【デレマス時代劇】木場真奈美「親子剣 屠龍」back

【デレマス時代劇】木場真奈美「親子剣 屠龍」


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ただいま
2: 以下、
太平の世が始まって、しばらくした頃。
戦もなく、特別な不幸もなかった。
代わりに人々は、変わらない日常に仄かな圧迫感と憂鬱を感じるようになった。
特にそれが酷かったのが、武士であった。
戦乱があった頃は、腕さえあればすぐに身を立てることができた。
至極、物理的な手段に訴えて生きていくことができた。
しかし今の彼女達は秩序によって雁字搦めにされ、
自身の刀でさえ、思うように振ることができない。
その鬱屈は、ゆるやかに蓄積されていった。
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3: 以下、
こんこんと降る雪が灯篭に照らされて、
幻想的な風景を描き出していた夜。
ようやく日の勤めを終えた木場真奈美は、屋敷に戻った。
藩主の体調不良が長く、現在十月ほど。
城の警護は否応なしに長引いていた。
木場が門をくぐろうとすると、はて、家を出た時にはなかった籠がある。
拾い上げてみると、中で赤子が安らかな寝息を立てていた。
4: 以下、
赤子の傍らには文が添えてあった。
 “あなたの子です”。
「さて、いつ産んだか…」
頭をひねりながら、木場は籠を抱えながら屋敷に入った。
彼女が、赤子を拾ったことにさしたる理由はなかった。
強いて言えば退屈していた。
馬廻の長といっても、平和な世では藩主の権勢を示すためのお飾りに過ぎない。
剣を頼みにして成り上がったのはいいが、実際のところ、
それが発揮された機会は皆無であった。
5: 以下、
向上心は胸の中に燻っているが、これ以上は藩をひっくり返すでも
しなければ叶わぬ望みだ。
さらに、家族を養うために懸命に働くという選択は
両親が死に、かつ嫁も取らなかった木場には無縁。
仕事に甲斐はなく、家中には華がない。
6: 以下、
向上心は胸の中に燻っているが、これ以上は藩をひっくり返すでも
しなければ叶わぬ望みだ。
家族を養うために暇を忘れて懸命に働く、という選択も
天涯孤独かつ嫁も取らなかった木場には無縁。
仕事に甲斐はなく、家中には華がない。
8: 以下、
彼女は驚く下女に赤子を預けた後、書室に入って筆を取った。
名前は実際、抱き上げた時に思いついていた。
むっとするくらい乳と小便くさかったので、薫と名付けた。
木場の名前を与えるつもりはない。
親をやるのは一寸気後れがするからだ。
木場は、下女に薫の面倒を見させて、
自分は時々様子を見るに留めた。
9: 以下、
だが、ある時。
木場は、庭先で棒切れをつかんで立っている薫を見かけた。
剣士の真似事か。
ふっと微笑みながら、薫を観察した。
体が乱れている。構えも滅茶苦茶。
道場で同じことをしたら、失笑を通り越して張り倒されるだろう。
薫は、どこか一点をきっと見つめていた。
その視線だけは一丁前だった。
10: 以下、
だが棒を振り回した時、すっ転んでしまった。
姿勢が安定しない状態で思いっきり武器を振り回せば、当然の結果である。
ひざを擦りむいた薫は、大声で泣き出した。
下女が屋敷から飛び出してきて、薫を抱え上げた。
その風景は、ふっと木場の胸中に荒涼とした風を吹き込んだ。
11: 以下、
2人が屋敷に消えた後、木場は棒切れを拾い上げて、
突きを繰り出した。
新陰流の達人にかかれば、棒切れも空を裂く。
ぼっ、という音を立てて、あたりにつむじ風が巻き起こった。
なんだか大人気ないことをした、と木場が棒切れを投げようとすると、
足元にあるものを見つけた。
真っ二つになった白い蝶。
それは、木場が斬ったものではなかった。
12: 以下、
その日から、木場は薫に直接剣を教え始めた。
はじめは退屈を潰すつもりだったが、途中からは本気になった。
控えめに言っても、薫は剣術の天才だった。
型の習得、気力の充実、反射神経…強いて言えば筋力がやや低かったが、
それを補ってあまりある“さ”。
真剣勝負の場で薫の剣が走る時、おそらく相手はまだ抜いてすらいない。
仮に抜いていたとして、防ぐことも叶わぬ。
常人が一振りをする間に、彼女は三回相手を[ピーーー]ことができる。
教えることが少なくなってくると、木場は自身の傑作を
他人に披露せずにはいられなくなった。
13: 以下、
しかし薫は、身分上は武士ではない。
馬鹿正直に道場へ送っても、相手にしてもらえるかどうか。
そこで木場は一計を案じた。
まず、気取った一刀流の道場のそばの小路で、
薫が適当に棒切れを振る。格好は、できるだけみすぼらしく。
すると、門下生達は彼女を取り巻いて、真の剣術とは云々と、
嫌味ったらしく説教を垂れるだろう。
そこで、薫が相手を叩きのめすのだ。
戦が終わってからは気位ばかり高い一刀流の門人達は、
面目を潰されたとして
次々に勝負を持ちかけてくるだろう。
それらを片っ端から潰していけば、薫にとって良い腕試しになる。
14: 以下、
木場の目論見は功を奏した。
その結果、薫の剣の腕は藩主の目にとまった。
成長した彼女は、
側仕えの剣士として、召抱えられることとなった。
剣の腕が立つとは言え、身分上はただの町人のはずだが…。
木場は首をかしげたが、教え子の栄達に水を差すのも無粋だと思い、
あまり深くは考えなかった。
15: 以下、
「せんせえ…」
屋敷の門の前で、薫が寂しげに振り返った。
木場と彼女の間にある感情面の蓄積は大きかったが、
実際その関係は平行線上にあった。
「頑張れ」
木場はそれ以外にかけるべき言葉が見つからなかった。
仕事の出来る女ではあるが、私的な面では不器用の部類に入る。
とはいえ剣士として授けられることは全て授けた。
それが活かされるなら、余計な感傷は無用。
「早く行け。
 遅刻の言い訳までは教えたつもりはないぞ」
薄く微笑んで、木場は手を振った。
16: 以下、
数年後、薫の腕は城下だけでなく藩外まで知れ渡った。
よそから来た浪人や武芸者が、腕試しに彼女のもとを訪れ、
皆あえなく敗退し、生きていた者はその勇名を広めてまわった。
木場も、自分のことのように誇らしい気持ちになった。
17: 以下、
しかし程なくして、暗雲が立ちこめた。
執政会議において藩主と家老の対立が著しく、藩は真っ二つに分かれた。
言論での応酬が交わされることなく、
同意のなされた勝負、一方的な辻切り等、
真剣での殺傷が藩内に氾濫した。
木場は静観の姿勢を保った。
どちらに肩入れしても、またどちらかに強く恨まれる。
それよりかは多少の不興を買ってでも、何もしない方が安全のように思われた。
しかし、薫はそうすることができなかった。
彼女は藩主の命を受け、家老を斬り捨てて、
血生臭い政争を物理的に終結させた。
そしてその後、藩主は薫に、直々に切腹の刑を言い渡した。
家老派の憎悪を押し付ける腹づもりであるのは、
誰にとっても明白だった。
18: 以下、
木場は声を上げなかった。
こういった不条理を目の当たりにしたのは、初めてではない。
また武士として生きる以上、藩の汚泥を被って死ぬのは、
たとえそれが不本意であったとしても、成すべきこととのように思われた。
木場は介錯を引き受けた。
他の者にやらせれば、その人間を恨んでしまうな気がしたからだ。
刑は粛々と実行された。
19: 以下、
遺体を引き取った後、
ふと木場は、薫の本当の親のことが気にかかった。
拾い子という事実を、木場は隠していない。
薫の名声のことを思えば、
厚かましくも名乗り出てくる輩が出てきても、不思議ではなかったはず。
墓前に手を合わせるくらいはしてもらわねば、と、木場は決意した。
20: 以下、
町民への聞き込み。
薫が産まれたであろう時期に、妊婦の面倒を見た助産婦の捜索。
普段は足を踏み入れない貧民窟にも、木場は進んでいった。
それと並行して、彼女は遅ればせながら遊郭通いを覚えた。
やはり薫のことに関して、重篤な心理的苦痛があったのだろう。
しかし、親探しに決着をつけたのがその遊郭であった。
藩主が体調を崩し始めたのと同時期に、1人の男娼が殺されたという。
21: 以下、
ある夜、城の寝間の襖が、ゆるりと開かれた。
「ご就寝前に失礼致します」
藩主は起きて、暗がりの中で目を凝らした。
「何奴だ」
相手は、慇懃な口調で答えた。
22: 以下、
「馬廻の木場に御座います」
23: 以下、
「どうした」
24: 以下、
「子の仇を取りにきました」
25: 以下、
藩主はぎょっとして助けを呼んだが、誰1人としてやってこなかった。
すでに柄が重くなるほど、木場の刀は血を吸っていた。
哀れな女は、寝間を転がりまわって逃れようとした。
しかし灯りもなく、どこへも進みようがない。
木場はすうと一呼吸して、暗闇の中で、神の突きを二回放った。
剣は藩主の両瞳を寸分も違わず貫き、絶命させた。
26: 以下、
これが、かの龍崎藩で起こった藩主暗殺の顛末である。
27: 以下、
おしまい
28: 以下、
短編がさらに続く
29: 以下、
【デレマス現代劇】二宮飛鳥「ダウンヒルクライマー」
30: 以下、
一瞬、空が遠くなった。
31: 以下、
新関東大震災。メディアはそう呼んだ。
でもそんな言葉では到底、到底、
ボクの絶望を表現できない。
マグニチュード8以上の地震は、東京にあった美城プロダクションの各部署を、
跡形もなく破壊し尽くした。
ビルの高さは最低でも10階以上。
一階にいた人間は瓦礫とガラスと、それから他の人間に擦り潰されて。
上の階の人間は、床に足をつけたまま落下死する。
偶然外に出ていて生き残ってしまったボクは、
吐き気をこらえながら
崩壊した建物の側で救助が来るのを待った。
夜は、避難所から持ってきた、乾いた毛布を纏って、凍えながら眠った。
32: 以下、
朝どうしてもお腹がぺこぺこになって
避難所に戻ると、いやらしく耳につく歌が聞こえた。
よく知らない女の子達が、けばけばしい衣装を着て踊っている。
それでも避難所のみんなは、彼女たちの下へ集まって、
歓声を上げたり、拍手をしたりしていた。
ボクは、それを遠目に見ているおばあさんに、
「あれは?」と尋ねた。
おばあさんは、「余所からきた」、と冷たい声で言った。
それから、「歌じゃ腹はふくれないよ。
心がこもってないなら、なおさらね」と付け加えた。
また他の人に尋ねると、
彼女達は関西あたりの、地下アイドルグループだという。
そこでボクは理解した。
この最悪の現実ですら、“食い物に”できる人間がいるんだって。
33: 以下、
東北の方へ出張していた、美城プロダクションの職員達も、
彼女達と同類だった。
彼らはボクを一目見るなり、「ライブをしよう」と持ちかけてきた。
「君の歌で被災者の方々に希望を与えるんだ」と。
ボクは無性に、母さんと父さんに会いたくなった。
でも、ネットは通じない。
そして東京へ至る全ての道は、走行が不可能なほど滅茶苦茶になっていた。
勿論、鉄道も。
じゃあ、あのアイドルグループや美城の連中はどうやって来たんだって?
きっと空から飛んで来たんだろう。
蝙蝠みたいな翼で、どこかのヘリポートに。
34: 以下、
地震が起こってから9日。
雨が降ってきた。
ボクは抱えきれないくらいのブルーシートを引き摺って、
避難所の外に飛び出した。
なんでこんなことをするんだろう。
「みんなが溺れる…」
ボクはズタボロになったシートを、瓦礫の上にかぶせた。
強い風が吹いて飛ばされるたび、追いかけて、
素っ転んで、鼻血を出して、それを捕まえて元の位置に戻した。
雨水は生傷だらけになった身体に染み込んで、心まで冷やした。
35: 以下、
「あははっ」
ボクはなんで、こんなにも愚かなんだろう。
人の生なんて儚いものだ、なんて、
あの頃は散々言っていたじゃないか。
感情なんて所詮、化学物質の分泌なんだって、
志希と笑いあったじゃないか。
36: 以下、
10日目。
ボクはふと、地震が起こった日に、
本門寺公園の方でLiPPSがライブを行っていたことを思い出した。
彼女達は無事なのだろうか。
後ろ髪を引かれる思いだったけれど、
ボクは大田区まで、一時間かけて歩いた。
そういえば本門寺公園にはキャンプ場があるから、
他のアイドルもそこへ避難しているかも……。
37: 以下、
そんなボクの希望は粉々に打ち砕かれた。
本門寺公園は、御堂を含めて全焼していた。
木々も黒く煤けていて、対照的にキャンプ場の芝生は青々としていた。
人の姿はなかった。
そこで引き返せばよかったのに、ボクは公園内を、ゆっくり徘徊した。
そして池の近くまで差し掛かった時、強烈な悪臭に目と鼻を塞いだ。
しばらくして咳き込みながら目を開けると、おびただしい数の死体の中に、
大きな金魚が数人浮かんでいた。
38: 以下、
色彩豊かな衣装がたなびいて、身体は腐敗して膨れ上がっている。
ボクは嘔吐した。
それでも目は、LiPPSのみんなに釘付けになっていた。
彼女達をなんとか陸へ引き上げようと水面に近づくと、
身体が後ろに引っ張られた。
「その池の水を飲んじゃダメだ」
男の人が、憔悴しきった顔でボクに言った。
話を聞くと、水不足に苦しんだ人々が、池の水を飲んだ結果感染症にかかり、
すでに何名も亡くなったという。
水が飲みたかったんじゃなくて、彼女達をなんとかしたいんだ。
そう言いかけた時、彼女達が身をよじって、水面が大きくうねった。
39: 以下、
生きていたのか!
急いで池に歩み寄ろうとしたけれど、また男の人に止められた。
死体が動いたのではなくて、ただの余震だと。
40: 以下、
12日目。ボクはまた瓦礫の前で立っていた。
やってきたのは救助隊ではなかった。
なんだか、よくわからないロゴが書かれた、大きなショベルカーの群れ。
ボクは車両に石を投げて、「何しにきたんだ!」と叫んだ。
現場監督だか、なんだか、無愛想なおじさんがやってきて、
「瓦礫の整理に」と、まったく申し訳なさそうに答えた。
それを聞いてボクは、ぺたり、とその場に座り込んだ。
41: 以下、
身体を地面に押し付けたのは、現実という名の怪物だった。
みんな死んだんだ。
プロデューサーも、蘭子も、幸子も、LiPPSのみんなも、
あのクソッタレ常務も、みんな。
涙は出なかった。
ボクの脳の中にある情動器官は、まだ何も分かっていないのだ。
1分と少しの間東京の街が揺れただけで、
何もかもが壊れてしまうなんて。
42: 以下、
それでもボクは、瓦礫をかき回そうとするショベルカーに向かって叫んだ。
「ここには、輿水幸子がいるんだぞ!
神崎蘭子も、あのLiPPSのアイドル達だって!!」
生きているとか、死んでいるとかじゃない。
彼女達は、鋼鉄の爪で引き裂かれていいような、そんな存在じゃないんだ。
43: 以下、
「知らないよ」
現場監督の男は、そう冷然と言い放って、作業開始を支持した。
ボク1人では止められなかった。
心底、自分がただの14歳のガキなんだって思い知らされた。
44: 以下、
ボクは避難所に戻って、みんなの力を借りようとした。
でも、「知らない」という声ばかり。
TVにいっぱい出ても、CDを何万枚も売り上げても、
武道館でライブを行なっても。
みんなを覚えていたのは、あの皮肉屋のおばあちゃんだけだった。
「私みたいな婆さんでなくたって、人はみんな忘れっぽいのさ。
 ほんの少し前に東北や九州が地震に襲われたことも、
 かけがえのない人がいたことさえも…」
45: 以下、
そう言われてボクは頭が真っ白になった。
みんなの顔が、どんどん薄れていってる。
顔だけじゃない。
身長はどれくらいだった?
どんな声だった? 趣味は? 
ボクは彼女達とどんなことを話した?
覚えていること、思い出すことを、
ボク自身の脳味噌が拒んでいる。
46: 以下、
心が、壊れてしまうから。
47: 以下、
だけどボクは、いてもたってもいられなくなって、
セピア色がかった記憶をまさぐって、歌を口ずさんだ。
何人かが顔を上げた。
忘れたくない。
忘れないでくれ。
ボクは声を張り上げて歌った。
途轍もなく、下手くそな歌を。
48: 以下、
かっこ悪い。惨めだ。
胸がじくじくと痛む。
でも歌うのはやめなかった。
この下り坂を転げ落ちたら、彼女達だけじゃなくて、
ボクの魂ごと離れていってしまう気がしたから。
声が枯れて、立っていられないほど疲れ切ったボクは、そのままぶっ倒れた。
49: 以下、
2週間目。
ようやく母さんと父さんと連絡が取れるようになった。
いざ話そうとすると、ボクは何を言えばいいのかわからなかった。
伝えたいことがたくさんあって、ありすぎて、頭が痛い。
結局、「うん」、「大丈夫」を繰り返しているだけだった。
だけど、「迎えに行くから静岡に戻っておいで」という母さんの言葉に、
電話越しだけれどボクは首を横に振った。
50: 以下、
ここにいたかった。どんな苦痛がともなうとしても。
みんながここに、確かにいたんだ。
その真実の美しさを、ボクは忘れたくなかったから。
51: 以下、
一ヶ月目。
ボクは避難所の中を駆けた。
瓦礫の下から、みんなが戻ってきた。
遺体は、驚くくらい綺麗だった。
けれど表情は苦しげだった。
死因は窒息、飢え、衰弱。
圧死していた方が楽だったと、美城の職員の男が言った。
ボクは土で汚れた、蘭子の顔を撫でた。
52: 以下、
彼女の瞳から、すうっと血の涙が流れた。
はっと顔を上げると、みんなの?に、真っ赤な雫が伝っていた。
53: 以下、
おかえり。
54: 以下、
地震が起こってからはじめて、ボクは泣いた。
声を上げて、泣き続けた。
55: 以下、
おしまい
56: 以下、
【デレマス現代劇】東郷あい「藍よりも深い青」
57: 以下、
東郷あいは、ヒトの愛を知らない。
23歳の誕生日を迎えた時でさえも。
58: 以下、
仕事で家を空けがちな男と、
浮気性のある怠惰な女。
何かの手違いで結婚したとしか思えない二人が、あいの両親だった。
虐待こそされなかったが面倒もろくに見てもらえなかったので、
あいは何でも自分で出来るようになった。
そうすると同級生達は彼女を頼るようになった。あいは快く応えた。
だが、誰もあいを助けることはできなかった。
彼女が困るような事態を、他の子どもが何とかできるはずがない。
59: 以下、
進学をしてもそれは変わらなかった。
あいは凄絶な孤独を全く表にださず、周囲の期待に応え続けた。
そして大学生活が終わりにさしかかって、
そろそろ自殺でもしてみようか、
と海に身を沈めようとしていた頃、アイドルとしてスカウトされた。
後に明らかになったことだが、
プロデューサーはあいに匹敵するほどに優秀な人間だった。
しかし彼女とは違って、エゴがスーツを着て歩いているような人間だった。
「どうせ死ぬなら、あんたの人生を俺によこせ」
海からあいを引き上げて、彼はそう言った。
「プロポーズかい?」
「あんたがアイドルになることを
提案(プロポーズ)する。
まあ、人生が台無しになるのは一緒だ」
言葉を交わして、あいは相手が自分と同種類の人間であることを理解した。
60: 以下、
怜悧さと温かみを兼ね備えた容貌。
豊満ではないが、中性的な表情ゆえに、
背徳的な魅力を醸し出す体型。
父性と母性が融けあったような、穏やかでありつつも頼もしい性格。
それで、何でも「出来て当然だ」というようにこなしてしまう。
東郷あいはあっという間に、
トップアイドルの座に躍り出た。
61: 以下、
「初めて見た時から躍りが得意に見えたんだ」
美城アイドルの総選挙の後、プロデューサーはそう言った。
それに対して、あいはこう返した。
「道化の君には負けるよ」
しばらく二人で笑いあった。
愚かな人間達を楽しませるために、自身達の人生を磨り潰している。
金はいくら増えても慰めにならない。
あいとプロデューサーは、互いが唯一の理解者だった。
62: 以下、
けれども、そこに男女としての愛はなかった。
それよりも深い、信頼と友情の念が滔々と湧き出ていた。
あいの23歳の誕生日は、二人で祝った。
場所は閑静で、さらに口が堅いことで有名な料亭。
「まるで恋人同士みたいだね」
「ぞっとする」
「傷つくなあ」
「嘘つけ」
そんなことを言いながら、彼女達は料理と酒を楽しんだ。
63: 以下、
二人が愛し合うことができないのは、
結局のところ自らの内にある、最も嫌悪する部分を相手も持っているためだった。
自己嫌悪。同族嫌悪。
それゆえに自分を信じるのと等価に、相手を信じられる。
世界に絶望してもなお、世界にすがり、尽くす。
そのために何をすればよいのかを熟知している。
よって、どちらかが下手を打って両者が地獄に堕ちることがあっても、後悔はしない。
そういう仲だった。
64: 以下、
だが世間の目は厳しく、想像力は貧相かつ猥雑だった。
友人同士の“気さく”な宴は、男女の逢瀬として露見した。
あらゆる事象を性愛によって断じる軽薄な人間達は、2人を糾弾した。
65: 以下、
事務所内の人間は同情的だったが無理解だった。
「人が失敗をすると急に生き生きする人間は、どこにでもいるものさ。
料亭の中にもそういう奴がいたんだ」
あいと同じく、アイドルである木場真奈美はそう言った。
あいは肩をすくめながら返した。
「私は失敗をしたとは思っていないよ。
それと、私達が会っていた場所は公表されていない」
固まる真奈美の背中を撫でた後、あいは彼女との関係を絶った。
66: 以下、
東京のとあるバー。
時刻は深夜を回って、客入りも少なかった。
それに輪をかけて寂寞とした音楽が流れていた。
その奏者は東郷あいと、プロデューサーの男。
チャーリー・パーカーの『Confirmation』。
サックスがあい、ピアノがプロデューサーである。
あいとはちがって、元々プロデューサーの方には楽器やジャズに対する関心はなかったが、
「あい程度に出来るんだから自分にも出来る」と言って、
演奏を始めたのがつい最近のことである。
67: 以下、
音色はやや硬質であったが、彼の奏でる旋律は決して稚拙ではなかった。
あいのアルトサックス、ヤマハ82ZULは長年の使用によって管体の表面が酸化している。
その素朴な音と“硬い”ピアノがうまく調和して、
晩秋の樹林のような雰囲気を醸し出していた。
68: 以下、
その後2人で入ったビジネスホテルの一室。
あいはサックスを分解して、演奏後の手入れを行なっていた。
音孔を塞ぐ革張りのタンポの水分を、丁寧に拭き取る。
こうしないと劣化して空気漏れや錆の原因となる。
必要以上に時間をかけて、あいはサックスの管体を磨く。
あいはふと、楽器に対するような愛着を
なぜ他人に持つことができないのだろうと考えた。
69: 以下、
別のベッドでくつろいでいる男に尋ねると、
「人は裏切るから」と、特に感慨もなく答えた。
あいは、ふっと微笑んで、
「木場さんは君のことを愛していたみたいだよ」と言った。
対してプロデューサーの方は、
「いや、あいを見つめている視線の方が熱かった。
 俺はあいが蒸発しないかって、いつも冷や冷やしていたんだ」
「わくわくじゃなくてかい?」
「ははは」
「ふふっ…」
過去の人間を笑い話にして、2人は笑いあった。
密会が露見してから両者の関係は、少し露骨になった。
人目をはばからずに外出するようになり、バーでの演奏のような、
“勤務外の奉仕活動”も頻度が増えた。
二人は一切の弁明をしなかった。
「フロイトの出来損ないが多すぎる」と肩をすくめたくらいだった。
70: 以下、
あいの仕事は激減した。
売女、あばずれ、金返せ。
そのような手紙が事務所に殺到した。
手紙一通一通、罵詈雑言一字一句に目を通して、あいは苦笑した。
「アイドルは元々、公衆に向かって股を開く女なのにね」
その言葉を聞いた他のアイドル達はぎくりとした。
彼女達の後ろめたさは、あいへの疎外という形で返ってきた。
71: 以下、
プロデューサーはプロデュース業がめっきり来なくなって、
代わりに細々とした事務職に打ち込んでいた。
なまじ優秀な男であるから、経営者側も切るに切れない。
アイドル達は彼に近づかなかった。
プロデューサーであるにも関わらず、あい以上の痛烈な皮肉を吐くからだ。
「観客の目線が気持ち悪かった」というアイドルに対して、
「そいつの金で細々と生き長らえているご気分は?」などと尋ねる。
皮肉であるのと同時に、それはぞっとするほどの正論であるから、何も言い返せない。
72: 以下、
直接“美城から出ていけ”と言われることはなかったが、
ある日、2人はいい加減うんざりして、定例会議の最中に辞表を提出した。
違約金が、損害の埋め合わせがと誰かが喚いたが、
札束の詰まったアタッシュケースがテーブルに積まれると、皆閉口した。
それを尻目に、あいとプロデューサーは会議室を後にした。
さらに、同日のうちに東京からも飛び出した。
73: 以下、
「勿体無いことしたかな」
北へ北へと続く電車の中で、あいは呟いた。
それを聞いた元プロデューサーは、書類を数枚取り出した。
東郷あいの楽曲や映像の権利書。
所有者の欄には、2人の名前が記されていた。
上層部と同僚のサボタージュにつけこんで、秘密裏に手続きがなされていたらしい。
「ちょっとまずいんじゃないのかい?」
あいがそう指摘すると、さらに男はレコーダーとスマートフォンを取り出した。
そこには、定例会議で金を無心してきた役員の肉声があり、
さらに会議室の様子がリアルタイムで中継されていた。
ごちゃごちゃ言っていたが、
要するに2人からどれだけ金を搾り取るかの算段であった。
格好の脅迫材料である。
74: 以下、
2人は津軽の驫木駅 で下りて、少し歩いた。
“人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる
あなたもきっと寂しかろう
虫の囁く草原を ともに道行く人だけど
絶えて物言うこともなく”
そう歌いながら、あいは涙を流した。
「大丈夫か」
男が尋ねると、あいは、
「大丈夫。
 ただ悲しいだけだから」
そう答えた。
75: 以下、
旅館に入ると、部屋には1つの布団だけがあった。
「してみようか」
あいは言ってみてから、しまったなと思った。
だが男は、無言でスーツを脱ぎ始めた。
それを追うように、あいも衣類を身体から引き剥がしにかかった。
彼女は最後に残った、ZENITHの腕時計を鬱陶しそうに外した。
男も全裸になった。
76: 以下、
そうして2人とも、絶望的な気分になった。
あいの身体は、アイドルだった頃となんら変わらないプロポーションを保っていて、
露わになった肌にはシミひとつなく、艶やかだった。
男の裸体にも、余計な贅肉は付いておらず、
ギリシアの彫刻のように引き締まっていた。
けれども、2人にとって現在行おうとしていることは、
積み重ねてきた信頼と、友情に対する裏切りであった。
期待も、性的興奮も、全く湧いてこなかった。
「キスは?」
「したいか?」
「いや、全く」
77: 以下、
電気を消して、2人は交わった。
何かが良い方向に変わると思った。
結果は、何も変わらなかった。
ただただ深い悔悟の念が、両者の胸の内に込み上げてきた。
78: 以下、
行為が終わったあと、押しつぶされるような沈黙が訪れた。
それに耐えかねて、男は部屋に備え付けてあった、PS2を起動した。
『FINAL FANTASY X』のソフトが入っていて、ゲームが始まるとすぐ、
物悲しげなメロディーが流れた。
79: 以下、
しばらくその音色に耳を傾けた後、あいは男に尋ねた。
「私達の友情も、幻想だったのかな…」
男はモニターから目を離さずに答えた。
80: 以下、
「俺が幻に見えるのか」
あいは、彼の背中にキスをした。
81: 以下、
おしまい
82: 以下、
おかえり

85: 以下、
【デレマス現代劇】木村夏樹「Like,Enemy,Hands」
86: 以下、
意外なことに思われるかもしれないが、
幼い頃の木村夏樹は内向的で、
 あまり自分の意見を口に出さない子どもだった。
 けれども言いたいことは人並み以上にあって、
 いつも胸の内に不快なとっかかりが居座っていた。
87: 以下、
 夏樹が6歳になった頃。
 家族でキャンプに向かう車中。
 皆あまり口数の多い方ではなくて、それでは寂しいから、
 父親は音楽をかけた。
 レンタルショップで適当に借りて来た、洋楽のオムニバスCD。
 陽気であるけれども、軽薄で意味不明な言葉の連なり。
 夏樹はもじもじ、足をすり合わせた。
 退屈。
 しかし、ある曲がかかった時、彼女の心臓は飛び跳ねた。
88: 以下、
 The Clashの『White Riot』。
 英語、若干のコックニー訛りで、しかも喚くような声。
 幼い夏樹に聞き取れる訳がない。
 だが、今までの歌とは違う。
 何かを伝えたい、というようなささやかなものではなく、
 “俺の言葉を叩きつけてやる”という、暴力的なまでのエゴ。
 夏樹の心はギリリ、ギリリと締め上げられた。
 曲が終わったあとも、彼女の脳内でジョー・ストラマーの叫びが
 繰り返し、繰り返し響いた。頭痛を覚えるほどに。
 夏樹はシートの上で、こてんと横に倒れた。
89: 以下、
びっくりした家族が彼女を病院に担ぎこんだから、
結局、キャンプ計画は流れてしまった。
90: 以下、
その日から夏樹の性格は一変した。
端的に言えば、かなり我儘になった。
とはいっても同世代の子どもに比べれば、
子どもとしての分を弁えたものであった。
親ができないことは望まなかった。
ただし、できるだろうと夏樹が考えたものについては、
脛にかじりついてでもねだった。
The Clashのアルバムを借りてくることだったり、
自分用のラジカセを買ってもらうことであったり…。
夏樹が欲しがったものの中で1番の大物は、
フェンダー社製『“ストラマ”キャスター』、テレキャスター。
憧れのジョーが、塗装がボロボロに剥がれるまで愛用したエレキギターだ。
91: 以下、
当時の定価で8万円ほど。
実勢価格になると、6万円前後まで下がる。
さらに中古をオークションなりリサイクルショップなりで探せば、
3万円以内でうまく収まるだろう。
夏樹はこっそり父親のPCを使って調べた。
さらに家事を熱心に手伝い、小遣いもこつこつ貯め、
大好きだったおやつの購入を親に辞めさせ、
誕生日プレゼントも三回固辞して機を伺っていた。
92: 以下、
夏樹が9歳になった頃、彼女はようやくギターを手に入れた。
子ども用ではなく、大きくなっても使えるように成人用を
購入してもらった。
しかし、何かが奇妙だった。
若干ボディが大きい。
弦を軽く撫でてみると、丸く太い音が出る。
テレキャスターには無いはずのトレモロがくっついている。
ボリューム/トーンのつまみがちがう。
しばらくぺたぺたさわってみて、夏樹は気づいた。
93: 以下、
『ジャズマスター』じゃん。
ボロくてもテレキャスターならいいか、とおもったけど、
ジャズマスターだよ!!
94: 以下、
両親に抗議しようと試みたが、悪気はなかったのだと思い止まって、
しょうがないから彼女は
おんぼろのジャズマスターでギターを始めた。
強くピッキングすると、細いゲージの弦がブリッジのコマから外れる。
セレクターの据わりが悪い。
トレモロのせいで弦のテンションが弱くなる。
幼い夏樹には複雑すぎるトーンコントロール回路。
ノン・レフティ(右利き仕様)。
なんど癇癪を起こしてギターを放り投げようとしたか、彼女自身にも知れない。
とはいえ、せっかく両親が買ってくれたものだから乱暴には出来ず、
辛抱して練習を続けた。
95: 以下、
こまめに修理を重ねながら、ジャズマスターとの付き合いが5年程になった頃。
両親は娘が予想以上に演奏にのめり込んでいることと、
彼女が弾いているのがテレキャスターではないことに気づき、
ギターの買い替えを提案した。
しかし夏樹にとってのジャズマスターは、既にかけがえのない存在になっていた。
面倒なところも、ボロくて一寸カッコ悪いところも、
どのトーンの中にも、どこかにくぐもった歪みがあるところも。
ジャズマスターは半身どころか夏樹そのものだった。
もうこのギター以外では、自分の口でさえも、何も表現できないような気さえした。
96: 以下、
高校に上がると、夏樹は軽音楽部に入った。
その頃の彼女は驚異的な技術を身につけていたから、
多少の嫉妬はありつつも、部活の中心人物になった。
しかし、夏樹は思い通りの演奏をすることはできなかった。
楽器という点では同好の士といえど、見ている方向は全く違う。
皆はきゃあきゃあ言いながら、
ポップスやアニメソングの拙いアレンジに甘んじていた。
夏樹はそれに逆らえなかった。
学校は社会の杜撰なパロディで、オブラートに包まず彼女に圧力をかけてきた。
くだらねえ。つまんねえ。
夏樹は、人前では笑顔を振りまきつつも、
家に帰ると毒づいた。
97: 以下、
そんなある日彼女はモニター越しに、ある女に出会った。
松永涼。
ロックなアイドルというテロップがあって、それに夏樹は鼻白んだ。
その涼が、ユニットメンバーとともに
きゃぴきゃぴしたアイドルソングを歌った後、
おもむろにエレキギター、しかもテレキャスターを取り出して
劈くようなサウンドを響かせた。
夏樹は余興かと思ったが、そのあとスタッフに取り押さえられていた。
メンバーは「またか…」という顔で肩をすくめていた。
98: 以下、
衝撃を受けた。
連れ出される直前、涼は叫んだ。
「本当のアタシをぶち撒けさせろ!!」
夏樹はリモコンをモニターにぶつけた。
信じられねえ!
ありえねえ!!
彼女は相棒のギターを抱えながら、
父親のバイクを奪って東京まで飛ばした。
そして美城プロダクションのドアを蹴破るように開けた。
夏樹が18の頃である。
99: 以下、
夏樹は涼と同じ“ロックな”アイドルとしてデビューした。
しかし、二番煎じだと揶揄されることはなかった。
率直に言えば、夏樹の演奏技術は涼を凌駕していた。
涼は元々とあるバンドのボーカルをしていて、
ギターを本格的に始めたのはごく最近のことであった。
それでも夏樹は、涼に失望することはなかった。
わざわざアイドルになって、ロックを貫こうとしていることにも、
疑問を持たなかった。
夏樹には、敵が必要だったのだ。
憎み叩き潰すのではなく、お互いの魂を懸けて、
どこまでも遠くまで突っ走れるような。
100: 以下、
それを再確認できたのが、2人が初めて声を交わした時だった。
「ボーカル志望だって聞いたが、どうしてギターを?」
自己紹介するでもなく、夏樹はそう尋ねた。
涼は別段気分を害した風でもなく、答えた。
「アイドルとしての“松永涼”をぶった切って、アタシを見せるには、
 なにかしらのスイッチが必要だったんだよ。
 声だけじゃない、何かが。
 ……まったく、ジャニス・ジョプリンみたいにはいかないねえ」
コイツは自分と同類だ。夏樹は確信した。
本当はただ叫びたいんだ。
でも、それが出来ないから、何かにすがるんだ。
「アンタは敵だ」
「そっか」
夏樹の挑戦に対して、涼はくっきりと笑みを浮かべた。
彼女も永らく、待っていたのだ。
101: 以下、
それから2人はことあるごとにぶつかった。
企画側が対立を煽ったこともあったが、基本的には一方が、
もう一方の活動に鼻先をつっこんでかき回す。
それはライブへ乱入する・されることが
あらかじめスケジュールに組み込まれるほど常態化していて、かつ熾烈だった。
互いのファンがそれを楽しんでいるところもあって、
事務所は小言を言うものの、
衝突を積極的に回避しようとはしなかった。
涼の演奏技術はめきめきと上達していった。
夏樹の歌唱力も、相手に迫るほどに研鑽されていった。
2人は親睦を深めるようなことは一切しなかった。
互いの魂を擦り合わせるほどに、
自身が研ぎ澄まされているのを感じていてから。
102: 以下、
けれども1つの舞台に立つ両者は怒っていたり、
鬼気迫るような表情をしているわけではない。
ただ、その時間が楽しくて、
楽しくてしょうがないという顔をしている。
だからこそ、彼女達を止めることができない。
103: 以下、
運命という残酷な力学のほかには、誰1人として。
104: 以下、
夏樹は御茶ノ水駅を出て、行きつけのスタジオまで急いだ。
最近の仕事先は無駄に気が利いていて、
ギターでも何でも向こうが用意してしまう。
ロック=ストラトキャスターって、どうにかならないもんか。
しかもレフティ。
夏樹は歩きながら、肩をすくめた。
同じエレキギターといえど、
ジャズマスターも弾かなくなれば腕が錆び付く。
今日は目一杯可愛がってやらないと…そう思いながら夏樹は、
片手に抱えたギターケースを、もう一方の手で撫でた。
105: 以下、
その時、歩道に一台の自動車が突っ込んだ。
度はあまり出ていなかったが、予想外のことであったので夏樹は動けず、
とっさにギターを両手で庇った。
身体が軽く、後ろへ撥ね飛ばされた。
夏樹はすぐに立ち上がって、自身の相棒の安否を確認しようとした。
しかし、ケースがうまく開けられない。
106: 以下、
指先がぬるぬると赤黒く濡れていて、
しかも長さが足りなかった。
107: 以下、
切断された指先は回収されたが、歪に変形していて縫合できなかった。
夏樹の目の前は真っ暗になった。
右手は2本の指でピックが握れさえすればいい。
だが、左手は押弦のために全ての指を使う。
ギタリストとしても、アイドルとしても、もう…。
両手を除けば怪我はなかった夏樹だが、精神的な苦痛が甚だしく、
自室に篭るようになった。
彼女のプロデューサーや他のアイドル、友人らが心配して尋ねてきたが、
誰1人として彼女の部屋に入れなかった。
入れたとして、どのような言葉をかけてやればよいのかも、
誰にも分からなかった。
108: 以下、
夏樹はバスタブに溢れんばかりのお湯を張った。
そして浴びるように酒を飲んだ。
くそっ、27歳だったらなあ。
そんなことを考えながら、夏樹はふらつく足で立ち上がって、
湯面を見つめた。
こんな“つら”しながら、ひとりぼっちで死ぬのか。
彼女は自嘲気味に笑った。
この気持ちを、たとえば渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で
ギターをかき鳴らしながら叫べたら、夏樹は自殺など考えなかっただろう。
109: 以下、
鈍った頭で意を決して、バスタブにそろりと足を浸けたとき、
玄関から物音がした。
鋲打ちのブーツ。身長は160cm、体重は47kg…。
類稀なる音感と直感で、夏樹はその主の察知した。
ポストに、何かが乱雑に投函される。
夏樹はひどい目眩を覚えながらも、這うように浴室を出た。
足音は遠ざかっていく。
扉にめりこんでいたのはBlack Sabbathの、『Black Sabbath』だった。
しかも1970年の初回レコード。
夏樹は感動よりも怒りを覚えて外に出たが、すでに誰もいなかった。
110: 以下、
彼女は死のうとしていたことなど忘れて、自室に戻った。
ムカムカしながら、年季の入ったレコードプレイヤーに円盤を据える。
スタイラスを溝に噛ませ、再生開始。
ひび割れたような音色が部屋に響く。
これはレコードが老朽化しているためであったが、
それが『黒い安息日』の演奏にマッチして、
より恐ろしげなサウンドとして仕上がっていた。
トニーのギターはやっぱりすげえ…。
夏樹はぽーっとしながら、耳を傾けた。
弦のテンションを下げた、重く潰れたような音。
のちのヘヴィ・メタルに多大な影響を与えた、偉大なギタリストの1人。
バーミンガムの出身で、「ボーカル以外全員募集」というオジーの貼り紙を見て
サバスの前身となるアースに参加した。
ギタリストとして本格的に活動する前は工場で…。
111: 以下、
その時、夏樹の脳内に電流が走った。
「“やるしかないのに、そんな簡単なことのわからない人間が多すぎる”…」
そう呟きながら、夏樹は再び外の世界へ飛び出した。
事故から守り抜いた相棒と共に。
112: 以下、
一ヶ月後、夏樹は舞台に立っていた。
指の長さは綺麗に揃っている。
愛和義肢製作所謹製の指先。
演奏用に特別な素材が用いられていて、適度な硬さがある。
今日は、復帰後初のライブである。
進行は全て夏樹に一任されている。
第一曲目は、夏樹が初めて作詞作曲したパンク・ロック。
アップテンポであるが、単純なスリーコードによる構成。
事故前でのライブでも、何度も披露した思い出深い作品である。
113: 以下、
しかし、夏樹の指は思うように動かなかった。
そもそも自分の指先でなく、弦を抑える感触もぶれている。
以前のような演奏が出来るはずがない。
一小節が丸ごと飛んだ。間抜けな音が出た。
観客席から、疲れ切ったようなため息が出た。
夏樹は歯軋りした。身体が大きく震えた。
演奏が拙いことが悔しかった。
さらにそれよりも、自分がもう二度と、
松永涼と戦うことが出来ないのが辛かった。
114: 以下、
本当に、ダッセえ。
引き際を誤って醜態を晒すミュージシャンを、夏樹は軽蔑する。
今からでも遅くない…。
沈痛な面持ちで、彼女は演奏を止めた。
引退、そんな言葉が喉から出かかった。
115: 以下、
だが音楽は止まっていなかった。
116: 以下、
この舞台に、夏樹1人では広すぎる舞台に、
もう2人目のギタリストがいるからだ。
117: 以下、
「てめえ」
夏樹は相手に声をぶつけた。
涙がギターネックに降り注いだ。
「曲パクってんじゃねーよ……!」
118: 以下、
松永涼は不敵な笑みを浮かべた。
「でも、こっちの方が上手いだろ?」
119: 以下、
夏樹は涙を拭った。震えは、既に止まっていた。
「てめえの下手くそなギターのせいで、いつもの調子が出なかったんだよ!!」
二重の旋律が、夏の青空に吸い込まれていった。
120: 以下、
おしまい
121: 以下、
これで区切り
依頼出してくる
122: 以下、
乙乙。
クッソかっこいいわ
元スレ
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