【オカルト】大東亜戦争中の不思議な・怖い話back

【オカルト】大東亜戦争中の不思議な・怖い話


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ガキの時分に、鍼灸師のジジイから聞いた話。ちょっと変わった幽霊談です。
ニューギニアのあたりのある戦場でのこと。
大規模な戦闘をした部隊があって、その後、その部隊の前線基地に、
夜な夜な、死んだ兵隊たちが現われるようになったそうです。
彼らはいずれも、足がちゃんとあり、懐かしそうに
「よお!」とか言いながら、現われるのだそうです。
いずれも確かに戦死した連中ばかり。
神主の息子の兵士がまじないをやったり、お経をよめる兵士がお経を詠んだりしても、まったく効き目無し。
そのうち、ズカズカ上がり込んできて、貴重な飯をバクバク食う始末。
しかも、いきなり手がスルスルっと伸びて、木の実を取ったりして、明らかに化け物化している様子。
怖いやら迷惑やらで困っていたのですが、なんとも手の施しようが無い。
見るに見かねた中尉だか大尉だかの隊長さんが、幽霊たちが集まっているところへ、
ツカツカと歩いていって、いきなり大声で、
「全員、整列!」
と言うと、素直に整列したそう。そして、
「貴様らは、全員戦死した兵隊である。よってこの世にいてはならん。
全員あの世へ行って成仏するように。これは命令である!」
隊長が涙を流しながら言うと、幽霊たちは、しばらく呆然とした顔で佇んでいたが、
そのうち全員が泣き始め、やがてボロボロと土人形のように崩れていったそう。
あとにはその土だけが残り、彼らは二度と現われることはなかった。
兵隊たちはその土の大部分は現地に埋め、残りを少しづつ日本に持って帰って、供養したそうです。
「へんな幽霊だね」と僕が言うと、ジジイは、
「日本人の幽霊でも、死んだ場所が変わると、ちょいと変わるんじゃい」
と言っておりました。
104: 本当にあった怖い名無し 2008/08/07(木) 20:12:19
>>77
これです!ありがとうございました
22: 本当にあった怖い名無し 2008/07/21(月) 17:03:59
第二次大戦の北アフリカ戦線にて、孤立したドイツ兵達が1人の老人と出会い、古い地図を譲り受けた。
そこには水や食料の貯蔵庫が記されていた。 それでどうにか助かったドイツ兵達は
「どこでこの地図を手に入れたのか」と老人にたずねたところ、老人は
「ナポレオン公から援軍が到着するまで死守するようにと命令を受けました」
と言って姿を消した。ドイツの軍事記録に残ってるらしい話。
23: 本当にあった怖い名無し 2008/07/21(月) 18:57:10
瀕死の重症を負った坂井三郎が誰かに誘導されるように帰還できた話はすごい。激戦の連続の中、いつも九死に一生を得る。誰かに護られていたとしか思えないです…。
33: 本当にあった怖い名無し 2008/07/22(火) 10:27:43
戦争が終わって日本も復興、経済大国になった頃、
南方の原住民調査のためにかつての激戦地ニューギニアの山中に入った。
そこで原住民と仲良くなって、一緒に生活しているうちに、
日没後は彼らが山の中に決して入ろうとしないことに、西丸氏は気づいた。
「なぜ、夜は山に入らない? 危険な野獣とかいるのか?」との問いに、
原住民は「野獣はともかく、とにかく気味が悪い。
姿は見えないけど、あちこちから意味不明の人の言葉が聞こえる。
でも、人の姿はやっぱり見えない。
白骨はいっぱいあるから、あれはその白骨の精霊だと思う。
夜の山は生きた人が入る場所ではない」との応え。
「意味不明の言葉ってどんな?」と西丸氏が問うたところ、原住民の応えは
「『ガヌバレ』『シカリシロ』と聞こえる。私たちの言葉ではない」……だったそうだ。
西丸氏は「さもありなん」と感じ入ったそうな。
38: 本当にあった怖い名無し 2008/07/22(火) 19:04:54
私の祖父は殆ど戦争体験について話してくれる事はありませんでしたが、
一度だけ幼い私にお菓子を食べさせながら、話してくれた事がありました。
祖父はビルマで戦っていたそうで、食べる物が無くて本当に辛い思いをしたそうです。
敵のイギリス軍は飛行機を用い、上空から陣地内へ落下傘で食料を落としていたのが見えたそうです。
ある時、その落下傘が敵と味方の陣地の中間点に落ち、
祖父は戦友3?4名と共に決死の覚悟で奪いに行き、その食料を貪り食べたそうです。
祖父は中にあったキャンディをなめ、自分は特別な存在だと思ったと
しみじみ語っていたのを覚えています。
その時なめてたキャンディーはもちろんヴェルタースオリジナル。
なぜなら彼もまた、特別な存在だからです。
54: 本当にあった怖い名無し 2008/07/23(水) 22:08:48
船には「舟魂(ふなだま)」という物が憑いていると信じられている。
その為、旧海軍では木をくりぬいて作った舟型の中に、ふなだまをかたどった紙の人形と、
五穣をはじ め供物を詰めて密封し、船室に祀っていた。
このふなだまは、船が沈没する前日に船から離れていくと言われている。
トラック諸島で日本海軍が壊滅的打撃を受けた後、
「そういえば、ゆうべ白い着物を着た女が船から出て行くのを見た」
と証言する乗組員が、あちこちの船で続出した。
ちなみに、この慣わしは今も続いていて、自衛隊の護衛艦にも神棚があり、なかにふなだまが
祀られている。見学などの際には、最新式の護衛艦の中に神棚があるアンバランスな光景を見れるとか
55: 本当にあった怖い名無し 2008/07/23(水) 22:16:28
>>54
瀬戸内海で爆発事故を起こした戦艦「陸奥」でも、沈没の数日前から着物を着た女が
艦内で目撃されていたと言う話を聞いたことがある
69: 本当にあった怖い名無し 2008/07/27(日) 21:25:50
105
私が、色々と相談をしている寺の住職は、グアムやサイパン等の太平洋戦争の
激戦地の戦場跡を慰霊のために幾度も訪れています。
その時のエピソードをひとつ・・・・。
グアム島・・・某ホテル・・・深夜・・・
住職が、寝室で休んでいるとき、廊下の向こうから、多数の兵隊が行進してくる軍靴の音が・・・。
そして、その行進は、住職の部屋の前で止まり、部屋の中に入ってきたそうです。
「自分は、福島県出身の〇〇一等兵であります。
この度は、戦友一同共に祖国日本への帰還を願いに参りました」 
・・・・と、
隊列の中から一人が前へ出て住職に向かって言ったそうです。
そこで、住職が般若心教境を唱えると、彼らは、その般若心教に乗って日本へ帰還したとのこと。
同じように、戦死したアメリカ兵も住職の元へ現れて、
住職の唱える日本語の般若心境に乗ってアメリカへ帰還していったとのことです。
宗教、宗派は違っても、宗教は全ての人・霊の幸福のために存在することをこのことは示しているような気がします。
70: 本当にあった怖い名無し 2008/07/27(日) 21:26:30
113
サイパンというと、太平洋戦争の大激戦地で、日米両軍で数万の犠牲者が出た所。
このマ○○○○島は、その最前線にあって、サイパン本島からの救援もなく、脱出も出来ず、
最後には弾薬も尽きて、全将兵が刀を持って突撃して、全滅したといわれてます。
この話は、サイパンの現地係員の経験のある先輩の体験談です。
夕方、某ビーチを歩いていると、海岸線後方の木々の茂みの中から、
「突撃ィー!」
という声が聞こえたかと思うと、何百人もの旧日本兵が・・・、
「うわぁーー」と、海岸線に向かって突撃してきたそうです。
次の瞬間、
ダダダダダダダァ、
トガァーン!
機銃や大砲の音が鳴り響き、兵士達は次々と倒れていき、
あっという間に、先輩の周りは兵士の死体で埋め尽くされたそうです。
しばらくすると、機銃や大砲の音も止んで、あたりが静かになると
倒れていた日本兵達はスゥーと消え・・・、
次の瞬間、再び、
「突撃ィー!」
という声が聞こえたかと思うと、何百人もの旧日本兵が、
「うわぁーー」と、
海岸線に向かって・・・・・・。
その時、ビーチには、日本からの観光客も沢山いたそうですが、
ほとんどの人は、何も見えていないのか、そのまま遊んでたそうです。
ただ、先輩も含めて、幾つかのグループは、真っ青な顔をして、ビーチから逃げ出したそうです。
71: 本当にあった怖い名無し 2008/07/27(日) 21:27:42
116
私は、私が手配した団体旅行の出迎えのために国際空港にいました。
私が、到着ロビーで待っていると・・・、
たくさんの10代後半?20代位の女の子たちが、ワイワイ騒ぎながら出てきます。
話の様子ではサイパンに行ってみたい。
その彼女たちが、私の真横を通った、その瞬間、急に背筋が、凍りつくような悪寒を感じて振り向きました。
彼女たちを見ると、背中に、血だらけの旧日本軍の兵士を一人ずつ背負っているんです。
「あの子達、マ○○○○島で・・・・・・・。」
そのまま、呆然として、彼女たちの背中の日本兵を見ていると、1人の日本兵が振り向いたんです。
満ち足りたような笑顔を見せて・・・・・・・。
「あー、兵隊さん達、日本に帰りたかったんだ。」
彼女たちには悪いけど、遠い島で亡くなった日本兵が、帰国できたのは良かったのかも・・・・。
少し切ない気持ちになりました。
81: 本当にあった怖い名無し 2008/08/03(日) 01:35:43
怖い話ではないんだけれど・・・わしの親父が小学生だった時の話。
親父が学校で天皇陛下はうんこするの?って先生に聞いて、警察沙汰になったって言ってた。
親と一緒に警察まで行って、警官とうんこする、しないで大揉めだったらしい。
82: 本当にあった怖い名無し 2008/08/03(日) 01:58:03
お父さん、今何歳?
83: 本当にあった怖い名無し 2008/08/03(日) 02:14:50
俺もー30過ぎのおっさんだし、うちの親も年とってから俺を作った(笑)
から親父ももーいい年なんだけど、
戦争中親父の兄貴が特攻隊に召集されて行っちゃって、小学生の親父が田舎
の畑で土いじって遊んでたら兄貴が「ひょっこり」帰ってきて、絶対お化け
だと思ってびびって逃げた、って言ってたよ、再会を喜んでやれよ、みたいな、、w
乗る戦闘機が無くなっちゃって、帰ってきたんだってさ。
98: 本当にあった怖い名無し 2008/08/06(水) 22:15:19
昔、聞いた話で嘘かほんとかは知らんが、
ぺリリュー島周辺で島民が船で航行してると、突然得体の知れない光の塊が追いかけて来る
島民の一人は追い掛け回された挙句、暗礁に突っ込んで負傷
日本兵の怨念が、米軍の上陸用舟艇と勘違いして船を追い掛け回すらしい
ほんとかね、これ?
103: 本当にあった怖い名無し 2008/08/07(木) 10:35:12
>>98
秘話パラオ戦記 ?玉砕戦の孤島に大義はなかった?
光人社NF文庫 著者: 船坂弘
たぶん、この本に載ってる話ですね。
夜間漁に出ると人魂が現れて接近してくるという現地民の体験談。
確認しようとしたら本が見つからなかったorz
107: 本当にあった怖い名無し 2008/08/10(日) 00:20:54
ついでにもう一つ投下。
「知ってるつもり」で紹介されてた話だけど。
特攻基地の近くに特攻隊員御用達の食堂があったんだって。で、その食堂の女主人
は特攻隊員から母親のように慕われていたんだと。
その女主人に、とある特攻隊員が、出撃直前にこんなことを言った。「ボクが特攻
するのは、明日の夕方です。死んだら蛍になって戻って来るんで、お店の扉を開けて
いて下さい」・・・。
果たして、次の日の夜、お店に1匹の蛍が入って来た。女主人が「これは今日、特
攻した誰々だよ」とその場にいた他の特攻隊員に告げると「それはないよ」との返事。
けど、みんな自然に肩を組み合って合唱し始めたとか。
その女主人だけど、90歳近くまで長生きしたらしいよ。特攻隊員に「おばちゃん、
ボクは明日死ぬから、残りの命を上げるよ。その分、長生きしてね」と言われてたん
だってさ。何か悲しい話だよね。
ちなみに、その女主人の葬式のとき、どこからともなく1匹の蛍がやって来たとか。
その特攻隊員が迎えに来たのかな?
109: 本当にあった怖い名無し 2008/08/10(日) 01:59:06
>>107
これも有名だな
"特攻の母"鳥濱トメの話
110: 本当にあった怖い名無し 2008/08/10(日) 03:31:26
知覧の蛍の話、有名ですよね。
高倉健が主演の関連映画もあるし。
父が特攻隊の生き残りなので、
遅くに生まれた長女の私にも戦争の話をよくしてくれた。
もう80近い父は、自分で特攻や軍隊の本買ったり図書館行っては関連本借りてる。
そんな父が一番のお気に入りは、私が仕事で行った知覧特攻記念館で買った数冊の本。
ある日見ると、お気に入りのところに斜線がいくつも引いてあった・・・・
一度知覧に連れて行くのが夢だったけど、もう心臓も足腰も悪くなって
幻で終わりそうで切ないな・・・・・
114: コピペ 2008/08/11(月) 10:40:50
56
高校生の時に「どうせいつかは死ぬんだから、今死んでも一緒だよなぁ」と言った私に祖父が語ってくれた話です。
戦時中祖父の乗っていた船が撃沈され、祖父は陸まで何とか泳ぎ生き延びたそうですが殆どの仲間が他界されたそうです。
戦後亡くなった友人達の遺族の方に挨拶回りをし、全て回り終わった祖父は自決しようとしたそうです。
素晴らしい人達が沢山死に自分だけ生き残った事を悔やんだ祖父は、遺書を書き軍服に着替え切腹しようとしました。
「皆に寂しい思いをさせてすまん、自分ももうすぐそっちに行く」と言い、短刀で腹を切ろうとした時「まだ来るな」と言う仲間の声がはっきり聞こえたそうです。
祖父は泣き、生きたくても生きられない仲間の為にも生きる事を決心したそうです。
怖い話ではありませんが、身内に起こった話ですのでここに書かせてもらいました。
159: 本当にあった怖い名無し 2008/08/16(土) 06:11:28
こわいはなし
祖母(当時11歳)が話してくれた空襲
「ここは危ないからあっちへ逃げなさい」と誘導してくれた
若い兵隊さんが、朝戻ってみたら亡くなっていた
曾祖父は町内会長としてやはり誘導やらしてて逃げ遅れ亡くなった
地方都市の空襲で亡くなった兵隊さんは若い人が多かった
偉い上官さんは安全な所にいたんだろう
終戦の数日前再び避難先の隣町で小さな空襲があって、逃げていたら
「逃げてるんじゃないよ非国民!」と知らないおばさんにののしられ
親が死んでるんだよ!うちも燃えちゃったんだ!!
と怒鳴りつけたら黙ったって
若い頃はけして自分から語らなかった戦争の話を、年老いたせいか
孫の俺らに少しずつ話してくれるようなった
後者の話が恐い。終戦間際、もう限界で一般市民もどっかおかしくなってたのか
161: 本当にあった怖い名無し 2008/08/16(土) 07:48:59
>>159
おばさんは、もしかすると婦人防空団とかの人だったかも。
隣組単位で消火活動とかする決まりになってるから、逃げた=非国民という思考だったのかも
ね。まぁそういう意味ではおかしいのかも知れないけど。
当時、軍属とかの人が幅を利かせてたから・・・。
229: 本当にあった怖い名無し 2008/08/19(火) 03:13:11
・太平洋戦争中に消えた日本軍一個大隊
1943年にニューギニア戦線で、
米軍を上陸時に迎撃するため作戦行動中の日本軍
(結構な人数。1000人以上なのは確実)
が忽然と消えてしまった。
未だに遺品の一つも出て来ない。
・広島に原爆を落としたB?29を観察していた謎の物体
8月6日、前1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載した
エノラ・ゲイがタキシングを開始し、1時45分にA滑走路の端から離陸した。
午前6時30分、四国上空においてエノラ・ゲイのレーダー迎撃士官
ジェイコブ・ビーザー陸軍中尉がレーダースコープに正体不明の輝点を発見。
通信士リチャード・ネルソン陸軍上等兵はこのブリップが敵味方識別装置に
応答しないと報告した。
エノラ・ゲイは回避行動をとり、高度2,000m前後の低空飛行から急上昇し、
午前7時30分に8,700mまで高度を上げた。
232: 本当にあった怖い名無し 2008/08/19(火) 04:26:58
>>229
> ・太平洋戦争中に消えた日本軍一個大隊
現代にトリップしていたら萌える。
234: 本当にあった怖い名無し 2008/08/19(火) 05:11:50
今年97になったうちのじいさん、何事にも動じない
頑固で無口なヒトだが、あの眼で戦時中に何を見たのか
時々不思議になる。(徴兵されて終戦はセレベス島で迎えた)
まるで何か脅迫観念があるかのように信心深い(特定の宗教に
のめり込んでいるとかじゃなく、毎晩家の各部屋でお祈りをする
(各部屋にいる何かと交信している?)とか)から、昔何かあった
のか、元々何か見える体質なのか・・・。
もうボケて何の話も出来ないが、ボケる前もかなり無口で、
戦中にセレベス島で蛇を食べた話位しか聞きだせなかった。
240: 本当にあった怖い名無し 2008/08/20(水) 15:11:20
第二次世界大戦中の話じゃないんだが、オカルトちっくなので投下
家の祖父はシンガポール沖で海の藻屑と消えた。
で、10?11年前の秋に姉夫妻がマレーシアに赴任してシンガポールで
出産したので、祖母・両親・俺で会いに行くことになった。
高齢の祖母を連れていくのは難しいと両親は考えたが、祖母のたっての
希望で準備を進めた。
当日、祖母が祖父の遺書と形見を小さな巾着の中に入れていて、俺は生れて
初めて祖父の筆跡を見た。
家はお盆の時は墓と靖国神社に行く。祖父が遺書に「死んだら靖国に行く。もし、○○(祖父の幼馴染で戦友)
が亡くなっていたら○○は一人者だから○○の分まで弔うように」と最後らへんに書いてあった。(意訳)
だから、○○さんの分も家の墓地に墓石がある。
で、シンガポールで日本人慰霊碑に参拝して姉夫妻と子供と会って食事をしてホテルに戻った
時、父親がおかしい。
何度も俺に「はっきり言え、何を言ってんだ?」と俺に聞いて、「何も言ってないよ」と返していた。
そうこうしてるうちに、初孫の嬉しさでしこたま酒を飲んだ父親は寝てしまった。
俺はリッチな海外旅行に浮かれて、ルームサビースでシンガポールスリング等を取って、
ベランダで「赤ちゃんに乾杯」とかやってふざけていた。一人で遊ぶのも疲れてきたのでベットでテレビを
見てた時、ケタタマシイいびきとともに父親が「親父!俺の背中に乗れ!俺が連れて帰る!
恥ずかしくないおぶってやる!」
241: 本当にあった怖い名無し 2008/08/20(水) 15:16:13
と、大きな声でハッキリしゃべったからびっくりした。
その後、声が小さくなり「父さん、父さん、僕の父さん」と泣きながら呟いて又眠った。
びっくりする出来事だったが、感慨深いものがあった。父が生まれる前に祖父は戦死したので、
抱かれた事もなければ、無論話を交わした事すらない。写真の中と祖母が話す祖父しか知らない。
父親は父がいなくても頑張ったんだなと思うと泣けてきた。
朝になって、寝言の事が気になったが黙っていた。別部屋で寝てた母と祖母と合流して
、朝食を食べてる時にばあちゃんが「昨日ね祖父さんと○○さん(祖父の戦友)がね迎えに来てくれて
ありがとうって出てきてくれたのよ。祖父さんがね、足が悪いからって、俺の父親さんがおぶってくれたの。
○○さんが横で泣いててね。私は一緒に帰れますねって言ったのよ」と言い出した。
正直、小便ちびりそうだった。父親を見ると目を真っ赤にして泣きそうだったので、俺が夜、見聞きした事を
その場で話した。
一同黙っていたが、祖母が「はーやっぱり来てよかったわ。私の人生の悔いがなくなったし、俺の父親さん
の姿を見て、私と一時を共にして良かったと思ってらっしゃるでしょう。幸せな方よね祖父はw」
と笑顔で言った。それを聞いた父親は「よかったな」って笑顔に戻ったのが印象的だった。
幽霊とかそんな話じゃないけど、まだ帰れない人もいるんだなと思った。
余談
祖母が亡くなる前に、祖母が母親に「あの時、私の顔がおばあちゃんになってるから、
祖父さんもびっくりしたでしょうね。でもお婆さんになった顔を一度見てるから、
迎えに来る時はまっすぐ来てくれるわね安心、安心」
と言ってたそうだ。祖母は最後すこし呆けて、祖父と出会った頃に戻って母親にノロケてたらしい。
祖母の葬式の時、火葬場で母親が「おばあちゃん、やっとおじいちゃんに会えたね」って笑顔で
泣いていたのが印象的だった。
※祖母は、父や祖父の名前をさん付で呼ぶ。
駄文・長文重ね重ねすいません。
245: 本当にあった怖い名無し 2008/08/21(木) 21:27:56
>>240-241
すごく泣けた。
何年か前にうちの爺さんの兄弟が亡くなったときバーチャンに挨拶しにきたらしいんだが、
そのとき爺さんも一緒に来てたらしい。ちょっと似てたので実感がわきました。
242: 本当にあった怖い名無し 2008/08/20(水) 15:33:33
いい話でした
247: 本当にあった怖い名無し 2008/08/23(土) 22:00:43
戦争中に夢で何かを報せるっていう話、何度か本で読んだことあるよ。
弟の夢に上級将校の兄が官用車みたいなので乗りつけ、後席から出てきて
「世話になったのう…」と伝えた。後日調べてみるとやはりその日に戦死していたとか。
インパール作戦に参加した兵士が夢で祖母の死を悟った話。
同じくインパールで別の兵士がアメーバ赤痢だったかで生死の境のときに
先に亡くなっていた戦友が夢に現れ、しきりに何か伝えようとしている。
なぜかその後に竹炭を食べることが頭をよぎり、そのおかげで生き延びた話、など。
寝ている時のほうが霊魂と交信しやすいのかもしれないね。
249: 本当にあった怖い名無し 2008/08/23(土) 23:53:15
グアム島から故横井庄一さんが帰還される前日、戦友の幽霊がやってきて、
俺たちをおいていくのかっていったんだってね。
南の島にはまだまだ帰れない英霊がたくさん眠っているんだろうね。
279: 本当にあった怖い名無し 2008/08/26(火) 17:34:34
お兄さんが戦死したと思われる直後に、実家にお別れの挨拶に帰って来たと言う話しを婆ちゃんから聞いた時は泣いたな…
姿と声を聞いた訳ではなかったそうだが、誰もいないはずの廊下から内履きのスリッパの音がしたらしい
慌てて廊下へ出て見ると、玄関へあったはずのスリッパがなぜか居間の前に並んでいた。不思議に感じながらスリッパを見つめていると、突然片方が玄関の方へ向けて滑っていたんだって
その直後、何か大事な者を失ったと感じて婆ちゃんは涙が溢れて止まらなかったと言っていた
戦争は駄目よ
290: 本当にあった怖い名無し 2008/08/28(木) 20:26:30
1942年のマーシャル諸島ペリリューでは、日本軍の戦死一万人・捕虜22人という数字は
異常すぎるといわれている。玉砕があいつだサイパン戦ですら2千人ちかい捕虜が発生したのにだ。
アメリカ海兵隊は「皆殺し作戦」をおこなった可能性が高いと言われている
303: 本当にあった怖い名無し 2008/08/30(土) 17:56:11
>>290
硫黄島も同じことが言われている
作戦、つーか、前線の異常な敵愾心と残存数が把握
できない日本兵に対する恐怖感からだとされているが
614: 本当にあった怖い名無し 2008/09/13(土) 19:31:17
硫黄島の戦いで、西中佐(バロン西)を助けようとして、
投降を促したりしたのも米軍の宣伝だろうね。
ロス五輪の金メダリストだから、世界中に名前が知れ渡っているし
これ以上の宣伝効果はないよ。
米軍はいかに人道的に戦っているかを宣伝出来るよ。
これ以外の硫黄島の戦いでは、洞窟に篭って投降しない日本兵に対して
海水とガソリンを大量に流しこんで火あぶりにしたとか、戦死した兵士の死体に
隠れていた日本兵を死体ごと戦車で轢き殺したとか悲惨な事ばかりだよ。
299: 本当にあった怖い名無し 2008/08/30(土) 15:45:01
硫黄島玉砕後の話。米の帰還兵を乗せた輸送機がいよいよ出発する時、なぜかいつまでたっても
離陸しない。どうしたんだと上官が兵士に聞くと、「日本の兵隊さんがタラップにいっぱいしがみ
ついていて離陸できません」と涙ながらに答えたという。
359: 本当にあった怖い名無し 2008/09/03(水) 20:30:56
もう25年以上前の話。
戦時中、将校だった爺さんが死んで、遺品の整理をしてたら
本に挟んであった白黒の写真を見つけた。
その写真は驚く無かれ、生首が50個(数えた)が地面の上に
並べてあり、中央に軍服姿の爺さんが刀持って椅子に
座ってるのがあった。
当時、俺はガキで怖いと言うより、
漫画みたいで、おかしくて弟と一緒に笑った覚えがある。
関東大空襲と思われる写真もあった。
真っ黒に焼け焦げた死体は手足がまっすぐに
色んな方向に伸びたり曲がったりしてて
不思議なオブジェだった。
447: 本当にあった怖い名無し 2008/09/06(土) 13:39:32
船にも魂が宿っているのかもしれないというのは駆逐艦涼月の話だな。
大和の沖縄特攻に参加した涼月は船体前部を爆弾でやられて、更には艦隊から
はぐれてしまい行方不明となったが後進(バック)で何とか佐世保まで帰ってきて
そこのドックに入った瞬間に沈没したそうだ。
あとでドックの水を抜いて艦内を調べてみたら浸水した区画に丸太を使って
浸水を止めていたらしい三人の死体が見つかったそうだが、帰還した瞬間に
安堵して沈んでしまうという船も凄いと思う。
490: 本当にあった怖い名無し 2008/09/08(月) 11:35:37
私の伯父さん(75歳位?)も機銃掃射されて生き残ったって話を伯母づてに聞きました。
伯父さんは茂みに隠れていたから助かったみたいだけど、米兵が赤いスカーフをヒラヒラさせて撃ちまくっているいるのが見えたって。
逃げまどっていた同級生はその時に撃たれて亡くなったそうです。なんだか悲しいね。
昔の栃木県でのお話です。
スレチだったらごめんなさい。。
492: 本当にあった怖い名無し 2008/09/08(月) 12:07:57
一方、撃墜されつつも不時着して生き残った米兵パイロットは
「恨み晴らさでおくべきか」
とばかり日本国民から壮絶な暴行を受け、死んでいった
(はだしのゲン、だっけか)
どこまで真実なのか、どんな思いで従軍していたのか、敵国兵を殺したのか
伝聞・過去の記録に頼るしかないが
どっちがどう野蛮だった、というか戦争は基本、殺し合いだからね
真珠湾を攻撃した日本のパイロットは民間人には
発砲しなかった、という話もあるようだが
果たして日本が圧倒的優位に制空権を持っていたとしたらどうだったか
歴史に聞いても答えは返ってこないな
556: 本当にあった怖い名無し 2008/09/10(水) 18:03:41
原爆関連の不思議な話
8月6日の夜から7日の晩ぐらいに中島本町周辺に家族を探しに向かったり避難途中の人が焼け跡で
真っ白なニワトリが一羽生きているのを見たと複数の書籍にあるがどうなんだろ?
被曝した人間以外の動物の話もあんまり聞かないね
長崎か広島で被曝した馬の写真はみた覚えがあるが、動物自体少なかったのか気にかける余裕がなかったのか…
557: 本当にあった怖い名無し 2008/09/10(水) 21:51:13
俺の親戚にも機銃掃射受けたのが居る。
赤ん坊連れて畑仕事してたら、突然山を越えて低空で艦載機がやってきたそうだ。
畑仕事中なので赤ん坊はその辺に転がしておいたんだけど、わざわざその赤ん坊を狙って撃ったって。
運良く両射線の中に入って助かったんだけど、山から距離があって照準する時間が取れたら死んでただろうな。
570: 本当にあった怖い名無し 2008/09/11(木) 10:15:07
スレタイ違いかもしれんが…
うちのじいちゃんは戦前まで神戸にいた。神戸空襲が起こる一週間ちょい前、ばあちゃんが神戸が空襲で燃え盛る有様を夢で見たらしい。
炎の竜巻があちらこちらの民家に襲い掛かるって凄い内容だったという。
これを聞いたじいちゃんはビビッて営んでた写真館をたたみ、土地をすぐ売り飛ばして実家のある田舎へ逃げ帰る資金にして慌てて一家総出で里へ疎開した。
一週間後、神戸は空襲で丸焼けになった。
神戸に居残ったばあちゃんの友達はばあちゃんが言った通りの燃え方をしたので、恐ろしかったと戦後に逢ってから言ってたという。
だけどこれにはオチがある。
じいちゃんの写真館があった町内は、丸々空襲の被害を受けず、写真館も全く燃えなかったんだ。周りの町は燃えたけど。
里へ逃げ帰って殆どの資金も使い果たし、その上実家の近所に写真の師匠(戦前は写真技術は徒弟制度で伝授されてるのが殆ど)が
写真館を開いてたので写真館も出来ず戦後ド貧乏暮らしをする羽目になり
ばあちゃんはボケてしまうまで「あんな夢見て逃げ帰るんじゃなかった、失敗した」とこの話をする度にボヤいていたよ。  
後は大学の教授が航空隊の副隊長であった時に、ある瀕死の兵に逢い
その兵の部隊がアメリカ軍に捕まった挙句、道路整備のローラーでスルメイカにされて処刑されたって話位。
588: 本当にあった怖い名無し 2008/09/12(金) 12:57:07
旭川に住む母親は、戦時中子供だったんだけど、ある日知り合いの
お兄ちゃんが家に挨拶に来て「これからアッツ島に行きます」と
言ってたのを覚えてるそうだ。
「きれいな顔をしたお兄ちゃんだったけど、死んじゃったんだねえ」と
時々思い出して言ってる。かなり苦しい思いをして亡くなったのかと思うと
切ないな。
589: 本当にあった怖い名無し 2008/09/12(金) 15:37:48
太平洋戦争中のある島で虐待される事も無く、充分な食料も与えられて終戦まで友好的な扱いをされた米軍捕虜がいた。
実話だが、これこそオカルト。
592: 本当にあった怖い名無し 2008/09/12(金) 19:18:23
>>589
欧米の映画じゃ、日本軍は捕虜を結構ひどい扱いしてるように描かれてるじゃん?
食料もたいして与えず、強制労働させて、みたいな
実際そうだったのかな...
594: 本当にあった怖い名無し 2008/09/12(金) 19:43:48
>>592
年末に歌われる「第9」は、米軍捕虜が歌ったのが始まりだというし
いい扱いを受けた人もいれば、問答無用で処刑された人もいたんだろうな。
604: 本当にあった怖い名無し 2008/09/12(金) 22:31:08
>>594
それ松山収容所で第一次大戦のドイツ軍捕虜。日清・日露、第一次大戦とほとんどの場合日本は捕虜に人道的。太平洋戦争の一時期一部がおかしかっただけ
590: 本当にあった怖い名無し 2008/09/12(金) 15:50:51
うちのおじいちゃんは、ボルネオ島で戦死してる。
30代手前の戦死。戦地からの手紙が遺ってて
『赤ん坊は元気か?』とか、まだ生後間もない父親の
心配をしてる様子が、メチャクチャ哀しい。
もちろん、うちの父親は、おじいちゃん(父親)に
抱かれた事なく、父子であっても実際は逢う事もなく
親の顔は写真で見ただけ…
先に居た子供や、生後間もない赤ん坊を残して
死んでゆく…無念すぎるくらい、無念だよね。
スレタイに合ってなくて、ごめん。
621: 本当にあった怖い名無し 2008/09/13(土) 23:47:16
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