青葉「けしの花びら、さえずるひばり。」【後半】back

青葉「けしの花びら、さえずるひばり。」【後半】


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6:
加減はどう?あはは、でも喋れないかあ、喉潰して猿轡だもんね。
一生懸命あんたの事探したのよ?あの子のSNSの友達とかフォロワー辿って。あんたがクロだって確信得るには、相当頭使ったけど。
あんた女癖悪い癖に、逆ナンなんて引っかかるんだね。
ま、『イカせてあげる』のは間違いないしね。のこのこ引っかかってくれてありがとう。
ふふふ…ねえ、私って何のお仕事してると思う?艦娘だよ。
艦娘ってさぁ、何も銃の扱いとか戦闘ばっかりやってる訳じゃないの…例えば体術の基礎に、捕縛術なんかも習ったりする。
あんたをそうするのに使ったのは、それなんだよね。
お、何か思い出したね。艦娘って聞いたからかな?真っ青な顔してるけど。
くす…あんたの元カノも今そうだもんね。『初めて』奪ってポイしたあの子も。
このクズ。
私ね、あの子が大好きなんだぁ。
私って男も女も両方行けるんだけど…それに気付いたの、あの子がきっかけ。
でも違いはあるよ?女の子は愛でたくて、男の子は……ふふ。
…でもあんたはね、それ以前の問題なの。許さない。
あの子強がってるけど、あんたのせいで凄くトラウマになってるんだもん。
267:
ほら、女の下着姿だよ?私が着替えるまでにせいぜいおっ勃てなよ。
ふー…さて、何で私は黒い上下に着替えたんでしょうか!
正解はね……今からあんたで遊ぶから。
刃物って、結構簡単に錆びちゃうよね…これ見てよ。
このちっちゃい鉈ね、近くの家から借りたんだけど…これだけ錆びてても、切れないわけじゃないの。でも『ちょっと切りにくい』んだよね。
さてさて、息子さんを拝見しますよっと…あはは、大したモノじゃないね。
ん?何するかわかっちゃった?
そうそう、こんな悪いモノはバイバイしなきゃねー…っと!!
へー、柔らかいからかな?結構切れないもんだね。
ん?……いいね!これじっくりやるには最高だよ!ほらもういっちょ!!
あは、ちょっと切れたね、三分の一ぐらいかな?でもあの子はもっと痛かったと思うよー?女の子の初めてって、そんなもんじゃないもん。
今は一回ずつやったけど……今度は前後させてみよっか?ゆっくり…ゆーっくり……ねえ、ダメだよ男の子が泣いちゃ!我慢するの!
おー、半分くらいまで入ったね!もうちょっと頑張って!ほら!ほら!!
あっ……もう切れちゃったかぁ。力入れすぎちゃったかな?
まあいいや、まだ切るとこあるし。
え?当たり前じゃん。男の子は切るとこもう一個あるでしょ?。さ、もう少し頑張ろっか?
268:
………さて、終わったね。大好きな女の子になった感想はどうでしょう?
うんうん、泣くほど嬉しいんだね!じゃあそろそろ解放してあげるよ。
人生から。
え?逃すわけないじゃん、捕まっちゃうもん。
これだけベラベラ喋ったのは、冥土の土産ってやつだよ?
任せてよー、しっかり楽にしてあげる!私達って殺しのプロみたいなものだよ?艦娘ってしょっちゅう人みたいなの殺してるし……
それに私、人も3人殺っちゃってるしね。
そうだね、一人は崖から落として…もう一人はちょっと家に仕掛けして……でも大丈夫!あんたは一番好きなので殺ってあげるから!
ふふ…銃器も悪くないけど、やっぱり刃物が一番いいね。
そう、首から吹き出る血は良いんだよ…あったかくて、抱きしめてもらってるみたいで……まあ、あんたの血なんて浴びたくもないけど。
気に入らない奴殺すの、あの女以来だもん。
これも借りて来たんだけど……いいでしょこの鎌、ほとんど新品なの。
よく切れるよー?スパッと行っちゃえば、あっという間に天国だよ。
嬉し泣き?うんうん、大好きな女の子にもなれて、天国にも行けるんだもんねー。
安心してよ…あんたの死体、お似合いな感じにしといてあげるから。
……っと、あんまり長話してると誰か来ちゃうかぁ。
じゃあ、『逝かせて』あげるね。
269:
待ちに待った今日が来ました。
起きたら携帯に連絡が来てて、それは到着予定の報せ。
その時間に合わせて準備して、今か今かと車が来るのを待っています。
あ!来た!
「おかえり!」
「ただいま。待たせたね。」
助手席に乗り込めば、ずっと会いたかった人の横顔。
疲れも取れたのか顔色も良くなっていて、胸を撫で下ろしたものでした。
「温泉どうだった?」
「良いところだったよ、教えてくれてありがとう。
でもいざ休んでみると、案外疲れてたってわかるな。お陰様で体調が段違いだよ。」
「ふふ、自覚無いだろうけどいつも頑張ってるもん。」
熱さを表に出す事は無いけれど、彼の指揮や作戦は、常に艦娘の負荷と勝率のバランスを考え抜いたものでした。
如何に無駄な犠牲や疲弊を出さずに敵を倒すか、そこが前提にあるのは皆感じていて。
例え人としては近寄り難くても、それが彼が支持を集めていた理由。
感情に問題を抱えていた頃からそれは変わらなくて、そこには彼の本質的な優しさがある。
でも、いつも無自覚にそこまで考えてると、やっぱり疲れちゃうよね。
良いガス抜きになってくれたなら、温泉を教えた甲斐もあるってものです。
今日のデートは、そんなに遠くには行きません。
ふたりでいられる事が、何より大切ですから。それが青葉からのお願いでした。
…それに最後に、行きたい場所もありますし。
艦娘になって1年半ぐらいになりますが、実はこの街で行った事がない所もあって。
今日はまずはそこに行ってみる事にしました。
ふふー、そこはですね…動物園です!
270:
「お…おお…おー!」
……やばいです。これぞ天国です。
何なのこのかわいさのかたまり。召されそうです。
アルパカ…フクロウ…はは、とどめにオオカミの子供…あ、だめ、パンフ見ただけで鼻血出そう…。
「おーい、帰ってこーい。朝潮型の探照灯が動く顔だぞー。」
「………はっ!?」
誰が呼んだか通称防犯ブザー。
いけないいけない、思わず顔が緩んじゃいました…で、でも…これは……。
「お、あっちにふれあいコーナーがあるって。行ってみるか?」
「行く!!」
いやぁ?、やっぱりかわいい動物目の前にしちゃうとだめなんですよねぇ。
それでふれあいコーナーにいたのはうさぎ。
青葉は膝に乗せて撫でていたのですが、隣を見てみると…。
271:
「お?おお?」
「あはは、よじ登られてるじゃん!」
丁度彼のお腹に張り付くように、うさぎがぴょこんと。
懐かれたんでしょうねぇ、うさぎを撫でる彼の顔は、随分と穏やかで。
少し前ならそんな顔も見れなかったんだよねって、感慨深くなりました。
ふれあいコーナーを出て、次に行ってみたのはハシビロコウのコーナー。
動きませんねぇ…うーん、何かこの目付き、既視感あるんだよなぁ。
あ!あの子だ!
「この眼光誰かに似てるんだよな…誰だろ?」
「……ハシビロコウに何か落ち度でも?」
「んっふ!?やめろっての!あいつの顔まともに見れないだろ!?」
「ふふ…司令、ハシビロを怒らせたわね!」
「本人に言うなよ?」
「言わないよーだ。」
ふふ、不知火ちゃんには悪いけど、面白い瞬間見ちゃいましたね。
この人の吹き出しそうな顔なんて初めて見ましたよ。
よく晴れた、なんて事は無い日ですけど。青葉はこんな日が一番好きなんですよ。
うーん、落ち着くなぁ。日常って感じ。
272:
その後も色々な所を見て、他愛も無い話をしたものです。
それで最後、一番楽しみにしていたオオカミのコーナーに向かったのでした。
「………かわいすぎる。」
語彙力が轟沈しました。
もふもふ…ああ、天使がいる…。
「ふふ、顔が溶けてるぞ?」
「あんなかわいいの見たらだめだよー。私、イヌ科が一番好きだもん。」
「お、顔かじってるな。何だあれ?」
「あれはね、オオカミの愛情表現ってやつだよ。ああやって顔全体甘噛みするの。」
「へー、なるほどな。」
「あー。」
「口開けてどうした?」
「かじられる?」
「はは、俺たちじゃホラーになるよ。」
こんなバカなやり取りが、本当に幸せです。
一眼の中身は着々と増えて、そこには動物たちだけじゃなく、彼の写真もたくさん。
どれも大切な思い出になるけど、それでもやっぱりこの瞬間には勝てないや。
ふふ…オオカミ、実物見るとやっぱり愛情深い生き物だなぁ。
今日はそこまで人もいないね…じゃあ、これぐらいならいいかな。
「えいっ。」
「……ふふ。」
こっそりとじゃなく、敢えて彼にバレるように手を繋いで。
優しく微笑んで、手を握り返してくれました。
275:
その後は隣の公園に移動して、少し一休み。
原っぱの真ん中に大きな木があって、そこでぼんやりとしていました。
んー、いい天気。お昼も食べたし、ちょっと眠いなぁ。
「ふぁ…。」
「膝使うか?」
「いいの?じゃ、お言葉に甘えて!」
彼の膝枕で横になると、木漏れ日と青空が。
優しく髪を撫でてくれて、それは何とも眠気を誘うものでした。
「は?…。」
思わずだらしない声が出ちゃうぐらい、癒される瞬間。
うーん、これはこれは……むにゃ……
「…………はっ!?今何時!?」
「15時。よーく寝てたぞー。」
「…ごめんね、重かったでしょ?」
「いやいや、良いもの見れたし。ほら。」
「あ!そ、それは!」
してやったりな顔で見せられたのは、なんと私の寝顔写真。
げ!?よだれ垂らしてるし!
「う?…誰にも見せちゃダメだよ?」
「見せないよ。むしろ他の奴に見せてたまるかっての。」
「……ばーか。」
素でそんな事言うんだから、もう。
276:
その後車に乗り込んで、移動しようとした時の事でした。
前は無かったあるものが、フックに引っ掛けられてるのを見つけたんです。
「“JUNICHIRO GOTO”…ジュンのドッグタグじゃん、どうしたのこれ?」
「前掃除してたら見付けたんだよ。階級が違うだろ?あの時付けてたやつさ。
交通安全のお守りにって思ってな。」
手に取ってみると、落としてはあるけど血錆の跡が。
…この時を越えて、この人の今があるんだね。
「日が落ちるのが早くなったな。」
「ほんとだ。もう冬になるね。」
「夕暮れが見頃な時期だよ。」
そして車はある場所へ。
ここはこの時間にこそ、どうしてもふたりで来たかったんです。
カフェの近くにある、あの大岩の上。
寂しい場所だけど、ここは大切な場所ですから。
277:
「………すごいねぇ。ここ、こんなに見えるんだ。」
岩に登ると、今まで見た事もないぐらいの夕焼けが目の前に広がっていました。
真っ赤だなぁ…しばらく一眼を取り出すのも忘れるぐらい、その光景に見惚れていたものでした。
「今年一番だな。今日はついてるよ。」
「そうなの?」
「ああ、いつも以上の夕暮れだ。」
「ふふ…ラッキーだね!」
「全くだ、生きててよかったよ。」
隣同士で座って、私は彼に寄りかかって。
この光景をそんな風に見れて、その言葉を聞けた。
少し前までは、叶わないと思っていた事が現実になった瞬間でした。
天国と例えるなら、あの曇り空の寂しい日じゃなくて、きっと今日みたいな日を言うのでしょう。
夢みたいだなぁ…でもこれ、現実なんだ。
「あーかーいーゆうひをーあーびてー…♪」
子供の頃以来に聴き返して、大好きになった歌があります。
それは、楽園と言う曲。
「まさに今日の歌だな。」
「ふふ、ほんとにね。
ねぇ、ジュン。色々あったけどさ…」
色々な事がありました。これからもたくさん、辛い事もあるでしょう。
愛と勇気と絶望を、この両手いっぱいに。よく言ったものです。
それでも。
278:
「……ふたりなら、どこだって楽園だよ。」
279:
消えない過去も、未来を疑いたくなる瞬間も。
これから何度でも訪れるでしょう。
でもあの歌の通り、それだけじゃ悲しすぎるよ。
私はいつも、あなたのそばにいるから。
280:
「ふふ……あっはっはっはっ!!!こりゃ一本取られたな!
確かにそうだ!だけどな!!」
そう言って立ち上がると、彼は手を大きく伸ばしてこう言いました。
「君が思うほど弱い男じゃないぜってなぁ!
この戦争勝つぞ!俺がお前ら全員沈ませねえからな!」
こんな事を叫んで、彼は初めてその顔を見せてくれたんです。
いつか扶桑さんに見せてもらった写真と同じ、私がずっと見たかったあの笑顔を。
それはどんなにいいカメラよりも、私の記憶の中に強く焼き付いたのでした。
「……なぁ。」
「なぁに?」
「気の早い話だけど…もしこの戦争が終わって、お互いその後が落ち着いたらさ。
その時は、一緒に暮らさないか?」
「………うん!約束だよ!!」
ちょっと、涙目になっちゃいましたね。
でもこの時は、それよりも嬉しさの方が勝って。
きっと私も、いい笑顔を見せられたんだなって感じたものでした。
いつかこんな日が、日常になりますように。
そんな事を願いながら。
281:
「青葉ー!」
「ガサ!おかえりー!」
「ただいまー!久しぶりに青葉分補充するぞー!」
「あはは、何それー。」
部屋に戻ると、ガサも帰ってきてたみたいで。
物音に気付いたのか、私の部屋に入ってきました。
じゃれつかれるのも久々だなぁ、うん、いつも通りの日常が帰ってきた気がします。
「あれ?シャンプーの匂いするね。
そう言えば提督とデートって言ってたね!ははーん、さてはさっきまでおたのし…」
「言わないでよばかぁ!!」
もう、たまーに下ネタひどいんだから。
……ま、まあ、その通りだけどさ…うう、言われると何か恥ずかしい…。
それでガサが部屋に戻った後、何となくあのドッグタグの事を思い出したんです。
うーん、何か引っかかるんだよね…ジュンの名前が載ってるだけなんだけど…。
その時はまあいいかって思って、そのままいつも通りに過ごしてたんです。
でもこの時、引っかかりの正体を思い出すべきでした。
JUNICHIRO GOTO…イニシャルにするとJ.G。
かつて彼の命の危機の側にあったドッグタグ。そのイニシャルは…
『ジャガー』とも、略せるって事に。
285:
艦娘になって8ヶ月目ぐらいの、ある出撃の後だったかな。
帰投の途中で濃霧に巻かれて、私は艦隊からはぐれちゃったんだ。
そんな死亡フラグみたいな状況になったら、案の定敵とかち合っちゃって。 不幸中の幸いか、ザコしかいなかった。
でも急にそんな事が起きたら、気が動転しちゃったの。
だから抑えられなかったんだよね。
それで交戦して、一通り殺っちゃった後。
濃霧じゃあんまりGPS効かないし、晴れるまでひと息つこうと思ってた時の事。
「衣笠!………ひっ!?」
……あちゃー、見られちゃったかぁ。
その後しばらくしたら、陰じゃ衣笠とすら呼ばれなくなってた。
誰が呼んだか、『死体蹴りのマユ』。
艦名じゃなく本名を陰口に引っ張ってきたのは、皆同じ艦娘だって思いたくなかったからなのかもね。
286:
異動の話が来たのは、それから2ヶ月後。
当時の提督は、その話をしてきた時「守ってやれなくてすまない。」と頭を下げて来た。謝る事なんて何も無いのに。
後で知ったけど、その後他の『衣笠』の適合者があそこに着任したらしいね。
……穴埋めは必要だよ、うん。
異動先の鎮守府には、翌月の引っ越し前に挨拶に行った。
どんな人だろ?…へぇ、この人私と同じ匂いがするね。
気 に 入 っ ち ゃ っ た 。
いつか『加えてもいい』かもしれないね。
その後の4月だね。
私がコレクションじゃなく、そこにいたいと思ったあの子に会ったのは。
ふふ…でもね、私はよくばりなんだ。だから考えたの。
どっちも何かしらの形で手に入れる、一番の方法を。
それがうまく行けば、私はやっと……
287:
闘いの中にはあれど、それ以外は平穏な日々。
あのデートからしばらくは、そんな毎日でした。
そんなある日、他の鎮守府の手伝いにガサと行った帰り道。
青葉達はいつものように、海上を移動していたんです。
「ガサ、この前あった注意って読んだ?」
「弱った姫級の話?確か出没地域、ここからは遠かったよね。」
「記録としてはね。でも出没地域はバラバラだけど…日本そのものからは離れてないみたいだよ。
最初海外の方で戦闘があって、その時取り逃がした個体みたい。気を付けよ。」
「ふーん…まあ、大丈夫でしょ!撃沈手前の状態って聞いたし。」
今思えば、こんな会話をしていた事自体フラグだったのかもしれません。
それから少しした後、レーダーに反応があったんです。
288:
「ガサ!待って!噂をすればお出ましだよ…この反応、姫クラスだよ。」
「マジで!?まずいね…ルート避けよっか。」
「うん、北に切れば上手く…嘘!?凄いスピードでこっちに来てる!!早く行こ!!」
一気に緊張感が押し寄せて来ました。
弱ってるとは言え、こっちは重巡二人…もし敵が少しでも攻撃可能なら、タダじゃ済みません。
でもまるで犬が追いかけるかのように、敵のルートは最短でこっちに近付いて。
こうなれば一か八か、敵が限界まで弱ってるのを祈って砲のロックを外しました。
どうか間違いであってほしい。
そう思いながらモノクル型のスコープを付けて、近づいて来る影を確認しました。
あれは…防空棲姫!?艤装は無いし、ぼろぼろだ…噂の個体で間違いない。
でも……あんな顔だったっけ?
いや、とにかく先手必勝…追いつかれる前にカタを付ける!
1.2.3!ちっ!かすっただけ!それでもえぐったはず…
…嘘!?太ももえぐったのにまだ来る!?
とうとう現れた防空棲姫は、肉眼で見ると凄惨な様を呈していました。
全身は傷だらけ、さっきえぐった脚からは骨が見えていて…何より目に付いたのは、破れた布から覗く、首に走った真一文字の縫い跡。
そして目が合った瞬間、青葉は得体の知れない感覚に呑まれて。
一瞬、動く事が出来なくなってしまいました。
……なんで、あいつは泣いてるの?
両手を広げて近づいて来るその姿は、余りにも切実な何かを感じさせました。
ここで死ぬんだ、そう思った時。
私ではなく、ガサの方へと向かったのです。
「ガサ!!逃げて!!!」
だめ!間に合わない!!
それでも必死に手を伸ばした、その直後の事。
289:
「アイ…チャン……ママヲ、ユルシテ…。」
290:
防空棲姫は、攻撃をするでもなく。
何かに縋り付くかのように、ガサを抱きしめたのでした。
291:
「…………やっと、見つけたよ。」
その直後。ズドンと言う音と共に、内臓が音を立てて飛び散ったのです。
それは、ゼロ距離からガサが放った砲撃によるものでした。
「ア、イ………チャン……。」
「ふふ……あははははははははははははははははははははっ!!!!!
………その名前で……その名前で私を呼ぶなぁあああああああああっっ!!!!!!!!」
この時私は二つ、今まで知らなかったガサの顔を見ました。
返り血に塗れて、ケタケタと笑う顔と。
その直後に見せた、鬼のような形相と。
どちらも恐ろしい顔で。
だけど、とても悲しい顔にも見えたのです。
294:
「詰みだな、さっぱり掴めねえ。」
「ですね…はぁ、警察への協力依頼は許可下りないんでしょうか。」
「下りてりゃもっと進展してるよ。ったく…俺らは所詮憲兵、あくまで軍内専門の警察だぜ?
十中八九殺しだろうが、掴むには俺らじゃ整ってなさすぎる。
科学捜査にしろ聞き込みにしろ、設備も権限も足りやしねえ。」
「……圧力でしょうかね、やはり。」
「まぁ今は一応戦中だし、そうだろうな。
被害者も調べりゃなかなかの埃が出てきた、歩く不祥事って呼んで差支えねえ。上が絡んでるのは間違いねえだろ。
掴んだ埃が事実なら、被害者に同情は出来ねえ…だが、かと言って消すのも同じ穴の狢だ。
腐っても俺らも一応法の守護者だ、何とかとっちめてやりてえ。被害者も消した奴らも、両方な。」
「ええ、犯人と証拠さえ掴めれば。」
「……ああ、その時は立場逆転だ。暴れられりゃ、然るべき措置を取れるぐらいにはな。」
295:
穴の開いた脇腹から、防空棲姫のはらわたが海へとこぼれ落ちて。
ガサは軽蔑の目を向けたまま、ただその様を見つめていました。
「ふー……ウケるね、姫級になってたなんて。
顔は良くても、腹の底はそこにこぼれてるのと一緒。
バケモノのボス、あんたにはお似合いだよ。このクソ女。」
「…アイ……チャン……。」
「……何回言えばわかるの?」
ぐしゃりと、海戦では聞き慣れない音。
ガサは機銃で敵を殴って、それが鈍い音の正体でした。
この時、止めなきゃと言う思考すら働きませんでした。
恐怖で体が動かないと言う感覚に、磔にされたようで……でもその対象は、敵ではなくガサに対してで。
何度となく響く鈍い音だけが、私の耳に触れていたのでした。
296:
「……ガッ!?」
「へえ…一丁前に苦しいんだ?バケモノになった癖に?
あの時あんたもこうしてくれたよね……苦しかったなぁ、死んじゃうかと思ったよ。
でもね、立場逆転とは行かないよ…あの日の再現、してあげる。」
敵の喉に手を掛け、ガサの手が深く食い込んで行きます。
艤装装着時の艦娘の力は、普段の数倍。みちみちと指が食い込んで…その手が喉ごと肉を抉り取ったのは、ほんの数秒にも満たない時間でした。
パクパクと口を動かし、防空棲姫は何かを呟いていました。
その動きは…「ごめんなさい。」って見えたんです。
その直後、傷から噴水のように血が吹き出ました。
それはガサに向かって降り注いで…彼女の顔は血に染まって。
「あったかいなぁ……ママ。」
そう呟く血塗れの顔に、一筋の肌色。
それは、ガサの目元から走っているように見えました。
彼女は一度微笑んで、機銃を敵に向けて。
防空棲姫の首が宙を舞ったのは、その銃声の後でした。
297:
「あははははははは!!!同じだよ!あの日と一緒!!
……同じだ…同じだよ……ママ…。」
ガサはその場にしゃがみこんで、ずっとそう呟いていました。
海面を見れば、ぷかぷかと防空棲姫の頭が浮かんでいて…その顔も、何だか悲しげに見えて。
“ジュン、ごめんね……ひとつだけ嘘つくよ。”
戦況撮影として写真を一枚取ると。
私はその頭へ向けて、引き金を引いたのです。
脳や目が宙を舞って、バラバラになって。
やがてその肉片も、波に飲まれて何処かへと消えました。
「こちら青葉。帰投中、注意のあった防空棲姫と遭遇。交戦し撃破しました。
遺体は回収不能と判断。写真を収めましたので、帰投次第再度報告致します。
…………ガサ。」
「あお、ば……。」
「いっしょに帰ろ。大丈夫だから…そばにいるよ。」
この時私は、泣きじゃくるガサを抱きしめる事しか出来ませんでした。
あの子が動けるようになるまで、私達はただ、じっと海の上にいたのです。
それは不釣り合いなぐらい、どこまでも澄んだ青空の日の事でした。
298:
ガサを入渠させて、そのまま私の部屋へと連れて帰りました。
帰投の後は普通に振舞ってたけど…いざ二人きりになると、やはりガサから言葉は出ません。
それでも今、この子をひとりにしちゃいけない。
そう思って、今夜はそばにいる事にしたんです。
「…………青葉。」
「…なあに?」
「あいつの言ってたアイって、私の昔の名前なんだ。
『11歳女児母親バラバラ殺人』……青葉なら、よく知ってると思うな。」
「……………え?」
調べた事がある事件の名前が、耳に触れました。
ネットには名前も流れてて、確かにその名前は…。
「私ね……ママを殺したの。」
頭の整理が追いつかない内に、ガサは続けてそう笑いました。
あの夜と同じ、ゾッとするような透き通った目で。
301:
「そうだね…今日でちょうど10年かぁ。これも因果ってやつかな。
防空棲姫……いや、ママを殺したのは2回目なんだ。最初はあの女が人間だった時だね。」
「どう言う事、なの…?」
「聞いた事あるでしょ?死体が沈んだ艦娘は深海棲艦になるって噂…上は隠してるけど、私は全部気付いてる。
艦娘に限らず、人型の奴らは海に沈んだ死体を基にしてるんだって。
私が艦娘になった理由はね、たまたまテレビであの女を見たからなの。
忘れもしないよ……だって、ママの頭を海に捨てたの私だもん。それがバケモノになって映ってたんだから…。」
堰を切ったように饒舌に語られた言葉も、今の私には理解が追いつきません。
11歳女児母親バラバラ殺人。
異臭に気付いた近隣住民の通報で発覚。
加害者は11歳になったばかりの被害者の娘。
娘は日常的に虐待を受けていた。
警官の突入時、娘は異父妹の腐乱死体を抱いていた。
浴室にはバラバラにされた母親の遺体が転がっていた。
殺害方法は包丁、直接的な死因は首からの失血死。
頭部は現在もなお見つかっていない。
箇条書きに頭を流れる、過去に調べた情報。
その当事者が、目の前の親友。
ガサとあの敵の間に何かがあるのは、昼の件で覚悟していました。
それでも現実になると、理解が追い付かない。
ガサはそんな私の様子を気にかける事なく、楽しそうに話を続けました。
「そうだね、あの時は……。」
302:
もう理由もよく覚えてないけど、私が5歳の時、ママはパパと離婚したの。
それでママに引き取られて…後でパパから聞いたのは、その時かなりの親権争いがあったんだって。
ああいうのってさ、大体は母親が有利なんだ。決め手を上手く揃えられなくて、パパは負けちゃったみたい。
ママは美人さんだったよ?私は全然似なかったけどね。
うん……似なかったから、かな。それでも最初は優しかったママが、段々私を殴るようになったのは。
いつもそうだったよ。
大っきくなる度パパに似てくる私を、パパの名前を呼んで殴るの。
何であの人に似たのって、殴って、殴って、殴って……何年も続いた。
離婚する前はね、いつも私を抱っこしてくれたの。
でもその頃になると、私に触るのは拳かビンタばっかりだった。
今でこそ身長そこそこあるけど…捕まった時ね、9歳で成長止まってたんだ。
頭も良くなくてさ、でも裁判の後に施設に入れられたら、途端にどっちも成長したの。
そりゃそうだよ。ご飯もろくにもらえなかったし、毎日ビクビク過ごしてた。
ママが帰ってくる度、またいじめられるんだって…その頃のストレスじゃないかな。
見た目だけなら、子供がいるようには見えない美人さんだったね。
だからだろうね……一応仕事はしてたらしいけど、何日も帰ってこない日もあって。
それである時ね、ママのお腹が大きくなったの。
303:
父親はわかんない。一体何人と関係あったのか、把握しきれないんじゃないかな。
お腹の中にいる時は、随分大事そうにしてたよ?それでも私を殴るのは変わらなかったけど。
お腹撫でて、歌なんて歌って……私には罵声しか浴びせなかったくせに。
何ヶ月かして、妹が生まれた。
でも…「また失敗した。」って言って、結局育児放棄。
あの女は結局、自分に似た子が欲しかったんだよ。
そのくせ何だかんだでパパには未練たらたら。今思えば、そう言う未練で頭おかしくなってのかもしれないね。
ま、同情なんてしないけど。
そんなにしないうちに、また家に帰って来なくなった。
でも妹は可愛いかったの。だから出来ないなりに妹の世話を一生懸命したけど……母親がいないと、段々衰弱してさ…。
妹、結局死んじゃった。あはは。
後であの女が帰ってきたの、何日経ってからか覚えてないなぁ。
確かもう妹が腐り始めてた時かな。久々にあいつの顔を見て…それで気付いたんだ。
『ママ』はもういなくて、目の前の『この女』は同じ顔の別人だって。
304:
あいつも限界だったんじゃないかな?帰っきて早々、思いっきり私の首を絞めてくれたよ…何であんたはまだ生きてるの!って思ったのかもね。
丁度台所のシンクにぶつけられた感じでさぁ、苦しくて苦しくて……咄嗟に近くにあった包丁掴んで…あいつの喉を掻っ切ったんだ。
しゅー!って、血が噴き出したね。
出たての血って、あったかいんだよね…そのまま私の方に倒れてきて、丁度抱きしめられてるみたいになって。
その時、やっとママが帰ってきてくれたの。
あったかくて抱きしめてくれる、優しかったママが。
だって、人のぬくもりって血の温度じゃん?体中にママを浴びてるみたいで……ふふ。
その時もだったね、口パクで「ごめんなさい。」って言っててさ。
なーんにも、感じなかったけどね。
しばらく包丁持ったままぼーっとしてて、何となく部屋見回したら当然血まみれ。
死体しか無い部屋って、ほんとに静かなんだ。
…でもね、それがすごく心地いいの。
私にとって、それ以上の夢心地は無かったよ。
ママは帰ってきてくれた。
溶けちゃってるけど、妹はずっと可愛いまま。この子までこの先あの女にいじめられる事も無い。
もう誰も私を傷付けないし、それ以上何も変わりようが無い永遠ってやつ。
…ああ、これが天国なんだって。そう思ったんだ。
305:
大人の死体って子供には重くてさ…まずママの腕を切ろうって思った。自分の肩にかける為にね。
丁度クローゼットにさ、新品のノコギリと手斧があったの。
…いつか私を殺して埋める為に買ったんじゃないかな。
その時ね…やっぱり顔が見えるでしょ?段々ムカついてきちゃってさ。
だから先に頭を切って、夜中に近くの海に捨てたの。二度と見ないで済むようにね。
その時は海沿いの街に住んでたから、歩けばすぐだったもん。堤防のちょっと水の汚い辺りに、思いっ切り投げてやった。
丁度ゴミ浮いてる辺りに落ちて、そのまま沈んでくのを見て……ほんとにせいせいした。
それからは青葉も知ってると思うけど、あっさり逮捕されて、医少にぶち込まれたよ。
児童自立支援の方じゃ扱いかねるって、特別措置でね。
毎日毎日カウンセリング、お前はサイコだ、頭がおかしいんだって言われ続けてるようなもんだった。
中3になる頃に出てこれて、後は今に至る…って感じかなぁ。
はは………まさか何年かして、あんな親子の再会だなんて思わなかったよ。
306:
でもその後も、しばらく尾を引いてたかな。
高校入っても、昔の流行り物や思い出話とか話せなくてさ…病気だったから知らないって誤魔化して。
大好きな人と付き合えたりもしたけど……カミングアウトしたら、やっぱり怖がられて振られちゃったりさ。
まぁ自業自得なんだけど、ずっとずっと憎かったよ。あの人の子にさえ生まれなければって。
でも、ほんとは寂しかった。
…だから私はね、ママをもう一度殺す為に艦娘になったの。
世の中や人を守るなんて大義名分も無く、ただ自分の人生をやり直す為にね。
307:
「…………そんな話。ふふ、衣笠さんサイテーでしょ?」
何を言ってあげればいいのか、分かるはずもありません。
想像なんて届かないぐらい、あまりにも壮絶な半生でした。
「ガサ……大丈夫。」
だから今この子にしてあげられる事なんて、抱きしめてあげる事だけでした。
それ以上の事なんて、何も思いつきませんでしたから。
言葉をひり出せないなんて、記者失格だなぁ。
「青葉……ねぇ、ずっと友達でいてくれる?」
「うん!ずっと友達だよ!戦争が終わっても、お互いおばあちゃんになってもね!」
「………!!ありがとう…青葉…。」
胸元にぎゅっと彼女を抱いて、私はただ髪を撫でて。
それ以上の事は、きっと要らないとさえ思いました。
それは大きな間違いだったんですけどね。
自分が誰かにした事は、自分が誰かにされる事もある。
例えば…いつか私が下卑た笑みを隠す為に、ジュンの胸元に抱きついたように。
ガサもまた、この時何かを隠していたのかもしれませんね。
後々、私は一つ後悔をするのでした。
それは、恐らく一生続くであろうものになるぐらいの。
310:
数年前、ある新聞記事より抜粋。
『連続殺人犯卍男、遂に逮捕
3月より発生していた連続殺人事件・通称卍男事件の容疑者として、8日午前、都内に住む____容疑者(31)を逮捕したと警視庁から発表があった。
他誌の担当記者・A氏の取材過程に於いて容疑者が浮上。
しかしA氏の動向に気付いた同容疑者は、捜査協力の為警視庁に向かっていたA氏を襲撃。
居合わせた通行人の悲鳴により容疑者は逃走、その後の捜査により台東区内にて逮捕された。
A氏は腕を切られ、全治1ヶ月の重症。命に別状は無いとの事。
容疑者は3月より5名を相次いで殺害。
被害者には全て卍状の傷が付けられており、卍男連続殺人事件と題され捜査が続けられていた。
今後事件の全容の解明を急ぐと共に、動機について容疑者を厳しく追及して行くと警視庁は明かした。』
311:
“………綺麗な夕日ね。”
“ああ、ここの夕日はいつ来ても心が洗われる。”
“ふふ、子供の頃から見てるけど、いくつになってもここが一番よ。”
“全くだ、正直地元より綺麗だと思うよ。
こうして君と出会えたし、ここに着任出来たのは幸せだ。”
“そうね…うん!私、あなたに出会えて本当に幸せ。”
“照れるなあ。また来ような…
____サクラ。”
312:
「……………。」
また、なのね…。
今でも時々、あの頃の事を夢に見る。
あの日から少しでも進めた気がしたけれど、眠ると本音が出るものなのかしら?
『あの子』の連絡先は、敢えて聞かなかったもの。今頃どうしているのか、知る由も無い。
きっと、『あの子』と幸せにやっているのでしょうね。
妹からは、幾分顔色は良くなっていたって聞いたわ。
妹は彼を恨む事はやめてくれたけど、何かを吹っ切ったようにも見えて。
少しだけ、それを羨ましく思った。
軋む体を起こして、でも何となく、何もする気になれなくて。
窓の外は雨。せっかくの休日も、今日はぼんやりと過ごしてしまいそう。
イヤフォンを付けたらまたベッドに体を横たえて、私は再生ボタンを押す。
彼は…ジュンは様々な音楽を教えてくれた。
その影響かしら、自分でも色々なものを聴くようになって。
『楽しかったあの日は…背中のシュレッダーに…』
今の私は、彼の一番好きなバンドのボーカルさんが、解散後にソロになってからの作品を好んで聴くようになっていた。
313:
その人は解散後は精神的に危うい時期もあったらしくて、バンドの時に比べると暗い曲が多いの。
でも、その暗さが今の私には心地よかったから。
……あのままだったら、どうなっていたのかしら?
きっと私は彼を殺して、今頃刑務所にでもいるのでしょうね。
ジュンが飲まれてしまった闇は、それだけ深い物だった。
それでも『あの子』は、明るく笑って。彼の為に笑って。
かわいい『あの子』は、その暗闇を照らしてあげたのでしょう。
だから彼は、あんなにも取り戻す事が出来た。
私の事など、少しも引きずらないぐらいに。
かなうなら、あのこみたいになりたかった。
でもわたしは、あのこにはなれなかった。
私は過去への復讐として、『艦娘の扶桑』になった。
だけどその根にあるのは…『女であるサクラ』としての復讐心。
どうあっても、私は私のまま。
扶桑にもなりきれない、サクラのままよ。
どれだけ終わりを見ても、受け入れきれない私のまま。
幸せな記憶をシュレッダーにかけたって、きっと繋ぎ合わせてしまうような。
ねえ、ジュン。もし私が……
314:
あの日以来、ガサは今まで以上によく笑うようになりました。
10年苦しみ抜いた事から、ようやく放たれたのかもしれませんね。
映画好きなのは変わりませんけど、青葉の部屋に持ってくるものはコメディやストーリー物に変わって。
ゴア描写だらけのホラーばかり観ていた時は、何処かでそこに過去を重ねていたのでしょう。
あの事は、私達だけの秘密です。
ジュンには悪いけれど、墓場まで持って行くって決めましたから。
「青葉、次の作戦について話がある。」
「あ、はい。どうしましたか?」
「今度うちでこのマップの所を叩く事になったんだけど、偵察隊の情報によると、ここは戦艦棲姫が出るらしい。
よって編成は高レベル組で揃える。青葉もそこに参加して欲しいんだ。」
「勿論です!青葉にお任せですよ!」
確かに危険な相手ですが、姫級とあれば出ない理由はありません。
倒せば倒しただけ、終戦が近付きますからね!
315:
目の前のジュンの事、自分や仲間の事。
そこに、ガサの事も加わりました。
ガサの因縁には一応のケリがついたのかもしれません。
でも本当にあの子が自分の人生を歩む為には、やっぱりこの戦争そのものを終わらせる事が不可欠で。
ガサの今の本名である『マユ』は、事件の後に自分で付けた名前だそうです。
「いつか繭から孵って羽ばたけますようにと言う願いを込めた」って、そう言ってました。
だったら尚の事、私も頑張らないと。
そこはもう、無二の親友ですからね!
「ふむ、しかし気になるな…。」
「どうしたんですか?」
「戦艦棲姫は青葉も何度か戦った事があるだろう?艤装に覚えはないか?」
「ありますねぇ…自律型で気持ち悪いんですよねぇ。」
「そうなんだよ、あの艤装は曲者だ。
しかし今度狙う戦艦棲姫の艤装は、他と少し違うらしい。」
「違いですか?」
「通常は両腕が生身だが…偵察の結果、艤装の右腕も機械化されているようだ。
そこに何か兵器が仕込まれている可能性もある、出来るだけ早くそこを潰して欲しい。」
「機械化済みですか…また厄介そうですねぇ。」
次の作戦は、何やら特殊な敵がいるようです。
一体その腕に何があるのか、この時心してかからねばと思ったものでした。
その腕の秘密は、実際の戦闘で明らかになりました。
いえ…正確には機械でない腕にこそ、秘密があったのです。
317:
「………随分、オ気ニ入リノヨウデスネ。」
「エエ、トテモイイワ。コノ子ガ一番ヨ。」
とある海域にて、戦艦棲姫はそう自慢気に艤装に視線を送った。
それは彼女の首から繋がるチューブによって制御されているが、尚も艤装は息を荒げ、涎を垂らしている。
「ぐる…ギッ……ギがあアアアアアっッ!!!」
「………!!」
咆哮を上げ、艤装は戦艦棲姫へと襲い掛かる。
だが、彼女が手を翳し何かを放つと共に、堰を切ったように艤装はその首を垂れた。
しかし尚も、艤装は荒い呼吸を吐き続けている。
「……ヤハリ、危険デハナイノデスカ?ソレダケ“残ッテシマッテイル”モノナド…。」
「フフ……ヨク言ウデショウ?“手ノ掛カル子ホド可愛イ”ッテ…コノ子ハソノ分、トッテモ強イノヨ。」
そう頭部に体を寄せ、彼女は愛おし気にその頬を舐めた。
荒い呼吸を続ける艤装は、指一つさえ動かさず。
しかし、か細くとある声を漏らしていた。
「………ハな、セ……離、せ……。」
318:
ある日の事です。
次の作戦でのシミュレーションもあり、少し久しぶりに出向く方での演習がありました。
それで相手は…スケジュールが空いていたのは、扶桑さん達のいるあの鎮守府でした。
久しぶりに二人と会うけど…特に山城さんとは、やっぱり気まずいかな。
でも、『あの人』に報告しなきゃいけない事もあるしね。
……ジュン、今は『あの人』の事をどう思ってるんだろ。
ううん、だめだめ!今はそんな事気にしちゃ。
そんな事を考えつつ集会所で待機していると、赤いスカートが目に入りました。
「久しぶりね、青葉ちゃん。今日はよろしく。」
「山城さん…。」
久々に見た彼女は、何だかすっきりした顔をしていて。
それが逆に、青葉の胸にズキリとしたものを与えたのでした。
「……その、あの時はすみませんでした。あんな事言って…。」
「ふふ、あの時も言ったでしょ?ありがとうって。アレで大分吹っ切れたわ。
…まあ、ちょーっとキツかったけどね。」
「うう…。」
「なんてね。じゃあ後でジュースおごってよ。それでチャラ。
それからはもうあんたも気にしない事。」
「はい…ありがとうございます。」
「そこはありがとうでしょ?同い年じゃない。あ!連絡先教えてよ!」
「…うん!ありがとう山城ちゃん!」
それからしばらくは、山城ちゃんと色々な話をしていたものです。
前みたいなギスギスした空気も無く、タメ口をきき合って。
この時ようやく、私達は友達になれた気がしました。
319:
「……で、ジュンさんとはどうなのかしら?」
「仲良くやれてるよ!一時期は本当危なっかしかったけどねぇ。」
「ふふ、それはあんたが頑張ったからよ。
さっき廊下で挨拶したけど、雰囲気前より戻ってたしね。」
「………うん。」
それを聞いて、素直に嬉しいなって思いました。
山城ちゃんが彼を殴らなかった事も、当時を知る彼女から見ても良い状態に見えるようになった事も。
…少しずつでも、前に進めてるんだ。
「ふふ…随分仲良くなっちゃって。嬉しいわ。」
その時、その声と共に覚えのある匂いを嗅ぎました。
それは今回一番会いたくて…ある意味、一番会いたくなかった人。
「……お久しぶりです。」
「ええ、久しぶりね。青葉ちゃん。」
そこにいたのは、扶桑さんでした。
320:
演習後は宿の門限さえ守れば、ある程度自由行動が出来ます。
交流を深める意味でも、他鎮守府の艦娘同士で食事に行く事は、珍しい事でも無くて。
そして青葉は今、この街の個室居酒屋に来ていました。
それは、扶桑さんに誘われる形で。
「「乾杯。」」
ふぅ、演習明けの一杯は沁みますねぇ…。
でもまさか、この人とこうしてお酒を飲むとは思いませんでしたよ。
「その後はどうかしら?言わずもがなだと思うけど。」
「…ええ、お陰様で。彼とは…ジュンとは良いお付き合いをさせて頂いています。
その節は本当にありがとうございました。」
「そう…ふふ、本当に良かったわ。
昼に実際に顔を見たけど、良い顔になってたもの。」
「はい、約束でしたからね。」
あの日扶桑さんに宣言したし、実際ジュンは大分立ち直ってくれましたけど。
それでもこの人にその後を伝えるのは、傷付けてしまわないかって怖かった部分もあったんです。
それだけこの人は、ジュンの事を想っていた。
自分が同じ立場なら何を感じるだろう?って、ふとよぎる時はやっぱりありましたからね。
…前より強くこんな考えを抱くようになったのは、山城ちゃんの件がきっかけでしたけど。
321:
「……私の事、気にしてるのかしら?」
「……!!はい、そうじゃないと言えば嘘になりますかね…。」
「あなたの気にする事じゃないわ。私は昔の女だもの。
私はね、彼の幸せをあなたに託したの。だから上手く行ってる事が一番嬉しいのよ。
…これからも、ジュンの事をよろしくね。」
「……はい!」
そう微笑んでくれた時は、心底良かったと思いましたよ。
ずっと心に引っかかっていた事が溶けたみたいで。
それからは寮に戻るまで、扶桑さんと今までしなかったような話をしていました。
個人個人のお酒の趣味から始まって、好きなファッションや音楽に、ジュンの面白いエピソードまで。
へー、なるほど、そう言うのに弱いかぁ…今度ケンカしたら使ってやろ!
そんなしょうもない事を考えてみたりして、さっきまでのシリアスな空気は頭の隅へ追いやられていたのです。
それはいつもの仲間達とは趣の違う、楽しいお酒でした。
歳の離れた先輩とサシで飲むなんて、まだ飲めるようになったばかりの青葉には無かった事でしたから。
でも本当、身も心も美人だなぁ…何年かしたら、この人みたいになりたいね。
そんな気持ちを抱いて、その日はお開きになりました。
「じゃあまたね。おやすみなさい。」
「ええ、おやすみなさい。」
宿までの慣れない帰り道で、酔った頭でこれからの事を考えてみました。
私もまだ若いしなぁ…そもそもこんなの考えるの、気が早いかなぁ…。
……うん!でもやっぱり私は、ジュンの苗字になりたいな。
そう願い事を抱きつつ、てくてくと歩いていたのでした。
322:
青葉と別れた後。
扶桑は寮ではなく、とある場所へと向かっていた。
そこは同じ街にある、彼女と山城の実家だ。
親族は海外におり、管理の関係上週に一、二度はどちらかがここへ泊まりに来ていた。
この日青葉と出掛ける前、彼女はいつものように外泊許可を申請していた。
だがそれは、ただ実家に訪れる為だけではなく。
妹に今夜の自分を、見せたくないが故の事。
この家には、彼との思い出も多くある。
今自室で彼女が横たわるベッドも、また同じだ。
任務続きで疲れていた彼を気遣い、共に昼寝をした事もあれば。
いつか妹が修学旅行に行っていた間、ここで体を重ねた日もあった。
過ぎた幸福が、慣れたマットレスに横たわると津波のように押し寄せてくる。
それを嫌い、彼女は普段ここに泊まる時、和室に布団を出して眠っていた。
“青葉ちゃん、前より可愛くなってたわね…。”
脳裏をよぎるのは、先程まで一緒にいた、彼の現在の恋人。
きっと彼の為に頑張っているのだと、その姿を見た時扶桑は感じていた。
少し古いマットレスは、当時より彼女の体に合わせ深く沈む。
それはまるで、別の物に沈むような感覚を彼女に与え。
「………腐った気持ちに沈むのなんて、私だけで充分なのよ。」
そう呟いた後。
彼女は独り、泣いた。
325:
ある冬の日。
男は陽も上り切らぬ内に車を走らせ、とある街へと向かっていた。
神奈川県に入り、横浜方面へとハンドルを切る。
道中で横須賀と書かれた看板が目に入った時、その懐かしい名前に彼は一抹の切なさを感じていた。
しかし今日は、そこに目的は無い。
横浜を抜け、高から降りた先は藤沢市。
そして鎌倉へ入ると、車はとある駐車場へと停まる。
助手席に置かれた花束と線香、そして途中で買った缶コーヒーを手に、彼は車を降りた。
そこは地元の小さな寺。
彼の学生時代の友人が、現在眠る場所だ。
「久しぶりだな。
…って言っても、聞こえちゃいねえか。」
4年前のあの日以来、彼は初めてここに訪れていた。
そして今日が、初めて変わり果てた友人を目にする瞬間でもある。
326:
彼は青葉によって感情を取り戻して以来、暇を見つけては亡き友人達の墓参りをしていた。
今日が二人目の墓参りになる。
花と線香を手向け、手を合わせる。
続けて缶コーヒーと火の付いたタバコを供えると、彼もまた、自分のタバコに火を点した。
二つの紫煙が立ち上るが、吐き捨てられた煙は一つのみ。
生きる者の溜息と、吸われる事のない煙と。
その差が空へと舞い上がっては、風にまかれて消えて行く。
「……あの後色々あってな、サクラとは別れたよ。
昔は研修先の少佐にムカついて、いつかぶっ殺す!なんて俺らも息巻いてたんだけどなぁ…気付いたら俺も少佐だ。
二階級特進したお前らよりも、上になっちまった。
あのバケモノも、随分倒したよ…ケリが着くのは時間の問題さ。
今は新しい彼女も出来たし、こっちは何とか上手くやってるよ。
その子のおかげで、やっとこうしてお前の所に来れるようになった。
なぁ……そっちは、最近どうだ?」
どれだけ近況を伝え、訊ねてみた所で返事はない。
ただ風の音と、物言わぬ墓石がそこにあるだけだった。
やがて全てを伝え終えると、男は墓石に敬礼をし、その場を去って行く。
墓の床石には、少しだけ濡れた後が残っていた。
しかしその日は、どこまでも澄んだ快晴の空。
雨が降っていたのは、誰かの瞼と胸の奥だけの事だった。
327:
遂に作戦決行の日が来ました。
いざ出撃すると、敵は相応の強さで。
しかしこちらも高レベル隊、そう簡単にはやられません。
雑魚を倒しながら、やがて青葉達は目的の部隊へと接敵して行きました。
その部隊には偵察通り、戦艦棲姫の姿が。
やはり艤装の右手は、機械化されていました。しかし取り立てて特殊な様子は無い。
相手の旗艦は、どうやらあいつのようです。
あいつを叩き潰しさえすれば、今回の敵は壊滅する。
そう決め込み、私達は戦闘を開始したのです。
「……やった!?」
やがてこちらの返り血の量も増えた頃、私の砲撃が戦艦棲姫の腹を貫きました。
急所を抉り取り、間違いなく致命傷。
その瞬間、その場の全員が勝利を確信したのでした。
「………フフ…アナタ、“コノ子”ト匂イガ似テルワネ……。」
戦艦棲姫が、この一言を放つまでは。
328:
「……青葉!気を抜くな!!そいつは暴走するぞ!!」
「……っ!?はい!!」
気を抜きかけた時、先輩の一声で我に返りました。
そうだ、戦艦棲姫の艤装は自律型…宿主が死んだ時、無差別に暴走するケースもある。
戦艦棲姫が死んで倒れた瞬間、一度解けた緊張が一気に戻って来ました。
沈黙か、暴走か……どっち!?
「ギ……ギガアアアアアアアアアアアア!!!!!」
暴走!全弾発射!?それとも肉弾!?
まずい!発射だ!!
「総員防御姿勢だ!!障壁全開!!来るぞ!!」
四方八方に弾が乱射され、断末魔が響き渡りました。
味方は無事…でも弱っていた敵の一部は、爆風でバラバラに吹き飛んで行くのが見えて…すぐに煙が視界を覆いました。
見えない…どうなった!?
329:
「………マ………リ……。」
330:
え?
331:
その時聞こえて来たのは。
艤装のくぐもった声で囁かれた、私の本名。
やがて煙が晴れて、目の前には巨大な艤装の姿。
生身の方の腕は、私へと伸びていて…その時初めて、二の腕の内側が見えました。
そこには、卍状の傷が一つ。
“卍男、遂に逮捕。当誌記者の取材過程にて犯人判明。”
“ご遺体の右手にSDカードが。”
“私は気付いてる。人型の奴らは海に沈んだ死体を基にしてるんだって。 ”
いたいはあたまからみぎうでにかけてしかみつかっていない。
このぎそうのなまみはひだりうで。
あのひとのひだりうでにはまんじじょうのきずが。
その時、私の中で次々と記憶が蘇り。
情報が、そして激情が駆け抜けて行きました。
この不自然に屈強な腕は、無理矢理肥大化させられたものでは?
そうだ…深海棲艦が雌型だけだなんて、私はいつどこで、誰に習った?
日頃の座学でも、研修でも習った事は無い。
日々戦う内に、勝手に私の中で生まれた常識だ。
一体何コンマ、何秒の間のことなのか。もう分かりませんでした。
ただ、この直後。そんな永遠の一瞬も、破壊されてしまうのです。
「マ……リ………コロシ、テ、クレ……。」
この言葉が、私に全ての確信を与えた事によって。
うそ、だよね……どうして、ここにいるの……?
332:
叔父さん。
334:
「………ほんとに…叔父さんなの?」
目の前の現実は、拒絶反応を起こす心すら容赦無くこじ開けて来ました。
折しも、ガサの母親の件からそう経っていない時期。
故に私の中で、その事実は確固たるものとして突き刺さったのです。
照準を合わせていた手が、ガタガタと震えているのが解りました。
仲間はまだ爆煙に巻かれていたり、他の敵に集中している状態。
艤装は…いや、叔父さんはその爆煙の中で、私に近付いてきていた。
「殺してくれ」と、私に助けを求めるように。
「……!?マ、り……にゲ、ろ……。
……ギガああ!?アアっ!?が!」
「叔父さん!?」
直後、頭を抱えて彼は苦しみ出しました。
それは何かを押さえ付けようとするかのような悶絶で…。
その時。
『ごっ……!!』
私の視界は拳で覆われ。
殴り飛ばされた衝撃と共に、意識が暗転したのでした。
335:
…………風の音。ここは…海?
体が無い…意識だけだ。
でも、目が見えてる…私、死んじゃったのかな。
“19290925”
“泣きたくなるほど…ノスタルジックに……”
……今のは?
その日付が脳裏を過ぎった時、同時にあるメロディが頭を駆け抜けて行きました。
それは、天国旅行のあのメロディで。
“19421011”
その数字が瞬いた時、無いはずの頭に激痛が走って。
私のいる場所は、ストロボと連写を繰り返すかのように場面が入れ替わりました。
“サボ島沖海戦”
“ワレアオバ”
“古鷹、吹雪、叢雲轟沈”
“19430303”
“36名死亡”
“相次ぐ修理”
“ソロモンの狼”
“我曳航能力ナシ”
“熊野沈没”
場面が何度も入れ替わる。
実際に見たものじゃないのに、どれが何の事なのか、手に取るように分かる。
その明滅に晒される中、次第にある声が津波の様に押し寄せて聴こえて。
336:
“ごめんなさい”
337:
ごめんなさい。
338:
ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”ごめんなさい“ごめんなさい”
ごめんなさい。
339:
流れ込んでくるこえが、かん情が、次だいに私のものに変わって。
わたしはだれなのか、わからなくなって。
ただいたくてかなしくてかなしくてかなしくてかなしくてかなしくてかなしくて。
あやまりたくて。
“19450319”
その時。急に青空が見えました。
星?昼間なのに、流れ星がたくさん…
“潮は満ちてく 膝から肩へ”
それが『わたし』の身体を貫いて。
痛いのに、暖かい布団にいるような気持ちで。
“苦しさを超え 喜びになる”
「アア、ヤット…眠レル……。」
歌が聴こえる。あの歌が鳴り止まない。
その中で聴こえて来た声は、『わたし』と同じような、違うような。
ただ一つ分かったのは、あの子は疲れ果てていた。
全てに、疲れ果てていた。
340:
ぶちん。
341:
まっくら。
まっくら。
まっくら。
きっとわたしはほんとうにしんだ。
あれ?
あおぞら?
れっしゃのまど?
あれ?おりてる?
ここはどこ?
からだがある。
あかいはな。
かぜのおと。
とりのこえ。
うみだ。
なにもない。
なにもかんじない。
もういたくない。
わたしはいない。
からだがあるのにない。
ばらばら。
とけた。
だらだら。
しあわせ。
しあわせ。
しあわせ。
“お前は、ここに来ちゃダメだ。”
ジュン?
待ってよ、置いてかないでよ!ねぇ…ねえってば!
ずっと一緒だよ!
342:
『どんっ…』
ジュンに突き飛ばされて。
今度は、深い穴に落ちて行くように、何かに引き寄せられて。
落ちて行く中で見えていたのは、何も無い青空。
あの場所で私が私でいたのは私だけ。
感じたのは、孤独。
その時また、あの歌が聴こえました。
343:
けしの花びら、さえずるひばり。
僕は孤独なつくしんぼう。
344:
「…………。」
体、痛いなぁ…。
ああ、今のはほんとに一瞬の事だったんだ……皆、さっきと戦況変わってないや。
「フシュー…フシュー……。」
目の前の叔父さんは、頭を押さえて、涎を垂らしていて。
それはもう、彼が怪物にされてしまった末の姿なのだと。
ただの現実として、理解出来てしまって。
345:
「フギ…ギッ……ギアあアああああアアあっっ!!!」
その時叔父さんが、機械の右腕を自分で引きちぎりました。
ちぎられた場所は肉まで達していて……そこから流れていたのは、真っ赤な血。
「ア……ウ……チクしョウ…イテぇナァ……。」
「…叔父さん!!」
「へへ……頭、ネえカらよ…俺は魂ダけシカ…モウ、残っテネエンだろ…。
今ナラ痛みで…ナントカ、頭の方、ヲ、押さエラレ、る……。
マリ……ヤルなら、今シカネエ、ぞ…。」
「叔父さん…一緒に帰ろ?何とか元に戻る方法探して…。」
「バカ言ってンジャねえ…!俺はモう死んだ身だ。
全部、覚えテンだ…俺が殺しタ、罪もネエ人達の事も、全部…。
ジャーナリストが、バケモンにナって…悪党トシて取材サレるなんざ…お笑いモん、だ…。
マリ…嫁は元気か?」
「……うん!おばさん、笑ってくれるようになったよ!」
「ナラ、良かッたヨ…アのカメラ、今はオ前の所か?」
「うん…今はね、私が使わせてもらってるよ。大事な写真、いっぱい撮れたんだ!」
「ヘヘ…人の笑顔、大事にしろよ。
平和な日々ガ…何よリの、すくープだ…ギッ!?
ハヤクしろ!!時間ガねえゾ!!」
「…………!!
…わかったよ。」
照準を合わせる手が、ガタガタと震えます。
走馬灯って、自分が死ぬ時じゃなくても見えるんですね。
この時私の脳裏で、叔父さんとの思い出が何度も巡っていました。
小さい頃遊んでもらった事や、初めて書いた新聞もどきを褒めてくれた事。
教えてもらったジャーナリストの基本、技術。
そして何より、心意気。
その全部を噛み締めた時、ふ、と震えが消えました。
346:
「………叔父さん。教えてもらった事、今でも私の中で生きてるよ。
これからも、ずっとずっと私の中で生きてるから!!」
「………へへ。そりゃ嬉しいね。記者冥利に尽きるってもんだ!
お前のジャーナリズム、あの世で見守ってるぜ!」
その時。
艤装ではなく、ちゃんと何度も聞いた叔父さんの声が聞こえたんです。
頭はああなっちゃってたけど、きっと笑ってくれていた。
だから、最後に伝えようと決めたのは。
347:
「……叔父さん、大好きだったよ。
さよなら!!」
「………ありがとよ。」
348:
こうしてその砲撃と共に、艤装は沈黙したのです。
海面に浮かぶ血は真っ赤で。
それは怪物にされても尚、最期まで人であろうとした、彼の魂の色でした。
349:
「叔父さん……。」
おかしいですねぇ…悲しくて、涙が止まらないのに。
何でか今、頭と胸が妙にすっとしてるんですよ。
ああ…少しだけど、敵の増援が来てるなぁ…。
皆が戦ってる敵は、どいつもこいつも、ニヤニヤヘラヘラと笑ってる。
さっき『あの世界』が見えた時、いくつかわかった事があるんですよ…。
艤装を付けてる時、ふとあの歌が流れるのは。
艤装越しに私に残った『重巡・青葉』の記憶が、私の記憶のあの歌に、何かを思い出したからで。
それと、もう一つ。
あの場所はやっぱり、天国じゃなくて…
地獄なんだ。
死んでしまった仲間も、そしてジュンも。
あの場所を、知ってしまったんだ。
目の前では戦闘が続いています。
ケタケタと汚い笑い声を上げて、奴らが味方と戦っている。
叔父さんが死んだのは、誰のせい?
あの子が死んだのは、誰のせい?
この戦争は、誰のせい?
お前達が好きに使ってるその体は、本当は誰のもの?
ジュンを……私の愛する人を地獄に突き落としたのは、誰?
350:
あはは、そっかぁ。
答えなんて、最初から分かりきってるじゃん…誰でも分かる、普通の事だよ。
だから『私』は、ここにいるんだ。
そう、簡単な事…。
オ マ エ タ チ サ エ イ ナ ケ レ バ 。
『びいいいいいいぃん……』
ああ、背中のタービンが、唸ってる…。
『青葉』……分かってくれるんだね……。
わたしのこのいかりを。
「ふふ……あはっ…あはは……。」
ちからがみなぎる。
もう、ほかのことはかんがえられない。
みんなみんなころしてやる。
351:
「……………うああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」
私がこの戦闘で意識を保っていたのは、その時までの事でした。
自分の叫び声を聞いた、その瞬間まで。
後の事は、何も覚えていませんでした。
355:
「ごめん…別れよう。これ以上は一緒にいられない。」
大好きな人だった。
だから隠し事は、したくなかった。
「私は人殺しなんだ」って。
彼の様子がおかしくなったのは、それからだった。
私のふとした仕草にぎょっとするようになって、その度ごめんって辛そうに言うの。
まだ片手で数える程度だったセ○クスどころか、キスですら段々なくなって…最後の1週間は、触ってもくれなくなった。
うん…何の事件かだけは、伝えたもんね。
私が具体的に何やったかなんて、ちょっとネット調べれば出てくるよ。
………怖くなるのは、おかしくなんてない。
その時はただ受け入れて、別れただけ。
でもね…後からじわじわと効いて来るんだ。
言わなきゃよかったとか、どうして受け入れてくれなかったの?とかさ。毎晩毎晩考えて、その度泣いて。
でもいつも、最後にはこう思うんだ。
「当たり前だよ、だって私は人殺しだから。」って。
もう一人殺しちゃったから、私は一生人殺しなんだ…。
356:
気付いたら秋も終わって、冬になってた。
出所してから暮らし始めたのは、パパの地元の雪国でさ。
横須賀生まれで、その後も県内や京都にいた私にとっては別世界だった。
地元の人は気にしないような、色々な事が目に付くぐらいね。
例えば…吹雪の日は、音も声もあんまり通らないとか。
ほんとに静かなんだ、まるで『あの日』みたいに。
彼は丘の方にある住宅地に住んでた。
そこはね、元は小さい山を開発した場所で…途中の坂のゾーンには、家が無かったの。
坂は大分曲がりくねってて、その分距離があって。
人が住んでる内に、だんだん山を突っ切る感じで裏道が出来ててね。
高校生ぐらいの時ってさ、結構雪とか気にしないじゃない?だから雪の日は地元の人も通らない裏道も、彼はいつも通りに通ってた。
毎週水曜日は、彼の部活は長いの。
雪国だから、特にそれも変わる事は無くてね。
そんな水曜日。
私は吹雪の中、じっと彼が来るのを待っていた。
ちなみにそこ…麓の方は畑しか無いんだよね。
357:
「……!!…マユ……。」
「………。」
「風邪引くぞ。早く帰れよ……。
…………え?」
358:
叫び声、あんまり聞こえなかったなぁ。
でも最後に名前を呼んでもらえたの、嬉しかった。
だって…私が彼の最初で最後の女で、最後に名前呼んだのも私で。
それってもう、永遠って奴でしょ?
それで彼の命も、私のものになったんだから。
そう…私は一生人殺しだもん。
一人殺したら、その後100人殺そうが人殺しなのは変わんない。
ひとごろしのそばにはだれもいてくれないなら、ひとごろしはひとりぼっちなら。
そばにおいちゃえばいいんだ。ころしてでも。
「………っ!!…はぁっ、はぁっ…。」
その時ね、私…何もしてないのに……ふふ。
まるで初めて彼とした時みたいに、好きな人とひとつになったみたいで。
359:
その1年ぐらい後かな。
違う人を好きになっちゃったのは。
その人は教育実習生で…近くのアパートに住んでるのをたまたま見かけたの。
その人ね、運動部の練習にも参加してたんだ。
それで休みの日、忘れ物したからって嘘ついて学校行って…こっそり鍵を盗んで。
また別の忘れ物した!!って、学校に戻ったの。
寒い日だったなぁ、『手袋外せなかった』よ。
その日の晩、アパートに消防車がいっぱい来てた。
近所に避難指示も出てたかな?
そのアパートのお風呂場、内開きでね。
良い角度のとこに、『蓋開けた洗剤を2種類置いた』んだよね。
結局自殺って事になったよ。
360:
でもね、提督はちょっと違うんだ。
恋愛感情って言うよりさ…仲間が欲しいなって。
わたしのきもちをわかってくれる、ひとごろしのなかまが。
あの人は私とタイプ違うけど、きっと分かり合えるんじゃないかな。ずっとずっと仲間でいてほしいんだ。
まぁ……別の興味もあるしね。
青葉だけだよ…殺さなくてもずっと一緒にいてくれるって思えたのは。
私、あの子にもそう思って欲しいの。
ガサなしじゃ生きてけないってぐらい、そう思って欲しい。
あの子は元カレや叔父さんの事で、裏切られたり大切な人がいなくなったりするのに、トラウマがある。
それでちょっと…人に依存したいしされたいって願望があるな、って思ったんだ。
だから考えたの……ふふ。あの子が一生私から離れられなくなる方法を。
それはね……ほんと、提督様様だよ。
361:
「…………。」
目を覚ますと、ベッドの中にいました。
手があったかいなぁ……ぼやけた頭でそのぬくもりの方に視線を動かすと…。
「………ジュン。」
そこには、私の愛する人がいました。
彼は何も言わず、ただ微笑んでいて。
私は少し軋む体を起こして、彼に手を伸ばして。
でもそれより先に、彼の方から私を抱きしめてくれたんです。
「…………良かった。本当に、良かった……!」
耳元で聞こえる声は、少し震えていて。
体中に伝わるぬくもりに、私も思わず涙が出て。
この瞬間の私達には、きっとそれ以上の言葉はいらなかった。
ただただ、私達はそうして生還の喜びを噛み締めていたのでした。
362:
「…………あれからどれぐらい経ったの?」
「2日だ。その間ずっと、お前は眠ったままだったよ。」
私、そんなに…。
ぼーっとしていた目も覚めて来た頃、ようやく部屋の様子が理解出来ました。
ここは医務室で…それと、ジュンの目元に深い隈がある事に。
「ちゃんと寝てる?」
「ん?ああ、あの後少し忙しかったからな…大丈夫、毎日家に帰ってるよ。」
「……ほんとに?」
「はは…い、いや、仕事の後はずっとここに……。」
「ばか!ジュンまで倒れちゃったらダメじゃんかぁ…。
……でも、ありがとう。」
「ふふ、どういたしまして。」
「うん…!」
またぎゅっと抱き付いて、おかげで彼の服は涙でびちょびちょでしょう。
でも無理した罰だもん。もう汚れるまで抱き付いてやるんだから!
そんな私を、彼はそのままにして。
落ち着くまで、ずっと髪を撫でてくれていたのでした。
363:
「………あの後、私結局どうやって帰って来たの?」
「…覚えてないのか?」
「うん……ある時から、記憶無いんだ。」
「………途中敵の増援はありつつ、重巡・青葉の活躍もあり敵は殲滅。
破竹の勢いで敵へと突入し、猛攻の末次々敵艦を沈めて行った…と言った所かな。」
「………本当は?」
「他の子達に担がれて戻って来た時は、血塗れだったよ。
ただ怪我自体は深くなくて、殆どが返り血だ。
………それと、戦艦棲姫の艤装の左腕を回収した。」
「………っ!!」
「検査の結果、上腕部に卍状の傷あり……いつか言っていた、君の叔父さんの特徴と合致する。
……お前が記憶を飛ばす程激昂した原因は、それだろう?」
「…………ジュン。」
私が口を開こうとした時、ジュンはおもむろに上着と軍帽を脱ぎました。
今の彼は、スラックスとインナーのTシャツだけ。
「………今からする話は、どこぞの軍人がプライベートでした噂話だ。」
その時私は、彼の意図を察したのでした。
364:
「海軍にはこんな噂がある。
『沈んだ艦娘は深海棲艦になる。』…或いは、『沈んだ死体が深海棲艦になる。』ってな。
相手はヒトではなく、未知の怪物だ。
故に人類は生物学的観点からも、敵を学ぶ必要があった。
そこである軍と科学班が、鹵獲した敵を生体解剖した。
あらかじめ艤装を無効化し、それでも警備に数人の艦娘を配置した、大掛かりなプロジェクトだ。
ところがだ。
通常兵器が効かないとされる敵に、すんなりとメスが通った。
敵に通常兵器が効かない理由は、防御障壁を張れる事にある。
しかしその個体は、鹵獲過程で散々艦娘の攻撃を受け、艤装も無効化されていた。
障壁を張るのが不可能な程弱体化させてしまえば、ただの人並の怪物でしかないと、まずはそこで分かった。
…そこまで弱らせる事が出来るのは、結局艦娘だけだがな。
艦娘にしろ深海棲艦にしろ、科学とオカルトの複合物と呼んで差し支えない。
そこで軍では、オカルトの面でも分析すべく、高名な霊能力者も呼んでいた。
その人の能力は、写真に霊体を収める事。
本格的な解剖に移る際、被験体を注射で殺す必要がある。
その魂が離れる瞬間を収めてもらう為だ。
結果として死ぬ瞬間を収めた写真には、二つの物が写った。
一つは深海棲艦の元であろう、真っ黒に吹き出す怨念と思わしきもの。
もう一つは……ほぼ消えかけていたが、『ごく普通の霊体』だったそうだ。
365:
研究チームに一気に緊張が走った。
次に科学班が本格的な解剖に入る。
骨格、内臓共に、表向きの構造はほぼヒトと合致した。
違いは二つ。
頭蓋骨が薄い膜状骨との二重になっていて、それが各種別で角や同じ顔を有している理由。
後は、生殖機能が飾りだって事ぐらいだ。
次に…本格的なDNA鑑定に入った。
結果は多様な海洋生物と……それとヒトのものも含まれていた。
『特に骨格からは多く』ヒトのものが出たらしい。
それを行方不明者リストに照合すると、何人か合致したって噂になっているよ。
……PT子鬼と俺達が呼んでる個体を、知っているだろう?」
「う、うん……。」
「ある国の軍が、倒した子鬼を何体か回収し、解剖とDNA鑑定をした。
丁度開戦から2年経った時期か……その国でも初襲撃の時、民間船が何隻か犠牲になっていた。
その中には遠足に出ていた小学生達が乗る船もあったらしい。
発見出来なかった遺体には、特に子供達のものが多くてね。
DNA鑑定の結果は………言わずもがなって噂だよ。」
「…………っ!?」
「……まぁ、あくまで噂話だ。だが仮にそれが真実だとするなら、こうも言える……。
殺す事が、肉体の本来の持ち主を開放する事でもあると。」
そう言うと、彼は私の手を掴んで。
暖めるように、優しく包んでくれたのでした。
それはせめてもの気遣いだったのでしょう。
……ジュンはきっと、私が何を思っているのか分かってくれるでしょうから。
366:
「たまたまそうだっただけかもしれないけど…あの艤装は間違いなく叔父さんだったよ。
私達にしか分からない事話して、最期ね…ちゃんと叔父さんの声で話してくれたんだ。
とどめを刺した時、返り血があったかくて…こうして起きた今も、ありありと思い出せるの。
“殺してくれ”って…叔父さん、自分の腕ちぎってまで自我を保とうとして……。
ジュン…これで良かったのかな…?」
「……お前は求められた助けに、応えただけだ。
今は泣けよ。でも悔やむな。悔やめば本当に叔父さんが浮かばれない。」
「うん……う……ひっ……。」
「……大丈夫だ、俺しか聞いてない。胸ならいくらでも貸してやるよ。
泣けるなら、まだ大丈夫だから。」
「うん……ありがとう……。」
その夜、私は彼の胸で子供のように泣きました。
明け方私が泣き止んで眠るまで、彼はずっとそばにいてくれたんです。
固く固く、手を繋いだままで。
368:
普通の生活に戻る許可が出たのは、翌日でした。
でも旗艦への命令違反と言う形で、ジュンから3日間の出撃停止を言い渡されたのです。
私を休ませる為の、便宜上の処分みたいですけどね。
一緒に出撃した仲間たちからも、「休ませてあげた方がいい」と打診があったとの事でした。
そんなに心配されるって…私、あの時一体……。
そうやって思い出そうとすると、こめかみに痛みが走りました。
……?
この匂いって…。
ふと感じたある匂いも、どうやら気のせいのようで。
自室のベッドに横になってみると、気疲れなのかどんどん眠気が押し寄せて来ました。
眠いなぁ……
……………。
369:
“戦艦棲姫だ!”
“青葉!今だ撃て!”
せんかんせいきをころした。
ぎそうがぼうそうした。
それもころした。
からだにおおきなあながあいた。
かえりちが、あったかい。てつのにおい。
“青葉!よくやった!”
血まみれのそれを見る。
“マ……リ………。”
そこにはぐずぐずにくずれたおじさんがいた。
370:
「…………!!」
悪い夢を見たけど、叫び声すら上げられませんでした。
心臓が痛いぐらいばくばくしていて、冬なのに汗まみれで。
頭から水を掛けるような静寂で、ようやくそこが自室だと理解出来たのでした。
目覚めてしまえば、そこはひとりぼっちの部屋。
ゆうべはジュンがいてくれたけど、一人になった今、ようやく込み上げて来るものを生々しく感じていたのです。
ふと鼻の奥に、血の匂いを感じました。
じっとりとした寝汗はまだ暖かくて、それはまるで……そう思った瞬間、心臓に鉄を針を刺されたような嫌な感覚が走って。
ガタガタと震える手で、私は必死に目からこぼれて来るものを押さえていました。
そうだよ…私は……この手で叔父さんを……。
血が…たくさん……。
その時また、こめかみに痛みが。
それに思わず目をしかめると…ある光景が広がって。
ミンチになるまで主砲を撃って。
片手で首を引きちぎって。
命乞いをする敵に魚雷を放って。
返り血と血煙の光景。思い出す頬の感触は……。
あのときわたしは、わらっていた。
気付いたら私は、ジュンの家の前に立っていました。
今は雨降り。寮を出た記憶もおぼろげで、足元は裸足のまま。
「…明日は俺も休みだ。しばらくここにいるといい。」
そんなひどい姿の私を見ても、彼はそう微笑んで家へと招いてくれました。
371:
冷えた体を暖めるよう、お風呂を勧められました。
私はそう言われて、一緒に入ってと懇願したのです。
……今は血のぬくもりを思い出しそうで、とても怖かったから。
初めはシャワーの感覚にゾッとしそうになったけど、髪を洗ってくれる手が、それを溶かしていく。
その後二人で湯船に浸かりながら、私はずっと彼の胸にもたれていました。
人肌は血に近い温度でも、あの冷たい感じは全くなくて。
そのぬくもりに溺れている時、ようやく怖さを忘れる事が出来ました。
同じベッドに入ると、私は彼に近付いて…手首の傷が残る左手を掴んで。
くちびると舌を傷に這わせれば、脈拍の振動が伝わって。
ただ彼の命が今もある事。それが嬉しくて。
「ジュン……おねがい、して?」
縋り付くように腕を絡めて、私はそう囁いたのでした。
372:
行為の最中に歯や爪を立てるのは、私なりの独占欲の表れでした。
でも、私が与えた痛みや傷が彼の感情を呼び戻したのは…今はもう、ふたりの中では確かな事でしたから。
噛み付いた血の味だけは、あんな事が起きた今でも怖くない。
爪の間に食い込む肌も、ぬるりとした血の感触も、何もかも愛おしくて。
命を確かめ合うような、そんな瞬間でした。
それはかけがえの無いもの。
わたしだけのもの。
でも……わたしだってほしい。
その時私の中に瞬いた欲望は、とある恐怖の裏返しだったのかもしれません。
「ジュン……背中、引っ掻いて…血が出たっていいよ。
私をジュンだけのものにして…。」
肌に走る痛みさえ、とても甘いものに思えました。
背中を滴るのは、私の命。
指先や舌に残るのは、彼の命の感触。
血と血が混じり合うような痛みは、ここにふたりが生きている事を教えてくれる。
もう一生、私からこの人の跡は消えない。
それは今夜芽生えた『あるお願い』を、彼に伝える為の傷。
「…ふふ。傷、残っちゃったね。」
「…大丈夫か?」
「うん!これでずーっと、ジュンと一緒だもん!
………ねえ、お願いがあるの。」
「………何だ?」
「もしね、私が沈んで深海棲艦になっちゃったら…鹵獲して欲しいの。
それで弱らせるだけ弱らせて…もう何も出来なくして……。」
くらいくらいよくぼうに、どこまでもおちていく。
きっとかなしくさせてしまう。
それでもいわずにはいられない。
373:
「………その時はジュンの手で、私を殺して。
ずっとずっと、私の事を覚えてて。」
374:
不安や恐怖に駆られた人間は、自分の事しか考えられないのかもしれません。
もしくは……私がクズなだけなのでしょう。
この時私は精一杯の笑顔で、痛々しいお願いを囁いたのでした。
「……ばーか。そんな日が来てたまるかよ、俺が絶対沈ませねえからな。
そうだな…もしそんな事があったら……。」
子供みたいにはにかんで、私を小突いてみたりして。
そんな優しい笑みで彼は…
「その時は、俺も死ぬ。」
一縷の迷いもなく、そう言い切ったのです。
375:
「…………ばか。」
「至って真面目だよ。」
「うん……ごめんね、変な事言って。」
ぎゅっと抱き付けば、胸の奥は暖かくて。
もう誰にも渡したくないぐらい、それは大切なもので。
そんな未来が来ないよう、生きようと私は決めたのでした。
血の匂いも返り血のぬくもりも、忘れる事は出来ないけれど。
人の笑顔が何よりのスクープだと遺してくれた叔父さんの為にも、私も笑って生きて、そばにいるジュンを笑わせて行きたいって。そう思えたんです。
「ジュン……生きよ。」
「……当たり前だ。」
それ以上の言葉は、この夜には要りませんでした。
ただ抱き合って、心臓の音を感じて。
この時私は悪夢どころか夢も見ないような深い眠りに、ようやく辿り着けたのでした。
376:
ふと目を覚ますと、彼はテーブルに置いたタバコと錠菓へと手を伸ばした。
きついミントの錠菓を噛み砕き、メンソールの煙を深く吸い込む。
その時少し上下していた彼の肩は、崩れるように落ち着きを取り戻していた。
ベッドへと戻り彼女の髪を優しく撫ぜ、彼はその体を抱き締めた。
髪の香りに混ざる彼女の匂いとぬくもりに、彼はようやく安堵を感じている。
“人殺し………か。分かってんだよ、そんな事は。”
先程見た悪夢の中で、彼へと吐き捨てられた言葉が何度となく蘇る。
彼女の髪を撫ぜ、彼は誰に聞かせるでもなく、ぽつりとある言葉をこぼした。
「…それでもお前だけは、絶対に守るからな。」
この翌年、人類は勝利を迎える事となる。
だが、青葉にとって。
それ以上に彼にとって忘れる事の出来ない戦いは、その前にこそ訪れる事を。
この時のふたりは、まだ知らずにいるのであった。
379:
いつかのとある春の日。
小川沿いに続く桜並木を、一人の女が歩いていた。
ひらひらと舞う花びらは、彼女の黒髪をより色濃く映えさせる。
しかし春風の音は、イヤホンに阻まれ彼女の耳には届かない。
だが、桜吹雪の中、彼女の中には違う風音は響いていた。
いつかこの小道を歩いていた頃の風が。
“……あの時は確か、もう葉桜だったわね。”
甦るのは、まだ彼と付き合い始める前の、デートとも言い難いような散歩の記憶。
葉桜ではあれど、その頃も今日のように花びらは舞っていた。
違うのは、その頃はふたりでいたと言う事。
380:
『話したい事…山のようにあったけど……もうどうでもいい…今は君に…』
イヤホンから流れる歌声に合わせ、ぽつぽつと唇が揺れる。
この道のあと3つ角を曲がれば、今は毎週通うだけの実家へと辿り着く。
ああ、別れたあの日もこの道を通っていた。
それをふと思い出し、歌をなぞるだけだった唇が、不意に小さな声を発した。
「花吹雪…風の中…君と別れた道……」
気付いた頃にはもう、彼女は玄関の前に立っていた。
今日は妹は出撃でおらず、ここにやってきたのは彼女のみ。
それでも毎週通う慣れ親しんだ我が家ではあるが、一人の時にこそ甦るものがあった。
自室の引き出しを開けると、そこには大量の血の付いたハンカチが一枚。
あの公園での件で、当時手当てをしようと使ったもの。
彼の命が、おびただしく染み付いたもの。
「ジュン……。」
何故今もそのハンカチを持っているのかは、彼女にしか分からない。
ただ一つ確かなのは。
それだけが彼女にとっては、明確な彼の跡という事だけだった。
381:
あの件から一月以上経ちました。
年も明けましたし、もうお正月ムードもとっくに過去のもの。
その間も色々ありましたねぇ…まずは事情があって、みんなより少し遅くお正月休みをもらっていました。
警察の事情聴取に行く為、正月明けにこそ地元にいる必要があったからです。
当時の事や人となりについて根掘り葉掘り訊かれましたけど、あの時みたいに体調を崩す事は無くて。
事件そのものについては色々と思う所はありましたが、それ以上の事は感じませんでした。
やっと過去に出来たんだなとも思いましたね。
あと…改めて叔父さんのお墓参りに行きました。
緘口令との交換条件ですが、青葉のDNAを提供して…鑑定の結果は、やっぱり叔父さんのもので間違いなかったそうです。
あの腕は研究所に送られちゃいましたけど、あの人はやっと本当の意味で眠れましたから。
今度こそ安らかにいられますようにって、そう思いながら手を合わせたものでした。
382:
一見いつもの日常に戻ったようですが、ちょっとした変化もありました。
和解した頃から山城ちゃんとはよく連絡を取っていて、気付けば演習でどちらかが出向くとご飯を食べに行く仲に。
そこまで他所の鎮守府の子と仲良くなれたのは初めてでしたし、他所の面白い話を聞けるのはこう…記者魂がふつふつとしたり。
そっちは私が担当してる季刊誌には、書けない事ばっかりですけどね。
それで明日はお休みな訳なんですが…なんと、山城ちゃんがプライベートで遊びに来ます!
こっちにあるアウトレットモールに来てみたいとの事で、青葉は道案内です。
なので今日は早めに寝る準備をして、いざ布団に潜ろうとした時の事でした。
「青葉ー…って、あれ?もう寝るの?」
「んー、山城ちゃん知ってる?明日あの子と遊び行くからさ。」
「あー、あの鎮守府の?ドラマ録っといたけど、また今度でいい?」
「そだねぇ、次の夜戦前にでも…ごめんね。」
「了解!じゃあおやすみー。」
ガサの誘いを断って、私はそのまま寝に入るとしました。
あそこのワッフル気になるんだよねぇ…チョコソース掛かってて………むにゃ……すう…
383:
“あのメンヘラそうな奴かぁ………邪魔しやがって…痛っ!?
いっけな…また爪噛んじゃった。”
384:
「おはよー!」
「ええ、おはよう…。」
朝、駅に向かってみると、何やら青い顔をした山城ちゃんが。どうしたんだろ?
「大丈夫?」
「さっき線路に財布落としちゃって……ふ、不幸だわ…。」
「中身は無事だったの?」
「そこは幸いね…。」
「まぁまぁ、じゃ、気を取り直して行こっか!」
あはは…や、山城ちゃんらしいなぁ…。
私鉄に乗り換えてモールに向かう途中、私達はとりとめもない話をしていました。
そんな中で、私はぽつりとある事を訊いてみたのです。
「そう言えばさ、今日どうしてこっちまで来たの?」
「え?う、うーん、買い物と……その、それと青葉ちゃんに相談したい事が…。」
……ははーん。これはこれは、面白そうな匂いがしますねぇ。
ちょっとばかり頬を赤らめる様は、間違いなくそうでしょう。
「ふふ……好きな人、できた?」
「……!!……うん、まあそんな所ね…。」
そう突っ込んだら、あの子は幸せそうに微笑みました。
ふふ…良い顔するようになったなぁ。
385:
「なるほどねぇ、資材課さんかぁ…。」
「そうなのよ…休みの日にたまたま街で会って、そこから段々話すようになったんだけど…。」
「ふむふむ、進展出来るほどは、なかなかがっつり話せてない…と。」
モールでお茶をしつつ出て来たのは、そんな話でした。
艦娘と資材課さん達じゃ、確かに偶然を装って会うのも限界があるかも。普段いる場所が、全然違いますからねぇ。
唯一しっかり被るのは朝夕の食事時のようですが、資材課の人達で固まって食事をしてる事が多くて、なかなか話しかけにくいんだとか。
「いつも短い世間話しか出来ないのよ…連絡先聞くまでに至れなくてね。」
「あんまりお仕事の邪魔も出来ないもんねぇ……アピールする時間がなかなか取れないと。」
「そう。こっちの提督は察してくれてて、資材課に渡す書類だけはいつも預けてくれるんだけど…それでも手短にしないとで。」
「うーん…あ!じゃあこうしよっか!」
「何?」
「発想を逆転させよ。短時間で詰めるなら、効率重視だよ!
差し入れにメッセージとラインのID添えて、モロにアプローチ!こうなれば短期決戦だって!」
「……な、なるほど…確かに今の状況だと、じっくりとは行けないものね。」
「ここで差し入れってのがキモだよ!手作り弁当とかまで行くと重いからだめ。
あくまで売店のお菓子とかにして、それとなーくビニールにメモ入れてさ。」
「うん…確かにそうね……わかった、やってみるわ。」
「その意気その意気!」
良かったなぁ…今日ここに来た目的も、きっとその人に見せる服を買う為なのでしょう。
恋する女の子はかわいいですねえ。写真撮っちゃいたいぐらい眼福ですよ。
386:
知り合った頃はギスギスした関係でしたし、私も本当にひどい事をしましたけど。
今こうして仲良くなれたのは、やっぱり嬉しいものです。
この子にとっては、やっとジュンの事は過去になったのでしょうけど…大好きなお姉さんの恋人に横恋慕をした事は、きっとこの子自身にとっても、自責の念に駆られる過去だったのでしょう。
彼や戦争を憎まないと持たないぐらい、すり減ってしまっていたのだと思います。
だからなおさら今側にいる私が、彼を幸せにしないといけないって。改めて思いましたね。
新しい友達が、ちゃんと新しい幸せを掴めるように手伝いもして。
それがこの子への、せめてもの償いかなって。
……扶桑さんにも、何かいい事があるといいな。
「あ。青葉ちゃん、せっかくだから写真撮りましょ。
“お姉ちゃん”が元気にしてるか気にしてたわよ?」
「あ…うん!じゃあ撮ろっか!」
自然に出て来たお姉ちゃんと言う言葉は、それだけこの時素を出してくれたって思えて。
そのおかげか私達は、随分と楽しそうにカメラに映っていました。
本名も教えてもらったけど…今は艦娘同士なせいか、やっぱり自然と艦名で呼び合っちゃって。
ジュンとの事だけじゃなく、いつか今の仲間達と自然と本名を呼んで遊べるような。
そんな日々が訪れるよう頑張ろうって、この時また決めました。
387:
「今日はありがとう。青葉ちゃん、またね!」
「うん!気をつけてねー。」
山城ちゃんを見送って駅を出ると、ちょうど見慣れた車が駅前に停まっていました。
迎えに行くって言ってくれてたもんね…ん?あれ、珍しい組み合わせだ。
「ガサじゃん、どうしたの?」
「ふふー、提督が出るとこに鉢合わせたんだ!じゃあ一緒に行きますってね!」
「そう言う事さ。さて、寒いし帰るか。」
「迎えありがとね、ジュン……じゃなかった司令官!!コンビニ寄ってもらってもいいですか!?」
「ふふふ…上官をうっかり呼び捨てする関係……衣笠、見ちゃいました!」
「もう!怒るよー?」
「あはは。まぁまぁ、衣笠の前ぐらいならいいだろ。」
後部座席から私をからかって、ガサは楽しそうに笑っていました。
彼もまた、それを見て微笑んでいて。
二人とも辛すぎる過去を背負ってるけど、今はこうして笑えてる。
まだ戦いに生きる私達だけど、一たび陸に戻ればこんな風に笑い合える恋人がいて、仲間がいて。
これが当たり前になるように生きなきゃ。どこにでもあるこんな日々を、守って行かなきゃね。
そんな事を思った、冬の日の夕暮れの事でした。
388:
それから更に、2週間が過ぎた日の夜。
眠ろうとした時、山城ちゃんから通知が来ていました。
進展してるって聞いてたけど……電話?どうしたんだろ?
え!まさか振られたとかじゃ!?
「もしもし?」
『…………青葉ちゃん…。』
元気が無い。まさかあんなに上手くいってそうだったのに……。
でもそれは、見当違いだったと直後に分かったのです。
『姉様が………お姉ちゃんが、行方不明になったの………。』
予想だにしない、最悪の事態を以って。
390:
電話で山城ちゃんを落ち着かせた後、私はすぐに制服に着替えました。
向かうのは、執務室。
きっと今この状況なら、ジュンの所にも…!
「司令官!」
この呼び名を彼に使うのは、艦娘・青葉として行動する時です。
終業時刻は過ぎていますが、彼も制服を着てそこに座っていました。
「……聞いたか?」
「ええ、山城ちゃんから。状況は?」
「こちらにもさっき応援要請があった。戦艦・扶桑は本日1740、帰投中艦隊よりはぐれ消息不明。
当鎮守府、××基地、__鎮守府合同にてこれより捜索作戦を発令する。青葉、招集を掛けてくれ。」
「はい!」
すぐさま動ける人が集められ、捜索へと出向いて行きました。
艦娘の戦死時、遺体の回収は厳命されています。
昔は遺族への配慮と思っていましたが…今なら、その理由も分かる。
一瞬過った想像に首を振って、私はそれを?き消ししていました。
潜水艦の子達を主とした捜索隊は、夜の海を探していました。
最後に反応が途切れたのはその辺り…ですが夜の海は暗く、照明を装備した艦娘達が次々増援に向かっていて。
司令官と青葉は、モニター越しにその様子を見守っていました。
391:
『ゴーヤ、そっちはどうだ?』
「生体反応ナシ。この近辺で撃沈されたなら、敵の魚雷片があるはずでち。今の所は…」
『イムヤ、そっちは?』
「何も無いね……待って!衣笠さん、照明上げて!上の方に何か浮いてる……よし!掴んだ!」
イムヤちゃんが補助艦に引き上げたのは、何かの布のようでした。
それは白いもので…カメラによく映るよう近付けられた時、私達はその正体に気付きました。
「嫌……そんな……。」
それは…少し焦げた、桜の染め模様で。
「………__中佐、直前の戦闘の首尾はどうでしたか?」
『戦闘そのものには勝利。扶桑についても被弾なしとの報告を受けている。
……だからそれは…消息を断つ際、何者かに攻撃を受け破れたものと見て間違いないだろう。』
『お姉、ちゃん……。』
『山城!?すまない、急病人が出た。少し通信を切る。』
通信越しに聞こえたのは、かすかに囁いた声と、人が倒れる音。
山城ちゃん……!!
「司令官!青葉も行きます!」
「わかった。艤装の手配は整備に伝える、みんなを頼んだぞ。」
「はい!!」
そう執務室を飛び出して、すぐの事でした。
「………クソッタレがぁ!!」
初めて聞いたジュンの怒鳴り声と、机を殴る音。
それがより、この事態の深刻さを感じさせたのです。
……何も思わないわけ、ないよね。絶対に見付けてやるんだ!
ですが……その日の捜索では、結局それ以上のものを見つける事は出来ませんでした。
392:
1週間が過ぎました。
今も捜索が続いていますが、一向に扶桑さんは見つからないまま。
最初の2?3日は時折山城ちゃんに電話を掛けて、慰めていました。ですがそれも、今は出来なくなって。
徹夜の捜索に参加し続けた末、山城ちゃんは入院してしまったのです。
鎮守府に戻っても、情報面で捜索の手伝いをずっとしてたみたいで…艤装を外している時の疲労は、入渠じゃ回復できません。
過労とストレスにより、遂に倒れてしまったそうです。
ジュンもまた、心なしか疲れが見えていました。
いつも通り振舞ってるけど、私はあの時の物音も聞いてましたから。
捜索隊が集めた情報を見る肩は、どこか沈んでいるかのようで。
……青葉、じっとしてられないな。
「……少し、休んだらどうですか?最近あんまり寝てませんよね?」
「そうだな…少し疲れたかもしれない。」
彼を後ろ抱きしてみると、胸にかかる重さはいつもより深くて。
もう夜かぁ…気付けば捜索も任務も終わって、終業時刻となっていました。
「……時間だよ。少し横になろ?」
口調をプライベートに戻して、私は執務室に鍵を掛けました。
ここでこうしてジュンを膝に寝かせたのは、確か付き合い始める前でしたね。
髪を撫でてあげると、ふう、とより深い溜息が聞こえてきました。
393:
「………久々だな、この感じ。」
「そうだね…。」
あの歌がここに流れなくなったのは、いつからだったろう?
実は私もあの場所を見てしまった事は、今でも話せないままでした。
……今話せば、きっとこの人は余計落ち込んじゃう。
あの日私が帰投した時の事は、ガサが教えてくれました。
誰よりも先に母港に駆け付けて、私をドッグに運んでくれた事。
医務室に入った後も、暇を見ては着替えや下の世話まで見てくれていた事。
それでも顔色一つ変えず、皆の前ではいつも通り振舞っていた事。
皆に余計な心配を掛けたくなかったんじゃないかって、ガサは言ってましたね。
それだけ本来は、優しい人ですから。
だからこそ……彼が扶桑さんに感じるものは、私以上に重いはずで。
394:
「………扶桑さん、どこにいるんだろ。」
「どこかにいるさ、きっと生きてる。」
「そうだよね…私も約束したもん。
そう言えばさ、新人の時に扶桑さんにこうしてもらってたって言ってたよね?」
「そうだったな……あの時は立てないぐらい潰されてな。
起きたらあいつの膝の上で、おしぼり顔に当ててくれてた。
“あら?起きましたか?”って微笑んだ時の顔は、よく覚えてる。
その後すぐお礼言いに行ったんだけど…今思えばその頃には、もう惚れてたのかもな。そこで連絡先聞いたよ。
まさか付き合えるとは思ってなかったけど。
同期で知ってる奴はいなくて、おまけに知らない街だ。
最初は正直不安だったけど…あいつがそばにいてくれたお陰で、あそこでも上手くやっていけたんだと思う。
キツい訓練の後も、ヘマして上官に絞られた時も、あいつと会えば全部ふっ飛んでたよ。」
「そっか……ほんとに扶桑さんのお陰だったんだね。
ふふー、でもその頃は手が早かったんだねぇ。私の時、散々ぐいぐい行ってやっとだったのに。」
「…あー…確かに今まではお前以外、皆俺から口説いてたな。」
「へー…初耳だねぇ。何人?」
「待て、目ぇ怖いって。」
「ふふ、冗談だよーだ。
……扶桑さんとは、ほんとに仲よかったんだねぇ。」
395:
「……今だからこそ言えるが、結婚を意識する時もあった。
でもあの件があって、俺もああなっちまってな。
あの時俺はブッ壊れちまってたけど、振られた時は妙に納得が行ったんだ。
感情が戻って思い返した時、こう思った。
俺はあれだけそばにいてくれて、親身になってくれた相手を追い詰めた、死にたがりの馬鹿だったってな。
同時に…それでもそばにいて欲しかったとも、あの時感じてたんだって。
だが全ては、もう過ぎ去った事だ。
俺が俺を取り戻した時も、恋愛感情は消えたままだったよ。
4年前のあの日に、全部受け入れちまったんだと思う。
あの頃の俺では、当然の結末だったって。
あいつの幸せを思うなら振り切れって、死んだ心でも思ったのかもな。
講習に行った時な…復縁を迫られた。
びっくりしたもんさ、まだ俺を引きずってたのかって。
だが『今の俺』は、お前を選んだ。
だからはっきりと、戻れないって伝えたんだよ。
身勝手な話だけどよ…それでもあいつには、幸せになって欲しい。
俺がお前と出会えたように、あいつも時計の針を進めて欲しいって。そう思うんだ。
…死んじまったら、元も子もねえじゃねえか。
生きててもらわねえと、未来もクソもねえよ。」
「………うん。」
撫でていた頭を抱え込んで、私はそっとジュンの目を塞ぎました。
潤んだ目を見るのは、少しつらいものがありましたから。
扶桑さん……今だけは、この人の視線は譲ります。
あなたの為にも、山城ちゃんや皆の為にも…こんな事で死んじゃダメですよ。
やがてジュンの寝息が聞こえて、少しは休めるかな?って安心して……
『ビーー!!ビーー!!』
それを裂くように、彼の携帯から警報が鳴りました。
396:
「何!?」
「……緊急確認メールだな。」
「え、あれって……。」
緊急確認メールとは、早急に確認が必要な資料が添付されているメールです。
緊急出撃警報とは違い、あくまでこれから警戒すべき内容が記されているもの。
それは例えば…新種の深海棲艦の資料など。
そこまでメールの種類を思い出した時、何故か血の気が引いていくのを感じました。
メールを開くと映像が添付されていて、ある海が映っていました。
そこにいたのは、見た事の無い深海棲艦。
白い服に、黒い髪…艤装を取り巻く青い光は、彼岸花が生えているようで…。
カメラの映像がズームに変わって、顔へと近づいて……
397:
「_____サクラ。」
398:
彼が初めて、私の前であの人の本名を呼んだのは。
その時の事でした。
そこにいたのは他でもない、扶桑さんそのものだったのです。
399:
きっと、カメラに気付いたのでしょう。
あの人は真っ白になってしまった瞳をレンズに向けて、見た事のない妖艶な笑みをして。
“ジュン、迎えに行くわ。”
そう唇が動いたのが、私には理解出来ました。
「……畜生がああああああああっ!!!!!」
その瞬間のジュンの悲痛な叫び声を、一生忘れる事は出来ないでしょう。
鼓膜をつんざく声は、私にこれが現実である事を、容赦無く突き付けていたのでした。
402:
この鎮守府に異動してすぐの頃は、あんまり馴染めなかった。
噂って奴は、尾ひれを付けて飛んで回るもん。
どうせどっかで聞き付けられて、また避けられるんだろうって思うと、なかなかその気になれなくてね。
そこからあんまり経たない内かな、あの子がここに来たのは。
「恐縮です!初めまして衣笠先輩!重巡・青葉と申します!」
一応姉妹艦としては姉だけど、あの子も最初は先輩呼びだったっけ。
最初は事務的に対応してたけど、なかなかしつこかったのをよく覚えてる。
それでちょっとうざいなって思って、ある時言ってやったんだ。
「研修あそこだったよね?死体蹴りのマユって聞いた事ない?」って。
あの子は丁度前いたとこが研修先だったから、色々聞いてるってカマかけたの。
そしたらあの子は……。
「ああ、あなたが…そのお話は先輩から教わりました。
でも私には、そこまで怖い人とは思えません。
緊急事態だったんですよね?そんな時に加減が出来る人って、実際どれぐらいいるんでしょうか。
せっかくの姉妹艦じゃないですか、仲良くしてくださいよぉ?。」
今思えば、あの子も着任したてで不安だったんだと思う。
でも私にとっては……。
「そう?じゃあ私の事はガサでいいよ。
そうだね、一応あんたが姉だから…これから敬語は無しで!」
「……うん!よろしくね、ガサ!」
あの子を天使に思えるぐらい、あの時見せてくれた笑顔は眩しかった。
403:
メールが届いた直後、すぐにあの鎮守府から連絡が来ました。
最終的に複数の鎮守府で夜通しそれについてのネット会議が行われ、結論が出たのは明け方になってから。
内容は、討伐に向けた合同作戦について。
交戦した部隊はまだいませんが…『彼女』はかなりの戦闘力を持つと判断され、合同で排除に当たると言う方針となりました。
上層部としては接触が無い以上、あの個体が元は扶桑さんであるとはまだ断定出来ないとの事です。
でも私には、彼女が口走った言葉が理解出来た。
怨念が、海中の亡骸を媒体として実体を成す…それが敵の正体であるならば、一つの可能性がある事に私は気付いていました。
叔父さんのように、元の魂が強く残っているケース。
或いは、怨念が逆に…。
その仮説を頭で組み立てていた時、救難信号が執務室に響きました。
ナンバーを解析すると、それは普通の漁船からで……え?届く鎮守府全部に!?
『海軍の皆様、聞こえるでしょうか?
____私は、かつて××鎮守府にて、戦艦扶桑と呼ばれていた者です。』
その声がスピーカーから響いた時。
ジュンは今まで見た事の無い、喜怒哀楽の全てを通り越した絶望の顔を見せて。
はっきりと名乗る声は、私の仮説を証明してしまいました。
取り憑いたはずの怨念が、逆に元の魂に潰される事もあるんじゃないかって。
深海棲艦の力さえ、宿主が乗っ取る形で。
それが艦娘としてのスキルを持つあの人なら、その脅威は…!
404:
『今は乗員の皆様に“ご協力”いただいて、こうしてお話させていただいております。
ふふ、今の私はさしずめ、そちらで言う名も無き深海棲艦と言った所でしょうか。尤も…こちらには味方もいませんけれど。
早で恐縮ですが…2日後、そちらへ攻撃をさせていただきます。
標的は__鎮守府。私の目的については、その際明らかになると思います。
今から30分後、船員の皆様には救命ボートで脱出していただきますが……その際、面白いものが見られると思います。
私からのせめてものご挨拶として受け取っていただければ幸いです。
では、当日はよろしくお願い致します。』
通信が一方的に切られ、今度はけたたましく電話が鳴り響きました。
通話を受けながら、ジュンはパソコンを立ち上げて…映し出されたのは、襲撃されたであろう漁船。
きっちり30分後、乗員さん達が救命ボートで船を去って行きました。
続いて甲板に現れたのは、あの人で…鉤爪のようになった手は、あの人が変わり果ててしまった事をより強調していて。
その手を海面に振ると、あるものが姿を現します。
それは昨日の映像で見た、ぽつぽつと青い彼岸花の生えた艤装。
そこに飛び乗って、船から少し離れて…漁船を遥かに越す高さの火柱が上がったのは、間も無くの事でした。
煙が晴れた時、漁船は跡形も無く吹き飛んでいて。
そこでカメラの映像は途絶えました。
405:
「……ええ、こちらでも確認致しました。
元帥…彼女はここを狙うと明言しましたよね。
__そうであるならば、我々は戦うのみです。
はい…かしこまりました。目標をその個体名とし、各艦娘に伝えます。
では、他鎮守府との会議もありますので。失礼致します。
……元帥からもお墨付きが出た。
その特徴から、海軍は暫定的にあの個体を『海峡夜棲姫・壊二』と名付け、迎撃態勢に入る。」
「…はい。」
「青葉、会議の内容がまとまり次第召集を掛ける。
恐らく合同作戦となる、しばらく自室にて待機していてくれ。
___この作戦は、必ず達成する。以上だ。」
「……はい!!」
その時のジュンの目を、忘れる事は無いでしょう。
全てを振り切り、覚悟を決めた軍人の目。
例えそれがかつて愛した人であろうと、殺す事を厭わない。
私は精一杯の声で、その指示に答えました。
406:
翌日、作戦の案がまとまりました。
扶桑さんのいた鎮守府との合同作戦となり、5段階の関門を構え迎撃する。
どこか一箇所でも足止め出来れば、そこに他戦力も集中し一網打尽を狙います。
殺意を持って攻撃してくる事は無いであろうと言うのが、ジュンとそこの司令官との共通意見でした。
多勢に無勢。個の戦力として強力ではあっても、こちらをしらみつぶしに撃沈するのは現実的では無い。
恐らくは、突破と到達を優先した攻撃をしてくるであろうと。
ジュンと扶桑さんの過去、向こうの司令官が見てきたその後の彼女。
あの時通信で届いた、扶桑さん自身の言動。
それらを照らし合わせて出た結論は…彼女の目的は国家や海軍への攻撃ではなく、ジュンの身柄そのものだと結論が出たのです。
あの鎮守府からの参加組は、その日の内にこちらへやって来ました。
その中には…退院したばかりの山城ちゃんの姿も。
でもあの子の顔は、予想とは違ったものでした。
407:
「……山城ちゃん。」
「青葉ちゃん……私もあの映像を見たわ。
ふう…不幸ね……こうなるなんて、本当に不幸だわ。」
きつく締められた鉢巻と、綺麗に洗われた制服。
何よりこちらに向き直った時見えた顔に…。
「姉様は……お姉ちゃんは……。
____私が殺す。」
赤い瞳には、悲壮な色。
昨日のジュンと同じ目をして、あの子はそう言い放ちました。
明日私達は、あの人を殺す。
その現実は、刻一刻と迫って来ていたのです。
409:
23時。
私達は仮眠から目覚めると、一斉に艤装を付けて持ち場につきました。
彼女が予告していたのは、明日という日付のみ。時刻については予告がありません。
そして0時きっかり、24時間体制の任務が始まったのです。
そこから数時間後、日が昇る頃。
未だに動きはありません。
偵察機、レーダー共に稼働させていますが…彼女は艦娘。恐らくは想定の範囲内でしょう。
ですから、戦いの幕開けは……!
『こちらチームA!偵察機の連携が切れました!敵襲の模様です!』
「来たか……まずはチームA、迎撃体制だ!出来るだけ足止めに集中してくれ!
チームB、Cは移動態勢を取りつつポイントにて待機!チームAより合図あり次第行動開始!」
『了解!』
410:
遂に来た…!
偵察機経由でこちらに飛んでいた映像は、最後にあの人を映していました。
偵察機は再度撃墜される可能性がある以上、今頼りになるのは望遠カメラの映像だけ。
遠くの方で、火花が見えます。
発煙弾…!あの色は…。
「……赤の煙は突破だ。
チームA!そちらは無事か!?チームB、迎撃体制に入れ!」
『こちらチームA!ダメです!突破されました!
敵の艤装は分裂可能!総員分裂体に一時的に拘束され、目標の逃亡のち艤装も追従!!
負傷者無し!直ちにチームBの増援に向かいます!』
「分裂だと!?チームB!艤装に気を付けろ!
敵は複数いると思え!」
『了解!複縦陣に切り替えのち迎撃します!』
『分裂体3隻撃沈!ですが突破されました!』
『こちらチームC!2隻撃沈!本体は逃亡!』
次々と入るのは、分裂した艤装の撃沈と、本体突破の報告。
望遠カメラに映る映像は、次第にその人影を濃くしていました。
411:
他に報告の中で増えた情報は、扶桑さん本体の力は凄まじいものである事。
深海棲艦としての力でしょう、それは彼女本来の艦種ではあり得ない力。
まずい…でも、艤装の方は着々と倒されてる。
それは自らの武器を捨てるような戦法です、だとすればやはり目的は…。
『こちらチームE!応戦します!』
チームEは、肉眼で確認出来るような配置。
これを突破されたらもう…。
『……邪魔よ。』
その時、彼女の背から小さな艤装が顔を覗かせました。
最後の一匹が放った砲撃は、見た目に反して最も激しく、ちょうど艦娘同士の間を抜けて。
その軌道は、こっちに…!
412:
『どごぉ!!』
413:
爆発音と、建物を激しく揺さぶる振動。
それらが私達を襲う中、最後の通信が聞こえました。
『提督!目標がそちらに!逃げて!』
やはり、狙いはそうでしたか……。
未だ残る崩落音に混じり、かつかつと下駄の音が聞こえます。
あの力なら、2階に開けた大穴にジャンプするなんて余裕でしょう。
後はここにいるであろう標的を拐えば、彼女の目的は達成。私達の完敗です。
本当に、その通りならば。
414:
「山城ちゃん!」
「ええ、行くわよ!」
415:
続いて響くのは、同じく砲撃の轟音。
ですがそれはですねぇ……私達の砲撃ですよ!
「…………っ!?」
あちゃー、壁吹っ飛ばしすぎちゃったかな?
でも少しはダメージ通ったみたい。少し口から血が垂れてますねぇ…。
最終関門は別だなんて、誰も言ってませんよね?
全ての可能性を起こるものとすれば、対策は仕込める。
例えばそう…突破を前提とし、司令官と護衛を別室に待機させたり……なんてね。
艦娘の艤装は実艦と違い、陸戦にも応用可能!こっちはハナからその気なんですよ!
「索敵も砲撃も雷撃も!それと司令官の護衛も!青葉にお任せですよ!
扶桑さん…あなたの思い通りにはさせません!」
このぼろぼろになった執務室こそが、最後の関門。
決戦の火蓋は、意外にも海ですらないここで切って落とされたのでした。
417:
「………。」
彼女が黙ってこちらを睨み付ける中、ここに響くのは砲撃の残響だけ。
膠着した空気の中、照準だけがガタガタと震えていました。
この目で確かめるまでは、どこかで信じたくないと思っていた。
それはきっと、山城ちゃんも同じで。
でも目の前にいるのは…他でもないあの人。
「……分かるわ。ジュン、そこにいるのでしょう?」
「ここには私達だけです。扶桑さん…大人しく投降してください!」
「……ふぅん、じゃああなた達はどこで指示を仰いでいたのかしら?
そうね、映像はタブレットで受信、指示は無線で……それをWi-Fi経由で地下から…なんて事も出来るわね。
でも…匂うのよ。
そ こ か ら 。」
418:
え……!?
状況を理解するより先に、壁に磔になっていました。
扶桑さんの鋭い手によって、押さえ付けられる形で。
「海上だけがいなんて思わない事ね…今の私は、生身もあなた達の知るそれでは無い…。
間近で見ると本当に可愛いわね…“赤ベースのメイク”なんてどうかしら?
ラインもシャドウもあるわ…あなたの肌を裂けば幾らでも。」
「ふふ…私を殺せば、彼の居場所は分からなくなりますよ?」
「一つ勘違いをしているようね…うふふ、ジュン以外にも私の目的はあるの。
青葉ちゃん、あなたの命よ。」
ぞくりとしたものが私を射抜いたのは、白い瞳と目が合った瞬間の事。
この人は、私を殺すつもりだ…!
爪が私の喉に近付いて、うっすらとした痛みが肌を這って。
でもあの瞳を前に、動く事もままならなくなった時。
『どごぉ!!』
「その子を離しなさい!」
「………“アヤメ”。」
彼女があの子の本当の名を呼んだのは。
あの子が彼女へ砲を撃ち、殺意を向けた時が最初でした。
419:
「…数日振りの再会なのに、随分な事をするのね。
ふふ…どうして“お姉ちゃん”を撃つのかしら?」
「いいから離しなさい。今度は威嚇じゃ済ませないわよ!」
「そう。姉妹喧嘩は子供の頃っきりね…。
……いいわ!久々に泣かせてあげる!」
「ぐっ!?」
「山城ちゃん!!」
一瞬で山城ちゃんの方へ向かい、今度は山城ちゃんの首を締め始めて…!
いけない!あの人は本気だ!
落ちた主砲を拾って、あの人の背に照準を向けたら…。
『ひゅばっ!』
「キキキ…」
な…こいつは!!
腕にしがみついてきたのは、あの分裂体。
この小ささで何て力なの!?撃てない…このままじゃ山城ちゃんが……!
『ぱぁん!!』
その瞬間が水を打ったように静まり返ったのは、銃声の後。
音の方を見ると、そこにはゆらりと白い影が立っていました。
420:
「その子たちを離せ。でなければ殺す。」
「…ジュン!!逃げてって言ったでしょ!?」
「生憎だが、俺は提督だ。運命を共にする義務があるんでな。」
だめだよ…そんな拳銃じゃ…。
その時また、あのスローモーションが。
全てがゆっくりと動いて、私だけがく動く事も出来なくて。
あの人が山城ちゃんから離れて、まっすぐに、ただまっすぐに私の大切な人に向かって。
鋭い爪が、何の迷いもなく命を奪おうとしてる。
でも、声が出ない。届いてしまう。
最後に辿り着いた場面、世界のスピードが戻った時。
私の目に映ったものは。
「……………!!」
彼の唇を奪う、あの人の姿。
421:
時が止まったような、現実味の無い瞬間でした。
全てがはりぼての、どうしようもないぐらい生々しくない世界。
でもそう見えていたのは、きっと私の脳が拒絶したから。
「……痛っ!?」
「へぇ…深海棲艦でも、噛まれたら痛いんだな。」
そのはりぼてを壊したのは、他でも無いジュンでした。
唇を噛み、無理矢理彼女を引き離す事で。
見た事の無い冷たい目を、まっすぐにあの人へと向けて。
「……ふふ、ずっとこうしたかったの…。
何年も…何年も何年も何年も!!ずっとずっと待ち望んでいたわ!!」
「……こんな事の為に、人までやめちまったのか。」
「ジュン……私と一緒に、海の底へ沈みましょう?」
「聞く耳持たずね…俺の命と引き換えに二人を助けてくれるんなら、考えてやる。」
その言葉が聞こえた時。
ダメだなんて思う前に、手が動いていました。
どう分裂体を振り払ったのかも、引き金の感触や砲撃の反動さえも無い。
ただ事実としてあったのは、私の弾が彼女の肉を抉った音。
ジュンを掴む片腕を、ちぎり飛ばす形で。
422:
「…青葉ちゃん、どこまでも邪魔をするのね。」
「やらせませんよ……その人は、私の大切な人ですから。」
戦場で何度も嗅いだ、血肉の焦げる匂い。
それは叔父さんの時にも感じた、その実誰を撃っても変わらない匂い。
この手が命を奪う時、必ず立ち込めるもの。
いつしか重く記憶の嗅覚に染み付いた、残忍な私の証明。
それが今、あの人からも放たれている。
だけど…もうこの手が震える事は無い。
「扶桑さん、一つ取材をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「くす……何かしら?」
「そうですねぇ……どうしてあなたがそうなって、何故こんな事をしでかしたのかと。
あなたの最期のインタビューとして、お尋ねしたいと思いまして。」
「ふふ……いいわ。もっとも、それがあなたの最期の記事になるけれど。
ひどい事をするのね、この子をあんな風に壁に叩き付けて…。おいで、痛かったわね。」
「キキ!」
分裂体は無邪気な様子で、扶桑さんの胸へと飛び込んでいました。
彼女も赤子程度の大きさのそれを、まるで本当の子供のように慈しんで…。
「そうね…人工授精ってあるじゃない。行為が無くとも生まれる子供…。
あれは卵子と精子だけれど…血と血が混じって生まれたものなら、それはもう二人の命の結晶なのよ。
ジュン……この子はあなたと私の子よ。」
その時見えた扶桑さんの目には…きっともう、何も映ってはいなかったのでしょう。
白い瞳そのままの、白濁した妄執だけを映して。
彼女はただ、幸せそうに告げたのでした。
425:
「…それはあなたの艤装じゃないですか。」
「いいえ、この子は立派な命よ…きっと大きくなれば、人の形を成すわ…。」
扶桑さんは分裂体をあやしながら、裂けんばかりの笑みをこちらに向けていました。
あれは自律型だ…子供の遺体を艤装に変えて、実の子だと思い込んでる?
だってジュンと接触する事なんて、あの時以来無かったはず。
「まさか…どこかの子供を殺して…!」
「そんなわけないでしょう?私は誰も殺してはいない…。
いいわ、教えてあげる…。」
426:
あの日戦闘明けのどさくさで、艦隊からはぐれてしまったの。
そこまではたまにあるトラブル……撃たれるなんて、思いもしなかったけれど。
潜水艦の魚雷を受けて、私は気を失ってしまった。
そうね…目を覚ました時、一つ気付いた事があるの。
ああ、きっと私は死んだんだって。
海の中で、しかも心臓が動いてる感覚が無かったもの。
怪我の血が水中に流れて、私の周りは真っ赤だった。
そんな時、頭の中で声がしたわ。
“アナタニ、イノチヲアゲマショウ…ミレンモ、ハラシテアゲマショウ……。
ソノミヲカシテクレルノナラバ…。”
それが『何なのか』は、本能的に理解出来たわ。
すぐにぞわぞわとした感覚が、頭の中を支配してきた…。
恨み、未練、憎しみ、悲嘆…あらゆるものが、私の体を奪おうとしてきた。
視界はもう、海の中ですらなかった。
真っ暗闇で、怨念の波に飲まれてしまいそうで…でもね、大したものではなかったわ。
私の『それ』に、比べれば。
427:
“…その程度なのかしら?”
“ナッ!?”
“弱いわね…そんな程度で晴らしてくれるなんて、随分大きく出たものだわ…。”
“ノ、ノマ、レ、ル…!”
“ふふ…この体はあげないわ……。
___あなたが、私に寄越すのよ。”
“ア……アアアアアアアアッ!!??”
目を覚ますと、あとは元通り海の中…怪我の血がまだ周りに浮いてて、それ程経ってなかったみたい。
私はね…あなたとジュンの事を知った日から、いつもあるものを肌身離さず持ち歩いていたの。
4年前にジュンの手当てをした時の、血染めのハンカチ…日常生活の中でも、それこそ戦闘の時でさえ持っていた。
ふと上を見ればそのハンカチが浮いていて…海の中に、その血もにじんで…私の血と混ざり合って…。
やがてその血が、この子の形を持った。
だからこの子は…私達の子。
『あなた』じゃなく、『私とジュン』の子なのよ…。
428:
「……分かったでしょう?そして父親は必要。
これからは親子三人で仲良く暮らすの…海の底でね。」
「扶桑さん………あなたは、狂ってる!」
「なんとでも言いなさいな…私は自分に正直になれただけ…。
ジュンを振った理由だって、本当は違う。
殺してあげる事が、ジュンの為になるって思って…本当にやってしまう前に振ったって言ったわよね?
あの時確かに、私自身そうだと思い込んでいたわ。
でもね…人をやめて気付いたけれど、実際は少し違ったの。
殺せば永遠にこの人は私のものになる。
美しい思い出も、最期の顔も全部私のものになるって……あの頃、本心はそう思っていた。
4年前の私には、まだそれを止める良心があったみたいね。
……もうそんなものは、人と一緒に捨ててしまったけれど。
ふふ….今はとても晴れやかな気分よ。
あとはジュンを同じにしちゃえば、目的は果たされる。
……そうね、でもその前にやる事があるわ。
ずっとずっと邪魔だと思ってたの…マスコミ気取りの小娘がしゃしゃり出て、随分奥まで踏み込んでくれたわね。
あまつさえ、その人をモノにまでして…。
ねぇ、青葉ちゃん……。
死 ん で ?」
429:
分裂体の口から、銃口が。
リロードの動き、発射用意。
それらは一体何コンマだったのでしょう。
死ぬ…。
そんな事がよぎって尚、体の動きが間に合わなくて。
「………させねえよ。」
目を瞑り掛けた瞬間、目の前にはジュンの姿が。
両手を広げて、これから来るものを受け止めるかのように。
『……どっ…!』
深い赤。けしの花びらと同じ色。
私の視界がその色で染まったのは、砲撃音の後でした。
432:
ぼたぼたと、床に血がこぼれて行く。
それは私のものでも、ジュンのものでも無く…
「が…はっ!?」
「“お姉ちゃん”…私を忘れてもらっては困るわ…。」
そう睨みつける赤い瞳には、明確な殺意が浮かんでいて。そこに迷いは無かった。
扶桑さんの脇腹を抉り取っていたのは、山城ちゃんの砲撃だったのです。
「アヤ、メ……。」
「姉妹だもの…どちらかが道を踏み外したなら、それは止めなくちゃ…。
青葉ちゃん、私もうちの提督から聞いたわ。深海棲艦の正体も…例え鹵獲しても、元に戻す事は出来ない事もね。」
「………!?ジュン…。」
「……ああ、本当さ。
何度か人間の比率が高い個体を生体実験に掛けたが…人に戻す事は、出来なかったそうだ。」
「ふふふ…不幸だわ。とことんツキには見放されてるみたいね。
もう戻れないなら…袂を別つしかないなら……私が殺す!」
「………そんなに、簡単には…やられないわ…!!」
「山城ちゃん!!」
分裂体が、山城ちゃんへと向かって行く。
ですがそれは、本当に一瞬のことでした。
『ぐちゅ……。』
頭から踏み潰された分裂体は、その肉を床に広げていました。
ビクビクと暴れていた小さな体も、やがて動かなくなって。
「…あ………嫌ああああああああああああああああっっっ!!!!!」
扶桑さんの悲鳴が、この部屋を覆い尽くしたのです。
433:
「…研究で、艤装は何タイプかに分けられたそうね。
本体制御による純粋な自律型、武器型……それと、本体をエネルギー源とする半自律型…。
お姉ちゃん…弱ったあなたに合わせて、こいつもこんな簡単に踏み潰された。
だから、ジュンさんとお姉ちゃんの子なんかじゃないわ……ただの艤装よ。」
「違うわ……その子は私の子よ!!アヤメ…よくも……よくもその子を!!!」
「……お姉ちゃん。」
扶桑さんは立ち上がり、山城ちゃんへ爪を向けました。
その様を見て、あの子は悲しそうに微笑んで。
扶桑さんの片脚は、宙へと舞ったのでした。
434:
「ふぅ…ふう…。」
扶桑さんはもう、反撃する力も無いのでしょう。
息を荒げながら、尚も殺意のこもった目を山城ちゃんへと向けていて。
「………また、外しちゃったわね。」
その様を見下ろして、山城ちゃんは微笑んでいました。
でも、その微笑みは…。
「あんたなんか、お姉ちゃんじゃない……お姉ちゃんの無念に取り憑いて、お姉ちゃんを操るただのバケモノよ!!
そう思わないと……耐えられないじゃない……!返してよ!私のお姉ちゃんを返して!!」
「…………!!」
微笑んだままの彼女の頬を、涙が伝っていく。
誰よりも彼女を殺したくないのは、山城ちゃんのはずで。
殺意で自分を塗り潰しても堪え切れない悲しみが、床にシミを作っていました。
435:
「ふふ……そう、ね……アヤメ…あなたの言う通りだわ…。」
「お姉、ちゃん…。」
「見て…この醜い姿……こんな目で…これだけ撃たれても、まだ…生きてる…。
そう、もうバケモノなのよ……本当は全部、分かってた……私の妄執に、過ぎない、って……。」
「扶桑さん…喋っちゃだめ!それ以上動いたら…!」
「青葉ちゃん……ごめんなさいね。さっきの話は…全部じゃ、無いの…。
確かに、あなたの事を憎らしく思った日もあった…嫉妬を押し殺して眠る日だって…あったわ…。
そんなのでも…本当は、祝福したかった……いつか、私は私の幸せをって…そう思っていた…。
でもこんな体になって…そこで糸が…切れてしまったの…。
私が弱かっただけ…ジュンを殺してしまいそうだったあの頃から…何も…変われていなかった…。
そのまま…死ぬ事だって、きっと出来た…。
でも私は……敵として死ぬなら、最期にもう一度だけ、ジュンに…会いたいって…。
……ごめんなさい…みんな…。
そうね…叶うなら…私は……ごふっ!?」
「扶桑さん!」
吐き出された赤黒い血が、白い胸元を染めて行く。
それは私達に、彼女の命が終わる事を教えていました。
でも、彼女は…。
436:
「お姉ちゃん…動いちゃダメよ!!」
「お願い…どいて……一人で、立てるわ…。」
血の跡を引きずりながら、壁の方へ這いずって。
無理矢理立ち上がった彼女は、ジュンの方へその視線を向けました。
「はぁ…はぁ……これで、狙えるわね…。
____ジュン、私を殺して。」
「……………。」
ジュンは何も言わず、拳銃を扶桑さんへ向けました。
変わらない冷徹な目……でもその銃口は、震えていて。
「……ままならないもんだな、人生って奴は。
まさか君を、こうして殺す事になるなんて。」
「ふふ…本当ね。最近ね、ちょっした夢があったの。」
「……教えてくれよ。」
「いつかあなたと青葉ちゃんが結婚したら…結婚式に行って。投げたブーケを、私が受け取るの。
それで私も、自分の時計を進めるんだって…そんな事を考えていたわ。」
「………罪な奴だな、これから君を殺すのに。」
「ふふ…そうね。もう一つ、イタズラしてもいいかしら?
最期はこんな結末だったけれど…
___私、あなたに出会えて本当に幸せだったわ。
青葉ちゃん、この人をよろしくね。」
「…………はい!!」
「アヤメ…これからは私がいなくても大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ…でも……大丈夫よ!
お姉ちゃん……大好きよ!ずっとずっと、私のお姉ちゃんだから!
どんなになっても、私はお姉ちゃんの妹!それは絶対変わらないから!!」
「……ありがとう。
ごふっ!?……時間が、無いわね…。ジュン…お願い…。」
「ジュン……。」
「ふー……。」
深く息を吐いて、銃口がぴたりと止まって。
その瞬間、彼の迷いが吹っ切れた事が見て取れたのでした。
……叔父さんの時の私も、そうでしたから。
437:
「……ままならないもんだな。理想的な日々って奴は、どこまでも逃げて行く。」
「ふふ…『バラ色の日々』かしら?追いかけても追いかけても、どこまでも逃げて行く…。
それでもあなたは、追いかけるの。青葉ちゃんと一緒にね。」
「ああ、その通りだな……。
…愛していたよ、サクラ。」
「ふふ……ありがとう。」
「……さよなら。」
438:
銃声が響いた後には、ただ静寂が訪れて。
壁の穴から入る潮騒だけが、私達に時を教えている。
心臓を貫いた弾は、扶桑さんの意識を奪っていました。
ジュンに抱き抱えられた彼女の目は、きっともう見えていないでしょう。
それでも彼女は……私達に、優しく微笑んでくれました。
ジュンの胸の中で、最期に力なくその手を落として。
私と山城ちゃんの啜り泣く声の中で、ジュンは扶桑さんの目を閉じて。
その時帽子で隠れた目元から、ひと筋伝うもの。
それだけでも、彼の悲しみが如何に深いのかは表れていました。
「…現時刻を持ち、今作戦を終了とする。
殉職した戦艦扶桑に、一同敬礼!!」
扶桑さんの遺体に、最後に敬礼をしました。
その時やっと、全てが終わった事を実感して。
嗚咽も出ない涙が3つ、ただ床を濡らしていました。
439:
こうして終戦までの間で、最も忘れ難い戦いは終わりました。
後はもう、消化試合のようなものでした。
私達は今まで以上に死力を尽くして…ただ殺して、殺して…全ての怒りをぶつけるかのように、死体の山を築き上げて。
世界的な終戦宣言が出たのは、それから数ヶ月後。
その時私達も最終作戦に加わっていて…でも作戦が終わった実感が湧いたのは、帰国してしばらく休暇をもらってからでした。
終戦とはいえ、やる事は沢山あります。
事後処理、復興支援、残党狩り…戦後もなかなか忙しい日々で、あんまり終わったって感慨にも耽られないまま。
それでも休暇の度に、お墓参りに行っていました。
私は叔父さんに終戦の報告をして、ジュンもお友達のお墓を巡って。
それと……ジュンとふたりで、扶桑さんのお墓にも。
少しずつではありますが、お墓参りの中で徐々に終戦の実感を得た感じですね。
そんな日々の中で、平和の実感も見え始めて来ました。
ずっとふたりでいられるような、そんな日々を夢見て。
……そうですねえ、夢見てました。
440:
さーて、買い物買い物っと。
最寄りのコンビニまでは、原付飛ばせばすぐ。
買い物もだけど…ちょっと今日は、やる事あるんだよね。
ほーら、あった…携帯使っちゃうと面倒だもん。
こういう片田舎だったら、結構コンビニとかに置いてあるもんだよ。
戦争も終わって、つまんなくなっちゃったなぁ。殺しが出来なくなるって分かってたけどさ。
でも、もう大人になるって決めたんだ。これからは手より頭を使わないと…ふふ。
青葉と提督……最近本当幸せそう。
色んなことがあったもんね、それを乗り越えたふたりの絆はそりゃ深いでしょ。
それこそ依存って言えちゃうぐらい、お互いが体の一部みたいな繋がりの深さ。
羨ましいなぁ…青葉の奴もそれぐらい衣笠さんに向けてくれたらなぁ……あーあ、本当提督の奴…。
……いや、でも提督には感謝しなきゃね。
そこまで青葉をべったりにしてくれた事に。
ふたりの絆は本当に深いよ…あれは結婚まで行くでしょ。
それこそ死が二人を分かつまで?なんて具合に、そう簡単には離れられない。
まさに幸せの絶頂……そんな今だからこそ……
441:
アノコカラスベテヲウバウ。
442:
ふふ、提督がいなくなったら、どうなっちゃうかな?きっと壊れちゃうかな?
でもそんな時こそ…この頼れる親友の衣笠さんの登場ってわけ。
もう一生私から離れられなくなるぐらい、ずっとずっと側で支えてあげなくちゃ…。
そう、果物は美味しく育ててから摘むんだよ。
長い事待った甲斐があったなぁ…やっと食べごろ。
言葉通り邪魔な奴を消そうと思ったら、普通は殺すしかないよね?
そう、相手が『普通の奴』だったら。
でもね……『法を犯した奴』に限っては、わざわざ手を汚す必要なんて無い。
私も大人だもん、知恵を使わなきゃ。
あそこにぶち込まれたのは、今となっては役に立ってる。
私と同じ『踏み越えた人』に、何人か会ったからね。
越えてる人の雰囲気ぐらいは何となく、分かるようになったんだ。
くす……提督、人なんて簡単に消せるんですよ。
例えばあなたみたいな踏み越えた人だったら、ちょっとコンビニか街角に行って…
この100円玉で、あなたの幸せ全部を終わらせる事が出来る。
443:
えーと、使い方は確か…100円入れて……ダイヤルを押して……あっ、掛かった。
「もしもし………。」
『艦娘の証言』は貴重…戦後処理は早くて半年……それだけあれば…。
ふふ…。
ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……。
青葉……待っててね。
445:
“どうしてお前だけ…!”
“痛い…帰りたい…。”
“お前もこっちに来い!”
赤黒い空と、血の溶けたようなワインレッドの海。
そこに浮かぶ崩壊した船の中から、崩れた骸達が次々と這い出してくる。
“提督……私、もっと生きたかった…。”
背後に視線を向けても、海面から浮かび上がる少女の骸。
悲しげに彼を見つめる少女の脇腹は、柘榴の様にちぎれ落ちている。
“ははははは!!お前も所詮俺と同じなんだよ!!人殺しめがぁ!!”
また別の場所から、今度は血塗れの白い軍服の男。
その血痕の元は、額に空いた穴から流れ出たものだ。
446:
“ジュン……愛しているわ………。”
不意に、彼の肩にしなだれかかる腕。
病的なまでに白い肌が絡み付き、首筋の吐息が掛かる。
それに振り向けば、真っ白な瞳が彼を射抜いていた。
彼自身の手でとどめを刺した、かつての恋人だったもの。
共に戦った者、看取った者。そして彼の手で殺した者。
一つ彼の前を死が通り抜けるたび、また一つ、その世界に彼を襲う骸は増えて行く。
“ジュン……。”
そこに、一際哀しげな声が響く。
彼女は唯一現実世界の生者であり、彼にとっての唯一の希望でもあった。
だがその世界の彼女は、涙をこぼしながら、こう呟く。
“うそつき。”
447:
「…………はっ……はっ……!」
肺が上手く機能せず、その息苦しさでようやく彼は目を覚ました。
窓から差し込む光は、爽やかな朝を告げている。
カーテンを開ければ、見慣れた植え込みの緑と庭。
何の変哲も無い平和な光景が、彼にはひどく他人行儀な物に見えていた。
その心は未だ、先程いた赤い海の残滓を引きずっているが故に。
戦争が終わり、今はその後の処理に追われる生活だ。
恋人との仲もより深まり、未来への希望も見え始めた。
彼は多くの悲しみと喪失の中で、必死に戦い抜いた者。
荒波を越え勝ち取った日常、本来であればそれを享受するべき立場にある。
しかし彼は今も尚、心の何処かに影を抱えていた。
448:
感情の喪失に冒されていた時期、その実彼は、無意識下では希死念慮に囚われていた。
天国と呼んでいた、臨死の世界に行く為に見出した条件。
全力で戦う末、殺される事。
それは生き残ってしまった故の、自死では拭いきれぬ罪悪感の表れだったのかもしれない。
その一方で、著しい良心の欠落にも彼は呑み込まれていた。
殺しても良い人間として悪人を選び、元帥を言葉でねじ伏せてでもその機会を得た。
男と、かつての恋人を撃ち殺した時の感覚の差。
彼の手には、その時の引き金の感触の違いが強く残っていた。
男の時は、躊躇いなど何一つ無かった。どこかで楽しんですらいた。
虫を殺す様な呆気の無さに、失望さえ覚えていた。
感情を取り戻し、失っていた間の記憶の水面下にあった様々なものは。
まるで遅効性の毒のように、平和を得た今も彼の側から離れずにいる。
それは、一抹の不安と共に。
449:
“………バレたら、どうなるだろうな。”
例え相手が悪人であったとしても、罪は罪。
直接手を掛けた以上、法の裁きは誰よりも重い。
海軍はあの戦争の専門。今回に関しては英雄だ。
もしこれが明るみになれば、その分殺した男の罪も含め、究極の不祥事となるであろう。
そして戦争を終えた今、自分達の利用価値は消滅したとも捉える事が出来る。
何かあったら、自分と元帥は国家に消されるのだろうか?果たして自分たちだけで済むのか?
そうなった時、巻き添えを食うのは?
そこまで考えるたび、彼の脳裏にはある笑顔が浮かんでいた。
夢の内容のように、見捨てられる恐怖も確かにある。
それ以上に、彼には真実を話せない理由があった。
“……もしもの時、あいつを守る為には…。”
彼女と通じ合う中で心を取り戻し、幸せも手に入れた。
だがそこへの罪悪感もまた、彼の中には深く存在するのだ。
差し伸べられた手を掴む資格など、本当は自分には無かった。
それでも掴んでしまった事は、自身の弱さの証明だ。
その葛藤と幸福の中で、彼の中に宿る、とある誓い。
部屋の片隅にある、指紋認証式の小さな金庫。
それを開けると、中には愛用の拳銃一式があった。
彼はいつものようにそれを取り出し。
マガジンに、弾丸をフル装填した。
450:
「青葉は軍に残るの?」
ある休日。
ガサと街でお茶をしていると、こんな質問が飛んできました。
戦争が終わった今、艦娘達は皆悩む話です。
事後処理が終われば、皆それぞれの道に進まなくてはなりませんから。
軍の別部署に行く人、或いは軍と所縁のある企業に就職する人もいますし、全く別の分野へ進む人もいます。
駆逐艦などの若い子達には、事情があったり施設出身の子も多くて。支援の為の法整備も進んでいました。
私はと言うと、実は決めてあります。
…とは言っても、ずっと前から決めていた事ではありますけど。
451:
「中途で出版社に採用決まったよ。
ダメ元だったけど、書いたサンプルと艦娘としての経歴を買ってくれたとこがあったんだ。」
「じゃあ引っ越すんだ?」
「うん。ジュンも終わったら神奈川に転属になるみたいだし、一緒に住もうってね。」
最初はタブロイド誌からの修行ですけどね。
何とかやりたい事へのきっかけは掴めたかなって、少し安堵したものでした。
あの戦争を通して感じてきた事を、本として世に残す。
それが今の、物書きとしての私の夢でしたから。
「ガサは?」
「私も神奈川かな。軍の出入り業者の求人あって、場所がそっちみたいだから。」
「お、じゃあ終わっても一緒じゃん。」
「そうそう、衣笠さんも一緒だよ?。」
「さすがー。」
「ふふふ。」
452:
後の気掛かりは、山城ちゃんかな。
その後も定期的に連絡したり会ったりはしていましたが、まだまだ笑顔に無理があるなって言うのが正直な所でした。
あれだけの事があれば、当たり前ではあるけれど。
実家がある関係上、あの街で就職するようです。
でも家族はまだ日本に帰ってこられないみたいで、当分は実家で一人暮らしになるって。
……扶桑さんの思い出もある家に、一人で暮らす。あの子の気持ちを思うと、少し心配になります。
落ち着いたら、遊びに行かなくちゃ。
テラスからの見慣れた街は、とても平和で。
失ったものも沢山あったけど、今は前以上に愛おしく思えます。
あの日々の中にいる間も、確かに休日にここにいるのも日常でした。
でも何処か、映画の中にいるような感覚もありましたから。
これからはきっと、前より現実としてこの中を生きて行ける。
そんな事を思いつつ、ドーナツをかじっていたものでした。
455:
その日の夕方、何となくジュンの家に寄りました。
お仕事は終わってる時間ですけど、インターフォンを押しても返事は無し。
違う所にいるのかな?と電話してみようとした時、微かに音が聴こえるのに気付いて。
これ、ギターの音?
彼の寝室は、サッシのある所。
裏庭から回り込んで、ちょっと覗いてみました。
あ、やっぱりそうだ。覗いている私と目が合うと、彼はとても恥ずかしそうな顔でギターを置いて。
可愛いなあなんて思って、こっちも思わずにししとした笑みになったものでした。
「あー、見たのか。ヘッドフォンしてたから気付かなかったよ…。」
「ふふ、良いじゃん別に。ギター持ってたんだね。」
「学生の時、軽音部だったんだよ。卒業してからも開戦までは弾いててさ。
今ならまた、弾いても楽しめるかなって。」
「このギター何だっけ?有名だよね?」
「レスポール。有名なギブソンじゃなくて、コピーモデルだけどな。
でも俺にとっては、大切な一本さ。」
「……そっか。」
456:
深くは訊きませんでしたが…彼の学生時代の仲間は、きっとその軽音の人達だったのでしょう。
夕陽に照らされたギターには、薄っすらと擦り傷が浮かんで。
その一つ一つが、彼の思い出の跡。
感情を失ってしまった時期に、私物をかなり処分してしまったそうです。
それでも手放ず、大切に保管されていた。
ギターに向けた、思い出をなぞるような眼差しに、何だか胸がギュッとなりました。
「…さすがに当時ほどは無理だけど、意外と覚えてるもんだ。
弦替えて弾いてたら、すっかり夢中になってたよ。」
「何か弾いてよ。」
「いいけど下手だぞ?」
「いいの。」
ぽろぽろと部屋に響くのは、優しくて、少し切ないギターの音。
その間は長く思えたけど…それは退屈じゃなくて、穏やかな時間に思えたからでした。
「……すごいじゃん。」
「ふふ、ありがとう。」
照れ臭そうな笑顔は、ちょっと誇らしげでもあつて。
そんな感情豊かな瞳に、また愛おしさを覚えたものです。
「いい夕暮れだな。」
「……うん。」
「…お前とこんな何でもない時間を過ごせるのが、本当に嬉しい。
それがずっと続くのが、今の俺の夢かな。」
「ふふ、ずっと続くよ。離してあげないから!」
ずっと続いて行く、穏やかな日常。
この時私は、心の底からそれを信じていたものでした。
ずっとずっと、続くんだって。
457:
それから何日かして、遂に私の艤装も解体になりました。
仕事は辞める日まであるけど、艦娘としての私は実質この日で終わり。
整備さんに頼んで、少しだけ席を外してもらいました。
最後に一度、この子と二人で過ごしたかったから。
「……『青葉』、今までありがとう。」
バラバラにされたパーツ達は、何か言ってきたりはしない。
だけど私には、分かるんですよ…初めてこの子を付けたその日から、いつでも心は繋がっていたって。
この子は、もう一人の私ですから。
叔父さんを殺したあの日、この子の辛い記憶を見ました。
今思うと…逆にあの時感じた絶望も、この子に伝わっていたのでしょう。
本来以上の力を貸してくれたのは、きっと私の怒りに、この子も自分の無念を重ねたから。
平和になったとは言え、私が代わりに果たせたのかは分かりません。
確かめる術は無いけど…外された艤装の核を手に取って、ギュッと抱きしめました。
今度こそ、この子もゆっくりと眠れるように。
「…さよなら。」
工廠の出口で、振り返ってそう囁いた時。一瞬幻が見えました。
私によく似た女の子が、満面の笑みで手を振る幻。
……あの子みたいに、笑って生きなくちゃね。
458:
その日の昼、解体の報告をする為に、執務室へ行きました。
さっきの事を話して、彼はそれを優しい笑みで聞いてくれていて。
もうすぐここでの日々も終わるけど、こんな時間だけはきっと続いて行く。
その時でした。
「……メールか?
………………。」
「どうしたの?」
「……くく……あははははははははははははははっ!!!!!」
彼が豹変したのは、携帯に目を通した直後。
それは……『あの頃』と同じ、ゾッとするような目で。
「なぁ、青葉………いや、“マリ”………。」
彼が勤務中に私を本名で呼んだのなんて、数える程しかありません。
こちらに突き付けられた携帯には、「すまない にげてくれ」とだけ書かれたメール。
差出人は、元帥からのもの。
それを見て、血液が鉄に変わったような感覚が走って。
そのまま、彼が続けた言葉は。
459:
「_____俺は、人を殺した。」
460:
直後、執務室の扉が乱暴に開きました。
なだれ込んできたのは、スーツを着た男達。
彼らが机の前に並ぶと…真ん中に立つ人が口を開いて。
「憲兵隊特捜部の者だ。
海軍少佐・後藤ジュンイチロウ、海軍大佐・____殺害の容疑で貴官を逮捕する。」
特捜部。
憲兵隊とは名ばかりの、軍内での重大犯罪を専門に扱う組織。
その権限は、容疑者をその場で……
その情報が頭を駆け抜けた時。
461:
「………動かないでください。でなければ、この子を撃ちます。」
ジュンに後ろから抱きしめられ、私のこめかみに触れたのは。
何よりも冷たい、銃口でした。
464:
「……抵抗する気か…!」
「すみませんが、簡単に捕まる訳には行かないんでね。
こちらがあなた方の実態を何も知らないとでも?元帥は今どうされていますか?」
「…知らんな。そちらは別働隊に任せてある。
もっとも、今頃天国行きの列車だろうがな。
元帥の威光も戦中までだったな、戦後の今、軍の幹部はあっさり吐いてくれたぞ。“少々骨が折れた”がな。」
「…クソ共が…!」
4発発砲し、ジュンは私の手を引いて執務室を飛び出して行きました。
後を追う特捜部の手にも、やはり拳銃が。
通りすがりの子達の悲鳴や驚愕の声も、早鐘をつく心臓も、確かに実体のはずなのに。
まるで、何処か映画のワンシーンのように思えて。
あれだけ戦場にいたはずなのに、この瞬間の景色に死の匂いを感じられない。
そんな私を置いてけぼりにするように、また銃声。
今度は、特捜部がこちらを狙ったもので。
「乗れ!」
助手席に詰め込まれ、車は急加で走り始めます。
その激しい揺れの中で、私の頭は何処かスローなものになっていました。
後ろからは黒い車が3台程。度々路面を掠める銃声さえ、現実味の無いものに感じる。
そんな中で、私はポツリと口を開きました。
465:
「………あの件は、本当にジュンなの?」
「ああ、俺さ…本当は元帥自ら手を下す所を、横取りしてな。
さっき言ったろ?俺は人を殺したって。」
「……殺した司令官は、何をしたの?」
「…憲兵隊や関連企業との癒着、兵器の横流し、無茶な戦略……ダメ押しに、駆逐の子をレ○プした挙句殺害。死体を燃やして隠蔽してた。
轟沈扱いで申告された死者も、本当に戦地で死んだか怪しい者が何人もいる。
……だけどな、俺も同じ穴の狢さ。
あの件は俺がイカれてた頃の話、だから期待してたんだ。こいつならあの場所を見せてくれるんじゃないかってな。
結果は虫を殺すようなもんだった。随分あっけなく死んでくれたよ。
今となって思うのは…仲間の仇でもあったと言う事かな。
死んだ仲間の一人は、アレの部下だったからな。」
「……私に話してたら、犯人隠避に問われるね。私、絶対黙っちゃうもん。
ただでさえ容疑者の恋人にして艦娘、何も知らなかったとしても、厳しい尋問は避けられない…。
なら私をただの人質で被害者にすれば、少なくとも私への嫌疑は薄くなる……最後は自分だけあっさり捕まってね。ジュンの考えそうな事だよ。」
「…どうだかな。少なくとも今お前は人質で、恋人に裏切られてる事実は変わらないんだが?
舌噛むぞ、人質らしく黙ってろよ。」
…………。
…へー、この期に及んでまだ悪ぶる?
466:
「ばーーか!!!!!」
「うおっ!?」
「えへへ、ちょっとあなたに深入りしすぎちゃったね。
だからお見通しだよ!それでも守ろうとしてくれてるなんてのは!
こうなりゃとことん一連托生!今更離れたりなんてしないから!」
「お前なぁ…分かってんのか!?あいつらは俺を殺しに来てんだぞ!?
実際の奴らの親方は政治家だ!俺らを消したら事を明るみに出して、戦後の今こそ軍の威光を潰したいんだよ!下手すりゃお前も死ぬぞ!?」
「……逃げればいいじゃん。」
「…へ?」
「外国だって何処だって高飛びするの!!何ならネット使ってこの件全世界に流してやる!
もうあったまきた!燃やすだけ燃やしてやるんだから!ジャーナリストナメんなって見せてやる!!」
「……はぁ?…いつから俺らはハリウッド在住になったんだよ…。」
「違う!ここはたった今からニューヨーク!マクレーンばりの悪運で生き残るの!」
「最も不運な男ってか?このシチュエーションは置いといても、俺とそいつは違うな。」
「どこが?」
「お前がいる時点でラッキーだ。それにハゲてない。」
「ひゅー、100点満点!」
「飛ばすぜ!しっかり掴まってろ!!」
けたたましいカーチェイスの音も、時折飛び交う銃声も。
全てを振り切った私達には、楽しげなBGMのようでした。
偶然だったのでしょうけど…車が逃げ出した先は、あの大岩のある方。
私達にとって、始まりの場所とも言える方角でした。
あの先に行けば、港がある。
467:
「ジュン、英語は行けるよね?」
「海軍司令官たるもの必須科目だ。」
「残弾は?」
「まだある。」
「よーし!目指すは港!作戦目標は無血のシージャックと亡命!!抜錨だよ!!」
「たった今から海賊にジョブチェンジってか?
……うおっ!?」
パン!と言う音と共に、車は激しく揺れて。
どうやら後ろからの弾が、後輪を撃ち抜いたもののようです。
でもジュンは…その時、にかっと笑ったのでした。
「……俺の敬愛するロックスターが言ってたんだ!“花柄の気分なんて一日でたった6秒”ってな!!
でもなあ…少なくともお前に会えてからは、ずっと花柄だぜ!!」
弧を描くように車のテールをぶつけて、それは追手の3台全てに当たりました。
かろうじて這い出て来た一人がこちらに発砲すると、ジュンもまた、何発か発砲して。
衝突が相当に効いたのでしょう、その銃撃戦の間に追手も気を失ってしまいました。
飛び出した私達の前には、あの砂浜。
痛む身体を引きずりながら、息を切らしてそこを駆け出しました。
固く固く、手をつなぎ合って。
468:
「ここ!あの岩の近くだね!」
「ああ!よりにもよってこことはなぁ!皮肉なもんだ!」
「…まだ終わりじゃないよ!ここを越えたら始まるの!
こうなったらボニーとクライド!どこまでだって逃げるよ!」
「……ふふ、ボニーとクライドかぁ…確かにそうだな。
……でもな。」
469:
「___蜂の巣になるのは、俺だけで充分だ。」
470:
「………え?」
突き飛ばされたと気づいた時には、もう砂の上でした。
その時、全てがスロウになって。
浜から見える海岸線に、キラリと光るもの。
その光には、見覚えがある。
あれは…スコープ…?
伸ばそうとする手の動きさえ、スロウになっていて。
必死に手を伸ばそうとしても、視界はまってはくれない。
そんな中、ジュンは。
わたしをまもるように、りょううでをひろげて。
471:
『だんっ…!だんっ…だんっ……!』
かれのむねをうちぬいたのは、さんぱつのたま。
そこでやっと、ときがそく度を取り戻して。
472:
「……嫌ああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!」
取り戻した時間の流れの中で、最初に聴いたものは。
聞いたことも無い、自分の叫び声でした。
476:
“ジュン、本当音楽好きなんだね。”
“そうだな…どんな時でも、音楽だけは手放せなかった。
おかしくなってた時期に、私物は殆ど処分したって言ったろ?それでもCDは捨てなかったからな。
ダウンロードで買った物も入れたら、外付けの中もパンパンだよ。”
“……あの時期でも、やっぱり色々聴いてたの?”
“執務室で色々流してたろ?むしろあの時期こそ、一際音楽を聴いたかな。
それこそ家に帰ってもそうだった。
元々新旧問わず色んな音楽を聴いてたけど、その中でも何故か、より一層あのバンドを好きになってた。
特にあの曲は、心を病んでた時期の気持ちにシンクロしたんだと思う。
今思えば…音楽を聴いてる間は、失くした感情を思い出せる気がしてたのかもな。
悲しいも嬉しいも、音が鳴ってる瞬間だけは思い出せる気がして。”
“………そっか。でも最近、あの曲は聴いてないね。”
“違う曲はよく聴くようになったけどな。一人の時とか。”
“何て曲?”
“お前の借りたアルバムにも入ってるよ。
あー…何か、言うの恥ずかしいな…。”
“えー、教えてよー。”
“JAM。
今はあんな感じかな。いち司令官としても、一人の男としてもな。”
“………ばーか。”
“はは…だから言わせんなって言ったんだよ。”
477:
みんなむかしは、こどもだった。
わたしもかれも。それに、あのこも。
でもいまも、きっとこどもだ。
さびしいさびしいと、なきじゃくるこどもなんだ。
みんな、みんな。
478:
「ジュン!!!」
駆け寄った先には、血の海に倒れ伏す彼がいました。
戦闘以外じゃ見た事のない、おびただしい量の血…触れただけで、私の手や服は真っ赤に染まって。
「マ…リ……。」
「ジュン!喋っちゃだめ!」
胸元には、血や制服越しでも分かる銃槍が3つ。
そのどれもが、正確に狙われたものでした。
「………その男を、渡してもらおうか…。」
そこにいたのは、特捜部のリーダーと思しきあの男。
頭から血を流していましたが…その後ろには、狙撃班が2人ついています。
こいつらが……。
「………嫌だと言ったら?」
「君を拘束してでも連れて行く。それが我々の任務だからな。」
…………。
……ジュン、少し借りるね。
479:
「……来ないでください。でなければあなた達を殺します。」
「……っ!?君を人質に取った男を、庇うと言うのか?」
「………私達は、愛し合っていました。だからこの人は渡せない。
執務室にあなた達が来た時、スマホの録音をオンにしていました。
先程、あなたは元帥を殺した事を暗示しましたね?その会話も録音済みです。
もし私達を取り押さえるならば、あなた達を殺すか……もしくは今この瞬間、あの発言をネットに流します。
……あなた達もプロなら分かるでしょう!?この人が助からない事ぐらい!!
最期ぐらい……好きに死なせてあげてよ!!」
「…………今から30分後、被疑者の死亡により任務は達成される。」
「隊長!?」
「奴はどの道助からん。ならば30分誤魔化す程度、誤差の範囲だ。
近隣の道路は封鎖している、目撃者もいない。
いいか?任務の達成は30分後だ。その間容疑者は逃亡を続けていた。分かったな?
一度お前達の車に向かう、先に行け。」
「……は、はい!」
狙撃班が先に去り、男が背を向けた時。
私は、その背中を睨み付けていました。
男がふと言葉を漏らしたのは、その時の事。
「………彼らは任務を全うしたまでだ。恨むなら私を恨め。」
「……任務であれば殺す…私達も同じでした。
でも…あなた達だけは許せない!!
私はジャーナリストです。必ずジャーナリストとして、あなた達に復讐します。」
「……せいぜい首を洗っておこう。」
480:
ジュンの肩を担いで、私は浜を歩き出しました。
担いだ方の肩に血が沁みて、それが次第に冷たくなって行く。
重いなぁ……上手く歩けないよ。
人の命って、こんなに重かったんだ……。
「バカ…だなぁ…せっかく命がけの…一芝居打ったのによ……。」
「…バカはジュンだよ。カッコつけちゃってさ。死んじゃったら意味ないじゃん。」
「男の子ってのは…カッコ付けたい生き物…なんだよ……。
例え死のうが…何だろうが……惚れた女ぐらいは…守りたい…生き物だっての…。」
「……ぐす……死んで泣かせたら、守ったなんて言わないよ!」
「はは……そう…だな……。」
理不尽な死。
戦場にいた間、何度も私を通り抜けて来たもの。
だから必死に冷静なフリをして、いつものように振舞っていました。
本当は縋り付いて、泣き叫んでしまいたい。
でも終わりを間近にした今、私は最期までこの人の恋人でありたいと思ったのです。
あの大岩だ…早く連れて行かなくちゃ。
481:
「ここは…あの岩か?」
「……うん。そうだよ。」
「登らなくて良い…無理、するな…。
少し……膝、貸してくれ…。」
膝に乗る頭は、力無さ故に重くて。
浅く動く胸は、この人の死が近付いている事を教えていました。
私は出来るだけ優しく、血まみれの手で頬を撫でて。
「良い空と…風だ……。」
「そうだね…ここの風は、本当に気持ちいいよ。」
「俺達…の…始まりの場所…だったよな……。」
「うん…ここからだった。」
笑わなくちゃ。
最期まで、笑わなくちゃ。
でも何ででしょう、そう必死にいつものように笑おうとしても…この人の頬に、ポタポタとこぼれる水滴だけが増えて行く。
最期なのに。
最期だから、上手く話せない。上手く笑えない。
そんな私の目元に優しく触れたのは…同じく血まみれになった、彼の指でした。
482:
「……あったかいなぁ…。」
「…………ごめん。笑えないよ…。」
「謝るのは…俺の方さ……ずっと隠してて…ごめんな…。
本当は…伸ばしてくれた手を掴む…資格なんて…無かったんだ…。
それでも縋っちまった……結局…このザマさ…。
最後の最後…で…泣かせちまったな…。」
「……ううん!それでも私は幸せだったよ!ジュンに会えて良かった!!
……ジュン…愛してるよ!!」
「……ありがとう…。
なあ、もう少し…顔、見せてくれ……。」
やっとの思いで作れた笑顔は、きっと不細工なものだったでしょう。
ジュンはそんな私にでも優しく微笑んでくれて、言われるままに顔を近付けると…。
「………!?
……もう。」
「……へへ…最期ぐらい……良い思いしたって良いだろ…?
愛してるよ…言わせんなよ恥ずかしい…。」
そうニヤリと笑う顔は、子供みたいで。
鉄の味のキスだけど、それはとっても暖かくて。
「……地獄、だったな…。
あの日からずっと…この世は地獄だった……。
天国なんて…言い張ってたけど……本当はそれ以上の地獄に…俺は行きたがってたのかもな…。
そんな中だったけどよ…一個分かった事が…あるんだ…。
こんな……地獄みたいな…世界でも……」
予感がする。
きっと、本当に時が来てしまう。
その先は言わないで。
でも、彼はまた笑って。
483:
「____天使ぐらいは、いたんだなぁ…。」
484:
「………ジュン。」
名前を呼んで、唇を重ねて。
体の冷たさが、一際濃いものになった時。
「“マリ”……ありがとう…。」
その言葉と共に、彼の手は頬を離れました。
最期に私の本当の名前を呼んで…それが彼の、最期の言葉。
その顔は、優しく微笑んだままでした。
485:
「…………ジュン。」
……潮風が、気持ちいいなぁ。
ずっとこんな風に、二人でいられたらって思ってる。
ずっとずっと、こんな時間は続いてくんだ。
___そう。まだ終わりじゃない。
ずっと一緒だよ。
どんなになったって、ひとりぼっちになんかさせない。
良いものがあるの。
あなたが私を守る為に使っていたもの。
それはね…あなたの拳銃。
待っててね……私もすぐ行くから。
簡単だよ……こめかみに当てて、引き金引いちゃえば………!!
486:
『かちっ』
487:
『かちっ』
『かちっ』
『かちっ』
488:
………………弾切れ。
…………そっか。逃げる時、乱射してたのは…。
彼の意図を理解した時、眠る顔が目に映りました。
それを見た時……私はとうとう、涙が止まらなくなったんです。
眠る彼は…息を引き取った時以上に、満面の笑みを浮かべていて。
それは私が大好きだった笑顔と、変わらないもので。
その時ようやく、私は彼の死を現実として理解出来たのでした。
……ずるいよ。最後にこんなイタズラしてくなんて…。
ねぇ…起きてよ……これじゃどっちもひとりぼっちじゃん。
ジュン……ねえ、ジュンってば…!
489:
何度揺すっても、目を覚ます事は無くて。
それでもずっと、笑顔は崩れないままで。
遺体に縋り付いて、私は嗚咽を漏らすばかりでした。
次第に冷たくなる体温が、夢の終わりを告げて。
やがて意識も、いつの間にか混濁してしまっていて。
特捜部が私達を確保した時。
私は意識も無く遺体に縋り付いていたと後で知りました。
こうして私達の幸せは、終戦と共に呆気なく終わりを告げました。
未来も希望も、何もかも唐突に奪われて。
この日彼は死に。
その後、ある真実に辿り着くのでした。
私はどうしようもなく、残酷であると言う真実へと。
494:
ジュンの遺体は解剖に回された後、彼の故郷へと送られました。
親族のみの密葬でしたが、葬儀に呼んでもらえて…まずご両親に会った際、私は頭を下げました。
挨拶ではなく、謝罪として。
ご両親は、捜査上での事の経緯を知らされていました。
それと…私が知る真実と、彼がどう生き、どう死んでいったのかも話して…ご両親はただ、「ありがとう」と私を抱きしめてくれたのです。
一番側にいたはずなのに、助ける事が出来なかった私を。
彼が荼毘に付されたのは、翌日の事。
火葬場に行って、棺の窓を開けて…その顔はやっぱり、あの日のまま。
最後に小窓に口付けて、無機質な鉄の扉が閉まると、炎が揺れる音が響きました。
その日は偶然、火葬場の予約はジュンだけしか無くて。
焼かれている間、私はずっと、駐車場から煙突の煙を眺めていました。
遠く遠く、どこまでも昇っていく。
煙は上に行く事はしても、こちらに吹き降りて来たりはしない。
私の頬を、一陣の風が撫ぜる事さえも。
495:
そして火葬が終わり、骨上げの時が来ました。
用意されていた骨壺は2つ。
大きな方はご家族の為に。もう一つの小さな方は…手元供養にと、ご両親が用意してくれたものでした。
焼かれてしまった彼の骨は、人の形を残しつつも、バラ撒かれたようになってしまって。
でも私には、どこがどの場所か理解出来て。
ここはいつも撫でてくれた指…ここはいつも見てた目…ここは…。
小さな骨を選んでは、それを器に入れて。
骨で熱を持った器は、桐の箱に入れても熱を持っていて…私の掌の中で、まだ生きているかのようでした。
だからでしょうか、まるで現実ではないみたいで。
寝て起きたら、いつもみたいにおはようって声を掛けてくれる気さえしてくる。
夢だと思ってるから、今泣けないのかな。
彼の実家へと戻る車の中、私はいつか膝枕をしてあげた日のように、小さくなってしまったジュンを撫でていました。
窓の外は、雲一つない青空。
「いつか故郷の景色を見せたい」なんて言ってた事を思い出して、私はずっとその空を眺めていたのです。
彼のお母さんはそんな私を見て、ただ優しく肩を撫でてくれました。
……上手く泣く事さえも出来ない、こんな冷たい私の肩を。
別れ際、お父さんは彼の遺品として、ある物をくれました。
それは最期に被っていた軍帽と…いつか私があげた、葉をモチーフにしたペンダント。
押収されたとばかり思ってたけど、ちゃんと渡ってたんだ…。
最期まで付けてくれていた、血まみれになったペンダント。
リズムが絶えるその瞬間まで、彼の鼓動のそばにあったもの。
赤い所に触れると、今でも鼓動が聴こえるようで…その幻を、一つ一つ噛み締めていました。
496:
帰りの飛行機の中。
膝の上にジュンを乗せて、ずっと窓からの景色を見ていました。
いつかふたりで南の島に行こうなんて、無邪気に話してたね。
並んで飛行機に乗る日を想像してたけど…今私の隣には、誰も座ってない。
ねぇ、ジュン。もう雲の上だよ。
人って凄いよね、ここまで空を飛べるんだ。
雲の上…天国だよね。
なのに、どうしてあなたはいないの?
イヤフォンから流れてくるのは、彼が好きだったあのバンド。
そのアルバムのタイトルは…ジャガーハードペイン。
“戦地で死んだ青年・ジャガーの魂が現代へとタイムスリップし、故郷に残して来た恋人マリーを探すストーリー”
そう銘打たれたコンセプトアルバム。
……私の“ジャガー”は、二度と蘇ったりはしないけど。
一人辿り着いた空港からは、夕暮れの海が見えました。
終戦から数ヶ月が経って、きっと平和な海を取り戻したはずで。
なのに…戦いの中にいたあの頃よりも、寂しいものに見える。
帰り道、柵に片腕を掛けて、私はずっとそれを眺めていました。
空いた手にジュンを抱えて、ずっとずっと、海を眺めて。
だから…足元にポタポタとこぼれて行くものがあったのは、私と彼しか知らない事でした。
497:
鎮守府に戻ると、皆はいつものように迎え入れてくれました。
少尉さん以外には、『重大犯罪により射殺された』と言う事以外、まだ秘密にされています。
笑い掛けてはくれるけど、皆の瞼は腫れていて……それがとても、申し訳なく思えました。
「青葉。」
「……少尉さん。」
「……渡したいものがあるんだ。」
私が葬儀でいない数日の間に、ジュンの家と執務室へ家宅捜索が行われていたようでした。
捜索の結果、押収されたのはパソコンと、凶器となった拳銃のサイレンサーのみ。
それ以外は怪しいものは無かったようですが…皆でその後片付けをした際、ある物を見つけたそうです。
それは、4通の遺書。
幸い捜索班に見付からずに済んだそれは、一つ一つ、宛先が分けられていたそうです。
1つは皆へ。
1つはご家族へ。
1つは少尉さんに。
そして最後の1通は…私へと宛てたもので。
498:
その日の夜、集会所に皆が集められました。
司令官代理として、大本営から少尉さんが抜擢された事。
全身全霊をかけて、これから退役していく皆をサポートして行く事。
それがジュンから、遺書を通じて彼へと託された願いであると言う事。
俺が必ず皆を守り通すと、彼は涙ながらに叫んで…集会所には、すすり泣く声が一つ、また一つと増えていました。
優しい態度は元と変わりませんでしたけど、ある時期を境に、本当の意味で皆と打ち解けられていたのは、私も感じてましたから。
「青葉さん…提督を助けてくれてありがとう…。」
ある駆逐の子が、涙ながらにそう言ってくれて。
私はただ、その子を抱きしめる事しか出来ませんでした。
ごめんね……助ける事なんて、出来なかったよ。
499:
「青葉…。」
「ガサ…。」
その後部屋に帰る途中、ガサと鉢合わせました。
いつものように部屋まで付いてくると、椅子に座る私を、何も言わずに見守っていてくれて。
でも今は…そんな気遣いですら痛くて。
「ごめんね……今は一人にしてもらってもいい?」
「うん…わかったよ。でもね…。」
その時ぎゅっと抱き締めてくれたのは、ガサの暖かい腕でした。
「今は受け止めきれないだろうけど…整理がついたら、きっと泣けるようになる。
もし誰かに頼りたくなったら、いつでもおいで?
“衣笠さんは、ずーっと青葉の味方”だよ。ね?」
「ガサ……ありがとう…。」
ガサも帰って、ようやく独りになれました。
机にジュンのお骨を置いて、私はそれをまた何度も撫でて。
やがて撫でる手も止めて、恐る恐る開いたのは…私宛ての遺書。
そこには、こう記されていました。
503:
『マリへ。
この手紙が読まれている時は、多分俺が殺された後だろう。
まずは謝らせて欲しい。ずっと隠しててごめんな。
お前が着任した頃は、まさか1年半したらあんな関係になるなんて思わなかったな。
あの時は俺もイカれてた時期だし、お前もまだ未成年のド新人。
最初は変わった子が来たなんて思ったけど、その後しばらくはそれっきりだったっけ。
今思えば、何となく気にはなっていたんだと思う。
そんな事を自覚する力は、あの頃の俺には無かったけど。
記者志望だからか、ぐいぐい来る子だなーって思ってた。
でもそんな所に救われたし、人に戻してもらえたと思ってる。
真っ暗な所にいた俺を、無理矢理にでも引っ張り上げてくれた。本当に感謝してるよ。
504:
能力上限解放用リング。通称ケッコンカッコカリ。
俺は艤装パーツに埋め込ませて皆に使わせてたけど、今となってはお前の時は、ちゃんと右手用の指輪として渡したかったな。
それでも左手の本物は、最後まで取っておく予定だったけど。
この手紙が読まれないままだったら、間違いなくお前と結婚してた。それが出来たらこの手紙は、こっそり燃やそうと思ってたんだ。
読まれている今、それは叶わなかったんだろうがな。
沢山バカなことをして、沢山笑い合って、沢山ケンカもした。
死んだあの子の事、お前の叔父さんの事、サクラの事。
お互いこの戦争で辛い事も悲しい事も、数えきれない程あった。
そこを超えて行けたのは、お前が側にいてくれたからだ。
俺は支えになってやれたのか、それが気がかりになるぐらいにだ。
自責の念に囚われる時も、心配かけちまう時もあって。
それでもお前に出会えて、俺は本当に幸せだった。心の底から笑えるようになれた。
どんな死に様だったのか、これを書いてる俺には知りようも無いけど。最期までそう思って死ぬんだと思う。
根の優しいお前の事だろう、苦しませてしまうかもしれない。泣かせてしまうかもしれない。
だからこそ、俺の事は忘れるんだ。
人殺しだって事を隠して、差し伸べられた手を掴んじまった弱虫の事は、さっさと忘れちまえばいい。
いつか、本当にお前を支えられる人が現れる。お前ならきっと、陽の光の下を歩いて行ける。
やっと掴んだ真の意味での平和だ、その先をずっと歩いて行くんだ。
いつかお前の書いた本が、あの戦争の犠牲者の魂と願いを後世に繋いでくれるはずだ。
俺はその夢とお前の未来を、ずっと見守ってるから。どうか未来を生きてくれ。
それが自業自得で死んだ、情けない男からのせめてもの願いだ。
追伸
青葉であり、マリであるあなたへ。
誰よりも愛してる。出会ってくれてありがとう。
後藤ジュンイチロウより。』
505:
「………ジュン…。」
最後、彼の名を記した所には…涙の跡がありました。
それを塗り潰すように、手紙に次々と新しい水滴が落ちて行く。
ジュン……私、そんなにいい子じゃないよ。
今だって…前なんて向けない…。
あの日、艤装の解体が一日遅れていたなら。
あの時、私が代わりに撃たれていたなら。
“青葉聞いた?3日ぐらい前から、○○鎮守府の提督が行方不明だって。”
……もっと早く、私が自分の気持ちに気付けていたら。
こんな事には、ならなかったのかな。
かなしくて、さびしくて、いたくて。
あなたをころしたすべてさえ、こんなにもにくいまま。
いまどこにいるの?
さむいところ?
ひとりは、さびしいよね…あっためてあげたいし、あっためてほしい。
骨壷を開けて、そこにはジュンがいて。
私はバラバラになったジュンを手に取って、彼を飲み込んで。
飲み込んだ彼が食道を切って、咳をしたら血を吐いた。
それでも飲み干す。
私の中で生きて。身体の中は暖かいよ。
血になって肉になって、ずっとそばにいて。
わたしのなかで、いきつづけて。
気付けば、小さな骨壷の中身は半分程になっていました。
掌と鏡に映る唇には、真っ赤な血がこびり付いていて。
この瞬間、彼が死んだあの日以来、初めて笑えたのです。
彼が愛してくれた笑顔とは、程遠いそれを浮かべて。
506:
その数日後、今度は特捜部の本部へと呼ばれました。
表向きは、人質への事情聴取と言う体での事。
実際の所は…あの件で隊長を務めていた男との、マンツーマンの取り調べではありましたけど。
「…………そうか。それが君の知る全てという事だな?」
「……はい。私の知っている事は、これが全てです。」
「本当に、事件そのものには関わりが無いようだな。
恋人だけは守り通すと言う、後藤の意地か…恐れ入ったよ。君を裁ける要素は、こちらでは見付けられない。」
「でっち上げでも何でも、あなた達の権限なら可能だと思いますが?」
「……出来んものは出来ん。それだけだ。」
「随分すんなり引き下がるんですね。
先程取り調べの為にと、捜査過程を聞きましたが…本来なら、それを黙って無理矢理容疑を掛けられる立場でしょう?
私に捜査過程を教えると言う事は、復讐のソースを与える事と同義だと思いますけど。
あなた達を許す事は出来ません……でもあなたもまた、自分達の存在に疑問を抱いている。違いますか?」
「………さあな。これで君への調査は終わりだ、早く帰ってくれ。」
507:
本部を後にすると、私はすぐ近くのカフェに寄りました。
メモ帳を出して、一心不乱にペンを走らせる。
そこに書き出したのは、取り調べの中で出てきた捜査経過の事。
死体は元帥の息の掛かった者達の手により、粉砕機で隠滅されていた。
その中の一人を尋問し、死体をミンチにした現場周辺から骨片を押収、DNA鑑定の結果被害者と判明。
戦後、元帥の圧力が弱まったのを機に捜査は飛躍的に進展した。
海軍幹部の一人を尋問し、元帥とジュンのやりとりが発覚した。
………そしてこれは、私にとっては信じ難いもの。
匿名の情報提供を参考に、徹底的に発生日周辺のジュンと被害者の足取りを洗った結果、糸口を掴んだ。
捜査の劇的な進展は、そこから始まった。
あの件は軍内での事件として、軍以外では告知もされていなかった…。
情報提供のポスターだって、各鎮守府の掲示板にのみ。外の交番や警察に貼り出されていた訳じゃない。
そんな限られた中で、情報提供する存在……少尉さんや裏方さん達を除けば…他は…。
………他は。
508:
本部は遠い所でした。
でも鎮守府に帰るまでの記憶は、ほとんどありません。
新幹線の中も、いつもの通り道も、朧気な記憶のまま。
そんな中…近所の公園に近付いた時、ようやく滲んでいた意識が正常に戻りました。
そこにいたある存在に、声を掛けられた事によって。
「青葉ー、おかえりー!」
「ガサ!どうしたの?」
「迎えに来たんだよ。大丈夫だった?」
「…うん、キツい尋問とかは無かったよ。」
「良かった。早く帰ろ?」
来てくれたんだ…心配かけちゃったかな。
てくてくといつもの公園を歩いていると、自販機が目に入りました。
「青葉、ちょっと休んでく?」
「うん…そうしよっか。」
ジュースを手にベンチに座ると、既視感を覚えます。
…そうだ、ここでもジュンとこうしてたっけ。
ふと選んだジュースも、その頃よく買っていたもので。
ああ、ジュンはここでよくコーラ買ってたなぁなんて、また寂しくなったものでした。
もう誰もいない時間かぁ…日が長くなったね。
「……提督、本当に死んじゃったんだね。」
「……うん。夢じゃないんだよ。」
「…まさかあの件に関わってたなんて、びっくりだよ。
あんな良い人が…元帥に命令されたのかな。」
…………。
………………。
「ねえ、ガサ……。」
「どうしたの?」
509:
「____なんでガサが、その事を知ってるの?」
510:
捜査が終わるまでは、何故殺されたのかはまだ秘匿義務がある。
真相は、私と少尉さんしか知らない。
それをこのこは、どうしてしってる?
少尉さんや裏方さん達以外に、通報した可能性のある者……日頃接する機会が多い分、不在だった事を知りやすい者……。
それは、艦娘。
ガサはしばらく、黙ったままでした。
でも……少し口角を釣り上げると……
511:
「____何のこと?」
512:
ガサは蝶が羽を開くかのように、そう笑ってみせたのでした。
いつかの夜や、防空棲姫と化した母親を殺した時と同じ…。
ゾッとするような、あの笑顔で。
515:
「……………ガサ。」
「何?青葉。」
まるでさも何もないかのように、あの子は笑う。
何も悪意など無いかのように、薄らとあの子は笑う。
……嘘、だよね。
そんな私の気持ちを嘲笑うかのように、頭の中では次々と点と線が繋がって行く。
そうだ、あのバラバラ殺人も…
あの時現場の近くにいて。
捕縛術や体術を齧ったことがあり。
__そして、殺人と解体の経験がある者は。
516:
「………ガサ、まさかあの事件も…!」
「そっかそっかー、さっきうっかり口滑らせちゃったね。
でもやっぱりそうだったかぁ、アレ提督が殺っちゃったんだ。ただ、『そう言えばあの日いなかった』って、電話しただけなんだけど。
でも流石だね、そっちも気付くなんて。
確かにあのバラバラ事件も衣笠さんだよ?」
「……どうして…。」
「どうしてって?何も悪い事してないじゃん。
あのクソ野郎は天罰下しただけだし、提督だって犯罪隠して青葉と付き合ってた嘘吐きだよ?
あのヤリチンが死んだ時、スッキリしたでしょ?
提督も嘘吐きだから、通報しただけ。
青葉にはあんな奴いらないよ……ね?」
「…………!!」
その時私は、人生で最大の恐怖を感じたのです。
戦場のどんな敵よりも、死を意識したピンチよりも、何よりもおぞましいもの。
怪物としか言いようの無い、絶対的な狂気。
そんなものを感じさせる視線が、目の前の親友から放たれている。
その現実を前に、私は石のように固まってしまったのです。
517:
「……むぐっ!?」
「……………。
………ぷはっ。ふふ、そんな顔も可愛いね…。
…青葉だけだよ、私が人殺しだって知っても離れなかったのは…。
言ってくれたよね、ずっと友達だって…嬉しかったなぁ…。
だから要らないの。邪魔する奴らは皆要らない。
クソ野郎も嘘吐きも、皆消してあげたでしょ?
あんたの嫌いな奴ら、あんたの邪魔する奴ら、これからも皆消してあげる。」
「………ガサ…どうして…。」
恐怖で歯がカチカチと鳴り、息が上手く出来ない。
殺意の無いガサの目は、その実何よりも鋭いナイフのように見えて。
「あんたが欲しいだけだよ?もう寂しいのはヤなの。
邪魔なんだよ、皆。だからどかしただけ。
ゴミを捨てるのに何か感情なんて持つ?持たないよね?
提督、良いように利用出来たと思ったんだけど。失敗しちゃったなぁ。
人殺し同士、仲間になれるかと思ってたけど…ダメだったね。役立たずだよ。」
「…………!!」
518:
ですが、私の中が水を打ったように静まり返ったのは…その言葉を聞いた時でした。
……これまでのガサとの記憶が、頭を巡ります。
楽しかった思い出や、いつもの日常…走馬灯と言う奴でしょう、それが次々巡っては消える。
死んでしまうのは、私ではないけれど。
「………ガサ。」
「あはっ…青葉……分かってくれるんだね…。」
優しく抱きしめて、ガサの温もりを感じて。
見えないけれど、肩に落ちる水滴の正体は、きっとこの子の涙。
苦しかったのでしょう、寂しかったのでしょう。
故に、壊れてしまったのでしょう。
……でもね、ガサ……。
私はあなたを許さない。
519:
首を絞める意味は無い。手を汚す価値も無い。
この子の返り血なんて、浴びたくもない。
私の存在に、依存してたんだね…だからこの子を殺すのに、凶器も暴力もいらない。
『言葉は剣よりも強し』……ただ優しく、耳元でこう囁けばいい。
この子に一番、言ってはいけない事を。
520:
「___気持ち悪いんだよ、この人殺し。」
521:
「…………。
………ふふ……あはっ…あはははははははは……。」
公園にこだましていたのは、あの子のか細い笑い声と、立ち去る私の足音だけ。
それもやがて風の音に呑まれ、聞こえなくなっていました。
ガサが死体で見付かったのは、翌日の事。
自室で血の海に倒れ臥すあの子は、笑いながら泣いていました。
首にはナイフのためらい傷がいくつもあって、最後の一撃がようやく動脈を切ったようでした。
かつて母親を殺した時のように、あの子もまた、同じように死んだのです。
522:
『私は愛されたいだけのバカでした。
みんな、ごめんなさい。』
523:
遺書として残されていたメモは、真実を知る者にしか分からない内容で。
動機不明のまま、ガサの死は自殺として処理されました。
血が飛び散った壁には、いつか二人で撮った写真が飾られていました。
写真の私は血で真っ赤に染まっていて…それを見た時、悲しさや虚しさより、気持ちの悪さを覚えたものでした。
あの子の葬儀には行ったんです。
でも…焼かれて小さくなってしまったガサを見ても、ジュンの時のような感情は抱けなかった。
スッキリしたとも、ぽっかりしたとも言えるような虚しさ。
私が感じていたのは、ただそれだけでした。
その後最後の仕事を終えた私は、逃げるように軍を去りました。
就職の為に借りたのは、二人で住もうとしていた神奈川じゃなく、都内の小さなアパート。
何よりも先に開けた荷物は、ジュンの遺骨と遺影。
それをタンスの上に置いて、ただボンヤリと夕日を浴びていました。
524:
こうして私の戦争は、終わりを告げたのです。
平和も取り戻し、新たな日々が始まる。
皮肉な事に、あの戦争で得た大切なものも確かにあった……それも最後は全て無くしてしまったけれど。
仇を討ちたいと願った叔父さんは、怪物に変えられ。
この手で、叔父さんを殺し。
あの戦争を通じて出会った恋人は、終戦と共に国家に殺され。
そして最後に。
あの戦争を通じて出会った親友を……
私は、この喉で殺したのでした。
ジュン…もうすぐ仕事が始まるよ。
ひとりだけど、あの日みたいに、泣いたりしないから。
大丈夫、大丈夫だよ。
もう、『泣けない』から。
528:
いつかのおおいわのうえで、わたしはわらっていた。
ふたりでいればどこでもてんごくだって。
あのひともつられてわらった。
かたくかたく、つないだてとこころ。
そこにあったもの。
なみおと。
すな。
たいよう。
かぜ。
あおいうみ。
えがお。
けしのはな。
とりがとぶ。
じゅうせい。
おとのないせかい。
きょむ。
てんごく。
そのなかで、なまなましくかんじたもの。
ちのにおい。
529:
………また、あの夢…。
時計に目を移すと、朝の8時でした。
もう何度見たのか忘れてしまった、あの頃の夢。
寝室から出て、キッチンで水を飲む。
体内を通る冷たさが、何とか意識を今に連れ戻してくれる。
それが今の、朝の日常です。
『お疲れ様です。
予定通り14時にお伺い致しますので、よろしくお願い致します。』
今日は…14時に打ち合わせか。それまでは仕事かな。
あれから8年。
今の私は、とある在宅の仕事をしています。
それと同時に、艦娘を辞め記者になる時に捨てた『青葉』を、またやっているんです。
『青葉マリ』
艦娘としての『青葉』と、本名である『マリ』を掛け合わせたもの。
それが今の、小説家としての私の名前。
530:
あの後3年程記者をしていましたが、『あるスクープ』を書いたのを機に、当時いた出版社を辞めてしまいました。
深海棲艦との戦争中に起きた、軍のとある不正をスクープしたんです。
世間は大変な騒ぎとなり、軍や政界に逮捕者も続出。挙句には、当時の関係者の自殺と言った事態にまで発展しました。
…ジュンの犯した罪も殺人ではあるけど、それ以上の謂れのない汚名だけは晴らせたのです。
ですが私の書いたスクープにより、特捜部の隊長は自殺した。
彼はどこか、復讐を望んでいるような印象もありましたが…今となっては、真相は闇の中。
『お見事だ、完敗したよ。』
自身の胸を三発撃ち抜いた彼の側には、綺麗な字でそう書かれたメモが遺されていたそうです。
……私の紡いだ言葉が、また人を殺した。
それを噛み締めた時、『あの子』の時のような空虚さを感じたものです。
531:
その後少しの間は、フリーの記者として食いつなぐ日々でした。
機を同じくして、知人から小説の執筆を勧められたんです。
仕事の暇を見ては書き続け数ヶ月。それがある大きな賞を取り、私のデビュー作となりました。
その小説は…死の淵から生還した軍人の辿る、苦悩と再生の物語。
…デビュー作以降も、次々と作品を世に出しました。
助からない事故に遭遇した記者の、最期の20分。
幼い少女が辿る、残酷な運命の架空戦記。
精神を壊した青年と、その恋人が辿る結末。
愛を欲していただけの、殺人鬼の少女の世界。
どの作品も、世間からすればヒット作となりました。
映画化やドラマ化もされ、側から見れば私も売れっ子になれたのでしょう。
でも私にとっては…物語としてでも、あの人達が生きた証を残す事。そちらの方が余程重要でした。
処女作の刊行から4年を経た今でも、本屋さんに置かれている。それだけ多くの人の手に、彼らの生きた跡が渡っている。
売れた事以上に、その事が何より嬉しかった。
記者として復讐を果たした今、私が生きる意味はそれしか残っていませんから。
532:
書いて…書いて……来る日も来る日も書き続けて。
気付けば手首はタイプのし過ぎで腱鞘炎になり、視力も随分落ちて。
もう三十路手前で、7つ違いのジュンより年上になってしまいました。
それと…あの頃と違って、髪をバッサリと切ったんです。
この前出版社のパーティに着る服を買いに行ったら、勧められたスカーフと帽子も違和感が無いようになってしまって。
もうおばさんだなぁ…なんて、切なくなったりしたものでした。
心の中は、今でもジュンが好きなままなのに。
小さなアパートから始まった都内での生活も、気付けばそこそこのマンションに一人で暮らす日々。
ずっと変わらないのは、すぐ見える位置に置いたジュンの遺影と遺骨で。毎日お線香をあげて、その日あった事を話すんです。
写真の彼は、笑顔で聞いてくれている気がするから。
「????♪」
決まってそんな時は、彼の好きだった音楽を部屋に流して。
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