太平洋戦争中の不思議な・怖い話『連れション』back

太平洋戦争中の不思議な・怖い話『連れション』


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2:
よく聞く話、以下コピペ
ある歩兵小隊が、敵の盛んな銃撃を受けて、竦んでいた。
背後に自軍の砲兵隊の陣地があるが、敵の砲撃に比べその活動は、どうみても活発ではない。
さらに、自軍の砲兵陣地に敵弾が落ち、沈黙した。
砲の援護もなく、最後かと思った歩兵小隊の背後から、一門の野砲だけが必死の援護射撃を開始した。
感動を勇気に、小隊は突撃し、敵を撃退した。その最後まで、たった一門の砲は吼え続けていた。
敵の退却を確認した後、小隊長は、礼を言おうと、たった一門の砲兵陣地に向かった。
砲の横で、最後の砲兵が敬礼をしていた。
背の低い兵だった。
小隊長は、まだ遠かったが、敬礼を返しつつ、砲に向かった。
だが、近づくにつれ、怪訝になった。砲兵の背が低すぎるのだ。
そして、最後の硝煙が晴れたとき、小隊長はようやく、あることに気づいた。
よくみると、その砲兵には、下半身が無かった・
120:
うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。
婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、
戦闘機に乗って戦ったらしい。
そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。
当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。
ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。
だれぞと声をかけども返事はなし、
しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。
婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、
「兄ちゃんか?」と叫んだそうです。返事はありませんでした。
その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。
そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。
婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。
遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。
婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。
「キミイよ。兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。
 この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。
 まずしくともよし、泥をかぶってもよし。かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。
 ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚されたときこそ、おこれ。
 黄色のりぼんがよく似合っていた。兄はいつも共にある。うつくしくあれ、キミイよ。」
 
婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを
毎日お下げに巻いていたそうです。
お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、
あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。
121:
>>120
遅番終わりでやっと帰宅した俺の涙腺をどうしてくれる・・・
124:
うちの叔父の話なんだが
シベリアに抑留されてて、最後の帰還船で帰ってきた
約7年抑留されてて、葬式も出したそうな
ただ一人だけばーちゃんが「絶対に生きてる」と言い張ってたらしい。
夢に出てきたんだと。
当時筑波にいたイタコさんに呼んでもらったら
「この人は生きてます、あの世にはいません」って言われたらしい。
この叔父さんは90歳越えてるけど、今も元気に畑耕してる
いつもニコニコして戦死した同志に生かせてもらっていると語ってる。
125:
>>124
シベリアは地獄だったろうな?。叔父さんを大切になさって下さい。
136:
終戦後の黒い噂だけど、ほら、よく悪役で意味も無く
部下を殴ったり虐待する最低な上司っているじゃん
そういう人を部下達全員で、戦地から帰る途中の船で海に突き落としたり
流れ弾に当たったってことにして殺害するケースが結構あったんだって
ちなみにうちの祖父ちゃんは終戦で部隊解散した後
部隊で散々虐めてくれた憎き上司を
背後から川に突き落としてそのまま逃げてきたとか・・・
141:
シベリア行った母方の爺さんの話。
抑留されてる所はえらい寒く、毎日、農地開拓みたいな過酷な労働させられて、
飯も満足に食べさせてもらえなかったんだと。
そんな環境だから、食事の時間になると酷いもんだったらしい。
少ない食糧を同朋同士で奪い合い、押し合いへし合いしてるうちに
踏みつぶされて、大怪我をすることは日常茶飯事。
あまりに意地汚く他人の食い物を奪う者は、労働中に事故に見せかけて殺されたりもした。
他の収容施設ではソ連兵がしっかり監視してるから、
捕虜同士が殺し合うなんてあまり無かったかもしれないけど、爺さんがいたところは酷かった。
家畜として飼われてるとしか感じなかったってさ。家畜同士が餌を奪い合おうが興味はなく、
暴動に発展しそうになったら2、3人見せしめに殺して大人しくさせたそうだ。
そんな最悪な所でも爺さんは生き残った。
142:
誰からも食い物を奪わず少ない残り物で飢えをしのぎ、見た目はガリガリの病人になった。
そこでタイミングをはかって仮病を使い、本国に送還されることを願って博打を打った。
果たして博打に勝った爺さんは、日本に帰ってくることが出来たわけだ。
爺さんが言うには、たった一個のパンで鬼になれる人間が一番怖かったんだそうだ。
一方、父方の爺さんは、南に3回も行って生きて帰ってきた。
戦争のことは一言も語らず、終戦を迎えた日に勲章や軍服を全て焼き捨てた。
「殺されるのも、殺させるのも戦争のせいなら、これほど怖いものは無いね」って爺さんに言ったら
「殺されるのも、殺させるのも人間のせいだ。怖いのは誰の中にもある鬼だ」って言われたよ。
以上、オカルトも無く、怖くもない長文すまんの。
143:
>戦争のことは一言も語らず、終戦を迎えた日に勲章や軍服を全て焼き捨てた。
なんか心が震えたよ
「戦争のことを語り継ぐべき」とか言うのも、人によっては酷な話だろうな
PTSDにもならず、終戦後の復興を黙々と支えてきた方々に目頭が熱くなる
150:
大叔父に当たる人が、シベリアから脱走して生還した話。
叔父は敬虔なクリスチャンの家系だったのだけど、千人針の代りに
ずっと叔父の父親から受け継いだ十字架のお守りを持ち続けてた。
捕虜になってからの悲惨な日々はこれまで書いてくれている人の話と同様。
食べ物はないし、着るものも、体を温めるにも、なーーーんにもない。
冬場は、死んだ仲間の墓を掘るにも土が凍ってて掘れないほどの寒さで
毎日、朝が来るたびに夜のうちに死んでカチカチに凍った死体を運び出しては
丸太を組んだだけの小屋に移動して、まるで薪のように交互に積み上げて置いとく。
死体は、春になって溶けてくる前に火をつけて燃やしたりしたが
凍土を渡る寒風のせいで、カラカラに乾燥してよく燃えたらしい。
そんな日々の中、どうせここにいても死んでしまう、食べ物を取り合ったり死体から服を剥いだり
何よりも人間としてあまりに尊厳のない獣以下の状態につくづく悲しくなって
ある日の深夜、叔父は決心して一人で収容所から脱走した。
151:
見渡す限り何にもない真っ暗な原野を、十字架のお守りだけを握り締めて走って走って
どっちの方角に向かっているのか、どれくらい行けばいいのかも分からず
ついに疲れと足の痛みと恐怖で気を失いかけた。
お守りを握り締めてこのまま死ぬなら、せめて天国に行けます様に・・・とお祈りして
もうダメだと挫けかけたとき、ふと、遠い原野の果てにチラチラと黄色い光が揺れている。
よくよく見ると、当時の巡礼が持っていた提灯と同じに、十字架が墨で描かれているのが分かる。
ああ、こんなところに巡礼の人が居る、あそこまで行こう、と思い直して立ち上がって又走る。
走って走って、又転んで立てなくなる・・・遠くを見るとやっぱり大きく左右に光が揺れている。
十字架にぬかれた提灯の光に、何度も何度も方角を示されては走り続け、
何時間もたった朝になる頃、叔父は荒野の集落の教会にたどり着いた。
そして、たまたま来ていた外国の巡礼の一行に合流して、そこから中国を経て帰還したとか。
真っ暗な闇に埋もれて走っていた叔父に向かって、いったい誰が提灯を振ってくれたのか
不思議でたまらず、今はもう他界した叔父にこの話をしたくなるのだけどかなわず、
たま?に思い出すたびに、神様っているんだろうか、なんて思ったりする。
152:
( ;∀;) イイハナシダナー
126:
八甲田山以外で旧軍の霊が出る場所ってどこがあるかな?(国内限定)
128:
>>126
埼玉県の現・航空自衛隊熊谷駐屯地
134:
>>128
陸軍の飛行学校があったんだっけ?
133:
>>126
硫黄島は有名だけど、一般人が立ち入るには許可がいるんじゃないかな。
134:
>>126
江田島には旧軍の水兵さんや訓練生の幽霊がよく出るらしい
127:
大阪・上本町の日赤が建て直す前は出たと思うが、今はどうなのかな。
後は大阪城にある陸軍第4師団司令部近辺か。
156:
戦時中の麻酔無しの手術が幽霊よりも怖い。
麻酔無しで腹を切られてショック死とか、
負傷した腕や足を切られて痛みにのたうち回るとか地獄絵図。
以前戦争体験談を集めた本を読んだけど、
医者や看護士も恐怖に泣き叫びながら暴れる患者を取り押さえて
麻酔無しの手術をしたと当時看護士だった人の体験談があったよ。
224:
奇跡的に成功した、キスカ島撤退作戦。
この作戦もオカルトっぽいが、軍医長の奇跡のジョークもなかなか。
226:
>>224
アッツ島の英霊たちが守ってくれたんだよね
228:
>>226
キスカ撤退作戦は本当に不思議だよな。
アッツからは万歳の声が聞こえたとかあるし。
231:
>>228
有名だよね、霧の中から万歳の声。無事撤退できて良かった。
225:
軍医長奇跡のジョークkwsk
227:
>>225
撤退時に、せっかく苦労して掘った病院壕をただで敵に渡してしまうのはもったいないと考えた軍医長。
部下に板切れを拾ってこさせ、一筆書いて壕の入り口に置いておいた。
撤退後、米軍が上陸し病院壕の入り口からその板切れを拾ってきて翻訳した。
そこには「ペスト患者収容所」と書かれていた・・・
米軍はあわてて本国からペストのワクチンを取り寄せ全員に注射したそうだ。
それを翻訳した米兵は後にペストから兵士達を救ったとして勲章までも貰ったとか。
数十年後、あれがジョークだったと知らされたその兵士の心情やいかに。
231:
>>227
サンクス!なかなか粋なジョークだな、その軍医さんw
229:
キスカ撤収作戦に従軍された元海軍主計将校が父の友人でその方から
直接うかがったことがあるが「あの作戦は偶然が重なって成功した。」
とだけおっしゃった。巷間言われているオカルトな話題は出なかった。
ただ、従軍された立場からすれば亡き戦友の加護を感じさせるなにか
があったとしても軽々しく語ることでもなかろうしむしろ全くその話
に触れられなかったことから量るに言いたく無いなにかがあったのではと思う。
作戦に向かう話は饒舌に語られたが作戦中は
「たまたま霧が晴れて接岸、兵員を収容後離岸直後に再び厚い霧が
立ちこめて敵からの視認は全く不可能であったろう。運がよかった。」
とだけ。また帰路については取り立てた話も無くまったく平穏であった、とだけ語られた。
ただ作戦に向かう途中なのか準備中なのか
タンカーと艦船をワイヤーでつないで航行しながら給油するらしい
がそのワイヤーが切れて作業員がまっぷたつになった話は聞いた。
知り合いのじいさんが戦中軍属でタンカー乗りをしていて
キスカ撤収作戦に従軍、その話は目撃したとのこと、ただし当時の
ワイヤーがものが悪くよくある話だった、ともうかがった。
オカルトが全く出てこなくて申し訳ない。
ただ切れたワイヤーが直撃するとダイハード3みたいに
本当に人間はまっぷたつになるようでそこが恐いっちゃ怖い話だ。
302:
いとこの家のじいちゃんのはなし。(かーちゃんからのまた聞きなんだが)
そのじいちゃん戦争で船に乗ってたらしい。
で、敵と戦って乗ってた船が沈んじゃったんだよ。救援はいつ来るかわからないけど、
とりあえず近くに浮いてた板きれにつかまって漂流してたらしい。
でもだんだんと体力もなくなってきて、時折ものすごい睡魔に襲われる。
うとうとしてきて、つかまってた板きれから手が離れそうになったとたん、
じいちゃんのお母さんが夢の中に出てきて、「起きなさい!」って怒られたそうだ。
じいちゃん、はっとして板きれにつかまりなおすんだが、また眠くなる。
そうするとまたお母さんが現れてどなられて目を覚ます、を繰り返したんだそうだ。
その後、無事に救援がきてじいちゃん助かったんだって。
あのときお母さんが叱ってくれなきゃ、自分は死んでた、って言ってたそうだ。
その時じいちゃんのお母さんが御存命だったかどうかは自分は知らないけど、ちょっと不思議な話。
331:
うちの爺様はボルネオのジャングルで、
1メートルくらいの巨大ナメクジを見たと言ってた
腹が減ってたが、とてもとても食う気にはならんかったそうだ
333:
>>331
南方系に送られた人はそういう話多いねー。
海軍でも海竜見たとかニューギニアでも翼竜見たとか話が。
戦時中でなければ大発見になっていたかもしれないよね。
334:
水木しげるも妖怪云々に覚醒したのは戦時だったらしいね。
335:
戦争という特殊な状況下で極限状態まで
追い詰められることによって、何らかの能力が覚醒して
普段は見えないものが見えるようになったってことかな?
(幻覚って可能性もあるだろうけど)
337:
>>335
いや、地雷か手榴弾か忘れたが
被弾して死にかけたんだ。その時なんか現れたらしいw
因みに片手はその時失った。
465:
原爆を体験した婆ちゃんの話。
その日は、運良く爆心地から遠くにいたから、直接はくらってないんだけど、
物凄い音がして、原爆が落ちたのはわかったらしい。
夕方?夜になり、爆心地方向の空を見上げると、
数え切れない程の青白い人魂が天に昇っていったんだと。
余りの数の多さに驚いて、ナンマンダブって拝んだらしい。
その後、住んでいた市内に戻った婆ちゃんは、
残留放射能で原爆症になっちまった。(´Д⊂
469:
俺のじい様は、第二次世界大戦時には陸軍中将だったらしい。
前線とかに視察に行っても比較的にいいもん食ってたんだって。
471:
>>469
いいもんってのは例えばどんなもん?
牛肉入りカレーライスとか?
472:
下士官達は大根の葉っぱ汁とか。
でも、将校クラスは白米や干し魚。
あと、じい様はウイスキーとかも隠し持ってたってさ?
鬼畜米兵だなんて言っておきながら、洋酒を嗜む将校達…。
500:
>>472
貴重な話サンキュー
腹いっぱい食える幸せを噛みしめてる
585:
かなり昔、終戦特集でサイパン島玉砕の特集を放送してた。
ある山の頂上に、日本軍が機関銃陣地を作って米軍を迎え撃つ戦闘の話だった。
米軍は山の麓からじりじりと日本軍に迫り、すさまじい攻撃を加えた。
日本軍の攻撃が段々なくなってきたが、たった一丁の機関銃だけ、
どんな攻撃を加えても反撃を止めなかった。
困った米軍は、空軍に爆撃を要請して飛行機で爆撃してもらい、やっと沈黙したそうだ。
山の頂上で米軍が見たのは、日本軍の軍服を着た若い女性の死体だったそうだ。
従軍慰安婦で島にいた日本人で、テレビでは名前まで言っていたが、
最後まで戦ったのが若い女性だったのがオカルト。
590:
>>585
タポチョ山の戦闘だったら実はタブーがあってね
しぶとく抵抗する日本軍に対して米軍が毒ガスを使ったという話がある。
もしかしたら、そういうセンセーショナルな逸話にすることで
事実の隠蔽を図ったのかもしれない。
632:
戦時中、俺の祖父は艦上偵察機・彩雲の偵察員だったが、
物凄いスピードでパッパッと縦横無尽に飛行し、
こちらを観察してるだけで攻撃して来る様子が無いので、
追尾してみると瞬時に消え去る飛行物体を幾度も目撃したそうだ。
祖父達搭乗員は新型米軍機だと思ったそうで、
上官に「敵は恐ろしく高性能の偵察機を開発した模様であります」と報告したと言っていた。
終戦後もあの「新型米軍機」の正体が気になって、
長い間調べ続けたが、そんな飛行運動をする航空機は当時も今も存在しないらしい。
きっと、祖父が見たのはUFOじゃないかと俺は思う。
636:
>>632
こういう話好き。 ロマンがある
749:
怖い話てか微妙だが・・・
うちの爺さんがいた戦場で敵の飛行機が毎日のように攻撃にきて支給されてた機関銃
じゃ命中しても効果ないで全然撃ち落とせなかったらしい。
あまりにも歯がゆいんでどうにかならんか部隊で相談したら、
どっかの歩兵部隊で無用の長物になってた、でかい対戦車用のライフルがあったみたいで
改造して連発できるようにして対空用にしたんだって。
んで、改造も終わっていようよ実戦投入の日、敵の飛行機がきたんで第一発を発射した瞬間・・・
パアーーーンって大音響がして、改造対戦車銃が暴発して期待して周りに集まってた
兵士5,6人が即死して期待の兵器は壊れたらしい・・・
その後、改造した兵士に全責任が押し付けられて、
その兵士はある日ぷっつりと消えて消息不明になってしまったらしい。
837:
>>749
九七式自動砲か
対空用フルオート改造はよく聞く話だが、暴発した話は初めて聞いた
813:
1944年、カミギン島の北方で日本の軍艦がモササウルスに遭遇した。
当時第二艦隊は西村祥治中将が指揮し、「西村艦隊」と呼ばれていた頃である。
その時モササウルスは、海上に頭を出して二枚のヒレを広げて泳いでいたが、
西村艦隊はいきなり砲撃を開始した。
ヒレの片方に砲弾が命中し、モササウルスは叫び声をあげて苦しんだ。
傷ついたモササウルスは逃げ始めるが、駆逐艦満潮はそれを追いかけた。
様子を見ていた乗組員によるとその生物は「巨大なワニのような姿をした」海生爬虫類
との事であり、血に染まった海へ沈んでいった」と報告されている。
820:
>>813
あ、その話俺もどっかで読んだ事ある。
嘘か本当かは判らないけど海を見るとありそうって思ってしまう。
ワクワクするし。
823:
>>820
俺もある。
ただ、潜水艦だった気がした。
817:
うちの祖母から聞いた話
正しくは戦後かも
沖縄戦で亡くなった弟の弔いに、ツアー?で行ったそうだ
戦没者の亡くなった場所や慰霊碑など写真を何枚か同行したカメラマンが撮っていたそうな
そして本土に帰って二ヶ月後
祖母に届いた手紙には、主催から注意がきがされ、お守りと一緒に写真が同封されていたそうだ
『これを渡すか迷いましたが、きっと彼等もご家族に姿を見せたかったのだと思います』
その写真を見た祖母は、その場で号泣したそうだ
慰霊碑の写真、その慰霊碑の脇から不自然な角度で人が整列していたそうだ
皆、軍服で敬礼をして
顔までくっきりと写っていた
拡大して見えたのは前から十人くらいったそうだがその中には戦志した弟の顔があった
ろくな写真がない中で「あれが唯一弟の遺影だった」と呟いていた
ちなみに祖父はプロカメラマンだったが、この写真は細工でも出来ないと呟いていた
824:
>>817
俺も似た話を聞いたことがある。職場の元上司が話してたんだが
伯父にあたる人が、南方の激戦地に戦没者慰霊に行った時、皆で
集合写真を撮ったそうだ。で、後で現像したら水筒を下げた兵隊
さんがはっきり横に写っていたらしい。元上司もその写真を見
たと言っていたから本当だろう。怖いというより可哀相だな・・・。
473:
大学の時の語学教授がマレー戦線へ通訳として従軍していたときの話。
マレーの人々が集まって、何か話をしながらいる。何をしているのかと思ったら
輪になって用を足しているのだな。煙草なんぞフカしながら雑談しながらしていたそうだ。
「なんだかなぁ?」と思いながらも大と小を同時に用足ししているのを見て、
「日本人には真似出来ねぇ」とかちょっと見下すような感じでいたそうな。
他の日本兵もどうやら同じように感じていたらしく、用足しはちょっとジャングルへ入ったところで
穴を掘って人目につかないようにしていたそうな。
そんな駐屯地で夜と云わず昼と言わず兵隊がいなくなる事件が続いた。
最初は夜営が居なくなったこともあり「脱走か?」という話で捜索が行われたが、
逃げ足がかったのか見つからなかった。
そのうち昼間でさえ居なくなることが頻出したので、
「このままでは軍の士気に関わる」ということで徹底した捜索が行われた。
程なく兵隊は見つかった、内蔵をごっそり無くした姿で。
そんな中、ウチの教授がまた輪になって用を足している現地人の話を漏れ聞いていたところ、
話題が日本兵の失踪の話になったそうだ。
現地の人の云うには、「わざわざ一人になってジャングルに入っていく日本兵が信じられない」と。
人が固まっているからマレー虎は襲ってこないのであって、幾ら銃を持っていても近接するまで
物音一つ立てない虎相手に銃身の長い38式歩兵銃は役に立たない
(虎を見つけたときは襲われているとき)し、なにより大小を別々にしている
日本兵は用足しの時間が長すぎると。一番無防備な瞬間を晒しすぎると。
彼の居る隊ではその話を参考に、ジャングルで用を足すのはそのままだが
穴を掘って便所の場所を固定し、必ず連れションを
するようにという軍命が出たそうだ。
474:
犯人は野生のトラかよ・・・それは怖いわ・・・
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