中東の歴史から現代のイスラムまで、シンプルに説明していくスレback

中東の歴史から現代のイスラムまで、シンプルに説明していくスレ


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?.ペルシャ帝国とマケドニア
ペルシャ、と聞くと何を思い浮かべるだろう?「ペルシャ」は現在でいうとどの国にあたるんだろう??
「ペルシャ」は、現在、「イラン」と呼ばれている。
紀元前の世界では、アケメネス朝ペルシャが全オリエントを統一し(オリエントは当時世界の中心!)、
ギリシャの都市国家(アテネやスパルタ)と戦いを繰り広げていた。
覚えておいて欲しいのは、この当時の世界において、ヨーロッパは世界の中心ではないという事です。
のちに、マケドニアという国が台頭してきます。
マケドニアは雑魚のギリシャ都市国家(アテネやテーベ)に勝ち、属国とします。
マケドニアに生まれたのがアレクサンドロス大王です。
アレクサンドロスは、東方遠征を開始し、強国だったアケメネス朝ペルシャ帝国を征服し、
ついでにエジプトも征服し、大帝国を築き上げた。
ポイント: アレクサンドロスにより、ギリシャ文化とペルシャ文化が融合されてヘレニズム文化が生まれました。
のちにこのアレクサンドロス大帝国は分裂し、
・プトレマイオス朝エジプト、
・セレウコス朝シリア、
・アンティゴノス朝マケドニア
が生まれます。
アケメネス朝ペルシャの都ペルセポリス
(左)マケドニアのアレクサンドロス大王、(右)ペルシャのダレイオス3世
アレクサンドロス帝国の最大領域。イタリア半島の手前まで到達している。
5: 以下、
?. パルティアとササン朝
パルティアはアレクサンドロス大帝国の血を引くセレウコス朝シリア(現在のシリア)から独立した国です。
この国はローマと抗争を繰り広げ、ローマ三頭政治(カエサル・ポンペイウス・クラッスス)の一角、クラッススを戦死に追い込んだり、
とにかくあのローマ帝国ともタメを張るくらい強い国でした。
さて、ペルシャ人(イラン人)はというと、「アレクサンドロス大王に征服される以前のペルシャ帝国を再興させよう」と、
ササン朝ペルシャと言う国を作ります。
この国はローマ皇帝を捕虜にしたり(この国もローマ帝国とタメを張るくらい強いです。
だって皇帝を捕虜にしちゃうんだぜ?)、
ローマ帝国のライバルでした。
ローマ皇帝ウァレリアヌスをひざまつかせるペルシャのシャープール1世
14: 以下、
?. ササン朝vs東ローマ帝国
330年、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が、ローマの首都をローマからコンスタンティノープル(現在のトルコ、イスタンブール)に遷都します。
395年、ローマ帝国は西と東に分裂し、476年に西ローマ帝国はゲルマン人(現在のドイツやフランスに住んでいた)に滅ぼされちゃう。
さて、ローマ帝国の本命、トルコの東ローマ帝国はユスティニアヌス帝という人が領土を拡大します。スペイン、イタリア、ギリシャ、トルコ、北アフリカ、エジプトなど地中海沿岸をすべて支配下におさめた。
このユスティニアヌスのライバルが、ササン朝ペルシャのホスロー1世です。ペルシャはイランを中心に周辺を征服し、こちらも大帝国を築いている。
何度も戦争した結果、ユスティニアヌスとホスロー1世は和議を結び、お互いの力を認め合いました。
東ローマ=ビザンツ帝国とササン朝ペルシャの勢力範囲
東ローマ帝国のハギア=ソフィア聖堂
ササン朝ペルシャのクテシフォン遺跡
15: 以下、
「中国やヨーロッパはそこそこ分かるがイスラム史は苦手」という高校生は少なくないだろうな。
ありゃ教科書が悪い。東西の狭間みたいな扱いで視点も記述も場当たり的に飛ぶから、一貫した中東やイスラム圏の歴史像なんて掴めなくても仕方ない。
 
まず前提として、世界史におけるイスラム圏=現中東地域だけじゃなく、北アフリカから中央アジアに至る広域ネットワークとしてとらえる。
あとはペルシャ人(イスラム以前)→アラブ人→トルコ人のように、細かい王朝名よりも活躍した民族の推移に着目すれば、情報の理解と整理がしやすいと思う。
19: 以下、
?. イスラーム教の誕生
さて、7世紀です。
ムハンマドという人がイスラーム教をアラビア半島で創始します。
アラブ人たちは勢力を拡大し、当時の強国、東ローマ帝国やササン朝ペルシャから領土を奪っていきます。
ニハーヴァンドの戦いでは、ササン朝ペルシャをほぼ滅亡させた!
そしてこれをウマイヤ朝が引き継ぎます。
トゥール=ポワティエ間の戦いでは、
ヨーロッパ最強のゲルマン人国家フランク王国(ローマを滅ぼしたゲルマン人!)を滅ぼしかけました。
この時ヨーロッパをウマイヤ朝が征服していたら、現在「ヨーロッパ」という概念は存在していなかっただろうね。
ウマイヤ朝の領土は、インドより西側?イラン?アラビア半島?エジプト?北アフリカ?イベリア半島(現在のスペイン!)まで広がっている。
さて、前述した通りウマイヤ朝はアラブ人の国だね。だからアラブ人に特権があった。
これに不満が高まり、倒され、出来たのがアッバース朝という国です。
アッバース朝はイスラーム教徒なら誰でも平等です。
これにより、あらゆる民族がイスラム教徒に改宗していく。
あと、確認しておきたい事だけど、イスラーム教は普通、他宗教に寛容です。
だから、征服した国にキリスト教徒が住んでいても、少々税金を払えばキリスト教を信仰していてもOKです。
緩やかな統治のため多くの地域から受け入れられました。
ウマイヤ朝のウマイヤ=モスク
勢力拡大するウマイヤ朝 (茶色の範囲)。
ムハンマドが昇天したとされる場所にある岩のドーム
23: 以下、
?.イスラームの発展
10世紀になると、イスラームは数多くの国に分裂していく。
イスラームは世界で一番科学技術が発達した先進地域になっている。エジプトのアズハル学院、イラクの知恵の館、イランのニザーミーヤ学院などではギリシャ時代の文献をアラビア語に翻訳して学問が捗る。
ギリシャローマの叡智を継承したのは中世ヨーロッパではなくイスラーム世界だった。
カイロのアズハル学院
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?.十字軍とイスラーム
さて11世紀からヨーロッパから十字軍がやって来ます。
派遣された兵士たちの目的は、聖地エルサレムをイスラムから奪回することです。
支援したヴェネチア商人などの目的は、侵略と商圏の拡大です。
キリスト教は異宗教は認めないのでとりあえずイスラームは皆殺しにしないといけない。イスラーム教徒は老若男女皆殺しにされた。
しかしイスラームの英雄サラディン(サラーフ=アッディーン)は聖地を守り、キリスト教徒たちをとっ捕まえはするものの、
同じ「経典の民」として尊重し、捕虜に衣食住を与え手厚く対応したあと釈放した。
十数回に及ぶヨーロッパの十字軍は聖地を奪回することができず、結局失敗してしまった。
野蛮人のヨーロッパ人たちでしたがこのサラディンに尊敬の念を抱くようになります。
サラディンがモデルとなってヨーロッパで「騎士道」(神を敬い、女性や弱者を守る道徳)が生まれる。
進撃する十字軍
十字軍兵士たち
英雄サラディン
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?."ヨーロッパ" 文化の誕生
12世紀、先進国イスラームからアラビア語の文献がヨーロッパに伝わっていく。
イタリア長靴の爪先にあるシチリア島や、イベリア半島(スペインのあるとこね、ここはイスラーム地域)からアラビア語→ラテン語へと文献が翻訳される。
これが後のルネサンスの土壌になる。
「ローランの歌」に登場する主人公ローランドの像
28: 以下、
?.ティムール帝国とオスマン帝国
さて、13世紀のモンゴル時代は置いといて、14、15世紀。
ティムールというチートっぽい人がサマルカンドを首都にアジアに大帝国を築く。
東はチベット、西は黒海にまで広がる大帝国。ティムールは中国の明との全面戦争を望んだが、中国遠征の途中で病死。
ティムールの死語、帝国は急に衰退していきます。
この時期に出来たのがオスマン=トルコ帝国です。現在のトルコにつながる。首都はコンスタンティノープル改めイスタンブール。
あれ?コンスタンティノープルには東ローマ帝国があったんじゃなかった?
ええ、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)はオスマン=トルコ帝国が滅ぼしました。
テオドシウスの城壁により、1000年もの間難攻不落と言われたコンスタンティノープルも、
オスマン艦隊の山越え(船を引っ張って山側から攻略)により落ちた。
これにより、目と鼻の先にイスラーム大国が誕生したヨーロッパは、危機に陥ることになった。
ティムールの死をいたむ、サマルカンドのティムール廟
難攻不落だった東ローマ=ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル
青:オスマン海軍の侵入を防ぐ鉄鎖壁
赤:オスマン海軍の侵入ルート
"オスマン艦隊の山越え"
海軍艦隊で陸地を超えることにより突破した。
30: 以下、
?.大航海時代
15世紀後半、イベリア半島(スペインな)に存在していたイスラーム国家をキリスト教勢力が追い出すことに成功する。
その勢いでスペインとポルトガルは海へと乗り出した。
とはいえ、まだヨーロッパにアジアを「侵略」する力はない。
スペインは文明が未発達だったアメリカ大陸方面に進んだからウマーだったものの、
東南アジア・中国方面に進んだポルトガルは貿易して手に入れた香辛料をヨーロッパで売って利益を得るくらいが限界だった。
イベリア半島最後のイスラーム王朝のアルハンブラ宮殿。1492年のグラナダ陥落によりスペインからイスラーム勢力は追い出された。
大航海時代の航路。イスラーム勢力を追い出したスペインとポルトガルが海へと乗り出す。
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X.ウィーン包囲
16世紀、オスマン=トルコ帝国のスレイマン1世がヨーロッパの神聖ローマ帝国(ドイツ&オーストリア)に対してウィーン包囲を仕掛ける。
すでにセルビア、アルバニア、ハンガリー、エジプト(マムルーク朝)を破ったオスマン帝国は、
北アフリカ?アラビア半島?トルコ?東ヨーロッパを領土に収め、地中海はオスマン帝国の内海となっている。
『ウィーンを越えればアジアが見える』と言われたように、「ヨーロッパ」の定義がものすごく小さくなった時代です。
スレイマン1世はヨーロッパ側のしつこい粘りに負け、ウィーン包囲を解く。
その後のプレヴェザの海戦ではスペイン・ヴェネチア・ローマ教皇連合軍を破り、
アジア>ヨーロッパの図式を築き上げた。
オスマン=トルコ帝国の領域
トルコ、スレイマン=モスク
プレヴェザの海戦
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アッバース朝とか懐かしいフレーズが。
歴史全体とは全く繋がらなかったけどね。世界史は範囲が広すぎるんだよ
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X?.サファヴィー朝&ムガル帝国
16世紀にはイランとインドにも巨大イスラーム帝国が並び立つ。
サファヴィー朝ペルシャとムガル帝国だ。
サファヴィー朝はオスマン帝国のライバルのような国で、『都イスファハーンは世界の半分』と言われるまでに繁栄を遂げた。
ムガル帝国は言わずとしれたインドの大国。注目したいのは、この国がイスラーム国だということ。後に「支配者」のイスラームと「被支配者=国民」のヒンドゥーで対立が起こる。
サファヴィー朝のイマームモスク
ムガル帝国のタージマハル
37: 以下、
X?.オスマン帝国の斜陽
16世紀後半、オスマン帝国はスペインのフェリペ2世にレパントの海戦で敗れる。
しかし、その後スペインは衰退し、依然としてオスマン帝国は領土を拡大し続ける。
オスマン帝国の衰退は、17世紀後半の第二次ウィーン包囲の失敗から始まる。
オーストリアの都ウィーンを包囲し殲滅しようとしたものの、撃退され、不凍港GETを目指して南下してきたロシアの攻撃もついでに食らい、ハンガリーをオーストリアに奪われ、アゾフ海(黒海の一部)もロシアに奪われてしまう。
レパントの海戦
第二次ウィーン包囲
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X?.?産業革命による「ヨーロッパ」の強大化
18世紀。イギリスで産業革命が始まる。でも「産業革命」って一体何なんだろうか?
一言でいえば、「産業革命」とは"輸入品の国産化"です。
「輸入品を国産化、しかも大量生産できるようになればめっちゃ儲かるんじゃね?」と思いついたイギリス人、
綿織物や鉄などを国産化していく。
また、紅茶を飲む習慣が広まり、砂糖のニーズが高まったので、
奴隷貿易をして西アフリカの黒人をアメリカ大陸に送り込み砂糖を作らせる。
大航海時代以降、ヨーロッパがアジアに進出する理由は、「貿易をしたい!」です。
香辛料得るために競い合った時代もあった。
でも、18世紀の産業革命によって輸入品が国産化されると、「アジア」は「貿易相手」ではなく、
「商品を売りさばくカモ」という認識へと変わっていく。
イギリスが機械化軽工業品を逆にインドに輸出したことにより、インドの国内産業は破壊され、
「イギリスへ輸出できる商品作物」を栽培して海外向けに売れるモノを作る方向へとシフトしていく。
当然海外向けの品ばかりを作る、ということは相手国が買ってくれないと国内経済が成り立たないわけで
西欧の操り人形、「経済的植民地」へと成り下がるわけです。
こうした西欧諸国により「自給自足を破壊される」例は
中国など非ヨーロッパ諸国のほとんどの地域で見受けられます。
ロンドンにある東インド会社の紅茶店
ひとりは辛いなー
40: 以下、
X?.?『国民国家』形成によるヨーロッパの強大化
「国民国家」とは何なの?
簡単にいえば、「俺は○○国民で○○人。」と国民みんなが思っている国家のこと。
つまり、現代日本は国民国家です。たまに変なの混じってるけど。
なぜ国民国家を作ると国が強くなるのかというと、
国民がすすんで「ここは俺の国だから俺が守る!」というふうに国民が一致団結するからです。
ヨーロッパの絶対主義時代を例に取ると、軍隊は王様の命令で文句タレタレに動きます。
各地で勝手に領主を名乗るやつが現れて、民衆を支配し始めたりします。
でも、これがフランス革命で倒れた。国民が主権者となり、国を治める当事者になった。
「戦争?俺にはカンケーねぇ」という意識から「ここは俺の国」「俺たちは○○国民」という意識(アイデンティティ)へと変わっていった。
ここからナショナリズムが生まれる。
だから国民国家を作ることは「近代国家」への第一歩となります。
日本でも、明治維新により国民国家建設が進められた。
一方、イスラーム諸国。
前述したとおり、イスラーム諸国内ではムスリムと非ムスリム(イスラーム教徒じゃない人)がお互いを認めて暮らしている。
(=異なるアイデンティティの共存)
だから、国民国家建設(アイデンティティの一元化)が難しく、近代国家への第一歩を踏み出すのは容易では無い。
オスマン帝国のタンジマート(日本の明治維新みたいなもん。国民国家建設によって近代化を図ろうとした)でも、
オスマン帝国 <さあ、キミたちは今日からオスマン国民だよ!
ムスリム <異教徒と俺たちが課税率一緒っておかしくねぇ?
非ムスリム<俺たちは断じてオスマン人じゃない!
となるわけです。
一方西欧では、ナポレオンがフランス革命をヨーロッパ全土に広げ、
絶対君主を倒しまくったことにより各地でナショナリズムが紛糾、「ドイツ」や「イタリア」といった国民国家が続々と誕生していった。
41: 以下、
よし、バックグラウンド完了。
これから植民地にされ、独立していく20世紀のイスラーム世界へと移ります。
支援求む!
42: 以下、
【オスマン帝国】
ロシアとクリミア戦争で戦い、
財政が破綻したオスマン帝国。
その広大な領土は列強によって分割されていく。
WW1後にトルコ革命が起こり、スルタン(国王)が追放され、トルコ共和国となる。
西欧化し、イスラーム諸国での指導力は弱まる。EUの一員としてヨーロッパに迎えられ、現在に至る。
現代のトルコ
誰か!いないのかい!
43: 以下、
いるけどオスマントルコ→トルコの流れは世界史Aの範囲でやってるからいいや
45: 以下、
【イラン(ペルシャ)】
18世紀からカージャール朝という王朝が支配する。
ロシアとの戦争に敗れ、イギリスに不平等条約を結ばされ、経済的従属化へ置かれ、イギリスとロシアにより分割される。
石油が出ることで列強に支配され続ける。ロシア革命により、ロシアがソ連となり、イランから撤退。1919年、イギリスに保護国にされる。
1921年、レザーハーンという人が革命を起こし、自ら王位についてパフレヴィー朝を開く。
イギリスは撤退するも、イラン国内の油田はイギリス資本が握る。
WW2後の1951年にモサデクが首相就任。(国王とは別に首相がいるのな) モサデクは「イラン国内の石油は国有化すんぞ!」と宣言する。イギリス利権をのさばらせておくわけにはいかないからね。
欧米と結びついているイラン国王レザー=シャーは「あいつが勝手な事するんです」とアメリカにチクる。
するとアメリカはイラン国王を支援、首相をクーデターにより追放し、アメリカ寄りの国王が政治を握る事に。
国王パフレヴィー2世は西欧化をすすめ、イランは超アメリカ寄りの国になる。
46: 以下、
しかし国王の余りのアメポチぶりと、国内の貧富の格差拡大に国民が激怒。1979年、ホメイニという人が革命を起こし、イラン=イスラーム共和国を建国。革命を起こしたのは反米政権だからそれ以降イランは反米国になる。
同じ1979年、ソ連がアフガニスタンに出兵。同じイスラームの
同胞を侵略する行為に反発し、イランは反ソの姿勢を掲げる。
さて、冷戦中の2大国家が手を結ぶシナリオだ。
イランは反米・反ソな上、イスラーム原理主義で、アメポチやソ連パグである周辺諸国に反米反ソの蜂起を呼びかけような国だ。
アメリカとソ連は、イラン共和国の隣のイラクにこう吹っかける。「イラク大統領さんよ、イラン革命の影響が及ぶ前にイランに出兵して封じ込めといた方がいいぜ、イラク国内でも革命が起きたらアンタの首も危ないだろ?」
こうして米ソの支援により
1980年イラン=イラク戦争が開戦、特にどちらが勝つということもないまま終わり、両国に残ったのは荒れた国土だけ。
2002年、アメリカのブッシュが一般教書演説で『イラク・イラン・北朝鮮の3国は悪の枢軸だ!』と非難する。アメリカに対抗するため保有した核についても指摘され、両者はギスギスしたまま現在に至る。
イラン紙幣にも印刷されているホメイニ
人いたのか!やる気出てきたぜ!うおおおおお
48: 以下、
素朴な疑問
「中東」 「中近東」
表記としてどっちが正しいの?
49: 以下、
【エジプト】
1798年、ナポレオン率いるフランス軍がオスマン帝国支配下のエジプトに侵入する。
これを撃退したムハンマド=アリーがエジプトを事実上オスマン帝国から独立させる。
エジプトはその後エジプト=トルコ戦争を2回に渡って行う。
第一回では欧米諸国が味方についてオスマン帝国に勝利する。
第二回では欧米諸国がオスマン帝国を支援し、フランスのみがエジプトを支援するも、
エジプトはオスマン帝国に敗れ、多くの領土を奪われ、欧米諸国に分割される。
エジプトを支援したことでエジプト王朝に接近したフランスは、エジプトに、「通行料取れば絶対儲かるぜw」とスエズ運河建設を持ちかける。
これに騙されたエジプト。完成し、ヨーロッパ諸国は地中海から直接インド洋に抜けられるようになったが、
莫大な借金を返せなかったエジプトは財政破綻。スエズ運河はイギリスが買収し、事実上イギリスの植民地となった。
エジプトの続きはパレスチナ問題のところで。
>>48
どっちが、とかはない。
ヨーロッパから見て近い方が近東、遠い方が俺らの住む極東。その間が中東。
近東はトルコ・イランとかその辺。中東はイランサウジアフガニスタンとか。
50: 以下、
【アフガニスタン】
アフガニスタンと中央アジア周辺は、ロシアとイギリスが植民地にしようと取り合う。ロシアは南下によりアジア侵略を計画しているため、インドを植民地にしているイギリスはロシアの南下を警戒していた。
1838年、イギリスがアフガン戦争を二回仕掛け、アフガニスタンを事実上の植民地化し、ロシアのアジア南下を牽制する。
第一次、第二次世界大戦を経てイギリスから独立したものの、アフガニスタンを巡るイギリスとロシアの対立は、アメリカとソ連の冷戦下での対立へと引き継がれる。
隣国のパキスタンがアメリカ寄りの国になったため、パキスタンと仲の悪いアフガニスタンはソ連を支援を受けて社会主義的な道を進むのね。
しかし、国内で反政府デモ(=反ソ的な動き)が頻発したため、1979年、ソ連はアフガニスタンに出兵し、この動きを弾圧しようとする。
アメリカは反政府(反ソ)側を支援し、イスラーム諸国も反ソ側でアラブ義勇兵として参戦。オサマ=ビン=ラディンなどの義勇兵にアメリカは武器を与えて支援する。
1989年、ソ連が撤兵し、アフガニスタンでは親ソ政権が倒れる。10年間ものソ連の軍事介入により国土は荒廃し、その後も混乱が続いた。
そこに現れたのがタリバンと呼ばれる若者たちの勢力で、混乱したアフガニスタンを一つにまとめていく。
タリバンは他の軍閥と違って略奪などを行わず、規律が非常に高かったため、民衆から幅広い支持を集めて政権についた。
バーミヤンの仏教遺跡の爆破についても「過激なイスラームグループだ!」と各国のメディアは報道したが、実際は外国人が現地の高官に賄賂を送って仏像を盗み売りさばくなどの汚職行為が見受けられたためだった。アフガニスタンはタリバンによって秩序を回復した。
しかし2001年、同時多発テロが発生。アメリカはオサマ=ビン=ラディンを首謀者と断定し、アフガニスタンのタリバン政権がオサマ=ビン=ラディンをかくまっているとしてアフガニスタンへの激しい空爆を開始。
以後再び国内は混乱に陥り、アメリカ軍との泥沼の抗争に陥ったまま、現在に至る。
51: 以下、
【イギリス三枚舌外交】
では、パレスチナ問題のもとになった、WW1中の3つの条約について書く。
☆1915年 フセイン=マクマホン協定
第一次世界大戦の構図は、当時ヨーロッパで圧倒的に強かったドイツ vs イギリス・フランス・ロシア(反ドイツでまとまる連合国)が中心となる。
まずイギリスは、ドイツと同盟を結んでいたオスマン帝国に目をつける。オスマン帝国政府(トルコ人!)とその支配下にあったアラブ人の間に対立を起こさせようと、
イギリスはアラブ人のリーダー・フサインに秘密条約を持ちかける。
イギリス「オスマン帝国に対して反乱を起こしてくれ。そしたらこの大戦が終わった後にパレスチナにアラブ人だけの国を作ってあげるよ?」
☆1916年 サイクス=ピコ協定
しかし、イギリスは、フランス・ロシアとの三国の間でも秘密条約を結んだ。内容はWW1後のオスマン帝国領土分割(山分け)計画。
パレスチナはややこしいのでとりあえず国際管理とした。←あれ、アラブ人にあげるんじゃねーの?
☆1917年 バルフォア宣言
3つ目。これもイギリスが関係している。話は古く2500年前、パレスチナにはユダヤ人が住んでいた。しかし、奴隷として他の国に連れていかれ、その後ヨーロッパなど各地に散らばっていった。
だが上でも述べたように、近代になってからヨーロッパで"「国民国家」建設運動" が起こり、ユダヤ人たちはヨーロッパ各国のナショナリズムの高まりとともに排除されて行った。
そこで行き場を失ったユダヤ人たちにユダヤ人国家建設を唱えたのがこの条約。
ユダヤ人には金持ちが多いので、WW1時、イギリスはユダヤ人にこの宣言を出すことで資金援助を頼むため、
「パレスチナにユダヤ人国家つくってあげるよ」と言ったわけ。
人は相変わらずいないが俺はやめないぜ?
52: 以下、
結局WW1後、パレスチナはイギリスが占領する。
でも、ユダヤ人たちはバルフォア宣言に基づいて次々に土地を買っては移り住んでいく。
はい、このタイミングで【オスマン帝国】のところで述べたトルコ革命が起こり、オスマン帝国が倒れる。
オスマン帝国(トルコ人!)による支配が終わったアラビア半島では、フサイン=マクマホン協定に基づいて、
アラブ人のリーダー・フサインがヒジャーズ王国というアラブ人だけの国をつくる。
でもこの国はすぐに倒れ、ワッハーブ王国(これもアラブ人の国!)に変わる。この国がのちのサウジアラビアになります。
ところで、英仏露はサイクス=ピコ協定でオスマン帝国の領土山分けを約束していた。
約束通り、WW1後、元オスマン帝国領のシリアをフランスが、イラクとヨルダンの辺りをイギリスが、それぞれ占領する。
(ロシアはロシア革命が起こりそれどころじゃなかった。)
イギリスはアラブ人とフサイン=マクマホン協定を結んでたから、フサインにアラブ人国家を作ってあげないといけないが、
先ほどのヒジャーズ王国はワッハーブ王国(サウジアラビア王国)にとって代わられていた。
なので、イギリスはフサインの弟の息子2人にイギリス占領地のイラクとヨルダンを渡し、
それぞれイラク王国、ヨルダン王国を作らせた。
だけど、クウェートだけは石油が出まくるのでイギリスが占領し続ける。
オスマン帝国の下で、同じ国の民として暮らしていたアラブ人は、このように列強によって分割されていった。
54: 以下、
【イラク】
さて、WW1後、イギリス占領地に誕生したイラク王国のその後です。
WW2を経て、冷戦下へと世界情勢は移る。イラクはアメリカによって反共産(反ソ)主義の拠点と位置付けられた。
冷戦下ではアメリカとソ連がそれぞれの犬となる国家を世界各地に作っていく。
この親米国家イラクで、1958年にイラク革命が起こる。軍人カセムが起こしたクーデターによってイラク国王は殺害され、イラクは共和国となる。
その後イスラーム原理主義の政党が政権を握るも、このイスラーム原理主義を弾圧して大統領となったのがサダム=フセインね。
だからイラクはイスラーム原理主義のイランと仲も悪く、イラク革命の影響を恐れてもいた。
それを米ソがそそのかし、イラクを米ソが支援してイラン=イラク戦争が勃発。
結局、戦争後にイラクに残ったのは莫大な借金だった。
そこで、隣の産油国クウェートに攻め込み、支配下に置こうとした。
(クウェートは英米の石油権益のためだけに作られたような国だったので、フセイン大統領は植民地支配の爪痕を正そうとしただけだ、と言った。)
当然のごとくこれにアメリカはブチ切れる。
これまではイラクを利用しまくっていたが、多国籍軍を編成して「イラクのクウェート侵攻をやめさせる!」と湾岸戦争を仕掛けた。
湾岸戦争により、イラクはすっかり荒廃してしまう。サダム=フセイン政権はかろうじて残る。
さらに、アメリカは『イラクは大量破壊兵器を保有している!!平和を乱す存在だ!!』とイギリスと手を組み、今度はイラク戦争を仕掛けた。
2003年、アメリカ軍はバグダッドを制圧し、サダム=フセインを犯罪者として"逮捕"。すっかり荒れ果てたイラクの国土を"復興"させるため、アメリカ軍が統治を開始する。
だが、イラクにアメリカが攻め込んだ「口実」だった、肝心の『大量破壊兵器』が、どれだけ探しても見つからなかった。
2度の戦争を経てすっかり混乱してしまったイラク。
無政府状態に近くなり、かえってテロリストの温床となり、イラク戦争終結後の方がアメリカ軍人は多く戦死している。
誰か!いないのかい!
55: 以下、
ミテルヨー
57: 以下、
見てる
歴史好きだけど詳しくない俺には格好の良スレ
58: 以下、
【パレスチナ問題?】
パレスチナは、第四次世界大戦が起こるとしたらここが火種とも言われる地域。
1917年のバルフォア宣言から、ユダヤ人はパレスチナに大量移住しはじめる。ヒトラー登場でこの動きはさらに加。
一方、ここにはもともとアラブ人が住んでいたわけで、住む場所を追われたアラブ人との間に衝突が起こる。
なので、WW2以降、国連は『パレスチナにユダヤ人国家とアラブ人国家を作って仲良く暮らしなさい』とパレスチナ分割案を出す。ユダヤ人はおkするも、住む場所を追われるパレスチナ人(パレスチナに住んでたアラブ人)としてはこんなの認めるわけがない。
1948年、ユダヤ人がイスラエル建国を強行。
これに対してアラブ人側は立ち上がり、アラブ人国家のヨルダン、エジプト、シリアなどがイスラエルにいっせいに第一次中東戦争(パレスチナ戦争)を仕掛ける。
しかし、ユダヤ人国家イスラエルは強い。アメリカの財閥のほとんどがユダヤ系なことでもわかるように、欧米諸国にたくさん金持ちが住んでおり、イスラエルを支援する。
結果、イスラエルは勝利し、パレスチナ内でイスラエルの領土は拡大。ガザ地区とヨルダン川西岸のみを残して、他はイスラエルの支配下にはいる。
ここでイスラエルの支配下に入った土地からは、パレスチナ人が逃げ出す。これがパレスチナ難民となる。
見てくれてる人センクス!!
60: 以下、
【パレスチナ問題?】
第一次中東戦争に負けたエジプト国内では、1952年にエジプト革命が起こる。指導者はナセルという人。エジプトは王国から共和国になる。
ナセルは、アラブ人の統一を目指していた。アラブ人はかつてオスマン帝国の下で同じ国の民として暮らしていたが、ヨーロッパ諸国によって分断されてしまったんだった。
だからナセルはイギリスやアメリカから距離を置き、ソ連と
手を組む。また、反アメリカの中華人民共和国とも国交を結ぶ。
この動きに怒った英米は、アスワン=ハイダム(英米資本により建設中のダムで、エジプト国土を緑化させちゃえる大規模なダム) への融資を中止する。
するとナセルはスエズ運河国有化宣言を出す。スエズ運河はイギリスが占領していたからね。
これにブチ切れたイギリスは、フランスとイスラエルを誘ってエジプトに攻め込み、第二次中東戦争となる。
当然エジプトは負けはじめるわけだが、ここでアメリカが鶴の一声。
『おい!ソ連がハンガリー侵攻してんのにエジプトで戦争してる場合か!!!』
アメリカとしては最大の敵はソ連なわけで、英仏には資本主義側としてヨーロッパにソ連が侵攻して来ないか見張るのがお前らの仕事だろ!ということ。
結果、イギリスフランスイスラエルはエジプトから撤退し、何か知らないけどエジプトは第二次中東戦争に勝ったことになった。
61: 以下、
二次中東おもろいな
63: 以下、
【パレスチナ問題?】
戦争に勝ったナセルは、「アラブの統一」という夢にむかって突き進む。
手始めにエジプトとシリアを合体させて一つの国にした。しかし、やはり上手くいかず、3年後にはもとのシリアとエジプトに解体してしまう。
さらに、1958年のイラク革命以降、イラクも「アラブの統一!」を叫び始めた。しかしイラクは反ナセルで、ナセルのアラブ統一はたびたび妨害された。
そんな中、1967年に第三次中東戦争が勃発。
イスラエルがシリア・エジプト・ヨルダンに仕掛けた侵略戦争だった。これは6日間戦争と呼ばれ、アメリカのユダヤ系財閥の支援を受けたイスラエルが圧勝し、シリア・エジプト・ヨルダンは大きく領土を削り取られる。
失意の中ナセルは死去、エジプトではサダト大統領が就任する。
64: 以下、
日本に資源なくて良かったと思っちゃう
65: 以下、
【パレスチナ問題?】
イスラエルに侵略され、領土を失ったサダト大統領は、ヨルダン・シリアとともに復讐戦の計画を練る。
アラブ人居住区だけは何としても取り返さなくてはならない。
1973年の第四次中東戦争ではいっせいにイスラエルに攻め込んだ。
この時点でイスラエルは欧米諸国の支援を受けて核兵器を保有しており、その使用の可能性も囁かれた。
またしても劣勢のアラブ諸国は、イスラエルのバックにつく欧米諸国に対して、石油の輸出を制限する石油戦略をとる。
これが第一次オイル=ショック。
アメリカと同盟を結んでいる日本もダメージを食らった。
結局、第四次中東戦争にも敗れたエジプト。サダト大統領は「イスラエルと和解する」という決断をする。
もちろん、他のアラブ諸国からすれば、パレスチナ人を見捨てるというエジプトの裏切り行為にしか見えない。以後、エジプトはアラブ人世界からは孤立していく。
このサダト大統領の行為に対して国内からも「パレスチナ人を見捨てるのか!」と反発が上がり、サダト大統領は暗殺され、後任にムバラクが就任する。
しかし、30年の長期政権は行き詰まり、2011年にムバラクは大統領を辞した。
68: 以下、
バックグラウンドは雑でありがちな誤解釈だらけだけど、
近世からはそれなりにちゃんとしててそこそこ面白い
71: 以下、
>>68
すいません
近代からが専門なもんで
古代は素人です
69: 以下、
面白い
応援してるよ
70: 以下、
【パレスチナ問題?】
エジプト・シリア・ヨルダンがボロ負けした第三次中東戦争。
同じアラブ人としてパレスチナのためにエジプトなどは戦っているわけだが、パレスチナ内でもパレスチナ人自らでイスラエルを倒そう!という組織的な動きが出始める。
それがPLO(パレスチナ解放機構)。指導者はアラファト。
PLOはイスラエルを倒すためなら何でもやる。
イスラエルはこの動きを徹底的に潰すために、PLOの拠点があるレバノンに侵攻。PLO本部はアフリカ大陸のチュニジアに移され、パレスチナから大きく遠ざかることとなった。
1987年からはイスラエル支配下のパレスチナで民衆がインティファーダ(蜂起)を開始。
民衆レベルでイスラエル政府に対し抵抗運動が広がる。
このような情勢の中、1991年にマドリードで中東和平会議が開催される。
アメリカのクリントン大統領が仲介し、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長との間で『パレスチナ暫定自治協定』が結ばれた。
内容は1999年までにイスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸から撤退、パレスチナ国家の建設を認める、というもの。
この流れで1994年にパレスチナ自治政府が樹立される。
しかし、1995年、イスラエルのラビン首相の和平政策に対してユダヤ人学生たちが反発。ラビン首相は暗殺され、『パレスチナ暫定自治協定』は実質破棄される。
2001年、イスラエルにシャロン首相就任。
彼は対パレスチナ強硬策を取り、ガザ地区とヨルダン川西岸のパレスチナ人居住区に「壁」を建設。まるで冷戦期のドイツを思わせるような隔離政策だった。
ガザ地区とヨルダン川西岸は完全に交通が分断されたため、PLOは分裂。
ヨルダン川西岸→主流派ファタハ
ガザ地区→過激派ハマス
となり、ハマスは特に過激な運動へと突き進んでいる。
2007年以降、イスラエルとハマスの武力衝突は続いている。
72: 以下、
いいよー続けて続けて
73: 以下、
見てる人はいるよ
74: 以下、
というわけで、もうこんな時間だった!
このスレを立てた理由は日本人も少しイスラーム地域について考えて欲しかったからですお!
確かにアメリカは頼もしいジャイアンだ
日本との同盟を何よりも大切にしてくれている。
でもイスラム諸国に対するアメリカの外交姿勢はどうも?マークです
イランを凶悪国家だというアメリカの姿勢、ユダヤ人国家イスラエルを正義だとするアメリカの姿勢をマンセーするのは良くない。
イスラム諸国は日本に親しみをかんじてくれているし、
イスラム諸国と欧米諸国の橋渡しを出来る唯一の国が日本だと思う。
本日のスレはこれにて終了です!
おやすみなさい!
78: 以下、
おお、終わったか
読んでたぞお疲れさん
81: 以下、
オラは黙って>>1乙と書き込みます
84: 以下、
いま読みオワタ
頭悪い俺でも何となくイスラム分かったぞ
トルコ当たりに海外旅行行きたい
85: 以下、
良スレだった。お疲れ様。
87: 以下、
>>1と全く同じ出だしで池上さんが喋ってた番組があったな
88: 以下、
なんだ>>1は池上彰か
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コメント
1 不思議な
ペルシャ語とアラビア語は
文字は似てるけど
実はまったく似てない言語
ペルシャ語は欧米語に似てるから
昔のイランは文明の中心だった(ホメイニ革命まで)
2 不思議な
バックボーンについての誤解釈がまったく分からなかった…
誰か教えてくれ…
3 不思議な
池上乙!! しかし分かり合える日が来るんかね…
4 不思議な
歴史ってやっぱおもしれえわ
人間てのはいつも同じこと繰り返してるってのがよく分かる
5 不思議な
理系卒の俺には知らない単語だらけで理解が厳しかったわ
世界史とってたらわかるのか?
6 不思議な
十字軍によって蛮族欧州がルネサンスを迎えたってのも今じゃ古い歴史観なんよな
最近はカロ/リングルネサンスやオットー朝ルネサンス、12世紀ルネサンスと何回かルネサンスが起きて14?16世紀のいわゆる有名なルネサンスを迎える土壌を作った
本当に蛮族なら古代の文献があっても何も学べんからね
7 不思議な






8 不思議な
世界史をやってると、どうしても中東諸国に同情せざるを得なくなる
特に三枚舌外交。
イギリスにはパレスチナ問題を語る資格はないと思うね。
9 不思議な
※8
植民地にしたおかげで
近代文明が流入したんだよ
歴史を複眼的に見ないと、本質を見失うぞ
10 不思議な
この>>1は人に物を教える才能ないわ
11 不思議な
結局宗教が絡むとロクな事がないってこっちゃな。
12 不思議な
※9
なるほど、一理ある。
面白い考え方ですね。
でも、僕の言いたかったこととは、そのせいで今のパレスチナ問題が複雑化し、多くの無関係な人々がその近代文明の力で奪われてしまったということなのです。
そのきっかけが当時の大英帝国の飽くことなき欲望によってですよ?
真に反省しているのであれば、イギリスはもうパレスチナに介入することなく、あくまで人道的支援に留めておくべきだと、そう思ったのです。
あくまで、僕一個人の意見ですが。
13 不思議な
1レスで説明するスレじゃないのか。
14 不思議な
カースト制度は創世記の巨人プルシャから出来たとかなってるけどたぶんペルシャ帝国の事だよね。その巨人の口からバラモンが出来たとか。のちにヒンドゥー、仏教と続いていく
15 不思議な
高校生が学ぶには今の世界史は広すぎる気がする
イスラム史アフリカ史アジア史とか、現代史中世史とかに分けたほうが理解が深くなって得られるものも大きい気がする
16 不思議な
彡(゚)(゚)で説明してもらわないと
わからん
17 不思議な
歴史を学ぶことで分かるのは「人間は争う生き物、殺し合う生き物である」ということ。
なのに歴史の先生は「戦争は絶対ダメ」という結論で締めくくろうとする。
矛盾してるんですけど。
18 不思議な
1の思想が反欧米に傾きすぎて駄目だな
イスラムの侵略は良い侵略、欧米の侵略は悪い侵略って考えが透けて見える
19 不思議な
本当にパレスチナ問題は解決無理だと思うわ
20 不思議な
※12
カーストって名前じゃないけど、身分の上下を厳格に区別する習慣は相当昔からあった
いろんな国が民衆支配のためにその習慣を利用して、最終的に制度になったものがカーストなんだよね
ヒンドゥー教が作ったものと誤解してる人が多いけど、ヒンドゥーはその古来からの習慣に教義をプラスしただけだし、さらに古いペルシャもその習慣を否定せず利用しただけで作ったわけじゃない
21 不思議な

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