江戸時代に関するトリビアをとにかく書いてけback

江戸時代に関するトリビアをとにかく書いてけ


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とにかくいっぱいだ
3:
長屋の共同便所のウンコは売られて大家の収入源となる
6:
描写されてることも多いから気付いてる人も多いかもしれないが
江戸時代の江戸には水路が結構あった
江戸の水路跡 日本橋編
http://arukitabiouen.seesaa.net/article/416352866.html
9:
江戸は埋立地が多いので井戸はない
みんな地下を通した水路から水を組み上げていた
そのため疫病が流行る時は早かった
10:
吉原で花魁と遊ぶには2回はお触り厳禁のただ酒を振る舞う大宴会を開かなければならない
というのは後世の風説らしい
13:
>>10
太夫という位が早くになくなったからな
最高位の遊女を身請けするのに必要な金額は
だいたい7000万円くらい
16:
江戸の喫煙率90%越え。
大人ならほぼ必ず吸うし、妊婦も吸う。
タバコは健康を害するものではなく、むしろ健康によいとされていた。
17:
>>16
町人は武器を持てなかったので『喧嘩キセル』という
一メートルくらいあるキセルを護身用に持ってた
本気でやりあうと侍でも負けるような兵器だったとか
喧嘩煙管喧嘩煙管(けんかきせる)とは江戸時代に町奴が主に用いていた煙管である。町奴は町人であるゆえ、刀や長い脇差の携帯が許されなかった。そこで旗本奴に対抗するための武器として総鉄製の煙管を造らせ、これを携帯していた。長さは40 – 50cm、太さも数cmあり、羅宇を六角形にしたり、羅宇全体にいぼをつけるなど棍棒さながらの加工がなされている。
wiki-煙管-より引用
18:
>>16
タン切れの薬だったんだっけか
21:
>>16
タバコの葉だけでタール無いだろうから、
今の紙巻タバコよりは健康によかったんじゃね?
31:
>>1すげー!他の人もすげー!良スレ…どうか伸びますように。
客人が家に訪ねて来たのなら出すのはその家の煙草盆(江戸時代の喫煙セット)であり、
緑茶などではない。
また煙草のキセルや携帯用の煙草セットで、
いかに自分のセンスを見せるかが、江戸の人の粋な遊びであった。
19:
参勤交代のとき「下に、下に」という声に、人々が道を開けてひれ伏してら構図は嘘
参勤交代はあんなにゆっくり歩いてられないから全力疾走だった
「下に、下に」と言えるのは徳川親藩だけで他の藩は「下がれ、下がれ」と言ってた
しかも人々は脇道にそれるだけでよかった
20:
江戸時代と言っても250年あるので、
一口に「江戸時代の貨幣価値に換算すると?」と言っても時代によって相当差がある
1両=60万円だった時もあれば、1万円もしなかった時もある
23:
明治維新から現在までの時間より、
江戸幕府開闢から明治維新までの時間の方が遥かに長い
25:
葛飾北斎クラスの有名絵師でも、
かなりの晩年まで裏名義のペンネームで春画描いてた
今の同人作家と同じ
26:
深川は埋め立て地だったから水は買う
かまどの灰も灰買いが買ってくれた
髪の毛を集める仕事があった
火鉢を使い始めて良い日が決まってた
砂糖は薬局で売買されてた
27:
江戸の街は蚊取り線香のように渦巻き状に巨大化していったため、
都市計画が微妙ではあったけど驚くほど早く拡大してゆくことができた
28:
道場破りは五分五分で手を打ち数日間滞在させて食事も提供した
30:
「二階で小便する」というのは吉原に行って来たという隠語
当時、二階に便所があるのは吉原の遊郭くらいだったため
32:
江戸の街に住む町人は、ほぼ全てがフリーターで
その日の生活費をその日に稼ぎ、一日で大抵使いきっていた
「宵越しの銭は持たない」というのはそれを表した負け惜しみ
“江戸っ子は宵越しの銭を持たない” その切ない理由とは…? - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/21415
34:
御御籤は各家庭にあるもので、今のように神社で引くものではなかった。
みな今日の運勢を自宅で占うのが普通だったのだ。
35:
裕福な人の家に尋ね、おもてなしとして羊羹を出されても、それを食べてはいけなかった
それは来客ごとに使いまわして出すためで、食べるためのものではなかったため、
そういった暗黙の了解を知らない人がうっかり食べてしまうと、無粋なヤツとして家主に睨まれた
ちなみに、一週間ほどでカピカピになるので、そしたらやっと家主の腹におさまるのであった
36:
世界初の友人グライダー飛行は日本人だった可能性がある。
江戸時代中期に浮田幸吉という人物が飛行したという記録が残っているが、
当時は狂人扱いされた上に記録もあいまいなため謎のまま。
浮田幸吉浮田幸吉(うきた こうきち、1757年(宝暦7年)- 1847年(弘化4年)?)は、日本で初めて空を飛んだとされる人物。
江戸時代中期1757年(宝暦7年)備前国児島郡八浜(現在の岡山県玉野市八浜)の浮田(櫻屋)清兵衛の次男として生まれた。7歳で父を亡くし岡山の紙屋に奉公に出て表具を習う。
空を飛ぶ鳥に興味を持ち、鳥が空を飛ぶメカニズムを熱心に研究した。「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出す。それを人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」と結論づけた。
wiki-浮田幸吉-より引用
38:
ヤバイという言葉は江戸時代にうまれた
39:
下町とは、城下町のことで、現在の千代田区あたりの事だった
現在、下町と呼ばれている浅草や上野はお寺の街なので門前町
他に宿場町、港町、屋敷町などがある
40:
「士農工商」「切り捨て御免」とはいうが、こと江戸においては
他国から来た武士の身分は現地の平民より事実上低かった。
江戸でもめ事を起こせば最悪お取り潰しにもなりかねないため、
それを承知の江戸町民がチキンレース的に他国の武士をおちょくることもままあった。
42:
>>40
裏浅葱とか田舎侍!って意味だしな…
43:
>>40
士は実は武士でなくて朱子学を学んだ人のことだとどこか聞いたことがある
41:
関所はとにかく厳しく、通行手形がないと断じて通れないと思われているが、それは間違い
特別厳しいのが箱根の関所というだけで(しかもそれも別にそんなに厳しくはない)、他の関所は
ほとんど総スルーで通れた
なので、町民のみならず子どもたちまでも伊勢参りにも行けたわけである
ちなみに取り調べを受けるときは、対象が女性だった場合はちゃんと女性の係員に取り調べさせた
44:
伊勢参りにはいろんな人々が赴いたが、其の中には子供や犬まで含まれている
丁稚奉公の子どもたちが、ある日パタッと集団でいなくなる場合がある
それは大抵伊勢参りに向かったもので、伊勢参りのために無断で行方不明になるのも
基本的に許されていた
また、犬が伊勢参りをするのも複数報告されている
伊勢参りをする犬は、首にカゴを着けている
そのカゴに道中の人々が食べ物などを差し入れるわけだ
47:
寿司は屋台。大きさはおにぎりくらい大きかった
のれんは客が帰り際に手を拭くために掛かってた
48:
江戸時代の農民の数学知識は、場合によっては現代の大学生を軽く超えていた
必ずしも綺麗な形に作れない田畑の収穫量の計算をはじめ、
「神社への奉納」という形での自作の計算問題がたびたび公開され、
そういうのがエスカレートして、今でいうネットの掲示板上で行われるような
クッソレベルの高い数学バトルが繰り広げられていた
江戸時代の日本の数学のレベルは意外と高かった
http://world-fusigi.net/archives/7605197.html
49:
大名行列は、別に地面に膝をついて土下座をして見送らなければならないものではない
それは将軍の行列のみで、他の大名に関してはやれ家の屋根に登って見物したり、茶屋で
お茶を飲みながら見物したりと、それぞれ好き勝手な態勢でいた
また、行列の前に身を乗り出したとしても、いきなり切り捨て御免とはならず、一番前の武士に
追い払われて終わるか、その前を走る露払いに排除されてお咎め無しであった
50:
旦那さんを送り出すときに火打ち石を打つ習慣は江戸時代にはなかった
人相書きは似顔絵じゃなくて特徴を文章で書き記しただけのものだった
江戸時代の後期まで秋刀魚は人気がない魚だった
将軍は専用の特別な赤っぽい謎の酒しか飲めなかった
52:
江戸時代の侍はきゅうりを食べなかった
何故なら包丁で縦に切ると、徳川家の家紋に似た模様が現れるためである
76:
>>52
へぇー
今でも博多の人は山笠の時期にキュウリは食べないらしいよ
理由は同じく、断面が串田神社の紋になるから
78:
>>76
今でもあるのかー、縁起を担ぐってヤツなのかね
54:
制度としての鎖国がいつ始まったのかは定かでない
55:
江戸時代にはももんじ屋と呼ばれる肉食専門店があった
56:
侍の身分は金で売り買いが出来た
57:
侍は味噌汁には必ず菜っ葉を入れ、まずそれを箸で上げて戻し、最後に菜っ葉を食べていた
「菜を上げる(名を上げる)」、「菜を残す(名を残す)」に引っ掛けた願掛けである
59:
参勤交代による各藩の負担は、年平均藩全体の3割にも及んでいた。
大名側でも少しでも経費削減しようと色々頑張っており、
江戸の国境までは最低限の人員でダッシュ、
そこからはエキストラを雇って何とか体裁を繕った。
なお、当然江戸から遠くなるほど旅費がかかるのだが、
逆に監視の目が届きにくくなるため薩摩などは密貿易でぼろ儲けしていたのでセーフ。
61:
>>59
薩摩藩はすげぇ貧乏だったよ
密貿易程度のはした金ではとてもまかないきれないくらい負債がでかかった
60:
焼き芋ののぼりには「○焼き(一本丸ごと)」とか「八里半(九里=クリに近い旨さ)」とか書かれてた
62:
ttp://kosyasin.web.fc2.com/
幕末ごろの写真見るのって楽しいよね
オヌヌメ
63:
江戸時代はフグが普通に魚屋で売っていた
片手にフグを持った友人が、一杯やろうと家を訪ねてくる
それを断れるのは、基本的に女房持ちに限定されていた
女房持ち以外の者が断ると、臆病者扱いを受けることになる
それだけは江戸っ子として、なんとか避けたかった
そして、今日もまた人死にが出るわけである
64:
赤穂浪士四十七士の処刑は全員分で一時間半で終わった
切腹が形骸化して単なる打ち首であったために素早く終わった
66:
明暦の大火(1657年)から享保5年(1720年)までの間は瓦屋根は禁止されていたので、この間の江戸の屋根はほぼ板葺き屋根
江戸に瓦屋根が広まったのは暴れん坊将軍が瓦葺き禁止令を廃止し、瓦葺きを奨励する助成金制度をつくったから
67:
勝海舟は、坂本竜馬以外にも意外な人物に助言している。
幕末に越後の川上という家が尊王志士に肩入れしたために勝海舟と縁ができたのだが、
そこの長男が「欧米と渡り合うには日本もワインが無くてはならん」
という勝の勧めで、本格的な国産ワイン醸造を始めることになる。
多大な苦労の後、「日本ワインの父」と呼ばれるほどの功績を残し、
その事業は「岩の原葡萄園」が今日まで受け継いでいる。
69:
>>67に便乗するが、勝海舟は臨海丸に乗って海を渡ったことだけがクローズアップしているが、
船の上では操船どころか船酔いはひどいわ威張るわ知識はないわで大変お荷物だったそうだ
70:
>>69
臨海丸とは……咸臨丸ではないのか
近藤勇は楠木正成を尊敬していたが、楠木正成が出来たという理由だけで、
拳を口に突っ込んだり出したりする一発芸を繰り返し繰り返し練習していた
71:
>>70
間違えた☆テヘッ
68:
全国で最も百姓一揆が頻発したのは南部藩の156回
二年に一度百姓一揆が起こっていた計算になる
とりわけ、幕末に起きた百姓一揆は、百姓たちが強訴ではなく仙台藩への集団移住を望んだため、
それにより南部藩は仙台藩に借りができてしまった
南部藩が奥羽列藩同盟に参加したのはこのことが遠因だと言われている
73:
浮世絵は、その当時海外に輸出されていた漆器や陶磁器などの“包み紙”や
緩衝材として使われていた
74:
勝海舟を斬りに来た龍馬を諫め、自分の弟子にしたという話は有名だが、
実はこの話の出処は勝海舟本人で、他の証言は出ていない
そのため、実は元々龍馬は話を聞きに来ただけなんではないか、という説もある
75:
勝海舟は嫁に隣に埋めないでって言われるレベルだから人間としてはちょっと…ってイメージが強いな
87:
>>75
まあ、偉人なんてそんなもんw
けれども勝がいなかった明治維新なんてないぜ。
81:
軍手を発明したのは幕末の長州藩
83:
江戸は未婚率が高い
引用元: ・江戸時代に関するトリビアをとにかく書いてけ
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