色は一切見えない。そんなにも茜を信頼しているのか。
 そのまま目的地に到着し、この会話は一旦、立ち消えとなった。
38:
????????????????????
 そして、茜の審査がおこなわれる当日。周子は関係者席でライブの開始を待っていた。隣には奏もいる。
「なんか巻き込んじゃった?」
「問題ないわ。かわいい後輩の晴れ舞台だもの」
「……奏ちゃんはさ」
「?」
「茜ちゃん、大丈夫だと思う?」
「いいえ、今日も間に合わないでしょうね」
「……」
「でも」
「え?」
「ごめんなさい、実は私も同じことを思ったことがあってね」
「そ、そうなん?」
「ええ。だから、以前にも茜のライブを見たことがあるの。まあその時はまだ暗い会場が苦手だったから、裏の控室に入らせてもらったんだけど」
「……言ってくれればいいのに」
「だから、謝っているでしょう? それに、茜の人助けの理由も知らないわ。知っているのは……」
「知っているのは……?」
「きっと、このライブも成功するって。それだけよ」
 いまいち、要領を得ない。問い詰めようとしたのだが、残念ながら開演時間が迫ってきたようだ。照明は一段と小さくなり、会場を期待感が包む。
 のだが。
39:
 やっぱり。と、周子は思っていた。
 開演の時間を過ぎても、ライブは始まらない。
 10分、20分、30分経っても。
 これはそろそろ、ファンも怒るだろうなと感じていた。怒って席を立ったり、怒号を浴びせる人がいてもおかしくはない。
 40分、50分、1時間。
 そろそろマズい、そろそろ。
 ……と、思っているのだが、何も起きずに時間は過ぎていく。周子の顔に浮かぶ困惑を見て、隣の奏は楽しんでいるようにも見える。
 会場内はざわめいている。しかし、何というか、不快なざわめきではない。
「例えば……」
 小声で、隣の奏が話しかけてきた。耳を澄ませる。
「周子は、どうして茜が遅刻するのか、わかる?」
「……そりゃ、人助けでしょ」
 少し思い返すだけで、街の至る場所で、茜が困っている人に声をかけている姿が脳裏に浮かぶ。
「そうね。だから、周子は怒っていない。むしろ心配している」
「まあ……そうだけど」
「例えば、この会場のみんなも、そうだとしたら?」
「……え?」
「そういうことよ」
 言い残して、奏は会話を打ち切る。
『この会場のみんなも』
 それは、つまり。
 さらに耳を澄ませると、周囲の会話が耳に入る。
『また助けてるのかな』
『前回は何分だっけ』
『隣町まで行ってたりしてね』
『ま、織り込み済みだけどさ』
 なるほど。なるほど。
 どうやら自分は、茜を侮っていたようだ。
 急激に、全身の力が抜けていくのを感じる。
 ”遅刻してもお客さんが怒らなければいい”というのはつまり。
 みんな、わかっているのだ。茜のことを。
 いや、わかっているからこそ、ファンになって、ここにいるのだ。
「一本取られたよ」
 周子が呟いたタイミングで、会場に声が響く。
「みなさん!!! 本当にお待たせいたしました!!!」
 茜のパフォーマンスは既に目にしている。
 始まってしまえば、そりゃあ。
 ここは茜のための場所だ。
40:
????????????????????
「あっ! 周子さん! 奏さん! お疲れさまです!!!」
 ライブは大盛況のうちに幕を閉じ、控え室の茜に声をかけることにした。プロデューサーは挨拶回りだろうか。
「お疲れー。凄いライブだったよ」
「ありがとうございます!!!」
 茜は笑顔だ。
「ええ、良いライブだったわ。……でもやっぱり、間に合わなかったのね」
 奏も声をかける。
「ごめんなさい……! 困っている人が……!」
「いえ、いいの。それが茜の美徳でしょう?」
「は、はい!!!」
 茜は嬉しそうだ。
「……ねえ、茜ちゃん」
 ふと、周子が口を開く。
「ちょっと聞いていい?」
 どうしても、気になることがあった。
「?」
「茜ちゃんさ。例えば『遅刻してもみんな許してくれるだろう』とか、考える?」
「そっ、そんなことないです!!! ご迷惑だってわかっているんですが……!!!」
 茜が少し、縮こまる。意地の悪い聞き方になっていたことは反省しなくてはいけない。
「でもさ? 今日のライブは、茜ちゃんがアイドルになれるかどうか。すっごい重要だって。それは知ってたんだよね?」
「……はい」
「ごめん、別に責めてるんじゃなくって。ただ、それをわかってても、人助けを優先したんでしょ?」
「そうです……!」
「その、理由が聞きたくて」
「……」
 茜は、少し考えるそぶりを見せる。
「あ、ごめん、イヤなら別に……」
「いえ! プロデューサーから聞きました! 周子さんが私の心配をしてくれているって!」
「心配って……ほどじゃ」
「周子さんも、奏さんも、優しい人だってわかってます。だから、そのお礼として、お話しします!」
「……ありがと」
41:
 一呼吸置いて、茜が話を始める。
「私は、別に最初からこんなに人助けを頑張ってたわけではないんです。いえ、もちろん、困っている人はなるべく助けたいとは思ってましたが」
 茜がの声のトーンは、普段とは比べ物にならないくらいに低い。
「ちょうど一年前ですね。私が、……死んじゃったのは」
 辛いことを話させている自覚はある。だからこそ、せめて真剣に聞かなければいけない。
「あの日は、日課のランニングをしていました。ちょうど公園の近くを走っていた時です。公園からは何人かの子供たちが遊ぶ声が聞こえていて」
 目を瞑った茜が記憶を紐解く。
「空を見上げたらちょっと暗くなってきて、雨が降るかも! って思ったその瞬間に……」
 少し、間が生まれる。
「まず。公園からボールが飛び出してきたんです。ちょうど、私の目の前を横切るように。そして、その後ろから、そのボールを追って……」
 茜が拳を握る。
「私には、右から飛び出してくる男の子と、左奥から来る車が見えていたんです。だから私は、飛び込みました」
 言葉は挟めない。
「そうして……私は死んでしまったんです」
「茜ちゃん……」
 茜は、自身の過去を話してくれた。しかし、ある疑問が浮かぶ。
「でも……今、茜ちゃんが生きてるってことは、結局、その子は……?」
 そうだ。子供を助ける代わりに死んだ茜が今、生きているのなら、その子は……
「いえ。……助けられなかったんです」
「え……?」
「私は、あの子を、どちらにしても、救えなかったんです」
「どちらにしても……」
 それは、茜にとってどれだけ辛いことだったろう。もしも、救えていたのなら、茜は間違いなく、その過去を消す選択はしなかったはずだ。
「プロデューサーから説明を受けて、悩みました。とっても」
 茜の苦悩は、聞いているだけの二人にも伝わってくる。
「でも、決めました。私は一度、死んでしまった身です。だから、ここからは、他人のために生きよう。と」
 思えば、自分は茜をただのお人よしとしか考えていなかった。偏見で勝手に心配していたことが、ひたすらに情けない。
「だから、私は、目の前の、困っている人を助けます。その結果として自分がダメになっても、それは仕方がないことだと、そう思います!」
 奏を見た時も、茜を見た時も、浮かぶのは同じ感情だった。
『目が離せない』
 それは単純に、技術の多寡だと思っていた。奏の優雅なダンスが、茜の豪快なダンスが、こちらの目を奪って離さないのだろうと、思っていた。
 しかし、気が付いた。自分が見惚れていたのは、そのような、表面上のモノではなく。
 根性論は、好きではないのだが、これを形容するのなら。
 それは、信念だ。
 そのことに、ようやく気が付くことができた。
42:
????????????????????
「もしもし、プロデューサー?」
 その日の夜、周子はプロデューサーに電話を掛けていた。
「あ、大丈夫、重い話じゃないからさ。聞いててくれれば、それで」
「あのね、あたし、アイドルって、最初はよくわかってなくてさ。適当にやればいいかなって、ちょっと思ってた」
「でさ、ダンスも、歌も、まあそれなりにはこなせてさ、このままいけば、まあ平気だろうなって」
「でもね。自分自身の弱さと必死に戦う奏ちゃんを見て思ったんだ。あたしもこれくらい強くなりたいって」
「皆のためなら自分の身すら投げ打とうとする茜ちゃんを見て思ったんだ。あたしもこれくらい優しくなりたいって」
「どっちも、今までの人生では考えたこともない気持ち。だからこそ。よかった」
「アイドルになるよ。あたしは」
「あたしも、人を惹きつけたい。……アイドルになりたい!」
「ごめん、それだけ。ライブまで、突っ走るからさ」
「おやすみ」
43:
????????????????????
「ってか、集大成のさ、審査のためとはいえ、研修生のライブのサポートにアイドルサマふたりって、どうなん? ちょっと贅沢じゃない?」
 周子が語るのは、舞台袖。傍らには奏と、茜。
「言ったでしょう?”周子の力になりたい”って」
「はい!!! 頑張りますよ!!! なんてったって、同期ですから!!!」
「そういうもんなのかなあ」
「リラックス、されているようですね」
「あ、プロデューサー。本番までどんくらい?」
「30分を切りました」
「おっけおっけ、いっちょ、やったりますか!」
「私の時は倒れそうになりながら、茜の時は本人遅刻。周子のライブはどうなるかしら?」
「ちょっとー、演技悪いこと、言わんといて?」
「ふふっ、冗談よ」
「大丈夫です!!! 周子さんならどうにでもなります!!!」
「それは買いかぶりかなあ」
 軽口は、余裕の表れ。とはいえ、油断はない。
「プロデューサー、見ててね」
「はい……!」
「さぁて、いっちゃおうか!」
44:
????????????????????
 机を指でなぞると、懐かしさが込み上げて来た。
 最も廊下側の列、そこの、……そうだ、確か、前から4番目の座席。
 つい一年前までここに座っていたはずなのだが、そこから今までの間に降り注いだ、あまりにも多くのことが、その思い出までの距離を何十倍にも感じさせる。
「ま、せっかくだし」
 イスを引き、静かに腰をかけ、周りを見渡す。教室に自分しかいないというのは、なんだか落ち着かないけれど。
 休憩時間はまだありそうだ。先ほどまで周子がいた撮影場所は二つ隣の教室。プロデューサーに行き先は伝えてあるから、別に居眠りなどをしてしまっても騒ぎにはならないだろう。
「……こうやって戻ってくるなんてねー」
 背もたれにもたれかかりながら、声が漏れていた。ひとりだから気が抜けているのかもしれない。
 しかし、思いもよらぬ凱旋を果たしたことも事実だ。そもそも、上京してから、こっちの方で仕事をすること自体が初めてなのに。
「ドラマとかならこっから何回も来れるんだろうけど」
 生憎、今回はCMの撮影の仕事だ。一日で終了する予定だから、感傷に浸るのも今日限り。
 いや、むしろこのタイミングで、一度だけ訪れることができたのは幸運なのかもしれない。
 ライブは大成功。プロデューサーも、文句なしの合格点を伝えてくれた。
 あとは、契約延長の書類にサインをすれば、周子はアイドルになれる。その面談は今夜、こちらの事務所で行われることになっていた。まさに区切りとなる一日だ。
 何か、神様が「お疲れ様。すごい一年だったね」なんて、言ってくれてるみたいな……
「……そりゃないか」
 笑い声と共に、大げさに息を吐く。
 今は落ち着いているけど、プロデューサーと初めて会った後、最初の登校はとても緊張したのを、まだ覚えている。
 もしかしたらみんなからは見えてないかも。なんて、その時は冗談にもならなかった。
 確かあの時は、教室に入ってすぐに、ドアの近くで立ち話をしていた女子が「おはよー」と声をかけてくれて。それで、幾分は緊張が和らいだんだったっけ。
「あれは、ええと……リカコと、メイと……そうだ、ルナだ」
 クラスメイトの名前を覚えていたのが嬉しくて、思わず得意気な顔になっていた。慌てて平静を装うが、そもそも誰が見ている訳でもない。
 その後、この席に座って、スマホをいじるふりをしながら周りの会話を伺ったんだった。今思えば、ちょっと不審な動きをしてたかもしれないけど。
「そこの席で、リョウジとハルトが昨日のスポーツの話をしてて、教室に駆け込んで来たハルとミナが電車に文句言ってて、向こうの席でイツキとカイがトラック事故の話を始めたからそっちに耳を傾けて……」
 はるか昔のことのように思えるのだが、案外、覚えているものだ。本人達が知ったら喜んでくれるだろうか。
「ふぅ……」
 思い出すのはもういいか。事実としてあるのは、あれから一年、自分は頑張ってきたし、その努力は身を結ぼうとしている。さらに、大切な仲間にも出会うことができた。それだけだ。
「そろそろ戻ろっか」
 まだ時間はあるが、あまり皆を不安にさせるのもよくない。撮影は順調に進んでいて、予定よりも早く終わりそうだ。
「よい……しょ」
 イスから立ち上がり、ドアの方向に体を向けようと。
「……あれ?」
 その瞬間、何か、胸の奥で何か、引っかかるものを感じた。
 ひとつ、ふたつ、大きな鼓動が胸を叩く。
 この違和感はなんだろう、今この瞬間は、ほんの小さなささくれだけれど、その実、とても大きな、何か。
 見落としてはいけない何かを、見逃してはいけない何かを。自分は気づいていないんじゃないかという、そんな焦燥が。
 この教室に入ってから、自分が思い出した一年前のことを、再度呼び起こす。
 その作業は一瞬だったかもしれないし、それとももっと長い時間だったかもしれない。
 やがて、違和感の根源に辿り着いた。
「……うそ」
 何か、自分の中の絶対的な前提というものが崩れる音がした。
 それと共に、今までその前提を土台にして成り立っていたものが崩れていく。まるでジェンガの根元を引き抜くのを失敗したように。
 そして、新たな仮説が組み上がっていく。不思議なもので、その組み上がりは実に鮮やかなものだった。今まで自分が抱いていた疑問すらもまとめて払拭してくれるような。
 あくまで、これは想像。なのだけれど、それはわかっているんだけど、ここまで説得力が生まれてしまったらそれを棄却するのはなかなか難しい。思考回路は止まってくれない。
 それは、なかなか休憩から戻らない周子を訝しんで来たスタッフの声にも気がつかない程だった。
45:
????????????????????
 応接室のソファに座りながら、ため息をひとつ。こちらの事務所に来るのも随分と久しぶりだ。
 恐らく、東京で仕事が入っていたのなら、この話し合いは本社で行われていたのだろう。何の因果か、アイドルになることを受け入れた場所で、一年間の総決算が行われるとは。
「すみません、遅れました」
 ドアを開きながら、少し焦ったプロデューサーが謝罪の言葉を口にする。
「別にいいよ」
 少しだけキツい言い方になってしまったけど、そんなことを気にしている余裕はない。確かめたいことがあるのだから。
 プロデューサーはゆっくりと、机を挟んで向かい側のソファに腰を下ろした。
「では、説明……は今さらいいですね。こちらが書類になります。今後も我が事務所でアイドルを続けてくださるなら、署名と捺印をお願いします。提出の期限は今日から一週間となります」
「……」
 書類には目もくれず、プロデューサーの顔を見つめる。彼が視線に気がつくまで、多少の空白があった。
「どうかしましたか? 質問なら受け付けますが」
「質問……ね」
「はい」
 躊躇う気持ちがないわけではない。それでも、真実が知りたかった。
「あたしは、本当はどうやって死んだの?」
46:
????????????????????
 この目は、当て推量で適当なことを言っているような、その類の目ではない。
 プロデューサーは直感していた。
 とても頭のいい彼女のことだ、きっと、何か根拠があってこの質問を投げかけている。表情から読み取れるのは、不安と、疑いと、悲しみと。怒りの色は見えないが、こちらの返答いかんではどう変わってもおかしくない。
 茶番に映るかもしれない。が、プロデューサーとして、まずは回答をしなければならない。
「どうやって、ですか。それは一年前にお話をした通りです。あなたは登校中に、歩道に乗り上げてきたトラックに轢かれて死んでしまいました」
 もちろん、この説明で納得するようなら最初から質問なんてしないだろう。別段、時間稼ぎなどの意図があるわけでもない。だが、形式的な問答に意味がないとも思わない。段階を踏むことは重要だ。
「答えてくれないんだ」
「答えましたが」
「根拠を出せってことね」
 流石に、話が早い。いいことだとは思うが、いや、そうでなければそもそも気がつかないはずだから、どっちもどっちかもしれない。
「あたしはあの時間、事故現場を歩くことはできなかった」
「……」
「”その根拠は?”って目だね」
「はい。一度は納得されたはずです」
「それは、普通に通学していれば、の話」
「……」
「あの時は正直、動揺してた。いや、当たり前でしょ? ぶっちゃけどうやって死ぬのかより、本当に死ぬのかってとこばっかり気にしてたし」
 そうだろうな。と思う。率直な感想として。
 周子は続ける。
「自分が歩いているかもしれない時間に事故が起きるって予言されて、詳細にその通りになった。もうこの時点であたしはプロデューサーを疑わなかったよ。……思えば、いきなり部屋に現れて、いきなりオマエは死ぬって突きつけて。その辺りだってさ、冷静さを奪うための作戦なのかな、とか疑っちゃうよね」
 冷めた目線が突き刺さるのを感じる。意図しての表情であるとは理解していても、少したじろぎそうにそうになってしまう。それを堪えながら、会話を先に進める。
「証拠は、あるのですか。周子さんがあの時間、現場を歩けなかったという主張に」
 思えば、否定せずに証拠を求めるなんて、刑事ドラマで罪を告発された登場人物のようだ。この時点で半ば、認めているようなものなのかもしれない。と、自分の心が嘲っている。
47:
「あの日は学校を休んだ。プロデューサーの言う通りに。それで事故が起きたってことを聞いて、次の日から学校に戻った。そうだよね」
「そのはずです」
「流石にさ? 死んだって言われた翌日に、落ち着いて学校に行けるわけないでしょ? あたしはちょっと早く学校について、事故のこと話している人がいないか、聞き耳を立ててたんだよ。思えば、聞くべきはそこじゃなかったんだけど」
「……」
「あの日、始業ギリギリで教室に入って来た友達がいてね。何て言いながら入って来たと思う?」
「……わかりませんが」
「『電車、昨日も遅延してたのに』だって」
「……」
「なんで気づかなかったんだろね? 笑っちゃうよ。その友達は、いつもなら私と同じ電車を使ってる娘でさ。きっと、その前の日もそうだったんだと思う。その場合、ただでさえ間に合うか微妙だった事故現場に、あたしは辿り着けない」
「……聞き間違えや、記憶の混同が起きている可能性は」
「そこなんだよね」
 待ってましたと言わんばかりに、周子が返答をしてくる。文脈的には困っているセリフだが、表情から読み取るに、何か手はあるのだろう。
「確かに、大きな事故とかの遅延じゃなかったから、特にニュースみたいな形じゃ残ってなくてさ。いや、あたしの記憶は確かだよ? でも、それじゃあ客観的な証拠にならないもんね」
「そうですね」
「だから、その日のみんなのSNS、めっちゃ調べたよ。頑張って、同じ路線を使ってる娘を思い出してさ。みんな、電車が止まっちゃうとやることなくなるんだよね〜」
「……なるほど」
「これだけじゃ証拠にならないなら、いくらでも探すよ? その時のクラスメイトにさ、メッセージアプリとか、メールの履歴とか、もしかしたら通話履歴でもいいけど。ブログでも、なんなら日記とか持ってきてもらってもいいし」
 まあ、小さな遅延とはいえ、起きたことを完全に隠すことはできない。
「足りない?」
「いいえ」
 この時点では、物証として確かなものではない。強く否定すれば、シラを切り続ければ、あるいはまだ、どうにかなる可能性もあるのだが。
 その場合は強い疑念を抱かれたままの活動になるだろう。互いにとって、得策とは思えない。
「認めるってことだよね」
「……」
 ため息を一つ、返答は既に決まっているが。
48:
????????????????????
「わかりました。真実をお話しします」
 思ったより、あっさりと認めたな。と、周子は率直な感想を抱いていた。
 まくし立てるように話はしたが、論理が成り立っているかと聞かれれば、それは怪しい。なんなら、「その日の周子さんは偶然、早起きをしてしまっただけです」などと言われてしまった場合、それを崩す手立てすらないのだから。
 それでも、真実を話すという言葉を引き出した。それが、プロデューサーのどんな心情に寄るものかはわからない。罪悪感か、正義感か。
「本当に?」
「はい、全てお話しします」
「じゃあ、その前に、あたしの予想を話していい?」
「予想……ですか……」
 考えているのか、間を取るための形式的な動作か。次の言葉はすぐに返ってきた。
「はい、構いません」
 優しいな、と思う。これからどんなことを言われるのか、恐らくわかっているはずなのに。
 それでも、これを伝えないなんてできない。今、自分がどのような気持ちで向き合っているのか、そこまで伝えなければフェアじゃない。
「あたしは、プロデューサーがあたしを殺したと思ってる」
49:
 プロデューサーの顔色に変化はみられない。真っ直ぐに周子の目を見据えている。たとえ予想していたとしても、担当のアイドルからこのような疑いをかけられた心中はとても穏やかなものではないだろうに。
 机の上の書類は、もはやこの空間においてその重要度を殆ど失っているようだ。
「続けるね」
 返答は待たずに言葉を紡ぐ。
「あたしはまず、もしかしたらトラックに轢かれたのはウソで、本当は別の死因だったのかもしれないって考え始めた。でも、その直後は疑ってなかったよ。やっぱり、プロデューサーを信じようと思ってた」
 プロデューサーは言葉を挟まない。一旦、最後まで話を聞こうということだろうか。
「最初に思ったのが、死に方があんまりにショッキングだからウソをついてくれたって説。例えば……まあ、レ○プされて殺されたとか、そういう類の。でも、実際に体験したわけでもないし、言葉として伝えるくらいでそんなにセンシティブになるものなんかな? って、あんまりしっくりこなかった」
一呼吸。まだ説明は長い。
「そこで、また別のことに気がついたんだ。そういえば、どうしてあたし以外はみんな……”自分が死んだ時の記憶があるのか”ってね」
 プロデューサーの顔色からは、感情を伺い知ることはできない。何らかの覚悟を決めた表情だということはわかるのだが。
「おかげさまで、奏ちゃんと茜ちゃんっていう、素敵な仲間に出会えたんだ。で、ふたりとも、自分が死んだ時のことを話してくれた。でさ」
 まさかプロデューサーを追い詰める一手として使うことになるとは。
「その2人とも」
『その男は何やら言葉を呟いてて、不気味とは思ったんだけどーー』
『空を見上げたらちょっと暗くなってきて、雨が降るかも! って思ったその瞬間にーー』
「『思った』だってさ。あたしが説明するときなんて『登校のために道を歩いてたら、トラックが突っ込んできて死んだ』しか言えないのに。その時あたしが何を見て、何を思って、何を言いながら死んだのかなんて全然わかんない。客観的なことしか言えないんだよ。死んだ時のことを”覚えてる”2人と違ってさ。あたしはプロデューサーから聞いた情報しか知らない」
 プロデューサーは黙っている。いっそ、大声で否定してくれた方が楽なのに。
「ここからはあたしの仮説だけど……死んだ時の記憶がないのは当然なんだと思う。死ぬ前にプロデューサーが回避策を教えてくれて、今、生きている以上は、死んだ事実なんて存在しないんだから。じゃあ、なんで他のアイドルは死んだ時の記憶があるんだろ? それは、”脅し”だって、あたしは思った。ここでアイドルを辞めれば、あなたはこうやって死ぬんだって。わざわざ死んだルートの記憶を植え付けてるんじゃないかって」
 人生で、こんなに連続して喋るのは初めてかもしれない。それほどに、この瞬間、周子の心は、真実を知りたいという、そのことだけに向けられていた。
「まあ、別に意図はなんでもいいんだよね。大事なのは、記憶を植え付けることも、そうしないことも選択できたっていう事実なんだから。そうなると、さっきみたいな『死に方が酷かったからウソをついた』ってのはおかしい。言えばいいだけでしょ?『普通なら死ぬ瞬間の記憶を植え付けるのですが、あまりにも酷いものだったのでやりませんでした』って。ウソなんてつかなくてもさ」
 反論が飛んでくる様子はない。言葉を続ける。
「つまり『あまりにも酷い死に方』ではカバーできないような事態だったから、偶然、その日近くで起きたトラック事故に自分が巻き込まれたと誤認させようとした。ってシナリオが出来上がっちゃうわけ。……ここまでで何か反論、ある?」
 プロデューサーは無言で首を横に振る。何か言ってくるだろうと身構えていたが、杞憂だったようだ。
「で、大切なのはここから。死因を誤魔化さなきゃいけなかった理由がどこにあるのか。正直、どんな死に方をしていようとも、あたしが恨むかもしれないのは殺した犯人か、そうでないなら死ぬような行動をしたあたし自身の二択だけ。むしろ、酷い死に方なほど活動への燃料になるかもしれないって思う。その分『死にたくない』って思えるんだから」
 ひとつ、呼吸を置いて
「例えばーーその結果として募る恨みが、”プロデューサーに対して”なら、話は別だけどね」
 ふう、と、次に呼吸を置いたのはプロデューサーだ。そして、重い口を開く。
「だから、私が周子さんを殺した、と」
「……それなら、辻褄は合うんちゃうかなって」
 言うべきことは言い尽くしたはずだ。
 それを受けたプロデューサーが何を考えているのか、周子にはわからない。別に急かすつもりもない。彼の口から次の言葉が出るのを、いつまでも待つ覚悟だ。
50:
????????????????????
 不謹慎ではあると重々承知しているし、この場に最もそぐわない言葉だということも理解できているのだがそれでも、嬉しいという気持ちがあった。
 殺人犯として疑われているのに何を。と言われてしまうだろうが、それは結果論だ。確かに自分は、目の前のアイドルに疑われている。しかし、その根底にあるのは「真実を知りたい」という意志に他ならないだろう。結論ありきで、自分を糾弾するために説を重ねている訳ではなく、状況から考えられる可能性を追って行った結果として、今、この状況にまで辿り着いた。
 自分は、この意志に、聡明さに、敬意を払わなければいけない。プロデューサーとして。真実を知るものとして。
「一つだけ」
「……うん」
 これは、ただの確認だ。しかし、欠かすことはできない。
「真実を知る、その勇気はありますか」
「……勇気? あたしが?」
「ええ。……言いたいことはわかります。明らかに、糾弾されている側が言う台詞ではありません。ですが、大切なことです」
「時間稼ぎ?」
「いいえ、違います」
 そう思われるのは仕方がないのだが。
「いいよ。話して」
「わかりました」
 ここからは、一層、心を殺さなければと、決意する。
「確かに、……トラックに轢かれたと言うのはウソです。また、記憶の植え付けに関する部分も、周子さんの想像している内容で殆ど間違いありません」
「……」
「ですが……」
「ですが?」
「私は周子さんを殺していません」
「……ふうん、ここまではやけにあっさり認めたなあって思ったけど、そこは否定するんだね」
「真実をお話しすると言ったはずです」
「……わかった、続けて」
51:
「まずは、周子さんが亡くなった場所についてお話ししなければなりません」
「……」
 息を呑む音が聞こえる。最も知りたかった部分なのだろう。
「周子さんは、駅で亡くなりました」
「駅……どっちの最寄り?」
「ご自宅です」
「電車に轢かれて?」
「はい」
「……電車に……そっか」
「……」
「で、どうして?」
「不慮の事故です。先程も仰っていたように、あの日は鉄道の遅延があって駅がとても混雑していました。それに押されて、線路に」
「……誰が、とかは」
「最終的に当たったのはとある男性ですが、その方に殺意はありませんでした。犯人……と、呼ぶべきかは難しいかと」
「プロデューサーじゃないの?」
「……違います」
「矛盾してるよ」
「……」
「だって、それなら最初からそう言えばいいじゃん。トラックに轢かれたとか、問題があって記憶を植え付けませんでしたとか、全然辻褄合わないよ? そうでしょ? ねえ、あたし、おかしい?」
「……」
「答えて……、答えてよ!」
 初めて、周子の感情がここまで動くのを見たかもしれない。だが、こちらが動揺するわけにはいかない。
52:
「まだ何かあるの」
「はい、まだ、重要なことを話していません」
「……何?」
「周子さんが亡くなったのは、ご自宅の最寄り駅の」
「それはもう聞いたよ」
「いいえ。……その駅の、二番ホームの線路です」
「だからそんなこと……」
 周子の口の動きが止まる。
「え……?」
 徐々に、困惑の感情が周子の表情を塗り替えていく。黙って見守る他にない。
「二番ホームって……あ、か、帰り? 学校から帰ってきて」
「いいえ、事故が発生したのは朝です」
「だって……朝なら、あたしは一番線に乗るんだよ? 一番線に近寄る前に二番線に落ちたの?」
「いいえ」
「それなら……」
「周子さんは、二番線の電車に乗ろうとしていました」
「い、いや、だから、そっちに乗っても学校は行けないんだよ?」
「そうなります」
「どころか、ほとんどそっちに乗る人なんて、特に朝でしょ? あっちなんてせいぜい海があるくらいだし……」
「……そう、なります」
「……え?」
「少し、話は逸れてしまいますが」
「……」
 説明を待とう、という目だ。ここで無闇に追求しても仕方がないと踏んだのだろう。やはり聡明だと感じる。
「どこまで説明したのかは覚えていないのですが、我々の仕事は『不慮の死を遂げてしまった女性に、その死を回避する代わりにアイドルとして活動してもらう』というものです。これは認識されていますよね?」
 周子が小さく首を縦に振る。それを確認してから、さらに続ける。
「では、『不慮の死』とは何でしょうか?」
「え……」
 返答は待たない。
「言い換えれば『死ぬはずではなかった』ですが。『死ぬはず』とは? 例えば交通事故を回避した女性が、その直後に重篤な病を患って亡くなったら? 通り魔から逃げ切った女性が、また別の暴漢に襲われたら?」
「……」
「陳腐な言い方ではありますが、死の運命を背負っている方もいらっしゃいます」
 陳腐で、大げさだ。それでも、周子はクスリともしない。
53:
「我々の仕事は、無闇に女性を助けてアイドルをやらせれば良いというものではありません。一人救うのにもリスクがありますし、リソースが無限というわけではありません。慎重を期さなければいけないのです。助けた女性がその後すぐに亡くなったり、例えば犯罪に手を染めるようになってしまっては。その事態だけは避けなければいけないんです」
「……そんなん。どうやって? 勘?」
「いいえ、我々は、極めて短い期間に限りますが、助かった対象の、未来を観ることができます」
「未来を……」
「観れたとしてもほんの数日ですが。そこで、社会性などを判断しています。短いですけれど、やらないよりはマシです。……特に、今回のような例では」
「例って……あたしのこと……?」
 返事はしない。
「もちろん今回も確認しました。駅のホームで、周子さんが転落しなかった未来。私としても、興味はありました。学校からは方面が逆だということもわかっていましたので」
「それで」
「……」
 告げる覚悟はしていたのだが、やはり少し、躊躇う気持ちはある。それでも、ここで逃げることはできない。
「いいよ。話して」
 もしかしたら、その可能性に気がついているのかもしれない。呼吸を整え、周子の目を捉える。
 ゆっくりと。一音ずつ、慎重に。
「自殺を、していました」
「……っ」
 周子が目を見開く。口から漏れ出たのは、声にならない呻きか。
「周子さん。あなたは、自ら命を絶つ、その過程の中で、不幸にも亡くなってしまった」
「自ら……」
 少し、落ち着くまで時間が必要かもしれない。
54:
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「落ち着きましたか」
「……うん」
 多少の時間が経って、幾分、周子の顔からは動揺の色が消えていた。会話も問題ないようだ。
「……続けて」
 本当にこの女性は強い。こちらとしても、正確な事実を伝えなければいけないと気が引き締まる。
「駅での事故を回避した周子さんは、二番線にやってきた電車に乗り込みます。当然、学校の鞄などは所持したまま。そして、終点まで電車から降りようとはしませんでした」
「……」
「そして、辿り着いた先、終点の駅から少し歩いた地点には海があります。とは言っても、砂浜や港があるようなものではなく……」
「崖。だよね」
「行ったことが?」
「……」
「まあ、構いません。ですが、この先は話さなくてもいいでしょう」
「そのままあたしは……」
「はい、身を、崖から落としました」
「……そうなんだ」
「私は悩みました。まず、完全にビジネス的な側面として、そもそも、自殺の原因がわからなかったからです。身辺調査をしても、いじめなどの気配は全く見られませんでした。トラブルもなく、何が周子さんをそこまで追い詰めたのか、どうしても、わかりませんでした」
「……」
「先ほども言いましたが、助けたとしても、自殺願望が残ったままでは、いつ死んでしまうのかもわかりません。それはリスクです」
「……だろうね」
「ここまではビジネス的な面です。他方、倫理面にも問題があります。『不慮の死を遂げてしまった女性に、その死を回避する代わりにアイドルとして活動してもらう』という我々の仕事。では……」
 改めて、周子の目を捉える。
「”その相手が、死を回避することを望んでいなかったら”」
「望んでいなかったら……」
「生きたい人を生かすのは問題ありません。ですが、死にたいと思っている人を無理やり生かして、さらに自分たちの元で働かせる。これは、間違いなく、悪です。騙しているだけなのですから」
「でも、結果的には……」
「……はい、私は、周子さんを助け、アイドルにする道を選びました。少なくとも、あの日、朝起きて、学校に行く準備をし、家を出る。周子さんがそこまでやっていた以上は、この自殺は計画的なものではないと判断しました。一日学校を休んでいただき、次の日になればきっと、状況は変わるのではないかと。信じました」
「……どうして……?」
 何度目かわからないが、ひとつ、呼吸を置く。
 真摯に。正直に。
「……一目惚れを、したからです。私が、周子さんに。周子さんのアイドルとしての素質に。……半ば、直感染みたものではあるのですが。この機を逃してはいけないと、心に強く訴えかけるものがあったからです。だから、私はーー」
55:
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「私からお話しできることは、これが全てです。何か、私に答えられる範囲なら、ご質問を」
 プロデューサーの表情からは、何か、吹っ切れたような印象が伺える。真面目な彼のことだから、常に罪悪感を持っていたのかもしれない。きっと、いつかは打ち明ける時が来ると覚悟していたのだろう。
「ずるいよ」
「……すみません。周子さんを騙していたことになりますので」
「そうじゃなくてさ」
「……?」
「これじゃ、あたしだって全部しゃべんなきゃって、なっちゃうもん」
 いつの間にか、笑みすら浮かんでいる。余裕が出来たわけではないが、プロデューサーの話を聞いた周子には、既に全貌が見えていた。逆に、プロデューサーから見ればひとつ、ふたつ、謎が残ったままなはずだ。それを教えなければ、本当の真実は共有されない。
「知りたいでしょ?」
「……」
「あたしが、どうして自殺したのか」
 ゆっくりと、プロデューサーは頷く。
「……はい」
「じゃあー……」
 どうやって、どこから話したものかな?
 とりあえずは。
「プロデューサーってさ、どうして生きてるの?」
56:
「……それは……どういう……?」
 ありゃ、ミスったかな? ちょっと人聞きが悪い質問になっちゃった。
「あ、違うよ? そういう意味じゃなくて、人生の目的っていうか。仕事して、お金稼いで、よくわかんないけど結婚とかして幸せになって、それで?」
「……」
「たまにさ、そう思うことがあったんだよね。一年前までは、何回か」
 久しく忘れていた感覚だ。アイドルになりたての頃は、まだ抱いていた気もするが。
「なんだろうね? そういうのをシシュンキって言うのかな。どうせ結局みんな死んじゃうんだしって、思ってた」
 先ほどまでより、口がよく動くような気がする。
「あとさ、あたしって、自分で言うのもアレなんだけど、まあ顔はいい方だと思うし、要領もいいと思う。大した苦労とか、全然しないで、のらりくらりと生きてきた」
 目を瞑り、昔のことを思い出す。
「そうするとね、ふと、学校に行く時、駅の反対側を走る電車を見て、こう思うことがあって」
『あれに乗ったらどうなるんだろう』
「それが、芽生えみたいなもの。その時はすぐに忘れちゃったけど、でも、またしばらく経って、そう思うことがあって。何回かして、本当に乗っちゃってさ」
 まあきっと、真面目なプロデューサーには理解できないと思うけどね。
「あ、でも最初はすぐ、次の駅で降りて学校に向かったよ? なんだけどさ、不思議なもので、『あれに乗ったら』を叶えたら、また心が囁くの」
『次で降りなかったら?』
『終点まで行ってしまったら?』
『駅から歩いてみたら?』
『海まで行ってみたら?』
「そんで」
『ここから身を投げてしまったら』
「ってね」
「……」
 冗談めかした言い方をしても、プロデューサーは真剣な顔で耳を傾けている。
「さっき、あの崖に行ったことがあるのかって聞かれて、答えなかったでしょ?」
「はい」
「察してると思うけど、行ったことあるんだ。しかも、一回じゃない」
「そう……ですか」
「別に死のうと思って毎回行ってるわけじゃないんだよね。ただ、気になった。何度も何度も何度も何度も気になって。きっと、ちょうどあの日が。……そういう気持ちだったのかな」
 どこか他人事のように。いや、実際、その時の本当の気持ちは、その時の自分にしかわからない。
「なんだろうね。うまく言えないけど、例えば”サイコロを10個くらい一気に振って、全部同じ目が出たら死のう”って思ってたら偶然、あの日にそれが出たみたいな。そんな話。……理解できないでしょ?」
「……はい。そのような形で……命を」
「あ、でも、命を軽く扱ってるとかじゃないんよ? 説得力ないかもだけど。死ぬための行動じゃなくて、なんというか、結果的には死んじゃったってだけだしさ。あはは、自分でも何言ってるかわかんないや」
 ケラケラと、笑い声が漏れる。
 プロデューサーは硬い表情を崩さない。
「と、ここまでが、あたしが自分を殺した理由。いや、正確なことはわかんないけどね? 今までの感情から推測されるってだけで。そして、最後に、プロデューサーが一番気になってることがあるよね」
「……はい」
「聞いちゃっていいよ。答えたげる」
 別に、聞かれるというフェーズをわざわざ踏む必要はないのだが。なんとなく、形式張ったやりとりをしたくなった。
 プロデューサーも、いつも通りの落ち着いた表情で、最後の質問を、噛みしめるように。
「今でも……死にたいと思うことはありますか?」
57:
????????????????????
 ずっと、聞きたいと思っていた。思えばプロデュースを始めたその瞬間から。
 いや、聞かなければいけないと思っていた。というのが正確だろうか。
 ifのルートとはいえ、周子が自ら命を落とす選択をしたことは事実だ。その理由が聞きたかった。
 だが、聞けなかった。
 もし、質問を投げかけたとして、それによって、周子の中に潜む、”その意識”が目を覚ましてしまったらどうしようと。怖かったのだ。
 それは、単なる問題の先延ばしに過ぎないと、気がついてはいたはずだ。それでも、自分を騙してきた。言い聞かせてきた。きっと、そんな気持ちは消え失せていると。もう考える必要なんて無いんだと。
 質問を受けた周子は、大げさに腕を組み、考えるポーズを取っている。その顔からは、この部屋に入った時のような緊張はすっかり失われていた。
 そして突然、机の上の書類をまとめ、自身の鞄へ詰め込んだ。
「一週間以内だっけ?」
 不意を衝かれて返事が遅れる。提出期限のことだと気がつくのに、普段ではありえないほどの時間を要した。
「はい、来週の頭までにご提出いただければ」
 提出しないつもりですか。と、聞こうとしたが、すんでの所で思い留まる。それを聞く権利は、今の自分にはない。
 素早い手つきで荷物を纏めた周子は、上着を羽織り、部屋のドアに進みながら、声を出す。
「置いてっちゃうよ?」
 慌てて荷物を整え、周子の背を追った。
58:
????????????????????
「流石にちょっと風があるねー。寒っ」
 駅から外へ出た瞬間、周子の声が響く。周囲に人はほとんどいない。
「海からの風かな」
 今度は少し小さな声で。呟きながら、周子が歩き始める。
 事務所を出て駅へ向かい、電車に乗ってこの場所に着くまで、周子は一切、口を開かなかった。
 とはいえ、表情は硬いものではなく、むしろ笑みすら感じられた。
 この場所を目指していることは、なんとなく、気がついていた。別段、確認を取ろうとも思わなかったが、
 時間にして十数分。潮の音が近くに迫ってきた。
「流石に、これ以上は」
 外はすっかり暗くなっている。崖の近くまで寄るのは危険だ。
「おっけーおっけー」
 周子の足が止まる。くるりと振り返り、崖と、その向こうの海を背にした彼女と目が合った。
「ごめんねー、疑って」
「いえ、そう思われるのは当然かと。こちらの責任です」
「真面目だねえ」
「……」
「この先で。だよね?」
 ちらと、海の方向に視線を向けた。
「……はい」
「ま、夜に来たことはないんだけどさ」
「……」
「あ、死ににきたわけじゃないよ? そこは安心して」
「そう……ですか」
 どうやら、見透かされていたようだ。
「あたしね、頑張ることが怖かったんだと思う」
 ポツリと、少しの風でかき消されそうな声を、周子が紡ぎ始めた。
「失敗するのが怖かった。全てが終わっちゃう気がして。でも、成功するのも怖かった。その先に何があるのか、知りたくなくて」
 表情は軽い笑み。自嘲に近い。
「だから逃げてたんだと思う。自分はそういう人間だって言い聞かせて。頑張らなくてもいいって、自分を塞いで。それこそ、ふとした気持ちで、どこかへ行きたいなんて思ったりするくらいにね」
 しかし段々と、声は強さを帯びる。
「プロデューサー、ありがと。プロデューサーがいなかったら、あたしはきっと、『死にたくない』なんて思わなかった。それがあたしの、今の正直な気持ち。もう、どこかへ行ってしまいたいなんて思ってない」
「……ありがとう……ございます」
「最初は確かにさ? めんどいなーって、思うこともあったけど」
 少し、間を置いて。
「ちょっとずつ、いいなって、思い始めて」
 表情が徐々に明るさを取り戻す。
「仲間とか、そういうの、キラキラしてて」
 目が離せない。きっと、これからも。
「アイドルって、楽しいね」
 最後の言葉を告げた、その表情は、この場所の暗さを忘れさせるくらいに、輝いていた。
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