新年から切ないコピペ貼って鬱になろうず・・・・back

新年から切ないコピペ貼って鬱になろうず・・・・


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2:
洋式。
綺麗だろ?快適なんだぜ。
167 名前:反面教師[] 投稿日:2006/10/19(木) 13:42:00 ID:dy3KBtYv0
>>19
まだ初心者だな。
ブースインの段階でスプーンのビニールを剥がしていない点や菓子が未開封の点で一目瞭然。
上級者は菓子は開ける際に音が大きい、かつ邪魔くさい外箱は事前に処分する。
内部にビニール包装がある場合はそれを事前に廃棄し菓子は開いた外箱に入れる。
内部が銀紙包装の場合は外箱を捨て銀紙に切れ込みを入れた状態で持ち込む。
これにより静かかつスピーディな食事が可能となる。
スプーンのビニール持ち込みなんて便所飯が気付かれる可能性大。言語道断だよ。
事前に包装を捨て清潔なハンカチやティッシュにくるんで持ち込むのがプロの技。
あと当然ペットボトルのキャップは一度開けてあるんだろうな?
開封時の「ギュリッ」って音は便所飯発見のリスク大だからな。
192: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)16:30:31 ID:ax9
>>6
これは切ないと言うより怒りを感じたんだが
8: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:32:48 ID:zj5
小さいころ新聞に折り込まれた広告を見ると近所に出来た
電気屋さんの開店セールのチラシが入っていた。
そのチラシには「開店記念、ホットプレートで作った焼きそばを無料配布」の文字が!
焼きそばが大好きだった俺は、タダで焼きそばか食べられるのかとワクワクしながら
弟と一緒に電気屋の前まで行ったが電気屋の近くまで来た時に目にした光景は
閑散とした客誰一人としていない店頭で一生懸命呼び込みをしながら
焼きそばを小さなホットプレートで  焼きつづける電気店主夫婦・・・
子供の目にもあまりにも寂しい雰囲気だったので「焼きそば下さい」と
店の前まで行く勇気が湧かず弟と一緒に遠巻きに電気屋を見て、そのままそそくさと帰宅した。
それから月日は経ち電気屋は無くなった。
9: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:34:20 ID:aTY
63 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/02/19(日) 17:34:58.53 ID:asfemZGB0 ?
俺は高校までずっと都立で給食だったし、大学も学食やらコンビニやらで済ませて来た。
母親の手作り弁当の記憶なんて、運動会か遠足、それも遠すぎて覚えてない。
就職しても、社食が当たり前で妻も俺に弁当を作ったことはない。
俺自身も、弁当箱持って歩くのも荷物になるし弁当への思い入れも何もなかったある日
今年中学生になった娘が、「はい。オヤジさん(←娘は俺をこう呼ぶ)」とバンダナで包まれた弁当箱を手渡した。
「なんじゃ?これ?」と俺が言うと
「だって、今日オヤジさんの誕生日じゃん」と・・・・。
俺、絶句。
「何だ、お前弁当作ってくれたのかよ。食えるのか?」と、恥ずかしさのあまり悪態をついてしまった。
だが、娘は「一生懸命、早起きして作ったよ」と笑顔だった。
素っ気無い顔しときながら、気になって弁当箱の中身を会社について確認したらご飯には、鮭フレークでハートが描いてあった。
おかずはハンバーグと、ウインナーと、ベーコンポテト。俺の好きなチーズも入っていた。
胸が詰まった。
2450グラムと小さく生まれてきた日のこと、夜中熱を出して夜間診療所に駆け込んだこと
運動会の徒競走で転んだこと、父の胸に幼い日の娘の姿がよぎる。
あいつ、こんなに大きくなりやがって。
食べた弁当の味は、しょっぱい、勿論俺の涙の味だ。
10: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:35:13 ID:aTY
俺思うんだ・・・。俺、死ぬ前に小学生の頃を
一日でいいから、またやってみたい
わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊んだ
空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、家族が「おかえり?」と迎えてくれて
TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)
お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、子供なのにさもわかってるように見入ってみたり
でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る
みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって…
そして死にたい
11: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:35:47 ID:aTY
ある大学でこんな授業があったという。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。
14: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:36:12 ID:aTY
私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。
ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。
葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。
私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。
今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。
19: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:39:09 ID:4JS
>>14
うわーこれ懐かしい そしてキツイ…
15: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:36:42 ID:aTY
392 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/05/29(火) 06:04:45 ID:vg6CIzKb
自分の犬を売ったよ
58000のチワワを1000で
泣きながら売ったよ
産まれた時から一緒でさぁ?可愛いかったなぁ
1年間ずっと一緒
辛い時も嬉しい時も寝る時もさ・・・
泣いてたら必ずペロペロして来て、どこに行くのも付いて来て
俺にとって唯一の家族だったんだ
泣きながらスロットした
負けたよ
俺さぁ
何やってんだろ
22: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:43:42 ID:zj5
876 名前:大人の名無しさん 投稿日: 2007/10/02(火) 20:48:56 ID: 8wuSN2nj
どうしても誰かに聞いて欲しい話がある。
実は俺、恥ずかしながら稼ぎの悪い安サラリーマンなんだけど、デイトナが欲しくて
少ない小遣いからヘソクリなどしている。自宅のPCの壁紙にもデイトナの写真を
使っているほど惚れ込んでいる。
時計なんかに全く興味の無い女房は、時計の写真なんて見て楽しいの?と馬鹿に
し続けていた。まあ、女房というのはこんなものだろう。
そして一昨日、俺の誕生日だったんだが、女房が何年かぶりに「誕生日プレゼント」を
俺に呉れた。新婚以来の珍事だった。包みを開けてみると中身は腕時計。クロノグラフ・・・デイトナ?
文字盤の銘は「ELGIN」
女房は俺に「欲しかったんでしょ」と微笑む。涙が出そうになった。
もうデイトナなんかいらない。こいつを動かなくなるまで毎日使ってやろう。
他のどんな腕時計より大切にしようと誓ったね。
15 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/08/21(金) 00:09:51 ID:QiGULDW0O
夫が時計欲しがってる
PCの壁紙にして毎日見てる
調べてみたら、約100万円のロレックス
なんか貯金してるみたい
絶対買わせたくない、どうしよう?
16 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2007/08/21(金) 00:10:06 ID:qYb0vG9+0
>>15
「ELGIN」っての買って与えろ
似たのが3万であるから
16: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:37:03 ID:aTY
娘が6歳で死んだ。
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。
葬式には別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく、機械的にすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。
ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。
17: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:38:44 ID:aTY
304 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/03/30(木) 12:22:08 ID:vesok+j2
地方から都会へ出掛ける際に男なら何を持っていく?
305 名前:おさかなくわえた名無しさん メェル:sage 投稿日:2006/03/30(木) 12:23:41 ID:JlraT6eR

597 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2006/03/30(木) 15:25:21 ID:vI3LpWT20
それは持っていかずに現地で調達するものだ
599 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/03/30(木) 15:28:12 ID:TEa184hB0
でも、その都会で無くすんだよな・・・
18: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:39:07 ID:aTY
中学時代の昼休み
俺「…ポツーン」
女子数人「ジャンケンポン!キャー負けたー!」
ジャンケンで負けたらしき女子が近付いてくる
負けた女子「えー本当に言うのー?」
取り巻き「キャハハ早く言いなよー。せーの。」
負けた女子「友達になってくれませんか?」
俺「???」
負けた女子「もーヤダー!サイテー!」
取り巻き「キャハハ○○(俺の名前)君喜んでるよ。もっかいちゃんと言ってあげなよっ」
負けた女子「マジキモいんだけどー」
俺「・・・。」
20: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:40:30 ID:aTY
443 :名無しさん@├\├\廾□`/:2006/01/27(金) 14:49:28 ID:QWSgWgR0
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
四年ぶりに田舎帰ってその帰り際に押し問答で押しきられた封筒の厚さがおかしいと思ったら
5 0 万 もはいってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
渡されるとき変だな変だな?って思ってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
1万円でも漏れには大金なのに 5 0 万 て何事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはちょっと前に事故で死にかけて、今すげー金欠ですよ
でもな、ばあちゃん
何やってんですか(゚Д゚)ゴルァ!
50万てばあちゃんその金稼ぐのにどれだけ苦労しましたか?
ばあちゃんが作ってうってる野菜ひとふくろ100円ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ひとふくろたった5本の胡瓜だけれどそれをつくるのにばあちゃんどれだけ苦労しましたか(゚Д゚)ゴルァ!
曲がった腰更に曲げて草取り水遣り肥料遣りに支え作り袋詰だって楽じゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、体きついって、頭痛い腰痛い足痛いって言ってるじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんの胡瓜はばあちゃんの命すり減らして作ってますよ(゚Д゚)ゴルァ!
金額も金額だけど、金の価値はそれだけじゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはばあちゃんの命を喰ってるようで涙が止まりませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
田舎にも帰らず28P300円でフォモ本作って売りさばいてたりしてごめんなさい(゚Д゚)ゴルァ!
漏れの本とばあちゃんの野菜は価値が違うよ
四年ぶりに会ったばあちゃん、ちっちゃくなって
声もちいさくなって前はきりきり働き者だったのに頭痛いってずっと寝てましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
医者いってください
整体いってください
頼むから!
頼むから、ばあちゃん!
「被爆者手帳で医療費ただだから気にせんで」って
医療費ただでも交通費はただじゃないじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
21: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:40:57 ID:aTY
「あんたが生きててくれて嬉しいん。
このお金で車買い、今使わなくても結婚資金にすればいいから」って(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
自分どうすればいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
結婚資金どころか相手もいないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんを安心させて喜ばせてあげたいのにそれすらできませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
使えません、使えませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
受け取っちゃったんで返せませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
かえしたらばあちゃんきっと悲しむ
でも返したいですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはどうしたらいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
漏れは悪い孫ですよ
ばあちゃんにそんなことしてもらえる価値なんてないですよ
四年も田舎に帰らなかった自分(゚Д゚)ゴルァ!
帰らなかった間にばあちゃんすげーちっちゃくなってるじゃないか(゚Д゚)ゴルァ!
手の骨とかポキンて折れそうですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れにはなんてことのない四年だったけど
ばあちゃんが年をとるには十分すぎる年月なんだな(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、ばあちゃん、しんじゃ嫌だ
しんじゃいやだよう
ずっと生きてて漏れに孝行させてください(゚Д゚)ゴルァ!
漏れに背中もませてください
手つないで坂道歩かせてください(゚Д゚)ゴルァ!
ひいばあちゃんひいじいちゃん、事故のとき漏れを助けてくれてありがとう!
まだばあちゃんまだ連れてかないでください(゚Д゚)ゴルァ!
次の休みは年末だ(゚Д゚)ゴルァ!
祭りにはいかねえ
田舎に帰るよ
ばあちゃん待っててな(゚Д゚)ゴルァ!
いっしょに温泉行こうな
漏れ少ない給料がんがってためるよ(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
23: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:44:00 ID:aTY
ある日、叔母さんのうちに一本の電話がかかってきた。
「こちら警察のものですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、
被害者の方から示談で良いとのことで、至急こちらの口座に振 り込んでいただきたいのです。ただいま、息子さんに代わりますね・・・」
叔母さんはすぐにそれが最近流行っているオレオレ詐欺だということに気が付いた。
なぜなら、息子は5年前に事故で亡くなっているからだ。
「母さん、俺だよ、事故起しちゃってさぁ、大変だよ。すぐに示談金振り込んでくれよ」
叔母さんはその声を聞いてハッとした。
死んだ息子の声とそっくりだったからだ。
まるで死んだ息子が蘇り、そこにいるような気がした。
叔母さんは電話を切ることが出来ず、
しばらく息子にそっくりなその電話の声に聞き入っていた。
そして再び警察官と名乗る男に代わった。
「そういうわけなので、どうかお母さん、示談金、お願いしますね・・・」
再び息子と名乗る男に代わった。
「母さん、ゴメンよ、助けてくれ」
そこで叔母さんはやっと真実を話した。
「あのね、私の息子は5年前に死んでるの。」
電話の声がパタリと止まった。気まずい空気が流れた。
しばらくの沈黙の後、電話が切られる前におばさんは言った。
「ちょっと待って、あなたの声、息子とそっくりなの。
 電話切る前に、もう一言だけ、声を聞かせてもらえないかしら。」
しばらくして、電話の主はこう言い、電話を切った。
「母さん」
26: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:46:31 ID:zj5
>>23
これ好き
24: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:44:55 ID:aTY
半年ちょい前の俺へ
そっちは午前4時だな。
部活で疲れてぐっすりだと思うが、頑張って起きろ
今から言う事をやってくれ。頼む、お前の為だから。しくじるなよ。
音をたてないようにしろ、気づかれるから。
まず、1階に降りて台所から包丁を持ってこい。
そしてお前のバカ兄貴の部屋の前に行き
ドアを開けて部屋に駆け込み一撃でぶった切れ。
バカ兄貴が首を吊ろうとしてる、その柔道の帯で作った輪っかをな。
そうしないとバカ兄貴が首吊って死んじまうぞ。
発見した時の光景と母さんの悲鳴はたぶん一生お前の頭から離れなくなる。
前日まで普通に相談に乗ってもらってた兄貴が次の日には死んでんだぞ
いなくなるんだ
あと兄貴に言ってやれ。
「さんざんアンタをバカにしてきたが、学校じゃ自慢しまくるくらい好きなんだよ。」って
頼む。頼むよ。
頼むからこの文を半年前の俺に送らせてくれよ。
頼むよ。お願いします
「おやすみ。また明日な。」
って言ってたじゃねえか
バカ兄貴。
25: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:45:36 ID:aTY
まだまだ貼るよ...
飯食べてくる....
27: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:47:39 ID:zj5
教授「じゃあちょっと二人か三人でこのことについて話し合って」
(ガヤガヤ)
ぼっち「・・・」←最前列の右端に一人で座ってる
教授「・・・君!一番前の君は話しあったのか?」←マイク入ったまま大声で
ぼっち「いえ・・」
教授「君毎回一人だけど授業困らない?」
ぼっち「特には・・・」
教授「え?今話し合ってないけど大丈夫なの?」
ぼっち「いや、あの・・・」
教授「指示したことができなくても問題ないってこと?」
ぼっち「そ、そうではなくて、一人で考えて・・・」
教授「一人じゃ話し合えないでしょ!?2・3人でやれっていっただろ?」
教授「これ試験だったらどうするの君?落ちちゃうよ?」
ぼっち「それならしょうがないです・・・」
教授「ふーん、名前なんて言うの?あと学籍番号」
ぼっち「いや、名前とかは・・」
教授「いやじゃなくて、これ中間の課題にするから成績つける関係で名前分からないと困るの」
ぼっち「もういいっす」(ダッ)←ノートと筆記用具ときもいリュックを小脇に抱えてものすごいさで退出w
教授「何、どうしたの」
教授「何しに来てたんでしょうね彼は」
(ドッ)教室中大爆笑w
28: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:52:05 ID:Hoj
新年初泣きしたわ
色んな理由で
29: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:56:15 ID:aTY
794 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/03/16(木) 17:58:41 ID:YDJjDZ86
「これ、恋人のカオリ」
初めて彼女をこの家に連れて来られた時、私はガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
私とアキラが同棲し始めたのは6年前の事だ。
高校から一人暮らしを始めるアキラが、寂しいからという理由で昔から仲の良かった私をこのマンションに半ば強制的に連行したのが始まりだった。
「はじめまして、カオリです。」
そう行儀よくお辞儀したカオリは、アキラにはちょっと勿体無い位可愛かった。
顔にも口にも出さなかったが、内心私は複雑だった。
私のほうがアキラを知ってる。笑っているときも落ち込むところも、この女より、よく知ってるのに。
アキラとカオリが付き合いだした馴れ初めは、たったひとつのキスかららしい。
元々大学で仲が良かった二人だが、ある日とうとうアキラの理性がぷっつり切れてキスをした。
これでカオリに万一ほかに好きな人でも居たら一大事というかシャレにもならないが、 強運にもカオリもアキラが好きだったらしい。目出度く両想いになったそうだ。
…たった、キスひとつで変わる関係なら、どんなに良かっただろう。
「な?言ってた通り可愛かったろ、『カオリちゃん』。」
カオリが帰った直後玄関を振り返って、自慢げにアキラがふふんと笑った。
ああ、可愛かったよ、長い間連れ添った私なんかよりあのコを選んだ位なんだから。
…可愛くないと、納得いかない。
「拗ねんなよ、バカ」
よほど態度に出ていたのか、アキラは笑って、いつものように私に軽くキスを落とした。 
…キス、たったひとつで、変わる関係だったら、どんなに、良かっただろう。
キスなんて何回もしているが、関係が変わったことなんて、ない。
…なんだかふいに悔しくなって、私はみゃあ、と鳴いてやった。
30: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:56:47 ID:aTY
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・。
涙が止まらなかった。
31: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:57:06 ID:aTY
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。
「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」
32: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:57:24 ID:aTY
小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。
あん時はミニ四駆を廊下で走らせてて騒いでは管理人さんによく怒られたもんだ。
俺は改造が下手でいつも遅かった。そん中の香具師が肉抜きしてやるから貸してや
といわれて俺はどうしても1番になりたかったから貸して改造をお願いした。
休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。
その休み明けそれが1月17日震災の日だった。
俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
避難した公園にいつもの奴らが集まってくる4人揃ったが後1人こない。
心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。
光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。
そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたがワンワン泣いていた。
「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
俺たちもその前で立ち尽くすばかりで何もできずそれぞれ親戚の家や知り合いの
家に避難することになってしまった。
そして2月に入っての新聞。死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。
俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。2月20日の合同慰霊祭。あいつと対面したのはその日だった。
スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモをあいつの姉貴が渡してくれた。
メモには「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。これでお前もいっちょまえになれるな
次走るとき楽しみにしてるで」
「いつ走るねんや。アホが」涙で言葉はそれしかでなかった。
あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四駆
今も部屋の机の上に置いている。
33: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:57:45 ID:BSX
34: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:58:29 ID:aTY
たまには外に出なくては、と
意を決して一人紅葉狩りに出掛けてみた
ロープウェーで一人座って出発を待っていると
発車間近に若いカップルが駆け込んできた
駆け込みの焦りと俺の座席位置が相まって
俺が見えてなかったらしく
「やったぁ、かしき・・・」まで出た女ね言葉が止まるのと
笑顔から一変、表情が無になる瞬間を眼前で見た
そのまま客は俺とカップルのみで発進
何故か気まずい俺
窓を覗きつつ
「わーきれいだねーあかーい」などと喋る女だが
声のトーンと口調の無機質さが、明らかに俺との遭遇、存在で
機嫌を損ねましたと言わんばかり
オマケに野郎までテメェのせいだと言わんばかりのオーラ
俺は、外を見る気すら失せ、ただ俯き目を閉じていた
緩く、永い、地獄のようなロープウェーだった
俺はそのままロープウェーで下山した
35: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)11:59:28 ID:aTY
912 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/11(木) 13:46:57 ID:E5w4d8r20
入学したての頃、俺は初めて学食に行ってみたんだ。もちろん一人でね。
慣れない食券システムにに戸惑いつつも、俺はウキウキした気分でハンバーグ定食を購入した。
定食を貰って、席に着こうとしたんだが、もうすでに満席。
一見空いているかに見える席も、DQNどもが荷物を置いて席取りしていた。
今考えたら混雑した昼時に学食に行ったのが、全ての間違いだったんだ…
俺は焦った。とりあえずどこか席が空くのを待ってみたが、一向に空かない。
明らかに食事を終えている奴らも、友人と会話をしていて席を立とうとしない。
俺はハンバーグ定食のお盆を持ったまま、その場に立ち尽くしてしまった。
どうしようもなくなって錯乱してしまった俺は、近くの調味料や飲み物が置いてある台に、持っていたハンバーグ定食を置き、その場で立ち食いを始めてしまったんだ。
俺のあまりに滑稽な姿に、周りの奴らが笑っているのに気づいた。
中には俺の姿を写メールで撮影し始めるDQNもいた。
俺は半泣きになりながらハンバーグ定食を急いで食べ終え、逃げるようにその場を去った。
あれ以来2度と学食へは行っていない…
 
36: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:01:00 ID:aTY
37 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/03/14(火) 17:19:56 ID:bI90G1e+0
飼ってた犬猫に先立たれて悲しんでる奴ばかじゃねぇ?
あいつ等は人間より短命なんだからしょうがないじゃん
大体なんであいつ等が人間より短命か知ってるか?
天国に来る飼い主が寂しくないよう先に行って迎える為なんだぜ(;´Д⊂)
37: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:01:20 ID:aTY
横浜での話だったと思う
中学生くらいの男の子と母親が信号待ちをしていた
見るからに大切に育てている息子
でもマザコンチックであったり、教育ママ的でもなく、
微笑ましい関係が見ただけで判る、そういう親子
信号待ちをしていた親子に車が突っ込んだ
車は息子だけを轢き、母親は呆然と立ちすくんでいた
周囲の人々が、車の下敷きになった息子を助け出し、救急車を呼び、
辺りは人々が取り囲み騒然とした
息子の腕はちぎれ、足は関節がいくつも出来たように折れ曲がっている
その顔は苦痛に歪んでいる
助かるかどうかは判らないが、とりあえず今は生きている
すると母親が突然叫んだ
「殺しましょ、ね、殺しましょ。このまま生きていても苦しいだけだし、
腕もどっかいっちゃったし、足も変だし、殺しちゃいましょうよ、ね、ね、ね!!」
周囲の人々に訴えかける。
救助活動をしていた市民が母親に「お前それでも母親か!」と言っても
「殺しましょ。もう一回車で轢いてよ!」
その後は救急車が来て、どうなったかの顛末は判らない
 
38: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:03:02 ID:aTY
1投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛メリークリトリス  投稿日:2005年12月24日(土) 00時24分42秒
火曜日に正社員の面接行ったのね。もうこれで20数社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車でしか行けないところだったんで、
母親が仕事を休んで付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たせて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
鼻くそほじりながら履歴書見て「職歴なし?あんたもう30だろ?」
「バイトなら経験あるっていったって職歴なしは職歴なしだろう?」
「うちでそんなの雇うわけないだろ?もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。
無言のままうどん屋に入ってカツ丼食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。
母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。
今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろうな、俺は。
39: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:04:04 ID:aTY
昨日の夜のことなんだが・・・・
スーパーに買出しに行ったのよ。夕方でちょうど混んでる時間だった。
俺はお茶や弁当をカゴに入れ、人ごみの間をすり抜けるように買い物してたんだ。
するとなにやらうるさいグループが。
出たよ。
「これから鍋パーティーします」的な大学生グループがさ。
で、なんか「これも買っちゃおーか?」「おい、やみ鍋じゃねーんだぞw」
みたいに和気藹々として買い物してんの。まぁ、別にそれはいいんだが。
その中の一人の女(安西ひろこ似)が俺にぶつかったのよ。
明らかにあっちがぶつかってきて。そのくせ「イターイ!」とかいって俺をにらみつけて来た。
俺はトラブルは避けようと無視して行こうとすると
「あいつなに、キモ男がひとりで買い物かよ。」「どうせ彼女の一人もいねーんだろ」
みたいになってるわけ。ちょっと待てよ。俺がなにしたって話だよ。
まぁ、かくいう俺もガタイのいい男の方にカラまれるのを恐れ、すぐに会計すまして
帰路に着いたけどなんだか悲しくなった。
袋の中の鮭弁当はつぶれていた。
最近じゃあまり見ない真っ赤なウィンナーをほおばりながら泣いた。
294: 名無しさん@おーぷん 2016/01/04(月)00:41:24 ID:5W8
ボーカル以外全員脱退の"彩冷える"が活動休止「一人じゃ歌えない・・・」
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/news/1288991979/
9 名前: こぶた(東京都)[] 投稿日:2010/11/06(土) 06:23:16.54 ID:wyqnKjQH0
>ボーカル以外のメンバー全員は新バンド"AYABIE"を結成し、活動中
ワロタ ハブにされたの? 誰だか知らんけどw
15 名前: ヱビス様(北海道)[] 投稿日:2010/11/06(土) 06:28:23.39 ID:S62sUuFCO
確かそのボーカルがブログでのんきに洗濯物干したとか書いてたときに、
他の四人が脱退することを同時にブログにアップしたんだっけ?
夏くらいのニューのスレで読んだ気がする
39 名前: 総武ちゃん(関西地方)[] 投稿日:2010/11/06(土) 06:43:56.64 ID:AMruEnKl0
全員が個人のブログ持っててある日
タケヒト「脱退します」
インテツ「脱退します」
 ケンゾ「脱退します」
 涼平君「脱退します」
葵「洗濯物干したよー^^」
あれは見事だった。
41 名前: いろはカッピー(東京都)[] 投稿日:2010/11/06(土) 06:45:14.78 ID:G1PAwFqw0
>>39
干されたのは自分なのにな
40: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:04:31 ID:aTY
492 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/02/12(日) 22:58:58 ID:5NQXDNZG0
>>490
世の中には2種類の人間がいます。上を見る人間と、下を見る人間です。
上を見る人間は、自分より優れた他人を常に意識して、劣等感を感じる事があってもそれをバネにする事ができます。結果はさておき、努力する事ができる人間なのです。
下を見る人間は、常に自分より劣った人だけを見ようとします。あいつは自分より馬鹿だ、劣っている、目下だ、と思える人間だけを視界に入れます。
あなたはこちらのタイプの人間です。
自分より下がいるから、あいつよりはまだ自分はマシだから―
そう考え、努力する必要性を感じません。そして、いつのまにか見下げていた他人と同じラインに立っています。しかし、常に下だけを見つづけるので、その事に危機感を感じません。
まだ自分より劣った人間がいる、まだ自分より馬鹿な人間がいる―
どこまでも堕ちていきます。あなた自身は気づかないままに。
そして、今のあなたは一番下にいます。あなたが視界にいれるべき、劣った人間はもう存在しません。でも、いまさら上を見る事はできないのです。
上を見たら― その重圧感にきっとあなたは耐えられないから―
ですから、あなたは心のなかで、決して実在しない「自分より劣った人間」を求め、幻を見るのです。あなたはもう一番下なのに―
まだ堕ち続ける言い訳を、自分に対して続けるために―
さあ、目を覚ましなさい。目を覚まして立ちあがりなさい。
でも上を見る必要はありません。あなたは立ちあがり、探すのです。
手頃なロープを。あなたの体重を支えるのに充分な太さのロープを―
41: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:05:31 ID:aTY
あるカーペット業者が、ある家庭のリビングにカーペットを敷いた。
部屋いっぱいにカーペットを広げ、家具等を元の位置に戻し、
ひと休みして一服しようとするが、タバコが無い。
見ると、カーペットの一部が盛り上がっている。
もう一度家具を動かすのも大変なので、平らになるまで足で踏み付けた。
...ふと、横の机に自分のタバコとライターが置いてあるのに気付いた。
その家の子供の声が聞こえる。
「ママー、ハムスターがどっかいっちゃった?!」
43: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:06:10 ID:aTY
幼女「セブンスターってタバコ下さい」
店員「ごめんね、小さい子には売れないの」
幼女「お父さんが吸うんですけど」
店員「それでもダメなの、ごめんね」
お札を握って店の外へ出て行く幼女。
5分後、泣きながら片方のほっぺた真っ赤にして、鼻血吹いてる幼女来店。
幼女「お願いでずっ、セブンズダー下さいっ!」
店員「ごめんね、国を恨んで」
45: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:07:04 ID:aTY
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んで
いると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの
理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていた
ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は
待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前
みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。
46: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:07:25 ID:aTY
 ロシアのシベリア地方に住む19歳の少女Olga Moskalyovaさんが
 釣りをしている最中に、ツキノワグマに食われて死亡したとのこと。
 熊に襲われている最中に3回、母親に電話して
 「今、熊に食べられてるの!!痛い!!助けて」
 などと助けを求めたそうですが、
 母親は
 「また娘が大げさな嘘をついてるわ」
 と取り合わなかったとのことです。
 しかし、熊の鳴き声と咀嚼音が電話から聞こえたため
 母親はびっくりして自分の夫に電話をしましたが、
 なんと娘と夫は一緒に釣りに来ており
 夫は娘より前に熊に食われて死亡していたため電話に出ず、
 母親は警察に通報しましたが救助は間に合わなかったそうえす。
 娘は最後まで母親との電話を切らず、
 最後の言葉は
 「お母さん、こんどは子供の熊が三匹来てまた私を食べてる・・・」
 「お母さん、もう痛くなくなった・・ 今までごめんなさい。 ママ愛してる・・・」
 だったそうです。
47: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:07:54 ID:aTY
私の家は、俗に言う父子家庭でした。
お父さんはとにかく家事が出来ませんでした。
それはもう、笑っちゃうくらい。
お弁当に入れる卵焼きさえ、いつも黒焦げでした。
私はそんはお弁当を友達に見られるのが嫌でいつも隠れて捨てていました。
包丁なんてまともに使えないくせに、無理してウインナーをタコの形に切るんです。
りんごがあればうさぎの形に。
ニンジンなんかは、とっても歪なハートの形に。
いつもお父さんは朝早く起きて、私のためにお弁当を作るんです。
私が誕生日を迎えた日にも相変わらず、お父さんはお弁当を渡してきました。
私はいらないと言ったのですが、それでも無理矢理持たされました。
しかし、その日も結局、友達に見られたくないという恥ずかしさから、私は登校中にそれを捨てました。
そして何事もなく学校が終わり、家に帰宅すると、
「どうだった?今日の弁当」
お父さんがどこか浮き足だった様子で、私にそんなことを聞いてくるのです。
「ハッピーバースデーって文字の形、海苔で作るの大変だった」
お父さんはにこにこと、嬉しそうに言いました。
それを聞いて、私は泣きました。
私のために毎日欠かさず、一生懸命作ってくれたお弁当。
それから、私は毎日お父さんのお弁当が楽しみになりました。
ボロボロのタコウインナー。
傷だらけのりんごのうさぎ。
欠けたハート型のにんじん。
どれもこれも、私の大好物になりました。
友達に思い切り自慢してやりましたよ。
私の大好きなお弁当だ!って。
それから時間は経って。
今では、娘の顔さえ忘れるほど年取ったお父さんに、今日も私はお弁当を届けています。
いつも、全部食べてくれてありがとう。
お父さんのお弁当、また食べたいよ。
48: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:08:50 ID:aTY
こんな季節になると思い出すな。
小一のころに親が離婚して、俺の家は母子家庭になった。それから母ちゃんは俺を育てるためにいつも仕事で忙しかった。
毎日、夜遅くまで働いてさ。一緒に食事することもほとんどなくなった。
でも、クリスマスの日は母ちゃん早く仕事切り上げて、一緒にケーキを食べる約束したんだよ。
俺すごく楽しみにしてた。早く母ちゃん帰ってこないかなって。
でも、母ちゃんはいつまでたっても帰ってこなかった。
腹が減って、眠くなっても俺はずっと待ち続けた。
日付も変わった頃、母ちゃんは帰ってきた。
「ごめんね・・・。○○。仕事が忙しくて・・・。本当はすぐに帰ってきてあげたかったんだけど・・・ごめんね・・・。
あ、ケーキ買ってきたから、一緒に食べよう!」って。
俺、怒りと悲しさで、泣き叫びながら、母ちゃんからケーキ奪ってそのまま踏み潰した。
母ちゃんも泣いてた。
 
50: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:11:23 ID:aTY
「あいつ、いつも一人だよな」 「気持ち悪くね?」 「つーか、迷惑なんですけどw」
「クラスの輪が乱れるよね」 「俺ら誰もいじめてねーし」 「ウチらへの嫌がらせ?」 
「おまえ、声かけてみろよ?」 「ちーっすwww最近どうっすか?ww」 「キャハwwww」
「あたしなら辞めちゃうな」 「普通じゃないよね」 「止めなよ。聞こえちゃうよ?」
「つーか、絶対聞いてるよなw」 「アレも個性でしょ?認めてあげようよw」
「昼休みとか、どっか行って欲しいよね」 「あいつ、いつもパン食ってるよな」
「学食で食べてるの見たことねえし」 「なんかブツブツ言ってるんですけど・・・」
51: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:14:08 ID:aTY
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
  J('ー`)し
  (  )\('∀`)
  || (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな
仕事で生計を立てていた。
┌─────────┐
│ 個 人. 商 店 │
└─────────┘
 │ J('ー`)し  |
 │ (  )  ┌─|
 │ || │ i|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
   │
   │
   │
   │ J('ー`)し_____________
  / ̄ ̄ (  ) ('∀`) 
/  || (_ _)ヾ
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を
持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
///////ww w ww
//////w ww  J('ー`)し
/////w w ww. ('∀`)  □ノ(  )
////w w w ( ヘヘ ||
///w ww ww w
給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを
買ってくれた
   J('ー`)し   ワーイ コーラ ダ
   (  )ヽ□ ヽ('∀`)ノ クリームパン ダ
   ||   (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
52: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:14:28 ID:aTY
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらって
きた
  J('∀`)し
  (ヽロロ ヽ('∀`)/
  ||  (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
俺は生れて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつも
より少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
 J('∀`)し
t─┐ノ( ノ)  ヾ('∀`)ノロロ
 │■| |  . (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に
止められた
──┐
 │        _[係]
 │ J(;'Д`)し     (`Д´ )
 │   (  )\('д`) ロロヾ( ) 
 │  ||  (_ _)ヾ    / └ 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを
買わなければいけないと言われた。
──┐
 │        _[係]
 │ J( ;'A`)し     (`Д´ )
 │   (  )\( 'A`) ロロヾ( ) 
 │  ||  (_ _)ヾ    || 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
53: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:17:15 ID:aTY
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは
外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら
 ( '∀`) J('A` )し
 .(_ _) (  ) .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄| 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
母は 「母ちゃんバカでごめんね」 と言って涙を少しこぼした
 ( 'A`) J('A` )し
 .(_ _) (  ) .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄| 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって
一生懸命に勉強した。
||||\ ('Д`;) ベンキョウ ベンキョウ
 ──┐ヽ(   )
 │くく□
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた
  [大]_
  ('∀`) J('ー`)し
   (  )  (人)
  ||  ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。
     ('A` )
   J('A`)し (  )
  /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ ||
  // ̄ ̄ ̄フ /
 / (___/ /
 (______ノ
俺は 「楽しかったよ」 と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった
     ('ー`;;)
   J('A`)し (  )
  /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ ||
  // ̄ ̄ ̄フ /
 / (___/ /
 (______ノ
54: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:19:48 ID:Weu
見たことないのもあるな
55: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:25:25 ID:aTY
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・
会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。
「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。
56: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:27:03 ID:aTY
ある病室に2人の末期ガンの患者が入院していた。
一人は窓側のベッド、もう一人はドア側のベッド。
2人とも寝たきりの状態だったが、窓際のベッドの男は
ドア側のベッドの男に窓の外の様子を話してあげていた。
「今日は雲一つない青空だ。」「桜の花がさいたよ。」「ツバメが巣を作ったんだ。」
そんな会話のおかげで死を間近に控えながらも2人は穏やかに過ごしていた。
ある晩、窓際のベッドの男の様態が急変した。自分でナースコールも出来ないようだ。
ドア側の男はナースコールに手を伸ばした。が、ボタンを押す手をとめた。
「もしあいつが死んだら、自分が窓からの景色を直接見れる・・・」
どうせお互い先のない命、少しでも安らかな時をすごしたいと思ったドア側のベッドの男は、
自分は眠っていたということにして、窓側のベッドの男を見殺しにした。
窓側のベッドの男はそのまま死亡した。
晴れて窓側のベッドに移動したドア側のベッドの男が窓の外に見たのは、
打ちっ放しのコンクリートの壁だった。
59: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:34:03 ID:aTY
昨日、恋人が死んじゃったんです。病気で。そしたらなんか通夜が終わって病院に置いて来た荷物とか改めて取りに行ったら
その荷物の中に俺宛に手紙が入ってたんです。
で、よく見たらなんか「わたしの人生は普通の人よりも短かった、だけど〇〇君と一緒に過ごせたことで普通の人よりもずっと幸せな日々を送れた」、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、そんなこといまさら言ってんじゃねーよ、ボケが。
死んだ後だよ、もうお前いねぇんだよ。 なんか最後の方はろくに起き上がれもしなかったくせに。
弱々しい字で必死で書いてたのか。おめでてーな。
よーし〇〇君のことずっと見守ってるぞー、とか書いてるの。もう見てらんない。
お前な、俺だってまだ言いたいこと沢山あったんだから生き返ってこいと。
愛の言葉ってのはな、もっと生きてるうちに伝えるべきなんだよ。初めて出会った頃みたいにドギマギして恥ずかしさの余りいつ心臓が破裂してもおかしくない、
言おうか言わざるべきか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。
今になってこんな事言い出すやつは、すっこんでろ
で、やっと涙堪えながら読み終わったと思ったら、最後の方に、
「わたしの事は忘れて他の人と幸せになって欲しい」、とか書いてあるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、俺はお前がホントに死んだなんて信じらんねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、見守ってる、だ。
お前は本当にこの世にいないのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、これは全部タチの悪い夢でホントはどっかで生きてるんちゃうんかと。
独り残された俺から言わせてもらえば今、お前に対してできる供養はやっぱり、お前の事を忘れないこと、これだね。
たとえジジイになってボケたとしても。これが俺の生き方。
お前との思い出ってのは俺には辛すぎる。そん代わり忘れない。これ。
で、それにお前の事をずっと想い続ける。これ最強。
しかしこれを貫くと次から恋人が2度と出来ないかもしれないという危険も伴う、諸刃の剣。
軟弱者にはお薦め出来ない。
まあお前みたいな寂しがりやは、俺がいつかそっちに行くまで待ってなさいってこった
60: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:36:32 ID:aTY
俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで老中と主役が
「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。
「若、ご立派になられましたな。」
61: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:42:05 ID:aTY
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
63: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:45:16 ID:aTY
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/31(金) 22:45:42 ID:m9xn3nnJ
何かさ、孤立してるのが親にバレちゃうのってむちゃくちゃいたたまれないよね。
うちは母親が小中高大と友達に恵まれたらしくて、すごい楽しい学校生活だったって
話を聞かされてたから余計に孤立してることが恥ずかしくて、色々策を弄して
「友達いっぱいで毎日楽しい☆」って振舞ってた。
けど、よりにもよってクラス参観の時に「はい二人組つくってー」があって当然のごとく
孤立して、クラスメートの母親は勿論、自分の母親にも孤立してるのがバレた。
授業参観が終わって学校から帰ってきたら、先に帰ってた母親が泣いてた。
理由を聞いたら、「わたしの子どもの時と全く同じだ。お前が友達できないのはわたしの遺伝だ。
本当に申し訳ない」だって。
実は母親もずっと孤立人生を歩んでて、でも子ども(私)にそんなこと言えるはずなくて
事実とは違う、自分の憧れてた学校生活を話してたらしい。親子で号泣したよ。
64: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:45:45 ID:aTY
347 名前:日出づる処の名無し 本日のレス 投稿日:2006/04/24(月) 10:13:02 GdOGCRhU
>>329
ちなみに、俺を立ち直らせたのは、女の言葉
「アンタみたいな愚痴るしか能の無いゴミいい加減ウザイからあたしの目の前から
消えてくれない。
はぁ、愛しているから見捨てないでくれ、そうあたしのこと愛しているんだ、
じゃぁ、お願いがあるんだ。目障りだから、芯でくれない。
あぁ、そうだ、生命保険の受け取り、私にしてから芯でちょうだい。それなら、保険金入るから。
あっ、ごめん、そんなこと無理だもんね、アンタに電車に飛び込むだけの度胸ないもんね。
とにかく、消えて」
(実際には、もっときつい表現です。w)
そんな感じで、罵詈雑言を浴びせられて落ちるとこまで落ちた俺のですが、
その時ある感情が沸いてきたんですよ。
「あの、糞アマ、人のこと馬鹿にしやがって、必ず見返してやる。ここから、這い上がってやる。そして、あいつの前に現れて、もうキミみたいなアバズレには興味がないと言ってやる。」
それから、借金を整理するために兄に土下座してお願いして保証人になってもらい銀行ローンに一本化、自動車工場の期間工になって給料の90%を借金の返済に、2年で完済
それから、苦労して数年後それなりの社会的地位と財を成した俺は彼女が働いていた店に行った。
店はまだあり、ママもまだ元気だった。ツケにそれなりの利子を付けて払った俺にママは言った。
「あの子はね、本当はアンタとは別れたくなかったんだよ。でも、このままではあの人、本当に駄目になってしまうってね、あんたに三行半突きつけた夜はそれは荒れて酷かったんだよ。
でも、あの子の判断は正しかったみたいだね。今のあんたを見て本当にそう思うよ。
良かった。あれから、数年して田舎に帰ったよ、今はわからない。」
俺は、「もし、連絡が取れることがあったら、ありがとう、と伝えてくれ」と言って店をでた。
究極のツンデレ、ありがとう
122: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:51:54 ID:aTY
46 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/06/16(金) 22:47:00 ID:OD9HyoR80
秋田ってどんなところですか?
64 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/06/16(金) 22:49:33 ID:OD9HyoR80
>>46
きりたんぽがおいしいよ。あとあきたこまちもおいしいですよ。
おいくつですか?あたしは26歳主婦です。
93 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/06/16(金) 22:52:04 ID:OD9HyoR80
>>64
そうなんですか。俺は30歳社会人ですよ。なんかここの人って頭
悪そうですよね。
269: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)19:10:09 ID:gTO
>>122
コレの意味が分からない・・・
270: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)19:13:39 ID:aTY
>>269
IDをよくみれば、
誰もレスしてくれなかった挙句自演していることが読み取れて悲しい
だから貼りました!わかりにくかったらすみませんハイ!
65: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:46:07 ID:aTY
あの日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のためにはアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。
66: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:48:04 ID:aTY
Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。
俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。
夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、
小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、
みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。
んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、
そのまま3週間入院する事になって。。。
んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど
二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。
俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、
なかなかその同室の人達と仲良くなれないで
一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。
そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけど
ヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。
んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時は
なんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。
俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。
もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。
そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、
「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。
でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから
俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。
パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、
仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」
あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。
それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、
色んな話もするようになった。
学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…
それからの時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。
看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中
彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。でもグッと堪えて
「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」って
そのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。
それから何回もお見舞しに行こうと思った。
…でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。
68: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:49:51 ID:aTY
上の続き
連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。
せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ
病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。
もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。
「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。
その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。
俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が
「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、
って言われた物があるのよ」 と言って俺にそれを渡してくれた。
借してあげたゲームボーイとSaga2だった。
俺はそれを受けとって家に帰った。
帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。
懐かしいあのOPの音楽。それと一緒にでてくるロード画面。
一つは彼女と俺が一緒にプレイしたデータ。あの時からほとんど変わってない。
懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった
もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。
最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。
パーティー四人の名前がこうなっていた。
「リョータ」
「いろいろ」
「ありがと」
「バイバイ」
…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。
お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。
187: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)16:19:04 ID:9px
>>68
最初から順に読んでたけどここで初めてガチ泣きした
69: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:51:01 ID:aTY
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんてなかった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った
70: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:51:37 ID:aTY
459 :番組の途中ですが名無しです :2005/07/30(土) 21:54:39 ID:JZc2KO1O0
天国の一歩手前に、『虹の橋』と呼ばれる場所がある。
地上にいるだれかと親しくしていた動物は、死ぬとその『虹の橋』へ行く。
そこには、草地や丘がひろがっていて、
動物たちはいっしょになって走ったり遊んだりすることができる。
たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ、
彼らは暖かく、快適に過ごしている。
病気にかかっていたリ歳をとったりしていた動物たちは、
ここに来て健康と活力を取り戻し、
傷ついたり不具になったりした動物たちも、
もとどおりの丈夫な体を取り戻す。
過ぎ去りし日の夢の中でのように。
動物たちは幸せに暮らしているけれど、ひとつだけ不満がある。
それぞれにとって特別なだれかが、
あとに残してきただれかがいないのを
寂しく感じているのだ。
460 :番組の途中ですが名無しです :2005/07/30(土) 22:00:20 ID:JZc2KO1O0
動物たちはいっしょに遊んで時を過ごしている。
しかし、ついにある日、そのうちの一匹が足を止めて遠くに目を向ける。
目はきらきらと輝き、体はたまりかねたように小刻みに震えはじめる。
突然、彼はみんなから離れて、緑の草地を跳ぶように走っていく。
あなたを見つけたのだ。
とうとう出会えたあなたたちは、抱き合って再会を喜びあう。
もはや二度と別れることはない。
喜びのキスがあなたの顔に降りそそぎ、
あなたの両手は愛する友の頭と体をふたたび愛撫する。
そして、あなたは信頼にあふれたその瞳をもう一度のぞきこむ。
あなたの人生から長いあいだ姿を消していたが、
心からは一日たりとも消えたことがないその瞳を。
それから、あなたたちはいっしょに『虹の橋』を渡るのだ
71: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:52:04 ID:aTY
552 おさかなくわえた名無しさん :2008/10/04(土) 01:26:53 ID:kEGTIebt
子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。
それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。
それほど簡単なことを私はしてこなかった。
74: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)12:56:24 ID:aTY
関係をせまると、あなたは紳士じゃないといわれる
関係をせまらないと、あなたは男じゃないといわれる
たびたび部屋を訪れると、もっと1人の時間がほしいといわれる
あまり部屋を訪れないと、二股かけているのかといわれる
はやりのカッコいい服を着ると、あなたって流行にふりまわされて軽薄といわれる
はやりのカッコいい服を着ないと、あなたってダサダサで恥ずかしいといわれる
話を聞きながら発言すると、黙って聞いてよといわれる
話を黙って聞いていると、なにか言ってよといわれる
待ち合わせに30分遅れていくと、30分も待たせるなんてひどいといわれる
自分が30分遅れると、30分ぐらいなによといわれる
やきもちをやくと、しばられるのはいやという
やきもちをやかないと、もう愛はないのかという
そうだねと賛成すると、自分の考えがない人ねといわれる
そうじゃないと反対すると、理解がない人ねといわれる
愛してるよと言うと 口の軽い人ねと言われる
大好きだよと言うと それだけしか言えないのと言われる
墓に供え物をすると 君は無視する
僕は泣いているのに 君は安らかに笑っている
76: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:00:14 ID:aTY
カーチャンの七不思議
夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる
夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる
俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる
俺が逆切れしても困ったように笑ってる
俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる
いまだに俺の誕生日祝ってくれる
俺より長生きしてくれない
77: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:01:17 ID:aTY
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
78: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:02:12 ID:aTY
理不尽な扱いを受けて、血の繋がった人からすら擁護して貰えなかったら
もう何も信じられなくなるよね
俺が小学校の時
俺の兄は、スポーツも勉強も出来て、出来の悪い俺と違って
友達もいっぱいいて、アホな俺にも優しい自慢の兄だった
ある時、道を歩いていたら、前から兄が友達を連れて歩いてきた
俺が「あ、兄さん」って声をかけると
友達連中が騒ぎ出した。
「何、コイツww」「うわっ、キモイ」「こんなのがお前の弟なのかよ」
「お前可哀想だなwwwこんなヤツと兄弟なのかよwww」
俺は当然兄が俺を庇ってくれると確信していた。
ところが兄は
「こんなやつ弟じゃないよ」と言って俺を突き飛ばしさっさと行ってしまった。
ショックを受けて家に帰ると先に帰っていた兄が言った
「あんまり人前で俺に声をかけるなよ」
と言われた。
このことを両親に話すと
「お前が悪い」「お兄ちゃんの気持ちも考えなさい」と逆に怒られた。
その後どんな気持ちだったか良く覚えてない
多分、泣いたんだと思うけど、記憶が飛んでいる。
覚えているのは、それ以来、事務的な用件以外で
家族と会話をしなくなったということだけだ
大学を卒業して家を出て十年経つが、
一度も家族と連絡をとっていない。
80: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:02:51 ID:aTY
387 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :2001/05/21(月) 19:59
かなり以前に体験漫画で読んだので場所も失念しているけど、現代の話です。
子供たちがどこかの沼だか池に遊びに行くと、若い日本兵の霊が現れた。
「今、日本は平和かい?」と尋ねられ「うん」と子供が答えると
「・・・良かった、我々の死は無駄ではなかった」
そう笑顔で返した彼の後ろ、池の上にたくさんの兵士の姿があったという。
思いだす度に、今の日本は彼らの犠牲に値するだけの国なのかを考えさせられてしまう。
304: 名無しさん@おーぷん 2016/01/04(月)00:55:15 ID:5W8
127 名前:名無しさん@涙目です。(神奈川県)[] 投稿日:2011/09/26(月) 22:45:45.50 ID:E93mFhId0
>>80
イヌは本当に馬鹿だ
俺の飼ってたイヌも死ぬ直前意識不明の病床で
「散歩行くぞ」って言ったら
しっぽふって両足動かしやがったんだ
そこまでするんなら生き返れってんだよ
本当にイヌは馬鹿だ
81: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:03:55 ID:aTY
531 名前:名無し職人[] 投稿日:2006/04/02(日) 17:47:57
私は40過ぎて独身です。本当に辛い毎日を送っています。
つい先日も、こんな事がありました。
ある日、弟夫婦の14歳になる長女の下着類が一切合切盗まれるという事件が起きたのです。
あろうことか真っ先に疑われたのは私でした。
40歳過ぎて独身だというだけで血の繋がった実の弟からこの私が真っ先に疑われたのです。
肉親なのに。
ずっと一緒に育った兄弟なのに。
ただただ40過ぎて独身だというだけで実の兄である私が疑われたのです。
とても悲しいことです。
やりきれない気分です。
確かに盗んだのは私でした。
しかし、ここに至ってはそんなことは瑣末な事です。
論点が ずれています。
私が訴えたい事は“私が犯人だと決まってないうちに” 既に“私を疑っていた”という事実なんです。
つまり40歳で独身だと いう事は常に『気持ち悪い事をしでかすに違いない』という目で見られて いる、という現実なのです。
これではまさに冤罪の温床です。
我々40過ぎ 独身中年は常にそういった謂れ無き迫害に晒されながら毎日ビクビクして 生きて行かなければならないのでしょうか?
結局私が犯人だということが ばれ、弟は「もう、来ないでくれな」と悲しそうに言いました。
ですが 私はそんな弟を許す事はできません。
私が犯人だとばれる前から私を疑っていた、という事実は消えないからです。
82: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:04:26 ID:aTY
83: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:05:32 ID:aTY
俺は親父が好きじゃなかった。
お袋とだったら何でも話せるのに、
親父と本音で話したことなんてなかった。
親父は俺が18のとき死んだ。
心臓が急に止まったらしく、何の処置もできないまま死んだ。
その時は涙は出なかった。
ただ、泣きじゃくるお袋を可哀想だとは思った。
俺が21のとき、いい加減親父の部屋を
片付けようってなって家族で片付けていた。
俺はワインを見つけた。
俺が中学の修学旅行で土産に買ってきたものだ。
お袋は言った。
―お父さんな、それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで。
なぜか涙が出てきた。
俺は親父の墓前でそれを飲んだ。
84: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:06:36 ID:aTY
510 名前:あだ名は雪印[] 投稿日:2006/03/32(土) 18:52:08
僕さ、恋をしたんだ!コンビニの店員に。
そりゃ毎日毎日通ったよ!いつも雪印のコーヒーを買いに言ってたんだ。
でもいつまで経ってもモーションがかけられなかった…もう3ヵ月は通ったかなぁ。
そんなある日!遂に向こうから話し掛けて来てくれたんだ!
『このコーヒー好きなんですね♪』
「好きだよ(君が)」照れながらも僕は有頂天だった。
そしてそのあとさらに事件は起こった!
ドキドキが止まらないままコンビニを出て帰ろうとしたその時!
なんと窓越しに手を振っているではないか!
周りには僕以外誰もいない。
ベジータが初めてスーパーサイヤ人になった時の喜びが僕には手にとって分かるようだった。
そしてそれに応えるように手をふりながら近づいた!
窓を拭いてるだけだった
85: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:08:28 ID:aTY
15 名前:航海王子 ◆U6/faU4Zww [] 投稿日:2006/05/17(水) 05:21:56 ID:QKiPqcZe0
小学生の頃、リストラされて無職になった父ちゃんが、
毎朝自転車に乗ってパチンコに通っていた
「自転車オヤジ」とあだ名をつけら同級生から石を投げられている父ちゃんを見た
86: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:10:05 ID:aTY
484 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/20(土) 04:51:07 ID:xeEhC3a10
そのときの部長はすっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを
張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、
良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。
ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは
俺だけじゃなかったはずだ。
それから1週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わるとみんなそそくさと帰って行ったが
部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、
珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。
俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。
話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。
「これぐらいはいただいても良いはずだ」
俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。
87: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:10:29 ID:aTY
850 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/22(月) 22:12:57 ID:dRhNBpsr0
中学の頃、近くにファミマとミニストップがあったんだが、俺はファミマ派でいつも通っていた。
ホットチキンとポテトが好きでしょっちゅう買ってたから、顔も覚えられてよく話しかけられたが、俺は悪い気はしなかった。
「髪切ったの?」「受験どうだった?」「あそこ受かったんだー、がんばったねー」とか他愛もない会話ばかりだけどその会話が心地よかった。
しかし、俺が高2の時にファミマがつぶれることになった…。
最後の日俺は閉店間際にファミマに行った。
いつものファミマなのに商品はほとんど売り切れ、客もいなく寂しげな空間に変わっていた。
一通りまわったが、欲しい商品がなかったので何を買うか迷っていると、
レジの店員に「来ると思ってとっておいたよ」とホットチキンとポテト、コーラを出された。
「今までたくさん買ってくれてありがとね。これサービスだからさ」と渡された。
「前から売り上げが厳しくなっててね…。思いきって閉めることにしたんだよ。ごめんね」と言われ、店がなくなることを改めて実感する。
急に寂しくなって、「いえいえ、俺にとって忘れられないコンビニだったし、もうここに来れないと思うと寂しいですね」と言うと、
「ありがとね。○○くんが最後のお客さんになってくれてよかったよ」と言われてジーンときた。
「今までありがとうございました」と言って店を出た。
家に帰り、ホットチキンとポテトを食べる。
その味が悲しかった。
89: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:10:45 ID:aTY
855 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/22(月) 22:50:42 ID:dRhNBpsr0
 僕は小さい頃に両親に捨てられて、いろいろな所を転々として生きてきました。
小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」とかいろんな事言われました。
たまに同級生の子と遊んでいて「○○君の家に行こう!」
とかなっても、僕が遊びに行くとそこの家のお母さんが
「○○君と遊んではいけないっていったでしょ!」
とそこの家の子供を叱ってる声が聞こえ、僕を汚い物を見るような目で「○○は今日遊べないの・・」というようなことが日常茶飯時でした。
僕は弱い人間なので、そんな事が重なるうちに独りでいる事が
一番傷つかず、一番楽なのだと思いました。
けど、僕にも言いたい事は一杯あった。汚い服、同じ服着ていても僕は、僕は人の物盗ったり、傷つけたりはしてない。
両親はいないけど、僕にはどうする事もできないんだよ!
僕だっておとうさん、おかあさんが欲しいんだよ。
 僕はなるべく人と接しないように生きてきた。自分の精神、心を守る為にそうせざるを得なかった。独りで生きていく、
誰にも迷惑をかけずに・・・
 高校に進学した時だった。朝学校につくと僕の机に「死ね」「乞食」「貧乏神」「親無し」
等あらゆる悪口が書かれていた。
僕は目の前が暗くなった。僕が何かしたのか?僕がなにか・・・・
ただ立ち尽くすのみだった。
 その時僕の目の前から机が無くなった。クラスでも人気者のYが僕の机をかかえあげていた。
僕は机で殴られるのかと思い、目を閉じた。「いくぞ!」とYがぶっきらぼうにいい
廊下に出て行く。僕はあとに従った。Yは技術室に行き、
紙やすりで僕の机の落書きを消し始めた・・・・
Yはただ一言だけ「つまんない事に負けんなよ。」と言い。
黙々と紙やすりで落書きを消している。
「放課後もう一回ここでニス塗ろうぜ。そしたら元どおりだ。」
といってにっこり笑ったYを見て僕は泣いた。
Yは照れ笑いをしていた。
Yは6月に結婚する。おめでとう。君がいなかったら今の僕はいない。
恥ずかしくて面と向かっては言えないけど、幸せになって欲しい。
そしてこれからも親友でいて欲しい。今まで本当にありがとう。
90: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:11:33 ID:aTY
769 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/21(日) 17:33:57 ID:c1mKI7If0
友達がほしいよ(´・ω・`)
ぼくがいるお( ^ω^)ノ(´・ω・`)
勉強がむずかしいよ(´・ω・`)
無理せずがんばれお( ^ω^)ノ(´・ω・`)
彼女がほしいよ(´・ω・`)
君ならつきあえるお( ^ω^)ノ(´・ω・`)
もう死にたい・・・(´・ω・`)
僕を一人にするのかお( ^ω^)ノ(´・ω・`)
91: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:13:07 ID:aTY
第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務についていた、
ある暑い日の出来事でした。
私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、
貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていました。
留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装の人が多かった。
ある時、ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、
私の顔をマジ、マジと見つめていた。
「あたし、小学校二年生なの。おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。
おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、
たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。
それで、それで、わたしに、この手紙をもって、
おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」
顔中に汗をしたたらせて、一息にこれだけいうと、大きく肩で息をした。
私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、
復員局からの通知書があった。
住所は、東京都の中野であった。
私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは---」
といいかけて、私は少女の顔を見た。
やせた、まっ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の眼を、一杯に開いて、
私のくちびるをみつめていた。
私は、少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」
といって、声がつづかなくなった。
瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。
それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。
私の方が声をあげて泣きたくなった。
しかし、少女は、「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、
係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、
それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」
私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、
紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。
少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。
やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、
小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、
下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッ眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの」と聞いた。
少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。
おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。
だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」
92: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:14:33 ID:aTY
上の続き
と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。
帰る途中で、私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。
だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって」
と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
93: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:15:44 ID:aTY
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:10:24.60 ID:Jg+AcEeL0
生きててもさ、無駄なんだよ、俺。
きっと何しても上手くいかないんだよ。
ただダラダラと生きててさ。
いっそ本気で死んじまおうかな。
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。2007/07/05(木) 08:12:48.05 ID:peSyhKq70
死んでもいいけど。とりあえず、自分のレスを縦読みだな。
自分の心の声に気付いてやれよ。
60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:14:34.40 ID:Jg+AcEeL0
…もっかいバイト探して見る。
ありがと。
94: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:16:15 ID:gTO
( ;∀;)イイハナシダナー
95: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:16:21 ID:aTY
「犬との十の約束」
1.私の一生は10?15年くらいしかありません
ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです
私を家族に迎える前に、どうかそのことを考えて下さい
2.あなたが私に望むことを理解できるようになるまで、少し時間をください
3.私を信頼してください。 私にとって、それがいちばん大事なことなのです
4.私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい
貴方には仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう
でも...私には貴方だけしかいないのです
5.時々は私に話しかけてください。 あなたの言うことはわからなくても、 私に話しかけるあなたの声はわかるのです
6.あなたが私にどんな風に接しているか、私は決して忘れません
7.私を叩く前に思い出して下さい。私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど私は決して噛まないようにしていることを
8.私のことを言う事を聞かないだとか、頑固だとか、怠け者だとか叱る前に、まずは自分に問い掛けてみてください。 きちんと食事を与えてましたか?太陽の下に長く放置しておきませんでしたか? もしかすると、年をとってどこか弱っているのかもしれません
9.私が年をとってもどうか世話をして下さい。貴方も同じように年をとるのです
10.最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい
「見ているのが辛いから」とか「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて言わないで欲しいのです。貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます
そして......どうか忘れないで下さい
私が貴方を愛していることを
97: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:22:09 ID:aYG
>>95
泣いた
98: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:22:13 ID:aTY
98 名前:名無し職人[sage] 投稿日:2006/03/20(月) 23:36:37
「おにいちゃん、こんにちは。
 わたしのお母さんが、今度お兄ちゃんのお父さんと結婚するので、
 わたしとお兄ちゃんは兄妹になることになりました。
 わたしはお父さんができることと同じくらい、おにいちゃんができるのが
 とてもうれしいです」
俺の母親は、俺が17のときに親父が迎えた後妻だ。
以前の、どうしようもない人間以下の女ではなく、本当の母親だと思ってる。
再婚が決まってから、初めて俺は新しい母親と新しい妹に会った。
何処かの私立小学校の学生服を着た9歳の女の子から、俺はこの手紙をもらった。
俺も一人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったんだ。
挨拶もそこそこで、無愛想にその手紙を受け取った。
だけど妹に会ったのはそれが最初で最後になった。
彼女はそれからすぐに病気で死んだ。
発病から死まで、あっというまの出来事だった。
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたら本気で叱り付けてやるつもりだった。
学校でいじめられたりしたら、いじめた奴をコテンパンにのしてやるつもりだった。
援交とか始めたりしたら、真剣に道徳に付いて教えるつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、からかってやるつもりだった。
そして彼氏が出来たら、兄貴風吹かして彼氏に「お前には妹は相応しくない」といってやるつもりだった。
妹の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の間に入りふざける。
「おにいちゃん!邪魔しないでよ!」なんて言われたら彼氏そっちのけで喧嘩をして、
オヤジが止めに入って、二人してどやされる。
そんな光景を夢に見てた。
葬式では、母親よりも俺の方が激しく泣いた。
友人達が心配する位狼狽して、一人で立っていられない程に泣いた。
ほんの二週間前の自分にあって、殴ってでも警告してやりたかった。
もっと優しくしてやればよかった。
どんな想いで俺宛に手紙を書いて、どんな気持ちで手紙を渡したんだろう。
見た事もない男を「お兄ちゃん」と呼ぶ時、きっと物凄く緊張しただろうに。
俺は妹の代わりに母親を大事にしている。
この人こそが俺の母親だと思っている。
「わたしのお母さん大事にしてね?お兄ちゃん!」
「そんな事言うまでもないだろ?」
妹とのそんなやりとりを、今でも空想しながら母親に接してる。
生きていたら、俺の妹は今年の春、高校を卒業した筈だ。
たった一回しか会わなかったが俺には妹がいた。
114: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:40:53 ID:Weu
>>98
今年一番泣いた
99: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:23:53 ID:aTY
149 名前:('A`)[] 投稿日:2006/05/15(月) 22:49:04 0
20才の時、あきらかな人数合わせで合コンに呼ばれた事がある。
キモメンの俺は案の定いじられまくり、婦女子もオオウケ
メチャ腹がたって目の前の唐揚げとかフライドポテトをそいつらの顔面に
ブン投げて帰ろうと脳内でイメージして、うつむいてたら
一番端に座ってた、ちと気の強そうな矢沢心似女の子が
「あんたら、人の外見馬鹿にすんのそんなに楽しいの?いい加減にしなよ。」
って突然キレた。その後は非常に険悪な空気になり、即会計して解散。
帰り際、皆とすこし離れて駅に向かう途中その娘が俺に
「あんたも情けないね、なんで言われたまま黙ってんの?悔しくないの?」
って声かけてきて、そこで俺は耐えられなくなって思い切り泣いた
きづくと周りのやつらは居なくなってて、俺は
「あぐっ、いやあの」
必死に何かをしゃべろうとしたが、声にならない。
するとその娘が
「何泣いてんの?あーイライラするっ!何でどうにかしようとしない訳?
顔がキモクても生まれちゃったからには生きなきゃいけないんだから、
ウジウジすんのやめなよ!もう20才なんだし・・・」
俺は人生最大の勇気を振り絞って声を出した
「あっ、ありがと・・う・・・あの、も、もし良かったら友達になってくれますか?」
そしたらその娘が
「それは勘弁して、そういつもりで励ましたんじゃないから・・・
いずれあんたにもいい娘が現われるよ!」
家に帰って更に号泣。あれから8年、いまだいい娘はあらわれません。
現実は厳しいです。
100: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:24:31 ID:aTY
811 名前:名無し職人[sage] 投稿日:2006/05/14(日) 18:32:41
今だったら本当、捕まってるぐらいの暴力親父。
テレビの世界にだってこんなヤツいないよってぐらいにうっとうしい親父だった。
母は耐え切れずに俺と兄貴を置いていったらしく、物心ついたときにはいなかった。
くる日もくる日も殴るける。灰皿を投げつけられて病院行った事もあった。
中学何年生かは忘れたけど、大喧嘩して家を出てったの。
女つれこんでるのは知ってた事だったから親父は俺を探そうとしないだろうから嬉しいのか悲しいのか複雑な思いでふらついてて結局友達の家に一日だけ泊まって帰るという約束で入れてもらったんよ。
でも、その夜、親父が知るはずもない俺の友達の家にとびこんできて何もいわずに俺を引っ張ってつれて帰ったの。
そのときはやっぱ「またブン殴られるのかな」「また病院逝きかな」「今日で俺死ぬのかな」とか思ってた。
ところが家に帰っても何も言わずにずっと黙ったままで。
んで気まずくて息もできないくらいで早く時間過ぎろって思ってて。
そしたらいきなり「俺が死んだら泣いてくれるか」なんて言ってて「はぁ?」って風にしどろもどろしてたの。
んで淡々と今までの事とか親父の子供のころとか喋って、最後に「今までごめんよ」って言って。
その間俺身動き一つできなかった。
何をいきなりこんな事言ってるんだって。
親父が憎いとかそんなこと思う余裕なくて考えてたの。もちろん兄貴も話を聞いてたらしくて後から話し合ったけど、結局わからなくて。
その三日後に親父が死んじゃったの。
ほんとにコロっと。
病院の先生からよれよれの手紙を手渡されてね。
兄貴と二人でよんだ。
ひたすらに謝ってる手紙。
アルコール中毒で手も思うように動かせない汚い字で。
その手紙の最後に「玄関の梁の下に酒がある。あと十年後、おまえ達が大人になったら俺の仏壇の前で飲んでくれ。」って書いてあった。
その時なぜか涙が出て、恨みこそすれあんなに殺したがっていた親父が死んじまったって。
明日、ちょうど約束の十年目。
兄貴は俺が十八のときに肺炎で死んだ。
一人身の俺は明日、三人で酒を酌み交わす。
101: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:25:17 ID:aTY
922 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2006/05/13(土) 17:33:47 ID:y/W9Z0850
こんなスレがあったんだ。俺の思い出。
幼稚園のころ、ころんでひっかき傷つくって泣いてたら同じクラスの女の子に絆創膏をもらったんだ。
金属の箱に入ったヤツ。5枚ぐらいあった。「全部あげる。無駄使いしちゃだめよ」って。
家に帰っておふくろに「絆創膏?ケガしたの?」って言われたんで剥がしてみせた。
ケガなんてどこにもなくなってる。不思議だったけど絆創膏のパワーだと信じた。
何日かして朝御飯のとき自分のお気に入りの茶碗にヒビが入ってるのを発見。
ガキの浅知恵だよね。ヒビに絆創膏はってみたんだ。
・・・・・・夕飯のときにはがしたら直ってた。
手押し車にアヒルがついてるおもちゃ。アヒルの首が取れちゃったんだけど
絆創膏はっておいたらやっぱり直った。
大切に使わなきゃ、とさすがに事の重大さに気づいた矢先、うちの猫のヤーヤが車にひかれた。
残ってた絆創膏全部はって、毛布をかけて幼稚園休んで看病した。
泣き疲れて寝ちゃったんだよね。ヤーヤに顔をなめられて目を覚ました。
治ってたんだ。傷なんか痕すら残ってない。明日幼稚園いったらミヤちゃんにお礼言わなきゃ。
「絆創膏くれてありがとう」って。
幼稚園行って気づいた。ミヤちゃんなんて女の子はいない。
絆創膏をもらった時以外に彼女をみたことなんてなかった。
なのに僕は彼女をみたときミヤちゃんだとなぜだか思った。
そういえばヤーヤを産んですぐに死んでしまった母猫もミヤだった。
152: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:52:08 ID:aTY
272 名前:名無しステーション 投稿日:2006/09/30(土) 20:18:59.96 ID:bJ2UhMug
泣けないやつは父親の温かみを知らない
535 名前:名無しステーション 投稿日:2006/09/30(土) 20:20:15.23 ID:cc1ylDup
>>272
母子家庭の俺に何か一言を
611 名前:名無しステーション 投稿日:2006/09/30(土) 20:20:51.66 ID:vbR8eun6
>>535
お前が父親になるんだよ
103: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:26:20 ID:aTY
6:
とある田舎に若い夫婦が暮らしていた。
妻は子供を身ごもっていて夫婦は生まれてくる日を
楽しみに待ちわびていた。
ところがある夜、妻は急に苦しみだしたのだ。
病院はかなり遠くにあり、夫は病院に電話連絡して 妻を車に乗せ向かった。
数キロ走ったところで老人が手をあげて道ばたに現れた
「車のタイヤがパンクしてしまった手伝ってくれないか、急ぎの用事があるんだ」と言う。
夫も早く病院に着きたかったので老人の言葉に「俺だっていそいでるんだ!!」と
怒り気味に答えそのまま通り過ごした。
しばらくして男は病院に着いたが医者がまだ到着していないと言う。
処置室で夫婦は医者をまっていたが妻の容態は悪化し何の手を打たぬまま妻はかえらぬ人となった。
夫は医者を呪った。電話をしていたのに何故来ない!!!
この怒りを医者にぶつけてやろうと思っているとき
「おそくなってすみません」と頭を深々下げ医者が到着した。
夫は、怒りの罵声をあげようとした。その瞬間言葉につまった。。。
頭を上げた医者は途中で助けを求めたあの老人だった。
104: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:27:17 ID:aTY
16:
バイト先に彼氏いない歴25年らしい大人しい子がいた。
局の子にお昼おごらされたり、
派遣社員の子から高額なマルチ商法の商品買わされたりしてた。
皆が「アイツはお人好しだから何言っても絶対断らない」と
学生のイジメのようにバカにして嫌な事押し付けたりしていた。
もともとその子を優しくて良い女だと好感を抱いていた上に
この子なら断らないかもと思った俺は彼女を休日に食事に誘ってみた。
生まれて初めて女性からOKをもらい、嬉しくて店を色々調べて下準備し、
当日は思いきりお洒落してピカピカに洗った車で迎えに行き、
頑張って話を盛り上げてご飯を御馳走し、家まで送り届けた。
とても楽しくて何度も誘った。彼女も楽しんでくれていると思った。
段々好きになって今度告白しようと決心して食事に誘った時、
「本当はずっと嫌だった。もう誘わないで欲しい」と言われた。
彼女の顔は気の毒になる位必死だった。きっと決死の思いで言ったのだろう。
「ほら?!麻衣、ちゃんと断れるじゃないですか!
今度から嫌な事 頼まれたら、今みたいにビシッと言えよ!
俺、ずっと麻衣が何言っても断れないの、心配したよ!」
と、俺は泣き出しそうなのをこらえて出来るだけ明るく元気に取り繕った。
彼女はとてもホッとしたような顔をして何度も俺にお礼を言った。
俺から好かれている訳じゃない事がわかって、そんなに嬉しかったのかな。
昨日の話です。もう色恋は諦めますた。一生チェリーでかまいません。
105: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:28:22 ID:aTY
227:
昔、初めてサイト作ったとき、嬉しくて友達や妹に言って回った
検索エンジンからもぼちぼち人がくるようになり、
意気揚々とレンタル掲示板をつけた
書き込みしてくれる人いるかな?荒らされたらどうしよう なんて思っていたが、
好意的なレスばっかりで嬉しくなった
そのうち荒らしてくるやつが現れたので、それを削除しようと掲示板の管理画面に入った
荒らしてくるやつのIPを見るついでに、好意的なレスをしてくれた人のIPもなんとなく見た
好意的なレスはすべて同じIP しかも俺と同じIP(うちはマンションケーブルで固定IPだった)
そう、妹が自演で盛り上げてくれてたんだ
俺は泣きながら掲示板とサイトを削除した
106: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:31:16 ID:aTY
231:
年齢別、無職息子への親の態度
10代→あんた暇ならバイトでもしなさいよ
20代→そろそろ就職したら?
30代→本当に就職しなさいよ どんな仕事でもいいから
40代→お願い バイトでもいいから働いて家計の負担を減らして
50代→大丈夫かい?年金少なくてごめんね…お小遣いあげたいけど…
60代→財産残してあげられなくてごめんね
107: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:34:22 ID:aTY
284:
ずっと昔見た新聞のコラムに載っていた。
目の不自由な祖父、祖母と、
生活保護をもらいながら住んでいる女子中学生がいて、
二人の面倒を全部見てたが、ある日生活保護のお金を引ったくりされた。
これが地方ニュースになって、カンパが集まった。
役所は、そのカンパが臨時収入だからと言って、生活保護を打ち切った。
カンパの何十万円かなんてすぐになくなって、その子は役所に相談に来たけれど、
役所は臨時収入があったから再開できないと伝えた。
何度か役所に姿を見せたのは確かだが、その度に追い返したようであった。
生活保護を再開してもらえなかったことは、祖父母に言えなかった。
心配をかけたくなかったのか、どんな心境かは今となってはわからない。
目の見えない祖父母にはちゃんとオカズを作って食べさせながら、
その子はずっと、自分は塩とご飯だけ食べていたらしい。
ある時、祖父母がそれに気が付いて、
どうして自分だけそんな食事をしてるのか問いただした。
その子は笑ってごまかした、その夜、首を吊った。
108: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:35:00 ID:aTY
28:名無しさん@お腹いっぱい。 2000/12/20(水) 17:01
3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。
ただ、救われたのは、こいつらの親がきちんと出てきた事だった。
110: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:37:12 ID:aTY
144:
俺の仕事は通信関係の現場仕事。もちろん男ばっかりの職場。
ところが1年ほど前から事務に女の子が入ったんだよね
そんなに若くは無いがまぁまぁ美人。性格もさっぱりしてるんだ。
目も見れず、まともに話もできない俺に優しく話してくれて・・もちろんお察しの通り惚れた。
なんと2chも見てるって事で色々わからない事聞いてきたり2chの話題で盛り上がったりもした。
今じゃ冗談を言って も? なんて軽く叩いたりするスキンシップもある。
もしかしたら・・・と思う気持ちが無いわけじゃない。だが告白なんてできないのは重々承知だ。
俺は、38才デブオタメガネの童貞だ。1年間大事にしてきたこの関係で満足だった。
昨日も仕事が終わり彼女の顔を見に事務所へいったんだ
汗だらけの俺に優しく おつかれさま と声をかけお茶を入れてくれた
いつもの様に至福の時間。このために仕事に行ってると言っても過言ではない。
彼女のPCが調子悪いと言うので直してあげたりした。
そして帰宅・・・・ところが家の鍵を忘れた事に気づき戻った。
ドアが開いてたのでそっと中をのぞくと・・・
そこにはマジックリンと除菌剤を持ってPC、イス、机、俺が触った物全てを掃除してる彼女がいた。
しばらく動けなかった。やっと我に帰り逃げ帰る時、彼女はミューズでゴシゴシ手を洗っていた。
昨日は家に入れず車の中ですごした。涙が止まらなかった。
彼女が出勤する前に鍵をとりにいき家へ帰り、今日は仕事を無断欠勤した。
115: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:41:23 ID:aTY
557: 2006/06/25 12:10:12 aGTTxGtq
もう何年も前になる。
中学生の弟が鏡の前で一人で笑ってるのを見掛け、吹き出しかけた。
服や髪に気を遣いだし、彼女が出来たと喜んでた時期だった。
だから、今度は笑顔を作る練習でも始めたのか?と考えた。
9つ離れてるから弟が生まれる前から知っていて、あの赤ん坊が
大きくなったもんだと、兄貴面して見なかったことにしてやった。
その後もそういう姿を幾度か見掛けた。
どれだけ経ってか、弟と喋るうちにやっと理由が分かった。
前に法事で親戚が集まったときに、みんな口を揃えて
「○○(弟)は笑ったらお父さんにそっくり!」って言ってたんだよ。
俺から見ても、確かによく似てる。父が死んだのは弟がまだ幼い
ときで、弟は父の顔を憶えていない。父は写真を撮られるのが
苦手だったから、笑顔の写真が一枚もない。
弟は普段、誰かが父の話をしても、大して興味なさげにしてるだけだった。
だから、記憶に残ってなきゃこんなもんかと寂しく感じたこともあった。
でも、そんなわけないんだよな。弟は、ああやって父に会ってたのか
と思うと、なぜか弟に申しわけなくなった。
116: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:43:40 ID:aTY
271 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2006/06/24(土) 09:54:16 ID:Zey0C+zO
小学生のころ「研究発表会」というのがあった
そのシステムが最悪で1人1人みんなの前で発表なんて生ぬるいものじゃなく
発表を聞きたい人のところへ行く、というものだった。しかも授業参観日に
私は後半発表組で前半は仲のいい友達のところへ行って発表を聞いた
そして後半、何人くらい集まるだろうと期待していたが私のまわりには誰も集まらなかったorz
来たのはお母さんだけ・・・
面白い発表をして人気者になろうと研究を紙芝居にまとめて一生懸命絵をかいたのに・・
そんなことを思いながら教室の隅でお母さん1人相手に紙芝居を始めたんだけど
私は恥ずかしいやら情けないやらで発表の途中で泣き出してしまった。
もうグダグダになりながら一応最後まで読み終わると お母さんが
「すっっごいおもしろかったよ!○子はやっぱり天才だね!」と言ってくれた。
あっヤバイ泣けてきた・・・
117: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:45:29 ID:aTY
128:
大学生で禿げてる俺は一度だけ合コンに誘われた。
イケメングループからメンバーが足りないから頼む!と言われたので仕方なしにだった。
けれど、だんだんわくわくしてきて服を買いに行ったりモテ術の本を読んだりした。
親に「俺今日合コンだから遅くなるよ!」というと親は「あんまり飲んじゃだめだよ」とうれしそうだった。
当日、予定の場所に行くと誰もいない。イケメンに電話すると「もうみんな店にいるから早く来い」という
遅れて登場も悪くない、と思いながら店に入ると地獄が待っていた。
「うっそ?!!ほんとに禿げてる!!」
「な?な?俺が言ったとおりだろ?」
「うわ?キモイwww」
俺は何が起こったのかわからなかったが、どうやら最初からネタにするつもりで呼んだようだった。
そのうちイケメンの一人が俺にヘッドロックをかけ、
「ほらこの頭見ろよ!すげー!!」
とやってきたので俺は手でそれを振り払った。
すると今度は「何本気できれてんだよ」「ハゲって最低」「空気嫁よ」
俺はもう参加する気力も切れる気力もなく店を出た。誰も引き止めなかった。
家に向かって歩いていると雨が降ってきてびしょぬれになった
もう情けなくて情けなくて声もあげず泣いてた。
家に入ると母親に向かって怒鳴った「お前のせいで禿げたんだぞ!!」
母親も泣いた。俺も泣いた。
120: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:50:49 ID:aTY
660 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/21(日) 01:31:07 ID:3uUOFCZH0
武道一筋で風邪一つひいたことがないことが自慢だった爺ちゃん。
頑固一徹で「士たるもの文武両道であるべし」と結婚を申し込みに来た父ちゃんを
その場で強制的に入門させて「黒帯取るまで結婚は認めない」と言い放った爺ちゃん。
もやしっ子だった父ちゃんに5年かけて黒帯取らせた爺ちゃん。
俺が生まれたときには徹夜で道場に篭もっての瞑想から俺の名前を考えてくれた爺ちゃん。
俺が物心ついたときから空手の手ほどきをしてくれた爺ちゃん。
ヤンチャした俺が空手の技で人を怪我させた時に足腰立たなくなるまで
ぶん殴ってくれた爺ちゃん。
癌を宣告されたときも「人に負けたことは数知れぬが、病に負けたことは一度もない」と笑い飛ばした爺ちゃん。
壮絶に苦しいはずの癌治療の時も家族の誰が見舞いに行っても笑顔で迎えてくれた爺ちゃん。
「痛い」や「苦しい」なんて言葉は最後まで口にしなかった爺ちゃん。
家族に当てた最後の手紙には大きく太い文字でたった一言 「押忍」
爺ちゃん お疲れ様でした。
123: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:52:50 ID:aTY
74:
つい先日の出来事。
就活生のオレはいまだに内定が取れず色んな企業の選考に足を運んでいた。
んで無理だろうと思っていたそこそこ大きめな(地元では)企業から内定のメールがきた。
信じられなかった…元々敷居の高いところってのと
面接官の態度や質問が圧迫面接なんてレベルじゃ済まされない程クソで、
口論して部屋を出て行ったからだ。
大人げない事したなと後悔してたが、逆に評価されたのかと思い何とも言えない気分だった。
そしてメールで歓迎会でBBQやるから来いと連絡がきた。
同期の人間の顔も見たことないし凄く楽しみにして現地の河原に向かった。
かなりの人数が集まっていてオドオドしていると口論した面接官が
「お、○○君!こっちこっち。」と手招き。そこには同期らしき人間が並んでいた。
「初めてだし自己紹介は恥ずかしいだろうし俺から簡単に説明するね。」と
端から順に面接官が紹介していった。
最後に俺だった。
面接官「コイツが面接中にキレて出て行ったアホw個人的に教育したくて嘘の内定メールだしたら本当に来てしまったみたいですw ○○君よくわかったかぁ?あんま調子乗るとこうやって恥かくから気をつけろよw」
そいつは俺に交通費と称して5千円札を握らせると「釣りいらねーからw」と一言。
周りからは「カッコイイぞw」だの「やりすぎだろw」だの野次が行き交っていた。
俺は恥ずかしさと怒りでパニックになりながらその場から逃走。今は就活する気起きない。
125: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:54:30 ID:aTY
529 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/14(水) 01:41:44 ID:a3l7IOkq
熱が40度あった朝、上司は風邪ひとつひいたことなくて、「会社で倒れろ」という人だった。
片道1時間で二回乗り換えの通勤は、とてもじゃないけど無理だった。
ものすごく贅沢というか、薄給にはとんでもない無駄遣いなんだけど、駅に向かう途中でタクシー停めた。
行き先指定するも、既に意識朦朧。
「すみません、実は今日、とても体調が悪くて、会社に着くまでシートに横になってもいいでしょうか」
って聞いたんだ。
無口で眉毛の濃い、白髪混じりのスポーツ刈りの運転手さんは、バックミラー越しにこちらを見て、
「着いたら起こしますから、どうぞ」とだけ云った。
そうはいってもさ、眠れるわけもないんだけどさ。
でも気分的に少しはラクだったな。こうしてるだけで会社に着けるんだな、って。
で、気づいたんだ。
運転手さんは、もの凄く気をつけて、アクセルとブレーキを踏んで、シフト換えるにも、
できるだけショックのないように、そーっとそーっと操作してくれていた。
バックミラー越しに様子を確認してくれているのも、感じ取れた。(吐かれたら困るとかそういう感じじゃなくて)
頭は朦朧としてたけど、なんか、そこだけはすごくよく分かったんだ。
そろそろ着きますよ、と声を掛けられて、そっと運転してくださってありがとうございました、って云ったら、
いいえ、なんにもしてませんよ、って、やっぱり笑わないで云う。
自分、その時はホテルのレストラン勤務業だったんだけど、
そういう、なんでもかんでも儀礼的に用意された言葉やマニュアルで片づけられるもんじゃない、
なんていうかな、その時24才くらいだったけど、とても大事で渋いことを教わった気がした。
それから半年くらいたって、別の場所でまた同じ運転手さんのタクシーに乗れたとき、びっくりしたよ。
あのときは、って御礼云ったら「そんなこと、ありましたかねぇ」って、やっぱり笑わないで、
バックミラー越しに答えてた。
127: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:55:58 ID:aTY
934 名前:Mr.名無しさん[] 投稿日:2006/02/04(土) 08:58:29
暇だ暇暇暇あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
937 Mr.名無しさん [] 2006/02/04(土) 08:58:48
>>934
毛髪の数でも数えてろはげ
942 Mr.名無しさん [] 2006/02/04(土) 08:59:26
>>937
数えたよ
950 Mr.名無しさん [] 2006/02/04(土) 08:59:49
>>942
あ・・・ごめんな
955 Mr.名無しさん [] 2006/02/04(土) 09:00:21
>>950
なに、いいってことよ
129: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:57:56 ID:aTY
この前初めて合コンってものに行ってみたよ。
結果は案の定。一緒に行った男の二人に散々ネタとしてつかわれ
女からは馬鹿にされてさ、「あんたと寝るくらいなら死ぬかもw」とか
笑いながら言われた。
帰った後、少し泣いたよ。つくずく自分の気持ち悪さが嫌になった。
まぁまぁイケメンの同僚に「来週の合コン、お前も来てみるか?」とか言われて
合コンに誘われたのなんて初めてだったからさ。
金もないのに、雑誌見て高い服買い揃えてみて、話題が続くように”トーク用の
ネタノート”なんか書いてみたり・・
前の晩は正直よく眠れなかった。
あんなの小学校の遠足以来だったかなw
馬鹿だよな、気持ち悪いよな、俺。
どうしてこうなんだろう。一人でキモ男がはしゃいじゃったりして
なるべく誰とも(特に女とは)関わらないで生きていこうって
前に誓ったはずなのに、またこんなんだよ。
死にたいなんて言葉じゃ足りない。悔しいよ、俺こんな人間で
こんな人生で、すごく悔しいよ・・・・
131: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)14:00:47 ID:Weu
>>129
ホントに辛くなる
130: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)13:58:33 ID:aTY
ちょっと散歩してくる
気が向いたらまた貼ります....
134: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)14:38:32 ID:Ils
新年早々泣いてしまった…
135: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)14:52:39 ID:pqG
本当に悲しい気持ちになってくる…
136: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:40:08 ID:aTY
再開します!
137: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:40:39 ID:aTY
188 名前:('A`)[] 投稿日:2006/04/13(木) 20:01:15 0
俺は凄い美人の幼馴染がいて案の定中(挨拶程度)→高(ほぼ会話なし)
と疎遠になっていったのだが上京して大学生で一人暮らししてる時突然電話してきて
「今度、東京に住むことになったの(短大出で就職したらしい)
 知り合いが居なくて心細いからあーくんの近くに住みたい」
最初冗談かと思ったんだが、本当に上京してきて、一緒に部屋探してあげて
同じマンションの空き部屋に住むことになった。
青春期の時が嘘みたいに昔みたく仲良くなって、ほとんど毎日俺の部屋に居た。
実家が隣なので里帰りも一緒。でも、恋愛とかエロいことは一切なかった。
本当に中のいい友達。
こないだその子の結婚式に出ました。
お酌をしに行って「おめでとう」って言ったら
不意に涙が出た。その子も泣いた。
理由はわからない。幸せになって欲しいと心から願う。
138: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:41:09 ID:aTY
430 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2006/07/12(水) 23:48:51 ID:NVIenhLa
うちは親が共働きなので、小さい頃はよく弟と一緒に祖父母の家に預けられていた。
3つ年下の弟は身体が弱くて喘息持ちだったからあまり外に出られなくて
いつも縁側で祖父と将棋を打っていた。すごくお爺ちゃん子で、お爺ちゃんも弟を溺愛していた。
内向的でおとなしい弟が、将棋を打つ時だけは「これでいいの?」「どうしてそう打つの?」と
にこにこ笑いながら祖父に質問をする、それを見る度に私はほのぼのしていた。
ある日祖父が脳梗塞で倒れた。病院に担ぎ込まれてそのまま入院してしまった祖父を
弟はずっと待っていた。早くお爺ちゃんと将棋を打ちたいって、毎日楽しみに待っていた。
けれど、ようやく帰って来た祖父は脳への影響で思考能力が低下し、将棋を打てなくなっていた。
「お爺ちゃんはお病気になってしまったの」。そう言っても弟には意味がわからない。
待ちかねたとばかりに将棋盤を持って駆け寄ってきた弟に戸惑った顔を見せるお爺ちゃん、
打ち始めたはいいけどゲームにならない、ただ目茶苦茶に駒を進めるだけだった。
不思議そうに将棋盤を見る弟の横で、私はどう説明していいのか判らずに焦るばかり。
弟は眉を寄せて首を捻る、そんな弟を見て祖父が唸り(祖父は麻痺で喋れなくなっていた)を上げる。
気まずい空気がただよう中、急に弟が笑いながら「そっか、わかった!」と手を叩いた。
「そうくるとは思わなかったなあ、じゃあ僕はこう打つよ!」
にこにこ笑ってでたらめに駒を進める弟、お爺ちゃんが駒を進めるたびに
「待った!」とか「やりますな(これは祖父の口真似だった)」と楽しそうに言いながら
駒を進めていく。盤の上は目茶苦茶、ただ適当に駒を動かしているだけ。
一生懸命明るく振舞いながら打ち続ける弟の顔は、何かに耐えるように張り詰めていた。
それを見た瞬間、私は泣き出してしまった。泣き顔を見られたくなくて慌てて庭に逃げた。
その日から弟は祖父と将棋を打たなくなった。でも弟はいつも祖父と一緒だった。
祖父も祖母も5年以上前に亡くなって、家もすっかり取り壊された。
でも、あの日の弟の顔はいつまでも忘れられない。
139: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:41:51 ID:aTY
653 名前:名無しさん@そうだドライブへ行こう :02/04/04 21:47 ID:JziiGUvz
ありがとう。ごめんね、もう動けないみたい。自分でもどこが病気か解からないよ。
この前の車検の時、ディーラーの人の話してました。もう古くて部品がないみたい。
最近は初めてあなたに会った時より運転が上手になって、気持ち良く走れました。
私の癖も、全て知っていてくれていた。
いつも週末は砂埃だらけのわたしを洗ってくれて、その後はドライブの日々でしたね。
助手席に乗る人は時々入れ替わりましたね。あの香水がキツイ人、あなたの趣味?
ごめん、実は嫌いだったんだよ。
初めてあなたに会った夜、一緒に駐車場で寝た事。
フロントバンパーをぶつけられた時、泣いてくれた事。
あまり高くはないけどオイルの交換はあなたがしてくれた事。
一晩中調子の悪いところを探し続けてくれた事。
同乗者がいない時、流す音楽はいつも静かな曲だった事。
急いでいても、信号の無い場所、わたろうとしてる人に道を譲る事。
まわりから古いから別のにしろと言われても、拒否し続けてくれた事。
あなたと一晩中走り続けて朝を迎え、空き地で缶コーヒーを飲んだ事。
あなたとの10年は   ほんとうに ありがとう
140: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:42:17 ID:aTY
23 名無しさん (kJE9Zri.) [06/07/25,03:32:20] No.394138
高校の頃、フィンランドからホームステイで日本に来てた女の子と同じクラスだったんだ。
俺の友人の家にステイしていたんだが、俺とその友人が同じ遊び仲間グループで
そのステイしている娘もいつも一緒だったんだ。
で、帰る日に空港で俺にこう言ったんだ、
「私が言うことをまねしてください」って。
その後フィンランド語で何やら意味わからんまま言わされた。
言い終わると笑顔で手を振りながら、「モイモイ!!」って言いながら去っていった。
彼女が帰った後、その言葉を調べると
「僕はあなたのことを愛しています。でも今は離れなければなりません。
 いつか大人になった時、あなたが会いに来てくれることを、私は願っています。」
141: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:42:43 ID:aTY
190 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2006/07/14(金) 22:30:22 ID:gQEz9C5W
冬に病院にお見舞いに行った帰り、
駐車場に行く道すがら前を歩いていた母子の会話。
子供は小学校低学年くらいの男の子、母親は30代前半くらい。
子「お母さん、オリオン座って知ってる?」
母「知ってるよ。あそこにある星でしょ?〇〇はよく知ってるね。」(空を指差して)
子「△△ちゃんがおしえてくれた。
 あの星って僕とお母さんとお父さんみたいじゃない?」
母「星が三個並んでるから?」
子「そう。星はいつも三個一緒だからさ?、僕達も三人で一緒だよね。
 お父さんもまた元気になって三人で暮らせるよね。」
母「…うん」
子「この星を見るたびにさ、これは僕達だって思うんだ。」
母「…」
母親は歩きながら泣いているようだった。
後ろで聞いてる自分もジーンときた。
父親が元気になっていればいいなと思う。
142: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:43:20 ID:aTY
510 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/20(土) 05:40:56 ID:xeEhC3a10
今までで強烈に感動したCMドラマ。
アメリカで見たし、何のCMかも忘れたし、一度きりだし、台詞もうろ覚え。でも覚えてる。
舞台はアメリカの老人ホーム。寂しい老人達が、届いた花束を持った看護婦さんに、
期待して集まってくる。カードが読まれて、花束が誰宛か判明して、その人だけが喜ぶ。
後はがっかりして部屋に戻る。
ある時、大きな花束が届いて、また老人達が集まってくる。今度は誰宛だろう? と
看護婦さんが、早くカードを読むようにせかされる。彼女がそれを読む。カードには、
「大切なあなたにこの花束を贈ります」とか書いてある。期待する老人達の輝く顔。
そして最後の宛名を見て……、看護婦さんは涙目に。
それは、ここの老人達全員からの、看護婦さんへの花束だった……。老人達大喝采!
自分の中で、これを抜くドラマCM未だなし。
143: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:44:44 ID:aTY
731 :Miss名無しさん :2006/08/08(火) 03:46:00 ID:rQf4C0pv
そういえば昔なんかの番組でナンパキングwなイケメンを特殊メイクでブサメンにして
ナンパしてみるっていうのやってたね。うろ覚えだけど。
そのイケメンはかなり自信ありげだったが、結果は散々だった。
話しかけても無視されるのは当然で、なんとか話そうとすると
「やめてくれませんか」
酷いのになると「ウザい」、「邪魔なんだよ」、「氏ね」あげくに唾吐きかけたのまで。
企画終了後かなりショックだったみたいで、
「裏側を見た気分です。女性観が変わりました・・・。
これじゃ女性不振にもなりますよね・・・」
みたいなこといってた。
144: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:45:39 ID:aTY
445 名前:隊長 ◆LovezowNu2 [sage] 投稿日:2006/08/05(土) 01:48:26
病室には妹の苦しそうな吐息と心拍計の電子音だけが響いている。
妹の白い顔は時折苦しげに眉をゆがめるが、それ以外は至って静穏 なものだ。
とても、医者がさじを投げた患者には見えない。
なんで、俺じゃなくて妹なんだ。まだ中学生じゃないか。あんまりだ。
「お兄ちゃん……」
いつもの祈りとも呪詛ともつかない思いが終わる前に、妹が静かに口を開いた。
「……なんだ?」
「わたし、飛行機が見たいよ。」
飛行機どころか、この1年外にだって出られていないのに。
「飛行機か。……どんなのが見たいんだ?」
「うん。」
ちょっと考え込んだ妹は、儚げに笑ってこう答えた。
「遠くまで、飛んでいく奴が見たい。」
俺はすぐに紙を折り紙飛行機を作った。
「よく見てろよ。」
窓の向こう側に投げる。紙飛行機は風に乗って眩しい光の中を遠くまで飛んでいった。
「綺麗だね、お兄ちゃん・・・」
「ああ、本当にそうだな。」
「私も・・・あんなふうに、飛べるかなぁ?」
「何言ってるんだ!お前は元気になって、たくさん紙飛行機を折って、
たくさん飛ばせばいいんだよ!」
「うん、、、そうだね、お兄ちゃん・・・でももう、私無理みたいだ・・・」
「な、、、何言ってるんだっ!お兄ちゃん、許さないぞ、そんな弱気言ったらっ、許さないからな。」
「ごめんね、お兄ちゃん・・・私、がんばれなかった・・・。今度はもっと強い子で生まれたいな・・・
 そしてお兄ちゃんと一緒に、紙飛行機を飛ばすんだ・・・。」
そういうとゆっくりと目を閉じて、静かに息を引き取った。
涙が出た。
医者がドタドタと静寂を壊して入ってくる。だけど涙は止まらなかった。
遠く、飛ばした紙飛行機は静かに地面に落ちていた。
145: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:46:07 ID:aTY
620 名前:Mr.名無しさん 投稿日:02/08/06 13:33
子供のころ、両親は「いずれ誰か連れてきた時は…」とか
嬉しそうに話してたな・・・・。
そのころは子供心に、「いつの日か自分もケコンするんだろうな」と
思っていた。
しかし厨房の時以来、女からは「キモイ」「顔こっちに向けないで」
と嫌がられ避けらればい菌扱いされたことしかなかった。
それでも社会人になってから自分なりに努力してみたよ。
服装や髪型や、よくいわれる清潔感とか・・・・。
だが一生懸命努力しても、それが実ることはとうとう無かった。
まともに会話が続いたことすらほとんどない。
仕方ないよな・・・・軍ヲタ鉄ヲタで他に何を話せばいいのか
思いつくことができないのだから。
もうすぐ40代になる。
両親が、「結婚したときに相手に渡すんだ」と嬉しそうに
作っていた俺のアルバム。小さい頃の声が入ったテープ。
父さん母さん、ごめんよ。
全部に無駄にさせてしまって…。
146: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:47:05 ID:aTY
51 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/05/26(金) 20:58:52 ID:KQFLOVR2
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
147: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:47:37 ID:aTY
418 名無CCDさん@画素いっぱい sage 2006/07/12(火) 16:19:55 ID:iLNOSUOd0
このスレ、2chで一番好きなんだよ。
なんていうかさ、凄く癒されるていうか。
2chって喧嘩ばっかじゃん。
そういう時にこのスレ覗くと、心底ほっとするんだよね。
これからも、精神的に辛くなったらこのスレ覗きにくるよ。
419 名前:真・スレッドストッパー :真・スレッドストッパー
書けませんよ( ̄ー ̄)ニヤリッ
150: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:48:47 ID:aTY
朝起きたらとなりでルイズが寝ていた。
俺は死ぬほど嬉しかった。何せ夢にまで見たルイズだ。
童貞の俺にもついに彼女が出来て幸せに暮らしていける。
そしてマイホームを買って子供をつくって毎日幸せな生活をする。
そんなことを一瞬にして考えた。
でも、ルイズは「サイトはどこ?サイトどこにいるの?」
って言うんだよ。俺のことは見向きもせずに。
そのとき分かったんだ。ルイズはサイトと幸せになるべきだって。
だから俺は一緒にサイトを探してあげた。
やっぱりルイズの笑顔は俺に向ける笑顔よりサイトに向ける笑顔のほうが可愛い。
俺は二人が幸せになってほしいと願いながら立ち去った。
そんな夢を見た。
起きてとなりをみた。
ルイズの抱き枕があった。
目から涙がこぼれた。
151: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:51:35 ID:aTY
614 名前: Mr.名無しさん 投稿日: 2006/08/16(水) 22:57:59
親父、覚えているか。
俺が小さい頃、この店の前で駄々をこねてお子様ランチを食べたいと言った事を。
親父は「我侭を言うな」と一喝し、俺の頭を殴ったな。
俺は泣きじゃくっていたが、それを背に親父は歩いていったな。
母さんに支えられながら歩いた俺は、親父のその背中を見て、畏怖したもんさ。
家に帰っても親父とは話ができず、家の中には気まずい空気が流れていたな。
その日から、何日経っただろうか。
母さんが「こっそりあの店に行きましょう」と言ってくれた。
俺は歓喜に震えながらも、後で親父にバレて怒られる事を危惧した。
だが、幼い俺はお子様ランチの誘惑には勝てず、母さんと二人、店に向かった。
その店に向かう道中からその店でお子様ランチが出るまで、俺はワクワクしっ放しだったさ。
そして、念願のお子様ランチが出てきた時には、もう俺の喜びは最高潮に達した。
そこからは、俺もあまり覚えてないな。
本当にもう、ただお子様ランチに心を奪われていたんだな。
気付いたら、既に皿の上には何も乗っていなかったさ。
そこで再び、俺の中には親父への畏怖が湧き上がってきた。
そこで俺は、恐る恐る母さんに対して口を開いた。「この事、父さんには内緒だよね……?」と。
しかし母さんは言う。「う?ん、それは無理かもね」
俺は愕然とした。
どうして?どうして?どうして? ――
何も信じられなくなろうとした刹那、母さんはこう続けた。
「父さんが『この金で連れて行ってやれ』って言った事だから」
親父、覚えているか。
俺は、今でもあの時の親父の背中を覚えてるよ。
けど、本当は ―― 本当は、親父と一緒に食いたかったんだぜ?
―― 今更言ってもしようがないし、親父は不器用だったから仕方ないかもしれないけど ――
だから、約束してくれ。
俺がそっちに行ったら、一緒に ――
153: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:55:06 ID:aTY
1:
小学生の頃、クラスにWさんという女子がいた。
彼女は先天的な病で体がただれていて、声もうまく発声できなかった。
大人しい子でいつも本を読んでいた。
男子の友人はいなかったが、女子の友人は不思議と多いようだった。
修学旅行で旅館に泊まった時、友人が女子の部屋に遊びに行こうと言い出した。
俺も同意して、どうせだからこっそり行って驚かせてやろうってことになった。
そしてクラスで一番人気のあった女子のいる部屋に行く事となった。
こっそりドアを開けると(どのように鍵を開けたかは忘れた)恐ろしい光景が。
体育座りで座り込むWさんを円になって囲むようにクラスの女子全員が立っていた。
そして、Wさんに対して「豚」「焼けど野郎」などと罵声を浴びせていた。
さらにクラスで最もかわいかった子が「じゃあ、カツラはずしまーす」と
笑いながら言ってWさんの頭に手を伸ばした。
次の瞬間、Wさんの髪の毛が全部その女の手にあった。
Wさんは頭皮も病気で、髪の毛が生えないためカツラをしていたのだ。
男子は誰もそれを知らなかった。
ショックで何が何だかわからない俺の前で女子はWさんを蹴飛ばしたりカツラをライターであぶったり。
Wさんはかすれた声でうめく。助けを呼びたくても呼べないのだ。
俺と友人は無性に怖くなって見つからないように逃げた。
次の日、Wさんもクラスの女子も何事も無かったように京都を観光していた。
それが一番怖かった。
154: 名無しさん@おーぷん 2016/01/03(日)15:56:29 ID:aTY
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