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【SS】曜「This is Halloween」【ようりこ】


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タイトル通り、ようりこSSです。
遅刻ですが、ハロウィンものです。
・地の文有り
・何でも許せる人向け
以上を許容頂ける方は、ご一読くだされば嬉しいです。
では、下より本文です。
2:
 ハロウィンも日本に根付いて久しい。静岡の田舎町にまで、いつのまにか自然と波及していた。
鯵の干物一色だった内浦の海沿いにも、この日ばかりはカボチャを模したエクステリアが飾られている。
昔は流行っていなかったイベントだと、渡辺曜は敬愛する父親から聞いていた。
 今、曜が見上げている桜内梨子の家にも、ジャック・オーランタンが用意されていた。
今は目も口も暗いままだが、夜になれば怪しい光を灯すのだろう。
今春に東京から越してきたばかりの梨子は、泥と潮の臭いを漂わせる自分達田舎民と違って、
瀟洒で品のある佇まいで育ちの良さを見せていた。
勿論、全ての都民が彼女のようではあるまい。
静岡内、否、もはや浦の星女学院高等学校の生徒内ですら、優劣の差異が目に見えて存している。
東京に住む人々も玉石混淆に違いないと、曜は理解していた。
寧ろ、人口のボリュームもフローも桁違いなのだから、
東京の方が優劣を算する偏差の信頼性は高い。
それを踏まえてなお、曜は思う。桜内梨子は上玉だ、と。
 だから曜は、梨子にクラス内でも上位の位置を与えてやった。
カーストの最上階に君臨する曜にとって、
クラスメイトに梨子の地位を知らしめる事は難しい事ではない。
反面、梨子は慎み深く、曜の厚遇に乗じて権威を翳す事はなかった。
それでも曜の厚意に感じ入ってくれているらしく、誘いには好意で以って応えてくれている。
3:
 ハロウィンパーティーの誘いを数多受けている曜だが、その全てを断っていた。
クラスのものも、Aqoursのものも、水泳部のものも、
沼津駅の北東に列する高校の生徒たちとのプライベートな関係のものも、全てだ。
曜の一つしかない身体を、梨子と二人きりの時間に充てる為である。
梨子に二人で過ごす話を持ちかけた所、梨子は即答で承諾してくれた。
梨子に提案する時、自分が何時になく緊張していた事を覚えている。
苦手な性格の人を相手に会話する時だろうと、眼下の人が小粒に見える飛び込み台の高所に立とうと、
完璧にメンタルをコントロールしてきた曜にとって、新鮮な体験だった。
あの時と同じ緊張を指に感じながら、曜はインターホンを押す。
梨子と出会ってから、深爪してしまう頻度の増えた指だ。
「はい。桜内ですけど」
 約束の時間帯から曜だと分かりきっているだろうに、梨子の応答は慎重だった。
ただ、声の弾みまでは隠しきれていない。
期待してくれていたのだと、曜も嬉しくなった。
「ヨーソロー。梨子ちゃん、来たよー」
「あっ、やっぱり曜ちゃんだ。すぐ開けるから待ってて」
 学校では嫋やかな梨子も、曜の前では燥いだ様子を見せてくれる。
「お待たせっ。って、私の方も、待ち遠しかったけど」
 鍵の開く音が聞こえ、梨子がドアから顔を覗かせた。
東京での習慣らしく、桜内家は家に人が居る時でも常に鍵を掛けている。
4:
「私もだよ。さて、折角のハロウィンなんだし、恒例のあれ、言っておきますか。
トリック・オア・トリート」
「なぁに?トリックって言って欲しいの?残念ながらオモテナシは用意済みよ」
 曜の口に飴玉を放り込みながら、梨子が微笑んだ。
「悪戯じゃ嫌って意味かな?ヨーソロー、なら本気でやっちゃう」
「ふふっ、曜ちゃんたら。どうせ、始めからその気だったんでしょ?
私だって悪戯じゃ嫌だもの。上がって」
「お邪魔します」
 梨子に招じられた曜は、彼女の背を追って階段を上がった。梨子の部屋は二階にある。
曜も何度も入り、そして褥を重ねた部屋だ。
曜はそこに、ティム・バートンの作った世界に入り込んだかのような、
可愛らしくも幻想的な一室との印象を抱いている。
ならば今日は、映画『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の気分でも味わえるだろうか。
 悪夢の町に住むカボチャの王が、夢の世界からサンタを誘拐する映画だ。
しかし、彼の意図しないところで、サンタは悪いお化けの手に渡ってしまう。
カボチャの王は誘拐の罪を反省し、悪いお化けからサンタを救い出し、
クリスマスを悪夢の町にも齎していた。
子供の頃に見た映画なので、曜も細部は空覚えである。
だが、ハロウィンを迎える度に、
テーマソング『This is Halloween』のメロディとともに思い出す映画でもあった。
5:
 そして成長した自分は、今から夢の世界だ。
「ねぇ、曜ちゃん」
 部屋のドアに手を掛けた梨子が、身を翻して呼びかけてきた。
夢の世界への扉を眼前に留められてしまった曜だが、急く事はしない。
「どうしたの?」
「ん。あのね。悪戯じゃないのよね?」
「勿論だよ」
「つまり、本気って意味よね?」
「うん。そう言ってるけど。梨子ちゃんとは本気だって」
 念を押す梨子に、曜は首を傾げてみせた。
「私とは、ね」
 不満げな梨子の様子に、曜は慌てて両手を振って応じた。
「あっ、いや。今はほら、ソフトランディングの最中だよ。
一気に関係を清算しちゃうと、
中には私を刺したり自分を切ったりしかねない子も居るっていうか。
少しずつ、ね。順調に、解消していってるから」
 懸命に説明するが、梨子の顔から怪訝は消えない。
だが、一番好きな存在が梨子である事実に、嘘はなかった。
6:
「んー、いいの。私なんて、所詮は後から来た人間だし。
でもせめて、遠慮しないで欲しいかな、って」
 ドアを開けた梨子が、室内に足を踏み入れながら言った。
「改めてお邪魔します。ところで遠慮って?」
 入室した曜は、梨子の言葉を繰り返した。
背後から聞こえるドアの閉じる音が、曜の声に被る。
「曜ちゃん。他の子に比べて、私とする時、遠慮してない?優しい所も好きなんだけどね。
でも、素の曜ちゃんって、もっとこう、激しい気がするの。私が相手じゃ不足?」
 問いかける梨子の顔が、何処か寂しげに映る。
声のイントネーションも”後から来た人間”と自称した先程と同じだった。
「不足なんかじゃないよ。ただ」
「大事には思っている、そんな所かしら」
 曜が言わんとした言葉の先を、梨子が引き取って言う。
図星だ。言葉を選んでいた曜は、否定しない事で梨子の言を肯んずる。
「でもね、私、曜ちゃんが思ってるほど弱くないし、繊細でもないから。
他の田舎の子にシてるみたいに、荒々しく扱ってくれてもいいよ。
いっそ壊してくれてもいいから」
 堰を切って溢れる梨子の声は、言葉が進むごとに激しさを増した。
喉の奥から絞り出された奔流が、曜の心の琴線を強く強く弾いてゆく。
伴って、梨子の表情も嫋やかなものから、烈しいものへと変じてゆく。
最後に、自身の破壊すら許可する梨子の形相には、哀願の如き迫力があった。
7:
 梨子の言う通り、曜は彼女を大切に大切に扱ってきた。
だがそれは、弱く見えたのではなく、繊細に見立てたのでもない。
ただ、梨子に嫌われたくなかっただけだ。
運動能力や容姿で目立つようになってから、誰もが自分を見上げてきた。
そこにやって来たのが、ピアノで全国レベルの実績を持ち、
淑やかさと凛々しさが両立した器量を併せ持つ梨子である。
久しくなかった対等とも言える存在を、一時の欲情で離したくはなかった。
 だが、もしかしたら。
その”見上げ敬う心”そのものが、梨子に必要以上の寂しさを与えていたのかもしれない。
転校したばかりで知り合いの居ない土地、
それも便利な東京から不便な田舎へと引っ越したのだから、胸に迫る寂寞たるや尚の事だ。
対等と言うのなら、優しく遇して特別扱いした気になるのは間違っていた。
 そうだ。曜の脳裏に、Aqoursの一年生三人組の姿が過ぎった。
Aqoursの後輩である国木田花丸は、津島善子を茶化し、黒澤ルビィを労り看ている。
花丸が善子とルビィのどちらを対等と見立てているか。
そこに目を転じれば、自分と梨子の関係の客観視も容易だった。
「私、バカ曜だったかも」
 曜は呟いてから、梨子を強く抱き締めた。
「今まで誰にシたより本気でやっちゃうけど、梨子ちゃんが悪いんだからね」
「んっ。悪いのは、曜ちゃんだよ。私をこんなに好きにさせちゃったんだから。
でも、私も悪いでいいよ。なんか、私達、共犯みたい」
 梨子が含み笑った。曜も合わせて笑うと、梨子を持ち上げてベットへと放った。
8:
「思いっきりシて」
 両手を広げて招く梨子に、曜は獣のように覆い被さった。
互いの吐く湿った吐息が、互いの口元で混ざり合う。
柔らかな口唇を割って、赤い海鼠が二つ絡み合った。
後はもう、無我夢中だった。今までのような、優しく労る上辺のコミュニケーションではない。
愛を互いの身に刻み合う、野性的なコミュニケーションだ。
沼の深みに、二人嵌まってゆく。
「痛っ。ちょっと、痛いかも」
「いいのっ」
「あはっ。ねぇ、そろそろ休憩しない?」
「いいのっ」
「んんっ、曜ちゃん、他の子にバレたら、大変だね」
「いいのっ」
 途中で梨子が何か言っていたが、全て一言の下に切って捨てて行為を続けた。
ただただ、梨子が欲しい。
今までの遠慮がバネとなり、凄まじい反動を生んでしまっている。
「私達、もう戻れないね」
「いいのっ」
 何を今更。曜はまた一言で終わらせ、ただただ身体を動かした。
梨子ももう、それ以上意味ある言葉を紡ぐ余裕はないようだった。
9:
*
 ベッドの上に座って、曜は梨子の弾くピアノに聴き入った。
梨子の指から流れるは、曜のリクエストした『This is Halloween』である。
ピアノ慣れした梨子にとっても、裸体のままの演奏も裸体の観客も初めてだろう。
 最中の嵐の如き激しさとはうって変わって、事後のピロートークは穏やかなものだった。
その話の中で、曜が梨子にピアノを演奏してくれるよう頼んだ所、梨子が応じてくれたのだ。
弾く前の恥ずかしがる様子とは一転して、鍵盤を叩く梨子の横顔が凛々しく映える。
曜は奏者の一挙一動から、目も耳も片時すら離せなかった。
「どう?空覚えの耳コピで、曜ちゃんの満足に適ったか自信ないけど」
 弾き終えた梨子が、恥ずかしそうに言う。
「最高。って、私ボキャがなさ過ぎだよね。音楽を褒める言葉って、よく分からないんだ。
この音楽大好きだなって思うと、それだけで胸がいっぱいになっちゃって」
「素人が下手にレトリックを駆使して世辞臭くなるより、そう素直に言ってくれた方が余程有り難いわ。
だからコンサートでも、聴者が奏者を褒めるのに言葉は使わない。
ただ拍手の規模、それだけで応えるの」
 曜は力の限りの拍手で応えた。両掌が痛くなっても、止まない音を鳴り響かせる。
もう一度聴きたい。素直な思いが、曜を動かしている。
梨子も照れる様子は見せたものの、アンコールに応えてくれた。
10:
「さっき弾いた時とは、また違っちゃった。私もまだまだね」
 弾き終わった梨子の自己評価は辛かった。
 データ音源ではないので、全く同じ演奏を再現することはできない。
演者が指や手や息吹に込める些細な強弱が影響し、音はその場限りの生を刻み続けている。
だが、梨子が言いたいのは、そういう事ではないのだろう。
一度目の演奏と二度目の演奏で、空覚えの耳コピで弾くコードに違いがあったらしい。
矜持の高い梨子にとっては恥かもしれないが、
曜にとってはそれすらも自分の為に生まれた音だ。
「とんでもないよ。思い出しながら、弾いてくれたんでしょ?
それって、少しオリジナルな要素が入ってるって事だよね。
私の為に、一生懸命演奏してくれた結果でしょ?最高のトリートだよ」
 再び盛大な拍手を浴びせてから、曜は言った。
「曜ちゃん。気に入ってくれたのなら、良かったわ」
「私の方こそ、無理なお願いでごめんね。空覚えだって言うのに、お願いしちゃって」
 梨子はウォルト・ディズニーが好きらしかった。
幻想的な部屋のインテリアも、ディズニーの影響を受けたのだろう。
そして、ディズニーとバートンはファン層が被る事も珍しくない。
その親和性の為か、梨子も「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」は観た覚えがあると言っていた。
観た覚えがある程度の記憶で、ここまで曲を再現したのだから大したものだと曜は思う。
12:
「構わないわ。いつだって、曜ちゃんにとって一番の曲を弾いていたいもの。
それに、ハロウィンらしい一曲だしね」
「それだけじゃないの。
さっき、梨子ちゃんと昔話した時、私の知らない梨子ちゃんが出てきて。
沼津に来るまでは、ピアノ一筋の人生だったんでしょ?
そこに嫉妬じゃないけど、なんか、私の知らない梨子ちゃんが居るって心苦しくなっちゃって」
 視界に梨子を捉えながら、曜は続ける。
「前から大筋は聞いてた話なんだけどね、なんか、今日に限って、拘っちゃう自分が居るの。
多分、細かい部分まで聞けたから、とかいう理由もあるんだろうけど。
それで、私の為だけに弾いて欲しいって、思っちゃった」
 曜は考えるよりも先に身体が動くタイプの人間だった。
それが梨子の事になると、深く深く思惟を及ぼしてしまう。
これが恋というものなのだろう。
 曜は狭い田舎の中で、恋を知らずに快楽のみに耽っていた。
個々人の認識する世界とは、アクアリウムのようなものだ。
外にまだ広い世界があると知りながらも、アプリオリにセットされた形式を除いては、
自分が経験したものの範囲でしか認識能力を及ぼせない。
どれだけ世界が広かろうと、曜はアクアリウムの内側で恋に値する番を見い出せずにいた。
その折、恋になりたいアクアリウムだった自分の世界に、
梨子という恋愛に値する対象が入ってきてくれたのだ。
もう、離すことなどできない。
13:
「分かるわ。私だって、ずっと前から妬いていたもの。
曜ちゃんの飛び込みを初めて見た時は、その凄さに只々圧倒されていたわ。
自分だったら目も眩んじゃうような、あんな高い所から躊躇せずに飛び込むんだもの。
綺麗なフォームで、三回半も回転しちゃって、思わず見惚れちゃった」
 他の人に褒められた時より、梨子に褒められた時の方が、曜の心は歓喜に滾った。
だが、今はまだ、内心を表出する時ではない。
梨子の切なげな顔が、話に続きがあると教えている。
「でもね。同時に、思い知っちゃったの。
きっと、ああいう離れ業ができるようになる前に、血の滲むような努力があったんだろうな、って。
そこが曜ちゃんにとって一番辛い時期だっただろうに、私は力になる事ができなかった。
その時期を一緒に過ごした人に、嫉妬みたいな感情を抱いちゃうの。
私だって、曜ちゃんを支えたかった。力になりたかった、って」
「梨子ちゃん」
 視界が霞む。曜は瞬きを何度も繰り返して、視界から靄を払った。
 曜の飛び込みを初見した人は、大抵が驚嘆の反応を見せる。
そしてあらん限りの褒辞で以って遇してくれるのだが、
その実、曜の過去に付いては思いを馳せず、『才能』の一言で片付けてゆく。
沼津で学窓を共にした古い知己達ですら、挙って同じ言葉を使っていた。
『自分達と曜ちゃんでは才能が違う』と。
才能以外の要素に触れたとしても、精々が『要領がいい』に留まっている。
トレーニングに立ち会ったことなどない癖に、血を吐く思いの日々はそうして簡単に否定されていった。
だが今は、孤独な身を何度も何度も水面に叩きつけた日々に、思いを馳せてくれる人が眼前に居る。
14:
 そうか、と曜は気づいた。何故、自分が梨子をここまで特別視したのか。シンパシーだ。
「そう思っていくうちに、ピアノが弾けない、なんて言っている自分が情けなくなっちゃって。
曜ちゃんと対等でありたい。曜ちゃんの隣に居て、恥ずかしなくない存在で居たい。
その思いで、もう一度ピアノに向き合う事ができたの。曜ちゃんのお蔭よ」
 簡単に言っているが、梨子もピアノに血の滲むような努力をしてきたはずだ。
それこそ、曜と同じように。
努力の日々を才能の一言によって片付けられ、厳しいレッスンに孤独な思いで臨んでいたのだろう。
ピアノで全国レベルへと至るまでに梨子が辿った血涙の日々は、曜だからこそ察するに余りある。
「私のお蔭だなんて。梨子ちゃんが頑張ったからだよ。
でも、私の為って言ってくれたのは嬉しかったかな。
私だって梨子ちゃんから褒められると、頑張ってきて良かったなって思えるし。
もしかしたら、私」
──この日の為に頑張ってきたのかな。
 梨子と出会う未来など過去の自分に見通せるはずもないが、不思議とそう信じ込めた。
運命とは、このような縁を言うのだろう。曜の心も定まった。
「うんっ、決めたっ」
 曜は梨子を見据えて叫ぶような調子で言った。
対する梨子は、急に大声を上げた曜が怪訝らしく、首を傾がせている。
「何を?」
15:
「もう、他の子とは金輪際シない。梨子ちゃん一人に絞る。絞るったら絞る」
 曜の宣言に、梨子は嬉しそうな笑顔で応えた──かに見えたが、
直後には不審そうに目を眇めていた。
「本当?他の子にも言ってたりしない?」
「本当だよ。それにもう、梨子ちゃんにしか言わない」
「やっぱり他の子にも言ってたじゃない。
それに部屋に入る前、ソフトランディングとか言ってなかった?
刃傷沙汰だのリスカだの、物騒は話もしていた気がするけど」
 あれは苦し紛れの言い訳、とばかりも言い切れない。
曜と関係を持った者の中には、面倒な手合も確かに居る。
「うー。半分嘘だよ。針小棒大に言い立てたっていうか。
まぁ、その辺のリスクもケアも引き受ける。
でも寝たり抱いたりの対象は梨子ちゃんだけだから」
「調子いいんだから、もう。
ちゃんと証拠をくれないと不安だわ」
「証拠?証拠かー」
 曜に何かをねだるファンは多い。
頻度としては記念撮影が多いが、ボタンやハンカチといった有体物を欲しがる者もいた。
だが、梨子だけを愛する証拠となると、何をすれば良いのか思いつかない。
愛を囁くだけでは信じてもらえないだろう。
16:
「ええ。言ったでしょう?
荒々しく扱ってもいいって。壊してくれて構わないって。
だからね──私の身体に、瑕を頂戴な」
 梨子はピアノ椅子から立ち上がると、机に向かいながら言葉を続けた。
「そうすれば、曜ちゃんだって他の子とはもう関係を持たなくなるでしょう?
女の子を正真正銘の傷物にするんだもの、責任を取ってもらうわ。
もし曜ちゃんが他の子と寝るようなことしたら、
その瑕を見せに相手の女の所に怒鳴り込んでやるんだから」
「ふわっ、激しいね。でも大丈夫なの」
 曜が相手にしてきた女の中には、マゾヒズムの嗜好を持った者もいた。
傷痕が残らない程度に、責め抜いてやったものだ。
情で加減したのではない。後々面倒な事になった時、証拠を残さない為だ。
逆に言えば、瑕とは証拠にもなり得る。
 ただ、梨子はマゾではない。足を見れば分かる。
今、梨子はボールペンの芯とソーイングセットを手に、ベッドへと戻ってきていた。
抱く感情が期待や歓喜ならば、軽妙な足取りとなっているはずである。
だが慎重に歩むその足は、痛みに慄いているらしく小刻みに震えていた。
「大丈夫。もう一度言うわ、壊してもいい。
だから、曜ちゃんの名前、好きな所に入れてほしいな」
 曜は隣に腰掛けた梨子の太腿へと視線を向けた。
痙攣したような震えは収まっていない。
17:
「ボールペンインクのタトゥーね。私、やったことないよ?
だから、滅茶苦茶痛いだけで、上手く彫れないかも」
 この田舎町でも、恋人の名前を入れている女子生徒を曜は幾人か見たことがあった。
方法は簡単だが、根気が要る上に痛みも伴う。
実際に入れた人間が、曜にやり方を語っていた。
 まずは入れる部位の肌に、ボールペンで任意の文字列を書き込む。
その部位だが、利きではない二の腕が選ばれる例が多かった。
次に、ボールペンの替芯のインクを針先に付着させ、その針を書き込んだ文字列に沿って肌に刺す。
替芯インクと肌の往復を繰り返して、文字列を全て刺し終われば完成だ。
 水泳で肌を露出する機会の多い曜にとって、タトゥーの類は禁忌である。
だからそれきり、ほとんど思い出す事もなかった。
精々、曜の名前を勝手に入れている人間が居ると聞いた時に、呆れと羞恥の同居した感情を抱いた程度だ。
「構わないわ。私で練習してくれていいから」
 梨子はなおも迫るが、どんなに頼まれても肌にインクを入れる訳にはいかない。
安全なやり方だとは決して思えないし、一度入れれば消せないのだ。
そして実際に、入れて後悔している人間も見てきた。
今の時点では、大抵が『入れた後に相手と別れた』というケースで、自分達には無縁の話だとは思う。
だが、タトゥーそれ自体を忌む世間の風習が全て消えた訳ではない。
事実、『入れ墨お断り』という温泉も未だ多く残っている。
まして曜自身が、梨子の美しい肌に消えない傷痕をつけたくはない。
「駄目駄目っ。いくら梨子ちゃんの頼みでもこれだけは駄目っ」
 曜は目の前で両手を振って、強い拒絶の意を表した。
18:
「どうしても?」
「どうしてもっ」
「そっか」
 隣で呟く梨子の横顔が寂しそうに震えた。
 曜も口唇を噛み締める。
梨子が証拠を欲しがるのは、彼女の人間に対する不信が原因ではない。
自分の不貞の遍歴に責任があるのだ。
自分の所為なのに、梨子の身体に傷痕を付けるわけにはいかない。
かと言って、何らの証拠も与えず梨子に安心を齎さないのは、
原因を作った側の態度としては無責任に過ぎる。
「いいの。私の我儘だから。
曜ちゃんが誰にでも優しいのは不満だけど、そこが好きなところでもあるんだし。
他の子と違う扱いの証が欲しかった、って言うだけだから。
ふふっ、まるで善子ちゃんみたいね」
 梨子の口から善子の名前が漏れた。
彼女は普通である自分に嫌気が差しているらしく、
『ヨハネ』という偽りのペルソナを演じる事が多々あった。
解離性同一性障害、所謂”多重人格”とは異なり、善子自身が意図して演技している。
実際、善子は動画サイトを通じて、ヨハネ名義での実況を配信しているのだ。
19:
「あっ」
 曜の口から短い声が漏れた。
善子の名前がスイッチとなって、梨子の希望に適う方法を閃いたのだ。
あれは、善子がAqours加入してまだ間もない日だった。
 曜は梨子の持っているソーイングセットを指差して言う。
「梨子ちゃん。それ、貸してもらえる?」
「ええ、構わないけど。気が変わってくれた?」
 梨子はソーイングセットとボールペンを渡してきたが、曜はソーイングセットだけ受け取った。
「タトゥーじゃないよ、だからこっちだけでいい。
いっそ、針と糸だけでいいくらい。
ボディステッチって、梨子ちゃんも聞いた事あるんじゃないかな?」
 問う側の曜は、善子から聞いて知った。
20:
 加入して間もない善子は、衣装を作る曜の裁縫の能力に目を付けたらしい。
ボディステッチをしてくれないか、と依頼してきたのだ。
聞いた所、ボディステッチとは、肌の薄皮のみを縫って、糸で織り成すファッションらしい。
薄皮にしか針を刺さないので痛みはなく、糸が肌の薄皮の下を通って固定される。
そうやって糸で文字なり記号なりを、肌の上に表現していくのだ。
 善子からは逆さの十字架と可愛らしいコウモリのアートを依頼されていた。
ただ、当の善子は土壇場になって怖気づいたらしい。
曜が善子の肌に針を通す直前で、依頼のキャンセルを申し出ている。
その為にボディステッチは未経験であるが、曜は裁縫の能力に人並みならぬ自信があった。
「ええ、聞いたことも見たこともあるわ」
「なら、話が早いや。それで、いいかな?痛くはないと思うから、多分。
えーとね、梨子ちゃんに、私の愛称を縫い付けたいんだ。
それで、梨子ちゃんは私のものだっていう所有権の証明にしたいんだ」
 梨子は微笑んで受けてくれた。彼女の肢体から、震えも落胆も消え失せている。
「勿論。私だって嬉しいわ」
21:
「何色がいい?」
 ソーイングセットを開いたところ、糸は多色揃っていた。
衣装係を担当する曜には及ばないものの、他のAqoursメンバーにこうも多岐な色を揃えている者は居まい。
Aqoursの中には、ソーイングセットに無縁そうな者すら居る始末なのだ。
「好きな色はライトレッド。あ、でもライトブルーも捨て難いかな。
曜ちゃんの色って感じがするし」
「ライトレッドは梨子ちゃんの色って感じだよね。
でも、自分の色も縫って、マーキングしておきたいかな。
そうだ、二重螺旋状に重ねて縫っちゃおう」
「ふふっ、曜ちゃんたら。私もそれに一票」
「好きな所に縫っていいんだよね?」
 針の穴にライトレッドの糸を通しながら、確認するように曜は言った。
「ええ。曜ちゃんは私の身体の何処が好きなの?」
 挑発するように、梨子が身体を開く。
「粘膜とかだと傷つけちゃうんだよね。
だから、縫える部位で選択して、ここかな?」
 乳房に手を置いて、曜は満面の笑みを梨子に向けた。
「ふふっ。エッチなのね」
 梨子も微笑みで応えてくれた。
22:
「いくよ。動かないでね」
 曜は一言断ってから、梨子の右乳房に狙いを定めた。
肉に傷が付かぬよう、慎重に繊細に、表層の薄皮のみに針を通す。
難易度で言えば遥かに難しい衣装を熟してきた曜だが、ここまで緊張する裁縫も初めてだった。
弾力のある乳房が今にも反発して、針に突き刺さりそうだ。
緊張に息を詰めながら、曜は針を進めてゆく。
 Yの字が終わると、曜は大きく息を吐き出した。
梨子の乳房は、血管が皮膚に浮き上がってきたようだった。
「大丈夫?休憩する?」
「しない、しない」
 梨子が気遣ってくれたが、曜に休むつもりはなかった。
中途半端なところで途切れさせたくはない。
次はYの隣に、Oの文字を縫うのだ。
 円を描くOの字は更なる繊細さを求められた。
ボディステッチで表現する以上、円は多角形にならざるを得ない。
多角形を自然な円形に見せるべく、曜は細心の注意を払い、短い間隔で糸を通していった。
気付けば、梨子の息遣いが近かった。
細かい作業に集中している所為か、顔を梨子の胸部に近づけ過ぎていたらしい。
梨子の甘い吐息を髪に感じながらも、曜は集中を切らす事なく裁縫を続けた。
 円を縫い終えた曜は、中に縦線を二つと、小さなUの字を縫い付けた。
更に円の周囲にも、円から放射された線を八本縫う。
それらを添えたOの文字は、太陽が笑顔を浮かべている如き相を成した。
 これは自身の名前である『よう』を意味し、ファンにサインを求められた時に用いているものだ。
23:
「ふぅ、取り敢えず、ライトレッドは終わり。
次はライトブルーだね。梨子ちゃん、疲れてない?休憩する?」
 今度は曜の方から問うた。梨子は首を振っている。
「休憩なんて要らないわ。早くこの身に、曜ちゃんの色を刻んで頂戴」
「分かった。後少しで終わるから、もう少しだけ我慢しててね」
 曜はライトブルーの糸も針に通すと、YOの文字と二重螺旋を描くように縫い合わせた。
ライトレッドの道筋が、一周目に出来ている。
沿えば良い二週目は、遥かに容易に終えられた。
「ほいっ、完成っ。んー、大方はイメージ通りかな」
 少し離れて見て、曜は出来栄えを確認した。
ライトレッドとライトブルーの二重螺旋の線が、梨子の右乳房にYOuのサインを織り成して見える。
「ありがとう。とっても素敵よ」
「どう致しまして。痛くなかったよね?」
 少なくとも、梨子の乳房に出血は見られない。
薄皮のみを縫っていく事ができたようだ。
「ええ、大丈夫よ。ところでこれ、どのくらい保つの?」
 胸に縫われたYOの文字を見下ろしながら、梨子が問う。
24:
「んー、日持ちはしない。というか、雑菌とか怖いからさ。
入浴前には抜糸しちゃうね。大丈夫、タトゥーと違って痕も残らないから」
 一日限りだからこそ、曜はボディステッチを選んだ。
梨子の美しい肌に、痕を残さずに済む。
「えっ、それじゃあ」
 証拠にならない、と梨子は言いたげだった。
それに対しても、答えは用意してある。
曜はスマートフォンを片手に、梨子の元へと戻った。
 そうして曜は梨子と密着して隣り合い、スマートフォンのカメラモードを起動させる。
撮る対象は自分達だ。
「証拠が欲しいんでしょ?撮るよ?
全前進ー?」
 梨子も意図を悟ってくれたらしく、続きを合わせてくれた。
「ヨーソロー」
 掛け声に合わせ、撮影をタップする。
シャッター音を聞いた後、曜は画像を確認した。
「うん、上出来上出来。ちょっと待っててね。今、共有するから」
 その画像をオンラインストレージにアップロードし、
梨子の持つアカウントとクラウド上で共有させた。
25:
「梨子ちゃんの方にもいったかな?
梨子ちゃんが私のものだっていう、証明写真だよ。
私が他の子とシたりしたら、その画像を盾に使ってくれて構わないから。
それで私も、梨子ちゃんのものとして拘束され続ける」
「ああ、クラウドストレージには証拠として残り続けるのか。
逆に曜ちゃんも、私が他の子に走ったりしたら、その画像を見せてくれて構わないわ。
尤も、そんな事は絶対に有り得ないけど」
「私だって」
 曜も言い返す。梨子を好きな気持ちは、梨子が曜を想う気持ちにも負けていないつもりだ。
「どうかなー。あ、そうだ。これ、インスタグラムに上げていいかな?」
「駄目っ。絶対に駄目っ。
証拠の提示以外の目的で他の子に見せたら駄目だよ、ましてや不特定多数が相手のSNSだなんて。
梨子ちゃんの乳房は私だけのものなんだから」
「ふふっ、冗談よ。でも、良かったわ。曜ちゃんも私の事で嫉妬深くなってくれて」
「それは一目見た時からお互い様、だよ」
26:
 二人、笑いあってから、思い出したように曜は言う。
「そういえば、ね。
糸を縫い付けられている梨子ちゃんって、
ナイトメアー・ビフォア・クリスマスのサリーちゃんに似てるような気がする。
優しくて良識あるし、髪の毛とか目つきとかも含めてそっくり」
「私もその映画、思い出してきたわ。曜ちゃんはジャックね。
透明感ある所とか、地元のカリスマな所とか、共通点があるもの」
 機転を利かせ、そのキャラを曜に宛てがってくれたのは有難かった。
「それじゃあ期待に応えないとね。
そういえば、すっかり定番の映画になってるけど、私達が生まれる前に公開された映画なんだよね」
 その時代を経験した人々は、恋愛もクラウドで管理される時代になると予想できただろうか。
時は進んでゆく。自分達も、変わってゆく。曜も今日、確かに変わった。
 証拠を残した以上、この恋愛は約束ではない。契約だ。プロミスからコントラクトへ。
曜もまさか高校生の身で、約束と契約の違いが齎す重みを味わう事になろうとは、思ってもみなかった。
「ええ。定番とはいっても、小さい頃に見たきりだったけど。
でも、映像は残り続けるから、いつだって見返せるわ。
記録や伝達の媒体は、変わり続けるかもしれないけど」
 沼津のような田舎よりも、変化の早い東京、それも都心三区で梨子は育っている。
曜よりもずっと変化に対して鋭敏な環境に身を置いていたに違いなかった。
それこそ曜に言わせれば『What's This?』の世界だ。
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