える「折木さんも…ご経験がおありなんですか?」奉太郎「」back

える「折木さんも…ご経験がおありなんですか?」奉太郎「」


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3:
『卒業生、退場』
 マイクの声に、三年生は一斉に立ち上がった。同時に拍手の音が鳴り響く。先頭の列から順番に、体育館の中央の花道を歩いていく。ある生徒ははにかみ、ある生徒は堂々とした面立ちで、ある生徒は涙ぐみ、ある生徒は笑顔を弾けさせて。
 周りとは遅れ気味のテンポで俺は拍手をし、ぼうっと卒業生を眺めていた。卒業生を祝福するつもりが全く無いことはない。ただ三年生に親しい先輩はいないから、これといった感傷が沸いてこないのだ。だから、最小のエネルギーで手を叩く。パチ、パチ、パチ、と手首が疲れない程度に。
そういえば、と俺は昨日のことを思い出す。姉から「お世話になった先輩の門出でしょう、贈り物くらいするのが後輩として当然」と気を回して俺に小包を渡してきた。最も、俺には品物を贈呈するほど世話になった先輩などいない。俺が所属している部活動、古典部には、俺と同じ一年しかいないのだし、部活以外で三年生と知り合う機会などほとんどないのだ。
だがこの後、部活の連中――古典部の友人たちは、口々に文句を、意見を、感想を俺に述べてくるのだろう。俺に知己の先輩がいないと知りながらも、間違いなく。
『折木って、結婚式でも葬式でも泣かないに違いないわ』
 伊原麻耶花なら、きっと当てつけるだろう。
『いやあ、神山高校に入学して一年経ったとは、時が経つのは早いねホータロー』
 福部里志なら、当たり前のことを大げさに語るだろう。
『折木さん、私、感動しました! でも、別れというのは仕方ないことなのですが、寂しいですね……』
 そして彼女は、きっと、人一倍感傷に浸っているだろう。
4:
そんな想像をしていると、数少ない三年生の知り合いを見つけた。男にしては長めの髪、背は高く、頭が切れそうなすっとした眼差し。
 去年の五月……か六月だったか、とある一件で顔見知りになった先輩だ。遠垣外将司。壁新聞部の元部長で、なんでも実家は神山市内の中等教育に影響のある名家らしい。まあ、本当に顔を知っているだけで、俺はそれ以上遠垣内について知らないが。
 と、そのとき、遠垣内と視線が交錯した。思い過ごしだと思ったが、明らかに彼は俺を見て一瞬眉間に皺を寄せた……ような気がする。これだけの人数、在校生と来賓と保護者を合わせれば千人はくだらない中、俺を偶然見つけるとは、卒業式まで苦い思いをさせてしまったようだ。
 すぐに彼の姿は見えなくなったが、なんとなく申し訳なくなった俺は、
 先輩、おめでとうございます。あのことは墓まで持っていきますよ。
そう心の中で呟いた。
 しかし、この後、遠垣内に会い、彼と意外すぎる人物との昔話を知ることになるとは、俺は思ってみなかったのだった。
5:
卒業式の後、ホームルームが終わると、俺は古典部の部室に来ていた。特別棟四回、地学準備室である。部室の窓の前まで椅子を持ってきて、窓枠に腕を乗せて眼下に広がる運動場を眺める。運動場では、卒業生と一緒に記念写真を撮っている生徒たちがたくさんいた。中には別れに涙している人もいるようだ。何故かサッカーをしている生徒もいる。サッカー部だろうか、最後の壮行試合、みたいなものか。
 欠伸をひとつして、腕時計を見ると、十二時を回ったところだった。今頃古典部の皆は、卒業生に挨拶でもしているだろうか。
 聡は、総務委員会と手芸部で、当然世話になった先輩がいるだろうから、古典部に顔を出すのは遅くなるかもしれない。伊原も同じく、漫画研究会で別れの会でもやっているだろう。では、もう一人の部員は――
「こんにちは、折木さん」
 と思ったところで、部室のドアが開く音ともに、凛と透き通った声がした。この学校で、俺を「さん」付けで呼ぶ奴は一人しかいない。
「ああ、お疲れ千反田」
 俺は振り向かず、入ってきた女生徒――千反田に右手を挙げて応えた。
6:
千反田える、古典部の部長であり、俺の省エネ主義を揺るがしかけている少女である。
 千反田は部室の長机に自分の鞄を置くと、俺の傍までやって来て外を眺めた。
「いいものですね、卒業式って」
「そうだな」
 俺は適当に同意し、二度目の欠伸をかみ殺した。千反田を見やると、彼女は微笑を携えて、優しい目をしていた。彼女の長く綺麗な黒髪が、そよ風に揺られていた。まるで母親のような横顔だ、と俺は思った。
「意外だな」
「え?」
「千反田は卒業式、というか、別れというものが苦手な奴だと思っていた」
「……そうですね。折木さんのおっしゃるとおり、あまり得意ではないかもしれません。けれど、仕方のないことですから」
 卒業式のときに想像した彼女と、ほぼ同じ答えだった。
「ただ……、別れは寂しいだけではありません。別れる時、その人が自分にとってどれだけ大事だったかを知る、大切な機会ですから」
 確かに、そういう考え方もあるか。俺はなんとなく、二年後の自分を脳裏に思い浮かべてみる。が、全くイメージは湧いてこなかった。泣いてないだろうし、笑ってもいない気がする。
「千反田は誰かに挨拶したのか」
「はい、何人か。あ、そういえば……」
7:
千反田は口元に手を当てた。何かを思い出そうとしている仕草に見える。
「折木さん、先ほど、遠垣内さんに挨拶した時のことなんですが」
 俺は曖昧に「ああ」と相槌を打った。
「折木さんって、遠垣内さんと親しかったんですか?」
「いや、特に」
「ですが、別れ際に、なんでしょう、神妙な顔で「折木君にも、よろしく言っておいてくれ」と言伝を預かったものですから」
 まずい、と思った俺は、額に汗が浮かぶのを感じながら、説明を始めた。
「あれだろう、去年、「氷菓」のバックナンバーを探すときに、手伝ってもらったから」
「いえ、それだけで、遠垣内さんが折木さんによろしくと言うのは不自然です」
「じゃあ、文化祭の「十文字事件」のことなんじゃないか。いいネタを提供したお礼みたいなものだ」
「それも変です。確かに、あの事件を解決に導いたのは折木さんですが、直接壁新聞部に交渉に出向いたのは私です」
 徐々に顔を近づけてくる千反田に俺は思わず仰け反って、視線を逸らす。今、彼女は興味という名の欲求に支配されている。こうなってしまったら、俺の姑息な言い訳など聞く耳を持たない。
 息が互いの顔に触れる距離まで近づくと、千反田ははっと目を見開いて、体を離した。
「すっ、すみません。あの……私の知らないところで、折木さんと遠垣内さんが親睦を具深めていらっしゃったのでしたら、その、それはお二人のプライバシーに触れることです。私に聞く権利などないのですが……」
「いや、さっきも言ったが、俺は別に遠垣内と親しくない。会話した回数だって、片手で数えられるぐらいだ」
 嘘は言っていない。
8:
「でしたら!」
 千反田の大きな目が、輝いている。
「どうして、折木さんとあまり接点のない遠垣内さんが、折木さんによろしくと言ったのか、」
 俺は舌打ちをしたい気分だった。もしかしたら、遠垣内はこうなることを見越して、千反田に言伝を寄越したのではないだろうか。
「私、気になります!」
9:
 俺はどうしたものか、と額に手を当てて考えた。
 おそらく、遠垣内の「よろしく」とは釘を指すという意味に違いない。自分が卒業した後で、あのことを他人に――千反田に話すな、ということだろう。
 事の顛末は去年の春、古典部の文集「氷菓」のバックナンバーを探しているときまで遡る。姉貴の受け売りで文集は「部室の薬品金庫の中」と事前に知っていた俺は、二年前、姉貴が卒業する前まで古典部の部室だった、生物準備室に文集があると踏んだのだった。現在は壁新聞部の部室となっていた生物準備室で、俺は壁新聞部の部長である遠垣内と知り合った。
 そのとき、生物準備室を見渡しても薬品金庫らしきものは見当たらなかった。そして、遠垣内は何故か部室を物色されるのを極端に嫌がった。薬品金庫の中に、煙草とライターを隠していたからだ。彼は部室で煙草を吸っていたのだ。
 俺はそれをネタに半ば遠垣内を脅して、文集を引っ張り出させた、とこういうわけである。
 無論、俺は遠垣内の喫煙を今まで誰かに言いふらして回ったことなどない。人の秘密を、それが社会的に良いとか悪いとか関係なく、吹聴するような趣味はない。
 これだけなら、俺が胸のうちに閉まっておけばいいだけの話なのだ。
 問題は、俺の眼前で目を煌煌と輝かせているお嬢様である。
10:
 何でも、千反田と遠垣内は、家同士の繋がりがあるらしい。千反田の家は、神山市では有名な豪農で、名家の縁で年末に顔合わせをするのだそうだ。
 つまり、名家の御曹司である遠垣内は、豪農の令嬢である千反田に喫煙の事実を知られるわけにはいかないのだ。体裁的に悪いのだろう。
 まあもっとも、伊原には口は堅いかと念押しして、遠垣内のことを話したあの時、その場に千反田もいたのだ。しかし、千反田は見つかった文集に心奪われていて、全く会話を聞いていなかった。だから、知らないままならその方がいいだろうと思っていたのだ。
 俺は嘆息して、窓際から机まで椅子を戻す。さて、どう言い訳したものか。
 千反田はというと、俺の推論が開始されるとでも思っているのか、わくわくした笑顔で、俺の隣に腰掛けた。
 俺は唸った。この顔になった彼女を煙に巻くのは、エネルギーを多分に食ってしまう。
 俺のモットーは「やらなくてもいいことはやらない、やらなくてはならないことは手短に」である。いっそ、ありのままを千反田に告げるのが、最もエネルギー効率が良いかもしれない。
 駄目だ、と俺は思った。思いかえせば、一応、あれは契約のようなものだった。文集を手に入れるための交換条件だったのだ。俺が遠垣内との契約を一方的に反故にするのは躊躇われた。それに、俺はおそらく……、
11:
「どうかしましたか、折木さん?」
 微笑む千反田を横目に見やり、俺は出掛かっていたため息を飲み込んだ。俺は自分でもよく分からない感情に振り回されている。
 俺はおそらく、今の千反田に、知られたくないのだ。あの時、俺がどうやって、遠垣内から文集を手に入れたのか。
 たとえ、遠垣内の喫煙を知ったとしても、千反田はそれだけで人格を否定するような奴ではない。俺が脅迫じみたことをしたと知っても、彼女は俺を責めはしないだろう。
 俺は、自分の後ろ暗い側面を、千反田に見られるのが怖くなってしまっている。彼女はとても感じやすく、故に自分を責めてしまうから。
 俺は息をついて、千反田の顔が視界に入らないよう、前を向いて口を開いた。
「千反田、お前の疑問に俺はおおよそ答えられる」
「はい!」
「だが、全部は話せない。それでもいいなら話す」
 自分勝手だな、と俺は自嘲した。
「わかりました、お願いします、折木さん」
 俺は、喫煙の事実を上手く伏せ、脅迫を「依頼」に置き換えて、文集を手に入れるまでの顛末を話し始めた
13:
 ◇ ◇ ◇
「……以上だ」
 話し終えると、俺は視線だけを動かして千反田を見、そして不思議に思った。てっきり、落ち込んだ顔をすると思ったからだ。彼女は口元に指を当てて、首を傾げている。俺の説明が悪かったか?
「あの、折木さん」
「なんだ?」
「遠垣内さんが、薬品金庫に人に見られたくないものを隠していた、というのは分かりました。ですが、私、まだ気になることがあるんです」
「どういうことだ」
「私、折木さんのお話を聞きながら、思い返していたんです。先ほど、遠垣内さんは「折木君によろしく言っておいてくれ」、とおっしゃっていました」
「それがどうしたんだ?」
「些細なことかもしれませんが、折木さんの名前を呼ぶとき、「折木」の後少し間があってから「君」を付けたんです」
「それは相手がお前だから呼び捨てにしなかった、つまり体裁を保ったんだろう」
「そうかもしれませんが、何だか、遠慮している、いえ、懐かしんでいる……? ような顔で、そうおっしゃったんです」
 遠慮と懐かしみ? なんだか、近いようで遠い感情が並んでいる。
14:
「もう一年近く前のことだから……と言っても納得しないんだろうな」
「納得できないわけではありませんが、どうも引っかかって……」
 千反田は他人の感情に敏感だ。過敏といっても良い。そうまで言うなら、何か他に理由があるのかもしれない。
「ふむ……」
 俺は自分の頭の中で、その理由を探ってみたが、さっぱり出てこなかった。思い当たる節は、やはり煙草の一件だけに思える。
 俺はとりあえず煙草のことを置き、仮説を立ててみることにした。
16:
「そうだな、まず、文集のときの一件以外に理由があると仮定しよう」
「はい」
「一、俺が実は昔から遠垣内と知り合いだった」
 自分で言って、俺はそんな馬鹿な、と胸で吐き捨てた。千反田はきょとんとしている。
「小学校が一緒だったんですか?」
「いや、知らん」
「……折木さん?」
 千反田がじとりとした視線を送ってくる。
「可能性の話だ。同じ小学校で、昼休みにでも一緒に遊んだことがあるのかもしれん」
「そうだとして、折木さんは遠垣内さんに似た上級生と遊んだことはありますか?」
「いや、覚えがないな」
「駄目じゃないですか」
 俺もそう思う。この説は却下だな。俺は咳払いをして、続ける。
17:
「二、俺が自覚の無いまま、実は俺が遠垣内に感謝されるようなことをした」
「したんですか?」
「いや、自覚が無いから分からない」
「折木さん……真面目にやってますか?」
「ああ、真面目だぞ」
 大真面目な顔を作って言う。千反田は頬を膨らましていた。
「たとえばだ、文化祭の件だが、十文字事件を取り上げたことで、壁新聞部の評価がうなぎ上りになる。あの時、遠垣内は既に部を引退していたんだろう? それで後輩たちに感謝され、株があがった」
「それはさっき、私が否定したじゃないですか」
「そうだな。だが、おそらく、お前は壁新聞部に古典部を売り込むときに、俺の名前を出したんじゃないか?」
「どっ、どうして分かったんですか?」
 慌てる千反田を見て、俺は内心ほっとした。違っていたら、とんだ自惚れ野郎になるところだった。
18:
 お前のことだ、俺が推測したことをそのまま伝えるんじゃないかと思った。「折木さんが言ってたんです」と付け加えてな」
 その通りなのか、千反田は恥ずかしそうに顔を俯けた。
「まあ、そういった経緯があって、俺に感謝したって不思議じゃないだろう」
「で、でもですよ? それは折木さんが自覚していらっしゃるじゃないですか!」
「遠垣内が、『折木奉太郎が自覚していない』と思っていれば、この説は成り立つだろう」
「そうですけど……何だか釈然としません。それに、遠垣内さんのあの表情は、感謝している、といった類のものではないと思います」
「さっきお前が言った遠慮と懐かしみか?」
「はい。私も、上手く言葉に出来ませんが……」
「だったら、文集の件と文化祭の件が混ざり合って、複雑な感情を抱いたとしてもおかしくない」
「でも、それって、遠慮と懐かしみに繋がりますか?」
「繋がるさ。今日は卒業式だろう? 古典部であるお前が遠垣内を訪ねたんだ、高校最後の一年をそのとき振り返ったとして、古典部の部員である俺の名前が出てくる。そこには苦い思い出と良い思い出があった。辻褄は合うじゃないか」
 今、俺は適当に思いついたことを話しているが、なるほど、しっくりくると自分でも思った。
19:
「ですが!」
 千反田はまだ得心がいかないのか、ずいっと俺に詰め寄ってきた。近い。
「文化祭で壁新聞部の評判が急上昇したというのは、折木さんの想像です。論理的ではありません!」
「お、憶測なんだから、想像する以外ないだろう」
「でもでも、違うと思うんです!」
 千反田はやけに言い切る。どうやら全く退く気はないらしい。しかし、これ以上、彼女の疑問を解く何かが、俺には思いつきそうもなかった。詮方なく、次の仮説を切り出す。
20:
「三、三だ。俺がこれからも遠垣内とよろしくする関係にある」
「そうなんですかっ?」
 だから、近いと言っている。いや、口には出していない。段々、刑事に詰問される容疑者の気分になってきた。
「いや、そんなつもりは今のところない。あ、今その気になったぞ。うん、そうだ、お世話になった先輩だ、年賀状のやり取りぐらいするかもしれんぞ」
「嘘はいけません! だって折木さん、私とだって年賀状のやり取りをしていないじゃないですか!」
 ぐ、ばれたか。俺は伊原にも、聡にも、千反田にだって年賀状を送ってはいない。年末に直接会ったのだから、年賀状なんて送る必要ないだろう、と反論したら、では誰かに送ったのですか、と聞き返されて手詰まりだ。
「あー、とにかくだ」
 俺は千反田の肩をそっと押し返し、頭をかいた。
「これ以上は推理できん。そのいずれでもないんだったら、遠垣内に直接訊いてみる以外ない」
「そんな、諦めたら駄目ですよ折木さん!」
 何が駄目だというのだ。
 俺は頬杖をついて、お盆に乗ったお菓子に手を伸ばした。千反田がいつも、家のもらい物を持ってきてくれているのだ。かなりのエネルギーを消費したから、糖分を脳に送らねばならない。銀紙の包みを開けてチョコと思しきお菓子を口に放り込む。アルコールの味がする。ウィスキーボンボンだった。このお嬢様は、去年ウィスキーボンボンで酔っ払ったことを反省していないのか。お盆の上には同じ包みの物はあと三つある。俺が片付けてしまうとしよう。
21:
「大体、別段意味なんてなかったかもしれないじゃないか。千反田のついでというだけかもしれん」
「ですが……それだけで、遠垣内さんが、あんな表情を……」
 俺はそのときの遠垣内の顔を見たわけではないから、何故千反田がこんなにも引っかかっているのか分からない。仮に俺がその場にいたとしても、遠慮、懐かしみ、と千反田は感じたらしいが、俺はそれすら分からなかっただろう。
 時間にして、三分ほどだろうか、沈黙が続いた。その間に俺はウィスキーボンボンを三つほど平らげ、彼女を宥める方法を、もう一度捻り出そうとしていた。
 そして、一つの結論に至り、俺は、ちくりと胸の奥が痛んだ。
22:
 ◇ ◇ ◇
千反田はすっかりしゅんとしてしまい、膝元に目線を落としている。俺は腕時計で時刻を確認した。一時前だった。
「さっき、お前は別れについてこう言ったな。「別れる時、その人が自分にとってどれだけ大事だったかを知る、大切な機会」だと」
「……はい、言いました」
「悪いが、俺は遠垣内にそれほど思い入れがあるわけじゃないし、卒業生にそれだけ感じ入る奴がいるわけでもない」
「はい」
「お前は多分、遠垣内に納得できないんじゃない」
「どういうことですか?」
 千反田が顔を上げる。俺は四角に折って揃えた、四つのウィスキーボンボンの包みに目を落とした。四つ目だけが、不恰好な台形になっていた。
「その、遠慮か、懐かしみか、そんな表情でよろしくと言った遠垣内に、俺が何も感じていないことに、納得できないんじゃないか」
23:
 千反田が息を呑むのが分かった。また、胸が疼くような感覚がした。
 千反田は、どうして、別れを惜しむ人が一人なのかといぶかしんでいるのだ。どんな些細な思い出でも、共有した時間が二人にあり、一方がそれを懐かしく思うなら、もう一方もそうであるに違いないと。
「……すまんな」
「あ、そんなっ、折木さんが謝るようなことじゃありません!」
「だが、これでお前の疑問は解消された」
「そんな……、私は……」
「別にいいさ。元々俺はそういう奴だ」
「そんなことはありませんっ! 折木さんは、私を何度も助けてくださいました! とても優しい方です!」
24:
 俺は奥歯で、唇の内側を噛んだ。
 しばらく風が窓を叩く音だけが部室に流れていた。そのなかで俺の心臓は低く、ゆっくりと、けれど全身に響き渡るぐらい、大きく脈打っていた。
「……すみません。仕方のないことを、私は、折木さんに押し付けてしまいました。私は、遠垣内さんとは昔から面識があります。ですから、私が遠垣内さんの卒業を祝福すると共に、寂しいと思う気持ちを持つのは当たり前です。でも、折木さんは、私ではありません。
 ……ごめんなさい、折木さん」
25:
「別に、ただ俺がお前ほど感傷的じゃない、それだけの話だ」
「いいえ、折木さんは、大切な人の思い出を蔑ろに出来る方ではありません」
 はっきりとした口調で、千反田は話した。それは誤解だ、と否定したい。
 俺は時折、彼女の真っ直ぐさを、純粋さを、直視できなくなる。千反田の愚直なまでの心根に、触れてはいけない気がして、自分に嫌気が差すのだ。
26:
「ですから……あれ、では、やっぱり変です、どうして遠垣内さんだけで、折木さんにはその……感情が生まれていないのでしょうか」
 堂々巡りの装いになってきた。これ以上は無限後退になりかねない。
「さあな。名前を間違えたんじゃないか」
「いえ、間違いなく折木さんとおっしゃっていましたよ。奉太郎、とまでは続けられていないので、もしかしたらもう一人、「折木」さんがいらっしゃるのかもしれませんが」
「別人、ねぇ。だが、恐らく折木はこの学校で俺だけだぞ」
「確かに、珍しい苗字ですよね」
「千反田」という苗字には負けると思うがな。
27:
 ふと、俺は何か引っかかった気がした。もう一人の、折木。まさかとは思うが、いや、そうなのか……?
 俺は前髪を指でつまみ、今まで上げてきた――実に適当だったが――仮説をまとめ始めた。
・一、俺が実は昔から遠垣内と知り合いだった
・二、俺が自覚の無いまま、実は俺が遠垣内に感謝されるようなことをした
・三、俺がこれからも遠垣内とよろしくする関係にある
 そして、生物準備室での文集の出来事――
 かちり、と四つの歯車がかみ合って、回り始めた音を俺は聞いた。俺を、もう一人の神山高校に在籍していた「折木」に置き換えたら、これら三つの説は全て説明がつく。折木奉太郎が、もう一人の「折木」を想起させるオプションに過ぎないとすれば、全ての辻褄は合う。
29:
「折木さん?」
 あと一歩、確証が欲しい。遠垣内が、もう一人の「折木」にこだわっていた根拠となる手がかりがあれば――。
「里志だ!」
 思いついたと同時に気づく。俺は今この場から里志に連絡を取る手段がない。こういうときに、携帯電話を持っていればことは簡単に済むのだが。検討しておこう。
「えっ、福部さんがもう一人の折木さんなんですか?」
「そんなわけないだろう。ちょっと、確認したいことがある」
 俺は立ち上がる。自分らしくないと思いつつ、この推論が正しいなら、他人事ではないからだ。
「どこかへ行かれるんですか?」
「ああ、会議室だ」
30:
 ◇ ◇ ◇
 俺は千反田と共に総務委員会のある会議室までやって来た。
 会議室のドアをノックをする。
「ごめんくださーい」
 千反田が声をかけると間もなく、ドアが開く。出てきたのは、都合のいいことに里志だった。
「あれ、千反田さんにホータローじゃないか。どうしたんだい?」
 里志は意外そうに目をぱちくりさせている。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「僕にかい?」
「いや、総務委員の卒業生にだ。すまんが、一年生のときから総務委員をしている先輩はいるかわかるか?」
「うん、わかるよ。五人ほどいる。で、何を知りたいんだい?」
31:
「もう一人の折木さんについて知りたいんです!」
 いきなり千反田が割って入ってきた。相変わらず言葉足らずな説明だ。案の定、里志は全く要領を得ない顔をしていた。
「もう一人のホータロー? ドッペルゲンガーでも見たのかい?」
「どっぺるげんがー?」
 千反田が頭の上に疑問符を浮かべて首を傾げた。
「ドッペルゲンガーってのはだね、ドイツ語なんだけど、ある人物の霊的なもう一つの姿のこなんだ。分かりやすく言うと、分身ってところかな。その分身を本人が見てしまうと、死が訪れてしまうなんて伝承もある」
 里志の講釈を、千反田はふんふん、と熱心に聞いている。おい、ここまで来たのはドッペルゲンガーに関する雑学なんぞを教えてもらう為じゃないだろう。
32:
「なんだか、怖い現象ですね……」
「ああ、怖い。もう一人ホータローがいるなんて、想像しただけで恐ろしいよ」
 失礼な奴だな。
「折木さんがもう一人……」
 千反田が天井を見上げて何やら想像し始め、突然ふふっと噴き出した。……何を想像したんだか。
「まったく、話を逸らすな。聞きたいのは、壁新聞部が生物準備室に移動した経緯だ。卒業生に、誰かが申し出たのか訊いてほしい」
「なんだかよく分からないけど、オッケー、訊いてみるよ。で、当然、後でどんな話か教えてもらえるんだろうね?」
 里志は目を細めて、俺の顔を覗き見る。
「ホータローがわざわざやって来るんだ、面白い話に決まってる。ちょっと待っててね」
 喜々とした表情で里志は会議室へ戻っていった。
 正直なところ、里志にも、というか誰にも話したくはない。会議室まで足を運んでおいてなんだが、俺は推測が外れていればいいと思っていた。
33:
「ところで千反田」
「はい?」
「さっき何を想像したんだ」
 訊くと、千反田は両手をわたわたと胸の辺りで振った。
「い、いえ、その、折木さんが二人いるのをイメージしたら、私の疑問に答えるのを押し付けあっているお二人の折木さんが思うい浮かんだもので」
 千反田の中の俺はどんだけやる気のない人間になっているんだ。
「でも、どちらの折木さんも結局協力してしてくれましたよ」
「知らん。自分と協力なんてまっぴらごめんだ」
 撥ね付けても、千反田は楽しそうに笑っていた。なんとなく居心地が悪くなり、俺は咳払いをして誤魔化した。
34:
「やあ、お待たせ」
 そうこうしている内に里志が戻ってくる。
「どうだった?」
「うん、わかったよ。生物準備室は元古典部の部室だったんだよね。で、新しい部員が一昨年も去年も入っていないっていうんで、特別棟四階に移動させられたらしい」
「ああ、それは想像がつく」
 何せ神山高校の校舎の最果てだ。お払い箱のような感じで移動させられたんだろう。
「で、ホータローも知ってるとおり、今あそこは壁新聞部の部室になっている。古典部の部室の移動が決まって、そのとき熱心に生物準備室を使わせてくれって、去年の春に申し出た生徒がいたらしいよ」
35:
 ――ビンゴだ。
「誰だ?」
「遠垣内先輩さ。壁新聞部元部長の。理由まではわからないけど、あまりにも熱心だから、総務委員会も教師も根負けして移動を認めたらしい」
「わかった。わざわざすまなかったな」
「いいよ。あと一時間くらいで古典部に顔出すから」
「ああ、また後でな」
36:
 ◇ ◇ ◇ 
 地学準備室に帰ってきた俺は、お茶を淹れ一息ついていた。
 なんてことだ、と俺は天井を見上げて、今頃空港に立っているだろう、もう一人の折木の姿を思い浮かべた。
 そうだ、遠慮、懐かしみ、この二つの感情は、どうしたって俺には向けられるものではない。
「千反田、名推理だな」
「はい?」
 茶菓子を上品に食べていた千反田が顔をあげる。
37:
「会議室に行く前、部室で、お前が答を出していたんだ」
「ほっ、本当ですか!? どこでしょう、珍しい苗字ですか?」
 いや、そこは絶対関係しないだろう……。
「本当なら、俺がまず考え付かなきゃならん可能性を、あまりにも近くにいたせいで見逃してたんだ。灯台下暗し、って奴さ」
「あの、要領を得ないんですが……」
「俺と千反田にはわからんはずさ。遠垣内も、もしかしたら口をすべらした、と今頃思ってるかもしれん」
 そう、だってこれは、俺たちが神山高校に入る前のことなのだから。
38:
「千反田、俺に姉貴がいるのは知っているよな」
「はい、確か、供恵さん、でしたよね」
 流石だ、記憶力がいい。
「姉貴は二年前にここを卒業した」
「ええ、去年折木さんから聞きました」
「姉貴は、古典部のOGだ」
「はい、それも伺っています」
 どうやら、まだ千反田は分かっていないようだ。俺は息を吐いて、辿り着いた答えを告げる。
「つまり、遠垣内が「折木君によろしく」、と言った真意はこうだ。
『折木供恵先輩の、弟によろしく』」
39:
 千反田は口を小さく開け、何度か瞬きを繰り返した。
「あの表情は、折木さんのお姉さんを思い出していたから……?」
「ああ、そうだと思う」
「でも、お二人は学年も部活動も違いますし、どういった経緯でお知り合いになったなのでしょう? どういう関係だったのでしょう?」
 それについても、俺はある程度の想像がついていた。だが、それを語るのは非常に恥ずかしい。なにぶん、身内のことなのだ。姉貴め、卒業した後も遺恨を残しやがって。
「経緯については今から説明するが……、関係というなら、……遠垣内は、姉貴に惚れてたんじゃないか」
「えっ!」
 千反田は両手で口を覆い、頬を赤らめた。まだ結論づけたわけではないのに、せっかちな奴だ。それに、顔を赤くしたいのは俺の方だ。
40:
「千反田、最初に話した、薬品金庫の話は覚えているな」
「は、はい、他人に見られたくないものを隠していたからだ、と」
「俺は、とんだ思い違いをしていたらしい。遠垣内が他人に見られたくなかったものが、俺が想像していたものとは別物だったんだ」
「それは、つまり……どういうことでしょう?」
「正確には、俺が薬品金庫に隠してあると確信していた物……紛らわしいから、『A』としよう。『A』も、確かに見られてはまずいものだった」
41:
 千反田はこくりと頷いた。先ほどまで下がっていた彼女の肩が、天井から引っ張り上げられたように上向いている。
「だが、『A』よりもっと見られたくない――他人に触れられたくないもの、『B』があった。それが、きっと薬品金庫に入っていたんだ」
「その、『B』というのは?」
「そこに入る前段階として、俺が疑問に思ったのは、何で薬品金庫なんかを、わざわざテーブルの下に隠していたか、ということなんだ」
 そう、段ボールを積み上げた簡易テーブルの下に置かれていただろう、薬品金庫。もし煙草とライター……あとは灰皿に類似したものか、それらをとっさに隠すのなら、いちいち手間がかかる場所に俺だったら設置しない。それこそ、鞄の中に放り込めば済む。いくら臭いがするからといって、そこまで追及するとは考えにくい。
「『A』は、薬品金庫に入っていなかった。おそらく、棚か、適当な段ボールにでも入れていたんだろう。そこで、俺が「部屋を徹底的に捜索したい」と言って、遠垣内は焦った。それは『A』を見つけられては困るからだ」
「はい、そこまでは分かります」
「では、先ほどの疑問だ。どうして、薬品金庫を隠しておく必要があったのか」
42:
「あっ」
「薬品金庫そのものだったからだ。遠垣内が隠しておきたかったのは。きっと、金庫というぐらいだから、そんなに大きくないだろう。せいぜい、市販の電子レンジくらいの大きさだ。それをわざわざ、簡易テーブルを作る為の土台に使えるとは思えない」
「では、遠垣内さんが、見られたくなかった『B』とは……」
「ああ、『氷菓』のバックナンバーだ」
 千反田は立ち上がって、本棚に並べられた氷菓のバックナンバーを、左から順に目で追っていく。左が最も古い号だ。やがて、一番右側の号を抜き出した。
 姉貴が三年生だったときの文集だった。
43:
 ◇ ◇ ◇
『私にとって、これが最後の文化祭、そして最後の文集となる。
 古典部に在籍したこれまでを思い返すと、本当に楽しいことばかりだった。私は、古典部の関谷純先輩が氷菓に込められた想いに応えたい。
 私も十年後、この毎日をきっと惜しまないだろう。
 私はこれから時を振り返らず生きていくつもりだ。その一瞬一瞬を、高らかと歌いながら、勇往邁進していく。
 時間は、誰にでも平等に優しくなく、けれど誰にとっても温かい。
 時計の針は残酷に刻まれていくが、針は常に思い出という痕跡を残し続ける。
 全ての過去は古典となって、時の彼方に消えていくのではない。
 古典となって、未来の針を進める為の、私の道標となる』
44:
 
 千反田と俺は、姉貴が書いた序文を読んだ。
 千反田の叔父、関谷純に纏わる真相は、既に姉貴が語っていたに等しい。この序文だけで詳細を知ることは無理だが、高校生だった姉貴は、きっと全部理解していたのだろう。
「お姉さんは、きっと素晴らしい女性になっているんでしょうね……いつか、お会いしたいです」
 それは、実に躊躇われる。姉貴に千反田を紹介したら、あれこれと邪推されて弄り倒されるはめになりそうだ。
 俺は目次に目を通し、見当の記事を探した。
「あった」
○特集、『神高月報』の歴史?かつて起きたあんな事件やこんな事件、そして今正にそんな事件!? 
「……真面目な序文から、えらく様変わりした特集記事だな」
「ユーモラス、というんでしょうか?」
 千反田は楽しそうに頬を綻ばせた。ユーモラス、違うな、単にふざけているだけだ。
45:
 それから、俺と千反田は特集記事にざっと目を通した。当然、壁新聞部について書かれているだけで、姉貴と遠垣内が親密な関係だった、という事実に結びつくような文章は見当たらない。だが、二人が知り合いになるには、この神高月報の特集記事だけで、十分な材料だろう。
「じゃあ、お姉さんと遠垣内さんは、この特集記事がきっかけでお知り合いになったんですね」
「ああ」
「でも、どうして折木さんは、その……遠垣内さんが、お姉さんをお慕いしていたと思うんですか?」
 答えにくい質問だ。俺は頬をかいて、千反田から目を逸らす。
「……俺も、一応男だからな。男があれだけ拒否反応を示して、触れられたくない物……過去ってのは、失恋だ。だけど捨てることも出来ない。だから隠したんだ。誰にも見つからないように」
 とは言っても、俺はまだ、恋というものがよく分かってない。伊原を見ていると、何ともエネルギー消費の大きい大変なことなのだろう、という具合にしか捉えられないのだ。
46:
「折木さんも……、ご経験がおありなんですか?」
 千反田に上目遣いで訊かれ、俺は思わず「へっ?」と頓狂な声をあげてしまった。
「い、いや、俺個人の話じゃなくて、男の心理ってのはそういうものだという、一般論だ」
「そ、そうなんですか」
 気まずい。微妙な空気を振り払うように、俺は大げさにばん、と文集を閉じて、机に置いた。
「さて、これで話は全部だ」
 俺は安堵にも似た吐息をついて、身体を伸ばした。
 が、千反田は氷菓を見つめて、何やらまた思案している。まさか、まだ何かあるのか……。
47:
「どうした、もう可処分エネルギーは残ってないぞ」
「あの……、遠垣内さんは、全てのバックナンバーを私たちに渡してくださいました」
「それがどうかしたのか?」
「この氷菓は、遠垣内さんにとって最も特別な氷菓だったと思うんです。ですから、何でしょう……私なら、これだけは自分の手元に置いておきたいと我侭を言ってしまうと思うんです」
 なるほど、道理に適った問いだ。
「その回答は、俺が古典部だったから、だな」
「あ……」
「姉貴が古典部だったと俺が知っている可能性は高いと、遠垣内は思ったんだろう。姉貴のときの文集はどこだ、と訊ねられれば、知らぬ存ぜぬを通すのは厳しいだろう」
 俺は、去年の生物準備室での、遠垣内との会話を反芻する。
(一年生。お前の名前だけ聞いてなかったな)
(折木奉太郎。……悪いとは思ってますよ)
 あの時、もしかしたら、遠垣内はまだ胸に残留していた想いに、けじめをつけたのではないだろうか。好意を寄せていた相手の弟、俺が、古典部の文集を求めてやって来たと知ったあの時に。もしあの場で、遠垣内が俺に名前を尋ねなかったら、俺が名乗らなかったら、この氷菓は、ここになかったのかもしれない。
48:
「……あ」
 俺は姉貴もらった小包のことを思い出し、ポケットを探った。有り得ないと信じたいが、これを渡す相手は、どう考えても、一人しかいない。
「ちょっと、用事を思い出した。すぐ帰ってくるから、部室で待っていてくれ」
 俺は千反田の返事を待たずに、部室を飛び出した。
57:
 ◇ ◇ ◇
(こんにちは、古典部の折木供恵です。取材にきました!)
 初めて出会った瞬間に、心を奪われた。
(あら、君、新入生? 部長は? 早退? もう、間が悪いなー。じゃあ、君がいいね、名前は?)
 綺麗な黒髪と、優しそうな眼差し。細身の容姿からは想像も出来ないほど全身から溢れ出る活力。
58:
(大丈夫大丈夫、私は新鮮な情報が知りたいのよ。昔のことなんて、それこそバックナンバーを調べれば済むし、それに新入生の視点からだと、より鮮度も増すじゃない)
 弾けるようでいて、穏やかな、不思議なその笑顔に惹かれた。
(供恵でいいよ、なんか、折木先輩って、堅苦しいじゃない。あ、でもお姉さんだけは止めてね。間接極めたくなっちゃうから
59:
(遠垣内君、明日お昼に食堂に集合ね。逃げたら間接極めちゃうぞ)
 彼女につられて、自然と笑えている自分がおかしかった。
(とくと見なさい、和風弁当! 弁当っていうか、ほとんどおせちになっちゃったけど。日本にいるうちに作っとかなきゃなーと思うとつい)
60:
(この前、変な事件があったでしょ? ほら、二年生の財布が盗まれたやつ。しょうもない話だったよね、え? 未解決ってことになってるんだ。真相、聞きたいの? うーん、遠垣内君ならいいか。でも記事にしちゃ駄目だからね)
 人一倍勘が鋭く、いつも彼女は真実を見抜いていた。物事の事実を暴くのではなく、包み込むように、見守っていた。
(あれ、煙草なんて吸ってるの? まあ知ってたけどね。そんなに焦らなくたって、君はもう十分大人だよ)
 俺の幼稚な反抗を咎めず、優しく諭してくれた。
61:
(家ねぇ、私は普通の家庭に育ったから、その辺は相談に乗ってあげられないな。家族っていえばさ、私弟がいるんだけど、それはもう可愛くないヤツで、奉太郎、っていうんだけどね)
 弟の話をするとき、彼女は可愛らしく温かい表情をした。
(好きな人? あっははっ、色気づいちゃって、部長に変なことでも吹き込まれたの?)
 それが自分にも向けられないかと、必死だった。
62:
(どうだった、特集? 良い出来だったでしょう。感動しましたと言いなさい! 遠垣内君の協力があったんだから、当然でしょう?)
 彼女と一緒にいられて、ただ嬉しかった。
(でも残念だなー、今年も新入部員入ってないから、私が卒業したら部員ゼロになっちゃうんだもんね。ね、いっそ金庫に鍵かけて封印しちゃおうか? 古典部、文集の行方はいかに? って感じの伝説が残るかも……なーんてね)
 いっそ離れ離れになるのなら、思い出を封印してしまいたいと思った。
63:
(へぇ、卒業したあとのこともう考えてるんだ。悩んでるだけ? それだけでも凄いことだと私は思うな。私は一年生のときは、十年先のことは考えてなかったな。飛躍しすぎ? でも、遠垣内君が思い描いている先は、十年後のことなんでしょう?)
 自分のちっぽけな覚悟なんてとっくに見透かされていて、恥ずかしくなった。
(私はね、いろんな世界を見て回るの。見たことない景色を、行ったことのない街を、海を越えて、山を越えて、空も越えてさ。え? 遠くになんて行かないよ。だって、私たちは同じ星に住んでいるんだから、あ、こりゃクサイな)
 いつか彼女と並んで、その景色を見たいと思った。
64:
(どうしたの? また相談かな? でも、君はもう答えを見つけているでしょう? いつまでも供恵先輩に頼ってちゃ、駄目だぞ)
 彼女と一緒なら、新しい答えを見つけられると思った。
(じゃあね、また、もしも会う機会があれば、先輩面するから――)
65:
 先輩、俺は、先輩のことが……
(弟がもし神高に入ってきたら、よろしくね、遠垣内君――)
 ノックの音が響いた。
66:
 ◇ ◇ ◇
「失礼します」
 俺が生物準備室のドアを開くと、壁新聞部の部員たちが談笑しているところだった。段ボールを積んだだけの、簡易テーブルも去年のままだった。ホワイトボードには、『祝、卒業! 遠垣内先輩』と赤ペンで大きく書かれていた。
 簡易テーブルの上座に座っていた遠垣内は、俺の姿を認めると、一瞬だけ目を見張った。彼は他の部員に断りを入れ、入り口までやってきた。
「やあ、何か用かな?」
 初めて出会ったあの日と同じく、隙のない笑顔だった。
「先輩、卒業おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。千反田さんに、よろしく伝えるよう頼んどいたんだけど、わざわざ祝福に来てくれたのかい?」
67:
「俺に?」
 遠垣内はさぞ不思議そうに首を傾げた。
「これ、俺の姉が、先輩にだそうです」
 俺はポケットから小包を取り出して、遠垣内に差し出した。
 遠垣内は息を呑み、大きく目を見開いてから、視線を小包と俺の顔の間を何度も往復させた。やがて、困ったように、観念したように笑った。
 彼は振り向くと、「すぐ戻る」と部員に伝える。
「ちょっと、場所を変えようか」
68:
 渡り廊下に出ると、遠垣内は柵にもたれて一度大きく空気を吸い込んで吐き出した。
 空を仰ぎ見る彼の目は、遠い場所を羨望するような眼差しだった。
「先輩は、姉……供恵とお知り合いだったんですね」
「……まるで、今日知ったかのような口ぶりだな」
 遠垣内は怪訝そうに呟いた。
69:
「はい、今日知りました。姉に教えてもらったんじゃありません。この小包も、先輩宛だとはさっきまで分かりませんでした。千反田が、先輩が俺によろしくと言うのは変だと、勘繰ったものですから」
「なるほど。それだけで、お前は全部悟ったわけか」
 流石だな、と遠垣内は呆れたような声で付け加えた。
「……おおよそは。本来なら、俺は先輩に会うことも、この小包を先輩に渡すこともなかった。ですが、俺は気付いてしまった。だから俺は先輩にこれを手渡す義務がある」
70:
 俺は、一つだけ千反田に言っていないことがある。
 今俺が手に持っている、姉貴から預かった小包のことではない。俺は三番目の説――『俺がこれからも遠垣内とよろしくする関係にある』――に対して説明をしていない。
「去年の文化祭で、姉に会いましたか?」
71:
「……それを聞くってことは、わかってるんだろう?」
 俺は後ろ暗い気持ちになった。俺を通して「さよなら」を遠垣内に伝えようとした姉貴を、ぶん殴ってやりたい。それは本来、姉貴が直接会ってやらければならないことだろう……!
「おいおい、怖い顔するなよ。お前が怒ることじゃない」
「……怒ってるわけじゃありません。ただ、気に入らないだけです」
 遠垣内は苦笑して、俺に歩み寄った。そして、手招きするように、右手を差し出した。俺はぐっと口を引き結び、小包を遠垣内に手渡した。
72:
「嫌味のつもりだったのが、倍になって返ってきたわけだ」
「俺は先輩と姉のことを詳しく知りませんし、聞くつもりもありません。ただ、借りを返したいだけです」
「借り? 煙草のことか?」
「いいえ、『文集』のことです。……すいませんでした」
 俺は改まって低頭する。これはやらなければならないことだ。人の気も知らないで、俺が他人の思い出に土足で踏み込んだツケだ。
73:
「はは、確かに、供恵先輩の弟なら、こうするんだろうな」
 遠垣内は怒るでもなく、穏やかに笑ってみせる。姉貴の弟なら、というのがどういう意味か分からないが、きっと悪い意味に決まっている。
「お前が謝るようなことじゃないさ。ただ俺が賭けに負けただけだ」
 最初から分かっていた。遠垣内の言葉は、俺にはそんな風に聞こえた。俺は応えず、黙ったまま足元に目を落とした。今日俺が遠垣内を訪ねなければ、メッセージは違っていたのだ。「よろしく」は、過去ではなく、未来に向かう言葉だから。
74:
「――ああ、知っていた。先輩は、自由で、気ままで、それでいて揺ぎ無い人だった」
 全く同意できない、というか、頷いてしまうと癪に障る。
「先輩、間接極められた仲間のよしみで言いますが、姉貴を過大評価しすぎですよ」
 俺が言うと、遠垣内はきょとんとした顔をしたかと思うと、声をあげて笑い出した。
「あれは痛かった、すごく痛かったな」
 ひとしきり笑って、遠垣内は手のひらに置いた小包を握り、振った。箱に硬いものが当たる音がした。それで箱の中身を悟ったのか、遠垣内は声を出さず、口元だけで笑った。
76:
「確かに受け取ったよ。……供恵先輩は、今は?」
「大学生です。今この瞬間なら、多分、今頃空の上かと」
「そうか、安心した」
 そう言って、遠垣内はすっきりとした顔をして、満足げに微笑んだ。
 俺は、遠垣内と姉貴との間にどんな会話が交わされ、どんな感情が行き交ったのかを知らない。俺が残酷だと思える姉貴の仕打ちを、遠垣内が笑って済ませてしまう理由は分からない。加えて俺は、誰かを好きになり、その誰かと別れ見送った経験などないのだ。
 それでも俺は、姉貴と過ごした一年間は、遠垣内にとって確かにこの瞬間、惜しまない日々になったのだと、そう思った。
77:
「先輩、卒業後はどうされるんですか?」
「県立大の教育学部さ。俺も、自由気ままにやろうと思ってね」
 これから散歩でも行くように軽く言ってのけた遠垣内の進路先に、俺は驚きを禁じえなかった。中等教育に影響のある家柄だ、という千反田の言を思い起こす。遠垣内はさぞ家柄というものに辟易していると思っていた。失礼な話だが、俺は煙草を吸っていた遠垣内を、子供じみた反抗を続けるお坊ちゃまだと思っていたのだ。
78:
けれど、思い違いだったようだ。遠垣内は、とっくに教育の道に進む覚悟があったのだ。あったのは、それに不満がない、という不満。
 だから、遠垣内は、自由奔放でいて、自分をしっかり持っている――あくまで遠垣内の弁ではだが――姉貴に憧れたのではないだろうか。
79:
「姉に、いずれ伝えます。遠垣内将司は、しっかりと自分の道を歩いている、と」
 俺は真っ直ぐ遠垣内に向き直って言った。
「――ああ、よろしく言っておいてくれ」
 俺が今見ている彼の表情は、きっと千反田が見たそれと同じなのだろう。
 遠慮がちであり、懐かしそうであり――切なさが滲んでいた。
80:
 ◇ ◇ ◇
 部室に帰ると、何所に行っていたのかと千反田に訊ねられた。
「野暮用だ。いくら千反田でも、こればかりは話せん」
 黙秘を決め込んだ俺に、千反田は意外にもそれ以上追及してこなかった。珍しいこともあるものだ。
 俺は腕時計を確認する。二時を回ろうとしていた。
「腹が減ったな」
 俺が呟くと、千反田は「すっかり忘れていていました」、と言ってお腹に手当てる。
「私もお腹空きました。どうでしょう? この後福部さんと麻耶花さんが部室にいらっしゃったら、みんなでお昼をどこかに食べに行きませんか?」
81:
「ああ、いいな」
 しかし、間違いなく里志と伊原に今日の話をすることになるんだろうな。面倒だ。
 まあ、いいか。明日は休みだし、今日一日ぐらい、エネルギーを大量消費しても構わないだろう。
 そういえば、あの小包の中身は、何だったのだろうか。手のひらサイズだから、何かの備品か、装飾品か……。
 俺はそこまで考えて思考を止めた。これ以上の詮索は、それこそ野暮というものだ。
 他人の思い出をかき回すような趣味はない。……まして、姉貴が重要な位置にいる思い出など、気恥ずかしくてたまったものではない。
82:
 姉貴のことを考えて、ふと俺は立ち上がった。
 窓を開ける。まだ三月も初旬、冷たい風がひゅうと吹き込み、身体を通り抜けていく。
 よく晴れた空を見上げると、一筋の飛行機雲を見つけた。姉貴の乗った飛行機が残したのかもしれない。なんとなく、遠垣内も今これを眺めているような気がした。
83:
「あの、折木さん」
 いつの間にか、千反田は俺の傍に立っていた。千反田は空を見上げて、どこか遠い目をした。
 俺は「なんだ」と素っ気無く聞き返す。
「失恋も、別れの一つですよね。私、別れは寂しいだけではありません、別れる時、その人が自分にとってどれだけ大事だったかを知る、大切な機会ですから、と言いましたが、あれ、撤回してもいいですか?」
 どうしてだ、と俺は何故か声が出せなかった。
84:
「私は、お慕いしている方と離れ離れになるなんて……出来そうにもありません」
「――そうか」
 俺は、飛行機雲を見上げたまま、小さく答えた。
85:
 こうして、俺の神山高校の初年は幕を閉じた。
 春の息吹を感じるには、まだ早く、冬の吐息を感じるにはもう遅い。
 別れの日々は間もなく終わりを向かえ、出会いが始まる。
 桜のつぼみが、いよいよ芽吹こうとしていた。
86:
 ◇ ◇ ◇ 
 包み紙を外して、箱を開けると、小さな鍵が入っていた。
 彼は微苦笑し、その鍵を手に落とす。
 ひんやりと冷たい感触。
 
 さようなら、先輩。いつか同じところで、また――。
 空に走る飛行機雲を見上げて、彼は呟いた。
87:
以上で終わりです。
呼んでくださった皆様、駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
今日でアニメ最後とか、寂しすぎるぜ…
93:
「ちょっと、用事を思い出した。すぐ帰ってくるから、部室で待っていてくれ」
 そう言って、折木さんは私を置いて部室を飛び出していきました。
 追いかけようかと椅子から腰をあげましたが、私は思いとどまりました。待っていてくれ、と言われた以上、きっと私が一緒では駄目なのでしょう。
 私は一人になった部室で、氷菓を手に取りました。
 遠垣内さんの思いが詰まった、氷菓。
 今になって思えば、おかしな話です。もし、最初から供恵さんの書いた序文を読んでいれば、私たちはあんなに悩むことなく、伯父の真意を知れたのかもしれないのですから。
94:
あの時、もっと自分が冷静でいられたら、折木さんにもご迷惑をかけることもなかったのかもしれないのですから。
 そこまで考えて、私ははっとなり、私たちが作った、窓際に飾られた氷菓を見つめました。
 歴史にもし、はありません。けれど、もしあの時、全てを折木さんに解決していただいていなかったら。
 折木さんに助けていただいてなければ、私は、折木さんを――。
95:
 私は、胸の動悸が激しくなるのを感じました。顔が火照って、苦しいのだけれど、どこか温かな気持ちになりました。
 そして、遠垣内さんが、どうして思い出を閉じ込めておこうとしたのか、わかった気がしました。
 ――なんと切なく、苦い思いなのでしょうか。
 私は供恵さんと遠垣内さんがどのような仲だったか、推し量れません。素敵な時間を過ごされたのだろうとは思います。
 しかし、誰かが誰かを慕うことを、私はどこかで楽観視していたのかもしれません。
 私は、福部さんに恋をする麻耶花さんを見て、いつかきっと想いは通じると、そう思っています。
 なら、私は、想いが通じなかったとき、麻耶花さんのように強くあれるでしょうか。遠垣内さんのように、潔くいられるでしょうか。
96:
別れは寂しいだけではありません。その人が、どれだけ大事だったかを知る、大切な機会でもあります。
 けれど今、私は自分が言ったその言葉に自信を持てなくなっています。
 折木さんが戻ってきたら、私は、撤回しようと思います。少しだけずるい気がしますが、許してもらえるでしょうか。
「私は、お慕いしている方と離れ離れになるなんて……出来そうにもありません」
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