川内「好きの形」back

川内「好きの形」


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1:
「起っきろー!」
喧しい声で目が覚める。
私はすぐに飛び起きて自室を出た。廊下の窓からは光が一筋も刺していない。
「どう…………どうした?川内」
目の前にいたのは私の部下である川内。
そのあまり日焼けしていない白い肌が真っ暗な廊下で異色を放っていた。
彼女は私と目があうなりニヤけだした。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1432650454
2:
このスレは可愛い川内ちゃんのハートフルな物語です(予定)
眠気マックスの頭は何を思ったのか
微少の書きためを投下したくなって今にいたります
おそらく明日には、正気に戻った>>1の青ざめた顔が見られるでしょう
4:
「きたね……!」
「……何がだ?」
川内はニヤニヤしたまま私の部屋の窓を指差した。
「夜だよ!」
待ってましたと言わんばかりに元気そうに答える川内。
夜であることなんて窓を見ればわかる。
何より、私はたった今起こされたばかりなのだ。
「そうだな……それで?」
我ながらその返事は、あまりにも素っ気なかったように思える。
だが、会議のあった夜に起こされる身にもなってほしい。むしろ怒りを面に出さなかったことでよしとしたい。
「夜だからさ……ね!」
笑いながら詰め寄って手を握ってくる。
気づかなかったが、よく見ると彼女は艤装を身に纏っていた。
「……誰か居ないのか?」
私より低い川内を向いていた顔を上げ、廊下を見渡すが、暗闇の先に人の気配はしない。
いつもなら神通の迎えが来るはずだが、それが見当たらない。
彼女も寝ているようだ。
5:
「…………川内」
欠伸を噛み殺して再び彼女の目を見る。
純粋に私の言葉を待ちわびる輝く瞳。
邪気は一切感じられない。
「はい!」
「今日は無しだ。ただちに艤装を外し、実室に戻れ」
ハキハキとした良い返事を返す川内。できれば日が上っている間に聞きたかった。
あまりの眠気に少しだが怒気が漏れてしまったかもしれない。そんな強めの口調でしっかりと注意を促す。
「えぇ……」
「……今何時だと思っているんだ?」
「夜の2時だよ!今からは夜戦の時間だね!」
6:
「……むぅ」
元気よく答える川内。あまりの大声で文字どおり耳が痛い。
時間を再認識させようとしたのだが、むしろ逆効果となってしまったようだ。
「…………一人で夜戦しに行くようなバカは知らん。俺は寝るぞ」
川内に背を向け扉に手をかける。
「……提督は、私に着いてきてくれない?」
「悪いが眠いんだ。夜間の一人での行動は禁じているから、どうしても夜戦をしたいのなら誰か連れて行ってくれ」
「えっ……提督――」
「じゃあ、おやすみ」
寝ぼけた頭で妥協策を出しそのまま若干ぶっきらぼうに川内をあしらった俺は、川内の返事も聞かずに部屋に戻った。
9:
いっけねー(棒)
言い忘れてたことがありました
キャラ崩壊注意です
甘甘な話が見たい方はここでは無理かな……と
それは某砂糖製造スレをはじめとした世界線で楽しんで下さい
12:
再び扉を叩くかと考えたが、結局川内は私を諦めて仲間探しに向かったらしい。
再び静かな夜が私に訪れた。
「……あの夜戦好きには手を焼かされる」
布団に潜り込み、目を瞑る。
だが、眠れない。
先程のやり取りですっかり目が覚めてしまったのだ。
「…………どうしようか」
流石に2時は起きるには早すぎる。
というより、もはや徹夜に近い。
そう思い直し再び体の力を抜き、布団に身を預ける。こうするだけでも体は休まるからだ。
「……川内か」
天井を見ながら彼女のことを考える。
私の知る彼女は、川内型の長女で夜戦が大好きな少女。
気さくな性格で、私が今の階級よりもずっと低かった頃からの仲だ。
「…………ん?」
起き始めてしまった頭にたる疑問が浮かぶ。
「…………あいつ、あんなに夜戦が好きだっただろうか」
初めて会ったときから、確かに夜戦が好きだと言っていた。
だが、深夜に私の部屋にやって来るほどでは無かった。
「…………おっと」
しばらく考えていたが、脳がてきぱきと動き出したことを感じ、私は思考を停止した。
今は寝ることに専念しなければならない。
体勢を変えた私は、小さく深呼吸をした後に微睡むように目をつむった。
19:
以下投下
20:
翌朝……といっても、川内に起こされてから4時間後の0600。
今度は私の目覚ましがけたたましく鳴り出した。
「………………」
弱冠イラっときたが、目覚ましに罪はなく、なにより自分が仕掛けたものなので怒りを沈めて布団から出る。
今日は疲れることを見越して予定は入れていない。
我ながら判断力は素晴らしいと実感した。
窓を開けると、部屋に勢いよく潮風が雪崩れてくる。
「…………さぁ、やるか」
その風を受けて、私の頭は完全に働きだすのだ。
私は掛けてある軍服に着替えて、扉を開けた。この扉は、私と執務室を繋いでいるのだ。
21:
「おはようございます」
開けた扉の先には神通がいた。
朝の挨拶にしては、いつもより深く頭を下げている。
「昨夜は、姉がご迷惑をおかけしました」
なるほど。謝罪も兼ねて……と言うよりも、謝罪が主な理由か。
「私は気にしていない。むしろ、君が近くにいなくて心配していたんだが」
「私は寝ていて、それを知ったのはつい先程で……」
目を伏せて、視線を私の足元に泳がせる神通。
不必要に自責の念が強いようだ。
「顔を上げろ。君が謝ることではない」
私は神通の頭を優しく撫でる。
彼女は大きく震えた。
「おっと、すまん」
私はすぐさま右手を退けた。
つい見た目の年齢的に、ここに着任している子は妹か娘のように扱っていたのだが、近頃それが行動にも表れているように思う。
22:
「あっ……」
「いきなり触って悪かった」
妹や娘と同等に扱っているとはいえ、彼女達は女性だ。深い仲でない男性から頭を撫でられるのは不快に思うだろう。
…………セクハラと訴えられても困る。
「……いえ、大丈夫です」
一層頭を深く下げて神通は答えた。
「そう言ってもらえると助かる」
気を取り直し、先程とは別の扉に手をかける。この扉は廊下に繋がっているのだ。
「…………あの、よろしければもっと撫で――」
「では、朝食を食べに――今何か言おうとしたか?」
「…………いえ、同じことです」
「…………そうか」
声が被ってしまったが、神通は気にしない様子だったので敢えて言及するのは止めた。
「……では、そろそろ行こうか。伊良湖が待っている」
「……はい」
神通が着いてきていることを確認して、私は扉を開けた。
23:
「…………」
「…………」
扉を開けた私は硬直した。
神通は隣に立って頭を抱えている。
「提督ー!おっはようございまーす!」
彼女のことは嫌いでは無いのだが、ときどき癪にさわるときがある。
例えば、寝起きにハイテンションで挨拶されたとき。
「…………那珂」
「何かな?」
「今はそういった気分では――」
「あっ、お触りは禁止だよー?」
「…………ふぅ」
溜め息を吐くと、幾分か苛立ちがおさまった。
「提督……すみません」
「いや、神通は謝らなくともいい」
喧しい姉妹のせいで、神通には謝り癖が着いているのだと思う。
「あれあれー?元気ないなー。……よし!那珂ちゃんが元気にしてあげるね!」
そう言うと那珂は、どこから取り出したのかマイクを手に歌いだした。
24:
「…………すみません」
「いや……君が謝ることでは――」
「さぁ!提督も踊ろう!」
いきなり私を部屋から引っ張り出した那珂は、廊下で可愛らしく動き出した。
「うおっ……おっと」
那珂が手を離さないせいで、私は連ら
れて左右に揺らされる。
「すまないが、手を離して……」
「提督、楽しい?」
止めようと彼女を見ると、可愛らしい笑顔を振り撒いている。
「…………あぁ、楽しいぞ」
それを見た私の頭からは文句が消え、彼女のダンスが終わるまでされるがままになっていた。
40:
「……はぁ…………はぁ……」
日頃の運動不足が応え、那珂が手を離した頃には私の息はすっかりあがっていた。
「提督!お疲れ様ー」
息を切らさず笑う那珂は流石と言える。
「那珂ちゃんとの特別ステージ、楽しかったかなー?」
「あぁ……久しぶりにいい汗をかいた」
手の甲で額の汗を拭う。
「よかったー!」
花が咲いたように笑うとはこのことを言うのだろう。
那珂の明るさを振り撒く笑顔を直視できず、私はよそを向いた。
先程苛立ちを感じたことが恥ずかしくなったのだ。
「っ!」
逃げた視線の先には膨れっ面の神通がいた。
一瞬だけ彼女と目があったが、今度は私がよそを向かれた。
「…………そろそろスケジュールの遅れを取り戻せませんよ?」
顔を背けたまま、刺々しい声を飛ばす神通。
そう言われて気がついた。
踊っていなければ、今頃は朝食にありついている時間だ。
「早く行きましょう。那珂ちゃんも邪魔しちゃ駄目ですよ?」
「おっと」
右手を半ば強引に引かれ、私はよろめいた。
41:
「危ない!」
那珂が倒れそうになる私の手を取った。
咄嗟に那珂が反対から引いてくれたお陰で私はなんとか踏みとどまれた。
「す、すみません!」
「いや……大丈夫だ」
私は体勢を立て直し、小さく息を吐いた。
「提督、大丈夫?」
「あぁ、ありがとうな」
心配そうに覗きこむ那珂。
私は握っていた手を離し、お礼として頭を撫でた。
「て……提督!」
一瞬たじろいだ那珂だったが、数秒してすぐに私の手を避けた。
「な、那珂ちゃんはみんなのものなんだから!」
那珂は顔を赤くして強めの口調で言った。
「だから、少なくとも今は気安く触ったりしたら駄目なの!」
42:
「おっと……これは失礼なことをしてしまったか」
また気安く頭を撫でてしまった。
早く矯正しなければ、内部からの密告で憲兵送りも普通にありうる。
「すまない那珂。今後は十分に気を付けよう」
「あっ…………で、でも、いつかは――」
「提督!早く行きましょう。どうなっても知りませんよ?」
私と那珂の間に割り込んできた神通は、先程よりも強く手を引っ張った。
「おっ……と。わかったよ」
今度はこけることは無く、神通の手を引く方へ足を向ける。
「あっ……」
那珂が小さく声を漏らした。
「じゃあな、那珂。時間が押しているんでそろそろ食堂へ向かうよ」
「えっと……提督もお仕事頑張ってね?」
那珂は神通に引かれる私を苦笑いで見送った。
43:
「いいですか?皆のケアも大切なのは重々承知していますが、ご自身の仕事を優先して下さい」
何かから逃れるような足取り。
いつもより低めの声。
素っ気ない態度。
やはり不機嫌なのだろうか。今日の神通の言葉には刺があるように思う。
……何かしてしまっただろうか。
「……神通、勘違いだったら申し訳無いんだが……何か怒ってないか?」
神通はややめで私を船頭するように歩く。
私は手を引かれながら着いていくのに精一杯だった。
無視か?
そう思ったとき
「……提督」
「うおっ」
突然神通の足が止まった。
44:
「私が止めなければ、あなたはずっと那珂と話していましたよね?」
「いや……あの…………そうかもしれんな」
弁解しようとしたが、真っ直ぐ突き刺さる彼女の視線には抗えず、目を逸らして曖昧な返事をした。
「全く……」
わざとらしい深い溜め息。よほど機嫌が悪いと見える。
「私がいるから良いものの……姉さんだったら朝食に間に合いませんでしたよ?」
「君のお陰で助かったよ」
「っ……ま、まだです!」
神通の突然の大声にびくりと体が震えた。
「まだ間に合ってません!」
「おっ……」
神通は再び私の手をとって、先程よりもいペースで歩みを進めだした。
「全く……私がいないとダメなんだから……」
前しか見ていない彼女は、振り向かずにぼやいた。
「あぁ、感謝しているよ」
「っ!し、知りません!」
何かを振り切るように軽く左右に頭を振った神通。
ちらりと見えたうなじは、火照ったように赤くなっていた。
56:
食堂にたどり着くと、二人分の空席に向かって早足で席を取りに行く。
幸い近くのカウンターが空いていた。
出ていく者もちらほらいて、普段見る朝の食堂よりも些か落ち着いた雰囲気があった。
「あっ、提督に神通さん」
足音に気づいたのか、厨房の奥から伊良湖が顔を出した。
「伊良湖。少し遅れたのだが、頼めるだろうか」
「はい。いつものですね?神通さんは……」
「私も同じのを」
「かしこまりました」
軽い会釈をして伊良湖は厨房に戻っていった。
「皆食べ終わりだしたようだな」
左端の椅子を引いて席につく。
私の左側は、厨房と食堂を繋ぐ伊良湖の通り道だ。
「そのようですね」
神通は私の右隣に座った。
心なしか、椅子をこちらに近づけたように感じる。
57:
「……神通。近くないか?」
彼女は左利きだ。
私と肘が当たるだろうし、食べにくくないだろうか。
「えっ……あっ!申し訳ございません!つい近くに…………!」
神通は再び顔を赤らめる。今日は情緒不安定なようだ。
「起こっているわけではない。君が困らないかと――」
「そ、それはあり得ません!…………あっ……」
さらに顔が赤くなっていく。のぼせたようにも見えるその顔は、顔から火が出るという言葉がいい得て妙に思えた。
「お……お気遣いありがとうございます……」
先程と打って代わってモゴモゴと礼を言う神通。
椅子を右にずらすと顔に両手を当てた。
「ああぁぁ……」
恥じるようなことでは無かったはずだが、彼女は頭を抱え、暫く頬を赤らめていた。
58:
「……神通」
私は沈黙が苦手というわけではない。
だが、隣に女性がいて黙っているのもどうかと思い、悶々としている神通に声をかけた。
「はい!?……なんでしょうか?」
神通は不意を突かれたかのような顔をして私に向き直った。
だがそれも一瞬で、すぐに普段の落ち着いた顔に戻ったところは流石としか言いようがない。
「いや、大したことでは無いんだ…………」
料理が来るまでの雑談をするため口を開く。
しかしここでひとつの問題が出てきた。
すなわち話題だ。
「……提督?」
私としたことが、なにも考えずに話しかけたのだ。
いや、話題はあるのだが仕事関係のものばかりで、この場に相応しいかと言えばそうではないだろう。
と、ここで閃いた。
「那珂のことなんだが」
「えっ……」
「彼女は、どうしてアイドルになりたいのだろうと思ってな」
とっさに浮かんだ疑問だったが、我ながら中々いいものだと思う。
先程まで那珂と喋っていたのだ。
他愛ない会話としてはいいだろう。
60:
「…………そうですね」
落ち着きを払い、思案顔の神通。その顔から苦痛の色が垣間見えた気がした。
「…………わかりません」
そう言って彼女は目を逸らした。
「……そうか」
神通は一向に視線を戻さない。
これは彼女の嘘をついているときの癖なのだ。
「……わかった」
おそらく、私に言えないような事情があるのだろう。私は引き下がることにした。
「ええ…………」
「…………」
しまった。会話が続かない。
神通は先程よりも気が沈んでいるようで、状況は悪化してしまった。
他に良い話題は…………!
「じ、神通。もうひとつ良いだろうか」
「なんでしょうか」
「川内のことだ」
「っ…………はい」
一瞬だけ。ほんの一瞬だが、今確かに神通の顔が歪んだ。
…………もしや、私が見ている彼女達は嘘偽りで、本来は仲が悪いのではないだろうか。
つい探求心が高まり、私は質問を変えた。
「その……川内達とは仲良くやっているか?」
61:
「…………えっ?」
神通はすっとんきょうな声で尋ね返した。
「いや……君が嫌そうな顔をしたようにみえたんだが……」
「そんなことはありません」
神通は私の目を見て強く否定した。
「出すぎた真似をしたな。すまない」
「お待たせしました」
謝ったところでタイミングよく朝食が運ばれてきた。
「さぁ、食べようか」
「はい」
気を取り直して遅めの朝食にありつく。
「やはり伊良湖のご飯は美味しい」
「お世辞なんて結構ですよ?」
伊良湖は笑顔で頭を下げる。
看板娘のように愛嬌を振る舞う彼女を見ていると、忙しさも忘れてしまいそうになる。
「とても美味しいですよ」
おしとやかに食事を進める神通も箸を休めて言うと、伊良湖は何も言わずに微笑む。
結局、食べ終わったのはいつもよりも1時間も遅れた後だった。
62:
今日はここまで
個人的な見解ですが、ヤンデレはギャップ萌えの一種だと考えています。少なくとも私は、本性を歪めて晒す姿に心を奪われます
何が言いたいかというと、もう暫く甘酸っぱいシーンが続くということです。ご了承下さい
川内?まだ寝てます
77:
「ご馳走さまでした」
「お粗末様でした。あっ、食器は片付けておきますね」
「ありがとうございます」
立ち上がった私たちは挨拶もそこそこに、食堂を早足で出た。
出入口の上の掛け時計を盗み見てさらにスピードをあげる。
これはゆっくりしすぎた。
「今日の予定は……」
「特にありません。強いて言えば日課の業務ぐらいですね」
「そうか」
本当に数日前の私には頭が下がる。
スピードを少し落として後を着いてきていた神通と並走する。
「できれば午前中に終わらせてしまおう」
「午前中に……ですか?」
陣痛は怪訝そうな顔で尋ねる。
私には無理だと言わんばかりの目だ。
「なに、集中すれば1時間もかからんよ」
見栄を張ったつもりは無かったが、神通は肩をすくめた。
「……出来るのですか?」
「あぁ…………さしあたって一つお願いがあるんだが」
「…………ふふっ、わかっていますよ。さっさと終わらせてしまいましょう」
察してくれた神通が口許を緩める。
78:
「神通が秘書艦というのはありがたいな」
川内や那珂ではこうもいかないだろう。
……指揮官としてどうかと思うが。
「確かに私は、君がいないと職務をこなせるか疑問だな……」
「……へっ?」
私の自虐的な独り言に、神通は聞き返す。彼女にしては随分と間の抜けた返事だった。
「えっ?あの、今なんと?」
言われて頭のなかで先程口にした言葉を反復する。
恋文のような台詞であることに今気づいた。
「…………なんでも無い。気にしないでくれ」
若干ぶっきらぼうに話を打ち切り、前に視線を戻す。
彼女とはあくまで上官と部下の関係。それ以外の何物でもない。
「も!……もう一度言っていただけませんか?」
「ほ!ほら、そろそろ執務室だ」
やけにしつこい神通。私は彼女を振りきるように若干乱暴に執務室の扉を開ける。
「あっ、待ってください!」
私の後に続いて、神通も滑り込むように駆け足で入った。
80:
「……さて、さっさと終わらせるか」
何事も無かったように振る舞い席につく。
「え……えぇ、そうしましょう」
不服そうに顔を膨らませる神通だったが、納得してくれたようで渋々私の横の椅子に座った。
「まずは……これか」
綺麗に積まれた紙の山から一枚を選び、目の前に持っていく。
「ふむ……」
大方は大本営との間を取り次ぐような内容で、要するに、地方の提督達の要求に目を通すのだ。
「…………」
神通も書類の山に手を伸ばし、一枚一枚目を通していく。
彼女も私の元でやっているうちに、随分と上達したものだ。もっとも彼女は、自頭が良いので飲み込みが早かったが。
「………………」
先程と打って変わって静かな執務室。
私にはこの空間は居心地が良い。
「…………ふぁ…っ……」
時折手を口に当てて欠伸を隠す神通。
どうやら昨日は寝つきが悪かったらしい。
「…………大丈夫か?」
「はい……」
これだけが勤務中の会話である。
この張り付くような空気が私は好きで、漂う雰囲気からして彼女も同じなのだ。
81:
「…………ふぅ」
いつのまにか書類の山は無くなっていて、私と神通は顔を見合わせた。
「…………予定よりも早く終わったな」
「……えぇ」
備えられた掛け時計は、机に着いてから1時間も経たずに仕事が無くなったことを教えてくれた。
少し……いや、かなり早いが本日の勤務は終了である。
私は背伸びをしながら深呼吸した。
「…………君のお陰で早く終わることができたよ」
ありがとう。私がそう言うと、神通は若干顔を赤らめて視線を逸らした。
「…………ふむ」
再び時計に目をやるが生憎時間が大幅に進んでいるわけでもなく、手持ち無沙汰な時間が生まれてしまった。
「今から食事というのも早いが、待つにしても勿体ない……」
このまま椅子に座っていてもいいのだが、如何せんそのような時間の送り方が苦手なのだ。
「神通は、どうしたい?」
「わ、私ですか……?」
「たまには二人で出掛けるというのも良いかと思うのだが」
「ほ……本当ですか……!」
やけに興奮気味の神通に私は頷いた。
「日頃から君にはお世話になっているしな」
91:
「そ!……そうですか」
真面目な顔つきから垣間見える小さな笑顔。
年相応のもので、戦いに身を投じているとは思えない。
「では…………街で食事がしたいです」
「街か……」
思えば、彼女達艦娘の生活圏はここか海に限られている。
海外へ行きたいと思うように、街に憧れを持つのは当然のことなのだろう。
「……よし、わかった。ファミリーレストランだが構わないだろうか?」
「ふぁみりー…………!?」
聞きなれないワードだったためか暫く首を傾げていたが、数秒後に目を見開いて私を見上げた。
「ファミリーですか!?」
ファミリーに異様な関心を示す神通。
私は眉をひそめながら頷いた。
「なんでそのような名称なのかは知らないが、単なるレストランだ」
「えっ……あ…………」
神通は顔を赤らめて目をそらした。
92:
「……知ってましたよ?」
一呼吸置いてしれっと平然を装う神通。
……知らなくても仕方のないことなのだが、どうも彼女は変にプライドが高いように思える。
「そうか」
…………やはり、時々抜けているのは姉妹と言ったところか。
「知っているのなら、私が何も言わなくとも料理を頼んだり出来るのか?」
「え……えぇ」
……見ていられない。
「冗談だ。早く準備するぞ」
「ちょっ……提督?」
彼女を置いて廊下に出る。
昼が近づいているためか、食堂へ足を運ぶ者が何人か見受けられた。
「ま……待ってください」
「鍵は頼む」
後ろを振り返らずに、私は玄関へ向かった。
93:
「…………」
「…………」
「おはよ」
私が顔をしかめて神通が頭を抱える。
この光景を先程も見た気がする。
もっとも、私たちの目の前にいるのは那珂ではなく、場所も玄関だ。
「私も丁度朝ご飯食べたくてさぁ。食堂へ行こうかと思ったんだけど、なんか楽しそうな話が聞こえてきたから……」
そこまで言い終えて間を欠伸で繋ぐのは、川内。
本当についさっきまで寝ていたのだろう。目はトロンとしていて、完全に頭が働いていないように見える。
「…………川内。昨日は何時に寝たんだ?」
いつもの彼女なら、夜戦に出掛けたとしても朝は早い。そこはきっちりしているのだ。
「んと……あのあと軽ーく見張りをして、その後はすぐに寝たけど」
記憶が定かでは無いのか、川内は頭を掻きながら曖昧な返事をした。
「…………はぁ」
先程まで神通が発していた楽しげな空気が、一瞬で重苦しいものに変わった。
「姉がすみません……」
「いや……先程も言ったが、神通のせいでは無いだろ?」
「そーそー、私が寝坊しただけだって。それに皆から怒られなかったし、案外誰も気づいていなかったと思うよ?」
「…………すみません」
神通は朝よりも深く頭を下げた。
100:
「まぁ、とにかく外に美味しいもの食べに行くんでしょ?」
人懐っこい笑顔を見せ、扉に手をかける。
「…………仕方ないな」
誰かに絡まれたら困ると頭の片隅で考えてはいたが、まさか川内に捕まるとは思わなかった。
しかも、誤魔化すことも出来ないようだ。
私は観念して息を深く吐いた。
「本来は、秘書艦の仕事を頑張ってくれている神通の為のご褒美なのだが……」
だからと言って、このまま川内を置いていくほど私は鬼ではない。
「やったぁ!」
川内は叫びにも近い喜びの声をあげながら飛び付いて来た。
「姉さん!?」
「川内!?」
私と神通の声が重なる。
「んー?」
対して川内は全く気にしていないようで、上目遣いで私を見た。
101:
「…………少しは恥じらいを持った方がいいと思うのだが」
心を静めて諭すように話しかける。
世間ではおっさんと呼ばれるような歳に片足を突っ込んだ身とは雖も、無邪気な少女の上目遣いにはどぎまぎしてしまうのだ。
「そうですよ。殿方に抱きつくなんて、易々としてはいけません」
引き剥がそうと割り込む神通。
……このような光景も今朝に見た気がする。
「ん?、そう?……わかった」
やけに必死な神通の説得もあってか、顔を歪ませながらも川内は頷いた。
「その……離れてもらえないと身動きがとれないのだが」
頷いたにも関わらず、私を解放しないとはどういうことだろうか。
「…………まぁ、私は街へ行きたいんじゃないんだけどね」
ようやく回していた腕を解いた川内は、はにかみながら一歩後ろへ下がった。
「……どういうことだ?」
言葉の意味もわからなければ、顔を赤らめる要素もわからない。
そう考えていたのが顔に出ていたのか、頬を掻きながら視線を明後日の方向へ向けた。
「あー……『一緒に』行きたいんだよねー……」
「……姉さん?」
102:
「…………ふむ、いいぞ。むしろ、今までそのような機会を用意出来なくてすまなかった」
私の返事を聞いて、川内は花が咲いたように笑い、神通は萎むように顔の力が抜けていった。
……何か勘違いしているのだろうか。
「!ありがとう提督!……っと」
川内が再び飛びかかって来そうになったが、神通が彼女の肩を押さえて事なきを得た。
「………………………………なんで……っ」
遠くを見るような神通の瞳。そこには誰も映っていないかに思えるほど、神通は気が抜けたように突っ立っていた。
「!痛っ、痛いってば!」
川内の苦しむ声で我にかえったらしい。
一瞬で焦点を姉に戻した神通は、慌てて手を離した。
103:
「川内、いきなりどうしたんだ?」
「いつつ……神通の押さえる力が強くてさ」
「えっ……」
見てよ、と言いながら右肩をはだけさせる川内。
思わず私は躊躇したが、一旦間をおいてからその場所を見た。
確かに、川内が指差す場所は赤くなっている。
「ねぇ、大丈夫かな?」
「…………少し赤くなっているだけだな」
「ご、ごめんなさい!」
間髪を入れずに神通が頭を下げる。
勢いのあまり彼女の髪がバサリと音をたてた。
「もう……結構ビックリしたんだよ?」
服を整えながら川内は言った。
「……あんなこと、もう止めてよね」
「…………っ!」
何があったのかよくわからなかったが、なんとか一件落着となったようだ。
謎の安堵が場を包み込む中、私は時計に目をやった。
「そろそろ向かわなければ昼が遅れてしまう」
彼女たちを促して、私は玄関を出る。
ちらりと見えた彼女らが、何を話しているのかは聞き取れなかった。
111:
「提督待ってよ!」
外に出て一分ほど待っていると、ようやく川内たちが出てきた。
「玄関でたむろしていたのはお前たちの方だ」
「でもさー、外に出なくてもいいんじゃない?」
「姉さん、私たちが悪いですよ」
文句を垂れる川内を神通がなだめる。
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだが……ともかく行こうか」
そう言って話を切り、私は前進しはじめる。
10分ほど歩くと、周囲が賑やかになり始める。
公園にはすれ違う子供達や、それを遠巻きから眺めて談笑する母親。
道を隔てて反対にある大きなビルからは、急ぎ足で出ていくスーツ姿の男達。
この街は大本営に近いこともあってか、海岸よりに位置する街としては比較的盛んな場所だと思う。
少し足を延ばせば人が一気に減るが、それでも寂れてはいない。
……そういえば、その辺りを守る鎮守府の指揮官が行方不明になったらしい。大本営からの知らせを思い出す。
「夜逃げか自殺か……」
はたまた深海側が何か絡んでいるのだろうか……
「……提督?」
いや、ここら辺りの深海棲艦は大方散り散りに逃げていったはずだ。
それに、目撃情報も無かったようだ。
112:
「…………提督!」
「っ……と」
いけない。ついつい物思いにふけてしまっていた。
「もー!何考え事してるのさ」
右の腕を掴む川内が頬を膨らませる。
ちなみに左手は神通と繋いでいる。……これ、大都会でやれば大層迷惑なことだろう。
「そんなに私といるのが嫌なの?」
「ね、姉さん!」
「……すまない。だがそういうわけでは無い」
……些か表情が固すぎただろうか。川内は私の顔から視線を下にそらした。
視線を左肩辺りまで下ろした彼女は、睨んでいるように見えた。
「……………………そっか。ならいいや」
私にベタつくのが飽きたのか、川内は私から手を離すと、今度は私の左を並んで歩く神通に駆け寄った。
「えいっ!」
川内は私と神通の間に強引に滑り込んだ。
「……川内、今度は――」
「私が真ん中ー」
楽しそうに私と神通の手を掴む川内。
さながら子供のようにみえる。
……幼いと言うか、なんというか。
いや、これは幼いであっているのか?
113:
「ふふっ」
笑う川内の右で、私は彼女の奇行に頭を抱えていた。
「…………っ」
ふと神通を見る。
彼女は眉間にシワを寄せて、川内と繋いだ手を離そうとしていた。
「……川内、神通が困っている。離してあげなさい」
「…………えぇー」
「……っ」
不機嫌そうな声をあげるが、渋々といった感じに手を離す。
チラリと見えた神通の手は、先程も見たような手形がついていた。
「…………姉さん、もう恥ずかしいことはやめてくださいね」
神通は川内から距離を取って私の左側に回る。
この子達、上司と言えどもベタベタしすぎでは無いだろうか。
「……………………お互いにね」
川内の言葉を最後に、二人は妙に静かになった。
114:
「……さぁ、着いた…………ぞ」
私達を待っていたのは、ファミレスでは無かった。
この独特の雰囲気と、入り口に飾られたお洒落な看板。
ブラックミラーで中は見えないが、外からでもわかる中の空気。
「……ここが、ファミレスですか」
「……いや、違うんじゃないかな」
川内は行ったことがあるのだろう。きっぱりと否定した。
私は黙って中に入る。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
接客係も客もファミレス特有の覇気がなく、どこか落ち着いている。
「…………三人です」
ひとまずそう答えた。
間違いない。ここはファミレスではなく喫茶店だ。
道を間違えたか?いや、うろ覚えとはいえども迷わずここまで来れた。
では……
「ご注文はお決まりでしょうか?」
指示されるがままに席に着くと、お決まりの文句を口にするウェイトレス。
「…………あとで呼ぶよ」
一旦思考を打ちきりそう言うと、ウェイトレスは静かにカウンターに戻っていった。
115:
「注文は…………」
正面の神通がメニューを手に取る。彼女は未だにここがファミレスだと思っているようだ。
「……提督、私もう少しガッツリ食べたかったんだけどなー」
その横からメニューを覗きこむ川内がジト目で私を見る。
「…………好きなの頼んでいいから」
私はそう言うしか無かった。
「じゃあ、私はこのタルトをいただこうかなぁ」
ニヤリと笑う彼女が指差すものをみると、バカには出来ないような金額が書かれている。
「なら、私もこれで……」
「好きにしなさい」
今日は中々についていない。
私は深く溜め息を吐いて、外に視線をそらす。銀杏と葉桜の並木道が見えた。
「…………たまにはこういうのも悪くないね」
川内の方を見ると、先程とは違った爽やかな笑みをみせていた。
川内は、『姉妹で』出掛けたかったのだろう。
思えばここ数日、休暇は与えていたがバラバラだった。それなら私たちの話を聞き付けて、行きたがるのも頷ける。
「……まぁ、そうだな」
一人忘れているような気もしたが、うちのエースが喜んでいるようなので多少報われた。
136:
店員を呼び出すと、先程のウェイトレスがやって来る。
注文を伝えると、彼女はそそくさと去っていった。
「……………………提督?」
「どこ見てるの?」
呆けていると、川内と神通が話しかけてきた。
「いや……大したことでは無いぞ」
軽く笑みをつくって再び肘をつく。
しかし、彼女らの追及は止まず、体を寄せてきた。
「私には、あの女性を見ていたような気がしたのですが」
「私にもそう見えたんだけど」
じりじりと間を詰める
「…………まぁ、否定はしない」
先程のウェイトレスは美人だった。
私も男なのだ。見とれていても仕方あるまい。
「…………ふぅん。鼻伸ばしすぎ」
だというのに、二人は白い目で私を見る。
「私だって男だ。美しい女性を見れば目で追うし、あわよくば親しくなりたいと思う」
「……そうなのですか」
弁解しても、その冷ややかな視線は変わることなく突き刺さる。
137:
「……そういうものだ」
もっとも別の理由もあったのだが、話す必要も無いだろう。
「…………そうなんだ」
納得してくれたようで、私は胸を撫で下ろす。
ついでにお冷やに手を伸ばした。
「私たちは、見てくれて無いよね?つまり、そういうこと?」
「んぐっ!?」
川内の発言は私の腹に刺さり、噎せそうになる。
「ねぇ?そういうことなの?」
「……おっさんをからかうのもいい加減にしなさい」
ちらりと神通に目配せする。彼女なら、川内を言いくるめてくれると信じて。
「…………私たちは、提督の好みではない……ということですか?」
だが、そんな私の希望は崩れた。
身を乗り出して私の目を見る神通。内心は恥ずかしいのか、顔が赤い。
しかしなぜ、私のような者からそんなことを聞き出そうとするのだろうか……
「…………ふむ」
頭を働かせて、私はようやく理解した。
「いや……二人とも美人だ」
それを聞いて、川内は口がほころび神通は目をそらした。
138:
いくら興味がなくとも、男性から無関心を貫かれると女性は機嫌が悪くなるらしい。
以前どこかのテレビで放送されていたのを思い出した。
どうりで機嫌が悪くなるわけだ。
「どこが?ねぇねぇ!」
だが、私の機転の利いた言葉で空気は軽くなったように思える。
川内ははしゃぎ、更に身を乗り出す。そんな姉とは反対に、神通は顔を見せまいと横を向く。
…………そういえば、ここから先のことを考えていなかった。
「いや…ふむ……」
目を泳がせていると、話題のウェイトレスがこちらに向かってくるのが見えた。手には、甘そうなタルトが3つ乗ったお盆。
「静かにしろ、注文が来たぞ」
そう言うと顔をしかめながらも川内は腰をおろした。
「こちらがタルトでございます」
やはりこれは私たちの分だったようだ。
小さく会釈したウェイトレスは、タルトを私たちの前に1つずつ配り出す。
「ごゆっくりどうぞ」
お盆を抱えて再び小さく頭を下げた彼女は、カウンターへ引き返して行った。
139:
「さて、いただきます!」
川内が我先にとスプーンを握った。
「私もいただきます」
神通は手を合わせてから、そっとスプーンを手に取る。
「……全く違うな」
軽く笑いながら私もスプーンを持つ。
私の言葉に二人がこちらを向いた。
「いや、性格がバラバラだなぁ……と思っただけだ」
3女を見てもわかることだが、姉妹というのは名ばかりで、三者三様の性格である。
まぁ、長女と三女は似ていないことも無いとは言わないが。
「まぁ、私はお姉ちゃんだしね!皆のことを見てやらないといけないし」
「よく言う」
むしろ川内は、神通に面倒を見てもらっている立場だ。
「私は皆の面倒を見ていると思っていたのですけどね……提督も含めて」
「…………む」
痛いところを突かれた。
私は苦笑いで誤魔化そうとするが、神通は呆れ顔で微笑んだ。
「私がいないと……ね?」
神通は満足そうに溜め息をついた。
152:
「もお!私が長女なんだよ?」
「ふふっ、そうですね」
形だけの長女が文句を垂れるが、それを笑いながら流すご機嫌な次女の方が長女らしいと思う。
「……さぁ、食べようじゃないか」
気を取り直してフォークを刺す。
口に運んだ瞬間に甘いクリームが私の味覚を制圧し、それを追って甘酸っぱいイチゴが口の中で広がる。
……ふむ、中々いいのでは無いだろうか。
スイーツに疎い私だが、このタルトは当たりだと思う。
「ん!おいふぃい!」
興奮のあまり川内が叫ぶ。
「……美味しいです」
神通も気に入ったようで、静かに笑った。
「これ、売ってるのかな……」
飲み込んだ川内は軽く立ち上がり、カウンターに目を向ける。
「ん!あったあった」
嬉しそうに笑う川内。
「那珂にもあげたかったんだー……提督、よろしくね!」
こちらに向き直った川内が一気に距離を縮めて来たので、つい私は後ろに仰け反った。
「……近すぎ――」
「お願いっ!」
那珂とは異なった雰囲気の笑顔でねだる川内。近くで見ると、可愛さよりも美しさが際立つ。
153:
「……まぁ、君たち含め川内型は特に頑張ってくれているからな。多少贔屓しても文句を言うものはいないだろう」
はしゃぐ川内と、どこか安堵の表情の神通。彼女たちの仲は悪いわけ無いじゃないか。
私は邪推してしまった自分を恥じた。タルトはその詫びとしよう。
とはいえこのタルト、味もさることながら値段も少々する。
ひとつくらいなら大丈夫だが、鎮守府全員分と言われた日には貯金を崩さざるを得なかっただろう。
「…………ん!?」
一人で安心してタルトをつついていた私だが、未だにカウンターを見つめる川内の小さな驚嘆の声に手を止めた。
「大変だよ!全部無くなった!」
「…………ん?」
「えっと……姉さん?」
「うわー……えー……」
川内が慌てているのは私も神通もわかったが、話が見えない。
「もう少し丁寧な説明は無いのか……?」
「あっ、えっと……一人の女の子が買い占めた?」
「…………」
さっぱりわからない。
154:
「……どれ」
川内を無視しようとしたが、感嘆の声をあげ続ける彼女を見ていると気になってしょうがない。
マナーが悪いことを承知の上で、私は振り返った。
見えたのは、しゃがんでショーウィンドウを指差す男性と、その男性に容赦なく蹴りを入れる少女だった。
服やズボン、更に帽子までも白で統一されていて、しかも服はスーツのような堅っ苦しさが感じられる。
言うならば、ちょうど私が着ているものとそっくりで……
「……………………おい」
そっくりなんてものではない。どう見ても海軍の軍服だ。
「……あれ?もしかしてあの人海軍じゃない?」
「海軍?」
気付いた川内の声に、黙々と食べていた神通の動きが止まった。
私は彼を知っている。しかも上官だ。
正直休日に関わりたいとは思えないのだが、ここで無視するのも後々面倒になってくる。
「…………挨拶してくるから、暫く待っていてくれ」
そう言って渋々ながら席を立つ。
「全員分買って帰るのです」
「ちょっ……それは流石の俺でも厳しいと言うかなんと言うか……」
「ケチな男なのです」
「えーーー……わかったよ。買えばいいんだろ?買えば」
近づくと、彼らの会話が聞こえてきた。
……しっかり尻に敷かれているではないか。
私は自棄になりながらも財布を覗く彼に声をかけた。
「おはようございます」
「ん?」
顔をあげて私に向ける。先程まで話していた少女は、とっさに彼の後ろに回り込んだ。
「おおー、奇遇だな」
彼――元帥殿は、旧友に挨拶をするかのように軽く手をあげた。
155:
「元帥殿も休暇ですか?」
「ん……まぁ、そんなところだ。お前もか?」
「ええ。今日は疲れが溜まっていると見越して、数日前に片付けておきました」
それを聞いた元帥殿は、顔を少し歪めた。
「…………なんと言うか……真面目だねぇ」
私の生真面目さを吹き飛ばそうと思ってのことか、笑いながら私の肩をバシバシと強く。
…………緩すぎる。これで我が国を守る軍の元締めだというのだ。我が国の行く末が心配である。
「それにしても、お前がこんなところにいるとは思わなかったぞ」
「……部下が来たいと頼んできたものですから」
「俺もそんなところだ」
「と言いますと……」
そこで一旦言葉を区切り、元帥殿の影から顔を出す少女を見た。
「ああ、この電ちゃんだ」
名前を呼ばれた彼女はペコリと頭を下げすぐに引っ込んでしまった。
というより、こんな年端もいかないような少女をちゃん付けする元帥殿に少し寒気を感じた。以前噂されていた『元帥殿はロリコン』はあながち間違いでは無いのかもしれない。
165:
イベント等で投下できなかった>>1です
時間が空いた(終わったとは言ってない)ので、久方ぶりに投下しようと思います
以下投下
166:
「…………そういえば」
思い出した、というよりタイミングを見計らっていたような口ぶり。私は体を強ばらせた。
「あっ、固くならないでいいから。ただ聞きたいことがあってな?」
「……何でしょうか」
「お前のところに、索敵機かなんかある?余ってるなら貸してほしいんだが」
「…………はい?」
元帥殿の頼みに私は耳を疑った。
「……不足しているのですか?」
「ん……まぁ」
元帥殿は、ばつが悪そうに目をそらして軽く頷いた。
「いや、厳しいならいいんだ。俺の個人的な理由だし」
「はぁ……」
あの元帥殿が珍しく辛そうな顔をしている。
ふと顔を下げると、遠くを見る目をしていた少女がこちらを見返してきた。
「…………今手元にありませんので、また今度でいいでしょうか」
「……理由は聞かないんだな」
「いくらあなたでも、軍の物を下らないことに使いはしない……でしょう」
おそらくだが。
167:
「ありがとう。今度受け取りに行くよ」
安堵の表情で笑う元帥殿と、彼のズボンを握りしめる電と言われた少女。
交互に見ると、どこか和やかな空気が溢れていた。
「あ……」
何かを言いかけて、声を出した電。
伏せていた顔を上げ、私を見る。彼女はあからさまな作り笑いをして呟いた。
「あ……ありがとうなのです」
「……どういたしまして」
元帥殿に索敵機を貸すことと、この子が礼を言うこと。どのような関係があるかは知らないが、私は笑ってしゃがみこむ。
「あっ……」
だが、私を見て彼女は1歩後ろへ下がってしまった。
「…………怖がらせるつもりはなかったんだ」
笑おうとするが、元来笑うのが苦手な私にとって作り笑いは難易度が高すぎる。
「ごめんな」
鏡を見なくとも、元帥殿の苦笑いからも想像がつく。少なくとも安心できるような笑顔では無いはずだ。
「そのっ……電は……大将さんが怖いのでは無いのです」
…………どうやら違ったようだ。
気を使わせているのかとも思ったが、彼女は私に焦点を合わせて謝ったのだ。
つまり私ではなく、私の後ろを見て怯えていたということに……?
「大将さん」
「……どうしたんだい?」
元々小さめだった声を更に小さくして、彼女は私に囁いた。
「あの二人、仲は良いですか?」
そう聞いてきた。
168:
あの二人……川内と神通のことだろうか。
たしかに彼女の視界には、位置的に二人が入っているはずだ。
「あぁ、ずっと共に戦ってきた姉妹だ。悪くなる理由など無い」
「…………そう、ですか」
歯切れの悪い返事に私は首を傾げるも、特に間違ってはいないはず。
「…………なら、気を付けて下さいね」
彼女は、願うかのように声を絞り出した。
「電にはお姉ちゃん達がいました。とても仲は良かった……はずです」
思い出すのも苦しそうに眉間にシワを寄せる。私はただ相づちを打つ。
「でも、少しでも崩れ始めたら……取り返しのつかないことになってしまうのです」
悟ったような言葉。見た目とのギャップが激しいが、不思議と馬鹿にできない何かを感じた。
「…………肝に命じておくよ」
謎の忠告は、何故かわからないが私の胸に深く突き刺さったのだ。
「…………話は終わったか?」
手持ち無沙汰だった元帥殿の声で私は立ち上がる。
「長いことすみません」
「いや、無理を言ったのは俺だ。珍しく電ちゃんも喋ってたことだし」
「ではこれで」
頭を下げて振り返る。
私の視界に、私を睨む川内と神通が目に入った。
169:
睨むなんてものではない。
怒りをそのまま具現化したような顔つき。私も思わず硬直した。
「……どうやら、放っておき過ぎたようですね。急いで戻ります」
「……大将さん」
下から少女の声がする。本能的に私の足は動かなくなった。
「たぶん……あの人たちは大将さんに怒ってはいない……はずなのです」
そんなはずはない。
「じゃあ、誰にだい?」
「おそらく……」
答えを聞く寸前、硝子の割れる音がした。
「お客様!」
ウエイトレスが慌てて神通に駆け寄る。
「で!ではこれで!」
私はそのまま駆け足で彼女たちの元へ戻った。
私の方を見すぎて、うっかり手を滑らしたに違いない。私はそう思った。
170:
「大丈夫か?神通」
目の前に広がる水。その中から硝子の破片を手早く集めるウエイトレス。
「あの……お怪我は――」
「大丈夫です」
突き放すような冷たい物言いに、ウエイトレスの動きが一瞬止まる。
「大丈夫ですので、戻って下さい。新しいコップもいりません」
「失礼しました!」
言われたウエイトレスは、すぐに立ち上がって厨房に入っていった。
「……大丈夫か?」
いつもの神通と違う。私はそう感じた。
日頃から沈着丁寧な彼女とは別人の、冷酷な誰かに見えたのだ。
「……えぇ、心配をおかけしてすみません」
だが、私を見る神通はいつもの彼女だとた。
「私、少し手が滑ったみたいで……」
「危ないよねー……注意しなよ?」
見ると、神通と同じく睨んでいた川内もいつも通りの笑顔を見せている。
……見間違いだったか?
「そ、そうか。なら良かった」
若干戸惑いながらも、下手な作り笑いで場を和ませる。
どうやら杞憂だったようだ。
「ちょっとよそ見してたせいですね……すみません」
「い、いや……誰にでもミスはある。気にするな」
そう。先程見たのは私の見間違いだったのだ。
そう言い聞かせた直後。
「…………ところで、あの少女は誰ですか?」
再び、場が凍った気がした。
180:
悪月には勝てなかったよ……
また一段落したら投下します。もし待ってくれていた人がいたら申し訳ない
あの人の本は私のバイトルです。同志がいてくれて嬉しく思います
話は変わりますが、誰かうまるちゃんのヤンデレssを書いてくれませんかねぇ…
191:
何かが背中を駆け巡っているような感覚。
「………私はあの子、知らないのですが」
純粋な興味と割りきることはできなさそうな雰囲気。
正直、面と向かっていられるとは思えないほどのプレッシャーを感じた。
「その……だな。あの人は元帥殿の部下だ」
秘書艦は別にいることは知っている。元帥殿は、単に保護者として来ていたのだろう。
「…………そうですか」
答えてもなお真偽を問うような鋭い視線が突き刺さる。どうやら納得のいく答えでは無かったようだ。
「…………提と――」
「じ、神通!ダメでしょ!」
何かを言おうとした神通の口を川内の手が塞いだ。
「ゴメンね提督。神通、なんかちょっと疲れてるみたいでさ」
「…………え?い、いや……そこまで気にしていないからいいんだが」
……なんだ?ただ疲れていただけか?それならいいのだが……
感じる迫力は、ただの疲れから来る苛立ちとは異なったもののような気がする。
「疲れてるんだよ!ね?」
相づちを求める川内。
強引にも見えたが、しだいに神通の目の色は元に戻った。
「…………そうかもしれません。取り乱して申し訳ございませんでした」
落ち着いた彼女は、普段通りのおしとやかさを纏って小さく頭を下げた。
それはまるで、瞬時に別人と入れ替わったかのような変化だった。
「……君が謝る必要はないだろう」
そんな彼女を見て、かえって私も落ち着きを取り戻せた。
「……そうですね」
ぎこちなくも、噛み合っていなかった歯車が動きだした。
192:
「……さて、そろそろ店を出ようか」
気を取り直した私は二人の皿を見て切り出す。彼女たちも異論は無いようだ。
「そろそろ昼御飯も食べたいしね」
「……そうだな」
私のミスとはいえ、喫茶店と外食……これはとんだ出費になりそうだ。
「……大丈夫ですか?顔色が悪いように見えますけど」
心配したのか、立ち上がった神通が私の頬に手をそっと添える。
「なんでもないさ」
「あっ……」
これ以上彼女に心配させるまいと、私は気丈に笑ってその手をどかした。
手が触れ合った瞬間小さく声を漏らした気がしたが、気のせいだろう。
「まぁ、提督がこんなとこに来なければ出費は軽くなっただろうにねー」
先にレジに向かって歩いていた川内が振り返ってニヤリと笑った。
「……痛いところを突いてくるな」
そもそもここを間違わなければ良かったのだ。もとを辿れば私の身から出た錆とも言えよう。
「……なぁ、このまま戻って食堂で――」
「えー!そんなのやだよ?」
「……わかってはいたがダメもとで訊いただけだ」
「びっくりさせないでよ。普段から冗談言うタイプじゃないん……ん?神通は?」
はっとして振り返ると、彼女は未だテーブルの横に突っ立っていた。
何やら右手が気になるらしく、口づけをしそうなほど顔に近づけていた。
「……神通?」
「!!!はっ、ひゃい!!」
飛び上がるように体を震えさせた彼女は小走りで向ってきた。
「なんだ――」
なんだったのだろうか。川内にそう聞こうと振り向いたが、それよりく彼女が手を強く握ってきた。
「……どうしt――」
「すみません、ついぼーっとして……」
急いだからか若干顔が赤い神通が追いついた。
色々と聞きそびれたが、とくに問題はないだろう。
こうして支払いを終えて店を出た私たちは、再度飲食店を求めて街を練り歩いたのだった。
193:
「……ふぅ」
結局あのあと、みつけたファミレスで昼飯にありつけた頃には13時前で、食事を終えた私は彼女達……厳密に言えば川内に付き合って街を見て回ったのだ。
一日中歩き回ったせいか、玄関をくぐったとたんに脱力感が押し寄せてきた。
「ただいまー!」
「ただいま戻りました」
川内は私の分も合わせたような大声で帰ってきたことを伝え、神通もその後ろから間髪を入れずに控えめに口を開いた。
「おかえりなさい」
川内は挨拶もそこそこに、廊下を一人歩きだした。
その彼女とすれ違い、わざわざ出迎えてくれたのは伊良湖だ。時間からすると夕食の支度をしてくれていたのだろう。
「あぁ……ただいま」
一息つけた私も、遅れながら挨拶をした。
「あら……提督も出掛けていらしたんですね」
口に手を当てて目を丸くする彼女からするに、私が出掛けていたことを知らなかったらしい。
「………………あぁ」
もしかすると、私たちの分の昼食も作ってくれていたのかもしれない。
「悪いことを……」
「提督?如何いたしましたか?」
キョトンとした顔で私を見る神通は、私を心配してるようだ。
「……いや、なんでもないよ」
気を持ち直した私は、玄関からようやく足を動かし始めたのだった。
194:
「そろそろ夕食か?」
歩きながら並走していた伊良湖に尋ねる。
「はい、ちょうど先程出来ました。本日は冷しゃぶですよ」
「……なら、そのまま食堂に行こうかな」
遅めに食べたはずが、そのあとのウィンドウショッピングですっかり腹が減っているのだ。
この仕事に就いて歩き回って腹が減るとは考えもしなかった。
「私は先に浴場に行ってきますね」
「ん……いいのか?」
神通も疲れているのでは?そう思ったのだが、彼女は私を困り顔で睨んできた。
「…………お、」
「……どうかしたか?」
「……女の子には、色々あるんですっ!!」
そう言うなり、彼女は私の横を勢い良く通りすぎて行った。
「なんだ……」
気を悪くしたのか、彼女は数メートル先の自室の扉を少し雑に閉めた。
「もうっ!ダメですよ?デリカシー無さすぎです!」
助けを求めた視線の先には、顔を膨らませる伊良湖がいた。
「そ、そうなのか……言い訳にもならないが、私はそういうことは苦手でな……」
昔も良く怒られたものだ。あんたは女心がどうとかこうとか。このままでは一生理解できそうにない。
「あとで謝ってあげて下さいね?」
「……了解した」
私がそう言うと、伊良湖は満面の笑みで頷く。
「では、提督の分を準備しますね」
伊良湖は再び前を向いて歩きだした。許してくれたらしい。黙って彼女のあとに着いていくことにした。
「…………あっ!」
だが、伊良湖は突然声を出して足を止めた。あとに続いていた私の足も釣られて止まる。
「そうです!言いたいことがもうひとつありました!」
「……どうした?」
振り返ってずい、と寄ってくる彼女を手で抑える。
「提督と那珂ちゃんのお昼御飯のお盆、早く返してくださいね?」
203:
「……お盆?」
基本的に鎮守府内での食事は食堂でと決まっているが、そんなものは意味をなしていない。
お盆を返すのなら、迷惑にならない常識的な範囲でなら食事が許されているのだ。
「那珂ちゃんが持ってきませんでした?提督と食べるって張り切ってましたけど」
「……それはいつ頃だ?」
「えっと……1時前ぐらいです」
「私は正午前に鎮守府を出たのだが」
「……えっ?そうなんですか?」
狐につままれたように私たちは困惑した。
「……すまない、私は執務室に戻ろうと思う」
私を待ちくたびれて、そのまま寝てしまったのかも知れない。私はそう考えたのだ。
「え、えぇ。夕食の際はお声をかけて下さい」
少し戸惑いながらも、伊良湖はそのまま廊下を歩いて行った。
「……ふむ」
私は振り返って執務室に向かう……と言っても、たかだか数秒で到着した。
「……那珂?」
小声で呼びながらそっと扉を開ける。
寝ていても、起こさないようにする配慮だ。
「あっ!提督ー!」
だが、それは杞憂だった。
「遅かったね。さ、一緒にご飯食べよ?」
那珂は、お盆を持って立っていたのだ。
204:
「……どうしたの?那珂ちゃん、お腹空いちゃったよー」
お盆にはコーンポタージュと思われるスープにサンドイッチが乗せられていた。
「…………那珂」
「んー?食べようよー」
那珂は一旦お盆を机に置き、はしゃぎながら私の席の対面に椅子を用意する。
「早く!もうすっかり冷めちゃってるよ!」
扉を開けてから一歩も動いていない私に唇を尖らせるその姿は、ただの日常を切り取ったように自然体だった。
「提督!」
あまりの衝撃に立ち尽くしていた私に呼び掛ける声。我を取り戻し振り返ると、焦り顔の神通がいた。
「那珂ちゃんは!?」
「いや、それが……」
ちらりと目配せすると、きょとんとした那珂と目があう。
「……え?もしかして神通ちゃんも食べるの?」
「……その、だな…」
「……あっ!」
どう答えようかと頭を抱えていたところに、那珂は不敵に笑いだした。
「ごめんね?神通ちゃん。提督は那珂ちゃんと『二人っきりで』ご飯を食べるんだー……ね?」
嫌に冷たい空気が執務室に流れ込んできた気がした。
205:
「…………ふふっ…そうですか」
「…神通?」
難しい顔をしていた神通だったが突然笑みを溢した。
「でもごめんなさい。私は提督とご飯をいただいてきたので」
「えっ……」
那珂の笑顔が音もなく崩れる。徐々に下がっていく口角とは逆に目は大きく開いていく。
「……嘘だよね?那珂ちゃんと食べるって約束したよね?」
視線を私に戻した那珂の言葉は、確認と言うよりも懇願に近かった。
「そんなわけありません。嘘をつくのはやめなさい?」
だが神通はそれをバッサリと切り捨てた。あり得ないはずなのに、吐き捨てるように言った彼女が笑って見えるほどに清々しいものだった。
「……したよね?ね?」
私はそのような約束を交わした覚えが全くない。
無いが……ここまで項垂れる彼女を見る限り、私が忘れている可能性の方が高い。
「したもん……絶対にしたんだもん……」
口を閉じて悩んでいると、とうとうすすり泣きだしてしゃがみこんでしまった。
訴えるように何度も呟く彼女を見ていると、心が痛んできた。
何せ彼女は私との昼食をあれほど楽しみにしていたのだ。
「……すまない。今度一緒に行こうな」
優しく丁寧に話すと、彼女の不安定な嗚咽が治まった。
「……ほんと?」
「あぁ、」
正直約束は覚えていないが、おくびにも出さないように平常を装う。
「なら……明日、行こ?」
赤く腫れた目元を軽くこすった彼女は顔をあげる。いつも通りの優しい笑顔に戻っていた。
206:
「そうと決まれば、夕食の時間だから食堂に行こうか」
「……提督は?」
聞かれて一瞬言葉が詰まる。
「……いや、食べたいのは山々なんだが、仕事があったことを思い出してな」
「!なら、那珂ちゃんと――」
「いや、心配しなくていい」
那珂が涙のあとが残る顔を輝かせるが、私はそれを制した。
「ずいぶん遅くなりそうなもんで、付き合ってもらっていては那珂も夜更かしすることになりそうだ」
なんせ明日の分の書類を今日中に終わらせるのだ。悠長に食事できるほどの時間があるかどうか……
「でも……」
「わがまま言うのはやめなさい」
神通の凛とした声で那珂は口を閉じる。
「明日連れていってもらえるんでしょう?今日はおとなしく食堂で食べていなさい」
「……その言い方は…」
「…………はい」
那珂が小さく頷いたので私は口を閉じた。
やや刺があるように感じたが、那珂が頷いたのだからよしとしよう。
「じゃあ那珂ちゃん、行ってらっしゃい」
神通はわざわざ扉を開け、外へ出るように手を廊下へ向ける。
「……神通ちゃんは?」
「私は秘書艦ですので」
神通は申し訳なさそうに、だがそれでいて誇らしげに呟いた。
やはり、どこか無理をしているのではないだろうか。
私には彼女が何かに苛立っているように見えた。
「…………別に手伝わなくとも――」
楽しくもあったが、同時に疲れも溜まっているからだろう。
私は神通の背中も廊下に押そうと手を乗せた。
「っ!」
だが、その手は彼女に払い落とされた。
218:
「なんでですか!?私がいては迷惑なのですか!?」
突然の怒声。思わず私は手を引っ込める。
「い、や……そういうわけではない。疲れているかと思ったんだが」
なぜ私がしどろもどろに弁解するのだろうか。
そのような疑問を浮かべながら神通をなだめる。
「お気遣いありがとうございます。ですが、私はがんばります。頑張らせて下さい」
「……神通ちゃん、一緒に出ていこ?ね?」
「那珂ちゃん、あなたは出ていきなさい」
刺々しい物言いだが那珂は笑顔を崩さない。
「提督?私は邪魔ですか?いらない存在なのですか?違いますよね?」
「あ……あぁ、そうだが…」
「そのような私を追い出して、仕事が捗るとでも?いいえ、そんなわけありません。私が手伝いますから、一緒に二人で頑張りましょう?」
提案、というよりも懇願。捲し立てる彼女の目には闘志が宿っているように錯覚してしまうほどの剣幕だ。
「……神通、本当に疲れていないんだな?」
「ええ、そんなことでは秘書艦など勤まりません」
……確かに一理ある。彼女は出撃した日も変わらずここに来て手伝ってくれているのだ。
それにこの必死さ。何が彼女を刺激したのかは定かでは無いが、ここまで言ってくれる彼女を易々と無下にはできない。
「……なら、頼めるだろうか」
「はい!」
そう言うと、彼女は満面の笑みで頷いた。思えば、今日一日で最高の笑顔だ。
「……というわけで」
そのままクルリと向きを変え、那珂に振り返る。
「私は残りますので、那珂ちゃんは出ていってください」
幸せに満ちた顔で那珂を押し出した神通。不意を突かれた那珂はよろめきながら廊下へされるがままに追い出される。
廊下まで押しきった彼女は追い討ちのごとく扉を勢いよく押した。
219:
「いくらなんでもやりすぎでは…」
そう言ってみるも神通は態度を和らげない。それどころか、鍵までかけて満足そうに頷いたのだ。
……やはり仲が悪くないか?
「……神通ちゃんは残っても良いのに、那珂ちゃんはダメなの?」
扉越しに那珂の声が聞こえた。
「いや、そんなことは――」
フォローを入れようと扉に近寄ったが、神通が後ろから抱きつくように私の口を抑えた。
「ええ、あなたは秘書艦では無いでしょ?邪魔になるだけです」
違う。そんなことはない。
神通ほどで無いが那珂だって執務はある程度理解している。少なくとも邪魔になることはあり得ない。
「静かに」
「じ……んぐ!?」
声を大にして言いたかったが、出来なかった。
開けた口に神通の指がするりと入ってきたのだ。
「提督?那珂ちゃんは邪魔なの?」
声を出したいが、舌を指で抑えられ口も塞がれている今どうすることもできない。
「早く戻りなさい。ついでに私たちの夕食は断っておいてください」
どうしても喋らせまいとする神通を見て私は理解した。
彼女は正気ではない。
「神通ちゃん……秘書艦って、ズルいね」
「図々しくここに残っても怒られないあなたの方がズルいです」
それを聞いた那珂は、ゆっくりと食堂へ向かっていった。
220:
「……っあ!……はぁ……」
私の口が解放されたのは、それから5分後のことだった。
足音がしなくなり静まり返ったことを確認した神通は、ようやく手を引っ込めたのだ。
「お前……」
「大丈夫ですか?」
心配そうに私を見つめる神通。
その豹変ぶりに私の背筋は凍りついた。
「少し乱暴にしてしまって申しわけございませんでした。でも、ああしなければ那珂ちゃんが出ていかないと思ったので……」
「……出て行かせる意味はあったのか?」
切れ切れだった息が落ち着いた私は、冷静を装い尋ねた。
私の問いかけに神通は首を傾げる。
「何故って……那珂ちゃんは邪魔ですよね?むしろ、私以外は邪魔なはずでしょう?」
「……………………」
今日何度目かわからないが、私はまたしても彼女との壁を感じざるを得なかった。
私の疑問が信じられないと言いたげな目。恐らく本心なのだろう。
「さぁ、そんなことより早く仕事をやってしまいましょう」
「……そうだな」
何故かわからないが彼女はこの部屋を異様なまでに気に入っていて、この部屋の主である私以外の誰かが入ってくることをひどく嫌う。
こういうことも精神崩壊というのだろうか。どちらにしろ解決策は簡単に浮かぶものではない。
「……やるか」
ひとまず私は椅子に座り書類を取る。いつもより体が重く感じる原因は疲労だけではないはずだ。
「楽しいですね♪」
「……あぁ」
から返事で対応しつつ頭を働かせる。
……そういえば聞いたことがある。
艦娘含む軍人で精神疾患を患った者のための施設があると。
「明後日にでも行くか」
そう決めた私は重く苦いため息を吐いた。
221:
「終わりましたね……」
「あぁ……なんとか」
人間やろうと思えばなんでもできる。それはあながち間違いでも無いようだ。
明日…正確には今日の仕事は、日付が変わるとほぼ同時に完了した。
神通も那珂がいなくなるといつも通り落ち着きを取り戻し、十二分に秘書艦の仕事をまっとうしてくれた。
「では、私はそろそろ部屋に戻りますね」
「あ……あぁ、おやすみ」
「はい、お休みなさい」
扉の前で振り返って軽く頭を下げた神通は、そのまま何事もなく出ていった。
那珂のもとへ向かうということに不安を感じたが、本人が取り乱していないので問題は無さそうだ。
「…………ふむ」
何故彼女はこの部屋に固執するのだろうか……
確かに居心地は良いが、中年間近の男性と二人きりだ。年頃の少女なら嫌がるはずだ。
頭を悩ませていると、控えめなノックの音がした。
235:
「……提督?入ってもいい?」
時間としてはいつも通り。だが、その大人しい声で一瞬誰かわからなかった。
「……川内か?いいぞ」
珍しく大人しい川内は、ゆっくりと扉を開けた。
「どうしたんだ?君が静かにしているなんて珍しい」
「酷いね……」
軽く笑うが、やはりいつもの元気さは見られない。
「ねぇ…今話してもいいかな?」
恥じるように一歩引いたような態度で尋ねる彼女はますます珍しい。
「なんだ?いつもみたいに騒ぎ立てたらいいじゃないか」
「私って、提督から見たらそんなキャラなの……?」
不服そうに苦笑いをするが、残念ながら私個人の印象では無いはずだ。
「えっと、そうじゃなくて……」
ようやく部屋に足を踏み入れた彼女は、ゆっくりと私に近づいてくる。
「どうし――」
「やっぱ提督は暖かいね…」
ふわりと流れるように川内は私に抱きついてきた。
236:
「……ど、どうしたんだ?」
焦りを悟られないよう、いつもより低めの声を出す。
ここに来て女性に対する免疫はできたとは言え、こうも唐突に抱きつかれては混乱してしまうのは仕方ない。
だが、それを見透したかのように彼女は笑った。
「提督って、優しいよね」
「……それは今朝も言われたな」
そっぽを向いて赤くなっている顔を隠す。
「それで……その」
「はっきりしないか。らしくない」
そう茶化すと、彼女は俯いてしまった。
……なんだこれは。
まるで少女が思い人に告白するような雰囲気ではないか。
「私ってさ、どう思う?」
「どう……とは?」
「いや、その……私って、少しいい加減なところとかあって、女の子っぽくないじゃん?そういうのはどうなのかなって……」
目をそらしながら手をくねらせる仕草は、まごうことなく可愛らしい女子のそれである。
「やっぱり変なのかな……?」
煮え切らない言葉をもごもごさせながら、悲しそうな目でチラリとこちらを見た。
「……!川内」
私はすぐに理解した。
「お前、誰かにいじめられてるのか?」
237:
「……はい?」
「そんなことを気にして夜にこっそり訪ねに来るから…違うのか?」
私が訪ねると、先程までの視線とは一転、一瞬にして軽蔑混じりの冷たいものに変化した。
どうやら違ったようだ。
ひとまず胸を撫で下ろす。
「……いじめなんか無いよ。そういうのじゃなくってさ…ただ……」
「ただ?」
「お、女の子っぽくなった方が、提督は好みかな……なんて」
徐々に小さくなる声と、それに伴い揺れる視線。
恥ずかしいのなら尋ねなければいいのに。
「なんだ。そんなことか」
つい溢した言葉は彼女の気を悪くしたらしく、半目で私を見る。
「お前はお前だろ?元気いっぱいでみんなを引っ張る俺の自慢の……」
「……自慢の?」
そこで言葉が詰まってしまった。
さて、なんと言えば良いのだろうか。
仲間は皆にも言えることで、特別なものではない。付き合いのながい川内たちは否応なしに贔屓してしまうのだ。
部下……と言うと、壁が厚く感じてしまう。
「相棒……か?」
自分で言って疑問符を着けるのもどうかと思うが、これ以上に合う言葉は無さそうだ。
「…………そっか」
川内は安心したような落胆したような、読みとれない複雑な表情で笑った。
「相棒……ね」
私の台詞を反芻する川内。思うところがあるのだろう。
「相棒ってさ、誰のこと?」
238:
「……は?」
すっとんきょうな声だと自分でもわかる。だがあげずにはいられなかった。
「いや……川内たちだが」
むしろ話の流れからしてそうなるはずだ。
「そうなんだけどさ…いやー……」
噛み合わない会話だと彼女も思っているのだろう。
苦笑いをしながら頭をかく。
そのようながさつな態度でも絵になるのはもはや才能の類いだ。
「ほら?相棒って言ったら一人のことじゃない?」
「……ふむ、なるほど」
彼女の言わんとしていることが理解できた。
「提督の言う相棒ってさ、誰のこと?」
笑っていた川内の口角が下がる。
何故か寒気を感じた。
「あれだよね?神通や那珂も含めて相棒って言ったんでしょ。相棒ってのは普通唯一無二の存在だよ?」
「あ…あぁ」
「相棒って、誰のこと?」
怖い。
彼女をそう感じたのは初めてだ。
別に怒っているのでは無い……と思う。
般若というよりも、どちらかと言えば能面のような。そんなゾッとする何かがあった。
「……そこまで深い意味で言ったわけでは無いのだが」
言葉を濁して打ち切ろうと試みる。
何故かいい予感がしない。
「私気になるな。順番を付けようとしたら誰が一番になるの?」
川内は逃がすまいと追撃を仕掛ける。
「…………ねー提督ー」
「せ、川内だ!」
239:
柄にもなく反射的に大声で答えてしまった。
「……ほんと?」
「いや……あぁ」
嘘も方便。この場をやり過ごすにはこのまま貫き通すのが最善策に思える。
「ふーん……」
意味ありげに私をなめるように見る川内。
先ほどの答えの真偽を確かめようとしているのだろう。
「……先程も言ったが、特に深い意味は無い」
予防線を張るも脇目も振らず凝視をやめない。
「……まぁ、いっか」
川内がそっぽを向いたことで空気がどっと軽くなる。
私の体内を脱力感が駆け巡った。
「提督は嘘なんかつかないだろうし」
「……そうかもな」
「あー、神通たちに聞かせたかったなぁ」
欠伸と同時に声をあげる。
いつもよりは小さいので怒られることも無いだろう。
「……そ、それほど…自慢したいのか?」
小さく深呼吸して息を整えた私は何とか会話を続けようと焦りの色をひたかくす。
「ん……まぁね。とにかく、提督は今の私が好きってことだよね?」
240:
「好きって…まぁ。女の子があんまりそういうこと言うべきではないが」
「そっか……んへへ」
川内は照れくさそうにはにかむ。
十分少女らしい笑顔だった。
「……そろそろ私も寝ようかな」
「ん?……あぁ、おやすみ」
結局何がしたかったのか意図をつかめないまま川内は廊下に出た。
「あっ、そうだ」
扉を閉めきる前に川内が顔を覗かせる。
「提督、今日の私がなんで静かなのか教えてあげようか?」
「ん…?」
「今日は聞かせる必要が無いからだよ」
謎の言葉を残して彼女は出ていった。
静まり返った執務室。おそらくこの部屋以外は消灯しているのだろう。
「…………寝るか」
時計を確認して、私も就寝することにしたのだった。
247:
「……ん?」
けたたましいノックの音。否が応でも起こされる。
「……誰だ」
「提督!?大丈夫ですか!?」
返ってきたのは真剣な声。恐らく神通だ。
「開けてください!!お願いします!!」
本気でぐっすり寝たいと思った私は珍しく鍵をかけて寝たのだが、それが仇となったようだ。
若干デジャヴを感じる状況に溜め息をつきながら、布団から体を起こして目を擦る。
ちらりと見えた時計は、4時を指していた。
「静かにしろ。今開ける」
「提督!?早く開けてください!!」
聞こえなかったのかノックは止まない。
それどころか神通の声はヒステリックなそれになりつつあった。
「おい……」
いくら私でもこれは叱ってやろう。
そう思って扉を開けると、目を真っ赤にした神通が胸に飛び込んできた。
「大丈夫ですか!?お怪我はありませんか!?」
「あ……あぁ、なんともない」
必死な形相に私は面食らって、喉まできていた文句を飲み込んでしまった。
「よかった……」
本当に安心したのだろう。緊張がとけた神通は大きく息を吐いて顔を私の胸に埋めた。
「…………どうしたんだ?」
駆逐艦あたりなら怖い夢を見た等で片付くだろうが、あのしっかり者の神通だ。
「……姉さんが何かしたのではないかと思いまして」
248:
「…………川内が?」
川内で何故あれほど取り乱していたのか不思議に思ったが、神通はこくりと頷いた。
「……起きたら、こんな時間で。提督を守れなかったのかと怖くなって……」
「……そうか」
適当に相づちを打ったが意味がまったく分からない。
つまり、川内が私に何かしたと勘違いして心配になった。そういうことだろうか。
「…すまない神通。要領を得られないんだが」
川内の何に怯えていたのか。そして川内をどう思っているのか。
私たちの間には、なにかすれ違いがあるようにかんじた。
「……提督は知らなくても良いことです。私が何とかします」
気づけば震えも涙も止まり、いつもの……いや、それ以上に落ち着き払う神通がいた。
「これは私たちの問題です。提督は介入しないで下さい」
「いや、しかし……」
いくらなんでも虫がよすぎる。彼女たちの間になにか因縁紛いのものがあることを知っていて、それを見逃すことはできようか。
「お願いします」
どうしようかと考えていたとき、彼女と視線がぶつかった。
深淵を思わせる瞳。何故か私は身震いした。
「……皆の迷惑にならんよう、いざとなったら私に頼りなさい」
悩んだ末に、私は見逃すことにした。
彼女たちも子供ではない。物事の良し悪しはわかっているはずだ。
「はい、提督の迷惑にならないようすぐにします」
彼女の目には冷たい怒りが宿っているように見えた。
249:
しかし……あまりの衝撃にすっかり目は覚めてしまった。二度寝しても目覚めを悪くするだけだ。
しかも喜ばしいことに仕事が無い。
はっきり言って暇だった。
「……提督」
何をしようかと考えていたところ、恐る恐る神通が口を開いた。
「よろしければ、朝の散歩などご一緒にいかがですか?」
「……散歩か」
正直外は暗いが、じきに日が昇るだろう。それを拝むのも悪くない。
「よし、行くか。先に玄関に行っておいてくれ」
「はい」
短い返事をして神通は部屋から出ていった。
それを見送った私は押し入れを開けて服を見繕いはじめる。
滅多に着ないので、目当てのジャージは奥深くに眠っていた。
「……さて」
出して寝巻きから素早く着替えると、そのまま扉の方を向いた。
別に大したことはない。廊下へ出るなら自然な体運びだ。
「………………」
しかし、私の体は向いただけで固まってしまった。
扉の隙間からこちらを覗く目と目があったからだ。
血走っている訳でも白目を向いていたわけでもなく、ただ観察するような凝視。
一挙一動を見逃すまいと言いたげな眼力があった。
数秒……もしかしたら数十秒は思考が停止していたかもしれない。
私は首を伝う冷や汗で意識を取り戻した。
「……神通か?」
虚勢を張るように低めの声で尋ねる。
震えていたのが自分でもわかった。
だが、声をかけると扉の向こうにいた者は何処かへ行ってしまった。
250:
「……なんだったんだ」
私は先程とは違った理由で困惑した。
元来幽霊など信じない質だが、流石に今のは胆が冷えた。
見えていたのは片目だけだったが、狂気を孕んでいることは十分伝わってきた。
「……提督?」
神通の声に私は我にかえった。
「朝日、昇っちゃましたよ」
気がつくと、カーテンの隙間から光が差し込んでいた。
「……いや、なんでもない」
寝不足の脳の幻覚だと思い直し、私は玄関へ急いだ。
「では…………」
外へ出るとすぐ海が見える。
神通は散歩という名目をすぐさま忘れ、その雄大な景色を見入った。
「……綺麗ですね」
「……そうだな」
海岸を臨む神通は楽しそうに呟いた。
私もそれに同調する。
しかし、私の頭には先程の目のことでいっぱいだった。
勿論あれは見間違いであって、幻に他ならないという結論に至った。
だが、別の違和感が生まれていたのだ。
「……どうかしました?つまらないですか?」
私の異変に気づいたのか、神通は心配そうに顔を覗かせる。
「……いや、私も少し考え事をな」
こんな下らないことを言えるはずもなく、私ははぐらかして水平線を見た。
「……無理は止めてくださいね。いざとなれば私がついていますから」
神通は半歩私に近づくと、こちらを向いて微笑みながらそう言った。
「……ありがとう」
笑いかけると彼女は視線を再び水平線へうつす。
私は、あの目に既視感を感じていたのだ。
263:
普通ならば気持ちのよいスタートだったのだろうが、私の頭のなかは例の目でいっぱいだった。
たしかに見たのだ。ただ、それがいつか思い出せない。
そんな煮え切らない記憶を探っているうちに、神通との散歩は終わってしまっていた。
正直生返事で彼女を軽くあしらっていたことは否めない。何に対して頷いたのかも覚えていなかった。
「提督?大丈夫ですか?」
「少し考え事を……な」
朝日を拝んだ場所で再び佇む。すっかり日は昇り、私はじんわりと汗をかいていた。
そろそろ皆活動しはじめている頃だ。
「……提督」
私の右手に何かがぶつかる。
見ると、神通の手だった。
「私はあなたの一番の『相棒』だと自負しています……姉さんではなく、私です」
その言葉に頭の思考が鈍る。
私は熱が急激に冷めるように感じた。
「なんでも仰って下さい。あなたのためならなんでもしますから」
私に笑いかけながら手を絡めてくる。
「……すまない」
何に対しての謝罪か私自身わからなかった。
だが、神通はなにも言わず頷いてくれた。
昨日懸念していた彼女の精神は安定しているように見える。
もしや、昨日は女性特有の精神が不安定になる日だったのかもしれない。
「……ふむ」
精神を削るような毎日を送る彼女たち。その背中を押すだけの上司。
今更ながら、この地位が汚く見えた。
「むしろ君の願いを叶えてあげたい……」
さらに私のことを常に考えてくれる彼女。そう思えば、昨日の程度では安すぎる気がした。
266:
「そ……それは!?」
いきなり彼女が痛いほど強く握ってくる。
思わず私の顔は歪んだ。
「……?いやすまない、独り言だ」
「あ……そうですか」
感情の起伏が激しい。神通は高ぶったかと思えば、すぐに縮こまってしまった。
頬をほんのりと赤らめる彼女は、年相応の少女に見えた。
「……提督、そろそろ」
そこまで言って、彼女は口を閉じた。
先程よりかは弱いが、わずかに握る力が強くなっている。
「……どうした?」
一旦目のことは忘れ、私の手を軽く引く彼女に向き直す。
「そろそろ……いいのでは無いでしょうか」
凛としたいつもの表情とは真逆にあるような顔でなかなか目をあわせない。
例えるなら、映画やドラマで見る告白のワンシーンだ。
「……いい?」
何がだろうか。
長い付き合いとはいえ、私には全く察することが出来ない。
「あの…ですね?」
彼女らしからぬはっきりしない物言い。
私は気になって彼女の顔を覗いた。
神通は私と目があうなり直ぐに水平線へ反らしてしまった。
「その、勝手ながら私は提督の…い、一番側にいる身だと自負しています」
「?あぁ、そうだな」
やけに深呼吸を重ねる神通に疑問を感じながらも頷く。
自負もなにも、秘書艦の彼女が私の隣にいるのは至極当然なことだ。
「で……出撃もかなり積極的にしてるんです」
してると彼女は言うが、それを編成するのは私の役目なのだから私自身がよく知っている。
「練度も十二分でして……」
「あぁ」
上限ギリギリまで高められた彼女たちの練度は、どこに出しても恥ずかしくない……むしろ、誇れるようなそれだった。
「その……そ!そろそろかと、思い……ます……」
「何が――」
「そろそろご飯だってー!」
私たちの後ろから声が聞こえた。
「もうっ!那珂ちゃんだって忙しいんだからね!!」
振り返ると、顔を膨らませた那珂が門の前で仁王立ちしていた。
267:
「…っ………戻りましょうか」
冷ややかな声が聞こえる。
声の主は神通だと理解するのにしばらくの時間を要したほどに、声色が変わっていた。
「え?……あぁ」
色々と腑に落ちなかったが、それを押しきるようなオーラを感じた私は反射的に頷いた。
私が頷く前にさっさと鎮守府に戻る神通。
私は遅れながら彼女の後を追う。
「提督!おはよー!」
「あぁ……おはよう」
私が返すと那珂は笑顔で近づいてきた。
「今日は、何時から遊びにいくの?二人っきりで」
挨拶もそこそこに、那珂は目を光らせて尋ねる。よほど楽しみなようだが……入念にプランを立てていない私としては少し困る。
「そうだな……1100ぐらいからにしようかな」
とりあえずあの喫茶店は、昨日の混み具合からするに早めに行った方が良いと踏んでめに出ることにした。
「っ……」
私の先を歩いていた神通の足が止まる。
一人で進んでいた彼女だが、待ってくれるらしい。
「じゃあ、昨日の川内ちゃんたちと行ったときより早めからデートするんだね!」
「お……おう」
気迫に圧されて頷くと、那珂はうっとりと惚けた目で水平線を見つめる。
彼女も年頃の少女。こんなおじさんとでも街へ行くのは心が踊るようだ。
「……ん?」
ここでわたしは先程の言葉を反芻し、あることに気づいた。
「……いや、デートでは――」
「違います!!」
無い。そう言おうとした矢先、神通が物凄い大声でそう言った。
268:
「……そうなの?」
呆気に取られだが、キョトンとした顔で振り返る那珂の声で頭を冷やす。
「あ、あぁ――」
「当たり前です!!」
神通再び叫び、私の声を遮って否定した。
その必死さは昨日のやり取りを彷彿とさせた。
「那珂ちゃんのはデートなんかじゃないですよ?だって提督が仕方なく付き合ってあげるんですから…!」
こちらに戻ってくる彼女は明らかに那珂を睨んでいる。
「…………そうなの?」
その視線をさらりとかわし、那珂は私に目を向けた。
「…………いや……」
神通の言ってることは大方正しい。
だが、その言葉の過剰なまでの刺々しさは、私の首を素直に振らせない。
まっすぐ私を見る那珂から逃れるように視線を反らすと、眉間にシワを寄せる神通と目があった。
……1度寝て頭を冷やせたと思っていたのだが、それが間違っていたのかもしれない。
「……那珂ちゃん、アイドルは上司とデートなんてしちゃ駄目でしょ?」
「えっ……とぉ……」
一拍おいた神通がここに来て理詰めで諭す。
だが、その声には苛立ちがこもっている気がした。
「…………ふむ」
私と二人きりなら普段通りの彼女たち。だが、もう一人がいると険悪なムードになる。
……何となくだが、わかってきた。
恐らく彼女たちは何らかの理由で喧嘩中なのだが、それを私に悟られまいと隠しているのだろう。
269:
一人っ子だった私は、恥ずかしながらこのような場合の対処法を知らない。
目の前で妹を睨む姉と、その視線を飄々とかわし私しか見ない妹。
正直お手上げだった。
「ん……そうだな」
だが、だからといって放っておくわけにもいかない。
那珂を置いて二人と街へ出たことは、彼女にとって喧嘩中の姉たちが贔屓されているように写ったのだろう。
なるほど、そう考えると思い当たる伏が多い。
「お忍びデートは悪いことではない……はずだ」
ならば、私が喧嘩を加させてしまったことになる。
ある程度修正して、神通の言った通りしばらく放っておこう。
「提督?!」
再び笑顔を咲かせた那珂は、そのまま私の胸へ飛び込んできた。
「お、おい……」
小心者の私は自分の体から彼女を直ぐに剥がし、一歩後ろへ下がった。
「え?!」
那珂は口を尖らせて頬を膨らませる。
……子供がいたら、こんな感じなのだろう。
「これ以上の我が儘はやめなさい」
そんな那珂の肩を掴んだ神通は、いつも通り、またはそれ以上に冷たい声で咎めた。
「…………はーい」
そんな声に臆することなく、那珂は隠れていたずらをしたような笑みを浮かべ舌を出す。
「じゃあ提督、11時に玄関ね♪それまでにいっぱい用意しないといけないから、那珂ちゃんはダッシュで帰ります!」
肩に置かれた手を払った那珂はそれだけ言って、案外すんなりと鎮守府へ小走りで帰っていった。
「…………提督」
突風のごとく消えた那珂の背中を眺めていると、横からぐいっと腕を引っ張られる。
私が驚いていることも気にせず、神通は出来た隙間に腕を入れ、そのまま私の腕に絡ませた。
「私たちも行きましょう」
返事も待たずに腕を引く神通。
自然な流れで腕を組む彼女に戸惑ったが、その力が妙に強く、無理にほどくのもどうかと思った私はされるがままに歩き出す。
小さな歩幅でゆっくり進む神通。
組んだ腕は、鎮守府が近づくにつれ力がこもっていった。
273:
戻った私と神通は諸々の用事を終え、伊良湖が腕をかけてくれた料理が待つ食堂へと赴いた。
「……混んでいるな」
外にいた私たちに声がかかるということは、例外を除いた鎮守府内のメンバーには既に連絡済みだということ。
とくにうちは大御所でもあるので、席待ちはいなくとも十分混んでいた。
「ですね……二人で食べられる場所、探してみましょうか」
最悪別れざるを得ないとも考えたが、いっそう力強く握ってくる手を離すのもどうかと思い、私と神通は人混みをかき分けながら席を探すことにした。
「ん?提督じゃん」
その声の方へ顔を向けると、軽く手を挙げる川内と目があう。
「こっちおいでよ!」
そこまで距離が有るわけでもないのだが若干オーバーな手振りでこちらに誘う。
「ありましたよ」
だが神通は、そちらへ行こうとした私の手を逆方向に引いた。彼女も見つけたらしい。
「いや……」
私は言葉を濁して後ろに目配せする。
「……姉さん」
274:
「……なんだ、一緒にいたんだ」
喧嘩とまではいかなくとも、やはり仲が良さそうには間違っても見えない。
周りも何かを察したのか、少しだけ静かになった気がした。
「……まぁ二人分空いてるし、ここで食べなよ」
「……どうする?」
私は波を立てないように神通に委ねる。
「…なら、そこでいいのではないでしょうか」
納得したという顔では無いが、彼女はそう言ってスタスタと歩きだした。
「…………」
神通が睨み、その視線を川内が飄々とかわす。
一発触発とはいかなくとも、張りつめた空気が食堂に漂っているのがわかる。
「とりあえず座ったら?」
私にそう言いながら、川内端自分の隣の椅子を引く。
「そうだな」
私はそれに従って、椅子に腰を下ろした。
「…………どうしたの?座らないの?」
だが神通は席に着こうとせず、立ち尽くして私に視線を送り続けていた。
そんな彼女に川内が催促する。
「……そうですね」
神通は何かを諦めたように溜め息をひとつ吐き、残った席――川内の向かい――に渋々と座った。
275:
「提督。このあとって、暇?」
少し冷めてしまったご飯を食べていると、先に、食べ終えた川内が身を乗り出して聞いてきた。
「いや、少ししたら街へ出かける」
「そっか。ならいいや」
あっさりと身を引いた川内は、すっと立ち上がって食器を手に取った。
「提督。私も街へ行って良い?」
「……それは着いてくるってことで良いのか?」
「んー……それでも良いんだけど」
川内は言葉を濁して目配せする。
「ん?……」
その先に目を向けると食堂の入り口からこちらを覗く顔が見えた。
じっくりと見れは出来なかったものの、目があった瞬間引っ込められた顔は那珂のそれだった。
「那珂ちゃんが楽しそうにしてるし、邪魔したらダメだと思うな」
妹の可愛らしい仕草を見て楽しそうに笑う川内。そこには、神通との間にあるような不穏な空気は一切無かった。
「遠征も他の当番か……良いだろう」
個人的には休暇を連日与えているようで素直に頷くことは出来なかったが、与える任務も無い今、彼女は手持ち無沙汰になるだろう。それは気が引けた。
「…………私は」
その声で私は顔を神通に向けた。
「私は明後日の仕事に手を着けておきます」
神通は拗ねたように口を尖らせる。
「それは有り難いが……」
「私がしないでどうするんですか」
「……そうか」
休んでも良いという旨を告げようと思ったが、諦めたような据わった目を向けられると頷くことしか出来なかった。
276:
「じゃあ、私はお先に……あっ」
盆を持って立ち上がった川内は、そのまま食器を返しに行くのかと思いきや、数歩進んだのちにクルリと振り返った。
「神通、後で話があるから」
「…………そうですか」
その返事を聞いた川内は、再び前を向き直して食器を返しに行った。
「…………聞かないのですね」
「……何をだ?」
「話の内容。提督なら気にするものと思ったので」
勿論気にならないと言えば嘘になる。
「君たちの話なのだろう。首を突っ込むのは野暮だ……そもそも、気にするなと言ったのは君の方じゃないか」
「……そうでしたね」
安心したような、寂しそうな。神通はどっちともつかない表情で笑った。
「……よく知らないが、私は君たちの仲が修復されることを望んでいる」
「……………………はい」
間が空いての返事。
だがそれは素っ気なく、神通にその気が無いように感じられた。
「……そろそろ私も失礼します」
「あまり根詰め過ぎないように」
「はい」
思い詰めた顔を少し伏せ、神通も席を立つ。
彼女の背中を見送りつつふと周りを見ると、空席がちらほら目に入った。
「……さっさと食べるか」
神通も立ち去ったことで私の周りは全て空席となり、妙な物寂しさを覚えた私は箸を持った手のスピードをめた。
277:
「……さて」
そそくさと食事を終えた私は、そのままの足で執務室に入る。
いくら朝食が遅れたとはいえ、約束の11時までかなりの時間が残っていた。
「どうしようか」
大声で言えることではないが、街へ行く服などさほど持ち合わせていないので、すぐに身繕い終えたのだ。
誰もいなかったことから、まだ神通は川内と話しているらしい。
「…………いや」
顔を見に行こうかという発想が脳裏を過ったが、すぐに思考を遮断する。
「そっとしておくか」
子供どころか世帯を持たない私にとって、彼女達は子供のようなものになっている。最近では、妻を欲しいという気が薄れている始末だ。
そんなわけで、彼女達が喧嘩をしているといたたまれない。仲を取り持ちたいのだが……
「……子煩悩、か」
以前元帥殿に言われたことを思い出す。
あのときはつい否定したが、今思えばあれは的確な指摘だったのかもしれない。
「……ふむ」
どうも落ち着かず、私は足を止めること無く部屋を動き回る。
……とは言っても、それほど広くないこの部屋を練り歩くのに1分もかからず、やがて私は机の前にたどり着いた。
「…………」
大した理由もなく、机の上に置かれている写真立てを手に取る。
そこには私と川内三姉妹が写っていた。
281:
「羽黒ちゃん?」
「ひゃっ!?」
私が後ろ声をかけると、羽黒ちゃんは体全体を大きく震わせて小さな悲鳴をあげた。
「な、那珂…さん」
「もー!那珂ちゃんでいいよって言ってるじゃん!」
「あっ……那珂ちゃん…っ」
いつものやり取りだけど、私には彼女がいつもと違うように感じた。
それは怒りを堪えているようにも見え、苦しみを隠しているようにも見える顔。
「……もー!」
そんな顔では美人が台無しだと私は思った。
だから、私は手を彼女の頬に当てて無理矢理笑顔を作る。
「な…何!?」
「笑顔!そんな顔じゃ、皆悲しくなっちゃうよ!」
……羽黒ちゃんのほっぺた、温かい。
「那珂ちゃん……そろそろ、は…離してっ」
…………はっ!
ついほっぺた触るのに夢中になっちゃった。
「あっ、ごめ――」
私は急いで手を放す。
だけど、それが却って羽黒ちゃんのバランスを崩したみたいで、私の方に倒れてきた。
「羽黒ちゃん!」
「ひゃ…っ?!」
咄嗟に手を伸ばして彼女を支えることに成功。
だけど……少し勢い余って羽黒ちゃんのお腹、少し強く押し返しちゃった。
「あっ…ごめ――」
「ごめんなさい!!」
突然謝る羽黒ちゃん。私はビックリして抱いていた彼女を引き離し、顔を覗いた。
「どうしたの?羽黒ちゃん。悪いことしてないよ?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
でも、羽黒ちゃんは聞く耳を持たないで謝り続ける。
もう一度慰めようと思ったとき、私は太股に違和感を感じた。
「――え?」
生暖かい液体が、羽黒ちゃんのおまたから私の太股に垂れていた。
「これって……」
妙に温度があって、足下から独特の臭いが立ち込める。
真っ白のソックスに黄色い軌跡を残すそれは、顔を赤くして泣いている羽黒ちゃんのおしっこだと理解した。
283:
「……いつから」
いつから仲が拗れていたのだろうか。
私が気付いたのが最近なだけで、実は以前から関係は良好では無かったのか…?
「…………いや」
少なくとも、このときは違ったはずだ。
「いつから……」
再び呟いた私は写真を片手に記憶を辿る。
仲が拗れた、又はそのような素振りを見せていたことがあったはず……
「……あれか?だが――」
「提督ー!準備出来たー?」
ひとつ思い当たるものが浮かんだのと、ほぼ同時に勢いよく扉が開かれた。
突然のことで、特に理由もないが写真立てを咄嗟に伏せる。
「いや、もうできてるぞ」
焦りの色が透けて見えるのが自分でもわかる声色。
「じゃあ、早いけど行こうよ!」
だが那珂は気に止めなかったようで、目を輝かせて玄関を指差した。
「……そうだな」
私は掛けていた帽子を取り、胸ポケットの財布を確認しつつ、早足で部屋を出た。
284:
「早くー!」
私が部屋から踏み出したと同時に那珂は小走りで駆け出す。
「すぐ行くから、外で待っててくれ」
廊下へ出た私は、少し進んだところで立ち止まった。そこは川内型姉妹の共同部屋だ。
一応出掛けることを伝えておこうと思ったのだ。
「……川内、神通」
ノックをすると扉の向こう側から彼女たちの声がしたりドタドタと騒がしい音をたてていたが、15秒ほどで川内が顔を出した。
「何?どうしたの?」
「いや…そろそろ私たちは出ようと思ってな」
「……早くない?」
何故か目を細めて口を曲げる川内。
不機嫌なのは感じ取れたが、私にはその理由がわからない。
「二人とも暇になってしまってな。まぁ、混むことを考えたら妥当だろう」
「……ふーん」
いかにも興味なさげだと言わんばかりの、無関心を貫こうとする態度。
「まぁ…那珂ならいいかな」
「……?そうか」
よくわからないが、お許しが下りたらしい。
「いってきまーす!」
まだ一分も経たぬうちに、玄関から那珂の声が響いてきた。どうやらよほど待ちきれないらしい。
「おっと。では、そういうことで」
「いってらっしゃい!」
顔だけしか覗かせないが、彼女はおどけたように敬礼してみせた。
「川内もどこか行くようだが、あまり遅くならないように」
「私はすぐ終わると思う。提督こそ、はしゃぎすぎないでね」
私は返事の代わりに肩をすくめ、そのまま玄関へ向かった。
285:
「……那珂?」
門をくぐった私は辺りを見回す。だが那珂は本当に先に出たらしく、数十メートル先に彼女らしき後ろ姿を見つけた。
「…………はぁ」
呆れつつも小走りで彼女の元へ向かう。
「――でね?――そう!――」
だが、近づくたびに違和感を感じた。
彼女は誰かと喋っているように見えるのだ。
一応携帯は持たせているが、どちらかと言えばすぐ近く――隣に誰かいるような雰囲気を醸し出しているのだ。
「那珂!」
「…………あれ?提督?」
何故か那珂は驚いたような目で追い付いた私を見る。
やはり彼女は携帯を持っていなかった。
「……何してたんだ?」
「えっ?提督と……あれ?」
彼女もあからさまに狼狽している。
「え?提督とおしゃべり……なんで!?」
「…………?私がどうしたんだ?」
彼女も混乱しているが、私にも全く話が見えない。
「………………あっ。そうだ!この前羽黒ちゃんがね?」
「…ん?」
暫く間を空けた後、那珂は何もなかったかのように話し出した。
つい先程の記憶をバッサリと切り捨てたかのような切り替わりは、更に違和感を深める。
「だから那珂ちゃんが――」
「…………どうしたんだ?」
286:
「え?大丈夫だよ?お漏らししたのは羽黒ちゃんだもん」
「いや……そっちではなく」
全く噛み合わぬ会話に苛立ちを感じるが、彼女の顔を見る限りふざけてはいないらしい。
「……………………なんでもない」
その姿は昨日の神通と重なって、これ以上の追及は気が引けた。
……もしかしたら、これは一種の流行り病なのか?
聞いたことは無いがそうかもしれない。
……そう思いたかった。
「そう?……それで、羽黒ちゃんが泣きながら――」
話し続ける那珂。
「………………」
彼女の、彼女たちのおかしくなった姿。
それと、さっき私が思い付いた原因――指輪。
そこに因果関係を見いだしたくなかったのだ。
「…………提督?こっちの道なの?」
「……ん?」
我に返ると、私は道を大きくはずしていた。
「……間違えた」
頬を膨らませて何か起こっている那珂。
だが、別のことでいっぱいだった私にはその声が届いていなかった。
292:
指輪。あれが上から届いたとき、恥ずかしながら私は酷く狼狽した。
女性への免疫も去ることながら、娘同然の彼女たちをそのような目で見たことが無かったのだから当然である。
「それでねー?――」
那珂の話を聞き流しながら、当時に記憶を巻き戻す。
……私は彼女たちを娘同然と思っていた。だが、彼女たちは違った。
落ち着きのない姿は私と同じだったが、僅かながら空気が変わったのを覚えている。
あれから川内は毎晩のように執務室へ訪れるようになり、神通はいつもよりも距離を詰めてきたり。那珂などあからさまに、雑談という名目のはずが、脱線して指輪のことを執拗に尋ねる始末。
あのときはとても困惑していたものだ。
「…………ん?」
そこまで思い出して、新たな疑問にぶつかった。
私はあのとき、何もしなかったのか?
「やっぱりそうだよね!でも長良ちゃんってば――」
仮に彼女たちの喧嘩――特に川内と神通――の原因が指輪だとして、今ほどで無いにしても異様な空気を感じていたのだ。
行動を起こしていてもおかしくはない。
……いや、何かしたのでは?
そう……確か、神通に話をした気がするのだが……
私は数分間頭を捻って思い出そうとした。
だが、奇妙なことに全く思い出せない。
「そしたらね?神通ちゃんが――」
…………いやまて。
私は、どうして覚えていないのだ?
自分が指揮を執る部下が険悪なムードに浸っているのだ。
振り返ってみると、易々と忘れられることでは無いはずだ。
293:
「やっぱり提督は――」
「……那珂。ひとつ聞いてもいいだろうか」
「――え?」
反対を向いていた那珂は、驚いた顔で私を見た。
どうやら私が話し出したことに驚いているようだ。
「……その、おかしなことなのだが、私は最近物忘れが酷くなったようでな」
「……知ってるよ!一緒にご飯食べることも忘れてたんだもんね」
私はふいっと目を逸らした。
……痛いところを突かれた。確かにその事も覚えていなかった。
もしかすると、私は自覚していないだけで患っているのか?
そんな考えも浮かんだが、それは頭の隅に押し込んで那珂に視線を戻す。
「……それで、他にも忘れていることがある気がするんだ」
「いつのこと?那珂ちゃんは、ずっと提督のそばにいるからいつのことでもオールオーケーだよ!」
立ち止まって胸を張る那珂は、いつもの彼女そのものだった。
その姿にホッとしつつ、私は意を決した。
「それはありがたい……それなら聞かせて貰いたいのだが、あの指輪…って、どうなったんだろうか」
指輪。その単語を聞いた瞬間に那珂は弾かれたようにぴくんと1度震えて、硬直してしまった。
「……那珂?」
294:
「なんのこと?私知らない」
明らかな間の後に、那珂は首をぎこちなく傾げる。
「……何か知っているな?」
これほど動揺する那珂を、私は初めて見た。
「……なんで?」
出撃で大破しても、私の手伝いで大きなミスをしても全くぶれることの無かった『那珂』というキャラが、誰でも感じるほどの崩壊をしているのだ。
「それはこっちのセリフだ」
期待以上の反応に、私も驚いていたのだ。
「那珂。何を知っているんだ?」
「……………………」
先ほどまで楽しげに話していた彼女からは想像しがたい落ち込んだような顔。
「……那珂ちゃんは言えない…かな」
そう重々しく呟くと、今度は彼女が目を逸らしてそっぽを向いた。
追及から逃れようとしているのが見てとれる。
「…………そうか」
そんな彼女から強引に聞けるほど、私は図太い性格ではない。
未だ頭は晴れないが、表情を取り繕って引き下がった。
「……変なことを聞いてしまったな。お詫びにタルト以外にも1つ奢ろう」
何か話題は無いものかと周りを見回した私は、かなり歩いていたことに初めて気づいた。
私は、いつの間にか数十メートル先に見えるまでに近づいていた喫茶店に目配せし、未だ笑顔を取り戻せていない那珂の手をご少し強引に引いて進みだした。
295:
「いらっ…しゃいませ」
ウェイトレスの挨拶に一瞬間があったのは、恐らく昨日も来た私を覚えていたからであろう。
だが、私は当然ながらそこを指摘したりましてや絡みにいくような性格ではない。
「二人で」
何事も無かったようにピースを作って人数を伝える。
……まぁ、本当に何事も無かったのだが。
「では、こちらへどうぞ」
全くの偶然か、昨日と同じ席だった。
ここで昨日と同じ物を、と頼むのはどうだろうか、などと考えてみる。
そんな下らないことに頭を回せるほどには幾らか余裕ができていた。
「ここはタルトが美味しいんだ」
「聞いた!川内ちゃんがまた食べたいって言ってた。那珂ちゃんも楽しみ」
那珂はわたりに船と言わんばかりに、私の振った当たり障りの無い会話に笑顔を撒き散らして返答する。
その辺の切り替えの早さは、流石はアイドルといったところか。
「すみません」
やや声を張って呼ぶと、すぐにウェイトレスが駆けつけてくれた。
「このタルトを2つ。それと……」
「レモンティーも!」
「かしこまりました」
私のあとを引き継いで注文する那珂に目を向けたウェイトレスは、小さく頭を下げて厨房へ戻っていった。
296:
「…………そうだな、その、最近どうだ?」
那珂には悪いが、私は追求の手を緩めるつもりは無かった。
仲の悪い長女と次女。そしてその喧嘩にあまり関わっていないように見える三女。
険悪なムードの原因を探るには今しかないと踏んだのだ。
「どうって?」
……思春期の娘を抱えた父親とはこんな気持ちなのだろうか。
何故かぎこちなくなり、上手いこと話を運べない。
「いや…出撃とか友人関係とか」
「さっきも話してたと思うけど…」
「もう少し無いのかと思ってな」
「……変なの」
首を傾げる那珂には申し訳ない。
だが、チャンスは今しかない。
「羽黒ちゃんとの話はもうしたし……後は…」
「…………姉とは上手くやってるのか?」
私が尋ねると、一瞬だがまたもや那珂の体が固まった。
「指輪。あれが仲を壊してるのなら、素直に言ってくれ」
「…………気になるの?」
「あぁ。話を蒸し返すようで悪いのだが、教えくれないか」
那珂は一分ほど目をきょろきょろとさせていたが、恐る恐るといった風に口を開いた。
「あの頃から……少し良くないんだ」
俯く那珂は、みるみる声が小さくなる。
「川内ちゃんは優しいんだけど……神通ちゃんが、ときどき私を怖い顔で見てるときがあるの」
297:
「……そうか」
……となると、神通がムードに影響を与えているのか?
昨日の彼女は初めて見たものだったが、あれが初めてでは無いのかもしれない。
「…………神通に何かあったのか?」
その質問をすると、那珂の目の色が僅かに変わった。
「もしかして、この話をしたいからお昼ご飯に誘ってくれたの?」
「あっ……そうだ」
……我ながら嘘の下手さに呆れてしまう。
だが那珂は、そんなことお構い無しに感慨深そうに頷いた。
「前から神通ちゃんと川内ちゃんの仲が悪くなってたけど、最近は川内ちゃんの元気は良くなって、でも神通ちゃんが怖……不機嫌になってて……」
那珂の頭の中でも整理は出来てないようで、落ち着かせるようにゆっくりと話しだした。
「……那珂ちゃんは仲良しの二人が良くて、でもなんにも出来なくて…」
自分を責めるように言葉を絞り出す那珂に、思わず手が伸びる。
そのまま頭を撫でると、那珂は顔を上げて驚いた表情を見せた。
「良くわかったよ。ひとまず神通に聞いてみよう」
そうしていると、ウェイトレスがタルトの乗った皿を2つとレモンティーを持ってきた。
「さぁ食べよう。川内の言う通り、これはとても美味しいんだ」
那珂は涙声で頷いて、レモンティーのストローをくわえた。
298:
「那珂、すまん」
「良いよ!話したら楽になったし」
私が食べ終えた頃には、那珂の元気もすっかり元通りになっていた。
「美味しかった!また食べたいなぁ?」
「次は何処へ行こうか」
「うーん……あっ、ロー○ン行きたい」
「……これまた意外な所が出たな」
「良くわからないけどコラボしてるんだって!」
「そうか……?」
次に行く場所を決めながら、私たちは席を立つ。
「そうだ。お土産に買って帰ろうよ」
「ふむ…」
確かに今なら余っているだろう。
だが、生物を持ち歩くことは避けたい。
「取っておいて貰えるか、掛け合ってみるか」
レジを見ると、暇そうにしているウェイトレスと目があった。
「お会計を。カードで頼みたい」
「はい。かしこまりました」
「それと……このタルトを3つ。また後で寄るので、そのときまで取っておいてくれないか?」
「かしこまりました」
無理なお願いだと思っていたが、案外すんなり通ったので少し拍子抜けした。
「良いのかい。私が言うのもあれだが、通らないと思っていたよ」
「先ほども同じことを仰ったお客様がいらっしゃいましたので」
「そうなのか」
やはりここは人気店らしい。昼の混み具合からある程度は察していたが、そんな注文をする客が私以外にいるとは。
「まぁ、よろしく頼む」
「早く行こ!」
そうして店を出た私は、那珂に振り回される形で街を回り、鎮守府に戻ったのは1700であった。
303:
「たっだいまぁ?!」
私よりも先に扉に着いた那珂は大声をあげた。
……流石は姉妹。行動が良く似ている。
「ただいま」
デジャヴを感じながら、私も控えめに声を張る。
「お帰りなさい」
すぐに返事をくれたのは神通だった。
「これ、お土産だ」
「まぁ」
嬉しそうに箱を見る彼女。川内との話はどうなったのか。
「川内は?」
「……まだ帰ってきてないかと」
「そうか」
……さて、どのように話を切り出せば良いのだろう。
「書類は私が終わらせておきましたよ」
「……ん?まだ残っていたか?」
「来週の分までです」
「そりゃあ……頑張ったな」
「……何か私に話が?」
……本当に私は嘘や物を隠しとおすことが苦手らしい。
顔に書いてあるのか、見事神通は私の内心を読み取ってみせた。
「……その通りだ。今夜、執務室に来てほしい」
304:
「……それって」
「まぁ、君の想像している通りだと思う」
そういうと、神通は口を開けてポカンとした。
「……どうした?」
「……い!いえ!なんでもありません」
「そうか……?」
そうとは思えないほどに神通は挙動不審である。
「何か勘違いしてないか?」
「……その、今朝の事ですよね?」
話が噛み合っていないように感じたが、わかっていたようだ。
だが、何故か神通は顔を赤らめている。
「……まぁ、時間を空けておいてくれ」
「はい。了解しました」
楽しげに自室へ戻っていく彼女は、さながら想い人と付き合えたような……そのような明るさを振る舞っていた。
「なんだ?」
「……あれは提督が悪いと思う」
「えっ?」
謎の言葉を残し、那珂も自室へ入っていった。
「…………」
ひとまず私は、片手に持ったタルトをしまいに食堂へ足を向けたのだった。
310:
いち早く夕食を終えた私は、皆の声に軽く返事をしながら食堂を出た。
思えば、これほど早めに食事を終えたのは久しぶりかもしれない。
「……ふぅ」
「失礼します」
一息ついていたが、ノックの音が私の意識を引き戻す。
「神通か」
入ってきた彼女は妙に高翌揚していて、僅かだが落ち着きが無かった。
「提督……その……お話とは…」
「……やけにそわそわしているが、何か?」
……もしや、何か感づいたのだろうか。
「実は聞きたいことがあってな」
「…………聞きたいこと、ですか?」
眉間にシワを寄せて尋ねる顔は、困惑の色を示す。
「……那珂に聞いたのだが」
「……那珂ちゃん?」
「…………姉妹仲の原因は、どうも君にある。そのような旨を」
次の瞬間、神通の目の色が明らかに変わった。
「……なんですかそれ」
彼女の口から言葉と共に冷気が出たのではと錯覚するほど、体感温度が酷く下がった。
「い……いや、あくまで那珂からの主観であって、そう決めつけてるわけではないぞ?」
フォローを入れるが彼女の目は冷たく光を失ったまま。怒りを通り越した深い闇は恐怖を思い起こさせた。
「提督は那珂ちゃんの言い分を信じるのですか?」
311:
「そもそも、信じるもなにも何も知らないのだ」
「っ……」
私がそう弁解すると、神通は一瞬苦しそうな顔を見せた。
「だが、聞いたところ君が川内に対して攻撃的だと――」
「…………ふふっ」
私は咄嗟に椅子から腰を上げた。
寒気とは別の身震いが襲う。
その笑いは何を意味したものなのか。
どんな思いが込められていたのか。
私には知るよしもない。
「あら、どうしました?」
ただ、今の彼女は危険だと、私は自身に警告していた。
「……そういうことですか」
「…何がだ」
「……少し用事ができました」
そう言うなり神通は腰に手を伸ばす。
「なっ――」
「姉さんに会いに行ってきます」
街へ行けば大半の男性が魅了されるであろう笑顔。
それを貼り付けた彼女の手には、ナイフが握られていた。
312:
「待て!」
ダメもとで叫んでみたが、幸運なことに彼女は足を止めてくれた。
多少の理性は残っているらしい。
「川内が君に何をしたんだ?」
「……いえ」
怒りを限界まで押さえ込んだことで、彼女の声は無機質に近いものになっていた。
「提督のためですよ」
彼女は本心から思っているらしく、純粋でどす黒い瞳を向けて答えた。
「そうだ。提督も着いてきてください。提督は私からはなれたら危ないですから」
「何を――」
私の有無も聞かず、神通は強引に私の手を引きだした。
「ほら、姉さんはなにするかわかりませんよ?はやくしましょう」
「まて!話を聞かせろ!」
「そんなひまありません!」
叱るような鶴の一声は、私に一瞬の隙を作った。
「さぁはやく!」
そのタイミングで引かれた体は、素直に彼女に傾いた。
「いいですか?なかちゃんもおかしくなって、姉さんのほんしょうをしってるのは私だけなんです。だから」
だから。その続きを繋ぐ前に、上から何かが降ってきて、神通にぶつかる。
彼女はばたりと倒れ込んだ。
「……何が」
さっきまで鬼気迫るほど捲し立てていた神通。だが、事切れたかのように静かに倒れたのだ。
「提督」
神通の横に立っていたのは、主砲を持った川内だった。
313:
「気絶してるだけだから」
このまま放っておけばすぐに起きるよ。そう付け足して笑う彼女を見ていると、急に血液が巡りだしたような気がした。
「ビックリしたよ。ここまで変なことになるなんて」
「あ………あぁ」
相槌を打つにも気が動転してスムーズに動けない。
「前から変に突っかかってきてたりしたんだよ。提督は渡さないとか、あんたのせいで提督がおかしくなったーとか」
「……那珂から…聞いた」
もっとも真偽は不明だったのだが。
「とりあえず、神通は私が落ち着かせておくから。提督は気持ちの整理つけときなよ」
「……あぁ」
私の情けない腑抜けた返事を聞いて、川内は妹を担いで扉から出ていった。
「…………なんだったんだ」
多少落ち着いた私は、椅子に腰かけて頭を整理する。
私や川内がおかしい。そんなことはあり得ない。
結局は神通の激しい妄想だったのか……?
「……明日になれば多少は落ち着いているだろう」
そう考えて改めて川内がいた上を見る。
特に変鉄もない天井。
その一角が忍者のような抜け穴に繋がっていたらしいが、見事カモフラージュされていたのだ。
「……………………!?」
そんなことに感心していた。だが何故か突然、先程神通に感じた、あるいはそれ以上の恐怖が私を襲ったのだ。
314:
「っ…」
上を見ることに耐えきれなくなった私は首を戻す。
わずかに呼吸が乱れていた。
「…………なんだ?」
あの穴。私には何故か見覚えがあった。
そして感じた不安感。それは今朝のあの「目」。間違いなくそれだった。
「……なぜ」
不安感と焦燥感が入り交じったような焦りが私の中で渦巻く。
何かおかしいと感じる自分がいた。
「……いや」
だが、今回は悩まなくてもいい。
全てとは言わないが原因のわかった今、堂々と川内に聞けばいいのだ。
「行くか」
落ち着いた私は真偽を確かめるため彼女たちの部屋へ向かうことにした。
なるべく上を見ないよう立ち上がり、顔をまっすぐ前に向けたまま川内のいる部屋に向かった。
「すまん」
川内型の共同部屋の扉をノックする。
中から聞こえる会話よりもか細い声。それはいまだに少し立ち直れていない証拠でもあった。
「何?」
だが、出てきたのは那珂一人だった。
「入っても良いか?」
いいよ、と言うので恐る恐る入る。
部屋には誰もいなかった。
315:
「……川内は?」
「まだ帰ってきてないよ?」
「……?」
何処へ言ったのだろう。艦娘とは言え、少女一人を背負うとなるとかなりの負担のはずだ。
……入渠させに行ったのかもしらない。
「探しに行った方がいいかな?」
「頼む」
ありがたい申し出を頼ると、那珂はすぐに部屋を飛び出した。
「…………ん?」
この部屋には那珂一人しかいなかった。
では、廊下で聞こえた会話のようなあれは、誰を相手にしていたのだろうか。
「……人形か?」
彼女のことを考えればあり得なくはない。
私は自分を落ち着かせるという言い訳のもと、部屋を物色し始めた。
「…………これは」
神通のベッドの下から、一台のノートパソコンが出てきた。
私が見たこともない物で、どうやら自費で買ったらしい。
「……」
見ると、不用心なことに電源がつけっぱなしになっている。
私は好奇心からついパソコンを動かす。
「……なんだ?」
目に留まったのは唯一のデスクトップ。
まるでこのためにパソコンを買ったと言わんばかりのそれについマウスが動く。
「…………」
開くと、日付が名前となっている膨大なファイルが出てきた。
319:
後半戦
以下投下
320:
試しに、一番上――昨日の日付のものを開く。
『 …………予定よりも早く終わったな』
『……えぇ』
『…………君のお陰で早く終わることができたよ 』
これは間違いない。昨日の執務室であった。
「盗撮……か?」
皮肉なことに、たかが盗撮と思っているわたしがいた。
少なくとも姉を[ピーーー]などというよりは穏便だからだろう。
カメラの位置は、恐らく入ってすぐ左の天井の隅だろうか。
表彰状等で上手く隠しているのだろう。
「…………まてよ」
ビデオを止めて、ファイルをスクロールしていく。
「……あった」
一番古い日付は覚えている。これは、指輪を貰った日だ。
『指輪……か』
画面の中で私が呟いている。
しかし、別視点から見る自分はどうも滑稽に見えてくるのが困る。
『その……それはいったい誰に渡すのでしょうか…』
チラリと目配せしつつも顔を伏せる神通が尋ねる。
『そうだな。君かな』
画面の中で私は躊躇いもなく口にしていた。
321:
……いや待て。
思わず一時停止を押して心に余裕を作ろうとする。
何度考えても、あんなことを言った覚えがない。
そもそも、あのまま渡していたら今ごろ指輪は彼女の手に渡っているはずだ。
なら、これは創作したのか?
『……え……えぇ!?』
『驚くな。当然だろう』
「…………」
だが、彼女にそのような特技があったのだろうか。
私はこのような記憶がない。
かといって、正しいと言える記憶もない。
「……次」
見るのを止めて、翌日の分を再生する。
更に翌日。
それを繰り返すも、ピンとくるようなシーンに出会えない。
322:
だが、それとは別に変化は起こっていた。
那珂が壁に向かって話しかけ始めていたのである。
「なんだ……」
いつもの明るい彼女のまま、しかし話し相手は一人の執務室には誰もいない。
にもかかわらず、那珂は楽しそうに喋っている。
その光景は滑稽を通り越して不気味に見えた。
また、それとは別に川内は空元気のような笑顔を作りだした。
何かを隠すようなそれは日に日に上達していき、1週間も経たないうちに本当の笑顔と大差ないものに変わっていた。
「なんだこれは!?」
思わず出た怒声。それは誰に送ったのかわからない。
それに気づかなかった自分に対してか。はたまたそのようなことを覚えていない『自分』に対してか。
そしてその翌日の映像。
『ふぅ……』
神通が席を外して一人で書類に挑む私は、疲れたのか顔を上げて椅子に深く腰かけていた。
だが次の瞬間。その私が驚いた顔をした。
直後に上から降ってくる何か。
その何かに頭を打った私は、声もあげず動かなくなった。
「…………何」
思わず声を漏らす。
倒れる私。その横に立っているのは、またしても川内だった。
動かない私を満足そうに見下した彼女は私――カメラに笑顔を向けた。
その目は神通よりも深く、濁った墨を塗りつぶしたような、光と正反対の位置にありそうなものだった。
323:
「っ!?」
その目が引き金となり、私の頭にあらゆる記憶が溢れてきた。
神通に告白したときのこと、川内たちの様子がおかしくなったと相談されたこと
そして、天井から降りてきた川内と目があったこと。
「あ……!」
家族愛。そう思っていたが、あのとき私は神通には更に深いものを覚えていたのだ。
それを、頭頂部の痛みと共に思い出していた。
『提督……提督!?』
『たぶん記憶が飛んだんじゃないかな。神通の知ってる提督はいないよ。もう一度やり直そう。ね?』
『……ちょっと待ってください。姉さんがしたんですか?』
『さぁ?「あれ」で確認すれば?』
『っ!あれは……私のためのものです』
『でも、提督のためならあんなもの使わずに肉眼で見守ればいいのに…………そんな神通には提督は渡せない』
『何言ってるんですか!?』
『提督は間違えただけなんだ。近くにいたから運命の相手を神通だと』
『私たちは本心です!愛し合っています!』
『うるさい!』
会話は怒鳴りあうようなものになりつつあったが、川内の声で互いに静けさを取り戻す。
324:
『私は、提督が正しい道にたどり着くまで何度も修正してあげる。間違えたら手を引いて連れ戻すの』
画面越しだというのに、川内の恍惚とした笑顔に気圧された私は自然と体を引かせた。
『…………姉さんは狂ってます。そんなもので本当に提督が手に入ると?』
『その軌跡が、私たちの愛。ちょっと歪かもしれないけど、それが一番きれいな愛なんだよ?……神通にはわからないかもしれないけど』
『…………させません。提督は、私が守ります。私無しではいられないように……』
そこで映像は切れた。
325:
「まてよ……まさか神通は」
てっきり私は、混乱した神通を川内が押さえたのだと思っていた。
だが、もし私の記憶が無いことが川内のせいだと知っていて、飄々と疑惑を被せてきたなら?
……それなら確かに相談できない。
こんなもの、私が見たら彼女を怖がっていただろう。
それを理解していたのだ。
これが本当なら、危ないのは神通よりも、川内ということになる。
「……じゃあ今神通は――」
326:
「それ、見ちゃったんだ」
327:
「……神通は?」
驚きのあまり、体が強張る。
そのくせ心臓は不整脈のごとく激しく動く。
「どうしてあんな危ない人を気にかけるの?」
底冷えするような声が返ってくる。
「提督を殺そうとしたんだよ?なんで?」
「これは本当なのか?」
指輪も、那珂のあれも、倒れた私も
「全て、本当なのか?」
「ほんと」
振り向く勇気は無かった。
あの目をしている気がしたからだ。
向き合えばどうなるか想像できないほど、私に恐怖を植え付けていたのだ。
「でも、提督が神通を好きだと感じてるのは嘘だよ」
少なくとも、その声は信じられない。
「提督の運命の相手は私なんだよ?」
「指輪は私のもの。なのに勘違いした神通が舞い上がっちゃって……馬鹿みたい」
「……神通は?那珂は?」
「那珂ちゃんはいつも通り元気だよ……そろそろ『消毒』しよ。いらない記憶は消しちゃった方が良いよね?」
「!やめろ……誰か!!」
「呼んだら呼んだで私が提督の目の前で返り討ちにするけど?」
もうひとつの主砲を扉に向けながら、彼女は笑った。
「そんな……っ」
「次に起きるとき、提督は何処まで忘れてるかな?そもそもいつになったら起きられるかな?」
ギシギシと床の音をたてて近づく彼女を雰囲気でひしひしと感じる。
「一旦落ち着け!な!?話を聞いてくれ!」
ゆっくりと振り向きつつ両手を挙げる。
支離滅裂なのが自分でもわかる。だが叫ばずにはいられなかった。
「起きるのに何年かかってもいいよ。艦娘って年取らないらしいし……でも、その分だけ頭、綺麗にしてよね」
私に覆い被さる彼女の影が長く伸びる。
手に持った主砲を持ち上げたのだ。
「やめ――」
「おやすみ提督。また明日」
降り下ろされたところで、私の意識は途切れた。
328:
あるところに三人の姉妹と一人の上司がいた。
同じ相手に好意を抱いた彼女たちは、それぞれの愛を育んだ。
一人は、叶わぬ恋であることを認めきれず、虚空に愛する人を見いだした。
一人は、奪われまいと自身に縛り付けようとした。
そして最後の一人は、自分の理想を追い求め、否定した。
そして彼女たちは――――
329:
「ん?あいつまだ体調良くならないの?」
「ごめんね元帥さん。治療終わらなさそうでさ」
「そっか……まぁ、面会拒絶を解けって言うほど傍若無人じゃないし、また来るわ」
「ごめんなさい、たぶんもう少しで良くなると思うんだけど……」
「その時は一緒に酒でも飲みに行くかな……電ちゃ?ん、帰るぞ?!……じゃ、とりあえず少し烈風借りるな」
「良いですよ。提督は優しいですし、喜んでますよ」
「流石嫁さんだ。意思疏通ってやつか?」
「はい……私たちは本当に愛し合ってるんです」
ね?提督?
33

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