淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編【完全版】back

淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編【完全版】


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ハラデイ
以前、記事にした「淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編」の完全版です。
前回のが簡易版だったのですが、今回は完全版としてより詳しいまとめになっています。
前回のまとめ記事と合わせて読むと、より楽しめるのではないかと思います。
前回(簡易版):淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編【簡易版】
3:
淡々画像ニキ博識やね
4:
宗教の概念
明治に入って近代化されるまで、日本には「宗教」という概念がなかったとされる。
宗教ということばはあったものの、それは「宗派の教え」という意味で、現在の宗教とは意味が違った。
宗教という概念がなければ、神道と仏教を異なる二つの宗教として捉える見方そのものが存在しない。
重要なことは、宗教という概念がない状態では「無宗教」という考え方もなく、自分は無宗教だという自覚も生まれなかった点である。
5:
新興宗教/新宗教
伝統的な宗教と比べて比較的成立時期が新しい宗教のこと。
国ごとに言葉の意味や捉え方が異なる。
日本では主に幕末・明治維新以後から近年にかけて創始された比較的新しい宗教のことをいう。
1951年に「立正佼成会」や「PL教団」等が中心となり、「新日本宗教団体連合会(新宗連)」を結成する。
新宗連は一般的に使用されてきた従来の「新興宗教」は悪いイメージがあるとして、「新宗教」という用語を使うよう各種関係団体などに働きかけてきた。
現在使われている「新宗教」という用語はここに端を発する。
ひとつの典型的な形態としては、ある教祖的人物の「天啓」や「神がかり」により運動が創始され、
既存の宗教から有形無形の影響を受けつつも、新たな宗教としての体裁をなし、組織的教団となっていくこと。
また、霊能祈祷師などの個人的な宗教活動をするもの、既成宗教の再生運動とみられるもの、
あるいは道徳・倫理・修養団体とさほど違いのないような教団も数多く存在する。
<新興宗教の収入源>
・会費などの定期収入
・喜捨(お布施)などの寄付金
・拠点施設の利用費
・鑑定費、お祓い代などの手数料
・各種刊行物・小物販売 など
6:
カルト/カルト教団
カルト(cult)は、「崇拝」「礼拝」を意味するラテン語「cultus」から派生した言葉。
現在では反社会的な団体、または犯罪行為を行う集団を指すイメージがほぼ定着し、よい意味には使われない。
1990年代のアメリカにおいて、反社会的な宗教団体を指す言葉として使われるようになった。
<アメリカの科学史家マイケル・シャーマーによる性格付け>
・聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美をされる
・「指導者は絶対に間違いを犯さない」という確信がある
・指導者は哲学的な事柄から、日常の些細なことまで広い知識がある
・新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで様々なテクニックを持つ
・信仰の真の目的と計画が曖昧としている。あるいは新規入信者や一般大衆にはそれらが明確に提示されていない
・大きな混乱を招くような不備や厄介事が隠蔽されている
・入信者や信徒は、金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得される
・指導者には1人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている
・さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信(絶対的真理と呼ぶ)がある
・指導者あるいは集団が確立した、思考および行動に関する善悪の基準への盲信(絶対的道徳観と呼ぶ)がある
7:
宗教法人
日本の宗教法人は、181,961団体存在している。(2013年12月調べ)
内訳:
神道系 85,143団体信者:1億77万882人
教系 77,518団体信者:8470万8309人
キリスト系4,657団体信者:192万892人
諸教系14,643団体信者:949万446人
合計の信者数は1億9689万529人となっている。
信者の数が日本国民の総人口より多い理由は、各団体の公称数の水増しを含め、
葬式を仏教形式で行い、初詣や神棚で神を祀るなど、仏教系と神道系の2つの宗教を信仰する人も存在するからとされる。
また、宗教法人として認可されていない宗教団体やコミュニティも多く存在する。
それぞれの団体の信者数については、各団体による公称数なので、実数は不明だと留意すべき。
(極端な話、知り合いになるだけで信者に含める団体も存在する)
「信者」という扱いも曖昧で、いわゆる「檀家」「氏子」「会員」だけでなく、
「ファン」「追っかけ」「フォロワー」など、それぞれが信者と取り決める方法は多種多様である。
また、全国の私立高校のうち、およそ三分の一が宗教団体を経営母体としている。
そのうち六割がキリスト教系の学校である。(この点では逆転現象が起こっている)
仏教系はキリスト教系の半分ほどで、神道系はごくわずかである。
10:
>>7
「教系」ってなってるところは「仏教系」や。すまんな
神道の方が多いのは意外やったな まぁ鳥居の数だけあるなら相当やろうけど
8:
Tab反映されへんのやな
神道系 85,143団体 信者:1億77万882人
教系  77,518団体 信者:8470万8309人
キリスト系 4,657団体 信者:192万892人
諸教系 14,643団体 信者:949万446人
9:
これは期待、白白教とかみたいな古いカルトもやるんかな
11:
神道も他の宗教みたいに宗派とかあるんやろか
12:
戦後の日本と宗教
第二次世界大戦に敗れた日本はGNPが戦前の60%まで落ち込み、極度の物資欠乏が国民を襲った。
そして猛烈な勢いでインフレが進行した。
切羽詰まった民衆は悲惨な現実からの救いを新興宗教に求めた。
民衆が新興宗教に期待したものは、彼らが人一倍背負いこんでいる「貧・病・争」から抜け出すこと。
すなわち「お金が儲かり」「病苦が癒され」「家庭の不和が収まり」、もろもろの不幸が解消することであった。
こうした即時的な利益を求める民衆の要望に応えるべく、戦後、数多くの新興宗教が雨の後のタケノコのように発生した。
それは、「七日に一つの割合で新興宗教が生まれる」といわれるほどの「神々のラッシュアワー」であった。
1947年時点で文部省に届け出を行った包括団体は136団体。
51年末には神道系28、仏教系260、キリスト教系46、その他156の新興宗教が名乗りを上げている。
「霊友会」「生長の家」が再び教勢を拡大したのに続いて、
「世界救世教」「パーフェクト・リバティー」「立正佼成会」などが急に伸び、民衆に利益と現実をたくましく生きぬく力を約束した。
日本占領連合軍司令官マッカーサーの「日本キリスト教化政策」が信じ難いほど功を奏さなかった真因は、実はここにあったように思われる
13:
新興宗教を知るためには、新興宗教が立て続けに作られた当時の社会情勢と、それまでの既存宗教との違いを知る必要がある。
既存宗教に代わる「新興宗教のモデル」とは主に、
1.教祖の霊能力とカリスマ性
2.「貧・病・争」の解決
3.信者が布教師に代わって勧誘活動
4.定例化した献金や寄付
5.布教所の信者の維持負担と建設献金 
だという。
寺院やキリスト教会には4と5はあっても、1?3はなく、この1?3が新興宗教の発展の原動力になったといわれる。
特筆すべきはあの時代に集中して多くの霊能者が現れたことだ。いわゆる「神がかり教祖」である。
このモデルにより新興宗教は、およそ700年続いた既存宗教の信者数をわずか数十年で凌駕することになる。
14:
進化論と創造論
チャールズ・ダーウィンによる「種の起源」(「自然選択による種の起源について」)が発刊されたのは、ほんの150年ほど前のこと。
それまでは多くの人間が、神が人間を作ったという「創造論」を信じていた。
ダーウィンが進化論を提唱した後、数十年にわたって聖職者ばかりか科学者までもが、この本にかかれていた理論に抵抗した。
自然選択が進化の主要なメカニズムという主張は、1940年頃の遺伝学との統合(DNAの二重らせん構造が見つかったのは1953年)まで認められる事はなかった。
創造論とは、宇宙や生命などの起源を「創世記」に求める考え方であり、「創造主なる神」によって天地万物の全てが創造されたとする考え。
特にユダヤ教、キリスト教、イスラム教は創造論を絶対論としている。
ヒトゲノム(ヒトの遺伝情報の全て)の解析・解読が完了したのは2003年の事である。
現在でも進化論(特に人間が猿から進化してきた事)は間違い・非科学的であるとする宗教家や科学者は多い。
15:
前置きが長すぎたンゴ
18:
黒住教(くろずみきょう)
創始者:黒住宗忠
設立年:1814年
本部所在地:岡山県岡山市北区尾上 神道山
信者数:30万人
崇拝対象:天照太神/八百萬神/教祖宗忠神(=黒住宗忠)
教典:教祖のつくった300首以上の短歌と260余通の手紙
岡山県岡山市今村宮の神官、黒住宗忠が江戸時代(1814年)に開いた教派神道。
天理教、金光教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。
1814年、病気のため死を覚悟した黒住宗忠は、太陽を拝む中で、
天照太神と同魂同体となる「天命直授」と言われる霊的体験をして病気が治癒したと主張し、病気の治癒後、宗教活動を始めた。
黒住教は天照太神を「宇宙の万物を生じた神であり、全ての物を生かし育む」としている。
伊勢神宮とは親しく、神道山の本殿建築には遷宮時の旧内宮の古材を受け利用もしている。
一般的には、天照大御神はイザナギの左目から生まれたという説が主流。
19:
出雲大社教(いずもおおやしろきょう)
創始者:千家尊福
設立年:1873年
本部所在地:島根県出雲市大社町
信者数:126万人
崇拝対象:大国主大神を主神とした神々
教典:教旨大要/大道要義/大道問答 など
1873年、千家尊福が布教のため創設した出雲大社敬神講を前身とする。
82年の神官教導職分離令によって出雲大社より独立し、別組織となる。
1951年に出雲大社は国家管理を離れたため復帰合併し、出雲大社の職員は出雲大社教の職員を兼ねる。
教義としては大国主大神を奉斎し、「生死一つながらの幽顕一如の道」を説く。
また、人間は「霊止(ヒト)」として霊的な存在であり、
親神のムスヒ、幸魂・奇魂の恩頼(みたまのふゆ)によって先祖からの一貫した霊を継承し、現身の誕生があるとしている。
教祖は神話的存在である天穂日命(あめのほひのみこと)とされているが、
実質的には教団を組織した千家尊福がその位置にある。管長職は千家が代々世襲している。
20:
金光教(こんこうきょう)
創始者:赤沢文治(川手文治郎) ※後の金光大神
設立年:1859年
本部所在地:岡山県浅口市金光町
信者数:45万人
崇拝対象:天地金乃神/生神金光大神
教典:金光大神御覚書
天理教、黒住教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。
金光教祖は人間中心主義の文明にとらわれた人間のあり方を神への「無礼」として拒み、
神への願いにかなう生き方や行動を行いさえすれば、すべてが神に守られた中での生活が行えると説いた。
国家社会を越え、聖と俗、此岸と彼岸の境界を越え、天地に遍満する親神、天地金乃神が与える「おかげ」を「受ける」こと、
「天地の道理」に基づく実践、「人が人を助ける所」すなわち「神国」の建設を説き、人がみな等しく神の子(氏子)であり、心の内なる神を実現して生神になることを説く。
それぞれの宗教の開祖も神の氏子であるという教えから、他の全ての宗教を否定しないという思想を持つ。
著名人の信者も多いが、こうした性格から布教活動的な言論は少ない。
31:
>>20
これ巨大建造物編にあったやつやんな?
イッチの淡々と画像スレだいすき
34:
コンパクトに収まったと思ったのに長すぎィ!
>>31
せやせや。ありがとうやで
21:
この辺は受験日本史で見るやね
22:
丸山教 
【創始者】伊藤六郎兵衛
【設立年】1873年
【本部所在地】 神奈川県川崎市多摩区登戸
【信者数】1万人(ピーク時138万人)
【崇拝対象】富士山など(山岳信仰)
【教典】不明
武蔵国の農民だった伊藤六郎兵衛が修行によって神秘的力を得たとされ、実家の清宮家に伝わる「丸山講」を復興して1873年に創設した。
山岳信仰が基盤であるが、世直し思想も加わり、関東を中心に急激に信者を増やした。
86年に丸山教会本院を設置した時には信徒数138万人とも言われた。
しかし西欧化・近代化が進む政府からの弾圧もあり、94年に六郎兵衛が死去すると教勢はしだいに衰えた。
現在はごく小さな教団となっている。
24:
御嶽教(おんたけきょう)
【創始者】下山応助/平山省斎
【設立年】1882年
【本部所在地】奈良県奈良市大渕町
【信者数】20万人?50万人
【崇拝対象】 御嶽大神、開山霊神/御嶽山(山岳信仰)
【教典】御嶽教七五三の教え
近世に広まっていた木曽の御嶽信仰を基盤とし、明治初期の宗教政策の影響を強く受けながら形成された。
長野県木曽町に御嶽登拝の安全を祈願するための神殿である木曽大教殿がある。
組織化に尽力したのは下山応助であったが、彼は教団結成前に行方不明となったため、
平山省斎を初代管長として一時所属していた神道大成派より独立し、神道御嶽派と称した。
修験道を起源としているが仏教色は薄く、祭祀も神道に準じている。
26:
はえ?
27:
円応教(えんのうきょう)
【創始者】深田千代子/深田長治
【設立年】1948年
【本部所在地】兵庫県丹波市山南町村森
【信者数】46万人
【崇拝対象】慈照院圓應智覺大姉
【教典】円応教教典
深田千代子は1919年、大阪市で天啓を受け「奇蹟霊験」を現し、
「神の使いしめに生まれ、世の中の道具になる」という教義の元に宗教活動を開始。
「修法」という霊導の道を遺し39歳で夭逝(円応教では「ご昇天」と呼称)。
教えは弟子により継がれ、25年に円応法修会が設立する。
48年、教祖の長男で初代教主となる深田長治により、教祖の法名「慈照院圓應智覺大姉」から「円」「応」の二字をとり円応教として設立。
彼は教育界出身の新宗教指導者として関西の新宗教界で重役をなした。
<教義>
教義の5項目として「まと(信仰対象)」「誠」「愛」「善」「陰」の行がある。
天地同根、物心一如、万教一元、生活即宗教をうたい、「世の中の道具になる」の本義に基づき、
個人の霊力の自覚と発現につとめ、教祖の霊導を信じて個人の霊力の無限・崇高・偉大性を自覚反省懴悔する修法を行う。
28:
>>27
見た目が怪しすぎるンゴねぇ
29:
1919年に奇跡起こしてて草
30:
神理教
【創始者】佐野経彦
【設立年】1894
【本部所在地】福岡県北九州市小倉南区徳力
【信者数】19万人?24万人(ピーク時150万人)
【崇拝対象】天之御中主神を中心とした神々
【教典】神理図/神理図解/産須根神考 など
神理教の起源は饒日命(ニギハヤヒノミコト)からはじまる家系図の巫部系譜にあるとされる。
医者であった佐野経彦は、家伝や国学をもとに1880年に神理教会の開設の認可を受ける。
家系図は初代の饒日命からはじまり、経彦で77代目にあたるとされる。
21歳ではじめての著書「天津皇産霊孝」を書く。これは神道における天津神(あまつかみ)の考察である。
その後、皇国医道だけでは肉体しか助けられないとし、人心の治癒を意図するようになる。
1876年には遂に日月五行の神々が夢に現れたことをもって、講席を開くことにする。
経彦は国学を学んでいたので「古事記」「日本書紀」と言った古典を重視した。
加えて、神典の解説にとどまらず、神典の解読から「人の心を和して導く」ことを重視し、神典からなる教説に重きを置いていた。
32:
宗教って建築学にすごく貢献してそう
怪しい建物って作るの大変だよな
33:
大本(おおもと)
【創始者】出口なお/出口王仁三郎(上田喜三郎)
【設立年】1892年
【本部所在地】京都府綾部市/京都府亀岡市
【信者数】17万人(ピーク時800万人以上)
【崇拝対象】国之常立神
【教典】大本神諭/霊界物語 など
「大本教」と呼ばれることもあるが、正しくは「大本」である。
1892年、京都府綾部に住む貧しい大工の未亡人で霊能者の出口なおに「艮の金神(うしとらのこんじん)」と名乗る神が憑る。
彼女ははじめ金光教に属し、病気治しを通じて布教をしたが、98年に上田喜三郎(後の出口王仁三郎)と出会い、
彼を娘婿として迎え、「金明霊学会」をつくり神道の教義を整えた。
出口なおには国常立尊の神示が「お筆先(自動筆記能力)」によって伝えられた。
「新宗教のカリスマ」といわれる出口王仁三郎には、豊雲野尊・小松林命などの神懸りによって神示が伝えられていた。
王仁三郎は初期の段階から、機関紙・誌などの「マスメディア」を利用した布教を行った。
若き日の彼は一人で機関誌を作っていた。特筆すべきは一般紙や新聞を買収して経営を行ったことである。
王仁三郎は世界にも目を向け、聖書、キリスト教、仏教、儒教、孟子、九鬼文書など、あらゆる思想と宗教観を取り込んでおり、
また、反差別思想や平和主義を掲げる国際共通語「エスペラント」を採用した。
現在の大型教団の立教者の一部は大本の信者だった事もあり、「新宗教の祖」といわれる。
大本事件(下記参照)の発生後、「皇道大本」 →「大本」と改称。
<第一次大本事件>
1921年から始まった政府による弾圧。
王仁三郎が逮捕・拘束されたほか、マスコミからの総攻撃を受けることとなった。容疑は不敬罪と新聞紙法違反。
一部の信徒たちが教団を離脱、その多くは後に大本を非難する側に回った。
<第二次大本事件>
1935年から始まった国家権力による弾圧。
ほぼすべての幹部・関係者、主だった信徒の逮捕拘束、施設のダイナマイトによる徹底的な破潰、
教団所有の土地を旧綾部町・旧亀岡町に強制売却、全ての教団印刷物の発禁がほぼ同時に行われた。
これは教団の解体を意図したものであり、事実上、ほぼ消滅した。
36:
カルトって傍から見てるぶんにはめっちゃワクワクするわ
なんでやろ
38:
>>36
俗っぽいからちゃう?人間らしいというか。
あと、中二病みたいなチープさと瞬間的爆発力がある
37:
三五教(あなないきょう)
【創始者】中野與之助
【設立年】1949年
【本部所在地】静岡県掛川市横須賀字万神堂
【信者数】不明
【崇拝対象】國常立大神、大國主大神、大道彦命
【教典】不明(玉泉?)
名称の由来は「今から50年後に三五と書いて"あなない"という世界的な宗教がここに生まれる」という神懸りの神示である。
出口王仁三郎の「大本教」の系統にあたる。
中野與之助は大正10年、第1次大本教事件で出口王仁三郎の器の大きさを知り入信。
14年、見神を体験して霊能を示した。
「すべての宗教は一つに帰する」という万教帰一(万教同根)を主張している。
三五教は「宗教と天文を一如とする」という教義から、昭和31年に天体観測を開始。全国10カ所に天文台を建設した。
三五教を母体とした公益財団法人として「オイスカ」という団体があり、主に国際的な農業開発協力や人材育成などの活動を展開している。
65:
>>37
このマーク近所にある
39:
そういえば宗教法人おみちとかいう怪しい宗教の施設が隣町にあるわ
40:
世界救世教(せかいきゅうせいきょう)
【創始者】岡田茂吉
【設立年】1935年
【本部所在地】神奈川県箱根町強羅/静岡県熱海市/京都府嵯峨野
【信者数】200万人(国内103万人)
【崇拝対象】大光明/大光明真神
【教典】不明
大本教の幹部であった岡田茂吉は1931年、千葉県の鋸山で啓示を受けた。
大本を脱退後、「大日本観音会」を創立、病気治しを中心とした活動を始め、何度かの名称変更を経て現在の名称になった。
現在の世界救世教は「世界救世教いづのめ教団」「東方之光」「主之光教団」の3派体制で運営されている。
相手に手のひらをかざし、霊を清める「浄霊」を中心的な活動とする。
また、農薬や肥料を一切使わない「自然農法」を説き、各地に研修農園や実施農場を持つ。
その他、芸術活動を行っており、2つの美術館を持つ。
「浄霊」とは、 病人の患部、あるいは各病気ごとに有効とする「急所」と呼ばれる個所に手をかざす事によって、その病状を癒すというものである。
世界救世教では、「おひかり」と呼ばれるペンダント状のものを首にかけることにより、信者なら誰でも行うことが可能な術としている。
岡田茂吉は、病気の原因は「薬による二次被害」であるとする思想(薬毒)を説き、浄霊を推進していた。
このため、信者には医学との対立的な姿勢を見せる者もあり、その結果発生したトラブルが新聞に掲載されるようなこともあった。
茂吉が説いた浄霊は病気治療法としての技術であり、知識が必要であったが、
茂吉の死去後、世界救世教の浄霊は宗教的儀式(祈り)の面が強調され、施術者は知識は必ずしも必要ではないとされた。
霊感商法、モーニング娘。で有名なハロープロジェクトとの関わり、「EM菌」と呼ばれる登録商標を広めた、などの批判が上がっている。
41:
神慈秀明会(しんじしゅうめいかい)
【創始者】小山美秀子
【設立年】1970年
【本部所在地】滋賀県甲賀市信楽町
【信者数】35万人
【崇拝対象】大光明/岡田茂吉(神人合一)
【教典】聖教書
1970年、世界救世教から独立したことで生まれた。
教団の立教者は世界救世教秀明教会の会長であった小山美秀子だが、自身は教祖とはならず、
すでに死去していた岡田茂吉を、神と人の融合した姿・神人合一の存在として立てた。
本部のある滋賀県の山中に約30万坪以上の境内を有する。この境内のことを神苑(みその)と呼ぶ。
神苑の近接地に「MIHO MUSEUM」という美術館を建設しており、年間10万人以上の見学者が訪れる。
基本的には世界救世教のものを継承しており、手をかざして相手の魂を清めるとする「浄霊」などを有し、
「おひかり」と呼ばれるお守りを授かることで入信する。
特筆すべきは、神慈秀明会には親元の世界救世教を「敵視する教義(離脱の神意)」が存在することである。
「教祖の教義に沿っていない間違った道を歩んでいる」とし、他教団を認めず、神慈秀明会の離脱だけが唯一正しい離脱であり、
神慈秀明会だけが唯一の正当な教祖(岡田茂吉)の後継団体であると主張している。
神慈秀明会の創始者である小山美秀子や、前会長の小山荘吉にはカリスマ性があった。
教団は美秀子を神に選ばれた特別かつ絶対的な存在だと事実上位置づけており、教祖の教義以上の影響力を有していた。
小山家の文化や思想に影響された神慈秀明会は、「旧体制」と呼ばれる時代を生み出すことになる。
同教団は大きな発展を遂げたが、活発が行きすぎて過激化、非常識化した布教活動や、ノルマ化した浄霊、激しい献金活動が水面下で問題を起こしていた。
2006年に大阪国税局の税務調査を受け、相続税など計約16億円の申告漏れの指摘や、
教団創始者の一族である小山家が、信者の献金から50億円近い個人資産を形成していたことが発覚した。
この教団の目標は「人類救済、地上天国建設」であったが、旧体制の変更後は、「世界平和を祈る」というものになっている。
42:
ネット上でもよく見かける教団。Wikiページの内容は宗教研究サイトのそれを凌ぐ膨大な量。(恣意的な書き込みが目立つけど)
45:
生長の家(せいちょうのいえ)
【創始者】谷口雅春
【設立年】1930年
【本部所在地】東京都渋谷区神宮前/山梨県北杜市
【信者数】212万人(国内74万人)
【崇拝対象】生長の家大神(大宇宙の化現)
【教典】生命の実相/真理/甘露の法雨/天使の言葉 など
大本教の専従活動家であった谷口雅春が立教した新宗教。
1929年末、「物質はない」「一切現象は念(こころ)の所現」「生命の実相を知れ」などの神示を受けた谷口が、
翌30年に創刊・自費出版した修養誌「生長の家」を、後にそのまま教団の名とした。
「無限に生長する"いのち"こそ自己の本質という自覚に悦(よろこ)びあふれる人々が集う"家"」を象徴する。
主要な活動資金は、谷口雅春およびその子孫による書籍を出版することで得ている。
一般向けの月刊誌としては、「いのちの環」「白鳩」「日時計24」の3誌を日本教文社が月1回発行、
機関紙としては「聖使命」「生長の家」がある。
神道/仏教/キリスト教/イスラム教/ユダヤ教等の教えに加え、心理学/哲学などを融合させている。
宇宙を久遠(くおん)生命の発現と把握することで万教帰一(ばんきょうきいつ)をも主張し、修行には、教典の読誦(どくじゅ)、
先祖供養の徹底のほか、病気や苦悩を克服するために「神想観」を実修する。
生長の家でとりわけ注目されるのは、海外における信者数の多さである。
海外の信者数は数百万人に達するといわれ、国内の信者数よりも多く、逆転現象が起こっている。
特にに日系移民の多いブラジルでは信者数が250万人(公称)とされ、「生長の家の日」が制定(自称)されている。
長崎県西海市西彼町に総本山の顕斎殿、京都府宇治市に別格本山の幽斎殿がある。
48:
白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)
【創始者】五井昌久
【設立年】1956年
【本部所在地】静岡県富士宮市
【信者数】50万人
【崇拝対象】不明(宇宙神マンダラ?)
【教典】不明(白光?)
五井は大戦終了後、日本のため、人類のために自分の命を捧げたいとの想いが湧き、宗教心が芽生える。
診療所で出会った岡田茂吉の霊線療法に興味を持ち、岡田の弟子に講習を受け病人の治療を開始する。
また、生長の家の谷口雅春の教えに感銘を受け弟子になり、その後講師として活動。
1949年、釈迦から金色の珠と榊のような葉を5枚貰い、イエス・キリストが五井の体に入り、
「汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし」と言う声を聞き、霊覚者になる。
白光真宏会は別名「守護霊守護神教」と呼ばれるほど、守護霊・守護神の重要性を強調している。
<教義>
「人間は本来、神の分霊であって、業生ではない。分を守っている守護霊・守護神への感謝の心を常に想い、"世界平和の祈り"を祈りつづけなさい。」と説く。
「世界平和の祈り」(祈り)/「我即神也(ワレソクカミナリ)」「人類即神也(ジンルイソクカミナリ)」(印)/「宇宙神マンダラ」(マンダラ)の3つを普及することが目的。
白光真宏会は世界各地の宗教施設や公園などに「世界人類が平和でありますように」という言葉のかかれたピースポールと呼ばれる柱を設置している。
1968年、五井は宇宙人との調和を訴え、「宇宙子波動生命物理学研究所」を設立した。
51:
世界真光文明教団(せかい まひかり ぶんめいきょうだん)
【創始者】岡田良一(岡田光玉)
【設立年】1963年
【本部所在地】静岡県伊豆市
【信者数】22万人
【崇拝対象】御親元主真光大御神(スの神)/伊都能売大国魂大国主之大神
【教典】真理正法
世界救世教の幹部だった岡田良一は、
1959年「手かざしにより世の救済をせよ」という神示をうけ「L・H陽光子友乃会」を立教。
62年、「現界は"火の洗礼"に突入した」と発表し、そのピークは20世紀と21世紀の交流する頃に来ると警鐘を鳴らした。
翌年、教団名を「世界真光文明教団」に変更。
74年、生長の家の谷口雅春・山岡荘八らと宗教右派系政治圧力団体「日本を守る会(日本会議)」の創設に参画。
また、「陽光大学」を開校している。
<教義>
教団では、信仰のことを神様へ向くことの意味で「神向」と記している。
また、信者のことを神様と手を組むという意味で、「神組み手(かみくみて)」と呼ぶ。
「真光の業(手かざし)と正法の教えの実践に励み、病・貧・争・災より解放され、健・和・富を実現する事によって地上天国文明を建設すること」を目的とする。
一部からは、「救い主様(光玉)は織田信長の生まれ変わりである」「桃太郎の生まれ変わりである」とする説明がある。
また、青森県にあるキリストの墓(正確にはイエスの弟、イスキリのもの)と関係があるとされている。
<真光裁判>
岡田光玉が他界した後、継承者を巡って争われた裁判。
崇教局長であった関口榮と、岡田の養女であった岡田恵珠がそれぞれ二代を主張。訴訟まで発展し、結果、教団を分裂へと導く結果となった。
52:
崇教真光(すうきょうまひかり)
【創始者】岡田良一(岡田光玉)/岡田恵珠
【設立年】1959年
【本部所在地】岐阜県高山市
【信者数】65万人
【崇拝対象】御親元主真光大御神/伊都能売大国魂大国主之大神
【教典】御神書
岡田良一により最初に設立された新宗教の系譜
真光裁判の係争中の1978年に、岡田光玉の養女、岡田恵珠が「崇教真光」を設立(改修?)。
教団設立の経緯(裁判の事など)を詳しく知らされないまま、信徒の多くはついて行ったと言われている。
裁判は和解だったが、岡田良一の遺言もあり、実質的な岡田恵珠の敗訴とされている。
崇教真光は岡田光玉が立教した当初から連綿として続いている組織であるとみなして活動している
教団の教義によれば、「この世の人間のあらゆる不幸現象のうち、80%が他の霊魂の憑依によるもの」としており、
初級研修を終えた信徒が行なう「真光の業」、つまり「手かざし」によって霊魂を浄めることで不幸現象を少なくできるとしている。
また、「薬は毒素の排泄を止めて肉体を毒化させる物である」という医療否定教義がある。
「地球は元一つ、世界は元一つ、人類は元一つ、万教の元又一つ」 を説く。
53:
静岡県って本部多いな
54:
神幽現救世真光文明教団(しんゆうげん きゅうせい まひかり ぶんめいきょうだん)
【創始者】依田君美 ※男性
【設立年】1974年
【本部所在地】山梨県甲府市上帯那町
【信者数】不明
【崇拝対象】御親元主真光大御神/伊都能売大国魂大国主之大神
【教典】神組手祈言集 など
岡田光玉の著書「奇跡の世界」に感銘を受け、世界真光文明教団に入信・所属していた依田君美が
「神から示されたとする独自の業を用いた」ことをきっかけに除名され、1974年に立教した。
<教義>
「神は、人間が神になるための修行の場として現界を造り人間に修行させてきたが、人間の魂はかえって悪くなってきてしまった。
そこで神は、"霊障がなく"、"人間の仕組みを知り・罪を反省し"、"体が毒化されていな健康な人間"だけを選び、次期文明を築く種人(たねびと)とする。」
教団は、この3つの条件を実践させることを目的としている。
55:
勉強になる
59:
【陽光子友乃会】
創始者:田中清英
設立年:不明(1999年首座完成)
本部所在地:茨城県つくば市
信者数:不明
崇拝対象:御親元主真光大御神/伊都能売大国魂大国主之大神
教典:不明
関口家による教団私物化を批判した上で、世界真光文明教団から分裂した教団。
初代の頃からの信者であった田中清英(元・崇教局長)が設立。
ホームページが全て文字化けしていて不気味。
60:
>>59
ホームページ見に行ったけどあれは意図的なんやろか、それとも偶然なんやろか…
62:
>>59
>>60
Chromeで見てるからだろ他のブラウザで見てろ
文字化けしないでちゃんと見れる
63:
淡々ニキ乙です
66:
淡々と画像が貼ってあるスレかと思ったら、びっしり解説あって草
68:
ス光光波世界神団(スびかりこうはせかいしんだん) 
創始者:黒田みのる(黒田實)
設立年:1983年
本部所在地:東京都八王子市
信者数:5,000人
崇拝対象:天地創造之主大御神
教典:主神大御経綸
少女漫画家の黒田みのるを教祖とする新宗教。宗教法人「光輪」から改称。
黒田は若い頃からもやもやした黒い人影を見たり、若い女性の角巻に水子の霊を見たりと不思議な体験をしてきた。
その後、心霊科学研究会創始者の浅野和三郎の本などを読んだり、降霊術の現場に立ち会うようになり、心霊劇画家として活躍するようになる。
1970年に世界真光文明教団の岡田光玉に出会う。この時、岡田は黒田に、「やっと会えましたね」と話したという。その後世界真光文明教団の信者となり、手かざしの研鑽を積む。
74年に岡田が亡くなり、彼の遺影に向かい「自分の行く道をお示しください」と念じてると、「八ヶ岳山麓の小渕沢の原野に行け」というインスピレーションが起こったという。
この教団では、人を「霊止(ひと)」愛を「天意(あい)」など、独特の表記で呼ぶ。
現在、黒田みのるは真光との関係を否定している。
69:
天理教
創始者:中山みき 
設立年:1838年
本部所在地:奈良県天理市三島町
信者数:200万人?220万人(明治末期には300?800万人)
崇拝対象:天理王命
教典:おふでさき/みかぐらうた/おさしづ
黒住教、金光教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。
天理王命とともに教祖と御霊の社を置き礼拝しているが、一神教である。
教祖は「おやさま」と呼ばれ、信者は「ようぼく」と呼ばれる。
「陽気ぐらし」という世界の実現を目指している。
教義では「人間の身体は親神からの借り物、心だけが自分のものである」と説く。
「人たすけたらわがみたすかる」という教祖の言葉を通し、人助けが基本理念にある。
天理教では人間の命の発祥地の中心を「ぢば(地場)」と称し、教祖の「ぢばさだめ」という啓示でその場所を定めている。
現在の天理教教会本部は、この「ぢば」を中心に建られている。通常は「おぢば」と呼び、人がこの地を訪れることはすなわち故郷に帰ることであるから、「おぢばがえり」と呼んでいる。
そのため天理駅や天理市内の信者詰所などには「お帰りなさい」や「ようこそおかえり」などという看板が見られる。
基本的に信者達は、その信心実践の証明としてハッピを平服の上から着用する。
現在も「神道系宗教」とみなされることが多いが、教団側では「新宗教諸派」と称している。
70:
ほんみち
創始者:大西愛治郎(甘露台)
設立年:1913年
本部所在地:大阪府高石市羽衣
信者数:32万人
崇拝対象:宇宙万物創造主の親神様(月日御両神)/南無甘露台
教典:おふでさき/みかぐらうた/おさしづ/泥海古記/教義一斑
天理教の教師だった大西愛治郎が、中山みきの後継者であるという啓示を受け(甘露台人の理と呼ばれる)たが、その事実は天理教内では受け入れられず、やむなく天理教から独立した。
1925年、愛治郎は奈良県で「おさしづ」を研究する「天理研究会」を発足させる。
36年には「天理本道」と改称し、布教が本格化。2度の不敬罪による検挙や禁令があったが、終戦後には免訴となった。
50年に「ほんみち」と改称。同年11月、脱税容疑で家宅捜索を受けた。
愛治郎は中山みきの生まれ変わりとして次女・大西玉を養育したが、62年に、大西玉は、ほんみちより「ほんぶしん」として分離・独立した。
教義は、
「天理教祖を通じてくだされた天啓録につき、教祖の後継者"甘露台"が、
これを解明して体得せられたほんみちの教義をひろめ、儀式・行事を行い、信者を教化育成し、伝道所を包括し、教えの目的を達成するための業務を行う。一手一つの理想人間界の実現。」とされる。
71:
ほんぶしん
創始者:大西玉
設立年:1962年
本部所在地:岡山県岡山市東区神崎町
信者数:90万人
崇拝対象:宇宙万物創造主の親神様(月日御両神)
教典:不明
1961年にほんみち内部で天理みろく会として発足し、1962年1月にはほんみちより独立してほんぶしんを名乗る。
教祖の大西玉はほんみちの創始者大西愛治郎の次女だが、ほんぶしんでは中山みき(天理教教祖)の再生だとし、「天啓者・みろく」と呼んで信奉している。
教義として、
「世界創造神を月日御両神様と呼んで崇拝し、万物は神によって人間のために用意され、人間は神の偉大さを反映するために存在する」と教えられている。
主な活動としては、心と言動を改善させる内観的反省法の「聞行」、リラックスさせ悩みを解決させる「善導」、日常生活に積極的精神を植えつける「勇魂の言霊」などがある。
72:
世界心道教
創始者:会田ヒデ
設立年:1944年
本部所在地:愛知県豊川市諏訪
信者数:15万人
崇拝対象:天地月日御親水火風之大神
教典:会田ヒデによって解釈された中山みきの著書
会田ヒデは1923年に天理教に入信し、教師を務めていたが、25年、大西愛次郎に賛同し、ほんみちへ移る。
38年、大阪府西淀川区で「月読之命」と「国狭土之命」の2社が彼女の体に天下り、天啓者となったとされる。
44年、渋谷区上智町に移転。同年11月に「世界心道会」を設立した。
教義によれば、
「従来の信仰では、ひたすら拝むことによって天の加護が得られた。
しかし、ヒデに神が天下った後は、拝むだけでは功徳を積んだことにならず、道を開けねば御利益は得られない。
"道を開ける"とは、心の改良を行うことである。身上や事情は人の心が天の心に反したために起こるものであり、心の改良を行えば御利益が得られる。これを"心のしんせいふっこう"と呼ぶ。」とされる。
世界心道教はこの新しい信仰のあり方を広く啓蒙することによって、理想世界の建設を目指すとしている。
73:
天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)
創始者:北村サヨ
設立年:1945年頃
本部所在地:山口県熊毛郡田布施町
信者数:47万人
崇拝対象:宇宙絶対神(天照皇大神)
教典:不明
北村サヨは男勝りの陽気で世話好きな女性で、農家の嫁であった。
1942年、サヨの自宅の納屋などが放火に遭い、犯人捜しのために祈祷師に勧められた丑の刻参りと水行の修行を始めた。
そして45年に宇宙絶対神(天照皇大神)が降臨したと話すようになり、開教した。
教団の教えによれば、宇宙絶対神は三千年に一度だけ地球に降臨するとされ、一度目は仏教の釈迦、二度目はキリスト教のキリスト、三度目が北村サヨであるという。
教団では「我欲をすてて無我の域に達することが出来れば、人と神が合一する」と説き、無我の「舞」を踊るのが特徴である。
そのため、「踊る宗教」や「踊る神様」と喧伝された。
この教団では、見たことのない人同士で「結魂」(結婚の読み替え)することも珍しくない。
読み替えでは、「合掌」を「合正」、「聖書」を「生書」、「信仰」を「神行」、「南無妙法蓮華経」を「名妙法連結経」と書き換えている。
更に、葬式では「おめでとうございます」と言う。死は魂の存在になって成仏をしたことを意味しており、これは祝福すべきものであると主張しているためである。
74:
パーフェクト リバティー教団(PL教団)
創始者:御木徳一
設立年:1916年
本部所在地:大阪府富田林市新堂
信者数:100万人?300万人
崇拝対象:大元霊(宇宙全体)
教典:PL教典
1916年、御木徳一は御嶽教徳光大教会の教祖、金田徳光に弟子入りする。
彼は教団内で信望を得たものの、風紀問題を起こして教団から追放される。
金田の死後の1928年、徳一は自分が金田の正統な後継者だと主張し、教会とは別の教団を結成する。31年に教団名を「扶桑教ひとのみち教団」と改称。
36年、徳一は少女に対する強姦猥褻容疑によって逮捕されるという事件を起こし、また、教えの内容が不敬罪にあたるとして幹部共々検挙され、ひとのみち教団は解散処分となった。
46年、息子の徳近が「人生は芸術なり」ではじまる「PL宣言」を発表、同年に佐賀県鳥栖市にて「パーフェクト リバティー教団」を立教した。
53年 大阪府富田林市に本部を移転。後にこの地を聖地とする。
教えとして、
「"人生は芸術である"の真理のもと、各人の真の個性を世の為人の為に最大限発揮し、ひいては世界人類永遠の平和と福祉の為に貢献する事」を目標とする。
教えの最も特徴的なものとして、「みしらせ」「みおしえ」の真理がある。
身の回りに起こるすべての苦痛や苦難を、「自分自身の心の傾きを知らせる神からの啓示」ととらえ、これを「みしらせ」と呼ぶ。
この「みしらせ」に対し、個々の自己表現の上で邪魔となっている心の傾きを教えてもらうのが「みおしえ」である。
教団としての戒律は特に存在せず、日常生活の心得として「PL処世訓」「PL信仰生活心得」などがある。
教団は「教祖が代々出現して時代にあった教えを説く」という形をとる。
「パーフェクト リバティー」は「真の自由」を意味しており、自由無碍なる表現を心がけ、世のため・人のために役立つよう自分に与えられた天職を全うし、毎日を明るく楽しく過ごすことを標榜する。
スポーツも「肉体表現の芸術」として力を入れており、特に高校野球が有名。
75:
松緑神道大和山(しょうろくしんとうやまとやま)
創始者:田澤清四郎(大和松風)
設立年:1930年
本部所在地:青森県東津軽郡平内町外童子字滝ノ沢
信者数:4万5000人?10万人
崇拝対象:大和山大神
教典:不明
1919年、田澤清四郎は、天啓「神聲」を受けたのち、十二ヶ年の忍苦修行を行満。
22年、次女大和松蝶(本名不明)に予期せずに啓示された「啓典(三光の教典五光の神諭)」の解読による霊性の開顕、修道に励む。
30年に松緑神道大和山会を結成。
教えは、
「礼拝と拝跪のみの信仰ならば、そは信仰の形骸に過ぎず。
無限の神を仰ぎつつ、自己を練磨し、天寵を感謝し、勇躍して他の物象のことごとくに、神の理想を具現すべく精進す、これ信仰の骨髄なり。」とされる
76:
霊波之光(れいはのひかり)
創始者:長谷義雄(波瀬善雄)
設立年:1954年
本部所在地:千葉県野田市山崎字北亀山
信者数:90万人
崇拝対象:御守護神様(大宇宙神の分神・使者)
教典:御書
「RHK」「霊波之光教会」とも呼ばれる。
創始者の長谷義雄(波瀬善雄)は教団で「御守護神様」と称される。
1954年、結核により医者から余命1ヶ月と宣告されていた長谷義雄が、霊峰山にて大宇宙神より「なんじ生きよ、なんじ、神の道を行け」という啓示を受ける。
また、五剣山で苦行中に、光(霊波)が体内に吸い込まれるという神秘体験をし、義雄は自ら大宇宙神の分神であることを悟る。
56年に「霊波之光鑚仰会」を発会する。57年、宗教法人として認定。
教会では、難病や不幸から抜け出せ、奇蹟が起こる(神通力と呼ぶ)ことを他の宗教との違いとしている。しかし、自分のための利益信仰ではなく、正しい心をつくり、他人の幸せを祈ることを教えとしている。
教義は、
「暖かい心はあいさつから。笑顔と思いやりに喜びと幸せ」
「我苦しければ、人また苦なり。喜びを与えられる前に、喜びを与えよ。人の喜びは、我が喜びと思え。我を愛する前に、人を愛せ。教えとは神の御心なり。言い訳とは我が心なり。」など。
目的は「人類救済、世界平和の実現」。
教団では御守護神様の生まれた1915年(大正4年)を霊波元年とする「霊波暦」という暦を採用している。
2015年は霊波101年である。
77:
大山ねずの命神示教会(おおやまねずのみことしんじきょうかい)
創始者:稲飯定雄(供丸斎)
設立年:1953年
本部所在地:神奈川県横浜市南区宮元町
信者数:80万人?85万人
崇拝対象:大山ねずの命
教典:真実の光など
名前の「ねずの」には、値する漢字「ネ+"氏"から"一"を引いた字」が入る。(したがって、"大山孤命神示教会"のような見た目になる。)
1946年、稲飯定雄が咽頭癌で患っていたところ、夢の中に神(大山ねずの命)が現れる。神は「命が欲しければ、神にすがれ、神の教えを世に伝えよ」と言い、夢から覚めると、水を飲んでも楽に喉を通るようになり、稲飯は命が救われたことを知った。
48年、一心に大山ねずの命にすがっていたところ、神より「大山ねずの命の名を世に広め、神の力と神の教えによって大衆を救助せよ」との啓示を受ける。
53年、「大山ねずの命神示教会」を設立する。彼はその時に神より、神の使者として供丸斎(ともまるさい)の称号を与えられた。
先が分かる神と評判を呼び、多くの者が集うようになり、講話には会場に入りきれない信者があふれるほど集まるようになった。
しかし1975年、支部長による信者に対しての傷害事件が起きた。
このことで信者の間に動揺があり、また、妻である供丸嬢(本名不明)や当時の教会幹事長による「供丸斎の排除」が計画された。
この時、支部長である森日出子(後の供丸姫)は計画を察知し、混乱を治めた。
また傷害事件についても、依頼を受けた弁護士の活躍で不起訴処分となった。
同時に信者に対する再教育を図り、動揺を最小限に食い止め、供丸斎が無実とされたことが分かると、この時期を境としてさらに信者数が増大していくことになる。
この出来事を機に、供丸姫は供丸斎から教会運営を任されるようになり、供丸斎→供丸姫→信者と教会の一元化をもたらした。
信者数はその後10年間で5万人から80万人まで急増し、一気に大型教団へと成長した。
神、仏、人の道を守り、自己の運命を輝かせて人生の正道を歩むことを教義の中心としている。
「神にはすがるもの。先祖、仏には安心感を与えるもの。人とは和合するもの」と説いている。
78:
ワールドメイト
創始者:深見東州(本名:半田晴久、旧名:深見青山、戸渡阿見、フランソワーズ・ヒガン、夏目そうしき、ピエール・ブツダン、美川憲二、レオナルドTOSHU)/植松愛子(本名:徳田愛子、別名:橘カオル)
設立年:1984年
本部所在地:は静岡県伊豆の国市立花
信者数:7万4000人
崇拝対象: 御親元素大御神(宇宙の中心に位置する絶対神)
教典:不明
創始者の一人、植松愛子は1934年生まれ。愛子は5歳の時、白い髭を生やした見知らぬ老人から「37歳になったら大きな使命が下る」と言われる。
彼女はごく普通に結婚し、2児を生み、平凡に暮らしていたが、1972年に「御親元素大御神」が降り、「まず女性を教育せよ」「やがて笛吹き童子がやって来る。その若者(深見東州)にすべてを伝えるがいい」と告げたという。
深見東州は1951年に生まれる。母親が世界救世教の信者だったため、同教団に入信したが、その後大本教→道院紅卍字会と渡り歩く。彼はいわゆるエリートで、頭も良く、人望も厚かった。
1985年、「コスモコア」を設立。その後「コスモメイト」、「パワフルコスモメイト」、「パワメイト」の名称を経て、1994年末に「ワールドメイト」の名称に変更する。
オーストラリアへ行った際、盲人でゴルフをする人を紹介されたのがきっかけで、「日本盲人ゴルフ振興協会」(日本ブラインドゴルフ振興協会)を設立する。
1994年、ワールドメイトの信者による玉串料返還請求訴訟(慰謝料含め1億円)が起こり、ワールドメイトは28億円の脱税の疑いで東京国税局から2回強制捜査を受けている。
「宗教団体としての、弱者救済の立場に立った、慈悲慈愛の実行」「人道的見地に立った、会員や社会への対応」「社会良識に基づく誠実な対応」を3大スローガンとし、組織運営の根幹に置いている。
「来るもの拒まず、去るもの追わず」のあり方を心がけ、会員に布教義務は無く、神事や講演会への出席の義務はない。
情報源は、メールマガジン、郵送物、電話、ウェブサイト、書籍、カセットやCD、ビデオやDVD等から自由に選択できる。
活動の節々から既存の神道さらには宗教の枠を越えた宗教団体たらんという志向性がうかがわれる。
リーダーの深見東州は、元来ユーモアやギャグにあふれた「ギャグ爆発の宗教家」であり、本部や支部名にもギャグ混じりの名称を名付け、公式ウェブサイトや著書等でもギャグを連発させている。
例(支部・本部の名前) ※ほんの一部です
・本日も晴天全てがOK支部(北海道札幌市)
・帯広ちりめん問屋の越後屋でございます。本当は水戸のご老公様なんだ支部(北海道帯広市)
・本タラバ毛ガニ手足バタバタ・忍者走り!!北海道エリア本部(北海道札幌市)
・完熟トマトあちらにポロリこちらにポロリ、結局畑はトマトだらけ何て真っ赤な幸せ新宿エリア本部(東京都新宿区)
・キラリ北辰・銀河はドドーン!支部(千葉県千葉市)
・僕は観音、君は金龍2人合わせて金龍山、君と僕とで救う支部(東京都台東区)
・100g1万円の熱湯玉露茶渋谷支部(東京都渋谷区)
・仲の良い人ばかりの中野支部(東京都中野区)
・追ったまゲータウェイ支部(群馬県太田市)
・鳥だ!ジェット機だ!いや鎌倉大仏だ!支部(神奈川県鎌倉市)
・朝起きて寝るまで幸せとしか出会えない支部(神奈川県相模原市)
・宇宙戦艦トヤマ支部(富山県富山市)
・「どうしてもここに行きたい」「ああそうですかどうぞ」支部(岐阜県多治見市)
・うじうじせず抹茶飲んでがんばれ支部(京都府宇治市)
・米国ニューヨークすしバー中央本部
・英国ロンドン・ミソスープ総本部
しかし、同団体でユーモアが重視されているのは、深見の圧倒的な学識と博覧強記な知識に裏付けられた深い思想や教えがあるためでもある。
また、深見はカンボジア等の貧困地域に学校と病院を開設したり、毎年、全国35,000人の孤児の3分の1程度にサンタのクリスマスプレゼントを渡すという活動を行っている。
79:
友愛グループ女神ノ海
創始者:藤田妃見子(乙姫様)
設立年:1973年
本部所在地:大阪府大阪市東淀川区西淡路
信者数:5,000?6,000人
崇拝対象:藤田妃見子(の中にいる天照大御神と思われる)
教典:虹の響き/龍宮乙姫
創始者の藤田妃見子は、1923年、熊本県鹿本郡に生まれる。 
幼い頃から霊的な感性が強く、観音様から何度か啓示を受ける。
1973年10月7日午前11時30分、火の国熊本の日向の岩壁「天の岩戸」が開き、宇宙の母・天照大御神が12000年ぶりによみがえり、妃見子の身魂にお入りになった。彼女はこの時をもって立教した。
宇宙の母なる神の天照大御神の蘇りにより、
一、個人の苦しみを癒し
二、神との合一
三、人類の霊的進化
という3つの次元を融合して、龍宮世界への実現を目指すと言う。
活動
「母なる神の天照大御神に身魂を任せて、恋い慕い、生死を越えて嬉し、楽し、有難しで生き通す。雨土に在りとして、あらゆるものの弥栄を祈る。人類の神への進化により龍宮世界を目指す。自分のいる場を天照大御神の龍宮にする。それにより縁がある人々を光明へと導く。」
80:
紀元会
創始者:松井健介(大神様) 
設立年:野県小諸市 
本部所在地:長野県小諸市
信者数:700?1200人(ピーク時5000人以上)
崇拝対象:日之本大神
教典:大和神報
松井健介は、妻と共に子供の雑貨や玩具を台車に乗せ売り歩く極貧生活を送っていたが、ある日「ヤマトタケルの生まれ変わり」「日本の114ヶ所にお宮を建てないといけない」などと言うようになり、1970年10月に紀元会を立教する。
教義は、「日之本大神」を主神とし、日本神道に従って祭祀を行い、神道を信奉する者を育成するとしている。
「飲んだりつけたりすると不治の病に効く水」を「紀元水」と称して提供し、1升瓶1本6万円で売っていたとされる。
「紀元水」は非売品であるとしながらも、実際には5合3800円から一斗1万円程度の金員で会員に出しているそうだ。
販売当初は「がんが治る水」という触れ込みだったが、やがて精神病など現代医学では治療困難な病気に悩む患者やその家族に「紀元水を飲んで治った信者がいる」と雑誌、口コミで広がり、ピーク時は5000人規模の信者がいた。
しかし、2002年に初代教祖が亡くなった頃から信者が脱会、2007年9月に発生した集団暴行事件(紀元会会員が女性会員(63)を集団で暴行して死亡させ、その次女に3週間のけがを負わせ、計34人が逮捕された事件)の時点では数百人規模にまで減少した。
本部には大和神社という施設があるが、天理教のものとは関係がない。
81:
平和教
創始者:棚橋信元
設立年:1954
本部所在地:岐阜県揖斐郡池田町片山
信者数:4400人
崇拝対象:元無極體天之御中主國常立統靈産土之大御神
教典:不明
1954年、棚橋信元は、寶生山平和大御神より「世界の人々と手を取り合って世界恒久平和を達成せよ」との神託を受けた。同年、平和教を立教する。
人間は生まれながらにして神性・霊性を備えているが、通常、そのことに気づいていない。この内在している神性・霊性を独特の方法でやかに開発するのが修行で、霊感修行とも言う。
指導者が後方に座り、神々に修行者の神性・霊性を開発して頂くように祈る(秘伝の祝詞を奏上)。参加者は目をあけたまま自然の状態で座るだけで、神性・霊性(霊能)が開発され、「神伝治病法」などのさまざまな修法を受けることができる。
教主のブログが週1ペースで更新されていて面白い。画像検索はしない方がいい。
82:
神社本庁
創始者:皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会を中心とする全国の神社
設立年:1946年
本部所在地:東京都渋谷区代々木
信者数:不明
崇拝対象:自然崇拝・祖先崇拝を基調とした信仰
教典:神社神道に教典は存在しない
日本全国にある約8万の神社を包括している宗教法人。
「包括下の神社の管理・指導」「神社神道の宣揚」「神社祭祀の執行」「信者(氏子)の教化育成」「本宗である伊勢神宮の奉賛」「神職の養成」「冊子の発行頒布を通じた広報活動」などを目的としている。
また政治運動として、「皇室の男系継承の尊重」「首相の靖国神社公式参拝の推進」なども行っている。
「神道政治連盟」や「日本会議」といった団体を通じて、自民党を中心とした一部の保守政治家にも影響力を持ち、政治活動を行っている。
原発問題にも圧力を持つ。
神社本庁は最大の神社統括組織だが、唯一の組織ではなく、他団体に属する神社も数多い。
また、包括団体への加盟・離脱は各神社の選択によるため、有力社・古社・地域の中小神社にも、神社本庁の傘下に属さない神社(日光東照宮や伏見稲荷大社など)がかなりの比率で存在している。
83:
本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)
創始者:長松清風
設立年:1857年
本部所在地:京都市上京区御前通一条上ル東竪町
信者数:40万人?50万人
崇拝対象:三宝尊
教典:法華経本門八品/日蓮聖人御遺文 など
長松清風は、人生への懐疑と求道心から法華経本門の教えに帰依して出家したが、当時の宗門大勢のあり様にあきたらず、やがて独自の道を歩み、1857年に京都の新町通り蛸薬師下に在家信徒のみで本門佛立講を開いた。
清風の教えは、「どこまでも日蓮の伝えた法華経の題目(南無妙法蓮華経)を口に唱える修行を第一」とし、それによって授かる目に見える現証利益を強調するものであった。
布教にあたっては正信の証として現証利益を強調することが強く、加えて他宗・他宗教に対する批判も激しかった。入信に当たっては「他宗・他宗教のお守りや札・像を破却する」という、
いわゆる謗法(ほうぼう)払いも佛立講が最初に行ったものであり、これらの布教方法は問題を生む一因となった。
万人に、誰にでも分かりやすく御仏の教えを広めようと、「御教歌」と呼ばれる仏教の教義を和歌へ盛り込んだものなど、その教えは現代においても非常に分かりやすい。
また、清風は書画においては江戸末期の三筆と言われたり、優れた歌人でもあり、当時の知識層などが掲載された平安人物誌、西京人物誌にその名が掲載されたりと、江戸末期から明治を代表する優れた文化人といえる。
清風入滅の後、講の運営に対する僧侶の関与や現世利益の強調・本門法華宗との関係のあり方など多くの論争を生み、その中から獅子吼会や日蓮主義佛立講などの分派を生んでいった。
また、在家主導の組織運営・現世利益の強調・他宗攻撃などのスタンスは、その後の法華系の新宗教に広く影響を与え、佛立講から霊友会へと入信して妙智会教団を創設した宮本ミツの様な遍歴を重ねるものもいた
84:
霊友会
創始者:久保角太郎/小谷喜美
設立年:1930年
本部所在地:東京都港区麻布台
信者数:426万人
崇拝対象:仏所護念の本尊
教典:一部経/彌勒菩薩経/青経巻 など
1920年、久保角太郎は、兄の知人を介して西田利蔵(西田無学)の教えを知り、これに強い影響を受ける。
西田の教えは、「出家ではなく在家仏教を主張する」「夫婦双方の先祖供養のため"総戒名"という方式を用いる」「無縁墓地となった墓石を洗い、法名を写し帰って自分の家に祀り、供養する」
「"無量義経"、"観普賢菩薩行法経"などによる独自の経本を用いて読経・唱題する」
というものとされる。
24年、若月チセらと南千住霊友会を結成するが、その後袂を分かつ。
小谷喜美は、久保角太郎の兄嫁にあたる。
1925年、角太郎の兄、安吉の後妻となった喜美は、夫が腰痛を患って立てなくなる度、角太郎の指示に従っ水をかぶり法華経による先祖供養を行った。すると1週間ほどで安吉が立てるようになったという。
喜美はその他にも「真冬に浴衣1枚で生活する」「毎日、数時間の水行」「長期間の断食」などの指導を受け、霊能者として造られていった。
30年、小谷喜美を名誉会長とし、貴族院議員の永山武敏男爵を会長に迎え、久保角太郎を理事長として「霊友会」として発会。(当初は氷山武敏が会長となったが、早々に辞任したため、喜美が会長に就任)
角太郎は女性信者を次々と霊能者に育て、布教を拡大していった。
44年、角太郎が他界。喜美が頂点に立つ。戦後になり、救いを求める人々を中心に大きく教勢を伸ばしていくが、1949年、占領軍の捜索を受け、本部から金塊とコカインが摘発され、その翌年、脱税容疑で捜査が入り、
麻薬所持で喜美が検挙されるなどの事件があり、教団は分裂、多くの脱会者を出し、多くの分派を生むことになる。
71年、喜美の死去後、角太郎の子息である久保継成が会長に就任。「インナートリップ」を提唱し、若者をターゲットとした布教方針を掲げた。
2013年、末吉将祠が会長に就任。
霊友会の目的は、在家による法華経の菩薩行の実践とその普及にある。
自らの悟りと他者の悟りを同時に希求するという法華経が唱導した「菩薩行」を実現するものであり、先祖の供養も含めてすべての活動が菩薩行の一環であるとされている。
また、宗旨・宗派に関わりなく、父方・母方(夫方・妻方)双方の先祖にお経をあげる中で自分のいのちの源に心を向け、他人と積極的に関わり、お互いを尊重し高めあえる仲間をつくり、生活の実感を「つどい」で語り合う。
政治活動として、宗教右派・保守系政治団体「日本会議」に代表委員を送り込み参加している。
また、これまで参議院の全国区・比例区選挙において内田芳郎/細川護熙/佐藤信二/久世公堯/石井道子/清水嘉与子/石田昌宏/太田房江といった候補を支援してきた。
85:
立正佼成会
創始者:庭野鹿蔵(庭野日敬,開祖)/長沼政(長沼妙佼,脇祖)
設立年:1938年
本部所在地:東京都杉並区和田
信者数:350万人?400万人
崇拝対象:久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊
教典:法華三部経
庭野鹿蔵(新井支部・副支部長)と、庭野の勧誘で共に霊友会を信仰していた長沼政は、霊友会の有力な信者であった。
ある時、霊友会会長の小谷喜美が「法華経の講義は時代遅れ」とする発言をし、それを聞いた二人は霊友会からの脱会を考える。
彼らが所属していた新井支部の支部長で、熱心な法華経行者であった新井助信の強力な勧めもあって、1938年3月5日に「大日本立正交成会」を創立した。
発会にあたり、庭野鹿蔵は「日敬」、長沼政は「妙佼」と改名して戸籍を登録した。
1943年、霊感指導が人心を惑わすという理由で二人は検挙され、この事件によって多くのの支部長が脱会してしまう。
56年にも読売新聞が本部用地取得における疑惑を報道し、庭野が国会に参考人召致される事態に至るなど不祥事が重なり、教団内に庭野批判論と長沼期待論が広がるも、翌年の57年、長沼妙佼が病気で死去。
翌年の1958年、庭野は教団創立から長沼の死去までを「方便時代」と定め、今は「真実顕現の時代」に入ったと言う。
そして霊能中心の信仰から教学重視の信仰への転換をはかるとともに、本尊は「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」であると宣言する。。
さらに60年、教団の名称を「立正佼成会」と改める。
99年、庭野日敬が死去。現会長は庭野日鑛である。
立正佼成会の本尊は、長沼妙佼の霊感により、形を変えてきた。
「曼荼羅に毘沙門天」→「南無妙法蓮華経、天壌無窮、異体同心の旗」→「旗に大日如来を加えたもの」→「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」→「日蓮聖人の大曼荼羅」
教義としては、
まず「教菩薩法 仏所護念」と書かれたタスキをかけ、仏壇に総戒名を祀ってその前に霊鑑(過去帳)を置き、朝晩に「聖典」という教典を読んで先祖供養をするもの。
在家が法華経によって先祖供養を行うという点では霊友会と同じだが、法華経に基づく教義や根本仏教、開祖法話による人間の内面の修養を行いつつ、
自他共に救われる修行の推奨(教団では「心田を耕す」と呼ぶ)など、教団独自の特色が色濃く出ている。
86:
佛所護念会教団
創始者:関口嘉一/関口トミノ
設立年:1950年
本部所在地:東京都港区白金台
信者数:140万人?180万人
崇拝対象:日蓮大聖人ご真筆
教典:法華三部経
関口嘉一・トミノ夫妻は、共に日蓮宗中山法華経寺や不動明王、また観音信仰をしていたが、隣人の勧めによりトミノが1933年に霊友会に入信。
嘉一も後に入信、第6支部長を歴任したが、霊友会の共同募金横領・脱税事件を契機に離脱。1950年、妻のトミノと共に教団を設立した。発足した当時の信者数は約3万5000人だった。
教義は法華経を基盤とし、先祖供養などを説いている。
毎年、身延山久遠寺へ団参を行うほか明治神宮・伊勢神宮への参拝を行う。また建国記念の日の奉祝・靖国神社の国家護持を主張する。
政治との関わりは深く、これまで参議院の全国区・比例区選挙では大竹平八郎/佐藤三蔵/村上孝太郎/鳩山威一郎
藤井裕久/佐藤欣子/楢崎泰昌/尾辻秀久/有村治子/衛藤晟一といった候補を支援してきた。
87:
妙智會教団
創始者:宮本ミツ/宮本孝平
設立年:1950年
本部所在地:東京都渋谷区代々木
信者数:90万人?100万人
崇拝対象:十界互具の曼陀羅、佛舎利
教典:法華三部経、宮本孝平御遺珠、会主説法全集 など
孝平・ミツは、当初、「本門仏立講」に入信していたが、1929年にミツが諸病にかかり、そこで題目を唱えるも好転せず、34年に医師の反対を押し切って退院、
その後ミツの兄から霊友会を勧められ入信した。2ヶ月後には夫の孝平も入信。
36年の暮れに孝平が霊友会の第7支部長に就任。翌37年には霊友会本部の勤務になり、45年に孝平が死去してからはミツがその支部長を引き継いだ。このときの第7支部は霊友会の中でも最大の支部となった。
ミツは霊友会会長の小谷喜美にいつも叱咤され、数珠で打たれた事もあったという。
49年、いわゆる霊友会事件により、他の支部が独立し教団化したのと同様に、50年に霊友会から離脱し、「妙智会教団」と公称して、52年に宗教法人格を取得した。
教義は、西田無学が提唱した在家による法華経の先祖供養である。
根本の教えは、「先祖供養」、「忍喜」、「懺悔」、「感謝」の四つであり、ことのほか「先祖供養」を重視する。他、「教行による人格完成に努力する」、「忍喜による世界平和に邁進する」と言う教団の綱領がある。
88:
創価学会 その1
創始者:牧口常三郎/戸田城聖
設立年:1930年
本部所在地:東京都新宿区信濃町
信者数:827万世帯(1200万人?2000万人) ※実数は600万人前後とされる
崇拝対象:本門戒壇の大御本尊(一閻浮提総与の大御本尊)
教典:法華経/新編日蓮大聖人御書全集 など
機関紙:聖教新聞/大白蓮華
法華系の在家仏教団体。公明党の最大の支持母体でもあり、国際的な組織として、創価学会インターナショナル(SGI)などがある。
創立者となった牧口常三郎は小学校の校長を歴任した教育者であった上、地理学に強い関心をもち、地理学関係の著作も残している。
1930年に創価学会が創立されたとき、その名称は「創価教育学会」というものだった。この名前からもわかるように、当初は宗教団体というよりも教育者団体としての性格が強かった。
しかし「教育による社会改革の根底には日蓮の教説に基づく宗教革命が必要である」という主張をしだいに強く掲げるようになり、37年、正式に発会式をあげたあとは布教活動が中心となった。
創価学会二代会長の戸田城聖には、多くの人を集め、集まった人間たちのこころを掴む特異な能力が備わっていたという。
信仰しさえすれば豊かな生活が送れるようになると約束する(現世利益)ことで、急に信者を増やしていった。
また、信仰による豊かさの実現と言う「現世利益」の教えとは別に、高度経済成長という社会背景があり、真面目に働いていれば収入が増え、豊かになれる者が多かった事が幸いした。
東京/横浜/北九州などで会員約3000人に発展したが、当時の「宗教統制策」に反対し、宗門合同や伊勢神宮神札拝受を拒絶したため弾圧され、
43年に治安維持法違反と不敬罪容疑で牧口、戸田ら幹部21名が検挙され、牧口は獄死した。
46年、戸田は同会を「創価学会」の名で再建。活発な布教活動を開始した。
彼は獄中での宗教体験をもとに「生命論」を説き、「人生の究極目的は信仰による生命の変革、すなわち"人間革命"である」と主張、その実践として「本尊(信仰対象)への唱題」と「折伏(しゃくぶく)行」(他宗教の破折)を強調した
。(勧誘活動のことを「折伏(しゃくぶく)」と呼ぶ)
さらに青年部の強化、信者間の連携を保つのに有効なタテ線組織化が盛り込まれる。
学会は急拡大するが、75万世帯を目標にした「折伏大行進」運動の過程で、一部信者による強引な勧誘は社会問題も引き起こした。58年には会員世帯80万に達した。
89:
創価学会 その2
1955年には、「公明(公正で隠しだてをしない)選挙」「政界浄化」をスローガンに地方議会に、翌年は参議院に進出した。
政界進出は、1960年に戸田の後を継いだ第3代会長・池田大作の時代に本格化した。
64年、宗教政党「公明党」を結成、3年後には25名を衆議院に送り、その後野党第二党に発展した。
しかし政治への積極的参加は、政教分離制度下での宗教と政治のあり方をめぐって既存の諸勢力からの反発を受け、70年、おりから発生した学会批判書の出版阻害事件をきっかけに「言論問題」が発生した。
それを機に創価学会と公明党との組織的・機能的分化がなされ、公明党は国民政党へと方向転換するとともに、創価学会の社会的活動は教育、文化、平和運動に重点が置かれるようになった。
公明党は93年の衆議院選挙で51議席を確保し、参議院でも24議席をもつなど、多党化時代に入って有力な位置を占めるようになった。同93年には第二次世界大戦後38年間におよぶ自民党政権が崩壊し、非自民連立政権が誕生したが、公明党は4人の閣僚を送り、政権の一翼を担うこととなった。
1991年、日蓮正宗より信徒組織として解散勧告を受ける。学会はこれに対し日顕の退座を要求する文書を郵送して反論する、同年に破門され、92年、池田大作が日蓮正宗より信徒除名処分にされる。
池田大作が会長になった時代には、教勢が大きくのび、1970年には会員世帯が750万に達した。教団基本組織も整備され、男子部/女子部/学生部/高等部/中等部/少年部などの育成組織や、教育/芸術/学術の文化局各部を結成したり、地域ごとのブロック組織などがつくられていった。
海外布教も進展し、75年には国際組織「創価学会インタナショナル(SGI)」が結成され、会員は163の国と地域、約150万人に達した。
<教義>
宇宙そのものを個別の生命体を生み出す一つの大きな生命とみなし、この大生命が「仏」であり、さらに宇宙と生命を支配する永遠普遍の法則を表したのが「南無妙法蓮華経」という題目であるとする。
日蓮を末法の御本仏と仰ぎ、御本尊を信受し、日蓮の御書(遺文)を根本として、日蓮の御遺命である全世界広宣流布を実現することを目的とする。
創価学会の「師弟相対」のあり方は日蓮正宗と異なり、幹部が下の者を指導するという「素人が素人を指導する組織」と揶揄されている。
また、大石寺67世法主阿部日顕を「邪」と定め、それ以降の日蓮正宗を「邪教」と呼んでいる。
外郭団体には創価学園/創価大学/創価女子短期大学/民主音楽協会/東京富士美術館/東洋哲学研究所などがある。
学会系の出版社に潮(うしお)出版社/第三文明社などがある。
創価学会はフランス政府/ドイツ政府/ベルギー政府/オーストリア政府/チリ政府などからカルト教団(セクト)としての扱いを受けている。
創価学会はWikiページの文章量だけでも群を抜いて多い
90:
創価学会 その3
創価学会が関わった有名な事件・事故の一部
■偽造写真事件
破門後の1992年、学会は創価新報に捏造した宴席写真を掲載し、日顕を批判。日蓮正宗との訴訟に発展した。
■コーヒーカップ裁判
1992年、川崎市にある日蓮正宗持経寺に息子の遺骨を預けていた学会員夫婦が、同伴した数人の学会幹部とともに息子の遺骨を受け取った際、遺骨がコーヒーカップに入っていたと主張。
■創価学会違法ビラ事件
2001年、04年の2度にわたり日蓮正宗を誹謗中傷するデマのビラを配布。配布された範囲は10都府県、34の市町村に及ぶ。
■携帯電話通話記録窃盗事件
2002年、創価大学剣道部監督だった幹部が交際していた女性の浮気を疑い、通信会社に勤務していた部下の学会員に通信記録を調べるよう指示し盗み出したというもの。
また捜査の中で創価学会に反目する団体幹部やジャーナリストの通信記録も盗んでいたことが発覚した。
■池田大作落書き訴訟
1970年、会長の池田大作が、在籍していた女性信者の娘の顔に、マジックで落書きをした事案。
■池田大作レイプ訴訟
1996年、北海道創価学会の幹部を解任された女性が、「過去数回にわたり池田大作会長からレ○プされた」との告発手記を週刊新潮に掲載した。
■セクハラ疑惑
創価学会男子部本部長を務めていた幹部が女性複数人と結婚の約束をするなどし性的な関係を持ち、性的関係を拒否した女性へは立場を利用したパワーハラスメントやセクハラを行う等の行為を行った。
また国外の例では、フィリピンSGIで幹部が女性メンバーに対しセクハラを行った。
■大阪事件
1957年に参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた際、創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコや現金を渡したとして逮捕された。
■新宿替え玉事件
1968年に行われた参議院議員選挙で創価学会が不在者投票を悪用し、本人になりすまし投票を行ったとされる選挙違反事件。
■投票所襲撃事件
1969年、東京都議会議員選挙において、百数十人の暴走した学会員が投票所を襲撃、集団暴行を加えた事件。
■住民票異動疑惑
創価学会が組織的に、選挙前に住民票を異動し公明党候補へ投票しているという疑惑。
■マインドコントロール、幼児期からの教育
学会はマインドコントロールの問題を指摘されている。
創価学園による一貫教育「子供を勧誘し、教化する」行為や、毎日購読される聖教新聞などによって洗脳が行われているとされるもの。
元委員長であった矢野絢也は「創価学会員二世、三世は幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本やアニメを見せられ、いかに池田と創価学会の教義が素晴らしいかを刷り込まれる。
そして一貫教育システムによりエリート教育される」と指摘している。
現在の学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちによって固められ、また公明党議員も創価大学出身者が多くを占めている。
この点はフランス政府からも問題視され公文書に記載された。
■過去に起こした事件の美化、改竄
学会では大阪事件や言論出版妨害事件等、社会問題化した事例を近年美化、改竄する傾向があり批判されている。
疑惑の段階でも、香典泥棒疑惑/献金疑惑/暗殺依頼疑惑/在日韓国人疑惑/お布施(財務)流用疑惑/麻薬ビジネス運用疑惑/架空取引事件参加疑惑
詐欺事件参加疑惑/総会やらせ疑惑/ゴーストライター疑惑など枚挙に暇がない
91:
冨士大石寺顕正会(顕正会,ふじたいせきじけんしょうかい)
創始者:浅井甚兵衛
設立年:1942年
本部所在地: 埼玉県さいたま市大宮区寿能町
信者数:130万人?140万人
崇拝対象:本門戒壇の大御本尊
教典:法華経十巻/日蓮大聖人御書 など
機関紙:顕正新聞
1942年、日蓮正宗妙光寺の総代であった浅井甚兵衛が、妙光寺所属の法華講の一講中として「東京妙信講」を設立する。
しかし講の中心者である浅井甚兵衛・昭衛親子は身勝手な行動が多く、戦後の混乱期に豊島教会、その後法道会に所属を変更したが、法道会法華講と合併するため、発展的に解散。
さらに法道会から離脱し、58年、「妙信講」を設立する。日蓮正宗第65世法主・堀米日淳の配慮により宗門内では極めて異例の認証式が行われる。
やがて創価学会が中心となって寄進・建立した「正本堂」の教義上の位置づけをめぐり日蓮正宗・創価学会と激しく対立するようになる。
1974年、明治公園で「立正安国野外集会」を開催。3000人が参加し、創価学会本部までデモ行進を行う。
さらに創価学会を非難・攻撃し続け、「流血の惨も辞さず」との脅迫文を送りつけるに至る。
そこで宗門は妙信講に対する反省を促し、弁疏(べんそ)の機会を与えて返答を待ったが、妙信講からはその公式決定に従わない旨の返事があった。
宗門はこのような経過をふまえてやむを得ず、妙信講を解散処分に付す。
しかしこれを不服とする浅井等は、宣伝カーで創価学会本部を襲撃し乱闘事件を起こすなど、過激な行為を行ったため、宗門は同年11月、浅井父子を中心とする信徒33名を除名処分とする。
75年、宗教法人「顕正寺顕正新聞社」の成立に伴い、妙信講はその信徒団体として再出発する。
77年、創価学会との法廷闘争で和解成立。顕正新聞紙上では「学会と会長、池田大作に対する大勝利」と主張。
78年、 日本武道館での総幹部会で団体名を妙信講から「日蓮正宗顕正会」に変更。
85年、四者体制(男子部、女子部、婦人部、壮年部)が確立。
86年、再び日本武道館で幹部大会開催。「あと25年で広宣流布ができなければ、核戦争により日本も世界も破滅することは、一点の疑いもなきところであります」と発言する。
92年、信者2人が高校生を車に押し込んで顕正会事務所に連れ込んで拉致し、入信願書に署名・押印させたとして、強要の疑いで千葉県警柏警察署に逮捕される
96年、法人認証後の総幹部会で日蓮正宗顕正会の自称を「冨士大石寺顕正会」に改めるとし、現在に至る。
教義として、日蓮の説いた三大秘法の国教化、国立戒壇建立を目的としている。
顕正会は日蓮正宗や創価学会と異なり、「日本国民全員が入信し、国会の議決と天皇の国事行為により憲法が改正され、国立戒壇が建立された時」に広宣流布が成るとしている。
その後一応の基準として、昭衛は80年代には1億人、90年代以降は1,000万人という数字を挙げ実際に誓願している。
政治思想としては、自由民主党などの既存政党には与しない。ただし、創価学会が支持母体となっている公明党は昭衛が旧妙信講の時代から繰り返し「学会共々真っ先に撲滅せよ」と述べるなど一貫して対立状態にある。
勧誘は「折伏(しゃくぶく)」(悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること)という布教活動を行っている。
また、入会拒否の男性を監禁する、勧誘を拒否した若者に暴力を加えるなどで逮捕者も出るなど、暴力的な勧誘が目立つこともある。
顕正会は「冨士大石寺顕正会」と自称しているが、正系門下の「日蓮正宗大石寺」と紛らわしい名称を使い、会員を惑わしていると揶揄されている。
92:
念法眞教(ねんぽうしんきょう)
創始者:小倉庄太郎(小倉霊現)
設立年:1925年/1928年
本部所在地:大阪府大阪市鶴見区緑3丁目
信者数:80万人
崇拝対象:久遠実成阿弥陀如来
教典:不明
1886年、小倉庄太郎は商家の子に生まれる。兵役から除隊後に乾物屋をのれん分けされ、結婚もしたが、招集された第一次世界大戦で親友が戦死、出征中に家業を乗っ取られる。
また、自身の病気、長男の病死など立て続けに起きた不幸に悩み、樋口セイ(教団では"霊生院"と呼ぶ。近所に住んでいた霊媒師)に帰依し、心霊現象に傾倒した。
1925年、庄太郎は阿弥陀如来から託宣(教団では"ご霊告"と呼ぶ)を受け、大峰山で修験道修行の後、1928年に「神仏心霊感応会」を発会する。
31年に機関紙「鶯乃聲」を創刊、戦時下の新体制運動・翼賛思想を鼓舞して教勢を拡大した。
教義に見える「世の立て直し」等の語句から、同時代の出口王仁三郎(大本教)の影響も受けていたとされる。
39年に天台宗傘下に納まり、「金剛教会」に改称したが、戦後の新宗教ブームの追い風を受け、47年に「小倉山金剛寺」の名で独立。52年には現教団名の「念法眞教」に改称する。
初代からの路線を継承して宗教右派的・保守的な政治活動を活発に行い、「日本会議」に代表会員を送り込んでいる。
教義として、「家庭の光明化に努め、教えの実践を徹底し、神仏のあることを人に伝える」ことを目的とする。
世界はひとつであり、すべての人が人としての使命(生かされている意味)を知り、仲よくすべきであることを知らせ、世界中の人がみんな友達となって手をつなぎ、
争いのない拝み合いの世界をつくることが念法眞教の教えの精神であり、人として行うべき誠の道「五聖訓」を説く
93:
孝道教団(こうどうきょうだん)
創始者:、岡野正道/岡野貴美子
設立年:1936年
本部所在地:神奈川県横浜市神奈川区鳥越
信者数:20万人?30万人
崇拝対象:熟益開顕正法大曼荼羅
教典:法華経
法華系の新宗教。霊友会と天台宗の影響を受けたとされ、教団では後者に分類している。
岡野正道は、1900年、茨城県新治郡志士庫村に生まれる。
18年には天台宗星野山無量寿寺中院に出家している。
その後上京し大崎電線と言う会社に勤める。同僚の計らいにより24年、貴美子と結婚。
34年に霊友会に入会したが、翌年に脱会する。
39年、「孝道会」の発会式が行われる。
52年の宗教法人登記と同時に「孝道教団」に名称変更。
孝道の「孝」は、親子の間の情愛、「道」はそこから生まれてくる人間界のすべてであり、これを体得したのが釈迦だという。なお、過去・現在・未来をつらぬく縦の「孝」と、
全ての人に慈悲を及ぼす横の「孝道」と言うのがあり、これを説いたのが法華経であるという。
究極的には、「孝道」は宇宙法界の真理に従う「孝順至道(究極の道)の法」であり、真理を説き明かした「法華経」の趣旨に一致する実践道に他ならないとされる。
法華経を所依の経典とし、家族の中で智慧と慈悲を養い、その心を広く社会に及ぼす「孝道」を実践することにより、自他の幸福と人類の平和を実現することを目的とする。
94:
浄土真宗親鸞会
創始者:高森顕徹
設立年:1952年/1958年
本部所在地:富山県射水市
信者数:5万人?10万人
崇拝対象:阿弥陀如来(帰命尽十方無碍光如来,南無不可思議光如来)
教典:不明(仏説無量寿経?)
高森顕徹は浄土真宗本願寺派の僧侶であったが、本願寺教団の現状に反発。親鸞の教えを教義の根本とし、阿弥陀仏への絶対帰依によって現世で救われることを目的とし、1952年に「徹信会」を発会する。
58年、宗教法人格を取得し、「浄土真宗親鸞会」と改称。
79年、浄土真宗本願寺派の紅楳英顕が論文「現代における異義の研究 - 高森親鸞会の主張とその問題点」を発表。親鸞会はこれに反発し、再三にわたり質問状を送り、本願寺派に対する批判活動が展開される。
84年、上記に関し、紅楳側が誠意を持って答えていないとして、親鸞会会員約1,500人が西本願寺の御影堂に座り込み抗議を行う。
88年、富山市に隣接する射水郡小杉町(現射水市)に本部を移転。
関連会社として「1万年堂出版」「チューリップ企画(アニメ製作)」などがある。
宗祖親鸞聖人の正しい教えを広めることを唯一の目的として、親鸞、覚如、蓮如の文を根拠にして、それを説く。
釈迦や親鸞が教えたのは「阿弥陀仏の本願」ただ一つであるとし、阿弥陀仏の本願を説く法話を聞くことを親鸞会では最重要視している。
会では他の真宗宗派、とりわけ浄土真宗本願寺派(西本願寺)や真宗大谷派(東本願寺)との教義上の差異を主張しており、本願寺の教えは善の勧めがない教え、後生の一大事を否定した教えだと批判している。
日本全国や国外で積極的な布教活動を展開しており、会員はあらゆる年齢層・地域・職業に広がっている。
95:
念佛宗三寶山無量壽寺(ねんぶつしゅう さんぽうざん むりょうじゅじ)
創始者:福井真尚(別称:久世太郎,戸倉貞和,圓心定)
設立年:1979年
本部所在地:兵庫県加東市上三草
信者数:5万人
崇拝対象:阿弥陀如来/観音菩薩/勢至菩薩
教典:一切経
真言宗の僧侶であった福井真尚が立教。1979年、宗教法人「無量壽會」として認証される。
さらに92年、宗教法人「念佛宗三寶山無量壽寺」と教団名を改称し、同時に宗派として開宗した。
単立宗教法人であるため、いかなる宗派の傘下にも属さず、また、宗派とはみなされないが、一方で、京都新聞の記事のように、「仏教の一宗派」とする見方もある。
教団は「日本の仏教第十四宗である」と主張している。
インドのカルカッタに本部を置く国際的仏教団体「インド大菩提会」のメンバーであり、アジア各地の仏教指導者が一堂に会する「全世界佛教サミット」の運営およびスポンサーとして協力している。
宗教法人設立の12年前の「週刊サンケイ(1967年発行)」によれば、名刺の肩書きに「心霊判断」「運命学」とあり、いろは四十八文字とサイコロの組み合わせにより人の運命を予言するサイコロ予言者と紹介した。
感銘を受けた有名人やその夫人たち3000人近くが名を連ねて「久世先生後援会」を結成、世の中の注目を浴び一世を風靡したとある。
教団は、「月刊無量壽211号(1997年2月)」において、「開祖は、迷いの衆生を救う手段として、人々の悩みや苦しみを、古代より仏教に伝承されてきた賽(サイコロ)によって、
それを方便として第一歩を踏み出した」としている。
<教義>
釈尊の教え(仏教)、即ち「仏教経典(一切経)」を基とし、念仏を依処とする。仏教の目的とは、智慧の完成(般若波羅蜜)、阿耨多羅三藐三菩提、無上正等覚、無上正遍智、即ち、「大涅槃」を目指すことである。
人としての道である「四恩」を大切にし、私たちは生かされていることを自覚する。
総本山の「佛教之王堂」は、2005年の第4回全世界佛教サミットにおいて、仏教徒の心の依処たる佛教之王堂を日本に建立することが決議され、創建された。
ネット上でも荘厳な建物として有名だが、施設の広大さばかりでなく、装飾や建物、庭など風景1つ1つのレベルが高い。
96:
阿含宗(あごんしゅう)
創始者:堤真寿雄(桐山靖雄,"管長"と呼ばれる)
設立年:1978年
本部所在地:京都市山科区北花山大峰町
信者数:34万人
崇拝対象:準胝観世音→真正仏舎利
教典: 阿含経/般若心経 など
桐山靖雄により1978年に創設された仏教系または密教系の新興宗教。
毎年2月11日、京都・花山で「阿含の星まつり」という一種の儀式を開催していることでも知られる。
堤 真寿雄は1921年、横浜に生まれる。
1939年、結核性を患い病院に入院した真寿雄は、精神的安定を求めて宗教書を読み漁り、自ら考案した瞑想法や養生療法を試す。
終戦後に退院した真寿雄は、弟たちと始めた製粉・精米のヤミ販売などで利益を上げる。
その後事業に失敗して負債を抱えた真寿雄は、首吊りを試みるが、そこで目にした「般若心経」「準胝観音経」などの経典を読み、死ぬことを思いとどまる。
これがきっかけで観音信仰に励む一方、運命学などを学ぶ。
彼はヤミ販売が検挙され逮捕されるが、それをきっかけに、一から出直すことを決意し、皇道治教の布教所を設立、その後「観音慈恵会」を発会する。さらに母方の姓を取って「桐山靖雄」と名を改める。
1955年に真言宗金剛院派の寺院で得度し僧籍を得たのち、1967年、観音慈恵会を「大日山金剛華寺観音慈恵会」と改称する。
更に時が経ち、1978年に「阿含経」を根本経典とする「阿含宗」を立宗。1981年には教団名を「阿含宗」と改称する。
1990年、神戸に「メシヤ館」を、翌年には横浜に「占いの館・シャリーラ」を開設し、主に若者を対象にして、占星術による占いやカウンセリングを行っている。
スリランカ国などより贈与された「真正仏舎利(釈迦の遺骨)」を本尊とする。
但しスリランカから拝受された仏舎利の由来書原文にはどこにも真正と書かれていないといれている。
オウム真理教を始め、多くの日本の教団が寄付と引き換えにスリランカ政府から記念品仏舎利を拝受している。
阿含宗では、「人間が不幸になる悪因縁は、執着や執念のために成仏できない"不成仏霊"、そのなかでも特に怨念の強い"霊障のホトケ"によって引き起こされる」としている。
教団では、これらの霊障を取り除き、さまざまな悪因縁から解放され自由自在の境地になるためとして、「成仏法」「如意宝珠法」「求聞持聡明法」という三つの実践法を説く。
設立者の桐山靖雄は自身の来歴もあり、非常にオカルト的な分野も包括した人物とみなされる事が多い。
特に霊力・霊障を中心とした教義や、占星術を基板にした一部の教典がそのような揶揄の対象に挙げられる。
97:
真如苑 (しんにょえん)
創始者:伊藤文明(伊藤真乗)/伊藤友司
設立年:1936年
本部所在地:東京都立川市柴崎町
信者数:87万人
崇拝対象:久遠常住釈迦牟尼如来
教典:大乗大般涅槃経
真言宗系または密教系の新宗教。教団は自らの特色として「出家仏教の修行を基盤とする在家仏教教団」としている。
1906年、伊藤文明(後の真乗)が生まれる。
文明は23歳の時、「大日本易占同志会」に研究生として入会する。1932年に又従兄弟にあたる内田友司と結婚。この頃から易による鑑定や人生相談などを始める。夫婦はキリスト教会にも通った。
妻・友司の祖母は霊能家であり、巷間に多くみられた「狐憑き落とし」などの除霊を行っていた

1935年に成田山新勝寺との縁があり、自宅に講中(信徒組織)として「立照閣」を設立。翌年、伯母から妻の友司が祖母の霊能を受け継いだと告げられる。同年、文明・友司夫妻は宗教一筋の生活に入ることを決意する。(真如苑ではこの日を立教の日としている)
同年の6月、3歳の長男・智文が急死してしまう。これは設立間もない教団にとっては大事件であり、夫妻は高尾山にこもって荒行を行い、「長男の死は、他人の苦の身代わりになった(抜苦代受)」と結論を導く。
38年、文明は本部の地に「真澄寺」を建立し、真言宗醍醐派の「立川不動尊教会」を設立する。同じ頃に、京都にある真言宗醍醐派の総本山・醍醐寺三宝院で出家得度し、名前を文明から真乗に改める。
終戦後、立川不動尊教会は醍醐派から離れて独立の宗教団体となり、48年に名称を「まこと教団」へ改称する。
まこと教団事件 - 1950年、教団幹部から「修行名目でリンチを受けた」と告発があり、伊藤真乗は傷害容疑で逮捕された。56年、東京高裁は真乗に対して、執行猶予付きの懲役7月の判決を言い渡した。この事件は「まこと教団事件」と言われ、マスコミをにぎわせた。
この事件による教団の打撃は大きく、そのためもあって、52年に「真如苑」と改称し、真乗は管長を辞し教主となり、妻・友司が代表役員(苑主)として再出発した。
52年、15歳の次男・友一が、カリエス(結核の二次感染)で死亡する。
教団は教典を真言密教経典から「大般涅槃経」に転換し、57年には、真乗が自らの手で身長約5メートルの涅槃像(寝釈迦像)を彫刻し、これを本尊とした。
67年、妻の友司が急死。69年には真乗の再婚問題をめぐって伊藤家内に利権争いが生じ、三女・真砂子が自殺未遂事件を起こし、結果として長女と次女が教団を離脱する。
83年、三女・真砂子が真聡と改名し、89年の真乗の死後、苑主となり、四女・真玲がそれを補佐する体勢で現在に至る。
教義として、釈迦の最後の説法である「大般涅槃経」を根本の経典とし、この経典に説かれる「一切衆生・悉有仏性」の経文によって、誰もが仏性を有し霊能をそなえていると定義し、その霊能を開発し霊位を向上させることによって「常楽我浄」の歓喜の境涯をあらわすことができると説く。
教団では"三つの歩み"、「お救(たす)け」(布教・勧誘)、「歓喜」(寄付)、「奉仕」(活動)を信者に義務付けている。
また、教団は伊藤夫妻の死亡した2人の息子を「両童子」と呼び崇拝している。長男は死後、母・友司に感応し、霊能活動に祖先霊との道交を開き、真如接心のもとが築かれ、両童子が霊界からの働きによって、信者の苦しみを取り除き代わりに受けると説いている。
98:
辯天宗(べんてんしゅう)
創始者:大森清子(大森智辯)
設立年:1934年
本部所在地:大阪府茨木市西穂積町
信者数:12万人
崇拝対象:大辯才天女尊(あらゆる神様仏の総体)/御本尊(辯才天像)
教典:水の章 など
高野山真言宗の流れを汲み、仏教系新宗教に分類される宗教法人。
系列の「智辯学園高等学校」、「智辯学園和歌山高等学校」(通称:智弁)は、高校野球の強豪として全国的に有名である。
大森清子は1909年、奈良県吉野郡吉野村に生まれる。彼女は7歳の時、 「二重橋を誰でも渡る時代が来る」と日本の将来を予言する。
1934年に、智郡野原村の住職である大森智祥の妻であった清子は、大辯才天女尊より「水の心を心とせよ 水の心のあるところ辯才天は常にそなたとともにあって現世苦業を滅するであろう」という天啓を受け、立教する。
その後48年には夫の大森智祥が管長となって「辯天講」を結成し、52年「辯天宗」と改称する。
教義を「五行のお諭し」(真の教え)と呼び、「真心を常に忘るべからず」「慈悲愍みの心を養うべし」「善根功徳の行を積むべし」「感謝の誠を捧ぐべし」「不平不満を思うべからず」と説く。
また、水の心について、「水の心とは、低きに流れる謙譲心、方円の器に従う素直な心、美醜全てを受け入れ包容する慈悲心、自ら汚れを浄める積極心等に表徴される真の心であり、御本尊の御心そのものの表象である。
御本尊は、衆生がこのような水の心を心とするとき、あらゆる福徳を円満に成就せしめ給うのである。」と教える。
99:
解脱会(げだつかい)
創始者:岡野英蔵(岡野聖憲,"金剛さま"と呼ばれる)
設立年:1929年
本部所在地:東京都新宿区
信者数:18万人
崇拝対象:天神地祇大神/五智如来/解脱金剛
教典:五法則/ご聖訓 など
1881年、岡野英蔵は埼玉県北足立郡の農家の次男として生まれる。
彼は農業より商業を好み、片手間に賃機の商売や織物業を営んだ。事業は順調だったが1908年に脱税容疑で摘発され、多額の借金返済のため実家は没落の一途をたどる。
その後別の仕事を手にした岡野は、仕事ぶりが認められ、1913年には別の店に引き抜かれるほどになり、仲間とともに金融会社等を開く。
地元で始まった北本駅開設運動に多額の寄付をするなど、彼は地元の発展のための援助を熱心に行った。
25年から岡野は高熱を発す病気に罹り、死は間近いと診断される。ある日、彼は昏睡状態の中「甘茶、甘茶」と呟き、母が甘茶を飲ませると、その後血の混じった膿を吐き始め、吐き終える健康が回復した。
この体験により、人心救済の根源的ともいえる力が甘茶には秘められていると岡野は確信する。
28年頃から、岡野は優れた霊能力の持ち主であると評判が広がり始め、岡野を訪れる人が増え出し、そうした人々に甘茶を仏前に供え、そのお下がりを飲むよう熱心にすすめた。
そんな岡野を妻は理解できず、その後二人は正式に離婚。1929年、北本宿の天手力男尊を祀る小祠にて「大神を世に出せ」という啓示を受け、「解脱会」を発会する。
31年に醍醐寺三宝院にて出家得度。
40年頃からは教義の実践活動に重点をおき、戦時中における奉献金活動や慰問活動などを行う。戦後には戦争からの引揚者や被災者、戦争未亡人などに仕事を与え、当時少なかった衣料品などを製造する事業を各地で行うよう指導する。
「敬神崇祖・感謝報恩」、「自己反省・自我没却」、「三綱(国土・父母・社会)・五常(忠・孝・仁・義・礼)」などを中心として 「御五法」と称した霊符による修業、天茶(甘茶)供養などを指導し、岡野聖憲が体験してきたことなどを教義としている。
他宗教に寛容で、入会しても家の宗旨を変えたり位牌を改めたりする必要はないとしている。
100:
中山身語正宗(なかやましんごしょうしゅう)
創始者:木原松太郎(八坂覚恵)
設立年:1921年
本部所在地:佐賀県三養基郡基山町
信者数:31万人
崇拝対象:中山不動尊
教典:御座文
真言宗系の新宗教。
「身言正宗」や「光明念佛身語聖宗」は、創始者である木原松太郎(木原覚恵)の教えから分派した宗派教団である。
1910年、漁の途中に時化(しけ)に遭い遭難していた木原は、金比羅大権現に祈り、死にそうなところをどうにか助かった。
それ以来信仰の世界に入った木原は山奥で滝行などの修行を行っていた。
1912年、枕元に弘法大師・空海が出現し、木原に向かって、
「釈迦に生まれ遅れること三千年、弘法大師に遅れること一千年。法然、親鸞に遅れること七百年。この世は非常に疑い深く、こういえばああいい、ああいえばこういうのだ。
いかに教理経文を朝から晩、晩から朝に説き尽くしても、朝には信じ夕べにはもう疑うのだ。この末世の衆生を真に救わんためには、この衆生の切羽詰まった土壇場の願いを直ちに聞きとどけ、仏智の大功徳を眼の前に授けて驚かさねば、信じる心にならんのだ。
故に現世利益をもって本願となし、中山不動と世に出ずるぞ。」と言った。(この日を教団は立教の日にしている)
同年、木原は高野山に入って得度(とくど)し、覺惠の名を貰う。
21年、「中山身語正宗」を立教する。
1981年からアフリカやモンゴルに対しての寄付を行っている。
2011年、熊本県の教会において、男性信者の子どもである中学2年の女子に対し、除霊を目的とし「滝行」と称して手足をベルトなどで縛った状態で顔に水を浴びせ続け、窒息死させた疑いで父親と僧侶が逮捕された。
教義として、覚恵上人(木原)が「根本大悲の親様」より授かったとされる「御座文」を本旨とし、瀧行や巡礼、念佛を行う。
これらの修行から「おじひ」(身に正しく如来の語)を感得し、それを通して衆生済度を行うとされる。
教団名の「身語正」とは三密(身・口・意)が一体となり、身に正しく如来の語(ことば)を授かるという意味である。
101:
肥後修験総本山六水院(真言六字密教総本山六水院)
創始者:下ヨシ子
設立年:2005年
本部所在地:熊本県合志市須屋
信者数:不明
崇拝対象:六字明王
教典:不明(流生命?)
テレビ番組の心霊写真鑑定や浄霊でおなじみの下ヨシ子が開基した宗教法人。
1952年生まれの下ヨシ子は、幼いころより予知能力を発揮していたという。
1996年、44歳の時に原因不明の高熱を発し、六字明王から啓示を受け、霊視能力を開眼させる。
その後 修験真言宗大本山金剛寺で得度(とくど)を受け、僧侶(真言宗においては最下級の僧侶になると"阿闍梨"を称する)の地位を得る。
2005年、「真言六字密教総本山六水院(しんごんろくじみっきょうそうほんざんろくすいいん)」を開基。
六字明王について、
「六字明王様は1000年に1回、現世に降臨されます。前回は平安時代末期のこと。そして100年とどまり、民衆救済のお役目を果たされる」
「世の中が乱れ、民衆が苦しんでいれば必ず手を差し伸べてくれる神様なのです。どうぞ、すがってください」
教義である流生命について、
「ある日のこと、羽田から熊本に向かう雲上の飛行機の中で、突然おびただしい言葉が六字明王様から私に降りてきました。私はあわてて連れの者に書き留めてもらい、それらを"流生命"という本にまとめたのです。 したがって流生命は「占い」ではなく、
霊視による予知とお考えください。私を通じて伝えられる六字明王様のお言葉なのです。」
「神様が定めた道"流生命"に沿って生きることが、幸せの源です。
その道を踏み外すと、成仏していない未成仏霊、先祖霊、水子霊、さらにマイナスエネルギーに満ちた邪気などに取り憑かれ、人生の流れはたちまちのうちに暗転します。
人の命は、天界地界の自然の中で定められています。生まれるのも死ぬのも、すべては神様のはからいです。その流れにさからえないことを、肝に銘じていただきたいと思います。」
と教えている。
霊能力について
1998年、「奇跡体験!アンビリバボー」に出演、競馬の結果を予知したと称している。
また、2000年、岐阜県富加町の幽霊住宅では、他の霊媒師たちが本物でなかったり力が弱かったりして浄霊できないなかで、下ヨシ子は浄霊に成功したと称している。
一方で、浄霊後もこの町営住宅での怪現象は継続しているという報告も複数存在する。
2010年、名古屋市の主婦が、2002年から2008年までの間に「浄霊代」の名目で肥後修験遍照院から約530万円を騙し取られたとして、同院と下ヨシ子らを相手取り、約950万円の損害賠償を求め、訴訟を起こした。(2013年に第一審の判決が確定した。)
アンビリバボーの他にも、「ほんとにあった怖い話」「オレたちお笑い心霊団」「HEY!HEY!HEY!」「魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル」などの番組に出演している。
102:
細木教
創始者:細木数子
設立年:1980年代/90年代/00年代
本部所在地:不明
信者数:不明
崇拝対象:不明
教典:不明
細木数子(1938 - )は、日本の作家・タレント・占術家。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家・人間学研究家などと称する場合もある。かつては実業家でもあった。
細木は、京都に本社がある久保田家石材商店(現:亘徳)の社長、久保田茂麻呂と出逢い、新宗教の「大国教会」で宗教学を学び、新宗教の細木教を設立したとされる。
細木教は宗教活動遂行のための、財産の管理と運営の主体とした、寺院・神社、・会などを備えていない「単立宗教法人」で、宗教法人の認可申請中だといわれている。
細木数子本人の身の上はWikiなどのページに詳細があるので参考にしていただきたいが、
「公共の電波で宗教の勧誘」「ミス渋谷だったのは本当だが複数の暴力団の娼婦だった」「脱税をしている」「六星占術はパクリ」「詐欺師」「墓石を暴利で売る」「暴力団に数億を渡して口封じをはかる」「北朝鮮に賠償を支払うよう命じる」「霊感商法」などといった批判が目立つ。
また、「細木数子」のページでは、的中しなかった占いの数が的中した数の3倍を超えているが、30%で当たるというのなら凄いことかもしれない。
(殆どが芸能人の結婚等の占いなのでウラを掴めるかもしれないが)
ちなみに結果待ちの占いもある。
「自分(細木数子)は250歳まで生きる」
「2030年に日本人がみな難民になり住む場所がなくなる」
劇団ひとり(芸人)は「心臓病で40歳までに死ぬ」「40歳の7月(2017年)に葬式」
103:
幸福の科学(Happy Science,HS) その1
創始者:中川隆(大川隆法)
設立年:1986年
本部所在地:東京都品川区
信者数:1000万人?1200万人
崇拝対象:エル・カンターレ(霊天上界に存在する至高神=大川隆法)
教典:仏説・正心法語 など
日本発祥の宗教団体。世界120か国に会員組織がある。
世界基準で「Happy Science」という名称を使用している。
「幸福実現党」の最大母体でもある。
歴史上の人物や政治家、著名人などの霊言を含む多数の「出版物」による布教スタイルが特徴。
91年頃から実施された大規模な広告キャンペーン(1ヶ月半で20億円)や、写真週刊誌「フライデー」の記事に虚偽の内容があるとして出版元の講談社などへ実施した抗議行動で広く知られるようになった。
信者数は1100万人と公称しているが、「信者の家族や友人の友人など教義に触れたものまで信者扱いする」とする批判の声もある。
創始者の中川隆(後の大川隆法)は、1956年、徳島県吉野川市で、教団の名誉顧問である父・善川三朗(下記参照)と、教団の名誉秘書長である母・中川君子の次男として生まれる。
小学生の頃、高熱を出し寝ていた時に、幽体離脱を何度もして、天国から地獄の阿鼻叫喚地獄までを見てきたという。
大学は一浪して東京大学法学部に進学。大学2年の頃に初恋を経験し、ラブレターを書きまくり小包にして送った。これが半年ほど続いたが、やっと届いた返事が便箋1枚で、落胆したという。
卒業が近づき、一留し司法試験を受けたが論文試験で不合格。国家公務員上級試験も受けたがこれもうまくいかず、81年に総合商社トーメン(現:豊田通商)に就職する。
同年、中川に突然、無意識に手が動いて文字を書く「自動書記」が起こり、紙にカタカナで「イイシラセ イイシラセ」から始まるいくつかの事柄を書き連ねた。
後年、中川は「このメッセージを送ってきたのは、日興上人だった」と述べ、またこの啓示によって「大悟(だいご)し、人類救済の大いなる使命を自覚した」と説明している。
商社に在職しながら1985年に初の書籍である「日蓮聖人の霊言」を刊行。
86年に退社後、具体的な団体設立の計画に着手。同年10月に、東京都杉並区の木造アパートに事務所を開いて「幸福の科学」を設立した。
この幸福の科学の名称の由来は、日蓮から「これは宗教ではなく、幸福の哲学であり、幸福の科学なのだ」と霊言されたからだという。
88年、東大を卒業したばかりの木村恭子(大川きょう子,下記参照)と結婚した。
91年、教団は宗教法人の認可を受け、同年7月、隆法は東京ドームで「御生誕祭」を行い、「自分こそ大乗の仏陀(ぶっだ)、"エル・カンターレ"である」と宣言した。
この御生誕祭と前後して、週刊誌等に大川隆法批判が繰り返し報道されたため、同年秋に教団信者の著名人(作家・女優など)を中心とする会員3000名が「被害者の会」を組織し、出版社に対して抗議行動やマスコミ批判を行った。
しかしこの行動が逆にマスコミから反発を買い、大きな社会問題に発展する。
父・善川三朗について
教団の名誉顧問である善川三朗(本名:中川忠義)は、1921年に生まれる。
善川は若いころから宗教に対して関心があり、矢内原忠雄(東大総長で、幸福の科学では「ペテロの再出」と位置づけられている)の指導する無教会派でキリスト教を学び、「生長の家」創始者である谷口雅春の指導も受けたことがあるという。
さらに1976年には「GLA総合本部(God Light Association)」に入会し、高橋信次の教えを受ける。
その一方、日本共産党の徳島県委員会で活動していた時期もあった。
善川の前世は日蓮の弟子である「日朗」や、「善無畏三蔵」であると教団では教えられている。
息子の中川隆と共に幸福の科学を立教し活動していたが、2003年に他界。
母・中川君子は理容業を営むかたわら、霊媒師としても活動していた。
104:
幸福の科学(Happy Science,HS) その2
妻・大川きょう子について
大川の妻であった大川きょう子(旧姓:木村恭子)は、1965年、秋田県由利本荘市に地元の開業医の娘として生まれる。
東京大学文学部に進学。大学生の頃、幸福の科学秋期研修の参加をきっかけとして霊道を開き、彼女の守護霊から結婚の相手が中川隆(大川隆法)であることを告げらる。
中川も同じ事(恭子と結婚する)を指導霊から言われ、1回目のデートできょう子と隆法は婚約した。その後三男二女をもうける。
きょう子は副総裁、総裁補佐、アフロディーテ会会長、名誉立宗補佐、名誉相談役、幸福実現党2代党首を経て、その後教団から永久追放されている。
処分の理由としては、「三宝帰依違反、和合僧破壊の罪、在職中における教団に対する多大の人的・経営的損失の責任、複数の週刊誌を用いた教団に対する様々の名誉毀損・虚偽の風説の流布行為、数々の言葉で神聖なる信仰の対象 主エル・カンターレを汚した行為、霊言・霊示への愚ろう行為、
神聖な霊言に名誉毀損なる言いがかりをつけた行為、教団財産の詐取を企図した行為等による」と発表されている。
以前は、大川きょう子の前世は「ナイチンゲール」「文殊菩薩」「アフロディーテ」であると教団では説かれていたが、現在は聖書に出てくる「ユダ(裏切り者」)とされている。
きょう子は2011年、教団と夫に対し、名誉毀損で1億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。なお、東京家裁に対して離婚調停も起こしていた。
追放の原因は「夫の女癖の悪さ(常時6?7人の愛人を囲う)に妻が呆れたこと」や「妻の亭主いびりと幹部に対する罵倒等のいじめ」であるとする説もある。
大川隆法は2012年、29歳年下で教団職員の近藤紫央(現:大川紫央,総裁補佐)と再婚。
幸福の科学では、「エル・カンターレ」を自称する大川隆法を信仰の対象としている。
エル・カンターレとは「地球系霊団の最高大霊」、仏教で説く「久遠実成の仏陀や法身仏と呼ばれる存在、神々の師である釈迦大如来」を意味するとし、それが地上に大川隆法として現れたと主張している。
さらにインドの釈尊などはエル・カンターレの「意識の一部分」であり、大川隆法は本体意識であるとしている。
本尊は大川隆法の写真であり、信者たちはこれを祀って拝む。
根本教典は、大川隆法が啓示を受けて自動書記したとされている「仏説・正心法語」。
その他、「太陽の法」「黄金の法」「永遠の法」の三部作や、「釈迦の本心」「真説八正道」「仏陀再誕」など数百冊の出版物を教義の基本書としている。
また、大川隆法は「日蓮」「高橋信次(GLA創始者)」「空海」「キリスト」「天照大神」「ソクラテス」「釈尊」「孔子」「モーセ」「親鸞」「ノストラダムス」「ニュートン」「道元」「出口王仁三郎(大本教創始者)」「日蓮大聖人」などから霊言を聞いたとして、霊言集を順次出版している。
父・善川三朗が関わっていた「GLA総合本部」や「生長の家」の信者からも入会者が多く、GLAの高橋信次の霊言集は16回、生長の家の谷口雅春の霊言集は4回発刊されている。
105:
幸福の科学(Happy Science,HS) その3
教義としては次のようなものが挙げられる
・二十次元論(20次元論)
一般的な「線の一次元、平面の二次元、立体の三次元」という数学的概念に、独自に「精神」「真理意識」「菩薩界」「慈悲」などを足して「大宇宙の根本仏は二十次元以上の存在である」というもの。
・四正道
教団は「正しき心の探究をしていくところに、この世とあの世を貫く幸福が実現する」といい、「四正道(愛・知・反省・発展の探求)」がその具体的な方法であると教えている。
・エル・カンターレ・ファイト/エル・カンターレ・ヒーリング
教団の正会員になると、「エル・カンターレ・ファイト」と呼ばれる悪霊撃退の修法と、「エル・カンターレ・ヒーリング」という病気癒しの修法を執り行うことができる。
ヒーリングの場合、相手に向かって合掌した後、手を横に開いて頭の上に組んでから胸の前に突きだして「エル・カンターレ・ヒーリング」と叫ぶ。
教義の内容を編纂して、書籍や月刊「ザ・リバティ」等の雑誌(幸福の科学出版より発行)、経典、CD、DVD、ビデオ、劇場用映画、布教誌「ザ・伝道」などを刊行している。
幸福の科学出版は、映画「ノストラダムス 戦慄の啓示」「ファイナル・ジャッジメント」と、アニメ映画「仏陀再誕」「ヘルメス 愛は風の如く」「太陽の法」「黄金の法」「永遠の法」「神秘の法」を制作。
すべての映画の原作・製作総指揮は大川隆法、音楽は水澤有一である。
アニメ映画では、大川隆法の前世や彼をモチーフとした人物及びエル・カンターレ役を子安武人が演じており、他、伊藤美紀、銀河万丈などの有名声優が教団の映画に出演した。
政治団体の幸福実現党(Happiness Realization Party,HRP)は、2009年に結成され、同年の第45回衆議院議員総選挙で300小選挙区と11の比例区全てに候補者を擁立する方針を表明。337名の候補者を擁立したが、立候補者全員が落選した。
5度の国政選挙と全国各地の地方選挙に公認候補者を擁立しているが、選挙で国会議員を排出するに至っていない。ただ、2010年5月から12月まで参議院議員の大江康弘が入党しており、その間は国会に議席を確保していた実績を持つ。
106:
オウム真理教 
創始者:松本智津夫(麻原彰晃,グル,尊師)
設立年:1987年
本部所在地: 山梨県上九一色村/東京都港区南青山
信者数:1万人(+ロシアに3万5000人)
崇拝対象:シヴァ大神
教典:マハーヤーナ・スートラ/原始仏教講義/ヨーガ経典
かつて存在した麻原彰晃を開祖とする仏教系/原始仏教系/チベット仏教系の新興宗教団体。
「オウム(AUM)」とは、サンスクリットの呪文「?」のことである。
1996年に宗教法人としての法人格を失ったが、活動を継続。2000年に破産に伴い消滅した。
同時に、新たな宗教団体「アレフ」が設立(下記参照)され、教義や信者の一部が引き継がれた。
1955年、松本智津夫(麻原彰晃)は熊本県に生まれる。
生まれつき左目が見えず、右目も弱視だった智津夫は、鍼灸師(しんきゅうし)の資格を取り、22歳の時に上京。
鍼灸のアルバイトをしながら予備校に通い、東大を経て政治家になることを夢見ていたが、受験に失敗する。
78年、23歳の時に石井知子と結婚し、千葉県で鍼灸院と薬局を開設。
この頃から松本は、運命学(気学・四柱推命)を学び、その後は神仙術である仙道に凝り、また「GLA総合本部」の高橋信次の著作などを読む。
81年、松本は健康食品と漢方薬を扱う「BNA薬局」を開業したが、翌年にミカンの皮を使った偽物の薬を販売したことで薬事法違反で逮捕され、20万円の罰金刑を受ける。
この頃に「クンダリニー覚醒」というヨーガの独自の修法により神秘の力に接する体験をする。
当時、松本は桐山靖雄の「阿含宗」に入信したが、85年に脱会する。
84年、松本は、東京都渋谷区にヨーガの教室「オウムの会」を開く。同年5月、「株式会社オウム」を設立。
86年、「オウム神仙の会」と改称する。この頃、オカルト系雑誌の「月刊ムー」「トワイライトゾーン」が、このオウムの会を日本のヨガ団体として取材、写真付きの記事を掲載していた。
この写真は「座禅を組んだまま跳躍する」もので、後に教団が言う「ダルドリー・シッディ(空中浮揚の原型)」とされる。
また、「天から降りてきたシヴァ神から、シャンバラ(理想郷)王国を築けと啓示を受けた」などとも言い始める。
当時、松本家一家は千葉県船橋市に住み、貧しく家族全員で1つの寝室を共有していた。
この家には「瞑想室」があり、宗教画が掛けられ、棚には仏像が置かれていた。麻原は日に1度は瞑想室にこもり修行をしていた。
棚の前にはちゃぶ台があり、麻原はそれを祭壇と呼んでいた。「形は重要じゃない。心が重要なんだ。私にとっては」というのが麻原の口癖だった。教団が大きくなってからも、麻原はそれを祭壇として使っていた。
86年頃には麻原が世田谷区の道場に住み込むようになり、ほとんど家に帰らなくなる。たまに麻原が帰宅すると3人の娘たちが大喜びで玄関まで走って行き、姉妹で父を奪い合うような普通の家庭であった。
妻の松本知子は、麻原が滅多に帰宅しないことから精神不安定であり、麻原に向かってなじる様ないさかいがあったが、麻原はほとんど抵抗しなかった。
3女の目には知子が麻原の宗教を信じているようには見えなかったが、知子は麻原の著書の代筆を深夜まで行っていた。
当時、麻原は家族とともに発展途上国を中心によく旅行をしたが、子供に向かっては「世界には食べ物を食べられない子も、屋根のあるところに住めない子もいるんだ。食べ物を粗末にするのはやめようね」などと諭してりしていた。
オウム神仙の会で麻原は「インド・ヒマラヤ山で修行中、最終解脱者(げだつしゃ)となり、超能力を身につけた」と言い、「世界で一番安全で、世界で一番確実で、宇宙で一番スピーディーな超能力開発法」
などのキャッチフレーズで若者を急に取り込んでいった。
また、麻原は自らをヒンドゥー教の最高神の一柱である「シヴァ神」あるいはチベット密教の怒りの神「マハーカーラ」の化身だとも説いた。
本部を世田谷に移転した麻原は、それを機に「出家制度」を採用し、弟子たちに厳しい修行を課すようになり、組織自体も従来のサークル的なものから閉鎖的なものに変質していく。
87年、オウム神仙の会を改称し、宗教団体「オウム真理教」を設立する。また、静岡県富士宮市に総合本部道場を開設。
「真理教」は「天理教」にちなんだもので、命名には京都の私立探偵「目川重治」が関わっているされている。
麻原はチベット亡命政府の日本代表であったペマ・ギャルポと接触し、その助力によって、87年2月ならびに88年7月、ダライ・ラマ14世とインドで会談した。
麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、オウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した。
同年、富士山総本部に来ていた在家信者が修行中に死亡。遺体は護摩壇で焼かれた上、上九一色村の精進湖へ遺棄された。(「在家信者死亡事件」)
107:
オウム真理教 その2
この頃より麻原は体調を崩すことが多くなり、「もう死のうかな」などと洩らすようになる。
3女は、麻原には解脱者が多くなりオウム真理教が世界宗教へと変貌し救済ができるとの真剣な思いがあったが、弟子の修業が思うように進まず、人間界が救われないという否定的な認識が芽生えたと見ている。
89年、宗教法人としての認可を得た後、日本全国各地に支部や道場を設置。ロシアやスリランカなど海外にも支部を置いていた。ロシアでは優秀な演奏者を集め「キーレーン」という専属オーケストラを所有、布教に利用した。
同年、教団最初の殺人事件、「男性信者殺害事件」発生。
同年、「坂本堤弁護士一家殺害事件」発生。
1990年には「真理党」を結成して第39回衆議院議員総選挙へ麻原と信者24人が集団立候補する。
信者が麻原のお面やガネーシャの帽子をかぶり、「彰晃マーチ」など教祖の歌を歌うといった派手なパフォーマンスなど奇抜な活動が注目を浴び、修行の様子なども雑誌やテレビで報道され、徐々に知名度が上がっていく。
選挙は全員落選し、最も得票の多かった麻原でさえ1783票であり、
惨敗を受け麻原は「票に操作がなされた」と発言し、「国家権力により弾圧を受けている。これからは武力で行く」と説いていた。
この選挙がオウム真理教の被害者意識をより一層高めたとされる。
同年、「日本シャンバラ化計画」(「聖なる空間」を広げることによって「聖なる人々」を育む)を実行すべく熊本県波野村に進出するが、地元住民の激しい反対運動に会い、国土利用計画法違反事件で強制捜査を受ける。
結局波野村はオウムが5000万円で手に入れた土地を9億2000万円で買い戻すことで合意。オウムの大きな資金源となる。
こうした一連の動きが、オウム真理教の被害者意識を高めたという指摘が多い。
教団は1991年を「救済元年」とし、マスメディアを中心とした教団活動を活発化させた。麻原が盛んにテレビ・ラジオ番組に露出し、雑誌の取材を受けたり著名人との対談などを行った。
93年、漫画家の小林よしのり、幸福の科学総裁の大川隆法、衆議院議員の小沢一郎・細川護熙、タレントのデーブ・スペクターなどの暗殺を計画するも失敗。
同年、「オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件」発生。遺体は幹部らによって遺棄される。
同年、山梨県上九一色村の「第7サティアン」において、サリンプラントを建設を開始。
同年、「池田大作サリン襲撃未遂事件」発生。
1994年と1995年には特に多くの凶悪事件を起こす。
94年、
「薬剤師リンチ殺人事件」「宮崎県旅館経営者営利略取事件」「滝本弁護士サリン襲撃事件」
「松本サリン事件」「オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件」「50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件」
「江川紹子ホスゲン襲撃事件」「駐車場経営者VX襲撃事件」「ピアニスト監禁事件」「会社員VX殺害事件」
95年、
「被害者の会会長VX襲撃事件」「公証人役場事務長逮捕監禁致死事件」「地下鉄サリン事件」「村井秀夫刺殺事件」「東京都庁小包爆弾事件」
また、94年?95年にかけて旧ソ連製のAK-74を密造する(「自動小銃密造事件」)。
当時のオウムでは布施の強化が図られ、いったんは脱会した信者に対しても接触が強まり、ハルマゲドン思想などを説くようになる。
LSD(非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤)を使った「イニシエーション」(費用100万円)を出家信者のすべてが受けさせられた。
LSDによるイニシエーションは麻原自身も試している。
サティアンには独房が造られ、教団に対し疑問を持つ信者に対しては独房に閉じ込め、一日中、麻原の説法テープを聞かせ、暴れたり精神状態がおかしくなる者も続出した。
実家へ帰ろうとした信者が数人がかりで押さえ込まれ独房に入れられる行為も日常茶飯となった。
「信徒用決意」という書類が作られ、そこには信者が行うべき行動指針が記されたが、財産を教団に収める布施が強調されるようになった。
麻原は、「泣こうがわめこうがすべてを奪いつくすしかない」「身包み剥ぎ取って偉大なる功徳を積ませるぞ」「丸裸にして魂の飛躍を手助けするぞ」などの激しい言葉で強引に金を集めるよう命じた。
https://youtu.be/YZEXOhpLd2E
108:
オウム真理教 その3
林郁夫によって開発された儀式「ナルコ」は、「チオペンタール」(アメリカでは薬物による死刑執行時に意識を無くす薬物として使われる催眠薬)を使い、意識が朦朧としたところで麻原に対する忠誠心を聞き出すもので、
麻原はしばしば挙動のおかしい信者を見つけると林にナルコの実施を命じた。
また、信者達の行動を監視するよう命じ、信者が自分の仕事の内容を他の信者へ話すことを禁じ、信者同士が互いに監視しあい、密告するよう求めた。
林は信者に「ニューナルコ」と呼ばれる薬物を併用した電気ショック療法を使い始め、拉致してきた女性にチオペンタールを使い「あなたはどうしてここにいるのか」と聞くと「拉致されてきた」と答えたため、
開発した電気ショック機器で100Vの電気ショックを与えている。この際には3度目の電気ショックで効果が「確認」され、女性は「分からない」と答えた。
麻原は妻・知子の他にも、「石井久子」、「タントラギーター」「スメーダー」「イシュタ・ヴァジリニー」「マハームドラー・ダーキニー」(それぞれ本名不明)などの愛人がいた。
4女の著書によれば、教団内に愛人は約100人おり、夜毎尊師の部屋には彼女たちが入れ替わり立ち代り呼ばれたが、その際に妻の松本知子は部屋の前で落ち着きなくうろうろしていた。女性信者を誘う際「今度、特別なイニシエーションがあるから」と称していた。
麻原は知子との6人の子の他に、9人の子を作ったとされている。
95年、警視庁は全国教団施設の一斉捜査を決めた。
しかし事前に捜査の情報を入手したオウム幹部は警察の目を逸らすため、東京で大事件を起こすことを計画、「地下鉄サリン事件」を実行する。
事件の2日後には、上九一色村の教団本部施設へ一斉捜索が行なわれ、サリン等の化学兵器製造設備、細菌兵器設備、散布のためのヘリコプター等が見つかり、オウム真理教の実態が明らかになった。
以降、幹部クラスの信者が続々と逮捕され、95年5月には麻原が教団施設で逮捕される。
2000年、教団は破産管財人からオウム真理教の名称の使用を禁止されたため、上祐史浩を代表として宗教団体「アレフ」へと名称変更する。
<教義>
オウム真理教の教義は、「原始ヨーガ」「原始仏教」を根本とし、「パーリ仏典」を土台に、「チベット密教」や「インド・ヨーガの技法」を取り入れている。
「宗教は一つの道」として、全ての宗教はヨーガ・仏教的宇宙観の一部に含まれると説く。
例えばキリスト教の創造主としての神は「神聖天」とされる。
オウム真理教の中では「儒教」「道教」「キリスト教」「ゾロアスター教」などありとあらゆる宗教・神秘思想を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。
オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。
・最終地点まで導く「グル(霊的指導者=麻原彰晃)」の存在
・無常に基づく正しい教義
・その教義を実体験できる修行法
・その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在
・修行を進めるためのイニシエーションの存在
オウム真理教では、修行による苦悩からの解放を説き、無常である欲望・煩悩から物理的に超越することを「解脱(げだつ)」、精神的に超越することを「悟り」と呼ぶ。
「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という、仏教の無常観に即した麻原の言葉に象徴される。
逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、「ニルヴァーナ(涅槃,煩悩破壊)」である。
また、そこに留まることなく、更に全ての魂を苦悩から解放し、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによって、
自身も絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の「マハーニルヴァーナ(大完全煩悩破壊)」、あるいはマハーボーディニルヴァーナ「(大到達真智完全煩悩破壊)」へと至る。
ちなみに、仏教では煩悩は破壊出来ない。
オウム関連でよく目にする「ポア」という言葉は、ヨーガの用語で「意識を高い世界へと移し替えること」と定義されていた。
死の際の意識の移し替えが狭義のポアとなるが、転じて、「積極的に(実際に)死をもたらし、より高位の世界へ意識を移し替え転生させる」ということもポアと呼ばれ、
これが「「ポアなる言葉の下に殺戮を正当化する」と検察側が主張する根拠となっている。
麻原は自らの出版物を通して、多くの前世を持つと以下のものを称していた。
「徳川家光」「意識堕落天(阿修羅界)の宗教上の王」「チベットのタントラ修行者」「有能神」
「ナーガ(蛇神)の国の王」「欲界の王」「夜摩天の王」「光音天の魂」「神聖天界の王」「除冷淡天の王」「カッサパ仏の弟子」など
109:
アレフ(アーレフ,Aleph)
創始者:なし(オウム真理教から改称)
設立年:2000年
本部所在地:東京都足立区
信者数:1000人
崇拝対象:不明
教典:不明
オウム真理教からアレフと改称して発足した団体。
2003年、「アーレフ」に改称、08年には「Aleph(アレフ)」に改称した。
アーレフないしアレフとはヘブライ文字の第一文字「 ? 」の名称である。
日本では宗教法人として認証されていない。
1999年、オウム真理教の幹部・上祐史浩が広島刑務所を出所し、教団に復帰した。
2000年に新団体「宗教団体・アレフ」が発足され、教団の活動はアレフへと移行した。
教団はオウム新法の観察処分に処されることになった。
アレフの初代代表には、麻原逮捕後からオウム真理教代表代行を勤めてきた村岡達子がそのまま就任した。
上祐は教団復帰直後において役員にならなかったが、唯一の「正大師」という立場を背景に実権を握った。
2001年、「旧宗教法人問題担当」として役員に就任したのち、02年に正式にアレフ代表に就任する。
上祐は、組織防衛のために「麻原外し」路線を推進、麻原を「開祖」「尊師」ではなく、「旧団体代表」と定義し、麻原の肖像を本尊とすることを禁じた。この方針に、麻原を崇拝する多くの信者が反発することになった。
03年、びっくりドンキー等を経営する「株式会社アレフ」との誤認を避けるため、団体名を「アーレフ」に改称。
03年夏頃になると、上祐の路線に対する不満が顕在化し、同年10月に上祐は「修行に専念(事実上の失脚)」することになり、教団の運営は旧長老部の手に移ることになった。
07年、上祐は新団体「ひかりの輪」を設立し、アーレフから完全に脱会した。
上祐派脱会後に教団内では麻原信仰が強化され、麻原彰晃を「教祖」「グル」として信仰し、教育していく旨の教団幹部の発言や、アレフ発足時に封印したはずの「タントラ・ヴァジラヤーナ」や「ポア」について麻原が説法するビデオが教材として用いられている様が報じられた。
08年、教団名を「Aleph」へ改称。新体制発足により、活動方針には「麻原回帰」の傾向がみられるとして公安当局は警戒しているという。
110:
卍教団
創始者:真木応瑞
設立年:1948年
本部所在地:福岡県久留米市西町新金丸
信者数:不明
崇拝対象:金剛界曼荼羅/胎蔵界曼荼羅
教典:大日経
1907年、真木応瑞は福岡県福岡市に生まれる。
真木は13歳のときに出家し、仏門に入った。
戦前は政治活動に熱中し、乍ら(ながら)四国へ遍路修行を重ねる。
43年、「新義真言宗大本山誕生院」の院代となる。45年、東京大空襲に僧としての身分に戻る。
終戦と同時に真木は「一三宗五六派を解体仏教の原点釈迦に還れ」と既存仏教の中央集権的な組織の仕組みを否定する。
新義真言宗始祖の興教大師覚鑁から「霊告」を受け、48年に「卍教団」を立教。
卍教団の「卍」の意味は、「Light(光明)」「Love(聖愛)」、「Life(生命)」、「Liberty(自由)」の4つの「L」が合成したものである。
なお、卍=万(悉曇文字)であり、功徳円満の意味もあるという。
教義として、合掌するだけで成仏できる「身業一密」という考えをもつ。
音楽で洗脳する無法者宗教バンドを自称するバンド「卍教」とは関係がないと思われる。
111:
法の華三法行 (ほうのはなさんぽうぎょう,天華の救済,よろこび家族の和)
創始者:福永輝義(福永法源,国司院常照)
設立年:1980年代
本部所在地:静岡県富士市
信者数:不明(ピーク時10万人)
崇拝対象:不明
教典:不明
町工場を経営していた福永は、同社倒産を期に1980年頃、埼玉県川口市に「億万長者養成道場」「右脳塾院」「人間社長塾」等の看板を掲げて自己啓発セミナー事業を本格化。
参加者を肉体的・精神的に疲労させ、「最高です!」などの単純なスローガンを連呼させるマインドコントロール手法を用い、週刊誌にタイアップ記事を打ったり、ワイドショーの取材を受けるなどして教勢を拡大した。
87年に宗教法人認証を受け、静岡県富士市に「天声村」と称する本部研修場を建設して移転し、「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」本部に隣接する渋谷区松濤にも豪華な施設を構えた。
自分たちは「宗教を超えるもの」として「超宗」を自称し、都内の東海道新幹線や首都高道路沿いに「天行力」の大看板を掲げ、テレビやラジオで放送枠買い取り番組を流したり、
著書の広告を四大新聞に打つなどして知名度を上げていった。
95年に東京ドームで「天行力大祭」を挙行した最盛期には、公称信徒数10万人を豪語した。
福永は複数のディプロマミル(金で肩書きが買える組織)から名誉博士号を購入して以降、「環境問題専門家のエコロジスト」とも名乗り出し、著名人(マザー・テレサ/ビル・クリントン/サイババ/アグネス・チャン/吉村作治ら)
との会談を、機関紙「ゼロの力学」「さくら新聞」「アースエイド」「エコボイス」等に連載、売名活動に勤しんだ他、「マルタカ」等の実業部門も運営した。
「天の気は頭から入って足から抜ける」との独自仮説による「足裏診断」と称する個人面談において、「前生の悪い因縁を放っておくとガンになる」「このままでは2001年に人類は滅亡する」等と、マニュアル化された脅し文句で信者の不安を煽り、
仏舎利(キリストの骨も)や福永の手形色紙等を売り付けた他、
「法納料」の名目で多額の金銭を巻き上げた行為が詐欺罪に問われ、2000年に教組の福永と、
実質的経営者だった福永の母の井本房子、教団ナンバー2の星山康天こと李康天を含む、幹部のほぼ全員に当る12名が摘発された。
被害総額は600億円以上に達し、事件発生当時には豊田商事事件に次ぐ大型詐欺事件であった。
翌01年に教団は破産宣告を受け、宗教法人としても解散処分を受けた。
03年に破産手続終結の決定をもって消滅した。
2011年に一部幹部が大元の流れを汲んだ団体「天華の救済」を立ち上げ活動を行っており、「天華の救済」公式サイトで法の華三法行との関係性を認めている。
また、「よろこび家族の和」という団体も後継といわれている。
112:
クリシュナ意識国際協会(International Society for Krishna Consciousness,ISKCON)
創始者:A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ
設立年:1966年
本部所在地:アメリカ(日本:東京都江戸川区船堀)
信者数:不明
崇拝対象:クリシュナ(ヴィシュヌ神の化身)
教典:バガヴァッド・ギーター/シュリーマド・バーガヴァタム など
略称は「ISKCON(イスコン)」。
1966年にクリシュナ(インド神話の英雄)を愛するのインド人宗教家A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダが、世界布教のために立ち上げた団体である。
資金はなく後援者は見つからなかったものの、ある船会社のオーナーの善意により、無料でアメリカ合衆国に渡ることができた。
ニューヨークに到着したプラブパーダは、やがてイースト・ヴィレッジにて若者を対象に布教を開始する。プラブパーダは新しい人生のスタイルを求める彼らにこそクリシュナ意識を伝えるべきと考えた。
66年の春に小さな寺院を開いた。彼らは後にヒッピーと呼ばれるタイプの人びとであった。
看板には「クリシュナ意識国際協会」と書かれ、同年7月には免税宗教法人として認められた。
夏頃になると、旧来のアメリカの価値観に代わるものを求める何千人もの若者がイースト・ヴィレッジに集まっていた。
プラブパーダは「進化論」を否定し、チャールズ・ダーウィンを「愚か者」と教典の解説に書いている。
人間として生まれてきたことを幸運に思い、クリシュナ意識を理解すること、あるいは神を愛するということを実践しなければ、輪廻転生は必須となり、次の生が犬や豚、あるいは更なる下等生物になってしまうと教典から指し示している。
他宗教に対しては融和的であり、その価値を認めているが、神を愛することが前提であると説いている。無神論者である科学者には容赦がない。
プラブパーダは、イエス・キリストをクリシュナの息子であり、ヴァイシュナヴァであると法話の中で語っている。
「ビートルズ」がインド音楽やインド宗教に傾倒した際、ジョン・レノンやジョージ・ハリスンはプラブパーダと接触し、ハリスンは出版のために資金援助を行い、書籍のまえがきで
「神は多くの名をお持ちです。アラー、ブッダ、エホバ、ラーマ、全てがクリシュナです。全ては一つです」と書いている。
布教先は現在世界中に及んでおり、彼が「バガヴァッド・ギーター」を訳した「バガヴァッド・ギーター あるがままの詩」も世界中で刊行されている。
クリシュナ意識国際協会では菜食主義が実践される。ただし信徒はベジタリアンではなく、クリシュナが許可したものを食べるので、クリシュナンであると語っている。
プラブパーダは、「人間は動物を食べる存在として創造されたのではない」とも述べている。
教義としては、「クリシュナを最高人格主神として認め、を教典を通してグル(師)を通してヴェーダ文献を学ぶ。ヴェーダや他の教典の記述を、歴史的事実とする。」
自発的な行いが求められる戒律は、
「不正な性行為はいけない(結婚後月に1度)」→望まれずに生まれた子供は親や社会を恨み、凶悪な犯罪を行うため
「ギャンブルはいけない」→賭け事は大きな金額が一瞬のうちに手に入ったり失ったりする。そのことによって無用な争いを生み、殺し合いを始めるため
「陶酔物の摂取はいけない(酒・たばこ・ドラッグ・カフェイン)」→争いを生むため
「肉食はいけない(肉・魚・卵)」
113:
クリスチャン・サイエンス(キリスト教科学,東京第一科学者キリスト教会)
創始者:メリー・ベーカー・エディ
設立年:1879年
本部所在地:アメリカ・マサチューセッツ州ボストン市(日本:東京都渋谷区神宮前)
信者数:不明
崇拝対象:イエス・キリスト
教典:聖書/メリー・ベーカー・エディの著書
キリスト教系の新宗教。「科学者キリスト教会」あるいは「キリスト教科学」と称されることも多く、またニューソートの一派として扱われることもある。
ニューソート(New Thought,新思考)…19世紀アメリカで始まったキリスト教における潮流のひとつ。現世利益の追求を戒めるプロテスタント系のカルヴァン主義への反発を背景に生まれた。
「人間の意識は宇宙と繋がっている」と考え、その根拠を聖書に求める思想が主流である。
「そもそも"原罪"は存在せず、あらゆる人々がキリストの力を内包している」「正統的宗教哲学は数百年間過ちを犯し続けてきた」といった主張を展開している。
「生長の家」の創設者・谷口雅春が「光明思想」と訳しているように、気持ちを明るく保つことによって運命が開けるというポジティブ・シンキングや、日本でも著作がベストセラーになったイギリス出身の牧師ジョセフ・マーフィーの「成功の法則」などもニューソートの一環であり、
いわゆる「成功哲学」「幸運(引き寄せ)の法則」の著者の多くがこれに属する人々である。
(「生長の家」がニューソートの最大団体だといわれる。)
メリーはニューハンプシャー州に生まれた。
生まれつき病弱であったことから様々な民間療法を経験したが、ニューソートの創始者であるフィニアス・パークハースト・クインビーの「暗示療法」を経験したことが、その後の彼女の宗教面において影響を及ぼす。
1866年に事故で負傷した際、新約聖書に記されているイエスの癒しの一つを考えるうちに回復に向かったということから、それに霊感を受けて彼女自身で聖書の研究会を立ち上げた。
1875年に「Science and Health with Key to the Scriptures」(「科学と健康──付聖書の鍵」)を著し、「全ての病気の原因は心的なものであり、人間の病気の本質は心の中の虚偽や幻想から起こる」とし、
それを取り除くためには神とつながる霊的理解によらねばならぬと唱えた。
1879年にクリスチャン・サイエンスを設立すると、マサチューセッツ州の、主に工場労働者を中心にこの運動を組織化、1892年、「母教会の第一科学者キリスト教会」が設立され、世界各地に支教会が数多く設けられた。
<教義>
・聖書、メリーの著書を活動の指針としており、牧師やシスターはいない。
・実証(癒し)のない教えではない。実証のために、実践士が世界各地にいる(キリスト教科学の実践士は、祈りによる癒しの仕事に全時間を捧げており、誰でもその助けを求めることができる)
<簡単なQ&A>
Q.神とは何か?
「神は、"生命"、"真理"、"愛"である。真理は実在であり、誤りは非実在である。神の同意語であるもののみが、真の実質である。」
Q.人とは何か?
「人は愛の理念であり、映像である。人は神の複合理念であり、正しい理念をすべて含んでいる。神の映像・似姿を反映するもののすべての総称。人間の心、あるいは体の不調和は、すべて幻想であって、実在性も本体もないのに、実在で本体性があるように見えるものである。
神はどこにでも存在し、神から離れては何も現存せず、力を持たない。」
114:
セブンスデー・アドベンチスト教会(Seventh-day Adventist Church, SDA)
創始者:エレン・G・ホワイト
設立年:1863年
本部所在地:アメリカ・メリーランド州シルバースプリングス(日本:横浜県横浜市旭区上川井町)
信者数:1000万人
崇拝対象:イエス・キリスト
教典:聖書
教会ではなく「教団」と呼ぶ時もある。名称の"セブンスデー"は「週の第7日の安息日」を、"アドベンチスト"は「キリストの再臨を待ち望む者」を意味することから、「第7日安息日再臨派」とも呼ばれている。
キリストの十字架による「贖罪(しょくざい)死」(人類の罪を背負った死)を信じる信仰によって救われるという立場をとり、十戒を現在も守るべきものと解釈する。
キリスト教大辞典では、「プロテスタント」でも「異端(やキリスト教系の新宗教)」でもないと位置付けられている。(教界では議論がなされている)
1800年代初期に、いわゆる「ある程度聖書に詳しい人々」の集まりから始まった。
1800年代前半に北米で起こった「(主・イエスの)再臨待望運動」を源としている。
中心人物であるウィリアム・ミラーが1843年にイエス・キリストの再臨の日を特定して予告したが、実現しなかったので翌年また特定しなおしたが、どちらも実現しなかった。
ミラーの支持者であるエレン・G・ホワイト夫人が「第7日目安息日(土曜日)を守らないことが実現できない理由である」と解釈して、土曜日を安息日にするという意味で、セブンスデー・アドベンチスト教会が発足した。
かつては律法主義的色彩が濃かったが、その後、福音主義的教義を受け入れる。発足当初からホワイトが中心になり組織を急に拡大し、ほぼ全世界で布教活動をしている。
天地創造は字義とおりの6日間で創造されたと解釈し、キリストの復活、昇天および再臨も字義とおりのものと解釈する。また、人間の死は、キリストの再臨の際の復活までの無存在の状態と解釈する。
伝統的なキリスト教と同様、キリストの処女降誕・神性・奇跡・贖罪死・復活と再臨の基本教義を堅持する。
しかし、聖書の基本教義の一つである永遠の地獄説を否定する。
また、この教会の教理には「霊魂消滅説」がある。
これは「再臨時に主が選ばれたものを呼び集める」というマタイ福音書24の部分を根拠に、
「人が死亡した時、霊魂がそのまま離脱し昇天してしまうと、主の再臨時とかみ合わず、人は一旦土に帰り、そして後の再臨時に土から主に呼ばれる」と言うのが教理である。
この解釈においては特に北米で高い評価を受けている。
発展途上国において支援活動を行っているADRA(アドラ)の働きでも知られている。
115:
末日聖徒イエス・キリスト教会(The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints,LDS,モルモン教)
創始者:ジョセフ・スミス・ジュニア
設立年:1830年
本部所在地:アメリカ・ユタ州ソルトレイクシティ(日本:東京都港区南麻布)
信者数:1000万人?1500万人
崇拝対象:イエス・キリスト
教典:モルモン書/聖書 など
キリスト教系の新宗教。通称は「モルモン教会」で、教典の一つである「モルモン書(The Book of Mormon)」に由来する。
アメリカでは「カトリック」「プロテスタント」「バプティスト」「メソジスト」などのキリスト教における六大宗派の一つとされている。(西方教会の総意かは不明)
一方で、独自の聖典(モルモン書)を持ち、また現代のキリスト教主流派が重要視する「三位一体」を否認していることから、カトリック・プロテスタント・正教会等では「異端」とされている。
西部への入植の歴史があることから、「開拓期を象徴する宗教」とも言われる。
アメリカ合衆国第10位の宗派とされる。
ジョセフ・スミス・ジュニアによれば、1820年、彼が14歳、当時激化した教派間の争いや矛盾に疑問を抱き、どの教会が真実であるかを神に祈り求めたところ、父なる神とその子イエス・キリストが現れ、言葉を交わしたという。
ジョセフによれば、イエスは「(既存の)いずれの教会もことごとく誤っているため、あなたはどの教会にも加わってはいけない」と告げ、イエス・キリストの教会を再び地上に回復するためにジョセフを預言者として選んだという。
イエスの回復が必要だったのは、イエスと12使徒の死後、神聖な儀式を行うための神権が地上から失われており、完全な教義や儀式も聖書の人の解釈によって失われていたからだとされている。
神権は1832年、イエスの弟子であるペテロ、ヤコブ、ヨハネがジョセフの元に天使として現われ、再び回復されてから現在まで受け継がれており、預言者による神の啓示は続いていると信じられている。
教典の名前である「モルモン(Mormon)」とは、古代アメリカ大陸に住み、当時の民の歴史を記録し、要約した預言者の名前であると信じられている。
ジョセフはこの書物を改良、エジプト文字から英語に翻訳したとされ、1830年に発行された。
<教義>
天の父なる神と、その子イエスと、イエスをキリストと証明する聖霊を信じ、神・イエス・聖霊はそれぞれ別の存在であり、人類の救いという目的のために常に一致して事をなす。(三位一体の否定)
アダムの咎は、神が与えた自由意志の結果であり、人類を生ずるために神の目に適った行いである。(原罪の否定)
この咎によって堕落が生じ、この世に不完全さと死がもたらされ、すべての人は自分の行いにより真理を学ぶ機会を与えられた。
人の救いに関しては、イエスによって全人類は最後の審判の日に相応に裁かれると信じている。
神の国(天国)に入る条件を拒絶した者(聖霊を汚した者など)は「外の暗闇(地獄)」に追い出される。
教団初期に「一夫多妻教義」が存在し、1950年頃まで黙認されていた事や、かつて存在した人種差別教義による「白人優位の思想」、ジョセフが独自解釈して教典としている「モルモン書の解釈の問題」などが批判されている。
また、世界に1000万人を超える信者がおり、敬虔な信者は正直に収入の10分の1を教会に寄付する(多くの宗教で献金は救いの絶対条件であると共に、現世的にも祝福があるとされている)ので、運用資産は2兆円を超えるといわれる。
116:
エホバの証人  その1
創始者:チャールズ・テイズ・ラッセル
設立年:1884年
本部所在地:アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク(日本:神奈川県海老名市中新田)
信者数:820万人
崇拝対象:エホバ神
教典:新世界訳聖書
キリスト教系の新宗教。「ものみの塔聖書冊子協会」などの法人が各国にあり、全世界で活動している。
崇拝の対象は「エホバ神」で、イエス・キリストは崇拝の対象とせず、三位一体・基本信条など他のキリスト教主要教義も否定する。このことからキリスト教では一般に異端とされる。
「エホバの証人」「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)「モルモン教会」(末日聖徒イエス・キリスト教会)を、「キリスト教三大カルト宗教団体」とする見方もある。
1870年、チャールズ・テイズ・ラッセルとその仲間が聖書研究会を創設。
79年、「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌(現:「ものみの塔」誌)を創刊。
84年、「シオンのものみの塔冊子協会」が宗教法人として認可される。
1932年、オハイオ州・コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称が採択される。(当時の訳は"エホバの證者")
それ以後、エホバの証人は自分たちのことを聖書研究者とは呼ばなくなった。
<教団の歴史観>
最初の「エホバの証人」はアベルであった。聖書中、アベルは神の「大勢の証人たち」の一人とされている。エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフもそのように呼ばれている。
古代イスラエル人は一国民として神に献身しており、彼らもまたエホバの証人と呼ばれた。
イエスはその生涯、神の教えを宣べ伝えた。イエスの死後、一世紀のキリスト教徒たちはイエスの「証人」となった。
西暦56年ごろ、最後の使徒であったヨハネの死後、背教が拡がり始めた。
背教したキリスト教徒たちがカトリック教会を形成した。
この背教の状態は1914年の「終わりの時」開始まで続くことになる。
117:
エホバの証人  その2
<教義>
・エホバ神を崇拝の対象とする。「エホバ」とは旧約聖書にみられる唯一神の名で、発音については議論がある。学術的にはヤハウェ、ヤーウェなどの表記・読みが好まれる。
・神の王国
1914年、天でイエス・キリストを王として設立された。エホバの証人が全面的に支持し到来を期待している新しい社会、またそれを実現する政府。
現在地上は統治していないが、近い将来に「ハルマゲドン」での宗教組織、政治組織などの一掃をもって開始される。楽園を回復する作業を行うのは、ハルマゲドンを生き残った者たちである。
・主な聖書解釈
神の名は「エホバ」である。イエスは神の子であり、神ではない。聖霊は「神の活動力」を指す。
エホバの証人は1世紀のクリスチャンの復興である。
人は死ぬと存在しなくなる。
悪魔サタンや配下の悪霊たちは、元々、み使い(天使)である。アダムとイブを欺いた張本人で、エホバに異議を唱えている。また、今でも人間社会や政府を背後で動かしている。
「王国会館」と呼ばれる集会所で週2回の聖書講演会や勉強会等が行われる。
エホバの証人は「国旗敬礼」「国歌斉唱」を行わない。
国旗への敬礼、国歌斉唱は、国家崇拝、また、偶像崇拝であるとする。
「彼らはその剣を鋤(すき)の刃に、その槍を刈り込み鋏に打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない」(イザヤ書2章4節)という聖書の記述に従い、兵役を拒否する。
兵役が義務化された国でも姿勢は変わらず、「兵役」か「処刑」かのどちらかの選択を迫られることもあったが、その場合にも処刑されることを選んだという。
「政治的中立」を主張している。王国政府(天の王国)のみに対する全面的支持の表明などを根拠とし、この世の政治活動に直接関与すべきではないという姿勢をとっている。
「血を避けるべき」とするいくつかの記述が聖書中にあるため、輸血禁止を禁じる。(キリスト教からは異論がある)
これにより女性信者の家族が手術中の輸血を拒否し、女性信者が死亡した事件がある。
2012年、エホバの証人の男性信者が当時9才だった少女に1年の間、性的虐待を加えているという通報を知りながら警察へ通報をせず、組織的な隠蔽があったという裁判で敗訴が確定し、約800億円以上の協会の資産の凍結を命じられ、賠償金22億円の40%を支払うように命じられた(教団は控訴している)
2015年現在、教会は通常通り運営されている。
フランス政府やベルギー政府をはじめ、エホバの証人をカルト教団(セクト)と分類しているケースがある。
118:
世界基督教統一神霊協会(せかい きりすときょう とういつ しんれいきょうかい,統一教会) その1
英名:The Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity
創始者:文鮮明
設立年:1954年
本部所在地:韓国・ソウル市/アメリカ・ニューヨーク(日本:東京都渋谷区松濤)
信者数:150万(国内50万人)
崇拝対象:天地創造の神
教典:原理原本/原理講論/天聖経 など
韓国発祥のキリスト教系新宗教であると自称する団体。
一般のキリスト教会にはキリスト教派とは認められていない。
文鮮明によって1954年に創設され、その後世界本部はニューヨークに移された。
日本では一般に「統一教会」または「統一協会」の名前で知られる。
初期には自ら「統一協会」と名乗っていたが、途中から「統一教会」に変更し、キリスト教会の一派を装っていると揶揄される。
日本においては特に1960年代後半から1990年代前半にかけて洗脳による入信、霊感商法などで有名になり、批判された。
文鮮明(ぶん せんめい/ムン・ソンミョン)は1920年、現在の北朝鮮にあたる平安北道定州郡で農家の二男として生まれた。
彼は若い頃から「混淫派」という新興宗教の熱心な信者となり、46年、混淫による社会秩序混乱の容疑で拘留された。
統一教会の「救世主との性行為によって肉体の原罪が清められる」という教義の核心部分はこの新興宗教からアイデアを得たものとされる。。
48年に信者の人妻との強制結婚現行犯で懲役5年の実刑判決を受け服役したが、服役中朝鮮戦争で進攻して来た米韓連合軍に「釈放」され、南朝鮮に逃亡した。
54年、ソウルにて「世界基督教統一神霊協会」を設立。
55年、「72時間説教」と称して女性信者を監禁、「私は神の子だから、私と肉体関係を持てば、あなたは救世主を産むことができる」として貞操を奪った
「梨花女子大事件」で逮捕されたが、陸軍保安司令部と政治取引をし、懲役を免れたと言われているなど当時からスキャンダルにまみれていた。
59年、日本でも世界基督教統一神霊協会を設立、64年には宗教法人の認証を受けた。
60年、当時女子高校生だった韓鶴子と(公式には)4度目の結婚をする。
75年、文鮮明が出した送金命令により、日本の統一教会はその全経費の9割以上にあたる年間約240億円を鮮明に送金しており、これは日本の統一教会信者に大きな傷跡を残した。
この資金は文一族の私腹を肥やす他、一部は日本での「国家機密法制定活動支援」や中南米の反共右翼ゲリラ支援などにも使われていたといわれている。
(84年に脱税と文書偽造の罪で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けた)
1968年に統一教会の下部組織として「国際勝共連合」を設立する。
71年には「神の直接の命令」を受けたとしてアメリカ合衆国に渡り、当時の朴正煕政権の使者として合衆国の国会議員買収工作や、リチャード・ニクソン大統領支援キャンペーン等に携わったとされる。
「メディアの影響力」に早くから注目し、75年には機関紙「思想新聞」を改称・発展させる形で機関紙「世界日報」を、
82年には「ワシントン・タイムズ」(ワシントン・ポストとは別物)をアメリカ合衆国で発刊。
2000年にはアメリカのUPI通信社を買収した。
これらの発行に必要な莫大な経費は、日本の統一教会信者による経済活動が大きな支えとなった。
78年に「世界言論人協会」を発足し、毎年、世界各国の報道関係者を招いて「世界言論人会議」を開いている。
79年に日本に来日したが、入国が許可されなかった(2年前の入国で難民法に触れたため)
文鮮明が入国できない国での運動を進めるため、妻の韓鶴子が表舞台に出るようになり、世界各地で講演を行っていた。
2012年9月、入院先の韓国の病院で死去。92歳没。長寿である。
統一教会では、文鮮明を「聖書に預言された再臨のイエス・キリスト(メシア/救世主)であり、全人類の父の立場にある」とし、「真のお父様」等と呼ぶ。
119:
世界基督教統一神霊協会(統一教会) その2
<日本の統一教会>
1958年、まだ交流のなかった日本での伝道のため、崔奉春(日本名:西川勝)を密入国させ、59年に日本統一教会を立ち上げ、64年に東京都の認証で宗教法人となる。
60年代初めには「立正佼成会」の庭野日敬会長の指示で、統一教会の教えを学んでいた立正佼成会青年部の信者50名ほどが統一教に転じる。(2年後に日本統一教会の会長になった久保木修己をはじめ、後に教団幹部となる者が出た)
日本において最初に問題になったのは「原理研究会」であった。
大学生の子どもの様子がおかしい、教会に寝泊まりしながら販売活動や募金活動・布教活動に奔走しており、家に戻れと言っても言うことを聞かず、原理研究会や統一教会の批判をすると血走った尋常ではない目で反論して来る、
果ては大学を中退し、合同結婚式(下記参照)に参加する等。新聞では「親泣かせの原理運動」と報じた。
67年、親たちが「原理運動対策全国父母の会」を結成し、教団本部に対し様々な項目を申し入れたが、効果はまるでなかった。
80年代からは「印鑑」「壷」「多宝塔」(神を祀る塔)「高麗人参濃縮液」等の販売の比重が高まり、マインドコントロールで一般の人を信者とし、霊感商法などで金をだまし取ると批判を浴びて社会問題化し有名になった。
合同結婚式
「文鮮明の血統を受けた者だけが無原罪の子を産むことができる」という性教義を象徴化した独自の儀式であり、1960年に行なわれた第一回3組の結婚式で文鮮明は3人の新婦と実際に性行為に及んだをしたといわれているが
、儀式の肥大化とともに「文鮮明と女性信者が手を重ね合わせたり聖水を受ける」等の形式に転じた。教団では「祝福」と呼ぶ。
1992年の「30000組国際合同結婚式」には、歌手で女優の桜田淳子を始めとする有名人が参加することが公になり、マスメディアで大きく取り上げられた。
日本統一教会は資金面でも、人材面でも世界の統一教会の重要な供給源になっている。
当時は文鮮明に年間約1億ドル(約240億円)の送金を行った。
また、信者は言葉も分からないまま外国へ送られ、「花売り」や「キャンデー売り」をさせられた。
さらに美人な女性会員を選び、それを動員して対米議会工作に当たらせたといわれ、元会員の証言では文鮮明が日本の女性会員を集めて「君たちを各国大使の貢ぎ物にする」と語ったことがあるという。
崔奉春(西川勝)は「日本宣教の父」と言われていたが、1987年に退会し、末端会員を「伝道」「募金」「経済」と称する金集めに駆り立てる教団のやり方を批判。
「私は信仰の道を行っても、絶対に自分の良心と理性だけは殺したくない」と語っている。
120:
世界基督教統一神霊協会(統一教会) その3
<教義>
「統一原理」と呼ばれ、旧約聖書、新約聖書などを元に文鮮明が書いた「原理原本」を用いる。
統一原理は、神が世界を創造した目的や法則を述べた「創造原理」、人間の罪の起源を説いた「堕落論」、神が創造しようとした世界を再建するための原理を説いた「復帰原理」の3部からなり、
「聖書」では比喩や象徴で表されていた真理を明らかにしたものとされる。
本質は血統転換である。罪の根は、サタン(堕落した天使長ルシフェル)と人類始祖イブとの性的関係である。
堕落によってサタンの血統になってしまった人類は、人類の真の父母として来られるメシア(救世主)によって、生み換えてもらわなければ神の血統に転換できないとされている。
具体的には女性は文鮮明との性行為によって清められ、無原罪の子を産むことができる、
また、教団の重要な教えの中に、公金を絶対に私的に使用してはならないという「公金の教え」、夫婦が絶対に貞節を守らなければならないという「貞節の教え」、人の心情を絶対に傷つけてはならないという「心情蹂躙の教え」がある。
「神と人を愛し、万物を愛し、地球環境を愛する」という精神から普段の生活は質素倹約とする。
原理原本の日本語版に欠落している内容として、
「日本は天照大神を崇拝して来た国であり、韓国こそイエスが再臨する国である」「世界の文明は韓国を中心として吸収融合されねばならない」「全ての民族は韓国語を使用せざるをえなくなる」
「第三次世界大戦で世界が統一される」などがある。なお、教団は「韓国人向けの事項」としている。
人を騙すことについて、「サタンのもとにある財産を神のもとに復帰するのだから決して罪にはならない」「嘘をついて売っても相手を救うことになる」と説く。
文鮮明は、「2012年までに全ての摂理を完成させることで、2013年には"天一国"が実現する」としている。
彼はこれまで、「1967年4月にキリストが世界に君臨」「1972年に共産主義が滅亡」「1985年までの3年間が正念場」「1986年?1988年までが日本で勝利する時」等と言っては会員を活動に駆り立てて来たが、全く予言通りになっていない。
また、予言通りにならないと、「神が95%を準備して下さったのに、人間が5%の責任分担を果たさなかったからだ」という説明がされてきた。
統一教会の財産を管理するために1963年、「世界基督教統一神霊協会維持財団」が設立され、多くの企業を擁している。
韓国では財閥の一つとみなされ、系列企業は「統一教グループ」と呼ばれ、どちらかとしては宗教団体より統一系企業の方が有名。文鮮明は事業家としてのイメージが強いという。
日本では「霊石愛好会」や「天地正教」といった仏教色の強い団体も作っていた。
近年はNGO、NPOなどのボランティア団体を通しての浸透を図っている。
統一教会は、オーストリア/フランス/ドイツ/ベルギー/中国共産党などからカルト教団(セクト)として分類されている。
121:
キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission,GGM, 摂理(せつり))
創始者:鄭明析(チョン・ミョンソク)
設立年:1980年
本部所在地:韓国・ソウル市
信者数:15万人(国内2000人)
崇拝対象:イエス・キリスト
教典:不明
韓国発祥のキリスト教系の新宗教。韓国では「ジーザス・モーニング・スター(Jesus Morning Star,JMS)と呼ばれ、日本では「「摂理(せつり)」として知られている。
教団名は「愛天教会」から始まり、「明星教会」、「韓国大学生宣教会」、「世界青年大学生MS連盟」、「国際クリスチャン連合」、
「Jesus Morning Star」、「キリスト福音宣教会」、等に次々と改称している。
信者の半数は学生といわれる。
教祖の鄭明析(チョン・ミョンソク)は2001年、韓国での女性信者に対する性暴行容疑などでインターポールから国際指名手配を受け、2007年に中国にて逮捕されるが、犯罪の嫌疑なしとして韓国の裁判所に送還された。
鄭明析は1945年、韓国中部に生まれる。幼い頃からキリスト教(プロテスタント・長老派)の信仰を持っており、日曜学校に通っていた。
66年、68年の2度にわたりベトナム戦争に参戦して得た資金を教会の建設に出資している。
75年に「統一協会」に入信。このため、鄭の教えは統一教会のものと似通っている。2年後の77年に脱退する。
78年、ソウルの西大門区において宣教を開始。80年、キリスト教・プロテスタント系新宗教「愛天教会」を設立した。
83年にはキリスト教・メソジスト派の神学校に通い、牧師の按手を受けた。
その後、愛天教会は「韓国大学生宣教会」「世界青年大学生MS連盟」「国際クリスチャン連合」「キリスト教福音宣教会」などの変遷を経て、現在に至る。
<教義>
教理として「30個論」というものがある。これはキリスト教の教義を批判し、「鄭明析がイエス・キリストの再臨の役を受け持っている」という内容である。
最も秘匿とされる講義では、鄭がメシアであることを、ピタゴラスの創設した占術である「数秘術」を用いて証明する内容であると信じられている。
教祖に会わなかった者たちは天国に行かず、また彼を裏切る者は重大な罪を犯すことになると警告している。
鄭は、自身が「三位一体」(神・イエス・聖霊)の復活の歴史を終わらせるために存在していると説き、自分が現代のメシアであり、全人類を救済する責任を負っていると断言する。
キリスト教の教義である「肉体的な復活」は虚偽であるが、人類は教祖によって救われうると主張している。
また、30個論のうち9つは統一教会の教典である「原理原本」に酷似しているとされる。
(原罪は教祖との性行為により打ち負かすことができることなど)
飲酒は「霊が死ぬ」として禁じられている。
122:
キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission,GGM, 摂理(せつり)) その2
宣教方法として、「一人が一人を布教しよう」というスローガンを掲げており、布教の実績をメンバー同士で競わせている。
勧誘は、宗教性を隠した大学のスポーツや音楽等の偽装サークル等で行われている。
日本においては「東京大学」「東京外国語大学」「早稲田大学」などで大学生の信者を獲得したが、宗教団体であることを隠した悪質な信者勧誘や、脱会希望者への執拗な引き留め行為が問題視された。
献金の特徴として、社会人の場合は月給の10分の1を献金し、ボーナスがあればボーナス献金を要求されるようだ。
教祖・鄭明析との面談中に性的な行為を受けたという証言が多数の女性信者から出ている。
韓国の脱会支援団体によると、教団内の事案を合わせると韓国国内で1万人、日本国内でも100人以上(10人?15人に1人)に起こったとされる。
「他の信者には内緒で鄭との面談に呼ばれる」→「裸になり横になるよう指示される」→「キス、胸や下半身を触られ、行為に及ぶ」→ 「行為中は日本語で"ダイジョウブ、ダイジョウブ"と言われる」
→「シャワーヘッドを外したホースで下半身を強く洗浄される」 →「服を着て退室させられる」→「次の信者と交代する」という流れであるという。
秘密を話したことが分かると、幹部が他の信者に「あの子は嘘つきだから接触するな」と指導する。
教団では、鄭明析との関係が近いことは絶大な価値を持っている。
特にチア部やモデル部の信者には鄭明析から時計などのプレゼントが送られた。
「常緑樹(生涯結婚せず主だけを愛する信者)」になるよう勧められることもあった。
2008年、韓国大法院(最高裁判所)において鄭明析側に慰謝料約700万円の支払いが確定した。翌2009年、韓国大法院が鄭明析の上告を棄却し、懲役10年の判決が確定。
なお、この10年の刑に関しては裁判の有効性を疑問視する声もある。
123:

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