輿水幸子「ボクのなつやすみ」back

輿水幸子「ボクのなつやすみ」


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二階の、陽当たりのいい廊下を歩いて行った先に、滅多に人の立ち入らない小さな部屋がある。
祖母から聞いた話では、幸子の父親が昔使っていた勉強部屋だという。
幸子は数年前、一度だけそこへ入ったことがある。
その時はまだ小学校低学年だったので中の様子をはっきりと覚えているわけではないが、物が少なくて殺風景な、つまらない部屋だったということはぼんやり記憶に残っている。
「ここ、なんのお部屋?」
「ここはねぇ、おまえのお父ちゃんがおまえと同じくらいの頃から使ってた部屋なんだよ」
幼かった幸子はそんな話を聞かされても何を感じたらいいか分からず、祖母に手を握られながら薄暗い部屋をぼうっと眺めるばかりで、なんとなく居心地の悪い思いがした。
そうして祖母はしばらく黙ったまま幸子の様子を伺った後、「すまんねえ、なんも面白いもんがなくて」と言って静かに扉を閉めた。
幸子にとって、この屋敷での一番古い思い出は、その時の祖母の寂しそうな表情と、同時に自分がなぜだか悪いことをしてしまったような罪悪感の、切ない体験と二重になって心に残っていたのである。
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2: 以下、
そして現在、輿水幸子十四歳の夏、彼女は両親と共に田舎の祖父母の家へ遊びに来ていた。
父親が珍しく長い休暇をもらったので、お盆休みと合わせて十日間ほど滞在する予定になっていた。
ところが幸子は二日目にして早くも暇を持て余してしまったので、何か楽しいこと面白いことはないかと思案を巡らしていたところ、ふいに例の部屋のことを思い出し、そして連鎖するように蘇ってきた昔の記憶を今こそ確かめるべく立ち上がったのだった。
また、それでなくともこの古びた広大な屋敷は、十四歳の少女が思いつきで探検してみたくなる程度には魅力的な建物だった。
幸子は、母親がぼんやりテレビを見ている隙にこっそり居間を抜け出した。
まるで悪戯をたくらんでいる子供である。
そして実際、幸子は自分が急に大胆になったような気がしてわくわくした。
二階へ上がる階段は時々すくみあがるほど不吉な音を立てて軋んだ。
幸子は思わず息をひそめながら、誰にも気付かれないようにゆっくり階段を上って行った。
とはいえ、この時屋敷にいたのは幸子と幸子の母親の二人だけだったので、幸子のこうした緊張はまるで意味を為さなかった。
築ウン十年という木造建築の二階は、作りこそ頑丈にできていたが、床や壁は傷だらけで、おまけに物が散らかっていた。
幸子は二階の廊下を見渡すや否や閉口した。
ビールケースや新聞紙の束、壊れた家電、祖父の仕事道具、その他よく分からない小物があちこちに転がっているのである。
窓から真夏の太陽光線が容赦なく差し込んでいるせいで埃っぽい熱気が立ち込めている。
幸子は足元に気をつけながら廊下の窓をひとつずつ網戸にして外の空気を取り入れた。
そして何気なく窓の外の遠くを見やると、向かいの道路を挟んだ先に畑仕事をしている祖父とそれを手伝っている父の姿を発見し、わけもなく愉快な気持ちになったりした。
3: 以下、
さて、例の小部屋は幸子の記憶通り、廊下をつきあたった奥にひっそりとあった。
この家では珍しくドアノブ付きの開き戸である。
何も知らなければ物置部屋か便所と思ってしまうかもしれない。
よく見てみると、扉のあちこちにシールを剥がしたような跡があった。
ドアノブに手をかけてそっと回してみるとあまりにも簡単にドアが開いたので幸子は勢い余って反対側の壁に叩き付けてしまいそうになった。
部屋の中から畳の蒸れたような匂いが溢れ出てくる。
幸子はその香りの密度に一瞬息が詰まりそうになった。
思わず咳き込みながら、灯りの点いていない薄暗い室内へと目を凝らす。
かつて祖母に連れられて訪れた時の、少しばかり苦い味のする思い出の風景と、ほとんど何も変わっていないような気がした。
が、一方では不思議に新鮮な気持ちがした。
記憶の中におぼろげに思い描いていた憂鬱な眺めは、今やもうすっかり忘れ去られて、代わりに未知への好奇心に上書きされたのである。……
4: 以下、
幸子は遠慮がちに、びくびくしながら部屋へ足を踏み入れた。
机と椅子、それと一つの本棚が置いてある他には何もない、殺風景きわまりない空間である。
窓は一つしかなく、それがすりガラスになっているために部屋の中はにぶい光が散乱していた。
さすがに蒸し暑かったので幸子は窓を開けて空気を入れ替えようとした。
ところが、その窓ガラスが相当な曲者で、薄っぺらいくせに鍵は固く、またやたらと重いせいで幸子は体重をかけて引っ張るはめになった。
案の定、古びた窓枠は金属の盛大な悲鳴と共にこじ開けられ、幸子もまた情けない悲鳴をあげて尻餅をついた。
その瞬間、生暖かい風が埃を巻き上げながら部屋を吹き抜けた。
そして思い出したようにセミの鳴き声が部屋中に反響しだす。
気付くと、部屋にはもう夏の匂いが満ちていた。
幸子は気を取り直して窓の外を眺めやった。
窓の向こうはすぐ目の前が雑木林になっており、そこから虫や鳥のおびただしい鳴き声が無限に湧き出ているのだった。
5: 以下、
さて、幸子が改めてこの貧相な部屋を調べてみようと振り返ると、ふと本棚の一冊の本が目に入った。
幸子はそのボロボロの背表紙を見て、どこかで聞いた覚えのあるタイトルだと思った。
しばらく考えて間もなく合点がいった。
友人の輝子が以前読んでいた漫画が同じようなタイトルだった事を思い出したのである。
そんな考えから、幸子はなんとなく本を手に取ってページをパラパラとめくってみた。
しかしそれは幸子の知っている漫画とは全然別の、ある古い小説であった。
幸子は(もしかしたらあの漫画の原作なのかな)と思いながら、部屋の明かりを点けて椅子にもたれかかり、何気なく最初のページに目を通した。
6: 以下、
――しばらく経って、幸子は自分を呼んでいる声が聞こえてハッと顔を上げた。
我に返って返事をすると、母親が開け放したドアから顔を出しながら驚いたように目を丸くして言った。
「まあ、こんな所に。もうすぐお昼ご飯できるから下に降りてきなさい」
幸子は眠りから覚めたばかりの子供のように、どことなく上の空な調子で、「はぁい、いま行きます」と答えた。
それからようやく、自分がどれほど長い時間この小説に没頭していたか気付いて唖然とした。
「どうしたの、汗びっしょりじゃない! 先にシャワー浴びておいで――」
母が呆れたように言った。
幸子はその小説を大事そうに抱えて一階へ降りた。
真昼を迎えてますます燃えさかる夏の大気が、なぜだか無性に愛おしく感じられた。
居間に通じる縁側は庭に向かって開け放たれ、隙間だらけの家を心地良い風が吹き抜けていく。
庭先に父と祖父が笑いながら玄関へ歩いて来るのが見える。
この古ぼけた屋敷の、目に見える一つ一つの模様や傷跡やガラクタが、ふとした瞬間に抑えきれないほどの輝きを伴って幸子の胸に迫って来る。
幸子は、気まぐれに読み始めた小説の中の美しい世界が、まさに今自分の目の前にも開かれていることを実感したのである。
『銀の匙』。
幸子は、夏休みの読書感想文は、この本について書こうと心に決めた。
7: 以下、
 ◇ ◇ ◇
都会ではそれなりに売れっ子のアイドルをしていた。
幸子は見た目こそ背丈のちっこいあどけない少女だったが、根性と自意識においては並みの中 学生の比ではなかった。
加えて両親に溺愛されて育ったものだから時々呆れるほどの自惚れを発揮することがあった。
しかし彼女は自分を尊敬するのと同じくらい他人を尊敬できる心の持ち主だったので、身内に限らず多くの人から好かれた。
堅牢そうに見えて実は隙だらけなプライドも、時に侮られやすいという欠点があったが、それがかえって嫌味を感じさせず、親しみやすい印象を与える一因になっていた。
アイドルとしては申し分ない天性を備えていたと言える。
そんなお茶の間の人気者も、山と森と川以外に何もないような田舎では発揮すべき天性など有って無きが如しである。
幸子の父方の祖父母は彼女の両親に負けず劣らず孫娘を溺愛していたが、なにぶん感性が古く、流行にも疎いので「あいどる」という概念をいまいち理解していないようだった。
一応、幸子が出ている雑誌などはすべて取り寄せて屋敷に飾ってあり、CDも全部揃えてあるが、孫娘がなぜそんな風に綺麗な格好をして歌をうたっているのか、その理由は考えたこともないらしかった。
この老夫婦は、とにかく自分の孫が可愛ければなんでもいいのである。
結果として、幸子はどこまでいっても「私たちのかわいいさっちゃん」として扱われた。
幸子は特別それを不満に感じていたわけではない。
しかし内心、アイドルとして頑張っている自分も少しは認知してほしいという思いがあったのも事実である。
普通の十四歳であれば、ここでちょっと拗ねてみたり反抗期をこじらせたりするものである。
ところが幸子はなまじ負けん気が強い上に性根がポジティブだったので、自分がいかにアイドルという厳しい世界で鍛えられてきたか、その成長ぶりを今こそ証明するべきだと考えた。
つまり、幸子はこの夏休みの田舎暮らしを、「カワイイだけではない、しっかり者のさっちゃん」を実践する試練だと捉えたのである。
8: 以下、
そこで幸子が最初に取り掛かったのは家事のお手伝いであった。
帰郷して二日目、幸子は夕飯の支度をしている祖母と母の元へ行き、意気揚々と「ボクも手伝いますよ!」と宣言した。
以前、とあるテレビ番組向けに特訓したこともあり、調理には自信があったのである。
ところがその日の夕食は手巻き寿司で、幸子ができる事と言ったら皿を用意するか料理を運ぶくらいのものだった。
手伝いは手伝いだけれども思っていたのと違う、と幸子は腹の中で悔しがった。
一方、幸子のそんな魂胆などまるで知らない家族は、幸子がみずから手伝いを申し出たことに大変感激し、手巻き寿司の上等なネタをみんな幸子の皿へ盛り付けてやった。
食後、幸子はこれまでに経験したことのないほど大量の寿司を胃に詰め込まされ、畳の上で身動きが取れなくなっていた。
網戸から吹いてくる涼しい夜風を浴びながら、「今日はもうお手伝いはいいや……」と半ば放心ぎみに呟き、そうして外にさざめいている虫たちの鳴き声にぼんやり聞き入っていると、いつの間にか心地良い眠りの中に沈んでいた。……
9: 以下、
朝、祖母にやさしく揺り起こされて目が覚めた。
前日の夜、居間でぐっすり寝入っていた所を家族の誰かが布団の上まで運んだらしかった。
「もうじきラジオ体操始まるけ、さっちゃんも行くかえ?」
「うん……」
幸子はあくびまじりに返事をしてのそのそと起き上がった。
遠くの隣家からニワトリの騒がしい鳴き声が聞こえてくる。
空気が冷え込んでいて肌寒いくらいな朝だった。
パジャマから着替える頃には幸子の頭もすっかり冴えた。
両親がまだ起きて来ないので幸子が面白がって叫びながら布団に飛び掛ったが父も母もうんうん唸るばかりで頑として枕から離れようとしない。
結局、幸子は諦めて祖父母と三人だけでラジオ体操へ行くことにした。
歩くこと数分、村の中心地に近い川べりの空き地へ行くと、そこにはすでに十数人が集まってめいめい話し込んでいる様子が見えた。
半分以上が祖父母と同じくらいのお年寄りである。
もう半分はそれより少し若い中年の男女といったところで、幸子のような子供は他に誰もいなかった。
これにはさすがに幸子もいささかげんなりした。
……が、ラジオ体操が始まる直前、とある若い夫婦が一人の少女を連れて歩いてくるのが見えて幸子は胸が躍った。
背丈から察するに、幸子よりも年下のようである。
その少女は眠そうに目をこすりながら両親に手をつながれていて幸子の存在にはまったく気付いていないようだった。
やがてラジオの音楽が止み、のどかな村にノイズ交じりの男性の声がのびのびと響いた。
幸子は体操が始まるや否や俄然はりきってキビキビ体を動かし始めた。
朝の澄んだ空気の中、限界集落めいた村の中心で、小ざっぱりした格好をしながらエネルギッシュに四肢をふりまわす姿はたいへん目立った。
アイドルという職業柄ゆえか、何においてもまずは目立たないと気がすまないのである。
あるいは、「ここにアイドルの輿水幸子がいる」と気付いてもらいたいという無意識からそうしたパフォーマンスに及んだのかもしれない。
10: 以下、
ラジオ体操が終わる頃にはすでに額に汗が滲んでいた。
幸子は一息つきながら、空き地から人がまばらに去っていくのをどこか釈然としない気持ちで眺めていた。
釈然としない気持ちというのはつまり、「どうしてみんなアイドルの輿水幸子に気が付かないのか」という疑問である。
(カワイイボクがこんなにカワイく体操してたのに!)
そんな風に口を尖らせていると、ふいに遠くで例の少女と目が合った。
すると少女は何を思ったか、幸子の方へペタペタと歩み寄ってくる。
(やっとボクのカワイイ存在に気付いてくれたんですね!)
幸子がふふんと鼻を鳴らしながら待ち構えていると、少女は幸子の前に立ち止まるや否やおもむろの幸子の頭を指差し、
「寝癖……」
と言い放った。
「寝っ!? こ、これは寝癖じゃなくてヘアースタイルですっ」
しかし少女は首をかしげたまま、それきり黙って両親の元へ帰って行ってしまった。
幸子は初対面の少女の不躾な態度に怒るよりもむしろ唖然として言葉が出なかった。
後ろから一部始終を見ていた祖母が言った。
「ありゃあ佐城さんとこの雪美ちゃんかね。変わっとるけどええ子なんよ」
11: 以下、
家に帰ると母が起きてすでに朝食を用意していた。
幸子はまたもや自分が手伝いをする機会を逃したことを悔やんだが、代わりにまだ寝ている父親を叩き起こすという使命を与えられて喜んで寝室へ向かった。
哀れな父親は娘に馬乗りにされ、ほっぺをぐりぐり引っぱられ、終いには布団をひっくり返された挙句ようやく起き上がった。
さて、朝食を済ませると幸子はさっそく祖父に頼んで畑に連れてもらった。
もちろん畑仕事を手伝うためである。
祖父は幸子の殊勝な申し出を大いにありがたがったけれども一方では心配する気持ちもあった。
「幸子、無理しんなや?」
「心配しなくても大丈夫ですよ! ボクに任せてください!」
威勢よく返事をする幸子はすでに完全防備の出で立ちである。
長袖と長ズボンを着て日よけの帽子をかぶり、首には真っ白なタオル、手には新品の軍手をはめている。
鏡の前に立ってみるとまるで自分がいっぱしの農家になったような気がして惚れ惚れした。
(こんな格好してるボクもカワイイ……)
これだけでひと仕事終えたような気分である。
しかし実際に畑に出て数十分後、幸子は自分の覚悟の甘さを身に染みて味わうことになった。
単なる草むしりと侮っていたのが想像以上に過酷だったのである。
雑草たちは梅雨明けから夏本番にかけて大地にびっしり根を張ってしまい、幸子の細い筋肉では引っこ抜くことも容易でなかった。
時には体重をかけて踏ん張らなければ抜けないほどで、その度に尻餅をついて泥だらけになったりした。
幸子は祖父に教わりながらトウモロコシ畑の雑草を端から抜いて行ったのだが、腰を落としたまま作業を続けることの労力は並大抵ではない。
まだ午前中の早い時間帯とはいえ気温の高さもすでに殺人級である。
加えて幸子は「普段レッスンで鍛えた体力を今こそ発揮するチャンス」と無駄に張り切っていたので、案の定、畑の四分の一も進まないうちに汗だくになり、早くも雑草を握る手に力が入らなくなった。
若さゆえの過ちとはこのことである。
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その後、幸子はしばらく休憩してから、地面に散らばった刈り草を集めて荷台まで運ぶ手伝いをした。
この作業もそれなりに大変だったが、刈られた草は日照で乾いて軽くなっていたので幸子ほどの体力があれば十分こなせる仕事であった。
一方祖父はさして疲れた様子も見せず黙々と草むしりを続けている。
幸子はそんな祖父の姿を見て、自分を不甲斐ないと感じるよりもむしろ祖父の力強い働きぶりに憧れた。
今はアイドルも農家をやる時代である。
幸子は、自分もいずれアイドル活動の一環として本格的に農業をやる時がくるかもしれないと考え、今のうちに祖父のやり方をしっかり見ておこうと思った。
午前中の仕事を終えると、幸子はごほうびとして取れたてのトウモロコシを食べさせてもらった。
とびきり実の詰まった特大のトウモロコシはずっしりと重く、またそれが恐ろしく甘かったので幸子は夢中になって頬張った。
水筒の麦茶をぐびりとあおぐと内側からさわやかな冷気が染みて気持ちがよかった。
そうやってぼんやり遠くの山を眺めていると凸凹した山腹にちぎれた雲の影がのんびり漂っているのが見ていて飽きなかった。
13: 以下、
 ◇ ◇ ◇
昼過ぎ、陽が高くなって庭中に熱気がこもるようになると、風通しのいい屋敷もさすがに蒸し暑くなった。
幸子は扇風機に当たりながら畳に寝そべり『銀の匙』の続きを読んでいたが、こう暑いと集中力も途切れがちである。
やがて本を読むのに疲れると仰向けに寝転がって天井のシミを数え始めた。
すると不意に自分が小さかった頃の思い出が蘇ってきて、幸子はそのまま記憶の中の景色に没頭していった。
学校の思い出、アイドルになったばかりの頃の思い出、プロデューサーや事務所の友達との思い出、両親との思い出……
そんな風に幸子がじっと天井を見つめたまま動かないので、通りかかった祖母が心配して声をかけた。
「さっちゃんや、涼しいとこまで散歩しよか?」
幸子は横になったまま「行くー」と気の抜けた返事をした。
さて、外に出ても猛暑は猛暑である。
幸子は白のワンピースに麦わら帽子というこれ以上ないほど完璧なファッションに身を包んで散歩へ出かけた。
こういう時でもアイドルとしての振る舞いをきちんと意識するあたり、さすがプロである。
もちろん入念な日焼け止めも欠かさない。
「それで、どこに行くんですか?」
「川をのぼった先におみやさんがあるすけ、あすこは夏場でもひんやりして涼しいんよ」
おみやさんとはつまり神社のことである。
幸子は祖母といっしょに田舎の道をぽつぽつと歩いていった。
どこもかしこもまんべんなく緑である。
四方から草木と土の濃厚な香りが匂い立ち、時折それが強烈に鼻をかすめては風に消えた。
道すがら、珍しい花や虫や建物を見かけるたびに幸子は「おばあちゃん、あれ何?」と質問したが、セミの鳴き声があまりにうるさいのと祖母の耳が若干遠いのとで、しばしば大声を張り上げなければならないほどだった。
舗装されたコンクリートの道路は熱が反射して暑かったけれどもやがて山あいの道にさしかかると頭上を覆う樹木のおかげで陽が遮られていくらか涼しくなった。
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途中で駄菓子屋に寄ってアイスを買ってもらった。
祖母が店主のおばさんと話し込んでいるあいだ、幸子は軒下のベンチに座りアイスキャンディーをぺろぺろ舐めて涼んだ。
店の戸口に風鈴がぶら下がってちりんちりんと可愛らしく鳴っている。
幸子は、ただ日陰に座ってアイスを食べているだけなのに自分がとても贅沢なことをしている気がして楽しくなった。
ふと足元を見るとベンチのすみっこにアリが行列を作っていた。
幸子は試しに行列の横にアイスの溶けた水滴をぽたりと垂らしてみたがアリたちは見向きもしない。
そうやってアリの行列を観察しているうちに祖母が店から出てきた。
幸子が気付いて顔を上げると、日陰に慣れた目に真っ白な光の世界が飛び込んできて思わずくしゃみをした。
祖母はおかしそうに笑って幸子のズレた麦わら帽子を直してやった。……
駄菓子屋から少し歩いた先に「おみやさん」はあった。
こじんまりした社がひとつ建っているだけである。
うっそうとした木立にかこまれていて昼下がりにも関わらず全体が薄暗い。
鳥居をくぐって境内に入ると驚くほど空気が冷たかった。
しっとり濡れた地面にはあちこちにコケが生えている。
時々、視界の隅にわずかな木漏れ日が差して黒い樹木の根元をちらちらと照らしたりする、それがなければきっとこの場所は永遠に時が止まったままだろうとさえ思われるほどに。
そんな風に幸子が一人感嘆の声をあげて境内を見渡していると、建物の裏に人影が見えて「あっ」と叫んだ。
先客がいたのである。
「アナタは朝の!」
「…………寝癖の人……」
例の少女が物陰に隠れてじっとこちらを見つめていた。
幸子は最初、その姿があんまり暗がりの中に馴染んでいたのでぎょっとしたが、すぐに気を取り直して「こほん」とひとつ咳払いをした。
「だから寝癖じゃありませんってば」
15: 以下、
「雪美ちゃんひとりかい?」と祖母がやさしく尋ねた。
「うん……」
「なにか面白いことでもあったかいね?」
「……ペロと遊んでた……」
「ペロ?」
と幸子が聞き返した瞬間、雪美の足元をサッと黒い影が走った。
驚いて目で追うも影はあっという間に木立の向こうへ去って行き、幸子はその姿が見えなくなってから正体に気が付いた。
「黒猫?」
「……ペロ……人見知りだから……逃げる……」
聞くと、どうやら飼い猫らしかった。
「追わなくていいんですか?」
「そのうち……戻って来るから……たぶん」
そう言う雪美の言葉や表情は頼もしいようであり、また不安そうでもあった。
抑揚のない躓くようなしゃべり方からは彼女の本心がいまいち読めない。
一方、祖母は妙に嬉しそうに
「ちょうどよかったねぇ、さっちゃん。雪美ちゃんと二人で遊びなや」
と言って拝殿の石段に腰掛け、一人で休憩してしまうのだった。
16: 以下、
幸子はせっかくなのでペロを探すのを手伝うことにした。
と言っても申し出たのは幸子の方からで、べつに雪美が頼んだわけではない。
単なる幸子のおせっかいである。
「道路に飛び出て車に轢かれたりしたらタイヘンですからね」
「ここ……ほとんど車通らない……」
幸子は気にせず「ペロ?!」と林の中へ名前を呼んでみる。
当然のように反応はない。
それから幸子は灯篭や石垣の裏、拝殿の床下なども見てまわったがペロの姿はどこにも見当たらなかった。
そうして幸子がおみやさんの周りをぐるぐる歩いてはペロの名前を呼んでいる一方、雪美はその後ろをひたすら無言でついてまわるだけであった。
「あの、雪美さん?」
「…………」
振り向くと、雪美はキョトンと首をかしげて幸子を見つめるばかりである。
その仕草があまりに無邪気だったので幸子は自分が何を言おうとしていたか一瞬忘れたほどだった。
「なんでボクだけ頑張ってるんですか。雪美さんも協力してくださいよ」
「…………わかった……」
雪美はそう短く返事をすると、「ペロ?……」と蚊の鳴くような声を出した。
幸子は、これはとてもすぐには見つかりそうにないと肩を落とした。
17: 以下、
「そういえばまだ名前を名乗ってませんでしたね」
幸子は神社の裏手にある茂みをガサガサと歩き進みながら自己紹介をした。
しかし雪美は何も答えず黙ったまま、幸子が蜘蛛の巣に驚いてひっくり返りそうになっているのをじっと眺めているだけである。
「アイドルの輿水幸子って聞いたことありません? ない? そうですか……」
「…………」
佐城雪美はいったい無口な少女であった。
話しかければたまに返事はするけれどもまるで手応えがなく、会話が会話にならない。
表情にもほとんど変化がないので何を考えているのかさっぱり分からない。
とはいえ、必ずしも無愛想な気難しい子供というわけではなかった。
「…………」
「……あの、ちょっと、雪美さん。お、重いです……」
「…………」ムフー
幸子がもう一度拝殿の床下を見ようとしてしゃがみこんでいる背中へ、なぜか雪美がべったり抱きついてくるのである。
お互い見知ってからまだ間もないというのに、雪美はほとんど警戒する様子もなく幸子にひっつきまわった。
それがあまりに自然な流れですり寄ってくるので幸子も特に煩わしいなどとは思わなかった。
雪美が少々変わった子供という事はすでに十分承知していたし、そもそも子供に懐かれるというのは気分が良いものである。
ただし、ここでひとつ説明を加えておくと、雪美は元から人懐こい性格というわけではない。
むしろ普段は人見知りするようなタイプの子供である。
そんな雪美が、自分より四つ年上の幸子に対し、初対面でここまで馴れ馴れしく接近しているのは驚異的と言うほかない。
図らずも幸子のスーパーアイドル的愛され体質が功を奏したのである。
18: 以下、
……三〇分ほど探し回り、結局ペロは祖母の膝の上で丸まっていた所を発見された。
おみやさんの外まで探し回っていた二人が休憩がてら神社まで戻ってみると、そこで祖母とペロが仲良く昼寝していたのである。
灯台下暗し。
これにはさすがに幸子も徒労感にがっくりした。
ペロは今度は逃げたりせず、おとなしく雪美に抱きかかえられたが、なぜか幸子には一向に懐こうとしなかった。
「ペロ?、こっちにおいで?……もうっ、なんでボクの所にだけ来てくれないんですか」
「ねこじゃらしとか……使うといいかも……」
幸子が雪美にアドバイスしてもらいながらペロと交流を深めていくのを祖母は満足そうに眺めていた。
ちなみに祖母はすでにペロをすっかり手なずけており、「お手」と言うと見事に猫パンチめいたお手が繰り出される。
このように、ペロは他の猫とは違い一風変わったコミュニケーションが求められるので、幸子のような正攻法はなかなか上手くいかない。
それから悪戦苦闘の末、ようやくコツを掴んでペロとじゃれあえるようになった頃、幸子はふと思いついてスマートフォンを取り出し、おもむろに雪美に手渡すと、
「すみません、それで一枚写真撮ってくれませんか?」
とカメラマンを頼んだ。
ところが雪美は自分が何を手渡されたのが理解できず、その場で固まってしまったので、幸子は一旦ペロを放してイチから説明するはめになった。
「えーっと、これがカメラアプリで、それで画面のここをタッチすると写真が撮れるんです」
「…………???」パシャッ
「あ、それだとインカメラになっちゃってますよ」
幸子がスラスラと画像フォルダを開いてみせると、雪美が驚きに目を丸くして呟いた。
「これ……私と……幸子?」
「もしかして雪美さん、こういうの初めてですか?」
「…………」こくり
いくら幼い子供とはいえ携帯のカメラすら知らないというのは幸子のような都会生まれ都会育ちにはにわかに信じがたい話であった。
ただし、ここでまたひとつ説明を付け加えておくと、今回のこれは雪美が特殊なだけである。
当然ながら田舎の子供すべてが現代の文明機器について無知なわけではない、という事をここに断っておく。
19: 以下、
さて、ひと通り使い方をレクチャーしてやると、雪美は俄然はりきってスマホを構えだした。
「しっかりとボクのカワイイ姿を撮ってくださいね!」
今にも腕の中から飛び出しそうなペロをなんとか抱きかかえ、幸子は渾身のアイドルスマイルをカメラに向けた。
雪美は角度を変えながらひたすらシャッターを切っていく。
「どうです? ちゃんと撮れました? どれどれ……ってこれ全部ペロしか写ってないじゃないですか!」
お約束である。
「ペロ……かわいい……」
雪美は自分で撮ったペロの写真を見て大いに満足していた。
「雪美さん、よく考えてください。確かにペロはかわいいかもしれませんが、写真に宇宙一カワイイボクも一緒に写っていたらもっとカワイくなると思いませんか?」
「……?」
幸子の理屈はどうやら雪美には難しすぎたようである。
「むむむ、こうなったら……雪美さん、ちょっとボクがお手本を見せてあげますから、ペロを抱いてみてください」
雪美は言われた通りにペロを抱いた。
相変わらずキョトンとした顔で突っ立ったままである。
「う?ん、雪美さん、もう少し体を傾けて、気持ち上目線で顔はこっちを向けて……そうそう! いいですねぇ!」パシャッ
「今度はペロの顔を覗き込むように……それです!」パシャッ
「次はペロのお腹を撫でている所を……あっ、いい笑顔!」パシャッ
完全にアイドルの撮影現場のノリである。
幸子が突然一人で盛り上がり始めたので雪美もペロも最初はびっくりしたが、やがてすぐその気になって即席の撮影会に夢中になった。
そうしてしばらく撮影会が続き、ようやく幸子が本来の目的を思い出した頃には、スマホには実に百枚近くのペロと雪美の写真が保存されていたのだった。……
20: 以下、
おみやさんでひとしきり遊んだ後、雪美が行きたい場所があるというので幸子と祖母は一緒に付いて行った。
道路を挟んで向かい側に小さな川があり、その土手を上流へのぼって行くとやがて広い河原が見えた。
雪美の後に付いて河原へ降りて行く。
足元はごつごつした小石が敷き詰められ、おまけにここは日差しが直に当たって暑かったけれども、小川のせせらぎと共に周囲の雑木林から吹いてくる微風が汗をやさしく冷やすのが心地良かった。
「さっちゃんや、なるべく下の方へは行きなんなや。流されたら大変だて」
「分かりました……って雪美さん、ちょ、引っ張らないで」
「幸子……こっちも……写真……」
雪美に小川のすぐほとりまで連れて行かれ、そこで彼女が急に川面に向かってしゃがみこんだので何事かと思い肩越しに覗いてみると、大きな石をひっくり返してそこへ手を突っ込んでいる。
次の瞬間、雪美が差し出した手には小さなサワガニが握られていた。
「あっ、カニ!」
幸子は思わず素っ頓狂な声をあげて喜んだ。
幾多のバラエティ番組を経験した幸子といえど野生のカニを間近で見るのは初めてだったのである。
「カメラ……撮って……」
幸子はあわててスマホを取り出してシャッターを切った。
21: 以下、
「この辺はたくさんカニがいるんですか?」
「うん……岩影とか……あと魚も捕れる……」
幸子はそれを聞いて心が浮き立った。
バラエティの仕事で鍛えられたおかげで虫や爬虫類といった生き物には特に抵抗がなかったし、元々幸子もそれなりにわんぱくな性格があったのである。
そういうわけで、幸子はスマホを祖母に預け、しばらく雪美とのカニ捕り合戦に夢中になった。
河原にくぼみを掘り、その周りを小石で囲んだ檻の中に捕まえたサワガニを放り込んでおく。
たまにザリガニやカエルやヤゴなどを見つけるとそれも捕まえて別の檻に入れる。
幸子はなかなか思うように捕まえられなかったけれども雪美はさすがに土地の人間だけあって次々と獲物を貯め込んでいった。
くぼみが一杯になると幸子はその中から一番大きなカニを取り出して祖母の元へ持っていき写真を撮ってもらった。
祖母の所でくつろいでいたペロはそんな小さな獲物にはまるで興味を示さず日陰で横になっている。
雪美が靴を脱ぎ川にじゃぶじゃぶと入っていったので何をするのか聞いてみると魚を手づかみすると言う。
幸子もそれに倣って裸足になりふくらはぎまで川に浸かりながら透き通るような水中に目を凝らして魚の影を追うけれどもざぶんと手を入れて捕まえたと思った次の瞬間にはもう魚はするすると逃げている。
そうして二人が水しぶきを上げながら魚を追い掛け回していると、とうとう雪美が一匹のアユを捕まえた。
「おばあちゃん、写真!」
幸子は興奮気味にぴょんぴょん跳ねながら祖母を呼んだ。
その日一番の写真には、満面の笑みでピースしている幸子と、自慢げにアユを掲げる雪美の二人が写っていた。……
22: 以下、
夕方になり、幸子が帰る時間になると、雪美が名残惜しそうに
「明日も……遊べる……?」
と言うので、幸子は
「もちろんですよ!」
と頼もしく返事をし、翌日会う約束をしてその日は別れた。
母親は帰ってきた幸子の泥だらけの姿を見て驚き、それから服を脱がせてシャワーを浴びさせた。
幸子の肌は日焼け止めクリームを塗っていたにもかかわらず少しだけひりひりした。
幸子は、明日はもっとしっかり日焼け対策をしようと思った。
その後、陽が沈む前に家族でお墓参りに出かけ、行きの車の中で幸子は今日一日の出来事をみんなに話して聞かせた。
運転していた父が懐かしそうに「俺も子供の頃よくあの辺で遊んでたなあ」と呟き、車の中は父と祖父母の昔話で盛り上がった。
そんな話を聞いているうちに、幸子はふと、なぜだか急に寂しくなった。
菩提寺に到着して車を降りると、夕暮れの空には薄くすじになった雲が、藍色からやがて紅に染まりつつある山の彼方へ向かって雄大に伸びているのが見えた。
風のない夕闇にヒグラシの悲しげな声が響いていた。
途端に、この夏の一瞬のまぼろしが、それがまぼろしであるためになお永遠にさえ感じる緩慢さで、思いがけず幸子の目の前を通り過ぎていった。
後にはただ孤独だけが残った。
幸子は放心したまま、陽が沈んで移ろいゆく空模様を眺めた。
これまでの人生と、そしてこれからの人生にも二度とないこの風景をしっかり目に焼き付けようとして……
23: 以下、
 ◇ ◇ ◇
翌朝、ラジオ体操へ行くと、この日は雪美の方が先に到着していたようで、幸子の姿を見とめるや否やてくてくと歩み寄り、ラジオ体操が終わるまで幸子の傍から離れようとしなかった。
昨日の今日ですっかり懐かれてしまったようである。
雪美の両親が「昨日は雪美とたくさん遊んでくれたんですってね」と言って幸子が恐縮するほどお礼の言葉を尽くした。
話を聞いてみると、この村にいる子供は今は雪美一人だけだという。
「去年までは他にも何人か居たんだけど、今年に入ってみんな高校に進学しちゃってねぇ」
その後、幸子が家に戻り、朝ごはんを食べ終わるとすぐ玄関のインターホンが鳴った。
「さっちゃんやー、雪美ちゃん来なったよー」
祖母に呼ばれて玄関に出てみると、雪美が虫かごと虫捕り網を構えたまま無言で突っ立っていた。
「は、早いですね……」
幸子が「ちょっと待ってて」と慌てて準備をしていると母が来て「あら、もう出かけるの?」と呑気に尋ねた。
「お昼までには帰ってきなさい」
「はぁい」
「お待たせしました」と言って玄関に現れた幸子は昨日と打って変わってTシャツに短パンという野暮ったい格好である。
手にしたポーチには日焼け止め、タオル、虫除けスプレー、水筒、絆創膏が入れてある
外は相変わらず日差しが強く、湿度もあって既に蒸し暑かったけれども、真夏気分を味わいたい幸子にとってはむしろうってつけの天気であった。
出がけに祖母が「熊に気ぃつけてな?」と言って幸子を震え上がらせたが、雪美が「鈴を鳴らして歩けば大丈夫」と腰にぶら下げた鈴を見せたのでとりあえず安心した。
24: 以下、
雪美に付いて歩いて行くと山あいの畑から少しはずれた場所にある杉林に入って行った。
手入れされているのか他の雑木林に比べると雑草が少なく見晴らしもいい。
幸子が熊の気配におっかなびっくりしながら杉林の中を進んでいると、唐突に倒木の群れが視界に現れた。
それらの倒れた杉の木に囲まれるように小さな広場が出来上がっている。
隅の方に打ち棄てられた小屋がひっそり建っているのが見えた。
「ここ……秘密基地……」
雪美の後に続いて小屋の中を覗いてみる。
手前の壁には謎めいた木の枝がうやうやしく立て掛けられ、地面には大小さまざまな石ころ、大量のセミの抜け殻、すすけたガラス瓶、何か機械らしき物の部品、その他ガラクタのようなものがあちこちに転がっている。
「これはなんですか?」
何の変哲もない木の枝がなぜこんな大げさに飾ってあるのか気になって尋ねると、
「……伝説の剣……」
雪美はそう言って片手に持ち、天高く掲げて見せるのだった。
そのポーズがなんだか妙に可笑しかったので幸子はスマホを取り出し写真を撮った。
「あれ、よく見たらここにも何かありますね……?」
小屋の奥の方を見てみると、埃をかぶった白いプレートが数枚、壁に貼り付けてあった。
掠れて読めないが、名前が書いてあるらしい。
「……前……一緒に遊んでた友達の……秘密基地のメンバー……」
確かに、よく見てみると一番下の方に「佐城雪美」らしき字の書かれたプレートがあった。
しかし長い間放置されていたために今はそれすらも土埃にまみれ、半分以上の字は掠れて読めなかった。
幸子は不意にいたたまれない気持ちになって顔を逸らした。
すると横にいた雪美とばったり目が合ってしまい、幸子は自分の同情心を悟られないか一瞬慌てたが、当の雪美はそんな幸子の気遣わしさなどまるで素知らぬ風にキョトンと見つめ返すのだった。
25: 以下、
それから二人は虫かごと虫捕り網を手に杉林の中を駆けまわった。
雪美はどうやらセミの幼虫を捕まえたいらしく、地面に穴を見つけては伝説の剣で中を突いてみるのだが、今の所すべて空振りに終わっていた。
「ここにいる幼虫はもうみんな孵化しちゃったんじゃないですか」
「…………」ショボン
「そ、そういえばセミの幼虫は夕方頃に地面から出てくるって聞いたことあります! その時に改めて探すのはどうでしょう?」
「幸子……物知り……!」パァァ
結局、その日の成果はアブラゼミが二匹、特大のショウリョウバッタが一匹であった。
カマキリも捕まえたがカゴが一つしかなく他の虫が食べられてしまうので泣く泣く逃がした。
26: 以下、
雪美はまだ十歳の幼い子供だったがすでに自然の遊びをよく心得ていた。
手近にあるいろいろな草木の葉っぱをもぎっては草笛にして吹いたりする。
その小さい口と手のひらから驚くほど高く鋭い音が鳴り響くのが幸子にはこの上なく不思議であった。
教えてもらって真似をするけれども雪美のように綺麗に鳴らすのは難しく、その日、幸子は形のいい葉っぱを見つけるたびに手当たり次第にもぎっては練習したりした。
また雪美は野生動物を見つけるのが得意だった。
虫取りに奔走している最中、ふと雪美が立ち止まりそっぽを向いたので何かあるのかと聞いてみると、
「うり坊……」
と呟いて林の奥を指差した。
幸子はその指した方向にじっと目を凝らしてみるけれども雑草と木しか見えない。
「うり坊ってイノシシの赤ちゃんですよね? 危なくないんですか?」
「……近づいたら……危ない……近づかなかったら……平気……」
雪美はそう言って草笛をピーッと甲高く鳴らした。
すると遠くの方からガサガサと音が聞こえ、やがて静かになった。
「もう……逃げた……」
なんて頼もしい、と幸子は思った。
27: 以下、
あっという間に十二時になった。
二人は底に穴の空いたブリキのバケツを拾ってきて秘密基地に飾り、ついでに木の葉や枝をかぶせて宝物入れにしようと考えた。
その工作の最中、いきなり幸子のポケットがけたたましく鳴り出したので雪美がびっくりして虫かごを蹴飛ばし、あやうく捕まえた虫を逃がしてしまうところだった。
幸子は悪いと思いながらも雪美の慌てぶりが可笑しくてつい噴き出してしまった。
「十二時にアラートを設定してたんですよ。というかもうこんな時間なんですね」
「…………」
「じゃあお昼ごはん食べ終わったら続きをやりましょう!」
「! うん……!」
二人は次の待ち合わせを約束すると一旦別れて帰路についた。
「ただいまー」
「あら、遅かったじゃない。もうすぐお昼ですよ」
「それよりママ、これ見て!」
帰宅した幸子は両親に草笛を自慢しようとしたが実際はぷすぷす鳴るばかりで様にならなかった。
それを見た父はニヤリと笑うとおもむろに庭から葉っぱをもぎって来て得意気に吹き始めた。
「えーっ、パパ吹けるの?」
「コツがあるんだよ」
父はそう言いながらも肝心のコツについては何も語らず一人で自慢げな顔をしている。
幸子は大いに悔しがりますますムキになって鳴らない草笛を吹きまくるのだった。
母は娘が頬を膨らませて顔を真っ赤にしているのが可愛くてしょうがないといった様子で終始微笑ましく見守っていた。……
28: 以下、
――午後、雪美が滝を見に行くと言い出した。
今度は虫かごではなく腕にペロを抱えている。
「滝、ですか?」
「あそこ……涼しいから……」
確かに今日は一段と暑い日であった。
村全体が蒸した釜のように熱せられ、道を歩けばそこかしこに陽炎がゆらめいているのが見える。
実際、幸子もこの暑さにはそろそろうんざりしてきた頃合であった。
そういうわけで二人は秘密基地があった方向とは逆の、昨日と同じ川沿いの道を行くことにした。
途中で例の駄菓子屋に寄ってアイスキャンディーを買った。
お世辞にも綺麗とは言えない店だったが、幸子はこの軒下の薄暗いベンチが何か自分にとって特別な場所のように思えて内心気に入っていた。
ふと、幸子はここで写真を撮ったら絵になりそうだと閃いた。
そこで例のごとく雪美にカメラを頼むのだが、幸子の要求は相変わらず高度で難解だったので雪美は首をかしげるばかりだった。
そしてこれもまた例のごとく、まず幸子がカメラマンのお手本になって雪美を撮るところから始まるのである。
「……いいですか? こういう構図で撮るとボクのカワイイ横顔がもっとカワイく写るんです」
「幸子……すごい……プロみたい……」
「フフーン、まあボクならこれくらい楽勝ですよ。さ、というわけで雪美さん。頼みますよ」
雪美は幸子に言われた通りのアングルで写真を撮った。
しかし幸子が長々と説明している間にアイスキャンディーはほとんど溶けかかってしまい、結局、写真には幸子が必死でアイスを咥えているシーンばかりが写った。……
29: 以下、
雪美の言う「滝」は川の細かい支流の先にあり、つまり森の中を進んだ奥にあった。
そして実際、その滝とは単に岩間から湧き水が流れ出ている程度のもので、高さはあるけれども幸子が想像していたような水量の規模ではなかった。
しかしそこはまぎれもなく秘境であった。
コケの生えた岩の隙間を透明な水がおどるように零れ落ちていく。
辺りはうっそうとした木々に囲まれているけれども足元の湿った地面には雑草が少なく、代わりにびっしりコケが群生している。
思わず深呼吸したくなるような爽やかな水の匂いがする。
いつの間にか虫の音や鳥の声は遠のき、やがて水流のせせらぎの他には何も聞こえなくなった。
それはまさに神秘の体験だった。
自分の心臓の鼓動までもが風景に溶け込んでいくようだった。
幸子は我を忘れて絶え間ない水の奔流に見惚れた。
目の前に広がる瑞々しい自然の絵、その運動の鮮やかな法則、肌に触れる冷気、意識しない音……
それらはすべて一つの世界であった。
この発見に何て名前をつけたらいいんだろう、と幸子は思った。
しかし咄嗟に言葉が出てこなかった。
(今ここに見える世界のすべてを小さく丸めて持ち帰ることができたらどんなに素敵だろう)
幸子はこの感動をどうにか忘れたくない一心でそんな事ばかりを頭の中に思い浮かべていた。
「幸子……?」
雪美に呼びかけられて我に返った。
「カメラ……撮らなくて……いいの……?」
この日、午後、幸子は雪美とペロと一緒にひたすら自然の風景を写真に撮って遊んだ。
これから先の未来、自分がこの夏の一瞬一瞬をわずかばかりも思い出せたら、それはどんなに幸福な人生だろうと夢見ながら……
30: 以下、
 ◇ ◇ ◇
次の日も幸子は雪美と一緒に外へ遊びに出かけた。
雪美のある知り合いの家の近くにタヌキが住み着いているというので見に行ってみると、大人しいのが一匹、民家の裏の木材置き場に寝そべっていた。
さすがに手を出すのは危なかったので近くで観察しながら葉っぱを目の前に垂らしてからかったりした。
雪美はこの村のあらゆる避暑地を熟知しているらしく、おかげで幸子は日中家にいるよりも涼しい思いができた。
他にも、どんぐりのよく採れる場所、一面にひまわりの花が咲いている場所、幽霊が出ると噂の場所、様々な面白スポットも教えてもらった。
雪美は幸子の知らない事をたくさん知っていたが、幸子もまた負けず劣らず豊富な知識と経験を備えていた。
というのも、幸子が所属しているアイドル事務所には霊感のある少女やキノコを愛して止まない少女などおよそ一般的とは言いがたい特殊な趣味の人間が多く在籍しており、そんな特殊な友人と普段から接していれば自ずと特殊な知識も増えていくというものである。
また幸子はそのアイドル活動において海外の極地ロケやスカイダイビング、サバイバル番組の出演など、こちらもおよそ一般的とは言えない現場を数多く渡り歩いてきたので、珍しい体験談を語らせれば右に出る者はいなかった。
そうして二人は時々、お互いに面白い遊びを教え合ったり、珍しい思い出話をして時間を過ごしたりした。
また次の日には幸子の父が同行してカブトムシを捕まえに行ったりもした。
夜明け前、暗闇の雑木林へ幸子と雪美と幸子の父の三人がそろそろと入って行く。
前日にあらかじめ用意していた罠を覗き込んでみると、立派なカブトムシが二匹、樹にしがみついていたので幸子たちは大喜びした。
そして同時に罠を作って設置した父の知識と手際のよさに感心した。
「これでも昔は虫捕りの名人だったからな」
父は幸子と雪美に尊敬の眼差しを向けられて照れくさそうに鼻をかいた。
捕まえたカブトムシは一匹ずつ分け合って家で飼うことにした。
32: 以下、
この頃幸子は毎日外に出て遊びまわる日々を送っていたが家ではきちんと手伝いもこなした。
そして夜も九時になると反動でものすごい眠気に襲われ、『銀の匙』を枕元に開いたまま寝落ちする日も少なくなかった。
そんな風に充実した日々を送りながらうっすら焼けていく自分の肌を見ていると、自分がどんどんたくましくなっていくような満足感があった。
が、一方ではアイドルとしての本分を忘れてはいけないと己を叱咤し、次こそきちんと日焼け対策を怠らないようにしようと決意したりするのだった。……
33: 以下、
幸子が祖父母の家へ泊まりにきてから六日目、珍しく朝から雨が降った。
父はその日、村の役員たちと納涼会を企画していたらしく、幸子と雪美も誘ってバーベキューをする予定だったのだが、天気予報を見てがっくり肩を落とした。
雨は夕方を過ぎて更に強まり、明日まで続くという予報だった。
しかし幸子はこれを機に『銀の匙』を全部読み終えてしまおうと考えていたのでさして残念とは思わなかった。
たまには家の中でゴロゴロする日があってもいい。
そうして居間に寝転がり悠々と本を読んでいると、土砂降りの窓の外を一瞬閃光が走った。
アッと思うが早いか、次の瞬間割れるような轟音が炸裂して大気を震わせた。
幸子は「フギャーッ」と猫のような叫び声をあげて丸まった。
耳をつんざくような恐ろしい雷鳴である。
幸子は頭を抱えてその場にうずくまりぷるぷると震えた。
元々雷は苦手な方だったが命の危険を感じるほどの雷鳴は未だかつて経験したことがなかった。
その後も山の方で立て続けに雷が落ち、それがあまりにも激しかったので幸子は家が壊れると思った。
幸子は半泣きで母の元にすがりつき、雷雲が去るまでずっと布団を被って耳を塞いでいた。
母はそんな幸子の背中をぽんぽん叩いてあやしてやるのだった。……
34: 以下、
雷は一時間近く鳴り止まなかった。
それが過ぎると天気はやや落ち着いたが雨脚は相変わらず滞りがちだった。
雷鳴にあれほど怯えていた幸子は、夕飯を済ませて風呂から上がった頃にはもうケロッとして、カブトムシの世話をしたり本を読んだりして夜の時間を潰した。
「幸子、悪いが明日帰ることになった」
父は部屋を覗き込むなりそう言うと、幸子が返事をする前に足早に去っていった。
幸子は始め何のことか分からず、しばらく固まっていたが、やがて跳ねるように起き上がり父の後を追った。
「か、帰る? なんでですか? まだあと三日はここに居られるって……」
「さっき会社から電話があったんだ。急ぎの仕事が入って……明日の朝には出発しないといけなくなった」
父は申し訳無さそうな顔をして幸子の頭を撫でた。
「ごめんな、幸子。今のうちに準備しておいてくれ」
父はそれから母と話し込んで、そして二人で帰り支度を始めた。
幸子はふと窓の向こうの暗闇を眺めた。
ガラスに映る自分の表情は闇夜に透けて見えなかった。
雨音だけが夜の中に聞こえていた。
35: 以下、
「幸子、忘れ物はないか?」
「うん、大丈夫……それとパパ、この本持って帰ってもいい?」
「何でも持っていけばいいさ」
「まあ! お義母さん、そんな、悪いですよ……お米なら家にたくさんありますから……」
「この婆さんは人に物をやらないと気がすまないんだ……ありがとな、おふくろ。親父も世話になったな」
「ね、おばあちゃん。雪美さんに伝えておいてくださいね……いきなり居なくなってすみませんって……それとペロにも……」
雨の降る夜明け、家族三人は名残惜しく別れの言葉を交わして車に乗り込んだ。
玄関で見送る祖父母のシルエットが戸口の明かりに照らされている。
後部座席に座っていた幸子はそんな二人の影が見えなくなるまで手を振っていた。
空にかかる分厚い雨雲にはすでに明け方の太陽の光が滲み始めていたが、村はまだ寝静まったまま、幸子を乗せた車だけが機械的なエンジンの音を響かせていた。
幸子は寝不足の目をこすりながら車窓にもたれかかり、薄暗い外の景色を眺めていた。
車はものの数分で村を離れ、山沿いの道を走って行った。
市街地に降り、高道路に入る頃にはもうすっかり朝になっていた。
幸子はうとうとと眠気にまどろみながら、窓の向こうに通り過ぎていく山々をぼうっと見つめた。
この一週間足らずの色々な思い出が暁の雨の中に浮かび上がり、そして遠ざかっていった。……
36: 以下、
 ◇ ◇ ◇
ドアをこんこんと叩く音がした。
幸子は「はい」と答えて、けれど扉を開けようとはしなかった。
母の声が聞こえた。
「幸子、これからママ買い物に行くけど一緒に行く?」
「ん……ボクはいいです」
「そう? じゃあ行ってくるけど……」
母はそこで何か逡巡するように一呼吸置き、やがて足音と共に去って行った。
幸子はベッドの上で寝返りを打ち、カーテンの締め切った部屋で一人、溜め息をついた。
あの突然の帰還から、もう二日になる。
幸子は未だにあの村で過ごした日々を忘れられず、家に帰ってからというもの拗ねたように自分の部屋に閉じこもり、そして後悔にも似た気持ちをいつまでもくすぶらせていた。
あの村にはたった数日間滞在していただけである。
それなのに何故、こんなに後ろ髪を引かれるような思いがするのか、幸子にはその未練の正体がさっぱり分からずにいた。
幸子はしばらく横になり枕に顔を埋めてじっとしていたが、あんまり一人で悶々としていても面白くない。
ならばと起き上がり、机に向かってみるけれども夏休みの宿題をする気分でもない。
それから幸子はなんとなくテレビを見たり雑誌を読んだりして暇を潰したが、結局それらもすぐに飽きて再びベッドの上にばたりと倒れこむのだった。
37: 以下、
ふいに携帯が鳴った。
見ると、事務所のプロデューサーからのメールだった。
来週に予定している収録の打ち合わせについての、○月△日××スタジオ集合云々といった事務的な連絡である。
幸子の担当プロデューサーは責任ある立場の人間にも関わらず言動はずいぶん軟派でいかにもなお調子者だったが、仕事となるといちいちマメで存外真面目な男であった。
そんなプロデューサーの送ってきたメールには、最後の方にさりげなく
『おばあちゃんの家はどうだ? 楽しんでるか?』
と一言添えてあるのがまた律儀な彼らしい気の利かせ方なのだった。
幸子はメールを読み終わるなりすぐ電話をかけた。
「あ、プロデューサーさん……実はボクもう家に帰ってて……はい……ええ、それはもちろん……楽しかったですよ……良い気分転換になりました……」
話し出してから、特に電話をかける用事も必要もなかったことに気付いた。
かと言ってここで「特に用はないです」と断ってしまえばただの寂しがりと思われてしまう。
そこで幸子は、「ボクのカワイイ土産話を聞けるなんてプロデューサーさんは幸せ者ですね」という体でごまかすことにした。
「聞いてください、ボクすごい発見をしたんです……おじいちゃんの手伝いで農作業をしたんですけど……畑仕事をしてるボクもとってもカワイイ……」
「川の水がすごく綺麗で……プロデューサーさんにも見てほしかったなぁ……アユを手づかみしたんですよ!……ボクじゃないですけど……」
「前、料理の特訓したじゃないですか……家族もみんな美味しいって言ってくれて……え? いや、肉じゃがだけです……それ以外の料理はまだ……」
「村に小さい子供がいて一緒に遊んでたんです……ペロっていう猫を飼ってて……これが全然懐かないんですけど可愛くて……ボクほどじゃないですけど……」
哀れなプロデューサーは忙しい業務の合間に十四歳の自慢話のような独り言を延々聞かされる羽目になった。
が、この男は輿水幸子という少女の扱い方をよく心得ていたので、時々茶化したり憎まれ口を叩きながらも話を最後まで聞いてやるのだった。
38: 以下、
『なあ幸子、今の話ブログに書いたらいいんじゃないか?』
「え?」
しゃべりたいことを一通りしゃべって満足すると、プロデューサーが唐突に切り出した。
「いいんですか?」
『別に問題ないし、ファンもそういうの読みたがると思うぞ。写真とか、撮ってきたんだろ?』
言われて、幸子はなぜ今の今までそのことに思い至らなかったんだろうとショックを受けた。
そうだ。
あんなにたくさん写真を撮ったのに。
「書きます! 今から書くのでちょっと待っててください、あとでチェックお願いします」
幸子は返事を待たず興奮気味に電話を切った。
そして急かされるようにスマホの写真フォルダを開き、あれから一度も見返すことのなかった夏の記録の、その一番最初の写真を見た。
そこには、雪美がインカメラのまま訳も分からず撮った、幸子と雪美二人の間の抜けたツーショットが写っていた。
39: 以下、
幸子はあの村で撮った写真を頭からひとつずつ見ていった。
幸子の腕に抱かれているペロの写真が何枚もあった。
モデルのように立つ雪美とペロの写真はもっとたくさんあった。
それから可愛くポーズを決める幸子の写真が数枚続いた。
捕まえたカニを手にしてドヤ顔を決める幸子と背後で熱心に川面を覗き込んでいる雪美の写真があり、カメラの前に得意気にアユを差し出している雪美と幸子の写真があった。
明るい杉林の中にひっそり隠れている秘密基地の写真はまるで一枚の絵のようだった。
伝説の剣を掲げる雪美のポーズは改めて見ても奇妙で可笑しかった。
セミを追いかける雪美や、捕まえた虫の写真がたくさん残っていた。
駄菓子屋の軒下でアイスを舐める雪美の写真があり、同じアングルで溶けたアイスを必死に舐めている幸子の写真があった。
そして、アルバムのある時点からはほとんど自然風景の写真ばかりになった。
ひたすら滝を映した絵が並んでいた。
時々、それらの写真の端っこに、何かに気を取られてそっぽを向いてる雪美の姿が映ったりしていた。
そうしてアルバムを眺めているうちに、幸子はふと、雪美のことが気になった。
あの物静かな少女は今頃何をしているだろう、と思った。
幸子は、あの日、別れも告げずに去った後の、幸子のいない村でひとりぼっちで遊んでいる雪美を想像した。
40: 以下、
急に、胸が苦しくなった。
焦るような気持ちが体中を駆け巡り、耳元がざわついた。
喉の奥が熱くなった。
幸子は、自分があの村で何をやり残したのか、その未練の正体にようやく気が付いたのである。
それから幸子は閃いたように立ち上がり、もう一度事務所のプロデューサーに電話をかけた。
「何度もすみません……あの、スマホの写真をプリントアウトする方法って……はい……えっと、説明すると長いんですけど……」
「……え? 確かにそれなら……でもいいんですか? ……わ、分かりました、今から行きます!」
幸子はスマホを耳に当てたまま慌てて出かける準備をした。
そして家を出る直前、ふと思い付いて引き返し、まだ読みかけだった『銀の匙』を鞄に突っ込んだ。
あの夢のような日々、心躍るような思い出の残り香が、今また街の喧騒の中に洗い流されてしまわないように……
そして幸子は、一人の少女と一冊の本との出会いの思い出が、どうか楽しいものとして残りますように……切ないものとしてではなく、と願った。
41: 以下、
――
――――
――――――
「……あら、もう出かけるの? ……お手紙にはちゃんと住所書いた? 切手も貼った? ……行ってらっしゃい、お昼には帰ってくるのよ……――」
ある朝、一人の少女が封筒を持って駆け出して行った。
一匹の黒猫がその後ろについて行く。
畑の通りを抜け、川沿いを行き、橋を渡っていく間、真夏の太陽にさらされながら、それでも少女は駆けた。
やがて村役場の近くにある郵便ポストに辿り着くと、少女は息を弾ませながら封筒に書いてある住所を確認した。
昨晩何度も書き直した返事の手紙と、お手製のアサガオの押し花がきちんと封筒の中に入っているかどうか、手で触ったり太陽に透かしたりして何度も確かめた。
ようやく決心がついた少女は、どうか相手にちゃんと届きますように、と祈るような気持ちで封筒をポストに押し込んだ。
黒猫が足元に擦り寄ってきて飼い主を勇気付けるように鳴きだした。
少女はしゃがみこんでやさしく撫でながら呟いた。
「……来年も……来るって……だから……また遊べるね……ペロ」
黒猫は一言「にゃあ」と曖昧に答えて、それから少女に抱きかかえられた。
山あいを吹く風にのって、どこか遠くから微かに水の流れる音が聞こえる。
柔らかな緑の木々が真夏の白い光を浴びて燃えるようにさざめいている。
その中の、薄明るい杉林に目を凝らすと、一人の少女と一匹の黒猫が歩いている。
彼女は手に持った木の枝を揺らしながら歌を口ずさんでいる。
「♪……だーかーらー おーまーい だーりん だーりん……」
少女が通りすがった後、林の奥にひっそりと建っている小屋を覗いてみると、ぼろぼろの壁には一枚の新しいプレートが貼ってある。
気取ったサインのような文字が、少女の名前の横に寄りそうように並んでいた。
42: 以下、
おわり
44: 以下、
タイトルはぼくなつパロですが内容はアニメのんのんびより1期の4話です
ゲーム(あるいはドラマ)の方とあまり関係なくてすみません
49: 以下、
この組み合わせは俺得すぎる
最高だったありがとう
50: 以下、
名作だなこれは
文章もお上手ですわ
元スレ
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1505118348/
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すんどめ!!ミルキーウェイ 1
落第騎士の英雄譚 Blu-ray BOX
劇場版 天元突破グレンラガン Blu-ray BOX(完全生産限定版)
GRANBLUE FANTASY The Animation 4(完全生産限定版) [Blu-ray]
Fate/EXTELLA ネロ・クラウディウス 着物Ver. 1/6スケール フィギュア
りゅうおうのおしごと!6 (GA文庫)
はじめてのギャル Blu-ray限定版 第1巻
1/7スケールフィギュア塗装済み完成品 Re:ゼロから始める異世界生活 レム
あまナマ (WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL)
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みんなのいちおし!SS
よく耳にするとか、印象的なSS集ダンテ「学園都市か」"楽しすぎて狂っちまいそうだ!"
一方通行「なンでも屋さンでェす」可愛い一方通行をたくさん見よう
インデックス「ご飯くれるとうれしいな」一方通行「あァ?」"一方禁書"凄まじいクオリティ
フレンダ「麦野は今、恋をしているんだね」通称"麦恋"、有名なSS
キャーリサ「家出してきたし」上条「帰って下さい」珍しい魔術側メイン、見るといーの!
垣根「初春飾利…かぁ…」新ジャンル定温物質ウヒョオオ!!
美琴「……レベル5になった時の話ねえ………どうだったかしら」御坂美琴のレベル5に至る努力の経緯
上条「食蜂って可愛いよな」御坂「え?」ストレートに上食。読めて良かった
一方通行「もっと面白い事してモリモリ盛り上がろォぜ」こんなキャラが強い作者は初めて見た
美琴「週末は アイツの部屋で しっぽりと」超かみことを見てみんなで悶えましょう
ミサカ「たまにはMNWを使って親孝行しようぜ」御坂美琴のDNAは究極に可愛くて凄い
番外個体「  」番外通行SSの原点かな?
佐天「対象のアナルを敏感にする能力か……」ス、スタイリッシュアクションだった!
麦野「どうにかして浜面と付き合いたい」レベル5で楽しくやっていく
ミサカ「俺らのこと見分けつく奴なんていんの?」蒼の伝道師によるドタバタラブコメディ
一方通行「あァ!? 意味分からねェことほざいてンじゃねェ!!」黄泉川ァアアアアアアアアアア!!
さやか「さやかちゃんイージーモード」オナ禁中のリビドーで書かれた傑作
まどかパパ「百合少女はいいものだ……」君の心は百合ントロピーを凌駕した!
澪「徘徊後ティータイム」静かな夜の雰囲気が癖になるよね
とある暗部の軽音少女(バンドガールズ)【禁書×けいおん!】舞台は禁書、主役は放課後ティータイム
ルカ子「きょ、凶真さん……白いおしっこが出たんです」岡部「」これは無理だろ(抗う事が)
岡部「フゥーハッハッハッハ!」 しんのすけ「わっはっはっはっは!」ゲェーッハッハッハッハ!
紅莉栖「とある助手の1日ヽ(*゚д゚)ノ 」全編AAで構成。か、可愛い……
岡部「まゆりいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」SUGEEEEEEEEEEEEEEEEE!!
遊星「またD-ホイールでオナニーしてしまった」……サティスファクション!!
遊星「どんなカードにも使い方はあるんだ」龍亞「本当に?」パワーカードだけがデュエルじゃないさ
ヲタ「初音ミクを嫁にしてみた」ただでさえ天使のミクが感情という翼を
アカギ「ククク・・・残念、きあいパンチだ」小僧・・・!
クラウド「……臭かったんだ」ライトニングさんのことかああああ!!
ハーマイオニー「大理石で柔道はマジやばい」ビターンビターン!wwwww
僧侶「ひのきのぼう……?」話題作
勇者「旅の間の性欲処理ってどうしたらいいんだろ……」いつまでも 使える 読めるSS
肛門「あの子だけずるい・・・・・・・・・・」まさにVIPの天才って感じだった
男「男同士の語らいでもしようじゃないか」女「何故私とするのだ」壁ドンが木霊するSS
ゾンビ「おおおおお・・・お?あれ?アレ?人間いなくね?」読み返したくなるほどの良作
犬「やべえwwwwwwなにあいつwwww」ライオン「……」面白いしかっこいいし可愛いし!
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芸ニューの
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芸ニューの

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【疑問】女の子のパンツって何であんなにギッチギチなの?

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