祖父が死ぬ三ヶ月前にまともになった話(後)back

祖父が死ぬ三ヶ月前にまともになった話(後)


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ちょっと休憩(´・ω・`)気分が落ちてきてしまった。
>>80
友人にも同僚にもそう言われるよ
>>81
会社はなくなっているし、そもそも外国人なので国際逃亡されている恐れが……
一応詐欺事件として調査してもらったけど、当事者である叔父がいないしね。
形としての被害届、までしか期待できない。そもそも受理されただけで万歳モノだったりするんだ。
そしてとっ捕まえても戻ってこれるものじゃないしね。
それよりも叔父だよ。アイツは捕まえない、と。
昔の縁で東北に逃げたっぽい話は聞いているんだけどなぁ……
85
落ち着きも取り戻した頃、祖父は口を開いた。
祖父「大体、お前らが俺に何をしてくれたか覚えているようだ。
 だから家に社員が来た時も覚えている。
 俺は、その社員が家に来た様子で何をしたかも覚えている」
自然と背筋が伸びた。
かつて見た覇気溢れ威厳を持っていた祖父だった。
そんな祖父が最後の最後に。
「……ただ、夢だったら、と思っていた」
実に寂しそうな祖父の姿がそこにあった。
そこだけ雨が降っているかのようにどんより沈んでいた。
祖母が「ご苦労をお掛けして申し訳ございません。私もしっかりしてたら」と言うと、
祖父は「誰が辛い苦労している以前に(叔父)が悪いんだ。
 それよりもここ最近は良くなったのか?俺はその後が気になる。
 俺の前だけ良くしていた訳じゃなければいいだが」
そこに関しては、最初の一年はギクシャクしたが、上手く行っていることを伝えた。
俺も就職したし、家の方は取られることもなく上手く行っている、と。
祖父はニッコリして「そうか、俺はお前らに感謝しかできないなぁ」と言った。
そこで祖父はようやく涙を流し、重く深く頭を下げた。
背後の心拍計の数字が見る見るあがっていたので、祖父の心中は察することができた。
86
祖父のお願いで、その日は家に帰った。
一人にしてくれとのことであった。
自分で築き上げた会社が潰れたのだし、その理由も理由であり、仕方がないことだろうと思った。
祖母が言うには、「あの人は昔からこうなの」と。
俺にとってはこの歳になって初めて見る祖父の姿だったので動揺いていたが、
母親も「そうそう、喧嘩した後とかしょっちゅう1人になりたがった」と言ってた。
家に帰るまで、昔の祖父に戻ったと何度も言い合った。
ただ同時に信じられないでもいた。
ついこないだまで意識もなく寝たままで「もうすぐ迎えが」とも言われていた祖父が、
意識が戻ったどころか、ボケも治り、普通に会話もできるまで戻っていたからだ。
それどころかボケてた最中の出来事をだいたい覚えてもいる。
また会社での出来事も理解した様子だった。
理解できても受け止められない心境だった。
なお祖母は「往生際が悪いから」と何度も言ってた。
今までどれだけ往生際が悪かったらそこまで言われるのだろうか、と今でも笑える。
夕方とは言えまだ日が出ていた。
久しぶりに四人で食事をした。贅沢にも焼き肉だったのを覚えている。
そして楽しくというよりは、映画鑑賞した後みたいに祖父について話を交わした。
ボソっとだったが、俺は「なんか祖父も戻ってきそうだよな」と言ったら、
祖母は「そうなる気がする」と言っていた。
つい最近まで「もうすぐお迎えが」とか言っていた面々が、祖父が戻ってくると思い出していた。
87
思い始めていたか。すまん
90
翌朝、以外な人物から電話が来た。
俺は会社を休めて、祖母と母は行く準備をしていた時だった。
叔父から始まった一連の騒動で頑張ってくれた弁護士さんからだった。
弁護士さんと適当な挨拶をすると
「それで早なのですが、祖父さんの一件はご存知でしょうか……?」
なんと昨日の夕方、祖父は感謝の言葉を弁護士さんへ伝えていたそうだ。
ちなみに息苦しそうに喋っていたとのことで、心配していたらしい。
それよりもボケはどうなったのか、本当に祖父さんなのか、疑っていたそうだ。
弁護士さんは今日にも会いに行くと言っていた。
その通り、俺らが病院につく頃にはすでに大分老けた弁護士さんが居た。
弁護士さんは冗舌なのはしっているが、すでに祖父と談笑していた。
病室に入るなり看護師さんに「あの人に言って頂ければ」とお願いされるほど、正直騒いでた。
その後、俺らが挨拶をすると、弁護士さんは落ち着きを取り戻した。
弁護士「叔父くんの一件……、全くチカラになれず申し訳ございませんでした。
 今まで散々祖父さんの会社と仲良くしてきたのにも関わらず、会社の異変に気がつけず……」
それに対して祖父は、
祖父「またその話か……、お前らは本当に好きだな。
 おめぇはうちの残った家族の為に尽力してくれたんだろ。それでいいじゃないか。
 家内・娘・息子・孫の為にも、沢山動いてくれたと昨日聞いたぞ。ありがとうな。
 それに俺もボケててすまなかったな。じゃ、話はおしまい」
そのままニカニカと笑っていた。
ただ、弁護士さんも涙を流して、祖父の手を何度も上下に振っていた。
同時に「すみませんでした」、そして「ありがとうございます」と何度も謝罪していた。
91
弁護士さんと祖父は、長い付き合いだとは聞いていたが、
大の大人が涙するほど、しかも片方が散々謝罪するほどの関係だとは思いもしなかった。
俺はそれを見守っていると、母が「お父さんは本当にすごい人だったのね」と言って、
祖父が「今頃気がついたか、まあ今の俺は凄くない。
 すごいのはお前らのほうだ。それに偉い。
 誰も謝る必要はない。工場の一件は俺と叔父が悪い。
 そして俺と家を守ってくれた弁護士さんとお前らには、感謝しかできない。
 ……ありがとうなぁ」としみじみと言った。
相変わらず弱々しい格好をしていながらも、祖父は力強く構えていた。
ちなみにもう調子を取り戻し始めていて、
祖父「あー、かったい話をしていると、体硬くなるわ。
 いや、もう固くなって全然動かねーけどな、アハハハ」とか冗談かましてきて、
その不意打ちに俺はものすごく頭の中真っ白になったのを覚えている。
これ以降、あまり話す事はない。
また日にちも飛ぶような話になるが、許してほしい。
92
祖父の意識がハッキリして一週間立つ頃には、ハキハキし始めていた。
体のほうは不自由なままで、毎日の様に「チンコに管が気になって」と言っていた。
あとオムツにも物凄い抵抗覚えていたのと、
意識がハッキリして初めてのお風呂の時、自分の体のみすぼらしさに嘆いたと言っていた
体調の方は、肉付きが良くなってきていた。
「また流動食では力が出ない。すこしでも固形物を」と祖父はせがみ、
流動食+おかゆ少々を腹に入れられるまでになっていた。
おかゆを食べるようになってからは、声が少しだけ大きくなった。
これで完全に元気だったらかなりうるさかった事だろうと今でも思う。
この病室から出ることはありえないでしょう、と言われていた祖父だが
お医者さまも「このまま元気になるようなら病室変える必要があるかもね」と苦笑いしていた。
残念ながら気は元気になったとはいえ、体の方はボロボロ、
24時間体制がしっかりしているこの病室の方がいいと言うことになった。
ちなみにこの時だったと思う。
何日後かは忘れたが、祖父は祖母の顔について謝罪したそうだ。
93
祖母しかいかなかった日に、唐突に謝罪し始めたらしい。
だが、祖母は強く「昔も何度かビンタされたことありましたね」と返したそうだ。
そうすると祖父は更に丸くなり謝罪したという。
留めに祖母は「この傷はビンタではなく、モノによるものですが」と言ったそうだ。
祖母曰く、大分イジメてやったらしい。
家でガッツポーズしながらそういう報告を受けた。
ただ祖母曰く「こんな顔になってどう思いますか?」と聞いた時、
本当に反省しているのか、何何をして悪かったと言う言葉を狙ったそうだが、
祖父は「相変わらずお綺麗な顔だ。俺の家内でいてくれて嬉しい」と答えそうだ
祖母はこれに撃沈。許したらしい。
母も俺も大爆笑したのを覚えている。酷い話かもしれないが。
ただ、祖父はこの日以来、毎日祖母の顔を見るたびに「ごめんなー」と言ってたそうで、
祖母がよく「私が行くたんびに『ごめん』とか言うの!
 私の時だけボケちゃってるの!失礼だ!もういいいっているのに!」と怒ってたww
あとは見舞いに行く度に「ありがとう」と、今日の体調について話をしたり、
俺や父の仕事ぶりについて話をしてくるようになった。
94
一ヶ月ぐらいした時、どこで噂を聞いたのか、
それとも出かける祖母や母や俺の姿を見て察したのかもしれないが、
祖父の元へ、散々疎遠になった親戚が顔を見せるようになった。
それに家にも「祖父さんの具合よくなったの?」と電話が来るようになった。
コレに対して祖父は、「本当にお前らが辛い時だけ、応援や助けてくれた奴だけ相手しろ」、
そして祖父の前に現れた奴らには、最初は気前よく話を聞いてやって、
その次現れた時には、弁護士さんや俺らから聞いたその人物の行動から判断して、
追い返すか、感謝の言葉を伝えるかどうか、そういう判断をしていたらしい。
まさかつい最近まで散々ボケていた老人が、
そこまで聡明になっていると思っていない親戚たちは結構ボコボコにされた。
祖父に直接会いに来た大半は祖父にボコボコにされていた(論破。
やはり幾ら会社が倒産したとはいえ、まだ祖父から絞り出せる物があるだろうと、
舐めてかかった人もいたが、、
一番ひどい目にあったのは、儲け話として「もう一度会社建てよう」と言った人だった。
その人は、俺も認めるほど本当に気に入らない小母さんだった。
95
家が大変なときに態々家にきて、やれマナーがないだの、お菓子が安物だの言った挙句、
「家潰し野郎ども」と「あなた方と縁を持っていると不幸になる」罵ってきたBBAである。
コレに関しては、このBBAが現れる前に伝えていた。
祖父はその気はなくとも話を聞いてやると、まあうまい話しかない。
負の部分の話を全くいっさいしない。ハタから聞いていた俺もうんざりした。
祖父はいろいろ話を聞いた後、「で、偉そうにいうがお前は会社作ったのか?」と尋ねた。
祖父「そんなに借金しても美味しい話なら、お前がマズ会社建ててみろって話だろ?」。
その後、祖父に散々怒鳴られた末に、「二度と、顔を見せるな。末代まで呪うぞ」と脅されていた。
そりゃつい最近まで死にかけてボケ老人だった人が、やけに覇気よくしっかりと怒りながら言うものだから
本当にビビっていたと思う。
その日、廊下で「祖父さん、ボケているんじゃないの?」とストレートに尋ねた上に、
「もうすぐ死ぬ予定じゃなかったの?アレは祖父さんなの?」と祖母に強烈な一撃を加えたがばかりに、
祖母に「アナタと、アナタとの血縁者は、二度と我が家の敷居に入るなァ!!」と物凄い声で怒鳴られていた。
実際、祖父の葬式の日。
家に現れるなり、用意しておいたバケツを意気揚々と祖母は持ち上げ、
バケツ水をBBAぶっ掛けて追い返した。
水をかけられた後に塩を持ってきてぶっかけるものだから、かなり壮絶だったと思う。
ちなみにそこのBBAのお孫さんは来てイキナリ、「お小遣い頂戴」と言って回ったがばかりに、
祖父が三ヶ月の間(正確には二ヶ月?)に選んだ親戚さんたちにこっぴどく叱られてた。
今でもありゃないと思う。今は音信不通でしらない。
96
>>95
塩かけられてもしおうがないよな
97
>>96
俺の婆ちゃんと同じこと言ってて怖い(´・ω・`)……
99
>>97
嘘だろwwww
ちょっと結婚申し込んでくる
98
じいちゃんかっけー
ばあちゃん可愛い
100
>>98
祖父は常に怖いけど、祖母は怒ると怖い。
あの人の更に怖い事は、ちょっとしたイタズラを「故意」で起こせることだと思う。
狙って起こせる。
思い出したけど、玄関に沢山靴が並んでいる中で、そのBBA以外の靴を
全部入り口を正面見て後向きにし、
そのBBAたちや関係者の靴を全部前向きにして、
祖母「あら、さっさと帰る準備が伺えますね?」と、トドメさしてたからね。
怖い人だよ……
101
親戚の足も少なくなり始めた頃。
祖父は装置を持ち運びながらだが、外に車いすで散歩することを許された。
病室も例の病室近くの個室へ移動した(不謹慎な話、ちょうど開いたので)。
流石に退院とまでは行かないが、先生も認めるほどすごい回復力だった。
祖父の来月の誕生日も無事に迎えられるんじゃないかと、言われていた。
病院の庭は、患者さんたちが趣味で使用していい花壇があり、
ゴチャゴチャと、それでいながら一年通して常に何かしら見物がある場所だった。
祖父曰く「まったく統一感がない庭だなwでもそれがいいなww」と。
また大きな桜の木の前に来て「こりゃ、咲き誇ったらすごいだろうな」と常にいっていた。
残念ながら近くの大きな公園までの散歩は許されなかったけど、
祖父にとってはここら辺や、同じ所だけでも、十分に満足だったそうだ。
102
散歩をしていると、祖父はふっと思い出したように
ボケていた時の自分の行動について話すことがあった。
「あの時お前に○○してすまなかったなー」や、「あの時は助かった」など。
俺が役所やヘルパーに罵られたことを祖父の横で恨み辛みたっぷりに言っていたことも覚えていた。
また、何度か掴み合いしたことも覚えていて、ただ俺に非がある所は「ま、お前もなぁ……」と。
受験だったから、疲れていたから、などなど。
そんな理由からイライラしていたのも間違いないし、それに関しては俺も謝った。
ただその都度、祖父はイタズラにニヤニヤして「まw俺も悪いんだけどなw」と言ってきて参ったw
あの人分かっていながら責めてくるから、憎たらしいww
ただ本当に元気になっていっていたと、思っていた。
そんなある日だった。
いつものように散歩していると、祖父が「前々から言おうと思っていたんだがー」と言ってきた。
俺は「どうしたの?」と聞くと、祖父は「そこのイスに座ろうか」と。
俺がイスに座り、その横に祖父。そして祖父は空を見上げながら「おめー、会社大変だろ?」と聞いてきた。
俺は息がつまり、頭がカーッと熱くなり、胸が痛くなった。
実際の話、俺の会社は息詰まっていた。
大企業の子会社と聞けば耳障りいいかもしれないが、近年は大企業でも経営困難な所が多い。
その煽りを見事に俺も受けていた。
たぶん「このスレ主、爺ちゃんと居すぎだろww」と思った人いるかもしれないが、
本当にこの時は、祖父と一緒にいれまくるほど暇していた。
104
大変だったろうが、良い祖父さんだな
俺の大好きだった婆ちゃんもボケて俺が誰かもわからん状態だったが、亡くなる前の最後の一言は俺の名前を呼んでくれたと聞いた
人間って本当に凄いと思うわ
もう少しで完結だと思うが最後まで楽しみに読んでる
106
>>104
俺の祖父も、この後言うけど、似たような感じだったわ
105
祖父は「へへwカマかけたら簡単に引っかかってやがるのw」とゲラゲラしてた。
ただ「話してみろ―」と言うもので、思わず話をした。
さっき大人の事情と言っていたけど、本当に大人の事情だ。
でもって当時、俺がいる会社はかなりヤバかった。
元々祖父と父に憧れ技術者に憧れ大学に行ったが、
自分にはセンスがないどころか、大学に行ってから『自分には合わない』と気がつけた。
だからこそ、事務として今の会社に入社した。
当時は大学でも「大企業の子会社だから」とかなり煽てられたものだが、実際は給料も安く、
また技術者と違って賞与も一ヶ月(技術者なら最低3ヶ月もらえる)、冬の賞与はなしな、会社だった。
ただ、そこで開花したというか、俺は営業になっていた。
営業には専門知識や現場の空気や内容を知る必要があったが、
たぶん、祖父の工場や父親の影響もあって、そこら辺を汲み取ることに長けていたんだと思う。
でも会社だって不況の煽りは受ける。
最初に俺の先輩であり敏腕だと誰もが認める先輩が会社を辞めたのを聞いた時、本当に焦った。
そしてその先輩が親会社の社員になったと。
会社の中でも「使える人間を上が引き抜いて、ここは切られる」ともっぱらの噂になった。
次に給料が思っきり減った。25万が13万である。
そもそも給料の計算が『時給』になった。いや、普通に時給なんだけど、基本給がなくなったと言えばいいか。
技術者たちより月々は多くもらっていたが、技術者たちと同じぐらいだ。
賞与は年二回の一ヶ月分に統一されたが、これに技術者たちは不満を覚えた。
気がつけば有能な若い衆は全員引き抜かれていた。
残ったのはまだ声がかかっていないだけだろう若いのと、オジサンばかり。
営業は俺とまだ教育途中の女の子2人だけ。
社長は「首つる訳にはいかねぇ、つりてぇ、つらねぇ」と危なっかしい言葉をトイレで吐いてた。
107
この話を祖父に言うと、祖父は不思議そうな顔をして
祖父「なんでそこを捨てねーんだ?」と。
そりゃそうだけど、俺もバカなのかもしれないが、
辞めていった敏腕じゃない方の先輩にあることを言われていた。
「あとは任せた。そして俺が上にあがったら、この会社を潰させないようにしてやる。
 社長にはすべて話した。待っていてくれ。社長を支えてやってくれ。
 駄目だったら意地でもお前だけは絶対に掬い上げるから」
祖父は「バカが信じているのか、そんな話」と言っていた。
俺にとってその先輩が社会に出て初めての先輩肌であり、本当に信用している人物だと伝えた。
我が家での出来事を話して、他人の話なのにも関わらず本気で泣いてくれたのもその人だけ。
今も、祖父の一件を伝えた所、会ったこともないのに喜んでいた。
そして口癖のように「待ってろ」とだけ言われているから、待っていると伝えた。
祖父は「お前は、バカバカだな……」とニヤニヤしていた。
祖父は最初に「クビになるまでしがみつけ」と言われた。
次に「己の見通しの悪さをなんとかしろ」と言ってきた。
祖父だったら転職活動は始める、と。
辞める気はなくとも、転職活動はするそうだ。
そして最後「その先輩に合わせろ」と言ってきた。この時の祖父は怖かった。
108
先輩にこの事を伝えると、祖父が元気になったことに興味津々だった先輩は、
喜んで会いに来てくれることになった。
とは言え、仕事の合間に抜けて会いに来るとのことで、話して二日後には本当に来た。
その日は、先輩が着ている間、祖母と母は病室に入れないことになった。
先輩が「はじめまして、○○です」と礼をすると、
祖父は「お前か、甘っちょろい事を言っているバカは」と第一声思っきり罵倒した。
先輩は一瞬呆然としたが「あはは、まあそのバカです」とニコッとした。
先輩はすかさず名刺を取り出し、祖父へ差し出した。
祖父は両手を無理して伸ばして名刺を取り、ただそれを悟られないように胸へしまった。
その対応に祖父は気に入ったのか、祖父は「イキナリ威嚇して悪かった」と言った。
先輩はお世辞なのか、なんなのか、迷わず俺が散々祖父のことを心配していた話を述べた。
だが、同時に「祖父さんの事で、結構悩んでいたようですがね」と鋭い一言を挟んだりしていた。
俺からしたら「先輩余計なことを!w」と思ったが、先輩は「いや、言って平気な人だと思ってた」と後教えられた。
先輩は親会社から派遣のように子会社へ送られ、そこで営業をしていると教えられた。
とてもじゃないがウチの会社をどうにかできるような会社ではないと俺は知った。
それは祖父も分かったようで
祖父「本題に入るけどな、お前がこのバカ孫に背負わせた責任で、
 このバカ身動きとれなくなっているんだ。それについて、どう責任取るつもりだ」と切り込んだ。
109
先輩は一瞬本当に絶句していた。
口も半開きで言葉に詰まっている様子だった。
ただそこで先輩はヒョコッと俺を見て「今の話は本当かい?」と訪ねてきた。
俺は本当も何も言えないままでいると、先輩は俺の方を見て「ごめん、背負わせて」と頭を下げてきた。
祖父は「俺も昔は働いていたからな。だから、甘い話にヒョイヒョイ乗るバカには呆れる。
 ただ、今回のバカは、熱心にオタクさんを信用できる、みたいな口ぶりだったんだ。
 まあ俺としてはコイツの人生は、コイツの責任だとは思う。
 だけど、俺としては大事な孫だ。……だから、な。どうなんだぁ?」
怖い顔した祖父がいた。
ただ先輩は背筋を伸ばし、両手を太腿の上に乗せ、背筋を伸ばして
先輩「大丈夫です。彼だけは路頭に迷わせないと保証できます」と、まっすぐに目を見て言った。
祖父もジーッとまっすぐに先輩を見つめ、しばらく何も言わなかった。
この重い沈黙に耐え切れなくなって俺が「おじいちゃんもさ……」と言った時、
祖父はニヤッと笑って「お前は、下手くそだな」と。
先輩もニヤニヤとして「はーw教育不足ですかねw」と。
俺だけ「?」な状態で、やけに二人してニヤニヤしていた。
ただ祖父は先輩のことを小突いて「若いのにしっかりしていやがる、生意気だ」と。
先輩は「○○さんは歳相応を超え過ぎていて手堅いお方だ」と、二人してニヤニヤしていた。
先輩は「ここでの話は内緒で」と前置きして話をしてくれた。
先輩の計画では、今いる会社では作成できない部品や加工品を、
俺が居る会社へ依頼し(同じ傘下経由で)、そこで俺の居る会社の必要性を見出させるとの事だった。
また引き抜かれていった面々の多くを、この会社に送っているようで、
そこの会社の社長(責任者)も、大分気にかけてくれているらしい。
110
祖父はそこで気が付き「でもそれじゃ、(俺の会社の)社長はどうなるんだ?」と尋ねた。
そこに関しては、先輩は渋い顔をして、何度も「本当に言うなよ」と俺に念を押して、
先輩「社長には感謝しています。
 実際の話、何人かの社員が上に上がれたのもあの人の手引や、
 良いように書かれた調査報告書を上に渡していたおかげでしたので。
 ……ただ、社長には社長の責任をとってもらう予定です」
俺はすぐに怖い話だと思った。
祖父は「それじゃあんまりじゃないか?」と尋ねると、
先輩「今の時代といいますかね……。
 温情だけで物事を運ぶのも一苦労なのです。
 もちろん社長には悪いようになってもらいたくないので、
 給料はさがると思いますが腹を決めて降格して貰う予定です。
 でもその前に代償を……」
祖父「それ本音じゃないだろ?」
111
そういうと先輩は更に「今は言うなよ。解決した後は散々言ってやれ」と言ってから
先輩「……いや正直、あの人定年間近なので逃げ切る予定っぽかったので。
 まあ慕ってくれる従業員が居る限り逃げることできない人なので。
 だからねー、○○君にはねー(ニヤニヤ
 まあ社長になるまでに、責任のとり方は学んでいただろうし、責任とってもらいますよ。
 つーか、有能な奴に恨まれるのが怖いから、ソイツらには恨まれないように上に告げ口したのが本音だろうし。
 そういうのいやなので。祖父さんには関係ないお話ですが」
一生懸命社長を支えようとしていた俺は、やはりバカだった。
祖父は「ほれみたことか。」と満足気だった。
祖父は最後「俺が死んで、お前が出任せ言ってたら祟るからな」と脅していた。
先輩はこの後、廊下にでて「あー、くっそ怖かった。商談かよwいやこんな商談経験したことないわ」と。
先輩は背広を脱いて背中の汗を見せつけてきて「ホラ!これ!」と。
ただ最後、「お前のお爺ちゃんスゲー人だな!お前も立派になるよ!
 あと絶対お前のこと助けてやるから!お前の爺ちゃんに祟られそうだしな!」と言われ、先輩は仕事に戻っていった。
スマホに「この時間の貸しはいずれ返してもらう」と連絡が入っていた。
祖父にも「あの人以外についていくな。あの人に言われた人に付いて行くなら許す」と言われた。
あと最後に「お前は甘い。できれば、お前自身でついていける人間を見つけられるようになったらいいけど……
 無理だな。お前には無理だろうな。だから上下関係は大切にしなさい」と、小言言われた。
112
ここで挟む話かどうか悩んだけど、挟んでおく。
今は、その言葉を守って先輩とは長い付き合いをしている。
今のところ、奇跡的に(社長の犠牲はあったが)ウチの会社は持ち直しを果たした。
大量リストラブームの時も、うまーくウチの会社も先輩が繋げてくれた会社(なんと二社)も、
本当に無駄だと判断された人以外はリストラされずに済んだ。
給料は十数万だが、賞与がちゃんとしてきたので安心している。
一応祖父のおかげなのだろうか。先輩からは「最後まで信じたのはお前だ」と言っていたが。
とにかく俺は先輩紹介の人とは本当に上手くやって行けている。
そう考えるとやはり祖父のおかげもあったと思う。
ちなみに父親も技術者の端くれといった通り、同じようなカマかけをされたらしい。
父親は昔は現場作業バリバリだったそうだが、本社に移籍してからはもっぱらの窓際だと言っていた。
ただ、祖父はそこで「イジでもしがみついていけ」と言われたそうだ。
父親もそこそこの企業にいる分、簡単には倒産しないし首切りもしないだろうってことだったらしい。
父親は意外にも転職を考えていたとも、その日のうちに家で打ち明けてきた。
でも考えなおして、何年も現場から離れていて窓際やっていたやつが、復帰できるか?となったらしい。
今では本人も自負する「頼もしい窓際」として働いている。
……内心営業に行った時に、超手早く蛍光灯を取り替えて回っている父親の姿を見て、胸が痛かった。
家族を食わせる為に泥水すら飲んでいるのだと考えると、やはり頼もしい窓際に思えた。
113
先輩の一件後、未だに俺が会社に出勤しなくても喜ばれていた頃(週三出勤、現場は毎日だが)。
祖父は誕生日を迎えた。
その日は看護師さんや医者も様子を見に来て「いやー、ここまで回復するとはw」と言っていた。
祖父は笑いながら「俺はしぶといんで。先生もう少しよろしくなー」と言っていた。
先生はすぐに「もう少しではなく、末永くでお願いします」と返すと、祖父は「治療費取る気かw」と、
コレが受けたのか看護師さんは「もーwやっだw冗談がお上手ww」とか笑ってた。
その日の誕生日で、祖父はペロッとクリームを舐めていちごを食べる程度だったが、
何度も「こりゃウマイ、ほれお前ら食べろ」と言っていた。
本当に楽しかったと思う。遅れて父親が合流して毛糸の帽子をプレゼントすると、
祖父は「うんなもん買ったって、俺はすぐに使わなくなるぞww」とブラックジョークをかましていた。
あんなにいつ峠を超えるかと言われていた爺様が、ここまで元気になるとは。
本当に100歳は生きるな、と妙な確信を持っていた。
多分それを口にしたら「三桁か!三桁は俺にはちょっと立派すぎんなww」と言ってた。
祖父はこの日、98歳の誕生日を迎えた。
114
いつもの日課になった祖父との散歩。
その日は、祖母もついてきていた。
祖父は「家に帰れるぞ!」と突然言い始めた。
別にお医者や看護師さんも言ったわけじゃないが、「俺は家に帰るんだ」と言って駄々こねていた。
本当に困っていた我が家だったが、先生も「うーん、何日ぐらい?」と聞くと、「3日でいい」と。
その後、人工呼吸器などを装着したままだったが、家に帰ることが叶った。
専用の車を呼んで、帰る準備をして、慌てて家を片付けて…………。
たぶん先生は何も言わなかったけど、察していたんだと思う。
祖父は「絶対問題を起こさないで帰ってくる」と先生へ告げて、俺ら家族と一緒に家に帰った。
家に帰る途中、潰れた工場へ向かった。工場は動いていた。
俺は「見て帰る?」と尋ねると、
祖父は神妙な顔で「一目見れたから未練はねぇ、それにもう俺の工場じゃねーんだ。
 この工場を誰かが動かしてくれているのが分かっただけで十分だ。もう未練はねぇ」と言ってた。
家に着くと真っ先に「ただいっまぁ!」と声をあげた。よく響いた。
そして「おーw家だ!w」と子供のように祖父ははしゃいでた。
その後、仏壇の前に行き、線香を立てた。
祖父は「最近、この匂いが恋しくてな」と言っていた。
115
その日は、祖父は家族で美味いものを食べてくれとお願いしてきた。
祖父は「出前だ出前だ!寿司でも蕎麦でも取れ!
 豪華で美味いものを家族で食べている様子が見たい!」と。
もちろん、その準備はしていた。馴染みの寿司屋に電話を掛けた。
その馴染みの寿司屋は大層驚いた様子で、家に来て祖父に挨拶した。
祖父に弟子を紹介していた。そして弟子が握った物なので、コチラ私が握った物を……と、
結構お寿司をオマケしてくれた。
馴染みとは言えここ数年は読んでもいなかったのに、気前よく大将は来てくれた。
医者には止められていたと断ったあと、祖父はおちょこをしっかり握って「乾杯?」と声を上げた。
その後、下でペロッと舐めた。「くぅ、これだ!」という笑顔は忘れられない。
その後祖父はドリンク剤を飲んでいたが、ガマン鳴らずマグロの切り身を一切れ食べていた。
またしても「これだ!」という顔していた。幸せそうだった。
翌日は、取れなかった蕎麦の出前を取った。
蕎麦屋の出前は年末やお盆によく取っていたので仲は良かったが、
よっこらしょっ、どっこらしょ、ともう御年90を超える元女将がやってきて祖父に挨拶していった。
祖父は「えらくBBAになったじゃないか!」と言うと、
女将は「アンタに言われたくないわよ、オバケ!」と言い返してたw
その日は、麺つゆをチロッと舐めながら、祖父はニコニコとしていた。
3日目の朝、祖父は家を出た。
名残惜しそうに家の中を周り、迎えが来る前に近所を周り。
顔を焦る人みんなが驚く中、「バケテでたぞー」とイタズラしてた。
鼻に管は衝撃的だったらしく近所の子は泣いていた。
大分自分の中と、ボケていた時の記憶にあった、町並みと変わっていたらしく
祖父は「あー、時間が流れたんだな―」と言っていた。
116
病院に戻ると祖父は「あー、家がどっちだか分からね」と言っていた。
俺が「家はアッチだよ」と言うと、祖父は「家の方角はコッチだぞ??」とニヤニヤしてた。
その後、また病室に戻ると「本当にどっちだか分からねーな。俺もボケてんな」と言ってた。
戻ってしばらくして、早散歩をしていた時。
祖父はあの桜の木の前で桜を見上げていた。
俺は「あと二三ヶ月すれば桜が咲くっぽいよ」と話をすると、
祖父は「長いなぁ。待ち遠しいなぁ。みたいなぁ」と弱音を履いていた。
多分、ちゃんと祖母→母→父→俺で順番に、四日掛けて散歩した次の日。
祖父は再び意識を失った。
最後に俺と散歩した時は
「仕事がんばれよー、俺がいなくてもがんばれよ?、
 お前も男になって俺の代わりしてくれよー、庭もうちょい掃除してくれなー」と、やけに念押しされていた。
もちろん仕事の件も「あの先輩さんとは仲良くしとけ」とも言ってた。
祖母たち、他の人も似たようなこと言われていたらしく、全員心構えはできていた。
そんな中、「ふー、ちょっと疲れた」と言って眠った。その時父親はいなかった。
意識がないのが気がついたのは、その夜だった。
その日は、不思議な話だけどいつものようにお酒を飲もうとした時、
ビールは手から滑り落ちて飲めなくなるわ、他を冷やしていないのでしょうがない日本酒だ、
と思ったら、ビンのフタを明けたのに酒の匂いがせず、なんか気味悪がって俺も祖母も飲まずにいた。
医者から急いで来てくれとの一報。
父親は何の障害もなく会社を抜け出れて、俺らは誰も飲んでいないので車で急いで向かった。
117
ドキドキ(゚A゚;)
118
いつものように祖父は寝ていた。
度々目撃していた昼寝をしている祖父の姿まんまだった。
大体俺らの気配に気がついて「お、よく来たな」と眠たそうに言うのだが、その時は何も言わなかった。
どんなに揺すっても、声をかけても、祖父は目を覚まさなかった。
先生はすぐに「もうすぐ」と気が付き電話したそうだ。
医者はすごいと思った。その日の内に様態は急変した。
そして、祖父はあえなく逝ってしまった。
本当に死んでしまう寸前、ヒョコッと目を開けて何をを伝えたいような目をした後、
安心したのか、幸せそうだったのか、それとも何か別のことを考えていたのか。
やけに落ち着いた表情で、祖母の手や母の手を一通り、人差し指で撫でた後。
祖父は死んだ。享年98。
俺は誕生日から日も経ってないのに、という心境だった。
その後、祖父が選んだ親戚たちの中だけで、慎ましく葬式は執り行われた。
慎ましくなのか、微妙だが。
火葬も済み、先祖代々の墓に祖父が収まった時、祖父が妙に小さく思えた時の光景を思い出した。
ちょうどボケが直る前だ。それを思うと、またひょっこり現れる気がした。
残念ながらなにもなく、怪奇現象も何も起こらなかった。
火葬が済み「さー、後片付けかー」となった頃、参拝者として来ていた弁護士さんが封筒を持ってきた。
ミミズのように汚い文字で『遺言』と書かれていた。
すぐにそれが祖父が一生懸命に書いたものだと分かった。
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遺言は数行にわたって書かれていた。
ただ達筆という訳じゃないが、本当に字が読めなかった。
たぶん頑張って書いたのだろう。弁護士が言うには両手で書いていたそうだ。
「まあ、読めないということは祖父さんもおっしゃっていまして、コチラも預かっています」
弁護士さんはiPhoneを再生した。
祖父『字が汚いから声も残しておく』と、祖父の声が流れた。
そして最初に遺言の内容を読み上げた。
祖父『今までお前らには苦労をかけた。
 もう残せるものはなにもなく、大体財産も(父親)さんに渡っていることも聞いた。
 だから話す内容には期待しないよーに。
 ……俺を捨てずに大切にしてくれてありがとうございました。
 俺は本当に幸せ者だった。
 それなのに俺はお前らに沢山迷惑を掛けてすまなかった。許してほしい。
 ○○(祖母)、顔を叩いてすまなかった。そして俺と長く付き添ってくれて、本当にありがとう。
 ○○(母親)、家のために俺に代わって責任を継いでくれてすまなかった。お前は俺のいい娘だった!
 ○○(父親)、お前は次の大黒柱だ。絶対に負けるな。安心しろ俺が認めた息子だ!
 ○○(オレ)、お前はいつまでも俺の可愛い孫だ。死んでも孫だ。ありがとう。』
録音はこれだけではなかった。
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(´;ω;`)ブワッ
121
弁護士『まだ録音できますよ?』
祖父『お、そうか……、途中で書くの大変で書かなかった。
 正直、ボケていた時の出来事を少しは覚えている。
 お前らが時々漏らしていたグチや、俺がしてしまったこともな。
 でだ、俺も自分でも最初訳がわからなかった。
 ついこないだまで平然とやっていた事を、急に理解出来た時はなにが起きたかと思った。
 ……ああ、これがボケなのか、老いなのか、情けないと思った。
 俺はなんの罰当たりに最後に、こんな目にあわなきゃいけないと思った。
 そして俺は怖かった。
 俺がまともだと分かったら報復されるんじゃないかと。
 あの時は思わず電話したが、後から怖くて怖くてしょうがなかった。
 ところが、お前らは明るく俺を迎え入れてくれた。
 俺が呼んだ手前、堂々とはしていたが、怖かったんだぞ。
 だがけど、お前らは俺が思っているより優しかった。ずーっと俺の家族だった』
 ここから祖父の声がかすれ始める。泣いてもいた。
祖父『そんなに俺を最後まで大切にしてくれてありがとう。
 いや、ありがとうございました。
 ○○ ○○は、日本で一番の幸せ者だろうと思います。
 いや、幸せ者だ。間違いなく
 ……まだ生きているのに、こんなこと言うと恥ずかしくてしゃーないな』
そこで録音は終わっていた。
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泣いた
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駄目だ、その後泣いたことしか覚えていない。
とりあえず、俺は今元気に働いているし、父親ももちろん元気だし、
祖母も母も元気だよ、ぐらいしか書くことがないな……
よし、此処らへんで切り上げる。区切り悪くてゴメン。
二日と長々数時間、お付き合いありがとうございました。
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