【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れてback

【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて


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親御さんが何かあるのか……
そして特大の地雷を踏み抜く佐藤か……
気体機体
42: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/16(日) 22:16:40.89 ID:/MDiOILR0
5.Gloriosa
 プロデューサーさんを通さずに、はぁとさんはお仕事を見つけてきたと言った。
「来週打ち合わせでー、ネット配信ラジオ番組のコーナーのアシスタント☆ はぁと、ぜーったいここでディレクターにイイとこ見せて、先のお仕事に繋げっぞ!」
 そう言って、はぁとさんは机に置いたペットボトルのお茶を飲む。
「そう、なんですか」
 私は曖昧な返事をして、椅子に座った。
 春に私たちが集められてから、はぁとさんはずっとこの部屋で、アイドルの仕事とは言えないような事務仕事を続けていた。レッスンも毎回、最も厳しいと言われるトレーナーさんとのマンツーマンレッスンのみだった。
 そんな状況だから、はぁとさんが『干されていない』と言えるのか、と問われると、それは私も自信をもってそうだとは答えられそうにない。
 けれど――けれど、プロデューサーさんが、はぁとさんだけに冷たくするような人だとは思えない。プロデューサーさんの真意が見えないから、私は黙っているしかできなかった。
「そういや、夕美ちゃんもなんだか機嫌よさそうじゃなかった? なんかいいことあった? ほらほらぁ、はぁとに言ってみ? 言ってみ?」
「あ、そうなんです!」私は思い出し、胸の前で手を打つ。「この前のくるみちゃんの初仕事、くるみちゃんがとっても頑張ってて大成功だったので――」
 それから私は、くるみちゃんの初めてのお仕事の様子を話した。
「なるほどなー、はぁあ、はぁとも負けてらんねーなー」
 大きく伸びをしながら、ため息交じりにはぁとさんは言ったけれど、はぁとさんは私の話を聞いているあいだずっと嬉しそうにしてくれていたし、今の言葉の声色もとっても明るかった。
 お仕事がもらえなくても、自分で前に進もうとするはぁとさんはすごい。
 それは、私のシンプルな感想だった。
「おはようございまーす!」
「おはよう」
 事務室の扉が開いて、学校の制服姿の美穂ちゃんとマキノちゃんが入って来た。
「おっつー☆ 今日もスウィーティー☆」
「あ、おはよう!」
 私は立ち上がり、部屋の端の流し台で電気ケトルにお水を汲んで、電源を入れた。プロデューサーさんが来る前にお湯を沸かしておけば、プロデューサーさんが来たとき、すぐにお茶を淹れてくれて、スムーズに打ち合わせに入れる。
「夕美ちゃぁん、プロデューサーが来る前に、二人にもさっきの話、してやれしてやれー」
 はぁとさんが私の背中に声をかける。
「えっ、でもはぁとさんには同じ話になっちゃいますよ?」
「スウィーティーな話は何度したっていいもんだぞ☆」
「なにか、いいことがあったんですか?」
 美穂ちゃんがコートを壁のハンガーにかけながら尋ねる。
「あったあった、はぁとも報告あるけどー、夕美ちゃん、お先どうぞ☆」
 はぁとさんは嬉しそうに笑う。きっと、はぁとさんも自分の話がしたいんだろう。
「それじゃあ……あのね、この前のくるみちゃんの初めてのお仕事で――」
 私はもう一度、同じ話を始めた。
 そうして、私の二度目の話が終わった直後、はぁとさんが自分の話を始める前のことだった。
「おはようございます……ああ、お湯を沸かしてくれていたんですね。ありがとうございます」
 プロデューサーさんが入ってきた。いつものようにハットを取って机に置き、みんなの分のお茶の準備を始める。
「あれ?」
 いつもとちょっと違う光景に、私は声をあげた。
 いつもは私たち四人とプロデューサー、合わせて五つの湯のみがお盆に用意されるけれど、今日はひとつ多い、全部で六つの湯のみが置かれている。
「ああ、このあと、今日の打ち合わせには大沼さんも参加していただきます」
「くるみちゃんも?」
 美穂ちゃんが意外そうな声をあげる。
「ええ、今日は皆さん五人全員にお伝えしておきたいことがありますので」
 言いながら、プロデューサーは湯のみに注いだお湯を急須へ移す。
「そっかー、じゃあくるみちゃんが来るまでははぁとの話もお預けかなー」
 はぁとさんはわざとプロデューサーさんに聞かせるみたいに言った。
43: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/16(日) 22:18:43.84 ID:/MDiOILR0
「そういえば、はぁとさんも報告があるって言ってましたよね?」
 美穂ちゃんがはぁとさんにそう言うのと同時に、プロデューサーさんがはぁとさんを見た。私は部屋の中に緊張が走ったような気がした。
「そう、実はー、はぁと、自分でお仕事ゲットしたんだぞ☆ 褒めて褒めて? ほらぁ、プロデューサー☆」
「えっ?」
 美穂ちゃんが驚きの声をあげる。マキノちゃんもはぁとさんの方に注目した。プロデューサーさんは、目を見開いてはぁとさんを見た。
「……佐藤さん、それは、どういうことですか?」
 プロデューサーさんの、普段より少し低い声が響いた。
「やぁん、怖い顔すんな☆ いま言った通りだぞ、プロデューサー☆ はぁとが有能だからって☆」
 そう言って、はぁとさんはホチキスで綴じられた書類を机の上に置いた。きっと、はぁとさんが取って来たお仕事の企画書だろうと私は思った。
 プロデューサーさんははぁとさんの席の前までやってくると、書類を取る。それを読んで――プロデューサーさんの表情が一変した。
 それは、今まで一度も見せたことがないくらい、険しい表情だった。
「――いけない」プロデューサーさんは机の上の帽子を取る。「すみませんが、すこし外します。大沼さんが間もなく到着されるでしょうが、皆さんはそのまま待機していてください!」
 そう言って、プロデューサーさんははぁとさんの書類を片手に、そのまま事務室から飛び出して行ってしまった。
「……は? ちょっ、プロ……!」
 はぁとさんの声は、閉じられた事務室の扉にぶつかり、遮られた。
「なんっなんだよ!?」
 はぁとさんが困惑した声で吐き捨てるように言った。
「……わからないわね」マキノちゃんが閉じた扉を見て言う。「私たちの契約条項では、他のプロダクションとの重複所属は認められていないけれど、個人での活動は妨げられていない。あんなに焦る必要があるのかしら」
「そう、そーだろ、マキノちゃん! はぁと、おかしいことしてないっしょ!?」
 はぁとさんは叫ぶような声で言う。
「でも、じゃあプロデューサーさんは、どうしてはぁとさんのお仕事の書類を見て、あんな表情を……?」
 私が疑問を言うと、マキノちゃんは頷く。
「はぁとさん、そのお仕事の書類、まだあるかしら」
「えっ? うん、コピーなら」
 はぁとさんはバッグから書類をもう一部取り出す。マキノちゃんはそれを受け取ると、時間をかけて真剣な目でそれを読んだ。
「……特に、問題のある内容には思えないわね。ユニット活動の面でも、プラスにこそなれ、マイナスにはならないと思うけれど」
 マキノちゃんは書類を長机に戻す。私と美穂ちゃんもそれを読んだけれど、特におかしなところはないように思えた。
「あのぉ、おはようございましゅ……」
 くるみちゃんが部屋に入ってくる。
「あ、おはよう、くるみちゃん!」
 言いながら、私は立ち上がり――流し台のほうを見て、思い出す。
「いっけない、お茶!」
 私はくるみちゃんに椅子を勧めてから、流し台に置いたままの急須の蓋をあける。急須の中のお茶は、時間が経ちすぎて渋そうな深緑色になってしまっていた。棄てたほうがいいか悩みながら、私はひとまずひと口だけ味見してみようと、自分の分の湯のみを取る。せっかくお湯で温めた湯のみは、すっかり冷えてしまっていた。
 出過ぎたお茶は、やっぱりとっても渋くて、飲めないほどじゃないけれど、いつもプロデューサーさんが淹れてくれる美味しいお茶を知ってしまっては、飲もうとは思えなかった。
44: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/16(日) 22:22:38.07 ID:/MDiOILR0
 結局それから私たちは、特別何をするでもなく、一時間近く落ち着かないままでプロデューサーさんを待って時間を過ごした。はぁとさんは不機嫌そうな顔で黙ってしまい、マキノちゃんはときどきスマートフォンを操作しながらなにやら考え事をしていた。私は美穂ちゃんとくるみちゃんとおしゃべりをしていたけれど、どこかぎこちない。
 やがて扉が開き、プロデューサーさんが戻って来た。表情は険しいままで、額には汗がにじみ、後ろにはちひろさんを連れていた。
「戻りました。皆さん、お呼び立てしたのにお待たせして申しわけない」
「プロデューサーさん、あの、お茶、出過ぎてしまって……勿体ないけれど、処分しました」
 私が言うと、プロデューサーさんは何を言われたのかわからなかったらしく、一瞬だけ固まって、それからはっとしたような表情をした。
「失念していました……。この分は、また今度に」
 プロデューサーさんはいつもの自分の席の前まで来ると、スーツのジャケットを脱いで椅子にかけた。落ち着いた印象のベージュのベストの襟元を引っ張って、手で首元を仰いでいる。
 ちひろさんは、黙って入口のところに立っていた。
「あの、プロデューサーさん、一体何が……」
 美穂ちゃんが心配そうに尋ねる。
「ご心配をおかけしました」プロデューサーさんは深く息をつき、それからはぁとさんのほうを見る。「佐藤さん。申し訳ない。緊急事態と判断して順番が前後してしまいましたが、先ほど見せていただいたお仕事は、プロダクションとして、先方に丁重にお断りの連絡をいたしました」
「は……?」
 はぁとさんが低い、小さな声をあげた。眉間にしわが寄っている。
「ちょっ、ちょっと待て、こら!」
 はぁとさんは音を立てて椅子から立ち上がった。驚いたのか、私と美穂ちゃんの間に座っているくるみちゃんが怯えて「ひっ」と短い声をあげる。私はくるみちゃんを落ち着かせるため、机の下でくるみちゃんの手をそっと握った。
「佐藤さん」
「なんでっ!」はぁとさんはプロデューサーさんの声を無視して叫んだ。「そんなにはぁとが仕事するのが気に入らないのかよっ!? はぁとはただ、アイドルがしたいだけなんだよ! いつもいつもOLみたいな事務仕事と、いやがらせみたいな個人レッスンばっかりでっ!」
「佐藤さん」
 はぁとさんは止まらない。
「皆には仕事振ってるのにはぁとに仕事振らないのは、はぁとを辞めさせたいからだろ!? プロダクションのお荷物だってんならそうだってはっきり言えよ! イジメみたいなやり方で追い詰めるほうが、やり方が汚いだろっ!?」
 最後の方は泣き叫ぶみたいな声になって、はぁとさんはまくし立てた。
 そのとき、事務室の扉の方でざり、と靴が擦れる音がした。瞬間、プロデューサーさんがきっと扉の方に強い目を向ける。扉の前にはちひろさんが立っている。プロデューサーさんに制されたちひろさんは唇を結んで、なにかを言いたそうな顔で、胸の前でプロダクションの封筒を強く強く抱きしめていた。
「もう、はぁとには後がないんだよ……止まってなんて、いられないんだよ……」
 はぁとさんは絞り出すような声で言い、拳を握り締めてうつむいた。
「佐藤さん」プロデューサーさんは普段よりゆっくりした口調ではぁとさんを呼んだ。「佐藤さんと、このユニットの他の四人の皆さんには、ひとつ、大きな違いがあります」
「年齢だろ、そんなの」
 はぁとさんは拗ねるみたいな声で言った。
 プロデューサーさんは頷く。
「その通りです」
「それがっ……!」
 はぁとさんは目尻に涙を溜めてプロデューサーさんを睨みつけた。
「……このお話は、機が熟してからするつもりでしたが……仕方ありません。佐藤さん。ユニットの中であなただけが大人だということは、あなただけが完全を求められているということです……わかりますか」
 プロデューサーさんは両手を机の上について、ふーっと息をついた。
「人はみんな、無意識に美しいものとそうでないものを見分けています。だが決して『あなたは美しくなかった』とは教えてくれない。人々自身も、どうしてそれを美しく感じたのか、あるいはそうでなかったのかを説明できません。それでも選別の結果は如実に表れる。優れたものには注目が集まり、そうでないものは静かに、穏やかに、置いて行かれるのです」
 プロデューサーさんの淡々とした言葉を、はぁとさんも私たちも、じっと聞いていた。
「佐藤さん以外の四人はまだ未成年です。人々は未成年の身体は成長過程にあることを理解している。立ち居振る舞いも未熟であることが許されているのです。しかし佐藤さん、あなたは大人です。二十五歳を超えて、人は大きく変化しない。そう見られます。……自分で気づいていらっしゃらないでしょうし、周りの人も指摘してはくれなかったと思いますが……、佐藤さん。あなたは、私と顔合わせをしたとき、体幹が崩れていたのです」
「……はっ?」
 はぁとさんが、震えた声で訊き返した。
「美城プロダクションは多数のアイドルを抱えている。それが個々のアイドルにとって有利に働く面もありますが、不利に働く面もあります。加していく芸能界で、体幹が崩れている程度のことでも無意識のうちに起用の候補から外れる。気づいているならなおさら、矯正の必要のない別のアイドルを起用する。芸能界全体で考えればその傾向はより顕著になります。そのため、私は佐藤さんを一時的に社内も含めた業界の人々の目から隠し、これまでの印象を薄めるとともに、体幹を鍛えなおしていただくことにしたのです。佐藤さんの矯正が完了したときには、順次お仕事をお願いする予定でした」
 私は思い出し、はっとした。
 出会ったころいつも、はぁとさんはプロデューサーさんから、座っているときの姿勢を注意されていた。
45: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/16(日) 22:24:46.29 ID:/MDiOILR0
「それなら!」はぁとさんは机を手で叩く。「それこそ子供じゃないんだから、最初に言えよ!」
 プロデューサーさんは首を横に振った。
「佐藤さんが実績を積むことに焦っているとわかっていました。その状態で体幹の崩れを伝え、私やトレーナーの前だけで良いように見せられてしまっては、意味がない」
 はぁとさんは押し黙った。反論できなかったのかもしれない。
「トレーナーからは、佐藤さんの完成は見えてきたと伺っています。……ここまで、佐藤さんは本当によく頑張ってくださいました。そして、あともう少しです」
 そこまでプロデューサーさんが話したとき、マキノちゃんが静かに右手を挙げた。
「……でも、そこまで完成しているなら、仕事をキャンセルする必要はなかったんじゃないかしら?」
「そう!」はぁとさんはマキノちゃんの意見に乗る。「せっかく取った仕事だったのに、無理やりキャンセルなんて、そこまですること――」
 そこまで言ったとき、プロデューサーさんが手のひらを佐藤さんに向けて制した。
「芸能界は広く、それゆえに残念ながら、悪意を持った者も居ます。広く知られてはいませんが……この番組のディレクターと書かれている男……平気で人を使い潰し、己の欲望のためなら道を外れたこともする。もし関わっていれば佐藤さんだけでなく、プロダクションにも影響を及ぼしかねない。そのため、強引でも迅に行動しなくてはなりませんでした。そうでなくては、それこそ佐藤さんとの契約を見直す事態になりかねない」
 言って、プロデューサーさんは机の上に置かれた資料に書かれた名前を睨むように目を細めた。
「なるほど。そういうこと。調査不足だったわ」
 マキノちゃんは言ったけれど、まだ納得していないことがあるのか、口元に手をあてて何かを考えていた。
「そんな……そんな、でも、だって、はぁとは……」
 はぁとさんは口の中で何かつぶやきながら、覇気を失った様子でゆっくりと椅子に座った。
「佐藤さん」プロデューサーさんは再び、穏やかな顔に戻ってはぁとさんに語りかける。「気にしないでください。説明できない事情が多かっただけのことで――」
 そこまで言って、プロデューサーさんの身体が突然、ぐらりと揺れた。
「う、むっ」
 プロデューサーさんはその顔を苦痛に歪ませて、両手で机を掴んで自分の身体を支えようとする。けれど、膝から崩れ落ちてしまった。そのまま、事務室の床に倒れる。パイプ椅子が倒れる乱暴な音が響いた。
「プロデューサーさんっ!」
 私と美穂ちゃんが駆け寄る。
「いけないっ!」ちひろさんが入ってくる。「誰か、救急車を呼んでください!」
「あ、はいっ!」
 私は机に置いたバッグの中のスマートフォンを取ろうとする、けれど、すでに自分のスマートフォンをその手に持っていたマキノちゃんのほうが早かった。
「私が呼んでおくわ。――救急。はい、急病人です。急に倒れて、はい、場所は美城プロダクション、はい、その住所で間違いありません。男性、年齢は七十歳前後だと思います。意識は……あるようです、呼吸も」
 マキノちゃんは冷静に話す。けれど、唇がほんの少しだけ震えていた。
 私は電話をマキノちゃんに任せ、プロデューサーのところに駆け寄る。ちひろさんが脈を取っている。
「しっかり、安静にしてください! 頭は打っていませんか!?」
 ちひろさんはプロデューサーさんの耳元に声をかけ続けていた。
「プロデューサーさん、いま、マキノちゃんが救急車を呼んでくれています!」
 私が言うと、プロデューサーさんは苦しそうにうめいて、荒く、短く数回呼吸したあと、ふーっと長く息を吐いた。
「千川、さん……!」
 プロデューサーさんはちひろさんに何かを伝えようとする。
「喋らないでください、安静に、お願いです」
 ちひろさんは泣き出しそうな声をあげてプロデューサーさんの姿勢を整える。
46: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/16(日) 22:27:51.71 ID:/MDiOILR0
「美穂ちゃん、事務室の扉を開けて、固定して。マキノちゃんと一緒に、外に出て救急車をここまで誘導してください!」
「わかりました!」
 美穂ちゃんは言われた通りにすると、マキノちゃんと一緒に外に飛び出していく。
 くるみちゃんは泣きながらおろおろしていた。
 はぁとさんは、茫然自失とした様子で、椅子に座ったままプロデューサーさんのことを見て、小さく、早く呼吸を繰り返している。
「くるみちゃん、大丈夫。落ち着いて、座っていて」
 ちひろさんは優しく、くるみちゃんに話しかける。
「あうぅ、でも、くるみ、くるみ……ぷろでゅーしゃー……」
「くるみちゃんが落ち着いてくれるのが、一番プロデューサーさんも安心できると思うな」
 私が言うと、くるみちゃんは頷いて、持っていたティッシュで鼻をかみ、椅子に座った。
「……心さんも、落ち着くことに専念してください。いまあなたにまで倒れられたら、さすがに対応しきれません」
 ちひろさんが言うと、はぁとさんは真っ青な顔で小さく頷いた。
 やがて、救急車のサイレンの音が近づき、事務室の前で止まった。がちゃがちゃと音がして、救急隊員の人が担架を持って入ってくる。隊員の人はプロデューサーさんの容態を確かめてから、丁寧に担架に載せた。ちひろさんと私は、担架の後を追って事務室を出る。
「何があったんですか」
 外に出ると、プロダクションの社員の男の人が心配そうな顔で出てきていた。春、私とユニットのみんなの顔合わせについて教えてくれた人だ。担架に横たわるプロデューサーさんを見て、はっとした表情をする。
「そんな……!」
「このまま、私が病院に随伴します」
 ちひろさんが言うと、苦しそうな声を上げてプロデューサーさんが目を開けた。
「いや……時期がきたようです。千川さんには、私よりも皆さんへの説明を……お願いします」
「そんな、やめてください! それに、誰かが随伴しないと」
「お願いします」
 プロデューサーさんは苦しそうに、でも強い意思を含んだ声で言った。
「では、病院への随伴は私が、それでいかがですか」
 社員の男の人がちひろさんに言う。
「……」ちひろさんはプロデューサーさんの顔をじっと見て、やがて頷いた。「すいません、お願いします」
 プロデューサーさんを乗せた救急車がサイレンとともに走り去って、私たちはちひろさんに促されて事務室へと戻った。
 事務室の中でははぁとさんが、私達が事務室を出たときと同じ姿勢で、椅子に座ったまま机の何もないところを見つめていた。その背中を、くるみちゃんがゆっくりとさすってくれている。
 私たちはそれぞれがもとの場所に座り直す。ちひろさんは事務室の床に置いていた社用の封筒を拾い上げ、プロデューサーさんの席に立った。
「……病院からの連絡があれば、皆さんにもお伝えします。……ごめんなさい、まだ混乱していて、何から伝えればいいか……」
「あの、プロデューサーさんは、もしかして……前からお身体が悪かったんでしょうか」
 私はちひろさんに尋ねた。私はこの前のくるみちゃんとのお仕事のときも、プロデューサーさんが急に苦しそうな表情を見せたことを思い出していた。
 ちひろさんは頷く。
「……その通りです。医者からは、既に予後の宣告も」
「そんな状態で、お仕事を……」
 美穂ちゃんが言うと、ちひろさんは再び頷き、それから封筒を開いて、中から書類を取り出した。
「今日、皆さんにお伝えする予定だったことを、代理で私から説明させていただきます」
 ちひろさんは私達のそれぞれに、書類を配る。
「……これ……!」
 私の驚きは思わず声に出ていた。書類を持っていないほうの指で、紙面をなぞる。指の先が震えた。
「新曲、ね。……私達の」
 マキノちゃんが言う。言って、すぐに深いため息をついた。
「は? なんだよ」はぁとさんが震える声でつぶやく。「なんだよ、これ……はぁとの名前も、あるじゃん……なんだよ……」
47: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/16(日) 22:30:33.56 ID:/MDiOILR0
「冬のプロダクションのフェスで発表する予定で進められていました」
 それは、私たちのユニットのために書かれた歌だった。
 苦しい夏を越え、秋を経て冬を耐え、次の春に咲く、花たちの歌。
「このおうた、くるみたちが、歌うの……?」
「そうだよ」美穂ちゃんがくるみちゃんの肩を抱く。「プロデューサーさんが、くれたの」
「プロデューサーさん……」
 私は、たくさんの気持ちを抱えたまま、声に出した。後れて、涙が零れる。
「……ねえ」マキノちゃんが言った。「おかしいわ」
 全員がマキノちゃんに注目する。
「スタッフ欄の、プロデューサーの名前を見て」
 私たちは言われた通り、資料の端に書かれたスタッフ欄からプロデューサーの項を探す。
 そこには、プロデューサーさんのものではない、全く知らない名前が記載されていた。
「これ、誰ですか? 私たちのプロデューサーさんは……?」
 美穂ちゃんがちひろさんに尋ねる。
「……そこに書かれている名前は、美城プロダクションの共同名義です」
「きょうどうめいぎ?」
 くるみちゃんが首をかしげる。
「個人ではなく、会社全体がプロデュースしていたり、または何らかの理由で本来の名前が使えない、そういうときの代理の名前よ」
 マキノちゃんが解説する。ちひろさんは肯定するように頷いた。
「今まで黙っていてごめんなさい。あの人は、皆さんの『プロデューサー』という立場ではなかったんです」
 沈黙が流れた。私たちの誰も、ちひろさんの言っている意味が理解できなかった。
 でも、その一方で私は思い出す。
 プロデューサーさんは、一度も自分のことをプロデューサーだとは名乗らなかった。
 ちひろさんも一度も、プロデューサーさんと呼ばなかった。
「なんでだよ……」最初に口を開いたのははぁとさんだった。「あの人、ずっとはぁとたちをプロデュースしてたじゃんか……」
 私たちは全員、頷いた。はぁとさんの言う通りだった。プロデューサーさんの名前がここに書かれていないのは、おかしい。
マキノちゃんが続く。
「ちひろさんに、教えてもらいたいことがあるの。あの人――私たちのプロデューサーは、一体何者なの? どう考えてもおかしいわ。駐車場の警備員にしては、芸能の仕事が板につきすぎている。今回のはぁとさんの件だって、調べたって出てこないディレクターの経歴を知っていた。事態の収拾も早すぎるわ」
 ちひろさんは私たちの視線を受けて、姿勢を正した。
「皆さんのプロデュースをしていたのは、まだ小さかった美城プロダクションをここまで成長させた最大の立役者。そして、ずっとずっと前に一線を退いた、芸能界では伝説となった人物です」
 ちひろさんは天井を仰ぐ。
「前世紀にメディアで活躍した有名なアイドルを何人もプロデュースし続け、芸能界にその名を知らぬ人の居なくなったあの人は、敏腕だからこその壁にぶつかりました。あの人が関われば、担当した、というだけでアイドルの実力に関わらずメディアがこぞって取り上げ、分不相応なほどに盛り立てられる。担当アイドルもそれを自分の実力と誤解し、増長する。社内の他のプロデューサーも、状況に甘え危機感を抱かなくなる。あの人は純粋に、実力のあるアイドルを育てたかったのに、自身が知られ過ぎたために、あの人が目指す『芸能』の実現が遠ざかって行ったのです。このままではいずれ、知名度だけで実力の伴わないアイドルが増え、美城のブランドすら危うくなると判断したあの人は、自らその立場を棄て、人前から姿を隠しました」
「それで、駐車場の警備員に?」
 私が言うと、ちひろさんが頷いた。
「数年経ってほとぼりが冷めてから、現在まで。今では前のお名前と素性を知る一部の役員の、臨時の相談役として、ここに来ていただいています。警備員のお仕事をされているのは、社に出入りする人々の顔を観たいと仰っていたあの人の希望です。皆さんの仕事に同行しなかったのも、素性を知る業界人から身を隠すのが理由でした。あの人は、みなさんをきちんとした実力のあるアイドルに育てようとしていました」
「そんな人が、私たちのプロデュースをしてくれていたなんて……」美穂ちゃんが言って、祈るようにぎゅっと目をつむった。「私たちのプロデューサーさんは、あの人しかいません」
 そう。美穂ちゃんの言う通り、肩書がなんであれ、私たちのプロデューサーさんは、私たちのプロデューサーさん以外ではありえないんだ。
「あの人の言葉を伝えます。万が一の時には伝えるようにと言われていました」ちひろさんは私たち全員を見渡す。「この歌を、ユニット全員で完成させてほしいと」
 ちひろさんの口を借りたプロデューサーさんの言葉は、重い塊のように私の心にぶつかり、そして溶けこんでいった。
 私以外の皆も、それぞれにプロデューサーさんの言葉を受け止めているようだった。
48: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/16(日) 22:33:22.79 ID:/MDiOILR0
 小さな音が鳴った。
 それは連続して、不規則に。音の出所を探す。
 はぁとさんだった。はぁとさんの歯が、震えでかちかちと鳴っていた。
 はぁとさんは自分の両肩を抱えて、凍えるみたいにぎゅっと身を小さくして震えていた。
「はぁとさん!」
 美穂ちゃんがかけ寄ると、はぁとさんはますます身を小さくした。
「だめだ、ムリだろ……」はぁとさんは消えそうな声で言う。「はぁとが、はぁとが余計な事をして、それでプロデューサーが無理して、だからはぁとが、はぁとが悪いんだぞ……? そんなのが、皆と並んで、新曲……? そんなの、そんなの……」
 はぁとさんのジーンズの腿の辺りに、はぁとさんの流した涙がぽたぽたと黒い色を落とした。
「はぁとさん、プロデューサーさんだって、気にするなって言ってくれてました!」
 私ははぁとさんに言ったけれど、はぁとさんは小さく首を横に振るだけだった。
 私も、ほかの皆も立ち尽くしていた。
 このままでは、はぁとさんの心が折れてしまう。けれど、どうしたらいいかわからなかった。
「一番スウィーティーじゃねえの、どう考えてもはぁとじゃんか。ダメ、ダメだわこれ、はぁとには……」
 そこまではぁとさんが言ったとき、長机の反対側で大きな音が鳴った。
 はぁとさんを含めた全員がそちらを注目する。ちひろさんが、今まで見たこともないような真剣な顔で、平手で長机を叩いた音だった。
 ちひろさんはずんずんと歩き、はぁとさんの前に立つ。はぁとさんの両肩を掴んで、はぁとさんを見据えた。
「心さん、私は、心さんがここで折れたりしたら、絶対に許しません。もしそんなことになったら、心さんのことを、一生だって恨んで軽蔑し続けますから」
 それは、いつも私たちが見ている穏やかなちひろさんとはまるで別人のようだった。
 けれど、その顔に、怒りは感じられなかった。きっと、ちひろさんは、はぁとさんに立ち上がってほしいと、真剣に思っているんだ。
 はぁとさんは、涙を流してちひろさんを見ている。
 ちひろさんは、もう一度はぁとさんの両肩を強く握った。ちひろさんの目にも、涙が光る。
「心さん! あなたは! 私たちの希望なんです! 大人になっても夢は叶う、アイドルになれるって、羽ばたけるって、咲けるって! 見せてください、私に、あなたのプロデューサーさんに、プロダクションの皆に、この世界の皆に!」
 ちひろさんははぁとさんの耳元に顔を近づける。
 それこそ、ほとんど口づけするみたいに
「あなたは、誰よりスウィーティーな、しゅがーはーと、でしょう……!?」
 囁くように、ちひろさんはそう言った。
 沈黙が流れた。
 誰も、一言も発さなかった。
「ふっ」
 やがて、笑い声が漏れた。はぁとさんの口からだった。
「ふ、ふふっ……くくっ……は、あはは……そうだよ……メンゴ、ちひろさん……はー……」はぁとさんは身体から力を抜いて、リラックスした表情で微笑んだ。「あー、目ぇ覚めたぞー、完っ全に」
 ちひろさんはゆっくりと、はぁとさんから離れる。
「そうだよなーそうだよなー、誰よりもはぁとが、はぁとを信じてやらなきゃウソだろー。あぶねーあぶねー、危うく夢落っことすところだったっつーの☆」
 はぁとさんは目を閉じて、ゆっくりと呼吸する。
「……しゅがしゅが、すっうぃーと、佐藤心、こと、しゅがーはぁと、だぞ」
 唱えるみたいに言って、はぁとさんは立ち上がった。
「しゅがーはーとぉっ!! よしっ! もう大丈夫! メンゴ、マジのマジでメンゴメンゴ、みんな、おっまたせー☆ みんなのはぁとだぞー☆ 待ってないとかいうな♪ もう大丈夫、はぁと、絶対折れねー☆ マジだぞ、こっからさきのはぁとのアイドル人生、一度たりとも折れねーかんなー、あ、でも物理的に骨折とかは抜きで☆」
49: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/16(日) 22:34:11.76 ID:/MDiOILR0
 はぁとさんはいつもの口調に戻っていた。私たちも思わず笑顔になる。
 私にはなんだか、はぁとさんが今までで一番輝いているように見えた。
 両の足でまっすぐ立つはぁとさんは、今までに見たどんなはぁとさんよりも、美しかった。
「新曲上等だっつーの! あのプロデューサーの言う通り、全員であの曲スウィーティーに完成させて、フェスでファンの皆のドギモ抜いてやんよ☆」
 私たちははぁとさんに大きく頷く。
「よかった、はぁとさん!」
 美穂ちゃんが嬉しそうに笑う。
「うんっ! 冬に向けて、がんばろうっ!」
「くるみ……不安だけど、みんなとだから、ぷろでゅーしゃーのくれたうた、頑張る」
「調査の必要もないわね……この五人なら、問題ないもの」
 私たちは誰ともなく手を前に出して、五人の手を重ねる。重ねた手が、ぐっと沈んだ。
「絶っ対! 曲完成させて、プロデューサーに届けるぞ!」
 はぁとさんの声が響く。
「おおーっ!!」
 高く手を掲げた私は、ううん、私たちはみんな、プロデューサーさんに届けるつもりで、大きな声をあげた。
 ちひろさんが、私たちのことを、いつもの穏やかな笑顔で見守ってくれていた。
---
 そのあと、プロデューサーさんが無事に病院に搬送され、今は安静にしていることが伝えられた。プロデューサーさんはもう、お仕事に戻れる状態ではなかったけれど、プロデューサーさんはずっと、こういう事態が起こったときの準備をしていたんだろう。すでに、冬のフェスまでのスケジュールを完璧に用意してくれていた。
 私たちは冬に向かって、走り出す。
 私たちの夢を叶えるために。
 プロデューサーさんの希望を叶えるために。
5.佐藤心 Gloriosa グロリオーサ(栄光) ・・・END
52: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/19(水) 20:16:14.98 ID:MnCJ5f3U0
6.Camellia sinensis
 時は流れ、十二月、ある水曜日の午後。
 私は長い廊下を歩く。廊下のいちばん奥の扉の前には、ちひろさんが立っていた。
「夕美ちゃん、どうもありがとう」
「お疲れ様です、ちひろさん」
 部屋の扉には私たちを導いてくれた人の名前が書かれた札が下がっている。
「今は、お休みになっています」
 ちひろさんの言葉に私は頷いて、大きな音をたてないよう、そっと扉を開けて部屋の中に入った。
 小さな個室の中に、白いベッドがひとつ。
 消毒液か何かをイメージさせる、病院独特の匂い。定期的に電子音を発している機材。
 これまでにも数回経験のある、この世とあの世の間みたいな、生活感の断ち切られた非日常的な景色。
 プロデューサーさんが運び込まれた病室は、そういう空気に満ちていた。
 花瓶に挿されたお花さんが、この部屋の借主をじっと見つめている。
 ベッドの中央で、私たちのプロデューサーさんは、目を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。
 私は荷物を置いて、お布団のあちこちからたくさんの管が伸びるベッドのとなり、お見舞にきた人のために置かれた椅子に座り、レースカーテンのかかった窓の外を観る。
 空は薄明るい灰色で覆われていて、今年初めての雪がちらついていた。
 もう一度、プロデューサーさんの顔を見る。
 ほんの数十日前は元気に私たちを導いてくれていたのに、今ではずっと痩せて小さくなってしまっていて、肌の色は深く沈んでいて。
 ――誰が見ても、もう、長くはないんだとわかってしまう。
 誰にでも訪れる瞬間ではあるけれど、私は、胸が詰まる思いだった。
「プロデューサーさん」
 私は声に出す。プロデューサーさんは、目を閉じたままゆっくり呼吸して、胸を上下させている。
「もうすぐ、今年もおしまいです。私はまだ自分の部屋の大掃除も終わってないし、年賀状の準備もこれからで、なんだかばたばたした年末になっちゃいそうです」
 あの日、プロデューサーさんは事務室で倒れてから、搬送された病院で治療を受け、命を取り留めた。けれど、それから先、意識は安定しなくなってしまった。
 今では眠ったり目覚めたりを不定期に繰り返していて、起きていても意識は濁って、しっかり受け答えができないことが多いらしい。
私たちユニットのメンバーは代わる代わる、プロデューサーさんのお見舞いに訪れていた。ちひろさんのお話では、プロデューサーさんに奥さんやお子さんはなく、親族もみんな既にこの世を去っていて、この部屋を訪れるのはプロデューサーさんの信頼できるお友達と、プロダクションの一部の人、そして私たちユニットのメンバーくらいらしい。
 それでも、プロデューサーさんの部屋にはたくさんの花が飾られ、お見舞いの品が溢れ、プロデューサーさんが、ここまでずっと誠実に生きてきたんだっていうことが、とてもよく分かった。
「事務室は、先週大掃除をしたんですよ。マキノちゃんが、これからどんどん忙しくなるんだから、先にやっておくべきだって……美穂ちゃんとくるみちゃんが、すっごく頑張って綺麗にしてくれて……あれ、このお話、もしかしたら一昨日にマキノちゃんがしちゃってたかなぁ……」
 私はひとりでちょっと笑う。
「でも、これから話すことは、プロデューサーさんはご存じじゃないと思います。今日、私たちのユニット名が決まりました。もう、プロデューサーさん、私たちに残していった資料に、ユニット名は自分たちで決めなさい、なんて書くんだから……決まるまで、とっても時間がかかったんですよ。でも、最後はみんなが納得する名前に決まりました。はぁとさんが出してくれたアイディアなんです」
 私はプロデューサーさんの手をとる。筋肉が衰えて骨ばっているけれど、しっかりと温かい。その手のひらに、私は一文字ずつ、指で字を書いていく。
「G、R、A、C、E、F、U、L、T、E、A、R、S。グレイスフルティアーズ。優雅な滴っていう意味です。マキノちゃんがすぐに、イニシャルはG・TでGreen Tea、緑茶と同じね、って言ったら、はぁとさん頬を膨らませて恥ずかしがっちゃって。ふふっ。そのあと美穂ちゃんが、つづりの中にTeaも入ってますねって言ったら、はぁとさん、そっちは気づいてなかったみたい。でも、いい名前だと思いませんか」
 私はプロデューサーさんの手を握った。
「この名前で、プロデューサーさんがくれた歌で、私たちみんなでフェスに出ます。あと、もうすこしです。みんな成長したんですよ。美穂ちゃんもマキノちゃんも、歌もダンスもすっごくレベルアップしてて、私はみんなに置いて行かれないように必死で。くるみちゃんはお仕事にも慣れてきて、最近は前より涙が流れるまでの時間が長くなったって言ってました。苦手だって言ってたダンスも、一歩一歩、進んでます。はぁとさんは、トレーナーさんから矯正完了のお墨付きをもらって、今はどんどんお仕事を入れて、ユニットの宣伝をしてくれています。私は……私も、みんなほどじゃないかもしれないけど、頑張ってるつもりです。だから――」
 私は、希望を唱える。
「プロデューサーさんも、きっと元気になって、私たちのステージを見に来てくださいね」
 私はもう一度、プロデューサーさんの手をぎゅっと握ってから、椅子から立ち上がる。
 コートを着て、マフラーを巻こうとしたときだった。
 背後のベッドから、衣擦れの音がしたような気がして、私ははっとして振り返る――
 プロデューサーさんが目を開いていた。
 眩しそうに眉間にしわを寄せて、それから首と眼球を少し動かして、私の方を見る。
 黒目に光が、ううん、炎が灯っているように、私には見えた。
「……ごに……っ」うまく声が出せなかったのか、プロデューサーさんは詰まったような音を漏らした。「そこに、居るのは……? 相葉さん、ですか……?」
「はい、相葉、夕美です、プロデューサーさん!」
 私はもう一度コートを脱ぎ、プロデューサーさんに近寄った。
53: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/19(水) 20:18:04.80 ID:MnCJ5f3U0
「……御足労を……ありがとうございます、相葉さん、ええ、今日は、何曜日ですか……?」
「今日は、えっと、水曜日です、今日の午後、ちょうど、みんなで打ち合わせをして、そのあと私が代表でお見舞いに」
「そうでしたか。……水曜日……」
 プロデューサーさんはすーっと深く息を吸って、吐く。意識はしっかりしているみたい。
「水曜日ですか……ふふ、では、お茶を、と言いたいところですが……緑茶では、医者が許してはくれないでしょうね」
 言って、プロデューサーさんはちょっと笑った。私もちょっと笑う。
 こんな時にもお茶だなんて、プロデューサーさんらしい。
「それでも、雰囲気だけでも味わいたいものです。相葉さん、お時間が許すなら、お茶を……淹れていただけませんか。本当は私が淹れて差し上げたいのですが、すぐには満足に身体が動きそうにない」
「あっ、はいっ! ちょっと、待っていてくださいね!」
 私は病室を出ると、ちひろさんにプロデューサーさんが目を覚ましていることと、お茶の希望を告げた。
 ちひろさんは快諾してくれ、お医者さんへの報告と、お茶のセットの手配をしてくれるという。
 私もそれを手伝おうかと思ったけれど、プロデューサーさんが私と話をしたいと言ったので、プロデューサーさんと一緒に、病室でお茶を淹れる準備が整うのを待つことになった。
 再び二人になった個室の中で、プロデューサーさんはゆっくりと首を動かして窓の方を見る。
「もう、冬ですか。相葉さんたちを担当する事になってから、あっという間でしたね」
「はい。いろんなことがありました」
 プロデューサーさんは私の方に顔を向ける。
「……相葉さん。長い、本当に長いあいだ、お待たせして申し訳ありませんでした。あの時のお話の続きをしましょう」
「……はい」
 春に中断してから、ずっとそのままになってしまっていた、プロデューサーさんと私の面接。
「間に合って、よかった」
 プロデューサーさんの言葉の意味するところを考え、私は沈黙で答える。
 あのとき――プロデューサーさんからあまり時間は残されていないと告げられた時は、時間が残されていないのは私だと思っていた。でも、時間が残されていないのはプロデューサーさんのほうだったんだ。
「もう一度、あの時のことをお訊ねします。相葉さんは、どういうアイドルになりたいと思っていますか。どうして、アイドルをやりたいと思っているのですか。……あれから、迷いは、晴れましたか?」
 プロデューサーさんの質問を受けて、私は、目を閉じて、鼻からゆっくり息を吸う。
 春からずっと、私は私がどうしてアイドルになりたいのかを考え続けていた。
 そうして、ユニットの皆と出会った。
 美穂ちゃんは、とてもまっすぐで、一生懸命だった。
 マキノちゃんは、未解明のものに突き進み、その魅力に挑戦し続けた。
 くるみちゃんは、変わりたい強い気持ちを持って前に進んだ。
 はぁとさんは、絶対に折れない強い誓いを抱いた。
 じゃあ、私は。
 ゆっくりと目を開いて、プロデューサーさんの目を見つめた。
「私は、誰かを元気にするために、頑張りたいと思っています」
 はっきりと口にする。プロデューサーさんは黙って私を見ていた。
 私の心の中で、とげのある声がする。『じゃあまず、あたしを元気にしてよ。あんたがアイドルをやめたら、あたし元気になれるよ』――
 私自身が私の中に作った、私を試す声だ。
 でも、もう私は、迷わないんだ。
「他の誰でもない、私自身が、誰かを元気にしたいんです。それが私の希望。だから、私はアイドルをやりたい。誰かを……ううん、誰よりも皆を元気にできるアイドルになりたいと思っています」
 言い終えた瞬間に、胸の中のもやがすっと晴れていくような気がした。
 プロデューサーさんは天井を見て、ゆっくりとひとつ、呼吸する。
「迷いは、消えたみたいですね」
「はい」
「それでいい。花には咲くべき時があります。咲くべき時には、思い切り咲いていい。誰かに遠慮する必要などありません。相葉さんなら、きっとなれると思います。……誰もを元気にすることができる、アイドルに」
「はいっ!」
 私は、笑顔でプロデューサーさんに答えた。
 その時、病室の扉をノックする音がして、すぐに扉が開く。
54: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/19(水) 20:19:26.66 ID:MnCJ5f3U0
「用意ができました」ちひろさんがお盆を手に入ってくる「急須と湯のみ、ケトルをお借りしました。お茶は先日のお見舞品でいただいたものです」
「ありがとうございます」
 プロデューサーさんは嬉しそうな声をあげる。
 私はケトルでお湯を沸かし、急須にお茶の葉を入れた。
「お湯はまず湯のみに注いで少し冷まします。お茶の種類にもよりますが、湯気が少し落ち着くくらいまで待ってください。……もう少し……そろそろでしょう。急須の中にお湯を注いでください。そのまま、動かさずに待ちます。お茶の葉が開くまで、焦らずに」
 私はプロデューサーさんの指示の通りに動いた。
 プロデューサーさんは感慨深そうな表情で、私がお茶を淹れる様子を見つめていた。
 急須から、お茶のいい匂いが立ち上ってくる。
 私の視界が潤んだ。
「そろそろよさそうです。いい香りだ」
「はいっ」
 私は涙を拭った。隣でちひろさんも目元を押さえていた。
「急須をゆっくり回してください。濃さを均等にします。湯のみに少しずつ、何度かに分けて回し、注いでください。最後の一滴まで……」
 私は言われた通りにする。
「ありがとうございます。さあ、どうぞ、と言うのは少し変ですね。淹れてくださったのは相葉さんだ」
「ふふっ。おいしくできているといいなぁ。いただきます」
「いただきます」
 プロデューサーさんの湯のみは、プロデューサーさんに香りが届くように、枕の近くに置いた。私とちひろさんは、お茶を頂く。
「おいしいです」
 ちひろさんはしみじみと言う。
「うん。おいしいです。でも、やっぱりプロデューサーさんが淹れてくれたお茶が忘れられません」
 私が言うと、プロデューサーさんはちょっと笑った。
 それから、私たちは少しのあいだお茶を楽しみ、ゆっくりした時間を過ごした。
 ちひろさんが借りた道具を返すために病室を出たので、私は再び、プロデューサーさんと二人きりになった。
 プロデューサーさんの顔は、私が最初に部屋に入ったときよりも少し血色がよくなっているように見えた。
「……プロダクションの駐車場は、様々な人が通り過ぎていきます」
 プロデューサーさんが窓の外を見て呟く。
 私は少し姿勢を正して、プロデューサーさんのお話を聞くことにした。
「皆さんのような所属のアイドルや芸能のほかの部門の人々、社員や業者、取引先……人々が通り過ぎる中で、すこし珍しい人が居ました。駐車場の花を嬉しそうに眺めて、時にはなにやら話しかけているお嬢さんです」
 窓越しに、プロデューサーさんが私に微笑みかける。
 私は恥ずかしくなった。やっぱり、プロデューサーさんに見られてたんだ。
「社内の知人に、そのお嬢さんが美城プロダクション所属のアイドルだと教えてもらいました。それから少し経って、今年の春です。アイドル部門で倒れた社員が出たことで、社内は大騒ぎになりましたね。そのとき、スケジュールの都合で、どうしてもプロデューサーをつけられそうにないアイドルが四人、出てしまったと聞きました。それが、貴方たちです」
55: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/19(水) 20:20:32.43 ID:MnCJ5f3U0
「そう、だったんですか」
 私の声は少し暗くなった。やっぱり、私たちは、あぶれてしまったお荷物だったんだろうか。
「落ち込む必要はありません。オーディションやスカウトで見いだされたなら、貴方たちは確実に輝くための才を持っているということです。たまたま、巡り合わせがよくなかっただけのことですよ。……ですので、そういう事情なら、その四人を一時的に任せてくれないか、と無理を言って、私は皆さんと共に歩むことにしたのですよ」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます。駐車場の花は趣味で育てていたものでしたが、あそこまでしっかりと愛でてくれたのは相葉さんだけです。出来れば、これからも世話をお願いしたい」
 そんな、と私は言いかけて、飲みこんだ。
「……花は咲けば、やがて必ず枯れます」プロデューサーさんは自分の手のひらに視線を向ける。「私という人間が咲いていた時期は、もうはるか過去に過ぎているんです。誰にでも訪れる老いがやってきて、最後は土に還ります。その土を糧として、今を咲くべき人が咲く。そうあるべきです。相葉さん、今はあなたたちの時代です。顔をあげて、前に進んでください」
「はい、でも、でも……」
 私は両手で顔を覆った。
 もっとたくさん時間があったなら。
 もっとたくさんお話ができていれば。
 もっとたくさん学ぶことができていれば。
 そう思ってしまうことを、今くらいは許してほしい。
「見舞いは非常にありがたいが、大事な時期に私に時間を使うことはありません。あなたたちの晴れ舞台のために、全力を尽くしてください。私はそうしてもらえるのが一番嬉しい」
 私はしばらくうつむいて、それから、笑顔で顔をあげた。
「はいっ! 最高のイベントにできるように、頑張ります! それで、フェスが終わったら……! っ、皆で、もう一度、かならず伺いますっ……!」
 私が言うと、プロデューサーさんは穏やかにもう一度、ありがとうございますと言って、ゆっくりと目を閉じ、そのまま穏やかに寝息を立てはじめた。
 私は立ち上がり、コートを着てマフラーを巻くと、病室の扉を静かに開けて、入口の前に立っていたちひろさんに挨拶をして、その場を後にした。
 病院の外に出る。濡れた頬に冬の風はとても冷たかった。
 それでも私は、顔をあげて、笑顔で前へと歩いた。
---
56: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/19(水) 20:23:16.86 ID:MnCJ5f3U0
 あっという間に時間は過ぎゆき、プロダクションの冬のフェスの当日が訪れた。私たちユニットの五人はほかのアイドルの皆と一緒に円陣を組み、最初の曲を全員で歌った。そのあとのプログラム、私たちの新曲のお披露目では、フェスの全体衣装に加えて、それぞれがお花と葉のアクセサリーをどこかに身に着けてステージに臨んだ。
「……みんな、今までで一番綺麗に咲こうね」
 私たちの出番の直前、私の言葉にみんなが頷いてくれる。
「前の曲終わります、スタンバイしてください!」
 スタッフさんが私たちを呼ぶ。私たちは入場口の前に立った。
 くるみちゃんが不安そうな顔をする。当然だよね。こんなに大きなステージに立つんだから。
 くるみちゃんだけではなく、私も、きっとほかの三人も、皆不安を持っている。
 だから、私たちはごく自然に、それぞれがそれぞれの手を取った。
 それぞれの不安と緊張は、お互いの期待と感謝に包まれて、集中に変わった。
 大きな拍手と歓声が起こる。前のステージが終わったんだ。ステージライトが全部消える。スタッフさんが手で入場の合図を出した。
 私たちはステージへと進みだす。
 暗転したステージ上で前の演目のアイドルたちと交代し、ステージの床に貼られたビニールテープを目印に、それぞれの立ち位置に立った。
 振付の最初のポーズを取る。
 ステージのスピーカーと、左耳のイヤホンモニターから同時に曲のイントロが聞こえてくる。
 シーリングライトの光が降り注ぐ。
 背中から二階席に向かってレーザーの光が飛んでいく。
 私たちはゆっくりとマイクを持ちあげ、丁寧に最初の詩を音に乗せた――
 届きますように。
 大切な人達からもらったものを受けて咲く私たちが、誰かに大切なものを届ける。
 そうやって繰り返して、人も花も、ううん、この世界はすべて、続いていく。
 そして私たちのステージは、大成功に終わった。
 すべてを出し切った五人全員が、笑顔でファンの人たちに手を振って、次のユニットに交代するために退場した。
 袖から舞台裏に出てすぐ、私たちはお互いにハイタッチをして、抱きしめあって、感無量で泣きだしちゃったくるみちゃんにもらい泣きをして、それから楽屋へと戻る。
 楽屋に戻った私たちは目を疑った。
 楽屋では、プロデューサーさんが私たちを待ってくれていた。
 社員の男の人に身体を支えられてはいるけど、自分の足で立って、いつものグレーのスーツの上下を来て、同じ色のハットをかぶって、穏やかな笑顔で私たちを迎えてくれた。
「プロデューサーさん!」
 私たちはプロデューサーさんにかけ寄る。
「グレイスフルティアーズのみなさん、お疲れ様でした。素晴らしいステージでした。相葉さん、リーダーとしてユニットのまとめ、ありがとうございました」
「ううん、皆が頑張ってくれたおかげです」
 私はみんなの顔を見る。みんな、充実した顔をしていた。
「八神さんも、さらに上達しましたね」
「……ありがとう。でもまだ、これで満足するつもりはないわ」
 謙遜しながらも、マキノちゃんの頬はちょっと紅くなっている。
「小日向さん、メンバーをよく気遣ってくれていたと聞いています。お疲れ様でした」
「そんな、私なんて、夕美さんに比べたら……でも、ありがとうございますっ!」
「大沼さん、驚くほどの成長です。あの日、大沼さんに出会えてよかった」
「ふぇ、ぷろでゅーしゃー、あう、あの……くるみ、ことばが、でなくて……ふぇ、えええ」
 くるみちゃんが泣きだしてしまったので、私と美穂ちゃんが慌てて楽屋のティッシュの箱を取り、くるみちゃんに渡す。
「佐藤さん。長いあいだ、不安な思いをさせて申し訳ありませんでした。しかし、今のあなたは誰より輝いています」プロデューサーさんは目を細める。「これからも、期待していますよ。……『しゅがーはーと』さん」
「っ! ちょ、ちょっ、プロデューサー、そんなシュガシュガな不意打ちはめっ☆ だぞ、いつもの佐藤じゃ……っ、おいおい☆ ……そんなの、さすがに反則ぅ、だろっ、う、うぅぅ、うっ、うええええぇぇぇぇえ」
 はぁとさんも声をあげて泣き出してしまう。くるみちゃんが鼻をすすりながらティッシュの箱をはぁとさんに差し出し、はぁとさんはそれでマンガみたいな音を立てて鼻をかんだ。
 プロデューサーさんは、私たちを感慨深そうに見回してから、ひとつ息をつく。
「さて、申し訳ありません、もうすこしお話していたいところですが、医者から早く戻るようにと言われています。このまま、退散させていただくことにします。みなさん、本当にお疲れ様でした。私も面目躍如というものです。素敵なステージをありがとうございました」
 そう言ってプロデューサーさんはハットをとり、丁寧に礼をすると、社員の男の人に助けられて車椅子に座り、部屋から出ていこうとする。
「プロデューサー!」去り行く背中に最初に声をかけたのは、はぁとさんだった。「今まで、本っ当おぉに!」
「ありがとうございました!」
 深く頭を下げた私たち五人の声が揃い、プロデューサーは私たちに背を向けたまま、ハットを持ちあげて応えてくれた。
---
 そうして、プロダクションの冬のフェスから二週間ほど経って、年が明けてまだ間もないころ、私たちのプロデューサーさんは、お友達に看取られながら、穏やかにこの世を去った。
57: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/19(水) 20:24:39.56 ID:MnCJ5f3U0
---
 私達ユニットのメンバーはお通夜とお葬式に出席し、それから先は、ちひろさんから納骨や、そのほか様々のことが終わったことを教えてもらった。プロデューサーさんともう会えないという実感が現実味を帯び、そしてそのことが当たり前の日常と同化したころ、次の春がやってきた。
 木々は新しい葉をつけ、花を咲かせる。別れがあり出会いがあり、新しいことが始まる季節。慌ただしいけれど、うきうきすることも多い季節。
 私たちは、次のイベントに向けたユニット活動に加えて、個々人の活動も活発になり、忙しい日々を送っていた。
 それでも、水曜日の午後には、集まれるメンバーが集まって、お茶を飲みながら、打ち合わせやおしゃべりをする時間を取るようにしていた。
 ある水曜日の午後。今日はあまりメンバーの都合が合わなくて、私とはぁとさんだけの参加だった。プロダクションのビルの上階、給湯室に近い休憩スペースの一角で、私ははぁとさんと二人分のお茶を淹れて、テーブルまで運んでくる。
「きゃるーん♪ サンキュー、夕美ちゃん☆」
「どういたしまして。まだ熱いですから、気を付けてくださいね」はぁとさんに湯のみを渡す。「これで、私のぶんも、空っぽになっちゃいました」
「そっか」
 はぁとさんはちょっとだけ目を細める。
「あとはくるみちゃんのだけかー。まったく、遺品として茶葉ってなぁ、しかも缶じゃなくて袋詰め、完全に消耗品だっつーの☆」
 言ってから、はぁとさんはお茶をひと口。
「ふふっ、でも、プロデューサーさんらしいと思うなぁ」
 私もひと口。上品な甘みが口の中に広がっていく。うん。今日はいつもより上手に淹れられたかな。
 亡くなったプロデューサーさんは、私たちに一人一袋の緑茶の茶葉を残してくれていた。逆にそれ以外のもの、たとえばいつまでも形に残るようなものは、何も残してはくれなかった。
 構わず先に進め、というプロデューサーさんの遺志の形なんだろうと、私たちは受け取ることにした。
一方で、このお茶を飲むために水曜日の午後に集まることが、個々の活動でなかなか一緒に居られない私たちを繋ぎ続けてくれてもいた。これも、プロデューサーさんのプロデュースなのかと思うと、頭が下がる思いだった。
「はぁあ、あの駐車場もすっかり綺麗になっちゃったよなー……」
 はぁとさんは窓からプロダクションの駐車場を見下ろす。私たちが去年一年を過ごした社外の事務室は、その主が居なくなったことで取り壊しになり、警備員室は社屋内に設けられたスペースに統一された。
 窓から駐車場を見下ろすはぁとさんの横顔は、ちょっとだけ寂しそうだった。
「ほんとに、私たちだけになっちゃいましたね」
「そーだなー」
 二人で湯のみの水面を見つめる。
58: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/19(水) 20:25:54.91 ID:MnCJ5f3U0
 私たちのプロデューサーさんの遺品は、形に残らない。
 私たちとプロデューサーさんが居た場所も、もうない。
 私たちのユニットの活動のどこにも、プロデューサーさんの名前は残っていない。プロデューサーさんが私たちをプロデュースしてくれたことを知っているのは、私たちしかいない。
 プロデュースの証として残っているのは、私たちというアイドルそのものだけ。
「でも、だからこそ、頑張らなくちゃ、って思えます」
 私たちが胸を張って進み続けることだけが、プロデューサーさんの存在した証に私たちが敬意を表す手段なんだ。
「まったくぅ、マキノちゃんがこの前言ってた通り、最期にとんでもないプロデュースしてってくれたな☆」
 はぁとさんの言葉に、二人で笑う。
「あら、はぁとに夕美ちゃんじゃない」
 私たちのテーブルに、女性が近づいてきた。美城プロダクションのアイドル、沢田麻理菜さんだった。片手に売店のコーヒーのカップを持っている。
「あれ、何飲んでんの……緑茶? へぇー、はぁと、それは? ノースウィーティーなんじゃないの?」
 麻理菜さんは笑ったけれど、はぁとさんは得意顔で言った。
「なに言ってんだ、これは最ッ高にスウィーティーだろぉ☆」
「そうなの? ほんとわかんないわ、その基準」
 二人のやりとりを聞きながら、私はおかしくって、一人で笑っていた。
 それからは、三人でゆっくりとおしゃべりしながら過ごした。
「……さてと、はぁとさん、私、そろそろ行きます」
 お茶を飲み終えてからもしばらくおしゃべりに花を咲かせてから、私は立ち上がる。
「雑誌のインタビューだっけ? ガンバ☆ シュガシュガパワー、普段より多めに夕美ちゃんに分けとくぞ♪」
「頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
 私ははぁとさんと麻理菜さんに挨拶をして、湯のみを片付けてからエレベーターで地上階まで降り、エントランスを抜けてプロダクションのビルを出た。
「……っと」
 正面から出ようとして、足を止める。
 さっき話をしていたせいか、ちょっとだけ気になって、私はビルの前で方向転換をして、駐車場に向かった。駐車場の花壇は今年もアマリリスやナデシコ、ほかにもたくさんのお花さんたちが元気に咲いている。
「……うん。みんな、きれいに咲いてるね」
 そうか。私たプロデューサーさんが残したものは、ここにもあった。
 私は思わず笑顔になっていた。
「今日も、頑張ろうねっ!」
 お日さまの光を浴びて、誇らしげに咲くお花さんたちに声をかける。
 私も、みんなも、大切な人たちのくれた誇りを胸に、前を向いて咲き続けるんだ。
 私は空に向かって大きく伸びをして、歩き出した。
6.プロデューサー Camellia sinensis チャノキ(追憶)
『水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて』 ・・・END
59: ◆Z5wk4/jklI 2018/12/19(水) 20:31:16.06 ID:MnCJ5f3U0
おつきあいいただき誠にありがとうございました。
楽しんでいただけたならば幸いです。
関連作品「先輩プロデューサーが過労で倒れた」もよろしければお楽しみください。
時間軸を共有しております。
元スレ
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遊星「どんなカードにも使い方はあるんだ」龍亞「本当に?」パワーカードだけがデュエルじゃないさ
ヲタ「初音ミクを嫁にしてみた」ただでさえ天使のミクが感情という翼を
アカギ「ククク・・・残念、きあいパンチだ」小僧・・・!
クラウド「……臭かったんだ」ライトニングさんのことかああああ!!
ハーマイオニー「大理石で柔道はマジやばい」ビターンビターン!wwwww
僧侶「ひのきのぼう……?」話題作
勇者「旅の間の性欲処理ってどうしたらいいんだろ……」いつまでも 使える 読めるSS
肛門「あの子だけずるい・・・・・・・・・・」まさにVIPの天才って感じだった
男「男同士の語らいでもしようじゃないか」女「何故私とするのだ」壁ドンが木霊するSS
ゾンビ「おおおおお・・・お?あれ?アレ?人間いなくね?」読み返したくなるほどの良作
犬「やべえwwwwwwなにあいつwwww」ライオン「……」面白いしかっこいいし可愛いし!
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