【オカルト】死んでしまった人との最後の何気ないコミュニケーションpart2back

【オカルト】死んでしまった人との最後の何気ないコミュニケーションpart2


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もう10年以上前のことだけど。
子供の頃、おばあちゃんがりんごの砂糖漬けを作ってくれて
私はそれが大好きだった。
おばあちゃんの家には毎年お正月とお盆にしか行かないのだけど、
おばあちゃんは私の好物を覚えていて、いつもたくさん
りんごの砂糖漬けを作って待っていてくれた。
中学2年の時、
おばあちゃんはいつものようにりんごの砂糖漬けを作ってくれたけど、
私は全然食べなかった。
ダイエットしてたから。凄く好きな男の子がいて痩せなきゃと思って。
おばあちゃんはちょっと悲しそうな顔をした。
でも私は頑として、一口も食べなかった。
おばあちゃんが倒れたのは1月4日だった。
それから3日、7日の日に亡くなった。
御葬式の時に母がおばあちゃんの家の冷蔵庫を整理していたら
タッパーに入ったりんごの砂糖漬けが出て来た。
レモンが沢山入っていて、未だ食べられるから家に持ち帰り、
あんたの為に作ったものだからと母に勧められた。
すごく美味しかった。
食べながら、涙が止まらなかった。
おばあちゃん美味しいよ、って、どうして言ってあげられなかったんだろう。
きっと身体の具合が悪かったのに、お正月過ぎて倒れ、
松が明けてから亡くなった思慮深いおばあちゃん。
本当に、ごめんなさい。

20: あなたのうしろに
10年位前、近所のおじいちゃんが亡くなった。
私は祖父母がいなかったのもあって
特に幼い頃このおじいちゃん家に行って遊んで貰ってた。
結局最期は病院で亡くなったんだけど
入院する前にバイト代で下着何枚かをあげたのよ。
そしたら体悪いのにわざわざお礼を言いに来てくれた
心配だからって母が送ってらっしゃいって
私もそう思って送って行ったら
じいちゃん家の前でじいちゃん何度もお辞儀するんだよ。
じゃあねって歩き出して振り返るとまだお辞儀してた。
じいちゃん離れてた家族とあんまりうまくいってなかった事とか思い出して
切なくなった。
それきりで次に会えたのは葬式だった。
30: あなたのうしろに
俺の一番親しかった友人のうちの一人が18で去年の春に亡くなった。
そいつ(M)と俺ともう一人の友人(T)は中学の同級生で本当に中が良かった。
中2の時だけ3人バラバラのクラスになったものの遠足や修学旅行ではいつも
一緒に行動していたものだった。俺達はそれぞれ別々の高校に進学して、互いの
生活が忙しかったということもあり、なかなか顔を合わせる事ができずにいた。
だが高2の12月、友人Tから「高3で忙しくなる前にMも誘って1回遭おう」と
いうことになり、俺達は正月に横浜へ行くことにした。その時丁度俺は進路の事で親父と意見が合わず
にいつも喧嘩していた為、お袋から「最近のあんたの顔、人相悪いよ」と言われる
程の顔をしていた(らしい)ので友人達にもこの事を指摘されるのではないかと
内心不安だった。だが待ち合わせ場所の桜木町駅で俺を迎えてくれたMの言葉は
意外なものだった。「K(俺の名前)!お前、相変わらずだな。中学ン時その
まんまじゃねえかよ。」とMは俺に言った。この時の俺は中学の時とは異なり
髪もかなり伸ばしていた上に、服も中学当時のものとは全然感じの違うのを着て
いたからいくら元友人とはいえども直ぐには俺だと判るまいと思った。
更に目つきも当時悪かったと思うのでてっきり俺は「お前変わったな」と言われる
と思ったのだが意外だった。Mも「お前って変わんねえよな」と言ってくれて結構
嬉しかった。その日俺らは本当に楽しんだのを憶えている。3人で一緒に昼飯を
喰ったり、恥ずかしかったがプリクラを取ったり、みやげものを買ったり…
31: 30
30続き
とにかく会えなかった約3年分の思い出話とか、下らない話とかを話合った。
だが楽しかった時間は本当に直ぐに過ぎてしまうもので、あっと言う間に
もう帰らねばならない時間になってしまった。その時の別れ際に言った
言葉が俺とMが交わした最後の言葉になってしまうのだった。
俺「進路決まったら絶対また会おうな!」
M「ああ、勿論だぜ。じゃあ、ゴールデンウィークなんてどうだ?」
T「俺も賛成!イベントもあるしな…」
M「また連絡するかならな!」
Kが携帯を持っていなかったこともあり、それから殆どKとは連絡を取り合う
ことはなくなった。それから1年と2ヶ月後の去年の4月のある日、突然
TからMが亡くなったとの連絡が入った。死因は寝ている間に心臓麻痺に
なったということで、朝なかなか起きてこないMを不信に思った彼の母親
が様子を見に行ったらベッドの中で冷たくなっていたそうだ。
その時の俺は魂だけが抜けた様な感じになり、泣く事さえもできなかった。
告別式の会場へ行って漸くMがこの世からいなくなった事実を受け入れる
事ができた。そして漸く俺は涙を流した。それよりも何よりも俺はMの
弟さんのことが気掛かりでならない。その弟さんは現在小学校5年なの
だが、告別式ではまるで人形の様に椅子に座っていたからだ。泣く事さえ
もせずに生気の無い状態でぽかんと口を開けていただけだったから、余計に
気になる。
47: あなたのうしろに
もう20年前の高校生の頃・・・
5月の土曜日、学校の帰り道でクラスメイトのとても明るい女の子が俺の前を歩いてた。
喋った事のある子ではなかったのだが振り向いた彼女は突然
「また月曜日会おうね。ばいば?い!!」
と言った。
その時は
「おぉ・・・」って気の無い返事をした記憶が鮮明に残っている。
月曜日に学校に行くと、その子が来ていない・・・
一時間目の授業の前に担任から訃報を聞いた。
もっと彼女と話をしたかった・・・
何であんなに気の無い返事をしてしまったんだろう・・・
彼女の事好きだったのに
振られるよりつらかったよ
48: あなたのうしろに
>>47
> 「また月曜日会おうね。ばいば?い!!」
> と言った。
その時は、彼女まだ亡くなっていなかったのですか?
49: あなたのうしろに
>>48
土曜日の夜中にバイクで・・・
ですのでその時は、現世で見た最後の笑顔です。
すごく悔みましたよ。
事故なんて、一秒の違いで無傷になる事もありますから・・・
あの時にもう数秒俺が引き止めれば、全てが変わっていたんじゃないかって
月曜日に「よぉ!!」って会えたのかもしれないって・・・
53: あなたのうしろに
大学の時、友人が白血病で入院。
病院と大学は距離があったが
電話で時々会話していた。
ただ、日がたつにつれ彼の言葉に泣き言ばかり多くなり聞いてる俺も少々
うんざりしていた。そして俺は彼の病状を詳しく知らなかった。
(白血病と知ったのは死後)
今思えば俺はすごい冷たい事をしていた。死が避けられない状態の人間の
苦しみとか全然わからずに意味の無い会話ばかりしていた。
すまん・・・ごめん・・・見舞いも一度しか行ってない。
葬式の時はすごい雪だったな。
54: あなたのうしろに
父親が死んだのは俺が大学3年の時だった。
夏休みで帰省中だったので家族と出来るだけ話そうとは思っていた。その日は近所を散歩したりして夕方を向かえ、
家に帰ると縁側で父がビールを飲んでいた。(当時父は既に定年後)
隣に座ると父は何の前触れもなく「俺も年をとったよなぁ?」と呟くような、俺に聞いてるような感じで言った。
俺は「なんだよ、いきなり」と言い、続けて「小学校の頃、夏休みはいつも白樺湖に日帰りで遊びに行ったじゃん
そんでいつも帰りにはモスバーガー買って車の中で食べながら帰ったの覚えてる?
でもある年から、あんただけモスの隣にあるおむすび屋かなんかの方が良いって言って
一人だけ違うの食べ出したんだよ、俺はそれを見たときさ
あぁ親父は年をとったんだな?ってなんとも言えん気持ちになったよ
だから今更、親父年とったな?なんて思わないけどね」(こんな説明的ではないがこのようなことを話した)
それを聞いて親父は「そんな昔から父親を年寄りだと思ってたのか、けしからんな」と笑った。
そして「まあ、そんな思いをさせてたとは知らんかったとは言え、悪いことをしたな」なんて言った。
普段は謝るような事を言わない親父が悪かったなんて言ったので俺は
「ははは、いいよそんなことあやまらなくても」とあたふたと応えた。
55: あなたのうしろに
続き
それが面白かったのか父は笑って「じゃあ俺がいつ死んでももう覚悟は出来てるってことか」と冗談ぽく言ったので
「ああ、いつでもいいよ、準備OK。葬式は盛大に執り行ってやるよ」と冗談で返した。
「ああ、俺が死んだら葬式は盛大に頼むわ、あとくそ坊主のお経は要らんから式では映画音楽を流してくれ」
とか言いながら居間の方へ行った。久しぶりに冗談を言い合い少し嬉しくなった俺は夕食まで縁側でボーっとした。
夕食は珍しく会社から早く帰ってきた姉と父、母、俺の家族4人全員で食べた。
夕食後、父は風呂場で倒れそのまま帰らぬ人となった。
母と姉は団欒後の突然の事だったので大変慌てて、ずっと泣いていた。
俺は泣かなかった。もちろん悲しかったが、それと同じくらい夕方の会話が心の中にあった。
葬式は父の要望どおり映画音楽を流した。
お経は読んでもらったが。
夕方は黄昏時や逢魔ヶ時ともいうので幻だったのかも知れないが
なんてことは無いあのやり取りが、父との一番の思い出だ。
56: あなたのうしろに
54-55
こういう言い方して良いのか分からないが、
良い別れ方だったんじゃないかなぁ。
57: 52
≫56
良い別れ方だったんじゃないかなぁ。
に同意。
いい思い出ばかりが頭から離れず…でも
彼を大好きなまま彼は消えた。
62: あなたのうしろに
6年前に父親が亡くなりました(享年57歳)。
会社をリストラされたものの、
前に働いていた会社に就職が決まったんです。
入社して間もなく、四国方面に社員旅行へ出掛けることになりました。
社員旅行はもちろんのこと、飛行機に乗るのが初めてで
とてもウキウキしていたのがよくわかりました。
せっかく飛行機に乗るんだから、スーツを買おうという
ことになり、洋服の青山へ行きました
(父の仕事は職人っぽかったので、スーツを着ることはめったにない)。
その帰りに回転寿司を食べました。
うちは今までめったに外食をしなかったんです。
父親が車を運転するので、ビールが飲めないから。
それなのに、回転寿司のお店に入ったんです。
しかも私と母親に「奢るから、何でも食べろ」って
すごく言ってたんです。
後で母親と「パチンコで儲かったんじゃないの?」って
言ってたんですが…。
翌日の早朝、父親は出掛けていきました。
私は見送ることができなかった(起きられなかった)。
次の日の早朝、会社の人から電話がありました。
「○○さん(名字)亡くなりました」って。
母親は最初、何かをなくしたのかと思ったみたいで。
酔っ払いつつも大浴場に行ってしまい、
足を滑らせて、頭の打ちどころが悪かったようです。
誰かがいたら助かったかもしれないけれど、誰もいなかった。
父は風呂好きでした。
64: 63の続き
長くなってすみません…。これで最後です。
まさか、棺桶に入って飛行機で帰ってくるなんて、
夢にも思わなかったです。
私は妹がいるんですが、2人して父親があまり好きではなかった。
酒グセ悪かったこともあり。
無口で何を考えてるのか、よくわからないこともあった。
父がリストラされた会社にいた人が
「よく娘さんの話をしてましたよ。うちの子供をだっこしてくれたり」
というようなことを話してくれました。
不器用な人だったんでしょうか。
今でも、たまに父にソックリな人をよく見掛けます。
なぜか私だけが。
母は「お前のこと心配してんだよ」って言います。
まぁ…妹が先に結婚しちゃったし…。
67: あなたのうしろに
>>64
男は不器用でもいいさ
あんたも、おやじのように不器用に生きなよ 
83: +
そいつとは、友人の寮にマージャンをしに行ったときに知り合った。
なんか、おとなしめだけど、昔ジェットスキーをやってたと聞いて、案外スポーツ
マンなんだな、て感じの第一印象だった。そのマージャン以来、仲が良くなり、
たまにマージャンなんかもしたり、飲みにいったりしたのだが。そいつが、サーフィン
もやると聞いて、おれと他の仲間たちとで江ノ島にいった。海の上でボードにまたがり
波待ちして、いい波が来ると、”ほら、来たからのりなー”て感じで、波をゆずってくれ
たりしたことが印象に残っている。それから、しばらくして、寮の別の友人とのみに行った
時に、そいつが自殺したことを聞いて、がくぜんとした。寮の部屋で首をつったらしい。
遺書はなかったそうだ。周りの友人は仕事がきついともらしていたのを聞いていたので、
おそらく仕事上の問題ではないか?と話していた。
結局、そいつと最後に会ったのは海に行ったときなのだが、彼が”いい波きたからおいで”
とやってる、おいでおいでの手つきが忘れられない。なんか、おれもあの世に行こうと
さそっていたような、悲しい目つきだった・・・
92: 刺身
6年前の12月、母は肝硬変という病魔に蝕まれていて、余命もあとわずか。入院先の病院で最後の日を向かえようとしていた。医者から「年越しも
最後になるでしょう。ご自宅で過ごしては?」という申し出が。最早自力では起き上がることも出来ない母を連れ、自宅へ。
夜も更け、11時もまわった頃、傍らで本を読んでいた私に母がこう言った。
「○○で食べたアイスが食べたい。」
祖母に聞くと、○○とは母が20代の頃、旅行した場所だという。以前、母のアルバムを見た時、若い頃の写真でボートに乗っているものがあった。
確かその手にはマーブルチョコアイスがあったはず・・。いそいでジャンバーを羽織り、車を走らせました。
しかし深夜で開いている店はコンビニくらいで、マーブルチョコアイスは売っていなかった。味が似ているだろうと、ピノというチョコアイスを買った。
「買ってきたよ。」と自宅に戻ってすぐ、アイスを一口、母の口へ運んであげた。
母はゆっくりアイスを味わってこう言った。
「これじゃない。でも冷たくておいしい。ありがとう。」
信じられなかった。(母は気位のたかいというか、頑固というかそんな人で、私が
母の為にプレゼントしたり、面倒な用事を代わってあげても、感謝の言葉どころか、そんな素振りさえ見せない。)
そんな人だった。そして二人で静かに残りのアイスを食べた。ゆっくりと。
そして二日後、母は亡くなった。あの晩のあの言葉が、私にとっての母の最期の言葉となった。
そして、最初で最後の母から私への「ありがとう」だった。
95: あなたのうしろに
高校生の頃。
ある日友人の家に遊びに行った。
家には友人のお父さんが居て、私に
「○○ちゃん、これからどんなことがあっても強く生きろ。
 △△(友達の名)とずっと友達でいてやってくれ。」
と、寂しそうな表情で言っていた。
その日の夜、そのお父さんは自殺。
お父さんのあの言葉が心に響いて、葬儀中は涙が止まらなかった。
98: あなたのうしろに
>>95
そのお父さん、ひどいなあ…。
娘だけでなく、娘の友達にまで心に深いキズを負わせるなんて…
家族がいるひとは自殺しないでほしいよ。
悲しくなった。
127: あなたのうしろに
父の危篤に駆けつけたとき…
「お父ちゃん、先に寝るの(寝るからね)」
と言って父は目を瞑りました。
それが私への最期の言葉です。
2年半経ちますが、まだ死に際の情景が鮮明に浮かんできます。
145: あなたのうしろに
私の成人式の日、式から帰ってきて着物を脱ごうとしていると
おじいちゃんがやたら着物を見たかったらしく、
すぐ着替えなくちゃいけないっていうのに、なかなか
部屋を出ようとしない。
いつもはそういうことに興味を持たないのに、
その時は何だか変だなと思うほどだった。
じいちゃんはその4ヶ月後、急に船の事故で亡くなってしまった。
これは2年ほど前のことで、私も結びつけて考えなかったが
最近母が「もしかしたらこれが最後だと分かっていたんじゃないか」と
言ったので少し気になった。
不思議なことに、おじいちゃんが亡くなる前夜、
私は何故か訳もなく悲しくなって、ずっと泣いていた。
177: あなたのうしろに
亡くなった親友の話しなんだけど・・・。
癌だったんだけど、入退院を繰り返してたんです。
でもそんなに大した事じゃないと聞いていたので、安心していました。
ある日親友が、iモード買ったんです。
私はその頃iモードは持ってなくて、親友の方はPCを持っていませんでした。
これでメール出来るようになるね、ってお互いに喜んだものでした。
iモードからメール送るのって、打つのに結構時間かかるじゃないですか。
だから、いつも1?2行のメールだったんだけど。
最初の方は、いつも通りの何気ないメールで。
ある日、この頃眠れないっていう内容のメールが届いたんです。
私、バカみたいに「どうしたー?恋でもしたか??」なんてメール送っちゃって・・・。
あとで聞いた話では、その頃すでに、癌が脳に転移してしまっていたんだそうです。
数日後、旅行に行くと聞いていたんですが、かなりの悪天だったので
「こんなに天気悪いのに、旅行に行くの?」
という私のメールに、親友からの返事は、とうとうきませんでした。
メールって便利だけど、やっぱり直接会ったり話したりする方が
ずっとずっと大切な事ですね。
親友との最後の会話がメールで、しかも私のくだらない返事になってしまって
とても後悔しています。
せめて声が聞きたかったです。
180: あなたのうしろに
母から聞いた話。
祖父が癌でしたが自宅治療してて、毎日「大○越前」の再放送を楽しみに観ていた。
でもその日はたまたま何かで放送がつぶれたらしく、新聞を見ながらポソリと
「何だ、今日は『大○越前』が無いのか…」とつぶやいたそうです。
その後、静かに眠っているようなのでふと見たら、もう心臓が止まっていたと。
母いわく、最期に好きな番組を観られなくて気の毒だった。
183: ありがとう。
祖父は末期の肺ガンだったので、それをきっかけに両親は離婚し母の実家に引っ越しました。
もちろん、祖父のガンが離婚の原因ではありませんが・・。
入院してからはノドには管が通され会話もままなりませんでした。
いつも優しく大きかった祖父の弱った姿は別人のようで私には信じられませんでした。
その時私は小学生だったので、祖父は私の学校のことをとても心配していました。
ある夜、眠れなくて目を覚ますと、いとこ家族が家に来ていたんです。
こんな夜中なのになぜだろうと思い階段を下りると、畳に敷かれた布団で祖父は静かに眠っていました。
亡くなったと知らされましたが・・・悲しすぎて、私は初めての身近な人の死を受け入れることが出来ませんでした。
大好きな祖父の突然の死に涙を流すこともできず、
その夜は祖父からもらった大きなぬいぐるみを抱いて布団に戻りました。
私は片親になり、転校した学校でもうまくいなかなくて・・・毎日泣いていました。
私を含め、孫は3人いたのですが私の夢枕にだけ祖父は何度か現れて微笑んでくれたんです。
きっと、天国からも心配してくれたのでしょう・・・
いつもお見舞いに行くと祖父に「○○ちゃん(私の名)、学校は?学校は?」と聞かれていました。
今思えば、話すことも辛かっただろうに私のことを心配してくれていたんですね。
転校してから辛くて休みがちだったのですが、その言葉で頑張らねばと思いました。
母にも祖母の夢にも一度として祖父は姿を現しませんでしたが、
私には何度か夢で逢いにきてくれたのでとても嬉しかったことを覚えています。
中学でもいじめはありましたが・・・高校に入学し、自分らしく毎日笑って過ごせるようになると、
祖父はもう夢に現れなくなりました。
祖父が亡くなってしまったことは今でも実感出来ません。
きっと今でも天国で心配してくれているのかなぁ・・・
夢で会いたいけれど、もう迷惑掛けられませんね。
今日、久しぶりにお線香をあげようと思います。
初めての書き込みなので乱文・長文すみませんでした。
読んでくださった方ありがとうございます。
186: あなたのうしろに
>>183
あなたが強く優しく成長されたことで、天国のお祖父様も喜んでおいでだと
思います。
読んでいて心が洗われました。
191: あなたのうしろに
私の体験したことではないですが。
老人ホームに入所していた曾祖母の話。
痴呆が進みまともなコミュニケーションなんて取れなくなっていた曾祖母。
ある日の朝食の時間いつもなら喜んで飲むジュースを何故か
曾祖母はほとんど飲んでいなかったそうで、気になったホームの職員が
「おばあちゃん、飲まないの?」と聞いたところ、
いつもとは比べ物にならないはっきりした言葉で
「ああ、もう充分だよ」と言ったらしいです。
そのまま職員は曾祖母のそばから離れたのですが、十分ほど後に戻ってみると
曾祖母はイスに座ったままもう帰らぬ人になっていました。
最後の言葉になった「充分だよ」は「もう充分生きたよ」って意味だったのかな、
とか思ってます。
197: あなたのうしろに
確か僕が小学校4年生の時、祖父が他界しました。
祖父は長い間病を患っていて、家の中でも杖をついたり車椅子を押したりしながら
ゆっくり歩く事しか出来ませんでした。
僕は決して祖父を嫌っていた訳ではありませんが、動きの鈍さとちょっと神経質なところを
時々疎ましく感じて、邪険な態度を取ったりしていたんです。
その日の朝もよろよろと歩く祖父に手も貸さず、避けるようにして授業の準備をし学校へ行きました。
そして僕が学校へ行っている間に祖父は倒れ、病院へ運ばれるも帰らぬ人になりました。
火葬場の棺桶の前で祖母が泣いていました。それを見る自分はあまりに罪深くて・・・。
25になった今でも、よろよろ歩いていた祖父の姿を時々思い出します。
199: AAA
3歳の頃に父親が他界した。
一番思い出す限り最後に近い会話が、
丁度車の中で
その頃からなにかしらストレスがたまっていたのか
やつあたりをするようになった母親が
子ども的にとても怖くて
その時も何らかの母親のやつあたりで
後ろの席でひとり声を殺して(声をだそうものなら
また助手席の母親に殴られるから)泣いていました。
すると、車を運転していた父親がぽつりと
  というか声は思い出せないのだけど、だから
脳内で反芻するのは文字なのだけれど
「泣くな。」
とだけ。
後にも先にも、父親が言った言葉はこれしか覚えていないのだけれど、
それどころか父親の後ろ姿しか覚えていないのだけれど
その文字を思い出すたび、
一体どんな気持ちで言ったのか
一体何を伝えたかったりしたのか
もっと自分が大きければ、何かを父親の思いを
心に残すことが出来たのにと
高校生にまで成長した今、思う。
209: あなたのうしろに
3年ほど前 母方の祖父がなくりました
お酒が好きで朝からひっかけてから畑に行くじぃさんは
正直あまり好きじゃなかった
仙台と東京ということで学生時代の夏休みにも
あまり仙台に行かなくたってじぃさんのことなど考えもしなかったとき
じぃさんはガンになった。もう手遅れ。
仕事があったので見舞いには行かなかった
次にあったときは冷たく、小さくなっていた。
葬式では泣かないと思っていたが
昔祖母に聞いた「じぃさんは食事の度におまえのアルバムを開いて
○○、一緒に食べようね等と語りかけながら
お酒を飲んでいたと。じぃさんには孫が他にも沢山いるが
そこまで可愛がられてたのは初孫の私だけだった
じぃさん、一緒に飲んだりできなくてゴメン
今でも夢で元気な姿を見せてくれる
ありがとう。
210: あなたのうしろに
俺の親父が死んだのはちょうど去年の今頃。53歳だった。
俺は高校卒業してからずっと東京暮らしで、ほとんど実家には
帰らなかったけど、一昨年の冬に結核に罹ってしまい療養のために
実家の方の病院に入院する事になった。
すると、俺が入院して数日すると親父が見舞いにやってきた。
よく見ると点滴をぶら下げているから、俺は「どうしたん?」
と聞いた。親父は「前から調子悪かったんだ。医者嫌いだで来んかったけど
お前が居るで、ついでに診てもらいに来たら入院させられた」
そう笑いながら言った。
久しぶりに見る親父は一回り小さくなって、なんだか弱弱しくみえた。
別れ際親父は「だめかもしれん。覚悟しとけ。」
そう言い残していった。その時、ああ、そうかって妙に納得してしまった。
今では結核なんて薬飲んどけば治る病気だ。だから、外出が許されるように
なったら毎日親父の病室に行くようになった。
いろんな話をした。こんなに親父と話した事はなかったから、ほんと、一生分の
会話をした気がする。
二月になって、俺はすっかり良くなり退院した。
会社からも戻って来て欲しいと散々言われていたが、俺は迷っていた。
このまま最期まで居たい。そう思ったが、親父は「大丈夫だで、東京戻れ。
GWにはまた来れるだろ?それ楽しみにしてるで・・・」そう言った。
母親から泣きながら電話がかかってきたのはGW直前のある夜だった。
「あんた、お父さんとGWに帰るって約束したってね。仕事まだ忙しい?
一生のお願いだで、明日帰ってこれる?」
聞くと夜になって容態が急変したらしかった。いつまで持つか分からないらしかった。
翌日、始発の新幹線で実家に戻った。病院の最寄り駅に着いたとき携帯がなった。
弟からだった。「今どこ?はよ来い!やばいって!」
病室からかけているらしかった。「今、駅着いた。タクシーに乗るとこだ。」
そう言うと電話の先で母親の叫び声がきこえた。
「お父さん!あの子もうすぐ来るよ!まだだめだよ!」
急いでタクシーに乗って病院に向かった。でも、なんだか妙に落ち着いていた。
「間に合わんかな・・・」「しょうがないか・・・」そう思っていた。
病院に着くと、外に親戚の叔母さんがいた。泣いていた。
それですべて分かった。「間に合わんかったね・・・」
俺がそう言うと叔母さんは一言「行ってやって・・・」そう言った。
病室には母親と弟がいた。弟は「おせーよ!」そう言って出て行った。
母親は「間に合わんかったね・・・ごめんね」そう繰り返すだけだった。
「しょうがないよ・・・」俺はまだ暖かい親父の手を握って言った。
嘘のようだが、俺の電話の声で一瞬意識が戻ったらしかった。
電話が切れて少しして眠るように逝ったらしい。母親が教えてくれた。
「もうちょっとがまんしろよ・・・」そう言いながら俺は泣いていた。
神様はこうなる事が分かっていて俺を入院させたのかな・・・なんて
今は思っている。
214: あなたのうしろに
>>210 朝から、マジで泣いちゃった・・。
お父さん、最後にあなたの声聞けて、嬉しかったと思うよ。
あなたも身体大事にね。
なんか上手く言えんでスマソ
229: あなたのうしろに
ここを見て寝たせいか、曾婆さんの夢を見た。
その曾婆さんの話を
うちの曾婆さん、明治生まれでもとても元気で、古い考えにとらわれないしっかりした人だった。
俺が左利きでも矯正を薦めず、話し方もフランクで近所でも人気者だった。しかしいつも
着物をピシッと着て凛としている姿はとても素敵で、自慢の曾婆さんだった。
だから大学生になった俺は帰郷して曾婆さんに会うたび
「ばーさん、着物姿が凛々しいね」と言っていた。
曾婆さんは大抵「綺麗だろ、お前も着物の似合う女と結婚しな」なんて答えた。
曾婆さんはとても気丈で旦那さんが(俺の曾爺さん)亡くなった時でも、一番悲しいはずなのに
涙一つ見せず振舞っていたらしい。そんな曾婆さんの口癖は「しゃきっとしなさい」
小さい頃、喧嘩で負けてぐずっている俺に
「しゃきっとしなさい、喧嘩で負けたくらいなんだ、今から仕返して来い」とか
父と喧嘩してふてくされている時は「自分が正しいと思うんなら
親でも何でもやっつけりゃいいのよ!なんて顔してんの、しゃきっとしなさい」
とよく一喝された。
しかしそのあとは笑顔で接してくれたりして、本当に強くて優しい人だった。
そんな曾婆さんも体が弱くなり、最後の方は病院というか、ケアハウス?みたいな
ところで過ごした。
 去年の夏、そこから電話が来て危ない状態だと連絡があり家族と、親戚で急いで行った。
みんな病室に着いて、曾婆さんの姿を見ると途端に泣き出し、死なないでとか声をかけたりした。
俺も手を握りながらばーちゃん、ばーちゃんと声をかけてた。
ちょっとすると婆さんは薄っすらと目を開け、
「みんなして・・・しゃきっとしなさい」と弱々しくもしっかりと言った。
数分して曾婆さんは息を引き取ったわけだが、死の瞬間までしっかりしてた
曾婆さんの姿を見て涙が止まらなかった。
231: 銅鑼衛門
家族っていいね。
248: あなたのうしろに
私が小学生5年の時、おじいちゃんは、体調を崩して入院していた。
それに続くようにおばあちゃんも入院してしまった。で、おじいちゃんは
その後、退院することになったんだが、病み上がりで一人暮らしは
辛いということで私の家で面倒見ることになった。何ヶ月か経って、
おばあちゃんも退院したんだが、おばあちゃんの方はそんなに大した
ことではなかったんだがおじいちゃんを面倒見るほど体調がいいわけ
でもない。だからそこからも数ヶ月おじいちゃんの面倒を家で見ていた。
ある日突然おじいちゃんが「俺も大分マシになったからもう帰るわ。色々
お世話になったな」と言って、その日のうちに母の車に乗ってばあちゃん
の元に帰っていった。
その日の夜、おばあちゃんから電話が掛かってきた。
「(おじいちゃんが)危篤で病院にいる」と言う。結局私の家族がつく頃には
もう亡くなっていた。人間、死期が分かるものなんだと子供ながらに感心
したものでした。
266: あなたのうしろに
私がカメラチェーン店の卸営業部でバイトしてたときのことです。
年末が近づくと年賀状のプリント注文が激増してパニック状態に
なるんだけど、現像所の所長さんはクレームなどにもテキパキ対応して
頑張ってらっしゃいました。私がいた営業所の所長が現像所所長と
同期だったこともあって、バイトの私にも まめに電話をくれて
色々教えてくれる人だったんです。
ある日、大量の年賀状印刷でクレームが出たらしく その所長さんが
徹夜で対応されてたそうなんですが、次の日に「何とか落ち着いたよ。
そっちは まだ忙しい?こんなバタバタしてるときにクリスマスとか
あって可哀想にね、もうちょっと頑張ってね。俺、来年そっちに
出張で行くから メシでも食いに行こうや」って電話をくれたんです。
それが朝だったんですけど、夕方バイトが終わって帰ろうとしたときに
営業所に一本の電話がありました。
「**所長が死んだ」・・・電話のあと「ちょっと出かけてくる」と言って
外出したままJRの線路に飛び込んで自殺したそうです。
葬儀のときに会社の役員が参列しようと訪れたら、奥様が泣きながら
「帰ってくれ」と言ったそうです。所長にしか判らない辛さなどが
あったと思うんだけど、最後に長い時間会話をしたのは私だったと
後で聞かされました。会ったことは無い人だったけど残念です。
269: あなたのうしろに
俺は昔からおばあちゃん子だった。
俺が幼稚園の頃、腎臓病になって自宅療養していたときも、両親が共働きという事もあって
いつもそばに居てくれた。
腎臓の薬が苦くて飲まなかったら、母に内緒で少しだけカルピスと混ぜてくれた。
病気の為、外に出れなかったからいつもおばあちゃんの膝の上に座ってミニカーで遊んでた。
(後で聞いたが、おばあちゃんはかなり膝が悪かったらしく俺が乗るのなんてかなり痛みが
伴うような状態だったそうです)
俺の病気が回復した春頃、おばあちゃんの容体が悪くなって来ていたらしい。
その年の冬におばあちゃんは永眠してしまった。
もう時間の問題という時に、近所の人も家に来ていて俺はおばあちゃんの隣の部屋で遊んで
いた。
近所の人に「おばあちゃんに顔見せやれ」って言われて、子供心に「おもちゃ買ってくれたら」
とか言って、おもちゃ欲しさに顔見に行った。
「おばあちゃん」って声掛けたら、返事はもうできないのだけど嬉しそうに笑ってくれた。
それが、最後のおばあちゃんの笑顔の思い出です。
永眠してから、おばあちゃんの遺品を母と一緒に整理していたら、引出しからおばあたやんが
いつも一緒に遊んでくれた時にあげたミニカーが大事そうに入ってた。
子供ながらに何故だか泣いた記憶が鮮明に残ってる。
今でもおばあちゃんの最後の笑みははっきりと憶えている。
もちろんミニカーもいまだに持ってます。
長文すみません。
299: 時は戻らない
ばあちゃんが亡くなった。90歳だった。びっくりするくらい元気で頭もしっかりしていて、親戚もみな
「ありゃ100歳まで生きるわ」なんて言ってたのに、買い物途中で心臓発作が起き、入院。
3週間昏睡と覚醒の繰り返しの果て、金曜日朝、遂に逝ってしまった。その2週間前に電話でしゃべった。
「遊びにおいでよ」「仕事が忙しくていく暇無いよう」
うそ。去年秋にリストラされてかっこ悪いから行けない。
「えり好みしてないで、はやく結婚しなさい」「縁がないだけだよ」
うそ。過去の見合い、相手の顔見ただけで断ったこと何度あるか。
だけど後悔なんて後からいっくらでも出来るんだね。こんなにあっけなく逝っちまうんだったら、
どうせ無職なんだからしばらく泊まりに行けばよかったよ。
ばあちゃんごめんよ。こんな嘘つきの孫で。いつの日か、あの世で会ったら叱って下さい。
302: あなたのうしろに
大学の体育会の後輩。
その一週間くらい前に不意に練習場に現れた。
やけに太っちまっていた。
後輩たちにジュースでも奢ろうと言うことになったのだが、相変わらず金の
なさそうな雰囲気だったので「金ないんだろ? いいって(笑)」と言うと
笑いながら「そうですか?」なんて言っていた(我々はOB)。
その一週間後くらい後に、後輩は自殺した。
何か言いたいこともあったのだろう。
ジュースなんて飲まずに一緒に飲みに行けば良かった。
話を聞いてやれば良かった。
しかし、ホントに自殺などしないようなタイプの奴だったのに。
先輩が棺に眠る後輩に「起きろ!」と泣き叫ぶのを見て、胸が張り裂けそうだった。
309: あなたのうしろに
晴れた日に、桜の穴場っつーことでひそかに有名な田舎の駅で降りて、
ホームの椅子で桜みながら座ってたんだけど、人が全然いなくてさ。
怖いほど静かで、幸せで、あたたかい時間だったんだけど。そのときの会話。
「何か今さー、いっしょに死んじゃったみたいな気分」
「あたしもそれ思った。」
「天国ってこんなのかなぁ?」
「まだ死にたくないけど…笑」
…あれから二回目の春。桜をみるともう戻ってこない恋人を思い出します。
317: あなたのうしろに
去年のお盆にじいちゃんが死んで、葬式後親戚が集まっていたとき。
基本的に軽いノリの一族なんで、沈んだ雰囲気はなく
「じーちゃんはあーだったこーだった」と笑い話で盛り上がっていた。
そんな中、機械にうといばあちゃんが、最近買ったケータイの使い方を高校生の孫に習っていた。
そこで発見されたじいちゃんの留守録の声。
「あー○○です。自宅に電話ください。(このあと♯押したりするんだろうけど、
わからないらしく放置されてTVの音が聞こえる)」
その瞬間、外のセミの声しか聞こえないくらいにシーンとなって、
それからみんなで号泣。葬式中、気丈にも泣かなかったばあちゃんがおんおん泣いてた。
蛇足だが、心臓患って入院中に死んだじーちゃんは、最後おしっこがぜんぜん出なくなってた。
葬式でお棺に花を入れるとき、「あの世でいっぱいおしっこだしな」と股間に花を大盛りにされてた。
ちょっと笑った。
321: あなたのうしろに
>>317
ほろっときた後で、激しくワラタよ。
君んち(・∀・)イイ!
331: あなたのうしろに
一人で毎日バー通いをしていた3年前のある日。
彼と知り合ったのね。
で、その日は酔ったふりしてちゅーして。
それからちょくちょく会うようになって、デートとかするようになった。
彼はいろんなバーとかにすごく詳しくて、よく連れてってもらった。
連れてってもらったお店はすごくいいところばかりで、また行きたいなーって話をすると
「またいきなよ」って言われた。
あなたの場所だから一人じゃ行かないって言うと、
「気にしないで、一人で行ってもいいんだよ」って、言われてた。
そんなある日、2週間ほど海外に行く用事があって。
とりあえず行って、帰ってきたんだけど、久しぶりに会った彼は以前のように優しくなかった。
他の女の子に気持ちがいっちゃったのかなーとか思ってた。
あまりの豹変振りに、「今日は家まで送って!」って、ワガママを言って、送ってもらった。
問いただすと、「もう好きじゃない」って言われた。
キスで始まったから、最後にキスしてって言って、してもらった。
冷たいキスされるのかと思ってたのに、優しかったから驚いた。
泣きじゃくってる私を置いていけないって言ってくれたけど、
振られたときくらい一人で泣かせて!なんて怒鳴りつけて別れた。
一人になって、寂しくて、彼の後を追いかけたけど、もう姿はなかった。
それから2ヶ月後、死んじゃった。
お見舞いにも行けなかった。
343: あなたのうしろに
昨年知人の身に起こった本当の話。
その日まで元気にしていた知人の旦那さまが若くして突然亡くなった。
家族全員で一つの部屋で昼寝していたそうなんだが、文字通り眠ったまま亡くなってしまった。
(もともと隠れた持病があったらしいが日常生活はいたって普通だった)
昼寝に入ろうとした時、まだ小さかったお子さんが寝ぼけて
「眠いよ?お父さ?ん」とか言いながら旦那さまにすり寄ったらしい。
旦那さまはお子さんを抱っこして一緒に手を繋いで眠って、そのまま天国へ……
それを知ったとき涙が溢れてたまらなかった。周囲もみんな号泣したよ。
 
344: あなたのうしろに
>>343
なんて幸福で哀しい最後…
345: あなたのうしろに
>>343
ある意味、幸せな死に方だと思う
346: あなたのうしろに
343です。344さん&345さん、レスありがとう。
もうちょっと続きを書かせてもらいます。
その旦那さまのお葬式に私も行ったんだけど、
参列者全員泣きじゃくって言葉になりませんでした。
未亡人となった知人本人があとから語ってくれたのですが、
旦那さまは苦しくて声を上げたり暴れたりすることもなく、
本当に静かに息を引き取ったらしいです。
だから一つの部屋で眠っていたにもかかわらず、家族の誰も気付かなかった。
眠ったまま少しずつ少しずつ呼吸がゆっくりになって、
痛みも苦しみもないまま意識や記憶がフェードアウトしていったとか。
そんな亡くなり方だったらしいです。(お医者さんが説明してくれたそうです)
確かに幸せな亡くなり方ですよね。私もそうだと思います。
でも「せめて大声でも上げてくれればすぐにでも救急車呼べたのに。
一人だけさっさと幸せに死んじゃうんだもんなあ……子供抱っこしたままでさあ……」と
言った知人の寂しそうな笑顔と言葉が忘れられません。
 
347: あなたのうしろに
俺は高校に上がると同時に福島から東京に引っ越してきた
浪人中の予備校の帰りに中学の頃に仲のよかった香具師からいきなり電話がかかってきて
「いま東京にいて明後日福島に帰るから明日一緒に飲もうぜ!」って言われた
でも俺はどうしても休めない講義があって丸三年あってないそいつの誘いを断って
「また今度な、俺が大学受かってからな!」って言ったのね
んで電話がきてから家にかえるまで
次そいつに会った時にそいつを笑わせまくるためのいろんなネタを考えながら帰った
そしたら明後日の夜別の中学時代の友達から電話でそいつが事故って死んだって聞いた
俺はなんであの時奴の誘いを断ったんだろう・・・
今度なんて無かったのに
383: あなたのうしろに
小学校時代からの親友がわけのわからん病名の病にかかり入院した。
そいつとは25になってもちょくちょく会い、酒飲みに行ったり、風俗に行ったり
釣りに行ったりしていた。お互いいつも悪態をついていたけど親友だった。
ある日、見舞いに行って帰りがけ「○○、また来るからよ」と言った、
俺はいつもそいつのことを悪意を込めて「オッサン」と呼んでいたのだが
(既婚だしガキが一匹いるという、幼稚な理由からオッサンと呼んでいた)
なぜかそのとき自然とそいつの名前がクチに出てでしまった。それを聞いて
そいつは「どうした???(ニヤニヤ」と言い返してきやがった。俺もなんか
恥ずかしくなりそいつの肩にいつものようにおもっいきりパンチして帰った。
そして次の日奴は死んだ。からかうようにニヤニヤしていたし死ぬとは思ってもいなかった。
俺は一週間毎日酒を飲み泣いた。そいつの紙コップも用意してやり焼酎をついでやった。
通夜には行ったが葬式には行かなかった。そいつが焼かれてしまうのが無性にイヤだった。
葬式の日も朝から酒を飲み弔った。悲しい。
386: あなたのうしろに
それは高校に入学する一週間ほど前だった。
ある日曜、「昼メシ外で食べるか」と父が言った。
私は迷わず、ほとんど毎週のように家族で食べに行くラーメン屋をリクエスト。
美味しかった。
前日、制服が出来たと専門店から電話があったと言うと、父はそのまま車を走らせて付き合ってくれた。
その日の夜、いつもは9時前に寝てしまう父がめずらしく夜中まで起きていた。
母がと二階へ行こうとすると、父は「なんだ、寝るのか? もう少しいろよ」と今まで聞いたことのないような台詞を言った。
父は亭主関白なほうで、優しいけれど、母のことを気遣うような言葉を私や姉や…
子供の前で言うような人ではなかったから、正直驚いた。
母が上へ行ってしまうと、今度は私に「制服、どんなのだ? 着てみろ」と言う。
私は「えー、明日試着するからまだいいもん」と言って従わなかった。
本当は、なんだか気恥ずかしくて着られなかっただけなんだけど。
それに、厳しい父をなんだか嫌っていた。
父はどこかさびしそうに煙草をふかしていた。
387: あなたのうしろに
翌日、私は友達と遊んでいて家にいなかった。
帰ると留守電に「お父さんが倒れた」と母から伝言が入っていた。
びっくりして待っていると、しばらくして父の会社の人から「亡くなった」と報せがあった。
受話器を前にして、頭の中を15年間のいろんなことが駆けめぐった。
昨夜、どうして新しい制服を着て見せてあげられなかったんだろう。
自分を殺したいくらい悔やんだ。
そのあとのことをあげるときりがない。
父はあんなに「死」を訴えていたのに、私は気付いてあげられなかった。
そして、嫌いだった人を亡くしても、悲しいのだということに気付かされた。
私はまだ若い。
あの時の父に比べたら、ずっと先は長いのかもしれない。
でも、身近な人の死はもっと早くやってくるかもしれない。
だから、すべての人に優しく接したい。
父の死は、私の心を大きくしてくれた。
ありがとう、おとうさん。
58: あなたのうしろに
ここ読んでたら急に実家の親が心配になってきた。
明日にでも電話してみよう・・・。 
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