【ニュー速】そろそろ8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけback

【ニュー速】そろそろ8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ


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海沿いの軍需工場がある町に住んでいたら
沖合にアメリカ?の戦艦が来て辺り一面に艦砲射撃をかけた
撃ち込まれる砲弾がはっきり目視できる事が逆に恐怖だったと言う
着弾した地点はまるで神様が地面を手で掬ったかのようにごっそり抉れていた
建物が爆発して燃える、というような事は殆ど無く
大きな建屋なども巨大な鎌で雑草を刈るが如く
瞬時に砕けて吹き飛ぶ光景は今も忘れないという
今年92になるひいばあちゃんの話
5:
死んだじいちゃん…いっつもニコニコして優しいのに戦争の話聞いたら顔がひきつって「そのことは聞くな」と怒られた。今考えると悪いことしたよ…
10:
>>5
うちの爺さんは「支那では、ロシアでは」が口癖だったなぁ
戦地の話ばかりしてた
27:
>>5
おれのじいちゃんも一緒だな。
戦争の話は絶対にしないし、戦争のニュースとか話題ですごい怒る。
普段は超優しいのに、戦争の話題になると人が変わる。
でも自衛隊や米軍の救助活動には好感度高いから、純粋に反戦意識だけみたい。
124:
ウチの爺様と親戚の爺様は懐かしそうに語ってくれたな
親戚の爺様は満州事変の時に満州に居たそうで
深夜藪の中を行軍してた時に敵味方入り交じる型で遭遇、初めは双方ただ怒鳴って威嚇してるだけだったが
そのうち戦闘に発展、味方撃っちまうから銃は使えず混戦過ぎて銃剣すら振れない状況だったらしい
どう戦ったの?と聞いたら笑いながら一言「目ん玉と金玉だよ」と

8:
俺の爺ちゃんは空襲があると高射砲撃ってたけどB29の飛行高度が高過ぎて全然当たらねぇって言ってた
12:
>>8
俺のじいちゃんも同じこと言ってたわwww
旧型の高射砲だから高度6500までしか対応してないから言い訳程度に撃ったら即退避してたらしい
9:
祖父は軍曹だった
前線に出ず、東京で主計みたいなことをやっていたらしい
終戦後も、何かの事務があったらしくしばらくは残ったそうだ
かなりの少食で、あまり食べなかった
若い頃も同じだったらしい
戦時中、配膳の兵士に対して自分は少食だから盛り付けを減らすように言った
事情を知らない他の人間が上官の飯を少なくするは何事だと兵士を殴ったことがあったそうな
14:
近所のおじいちゃんの話だけど、宇品の工場で働いてた時に原爆が落ちて、でっかい機械の下敷きになって自分だけ助かったみたい。どうしたらいいのかわからず焼け野原の中、広島駅まで走って行ったんだって。
15:
うちの爺様は運送会社やってたんで、物資運搬やってたらしい
んで、後方担当だったからか無事生き残って帰還したんだけど、ヘビースモーカーだったから肺ガンで直後に死んじまった
そんで婆様「せっかく帰れたのに意味ない」とキレるという
18:
母ちゃんから聞いたが晩年も夢で見てうなされて起きることがあったらしい…怖い思いしたんだろうな…
19:
じいちゃんが満州に居た
終戦後にソ連が攻めて来て捕虜になりシベリア抑留で8年間ロシアで強制労働させられてた
労働中に事故で死んだ人も多かったそうだ
脱走しようとした人も居たが、すべて捕まり見せしめで仲間の前で銃殺されたそうだ
20:
うちのじーちゃんは海軍の偉い人だったんだけど神風特攻隊に行く直前で戦争が終わった
よかった、本当によかった
じーちゃん大好きだよ
25:
スズメ>メジロ>ロシヤ>野蛮国>クロパトキン>金玉>マカロフ>ふんどししめた>たかしゃっぽ>ぽん槍>陸軍の乃木さんが凱旋す
って歌が、死んだじーさんが子供の頃はやったらしい
俺はそれ聞かされていまだにそらで歌える…
26:
シベリアに抑留された軍医。日本人を診るのが仕事。嘘の診断をして早く帰国できるようにした。帰国後、先に戻した兵隊にお礼として京都のど真ん中に一軒家をもらった。
36:
生まれる前にいた親戚で、戦争での死亡は一名のみ
 
出撃しようとする飛行機のプロペラにぶつかって死んでしまった。
実家の親せきがそれを知ってるんだから戦死扱いにすらならなかったんだと思う。
でも俺は忘れないぜ。会ったこともないけど
46:
うちの爺さんは戦争もの大好きだったな
ドラマやドキュメンタリーは欠かさず見るし本も大量、月刊丸定期講読
零戦や大和のプラモ作ったり
ギブミーチョコレートとかふざけて言ってた
職業軍人だったからかな
50:
何年か前のスレにも書いたけどね
父方の伯父 ミャンマーで戦死 遺骨も戻らず
母方の祖父 満洲で戦死 以下同文
母方の大叔父 硫黄島で以下同文
全員民間徴用だ
負ける戦争はしちゃいかん
51:
うちの死んだばあさまは広島で看護婦をやってたから、グロ耐性がスゴイの。
後に小学生相手の語り部をやってたんだけど、余りに生生しすぎて途中で終わらされる事もあったw
「あんなのまだまだ生ぬるいのに」って怒ってたな。
そんな経験してきたばあさまだったけど。
一番辛かったのは、優しかったお兄さんが戦争でサイパンに行ったら人が変わってしまい。
最期は狂ってしまって事件を起こして警察に射殺されてしまったらしい。
ほとんど闇に葬られて、家族にも口外するなと圧力をかけられておしまい。
死ぬまで「兄さんにあの世で謝らないと」と、引きづっていたな。
130:
>>51
サイパンはなあ
狂うだろうな。気の毒に
俺のじいちゃんの弟は広島の原爆投下時に爆心地近くの病院にいたけど
階段の踊り場にいたから放射線をほぼ浴びずに済んだ
見てきたものは悲惨極まりないものだったからか、決して語ろうとはしなかったけれど
53:
親の仲人やってた近所の爺ちゃんが元日本軍特殊部隊
潜水艦でアメリカに上陸し破壊工作を行う部隊に所属していたが、訓練中に終戦
今年で確か93歳だが、こないだも畑を手押し耕運機で耕してた
背筋も全く曲がってない
特殊部隊に選ばれるフィジカルエリートってスゲーわ
73:
ばあさんは広島で日産か何かの工場の倉庫にいるときに原爆落ちたと言ってたな
凄惨な光景だったらしい
皮ビローンとか川に死体の山とか
じいさんは被爆者の遺体の片づけ
75:
父方祖父:満鉄事務員だったけど終戦間際に再招集。あちこち移動してるうちにソ連兵と日本兵がごっちゃになって歩いてる行列に合流してそのままシベリア送り。伐採地や炭鉱を転々とした挙句アクチブの新聞発行の下働きになって足掛け4年でダモイ
77:
>>75
苦労したなあ
80:
だいたい喋らないんだよ
喋りたくないんだよ
だからべらべら喋ってる年寄りの戦争話は
話半分で聞いたほうが良い
104:
>>80
本当にこれ。
普段ものすごい優しくて近所でも慕われてるじいちゃんなのに、戦争の話題だけは禁句だった。
一切口にしなかったし、そういった類の映画もテレビのドキュメンタリーも嫌った。
泣きそうな顔で怒ってるのも見た。
ばあちゃんの話だと何処か戦地に行ってたことは確かなんだけど、ばあちゃんも詳しくは教えてくれない。
じいちゃんはどんだけ地獄を見たのか親父も孫にも語らない。
墓まで独りで持って行くつもりだ。
123:
>>80
いやそれは間違いじゃないんだが、死期が近付くからなのか弱りだしてからはベラベラ話すようになったわ
自分がした悪事は言わないんだろうけどw
81:
傷痍軍人で天皇から賞状もらって凄いんだぞとか言ってたけど、
これって本当にすごいの?
83:
>>81
すごい
96:
じいちゃんがシベリア行ってたけど、ほとんど話してくれなかった
ロスケは雑で労働なんかしなくて隠れててもバレなかったと聞いた
105:
うちの爺さんは石垣島に行った
そこで建物の壁越しに機銃で撃たれたが、板壁とくるまっていた毛布のため痣ができる程度で済み、その弾丸をお守りとして持っていた
109:
死んだ爺さんは小学生の俺が聞くとノリノリで話してたな。
夜襲にあって逃げるときに後ろから撃たれる弾が赤く焼けてるから
飛んでくるのが見えるとか、その弾が地面に刺さるときに草が
チリっと燃えるとか。
スゲーリアルな話を聞かせてもらったわ。
113:
うちの爺ちゃん中国から帰ってきて九州防衛に行く途中で
原爆落ちて大阪で足止め食らってそのまま終戦
弟が名古屋空襲で死んでるのに死亡フラグ全部回避する強運
生き残るやつはこういうやつなんだよな
115:
うちの爺さんは特攻の生き残りだったな
待ってる間に終戦だったが、今よく言われてるような無理矢理だったりパワハラ的に志願したわけでもなく、単に兄弟多かったから俺が行くのが役目だと思ってただけで、そういう時代だっただけなんだと言ってたな。
死んでから千人針やら署名入り国旗やら出て来て処分に困ったわw
134:
ばあちゃんが朝から蕎麦を食ってたらピカドンが落ちて
衝撃で丼が頭に帽子みたいな感じで被さってきてコントのような状況になったらしい
そのまま蕎麦まみれで逃げたけど、おかげで食後の楽しみにしていた羊羹が食えなくなった
それ以降、ばあちゃんは死ぬまでデザートを真っ先に食べる習慣を続けたそうな
140:
うちのじいちゃん13人兄妹の長男やったらしいんやけど
13人のうち下の4人は戦時中の爆撃で死んで
一番優秀だった次男が飛行機乗りになったと思ったら
零戦で突撃して死んだらしい
じいちゃんは地主の長男だったからその辺勘案されて戦地に飛ばされなかったけど
自分が戦地に行くべきやったといっつも相撲見ながら晩酌しつつわいに話し取ったわ
144:
じいさんはフィリピンだかで通信兵やっててその辺になってる果物食いまくってたら終戦時ふつうに太ってたらしい
147:
近所のじいちゃん、普段は寡黙。ちっちゃくてかわいいじいちゃんだった。
20年前の町内会のどぶ掃除。終わった後の慰労会。
ムッちゃんそーいや、南方行ってたんだよな。どんなだったの?
命がらがらだよ。俺の乗ってた艦か沈んでなァ、俺ァ隊長についてったから助かった。でも、同じ隊長についてったヤツも鉄兜脱がなかったヤツぁひとり、また、ひとりと暗い海に沈んでなァ。
穏やかな表情で淡々と語る爺さんの迫力にその場の皆、なんも言えなかった。
149:
うちのじいさんは日中戦争で撃たれて弾が下腹を貫通した
運良く死ななかったけど、歩くと下腹が痛むみたいで、体を揺するようにして歩いてた
下腹にはいつもさらし布を巻いていた
じいさんが死んだとき、その布を形見としてもらった
157:
結構話してくれてたはずだけどしっかり話聞いとけばよかったなぁ
じいちゃんは軍基地かなんかでいたらしい
服とか自分で洗濯して干すけど何故か無くなる、無いと言ったら上官に無い人が怒られるから取り合いだ、盗人とか言ってられんって笑ってた
ミサイルあたって右腕無くしたけど何とか帰ってきた後は仕事も見つからなくて大変だったみたいだけど起業した
ほんとガッツあるわ
185:
うちの爺さんは頭に榴弾が被弾して軍医が諦めて放置したら奇跡的に意識が戻った。
しかし、榴弾の破片が脳内に残っていた為に色んな後遺症で苦しんだ。
数年前死去した際に、息子達が火葬した後残っていた榴弾の破片を拾って、[これでやっと頭痛から解放されるね]って聞いて泣いた
186:
>>185
生きてる間に何とかしてやれよw
最後のセリフ酷すぎw
222:
>>186
当然色んな病院にあったがリスクが高すぎて本人が承諾しなかった。
手術しなくても発作的な痛みが軽減出来るように色々尽力したが効果的な治療が無かった
223:
ばあちゃん
じいちゃんと結婚→3日後じいちゃん出兵
→じいちゃん不在の嫁ぎ先で家事から農作業、機織りまでこき使われる
→市街地から来る人間に高額で米や野菜を売って一家を養う
→じいちゃん帰ってきたけど顔忘れてて出迎えしなくて義母に怒られる
→93歳老衰で逝去
242:
おれ40歳の団塊ジュニアのちょい下なんだが、団塊世代の母親が壮絶な幼少期だったな
まずサハリンで生まれて帰国事業で船の中でバタバタと死ぬ中やっとのことで北海道にたどり着く
生き残った家族5人で北海道の未開の森の中に斧一本で住み始める
父親(俺の祖父)が木を切り倒して家を作る
森以外を知らないで育ったが、そこが村になり町になった
今は廃れた町だが当時は遊園地もあってバブルのように発展した町だったらしい
243:
どうやらうちの爺様は
軽空母龍驤の乗組員で
沈没した際泳いで逃げたらしい
まぁ最寄の救難艇に拾われたんだろうが
ぶっちゃけ
じいちゃん、乗ってた空母の名前は?ん?りゅうじょう!
ってだけのやり取りだったからもうちょい詳しく話し聞いとけばよかったと
ちょいと後悔
248:
山形の田舎だけど伊達の家臣だった武家の子孫の豪農の蔵に憲兵が供出
(金属をかき集める)にきて蔵の武具を根こそぎ持っていったんだって。
蔵の金庫には門外不出の妖刀が眠ってたんだとさ。
伊達家の側近で罪人の首を跳ねる役回りや戦では先陣を切るような武士
の家に伝わる妖刀で憲兵がその刀をもって引き上げたあとに事件が起こ
った。
その刀を手にした憲兵の一人の気が触れて同僚を2人斬り殺して射殺さ
れたそうだ。
刀身6尺の斬首刑に使われた刀は今もその屋敷の蔵に眠っているそうだ。
夏の夜にじぃちゃんが毎年はなしてくれた。
249:
曾祖父が町の名士で、業績を祝して銅像が建てられたのだが、戦争中に金属供出で撤去され、代わりに軍が金を出して石碑が建てられた。
そのせいか知らんが、戦後しばらくは博多大空襲の日にその石碑の前で慰霊祭が行われていたそうだ。
曾祖父は農業関連で財を成した人なんだけどね。
256:
ひいじいちゃんが24歳の時(1943年秋)に召集が来た。
妻と幼い長女を残して向かった先は、水戸にある歩兵第二連隊。
いまのひたちなか海浜公園あたりにあった練兵場で訓練を受け、
その後に北支戦線に投入、戦車に乗って八路軍と戦った。
(歩兵第二連隊の中でもペリリューに送られた部隊は悲惨だったと聞いた)
妻と子の写真をいつも胸ポケットに入れていたらしい。
北方防備のため転進した満州で終戦を迎え、侵攻してきたソ連軍につかまり、
現カザフスタンにある精錬所で過酷な労働を強いられた。
食事が少ししか与えられずみんな死んでいって、ひいじいさんは
捨ててあったアミを精錬所の厨房裏にあった排水溝の出口に設置しておいて、
流れてくるコメ粒、肉の切れ端や野菜くずを集めて食べていたらしい。
本当にみじめだったと言っていた。
何年か経った後、帰国の命が下り、輸送船で祖国・舞鶴の地を踏み、
実家で家族と涙の再会を果たしたそうだ。
このスレに来て思ったけど、もっと多くの話を聞いておけばよかった。
259:
>>256
帰ってこれてよかったなあ
ウチのジイさんは中央アジア方面に連れていかれた後、北朝鮮に送られた
1947年に亡くなったそうだよ
92:
俺たちみんな、生き残りの子孫なんだよな
94:
>>92
だよな
101:
>>92
うん。うちのじーちゃんは戦争に行かなかったが、その前のご先祖様は旅順で散っている
国からもらった掛け軸とメダルと記録が仏壇に大切にしまってある
35:

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