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LiPPS「MEGALOUNIT」【前半】


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 雷は好き?
 あるいは、他のもっと、怖いもの。
 化け物とか、怪物とか――あるいは天才とか。
 自分の理解が及ばないものに、しばしば人はレッテルという秩序を与える。
 潜在的な恐怖から、目をそらすために。
 呼ばれた方は、どう思っているだろう?
 深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているという。
 じゃあ、怪物なるものは普段、どんな事を考えているのか?
 そんな怪物達を観察した記録の一端。
2:以下、
【1】
 (◇)
 京都から東京までは、のぞみで大体2時間半。
 ――ん??っ、修学旅行以来や!
 ビルたっか。人めっちゃおるし、皆歩くのはやっ。
 おっといけない、今日からあたしは東京都民。ちゃんと標準語で話さないとね。
 新幹線の中で既に半分以上減っちゃった実家のお団子を頬張り、一人ぶらぶら?っと。
 やっぱすごいなー東京は。こんな機会でも無いと来れないよねー。
 まぁ?――あんまり喜ばしい理由で来たワケじゃないんだけどさ?
3:以下、
 早い話、実家から追い出されたんだよね、あたし。
 ヨソの人は知らんでしょうけど、京都って結構メンドーな所でして。
 洛中と洛外、ってのがあってさ?
 要するに御所の近くに長く住んでる人ほど偉いっていう、見えざるカーストっていうんかな、あるの。
 ウチの実家は、御所の裏手で代々和菓子屋やってて、まーそういう意味では由緒あってすごい。
 問題は、それをうるさく言う人達がいるってこと。
 もうホント、アホやんな? しょーもなっ!
 若い人で今時そんなん気にする人おらんよ。
 って言いたいけど、そういう慣習を大事にするお堅い家のコなんかは、あたしに媚びったり、嫌み言ったりするのも、案外無いワケではなくって。
 両親やばあちゃんなんかは、気にしなくていいよって言ってくれるんだけどさ。何かねー?
4:以下、
 伝統ある和菓子屋の娘だと思われるのがイヤで、ずっとだらしなく生きてきた。
 京都人に目つけられるの、何かと面倒でさ。
 そんで高校卒業して進学も就職もせんとダラーってしてたら、この体たらく。
 ニート食わすために店やっとらんえー、だって。アハハハ、だよね―♪
 大人しく家事手伝いしとけば良かったかなぁ。
 ガチャンッ!
「――?」
 何か落とした? あたしじゃないと思うんだけど――。
5:以下、
 振り返ると、地面にはボロボロに禿げたケータイ――えらい年季の入ったガラケーやな。
 そして――。
 たぶん落とし主であろう、気づく様子も無くプラプラと歩いていく金髪のお姉さん。
 ――あ、男の人が親切にケータイ拾って声を掛けた。
 っておぉ、ガイジンさんやん!
 キレーなお姉さんやなー。しかもめっちゃ話しかけてる。
 何語か分からないけど、男の人タジタジやな。アハハ、かわいそうに。
 怖いとこやねー、東京は。あたしも気をつけんと。
 ――おっ、このマンションか。うわぁ、ゴッツいなー。
「すいませぇーん! こちら、塩見周子さんのお宅でお間違えないでしょうかー!?」
「へっ? あ、はいー!」
 ちょうど良いタイミングで、引っ越し屋さんも来てくれはった。
6:以下、
「ん、こんなもんか」
 初めての一人暮らしにしちゃ、結構リッパな部屋になったかなー。
 備え付けの家具も、思ってたよりずっと上等。
 まったく、高卒の一人暮らしでこんなリッパなマンションいらんて。
 相変わらず見栄っ張りやな。
 まぁいっか。
 おもむろにベッドの上にボフッ! とな。
「――おっほっほっほ♪」
 なんか一人暮らしっぽいかも?♪ ばたばた?♪
「――――あっ」
 そういや、お隣さんへの挨拶、どうしよう?
7:以下、
「あっち着いたら隣の人への挨拶くらいちゃんとおし。アンタどうせ色んな人のお世話になるやろ」
 そう言われて母さんからもらったお団子は、もう残り少なくなっていた。
 そもそも、食べかけのものを「はいどーぞ」ってのも失礼な話だけどさ。
 まぁいっか、食べちゃえ。今日のお昼ご飯コレでいーや。
 今時、こういうマンションとかは、挨拶を逆に迷惑がる人もいるっていうし。
 ていうかマンスリーだし、いいでしょ。
 と思いつつ、ケータイ弄ってダラダラ引きこもってた、東京都民初日の夜――。
 夜ご飯のこと、考えてなかった。
「――うぅ、お腹すいたーん」
8:以下、
 品揃えはあっちとそんな変わらないけど、そこは東京さすが。
 歩いて5分と経たずエンカウントする程度には、コンビニの数が多いよね。
「んっふっふ?♪」
 ちょっと買いすぎたかな?
 まぁ、記念すべき初日だし、ちょっとくらい奮発したっていいっしょ。
 えぇと、ここを曲がって――お、あそこにお弁当屋さんある。
 よしよし、シューコちゃん的にはポイント高いよーこういうの。
 明日の夜ご飯はアレにしよう、なんて考えながら、まだ見慣れない新居の階段を上った時。
「――ふにゃあ??あ」
 猫――もとい、お隣さんがいた。
9:以下、
 この辺の高校生かな?
 ウェーブのかかった長髪で、だらしなく学校の制服と思わしき上着を着崩した女の子。
 後ろのあたしに気づく様子も無く、彼女はブラブラの袖で眠そうな目をこすりながら、
 自分の部屋に入っていった。
 その横顔にくりんと瞬く目を見て、あたしは「まつげ長いなー」とか思ったり。
 でも、こんな時間までほっつき歩くなんて、東京のコは遊んでんなー。怖いなー。
 ん? ひょっとして現役生じゃなくて――そういう、夜のおシゴト的な?
 わーお。
 それとも、実家から大層な仕送りもらってるお嬢様JKかな?
 あたしが言うのもなんだけど、こんなリッパなマンションにねぇ――。
 ま、どうでもいいか。
10:以下、
 さて、無事に新生活をスタートさせたシューコちゃんでありました、が――。
 課せられた、ミッションがあったんだよね。みっしょん。
 実家から提示された仕送り期間は三ヶ月。
 それまでにあたしは、この東京で、食い扶持を探さないといけないのだ。
 んー困った。何しよ?
 大人しくバイトする? ――いや?、メンドっちぃのは苦手だなー。
 養ってくれる人を探す? ――う?ん、そう都合の良い出会いがあるかなぁ。
 思い切って、ユーチューバーとか? あー無理無理、パス。
 ていうかちょっと待って。仕事って三ヶ月そこらで見つかるもん?
 賃貸契約もキッチリ三ヶ月。
 なるほど、そういやここマンスリーか、だから短期――いや無理だって母さん。
 どうすれば経済的に自立した生活を送れるか――そんな事に頭を悩ませている時だった。
 あの人に、声をかけられたのは。
11:以下、
「あ、あの?――アイドルって、どうかな?」
 三日目くらいかな。
 東京名物“東京ばな奈”を片手に、将来について考えるフリをしながら駅前を歩いてた時。
「――はぁ?」
 めんどくさそーな勧誘が現れた。
 これ、ひょっとしてアレかな。宗教の勧誘やな。
「どう、って――いや、ちょっとあたしそういうのキョーミ無いんで」
 面倒なのは嫌い。地元でイヤほど味わってきた。
「あ、待って。ごめんよ、名刺だけでもいいからさ」
「――?」
 手渡された名刺をチラッと見る。
 なんや、今時の新興宗教ってこんなスタイル――。
 いや、違う。芸能事務所――346プロダクション?
「高垣楓とか、城ヶ崎美嘉とか、知らない?」
 あたしでも知ってるような、すっごい有名なコがたくさん所属してる所らしい。
 事務所名、初めて知った。
 まさか、あたしをスカウトしたいって話? ――そう聞くと、スーツの人は頷いた。
12:以下、
 どうせやること無くてヒマだし、誘われるがまま近くの喫茶店へ。
 奢りでいいって言うから、本当に遠慮無く注文しちゃったけど大丈夫かな?
「東京には、一人で来たのかい?」
 二つ目のケーキに手をつけようとした時、唐突にその人は切り出した。
 何であたしが東京モンやないって分かったのかを聞くと、その人は笑いながら――。
「駅ビルを物珍しげに眺めながら東京ばな奈を頬張る東京人を、俺は見たこと無くてさ」
 完全にお上りさんやん、あたし。こんな初対面の人にも見透かされるワケだ。
「ウチは新しいアイドルの卵を随時探していてね。
 君みたいな可愛い子に入ってもらえると、非常にありがたいのだけど」
 あたしが可愛い? ――ふ?ん?
「そうは言っても、あたしより可愛いコなんていくらでもいますよね?
 何であたしに声をかけたんですか?」
 ちょっとカンジ悪い質問だったかな? でも、実際そうだし。
 その人は困ったようにハハハと笑い、うーん、と頭をポリポリ掻きながら、こう言った。
「ティンと来たから」
「はぁ?」
 馬鹿にしとるん? って思った。
13:以下、
 有名な芸能事務所らしいし、こういう人のインスピレーションは確かなのかも知れない。
 でも、あまりに適当すぎない? あたしが言えた話じゃないけどさ。
 ひょっとしたら、適当な業界人を騙るナンパヤローかも。
 あー、ソレやきっと。
「ごちそうさまでした。ケーキ、もういいです」
「あぁ、あの、ちょっとさ、待ってくれ」
 席を立って、足早に店を出ようとした時だった。
「もし、ご実家から仕送りをもらって生活しているのなら、ウチには寮もある。
 三食宿付きだ。費用もある程度まで会社が面倒を見る」
「――ホント?」
14:以下、
 席に座り直したあたしを相手に、彼は話を続ける。
「もちろん、いつまでも無償という訳ではないよ。
 三ヶ月程度、体験コースというものがあって、そこに候補生として入会すればの話だ」
「三ヶ月までだったら寮の家賃はタダ?」
「入会費はあるけどね。その期間の後は、仕事をもらえるだけの実力をつけて、自身の稼ぎで寮費を賄ってもらう」
 三ヶ月――ちょうど、三ヶ月。
 これを逃す手は無いな。
「でも、あたしもう三ヶ月だけ契約しちゃってるマンションがあるんですよねー」
「あぁ、そうなんだ。それじゃあ、候補生として入寮するならその後って事になるかな」
「うんうん。で、提案なんですけど――」
「寮に入らない代わりに、今住んでるマンションの家賃、三ヶ月分肩代わりしてくんない?」
15:以下、
「――は?」
 男の人の目が点になる。
 別にあたしは守銭奴であるつもりも、食い意地張ってるつもりも無いんよ?
 でも、今のあたしにとって、食い扶持は喉から手が出るほどほしいもの。
 呆気に取られてるこの人だって、わざわざスカウトしに声をかけてきたくらいだ。
 ただのナンパヤローじゃないなら、あたしを手に入れたいなら、それなりに譲歩してくるはず。
「う?ん――じゃあ、いいかな別に」
「えぇっ!?」
「お金の話は、経理に了解取らないと何とも言えないけど、たぶんそこまでは無理だと思う」
 引き下がるんかい!
「担当外の事が絡んじゃうと、無責任な回答はできなくてね」
「あたしを魅力的だと思って声かけたんじゃないの!?」
「というより、「寮費を払うからアイドルをやれ」ではなく、「アイドルをやる気がある子には寮費を払うよ」という規定だからね」
「知らんわ! さっきのあんた、割と「寮費を払うからやれ」の方やったやん!」
 散々な言い合いになっちゃったけど、結局は寮費分だけ今の家賃を肩代わりしてくれる事になった。
 その人が経理って人と電話で相談して、親の同意書とか、マンションの契約書とか色々持って来いって。
 今にして思えば、サイテーな勧誘のされ方だったよね、実際。
16:以下、
 で、書類を揃えようと週末日帰りで実家に帰って、父さんとも相談して――。
「あ、アイドルってお前――」
「ふふ?ん。大手の事務所にスカウトされたんだよー、あたし♪」
「ユーチューバーとかじゃないんよな?」
「ち、違うよ!」
 でもまぁ、似たようなもん――いや、それより結構思い切ってるかも。
 さすがに驚かれたけど、そこは可愛い愛娘を東京に単身追い出すような両親だ。
 あたしがあっちで何をしようと、結局は反対も賛成もしないというスタンスのようである。
「あぁ?周子ちゃんテレビでお歌うたうのかい? すごいねぇ?カワイイものねぇ?」
 ばあちゃん、話すか食べるかどっちかにしなよ。口から餡子こぼれてるよ。
 ティッシュで口元を拭いてあげてると、母さんがばあちゃんにお茶を持ってきた。
「良かったわねぇ?お義母さん、長生きする理由ができて。周子がテレビに出るまで死ねんねぇ?」
 うっさいわボケ。ったくこの人――。
 ま、いーや。理解ある親で助かるわ。
17:以下、
 契約当日、事務所の前であたしを待っていたのは、勧誘してきた人――プロデューサーさんって人と、隣にはもう一人。
 それはもう、めっちゃくちゃキレーな女の子が。
「ほ、ほえぇ――」
 青みがかったショートめの黒髪に、パッチリだけど憂いを滲ませたようなお目々。エ口ーい唇。
 ほんで、スレンダーながら色っぽく制服を着こなすボデー。スラリと伸びた手足。
 何より、映画女優かってくらい大人びた、ふわっふわした立ち居振る舞い。
 プロデューサーさんと少し会話をした後、その子はすれ違いざま、あたしにフッと微笑みかけ、去って行った。
「彼女は都内の実家から通ってるんだ。たまたまレッスン終わりに鉢合わせてな」
 さらに驚くことに、まだアイドルじゃなくてその手前、候補生らしい。
 初めてあった子でこのレベル――うーむ、さすが東京。全然高校生に見えん。
 こういうダイヤの原石が、プロの手で磨かれて、売れていくワケか。
 まっ! ほどほどでいーんだけどね。あたしの場合。
 自分で言うのもアレだけど、運動神経はそんなに悪い方じゃないし、カラオケの点数もまぁまぁ。
 食いっぱぐれない程度にお仕事してお金もらって、自立した生活ができればそれで良し。
 と、思っていたんだけど――。
18:以下、
「はい、塩見さん。今のところもう一度やってみましょう」
 えぇ、今のあかんかった!?
 あたしだけ前に立たされて繰り返し発声練習。
 喉からではなくお腹から出せって言われても、声って普通喉から出るもんやないの?
 ボーカルレッスンだけでなく、ダンスレッスンもフツーにハード。
 聞いてないよーこんなの!
「グダグダ言うな、足が止まってるぞ塩見! 1、2、3、4、1、2――!」
 うえぇぇぇっ! こっちの先生怖いよー!
 家に帰る頃には体中バッキバキ。
 いやぁ?――結構厳しいねー、現実ってのは。
 当のプロデューサーさんは、あたしのレッスンを見に来たのは最初の1、2回だけで、後は全然来てない。
 何考えてんだろ、もう。
19:以下、
 でも、あの人の事を悪く言ってばかりはできない。
 何せ346プロは、期間限定とはいえ、東京でのあたしの生活をほぼ全面的にサポートしてくれている。
 このまま三ヶ月間、あたしにご飯を食べさせるだけというのは、事務所にとっては詐欺みたいなもんだ。
 ちゃんと売れっ子になるのも、そうなれるよう頑張るのも、一応あたしの仕事なんだろう。
 それくらいはあたしにも分かる。
 頑張るフリ、くらいはしとかないとアレかなーって。
 そこでふと疑問に思う。
 あたしは生活経費をもらう代わりにレッスンを頑張るワケだけど、そうじゃない子らは?
 実家から通ってる東京の子らは、何のために346プロにおって、レッスンを頑張っとんのやろ。
 あの日、事務所の前で会った、あのめっちゃキレーなコ――水奏ちゃん。
 レッスンの休憩中、彼女に聞いてみる事にした。
 最近なんだかよく一緒になるなー。しっかし――ホントにこのコ、女子高生?
20:以下、
「一言で言えば、トップアイドルになるためね」
 水奏ちゃんは、あたしの質問にサラッとそう答えた。
 へぇー、そうなんだ。
 こんな大人っぽいコでも、可愛い服着てぷりぷりしたいーなんて夢を見るんかなー。
 腕組みしながら頷いていると、水奏ちゃんは右の握り拳を口元に添えて、フフッて笑った。
 仕草がいちいち女優だ、このコ。
「こんな回答でも、塩見さんは納得してくれるのね」
「シューコでいいよ。え、どういう意味?」
 あたしは、水奏ちゃんの含み笑いの意味がよく分からなかった。
「なら、私の事も奏って呼んで」
 そう一言、断りを入れた上で、奏ちゃんは手を戻した。
「ここの人達は皆、トップアイドルを夢見て来るものなのよ。
 なぜトップアイドルを目指すのかを、周子が私に聞くまでもなく納得してくれたのが、何だかおかしくて」
21:以下、
「あぁ?――ってキミ、おざなりな回答してるんやん!」
 奏ちゃんはまた手を口元に添えた。
「ごめんなさい。悪気は無かったのだけれど」
「悪気は無いで済まされたら警察いらんよ?」
「ほんじゃさ、聞いてもいい?」
「何かしら」
「何で奏ちゃんは、トップアイドルになりたいの?」
「さぁ、なぜかしらね」
「馬鹿にしてんの!?」
 忍ぶような、優美な笑いを絶やさない奏ちゃん。
 小馬鹿にされてるけど、不思議と悪い気はしない。
 あたしも結構楽しいし。
 ひとしきり、お腹の中の空気を全部吐き出した所で、今度は奏ちゃんが聞いてきた。
「なぜ、周子はこの事務所に入ったの?」
22:以下、
「大した理由は無いよ?
 プロデューサーさんに、「生活の面倒見てやるからアイドルやらん?」って言われたから」
 休憩中なのに、変に体力使って喉が乾いちゃった。
 ペットボトルを取って、ぐいっと一飲みして息をついていると――。
 奏ちゃんは、あたしの顔をマジマジと覗いていた。
「えっ、何?」
「悪く言う気は無いのだけれど――そんな理由で?」
「うん、そうだけど」
 奏ちゃんにとっては、アイドルになりたいでもなく、ただ仕事としてアイドルをやろうとしてるあたしの事が珍しいみたい。
 そういうモンかなぁ? まぁ、他の子らからしたら、不思議なんかもなぁ。
 あたしとしては、何とかして自立しなくちゃって気持ちがまずあるもんで。
「実家でヌクヌクしたかったのに追い出されてさー。困っちゃうよね、ホント」
23:以下、
「意外だったわ」
 奏ちゃんは、口をぽかんと開けてあたしの話、ていうか愚痴? を聞いてくれてた。
「周子は歌もダンスも、入りたての子とは思えないくらいすごく上手だから、もっと高い意識でアイドルを目指していたのだとばかり思ってた」
 今度はあたしがぽかんとする番。
「あたしが、上手?」
「トレーナーの人達は皆、口を揃えてあなたの話ばかり」
「悪口じゃなくて?」
「どう育て上げるか、いつデビューさせるべきなのかを――どうやら、競争になりそうね、私達」
 左手で横髪をサラッと掻き上げ、奏ちゃんはフッと笑った。
 ホントに綺麗で、一瞬ドキッとした。
 あ、いや、変な意味じゃ全然なくて。
24:以下、
「きっとお互い、理解し得ない事情を抱えているのかしら」
「そうかもねー」
 こっちが理解したくても、そっちが話してないやん。別にいいけどさ?
「あなたが抱えている事情に、私から言える事は何も無いし、言う筋合いも無いでしょうけれど」
 ただ、ちょーっと、イヤかな、って思ったのは――。
「こっちも本気でアイドルを志している以上、あなたみたいな人に負けたくはないわね」
 なんか――ヘンな風に対抗意識燃やされたこと、かな。
25:以下、
「あ、うん」
 気のない返事を返し、その後のレッスンは再開された。
 奏ちゃんは、さっきよりも動きにキレが増している。
 元々クールなコなんだろうけど、レッスン室の大鏡に映る彼女の顔は真剣そのものだった。
 負けたくないって――え、どういうこと?
 まるであたしの動機が不純だとでも思われているようで、面白くない。
 あたしだって、一応本気なんだけどなー。
 そりゃあ、アイドルとやらをまだよく分かってないけど、何せこっちは生活かけてんだもの。
 東京の裕福なご家庭は、トップアイドルとゆー愛娘の夢に付き合う余裕があるんでしょうな。
 夢だけで飯が食えるなんて、良いご身分ですなぁ?
「――ふ?ん」
 理解できないし、したくもないかな。このコとは。
 ていうか勝ち負けでもないし?
 そこそこでいーのよ、あたしは。奏ちゃんはお一人でどーぞ頑張って。
26:以下、
 でも、うーん――。
 ダンスにしろボーカルにしろ、レッスンは奏ちゃんと二人きりの日ばかりだった。
 前までは週に一度も無かったのに、最近はほぼ毎回だ。
 いくら何でもおかしい。そう思ってプロデューサーさんに問いただすと、なんてことは無い。
 あの人が、あたしと奏ちゃんの担当プロデューサーだから、という事だった。
 曰く、彼は新人ではないけど、新しく東京の方にやってきたプロデューサーであり、ここに来て自らスカウトした子が、あたし。
 奏ちゃんは、前任のプロデューサーさんから引き継がれた子、との事だった。
「ほんじゃさ、あたし達をえーと、ユニット? ――として組ませる可能性もあるってこと?」
27:以下、
 そう聞くと、プロデューサーさんはパソコンをカタカタさせていた手をピタッと止めて、
「なるほど」
 だって。
 わーっ! いらん事言ったーあたしー!
「えっ? 良いじゃないか。お互い高いレベルで張り合っていると、トレーナーさんからは聞いてるぞ」
「やだー! お願いプロデューサーさん、あのコとは一緒に組ませんといて! 絶対ソリ合わんもん!」
 ボンヤリと生返事で答えるプロデューサーさん。
 もう、本当に大丈夫かなこの人。
 最初のお仕事の話がやってきたのは、それから二週間ほど経った頃。
 あの城ヶ崎美嘉ちゃんの、地方の営業に、バックダンサーとして共演する事になったのである。
 ――奏ちゃんと。
28:以下、
 まぁ、奏ちゃんはいいや。もうしょうがない。
 それより城ヶ崎美嘉ちゃんである。
 何でも、美嘉ちゃんの担当プロデューサーからあたし達のプロデューサーさんに打診があったのだとか。
 JKからすごい人気を集めるあのカリスマギャルと、一緒に仕事をする事になるなんて!
 こんな簡単に!?
 といっても、あたしはそこまでめっちゃ追っかけてるワケでは無くて、好きか嫌いかで言ったら、まぁ好きかなーぐらい。
 あ、でもポージングとかはカラオケで結構友達とマネしてたなー。ギャルピースの仕方とか。
 で、今日はそのカリスマギャルとの初顔合わせ。
30:以下、
「――――っ」
 や、やっぱオーラあるな?。
 そういやこの子も高校生なんよね。当たり前か。
 奏ちゃんはどうか知らないけど、あたしは結構緊張しちゃってて。
 でもそんなあたしに城ヶ崎美嘉ちゃんは――。
「アハハ、そんな構えなくっていいよっ★
 同じ事務所のメンバーなんだし、あまりヘンに思わないで、ね?」
 派手な外見に似合わず、現場のスタッフさん達への挨拶や気配りも丁寧――。
 そんなの、よくある事務所の作り話で、イメージ戦略なんだろうなって正直思ってた。
 でも、美嘉ちゃんはミーティングの時も、レッスンの時も、すごくあたし達に気を遣って、イベントの経緯とか、ダンスのコツとか丁寧に教えてくれたんだよね。
「それに、アタシのことは美嘉って、フツーに下の名前で呼んでよ。
 同い年くらいなんだし、アタシも下の名前で呼びたいしさっ★」
 経験による余裕からか、彼女の性格かは分からないけど――良い子だな、って思った。
31:以下、
 で、今回のは要するに、美嘉ちゃんの地元で定期的にやってるファン感謝イベント的なものみたい。
 商店街になってるアーケードの一角で集まるお客さんは、美嘉ちゃんの友達とか、近所のおじさんとか、ファンになる前から美嘉ちゃんを良く知る人達ばかり。
「だから、失敗なんて考えないでいいんだー。もし失敗しても笑って許してくれる人達ばかりだし」
 レッスン前の準備体操中、腕を伸ばしながら美嘉ちゃんは白い歯を見せてニカッと笑ってみせる。
 ただ、美嘉ちゃんのダンスはさすがだねー。キレッキレのばりんばりん。
 それにさ、アドバイスも上手いんよ。美嘉ちゃん。
 ターンの仕方、メリハリの付け方、ポーズのキメ方。あと何だっけ、色々。
 こう言っちゃ悪いけど、トレーナーさんよりも受け入れやすいかなー。
 同じアイドル目線、ってのもあるかもだけど。
 美嘉ちゃんのおかげで、しばらくは楽しくやれそう。ありがたいねー。
32:以下、
「フフフンフンフンフーン♪」
 奏ちゃんとの帰り道、つい『TOKIMEKIエスカレート』の鼻歌がついて出る。
 今度のイベントで歌う、美嘉ちゃんの持ち歌だ。
「楽しそうね、周子」
「まぁねー、案外カンジの良い子だったしさ。奏ちゃんもそう思うでしょ?」
 奏ちゃんに対しても、美嘉ちゃんは好意的だったし。
「もちろん。でも――私は、もっと気を引き締めなきゃって、思った」
 真顔のまま答える奏ちゃん。かぁー、ストイック?。
「奏ちゃーん、あのさぁ、もうちょっと楽しもう?
 美嘉ちゃんだってすごいイイ雰囲気出してくれてたじゃん」
「周子はいいわね。その鈍感さが羨ましいわ」
33:以下、
「――ん、何、どういう意味?」
 何でこのコ、あたしに突っかかってくるんかな。
「気がつかなかった? 美嘉があなたに対して、焦燥感を抱いていた事に」
「へ?」
 奏ちゃんの言っている意味が、まるで分からない。
 美嘉ちゃんが、あたしに焦りを感じてるってこと? 何でよ。
「私が周子を気に食わないのは、きっとそこね。
 本気でもないのに、私はおろか、美嘉ともあなたは張り合えているのだから」
34:以下、
 奏ちゃんは、目線だけあたしの方に向けて、フッと笑った。
「あなたの才能は、言うなればきっと、この事務所で努力している人皆の敵。
 だから、凡人代表として、私はあなたに負ける訳にはいかないのよ。美嘉はなおさらかしら」
「――ごめん、言ってる意味分かんない」
「言葉通りの意味よ。
 知りたいなら、明日のレッスン終わった後、ちょっと時間をおいてレッスン室を覗いてみるといいわ」
「えっ?」
 交差点に出た。
 駅はこの大通りを左に行った先。あたしの家は、それとは逆方向だ。
「ライバルに送る塩は、これで十分でしょう? それじゃあ、また明日」
 奏ちゃんの背中を、あたしはモヤーッとした気持ちで見送ることしかできなかった。
35:以下、
「そうそう! そこ、バチッて止めるとカッコイイよー★ 奏ちゃんもイケてるーっ!」
 トレーナーさんが鞭なら、美嘉ちゃんは飴だね。
「塩見っ、ちゃんと指先まで神経走らせろ! 拍数通り体を動かすのなんてサルでも出来るぞ!」
 まるで人格否定かってくらいキビシイ言葉をトレーナーさんがぶつけたら、
「周子ちゃん、そこは腰でノーサツしちゃお?
 ――そうそう! ちょっと言っただけなのにすぐ出来ちゃうんだねー周子ちゃん!」
 すかさず美嘉ちゃんが気を配ってくれる。
 まぁ、あの――しょっちゅう励まされてる自分が情けなくもあるけど、正直助かるよね。
 奏ちゃんは、そんな飴と鞭に意を介す様子も見せない、相変わらずのポーカーフェイスっぷり。
 本気――ふーん、本気ねぇ?
 ったく、あたしかて本気だってーの! 何や、好き勝手言って、おもんないな!
「くっ、こんにゃろ――!」
 よっしゃ、どうだ、どうだっ! これでも不真面目かこのーっ!!
「あ、アハハ★ あの――周子ちゃん拍数、バラバラかな?」
37:以下、
「――何笑てるん?」
「いいえ、別に」
 レッスン終わり、シャワー室から出るなり、奏ちゃんは私を見てまーた笑いよった。
「すいませんねぇ、つい“キアイ”が入っちゃって! 何せ“ホンキ”だもんで!」
「ムキになる、って言わないかしら? ああいうの」
 また笑う。まったく――。
 ――ふーん、身長はあたしとそう変わらんくせに、出るとこ出てんなぁ。
 あたしが男子なら、今のあんた見て鼻血出とるやろなぁ? ほぉ??
「何かしら?」
「べっつにぃ?? 羨ましいわ?、グラマーなボデー」
「――――ッ」
 急にサッとシャツで体を隠し、プイッて顔を背ける奏ちゃん。
 えっ――あ、そういうのあまり良くなかった?
「ご、ごめんね?」
「いいえ――ところで、美嘉は今何しているか、分かる?」
「なんか、トレーナーさんと相談したい事があるって言ってなかった?」
「レッスン室、そっと覗きに行ってみなさい。きっと驚くと思うわ」
 ――昨日も言ってたな。何があるっていうんだろう。
38:以下、
「――――!」
 奏ちゃんの言う通り、レッスン室の扉をそぉっと開けてみた。
 ――あたしは、言葉を失った。
「はぁ、はぁ――ぐっ!」
 あたし達とレッスンしてた時以上に、すごく険しい表情で一人自主練する美嘉ちゃんがいた。
「1、2、3、4――! く、ふっ――!!」
「――――」
 そっと閉じる。
 とても声をかけられるような雰囲気ではなかった。
39:以下、
「――――」
 何が、あそこまで美嘉ちゃんを駆り立てるんだろう。
 あたしからすれば、地位も名声も彼女は十分に得ている。
 この間もファッション誌の表紙を飾ってたし、渋谷にもでっかい広告がずーっと貼られてるのを見てる。
 彼女へのお仕事は、きっとこれからも問題なく入ってくる。安泰そのものだ。
 なのに――たかだか地方の小さいイベントに、何でそこまで?
 ふと顔を上げると、右手の前方に喫煙スペースがある。
 プロデューサーさんは、あたしと目が合うと手を上げ、のそのそとそこから出てきた。
40:以下、
「タバコ、吸うんだね」
「前職の影響でな」
「前職?」
 プロデューサーさんは自販機にお金を入れ、けだるそうにボタンを二つ押した。
「4、5年目くらいかな。転職してこの会社に来て――どうでもいいか」
 あたしは、未だにこの人の事をよく分かっていない。
 いや、よく考えたら、奏ちゃんと美嘉ちゃんの事も。
「トレーナーさんから聞いてるぞ。こってり絞られてるんだってな」
 ジュースをあたしに手渡すと、プロデューサーさんは缶コーヒーをパコッと開けた。
 あたしの隣に腰を下ろし、何となく笑いながら。
「そのたんびに、美嘉ちゃんが褒めてくれるんよ」
「それも聞いた。いい子だよなーあの子、よくあの人も俺達に仕事くれたもんだ」
 あの人っていうのは、美嘉ちゃんの担当プロデューサーかな?
 正直、この人にあまり良い印象は抱いていない。
 それでも、ちょっと聞いてみたいなって思った。
「ねぇ、プロデューサーさん――あたし、頑張れてるかな?」
41:以下、
「トレーナーさんからは、よく頑張ってるって聞いてるよ」
「そうじゃなくて、プロデューサーさんはどう思ってるのか聞いてんの」
 あたしが詰め寄ると、プロデューサーさんは困ったような顔をしてポリポリと頭を掻いた。
「んー――レッスンの事はトレーナーさんに任せているからなぁ。
 彼女の評価がそうなら、俺もそうだろうと言う他は無いんだよね」
「――あ、そう」
 のれんに腕押しとはこの事か。あたしもそれ以上聞く気が失せちゃう。
「何でそんな事を気にするんだ?」
 逆に聞かれてしまったので、あたしはプロデューサーさんに、ここ最近の事を話した。
「――ふーん、なるほど。確かに水さん、あぁ見えて内心熱血してそうだもんな」
 プロデューサーさんは、あたし達のことをさん付けで呼ぶ。
 何か違和感あるわー。
「あたしの事はシューコって呼んでよ」
「ん? うーん、まぁ追々ね」
 スカウトしてきたのはそっちのくせに、妙に距離感を保とうとするんだよねー。
「塩見さんは、今のままで全然良いと思うよ」
42:以下、
「えっ?」
 缶コーヒーをクッと傾け、天井を見上げながらホッと息をつくプロデューサーさん。
「俺も、同僚のプロデューサーさん達の仕事を見てると、何だかなーって思う時があってさ」
「ウチの会社、でかいだろ? だから、全部分業制なんだよ。
 中小零細なら、レッスンから営業、仕事の調整まで全部やらされるんだろうけど、こういうトコだと兵隊の数にモノを言わせて、業務が細分化されるのさ」
 プロデューサーさんは、面倒くさそうに手を振ってみせた。
「でもさぁ、今俺がいるチームの同僚さん達って皆、全部やろうとするんだよ。
 レッスンの様子を直接見に行ってダメ出しもするし、営業も自分で回ってさ」
「プロデューサーさんとは全然違うんだね」
「あぁ。一件一件、クソ真面目に――俺、そういうの本当は良くないと思うんだよな」
「え、何で?」
 やる気があって良いんじゃない、って思うけど?
 プロデューサーさんとは違ってさ。
「責任の境界線を明らかにするべき、って話さ。
 トレーナーさんの仕事に首を突っ込むのは、トレーナーさんへの冒涜にもなりかねない」
 プロデューサーさんは肩をすくめる。
「それに、余計なマネをして消耗して、本来果たすべき業務が疎かになったら本末転倒だろ?」
「分かんないか」
「手を抜きたい、って言ってるようにしか聞こえなーい」
「だよなぁ」
 バツが悪そうに、プロデューサーさんはハハッと笑った。
43:以下、
「まぁ、気を悪くしないでくれ。
 俺の仕事は、担当アイドルの育成計画に関する企画立案と、仕事量やスケジュール管理、あと対外調整。
 当たり前だが、自分の仕事はちゃんとやるさ」
 よっこいしょ、とプロデューサーさんはベンチから腰を上げ、手を差し出した。
「ジュース、もう飲んだか?」
「ありがとう」
 空になったコップを、あたしはプロデューサーさんに手渡す。
「つまり塩見さんも、塩見さんの仕事をすれば良いってこと。
 城ヶ崎さんのバックダンサーをするなら、そのためのレッスンを淡々とこなせばいい」
「――だよねー♪」
 何だか、ちょっと心が軽くなった。
 ふーん。プロデューサーさん、結構気が合うやん?
 ガコン、とゴミ箱に捨てながら、思い出したようにプロデューサーさんは続ける。
「もちろん、水さんや城ヶ崎さんの事を悪く言うつもりも無いぞ。
 二人とも、先を見据えて技術を高めたいとか、そういう意識がたぶんあるんだろう」
「まして美嘉ちゃんはメインだし?」
「あぁ、そうだな」
44:以下、
「でも、あたしまでそれに付き合う必要は無い、って事でいいんだよね?」
「そういう事だ。所詮仕事なんだし、いいんだよ適当で」
「アハハハ! プロデューサーさん、担当アイドルにそーいうの言っちゃっていいん?」
「怒られそうだから、他の人には内緒な。おっ――やべ、ミーティングの時間だ」
 壁に掛けられた時計は、もう19時を回っている。
「こんな時間にミーティングをやるってのも非効率っつーか、前時代的だよなぁ。
 大手のくせに――じゃあ、塩見さんもあんま夜更かしするなよ」
「ありがとー、プロデューサーさん♪」
 プロデューサーさんは後ろ手に手を振りながら、いそいそとロビーの方へと歩いて行った。
 だよねー、あたしは適当でいいんだよねー♪
「私は、あの人を信用する気になれないわね」
 帰り道、さっそくこの事を話したら、奏ちゃんは明らかに不愉快そうな顔をした。
 あ――そういや内緒にするんだった。まいっか。
45:以下、
「塩見っ」
「は、はいっ!?」
 トレーナーさんは、腕組みをしながらジッとこちらを睨んでいる。
「――良くなっている。あとは、もう少し体を大きく使えるようになりなさい」
 お、怒られるかと思った――。
 プロデューサーさんと話をした翌日、少し気を抜いてレッスンしてたから。
「あ、えと、ありがとうございます」
「良い感じに力みが抜けている。何かあったのか?」
「んーいや、ちょっとですねー、アハハ」
 手を抜けってプロデューサーさんに言われたなんて、さすがに言えないよね。
 美嘉ちゃんは、両手を腰に乗せてどこか満足げに鼻を慣らした。
「周子ちゃん、いつも以上にリラックスしてるね。本番も近づいてきてるのに」
「まー、あたしは所詮バックダンサーだしー、って思ったらさ?」
「アハハッ★ ちょっとー、力は抜いても手は抜かないでよね?」
「ほーい、まっかせてーシューコちゃん自分の仕事はやるからさー」
 奏ちゃんが顎に手を当てながら、すごく真剣な顔でこっちを見ている。
 あたしをライバル視なんてしなくていいんだよ。奏ちゃんも美嘉ちゃんも。
 あたしはあたしのやり方でやる。自分にとって無理なくやんのが一番でしょ。
46:以下、
 別にお仕事をナメていたワケじゃないよ。決して。
 さすがにそこまであたしも自意識過剰じゃないし。
 ただ――想定外だったよね、実際。
47:以下、
 イベント当日、あたしと奏ちゃんは一度事務所に集合して、プロデューサーさんの車に相乗りする。
 美嘉ちゃんは地元なので、現地集合ということだった。
 現地へ向かう車内、ふと隣に目をやると、脚を組み、頬杖をついて窓の外を眺める奏ちゃん。
 珍しくアンニュイやん? 女優なのは変わらんけど。
「緊張してる?」
 何も会話しないのもアレなので、当たり障りの無い話題を振ってみる。
「いいえ――楽しみよ」
 奏ちゃんは、あたしにニコッと微笑んでみせた。
 本心なのか強がりなのか、よく分からない。うーんポーカーフェイス。
「周子の方こそ、今日は――少し、覚悟した方が良いんじゃないかしら」
「覚悟?」
 気合とか、そういうんじゃなくて、“覚悟”?
「何が起きるか、分からないものね。本番当日というのは」
「あぁ、うん」
 ――――??
48:以下、
 事件は正しく現場で起きた。
「城ヶ崎さんが来ていない?」
 プロデューサーさんが聞くと、既に到着していた美嘉ちゃんの担当さんは気まずそうに呻いた。
「何でも、妹の莉嘉ちゃんが体調を崩したみたいでして。
 親御さんがどちらも仕事で手が離せず、彼女が病院に連れて行っているんです」
「――そ、そうですかぁ」
 い、いやいやプロデューサーさん! そうですかぁじゃなくない!?
 そりゃあ妹さんは心配だろうけど、どうすんのコレ。
 ていうか、普通こういうのって事前にプロデューサーさんとかに知らせるもんじゃないん?
 あたし達にも連絡来てない。ちょいちょい――!
 イベント開始まで、もう1時間を切ってる。
「私達だけでやりましょう」
49:以下、
「へっ――」
 な、何言ってんの奏ちゃん?
「幸いにも、私達の出番はイベントの中でも最後の方。
 たとえ付け焼き刃でも、『TOKIMEKIエスカレート』をモノに出来る時間はまだあるわ」
「そうですか? それはありがたい!」
 急に顔がほころぶ美嘉ちゃんの担当さん。いや、いやいやいやっ!
「無理だって奏ちゃん!
 確かに休憩中、お遊びで美嘉ちゃんの振り付けはマネしてたけど、ぶっつけでできっこないやん!
 ていうか今日のお客さん、あたし達じゃなくて美嘉ちゃんを見に来てんだよ?」
「だよなぁ」
「だよなぁじゃなくて! プロデューサーさんも何とか言おう!?」
 このポンコツプロデューサー!
「珍しく弱腰ね、周子?」
「んん?」
 奏ちゃんが、いつものようにフフッと笑ってみせる。
「与えられた役割を果たす――いつからか、あなたがしきりに言うようになった言葉よ。
 あなたに出来ないというのなら、私一人でもやるわ」
50:以下、
「聞いてた話と違うもん。約束が違うでしょうよ」
「じゃあ、周子は今日何もしないでこのまま帰るのね?」
「そ、そう言いたいワケじゃ――」
 プロデューサーさんが、手を振りながら私達の間に入る。
「現場はナマモノだ。流動的に色々な事が起きるのはしょうがないし、今回は塩見さん達の責任じゃない。
 何かあったら俺が主催者側に頭下げるし、その後の君達へのフォローもちゃんとするよ」
「アイドルの第一印象を左右する初舞台って、すっごく重要だと思うんですけど?」
「そこも含めて、俺がフォローするさ。できる限りね」
 今日のプロデューサーさん、ヤケに押しが強いな。
「だからやれって?」
「ううん、帰っても構わない。どのみち俺が謝る事になるけど」
「も、もちろん僕も謝ります」
 美嘉ちゃんの担当さんも、プロデューサーさんに加勢する。
 これもう、遠回しに「いいからやれ」って囲ってるようなもんやん。
 うぅ??ん――!
「――はいはい。もうどうなっても知らないからね?」
 とうとうあたしの心が折れた瞬間、奏ちゃんは意味ありげに彼と目配せをした。
 ――気がした。
51:以下、
 あーあ、何でこんな事になっちゃったんだか。
 まぁ、今度美嘉ちゃんに会ったら文句言ったろ。
 あたしのせいじゃない。
 よっしゃ、そう思ったら何か開き直ってきた――ダメな意味でだけどね、たぶん!
「ポジションは、私が左で良いわね?」
「どっちでもいーよ」
 あたし達の出番は、イベント開始から大体30?40分後くらい。
 地元出身の女性お笑い芸人さん――『川越マジカルティンカーリップス』つったっけ?
 その人達が場を暖めてくれた後、登場する事になってる。
 長いコンビ名は人の頭に残らないから良くない、って何かで見たけどなぁ。
 ってそんなんどうでもええわ!
 ギリギリまで練習しないと――あーマジカルほしいよー。時間が止まる系のマジカルー。
52:以下、
 んで、そのマジカルなんちゃらさん達は盛大に滑ってた。
 そりゃあ、昼間っからこんな所でおムネがどうだのアッチの口だの、下ネタ連発されたら――ねぇ?
 あはは、ひどいなー。何がシリコンメガ盛りやねん。
 奏ちゃん俯いちゃってるし。
「緊張してる?」
「えぇ、そうね」
 これもたぶん、ポーカーフェイス。
 奏ちゃん、ホントはウブやもんなー♪
「何よ」
「んーや、奏ちゃん肝が据わってるから頼りになるわぁ」
「何だか嫌みっぽいわね」
「してるわよ――本当に、こんな緊張するものなんだって、思う」
 冷え冷えの会場を、舞台袖から真っ直ぐに見つめる奏ちゃん。
 よく見ると、膝が震えている。
「そうなんだ」
 何だか悪い事、言っちゃったかな?
「じゃあ、あたしと同じだね。あたしもずっと、膝の震えが止まらないんだ」
53:以下、
「そう」
「ま、こんな状況だし、成功しろってのが無理じゃない? 見てよアレ」
「ふふ――それもそうね」
 マジカルさん達がでっかい重荷をあたし達に背負わせ、ステージから捌けていく。
「さて、それじゃーあたし達も一滑り、行ってきますか」
 こうなりゃ野となれ山となれ、ってね!
「まさか、初ステージがこんな事になるなんて、思いもしなかったわ」
 奏ちゃんが、憑きものが取れた笑いを浮かべたので、あたしも釣られて笑う。
 プロデューサーさんがあたし達にサインを送る。
 何その「あーあ、終わったな」って、夢も希望も無い顔! ちゃんと骨は拾ってよね!
 司会者さんから何ともヒドい、向かい風たっぷりのコールを受け、あたし達は最悪のステージに飛び出した!
54:以下、
「えー、どうもありがとうございました。
 それではですね、え?お次はいよいよ皆さんお待ちかね――あ」
「す、すいません。あの?、城ヶ崎美嘉ちゃん。
 美嘉ちゃんがですね、え?、あの?、ちょっと今日急遽、え?、来れなく、なっちゃったそうですね。
 すみません、体調不良とのことで、え?」
「なのでですね、あの?、美嘉ちゃんの代わりに、じゃないですね。
 代わりには失礼ですね。アハハ、あの?――」
「美嘉ちゃんと同じ346プロのアイドルさんである、このお二人にお越しいただいております。
 ご紹介しましょう、城ヶ崎――」
「あっ? じゃない、何だこれ――えー失礼、リッ、プス?
 リップスさん、で良かったですかね?」
「リップスのお二人です、どうぞー!」
55:以下、
【2】
 (■)
 初めてにしては上出来だ、なんていうのは、出来を評価する言葉として最低だ。
 とあるアニメ映画の監督が、何かのドキュメンタリーで言った言葉。
 自分の息子が作った映画の試写会を途中で抜けだし、カメラの前でぼやいたのを覚えている。
 でも――。
 自画自賛になるかも知れないけれど、私達のあのステージは、初めてにしてはかなり上出来だったんだと思う。
56:以下、
 なぜ、私達二人が『リップス』と、司会者からアナウンスされたのか?
 その理由は、会場に大きく手書きで掲示されたイベントの次第にあった。
 書いた人が悪筆だったのもあって、芸人さん達のコンビ名のうち、後ろの『リップス』だけが、二段目に表記されていた。
 そして、美嘉の不在により、私達のユニット名『城ヶ崎美嘉 with かなしゅー』が、『かなしゅー』すら残らず丸々二重線で消されたのだそう。
 結果、私達の欄にやや食い込む形となっていた『リップス』を、司会者さんが私達のユニット名と勘違いし、そのままコールした。
 愚者が揃えば事故になる、とはよく言ったものね。
 ただ、考案者である周子には悪いけれど、私としては『かなしゅー』よりは好きかしら?
 可愛いけれど、子どもっぽいもの。
 さて、そうして舞台に上がった『リップス』の初ステージは――。
 大方の予想を裏切り、非常な盛り上がりをもって、無事に幕を下ろした。
57:以下、
「すごいな二人とも、良くやったぞ」
 舞台袖、プロデューサーがいつになく驚いた様子で私達を出迎える。
「まさか、こんなに喜んでもらえるとは思わなかったわね」
 努めて私は平静を装い、まずはプロデューサーと、次に周子の顔を見た。
「ふぅー! まぁ、曲に助けられたってカンジ? 有名だし、アップテンポでアゲやすいもんねー♪」
 いつも飄々としているけれど、周子は冷静に物事の本質を見抜く力を持っている。
 確かに、その通りね。おそらく今回の成功は、私達の力だけによるものではない。
「いやいや、そんな事は無いですよ。お二人の練習の成果です」
「まーそれと後は、美嘉ちゃんがドタキャンしてくれたおかげですかねー♪」
 不測の事態が起きても、なんだかんだで器用に立ち回る。
 私には、とてもできない。
 私は、塩見周子に嫉妬している。
「お疲れー! すごかったよ二人とも、初めてのステージなんてウソでしょ!?」
58:以下、
 予定通り、美嘉が裏手からコッソリ入ってきた。
「えっ、え――美嘉ちゃん!?」
 周子が信じられないといった様子で美嘉を見つめ、固まってしまう。
「アハハ、ごめんね? 後で謝るから、ちょっとアタシもお客さん達に挨拶してこなくちゃ★」
 美嘉がステージに飛び出していくと、会場からはさらに大きな歓声が聞こえてきた。
「ちょ、えっ、ちょっ――何、えっ、どういう事?」
 そろそろネタ晴らしをしなくちゃ。
 さすがにこれ以上、周子を混乱させてしまうのは忍びないし、私は謝らなければならない。
「ごめんなさい、周子。実は――全部、私が仕組んだ事だったのよ」
「は?」
59:以下、
 きっかけは、プロデューサーとの話を機に、周子の意識が明らかに変わったのを確認した時だった。
 与えられた役割に徹するというのは、確かに正解の一つかも知れない。
 でもそれは、主体性や向上心を放棄する事に他ならず、アイドルを目指す者への愚弄ですらある。
 私は、そう考える。
 何より私を穏やかならぬ心にさせたのは、周子は高い水準であらゆる事をこなせてしまう点にあった。
 いい加減な姿勢であるにも関わらず、だ。
 負けたくなかった、でも――。
 何より、それだけの才能を持っていながら、それを最大限発揮させないのは凡人への冒涜だわ。
 発揮させないまま、凡人のままで終わってしまう事も。
 ギャフンと言わせれば、周子の心にも火を付ける事が出来るだろうか?
 でも、私には――。
 ――今度のイベントは、失敗したっていい。
 あの時の、美嘉の言葉が思い出される。
 あえて失敗、してみるのはどうだろう。
 そう考えたのは、きっと愚かだったのでしょうね。
60:以下、
「つまり」
 周子が呆れたように深いため息を吐く。
「あたしを痛い目に遭わせようと、プロデューサーさん達ともグルになって仕組んだって事?」
「そうよ。あなた一人だけが恥を掻けば良いと思ったの。
 私は、自主的にボーカルも、メインパートの振り付けも練習していたから」
「お、おいおい」
 プロデューサーが何かフォローしようとするのを、私が目で制止する。
 周子の才能を眠らせないため、などというのはただの飾りに過ぎない。
 私は、周子を見返してやりたかっただけ。
 次の瞬間、繰り出されるであろう周子からの罵倒を、私は待った。
「なーるほど。キツいジョークやね?、動機はお子ちゃまなのに」
「えっ?」
61:以下、
 周子はケラケラと笑った。
「でもま、そんなお子ちゃまみたいなドッキリのおかげで、いつも以上の踊りができたってのもあるかな?」
「随分、好意的に捉えてくれるのね」
「ううん、全然? 今度はあたしが、どんなドッキリを奏ちゃんにかましてやろうか楽しみやなーって」
 意地の悪そうに周子が笑った時、美嘉がステージから戻ってきた。
「いやー会場がすっごく熱くてビックリ! あ、それでね、周子ちゃんあの――」
「あ、いーよいーよ美嘉ちゃん。さっき奏ちゃんから聞いたから」
「そうなんだ」
 ポリポリと頭を掻く美嘉。
「あの、さ――ごめんね? 何も言わなくて」
「いいったら。それに、言ったらドッキリの意味無いやんな?」
 美嘉が謝る事は無い。
 美嘉もプロデューサー達も、私のくだらない提案に応じただけなのだから。
「あーあ、一仕事終えたらお腹すいちゃったなー。プロデューサーさん、あたし達に何かおごってよ」
「えぇ、そうだなぁ。せっかくの川越だし、どっか長屋の方の和菓子屋にでも行くか?」
「おっ? 和菓子屋の京娘を捕まえといてそれ行っちゃうー?」
 本当に謝らなければならないはずの私が、周子に謝るタイミングを逸してしまっていた。
62:以下、
 城ヶ崎美嘉に比肩する大型新人ユニット、現る。
 私達が出演したイベントの噂は、SNSを中心に若年層の間で瞬く間に広がっていった。
 後で知ったのだけど、一部の観客が当日の様子を撮影し、動画サイトに無断でアップロードしたのだ。
 当然、騒ぎに気づいた346プロ側の要請により一度は削除されるものの、様々な人の手ですぐにコピーが投稿される。
 非公式と知らず、美嘉が自身のツイッターアカウントで紹介した動画リンクも、非常な加度でリツイートされた。
「怒られたんちゃう? そちらさんのプロデューサーに」
 あれだけ遠い存在と思っていた彼女と私達は、こうして度々一緒にお茶をする程度には親密になれた。
 事務所の中庭にあるオープンカフェで、周子はニヤニヤしながら美嘉に尋ねる。
 やはり、非公式動画を宣伝したのは、事務所的にもまずかったようだ。
「まぁ、あの動画が相当宣伝になった事も事実だし、もう上の人達も黙認してるっぽいけどね」
 バツが悪そうに頬を掻く美嘉。
 まだ美嘉には及ばないけれど、私と周子も、あの日以降目に見えてお仕事が増えた。
 彼女のイベントに応援で呼ばれたりする事も多く、世間的には城ヶ崎美嘉とセットなのだろう。
 改めて、今回の成功はやはり、美嘉のおかげなのだと感じさせられる。
63:以下、
「アタシのおかげ? いやいや、何言ってんの。二人が頑張ったからだよ」
 今度は、美嘉が私に対して意地の悪い表情を浮かべた。
「奏ちゃんが仕組んだイタズラのせいでもあるだろうしね★」
「あー奏ちゃ?ん、その節はどーもー♪」
 周子が頬杖をつき、今度はこっちを見る。
「勝手に動画を撮った奇特なファンにも、感謝をしなくちゃね」
 矛先を躱しつつ、私はカップを口元に寄せて誤魔化す。
「もー奏ちゃんったら照れちゃって。あっ――ゴメン、そろそろアタシ行くね?」
 ティーン誌のグラビア撮影のお仕事があるのだそう。
 美嘉が慌てて席を立つ。
「また、一緒にお仕事出来たらいいねっ★」
「次はあたしがドタキャンするんで、奏ちゃんと美嘉ちゃんよろしくね」
「もーやめようよー。アハハ、それじゃバイバーイ♪」
64:以下、
 鞄を肩に掛け、颯爽と事務所の本棟へと向かう美嘉の後ろ姿を、周子はジッと見つめる。
「うーむ、やっぱりな」
「何が?」
 右手の親指と人差し指を顎に掛け、周子は目を光らせる。
「バスト80はダウトやな。あたしよりでかいもん絶対」
「ぶっ」
「何で逆サバ読むんかなぁ。ってあれ、奏ちゃん大丈夫?」
「急に変な事言わないで」
 周子は時々こうして変な事を話すから、ついていけないわ。
 笑いながら、周子は私の背中をさすった。
「ごめんごめん。心配しないで、たぶん奏ちゃんの方がでかいから」
「そうじゃないわよ」
 周子と不毛な小競り合いを繰り広げていた時、プロデューサーからの電話が鳴った。
65:以下、
「新ユニット?」
 事務室へと呼ばれ、彼の口から聞かされたのは、8月末頃に開催されるサマーフェスの事だった。
「たぶん知ってると思うけど、ウチの所属アイドル総出で行う一大イベントだ。
 で、城ヶ崎さんのプロデューサーさんから今、提案を受けているんだけどさ――」
「ひょっとして、美嘉と私達が、正式にトリオユニットを組むということ?」
「お、そうそう。よく分かったな」
 そこまで話されれば、普通誰でも分かると思うのだけれど――。
「鋭いなー奏ちゃん! 何で分かったん?」
 そうでもないのかしら。
 いや――周子の場合、今の発言は嫌味とも考えられるわね。
「いっそ本当にユニットになった方が、君達の話題性をさらに引き立てる上でも良いだろう。
 そう、あの人とも話してきた所なんだ」
「へぇー、とうとう美嘉ちゃんとかー」
“とうとう”、“満を持して”、“待望の”――。
 しばしば関連性を取り沙汰された私達だけに、宣伝文句にも困らないだろう。
 話題をさらうタイミングとしては絶好ね。
 そして、何よりサマーフェスは――。
「トップアイドルへ至る切符の、事務所内での選抜戦――だったわよね?」
66:以下、
「さすが、水さんはよく研究しているな」
 サマーフェスは、346プロが配信する公式のテレビチャンネルだけでなく、大手動画投稿サイト内にも特設ページが設けられ、一部始終が生放送される。
 実際に現地でフェスを観賞する人達だけでなく、テレビやパソコンで視聴する人達も、データ放送や動画サイトの機能により、気に入ったアイドルに投票する事ができるのだ。
 フェスの参加者や、公式チャンネル登録者による票の方が、ポイントは高いそうだけど――まぁ、それはそれとして。
 投票する制度があるのは、もちろん、勝敗を明らかにするため。
 年に一度、その年の最も輝かしいアイドルを決める一大フェス、『アイドル・アメイジング』。
 その大会への出場者を決める、346プロ内での選抜戦が、サマーフェスということ。
「つまり、事実上の決勝戦って事?」
「えっ?」
 気を引き締め直した私を尻目に、周子が思いもよらぬ一言を口にする。
「だって、ウチって一応最大手の芸能事務所なんでしょ?
 同じ事務所で何組までしか出られんのか知らないけど、このサマーフェスがウチらにとって一番競争激しいんじゃないの?」
67:以下、
「ぶっちゃけ俺もそう思うけどね」
「ぷ、プロデューサー!?」
 そういう気の抜いた事、言って良いの?
「あぁ悪い悪い。もちろん、油断しちゃダメだぞ。
 例えば、高垣楓さん。あの人のように、毎年ウチの代表候補に名を連ねる実力者もいるしな」
 モデル出身の美貌に加え、美麗な歌声によるステージパフォーマンスの評価も随一。
 楓さんは、私の到達目標の一つでもある。そして、アイドル・アメイジングへの切符は一枚だけ。
 サマーフェスで、彼女に勝つのは容易な事ではないけれど、目指すからには避けられない。
「ただ、他の事務所にだって、彗星のごとく現れる大型新人アイドルってのも、無い訳じゃないらしいからな。
 勝って兜の何とやらで、一つ一つの目標に誠実に取り組む事が大事だとは思うぞ」
「でも、ぶっちゃけちゃうと?」
「まぁサマーフェスさえパスすりゃほぼほぼかと」
「プロデューサー! 周子も乗せちゃダメでしょう」
 冗談だよ、なんて周子と笑うプロデューサー。いつの間にこんなウマが合うようになったのかしら。
 大体、サマーフェスで優勝する事さえ果てしなく難しいというのに。
 やはり、私はあまりこの人の事を信用できないと思う。
 その疑念が生まれつつあった頃の事――。
68:以下、
 私の目の前で、ガチャンッ、と落とされた携帯。
 ショートボブのブロンドに負けず劣らぬ、ギョ口リと一際主張する碧眼。
 およそ日本人離れした顔立ちの下は、白とベージュのニットセーターと、片手に下げたのは蛍光ピンクのハンドバック。
 黒のショートパンツからスラリと伸びた足先には、どことなく道化を思わせる山吹色のブーツ。
 あの状況では、仕方が無かった――頭では分かっていても、自問するしかない。
「あの――携帯、落としましたよ」
 なぜ、声を掛けてしまったのか。
「えっ? あっホントだー♪ ありがとーメルシーボンボヤーしるぶぷれー☆」
「――メルシー・ボクー、ではなくて?」
 忘れもしない、私と宮本フレデリカとの出会いである。
69:以下、
「アタシあまりケータイって苦手でさー? 友達からも未だにガラケー使ってんの、チョーバカにされちゃうの☆
 アハハ、面白い? アタシは面白いなー、だってねー見てよ、もうハゲ過ぎて元の色わかんないし♪」
 朝、仕事や通学のため激しく行き交う駅のコンコースのど真ん中で、曰く“命の恩人”たる私に、彼女はまるで発情期を迎えたハチドリのようにまくし立てた。
「命と同じくらい大事なものなら、落とさないようもっと気をつけるべきではないかしら」
 低血圧の私には、朝からこのテンションはキツい。
 思わず、少し嫌みたらしく言ってしまったけれど、彼女は全く意に介する素振りも見せず、
「だよねー? 管理体制ずさんー、もっと無くさない所に入れとくべきだよねー♪
 あなたのケータイはどこから? アタシは鼻から」
「ぶふっ」
「うっそーん☆ あ、そういや女の人が赤ちゃん産む時って、鼻からスイカを捻り出すのと同じくらい痛くて大変だって言うけど、昔はそうして鼻からスイカ出す人もいたのかな?
 想像できないよね、だってフレちゃんやった事無いもん。うどんですら無いし。あっゴメンゴメン、さすがに今日はガッコー行かなきゃ。
 鼻水出てるからちゃんとティッシュでお鼻チンした方がいいよー、フレちゃんの鼻セレブ一枚あげるね? じゃーねーアデュー♪」
 名前は“フレちゃん”というらしい。
 くどいほどに彼女のキャラクターを理解できた朝の数分間だった。
 鼻をかみながら、私は次の日から電車を一本早める事を強く決意する。
 二度と彼女に会ってはならない。
71:以下、
 そういう時に限って、再会は思いのほか早く訪れるものね。
「あ、また会ったー! 今朝はケータイありがとー、鼻水大丈夫? ちゃんとお鼻チンした?」
 その日の夕方、学校帰りに立ち寄った事務所で――なぜなの。
 納得のいく説明をしてほしいわね、プロデューサー?
「俺がスカウトしたんじゃなくて、チーフが「面白い子見つけた」って俺によこしたんだよ」
 応接室のソファーで一人鼻唄を歌う彼女から少し離れ、背を向けながら、プロデューサーは私に小声で釈明した。
「俺はもういっぱいいっぱいだ、って言ったのに、チーフは「絶対水さん達と相性良いはずだから」って聞かなくてさ。勝手だよなぁ」
「ところで、水さん、鼻水がどうかしたのか?」
「どうでもいいわよ、そんな事」
 応接室の様子をチラと見る。
 彼女は、そこに置きっぱなしだった私のリップクリームを勝手に使っていた。
「どうするの、彼女」
「上司の意向には従わざるを得ない――ってあぁちょっと宮本さん! 契約書に落書きしちゃダメだって!」
 デザイナー志望の短大生で19歳、とのこと。
 とても年上とは思えない。なんて子どもっぽいのかしら。
 プロデューサーの上司――チーフとかいう人、お世辞にも人を見る目があるとは思えないわね。
72:以下、
「カナデちゃん歌すっごい上手ー! アレだっけ、毎朝腹筋してるんだっけ。ちょっとショウミーしるぶぷれー?」
「ちょ、な、何を――!」
「ワァォ、ぷにぷにー☆ 天使の耳たぶだねー、バナナで釘が打てるレベルだよー! 皆も触ろ触ろー♪」
「や、やめなさい! そもそも耳たぶなのかバナナな、あ、こら――!」
「腹筋職人☆カナデリカ」
「ミカちゃんの髪、よく見るとすんごい色だねー☆ アバンギャルドだねー、でもすごいきゅーてぃこー☆」
「コレねー、結構手入れ大変でさー。でも、フレちゃんもだいぶ明るくない?」
「あたしのは天然なんだー♪ おフランス産の超極細毛、クリアクリンだよー☆」
「な、なんか違くないそれ!?」
「あれ、タムチ○キパウダースプレーだっけ?」
「もっと違うし、何でそこを隠すの!」
73:以下、
「シューコちゃんシューコちゃん」
「なーに、フレちゃん?」
「呼んでみただけー♪」
「ダンスレッスン中なんやけどなー♪」
「ねー、トレーナーさんねー♪」
「どうやら先ほどのゲンコツでは物足りないようだな、宮本?」
「アハハー、堪忍☆」
 彼女を本気で叱責する者は誰もいなかった。
 甲斐性無しのプロデューサーだけでなく、厳格なトレーナー達でさえ、である。
 フレデリカの言動には、趣旨も裏表もまるで無い。
 およそ理解を超えた適当さ加減に、怒りよりも呆れが伴ってしまう。
 いいえ――なぜか、どうしても不快な思いになる事が出来ないのだ。
 おそらく天然なのだけれど、上手に距離感を保ち、心地良いタイミングで私達に悪戯をしているようにも思える。
 まるで底が知れない。
 しかし、激動は立て続けに私達を襲う。
74:以下、
 フレデリカと付き合う中で、地味に困ったのが連絡手段。
 彼女は携帯に頓着が無かった。
 スマホユーザーでは無いどころか、唯一持っているガラケーをすぐに紛失するのだ。
 無断遅刻や欠席こそ無いものの、有事に連絡を取れない状況に痺れを切らした私と美嘉は、ある日フレデリカを携帯ショップに連れて行く事にした。
 周子もついて来たのは、彼女曰く「面白そうだから」。
「まーさすがに同じユニット組むんだし、LINEのIDくらい交換したいやんな」
「ラインってなーに?」
「うーん、チャットみたいなもん、かな? フレちゃんも気に入ると思うよ★」
 使用料の全額を事務所の経費で落とす事は、さすがに難しかったそう。
 活動に必要な備品という名目で、機器代だけでも肩代わりできた事については、プロデューサーを評価するべきかしら。
75:以下、
「――よしっと、初期設定はこんなカンジかな★ 使い方は、フレちゃんならそのうちに慣れてくると思うよ」
「わぁい、やったーミカちゃん! あれ、ボタン無くない?」
 不思議そうに手の中にあるスマホを眺める。
 本当に初めてなのね。
「それがスマホっていうものよ、フレデリカ」
「この、LINEってヤツを押して――ほら、あたし達のグループに招待されとるから、承諾すると入れるよー♪」
「へぇー、ありがとー♪ いやー持つべきものは精密機械に強い現代人と和菓子屋の娘だねー」
「和菓子要素ゼロやん」
 その日以降、味を占めたフレデリカから無意味なスタンプが四六時中グループに連投されるようになり、私達は別の意味で頭を悩ませる事になる。
 グループ名は、仮で“リップス”としておいた。
 あの日の私と周子のユニット名だ。
 その足で、四人で事務所に立ち寄った時だった。
 ヒョコヒョコと、プロデューサーの後について事務所に入って来る女の子が目に入った。
「ほら、事務所も見れたからもういいだろ。さっさとお家に帰りなさい」
「まぁまぁそう言わないでよ。もうちょっとだけキミの構成要素を観察?♪」
76:以下、
 迷惑そうに手を振るプロデューサーの元を離れ、思いついたかのようにロビーの中央へと走る。
 そして彼女は天井を見上げ、スゥーッと深呼吸を始めた。
「う?ん、さすが芸能事務所なだけあって、ユニークな香りがいっぱいだねー。
 自信と戸惑い、不安と希望。さっきのキミの言葉を借りるなら、まだ見ぬ自分との出会いを夢見る期待感ー?」
「そんな事言ってないぞ、俺」
「えー言ってたでしょー、ボイレコ録ったけど聞く?」
「い、いつの間に――!?」
「貴重な研究対象は具に観察してデータ採らないとねー、にゃははー♪」
「あ、皆。ちょっとこの子、どうにかしてくれないか?」
 私達に気づいたプロデューサーが、助けを求めるようにこちらへ手を振った。
 背を向けていた彼女も、クルッと私達の方へ向き直る。
「――おぉ??。あれがキミの、えーと担当? の子達だねー♪」
 紫色を帯びた、無造作にウェーブがかった長髪。
 その隙間から覗かせる丸い瞳に煌く、まるで獲物を見つけた猫のような好奇の碧い輝き。
 彼女がある種の快楽主義者である事を直感的に察したのは、その無防備なシャツの着こなし方から。
 これは強敵ね、どう接するべきかしら。そう思っているうちに――。
 前に出たのは、フレデリカだった。
「初めまして――私、宮本、フレデリカと申します」
77:以下、
「まぁ――初めまして、宮本さん。一ノ瀬、志希です」
「一ノ瀬さん――とても、素敵な名前ですね」
「ありがとうございます。そういう、宮本さんも」
 ――えっ、普段のあなたはどこへ行ったの?
「今日は、一ノ瀬さんは、どちらからいらしたのですか?」
「私、実は先日――某国より、日本に参ったばかりなのです」
「まぁ、はるばる自転車で?」
「いいえ――私の研究を悪用しようとする組織から逃れるため、秘密裏に」
「研究――それはつまり、自転車に関するものを?」
「詳しくは言えないのですが――世界を揺るがしかねない真実を闇に葬るべく、彼らも必死に私を追っているのです」
「自転車に乗って」
「えぇ――ママチャリで」
「――ブフッ!!」
「ふふ、アハハハハハハッ! さ、最後の最後でママチャリ認めちゃうんだー☆」
「そ、そっちこそ、何で自転車押し――うっふ、にゃははははー!」
 宮本フレデリカと一ノ瀬志希は、予め申し合わせていたとしか思えない茶番を、私達の前で披露してみせたのだ。
78:以下、
「しょ、初対面だよな?」
 プロデューサーだけでなく、私達も開いた口が塞がらない。
「あ、シキちゃんラインやろーよライン! 知ってる、ライン?」
「おぉー、フレちゃんさてはスマホビギナーだね?」
「ワォ、何でバレちゃった?」
「画面を人差し指でぎこちなくタップしてるからー♪」
 二人は既に意気投合している。
 結局、フレデリカは彼女に自分の携帯を手渡し、LINEの操作を委ねた。
「んー? ひょっとして、シキちゃんもフレちゃん達とトゥギャザーしちゃうカンジ?」
 そうフレデリカに聞かれると、プロデューサーはすぐに顔の前で手を振った。
「いや、この子が勝手について来たんだ。さっきから全然言う事聞いてくれなくてさ」
「つれない事言わないでよ?ミスター? 下品なナンパ集団からあたしを守ってくれたじゃん」
「俺に感謝する気があるなら、あまり俺を困らせてほしくないんだけど」
「この子の事、スカウトしたワケじゃなかったんだね――ってうるさいなもう」
 グループに入った志希への、フレデリカによる歓迎スタンプの連投に、美嘉が渋々携帯を取り出す。
79:以下、
「お、キミはなんて言うんだっけ? わっちゅあねーむ」
「えっ――水奏よ。英語が堪能なのね、一ノ瀬さんは」
「志希ちゃんでいーよー。アッチでは英語だったからねー♪」
 海外から来たばかりというのは、本当だったのね。
「ほんじゃ、あたしもシューコちゃんって呼んでよ。
 せっかく来たんだし、事務室でお茶でもしてったらどうー?」
「お、いい? お邪魔しても」
「邪魔するなら帰ってやー、なんてねウソウソ。プロデューサーさん、いいでしょ?」
 周子とも相性は良いようね。フレデリカとの様子を見て、察しはついたけれど。
 ただ――。
「いーや、帰ってくれ。チーフに会わせたら絶対良くない事を言うから」
「チーフって誰?」
「俺の先輩、っていうか上司」
 プロデューサーは、彼女の事をあまり快く思っていないようだった。
「あ、そういやあたし達もチーフさんって人、会った事無いっけ、奏ちゃん?」
 ふと周子が私に問いかけた。確かに――。
「いや、あるよ?」
 美嘉が不思議そうに首を傾げる。
「あれ、言わなかったっけ? まぁ行きゃ分かると思うけどね」
「んじゃー皆で挨拶しに行こっか☆ ラインも交換しないとだよね?」
「――勘弁してくれ」
 フレデリカの一言に、プロデューサーはすっかり頭を抱えている。
80:以下、
 プロデューサーのデスクがあるという事務室には、彼の他に3人のプロデューサーがいた。
 童顔で私よりも身長が低いコロコロとした人と、まるでヤクザのようにガラの悪い金髪の人。
 そして――。
「初めまして。346プロへようこそ」
 ウェーブがかった、少し長い黒髪。
 芸能関係者というよりは、家庭教師でもしていそうな穏やかで優しい印象を与える顔。
 この人、見たことがある――初めてのライブ会場で会った、美嘉のプロデューサーだ。
 チーフプロデューサーという人は、理知的な印象を与える所作でもって私達を出迎えた。
「今日は、彼にスカウトされて来たのかい?」
「イエース、そうですそうですー♪ Nice to meet you, Mr.?」
 先ほどまでだらしなく着崩していた服を丁寧に締め直していた志希は、ひょうきんなサラリーマンのように腰を曲げ、右手を差し出した。
「ほぅ、一ノ瀬さんはとても愉快な子だね」
「彼も私の気質を褒めてくれました。日本人離れした感覚は、他のアイドルには無い武器だって」
「宮本さんも、陽気で茶目っ気のある気質はフランス由来だろうしね。僕もそう思いますよ」
 巧みにチーフを懐柔する志希に対し、プロデューサーは眉間に皺を寄せっぱなし。
 ある意味、こんなに感情を露わにするのを見たのは初めてかしら。
「あのですね、チーフ――」
「私見ですが彼女達、非常に良いと思いますよ」
 しかめっ面のプロデューサーとは対照的に、チーフはにこやかに返した。
「この5人で、ユニットを組ませてみてはいかがでしょうか?」
81:以下、
「えっ、志希ちゃんあたしんちの隣!?」
「へぇー、そうなんだー。じゃあ今日は周子ちゃんちに泊まっちゃおっかなー♪」
「隣同士なのに泊まる意味ー♪」
「せっかくだからフレちゃんも行っていいー?」
「せっかくの意味ー♪」
 まるで漫才のようなやりとりをする周子達の後ろを、私と美嘉が続いて歩く。
「急に、随分賑やかなユニットになっちゃったね」
 楽しそうに眺めながら、美嘉が独り言のように漏らす。
「そうね」
 気の無い返事と、あなたは言うでしょうね、きっと。
「奏ちゃんはさ――不安とか、ある?」
「えっ?」
 美嘉は、笑っている――自信に満ちた“カリスマギャル”のそれとはかけ離れた、少し物憂げな表情で。
「アタシは――ちょっと、不安だな」
82:以下、
「えぇ、そうでしょうね」
 それはそうだろうと、私は思った。
 周子だけでなく、こんないい加減そうな子達と一緒にユニットを組む事になるなんて。
 私でさえ、どうなるものかと不安よ。
 
「既に確固たる地位と実力を持っている美嘉だもの。
 自分にふさわしいメンバーなのかどうか、不安に思わないはずは無いわよね」
「ううん、そうじゃなくて」
「えっ?」
 ハハッ、と美嘉は笑いながら、夜空を見上げた。
「アタシが、皆に置いて行かれないかが、不安なんだ」
83:以下、
「――謙遜しているつもり?」
 それとも嫌みかしら。
「本気でそう思ってるよ。あの三人にも――もちろん、奏ちゃんにも」
 彼女の言葉の真意が分からない。
 掘り下げようか迷ったけれど、深く追求するのはやめておくわ。
 どうせ私には理解し得ないもの。
「奏ちゃんこそ、ふふ――あのコ達が自分にふさわしいか、不安?」
 いつもの顔に戻った美嘉が、今度は私に問いかける。
「えぇ、そうね」
 そこは隠す必要は無いでしょう。
84:以下、
「何せ、自分とユニットを組む周子ちゃんに、発破を掛けるくらいだもんね」
「いけない事かしら」
「お、本音出たカンジ?」
 ――私としたことが、つい乗せられてしまったようね。
「アハハ。うーんとね、アタシは奏ちゃんのそういうトコ、イイと思うよ。
 高めるためにやんなきゃいけない事は、同じメンバーにも頑張ってもらわないとね★」
「プロデューサーにも、かしら」
 私がそう言うと、美嘉は「あぁ?」とため息交じりに少し大きな声を漏らし、両手を頭の後ろで組んだ。
「そうだよねー、あの人、ちゃんとアタシ達のために働いてくれるのかなぁ」
「期待はできないわね。
 ただでさえ必要以上のやる気を出さない人だけれど、あの二人の加入には最後まで後ろ向きみたいだったもの」
「あっ、やっぱ普段からやる気無いカンジなんだ」
「でもさ? 何であの人、フレデリカちゃんと志希ちゃんを入れる事に、あんな反対っぽかったんだろうね」
 人差し指を口元に寄せ、美嘉は虚空を見上げる。
85:以下、
「単に、あの二人が見るからに問題児だからでしょう」
 手に負えない子達の世話なんて、誰も進んでやりたがらない。
 何か、ゲームでもしているのかしら。
 フレデリカが両手を合わせ、上に突き出しているのを見計らい、周子と志希も同じくそれに続いている。
 何がおかしいのか分からないけれど、それで三人は大声で笑い合っているのだ。
「あ、アハハ――まぁ、アタシもさ、ほら、たぶん前のプロデューサーを困らせてた時あったし」
 美嘉が、ポリポリと頬を指で掻く。
 えっ――“前の”プロデューサー?
「あぁ、言わなかったっけ? アタシ、正式に担当が変わったんだ。
 あの人も、今のプロデューサーさんとしっかりやれよ、って送り出してくれて」
 そうだったのね。
「だから、これからはこのユニットでの活動をメインに――あれ?」
 右手をギュッと振り上げていた美嘉が、はたと立ち止まる。
「そういやさ――アタシ達のユニット名、何だっけ?」
86:以下、
「リップスじゃ駄目なのか?」
 事務所1階のラウンジは、今日も朝から大勢の人が来ている。
 プロデューサーと担当アイドルによるミーティング。
 外部の業者さんとの軽い打合せ。
 昼過ぎになると、体験コース入会前の、見学会の参加者達による意見交流が行われる事もある。
 もちろん、アイドル同士の憩いの場でもあるのだけど、実際はほとんど仕事で使われる事が多い。
 今日の私達のように。
「あたし的にはちょっとイヤかなー。だってさー?」
 プロデューサーの言葉に異を唱える周子が携帯を操作し、私達に画面を見せる。
「ゲームの敵キャラに、こういうのおったやん」
 見ると、ナメクジのような、やたらと唇の分厚いモンスターが表示されている。
「うえぇぇ、き、キモ――」
 その醜悪な外見に、思わず美嘉の顔が引きつる。
「でしょー? これ連想されたらあたし達かなわんでしょうよ」
「うーん、確かにちょっと強烈なビジュアルだねー」
 興味津々に画面を覗き込んだのは志希だ。
「でも、名前自体はそんなに悪くないんじゃないかなーと志希ちゃんは思いまーす♪」
87:以下、
「おぉーっ? シキちゃんその心は?」
 フレデリカが志希に熱いまなざしを寄せる。
「口ってさ、物を食べたり飲んだり、声を出したりさえできれば基本的に生きていけるじゃない?
 もちろん、それらの補助的な役割は果たすけど、唇が無くても極論言うとそれは達成できちゃうんだよねー」
 志希がストローを口元で振り回すと、ジュースの水滴が少し飛んだ。
「あっ、ごめんね奏ちゃん」
「いいえ。それで?」
「うん。それでね、じゃあ何で唇という部位は生物に存在するのか?」
 ムフッ、といやらしい笑みを浮かべる志希。
「それは、種の保存のため。もっと言うと、異性を魅了するためにあるって話だよね。
 魅力的な表情や声を作り出すために精密な運動をしたり、キスして愛を確かめ合ったり、なーんてさ。
 特出した進化を遂げた経緯を考えれば、唇の名を冠するこのモンスターは、ある意味“生”の象徴とも言えるのではないかにゃ?」
「な、なるほど――」
 身を乗り出すように両肘をテーブルの上に乗せ、妙に納得してしまっている美嘉。
 創造上の、それもゲームのキャラクターへの、どこまで本気か分からないような彼女の考察に、何をそこまで真面目に――。
 と思っていたら、周子も感嘆の声を上げた。
「ほぉー、つまりアレや、“性”の象徴的な?」
「にゃははーっ♪ まぁ生物学はアタシの専門じゃないから色々違ってると思うけどねー♪」
 何ソレ、と呆れたように同調した周子と志希は笑い合う。
88:以下、
「フーンなるほどー、それだと唇がすんごいキレイなカナデちゃんは超強そうだねー☆」
「はぁっ!?」
 フレデリカが突拍子も無い事を言うと、皆が一斉に私へと顔を向けた。
「いや?、奏ちゃんそう言われれば――」
「あーホンマやねー。唇のエ口さ的には奏ちゃんだわー」
「なるほどにゃー。奏ちゃんから漂うストイックな香りは、まさしく生への執着」
「カナデちゃんこの間リップクリームありがとー♪」
「い、いい加減にして! ちょっと、プロデューサーも何とか言ってよ!」
 堪りかねて、先ほどから黙って会話を見守っていたプロデューサーに助けを求めると――。
「じゃあ、水さんが『リップス』のリーダーって事でいいのかな?」
「ちょっと!!」
 事務的にノートにペンを走らせる彼は、どこか面倒くさそうでさえあった。
 カタカナじゃなく、ローマ字表記の『LIPPS』にして、と周子が提案していたけれど、そんなのどうだっていいわよ。
 私がリーダー、何で――。
89:以下、
 サマーフェス本番までは、あと約2ヶ月半。
 曲のサンプルが出来上がるまでの約1ヶ月は基礎レッスンに打ち込み、その後は本格的な曲合わせと、ユニットと曲の宣伝を兼ねたイベント出演を行っていく、という事だった。
 およそ三週間程度、一緒にレッスンを行ってきた中での、私の個人的な感想は――。
 美嘉はもちろん、申し分無し。
 自分だけでなく、周囲にも的確なアドバイスをしてユニットの下地を支えるキーマンでありエース。
 ついて行くのが不安だと彼女は言っていたけれど、たぶん実力という意味では無かったでしょうね。
 他の問題児達のテンションに、という意図だと捉えるべきだわ。
 周子は、相変わらずのマイペース。
 トレーナーや美嘉から指摘されればすぐに修正するだけの器用さは、さすがと言ったところ。
 でも、決してそれ以上の力を発揮する事は無い。
 まぁ、それは想定通り。
 やはり問題は、この二人。
90:以下、
「一ノ瀬っ! 何をしている、配置につきなさい!」
 トレーナーが私達に檄を飛ばさない日は無いけれど、彼女へのそれは毎度際立っている。
「えー? もういいじゃん、十分頑張ったよアタシー」
「君一人の問題ではない。ユニットとしての士気が下がると言っている」
「にゃははーっ。トレーナーさんそれダジャレ? ゆーあーきでぃんぐみー」
「なっ――い、いいから早くしろっ!!」
 私の見立てでは、彼女の実力は、おそらく周子のそれを遙かに上回るほどに高い。
 一度見ただけの振り付けを、ほぼ止まらずに一度目で踊りきるなんて、並大抵の事ではない。
 ギフテッドというのは、どうやら眉唾ものではなさそうね。
 問題は、彼女のその絶望的な集中力の無さ。
 興味が3分以上持続しないとは彼女自身の弁で、こうしてトレーナーを困らせる事は日常茶飯事だ。
 酷い時は、無断欠勤だけでなく、休憩中どこかに行ったまま帰ってこない事もある。
 そうした“失踪”は、ある種志希の特性として私達も認識しつつあった。
「プロデューサーってヒトが気になったから入ったんだけど、アイドルって大変なんだねー」
 そう言いながら、キレ味鋭いステップを渋々踏んでみせる彼女には、ある種の恐怖すら感じてしまう。
91:以下、
「わぁーっ! シキちゃんすっごい上手ー、フレちゃんにもテルミー♪」
 私達の中でも一際賑やかな声――フレデリカに至っては、ある意味では志希以上に常軌を逸している。
 何せ彼女は、これまで一度足りとも、トレーナーの指示通りにレッスンをやり通した事が無いのだ。
 ダンスも、ボーカルも。
 法則性は皆無だけれど、その時が来ると決まって彼女は――。
「宮本っ! まーたお前は、勝手にアレンジを加えるなぁ!」
「ンー? あっそっかーこっち来てこう来て、ルンッ☆ だっけ?」
「違うっ! 軸足を機転に3、4でステップ、ターンだ!」
「軸足ってご飯を持つ方?」
「????っ!!」
 その場のノリや感性で、勝手に内容を変えてしまう。
 差し詰め、テストで100点を取るけれど授業態度は最低なのが志希であるとするなら、数学の答案用紙にカレーの作り方を書くのがフレデリカ、といった所かしら。
92:以下、
「さすが、デザイナー志望なだけあってユニークな感性をお持ちやねーフレちゃんは」
 皮肉なのか本音なのか分からない感想を周子が漏らす。
 フレデリカや志希が怒られている間は休憩できるから助かる、とも以前言っていた。
「笑ってばかりもいられないわ。じきにサンプルが出来上がって、イベントも近づいてくる頃よ」
「そんなにすぐだっけ?」
「ウカウカしてると、時間って結構あっという間に過ぎちゃうからねー。経験則だけどさ」
 腕組みをしながら、美嘉がトレーナーに怒られる二人を見つめる。
「まっ。失敗しなきゃあの二人も分かんないかも、ね」
「なるほど、それや」
 周子が手をポンッと叩く。
「イベントで失敗して痛い目見るとか、アクシデント抱えてテンパるとか――不測の事態が起きれば、あの二人も本気になるんやない?」
 そう言って、周子は親指で自分の胸元を差し、ニッと笑った。
「ほら、いつぞやのこのシューコちゃんのように」
93:以下、
「あっ、なるほどねー★ 火事場の馬鹿力、ってヤツ?
 ていうか周子ちゃん、やっぱ本気じゃなかったんじゃん」
 腰に手を当て、呆れたようにため息を吐く美嘉に、周子は笑いながら手を振る。
「あたしは、いざって時はちゃんとするよってだけ。まぁそれはともかく」
「今度のイベントはさ――あたし達があの二人に、ドッキリをかましてみるの、どう?」
 私と美嘉の顔を交互に見ながら、周子が口元に手を添え、小声で私達に提案してみせた。
 片や、ルールに従えば最強の天才。
 片や、ルールという概念がすっぽり抜け落ちているある種の天才。
 どちらも恐れを知らない、『LIPPS』きっての問題児。
 あの二人が機能しなくては、このユニットの成功は為し得ない。
「底力を、見せてもらわないとね」
 私に断る理由など無かった。もちろん、美嘉も。
94:以下、
 サンプルが出来上がり、レッスンが本格化しても私達は相変わらずだった。
 私も、さすがに何度か注意しようと思ったけれど、この先に行われる“ジョーク”を思うと、余計な事はしない方が良い。
 私達の計画はこうだった。
 フェス本番を一ヶ月後に控える、とあるCDショップでの販促イベント当日。
 そこで私達『LIPPS』の新曲、『Tulip』が披露される事になる。
 志希とフレデリカには、業界関係者のみ出席するフォーマルな場だと伝えてある。
 いざ会場に着くと、そこには数百人規模のファン――実際は、ほとんどが美嘉のファンでしょうけれど――が大歓声で待ち受けるのだ。
 初舞台で味わう独特の緊張感は、私も経験している。
 ステージの規模が想定と異なれば、それは何倍にもなるだろう。
 常にリラックスした姿勢を崩さないあの二人が、その窮地に立たされた時どうなるか――。
「ま、なんだかんだ上手いことやっちゃいそうな気もするけどね」
 と周子。
「さすがにビビっちゃうんじゃないかなー。失敗してもフォローしてあげなくちゃね★」
 美嘉は相変わらず優しいのね。
 私は、そう――底意地の悪い言い方だけれど、痛い目を見てほしいと思っている。
95:以下、
「またそういうの、するのか?」
 さすがに、プロデューサーにまで内緒にしておく訳にはいかない。
 想定している“ジョーク”の内容を話すと、彼は頭をクシャクシャと掻いた。
「まぁ、それで上手くいけば良いけど、もし失敗したら俺が怒られるしなぁ。
 この間のだって、結構俺、ヒヤヒヤもんだったんだぞ」
 ハハハ、と困ったように笑う。
「アイドルのフォローをするのがプロデューサー、でしょう?」
 進んで困らせる事をしようとしているのに、こんな事を言ったら怒られるかしら。
 まぁ、この人にも少しくらい、ムキになってもらわないとね。
「だよなぁ」
 ――この人は、どこまでも主体性が無い人なのね。
96:以下、
 メンバーが増えたため、当日会場へは前回より大きめの車に乗る事になった。
「うーん、美嘉ちゃん今日は少し気合い入ってるカンジかにゃー?」
 三人掛けの後部座席で、真ん中に座った美嘉のうなじに、隣の志希が顔を埋めている。
「ちょ、ちょっと! あんまり顔近づけないでよ、メイク崩れちゃうじゃん」
 さすがに美嘉も抵抗するが、志希は案の定応じる様子も無い。
「ンー? シキちゃん何してるの? アタシのケータイ探してくれてるカンジ?」
 美嘉を挟んで志希と反対側に座るフレデリカが、自分のバッグを漁る手を止め、楽しげに首を突っ込む。
「携帯、って――フレちゃん、また携帯無くしたの?」
「にゃっはっはーそうなのだよフレちゃん。案外美嘉ちゃんの服の中に紛れてるかもねー♪」
「えっホント? やったーミカちゃん大事に懐で暖めてくれたんだねー、秀光だねー☆」
「ちょ、それを言うなら秀吉――こ、こらぁ!」
「あれ、家光だっけ?」
「秀吉っ!!」
「出光?」
「うーんハスハス、緊張しないで?リラーックス、どんとびーあふれーいど」
「まったく」
 事務所を出る前に拾ったフレデリカの携帯を彼女に渡すよう、私は周子に指で促す。
「まーまー、もう少し見守ってあげようではないか」
 周子はその携帯を手元でクルクル回しながら、ニヤニヤと後部座席を見やる。
 美嘉は災難ね。でも、二時間後には立場が変わっているでしょう。
97:以下、
 会場となるCDショップに着くと、駐車場から私達はスタッフ専用の通路を通り、控室に案内された。
 控室と言っても、テレビ局や劇場等にある楽屋のようなものではなく、お店の備品が雑多に保管された横に白机とパイプ椅子が並べられた簡素なもの。
 普段はスタッフの休憩室兼倉庫となっている部屋のようだった。
「へぇー、結構扱い軽いんだねー美嘉ちゃんもいるのに」
 興味深げに備品をゴソゴソと漁り出した志希を、プロデューサーがやんわりと制止する。
「まぁ、こんなもんだよ。アタシ達がどうっていうより、会場の大きさとかにもよるしさ」
 パイプ椅子に腰を下ろし、美嘉は自前の化粧道具でさっそくメイク直しを始める。
 さすがに慣れたものね。
「それに、今日は業界の人しかいないらしいし」
「――んふふ、そうねー」
 美嘉のさりげない呟きに、周子がニヤリと笑った。
「あまりお客さん多いと、シューコちゃん緊張して声出んくなるからなー♪」
「良かったぁ、フレちゃんもっとカメラマンさんとかいっぱい来てたらどうしよーって思ってたんだー」
98:以下、
「いや、カメラは何台か来てるよ。一応、新曲の販促イベントだからね」
 プロデューサーが訂正する。まぁ、あえて言わなくても良かったと思うけど。
「どう転ぶか知らんが、責任は俺が取る。適当にな」
「ちょっとプロデューサー、始まる前から後ろ向きな事言わないでよね★」
 美嘉が座りながらプロデューサーを肘で小突く。
 悪い、と小さく謝ると、彼は扉を開けた。
「ちょっとスタッフさん達と話をしてくるから、その間に着替えを済ませておいてくれ」
「――ひょっとして、アイドルとプロデューサーって、そんなに関わりって無い?」
 扉が閉まった後、志希が私達に問いかける。
 そういえば、彼女の興味はプロデューサーにあると言っていたわね。
「いや、あの人がただ距離を置いてるだけだと思うなぁ。アタシは前の人と結構色々喋ってたし」
 バックを空け、着替えの準備を始める美嘉。
「ほうほう、色々ってどんな話?」
 周子の無邪気な追及に、美嘉は余計な事を言ったと、大きくため息を吐いた。
99:以下、
 会場の袖に向かうと、既に喧騒が聞こえてくる。
 どうやら、私達の想定以上に観客が来ているらしい。
「ンンー? 何だか賑やかだねー」
 不思議そうに首を傾げるフレデリカ。
 志希も異変に気づき始めたようだ。
「ふ?む――なるほど、想定外の事態が発生した模様かにゃ?」
「シキちゃん、それ、想定できてない?」
「にゃははっ! ホントだねーフレちゃん、想定外が起きてるのを想定しちゃったら想定外じゃないよね」
「でも想定外の内容が想定できてないからセーフ?」
「どっちかっていうとアウト? まっ、アタシ達が結論づける話じゃないってコトでいい、奏ちゃん?」
「えっ――そ、そうね」
 どれだけの人が待ち受けているのか。練習通りに踊れるのか。
 自分の事で私は精一杯なのに、なぜこの二人はこんなにもリラックスしているの?
100:以下、
「にゃっはっは♪ あれれーひょっとして奏ちゃん緊張してるー?」
 ツンツンと、私の頬を指でつつく志希。
「どーやらすっごい人が集まってるみたいだけど、気楽に行こうよ。びーゆぁせるふ、けせらせら♪」
「けせらせら、って何?」
「あれ、美嘉ちゃん知らない? なるようになるさ、って意味?♪」
「レットイットビー的な?」
「フフンフーン フフフーン♪」
 場数を踏んでいる美嘉はともかく、周子も、志希もフレデリカも、本番を目前にしてこの有様。
 私だけ、遅れを取る訳にはいかないわ――!
 プロデューサーに促され、いよいよ私達は袖から舞台に進み出る。
 大丈夫、今日のお客さんはほとんど美嘉のファン――と思っていた。
 う、わ――わ、私の団扇を持っている人達がチラホラ――いや、何人も!?
101:以下、
「改めてご紹介しましょう、346プロが繰り出す大型新規ユニット『LIPPS』の方々でーす!」
 司会の女性が高らかに私達を紹介すると、先ほどまでの歓声がさらに大きく、会場を埋め尽くした。
「ほら、奏ちゃん挨拶」
「え、あっ――」
 美嘉に小声で促され、私は我に返る。
「こんにちは。私達――」
「後ろからがばぁーっ♪」
「おうふっ」
 いきなり私の後ろから志希が抱きつくと、「おぉ?」という妙な歓声があがった。
「な、何をするの!」
「にゃははーっ、奏ちゃんの緊張をほぐすため?♪ オキシトシン、分泌されたカンジあるかにゃ?」
「知らないわよ! 何でこのタイミングで――!」
「えぇと、確か『LIPPS』の方々は、水奏さんがリーダーとお聞きしましたが」
 開始早々に乱れだしたイベントを持ち直そうと、司会の人が話題を振ると、フレデリカが躍り出た。
「そうなんですーカナデちゃん唇がすんごくキレイで“セイ”の象徴でー☆」
「せ、性の象徴!?」
 一層どよめく会場。
 司会の人、絶対に誤解したわね。
102:以下、
「ふ、フレデリカちゃん! そういうの言っちゃ――!」
「それで、アタシは宮本フレデリカちゃんで、こちらはミカちゃんになりまーす☆」
「あっ、い、イェーイ! 今日も目一杯たのし――」
「アタシのケータイをヒデキっぽいカンジで暖めてくれてたんだよー☆」
「秀吉だっつーの!! それに暖めてないってば!」
 志希をようやく引き剥がした私は、ため息を一つ吐いて会場に向き直った。
「ほら、あなたも自己紹介しなさい、志希」
「ん?? 奏ちゃんはあーいう紹介のされ方でもう良かったの?」
「良い訳ないでしょう。あること無いこと後で言われたら大変だから、先に済ませてくれないかしら」
 本番中にも関わらず、笑顔を忘れ、呆れ顔のまま促す私と対照的に、志希はニンマリと笑った。
「なーるほど、そだね。じゃあ――」
「一ノ瀬志希でーす! こっちはあたし達のリーダーの、水奏ちゃん。
 フレちゃんの話によると、バナナで釘が打てるレベルの腹筋をお持ちのマッチョウーマーン♪」
「なっ、えっ!? 何でその話を知っ――」
「ほら見て、否定しないでしょー? 存分に見せちゃいないよー奏ちゃ?ん」
「す、既に見えてる衣装、ってコラっ! やめ――!」
「えーそんなカンジで口の減らない『LIPPS』でーす、名前だけでも覚えて帰ってくださいねー」
 すっかり混沌とした舞台の上で、最後に周子がうまくまとめてくれた。
 いえ、美味しいところをさらっていった、と言った方が正しいでしょうね。
103:以下、
 こんな子達に、ペースを振り回されてなるものか。
 そんな気概が私を奮い立たせ――!
 私は、普段の練習以上の力を発揮できた。
 美嘉は言うまでも無い。周子も上々。
 そして、それまでの想像を遙かに越える、美しい振り付けと歌声を披露する志希。
 フレデリカは――やはり、レッスン通りとはいかなかった。
 それどころか、急に鼻歌は歌い出すわ、ポジションを勝手に飛び出してお客さん達とハイタッチをし始める始末。
 どこか釈然としないのは、たぶん、“ジョーク”を受けたのは結局私だったからでしょうね。
104:以下、
 結果的には、大成功と言えたのだろう。
 346プロの新規ユニット『LIPPS』に、ヤバいヤツがいる――。
 そんな話題の源は、大半が破天荒なパフォーマンスを披露したフレデリカ。
 ごくたまに、本気でアイドルを愛する人達の中に、志希の可能性を高く評価するものがあるくらい。
 反響が反響を呼び、『Tulip』は新規ユニットとしては異例のヒットを飛ばし、動画投稿サイトの公式チャンネルにアップされたMVは瞬く間に再生数が伸びていく。
 テレビ等メディアへの露出もかなり増えたけれど、共演者やスタッフを騒がせない事は皆無で、その度に私や美嘉がフォローに回る羽目になる。
「まぁ、結局は話題性って所、あるんだよな」
 週刊誌をデスクに放ると、プロデューサーはペンを取り出す。
「ほら、アイハブアペーン♪ とかってあったでしょ」
「色物扱いって事?」
 事務室の、彼以外の3つのデスクには、今日は誰もいない。
「そう気を悪くしないでくれ。売れたもん勝ちというのは、この業界では一つの正義だ」
「ウケるためなら、あの子達の暴走を放っておいても良いのかしら」
 私は苛立ちを隠そうとしなかった。
「プロデューサーは、私達をどうしたいの?」
105:以下、
 彼は私に目線を合わせる事無く、既に冷めているはずのコーヒーを手に取り、美味しそうに一口啜る。
 すると、事務室のドアが急に開いた。
「プッロデュ?サ?♪ 見てよコレー、この志希ちゃんすーっごく扇情的じゃなーい?」
 入ってきたのは志希だ。
「おっ、奏ちゃんもいるねー。見たコレ?」
 入ってきた勢いそのままに、無遠慮に私達の間に割り込み、大きく取り上げられたLIPPS紹介の1ページを見せびらかす。
「ほとんど無名なのに、こんな大々的に取り上げられるなんて、ひょっとして良くないお金使ったんじゃない?
 なーんて、にゃはははーっ!」
「さっきまで見てたよ。今更知ったけど、一ノ瀬さんって岩手の人だったんだね」
 にこやかに返すプロデューサー。 
「俺のじいちゃん家が盛岡でさ。子どもの頃は、よく夏休みに手作り村とか行ってたよ」
「? 何ソレ?」
「あれ、知らない? 南部せんべいの手作り体験とか、藍染めとか竹細工とか出来る所があってさ」
 仕事そっちのけでローカルトークに花を咲かせる二人に呆れ、私は事務室を出る。
106:以下、
 プロデューサーが言う事にも一理はある。
 彼女達のおかげで、『LIPPS』はおよそ類い希な好スタートを切る事が出来たと言えるのだから。
 でも、純粋にアイドルとしての実力を評価されている気分には、依然なれていないのも事実。
 現場のスタッフからの評価は賛否両論――いえ、快く思われていない意見の方が多い気がする。
 それはそうでしょうね。縦社会の側面が強い芸能界。
 新人アイドルが勝手気ままに暴れ回るのは、長く業界に携わる人ほど面白く思わないはずだ。
 一部では、私達の急激な売れ方を「事務所のゴリ押し」と揶揄する意見もネット上で見かける。
 どこかで歯止めを掛ける必要があると思うのだけど、彼はそれをしようとしない。
 徹底して放任主義だ。
 もう一ヶ月を切ったサマーフェスに向けて、何でもいいから話題をさらっておけ、という考えなのかも知れない。
 まるで選挙前の政治家ね。
 だから――。
「お宅のところは、一体どういう教育をしているのかね?」
「大変、申し訳ございません」
 だから、そうやって毎度毎度、安っぽく頭を下げられるのでしょうね。
107:以下、
 芸能人は、好感を売り物にする職業だ。
 たとえ新人が失礼な事をしても、それが舞台の上なら、“表面上は”何だかんだで笑って済ませる人が多い。
 収録が終わった後、舞台裏で現場のディレクターやマネージャーを通してお叱りを受けるのは、決まって彼だった。
「えっ、別に良いんじゃない? あの人自身が良い人なのかは知らんけど、あたしらに代わって責任取ってくれてんでしょ?」
 フライドポテトをつまみながら、周子があっけらかんと答えた。
 テーブルの上のそれは、周子だけで既に半分以上消費されている。
 フレデリカは学校の課題がピンチとのことで、彼女以外の4人でファミレスに来ていた。
「ホントに危機感感じたらあの人も怒るだろうし、そん時に考えれば良いんじゃないって思うけどね、あたしは」
「それはそうだけど――ねぇ、美嘉も何とか言ってくれる?」
「んー、まぁ――ね」
 美嘉は腕を組みながら、悩まし気に呻いている。
「アタシの前のプロデューサーは、あれで結構礼儀作法とか、厳しい人だったからさ。
 正直、これだけ放任されちゃうと、ちょっとアタシ的には戸惑っちゃうってのはあるかな」
 前任のプロデューサーとは、大きくスタンスが違うのだろう。
 美嘉にも思う所はあるはずだけど、優しい心根が邪魔をして、あまり強く言えない様子だ。
108:以下、
「そっかー、彼にアタシはメーワクを掛けてしまってるって事だねー」
 同じ破天荒でも、フレデリカによるそれは、業界人から特に問題視されている様子は無い。
 理由は分からないけれど、やや戸惑いながらも好意的に受け取ってくれる人が多いのだ。
 プロデューサーが頭を下げる原因は、志希の言動によるものが多かった。
 私達のも、無い訳ではないけれど。
「まーそれも結局さ、彼がどうしたいのかが分からないと、どうしようも無くない?」
「えっ?」
 志希は、両手で頬杖をつき、ニンマリと笑いながら私の顔色を窺った。
「それとも、奏ちゃんは彼に怒られたいの?」
「わ、私は――」
 正直、どうしたら良いのか、どうしたいのかは私自身、よく分からない。
 周子の言う通り、彼が態度を示した時に対処すれば良いというのも一理ある。
 そう――あの人が態度を示さないのが問題なのだ。
 だから、私も美嘉も戸惑うのだし、周子や志希はすっかりあの人を舐めきってしまっている。
「――ちょっと、プロデューサーに会ってくるわ」
 ユニットの空気をシメるのもリーダーの仕事なら、行動は早い方が良い。
 甲斐性の無い人ではあるけれど、この先も私達をプロデュースしていく彼の真意くらいは、確認を求めてもバチは当たらないはずだ。
 私は皆を残し、席を立った。
109:以下、
 事務所に着くと、1階のラウンジが騒がしい。
 様子を見に行こうと近づくと、前から通りすがる一人の女性に声を掛けられた。
「おっ、奏じゃん」
「拓海さん」
 彼女は、向井拓海さん――プロデューサーの同僚である、あのヤクザのようなプロデューサーが担当するアイドルだ。
 この人自身も、元レディースという事もあり、何かと危なっかしい印象が強い。
「あれ、お前んとこのプロデューサーだろ。何とかした方が良くねぇか?」
「えっ?」
 拓海さんが指をさす方向には、ラウンジの一角に座り、男性と言い争いをしているプロデューサーの姿があった。
「――いや、ですからこの間も申した通り、そういうのは営業課さんの方でお願いしたいんです」
110:以下、
「そ、そんなぁ――何でそんな」
「何でって、こちらの要望に沿う仕事を取ってくるのはそちらの仕事だからですよ。
 我々事業三課の要望は既にお伝えしていましたよね?」
 彼の前に座り、今にも泣き出しそうな顔で何かを懇願している様子の男性。
 一方で、プロデューサーは表情を崩さず、しかしつっけんどんな態度でペンをクルクルと回している。
「他の事業課さんは、営業にも協力してやってくれてるじゃないですか。
 私達、会社として利益を上げておこうって、協力しようって姿勢が無いと、アイドル達だって」
「私が申し上げているのは、本来の業務分掌はどうなっているのか。そして、正すべき襟があれば正した方が良いんじゃないんですかって事です。
 おかしいですよね、何でウチが営業課さんの仕事もやらなきゃいけないんですか?」
「そ、そう言われても、今までそうやって――!」
 ため息を一つつくと、プロデューサーはさらにまくし立てた。
「仮に我々が営業をする横で、あなた方は定時でお帰りになられる訳でしょう。
 もっと言うと、出張費だって我々の会計から出ているんですよ。営業課さんではなく」
「えっ、そ、そうなんですか?」
「当然です、知らなかったんですか。
 管理課さんの担当が理解あるから上手くやっているようなものの、色々な所で軋轢が生じている事はご理解いただきたいんです」
 無表情ではあったけれど、プロデューサーには今まで感じた事が無いような冷酷さが見て取れた。
111:以下、
「大体、協力と仰いますが、そういうのはされる側が一方的に提案する話ではないと思うんです。
 では、営業課さんは我々に何をご協力いただけるんですか? 今のままだと単なる押し付けですよ」
 背もたれに寄りかかり、憮然とした表情でプロデューサーが言うと、相手の人はほとほと困り果てたように頭を抱えた。
「わ、私だけではちょっと、判断つかないと言いますか」
「いいですよ。上司とどうぞご相談ください。私も上には話しておきます」
 プロデューサーは席を立った。
「誤解が無いように言いますが、これまでの慣習に従い、我々が営業を行うでも私は良いと思っています。
 ただ、本来業務ではないため責任は負いかねる、という事だけはご理解いただきたい。失礼致します」
 コツコツと、若干不機嫌そうに靴底を鳴らし、その場を後にするプロデューサーと目が合った。
 一瞬で、私達に向けるようなあの気の抜けた顔に戻る。
112:以下、
「イヤなヤツだと思ったでしょう」
 薄曇りの空の合間から夕日が差し込み、事務所の屋上から臨むビル群をうっすらと照らしている。
「元からあまり、良い印象は抱いていないから」
「だよなぁ」
 ハハッと笑いながら、プロデューサーは手すりにもたれながらタバコの煙を空に向けて吐いた。
「まぁ、俺としてはどっちでもいいんだけどね。営業やるでもやらないでも」
 手近の灰皿に灰を落としながら、プロデューサーは肩をすくめる。
「ただ、ちょっと言い過ぎたかな。ついムキになってしまった。
 さっきの彼は、本来の役割分担をロクに知りもしないクセに、俺に仕事を押し付けようとしてきたから」
 風が吹いてきたので、プロデューサーは少し位置を移動した。
 私に煙がかからないように。
「不当に自分の仕事を増やされるのは、プロデューサー、嫌いそうだものね」
「もちろんそれもあるけどね」
「あなたの仕事に対するその姿勢は、前職の影響? タバコを吸い始めたきっかけっていう」
113:以下、
 一瞬、プロデューサーの手が止まる。
「コンサートホールのスタッフというのは、そんな縦割りのお堅い考え方をするものなのね」
「誰から聞いた?」
 キョトンとした様子で尋ねるプロデューサーに、私はフッと笑う。
「ちひろさんから。タバコの件は、周子からだけれど」
「あぁ、管理課の。そういやあの人にも話したっけか」
 合点がいったという様子で、彼は大きく頷いた。
「でも、正確に言うと、ちょっと違うかな。前職は確かにコンサートホールの職員だけどね」
「えっ?」
「お堅い考え方をするようになったのは、それの前の仕事。
 タバコを吸うようになったのは、それのさらにもう一つ前の、最初の仕事の影響」
 タバコを振りながら、プロデューサーは笑った。
「今の会社、4社目なんだ」
114:以下、
「――プロデューサーって、何歳?」
「そんな誰も幸せにならない事、聞いてどうするんだ」
 初めて知る、プロデューサーの意外な側面。
 彼には彼なりに背負ってきた人生があり、その中で培った信念が、どうやら無い訳ではないらしい。
「話戻るけど、営業については結局やらされる事になりそうだけどな。
 今頃は、ウチのチーフがあっちの上司に電話で謝っている頃だろう。俺と違って、あの人気ぃ遣いだから」
 何より、一番新鮮だなと思ったのは――。
「珍しく、随分と喋るのね」
 いつもは事務的なプロデューサーと、こんなに話すのは初めてだった。
「ひょっとして、まだ怒ってる? 営業課さんって人に」
「うーん――そうかもな、ハハハ」
 小首を傾げ、悩むフリをしながら、プロデューサーは誘い笑いをした。
「私達には怒らないクセに」
「あぁ、そうだな」
「何で?」
 この人が見せた二面性に、私は改めて不信感を抱いていた。
「私達に要らない気を遣っているのは、プロデューサーも同じじゃないのかしら」
「それはそうさ。大人が子供に譲らなくてどうする」
 悪びれる様子も無く、プロデューサーはすっかり短くなったタバコを未練がましくもう一度吸う。
115:以下、
「気づいてるでしょう? 私達、あなたをナメているのよ」
「だろうね」
 堪らなくなって、私はとうとう声を荒げた。
「プロデューサー、仕事の度に現場の人達に頭を下げているじゃない。私達のせいで。
 腫れ物に触るような態度を取るんじゃなくて、しっかり私達と向き合って素行を正す事も、担当プロデューサーとして、いいえ、大人として大切な役目じゃないの?」
「奇妙な事を言われている気もするが、怒る方も辛いんだよ」
 うーん、と言葉を探しながら、プロデューサーはタバコを灰皿に捨てた。
「自分達をどうしたいのか、水さんは以前俺に聞いていたな」
「本音を言えば、どうもしたくない」
「えっ――」
「なぜ怒らないのか、っていうのも、同じような理由だな。どうでもいいんだ、別に」
 言葉を失う私に、プロデューサーはさらに信じられない言葉を発した。
「なぜなら、俺は君達に何一つ期待していないからね」
116:以下、
「!? な――!」
 怒りで我を忘れそうになる私に対し、プロデューサーは淡々と続ける。
「君も、前任からはなかなか手のかかる子だと聞いているよ」
「えっ?」
 プロデューサーは、新しいタバコに火を付けた。
「大人びていて扇情的だが、意外と我が強くて扱いが難しいってな」
「それは、前の人が勝手にそう思い込んでいたからでしょう」
「俺もそう思う」
 風向きが変わってきたので、またプロデューサーは何となく歩き始めた。
「そういうのもあって、俺は君に余計な手は掛けまいと思った。
 腫れ物に触るように、とズバリ言い当てられてしまったが、さすが、鋭いな君は」
「なるほどね」
 私の頭は、少し前までと比べて、驚くほど冷めていた。
「要するに、「俺にとって君達はどうでもいいから、どうぞ好き勝手にしなさい」という事ね?」
117:以下、
「もちろん、手の掛からないに越したことは無いけどな。
 君はともかく、宮本さんや一ノ瀬さんとか特に」
 ハハハと笑いながら、プロデューサーはまたタバコの煙を燻らせる。
「まぁ、たとえフェスで大コケしても死ぬ訳じゃないんだから、気楽に行けばいいと思うよ」
「――もうたくさん」
 私は踵を返し、階段に向かった。
 決して振り返るまいと思った。
 こんな、こんないい加減な人が、私達の――私のプロデューサーだなんて――!!
 何も期待していない?
 大コケしてもいいですって?
 担当アイドルに向けて言って良い言葉では無いわ。
 志希やフレデリカ達以上に、私はプロデューサーへの理解をその日、諦めた。
118:以下、
【3】
 (・)
「いや、でもねアリさん。マジでこれは俺、マジで言いますけど」
「やっぱね、無関心は俺良くないと思うんスよ。マジで。
 ちゃんと見てやって、今日もおっぱいエ口いね、とか、何だお前だっせぇメイクだな、とか言ってやんねーと」
「ヤァさん、それ全部セクハラで捕まりますよ」
「そういう話じゃねぇーんだって! 分かってねぇなチビ太お前、俺が言いてぇのはぁ、ねぇ?」
「ちゃんとアイツらに“女”を意識させてやんなきゃダメっつーコトッス。
 ファンだけじゃなくて、一番身近な俺達プロデューサーがちゃんと見てるって思えば、アイツらもオンナを磨くんスよ。
 甘えさせちゃダメッス。どうでも良いなんて思ったらマジでどうでも良いアイドルしか育たないッスから」
「やっぱヤァさんは、アイドルは“女”であれ、と?」
「女を捨てた女ほど悲惨なモンはねーからな。経験則だけどよ」
「なるほど」
「ただ、うーん――まずは、彼女達自身の自主性を尊重したいなぁって思いますけどね」
「だーからアリさん! そういうアイドルを目指したい!!って思わせなきゃ!!
 アリさんだってチ○コ付いてんでしょ!?」
「声でか――」
「うるせぇチビ太!! あーもう分かりましたアリさん、次行きましょ次! ガールズバー行きましょ!」
119:以下、
「えぇ?」
「あるいはもうちょいあっちのキャバクラでもいいッスよ。もっと女を求めていかねーと」
「いやいいですよ。ちょっと金無いですし、今」
「いいーッス俺が出しますから! アリさんは1アリさんだけ出してくれれば」
「1アリさん?」
「何です、“1アリさん”って?」
「1万円」
「いや絶対足りないでしょ。ヤァさんこの間だって皆を連れ回した時――」
「えっ、そうでしたっけ? まぁいいからとにかく出まスよ! 行くぞチビ太!!」
「お、俺もですか!?」
「当たりめぇだべしたっ!! そもそも今日はお前んとこのお祝いだぞ!」
「もう関係無くなってるじゃないですかぁ」
「ハハハ――」
120:以下、
 346プロの敷地内には、中庭を囲むように大きく3つの建物がある。
 エントランスホールやラウンジ、専用のスタジオ等がある本棟。
 社員の事務室や会議室が集積された事務所棟。
 アイドル達のレッスン室やリフレッシュルーム等が設けられたレッスン棟だ。
 今日は、年に一度開かれる合同研修会のため、俺達事業三課は実行委員として、本棟の集会場で朝から会場準備に駆り出されている。
 昔は事業部内で持ち回っていたのだが、何やかんやでここ数年はすっかり三課の担当行事となっているらしい。
 考えるまでもなく、事務所の花形、すなわち稼ぎ頭を多く擁するのは事業一課と二課。
 本社直轄とはいえ、問題児ばかり押しつけられる事業三課は、今や閑職の体を成していた。
 何となーく、そういう雑務を押しつけられるのは、俺達もすっかり慣れている。
121:以下、
 昨夜のダメージを引きずりながら椅子出しをしている時、総務から内線がかかった。
 今度開かれるサマーフェスの会場設営を担当する業者が、折り入ってお願いがあると、飛び込みで社までやって来たらしい。
 事業課からも誰か一人打合せに出席をしてほしいが、一課も二課も皆出払っているとのこと。
 チーフに了解を取り、打合せ場所である事務所棟1階の会議室へ向かう。
 部屋に入ると、3人の業者側と相対するように、広報一課、二課と営業一課、あと総務課の人がそれぞれ1人ずついた。
 軽く会釈をしながら扉を閉め、一番近くの隅っこに着く。
 名刺交換もそこそこに、さっそく打合せが始まった。
 ザァーッと資料に目を通す。案の定、工期が間に合わないとのことらしい。
 こういう類のものは、通常は工期が厳しくなるほど特別大掛かりな工事になることは無い。
 一方で、ウチのこのフェスは、モニュメントやら装飾やらを凝った造りにする事が多く、慣れてない業者が請け負うと度々こういう事態になる。
 それはさておき、やはりこれは、俺が喋らなくてもいい会議だ。
122:以下、
 必死に工期延長を懇願する業者側を、烈火の如く叱責する広報課さんと営業課さん。
 その横で俺は、資料の余白にペンを走らせる。
 今月の給料日までに、一日いくらで暮らしていかねばならないのか?
 昨日は結局、ガールズバーとキャバクラのどっちにも行くハメになったのだ。
 ヤァさんから、今目の前にいる業者さんのように土下座をされ、渋々出したのは“4アリさん”だった。
 年長のよしみで金を出したものの、やはりもう少しもらうべきだったかも知れない。
 知れずため息を漏らすと、急に業者から話を振られた。
 どうにかなりませんか事業課さん、とのことだった。
 他の課がすっかりお怒りである中で、俺一人だけ業者の擁護をできる訳がない。
 神妙な面持ちで、ダメだと突き返す。話聞いてなかったけど。
 やがて業者はいよいよ肩と頭をガックリと落とし、分かりましたと言ってトボトボと去って行った。
 困った連中ですね、と、彼らが扉を閉めた後で愛想笑いを求めた他課の連中と談笑する。
123:以下、
 会場に戻ると、狙い通り、準備は概ね一段落したようだった。
 頭痛を堪えながら肉体労働するより、不毛な打合せに顔を出している方がよほど良い。
 昼時になったので、チビさんに誘われ、事務所から少し歩いた所にある蕎麦屋へ行く。
 彼はヤァさんと同じく、入社が俺と同期で、やや歳は離れているけど気さくにつるんでくれる良き同僚だ。
 人員の穴埋めで本社に連れてこられた俺と違い、チビさんとヤァさんは今の部署に配属されて三年になる。
 本社勤務の長さは、それだけ能力が認められている証拠でもあった。
 彼はカツ丼セットの大盛りをガツガツ食っている。
 今日は“勝負の日”だから、ちゃんとエネルギーを蓄えておきたいんです、とのこと。
 小さい体で、それもあの嵐のような日の翌日なのに、良く食うもんだ。俺はとろろせいろで精一杯なのに。
 ふと、昼間から新聞片手にビールを飲んでいるじいさんが目に入り、思わず気分が悪くなる。
 会場に戻ると、ヤァさんと出会った。
 彼は駅前で、メガ牛丼? というのを食ったらしい。
124:以下、
 346プロには大きく、総務部、事業部、営業部、広報部という4つの部署がある。
 総務部は管理課、経理課、人事課。
 他の3部門は、本社内にそれぞれ一課から三課まである。
 他、各地方に点在させている支社にも、事業、営業、広報担当部署が張り付き、それぞれ四課以下の課名が割り振られている。
 今日の合同研修会は、一応そんな支社の連中にも任意で招集をかけているが、基本的には会場の定数を理由に本社がメインで対応する。
 サクラ要員として強制招集される事業三課の代わりに、いくらでも参加してほしいものだと思うが、そうもいかない。
 この研修会は、主として東京近郊のアイドル事業を担う会社が一同に介する一大イベントだ。
 各事務所の幹部やプロデューサー、若干名のアイドル達だけでなく、テレビ局や出版社等業界の役員等も出席する。
 音頭取りは、業界のトップランナーたる我が346プロが担う事となっている。
 行われる事は、ウチやどっかのお偉方のご挨拶に始まり、有識者による業界の隆盛とその背景、現在のトレンド等の考察。
 プロデューサー始めアイドル連中との淫行はダメ絶対、などというお決まりの文句。
 俺達は、一番後ろ側の入口側に近い席に三人並んで座る。
 ヤァさんがいびきをかく前に俺が肘でこづき、俺が船をこぎ始めたらチビさんがペンで突っつく。
 チビさんが寝れば、ヤァさんが俺を挟んで彼の写メを撮った。
125:以下、
 そして、研修会は研修で終わりではない。むしろここからが本番だ。
 30分ほど設けられた休憩時間の間、大急ぎで再度会場準備が行われる。
 椅子は会場の端に悉く追いやられ、長机の代わりにでっかい丸テーブルが通りよく配される。
 その上に乗るのは、瓶ビールとソフトドリンク、ケータリング料理の数々。
 ニコニコ顔でやってくる業界のお偉方に飲み物が手渡され、交流会――流行りの言葉で言えば、意見交換会が催されるのだ。
 プロデューサーにしてみれば、自分のアイドルを業界連中に売り込む絶好の機会でもある。
 そのため、皆は自分達のアイドルを連れ、目の色を変えて必死に挨拶に回っている。
 俺は会場の隅で、他の連中が慌ただしく右往左往するのを眺めながら、コップを片手にただ時が過ぎるのを待つ。
 それでも、我が社は曲がりなりにも大手なだけあって、俺が出向かなくても向こうから挨拶をされる場合もある。
 名刺を交換し、適当に世間話をして難を逃れる合間を縫って、俺は346プロのプロデューサーとアイドルの観察に勤しんだ。
126:以下、
 一際小さいので逆に目立つのは、チビさんと彼の担当アイドル――持田さん、だっけか。
 あぁいう若年層のアイドルは、家庭環境が特殊な子達が多い分、問題児の率が非常に高い。
 それを一手に引き受けて、チビさんは実に上手く立ち回っている。昨日も彼の仕事の慰労会だった。
「てんめぇ、何度言ったら分かんだ! アタシにこんなドレス着させやがって!!」
「まぁそう言うなや、持てるボインは積極的にイカさねぇともったいね――」
 今しがた強烈なボディーブローを食らい、呻き声を上げながら地面に伏したのは、俺やチビさんの同期、ヤァさん。
 その上から、向井さんという、確か元レディースだったか。彼女が罵倒を浴びせている。
 いつ見ても恐ろしいが、近く事業一課の木村さんを始め、そういうイケイケな子達との企画が進行中らしい。
 見た目はまさしく愛称通りのヤクザだが、あぁいう怖い子達と向き合う彼の手腕には感心する。
 ふと、彼らの向こうに、どこぞの業界人と話している、一際デカい図体をした男を見かけた。
 その横には新田さんという、スラッとして行儀の良い、いかにも才色兼備な現役女子大生アイドルがいる。
 彼は、俺が密かに心の中でクマさんと呼んでいるプロデューサーだ。
 入社してからほとんどの間、ずっと本社におり、現在は一課で、シンデレラとかいう一大プロジェクトを一手に任されている。
 歳は見た目に寄らず結構若いはずだが、既にチーフ級であり、我が社の出世頭筆頭だ。
127:以下、
 そして――。
 一際大きな、文字通り黒山の人だかりの中央にいるのは、当然、一課。
 我が346プロが誇るトップアイドル、高垣楓。
 それと、その担当プロデューサー――通称ヒゲさんだ。
 彼女クラスにもなると、挨拶回りしなくても向こうからお偉方が寄ってくる。
 楽しそうに談笑しているのを見ると、あぁいう連中との会話にも慣れているようだ。
 ビジュアルもダンスもボーカルも、圧倒的な実力を持つ彼女には、黙っていても仕事のオファーが殺到する。
 むしろ、噂によれば、仮に彼女が引退する事になれば、彼女の人気に肖った事業を展開する企業が軒並み倒産する事態もあり得るらしい。
 我が社だけでなく、誇張抜きに、およそこの業界にいるほとんどのアイドルの目標でもあるのだろう。
 そして、その担当プロデューサーも、我々一介のプロデューサーにとっての目指すべき姿、か。
 ――――。
 お――ウチの課長と目が合った。まずい。
128:以下、
 課長がツカツカとこちらに近づき、お前んとこのアイドルはどうした、と詰め寄ってくる。
 彼女達にはレッスンをやらせている旨を答えると、案の定小声で怒鳴られた。
 何とか適当に取り繕い、喫煙所に逃げる。
 やれやれ――。
 喫煙所の中には、男達が数人、適当な世間話をしていた。
 部屋の外にアイドルらしき子達がいないのを見ると、いずれもプロデューサーではないようだ。
 本来はプロデューサーたるもの、休憩などせず、もっと会場で忙しく営業していなくてはならないのだろう。
 部屋に入り、一本取り出して火を付け、一息つくと、残りの連中はちょうど出て行った。よし。
129:以下、
 今日の交流会については、担当アイドルの何人かからも申し出はあった。
 自分達も出席した方が良いだろうか? と。
 でも、丁重に断った。
 こんな退屈な会に顔を出す暇があったら、少しでもフェスに向けて完成度を高めておいた方が良い、と。
 もちろん、それも本心だ。
 ――――。
 あと20?30分したらお偉方のスピーチがあるそうだから、それまでココに籠もっておこう。
 そう思い、携帯を適当に弄ってると、男が一人入ってきた。
 チッ――。
130:以下、
 しかも、いきなり話しかけてきた。妙に馴れ馴れしい。
 どうでもいい世間話ばかり聞かされる。
 愛想笑いにも疲れたので、タバコを揉み消してその場を去ろうとすると、
「まぁまぁもう少し!」
 などと、その男は自分の胸ポケットからタバコのケースを取り出し、一本差し出した。
 タバコの数あるデメリットの一つだ。勧められると断れない。
 生来の貧乏性が合わされば、なおさらだ。
 一応の礼を言いながら、受け取ったタバコを渋々吹かす。
 まっず。何これ、薄荷?
131:以下、
 そんな俺の憂いなど歯牙にもかけず、男はなお踏み込んできた。
 あなたもプロデューサーのようですが、アイドルはお連れでは無いのですか? と。
 ――――。
 自分はまだ新米なので担当はおらず、今日は先輩のカバン持ちで来ただけである、と適当に答える。
 すると、男はイヤミったらしく――。
「へぇ?? 顔だけ見ると十分ベテランさんに見えますけどねぇ??」
 ――なんだコイツ。
 あっ、と男は大袈裟な仕草で頭に手を付いてから、いそいそと名刺を取り出した。
 申し遅れましただと。いけしゃしゃあと。
 ――187プロ。
132:以下、
 何かと良くない噂は耳にする会社だ。
 実際、昔は自社のアイドルや同業他社に対し、結構エグい事をしてきたらしい。
 SNSがすっかり普及し、マスメディアだけでなく世間による監視の目が厳しくなってきた昨今は、多少ナリを潜めているらしいが。
 仕事がしづらい社会になりましたね、と皮肉を込めて言うと、「オタクもでしょ?」と返された。
 乾いた笑いを返す。
 そろそろ営業に戻ります、とようやく彼が出て行ったのを見送ってから、もらったタバコをさっさと揉み消した。
 しかし、紫のダブルスーツとは悪趣味だな、と彼の後ろ姿を見ながらぼんやり思う。
 無理矢理オールバックにさせた頭髪もやや薄いし、あれで結構苦労しているのだろうか。
 まぁいいや。口直しにもう一本吸っとくか。
133:以下、
 そっと会場に戻ると、ウチの課長がキョロキョロと辺りを見回しているのが見える。
 俺を探しているようだ。どうやら説教し足りないらしい。
 ヤァさんがまた騒いだ瞬間、その延長線上にいる俺を課長の視界が捉えた。
 しまった。と、そこへ――。
「あっ、失礼します! 346プロの方ですよね? まだご挨拶ができていなかったかと――」
 俺に歩み寄ってくる一人の男がいた。
 また面倒なヤツかよ――と思ったが、このまま課長に捕まるよりかは、幾分マシである。
 いやいやどうもと、数割増しの愛想笑いで迎えて、名刺を交換する。
 だが、その名刺に思わず目を見張った。
134:以下、
 765プロか。
 確か、女性のプロデューサーが一人いたのは記憶している。
 話を聞いてみると、どうやら彼は入社したばかりの新人プロデューサーらしい。
 繁々と名刺を興味深く見つめる俺が、彼には奇妙に見えたことだろう。
 ところで、彼にはアイドルが付いていなかった。
「今度ライブを控えていて、その完成度を高めるべきだと思ったので」
 彼はそう答えた。
 同じ質問をされたので、アイドルの本分はステージである旨を適当に答えると、彼は勝手にいたく感銘を受けたようだった。
135:以下、
「志を同じくする人にお会いできて嬉しいです。それも、あなたのような大手のプロデューサーに」
 彼は逸る気持ちを抑えられない様子で、勢いよく右手を差し出した。
「ですが、ウチも弱小のままで終わるつもりはありません。必ず追いついてみせます」
 握手を返すと、礼儀正しくお辞儀をして、彼は足早に去って行く。
 ――なんだアイツ。
 会話が終わるのを見計らっていたのか、課長がノソノソと近づいてくる。
 ちょうど良いタイミングでお偉方のスピーチが始まったので、説教はお預けだ。
136:以下、
 しかし、翌朝出社した瞬間、面倒を押しつけられた。
 サマーフェスの会場設営工事の進捗状況を確認してくるよう、課長が俺に命じたのだ。
 件の打合せなど、課長に報告しなきゃ良かった。
 どうせ俺が行ったところで工事が進む訳じゃないんだから、こんな業務は無駄でしかない。
 大体、工事の担当窓口は俺達事業三課ではなく広報だろうに。
 そうは思うものの、こういう場合、下手に逆らわない方が結局は一番マシなのである。
 幸い、会社から徒歩と電車で40分もあれば行ける距離だ。
137:以下、
 現場に着くと、どうやら猛スピードで工事が行われているらしかった。
 ドスの効いたオジサンの怒号がそこかしこで聞こえる。
 完全に俺、来た意味無いなコレは。
 昨日の打合せで会った人が俺を見つけ、挨拶して来た。
 低姿勢ではあるが、明らかに俺に対する敵意を滲ませてくる。
 約束の工期を守れませんとか言い出したのはそっちだろうが、とも思ったけど、そこはグッと我慢だ。
 行きがけに、駅ビルで適当に買った菓子折を差し出した。
 業者は、目を丸くしている。
 打合せではキツい事を言ったけど、あなた方がいなくては我々のアイドル達は輝けない。
 どうかご無理はなさらず、しかしアイドル達のためと思い、どうか頑張ってほしい。
 こんなつまらないもので工事が進むとは思わないが、この菓子折はあなた方を少しでも労いたいという、せめてもの気持ちである。
 適当にそんな感じの事を言うと、業者は「はい――ッ!!」などと感極まった顔をして体を震わせている。
 こんなので釣られんなよ。大丈夫かよ。
138:以下、
 写真を適当に何枚か撮って、その場を後にする。
 結局、20分くらいしかいなかった。
 直帰しても良いが、せっかくだし昼飯時まで時間を潰そうと、駅前の喫茶店に避難する。
 やはり、今月はもう赤字を回避する事は不可能のようだ。
 どんなに計算しても――いや、計算すればするだけ、いかに非現実的な努力が待ち受けているかが浮き彫りになる。
 来月は彼らとの付き合いを減らすべきだな。
 もちろん、今日買った菓子折は後で経理課に領収書を渡す。業者の信頼を勝ち取るための必要経費だ。
 コンビニで買った雑誌を読んでいると、携帯が鳴った。
 課長からの帰れコールかな? ――と思ったけど、違った。
 だが、ディスプレイに表示されたのは、ある意味課長よりも面倒な相手だ。気が滅入る。
 一ノ瀬さんかぁー。
139:以下、
 なんでも、今日どうしても話したい事があるので、午後のレッスンに来てほしいとのことだった。
 あまり気は進まないが、断る理由も無い。
 了解した旨を伝えると、彼女は電話口で例の猫みたいな笑い声を上げた。
 突如、慌ただしい音が聞こえ、宮本さんの底抜けに明るい声が俺の耳をつんざく。
 その次は塩見さんだ。落ち着き無くってごめんねー、だそう。
 さて――じゃあ昼飯食ってから行くか。
 どこがいいかな。昨日の蕎麦屋でいいか。
140:以下、
 昨日チビさんが頼んでいたカツ丼セットの大盛りを頼んだ事を、今激しく後悔している。
 味は悪くないが、お腹のもたれっぷりが凄まじい。
 別段勝負するような時でも無ければ、量で喜ぶような歳でもないのに。
 事務所に着いたらまずウ○コせねばなるまい。
 向こうの歩行者信号が点滅しているのが見える。
 もちろん走らないし、走れない。彼女達に会う前に、お腹と思考を少しでも落ち着かせるべきだ。
 予定通りに赤になった信号を眺めながら、これから待ち受ける彼女達の狙いを空想する。
 一ノ瀬さんがあんなに楽しそうにしている当り、ロクでもない事であるのは確かだ。
 途中で宮本さんや塩見さんに変わった所からして、個人的な相談でもない。
 とすると、今のユニットの件――やはり、今度のフェスに関する事という線が有力か。
 であるなら、リーダーである水さんからの発信でないのが少し気になる。
 たぶん、嫌われてるんだろう。俺は水さんに。
 それはともかく、もうフェスまで1ヶ月を切ったこの時期に、俺への相談事とは?
 信号が変わった。
 思考が途切れ、代わりに激しい便意が蘇ってくる。
141:以下、
 差し入れのペットボトルは、そこまで彼女達に喜ばれなかったようだ。
 一ノ瀬さんは、もっと辛いのが良かったという。辛い飲み物って、例えば何だ?
 城ヶ崎さんと宮本さんはすごく喜んでくれたけれど、世界一美味しいとか絶対宮本さん適当な事言ってる。
 城ヶ崎さんも、たぶん気を遣ってるんだろう。
 塩見さんは気づいたら勝手に飲んでた。
 水さんは――あぁ、これは相当俺の事を嫌ってるな。受け取ろうともしない。
 いつか屋上で話した事が、よほど気に入らなかったと見える。
 担当アイドルに気に入られる事がプロデューサーの本分とは思わないが、ちょっと言葉を選ばなすぎたかな。
 まして彼女はリーダーだから、俺とコンタクトを取る機会も多いであろう立場だけに、申し訳無いとは思う。
 トレーナーさんからの提案を受け、彼女達のレッスンを見学させてもらう事になった。
142:以下、
 こういうものの善し悪しは分からないのだが、贔屓目抜きに、おそらく彼女達のレベルは非常に高い。
 破天荒な振る舞いや派手な見た目だけでない、ちゃんとチヤホヤされる理由があるのも頷ける。
 そう思っていると、突然トレーナーさんが宮本さんを叱った。
 どうやら、宮本さんが規定の振り付けをせずにふざけたらしい。素人目にはそうは見えなかった。
 たぶん、恒例行事なのだろう。宮本さん自身を含め、皆ニコニコと楽しそうだ。
 水さんを除いて。
 さて、その不機嫌なリーダーから、ようやく俺への相談があった。
 どうやら、今度のフェス当日にて、自分達に何かドッキリを用意してみてくれないか、との事だった。
 他の子達が後ろでニヤニヤと笑っている。
 これは、非常に奇妙なお願いだ。
143:以下、
 彼女達の意図は分かる。
 曲がりなりにも、彼女達のプロデューサーを3、4ヶ月勤めてきた。
 彼女達はステージの度、お互いに何かしらのドッキリ――彼女達は“ジョーク”と呼んでいるらしい――を用意し、当日にそれをぶちかます。
 ターゲットは彼女達自身。より正確に言えば、特定の一人に“ジョーク”をかますために、他の4人が周到に計画を練るらしい。
 そして、その一人が誰になるのか、当日になるまで彼女達自身にも分からない。
 一緒になって計画を練っていたつもりが、実は自分がターゲットだった、という可能性を常に疑いながらステージに臨むのだ。
 その不確実性が緊張感を生み、実際に繰り出される“ジョーク”がスパイスとなり、よりインパクトのあるステージになる。
 ――だ、そうだ。
 GW頃だったか。塩見さんに対し、水さんと城ヶ崎さんが仕組んだステージでの一件がジンクスとなり、以後、彼女達の間で慣習となったようだ。
 俺には全く理解できない考えだが、今度はその仕掛け人を俺にやれと言う。
 というより、予め「ドッキリをやれ」というのはドッキリになるのだろうか?
144:以下、
 とりあえず了承し、レッスンを続ける彼女達を残し、事務室へ戻る。
 パソコンを付け、メールチェックをしている間も、頭の中はドッキリの事で持ちきりだ。
 面倒な役割を押しつけやがって、うぅむ――ドッキリ、ドッキリ――。
 いずれにせよ、シャレになるレベルには抑えなければならない。
 が、彼女達をあっと言わせ、かつプラスの効果を――。
 と思案している所へ、課長が俺を呼び出した。
 今度のフェスに関する事らしい。
 絶対、良くない事だな。こっちも。
145:以下、
 ――気分を落ち着かせるため、屋上でタバコを吹かしながら思案する。
 案の定、良くない事だった。それもだいぶ。
 一課の高垣楓は、現在、今冬公開される主演映画に向けた撮影の真っ最中であり、その主題歌も彼女自身が担当する。
 そして、スケジュール的に『アイドル・アメイジング』の本番は映画の公開直後となる。
 映画と曲双方の相乗効果や、その話題性によるステージ本番での盛り上がりを考えれば、彼女がその舞台に立つ事が、我が社的には最も経営戦略的に有利であるとの事らしい。
 つまり、俺達には勝つな、という事だ。
 もちろん、俺達だけじゃない。他の課の、他のアイドル達全てが、高垣楓に切符を譲らなくてはならない。
 流行りの言葉で言えば、忖度とかいうヤツだろうか。
146:以下、
 サマーフェスの勝敗は、視聴者とフェスの来場者、346グループの役員らの投票により決する。
 そして、346役員の1票が持つ重みは、視聴者分の何百倍、あるいは何千倍にもなるのが実態だ。
 役員らは皆、高垣楓に票を投じる。
 これはすなわち、一般の視聴者や来場者のほとんどが違うアイドルに一点に票を傾けたとしても、覆せない。
 関係者しか知り得ない、フェスの裏事情だ。もちろん、アイドル達自身も知らない。
 実際、『LIPPS』を特別視している役員も一定数いるらしい。
 まともに張り合ったとき、ひょっとしたら高垣楓を上回る票を獲得する可能性も無くはない。
 それ故に、俺達は釘を刺されたというのもあるようだ。
 フェスで敗北するであろう事実を彼女達に受け入れさせろ。
 まかり間違っても勝つ事は無いが、勝たせるための努力はもう必要無い。むしろするな、だ。
 ――――。
147:以下、
 一部の輩の気まぐれで、人の行く末など簡単に狂わされる。
 いつだって割を食うのは下っ端。カーストの底辺だ。
 この会社に限った話じゃない。これまでにも、同じような事を何度か経験してきた。
 正直な所、彼女達が負けること自体はそこまで遺憾ではない。
 むしろ、後の人生を考えれば、この辺で諦めてもらえた方が良いのではとも思っている。
 十分に良い夢を見れただろう。そして醒めない夢は無いのだから。
 ただ、こういう大人の事情を、如何にして彼女達に悟られず、かつしこり無く敗北を受け入れてもらうかが、非常に難題だ。
148:以下、
 彼女達は賢いから、いっそ本当の事を言ってあげた方が良いだろうか?
 いや――城ヶ崎さんは曲がった事が嫌いそうだから、絶対納得しないだろう。ダメだ。
 単純に、実力の差により負けたのだ。結局、高垣楓には勝てないのだと、素直に認めてもらうか?
 ――それも良いな。何も俺が余計な事をしなくても、普通に負けたと思うかも知れない。
 だが、もし万が一、水さんや一ノ瀬さん辺りが異常な鋭さを発揮して勘付いたりするとまずい。
 相当荒れるし、事前に知っていたはずの俺を厳しく糾弾するだろう。シラを切り通せるだろうか?
 くそっ、厄介な仕事を押しつけやがって、うぅむ――。
 ――――。
 ん?
 いや、待て――――ちょっと待てよ。これは――。
 ひょっとして――いや、ひょっとしなくても、良いアイデアなんじゃないか?
 すごく良いアイデアなんじゃないだろうか!? おぉっ!
149:以下、
 新しいタバコに火を付けて――よし、考えを整理しよう。
 まず、フェスのドッキリと称して、他課のプロデューサーに協力を求める。
 ドッキリの内容は、「『LIPPS』のステージに有志のアイドルが飛び入りで参加する」だ。
 これなら、登場するアイドルの知名度アップにもつながるし、LIPPS達にとっても仲良しアピールできるという点でプラスだ。
 さぞかし良い“ジョーク”になるだろう。
 というのが表向きの仕込みだ。彼女達にも、そのつもりだったと説明する。
 本命は、LIPPSのステージを破綻させる。
 具体的に言えば、機器のトラブルに見せかけて曲の音声を止めさせるか、照明を落とすか。
 どっちでも良い。とにかく、アクシデントにより彼女達がステージを続行できなくなれば良いのだ。
150:以下、
 何て酷い事をするのだ、と、計画を知られれば思う人はいるかも知れない。
 まして、担当プロデューサーである俺が、自身の手で彼女達のステージを台無しにしようというのだから。
 だが、俺はこれを酷い事だとは思わない。
 なぜなら、アクシデントが起きた事で、彼女達と高垣楓との間には明確な優劣が付かなくなるからだ。
 例えば、100m走決勝の舞台に二人の優勝候補がいて、一斉にスタートを切った二人の、どちらかの靴紐が切れたとしたら?
 当然、靴紐が切れた方の選手は満足にパフォーマンスを発揮できず、敗北するだろう。
 しかし、それを目の当たりにした観客達はこう思うはずだ。
「もしこの事故が無ければ、どちらが勝っていたんだろう」と。
 もし、あのアクシデントが無ければ――。
 万全の状態でステージを披露できてさえいれば、高垣楓とも張り合えていたのではないか――?
 フェスで“不慮の”敗北を遂げたLIPPSに向けられる感情は、決して負ではない。
 むしろ、この一件が彼女達への新たな期待感や話題性を生む事だって多分に考えられるはずだ。
151:以下、
 そして俺は、この一件の責任を問われ、まんまとクビになるだろう。
 どのみち嫌気が差していた仕事だ。実際、こんな黒々とした話もあるし。
 元々この会社に転職したのだって、自分から来た訳ではなく、スカウトみたいなものだった。
 振り返ってみれば、もう5年目だ。今までの会社を思えば、最も長続きしたことになる。
 そして、次の就職先も既に目星は付けてある。961プロの用務員だ。
 先日の交流会で961の人と少し話をしてみたが、どうやら募集は随時しているらしい。
 バイトみたいなものだから、給料は下がるだろうけど、まずは煩わしい人間関係を一度リセットしたい。
 その間、何か勉強して資格を取って、次の仕事を始める準備をしようと思う。
 年齢も年齢だし、スキルを全然培ってこなかった焦りもある。そろそろ真面目に将来設計をしなくては。
152:以下、
 という訳で、LIPPSは裏事情を知ること無く“悲劇のアイドル”としてより一層の注目を浴び、俺はこの業界を去る。
 こんなに良く出来たWin-Winがあるだろうか。
 問題は、どうやってアクシデントを起こすかだ。
 どんな手段を取るにせよ、ステージの構造を理解しないことには計画の立てようが無い。
 ――いや、それは設営真っ最中のステージの様子を、逐次視察に行けば良いんじゃないか?
 あの業者さんのハートをもっと掴んで、図面をもらったり裏側とか見せてもらってさ。
 あのうるさい課長だって、工事の様子を見てきますと言えば簡単に了承してくれるだろう。
 いいぞ――素晴らしい。何から何まで上手く行く予感がしてきたぞ!
153:以下、
 次の日、さっそく事業一課のクマさんの元へ企画を持ちかける。
 別段誰でも良いのだが、彼の『シンデレラプロジェクト』は新進のアイドルを大勢擁するものだ。
 滅多なものでも無ければ、自身のアイドル達が目立てる機会をより多く欲している事だろう。
 そして狙い通り、了解をもらえた。
 飛び入りで登場する――ことは実際無いが――アイドル達は、『ニュージェネレーションズ』という三人の子達が選出された。
 15歳の子が二人と、17歳か。LIPPSの子達よりも若いな。
 トレーナーさんに話は通しておくので、体が空いた時にでも『Tulip』の振り付けを会得して欲しい旨を伝えると、快い返事が返ってきた。
 本田さんって子がリーダーか。何とも元気の良い子だな。
154:以下、
 工事現場の人達は、もうすっかり手懐ける事ができた。
 ちょっと高級のお菓子で餌付けすれば、彼らは大層有り難がってくれる。
 より良いコーディネートとシミュレーションのため、ステージの実態を正確に把握したい。
 そんなもっともらしい事を言って、現場の細部を、裏側を念入りに案内してもらう。
 特に注意すべきは、設備周りの配置だ。
 真剣な眼差しでチェックする俺を見て、業者さん達は大いに誤解しただろう。
 実際は、自分トコのアイドルのステージを台無しにするためなのに。
 実に有意義だ。どうやら順調に事は進んでいる。
 さて――アフターケアも用意しなくては。
 そう思い、俺は前の職場へと向かった。
155:以下、
 そこは、下手すりゃ熊が出るほどド田舎にある支社。
 都心部から電車で約2時間――青梅線の果てにある奥多摩支社の事業五課が、俺の前の配属先だった。
 目的の人物に会う前に、俺と入れ替わりでココに配属となったプロデューサーに声を掛けてみた。
 つまり、水さんの前のプロデューサーだった人物だが、どうやら精神的に少し回復しているようだ。
 スカウトの調子を尋ねると、めぼしい人材は全然見つからないという。
 そりゃそうだ、そもそも人がいないしな。
 水さんが特別扱いづらい、プロデューサー泣かせの子だとは思わない。
 ただ、人との関わり合いが特に多いこの業界、その軋轢に耐えきれず精神を病む人は我が社にも非常に多いのだ。
 奇妙な話だが、この奥多摩支社は、そんな鬱状態の一歩手前まで病んでしまった社員が回される救済施設的な役割も担っている。
 いわゆる閑職であり実績が上がらないにも関わらず、この支社が今なお奇跡的に解体を免れている理由の一つでもある。
 そして、理由はもう一つ――。
 ドアをノックし、久々に入った部屋には、変わらぬ支社長が手を上げて待っていた。
156:以下、
「どうだい? 本社勤務に戻ってみて」
 支社長は、本社で言う所の部長クラスに当たる。
 だが、この人は立場を気にせず、ヒラの俺の面倒を良く見てくれた恩人の一人だ。
 この会社内で、俺にとって最も心を許せる人である。
 当たり障りの無い返答をすると、支社長は扇子をパタパタと扇いで穏やかに笑った。
 血色の良い小麦色の肌がテカテカしているのを見ると、どうやら変わらず元気のようだ。
 詳しい背景は知らないが、支社長はこの辺境地に腰を据える傍ら、今なお社内で強い影響力を持っているらしい。
 アイドル事業の統括部長とも親交は深く、俺達事業部隊の人事や活動の実権を握る人物でもある。
 しかし、それを乱暴な形で公使する事は無い。俺にとっては、困った時に頼れる気の良いおじいちゃんだ。
157:以下、
「ふぅむ――フェスの後、できる限り彼女達のサポートをしてやってほしいと」
 オールバックさせた白髪を撫でながら、支社長は窓の外を見やった。
 万が一の事があった時、彼女達が行き場所に不自由する事が無いよう、手を回してほしい旨を伝えた。
 本社の人間相手だと、ここまでざっくばらんな相談は出来ない。
「票の裏工作のために敗れたと、彼女達が思わないか心配という事か」
 一通り自分の考えを丁寧に説明すると、彼も一応は理解を示してくれた。しかし――。
「だが、裏工作は無いんだ。なぜなら、役員達はたまたま全員が高垣楓のステージに感動し、彼女に投票をする。
 票数の操作などしない。他の客と同じ。ルールに従い自分の票を投じるのだから、何もやましい事はしていない。そうだろう?」
 支社長は、組織票が疑われるような事は無いと言っている。
 いや、むしろ役員による組織票を特に悪と思っていないようだ。この辺の認識のズレが怖いんだよな。
 ネット社会に生きる現代人の、あらゆる事物を裏側から観察しようとする精神性の怖さを、老人はいまいち理解できていない。
158:以下、
「だがまぁ、よろしい」
 そう言いながら、支社長はフカフカの椅子から腰を上げた。
「キミの意向は分かった。
 結果がどうあろうと、一定の充実感や成功体験を彼女達が感じられるよう、できる限りの待遇は保証しよう」
 本当は、俺がクビになった後、彼女達に新たなプロデューサーをスムーズに付けてもらえるようお願いするつもりだった。
 だが、これはこれで、想定よりも良い内容で力になってもらえそうだ。深々とお辞儀を返す。
「構わんよ。ところで、この後どうだね?」
 青梅の地酒『澤乃井』ですか。悪くないぞ。終電さえ間に合えば。
159:以下、
 一課に偽りのドッキリの協力を依頼し、アリバイとして機能させる。
 より自然な形で事故を起こすために現場へ赴き、何度も脳内でシミュレーションを重ねる。
 予定された不幸により、LIPPSは注目を浴び、俺はクビになる。
 アフターケアは、事業部のドンに任せた。
 完璧だ――我ながら惚れ惚れする。誰も悲しまない計画だ。
 社内のカフェで広げた資料を眺め、俺はこの会社に来て以来、久々の充足感に浸っていた。
 後は、時が来るのを待つだけだ。
 ん? 携帯が――また一ノ瀬さんだ。
 レッスンを見に来いって? いいよ、いくらでも行くよ。やる事無いしな。
160:以下、
 サマーフェス本番の日は、生憎の天気だった。
 元々台風だった温帯低気圧が首都圏を通過し、朝からポツポツ降っていた雨は、リハが終わる頃には土砂降りになった。
 客の入りも、パッと見たところ、満員の半分といったところか。
 1時間ほど開演を順延させることとなり、手の空いているスタッフは水浸しになったステージの養生に駆り出された。
 ヤァさんもクマさんも、水切りを持って舞台の上に溜まった水溜まりを払っている。
 チビさんは、アイドル達の体調のケアとかに走っているらしい。
 俺は、何かよく分からない資材運搬のお手伝いと、大事な仕事だが、機材の動作確認の立ち会い。
 業者さんの頑張りのおかげで、あれほど間に合わないと言われたステージの設営はギリギリ完成した。
 設備周りもバッチリである。
 そんな設備が万が一にも動作しなくなれば、せっかく練ってきた計画もご破算だ。
 俺が事を起こすまで、特に音声設備は元気に動いてもらわなくてはならない。
161:以下、
 アクシデントの起こし方だが、結局のところ、最も単純な手法を選択した。
 音声のプラグを引っこ抜く。
 俺が誤ってプラグを蹴飛ばしてしまい、『Tulip』の音源は途切れ、LIPPSはステージの続行が不可能となる。
 他にも色々、凝った方法を考えてはみたが、確実性を考慮すればコレが一番良い。シンプルイズ、というヤツだ。
 何より、俺がクビになるには十分すぎるほどの落ち度も発揮できる。
 設備が問題なく動作する事を確認し、俺はドッキリを依頼したニュージェネの子達の様子を見に行った。
 順延にもめげること無く、モチベーションはしっかり維持できているようだ。
 意地悪そうな顔で、本田さんがわざと忍ぶように笑ってみせる。
 こういう単純そうな子を、俺も担当してみたかったなぁ。今更だけど。
 さて――本日の主役、LIPPSのご機嫌もお伺いしておくとするか。
162:以下、
 ――元気だな、相変わらず。
 正念場となるステージを控えても、特に一ノ瀬さん、宮本さん、塩見さんは普段と様子が変わらない。
 リラックスしたり、忙しくはしゃいだり、城ヶ崎さんや水さんにちょっかい出したりしている。
 かと言って、ふと彼女達が俺に振ってくる話には妙な鋭さがある。
「生半可な事でドッキリしない志希ちゃん達を、キミはどんな風にあっと言わせるのかにゃー?」
「いっそプロデューサーがフレちゃん達とトゥギャザーしてみちゃったり?」
「いやー、プロデューサーさんならもっと楽な方法とるでしょ。
 楽にステージをハチャメチャにする方法とかさー?」
 どんな態度を取っても、言葉を発しても、全てが彼女達の前ではボロになる気がしてならない。
 相変わらず水さんの視線も単純に怖いし、城ヶ崎さんにこれ以上気を遣わせるのも悪い。
 適当に取り繕い、楽屋を後にする。
 ちょっと一服しよう。
163:以下、
 どうやら順延は英断だったようで、傘を差さずともそれなりに許容できる程度には雨脚は弱まった。
 体調を崩してしまった子が一課に一人いたらしいが、聞こえた話ではどうにか回復したようだ。
 お客さんも結構入ってきている。
 予定された通りに、セットリストが順調に消化されていく。
 ニュージェネの出番が終わり、本田さん達がステージから戻ってきた。
 すぐに衣装を着替えて来ますと、疲れを全く見せない様子で三人は一目散に掛けていく。
 本当に元気だ。飛び入り参加の『Tulip』を含め、あと2曲をこなす気でいるのに。
 ところで、今回彼女達に依頼したドッキリだが、ニュージェネの子達の提案で、かなり力が入っている。
 振り付けだけでなく、なんと衣装もLIPPSライクのものを三人用に新たに用意したほどだ。
 何でも、城ヶ崎さんのステージに、過去にバックダンサーで出演した事があり、ゆえに彼女が所属するLIPPSにも思い入るものがあるらしい。
 渋谷さん、と言ったか。とてもクールだけど、彼女もやはり女の子だな。
164:以下、
 ニュージェネの子達と入れ替わりで、LIPPSの5人が舞台袖にやってきた。
 彼女達の出番は、今出ている二課の木場さんの、次の次だ。
 木場さんを担当する新人の女の子プロデューサーに、さっそく一ノ瀬さんがちょっかいを出している。
 塩見さんにニュージェネの子達の事を聞かれたが、適当にはぐらかす。
 おっと、LIPPSがここにいる間、彼女達がうっかり戻って来ないよう忠告するのを忘れてた。
 クマさんに目線で合図を送る。
 彼は合点がいった様子で頷くと、楽屋の方へ向かっていった。
 ジッとそのやり取りを観察していたのは、水さんだ。
 この疑り深さよ。本当に油断できないな。
 冷や汗を垂らす俺を、宮本さんと城ヶ崎さんが心配してくれる。ありがとう。話しかけてくれるな。
165:以下、
 携帯が鳴った。クマさんからのメールだ。
『ニュージェネレーションズは、合図があるまで機材の後ろに待機するよう手配しました。』
 よしっ! やはり出来る男だなぁ、彼は。
 やがて木場さんの出番が終わり、次は――おぉ、高垣楓か。そうだった。
 ふと、一迅の風がふわぁ、っと俺達の間を通り抜けた。
 振り向くと――。
 さすがのオーラ、といったところか。
166:以下、
 直前にやってきたトップアイドルとそのプロデューサーは、どちらも無言で、しかし穏やかな笑みをたたえ、俺達の側を通り過ぎる。
 そして、一言「行ってきます」と彼女はヒゲさんに告げると、彼もしっかり頷き、その後ろ姿を黙って見送った。
 しかも、次の瞬間繰り広げられるのは最高のステージだ。
 いや――これはすごいわ。
 ただただ美しいというか、うわ――これは、ファンでなくても好きになってしまうだろうなと思える。
 やらせが無かったとしても、誰も勝てないのではなかろうか。
 LIPPSの連中も、さすがに少し――いや、かなり心を奪われてしまった様子である。
 っと、と――いかんいかん、感動している場合ではない。
 次はLIPPSの出番。そして――いよいよ計画を実行に移す時なのだ。
 気を引き締め――。
167:以下、
 ――――。
 この計画――本当に大丈夫か?
 何だか、俺、すごく酷い事をしようとしてる気が――。
168:以下、
 馬鹿野郎、今さらビビってんなよ。
 俺が体よくリストラされるための布石にするんだろう?
 でも――彼女達にとって、本当にそれで良いのか?
 確かに注目は浴びるかも知れない。だが、それは確実ではない。
 俺のせいで負けた、という結果だけが残るとしたら?
 その不幸を特に注目される事無く、人々の記憶にも残らなかったとしたら――?
 いやいやいや、そのために支社長に根回ししたんだろうが!
 心配すんなって! 彼女達は上手くやっていけるさ!
 でも、冷静に考えろ。もしそうならなかったらどうなる?
 この一件がトラウマになり、アイドルを辞めてからもずっと、誰かを恨み続ける人生を背負うのは、相当ツラいものがある。
169:以下、
 もの凄い歓声が聞こえる。どうやら高垣楓の曲が終わったようだ。
 悠然とステージを降り、舞台袖を通り過ぎる彼女と入れ替わりで上がるのは、LIPPSの面々だ。
 城ヶ崎さんが何か俺に語りかけた――たぶん、「じゃあアタシ達も、行ってくるね!」みたいな感じだったとは思う。
 しかし、そんな自分の担当アイドルとの、大きなステージに上がる直前のやり取りさえ、頭に残らない。
 さっきの歓声を聞いてみて、どうだ?
「アクシデントが無ければLIPPSは高垣楓に勝っていたかも知れない」などと、本当に観客が思うのか?
 いや――思わない。誰もが信じて疑わない。
 おそらく彼女達だって、高垣楓への敗北を素直な気持ちで納得できるはずだ。疑う余地など無い。
 じゃあ、わざわざ俺がここでアクシデントを起こすメリットは何だ?
 会社を辞めるなんて、クビにしてもらわなくとも、俺が退職届をサラッと出せば良い話である。
 背負うリスクと期待されるリターンが、あまりに釣り合わなさすぎる。
170:以下、
 決めた! 止めよう、やめやめっ!!
 この計画は中止。冷静に考えて全然ガバガバだったわこんなの。あっぶねぇ。
 同時に、何て俺はヘタレなんだろうと思う。これだから俺ってヤツは――。
 あっ――。
 クマさんが俺に声を掛けた。そろそろでは、と。
 すみません、と手刀を切り、同時にニュージェネの子達に合図を送る。
 まさか、本当に彼女達の出番が来るとは――いや、これはこれで良いさ。
「待ってましたぁ!!」と、本田さんが威勢良く機材の後ろから飛び出す。
 その後ろから渋谷さん。そして、島村さん――。
 ガンッ!
171:以下、
「うわぁっ!」と何かにつまづき、転んだのは島村さんだ。
 気づいた他の二人とクマさんが、慌てて彼女に駆け寄る。
 どうやら、幸い怪我は無いようだ。
 ――――?
 ふと、違和感が会場を支配する。
 何か、急に静かになったような――代わりに、ステージの方からどよめきが聞こえる。
 彼女の――島村さんの足元をよく見ると、機材のプラグが――。
 音声プラグが、外れていた。
172:以下、
 事の重大さに気づき、見る見るうちに島村さんの顔が青ざめる。
 本田さんと渋谷さんも――そして、寡黙なクマさんの口からも「あっ――」と声が漏れた。
 すぐにクマさんがプラグをつなぎ直す。
 しかし、音源はすぐに復旧しない。機材が立ち上がり、曲が止まった時点から正確に再生し直す事はほぼ不可能だ。
 何事かと、スタッフさんが数名、血相を変えてこっちに駆け寄ってきた。
 島村さんは傍目にも明らかに動転し、頬に手を当て、ガタガタと体を震わせた。
「何てことを――ごめんなさい、ごめんなさいっ。わたし、わっ、わた――!」
 他の二人は、今にも大声で泣き出しそうな島村さんを何とか宥めようとするが、明らかに彼女達もテンパっている。
 俺だけ不思議なほど冷静でいられたのは、当初想定していた計画が思わぬ形で実現されたからだった。
173:以下、
 島村さん、大丈夫、これはこれで――と思わず言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
 そう、これはこれで良いんだけど、島村さんが大変な事になっている。
 LIPPSの子達が後で島村さんを恨むような事は無い、と思うが――。
 どうしよう。このアクシデント、俺のせいにならないかな。
 そうなれば俺はサラッと大手を振ってクビになれるのに。
 あ、でも――そうなってしまうと、島村さん、すごく自分を責めてしまいそうだな。
 自分のせいで俺がクビになったと思い込んで、相当ショックを受けてしまいそうな感じだな、これ。
 いくら俺が本心で取り繕おうとしたところで、きっと聞く耳を持たないだろう。
 あーやばいやばい、とうとう泣いてしまった。いいんだって泣かなくて、むしろ感謝し――!
 フンフフンフーン…♪
 ――――?
175:以下、
 何だ、今のは――鼻歌?
 フンフフンフフーン フンフンフンフーン…♪
 鼻歌だ。しかもこれは――宮本さんの声だ。
 ステージから聞こえてくる。
 水を打ったような静寂の中で、宮本さんの鼻歌が響いている。
 そして次の瞬間。
 アカペラながらも、美しく力強い一ノ瀬さんの歌声が。
 続いて城ヶ崎さん。
 水さんと塩見さんも続いた。
 最終的には5人全員の歌声が、一糸乱れぬエネルギッシュなダンスに乗せて完璧なハーモニーを紡ぎだす。
 ダンッ、ダンッと、ステージを踏み抜かんばかりの足音さえ見事なパーカッションとなって彼女達の歌声を支えた。
176:以下、
 何だこれ――?
 音声が切れるなどというシーンは、彼女達の想定には無かったはずだ。
 まさか、即興でやってみせているというのか?
 いや、馬鹿な、考えられない。
 だが、目の前で起きているこの状況をどう説明できる?
 ソロの有無だけでなく、AメロだかBメロだか、構成そのものが元来の『Tulip』のそれではない。
 静寂さえも計算ずくであったかのような、新曲とも呼べるほどの大きなアレンジが明らかになされている。
 だが、次のシーンは何となく分かる。
「音源いけますっ!」と、スタッフさんが威勢良く声を上げたので、反射的に返答した。
 これ以上無いタイミングで音源が蘇り、ラストの大サビへとなだれ込むと、ボルテージは最高潮に達した。
 全てが演出だったと勘違いした観客は大勢いただろう。
177:以下、
 彼女達がステージを去った後も、地鳴りのような歓声はまだ続いている。
 舞台袖で彼女を出迎え、とりあえず労いの言葉をかけると、城ヶ崎さんが肘で小突いてきた。
 その後ろから、塩見さんがイヤミっぽく“ドッキリ”の礼を俺に述べてみせる。
 違う、そうじゃない。俺は“ちゃんと”別のドッキリを用意していたのだと、ニュージェネの子達を紹介した。
 その上で、音声プラグが抜けてしまったのは事故だが、彼女達に協力を仰いだのは俺だし、機材の後ろから飛び出すよう指示したのも俺だ。
 つまり、このアクシデントは島村さんでもクマさんのせいでもなく、俺の責任なんだ。
 と、できるだけ分かりやすく説明した。つもりなんだけど――。
 一ノ瀬さんは聞く耳持たず、渋谷さんに抱きついてはしゃいでいるし、水さんは含みのある視線を向けてくる。
 宮本さんは、良いステージが出来た嬉しさを、子供のように島村さんと本田さんに語っている。
 涙を流して何度も謝る島村さんの頭を、城ヶ崎さんが優しく、宮本さんが悪戯っぽく撫でると、彼女は安堵の涙を流したようだった。
178:以下、
 フェスの終盤、再度ニュージェネの子達が、今度は『シンデレラプロジェクト』全員と一緒にステージに立つ。
 島村さんは、無事にショックから立ち直ったようだ。
 クマさんが俺に頭を下げる。いやいや、こちらこそ何かすみません。
 しかし――どうなるか。
 やるだけの事はやった。後は、結果を待つしか無い。
 いや、何を案じる事があるのだ。
 高垣楓のステージは圧巻だったし、そうでなくとも役員が仕組んだ台本の上で俺達は踊っている。
 強いて俺が心配すべきは、このフェスの後、ちゃんと俺がクビになるのか、ならずに退職届を出さざるを得なくなるのか、だ。
 LIPPSが勝つ事を心配する必要など無い。
 だが、その時が近づくにつれ、胸騒ぎがどんどん大きくなっていく。
 何でだ。間違いなど起こるはずが無い。
 確かにLIPPSも凄かった。凄かったが――。
 えっ、大丈夫だよな? 俺達、ちゃんと負けるんだよな?
179:以下、
「それでは、トップ3の発表です! 投票により選ばれしサマーフェスの優勝者は――!!」
 ドゥルルルルルルルルル…!
 デデンッ!!
 LIPPS 109,861 \テッテレー♪/
 高垣楓 99,514
 シンデレラガールズ 85,773
180:以下、
「勝ってんじゃねーかっ!!!」
 という、ここ数年で最も大きい俺の声は、怒号のような大歓声に飲まれ、泡と消えた。
 どうなってんだよ! 役員が組織票じゃねぇのかよ!
 いやいやおかしいだろ。マジで何があったんだ。
 まさか、一般視聴者や来場者が全員LIPPSに投票したのか?
 いや全員って事はありえない。
 じゃあ役員が組織票を止めたのか?
 そうとしか考えられないが、だとしたらなぜ土壇場で方針を変えた?
 それはともかく、あれだけ勝つなと釘を刺されていたのだ。
 お偉方の、特にあの口うるさいウチの課長がなんて言うだろう。
 一課の課長や事業部長からもお叱りを受けるかも知れない。
 何かの間違いであってほしいが――どうすんべなマジで。
 ステージの上では、あの水さんが高垣さんはじめ、ライバルのアイドル達に讃えられ、目に涙を溜めている。
 城ヶ崎さんも、水さんの気持ちに当てられてもらい泣きをしているようだ。
 塩見さんは、信じられないと言った様子で口をポカンと開け、キョロキョロと落ち着かない。
 宮本さんは隣にいた藤本さん達と一緒に、他人事のように皆をお祝いしている。
 一ノ瀬さんは――。
 ――あれは、どんな表情なんだろう。彼女のあのような、魂の抜けたような顔は初めて見る。
 それでも、宮本さんが傍に寄ってくると、いつもの表情に戻り、一緒にはしゃいでいた。
181:以下、
 フェス終了後、一通り会場の後片付けを終えると、そのまま関係者は打ち上げになだれ込んだ。
 俺は参加する予定は無かったけど、優勝ユニットのプロデューサーがいないのでは話にならず、連行された。
 既に夜も遅く、アイドルはそのまま帰らされた。当然、LIPPSの子達もいない。
 打ち上げの会場は普通の飲み屋ではなく、イベントスペースを借りて、都内有名店の豪華料理が持ち寄られた。
 この会社って、何かこういう所があるよな。この間も立食パーティーだったし、いちいちセレブっぽい。
 だが、お酒が入ればそこは普通の飲み会っぽい感じになって、そこかしこでワイワイしてる。
 途中、LIPPSの担当プロデューサーとして俺が壇上に呼ばれ、挨拶をする事になった。
「私の後任は随時募集中です!」みたいな事を言って、なんとか笑いは少しだけ取れたので、俺の仕事は終わりだ。
 ヤァさんは他の人達と大変な事になっていたので、適当にチビさん達と隅っこで大人しくしていよう。
 と思ったら、彼もお偉方に呼ばれてしまったので、俺一人だけになった。
 ――あの女性。あれが、新しく来た美城常務とかいう人か。
 役員の組織票絡みで、何か動きがあったのだとしたら、彼女がその理由の一端だろうと推察される。
「今日は、お疲れ様でした」
 ほどなくして、チーフが手持ち無沙汰の俺に声を掛けに来てくれた。
182:以下、
 彼もどこか、疲れた顔をしている。
 ウチの課の実働部隊の取りまとめ役だから、気苦労も多かっただろう。
「この後、忙しくなりますよ。仕事のオファーは、5倍は増えると思った方がいいです。
 どうか無理はせず、必要に応じて仕事を取捨選択する事も考えながら、進めると良いかと」
 本当そうだと思う。言われるまでもなく、仕事はガンガンふるいにかけさせてもらう。
 問題は課長だ。どうせまた今後の育成計画書作れとかうるせぇんだろうなぁ。そのくせ決裁遅いし。
「育成計画、ですか――今後の彼女達をどんなアイドルにしていくのか、確かに今が大事な時期ですね」
 俺の憂いを他所に、チーフは目を輝かせている。まったく――。
 前々から、あんたに一つ言いたい事がある。
「僕に? ――何でしょう」
「なぜ、あんたは平気な顔をしてプロデューサーを続けられるんだ?」
「平気なとは、心外ですよ。僕にだって、やりたい事がありますから」
 チーフは疲れた顔に戻り、少しだけ何とか笑ってみせた。
「城ヶ崎さんを辞めさせたいと思った事は?」
 彼は俺の問いには答えず、逃げるように背を向けて俺の元を離れた。
 幹事が締めを宣言し、帰りの配車の案内をお偉方にしている。終電はもう無かった。
190:以下、
【4】
 (♪)
 いやーお仕事いっぱいビシソワーズだよー! タイヘンー!
 やっぱフェスで一番になったのってすごいことだったのかな?
 でもこうして皆から注目されて、楽しんでもらえる機会が増えるのってイイよね♪
 終わった後も、楓さんや卯月ちゃん達、皆がアタシ達のこと、たくさん褒めてくれたの。
 アタシ的にはどっちが良かったとか全然分かんないんだけど、喜んでもらえたなら嬉しいな。
 それにしてもシキちゃんはすごいねー。
 遊びで作ったアカペラアレンジが偶然ハマるなんて思わないもん。先見の明デリカ☆
 あとすごいのが忘れちゃいけない、プロデューサーだね。
 ちょろっと話したおじさんが、よく分からないけど業者さん?っていう、ステージを作った人。
 その人が、
「プロデューサーさんはとても熱心に現場に赴いては我々の話に耳を傾け、より良いステージ作りを考え抜いてしるぶぷれしておられた」
 とか言ってて、ワァオッ☆ そんな事してたんだねーって! 
 アタシはやりたい事しかやってなくて、でも皆がいてくれるからLIPPSは成り立ってるんだなーって、それが嬉しいの。
 ちゃんーと、プロデューサーがアタシ達のために頑張ってくれてたの、皆にも言わなきゃ♪
 フンフンフフーンフンフフーン♪
191:以下、
【5】
 (★)
「むぅ――」
 下から両手で持ち上げてみる。
 ヤバい――やっぱ勘違いじゃない。絶対大きくなってる。
 下着がキツくなってきたのは気のせいじゃなかったんだ。
 これ以上デカくなるのはさすがにマズいなぁ。
 この前も、スタジオのスタッフさんから「ちょっと修正するの難しい」って言われたし。
 胸だけ痩せるって、できないもんかな。
 トレーナーさんに今度聞いて――。
「お姉ちゃん、ご飯ー!」
192:以下、
 莉嘉の声が聞こえるが早いか、部屋のドアがガチャッ!と勢いよく開かれる。
「お姉ちゃ、う、うわ――何やってんの鏡の前で? しかも下着姿で」
「アンタ、ドア開ける時はノックしてって言ったでしょ」
「だってご飯だって言っても来ないし。へぇー」
「何」
「またおっぱいおっきくなった?」
「ッ!! ――バカッ!!」
 握り拳を振り上げると、莉嘉は頭を抱えてさっさと退散していった。
 やっぱり分かるか――そろそろバスト80で申告するのも限界かなー。
 あーもう悩んでてもしょうがない! さっさとご飯食べて、今日はちゃんと学校行かなきゃ。
193:以下、
 アタシはずっと“カリスマギャル”だった。
 デビューした時から、ずっとそう。
 そういう役柄というか、二つ名を与えられてきた。
 ずっと、第一線に立たされた。
 身も蓋もない言い方をしちゃうと、事務所のゴリ押しで売り出された。
“カリスマギャル”として、ずっと。
194:以下、
 当時の346プロは、新しい広告塔を模索していた時期だったみたい。
 で、たまたま受けてきたアタシを見て、ギャル路線に特化したアイドル像を思いついたんだとか。
 流行の最先端、流行を作る側。文字通り、JKのカリスマ的存在。
 アタシ的には流行りのメイクとか服も好きだったし、そういうのに憧れもあった。
 だから、偉い人達から提案された時だって、何も文句は無かった。
 ただ、アイドルとしてアタシが売り出されるには、歌も踊りもそれなりにこなせる必要がある。
 しかも“カリスマ”なんだから、ヘタなものは見せられない。
 相当レッスンはキツかったけど、自分で決めた事だから、逃げたくなかった。
195:以下、
 当たり前といえば当たり前だけど、事務所の後押しもあって、滑り出しは順調。
 ただ、初めの頃は、やっぱりネットとかでもゴリ押しだって声は多かったんだよね。
 だから、そんな声なんてかき消してやるって、アタシのハートに火がついて、なおさらレッスンに打ち込んだ。
 きっかけはゴリ押しかも知れないけど、アタシの実力そのものに文句は言わせたくない。
 そしたら、だんだんそういう声は聞こえなくなって、皆がアタシの事を認めてくれるようになった気がして――。
 だから、今ではアタシを育ててくれた346プロやファンの人達だけじゃなくて、そういう人達にも感謝はしてるつもり。
 それに応える方法の一つが、デビュー当時から思い入れのあるモデル業だったんだけどさ。
 まさか、自分の体を恨めしく思う時がくるとは――!
「美嘉、どうかした? 大丈夫?」
「えっ? あ、ううん、ヘーキヘーキ★ 今日返されるテスト、大丈夫かなって心配でさ」
「それ平気って言えんの? アハハハ」
 友達に誤魔化して言った自分の言葉で、今日が期末テストの返却日だと気づいて、余計にヘコむ。
196:以下、
 実際、胸だけでなく頭も重い。
 ウチの事務所に所属する高校生以下のアイドルは、あまり学校の成績が悪いとお仕事させてもらえなくなるんだ。
 もちろん、赤点なんて取ったら一発レッド。
 そりゃ、仕事のせいで学業が疎かになっちゃったら、保護者にも顔向けができないだろうしね。
 しかも初っぱな物理だよもー! あぁ?イヤだイヤだ。
 志希ちゃんが全然教えてくれないどころか、ちょっかいばっか出してきて捗らなかったヤツだ。
 おそるおそる、先生から手渡された答案を覗き込む。
「忙しい中、城ヶ崎さんにしてはよく頑張ったね。次も頑張りなさい」
 あっぶな! 平均よりちょい下じゃん!
 てゆうか、「城ヶ崎さんにしては」って言い方、何かイヤミっぽくない?
 でも赤点はセーフだからいっか★
 ノートを写してもらった学校の友達だけじゃなくて、勉強に付き合ってくれた奏ちゃんにも感謝しなくちゃね。
197:以下、
 アイドルとして売れれば売れるほどお仕事に追われるから、こうして一日学校に出れるのは久しぶり。
 サマーフェス以降、今のLIPPSはそれぞれが自分の持ち味を発揮して忙しくしてる。
 フレデリカちゃんはその賑やかなキャラクターを買われて、バラエティ番組やラジオのゲストに引っ張りだこ。
 型破りだけど、誰の事も悪く言わない彼女のコメントは、局側としてもウケが良いみたい。優しい子だもんね。
 周子ちゃんは、ゆるいながらも空気を読んで上手に立ち回るから、ラジオのパーソナリティの方で活躍してる。
 あと、最近は旅番組の企画もあるみたい。『旅のしおみ』だっけ?
 志希ちゃんは、LIPPSの中でも抜群に優れた歌唱力を生かして、音楽活動に力を入れてる。
 今度、またCD出すんじゃなかったかな。
 ――ぶっちゃけあの子の場合、色々あるからそっちに専念させた方が良いっていうプロデューサーの意向もあるみたい。
 まぁ、今でもレッスンやレコーディング中に失踪する事も何度かあるみたいだけど。
 そして奏ちゃんは、映画好きという隠れた趣味が露呈してから、そういう雑誌で自分のコーナーを持ったのに加えて、モデル業。
 そう――その高校生離れした美貌から、アタシが結構メインでやってたモデル業の、ライバルになっちゃったんだ。
 てゆうか、皆スタイル良いからモデルでも十分やれちゃうんだけどね。
 アタシが未練がましくすがるのがバカらしくなるくらい。
198:以下、
 胸が大きいと、それが目立たないようなポージングしかできないし、修正も大変になっちゃう。
 おまけに、普段からそれを隠そうとすると猫背になって姿勢も悪くなる。
 アタシ、プロフィール上はバスト80で申告してるから、水着なんて着たら余計に疑われるっていうんで、そっちの仕事も最近無いなぁ。
 それに引き替え、奏ちゃんは最初からバスト86――86!?
 えっ、ウソ!? そんなにあったっけ!?
 と、とにかく、最初からそういう3サイズで公表してるから、堂々と胸を強調したポーズもできるし、水着も映える。
 何かと制約が多いアタシと比べて、柔軟かつ大胆にカメラさんの要求にも応えられるんだよね。
 つまり、どっちがモデルとして使いやすいかというと――。
 うぅぅマズいマズい!
「美嘉はギャル路線だし、私との棲み分けは出来ているから心配しなくても良いと思うわ」
 って奏ちゃんは言うけど、そういう問題じゃないんだよなー!
199:以下、
 だってアタシ、高校卒業したらJKじゃなくなるんだよ!?
 つまり、ギャル路線から転向しなきゃいけなくなるワケで、そしたら、どっちに行きゃいいのってなるじゃん。
 やっぱり、ここは3サイズを更新してもらうようプロデューサーにもう一度相談を――。
「先生ぇー、浪人も留年も一年遅れには変わらないんだしさぁー。もう一年俺の面倒見てくれよ」
「何を言っとるんだ高橋。浪人と留年はまるで違うぞ。高校の勉強もロクにできんかったヤツだと思われたいのか?」
「実際できてねぇじゃん、なぁ?」
 そっか、留年すればギャルのまま――!
 いやいやいやいやいやっ!! クラスの男子が笑いを取った教室の中で、アタシは一人かぶりを振った。
 マジヤバイって今の、何考えてんのアタシ。
200:以下、
 学校終わった後、事務所に行くとプロデューサーが事務室で一人、紙を片手に眉間に皺を寄せている。
「どうかしたの?」
「ん――あれ、城ヶ崎さん、今日は休みじゃなかったっけ?」
 アタシを見ると、プロデューサーは背もたれに寄りかかったまま大きく伸びをした。
「学校終わってから、ちょっと気になって来てみたんだ。それ何?」
「これは、んーまぁ――内部説明用の資料。最近こんなのばっかりでさ」
 見せてもらうと、『活動計画書』ってタイトルの下に、何か小難しい文章やら表やらばかり並んでる。
 うえぇぇこういうのすっごく苦手っ。
「課長さんだっけ? その人から作れって?」
「余計な仕事ばかり回されて、困ってるよ」
 そう言って、プロデューサーはハッと口を押さえて、「今のはオフレコな」と笑った。
 あのフェス以降、プロデューサーは難しい顔してばかりだけど、無表情じゃなくなってきた気がする。
 そういうの、良い事だと思う。
 今までは正直アタシ達の事を、腫れ物に触るみたいというか、余計な気を遣って距離を取ってるように思ったから。
 こうして、感情を表に出すようになったの、アタシ的には結構嬉しいんだよね。
 実際、嫌な顔だけじゃなくて、笑うのも増えたし。誘い笑いかも知れないけど。
「俺の愚痴を聞くために今日は来てくれたのか?」
201:以下、
「ううん、逆。アタシのお願いを聞いてもらえるかなあって」
「お願い」
 回していたペンを止めて、プロデューサーは私の方に向き直る。
 例のスリーサイズの事を提案されたプロデューサーの答えはNOだった。
「え、どうして!?」
「こういうのはタイミングが大事でな。
 下手にコロコロ変えると、「あの子のプロフィールなんて信用ならないよ」の出来上がりだ」
 そう語るプロデューサーの顔は結構マジっぽくて、何だか気圧されちゃう。
「何で今のタイミングで訂正したんだ、って思われても面倒だしな。
 現状維持が大正解とは俺も思わないが、最もリスクは少ない」
「だったら!」
 プロデューサーの机にバンッ!と手を置く。
「アタシが高校卒業したら更新しようよ! ほら、“オトナになった城ヶ崎美嘉”みたいなカンジでさ」
 ――自分で言って、何だか恥ずかしくなってプイッと顔を背けちゃった。
 オトナになった、ってナニがよ。
202:以下、
「それ、良いアイデアだな」
 プロデューサーは、手帳の後ろの方を開いてメモをした。
「引継ぎ書にも書いておこう」
「――引継ぎ書?」
 プロデューサーがボソリと言った言葉に、アタシの胸がざわついた。
「もし俺が他のプロデューサーと担当変わった場合、LIPPSの活動が滞りなく継続できるようにな。
 この先もどうなるか分からないし」
「そんな!」
「ほら、君のプロデューサーも、結構すぐ変わっちゃったでしょ、俺に。
 こういうクセを付けとくのは大事な事なんだ」
 プロデューサーは手帳をパタンと閉じると、さっきの紙を持ち直して頭をクシャクシャと掻いた。
 確かに、前のプロデューサーもすごく優しい人で、いきなり違う人になるって聞かされた時は、正直イヤだった。
 それも、3日後には変わるだなんて。
 でも、LIPPSの子達は賑やかで楽しくて、ちょっと大変な時もあるけど、すごく良いユニットだって思う。
 それに、プロデューサーもあのフェスにすごく真摯に取り組んでいたのも知ってる。
203:以下、
 きっかけは、フレデリカちゃんが答えていた雑誌のインタビュー。
 フェスが終わった後、フレデリカちゃん曰く、ステージ設営の工事業者さんとたまたま話したみたい。
 実に彼女らしいというか、相手を選ばずフレンドリーになれるの、本当すごいなって思う。
 で、その業者さん達は、プロデューサーをとにかくベタ褒めというか、尊敬しまくってたんだって。
 現場第一主義、という姿勢。
 工事中でもステージの様子を足繁く見に行って、どういうステージ作りにしようかとか、熱心に打合せを重ねたり、機材の位置も入念に確認したり。
 そんな業界人に出会ったのは初めてだから、その人達はすごく感動したみたい。
 元々厳しかったはずの工事のスケジュールは、現場の人達の奮起もあってすごい勢いで進んで、見事間に合ったんだとか。
 あまりレッスン見に来ないから、何してるんだろうって思ったけど、プロデューサー、そんな頑張りをしていたんだよね。
 それまでプロデューサーの事、割と本気で嫌ってた奏ちゃんも、その話を聞いてからは随分見直したみたい。
 アタシ達の誰よりも、プロデューサーの事をもっと知りたいという思いが、彼女は強い気がする。
 フェス優勝者のプロデューサーってのもあるし、そういうエピソードが物珍しかったのか、この人自身にもインタビューが結構あったのも見てる。
 だいぶイヤがってたよね、プロデューサー。
「そういうつもりじゃなかったんだよ」って言うけど、照れ隠しでしょ。ふふっ★
 そう、だから――アタシ達の事を良く考えてくれてるこの人が変わるの、やっぱりイヤかな。
「そういえば明日の仕事、ここに8時半集合でいいか?」
204:以下、
「へっ?」
「グラビアの仕事、あったでしょ? あのスタジオからだと、帰りは明大前で降ろそうかと思うが」
「あ、あぁ。うん、いいよ」
 そうそう、明日はモデルのお仕事があるんだった。
 プロデューサーは午後から周子ちゃんの番組に関する打合せがあるから、午前中だけアタシに付き添ってくれる。
「モデル業の事なら、心配は要らないと思うよ。むしろ、存分に噂させておけばいい」
「えっ?」
 コーヒーを啜って、プロデューサーはこう言ってのけた。
「怒らないで聞いてほしいが、胸がプロフィールより大きいかもってのは、男子からすれば結構盛り上がるもんだ」
「――あぁ??もう、はいはい!!」
 結局この人もスケベなんじゃん! 分かっちゃいたけど、男ってホント!!
 ドアバタンッ!って閉めて、足早に家に帰る。
 明日のが冬コーデの露出の少ない撮影でホント良かった。
205:以下、
 でも、まぁ――。
 ネットを見てもこんなんだし。
 ・LIPPSで一番スタイル良いのってさ…(204)
 ・【朗報】城ヶ崎美嘉さん、順調に成長中(87)
 ・【フレデリカ】アイドルを思い浮かべてスレを開いて下さい【フレデリカ】(77)
 ・一ノ瀬志希にゃんのおヘソwwwwwwwwwwww(191)
 ・【今のはミカではない】城ヶ崎美嘉スレPart26【メラだ】(395)
 ・【悲報】水奏先生、クソ映画がお気に召した模様(119)
 ・塩見周子って絶対家ではパンイチだよな(291)
 こういうの見ちゃダメって事務所から言われてるんだけど、たぶん男の人って実際こうなんだろうなって思う。
 安全圏から責任感も持たず、好き勝手に言いたい放題言える分、本音を隠す必要も無い。
 そして、それを見て傷つく子もいるから、ツイッターとかインスタをやるのだって勝手にやるのは認められていない。
206:以下、
「お姉ちゃーん、何見てるの?」
「アンタ、何回同じ事言ったら分かんの?」
 ベッドで寝転がってる横に、いきなり莉嘉がボフッと飛んできたから、慌てて携帯をしまった。
「ツイッター? アタシも早くやりたいなー」
「アンタは絶対ダメ」
「何で!?」
「とにかくダメ。せめてアタシと同じ歳になってからにしな」
 ぶーたれる莉嘉をしっしと追い返して、ドアを閉める。
 まったく、どうしたらコレの危険性を莉嘉に教えてやれるんだろう?
 ――ふと、アタシには無理かもと思った。
 アタシ自身、こういうのを見て深く傷つけられた経験が無いんだよね。
207:以下、
 元々耐性があったのかな。
 行ったこと無いんだけど、ボクシングとかプロレスの試合って、リングから遠ければ遠いほど野次の声が大きくなるんだって。
 確かに、言われてイラッとすることもあるけど、結局はアタシのいるリングからは遠い人達なのだ。
 ましてや、リングに上がってくる度胸も無い。
 同じアイドルの子や業界の人から、面と向かってキツい事を言われたらさすがに堪えるけど、それを考えれば軽いもんだと思う。ネットの声って。
 いちいち腹を立ててもしょうがない。
 だから、アタシのツイッターにも変な事言ってくる人たまにいるけど、無視無視。
 第一、そんなんでいちいちヘコたれてたら、ちゃんと応援してくれてるファンの人達に申し訳ないもんね★
 と、そんなお姉ちゃんの姿を見せてたら、妹の莉嘉もネットの怖さを侮っちゃうのも無理は無いか。
 アタシを尊敬してくれてるのは嬉しいんだけど、あまりマネっこばかりされるのもなー。どうしよう。
 ――げっ、もうこんな時間じゃん。明日8時半だから――うわっ、寝ようっ!
 ああぁぁぁフレデリカちゃんこんな時にLINEスタンプとかいらないからっ!
 チラッと見て未読スルー。無視無視。
208:以下、
 今日の撮影は、割と気合い入ってるカンジ。
 スタジオに、オープンカフェっぽいセットが組まれてる。
 もちろん一部分だけだけど、壁のカンジとか窓とか石畳とか、細部が結構本格的だ。
 外のカフェに腰掛けて彼氏を待つ、っていうシチュエーションで撮るみたい。
 実際あるお店で本当は撮りたかったんだけど、OKもらえなかったってディレクターさんが嘆いてた。
 仮にも冬の設定で外のカフェってシチュはどうなんだろう。
 アタシは、わざわざ寒い所で待ち合わせするのは、ちょっとイヤかな。
 なんて、そんなの関係無いけどね。
 メイクさんに直してもらって、衣装もバッチリキメてもらって、よしっ。
「よろしくお願いしまーすっ★」
 挨拶はすっごく大事にしたい、ってのがアタシの流儀、ていうの?
 元気よく言われてイヤに思わない人っていないし、アタシも気合い入るしさ。
 実際ほら、カメラさんも喜んでくれた。
 広々としたスタジオに鳴り響くシャッター音は、アタシのためだけのもの。
 優越感、っていうのか分かんないけど、特別な空間っていうカンジがこの仕事、好きなんだよね。
209:以下、
 カメラさんとも馴染みがあるから、どんなに細かいものでも、次に送られてくる指示がどういうものか、大体分かっちゃう。
「携帯を口元に寄せてみて。電話かけようか迷ってる風の」
「顎を手に乗せて、ちょっとアンニュイっぽいカンジのが欲しいな」
「まだかな、って期待で胸がいっぱいの雰囲気出せる? そうそう」
「逆にちょっと怒った表情でも撮っておこうか」
 順調に撮影が進んでいくのが分かる。
 LIPPSの子達にあって、アタシに無いものは、いっぱいある。
 皆、大きな武器をそれぞれ持っていて、それに全部勝とうなんてとても思えない。
 ただ、そう、アタシが武器にできるものは経験だ。
 ずっと第一線で走り続けて積み上げてきたものは、ウソになんてならない。
 ボーカルもビジュアルも、魅力ある個性だってアタシでは一番になれないのは分かってる。
 でも、売り始めの頃、フィールドを決めずに手広くやってきた事で、どんな仕事でもオールラウンドにこなせる自信はあった。
「はいもう一枚。はい、はいオッケーイ! 終了でーす」
「はぁーい、ありがとうございまーす★」
210:以下、
「いやー助かるよ美嘉ちゃん、ポージングとか表情とかビシッと決めてもらえるから撮りやすいのなんの」
「アハハ、そりゃーアタシとカメラさんの仲ですから」
「おっ、嬉しいこと言ってくれんじゃないの」
 ドリンクを飲みながらカメラさんと談笑する。
 こういうアフターケア、っていうの? も大事にしたいよね。
 結局仕事って人だしさ。
 ん?
「お疲れ様。良かったよ、さすが、慣れてるな」
 プロデューサーのこと、すっかり頭の中から消えちゃってた。
 そういや、これから最寄り駅まで送ってもらうんだったっけ。
「準備できたら出発しようか。ゆっくりでいいよ、俺先に車で待ってるから」
「あっ、ねぇプロデューサー!」
 ふと思いついて、スタジオを出ようとするプロデューサーを慌てて呼び止めた。
 ちょっと声が大きすぎたかな。振り返ったその顔は、ちょっと驚いたような顔してる。
「ちょっと、どこかでお茶してかない? 撮影、結構早く終わっちゃって、時間もあるしさ」
 時計をチラッと見て、プロデューサーは答えた。
「君さえ良ければ」
211:以下、
「コーヒーと、この、マンゴーアイスラテってヤツをください」
 ちょっとオシャレな、大学生っぽい人達で賑わってるカフェを見つけて、席に着いた。
 こういうお店に、男の人と二人で来たの、初めてかも。
 前のプロデューサーにも、そういえば連れてってもらった事無かった気がする。
 近くのテーブルの話題が恋バナであると、耳に入ってきた単語と声色で何となく察した。
 サークルで付き合って別れたとか、誕生日プレゼント何もらったとか、クリスマスの予定とか。
 アタシも、学校の友達とそういう話、しないワケじゃないけど、やっぱり高校生の恋バナより、ちょっと大人っぽい気がする。
 ホテルがどうとか。
 うっ――!? い、今、すごくいかがわしいワードが聞こえたような――!
「どうかした?」
212:以下、
「へっ!?」
 プロデューサーは、いつの間にか来ていた自分のコーヒーにミルクをたっぷり入れてる。
「い、いや――へぇー、プロデューサーはブラック派じゃないんだ。随分ミルク多いね」
「実家での飲み方が、染みついちゃってさ。缶コーヒーは別に何でも良いけど」
「あ、そう」
 スプーンでアイスを掬い、口に運ぶ。
 うん。普段こういうのあまり食べないけど、悪くないかな。
「今のアタシ達、どう見られてるかな?」
「ん?」
「ほら、何というか――」
 そう言いかけて、はたとスプーンを持つ手が止まっちゃった。
 どう見られてるの?
 というより――どう見られるのを期待してるの?
 プロデューサーに何て言ってほしいの?
 何となく周りの視線が気になってしまう自分が余計に恥ずかしい。
 場違いのような、チラチラ見られているような、うぅぅ??居心地悪いというか!
213:以下、
 うわあぁぁ、アタシ何いきなりヘンな話振ってんだろぉ!?
「カップルみたい、ってか?」
「そっ!!」
 思わず立ち上がりそうになるのを、すんでの所で抑える。
「さすがにそれはどうだろうな、これだけ歳が離れてるし――むしろ、援交?」
「エンコー?」
「援助交際。ほら、スーツ姿のイイ歳したおっさんと、平日の昼間っから学校にも行かない不良女子高生が、こんな所に二人でさ」
 笑いながら、プロデューサーはコーヒーを口に運んだ。
「――ッ!! ちょっ!」
 そう。アタシは午後の5、6時間目だけ学校に出る予定なので、制服でお仕事に来ていた。
 だから、今のアタシ達――。
「で、出よう!!」
「単純かよ、落ち着きなって」
 声を出して笑うプロデューサー。結構新鮮かも。全然嬉しくないけど。
「誰も気にしちゃいないよ。周りの目なんて気にするだけ損だ」
214:以下、
 ――今の一言。
「意外」
「何が?」
「プロデューサー、もっと周りを意識してるもんだと思ってたから」
「仕事では、そりゃあ多少空気読むけどさ。仕事じゃない時くらい、好きにさせてほしいよ。そうだろ?」
「うん、まぁね」
「大体」
 そう言いかけた所で、プロデューサーの携帯が鳴った。
 ポケットから取り出し、チラッと見ただけで、プロデューサーは携帯をしまう。まだ鳴ってる。
「大体、人ってのは何かと自意識過剰になりがちだ。周りにとっては取るに足らない存在だとしても」
「出なくていいの?」
「会社からだからいい。どうせロクでもない電話だ」
 素知らぬ顔で、プロデューサーは言い切る。
「撮影の仕事中で気づかなかったとでも言えばいいさ」
215:以下、
 え、えぇぇぇ――そんな堂々と。
「幻滅した?」
「えっ?」
「城ヶ崎さんは真面目そうだから」
「お仕事は普通、真面目にやるもんじゃない?」
 アタシがそう答えても、プロデューサーはあまり本気に受け取ってないみたい。
「世の中、正直者が馬鹿を見る仕組みになってるんだ。もう少し早く気づくべきだったけどな」
 携帯の音が消えた。
 やっとか、とでも言いたげにプロデューサーは鼻を鳴らし、コーヒーを手に取る。
「でもプロデューサー、本当は真面目でしょ?」
「ん?」
「フレちゃんの話。本番のステージをより良くしようと、会場に足繁く通ってたって。
 あの話を聞いてから、奏ちゃんも皆も、すごくプロデューサーのこと見直してるんだよ」
「悪いんだが、あれはそういうつもりじゃなかったんだよ」
「アハハ、照れなくたってイイじゃん」
 しかめっ面を浮かべるプロデューサー。素直じゃないトコあるの、アタシ知ってるよ★
「そうじゃな――」
 反論しかけた所で、また携帯が鳴り、プロデューサーは舌を打った。
「うるっせぇな、何だよ」
216:以下、
「一ノ瀬さん?」
「えっ?」
 画面を見て、ボソッと呟くと、彼はそのまま電話に出た。
「もしもし」
「――いいから、どうしたんだ」
 目頭を押さえてる。
 志希ちゃんと思しき相手の声は聞き取れないけど、いつもの賑やかな調子だっていうのは分かった。
 プロデューサーは、割とウンザリした顔をしてる。
「だから、一ノ瀬さん、そういうのはマジで止めようって俺言ったでしょ。
 デートは禁止。えっ? ――いや、デートに類する物や事も禁止」
「――えぇ??じゃない。周りの子達にも迷惑がかかるから止めよう。他の子達と行ってくるといい」
「うん、そう――あぁ、ありがとう。はい、じゃあね」
217:以下、
「ハァ???」
 通話を終えた途端、長いため息を吐くプロデューサー。
 そんなに志希ちゃんのこと苦手なのかな。
「デートって?」
「うん? うん、まぁ言葉通りの意味さ。今度デートしようだってよ、できるかっての」
「前にも、同じようなことがあったの?」
 プロデューサーは、「俺言ったでしょ」と言っていた。
「まぁね。スキャンダルなんて笑えないから止めようって、俺散々言ったのにまたぞろコレだ」
 プロデューサーは手を振った。
「それだけ?」
 気づいたらアタシは身を乗り出していた。
 プロデューサーは、アタシがムキになってるのを察したのか、怪訝な顔をしてる。
「それだけって?」
「スキャンダルを避けるってよりかは、志希ちゃんそのものを避けてない?」
「正直、それはある」
218:以下、
「そういうの、女のコ、傷つくよ」
 アタシは、すっかり溶けちゃったアイスをスプーンで何と無しにかき混ぜる。
「本音と建前って、結構分かるもんだし。
 志希ちゃんだって、いつもにゃはにゃは笑ってるけど、自分が拒絶されてるって気づいちゃうんじゃないかな」
「一ノ瀬さんなら、とっくに気づいてると思うけどな」
 プロデューサーは、既に空になったコーヒーを持ち上げて舌打ちし、また戻す。
「城ヶ崎さんは、俺に彼女とデートしろって?」
「そうは言ってないって。もっとマシな断り方があったんじゃないって話」
「そう言われても、実際ダメだろデートは。選択肢なんて無い」
「まったく!」
 スプーンから手を離し、アタシはフンッと腕を組んでみせた。
「女のコの気持ちも分からないんじゃ、アイドルのプロデューサーなんて務まらないよ」
「だよなぁ」
「だよなぁじゃなくて!」
 のんきに首を鳴らすプロデューサー。さすがにアタシもムッとしちゃうな。
「プロデューサーには意識改革が必要だよ!」
219:以下、
「うん?」
 なおもとぼけるプロデューサーに、アタシは構わず続ける。
「デートがダメでも、お出かけならイイんじゃない?」
「言い方変えただけでしょ」
「違くてっ! あぁ??もうじれったい!
 つまり、そういうのじゃなくて、お仕事の延長って事にすればいいじゃん! たとえばさ。
 何でも全部がダメって事にしないで、多少その中でも出来る限りの事をしてあげるっていうか」
「なるほど。ゼロ回答じゃなくて、10%でも20%でも譲歩してあげようって話か」
 腕を組み、プロデューサーは天井を仰いだ。
「そう、それ! 全部100か0で振り分けるんじゃなくて、せ、せ――」
「折衷案?」
「そう、セッチュウ。それをしてあげたら、志希ちゃんだっていくらか納得できると思うし、それに」
 アタシは、自分と目の前のプロデューサーを交互に指差して見せた。
「デートがダメとか言っときながら、現にこうしてプロデューサー、アタシとお茶してんじゃん」
220:以下、
「――確かに」
「ねっ? だから、デートじゃない範囲ってのはあるんだよきっと。
 その時間を志希ちゃんと共有してあげたらいいんじゃないかな」
「じゃあ、346のカフェにでも連れてってあげるか」
「それはダメ」
「えっ、何で?」
「当たり前じゃん」
 この顔、本気で何がダメなのか分かってないっぽい。ホントに女心分かってないなー!
「あーもう。じゃあさ、アタシと一緒に予行演習しよ!」
「は?」
「今度の週末空いてる? アタシ、ちょうど休みだし、志希ちゃんとのデートプラン一緒に考えよう。ねっ?
 集合場所とか後で連絡するから。当日はバシッとオシャレしてきてよね、スーツとかじゃなくてさ★」
 こんなにデリカシーが無いと、これからもアタシ達をちゃんとプロデュースできるのか心配だよ。
 もうちょっと女のコの気持ちを理解してもらわないと――。
「それってつまり、城ヶ崎さんと今度デートするってこと?」
「――ッ!?」
「ていうか、デートプランって言ってるし」
「あ、揚げ足取らないでよ!!」
「何というか君は、割と深く考えずに思った事を言ってしまうきらいがあるのが俺は心配だ」
 伝票を持って立ち上がり、「駅まで送るよ」とプロデューサーは疲れた声で言った。
221:以下、
「そんなん、付いちまったモンはしょうがねぇだろうが」
 事務室のソファーに腰を下ろし、ため息を吐く私に、拓海さんは手を腰に置いてフンッと鼻を鳴らした。
「アタシはモデルの仕事なんてあまりしねぇから、美嘉の悩みはよく分かんねぇけどさ。
 自分を誤魔化そうとすんのは粋じゃねぇ。むしろビッと胸張ってけよ」
「誤魔化す、か――確かにね」
 トレーナーさんにも相談してみたけど、やっぱ、そういう都合の良いシェイプアップ方法は無いみたい。
 だとしたら、隠しててもしょうがないか。
「そーそー、出すモン出しときゃいいのよ。おっぱいの嫌いな男なんていねェぜ?」
 そう言った瞬間、拓海さんのプロデューサ―――ヤァさんは、後方にもんどり打って倒れた。
 体をくの字にして、お腹を押さえながら呻き声を漏らしている。
 拓海さんの拳が、彼がいた位置に真っ直ぐ突き出されたままになっているのを見ると、改めてその威力たるや――。
「す、すごい」
「大したことじゃねぇよ」
 拳をしまい、腕を組み、今度は拓海さんがため息を吐いた。
222:以下、

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