【東日本大震災】「暇つぶしに避難所で生活してたときの日記書いてく」【画像】back

【東日本大震災】「暇つぶしに避難所で生活してたときの日記書いてく」【画像】


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1:
3月の地震と津波で地元がなくなったんだ。
携帯が充電できるようになった頃から携帯で日記を少し書いていたから、それを書いていってみようと思う。
チラ裏の自己満スレだが見てくれたらうれしい。
pickup
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5:
場所はどこだよ
>>5
写真でばれるから言っちゃうけど、南三陸町です
10:
たまに注釈として今の自分からの説明が入ることもあるから、日記とごちゃごちゃになったらごめん。
基本的に文才はないので、読みにくい部分も多々あると思うけど、よろしくお願いします。
文章を書いてるのは、3月16日以降。だから、その日以前の内容は数日後に書いてると思ってくれ。
ちょとだけど写真もアップしていこうと思う。ただ写真は3月13日以降のものしかないのは勘弁して。
たいした写真はないんだけども…。
目に付いた質問とかはその時々で答えていくよ。
14:
3月11日(金)
この日は地元で仕事納め。最後の授業。
(注、仕事は非常勤の塾講師でした。小さい町だからこれだけで身バレ要素満載なんだけど…まあいいや)
3時半に出勤するまであと1時間。シャワーも浴びたし、あとは明日の引越しに備えて荷物を少し車に入れておこうって思ってた。
部屋にあったギターやゲーム、テレビなどを車に詰め込み、あとは居間においてあるファンヒーターとかも積んでおこうかな…
それとも、重くなると仕事行くときガソリン使うからやめておこうかな…とか考えてたら、地鳴りとともに地震がきた。
最初、初期微動から主要動ときて、あー震度5ぐらいかなぁとか思ってたら、そのまま揺れが止まらずに、さらに揺れが激しくなってきて。
全部で4段階か5段階ぐらいの揺れだったような気がする。震度5ぐらいの地震なら2回ぐらい経験してるけど、普通の地震じゃなかった。
結局3分ぐらい揺れてたのかな?自分的にはもっと短かったような気もしてたんだけど、あとで他の人と話すとそれぐらい長かったみたい。
でかくて長い地震だった。
16:
暇つぶしに読んでやんよ
19:
揺れが治まってから、あ〜あ〜食器割れちゃったよ…とか思ってて、家の中にいるちっさい犬のポチ(仮名)を抱きながら、テレビでもつけるかーと思ってリモコンの電源ボタンを押したんだけどつかないの。
まあ停電するわな。んでもそこまでたいしたことねえかなー、もしかして今日の仕事休みじゃね?とか思ってた。
そのあとすぐ町内放送が流れて、震度6弱を観測しましたとか言ってて。
強かったなーとか言いながら部屋の棚から落ちたものとか直してた。
母ちゃんのファンデーションがフローリングの溝に入って大変だった。
さらにそっから十分ぐらいしてかな?「大津波警報が発令されました。ただちに高台に避難してください」って放送が流れてさ。
うちの町ってさ、50年前にもデカイ津波に襲われててさ。チリ地震津波ってやつ。気になる人はググって。
だから小学校の頃から学校で「津波はヤバイ」って教わってきたし、街角に「この辺にはこのぐらいの高さまで水が来ました」とかけっこう書いてあるのね。
(注、後でニュースとかで聞くと、昔からちょいちょい津波来てたんだね。でも、学校で教わったのはチリ地震津波についてだけだったと思う)
俺んちの場所は海岸から2キロぐらい離れてて、チリ地震津波のときは波が来なかった地域にあって。
いつも「まあ津波来てもウチは大丈夫だろー。ここまで波来たら町壊滅だし(笑)」とかずっと思ってた。まあ壊滅したんだけどさ。
ついでに言えば、平地より5mぐらい高いところにウチは建ってたからね。
24:
そんなわけで、避難するわけもなく、家で5分ぐらい待機。
実際少しは高台に車で行こうかとも考えたよ。結局行かなかったけど。
とりあえず片付けとかをしながら、地震大丈夫だったよーってメールを内陸にいる彼女にしてた。その内圏外になっちゃった。
そしたら出かけてた母ちゃんが帰ってきた。「大丈夫かー」って。
ちょっとここでウチの町の地形を簡単に説明しとくね。大雑把に書くからわかりにくかったらごめん。
まず東に海。まあ当たり前だわな。んで、海岸の近くから東西に国道が延びてるのさ。その国道に沿って川も流れてるよ。
その国道を挟んで北と南にそれぞれ、東西に延びる高台があってね。北の高台には、東に小学校、森(林かな?)を挟んで西に中学校が。
南の高台には、東に高校、森を挟んで西に団地があるのさ。ウチはその団地のすぐ下、北側にありました。
ってかウチの町、高台に学校ありすぎだろ…まあそれでたくさん人が助かったんだけどさ。
略図↓
27:
そしたら話戻すね。
帰ってきた母ちゃんが、「ちょっと高校行って弟見てくる!」って言って歩いて高校に向かっていって。
もちろん母ちゃんも津波がウチまで来るとは思ってなかったよ。
その間俺は、手回し発電機のついたラジオをぐーるぐーる回しながら待ってた。仕事休みかーとか思いながら。
そっから5分ぐらいしてかなあ。なんか外でキャンキャン鳴いてるなって思ったんだよ。
外にもでかい犬を飼ってたんだけど、そいつが鳴いてるのかなって思った。
そしたら玄関のドアがすごい勢いで開いてさ。
母ちゃんが
「そこまで津波来てる!早く出ろ!!」
って。
そこではじめてヤバイって思った。とりあえず目の前にいるポチだけとっ捕まえて、(俺の鬼の形相に怒られたと思って逃げようとしやがったけど)すぐに家を出た。
そんで周りを見たらウチよりも低いところにある家がもう流されてた。
まだ「流れてる」っていうよりは、「動いてる」っていう感じだったけど。
バキバキッって家が壊れる音と、電柱が倒れて電線が切れるブチッって音がたくさん聞こえた。
28:
団地に向かってとにかく逃げた。
団地に向かうにつれて段々畑みたいになってて少しずつ高くなっていくんだけど、そこをポチだけ抱えて母ちゃんと駆け上がった。
家を出て20秒か30秒ぐらいしたら、もうウチも流されていった。
庭においてた車も。
外にいた犬も。
辺りが壊れる音や水の音で悲鳴が聞こえなかったのはまだ幸せだったのかもね。
みんな津波っていうと、白か青っぽい透明な海水がダーッて流れてくるようなイメージがあるかもしれないけど、そんなんじゃなかった。
海水+土砂+建物の素材+樹木とかがごちゃごちゃになった「茶色いもの」が迫ってくるの。ものすごい勢いで。
海に近いところだとちゃんと海水だけなのかもしれないけど、少し内陸ではそんな感じだった。
その「茶色いもの」がその辺の建物をみんななぎ倒していった。
それを見ながら母ちゃんは塀にもたれかかりながら「お家なくなっちゃったぁ…」って嘆いてた。
俺は唖然としてた。
だってあんなん映画の中でCGとか使ってないと見れないものじゃね?
茶色い塊が北の高台と南の高台の間を埋め尽くして渦を巻いていた。
32:
そこで初めて気づいたけど、雪が降ってた。
とりあえずそのまま団地の中に入っていった。
外にいても仕方ないだろうから、誰か知り合いの家に行こうって提案した。
んで、俺の同級生の親とウチの親が仲よかったから、とりあえずその人の家に行くことに。
その同級生のお母さんをTさんって呼ぶね。
母「Tちゃ〜ん…お家なくなっちゃったぁ…」ってなやりとりをして、とりあえず家にあがらせてもらった。
ほんとに二人とも携帯とポチ以外何も持たないで家を出てきたし、Tさん家は団地の奥のほうにあったから、下で何があったのかさっぱりわからなかったと思う。
すごいビックリはしてた。というかTさんの息子さんあたりは、次の日の朝に自分の目で街を見るまで、「街がなくなった」っていうのがそこまでイメージできてなかったみたい。
普通できないけどね。
34:
弟は?
>>34
あとで判明します 生きてるから大丈夫
39:
話をして、その日は泊めてもらえることに。電気がないってのと、地震で戸がゆがんで完全に閉まらないってので、すごく寒かった。
でもガスはプロパンで使えたし、水も地震起きてすぐ貯めてたらしくて、ご飯もなんとか食べれた。
(注、後で聞くと、こういうときは都市ガスよりもプロパンのほうでよかったっていう話はよく聞いたなあ。どっちがいいんだろうね)
ひとつその家で大変だったのが、妊婦さんがいたことかな。
その日Tさん家にいたメンバーは、俺と、母ちゃんと、Tさんと、その息子さん夫婦と、謎の女の子(20代、多分Tさんの姪か何か)の6人だった。
しかもその妊婦さん、地震と津波のあった日が出産予定日っていうタイミングの悪さ。
まあ陣痛とかはまだ来てなかったから大丈夫だったけど。
余震が来るたびにろうそくの火を消して、妊婦さんをコタツの中にかくまって…ってのを12時ぐらいまで続けてた。
コタツを6人で囲んで、毛布を被って寝たよ。
でもみんな自然と2時ぐらいには起きてまた話をしてた。
情報を少しでも得るために、ラジオはずっとつけっぱなしだった。
はじめのほうは、地震の被害が〜とかずっと言ってたんだけど、そのうち気仙沼と塩釜で津波の被害がすごいって報道され始めて。
でもウチの町の名前はしばらく出てこなくて、出てきたのは夜遅くになってからだった。
「病院の屋上に患者さんと職員が避難しています。町は壊滅しました。救助をおねがいします」っていうような携帯からの投稿だけだったけれど。
(注、町の7割だか8割がなくなったから、町としてのきちんとした連絡が一切とれなかったんだと思う。携帯もほとんどつながらなかったし。
同じように女川も、後になって被害があるって報道されるようになった)
42:
携帯は最初の晩にドコモだけ繋がってて。
もちろん繋がりにくかったけど。
俺はauだったからまったく繋がらなくて。
でも、親がドコモだったから、それを使って弟と、親父と、兄貴の奥さん(妊婦)に連絡をとった。
弟と兄貴の奥さんはすぐに大丈夫だってなったんだけど、親父からのメールが来なくて。
1時間ぐらい待ったかなぁ。
正直だめかもってちょっと思った。
でもなんとか返信が来て、すげぇ安心した記憶がある。
兄貴の奥さんは仙台にいたから津波は大丈夫だったんだけど(もちろん妊婦だから心配して連絡したわけで)、弟は高校に、親父は小学校にいることがわかった。
結果、家族は犬以外全員無事だった。
あと、彼女が死ぬほど心配してるだろうと思って、母ちゃんの携帯で一通だけ生きてるよって内容のメールを送った。
43:
沿岸部だけど、何も被害がなかったうちは未だにあまり実感がないです。
自宅がそこそこ高台だったから、津波は家から500mくらい前で止まった。
小中学校の同級生で>>1みたいに自宅が流された人が沢山居るのになんか申し訳ない。
>>43
無事でよかったじゃない。皮肉じゃなくよかったと思うよ。
47:
そんなこんなで朝になった。
おしっこをしたかったのと、外の様子を見たいっていうので、外に出てみた。
(注、流す水がもったいないので、おしっこは外の公衆便所)
もやのかかった晴れた朝だった。
もう東の空がすっかり明るくなってて。
つめたい空気を感じながら、街を見渡せるところに来てみた。
何もなかった。
瓦礫の荒野と、中身のない鉄筋コンクリートの建物だけが残ってた。
(注、写真は13日のもの。このときはまだちゃんと写真撮ってなかった)
50:
中高生で亡くなった人もけっこういるの?
>>50
いたんじゃね?高学年のこどもたちはまだ学校にいて無事だったけど、小学校1,2年生の子達は放課後だったから…
54:
3月12日(土)
団地の北側に降りる階段から街を見てたんだけど、瓦礫があるギリギリのところから東の方を見ると、なんか絶対見たことある建物が。
どう見ても我が家の2階です。本当にありがとうございました。
残ってた!
ただここからは瓦礫がありすぎて行けそうもない。
余震もあるし、津波警報は継続してたし。
そんなわけで、一旦Tさん家に帰宅。飯を食べる。
おにぎりだったかな。そのあたりのご飯は基本おにぎりかカレーだった。
(注、こんなに普通に飯を食えてたことが今思えば恵まれてた方だったんだなって思う。2,3日以上何も食えない人だっていただろうし)
そんなこんなしてると、消防隊員が来た。妊婦さんをヘリで、すぐに病院に行けるところまで運ぶらしい。
これで妊婦さんは安心。というわけで息子さん夫婦はここで離脱。(注、このあとどうなったかは知らん)
Tさんたちは荷物をまとめたりで朝から忙しかった。
55:
登米市民登場
できることはなんでもするよ
>>55
今ウチの家族は登米のアパートにいるよ!
ちなみに俺は山形
59:
その間、俺と母ちゃんも相談して、弟を迎えに行くことにした。
森を通って高校に行けるらしいから。
妊婦さん輸送計画が一段落したTさんにその旨と感謝の言葉を告げて、寝泊り用に毛布1枚と、厚いジャンパーと軍手を借りて、朝の8時ぐらいには出発した。
Tさんは「今日もウチに泊まっていいんだからね?」って言ってた。いい人すぎるだろ。
森の道は獣道というわけではなく、きちんと人が通れるような道になっていた。
5分ぐらい歩くと、高校の裏手に出た。
道が二つに分かれてて、左に行くと、もう少し歩くことになるけどちゃんと道がある。
右に行くと、すぐ高校の裏に出るけど、傾斜が60度ぐらいある、木がたくさん植えられた斜面を下らないといけない。
普段なら左の時間がかかる道を通るんだろうけど、このときは高校の先生たちが右の急な斜面にロープを張って、シャベルで階段状に足場を作って、
高校に来る人、高校から団地に行く人が通りやすいようにしてくれていた。
その坂をTさんから借りた毛布を右手に抱えて、左手でロープを持って下った。
何とか降りたときには借りた軍手が泥でグシャグシャになってた。
60:
高校に着くと、団地からは見えなかった沿岸部の街の様子が見えた。
鉄筋コンクリートのでかい建物、病院や警察署、結婚式とかで使う会館以外はほとんど何も残ってなかった。
快晴の空から朝日が街を照らしてた。
街に残った水がキラキラ光ってた。
正直綺麗だったよ。悔しかったけど。
(注、この写真も13日(次の日)のもの。この写真のような感じだった)
そんなこんなしてると、校舎のほうから坊主の野球部と思われる集団が来た。
ウチの弟も野球部で、背も高かったからすぐにわかった。
会ってすぐに母ちゃんが「お家なくなっちゃったよ〜」っていうと、弟は笑いながら「大丈夫だから」って母ちゃんの肩を叩いてた。
さすがコミュ障の俺とは出来が違うwww
61:
俺も宮城だが山だったから津波はこなかったわ
あの日はこの世の終わりと思ったぜ
とにかく無事で何よりだったなあ
>>61
ほんと生きててよかったよ ありがとう
62:
とりあえず荷物を置きに武道館へ。
畳が敷いてるからみんなそこで寝泊りしてたみたい。
武道館行くまでの道は、昨日降った雪が融けてぐちゃぐちゃだった。
そしてなぜか武道館の入り口付近にウンコがあった。
犬のウンコの大きさではない。
間違いなく人糞。
トイレ使えないのはわかるけど、する場所考えろよ…
中に入ると100人ぐらいいたかなあ。ちょうど服とか飲み物を配給してて。
高校生が「子供さんのいる方を優先してくださーい」とか言ってた気がする。
学校の備蓄か何かだったのかな。
避難してる人は、子供から年寄りまで様々だった。
どこ入ろうか…と考えてたら、ウチの兄弟全員が通った幼稚園の先生たちがいて、声をかけてくれた。おいでーって。
俺が年中さんのときに教わった先生もいて、何十年ぶりの再会がこんな形でちょっと寂しかった。
63:
先生たちのところで座って一段落しようとすると、なんでもペットがいる人は他の教室に行かないといけないとのこと。
で、俺がポチを連れて行くことにした。
ペットを連れてきた人もけっこういるだろうから、そっちもちゃんと畳とかマットとか敷いて寝れるようになってるのかと思って行ってみると、ただ机を端に寄せただけの教室で唖然とした。
しかも俺の他には猫を連れた4人家族が1つと、ペットもいないのになぜか一人でいる謎のおっさんしかいなかった。
えっ、ここで寝泊りするの?
正直きつかった。
猫を連れてた家族は布団フル装備を持ち込んでたけど(どっから持ってきたんだろうか)、俺らは毛布一枚しかないし…。
(注、後から他の避難所の話聞くと、俺贅沢言ってたんだなーって思う。床で寝るとか当たり前みたいだったし)
途方にくれてると、弟が来た。
弟とちゃんと会話したのなんて何ヶ月ぶりだろう。
とにかく母ちゃんにここじゃ無理っていうのを伝えてもらった。
しばらくして母ちゃんが来て、結局Tさん家にもう一度泊めてもらおうってことに決まった。
71:
ただその前に一度、残った家の二階に行きたかった。
もしかしたら二階の床が抜けずに中の荷物も残ってるかもしれないし。
そんなわけで高校の下、北側に降りてみた。
ちょうど高校から高台を降りた辺りにウチの二階があったはずだから。
まだ津波警報は出ていたけど、もう一回津波来たら、せっかく残った(かもしれない)二階までなくなっちゃうから、大丈夫かどうか確かめたかった。
降りるとすぐ、家が見えた。
思わず駆けた。
無意識に走り出したのとか初めてだったよ。
瓦礫を乗り越えてなんとか家の前についた。
結果、床はあった。
というか、壁に小さい穴と、俺の部屋のガラスが割れたぐらいで、中はほとんど無事だった。
まあ10度ぐらい傾いてたけど…。
ほんとに運がよかったんだと思う。
(写真は勘弁してね。見せびらかすものでもないし。特定も怖いし。)
67:
ホント、何も出来ないけど頑張ってくれよな
>>67
ありがとう
68:
阪神淡路大震災の時は小さかったから非日常を楽しんでた記憶があるけど、大人はものすごく苦労したんだろうなと今になって思うわ
>>68
子供たちは楽しんでてもいいんじゃないかな 悲しんでるの見るときついから
外で楽しそうに遊んでるの見て和んだし
75:
なんとかして侵入できないか考えた。
割れた窓はちょうど傾いた家の高いほうになっていて、2mぐらいの高さになっててさ。
足場も悪いから登れなくて。
どうしようって考えてたら弟が来た。
中が無事だと伝えるとテンションあがってた。
んで、割れた窓のある側とは反対側に行ってみたわけ。
そっちは傾いてる家の低い方なわけだし。
なんとかまた瓦礫を乗り越えて回りこんでみると、なんとガラスも割れてないではありませんか。
ここを割って侵入するしかないかなぁーって弟と話してると、高校からサイレンが聞こえてきた。
「塩釜で6mの津波が観測されましたー!今すぐ高台に避難してくださーい!!」
って。
とりあえず弟とダッシュしたよね。
俺は半年ぶりぐらいにダッシュした。
足場が悪い中、高校へ繋がる階段まで超走った。
74:
2階だけ流れてきたの?
まるごと流れてきて一階は泥で埋まってたの?
>>74
一階と二階が別々に作られてて、箱を二つ重ねたような建築様式だったんだって。
んで、一階部分は波で壊れたけど、波がギリギリ二階の底までの高さだったから、二階部分の箱だけプカプカ浮いた感じらしい
82:
結果?津波は来なかった
結果?久々に急な運動したせいで膝が痛くなった
(注、お前ら普段から少しでも運動しとけよ。体力ってすぐなくなるぞ。)
登ってから1時間半ぐらい待ったかなあ。
津波来るかもって思って。
そんでも全然来なくて。
結局周りの人たちもしびれ切らしてまた下へ降りていった。
それに混じって、今度は母ちゃん+俺で家へ。
弟は部活のやつらとどっか行ってたし、母ちゃんも一回家を確かめたかったみたい。
家に着くと、とりあえず中に入って、俺の財布だけでも取り出そうってことになった。
運よく財布は二階に置きっぱだったんだよね。
窓を割れるようなものも持ってきてなかったから、壁にあいてた小さい穴をなんとか広げて入ることにした。
手で壁の木材をなんとか母ちゃんが入れるぐらいまで広げた。
そんで何とか侵入。
母ちゃんが中に入ってる間、ずっと津波来たらどうしようって心配だった。
80:
Tさんの息子ってお前の同級生じゃねーのか?
>>80
同級生はその妹
81:
二階に取り残されても生き残れたのかな
>>81
多分生き残れたよ。窓ガラス破って瓦が入ってきてたから、それに当たらなければ
83:
てか志津川では塩釜がずいぶん被害大きいことになってたんだなw
そっちの方の住民だが、実は塩竈市は海に面していない多賀城より被害少なかったぐらいなんだ
塩釜で被害が大きかったのは離島の浦戸諸島ぐらいじゃないかな
>>83
ってか松島塩釜あたりがそんなに被害受けてなくてびっくりした
引っ越すとき松島通ったけど、海沿いのメインストリート以外すげえ普通だった
86:
で、なんとか財布は取り出せた。
すげえ大事にしてた財布だったからホントにうれしくて泣きそうになった記憶がある。
他にも取り出したいものもいっぱいあったけど、とりあえずそれだけ取って母ちゃんは外に出た。
津波怖かったしね。
家に母ちゃんが入るとき、「津波来たらすぐ逃げろよ」とか言われた。
「やだよ」って言ってやったけど。
そのあと弟と合流して、もっかい家に入った。
今度は拾ったのこぎりで穴を広げて、俺と弟で。
俺は主に引越しの書類とか、洋服の青山で買ったお高いスーツ(俺にとっては)とか持ってきた。
引越し先で仕事は決まってたから引越しはしなきゃいけないし、スーツは仕事で使うからね。
また買うお金の余裕もないだろうし。
本音を言えば漫画も全部持って行きたかった。
でも300か400冊ぐらいあったし、そんなかさばるものもっても仕方ないからさ。
今でも惜しいよ。いつかまたそろえてやる。
88:
他にも一応ノートPCも持って帰ろうかと思ったけど、水被ってたしやめといた。
そんな中、唯一無事だった精密機械がデジカメ。
(注、もちろんこのスレで上げてる写真を撮ったやつね。なのでアップしてる写真はこのとき以降に撮ったものです。
っていってもこの日は撮影しなかったから、写真は翌日以降のもの。ケータイのカメラは、電池もったいないからって使ってなかった)
いい仕事をしたのはケースかな。ちゃんとチャックを閉めておけば防水だし衝撃にも強いやつだったから、普通に使えた。
弟は何取ったんだろうね。わかんねえや。
二度の散策を終えて、まだ1時ぐらいだったんだけど、とりあえずTさんの家に戻ることにした。
最初、弟は高校に残るって言ってたんだけど、結局いっしょにTさん家に行くことになった。
来るときと同じ山道を通って戻る。
Tさんは暖かく迎えてくれた。
今でもホントに感謝してる。
正直体力が限界だったので、コタツで少し寝させてもらうことにした。
二時間ぐらいだったけど二日ぶりに足を伸ばして寝れた。
足伸ばして寝れないってこんなに辛いんだってこの数日で初めてわかったよ。
エコノミー症候群も怖かったし。(わかんない人はググって)
89:
その日はそれぐらい。
あとは起きてメシ食って、昨日よりも人数が少ない(息子さん夫婦がいないから)上に、Tさんたちは畳の部屋で寝るとのことなので、
昼間みたいに足を伸ばして寝れる!って思ったんだけど…現実はそんなに甘くなかった。
Tさんとウチの母ちゃんの共通の友人が急遽泊まることに。
コタツ人口が増えて、結局足は伸ばせなかった…。
91:
数日後略奪とか強盗とかそういうのないのか?
>>91
泥棒はけっこうでたみたいだけど、略奪とかはなかったかなあ
93:
3月13日(日)
朝起きると昨晩急遽来た人はもういなかった。
俺らはこの日、とりあえず北の高台に行って、親父と合流しようってことになってた。
流石にずっとTさん家にお世話になるわけにもいかないし。
あと、いつも俺ら子供の前では弱音なんて吐いたの見たことない母ちゃんが、
「おっとうに会いたい…」って前の晩につぶやいてたがすごく記憶にある。
はやく会わせてあげたかった。
そんなわけでジャンパーやらジャージやら軍手やらをまた借りて、救出したスーツとかは家に置かせてもらい出発。
まずは高校に向かった。
団地からすぐ下に行く階段は瓦礫がまだたくさんあって行けなかったから。
あとついでにもう一回家に行って、物を取りに行こうって話になってた。
母ちゃんが、何よりもまずアルバムだけでも取り出したいって言ってたんだよ。
たしかに家族の昔の写真とか二度と手に入らないからね。
(注、人が亡くなったとか怪我したってのを除けば、津波で被災した人が一番きついのが、思い出のものが何もかもなくなったことだと思う。
地震だけだったらまだものは残るからね。もちろん地震もきついけどさ。もう地元の生まれ育った景色も見れないんだと思うとすごい悲しい)
99:
ガキの時兵庫住んでたときに地震と火災で身内全員死亡
就職して移った宮城で地震と津波で婚約者と部屋流され職場も首になった俺が来ましたよ
生きてるけどなにするにも希望がわかない
どうしたものか
>>99
ついてなさ杉だろ…
今はゆっくり休んでとしか言えない…
101:
>>99
マジかよ…
108:
昨日と同じように、森を越えて高校へ到着。
そこで、なんとなくこんなときに写真撮るのもどうなのかな…って思ってた部分もあるんだけど、やっぱり撮っておこうって思って。
ここから写真を撮り始めた。
さらに高校から下に降りて家に到着。
今回は斜めになった家の低くなった方から侵入しようという計画になってた。
なので弟の手には高校の野球部部室にあった使ってない木製バットが。
割る気満々で家の窓のところにいくと、もうガラスが割られてた。
多分誰かが先に入って布団とか服とか持っていったんだと思う。
ホントにみんな寒くて、布団とか着るものが足りなかったから。
仕方ないって思ったよ。
後日父ちゃんが家に入って重要書類(土地の権利書とか)を確認したら全然大丈夫で、そいつらはしっかり回収できたから問題なし。
111:
この頃はもう津波は注意報になってたから、そんなに神経質にならずに家を散策できた。
まずは両親の寝室にあるアルバムを取り出す作業。
タンスとかが倒れて、どこに何があるかさっぱりわからん。
それでもなんとかアルバムを全部取り出した。
最初のアルバムを外にいる母ちゃんに渡したとき、母ちゃん泣いてた。
よっぽどうれしかったんだと思う。
自分も親になったらそう思えるような家庭作りたいよね。
あとは服とか布団とかを出す。
もうひたすら出す。
(注、ちなみに家の中からの写真。さらに後日撮ったものだけど)
捨てようと思ってまとめておいた服とかが残ってて、そのあとすごい役に立ったよ。
一通りその部屋が終わったら、もう一度自分の部屋に入った。
今度はもっと細かいものまで持ち帰りに。
112:
まずは薬類。
俺アトピー持ちでさ。せめて塗り薬がないと大変なのね。
ここまでの2日でフケは出まくるは全身かゆいわで大変だった。
まあフケはその後もずっと出まくってたんだけども。
他にも目薬とかサロンパスとかパンシロンとかが入ったちっさい薬箱を持ち帰った。
爪きりとか耳かきとかも入れてたからすごい役に立ったよ。
(注、これはホントに役に立った。みんな薬箱はホント準備してたほうがいいよ。100均で爪切りとかも買って入れとけ)
あとは大学卒業するときにもらった色紙とか、服とかを持って帰った。少しでも思い出のもの持っていきたかったから。
115:
あとはとりあえず家を出た。
出てみると、すごい量の荷物が並べてあった。
どうやって高台に持って上がるんだよ…。
話し合いの末、とりあえず二人が中学校に荷物を少し持っていって避難登録をしてきて、その間残りの一人は家の前で荷物番ということになった。
荷物番→俺
いやもう膝が限界でさ…いやー情けない。もちろんその後本格的に高台に荷物上げるときは荷物持ったよ。
待ってる間は超暇だった。
とりあえずデジカメで一面の瓦礫の荒野を撮ってみた。この日も快晴で、ムカつくぐらいいい天気だった。
117:
支援がてら自分語り
うち実家石巻市(家がのっかってた小学校の近所)で
家族は無事だったけど、未だに家の残骸すら見つかってない。
>>117
みんなそんな感じみたいね 友達が家の跡地に行ったら体重計だけ瓦礫に刺さってたってさ
119:
ふと足元を見ると、アリがいたように見えて。まじか!って思って近づいたんだけど、結局いなくて。
ただその周りに100円玉が大量に落ちてたんだよね。
どっかの誰かの100円玉貯金がここでバラバラになったんでしょう。
そのときの気分としては、集めんのめんどくせえし、軍手汚したくねえっていうものがありまして。
華麗にスルーしました。
拾ってくればよかったね。多分2000か3000円ぐらいあったと思う。
まあいいや。
そんなこんなしてると、母ちゃんと弟が帰ってきてさ。
父ちゃんも連れて。
多分中学校で感動の再会は済ませたんだろうね。
俺にはたいした反応はなかったよ…
まあ元々メールで無事ってわかってたってのもあると思うけど。
120:
お前んち以外にも壊れずにそのまま流れてきたような家結構あったの?
>>120
ウチと同じ高さか、それ以上の高さにあった家は二階が残ったのも多かったよ。ただ、底が抜けて壁だけみたいなのもあったけど。
121:
とりあえずは荷物を運ぶことに。
一番の問題はアルバム。
量が多い上にクソ重い。
これを持って中学校に行くための200段超えの階段はきつい。
なので、近くの無事だった家(知り合い)に置かせてもらうことにした。
その家に行くまでも瓦礫が多くて大変だったけど、なんとか運び込んだよ。
(注、その家に行く途中、こんなときなのに、どうしても写真に撮っておきたいものがあってさ。
少しでも楽しいこと見つかってうれしかったんだよね。なので撮ってみました。)
122:
では話を戻して
あとの布団とか服は気合で中学校まで運んだ。
中学まで登る道は、さっき言ったクソ長い階段を上るか、車が通る用の坂を上るかのどっちかだったんだけど、
さすがに階段はみんな無理だということで、坂を上ることに。
坂を上っていいくと、途中でタコがいた。二匹。
こんな海岸から2キロはなれたところで何やってんだよお前ら・・・。こん時はまだ生きてた気がする。
(注、後日撮った写真。※若干グロ注意)
まあその辺に船とかホタテの殻とかあるから特におかしくはないんだけどね。
上り終わると膝が動かなかった。痛すぎる。
それから何したかなあ…あんまり覚えてない。
家族がみんなそろったから安心したんだと思う。
ああ、一個思い出した。
数少ない心開ける友人が小学校にいるからってんで、森を越えて小学校に顔出しに行ったんだ。
そいつ町の職員でさ。小学校でいろいろ作業してるみたいで。
123:
膝が痛いのをなんとか我慢して、小学校に到着。
正直勢いで来てみたけど、帰るのだるくて若干後悔した。
避難所になってる体育館に一応顔を出してみた。
まずそのひどさにびっくりした。
体育館には人、人、人。ほんとにいっぱい。
小学校のころ全校生徒600人ぐらいで体育館の半分ぐらい埋まってたから、1000人ぐらいいたと思う。
人が通る通路分だけ道ができてて、あとは人が家族ごとに身を寄せ合ってた。
マットとかを敷くわけでもなく、爺さん婆さんがパイプ椅子に座って、若い人たちは固い床にそのまま座ってた。
ところどころ緑のシートを敷いてたけど、ほとんど地べたと変わらない。
しかもみんな土足だから足元は泥だらけ。
ここが町内で一番避難者が多いっていうのが信じられなかった。
(注、たしかこのときは小学校が町で一番避難者が多いところで、すげえ数の人が避難してるってラジオで聞いた記憶がある。
布団とか毛布もほとんど持ってなくて、ほんとにひどかった。小学生たちは校舎のほうにいたみたい。そっちでマットとか使ってたのかもね。)
124:
友達はステージの上で少ない食料を忙しく配分してた。
あまりにも忙しそうだったんで、特に声もかけずに帰った。
帰り道も、あの体育館の光景が頭から離れなくて、中学校でよかったと思った。
ちなみに中学校は体育館ではなく、各教室に武道館の畳が敷いてあって、そこで寝泊りしてた。
人数もそんなに多くなかったし、(注、前にも書いたけど)自分たちは恵まれてたと思う。
足を引きずって帰ると、もう晩飯だった。
4時半ぐらいかな?
まあ6時にはもう真っ暗で何もできないから、このぐらいの時間には食べちゃうんだけど。
メニューはお粥とめかぶと焼き魚(うろ覚え)。
一応漁師町だから魚介類はたくさんあるらしい。
しかも電気が止まってるから保存ができなくて、どんどんそれを食べていってるんだとか。
焼き魚はポチに半分ぐらいあげて、俺はお粥とめかぶがメイン。
もちろん足りないけど、正直ここ数日は「腹減った」っていう感覚があんまりない気がする。
腹鳴ったりするから腹は減ってるんだろうけど。
そう思っちゃいけないって考えてたんだろうね。
あとは寝るだけ。暗くて何もできないし。
125:
書くの忘れてたけど、二日目の夜、とりあえず少し落ち着いたら、なんかいろいろ考えちゃって。
疲れたから寝たいのにさ。
母ちゃん来なかったら死んでたなって。
今まで生きてきて、初めて死ぬのを意識した時だったかも。
死ぬのが怖かった。
残された家族とか彼女とかのことも考えちゃって。
少し泣いちゃった。
涙なんかしばらく流してなかったのに。
人前では泣かないって決めてるから、もちろん周りの母ちゃんとかには気づかれないようにした。
強くなりたいね。
127:
何かすげえなあ
俺は関東住みだからこの震災をあまり実感してなくて
メディアでしか見てないから
もやがかかった感じだけど
こうやって見ると絶句だな
>>1は本当に頑張ったんだな
>>127
ありがとう。もちろん俺だけじゃなくみんな頑張ってたよ。
というか頑張らないと生きれなかった。
128:
3月14日(月)
四日目。
昨晩は家族4人で二畳に寝たもんだから狭い上に、弟が寝返り打ってくるから寝れたもんじゃなかった。
この日はまず、もう一度家に行って、部屋をもっかい物色することにした。
前に見たときは、ノートPC見て「ああもう水被ってるからだめだろうな」ってすぐ判断したってのもあるし、あと今持ってても仕方ないなって思ってたんだけど、
もしかしたら水少ししか被ってなくてデータ残ってるかもしれないって思ったから。
今回は弟と二人で行ってきた。
弟はサイレンと放送が鳴ったら家の中の俺に教える係。
この日の前夜ラジオで、3日以内に震度6以上の地震が起きる確立が70%とかいう情報が流れてて。
(注、たしか3日以内にはそんなに強い余震は来なかった気がする。せいぜい震度4か5ぐらいかな?今考えると普通にでかいな)
ちょっと怖かったけど、なんとか行ってきた。
で、この日はぱっと行ってぱっと出てきた。もうある程度物色は済んでるからね。
中でPCをちゃんと見てみると、ガッツリ浸水してることが判明。まあ一応持って帰ってはみた。乾かしたら電源点くんじゃねって思って。
(注、後日、引越し後に電源入れてみた。点くはずがなかった)
133:
家からの帰り道で、幼稚園からの同級生に会った。
そいつ昔からいいヤツでさ。
情に厚いし、いつもみんなを明るく励ましてくれるし。(俺はそう思ってる)
俺が大学行ってる間に結婚して子供が二人いた。
成人式以来会ってなかったから、その内ちゃんとお祝いしなきゃなって思ってたんだけどね。
こんなときにいろんな人と再会するってのがうれしいやら悲しいやら。
再会できただけいいことだけどさ。
そいつは何とかして仕事場に行きたいって言ってたな。
仕事場は一応海の近くにあるんだけど、高いとこにあったから平気だったらしい。
陸の孤島状態らしいけど…。
あといろんな流された瓦礫から物を集めてた。
未開封のペットボトルのお茶とか、缶詰とか。そういうのは津波でも中身は大丈夫だったみたい。
どっから拾ってきたのかわからんけど、濡れてしわしわの一万円札もあったな。
買出し行く人いたら、これでタバコ買ってきてくれって頼むんだーとか冗談っぽく言ってた。
タバコ吸う人はみんな大変みたい。
他の人が内陸の町に買い出しに行くときにみんな頼んでた。
(注、ちなみにウチの町から近くのちゃんと買出しできる町までは、最低でも車で30分から40分ぐらいかかる。
宮城の人は場所わかる人多いだろうけど、登米とか石巻ぐらいまで行かないとまともに物がなかったんだよね)
そいつとはそこで別れて帰った。
134:
いろいろ街の情報を聞くと、街の瓦礫も少しずつどけられ始めて、小学校から中学校まで車でいける道ができたらしい。
(注、高台にある小学校と中学校の間の森は車では通れなくて、一度下に降りてから来ないといけなかった)
俺の親父は自分の車で小学校に避難したから、それを取りに行くことになった。
行くのは父ちゃん+母ちゃん+ポチ。
ポチは母ちゃんいないとずっとクゥーンって鳴いてるんだよね。
母ちゃんも仕事はしてたけど、ポチと一番接してる時間が長かったからかな。
鳴くと周りに超迷惑だった。
ちなみに中学校では、特にペットの場所が指定されたりはしていなかったから、自分たちと一緒に寝泊りしてたよ。
もちろん衛生面はよろしくないだろうけど、室内犬だから外にいたら寒くて死んじゃうし。
ポチはチワワぐらいの超小さい犬だから、なんとか自分たちの布団の範囲内から出さないようにがんばった。
周りの家族がいい家族ばっかりだったってのもあるかも。
(注、さすがに、大きい犬を連れてきた人は外につないでたよ。そういや小学校では大型犬も体育館にいたな…)
135:
そんなわけで出発していった。
正直待ってるのは暇以外の何ものでもない。
することないし。
まだ物資もほとんど届いてないころだったから、手伝いもないし。
あまりにも暇だったから昨日のタコでも撮りに行くかーと写真を撮りに。
中学校から坂を下っていろんなものを撮ってみた。
真ん中の道が国道298号線。このときはけっこう車通ってた。
さすがのプリキュアも津波には勝てないみたい
なんかよくわかんないものでデコレーションされちゃった木
お人形さん
川幅が半分ぐらいになってる
川の上の屋根
自販機「らめええええ!!脱がさないでええええええええ!!!」 中身はなかったよ
136:
なんの情報も得られないんだもんなあ
不安に駆り立てられて未確認の情報を信じちゃうのもすごい分かるは
>>136
ほんとにラジオしか情報なかったからね
137:
国道398じゃね?
>>137
ホントだ…略図で298になってる…ありがとう 国道は398号です
138:
ん?カーペット?拡大すると…↓
剥がれた地面でしたー
がおー
ブラビアの電柱です
昆布と消防のホースが一緒にあるってなかなかないよね
ぐにゃーん
もうなにがなにやら
沖縄産のセメントの犬
俺のギターも…
(注、とりあえずこの日撮ったのはこのぐらいかな。ちなみに各写真のコメントは現在のものです。では戻ります)
139:
やはり凄まじいな
全く影響のない地域だから酷く現実味が薄いけど
>>139
体感しないに越したことはないよ
140:
うわー、せっかくの箱物ギター割れちゃってるっぽいな
>>140
ボディの穴開いてるところに水がしっかり入ってました
141:
父ちゃんたちが出発してから一時間か二時間ぐらいかな?
布団でボーっとしてると、サイレンが鳴った。
岩手の陸前高田で津波が来たらしい。
外に出てみると、ハンドスピーカー?を持った人が下の街で作業してる人たちにすごい勢いで叫んでた。
「津波がきていまーす!!今すぐ高台に避難してくださーい!!」
今でも理解できないのが、そういう放送が流れてるのに、歩きでのんびーり避難してくる人たちがいたこと。
まあ足とか悪かったのかもしれないし、俺らが神経質になりすぎてるのかもしれないけど…。
避難しようともしない人たちもいた。
ハンドマイク持ってる人の近くにいたんだけど、岩手で津波が観測されたとか、海上のヘリが津波を観測したとか、いろんな情報がその辺を飛び交ってた。
結果的に誤報だった。
他の町で引き潮は観測されたけど、津波は来なかったとか。
まあ用心するに越したことはないから、俺はなんとも思わなかったけど、ハラハラさせられてイライラした人もいたろうね。
142:
津波が来ないってわかるまでスゲー不安だったよ。
父ちゃんと母ちゃんが車でこっち向かってるときに津波来たらどうしようって。
この頃になると、余震とかは全然怖くないのね。震度5とかでも大丈夫な気がした。
地震に慣れるのは良くないってラジオでも散々聞いてたんだけどねwww
それ以上に津波が怖すぎたから。(注、実際に津波を見た人はホントにトラウマになってると思う。それで余計に神経質になってたのかも)
津波が来ないってわかったらまた寝た。
動きたくなかったし。
気晴らしに外に出てみる。
外では子供たちがボールを使って遊んでた。
幼女二人がサッカーボールでパスしあってるときは超萌えた。
143:
誤報すげえな
144:
周りの異臭が気になりだしたのはいつごろから?
>>144
臭いと感じたことはほとんどなかったなあ
自分が臭いってのもあるだろうし、みんな臭いってのもあるだろうし
ただ、一回口をつけたペットボトルの飲み口のところは、しばらくするとすごい臭かった
146:
そっから何時間経ったかわからんが、父ちゃんと母ちゃんが帰ってきた。
津波来ないってわかってもやっぱちゃんと帰ってくると安心した。
で、帰ってきた親が、ひとつ提案をしてきた。
親父の実家が、車で15分ぐらい北に行ったところにあるのね。
そこは海に近いっちゃ近いんだけど、高台になってるから津波の被害にはあってなかった。
もちろん電気とか水道とかはダメだったけど。
そこに俺と弟だけで行かないかとのこと。
親父の実家は昔ながらの古い家だから、薪で風呂とか沸かせるし、井戸もあるから、風呂にも入れるらしい。
煮沸すれば飲めなくもないし。
アトピーで頭皮の荒れがピークだった俺はとりあえず行くことにした。弟もいっしょに。
それに中学校だと布団が足りなくて寒かったから、父ちゃんと母ちゃんだけだったら寝やすいだろうし。
ちなみに家の二階に残った布団はもうほとんどなかったみたい。
俺らが知り合いの人に分けてあげた分もあるし、勝手に家に入って持っていった人もいるみたいだし。
こんなときだし仕方ないと思う。
148:
もしかして>>1って釜石、大船渡
どっちかに住んでる?俺の父方の実家そっちあるんだけど一人死んだよ
>>148
南三陸町だよー。
149:
っつーわけで車で親父の実家へ。
瓦礫の街を車で通り抜けた。
町並みの名残なんてどこにもなかった。
一面の瓦礫。
鉄骨の建物が残ってても、中身は瓦礫。
改めて復興とか無理じゃねって思ったよ。
行く途中にムカついたのがマスコミね。
車一台分しか通るスペースがない道で、ウチの車が止まって、マスコミの車を先に行かせようとしたのね。
あっちがもう入りかかってたから。
こんなご時世だし、さーっと通り抜けてどうもーってクラクション鳴らすとか手をあげるとかが普通じゃね?
それなのにそいつら途中で止まって街並み撮影してやがった。
ホントに死ねばいいと思ったよ。
ガソリンねぇんだよ。
後ろ渋滞してんだよ。
みんな疲弊しきってるんだよ。
それぐらいわかるだろ。
親父がクラクションならしてようやくどいた感じ。
礼もなし。
氏ね。
151:
マスコミで唯一許せたのはNHKかな。
このときはまだだけど、あとで物資の搬入とか手伝ってくれた。
めちゃめちゃ重いものをみんなで運んで、スゲー疲れてみんな飲み物とか貰ってるのに「あっ私たちはいいです」とか言って遠慮してた。
素直にありがたかった。
他の局は氏ね。
少なくとも俺が見たのではNHKしか手伝ってなかった。
あっちに着くと、一日目と二日目にいた団地と同じようにいつも通りの街並みだった。
津波なんてなかったみたいに。
ただ、少し海の方に近づくともう瓦礫の山なんだけどね。
152:
oh...さすがのマスゴミ格が違った
邪魔だった奴らはどこの連中か分からなかったの?
>>152
全然わからん
155:
実家にいたのは伯父さんと伯母さん、叔母さんと娘(叔父さんはどっか出掛けてた)、伯母さんの両親と姪っ子。
どういう家系図かはめんどいから省略させて。
あとは知り合いの老夫婦が一組だった。
9人かな?それに俺らを合わせて11人、夜には叔父さんも帰ってきたから12人だったかな。
大所帯だったけど、昔ながらの家だからけっこう広いし、布団も食料もあったから大丈夫だったみたい。
そこでさらに安心したからかなぁ、あんまり記憶がないんだよね。
飯食って、井戸水沸かしたお湯で頭洗って、話して寝たと思う。
あっ、夜8時ぐらいに、伯父さんたちが大五郎を湯呑みに入れてきて飲んだな。
俺は一杯だけだったけど、伯父さんはめっちゃ飲んでた。
飲まないとやってらんなかったのかもね。
10時半ぐらいにはもう寝た。
布団が少なくてちょっと寒かったけど、足を伸ばして寝れた。
156:
3月15日(火)
深夜4時ぐらいかなぁ。窓の外からなんか音がして目が覚めた。
風で物が飛ばされたとかじゃなくて、生き物が歩いているような音。
寝ぼけた頭で俺が考えた可能性は、
泥棒40%
熊30%
他30%
だった。
なんか泥棒出てるみたいだったし、昔近くで熊も出たことあるんだよね。
(注、小さいころの記憶だからホントかはわからん)
まあ結果は伯父さんと犬だったんだけど。
伯父さんが寝ずに薪ストーブを焚いてたみたい。
あと犬が近くにあった物を蹴っ飛ばした感じ。
158:
心が痛い
>>158
気にしなくていいと思うよ
心痛めてるぐらいなら、もしものときに備えて運動やら備蓄やらをしといたほうがいいよ!
159:
そんな時の酒はうまいのか?
>>159
わからん。おれはよくわからんかった。
160:
この日は震災後一番暇だった。
とりあえずなんか写真撮るものないかなって撮りにいってみた。
電柱の中ってこうなってるんだね。このとき初めて知った
海岸のあたりはウチの近くと変わらなかった
こういう看板とかが街中にけっこうあったんだけどね。あんなでかいの来るとは思ってなかったからさ…
地震のせいか、津波のせいか
この左側のコンクリートの部分は全部水に浸かったみたい
あとは飯食ってボーっとしてた。 実家にあったNANAを読んでた。
タクミみたいな超人になりたいよね。
161:
その日の晩も晩酌。
その日叔父さんが一応仕事先に行ってみようとしたんだけど、ちょっと手前で行けなかったらしくて、そのまま帰ってきたんだって。
で、帰る途中でいろいろ店に寄ってみたら、葬儀屋ででっかいろうそくをもらえて、たまたま開いてたコンビニで酒とお菓子を買ってきてさ。
葬儀屋ではウチの町の名前を言ったらタダでろうそくをもらえたらしい。ありがたいね。
そんなわけで俺は缶ビールを一本だけもらった。
ビールって言ってももちろん発泡酒だけど。
叔父さんは昨日残ってた大五郎をすげぇ勢いで飲んでた。超酔ってた。
途中泣きながら話したりもしてたよ。
いろんな話をして、11時半には寝た。
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162:
3月16日(水)
朝起きるとうっすら雪が積もってた。寒かった。
こんなときに真冬並みの寒波らしい。勘弁してほしい。
本当はこの日、沢に洗濯をしに行ったりその近くの小屋にあるランタンとかを取りに行くはずだったんだけど、雪で中止になった。
で、朝から弟とお手伝い。井戸の水を汲んで浴槽に溜めるってやつ。
もう俺はオッサンなので、水を汲み上げるのは現役野球部の弟がやって、それを浴槽に入れるのが俺。
俺は疲れなかったけど、弟は大変だったみたい。
あとはまた飯食ってボーっと。
少しだけ外に写真を撮りに行ったりして、またボーっと。
その内父ちゃんと母ちゃんが帰ってきた。
163:
俺と弟は二日前にお湯で頭や体をを洗ったけど、親父と母ちゃんは津波が来てから一度も体を洗ってなかったから、洗いに来たらしい。
ウチみたいに親戚の家が無事で、かつ近くにある人は多くなかったから、一週間以上体洗えなかった人もたくさんいたと思う。
その後親から話を聞くと、ビッグなニュースがあるらしい。
なんでもauの電波車が中学校に来てて、中学校の近くだとバリバリ電波が入るっていう。
ちなみにドコモとソフトバンクは入らない。
家族の中で俺だけau。
俺の時代だろこれ。
(注、この日からウチの町の人は親戚とかに連絡が取れ始めた。ちなみにドコモはとソフトバンクは俺が避難所いる間は来なかったな)
そんなわけで俺は中学校に行くことになった。
俺もだけど、親もいろいろと連絡をとりたい人がいたらしい。当たり前か。
165:
1は30代?
>>165
20代だよ
167:
瓦礫の街をもう一度車で走っていく。
その途中、走り始めてから3分ぐらいしてからかなぁ。車酔いし始めたのね。
車酔いはしやすい方だから、いつもどおり我慢してたんだけど、5分もすると顔が真っ青になって今にも吐きそうなぐらい気持ち悪くなってきた。
とんでもないめまいと吐き気。
降りる頃には両手が痺れてて。死ぬかと思った。
降りたら少しずつ治まってきたけど、あんなにひどいのは初めてだった。
(注、今でも原因がよくわからん。ストレスとか疲れかね。医療関係者でわかる人いたら教えて)
少し落ち着いてから、ケータイを開いてみると、見事に3本電波立ってた。
とりあえずメールのセンター問い合わせ。
20通ぐらい来てたかなぁ。
内7通は彼女なんだけど。
なんか1日1、2通ずつぐらいメールしてたらしい。日記みたいな感じで。
愛されてるなぁと思たよ。
(注、まあ今これを書いている数週間前にフラれたけどね…)
168:
携帯の充電はみんなどうしてたの?
>>168
auの電波車のとこで充電できたよ
10台ぐらい充電できたかな
169:
なぜフラれたのかkwsk
>>169
泣きそうになるからやめて
171:
あとは大学のときの友人からだった。
「大丈夫?」ってスゲーたくさんメール来てて嬉しかった。みんな超心配してた。
んでも返信する前にまず親が、兄貴の奥さんに電話したいってことで、電話を貸した。
来月(4月)出産予定だったんだけど、地震の影響で産気付いたりしてないか心配だったみたい。
兄貴の奥さんは全然問題なかった。お姉さんの家にいるらしい。
一人でいるわけじゃないから大丈夫かな。
ちなみに、兄貴は自衛隊員だから仕事があって家にはあんまり居れなかったみたい。
そんなわけで次は俺のターン。
まずは彼女に電話。
声聞いた瞬間は泣きそうになったよ。
彼女もすごい安心したみたい。メールでめっちゃ心配してたからね。
いつもはあんまり喋らない自分だけど、このときはめっちゃ喋った。
もう話したいことがありすぎて。
何日かぶりに心の底から安心した。
(注、まあ今は独りで寂しいけどね…)
170:
現場的には日本赤十字って募金する価値あると思う?
>>170
わかんね。俺は義援金が遣われる前にもう引っ越しちゃったから。
今もどう遣われてんのかわかんねえけど。
172:
その注釈はいらないです
173:
家族全員無事でかつ彼女にふられたなんてほんとによかったな
安心した
>>173
よかったよ!
175:
彼女の次は引越し先の新しい仕事場に電話。
なんでも俺の携帯に電話しまくってたらしい。
ありがたいですね。
副長のおばちゃんがいろいろ話してくれた。なんでも布団とかくれるらしいよ。
あとは不動産屋さんに電話。
「あのー、12日に引っ越す予定だったんですけど、津波で行けなくなっちゃった者ですが…」
「(すげぇ忙しい感じで)はい、どうしたんですか?」
「やっと電話通じるようになったんで連絡したんですけど…」
「いつこちらに来るか決まりましたか?」
「いえ、まだガソリンがいつ手に入るかわからないのでちょっとわからないですね…」
「じゃあ決まったらまた連絡してください」
「わかりました」
「アパートはどこですか?」
「○○です」
「○○ですね」
「はい」
「はいわかりましたー。では失礼しますー(ガチャ)」ツーツー…
多分他にも避難してきて部屋探してる人とか、大学に今春から行く人が来たり地震でキャンセルがあったりとか、
いろいろ大変なんだろうなーと思った。
176:
あとはメール返さんと。
一通一通送ってたらキリがないし、電池ももったいないから、長文を書いて一斉送信した。
送ったらすぐ返信来た人もいたし、来ない人もいた。
ただみんな、自分の無事を心から喜んでくれた。
すげぇ嬉しかった。
その日はそのあとずっと彼女とメールしてた。
電池もったいないからその日だけね。すごい心配かけたし、すごく寂しかったみたいだったから。
そんなこんなしてたらあっという間に時間が過ぎていって、すぐ夕飯、そして夜が来た。
あとは寝た。この日も安心したからか、すげぇ眠くて。ぐっすりだった。
178:
携帯は家族にドコモとau両方いるのがベストか
>>178
どうなんだろうね
今回の場合、もし俺1人で違う避難所にいたら最初の日に家族と連絡とれなかったし
180:
3月17日(木)
いつも通り日の出とともに起床。
津波前だったらそんなのありえなかったなぁ。
起きると、また夜に雪が降ったみたいで、昨日よりも雪が積もってた。
朝はまず写真を撮りに外へ。
雪景色。車の列の右端にある、上になんか伸ばしてるトラックがauの電波車。
外で炊き出しとかしてるテント。
(注、あとでここにエグザイルが来たみたいね。あんまり興味ないけど)
大便用トイレ。校舎内のトイレは水が流せないから、ここでしてた。
中には、地面に穴掘ったところにビニール袋入れたバケツとかがあって、そこにうんこしてた。
校舎裏。
このぐらい積もりました。
マスコミの車。いっぱい止まってた。正直邪魔だった。
誰かが書いた避難所のきまり。
179:
大きな犬はどうなったの?
>>179
だめだったと思うよ
見つかったかどうかは聞いてないけど、繋がれたままだったから逃げられなかったんだよね
181:
この辺から物資がどんどん届くようになってきた。
水とかカップラーメンとか毛布とか。
ヘリが度々中学校の校庭に降りてくるんだけど、この日は夜中に雪がスゲー降ったみたいで、一面真っ白だった。
そこにヘリが降りてくると、プロペラの回転で雪がぶわぁっと舞い上がって、なんかすごかった。
ヘリで毛布を、トラックでカップラーメンとかが差し入れされた。
(注、ちなみにこのとき俺は風邪っぽいからって教室で休んでた。下の写真のダンボールは全部毛布)
毛布はすぐにみんなに配布されたけど、ここで差し入れされたカップラーメンはこれを書いてる19日現在まだ食べれてないです。
ちなみに来たのは赤いきつねと緑のたぬき、あとなんかラーメン一種類。(覚えてない)
184:
そんで、次の日にカップラーメンは食べれた。
どこからか持ってきたチキンラーメン(備蓄用・非売品)だったけど。
どこにあったんだよ…。
本音を言えば赤いきつねが食べたかったけど、まだ水が安定して供給されてないから、器が小さかったチキンラーメンを食べたんだと思う。
久々に食うラーメンはクソうまかった。
そんなこんなでその日の午後は、もう一度二階だけ残された家に行くことにした。
どうせなら彼女がバッグに突っ込んでまとめて貸してくれた漫画を持ってこようと思って。
暇つぶしにもなるしね。
ただ、このところやっぱり泥棒が多いらしくて。
ガソリンとか金品盗んでたやつらで捕まったのもいるらしい。
んで、なんでも一人で家に入ろうとすると、泥棒と間違えられて通報されるとか…。
我が家なのに。
だから母ちゃんと家へ。
185:
なんとか通報はされずに済んだよ。
んで、目的の漫画もget
もうどうせなら全部本は持ち出したいぐらいだったけど、あきらめた。
集めんのどんだけ金かかったと思ってんだよ…。
んでも、なんか1シリーズだけでも持って帰りたくて。
悩んだ末、量が少なすぎず多すぎずの文学少女を全部持っていった。
もう他のはひたすら惜しい…。
あっ、遠子先輩かわいいよね。俺は琴吹さんより遠子先輩派です。
あとは帰ってきてのんびりした。いつもどーり6時過ぎに就寝。
186:
3月18日(金)
風邪引いた。
鼻水とまらん喉痛い。
それでも日課になってる写真撮りに。
吸い込まれそうな空
吸い込まれそうな空
簡易トイレが届いた。ようやく普通にウンコできた。
中学時代野球部でした。ここで3年間補欠でがんばったなあ。
188:
その後、安静にしてないといけないのに、めっちゃ大量の物資が。
自衛隊のトラック二台分。
しかも軽いものじゃなくて水とか栄養ドリンクとか超重たいのばっかり。
物資を保管してるホールに、外から物資を運び込む。
基本重いので、床を滑らせていく。
それでも重い。
気温は真冬並みなのに、汗かいた。
このとき、前にも書いたけど、NHKの人が2,3人手伝ってくれた。
すごくありがたかった。
ただ、これが悪化の原因だったのかもね…その後は具合悪くて死にそうだった。
支給はその後もなんかいろいろ来たよ。
モンゴルから毛布も来た。
「日本の皆さんへ」とか日本語で書いてあったかな。
ただ、すげぇありがたいんだけどめちゃめちゃ重かった…。
194:
なんかそのあとまたモンゴルのとは別に毛布支給されて。
もう毛布祭り。
一人にプラス二枚。
いやありがたいけどさ。
その日から夜は暖かかった。
(注、どうせならすぐに他の避難所持っていった方がよかったんじゃないかなって今は思う
まあ運ぶ手段がなかったのかもしれないけど。毛布はヘリで持ってきたから)
この日は以上。
195:
3月19日(土)
今日は一度、弟を置いてる親父の実家にいってみることになった。
頭も洗いたかったしね。
ただ、他に目的があって行った訳で。
なんでも、実家の近くの家の一人が、俺が引っ越すはずだった山形で暮らしてるらしくて。
今回の地震津波のことを聞いて、こっちに車で一度来たんだと。
差し入れとか持って。
そんで一回戻ったんだけど、もう一回来るらしくて、その帰りに乗せていってもらえるかもしれないらしい。
それを頼みに行くのが今回の目的。
198:
行く途中、町並みを車の中から撮ってみた。
瓦礫の山
川。指写っちゃった。
川2。普通に車ひっくり返ってる。
自衛隊の人たち。
微妙に高くて流されなかった家もあった。
悔しいくらい晴れてる
もうなにがなんだかわからん
上に伸びてるのなんだろ?俺もわからん。
建物の上をよーく見てみよう。綺麗に乗ってます。
パチンコです。まだリニューアルして数ヶ月じゃなかったかな。
線路だよ。落ちてます。
199:
着いてすぐに俺は頭を洗った。
父ちゃん母ちゃんはその家にお願いをしに。
結果はもちろんいいとのこと。
ウチの人の連絡先を教えて、行けるときには連絡が来る。
これである程度確実に俺は引越しできることになった。
もちろん俺はずっと一人で行こうとか考えてはなかったよ。
そっちにみんなで引っ越せばライフラインもちゃんとしてるし、食べ物飲み物も不便しないからさ。
それとは別に、仙台にいた兄貴も、自分家の来ていいからとも言ってた。
それでも両親は行かないって感じだった。
いろいろ理由はあったと思う。
仕事とか親戚とか。
弟の学校もあるし。
200:
南三陸、親戚がいて何回かいったけど、被害酷いよね。福島の地元も酷かったけど、比べ物にならない位ひどかった。まー月並みだけど頑張れ。福島もがんばる。
>>200
ありがとう。
ってか今は福島のほうが大変な気もするけどね…。そっちも頑張って!
201:
そんなわけで俺一人で行くことになってた。
ただひとつ大きな問題が。
引っ越しても物がほとんどないんだよね。
幸いにも、家電を買ったときに、洗濯機だけは引越し先に直接送ることになってたから、洗濯機は無事で。
(注、買った洗濯機も地震津波の影響で引越し先には届いてなかったけど、同じ店の引越し先の店舗に行ったら同じようなのをくれた。
お金はもう払ってたから。他にも簡易スチームオーブンレンジとか買ったのに流されちゃったよちきしょー)
あとは何もない。
所持金も7万ぐらいだったかな?
最低限の家電とか買ったら、働き始めて給料入るまでの1ヶ月、もつかわからんかった。
そこで、人に頼られるのは好きだけど、頼るのは苦手なコミュ障の俺が、サークル仲間に頼ってみることにした。
なんかいらないものでよかったらくださいって。
もちろんみんな優しく反応してくれた。
「あれあるよ!」「これは?」「これしかないけど…」「ごめん、ちょっとガソリンないから届けられないや。ガソリン手に入り次第持ってくよ」
とか。
泣きそうになった。みんな優しすぎだろ。
202:
なんかテレビで見ているだけでも、被災地の人は大変だと思ったけど
>>1みたいに体験した人の言葉を聞くだけで、そんなの綺麗事だと思った。
本当に当たり前だと思ってたことが、当たり前じゃないなんて大変だよな。
うちも母方の婆ちゃんの親戚がみんな宮城で心配してたけど
とりあえずみんな無事で頑張ってる。一人だけ叔父さんが石巻で
1週間くらい連絡取れなかったけど、2階建ての1階が泥だらけで住んだらしい。
その叔父さん、電話で「節電ありがとうな」って言ったんだよ。
自分達はもっと大変な思いしてるのに。
なんていいおっさんなんだと思った。
自分とやれることをやろうと思ったよ。
>>202
石巻は石巻で人が多いから大変だろうね
なんでもいいから自分でやれることやればいいと思うよ!ありがとう!
207:
実家から中学校に帰る途中、最後にもう一回だけ家に寄った。
もうすこしだけ取っておきたいものがあったから。
とりあえず枕を持ってきた。枕ないってホントきつい。
一晩ならまだしも、一週間以上だからね。
あとはマコちゃん絵日記の一巻(初版)についてきた「しーちゃんのおさがりTシャツ」も持ってきた。
(わかる人だけわかってくれればいいです)
んであとは帰ってきた。
正直めっちゃ具合悪かった。
眉間の中と、後頭部の中のあたりが圧迫されるような痛みがあった。
痰とか止まんなかったから鼻腔炎かなんかかと思う。
これを書いてる今現在治ってない。
重い病気は勘弁してくれ…。
208:
夜には喘息の発作も起きてきた。
(注、災害用毛布が原因だったみたい。ホコリがすっげえ出るのねアレ。マスクしてなかった俺が悪いんだけどさ…)
超息しづれぇ…。
いつもなら数時間すれば治るから、医務室に行かないで普通に寝てみた。
深夜3時に目が覚める。夜明けまであと3時間。
超苦しい。
息を吸う度にヒューヒュー音がなる。
咳をしてひたすら痰をだした。
苦しいのはもちろん治らない。
そのまま夜が明けた。
212:
津波がきてる中、外犬が置いていかれた時点で気持ちが折れたわ…
もう読めない…
>>212
無理スンナ
213:
3月20日(日)
喘息で苦しくて目が覚める前、久々に夢を見た。
とりあえず自分が家の二階にスーツ着ているのね。
なんか仕事終わりの時間帯(夜10時ぐらい)だった気がする。
で、一階に降りていったのよ。
いつもなら仕事終わって帰ってくると、母ちゃんの作った飯がテーブルの上にラップしておいてあるんだけどさ。
この時はまず一階が真っ暗で。
おかしいなー、みんな寝たのかなーって思って、電気つけたのよ。
そしたら飯も置いてなくて。
ってかほとんど物がなかったかな。
家具があるだけ。
どうしたんだろって思って、リビングからつながる畳の部屋に行ったら、弟にあげたギターが落ちてた。
それを見つけたところで目が覚めた。
起きてすぐは頭回んないから、一瞬ここがどこだかわかんなかった。
中学校だってわかった途端、すごく悲しくて寂しくて。
ああ、もう元の家はなくなったんだって。
214:
多分、この一週間で家の残骸に入ったとき、二階から入ってたから(ってか二階しかないけど)、その記憶で二階に最初いたんだと思う。
ギターは、家に入ったとき、床に転がってたから。
初めて買ったギターだからね。思い入れもあるのかも。
通販で1万で買った安物だけどさ。
苦しいのと、家の映像が夢でフラッシュバックして、しばらく寝れなかった。
気がつくと寝てて、もう朝6時半。
ラジオ体操が始まってた。
やっぱり苦しい。
というか、免疫がさっぱり仕事してないから、風邪も喘息も治るはずないんだよね。
だって一週間ぐらい前に家に侵入したときについた一ミリぐらいの傷が未だに治んないんだもん。
いつもなら1日2日もあれば完治するのに。
215:
とりあえず医務室行って薬貰ってきた。
ここ数日で結構な回数医務室行ってたよ俺。
テオドールもらったんだけど、(喘息持ちの人は多分知ってるよね。気管支を広げるお薬です)おれテオドールほとんど効かないんだよね。
昔から、飲んでも心臓がトカトカいい始めるだけで、苦しいのは殆ど治んない。
まあないよりはあった方がマシかと思って飲んでみたよ。
やっぱり効かなかったけど。
ついでに言っとくと、昨日と今日は、一昨日の労働の筋肉痛が残ってて、風邪の症状と相まって「これインフルエンザじゃね?」と思わせる体調だった。
死にそうだったよ。自分の体の弱さを呪った。
お昼は待ちに待った緑のたぬき。
うまかった。
粉末スープを食う直前に入れてもうまかった。
んでも喘息のおかげでおいしさ3割減だった。
食べてから、安静にしてようとお昼寝しようとしても、やっぱり苦しくて寝れない。
本を読むのもつらい。
だからもう一度医務室に行ってみた。
216:
ちょっと前に弟も喘息の発作で医務室行ったら、町の総合体育館に吸入とか注射とかあるから、そっちいけって言われて行ってきたみたいなのよ。
まあ吸入も注射もされずに、これまたお馴染みホクナリンテープを貼られて帰ってきたんだけどさ。
俺も総合体育館行って、せめてホクナリンだけでももらいたいなって思って医務室にもっかい行った訳さ。
とりあえず総合体育館に行けっては言われた。
災害ボランティア(?)の車で移動。
移動中もめっちゃ苦しい。
到着。
まず入り口にテレビがついたデカイ車があった。
一週間ぶり以上にテレビ観たよ。
天気予報かなんかやってた。
そんで人いすぎ。
中に入ると、みんな通路の壁際に50?ぐらいの高さの塀を段ボールで作っててさ。
そこん中に布団敷いて、爺さん婆さん含めみんな横になってるのよ。
段ボールの周りは土足だから土まみれだし、衛生面は最悪だった。
体育館の入り口付近は、医務室に入る人、出てきた人、物資を運ぶ人、遺体確認をしてる人たちでいっぱいだった。
218:
医務室入ると少しだけ待たされて。
暇だなーって壁を見ると、避難所毎にどこの医療関係者が来てるのかが書いてあった。
TMATがいろんなところに行ってた。
ただ、正直無知なんで、TMATがなんなのかわからんかった。
なんとかMSFはわかったよ。
そのあとすぐに診察してもらえた。
奥に入ると、まず薬が中学校の比じゃないぐらいあるのね。
中学校だと一日分しかないから、とか言われて、総合風邪薬(笑)が少しだけ渡されるぐらいだし。
結局、ムコダインとかオノンとか喘息の吸入とかを一週間分ももらった。
物資が足りないから、もらえて3日分ぐらいかなぁって思ってたら一週間分でビビった。
差ありすぎだろ…。
ってか弟はなんで吸入とか貰えなかったんだよ…。
219:
戦場さながら、か
220:
帰ってすぐに吸入。
やっぱあれすごいね。すぐに軽くなった。
若干手震えてるけど…。
で、帰ってきたときには弟と母ちゃんがいなかった。
なんでも、やっぱり弟も喘息キツくて、もう一度総合体育館に行って吸入やら注射をしてもらうことにしたらしい。
初めからそうしてくれよ医者…
それからなかなか二人とも帰って来なくて。
俺が帰ってきたのが4時すぎで、飯の時間(4時半)が過ぎても、真っ暗になる時間(6時半過ぎ)になっても帰って来なかった。
正直不安だったよ。車で10分ぐらいで着くところだから、移動にそんなに時間がかかるわけでもないし。
なんでか二人とも携帯持っていかなかったし…。
考えた可能性は2つ。
?終わったけど道が暗くて帰れないからそっちに泊まる
?帰り道事故った
221:
まあ結局どっちでもなくて、単に8時半ぐらいまでかかるっていうだけだったんだけどね。
時間かかりすぎだろ…。
親父に母ちゃんから連絡があったらしい。誰かの携帯借りて親父の携帯に電話したんだと。
んでも、点滴したらだいぶよくなったんだとか。よかったよかった。
おかげで、母ちゃんと弟の分のカレーを俺と親父で食うことになった。
嬉しいことなんだけど、この一週間まともに飯食ってないおかげで胃袋がだいぶ小さくなってて。
緑のたぬきのカップに少しだけ入ったカレーを二つ食うだけなんだけど、それが相当キツかった。
(注、ダイエットしたい人は食う量を少し減らしてみ?一食おにぎり一個と味噌汁とおかず少しだけ、みたいな感じで。
一日2食で、それを5日ぐらい続けるともう前みたいに大食いできないよ)
もうみんな寝るだけの状態で7時半。
帰ってくるまであと一時間。
…と思ったら母ちゃんだけが帰ってきた。
「弟置いてきたwww」だって。
なんか弟は10時ぐらいまでかかるらしい。
なので総合体育館に一人でお泊まり。
そんなわけで10日目終了。また明日。
222:
一応ここまではまとめておいたんだけど、先をまだまとめてないのね
ちょっと休憩がてらまとめてきます
落ちたら落ちたでしかたないけど、保守してくれたらうれしいです
234:
俺も宮城県民だけど内陸だったからだいぶマシ。地震のときは兄弟みんなバラバラにいて集まるのに一週間かかったけどみんな無事でよかった。
地震から一週間後に実家に帰れたときには自然に涙が出たな。
247:
保守ありがとう!再開しまふ
3月21日(月)
今日はひたすら安静日。
風邪も喘息も一日じゃ治らないよね。
吸入大活躍。
朝に一回、昼過ぎに一回。
すぐに苦しくなるんだよね。
今まで一日に二回以上吸入したことなかったから、よっぽど体が弱ってるんだと思う。
一日ずっとそんな感じだったかなぁ。
一応写真は撮りに行ってみた。
街の全景を3枚だけ。
248:
あとはひたすら寝てたか、飯食ってたか、文学少女を読んでた。
物資が来ると、男性陣はみんな搬入の手伝いに行くんだけど、俺は母ちゃんに安静令を出されてた。
20代なのに…情けない…。
本は明るい内しか読めないからあんまり進まなかった。
二巻のはじめぐらいまでは読んだかな。
集め始めた頃は、二日か三日で6巻まで行ったんだけどね。
暇すぎだろ大学夏休み中の俺…。そして暗すぎだろ…。
そろそろ引っ越せそうかも、とか言い始めて二、三日が経過。
最初に連れていってもらえるかも、って言ってた人からは連絡なし。
代わりに、母ちゃんのいとこが山形に住んでるから迎えに来るか、
仙台にいる兄貴が休みの日に来るから、その帰りに乗っけて連れていってくれるかのどっちかが濃厚になってきた。
どうなるかまだわからないけれど。
とりあえずガソリンなんとかしろよ政府。
(注、このときって政府は何か対策してたの?)
249:
今日はこれで終わり。
かと思いきや、夜に事件は起きた。
いつも7時半に、各教室に寝泊まりしてる人たちの室長が集まって連絡とか話し合いをするのね。
その話し合いを終えてウチの教室の室長が帰ってきた。
これまではそんなに波風立たずに連絡を終えてたのに、今日は違った。
なんでも、部屋割りを組み換えるらしい。
各教室に提案ではなく、決定の連絡。
それだけ?って思う人もいると思う。
むしろそう思う人の方が多いかも。
まずは理由がみんな納得いかん。
教室の数は全部で10ぐらいあるのね。
んで、そこに各教室20〜30人ぐらいの人が寝泊まりしてる。
町職員の部屋を除いて。
んで、なんかわからんけど、民間の銀行が店舗代わりにひとつ教室を使いたいから、
ひとつ教室を開けて、寝泊まりしてる人たちは今の教室割りは全部白紙にして8個の教室に、住所の地区ごとに振り分けるらしい。
250:
ツッコミ所満載じゃね?
まず、今金下ろしてもほとんど使えねぇよ。
流された通帳は今は再発行できませんって、じゃあ被災地で何すんだよ。
(注、今考えると多少できることあるね。通帳止めたりとか、現金預けとくとか)
それに、国の自衛隊が外でテント張って寝泊まりしてるのに、
民間の、しかも昼の3時には窓口締めるようなやつらがなんで寝泊まりしてた教室占拠するの?
使ってねぇ美術室とか使えよ。
(注、まず結果から言うと、銀行の話は間違いでした。銀行はどこかのあいてる教室を使うことになってたらしいです。
なので、銀行とは関係なく部屋替えをするらしい。詳しい話は次の日の内容に)
銀行置くって決めたやつの言い分では、銀行を置くことで少しでも経済が回って行けば復興も早まるんではないか、だそうだ。
経済回らせる店がねえよアホ。
順番が違うだろ。人の生活する街があって経済ってできるんじゃないの?
(注、今でも経済回すとかいうのは意味わからん。でも必要ではあったと思う。)
252:
ただ、ここまでは納得できない理由。
でも、退かない理由にはなってない。
これは実際に避難生活をした人たちしかわからない部分もあると思う。
わがままって言われるかもしれないけど…。
10日ぐらいいっしょに生活してるとね、ようやく仲良くなって、少しずつ気を許せるようになって来るのね。
慣れてくるとストレスも減ってくるし。
それでもやっぱり被災で心労は多々あるんだよ。
それが、ここでまた一からやり直しとなると、さらに精神的に疲れると思う。
今はいさかいも少なく安定してるのに、新しいいさかいが起こるかもしれない。
荷物もどんどん増えて来てて、移動もすごく疲れると思う。
一番意味わからんのが、4月に入ると教室とか関係なく、全員体育館に移動らしい。
意味ねぇじゃん。それまで同じでよくね?
そんなわけで、何人かは苦情を言いに言ったみたい。
でも「決定だから」って言われたとか。
ほとんどの教室が反対みたいなので、明日の朝に何かが起きると思う。
254:
3月22日(火)最終日
風邪は治らない。
微妙に苦しいのが続くので、とりあえず吸入。
もらってよかった吸入。
朝飯がこれまでよりしょぼかった。
ご飯、味噌汁、以上。
あれ?最初の頃はめかぶやら小さい焼魚やら付いてきてた気がしたんだけど…。
もちろん飯が出るだけありがたいのは十分分かってる。
んでも、一応物資が始めよりはずっと届いてるはずなのに、飯がどんどん貧相になっていくのはなんで?
ちなみに昼もそんな感じでした。
(注、そういえばいつの間にか昼飯が出るようになってた。最初は朝夕だけだったのに。それが原因かな?わからん)
255:
朝飯を食べた後は、昨日の部屋割りについて避難所全体に対する説明があるとのこと。
全員中庭に集まる。
んで、仕切ってるおっさんが何かいろいろ話すらしい。
おっさんハンドスピーカーを持つ

落とす

壊れる

全体に漂う(何やってんだコイツ…)感
説明を聞いてわかったこと
・これから他の地域の仮設住宅に入るときに、地区ごとに分けておいた方が行政的にやりやすい
・これが復興の第一歩
・(役場の人たちは一刻も早く自分達の仕事にもどりたいから)避難所の人たちに自治してもらいたい
256:
>>255
ごめんちょっとワロタwwww
>>256
俺も現場で吹きそうになったから大丈夫
257:
もう地元に残る人もいるかわかんねぇから地区もクソもない気がするけどね。
前家があったところにはもう家建てないって言ってる人も結構いるし。
あと目の前の被災者の精神的ケアよりも、先の見えない行政措置の方が優先事項らしいよ。
(注、地区ごとに分けてもすぐ体育館行ったら意味ねえだろ…。あと、その地区ごとに分けたほうがいいよ!っていうのは、
阪神大震災の被災者の人たちの意見を参考にしたらしい。地震だけだったらわかるけど、津波じゃ話違う気がするんだけど…
そんで、避難者のほとんどが反対してることをそのまま押し切っちゃう度胸はすごいと思う)
それに何よりもまず、お前はなんなんだよ。
町職員でもなんでもないだろ。
なんでてめえに自治されなきゃなんねえんだよ。
役場はてめえの自治じゃなくて避難民全体の自治を求めてんだろうが。
何自分で勝手に仕切り始めて自分の判断全員に押し付けてんだよ。
順番が違うんじゃないの?提案して話し合ってから決定するのが普通だと思うんだけど…。
百歩譲って教室割りはいいとして、それが許せない。
もちろんみんな不満だらけだけど、正論っちゃ正論だから何も言わないよ。
今更体制をひっくり返す元気もなかったのかも。
結局、部屋替えは行われることになった。
258:
朝早くに電話が来た。
兄から。
「今日山形に行ける?」
「いいですとも!」
というわけで引越し決定。
ずいぶんと急だこと…
朝に仙台から物資とか持って来て、そのまま俺を乗っけて仙台に帰る。
そんで明日引越し先に送るらしい。
正直中学校での生活はもう限界だったから、嬉しかったよ。
んでも、両親と弟を残して行くのもなんか辛かった。
260:
おっさんの説明のあと、最後の写真撮影。
街の全景も撮ったけど、前日とほとんど変わらんからカット。
他には
ごみ置き場。真ん中に見える銀色の袋が災害用毛布が入ってた袋。穴開けて着るとあったかいらしいよ。
朝9時か10時ぐらいだったかな?
兄が到着した。
で、兄貴も家の二階に行きたいってんで、一家で家の二階に行くことに。
もう取り出すもんはあらかた取り出したかと思ってたんだけど、まだあった。
父ちゃんと母ちゃんの部屋にあるスーツやらタオルやらを兄貴がひたすらとりだす。
それを外の両親に窓から見せる。
両親が「いる!」「いらない!」って外から兄貴に呼びかける。
また大量の物資が取り出された。
(書いてて小須田部長を思い出した。笑う犬の)
261:
膝を痛くしながら中学校に戻る。
戻るともう昼食だった。しかもみんな食べ終わるころ。
昼食後にみんなで部屋替えってなってたんだけど、もうみんな準備し始めてて。
ヤバイ、急いで食わないとって食い始める。
その間に部屋に荷物持って入ってくるジジイとババア。
少しぐらい待てよ…。
メシ食い始めるの遅いのは俺らが悪いけどさ…。
さっさと食ってから、俺らも部屋替え。
ウチはもともと1階だったんだけど、同じ1階の二つ隣の部屋に移動になった。
他だと、1階から2階とか3階に移動になった人もいるみたいだった。
262:
部屋替えが終わるころに、もう俺は出発しなきゃいけない時間だった。
兄貴の車に荷物を積み込む。
服。薬。水没パソコン。書類。タオル。バッグ。本。
それぐらいしか積み込むものがなかったかな。
簡単な引越しだね。
そんなわけで俺の被災生活も終わり。
町を抜けると、悔しいぐらいいつも通りの街並があった。
電気がついてて、人が歩いてて、何より家が並んでて。
地震の跡があったぐらいかな?
あとはガソリンスタンドに並ぶ車たちと、所々店が開いてないぐらいで、それ以外は何気ない日常だった。
もう自分の地元ではありえない光景に、虚しさが込み上げてきた。
ここで日記はおしまい。
ここまで読んでくれてありがとう。
なんか質問あったらできる範囲で答えるよ!
263:
こないだ防災用品として以下の物品をリュックにつめたんだけど、どう思う?
・寝袋・十徳ナイフ・ラジオ・軍手・ライター・電池・ライト・タオル・ティッシュ・ビニール袋
・マスク・500mlの水x2・メモ・油性マジック・旅行用スリッパ・お金・カンパン一袋
>>263
十分だとおもうよ!
強いて言うとすれば、ケータイが充電できる手回し発電ライトがあればいいんじゃないかな。
264:
南三陸町で働いてた私が来ましたよ
266:
>>264
なくなっちゃいましたね…
267:
今は登米に両親と弟が暮らしてるの?
オヤジさんは仕事どうなった?義援金配らんから金が心配
271:
>>267
んだね。三人で登米にいます。
仕事は大丈夫だったよ。普通に働けてる。同じ系列の支店違いみたいな感じかな。
274:
1よ…7万のスーツは活躍してる?
>>274
働き始めのときに数回着たかな?
あとはまったく活躍してないなー
それどころかクリーニング出したら、ヤニ臭くなって返ってきたよ…
ちなみに普段はアベイルのやっすいスーツだよwww
276:
戻ったり見に行ったりはしてないの?
>>276
戻る必要ないからね もう家の二階も壊されたらしいし
277:
頑張ってる奴に頑張れって言えない
けどがんばれよ
278:
>>277
なにその耳をすませばみたいな台詞
ありがとう
287:
おいついたー
津波の後の雪景色って地獄かとおもた
>>287
津波中の雪もなかなかキツかったけどな
288:
青空が印象に残った
289:
>>288
ホントに悔しいくらいにキレイな青空だったよ
2日目の満点の星空もキレイだった 街灯がないからあたりが真っ暗ですげー星が見えるの
290:
そろそろ消えますかー
こんなくそつまんねえ日記読んでくれてありがとう。
最後になんかいいこと言いたいけど、思い浮かばんな…
今回の経験で一番思ったのは、生きててよかったってこと。
まあ振られちゃったし、
>>99みたいについてない人もいるけど…
俺は後ろ振り向いてる暇も、横の他の人の様子見てる暇もないからさ。
とにかくまず前向いて自分ひとりでまっすぐ進めるようになるまでがんばるわ。
お前らも頑張れよー。じゃ。
294:
千葉で地味に被災したもんですが
本当に今回の震災で「命あっての物種」って分かったわ
これからも大変だろうけど達者であれ
>>1よ
295:
1乙
これから辛いことがあっても
乗り越えられるよね
頑張ったね、いい彼女見つけてね
29

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