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夢を捨てた俺に忘れない夏が来た


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1:
夢を捨てて二浪した俺が、一夏に体験した忘れない思い出
暇な奴がいたら聞いてくれ
夢を諦めた・忘れたって人がいたら、特に聞いて欲しい
3:
俺は高校時代、バレー少年だった
昔から背だけは高くて、中学の時に何の気なしに始めたバレーボールだった。
これが本当に面白くて、俺はたちまち虜になった。
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4:
仲間と協力して連携プレーを決めた時。
捕れない!と思ったボールに滑りこんで指先で上げた時の快感。
何より、相手のブロックを打ち抜いてスパイクを決めた時の歓声。
俺はその全てに魅せられ、バレーボールに夢中になった。
6:
中学の時は弱小校ながらも熱心な顧問の元、エースとして頑張った。
その甲斐あってか、俺は都内でもそれなりの強豪と呼ばれる高校の監督に声をかけられ
そこでプレーすることとなった。
俺のこの進路を、両親はとても喜んでくれた。
俺がバレーで頑張ることを、いつも応援してくれていたように思う。
特に母さんは、俺が高2になるまで、本当に熱心に応援してくれていた。
7:
強豪校でありながらも、「楽しくバレーする」ことがモットーだったうちの高校は、
厳しくしごかれる時もあれど、監督や先輩の指導には、常に愛があった。
一年の時からレギュラーとして試合に出場し、監督や先輩からも、
「お前はどんどん伸びていく。これから凄く楽しみだ」と期待されていた。
俺もその熱い期待に答えるべく、毎日練習を重ねた。
部活が終わって、最後の最後の片付けが終わったあと、一人で体育館に残って筋トレを続けた。
時にはネットの片付けは一人でやると言って、練習後にスパイクを100本近く打ち込んだ。
8:
その全てが、「バレーが好きだった」から。
俺は本当に沢山の人に応援されて、いい仲間に恵まれて、最高の環境でバレーをしていた
そんな日々がたまらなく楽しくて、大切だった。
9:
でも、俺が高2の春くらいにそんな日々がほころび始めた。
二人揃って俺のバレーを応援してくれていた両親が離婚した。
なんでも、親父に浮気の疑いがあったとかなんとか。
俺はその時、親父に対してものすごく怒りが湧いた。
俺は母さんにとても同情し、これからは俺が一人前の男になって、
母さんを支えないといけないんだ、と思った。
私立の高校に通っていたから、これからは母さんも仕事頑張るし、俺も奨学金でなんとかやっていくよ、
なんて二人でよく話していた。
10:
でも、母さんは離婚から半年も経たないうちに、新しい男を家に連れてきた。
俺はそれが信じられなかった。
正直、ショックで言葉も出なかった。
まだガキだった俺には、すぐに現実を飲み込むことができなかったが、
それでも母さんが、家族が、幸せにやっていけるならそれでいいんだと言い聞かせ、
なんとか状況を受け入れることができた。
11:
新しくきた男は、義父ということになるんだが、すぐにはなじめなかった。
なんでも都内の大手銀行に勤めているという、お堅い男だった。
俺はその男のことを、決して父さんとは呼べなかった。
だって俺は、別れてしまったけど、元の親父の事が大好きだったからだ。
ちょっとテキトーでだらしない所もあったけれど、
俺はそんな親父の事が大好きだった。
でも、大好きという気持ちだけでは「家庭」は上手くいかなかった。
きっと現実なんて、そんなもんなんだろうな。
だからこうして母さんは親父と別れ、新しい男が家にやってきた。
単純に、それだけのことだったのだ。
12:
支援
部活って親からのバックアップが大事だもんなぁ
こういう家庭環境だと辛そうだ
13:
その男が来てからというもの、母さんが俺から学校の事や、部活の事を聞く機会がめっきり減った。
毎日欠かさず作ってくれていた弁当も作ってくれなくなった。
朝、「ごめんね」と言いながら俺に千円札を渡すだけになった。
昼休み、毎日クラスの奴らと一緒に弁当を食っていた習慣も、
俺だけ一人、千円札を握りしめて学食に行く日々に変わった。
母さんが離婚してから、少しずつだけど俺の毎日も変化が起き始めていたんだ。
14:
そんな風にして、突然の環境の変化で気持ちが追いつかず、フワフワしていた時だった。
俺の人生において最悪の日が来た。
高2の夏も終わり、秋の入口が見えてきた頃だったろうか。
去年の春高バレーの予選で悔しい想いをした俺のチームは、
春高バレーの予選に向けて、猛練習をしていた。
15:
その時俺はすでにエースとして、チームを引っ張る立場だったから、
その日の練習でも、スパイク打ち込みをやっていた。
本当に、いつも通り打ったつもりだった。
ネットの向こう側には後輩たちがレシーブしようと構えていて、
後ろからは、「いけー!」というチームメイトの掛け声が聞こえた気がした。
16:
着地した瞬間に腰に激痛が走って、
俺はうめき声を上げてその場にうずくまった。
もう立ち上がることすらできなくなってしまい、
その日のうちに監督の車に乗せられ、病院に運ばれた。
俺は重度のヘルニアになり、腰を痛めてしまった。
18:
前々からフォームに癖があり、腰に負担をかけるぞ、
と監督に言われていた矢先の事だった。
医者から告げられたのは、
「手術するかぎりぎりのライン。少なくとも1年くらいは安静にしろ」という内容だった。
薬を飲んで、安静にしているのが一番の治療だ。
ヘタしたら一生スポーツの出来ない体になる、と言われた。
1年間安静、それはすなわち、もう高校バレーは諦めろ、と言われたのと同じだった。
しかも、1年間安静にしたところで完治する保証もなかった。
跳びあがって、思い切りスパイクすることは最早困難だろう、とまで言われた。
19:
大好きで、ずっとずっと続けてきたバレーボール。
春高バレーの舞台に立って、あのオレンジコートの中で
仲間と同じ景色を見るのが、夢だった。
俺は冗談じゃなく、本当に夢に見ていたんだ。
それが突然奪われてしまうという喪失感、残酷さ、
俺はどうしようもなく落ち込んで塞ぎこんでしまい、高校を数日間休んだ。
俺からバレーボールがなくなったら、一体これから何をすればいい?
そんな思考が頭の中を駆け巡った。
20:
うわぁ…つらい
21:
こういう状況になった時、
「俺はそれでも好きだから、マネージャーになって影で支えるぜ」
なんて行動に出る人もいるんだろうが、俺は全然違った。
腰を痛めたあと、俺は硬いコルセットを巻いて部活の手伝いをしたんだが、
コートの中で力いっぱいに躍動するチームメイトたちを見ているのは、
本当に辛かった。
22:
本当は、俺もあのコートの中にいるはずだった。
見るだけで、何も出来ない自分。
俺は、バレーを見ていたいんじゃない。あのコートの中で、誰よりも高く飛んで、
俺の視界を塞ぐ3枚ブロックを突き破りたいんだ!
自分勝手かもしれないが、俺には本当にそんな風にしか思えなかった。
そして俺は仲間たちの春高予選を見届け、バレーボール部を退部した。
24:
それからの日々は、毎日頭にちらつくバレーボールの事を忘れるのに必死だった。
監督やチームメイトも、俺を強く引き止めることはなかった。
俺の落ち込みようが本当に凄まじかったからだと思う。
ただ、ひどく残念がっていた。
お前がプレーできなくなるなんて、1がいなくなるなんて、とただ悲しんでくれていた。
26:
そんな目的を失って絶望していた俺は、
想いを寄せていた女の子に気持ちを伝えようと考えた。
1年のバレーをやっていた頃からずっと好きだった、美香という同級生だ。
俺の事をいつも応援してくれていて、事あるごとに放課後体育館に来ては
バレー部の部活の様子を見ていた。
周囲からは「両想いなんだぞ!」と囃し立てられたこともあった。
バレーを失ってからっぽだった俺には、美香という好きな女の子への気持ちだけが残っていた。
だから俺は寂しさや悔しさを紛らわすために、美香と一緒にいたい、と強く願った。
けど、美香から返ってきた言葉は俺の想像とは違うものだった。
27:
美香「え、1ってケガしてバレーできなくなっちゃったの」
美香「残念だなぁ。私は、バレーをやっている1がかっこよくて好きだったのに」
美香「…ごめんね」
俺は、好きだった子に、あっけなくふられたのだった。
俺は、バレーボールができなければなんなんだろう?
バレーのない俺なんて、一体何のためにここにいるんだろう?
美香のこの言葉に俺は深く傷ついて、もうどうしてかいいか分からなくなってしまった。
29:
それからは毎日夢で見てうなされるほどになった。
白光がふりそそぐ体育館のオレンジコートの中で、セッターのイイダ(チームメイトだった)が
いい感じにふわっと浮かせたボールを、
誰よりも高く飛んで、打ち下ろす。
瞬間、一際大きな歓声を一身に浴びて、コートの中を走り回って…
そんな夢だ。
目が覚めるととてつもない虚無感に襲われ、泣きそうになった。
30:
3年になった頃、元々部活には消極的で、
難関大への進学を望んでいた義父の影響もあり、
俺は大学進学を目指して、身を粉にして受験勉強に向かった。
母さんも「きっとそれがいい」と言っていた。
31:
いざ受験勉強を始めてみると、
俺が今までずっとバレーボールを続けてきたことなんて嘘のようで、
何もかも最初からなかったんじゃないのか、と感じた。
初めて綺麗にサーブカットを上げられたあの時の達成感も、
先輩たちに囲まれて初めて公式戦に出たあの時の緊張感も、
みんなで組んだ円陣も、スクイズボトルの冷たさも、負けて流した悔し涙も、
全部全部、夢だったんじゃないのか?
と、そんな風に感じてしまった。
32:
そんな時俺は、部屋の片隅にあった煤けたバレーボールを見ては、
「俺は確かにあそこにいたんだ。大丈夫」と自分を鼓舞した。
「バレーがしたい」「仲間と一緒に飛び跳ねたい」
そんな想いと必死に闘いながら、俺は1年間受験勉強に食らいついた。
33:
ただ、結果は残酷なもので、志望校に合格することはできなかった。
色んなものを犠牲にして臨んだ受験だったはずなのに、俺の努力は実らなかった。
義父は考える間もなく、「浪人にしろ」と俺にすすめた。
何もかも上手くいかない現実に、俺は本当に荒れそうになったが、
「車の免許だけはとらせて欲しい」という俺の希望を義父が飲んでくれたので、
俺はなんとか浪人して勉強しようという気になれたのだった。
34:
義父のすすめで、俺は新宿の某予備校に通うこととなった。
浪人中は、本当に辛かった。
どうして俺はこんなところで、やりたくもない勉強をしているんだろうか?
何のために?自分のため?将来のため?
本当は俺は、今頃大学で大好きだったバレーをやっているはずだった…
浪人しても、バレーへの未練はまったく消えていなかった。
35:
中学生の時からずっと思い描いていた夢。理想の自分。
その夢と現実とのギャップは、19歳の俺を苦しめるには、十分すぎるものだった。
今思えば、少し甘えていたような気もするが、
夢を失うっていうのは、本当に「つらい」の一言では片付けられない。
浪人して、夏が過ぎ、秋が終わり、あっという間に冬が来た。
さすがの俺も「今度こそは」と思っていた1月のこと。
センター試験を一週間後に控え、世の中は受験に関係ない人達でさえも、
なんとなく「受験ムード」に包まれ始める。
38:
そんな折、俺の家の近所の体育館で「あれ」をやっているという事を耳にする。
春高バレーの決勝だった。
俺がずっとずっと追い求めていた、夢の舞台。
その年は、なぜだか知らないが埼玉の片田舎の体育館で春高の決勝が行われており、
俺の家からすぐに行ける場所だった。
俺は行こうか行かまいか、心底悩んだ。
39:
センター試験は一週間後。
世間の受験生は今頃死ぬほど追い込みをかけている…
それまで受験のために、バレー関係の事は全て意図的に避けていたのだが…
もう、自分の気持ちに嘘はつけなかった。
俺の見れなかった夢舞台、見に行こうじゃないか!
内心、罪悪感や焦る気持ちもあったが、
久しぶりに「あの空気」を感じられると思うと、嘘のようにワクワクしている自分がいた。
56:
体育館に着いてみると、中は満員だった。
中学の時にも一度春高の決勝は見に行ったことがあったが、
その時以上に混んでいた。
注目の対戦カードは、S高校-O高校。
注目の大エース擁する優勝候補のSと、変幻自在のOがどんな戦いをするのか。
俺はこの決勝に、本当にワクワクしていた。
応援の歓声も、会場の熱気も、とても真冬とは思えない。
ああ、これだ!この感覚!と笑顔になるのを抑えきれなかった。
57:
試合はやはりS高有利に進んでいく。
両者の高校も、バシン!と決めて一点入るたびに、
ワッ!と歓声が起きて、「ドドドドドン!」と応援の地響きが湧き上がる。
俺も一緒に「オッケーー!」と叫んでしまう。
大エースを率いるS高に世間の注目が集まる中、俺は近くにいた高校生の会話が耳に入った。
「O高のレフトエース、身長175ないらしいよ」
「らしいねー。ほんと、どんだけ飛ぶんだって感じ」
「しかも2年生って、すごいよなぁ」
58:
俺はこの会話に耳を疑った。
確かにコートを見てみれば、
オレンジコートで躍動するその姿は、どの選手よりも小柄に見えた。
でも、誰よりも高く飛んで、その小柄な体で大きなブロックを打ち抜いていく。
それも、春高バレーの決勝の舞台で。
彼が決めるたびに、チームが沸き立つ。風が吹く。走り回る。
俺は、この時見たO高校のエースの姿が、目に焼き付いて離れない。
59:
挫折ってつらいよな
60:
それはまるで俺に、
「できないことなんて何もない。諦めなければ誰だって輝ける」
と言っているかのようだった。
試合も終盤に差し掛かれば、
1プレー1プレーに悲鳴のような歓声が湧き起こる。
最後はやっぱり、S高の大エースのサーブで決まり、S高校は優勝した。
62:
オレンジコートの真ん中で、感極まって抱き合うS高校に、
がっくりとうなだれ、コートの外に並んでそれを見つめるO高校。
まさに明と暗。しかし、負けてもなお表情を崩さず、凛と相手の栄誉を称えるように、
コートの外に佇むその姿は、美しささえあった。
俺は、強く憧れた。
優勝したS高校にも、散ってしまったがコートに沢山の風を吹かせたO高校にも。
俺は強く憧れ、もう戻れないバレーの日々を思い出した。
63:
俺もあんな風に飛んでみたかった。
どうして俺は…こんな腰にならなければ!
そんなことを思ってしまった。
憧れの舞台で輝いていた彼らを見て、キラキラした感情が込み上げた裏で、
何もできない自分に対する絶望の念が、心にずっしりとのしかかった。
高く高く舞い上がって躍動していたO高校のエースの姿が、
俺の心に刻み込まれて、離れなくなった。
64:
そして俺は、そんなバレーへの情念を忘れられないまま、
一週間後のセンター試験を迎え、案の定、失敗した。
その後の本試験も、そのまま上手くいかなかった。
自分でもバカだなって思う。
バレーを諦めて勉強に専念しているのに、その勉強すらおぼつかない。
俺は何にもなれない、なんて半端者なんだろうって、自分でも馬鹿らしかった。
そのまま義父に強く叱責を受けて、俺はそのまま2浪した。
自分の行く先も、将来も、何もかもが不透明なまま、
失った夢の幻影だけが心にずっしりと残って、
俺は再び浪人の一年を迎えたのだった。
65:
義父も何かを感じ取ったのか、
さすがに新宿の予備校は負担が大きいだろうと言って、
2浪目からは、家の近所の予備校に通うこととなった。
だが俺の腐り加減は凄まじく、予備校に通うフリをして、
毎日公園に行ってぼーっとしたり、ゲーセンに一日中篭っていたりした。
66:
時には、夜も友達の家に泊まると偽り、
秋葉のアニクラに行って朝まで騒いでいる、なんてこともあった。
バレーに夢中だった頃の自分なんてすっかり影を潜め、
もう本当に、ただの「ダメ人間」でしかなくなっていた。
それを自覚する度、昔の自分や、昔の仲間、美香のあの一言、そして、
春高のオレンジコートで羽ばたいていた、あの小さなエースの事を思い出した。
67:
もう俺には何も出来ない。
あんな風に輝けることは、一生ない。
そんな気持ちだけが、いつも心にあった。
夏前になって、予備校に連絡を入れた義父によって、
俺が予備校をすっかりさぼっていることがバレて、本当にひどく怒られた。
そこで、義父から思いもよらない提案を受けた。
68:
義父「お前は東京にいるから、勉強に散漫になるんだ」
義父「夏の間、田舎に行って勉強に集中してこい。俺の実家に泊まれるから」
それはまったく予期せぬことで、
俺はこの提案に驚いたが、自分でもちょうど東京から少し離れたいと思っていた。
全然知らないところに行って、少し何も考えない時間が欲しかった。
勉強するかは、別として。
70:
俺は義父の提案を受け入れて、2浪目の夏、
義父の故郷の田舎に行くこととなった。
69:
いい義父さんで良かったな
71:
>>69
堅い人ではあるけど、決して悪い人ではないんだ。
まあ、それでもやっぱり色々考えちゃうけどな
72:
そんなわけで、簡単な着替え一式と勉強道具を担いで
一路義父の故郷へと向かうことになった。
季節は7月も中盤。まさに、夏の始まりの頃だった。
新宿から慣れない特急列車に乗った。
高1の時、Vリーグの試合観戦のために一度だけ乗ったことのある特急だった。
そして揺られること1時間以上、幾つものトンネルを抜けて、
山あいの田舎に辿り着いた。
73:
電車から降りると、けたたましいほどの蝉の声が俺を包んで、むわっと熱気を感じた。
でもそれは東京とは違って嫌な熱気ではなく、
どこか溌剌とした、爽やかな暑さだった。
小さな駅舎の古びた改札を抜けると、
目の前には信じられないほどひらけた景色が広がっていた。
少しだけ標高が高く、視界を遮るものが何もないから、遠くの山がよく見える。
山と青空の境目がくっきりと浮き立っていて、遠くには麓の市街地が見えた。
74:
山側を振り返ると、畑のようなものが斜面にいくつも広がっていて、
これが教科書で見た「扇状地」ってやつなのかも、って思った。
そこら中を沢山の緑や畑が埋め尽くしていて、
「ああ、これは田舎だわな」とすぐに思った。
一体なんの畑なのか、木の棒が打ち付けられた畑が沢山並んでいる。
よく見れば房のようなものがぶら下がっていて、ぶどう畑か何かなのかな、と思った。
75:
駅に面した道はそれなりの大きさだけど、
ぐらぐらと陽炎で揺れていて、滅多に車が通る様子もない。
道沿いには軽トラが止められていて、
近所のおばさんたちが世間話をしている。
なんてのんきな所なのか。
生まれてからずっと東京で過ごしてきた俺にとっては、
「本当にこんなところもあるんだな」と太陽の熱射線に朦朧としながら思った。
76:
義父からもらった地図を頼りに、駅前の道を右に進んで、
線路沿いの坂道をずっと登って行く。
坂道には木漏れ日がちらちらと差し込み、蝉しぐれが降り注いだ。
暑くて暑くて、もうダメだ、なんて思っていると突き当りにタバコ屋があって、
そこを右にまがって線路を越えると、義父の実家があった。
81:
うちの実家も、いっそこのくらい田舎だったらいいのに
中途半端は一番いけないと思うの
90:
「○○書道教室」と小さな看板が掲げられていて、入り口が二つあった。
「書道教室ってことはここだな…」と思いつつ、
なかなか家に入れずその場で立っていた。
わきにまた木の杭の打たれた畑があって、
「ここにもあるよ」と思ってまじまじと眺めた。
やっぱり実っているのはぶどうで、この家でもぶどう作ってるのかな、
なんて余計な事を考えていた。
92:
そんな風にして数分家の前で立っていると、
ガシャン、と自転車を降りる音が聞こえた。
振り返ると、大きなエナメルのバッグを背負った制服の女の子が立っていて、
そわそわした様子で俺を見ていた。
俺は焦ってすぐさま「こんにちは、」と言うと、
女の子も「どうも…」と小さく会釈をした。
炎天下の中自転車をずっと漕いできたのか、顔は真っ赤だった。
93:
そのまま家の横の水道の近くに自転車を置くと、ぱたぱたと家の中に入って行き、
「お母さん、来てるよー!」と声を上げた。
俺は瞬時に、「行かなきゃ」と思って、続けざますぐに家に入った。
家の中にはおばさんがいて、
「はじめまして、1君来てたんだね」と俺に挨拶してくれた。
「聞いてはいたけど、やっぱり背が大きいね」
ちなみにおばさんは義父の弟の嫁さんに当たる。
俺も初対面で緊張していたが、ここに来るまでに何度か電話で話した事はあった。
95:
俺が、「お世話になります」と言うと、優しく笑って
「1君の部屋は2階のあいてるとこだから。荷物、入れちゃってね」と言ってくれた。
そのあとすぐに、おばさんが
「奈央!ローファーのかかと踏んじゃダメだっていつも言ってるでしょ!」
と声をあげると、2階から
「うるさいなぁ!分かったよ!」という女の子の声が返ってきた。
そこには確かに、かかとを踏み潰されたローファーが転がっていて、
俺はそのやりとりが微笑ましくて、思わず笑ってしまった。
97:
自分の荷物を2階の部屋に入れ、1階のリビング(と言っても、畳張りなのだが)へ降りると、
台所から出てきたおばさんにすぐに声をかけられた。
おばさん「悪いじゃんね、奈央がうるさいと思うけど、許してあげて」
俺はすぐにあの子の事だな、と察して、
「いえいえ、全然大丈夫ですよw」と答えた。
俺「奈央ちゃんは、今何年生なんですか?」
おばさん「高3だよ、だから受験なの〜」
俺「え、そうなんですか」
俺は自分と2つしか歳が変わらない事に驚いた。
98:
おばさん「全然勉強する気がないから、困るじゃんねー、1君勉強教えてあげてw」
そう言われて俺は、「それはさすがにw」と苦笑してしまった。
おばさん「ここまで来るの、迷わなかった?」
俺「あ、それが。案外すんんり来れましたね」
俺がそう言うと、おばさんは「わ、それはすごい」と驚いた様子だった。
おばさん「そうそう、スイカがあるんだった。切ってあげるから、1君食べなよ」
俺「え、そんな、悪いですよ」
おばさん「いいのいいの。暑い中歩いてきて、喉も渇いたでしょう」
おばさん「今、冷たい麦茶とスイカ出すからね。待ってて」
ぱたぱたと支度を始めるおばさんを前に、俺も言葉に甘えてしまう。
99:
遠慮しつつも、炎天下の中を歩いてきてとても疲れていたから、
冷たい麦茶にスイカ、考えただけでワクワクしてしまった。
おばさん「奈央ー!スイカ切ったげるから、1君と一緒に食べたらー!」
おばさんが、階段下から2階に向かって呼びかける。
だけど反応はなく、奈央が下に降りてくる様子はない。
おばさん「うーん、あの調子じゃ、来ないかも」
俺の方を見て申し訳無さそうに苦笑いするおばさんを見て、俺は答える。
俺「いや、それは仕方ないですよ。こっちも突然押しかけて、申し訳ないです」
101:
おばさん「いや、全然そんなことはないんだけどw」
おばさん「あの子、人見知りだから。慣れるまで、ちょーっと時間かかるかもね」
おばさんはそう言い残して、いそいそと台所へと入っていった。
しばらくすると、俺の期待通りのスイカと、氷がごろごろと入ったグラスに麦茶が出てきて、
思わず「うわ、すごい!」と口をついて出てしまった。
「いただきます」と言ってスイカを頬張ると、
まだ少し早い、夏の入り口をかじったような気がして、
受験勉強をしに来たというのに、心が躍った。
102:
おばさん「ごめんね、こんなスイカしかなくてさ」
おばさん「夜は、もうちょっとちゃんとするからね」
俺「いや、とんでもないですよ。スイカ、久しぶりに食べました」
俺「こんなに、美味しかったんですね」
俺が感激してそう言うと、
おばさんは少し笑って「それならよかった」と安堵の表情を浮かべた。
103:
そんな風にして、俺はスイカを食べながらテレビで昼過ぎのワイドショーなんかを見て、
まだ始まったばかりのゆったりとした夏の時間を過ごしていた。
すると、ぱたぱたぱた、と慌ただしい音が聴こえてきて、玄関の方から声がした。
奈央「お母さーん!ちょっと、出かけてくるからね」
おばさん「あら、どこ行くの」
奈央「ちょっと友達と勉強しに行ってくる」
おばさん「勉強なんて、家でもできるのに」
奈央「家じゃ集中できないの!」
俺はもう食べきったスイカを眺めながら、ぽかーんとその会話に耳を傾けていた。
104:
奈央「じゃあね!」
おばさん「ちょっと奈央、夕飯はどうするの」
奈央「多分夕方には帰ってくるから、食べる!」
おばさん「気をつけて行くのよ!」
そして、バタン!と音がすると、窓の外でガシャ、と自転車を出す音が聞こえて、
奈央は勢い良く出かけていった。
俺は一連のその様子を見て、このクソ暑いのに元気だなーなんて思っていた。
「ごちそうさまでした」と言いながらスイカの器を台所まで運んでいき、
「あら、そのままで良かったのに」なんて言われながら「いえ」と会釈して、
再び自室である2階の部屋に戻った。
105:
畳六畳ほどはあろうかという部屋に、整然とたたまれた布団が置いてあって、
その脇には小さな机が置かれていた。
扇風機なんかもおいてあって、窓からは山あいの緑の景色と青空が広がっていた。
扇風機のスイッチを入れて、心地良い風を浴びながらその景色を眺めると、
「夢みたいなところに来ちゃったなぁ」と思った。
おまけに、窓際に吊るされたくすんだ風鈴の「チリン」という音が、
その夢見心地になおさら拍車をかけるようだった。
106:
あんまりに気持ちいいものだから、
俺はそのまま畳まれていた布団にもたれかかって横になった。
でも、こんな状況になっても浮かんでくるのはやっぱりバレーのことだった。
半分眠りに落ちていくフワフワとした頭のなかで、
コートを駆け巡ったあの日の光景とか、美香に言われたあの一言とか、
春高の決勝で羽ばたいていたあのエースのこととか、
色んな記憶が頭をよぎった。
107:
そんな事を考えているうちに、俺はすっかり眠ってしまって、
目が覚めるとすっかり外は夕方の光景に様変わりしていた。
さっきまでの真っ白な陽の光ではなく、景色は若干オレンジがかっていた。
体中汗だくになっていて、俺はリュックに入っていた生ぬるい水を飲んだ。
そんな風にしてぼーっとしていると、窓から風が入ってきて風鈴が音を立てる。
ああ、やっぱり夢じゃなかったのか、なんてぼんやりと考えていると、
何やら「バン、バン」とボールを弾く音が外から聴こえた。
108:
「なんだなんだ」と不思議に思って、窓から外を眺めてみても、
その音の正体は掴めなかった。
俺は仕方なく、起き抜けの怠い体で1階に降りていき、玄関から外へ出た。
夕方とはいえ、外に出ると熱気が一気に押し寄せてきて、心が折れそうだった。
とても近くで、ジワジワジワジワ…と蝉が鳴く声が聞こえた。
家のもう一つのドア(書道教室側)の前には沢山の自転車が止まっていて、
どうやら書道教室の時間になっていたらしい。
おばあちゃん、義父の母にあたる人がここで書道教室をしている、
というのは話に聞いていた。
109:
もしかしたら、さっきの音はこの教室からだったのか?なんて思ったけど、
家の裏の方から「ばん!」とボールを叩く音が聞こえて、
俺はすぐに家の裏へと回った。
俺「あ……」
奈央「あ、どうも…」
そこには、家の裏手の斜面に向かって壁打ちをしている奈央がいた。
しかも、持っているボールは紛れもなくバレーボールだった。
俺はそれに気付いて、瞬時にドキッとしてしまった。
110:
俺「練習…かな?バレーするんだね」
奈央「ええ…まあ」
奈央はそう言うと、軽く頷いて再び壁打ちを始めた。
俺「3年生って聞いたけど、部活はまだ引退じゃないんだ」
奈央「…はい。最後の試合がまだあるんで」
練習の邪魔をされたくない、とでも言わんばかりに、
奈央は俺の質問に淡々と答えた。
111:
俺「バレーって、楽しいよね」
俺のその一言にはっとしたように、奈央はこちらを見た。
奈央「え、バレーやってたんですか?」
俺「うん、ずっとやってたよ。すっごい好きだった」
奈央「そうなんですか…!そういえば、東京って…どんな高校だったんですか?」
先ほどまでの平板な顔色が一変して、奈央の表情が笑顔に変わっていた。
俺はそれに気付いて少し嬉しくなりながら、会話を続けた。
俺「うーん…まあまあ強かったかなぁ…○○高校っていう…」
奈央「あ、なんか聞いたことあります」
俺「そっか、それは嬉しいな」
112:
ジワジワジワ…という蝉の声が俺たちを包んで、少しだけ空間が間延びした。
奈央は、一心に壁打ちを続けた。
奈央「じゃあ…その、けっこう本気でやってたんですか」
俺「ん…まあね。春高出場とか、もっと言えば優勝とか…考えてたな」
奈央「すごい…え、でも。もうバレーは…?」
奈央の質問にちょっとだけドキッとしたものの、俺は続けた。
俺「まあ、色々あって…やめちゃったんだよね」
奈央「そうなんですか…」
俺「ん、まあね」
113:
時たま吹き抜ける風が、木々のさざめきと共に少しだけ涼しさを運んでくれた。
家の表の方から、書道の帰りなのか子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。
奈央「あの…」
俺「どうしたの?」
奈央「もし良かったら…ちょっとだけ対人、付き合ってもらえませんか」
奈央「壁打ちだけだと…やっぱりあれで」
俺「ああ…いいよ、全然オッケ」
対人というのは、バレーの基礎練の一つだ。
二人で向い合って、ボールをパスしあう。
116:
奈央「いきます」
俺「よし、来い!」
奈央がボールを掲げ、俺の方に打ち込んでくる。
俺「お、なかなかイイ球打つね」
俺がレシーブを上げると、そのまま奈央からトスが返ってくる。
俺は「いくよ」と言ってそのままボールを打ち放つ。
バシン、と手のひらにミートして、気持よく奈央の元にボールが向かう。
久々にボールに触ったけれど、そこまで感覚は鈍っていないようだった。
118:
奈央が、「はい!」と言ってレシーブをする。
ふわりと浮かんできたボールを、俺は両の手でキャッチし優しくトスを返す。
瞬間、少しだけ陰っていた空からにわかに光が溢れて、構える奈央を照らした。
俺は動揺して、打ち込まれたボールのレシーブを失敗した。
奈央「あ、ごめんなさい…」
俺「いや、今のは捕れた…こっちがごめん」
夏の夕暮れに、こうして対人をする…
俺は、大事な事を思い出していた。
119:
中学の頃、体育館が満足に使えず、こうしてよく外で対人をすることがあった。
バレーを始めたばかりで、上手くなっていくのが本当に楽しかった。
夕暮れから、真っ暗になってボールが見えなくなるまで、仲間と無心にボールを追いかけまわした。
あれは、なんだっけ。夏の総体の前で、みんな燃えていたんだっけ。
奈央「どうかしました…?」
俺「あ、ごめん。なんでもない」
考え事にふけってしまったせいで、奈央が心配そうにこちらを見ていた。
120:
奈央「たまに、上手く打てないことがあるんですよね…」
俺「ああ、強く打ち込もうとか、叩きつけるとか考えないほうがいいよ」
奈央「あ、はい!」
俺「手のひらでボールをしっかり捉えれば、力む必要はないから」
奈央「…なるほど。もう一回いいですか?」
俺「うん、全然いいよ」
この子、案外一生懸命なんだなぁって、
俺は思わず笑ってしまいそうだった。
127:
情景の描き方が懐かしい感じだな
保守
133:
奈央「…あの」
奈央がボールを追いかけながら、俺に質問してくる。
俺「…うん、何?」
奈央「ポジションはどこだったんですか」
俺「俺は、レフト。一応、エースだったんだよね…」
奈央は「へー…」と言いながら夢中でボールを追いかけていた。
俺「じゃあ、奈央…さんは?」
奈央「私も…レフトで、一応エース…」
俺「お、すごいね!」
奈央「いや、全然そんなんじゃないです…」
俺の言葉を聞いて、奈央は表情を曇らせた。
何か、まずいことでも言ったんだろうか。
こうして、しばらく二人で対人を続けた。
134:
奈央「あの、少し休憩しませんか」
奈央はそう言うと、家の表の方へと駆けて行った。
玄関の脇に水道があって、勢い良く蛇口をひねって水を飲み始めた。
水道の下にはバケツに入ったキュウリの束が置かれていた。
奈央「おばあちゃんかな、こんなとこにおいて」
奈央「いいや、水入れといちゃえ」
135:
そう言って、バケツにじゃばじゃばと水を入れていく。
青々としたキュウリの群れが、気持ちよさそうに、
ぷかぷかと水の中に浸っていく。
奈央「どうせだから、水もあげちゃうか」
続けざまに、近くにあったひなびたジョウロに水を入れていく。
そして玄関付近の花壇に、ばーっと、何というか大雑把に、水を蒔いていく。
奈央「うん、これでいいかな」
そう言うと、奈央は少しだけ笑みを見せた。
俺はその様子を見て、少し感心して聞いてみた。
136:
俺「この黄色い花、なんていうの?」
奈央「えっと……確か、マリーゴールド、だったかな」
俺「そうなんだ。綺麗だね、なんか夏っぽくて」
奈央「確かに、この燃えてるみたいな色、いいですね」
奈央「個人的には、ひまわりのが好きだけど…」
俺「あ、そうなんだw」
夏の明るい夕日を浴びて、花壇の花達は元気に揺られていた。
137:
そんなやりとりをして、また少し沈黙になりそうな時だった。
奈央「はーあ、もう少しで部活も終わっちゃうなぁ…」
奈央がため息を漏らすように、口にした。
俺「あー、確かに。でも、もう総体とかは終わった時期…だよね?」
奈央「そうですね…総体は負けちゃいました」
俺「大会って言ってたけど、何の大会?」
奈央「地区の、夏季大会です。ちっちゃいですけど…どうしても勝ちたくて」
奈央「最後に、みんなで何かを成し遂げたいなって……」
座り込んで、愛おしそうにボールを眺める奈央に、俺ははっとさせられた。
138:
俺「奈央さんは…バレーがすごい好きなんだね」
奈央「はい、好きです!…できたら、ずっとみんなでバレーしていたいです」
照れ隠しなのか、奈央はちょっと苦笑いだった。
奈央「1さんは、バレーやめちゃったって言ってましたけど…」
奈央「大学に行ったら、きっと続けるんですよね」
奈央「きっと、上手いだろうし」
139:
「あ……」
瞬間、言葉が詰まって何も言えなくなる。
奈央の言葉が俺の胸に突き刺さって、じんじんと痛みを感じるくらいだった。
どうしよう、なんて答えればいいのだろうか。
俺「もう、バレーはやめたって言ったじゃん」
奈央「え…?」
俺「ごめん、俺先に家の中に戻ってるね。」
戸惑う奈央をよそに、俺は急いで家の中へ戻って2階へと駆け上がった。
140:
俺は、何をやってるんだ。
明らかに不機嫌な態度をとってしまった。
奈央は別に何も悪くないのに。
俺はただ、奈央が羨ましかった。羨ましくて、悔しかった。
141:
屈託なく「バレーが好きです」と言い切れる奈央が、羨ましかった。
俺にとってバレーは「好きだった」ものに成り果てていたから、
今を楽しくバレーができる奈央が、羨ましくて、一緒に居られなかった。
そして相変わらず、腰からはあの鈍い痛みを感じた。
たった一瞬、奈央と対人をしただけだったのに。
部屋に戻ってからも、奈央のバン、バン、という壁打ちの音はしばらく聞こえた。
俺はその後、夕飯の時間まで部屋に篭って勉強に没頭した。
奈央についてしまった悪態も、バレーのことも、これからの事も、何もかも忘れたかった。
153:
おばさん「1君、夕飯できたよー」
気づくと、1階から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「はーい」と生返事をしつつ1階の居間に降りると、
おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん(義父の弟)、奈央がテーブルを囲っていた。
俺は身構えて再び自己紹介をして、食卓についた。
おばさんが台所から出てきて、「とってもいい子だよ」と言って笑った。
154:
おばあちゃんはにこにこして「よく来たじゃんねぇ」と喜んでくれた。
おじいちゃんはあまり表情を崩さず、少し怖い印象を受けた。
そして、おじさんはビールを飲みながら
「まあ何もない田舎だけど、ゆっくりしてけしw」と笑っていた。
義父の堅い印象とは裏腹に、とても温和そうな人に見えた。
なんでも、地元の農協で働いているのだとか。
155:
奈央はテーブルの向こうに座っていて、力なく笑っていた。
さっきはもっとハキハキした子に見えたけど、家族の前だとやはり恥ずかしいのだろうか、
それとも、俺の最後の態度にひっかかる所があったからだろうか…
どうしようか、奈央にいつ謝ろうか、そんな事を考えているうちに、
目の前には沢山の料理が出てきた。
初日の料理は印象的で、おばさんが張り切ったせいなのか、
豚の生姜焼きに、そうめんに、外で冷やしてあっただろうキュウリの浅漬やトマトなど、
夏っぽいメニューがわんさか出てきて、それはもう食べ切れなかった。
156:
おばさん「奈央、1君とは話した?」
奈央「え、うん…ちょっと」
おばさん「そう、それならよかったw」
奈央はいかにも気まずい、という感じで下を向いてしまった。
おじさん「奈央も見習って勉強しっかりやらんとだめだぞ」
奈央「わ、わかってるよ、そんなこと」
おじさん「信用出来ないな〜w」
どうやらおじさんは、少し酒に酔っているようだったw
みんなでテレビを見て元気に笑いながら夕飯は進み、
夏の宵闇の時間が過ぎていった。
157:
夕飯が終わるとおばさんが片付けを始めたので、
俺も率先して洗いものを手伝ったりした。
奈央に一言声をかけようと思ったものの、
ご飯が終わるとすぐに部屋に戻ってしまった。
ふと、縁側で食後の一服をしていたおじさんに呼ばれた。
おじさん「1君、こっち来おし」
俺「あ、はい」
縁側に座ると、外の青臭い夏の匂いを感じた。
わずかに、「リリリリ…」という虫の声も聞こえた。
空には、微かに星が光っていて、俺は「はー…」と唸ってそれらを眺めた。
158:
おじさん「どうでこっちは?すごい田舎でしょw」
俺「ああ…そうですね。色々初めてです、こういうの…でも、いい感じですね」
おじさん「それはよかったw」
おじさん「でもなんだか不思議なもんだよねぇ」
おじさんは、そう言ってゆっくりと煙を吐き出す。
俺が「何がですか」と聞き返す前に、おじさんは続けた。
おじさん「1君は、今いくつ?酒は飲めんのけ」
俺「あ、20歳なので…たまには飲んだりも」
おじさん「それはいいなw」
おじさんは嬉しそうにおばさんを呼んだ。
おじさん「母さん、ちょっと瓶持って来てよ!あとグラス2つね」
159:
家の奥から「もー、はいはい」という声が聞こえて、
俺とおじさんの間に、冷えた瓶ビールとグラスが置かれた。
おばさん「1君は勉強しに来たんだからー…あんまり変なことさせちょし」
そう言われて、おじさんは「わーかってる!少しだけだから!」と苦笑いした。
こうして見ているとおじさんはまるで小学生のように楽しい人で、(酔っているのもあるが)
あの義父の弟さんには、やっぱり見えなかった。
そして独特の方言も、なんだか俺には心地がよかった。
160:
おじさん「ほらほら」
おじさんが楽しそうに俺の持ったグラスにビールを並々と注いでいく。
もう大丈夫ですwと言ってもおじさんは子供のように「まだまだ」と言って聞かなかった。
おじさん「じゃ、乾杯だな」
そう言われて、カチンとグラスを突き合わせた。
夏の夜風に混じって「リーーン」と虫の声が聞こえる中で飲むビールはやっぱり美味しくて、
思わず二人で「かぁー!」とうなってしまった。
しばらくおじさんは、黙って煙草を吸い続けた。
途中、「吸うけ?」と言われたが、俺はそれとなく断った。
161:
おじさん「お父さん…って言っていいのかあれだけんど」
俺「はい?」
おじさん「アイツとは、上手くいってるけ?」
さっきまでのにこやかな表情ではなく、少しだけ物憂げな表情に変わっていた。
俺「ああ、まあ…ハイ。それなりには」
おじさん「ほうけ。それならまあ…ごめんね、変なこん聞いちゃって」
俺「いえ、とんでもないです…」
俺がそう答えて、しばらくその場で虫の鳴き声だけが響いていた。
俺「僕の方こそ、突然押しかけて…これからお世話になります」
俺がそう言うと、おじさんは力なく笑って「ゆっくりしてけばいいよ」と言ってくれた。
162:
その後、おじさんとしばらく縁側で話したが、
「勉強なんてテキトーでいいだ」だの「今度一緒にパチンコでも打ちに行かないか」など、
あまりに義父とかけ離れたことばかりを言われて、驚いた反面、
今までプレッシャーの中にいたので、とても安心できたのを覚えている。
これは俺の勝手な予想だが、もしかしたら息子ができたと思ってくれたのかもしれない。
そうだったら嬉しいな、という俺の気持ちだが。
163:
次の日は、起きて居間に降りるともうおじさんと奈央の姿はなく、
おじいちゃんとおばあちゃんが朝ごはんを食べていた。
おばさん「おはよう、朝ごはん今するからね」
俺「あ、ありがとうございます。あの、奈央さんは…」
おばさん「あ、奈央?部活だってさっき出かけてったねぇ」
おばさん「図書館行くとか言ってたから、今日は夜まで帰ってこないと思うけど」
俺「ああ、そうですか…」
結局昨日の事を謝るタイミングを失ったな、と俺はがっくりうなだれた。
164:
田舎の気のいいおっさんってこんな感じだよな
にしても方言っていいな
165:
おばさん「何?奈央に何か用事あった?」
俺「いえ、そういうワケではないんです」
俺はそのまま用意されたご飯を食べて、日が傾くまで部屋で勉強に集中した。
西日が差し込んでくる頃にはさすがに集中力が切れて、
ちょっと散歩でもしようかなって思った。
家の一階が何やらガタガタ騒がしくなったので、ちょっと気になって見に行ってみようと思った。
開けていいのか分からなかったが、書道教室の部屋に続くドアをそーっと開けて覗いてみた。
166:
何人もの小学生が長机に座って、みんなそれぞれに書道をしている。
全然集中しないでだれてる子もいれば、背筋を伸ばして集中している子もいる。
俺はそれがおかしくて、「ぷっ」と笑ってしまった。
その内のぞいてるのがバレて、男の子に、「あ、誰ー!?」と指さされた。
その騒ぎは瞬く間に広まって、
「初めて見る人だ!」「兄ちゃん誰!」と次々に集まってくる。
「先生これ誰ー?」と集まってくる生徒に、おばあちゃんは「はいはい、席に戻ってね」
と冷静に対応している。
おばあちゃん「この人は1君。今先生の家に泊まって受験勉強してるの」
と優しく説明をする。
168:
「え、じゅけんせいなの?」「ろうにんせいってやつじゃない!」
と、騒ぎが収まる様子はない。
俺も仕方なしに「こんにちは」などとテキトーな挨拶をして対応する。
おばあちゃん「1君は夢に向かって勉強してるの。みんなも見習ってね」
おばあちゃんのその一言が俺の心にぷつっと刺さって、俺は我に返った。
「え、なにそれ!」「兄ちゃんどっから来たの」などと、騒ぎが続く中、
おばあちゃんに「失礼しました」と一言謝って、すぐにその場を離れた。
169:
「俺の夢ってなんだ。」
おばあちゃんは俺が夢に向かって邁進してるように見えたんだろう。
勉強して、その先にかけがえのない夢がある、と―
俺は今、一体何のために勉強しているんだろうか。
そんな疑問、最初からあったのだけど、それすらも忘れようとして、
東京で色々問題を起こして、今ここに流れ着いて―
玄関に置いてあった、奈央のボロボロになったバレーボールを見て、
俺はそんなことを何度も何度も考えた。
170:
それから数日は、奈央と上手く顔を合わせることがほとんどなく、
二人で対人したあの時の事を、ずっと謝れずにいた。
なぜだか俺はそれが気がかりで仕方なくて、勉強にも身が入らなかった。
171:
数日後の朝、居間に降りるとやけにバタバタして落ち着かない様子だった。
奈央「お母さん!なんで起こしてくれなかったの!」
おばさん「やーね。何度も起こしたじゃない。アンタ、大丈夫だって言うから」
奈央「もー、これじゃ間に合わないよ!」
寝坊してしまったのか、奈央がえらい剣幕でおばさんと口論していた。
172:
おばさん「ほんとね。この電車には乗れないから…そうすると30分以上あくわね」
おばさんが、時刻表らしきものを見ながらつぶやく。
奈央「集合時間に間に合わないじゃん…お母さん車で送ってよ」
おばさん「だめよ。私今日早番だからもう行かないとだから」
奈央「はー?何で今日に限ってぇ!」
おばさん「おじいちゃんとおばあちゃんは病院に行っちゃったし、だめだからね」
奈央「マジ有り得ない!じゃあ本当に遅刻じゃん…!」
その口論は収まる気配もなく、俺は階段の脇から眺めていた。
187:
機をうかがって、どうしたのかと事情を尋ねてみる。
俺「あの、どうしたんですか…?」
おばさん「奈央、今日野球の応援だったらしいんだけど、見ての通り寝坊しちゃったのよ」
俺「ああ、なるほど…」
おばさん「野球の応援くらい、ちょっと遅刻したっていいんでしょ?」
おばさんが呆れた様子で奈央に問いかける。
奈央「だめ!絶対に行かないとなの!」
まるで見に行かないと死んでしまうとでも言わんばかりに、奈央の語気は荒かった。
おばさん「何をそんなに怒ってるのか知らないけど…無理なもんは無理よ」
おばさんにそう言われて、奈央は涙目になって肩を落とした
188:
俺もさすがにそれが見ていられなくて、一言聞いてみる。
俺「あの、車を出せば間に合うんですか?」
おばさん「え?まあ、今から電車で行くよりは…」
俺の言葉を聞いて、奈央がはっとした表情でこちらを見た。
俺「俺、車の免許ありますし…送っていけないことはないですけど」
俺がそう言うと奈央はまた一気に勢いづいて、
「ね、ね、お母さん!いいよね!?」とまくし立てた。
189:
おばさん「あのねぇ、1君に迷惑でしょ…」
奈央「でも他に車出せる人いないんだし、いいじゃん!」
おばさん「はーもう…この子ったら…」
おばさんはそう言って、微妙な面持ちで俺の方を見た。
俺「そういう緊急事態だったら、全然いいですよ」
俺「大丈夫です、安全運転で行くんでw」
おばさん「それじゃ悪いけど、このわがままな子連れてってもらえるかしら」
おばさん「本当に、気をつけてね。急がなくていいからね」
おばさんはそう言って、俺に車のキーを手渡した。
190:
奈央もバタバタした様子で、急いでカバンやら荷物を持ってくる。
出かける間際、おばさんが俺と奈央に、
「暑いから」とペットボトルのポカリをくれた。
車に乗り込むと、案の定中は蒸し風呂のような熱気に包まれていて、
奈央が「早く冷房、冷房」と俺を急かした。
俺「すぐにはクーラー点かないから、ちょっと窓を開けておこう」
そう言って窓を開けると、外から「ジジジジジジ…」とやかましいくらいの蝉の声が聞こえた。
入ってくるのは蝉の声ばかりで、ちっとも風は来なかった。
201:
初めて乗る車だったので最初は緊張したものの、しばらく運転していれば
すっかり調子をつかみ、俺の中にも余裕が生まれてきた。
俺「おばさんの車を借りてきたみたいだけど…いいのかな」
奈央「お母さんは自転車で仕事に行くから…大丈夫です」
俺「そっか」
車内に二人きりという事もあって、なかなか会話は続かない。
俺は「奈央に謝らないと」と何度も思ったが、それもなかなかに口にできない。
202:
奈央「あの、なんか…迷惑かけちゃって…すいません」
俺「え、何が?別に、全然いいよこのくらい」
俺「こっちも篭もりきりだし、良い気分転換になるよ」
奈央「そうですか…ありがとうございます」
俺はその奈央の受け答えが妙にモヤモヤした。
203:
俺「その敬語みたいな…やめない?」
奈央「え?」
俺「言うて2つくらいしか変わらないし、親戚なわけだし…」
奈央「あ、じゃあ…はい。分かった」
俺「うん、それでいいよ」
奈央は戸惑いつつも、俺の提案を受け入れてくれた。
俺はなんとなく、それがちょっとだけ嬉しかった。
204:
俺「あのさ、この前はごめんね」
奈央「え、何が?何かあったっけ…」
奈央は本当に何のことなのか分かっていないようだった。
俺「この前、家の庭で対人した時…突然やめちゃってごめんね」
奈央「ああ…あの時の…」
奈央「あれは、私も変な事言っちゃったかなって思ってたし…」
俺「ううん、そんな事ないよ。…だから、ごめん」
奈央もなんて答えていいのか分からないようで、
「いや、そんな…」と言ってしばらく黙っていた。
俺はまた変な空気にしちゃったかな、と思って胸が騒いだ。
205:
奈央「もし」
俺「うん?」
奈央「またああいう事があったら、対人してくれない?」
奈央「一人でやるより、ずっと練習になったから」
俺「ああ、いいよ。いい息抜きになるから、声かけて」
そう言うと奈央は、「うん、よろしくね」と笑みを浮かべて手元のスマホをいじり出した。
俺も奈央のその表情を見て、なんだか安心した。
良かった、謝れて。
結局思いつめていたのは俺の一方的な感情で、
奈央はずっとずっと、心の広い子だったようだ。
206:
横を見ると、助手席に座る奈央の髪の毛に、キラっと光る髪留めが見えた。
よく見れば、何かオシャレをしているようにも映った。
俺「その、髪留めは―」
奈央「これ?別に……」
俺「いいんじゃない。似合ってると思うけど」
奈央「え、本当に?変じゃない?」
俺はそんな奈央を見てちょっと笑ってしまって、
「大丈夫、変じゃないから」と答えてあげた。
207:
奈央は、手に何か大事そうに持っていた。
野球のユニフォームの形をした、お守りのような…そんなものだった。
俺「それは、お守り?」
奈央「あ…ま、そんなとこ」
俺は「ははーん」と思って、微笑ましい気持ちになった。
奈央がどうしてそこまで時間どおりに行くことに固執していたのか、分かった気がした。
そう気づくと、自分でもにやけを抑えるのに必死になってしまって、少し大変だった。
208:
30分も車を走らせていれば、目的地である野球場に近づいてきた。
球場の敷地に入って、「駐車場はどこだ―」なんて言いながら進んでいると、
奈央が突然「あ、ニシ君!」と外を見て叫んだ。
俺が「は?」と言って聞き返す前に、
奈央は「ここでいいから!止めて止めて!」と座席を揺らした。
俺「帰りは、どうすんの?」
奈央「終わったらガッコ戻るから、別にいい!」
奈央は「ありがとね!」と言って勢い良く車から飛び出して行き、
球場脇にいた数人の野球少年たちの元へと走っていった。
そして、先頭に居た精悍な顔立ちをした少年と話しているようだった。
209:
甘酸っぱいw
支援
210:
青春だな
211:
「なるほど―あれが、ニシ君ってわけね」
俺は、「お守りちゃんと渡せたかなw」なんて思いつつ、
おばさんから借りた軽自動車を駐車場に停めて、球場へと向かってみた。
なぜだか知らないけど、俺は妙に楽しくなってしまって、
ちょっとウキウキした気持ちで球場へと歩いて行った。
212:
球場と言ってもとても簡素な作りで、
ほとんど屋外運動場のようなものだった。
両校の応援と、父兄らしき人や他校の野球部?が大勢いて、それなりに観客が来ていた。
かくいう俺は一塁側近くの外野席のようなところに座って、
遠くから試合を眺めることにした。
どうやら、奈央たちの高校は一塁側のスタンドのようで、なかなかの大所帯だった。
俺は、「そもそもこれ何回戦なんだ」とか疑問に思いつつ、
頭からタオルをかぶって、おばさんからもらったポカリをグッとあおいだ。
213:
昼前の良い時間帯で、球場には屋根も何もないから、
頭上からは嘘みたいに真っ白な日光が降り注いで、
今にも焼け焦げてしまいそうなほどだった。
「ミーンミーン」と遠くから聞こえる蝉の声でぼーっとしていると、
三塁側から「パパパーン!」と「ねらいうち」の演奏が勢い良く始まって、
「あ、始まったんだな!」と体を起こした。
214:
遥か遠くで、球児たちが元気いっぱいに躍動している。
どちらの高校が打っても球場全体に「ワアアアア!」という歓声が沸き起こり、
「パーパーパッパパー!」というブラバンの演奏が高らかに鳴り響く。
それは見ていてとても爽快なもので、全然関係ない俺も、
「よっしゃあああ!」「いいぞー!」と声を荒げるほどだった。
ブラバンの演奏がまた面白くて、
エヴァの曲だとか、ドラクエの曲みたいのまで吹いてて、
今はなんでもありなんだなぁ、と聴いていて楽しくなった。
定番の曲もいいが、知っている曲が流れてくると、何だか嬉しい。
215:
そんな風にして俺も興奮していると、
『4番、ピッチャー、ニシ、くん』というアナウンスと共に、
先ほどのあの少年が打席に立った。
「ああ、ニシ君、エースで4番なのか。すごいなぁ」
なんて思って、「そりゃ奈央が好きにもなっちゃうわけだ」と笑ってしまった。
今までの演奏よりも一層力強く「パンパーン!!」と「カモンマーチ」が鳴り響いた。
勢いのある曲で、応援する側もついつい力が入ってしまう。
「かっとばせー!ニーシ!ニーシ!」という応援が響き渡る。
その力強い応援から、奈央の高校がことさらニシ君に期待してるんだな、ということが分かった。
216:
ニシ君が勢い良く空振りする度に、
悲鳴にも似た「あーー…」という声が響いて、
「オッケー次々!!」という野球部の応援団の声が飛び交った。
俺も全然関係ないのだが、なぜだか彼にすごく打って欲しい気持ちが湧いて、
「かっとばせーにーーし!!」と声を張り上げた。
熱の篭った球場。彼は「カキン!」と快音を響かせ球を跳ね返したが、
内野ゴロに倒れ、あっという間にスリーアウトとなった。
217:
http://youtu.be/SZByd6U01kw
カモンマーチってこれか
219:
>>217
そうそう!これです
218:
試合は終始接戦で手に汗握るものだったが、
その日「ニシ君」がヒットを放つことはなかった。
そして、奈央の高校は惜しくも敗北を喫した。
挨拶をし、1塁側スタンドに駆け寄ってくる野球少年たちは肩を落とし、
崩れ落ちて泣いている人もいた。
スタンドの生徒たちも「ありがとーーー!」「おつかれーーー!」と
声を上げていて、その健闘をねぎらっているようだった。
遠くでただ、「ミーンミーン」とうるさい蝉の声が聞こえて、スタンドの喧騒に混じりこんだ。
220:
その中心には、泣く野球少年達と、あのニシ君の姿。
俺は心の中で「いいなぁ」と思った。
あの春高バレーの決勝を見に行った時の感情と、よく似ていた。
俺もできることなら、もう一度あの熱情の中に飛び込みたい。
沢山の声援や光を一心に浴びて、仲間と抱き合って駆け跳ねて、
勝ったら大喜びして、負けたら一緒に泣いて…
俺の夢―それは、バレーをしたいのももちろんだが…
多分、もう一度だけ、あのキラキラとした輝きと熱さの中に、飛び込みたかったんだ。
221:
やり遂げられなかったバレーボール、部活。
例え途中で負けてしまっても、最後までやりきっていたら、
仲間と一緒に走り抜けていたら…
どんな景色が見えたんだろうか。
俺はそれを知らなかったから、見てみたいと思った。
ニシ君や、あの春高決勝で輝いていた選手たちのように…
仲間と一緒に走り抜けた先には、一体どんな景色があるんだろう―
そんなことを思った。
222:
試合が終わって、両校の応援や父兄が球場からなだれるように捌けていく。
おばさんからもらったポカリはもうすっかり飲み干してしまったので、
自販機でジュースでも買ってから帰ろうとした。
球場脇にある自販機の前に歩いて行くと、何やら見覚えのあるものが落ちていた。
ユニフォームの形をした…お守りだ。
223:
最初は目を疑ったが、それは間違いなく、
先ほど見た奈央の作ったものだった。
「どうしてこんなとこに落ちてんだ」と思って手にとった。
お守りには、「NISHI」と背番号の数字が縫い付けてあった。
結び紐が切れているという事もなく、ポケットからうっかり落としてしまったんだろうか。
それか、まさか捨てたのか…
先ほどまで全力で頑張っていたあの少年が、そんな事をするなんて信じられなかった。
226:
拾ったものの、これをどうしようか。
奈央に見せた方がいいのだろうか、
もしかしたら渡せなくて、奈央が自分で捨てたのかもしれない。
渡せなかったとしても、自分で苦労して作ったものを捨てたりするだろうか…
考えたら考えただけ、どうしたらいいものか、分からなくなった。
とりあえず、そのままにしておくのもあれなので自分のポケットに突っ込んだ。
これを持って帰ってどうしたらいいのか分からないが、そうするほかなかった。
帰りはまだまだ陽が高い位置にあって、帰ったら勉強しないとな、と思った。
228:
その日の夜、俺は早々に勉強への集中力が枯渇し、
おばさんと夕飯の手伝いなんかをしていたら、奈央が帰って来た。
鍵を忘れたようで、インターホンを仕切りに鳴らしており、
おばさんに「開けてあげてw」と言われて、俺は玄関のドアを開けた。
俺が鍵を開けて、「おかえり」と言うと、「ただいま」とだけ言って
すぐに階段へと向かっていく。
お守りの事、言った方がいいのだろうか、なんて考えていたら、
奈央は振り返って「今日はありがとうね」とだけ言って階段を上っていった。
疲れているのか、表情はとても暗かった。
229:
「もうすぐ夕飯になるよ」と言うと、「うん」とだけ答えてくれた。
しかし、奈央が夕飯の場に顔を出すことはなかった。
「あとで食べる」とだけ言い、家族の前に顔を出すことはなかった。
俺はちょっと心配になったけど、女子高生なんてそんなもんだろうか、とも思った。
高校の時、仲の良い女子は大勢いたが、付き合ったりもしなかった。
(美香にはふられてしまったし)
俺は家であの子たちがどんな感じかは知らない。
学校ではみんなノリがよくて、ニコニコしていたけど、
そりゃあみんな家に帰ったら「素」に戻るよな、って一人で納得していた。
230:
俺なんかが心配したところで、奈央もいい迷惑だろう。
それに俺は浪人生の居候で、わけもわからず突然家に来た奴だ。
そう考えれば、奈央は俺のことをだいぶ受容してくれているだろう。
もっと、根本的に拒否する女の子だっているかもしれない。
そう考えれば、奈央はかなり優しい子なんだろうな、とも思えた。
それも全て、俺がバレーボールをやっていたから、かもしれないが。
231:
それから数日後の朝、とんでもない暑さで目が覚めた。
熱気と自分の汗で溺れるんじゃないか、と思うくらいの目覚めだった。
間違いなく、ここに来てから一番の熱さだった。
一階に降りると、一番におばさんに話しかけられた。
おばさん「今日は暑いね〜今麦茶出すから待っててね」
俺「本当に暑いですね…」
おばさん「熱中症にならないように、気をつけてね」
そう言われて差し出された麦茶を飲んだ。
232:
俺「今日は、おばあちゃん達は」
おばさん「おばあちゃんなら、部屋にいるじゃない。おじいちゃんは出かけてる」
おばさん「私そろそろ仕事にいくけど、そこにおにぎり作っといたから、食べてね」
ありがとうございます、と答えて居間の方に行くと、
壁に寄りかかってアイスを食べている奈央がいた。
俺が「おはよう」と言うと、「おはよー」と気持ちの篭っていない声が返ってきた。
俺は居間のテーブルに置かれていたおにぎりを食べながら、話しかけた。
233:
俺「今日は、部活は?」
奈央「今日は休み」
俺「あ、そうなんだ」
奈央「宿題しないとなー」
話しながらも、奈央の視線は終始テレビの方を向いていた。
窓は開け放たれていて、すぐそばに扇風機が置かれている。
ゴオオオオ、と轟音を放ち、明らかに強になっていた。
他の家族は皆、強にはしない。おそらく、奈央の仕業だ。
244:
俺も暑かったので、特にそれには何も言わず、
テレビを見ながらおにぎりに噛みつく。
他愛のない朝のニュース。外からは、ミーンミーンと蝉の声がした。
窓のすぐ前には、あのマリーゴールドがちらちらと咲いていた。
元気そうに咲いているということは、
奈央がさぼらずに水をやっているという事だろうか。
245:
おばさん「奈央、アンタ今日家にいるんでしょ?」
ふと、居間にやってきたおばさんが奈央に話しかけた。
奈央「多分いるけど。なんでー?」
おばさん「今日おじいちゃんいないから。畑に水やっといてよ」
奈央「ええー?この暑いのに?やだよぉ」
俺はわけも分からず、おにぎりの手を止めて二人の会話を聞いていた。
おばさん「じゃあこの炎天下でおばあちゃんにやらせるの?」
おばさん「家にいるんだから、やっといて」
奈央「えー、でもぉ」
おばさん「お願いね、おじいちゃんも今日は多分夜まで帰ってこないから」
246:
おばさんはそう言って足早に玄関から出て行った。
奈央「もう最悪…こんな暑いのに畑なんて出たくない」
俺「畑に水やり?隣の?」
奈央「うん、そう。水あげないといけないの」
俺はよく分からなかったので、続けて質問する。
俺「へーそうなんだ。あれってやっぱり、ぶどうか何かなの?」
奈央「うん、そだよ。ぶどう」
奈央「この辺はみんなぶどう農家ばっかり。毎年やってるよ」
247:
俺「へえ、ぶどうかぁ。すごいな、ぶどうなんて滅多に食べないよ」
奈央「そうなの?やっぱり東京ってそういう感じなんだ」
奈央「もうじき嫌って言うほど食べられると思うけどね」
奈央はそう言ってにやにやと笑った。
俺はそれがちょっと可愛いと思ってしまった。
俺「なんだか面白そうじゃん。水やり手伝おうか?」
奈央「え、マジ?手伝って手伝って!」
俺がそう言うと、奈央は喜々として立ち上がった。
奈央「それ食べ終わったら準備してすぐ外に来て!」
そう言い残すと奈央は急いで階段を上がっていった。
248:
パジャマであるスウェットから、とりあえずTシャツに着替えてタオルを持って外に出た。
まだ午前中だというのに、茹だるような暑さだった。
遠くの景色がグラグラと沸騰しているように揺らいで見えた。
間違いなく、この夏一番の暑さだった。
奈央は窓先の花に水をやって待っていた。
「そんな恰好でいいの?」と俺の方を見てつぶやいた。
俺「だめなの?」
奈央「いいけど、焼けちゃうし虫に刺されるかもよ?」
そう言われてみれば、奈央は長袖長ズボンで完全防備だった。
249:
俺「まあ、それくらいならいいかな。日焼けも虫も、大して気にならないし」
奈央は「ふーん、じゃあいいか」と言って、水道からホースを引っ張っていった。
俺「このホースを、そこの畑まで持っていくの?」
奈央「そだよ。うちには潅水設備とかないからね。いっつもこうやってる」
奈央「私が持ってくから、ホースが絡まらないように、そこで持ってて」
俺「オッケー」
そう言って、奈央はホースをするすると隣のぶどう畑まで伸ばしていく。
250:
毎年手伝っているんだろうか、かなり慣れた様子だった。
俺もホースを中継しつつ、隣のぶどう畑に足を踏み入れる。
奈央「あ、そこ!」
俺「へ?」
奈央「ムカデ!ムカデがいるよ!」
俺「うえええ!?」
突然言われて、思わず変な奇声を発してしまう。
251:
奈央「あっはっは!ウソウソ!ムカデなんていないよ」
奈央は楽しそうに、大口を開けて笑った。
俺「ひっでー。なんでそんな嘘つくのよ」
奈央「ごめんごめんwでも本当にでることもあるから、気をつけてね」
奈央はよっぽど面白かったのか、しばらくクックック、と笑うのを堪えられないようだった。
数日前には何か落ち込んでいるようだったから、
たとえからかわれても、奈央が楽しそうに笑っているのは何か安心した。
252:
水道に戻って合図をする。
俺「じゃあ水出すよー」
奈央「お願いー」
俺が蛇口を捻ると、グオっと水が通うのを感じた。
そのまま小走りでぶどう畑の方に向かう。
頭上にぶどうの樹の葉っぱが幾重にも重なっているから、
ぶどう畑の中には木漏れ日が無数に揺れていた。
風が吹くたびにぶどうの葉も揺れて、木漏れ日もキラキラと瞬いた。
253:
その中で真剣な顔をして水をやる奈央を、しばらくぼーっと眺めていた。
俺「へー、こうやって水をあげるんだね」
奈央「そうだよ。でもあげすぎもダメだから、何日かに一回って感じ」
奈央「暑い日が続いたら、ただの水撒きもしたりする」
何もかもが初めてのことで、こんな農作業は初体験だった。
俺「こういうの初めてだから、なんかワクワクする俺」
俺がそう言うと、奈央は「うそーw」と言って笑った。
奈央「まあ、家が農家でもないとこんなんないよね」
254:
俺「なんでぶどうに紙袋みたいのかぶせてるの?」
奈央「日焼けしちゃうからだよ」
俺「日焼けぇ?ぶどうが?」
奈央「そう。日光に当てすぎるのは良くないんだよ」
俺「へぇー…」
俺はホースの補助をしながら、水をやる奈央を見ていた。
255:
木漏れ日がゆらゆら揺れて、奈央と俺を照らす。それが眩しかった。
奈央「あのさ」
俺「何?」
奈央「…やっぱいい」
俺「は?どうしたの?気になるじゃん」
そう言うと、奈央は申し訳無さそうな表情でこちらを見た。
奈央「なんで、バレーやめちゃったの?」
俺「え」
奈央の言葉に不意を突かれてドキリとしてしまう。
256:
奈央「ごめん。本当は聞かない方がいいと思ったけど」
奈央「嫌なら、言わなくてもいいから」
俺はしばらく悩んだ。
どうしてか、奈央にケガの事を言うのは憚られた。
たぶんおばさんにもおじさんにも、
俺が腰を悪くしてバレーを辞めたのは伝わっていないはずだ。
ケガをしてしまった自分が情けなく思えて、俺は隠していたかったのだ。
257:
俺「もう、十分やったからね。満足したって感じ」
俺「深い意味はないよ」
奈央「バレー、嫌いになっちゃったの?」
俺は大きく首を横に降った。
俺「まさか。大好きだよ。他のどのスポーツよりも好き」
奈央は、「ふーん…」と言いながら、水やりを続けていた。
何か、見透かされているような気がした。
258:
奈央「これが終わったら、対人してくれない?一日ボールに触らないの、不安だから」
奈央「勉強する…?」
俺「お、やる?全然いいよ。じゃあ早く終わらせよ」
俺がそう言うと、奈央は「うん!」と言って笑顔になった。
今は難しい事は考えたくない。
奈央に笑顔が戻ってきたなら、それでいいんだと思った。
259:
日差しは相変わらず強い。もう、夏も本番なんだ。
「よし!こんなんでいいかな!」と言った奈央は、畑からホースを撤収し、
家の目の前に向かって勢い良く水を振りまいた。
アーチを描いて霧散した水滴は、
太陽光を反射してプリズムのようにキラキラと散っていった。
燦然たるその光景が、なぜだか俺の胸をきゅっと締め付けた。
277:
奈央がボールをポンポンと叩きながら玄関から出てくる。
俺は水道で水をがぶ飲みしていた。
奈央「この前と同じ感じでいい?」
俺「ん、いいよ」
俺はびしょびしょになった口元を腕で拭って返事をした。
水を飲んだら、溌剌とした気分になった。
278:
「いくよ」
奈央がボールをひょいっと上げて、俺の元に打ち込んできた。
バンッと両腕でキャッチ(レシーブ)し、奈央の頭上へ優しく返す。
奈央が「さすが」と笑いながら、俺に向かってトスを上げる。
綺麗にトスが上がって、「いける」と感じた。
振りかざした手はバチンッと気持ちよくボールにミートして、
かなりのさで構えた奈央の元へ飛んでいった。
軌道が安定していたので、
奈央はほとんど動くこと無くレシーブを高々と上げた。
奈央はレシーブしながら痛切な声で「はっや」とつぶやいた。
俺は「ナイスカット」といいながら、少々低めのトスを返す。
奈央は「よし!」と言いながらトスの軌道を見定めて、パシン!とボールを叩いた。
279:
俺の構えとぴったりの所にボールが飛んできて、
「おっけ!」といいながらレシーブを奈央の元へと返す。
奈央も「ナイスカット」と笑いながら俺にトスを上げた。
これまた、いい感じの打ちごろのトスだ。
俺は軽やかにボールを叩いて、奈央の元へ打ち込んだ。
ボールは少々手前に落ちそうになって、俺はまずいと思った。
奈央が、「オーケー!」と叫んで地面に滑り込んだ。
ボールは奈央の目の前でバウンドし、奈央はそのまま地面に倒れこんだ。
280:
俺「あ、あぶないよ!」
奈央「いった…つい癖で、フライングしちゃった」
奈央はそう言うと、俺の方を見て「しまった」という感じで苦笑いした。
俺「その執念は良いと思うけど、今は外だから…手とか大丈夫?」
奈央「うん、平気だよ」
奈央はTシャツが土だらけになっていたが、ケガはなさそうだった。
俺「よかった。大事な試合があるんでしょ?あんまり無茶すんなよ」
奈央「ああいうボール、試合でもよくあるけど、とるのが難しくて」
奈央は服を払いながら立ち上がって、俺の方を見た。
281:
俺はピンと来て、奈央の姿勢を見てみることにした。
俺「ちょっと、レシーブ姿勢とってみて」
奈央「うん?…こうかな」
奈央は膝を曲げて腰の重心を落とした。
俺「うん、間違ってはいないね」
俺「でもそれだと、前にボールが落ちそうな時、すぐ反応できないんだ」
奈央「確かに」
俺もレシーブ姿勢を構えて、奈央の前で見せて上げた。
俺「ただ膝を曲げればいいってわけじゃないんだ」
俺「膝の皿は、自分の足首より前に持っていく感覚なんだ」
282:
奈央「足首の前…?」
俺「そう。そうすると、重心は落ちながらも自然と体は前にいくでしょ?」
奈央「あ、本当だ!なんだか動きやすいかも」
奈央の顔がキラリと光って、何度も何度もその姿勢を確かめた。
俺「これがレシーブの基本なんだ」
俺「相撲の取り組みっぽい姿勢だ、なんて言われたなぁ俺は」
そう言って俺が笑うと、奈央も「ほんとだw」と言って笑った。
俺「俺も高1の頃レシーブ下手だったから、コーチに何度も言われてさ」
俺「もうすっかり、頭から離れないわw」
283:
奈央は輝いた表情で、「うんうん」と頷いて繰り返し姿勢を確認していた。
俺「打ってみるから、カットしてごらん」
奈央「うん、オッケー!」
俺が少しだけ厳しい球を打つと、奈央はススス、と滑らかに移動してボールをカットした。
俺「そう、それだよ!いい感じじゃん」
奈央「わー、なんかぜんぜん違うかも!」
俺「さっきはこの球に飛び込もうとしてたからなw」
奈央「ほんとだよねw」
284:
奈央とバレーをしていると楽しかった。
腰の痛みも、一瞬だけ忘れるようだった。
奈央は俺の言ったことを素直に受け止めてくれ、
それをひたむきに実践しようとしていた。
そんな奈央を見ていると、
俺は失った気持ちを色々と取り戻すような気分になれた。
奈央「1、教えるの上手いね」
奈央は肩で息をつきながら、俺の方を見て言った。
そう言ってもらえるのが嬉しくて、不意に胸が熱くなってすぐには何も言えなかった。
奈央「あっつい。そろそろ水飲んでいい?」
俺「うん、飲みなよ。熱中症になったらやばいよ」
285:
昼前の白い日光が庭中を照らしていた。暑すぎる。
奈央「1に教えてもらってたら、めっちゃ上手くなれるかも」
奈央は水道で水を飲みながらそんな事を言った。
俺はやっぱり、その言葉が純粋に嬉しくて、少し恥ずかしかった。
俺「俺のおかげってわけじゃないよ。奈央だって真面目にやってるから」
奈央「だよねーん」
奈央はそう言うと、元気ににかっと笑った。
溌剌とした笑顔、とはこういうものを言うんだろう。
その笑顔を見て、ちょっとだけ胸が騒いだ気がした。
287:
奈央と二人きりになったら、あの「お守り」の事を話そうと考えていたが、
奈央の明るい表情を見ていたら、なんだか話すのが怖くなってしまった。
なぜだか分からないが、
そのことを話してしまうとこの笑顔が消えてしまうんじゃないかと、
俺は「余計な」心配をしていた。
そんな事考えずに、話してしまえば良かったのだが。
294:
昼飯を食べて、午後から自分の部屋で勉強をしていたら
「ピンポーン」というインターホンの音が鳴った。
奈央が下に降りる様子もなく、おばあちゃんもいないようだったので、
「いいのかな?」と思いつつも俺が玄関の戸を開けた。
そこには、短髪の見知らぬ少年が立っていた。
この前野球観戦の時に見た制服だったから、恐らく奈央の高校の生徒だ。
295:
男子「あ、え?こんにちは…」
俺「こんにちは…」
彼は、いかにも「予想外の奴が出てきた」という表情で俺を見た。
男子「奈央さん、います…?」
俺「あ、はい。ちょっと待ってね」
俺はそのまま2階に上がっていき、奈央の部屋をノックした。
俺「なんか、男の子来てるけど」
すると、中から「えー?どうせタクミだろ」と声がした。
奈央はバタバタと玄関へ降りていき、
「やっぱり。何の用ー?」と親しげに話し始めた。
俺はその様子を、階段の途中からうかがっていた。
296:
少年「いや、墨汁忘れたんで取りに来た」
少年「教室の入り口閉まってっから、こっちから入れてくれ」
奈央「またそれ。ちゃんと持って帰れし」
少年「しょうがないだろ。先生いねえの?」
奈央「おばあちゃんなら出かけてるよ」
どうやら彼は、ここの書道教室に通っている高校生のようだ。
家の中に他に誰もいないからか、嫌なほど会話が聞こえてくる。
奈央との様子を見ている限り、かなり旧知の仲なのだろう。
297:
少年「ってかあの人誰?兄ちゃんなんていないよな?」
奈央「親戚…って感じかな。浪人生で、うちに勉強しに来てる」
少年「ふーん。めっちゃ背でかいからビビったわw」
俺の話題が展開され、少しドキッとして嫌な汗が出そうになった。
少年「そういやさ、野方先生来てたぞ、学校に」
奈央「え、先生が?今日うちら部活ないのに」
少年「職員室で偶然見かけてさ。産休決めたって言ってたぞ」
奈央「えっ!?それ、マジ??」
奈央が急に大声を上げたので、俺の心臓がばくん、と飛び上がった。
310:
奈央「まだうちら何も聞いてないんだけど…」
少年「あーそうだな。次の部活の時に、言ってくれるんじゃないか」
少年「あのお腹なら無理もないだろ。今までよくやってたわ」
奈央「うん…ほんと、そうだよね…」
少年「女バレ、大会あるとか言ってなかった?」
奈央「…あるよ」
少年「大丈夫か?先生いなくて」
奈央「わかんない…」
奈央がそう言ってから、しばらく会話が途切れた。
教室の方から、ドタドタという足音が聞こえた。
311:
しばらくすると玄関の方から「じゃあな」と言って男の子が出て行った。
階段の踊り場でしばらく立ち尽くしていたけど、
奈央が戻ってこないので、俺は書道教室の方を見に行った。
そこには、教室の中でぼーっと立っている奈央がいた。
俺「どうしたの。ここ、暑くない?」
教室の中は冷房もついておらず締め切られていて、ひどく暑かった。
入り口横の小さな窓から西日が差し込んでいた。
312:
奈央「どうしよう」
俺「…野方先生って、部活の顧問なの?」
奈央「聞いてたの?」
俺「聞こえちゃった」
俺がそう言うと、奈央は俯いて黙ってしまった。
教室の中があまりに暑かったので、俺は小さな窓を開けた。
奈央「そこ開けると、虫入ってくるよ」
俺「だって、暑いから」
窓を開けたら、網戸がなかった。
でも、外の風が入ってきて、幾分かはマシになった。
313:
俺「どうしたんだよ」
奈央「顧問の先生が、産休するんだって」
俺「うん、聞いてた」
奈央「大会…どうしよう」
奈央は下を向いたまま、顔を上げなかった。
俺「監督がいないっていうのは不安だけど…やるしかないだろ」
奈央「うん…」
俺「そんなに落ち込んでたって、仕方ないだろ」
奈央「うん」
321:
俺は奈央にそう声をかけると、台所に行って麦茶を飲んで一息ついた。
でも、部屋に戻ろうとするとまだ教室の方に灯りが点いていた。
俺「いつまで、こんな暑いとこにいるんだよ」
奈央「うん」
俺「先生が休むのはショックだろうけどさ、自分達でやるしかないだろ?」
奈央「そんなこと分かってるよ!」
奈央が突然語気を荒くしたので、俺は驚いた。
322:
奈央「私、キャプテンなんだよ…上手くもないのに」
奈央「先生がいなかったら、全部私がやらなきゃ、練習も試合の指示も、全部…」
俺は、なんて声をかけるべきなのか、すぐには言葉が出なかった。
奈央「最後の試合だから、全力でやって勝ちたかったのに…無理だよぉ…」
奈央はそう言って、また俯いてしまった。
俺「だって…それがキャプテンじゃないか。しっかりしろって」
奈央「1は上手いからいいよね!きっと私のことなんて分かんない!」
奈央「失敗したり、思い通りにプレー出来ないことなんてないんでしょ!?」
323:
奈央の言葉が、俺の胸に突き刺さった。
俺「それは……」
奈央「背だって高くて、レフトでエースだったんでしょ!?」
俺「奈央」
奈央「こんな不安な気持ち、なったことないからそんな気楽に言えるんでしょ!」
俺「奈央、聞いて」
俺「俺はもう、バレーができないんだよ」
324:
その言葉を聞いて、奈央は口を開けたまま俺の方を見上げた。
奈央「え…?」
俺「言ってなくて、ごめんね」
俺「俺、腰をやっちゃってさ。もう二度と思いきりバレーをすることはできないんだよ」
奈央「え、だって…もうバレーは満足したって…」
俺「うん、ごめん。あれは嘘だったんだ」
325:
俺「俺はもう、バレーがやりたくてもできない」
俺「ボールに飛び込んだり、思い切り飛び上がってスパイクを打ったり、できないんだ」
奈央「うそ…」
外から、「ミーンミンミン…」という蝉の声が入り込んできて、
しばらく会話が途切れた。
ヒリヒリとした空気の中で、俺は何も言えなかった。
ただただ部屋の中が熱くて、背中にじわりと汗をかいていた。
326:
奈央「ご、ごめん…私、知らなかったから…」
奈央は少し目を赤くして、震えるような声でそう言った。
そんな奈央を見ていたら、
俺も感情が込み上げてきて全部話してしまおうと思えた。
俺「本当は、ずっとずっと夢があったんだ」
俺「春高に出て、あのオレンジコートに立ってさ―」
俺「負けても勝っても、コートの中で沢山の風を起こすんだよ」
俺「俺はここにいるぞ!ってね」
俺「思いっきりプレーして、最後は仲間と思い切り抱き合うんだよ」
奈央は、黙って俺の顔を見ていた。
327:
俺「そしたらさ、一体どんな景色が見えたんだろうな」
俺「その景色を見るのがさ、俺の夢だった」
奈央は親身に聞いてくれていたが、唇を噛んで俺の方を見るだけだった。
俺はしまったな、と思ってすぐにフォローを入れた。
俺「いや、ごめん。こんな事言われても困るよな」
奈央は少し下を向いてから、口を開いた。
328:
奈央「うん。正直、私にはよくわかんない…」
奈央「だから、明日私たちの部活に来てよ」
出し抜けにこんな事を言うので、俺は面食らった。
俺「え、どういうこと?」
奈央「私、1にバレー教えてほしいから。先生の代わりに臨時コーチになって」
奈央「一緒に、もう一度バレーしてくれない?」
331:
奈央は、凛とした目で俺を見た。
そんな目で見つめられるのは初めてのことだった。
俺「そう言われても、そんないきなり部外者が…」
奈央「…やっぱり勉強忙しい?」
俺がここに来た目的―それはもちろん勉強だが―
でもそんな事ばっかりやっていて、意味があるんだろうか?
その先には夢も目的もない、何もないのに勉強だけしている。
奈央たちと頑張ったら、その先には何かあるんだろうか―
何か、見えるんだろうか?
332:
奈央「大会まで、あと一週間だけ…部活に来てくれない?」
奈央「お願い…!」
奈央のまっすぐな瞳が俺を見つめた。
奈央の言葉は、不思議な力を持っているようだった。
いつもの俺なら、間違いなく断っていただろう。
バレーを思い出すと辛いから、
バレーを避けて、バレーの事を忘れようとして生きてきた。
なのに、奈央とはなぜか一緒にバレーがしたいと思えた。
もう一度やれるかもしれない、そう感じた。
334:
俺「俺なんかで良ければ、力になるけど」
俺「コーチなんてやった事ないから、上手くできるか分かんないけどさ…」
俺がそう言うと、奈央はくすっといたずらっぽく笑った。
奈央「ほら、やっぱり」
俺「何が?」
奈央「1はまだ、バレーやりたいんだよ。そうに決まってる」
奈央が力のない笑顔で俺に語りかけてくる。
奈央「1は、自分の大好きな事を勝手に終わらせようとしてない?」
奈央「夢だった…って何?夢なら、また追いかければいいじゃん」
奈央「少なくとも、私だったらそうするんだけど」
そう言うと、奈央は口元だけで笑って首を傾げた。
335:
俺は、けがをしてバレーと関わることを意識的に避けてきた。
でも、それは間違っていたのかもしれない。
そのせいで、いつまでたってもバレーを忘れられず、
そのしがらみに足をとられ続けてきた。
俺の本当にやりたい事は…いつまでも経っても変わらない夢は……
その日の夕飯のあと、台所で皿洗いをしていると奈央に声をかけられた。
奈央「明日臨時コーチに来てもらうって、みんなに言っといたから」
俺「みんなに?どういうこと?」
奈央はぽかんとして、スマホを指差した。
336:
奈央「LINEだよ。部活のグループ」
俺「ああ、そういうこと」
奈央「みんな結構期待してるよ。良かったね」
俺「え、マジ。なんか緊張すんだけど」
そう言うと奈央は「なんでw」と言って笑った。
奈央「今日みたいな感じで教えてくれたらいいよ」
俺「ん、分かったよ」
奈央「あとで、LINEも教えて」
俺「ああ、いいよ」
337:
奈央「手伝おうか、それ」
俺「いや、いいよ。これは居候の俺の仕事」
手伝いは断ったものの、俺が皿洗いをしている間、奈央は俺の横に立っていた。
その時、奈央がどんな表情をしていたのか、俺は見ていなかった。
蚊取り線香の匂いがした。
おばあちゃんとおじいちゃんがテレビを見て笑う声がした。
おじさんは相変わらず網戸外の縁側で一服つけているようだった。
夏の夜の、いつも通りの穏やかな時間が流れていた。
その中で、俺の皿を洗う水の音が響いていた。
339:
奈央「明日、早いからね。寝坊はダメだよ」
俺「分かった。奈央も寝坊すんなよ」
奈央「うっさい」
皿洗いが終わった後、俺は真っ暗になった庭に出た。
使ってない自転車があるらしく、明日俺が使うために出してこようと思った。
家の居間からの灯りと、まばらな街灯の灯りだけが頼りだった。
341:
ぶどう畑の脇の、物置のような所から自転車を引っ張り出してきて、
水道の横に止めると、縁側にいたおじさんに声をかけられた。
おじさん「自転車なんか出して、どうするで」
俺「あ、いえ。ちょっと明日使わせてもらおうかと」
おじさん「明日どっか行くの?」
そう言われて少し戸惑ったが、すぐに「部活です」と自信たっぷりに答えた。
おじさんは「はは!」と高笑いし、「1君は高校生だったっけ」と笑っていた。
おじさん「ちょっとここ座れし」
そう言われて、俺はおじさんの横に座った。
342:
おじさん「奈央の部活でも、見に行くのけ」
俺「あ、そうです。ちょっと頼まれたので」
おじさんは、ふうっと煙を吐いて続けた。
おじさん「そんなこんやってないで、勉強しなくていいだか?」
俺は突然の言葉にドキッとし、一気に体温が上がる気がした。
俺「いや…もちろん勉強も…」
おじさん「勉強に集中するためにこっちに来たって聞いたけど」
おじさん「なんで部活に行くなんて話になってるだ」
俺「…すいません」
蒸し暑い夏の夜に、場が凍りついたようだった。
まさか怒られるとは思っていなかった俺は、
握りしめた拳に嫌な汗をかいた。
343:
おじさん「…なんて、いつもこんなん言われてた?」
俺「…はい?」
おじさん「1君、本当は勉強好きじゃないら?」
おじさんの態度がくるっと変わったので、俺は何て言ったらいいか分からずにいた。
おじさん「というか、他にやりたいことがあるらに」
おじさん「聞いたよ、畑も手伝ってくれたらしいじゃん」
おじさん「庭でよく奈央とバレーもしてるんだってね」
おじさん「でも俺は、それでもいいと思うんだよ」
おじさん「勉強ばっかりやってたら、人間頭がおかしくなっちまうよ」
リーンという夏の虫の声に揺られて、おじさんの横顔が暗闇にぽっかりと浮かび上がっていた。
344:
俺「明日の部活なんですけど」
俺「俺、ここ何年かずっと、やりたいことが何もなかったんです」
俺「したくもない勉強を毎日毎日ずーっとやって、そんな風に過ごしてきて」
俺「でも今、本当にやりたいと思えることが、目の前にできたんです。もう、何年もなかったのに」
俺「だから明日、俺は奈央さんの部活に行って来ます」
俺は無我夢中で、今自分の心にあることを吐き出した。
まるで小さい子供のように、心に燃える想いを躊躇なく吐き出していた。
346:
おじさん「1君、どうしたで」
俺「はい?」
おじさん「なんか今、すごい楽しそうじゃん」
俺はおじさんのその言葉を聞いて驚いた。
俺「え、そうですか?」
おじさん「なんか、いい顔してたよ」
自分でも気づいていなかった。俺はそんな風に見えていたのか。
というか、そんな風になっていたのか。
おじさん「まあ、好きにしたらいい。早起きして部活に行くのも一興だ」
おじさんはそう言うと、笑みを浮かべて煙草をくわえた。
俺も、「そうかもですね」と笑って相槌を打った。
347:
俺は、変わり始めていたのかもしれない。
全てに自暴自棄になって、過去の記憶の亡霊に取り憑かれて流れ着いたこの場所で、
俺は何か大事なものを見つけかけていた。
その日、初めて奈央からLINEが来た。
「明日は8:30には家出るからね」
とだけ書かれた、簡素なものだった。
気合を入れて返事を返すのもアレなので、
俺は「りょーかい」とだけ打ち込んで、返事とした。
348:
同じ家にいるというのに、LINEをするというのも妙な感覚だった。
自分の部屋にいるのも、少しだけソワソワした。
灯りは豆電球だけにして、しばらくスマホを眺めていた。
窓の外からは相変わらず虫の声が聞こえていた。
その日は、なんだか不思議な夜だった。
今更ながら、自分が全然知らない世界に来たような、そんな不思議な気持ちになった。
349:
次の日、奈央は8時前には支度が終わったようで、やたらと俺を急かした。
シューズを持っていないことを話すと、渋々自分の体育館履きを貸してくれた。
俺は自前のコルセットを準備したり、
タオルやTシャツを準備するのに手間取った。
結局8:30前に家を飛び出して、俺は寝ぼけた頭を覚ますのに必死だった。
奈央「早く!」
奈央は庭先の道で自転車に乗って俺を促した。
夏の朝の真っ白な光が、俺たち二人を包み込んだ。
351:
自転車に乗るなんて久しぶりのことで、なんだか不思議な気がした。
「急ぐから、私のあと付いてきてね!」そう言う奈央の背中を追いかける。
風を切って坂道をどんどん下っていく。
前を行く奈央の後ろ姿が小さくなっていく。
いくつものぶどう畑が横目に通り過ぎていく。
あの駅前の道も通り過ぎた。遠くに、麓の街が小さく見えた。
太陽の光を浴びて、キラキラと光っていた。
352:
一部のシーンでもいい、実写・アニメでもいいからCMに使われてほしい情景だ!
354:
なにせずっと下り坂で、風を思い切り浴びるので、
暑さはそこまでじゃなかった。
奈央が飲み物買うのを忘れたと言って、途中自販機の前で立ち止まった。
俺「ねえ、そこまで急がなくてもいいんじゃない?」
奈央「そうかな。まあ、それなら普通に行ってもいいけど」
俺「何をそんなに焦ってるの?」
俺は自販機の影に入るようにして、奈央の表情を窺った。
奈央「別に、焦ってなんていないけどさぁ」
奈央は怪訝な表情でこちらに視線を向けた。
355:
奈央「早く行って、準備したかっただけだよ」
奈央「…ごめんね」
俺は一瞬「ん?」と思って状況を理解できなかったが、
奈央が謝っているんだと気付いてすぐにフォローを入れた。
俺「や、やめて。謝ることないよ。いいんだ別に」
そう言うと奈央は「ううん」と首を横に振って、
「行こっか」と言ってペダルを踏んだ。
夏の朝の陽射しが揺れる中を、奈央が少し前を走っている。
「学校ちょっと遠いんだぁ」などと言って、時々こちらを振り返った。
俺はずっと、長い髪の結ばれた奈央の後ろ姿を見ていたから、
奈央が振り返るたびに目が合って、ちょっと困った。
358:
次第に何もなかった山道から、少々車通りの多い道が増えてきた。
いくつもの坂を下って、抜けた先に大きな川があって、
その河川敷の横には、ひまわり畑が広がっていた。
そして、その向こうには奈央の高校があった。
こりゃ、帰り道は一段と大変そうだな、と思った。
奈央のあとを追って校内に入ると、世界が一変するようだった。
不意に、空気と雰囲気が変わった気がしたのだ。
驚いて振り返ると、校門からは来た道が続いていた。
359:
こんな事ってあるもんなのかと思ったが、
遠くで「こっち!」と呼ぶ奈央の方を向き直って、
俺は自転車のペダルを踏み直した。
何もかもが懐かしく感じた。
そんなに遠い昔のことでもないのに、高校ってこんな感じだったよなぁと、
目に映るもの全てに親しみを覚えた。
どこで吹いてるのかも分からない、遠くから聞こえる吹部の「プア〜」という音。
朝練なのだろうか。熱心な生徒が練習前に来て吹いているのだろうか。
360:
野球部はすでにグラウンドで「おい!おい!」と掛け声を上げてランニングをしている。
俺の目の前を、弓を抱えた弓道部の一団が通り過ぎて行く。
これから試合にでも行くのだろうか。
かと思えば、何やら大きな荷物を抱えて歩いている屈強な男子たちともすれ違った。
ラグビー部か、レスリング部…と言ったところだろうか?
奈央は一足先に駐輪場に自転車を止めていた。
奈央「ここ、私の隣に置いちゃっていいから。テキトーに」
そう言われて、奈央の横に自転車をつける。
俺「にしても、部活が盛んな学校なんだね」
ここに来るまでに、一体どれだけの部活の子とすれ違っただろうか。
361:
奈央「まーね。一応伝統校だから、部活には相当力を入れてるよ」
奈央「文武両道、とか言って勉強にもうるさいけどね」
俺「へえ、立派な高校なんだね」
俺がそう言うと奈央は、
奈央「そんな事ないよ、この辺の子たちが集まってくる普通の高校だよ」
と言ってはにかんだ。
362:
奈央「私は部室に行って着替えてくるから」
奈央「ちょっと、ここで待ってて」
そう言われて、俺は駐輪場の自転車の脇で待っていた。
止めてある無数の自転車や、目の前にあった水道などを眺めて、
やっぱりここは高校なんだなぁ、としみじみとしてしまった。
この中だけ、時間の流れ方が違うようだ。
毎年沢山の生徒が卒業して、入学して、人はどんどん入れ替わるけど、
この場所だけは、永遠に終わらない青春の時間が流れ続けてるんだ、と思った。
364:
数分待っていると、奈央が駆け足で戻ってきて「いこ」と俺を誘った。
体育館は駐輪場のすぐ近くにあった。
中からはすでに「バシンバシン!」とボールの音が響いていた。
奈央はなぜか「後から入ってきて!」と言って俺を置いて中へ入った。
少し待って入ると、バスケ部の男子がこちらを見て「ちわーーっす!」と仕切りに挨拶をしてくれた。
体育館の特有の匂い。キュキュっとシューズの擦れる音。
高い天井から注ぐ無数の照明。
365:
その中に降り立って、俺は少し胸が詰まる想いがした。
そして、久々にやるぞ!と勇んで体育館履きを履こうとしたら、
サイズが合わずまったく足に入らなかった。
俺「靴が入らないんだけど」
奈央「かかと踏んで履いちゃえばいいよ」
俺「それはあぶないよ」
366:
俺がそう言うと、奈央は「もう」とむくれて体育館の入り口を指さした。
奈央「入口の下駄箱に、忘れ物のシューズがいくつかあるから、使いなよ」
それに「分かった」と答え、古ぼけた下駄箱から見繕って、
シューズを履いて中に戻った。
その間、奈央は体育館を仕切るネット越しに、
ずっと男バスの様子を夢中で眺めていた。
俺「準備、しないの」
俺が声をかけると、不意を突かれたように「ああ、そうだ」とおかしな声を出した。
368:
奈央が倉庫のような所に駆け出して、一人でネットのポールを運んでくる。
「あぶないよ!」と言ってすぐに手伝った。
「いつも一人でやってるから平気」と言っていたが、足元はフラフラだった。
体育館でネットを立てるなんて作業、もう何年ぶりのことだったろうか。
ぎしぎしと軋むネットの音が何だか無性に心地よく感じた。
そんな風にして、二人で準備を進めていると、
他の部員たちも集まってきて準備を手伝い始めた。
後から来た子たちは皆、俺の方を不思議そうな表情で眺めていた。
俺も仕方なく、「こんにちは」と力なく会釈をするだけだった。
369:
奈央が後輩らしき子に、「あの人ですか?」と聞かれて困った笑顔を浮かべていた。
俺のことを、いつ説明するつもりなのだろうか。
そんな事を思っていると、
入り口の方でバスケ部男子が「こんにちはー!」と次々に言い始めて、
お腹の大きな一人の女性が入ってきた。
歩きながら男子たちと談笑しているようにも見えた。
それに気づくと、奈央はすぐさまその女性の元へと駆け寄っていった。
恐らく、あれが女子バレーの部の顧問の先生なのだろう。
奈央はそのまま先生と数分話していた。
370:
他の子たちが各々ストレッチを始めたので、
俺も端の方で軽くストレッチをしていた。
すると、奈央が手招きして「来て」と俺を呼んだ。
椅子に座った先生と、奈央を挟んで向かい合う格好になる。
俺が「こんにちは」と挨拶をすると、先生は、
「女バレの顧問の野方です」と笑って挨拶してくれた。
371:
先生「1君、だよね。奈央から聞いたけど、あなたがうちを見てくれるんだよね」
俺「あ、はい。どの程度力になれるかは分かりませんが…」
先生「ほんと、突然ごめんね。私がこんなんにならなきゃね」
先生「今日も、旦那の車で送ってもらったんだけどw」
先生はそう言って、自分のお腹を触って笑った。
先生「明日から産休のつもりで、その間は他の部の先生に一緒に見てもらおうと思ってたけど」
先生「それでも、バレーの中身のことまではカバー効かないからね…」
俺「そうですよね…」
先生と俺が会話をする間、奈央は一心に先生の方を見つめていた。
372:
先生「見てもらえたら、それは心強いけど」
先生「これから大会まで一週間くらい、本当に見てもらえる?」
その言葉を聞いて、俺の中で色々なものがフラッシュバックした。
途中で辞めてしまった部活
バレーをとったら何も残っていないと知ったあの日
春高決勝で輝いてたあのエースの風
出口の見えない勉強の毎日
過去の幻影に追われて何もしたいことのなかった毎日
373:
そんな俺が、どういうわけか今、
再び体育館の中に立って、「部活」をしようとしている。
蒸し暑い、この体育館の中で、
シューズの擦れる音が響くこの体育館の中で、俺がいた。
先生のその質問に迷うことなく、
「はい、全力でやりますよ」と答えていた。
そう言うと、先生は笑って、
「ありがとう。他の先生にも、それとなく話しておくから」と言ってくれた。
俺は、再び与えられたこの時間で、一体何ができるんだろうか。
そんな事を思っていた。
383:
話が終わると、奈央が勢い良く「集合!」と叫んで、部員たちが集まってきた。
そして、先生が産休に入ること、
俺が臨時のコーチ役をすることが伝えられた。
先生の産休は大会の前のこのタイミングになってしまったとは言え、
部員たちにも大方予想がついていた事のようで、
みんな「先生お大事に!」とか「頑張ってね!」とか言っていた。
かくいう俺の方は未知数のようで、取り立ててリアクションもなかった。
一斉にお辞儀をして「よろしくお願いします!」と言われて、
それが照れくさくて仕方がなかった。
384:
集合が解かれると、簡単なウォームアップがあって、各々が対人を始めた。
先生に「見てあげて」と笑顔で言われて、俺は「はい」と答えて、
対人をしている様子を見て回った。
対人を見ていれば、フォームの癖とか、
トスアップの精度とか、基本的な事がわかる。
全体的に悪くはないし、女子なので基本はしっかりできていたが、
やはりそこまで上手い、というわけでもないなと感じた。
奈央は自分の事を「上手くない」と言い切っていたが、
この中ではキャプテンを務めることもあって、やっぱり頭一つ上手いように見えた。
「はい!」と掛け声をあげて、ひときわ頑張っているようにも見えた。
バシン、というボールを弾く音と、キュキュキュ、
とシューズの擦れる音が響いて、心地よかった。
385:
奈央が「3メンするよ!」と叫ぶと、
「はい!」と掛け声が上がって、コートの中に3人が入った。
俺はコートの中央に誘導され、ボールを出すように言われた。
見知らぬ女子が3人、俺の方を見て真剣に構えていた。
割と力を込めてボールを打ったが、綺麗にレシーブが上がってトスが返ってくる。
「やるな」と思って、今度は後ろのコースへ打つ。
綺麗に上がって、またトスが返ってくる。
386:
俺はテンションが上がって「いいねぇ!」と叫んだ。
3人は「来い!」と声を張り上げた。
少し意地悪をして、今度はレフト方向からインナーへきつい球を打った。
反応はしたものの、手元がおざなりになって、ボールはコート外へと飛んでいった。
俺は「なるほど」と思って、瞬時にアドバイスをした。
俺「基本はできてるから、自分のとこに飛んできたボールは綺麗に上がるけど」
俺「きついコースや、予想外の所に飛んで来ると、上手くいかないね」
俺「いつでもひじを曲げないで、綺麗に面を作って受けることを意識してみて」
俺がそういうと、ミスをした子は顔をあげて「はい!」と構えた。
388:
「いいやる気だな!」と思って俺も再びフェイントのような球を同じコースに出した。
素早く動いて、綺麗にボールが上がった。
手前にいた子が「オッケイ!」と言ってトスを上げる。
そのまま、後方にいた子に向かってレフトからのウイングスパイクを想定した球を打つ。
バシン、と無回転で綺麗に上がって、再び流れるように俺の方にトスが返ってくる。
コーチ役だというのに、俺は楽しくなって無我夢中になった。
「ああ、これはバレーだ」
「仲間に囲まれて、声を上げて、無心にボールを追いかける、これだ…」
とそんな気持ちが込み上げていた。
390:
休憩時間になると、すっかり俺も汗だくになっていて、
腰に巻いたコルセットが蒸れるのが気になった。
腰に少々違和感はあったものの、結構動いた割にこんなものか、とも思えた。
簡単な休憩が明けると、奈央が勢いよく「サーブカットいくよー!」と声を上げた。
「はーーい!」と掛け声が溢れて、皆コートの中へ並ぶ。
俺はその様子をコート外から眺めていた。
「いきまーす!」「こい!」「ナイスカットー!」と声が止むことはなく、
女子とは言え賑やかでやる気のある部だなぁと思った。
全体的な力は強豪に比べればそこまでではないと思ったが、
チームとしての雰囲気はとても良かった。
この中でキャプテンをやっているのだから、やはり奈央は頑張っているのだな、と思った。
391:
サーブカットの後はスパイク練習だった。
椅子で座っていた先生に「スパイクはよく見てあげて欲しい」と言われたので、
俺はネット近くの邪魔にならない位置に立って、フォームなどをよく観察していた。
数人は、しっかりとミートして打てていたが、他の子は高さも足りず、
ボールを最高打点で上手く捉えられていないようだった。
俺は「ちょっといいかな」と言ってすぐに皆を集めた。
奈央が「集合!」と声をかけて練習が中断された。
392:
俺「みんな、スパイク打つ時に一番大事なのは何か分かる?」
俺がそう質問すると、答えづらいのか誰からも返事が返ってこなかった。
奈央が小声で、「高さ…?」と答えた。
俺「うん、高さも大事。でもいくら高くても、タイミングが合わなきゃ良いスパイクは打てないよね」
俺がそう言うと、みんなうんうんと頷いて納得しているようだった。
俺「奈央、一回打ってみて」
奈央がなかなか良いスパイクを打っていたので、俺は手本を促した。
俺が下投げでボールをトスアップすると、
奈央は高く跳んでネットの向こう側にバチン、と良いスパイクを打った。
俺が笑いながら「ナイスキー」と言うと、他の子たちも少し笑った。
打ち終わった奈央は、心底恥ずかしそうにして自分の服を引っ張っていた。
393:
俺「奈央のスパイクの良いところは、滞空時間だよ」
俺「滞空時間が長ければ、ボールを一番高い場所で叩きやすくなる」
俺「それに、相手のブロックがよく見えるし、もっと言えば相手のコートの状況まで見えてくる」
俺がそう話すと、みんな目を輝かせてこちらを見た。
俺「スパイクで一番大事なのは滞空時間なんだ。それを意識すれば、かなり変わるよ」
俺がここまで話して、一人の女の子が申し訳なさそうに「あの…」と声を上げた。
「どうしたら、滞空時間を上げることができますか?」
俺は待ってましたとばかりに、この質問にすぐに答えた。
俺「ワイヤーだよ。ワイヤー」
俺がそう言うと、みんなぽかんとして首を傾げた。
396:
俺「自分の頭のてっぺんに、ワイヤーが付いてるって想像してみて」
俺「そんで、ジャンプした瞬間に、真上に思いっきり引っ張られてるってイメージするんだよ!」
俺が自分の頭の上で引っ張られているようなジェスチャーをすると、
みんなもマネして頭の上に手をやって、ワイヤーのイメージをし始めた。
俺が笑って、「そうそうwイメージが大事なんだ」とスパイク練習を再開した。
397:
勢い良く、「じゃ、いくよーー!」と叫ぶと、
それに呼応して「はーい!」という掛け声があった。
アドバイスをしたが、やはり上手く打てているのは先程と同じ子たちで、
上手くいかない子は、なかなか上手くいかない。
でも、何人かは打ったあとに感覚を掴んだようで、「何か違うかも」と言って、
笑顔で何度もスパイクのフォームを素振りで繰り返していた。
俺はそれを見て、「いいよ!」と笑顔で声援を送った。
414:
俺がアドバイスをしたからと言って、
それはあくまで理論的・コツにすぎないものであって、
すぐに何か変わるというワケでもない。
ただ、上手くなれたり、何かに気づく「きっかけ」にはなってほしいと思った。
自分が選手だった時にも、「気づくのはいつだって自分。自分で気づいてから上手くなる」
とよく言われたものだった。
だから、この子たちが自分で気づいて上手くなるきっかけになれれば良いと思った。
もちろん、女子の指導などは今までに一度もしたことがなく、
自分の教えていることが本当に正しいかの不安もあった。
でも、この時の俺は、ただ今自分ができること、伝えられることを、
精一杯にやってあげようとだけ思っていたのだ。
415:
その日の奈央は調子が良かった。
何度も何度もスパイクを軽快に打っては、
「ワイヤーって聞いてから、ジャンプがしやすくなった気がする!」
と、笑顔で駆け回っていた。
このスパイクの練習から、チームみんなの笑顔が増えたような気がした。
そのあと、レギュラーメンバーがコートに入って試合形式の練習が行われた。
真面目にやっていながらも、終始笑顔が溢れていて、厳しすぎることもない。
その様子を、顧問の先生は椅子に座って笑顔で眺めていた。
「いい部活だな」
奈央がこの部活に最後までいたい、という気持ちもよく分かる気がした。
416:
俺が高校の時のチームも、こんな感じだった。
いや、もっと厳しかったが、雰囲気は似ていた。
あの時は、楽しかった。
みんなで夢に向かって、夢中で頑張っていたあの日、
俺も今の奈央たちと同じような景色を眺めていたんだ。
夢というのは、そこにあって、追いかけるものだ。
それが叶う叶わないではなく、追いかけることに意味があったのかもしれない。
一つの夢が終わってしまったら、また新たな夢を見つける。
もしかしたら人生は、そうやっていくつもの夢を追いかけていくものかもしれない。
417:
俺はボールを叩きながら、体育館の格子窓から外を見てみた。
正午過ぎの真っ白な光が、校舎と校庭を包んでいた。
校庭では、サッカー部とハンドボール部が掛け声を上げていた。
その手前の校舎に続く道を、数人の生徒が歩いている。
俺は、やっぱりバレーがしたいんだ。
どんな形であれ、バレーのそばにいたいんだ。
今日、奈央の部活に来たことで、俺は自分のそんな気持ちに気づき始めていた。
418:
帰り際、歩くのも大変そうにしている先生に、
「明日から、よろしくお願いします」と頭を下げられ困ってしまったが、
「はい、しっかり頑張ります」と力強く答えた。
体育館から出ようとすると、奈央に呼び止められた。
奈央「ちょっと、帰り道分かんの?」
俺「あ…ちょっと自信ないな…」
そういうと奈央はあからさまにしかめっ面になって、
「やっぱりー?もう、めんどくさ…」と言った。
419:
奈央「このまま友達と図書館行こうと思ってたのに」
俺「まあ、どうにかなるよ。大丈夫」
奈央「いや、絶対迷うって。駅まで戻れないよ多分」
そう言うと奈央は部活の子たちの所へ行き、「一回帰ってすぐ連絡する」と話していた。
駐輪場で奈央に、「絶対今日で道覚えてよね」と釘をさされた。
奈央と二人で自転車に乗って校門を出た。
瞬間、また空気が変わった気がした。
なんというか、時間の流れが元に戻った、そんな気がした。
振り返ると正面には校舎、横には先程まで俺がいた体育館があった。
420:
奈央「今日は調子が良かった」
少し先を行く奈央は、ごきげんな様子だった。
夏の太陽を思い切り浴びる中走っているというのに、元気そうだった。
俺「やっぱり、エースじゃん。上手いと思ったよ」
俺がそう言うと、振り返って「本当?」と笑みを浮かべた。
奈央「あの、ワイヤーだっけ!あれは面白かった」
俺「あー、あれね。あれは俺が中学の時の先生に言われたんだ」
俺「あれを聞いてから、スパイク打つのが楽しくなってさ」
俺「それをみんなにも味わって欲しかったから」
俺がそう話すと、奈央はにやにやと笑った。
421:
奈央「今日は楽しかったなぁ」
俺「良かった。やっぱり、部活は楽しいのが一番だと思うよ」
奈央は、笑顔で黙って頷いた。
奈央「来てくれて、ありがとう」
俺「え?」
俺がそう聞き返すと、奈央はもう答えることもなく、
「ここからは坂道だから辛いよ!」と言って先に走っていってしまった。
木陰に入ると、遠くからツクツクボウシの声がした。
433:
俺は、次の日も奈央の部活に行った。
もう顧問の先生の姿はなく、俺と3年生が中心になって練習をすすめた。
管理ということで、バスケ部の先生が体育館の管理室に居てくれた。
半面は、バスケ部の男子が使っていたのだ。
434:
その日も練習は好調で、
俺のアドバイス一つ一つをひたむきに受け止めてくれるのが、とても嬉しかった。
一人の2年生の子に冗談まじりではあるが「1さんが来てくれてホント助かった!」と言われて、
照れくさくて、でも感激した。
千景、という女の子だった。
ショートカットで淡褐色肌の、元気の良い子だった。
奈央以外で、この子が一番俺に懐いてくれていた。
435:
この部の中にも、段々と溶け込めてきたんだなって実感できた。
このまま夏季大会まで、何もかもが上手くいって、
奈央の部活は大団円を迎えるんだろうな、と思っていた矢先。
大会まであと数日という日に、思わぬ出来事が起こった。
436:
その日俺は、午前中から奈央の部活に行った。
みんなも、俺も、すっかり慣れてきていて、
その日もいつも通りに部活が始まって、問題なく練習が進んでいた。
でも、朝から奈央の様子がちょっと変だな、と感じていた。
もちろん一番最初に部活に来て(奈央はいつもそうだった)
いつも通り精一杯声を上げて頑張っていた。
でも、心なしかいつもより笑顔が少ない気がした。
それを感じ取っていたのは俺だけではなかったらしく、
何となく部活全体に、不安な雰囲気が漂っている気がした。
437:
奈央に笑顔が少ないと、自然とチーム全体の笑顔も減っていく。
今まで、この部の雰囲気を作っていたのは、
奈央の笑顔だったのかもしれない、と俺は感じた。
スパイク練習になると、それはより如実になった。
いつも調子よく決まる奈央のスパイクが、この日は全然決まらなかった。
何度やっても、ネットに引っ掛けてしまった。
奈央自身それが納得できないようで、悔しそうな顔をしては下を向くだけだった。
失敗しても明るい、いつもの奈央ではなかった。
それに呼応してか、他の子たちの調子も良くない方に向いている気がした。
438:
ここまでくると俺も心配になって、スパイク練習の列に並んでいる奈央に声をかけた。
俺「調子悪そうだけど、大丈夫?」
俺がそう言って励まそうとしても、奈央はただ「うん」と言うだけだった。
何かがおかしい。それはもう明らかなことだった。
休憩時間に他の部員に、「奈央は大丈夫?」と聞いてみても、
「今までにあんまりこういうことはなかったです」と動揺していた。
その間も奈央は、体育館のすみに座ってタオルを被り、俯いていた。
459:
俺がそれを気にかけていると、例の2年生の千景ちゃんに声をかけられた。
千景「1さんは、花火見に行くんですか!」
俺「え、花火って?」
千景「今日、すぐそこで花火大会があるんですよ。知らないんですか?」
そういえば、おばさんからちらっと聞いていた気がする。
あの家の庭からも見れるんだ、ということを話していた。
460:
俺「花火大会って、今日なんだね」
千景「そうですよ!2年はみんなで行くかもなんです」
そう言っていると、他の2年生の子たちも寄ってきて、
「なになに花火?」「でも今日雨降るらしいよー」と話が膨らんでいった。
俺には、なんだかその千景ちゃんの様子が、
無理矢理にこの場の雰囲気を和ませようとしているようにも見えた。
慣例であるレギュラーメンバーの試合形式の練習になっても、
奈央の様子が変わることは一向になかった。
それと比例して、チームの調子もどんどん下向いているような気がした。
俺にはどうしたらいいか分かるはずもなく、
ただ外野から励ますことしかできなかった。
461:
楽しかったはずのバレー。こんな時、どうすればいいんだっけ。
俺は、自分の経験を手繰り寄せて考えていた。
でも、俺が今のケガ以外でバレーに手がつかなくなったことはなかった。
だから、奈央の気持ちが分からない。
どうしたらいいのか、全然分からなかった。
462:
一生懸命の奈央。バレーが好きな奈央。
俺にもう一度バレーと向き合うきっかけをくれた奈央。
どうにかして助けてやりたい。
でも今の俺には、それに気づいてあげられるだけの力も、経験もないのだ。
部活のコーチだなんて息巻いて、こんな時助けてやれないんじゃ、何の意味もないんだ。
やっぱり、俺にバレーは……
463:
そんな事を考えてしまって、体育館のステージに腰掛けていると、
千景ちゃんに声をかけられた。
千景「良かったら、居残り練習付き合ってくれませんか?」
練習が終わって、ほとんどの部員が帰った後だった。
当然、奈央も俺より先に帰っていた。
俺「いいけど、今日はネットの片付けは…」
千景「午後、男バレがそのまま使うんで、立てっぱなしでいいんです」
そう言うと、千景ちゃんはボールを持ってきて、俺の方に投げた。
「お願いします」と言ってにこにこ笑ったので、俺もなんだかほっとした。
464:
千景「レシーブ練習がしたいので、テキトーに打ってきてください」
俺「オッケー。あ、でも」
俺「部室、閉まっちゃわない?」
千景「奈央先輩に言って、鍵を預かってるので大丈夫です」
俺「それならいいね」
俺は千景ちゃんに向かって、軽めにボールを打った。
彼女は2年生だけど上手くて、リベロとしてレギュラーになっている。
千景「奈央先輩から、よく1さんの話を聞いてました」
俺「え、どういうこと?」
唐突のことで、俺はちょっとびっくりした。
465:
千景「私奈央先輩と仲いいから、よくLINEするんです」
千景「1さんの事も、よく話題に上がるんです」
千景「なんか、楽しそうで」
千景ちゃんはそう言ってくすっと笑った。
その言葉に、俺は胸がいっぱいになったような気がした。
俺「本当に?本当なら…良かった」
千景「何がですか?」
千景ちゃんの問いに俺は少し言葉が詰まったけど、頑張って続けた。
俺「だって、いきなり居候とか言って知らない奴が家に来たら…普通は嫌じゃん」
千景ちゃんは「確かに!」と言って笑った。
466:
千景「でも、奈央先輩なら大丈夫ですよ」
千景「すごく優しい人なんで、そういう事は考えないと思います」
千景「逆に、無理矢理部活に誘っちゃって迷惑じゃないかなぁって、すごく気にしてました」
俺もそれを聞いて、思わす笑いがこぼれた。
お互いに、とりこし苦労をしていたということなんだろうか。
俺は先程まで抱えていた不安を、千景ちゃんに話してみようと思った。
何か、この子になら話してもいいように思えた。
俺「奈央は、大丈夫かな。今日、絶対普通じゃなかったよね?」
千景「そうですね…かなり落ち込んでましたね」
俺「俺、何かできることないかな。何も分かんなくてさ…」
俺がそう言うと、千景ちゃんはきょとんとしてこちらを見つめた。
482:
俺「どうしたの?」
千景「いえ、やっぱり1さんは良い人なんですね」
俺「やっぱりって?」
千景「こっちの話ですw」
ちょっと考えると意味が分かった気がして、なんだか気恥ずかしかった。
千景「奈央先輩、ふられちゃったんです」
千景「だから落ち込んでるんだと思います」
俺「へ?」
千景「これ、先輩には言わないでくださいね…」
俺「うん、もちろん。言わないよ」
千景ちゃんがあまりに突然な事を言い出したので、俺も対応がしどろもどろになった。
483:
千景「バスケ部の2年生なんですけど…ずっと好きだったみたいで」
俺「え?」
俺「ニシ君じゃないの?」
千景ちゃんは目を丸くして俺の方を見た。
千景「西って…野球部の西先輩ですか?」
千景「どうして西先輩なんですか?」
俺はちょっと困ってしまったが、言葉を振り絞った。
俺「だって試合の時にお守りを…」
千景「お守り?なんでそんな事知ってるんですかw」
千景ちゃんは転がったボールを拾いながら、再び俺の方を見た。
俺「試合の時、俺が車で送ったんだけど…その時に持ってたから」
俺「そうなのかなって思ってた」
484:
それを聞くと千景ちゃんは合点がいったように「あ〜!」と頷いた。
千景「それ、女バレみんなでやったやつですよ」
俺「えー、そうだったの?でもなんで…?」
千景ちゃんは楽しいのか、にやにやしながら話を続けた。
千景「うちらが総体に出た時、偶然野球部の人たちが応援に来てくれて」
千景「そのお返しをしようって、みんなで作ったんですよ」
それを聞いて、体から力が抜けた。
あのお守りは、そういうことだったのか…
勝手に決めつけて、一人で盛り上がっていた自分が何だか恥ずかしい。
そして千景ちゃんは、依然として笑みを浮かべたままだった。
492:
千景「むしろ、西先輩が奈央先輩の事好きだったんですよ」
俺「え、そうなの!?」
千景「告白されて、断ったって言ってました」
千景ちゃんはそう言うと「あれは超驚いたな〜w」と笑っていた。
俺はそれを聞いて、呆然としていた。
千景「1さんは校外の人だし、心配してたから色々話しましたけど」
千景「この話、絶対奈央先輩には秘密ですよ」
千景ちゃんの真剣な眼差しが俺を捉えていた。
俺はその念押しに、黙って頷いた。
493:
千景ちゃんの話が全て本当なら、
俺はとんでもないものを拾ってしまったのかもしれない。
ニシ君は、奈央が決して自分を見ていないことを知っていた。
それでもあのお守りを受け取って…どんな気持ちだったのだろう。
あの日、あそこに落ちていたお守りは…もしかしたら本当に。
俺の脳裏に、ヒットを一本も打てず、試合後泣き崩れていたニシ君の姿が蘇った。
494:
正午過ぎの体育館。
全ての窓を開け放していたものの、真夏の暑さで汗が吹き出た。
それでもこの日は曇っていたから、暑さはマシな方だった。
しばらく黙って、レシーブ練習や対人を続けた。
495:
俺「でも、失恋って…どうしてあげたらいいか分からないなぁ」
俺「辛そうだし、何かしてやりたいけど…」
そう言うと、千景ちゃんは真面目な表情になって俺を見た。
千景「無理して考えなくてもいいと思います」
千景「奈央先輩って、あんまり人に弱音を吐かないんです」
千景「今回のことは、私にもあんまり話してくれませんでした」
千景「だから、もしも何か言われたら、その時にちゃんとこたえてあげればいいと思います」
俺はその言葉に何度も頷いた。
何か言おうとしたけど相応しい言葉が思いつかなくて、ただ黙って頷いた。
496:
俺がその沈黙を掻き切ろうと、ボールを構えた瞬間だった。
俺のポケットに入っていたスマホが震えたのを感じた。
早く帰って来て
対人して欲しいから。
俺「…奈央からだ」
千景「え!先輩からですか?」
497:
俺「対人して欲しいから、早く帰って来てって…」
画面を見せると、千景ちゃんも俺も黙ってしまった。
でもすぐに千景ちゃんは俺の顔を見上げて、言った。
千景「こたえてあげてください」
その表情はどこか、少しだけ憂いを帯びていた。
俺は「ああ!」と言い切って走って体育館を出た。
むわっとした湿気を纏った熱気を感じた。一雨来そうな感じだった。
駐輪場の端っこに止めてある自転車にまたがって、
俺は前のめりになってペダルを踏み出した。
498:
制服を来た男子生徒にすれ違う。
校舎の脇を歩く野球部の一団と目が合った。
俺はなりふり構わず、立ちこぎで自転車を思い切り走らせた。
遠くで落雷の音が響いた。その音が、俺の焦燥感を煽った。
奈央が待ってる。あの庭で、奈央が待ってる。
その一心だったのだ。
499:
学校を出て坂道を登る最中、色んな想いが頭の中を駆け巡った。
奈央が落ち込んだり、怒ったり、笑ったりしていたのは、
恋をしていたからなのか。
奈央が朝一で部活に行った時は、いつも隣のコートに男子バスケがいた。
初めて部活に行ったあの日、俺と別々で体育館に入ったのも…
そう考えると、全ての辻褄が合ってくるような気がした。
500:
俺と出会ってから、奈央は沢山の表情を見せてくれた。
でも何故だか、その全てが壊れてしまうような不安を覚えた。
奈央はバレーが大好きな女の子。
俺に、もう一度前を向くきっかけをくれた人。
何がどうなろうと、俺にとってはそれが全てだったのだ。
だから俺は、無我夢中で坂道に向かってペダルを踏み込んだ。
きっと、ボールを持って待っているに違いない。
521:
家に着く頃には俺は息が上がってしまって、朦朧としていた。
山の方から聞こえてくる蝉の声が、頭の中で反響する。
水道と花壇の間に自転車を立てかけて玄関に走ると、
そこには奈央がボールを抱えて座っていた。
俺は「いた…」と言って膝に手をついて息を整えた。
奈央は驚いた様子で俺を見上げた。
奈央「そんなに急いで来たの…?」
俺「だって、対人したいんでしょ?やろうぜ」
俺はぜえぜえと息を上げたまま答えたが、
自分でも質問の答えにはなってないなって分かった。
522:
俺は奈央の肩を叩いて「来いよ!」と庭へと誘った。
奈央も「うん…」と申し訳無さそうに立ち上がった。
奈央が打たずにボールを抱えたまま立ち尽くしていたので、
俺は「来い!思いっきり打っていいよ!」と声をかけた。
奈央はそのまま、黙ってこちらを見てボールを打ち込んだ。
523:
そしてそのまま、会話を交わすこともなく黙々と対人を続けた。
レシーブする。トスが返ってくる。打つ。トスを上げる。レシーブする…
そんなことを何周繰り返した頃だろうか、
ぽつぽつと、雨が降ってきた。
小雨というわけではなく、すぐに勢いのある雨となった。
ただ奈央は、雨が降ってきても対人をやめる素振りは見せなかった。
なので俺も濡れることは気にせず、それに付き合った。
525:
サアア、と雨の音が辺りを包み、蝉の声が消える。
奈央「あは、やったぁ。これだけ雨が降ったら今日の花火は中止かもね」
不意に奈央がしゃべり始めて、雨の中で力のない笑顔を浮かべた。
俺「まあ、そうかもね。花火、行かないの?」
俺がそう質問しても奈央は答えず、再び黙って対人を始めた。
526:
奈央は、俺とラリーを続けながら話し始めた。
奈央「1は、花火大会とか行った事あるの」
俺「そりゃあ、あるさ」
奈央「女の子と一緒に?」
俺「それは言いたくないな」
言いたくないというよりも、女の子と一緒に行ったことはなかった。
だが、そんな事を真正直に言うのも気が引けた。
527:
奈央「私、ふられちゃったの」
突然核心に触れる言葉が飛び出し、俺は動揺を隠せなかった。
俺「そっか…まあ、そういうこともあるよ」
奈央「何それ」
奈央「もっと気の利いた事言えないの?」
俺は何て言えばいいのか分からなかった。
ただでさえ雨の中で対人をしていて、頭が回らなかったのだ。
奈央を助けてやりたい。助けてやりたい!
そして無意識に想いが溢れ出た。
528:
俺「じゃあ、打ってこい!気が済むまで、思いっきり打ってこい!」
俺「俺が全部キャッチすっから!!」
叩きつける雨の中で、奈央がこちらを見て立ち尽くした。
その姿は、何かに怯えているように見えた。
俺はそれを見て胸が張り裂けそうになった。
俺「大丈夫、俺は絶対ここにいるから」
俺「全部、受け止めるから!」
奈央は黙ってボールを掲げた。そして俺の方に向かって思い切り打ち込んだ。
俺はそのまま奈央が打てるように、高々とレシーブを上げた。
天高くボールが舞い上がり、奈央がそのまま腕を振り下ろす。
529:
何度も何度も、奈央の渾身のボールを受け止める。
打ち続けるうちに、奈央は鼻をすすり始めた。
そして、打ったかと思うと、ボールを真下に叩きつけた。
奈央はそのまま「うあああ」と声を上げて泣き始めた。
叩きつける雨音の中に、奈央の泣く声が入り混じった。
目の前で、雨に打たれて嗚咽している奈央。
手の甲で何度も何度も顔を拭った。
俺はそれを、唇を噛んで見ていることしかできなかった。
530:
奈央は泣き続けた。
泣いても泣いてもおさまらないようで、ずっと声を上げて泣いていた。
しばらくして、不意にボールを拾い上げたかと思うと、
そのまま俺に向かって打ち込んできた。
俺は突然のことで反応できず、ボールをはじいてしまった。
531:
奈央「やった。私の勝ち、だ」
降りしきる雨の中で、奈央は俺に向かって満面の笑顔を見せた。
服も髪も、びしょ濡れになってぐしゃぐしゃの奈央。
けど、その笑顔は俺が今まで出会ってきた中で、飛びきり一番の笑顔だった。
「奈央」
俺は思わず、奈央の名を呼んだ。
532:
奈央「へへ、なんかスッキリした」
奈央は両手で目元をこすっていた。
奈央「まだ、悲しいけどね」
俺「そりゃ、そんなすぐには全部忘れられないよ」
奈央「あれ、まるでそういうことがあったっていう口ぶり」
俺はそう言われて「ないよ」と笑った。
奈央の元へと駆け寄り、「風邪ひくから中入ってすぐ着替えな」と言った。
奈央は俺の顔を真っ直ぐに見上げた。
奈央「ありがとね。こんな事に付き合ってくれて」
そう言う奈央の目は真っ赤に充血して、涙が溜まっていた。
533:
俺「そんな事、気にするなよ。俺はただの居候だしな」
俺がそう言うと、奈央は笑って「そんなことないよ」とつぶやいた。
「なんかめっちゃ鼻水出ちゃったw」
「きたねえな、顔も洗っとけw」
俺たちはそんなやりとりをしながら、家の中へ戻った。
この日この時、俺の前で見せた奈央の表情はずっと忘れることができない。
ただ、この出来事があったから、俺の新しい夢への想いは確信へと変わりつつあった。
もう、昔を思い出して嘆いているだけの俺はいなかった。
前を向こう、これからの未来を考えよう、そんな想いがふつふつと湧いてきていた。
534:
夕方になると分厚く空を覆っていた雲は立ち消え、
気持ちの良い夕空が広がっていた。
東の空は暗闇に溶け込み、西の空は橙色の波を帯びていた。
これならきっと花火大会もあるだろう、そんな風に思った。
539:
素晴らしい。
奈央ちゃんとの描写が印象的だね
しえん。
544:
奈央はもしかしたら、夕飯の場に顔を出さないかと思っていたが、
おばさんに呼ばれて居間に下りると、その団欒の中に奈央がいた。
奈央は少し目を腫らしているように見えたが、
家族の中でいつも通りにご飯を食べていた。
ただ、テレビを見ながら力なく笑っている奈央の姿が、俺の胸を騒がせた。
自分でもよく分からないが、いつも通りにしている奈央を見て胸が傷んだ。
545:
夕飯を食べた後、部屋で窓を開けて扇風機を回して勉強をしていた。
すると、外から「ドドドン!」という音が聞こえて、
麓の方角で花火が打ち上がるのが見えた。
「こんなによく見えるんだな」と感激して、すぐに1階へ下りた。
俺「花火、始まりましたね!」
おばさん「そうね、よく見えるでしょ」
縁側では、おじさんとおじいちゃんがガラスの灰皿を置いて、二人でビールを飲んでいた。
テレビの前で、奈央が浮かない様子でスマホをいじっていた。
546:
おばさん「そういえば、今朝ぶどうが取れたんだけど食べて」
そう言っておばさんは居間のテーブルにぶどうを3房ほど出してきた。
俺「これって、もしかして隣の畑のやつですか?」
俺が興奮して聞くと、おばさんは
「そう。1君が奈央と一緒に水あげてくれたやつ」と言って笑っていた。
547:
目の前に出てきた瑞々しいぶどうを見て、少し嬉しくなった。
横にいた奈央に「な、これなんてぶどうなの?」と聞くと、
「巨峰だよ、一番美味しいやつー」と力のない返事をされた。
俺「これって、俺らが水あげたやつだよな?それが食べれるって凄くね!」
俺が興奮してそう言うと、奈央は笑っていた。
奈央「何いってんの、大げさだなぁ」
548:
でも俺は確かに、奈央と二人で水をあげた日の事を思い出していた。
あの時、奈央は大口を開けて笑っていた。
すごく楽しそうだったと思う。
ここに来てから、本当に色んな奈央の表情を見てきた。
大口を開けて楽しそうに笑う姿や、いたずらっぽくにやにや笑う顔、
バレーに対する真剣な眼差しや、落ち込んで下を向いていた表情、
そして土砂降りの中で見せた泣きっ面に、満面の笑顔…
その全てが俺の心に強く残っていて、その全てが奈央だった。
そして、その沢山の表情に、俺は動かされ、変わってきていた。
549:
でも今の奈央の表情は…いつもと変わらない様子を見せている奈央の表情は…
俺の心に残したくないな、と感じた。
そんな瞬間、奈央の口からぽろっと言葉がこぼれ落ちた。
奈央「花火…行きたかったな」
その言葉を聞いて、心臓が大きな音を立てたのが分かった。
色々と考えてしまう前に、すぐに口から気持ちを吐き出す。
550:
俺「じゃあ、行こうよ」
奈央「は?何いってんの?」
奈央が右手にぶどうの実を持ったままこちらを見た。
俺「行きたいんだろ。まだ全然間に合うじゃん。」
俺「一緒に行ってこようぜ」
奈央は俺から視線を外して下を向いた。
奈央「え、でも…」
奈央「1だって勉強があるし、もうこれ以上色々迷惑かけれないし」
俺「そうじゃないよ」
俺は強く言い切った。
551:
奈央「え?」
俺「俺が行きたいんだよ、俺が。だからさ、一緒に行こうよ」
奈央「はー…?」
奈央は返答に困ったららしく、目をきょろきょろさせた。
俺「行こうぜ。自転車で下ればすぐだろ。な、奈央」
奈央は少し「うー…」と首を傾げて考えてから答えた。
奈央「いいよ…」
俺はそれを聞いた瞬間、ぱっと心が晴れて「おっしゃ!」と口走ってしまった。
552:
奈央「いいけどさぁ…ちょっと待ってね」
俺「どうしたん?」
奈央「準備するから、待ってて。分かるでしょ」
そう言われて俺は落ち着かず、家の外の玄関の前に座って、
一人で遠くに打ち上がる花火を眺めていた。
ドン…パラパラ…という音が光から数秒遅れて聞こえてくる。
遠くで小さく瞬くだけの花火は、見ていて物悲しく感じた。
553:
リリリリ…という虫の声と、縁側で話すおじさんたちの笑い声も聞こえた。
蒸し暑くて、Tシャツ1枚とステテコという軽装だったのに汗が滲んだ。
俺はぼんやりと、考え事をしていた。
これから奈央はどんな格好で出てくるんだろうなぁとか、
奈央と二人で花火を見るのはちょっと照れるなぁとか、
これから、俺はどうしていこうか―とか。
554:
頭の中がこんがらがって、今何が起きているのかもよく分からなくなった。
しばらくすると、玄関の戸が開いて奈央が出てきた。
奈央「おまたせ…」
俺は奈央の姿を見て「おっ」と声が漏れた。
奈央はシンプルなカットソーとスカートで出てきて、長い髪に帽子を被っていた。
普段は部活着か制服、部屋着しか見たことがなかったので、
私服を着ている奈央は少しだけ垢抜けていて、新鮮だった。
555:
俺「なんだ、その帽子」
奈央「ハットだよ、ストローハット。バカ」
俺「それ被ってくのかw」
奈央「もう、あんま茶化すなら行かないよ」
そう言って奈央がむくれてしまったので、俺も
「嘘だよ、似合ってる」と気恥ずかしい事を言ってしまった。自業自得だ。
556:
俺「そんなにオシャレして行く必要あるか?」
奈央「だって学校の誰かに会うかもしれないし」
奈央「変な格好してるの見られたくないでしょ」
俺は確かにな…と思いつつ一つ引っかかった。
俺「え、でもさ。俺と一緒にいるとこ見られていいの?」
奈央「大丈夫でしょ別に。それに1は学校の人じゃないし、東京に戻っちゃうんだから」
俺「ああ…」
俺はそれを聞いて思い出してしまった。
最近は過去を振り返って落ち込む事もほとんどなくなっていた。
その全てが今の暮らしが充実していて、楽しかったからだ。
557:
でも、俺は夏が終わったら東京に戻らないといけない。
ここでこうしていられるのも、あと少しだけだった。
このまったく知らなかったど田舎の世界で、
のびのびと笑って、ぶどうなんか食べて、
奈央と一緒に過ごせるのも、奈央とバレーができるのも、あと少しだった。
これが終わったら、俺はどうなるんだろう?
俺にはまだそれが分からなかった。
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