【モバマス】月を想うback

【モバマス】月を想う


続き・詳細・画像をみる

1:
・地の文
・独自の設定、解釈を含む
・以前書いたものと同じ世界線
↓読まなくてもたぶん大丈夫だけど関係のある話
【モバマス】千夜の姫に宿る炎
2:
それは、故郷のものとは比べるべくもなかった。
古く、小さく、質素だった。
けれど、そんなことは重要ではない。
ここは、あの方にとって大切な場所なのだから。
何よりも大切なあの方が、愛する場所なのだから。
だから私には、不満など欠片もなかった。
3:
***************************
ここに来るのは何時振りだろうか。
つい昨日のことのようにも、遥か昔のことのようにも思える。
別れは初めから決まっていた。
しかし、だからといって惜別の念が薄まるわけではない。
常に傍にあり続けた日々が唐突に終わり、私は大きな喪失感に打ちのめされていた。
だから、でもあるのだろう。
こうして私は、ここに戻ってきた。
託された想いと、何より私自身の為に。
4:
――――――
――――
――
年季の入った呼び鈴を押すと、ビーッという間の抜けた音が響いた。
その音と入れ替わるように、足音が近づいてくる。
ドクンと、心臓が跳ねる。
こんなことではいけない。
私は常に冷静で、頼りにされる存在でいなければならない。
親しさに甘えることなく、信頼と尊敬で結ばれていなければならない。
それが正しい在り方なのだから。
これまでもそうしてきたのだから。
目の前の扉が開かれるまでの数瞬、静かに息を整える。
雑念を追い出し、あるべき自分を取り戻すために。
5:
カチャリと。
見た目通りの軽い音を立てて扉が開く。
「お久しぶりです、お嬢様」
どうか、いつもの自分に戻っていますように。
そんな願いを内に秘め、用意していた言葉を紡ぐ。
必要以上に感情を込めず、かといって他人行儀にならないように。
「……お嬢様?」
その試みは、果たして実を結んだのだろうか。
その答えを知る人は、何も言ってくれない。
まさか、私のこと忘れて……?
いや、それはありえない。
お嬢様はそんな方ではない。
それに、今日こちらに着くことは予めお伝えしておいたのだ。
だから、そんなはずはない。
ないに決まっている。
そうでなければ私は……
6:
『……ずっと考えていたんだけどね』
まるで意味を成さない思考を、待ち望んだ声が遮る。
慣れ親しんだ言葉に乗せて、懐かしい声が響く。
『いらっしゃいとお帰りなさい、どちらがふさわしいのかしら?』
小首をかしげたお嬢様は、そう仰った。
私などにかける言葉を、真剣に考えてくださっていたのだ。
歓喜に身が打ち震える。
『……お嬢様のお好きな方で』
何とかそれだけ言うことが出来た。
それ以上は、口元からこぼれる喜びが止まらなくなってしまう。
せめて、見苦しい顔になっていないことを祈ろう。
「えへへー、お帰りなさいですよ」
世界で最も美しい花が咲いた。
7:
***************************
幼少期のライラお嬢様は、どこにでもいるような女の子だった。
好奇心旺盛で、人懐っこくて、少々お転婆で。
そして、誰かが喜ぶ顔を見るのが好きな、思い遣りのある方だった。
長じるにつれて、家格に合った立居振舞を身につけられていったけれども。
その本質は、きっと変わっていなかったのだろう。
この国で健やかに暮らすお嬢様を見て、その思いは確信に変わった。
8:
――――――
――――
――
この国にいる間、私はお嬢様の保護者ということになっている。
一介の使用人に過ぎない私が、だ。
畏れ多くはあるが、務めはしっかりと果さなければならない。
如何なる立場であっても、お嬢様をお守りするという役目に変わりはないのだから。
理屈はそうなのだが、何故か胸が躍っている。
こんなことではいけないと、自分に言い聞かせる。
浮かれていていい立場ではないのだから。
9:
「いつもライラがお世話になっています」
仕事柄、表情を取り繕うことには慣れている。
どこにでもいるような保護者の仮面で、挨拶をする。
「ふふ、私は何もしちゃいないよ」
アパートの大家さんは、そう言って笑った。
「また遊ぼうって、ライラねーちゃんに言っといて!」
隣の部屋の男の子は、そう言って駆け出した。
「またオマケ用意しとくからさ。ライラちゃんも連れてきな」
商店街で魚屋を営むご主人は、そう言って私の背中を叩いた。
誰もがお嬢様を、好意的に受け入れてくれていた。
それが自分のことのように嬉しい。
10:
とはいえ、別に驚くようなことではない。
お嬢様は昔からそうだったのだから。
人には、大なり小なり善意がある。
同様に、悪意もまた存在している。
それは自然なことだ。
けれどお嬢様は、いつの間にか相手の善意の顔を引き出してしまう。
特別な何かをしているわけではないのに、だ。
それはきっと、お嬢様の心がそうさせるのだろう。
幸せのお裾分けと、お嬢様は言う。
その姿勢が、知らず伝播しているのだろう。
そしてそれは、この国でも変わることがなかったのだ。
だからなのだ。
異国の地にあっても尚、お嬢様がお嬢様であることが嬉しい。
そんなお嬢様に仕えられることが嬉しい。
図々しくも、ライラと呼べることが嬉しい。
身の程を知らぬこの感情を、けれど、口に出すわけにはいかない。
私はあくまで、使用人なのだから。
11:
***************************
「お忙しい所を失礼いたします」
「こちらこそ。ご足労頂きありがとうございます」
テーブルを挟んで、スーツ姿の男性と向かい合う。
仕立ての良いスーツを身に着け、けれど、気取りや嫌味は感じられなかった。
穏やかで、それでいて意志の強そうな光が目に宿っている。
彼は、とあるアイドル事務所のプロデューサーだった。
そして、お嬢様がお世話になっている方でもある。
お嬢様はここで、アイドルとして活動しているのだ。
それを容認すべきなのか。
あるいは、別の道を進むように説得すべきなのか。
これからの話の内容によって、私のスタンスが決まる。
12:
時折届く手紙には、アイドル活動のことも書いてあった。
お嬢様は、アイドルに大きな価値を見出しているらしい。
だからといって、無条件にそれを認めるわけにはいかない。
お嬢様自身の意志と、周囲の環境とは別の問題なのだから。
「こちらが、これまでのライラさんの活動記録です」
そう言って差し出されたファイルは、それなりの厚みがあった。
お嬢様の努力の賜物、ということなのだろう。
何がお嬢様をそこまで惹きつけるのか。
その答えの一端が、この中にあるのだろうか。
13:
「拝見します」
ファイルの中には、様々な写真もあった。
アイドルとしての活動を映したもの。
何気ない日常を切り取ったもの。
一緒にいるのは、アイドル仲間なのだろうか。
揃いの衣装で舞台に立つお嬢様がいた。
これは握手会、というものだろう。
ファンと思しき男性の手を握るお嬢様は、嬉しそうだった。
珍しい困り顔のお嬢様がいた。
どうやら、隣の少女に字を教えてもらっているらしい。
おそらく、特別にあつらえたものなのだろう。
故郷の民族衣装を模したドレスで、お嬢様は優雅に舞っている。
屋上らしい場所で洗濯物がはためいている。
それを干したらしいお嬢様が、得意顔でこちらを見ている。
14:
様々なお嬢様の写真には、共通するものがあった。
笑顔も、それ以外も、嬉しさや楽しさで彩られている。
それは私が知るお嬢様であり、私が知らないお嬢様でもあった。
それが無性に嬉しくて、同じくらい悔しかった。
私とて、幼少のころよりお嬢様にお仕えしてきた自負がある。
だからこそわかるのだ。
このお嬢様の表情は、お嬢様一人のものではないと。
ただ楽しい、ただ嬉しいだけでは、お嬢様はこんな風には笑わない。
周りにいる人々の笑顔がなければ、こんな風には笑わないのだ。
それはファンからの応援もあるのだろう。
同じアイドルの仲間との信頼、切磋琢磨もあるのだろう。
そして、目の前の男性の支えも、もちろんあるのだろう。
どうやらお嬢様は、遠い異国の地で素晴らしい環境を手に入れられたようだ。
それが素直に嬉しい。
そこに、私は何一つ関われなかった。
それがひどく悔しい。
15:
なんと大それたことをと、そう思う。
私はあくまで使用人に過ぎないのだから。
なんと不敬で、なんと幸せな悩みであることか。
「どうかされましたか?」
黙り込んだ私に声がかかる。
ついと顔を上げると、落ち着いた眼差しが待っていた。
「いえ。いい写真だな、と」
私は、お嬢様の身辺警護役も務めてきた。
その任にあって最も重要なことは、事前のリスク排除である。
そもそも、危険な場面に遭遇しなければいいのだから。
とはいえ、いかなる時にも不測の事態というのは起こりうる。
だからこそ、私のような者が必要なのだ。
周囲に不穏な空気はないか。
人の流れに不自然さはないか。
相対する人物に害意はないか。
影のように付き従いながら、四方に注意を飛ばす。
いつ何が起きても、平然と対処できるように。
決して、主人に不安を抱かせることがないように。
その経験が積み重なれば、人を見る目も養われる。
言葉を交わし、所作を見れば、その人となりが分かる程度には。
もちろんそれを過信するわけではない。
けれど少なくとも。
目の前の男性が信用に値することは、間違いないらしい。
16:
だが、だからといってお嬢様を任せていいかは別問題だ。
お嬢様と信頼関係を築けていることは事実。
信用できる人物であることも分かった。
けれど、それだけでは足りないのだ。
「こっちは、内々の写真なんですが」
その言葉と共に、数枚の写真が差し出される。
ファイリングされていないということは、つい最近撮ったものなのか。
あるいは、誰かに見せることを想定していなかったのか。
深く考えずに写真を手に取り。
頭が真っ白になった。
17:
写真の中のお嬢様は箒を手にしている。
それはいい。
お嬢様はアパート周囲の清掃を日課にしているらしいので、それは問題ない。
問題はその服装にあった。
クラシックな、モノトーンのエプロンドレス。
私のような使用人が身に着けるのならばともかく。
よりによってお嬢様が。
こんなことはあってはならない。
お嬢様と我々では、根本的に立ち位置が違うのだから。
18:
……しかし。
「別のアイドルの企画だったんですが、本人が着たがりましてね」
説明の声は、全く耳に入ってこなかった。
何ということだ。
これは一体、どういうことだ。
すぐにでも抗議の声を上げるべきだ。
メイドの衣装など、お嬢様には相応しくないと。
私は、そうするべきなのだ。
だが何故だ。
一向に言葉が出てこない。
写真から目が離せない。
思考の乱れが収まらない。
……ああ、そうか。
そういうことなのか。
19:
「…………素晴らしい」
認めないわけにはいかなかった。
写真の中のお嬢様は、あまりにも可憐で。
私は一目で魅了されていた。
後生大事に掲げていた忠義の仮面は、いともたやすく砕け散った。
「でしょう?」
目の前の男性は、嬉しそうに目を細める。
私の葛藤を、私の悔しさを、そのままぶつけてやりたくなった。
いや、流石にそれは愚痴にすぎる。
それこそ、私の立つ瀬が無くなってしまう。
20:
「ちなみに、これはまだ企画段階なのですが」
必死に平静であろうと努めている最中、新たな書類が差し出された。
写真越しにも森閑とした様子が伝わってくるような。
派手さとは無縁の、けれどどこかに気品を感じさせるような。
そんな神社の写真だった。
「……っ!?」
次のページに目を移すと、衣装の資料が載っていた。
純白の上衣に真紅の袴。
更にその上から羽織るのだろうか。
うっすらと模様が刺繍された、白く輝く薄手の上着のようなもの。
「これは、巫女……ですか?」
「ええ、こういった衣装を着るイベントがありまして」
21:
この衣装を、お嬢様が。
理解した刹那、頭の中を映像が駆け巡る。
雷に打たれたようにとは、こういう時に使うのだろう。
最早私に、使用人としての理性は残っていなかった。
「問題がなければ、ライラさんを推していくつもりなのですが」
問題?
一体どこに問題があるというのだ。
お嬢様に何の不足があるというのだ。
「問題というのは……?」
無意識に冷たい声が出た。
不意の乱入者に対した時の、誰何の声。
それはそうだろう。
既に私の頭の中では、巫女装束のお嬢様が微笑んでいるのだ。
それは、誰も文句のつけようがない麗しさだった。
にもかかわらず、問題?
返答次第では、それなりの対応をしなければなるまい。
22:
「本来これは、この国の神々に仕える女性の装束ですので」
威圧的とさえ言える私の問いに、彼は正面から答える。
そこに気後れは感じられなかった。
彼に対する評価が、一つ好意的なものになる。
そして、向けられた視線で意図を察することが出来た。
彼はお嬢様だけでなく、その実家にも配慮してくれているのだ。
それが何時になるのかは分からない。
けれどお嬢様は、何らかの形で旦那様と決着をつけなければならない。
その時に不利な材料になりはしないかと、そう言っているのだ。
23:
「お心遣いありがとうございます」
しかし、その点についてはそれほど気にする必要もないだろう。
そもそもの話、旦那様がそういった点で厳格な方であったならば。
家出という選択肢は、最初から存在しないのだから。
よしんば家出が出来たとしても、だ。
その累は、関わったもの全てに及ぶだろう。
それこそ、この国の常識では考えられないような形で。
それが分かっていて家出を実行できるようなお嬢様ではない。
「むしろ、どんどんやっていくべきかと」
旦那様はお嬢様を溺愛している。
少々行き過ぎた親馬鹿と言っても差し支えはあるまい。
だからこそ。
いっそのこと骨抜きにしてしまえばいい。
それは決して、お嬢様の不利になることはない。
24:
「ふふ」
小さな笑い声が耳を打つ。
「貴女のように、ですね?」
さっきまでとは別人のような顔だった。
ニヤリと歪んだ口辺。
意地悪く光る瞳。
そこには、誠実さの欠片も残っていなかった。
私の内心の変化を確実に見抜いて、そこを突いてくる厭らしさがあった。
「ええ、その通りです」
思わず笑みがこぼれる。
今まで見せてきた仮面のそれではない、本心からの笑みだった。
私を見る目が見開かれる。
それはそうだろう。
反感を買うことはあっても、喜ばれるようなことはない態度だったのだから。
25:
だが、私は嬉しかった。
彼ならば大丈夫と、そう思うことが出来たから。
世の中には、善意と悪意が入り混じっている。
善意の姿をした悪意もあれば、その逆もまたしかり。
それは簡単に色分けできるようなものではない。
アイドルの世界とて例外ではないだろう。
だが、それを理解するには、お嬢様は純粋すぎる。
なればこそ。
そんなお嬢様を任せるには、誠実一辺倒では足りないのだ。
時にズルく、時に抜け目なく立ち回れる人物でなければ。
彼にはそれが出来ると、そう信じることが出来た。
26:
私のその確信は、言葉にするまでもなく彼に伝わったらしい。
瞳に宿った柔和な光がそう物語っていた。
「一つ、約束をしていただけますか?」
「何を、でしょうか」
しばしの沈黙を挟んで発した声は、今までとはほんの少し調子が違った。
彼はその些細な変化を見逃さず、ごく自然に居住まいを正す。
こういうことをサラリとしてのける人物は、大抵油断がならないものだ。
味方で良かったと、改めて思う。
27:
「お嬢様を悲しませるようなことはしない、と」
「引き受けました」
答えは即座に返ってきた。
何の気負いも見せずに、当然のこととして。
けれど決して、安易に頷いているわけではない。
それは、目を見れば分かる。
わざわざ言葉にする必要などなかったのだ。
彼ならば私の意を汲んでくれると、分かっていたのだから。
それなのに、こんなことを口にする。
お嬢様の為、というのも口実に過ぎない。
お嬢様が歩むのは、私が知らない世界、手の届かない世界だから。
遠くから見守ることしかできないから。
ただ、それが不安だから。
だからこんな約束にすがってしまう。
私の心を慰める為に。
私も随分、惰弱になったものだ。
28:
――――――
――――
――
その後は、双方の今後についての説明、ということだったのだが。
そもそも私は、アイドルとしてのお嬢様の活動方針に口を出す気などはない。
素人が無用な干渉をしても、邪魔にしかならないだろう。
それに私は、彼に任せると決めたのだ。
ならばもう、私の出る幕ではない。
まあ、あくまで先ほどの約束が守られている限り、ではあるが。
そう言って説明を断った私に、苦笑が返ってきた。
「責任が一層重くなりましたね」
心底困ったような、それでいて誇らしげな。
そんな表情が印象的だった。
29:
残る問題は連絡方法くらいだった。
とはいえこちらも、それほど大きな障害があるわけではない。
何しろ私は、日本を含めた周辺地域でお嬢様の捜索をしていることになっているのだから。
お嬢様を残して帰国した私の、腑抜けた様を見かねたのか。
あるいは奥様からの進言があったのか。
日本という国に、個人的な縁があったことも幸いしたのだろう。
私は、こちら方面のお嬢様の捜索を旦那様から任されることになった。
もちろん、お嬢様の不利になることをするつもりはない。
かといって、日本に居続けたのではいずれ露見するだろう。
その辺りは状況に応じて動く必要がある。
しかしそれは、私が自由に動けている間は大丈夫ということだ。
もし急を要する事態になったとしても、やりようは幾らでもある。
だから、必要以上に気に病むことはなかった。
30:
「最後にお尋ねしておきたいのですが」
「何でしょうか?」
緊急時の連絡方法の打ち合わせが終わると、特にすべきこともなくなった。
だから一つ、お願いをすることにしてみた。
少し前の私なら、口にも出せなかったようなお願いだ。
「この中で、持ち出しても構わない写真はありますか?」
旦那様はともかく、奥様にはお見せしたいから。
そんな言い訳は無用だとばかりに、笑みが返ってきた。
懐に、新たなお守りが加わった。
31:
***************************
月の光には不思議な力が宿っているのだろうか。
何の変哲もない光景が、どこか幻想的に映る。
妖しい雰囲気を漂わせて、それでいて優しく迎え入れるように。
白く浮き上がった公園が佇んでいた。
「……随分と感傷的なことで」
自嘲を刻んだ笑みがこぼれる。
張り詰めていたものが切れたような。
かといって、何かが足りないというのでもない。
そんな宙ぶらりんな感情を持て余して、手近なベンチに腰かける。
頭上の月は思っていたよりも大きくて、ただ静かにそこに在った。
32:
お嬢様は今頃、夢の中だろう。
就寝には少々早い時間なのだが、お嬢様は笑っていた。
なんでも、電気代の節約も兼ねているのだとか。
かつては考えられなかったことだ。
けれどお嬢様は、そんな生活を心底楽しんでおられる。
ならば、それもいいのだろう。
「ふふっ」
久しぶりの故郷の料理はとても喜んで頂けた。
お腹をさするその姿は愛らしく、腕を振るった甲斐があったというものだ。
その時のことを思い返すと、満たされた感覚になる。
初めてこの国に来て、お嬢様と二人で過ごした日々。
あれから幾ばくかの時が経ち、それぞれに変化はあったけれども。
それでも、そこに流れる時間は懐かしく、かけがえのないものだった。
33:
自分の心の動きが分かったような気がした。
今までもこれからも。
私にとってお嬢様は、全てを捧げるに値する方だ。
そのお嬢様が今、自分で選んだ道を歩いている。
ならば私は応援したい。
使用人の職分だとか、保護者役としての責務だとか。
そんなものは関係ない。
ただ、私がそうしたいのだ。
だがそれは、否応なく変化を連れてくるだろう。
どう変わるのか、いつ変わるのか。
そんなものは、到底予測できるものではない。
私はそれが、恐ろしいのだ。
34:
「……何とも身勝手なことですね」
吐き出された嘆息に、月は何も答えない。
ただ、冷たく柔らかい光で辺りを照らしていた。
「おー、こちらでございましたですか」
この場で聞こえるはずのない声だった。
私が聞き間違えるはずのない声だった。
声のした方に視線を向けると、そこにいたのは予想通りの人物だった。
月光を受けた髪が白金に輝いている。
それは息を呑む美しさで、けれど、浮かべた笑顔は見慣れたそれだった。
「何かございましたですか?」
ちょこんと隣に腰かけて、エメラルドグリーンの瞳が私を捉える。
そんな仕草もまた、私がよく知る姿だった。
「いえ、月が綺麗でしたので」
この期に及んで、私は本音を打ち明けられないでいた。
格好良く、頼りになる存在でありたいと。
手前勝手な見栄を捨てられないでいた。
「おー、本当でございますねー」
私の言葉を額面通りに受け取って、お嬢様は月を見上げる。
かさかさと葉を鳴らす風が、夜の静けさを一層引き立たせていた。
35:
世界に二人きりで取り残されたような錯覚に陥る。
もしそうなったら、私はどうするのだろうか。
世界がどうあれ、私がお嬢様の為に尽くすことに変わりはない。
それはいい。
では、心に占める想いはどうなるのだろう。
主人に対する忠誠と、お嬢様個人への親愛と。
使用人としての矜持と、私自身の想いと。
何も気にせず、思いのままに振る舞えるとしたら。
一体、私はどうするのだろう。
そこまで考えて、結論を得る。
そもそもこんなことを考える時点で、答えは出ているのだ。
これまで築き上げてきたものを否定したくなかった。
けれど、私自身を否定することも出来なかった。
36:
『私は、そんなに頼りないかしら』
小さな呟きが沈黙を破る。
お嬢様は、相変わらず月を見上げていた。
『悩みがあるのなら、聞かせて欲しいの』
『何、を……』
私の視線に気付いたのか、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
その表情はとても穏やかで、言葉を繋ぐことも出来なかった。
『私では力が足りないかもしれない。でもね』
口元に優しく笑みが浮かんでいる。
労わるように、慈しむように。
『誰かに聞いてもらうだけで心が軽くなるって、そう教わったから』
今までに見たことのない、一人の女性としての顔。
フッと、奥様の面影が走った。
いつの間にか、お嬢様はこんなに立派になられている。
最早、一方的に庇護されるだけの存在ではないのだ。
ならば。
私もきちんと答えなければならない。
立場も、建前も、全てをかなぐり捨てて。
それが、人としての礼儀だから。
『お嬢様、私は……』
37:
どこからともなくやってきた雲が、月を覆い隠す。
色を濃くした夜の闇は、私には都合が良かった。
今の自分の顔を、お嬢様に見られたくはなかったから。
ポツポツと言葉をこぼす私の隣に、ただそっと、お嬢様は座っている。
時折小さく相槌を打つだけで、ただ静かに耳を傾けている。
たったそれだけのことで、私はすべてを吐き出してしまっていた。
使用人にあるまじき感情を抱いてしまったこと。
今となっては、それを認めざるを得ないこと。
認めた先に何があるのか。
今まで築き上げてきた自分自身が、どうなってしまうのか。
変わっていく自分を、自分で認められるのか。
この歳になってこんなことに思い悩むとは。
情けない話だった。
けれど、お嬢様を前に偽ることなどできない。
流れる雲が、まだ月を隠している。
ずいぶんと話していた気がするが、そう時間は経っていなかったらしい。
耳を叩く風の音が、夜の静寂を余計に際立たせていた。
38:
不意に、ベンチがきしりと音を立てる。
音の正体を確かめる間もなく、私は何かに抱きかかえられていた。
『貴女は怒るかもしれないけれど』
そっと頭上から降りかかる声は、優しさに満ち満ちていた。
思わず、何かが溢れそうになるほどに。
『私は貴女を、ただの使用人だなんて思っったことはないわ』
本当は、分かっていたのだ。
彼女の瞳に映り込んだ光の、その意味を。
『貴女は私のかけがえのない家族で、大切な姉だもの』
柔らかな拘束が解かれる。
優しい瞳が私を捉える。
そこにあったのは、全てを肯定する表情。
『……見苦しいものをお見せしました』
敵わない。
そんな思いが口からこぼれた。
『ふふ。珍しいものが見れて、私は嬉しかったわよ?』
無邪気に笑うお嬢様が、いつも以上に身近に感じられる。
39:
たった一言。
家族という言葉で、私の何かが変わったようだった。
確かに私は、妹に対するような気持ちを抱いていた。
姉のように慕うお嬢様の眼差しにも、気付いていなかったわけではない。
けれどそれを、はっきりと口にしたことはない。
そうしてはならないと思っていた。
その線を越えてはならないのだと。
だが。
お嬢様との別れが迫ったあの時のことがフラッシュバックする。
私に心配をかけまいと、お嬢様は不安を押し殺して強がっていた。
本当の自分の気持ちから目を背けて、私は大丈夫だと。
今にも壊れそうな笑顔で、震える指先に気付きもせず。
だから私は言ったのだ。
折れないように支えるために。
二人の熱で不安を溶かすために。
姉として、あなたを応援すると。
ああ、そうなのか。
今になってこうやって思い出すくらいだ。
深く考えることのなかった発言だったのだろう。
だからこそ、そこには私の本音があったのだ。
その無意識の自覚が、私を変えていたのか。
40:
噛み合っていなかった歯車が、カチリと嵌る音がした。
ならばもう、迷う必要などない。
使用人として、姉として。
全霊を持って応えていけばいいだけなのだから。
なに、その時々での仮面の使い分けなど造作もない。
全てはお嬢様の為に。
そして、それこそが私の望みなのだから。
『ありがとうございます、お嬢様』
それは何に対しての感謝なのか。
自分でもよく分からなかったけれど、そう言わずにはいられなかった。
41:
風がようやく雲を連れ去って、月が再び顔を出す。
照らし出されたお嬢様は、予想に反して不満げな顔をしていた。
『ひとつ、気に入らないことがあるの』
続いたのは、私も初めて聞いたかもしれない、そんな言葉だった。
上目遣いの瞳には真剣な光が宿っている。
ならば受け止めよう。
それが私の役目なのだから。
狼狽を即座に投げ捨て、お嬢様に向き合う。
42:
『今の私はお嬢様じゃないわ』
お嬢様の視線が、私から月へ移る。
強くも激しくもない、けれど一筋の芯が通った声だった。
『今の私は、ただのライラ。駆け出しアイドルの、ライラよ』
全てがあった環境から、吹けば飛ぶような生活へ。
箱入りだったお嬢様には衝撃的なものだっただろう。
けれどそれは、お嬢様が選んだ初めての我が儘だったのだ。
与えられ、受け入れることが当たり前だったお嬢様が。
自ら選び、勝ち取ろうとしている。
その意志を、お嬢様自身の口から聞くことが出来るとは。
何と感慨深いことだろう。
何と誇らしいことだろう。
こみ上げそうになったものを堪える。
今必要なのはこんなものではない。
今は、行動で示さなければならないのだ。
なるべく自然に腰を上げる。
向き合い、手を差し出して。
『あまり遅くなってもいけません。帰りましょうか、ライラ』
手にあたたかな重さが加わった。
その先にあるのは、輝く笑顔。
まるで、月が陰ったのかと思うほどに。
43:
***************************
ポツリポツリと、街灯が夜道を照らす。
どこか物悲しげな光景も、さほど気にはならなかった。
それはきっと、この手のぬくもりのお陰で。
じんわりと伝わってくる信頼と親愛が、心を満たしているからだろう。
取り留めのない話をしながら、二人で歩く。
アイドルのこと。
学校のこと。
商店街での出来事。
公園での出会い。
話のタネは尽きなくて、あっという間に家に着いていた。
44:
繋いだ手を離すのが惜しかったけれど、そうも言っていられない。
この先いくらでも機会はあるだろう、なんて。
自分に向けた慰めが、ひどく滑稽に思えた。
「私はまだやることがありますので、先にお休みください」
そうやって促すと、なぜか不満げな視線が返ってきた。
頬を膨らませるお嬢様も愛らしい……ではなくて。
「どうかなさいましたか?」
ありふれた、ごく普通のやり取りだったはずだが。
原因が分からずにいると、予想外の答えが返ってきた。
「ライラさん、もっと普通に話して欲しいでございます」
ああ、なるほど。
家族同然の間柄ならば、それにふさわしい話し方を、ということか。
45:
だがしかし。
「申し訳ありません。私はあくまで使用人ですので」
そう。
私の本分は使用人なのだ。
例え主人の許しがあったとしても、守るべき一線はある。
それに、ここを死守しなければ私は……
「むー……」
言い分はわかるが、納得はいかない。
そんな表情だった。
けれど、ここを譲るわけにはいかないのだ。
なにより、私自身の為にも。
「……わかりましたです」
私の表情が動かないのを見て、折れてくださった。
これ以上は私を困らせるだけと、そう思ってのことだろう。
やはりお嬢様は優しい方だ。
「ふふ。お休みなさい、ライラ」
渋々、という表情をわずかに残して、お嬢様が床に就く。
その姿が微笑ましくて、つい姉としての言葉遣いになっていた。
「はいです。お休みなさいですよ」
その言葉ですっかり機嫌を直したらしい。
お嬢様は表情を緩めて布団に潜り込んでいった。
46:
明りを消すと、やがて穏やかな寝息が聞こえてきた。
満ち足りた様子の寝顔が月明かりに浮かんでいる。
ふう。
吐息とともに緊張の糸が切れる。
何とか、この場をしのぐことができました。
頬に手をやると、案の定です。
危なかった。
こんな緩みきった顔、もし見られたら私はどうすればいいんでしょうか。
今日の、たったこれだけのやり取りでこれだもの。
せめて、言葉遣いで線引きしていかないと、どうなってしまうことやら。
きっと、どこまでもダメになってしまうんだろうな。
そこは確信が持ててしまう。
でもホラ、やっぱり格好をつけたいじゃないですか。
姉としての見栄というか。
47:
ああ、ダメ。
姉という言葉だけで頬が緩んじゃう。
こんなに幸せでいいのかしらって。
でも、こんな姿は絶対に見せられない。
もし幻滅でもされたら……
お嬢様に限ってそんなことはないと信じているけど。
絶対なんてないわけだし。
万が一、そんなことになったら。
……私、生きていけない。
48:
そうはいっても、これから先もこんなだらしない自分とも闘わなくちゃいけないのよね。
大丈夫かしら。
我ながら、先が思いやられるわ。
懐に手を当てながら、ため息を一つ。
そこに在るのは新しいお守りで。
メイド衣装のお嬢様の姿は、すでに脳裏に焼き付いていて。
それはもちろん、明日への活力なのだけど。
同時に、悩みのタネにもなっていて。
……とりあえず、やれるだけやってみましょうか。
<了>
4

続き・詳細・画像をみる


知り合いの人妻が脈ありそうなんやが

奥様たちのジレンマ

【画像】白人の射精量wwwwwwこれは100%妊娠するわ…

万引き捕まえたらモンペに訴えられかけた

【サッカーW杯占い的中タコ】「ラビオ君は特定のタコを示すものではなく、出荷は日常業務の一つ」 イベント事務局がコメント

両親を食事に誘っても、母は「割り勘なら行きたい」としか言わない。不意打ちで両親と回転寿司店に入り、全額出す宣言をしたら…

【画像】童貞って絶対?みたいな子好きでしょ!?!?!?!?!?

パン工場で働いてたらさwwwwww ジャムおじさんが来たんだよwwwwwwwwwww

結局最重要PCパーツはどれなんだ?? CPU、メモリ、SSD、グラボ、電源、ケース・・・

地震予知は無意味なのか?

職場の新人に「LINE交換しましょうよぉ」と言われたので「LINEやってないの、ごめんね」と答えたら馬鹿にされた

結局最重要PCパーツはどれなんだ?? CPU、メモリ、SSD、グラボ、電源、ケース・・・

back 過去ログ 削除依頼&連絡先