日露戦争ってどんなのだったのか?今から書いていくback

日露戦争ってどんなのだったのか?今から書いていく


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立ったら書く
日露戦争日露戦争(にちろせんそう、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。
講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日露戦争
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適当に書いていく。注意点としてはガチの歴史厨向けではなくにわか向けだということ。
間違いだったりおかしな解釈だったりも多いと思うが突っ込むなりスルーするなり好きにしてくれ
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はい では義和団事件からみていくよー
当時の中国は清。日清戦争を始め列強各国からフルボッコにされてまともに自主権があるのか怪しいレベルで解体されてる
これを憂いた人々が集まってできた組織が義和団。なんか義和拳とかいうオリジナル武術で外国人を襲いまくった
当然これに各国が反発。清政府に取締りを命じるが、そもそも義和団は政府を救うを名目にしている集団なので、なかなか乗り気にならない
大使館が責められて要人が殺されたりして、列強はブチ切れて軍隊を派遣。日本も当然これに参加。だが義和団が割と強くて一旦撃退されてしまう。
さて清はまずい立場に。自分が取り締まらなかったせいで軍隊を派遣させるまでになったため、もし義和団がやられても列強は軍隊を駐留させる口実を得たことになる。
ここで清は大博打に出る。なんと義和団と手を結び、列強に宣戦布告したのだ。イギリス・フランス・ドイツ・オーストリア・ロシア・アメリカ・イタリア・日本の八カ国。狂ってるとしか言いようがない。ドウシテコウナルマデホオッテオイタンダー
こうなれば列強はさらなる戦力を送り込んで清&義和団をフルボッコにしてやらねばならない。だが列強各国は別の戦争してて戦力は避けない。となれば……
英「やあ日本君。君は清に近いよね。お金は出してあげるからもっと兵力送ってくれない?」
日「あ、あの英国様がこんな底辺コミクズ国に声をかけてくれるなんて……(感涙)」
というわけで日本が大兵力を動員し、主力を担うことになった。総司令官はイギリス人だったが。
さて意外かもしれないが当時の日本軍は火力主義。とにかく銃と砲。これは明治維新の時の成果と見本にしていたドイツ軍によるもの。
対して義和団と清国軍は刀剣中心。相手になるはずもなく義和団は壊滅。清も降伏。清はあり得ない条件を呑まされ、事実上独立国として機能しなくなった。
さてこれが義和団事件である。というか宣戦布告されてるんだから戦争と呼ぶべきな気もする。日本なんて完全に第二次日清戦争。
これがなんで日露に関係してくるかというと、なんと北からやってきたロシアさん、義和団事件終息後も満州に居座り事実上占領してしまったのである
ΩΩΩ<な、なんだってー
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良スレ
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満州と言えば韓国の隣国。韓国は当時の日本の植民地(厳密には違うが便宜上こう呼ぶ)
つまりは日本にとってロシアが隣接してきたも同然。日本はすぐにロシアに撤退を要求するが
露「交渉は清とする」
清「はい(早く帰れや)」
露「あれもこれもそれもくれれば帰ってあ・げ・る」
清「無理に決まってんだろ!!!!!」
この無茶な要求は列強各国が干渉してロシアも引いた。ただし満州からは結局引かず、むしろ韓国へとちょっかいを出すようになる。当然日本はキレる。
日「ざけんな露助!!!!!!!!!!!!!!」
これに目を付けたのがイギリスである。ついでに言うと日本軍は義和団事件時に秩序だっていて略奪をあまりせず、評価が高かった。イギリスは日本と手を組むことを考えるようになる。
こうして日英同盟が結ばれることになるのである。
ちなみにこの時、伊藤博文内閣が終焉して桂太郎内閣が発足。桂は日英同盟に賛成だった=日本は同盟推進となる。
色々あるのだがとりあえず同盟は成立。日英+米の干渉でロシアは満州から撤兵することを約束。
だがロシアは撤兵しなかった。むしろ韓国に攻め込む勢い。
新聞が煽ったのもあり、日本の世論は一気に開戦へ傾く。となると決定より早くから準備をしておく必要がある。日本はこのあたりから作戦を準備し始める。
ここで出てくる人物が陸軍参謀長の大山巌元帥である。日露戦争といえば203高地の乃木大将、バルチック艦隊撃滅の東条中将が有名だが、個人的に最大の功労者はこの人だと思ってる。大山さんマジカッケーッス
この大山が明治天皇陛下に早期開戦を進言。この後の閣議で開戦を決定する。実際の宣戦布告はもう少し後。
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色々あって開戦を決めた日本。ロシア側も戦争は回避不能と判断。お互いにいつ攻めるかの駆け引きとなる。……はずが、これはロシアの艦隊出撃であっさり終了。
日本の計画
まず海軍で制海権を取る

陸軍を韓国に輸送して確保

満州で陸軍決戦
こういったもの。この計画だと制海権が最重要なのでロシア艦隊出撃は見過ごせなかった。
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さて海軍。東郷平八郎中将を総司令に急いで連合艦隊を出撃。準備は完了してなかったと言われる。目標は旅順。場所は各自ggrように。ここにはロシア艦隊がいる。ついでに言うと旅順は冗談抜きで当時世界最大の要塞。よくもまぁこんなもん作ったなってレベル。恐ロシア。
こうして黄海決戦となるわけだが、これはロシア側が圧倒的に有利。なぜなら旅順湾内で戦えば要塞からの砲撃で援護してもらえるため。かつ、日本は海軍兵力の大半を用いているが、ロシアは本国にまーだまだ兵力がある。引きこもって増援を待っていれば勝てるのだ。
東郷は部下から閉塞作戦を提案される。これは湾の出入り口でこっちの船を自爆沈没させて通行不能にしてしまおうという作戦。当時はポピュラーなものだった。
が、東郷はこれを拒否。一説によると「海上決戦のがかっけーじゃん」と言ったとされている。信頼する部下の秋山真之中佐が魚雷による夜襲を提案し、こちらを採用。しかしこれは成果を上げられずに終わる。
海軍は早く旅順艦隊を撃滅する必要がある。何度も威力偵察をかけて挑発するが、旅順湾の外まではなかなか出てこない。
東郷「やっぱり閉塞しようか」
こうして閉塞作戦が実行された。だが戦力を減らしたくない東郷は夜にやれと命ずる。夜は敵に狙われにくいが、艦の位置がお互い認識し辛く、自沈する位置が重要な閉塞作戦には向いていなかった。そしてこれは失敗する。
一方ロシア側は皇帝がかんしゃくを起こしていた。日本なんて猿一捻りだろjkな考えで、攻勢に出ない司令官を更迭。後任にマカロフがあてられた。
このマカロフ、この時代のチートと呼ばれる人で世界初の魚雷戦をした人でもある。海洋学者だったりもする。
マカロフは防衛に徹するのは変えず、だがもう少しだけ外まで敵を追ってよし、という方針に変更。
東郷「ももももう一回閉塞や! 勿論夜な!」
ここで二回目の閉塞作戦が実施。夜に行われたがマカロフの方針変更で積極的に妨害され、失敗どころか多くの戦死者を出してしまう。
この作戦で戦死した広瀬武夫少佐は後に軍神とされる。脱出艇に乗り込む際、部下が一人見当たらずに出航を躊躇っていたところで頭を撃たれたとされている。
ちなみにこの間にも日本陸軍はちゃかり韓国へ上陸している。撃滅はできずとも湾内に閉じ込めている効果はあった。陸軍は小部隊相手に連戦連勝、北と南に部隊を分け、南部隊は旅順まで到達する。
東郷「こうなったら陸軍頼みや! 旅順要塞が落ちれば湾内で突入できるだろjk」
こうして海軍の要請もあり、本来必須でない旅順要塞攻略が進められていくことになる
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支援
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書くの遅いんで適時保守してくれると助かるZE
陸軍が旅順へ迫る頃、海軍は相変わらず成果を挙げられずにいた。そこで出てくるのが秋山兄弟で有名な秋山真之。彼の部下から上がってきた作戦を東郷が採用する。
相手艦が哨戒に出てくるとき、常に同じルートを通ることに気がついたため、そこに機雷を仕掛けるというもの。これが実行された。
いつも通り挑発すると、この日はマカロフ本人が乗るペトロバブロスク+αが出撃。必要以上には追わず、旅順港へ帰還しようとすると……
マカロフ「ウボァー」
なんと旗艦を撃沈。マカロフも戦死。
大戦果なのだが、旅順艦隊はこれでさらに引きこもるようになってしまう。海軍の目的は旅順艦隊殲滅のため、よろしくない。ヒジョーによろしくない。
加えて、ウラジオストクのロシア艦隊が日本海にちょっかいを出すようになってくる。日本の輸送艦が撃沈され、いよいよ無視できなくなる。
東郷「こうなったらあれしかない、あれだよあれ。へーそく!!!!」
なおこれも悪天候で失敗した模様。
韓国では日本軍が砲撃に次ぐ砲撃でロシア軍を押しまくり。なんとなくイメージではロシアが装備優秀な気がするが、実は日本のほうが兵器で優っていた。第二次のときと違って当時の日本軍は火力至上主義である。明治維新で侍を撃ち殺した経験がまだ近いため。
砲弾には散弾が用いられた。敵の上まで飛んでいった後で炸裂し、中の弾丸を撒き散らすというもの。対人殺傷力が高いのなんの。
ちなみにこの当時の日本の戦費はどこから出ていたかというと、なんと外国に国債を買ってもらって捻出していた。そのため、日本が有利でないとダメなのである。ちょっとでも不利になると国際信用を失って国債なんぞ買ってもらえなくなる。
陸軍の勝利は「日本勝つかも!?」という印象を世界に与え、国債も売れまくった。
そしてこのあたりでかの有名なバルチック艦隊が編成され、ロシアを出航することになる。
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>>17
散弾っていうか榴弾な。艦載砲の榴弾はほとんどは着弾の衝撃による破裂で破片をばら撒いていた。
時限信管もあるけど、ちょっと調整が難しい。
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ほす
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さてこのバルチック艦隊、こんなイメージを持っているのではないだろうか。
「ロシア最強の海軍艦隊だが、ぐるーっと世界を回ってきたために日本に来た時は疲れ果てていてフルボッコにされた」。
はいこれ、間違ってます。どこが違うか「ロシア最強艦隊」のところですね(ニッコリ)。確かに最新鋭鑑も混じっているが、なんと未完成。
乗組員である水兵もその辺の農民を連れてきたもので、士気が低い以前に文字が読めないやつも多い。それ以外は後述するがもう問題に次ぐ問題でまともに戦える状態ではとてもなかった。
だがこれは日本にはわからない事情。日本から見たらやっぱり「ロシア最強艦隊が来る!」なので、もう海軍初め軍隊はビビリまくり。
しかもマカロフが戦死直前に日本と同じ作戦を実行していた。日本艦隊のルートを見抜き、そこに機雷を仕掛けていたのだ。これに引っかかり海軍は二隻が沈没し、決戦をしないまま戦力は開戦時から見て三分の二になっていた。
もはや海軍は旅順艦隊殲滅はかなわない。
東郷「陸軍さーん。旅順要塞落としてよー 山の上から艦隊砲撃してよー」
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さて陸軍は二手に分かれ、南へと向かった第三軍配下の第二旅団は旅順要塞前の南山というところにまで到達していた。これに大本営を通した海軍の要請が届き、攻略を開始する。
日本軍投入兵力36400名のうち、死傷者4387名。ロシア軍は17000名のうち、死傷者1400名。前哨戦だというのにこれはやべえええええええ!! この報告を受けた大本営は、死者の数を一桁間違えているのでは? と聞き返したと言われる。
これは日本軍の装備である砲弾が榴散弾メインなためであった。小さい玉を撒き散らす榴散弾は対人には強いが威力が足りず、コンクリートを粉砕できないため対陣地に弱かった。 一応南山は占領。だが被害は大きい。
乃木「これはやべえ……」
この第三軍の総大将が乃木希典大将である。彼は日清戦争の時も旅順攻略に参加しており、その時は一日被害200人で落としていた。それが評価されて司令官に選ばれたのだが、明らかに前回と違うことを察していた。ついでに言えばこの南山攻略戦で息子を失っていた。
ちなみに北はどうなっていたかというと、ロシアの名将クロパトキンが野戦陣地に立てこもり、お互い膠着状態になっていた。一旦旅順へ増援部隊を贈ろうとするが日本軍に阻まれている。
この戦いも日本軍戦死者1000名、ロシア軍4000名の大戦闘だった。日本はやっぱり日清とは規模が違うと思い知る。
この時ロシアのウラジオストク艦隊は活発に活動しており、一時は東京湾にまで出没してた。海軍は世論にフルボッコ。
海軍「濃霧で捕捉できないんだよ!」
国会「濃霧って逆から読むと無能だよねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」 (実際にあった答弁)
だがここでロシア皇帝がなんと旅順艦隊に出撃を命じる。戦果を上げているウラジオストク艦隊に合流せよとのことだった。
せっかく引きこもりで有利をとっていたのに、無茶な突破作戦をするハメに。待ち構える日本軍はここで有名な「T時戦法」を取る。
秋山が立案者と言われるこの戦法は、相手の艦隊に対して垂直に自分の艦隊を向けて応戦するというもの。戦艦は正面より側面に砲座が多いので火力で優位にたてるという発想。
日本軍はうまいことこの陣形に持ち込みむも、旅順艦隊は逃走一辺倒で全力ダッシュ。一旦は逃げられ、補足したのは日没直前だった。日が落ちれば目視一辺倒の海戦は無理ゲーとなる。
だがなんとか旗艦ツザレウィッチに有効打を与え、司令部をふっとばした。旅順艦隊は大混乱となり、日没まで打たれ放題。だが20分ほどで日没となり、殲滅は叶わなかった。ただしウラジオストクへは向かわせず、再び旅順へと帰っていった。
これが黄海海戦である。
さらにウラジオストク艦隊も旅順艦隊を出迎えて合流するため出撃してきていた。これをしっかり予期していた日本海軍第二軍は補足迎撃し、ほぼ壊滅させる。
さらにこの時弾切れで追撃ができなくなり、せっかくだから敵艦の兵隊を救出したら無能呼ばわりされていたが一気に評価が上昇。黄海海戦と合わせてまた世界での日本の評価が上昇。ウハウハ。
世論「海軍大勝利! ロシアざまぁwwwww」
東郷「勝手なこと言いやがって」
これで日本海の安全は保たれたが、やっぱり旅順艦隊は引きこもっているので手が出せない。
結局陸軍頼みは変わらず、乃木大将の第三軍頼みとなった。
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とりあえず、未だに乃木無能論を主張する人は頭悪いと思うの
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>>22
禿同
旅順攻略戦
第一次攻撃は大損害を出して失敗。日本側は砲撃の後に歩兵突撃という戦法だが、この砲撃が効果が薄かった。使用していた砲弾が榴散弾であり、対人殺傷力は高いがコンクリートを砕く威力がなかった。
さらに言うと、機関銃に対して歩兵が突撃するという事態は世界初であり、無理だとかどうだとかわからなかった。今なら小学生でもわかりそうだが、第一次世界大戦でもヨーロッパ各地で同じ現象が起きているのでやってみないと人間わからないらしい。
日本軍側の死者実に15600人。参加部隊の3割。ちなみに3割の損害を受けると部隊は機能停止すると言われている。しかも損害は歩兵ばかりで、歩兵の9割がやられた部隊もあった。
ちなみにこの時北側でも大山元帥の第一軍&二軍とクロパトキンの野戦会戦が行われている。遼陽会戦と呼ばれるものだが、お互い痛み分けで終わっているので割愛。ただし損害はお互いとんでもない。
旅順では第二次攻撃が準備される。乃木は本国の大本営(筆頭・山県有朋)にとにかく炸裂弾を送れと催促。だが大本営は斜め上の発想でこれに応える。
乃木「戦いは数だよ、兄貴!」
山県「大丈夫、この28サンチ砲は1000機のMSにうんぬん」
砲弾ではなく28サンチ砲という最新の砲が送られてきた。これは超威力だがデカすぎで運ぶのに大量の人員と時間が掛かり、さらにコンクリートで台座を固めて使用するため設置そのものにも一ヶ月かかると見られていた。
乃木は塹壕を要塞まで掘り進めて接近する戦法をとろうと豪を掘らせていたが、海軍と大本営の「はよせい」コールに負け、第二次総攻撃を実施する。
ビグザムは新技術と現場の努力で設置が早く終わり、この戦いで使用される。効果はそこそこだったようだ。
だが途中まで掘った塹壕がから飛び出しての突撃。やっぱりヒャッハーされて失敗。
25: 以下、
おもしろい、支援。
黄色いラインの入った学ランは今見ると微妙…
当時はあれが軍服で違和感無かったんだろうな。
27: 以下、
支援
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第一次大戦で、突撃と塹壕戦を延々と繰り返した欧米諸国を見ると
むしろ乃木将軍はかなり臨機応変というか、だいぶ柔軟に対応していたと思う
よくある「無謀に突撃ばかり繰り返して徒に被害を拡大させた」なんて嘘っぱちだよな
29: 以下、
ここで出てくるのがみんな大好き203高地。
これは旅順要塞外の陣地でこの攻撃で目標の一つとされて激戦となっていた。
ここだけでも日露お互い大損害を出したが(日本死者4800人)、結局落とせずに終わる。だがロシア側は軽視していた203高地の重要性に気づき、防備を重視するようになる。はいここ、テストにでます。
さらに言っておくと、手榴弾が使われた世界初の戦いでもあった。
203高地の報告を聞いた大本営と海軍。
東郷「あのね、旅順全部を落とさなくてもいいの。艦隊を砲撃してくれればそれでいいから、203高地だけ攻で落として艦隊を砲撃してよ」
203高地からは旅順湾が見渡せる可能性が高く、さらに砲撃の射程範囲内だった。
乃木「勝手なこといいやがって……(でも逆らえない)」
こうして第三次攻撃は203高地を主戦場とすることになる。だが北の大山元帥(乃木はこの配下)は要塞攻略もやめるなという。ただ新たな戦力を送るように大本営に掛け合ってくれた。
増援として送られて来たのは第七師団である。これは防衛用に本土に残されていた唯一の師団で、これを送るということは防御を捨てた捨て身で望むということになる。反対も多かったが、山県が明治天皇に掛け合って派遣が決まった。
だが第七師団を派遣してもらうということは乃木にとっては恥だった。この時の世論は「乃木はやめさせろ!」で固まっており、家に石を投げられたりしていたらしい。
そのため乃木は次の攻撃は絶対に成功、それも大戦果を挙げたいと思っていた。そこで出てくるのが白襷隊である。
第一師団松村中将から提案されたこの部隊、特別攻撃隊という名目で旅順要塞陣地の隙間を縫って進軍、旅順内部に突入して荒らす、というもの。
んなもん成功するわけねーだろ!!! のはずが乃木はこれを採用。部隊に決死を意味する白い襷をつけさせたため白襷隊と呼ばれる。各部隊から志願者を募り、3000名で構成さされた。
また部隊長として中村少将が任命され、乃木が割と本気でやれると思ってたらしいことがわかる。
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第三次攻撃開始。ロシア側も必死で、旅順艦隊から持ってきた魚雷まで使って抵抗。塹壕をしっかり掘り勧めていたもののやはり陣地の占領はできない。
乃木「今だ! トラップカード発動!! 白襷隊!!!」
乃木本人が部隊を激励し、白襷隊出撃。あっさり壊滅。3000人中2300人が戦死。
乃木「やべえ……やべえよ。こうなったら203高地だけでも落とさないと」
乃木は203高地に戦力を集中させる。この時203高地を守っていたロシアの隊長は名将トレチャコフ大佐で、日本は大打撃を受ける。だが一師団すべてを投入し、奪取に成功。2000人の攻撃部隊が占領時には400人になっていたという。
だがすぐにロシアも要塞から部隊を派遣。400人で維持はできずに取り返される。
乃木「ト、トラップカード発動! 第七師団!!」
第七師団が203高地攻撃に投入される。これは前述の通り明治天皇が派遣した部隊であり、極力兵力を減らしたくないと乃木は思っていた。だがもうほかに手がなかった。
第七師団は一時203高地を奪取するも、ロシアも予備舞台をじゃんじゃか投入。取って取られての超超超激戦となる。
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坂の上の雲読んじゃった感じ??
32: 以下、
>>31
読んでない 大学で受けた講義の知識中心だが、その教授は坂の上の雲を思いっきり批判してた
一方北側の日本陸軍。大山元帥の下に児玉参謀長というこれまた名参謀がいるのだが、この児玉が旅順へ行くと言い出した。
幕僚の猛反対を受けるも、結局列車で旅順へと行ってしまう。なお山元帥は最後には児玉に「こいつの言葉は俺の言葉だと思え」という命令書を持たせている。
乃木「児玉がくる……だと……! おい、203高地はまだおちんのか!」
現場「現在2つの山頂を落としました!」(203高知は三つの山頂で構成されている)
乃木「よし、大山に電信。『203高地は落ちたから児玉はいらん』」
?列車のなか?
児玉「(電信を受け取って)なんだ落ちたのか。でも言いたいことはあるしとりあえず行くか」
?旅順?
現場「ごめんやっぱ無理だった。取った二つの山頂も取り返されちゃったテヘ」
児玉が到着。203高地がまだ落ちていないと知って当然激怒する。指揮権を事実上乃木から剥奪し、児玉が総指揮をとることになる。ちなみに長男に続いて次男が戦死した乃木は、児玉が来る前に自ら部隊を率いて203高地攻略に参加しようとしたと言われる。
33: 以下、
?
35: 以下、
坂の上の雲を史実と勘違いしてる奴が多くて困る
あ、>>1のことじゃないよ
36: 以下、
児玉「もっと砲撃しまくればいいんだよ! 203高地の陣地を破壊しつくせ!!」
乃木「味方に当たるだろうが!」
児玉「いいんだよ!!!!!!」
当時味方ごと砲撃するのは割とポピュラーな戦術だったが、日本軍は取らなかった。児玉はそうして早く落としたほうが被害が少ないと乃木を説得。ほかの部隊から戦線維持が不可能になるレベルで砲を徴用し、203高地に全力をかけた。
ついにこの攻撃でトレチャコフ大佐に重症を負わせ、大打撃を与える。大損害を負っている第七師団が再び突撃するもまだ厳しい。第七師団の予備部隊もすべて投入され、ようやく山頂の一つを落とし、さらに陣地を築くことに成功する。
トレチャコフ大佐も最後の予備部隊を投入し奪取に向かうが、これはあっさり撃退。ついにロシア側は放棄を決定し、203高地は日本の占領となった。
ここで歴史ヲタ感涙ものの
児玉「そこから旅順湾は見えるか!!」
現場「丸見えです!」
というやり取りがあったかは怪しいが、すぐに観測班とビグザムが送られ、旅順艦隊への砲撃が開始。ボコスカ命中させてほぼ全滅させる。
が、実はこの時旅順艦隊に戦闘力はなかったとも言われている。旅順要塞軍も必死で、艦隊から水兵や弾薬を徴用しまくっており、もう操船できる状態でなかったらしい。日本軍に利用されないように自沈した船がほとんどだとか。
だがそれもこれも203高地で消耗を強いたためであり、203高地攻略は決して無駄ではなかったと思われる。
さて本来の目的を達成した海軍は本土へ帰還し、これまでの被害の修理をしてバルチック艦隊迎撃に全力を挙げられるようになった。
東郷が帰還する際に乃木と会見し、そのまま乃木も本国へ一時帰国して明治天皇に報告をしている。報告書を読み上げながら涙を流したと日記にある。
また旅順要塞攻略を急ぐ必要もなくなり、指揮権の戻った乃木はとにかく塹壕と坑道を彫り進め、爆薬で爆破して直接内部に突入する作戦を取った。
砲撃も続けており、ここでロシア側幕僚の一人を戦死させるに至る。実はこの時旅順側も降伏を考え出しており、この戦死した幕僚が交戦派の有力者だったことから、降伏に要塞内の意見は傾いていく。
望台と呼ばれる旅順要塞陣地の一つがある。これまで何度も攻撃してきたのはここで、全く落なかったが、ここに来てついに陥落させる。守りが薄いと前線の兵が独自判断しての結果だったらしい。
要塞の一角をついに失った旅順ロシア軍はここで降伏。
日本軍死傷者59,304人。ロシア軍死傷者約28,000人である。
38: ●大義私 ◆aWfrM7UWWY 2013/04/25(木) 23:54:17.62 ID:Dann2Vq30
日露戦争は外交面も魅力的 アメリカの協力を仰いでの講和交渉とか
43: 以下、
>>38
日英同盟、明石工作、米国仲介の講和交渉
たしかに当時の日本はしたたかだったと思う
39: 以下、
↓降伏受諾後に乃木が読んだ漢詩
爾霊山嶮豈難攀 (爾霊山険シカレドモ 豈ニ攀(ヨ)ヂ難カランヤ)
男子功名期克艱 (男子功名 克艱ヲ期ス)
鐵血覆山山形改 (鉄血山ヲ覆シ 山形改ム)
萬人斉仰爾霊山 (萬人斉シク仰グ 爾霊山)
37: 以下、
なんか見てると乃木は無能にしか思えんのだが今後活躍するん?
あと今全体の何分の何くらいだろうか
42: 以下、
>>37
乃木が無能なんじゃなく、当時から潜在的にあった旧軍の悪い体質みたいなのが一時的に顕在化してたんだよね。
203攻略は日本がそれまでにやったことがないっていうことだったが、それを周りがやいのやいの言って盛り上げて
乃木が一人でいろいろ頑張りすぎた感じ。まあ乃木もちょっと意地っ張りではあったが。
41: 以下、
>>37
ひとつ前ので全体の半分くらい
乃木は十分に頑張ったと思うよ。世界初の近代戦をやらされたんだからだれだってこんなもんだよ。
ただし白襷隊、テメーだけはだめだ
さあみんな大好きバルチック艦隊
最新鋭・未完成・低練度・低士気のバルチック艦隊。司令官はロジェントヴェンスキー中将(以下ロジェ)。
ぐるーっとヨーロッパ、アフリカを迂回し、東南アジアを通って日本海へと向かうという世界一周旅行レベルの航海。
まず最初の難所はイギリス領海。イギリスは日英同盟で日本の味方なので、当然妨害はしてくると見るべき。差し掛かった時にバルチック艦隊内はもしや海戦になるかもと非常にピリピリしていた。
ドッガー・バンクという漁場がある。ここで多くの漁船が漁業をしていたのだが、この漁船軍をイギリスなり日本海軍と誤認して砲撃してしまうという自体が起きる。これがドッガー・バンク事件である。
ロジェ「やめろ!射撃中止!!」
兵「ヒャッハー」
言う事を聞かない水兵を士官がボコボコにしてようやく砲撃をやめたと言われている。
ロジェ「でも補償は本国がしてくれるか。スルー」
そのまま進むバルチック艦隊。だが最初の寄港地であるスペインに到達したとき、この事件の影響で石炭を予定量売ってもらえないという自体に陥る。しかもハーグでの国際会議でこの事件が取り上げられることとなり、それまでスペイン待機を命じられてしまう。
この時イギリスは実際に艦隊を出撃させて地中海を封鎖しており、日露戦争にイギリス参戦寸前まで行った。
ロジェはハーグでは「漁船軍の中に日本の潜水艦が混じっていた」と弁明したが誰も信用しなかった。
色々あったがなんとか出航し、次の寄港地のモロッコへと向かうバルチック艦隊。だがイギリス艦隊が後をつけてきており、緊張は続く。
40: 以下、
でも児玉が「同士討ち覚悟の発砲を命じた」ってのは信憑性が薄いんじゃなかったっけ?
児玉の到着前から「攻城砲兵が敵味方の区別なく撃っていた」っていう証言もあるし
他にも、児玉が第七師団長と一緒に「友軍がいても射撃してくるのは何とかならないか」と砲兵司令部に抗議したという話もあるし
45: 以下、
>>41
>漁船軍の中に日本の潜水艦が混じっていた
潜水艦じゃなく水雷艇な。しかも世界にばらまいたスパイどもが、
報奨金欲しさにみんながみんな同じデマをロジェストヴェンスキーに送ったのを信じてた。
48: 以下、
>>40
>>45
そうなのか、知らんかった。
指摘レスはどんどんしてくれ。為になる。
さてスエズ運河というものがある。これを通るとアフリカを回り込むことなくインド洋方面へ出られるため、非常に有用である。だが大型戦艦は通れないため、艦隊を二手に分け、スエズ運河経由とアフリカ希望岬経由で後に合流するということにした。
希望岬方面のロジェの本隊はシャアの演説とアッシマーで有名なダカールに寄港する。またしてもドッガー・バング事件の影響で石炭購入に苦労する。
またロシア海軍の立てた計画は無茶なもので、石炭庫に満載して進める距離は1500海里。次の寄港地であるマダガスカルまでは2500海里ほど。無理ゲーである。
この解決策としてロジェは石炭庫意外にもとにかく通路に石炭を満載するという方法を取った。だが人力の石炭運び込みには時間と労力がかかり、さらに当時のダカールは猛暑。
クソ暑い中での重労働が重なり、発狂者が出る程。さらにさらに、艦内は石炭の粉塵まみれになって呼吸すらできない状態に陥る。
それでも難所の希望岬を一隻も失わずに突破してマダカスカルに到達、合流。恐らくここがロジェの一番の大きな功績と思われる。戦闘じゃないのが悲しいね。
が、マダガスカルに寄港したとき、旅順艦隊が壊滅した報告が届く。
ロジェ「行く意味ねーじゃん。おうち帰る!」
ロジェは本国に帰還を具申。だが本国は斜め上の発想。
ロシア皇帝「じゃあ増援送るよ。がんがれ」
この増援というのが、もともとバルチック艦隊に組み込まれる予定だったが航海度についていけないから外された艦だった。これを待つ時間+これに度を合わせるため、日本到着は大幅に遅れることになる。
50: 以下、
質問ばっかで悪いんだけどなんで世界一周旅行なんてやったの?軍隊の行進みたいなもん?
54: 以下、
>>50
>>48にある通り、大型の艦艇はスエズ運河を通過できなかった
後、当時は日英同盟があったのでイギリスの同盟国や中立国での艦隊の整備、補給が満足にできなかった
なので何度も足止めを食らいながら遠回りしてアフリカを迂回せざるを得なかった
51: 以下、
>>50
モスクワの位置わかるよね。あそこからだと北から回ってこれば日本まで早い気がするけど、実際は海が凍ってて無理なんだよ。
ぐるーっと回るのが最短ルートというかこれしかない
さて満州。
南では旅順が攻略され、乃木の第三軍が北上して満州の北戦線へ合流予定。北戦線の大山部隊はクロパトキンのロシア軍と対峙しながら合流を待っていた。
一方ロシアもどんどん戦力を増強。特に後にフィンランドの英雄となるカール中佐が騎兵部隊を率いて着任し、騎兵戦力が増強されていた。
日本軍側も偶然なのか秋山少将(海軍の秋山と兄弟)発案で騎兵部隊による後方かく乱作戦が立案され、採用されていた。この時醤油エキス(水で戻すと醤油になる)を持っていき、食事に大いに役立ったと言われている。
カールの騎兵部隊はロシアコサックであるが、これは移民のようなもので家財道具を抱えて移動するので移動がとんでもなく遅かった。徒歩より遅いと言われるレベル。日本軍の鉄道爆破作戦を実行するも、道に迷って帰ってきてしまう。
これを察知した日本軍は騎兵の大部隊が後方で活動していることを知り、警戒を強める。もう一度騎兵による後方攻撃が実行されたが、待ち構えていた日本軍に撃退される。
この時点で時期は冬。日本軍は氷が溶けるまでロシアの大規模構成はないと冬営の準備に入る(フラグ)。
騎兵攻撃は失敗したが、左翼が比較的手薄だと見破ったクロパトキンは左翼に大規模構成をかける。
この左翼を守っていたのが大山配下の一つ、第八師団。この師団長立見中将というのがまたもっすごい人物で、幕末では旧幕府軍として活躍、西南戦争では抜刀隊を率いて錦絵になっている。
さらには部下はあの八甲田山行軍をやっていたりもする、冬の戦いのプロである。この師団が活躍することになる。
またこの時点で旅順から乃木の第三軍が到着、合流。だが大山以下司令部は左翼の攻勢を小競り合いと見ており、援軍を回さなかった。
ちなみに乃木の片腕の参謀長はなんと旅順からの列車から転落、重症で解任されている。
援軍が来ないため、結局は第八師団のみで陣地に攻撃を掛け、凄まじい被害を出しつつ奪還。ロシア兵は撤退。ロシア側の損害は、戦死1201人、負傷3922人、捕虜102人だった。
さてロシア側の司令官クロパトキンは大きな戦果を挙げられず、本国で解任せよとの世論が高まっていた。これにたまらず、クロパトキンは再び大規模攻勢を計画する。
が、乃木の第三軍合流の報告を聞き、躊躇する。日本軍は各国の大使館を通じて乃木の第三軍を10万と宣伝しており(実際は3万程度)。かつ、日本軍騎兵隊の後方かく乱も鉄道爆破という成果を上げ、これも200人の騎兵隊を数千とクロパトキンは読み違えている。
結局この後クロパトキンは攻勢には出るのだが、日本軍に第三軍編成組み込みを始め準備の時間を与えてしまい、この後の決戦に影響を及ぼすことになる。
58: 以下、
奉天会戦
ついに始まった陸軍決戦。戦力比はロシアが1.5倍。日本軍は左翼か右翼を突破し、後方に回り込んで包囲する作戦を取る。これはロシア軍が陣地防衛は得意だが運動戦が苦手だと判断したため。
日本軍は弾薬が足らず、大山元帥の発した命令書は「弾が足りないから無駄撃ちするな。でもチャンスは逃すな」というもの。無茶言うなよ。
戦闘は日本軍右翼、ロシア軍左翼から始まった。正面からぶつかるも旅順から運んできたビグザムが配備されたこともあり、日本軍は押しまくる。
これを受けて左翼の旅順からやってきた乃木第三軍は、後方に回り込むこんで包囲を完成させることを期待された。
これに対するロシア側の右翼はカール中佐の騎兵隊が警戒にあたっていた。これが第三軍を発見し、司令部のクロパトキンに報告するも、伝言ゲーム失敗で万単位の部隊を小兵力と認識してしまう。対応が遅れる。
結局ロシア軍は左翼から兵力を回す子になるのだが、その左翼は日本軍右翼と交戦中。戦闘中の部隊が引き抜かれ、そちらも危なくなってしまう。
乃木軍は順調に前進を続けるも、真冬での飲まず食わずに近い強行軍。戦意は低下していた。これは包囲作戦というのは戦線が大きく伸びるので、一歩間違うと自分たちが各個撃破、もしくは逆に包囲される可能性も高いため、強行軍になりがちなため。
ロシア軍は混乱してばかりだが、なんとか立ち直り右翼、つまり日本軍左翼に兵力を集中させる作戦に出た。乃木の部隊とぶつかり、撃退はされるも乃木の足を止めること成功する。日本軍の包囲作戦は失敗することになる。
はずが、相変わらず後方で破壊工作を続けていた日本軍騎兵部隊、これがまた成果を上げ、警戒したクロパトキンは戦線収縮を決定。五部以上の戦いをしていたロシア部隊長たちはマジギレ暴動寸前だったと言われる。
59: 以下、
>>58
ビグザムっていきなり書いたらさすがに分からんぞw
加農砲か二十八粍砲だろ?
60: 以下、
>>59
すまんなwww二十八センチ砲だ。
戦線の収縮によりまた左翼の乃木が前進可能になったが、ロシア軍の抵抗は激しい。
ここで司令部の児玉参謀長が「遅い! 猛進せよ!」との電話を乃木へ飛ばし、ヤケになった乃木は最前線まで第三軍の司令部を前進させて死にかけている。
ロシア軍は戦線を収縮、奉天へ撤退していくのだが、多くの日本部隊は被害が大きく追撃はできない。結局動いているのは乃木軍だけとなり、司令部も乃木の動きにすべてを賭けることになる。
そんな中砂嵐が発生し、この隙に日本軍右翼も一部が前進。ロシア軍左翼と奉天本隊を分断することに成功する。
これを機と見て日本軍は奉天への総攻撃を開始。
が、ロシア側も戦力集結のために撤退したいただけで、奉天の部隊が逆襲に出る。乃木第三軍の後方部隊が標的にされ、日本史初となる旅団規模での壊滅レベルの被害を被る。戦死者は5000人。
だがここでロシア軍、また伝言ゲームを失敗する。ロシア軍左翼は既に分断されていたが、まだ健在のはずの右翼まで分断されたと誤認。クロパトキンは完全包囲される前に奉天からの総撤退を決定。
日本軍右翼の第四軍はついに奉天へ突入。だがロシア軍は撤退したあとだった。
日本軍は追撃する力は残っておらず、ここで奉天会戦は終了。
日本軍 総兵力249800人 死者7028人
ロシア軍 総兵力367200人 死者60093人 捕虜21792人 行方不明7538人
日本軍は士官の損害が激しく、もはや戦闘を行う力は残っていなかった。これ以上の戦闘は不可能と判断、大山は講和を結ばせるために児玉を帰国させる。
62: 以下、
陸軍が決戦をしている時期の海軍
バルチック艦隊は石炭の節約のため、潮の流れに任せて進んでいた。それ漂流やん。
バルチック艦隊接近に対して、目下の問題となったのはどの方面から来るか。対馬方面から日本通ってウラジオストクへと向かうルートと、太平洋側を回り込んで津軽海峡を通るルートか。
バルチック艦隊は沖縄付近で漁民に発見されているのだが、どのルートかまではわからない。可能性の高い対馬海峡で待ち構えるが、なーかなか来ないために「もしかして北ルート?」と東郷は迷い出す。
会議ではどちらなのか幕僚の意見は割れに割れ、結局は島村雄少将の「明日午後まで待ってみて、来なければ北進」という案が採用された。
この翌日、バルチック艦隊が上海に寄港したという情報が入り、対馬ルートが確定。
ちなみに上海の貿易会社で働いていた日本人リーマンからの情報だとか。
最初に遭遇したのは第四駆逐艦隊。バルチック艦隊は弾の温存で射撃をしてこなかったが、第四駆逐艦隊はそれをいいことに機雷を巻いて行動を妨害した。これを避けるためにバルチック艦隊は不自然な隊列となってしまう。
東郷以下連合艦隊が到着。東郷は「変な隊列」と言ったとか。
「敵艦隊見ユトノ警報二接シ連合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ニシテ波高シ」
64: 以下、
>>62
しまった28粍だと2.8センチ砲かw砲じゃなくて銃だなw
61: 以下、
※後の陸軍記念日である(奉天に入場した3/10)
63: 以下、
東郷は後に、「敵はダンゴになって進んできた」と言ったとか
65: 以下、
波が高かったために予定されていた魚雷攻撃は中止、いきなり艦隊戦に入る。
「皇国ノ興廃ハ之ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」
東郷はこの信号を上げ、艦隊戦に入る。
お互いに向き合って前進、そのまま行けばすれ違う形となる。が東郷はすれ違う直前のところ90度で転回を指示。バルチック艦隊の正面を横切ることになる。
転回中は当然砲撃されるが、東郷は砲撃命令を出さない。旗艦の三笠が被弾し、ようやく砲撃を開始。
「ロシアは消毒だーーーーーー」
石炭を満載していたバルチック艦隊は多くが炎上した。
この時日本艦隊にも少々被害が出ていたが、バルチック艦隊の使用した砲弾は貫通を目的とした炸裂しない鉄甲弾であり、見た目に相手への被害がわかりづらいものだった。
バルチック艦隊はなんとか日本艦隊を振り切ろうと北進を続けるが、度で勝日本艦隊から逃れられない。お互い並行になって進む形となり、砲撃戦は続いた。
砲撃戦の中、バルチック艦隊旗艦スニャージ・スワロフの司令部が被弾、中のロジェが負傷。
スワロフを始め被弾したロシア艦隊は隊列を離脱しつつあり、これを追おうと日本の第二戦隊が独断で前に出た。被害は大きかったが相手に与える打撃も大きくなり、戦艦オスラビアを撃沈。世界初の戦艦撃沈となった。
日本艦隊は途中見失いながらもバルチック艦隊を追い続け、日暮れまで撃ちまくってようやく艦隊戦が終了。
漂流してたスワロフはロシア側の駆逐艦ブルヌイに発見され、昏倒していたロジェは移されている。
この日の損害はロシア側戦艦一隻に駆逐艦5隻撃沈、ほか損害多数。対して日本は水雷艇三隻沈没。ちなみに負傷者の中に後の連合艦隊司令官となる山本五十六がいたりする。
翌日は晴天。バルチック艦隊主力は補足され、またしても砲撃戦となる。だがこれは長く続かず、降伏。事実上の旗艦だったニコライ一世からネガボトフは捕虜となった。
そしてこの日の午後、単機で航行していたブルヌイから更にベドウイに移っていた総司令官ロジェントフスキーも補足され、降伏し捕虜となる。
ウラジオストクにたどり着けたバルチック艦隊は駆逐艦一隻、それ以外はすべて撃沈か捕獲された。
70: 以下、
>>65
>石炭を満載していたバルチック艦隊は多くが炎上した
ちゃうちゃう。炎上の直接の原因は下瀬火薬。鉄なんかと反応しやすくて非常に燃えやすい、でも燃焼時間が長い。
それを過敏な信管の伊集院信管と組み合わせて、海に落ちただけでも海面で爆発するようにしていた。
だから命中弾でなくても至近弾でロシア艦は被害増大。しかもロシア艦はいろいろ調度品というか
燃えやすい木製の家具を積んでいたから延焼しまくった。石炭はそんな簡単には燃えんよ。
67: 以下、
>>70
そうなんか、指摘あり
石炭満載だったってのと炎上したってのを聞いて、勝手に石炭が燃えたと思ってたわ。
奉天開戦のち、戦える部隊をまとめて更に樺太を攻略するという計画が持ち上がった。既に講和を考えてはいたが、有利な条件を飲ませられると伊藤博文、桂小太郎以下日本幕僚組も賛成した。だが陸軍の事実上トップの山形有朋が反対。
これは下士官の不足という問題があったためだった。下士官は下っ端の一つ上の地位の人たちで、明治維新から30年ちょいしかたってないこの時代、正式に士官学校で勉強した軍人は少ない。
その辺のおっさんを徴兵してこれば一般兵は揃うが、それを指揮する下士官は代えが効かなかった。
しかし結局日本軍はボロボロの状態で樺太侵攻作戦を強行。ロシア軍はごく僅かな兵力配置しておらず、わりとあっさり樺太全域を占領。これで日露戦争の軍隊同士の戦いは最後となる。
さて、ロシアは戦ったのは全軍の内のせいぜい10分の一、敗北したとはいえまだまだ兵力が残っている状態で一旦撤退しただけ。その上自国の領土には一歩も踏み入れさせていない。
日本は何が何でも終戦、ロシアはまぁ講和も考えておくかな、程度の温度差。
一応ロシアでは血の日曜日事件が起きてはいるが、革命はまだまだ。「ロシアは強かったが革命が起きたため戦争継続できなくなった」は大いなる間違い。
66: 以下、
現代戦しか知らないけど、この時代の戦い方はロマンがあるな
まだ英雄がいる時代だよ
68: 以下、
平安しか興味ない歴オタだが興味深い
こうやって簡単にまとめてくれると読みやすくて興味持つともっと知りたくなる
大山元帥って大河八重の桜に出てる?
69: 以下、
>>68
見てないが、第一次伊藤内閣の内閣の一人だから出てくるんじゃないかな
日本はアメリカに仲裁してもらい、またドイツにもロシアに掛け合ってもらい、アメリカに講和を結ぶために話し合いを始める。日本からは小村寿太郎がが派遣された。
日本は日本なりにかなり譲渡した案を条件として挙げていた。満州と朝鮮は戦争以前の通りに日本の優越を認め、賠償金をそれなりに出す。それ以上は領土も何も求めない。
対するロシア。ニコライ二世からしてみれば、まだ始まったばかりの戦争でちょっと押されただけ。むしろ有利なのはロシアで、講和に応じてやるんだ感謝しろという考え。派遣されてきたのは当時のロシアでほぼ唯一海外に名の知られていた政治家であるセルゲイ・ウィッテ。
ロシアはの条件は、領土も金も何も出さない。満州と韓国は返す。
両者の条件でぶつかってしまったのが、賠償金を払うのかどうか。日本は戦費がバヤいので絶対に欲しい、ロシアは負けたわけじゃないんだから払わねーよ、という立場。
現場の小村寿太郎や在アメリカ大使の金子堅太郎、そしてロシア側のウィッテでさえも、持ってきた条件ではなく、少々の賠償金で決着すべきと考えていた。
だがそれでまとめることができないのは、日本側は世論、ロシア側は皇帝の意見が強く、一応それに代わって交渉しているという立場があったため。日本は戦費が凄まじく(年間国家予算の4倍)、ロシアはニコライがやーだっ!といって聞かない。
ウィッテは何とか日本に賠償金を諦めさせるべく、アメリカの新聞社を利用するという作戦を取った。
お互いの交渉はマスコミに公開されていなかったが、毎回交渉が終わった後、すべての情報をアメリカのマスコミに話した。日本はそうはしないので、新聞を通じてアメリカの世論が「日本は秘密にするとは、何か後ろめたいことがあるのか」となってくる。
更に更にウィッテが「日本が賠償金をどうしても払えというのでまとまらない」というのでアメリカの情弱達が「日本は金の為に戦争したのか! やはり東洋の猿は野蛮だ!!」となってくる。
小村は「樺太を返す。それを買い取りという形にしてもらえないか」という案を出す。ルーズヴェルト大統領も間に入り、これで一旦まとまりかけるが、結局はニコライが反対しておじゃん。
結局お互い譲らず、最後の最後で日本側が折れる形となる。ロシアもちょっとだけ折れる。伊藤&桂の電報が小村に届き、1905年8月29日午前10時40分、ポーツマス講和条約締結。
合意概要
?韓国における日本の指導的立場を認める。
?日露両軍の満州撤兵
?満州の清国還付
?旅順・大連等遼東半島ロシア租借権の日本譲渡(清国の同意が条件)
?東清鉄道(長春・旅順間)の譲渡(清国の同意が条件)
?樺太南半分(北緯50度以南)の日本割譲
?沿海州漁業権の獲得
71: 以下、
こうして見てみるとおもしれーな
世界史真面目に勉強しときゃ良かったな
74: 以下、
>>71
高校とかの世界史ではここまで細かくはやらないと思うよ。
日本海海戦と203高地のことをちらっとやって、後はいきなり講和の話とか。
日本海海戦は「勝つべくして勝った」というが調べれば調べるほどよくわかる。
戦いに勝つには兵器のスペックだけじゃダメ。士気だけじゃダメ。やれることは全部やる。
まさに人事を尽くして・・ってやつ。情報分析の手法も学ぶものが多い。
72: 以下、
これで日露戦争の話はおしまい
以下は日露の評価とかを適当に語っていく 質問も答えられる範囲で答えるよ
・乃木希典大将
今でも評価が分かれる人物
個人的には天才ではないにしろ、凡将以上は確実にある、名将といってもいいレベルだと思う。
ただ発想が一歩未来が見えている、いわゆる天才ではなかったようだとも言っておく。
確かに旅順攻略戦ではロシア側の倍の被害を出しているが、要塞攻略戦なら3倍の被害が出るものと後々には定められているので2倍ならむしろ善戦。
その後の奉天開戦では勝敗を決する重要なポジションを務め、損害は大きかったものの結果として勝利に大きく貢献している。
すでにスレで名前が挙げられていたが、彼を無能とする評価はやはり司馬遼太郎の「坂の上の雲」での描かれ方が大きいと思われる。
つーかお前ら、司馬遼太郎を歴史資料として信頼するなよ。あれは歴史上の人物と出来事を使って書いた、今でいうならラノベいたいなお軽いノリの小説。
司馬遼太郎本人も散々あとがきとかで「歴史資料扱いするな」って嘆いてる。本人は自称「忍者小説家」だからな。
75: 以下、
満州ってこれで日本のものになるの?
時代と思う違うけど、北方領土はWW2の最後に取られたんだっけ
76: 以下、
>>75
満州は日本のものに一応なるよ。でもロシアがまたあとでちょっかい出してくる。
で、最後は知っての通り、第二次終了直前でロシアが進行してきて崩壊。ロシアはどんだけ満州ほしいんだと。
・旅順攻略戦
コンクリートで山脈一つを完全武装させたと思ってくれ。
そこに軍人数万人。こんなもん現代でも簡単には落とせねーよ。
マシンガンにひたすら突撃して撃ち殺された、という映画のイメージがほぼ正しかったようだ。
後述するが、日本海海戦は世界中でおもっくそ研究されてる。
それに対してこの旅順攻略戦はなぜかあまり参考にされず、第一次で同じことを世界中でやらかすことになる。
旅順艦隊への砲撃が不必要だったというのもわりと最近の通説で、ロシア側の手紙を主とした資料から、乗組員も武器弾薬も陸に挙げて使っていたことが分かっている。
でもまぁ、日本側はそんなことわからんから仕方ないと言えば仕方ない。とにかく日本軍は陸も海も必死だったんだよ。
81: 以下、
・日本海海戦
バルチック艦隊の不備を中心に書いたが、日本側の努力もすさまじかった。
レスにもあったが本当に勝つべくして勝っている。数字上の戦力はほぼ五部だが、扱う人間の質が違い過ぎた。
日本軍は今でもある日本の気質として、練習大好き。「練習でできないやつは本番でもできません!」的なあれね。
バルチック艦隊を待ち構える間、東郷以下連合艦隊は何をしていたかというと、ひったすら砲撃の訓練をしていた。
当時の砲撃は命中率3%、達人で5%と言われていた。そんぐらい当たらない。
秋山が主となってこれをできるだけ改善&改革。測量の器具を新しくしてみたり、艦同士の手旗信号を同じものにしたり(当時は好き勝手やっていた)。
砲その物も当時のモノは撃っていると熱で爆裂するようなものなので、極力改善する。それでも事故は多発して訓練中に負傷者が多数出ている。
また艦隊船の後に砲撃士官の一人が本を出版しているのだが、そこには書いてあることが面白い。
「あの時は連射しすぎた。一発撃って着弾点を確認し、それで砲撃を修正していくべきなのに、一斉射撃をしてしまったため着弾点がわからなかった」
これらは世界中から注目され、その後の艦隊船、というか海軍の基本とされている。陸軍とはえらい違いやね。
ただしこれで英雄の中の英雄とされた東郷は調子に乗り、老害と化して引退後も海軍へ口を出し続けた。
乃木は明治天皇の崩御に殉じているのに、またえらい差やね。
83: 以下、
>>81
乃木…
夏目「こころ」の1頁目か
77: 以下、
高校ではこんなに詳しくやらねえよ
こんなペースでやったら教科書終わらぬ
78: 以下、
>>1のオヌヌメ本なんかある?
太平洋戦争は山岡荘八の奴読んだけどけっこう面白かった ちょっと文体が気になったが
日露戦争に限らなくともいいんだけど
79: 以下、
明石元二郎の工作って実際どんなもんだったの?
80: 以下、
>「ロシアは強かったが革命が起きたため戦争継続できなくなった」
俺はてっきりこの通りだと思ってたからよくわからんのだが
ロシア革命って日本の諜報が裏で色々とやったせいで起こったってのは違うの?
86: 以下、
>>78
すまんがあまり本を読まないのでな(ドヤァ
映画なら203高地をやっぱり見るべき
>>79
>>80
日本の工作といえばこの赤石さんが有名だが、どうも過剰評価されてるっぽい。
確かにとんでもない額をロシアの敵対勢力にバラ巻いたらしいし、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世から評価もされている。
だけれども本文で書いた通り、「ロシアは革命で戦争継続ができなくなった」ではないんだよね。
後のロシア革命発生の手助けをしたのは間違いないんだが、日露戦争という視点から見るとそこまで重要人物じゃないかな、と。
これも坂の上の雲での過剰な活躍が評価の元になってるらしい。司馬遼太郎影響力強すぎだろ。
ちなみにこの人、陸軍大将になったり台湾総督になったりと超出世してる。
総督時代に銀行を作るんだが、その華南銀行は今でも台湾最大の銀行として残ってる。こっちの功績のが凄いような。
82: 以下、
読んでみて疑問に思ったこと
・日露戦争って日本が勝った、って認識だったんだけど
 ロシア人はそうは思ってなかったりする?
・それと当時の日本の海軍と陸軍は第二次大戦の時みたいに
 仲が悪かったわけじゃなかった、って認識でOK?
85: 以下、
>>82
ロシア人の多くは日露戦争についてあんまり気にしていない
学校では日本との戦争より、レーニンや革命について多く教えているよ
でも少し近代史に興味をもった人なら日露戦争についても結構知っていて、俺の知り合いのロシア人は明石元二郎の事を褒めたり、もう少しシベリアの内地に誘い込んで長期戦に持ち込んでいればとか言ってた
87: 以下、
>>82
ロシア側の認識は負けたと思ってなかったかはわからんが、少なくとも「勝てなかった」認識はあったはず。
この勝てなかったことによる民衆の怒りがロシア革命へと繋がるからね。
というかロシアはこの後皇帝ぶっ殺して別の国になっちゃうから、勝ち負けどころじゃなかったんじゃないかな。
ただ今のロシア人がどう思ってるかはわからんね。ぜひ聞いてみたいところだ。
余談だが、かなり前のNHKで日露会ってのがロシアではあって、日露戦争に参加した人の子孫が集まってパーチーしてるってやってた。
別に日本への恨みつらみを言うわけではなくて、ただ集まって飲み食いするだけの会っぽかった。
84: 以下、
日露戦争の頃の戦艦って全体的にずんぐりむっくりで吃水が深い感じがするんだよね
今みたいなシャープな感じがしない
88: 以下、
>>84
当時はまだ「戦艦は自ら搭載する艦砲に耐えうるだけの装甲を持たねばならない」って思想があったからじゃね
デカイ戦艦=軍事力のシンボル的な観念もあるし
ミサイル出てきてからは「装甲?なにそれ美味しいの?」ってことになって今のシュッとした形に繋がるけど
89: 以下、
>>84
凌波性というものをあまり重視していなかったからね。ただ吃水はそんなに深いわけではない。
シャープなのは見えないところ(衝角)だなw
92: 以下、
・その後の日本
とにかく賠償金が取れなかったのが痛すぎた。
これの怒った民衆が日比谷焼き討ち事件を起こすなど、かなり日本国内は不安定になる。
国債で戦費を賄ったとはいえ、それだけでは足りるわけもなくやはり増税もしていたためだ。
桂内閣も責任を取って退陣している。
・軍とか
海軍は東郷が老害化。陸軍は山縣有朋がやっぱり老害化(日露開戦の時点で十分老害だったが)。
特にひどいのが陸軍で、第二次で有名な精神論中心へと向かっていくことになる。
具体的にいうと、旅順攻略戦で砲撃で与えた損害が少なかったことから、なぜか陣地相手に砲撃は有効でない、突撃あるのみ、と解釈する。
実際には弾の種類の問題だったはずなんだがねぇ。気合があれば勝てる!みたいなのも根本はここから来ているらしい。
また決戦が陸軍同士だったため、陸軍は海軍よりも重要性が高い!と位置づけられるのも日露の後。
このせいで予算を取り合うことになり、またまた第二次で有名な陸軍と海軍がお互いを憎しみ合うような状況になっていく。
#kako_link a {color:#0000ff;}
▼合わせて読みたい暇だし第一次世界大戦の歴史的な画像を貼る(各写真への説明あり)
彡(゚)(゚)あれ?ワイは確かにマリアナ沖で零戦と共に墜とされたはずやで・・・・・?
今から何十年も開かずの間だった蔵を探索する(戦時中の貴重な資料が見つかった模様)【前編】
特攻隊ってマジであったんだよな…隊員の遺書や写真を見ると複雑な気持ちになる
海軍の雑用係で戦艦「長門」にも乗艦していた曾祖父の軍隊生活を淡々と語っていく
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コメント
1 不思議な
「やる夫で学ぶ日露戦争」を読んだかと思ったけど、肝心なことを書いてないな。
最初の方で「日本はこのとき火力主義」と書いていたけど、この後陸軍の基本戦略を白兵戦に舵を切らせたのは大山巌。
あと乃木が無能か有能かというのは、二百三高地で死んでいった者は仕方がないにしても、手足がもげた兵を納得させられず、勝ってしまったことで嘆くことも出来なくさせたことで愚将だと思っている。
2 不思議な
スマホで最新記事の1しか表示されずいきなりコメントになるんだけど俺だけ?
3 不思議な
司馬遼太郎もさすが気の毒だな
飽くまでクリエイターなのに、
狂信者が出来たせいで、第一線研究者の多くから邪教祖扱いされる羽目になるとは
防衛庁の当時資料を、小説送りつけて否定するようなバカ信者を量産したからしゃーねえな
4 不思議な
司馬遼太郎好きだけどなー。
山田風太郎とか戦国BASARAくらいのイメージで読めばあんなに面白い本はない。
ロジェ司令官とゆかいな雪国育ちのバルチック艦隊、
クッソ暑い喜望峰でヘトヘトになるでござるの巻とか超面白かった。
5 不思議な各無しさん :2017年02月15日 23:46 ID:LkeSVOnF0*
途中で読むのを放棄した僕は根性が足りないのでしょうか?
6 不思議な
日本側が戦時国債PRと国威発揚のために欧米列強の観戦武官や
新聞社を受け入れていたのに 戦況報告が有効利用されずに
WWIで兵隊がすり潰されてしまったのは 何でなんやろうか?
7 不思議な
日本海海戦が各国の軍事教練書に載ってるのに旅順や奉天戦はスルーなのが不思議よな
第一次世界大戦で騎兵より塹壕戦になっていくのをこの時すでに予見できそうなのに
8 不思議な
バルチック艦隊って強くないみたいな書かれ方してるけどロシアにあれ以上の艦隊ってあったん?
9 不思議な
軍縮条約で老害と化す東郷平八郎
10 開花神道 :2017年02月16日 01:45 ID:jeKMz2cm0*
旅順や奉天が第一次大戦時にあんまり参考にされんかったのは、第一次大戦時点での兵器・武装との性能差だとか、山脈一つ要塞にした様な所を奪い合うみたいなシチュエーションが、少々特殊だったからなんじゃなかろうか。
そもそも、参考にされんかったと言う事自体が日本人の誤った認識臭くて、白襷隊の作戦なんかは、第一次大戦末期の浸透戦術の雛形になったみたいだし、列強国は実際には、旅順・奉天の研究をしっかり行ってたみたいだけどね。
11 不思議な
米8
条約で動かせ無いの除いたら旧式のおんぼろしか残っとらんよ
12 不思議な
乃木無能論に懐疑的な風潮となったのは嬉しい
小説やドラマに立脚して歴史を語るのって朝鮮の方々みたいで恥ずかしいと思う
13 不思議な
征露丸には今でもよくお世話になってます。
14 不思議な
久々に日露戦争振り返ったな〜やっぱおもしろいわ
乃木さんは無能ではないと思ってるけど白襷隊だけはダメです
司馬遼太郎作品は創作と史実を上手い具合に混ぜておもしろく書いてあるから好きだけど、あの人の小説の人物評とか物語を史実だと思い込んでる人まじでおるんか
15 不思議な
※14
俺は史実だと思ってるよ。あの人ほど面白い作品を書く人が他に知らないし。
別に教師でも無いし人に歴史を押し付ける訳でもないから自分の中で司馬史観は事実だと思う事にしてる。
ついでにへうげもの見て本能寺の変の黒幕は秀吉とも思ってる。
16 不思議な
28糎砲の不発弾を撃ち返されたってホント?
17 不思議な
※1
やる夫スレじゃなくて最新の研究を読んでくれよ、実は平成以降も一次史料は大量に見つかってる、あのやる夫スレはそこらへんの史料は使ってないし間違いもかなりある
とりあえず「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」を読むべき
18 不思議な
8は練度の違いを考えた方がいい。
確かに数は多いけど、主力艦の数は大して変わらん。しがも、南アフリカならぐるっと回って来たおかげで、疲弊しまくり。
最初から厭戦気分だった。負けるべくして負けたよバルチック艦隊は
19 不思議な
元スレ>1は、なんで朝鮮半島の呼び方が韓国になってるんだ?
李朝朝鮮とかならまだしも
文書表現といい、あちらさんの匂いがプンプンするなぁ
20 不思議な
この戦争で、日本軍は精神論的な考え方に傾倒していくと思うと残念
負けて学ぶことはあっても、勝って学ぶことをしなかったツケが
後の第二次世界大戦に繋がっていくのか・・
21 不思議な
×五部
○五分
22 不思議な
この手の歴史スレには必ず
司馬さんが否定されて出てくるけど
それだけ、敗戦から復興期の日本にとって大きい小説だったんだよね
歴史小説と言うのも、
その時代の影響を受けてるのであって
一人の若者である竜馬が国を動かしてしまったり
(読者が自分もいつか。。。と夢想する)
陸軍無能・日韓併合はムリヤリみたいな書き方をされて居たり
司馬さんに対しては
時代の影響を考慮したうえで評価してもいいんじゃないかな
(長文になったね ごめん)
23 不思議な
坂の上の雲はNHKには珍しく隣国への配慮とやらもさほど無く面白かった
24 不思議な
分かりやすかった。
特に家の近所(香川県善通寺)に所縁の乃木将軍の事が良く解ってよかった。
乃木さん確かこの時の事を、明治天皇に対して自責を感じて後に自害したんじゃなかったっけ?
25 不思議な
※19
おかしいよね韓国なんて当時存在しないし敢えて植民地とか言ってるし
単に日本を馬鹿にしたいだけと思う
>日「あ、あの英国様がこんな底辺コミクズ国に声をかけてくれるなんて……(感涙)」
ここで読むの止めたよ異常に日本を下卑した言い方だし卑屈すぎる
あと底辺コミクズってただの悪口だしね(コw)
※20
日露戦争勝利での精神論で勝てるという慢心と
二次に引きずられる経緯と敗戦は全くの別問題だが?
26 不思議な

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