【セピア】母親との思い出back

【セピア】母親との思い出


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まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。
そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。
7: 大人になった
中学、高校のころはよくケンカしたなあ。
一人暮らしの為に家を出て・・離れてからのほうが仲良くなった。
三年前10年以上ぶりに家に帰ってきて、今は仲良くやってます。
一昨年二人してダイエットに励んで、あたしもかなり成功したんだけど
彼女には負けた・・・(笑)70歳なのに16キロ減・・
大丈夫なのか(笑)と思ったけど血糖値も血圧もかなり
正常になって歩くのが楽しいって言ってるぐらいだから
ダイエット一緒にやってよかったのかなあ。。
8: 大人になった
幼稚園の入園式のとき。
みんなはウルトラマンや仮面ライダーの上履きいれをもっていたけど、
オレは母親の手作り・・・。
当時はみんなと同じ市販品が欲しくて、なんか恥ずかしかった・・。
でも、お母さんがつけてくれた「くまのアップリケ」と「名前の刺繍」が
なんか恥ずかしいけど、とってもうれしかった。
ありがとう、お母さん。
あの時はいやがったけど、ほんとは嬉しかったんだよ。だって小学校5年生の
時に破れるまでつかってたんだよ。
ありがとう。あなたの子供に生まれて本当に幸せです。
あの頃のあなたと同じ年になり、自分の子供にも同じようにしてあげたいです。

9: 大人になった
うちの母親も手作りだったよ。
手提げ袋からセーターまで(細い毛糸で編める巨大な織り機を持っていた)。
何でもかんでも手作りなので、無くしたり壊したりしたら申し訳ないと思った。
おかげでとても物持ちがいい息子になりました。
子供に物を大切にすることを教えるには、
自分が苦労して作ったものを持たせるのが一番ですな。
10: 大人になった
>>9
しん・・・と心に染み入るんだよなあ。
汚損したりしたら、思わず「お母さんごめん」って誰もいないところで
呟かずにいられなくなる
親父がひときわ怖かったので、怒られないようにと庇ってくれたのも
お母さんだった。
ありがとう。長生きしてください。
11: 大人になった
いつも寝るまえにミルクセーキをつくってもらった
牛乳に卵の黄身と砂糖をいれて混ぜただけ
あまりうまくはないと飲むたび思ったけど
つくってくれるのがなんだかうれしかった
12: 大人になった
お絵かきが苦手な私に、いつもいっしょに絵をかいてくれてありがとう。
あんまり上手にはなれなかったけど、一緒にクレヨンでお絵かきしたのが
懐かしいです。
いつまでも元気でね。
15: 大人になった
くだらない修学旅行かなんかのお土産に買った
紙細工の人形をずっととっていたわ、、うちのおふくろ
そんなもんたいしたモンじゃねえよ!
って思ってたけど・・
今ならなんでも買ってやるのになあ 死んじゃった
16: 大人になった
幼稚園の母の日に作った、くだらない文鎮・・。
そういえば、ずっと大事に使ってくれたなあぁ・・・。
いろんなもの・愛情を与えてくれたけど、オレが返せたものは少ないなぁ。
26: 大人になった
突然弁当作って近所の公園に連れて行ってくれた。
いつも来ていた所だから何で弁当持って来たんだろうな、って思ったけど。
「友達はみんな家族で旅行や遊園地に行ってるよね。家にお金が無くて
連れてってやれなくて本当にごめんね。今はこんな近場でピクニックしか
できないの。ごめんね。」と弁当食ってる時に言ってたの思い出した…。
何か自分の母親の話なのに泣けてきた…。
俺、マジでそんな事何も気にしてなかったんだよ、母さん…。
32: 大人になった
オレの父親はグータラでロクな稼ぎがなかった。
そんな訳で、家は貧乏だった。
弁当にもっていったおにぎりの具も魚の骨だけ。なんて時もあった。
三人兄弟で年の離れた末っ子だったオレは兄と姉のお古ばかり着ていて、兄貴が使い古したラジカセを貰い、
何一つ欲しい物なんて買ってもらえなかった。
兄貴達も、よくオヤジに殴られたり正座させられてたりしていた。
そんなオヤジに母親はなんの文句も言う事もなく、寿司屋とかでせっせとバイトしてた。
オレはそんな家庭環境に生まれてきた事を小さい頃からホントに憎んでた。
なんでこんな父親なんだろう
母親はなんで働くんだろう
なんでうちは貧乏なんだろうと。
そして去年、27才になったオレは家を出て婿になって結婚した。
相手は3コ下の裕福な家庭で育った女性。
妻を親に紹介する時、婿に行くと言っても
「あんたの自由だよ」
と母に言われた。
その時は「当然だ」と思い何も考えもしてなかった。
そして結婚式前日、親から「最後くらいはみんなで食事しよう」と言われた。
それもそうかな?と思ったオレはアパートから実家に向かって出ようとした時、郵便受に手紙が入ってたのに気付いた。
それは母親からの手紙だった。
小さい頃のたわいもない出来事とか病弱だったオレを看病した思いなんてのを汚い字で書いてあった。
そして最後に、
「あなたのこれからの人生の幸せを願っております。27年間ありがとう。」
今までこんな事を書いたり口にしたりする人じゃなかった。
一生懸命働いて育ててくれた事を考えたらものすごく涙が出て来た。
いろんな思い出と共に、27年間お世話になりました。
33: 大人になった
>>32
オヤジは救いないなぁ
35: 大人になった
>>32
27になっても親の苦労を気遣ってやれなかったとはな。
36: 大人になった
数年前、母が若い頃使っていた化粧品やら香水の入ったダンボールがあり、
その中にいくつか手帳のような物も混じってたのを発見した。
その頃の私は母に暴言浴びせたりするような反抗期真っ只中で、
もっぱら喧嘩の最中だったりして、「ちきしょー見てやるっ!」とか思い勝手に見た。
それは、私の生まれる前・生まれた後の事をつずった日記のようなものだった。
私は赤ちゃんの頃・幼い頃は体も弱かったため、その事についても詳しく書かれてて・・・
いつ熱が出たとか、嘔吐したとか、医者に言われたこととか。また、私はイジメられっ子だったので、
そういった事についても書かれてた。私が今まで知らなかった母の苦労や、優しさを感じて、
思わず顔をくしゃくしゃにして泣いてしまった。わがままな事ばかり言ってる今の自分が愚かだなって思ったよ。
ケンカもたまにはするけど、これからも元気でいてほしいな。
37: 大人になった
生まれた時から心臓に欠陥があった私。
色々苦労させましたね、お母さん。
6回の手術のうち初めての手術の時、長かった入院生活は
お母さんを独り占めできて、ある意味嬉しかったよ。
今でもあの時の事を思い出すと涙が出てくる。
どんなに心配させたかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
病院の裏の芝生で、2人でお弁当を食べたのを憶えてますか?
もうあれから30年以上経ったんですね。
今は年に数回しか会えないお母さん。
いつも私のワガママを聞いてくれて、何でもさせてくれた事に感謝してます。
会うたびに「こっちに住みなよ」と言ってくれるけど、
未だにワガママな私は一人住まいをしていて、
こんな年になってもまだ心配させてごめんな。
本当は私もお母さんと一緒に暮らしたいよ。
朝、目が覚めた時、お母さんがいてくれたらどんなに嬉しいか・・・。
近々、また手術を受けることになるかも知れないけれど
その時には一緒に暮らそうな。
そっちで仕事見つけて、今度こそ恩返しするからな。
それまではお父さんと元気に暮らしててな。
私が帰るまで待ってて下さい。
44: 大人になった
昔からよく私を叱った母だ。打たれたことも何度あったか。
でも、今だからあの時母が何故怒ったか、わかる気がする。
今は叱ってくれた事に感謝すらしてる。痛みを知らない大人になるのは怖い。
そして大きくなって自分が他人を打ったとき、打った手が凄い痛くて驚いた。
胸も痛かった。あー、痛かったんだね、お母さん。クソババアなんてほざいてゴメン。
「あなたの娘で良かったよ」と言ったとき「なーに言ってんだか」と言って
頭を撫でてくれた母の笑顔、忘れたことはない。
母の目元に涙が滲んでるの見るの、昔も今も、変わらず苦手。
母の声を聞くと何故か安心してしまうのも、多分一生変わらない。
女手一つで育ててくれて、大学まできっちり行かせてくれて有難う。
あなたの身体が段々弱っていってることが今一番怖いけど、
あなたが打ってくれた分、あなたが頭を撫でてくれた分、これから孝行するから
だからまだ、私の前を堂々と歩くあなたの姿を見せてください。
もしも歩けなくなったら、昔あなたがしてくれたように私が背負って歩くから。
53: 大人になった
自分が田舎から母をひきとって、東京で隣の部屋を借りてやって
暮らしていたが、どうも水が合わなかったり、バイト先でトラブルを
起こしてしまうため、母を田舎にかえすことに。そのとき、母が
諸事項に対してあまりにもいいかげんだったために殴ってしまった。
今思えば、自分はそのとき鬼だったのかもしれない。
ただ、田舎に帰った母は、鬼になって尻をたたく人がいなくなった
せいか、放置され、引きこもり、そのままボケてしまい、おととし
逝ってしまった。今でも、あの時殴られて歯が折れながらも笑顔で
俺を見ていた母を思い出す。
82: 大人になった
俺が小学校低学年の頃、母が手袋を編んでくれた。
親指と、他の4本指が分かれるヤツ。
しかも手首にはフリフリみたいな飾りがあり、ボンボンもついていた。
俺は友達の大半がしている5本指でジャイアンツのロゴ入りとかの
普通のヤツが欲しくてたまらなかったが、母に悪いと思い何も言わず
毎日手袋を使っていた。
習字の帰り道に片方の手袋を落とした事に気がついた。
俺はろくに探す事もせず家に帰り手袋を落としたことを母に告げた。
母は怒らずに新しい5本指の手袋を買ってくれた。
翌週、習字の帰り、道端のごみ集積所に泥で汚れ、ガビガビになった
片方の手袋が捨てられていた。何度も行ったり来たりしながら迷ったが、
結局俺は手袋を拾わずに家に帰った。
次の日 思い返して学校の帰りに手袋を拾いに行ったが、もう無くなっていた。
あの時のズタボロに汚れた青い手袋の姿が今でも忘れられない。
お母さん ホントごめん。
手袋ありがとう。
長文スマソ
83: 大人になった
>>82
(;´Д⊂)
94: 大人になった
母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。
公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。
その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。
その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。
長文スマソ。
95: 大人になった
>>94
(⊃д`)・。・。泣いたよ
おまいさんの優しさは母さんゆずりなんだろうな
お嫁さんの親御さんにも優しくしてあげてね
113: 大人になった
俺が幼稚園の時、軽い肺炎で3週間だけ入院したことがある。
その時母が退屈してる俺を見ておもちゃとかを買ってきてくれた。
でも俺はほとんどきに入らず、そのたびに「お母さんきらい!」とわめいた。
そしておもちゃにぼこぼこ当たり、しまいにはごみ箱にポイ。
俺が気に入らなかったおもちゃは母が持って帰ったがあとはどうしたかわからない
母はいつも「ごめんごめん、お母さんが悪かったね」と言っていた。
それでも母はほぼ毎日おもちゃを買ってきた。
3つだけ気に入ったおもちゃがあり、入院してた時は毎日それで遊んでいた。
でも小4になって部屋を整理してたら2つでてきて、捨てちゃった
最近、残りの1つのミニカーを見つけた。見た瞬間泣けた
そうしてここに書くにいたった。
今思えば自分はあんなに馬鹿だったんだと思う。母は優しかったな
115: 大人になった
俺は早くに実母を亡くした。物心もつかないうちに。
義理の母とは小さいときからいがみあってた。
小学校のときも中学校のときも高校のときも。
いつも文句母親にばっか言ってた。だってあいつは頭が悪いんだ。
世間の理屈なんて通じない。それまでの人生を田舎で生きてきたから。
母親にとっては狭い田舎の理屈が全てだった。
そんな態度に、なんで俺はこんなにまで理不尽を味わうんだ、ってずっと思ってた。
大学に入ってからも。
そして、数年前に俺は家を出て就職した。
そこで苦しい仕事をしながら、横目でいろんなパートさんをみたよ。
みんな元気に健気に頑張ってるんだ。
ふと、自分の母親のことを考えてみた。母親は田舎の論理で生きてきた。
それでもパートして稼いでいたんだ。
俺が気付いたときには、働いていた。苦しい世間の中で。
相当苦しかったんだろうな、って今になって思う。母親は生き方が下手糞だから。
きっとパート先でも苦しかったんだろう。それでも頑張ってたんだ。
家に帰っても、俺は話を聞かずただ反発するばかりで。
そんなことをふと思ったのが数年前。
それ以来、遅くなっちまったけど、母親を大事にしてるよ。
思い出は決していいものじゃない。悪い言葉も吐きまくった。
でも、これからだ。家を出てしまったけど、これからは家族だ。
しっかりした家族だ。
母親が死んだら泣くだろうし、母親が怪我したって聞いたら辛い。
そんな母も最近は、俺の携帯に電話してくれる。
遠くはなれて家族愛が育ったのかな、なんて思う。
その電話を隣で聞いてた彼女が言った。
「妹と話してるのかと思ったよ」
一人っ子だった俺だから、もちろんすぐに否定した。
でも、それもいいと思った。優しく、してあげるんだ。
母親は、俺が家を出てからもまだパートをしている。
職場でもいじめられるそうだ。
「やめちまえば」
っていう俺の問いかけに、
「3ヶ月もハローワークに通ったんだから」
って必死だ。 必死だ。凄いよ。
頑張れ。俺もあんたの息子として頑張って生きるよ。
思い出は、そうだ、これからだ。後悔したくない。
十分、苦しい思いをし合ったから、これからはどうか幸せな思いを。
117: 大人になった
ここ暫く母親の調子が悪く、昨日も臥せっていた。
今日は親父が仕事を休んで病院に連れて行った。
そんな時にこのスレッドを見つけて、とろとろと読んでいた。
段々と不安になってきて、全てを読む頃には涙腺が駄目になっていた。
自分には関係ないって思っていた事が不吉な想像となって襲ってきた。
そんな時に親父から携帯に電話。
「今終わったから、昼飯買って帰るなぁ。」
「お母さんは?」
「帰るけど?」
電話が終わってから、どうしようもなく泣いた。
本当によかったって思った。昼飯なんかどうでもいいから早く帰ってきて欲しい。
乱文失礼。頼まれていた部屋の掃除をしてこよう。
118: 大人になった
>>117
よかったな(;つД`) 帰ってきたら食器の洗い物してあげてね
うちのお母さんも最近調子が悪い。
今日病院に行ったら入院を勧められたけど帰ってきたって。
健康な時は気付かない想いって、本当になるんだね・・・。
良スレage
120: 大人になった
私の母はかなりの苦労人生だった・・父は母の友人と浮気し母を精神的に
追い込んだ上、離婚した・・
その後、周りの勧めで復縁したが父はすぐに酒のせいで肝硬変、そして死・・
その間、母は死に物狂いで父の病院代を稼ぎ出し(父は母に保険金を
遣りたくないとか入院前に解約・・)私たちを育ててくれた・・
私は普通高校を辞めて定時制に通いながら働いた・・母の助けが出来たのか?
ある日、夜中に母から起こされた・・『お金をくれないか?』
母はこんなに困っていたのか・・私はいつも渡す生活費に3万円上乗せして
渡した・・母は手を握り「ごめんね・・ごめんね」としか言わなかった・・
その年の五月のある日、母は自殺した・・死ぬ前に私に「いすが見つからない」
と私の部屋から借りたいすで首を吊った・・第一発見者は私・・
お葬式の日、花屋から母のために用意してあったカーネーションが届いた・・
母の後を追いたくなった・・でも、生きていて母の供養をしていきたい・・
127: 大人になった
>>120
あなたはお母さんの忘れ形見
強く生きてね。ガンバレ!!
135: 大人になった
俺は19の頃、親の支配下におかれてるのがイヤなんだ!誰にもたよらず生きてみせる、
と両親に宣言して生まれた街を遠く離れた。
快適な一人暮らしのはずが、1年もしないうちに金に困り、実家に電話をして、
「悪いけど少し金が欲しい」と言ったら、しょうがないという感じで金を送ってくれた。
俺はなんて事をしてしまったんだと思った。散々反抗して家を出たのにこのザマかと。
その夜くやしくて泣いた。
その後、なんとか生活できるようになり、車を買う事にした。
しかし、ローン組むのに保証人がいるという事になり、母親に相談したら、
「ローンはだめだ。お金貸すから一括で払ってしまいなさい。
その代わり毎月2万円お前の口座から差し引く事にする。通帳は預かっておくから」
俺はとりあえず納得して通帳を母親に預け、振り込まれる給料からカードだけで
お金おろしたりして生活してた。
それから1年ほど経って実家に遊びに行った時、自分の通帳を見つけたので
なにげに見てみると、月々2万円引かれているはずが、引かれている形跡がまったくなかった。
6年たった今もその車を乗り回しているがそれは母が(父かもしれない)買ってくれた
事になる。
俺は今、歳老いた両親になにも恩返し出来ないでいる自分が情けなく思う。
そして俺は生涯母親の偉大さを乗り越える事は出来ないんだろうなとも思う。
どこにでもある様な話かもしれん。親ならそのぐらいの事して当たり前と言う人も
たぶんいるだろう。しかし、そのぐらいの事してくれるの親しかいないんだよな。
たまに電話とか会うといまだに母は説教ばっかりしてきやがる。
冗談じゃねぇ、あんたにぁ負けねぇからな!
172: 大人になった
そ?ゆ?事が彼らの思い出なんだよ。
このスレは↓
母親との思い出
1 :大人になった
まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。
そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。
その中のママンとの思い出が丁度噴出したんだろ。
今はその項目を語ってんだからいいんじゃないの。
俺は人それぞれ、色々な人生や環境が有って
思い出も型にはまった物じゃないと思うから面白いと思ってる。
これだけカキコを呼んだのは多分高度成長期以来、生活も
豊かになって色々なライフスタイルの家庭が出て来た
その産物だと思うんだが。
今まで表には決して出て来なかったタブーな思い出を持つ人だって
当然いるだろ。色んな親子関係が有るんだよ。
221: 大人になった
父が逝ってから急に老いて次第に呆けていった母。
その母の介護にキリキリと目を吊り上げていた自分。
正直しんどかった。自分なりには精一杯だった。
その母が逝ったとき、介護に取られていた時間がすっぽりと空になり
さりとてどうしていいのかわからず空虚に過ごしていた。
一年経った今、色々な事を思い出す。
優しかった笑顔やあたたかかったその手。
大切だった父を亡くしてショックで老いてしまうほどだった母の心をなぜもっと理解して優しくしてあげられなかったのだろう。
しっかりしろと叱ってばかリいたわたし。
あーあー、もういちど母の作ってくれたご飯が食べたい。
わたしの作るものと味が違うんだよ。もっと優しい味なんだよ。
あー、もう一度でいいから母の笑顔が見たい。
いつだって笑ってくれてたじゃん。わたし怒ってばかりだもん。
あんなにたくさんの優しさで包んで育ててもらって、わたしの優しさってこんなもんですか?
あんなに大事に育ててもらって、わたしって言う人間はこんなもんですか?
もういちど生まれなおして母に育ててもらいたい。
そしてこんどはもっともっと優しく母を看たい。
わたしの思いがもしも届くならば、こんな娘でごめんなさい。
それでも次に生まれるときもあなたの娘にしてください。
聞こえますか?もう一度会いたい。
299: 大人になった
幼稚園に入園したばかりの小さい頃、電車で一時間程離れた所にあるお祖母ちゃんの家によく遊びに行っていた。
母方のお祖母ちゃんだからお母さんも気兼なく行けるようで、母さんと兄ちゃんと(当時小1)弟と俺の4人でしょっちゅう出掛けてた。
お祖母ちゃんの家には同い年の従兄弟一家も住んでいて、部屋で遊んだり外で従兄弟や従兄弟の友達と走り回っていた。
ある日、俺と兄ちゃんだけでお祖母ちゃんの家に泊まることがあった。
俺はお泊まりが大好きだった。(母さん付きだったけど)
特に今回は母さんがいない事に妙にテンションがあがり浮かれきっていた。
よその家で食べるご飯や、従兄弟達とお風呂に入ったり子供大勢で布団を並べて寝るのが何故かとてもワクワクした。そして翌日に電車で帰った
ひとりではとても帰れない複雑な路線でも、電車好きな兄ちゃんがテキパキと切符を買い、乗り換えをしてくれるので、俺は兄ちゃんの手を繋いでいるだけで良かった。
そんな兄ちゃんは駅を降りた帰り道に友達に会い、そしてそのまま遊びに行ってしまった。
だから帰りはひとりだった。家に着くと俺は弟がお昼ねをしているのではないか、と思い小さな声で『ただいまぁ…』と言いながらソロソロと中に入る。
すると母さんは部屋でアイロン掛けをしていた。俺の気配に気付くと、ゆっくりと振り返り『おかえりぃ。お兄ちゃんと2人で疲れたでしょ?』とにっこり微笑んでくれた。
俺はかなりびっくりした。普段ははっきり言ってかなり厳しいひとだった。いつだって叱られて泣いていた。
そんな母さんが今
俺に優しく微笑んでくれている。何故か照れ臭くて、でも嬉しくて…。10分もすればすぐに元の母さんに戻ったけど。それからはお祖母ちゃん家よりも、お祖母ちゃんの家からの帰りが大好きになった。
家に帰ればいつだって優しく微笑んでくれる母さんがいた。そして恐い存在だった母さんの事ちょっぴり好きになった。
意味分からんかったかな??
443: 大人になった
>>299
なんか微笑ましくて良かった。
354: 大人になった
先週、母ちゃんが死んだ。立派な最後だった。
…………なんて言いたかった。
御飯を炊いてくれたり、色々な物を買ってくれた母ちゃん。
本当に優しかった。
でも、バカな俺は、大学生になっても、親孝行一つもしてあげられなかった。
社会人になって、お金もたまって、やっと親孝行できる!!なんて思ってた所。
すると、明後日になって。突然電話がかかって来た。
姉からだった。「お母さんが倒れたの!!早く××病院に来て!!」
と、早口で、大声で言われた。その後、自転車で、病院に急いだ。
病室には家族が回りに立って泣いていた。………………遅かった。
母ちゃん……こんなバカな俺に色々構ってくれてありがとう。
そして…………何も出来なくてごめん。
こんなバカな俺のために………本当にありがとう。
長文失礼いたしました。
404: 大人になった
涙が出て全部読めねーじゃねーかヴォケ!だから書く。
うちの母親の作る弁当は、必ず「おにぎり」でした。幼稚園の時も。小学校の遠足の時も。
それを友達にからかわれて恥ずかしかったから、弁当は隠して食べる事が多かった。おいしかったのに。
普段は普段で「おいしい」って言うと同じメニューが2、3日続く事があった。子供だった自分はそれが嫌でたまに文句を言っていた。
その後父親が亡くなり、一人で働いて自分たち兄弟を育ててくれた。
そんな母親が、自分が社会人になってすぐに病気になってしまった。病気と向き合いながらも、強く生きている母親。
母さん、もう母さんの「おにぎり」は食べられないけど、そんな事はどうでもいいよ。とにかく長生きして下さい。
420: 大人になった
中学生の頃 一部の男子と上手くいかない時期があって
これ見よがしに何か言われたり掲示物に悪戯されたり
強がってたけど本当は凄く悲しくてもう登校したくないって思った
いじめが原因で自ら命を絶ってしまった子のニュースをぼんやり見ながら
「もし私がこうなったらどうする?」ってなんとなく聞いてしまった。
お母さんは間髪いれずに
「相手の子を殺してしまう」
と言った。いつも優しくてお茶目でお笑い番組のどつきにすら
難色を示す人からそんな暴力的な言葉が出るとは思わなくてビックリして
なんだか解らないけど涙がジワジワ出てきて
「冗談だよ」って無理やり笑顔作ったけど自分の部屋で泣いた。
そんな事一瞬でも考えさせてごめんね。
お母さん大好き。またお母さんの娘に生まれたい。お母さんの娘じゃなかったら
生まれ変らなくていい。長生きしてね お母さん優しすぎるから心配だよ。
423: 大人になった
>>420
なんかすごく涙が止まらないよー。あなた凄く綺麗な心持ってるんだね。これからもずっと、お母さんを大切にしようね。私も素直になれるよう頑張ろう。
444: 大人になった
家が旅館やってたから母さんはバリバリの女将だった。いい着物を着て旅館の仕事まわしてた。
でも父親はろくでもないから外に女つくったあげく、離婚・商売たたむことになった。
生活は一変。母、姉、私、母方の祖母でアパート暮らし。私だけ親戚の家に居候したこともあった。
でも、私立高校も転校することなく大学まで行かせてくれた。慣れない会社勤めしてさ。
数年後には母ひとりで新居まで建てちゃった。70歳までローン地獄。それでもカラカラ笑ってた。
そんな母がしみじみ私に謝ったことがある。新居への引越しのとき。
二人で荷物を運んでたら、急に母が「私が離婚さえしなかったら、アパート暮らしもしなくてすんだし…。
慌ただしい引越し何度もしなくてよかったのにね。ごめんね。」って。私は呆気にとられてしまった。
離婚の直後も、母は「あんたたち子供のことは何があっても一生守るから」ってそれだけを毅然と言い放っていたから、
母が建てた新居への引越しの日にまさか謝られるとは思ってなくて、びっくりした。
「あのまま親父と離婚してなかったら、こんなピカピカの家に住めないよ!だから私、今のほうが幸せ」
って冗談めかして言ったら、「そやなぁ。あんた、ええこと言うなぁ」って母が笑ったから安心した。
この時ほど神妙な顔の母を見たことがない。今でも脳裏に焼き付いてる。
最近、母がローン組んで家建てた理由が分かった。
「娘二人をちゃんと『私たちの家』から嫁に出したかった」
「二人がいつ帰ってきてもずっと変わらず居場所があるようにしたかった」
冗談じゃなく、母さんといる今が幸せ。1番幸せ。
まだまだ嫁になんか行ってやんないw
長文失礼しました。
464: 大人になった
母は後妻だった。先妻は4人の子どもを残して別の妻子ある男と駆け落ちしたらしい。
そんなところへ、母はお見合いでやってきた。昔の事、30歳を過ぎた母には後妻の口しかなかったらしい。
一応写真を見て2択のうちから選んだらしい。
母親に捨てられた4人の子ども達。当時、11歳、9歳、7歳、5歳。下の2人はそれなりに懐いたが、上の2人は反抗的で大変だった。
その後、兄と私が生まれ、6人の子どもを抱えて母親は苦労の連続だった。父は、真面目でよく働く人のがとりえだが怒りっぽく気難しい人だった。
別に道楽しないし暴力もふるわないが、いたわりの言葉をかけるわけでもない。貧乏に子だくさんだったのもあり、家は母に任せ、ひたすら働いていた。
成長につれ、兄や姉達は、ぐれかかったり、大病をしたり、散々母の手を煩わした。
自分の子ども達よりも常に先妻の子ども達を優先した。自分の子どもを決して甘やかすことがなかった。兄たちの母親が違う事を正式に知らされたのは小学校の高学年だったが、幼いときから、なんとなくそれを察していたので
私は自分なりに母に甘えたい欲求不満を抑えていた。それどころか、母親が何かしてくれようとするのに、遠慮してしまう変な子どもだった。
しかし、いかんせん子供の事、チック症状などが出ていたが。
まだ私が1年生くらいのあるとき、なぜか母と2人のとき、ポツリと母が、「どこか遠くに行きたい」と言った。「私も連れて行って」というと、「いや、ひとりで出て行く」と言った。
その言葉がショックだった。それから家から帰ると、母の所在を確認し、いないと不安で居たたまれなくなるようになった。
しかしながら、母は出ては行かず、苦労のかいがあって、上の兄や姉達にも「お母ちゃん」「お母ちゃん」と慕われ、孫たちも自分の本当のおばあちゃんだと思って懐いている。
父が元気で真面目に定年まで働けたこともあり、経済的にもだんだんと楽になっていった。
今では年金で悠悠自適。しかし、あるときポツリとつぶやいた。「もっと遠慮しないで自分の子ども可愛がったらよかった」
「なんで、叩かんでもいいのに、自分の子ども叩いたんやろう」
甘えられない私も寂しかったが、自分の子どもを可愛がるのを抑えた母は辛かったろう。
その反動もあるのか、今、自分の血を引く孫(自分の息子の娘)を猫かわいがりしている。
それはどうやら「孫を可愛がる」と言うよりも自分の子どもに対する代償らしい。
そんなこともあり、今、私は、母がしてくれることをありがたーく受け取ることにしている。しかし、サプリメントをやたらともってやってくるのは少し閉口しているが。
472: 大人になった
>>464
思わず涙が…。
サプリメントはワロタ
579: 大人になった
独身で、心臓の病気でつい最近まで入院してたんだけど、その時、母親が俺んちまで来てくれてすげぇ助かったよ
手術も5時間位かかったけど、何とか無事終了して、絶対安静が解けた時にメシを口まで運んでもらったのは恥ずかしかったな
んで、母親は今日実家に帰るんだけど、しばらく一緒にいたら、やっぱし寂しいもんだね
帰った後に家がシーンとするのがすごく苦手だけど、みんなこの状況をどう打破してるんだろ
俺は独りになると急激にテンション落ちるから、暫くは母ロス(いや、まだ生きてるけど)が続くんだよなぁ
実は俺はマザコンなんだろうか?
578: 大人になった

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『機動戦艦ナデシコ』みたいな作品はもう作られないんかな

クラクションって指定された場所以外では使っちゃいけないんだぜ。

お前らが知ってる役に立たない豆知識書いてけ

中継ぎエスコバー 26試合 29回 防2.48 WHIP1.14

ビオレママで一番エロいのって左から2番目だろwww

阪神、清宮が外れならドラ1〜ドラ3まで即戦力投手

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