【ニュークオ今日の良スレ】俺のうんこみたいな人生を聞いてくれ・・・back

【ニュークオ今日の良スレ】俺のうんこみたいな人生を聞いてくれ・・・


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1:
立ったら書かせてもらいます
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2:
暇つぶし程度にはなるんだろえな
7:
>>2
頑張ります
11:
1です
私の家庭は生まれた時から何か少し人より足りない程度の貧乏でした
それでも父母姉私の4人家族で仲よく暮らしていました
姉は空手の黒帯で私は昇段にお金がかかるからと小さいなりに気を使って白帯でした
姉は弟から見ても美人で頭もよく、尊敬し憧れる姉でした
12:
母は少し頑固で肝っ玉が強く、男勝りなところがありました
父は少し怖く背中に綺麗な絵が書いてありました
僕はそんな両親も大好きでした
13:
ヤクザ…
14:
父の口癖はお前は姉ちゃんが中学にあがってから可愛がる
じゃないと姉ちゃんいつか俺の洗濯物と私の洗濯物洗わないでよ!!って言いだすだろうから
私は父にそこまで可愛がってもらった記憶はありません
しかし、塗装業を一人でこなす父はとてもかっこよく学校でそんな姿が見れない姉に
少しだけ勝った気でいました
15:
すいません、これは話しを分かりやすくするために
スペック等は書いた方がよろしいでしょうか?
18:
>>15
まあ書きたければどうぞ
17:
なんでスレタイは俺なのに文章は私なの
いい加減にしろ!!!!!!
>>17
すいません、なんとなくスレの題名ってああいう感じのを良く見るので真似しました
今後は私で統一させてもらいます、すいません
19:
スペック
父 
若い頃やんちゃだった人 
何人の腹ちがいの兄弟がいるか不明 
私が幼稚園の時点で60歳を迎えようとしていた
母 
頑固者だけど優しく面白い
父との結婚を反対され親戚と絶縁状態
私を産んだ時42歳
姉 
空手黒帯
頭がよく運動神経が良い
美人で面白い人
20:
私は保育園を途中でやめ、幼稚園に入るまでの2年ほど父の仕事についていってました
父は雇った人間や仕事先の人達皆から好かれ、そして慕われていました
そんな父は私の誇りでした
私が幼稚園の頃、父は体調を崩しがちになり入退院を繰り返していました
そして私が小学校にあがる数日前に肺がんでこの世を去りました
21:
誰も見てないですよね
VIPに一つゴミスレを作ってしまったようです、すいません
父は死ぬ一ヶ月ほど前から私に
俺が死んでも泣くな。お前は唯一の男で長男だから家族を守らなくてはいけない。
特に姉ちゃんは俺が可愛がり過ぎてしまったから、俺が死んだら泣くだろう。
お前が笑わせてやってくれ。可愛がれなくてすまなかった。」
とよく言っていました
だから私は父が死んでから人前で泣かないよう努めました
姉は当時小3でひどく落ち込み、そして荒れていました
22:
>>21
みてるぞ
>>22
ありがとうございます
23:
私は姉を元気づけるために色々としました
漫画を渡したり、お菓子をあげたり、テレビ出てくる姉の好きな芸人の真似をしてみたり
泣くなと言われた私は朝起きてから夜寝るまでの間、ずっと笑うよう心がけてました
25:
しかしそんな私を姉は罵りました
お父さんっ子だった姉は、父が死んでから明るく振舞っていた私を許せなかったようです
私は父から言われた言葉を伝えませんでした
姉に心配をかけてはいけない、私の大好きな姉がこれ以上悲しむところは見たくない
たとえ喧嘩で殴られても蹴られても私は笑いました
それがさらに姉の感情を逆撫でし、私達には溝が出来てしまいました
27:
小3と幼稚園が溝って
>>27
バカらしいとは思います
しかし、当時は本当に朝の挨拶も無視され
私と姉が会話するには間に母を挟むのが暗黙のルールでした
28:
そんな生活が1年続き、私が小2になった時に全てがバカらしく思えました
今私の前で泣いてるこいつは私の姉ではない
こいつに気を使う意味が分からない
はたしてあの親父の言ったことはやらなくてはいけないのか
借金を残し、死んでから母親に負担をかけるあいつは誇りでもなんでもない
私は姉の機嫌を取ることをやめました
今までのストレスからか癇癪持ちのようになり、学校で少しでもからかわれると暴れるようになりました
30:
小3になった頃、私は立派な癇癪持ち学校の問題児扱いされていました
しかし、当時の友達曰く面白かったし運動神経もそこそこで勉強もして真面目だったから
女子の人気はあったらしいです
出来ることなら当時に戻って楽しみたい
そして小3の頃私達は名前が変わりました
父の名字から母の旧姓へ
姉はそれを拒みました
どうして変えるんだ、私はあんたの家系には入らない
姉はひどく暴れ、そこで初めて姉を殴りました
31:
幼稚園に入る前の年の子供を、塗装の現場に連れて行く?
信じられない。
32:
>>31
壁塗りとかするのは塗装でいいんですよね?
確かに今思い返すと周りはシンナーの匂いであふれかえってたし
簡単な工事くらいは勝手に引き受けてやっていたので危ないといえば危ないですね・・・
33:
当然私が姉に敵う訳もなく、その時は姉にぼこぼこにされました
しかし今まで姉の言うことを聞いて育った私は初めて姉に反抗したことに興奮し、
その日の夜は眠れませんでした
私は確かに姉を殴った
あのわがままなバカを殴り飛ばしてやった
私は姉に勝った気持ちでいっぱいでした
34:
それから私は姉に反抗するようになりました
殴られたら殴り返す
蹴られたら蹴り返す
何かされたら同じ事をし返す
最後はいつも姉にぼこぼこにされてはいましたが、自分の中ではやり返しが出来たことが
とても満足でした
35:
ほうほう
41:
そんな私が小学5年生にあがった時、担任になった人間は最低の人間でした
その担任は人間性、やることなすこと全てが最低でした
大学で脳についていて調べていたらしく、自分の学歴を鼻にかけるところもありました
また、私達の学年には親が教師という子供が多くその子達とその子達以外の扱いも
露骨に違っていました
可愛い女の子を良く膝の上に乗せていた記憶があります
42:
そんな彼のターゲットに私はなりました
自分でいうのもおかしな話ですが、当時の私はクラスの中心にいました
テストでも90点以下はとったことがありませんでした
そんな私を彼は疎ましく思ったのだと思います
43:
5月頃からそれが顕著に表れてきました
プリントが足りない時は私のものを渡す
何かが壊れると私のせいにする
44:
大の大人が小学生に嫉妬すると思うか?
47:
>>44
彼はとても幼かったですよ
体育のドッジボールで玉を当てられて拗ねて外野にまわらないほどでしたから
45:
そしてある日私が風邪をひき学校を休んだ次の日の事です
国語の時間、彼は急に皆に教科書を立って音読するように告げました
私もそれに従おうとしたのですが、彼は私を黒板の横にある教師用の机に呼びだしました
皆は顔の前に教科書を持ち、音読をしているため私達が何をしているかわかりません
そこで彼は私に
学校を休むな
お前みたいな片親のガキがさぼろうなんて100年早い
お前がさぼると周りに迷惑がかかる、底辺なんだから周りの仕事も買ってでろ
そんなマスク付けてくるなんてわざとらしい
ゴミが
こんなことをずっと言ってきました
時間にすると20分ほどだったと思います
48:
私はただただ片親がとバカにされたことに腹が立ちました
お前のように裕福な家の一人息子として甘やかされのうのうと生きてきた奴に何が分かる
母をバカにするな
私は悔しくて悔しくてその日からさらに勉強をしました
学校にもどんなに熱が出ても行くように頑張りました
49:
私は勉強の甲斐あってか、6月頃には中学2年生の問題くらいなら解けるようになっていました
テストは毎回100点、さらにクラスの中心人物になっていました
ある日の国語の時間、また音読をするよう彼は皆に告げました
そしてまた私を呼びだしました
51:
そこで彼は
調子にのるな
片親の息子が学校にくるな、皆に迷惑だ
お前ごときが頑張ったところで社会にでれば底辺のくずなんだよ
生きている意味もないんだから家でおとなしくしておけ
と私に告げました
私はこいつとどう戦っていいのかわかりませんでした
そして学校に行くことをやめました
52:
ハッピーエンドで終わるのだろうか
53:
こいつとどう戦えばいいって、PTAもしくは校長に言えばいいだけだろ。
55:
>>53
その考えにすぐにいきつかなかったというか、他の人に頼るのは負けた気がして嫌でした
54:
テストの日だけ学校に行き100点を取ることだけが彼に対するやり返しでした
それ以外は部屋にこもり何もせずに過ごしました
テストの日に学校に行くと前に呼ばれ、学校をさぼるな底辺がと罵られました
たとえそれで30分以上時間を使われても100点だけは取ろうと必死に頑張りました
56:
小学生のテストっめ不定期だろ?
どうして学校行かないのにテストの日がわかったの?
59:
>>56
うちの小学校はテストが毎月1回はあり、その日が決まっていました
その代わり抜き打ちテストというものがありませんでした
57:
環境って大事だな
58:
家にいる間、母は仕事に行っていました
姉は中学に上がっても相変わらずに荒れていました
そんな時に私が学校に行くのをやめ、母はストレスがたまっていたようでした
ある日、母は私に怒りました
私を部屋から引きずりだし、学校に行けと喚きました
お母さんが仕事から帰ったらちゃんと話すから今日だけは勘弁してくれと頼み、
夕方に母と学校の事を話しました
母に気苦労をかけたくない、嫌な思いだけはさせたくない
その一心で片親がとバカにされた事以外を話しました
62:
しかし母はその話を信じてはくれませんでした
学校をさぼるためだけにそんな嘘をつくなと怒られました
あいつは確かに保護者受けは良かったのですが、母なら私を信じてくれる
そう思っていた私にはこの言葉はとても辛いものでした
姉は学校をさぼる私を恥だと、兄弟でもなんでもないただの居候のゴミだと友達に紹介しました
私は家にも居場所がなくなりました
63:
夏休みもあけたある日、うちのクラスでパーティーとやらをすることになりました
演劇に手品、皆がそれぞれ出し物をしてそれを見るというパーティーよりは学芸会の様なものでした
そして私はその演劇に出ることになっていました
確か出し物はかぐや姫で、私はかぐや姫に貢ぎ物をする3人の王子の一人だったと思います
演劇となると1人いないだけで迷惑がかかります
私は練習のある日も学校に行くようになりました
64:
本番まで後1週間くらいだったと思います
私はその日40度の熱を出し、母に病院に連れて行かれました
その日も練習があったのですが行けるわけもなく、家で寝ていました
母は私を病院に連れて行き、すぐに仕事に行きました
家で寝ていると外から車の音が聞こえました
母が私を心配して帰ってきてくれた、もしかしたら今なら信じてもらえるかもしれない
そんな淡い期待を抱きましたが、そこにいたのは担任でした
65:
見てるから頑張って書いてくれ
>>65
ありがとうございます
66:
これって何年前の話ってか今何歳?
>>66
今年で19歳です
67:
惹き付けられる文章だな
しえん
>>67
新聞部にいたことがここで活かせるとは
ありがとうございます
68:
担任は私の家の玄関のドアを殴りながら出てこいと叫んでいました
身体を起こすのもきついくらいでしたが、近所迷惑だったので玄関をあけました
開けるなり彼は私を罵りました
一言一句とて忘れません
くそぼけが、学校またサボりやがって
でてくるのが遅かったのはそのマスクと熱冷まシートでも探してたんか?
使えねえボケが、お前もうくんなよ、お前の配役も別の奴に変えたから
皆もてめえみたいなのは学校に来るなって言ってたぞ?
お前が休むたびに日課表届けに来るやつも嫌がってるわ
誰もお前の面なんて見たくないって言ってるからもう学校に来るな
熱があり、肉体的にも精神的にも参っていた私にはこの言葉は充分過ぎるほど効きました
70:
私は次の日からテストの日以外は行かないという逆戻りになりました
その間担任はうちの母と校長に引きこもりの資料を作って見せ、さらに私を孤立させました
母はまったく私を信じなくなりました
テレビで引きこもりや精神病がちょうど話題に上がり始めた頃で、母を納得させるには
充分過ぎるほどでした
71:
母親が味方じゃない状況で良く死ななかったな偉いわ
74:
>>71
実際は何度か自殺未遂をしています
ただ小学生の発想で死のうとするには失敗ばかりであまりにもバカらしい死に方だったので
書くのも恥ずかしい////状態です
73:
久しぶりにテストで学校に行った日、皆の態度が変わっていました
後から聞いた話だと実際は配役は私のままにしていたようで、
担任は当日私が学校をさぼったと、家に行って話したらこんなくだらないことはできないと
言っていたと皆に言っていた事を知りました
そんな事知らなかった私は、皆の態度がよそよそしくなったことに傷付き、誰も信じないようにしようと
心に決めました
75:
親子共々仲良くしていたグループの皆は、親から私と付き合うなと言われたようで、
たった一人を除いて話してもよそよそしくなりました
親友だと思っていた彼は、私がその様な事を言ったとひどく落ち込み話してくれなくなりました
大好きだった両想いの女の子からはもう嫌いになったと手紙をもらいました
それほど小学生にとっての担任というのは絶対でした
私はついに心が折れてしまいました
77:
>>1
教員にそんな嫌がらせしてる暇はないと親が教員のおれがいってみる
79:
>>77
小学校教師だからかは分かりませんが、彼は暇だとよく言っていました
授業をやっている時間に私の家に来て上記の様な事を言えるくらいでしたし
多分学校には不登校の子を説得してきます 俺熱血かっけえwwww的説明をしたのだと思います
78:
挨拶をしてくる子達もどこか他人行儀で
学校に来ない引きこもりとからかう子達がいて
私をいないものとして扱う人達がいる
学校に行く意味が見出せませんでした
家にいる間、私はずっと布団に籠り小説ばかり呼んでいました
小説の中の主人公に自分を重ねて、妄想の中では私は世界を救うヒーローであり
頭の切れる探偵であり、どんな怖い幽霊や化け物がいるところからも逃げ切った人間でした
82:
私は小説や映画に逃げ込みました
毎日1本は映画をみて、1冊は小説を読みました
WOWOWに入ってて良かったと土曜深夜のAVの時間以外で初めて思えました
83:
ある日、母と姉2人から怒られました
母は学校に行きなさい、お父さんが心配するからと言いました
姉は学校に行け、兄弟が不登校とか恥ずかしいと言いました
私は姉のこの発言にキレてしまいました
気が付いたら姉に馬乗りになり、姉の顔は形が変わっていました
84:
母は私を張り倒しました
そんな母に私はキレて母を殴りました
気が付いたら私は母にぼこぼこにされて気を失っていました
85:
しかし、母はやっと私を信じてくれました
私が姉ならともかく母である自分を殴った事に理由がないわけがない
そして謝られました
私は何故もっと早く信じてくれなかったんだと母を責めました
その間母はうなだれ泣きながらごめんと言うだけでした
86:
良かった・・・のか?
88:
そんな母を見て私は心が痛みました
しかし、どうしても許せない気持ちもありどうしていいか分かりませんでした
とりあえず今まで担任にされた事を伝えました
片親だからとバカにされた事も伝えました
母はどうしたいか私に聞いてきました
自分でもどうすればいいのか分かりませんでした
しかし、彼がずっと教師をやっていくことだけはどうしても許せませんでした
私はそこで母に相談し、教育委員会とPTA、校長を呼ぶ事にしました
89:
おいついた
バッドエンドだったらしぬわ
90:
釣り臭ぇ
92:
>>90
釣りだと思ってもらっても構いません
こんなバカな人生良く思いついたな、悲劇のヒロイン乙wwwwとでも思いながら
読んでいただけたら幸いです
91:
母は詳しい事情を知らなかったし、母に説明して教育委員会にもとなると私も疲れるので
母には同席してもらい、自分で話すことにしました
結果、訴えたりするにしては証拠がない、しかしそれが本当なら見過ごすわけには行かない
ということで、彼は大分市内の小学校に飛ばされる事になりました
余談ではありますが、市内はとても保護者の力が強く
彼は色々あって現在教師をしておりません
95:
小6の時の担任はとても素晴らしい人でした
私の心配をしてくれたし、学校を休んだ私に電話で励ましてくれました
昼休みや授業がない時間を使って我が家に来てくれ、勉強を一緒にしました
友達はまだよそよそしかったですが、この先生の御蔭で少しは話せるようになりました
私は学校が怖くなっていたようで、精神的にも不安定になっていましたが、週2回以上は
休まない約束を先生とし、どんなに辛くても学校に行くように心がけました
93:
まさかの居住地が同じ?
大分の教育委員会クソだよな
97:
>>93
大分まじやばい
なにがやばいって教育委員会にいっても彼らは何もしてない
動いたのは当時の校長とPTA
この校長が学校で会議を開いてくれたおかげでPTAが動いた
PTAが動いたおかげで教育委員会が動かざる得なくなった
何が言いたいかって言うと大分まじやばい
98:
学校に居場所が少しだけ出来ました
しかし、家に居場所がなくなりました
99:
途中までハラハラしたわ。
よくがんばったねー。
101:
>>99
ありがとうございます
まだまだ先がありますので、よろしければお付き合いください
100:
当時私は学校と親のすすめで心療内科に通っていました
姉は私が6年の頃中学3年で多感な時期でした
姉は何故か自分も心療内科に行きたいと言い出しました
当時、姉のクラスでは似非メンヘラ()が流行り姉はそれに影響されてしまったからです
そして姉はおかしくなりました
102:
姉は事あるごとに私と母を責めました
姉の中では私のせいで病気になり、母のせいで悪化したという方式が成り立ちました
似非メンヘラの姉は本当の意味でのメンヘラに昇格しました
103:
お父さんが死んでから全てが狂った
104:
でもま、19ならいくらでもやり直せるから大丈夫。
105:
私のせいではないと言えば嘘になってしまいます
確かに父親の件は私が空気を読めば済んだ話ですし
不登校の件では私が学校に行けば済んだ話です
未だにこの事は周りからお前のせいではないと言われます
しかし、あんなにも憧れていた姉のこんな姿を見てしまうと未だに自分を責めてしまいます
109:
>>105
>>1に責任が無くはないわけだが、100%責任があるわけではないのだから全て背負い込む必要はないんじゃないか?
111:
>>109
私以外に背負ってくれる人がいないんです
それも仕方ないかなと思っています
106:
姉は通院先を心療内科から精神科に変えました
母はそれによってストレスがたまっていくのが小学生の自分にもわかりました
頑張らなくてはいけない
頭では分かっているのですが、私も折れてしまいまた学校に行けなくなりました
107:
姉はある日、病院でもらった薬をためこみ自殺未遂をしました
私が発見してなかったら未遂ではなくなっていたと思います
その時の事があるため、未だにテレビ等で薬を大量に飲むシーンを見ると動悸がします
108:
姉さん…
110:
私が中学生になる頃、姉は高校生になりました
姉は1年も経たずに学校を辞めました
私は怒りました
あの時学校に行かない自分を恥だと言った姉が学校に行かず、辞めてしまっている
自分が憧れていた姉の今の姿を認められないというのもあったかもしれません
私は姉を殴るようになりました
112:
昔の姉だったら、一発でも殴ればやり返しに何発も飛んできてたでしょう
しかし姉は何もやり返しをしてきませんでした
ただ泣きながら許しを請う姉がみじめで仕方がありませんでした
そして同時にそんな姉が許せませんでした
113:
メンヘラ構っては生きる価値なしのゴミクズ
114:
ある日いつものように喧嘩になった時に姉が私を包丁で刺しました
お腹の横をぷっすりと
その時、これで死ねるもう家族とは関係ない楽になれるとほっとし、大泣きしました
不思議と痛くはありませんでした
115:
しかし、傷自体も深くなく私は死ねませんでした
姉は入退院を繰り返し、私が中3になるまでの3年間で3回高校を辞めました
そのたびに姉とは喧嘩になりました
117:
書き忘れていましたが、中学1年の時の担任はとてもいい人でした
学校にこれない私にフリースクールを紹介してくれました
私の母は訪問介護の仕事についているのですが、そこの訪問先の奥さんがちょうどその
フリースクールで働いていたため、私はそこに通う事になりました
その奥さんは奥さんと呼ぶよりお婆ちゃんと呼ぶ方が正しいくらいの年齢の方で、私の尊
敬する人のうちの1人です
また、そこには偶然にも小6の時の担任のお母さんも働いていました
私はこのフリースクールにはどんなに頑張っても返せない恩があります
118:
あれ?この>>1幽霊じゃね?
120:
>>118
まだ生きてます
なんとか這いつくばってます
119:
私は中学3年まで週2回あるフリースクールに通うだけになっていました
中学3年のある日、ふと学校に行こうと決めるまではフリースクールと家を往復するか
小説と映画漬けの毎日でした
121:
そのふと学校に行こうと決めた訳ですが
なんだか朝の通学路が気持ち良かった、それだけです
まぁ家にいれば姉と一緒に居なくてはいけないというのもありましたが
122:
気が付けば中学3年の受験シーズンになっていました
私は地元の高校に行こうかどうしようか悩んでいました
しかし、ここで地元の高校に行けばまた甘えてしまう
どうせなら絶対に学校を休めないような環境を作ろう
でも、何かあった時の逃げ場がある場所にしよう
フリースクールの先生に相談するとすぐにそんな場所が見付かりました
私はすぐにそこに決め、学校に推薦してもらい1月には進路先が決まっていました
123:
どんな場所だろう
124:
その高校というのが不登校や不良、障害を持った生徒を受け入れて
社会復帰が出来るようにするといった理念の学校でした
さらにそこは寮と下宿があり、私の家から車で2〜3時間かかる場所でしたので
私の条件にはぴったしでした
125:
ほうほう
126:
私は入学式の日、朝早くに起き
母の車でその学校の場所まで行きました
車の中で今までの事を謝りました
まだ不安定だから迷惑をかけるかもしれない事、私立の為学費で迷惑をかける事
母に暴力を振るった事、学校に何度も謝りの電話をいれてもらった事
私のせいで姉がああなった事
全てを謝りました
母は泣いてない素振りで喉乾いたからコンビニ行こうかと言って
トイレから10分ほどでてきませんでした
この時間のおかげで私達は入学式に遅刻しました
これを笑いあえたのもいい思い出です
127:
カーチャン...
128:
私のクラスには色々な人達がいました
不良、精神病、不良に憧れる高校デビュー、何故この高校に来たか分からないくらいの秀才
20歳を超えている人もちらほらいました
しかし私の小学・中学の頃を知っている人間はいません
偏見も何もありません
私は0からのスタートに心躍らせた事を覚えています
129:
入学してすぐに、私は新聞部に入りました
私の担任が新聞部の顧問であり、全国の新聞部では有名な人であり
全国大会にも何度も何年も連続で入賞していたこともあり
そして何よりその時新聞部にたった1人在部していた1つ上の先輩が姉に似ており一目ぼれした
というのが理由です
130:
周りがうんこすぎるな
それでも>>1が生きててよかった
131:
2人きりで部活か…羨ましい。
132:
>>131
残念なのか残念じゃないのか二人きりではありませんでした
その時入部したのは私を含めて5人でした
女子が2人です ちなみにこの2人は最初こそ垢ぬけない感じでしたが
どんどん可愛くなります
134:
入部してすぐにこの先輩がどれだけ凄いかを知りました
舌にピアスを開け、自分と同じV系の音楽を聴き
傍から見ればただのかっこいい姉ちゃんですが、私達が入部するまでの1年間
新聞部の仕事を1人で行い、全国大会に今まで行ってきたという誇りに泥を塗らないように
してきた人です
私の彼女に対する好意は恋愛から尊敬に変わりました
それは私が昔姉に抱いてた感情とまったく同じものだと思います
133:
ここまで読んで沸いた疑問だけどお前の父ちゃん親戚が結婚大反対するほどたくさんの人を不幸にしたの?あと小学生でテスト100点って相当スゲーぞ全国模試何位くらいだったの?
なんか妙な違和感あるんだが
137:
>>133
そこについては後々触れようと思っていましたが先に書いておこうと思います
まず、私が幼稚園の時点で60を迎えようとしていた
つまり、母と結婚する時にはすでに50代でした
また、私の母と結婚する大分前に辞めてはいたのですが、一時期やくざだった時期があります
それで親戚や母のお父さん、つまり私のお爺ちゃんが反対していたようです
私のお婆ちゃんだけは母の意思を無下にしたくない事、また父がやくざから足を洗って
かなり経っていた事、そして話した上で男気を感じ応援しようとしていたらしいです
また、小学校のテストで100点を取ったとしても私の小学校では全国模試や進研ゼミ?
のテスト等を行っていなかったため順位は分かりません
135:
小学生のときにやったテストというと
単元テストと実力テストぐらいしか覚えがない
139:
>>135いや毎回100取れるなら当然塾通いのはずだし全国模試受けてるだろ? 90点はざらにいるし95もそりゃいるだろうけど毎回100点なんて確立的にないし相当有名になったはずだろ
143:
>>139
朝から晩まで家にいてみてください
時間がとても余るんです
小説と映画にのめり込むと言っても家計的に限界はありますし
塾なんて勿論行くお金はありませんでした
することがないから姉の使っていた教科書や参考書で勉強していました
幸い姉が頭がよく、教科書や参考書はとても分かりやすいものでした
それプラス、あのくそ担任の鼻を明かしてやりたい一心での勉強です
頑張れば何でもできる事を学びました
157:
>>143
邪魔して悪かったなスマン、でも気付いてないみたいだがお前相当の天才だぞ、そのいやな教師ですら毎回100点は無理だし疎まれた原因はその返かもなお前合計500点なんて前代未聞の奇跡連発できる才能あるんだからある意味エリート層より実践派だな
161:
>>157
しつけーよ
小学生で100点なんて珍しいことじゃない
むしろ100点取れなきゃゴミ
138:
続きにいかせてもらいます
新聞部は私にとってはなくてはならないものになりました
顧問の少しワンマンな所を除けばとても居心地がよかったですし、〆切りに追われて
夜残ったりしていたので部員を家族の様にも感じました
先輩は相変わらずたまにふらっと来ては自分の記事を仕上げ、私と音楽の話をして
女の子2人の胸を揉んでは落ち込み帰って行きました
先輩は所謂ナイチチでした
141:
私はまだ癇癪持ちが治っておらず、少し喧嘩早いところがありましたが、なるべく母に
迷惑をかけないように過ごしていました
母から聞いた話で姉が一人暮らしを始めた事、働いている事、調子が悪い時は相変わらず
だけど、調子が良い時は昔の姉に戻りつつあることを知りました
姉が調子のいい時に一度だけ私の携帯に送ってくれたメールは他愛もない内容でしたが
何故かとても嬉しくて未だに保護してあります
145:
嬉しいメールってついつい保護しちゃうよね、一気に親近感沸いた
148:
>>145
あの姉が久しぶりに自分から私にコンタクトを取ろうとしてくれたこと
しかもその内容がゲームの攻略についてだったのでちょっと可愛く思えました
144:
そんな中、6月になり全国大会が迫ってきました
部内は一丸となり、頑張ろうとしていました
しかしそんな中で部員の藤木(仮名)はあまり乗り気のようには見えませんでした
146:
藤木(仮名)は20歳を超えていました
彼の家もまた複雑で、この年になるまで高校には通えなかったそうです
しかし彼はそんなそぶりをまったく私達に見せませんでしたし、年上である事も私や一部の
仲が良い人間以外には隠していました
私達が子供なりのバカをやれば乗ってくれるとても良い奴でした
私は寮が一緒である事や部活が一緒である事
ほとんど24時間一緒に生活してる彼を兄弟の様に思っていましたし、彼もそう言ってくれていました
中1から6年引きこもってた俺の末路wwwwwwwwwwwwwww
147:
世の中色んな人が居るな
こういう人達見ると、俺は勉強しないといけないと思う今日この頃。
By受験生なのに勉強しないクズ
149:
>>147
受験生なら私と歳も近いと思いますのであまり偉そうには言えませんが
勉強しないのは簡単ですけど後が辛くなります
私の場合は担任の鼻をあかしたい一心でしたが、正直めんどくさく思う日もありました
今自分が何をしたいか、何に進みたいかが明確じゃないと勉強なんてできないと思うんです
10月ならまだ間に合います
どこに進みたいか考えた上での勉強をお勧めします
153:
人生はあなたが思う程悪いものじゃない
154:
続き書きます
藤木(仮名)が乗り気じゃないのは顧問のせいでした
確かに私も顧問のやり方にはついていけない部分がありました
新聞部ではなく雑用ではないかと思われる仕事もやらされましたし、意味なく怒られるのなんて
しょっちゅうでした
何度も何度も言ってる事が変わるのでどう動いていいのかもさっぱりでした
それに私達は入部して2か月です
新聞部の勝手がわからないままたまにくる先輩に聞いてやっていたので、正直我慢の限界と
言えば我慢の限界でした
156:
藤木(仮名)は正直部活を辞めたいと言いました
入部した頃はただ皆で楽しく新聞を作ろう、それが認められて全国に行けたら凄い事でしょ?
と言っていた顧問も今ではこんな新聞じゃ全国に行けないと言うようになっていましたし、
仕方のない事かもしれないなと思いました
そのままその問題が解決せずに全国大会に行く日になりました
160:
全国大会に行くのは私・先輩・藤木(仮名)になるはずでした
しかし、藤木は夏休み明けには退部したいと思っており、それなら女子の内2人を行かせた方が
勉強になるだろうからそっちを行かせてあげてくれと顧問に頼みました
でもうちのワンマン顧問がそんな意見を聞き入れる訳もなく、気が変わるかもしれないからと
藤木を行かせる事をやめませんでした
また、先輩が体調を崩し行けそうになかったので結局
私・女子A(胸Dカップ以上あると推測)・藤木(仮名)の3名になりました
163:
全国大会に先輩と行けなかった事は残念でしたが、女子Aのお風呂上がりを見れた事
藤木と2人で夜中まで記事を書いた事、初めての飛行機に初めて東京をちらっと見た事
グンマーの温泉、とても楽しい思い出になりました
166:
しかし、夏休み明けに部の中で事件が起こりました
まず先輩の退部
顧問には体調でと伝えたらしいですが、実際は顧問の大きすぎる期待に応えていくのが辛く
私達には悪いが新聞部に人が来たら辞めるつもりだったらしいです
そして藤木の退部
これは辞める際に顧問といざこざがあり、大喧嘩をして辞めている事
さらに藤木がその件で顧問を恨み、流れで私達まで恨まれるといった流れになってしまったため
新聞部のムードは険悪になりました
168:
顧問が私達に説明した藤木の退部の理由はあまりにも藤木が悪者になっている内容でした
また、私が実際に藤木に聞いた内容はあくまで客観的に両者ともに悪いところがあり、
それに自分が耐えられなかったといった内容でしたので、私は藤木を信じる事にしました
私は顧問を信頼できないまま、新聞部の部長になりました
169:
藤木と先輩が抜けた穴は非常に大きく
4人の部員が全員入れ替わり立ち替わりで体調を崩しては治しの繰り返しでした
そこにプラスして新聞部の仕事ではなく顧問の私用を言いつけられ、皆ひどく疲れていました
私はその事に関して何度も顧問と話をしました
しかし、まったく顧問には聞きいれてもらえませんでした
女子部員は部活中に泣きだし、もう1人の男子部員も精神的に参ってしまい部活にこなくなりました
170:
こんな波乱な人生でも生きている>>1の姿に感動した
がんばれ
171:
私は我慢の限界でした
新聞部は私のもう一つの家族でした
それをここまで壊されるのであればと、顧問と話し合いをしました
しかし、顧問から言われる言葉は全て部の為にならない発言ばかりでした
私はその発言に怒ってしまい、退部処分になりました
172:
手は出していません
ただ貴方は間違えていると言っただけです
しかし顧問からしてみれば、自分の言うことを聞けない部員はいらなかったのでしょう
そして残った女子部員2人には自分の都合の良いような説明をしました
結果、私は女子部員と話すことはなくなりました
また、藤木は表向きは家庭の事情の為学校をやめる事になってしまいました
実際は顧問と喧嘩をし、そんな生徒は学校には置けないという判断を無理やり顧問が通したからでした
その後も1人うちのクラスの人間が担任であり部の顧問であるこの教師の元では何も学べないと
学校を辞めました
174:
ひきょう者の藤木
175:
その1人も私が仲良くしていた人です
この2人とは未だに連絡が取れません
そして部員との繋がりも断ち切られてしまいました
私はまた精神的に落ち込みました
そして、この学校で学べる様な事がない気がしてきました
やめよう
そして通信制の高校に行きながらバイトでもしよう
毎日そう考えるようになりました
176:
その辞めた高校の偏差値いくらくらいだったの?
178:
>>176
辞めてはいませんが、かなり偏差値は低いと思います
英語の一番最初の授業がABCを大文字小文字で書いてみようからのスタートですから
うちの学校に来るほとんどの人間が何らかの理由で学校に行ってない人達ですから、
仕方ない事だと思います
177:
私は母親に久しぶりに連絡をとりました
そして今まであった事を話しました
怒られました
そんな弱い子に育てた覚えはない
入学式の時の自分の発言を忘れたのか
そこから先は正直覚えていません
ただ、泣きながら頑張ろうと決意したことだけは覚えています
そして携帯に姉からメールが来ていました
あの時振りのメールです
私を叱咤激励する内容でした
私はそのメールを保護しました
179:
>>1は良いやつなんだけど、周りのどうしようもない人間のせいで酷い目にあってる感じだな
世の中って不公平だよな
それでも折れない>>1は強いな
180:
ただ、私は本校の普通科にはいられなくなっていました
それも顧問のせいです
うちの高校には単位制・支援学級・普通科とあるのですが、そのうちの単位制にいれられました
本来ならば何故単位制に移るのかを職員が把握しなくてはいけなかったのですが、これも顧問が黙っていました
181:
しかし単位制にうつれたのは私にはとても助かる事でした
前述している通り我が家は母子家庭なので家計がとても苦しく
学費で母も精一杯でした
単位制は2年分の単位を取れば卒業出来る為、私は2年生の1年間を地元に帰り、バイトに
費やしました
182:
バイト先は某全国チェーンのお弁当屋さんでした
午前のおばさんたちは意地が悪く色々と嫌味を言われました
片親は大変ね、学校にも行かずバイトしなきゃ生活ができない
こんな事もう言われ慣れてます
自分達のやり忘れた仕事を私に押しつけてきました
そんなの10分で終わらせてやります
もう負けない そう心に決めて頑張りました
夜のおばさん達は優しく、バイト終わりの僕にお弁当を良く買ってくれました
183:
他にも肉体労働や色んなバイトを掛け持ちしました
知り合いの子供の世話や、小学生への家庭教師
気が付いたら1年間で60万ほど溜まっていました
そのうち10万を母に渡し、頭を下げました
母も職場で私達兄弟の事で色々言われている事をここで知り、それでも自慢の子供たちだと言われ泣きました
姉は食事に誘いました
嫌がってはいましたが待ち合わせ場所に来た姉は凄いお洒落をしてきました
ツンデレというものを知りました
184:
家族は皆距離を置いたおかげで凄く冷静になれたようでした
姉はまだ病気を持っていましたが、それを私達のせいにはしなくなりました
母と姉も心なしか穏やかになっていました
そして高校3年に上がった時に私は学校に戻りました
185:
支援
187:
3年はこれといって書くこともありません
せいぜい新しい単位制の面々と仲良くなって、下宿で騒いだことや
新聞部の顧問が変わったけど前顧問は未だに口を出してきていて私は戻れなかった事くらいです
そして今年の2月、母方の祖母が亡くなりそこで初めて母の兄から私の親父の事を聞いて>>137の事を
知ったというわけです
私は無事高校を卒業して、進路は調理の専門学校に進みました
そしてここからが最近の話になります
暗いので注意してください
188:
ここからが本題かよ
189:
まだ何かあるって言うのか…
190:
私は当時バイトでためたお金を使い、一人暮らしを始めました
母や姉ともちょくちょく会う生活を送っていました
そこで私はあるラーメン屋でバイトを始めました
なるべく母親に負担はかけまいと仕送りを断っていたので、バイトをしないと生活が出来ませんでした
192:
そこのバイト先がちょっと辛いバイト先で
タイムカードを切ってから2時間はバイトでも残業をしなくてはいけない
シフトがたまに週8になる
長い時で最高1日12時間働いた(休みなし)
等々ちょっとん?と思えるバイト先でした
193:
しかしお金が欲しかった私には2時間の残業以外はむしろありがたく
毎日必死にバイトをしていました
しかしそんな中で私は体調を崩してしまいました
195:
最初は大丈夫だろうと思ったのですが、流石にバイトにいける状態でもなく
バイト先にしばらく休みが欲しいとの電話をしました
その時電話に出たのがうちのお店の店長だったのですが、そこでぼろくそに言われてしまいました
確かに体調うんぬんは自分で管理しなくてはならないものであり、社会人として自分が悪いのは分かっています
私はそのままバイト先に向かいました
196:
なんか進学憂鬱になるわ
197:
無理しちゃあかんぜ、頑張りすぎると鬱になるよ。
199:
連投規制が掛かってしまいました
スマホからなので遅くなると思います
バイトに入って真っ先にチェックを任せられました
普段なら20分程で終わるのですが、その時はチェック項目の1つであるトイレが凄い事になっており、詰まりを直したり全部のチェックが終わる頃には40分程経っていました
202:
チェックが終了し、店長にその事を伝えに行ったときです
店長からわざわざ時間かけてくれてありがとうと嫌味を言われました
言われ慣れてしまった嫌味にすいませんとだけ伝えました
203:
しかし店長はさらに
やっぱりあれだねー
母子家庭の家はお母さんが掃除できないし、子も出来ないんだねー
と大声で周りに聞こえるように言いました
205:
これは完璧に環境のせいだろw
ちゃんとした所に生まれてればまともになってたはず
207:
今まで片親である自分をバカにする暴言は沢山聞いてきました
しかし今回は直接的に母をバカにされています
私はそれに対してキレてしまいました
店で店長に対し暴言を吐き、バイトをクビになってしまいました
209:
そして体調もひどくなってしまいました
ちょうど母から電話があり、そのバイトの事について話しました
母は笑いながらそんなのに言われても悔しくない
辞めて正解、体調悪いんでしょ?明日行ってあげるわ
そう言ってくれました
211:
てかバイト先の店長なんかに家庭の事情さらすなよ
213:
>>211
保険書などの提出があり、それで知られてしまいました
212:
この後私が母に会う事は叶いませんでした
母は来る途中事故に会い、帰らぬ人となりました
姉はそれのせいで昔の状態に戻ってしまいました
私の顔を見るだけでパニックを起こすレベルです
そして姉は入院しました
その際に入院の手続きに行った私を見てパニックになり
自殺未遂をしました
あくまで今の段階では未遂です
今は意識不明の重体になっています
どうでしょうか私のうんこみたいな人生
もうどうすればいいのかわかりません
214:
ええええええええええええ
いきなりすぎんだろ
216:
えええ?マミー死んだの?
218:
もっとしっかり書こうかと思いましたが連投規制が怖かったのでまとめてしまいました
母が死んだのは今年の夏休み終わりの出来事です
姉は正直だめかもわかりません
217:
生活保護頼めないのか?
221:
>>217
生活費関係は貯金がありますし、今年までは学校の学費も払っているためいれるんです
でもこう頑張るのに疲れてしまいました
222:
釣りと言ってくれ……
220:
釣りだったら釣りでもいいけど
とりあえず>>1は周りともめ事が過ぎなのは自分の性格のせいかもな
もう少し世渡り上手になれよ
224:
>>220
自分でもそれは思います
もっと上手い事いったらあそこでこうならなかったのにここでこうだったのにと結果論ではありますが
210:
1忙しいだろうから他の人に聞くけどさ、大分ってそんな片親が肩身狭い土地柄なの?腐ってんな。うちの田舎だったらむしろ支援されるよ
223:
>>210
家のばぁちゃんがいってたけど
大分人が歩いた跡は誰も歩かないって
それぐらいやなやつばかりだって言ってた@隣県
俺の大学の時の知り合いにも大分人いたけどいいやつではなかったね
226:
>>210
今さらながらですが
大分がという広い意味では答えようがないので私の地元の話でも
よそ者等にとても冷たいです
私の母は私を産んで隣町、つまり現在の私の地元に移り住んだのですが
小学校の運動会でテントに入れてもらえなかったらしいです
225:
>>221
カーチャン生命保険は入ってなかったのか?
231:
>>225
入っていました
姉の入院費その他もろもろは余裕で賄えます
私がこれを貰わなければ、姉はしばらくゆっくり出来るだろうから全て姉の通帳に振り込んでしまいました
227:
やっと追い付いた
よく教師に目をつけられたおれは>>1の事が他人に思えん
ただ自分の主張を書いてるだけだから、自分の言動について多少の美化はしてるだろ(´・ω・`)
233:
>>227
なるべく客観的に書いたつもりです
ただ、教師から言われた悪口については一切、一言一句間違えはないと言い切れます
230:
いや…。
>>1、自分は責めないでやってくれよな。
お姉さんは生保とかそういうので生きられるから、
自分のこと考えような。
ごめん具体的なこと聞いていいか?
やりたいこととかあるか?
仕事は雇用保険入ってたか?
福祉事務所とかヤングハローワークで
相談して総合的な支援期間教えてもらう
レベルだと思うんだが。
あ、お母さんの保険金はどうした?
ちゃんと受け取ったか?
234:
>>230
私は調理師になったら真っ先に姉と母にご飯を作ろうと思ってました
これと行って今はやりたい事が見当たりません
これは私が無知だったのが悪いのですが、雇用保険にははいっていませんでした
母の保険金は全て姉の通帳に入れています
235:
姉さんは生保で大丈夫。
お金は>>1がもらっとけ。
姉さんのことで相談して
姉さんは手帳もらうとか制度に頼れ。
先は長い。
頼るもんがない時はまず金だ。
将来を見据えてしっかり行こうぜ。
相談できる知り合いはいないのか?
238:
>>235
正直親戚一同は頼れません
姉ならともかく私は母方の親戚から嫌われているので
また父方は父が死んだ時に縁が切れているというか、存命で私の知っている方はもういらっしゃいません
237:
まず大分から離れたら?
環境を変えたらお姉さんも>>1もいい方向にいくかも…?
240:
>>237
1人暮らしの際に大分からは離れています
書き忘れてすいませんでした
姉はとりあえず目を覚ましてくれたら・・・という一心です
242:
すいません、少し保守お願いします
姉の病院に行って現状を聞いてきます
243:
そっかー、雇用保険入ってなかったか。
ってかまだ学生なのか?
失業手当必要なら、
フルで働いていたんだから、
ハローワークに相談して、
遡って雇用保険払ってもらおう。
で失業手当もらおうな。
単位制だっけ?
進路の先生とか、そうじゃなくてもいいんだけど信頼できる先生はいない?
関西だとスクールカウンセラーやソーシャルワーカーさんはいない??
そういう人に相談してみ?
あと姉が入院中ならちょうどいいや、
メディカルソーシャルワーカーさんがいるから、
制度のこととか色々教えてもらうんだよ。
ついでに自分の相談もできたらしてごらん?
245:
お前の体調はどうなんだ?
カーチャンのコトは残念だと思うけど、お前のせいじゃない。
ネーチャンは助かったとしても正直ろくなコトにはならないから、縁切った方が良いと思う。
汚い話、事故で亡くなったのなら多少の金は入ったんだろ?
週2〜3程度のバイトにして学業優先しろよ。
無いなら生活保護申請しろ、そんで資格とって卒業してとにかくイキロ。
246:
わたしと結婚すればいいとおもうよ
254:
全然問題ないじゃん
延命拒否して学校行って就職して素敵な相手を見つけろ
父親と母親と姉の人生を無駄にするな
260:
少し休め
頭と体を休ませろ
良い判断する為に
262:
叩かれるかと思ってたのに
皆さん本当にありがとうございます
とりあえずスレに書かれている事を調べてやってみようと思います
ただ、姉との縁については切らずにゆっくり修復出来たらと思っています
本当にありがとうございました
264:
お疲れ
265:
頑張れよ
275:
これからはたくさんいい人に出会えればいいな
276:
本当にありがとうございます
病院の入り口で泣く俺きめぇwww
また何かあったらスレを立てるかもしれませんがその時はよろしくお願いします
284:
>>1乙
今らからでも心から笑える日がくるといいな!
285:
釣りであることを願いたい
>>1頑張れよ
あ、姉は俺が貰うんで( ̄ー ̄)
286:
釣りだよね…?
本当なら片親のあたしもそうなるのかな?
まあ今時珍しくもないし大丈夫かな
>>1は強いね、尊敬します
287:
ほんとに俺と同い年かよって人生歩んでんだな
あがり症のせいにして面接ばっくれた俺が馬鹿みたい
じゃなくて馬鹿か
違う意味で少し元気が出たよ
ありがとう
そしてがんばれ
290:
よく頑張ったよ
私もいろいろあって高校中退のクソ中卒だけど近畿大学の通信で特修から入って頑張るから一緒に頑張ろう
293:
まだ残ってたwww
優し過ぎワロタwwwwww
姉は相変わらずでしたが医者の話じゃ峠は越えてるらしいです
後は姉の力次第との事でした
私は何とか腐らずに前向きに歩こうと思います
お礼を言っても言い足りませんが
ありがとうございました
291:
>>1
釣りじゃないならマジで頑張って欲しいわ
俺幸せすぎって自覚した 受験勉強頑張る
死ぬなよ
29

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