武内P「女性は誰もがこわ……強いですから」back

武内P「女性は誰もがこわ……強いですから」


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1:
・アニメ基準
・武内Pもの
・長い
・マジで長い
?私たちが知らない女性と、抱き合ったりしたことあるんでしょうか
「プロデューサー……付き合ってた人っている?」
それは脈絡の無い問いでした。
冬の夜は暮れるのが早い。
冷たい雨が降り注ぐ音と道路の喧騒が外で鳴り響く一方で、車内は長いこと静かでした。
そんな信号待ちの最中に、不意に静けさを破って助手席から今の質問が発せられたのです。
ひょっとすると彼女が今の今までずっと黙っていたのは、質問する機をうかがっていたからなのか。
驚きのあまり、ついまじまじと彼女――渋谷さんを見つめてしまう。
渋谷さんはシートに身を預け、私から顔をそむけるようにして頬杖をつき、窓の景色を眺めている。
質問する機をうかがっていたのではないかという推測が的外れに思えるほど、その姿は平静でした。
――ふと、一年前のことを思い出してしまう。
あの時も車内で二人きりでした。
ただし彼女は渋谷さんとは違い、いつも以上によく話したかと思いきや突然黙り込み、それから突然同じ質問をしました。
私から顔をそむけ、しかし顔が真っ赤であることが耳まで染まっていたことからわかり――
「プロデューサー」
「は、はい」
「信号、青だよ」
後ろからクラクションが鳴る。
どうやら思索にふけりすぎたようです。
慌てて足をブレーキからアクセルへと踏みかえます。
「その……私に付き合っていた人がいたかどうかですが」
「うん」
「大学生の頃に一度だけあります」
「……………………ふーん、そっか」
その声は異様なまでに平坦でした。
理由はわかりませんが、胃の辺りが締めつけられたような錯覚すら起きます。
チラリと助手席の様子を見るも、先ほどと何の変化も見受けられません。
……サイドミラーからでも彼女の顔が見えないのは幸か不幸か。
渋谷凛
2:
「どれぐらいの期間付き合ってたの?」
「一年と……半年ぐらいです」
「けっこう、長いね」
「え、ええ」
「それで、どちらから告白したの? 相手の人のどんなところが好きだったの? 今でも連絡取ってるの? なんで長続きしたの?」
平坦であった声が乱れ始め、熱がこもる。
年頃の少女だ。身近な異性のそういった話に興味を持つのは別に不自然な事じゃないのでしょう。
もっとも、渋谷さんの興味を持つ姿勢はやや不自然に思えますが……
「相手の方から……になりますか」
「なんだか歯切れが悪いね」
歯切れが悪くならざるを得ない内容ですから。
酔って同僚に話すならともかく、女子高生に聞かせる話では――
「妙に周りの人にお酒を勧められて潰れてしまって、目が覚めたら女性の部屋だったとか?」
「……ッ!?」
「なんとなくそんな光景が思い浮かんだんだけど……当たりみたいだね」
真相をあっさりと言い当てられ思わず息をのむ。
女の勘という言葉がありますが、それを目の当たりにする度に背筋が凍る思いをします。
まして、それがまだ十五歳の少女となれば言わずもがな。
「で、付き合わざるを得ない状況だったから付き合った。別に相手のことが好きだったわけじゃないってことだよね?」
「……いえ。好きか嫌いかで言えば好きだと断言できる程度には、好意を持っていました」
「……………………ふーん」
渋谷さんの声が跳ね上がったかと思うと、一瞬にしてまた平坦な声に戻ってしまいました。
好意を持つ者同士が結ばれる話は年頃の少女が好む類いだと思うのですが……わからないものです。
「ただ、彼女と付き合うことを願っていたわけではありません。私とはまるで違う視野を持っていることを尊敬していて、面白みの無い私に何かと話しかけてくれたことに感謝はしてい
まして……良き友人を持てたと思っていました」
「プロデューサー……多分その人、色んな方法でプロデューサーにアプローチしたけどまるで気づいてもらえなかったら、周りの人に協力してもらって強引な手に出たんじゃないの?」
「はい。付き合い始めてから教えてもらいましたが……なぜ渋谷さんがそれを?」
「別に。プロデューサーは昔からプロデューサーなんだなって」
「は、はあ」
当然ですが大学生であった私はプロデューサーではありません。
346に入社して数年経ってからなのですが。
3:
「それで? 今でも連絡取ってるの? 大学の同窓会で顔を合わせたりしてないよね?」
私が彼女と会うことに何ら問題は無いはずですが……渋谷さんと話しているとなぜか悪いことのように思えてきました。
「最後に会ったのは一昨年のことで、旦那さんと幸せそうにしておられました」
「……そっか。幸せそうでで何よりだね」
「ええ」
「じゃあプロデューサーはその人と別れてから誰とも付き合ってないんだよね?」
「まあ……そうなってしまいますね」
「別にいいと思うよ。次々と女の子をとっかえひっかえするよりずっと」
ようやく渋谷さんの調子がいつもに、いえどちらかというといつも以上に良くなってくれました。
しかし機嫌の良い渋谷さんを見ていると、どうしてもまた一年前のことを思い出してしまいます。
そうでした。
彼女は最初、私に交際経験があると知った時はなぜか硬直し顔が青ざめ、しかし別れてからはずっとフリーということがわかると今の渋谷さんのように上機嫌に――
「ねえ」
その言の葉はまるで氷の刃のように私の背筋を貫き――
「今、誰のこと考えてたの?」
――寒さに怯えた心臓が熱を送ろうとがむしゃらに走る。
……胸に手を当てずとも自分の心拍数が上がったことがわかってしまいます。
年頃の少女というのは本当に難しい。
逆鱗に触れた後でも、何が逆鱗であったのかわからないのですから。
「実は……前にも今のように車で二人の時に、同じ質問をされたことがあります。そして彼女の反応が渋谷さんに似ていたもので、つい」
「ふーん」
別に思い出しただけですが、快不快は人それぞれ。
話してまずい内容でも無かったので正直に伝えてみると。
「楓さん……ううん、美嘉か」
あっさりと言い当てられハンドルを握る手が強張り、車体がぶれてしまう。
みっともなく動揺する自分の心が現れたようでますます恥ずかしくなる。
4:
「ねえプロデューサー?」
「……な、なんでしょうか」
答える声が上ずっているのが自分でもわかります。
「美嘉と付き合ったりしてないよね?」
「…………はい?」
それはあまりにも想定外の質問でした。
呆気にとられたまま渋谷さんの意図を探ろうと見つめてしまい、視界の端でいつの間にか前の車が停まったことに気がつき慌ててブレーキを踏む。
「……うん。どうやら違うみたいだね」
「その……なぜそのような有り得ないことを?」
「有り得ないかな? だってプロデューサーと美嘉って、妙に距離が近いんだもん」
多分、私以外にもそう考えている人は何人かいるよと渋谷さんが続けるのを、頭を振って否定する。
「確かに……彼女は担当だった頃から不甲斐ない私を叱咤してくれました。担当ではなくなった後も、妹さんや後輩たちを心配してのことでしょうがよく顔を出しては助言をくれました。しかし城ヶ崎さんが私などにそのような感情を持つことはあり得ません」
そもそもプロデューサーである私が、彼女たちをそのような目で見るわけにはいきません。
「それにしても……渋谷さんにしても城ヶ崎さんにしても、なぜ私の交際関係をそこまで気になさるのでしょうか?」
この話題を続けるのはよくないと、ずっと気になってきたことを尋ねる。
プロデューサーって彼女いたことあるの? という具合に普段の会話の流れで聞かれるのならば気になりませんが、二人とも他の人がいない状態で真剣な様子で聞いてきたのです。
どうしても気になります。
「だって……プロデューサーってば優しいうえに押しに弱そうだから、変な女に引っかからないか心配だもん。お世話になった人がそんな目に遭うなんて嫌だし、美嘉もそうだったんじゃないかな」
「……そのように、思われていたのですか?」
「げんに大学生の頃はそうだったじゃない」
ぐうの音も出ない、とはこのことでしょう。
それにしても自分の年齢の半分ほどの子たちにこのような心配を持たせてしまうとは……情けなさに思わず肩が落ちてしまいます。
「ああっ、そんなに落ち込まないで。私たちが勝手に心配したことなんだから。ほら、そろそろ信号変わるよ」
渋谷さんはそう言って励ますように肩を撫でてくれました。
想えばこのように励ましてくれたり、プライベートのことを心配してもらえるのは、良き信頼関係を築けているからかもしれません。
落ち込むことばかりではないのでしょう。
「……まあそんなわけで、私たちはプロデューサーが変な女に引っかからないか心配なの。プロデューサーって大手346の出世コースで収入も良く出費もあまりしない三十歳前後の高身長イケメン、ていう悪い女がこれでもかってぐらい寄ってくる要素の塊なんだから」
「イケメンではなく強面、警察のお世話によくなる、身長は高すぎて幅もある……ではないでしょうか」
「何もしてないプロデューサーを疑う警察が悪いし、女より痩せてそうな男なんてタイプじゃないし……あと私、プロデューサーの顔は良いと思う」
お世辞だと分かっていても、人気アイドルにここまで褒められて悪い気はしない。
頬が赤くなっていないかと心配に思いながら、右折のタイミングを見計らう。
「……だからプロデューサー。もし誰かと付き合いそうになったら、一言私に言ってくれない? 同性だからわかることってあると思うから」
右折の最中であったため渋谷さんの表情をうかがうことはできませんでした。
しかしその言葉が私の身を案じてのことなのはわかります。
そうすることで渋谷さんが安心してくれるのならと思い、私はその提案を了承しました。
――三日後に、彼女の前で身をすくませながら一言どころか延々と説明する羽目になるとは夢にも思わず。
5:
?中庭でプロデューサーさんが思いつめた顔をしていて……
缶コーヒーが手のひらを暖める感触が心地いい。
缶コーヒーから少しずつ熱が奪われていくのが名残惜しい。
中庭のベンチに腰掛け、落ち葉が木枯らしに翻弄される姿をぼんやりと眺める。
多少余裕はあるものの、今日中に終えなければいけない仕事はまだまだあります。
ですがどうしても昨日の渋谷さんとの会話が脳裏をよぎり、それを整理しようと空調の効いた部屋を抜け出してきたものの考えがなかなかまとまりません。
「ちょっと。ボーッとしちゃってどうしたの?」
後ろから声と共に両肩に手が置かれます。
振り返り見上げると、そこには勝ち気な笑みをした城ヶ崎さんの姿がありました。
彼女にはこの笑みが似合う。
自分に絶対的な自信があり、しかし慢心せず。日々精進するだけでは飽き足らず周りにも目を配り、仲間と共に駆け上がる。
集団の中心であることを天から約束されたかのような笑み。
たとえ挫折してもそれすらも糧にして立ち上がり、最後には必ず勝利が約束されている。
「だーかーら、どうしたって訊いてるでしょコラ★」
見惚れていると体を前後にゆさぶられてしまい、半分ほどになっていた缶コーヒーを念のため横に置きます。
ふと、昨日の渋谷さんの言葉を思い出します。
私などと城ヶ崎さんが付き合っているのではないかと勘繰っている人が、何人かいると。
思えば城ヶ崎さんが異性と気軽にお話する姿はよく見受けられますが、今のように体に触れてじゃれ合う姿を見たことは一度もありません。
私、以外には――
「で、何をまた一人で思い悩んでいたの? アタシが見たところCPの娘たちは皆元気そうだけど」
隣に腰掛け、顔を間近にもってこられて年甲斐もなく焦ってしまいます。
目線をそらしつつ、まさか今考えていたことを言うわけにもいかず、咄嗟に別の――しかし考え事の一つであったことを述べることとしました。
「実は、城ヶ崎さんの担当をしていた頃のことを思い返していました」
「ふぇっ!? アタシの!?」
「はい……車の中での貴女の問いかけについてです」
「車の中って……あっ。そ、そんなことしみじみと思い返してんじゃないわよっ」
城ヶ崎美嘉
6:
顔を赤くした城ヶ崎さんに、今度は肩を叩かれてしまいます。
あの時の城ヶ崎さんは顔が青くなったかと思えば次は赤くなるなどして、思い出されて愉快なことではないと今さらながら気づきます。
ですが、これで話が逸れ――
「でも別に今思い悩むことじゃないし……けどアンタ嘘をついている様子じゃない……微妙に内容をずらしてる」
ホッとしたのもつかの間。
顎に手を当て、私の目を見つめながら城ヶ崎さんが考察を進めていく。
「莉嘉……だったらアンタこんなに深刻な顔しないよね。重く受け止めざるをえない高校生以上……凛に似たようなこと訊かれた?」
「……はい」
これも女の勘と呼んでいいものか。
違ったところで私という人間をここまで見抜いているのです。
畏怖の念を覚えて素直に降伏することとしました。
「私が不甲斐ないせいで、問題のある女性となし崩しで交際するのではと貴女や渋谷さんに心配をかけてしまっています」
「そういった理由もあるけど、本当の理由は別にあるんだけどなー」
別の理由とは何か。
気にはなりましたが答えるつもりはないのでしょう。
城ヶ崎さんは顔を横にそらしてしまいました。
「ですが安心してください。もし私が誰かと付き合おうとする前には渋谷さんに一言報告するように約束したので、問題のある女性と交際することはありません」
それは担当ではなくなった後でも、何かと気をかけてくださる城ヶ崎さんに安心してもらおうとした言葉でした。
それなのに、なぜか城ヶ崎さんは魔法で石にでもなったかのように急に動きを止めてしまいます。
「城ヶ崎さん?」
「……ふーん、そうなんだ。そんな大切なプライベートな件を、担当しているアイドルに任せてるんだ。アタシの頃もそれぐらい頼ってくれてよかったんだけどね」
ようやく振り返ってくれたその顔は、心なしか頬が引きつっているように見られます。
「ただ、凛だけに任せるのはちょっと心配かな」
「と、言いますと」
「凛ってさ、口にはしないだろうけどかなりアンタを信頼して慕ってるんだよ。アンタが変な女に騙されないか心配するぐらいにはね」
アタシも、凛ほどじゃないけどねと膝に置いていた手の甲を軽くつねられました。
痛みはまるでなく、控えめに服の裾を指でつままれたかのような感慨が催す。
7:
「だから他の女にアンタを取られそうになったら内心面白くないだろうし、悪気無しに採点が厳しくなってほとんどの相手は却下されるんじゃないかな」
「そのようなことが……」
「よく遊んでくれた近所のお兄さんに彼女ができて面白くない……って感じかな?」
渋谷さんがそこまで慕ってくれているという実感は正直ありません。
しかし私の交際相手に問題が無いか気にされていたことを考えると、有り得ない話ではないのでしょう。
「ま、まあそんなわけだからさ!」
城ヶ崎さんの指が私の手をつねるのを止め、空中でピアノを叩くように踊ったかと思うと、ぎこちなく私の手に重ねました。
「あまり凛一人の判断に委ねるのは危ういと思うから、念のため私にも一言あると嬉しいな★」
「……わかりました。その時には城ヶ崎さんにも相談させていただきます」
それで城ヶ崎さんが安心してくださるのなら。
重ねられた手が強張るのが伝わってくる。
重要な話は終わったはずなのに何があったのか。
よく見ると彼女の視線は泳ぎ、外気にさらされ乾いてしまった唇を潤している。
「ああ、あとさ! 私たちが心配している理由はアンタが押しに弱いから……自分からグイグイ行く肉食系だったらこういった心配しないんだよ。前に聞いた大学の話でも相手にいいようにされたみたいだし」
「申し訳ありません……」
「というわけで、アンタは自分から女の子にアプローチすることに慣れる必要あり★」
片手は私の手と重ねたままで、身を乗り出してもう片方の手を私につきつける。
その顔は笑ってはいましたが、初ライブ直前の時のように緊張であがっているように見えます。
「確かに……前々からそういった経験が必要ではないかとは思っていましたが」
「ま、まあアンタこういうのに慣れてないからね。そんなに親しくない人や、通りがかりの人にナンパするっていうのはハードルが高すぎるよね!?」
「は、はい」
「だからえっと……こ、これから三日以内にアタシをデートに誘うこと!」
「城ヶ崎さんを……デートに、ですか?」
考えもしなかった提案に思わず目を見開く。
言いたかったことを言い終えたからでしょう。
城ヶ崎さんかの表情に余裕がいくぶんか戻り、しかしやや早めの口調で説明してくれます。
「ほら、私とアンタの仲じゃない。他の娘たちと比べてグンと誘いやすくて練習にいいでしょ? それに私もアイドルになってから一度もデートしてなくて、たまにはしたいなって思っててさ。Win-Winの関係ってやつ★」
「それは、そうなのかもしれませんが……」
プロデューサーである私がアイドルをデートに誘うという最大のハードルが無視されています。
しかしそれを告げようとすると何故か、重ねられ、そしていつの間にか絡められていた彼女の手が押しとどめるような錯覚に襲われるのです。
「もちろん練習だからデートの内容が不合格だった場合は再試験ってことで、気合い入れるように!」
「じょ、城ヶ崎さん!?」
城ヶ崎さんはそう言うと勢いよくベンチから立ち上が――――ろうとして、私と指が絡まったままなので後ろに引っ張られ、ベンチに戻ってしまいました。
8:
「え? ええ??」
「城ヶ崎さん、お怪我は?」
「いや、別に痛くないんだけど……え、なんで!? なんで指がとれないの!?」
どうやら緊張がほぐれていたのは表情だけだったようで、指は私の手に絡められた状態で固まっていたのです。
「うっそ……恥ずぃ」
「……レッスンの疲れでしょうか。指先がキレイに伸びきった姿は魅力的ですからね」
「……ッ!? そ、そうだったそうだった! トレーナーさんによくほぐすように言われてちゃんとしていたつもりだったんだけど、足りなかったみたい★」
恋愛経験が豊富であるように見せている彼女の面子を守ろうと、とっさに思いついた言葉でしたが受け入れてくれたようです。
城ヶ崎さんだけではなく私も安心しつつ、小指から順に、間違っても傷つけないようにそっとほどいていき――
「ちょ、ちょっと待った!」
「はい?」
薬指にさしかかった時でした。
平静を取り戻したと思っていた城ヶ崎さんが、今日――いえ、今まで見た中で一番顔を赤くして硬直しています。
その瞳は潤み、夢うつつの中にあるかのようでした。
「それ……左手……」
「え、ええ。左手ですね」
「ゆっくり……優しくしてね」
今にも消え入りそうな儚げで城ヶ崎さんらしからぬ声が気にはなりましたが、このままというわけにもいきません。
許可も下りたので、小指の時よりもさらに慎重にとりかかります。
細長く形を整えられた水色の爪をまかり間違っても傷つかないようによけつつ、節くれだった無骨な私の手が触れていいものかとためらってしまうガラス細工のような指をそっとつまみます。
柔らかな指はしっとりと、そして外気のせいでヒンヤリとしていて、暖めてあげなければという思いからつい握り締めたくなります。
薬指をほどき、そして最後の親指が終わるまで、城ヶ崎さんは一言も発しませんでした。
私も指をほどくのに集中していて、城ヶ崎さんの様子はうかがえません。
ただ、絡まった指を覗き込むために前かがみになった私の首筋に当たる吐息から、城ヶ崎さんの呼吸がどういうわけか不規則なように思えました。
「これで終わりです。痛くなかったでしょうか?」
「……大丈夫。優しくしてくれたから」
城ヶ崎さんはまだ夢うつつの中にあるのか。
私から目をそらしながら今にもよろけそうな具合で立ち上がる。
様子のおかしさから送って行かなければと私も立ち上がりかけた矢先のこと。
それを制止するかのようなタイミングで彼女は数歩先で立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「デートのお誘い……楽しみにしてるから」
「……ッ!?」
それは、初めて聞く声音でした。
細められた流し目、内に込められた想いが漏れ出ているかのような白い吐息、紅潮した頬。
それらと相まって、抑揚をおさえようとして、しかしわずかに抑えきれていない音色は、まるで女の情念が込められているかのような錯覚を起こします。
私が返事をすることができないまま硬直し、落ち葉を踏みしめて去っていくその姿をただただ見送ることしかできませんでした――
9:
?楓さんに気づかれました。楓さんはごまかせません
どれだけ考えごとが多く頭を悩ませていても、もはや日常と化している事務処理は滞りなく進めることができました。
閃きが必要となる案件が無かったことに一安心しつつ、明日も今日のようにうまくいくかわからないことに目まいを覚えます。
帰宅の手続きを終え、今の時間ならスーパーの惣菜が売り切れず、なおかつ値引きもされているだろうと廊下を歩いていますと――
「はあ……」
物憂げな表情で高垣さんがため息をついていました。
「高垣さん、どうされましたか?」
「あ……プロデューサーさん。実は悩みがありまして」
「悩み、ですか。私でよければお聞きしますが」
幸い今日は早く仕事が終わりました。
高垣さんの悩むを聞く時間は十分にあります。
「……いいのですか?」
「当然です。私に話すことで悩みが解決されるとまではいかずとも、その糸口となれれば幸いです」
「実は――」
よほど抱えている悩みが重いのか、あるいは人には話しづらいのか。
高垣さんは迷いはしたものの決心されたようで、その桜色の唇をそっと開きました。
「私が以前お世話になった人が悩みを抱えているようなんですけど、私を頼ってくれないんです」
……ポップだけではなく演歌も歌えるその舌は、驚くほど鋭く私の痛い所を貫きました。
「その人が私の悩みを解決できたら幸せなように、私もその人の悩みを解決をできたら幸せなのに……水臭いと思いませんか?」
「そ、そうかもしれませんね……」
自分でも不自然だとわかるほどに勝手に目が泳いでしまいます。
これまでの経験上、この人が本気で怒ってしまったら誰も勝てません。
いえ、勝てないという表現は正しくないのかもしれません。
穏やかな彼女を怒らせてしまったことによる自責の念で、争おうという気概を根こそぎもっていかれるのです。
本気の彼女に立ち向かうには、それこそ人生を賭けるほどの決意が不可欠であり、痛い所を突かれた私にそんなものがあるわけがありません。
とはいえ、高垣さんがどこまで知っているのかわかりませんが、昨日今日のことをそう簡単に話すわけにもいかないのですが……
「むー。プロデューサーさんのお口は、いつも以上に固いみたいですね」
子どものように頬を膨らませるその姿は、彼女の怒りがまだ深刻ではない証左のようであり、かすかな希望を見いだせました。
次の瞬間、両側から希望をもぎ取られましたが。
「それじゃあビールかけしよう! ビールを飲めば悩みなんか半分吹き飛ぶ! キャッツが勝てばもう半分も吹き飛ぶから!」
「居酒屋に連行ね。貴方には黙秘権も弁護士も呼ぶ権利はありません、なんちゃって♪」
「姫川さん!? それに片桐さんまで……」
いつの間に近づいていたのか、二人に両腕を拘束されてしまいます。
あらかじめ申し合わせていたのでしょう。
「申し合わせて、もう幸せ♪ さあプロデューサーさん、貴方のお口が緩くなるまでとことんお酒に付き合ってもらいますからね」
高垣楓
10:
※ ※ ※
プロデューサーがアイドルとお酒を飲むことは、あまり褒められたことではありません。
今回は二人っきりというわけではないので高垣さんも考えられての事なのでしょうが、よりによって呼ばれたのがこの二人では……その、なんと言いますか。
「吐けー、吐けー! 田舎のおっかさんがカツ丼をおまえに食べさせたがって泣いてるんだぞー!」
「あんまり強情だと他所から選手とってきた時、プロテクトかけてやんないぞー!」
「ウフフ」
六人用の掘りごたつの個室で、左右に姫川さんと片桐さん、そして正面に高垣さんというまさかの布陣を敷かれることから宴は始まりました。
奥と手前に二人ずつが普通ではないですかと抵抗しましたが、酔っぱらうから大丈夫だよというまだ一滴も飲んでいないのに酔っぱらった回答で封殺されたのです。
グラスが半分を切ると左右正面から次々と注がれ、もはや自分がどれだけ飲んだのかわからない状態となりました。
いっそのこともう白状してしまうかという考えが何度も浮かびました。
しかし情けない話をして私が恥をかくのはいいのですが、問題は渋谷さんと城ヶ崎さんのプライベートにも関わることです。
昨日の話を聞いた城ヶ崎さんは、渋谷さんは私が他の女性にかかりつけになることを嫌っていると推測しました。
それが本当かどうかは別として、昨日の話を三人にもすれば似たような結論を出すかもしれません。
それは渋谷さんにとってあまり愉快な話ではないでしょう。
今日城ヶ崎さんとの間であった話はなおさらです。
プロデューサーである私がアイドル、それも女子高生をデートに誘うことになったなど、口が裂けても言えません。
その部分をぼかして伝える手もありますが、昨日今日と女性の勘の怖さをまざまざと見せられた私にとってその選択肢は、全て打ち明けるのと同義です。
何としてもここは持ちこたえなければ。
「プロデューサーさん……」
「な、なんでしょうか」
「お?」
「楓ちゃん?」
ニコニコと、これまでの経緯さえ無視すれば見るだけで癒される笑顔でお酒を飲み進めていた楓さんが、神妙な顔つきで私を見つめます。
場の空気が途端に変わり、隣の部屋の喧騒でさえもどこか遠くの世界のようでした。
「話してはくれないんですか?」
「は、はい」
「でも悩んでいますよね」
「そ、それはそうですが……ッ!?」
「悩んでいるのに……私に、相談してくれないんですね」
夜露に濡れた朝顔の雫のように、彼女の頬を涙がつたった。
「た、高垣さん……?」
「ごめんなさい……迷惑だったですね。私、まだ人付き合いが苦手なままで、どうすればプロデューサーの力になれるかわからなくて。お酒の力を頼ってみたんですけど……どうしたところで、私なんかじゃ」
泣き崩れるでも、泣きじゃくるでもなく。
ただ淡々と、静かに自分の力の無さを受け入れて己のみを責める涙を見せられて、もはや私に選択肢などありません。
「そんなことはありません! おこがましいとは思いますが、貴女のような光り輝く逸材を担当できたことは私にとって誇りであり、人柄も能力も信頼しています。貴女にこうやって気にかけてもらえるのは何よりの幸せです。今抱えている問題は私自身整理しきれていないものだったのでためらいましたが、今決心がつきました。話させていただきます」
「……本当に?」
「ええ!」
「じゃあすみからすみまでぜ?んぶ話してくださいね♪」
「はい! ……はい?」
11:
罪悪感と決心がどこかに立ち消える。
目の前に先ほどまでいたのは嘆き悲しむローレライであったはずなのに、今は陽気に笑う酒の使徒だ。
「いやー、今のは会心の涙だったね。よっ! 月9の女王!」
「もう女優だけでも食っていけるんじゃないの。アイドルのままじゃ結婚できないし、転向本気で考えといたら?」
「そうですねー。良い人がいればそれもいいですね。チラ、チラ」
天を仰ぐ。
天井が近くなったり遠くなったりして見える。
女の勘は怖い。
女の涙だって、同じぐらい怖い。
「なるほど……なんとなく事情は察していましたが、ここまでのことになっていたんですね」
酒で肉体をやられ、精神は高垣さんの涙で根こそぎもっていかれ。
気がつけばどうやら昨日今日のことを洗いざらい打ち明けていたようです。
「プロデューサー君。分かってはいると思うけど、二人とも十八歳未満よ。そりゃあ美嘉ちゃんはギリ結婚できる年齢だし、凛ちゃんだって結婚を前提にしてご両親に挨拶すればギリ大丈夫だけど、それは法律や条例での話であって、社会常識と照らし合わせればアウトなのよ」
私はいったいどんな打ち明け方をしたのでしょうか。
片桐さんは怒っているというより、本気で私の身を心配して語りかけてくれている。
と、そこで。
「まあーまあー、いいじゃない早苗さん。今は清い関係みたいなんだから」
姫川さんがまだまだ続きそうな片桐さんの言葉を遮ったかと思うと、両肩を意外なほど強く握ってきて真正面から向かい合う形に私を変えた。
「いいプロデューサー? ギリギリストライク、ギリギリボールって球じゃ見逃しは狙えても空振りは狙えないよ」
「つ、つまりなんでしょうか?」
私の頭が酔いで理解できないのか、それとも姫川さんも酔ってまともに説明できていないのか、その両方なのか。
話の流れがまるで読めません。
「だーかーら! 女子高生なんてギリギリ許されるかもしれないコーナーのすみを突くんじゃなくて、キャッチャーの手前でバウンドするフォークで空振り三振狙おうよ! 女子中学生いこう女子中学生!」
……どうやら、今日の姫川さんはもうダメなようです。
三人でそっと目を見合わせます。
「一人オススメな娘がいてね。14歳で142センチで世界で一番カワイイタタタタタタッ」
「青少年保護育成条例違反教唆の疑いで現行犯逮捕します」
「何かおかしい! 教唆された側が犯行に及んでいないのに教唆で逮捕されるなんてよくわかんないけどおかしい!」
「だまらっしゃい! こういったバカ真面目な好青年は一歩踏み外せばすごい勢いで落ちていくもんなんだからね!」
「純愛だから! 初恋を叶えであげだいだけだから!」
12:
お二人が一緒に来てくれたおかげで重い話にならずに済んだと考えるべきか、それともまともに相談できないと嘆くべきか。
「しかしプロデューサー。私は凛ちゃんと美嘉ちゃんの懸念は一理あると思います」
「高垣さんもそう思われるのですか……っと、すみません」
向けられた徳利にお猪口を差し出す。
「はい。だから付き合う前に信頼できる周りの人に相談するのも、女性へのアプローチに慣れるためにデートに誘う練習をするのもいいことだと思います」
ずっとこれでいいものかと悩んでいたのが、高垣さんに肯定されるや否やかき消えてしまいました。
自然とお猪口を口に運び、熱い液体が喉を通って体を芯から暖める。
今日一番酒が美味いと思える瞬間でした。
「ですが……ちょっと心配なことが」
「何でしょうか?」
「美嘉ちゃんは凛ちゃんのことを、プロデューサーのことを慕うあまり付き合う相手への採点が厳しくなりかねないと言ったそうですね。けど美嘉ちゃんだって凛ちゃんに負けていませんよ」
「城ヶ崎さんが?」
「あら、そんなに意外な顔しちゃかわいそうですよ」
そう言われても、そもそも渋谷さんがそこまで私を慕ってくれているということ自体納得しきれていないのです。
それなのに城ヶ崎さんまで同じぐらい私を慕っていると聞かされても、狐につままれたかのような気分でした。
「だからデートの内容の採点だってわざと厳しくして、合格点が出るまでと言ってずっとプロデューサーとのデートを楽しもうと考えているかもしれません」
「……私とのデートなど退屈だと思うのですが」
「むう。私の言うことを信じてくれないんですね」
お酒がまわり始め赤く染まった頬を愛らしく膨らませる姿に、思わず笑いがこぼれてしまう。
私が笑うのを見てますます高垣さんの頬が膨らみ続け、やがて限界が来て「ぷふー」と割れてしまった。
お互いクスクスと笑ってしまいます。
13:
――
――――
――――――――
「じゃあこうしましょう。美嘉ちゃんとのデートが不合格になるたびに、私と反省会をするんです」
そろそろお開きとなり、もみ合った体制のまま寝息を立てる姫川さんと片桐さん(叫び足りないから酒浸りなんだ……フフ)のためにタクシーを頼んで戻ると、高垣さんが唐突にそう述べました。
「反省会……ですか?」
「はい。今日のように集まって、プロデューサーが合格点をもらえるように皆でアドバイスするんです。それにデートの後のたびにお話を聞くことができれば、美嘉ちゃんがわざと不合格にしているかどうか判断しやすいですし、それに――」
最後の一献を飲み終え、にっこりと、しかし有無を言わさぬ力が言の葉に込められていました。
「――これも女性へのアプローチに慣れる練習です。私を恋人のように想いながらお酒に誘ってください」
14:
今回は本当に話が長いうえに完結まで時間もかかるので、話がどこまで進んだのかわかるように一段落つくごとに目次を挟みます
読むのを再開する時などに利用してください
プロローグ 凛
一日目 美嘉 楓
二日目 ??? ??? ??? ???
三日目 ??? ??? ??? ???
エピローグ 凛
キュート ??? ??? ??? ???
クール 凛 楓 ??? ???
パッション 美嘉 ??? ???
43:
?あの子ちゃん、ちょっと耳寄りな情報があるんです
昨夜はあれから姫川さんと片桐さんを家に送るのを高垣さんに任せ、タクシーに三人が乗るのを見送った後に終電少し前の電車で帰宅しました。
今朝は少しばかり頭痛を覚えますが、出勤する足どりに問題はありません。
むしろ人に悩みを話す事で気が幾分か軽くなり、昨日より調子がいいぐらいです。
……城ヶ崎さんとデートの練習をするたびに高垣さんとお酒を飲むことになりましたが、悩みを溜めやすい私にはいいことかもしれません。
問題はスキャンダルだと勘繰られることなので、他にお酒が飲める人も誘うとしても、あまり回数が増えると疑われかねないことですか。
そういった意味では悩みの種は増えたともいえます。
ですが高垣さんが懸念したような、城ヶ崎さんが私と何度もデートしたいがあまりわざと不合格にするというのは正直考えにくいので、デートに誘うのも飲みに誘うのも多くて三回ほどで終わるでしょう。
などと大股で歩きつつ考えていると、よく見慣れた少女に追いついていました。
「おはようございます、白坂さん」
「あ、プロデューサーさん……おは――」
白坂さんは挨拶の途中で言葉を切ると、私を見るために上げていた顔をさらに上げ、指先をだらんと力を抜いた姿勢で天を仰ぎました。
これは……もしかすると、アレでしょうか。
「あ…………アァ」
震えながら喉をかきむしるように両手をあて、ゆっくりと廊下に膝を着く。
やはりアレでした。
わずかばかり感じる羞恥心を咳払いをして追い払い、私もまた膝を着き、前のめりに倒れようとする白坂さんの肩を支えます。
「し、白坂さん!? 白坂さんしっかりしてください!」
「だ、ダメ……逃げて、プロデューサーさん」
「何を言うんですか!? 今すぐ、医務室にお連れします!」
「このままじゃ……プロデューサーさんも……わ、私が……ッ」
震わせていた体をひときわ強く痙攣させ目を見開いたかと思うと、ゆったりと私の首に両手を伸ばします。
「アー……アア」
はい、ゾンビごっこです。
彼女の担当であった頃、時々こういったホラー映画のワンシーンを再現していました。
誕生日のお願いでホッケーマスクとチェーンソーを身に着けたところに輿水さんがやってきて、日野さんに負けず劣らぬ声量を発揮して卒倒したという事件もあったものです。
「おいし……そう」
そう呟くいて、白坂さんの口が私の首元に近づきます。
今回のパターンだと、白坂さんが噛みついたフリをして私が驚き、そして苦しみながら私も感染してゾンビになる展開でしょう。
――チュ、チュウウウ、チュパッ――
「……ッ!!?」
白坂小梅
44:
何が起きているのかわかりません。
白坂さんが私の首に顔を近づけるところまでは予定通りでした。
しかし噛んだフリをするはずなのに、なんでしょうこの鼓膜に響いて身を震わせてしまう蠱惑的な音色と、頸動脈付近からかけめぐるひんやりとした熱という矛盾した存在は。
いえ、似たものに覚えはあります。
もう何年も前――大学生であった頃に。
しかしそれは今ここで、白坂さん相手に起きるはずがありません。
それなのに、私がこうして理解できず受け入れられないままなのを他所に、事態は進行し続けます。
「ちゅ……チュウウウッ……ハァ……ハァ……プロデューサーさんの汗の味、おいしいんだね」
「し、白坂さん……いったい、何を?」
ようやく私は情けないかすれ声で尋ねることができました。
首に手を当てると、湿った感触があります。
白坂さんはクスクスと笑うと、私の首に両手を回したまま鼻と鼻がくっつきそうになるほど顔を近づけ、無垢な瞳で私を見つめる。
「エヘヘ……プロデューサーさん、私に感染しちゃったね」
そう言うと今度は鼻先に唇を近づけようとするのを、慌てて制止します。
白坂さんは少し気を損ねた顔をしましたが、すぐに笑顔に戻ります。
――その笑顔は、幼いが故に禁忌を知らず、ためらわずに踏み込む危うい魅力が含まれていました。
「あの子から……話は聞いたよ。皆、考えすぎ」
話というのはやはり、私が問題のある女性に押し切られて交際するのではと心配されていることと、女性へのアプローチに慣れる必要があるということについてでしょう。
「プロデューサーさんは今の調子で、一生懸命仕事に打ち込んでいれば…大丈夫。プロデューサーさんの…そんな姿に惹かれた女性と、三年後に結ばれて……幸せになれるから、ね」
「そう思っていただけますか。しかし……」
初めて周りの懸念について考えすぎと言われ少し安心できましたが、三年という具体的な数字は何でしょうか?
尋ねてみると白坂さんは心底不思議そうに、そして愛らしく首をかしげて見せます。
「だって……私、まだ十三歳だから……プロデューサーさんと結婚するには、どうしてもあと三年は待たないと……」
「し、白坂さん……?」
気負いもなく、てらいもなく。
当り前のように約束された未来を語る白坂さんに気圧され後ずさろうとするものの、未だに首はつかまれたままで、何より先ほどから両肩が“なぜか”ヒンヤリとして重い。
「私に感染した証……消えそうになったらまたつけるから……他の人に言い寄られたら、それを見せてね」
これで変な女なんか私のプロデューサーさんに近寄れないからと囁かれ、窓ガラスを見れば首に痕が見えました。
キスマーク、でしょう。
まだ十三歳……そう思っていた少女の行動に愕然とします。
45:
「……白坂さん」
「なあに?」
情けないことに、私はどう対応すればいいのかまるで見当がついていません。
私に親愛と信頼のみを、多大に向けてくる少女をどのように諭せばいいのでしょうか。
考えがまとまらないまま、今私が思っていることを傷つけないように気をつけながら話し始めます。
「白坂さんが私を慕っていただけることは、たいへん嬉しく思っています」
「相思相愛……だね」
「……確かに私たちの間に信頼関係はあると思います。ですが、それに男女の恋愛感情が含まれているかといえば、違うのでしょう」
「……ふーん」
白坂さんから笑みが消え、目が細まります。
それは少女ではなく、女の顔ではないかと錯覚しそうになるものでした。
「プロデューサーさんは……こう言いたいんだね。私がまだ子どもで、親愛と愛情を取り違えている。成長して視野が広がれば自然とそれがわかって……私の初恋は、思い出に変わるんだって」
「……はい」
私自身まとまっていない考えを、白坂さんがうまく言語化してくれました。
……もしかすると、彼女もまた自分の感情を整理する機会があって、今のように疑ったことがあるのかもしれません。
そこまで考えが及ぶ白坂さんを完全に子ども扱いしていいものかという考えが浮かんだものの、それは今は置いておかなければ。
「ですから私は、貴女とそのような約束は――」
「プロデューサーさんは……私と結婚するのが嫌なの?」
私の言葉を白坂さんの言葉が遮りました。
決して大きくはない声を、一度うつむきかけて――すぐに私に視線を戻しながら。
それは、本気の声でした。
子どもであっても本気であることには変わりません。
アイドルとプロデューサーですから、という立場で納得させるのではなく、必要なのは私の本音でしょう。
「……嫌なわけがありません。ですが白坂さん。結婚できる年齢に制限があるのは、正常な判断を……後悔しない決断をできるようになってから、大切なことができるようにするためでもあるんです」
「じゃあ三年後……私の気持ちが変わってなかったら結婚してくれる?」
安請け合いをするには、白坂さんの眼はあまりに幼さがありませんでした。
三年後もまだこのままではないか、という懸念がよぎります。
「五年後……白坂さんがもし高校を卒業しても気持ちが変わらないのでしたら」
どのみち私に好きな相手はいない。
見つかるあてもない。
埋まる予定の無い欄に、確実にキャンセルされるものを入れていても差し支えはありません。
それで白坂さんが喜んでくれるのならばなおのこと。
46:
「……本当に?」
「ええ、本当です」
「え、えへへ」
穏やかに笑うその姿を見て、これでよかったという思いと同じぐらい早まったのではないかという気持ちも芽生えましたが……いくらなんでも五年も私を想い続けることは有り得ないので、これは杞憂に過ぎないでしょう。
「あ……でも」
「どうかしましたか?」
「我慢できなくなったら……五年経ってなくても、いつでも私を呼んでいいから」
少しでも早く結婚したいという考えなので――
「未成熟な私も……成長した私も……全部全部、味わってほしいから」
――――――――――はい?
「し、白坂さん?」
一瞬、世界が真っ白に染まりました。
真っ白となった世界に絵の具が少しずつこぼれ、真っ先に描かれたのは心配そうに私を見つめる小柄な少女――いい子なんです。誰が相手であってもこの子はいい子なんですと胸を張って言える子なんです。
多少エキセントリックなところはありますが、周りの人を心配ができる優しさがあり、控えめではありますが自分の意志だってちゃんと伝えられるそんないい子なんです。
だからこんなこと言うはずが――
「プロデューサーさん……彼女がいなくて、たまってるでしょ? 私が発散してあげる、から」
……いつまでも子どもじゃないんですね。
別に悪いことではありません。
彼女の優しさや、控えめでありながら確固とした意志が損なわれたわけではないのですから。
「プロデューサーさん? プロデューサーさん?」
大人になって急に性の知識をつけるわけじゃないことぐらい、自分にあてはめればわかることでした。
成長するに従って少しずつ身につけるのです。
白坂さんは今、大人と子どもの中間にいるということでしょう。
そしてその時分は、性の知識が偏りがちなものです。
「あ……もう行かないと。じゃあね、プロデューサーさん」
頬に柔らかな感触がします。
サラサラとした髪も同時に触れて気持ちがいいです。
きっと、海外のドラマのワンシーンを見て真似たのでしょう。
真似から始めて、その後に本当の意味を知る。
いいことではないですかははははははははははははは―――――――――はぁ。
47:
?:そこの酔っ払い。昨夜のことは貴女のところの小さいのに話したの?
白坂さんとの衝撃の会話を終えて、どれほど呆然としたまま膝を着いていたのかわかりません。
同期に肩を叩かれ気がつけば始業時間がもうすぐそこでした。
同期は私の呆然とした姿とキスマークから何かを察したようで、痛ましい表情をしたものです。
「すまん。助けてやりたいのはやまやまなんだが、俺も差し迫っててな。まゆがいつの間にか俺の両親と挨拶を済ませて――いや、聞かなかったことにしてくれ」
お互いプロデューサーとして恥じない行動をとろうと言い残し立ち去る彼の背中は、戦いに勝てるから挑むのではなく、敗北必至であっても戦う理由があるから挑む手負いの戦士のそれでした。
その姿を自分に重ねてしまうのはなぜでしょう。
不吉な予感を振り払うように早足で職場に向かいます。
しかしCPルームに入る直前になって、キスマークの存在を思い出しました。
もう始業まで時間はありません。
やむなく私は首に片手をあてたまま入室し、アイドルの皆さんと顔を合わせたのでした。
私はクセでよく首に手を当てていますが、その場所は首の後ろであって首の横ではなく、常にその体勢なわけでもありません。
最初の方こそアイドルの皆さんは少し不思議そうな顔をされるぐらいであったのが、私が終始手を当てたままなことに違和感を強めていきます。
――それとこれはきっと気のせいなのでしょうが、渋谷さんの視線が冷たいというか、重いような気もしました。
いつ誰が私の首について言及してもおかしくない雰囲気となった頃に、皆さん移動の時間となり助かりましたがこのままではいけません。
医務室で絆創膏かシップをもらって隠すことにしましょう。
キスマークを手で覆ったまま医務室に向かっていますと、十字路から紺色のスカートがわずかにのぞいて見えました。
「……これは?」
見覚えのある色と布地に立ち止まりよくよく観察すると、影が中央に浮かび上がっていることに気がつけました。
太陽の角度から推測するにその人物は小柄で、髪の一部が外にハネています。
何となくではありますがこのまま進めむと起きることが予想できました。
私は歩みを再開して十字路に近づきます。
そしていざ十字路にさしかかる手前で足踏みをすると――
「とおおおーっっってアレレ!!?」
私の一歩先の空間めがけて輿水さんが飛び込みました。
何かするつもりだろうとは思っていましたが、これは予想外です。
このままでは輿水さんが顔ないしは胸から落ちると慌てて支えました。
「ハァ……ハァ……こ、怖くなんかなかったですからね? なんせボクはカワイイうえにコワイイんですから!」
「は、はい」
「あ、ところでプロデューサーさん! なぜ途中で立ち止まったんですか!? ボクが隠れているって気づいたんですか?」
「ええ。スカートの裾が見てまして」
「はあ。まったく、本当にプロデューサーさんはボクがいないとダメなんですねえ」
いったいどのような理由でダメだしをされるのか。
輿水さんの輿水さんによる輿水さんのための理論は聞いていて微笑ましいものばかりで、担当であった頃は業務の忙しい日などに癒しとして重宝させてもらいました。
傾聴するために父親が子どもにする飛行機ごっこのような体勢で支えていた輿水さんを、ゆっくりと廊下に降ろします。
輿水幸子
48:
「あ、どうも。いいですか? このカワイイボクにいたずらされるというのは、とても幸せなことなんですよ。途中で気づいたのなら、むしろ喜んで受け止めるべきでしょう」
その場合、私が輿水さんに抱きつかれることになったのですが。
「輿水さん。貴女はアイドル、いえそれ以前に年頃の女の子なんです。みだりに男の人に抱きついたりなどしてはいけません」
「フフーン。これはプロデューサーさんのためにしたことなんです」
「私の?」
これはまたどんな理論なのかと、腰をかがめて聞くこととしました。
「プロデューサーさんが近頃、考えなくていいことを考えていると友紀さんからうかがいました。なんでも女性にアプローチすることに慣れようとしているとか」
……どうやら、姫川さん経由で私の事情を把握されているようです。
ただ姫川さんはだいぶ酔っておられたので、どのような伝わり方をしているのか少しばかり不安を覚えます。
「プロデューサーさんは仕事が第一だと考えているふしがあったので、結婚願望があると判明したのはいいことです。でも女性へのアプローチを学んだり、他の女性と親しくなろうとするのは努力の方向を間違っています」
「正攻法だと思いますが……」
「でもプロデューサーさんには当てはまりません。な・ぜ・な・ら!」
胸に手を当て上体をそらし、誇らしげで、それでいて愛らしさも持つ“カワイイ”笑顔を咲かせた。
「プロデューサーさんは元とはいえボクのプロデューサーさんなんですよ? 他の人たちと違って、世界一カワイイボクと毎日触れ合えるんです。世界一カワイイボクを見つめ、応援し、カワイがる。それ以上に女性に慣れることなんかこの世に存在しません」
「なるほど……これは盲点でした」
彼女の自信は希少だ。
本当は決して気が強いほうではありませんが、それでも自分が“カワイイ”から決してくじけない。
ともすれば傲慢へとつながり道を誤りかねませんが、本当は気が弱い彼女は悩みを抱える仲間に敏感で、これまた“カワイイ”から支えようとする。
仲間を助け、その仲間から愛され支えられている以上、彼女が道を誤ることは決してありません。
「ボクの担当を離れて一年経つとはいえ、こんな単純で明快なことを忘れるなんて本当にダメダメなんですから。それを体で思い出させようと考えて、不意を衝いて抱きついてあげようと――――なんですか、それ?」
あの輿水さんの笑顔が凍りつきました。
何事かと思えば、その視線は私の首――キスマークにあてられています。
そうでした。
輿水さんが怪我をしてはいけないと慌てて以降、キスマークを隠すことをすっかり忘れていました。
「……違い、ますよね? それって、話に聞くキスマークというものなんかじゃ……ないですよね? ボクのプロデューサーさんに、ボクのものじゃない証があるなんて……何かの間違いですよね?」
「こ、輿水さん?」
その顔は驚きによるものか強張り、かろうじて笑顔の名残りがある。それなのに蒼ざめ、唇はわなわなと震え、キスマークに向けられた指は狙いが定まり切れていない。
何より見ていて辛いのはその眼だ。
あれほど自信に満ち溢れていたのに、今は世界中から見捨てられたように弱々しい光と化している。
何が彼女をここまで動揺させているのか。
彼女は私のことを呼ぶときはよく頭に「ボクの」とつけていました。
こんな私を頼りにしてくれているとは思っていましたが、これはいくらなんでも予想外です。
49:
「プロデューサーさん……」
「……なんで、しょうか」
「それ……よく見たいんです。すみませんが膝を着いてもらえますか」
「はっ、はい」
14歳とは思えぬ感情の起伏が無い平坦な声に空恐ろしさを覚え、言われるがままに膝を着きます。
彼女は私の肩と首をつかみ、ゆっくりとキスマークを観察しようとのぞきこみ――
「んちゅ…………んんっ」
「!?」
首に走るなめらかで暖かな感触。
それが何であるのか、前の経験から間をおいてないため今度はすぐにわかりました。
今朝の二の舞になってはならないと慌てて立ち上がります。
しかし輿水さんはその細い腕で精いっぱい私をつかんでいたため、輿水さんの軽い体も浮き上がって着いてきてしまいました。
それなのに輿水さんは、自分の体が浮き上がったことなどまったく気にすることなく、一心不乱に私に吸い付き続けるのです。
絶えず奔るくすぐったさと否定しえない快楽。
その二つを、自分にあそこまで自信を持つアイドルが、プロデューサーである私にここまで夢中になっているという背徳感が増幅させる。
耐え切れず膝を着いたところで、ようやく輿水さんは私を解放してくれました。
「ちゅっ……ちゅぱ……ふぅ。キスマークは……半分しか上塗りできていませんね。もう一度――」
「ここ、輿水さん。落ち着かれてください」
手を伸ばしてきた輿水さんから、膝を着いたままなのに転びそうになりながら距離を取ります。
「……フフーン。まあこのボクにここまでしてもらうなんて、プロデューサーさんには少し刺激が強すぎたようですね」
そんな私の姿が面白かったからか、あるいは彼女が気に入らなかったキスマークを半分でも消すことができたからか、いくぶんか機嫌を直されたようです。
「現場に向かう時間ですし、今日はこのぐらいにしておいてあげます。鏡を見るたび、手で押さえるたびに、カワイイカワイイボクのことを思い出してください。そうすれば他の女性にアプローチしようだなんていう無駄な考えをしないですみますから」
クルリと背を向けそう告げる彼女の横顔は、頬は淡く紅に染まり、唇に添えられた人差し指は綿密な計算結果で弾き出されたかのように魅せる最適な位置にあり、細められた濡れた瞳は長いまつ毛で飾られている。
――立ち去るその姿は、カワイイと表現するにはあまりにも妖艶でした。
93:
?むう、やりますね。楓さんの次に高得点です
「どうしたのものでしょうか……」
デスクに両肘を乗せ、頭を抱え込みます。
高垣さんたちに相談に乗ってもらい軽減した悩みは、元の倍以上に膨れ上がりました。
「お二人とも……本気なのでしょうか?」
キスマークを隠すために貼ったシップをなでながら考える。
二人ともまだ子どもで親愛と愛情を取り違えており、成長すれば自然と本当に好きな人ができると思っていますが……それは楽観的なのかもしれません。
白坂さんは三年どころか五年後でも今のままかもしれず、輿水さんの独占欲は子どもではなく女性のものだったのではないでしょうか。
「……っと。今は勤務中でしたね」
今日中に上に回さなければならない書類が目にとまり、いったん考えるのをやめます。
ついに仕事にまで影響が出始めるとは。
気持ちを入れ替えるためにコーヒーでも飲もうかと席を立ちあがりかけた時、ドアがノックされました。
「Pチャン、いるかにゃ?」
「前川さん? ダンスレッスンの後に、衣装合わせの予定だったはずですが」
「衣装合わせが少しずれるって」
「そうでしたか」
私に連絡が来ていませんが、前川さんは衣装合わせで今日は終わりなので、少し遅れても連絡はいらないと判断してのことでしょう。
「それでちょっと時間ができちゃったから、Pチャンの様子を見にきたんだけど……首を押さえてたのは寝違えたからかにゃ?」
「え、ええ! そうなんです。心配をおかけしていまい申し訳ありません」
やはりキスマークを隠し続けていたのは変に思われていたようです。
しかしわずかに空いた時間で様子を見にきてくれるとは……ありがたいと同時に、理由が理由なだけに申し訳ありません。
そんな風に恥じ入っていますと、前川さんが無言で――
「じー」
――無言ではなく、口にしながら私を見つめています。
「前川さん?」
「……Pチャン、顔色が悪いにゃ。寝不足というより、なんだか悩み事を抱えているみたいだにゃ」
「……っ」
「やっぱり。カマかけだったけど、本当に悩んでいたんだにゃ」
動揺した私の様子から、あっさりと確信がとれたようです。
見抜かれた恥ずかしさから首筋に手をやると、前川さんが困ったように笑いました。
「みくに話して……って言ったら、もっとPチャンを困らせそうだから言わないにゃ」
前川みく
94:
確かに人に話せる悩みではありません。
まして、相手が同じ未成年のアイドルとなればなおのこと。
「けど覚えていて欲しいのは、みくたちのためにPチャンが一生懸命なように、みくたちだってPチャンのためになりたいんだよ。Pチャンが言ってくれれば……ううん、言わなくたっ
て力になるつもりなんだから」
「前川さん……」
悩みを話したわけではない。
解決策が見つかったわけでもない。
それでも自分を味方してくれるというてらいの無い真っ直ぐな宣言は、落ち込んでいた私の心に活力を与える息吹きでした。
「まあそれは別としてにゃ」
「ええと……どうされましたか」
つい先ほどの雰囲気とは打って変わって、半眼でこちらを見つめる前川さんは尻尾をパタンパタンと振る不機嫌な猫のようです。
「Pチャンは周りの人ばかり心配して、自分のことをおろそかにしがちだにゃ。それに押しに弱いところもあるし、相手のことばかり考えていつの間にかとんでもない目にあいそうで不安だにゃ」
「は、はあ……」
「みくがしっかりしていないと、女の娘たちから次々とセクハラされたり、徹夜明けで熟睡している寝込みを襲われそうな気がするにゃ」
そのようなことありえませんと否定したいものの、なぜでしょうか。
一瞬リーディングシュタイナーが発動しかけたような気が。
「そんなPチャンにはPチャンのことを第一にする人……面倒見がいい女の娘を見つけるべきだにゃ!」
「は、はあ」
「あれ? なんだか乗り気じゃないにゃ。Pチャンは結婚するつもりはないのかにゃ?」
「い、いえ。そういうわけでは。ただどうすれば私などがそのような女性と巡り合えるだろうかと」
結婚という言葉は今悩まされている一つだと明かすわけにもいかず、慌てて――しかし以前から思っていた不安を口にしました。
「うーん。Pチャンは優しいし顔は怖いけどカッコイイし、背も高いから出会いの場に行けばいくらでも相手の方からやってくるとみくは思うにゃ。だから問題なのは、より取り見取りな中で、Pチャンが自分に合う女性を選べるかだにゃ」
婚活パーティに参加したことはないのですが、耳にする噂は参加することをためらわせるものです。
噂はしょせん噂だと置くとしても、短時間の出会いで相手を見抜ける自信はありません。
アイドルとしての可能性についてなら多少あるのですが。
「ここはみくがPチャンの結婚相手に相応しい条件を挙げていくにゃ!」
95:
前川さんは胸を張りながら人差し指を元気よく天に向けました。
その動きで揺れてしまった膨らみから慌てて目をそらします。
「私に相応しい条件……ですか。聞かせてもらえますか」
「まず第一に、さっきも言ったけど面倒見がいいこと! そして第二は当然、猫好きなこと! 猫好きに悪い人はいないから」
「なるほど」
前川さんらしい意見に思わず笑ってしまいます。
猫に限定しなくても動物好きな女性には好感が抱けるので、なかなかいい着眼なのかもしれません。
「そして! Pチャンの結婚相手に相応しい条件があと一つあるんだにゃ!」
「それはなんでしょうか?」
最後の一つはよほど重要な事なのか、それとも自信があるからなのか。
ためをつくってもったいつけます。
世話焼き、猫好きときましたが、いったい何が取りを務めるのでしょうか。
「最後は!」
「最後は?」
「お○ぱいが大きいこと!」
「…………は、はい?」
耳を疑い首をかしげますが、前川さんは気にせず続けます。
「中身が一番重要だけど、性癖に素直なことにこしたことはないにゃ。外も中も好みなら、夫婦円満長続き間違いなし!」
「あの……前川さん?」
「ん? どうしたのPチャン?」
「その……性癖に素直であることが重要であるかは置いておきまして。なぜ、胸が大きい女性を押すのですか?」
下手に扱えば潰れてしまう繊細な紙細工のような質問を、喉の渇きを覚えながらかろうじて紡ぎ出し――
「え? だってPチャン巨乳好きでしょ」
――それを猫は障子を破って遊ぶのは自分の特権といわんばかりの無遠慮さで、一撃で一切合財を終わらせた。
96:
「みくや未央チャンの谷間が見える時、一瞬食い入るように見てから慌てて目をそらして、罰が悪そうにしながら目線を首から上以上に必死に固定してるにゃ」
さっきだってみくの胸から慌てて目をそらしてたにゃと、あっさりと気づいていたことをばらされ、血の気が凍り、生汗が噴き出る。
アイドルをそのような目で見てはならないと常日頃から自戒していました。
まして私が預かっているアイドル達は皆未成年なので特に気をつけていましたが……頻度を減らすことはできても、ゼロにすることだけはどうしてもできません。
せめてアイドルの皆さんが不快感を覚えないようにと努力し続けましたが……私がイヤらしい目で見ていることは、とうに見抜かれていたとは。
「まことに……申し訳ありませんでした」
「にゃにゃ!? どうしたんだにゃPチャン!」
机に頭がぶつかるまで頭を下げ、ただ許しを請うしかできません。
「その……ちなみに、前川さん以外に気づいておられる方は?」
「えっ。きらりチャンとかな子チャンはどうかなー。蘭子チャンはまったく気づいてないけど、未央チャンは気づいていてわざとPチャンに……ってPチャン? 言っておくけどみくたち、別に不快だなんてそんなことちっとも思ってないから」
「お気遣いいただき……ありがとう、ございます」
「だーかーらー、そういう意味じゃなくって」
両頬をパチンと手で軽く叩かれ、そのまま下がっていた頭を持ち上げられます。
机の向かい側から前のめりの姿勢で私をつかむ前川さんと、目と鼻と距離で見つめ合うことになりました。
「みくたちはオシャレのために胸元が開いた服とか着ているけど、見られるのがそんなに嫌ならオシャレしないにゃ。というかPチャンがみくたちを見る視線なんて、学校のエ口男子や電車のスケベ親父に比べれば見ているうちに入らないにゃ。そ・れ・に♪」
前川さんは楽しそうに笑うと前のめりの姿勢のまま、洋服の胸元を引っ張ってみせます。
見てはならないと顔を横にそむける一瞬、今にもあふれそうな柔らかな膨らみが脳裏に刻まれてしまいました。
「ふふーん、やっぱりPチャンは巨乳好きだにゃ。カワイイ子猫ちゃんを食べたいって我慢する野獣の目だったにゃ」
煮るなり焼くなり好きにしてくださいと、白旗を挙げ全面降伏したい気持ちです。
自暴自棄のあまり、子猫と表現できるようなサイズではなかったとうっかり漏らしそうになるほどに。
「Pチャンはみくたちに悪いことしたって思っているかもしれないけど、みくたちはアイドルだし、そうでなくっても男がそういった生き物でそんな目をするのは仕方ないってのはこれまでの人生でとっくにわりきっているにゃ。まあ……見る相手と見方ってものもあるけど」
視線をそらしているのでわかりませんが、そのうんざりとした口調からよほど変な目に遭われたこともあるのでしょう。
しかしすぐに気を取り直し、他所を向く私の頬を指先でつつきます。
「Pチャンが相手なら、今みたいに近くで見られても気持ち悪くもなんともないにゃ。むしろPチャンがうろたえる姿が見れて楽しいぐらいだから、すぐに目をそらさないでもっと見てもいいんだよ?」
「前川さん……励ましていただけるのは嬉しいのですが、男をあまり勘違いさせる発言をすると危険な目に遭いかねないので気をつけてください」
もし前川さんが他の男性にも似たようなことをして、その男性が理性の効かないタイプだとすれば……想像するだけで恐ろしい。
「相手は当然選ぶよ。Pチャンとか、PチャンとかPチャンとか」
「信頼していただけるのは嬉しいのですが……」
「確かに信頼しているけど、Pチャンが考えている信頼とは違うんだけどにゃあ」
「……それは?」
「まあとにかく! Pチャンの結婚相手に相応しい条件をまとめるにゃ」
97:
何が違うのかと訊きたいところですが、あまり話したくないことなのか強引に話を戻されました。
まあ信頼はしてくれているとのことなので、いいことなのでしょう。
「えっと、面倒見がいいこと、猫好きであること、そしてお○ぱいが大きなこと!」
「……三つ目も加えるのですか」
「当然にゃ! あ……でもこれって」
もはやどこか遠くの世界のように感じながら、かろうじて抗議の意思を示すもののあっさりと流され悲しみを噛みしめていると、前川さんが顔をうつむかせながら体をくねらせ始めました。
「Pチャンの理想の結婚相手って……みくになるんだね」
「いえ、その……」
雲行きが怪しくなってきた、まさか前川さんまでと一瞬思ったものの、どうやらそれはうぬぼれが過ぎたようです。
「ごめんねPチャン。みくはトップアイドルになる夢があるから、Pチャンと結婚するわけにはいかにゃいの。みくのお○ぱいを見るだけで我慢してほしいにゃ」
告白したわけでもないのに振られはしたものの、ここ最近の妙に緊迫した流れとは違い正直安心できました。
「それは残念です。前川さんと結婚できれば幸せな毎日だったでしょうに」
「あ、でもみくがトップアイドルになった後なら話は別にゃ! Pチャン自身のためにもみくを一日も早くトップアイドルにするんだにゃ」
「ええ、今まで以上に頑張らせてもらいます」
「そ、それはダメにゃー。Pチャンが無理して体壊したらトップアイドルになっても結婚してあげないから!」
自然と頬がほころび、ついには肩が震え始めてしまいました。
私の結婚について、ここまで愉快でリラックスしながら話せたのは初めてかもしれません。
「はい。ではほどほどに頑張らせていただきます」
「よし! じゃあみくはそろそろ衣装合わせに行ってくるから」
そう言うと前川さんは軽快で、かつ機嫌の良い足どりで去って行きました。
今朝様子がおかしかった私の確認ができて、心配の種が無くなかったからでしょう。
私の方は以前として重大な悩みを抱えたままですが、前川さんとの会話で幾分か気がまぎれました。
仕事に集中することにしましょう。
「フフ……フフフフフフフ」
「トップアイドルになったら……約束したにゃ♪」
98:
?友達として応援するために、これは預からせてもらいます♪
前川さんが出られてから約一時間後。
私も書類の決裁をもらうために部屋を出て、戻ってきてみると部屋の中に先ほどまでなかった匂いがすることに気がつきました。
それはシャンプーや香水など、男が身にまとうのものとは違った甘い香り。
残り香にしては匂いがはっきりとしていますが、部屋に私以外は――
「ドーン! プロデューサー元気ィ!?」
「ほ、本田さん!?」
開けたドアの後ろに隠れていたのでしょうか。
死角から急に本田さんが抱きついてきました。
「はーい、未央ちゃんでーす! 今朝プロデューサー元気が無かったから……ん、今はちょっとマシかな? けどまだまだ足りないし、未央ちゃんが元気のおすそわけにきました!」
斜め後ろから抱きつかれたのでなんとか首をひねって本田さんの顔を見るのですが、いたずらが成功した喜びの中に私への気遣いもあって、怒るに怒れません。
とはいえ、若い女性が無暗に男に抱きつくのは止めなければ。
「本田さん……お気持ちは嬉しいですが、いったん離れてもらえませんか?」
「まあまあそう言わずに。元気が無い時はある人からもらうのが一番だよ。こんな風にね♪」
「……ッ!?」
ぐりぐりと頭をこすりつけてくるだけならいいのですが、問題はその柔らかで女性的な体を形が変わるのではと思うほど強く寄せてきていることです。
引き離そうにも後ろからなので、説得するか乱暴に振り払うかしかできません。
どうしたものかと悩んでいる時、違和感を覚えました。
その違和感は私の全身を硬直させるにあまりあり、後頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃で視界がグニャリと歪みます。
「プロデューサー?」
私の様子がおかしいことに気がついた本田さんが心配げな声をあげます。
しかし私が気づいたことが杞憂でないのならば、心配されるのは私ではなく本田さんです。
私は固まってしまった喉をなんとか震わせ、確認しました。
「本田さん。その……たいへん失礼とは思いますが――」
背中に感じる柔らかな感触。
その中でも特に柔らかな双丘。
これが、少しばかり柔らかすぎた。
「――ブラジャーを、つけておられますか?」
望んだのは否定の言葉。
否定だけで終わらず、馬鹿にされて蔑まれ、変態扱いされても構わない。
それだけの覚悟を以って挑んだ問いの答えは。
「あ……アハハ?。気づかれちゃったか」
恥ずかしさを誤魔化す笑い声でした。
腕で前を覆い隠しながら、ようやく本田さんが私から離れます。
本田未央
99:
「いやー、それがね? レッスンが終わった後になって、替えのブラ忘れてきたことに気づいちゃって。今洗濯して乾燥待ちなとろこなんだアハハハハ……ハハ。プ、プロデューサー?」
「なんでしょうか?」
「もしかして……怒ってる?」
「はい」
「ふぇぇ……即答だよぉ」
怒るにきまっています。
私だったからよかったものの、二人きりの状態でこのようなことをすれば襲われても文句が言えないではありませんか。
「本田さん、あちらに」
「は、はい……」
本田さんをうながし、パーテーションで部屋から区切られているソファに向かい合う形で座ります。
「いいですか本田さん。貴女はアイドル、いえアイドルであることを抜きにしても、魅力的な女性なのです」
例えば緒方さんなどはあれほど可愛らしいのに自覚や自信がなかったりしますが、本田さんは別の意味で自覚といいますか、危機感が足りないように思えます。
自分に魅力があることはわかっているのに、その魅力が何を引き起こすのかをわかっていないのではないでしょうか。
「若い貴女には時代錯誤に思えるかもしれませんが、女性に慎ましさが求められていたのは男尊女卑という一面以外にも、女性の身を守る意味合いもあったと私は考えます」
「身を守る……?」
「男という生き物は残念ながら、女性の美しい姿を見たり触れたりすると、途端にまともな判断ができなくなるのです。自制心が弱い者になると、そのまま犯罪に手を染めることもありえます」
そして若い時分は自制心が弱く、それに反比例するように衝動が強い。
会ったことの無い本田さんのクラスメイトを想像する。
彼らは普段どれだけの苦悩を抱えているのでしょうか。
クラスの密かなアイドルである彼女は毎日笑顔であいさつをしてくれるだけでなく、気軽に話しかけ、肩を叩くなど軽くではありますがボディタッチまでしてくれます。
ただそれだけでその日一日は幸せな気持ちになれていたのに、彼女は芸能界という遠い世界へと飛び去ってしまいました。
普段会える機会が減る代わりに、テレビや雑誌などプロの手によって普段とは違った彼女の魅力が演出されています。
間近で会える機会が減った胸の寂しさは、気がつくと勝手に手が自らのものを慰め、申し訳ないと思うものの手は止まらずかえって勢いが増し、画面で彼女の笑顔が映し出された瞬間に果ててしまう。
快楽の波が引くとあんなにも綺麗な彼女を想像で汚してしまった罪悪感で、知らずと涙が落ちる。
そして翌朝。
気持ちの整理がつかぬまま登校すると、笑顔で挨拶をしてくれる彼女の姿が。
その笑顔を見ながら果てたことを否応なく思い出し、その日以後彼女と目を合わせて話す事ができなくなり、ますます彼女が遠ざかる。
その隙間を埋めるように彼女を録画したメモリは増え、雑誌を買いそろえることに熱をあげる。
そんな堕ちていく日々の中、偶然校庭のすみで彼女と出くわす。
彼女はここ最近様子がおかしい彼のことが気になっていたようで、いい機会だとそのことについて尋ねる。
彼女は自分のことを気にかけてくれていた。
まともに話す機会が減ったというのに。
きっと彼女も俺のことを――
この場には自分たち以外に誰もいない。
近くには用具室があり、南京錠は昼間は開けっ放しだ。
快楽と罪悪感まみれの妄想を実現しようと、彼女の腕をつかみ取り――
「プロデューサー……深刻な顔しながら、私をネタにエッチなこと考えてない?」
「んんっ」
少し想像がいきすぎたようです。
本田さんの半眼に思わず目をそらし、自分でもわざとらしいとわかる咳が出てしまいました。
100:
「と、ともかく。今のように付き合ってもいない男に、それもブラジャーもせずに抱きつくなど、もし私が我慢できずに手を出そうと考えたなら――」
「プロデューサー……手を出すの?」
うつむきながら本田さんがか細い声で尋ねます。
どう答えたものかしばし迷いました。
私はプロデューサーですから、アイドルに決して手など出しませんと答えたいのが本心です。
しかし本田さんに男性への正しい警戒心をもっていただくには、手を出しかねないと答えるべきでしょう。
たとえその結果私への信頼が損なわれるとしても……本田さんの身を案じるのでしたら、辛くともそうしなければ。
「……今回は我慢できましたが、今後もこのようなことが続くようであればそういったことも起きえ――」
「ヤッター♪」
「ほ、本田さん!?」
それは予想外の行動でした。
てっきり私の答えに失望するかと思っていたのに、うつむいていた状態から上げられた顔はなぜか喜色に染められていました。
予想外の事態に呆気にとられる間もなく、本田さんは歓声をあげながら机を飛び越えて私に飛びついてきたのです。
「そっかー、プロデューサーは未央ちゃんのことをそんなエッチな目で見てたんだー。そうだよねー、プロデューサー巨乳好きだもんねー♪」
なぜ、こんなことに。
私はただ本田さんに、男性への警戒心をもっと持ってもらいたかったのです。
それなのになぜ私に勢いよく抱きついてきているのでしょうか。
あと前川さんと同じで、私を巨乳好きだと当然のように認識されていたのですね……。
私はソファに浅く腰掛けていたことと突然の事態に呆然としたこともあって、今は本田さんに押し倒されかかっている状態です。
「いやー、未央ちゃん心配してたんだよ。ひょっとしてプロデューサーはゲイなんじゃないかって。巨乳好きだとは思っていたけど、女の人に興味があるってこれではっきりして安心したよ」
「?????っっっ」
本田さんは私のお腹辺りに顔を埋めるように押しつけてきているため、顔色はうかがえません。
ただし耳が赤く染まっていることはわかります。
いえ、それよりも問題なのは。
本田さんのブラジャーで固定されていない胸が、頭をこすりつける反動で私の股に触れては離れ、触れては離れを繰り返していることです。
何としても本田さんを引き離さなければなりませんが、今私の両腕は崩れそうな上体を支えていて、腕を動かせば完全に押し倒されます。
それはそれで非常に問題です。
「ゲイじゃないんだったら、プロデューサーが結婚とか女性のことで悩んでいるって噂も本当なんだよね?」
「……本田さん?」
101:
いったい噂は人から人へと伝わる中でどのように変化したのか。
相変わらず本田さんの顔は見えません。
いえ、見せたくないのでしょう。
私のお腹に顔をうずめたまま、ぽつりぽつりと、自身の考えをまとめながら想いを紡いでいきます。
「もしプロデューサーに恋人ができたり結婚したら、私がこんなふうに甘えるのはダメになっちゃうよね。……仕方のないことだってわかるけど、考えただけで寂しく感じちゃうんだ」
それは普段の明るい声とは裏腹の切ない声。
しかしこれもまぎれもなく彼女の一面。
太陽のような明るさと元気ばかりに目が行きがちですが、年相応の弱さもある。
健やかな弱さだと、私は感じています。
弱くて未熟だからこそ挫折して、立ち上がる過程で成長できる。
大人である私がすべきことは立ち上がらせることではなく、ほんの少しだけ手助けすること。
そうやって成長した彼女はやがて私に並び、追い抜き、置いていくのです。
彼女にとって私は、弱い部分を知られそれを支えてくれた、不器用で心配なところもあるけど信頼できる大人という立ち位置でしょう。
今は彼女にとって重要です。
でも将来は違います。
昔お世話になった人で、時々思い出して感謝する程度になるでしょう。
そしてそれは決して責められることでも悪いことでもないのです。
時の流れとは、そういったものなのだから。
聡明な彼女なら今はわからなくても、自然とそのことがわかる時がきます。
だから今私がすべきことは、そんなに深く受け止めなくていいと伝えることです。
「大丈夫ですよ本田さん。確かに私は年齢的に恋人……それも結婚を前提とした人を探さなければと考えてはいますが、まだ特にこれといった行動はとっていませんし、仮に動き始めてもそう簡単に相手が見つかるとは思えません」
「……はあ」
「本田さん?」
「別に。ただサバンナで無警戒な草食動物を見かけた気分になっただけ」
私の言葉のどこにそんな効果があったのか。
本田さんの斜め上な言葉に疑問を抱きつつも、今はそれどころではないので話を戻します。
「とにかく。私の相手はそうそう見つかりませんし、見つかったとしてもそれを理由に貴女たちをないがしろになど決してしないことを約束します」
「私……“たち”か」
何か足りないものがあったのか。
本田さんが少し寂しげに笑ったのも束の間のこと、一転して明るい笑顔に戻りました。
「まあということは! しばらくの間はこうやってプロデューサーに甘えていいわけだよね?」
「いえ……私を頼りにされるのはたいへん嬉しいのですが、先ほども言いましたが男性にこのようなことをするのは……」
「プロデューサーにだけだから、ね?」
おかしい。
確かに私は「私も我慢できずに手を出す可能性がある」と伝えたはずなのに……どうやら、本田さんの私への信頼は思いのほか厚いようです。
102:
ショートパンツからスラリと伸びた瑞々しい足をパタパタと機嫌良く上下させている姿を見ると、改めて注意しようという気がそがれてしまいます。
……まあ、その反動で本田さんの豊かな胸が、私の股の上で形を次々と変えているのでいい加減なんとかしなければ。
「……けど男の人って、女の人とエッチなことをしたいがあまり、そんなに好きじゃない人と付き合ったりすることもあるって聞いたことあるよ」
本田さんを傷つけずにどうやれば引き離せるかと考えていると、眉根を寄せてそんなことを口にしました。
確かにそういう男はいますが、その多くは性欲旺盛な高校生や大学生です。
とはいえ私の年代でもいるにはいるので否定しづらい話ですが。
などと下手に考えていたせいで、話が突然妙な方に飛びました。
「だ、だからさ! 押しに弱いプロデューサーが焦って変な人と付き合ったりしたら悲しいから、プロデューサーの欲求を私が解消してあげなくちゃね!」
……………………はい?
「ほほ……本田さん?」
私に飛び込みながら上目づかいで、顔を真っ赤にしながら彼女はとんでもない宣言をしました。
その顔は羞恥でいっぱいですが私を茶化している様子は見当たらず、彼女の真剣さが伝わってきます。
私は彼女がアイドルなのに、そしてまだ十五歳の子どもなのに魅入られて体が動かず、ただただ心臓だけが高鳴ってしまいます。
「い、今はこれぐらいでもういっぱいいっぱいだけど、私がんばるから!」
彼女は力いっぱい私に抱きつきました。
それは男女の恋愛に慣れた者の愛情表現とはほど遠く、愛情表現といえばこのぐらいしか思いつかない者が、精いっぱいそれにすがりついたような抱擁。
つたなく、だからこそ胸が締め付けられるほど愛しく思えるその行為に。
そして情けないことに、今までで一番の締め付けで本田さんの胸がいよいよ私の股に押しつけられ――――我慢の限界が、来てしまいました。
「――――――――――嗚呼」
「プロデューサー? どうしたのって…………え、ここ、これって!?」
終わりです。
この世の終わりです。
辞表を、書かなければ。
興奮した血の巡りは私の下腹部に集中して膨張させました。
隆起したソレは、よりによって本田さんのブラジャーに覆われていない膨らみの間を突き進んでしまったのです。
最低だ、俺って。
「そそ……そうだよね。プロデューサーって巨乳好きだもんネ。それなのに私こんな形で抱きついちゃってたんだよネ」
ああ、本田さんが動転しています。
意識を遠い世界にやっている場合ではありません。
少しでも彼女のトラウマにならないように、せめて誠心誠意お詫びしなければ……
「ほ、本田さん。申し訳ありませんが、いったん離れ――」
「そっか……巨乳好きってことは、こういうプレイが好きなのか。え? でも雑誌だと、ローションが必要って……どうだったっけ?」
「本田さん?」
103:
嫌悪で飛び跳ねるように距離を取るでもなく、恐怖で硬直するわけでもなく。
本田さんは自分の谷間に挟まるズボン越しの見苦しいものを見ながら、こんな事態なのに考え事をされています。
「や、やっぱり。うろ覚えの知識じゃできないし、道具だって必要かもしれないし……」
「本田さん? ショックなのはわかりますが、いったん私から離れませんか?」
声をかけるものの、私の声は聞こえていないようです。
肩を押して離れるべきかとも考えましたが、私が触れることは悪影響の可能性もあってできません。
為す術も無く固まっていると、突然本田さんが顔を上げて私と目を合わせます。
その顔からは一目で強い決意が感じられました。
彼女がどんな言葉を発しても私は受け入れ、謝罪しようと覚悟を決めていると――
「さ、さっきプロデューサーの欲求は私が解消してあげるって言ったよね!?」
「は、はいっ?」
非難の言葉を予想していたため、思わず素っ頓狂な声をあげてしまいました。
「けどこんな形は予想してなくって……だ、大丈夫! 説明があった雑誌が家にあるから!」
「本田さん!?」
何が起きているかまるでわかりません。
しかしとてつもない事態へと話が転がっていることだけはわかります。
「準備とか、練習とか、あとやっぱり心の準備とかあるから! いい、今はまだできないんだゴメンね!」
そう言うと彼女は驚くほど俊敏な動作で私から離れ入口へと駆け、ドアノブに手をかけたところでピタリと動きを止めました。
古びた機械が動くようにぎこちなく振り返った彼女の顔は、排熱がうまくされず耳の先から首筋にいたるまで真っ赤でした。
「ちゃ、ちゃんと今度してあげるから……」
かろうじてこちらまで聞こえる小さな声音のあと、
「パイズリ!!!」
耳を疑う単語を大声であげ、ドアを勢いよく開閉させて走り去っていきました。
104:
「……」
私はただ、阿呆のように呆然と入口に片手を伸ばしたまま硬直するだけです。
何が、いけなかったのでしょうか。
何が原因で、こんな最悪な事態へと話が転がって行ったのでしょうか。
あまりにも様々なことが起こり過ぎて、一周回って空しさすら覚える心境に合わせたかのように物悲しいメロディが社内に響きます。
窓を見れば薄暗く、終業時間だとわかりました。
デスクの上に置いていた携帯が鳴り響きます。
動くことに億劫さを覚えながらなんとか手に取ると、着信は親しい同期からでした。
「……もしもし」
『武内。今日はもう上がれるか』
着信に出た自分の言葉は、我がことながら驚くほど生気が無く――同期の声もまた、同じぐらい覇気が欠けていました。
「ええ、今日はもう上がれます」
やるべき仕事は残っています。
しかし仕事をする気力は根こそぎもっていかれました。
明日死にもの狂いで取り組めばなんとでもなるので今日はもういいです。
『そうか。じゃあ駅前で飲まないか? 色々と、お前に愚痴りたいことがあってさ』
「望むところです」
『……お前も、色々あったんだな。俺もさ、まゆは婆ちゃんとまで会ってたらしくって、また婆ちゃんがまゆのことえらく気に入ってんの。死ぬ前にお前がこんなにいい子と結婚するのを見れるなんてとか言いだして……ああ、すまん。ここから先は向こうでしよう』
会話を終えると、少しだけ活力が戻っていることに気づきました。
自分よりボロボロなのに立ち続けている者を見れば、この程度で諦めるなんて恥ずかしいと気合いが入るものです。
――彼と私、果たしてどちらの方がボロボロなのかはわかりませんが。
帰宅の手続きをしながら、そんな益体も無いことを考えてしまいました。
105:
プロローグ 凛
一日目 美嘉 楓
二日目 小梅 幸子 みく 未央
三日目 ??? ??? ??? ???
エピローグ 凛
キュート 幸子 みく ??? ???
クール 凛 楓 小梅 ???
パッション 美嘉 未央 ???
アイドルたちによる武内P包囲殲滅陣の内容
(彼我の戦力差、出ました! 武内P、およそ300。アイドルたち、およそ5000!)
凛:誰かと付き合う前に一言相談してね(許可を出すとは言っていない)
美嘉:合格点が出るまでデートに誘い続けてね(合格点を出すとは言っていない)
楓:美嘉ちゃんに不合格を出されるたびに飲みに誘ってください
小梅:18歳になったら……結婚しようね。我慢できなかったら、今手を出してもいいから
幸子:月を見るたび思い出せ!
みく:トップアイドルになったら結婚にゃ!
未央:パイズリ!
キュート?:もう……エッチなんですね
パッション?:私にいい考えがあります!!!
クール?:ふ、不束者ですが……よろしくお願いします
キュート?:譁・ュ怜喧縺代ヱ繧ソ繝シ繝ウ
161:
?どうしましたかな子ちゃん? ああ、智絵里ちゃんでしたら――
今日は驚くほど仕事に集中できています。
途中電話が鳴り仕事が追加されたり、現場でアクシデントが起き顔を出す事態もありましたが、どちらもすぐに解決策が閃き片付きました。
終電までに帰られるか怪しいと思っていましたが、このペースならそう遅くなることはないでしょう。
集中できている原因は……現実逃避です。
私は明日までに城ヶ崎さんをデートに誘わなければいけないのです。
またなるべく急いで輿水さんの行き過ぎた独占欲を和らげる方法を模索することと、本田さんにあのようなことをしなくても私は傍にいて見守ると説得しなければなりません。
やらなければならないことだらけですが、未成年のアイドルをデートに誘うことは高垣さんたちに相談にのってもらった後でも気が進みませんし、輿水さんの独占欲についてはどうすればいいのかまるで見当がつかず、本田さんにいたっては合わせる顔がありません。
その結果仕事に逃げてしまっているのですが……仕事が思ったより早く終わるようなので、考える時間ができます。
かえって良かったのかもしれません。
ふと、お腹が空いたことに気がつきました。
時計を見ればいつの間にかもう11:00を過ぎています。
少しいですが仕事も一段落しましたし、今の機会を逃せば次は夕方近くということもありえます。
今の時間ならばカフェも空いているだろうと考えていると、控えめなノックの音がしました。
「どうぞ」
「し、失礼します」
おどおどとした様子でドアから顔を覗き込ませたのは、緒方さんでした。
「緒方さん、どうかされましたか?」
「は、はい……えっと」
ドアから顔だけを覗き込ませたまま、彼女は恥ずかしいのか言い淀みます。
顔だけしか見せない彼女の様子を不思議に思いましたが、焦らせてはならないと黙って待ちました。
「……プロデューサーさんは、今日のお昼はどうされますか?」
「お昼ですか。ちょうど今からカフェに向かおうかと」
「そそ、それでしたら!」
意を決すると彼女は部屋の中へと入り、手提げ袋を胸の前に掲げます。
「お、お弁当……作ってみたんです」
「もしかして……私に、ですか?」
緒方智絵里
162:
緒方さんはただ小さくうなずいて見せました。
いえ、よく見ればその華奢な肩は震え、視線もあちこちを行き来して定まっていません。
相当な勇気が必要だったのでしょう。
「いつもお世話になっているプロデューサーさんにお礼をしたいなって思って……それで、プロデューサーさんの体が心配だったから。ご、ごめんなさい。勝手に心配なんかしてしまいまして」
「い、いえ……」
私はというと、喜びと戸惑いを覚えていました。
担当しているアイドルの中で、心配になることが多い一人が緒方さんです。
人一倍優しい努力家ではありますが、自分に自信がもてない怖がりな一面もあります。
そんな何かにつけて心配していた彼女が、お礼にと手作りのお弁当を持ってきてくれました。
正直涙腺が緩みかけて、今にも涙がこぼれそうです。
その一方でアイドルの手料理を私が食べていいものかという疑問もありました。
あるのですが――
「その……食べてもらえますか?」
「――はい、よろこんで」
触れれば折れるような儚げな勇気を無下にするすることはできません。
まずはおいしくいただいた後に、やんわりと注意すればいいのではないでしょうか。
「あ、ありがとうございますっ」
これが正しいのか思わないでもなかったですが、そんな疑問は緒方さんの胸が締め付けられると同時に温かくもなる笑顔に消え去ります。
緒方さんに渡された弁当箱を開いてみると、思わず感嘆の声が出てしまいました。
「これは……っ」
「その……誰かにお弁当を作ることは初めてで、うまくできたかわからないんですけど」
「いえ……非常によくできています」
きんぴらごぼうに大根のおひたし、ミニトマト、卵焼き、そして――肉じゃが。
「いただいてもよろしいでしょうか?」
「はい!」
箸を持つ手が震えそうになるのを感じながら、緒方さんの明るい声に押されて恐る恐る箸を伸ばす。
目標は肉じゃが。
箸を通すとじゃがいもがそっと簡単に割れた。
実によく味が染み込んでいそうです。
じゃがいもを糸こんにゃくと一緒に口に運ぶと、期待していた通りの味わいが口内に満ち、忘れていた感慨が思い起こされます。
ああ、お店以外で肉じゃがを食べるなんていつ以来でしょうか。
緒方さんは私の様子からお弁当の出来について聞かなくともわかったのでしょう。
控えめな、それでいてはっきりと喜んでいるとわかる笑みを浮かべています。
「とても、おいしいです」
163:
そこからは自分でも驚くほど箸が進みました。
きんぴらごぼうはコリコリとした食感とほどよい味の濃さで、大根のおひたしは柔らかさのなかにシャキシャキとした感触が残り、卵焼きは甘さとニラの苦みが絶妙のバランスをつくっていました。
ただ少しばかし勢いよく食べすぎたようです。
喉がつまってしまって、慌てて横に置いていたペットボトルに手を伸ばそうとしたところ、湯気が上がるコップが差し出されました。
「お茶です。苦いけれど、体にとってもいいそうなんです」
どうやら手提げ袋の中に魔法瓶も入れてあったようです。
喉が詰まっているため目で彼女に礼を伝え、お茶を口にしました。
なるほど確かに苦いですが、仕事をしながらちびちびと口にしたくなるような味です。
熱さも冷ますことなく飲めて、それでいてぬるくないちょうどいい塩梅です。
「ふう……ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」
弁当は大人の男性である私が十分に満足できる量でしたが、あまりの美味しさと手料理の嬉しさに十分足らずで食べ終わりました。
「プロデューサーさんに美味しそうに食べてもらえて、とても嬉しいです」
「いえ、嬉しいのは私の方です」
ただ問題は、これからはこういったことは控えるように言わなければならないことです。
緒方さんの純真な善意を注意するのは、正直気が重い……重いのですが……
「お、おや?」
「プ、プロデューサーさん?」
手が重く、そして感覚が鈍くなり、ほんのりと熱を持ち始めました。
突然の事態に驚いているはずなのに、目は見開くどころかまぶたが下がり始めます。
まるで、冬の朝に布団から出ようともがいているかのような。
「プロデューサーさん」
そっと手をさしのばされます。
霞がかった頭は促されるままに、そのほっそりとした美しい手をつかんでしまいました。
「どうぞこちらに」
ゆっくりと手を引っ張られる。
導かれるがままに重い足を引きずりながら、閉じかかった目の代わりに天使のささやき声と御手を頼りに前へと進む。
「はい、ここに座ってください」
座っていいとわかった途端、何とか力を振り絞っていた両足が糸が切れたように崩れ、感触からソファとわかる場所に音を立てて沈みこんでしまいます。
「それじゃあ……あ、頭を、こっちに」
164:
熱をもった頬に優しく手が添えられる。
ソファに体を預けながら、ゆっくりと上体を倒していく。
頬と肩にかけられた手は力強さという点では頼りありませんが、触れた箇所から慈しみが全身を覆い安心させてくれます。
そうして、私の上体は倒れ終わりました。
後頭部が柔らかくていい匂いのするものに包まれています。
思わず首を動かして、頬に触れさせてみました。
すべすべとした気持ち良さに、今度はうつ伏せになって鼻をこすりつけます。
なんといい枕なのでしょう。
「ひゃんっ」
小動物のような、抱きしめて包み込みたくなるような可愛らしい鳴き声がしました。
その声がおかしくて、愛しくて、鼻をこすりつければまた耳にできるかと試してみます。
「あっ……あ、んっ」
先ほどとは違った、けど同じぐらい心地のいい音色。
甘い匂いが鼻孔を満たす。
お菓子とも香水とも違った、比較するのも愚かしい豊潤な香り。
この枕だけがもつ特別なものなのか。
「もう……エッチなんですね」
エッチ?
私は今、こんなにすばらしいものにイヤらしいことをしていたのですか。
霞がかった頭でも恐れ多いことをしていたことを認識でき、鼻をこすりつけることを止め、仰向けに戻ります。
「あ……」
心なしか残念そうな声が漏れました。
ひょっとしてうつ伏せのまま絹のような感触を味わい、とろける様な匂いを堪能し、可愛らしい声に包まれ続けてもよかったのでは。
そんな無念が起きましたが、心の奥底からそれは決して許されないことだと警告が送られます。
しかしなぜ許されないのでしょう。
私は誰で、私の傍にいる方は誰なのでしょうか。
「疲れてるんですね……このまま眠ってください」
このままではいけないという焦燥感は、額を優しくなでられたことで霧散した。
意識が深い泉に沈み込んでいく。
確かに、私はここ数日とてもとても疲れたような気がする。
そして今日は、その疲れた原因から目をそらそうとガムシャラに働いたはず。
言われてみれば相当疲れている。
お言葉に甘えて……後頭部を温かく包まれながら、額を慈しまれながら、天国のような環境で眠らせて……いただきます――
165:
――
――――
――――――――
夢を見ている。
夢の中で私は天子様に糾弾されていました。
いえ、糾弾という表現は正しくないかもしれません。
それは糾弾というにはあまりに優しく、恐怖ではなく申し訳なさでいっぱいになるものだったのですから。
――プロデューサーさんが、いけないんです。
私はしてはならないことをしたらしい。
心当たりは考えても見当たらないのですが、天子様にこんなにも切なげで悲しい声を出させているのです。
きっととてもいけないことなのでしょう。
――誰のものでもないから我慢できたのに、誰かのものになろうなんてするからいけないんです。
それが私の罪のようです。
天子様が見つめていたのに、天子様に駆け寄るどころか離れて行こうとするとは、確かに許されない行為です。
熱が近づくのがわかります。
そして額に、暖かくしっとりとした気持ちの良い感触が奔りました。
今までよりも間近で、囁き声がします。
――プロデューサーさん。今は私だけの、プロデューサーさん。お願いだから、私を見捨てないで。
見捨てるわけがありません。
声を大にして宣言したいのですが、夢に縛られた私は指先一つすら動かすことができませんでした。
この想いを伝えられないのがもどかしく、夢の中でなければ口の中を噛み切っていたことでしょう。
額から熱が離れようとします。
しかしどうしたことか、離れかけたところで動きが止まりました。
――だ、ダメ。
いえ、止まったのではなく、少しずつ下の方へと動いていました。
動きは私の唇の上辺りで止まり、そこで葛藤でもするように震えていることが天使様の声から察せられます。
――ここからは……ここから先は、プロデューサーさんからしてもらわないと。でも、でも……
葛藤はそのままに。
しかし距離は少しずつ埋められ。
やがて私の唇と、天子様の熱が触れあ――
「智絵里ちゃんっ!?」
166:
天井が見えました。
なぜ天井が見えるのか。
そして後頭部に感じる柔らかい感触と温かな熱。
どうやらいつの間にか横になっていたようです。
状況がわからず慌てて起き上がろうとしましたが、額に手があてられていることに気がつき思いとどまりました。
「緒方さん……私は、いったい?」
「気がつかれましたか?」
いったいどのような経緯でこんなことになったのか。
なぜ私は緒方さんに膝枕をされているのでしょう。
緒方さんはというと、心なしか残念そうです。
「あの……プロデューサーさん」
「三村さん? その、これはですね」
声がする方に振り向けば、入口に三村さんが混乱したような、申し訳なさそうな顔をして立っています。
どう説明すればいいものか、私自身も状況がわからず言葉に詰まると、そっと緒方さんが助け舟を出してくれました。
「プロデューサーさん、大丈夫ですか? お昼を食べた後、急に睡魔に襲われたようだったので、ソファに横になってもらったんです」
「そんなことが……?」
言われてみて、ようやく断片的に記憶が戻りました。
急に襲ってきた眠気。
重い足を引きずった感触。
そして、そして――どこか、天国にいたような。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。緒方さん、起き上がりますので手をどけてもらえますか」
「ダメです」
それは、意外な言葉でした。
否定されたことも驚きですが、何より驚いたのは否定の仕方です。
あの緒方さんが笑顔を浮かべながら、短くはっきりと他人の提案を却下するとは。
「プロデューサーさんは疲れているんです。目が覚めたからって急に動いたら、せっかく落ち着いた体調が悪くなるかもしれません。……だからもう少しだけ、このままで。かな子ちゃんも、そうした方がいいと思うよね」
「え、ええっ!?」
話を振られるとは思っていなかったのでしょう。
三村さんは手をわたわたさせ、どう答えたらいいものか迷っていると――
「……プロデューサーさん、本当に疲れているみたいなんだよ。だからかな子ちゃん、今度は一緒にプロデューサーさんのためにお弁当作らない? 今度は一緒に“同じこと”しよう……ね?」
――緒方さんの言葉は劇的な効果を産みました。
三村さんは鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんとしたかと思うと次は顔が真っ赤に染まり、落ち着かないのか視線は次々と移り行き、最後に私と合ったところで止まりました。
「あ……あぅ」
「み、三村さん? どうされましたか?」
167:
緒方さんの提案を嫌がっているというわけではないようです。
嫌ではないが、恥ずかしい。
しかしそこまで恥ずかしがることなのでしょうか。
お弁当とお菓子という違いこそあれど、普段から三村さんは周りの人に手料理を振る舞うことに慣れているはず。
「ぷ、プロデューサーさん! わ、私も今度は智絵里ちゃんと一緒に、その……料理! 料理をしますから!」
「は、はい」
無理に恥ずかしいことをさせるわけにはいかないと、助け舟を出そうと思ったのですが、その前に三村さんが決心されてしまいました。
緒方さんだけではなく三村さんにまで御馳走になれるのはたいへん嬉しいのですが……何か忘れているような。
私は緒方さんにそのことで、何か注意しなければならないことがあったような気がするのです。
記憶が混濁するほどの眠気に襲われた影響がまだ残っているのか。
緒方さんの言うとおり、もう少し横になっていた方がいいのかもしれません。
ただ、膝枕はどうかと思うのですが……
「いーま振り向かせてあげーる♪ パステルピンクな罠で♪」
上機嫌な緒方さんに水をさすのもどうかと思い言い出せません。
しかし膝枕をするというのはそれほど楽しいことなのでしょうか。
私には理解できません。
ああ、理解できないといえばもう一つありました。
あんなに苦みのあるお茶を飲んだのに、なぜここまで強烈な眠気に襲われたのでしょうか。
カフェインが無いタイプだとしても、あの苦みは眠気を跳ね飛ばす効果がありそうなのですが――
168:
?:貴女が昔懐いていた木偶の坊だけど、お別れを言った方がいいわよ
結局私はどのぐらいの時間眠っていたのでしょうか。
逆算すると意識が無かった時間がニ十分ほど、そして意識があるまま横になっていた時間もニ十分ほどのようです。
昼食も合わせて一時間近く休んでしまいました。
実は意識が戻って五分ほどで緒方さんの足が心配になり起き上がろうとしたのですが……
「じゃあ……続きはかな子ちゃんですね」
「ええっ!?」
私も三村さんも慌てに慌てたのですが、緒方さんの静かなのに有無を言わさない雰囲気に気圧され、今度は三村さんに膝枕をしてもらうこととなったのです。
「しかしそれにしても……」
なんとすばらしい感触だったのだろうと、思わず続けそうになった言葉を頭を振ってかろうじて遮ります。
例えるならばマシュマロ。
白くもちもちとした弾力は私の重い頭を優しく受け止め、危うくもう一度眠りに落ちそうになりました。
さらに三村さんの顔を見ようとすれば、顔が見えないほど豊満な……いえ、女性の胸について考えるのは止めましょう。
自業自得とはいえ、昨日さんざんな目にあいました。
三村さん自身は自分の体形を気にされているようですが、ファンの皆さんと私にしてみればたいへん魅力的です。
あまりに華奢すぎる女性は見ていて不安になることがあります。
さらに三村さんの場合はあの優しいおっとりとした性格も合わさって、安心して身を委ねて包まれたいという欲求が芽生え――
「……さっきから私は何を考えているのですか」
今私はというと、まだ少し残っている眠気を振り払うために散歩がてらレッスンの様子を見に行く最中です。
歩きながら考えを整理しようと思ったのですが、なぜか思考がふしだらな方に進みます。
これではいけないと、気合いを入れるために頬を叩くと熱を感じました。
熱を感じた場所は頬だけではありません。
背後から振動と共に熱気が近づいてきているのがわかります。
それも、凄まじい勢いで。
「ボンバーッ!!!」
気合いを入れる所作が彼女を招きよせたのか。
いずれにしてもこの勢いはまずい。
私を通り過ぎて駆け抜けるのなら問題は――廊下を走ってはいけませんが――ありません。
しかしこのまま背中に渾身のタックルを受ける可能性も十あります。
慌てて振り向くと私の真正面に彼女、日野さんが爆走する姿がありました。
日野茜
169:
日野さんと目が合います。
彼女は最初から私を見ていました。
以前として減する気配がまるでありません。
むしろ目が合ったことで加したようにすら思えます。
避けるという選択肢が一瞬頭をよぎりましたが、それで日野さんが転んで怪我でもしたらと考えると死んでも死にきれない。
あの小さな太陽のような突進を、受け止めるしかないのです。
彼我の体重差は倍以上。
しかしあの突進の勢いはそんな数字を吹き飛ばすに余りある。
足を肩幅に開きつつ、右足を後ろにずらして腰を落として前傾姿勢をとる。
肩の力を抜き、深く息を吐く。
私の構えを見て、受け止めてもらえるとわかったからなのか。
日野さんの燃える瞳がいっそう輝きを帯び――
「プ、ロ、デュ、ウ、サアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
まだ距離は3メートルほどありました。
それなのに日野さんの両足が地から離れます。
放たれた矢のように、私のずっと下からタックルが迫りくる!
そのままぶつかられると思っていたので、この角度は予想外でした。
下手に踏ん張って受け止めれば腰かアキレスを痛めかねません。
日野さんの小さくて熱い体が触れると同時に、彼女を両腕で抱きとめながら足から力を抜き、勢いに逆らわず倒れます。
腰から倒れ背中がついても勢いはまだまだあり、廊下を滑ることとなりました。
背中に摩擦熱が起きますが、こんな熱を彼女の素肌に味あわせるわけにはいかないと必死に抱き留めます。
数メートルほど滑ったところで勢いが収まり、安堵の息が漏れました。
「日野さん。このようなことは危険なので二度と――」
「プロデューサー! 大丈夫でしたかプロデューサー!?」
注意しようとした矢先、日野さんは私に抱え込まれた体勢のまま心臓の音を確かめるように胸に顔を押し当てながら大声で、それも震えた声で問いかけます。
よく見れば目じりに涙のようなものが見えました。
今ので私にケガをさせたのではないかと心配している……にしては大げさです。
考えてみると最初からおかしい点はありました。
日野さんはテンションがあがると私の注意を忘れて、抱きついたりタックルをすることは度々ありました。
しかし今のように、事故になりかねない勢いでタックルをすることなどありえません。
よほどのことがあって混乱しているように考えられます。
「良かった……ッ! 動いています、ちゃんとプロデューサーの心臓がバクンバクンと動いています!!! ウオオオオォ、良かったああああああ!!!」
「あの……日野さん?」
私の胸から顔を離したのはいいのですが、今度は馬乗りになったまま両の手を天に突き上げ漢泣きを始めてしまいました。
まるで私が死ぬかそれに近い状態だったと思い込んで――
「本当に、本当に良かったです! 結婚詐欺にあってお尻の毛までむしり取られて、内臓という内臓が売られて蟹漁船に行く手続きが済んだと聞いた時は生きた心地がしませんでした!!!」
――話に尾ひれがいくらなんでも付きすぎではないでしょうか?
170:
「生きていますよね!?」
「……はい、見ての通り」
「内臓はいくつ取られてしまったんですか!?」
「まだ、一つも」
「蟹漁船とかいう地獄への片道切符へのサインは!?」
「行くつもりはないので、ご安心を」
「よ、良かった?????」
安心して力が抜けたのか、日野さんが倒れこみます。
私に、馬乗りになった状態からです。
「ひ、日野さん。その、いいでしょうか?」
「あ?、プロデューサーの体温を感じます。ちゃんと血が通っていて、バクバクいって暖かくてポカポカした気持ちになれます……」
なんとか日野さんを離さないと。
そのために声をかけたものの聞こえないようで、あろうことか再び私の胸に顔を押し当てながら、生きていることを確かめるように体のあちらこちらをさすり始めました。
「?????っっっ」
ワイシャツ越しに日野さんの意外と小さな手に、普段の元気あふれる行為とは裏腹に私が壊れないようにそっと優しく撫でられ、襲いくる快感に悶えそうになる体を必死になって抑えます。
これは、非常にまずい。
「日野さんっ。この体勢はいけません、離れましょう」
「はあ?、プロデューサーの胸っていいですね。広くって暖かくて、たくましい弾力もあって……なんだか安心しちゃったから、このままここで眠りたい……気分、です」
「日野さん? 日野さん!?」
「すやぁ……」
あっという間の出来事です。
日野さんの声から力が抜けてきたかと思うと、一瞬にしてとろけたような顔をして寝息をたて始めました。
よく食べてよく動き、そしてよく寝る。
実に日野さんらしいですが、これはいくらなんでもあんまりです。
もしかしかすると私が酷い目にあっているとの心配から駆け回り、心身ともに消耗していたのでしょうか。
突然の事態に困り果てていると、畳みかけるように廊下に足音が響きます。
今の状態を見られでもしたらことです。
この状況を打開するにはいったん日野さんを横におろし、私が起き上がって彼女を抱きかかえてここを去ることですが……日野さんを横におろして立ち上がろうとした瞬間を目撃されれば、私が日野さんに不埒な行為をしていると勘違いされかねません。
どうしたのもかと考えあぐねているうちに、ついに足音の主が姿を現してしまいました。
「あら、CPのプロデューサーさん。こんにちは」
「……ああ、武内か。元気そうだな、俺は元気です」
171:
満面の笑みで幸せの絶頂にあるといわんばかりの佐久間さんと、死んだ魚のような目をした同期のお二人でした。
同期は佐久間さんに腕を組まれているのに無抵抗で、彼女に引っ張られるがまま進んでいます。
その手に大量のハガキを持っていることも気になりましたが、そんな疑問は吹き飛ぶほど異様な寒気を覚えました。
「フフ、茜ちゃんと仲が良いんですね。とてもいいことだとまゆは思いますよぉ。ああ、それと。六月の○日の予定を空けておいてくださいね。お願いします」
「武内……おまえだけは、おまえだけでも」
正と負の組み合わせ、とは一概に言い切れないものを感じ背筋が凍ります。
佐久間さんは一点の曇りもないほどの幸せを堪能し、同期は負のオーラこそ漂わせていますが、それ以上に幸せから逃げることを諦めた絶望と安堵がにじみ出ています。
下手に意地など張らなければ良かった。
この道を選べば幸せな毎日が来ることは薄々わかっていたのに。
けどこれは、プロデューサーとして許されないことなのだ――
去り行く背中がそんなことを語りかけた気がして、さらに自分の未来を暗示しているような気がして寒気を覚え、体が震えます。
体の震えが収まり、日野さんを起こして近くのベンチに移動するのは十分後のこととなりました――
172:
――
――――
――――――――
「そういう事情があったんですね、本当に良かったです! プロデューサーが女の人に騙されていなくて安心しました!!!」
「私が不甲斐ないせいで、問題のある女性となし崩しで付き合うのではないかと心配され……それが元に妙な噂が流れ、日野さんにご迷惑をかけてしまい申し訳ありません」
「いえいえ! 私が勝手に心配しただけですから、こちらの方こそ!」
日野さんはあれだけ疲れていたのに、ほんの数分仮眠をとっただけで回復されたようです。
若いとは羨ましい……日野さんは規格外ではありますが。
ともあれ、今起きていることを私が知っていることと、それに推測を加えながら説明することができました。
その結果お互い頭を下げ合うのですから実に日野さんと私らしいと、先ほど感じた寒気を和らげる温かい気持ちになります。
「しかしプロデューサーをそんな風に心配している人たちがいるんですね……わかります!!!」
「わ、わかるのですか」
日野さんにまで、それも気持ちいいぐらい断言されて思わず失笑していまいました。
「プロデューサーはお仕事についてはそうそう騙されないと思います。けど……こう、ウッフン、アッハンな女性にすごく近づかれて困って断っているのに、されるがままになりそうなイメージとか、困っている女性の悩みを聞いているうちに逃げられない状態になってそうなイメージがあるんです!!」
確かにそういう場面にあうと、私は戸惑ったり相手の女性にズブズブとはまって逃げられないかもしれません。
しかしそういう女性は私などではなくもっとカッコイイ男性や、頼りがいのある人を狙うものでしょう。
「ハッ、そうでした! 私知っています! さっき聞きました! 問題のある女性と結婚しないですむ方法を!!!」
「それは、なんでしょうか?」
もしかすると、私を心配してくださっている方たちに安心してもらえるかもしれません。
それに私も男ですから、純粋に気にもなります。
よほど会心の案なのでしょう。
日野さんは笑顔のまま大きく息を吸い――
「私と結婚することです!!!」
――太陽のフレアを放射しました。
「日野……さん?」
予想外の人物の予想外の答えに、燃え尽きて真っ白になりそうです。
しかし私の気力を薪としてくべたのか、日野さんの熱は増すばかり。
「日本は重婚というものが禁止されているとかなんとか! だから私がプロデューサーと結婚していれば安全です! 17歳です!」
結婚は目的ではなくて手段なのですか。
少し安心しましたが、年頃の乙女が結婚を手段とするのも大問題です。
「私の年齢だとお父さんお母さんの許可が必要だけど、それも大丈夫です! 二人とも、プロデューサーのこと誠実で体もしっかりしていると褒めていました! プロデューサーにタックルすることは禁止されていましたが、結婚した後ならいいですよね!? 大好きなプロデューサーと結婚すると良いことずくめです!」
「……ところで結婚ってどうやったらできるんですか?」
173:
拳を握りながらとんでもないことを、とんでもないという自覚が無いまま力説し終えたと思うと、今度はキョトンとした顔を私に向けます。
私はというと、頭を抱え込みたい衝動をこらえながら何とか考えます。
先ほどの日野さんの発言は、分類すれば一応プロポーズに当たります。
しかし日野さんからは決意こそ感じられど、恥ずかしさや恐怖、そしてそれらを克服した勇気が見当たりませんでした。
結婚というものへの考えが浅いと言わざるを得ません。
「日野さん、少し落ち着かれてください」
「一休憩終えたばかりですが?」
「日野さんはその……結婚というものを軽く見ているように思えます。一度目を閉じながら深呼吸して、私と結婚するとどうなるか想像してみてください」
「むむっ?」
日野さんは素直に目を閉じながら大きく深呼吸をします。
考え込んだのは十秒ほどでしょうか。
かっと目を開き、しかし深呼吸の影響から落ち着いた声音で答えます。
「……男の子二人、女の子一人に白くて大きい犬はどうでしょうか?」
……冷静に考えられたようですが、どうやら根本的なところが依然として抜けたままのようです。
「日野さん……失礼とは思いますが、子どものつくりかたはご存じでしょうか?」
「学校で習いました!」
「習っているのですか!?」
「けど気がつけば寝ていました!」
「よりによって!?」
天の采配か、はたまた悪魔のいたずらか。
日野さんの性教育の現状を嘆いていると、私の嘆きを吹き飛ばさんと元気のいい声がします。
「でも大丈夫です! 友達にどんな内容だったか訊いたら『茜ちゃんが信頼した男の人なら全部任せて大丈夫だよ』って言ってくれました! プロデューサーは私がこの世で一番信頼している人なので大丈夫というわけです!!!」
「は、はい……」
北風と太陽という童話があります。
あの話は太陽の温かい日差しで旅人が服を脱ぐのですが、日野さんという太陽が輝くにつれ私の心は冷え込んでいきます。
「あの……ひょっとしてプロデューサーは私と結婚するのが嫌なんですか?」
そんな私の冷え込んだ心が態度に出ていたのか。
日野さんは心配そうに目じりに涙をためて、おそるおそる尋ねます。
急に太陽が沈んでしまったかのように辺りが寂しくなり、何よりあの明るい少女にこんな表情をさせてしまったのだと胸が締めつけられました。
「そのようなことは、断じてありません。日野さんと結婚することが嫌などということは」
「よかった! じゃあ早結婚しましょう!」
コロコロと変わる表情は見ていて楽しいものです。
許されるのならばずっと見ていたいものですが……状況がそれを許しません。
174:
彼女は正しい知識を持たないといけない。
止めるにはその方法しかありませんし、もしこのままうっかりメディアで「今度結婚するんです!!!」などという発言をされたら大問題です。
そうでなくとも十七歳ということを考えれば知らなければなりません。
本当なら女性が教えるべきなのでしょうが、事は急を要します。
周りに人もいないので、要点だけを押さえて私が説明するとしましょう。
「いいですか日野さん。子どものつくりかたですが――」
(*゚▽゚)ノ
「――して、ということが起こります」
(゚ペ)?
「そしてそれに刺激を与えると――これが■■です」
Σ(っ゚Д゚;)っ
「これを女性の体内――つまり、その……●●から」
(///∇//)
「体内で■■することで――」
(//∇//(//∇//(//∇//)
175:
――
――――
――――――――
「……ざっくりと説明しましたが、わかりましたか」
「あ……あうあう」
茹でたタコのように顔は真っ赤に染まり、全身が羞恥から小刻みに震えています。
日野さんの性知識で今の話を聞いたことも大きいでしょうが、何より知らなかったとはいえ私に言ってしまったことが頭の中で何度もリフレインしているのかもしれません。
それにしても羞恥に染まる日野さんの姿はたいへん珍しく、そして愛らしい。
普段が元気があふれ出んばかりなので、こういう姿をファンの皆さんが見る機会をつくれたら今以上に人気が出るのでしょうが――多分本人は嫌がるので、ここから先を考えるのは止めましょう。
「先ほどの日野さんの提案ですが、ご存じなかったので仕方ありません。なのでこれからは、結婚しようとか子どもを産むなどという言葉は控えましょう」
慰めようにも下手にこの話題を続けた方が辛いだろうと考え、話を打ち切ろうとしました。
結果だけ見れば、日野さんが正しい知識を得るきっきけができて良かったとも思えます。
もしこれが多くの人の前やテレビの収録中だと考えると――
「う……みます」
「日野さん?」
デリケートな説明を終え、事態も解決できたと安心した矢先でした。
日野さんはやはり顔を真っ赤にしながら――いえ、先ほどよりさらに真っ赤に染め上げ、力を込めようと拳を握っています。
しかしよく見ると拳は形をつくっているだけで握りきれておらず、声も日野さんらしからず弱々しい。
普段とはありとあらゆるものが違うなか、それでも瞳だけはいつものように私を真っ直ぐに見つめて、彼女は決意と、そして先ほどは無かった勇気を振り絞りながら震える唇に少しずつ言の葉を乗せていきます。
「プ……プロデューサーが相手なら、赤ちゃん……う、産みます!」
…………………………説明が、足りなかったようです。
「い、今なら友達が言っていたことがわかります。私が信頼した人に全部任せていいと。ああ、あんなこと……ち、ちなみにプロデューサーのはどのぐらいの大きさなんですか?」
「そ、それは……女性にスリーサイズを尋ねるのと同じぐらいデリケートな問いです」
女子高生に自分のモノが隆起したサイズを教えるなど全力で回避したいです。
しかし日野さんは不思議そうな顔をして、あっさりと逃げ道を塞ぎました。
「でもプロデューサーは私のスリーサイズを知っていますよね?」
「そ、それは……」
プロフィールの作成や衣装合わせに必要だからなのですが、知っていることには変わらないので日野さんは納得されないでしょう。
それにひょっとすると、私の大きさを知れば考え直してくれるかもしれません。
「……誰にも言わないでもらえますか?」
「は、はいっ!!!」
人として、許されざる道を歩んでいることが否応なしにわかります。
ああ、なんとプロデューサー業とは修羅の道なのか。
一度深呼吸して意を決します。
176:
「私の大きさは……【武内君の実年齢の数字】センチです」
「なっ……【武内君の実年齢の数字】センチ!!!」
「ひ、日野さんっ。声が大きいです」
「すみません! しかし……ええぇ!? つまり……これぐらいですか?」
「……ッ!」
日野さんが手で私のモノをかたどる仕草をするのを見て、つい卑猥な妄想をしてしまいました。
これは注意すべきなのか。
しかし注意した内容を理解してもらうためにはさらに詳しい性への説明が必要で、正直もう無理です。
「これが……これが私に」
「……わかっていただけたでしょうか。子どもをつくるという意味を」
これでもう大丈夫だろうと言う見込みと、どうかこれで終わってくださいという願望を込めた確認でした。
日野さんの顔はさらに真っ赤に染まり、今にも湯気があがりそうです。
「た、確かにこんなに大きなモノ……私には無理です」
その言葉に天を拳に突き上げてガッツポーズを突き上げたい衝動に駆られ、
「だから……やっぱりプロデューサーにお任せします!!!」
続く言葉に膝と両手を地面につき倒れこみたい失意に襲われました。
「でで、ですからプロデューサー……その、私とけけけ結婚して赤ちゃんを……赤ちゃんを――」
「日野さん? 日野さんっ!?」
限界なのは私だけではなかったようです。
オーバーヒートした日野さんは湯あたりを起こしたようにフラフラと頭をさまよわせ、そのまま倒れこもうとするのを慌てて支えました。
触れた肩が驚くほど熱い。
こんなに熱があっては正常な判断はできない状態だったでしょう。
熱が冷め、意識が戻った頃には自分はなんて軽率な告白をしてしまったのだろう、無かったことにしたいと思われるはず。
願望混じりだと自分でもわかる予測をしながら、彼女の小さな体を抱え医務室に向かいました。
260:
?ありすちゃん、待ち合わせ場所は●●に変更するのがオススメですよ
日野さんを医務室に預けた帰り道のことでした。
自販機前のロビーチェアで、一人の女性が腰を落ち着け本をめくっています。
深い知性を感じられる蒼い瞳の輝き、絹のような長い黒髪、ページを一つ一つ確かめながら優しくめくる細い指先。
何をせずともただ彼女が落ち着いて物事に集中しているだけで、この場いったいが清浄な空気に包まれたように思えます。
そんなことを彼女――鷺沢さんを見て思っていると、急に彼女の様子が一片しました。
形のいい眉を寄せ、さらに持っていた本を間近に近づけます。
よく見ると彼女が手に持つ本は、文庫本でも文芸誌でもなく、華やかな表紙の女性ファッション雑誌だ。
意外だと思うのは年頃の女性に対して失礼なのでしょうが、彼女が読むタイプの雑誌ではないので軽く驚きます。
アイドルとして勉強しているのか、純粋に興味があるのか、あるいは時間つぶしに横にあるマガジンラックから適当に抜き取ったのか。
いずれにせよ彼女がその雑誌に集中していることに変わりありません。
彼女は信じられないというように小声で何かを呟き、顔も赤くなっています。
読書の邪魔をしてはならないと、足早に過ぎ去ろうと目の前を横切った時のことでした。
「誘惑……男性は、女性に誘惑してほしいものなのでしょうか?」
「……そういった男性は少なからずいると思います」
鷺沢さんは恥ずかしいのか本に目を向けたままの問いに、とっさに当たり障りのない答えを出します。
すると彼女はさらに難しい問いかけへと移しました。
「では……CPのプロデューサーさんも誘惑されたいのですか? そのような趣味が?」
「いえ、その……」
予想外の問いかけに言葉が詰まると、彼女は肩を落としてため息をついてしまいました。
「仮にそのような趣味があったとしても……私のような地味で暗い女に誘惑をされても困惑なされるか、あるいは誘惑されているということにすら気づいてもらえないでしょう」
「……それだけは決してありません。貴女に誘惑されて、平静でいられる男などいません」
これは迷いなく答えられる問いだったので、静かに断言しました。
深窓の令嬢のように一つ一つの所作が美しく気品があり、それでいて嫌味さを一切感じられない控えめで貞淑な装い。
長い黒髪のストレートはシンプルであるが故に他の追随を許さず、彼女の肩を境に前後に流れる姿は、川の中央で直立する岩を境に流れを変える水のような美しさを持つ。
優しく響く澄んだ声音は言葉を一つ一つ選ぶようにゆっくりと、そして深い教養を裏付けに物事を多角的に美しく表現される。
そのうえ内気な性格であるにも関わらず、アイドルとして不慣れであったことにも取り組もうとする健気で前向きな姿。
アイドルは皆、男の理想を少なからず体現しています。
そして鷺沢さんはそんな男たちの理想への一つの答えとすらいえるでしょう。
鷺沢文香
261:
「そうですね……あの方は優しい人だから、きっとそう言ってくださるでしょう」
「……鷺沢さん?」
「え……?」
会話がどうにもかみ合っていないことに気がつき、まさかという思いから声のトーンがあがってしまいました。
声の調子が変わったからか、鷺沢さんは初めて本から顔を上げます。
「プロデューサーさん……え、もしかして私……そ、そんなっ」
どうやら本に夢中なあまり、目の前に私がいたことに気づいていなかったようです。
私への最初の問いはあくまで独り言で、その後の会話のようなものは夢うつつのまま行われたのでしょう。
鷺沢さんは顔を赤くして混乱されていますが、私の方も女性の独り言に相槌をうっていたわけでして、彼女に負けず劣らず混乱しています。
どうしたものかと思っていると、鷺沢さんがピタリと動きを止めました。
何事かと注視していると、そっと胸の前で猫のように両手を構え、
「が、がおー」
恥ずかしそうで今にも消え入りそうな、しかし耳からこぼすにはあまりにもったいない可愛らしい鳴き声をあげました。
「が……がおー」
どうしていいのか、どう反応すればいいのかわからず。
気づけば私も同じ言葉を口にしていました。
「……」
「……」
静寂が場を支配しました。
鷺沢さんは両手を構えたまま耳まで真っ赤に染め、私を上目遣いで見たまま硬直しています。
私はというとやや腰が引けた体勢で、やはり硬直しています。
何なのでしょうか、これはいったい。
傍から見れば美女と野獣が互いに面食らっている状態です。
「ち、違うんです」
ここで鷺沢さんが動かれました。
慌てて横に置いていた雑誌を手に取り、ページを探すのに手間取りはしましたが目的のものを見つけ、それを私に掲げます。
「今年の流行は小悪魔ファッション……小生意気に男を誘惑しちゃえ?」
「…あ……あの、あまり『ぐわっ』という感じだと大悪魔的かと思ったので……小悪魔的に小さくまとめてみたのですが……」
「ああ……なるほど」
てっきりライオンの物まねなのかと。
「その……恥ずかしい話なのですが、私はこれまで男の人に甘えたり、まして誘惑したことなど一度もありません。男の人を騙すという意味ではなくて、ここ、これからはそういったことも必要なのではと」
別に恥ずかしがることではないと思うのですが、鷺沢さんは何度も目をそらしては、その度に懸命に私に視線を戻します。
262:
「奏さんのようにチャーミングに誘惑できればと……これまで何度も夢想しました」
「鷺沢さんは水さんと仲が良かったですね。教えていただいては?」
「き、キスをおねだりする方法から始まってしまいまして……」
「水さん……」
彼女らしいといえば彼女らしいのですが、鷺沢さんにそこから始めるのはハードルが高すぎます。
「何も慌てずに今のように本で知識を得たり、水さんなど周りのアイドルを観察して少しずつ勉強するだけでも大丈夫だと思います。鷺沢さん、既に貴女はその佇まいだけで男が放っておけなくさせる魅力の持ち主なのですから」
「……放って、おかれているんですが」
鷺沢さんを励まそうとした言葉だったのですが、どういうわけかさらに落ち込ませてしまいました。
もしかすると鷺沢さんには気になる男性がいてその人に振り向いてほしい、ないしは構ってほしいと思われて勉強されているのでしょうか。
アイドルは恋愛禁止なので、せめて構ってほしいと願う程度であってほしいと思いつつ、慌てて別の方向から慰めます。
「な、何より鷺沢さんはまだお若いですから、自然と、そして急に身につけることができます。私なんてもういい歳になるにも関わらず、ろくに女性の口説き方も知らないことと比べれば何の問題もありません」
「……では、プロデューサーさんが女性へのアプローチに慣れる練習を始めたという噂は本当なのですね」
噂話に耳を立てるイメージがあまりない鷺沢さんにまで伝わっているとは、いったいどんな伝わり方をしているのでしょうか。
私が女性に慣れようとすることに、そこまで話題性があるとは思えないのですが。
「あの……実は最近、大学で困ったことがありまして。聞いてもらってもいいでしょうか?」
「ええ、もちろんです」
相談事のようなので、鷺沢さんの隣に腰掛けます。
「構内を一人で歩いている時に、顔は知っていますが名前までは知らない男性に呼び止められたのです。中庭の方に誘われたのですが、講堂への移動中でしたし、何よりあまり親しくない男性と二人になるのが怖かったので……断ろうとしたのですが、うまく声が出なくて、首を横に振るぐらいしかできなかったんです」
「それで……その男性は諦めましたか」
嫌な予感がして先を促します。
その時のことを思い出したのか、鷺沢さんは顔を暗くしてうつむきます。
「その人は私から離れようとせず……身勝手な事を言い始め、ついには私の手首を握って……驚いたのに、それ以上に恐ろしくて、小さな悲鳴しかあげられなくて……運よく友人が気づいてくれたので助かったのですが、今考えただけでも身の毛がよだつ出来事でした」
私も大学に通っていたからわかりますが、学びの場であるにも関わらず己の欲望を満たすことしか考えない者が少数ですがいます。
そういう輩にとって鷺沢さんのように美しく、そして大人しい女性は格好の獲物なのでしょう。
爪が食い込む痛みに、知らぬ間に拳を握っていたことに気づきます。
「……鷺沢さんは●×大学に通っておられましたね?」
「は、はい」
「ご安心ください。346側から正式に抗議を行い、その男性に相応な処分が下されるよう圧力をかけます」
そんな男は大学のためにも退学が相応しいと思いますが、よくて停学、普通に考えれば呼び出して口頭注意で終わってしまうでしょう。
しかし何もせずに野放しにすれば次は何をしでかすかわかりません。
怒りを抱いていることを自覚しつつ、なんとか落ち着こうとそんなことを考えていると、鷺沢さんが慌てて止めました。
263:
「い、いえ。友人に連れられてお世話になっている教授の方に相談して、教授がその方に注意してくださいました。それにそれからは大学内で一人にならないようにと、友人たちが一緒になってくれていますから」
「そうでしたか……話を大きくしようとしてしまい、申し訳ありません」
「いえ……親身になっていただき、ありがとうございます」
話を大きくすればかえって鷺沢さんが大学内で居づらくなる可能性もあるのに……考えが足りませんでした。
しかしいざという時は346が全力で味方をするという意思が伝わったからか、鷺沢さんの表情がだいぶ和らいだように思えます。
「ですが……ああいった男性をゼロにすることはできませんし、友人たちに頼ってばかりでは私は弱いままです。ですから、プロデューサーさんが女性へのアプローチに慣れるように、私も……男性からのアプローチを断ることに慣れる必要があるのではと」
「なるほど……ではお互いの練習として、ここで鷺沢さんを誘ってみてもいいでしょうか」
「は、はい! ぜひっ!」
鷺沢さんの言いたいことがわかりこちらから提案すると、鷺沢さんらしからぬ勢いでお願いされました。
練習で知っている男が相手とはいえ、異性としてアプローチを受けるのです。
鷺沢さんにとって勇気が必要なことなのでしょう。
「それでは……始めます、鷺沢さん」
「はい! ……あっ」
そっと彼女の手を握り締めます。
その手は細やかでしっとりとしており、無骨な自分な手が触れるのに恐れ多いという気持ちすら芽生えました。
手を握ったことへの反応を待つのですが……手を握るところから始めるのは急だったでしょうか。
鷺沢さんは握られた手を、夢の中にいるような目で見つめるだけです。
やはり突然のことで事態を理解していないのか。
あまつさえ優しく、ですが確かに握り返してくるのです。
「……鷺沢さん。手を振り払うか、あるいは止めるように言わなければ」
「え……? プロデューサーさんの手を、ですか?」
突然男に手を握られたというのに、心底不思議そうに小首を傾げられます。
考えてみると大学での一件は、顔しか知らない男に拒否したにも関わらず手首を握って連れていかれようとしたのでした。
これまで何度か仕事で関わり、そして練習という前提がある私に手を握られた程度では、危機感を抱けていないのかもしれません。
ならばもっと直接的に――肩を抱くなどの肉体的なことは無理なので、言葉を用いていきましょう。
とはいえこれは私自身もかなり恥ずかしいので、演劇だと思い込むことにします。
咳払いを一つつき、握り合った手をお互いの胸の前にもっていきました。
264:
「鷺沢さ……文香さん。テレビで貴女の姿を一目見た時から心奪われました。スポットライトの下で躍動する長く美しい黒髪、汗を流しながらも観客に向ける向日葵のような笑顔、吸い込められずにはいられない宝石のような瞳の輝き」
「……ッ!!?」
夢の中にいたようであった鷺沢さんがついに目覚め、その両目が驚きから大きく見開きます。
頬は羞恥で染まり、恐怖からかその身を硬直させ、ただじっと私の言葉を聞き入ります。
「私は貴女を最初、女神だと思いました。そして木陰で涼みながら、一つ一つのページを噛みしめるように穏やかに、そして慈しむように読み進める貴女を見て、今度は森の妖精だと見紛いました」
「あ……ァ」
消え入りそうな儚げな音色。
ですがこの程度では悪漢は物怖じしませんし、周りの人も危機に気づいてくれません。
練習でできないことは本番でもできません。
怯えきった彼女に申し訳ないと思うものの、心を鬼にして最後の言葉を告げます。
「神秘的な美しさを持つ貴女にたいして恐れ多く、身の程知らずとはわかります。ですがこの想いを秘めたままでは、いつ胸が張り裂けるのだろうと気が気でなく、迷惑であるとは思いましたが想いを告げさせてください」
「――愛しています」
思えば女性に告白するのは、練習だとしても初めてです。
演劇だと思わないとやれなかったとはいえ、こんな告白を現実にする男が日本にいるのでしょうか。
ともあれ、全力を出し切りました。
鑑定は如何に?
「ふ……」
鷺沢さんはよほど恐ろしかったのか、今にも涙がこぼれそうなほど瞳を潤ませ、恐怖にわななく唇をかすかに動かします。
その頬が赤く染まるのは羞恥と怒り、そして決意からなのか。
あと少しで言える、頑張ってくださいと胸の中で応援していると。
「不束者ですが……よろしくお願いします」
まったく予想外な返答がこぼれ落ちました。
「あっ……」
「鷺沢さん? 鷺沢さんしっかり!?」
極度の緊張で限界に達したのでしょう。
意識を失って私の胸に倒れこんできたのを、慌てて支えます。
どうやら告白までするのはやりすぎだったようです。
気を失うほど緊張して、あまつさえ告白を承諾までしてしまうのですから。
ともあれ鷺沢さんを医務室に連れて行かなければなりません。
彼女の華奢なのに柔らかな感触のする体を、意識せまいと努力しつつ持ち上げ廊下へと進むと――
「あ――」
「橘さん?」
タブレットをこちらに向けていた橘さんと出くわしました。
265:
「こんにちはCPのプロデューサーさん。文香さんが気を失われているようですが、どうかしましたか?」
彼女はそう言いながら、何気なくタブレットを背後に回しました。
嫌な予感がします。
よくよく考えてみると、気を失った鷺沢さんを私が抱きかかえているのを見たにしては、橘さんの態度は平静すぎます。
慌てて駆け寄ってきたり、文香さんに何をしたんですかと私を詰め寄るのが橘さんらしい。
そして私たちに向けられていて、何気なく隠されたタブレット。
「橘さん……いつからおられましたか?」
「……………………プロデューサーさんが文香さんの手を握りしめ、愛の告白を始めたところからです」
「なぜ目をそらすのですか? 最初から見ていたのではないですか?」
「いいえ。少なくともこの待ち合わせ場所に来て――」
よそを向いたまま、吹けるのならば口笛でも始めそうな様子から一変。
彼女は背後に『ロンパァ』という擬音表現が出てきそうな会心の笑顔と共に、後ろ手に持っていたタブレットをかざし、小気味よく人差し指で叩いて見せました。
『鷺沢さ……文香さん。テレビで貴女の姿を一目見た時から心奪われました』
「撮影を始めたのは告白辺りからです」
「……ッ!!?」
橘さんに目撃されたこともさることながら、録画までされていた事実に思わず鷺沢さんを支える力が抜け、ずり落ちそうになって慌てて支えなおします。
「ん……」
「さ、鷺沢さん……気がつかれましたか?」
録画の件は大問題ですが、鷺沢さんの体調の方が大事です。
鷺沢さんは私の声かけにうっすらと目を開き、目の焦点が徐々に合い始めました。
「プロ、デューサーさん?」
「はい。今貴女を医務室に連れて行く最中でした」
目が覚めて突然男に抱きかかえられている状態です。
誤解と混乱を産まないようにまずそのことを伝えたのですが、まだ意識がはっきりとしていないのか彼女には聞こえていない様子でした。
「プロデューサーさん……夢じゃ、なかったんですね」
「夢……ですか?」
視界の端で、鼻息を荒くしながらタブレットを操作している少女が気になりますが、今はこちらです。
266:
「こんな風にプロデューサーさんに抱きかかえられるだなんて……まるで、物語のお姫様になったかのよう」
「さ、鷺沢さん!?」
首の後ろに両手を回されました。
もはや言い訳などできない完全なお姫様抱っこの体勢です。
「プロデューサーさん……プロデューサーさん♪」
「?????っっっ」
あまつさえ彼女は私の肩に頬を寄せ、陶酔しきった甘い声で囁くのです。
骨抜きにされるという言葉の意味が、ようやくわかりました。
私はプロデューサーだから、彼女は今正常な判断ができていない夢うつつの状態だから……そんなお堅い理性が次々と溶け、このまま二人だけでどこかに行きたいという願望がふつふつとわいてくるのです。
舌を噛み、かろうじて持ちこたえます。
正気に戻ると次の問題があることに気がつき、そちらに視線を向けます。
実に満足げな表情をした少女がいました。
「さて、と。用事があるので失礼させてもらいます」
「用事とは……何でしょうか」
ジリジリと後退する彼女を追いかけたいものの、鷺沢さんは未だ夢うつつの状態で手を離すわけにはいきません。
「いえ、たいしたことではありません。ただ人の彼氏に手を出さないように、貴方と仲が良い人たちにこの証拠映像を見て頂こうかと」
「まっ……」
待ってくださいと言う間もなく。
彼女は猫を思わせる俊敏さで飛び出し、曲がり角へと姿を消してしまいました。
いつの間にか幸せそうに、穏やかに寝息を立てる鷺沢さんを抱きかかえたまま、ただ見送る以外に私にできることはありませんでした――
267:
?状況は整いました。行ってきます、時子様!
念のため鷺沢さんを医務室に預けた後(日野さんは気持ちよさそうに寝ていました)、橘さんを探してクローネの部屋に向かったのですが、待っていたのは例の映像を視聴済みの見さんたちでした。
慌てて部屋を出ようとしたものの時すでに遅し。
見さんと北条さんに「貴方ってロマンチックなだけじゃなくて、情熱的なところもあるのね」「いいなー。私も不器用だけど優しい誰かさんみたいな人に、あんな風に求めてほしいなあー。ああ、一度でいいからしてくれないかなー」とさんざんからかわれました。
それにしても……神谷さんが部屋の端から非難がましい目で見ていたのは何だったのでしょうか。
話しかけようにも目が合うと慌てて目をそらし、顔を赤くして頬を膨らませるだけでした。
ですが部屋にいた皆さんに事情を説明すると、水さんと北条さんは「まあそういうことにしておいてあげるわ」「じゃあそういう体で今度は私に♪」などからかうのは止まりませんでしたが、神谷さんはホッと胸をなでおろしていました。
もしかするとユニットメンバーが恋愛禁止という暗黙の了解を破ったと思い、その原因となった私に怒っていたのかもしれません。
何はともあれ、疲れました。
部屋に戻り椅子に腰かけ、天を仰ぎます。
例の映像の誤解はどう解けばいいものか。
アイドルの皆さんにメールを一斉送信しようかと考えていると、ドアがノックされました。
「失礼しま――プ、プロデューサーさん!?」
部屋に入るや否や、島村さんが慌てて駆け寄ります。
いったい何事でしょうか。
「大丈夫……ですか? 顔にその……言いにくいんですけど、元気が無かったですよ」
どうやら一目で心配になるほど顔に出ていたようです。
アイドルに心配をかけるわけにはいかないと一呼吸して、気持ちを改めます。
「失礼しました。少し考えすぎて煮詰まっていただけなので、お気になさらず。ところで何か用件がおありだったのでは」
「んー」
「島村さん?」
「用件の前に失礼しますね」
島村さんは椅子に座った私の後ろに回り込むと、肩に手をかけました。
「プロデューサーさんはお疲れみたいですから、肩を揉みながら話させてもらいます」
「あ、いえ。そんなことをさせるわけには――」
「まあまあ! パパが卯月の肩もみは世界で一番って言ってくれてるんですから、任せてくれて大丈夫です」
プロデューサーがアイドルに肩を揉ませるなど、セクハラやパワハラに当たりかねないと止めようとしたのですが遠慮だと受け止められ、島村さんは自信たっぷりなにこやかな笑顔で手に力を入れ始めました。
島村卯月
268:
「んっ……しょっと」
「くっ……」
「あ、やっぱりこんなに硬いじゃないですか。私がほぐしてあげますからね」
島村さんのお父さんが世界一だと褒めたのは当然身内の贔屓もあるのでしょうが、確かにたいしたもので、アイドルに肩もみをさせることへの気まずさと共にほぐれました。
首筋、首の付け根、肩、それに肩甲骨付近を優しく、そして意外な力強さで押されます。
島村さんの相手への気遣いと、頑張って成長してきた逞しさを感じられ目頭が熱くなる。
きっと、島村さんのお父さんも同じ気持ちだったのでしょう。
やがてここ数日の心労もあって眠気がわいてきて、ぼんやりとしていると。
「前も失礼しますね」
とんでもない言葉が聞こえて目が覚めかけます。
しかし目覚ましが聞こえるのに体が動かない、体がまだ半分眠っているような状態にいつの間にかなっていました。
そして止めようにも島村さんは確認をとりながら手を前へと進め、既に鎖骨辺りに触れる寸前です。
島村さんの白い指が、私の胸の上で踊り始めました。
感触を確かめるように最初は少し指を食い込ませるとすぐに上に弾ませ、また少し食い込ませる。
「痛くないですか?」
痛くはありません。
しかし耳元で優しく甘い、いたわる音色をあげないでください。
貴女の美しくウェーブのかかった柔らかな髪を、私の頬や首などの素肌にあてないでください。
「ふっ……んっ……」
一生懸命相手を考えていることが、わずかに見える横顔から見てとれます。
その健気さで、そんな吐息をつかないでください。
「プロデューサーさん、気持ちいいですか?」
もう指先は鎖骨のだいぶ下にまできてしまいました。
身も心もとろけている内にここまできてしまったのです。
もう十分だと止めなければ。
けど私の体は私の体ではないように動いてくれません。
首を柔らかで暖かなものに包まれます。
肌触りのいい布地の少し向こうに何があるのか。
考えてはなりませんが、考えなくてもわかるのです。
島村さんが手を伸ばすために前のめりになりすぎて、女性の象徴ともいえる柔らかな膨らみが椅子の背もたれに乗り、私を包む。
意識は茫洋としているくせに、股ぐらはいつの間にか机の下でいきり立っている。
そのことに気づいた時さまよっていた理性がかすかに戻り、罪悪感と羞恥で深い海の中に沈んでいた意識を必死になって引き上げます。
途方もない快楽の中から身を離そうとする行為に言い様のない苦痛を覚えますが、心が折れそうになるたびに島村さんの決して穢すことの許されない輝く笑顔を思い出し、こらえ、ついに水面へと顔を出し、意識を覚醒させた瞬間と同時でした。
「プロデューサーさん……結婚を前提に彼女を探されていると聞いたんですが……本当、ですか」
寂しそうに。
切なそうに。
苦しげに。
かろうじて絞り出した震える問いが出迎えました。
269:
彼女の顔を見たくて振り返ろうにも、先ほどまで胸にあてられていた手が両方とも首に添えられて振り返れません。
何を想って彼女は今の問いをしたのか。
内容と声音、そしてこれまで彼女と歩んできた道のりから判断しなければなりません。
思い浮かんだのは本田さん。
彼女と同じで、自分を支え信頼を寄せていた男性が、見知らぬ女性とどこか遠くへ行くことへの不安と恐怖。
本田さんの時は安心させようとして妙な誤解を生んでしまいました。
今度こそはそのような事態にならないよう、細心の注意を払わなければ。
「……確かに、私は年齢的に結婚を前提とした彼女を見つけなければと思ってもいます。ですが――」
「じゃ、じゃあ今はいないんですね!」
「は、はい」
決して貴女たちを蔑ろになどせず、これまで通り見守っていくことに変わりありませんと続けようとした言葉は、島村さんの歓声に遮られました。
私に今彼女がいなければ大丈夫なようで……どうも、本田さんとは様子が違うようです。
「実はその……とても恥ずかしいお願いがあるんですが」
「お願い、ですか。なんでしょう」
「パパとママが、えっと……プロデューサーさんを家に招いて食事をしたいと言っているんです」
それは島村さんがそこまでかしこまることのないお願いでした。
アイドルの親御さんたちは、往々にして子どもたちの活動内容に心配や不満を抱くものです。
それを取り除くのもプロデューサーの仕事の内で、定期的に社内の見学会や説明会を開くのとは別に、個別に家庭訪問を行うことも時にはあります。
ですが、それとは事情が違いました。
「そ、そのですね! パパとママったらどうしてなのかわからないんですけど、プロデューサーさんがその……」
首に添えられていた両手が離れたので振り向くと、島村さんは胸の前で両手をもじもじと合わせ、顔を真っ赤にしながらうつむいていました。
彼女は潤んだ瞳を私に合わせては逸らしていましたが、やがて意を決して恥ずかしそうに、ですがはっきりと告げます。
「わ、私とお付き合いしていると勘違いしているんです」
「…………はい?」
当然ですが私と島村さんは交際などしていません。
そもそも十年近く恋人がいません。
まして、担当しているアイドルに手を出すなど。
「島村さん。事情を聞かせていただけますか?」
「は、はい!」
270:
島村さんは身振り手振りで、歩いてもいないのに転ぶのではないかと不安になる様子で慌てながら説明してくださりました。
彼女が言うには、アイドルとしての毎日が楽しくて、食卓で親御さんたちにその日起きたことを話すのが習慣になっていたそうです。
しかしいつの頃からか、私の名前を出すとお父様から落ち着きが無くなり、それを見てお母様がおかしそうに笑うようになっていったと。
「それで昨日突然パパに、卯月の彼氏を今度家に連れてきなさいって言われて……彼氏なんかいないよって言ったら隣からママが、プロデューサーさんのことよって教えてくれたんです」
「なるほど……」
未だに困惑を覚えますが、島村さんのお父様の気持ちもよくわかります。
多感な年ごろになっても男親である自分に冷たくせず、笑顔で肩もみまでしてくれる自慢の愛娘。
きっと目に入れても痛くないほど可愛いでしょう。
そんな娘が頻繁に男の名前を出すようになってしまったのです。
最初のうちこそ仕事上の関わりにすぎないと思っていたでしょうが、島村さんは心底アイドル活動を楽しまれています。
その中で私について語られる時も、きっと輝かんばかりの笑顔で、男親が不安を抱いても仕方ありません。
「わかりました。では島村さんのアイドル活動について報告しつつ、やんわりと誤解も解いておきましょう」
「あ、その……」
申し訳なさと恥ずかしさがいっぱいな様子で、島村さんが身を縮こませます。
「恥ずかしいお願いというのはここからでして……ママは事情を察してくれているんで、パパの前では恋人のフリをしてもらえないでしょうか」
「……理由を聞かせてもらえますか?」
「パパったら本当に興奮していて、そんな関係じゃないって言っても俺は騙されんぞ、卯月と付き合うのなら俺の許可を得てからにしろってむしろヒートアップしちゃうんです……」
「なるほど……」
下手な弁明は火に油を注ぐ事態になりかねないと。
しかし付き合っていると認めた場合でも、まだ学生であるうちの娘に手を出すとは社会人失格だと逆鱗に触れるのでは?
「大丈夫です! 最初のうちはパパは不機嫌でつっけんどんかもしれないけど、プロデューサーさんでしたらきっと納得してくれます! だって――」
身を折り曲げ恐縮していた島村さんが体を起き上がらせ、胸の前で握り締めた手を掲げて、見た者が惹き付けられずにはいられない満開の花のような笑みを浮かべました。
「――プロデューサーさんは、頼もしくて世界で一番私に優しい人なんですから!」
その無条件な信頼に。
澄みきった空のような親愛に。
何よりその笑顔を見て。
「はい、わかりました」
気づけば私は承諾していたのでした――
271:
?年貢の納め時……ですか
「プロデューサーって、押しに弱いだけじゃなくて浮気性もあるみたいだね」
部屋で結婚式の招待状に、参加の欄へ丸をつけていた時のことです。
入室するや否や、渋谷さんから手痛い一言をいただきました。
鏡を見ずとも渋面になっているとわかりつつ、招待状を脇に置きます。
それにしてもこの招待状――同期と佐久間さんの結婚式のものですが、この結婚式にはいくつか疑問点があります。
なんでも今日付けで佐久間さんはアイドルを引退して、女優とモデルに専念することが決まっていたとのこと。
今は記者会見中のはずです。
なぜかこのことを、同期も知りませんでした。
同期を経由せずに一ヶ月前に決まっていたのです。
また結婚式場はこういったことに疎い私でも聞いた覚えがある有名なところで、気になって調べてみると最低でも半年、場合によっては一年前に予約する必要がありました。
結婚式は今から三ヶ月後のジューンブライドです。
佐久間さんはいつ予約していたのでしょうか。
同期の親戚への根回しといい、水面下で気づかれないように少しずつ、そして確実に計画を進めていたのでは?
私がこのような状況でなければもっと親身になって相談に乗れて、このような事態にならなくてすんだのでは?
疑問はやがて自問自答へと変わっていくのです。
せめてもの救いは担当アイドルに手を出したことに、他の同僚たちが意外なことに優しい反応を示したことでした。
あんないい娘にあれだけアタックされればな、むしろアイツはよくもった方だ、など。
女性陣にいたっては、ようやく覚悟を決めたかと佐久間さんの肩まで持っていました。
……しかしなぜでしょう。
同期と佐久間さんの結婚式について雑談をしている方たちは、なぜか私を哀れんだ目で見ながら「次は……」「いや、大丈夫……だろ?」などと言い出すのです。
ともあれ。
今は何とか平静であろうとしていますが、その目から明らかに不満と怒りが感じられる渋谷さんの誤解を解かなければなりません。
「付き合う前に私に言ってくれる……そう約束したよね。私、一言も聞いてないよ」
「渋谷さん、私は誰とも付き合っていません。ですが……どうやら、私についての噂に尾ひれがついて流れているようなのです」
「ふーん。じゃあ全部私の早とちりなんだ」
渋谷さんのボルテージが高まっているのが伝わります。
それなのにその目は冷めたまま。
「いえ、全部が全部とはいえ――」
「プロデューサーがこれから定期的に美嘉とデートするのも、楓さんとこれまた定期的に、しかも夜にデートするのも」
「小梅が高校卒業したら結婚する約束をしたのに、みくとも結婚の約束をして、さらに茜とは男の子二人と女の子一人に白い大きな犬を飼う幸せな家庭を築く約束をしたのも」
「幸子にキスマークをつけられて、智絵里の手料理をいただいて次も作ってもらう約束をしたのも、未央とやらしいことをする約束をしたのに、文香に愛の告白をしたのも――全部私の勘違いだったんだ。ごめんね早とちりして」
「――ま、せん」
272:
多少話が膨らんでいたり、弁解したいこともありましたが、嘘はほとんどありませんでした。
どう誤解を解けばいいのか。
あまりの難題に硬直していると、クスクスとこらえきれない笑い声が聞こえました。
「……渋谷さん?」
「フフッ……ンンッ。ごめん。あんまりにも真剣にプロデューサーが困っちゃったから、つい。なんとなく事情は察しているから大丈夫」
先ほどまでの様子は演技……だったようです。
とてもそうは見えなかったので、胸をなでおろします。
特に私がここ数日皆さんとの間で起きた事を並べ立てている時など、渋谷さんの瞳は絶対零度もかくやという寒気を覚えるほどのものでした。
「でも念のため確認しておきたいんだけど……文香に告白したのはアレでしょ? 練習か何かでしょ?」
「は、はい。私は女性へのアプローチに慣れるため、そして鷺沢さんはそれを拒否する練習でした」
「だよね! ありすってば勝ち誇った顔しながらタブレットを見せて『この通りプロデューサーさんは文香さんの彼氏となりました。個人的感情で近づくの禁じます』なんて言ったんだよ。まったく、まだ幼いのにこういうことに口出そうとするなんておませさんなんだから」
「は、はい」
滅多に見られないほど上機嫌でにこやかな渋谷さんに困惑します。
いったい渋谷さんと橘さんとの間で何が起きたのでしょうか。
「あ、そうだった。未央の事ならもう大丈夫だよ。ちゃんと私が言って聞かせたから」
「ほ、本当ですか!?」
しかしその困惑も、ここ数日で一番差し迫った問題が無くなったと聞き霧散します。
正直いつ顔を真っ赤にした本田さんがドアを開け、片手にローションを持って現れるのではないかと気が気でありませんでした。
そのような事態になる前になんとか誤解を解かなければと思っていたのですが、合わせる顔が無いため二の足を踏んでいたところです。
同性、それも親友からの説得ならスムーズに事は進んだでしょう。
「他の皆にもこれから言って回るから、プロデューサーは安心していいよ」
「本当に……本当にありがとうございます。ご迷惑をおかけしまして」
「もう。そんなに頭下げないでよ」
渋谷さんが困ったように笑いますが、感謝の念から勝手に頭が下がってしまうのです。
「問題は楓さんと美嘉か……相談に乗る体だったから責めづらいし、みくも冗談半分だからいくらでも言い逃れできるし……」
「渋谷さん?」
「え、何?」
下げた頭の上を、よく聞き取れませんでしたが不穏な言葉が過ぎたような気がして確かめたのですが、渋谷さんは不思議そうな顔をしただけです。
やはり気のせいでした。
273:
「でも、今回のことでハッキリしたね」
「何がですか?」
渋谷さんは手を後ろに組みながら背筋を伸ばし、正面から向き合っていた状態からやや斜めに体勢を変えられました。
「プロデューサーの彼女や奥さんになる人は、普段からプロデューサーが他の女に強引に言い寄られて浮気するんじゃないかって気が気でないよ」
それは考えもしなかったことでした。
浮気という愛する女性を傷つける行為などするつもりは毛頭ありませんし、できるほどモテませんし器用でもありません。
しかしここ数日のことを鑑みると、もし私に彼女や妻がいたならば浮気を疑ったかもしれませんし、そこまではいかなくとも気が気でなかったでしょう。
「だからプロデューサーの相手は、プロデューサーとこれまで苦楽を共にして深い信頼関係があって些細な事じゃ疑ったりしない人。それに普段からそばに居て周りの女にけん制できる、そんな強い人じゃないと」
渋谷さんが長い黒髪をかき上げます。
サラサラという音が聞こえそうな流麗な流れは、一つ一つが黒い輝きの軌跡を生み出しました。
その光景に見惚れながら、自分は将来のパートナーにそんな負担をかけることになるのかと思いつつ、ここ数日のことを振り返りました。
「大丈夫ではないでしょうか?」
それは自分のモノとは思えないほど、他人事のように気負いのない声音でした。
「大丈夫って?」
言いすぎたと心配してかチラチラと私を見ていた渋谷さんが、驚いたのかマジマジと私を見ます。
ここ数日、私の言い方が悪かったのもありました。
推測が間違っていたのもあるのでしょう。
しかし私が抵抗しようとしたのに、あっさり押し切られたのも事実。
渋谷さんが言うとおり、私の将来のパートナーに逞しさが求められるとしても――
「女性は誰もがこわ……強いですから」
274:
プロローグ 凛
一日目 美嘉 楓
二日目 小梅 幸子 みく 未央
三日目 智絵里 茜 文香 卯月
エピローグ 凛
275:
EX 【島村卯月】
300:
この想いを、いったい何と表現すればいいんでしょうか。
プロデューサーさんに付き合っていた人がいた。
その情報を聞かされた時、視界がぐにゃりと歪み手すりに倒れこみかけます。
首根っこを誰かに暴力的に掴まれたかのような錯覚。
ほんのわずかな間に高熱にかかったみたいに体が火照る。
手すりを支えに体を起こし、考えを整理するために大きく息を吸います。
今、私の中で渦巻く感情は何でしょう?
プロデューサーさんに彼女がいた。
昔のこと。
私たちと出会うずっと前のこと。
渋みや包容力が足りない代わりに、今よりもきっとさらに純粋で無垢だったプロデューサーさんを、私以外の女に私の知らないところで穢された。
その事実をゆっくりと噛みしめ――憎悪と感謝が喉をするりと落ちていくのがわかりました。
よくも、よくも何も知らないプロデューサーさんを。
よくぞ、よくぞ何も知らないプロデューサーさんに。
喉を通る相反する感情は、胸辺りに来たときは絶対値の差をそのままに一つの大きなうねりとなり、お腹の下まで来てしまいます。
ああ、やっぱり。
「へそ下辺りが、むずがゆい……っ」
答えは得ました。大丈夫です時子様。島村卯月、これからもがんばります!
「あ、そう」
一部始終を冷めた目、というよりも引いた目で見ていた時子様はなぜか素っ気ない態度です。
もう。答えを得た錬鉄の英霊を見送る赤い悪魔のように、最高の泣き笑いを見せてくれても良かったのに。
時子様のデレ期はまだ先のようです。
「そんなありもしないモノ探してないでさっさと行きなさい。仮にあったとしても遠ざかってるから」
「ちぇ、時子様のいけず。では行ってきます」
急いて早足になろうとする気持ちをかろうじて抑え、遅い曲調の歌を口ずさみながら考えをまとめます。
プロデューサーさんに昔付き合っていた人がいた。
この情報をシンプルに活用するか、大勢の人を巻き込む策謀へと発展させるか。
せっかく時子様が【時子様の豚ネットワーク】で拾った情報を与えてくれたんです。
十分に考えてから実行に移さないと。
何だか最近時子様が前よりも冷たいですけど、何だかんだでこういう情報を与えてくれたりして可愛がってもらっています。
SF映画で自分の生み出した生物兵器が世界を滅ぼしかねないと知った科学者のような目で私を見たりするのが不思議ですが、なんででしょうね?
301:
さて、簡単なのはプロデューサーさんと二人っきりの時に、寂しそうに「昔、付き合っていた人がいるって聞いて……本当、なんですか?」という具合に聞くことです。
私と出会う前でもう終わった事だってわかっています。そもそも私にプロデューサーさんのプライベートに口を出す権利なんてないですし……出しちゃいけないってわかっているんです。けど……けど、なぜかわからないんです。そのことを知ってから、ずっと胸が痛くて……苦しいんです――という表情をするのがポイント。
プロデューサーさんはどんな反応をするでしょうか。
自分の過去のこと……それも学生時代の交際経験という、アイドルをプロデュースするうえでまったく関係の無い出来事が原因な事にひどく驚くでしょう。
そして、なぜそのことで私が傷ついているのが考え始めて、一瞬とはいえよぎるはずです。
もしかして私が、プロデューサーさんに恋心を抱いているのではと。
プロデューサーさんのことです。
すぐに理屈としては間違っていないけど、女心を少しも考慮していない方向で結論付けるでしょう。
それを、何度も揺さぶる。
私に愛されていると確信できない絶妙な力加減で、悲しそうな顔をして、私自信も困惑している態度をよそおい、そして今はその女性と会っていないことに心底安心してみせる。
どんな形であれ結論が出ればある程度落ち着き、腰を据えてその解決に乗り出そうとするはず。
だから結論なんか出させないで、寝ても覚めても何日も何週間も私のことを考えさせ続ける。
うん、シンプルだけど効果は抜群。
でもちょっと面白みがありません。
やはりここは――
「こんにちは、まゆちゃん」
「あら、卯月ちゃん。こんにちは」
皆一緒に楽しんで、プロデューサーさんが煩悶する色んな姿を思う存分楽しみましょう♪
「どうしたんですか? 何だかとってもご機嫌に見えますけど」
「はい。実は例の話を進めたいなと思って」
「まあ♪」
まゆちゃんが手のひらを合わせて、嬉しそうに顔をほころばせます。
うーん、これで目にハイライトがありさえすれば文句なしの美少女なんですけどねえ。
けどまゆちゃんのファンにしてみればそこがいいそうなので、いいとしましょう。
まゆPさんの胃はボロボロですけどね!
「それでは早――」
「ああ、ちょっと待ってください。進めるのは一週間ほど先で、詳しくはもっと計画を煮詰めてから連絡しますから」
「そうなんですかぁ。ということは、やっぱり卯月ちゃんが何かするのでそのタイミングに合わせて……ということですか?」
「はい、そうです!」
302:
例の話、というのは水面下で進めている【まゆちゃん結婚大作戦】のことです。
まゆPさんに気づかれないように私も協力しながら、まゆちゃんをアイドルから女優・モデルへと転属させるよう関係者に働きかけました。
当然、担当はまゆPさんのままです。
私たち二人で笑顔でお願いしたらなぜか命の危険を覚えたような顔をして了承してくれたり、中には時子様の豚もいたので心よく応じてくれたりもしました。
まゆちゃんがまゆPさんの家族や親戚と、何気なく知り合うセッティングにも協力しました。
場所さえ整えればあとはまゆちゃんの独壇場です。
最初のうちこそ歳の差を気にされていましたがすぐに打ち解けて、この子を逃したらもうダメだと思わせるほど。
まあそんな感じで私も協力したわけですが、その見返りがまゆPさんを落とすタイミングを私に決めさせてほしいというものでした。
まゆちゃんの転属はもう三週間前に決まっています。
親戚の方々への根回しも先週終わりました。
まゆちゃんとしては、いつまゆPさんに気づかれてしまうのか気が気でなかったでしょう。
まあ転属を決めた関係者には口止めがばれないための工作をお願いしましたし、そして親戚の方々には――
『プロデューサーさん……私のことを愛してくださっているんですけど、やはり歳の差を気にされているようで家族に言いづらいと……でもあと少しで決心される様子なので、見守っていただきたいんです』
――と、名演技を見せているのでそう簡単にはばれないんですけどね。
「いいですよぉ。まゆがプロデューサーさんを落とせそうな時に、卯月ちゃんのプロデューサーさんに邪魔されたら困りますし――」
「私の方もプロデューサーさんが苦悶で喘いでいるところを、まゆPさんが助けに来られたら困っちゃいますからね」
「うふふ」
「あはは」
快諾を得て、笑顔でまゆちゃんと別れます。
さて、次の問題はいつ実行に移すかです。
他の皆を後押ししてプロデューサーさんを悶々とさせるのに障害となり得るのは、厄介な人から順に挙げればちひろさん・楓さん、美波ちゃん、杏ちゃん、そして小梅ちゃんといったところでしょうか。
……うん、やっぱり一週間後がベストです。
その日から数日間は、楓さんと小梅ちゃん以外はプロデューサーさんと接触しません。
後は楓さんに気づかれないように細心の注意を払えばよし。
小梅ちゃんも侮りがたい相手ですが、多少の困難はいいスパイスになります。
一週間後を決行日として、計画を頑張って練り上げます!
303:
※ ※ ※
「卯月ちゃん。最近困ったことしてない?」
十分注意して、計画を練ったはずなんですけどねえ。
中庭でたそがれているプロデューサーさんのことを、美嘉ちゃんに伝えたあとのことです。
つまり計画を動かし始めた翌日。
島村卯月、さっそく笑顔の楓さんに捕まっちゃいました。
「困った事だなんて……心当たりが多すぎてどれのことか」
「まあ、困った子」
嘘を言えばあっさりバレそうなので、嘘でも本当でもないことを口にします。
まあ普段からタイミングさえ合えば実行に移せる策は複数ストックしているので、本当にどれがバレたのかはわからないんですけど。
策士策に溺れるって言葉がありますけど、それは一つの策に拘泥するからです。
常に複数の策を進めて、状況に合わなくなった策は切り捨てればいい。
たしかナルサルかスイフリーのどちらかがそんなこと言っていました。
「それじゃあ何が原因かまったくわからないけど、プロデューサーが悩んでいるようだから今夜飲みに誘っていいかしら?」
「はい! ぜひお願いします!」
楓さんに気づかれました。楓さんはごまかせません。
下手な抵抗をするより舞台に上がってもらって、私以上の手腕でプロデューサーさんを翻弄する姿を存分に楽しませてもらいます。
とはいえ、楽しんでばかりじゃいられません。
立ち去る楓さんの後ろ姿を見送りながら、今後の対応策を考えます。
楓さんは今夜プロデューサーさんとお酒を飲むことで、私が関与していることへの確信を強めるでしょう。
横やりを防ぐためにも計画の前倒しと情報の錯綜、そしていざという時に楓さんと対峙する人物が必要です。
なので――
「え???ん、時子様えもーん! 手伝ってくださーい!」
「三枚おろしにされたいの?」
腰にしがみつきながら泣きつくと、時子様はすごくゾクゾクする目で見下ろしながら吐き捨てました。
「ちょっとだけ、ちょっとだけ手伝ってほしいんです! 時子様のプロデューサーさんの巨乳好きを矯正するの手伝いますから! 時子様の手の平にちょっと余るぐらいが至高だって植え付けますから!」
「物わかりの悪い子ね。既に矯正済みよ」
「え、でもこの間くるみちゃんにデレデレしていましたよ?」
「あの、豚……っ」
超然として全てを見下す態度であったのが、一瞬だけど嫉妬で怒り狂う女の顔になりました。
これは今夜は燃え上がりそうだなあ。
304:
「はい、これがその時の映像です」
「……でかしたわよ、卯月。ちょっとだけ協力してあげようじゃない」
協力していただけるのならもう少し怒りを抑えてもらえませんか。
普通に怖いんですけど。
何はともあれ協力を得ることができました。
時子様は同じパッション組の友紀さんと茜ちゃんに働きかけてくれるとのこと。
あ、メタ発言ですけど丸数字は私、ローマ数字は時子様です。
楓さんは私と時子様のつながりを知らないはずなので、時子様の介入を不審に思いしばらくは様子見になるでしょう。
そしていざ止めに入った時は、お手数をおかけしますが時子様に相手をしてもらいます。
楓さんの相手ができる人なんて、ちひろさんを除けば時子様しかいませんから。
かくして計画は修正したおかげか順調に進み、最終日となりました。
本当はあと一日ほど時間をかける予定だったのを前倒しすることに成功したのです。
おかげで密度が濃くなってプロデューサーさんは心身ともにズタボロで……たまりません!
前倒しにした思わぬ副産物です。
「状況は整いました。行ってきます、時子様!」
「はいはい。勝ちを確信した時こそ危ういから気をつけなさい」
少し疲れた様子の時子様が気だるげに、けど優しく、ここ数日でさらに前髪が後退した時子様のプロデューサーさんを椅子にしながら見送ってくれました。
高鳴る鼓動に胸を躍らせ、へそ下辺りのむずがゆさでおかしな歩き方にならないよう細心の注意を払い、ついにプロデューサーさんの部屋にたどり着きます。
深呼吸を一つして、ノックの後に部屋に入ると――
「失礼しま――プ、プロデューサーさん!?」
一瞬、意識が飛びかけます。
物憂げな吐息、ストレスと過労からくる汗。
部屋に充満したそれらを一息吸うだけで視界が真っ白な輝きに包まれ、危うく膝から崩れ落ちてへそ下辺りに手をやりそうになりました。
ああ――やっぱり、やっぱりプロデューサーさんは最高です!!!
崩れ落ちそうな体を前へ走り出すことでごまかし、至近距離からプロデューサーさんの顔を観察します。
顔色は青く、目の下には大きなクマ。
気丈に耐えようとしていますが、まるで隠せていません。
この数日、どれだけ思い悩んだでしょう。
どれだけの誘惑に耐えたのでしょう。
普通の人なら我慢できずに思い出しながら手淫をしたでしょうが、プロデューサーさんはそんなに器用な性格じゃありません。
ごめんなさい、ごめんなさいプロデューサーさん。
普通の人なら天国でも、貴方からしてみれば地獄以外の何物でもない目に遭わせてしまって。
でも――今のプロデューサーさんは、世界で一番魅力的です。
そんな貴方も悪いんですよ?
熟れに熟れて、最高の食べ時じゃないですか♪
本題に入る前に少し味見させてもらわなきゃ、お腹が減り過ぎてこのまま押し倒しそうです。
305:
「プロデューサーさんはお疲れみたいですから、肩を揉みながら話させてもらいます」
「あ、いえ。そんなことをさせるわけには――」
断ろうとしますが、いつもと比べて呂律が回っていません。
これならちょっと押せばいけます。
「まあまあ! パパが卯月の肩もみは世界で一番って言ってくれてるんですから、任せてくれて大丈夫です」
プロデューサーさんが遠慮しているのだと勘違いしたフリをして、そのまま手に力を入れる。
肩は予想していた以上に固く、申し訳ない気持ちになりました。
ごめんなさい、プロデューサーさん。
貴方にとってお詫びにならないとわかっていますけど、他の人から見たら幸せな結末を用意しますから。
最初のうちこそアイドルに肩をもまれることに居心地が悪そうにしていましたが、私の肩もみ技術とここ数日の疲れが相まってすぐに力が抜けました。
プロデューサーさんの無防備な表情――いいですね!
普通に肩をもむのも、首筋やうなじなど普段なかなか見えない場所を眺められて、さらに肩の盛り上がりや広背筋などを指先で堪能できて楽しいです。
でもプロデューサーさんも眠そうになってきたので、次の段階に行っちゃいましょう。
「前も失礼しますね」
断らせるつもりなんかない、形式だけの確認。
言いながら私はプロデューサーさんの胸に手を伸ばす。
手を届かせるために前のめりになって、斜め上からプロデューサーさんの分厚い胸板を見下ろしました。
シャツの上から私の指を躍らせる。
痛すぎないように、こそばゆくないように。
今すぐシャツを引きちぎって直接撫でまわしたい欲求を膨らませながら、指先で弾力と形を確認する。
広くて弾力のある胸。
この胸に飛び込めたらどれだけの幸せだろう。
この胸に飛び込んだらどれだけ困惑するだろう。
胸を押しつけて、精いっぱい抱きつくふりをしながらお尻を撫でまわしたい。乳首をつまみたい。
困惑に興奮を混ぜ合わせたい。
担当アイドルに欲情したことを恥じる貴方の顔が見たい。
欲情して当然なのに、それでもまずは自分を恥じる貴方を誇りに思う。
その誇りを穢したい。
私の手で。
「ふっ……んっ……」
いよいよ興奮を隠すのが難しくなってきました。
吐息が荒くなってきています。
でもこれは力仕事をしているので仕方ないことなんです。
そう、わざとプロデューサーさんの耳元で息を吐くのも仕方ないですよね?
306:
「プロデューサーさん、気持ちいいですか?」
私も気持ちいいです。
さっきから内股です。
前後不覚となった貴方に、その太くて固いモノで私の初めてを強引に貫いてほしくてたまりません。
味見のつもりだったのに、空腹だったお腹は食べれば食べるほどお腹が減ります。
プロデューサーさんの胸の上辺りだった指先を、少しずつ下にずらします。
あと少しずらせば乳首に届く。
プロデューサーさんの乳首は、元カノに開発済みでしょうか?
試してみないと。
さっきより前のめりになって、未央ちゃんやみくちゃんには負けますけど、それでも十分に大きい私のお○ぱいがプロデューサーさんの首にあたります。
あっ。
大きくなってる。
机が邪魔で直接は見えません。
けどさっきとは違うスーツのシワの形が教えてくれました。
プロデューサーさんはうつろになりながらも、私を欲しているんだと。
捧げたい。
プロデューサーさんに私の全てを捧げたい。
その代わりに、プロデューサーさんをありとあらゆる方法で味わいたい。
プロデューサーさんの顔を横に逸らして後ろからキスしたいという衝動に耐えていた時。
プロデューサーさんの意識の変化に気づきます。
ここ数日のアイドルたちの猛攻で欲求不満となり。
疲労困憊で気力が尽きかけているのに。
快楽の流れに乗るまいと、歯を食いしばって意識を覚醒させようとしているのです。
嗚呼――――貴方と出会えて、本当に良かった。
体は奪われても心は奪われず、でも快感にはもだえてくれる。
そんな貴方がそばに居てくれれば、私はいつだって最高の笑顔を貴方に向けてあげられます。
味見はここまでとしましょう。
ここからは予定通り、プロデューサーさんを私の家に招く約束をして終わりとします――
307:
※ ※ ※
「……うん、やっぱりそうだったんだ。教えてくれてありがとう卯月。あとは私が片づけるから」
プロデューサーさんと約束を交わしてから少しあと。
凛ちゃんにプロデューサーさんがここ数日誰に何をされたのか、ざっくりと説明しました。
あ、もちろん私のことは除いています。
プロデューサーさんのキスマークに気づいていたりして、薄々何か起きていることを察していたんでしょう。
すんなりと私の話を受け入れてくれました。
「片づけるって……何をするんですか?」
「ううん、卯月は気にしなくていいから」
凛ちゃんはもう少し気にした方がいいですよ。
例えばなぜ私がこんなにプロデューサーさんの情報を持っているのかとか。
そこを突っ込まれたら誤魔化す準備をしていたのに何だか拍子抜けです。
凛ちゃんはプロデューサーさんのことになると視野が狭くなってしまうので、そこは私がフォローしないと。
私の幸せと凛ちゃんの幸せが、ちゃんと両立できるようにですね。
「じゃあ行ってくるから。急がなきゃいけないのは未央かな。まったく、パ……パイズリだなんて。プロデューサーは脚が好きなんだから」
「い、行ってらっしゃい?」
別に急ぐ必要は無いのに、足早に去る凛ちゃんを見送ります。
あの未央ちゃんがプロデューサーさんにエッチなことをする覚悟は、どう少なく見ても一週間は必要なのに。
それに凛ちゃん……脚に自信があるからって、勝手にプロデューサーさんを脚フェチにしちゃ駄目ですよ。
プロデューサーさんは人並みにお○ぱいが好きで、人並みに脚が好きで、そしてお尻が大大大好きなんですから。
まあともあれ、今回の騒動でプロデューサーさんと取り付けた約束と得られた好感度を合わせると、トップは私と楓さん。
美嘉ちゃんとみくちゃんもかなり高いです。
けど私以外の約束はこれから凛ちゃんが破らせようとします。
全部が全部とまではいきませんが、効果は大きいでしょう。
このままいけば私の一人勝ちです。
凛ちゃんにはお礼をちゃんとしないといけませんね。
私とプロデューサーさんが結婚した後、わざと隙をつくって襲うチャンスを用意してあげます。
強引に迫る凛ちゃんを拒み切れず関係を持ち、罪悪感で押しつぶされそうなプロデューサーさんが帰宅すると、そんなことがあったなんてつゆほどにも思わない信頼しきった様子の私が笑顔で出迎えるんです。
その時、プロデューサーさんがどんな顔をするのか……あ、ああっ。
「お、落ち着かないと。勝ちを確信した時こそ危ういって、言われたばかりです」
そう、このままいけば私の勝ちは確定です。
前々からプロデューサーさんを家に招いてパパとママと合わせる計画は練っていました。
そしてそれがうまくいけば、雪だるま式に次から次へと計画が連鎖して、もう誰にも私とプロデューサーさんの邪魔はできなくなる。
そう、今邪魔さえされなければ全てがうまくいく段取りに――
「……やっぱり、そううまくはいきませんか」
308:
楓さんは今、時子様と対峙しているはず。
それなのに背後から明確な敵意と嫉妬が近づいてきています。
私の計画に最低でも楓さんは気づく。
そして、小梅ちゃんも気づきかねないと見ていました。
侮りがたい相手ですけど、小梅ちゃんの友達は何故か私に怯えていますし、それ以外もまだまだ未熟。
「このまま一気に決めさせて……あれ?」
あれあれ?
あれれ?
「ヤッホー……卯月ちゃん」
「見捨てない…見捨てない……あの人は私を見捨てたりなんかしない。見捨てさせたりなんか……させないよね、卯月ちゃん?」
「橘です」
何だか、多いです。
小梅ちゃんだけがそこにいるはずなのに、ハイライトオフ智絵里ちゃんとドヤ顔ありすちゃんまでいます。
「あ、あーーー。そういうわけですか」
合点がいくと同時、自然と額に手を当てて嘆いていました。
結局、私は策にこだわり過ぎたようです。
楓さんに気づかれた時点で、今回は楽しむだけに止めておくべきでした。
それなのに強引に修正して、しかも修正するにあたっての焦点は楓さんにあててばかり。
それだけ楓さんの脅威が大きかったわけですが、そのせいで普段なら気づけるようなこと――小梅ちゃん以外にも勘付いている予兆があったはずなのに、完全に見逃していました。
「年貢の納め時だよ……」
年貢の納め時……ですか。
このまま事が進むとどうなるでしょうか。
凛ちゃんが次々と皆が立てたフラグを全壊とはいかなくとも半壊にして、無事に残すつもりだった私のフラグはここで叩き壊されます。
そして近い内に戻る予定の杏ちゃんが、凛ちゃんが壊し損ねたフラグを丁寧に片づけつつ、他の皆から反感を得ない程度にプロデューサーさんの好感度を得ることでしょう。
そして、また平和な日常が訪れます。
私がここでやられさえすれば予定調和。
勧善懲悪の時代劇で悪役が言われるセリフを持ってくるとは、中々的を得ています。
しかし――
309:
「卯月ちゃん……?」
「見捨て……させようとするんですね? 許さない許さない許さない許さない――」
「何を?」
三人で囲みながら徐々に距離を詰める三人に、会心の笑顔を見せます。
「年貢の納め時を踏み倒してこそ真のへそ下者!!!」
欲一念を貫いてこそ真のへそ下者!
そのような生き様が人に許されるのか!?
否……許されてはなりません。
許されては面白くも何ともないです!
私はようやくのぼりはじめたばかりですから
このはてしなく遠い殲琴・ダウルダブラをね……
――
――――
――――――――
このあと滅茶苦茶普通に数の暴力で負けました。
島村先生の次のへそ下に期待しないでください。
?おしまい?
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