仏教さん「極端にとらわれるな。中道にもとらわれるな」back

仏教さん「極端にとらわれるな。中道にもとらわれるな」


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仏教さん「とらわれてはならんという考え方にもとらわれるな」
どうしたらええんや…
引用元: ・仏教さん「極端にとらわれるな。中道にもとらわれるな」
3: 風吹けば
仏教さん「どうせ死ぬから何にも執着するな」
7: 風吹けば
>>3
執着しないということに執着するな
どないせえっちゅうねん…
9: 風吹けば
>>7
ケースバイケースやでってことでええがな
6: 風吹けば
自分で考えて悟りを開くんやで
10: 風吹けば
ワイは悟ったから輪廻はないで(解脱
ほなさいなら
14: 風吹けば
牛の事を考えてるうちはまだまだ素人
15: 風吹けば
人生はままならんということや
17: 風吹けば
ワイ「ケーキ上手いから食いまくるンゴ」
仏教さん「ケーキに執着したいかんで」
ワイ「おかのした」
仏教さん「ケーキに執着したらいかんって教えにも執着したらいかん」
ワイ「じゃあケーキ食ってええんか?」
仏教さん「ダメやで」
殺したくなるわ
18: 風吹けば
>>17
食べていいぞ
27: 風吹けば
>>17
ケーキ食べてええんやっていう派閥もあるぞ
50: 風吹けば
>>17
食に困って盗みや殺生しなくていい人がほとんどや。ええ時代や
21: 風吹けば
アーチャンチャーの本でも読んだらどうや
今はもう亡くなっとるがタイの相当な高僧で阿羅漢なのではないかって何度も噂されてるような人やで
無常の教え
チャー,アーチャン1918年、タイ東北部イサーン地方ウボンラーチャターニー近郊に生まれる。20世紀のタイにおけるテーラワーダ仏教を代表する僧侶の一人。9歳で沙弥出家。20歳で比丘出家をする。1946年、父の死をきっかけとして、仏法の真髄を求めるための遊行の旅に出る。数年の遍歴遊行の後、アーチャン・マンに師事。瞑想実践に打ち込む。1954年、生地近郊の森に自らの僧院であるワット・パー・ポンを設立。簡素な寺院として始まったワット・パー・ポンはタイ有数の森林僧院となる。1992年、逝去
無常の教え
28: 風吹けば
ワイガチ陽キャやけど仏教って欲しい物が手に入らない雑魚陰キャが自分を正当化するための方便やろ?
33: 風吹けば
>>28
ブッタは王子やったからなんでも手に入ったぞ
91: 風吹けば
>>33
小国の王やから言うほど何もできなかったらしいぞ
37: 風吹けば
>>28
別に手に入らないのはいいんだよ
問題は手に入ったのに嬉しくなかったとき
そのための仏教や
30: 風吹けば
臨機応変にいけってことや
35: 風吹けば
最終的にはどんな状態でも悟りというか解脱状態にある
ただそれをちっぽけな自我がコントロールできると思ってるのは幻想ってこと
36: 風吹けば
最善を尽くし
結果に囚われるなということ
39: 風吹けば
自灯明法灯明
40: 風吹けば
「ブッダのダンマを本の中に見出すことはできん。もし、おまえさんが真にブッダの説いたことを理解したいのなら、本を読むことに煩わされることはない。そんなことより、自分の心を観察するんじゃ。」
アーチャンチャーの言葉やで
原始仏教じゃないが瞑想とかの類いについて知りたいなら是非とも読んでみるべきや
44: 風吹けば
>>40
その本に囚われてるのではないか
52: 風吹けば
「もしあなたが何かを好きになったら、好きと思った瞬間に、それを追い求めるでしょう。しかしそれは、あなたを苦しみへと導くのです。欲望というものは、本当に狡猾です。」
>>44
せやで
だからこうも言っとる
「表面的な経典の学習は重要ではありません。もちろん経典は正確に法を説いたものですが、それらをただ読むことは、正しい理解をもたらすものではありません。それらは、あなたに正しい智慧を授けてくれるものではないのです。」
「自分自身で経験したことだけが、あなたに信(サッダー)をもたらすのです。」
「もし、あなたが基本に忠実に従い、瞑想を続けるのなら、おのずと自らの内にダンマを見出すようになるでしょう。それには、ただ単に経典を学ぶより多くのことが必要です。自分自身と対話し、自分自身の心を観察してみてください。」
46: 風吹けば
>>40
かっこええな
ダンマってのは教えのこと?
57: 風吹けば
>>46
法って意味やで
41: 風吹けば
考えを押し付けるなという考えを押し付けるな
45: 風吹けば
仏陀の教え≠仏教
49: 風吹けば
自灯明法灯明やぞ
常にどこに心の位置を置くかや
58: 風吹けば
執着するなとは言っても無関心でもいかんしな
63: 風吹けば
結局のところ悟りを得るためには気づきの瞑想をしろってことやな
ただこれも「悟りたい」と思ったら駄目やし難しい
67: 風吹けば
「最後には、おまえさんはあらゆる瞑想法さえ手放さなければならない。自分の師匠にさえも執着することはできない。じゃから、もし、その瞑想法が厭離(おんり)や無執着に通ずるものであるなら、それは正しい修行法であると言えるだろう。」
アカンわからんわ
72: 風吹けば
「修行の方法というものは、見かけ上はしばしば異なっているもんじゃ。じゃが、おまえさんがこの道を行こうと、あの道を行こうと、早く歩こうと、ゆっくり歩こうと、気づきがあるのなら、それらは全部同じじゃ。
すべての正しい実践は、最終的には「執着をしない」という本質的なポイントに帰着する。」
「ブッダのダンマを本の中に見出すことはできん。もし、おまえさんが真にブッダの説いたことを理解したいのなら、本を読むことに煩わされることはない。そんなことより、自分の心を観察するんじゃ。」
「どのように感情や思考が去来するのかを観察しなさい。何ものにも執着してはならん。ただ、見るものすべてに気づきを保つのじゃ。これがブッダの真理の道じゃ。」
75: 風吹けば
>>72
結局見たまんまをありのままに捉えろってことなんかな
82: 風吹けば
>>75
「現象のありのままの姿を明晰かつ正直に観察することによって、人々に幸福をもたらすことは、仏教を含めた本物の宗教の仕事じゃ。
どのような宗教、教理、修行法でも、この条件を満たすのなら、おまえさんはそれを仏教と呼ぶことができる。もし、おまえさんがそうしたければの話じゃが。」
「何かになろうとしてはいけません。自分自身を何かに変えようとしてはいけません。瞑想者になってはいけません。悟りを開いた人になろうとしてもいけません。あなたが瞑想をするときは、あるがままにいてください。」
ありのままって感じの言葉はちょくちょく出てくるな
83: 風吹けば
>>72
瞑想並みの集中力で常にあらゆることにアンテナ張って「気づき」を得れば
瞑想しなくてええな
85: 風吹けば
>>83
「頭で考えるのではなく、日常生活を通じて実践をおこないなさい。」
「気づきを保ち、物事をその自然なままにさせておきなさい。そうすれば、どんな環境にいようと、あなたの心は透明な池のように静まっていきます。」
「おまえさんの修行は、朝起きると同時に始まり、眠りにつくその瞬間まで続くべきものじゃ。どれくらい長く座れるかなどということは、気にせんでいい。
大切なのは、歩いているときであろうと、座っているときであろうと、便所へ行くときであろうと、気づきを保つことだけなんじゃ。」
「ぶっ続けで何時間も座る瞑想をする必要はない。世の中には、より長く座る瞑想ができるほど、賢い人間なのだと思っている人々もいる。
じゃが、わしは鶏たちが自分の巣に何日間もずっと座り続けているのを見たことがある。智慧とは、あらゆる体勢のときであっても気づきを保つことから生まれるものじゃ。」
結局そういうことやろな
73: 風吹けば
物事を深刻に考えるなということやろ
バカ笑いはいかんけどアルカイックスマイルでいこうや
74: 風吹けば
悟らなくても阿弥陀さんが極楽に連れてってくれるで
立派な庭園作って現世に極楽作れば往生しても極楽行けるで
法華経唱えとけばええで
南無阿弥陀仏と唱えとけばええで
もう救われてるから感謝の気持ちを踊りで表すとええで
秘密の修行やから一対一じゃないと教えられんで
196: 風吹けば
>>74
お、延暦寺ゥー!
77: 風吹けば
解脱への道としてブッダが最初に教えたのは、欲望への極度の耽溺と、苦行との間にある中道じゃ。わしらの心はそのバランスを失い、これらの両極端へ落ちることのないよう、すべての経験に対して開かれていなければならん。
80: 風吹けば
入滅後にめっちゃ揉めたからそれだけ分かりにくいんだよなあ
81: 風吹けば
つまりさー執着しちゃだめとか無になれとかいうけどそれって結局悟りたいからでしょ?
それさえやれば悟れるって思ってることが小さい自我の傲慢なところで実際は自我の自由意志なんてもんはないしなんの力も持ってないんだよね
それに理解するのが悟るってこと
悟るやら悟りを開くとはよく言ったもんで主体がいないように絶妙に表現されてるよね
86: 風吹けば
「自分自身に瞑想することを強いたり、ぎこちない振る舞いを自分にすることを強いたりすることは、形を変えた執着なんじゃ。」
「足を組んで座る瞑想をしているときだけが修行の場だと思ってはいかん。なかには瞑想をするための十分な時間がないといって文句を言うものがおるな。
では、おまえさん、息をするための時間もないのかい?おまえさんが何をするときでも、そこには気づきがあり自然体でいるのならそれは瞑想になるのじゃ。」
89: 風吹けば
>>86
ワイ正座できんことを坊さんに告げたらこう言うことを言われたわ
94: 風吹けば
>>89
はえ?
どの宗派かは知らんがやはり瞑想やらをやる宗派はこういう考えに帰結するのかもしれんな
「おまえさんが自と他の双方を手放すとき、「生きとし生けるものが幸せでありますように。生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように」と、きまり文句を繰り返すような子どもの遊びとは異なる、深く自然な修行の進歩がそこにはあるのじゃ。」
「比丘にとっての戒律は、自分自身の瞑想のために使われる道具であって、他人を批判したり、他人の欠点を見つけるための武器ではない。自分の意見を手放し、自分自身を観察するんじゃ。それが、わしらのダンマだ。」
92: 風吹けば
>>86
言ってることはわかるんやけどそういう生き方こそしんどい苦しみな気がするわ
現世の苦しみよりは楽なんやろうけど
107: 風吹けば
>>86
一応ヨガとかあのへんで脳汁出やすい呼吸とかあるとは思う
90: 風吹けば
「どのように感情や思考が去来するのかを観察しなさい。何ものにも執着してはならん。ただ、見るものすべてに気づきを保つのじゃ。これがブッダの真理の道じゃ。」
「わしはおまえさんたちが、さまざまな概念への執着を手放すことと、今ここで何が生じているのかを正しく観察すること、そして、自然な実践ができるようになるように説いているにすぎん。
わしらにとって何が正しいことであるかを理解し、行動するよう奮起させるものは何であれ、正しい実践じゃ。」
結局本や教えに執着することなく、最後には気づきの瞑想を通じて執着から離れることが肝心なんやろな
実践あるのみやで
99: 風吹けば
>>90
実践しても結局気付くのはワイって無力だわってことぐらいやと思うで
ワイは6年くらい色々やったけどそれに気づいてもう全部辞めた
104: 風吹けば
>>99
どんな実践してたんや?
その無力だわって考えに至るまでの過程も教えてや
120: 風吹けば
>>104
一日中瞑想したり何も考えないようにしたり欲望を切り離そうとしたり仏教本読み漁ったりセドナやったりスピ系のメソッドやったりしまいにはなんもやらないようにしたり色々やで
その間ずっと苦しんでた
結局悟りたいってのが目的になってる以上は何もうまくいかんのや
そしてあらゆる行動がそれに縛られてることに気付いた時に俺って自由意志ないじゃんと気付いた
自由意志どころかなんの力もないちっぽけなエゴだと
それからは俺自身に力があるような行動することは辞めた、というかできなくなってしまった
まあワイの考えやけどあらゆる実践方法ってのは逆説的に自分が無力だって気付くためにあるんやないかな
130: 風吹けば
>>120
ありがとやで
何も考えないというのはそれサマタ瞑想の類いちゃうか?
ここで書いてある気づきの瞑想、ヴィパッサナー瞑想とはまた違う気もするで
そしてこれらで苦痛が生じたならそれを手放さなくちゃアカンし、あるいは娯楽をすることによって中道に保たなくちゃアカンのとちゃうか?
所詮実践したことがないワイの言う空論になってまうが、この場合の娯楽は中道に保つためのものやし咎められるようなものでもないやろ
そしてこの人は悟りたいと思っちゃ駄目とも言っとるし
160: 風吹けば
>>130
ヴィパッサナーもちょっと手出したけどワイには合わんかったな
まあかなり末期にやってたから色々適当になってた部分もあるかもしれん
批判するわけじゃないが自分の心を管理するやり方ってかなりしんどいんだよな
ワイは今中道じゃない、もっとちゃんとしなきゃって思考は地獄の苦しみやで
131: 風吹けば
>>120
一回ぐらい神秘体験なかった?
168: 風吹けば
>>131
あったけどずっと続くわけじゃないしそれに囚われてると後々泣きを見る
あの時はうまくいったのに!って感じ
95: 風吹けば
仏教も含めて宗教の神秘体験って
大抵がトランスによる幻覚じゃないの?
108: 風吹けば
>>95
松果体の光をみてるのが9割かと
100: 風吹けば
空即是色
101: 風吹けば
常識に縛られるな
自由に恋しよう
105: 風吹けば
>>101
恋をするという常識を疑え
112: 風吹けば
わい去年から色々やって、ここに書いてる事
特に気づきについてマジで納得いくんやけど
102: 風吹けば
「実践の道を歩む人は、中道に従わなければなりません。それは、「私は、快楽にも苦痛にも興味を持ちません。私は、それらを捨て去ります」ということです。」
「生と死、幸福と苦しみ、善と悪とに執着し、中道を歩まない者は賢者にはなれず、解脱を得ることはできません。」
「サマタ(静寂)と純粋な気づきという私たちの実践はまっすぐなものであり、高揚と悲しみの双方を落ち着かせてくれるものです。」
「聞くが良い。ここには誰もおらん。ただ『これ』があるのみじゃ。主はいない。老いも若きもない。善も悪もない。弱い者も強い者もいない。・・・不生不滅・・。
わしらが重荷を背負っているとき、それは苦役となる。じゃが、重荷を背負う者がおらんのなら、そこに何の問題が発生することがあろう」
110: 風吹けば
「わしだって絶望的な気持ちになったこともあった。還俗したいと思ったり、自殺をしたいと思ったこともあった。この種の苦しみは、間違った見解によってもたらされる。
じゃが、おまえさんが真理を理解したとき、おまえさんはあらゆる見(ディッティ)から自由となる。すべてが平安なものとなるのだ。」
「平安でさえ、無常であると理解されなければならん。もし、おまえさんが心の平安に執着するのなら、それを失ったときに、おまえさんは苦しむことになるじゃろう。平安を含めたすべてを手放すのだ。」
「おまえさんが自分自身に対して腹を立てたり、自分の境遇を気の毒に思うとき、それは自分の心を理解するための大切な機会なのだ。」
113: 風吹けば
「自分が怒っていることに気づいたら、ただそれを手放せばいい。もしくは、慈悲の修習をおこなってもよい。強い怒りが生じるときには、慈悲の心を育てることにより、それらとバランスをとるといい。」
「もし、わしがおまえさんのイメージする『悟りを開いた人』のイメージに一致してしまったら、おまえさんは自分の外側にブッダを探し求めることにとらわれてしまうじゃろう。
じゃがな。ブッダはおまえさんの外側にはおらん。ブッダとは、おまえさんの心の内に見出すものじゃ」
114: 風吹けば
回峰行の堂入りとか極限状態故の何かやと思うけどな
最後らへんは部屋の湿気を体が取り込むのがわかるらしいし
115: 風吹けば
>>114
真言宗やっけ?
密教はロマンがあるわ
122: 風吹けば
>>115
天台や
堂の中ぐるぐる回る常行三昧の間に仏っぽいの見たとかあって草生える
117: 風吹けば
「疑(ウィチキャッチャー)が生じるのは自然なことじゃ。誰もが皆、修行を始めたばかりの頃は、疑念を持つものだ。
おまえさんはそれらの疑念から多くのことを学ぶことができる。大切なことは、おまえさんのその疑念と、おまえさん自身を同一視してはならんということだ。」
「疑の全体のプロセスを観察しなさい。疑念を持っているのは誰なのか、疑念はどのように去来するのかを観察するのだ。
そうすれば、おまえさんは疑の犠牲者となることはない。おまえさんは疑から脱し、心は静謐なものとなるじゃろう。そして、すべての現象がどのように去来するのかを理解するようになる。」
118: 風吹けば
「快楽が生じるとき、それらが空であると理解しなさい。そして、不快なものが生じたときには、それは自分でも、自分のものでもないと理解しなさい。それらは、過ぎ去っていくものじゃ。」
「本当の修行とは、座り、心を静め、そのことから生み出されたサマーディ(定)を用いて心と身体のありのままの姿を観察することをいうのじゃ。
さもないと、もし心を静めても、平安で煩悩から自由になっているのは座る瞑想をしている間だけということになってしまう。」
124: 風吹けば
>>118
瞑想で得た心の状態を常に実践できるようになれってことを繰り返し説いてるんやな
119: 風吹けば
「何かを達成しようとしてはいかん。さもないと、おまえさんが瞑想実践を始めたばかりの頃に、心が静まり始めると、すぐにこんなことを考えてしまうじゃろう。
「ああ、もうすぐ第一禅定の近くかな?あと、どれくらい進まなくてはいけないのだろう?」とな。その瞬間、おまえさんはすべてを失ってしまう。」
「おまえさんが観察すればするほど、より明瞭に観察することができるようになるじゃろう。
もし、完全に気づきを保つことを学んだのなら、おまえさんはもう自分がどの程度の禅定に達したのかなどと気にすることはなくなるじゃろう。ただ、正しい道を歩み続ければ、真理は自然と明らかになっていくのじゃ。」
121: 風吹けば
「仏道修行においては、結果を出そうとしてはいかん。解脱をしたい、悟りを開きたいという強い欲望は、おまえさんの解脱を阻む欲望になってしまう。」
「おまえさんは自分が望むだけ、昼も夜も必死に修行に打ち込むことができるが、達成したいという欲望がまだ残っているのなら、決して平安を得ることはできんじゃろう。
欲望から智慧は生じてこない。ただ、手放すことじゃ。気づきをもって、心と身体を観察するんじゃ。」
色々コピペしとるが迷惑やろか?
読んでる奴おるんかな
123: 風吹けば
>>121
めっちゃおもろい
125: 風吹けば
帰命無量寿如来
126: 風吹けば
仏教て結局生きてても無駄やんてなるやん
135: 風吹けば
そうか辛い時には楽しいことをして中道にいくのか
言われるてみると当たり前なんやが目から鱗や
おもしろいわ
137: 風吹けば
「在家として日常生活を過ごしながらダンマの修行をするためには、私たちは世俗に暮らしながらそれを超えた世界にとどまるよう努力しなければなりません。」
「目で見えるもの、耳で聞こえるもの、匂い、味、身体に触れる感覚、そして心を観察し、瞑想するために、わしらはサマーディの力を使うんじゃ。」
読んでる奴いるみたいやからもう少し続けるわ
気になった奴はアーチャンチャーの「手放す生き方」を読むんやで
140: 風吹けば
「じゃが、このような目的で修行を行うことは、うまい酒のように人を酔わせるもととなる。そうではなくて、この段階を越えた道こそが、ブッダがかつて歩んだ道なのだ。
そこでは、サマーディはヴィパッサナーの土台としてのみ用いられる。ゆえに、そんなに強いサマーディは必要ないのじゃ。」
「私たちは、苦(ドゥッカ)の原因のすべてを知らなければなりません。これこそが、真のダンマ、四聖諦です。何か特殊な瞑想法を身につけなくてはいけないわけではないのです。」
144: 風吹けば
瞑想はちゃんと指導者つけた方がええで
149: 風吹けば
>>144
これよく言うな
謎の恐怖心やらに囚われたりすることもあるとか聞くがどうなんやろ
152: 風吹けば
>>149
素直にみたらええよ
145: 風吹けば
「生物の価値に優劣はない」と
「自分の力だけで生きてると思いあがるな」と
「自由」と「孤独」は違う言葉
だけどそこに立ってるのは同じかもしれない
150: 風吹けば
悟りは教えられるものじゃないから勝手に悟れみたいな宗派があったな
修行自体はあるから散々師匠にしごかれたりするんやが
最終的に「悟りました!つまりこういうことですね!」と言いながら師匠を殴るみたいなエピソードがあった
148: 風吹けば
「心の平安とは、山の中や洞窟のような僻地で見出されるものではありません。」
「墓地のそばに暮らし、死そのものや、死体が腐敗していくことを対象に、不浄観をおこなう比丘たちもいます。常に心の中に死と老いることをとどめ、感覚の世界に対しては冷静さを保ち、期待をしないようにし、サマーディ(定)を養ってください。」
153: 風吹けば
「身体への瞑想は、私たちの常識に反するものの一例です。私たちは普通、身体とは美しく、良いものだと考えています。しかし、八正道の実践とは、私たちの身体の無常さと、老いや死などの受け入れがたい側面を観察することを意味します。」
「手放すことをしないということは、平安のない場所でそれを探求することを意味します。この真理を、自分自身で見出しなさい。自分の外にある師に頼る必要はありません。心と身体は、いつも私たちに教えを説いているのです。」
「もしあなたが、好悪によって判断することをやめないのなら、あなたは真剣に努力しているとは言えないのです。」
154: 風吹けば
空の境地
157: 風吹けば
物事を脳で捉えるのではなく、体で捉えること
あれを食べようと考えるのではなく、あれが食べたいなと感じる内側の働きかけに委ねること
でも太りそうだったら食べなくてもいい
163: 風吹けば
>>157
めっちゃわかる
158: 風吹けば
即否の論理よ
159: 風吹けば
ワイは悟りたいんやない
よりよく生きたいんや
167: 風吹けば
>>159
楽にもなれるで
162: 風吹けば
犀の角のようにただ歩め、っておっしゃいますけど
角に足とか生えてるんですかね
165: 風吹けば
「もし、煩悩が「早くよこせ」と語りかけるのなら、修行の道においては、「ゆっくりお与えください」と言うべきです。
もし、私たちの執着心が温かく柔らかい食べ物を欲するのなら、修業の道においては、硬くて冷たいものを求めるべきです。」
「修行の道は、常に煩悩や習慣化した欲望と対立します。かつてサーリプッタ長老が托鉢に行ったときに、自分の中の貧(ローバ)が、
「もっとたくさんよこせ」と言っていることに気がつきました。そこで、サーリプッタ長老は、村人に、「少しだけいただけますか」と言いました。」
171: 風吹けば
>>165
「よこせ」の部分は否定しないんか?
そこがよくわからん
185: 風吹けば
すまんなんか連投になったわ
>>171
ワイもよくわからんわ
「よこせ」という点において「早くよこせ」という極端に陥っとるから「ゆっくり」にして中道に保っとるんやろうけど
あるいは「よこせ」という自身の主導に対し「お与えください」という受動にして中道にしとるようにも見える
托鉢に関する流れやし
195: 風吹けば
>>185
「よこせ」というコアの部分は変えずに外側を変えることでバランスとるみたいな感じか
しっくりこんなぁ
166: 風吹けば
仏陀「ワイの考えが正しいとも限らんからただ信じるんやなくて疑うんやで」
哲学的やな
174: 風吹けば
「もし、私たちが真摯に修行を続けるのなら、その修行の結果は世間を照らし出すでしょう。見る目のある人は、それに気がつきます。私たちは、修行の成果を宣伝する必要はないのです。」
「私たちは思考を無理やり抑えようとするのではなく、思考が生じても好きなようにさせ、ただそれに気づき、過剰に反応しなければよいのです。」
ほなもうこんなもんやろ
アーチャンチャーの言葉を纏めた本は何冊が出とるから気が向いたら買うとええで
175: 風吹けば
「もし、私たちが真摯に修行を続けるのなら、その修行の結果は世間を照らし出すでしょう。見る目のある人は、それに気がつきます。私たちは、修行の成果を宣伝する必要はないのです。」
「私たちは思考を無理やり抑えようとするのではなく、思考が生じても好きなようにさせ、ただそれに気づき、過剰に反応しなければよいのです。」
ほなもうこんなもんやろ
アーチャンチャーの言葉を纏めた本は何冊が出とるから気が向いたら買うとええで
178: 風吹けば
>>175
サンガツ
181: 風吹けば
アチャチャアーチャーおもろいな
187: 風吹けば
ゴータマさん「そんなこと一言も言ってないぞ!」
これが現実
188: 風吹けば
>>187
せやな
189: ふにゃふにゃ ◆Ip540tyhf8UQ 2017/03/26(日) 06:49:57.99 ID:IxpTiywE0
>>187
そう
194: 風吹けば
>>187
仏教は釈迦を含めた仏の教え、悟りへと到達する為の教えやからな
初期仏教しか認めん仏教原理主義ならともかくまあええやん
203: 風吹けば
>>194
なお、「ワイは釈尊からこう聞いたで」といえばゴータマさんの教えになるとんでもない状況が数百年続いた模様
大乗もその流れやし
208: 風吹けば
>>203
如是我聞ってやっぱ糞だわ
170: 風吹けば
全てを疑え
無闇に信仰するな
#kako_link a {color:#0000ff;}
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コメント
1 不思議な
1
2 不思議な
仏教は「師に従え」とは説いてないのになんで師に従っちゃうのかなあ
ニーチェでも読んで宗教をその外側と思える足場から捉え直すよう務めたら気付きみたいなこともあるんじゃね?
3 不思議な
文字である以上ネットでは仏教の悟りは開けんと思うのであった
4 不思議な
理屈ではなく体感ってのがすごいな
でもそこに至るまでにあらゆる仏教知識を得てなければいけない
5 不思議な
解脱するのマジおすすめ、それ以外のことはまあ全部過程に過ぎないから気にすんな。
だからな
6 不思議な
仏教が魅力的なのは、結局は何を言ってるのか全然分からんところ
分からんということは分かる可能性があるということであり、そこに悟りという救いの可能性があるということ
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7 不思議な

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