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一昔前の白人「お願いです!私達には人権があるのです!黒人と同じ空気を吸わせないでください!」


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1:
「クリスマスに欲しいのは唯一、クリーンな白人専用の学校」「人種隔離を守れ」。
学校で人種隔離を続けることを求める白人女性ら。
警察官に向かって叫ぶ。
1960年11月15日、ルイジアナ州のウィリアム・フランツ小学校。
白人専用だったが、裁判所が隔離をやめるように命じた。
黒人の子どもが登校し始めて2日目の抗議活動。
引用元http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1497328165
2:
「ネグロ(黒人の差別的表現)は俺たちの学校に必要ない」
「ネグロと一緒の学校には行きたくない」
「ストライキ 人種融合に反対」
1956年8月27日、テネシー州クリントンのクリントン高校。
同州で初めて、州がサポートする人種統合学校となった。
(左から)バディ・トラメル、マックス・スタイルス、トミー・サンダース。
724:
>>2
わいでもワンパンで倒せそうなガリガリ陰キャで草
425:
>>2
なんやこのガイジ面
こいつら差別される側やろ
435:
>>425
実際人種とか国籍とかの自分自身の努力と関係ないところに自己肯定の根拠見出すやつってだいたいリアルで上手くいってないやつよな
767:
>>435
やめたれw
3:
黒人が乗った車を襲う白人ら
1956年8月31日、テネシー州クリントン。
クリントン高校の人種融合に反対する群衆。
車はたまたま通りかかっただけだった。
5:
(左)人種隔離に反対する運動に参加して、暴行を受けた白人の学生。「裏切り者」としてターゲットにされた。
(右)黒人の学生を蹴り上げる元警官と歓声をあげる野次馬たち
(左)1961年5月20日、アラバマ州モンゴメリーのグレイハウンドのバス停留所。
ジェイムズ・ズワーグは、公共交通機関での人種差別に反対する「フリーダム・ライド(自由のための乗車運動)」に参加し、襲われた。
「白人の救急車」が拒否し、1時間ほど路上に放置された。
(右)(撮影日不詳)元警官のベニー・オリバーが黒人の学生メンフィス・ノーマンを蹴りつけた。
6:
シロンボさぁ
クロンボの亜種なんやから仲良くやれや
7:
「われわれの白人コミュニティは、白人の住人を必要としている」
1942年、ミシガン州デトロイトに立てられた看板。
連邦政府の公営住宅である「ソジョーナー・トゥルース・ホーム(Sojourner Truth Homes)」に黒人が移ってくるのに反対した。
8:
よっぽど土人やんけ
9:
白人の高校生が、木から吊るされた黒人の人形を殴る。
70人ほどの生徒が人種融合に反対して、教室を後にした。
1957年10月3日、アーカンソー州リトルロックのリトルロック・セントラル高校。
469:
>>9
みんないい笑顔や
楽しそうンゴねぇ
16:
>>9
なお木に吊すのは昔白人が黒人に対して行っていたリンチの再現
当時の様子を歌った歌
Southern trees bear strange fruit (南部の木には奇妙な果実がなる)
Blood on the leaves and blood at the root (葉には血が、根にも血を滴たらせ)
Black bodies swinging in the southern breeze (南部の風に揺らいでいる黒い死体)
Strange fruit hanging from the poplar trees. (ポプラの木に吊るされている奇妙な果実)
Pastoral scene of the gallant south (美しい南部の田園に)
The bulging eyes and the twisted mouth (飛び出した眼、苦痛に歪む口)
Scent of magnolias sweet and fresh (マグノリアの甘く新鮮な香り)
Then the sudden smell of burning flesh. (そして不意に 陽に灼ける肉の臭い)
Here is a fruit for the crows to pluck (カラスに突つかれ)
For the rain to gather for the wind to suck (雨に打たれ 風に弄ばれ)
For the sun to rot for the trees to drop (太陽に腐り 落ちていく果実)
Here is a strange and bitter crop. (奇妙で悲惨な果実)
619:
>>16
読ませる文やな
340:
>>16
これマジ?
362:
>>340
米国の人種差別に基づく暴力の歴史に関する新たな調査で、米南部では1877年から1950年までの間に4000人近い黒人が私刑(リンチ)によって殺されていたことが明らかになった。
73年間にわたり1週間に平均1人以上が殺されていた計算になる。
またスティーブンソン氏によれば、私刑のうち20%は、驚くことに、選挙で選ばれた役人を含む数百人、または数千人の白人が見守る「公開行事」だった。
「観衆」はピクニックをし、レモネードやウイスキーを飲みながら、犠牲者が拷問され、体の一部を切断されるのを眺め、遺体の各部が「手土産」として配られることもあったという。
 例えば1904年にはミシシッピ(Mississippi)州ダッズビル(Doddsville)で、黒人男性ルーサー・ホルバート(Luther Holbert)が、白人の地主を殺害したとして、妻とされる黒人女性と一緒に数百人の前でリンチされた。
2人は木に縛り付けられて指を切断され、暴漢たちはその指を配った。
ホルバートは耳も切り落とされ、頭蓋骨が砕けるまで殴打された。
さらに暴漢たちは大きなコルク栓抜きで2人の体に穴を開け、肉の塊を取り出したという。
「公正な裁きのイニシアチブ」によれば、犠牲者のうち数百人が、投票をしようとしたり、黒人の地位向上を訴えたりしたこと、さらには歩道で脇に寄らなかった、白人の女性にぶつかった、といったもっと些細な規則違反を理由に殺された。
一方で同時代、黒人をリンチで殺害したかどで有罪となった白人は一人もいない。
http://www.afpbb.com/articles/-/3039348
500:
>>362サイコすぎるやろ・・・
ワイやったら家族殺されたとしても犯人にここまでできんわ
10:
人権使って人権侵害とはたまげたなぁ��
22:
人種融合に反対する集会
1963年9月10日、アラバマ州バーミンガムのウエスト・エンド高校近く。
掲げているのは南部連合旗(南軍旗)で人種差別と奴隷制の象徴となっている。
24:
吊るされたキング牧師の人形
1963年5月6日、アラバマ州バーミンガム。
極右「ナショナル・ステイツ・ライツ」党の本部前。
公民権運動に反対するエドワード・R・フィールズとジェイムズ・ムレイ。
26:
「報奨金 ニガー(黒人の蔑称)の耳1ダース(12個)に200ドル」
1956年8月31日、テキサス州ダラス。
マンスフィールド高校の人種融合に反対する標語が書かれた車。
立っているのはロイ・リー・ハウレット(14歳)
27:
シロップさぁ…この差別の歴史はなんだい?
29:
「我らの子どもを黒い疫病から救え」
1956年1月24日、テネシー州ナッシュビル。
知事クレメントは人種隔離支持者の代表者と面会。
人種隔離の州法を拒否した知事として知られるが、このときは「地元の問題だ」として干渉しない立場を表明した。
30:
そろそろ白人優位も危ないやろ
31:
人種隔離に反対して座り込む人たちの後ろをアメリカ・ナチ党のメンバーが歩く。
「われわれは平等ではない」
1960年、バージニア州アーリントンのドラッグストア
167:
>>31
絵はやきう民の先祖かな?
34:
黒人は後方に。白人は前方に。
州法が隔離を決めていた。
1956年4月、サウスカロライナ州。
37:
隔離された黒人の教室
1941年、ジョージア州
38:
白カスを減らすのが正義やね
39:
今世紀中にアメリカでの白人のマジョリティは終わるんやで
41:
「ネグロ(黒人の差別的表現)の待合室」
1955年11月25日、オクラホマ州オクラホマシティのサンタフェ駅。
後に州議会議員を務めたハンナ・ディッグズ・アトキンズと、夫のチャールズ・N・アトキンズ。
息子のエドモンド(10歳)、チャールズ(3歳)と。
42:
白カス減ったらワイらイエローの時代か!?
43:
「有色人種の専用」
(撮影日不詳)肌の色で隔てられた水飲み場
44:
野蛮やなぁ
46:
公共のプールは黒人用と白人用に分かれていた。
デイビッド・イソム(19歳) はその境界を超える。
直後にプールは閉鎖された。
1958年6月8日、フロリダ州セントピーターズバーグ
71:
>>46
これ黒人よりプールで写真撮っとる変態をみんな見とるよな
47:
チャイニーズに駆逐される運命なのになぁ
49:
ノーベル賞受賞者が認めてる事実やぞ
「黒人は人種的・遺伝的に劣等である」
byジェームズ・ワトソン
50:
奴隷として連れて来た黒人が大統領になるって
日本で言うとチョンが首相になるレベルの話やろ?
もうちょいやな
52:
>>50
蓮舫おるしな
60:
新たに人種融合教育が進められた高校から締め出されて自主勉強会を開く9人の生徒
1957年9月13日、アーカンソー州リトルロック。
人種融合が決まったリトルロック・セントラル高校だったが学校が始まる4日、知事が州兵を送って黒人生徒の登校を阻止し大ニュースに。
23日に初登校すると暴動が起こり、昼には休校となった。
翌日、市長の要請によって大統領アイゼンハウアーは空挺団を送り、黒人学生は守られて登校した。
「リトルロックの9人」として知られる。
64:
(左)白人だけが住む地域に初めて越してきた黒人一家に罵声を浴びせる少年たち。
(右)「南部の白人はネグロ(黒人の差別的表現)の最良の友人だ。だが、融合はノー」。
少年が着るのは、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の装束
(左)1963年、ペンシルベニア州フォルクロフト。
白人だけが住んでいた「デルマー・ビレッジ(Delmar Village)」に黒人のベイカー家が引っ越してきた。
(右)1956年4月14日、KKKの装束を着て集会に参加する7歳の少年
70:
>>64
自分で最良の友人とか言うのか・・・(困惑)
72:
>>64
ベルトで何する気なんですかねぇ
67:
アメップさぁ
69:
KKKのメンバーたちが十字架を焼く儀式。
人種差別と脅しを象徴する。
1962年、ジョージア州アルバニー。
3000人ほどが参加したと見られている。
73:
爆破された小学校を調べる警官ら。
6歳の黒人の生徒の入学が認められた直後だった。
1957年9月、テネシー州ナッシュビルのハティー・コットン小学校。
東側の壁と四つの教室が壊された。
88:
>>73
爆弾の威力強すぎるやろ
75:
JAPがインデー500で優勝するのは不愉快とか言ってみたり
今でもそういう思想はまだまだ残ってるよな
77:
黒人が通う教会が火事で燃えた。
黒人の投票登録に関する集まりが開かれた後で、放火と見られる。
1962年8月15日、ジョージア州リースバーグのシェイディ・グローブ・パブティスト教会。
瓦礫に立つのは公民権運動を率いた牧師のラルフ・アバナシー(左)とワイヤット・ティー・ウォーカー。
81:
こんなことしてた奴らが今になって日本人はレイシストだの言っとんのか
85:
(左)警官に連行されるマーチン・ルーサー・キング・ジュニア。
(右)「隔離があることは民主主義がないことだ ジム・クロウを葬り去らねばならない!」
(左)1958年9月3日、アラバマ州モンゴメリー。
牧師のラルフ・アバナシーを襲った男の裁判が開かれる裁判所に着いたキング。
二人の警察官に連行された。
(右)1960年11月1日、 人種隔離政策に反対する人たち。
ジム・クロウは、アメリカ南部にあった人種差別の州法一般を指す。
人気ミュージカルに登場する黒人の名前が語源。
1964年の公民権法によって差別は違法になったが、いまでも人々の心に根付く差別を指して使われる。
ジム・クロウ法(ジム・クロウほう、英語: Jim Crow laws)は、1876年から1964年にかけて存在した、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称。主に黒人の、一般公共施設の利用を禁止制限した法律を総称していう。しかし、この対象となる人種は「アフリカ系黒人」だけでなく、「黒人の血が混じっているものはすべて黒人とみなす」という人種差別法の「一滴規定(ワンドロップ・ルール)」に基づいており、黒人との混血者に対してだけでなく、インディアン、ブラック・インディアン(インディアンと黒人の混血)、黄色人種などの、白人以外の「有色人種」(Colored)をも含んでいる。
90:
日本の部落差別みたいだね
91:
オリンピックのあれハラデイ
93:
指紋を取る警察官をじっと見つめるローザ・パークス
1956年2月22日、アラバマ州モンゴメリー。
パークスは1955年12月1日、バスで白人に席を譲らなかったという理由で逮捕された。
これをきっかけにキングはバスのボイコット運動を先導した。
翌年11月、連邦最高裁が違憲だと判断。
12月21日、キングらがバスに乗車し、ボイコットの成功を祝った。
96:
「I Am a Man(わたしは人間だ)」。清掃員らが起こしたストライキ。
州兵が銃剣を振りかざした。
1968年、テネシー州メンフィス。
劣悪な労働環境や低賃金に抗議して、立ち上がった。
「メンフィスの清掃員ストライキ」として知られる。
101:
>>96
前から3人目の白人は何や?
115:
>>101
人種隔離反対団体の人やで
121:
>>115
殺されるかもしれんのにようやるなあ
118:
>>98
なんJ民が言っても説得力皆無なんだが
261:
>>104
右下の奴ニッコニコで草
264:
>>104
12人の怒れる男定期
982:
>>104
満面の笑みで草
112:
人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん Racial Equality Proposal)とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。
イギリス帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院が強硬に反対し、ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の裁定で否決された。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%8F%90%E6%A1%88
11対5で賛成多数も、アメリカの一存でボツになった模様
これが「赤い夏」をはじめとするアメリカ国内の人種闘争に繋がる
120:
>>112
ホルホルホルッ!!!!!!!!!wwww
127:
>>112
ほるほるほる!
140:
>>112
日本は時代の先取りしすぎやな
良くも悪くも
時代にあってなきゃ意味ないんや
214:
>>112
賛成多数でボツ
366:
>>112
これフランスとかも賛成してたらしいな
879:
>>112
なお日本は朝鮮人差別していた模様
934:
>>112についてはアジアという被侵略地域にあった日本が自分たちの権利を主張したという話だと理解してるんだけど
ホルホル扱いしてる奴って日本人が被差別側の有色人種だという認識なさそう
938:
>>934
ほんそれ
経済的にもかなり問題やったからな
116:
日本人「男女の車両を完全に分けろ」
201:
エメット・ルイス・ティル (Emmett Louis “Bobo” Till 1941年7月25日– 1955年8月28日)は、白人女性に口笛を吹いたことで殺されたアフリカ系アメリカ人の少年。愛称ボボ。
14歳の時、イリノイ州シカゴの実家からミシシッピ州デルタ地区の親類を尋ねていた折、食品雑貨店店主、ロイ・ブライアントの妻キャロライン・ブライアント(21才)に口笛を吹いたと、ロイと兄弟J. W. ミランから因縁をつけられた。
二人は、後日ティルの大叔父の家からティルを無理やり連れ出し、納屋に連れ込んでリンチを加え、目玉を一個えぐりだした。
その後銃で頭を打ち抜き、有刺鉄線で70ポンド (32 kg)の回転式綿搾り機を首に縛りつけて重りにし、死体をタラハシー川に捨てた。
ティルの死体は3日後に川から発見され、引き上げられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB
206:
なおを食べると人でなしとキレる模様
208:
ネトウヨの方がマイルドやね
224:
ロドニー・キング事件、およびその裁判
1991年3月3日、黒人男性ロドニー・キングがレイクビューテラス付近でスピード違反を犯し、LA市警によって逮捕された。
その際、20人にものぼる白人警察官が彼を車から引きずり出して、装備のトンファーバトンやマグライトで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。
たまたま近隣住民が持っていたビデオカメラでこの様子を撮影しており、この映像が全米で報道され黒人たちの怒りを膨らませた。
この事件でビデオに映り身元が分かる白人警官3人(ステーシー・クーン巡査部長、ローレンス・パウエル巡査、ティモシー・ウィンド巡査)とヒスパニック系警官1人(セオドア・ブリセーノ巡査)の計4人が起訴された。
裁判の結果、警官達の“キングは巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかった”との主張が全面的に認められ(実際はおとなしく両手をあげて地面に伏せたキングが無抵抗のまま殴打され、
医療記録によるとあごを砕かれ、足を骨折、片方の眼球は潰されていたとされるが、裁判では認められなかった)、事件発生から1年経過した92年4月29日に陪審員は無罪評決を下した。
これについては、白人住民の多かったシミ・バレーで法廷が開かれ、陪審員に黒人は含まれていなかった事も原因の一つであるといわれる。
235:
こう見るとよくオバマは大統領になれたな
すげえわ
267:
ラターシャ・ハーリンズ射殺事件
ロドニー・キング事件のわずか13日後となる1991年3月16日、持参したバックパックに1ドル79セントのオレンジジュースを入れ、手に支払いのための小銭を握っていた[1]黒人少女(当時15歳)であるラターシャ・ハーリンズを、
韓国系アメリカ人の女性店主、斗順子(トウ・スンジャ、Soon Ja Du、当時49歳)が射殺したのである。
事件の様子は防犯ビデオに収められており、2人は揉み合いになったのちに少女が店主の顔面を4度殴打、店主は床面に激しく転倒させられた。店主は少女に椅子を投げつけた。
その後、件のオレンジジュースをカウンターに置いて店から歩いて出て行こうとする少女に対して、韓国人店主は背後から銃を向け、その頭部を撃ち抜いた。
Duは逮捕され、事件の判決は同年11月15日に出された。
陪審員は16年の懲役を要求していたにもかかわらず、判決は5年間の保護観察処分、およびボランティア活動400時間、罰金500ドルという殺人罪としては異例に軽いものであった。
この判決は黒人社会の怒りを再び煽ることとなり、無実の黒人少女を射殺するというこの事件により、黒人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達した。
314:
323:
>>314

333:
2012年
黒人カップルに13人の警察が137発の銃弾を撃ち込んで射殺

警察無罪

抗議デモ発生

デモ参加者71人逮捕
http://www.cnn.co.jp/usa/35064977.html
342:
>>333
137発?殺したかっただけやろ
355:
>>342
たまには人間に向かって銃撃の訓練したいからね
しかたないね
400:
黒人には1日に採集するゴムの量が1人1人割り当てられた。
1日でもその割り当てノルマが達成できなければ、
その黒人奴隷の手首をオノで切断し、制裁を加えた。
相手が少年であっても容赦されなかった。
逆らった黒人、病気・ケガで働けなくなった黒人を射殺する事を農園の監督人に命じた。
しかしライフル銃の弾丸を節約するために、殺害に使用した弾丸の数と同一の数の黒人の手首を持ち帰る事を監督人に要求した。
殺害された黒人1名につき弾丸1個しか使用してはならない、という弾丸の節約命令が出されていた。
黒人の命より、弾丸1個の方が「もったいない」という事である。
一方、監督人は木の棒等で黒人を撲殺し、弾丸を未使用のまま残し、「黒人が逆らったので銃殺した」とウソの報告を行い、弾丸を銃器販売店に横流しし、その利益を小遣いとして着服する事が常態化していた。
つまり逆らってもいない黒人を撲殺し、弾丸を横流し販売する事で小遣いが得られた。
監督人達はビール1杯を飲む小銭のために、逆らってもいない黒人を殴り殺し続けて来た事になる。
この大虐殺を知り、写真を撮り、世界に知らせた勇敢なジャーナリストが3名いたが、最初の告発者ワシントン・ウィリアムズ(41歳・1849-1891)は、何者かによって毒殺され、
盟友の毒殺にも屈せず告発を行なったジャーナリスト、ロジャー・ケースメント(1864-1916)も国家反逆罪で逮捕されて絞首刑となった。
3人目のE・D・モレル(1873-1924)も逮捕され、ケースメントと同じ刑務所に収監され、出獄後に病死している。
408:
>>400
頭おかしい
546:
"I Have a Dream" Speech マーティン・ルーサー・キングJr. 1963年8月28日、リンカーン記念公園
本日こうして皆さんとこの場に居合わせたことをとても幸せに思います。
これからここで始まることは我々の建国史上、最も偉大な自由のデモンストレーションとして歴史に刻まれることでしょう。
今から100年前、ある偉大なアメリカ人、今の我々にも多大な影響を及ぼした人物(註:背後のリンカーン)が奴隷解放宣言に調印しました。
それは不当な処遇に晒され感情らしい感情を焼き尽くされてしまった何百万人という黒人奴隷に明るい希望の松明を掲げる重大な決定でした。
捕われの身で過ごした長い夜の果てに見た一条の光、歓喜に満ちた夜明けの光だったのです。
ところが100年経っても黒人はまだ自由になっていない。
100年経っても悲しいことに、黒人の暮らしは差別の鎖でがんじがらめにされ手足の自由をもがれたままです。
100年経っても黒人はモノが無尽蔵に広がる豊饒の海にポッカリ浮かぶ貧困という名の孤島の住人。
100年経っても黒人はアメリカ社会の片隅に追いやられ、ふと気付けば自分の土地にいながらにして異郷の流刑人な自分がいる。
だから我々は今日ここに集まった。この恥ずべき状況をドラマに置き換えるために
552:
>>546
サンキューキング
553:
ある意味、我々がここにこうして集まったのは首都で手形を換金するためなのです。
本共和国の土台を築いた先人は憲法発布と独立宣言の格調高い文を起草した折、米国民一人一人が相続すべきある約束手形に署名しました。
それは全ての人、そうです、黒人も白人も含めありとあらゆる人に「生命、自由、幸福の追求」という「奪うべからざる権利」を保証する手形でした。
しかし有色人種に限ってみれば今日明らかなようにアメリカは約束を反故にした。
この神聖な義務を履行する代わりにアメリカがしてきたことは、黒人に不渡り手形を切ることでした。小切手は「残高不足」の印をつけて戻ってきた。
でも、だからと言って私は正義の銀行が破綻したとは思いたくない。
この国が与えてくれるチャンス。その巨大な金庫が残高不足だなど私は頑として信じない。
だから、だからこそ今日我々は手形を換金に来たんです。自由と正義の豊かさを我々に保証してくれるはずのこの約束手形を持って。
556:
今日この神聖な場に集まったもう一つの目的、それはアメリカが今すぐ取り掛からなくてはならない課題を社会に提起することにあります。
もう頭を冷やせなんて贅沢を言ってる場合ではないのです。ゆっくりやればいいなどと気休めを言っている暇はない。
Now is the Time. 民主主義を実現するのは今をおいて他にない。
Now is the Time. 今こそ暗い人種差別の荒んだ谷から立ち上がって平等という日の当たる道に進もう。
Now is the Time. 今こそ我が国を差別というぬかるみの泥沼から友愛という揺るぎない岩に引き上げよう。
Now is the Time. 今こそ神の子すべてに正義を実現する時なのです。
この差し迫った課題をウヤムヤにすることは、国家の存亡に係わる由々しき問題です。
黒人が法的処遇に満足のいかない状況はうだる灼熱の夏同様、自由と平等の爽やかな秋の訪れまで続くでしょう。
1963年、それは終わりではなく始まりの年。黒人が頭を冷やして現状に満足さえすれば済む、そう考えている人もいざ国が元通りの状態に戻ったら、きっと後味の悪い気分に苛まれるはずなんです。
黒人に真っ当な市民としての権利が与えられない限りアメリカには一刻として安息も平安も訪れるということがない。
反乱の渦は、正義の明るい日が昇るまで我々国家の土台を揺さぶり続けるでしょう。
559:
ここでひとつだけ、正義の殿堂の暖かな入り口に立つ同志には断っておかなければならないことがあります。
正しい居場所を確保するまでは、まかり間違っても過ちを犯さないこと。嫌味や嫌悪の杯で自由の渇きを癒すことだけはやめようじゃないですか。
闘争は尊厳と規律をもって進めていかなくては駄目です。抗議行動は創意工夫をもって行い、暴徒にだけはなり下がらない。繰り返します。
物理的な力に魂の力で立ち向かう、その高みを我々は目指していかなくてはならないのです。
黒人社会は今また新たな厳戒体勢に包囲されています。これはとても信じがたいことです。
でもだからと言って白人すべてを不信の目で見るのはやめにしようじゃないですか。
白人の同胞が今日ここにたくさん集まっておられることでも分かるように、彼らの中にも白人が我々と命運を共にする運命にあると見透した人は大勢いるのです。
彼らは我々の自由なしに自分たちの自由は有り得ない、それが分かる人たちです。
我々は一人では歩いていけない。歩き出したら前進あるのみ、そう心に誓おう。
563:
公民権運動に駆けずり回る人を捉まえて、こう尋ねてくる人がいます。「君らはいつになったら満足するんだね?」。
私ならこう答えるでしょう。黒人が警察に残虐非道な扱いを受け、口にするのも憚られる恐怖の犠牲となっている間は満足できない、と。
旅先でヘトヘトになった体を休めたくともハイウェイ沿いのモーテルにも市街のホテルにも泊まる場所ひとつ見つからない、この状況が改善されない限りは決して満足できない。
黒人の引越しと言えば小さなゲットーから大きなゲットーに移るだけ、子どもたちは「白人専用」の看板で尊厳を傷つけられている、こんなことが続く間は決して満足できない。
ミシシッピ州の黒人には投票権がない、ニューヨーク州の黒人は投票すべきものが何一つないと思い込んでいる、こんな状態では決して満足できない、と。
まだまだ、まだ満足なんて状況には程遠いんです。
「正義を洪水のように恵みの業を大河のように尽きることなく流れさせよ」(アモス書5:24)。
その日が来るまで我々は決して満足することなどないでしょう。
564:
ここに集まった皆さん。皆さんの中には大変な困難や試練を乗り越えてきた方もおられるでしょう。
狭い独房から出てきたばかりの方。自由を求めた途端に迫害され、警察の蛮行を前に手も足も出ない地域から来られた方。
皆さんは我々が想像しうる限りのありとあらゆる試練に揉まれてきた百戦錬磨の兵です。
試練はいつかきっと贖われる、そう信じてこれからも頑張っていこうじゃないですか。
ミシシッピに帰ろう。アラバマに帰ろう。
サウス・カロライナに、ジョージアに、ルイジアナに、北の都会のスラムに、ゲットーに、帰っていこう。
きっとこの状況は変えることができるし、絶対変わっていく、そう心に信じて。
絶望の淵に溺れてしまっては、いけない。
同志よ、今日私は皆さんにそう言いたい。
566:
今日、明日、仮に困難が待ち受けていようとも私には夢がある。それはアメリカン・ドリームに深く根ざした、ひとつの夢です。
私には夢がある。 「万人は生まれながらにして平等である。
これが自明の理であることをここに保証する」、この国家の基本理念を真の意味によって実現する日が来るという夢が。
私には夢がある。いつか、ジョージアの赤土の丘に元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが一緒に座り、友愛のテーブルを囲む日が来るという夢が。
私には夢がある。いつか、あの差別の熱にうだるミシシッピー州さえもが自由と正義のオアシスに変わる日が来るという夢が。
私には夢がある。いつか、私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ずくる。
I have a dream today! 私には夢がある!
571:
差別主義者がはびこるアラバマ、知事は口を開けば州権優位、実施拒否で忙しい。
そんなアラバマにもいつかきっと、幼い黒人の少年少女が幼い白人の少年少女と手と手を取り合って兄弟のように仲睦まじく暮らしていける日が来るという夢が。
I have a dream today!
私には夢がある。
「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る」
575:
これが我々の希望。この信仰を抱いて私は南部に帰って行こう。
この信仰があれば、絶望の山から希望の石を切り出すことだって叶う。
この信仰があるなら、この国に溢れる騒々しい不協和音を友愛の美しいシンフォニーに変えていくことだってできる。
この信仰があるからこそ我々は共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢に入って共に自由のために立ち上がることができる。
いつかきっと、いつかきっと自由になる日が来る、そう信じればこそ。
その日…その日ありとあらゆる神の子は新しい意味を込め、こう歌うのです。
わが国は汝の国、自由の地なれば、ここに謳わん。
ここは父が骨を埋めた地、巡礼開拓者の誇り高き地なれば、
ありとあらゆる山腹から自由の鐘よ、鳴れ!
584:
アメリカが偉大な国であるならば必ずや実現の日は来るだろう。だから、
ニューハンプシャーの巨大な丘の頂から自由の鐘を鳴らそう。
ニューヨークの雄大な山々から自由の鐘を鳴らそう。
ペンシルバニアのアレゲーニー山脈の高嶺から自由の鐘を鳴らそう。
コロラドの雪を頂くロッキー山脈から自由の鐘を鳴らそう。
カリフォルニアのなだらかな丘から自由の鐘を鳴らそう。
まだ終わりではありません。
ジョージアのストーンマウンテンから自由の鐘を鳴らそう。
テネシーのルックアウトマウンテンから自由の鐘を鳴らそう。
ミシシッピーの丘という丘、塚という塚から自由の鐘を鳴らそう。
ありとあらゆる山腹から、自由の鐘よ、鳴れ!ん
586:
そして鐘が鳴るその時、
すべての村、すべての部落、すべての州、すべての町から自由の鐘が鳴り渡るその時、私の夢はもっと早く実現の日を迎え、
ありとあらゆる神の子は黒人も白人もユダヤ教徒も非ユダヤ教徒もプロテスタントもカソリックも共に手を携えて、あのいにしえの黒人霊歌を歌うのです。
やっと自由になった!やっと自由になった!
おお、全能なる神よ、感謝します。
とうとう我々は、
自由になったのだ!
?Fin?
579:
600:
>>579
これほんとすき
602:
>>579

603:
>>579
サンキューブラック
604:
>>579

609:
>>579

658:
シロンボもクロンボも変わらなくね?
68

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