そろそろ8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけback

そろそろ8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ


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1.
2. 1.名も無き哲学者
3. 2015年07月08日 01:05
4. ID:DBU26rsm0
5. 日本にいると戦争って遠いイメージだけど
日本にいる外国人と話しているだけでも実戦経験ある人多かったりする
知らないだけで今も身近に戦争経験者っているんだよな。
6.
7. 2.名も無き哲学者
8. 2015年07月08日 01:17
9. ID:RbKaraMF0
10. 284
泣いたよ・・・
11.
12. 3.名も無き哲学者
13. 2015年07月08日 01:17
14. ID:H09Jo0KS0
15. 戦時中の記憶なのに「ミサイル」って・・・・
16.
17. 4.名も無き哲学者
18. 2015年07月08日 01:25
19. ID:WVkLxNwU0
20. ばあちゃんは芋とか南瓜は大好物だけど、雑炊とかが大嫌いでいつも白飯食べてたな
21.
22. 5.名も無き哲学者
23. 2015年07月08日 01:26
24. ID:vLRKI5rO0
25. 栃木にいたけど、東京大空襲から逃げてきた人達が、
髪はちりぢり顔は煤だらけ服は焼け焦げてボロボロで
本当ドリフのコントみたいな姿だったって
26.
27. 6.名も無き哲学者
28. 2015年07月08日 01:31
29. ID:o2KGAX2.0
30. うちのじいちゃんは車運転できたから日本で輸送ばかりやってたって聞いたな
実際のところはどうか分からんけどな
31.
32. 7.名も無き哲学者
33. 2015年07月08日 01:35
34. ID:3BCcuU4M0
35. ウチの爺ちゃんは海軍の船乗りで、出撃直前に婆ちゃんがオヤジの手を引いて
大阪から呉まで汽車で面会に行ったらしいが、行く先々で見ず知らずの軍人さんから
敬礼をされたらしく小学生だったオヤジからすると大層誇りに思えたらしい。
今の平和な時代から推測するに、出撃直前の面会者への気配りだったのだと思う。
36.
37. 8.名も無き哲学者
38. 2015年07月08日 01:36
39. ID:lLxKUfqx0
40. サツマイモやカボチャ嫌い、戦時中の人は多いって聞くね。
というか、うちの婆さんも麦飯とか雑穀米が流行りだした頃「白い御飯を好きなだけ食べられる時代なのにわざわざ麦飯食うなんて」とボヤいてた。
ちな、その婆さんは戦争中に病気になって麻酔無し手術をしたらしい。そして通院中、列車に乗れば機銃掃射を受けたそうなり。
41.
42. 9.名も無き哲学者
43. 2015年07月08日 01:36
44. ID:Pp6qPvW80
45. 近所に住んでたアメリカ人がベトナムで死んだらしいわ。
小さい頃遊んでもらった記憶があるんだがある日ぱったり顔を見なくなった。そして数年後亡くなったとの話を聞いた。地雷を踏んだとか言ってたな。他には黒人の学校の先生をしてる人が自費でCDを出してるんだがそのジャケットには迷彩服のその人が写っていた。話を聞いてみると朝鮮の国境に行っていたらしい。そして今は軍を辞めて先生になって音楽活動とかホームステイの受け入れとかやってると言ってた。身内では祖父の兄弟が沖縄戦で戦死した。
46.
47. 10.名も無き哲学者
48. 2015年07月08日 01:38
49. ID:hfYCdwwG0
50. 694 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2012/08/15(水) 20:38:14.47
外で、花火大会の打ち上げ花火の音がドンドン鳴ってる
酔っ払って寝てた嫁は半覚醒状態
「対空砲火?どうなってんの?」
「対空砲火だ。空軍が負けてる?」
「領土侵犯?どうにかしないと」
「疎開。おじゃみに炒った大豆入れてたくさん持って」
と順不同で繰り返してます。
どう返事するべきだろか
697 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 20:47:44.34
あ、あと
「イージス艦がヘマやった!予算くいやがって」
とも漏らしてます
703 名前:694[] 投稿日:2012/08/15(水) 23:31:53.41
「花火だから心配ないよ」
って言ってやったら
「だったら、ネコさんの毛」
と言葉を残していびきかきはじめました。
頭の下に枕を差し入れてタオルケットかけたところ。
悪い夢みてなきゃいいけど。
ではおやすみなさい
51.
52. 11.名も無き哲学者
53. 2015年07月08日 01:40
54. ID:UNV6ket70
55. 中学生の頃に呉か福山の軍事工場で働いてた時に空襲に遭って防空壕に入れず全力で走って逃げたとか爺さんが言ってたな、そんで防空壕の中に入ってた人は蒸し焼き状態で亡くなったって言っててゾッとしたわ
婆さんも大阪で橋の下に隠れたから米軍機の機銃掃射に遭わず助かったって言ってて二人とも強運すぎるし、下手したら俺は存在しなかったという…
56.
57. 12.名無し△
58. 2015年07月08日 01:42
59. ID:8mJsnsP10
60. 爺さん日本軍だったけどあまり語りたがらなかったな。
親戚が言うにはつらい経験したみたいだけど
勲章とか付いてる写真が額縁に飾ってあるのだけ見たことある
61.
62. 13.名も無き哲学者
63. 2015年07月08日 01:55
64. ID:3BCcuU4M0
65. 7のつづき
結局、爺ちゃんは従軍中に乗艦が2回沈没(1回はレイテの麻耶)
南方の何処かジャングルで武器食料なしで継戦
右大腿部に銃槍を負い戦後アメリカ軍の捕虜となり舞鶴へ帰国
とりあえず孫として年に一度は靖国へ行くようにしてるよ。 
66.
67. 14.名も無き哲学者
68. 2015年07月08日 01:56
69. ID:bdF1.olp0
70. 学生の時東京の空襲にあった人から終戦記念日に聞いた空襲で逃げたときの話
火から逃げるため川のある方へ逃げたがすでに人で一杯
川には火に焼かれて飛び込んだ人で一杯
その川から顔もわからないぐらい焼けただれた人が浮く体力がなくなり
沈まないように助けを求めて岸の人に手を・・・
その人が手を掴むと安心したのかそのままブクブクと沈んでいったそう
もちろん炭の塊となった腕を残して
空襲を体験したって話を聞くことはあるけど体験した本人から聞く描写は来るものがある
71.
72. 15.名無しの
73. 2015年07月08日 01:58
74. ID:Hr.GOiVp0
75. そういえば俺は身内から詳しい戦争体験聞いたことないな。祖父は両方とも
従軍してなかったようだし。自分が聞いているのは、祖母は長崎の方角にキ
ノコ雲らしきものを見たということ、そして医者だった曾祖父が満州で死体
だらけの中で寝起きする生活をしていたらしいということくらい。
76.
77. 16.軍事報の大佐
78. 2015年07月08日 01:59
79. ID:IQ7Y30oR0
80. こういうところで出てくるのは戦時中の話ばかりだけどさ、
戦後すぐ、朝鮮戦争が始まるころまでも本当にひどかったみたいだよ。
戦時中はなんだかんだ食料は(本土には)あったけれど、戦後は食料を輸入することができなくて飢餓になりかけたから。
闇市に代表されるように秩序が崩壊(いわゆるモラルハザード)していたから、そのころ育った世代、いわゆる団塊の世代はまぁなんというか・・・特徴的な人が多くなっちゃったとも。
81.
82. 17.名も無き哲学者
83. 2015年07月08日 02:02
84. ID:wcYDTz.P0
85. ガキの頃戦争に悲惨で陰鬱なイメージしか教育されんかったから
「戦争はいけない、いけない」とか
いい子ぶってんじゃねー、と戦争の話を聞こうと思わなかったな
じいちゃんが生きてるうち一個くらいきいとくべきだったよ
86.
87. 18.名も無き哲学者
88. 2015年07月08日 02:02
89. ID:raLTibbI0
90. ばあちゃんが文京区あたりに住んでた時に空襲にあったって。
曽祖父をおんぶして、伯父の手を引いて焼夷弾が降って来るのを
見ながら逃げたって。その時には親父を妊娠中・・・
って話を敬老感謝の日にお茶を飲みながらするのが恒例だった。
時系列とか確認してないけど、ばあちゃんの思い出。
同様に、昔の会社の倉庫番の爺ちゃんが武蔵の乗組員だったらしい。
武蔵が沈没する時にみんながワーって海に投げ出されて、長時間
漂流したらしい。
で少しづつ人数が減って行くんだって。フカに喰われたらしい。
その後、漁船に助けられて国鉄に雇われ、下請けの倉庫番。
91.
92. 19.名も無き哲学者
93. 2015年07月08日 02:03
94. ID:All5j01k0
95. 捕虜でどっかの寒い山連れていかれて毎日働かされたらしい。
労働から帰ってくるとき宿舎の煙突から煙がでてたら今日はご飯があるってわかったらしい。それでも真っ黒でかたいパンだけらしいけど。
96.
97. 20.名も無き哲学者
98. 2015年07月08日 02:07
99. ID:DiD374TO0
100. ジープに乗った日本兵に拉致られ売春婦になったという嘘を話すお婆さんもいるらしい
101.
102. 21.名も無き哲学者
103. 2015年07月08日 02:12
104. ID:TTdigxR60
105. 祖父が食べ物がなくてヒトデを食べたらしい
海に魚を獲りに行きたいけど爆撃されるから行けなくて、仕方なくヒトデを食べたとか
ちなみに美味しくなかったらしい、そりゃそうだわな
106.
107. 22.名無し
108. 2015年07月08日 02:14
109. ID:xxrYBAfc0
110. ※8
うちの婆ちゃんはトマトだったわ
ま、婆ちゃんの場合は
原爆投下後の広島を逃げ惑い
のどが渇いたのでトマトを食べたから
嫌な記憶が思い出される
だったけど
111.
112. 23.名も無き哲学者
113. 2015年07月08日 02:16
114. ID:wYwA3eL.0
115. うちのばあちゃん東京大空襲経験してて、爆弾落ちて来た時に周りにいた大体の人は川へ逃げたけど、火の手が川の流れに沿って向かったからみんな死んじゃった、って言ってた。火災旋風が起こったんだと思う。ばあちゃんは近くにあったバスとかをしまっておくシャッター付の倉庫みたいなとこに逃げて助かったって。
ついでに終戦後はGHQで働いてたから間近でマッカーサーとか見てたらしい。GHQのビルは豪華だったって。
116.
117. 24.名も無き哲学者
118. 2015年07月08日 02:38
119. ID:77SpF.uD0
120. 父方の祖父
九州のどこかで零戦の整備員やってたらしい
戦闘要員でなくてもあんまり話を聞かなかったな
日本は最初に弾を使い過ぎたから負けた、とだけは聞いた
121.
122. 25.名無し
123. 2015年07月08日 02:48
124. ID:b6MdmjKk0
125. ちょっとボケてるお爺さんだから、嘘か真かは不明なんだけど、
職場に来店されたお客様の話。
島?でそのお爺さんの所属する部隊が遭難して、その内食べ物もなくなり、
餓死寸前になった。
その時に猫を発見して、焼いて食べることにした。
猫を焼くと、青い炎が出た。
食べてみたが不味すぎて食えたもんじゃなかった。
来店する度にこの話をするんだけど、ぞっとしてしまう。
本当なのかな…
126.
127. 26.名も無き哲学者
128. 2015年07月08日 03:02
129. ID:DWkLzPIt0
130. ※25
戦時中ではないけど猫を食べた人から聞いた話では、猫の油は光るらしい。
猫鍋を食べたら暗闇で歯が光るから、銀鍋と言うんだと。
そのおじいさんの話、本当かもしれないよ。
131.
132. 27.名無しのガンダム好き
133. 2015年07月08日 03:15
134. ID:R2LFaWR80
135. >>うちの爺ちゃんも戦時中芋食いすぎてあんま好きじゃないわ
ああ原作サザエさんで学校でサツマイモとってきたワカメにマスオとナミヘイが「そんなもの食えるか!」ってブチ切れたのそれか
136.
137. 28.名も無き哲学者
138. 2015年07月08日 03:20
139. ID:8dMxavX50
140. 昭和三年生まれの父の話。
今で言う中学生の時、出身地の茨城から勤労奉仕で下丸子の三菱に働きに来ていた。工場にはもちろん大人も働いていたが少年たちは班単位で百人以上の集団生活、昼間は旋盤を回して部品を作っていたらしい。父はその中では年上で十数名の班長だった。
ある夜、空襲。工場は標的になっていたらしい。恐ろしい音を立てて爆弾がばらばらと頭上から降り注ぐ中、班の少年たちを急かして敷地内の防空壕になんとか全員難させた。「怖い」「母ちゃん」と怯えて泣き出す子たちをなだめ、恐怖のあまり錯乱して壕から飛び出しそうになる子を抱き締め、長い長い時間を耐えた。壕の入り口に一番近い場所に移動した瞬間、防空壕を爆弾が直撃。父は轟音とともに外に吹っ飛ばされ気絶。
141.
142. 29.名も無き哲学者
143. 2015年07月08日 03:20
144. ID:lYZwF.vj0
145. ウチのじーちゃんは大陸に行っていた。前線とは言え飯炊き部隊所属だったから敵陣へ突っ込むとかはなかったけど、危ないのは幾度かあったらしい。
そんなじーちゃんも数年前に97で逝ったわ。まあ寝たきりだったが地域じゃ稀な長寿で大往生だった。
146.
147. 30.名も無き哲学者
148. 2015年07月08日 03:20
149. ID:zcE3xWM40
150. 70過ぎになる父の幼少の話。満洲に家族で移住したが、その後ロシア兵に追いやられて逃げ込んで大きなザルの中に隠れ込んだが、頭は隠れたが尻が隠れず正に頭隠して尻隠さず状態でロシア兵の銃の音がカチャカチャ鳴りもはやこれまでと思ったらしいが、子供だから許してくれたらしい。
何度も何度も笑い話として繰り返すが
怖かったと思う。
よく、残留孤児の番組観て涙してたな。
151.
152. 31.名も無き哲学者
153. 2015年07月08日 03:22
154. ID:8dMxavX50
155. 昭和三年生まれの父の話続き。気が付くと、周囲に大人が大勢集まっていた。壕のあった場所には焼け焦げた残骸があるのみ。そして、大人たちが掘り出しているのは土にまみれた班員たちの身体だった。入り口に一番近い場所に居た父は扉ごと飛ばされて九死に一生を得たが、寝起きを共にしてきた班員たちは一人残らず、ずたずたに裂けて死んでいた。
そのあとしばらくの記憶ははっきりしないそうだ。翌日は遺体を一人ずつ焼け残った講堂に並べ、彼らの実家一件一件に「息子さんが亡くなりました」と電報を打ち、夜が来ると遺体を並べた真っ暗な講堂にロウソク一本を灯して一人、不寝番をした。
焼け焦げばらばらになったたくさんの遺体を朝まで一人で守るのは筆舌に尽くしがたい経験だったとのこと。「それから、俺は怖いものは何も無くなった」と言っていた。大人たちはみな忙しくてそれどころではなかったそうだ。(続く)
156.
157. 32.名も無き哲学者
158. 2015年07月08日 03:23
159. ID:raLTibbI0
160. ※18だが、爺ちゃんの弟は大陸→ガダルカナル。お墓の墓誌にも書いてある。
だから記録映像とかでガ島が出てくると緊張する。
本当に映ってても不思議じゃないし、一応探してみる。
爺ちゃん世代は頑張ったと思う。
亡くなったのは今の俺よりかなり若い頃だね。
戦争は嫌いだが、今は靖国に居ると思って手をあわせててる。
161.
162. 33.名も無き哲学者
163. 2015年07月08日 03:24
164. ID:FKJvW1sb0
165. ここを読んでいる人でまだ戦時中の方がご存命の人、どうか話しをしっかり聞いてあげて下さい。僕はお祖父ちゃんの戦時中の話を「またなんか言ってらー」と思い、しっかり聞いてませんでした。あの時しっかり聞いていれば、今になって後悔しています。
166.
167. 34.名も無き哲学者
168. 2015年07月08日 03:26
169. ID:8dMxavX50
170. 昭和三年生まれの父の話、最後。
翌日からは連絡を受けて工場にやって来る班員の家族に挨拶し、遺体を引き渡した。故郷から送り出し案じ続けた子供の名前を呼び、「生き返っておくれ」と泣き崩れ遺体に取りすがる家族に自分一人生き残った顛末を話すのも、実家に帰っていく姿を見送るのも辛かったとのこと。
何日か後、突然茨城に居るはずの実姉が現れた。三菱の工場が焼けたと聞いて、弟はもう生きてはいないものと覚悟して訪ねてきたらしい。父は自分の無事を実家に知らせるのを忘れていたのだ。姉の顔を見たらそれまで我慢に我慢を重ね押さえていたものが一気に押し寄せ、手を取り合って号泣したそう。
終わりです。
171.
172. 35.名も無き哲学者
173. 2015年07月08日 03:29
174. ID:8WqqhXQS0
175. 沖縄出身のばーさんは何も語らなかったな
ただテレビで隣国の話題が出ると、中国人も朝鮮人も意地悪ばかりしてきて大嫌いだと話してた
176.
177. 36.名も無き哲学者
178. 2015年07月08日 03:38
179. ID:FJDz6vqH0
180. ・ロ助は信じるな
・横浜に住んでた時、軍隊の飛行機を作ってる場所が近くにあって、ある日そこのプロペラが飛んできて家の屋根が壊れたって憲兵に文句言ったら翌朝みんなで直しに来てくれた
181.
182. 37.名も無き哲学者
183. 2015年07月08日 03:40
184. ID:UTaOr04u0
185. 戦後の朝鮮進駐軍の話? は聞いた事あったなあ。
祖父が働いていた炭鉱でも朝鮮人が「これから日本人奴隷にしようぜー」
とか言い出すヤツが出て、同じ朝鮮人が「同じ釜の飯を食った仲間に酷いマネ出来るか!」って
反発して、日本人&日本サイド朝鮮人VS朝鮮人の争いになったって。
ちなみに、あちらじゃ地方ごとに仲が悪いらしくて、日本人サイドについたのは
今でいう北朝鮮系、暴走したのは南系との事。
北朝鮮を擁護する気はないけど、当時の北系の人は職人気質の人が多く、
南出身は食い詰め者が多いってイメージだったと。
186.
187. 38.名も無き哲学者
188. 2015年07月08日 03:40
189. ID:.j2W6rS60
190.  バックトゥーザフューチャーPART2の作中に登場する「浮遊するスケートボード」や「リニアモーターカー」などが実用化の兆しを見せている昨今。そんな未来的なニュースが世を賑わしているが、今年は第二次世界大戦が終結して70年の節目。戦争をリアルに知る世代もかなり高齢となっている。30代の私も当然、テレビや書籍でしか戦争を知る事が出来ないが、戦争というモノを非常に身近に感じたエピソードが中学生の頃にあった。
 母の実家に行くといつもしかめっ面をしていた祖父。突然大声で怒鳴ったり、野うさぎを捕まえて来て玄関先でさばいたりと豪傑な男だった。そんな祖父は亡くなる10年前ほどから痴呆が始まっていたが、酒好きなのは変わらず、死ぬまで昼間から日本酒や焼酎を煽る毎日を送っていた。そして酔いが回ると、大声で「軍歌」を歌い出す。手拍子をしながら30分程も続けて最後は涙を流しながら絶叫。祖父は大戦中、満州に出兵していた衛生兵だった。
 痴呆になり脳の機能が断片的なものになると、記憶機能組織に最も強く刻まれた体験を繰り返し再現するようになるらしい。理性的な言動が出来なくなった時、祖父の脳に残っていたものは「軍歌」であった。私にとってその光景を見た事は、修学旅行で原爆記念館を見学するよりも、終戦記念の特番を何度見る事よりも「戦争は本当にあった」という事実をリアルに感じられた出来事だった。
 そんな祖父が亡くなり12年が経つ今年。終戦70年。祖父ともっと色んな話をしておけば良かったと、後悔した気持ちが思い出される。
191.
192. 39.名も無き哲学者
193. 2015年07月08日 03:44
194. ID:l0ORsSrp0
195. 去年初めて教えられた母方の祖母の話。
長崎で原爆投下後、祖母は爆心地の生存者
救護の為近所の人達と隣の市から長崎入り
し活動を開始した。
そんな中、真っ黒焦げだが辛うじて生きて
いる子供が発見されるが気味悪がって誰も
近付こうとしない。
そこに通りかかった祖母は1人その子供に
近寄り、抱きかかえて救護所まで運んだ。
戦後、被爆者認定が進む中、認定基準が
厳しく先の救護に行った人の殆どは被爆者
認定されなかったが祖母だけはすんなり
被爆者認定された。
理由は被爆して焦げた子供を抱きかかえて
運んだからだった。
因みに母は祖母が被爆数年後に生まれ白血病
などが心配されたがその時は特に異常は発見
されなかったが数年前病気で手術した際、
内臓奇形が見つかり医者に「もしかして被爆
者二世ですか?」と聞かれ「はい」と答える
と…「やっぱり…」と返事が返ってきたそうな
196.
197. 40.名も無き哲学者
198. 2015年07月08日 03:57
199. ID:f8oMvRd.0
200. 世間が危惧するよりも、意外とちゃんとみんなわかってんだよ。戦争したらダメなことくらい。
優先順位が変わっちゃうんだよな。どの国も。戦争するか決められる立場の集団になると。
201.
202. 41.名も無き哲学者
203. 2015年07月08日 04:16
204. ID:8dMxavX50
205. 元都知事の弟の某俳優のお墓があるので有名な横浜のお寺
昔は墓地の外れ、獅子ヶ谷に抜ける道のあたりに小屋があり墓守りさんが住んでいた
横浜大空襲の夜、あたり一帯も被弾したり焼けたり
翌朝、近所の人たちの涙を誘ったのが墓守りさんの亡骸だった
赤ちゃんを背負ったまま焼夷弾の直撃を受けて無惨に死んでいたそう
バスで墓地の横を通るたびこの話を思い出します
そういえば、あそこの墓地には「南方の島で全滅した弟一家のためにこの碑を立てる 自分が死んでも弟一家を忘れないでやってくれ」っていう大きな石碑も立っていたよね
弟さんらしきお父さんに奥さん、子供さん四人か五人の名前と年齢が並べて刻んであってやりきれない気持ちになった
一番下の子は幼児だった
逃げ切れないと知ってからこの家族がどんな気持ちでどんな最期を遂げたか、もう誰にもわからないんだ
206.
207. 42.名も無き哲学者
208. 2015年07月08日 04:28
209. ID:zRKb83J10
210. 爺さんの話。同じ連隊の後輩だったかな、迫撃砲弾を反対に入れてしまい爆死したそう。隣にいた同郷の人も頭を上げた瞬間に撃ち抜かれて死んだって言ってた。中国に出征してたので中国の話だと思う。
211.
212. 43.名も無き哲学者
213. 2015年07月08日 04:43
214. ID:OCsNp1gZ0
215. 戦闘機が機銃掃射してる中、うちの叔母は歌いながら道を歩いて家まで帰ってきたという。
さすがに幼女は撃たなかった模様。
あと、沖縄に居たのであと1ヶ月遅ければ対馬丸だったかもしれない。
216.
217. 44.名無しさん
218. 2015年07月08日 05:05
219. ID:jgxl6EH80
220. 『戦争反対! 九条堅持!!』みたいなコピーより、
こういう民間レベルの話の方がよほど戦争ってものを身につまされるよね
221.
222. 45.名も無き哲学者
223. 2015年07月08日 05:29
224. ID:ifl13SKn0
225. 祖母は朝鮮に疎開しててそっちで割りと裕福に暮らしていたらしい。
でも敗戦で日本に帰る時には家も財産も全て奪われ今まで良く接してくれただった朝鮮の人の手のひら返しに怯えたそうだ。
でも本当に親切な人もいたみたいで向こうの人を嫌いにならなかった祖母の家にはチマチョゴリの人形が飾られている。
226.
227. 46.名も無き哲学者
228. 2015年07月08日 05:33
229. ID:U2O1zoi2O
230. 曾祖母曾祖父に聞いた話では終戦後、アメリカの青年たちが、留学に来たらしい。
二人とも、進んで受け入れた。
ひい祖父ちゃんは、当時としては怪力大男で戦場から難なく帰還したが、ひどいPTSDに。
自分たちのせいで日本人に迷惑を…と、日本に来るくらいの青年たちだから、ホームステイ先の二人に謝罪。
しかしひい祖母ちゃんは、「あんたらがやったわけじゃないし。変わりに国の将来の為に、がんばってくれたらいいで!」
ひい祖父ちゃんは「米国の料理食わせて」って、おどけてみせた。
みんな、ママー!パパー!って大泣きだったらしい。
まあ、京都だから、あんまり被害もなかったんだよね。それより在日たちの悪さが酷かったと聞いたことがある。
231.
232. 47.名も無き哲学者
233. 2015年07月08日 05:36
234. ID:U2O1zoi2O
235. 今やっとコメ見たが、やっぱり中国人朝鮮人の悪い話多いな
236.
237. 48.名も無き哲学者
238. 2015年07月08日 05:40
239. ID:8dMxavX50
240. ↑どこが?
安っぽい印象操作すんな
241.
242. 49.あえて名無し
243. 2015年07月08日 05:41
244. ID:Fey8YJ.40
245. 婆ちゃんの実家は農家だからなのか言う程食べるものには困らなかったといっていたな
田舎だから空襲もなかったし情報量も当然今とは比較にならないくらいで皆無状態だったから戦争の実感がなかったとか
246.
247. 50.名も無き哲学者
248. 2015年07月08日 05:49
249. ID:jAUWCXnrO
250. うちの爺さんは東シナ海で船と共に沈んで戦死。いつ亡くなったかハッキリしてないし遺骨も帰って来てないから命日は暫定らしい。
詳しく知ってる人は皆亡くなったから、これ以外の情報を持ってない。せめて、なんて船だったのか知りたいわ。戦艦だったのかな。
爺さんに関しては、海軍っぽい制服を着てきちんと撮影された遺影しか残ってないんだ。
251.
252. 51.名も無き哲学者
253. 2015年07月08日 05:57
254. ID:8dMxavX50
255. 大学に入って「第二外国語は中国語を選んだ」と話したとき、祖父が話してくれた思い出
祖父は東京で事業してたのだが、会社に王さんという中国人の従業員が居た
気のいい男で、いつもこんな冗談言っていた
「社長、俺は偉いのよ?王さまなんだから、王さまって呼んで」
東京大空襲のあと、王さんは行方不明になった
祖父の会社は大損害を受けて立ち行かなくなりやがて解散になってしまったし、王さんの肉親は誰も日本に居なかったから、彼を探す人はなく、会社が故国に連絡をすることもなく、そのままになった
「一人ぼっちで逃げ回って一人ぼったで焼け死んでしまったんだろう…
可哀想なことをした、探してやりたかった」
と祖父は泣いていたっけ
256.
257. 52.名も無き哲学者
258. 2015年07月08日 06:09
259. ID:d0JdtEuD0
260. 祖父母が広島の被爆者だけど、当時のことはあまり聞いてない
ただ原爆投下直後は二人とも家にいたけど、一瞬で建物が倒壊して、何とか外に這い出てみたら周りはもうグシャグシャだったと
それで祖母は周りに祖父がいないことに気付いて、潰れた家の中を探そうとしたら近所の人に「そんな旦那なんか放っといて逃げんさい!」ってどやされてまず避難したらしい
あとでちゃんと合流できたから良かったって笑いながら話してたけど、その時に私の叔母(まだ赤ん坊)が亡くなってるんだよね
敢えて語りたくない話も多いのだろうなー、と思った
261.
262. 53.52
263. 2015年07月08日 06:18
264. ID:d0JdtEuD0
265. あと祖父に「怖くなかった?」と聞いたら、「そこらじゅう遺体(まだ生きてる人もいたと思うけど)だらけで、間違って踏んづけたこともあった。自分が何もできず助けられずで申し訳ない」て感じのこと言ってたのも印象残ってるな
266.
267. 54.名も無き哲学者
268. 2015年07月08日 06:29
269. ID:j.I5ZM.L0
270. 農作業中に牛が戦闘機に蜂の巣されたり逃げ遅れて機銃掃射されたとか聞いたなちなみに亡くなってないよ
271.
272. 55.才能溢れる名無しさん
273. 2015年07月08日 06:38
274. ID:ueE5r5rw0
275. 特攻の記念館で聞いた話 元特攻隊員だったという話はかなり嘘が多い 
飲んでホラ話するくらいなら罪はないが貶めたり必要以上に美化したり
ある事無い事語るのは問題だとか
276.
277. 56.名も無き哲学者
278. 2015年07月08日 06:49
279. ID:yX.PAZEm0
280. こないだ死んだ爺ちゃん、終戦当時4歳ぽっちだったせいなのか、
空襲云々戦時生活云々よりもその後の進駐軍カルチャーショックの話ばっかだったわ
紙パックの牛乳飲んでただのサンドイッチが分厚くて美味そうだっただの
ひい爺ちゃんはひい爺ちゃんで日中戦争んときに一度だけ大陸行ったんだけど
これまた現地の人に焼き栗貰って美味かっただの食い物の話しかしなくて
「お家の人に戦争中の話を聞きましょう」な宿題ですんげえ困った、って母ちゃんがよくぼやいてる
まぁ、悲惨な実相はあんまり子供に話したくなかったんだろうなって好意的に解釈してるけど
281.
282. 57.名も無き哲学者
283. 2015年07月08日 06:52
284. ID:ULR7g8uHO
285. よくじいちゃんにお風呂で軍隊のときの話きかされたなあ
中国で森の中に入ったらのっぺらぼうみたいなハンセン病患者がいてびっくりしたとか
もっとたくさん話きいときゃよかった
286.
287. 58.名も無き哲学者
288. 2015年07月08日 06:56
289. ID:.nqiCBnV0
290. 俺の祖母は沖縄出身。地上戦の逃げるまわる日々で曜日の感覚がなくなったらしいが、日曜日だけはアメリカ軍のお休みで攻撃がなかったらしい。それで曜日を確認してたんだってさ。
291.
292. 59.名も無き哲学者
293. 2015年07月08日 07:12
294. ID:eNXUugKi0
295. 父方の曾祖父は重巡アストリア、母方の曾祖父は軽巡夕張。あの日あの時ソロモンでそれぞれが国のため命かけて戦ってた二人の子孫が結婚して俺が産まれるってのに奇妙な運命を感じる
296.
297. 60.名も無き哲学者
298. 2015年07月08日 07:18
299. ID:KJO6uvmG0
300. 呉に学徒動員で行っていた人の話 電車で走ると鉄のついたてに囲まれ、屋根まである施設があったそうな 今考えたら、かの有名な戦艦大和を作っていたのでは?と言っていた
301.
302. 61.名無しのプログラマー
303. 2015年07月08日 07:20
304. ID:hr0aqGmD0
305. 俺の祖父は終戦直前に召集されたが36歳とかなり高齢でもともと運動が苦手なこともあり訓練に全然ついていけず年下の上官に散々シゴかれ悔しい思いをしたらしい
国内の基地に配属されてたが米軍の空襲が激しさを増すと自分を苛めた上官らと必死で戦ったんだそうだが対空兵器が脆弱で弾薬も少なく途中からはその上官らと逃げ惑うばかりだったらしい
306.
307. 62.名も無き哲学者
308. 2015年07月08日 07:23
309. ID:KJO6uvmG0
310. 愛媛県松山市の小高い丘に住んでいたばあちゃん 96歳ですが広島の原爆雲はっきり見えたって言っていた そんな婆ちゃんも今は認知症
311.
312. 63.名も無き哲学者
313. 2015年07月08日 07:25
314. ID:fgthIojQ0
315. うちのばあちゃんが防空壕に避難した時の話をよくしてくれたなぁ。
防空壕に飛び込みで入れてくれと母親と男の子がきたんだけど、町内用だからとおっさんが断って入れなかったんだと、そんで防空壕から出て見たら機銃にやられて頭がスパンと切れた男の子の遺体が...
実は防空壕内はまだスペースがあったうえに親子が去ったあとも来るはずの町内の人間が来なかったものだから断ったおっさんが精神を病んでしまったという話。
316.
317. 64.名も無き哲学者
318. 2015年07月08日 07:26
319. ID:PYfHbEb70
320. 「サイレンは鳴ったらしいが爆弾なんかひとつも落ちてこなかった」
うちの祖母(山住み)の話だが、ありうるのかそんなこと?
だったら皆山に逃げれば良かったんじゃ…
321.
322. 65.名も無き哲学者
323. 2015年07月08日 07:26
324. ID:Urf33DvV0
325. 昭和11年生まれの父親は戦争に行く事は無かったが、叔父が満州に行っていたそうだ。
聞いた話のまた聞きなので詳しくは分からないが…
徴兵が始まった頃、あまりに多い兵隊を全員2等兵にしておく訳にもいかないため、まとめ役として一部を上等兵や軍曹クラスの下士官にすることになった。
適当に選抜することもできずに『頭のいい奴は教育勅語の丸暗記ぐらいできるはずだ。』といった理由でテストされたそうだ。
商家の次男坊などはいい教育を受けた人もいたので、難なく合格していたそうだ。(前出の叔父も合格したらしい。)
これが不幸の始まりかも知れない。
頭のいい人が人格者とは限らない。エリート意識を持ってしまったのもいたそうで、気に食わないことがあるとビンタするなど日常茶飯事であったのだが、上官は絶対的存在の軍隊なのでその部隊に配属された人はすごく不幸としか言いようがなかった。
そして終戦を迎えた。
命からがら帰国した船や汽車の中でこのようなことがあったという。
兵隊 「もう戦争は終わったんだな…。」
上官 「あぁ…。もうすぐお前らともお別れだな。」
兵隊 「戦争が終わったんだから、もう上官ではないな…。」
上官 「え…?」
兵隊 「長い事ようもいたぶってくれたのぉ。」 ドゴォ!(腹パンチ)
兵隊 「世話になったなぁ」 バッキィ!(顔面アッパー)
兵隊 「てめぇ!このやろう!」 ドッコォ!(蹴り)
周りにいた他の部隊の兵隊達も事情を知っているので見て見ぬふり。
到着した頃には、ぼろぼろになっていたそうだ。
前出の叔父が肩を貸して降りた時に家族が迎えに来ていて、「階段から落ちた。」とごまかしたそうだ。
父親が聞いた「叔父さんはやられなかったの?」
叔父 「俺は仲良くやってたからそんなことは無かった。」
326.
327. 66.名も無き哲学者
328. 2015年07月08日 07:30
329. ID:ikqA1T2l0
330. 高校の世界史のおじいちゃん先生が、戦時中、ある軍艦に乗ってたそうだが、魚雷を受けて沈没。脱出する時には友人が流されていくのを見てるしかなかったとか。船の名前なんて知らなかったから当時は そんな名前の船あったんだ? だったが今となったらもっと話を聞きたいと思う。その船の名前は 信濃 だったんだよね。
331.
332. 67.名も無き哲学者
333. 2015年07月08日 07:31
334. ID:KJO6uvmG0
335. 老人ホームに勤めているとその家族から戦争当時の話を聞く事があります。 あるおじいちゃんは山奥の村出身で同僚と戦争前の訓練?に行った時 苦楽を共にした友人と 歯を食いしばれ〜って奴で殴り合いをしたのが辛かったって言っていたそうです。その人中国でお尻鉄砲で撃たれたそうで弾痕あった
336.
337. 68.名も無き哲学者
338. 2015年07月08日 07:55
339. ID:bLjVrtwj0
340. 横文字を言わない(言えない)婆ちゃんだったが「MPは嫌い」ってそれだけしか教えてくれなかった
341.
342. 69.名も無き哲学者
343. 2015年07月08日 07:58
344. ID:aVeqwdoUO
345. 学校ごと疎開した教師の話。親と離れてホームシックになった生徒が数人いた。家に帰りたくて逃げ出したそうだが、子供の足じゃそんなに遠くまでは行けず、たいてい線路沿いのどこかで座り込んでたそうだ。
その生徒を叱りもせず、おぶって疎開先に帰ると、その生徒は二度と脱走しないそうだ。その上、ひと月しないうちに年下の面倒をよくみて、頼もしい生徒になったって。
346.
347. 70.名無しの大尉
348. 2015年07月08日 08:12
349. ID:kZtV4S8O0
350. 医学書すげえなw
351.
352. 71.名も無き哲学者
353. 2015年07月08日 08:16
354. ID:8JlfYMMA0
355. 亡くなったおじいちゃんは補給船の船員だった。遠征に遠征を重ね、弾薬も物資もほぼ底をつき帰港分の燃料を残すのみという状況でのこと。
霧が深く視界は最悪。本来なら霧が晴れるのを待つべき所だが、船員も疲弊しきっている事を鑑みて船長はまっすぐ帰還する決定を出した。そんな中、偵察員より接近する船影あり、そして敵船と思われるとの報告。
こちらは威嚇射撃すら満足に行えない。相手に戦意があった場合、距離を取るまでの間の一方的な被弾は確実であり、最悪轟沈である。
急遽下された指令は「仕掛けられたら、体当たりも辞さず特攻覚悟の応戦」となった。続く
356.
357. 72.名も無き哲学者
358. 2015年07月08日 08:30
359. ID:yUC1d8CZ0
360. 中学時代の国語教諭の老先生は、
若い頃に中国に派兵された話をしてくれた。
当時、既に日本軍は中国で迷走状態になっていたらしく、
最前線でドンパチやり合う先生の部隊は日に日に人が減り、
逃げ惑う中、武器弾薬も果て食料も無くなった。
補給なぞ望むべくもない。
こうなると戦争どころではない。
昼間はじっと隠れて、夜になると畑に盗みに入ったそうだ。
時には農家の人に見つかって発砲される事もあり、
同じ部隊の人が鉄兜に着弾したので慌てて鉄兜を脱がすと
中で弾丸が周回したらしく、髪の毛が螺旋状になってて
思わず笑ったという話もしてくれた。
そうして盗んだ食料で命を繋ぐ中、戦争が終わって
日本の引揚船が出る、という情報を得た先生達は、
とにかく港に向かうべく、現地の服を盗んで走ったらしい。
そしてその道中で見た数々の陰惨な場面も話してくれた。
木に吊るされた、日本人達。
周囲の中国人達が、もう既に息絶えた日本人を殴打している。
木の杭を尻から突き刺され絶命した日本人も居た。
中には生きながらに生皮を剥がされてる人も居た。
内臓を引き出されて死んでる死体も多数あったそうだ。
だが、そうして殺されてる大半の人は民間人。
恐らく引き上げる道中に捕まり殺されたのであろう。
先生は「見つかったら確実に殺される」と恐怖し、
そうした同じ日本人の遺体に手を合わせる暇も無く、
命からがら逃げ帰ったそうだ。
「戦争をしに行ったが、ただの野菜泥棒だった」
先生はそう笑って話を締めくくろうとしたが、
民間人への虐殺の話で凍りついた教室の空気は覚めなかった。
361.
362. 73.名も無き哲学者
363. 2015年07月08日 08:30
364. ID:8JlfYMMA0
365. 続き
固唾を飲んで相手の様子を探る船員たち。頼む。こちらは満身創痍で戦意のないただの補給船なんだ。見逃してくれ。そう祈ったそうだ。
相手からの威嚇なし。しかし敵船で間違いない。距離はどんどん近くなる。
監視官から声が上がる。「向こうも補給船です。帰港の途と思われます」お願いだから撃つな。頼むから撃つな。
結局そのまますれ違い、戦闘行為はなかった。恐らく向こうも同じ状況だったのではないだろうか?
とある監視員はその後、撃たないでくれと祈る敵船員の悲痛な表情を見たと言ってきかなかった。
おじいちゃんの戦争体験の話で、最も印象に残っているエピソードでした。長々とすみません。
366.
367. 74.名も無き哲学者
368. 2015年07月08日 08:36
369. ID:BlLvMqgK0
370. 爺ちゃんはシベリア抑留された。鉄道敷設させられて感電し、仲間に埋葬されたらしい。そしたら上官が、死亡確認したか?ってことでもう一回掘り出された。
仮死状態から生き返った爺ちゃんは、日本に帰ってきて結婚して子供をもうけた。上官がいなかったら親も自分もいなかったんだよね。
371.
372. 75.名無き
373. 2015年07月08日 08:41
374. ID:t4933w9G0
375. 祖母は昭和2年うまれで、今年の春他界した
実家が青木ヶ原樹海(の一部)の管理人のような仕事をしていた「わりと大きい家」だったので、
>>135や>>145と似たような話を聞いたことがあるな
終戦後、結婚して山梨から横浜に移り住んだ頃は、
「進駐軍のクロ◯ボが怖かった」、とのこと
※27
>ナミヘイが「そんなもの食えるか!」ってブチ切れ
自分もそれ思い出したわ
ワカメが大泣きするので波平が「うまいなあ」とか言いながら無理して食う、みたいなオチだったと記憶
376.
377. 76.名も無き哲学者
378. 2015年07月08日 09:09
379. ID:c.NCgMIs0
380. 今の時代こういう話を聞くのは本当に貴重で、戦争がいかに恐ろしいものか分かる。
381.
382. 77.名無しさん
383. 2015年07月08日 09:31
384. ID:c.y6ss4X0
385. 祖父の従弟は警察官で、占領したインドネシアのどこかの町で警察署長の仕事をやっていた。(制度上、警察署長なのか「警察署長的」な仕事なのかは詳しく知らん)
公平な警察署長として地元住民にも支持され、尊敬されていたという。
しかし公平すぎて、陸軍軍人が原住民の土地や物資を徴収することを違法であるとして禁止したり、
反日運動をしたとして憲兵が拘束した人物を証拠不十分として釈放したりしたため、
軍ににらまれ、懲罰的に徴兵され、十分な武器も与えられず敵軍の上陸予想地点に配置され、艦砲射撃を受けて骨も残さずに戦死した。
日本軍のアジア当地は必ずしも不当な支配ではなく、公平で現地住民の幸福を心底から願う日本人も少なくなかった。
しかし、現地住民や同じ日本人を犠牲にしてでも自分の利益や権力を求めるものも少なからずいた。
現在の日本にも立派な人物も最低な奴もいるのだから、戦時中もそれが実態なのだろう。
386.
387. 78.軍事報の准将
388. 2015年07月08日 09:35
389. ID:DoCN4Vxa0
390. 工場にある高性能の工作機械は全部アメリカ製だったw
ハナから工業力 アメリカ>>>>>日本
こんなので勝てるはずないわなw
391.
392. 79.ハロン棒名無しさん
393. 2015年07月08日 09:42
394. ID:eijkwtV60
395. 父方のおじいちゃんは満州に出向して軍隊が通るための橋を極寒の河の中作らされたらしい
それが原因で腰を悪くしたと言ってたが、幸い激戦区に行く事はなく無事戻ってこれたと言ってた
現在94歳。
396.
397. 80.名も無き哲学者
398. 2015年07月08日 09:44
399. ID:.8bBU.EG0
400. ※50
本人またはその遺族に限り軍歴照会できるらしいよ。
旧陸軍軍属将兵ならば都道府県庁の社会福祉関係部署に、
旧海軍軍属将兵や軍属文官であったと思われる場合は厚生労働省社会援護局業務に履歴申立書を提出し、情報の開示請求。
とのこと。
遺族が何親等まで含むのか、本籍地の都道府県庁だったかうろ覚えスマン。
どっかのスレでみた話だからよかったら参考程度に。
401.
402. 81.名無しのはーとさん
403. 2015年07月08日 09:55
404. ID:sr47Kjc80
405. うちの爺ちゃんは戦争行きたくないのを拗らせてナタで自分の足首切ったそうだ、何やってんだ
406.
407. 82.名も無き哲学者
408. 2015年07月08日 10:03
409. ID:tzVXJmU8O
410. 大叔父は一度しか会ったこと無いけど南方のラバウル方面行った話を聞いたな。腹を下したら終わりって生々しかった。
祖父はシベリア抑留されて帰ってきて口癖はロシア人は嘘吐き、になってた。
北も南も悲惨な話が飛び交う中、なんのかのでどっちも生きて帰ってきたのがすごいと思ったな。
411.
412. 83.名も無き哲学者
413. 2015年07月08日 10:08
414. ID:4Cd8dyTW0
415. 戦時中イモ飴食べてたってじいちゃんが当時のらしい缶詰開けてくれたけど見事にカビてたw
あと木の皮剥いて食べてたとか。松だったかな
416.
417. 84.名も無き哲学者
418. 2015年07月08日 10:12
419. ID:Rbnzho2t0
420. うちの爺ちゃんは、漁師をしてたせいか海軍に徴収された。そして、船にのっていると3回船が沈没したらしい。しかし、毎回生きていて戦闘経験者なので階級が上がっていたらしい。終戦時は、台湾で休暇中だったらしいけど。船が沈没しても何とか生き延びてるし悪運は強い方なんだろうな。あと、おじさんは予科練とか言う奴だったらしい。こっちは絶対に戦争について語らんわ。
421.
422. 85.名も無き哲学者
423. 2015年07月08日 10:12
424. ID:ok1PJ7CL0
425. 広島の爆心地のとこがでかいアリ地獄みたいになってて、すべって遊んでたと
426.
427. 86.名も無き哲学者
428. 2015年07月08日 10:12
429. ID:YJbhW4l10
430. 映画ビルマの竪琴見てたら、敵前逃亡し坊主に変装する奴は沢山いたと言ってたw
431.
432. 87.名も無き哲学者
433. 2015年07月08日 10:21
434. ID:RzHhAT6I0
435. ウチの祖父さんは朝鮮で銀行の店長やってたらしい
気さくで親切で優しい人という印象の人だったが、若い頃もそんな感じで
現地の人にも親切だったらしい
別の支店の店長は偉そうな男で現地の人いじめて、理由は知らんが拷問みたいなこともしてたとか
敗戦で逃げ帰った時、父は5歳くらいだったらしいが
昨日まで仲良く遊んでいた現地の友達が突然豹変したんで驚いたといっていた
父や祖母を先に逃して祖父は行方不明に
件の意地悪な別の支店の店長が捕まって殺されたと聞いて祖父も駄目だろうと諦めていたそうだが
「あんたはいい人だから」と周囲が逃してくれたそうで無事かえってきた。
母方の祖父も朝鮮で警視かなんかやってて絶対殺されただろうと思われていたが同じような理由で助かった
「情けは人のためならず」ってマジやね
436.
437. 88.名も無き哲学者
438. 2015年07月08日 10:21
439. ID:m9ccxwHz0
440. 明治生まれの祖父が「静岡大空襲の夜、高草山の向こう(静岡市側)が夕焼けのように紅かった。」と言っていた。
441.
442. 89.名も無き哲学者
443. 2015年07月08日 10:27
444. ID:0QWCkAYM0
445. 原爆が落ちた県の地方都市で医者をしているんだが、ときどき年輩の患者から戦時中の話を聞く。
意外なのは皆、その頃の記憶を善悪で語らないこと。
「戦争反対!」じゃなくて、「あの時は大変だったな」と一つの苦労話といった感じで、懐かしそうに話す。
最も印象に残っているのが、朝鮮から引き揚げてきたあるばあちゃん患者が言った「戦争はしても良いけど、やるからには絶対に負けちゃいけん」という言葉。
446.
447. 90.海馬1/2
448. 2015年07月08日 10:28
449. ID:AKh8MGkJ0
450. 都市近郊の農家では、食料不足も空爆もなく、
上空での空中特攻を見たり、戦後教育を受けなかったり、
農地解放で没落したりして、「軍国少年」のまんま成人してるw
451.
452. 91.名も無き哲学者
453. 2015年07月08日 10:29
454. ID:5VK.dW6.O
455. 大好きな祖父は左耳が凹むようになくなってる部分があって『戦争で撃たれた』と言っていた。
『あと少し撃たれた所が違っていたら、この世に私は居なかったのかもね』と話たことがあったんだけど、祖父が亡くなった後に、祖父とは全く血のつながりのないことを知った衝撃!
456.
457. 92.名も無き哲学者
458. 2015年07月08日 10:32
459. ID:uvzAliMX0
460. 爺ちゃんが、シベリア抑留者だった。あまり話を聞くことができなかったが、終生ギャンブル嫌いだった。
当時、食料をかけてのギャンブルをしていたそうで、その影響との事。
また、知り合いの90超え研師はずっと軍で刀研いでたと言ってたな。お陰で助かったとも。
461.
462. 93.海馬1/2
463. 2015年07月08日 10:48
464. ID:6IHyBcgv0
465. 終戦直後に、やんきー が ヤンキー狩りをしていたんだってw
466.
467. 94.名も無き哲学者
468. 2015年07月08日 10:55
469. ID:vLRKI5rO0
470. うちの祖父さん達親戚らさんもド田舎だったもんだから
戦時中も空襲も疎開される事もなく
平和にのんびりつつがなく過ごしていたそうな
471.
472. 95.名も無き哲学者
473. 2015年07月08日 10:56
474. ID:.Vw4ENqo0
475. 婆ちゃんがグラマンに追い回されたと言ってた。
音も無くスーッと滑空してきて、これまた音も無くクルリと反転する、
なんで音がしなかったんだろう?と首を捻っていた。
一度だけ機銃掃射をし家の中のタンスの後ろに隠れていた人が亡くなったとか。
「銃で狙われたら板の後ろには隠れちゃダメだよ」で話が〆られる。
476.
477. 96.名も無き哲学者
478. 2015年07月08日 11:00
479. ID:wZR.Hqn70
480. つかこれ、まだ現役スレなんだから
こんなコメ欄で語ってないで参加して来いよ
481.
482. 97.名も無き哲学者
483. 2015年07月08日 11:08
484. ID:Ik.Cmq300
485. アベ最高司令官の命令で英霊に成りたいですか?
官僚支配台本読み貧困政治屋行政の犠牲者は。
昔、愛国心強要し神風や回天などで英霊に
以前、ゆとり教育で無気力にされ、就職氷河期でニートや引篭りがを増やし、
金持優遇の小泉公明格差差別制度ができて親の資産や既得権の無い若者の希望を奪われた。
今は公務員・公共企業の不作為人災たる震災原発の保障・賠償などで
税、保険料、公共料金に物価も上げて女子供も働け。
腐敗行政を維持する為にマスコミや宗教を利用し
若者を洗脳し官僚自公民の野望欲望を叶える為の道具にしてる。
若者が声を出し腐敗行政闇税制と戦わないと未来も利用される。
官僚行政では政権交代や民意など無意味は理解したでしょう。
自ら奴隷に成るな若者!
賢い権力者や天皇なら青年自爆、沖縄、原爆、シベリア抑留や北方・沖縄領土なども防げた!
486.
487. 98.名も無き哲学者
488. 2015年07月08日 11:26
489. ID:tSFeYVSa0
490. 祖父は昔画家だったが戦後絵を描かなくなった
戦争の話を聞いても一切口を閉ざして話して貰えず他界した
自分が幼い頃 沖縄に転校 ナイチャー、ヤマトンチュとかなり嫌われた 数年後東京に戻ったら琉球人と嫌われた 遺恨って長く残るんだな
491.
492. 99.引き揚げ体験談その1
493. 2015年07月08日 11:27
494. ID:o7tFqaNm0
495. 祖母と叔母は満州引き揚げ者。二人のお茶の話し相手だった私は何度も聞いてきた。ただメモ残すなりすればよかったと後悔している。
母は満州生まれ。祖父が新京で軍関係の貿易商してたらしい。裕福な生活してたが、8/9ソ連侵略で状況変わり、今まで良くしていた現地従業員が豹変したと。祖父は防空壕に逃げ込んだ際爆撃され8/15に死亡したらしい。骨は拾えず親戚がそこの石を持ち帰って墓に入っている。同じく満州にいた曽祖父の最期は全くわからない。つづく
496.
497. 100.引き揚げ体験談その2
498. 2015年07月08日 11:28
499. ID:Z.bnKOIq0
500. 仕事先の祖父から逃げろと電話あり、祖母は権利書などを着物に縫い付けて、8.4.2歳の子供3人と産後すぐの叔母と逃げたらしい。
叔母からは、ソ連兵が女性を漁りにやってきたけど、一喝したら逃げてったよ!と何度も聞かされた。そして、戦争は醜いよ、とも。
祖母は逃げる途中、まだ2歳の母が泣き出すと見つかって同行者も殺されるから、子供を殺せ!と言われたが、絶対イヤだ!と断ったと。でも、実際、親が小屋に子供を閉じ込め火を放ったり、捨ててしまう人もいたらしい。
501.
502. 101.名も無き哲学者
503. 2015年07月08日 11:28
504. ID:WRxAnk3.0
505. 僕のおじいさんは
インパール作戦に行きました
506.
507. 102.引き揚げ体験談その3
508. 2015年07月08日 11:29
509. ID:Z.bnKOIq0
510. 残留孤児のテレビを観ていた祖母の何とも言えない物悲しい顔を幼な心に覚えている。
でも母が、お前たちが生きていられるのも、おばあちゃんのお陰なんだよ、と包み隠さず話してくれたのは感謝だ。
なんとか大連から帰還船に乗れたが、あと少しで日本到着と言う船内でコレラが発生し1ヶ月停泊したと。
やっと帰国出来ても、女手一つで子供3人育てるのは大変だったから、生活保護をもらっていたようだ。祖父は軍関係の仕事してても兵隊ではなかったから、遺族年金はもらえなかった。
戦後、地域自治会で戦没者の靖国参拝ツアーに同行しようとしたら断られたらしく悔しい思いしたようだ。
私も調べてみたが、除籍謄本に死亡ではなく戦死となってないとダメらしい。ただ、地域の慰霊碑には祖父の名前は刻まれていた。
511.
512. 103.引き揚げ体験談その4
513. 2015年07月08日 11:30
514. ID:Z.bnKOIq0
515. 祖母は、生活保護にお世話になったお礼に婦人会会長などボランティア活動を頑張り、引き揚げ体験談を講演会で述べた際の原稿を今は私が引き継いでいる。
ここ数年、祖父の最期を調べてわかったこともあるが、調べる過程で、当時の苦労を知り労う気持ちを持つのも、供養になると思った。
祖母の原稿をなんとか後世に残せないか戦争資料館のような所に問い合わせが断られたので、ここでこうして書かせてもらえたこと感謝してる。長々と失礼しました。
516.
517. 104.名も無き哲学者
518. 2015年07月08日 11:31
519. ID:.Vw4ENqo0
520. ※89
それわかる。苦労や恐怖も含めて「若かりし頃の懐かしき思い出」話なんだよね。
だから、彼らの語る戦時中は悲惨なだけじゃなかったりするという。
戦後に育った父母の代となんら変わらない、若さ故のアホ話も多々混ざってる。
たまに思う、語りたくないくらいに傷になっていることは勿論多いのだろうけど、
自分達の若い頃として孫子に語りたいことも多いんじゃないかなって。
口をつぐませているのは、当時の日本を絶対悪として捉える風潮なんじゃなかろうかって。
521.
522. 105.名も無き哲学者
523. 2015年07月08日 11:41
524. ID:KZmNV4UU0
525. 具体的な話は何一つ聞かなかったな
遺品整理で勲章が出てきたから従軍はしたんだろうが
軍刀が出てきた時は処理に困ったってオカンが漏らしてた
葬式に来た元部下だったって爺さん曰く、なんか飛行機に乗ってたそうだが結局詳しく聞かなかったな
526.
527. 106.名無しのプログラマー
528. 2015年07月08日 11:45
529. ID:eoT9bTIe0
530. その時うちのおじいちゃんは衛生兵として顕微鏡で毎日プレパラートを見ていた模様
531.
532. 107.名も無き哲学者
533. 2015年07月08日 11:53
534. ID:1fI1Gz8O0
535. おじいちゃん、満州に行っていた。
上等兵?を並ばせてスリッパで殴ってる上官がいたと言ってた。
外でトイレすると、おしっこが一瞬で凍るとも言ってた。
その後、内地の地方の情報兵?になって、
たまたま自分が担当してた時に、広島がたった一発の
爆弾で壊滅したって連絡が入って来て、信じられなかったと
言ってた。
536.
537. 108.名も無き哲学者
538. 2015年07月08日 12:17
539. ID:Hd5xU640O
540. うちのじいちゃんは日中戦争いったり満州いったりしてたが全く話してくれなかったな
学校の先生の父母は長崎で黒い雨の降った地域にいたり(病院の地下で助かった)同胞が目ん玉ころんしたりしたらしいが…
父の友達のご両親は戦争を体験してから神仏は一切信じられなくなったらしい
541.
542. 109.名も無き哲学者
543. 2015年07月08日 12:32
544. ID:nLGs1NMZ0
545. 入院した時に同室になった人から聞いた話。
その人(60歳くらい)のお祖父さんは、大和船(うろ覚え。有名な船の名前だった)に乗っていた。爆撃にやられ、甲板に出ていた兵士は海へ逃げたそうだが、船内の3000人ほどの殆どの兵士は船と共に沈んだ。自分の上官も海へ投げ出され、その上官を背負って岸まで泳いだ。(上官命令) 爆破でやられた同僚の死体が浮かぶ海には重油が漏れ出して、服を脱ぐに脱げず、大の大人一人担いで岸まで着いた、その瞬間意識を失ったそうだ。後に上官からお祖父さんが聞いた話しでは、重油は毒性が高く、中和する薬を打たなければいけないらしいが、予約でいっぱいだった。が、その上官の配慮で、注射を3本分打ってもらって、自分は助かったらしい。上官は背負われていて油の被害が少なかったことで、自分の分をお祖父さんに注射したそうだ。
嫌いな上官だったが、自分が彼を助けたことで、自分も命を助けられたと皮肉っていたらしい。
お祖父さんは、助かって暫くして終戦になると、何度も自らの命を絶とうとした。「自分は死ににいったのに、生き延びてしまった。死ぬことができなかった。戦友に申し訳ない。すまない。」ずっと、そう呟きながら生きて、癌で亡くなったそうだ。亡くなる寸前まで、皆んなに合わせる顔がないと嘆いていた、と聞いた。
同室になったその人は、「それでもお祖父さんが生きて、生きのびてくれたから、私がいる。娘も息子も元気で、孫の顔も見れた。幸せはいつも、犠牲の上に成り立つのかもしれないね。お祖父さんは私たちの顔を見て、少しでも幸せだったかしら?」
と、笑って退院していった。
きっと幸せだったと思いますよ。
546.
547. 110.ななしさん@スタジアム
548. 2015年07月08日 12:33
549. ID:XKkxiviQ0
550. 父方:疎開
母方:検査で引っかかって徴兵されず
551.
552. 111.名も無き哲学者
553. 2015年07月08日 12:46
554. ID:xzqFiiHG0
555. 祖父は満州行ってた。
「あの列車に乗れなかったら帰ってこれなかったなぁ」と遠い目して言ってるのを聞いたことがあるけどあんまり戦時中のことは話したがらなかった。
祖母はずっと日本に居たけど食べるものが無くて芋が贅沢品、普段は外にある雑草を食べてたと言ってた。
556.
557. 112.名無しさん
558. 2015年07月08日 12:56
559. ID:x8S60WYo0
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